検索ワード:靖国神社/18件ヒットしました

  • Thumbnail

    テーマ

    終戦の日に考えたい靖国参拝の是非

    72回目の終戦記念日を迎えた。安倍首相は靖国神社への参拝を見送り、私費で玉串料を奉納した。そもそも首相が靖国参拝したかどうかを速報ニュースで報じることに何の意味があるのか。まったくもって不思議だが、これもメディアの悪しき慣例であろう。というわけで、靖国参拝の是非を終戦の日に考えてみたい。

  • Thumbnail

    記事

    実は「天皇の靖国参拝」に道を開くカギがあった

    島田裕巳(宗教学者) 毎年、8月15日の終戦記念日には靖国神社の問題が取り上げられるのが恒例になってきた。果たして今年はどうなのだろうか。例年ほど話題にはなりそうにない気配だ。 そこには、一つには政界の事情がからんでいる。安倍晋三首相が参拝しないのは事前に予想されることで、政権基盤が揺らいでいる現状において、首相の靖国神社参拝を求める声もさほど大きなものにはなっていない。 しかし、靖国神社の影が薄くなってきているのは、それだけが原因ではない。何より、終戦から72年がたち、実際に戦場に赴いたことのある世代はほとんどが90歳以上になってしまった。 靖国神社と密接に関連する日本遺族会は、かつては110万世帯の会員を抱えていた。現在の会員数は不明だが、軍人恩給の受給者は2万3000人で、遺族でも31万人をわずかに超える程度である。高齢化した軍隊経験者やその遺族が靖国神社を訪れることも、今やまれになっている。 しかも、靖国神社では2年前の「みたままつり」から、露店の出店を中止した。それは、正月や花見のときにまで及び、大量の若者がみたままつりに繰り出すことも、サラリーマンが正月明けに靖国神社に立ち寄ることもなくなった。 酒による騒ぎを防止するためだとされる。それは、戦没者の慰霊の場である靖国神社を静謐(せいひつ)な空間に保とうとする試みかもしれないが、これによって一般の参拝者と靖国神社との距離が大きくなったことは間違いない。 2000年代に小泉純一郎首相が、周辺諸国からの批判があったにもかかわらず参拝を続けた頃には、8月15日の参拝者はピークで25万人を超えた。しかし、その後は、10万人台後半に落ち着いた。年間の参拝者は500万人程度とも言われる。参拝を終え、記者の質問に答える小泉純一郎元首相=2006年8月15日東京都(小野淳一撮影) 2年後の2019年、靖国神社は創建150年を迎える。そのための準備も進められているが、その一方で、現在の宮司が最後の徳川将軍、徳川慶喜の曾孫にあたることもあり、西郷隆盛や江藤新平、白虎隊や新撰組といった、いわゆる「賊軍」を合祀(ごうし)しようとする動きも生まれている。 今の一般国民の感覚からすれば、賊軍の戦没者を合祀しても一向に構わないと思えるだろうが、「官軍」の戦没者を祭る「東京招魂社」として始まった靖国神社の歴史を考えると、それは神社の根本理念を変更することを意味する。 その一方で、首相の靖国神社参拝は、現実的にほぼ不可能な状況にある。安倍首相が就任1年目に参拝したとき、周辺諸国から反発を受けたことは想定内としても、米国側が「失望した」とコメントしたことは大きかった。それ以降、靖国神社参拝に熱意を持ってきた安倍首相が参拝を見送ってきたことからすれば、安倍首相以降の首相が参拝するとは考えられない。 まして、現在の天皇や、来年末にも即位が予定される次の天皇が靖国神社に参拝することは考えられない。それを要望する声も上がりそうもない。カギは「共産党アレルギー」? 国に殉じて亡くなった戦没者を慰霊するために、天皇が靖国神社に参拝することは、靖国神社のあり方からすれば当然である。本来なら首相の参拝以上に天皇の参拝が問題にされるべきである。 昭和天皇が途中から靖国神社参拝を取りやめたのは、A級戦犯の合祀に不快感をもったからだとされるが、もう一つ大きいのは、政教分離に違反する可能性が出てきた点である。 昭和天皇の最後の参拝は1975年のことで、その2年後には、政教分離をめぐる裁判の嚆矢(こうし)となった「津地鎮祭訴訟」の最高裁判決が出ている。最高裁は、地鎮祭に公金を支出したことを憲法違反とはしなかったが、高裁では違憲判決が出た。これ以降、地方自治体だけではなく、政府も政教分離の原則に違反しない行動を求められるようになる。1959年6月24日、ご成婚の2カ月半後に靖国神社に参拝された皇太子ご夫妻 にもかかわらず、1985年に中曽根康弘首相が終戦記念日に「公式参拝」を行ったことで、周辺諸国からの反発を初めて受けることとなった。政教分離がやかましく言われるようになるなかで、首相は公人として参拝するのか、私人として参拝するのかが問われ、それが世間の注目を集めるようになっていた。 そうした状況のなかで、あえて公式参拝に踏み切ったため、世論の大きな注目を集め、結果的に、中国からは「東條英機ら戦犯が合祀されている靖国神社への首相の公式参拝は、中日両国人民を含むアジア人民の感情を傷つけよう」と批判されたのである。 津地鎮祭訴訟がなかったら、首相の靖国神社参拝が公人としてのものなのか、私人としてのものなのかは問われず、中曽根首相があえて公式参拝と打ち出す必要もなかったはずだ。 その点で、津地鎮祭訴訟の果たした役割は大きい。これを提訴したのは日本共産党の市議だった。当時は、靖国神社の国家護持の運動が進められていて、それに反対する人たちが、途中からこの訴訟にかかわってきた。 日本共産党の戦略が成功したといえるわけで、それは、周辺諸国に日本批判の格好の武器を与えるととともに、首相の、そして天皇の靖国神社参拝を阻む壁となってきた。そうであれば、天皇や首相の靖国神社参拝に道を開くのは、日本共産党の姿勢が変わるかどうかにある。 最近、日本共産党は天皇の臨席に反対し、国会の開会式に出席しなかったのを改めた。共産党アレルギーの払拭(ふっしょく)をねらってのこととされるが、さらに姿勢を変えていけば、政教分離をこれまでほどは厳格に求めなくなるかもしれない。 天皇の靖国神社参拝に道を開くのは、案外、日本共産党の動向なのかもしれないのである。

  • Thumbnail

    記事

    総理は「敗戦の日」にわざわざ靖国参拝すべきではない

    められ殺されても自らは戦わないという国となった例は世界にないという現実だ。71回目の終戦の日を迎えた靖国神社には、祈りをささげるため早朝から参拝者が訪れた=2016年8月15日、東京・九段北 そして諸国はみな、実は敗戦国である。いつの戦争で負けたかという違いだけだ。第二次大戦で圧倒的な勝者となったアメリカも30年後の1975年には小国ベトナムに無残に負けた。しかし「家族を殺されかけていても二度と戦わない」という国に成り果てたのは、この祖国だけである。 子供時代のふたつの疑問で言えば「敗戦をなぜ、終戦と呼ぶのか」ということについては、やがて「勝った、負けたという以前に、戦争という惨劇がようやく終わったという庶民、国民の気持ちも込められているのだろう」と考えるようになった。 しかしそれでもなお、歴然たる大敗を終戦と言い換えるのは、まさしく子供の教育に悪い。 こうした姿勢が、どれほど広範囲に惨たる現実を生んでいるだろうか。漁船すら憲法9条を熟知する北朝鮮の「侮蔑」 例えば、北朝鮮という小なる破綻国家に同胞を奪われたまま、ふつうに日常生活を送っていく、わたし自身を含めた日本国民とは一体、どこの誰だろうか。これが本当の日本人なのだろうか。 小なる破綻国家というのは、まったく侮蔑ではない。人口は日本の6分の1前後のおよそ2千万人にすぎず、GDPは日本の約3百分の1、年間の国家予算は実に約1万分の1、そして独裁者の一族がどれほど潤っていても国民生活は天候次第で餓死者も出すほどに破綻している。 その隣国に有本恵子さん、横田めぐみさんをはじめ何人を奪われているかすら分からず、しかし15年も前に金正日総書記が小泉純一郎総理(いずれも当時)に公然と拉致を認めていながら、依然として誰も取り返しに行かない、いや行けないと思い込んでいるのが、ありのままの日本である。 それどころか、不肖わたしが参議院の予算委員会で拉致被害者の帰還をめぐって質問すると、足音高く委員会室を出ていく野党議員、それも有名な女性議員が複数いるのが傍聴席の国民に目撃されるのが日本国である。 北朝鮮はこの日本をあからさまに侮蔑(ぶべつ)し、たった今、日本海の好漁場の大和堆(やまとたい)に粗末な漁船で現れ、稚魚をも根こそぎ奪い尽くす網で魚もイカも勝手に取り、日本の漁船どころか水産庁の違法操業取締船もまったく無視をしている。日本国民の漁家はやむを得ず、最近は北方の武蔵堆に漁場を移そうとしていると、その近くには北のミサイルを撃ち込まれる始末である。長崎県五島市・福江島の南の海域で、浸水し傾いた北朝鮮籍の貨物船チョン・ゲン=1月12日(第7管区海上保安本部提供) この小舟、マストに北朝鮮の国旗を掲げ、お尻には軍に所属することを朝鮮語で記している。つまり日本国憲法第9条の致命的な最後の一行、「国の交戦権は、これを認めない」の意味を、学校で教わらない日本国民よりも、はるかに良く理解している。 敗戦後の日本は相手が国(外国)であり、軍をはじめ国の機関であれば、まさしく何をされても戦わないことを良く知っているのだ。 だから海上自衛隊は何も対応していない。できない。海上保安庁は奮闘して800隻以上を追い払ったが、追い払うだけであり、再び同じ小舟も平然と押し寄せてくる。 日本海の水産資源は生態系ごと破壊され続け、漁家の生活は根本的に脅かされている。 わたしたちの日本は言霊の国である。 敗戦を終戦と言い換え、「二度と戦わない」と言って済ませているために、どれほどの深刻、無残な現実を生んでいるのか。「総理の靖国参拝」は複雑な問題ではない この最新の事例と同じことが繰り返し、起きている。太平洋側の東京都小笠原諸島では、漁家がおよそ40年を費やして育て上げた赤珊瑚が、これは五星紅旗を掲げた中国漁船団のやはり粗悪な網で奪い尽くされた。 小笠原村議会の議長さんらが、わたしの議員会館の部屋を訪ねてこられた。海が荒らされ通常の漁も困難になっている現実を訴え、「青山さんしか聞いてくれないと思って、今日のアポイントメントを秘書さんに申し込みました」と仰(おっしゃ)った。 かつて島根県隠岐郡のこれも好漁場、竹島とその周辺の領海を韓国に奪われるとき、不当にして一方的な発砲で日本国民の漁家が殺害されているのに、これまでは学校で教えられることすらなかった。 不肖わたしが国会に出て、自由民主党の会合などで訴え続けていると、文科省の良心派の官僚らが動き、学習指導要領に盛り込まれた。 獣医師の養成機関をめぐる騒動で、既得権益を死守してきた文科省の裸の姿が実は浮かび上がっているのだが、こんな良心派もいる。 だが、竹島は帰ってこない。北方領土も返ってこない。尖閣も脅かされている。 このことをめぐって、なぜ与野党をはじめ国論が分かれるのか。ここだけは一致できる点ではないのか。 これを考えれば、8月15日にいつも決まって話題にされる「総理や閣僚の靖国参拝」も、マスメディアや学者、評論家がこれも決まって騒擾(そうじょう)を掻(か)き立てるほど複雑な問題ではないことが分かる。 まず靖国神社は、先の大戦を含めて国のために戦った死者を祀(まつ)る場所である。そこには兵士ならざる国民、例えば沖縄の学徒看護隊の少女たちも祀られている。 おのれのためではなく人のため、国のために死した人を政府が尊び、祈らない国はこの地球上に、日本を除いては、存在しない。 ドイツでもナチを否定したうえで、戦ったドイツ国民を悪者にはしない。朝日新聞や岩波書店が「ドイツは反省したのに日本はしない」という主張の好例にしているワイツゼッカー独大統領(当時)の演説も「ナチが悪かった。ドイツ人は悪くない」という趣旨を明言している。実際はナチも最初は選挙でのドイツ国民の圧倒的な支持によって権力の座についたにもかかわらず、である。ワイツゼッカー元独大統領 ワイツゼッカー演説の真の肝は「一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります」という部分だ。 すなわち悪いのはヒトラーとその一味、追従者であり、ドイツ民族全体の罪ではないと説いている。 したがってワイツゼッカー大統領(当時)は第二次大戦のドイツの戦争と、ヒトラーによるユダヤ人や少数者への迫害を明確に分けて、戦争についてはどこでも起こり得るとして事実上、正当化した。 さらにはヒトラーの台頭を許したのはイギリス、フランスにも責任があるとまで述べている。「天皇陛下も参拝されない」明快な理由 アメリカの首都ワシントンDCの国立墓地では、アメリカがヒーローになった先の大戦だけではなく、ハリウッドの娯楽映画ですらけちょんけちょんに非難するベトナム戦争の死者もまったく同等に尊敬され、祀られている。 なぜ日本だけが違うのか。 それもなぜ、中国や韓国、北朝鮮、あるいはアメリカという外国から論難されねばならないのか。 これも子供がまともに考えれば不可思議な話であるから、「いや、靖国参拝は駄目だ」とする根拠を補強してある。 ひとつは「天皇陛下もA級戦犯が合祀されてから参拝をされていないではないか」という声高な主張である。 この天皇陛下をめぐって、先の通常国会では今上陛下のご譲位を実現する法を成立させるとき、野田佳彦前総理をはじめ野党の要求に自由民主党が間違って膝を屈し、付帯決議の中に「女性宮家の創設」の検討が盛り込まれてしまった。女性がご当主の宮家ができれば、そのご当主が一例では中国人と結婚なさると、場合によっては中国人による新しい王朝が始まることにも扉が開く。 これに反対するために、わたしは山田宏参議院議員、鬼木誠、長尾敬両衆議院議員らと「勉強会」を連続して開いた。 その講師に招いた一人が、靖国神社の神官、松本聖吾総務課長である。 わたしは俗説を駆逐するために、いくつかを確認した。遊就館の展示課長も務めた歴史家でもある松本さんの解説は明快だった。「陛下が直々に参拝されるのは基本的に多くの戦死者が出たときであり、日本は長期にわたって戦争をしていないから参拝がないのはむしろ当然です。一方で陛下の勅使が、靖国神社の主たるお祭りである春と秋の例大祭に欠かさずお出ましになっているので、陛下と靖国との関わりはまったく変わっていない」 つまりは、A級戦犯云々(うんぬん)というのは、無知を利用した言いがかりに過ぎない。 この解説は、安倍総理の参拝をどうするかにも繋がる。靖国神社の春季例大祭に合わせて安倍首相が奉納した「真榊」=4月21日午後、東京・九段北 8月15日は靖国神社にとって、本当の主たる刻ではない。日本の内閣総理大臣は誰であれ、8月15日の、作られた異常な騒擾にかかわらずに例大祭にこそ淡々と、粛々と参拝し、諸国と同じように、人のため、公のために死した人を国家の永遠の責任として弔い、日本を世界標準、国際法にきちんと沿う国にする大切な一歩とすべきである。

  • Thumbnail

    記事

    なぜ創価学会は首相の靖国参拝を許さないのか

    倉山満(憲政史家) なぜ、総理大臣が靖国神社に参拝できないのか。 創価学会が許してくれないからである。 現実において「靖国」は政治問題と化している。内政においてのみならず、国際問題でもある。現実における力関係を見ずして、事の本質は見えないであろう。 安倍晋三首相は、政権に返り咲いて以降、長年の政治問題と化していた靖国問題の収拾を図っていた。すなわち、三木武夫内閣で「八月十五日」に参拝することが政治行事となってしまったが、それまでの歴代首相は春秋の例大祭に参拝していた。八月十五日は大東亜戦争の戦没者を祀る日だが、例大祭ではすべての戦いにおける戦没者を慰霊する。第二次安倍内閣の当初の勢いならば可能だっただろう。多くの参拝者が訪れる靖国神社 2012年12月、政権に就いた安倍首相は日銀人事への介入を宣言。翌2013年3月には、自らの意を汲む黒田東彦総裁と岩田規久雄副総裁を送り込む。4月には「黒田バズーカ」と言われる金融緩和を行い、株価は爆上げとなった。当然、比例するように支持率も上がる。 選挙は連戦連勝、都議会議員選挙でも参議院選挙でも、安倍首相率いる自民党は圧勝した。 簡単な理屈だ。「金融緩和する→株価が上がる→支持率が上がる→選挙に勝てる→政権基盤が強化される」 アベノミクスこそ、安倍内閣の命綱だったのだ。 ところが、参議院選挙勝利の2日後、麻生太郎財務大臣は「これで増税への障害はなくなった」などと、消費増税への鏑矢(かぶらや)を放つ。せっかく景気が回復軌道に乗ってきたのに、消費増税などをすれば景気に水を差すなど子供でも分かる理屈だ。麻生の背後にいるのは、財務省なのは明らかだった。事務次官の木下康司は、7月20日付『新潟日報』のインタビューで、安倍首相に増税を迫ると宣言していたほどだ。 そして、霞が関の官僚機構は言うに及ばず、自民党の9割、公明党のすべて、民主党の幹部全員、経団連や経済同友会など財界主流、連合以下労働界、テレビと新聞のすべてが「消費増税」の大合唱だった。 そして安倍首相は、財務省が敷いたレールに乗せられるがまま、10月1日の午後6時に、8%への消費増税を宣言した。 その後の動きは周知のとおりである。2014年4月に消費増税が実施されると、景気は激しく低迷し、10%への増税は先送りされた。黒田日銀は何とかアベノミクスを支えているが、金融緩和でアクセルを踏みつつ、消費税がブレーキとなっている状態だ。だから緩やかな景気回復は続けているが、「蛇行運転」の状況である。以後、安倍内閣が政権奪還直後の勢いを取り戻すことはなく、現在に至っている。 さて、長々と8%消費増税決定の過程を振り返ったのには意味がある。アベノミクスが安倍内閣の生命線であるのみならず、靖国問題においても、決定的な意味があったからだ。創価学会の「孫請け」になった自民党 木下財務次官が増税への包囲網を敷き、安倍首相が追い詰められていた2013年9月20日。BS朝日の番組において、山口那津男公明党代表が「機運くみ取って」との表現で、くぎを刺した。「安倍首相よ、例大祭に行くな」との意味だ。要するに、生命線であるアベノミクスを自ら断ち切ろうとしている安倍首相を舐めてかかり、ここぞとばかりにくさびを打ち込んできたのだ。靖国問題を解決させないために。 現に、2013年の年末に何とか靖国参拝は果たしたが、安倍首相は例大祭はおろか、靖国参拝そのものを実行できていない。靖国問題を解決するとの安倍内閣の目論見は潰(つい)えている。 以上、この冷厳な現実がおわかりいただけただろうか。 なぜ、総理大臣が靖国神社に参拝できないのか。 創価学会が許してくれないからである。  さらに過酷な現実を直視しよう。現在、安倍内閣は支持率の急降下に喘(あえ)いでいる。これとて、創価学会とその下請け政党である公明党との関係だ。 今年2017年7月の都議会議員選挙において、自民党は記録的な大敗を喫した。4年前の59議席から23議席にまで落ち込んだ。公明党との連立を解消し、その支持母体である創価学会の支持を得られなかったからだ。悲惨なのは1人区である。7つの1人区で、自民党が勝てたのは島嶼部だけである。桧原村ですら敗北した。桧原村と言えば、衆議院の選挙区で言えば東京25区。いかなる逆風選挙でも開票直後に自民党の当確が出る選挙区である。そこですら、創価学会の支持がなければ勝てない。東京都議選で公明党候補の手を取って応援演説をする小池百合子都知事=2017年6月、東京・狛江市(酒巻俊介撮影) 国政では自公連立が続いているが、もはや自民党など創価学会の孫請け政党にすぎない。そんな政党を基盤とする安倍内閣が、創価学会と公明党が忌避する靖国参拝など、できるはずがないではないか。 先に、「金融緩和する→株価が上がる→支持率が上がる→選挙に勝てる→政権基盤が強化される」と初期安倍政権が強かった理由を書いたが、それとて「創価学会が支持してくれる限り」との注釈がつく。  では、首相を靖国参拝させたくない勢力の思惑は何なのか。話は、鈴木善幸内閣にまでさかのぼる。 1982年、「文部省が歴史教科書の検定において侵略を進出と書き直させた」との誤報に基づいて、中国と韓国が抗議してきた。これを受けた宮沢喜一官房長官は「近隣諸国条項」の設置を決める。つまり、我が国の歴史教科書は、中韓両国の意に添うように書くことを決めたのだ。これが歴史問題への近隣諸国の介入の道を開くこととなる。 当時、中国は鄧小平、韓国は全斗煥が指導者だった。両国では珍しく、比較的親日的な指導者の時期だった。両国の反主流派にとっては格好の材料だった。「日本の横暴を許すのか」と迫られると、鄧小平や全斗煥も一応の抗議をしない訳にはいかない。それでも日本政府が「内政干渉だ」と突っぱねれば問題は生じなかっただろう。ところが、鈴木内閣宮沢官房長官は、「近隣諸国条項」などと自ら定めてしまう。これでは中韓両国の歴代指導者は、歴史問題が日本で起きるたびに、外交的介入をしない訳にはいかない。前任者より後退できないのは、自明の理だ。靖国問題に理屈などない 続く中曽根康弘内閣が、教科書問題を靖国に飛び火させる。中曽根は、8月15日に靖国神社に閣僚全員で公式参拝し、中韓両国の抗議を惹起(じゃっき)する。その上で、突如として参拝を取りやめた。一説には、中国と「総理大臣は8月15日に靖国神社に参拝しない」との密約が結ばれたとも言うが、よくわからない。とにかく、以後の歴代内閣は靖国参拝を控えるようになる。橋本龍太郎の1回だけの例外を除けば、圧力をはねのけて参拝を敢行する総理大臣は小泉純一郎を待たねばならない。 小泉は「必ず8月15日に参拝する」と公約し、毎年の参拝を続けながらも、実行できたのは、総理退任の年だけだった。どれほどの圧力があったのか。そして小泉以後は、今の安倍首相の1回だけである。靖国神社に参拝した安倍晋三首相(中央)=2013年12月(寺河内美奈撮影) これを中韓両国の立場で考えよう。確かに歴代指導者が日本の首相の靖国参拝を阻止してきた以上、自分の代でやられたくはない。しかし、メンツの問題はともかく、日本の首相が自分の国の神社に参拝して、中韓両国に何の実害があるのか。とすると、政治問題化させて、外交カードとしてゆさぶる道具にできる。しかも、日本の首相が靖国参拝を求める保守勢力に押されていた場合、その政権を揺さぶることすらできる。 私が中韓両国の首脳なら、こう考える。首相の支持者が「靖国に行け」と求めるたびに、連立与党の公明党に「行ってもらっては困る」と止めさせる。たったそれだけで、政権は膨大なエネルギーを割かねばならないのだから、安いものだ。誰がこんな外交カードを手放そうか。 創価学会・公明党と中韓両国の親密さは誰もが知っている。公明党は中韓両国の意向を重視した行動をとるだろう。また、彼らは宗教的理由から靖国神社を快く思っていない。だから小泉内閣のように強い内閣にはおとなしくしているが、安倍内閣のように弱い内閣には平気で拒否権を行使する。中韓両国や財務省などを後ろ盾にして。 ゆえに靖国問題に理屈など存在しない。徹頭徹尾、政局の問題だ。内外の情勢が絡んだ、すべては力関係で決まる。  では、突破口はどこか。 かつて、浜田幸一代議士が迫ったことがある。 「公明党の諸君! 君たちは天皇陛下の次に池田大作先生を尊敬すると誓えるか? 仮にそれを明言できるなら、我々自民党は君たちと連立を組むことができるだろう」 乱暴なハマコー節にしか聞こえないかもしれないが、信教の自由と政教分離の関係を見事に凝縮している。また、近代政党の姿をも示している。ハマコーは、平成元年に参議院で自民党が過半数割れした時に「国会で協力してくれる公明党に閣僚ポストを与えよ」と主張していた。同時に、自民党が国家本位の政党としての理念を示し、筋を曲げない形での連立であるべきだとも主張していた。 現実は、かけ離れている。  さて、安倍内閣が力を取り戻すのは、いつの日か。

  • Thumbnail

    記事

    米元軍人にさえ広がる違和感 靖国参拝を悪用する中国「対日情報戦」

    とは、小規模な攻撃が加えられたことなどから証明されている。 2015年11月には、過激な韓国人の男が靖国神社内で爆発物を起爆させた。男は韓国に逃亡したが、翌月、日本に戻ったところを逮捕された。 2013年には、別の韓国人の男が靖国神社に不法侵入し、建物にシンナーが入った缶を投げつけて取り押さえられた。これは2011年に中国籍の男が靖国神社の門に放火した事件を模倣したものとみられている。同じ男がその後、ソウルの日本大使館を襲撃し、逮捕された。しかし、男が靖国神社放火犯だとわかると、韓国当局は男の身柄引き渡しを拒否した。2015年11月に南門近くの公衆トイレで爆発音がして不審物が発見された靖国神社(福島範和撮影) さらに、2010年に日本大使殺害未遂事件を引き起こした韓国人の慰安婦活動家が、2015年には、米国のリッパート駐韓大使暗殺未遂事件を起こし、大使は刃物で顔を切りつけられて血まみれになった。 中国、韓国のメディアと両国政府が、日本を悪魔のように扱うことが多くなるにつれ、同様の事件が増え、それが当たり前のようになってきているのだ。 私は個人的に、この題材などについて中国、韓国、日本、タイ、台湾、フィリピン、オーストラリア、インドネシア、マレーシア、ミャンマー、そして米国の11カ国・地域で調査を行った。だが、反日感情を持つとプロパガンダ(政治宣伝)されているこれらの国のほとんどが、まったく逆の状況であった。たとえば、インドネシアでは、日本人は同国の独立のために戦ったとして、米国のアーリントン国立墓地に相当するインドネシアの墓地に埋葬されている。私と研究チームの仲間は実際、数千ものイスラム教徒が眠る墓地に、日本人がまず先に埋葬されているのを見た。タイは日本に恨みを持った国か タイも、(日本人に対する)恨みを持った国であると喧伝されている。私は米国人だが、私のタイ人の家族は、休暇には日本に旅行する。タイ人たちは、日本人に対する恨みなどはない。彼らは、(日本人を)仲間だと思っている。市民の草の根レベルから政府まで、関係は良好である。 私の事務所近くのバン・カットには、日本兵を祀った大きな記念碑が学校の敷地内にある。もし、日本人が地域を破壊し尽そうとしたなら、タイ人たちは1万8000人もの日本兵士の記念碑を学校に建立するのを許すだろうか。タイのアピシット・ウェーチャチーワ元首相とバンコクで個人的に話す機会があり、靖国神社や慰安婦について、タイの立場について尋ねたが、答えは、何もないだった。 一握りの日本人たちは、第二次大戦の戦場だったバターンやカンチャナブリで戦争犯罪は行われなかったと、主張している。私たちはこれらの場所やほかの場所でも調査を行った。その結果、日本兵による戦争犯罪は事実であった。ただ、反日プロパガンダとは異なり、その問題について学んだほとんどの日本人は、証明された事実やほぼ確実な事実については痛恨の念を表明している。 しかしながら、日本人が慰安婦として40万人もの女性たちを性の奴隷として組織的に誘拐していたというプロパガンダは偽りだ。そうしたことは起きなかった。20年前、先ほどの誘拐された女性の数は20万人だったが、その前には2万人だった。このまま増え続けると、そのうち100万人になるだろう。誰も、慰安婦という名の合法的な売春制度が存在していたことを、議論しようとしているわけではないのだ。慰安婦制度は存在していた。そして、韓国にも、そのほかの国にも、いまなおそうしたものが存在している。 こうした慰安婦たちは、旧オランダ領のジャワ島でいくつか報告されているほか、私もミャンマーのカロゴン村で新たに3人の元慰安婦の女性を見つけた。97歳の生存者にも聞き取り調査も行った。しかしながら、ほとんどの女性たちは自ら奉仕していたと語った。ただ、朝鮮人のブローカーたちにだまされて、連れてこられたという女性たちもいた。 ある米国人の作家で、有力な雑誌のジャーナリストが、ソウルを旅して突然、慰安婦についての記事を発表した。彼の記事は、中国と韓国の視点を載せたものだった。私は彼に電話をして、どこから情報を得たのか尋ねた。 彼と、ほかのジャーナリストたちはツアーに招かれ、「説得力のある」展示をみせられたのだ。私も同じツアーに参加したが、時期が違った。詐欺であることは明らかだった。真摯な研究者はこうした罠には陥らない。しかし、ジャーナリストたちは、日々、誤った方向に報道を繰り返す。偽りのニュースは広がり、しばし、それを邪魔する者を破壊するのに十分な慣性を得るのである。情報戦の渦中に踏み込んだジャーナリスト 私は、丁重に彼が情報戦の渦中に踏み込んだことを知らせた。彼は、自らを守る姿勢に転じ、私がホロコーストを否定する者であると非難した。ホロコーストは実際にあった出来事だ。その証拠は動かしがたい。だが、日本とはまったく無関係なのである。彼は、反日勢力理想的な道具となった。情報の戦士たちは、キーボードをたたくことで雄叫びをあげる。勝ち誇った叫び声なしに、情報戦はうまくいかないのだ。 ソウルでの3週間に及ぶ調査では、毎日のように、時には1日に数回、ソウルの日本大使館前の慰安婦像に足を運んだ。今から1年以上前のことだが、反日団体として知られる韓国挺身隊問題対策協議会の活動の一環として学生たちは、像のそばに24時間体制で寝泊まりしていた。カトリック教会の修道女たちもしばしば彼らとともに夜を徹して抗議行動を行うのだ。ソウルのカトリック教会は、公然とこうした政治的な憎悪が波及するのを助け、日本大使館前で毎週のように行われる抗議行動に参加している。ソウルにあるフランシスコ会修道院の入り口にまで、慰安婦像が設置されていた。 中国の南京では、大虐殺をテーマにした巨大な博物館に行った。建築費は、数千万ドルはかかっただろう。そこは、中国政府が支援してつくった、日本への憎しみを焚きつける場所のひとつであった。建物の前には、生徒たちで満員となったバスが次々到着し列をつくり、生徒たちは鮮やかな色の旗を持ったガイドに連れられてディズニーランドの水準にある博物館に入る。博物館の展示物は、忘れられないほどショッキングなものだ。1000点以上にも上る展示品は、スマホのカメラで撮影しやすいようにライトで照らされ、斬首している人形の写真撮影を勧めている。博物館は、まさに(情報戦争の)最前線の武器となっているのだ。 南京で様々な者たちによる戦争犯罪は起きた。日本人も部分的には責任を負っている。しかし、中国側が誇張するほどのものではない。日本は過ちに対する自責の念を表明したが、中国は決して自らの過ちを認めない。中国側は現在、30万人が殺害され、多くの女性がレイプされたと主張している。米国の反日ジャーナリストたちは、当時の犠牲者数は2万から3万人だとしている。中国側は決して明らかにはしないだが、犠牲者の多くは、中国国内で起きていた内戦に起因するものなのである。 現段階で最低限言えることは、▽南京において戦争犯罪は発生した▽犠牲者の数は、宣伝されている数より遙かに少ない▽中国人の軍人自身が多くの残忍な行為に関わっていた▽そして、現在、中国側はそれ(南京事件)を、国民が日本への憎悪を育むための肥料として使っている-という事実である。靖国はもう一つの情報戦の舞台 米国のベストセラー作家、ローラ・ヒレンブランド氏が著書『アンブロークン』において、第二次大戦中の1944年、日本軍が北マリアナ諸島のテニアン島で、5000人の朝鮮人を皆殺しにしたと偽りの主張を二度もして、真っ黒なしみを残してしまった。私たちは、彼女の主張に反論した。そして、軽蔑され、さげすまれた。ヒレンブランド氏は、まだ生存している可能性がある人々たちに対して、戦争犯罪の疑いをかけたのだ。戦争犯罪に対する時効というものは存在していない。 ヒレンブランド氏が1944年に起きたと主張する虐殺のすぐ後に、米軍はテニアン島に侵攻し占領。その島から2つの原爆投下作戦を遂行した。私たちの調査チームは、朝鮮人たちが元気に生存していた証拠である米国の月間人口調査報告など多くの文書を見つけた。それらの中には、朝鮮人たちが日本を敗戦に導くため、666ドル35セントの寄付をしたとする文書も含まれている。 私たちは、ヒレンブランド氏が彼女の読者たちを欺いたことを証明した。最後に私は、ヒレンブランド氏、もしくは彼女の告発が正しいと証明できた最初の人物に対し、2万ドルを支払うと公表した。もし、その告発が真実であるなら、驚くほど簡単に証明できるはずだが、いまだ証明した者はいない。 もう一つの情報戦の舞台は、東京にある靖国神社だ。私を含む米国の退役軍人の多くがその聖なる地を参拝し、自分たちの祖先とかつて戦った日本人に敬意を示している。慰安婦や南京に焦点を当て憎悪を扇動することは、人々が靖国神社への参拝に対し、感情的に反応するよう仕向けているのだ。しかしながら、靖国神社を批判する者や抗議する活動家たちは、北京でガラスの下に横たわる、史上最悪の大量虐殺を行った毛沢東の蝋人形を中国が崇拝している、という皮肉を決して口にはしない。 靖国神社とアーリントン国立墓地を比較すると、アメリカ人の中にも反発する人が出てくる。彼らは、自分たちにとって都合のよい見識に合うように勝手に決めつける人か、靖国には戦犯たちが合祀されていると、反発するかのどちらかだ。しかし、アーリントンにも戦犯たちが埋葬されていると反論することはできる。私たちの内戦(南北戦争)で(合衆国に反旗を翻し、敗れた)南軍の軍人たちもアーリントンには眠る。彼らは、奴隷制度存続のために戦った。フィリピンでの暴動や、アメリカ大陸の原住民に対する扱いなど、ほとんどすべての戦争の戦犯たちがアーリントンには確かに埋葬されているのである。 ベトナム戦争中に起きたソンミ村での虐殺事件で、軍事法廷で処分を受けたコスター准将も、その一例である。コスター准将は、第二次大戦後に戦犯として処刑され、靖国神社に合祀された山下奉文大将とも比較される。コスター准将は、(米陸軍士官学校の敷地内につくられた)ウエスト・ポイント墓地(第18区画、G列、墓標番号084B)に埋葬された。果たして、米国人はベトナムの大統領からの不満表明を真剣に受け止めるだろうか。あるいは、政府高官がアーリントンかウエスト・ポイントの墓地に敬意を表したとして、何か問題が起こるだろうか。 米国で尊敬されている指導者のひとり、米軍人のカーチス・ルメイ大将は、こんな名言を残した。「もし、私たちが戦争に敗れれば、われわれはすべて戦犯として罰せられていただろう」「靖国宣伝」で一石二鳥を狙う中国 日本人の死生観は、ほかの多くの国の人たちとは異なっている。神道では、死んだ人はすべて平等になる。突如として、将軍も、個人の権利も、犯罪者も、聖人もなくなるのだ。すべての人は、ニュートラルなものとなるのだ。ロサンゼルスには、ほとんどの隊員が日系アメリカ人からなる第442連隊戦闘団の記念碑がある。第二次大戦中につくられた第442連隊戦闘団は、米国史上最も多くの勲章を受けた部隊となった。第442連隊戦闘団は、記念碑を有し、それは正真正銘、名誉ある場所なのである。第442連隊戦闘団の記念碑は、戦没した英雄たちの名が刻み込まれた大きな壁だ。だが、そこに階級は記されていない。彼らの魂は平等なのだ。これが日本人の価値観なのである。 靖国神社には、240万柱以上の英霊が祀られている。朝鮮人も、軍務で亡くなった動物たちも含まれている。その中には、14柱のA級戦犯も含まれている。中国人は、これをうまく使ってアメリカ人をだまし、韓国人をたきつけ刺激する。その一方で、中国人は、日本の残虐行為を批判しながら大虐殺を行った毛沢東を礼賛し続けている。だまされやすいアメリカ人は特に、この皮肉の意味を理解できないのだ。朝鮮人たちは、彼らが日本国民として、日本軍兵士や将校として戦った事実に目を背けたいようだ。ただし、アメリカ人捕虜たちを虐待した「日本の」憲兵隊の多くは、実は朝鮮人たちだった。しかし、こんな事実もほとんど語られない。 中国は、日本人が悪霊を呪文で呼び起こすために靖国神社に祈りを捧げていると宣伝することで、中国自身の犯罪から目をそらさせ、日米の関係に摩擦を起こすという一石二鳥の効果を得るのである。これはまるで、映画の筋書きのようである。2016年12月29日、靖国神社の参拝を終えた当時の稲田朋美防衛相(菊本和人撮影) 2016年12月29日、日本の防衛大臣が靖国神社を参拝した。予測されたように、米紙ワシントン・ポストは次のように伝えた。 「東京発-米国の真珠湾から先ほど帰国した日本の防衛大臣、稲田朋美氏が木曜日、戦犯たちを含む日本の戦没者を祀った東京にある神社を参拝した…稲田氏の参拝と、それに先立ち行われた別の閣僚による同神社への参拝は、日本に隣接する韓国と中国から非難を浴びた」-。 中国政府は、人々の心に憎しみを植え付け、過激化させることで、紛争が起こるように仕向けている。これは、マインド・ゲームどころの話ではない。人々が武器と化すのである。 中国が人々の心に植え付ける憎悪によって日本人が殺害されるのは、もはや時間の問題である。そして、中国が作り出す、日本で軍国化が進んでいるという神話は、もはや単なる予言ではなくなるだろう。だまされやすい記者たちは、そうした結果をもたらすことに責任を負う必要がある。マイケル・ヨン ジャーナリスト。1964年、米国・フロリダ州ウィンターヘイブン生まれ。元グリーンベレー隊員だったが、90年代以降、独立した特派員として活動を開始。イラク戦争やアフガニスタン戦争の前線の真実を伝えたリポートが評価された。慰安婦問題では、米政府が3千万ドル(約35億6200万円)と7年の歳月をかけた調査で強制連行や性奴隷化を裏付ける証拠は発見できなかったと結論づけたIWG報告書をスクープした。

  • Thumbnail

    記事

    亀井静香氏「西郷隆盛や白虎隊など賊軍を靖国に合祀せよ」

    亀井静香天下御免!』(岸川真著/河出書房新社)など多数。取材■池田道大関連記事■ 島田裕巳氏が指摘「靖国神社が消える日は遠くない」■ 上原多香子 自死した夫の遺書公開で「俳優との不倫」発覚■ 上原多香子 不倫LINEで「止められなくなる」「そばにいて」■ 靖国神社元幹部が明かす「安倍首相が復活させた伝統」■ 靖国神社元幹部「中曽根首相参拝の時は閑散としていた」

  • Thumbnail

    記事

    靖国神社元幹部「中曽根首相参拝の時は閑散としていた」

     靖国神社元ナンバー3(禰宜)の宮澤佳廣氏が上梓した告白本『靖国神社が消える日』(小学館)。「靖国神社を宗教法人でなくし、国家護持に戻すべきだ」といった主張が議論を呼んでいるが、その一方で同書には、これまで知られてこなかった靖国神社をめぐる秘史が書かれている。著者の宮澤氏が、中曽根首相の参拝時のエピソードを紹介する。* * * 私と靖国神社との出会いは、昭和60年に遡ります。この年の8月15日、中曽根康弘首相による初の靖国公式参拝が行われました。その日は、それから21年後に訪れる小泉首相による終戦の日の、あの劇場化した靖国参拝とは比較にならないほどに長閑な光景が広がっていました。左翼活動家の「公式参拝反対」のシュプレヒコールも、拡声器などは用いずに、それこそ地声のままでしたから、喧騒といった印象はまったくありませんでした。1985年8月、靖国神社へ公式参拝に向かう中曽根康弘首相(中央) 当時、神社本庁の関連団体である神道政治連盟の職員だった私の役割は、この公式参拝の一部始終を記録することにありました。当日、武道館で開催された「全国戦没者追悼式」に出席した中曽根首相は、しばらく休憩したのち、公用車で靖国神社に向かい第二鳥居前で下車、徒歩で神門をくぐり内苑の参道を直進しました。拝殿で記帳を済ませると首相は本殿に進み、事前に供えられた生花の置かれた階に立って深々と拝礼したのです。 参拝に際しては、一般に用いられる「玉串料」ではなく「供花料」の名目で3万円が公費から支出されました。警察官から羽交い締めに 内苑の参道沿いには遺族が整列していましたが、その背後で数人の左翼活動家が「公式参拝反対!」と叫びはじめました。それを目撃した私は、すっかり職務を忘れて活動家に向かって突進していました。 今となれば笑い話ですが、気づけば、私自身が背後から警察官に羽交い締めにされていたのです。若気の至りと言ってしまえばそれまでですが、ここで私の武勇伝を披露しようというわけではありません。 靖国神社の巨大な門の内側を「内苑」と呼びますが、初めて行われた首相の公式参拝当日の靖国神社の内苑は、その程度の混み具合だったということです。活動家を全力で追い回せるほど閑散としていたのです。※宮澤佳廣氏・著/『靖国神社が消える日』より関連記事■ 靖国神社元幹部が明かす「安倍首相が復活させた伝統」■ 靖国神社元No.3が「A級戦犯合祀手続きは間違いだった」と告白■ 島田裕巳氏が指摘「靖国神社が消える日は遠くない」■ “国防幼稚園”化の韓国軍 徴兵制度を疑問視する声も多い■ 水原希子 天安門中指写真に「いいね!」で謝罪の背景

  • Thumbnail

    記事

    英霊の心を知って「日本に誇りが持てた」

    永くお幸せに。(女性)遊就館の展示室 ■…たまたまこちらに来る用事があり、以前より来たいと思っていた靖国神社を参拝し、遊就館を拝観しました。学校では教えてくれない事がたくさんあり、英霊の方々の思いを知ることができました。「やむを得ず戦争をした」という事実をハッキリと確認できて安心しました。 最近仕事でもモチベーションの下がることが多かったのですが、英霊の方々に申し訳なく恥ずかしくなりました。 今の日本を見たら、英霊の方々が嘆き悲しむかもしれません。一人でも多くの日本国民が拝観してくれることを切に望みます。また絶対に来ます。ありがとうございました。 ■…日本に生まれながら、初めて靖國神社に参拝させていただきました。80を過ぎた母と娘と3人でうかがいました。境内の神妙なる空気に心が洗われる思いです。 現在の私たちの平和な生活も国の為に死んでいかれた英霊に感謝せねばなりません。昨日とは違う生き方ができるように思います。(56歳男性) ■…軽い気持ちで来た自分を恥ずかしく感じました。もっと多くの方に来てほしい。次は子供たちを連れてきます。(47歳女性) ■…私は在日韓国人二世です。初めて参拝させていただきましたが、祖先を祀る心に国の差はないと感じました。日本と韓国の恒久の友好と平和を英霊たちとともに実現したいと、微力ながら努力しようと思います。ありがとうございました。自殺考えた自分を反省戦歿者が妻にあてた手紙。これが遺書となった=遊就館 ■…正直、自分の命はいらないと思っていた。ここに来るまでは。自殺というものを何度も考えたけど、死にたくなくても死んでいく人がたくさんいる。英霊に感謝を忘れずこれから生きていく。(18歳女性) ■…多種多様な意見はあると思いますが、日本人の本質を勉強できるすばらしい場所だと思います。今は亡き、英霊の方々のご冥福をお祈りいたします。 ■…私は甘えていたことに気付きました。(展示されている)このような事実を知らない人々はたくさんいると思います。人生変わりました。感謝しています。本当にありがとうございました。(17歳) ■…たくさんの資料が展示されており、大変勉強になりました。来られて本当に良かったです。(29歳女性) ■…貴重な資料をもっと多くの国民が関心をもって愛国心や命の尊さを感じ、日々大切に生きてほしいなと思います。参拝はこれからも続けるつもりです。 ■…日本のすばらしさを、世界中のどの国よりも誇り高き日本を、もっと知らせてください。(52歳女性) ■…自衛官としてこの地に参拝するのは当然である。ここに来ることで職務の重要性と国への誇りが再確認できる(30歳男性) ■…第2次大戦についての展示を見て、自分の中での何かも変わりました。大学で何を学び将来に向け過去の惨事を伝えていくべきか、考えさせられました。(19歳女性) ■…言う事なし。非常に神聖な場所なので、いつ来ても緊張しちゃいますが、靖國神社のことが好きです。(25歳女性) ■…今後とも、「日本人の心の故郷」であり続けてください。(38歳男性)大きな存在に見守られている ■…もう何度も訪れています。東京に来たらここへ来ることが当たり前になっている程です。戦争に対する思いはもちろんいろいろありますが、今はここへ来ると常に大きな存在に見守られている、という気持ちになるのです。 それを感じたくて来ているのかもしれない。今、自分がここに在るのは、はるか遠い過去の無数の誰かの存在があったからだということ。自分も大切な一つの存在であるということを、気付かせてくれるのだと思います。 ■英霊の思い一つ一つ心に刻みました。この思いを知らない多くの日本人がとても多いです。日本人のみんなにこの思いを知ってもらい、その上で生活してほしいです。私はこの思いを周りの人に教えます。遊就館を訪れて本当に良かった。(22歳) ■…今年2回目の靖國神社です。不安な時、原点に戻りたい時などに訪れたいと思う神社です。今日は反省とともに、また少し勇気をもらえました。来て良かった。また来ます! ■…日本人として生まれてきてよかった。日本人として生まれてきて、生きられていることに深い誇りを感じます。先人たちに感謝いたします。 ■…正直、今日ここに来るまではあまり戦争のことについて考えていませんでした。知識もあまりありません。実感というものに欠けていたからだと思います。 しかし今日この場で母に宛てた手紙や幼い妹に宛てた遺書などを読んで、涙が止まりませんでした。私には二つ上の兄がいます。途中から兄が私に宛てた手紙を読んでいるような心持ちになり、正直周りの人に泣いているのを見られるのが恥ずかしいくらいに泣いてしまいました。 母がくれた物を死ぬまで片時も離さず身につけていたというエピソードも、この悲惨な戦争が現実のものだったという実感が湧いて来て、また涙があふれました。一人一人手紙の文体が違っていたことなど心を動かされました。 本当にここに来てよかった。これからまず、きちんとした知識を身につけ、さらに理解を深めていこうという気持ちにさせていただいたことに、心から感謝します。ありがとうございました。(22歳女性)今がいかに幸せかを実感父母にあてた遺書 ■…特攻で亡くなられた方々の思いを考えると、悲しくてたまりません。もっと遊びたかっただろうし、勉強して、仕事をして、恋もしたくてしかたがなかったのではと思います。 それらのことを何不自由なくできることが、いかに幸せであるかを強く感じています。怖くて怖くて仕方がなかっただろうと思います。亡くなった方々の写真を見ていると「日本を頼んだぞ」と言われているような気がしてなりません。 先人たちが築きたかった日本へと成長させ、支えられる人に自分もなっていくべきだと強く感じました。 ■…私の祖父は二度戦争に行きました。一度目はノモンハン事件で有名な戦地。そこから戻り、二度目は志願して戦地に行きました。フィリピン・ルソン島で終戦何カ月か前、バギオで亡くなったと靖國神社で初めて知りました。 私は子供のころから、フィリピンへ渡る船が沈んで亡くなったと聞き、祖母もそう思って生涯を終えたそうです。ふとしたことから靖國神社で調べられることを知り、確認して見ると亡くなったと思っていた所では亡くなってはおらず、その後も最後まで戦ったのだと知り胸が痛みました。 皆お国のため、家族のためと戦ったかと思うと、今の日本人はしっかりせなアカンと思いませんか? 私たちの祖先の血が美しい国と美しい心を残してくれたなら、少しでもいいから自分に恥じないように生きて行きたい。どんな思いだったか、今考える ■…今があるのは貴方のおかげです。企業面接で東京を訪れ、その後ここに来ました。来られてよかった。貴方英霊が求めた「平和」を世界中にも広めたい。 ■…久しぶりに来ました。いつ来ても、同世代の若者たちの言葉と、手紙に込められた思いを目の当たりにし、この遊就館こそが私の歴史観の原点なのだと気付かされます。 ■…戦争は賛美するものではありませんが、やみくもに批判するものでもないと考えます。なぜ戦わなければならなかったのか、どんな思いで戦ったのか。今を生きる我々が考えねばならないことなのだと思います。(27歳) ■…なぜか涙が出てきました。一時間ほどでしたので、またゆっくりじっくり見に来たいと思います。とてもすばらしかった。(67歳) ■…初めて靖國神社にお参りに来て特別展のポスターを見つけ、遊就館の存在を知りました。学校の授業や教科書では、近代史、特に戦争中や敗戦後についてはほとんどふれられません。 むしろ誤った刷り込みがなされています。ここに来て、戦争中に亡くなった若い日本兵の思い、美しい文字でつづられた遺書に、涙が出ました。 今の日本があるのは先人たちのおかげ。本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。日本人に生まれてよかった。(40歳) ■…日本が日本を取り戻せるように子供達を育てています。今、子育てをしている人々がもっとしっかりしなくては、日本がなくなります。ともに頑張りましょう。 ■…私は中国出身の者です。反日教育を幼少期より受けました。しかし、来日して以来、日本に対するイメージが変わり、この国が好きになりました。正直、日本と中国どっちが〝正しい〟のかわかりません。もっと勉強して、知って初めて自分の意見を持ちたい。決して流れに任せないで。(20代)遊就館は内外の老若男女の入館者が増えている日本国民でよかった ■…夫は自衛官です。この数年は何となく不安な日々です。ここに祀られる軍人の奥様たちは皆さんご立派にご主人を見送られ、その後も子供を育て、強く誇り高く生き抜いておられます。 自分は夫にもしものことがあったら、そのようにできるか本当にわかりません。考えるのもつら いことです。どうかこの先も自衛官に戦死者など出ませんよう…。 そして、私が臆病にならぬよう、夫の足手まといにならぬよう…英霊の皆さま、どうかお見守りください。 ■…日本国民でよかった(19歳男性) ■…私も日本国民で良かったと心から思いました(44歳 女性)両親と姉にあてた手紙(遺書) ■…亡くなられた兵士の方の遺書、英霊へのご家族の思いを見るたび、心が打たれます。本当に心から感謝し、平和を望みます。今の教育はおかしい。ここは子供たちにこそ来させるべき場所ではないでしょうか。(38歳女性) ■…初めて訪れました。以前より楽しみにしていました。鳥居のところから、とても静かな気持ちになり、空気が違うと思いました。 遊就館の広さ、遺品の多さ、わかりやすい資料、大変興味深く拝見しました。子供たちがこういうことを忘れずにいるためにも是非見学することを願います。(53歳 女性) ■…平和を祈り、死して日本を守ってくれた人々がいたという事実を、広く知らしめるため、永遠に存在してほしい。(50歳男性) ■…日本人に生まれたこと、そして先人たちを誇りに思います。難しいとは思いますが、日本人の心を世界に発信してください。また来年も来たいと思います。(60歳男性) ■…遊就館の展示が戦争を賛美していると言う人がいるが、どこが賛美している部分なのか教えてほしいくらいでした。真実をもっと積極的に外に向けてアピールしてみたらいいと思う。(55歳 男性)感動して涙が止まらない靖國神社、ご祭神、日本への思いが書き込まれた「遊就館拝観者自由ノート」 ■私自身、このような展示のことは、ここに来るまで知らなかった。ゼロ戦を見ようと立ち寄ったところ、これだけの資料を目の当たりにして、驚きを禁じ得ません。多くの日本人に見てもらいたい。(46歳男性) ■…感動して涙が止まりませんでした。学校教育で、この事実を伝えるべきであると考えます。日本の正しい歴史認識を持つことが、平和を保つことに繋がると思います。教育現場で子供たちに伝えることがとても重要であると考えます。(52歳女性) ■…国内でこれだけ我が国の歴史を詳細に公平につづった所はないと思います。非常に勉強になりました。ありがとうございます。(41歳女性) ■…日本の戦争の「正義」を、もっと示してもいいのではないかと思った。日本人なら(閣議決定された)「大東亜戦争」と言うべきなので、もっと周知するよう努力していただけたらと思います。沖縄県民として英霊の皆様にお礼ができてよかった。(47歳男性) ■…英霊の心を知ることができ、日本の正しい歴史を知ることができるこの施設を守り続けてください。今日、ここに来ることができて本当によかった。ありがとうございました。(25歳女性) ■…今後も反対勢力に負けずにいてください。(20歳男性)

  • Thumbnail

    テーマ

    安倍首相が靖国参拝で示した決意

    安倍晋三首相が靖国神社を参拝したのは2013年12月のことだった。現職首相が在任中に参拝するのは7年ぶりだったが、「電撃参拝」への風当たりは、中韓の反発だけではなく、米国も異例の声明を発表、国内外で波紋を広げた。以来、首相は一度も参拝していない。首相の念願だった靖国参拝の真意とは何か。

  • Thumbnail

    記事

    駐日40年のサンマリノ大使が語る「靖国の心」

    母国に建立できることは本当に光栄なことです。神道は日本文化の根幹といってもいいほどです。 --閣下は靖国神社についての理解も深いですね。 カデロ:靖国神社のことは、国際的にも凄くナーバスなことになっていますが、私が思うに、中国や韓国などはとても大きな誤解をしているのではないでしょうか。 靖国神社は145年前にできた神社です。第二次世界大戦のずっと前です。靖国神社のような、国を守るために亡くなった軍人を慰霊する場所は世界中どこにでもあります。イタリアにはヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂がありますし、フランスのパリには凱旋門がその役割を果たしています。アメリカやドイツにもあります。日本ではそれがたまたま靖国神社なのです。 --駐日外交団長として天皇陛下に拝謁する機会も多いと伺っています。 カデロ:2011年、外交団長に就任してからは毎年、天皇誕生日の茶会の儀に参列し、天皇陛下に祝賀スピーチを申し上げるという大役を仰せつかっております。3回ほど祝賀スピーチをさせていただいておりますが、毎回身が引き締まる思いでいっぱいになります。2013年の茶会の儀では国歌『君が代』と和歌をテーマにスピーチさせていただきました。私のスピーチが終わると、陛下はわざわざ私のところまでいらしてくださり、『大使、日本の文化に詳しいですね。もう何年日本に住んでいらっしゃるのですか?』と、お言葉をかけてくださいました。陛下にお言葉までいただけるとは本当に光栄なことです。 日本に居を移して40年近くになり、数多くの日本人に会いました。国会議員や大会社の社長など地位の高い人も数多くいましたが、最も謙虚な方は陛下です。立ち振る舞いが優雅で、周囲にとても気をつかわれます。私は陛下のことを心より尊敬申し上げております。 --外交官として尊敬する日本人がいるそうですね。 カデロ:日本には、私が外交官として尊敬する人物が何人もいます。まず、はるか400年以上も前に大きな使命を与えられてヨーロッパへ渡った伊東マンショら少年遣欧使節たちです。マルコ・ポーロやバスコ・ダ・ガマ、クリストファー・コロンブス、マゼランなど確かに偉業を達成した人物はいますが、彼らは国から莫大な資金を与えられたプロのナビゲーター(航海士)でした。それに引き替え、伊東マンショらは当時13~14歳の少年たちでした。彼らこそが偉大な外交官なのです。少年使節の大偉業をもっと日本人は誇るべきだと考えています。 また、第二次大戦中に6000人ものユダヤ人の命を救った駐リトアニア日本国副領事だった杉浦千畝氏の勇気も賞賛に値します。日本と同盟国にあったナチス・ドイツに命を狙われる可能性もあったし、外務省の命令に背いてまでも人命を優先しました。外交官として、いや人間として尊敬すべき人物です。 --大の親日家とも聞いております。 カデロ:日本人の道徳心の高さ、親切さはまさに世界に誇ってもいいくらい立派なものです。それは先の東日本大震災の被災者たちの姿を見てもわかります。 こんなに勤勉で、真面目な民族は世界に類を見ません。だからこそ、第二次世界大戦後の荒廃の中から不死鳥のごとく蘇り、世界のトップに比肩するまでに駆け上がることができたのです。日本は戦争で一番苦労をした国です。日本に一番ダメージを与えたのはアメリカです。にもかかわらず、現在では日本とアメリカはとても仲の良い国です。戦後70年の時間を経てそういう関係になりました。ベトナムとアメリカも戦争をしましたが、現在では仲の良い国です。ヨーロッパでもナチス・ドイツがありましたが、現在では近隣諸国と良い関係を築いています。それなのになぜ、中国と韓国は日本に対していまだに過去のことを水に流せないのでしょうか。 そして、日本は自国の発展だけでなく近隣のアジア諸国をいかなる状況下でも、様々な方法で支援してきました。経済的側面だけではありません。あらゆるアジア諸国は、日本の生活様式や制度をお手本として、自国の生活様式や政治の改革を大きく前進させてきました。アジアと世界の平和と自由と経済発展に貢献してきました。だからこそ、ごく一部を除く世界中の国々から感謝され、尊敬されているのです。日本人はそのことに自信を持っていいと強く思います。■ 「神宮」と「大社」の違いは? 神宮は天皇を祀る神社が多い■ 神社本庁、新宗連、幸福の科学等首相の靖国参拝への見解紹介■ 日本人の知識欲、勉さ、美徳等を台湾出身論客が紹介する本■ 東宮家と秋篠宮家両夫妻 確執報道渦中に笑顔で公の場に登場■ 宮内庁職員「皇太子殿下は3.11に被災地に赴いてもよかった」

  • Thumbnail

    記事

    靖国参拝で切り拓いた改憲への道

    中西輝政(京都大学名誉教授)参拝に「迷いなし」 安倍晋三首相が2013年12月26日、靖国神社を参拝した。現職首相としては7年ぶりの靖国参拝である。テレビの画面で見たこのときの首相の表情は、力強く、晴れ晴れとしていた。まさに快挙であった。「第1次政権の任期中、参拝できなかったことは痛恨の極み」と述べて参拝への強い意思を吐露していた首相は、就任からこの日まで丸1年間、参拝にベストのタイミングをはかってきたはずである。そのためか、もはや内面の迷いなどまったく感じさせない泰然たる表情だった。 私はイギリスのウィンストン・チャーチル首相のことを思い出していた。第二次世界大戦でドイツとの戦いで窮地に陥った祖国の生存を託されて首相となった彼は、自らが「運命の人(マン・オブ・ディスティニィ)」だと体で感じとったと書き残している。実際、この前後で彼の顔つきはまったく変わっている。 私は安倍首相の表情に、これと同じ変容を感じた。安全保障環境の悪化やあまりにも長かった経済不況、そして少子化。危機的状況にある日本が再生へと向かう歴史の大きな流れの先頭に自らが立つと決意し、その役割を自覚した表情のように思えたのだ。 ところでなぜ、安倍首相はあのタイミングで首相は靖国神社を参拝したのか。 参拝でもっとも懸念されたのは中国の反応だろう。官製「反日デモ」まで起こした小泉元首相の参拝時よりも、尖閣諸島をめぐる2年越しの危機があって両国関係はかつてなく悪化している。しかし、中国はいまは靖国参拝問題に対して到底、強い対抗措置をとれない。 その要因の一つには、中国が一昨年11月、東シナ海上に「防空識別圏」を強引に設定したことがある。尖閣諸島上空にまで張り出したエリア内を通過する航空機について飛行計画の提出を求めるなど、通常の意味での「防空識別圏」ではなく、極めて広大な空域に対して、違法にも事実上の「領空支配」を目論んだものだ。このころから自衛隊機のスクランブルがさらに急増したことも発表されており、東シナ海上空は明らかに緊迫の度を強めている。東アジアにおける安全保障環境はさらに大きく悪化したのだ。 これは、日本のみならずアメリカ、すなわち日米同盟にとって決して容認できない問題である。実際、設定公表からわずか3日後にアメリカ軍は2機のB52戦略爆撃機を東シナ海上空の、中国が設定した「防空識別圏」の奥深くにまで強制飛行させて、「中国の野望は許さない」との覇権国家としての決意を示した。こうした状況下で、中国も直ちに下手な挑発行為には出られない、という読みが安倍首相にはあったのではないか。中国による「防空識別圏」の突然の設定強行、これが靖国参拝への道を掃き清めたといえば、少々不謹慎な言い方になるが、政治的な真実であることは間違いない。 中国共産党の内部事情も、首相の判断の材料になったと思われる。一昨年12月上旬には、胡錦濤時代の公安部門トップで石油利権派(国有企業としての石油業界を牛耳る権力グループ)の・ボス・だった周永康が自宅で軟禁され、取り調べを受けていることが判明した。容疑は汚職とも「反党集団」とも言われているが、周永康はかつて1年半がかりで粛清された薄熙来の後見人でもあり、習近平が上海閥をターゲットに仕掛けた権力闘争がいまだ終結を見ることなく続いていることを意味している。しかし、周は薄熙来以上の大物であり、年が明けて半月以上が経っても事態は膠着し、「止め」を刺せていない。抵抗勢力があり、習近平の権力は依然、確立されてはいないということだろう。こうしたときに、日米とこれ以上の摩擦は起こせないはずである。 また北朝鮮では2013年11月、中国とつながりの深かった張成沢が粛清・処刑され、中朝間の緊張が伝えられ、中国は不測の事態に備えて人民解放軍の大部隊を中朝国境近くに派遣していると言われている。また北朝鮮の暴発リスクがここまで高まった以上、韓国の朴槿恵政権による靖国参拝への反応はすでに早くから読み切れていた。 こうした状況を総合すると、中国共産党指導部や韓国の朴政権が当面、安倍首相の靖国参拝に集中して対応する余裕がないことは十分に予見できたのである。 朝日新聞をはじめとする日本の反安倍メディアは、米国が首相の靖国参拝に「失望した」との言葉で不満表明したことを、参拝が実現したことへの悔しさと世論の大勢が「参拝支持」を示したことへの負け惜しみを込めて大仰に取り沙汰している。しかし、これはどこの国でも同盟国同士がしばしば交わす、ごく率直かつ健全な意思疎通の姿といえるもので、もっとバランスをもって受け止めることが大切だ。伊藤博文、吉田茂…捲土重来で大事に挑む ここで2012年12月の第2次安倍政権発足後の1年を振り返ってみたい。この間で特筆すべきはなんといっても、2013年7月の参議院選挙での自民・公明の勝利である。政権与党の両党が安定多数を獲得したことにより、日本の政治は久しぶりにねじれを解消し、とくに2009年の民主党への政権交代以降のおよそ3年半に渡る「悪夢の時代」を脱して、ようやくにして安定した政策遂行の基盤ができあがった。第1次安倍内閣の末期、自らの手になる2007年7月の参議院選挙での敗北によって生じた自民党内の混乱と衆参両院で多数政党が異なるという「ねじれ」の発生によって、日本が迷い込んだ長く陰鬱なトンネルは実に6年間に及んだ。安倍首相自身の手による「リベンジ戦の大勝利」によって、そこから脱した昨夏の参院選は、文字通り戦後日本政治史の一つの画期として後世の歴史家は評価することになるであろう。 与党の参院選勝利は、日本経済を回復軌道に乗せたアベノミクスによって導かれたことは間違いない。ただ、もう一つ、忘れてはならないのは、尖閣をめぐる日中のつばぜりあいが、あの参院選大勝利の隠れた要因だったということである。 民主党・野田政権時代の2012年9月にわが国が国有化して以降、中国は「尖閣諸島掠奪」の意図をより露わにし始めた。中国全土で反日暴動を起こし、その後も中国軍機が領空侵犯をしたり、海軍の艦船が海自の護衛艦をロックオンしたりし、尖閣周辺のわが国領海への中国公船の侵入を常態化させようとしてきた。国有化1年を前にした2013年9月9日には、攻撃型とみられる軍の無人機を日本の防空識別圏に侵入させ、尖閣諸島付近を飛行させた。 日本は中国の攻撃的な行動によって戦後初めて、領土主権、さらには主権国家としての独立が直接脅かされる事態に直面したのである。 この厳しい状況下でも安倍政権は中国に譲歩せず、「なんとしても押し返す」という強い決意を、国民に、そして国際社会に示し続けてきた。このことを、国民はしっかりと見つめ、特にダイナミックな「地球儀外交」で雄々しく立ち向かう安倍首相への信頼感を深めてきたのである。ただ、この危機的状況に対応しようとしても、2013年7月までは衆参のねじれが足を引っ張り、安全保障関連の法律を新たに制定するのはおろか改正するのも不可能だった。そして参院選の結果は、このねじれを解消することが、日本を救うのに不可欠なプロセスだということを国民が理解したがゆえの選択だったのである。 2013年2月に発足した韓国の朴槿恵政権が日本人の誰もが予想もしていなかったほど強硬な反日的な姿勢を示し、歴史、特に慰安婦問題にアメリカを巻き込み、日米韓の提携に大きな亀裂が入りかねない流れになりかけた瞬間もあった。そこで隠忍自重した安倍首相に対し、「この歴史攻撃を真正面から受けて立たなければ保守政権としての価値がないではないか」という声も上がった。しかしこれも、参議院選挙で多数を回復して、政権基盤を確立するという戦略的対応だったことは今となっては多くの国民が理解しているだろう。 こうした流れを見て、戦後政治史に詳しい人であれば吉田茂内閣を思い出すはずである。第1次吉田内閣は昭和21年5月に成立したが、政治基盤はGHQ(連合国軍総司令部)最高司令官、マッカーサーの支持がほぼ唯一と言ってよく、非常に脆弱であった。食糧や仕事を求める国民の不満は大きく、昭和22年の総選挙で吉田率いる自由党は日本社会党に第一党の座を明け渡した。吉田には民主党と連立を組んで政権を維持する道もあったが、そうはしなかった。なぜか。日本の議会政治の歴史を貫く重要な教訓があったからである。 明治31年3月、第三次伊藤博文内閣は地租増徴問題で衆議院選挙に敗北した。同年6月には、大隈重信の進歩党、板垣退助の自由党という民権派が選挙のために合流して組織した憲政党に政権を譲った(いわゆる隈板内閣の誕生)。大日本帝国憲法下では、いわゆる議院内閣制ではないため本来、下野する必要はなかったのだが、伊藤は長期の国家的視点から政権の座を降りたのである。というのも、選挙に敗北した原因の地租増徴は、ロシアの脅威に備えて陸海軍を増強するために計画されたのだが、民権派は国民の増税への不満を背景に国家の安全保障も無視して反対するだけだった。伊藤は、そのような民権派が実際には一国の政権を担う能力がないことを見抜いていた。そして彼らが実際に政権運営を担えば「化けの皮」が剥がれ、国民も認識を新たにして立憲政治が成熟し、かえって新しい日本の政治の進展の道を切り開いていけると考えたのである。つまり、国家の独立や安全を守っていくためには、国民の厚い支持を受けた強固な政権基盤こそが必要だと考えたのである。まさに「急がば回れ」であった。 そして政権の座についた大隈ら民権派の憲政党は、予期されていた通り内紛を激化させ、政権の分裂に陥った。これを尻目に伊藤は立憲政友会を組織し、明治33年10月に第4次伊藤内閣を発足させ、わが国に本格的な政党政治をもたらしたのである。 吉田は、大学生時代に見たこの伊藤の手腕とステーツマンシップにならって、敢えて雌伏の道を選んだのである。そして案の定、社会党の片山哲内閣は1年足らずで瓦解し、昭和23年3月に後を継いだ民主党の芦田均内閣も同年10月に昭電疑獄事件で倒れた。そして再び吉田に出番がめぐってきた。少数与党ながら第2次吉田内閣の発足である。しかし、敗戦後の経済的困窮で左傾化していた国民世論もようやく経済再建と治安・安全保障の大切さに目を向けるようになり、翌24年2月の選挙では自由党は大勝利し、吉田は29年11月まで5年9カ月間に渡る長期間、政権を担う基盤を確固たるものにしたのである。 このときの吉田は、何を為すべきかという意識が明確であった。国内経済の復興、占領の終結と独立の回復、そして国際社会への復帰であり、さらには国家存立に欠かせない再軍備である。当時の国民には相当強い厭戦気分があったが、吉田は被占領状態からの国家の独立回復を成し遂げたうえ、自衛隊法や防衛庁設置法、さらには警察法などを制定し、日本の安全と生存を守る国の基本的なかたちを造り上げた。その一部は、確かに現在では「戦後レジーム」と批判的に言われる制度群でもあった。しかし、左翼勢力が今日では考えられないほど強大だったあの社会情勢の中、吉田でなければ、それですらできなかったであろう。 2度目の首相就任を果たした安倍首相の問題意識も当時の吉田と同じように、国家の根本的な再生にあることは言うまでもない。今日、日本国家の再生とは、「戦後レジームからの脱却」というキャッチフレーズがその方向を示すもの、と言わねばならないが、本質的には第2次吉田内閣と同じような経過をたどって強固な政権基盤を得た現在、それを成し遂げる条件は十分に整ったといえる。つまり、吉田とは方向においては逆かもしれないが、歴史的な意義や重大性においては同等の重みを持つ国家指導ということである。憲法改正への流れが「力の行使」を可能にする では、日本国家の再生のために安倍首相は何を為すべきなのか。結局のところ、その最大の焦点は憲法の改正である。 前述したように、尖閣諸島をめぐって中国がいつ武力行使に出てもおかしくない状況が続いている。さらに2013年7月には2度にわたり、日本最南端の島、沖ノ鳥島周辺の日本のEEZ(排他的経済水域)で、中国の海洋調査船が日本に無断で資源探査を行った。沖ノ鳥島は日本のEEZの重要拠点だが、中国は「島ではなく岩にすぎない」として周辺海域が日本のEEZであることを認めてこなかった。中国は、尖閣など「第一列島線」から、小笠原~沖ノ鳥島~グアムに至る「第二列島線」にまで食指を伸ばし始め、西太平洋支配を目指す野望をまたも粗暴な行動で示したのである。そして同じ7月、東シナ海の日中中間線の両側に広がるガス田で日本に何の断りもなく本格開発を始めた。東京都小笠原村の沖ノ鳥島 この開発自体が日本に対する挑発行為、主権に対する侵害行為であるが、忘れてならないのは、このガス田をめぐって2008年6月、福田内閣が「日中共同開発」に合意していたことである。日本国内では当時、瀋陽総領事館における脱北者拉致事件、小泉純一郎首相の靖国神社参拝に対する内政干渉や反日暴動、上海総領事館の電信官脅迫事件、そして油田の一方的な開発などで、対中脅威論が急速に高まりつつあった。にもかかわらず、日本国内では一部の親中派メディアや評論家たちは、この日中共同開発合意が為されると、それが中国の海洋覇権戦略の野心を隠す「目くらまし外交」であることは明らかなのに、古い・日中友好・論をふりかざして「日本が挑発しない限り中国は挑発しないし、必ず平和的解決に応じるのだ。この合意がその証拠だ」と叫び、中国への警戒論を声高に批判したのである。1972年の「日中国交正常化」当時そのままのこうした歪んだ中国観が、尖閣沖漁船衝突事件(2010年9月)が起きるわずか2年前までも依然として幅を利かせていたのである。今日から見て、中国脅威論と日中友好論のどちらが中国を直視していたかはもはや言うまでもないが、今後中国が日本に・融和的・な顔を見せることがあったとしても、このときの教訓を踏まえた対応を心掛けねばならないだろう。 尖閣にしても、沖ノ鳥島にしてもガス田にしても、中国の長期的な海洋戦略に則っているだけに、単なる一過性の挑発では終わることはない。今後も長く日本は中国の圧力を受け続け、気を緩めれば尖閣もガス田も沖ノ鳥島も、すべて失いかねない。 この危機の中にあって、日本はどう対処すべきなのか。言うまでもなく、安全保障体制の見直しと強化が必要である。そして最終的にはもちろん憲法改正であるが、それが実現するまでの間も、たとえ一日でも疎かにできないことを考えると、一日も早い集団的自衛権の行使をめぐる憲法解釈の変更、それを受けた自衛隊法、周辺事態法の見直し、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の再改定、さらには来年度の防衛予算と、中国の脅威に対する日本の防衛力を高める政策を、一つ一つ確実に実行していくことである。 尖閣諸島については、海上保安庁の巡視船が周辺に常時待機しているから、あるいは領空侵犯されたら航空自衛隊のF15が那覇からスクランブルする体制になっているから、実効支配ができていると思うのはもはや間違いである。国際法的に見て、日本の実効支配はすでに揺らいでいると言わざるを得ない。 日本人の耳には少々乱暴に聞こえるかもしれないが、この状況を打破するために今や日本に求められるのは、「力の行使」なのである。例えば海上保安庁の巡視船が横っ腹同士を合わせる形で中国公船に接舷し、エンジンの推進力で領海外に押し出す。つまり国家の保有する平時の自衛権に基づく力の行使である。今やこういう行動に出なければ、日本の実効支配が確立しているとはいえない状況に追い込まれつつある。もちろん中国側の公船も対抗するであろう。従って、そのときに必要なのは、巡視船の背後には必ず海上自衛隊の護衛艦が控えているという軍事的プレゼンスの明示である。 ところが現在の日本の法体系では、空を除く陸と海については、どれだけ他国に侵犯されても、防衛出動が下命されない限り、自衛隊は出動することはできない。その防衛出動も発令要件は細かには決まっておらず、端的に言って北海道にロシア軍の数個師団が大挙して上陸してくるような事態でなければまず発令されない。また治安出動は、治安という全く異次元の問題への対応ということである。結局、自衛隊による日本の領域警備にはたいへん大きな隙間があるのである。これを埋めなければならないのであり、集団的自衛権と共に真に機能する個別的自衛権の確立が求められている。領域警備には、三自衛隊が、空自だけではなく陸自・海自もそれぞれの役割を果たせるようにすることが喫緊の課題である。 それには各種の法令を整備する必要があり、その法令に見合った能力を構築するために防衛予算も措置せねばならぬ。これらはいずれも憲法改正へと向かう大きな流れを維持することで、その過程でこそ実現可能となるテーマなのである。こうした個別テーマを推進する上でも、「その先に憲法改正をやるのだ」という流れを肌身で感じられる状況を維持し続けることが求められるのである。「憲法改正」という抑止力 日本がこれらを実行して尖閣防衛の意思を明確に示せば、中国公船の領海侵入は激減するであろう。なぜなら、日本の防衛意志の明示、それが中国指導部に「もしこれ以上、日本を追い詰めれば、日本は一気に憲法改正までゆく」と明白に悟らすことになるからである。中国にとって、日本からの「最大の脅威」、それは日本の憲法改正なのである。「何としても、日本の憲法改正を止めねば」と中国指導部に思わせること、これが一種の対中抑止力として働くのだ。 国内世論向けに散発的なデモンストレーションは行うかもしれないが、その後は、現状ほどの頻繁な領海侵入は当面はなくなるはずである。あるいは、中国の側から協議を持ちかけてくるかもしれない。それでスムーズに日中関係の修復に向かえるのかどうか、あとはその時の中国の国内情勢次第であろう。 言うまでもなく、憲法の改正は対外的な「ブラフ」や個別の改革推進のための「追い風」や掛け声になるから必要だというのではない。戦後体制というものの大きな欠陥、あるいは吉田茂以来の戦後からの遺産、これを克服してゆくという21世紀日本の大目標がかかわる歴史的課題だからである。目の前の話とこの大目標とをどうつなぎ合わせるか、というところが重要なのである。 憲法の問題は、今後数年、日本政治の一番中心テーマにならざるを得ない。最大の目標は日本を無防備国家にあらしめてきた九条の改正、そしてその空虚な思想を提示した前文の修正である。われわれ日本人は、この憲法改正を今すぐ、エネルギッシュに論じ、動かなければならない。 その過程で、憲法改正に前向きな議論が日本でさらに広まれば、わが国に挑発と挑戦を繰り返す中国と韓国、そして北朝鮮による対日威嚇の動きに対する強力な牽制になる。 さらにいえば、憲法、特に昭和の戦争への詫び証文である前文と九条を改正した日本に、歴史問題を突き付けてくる国が果たしてあるだろうか。中国やそれに煽られ同調する韓国、北朝鮮、そして国内の左翼リベラル勢力が80年代以降一貫して歴史問題を前面に押し立てて日本を攻撃してきた本当の目的は、日本を常に弱い国家、自存自立できない国家に抑え込んでおく、つまり憲法改正を阻止するという一点にあったことを忘れてはならない。自力で国を守れない日本など、日米同盟がなければ極めて容易に征服できる。つまりそれは元来、共産主義=全体主義陣営による東アジア支配への大きな布石だったのである。 共産主義のイデオロギーが壊滅した冷戦終焉後は、日本の憲法改正阻止のための切り札として「歴史問題」は、さらに重要性を増した。ただ中韓による対日「歴史攻撃」や謝罪要求などは、日本の憲法改正阻止という大目的のための手段に過ぎず、憲法改正阻止という大目的があるがゆえに、賠償や謝罪問題が解決してもその後も何度も蒸し返されてきたのである。参拝にのぞむ安倍首相(中央)=靖国神社 従って日本の政権としては、彼らの狙いの本筋を見極めて、慰安婦や「南京大虐殺」といった個別の歴史問題に取り組むよりも、憲法改正を優先すべきなのである。そもそも彼らの歴史攻撃を乗り越えて改憲議論が現在よりさらに現実味を帯び始めたら、中韓は歴史攻撃自体をやめざるを得ないだろう。日中、日韓関係のさらなる悪化は憲法改正のスケジュールを早めるだけだからである。つまり、われわれが憲法改正を、迫力を持って推進していくこと、論議を盛り上げていくこと自体が外交的、政治的な牽制になり、また対日歴史攻撃をも抑止することになるのである。 靖国神社参拝もこれまでは歴史攻撃のターゲットになってきた。それに対して安倍首相は今回の参拝で、中韓などによる対日歴史攻撃に、言葉を使わず「反撃」したのだ。憲法改正を掲げることが、歴史攻撃への抑止になるということを踏まえた戦略的行動なのである。憲法改正にはまったく関心のなかった小泉純一郎氏の首相参拝にあれだけ激烈に怒ってみせた中韓の反応が、今回あまりにも静かであることのより大きな要因は、安倍首相のこの戦略の有効性にあったのだ。「やればできる、日本」へ そもそもこの日本の憲法改正、特に安全保障に関して九条と前文といった中心テーマを自力で改正できれば、それは取りも直さず日本の民主主義が成熟し、確立していることを世界に対し、そして後世に対しても、はっきりと示すことになる。 これほど現状の秩序を遵守しつつ、日本はしっかりとした堅実なやり方で憲法改正という試みを通じ国家の再生に取り組んでいるということを示し、同時に国際秩序も現状維持という国策が日本の国策なのだということを世界に示すものはないだろう。それは完全なる自前の民主主義の確立であり、それに向かっていく第一歩が改正手続きに則った憲法改正なのである。 言いかえると、この憲法を持ち続ける限り、わが国の民主主義は他者から与えられたものに過ぎないのである。さらに言えば、「『与えられた民主主義』から『自前の民主主義』へ」という、リベラルや左派も説得できる論理は、国民統合という観点からしても非常に重要なテーマだと思う。 おいそれとは改正できないことは誰もが分かっている。しかしおいそれとできないから、といって「手をこまねいてもう何十年」である。そういう戦後を過ごしてきた我々だが、本当の危機を前に覚悟を固めたら、「やればできるんだ、日本」である。これが、「日本を取り返す」に続いて、我々が掲げるべきスローガンである。その具体的な支えの一つがアベノミクスの成功である。昨年4月からの消費増税の影響を乗り越えて、「失われた二十年」を完全に克服する。これを外しては「やればできる、日本」とはならない。これはあくまで目先の話で、なんといっても本丸は憲法である。今こそ、「日本を取り戻す」ために憲法改正に取り組み、一心不乱、一意専心進むときなのである。そして「やればできる、日本」を天下に示すときだ。なかにし てるまさ 昭和22(1947)年、大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。同大学院修士課程、ケンブリッジ大学博士課程修了。平成24年、京都大学大学院教授を退官。『大英帝国衰亡史』『日本人として知っておきたい外交の授業』『迫りくる日中冷戦の時代』(PHP研究所)、『賢国への道』(致知出版社)『帝国としての中国』(東洋経済新報社)など著書多数。

  • Thumbnail

    記事

    戦後レジームに風穴開けた靖国参拝

    政治部編集委員) 安倍晋三首相が2013年12月26日、「国民との約束」(菅義偉官房長官)を果たし、靖国神社に参拝したことについて、産経新聞の東京読者サービス室には次のように参拝を喜ぶ声が多数寄せられた。「うれしくて興奮が収まりません」(東京都、70代女性)「よくぞ参拝してくれた。胸のつかえが取れた」(東京都杉並区、男性)「うれしくて泣いてしまいました」(横浜市、80代女性)「幸せな一日です。こんなうれしいことはありません」(九州、60代女性) 安倍首相の参拝に否定的な意見は、ほとんどみられなかった。国の最高指導者が、過去に国に殉じた英霊の慰霊・追悼に訪れただけであり、至極当然のことだろうと思う。 産経新聞の読者だけでなく、他紙の購読者にも安倍首相の参拝を歓迎した人は決して少なくないはずだ。中国、韓国の理不尽な圧力に屈し、戦没者の慰霊もままならないという状況は、どう考えても異常であり、おかしいからである。戦後の呪縛に縛られたメディアの支離滅裂靖国神社(東京・九段) ところが、参拝を受けた翌27日の在京各紙の社説は、産経を除いて見事に反対論と消極論ばかりだった。まるで安倍首相の参拝に賛成している国民などいないか、いても無視して良いと考えているかのようだ。 中でも突出していたのは朝日だ。「独りよがりの不毛な参拝」と感情剥き出しのタイトルをつけ、頭からこう決め付けている。「内向きな、あまりに内向きな振る舞いの無責任さに、驚くほかはない」「首相がどんな理由を挙げようとも、この参拝を正当化することはできない」「永遠の不戦を誓った戦後の日本人の歩みに背を向ける意思表示にほかならない」 ひたすら安倍首相に対する「呪詛」を唱える朝日の社説の方が、よほど独りよがりで不毛ではないか。行間から憎しみがあふれこぼれる「社説」というのも、いかがなものかと率直に思う。 毎日の「外交孤立招く誤った道」という社説も、朝日よりは冷静な筆致ながら、安倍首相の参拝を全否定している点では同じだ。「首相自身に歴史修正の意図はなかったとしても、問題は国内外からどう見られるかだ。それに無頓着であっていいはずがない」「日本を国際社会で孤立させ、国益を損ねかねない誤った道を歩み始めたのではないか。そんな危惧を抱かざるを得ない」 ちなみに、毎日は「首相は国会で、大戦について『侵略の定義は定まっていない』と侵略を否定したと受け取られかねない発言をした」と批判的文脈で書いている。それでは、次の言葉についてはどうみるのだろうか。「侵略という言葉の定義については、国際法を検討してみても、武力をもって他の国を侵したというような言葉の意味は解説してあるが、侵略がどういうものであるかという定義はなかなかない」 これは平成7年10月の衆院予算委員会での村山富市首相(当時)の答弁である。同じ常識的なことを述べても、安倍首相ならばダメだが、村山元首相ならかまわないということだろうか。露呈した読売新聞の限界 また、日経も「靖国参拝がもたらす無用なあつれき」との社説で、異口同音に「内外にもたらすあつれきはあまりに大きく、国のためになるとはとても思えない」と書いた。 本来は純然たる内政問題である戦没者の慰霊・追悼について、外国の意向を「錦の御旗」のように掲げて振り回すのは本末転倒といえないか。 中途半端だったのが読売だ。「外交立て直しに全力を挙げよ 国立追悼施設を検討すべきだ」との社説は、中韓の激しい批判を「誤解、曲解も甚だしい」と切り捨て、こうも記している。「一国の首相が戦没者をどう追悼するかについて、本来他国からとやかく言われる筋合いもない」 ここまでならまさに正論なのだが、結局はいわゆる「A級戦犯」分祀論に触れ、靖国に代わる「無宗教の国立追悼施設」の建立を主張している。読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長は大の靖国嫌いで知られており、この辺りが限界ということか。 テレビはあまりチェックできなかったが、やはりほぼ参拝反対論一色だったようだ。国民は必ずしも安倍首相の靖国参拝に反対しておらず、賛成派も多いにもかかわらず、なぜこういう一方的な報道になるのか。 安倍首相の靖国参拝後の報道各社の世論調査では、特定秘密保護法をめぐるゴタゴタで一時低下した内閣支持率は軒並み上昇した。メディアの反靖国報道が、いかに有権者の心に響かなかったかがよく分かる。世論調査では、安倍首相の靖国参拝について「評価する」より「評価しない」との回答が若干上回っているが、政府高官はこれにもこう反論するなど意気軒昂だ。「『評価する、しない』という質問がおかしい。評価というと他の要素が入ってくるが、素直に『賛成か反対か』と聞けば賛成の方が多くなるのではないか」 それなのに反靖国報道がやまないのは、戦後70年近くたっても、戦勝国と敗戦国という構図は基本的に変わっておらず、メディアは「戦後の呪縛」に囚われたままでいるということだろうか。「靖国神社に、首相をはじめためらいなく、他国からいろいろ言われることなくちゃんとお参りできる国をつくりたい。これができなければ戦後は終わらないと、つくづく感じている」 平成25年8月15日、靖国神社の境内で開かれた戦没者追悼中央国民集会で衛藤晟一首相補佐官が語ったこの言葉が、すべてを表している。結局、「戦後」は国内外でまだ継続しており、日本が国際社会に復帰してから半世紀以上にわたる平和の歩みは、正当な評価も処遇も受けていないのである。高飛車な「失望」を省みる米国の動き それどころか、普通は歳月に伴い風化するはずの「過去」は、当事者たちがいなくなるにつれ抽象化・純化され、放っておけば、観念的だからこそより抜きがたい偏見へと育つ場合もある。 その事実が端的に表れたのが、靖国参拝をめぐるメディアの何かに脅えたかのような批判報道であり、中韓、そして米国まで巻き込んだ過剰反応なのだと感じる。「日本は大切な同盟国であり、友好国である。しかし、日本の指導者が近隣諸国との関係を悪化させる行動を取ったことに、米国は失望している」 安倍首相の靖国参拝当日、駐日米大使館がホワイトハウスの指示で出した声明は、同盟国である日本に「失望」を表明した異例の内容だった。 米国は在任中に6度にわたり靖国に参拝した小泉純一郎元首相に対しては、ことさら批判したり、参拝自粛を求めたりしてくることはなかった。中韓の反発についても関知しないという方針を取っていた。 ブッシュ前米政権で国家安全保障会議アジア上級部長を務めたマイケル・グリーン氏によると、中国が台頭する中で「信頼できる同盟国の首脳を公に批判するのは最悪」との、当時のブッシュ大統領の判断があった。このため、今回も当初、日本側は「参拝したら内々にかなり厳しい反応はあるだろうが、公式な声明で批判してくることはないだろう」(外務省幹部)とみていた。 にもかかわらず、米国がいきなり高飛車な批判声明を出したことに、政府内には当惑とともに「米国の『失望』に失望した」(政府筋)などと強い反発も広がった。「オバマ政権は全く戦略的でない。あんな声明を条件反射的に出しても、中韓の対日非難を勢いづかせて余計に東アジアの緊張を高めるだけで、無意味で逆効果だ」 安倍首相も周囲にこう漏らした。小泉政権には何も文句を言わず、安倍政権には「上から目線」で叱るようなダブル・スタンダードもさることながら、米国が同盟国同士であることの意義や価値を十分に理解していないことに懸念を覚えたようだ。その後、米大使館のホームページに日本国民による声明批判の書き込みが殺到したことで、米側もメディアの論調と国民意識の乖離に気付いたのか、徐々にトーンを弱めた。「選挙公約を実行したまでで、もう終わったことだ」 1月8日に訪米した日米国会議員連盟の中曽根弘文会長らと会談したアーミテージ元国務副長官はこう述べた。もとより、民主的手続きを経て選ばれたリーダーが「公約」を実行したことに、他の民主主義国が口出しすべきではない。「米国務省も『あの声明は失敗だった。意味がなかった』と言い始めた」 外務省幹部がこう明かすように、声明問題自体は収束に向かったといえる。米国は今年元日に新藤義孝総務相が靖国に参拝した後、ヘーゲル国防長官が小野寺五典防衛相に電話会談を要請してくるなど、対応がぶれた。なお心配な米国にくすぶる無知と偏見 だが、こうした声明が出た背景に、東アジア情勢を緊張させているのは中韓ではなく日本だとのオバマ政権中枢の認識があるとしたら、問題は深刻に受け止めなければならないだろう。 現に、知日派のキャンベル前国務次官補は15日にワシントンで開かれたシンポジウムで、安倍首相の参拝についてこう述べた。「米外交政策の助けにならない。米政府に不安をもたらした」 長年にわたって日本や東アジアをウオッチしてきた人物ですら、安倍首相やその政権に対する「不安」を口にするのだ。安倍政権がリスクを取って環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉に参加し、米軍普天間飛行場移設問題も17年ぶりに動かすなど、米国からみて歓迎すべき実績を上げているのもおかまいなしにである。 これは単に、中韓のロビー活動や宣伝戦が功を奏しているというだけでなく、米国の対日認識にいまだに「好戦的な国」、ナチス・ドイツと組んだ「旧枢軸国」という印象が根強く残っているからではないか。普段は水面下に隠れて見えにくいそうした無知と偏見が、近年の中韓による悪質な対日プロパガンダと安倍首相の靖国参拝をきっかけに、一気に表出したようにも見える。 ブッシュ前大統領の場合は、小泉元首相とは特に気があった。また、第1次政権時代の安倍首相に対しても「アベを困らせるようなことはしない」と語った情の人だった。 一方、オバマ大統領は「世界中の大統領、首相クラスに誰も友人がいない」(官邸筋)とされ、首脳同士の人間関係を重視するタイプではない。 また、米調査会社ユーラシア・グループが今年の世界の「十大リスク」の第1位に米国の「同盟危機」を挙げるほど、同盟国・友好国を大事にしない傾向がある。 ただでさえ日本への抜きがたい偏見があるところに、オバマ政権特有の外交音痴が重なり、日米関係のきしみとなった。「すべての戦争で命を落とされた人々のために手を合わせ、冥福を祈り、二度と戦争の惨禍で人々の苦しむことのない時代をつくるとの決意を込めて、不戦の誓いをした」「中国、韓国の人々の気持ちを傷つける考えは毛頭ない。母を残し、愛する妻や子を残し、戦場で散った英霊の冥福を祈り、リーダーとして手を合わせることは世界共通のリーダーの姿勢ではないか」 安倍首相が靖国参拝時に、記者団にこう真意を説明したことに対し、米大使館声明は「首相が過去に関する反省を表明し、日本の平和への決意を再確認したことに留意する」とも指摘している。ただ、どこまで理解しているかは疑問が残る。観念的問題と化していく「靖国」 もちろん、中韓はこの日本たたきの絶好の機会を見逃さない。「戦後の国際正義や人類の良識を荒々しく踏みにじり、国連憲章に基づく戦後の国際秩序に傲慢に挑もうとするものだ」 中国の劉結一国連大使は8日、ニューヨークの国連本部で記者団にこう語った。崔天凱駐米大使も同様に、米公共放送(PBS)のインタビューで、安倍首相について「戦後の国際秩序に本気で挑もうとしている」と非難している。 わざわざ「戦後の国際秩序」をキーワードとして持ち出すのは、戦勝国である米国の理解を求め、ともに日本を永久に「敗戦国」の枠に封じ込めようと呼び掛ける意図からだろう。 これに日本共産党の志位和夫委員長まで「第2次世界大戦後の国際秩序に対する挑戦だ」と同じことを述べるのだから呆れてしまう。日本共産党はいつから米国主導の現在の国際秩序を肯定するようになったのか。 韓国紙に至っては、日本のことを「戦犯国」と呼ぶ。先の大戦終了まで韓国が日本の一部だったのだから、それならば韓国はやはり「戦犯国」になるはずだが、彼らはそんな矛盾は気にしない。 それどころか、韓国では日本と戦争して独立を勝ち取ったかのような「ファンタジー」さえ広く流通しているとされる。これが笑えないのは、米国の歴史認識のレベルも韓国とそれほど差異がないことだ。日本政府高官が昨年春に訪米し、米政府高官らと靖国参拝について話し合った際、こんなやりとりがあったという。 日本政府高官「そもそも日本は韓国と戦争をしていない。戦没者を祀る靖国への参拝に関し、彼らに文句を言われる筋合いはない」 米政府高官「初めて聞いた。そうだったのか……」 さらに韓国は、朴槿恵大統領自身が世界各国で靖国参拝や慰安婦問題で日本の悪口を言う「告げ口外交」を繰り返しており、日本の現実やその歴史に知識のない者は「そんなものか」と受け止めかねない恐れがある。 先の大戦で戦勝国だった国々にとっても、彼らがつくった戦後秩序を肯定する国々にとっても、日本を「悪者」に仕立てようというのが中韓の国際戦略というわけだ。中韓は、それに「靖国カード」が有効だとみて利用しているだけで、何も靖国にこだわらずとも、他に使えるカードがあればそれでもよかったのだろう。 小泉元首相は退陣前、周囲によくこんなことを語っていた。「参拝をやめれば日中間がうまくいくというのは間違いだ。靖国で譲れば、中国は次は尖閣諸島の領有権、東シナ海のガス田、歴史教科書問題と次々に攻めてくる」 要は、中韓は日本を貶めることができれば何でもいいし、何でもありなのである。中韓はそもそも、国家の成立を支える「建国神話」自体が抗日・反日でできているため、日本批判をやめるわけにはいかない。小泉政権時代と違うのは、「当時より中国は経済的にも軍事的にもはるかに大きな存在感を持っている」(政府高官)ことだ。だからといって、靖国問題で言いなりになるのは下の下策だろう。 民主党政権の鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の三代の首相は、それぞれ自らの靖国参拝を否定し、閣僚にも自粛を求めた。この首相の靖国参拝など想定もできなかった時代に、日中、日韓関係はすでに戦後最悪となっていたことは強調しておきたい。小泉氏の指摘通り、靖国に参拝しなければ中韓が矛を収めるなどと勘違いしてはならないのである。「敗戦国」の枠に封じ込められ続けるのか 日本としては、中韓がいかに「戦後の世界秩序」を言い募り、また、それに賛同する国があろうと、これからもずっと「敗戦国」の位置づけに甘んじているわけにはいかない。「戦後」は終わらせなければならない。ましてや、中韓がまことしやかに世界に流布する「日本が軍国主義化している」などという「冗談」は、一蹴してみせなければならない。日本は「積極的平和主義」を掲げ、より積極的に世界平和のために役割を果たしていこうとしているだけなのだから。 安倍首相が言う「戦後レジーム(体制)からの脱却」「日本を取り戻す」という言葉には、こうした中韓が仕掛ける「戦後」のわなや首かせから脱し、自立した当たり前の独立国として世界に貢献していくという意味もあるはずだ。 だからこそ、米国のバイデン副大統領が事前に不参拝を求めても、安倍首相は多少の摩擦は覚悟して靖国参拝を断行した。戦没者の慰霊のあり方は、米国に決めてもらうような問題ではないのである。そしてそれは中韓が誇張し、米国が不安を覚えるような過去の歴史の正当化や美化、軍国主義の鼓舞には全くあたらない。「我々は過去の反省の上に立ち、戦後はしっかりと基本的人権を守り、民主主義、自由な日本をつくってきた。今や世界平和に貢献している。今後もその歩みにはいささかも変わりはない」 安倍首相は靖国参拝時、こうも述べている。首相の本心からなる素直な言葉だと思うし、日本はそのように戦後を歩んできた。それを否定するような謀略には迎合してはならないし、断固として反論すべきである。相手が「嘘も百回言えば真実になる」効果を狙っているのであれば、こっちは靖国参拝を継続しつつ、「本当のこと」を千回でも万回でも言い続けるのが良い。 本来、持久走は、中韓よりも日本の方が得意とするところだ。腰を据え、覚悟を決めて倦むことなく主張しなければならない。日本は「手強い」と彼らが深く認識し、下手に手を出すと手厳しく反撃されると学ぶことこそが、結果的に問題解決の近道となるはずである。

  • Thumbnail

    記事

    靖国神社「神おはす御園」

    きよらなるみそのにおはす神々はもと民なれど國やすけしと身をさゝげのぼりてゆかむ天つ風神おはすその花かげにまゐりきてたかき心をおもひしりかたじけなさに涙こぼるゝたぎりおつ涙すゝればからきあじその昔いくさばでながるゝちしほかむくはれて生かされしことわするなよ69回目の「終戦の日」の大鳥居神門から拝殿を望む神門を抜けるとそこは「靖國の桜」の苑神門外の大手水舎のほか参集殿にも水盤があり、身を清める雨に映える仕女(巫女)の緋袴拝殿内から中庭をはさみ本殿を見る廻廊の扉の飾り金具には菊花が散りばめられている本殿からの廻廊を静々とあゆむ仕女ら殿内から望む緑は雨に潤い色を増す朱うるしが鮮やかな扉の飾り金具神おわすみやしろを心を込めてみがき上げる拝殿から望む本殿拝殿に全職員が集まって毎日行われる朝拝本殿に上がる手前の廻廊で行われるお祓い欄干の飾り金具にも朱うるしがあしらわれるご祭神を護る霊璽簿奉安殿の屋根参拝者が結んでいったみくじ神の静寂を乱さぬよう神職も静やかにあゆむ歳月の流れにこけむす「靖國の桜」緋色と緑が神苑に映える狛犬も神苑を護り続ける拝殿前を過ぎる際、人々はこうべを垂れるご祭神が願ったのはアジアそして世界の平和家族、ふるさと、国を守るため出撃した特別攻撃隊の勇士たそがれ時、神門の向こうに明りが灯る闇の中で金色に映える本殿大鳥居前を行き交うヘッドライト・テールライト産経新聞写真報道局 飯田英男

  • Thumbnail

    テーマ

    日本人が靖国参拝して何が悪い!

    首相が参拝すれば、必ず政治・外交問題に発展する靖国参拝問題。国に殉じた英霊を祀る靖国神社への参拝は、なぜいつも大論争の火種となるのか。そもそも日本人が靖国を参拝して何が悪いのか。靖国参拝の是非をいま一度考える。

  • Thumbnail

    記事

    李登輝が日本人に伝えたい靖国への思い

    兄の霊を慰めてくれ感謝靖國神社で兄、李登欽(日本名・岩里武則)氏の「祭神之記」に見入る李登輝氏=平成19年6月7日(日本李登輝友の会撮影)  2007年6月7日、私は家内や孫娘とともに靖國神社を参拝しました。昭和20年にルソン島で戦死し、ここに祀られている兄、李登欽の魂と再会したかったのはもちろんですが、もう一つの大きな目的として、敗戦後60年以上にわたり、兄の霊を慰めてきてくれた靖國神社に対し、感謝の思いを伝えたかったのです。 私にとって靖國神社を訪れるのは初めてでした。台湾総統退任後、なるべく早く訪れたかったのですが、さまざまな制約があり、なかなか叶うことがなかったのです。副総統時代、何度かトランジットで東京に滞在したこともありましたが、その当時はまだ兄の霊が靖國神社に祀られていることを知りませんでした。 私の家には兄の位牌や墓どころか、遺髪も爪も残ってはおりません。父が兄の戦死を受け入れなかったからです。そのため、葬式も出さず、墓も作らず「南方できっと生きている。台湾に帰ってこないのは、現地妻でももらって暮らしているからに違いない」と、1995年に98歳で亡くなる最期まで言い続けていました。 こうしたわけで、今や兄の証しがあるのは靖國神社しかありません。そして、戦後数十年もの間、兄の霊を慰め護ってきてくれた靖國神社に対し、私は李家を代表して感謝の念を伝えに行かずにはいられなかったのです。世界はリーダーなき戦国時代に まもなく戦後70年。日本も台湾も、それを取り巻く国際情勢も大きく変わりました。日本が安全保障の大部分を委ねてきたと言っていいアメリカも、9・11テロやリーマンショックによる経済力の凋落によって、アジアにおいて軍事力を十分に行使できない原因となっています。今や世界は、主導する国家なき戦国時代に入ったと言えるでしょう。これをアメリカの政治学者イアン・ブレマー氏は「Gゼロ」の世界と呼んでいます。 こうした混沌とした時代の中で日本が生き抜いていくためには何が必要か。アメリカの衰退、中国の台頭、北東アジア情勢の急変を見ると、日本の真の自立が急務とされるのは明らかです。 そのために、国家の基本たる憲法をどう改正していくかが、今日の日本にとって大きな課題です。ご存知のように、現在の日本国憲法はもともと英語で書かれ、日本語に翻訳されたものです。つまり、戦勝国アメリカが、日本を二度とアメリカに刃向かわないようにと押し付けたものが、現在の日本国憲法です。 その第9条では、日本が軍事力を持つことを禁止しています。このため、日本はアメリカに安全保障を委ねることになりました。しかし今や、アメリカは頼りにならないだけでなく、日本自身も大きく変わり始めました。日本が再生への階段を上り始めたのです。 歴史を踏まえながら、日本が真に自立するために必要なものを考えるならば、憲法問題を避けては通れません。特に第九条では、日本が軍事力を保持することを禁じています。軍事力を保持することは「即ち戦争を引き起こす」ことを意味するものではありません。自分の身を自分で守る、という国際社会における原則を戦後約70年も放棄したまま、国家にとって致命的な問題が起きずに来られたのは、アメリカによる支援と幸運があったからに他なりません。人間の本能を知れ 人間は生まれながらにして戦わずにはいられない本能を有しています。ここでは、トルストイの名作『戦争と平和』をモチーフに、戦うということは人間の生物学上における本能であり、避けられないものであること、そのためには自分の国は自分で守るという力が必要不可欠だということを論じたいと思います。 人間は、自分が分割されない個(individual)として「かけがえのない一回限りの生を生きる存在」であることを、自覚するとき人格となります。そのとき初めて、自分でない他のすべての人間と向かい合い、他の人間を自分とは分たれるから、なお自分と共に生きる「他者」として経験する可能性を持つのです。 こうして個としての自我意識を核としながら、自分に向かい合う世界を対象化して捉えていくことができるようになるのであり、そこに文化を生み出し、歴史を作り出していく人格的前提があると言ってよいでしょう。 ここで私のことを例に挙げましょう。12歳の頃、私は家を出ました。母は食事の際、家で商っていた豚肉の一番いいところを私の目の前にどっさりと盛ってくれたり、膝の上に抱き上げたりと、私のことを溺愛していました。 しかし私は、母の愛情には感謝しつつも、このままでは自分がダメになってしまう、自分が無くなってしまうような気がして、家を離れなければならないと決心したのです。 とはいえ、これほど愛する息子が家を出るなどと聞いたら、母はきっと悲しむだろうと考え、私は一計を案じました。「この三芝の田舎にいてはきっと学校の試験に受からないだろう。だから淡水の街へ出て勉強したい」と嘘をついたのです。 そして私は家を離れることになり、最初は先生の家で、続いて友人の家で居候をすることになりました。居候の身では自分の家と同じように振る舞うわけにはいきません。まさに「居候、3杯目にはそっと出し」を地でいくような生活を経験したことで、他者との関わりというものを学んだのです。 12歳だった私が家や家族というものから分離し、居候という共棲を選択したことは、人間としての本能的な選択だったともいえるでしょう。 こうした人間の自己形成に当たって、人は二つの根源的衝動と取り組まなければなりません。すなわち「共棲的環境からの分離への欲求」とともに「自分を守ってくれる対象に近付こうとする結合」への欲求です。分離と共棲の繰り返し5年ぶりの来日で講演する李登輝・元台湾総統=平成26年9月21日、東京・大手町のサンケイプラザ(蔵賢斗撮影) 宗教的なシンボルを用いれば、この過程は「パラダイス」と「楽園喪失」とも表現することができるでしょう。旧約聖書の創世記冒頭における天地創造の記述も同じく、こうした分離過程を物語っています。 神の天地創造は、分離と区分とに基づいて、混沌に秩序を与えることによって成し遂げられました。 神は光と闇とを分け、大空の下と上とに水を分けて天を造り、最後に乾いたところから、水を分けて海と地を造りました。それまで互いに融け合っていたものを分かつことによって、はじめて時間が成立するのです。すなわち、創世記がその冒頭に記す「初めて」という時間が始まるのです。 光と闇、上と下、男と女といった分離過程こそは、生まれると同時に呑み込まれる永遠の一体性に終止符を打つものです。 こうして、創世記第一章は神の創造の行為における、分離がアイデンティティの前提となる時間経験を、可能にすることを教えているのです。 このように、人類の古い神話はそのシンボルとして、個人の生活史の中で繰り返される生命原理を示すゆえにきわめて実際的な意味を持っていることがわかるでしょう。アイデンティティ、自我意識、時間の歴史経験は分離と自己自身であるとする勇気によって得られます。 エデンの東においても、人間はこの神の被造物たることをやめません。そこでは、人間の生は戦いであるのみでなく、神から許された遊びでもあり、過酷な労働であるのみでなく、神の贈りものでもあるともされています。 こうした「人間とは何か」の説明によって分かることは、個人の生活史の中で繰り返される生命原理が示すように、分離と共棲(結合)の繰り返しです。そして同時に、自由と不自由の繰り返しでもあります。 人類と平和を論じる前に、戦争と平和を人間はどう考えているか、を言わなければなりません。戦争はいけない、戦争はやむをえない、戦争は戦うべきだ、などと話す人の価値判断ばかりが先走った議論の多い中で、現実の世界における平和がどのように可能となるのかを考えなければなりません。トルストイの戦争観 『戦争と平和』を書いたトルストイの考え方を見ることは非常に有益と考えます。トルストイは「『戦争と平和』という本について数言」という、結びの中で、彼にとって最も重要な考えを述べているからです。 「私は進行している歴史上の事件の原因は、我々の理性の理解の及ぶものでないことが明らかだと悟った。数百万の人間がおたがいに殺し合おうとし、五十万を殺した事件が『人の人間の意志をその原因』としているはずがない。何のために数百万の人間がお互いに殺し合ったのか、世界の創造の時から、それは肉体的にも、精神的にも悪だということがわかっているのに?それが必然的に必要だったからであり、それを行いながら、人間たちはミツバチが秋になる頃、お互いに殺し合い、動物の雄たちがお互いに殺し合う、あの自然の、動物学的法則を実現していたからである。それ以外の答えを、この恐ろしい問いに答えることは出来ない。 全体的な見地から歴史を考察すると、我々は様々な事件が生じるもとになっている太古からの法則を疑いなく確信する。個人的な見地から見ると、我々は逆のものを信じるのだ。 他人を殺している人間、ネマン渡河の命令を出しているナポレオン、勤務に採用してくれることを願い出たり、手を上げたり下ろしたりしているときのあなたや私…我々にはすべて自分の行為のひとつひとつが、理性的な原因と我々の自由意志をその基礎としており、どんな行動をするかは我々次第で決まるのだと疑いなく確信する。我々は自分の自由の意識を我々のあらゆる行為に行き渡らせる。 このように二種類の行為がある。一方は私の意志に支配されるものであり、もう一方は支配されないものである。そして、矛盾を生み出す誤りが生じるのは、私の自我に、つまり私の存在のもっとも高度な抽象されたものにかかわる、あらゆる行為に当然付随している自由の意識を私が他の人々と一緒にしており、私の自由意志を他人の自由意志に一致させることに束縛されている自分の行為にまで誤って及ぼしてしまうからにすぎない。自由と不自由の境界を明らかにするのは全く困難であり、その境界を明らかにすることが心理学の本質的な唯一の課題になる。 しかし我々の最大の自由と最大の不自由の条件を観察してみると、我々の行為が抽象的であればあるほど、したがって、他人の行為との結びつきが少なければ少ないほどそれは自由であり、逆に我々の行為が他人と結びついていればいるほど、不自由だということを認めずにはいられない。もっとも強く切り離せない、重苦しい、不断の他人との結びつきは他人に対する権力と呼ばれるものにほかならず、それは真の意味では他人にもっとも多く束縛されることにほかならない」このように、トルストイの戦争に対する観察は、人間とは何かということをよく説明しており、逆にこれはまた平和に対する人間の考え方にも当てはまることと思えます。生存競争はなくせない トルストイは、秋になって交配が終わると、せっかく集めてきた蜜をただ飽食するだけのオスバチは殺されてしまうというミツバチの法則について言及しています。私もこの法則を確かめてみたいと思い、台湾南部の視察へ赴いた際、ちょうど養蜂場を訪れたため、オーナーに確かめてみたところ、秋になるとオスバチがみな殺されてしまうというのは本当だ、ということがわかりました。ロシアでも台湾でも、ミツバチの行動は変わりませんでした。つまり、ミツバチの本能がそうした行動を起こさせるのでしょう。 同時に、こうした生きるためには犠牲を払わざるをえない例は人間にもあります。日本の東北地方に「こけし」というものがありますが、日本から来るお客さんに対し、私はよく「こけしは男か女か」という質問をします。ほとんどの方が答えられません。 こけしは、数年に一度は凶作や飢饉に見舞われていた東北地方で作られたものです。飢饉になると食べるものがない。おのずと限られた食料を食べさせる対象を決めなくてはなりません。男の子は将来働き手になるが、女の子はそうではありません。そうすると、口減らしの対象に選ばれるのは女の子ということになります。つまり「子消し」というわけです。そして、女の子の霊を慰め、祀る意味で作られたのがこけしなのです。 もちろんこけしの根源には諸説あるようですが、私は人間が生きるための本能というものを考えた場合、この説がもっともしっくり合うような気がしてなりません。 平和を求めたいというのは、大部分の人間の欲求でしょう。しかし、そうした期待はトルストイが『戦争と平和』で述べた考え方や、「人間とは何か」という本質に基づいて考えれば、首尾一貫した原理、原則の適用は不可能な事と言わざるをえません。可能なのは、具体的な状況の中から平和の条件を探ることに過ぎません。そうなると、戦争はいけない、戦争は戦うべきだとは簡単に言えなくなるのです。どうすれば平和を実現できるか平成19年の来日で松尾芭蕉の足跡をたどって岩手・中尊寺を訪れた李登輝氏。日本李登輝友の会によると、中尊寺は直前に訪れた中国の仏教関係団体の圧力で、予定された出迎えを中止。車の乗り入れまで拒否し、当時84歳の李氏は長い参道を歩かされたという(同会撮影) 現実の世界における平和がどのように可能となるかを考える必要があります。 平和とは要するに戦争が行われていないという状態に過ぎません。そして世界からすべての戦争をなくしてしまうことは難しいとしても、やはり戦争は例外的な出来事であり、世界の大半の人々にとって平和こそが現実の日常なのです。となると、実現が難しいのは、戦争の廃絶であって平和ではありません。 さらにいえば、平和が一番大事だ、絶対的な値打ちのある価値だと言うこともできないでしょう。戦争がない状態とは、いわば政治社会の出発点に過ぎないのであって、それだけでは市民が自由も豊かな生活も保障されることはないからです。戦争がない状態としての平和とは、ごく散文的な現実であります。平和の実現とは政治的主張の中で、もっとも保守的な控えめなものに過ぎないのです。 もちろん問題は、どうすればその平和を実現できるのかという点にあります。平和のためにすべての武器を廃絶すべきだ、と考えることも、実現できそうにないユートピアとしての平和に変わるでしょう。逆に武器で脅さなければ平和を保つことができないと考えるなら、戦力放棄とは武力攻撃に対して自衛的手段を捨て、自ら侵略に身をさらすような愚行に過ぎません。平和についての議論は、実は平和そのものでなく、それを実現する方法をめぐる争いの歴史なのです。 原理原則として平和を掲げるのでない限り、別に戦争に文句を付けることもないかもしれません。自分の犠牲さえ考える必要がなければ、自国の安全を確保するために考えられる政策の中でも、戦争は大変有効性の高い政策として考えられましょう。自国に脅威を与える国家を外交交渉などで飼い馴らすのではなく、戦争によって取り除くことが可能となるからです。国際社会の現実「力の行使」 それどころか、戦争に訴えることによって、初めて理念の貫徹した秩序をつくることもできます。平和を優先するとき、国家間の交渉や合意によって平和を保とうとすれば、自国と価値観も文化も異なる相手との妥協を避けることはできません。戦争をすることで実現できる変革に期待をかける時代への変化が、歴史的に表れることになります。それが現実の国際政治の変化であり、リアリスト的な状態なのです。 これは国際環境の変化とは無関係ではありません。世界経済をこれまでダイナミックに拡大させてきたグローバル資本主義には、本質的と思われる諸欠陥を内包しており、適切な処方箋が処方されない限り、国際政治に安定的な局面をもたらすことはできないでしょう。 国際社会が現在のように主導する国家がいなくなった際に、グローバル資本主義を強調する力のある国は、力の現実として、その力の行使を行うでしょう。そして正義を高く掲げて戦闘行為を正当化するような政策や言動をとることになります。 国際環境の変化によってもたらされた戦闘を正当化するような理念の先走った戦争を前にすると、より現実を踏まえた慎重な政策が可能でないかと考えざるを得ません。すなわち、人間の幸福な立場からして平和を模索すべきであろうと思うのです。 国際政治の主体は国家です。そして各国がその存続のために権力を行使する限り、国家間の協力関係はごく限られた範囲でしか成立し得ません。国内の社会では、強制力を持つ主体は国家のほかになく、その暴力を背後にして政府が法を執行することも可能となるのに対し、国際社会はそうではありません。 国際政治では、それぞれの国家に対して強制力を行使することができる法執行の主体は存在しません。国防を委ねることのできる主体が存在しない以上、各国は武力を保持して、その存立を保つほかに選択肢がないのは明白です。こうして、それぞれに主権を主張する国家が軍を保持し、対抗を続ける世界としての国際政治が存在するのです。国益前に「法の支配」は無力 このように「国家に分断された世界」における政治とは、平等な主権を持つ世界国家が国益を最大にすべく権力闘争を繰り返す過程であり、法の支配とか正義とかを訴えても意味はないのです。法や正義は国際政治の領域に属する観念であり、国際関係は善悪正邪とは無縁の領域とみなされることになります。 国家より上位に立つ実効的な支配が存在しないという国際政治の基本的特徴は現在でも変わっていないし、まして国家の防衛を委ねることのできるような国際組織などは存在しません。国境を越えた交易や人の行き来がどれほど拡大しようとも、武力に頼らない国防を実現する保証は決してないのです。 国際政治の安定を考える上で、各国の間の抑止、威嚇、「力の均衡」を無視することができない限り、政策の手段としての武力の必要性を排除することは考えられません。 はっきり言えば、戦争が国際政治における現実にほかならないからこそ、その現実を冷静に見つめながら、戦争に訴えることなく秩序を保ち、国益を増進する方法を考えるのが現実的見解といえるでしょう。 政策の手段としての軍事力はあくまで最後の手段であり、戦争によって状況を打開する選択に対しては常に慎重な判断が必要でありましょう。古今東西の別なく、人類の歴史は異なる組織集団の分離、統合の繰り返しです。結局のところ、歴史の発展とは組織や共同体の盛衰と交代の記録を、よりミクロに捉えれば、組織を掌握する権力者の盛衰と交代の記録にほかなりません。台湾が晒される中国の威嚇 時代の断面を切り取れば、組織や共同体の幸、不幸、繁栄、滅亡は指導者によって強く影響されていることがわかります。同時に指導者の持つ力と背負っている条件が組織の盛衰を左右し、興隆と滅亡を決定づける鍵となることが多いともいえます。  1996年、台湾は歴史上初めての総統直接選挙を行いました。それまでの間接選挙から国民が自分の手で総統を選出する方式に変えたのです。この民主的な選挙が気に食わない中国は、選挙戦のさなかに数発のミサイルを台湾沖へ「演習」と称して打ち込みました。明らかに台湾に対する「中国は戦争も辞さない」という威嚇です。 これに対し私は、テレビ演説を通じて「ミサイルの弾頭は空っぽだ。こちらは幾つものシナリオを用意してある。心配することはない」と国民に訴えました。結果、国民の動揺は収まり、無事に選挙は実施されたのです。 もし私があの時、中国のミサイル威嚇に怖気づいて投票を延期したり、戒厳令を敷いたりしたら、中国の思う壺だったばかりか、国民からの信任も得られなかったでしょう。私が強い信念と、手段をもって対抗したからこそ民主選挙が実現したと信じています。憲法改正で軍事的抑止力を 日本を取り巻く環境はますますきな臭くなってきています。このような状況に置かれながら、国家の根幹を規定する憲法で戦力を保持しないということを規定していることは、自らの生存を放棄している、もしくは他者の手に委ねていると取られかねません。今こそ日本は真の自立のために憲法改正をしなければなりません。 しかし、これまでの日本において、憲法改正についてはあまり論じられないどころか、むしろ憲法改正に触れることは長くタブーとされてきました。「第九条があるからこそ日本は平和を維持している」といった意見も、左翼の人々をはじめとして一部に根強くあるようです。 しかし、現実から目を背け、憲法問題を放置したり、無関心でいることは、日本という国の安全を著しく脅かすものと私は感じています。 60年以上にわたって一字一句も改正されていないことの方が、私にはむしろ異常に思えます。 歴史は常に移り変わり、時代は変化し、日本、および日本国民が置かれている状況も異なってきているにもかかわらず、国家の根幹たる憲法を放置していては、日本という国家は遠からず、世界の動きや時代から取り残され、衰退を強いられるのではないでしょうか。国家の生存競争に命捧げた英霊関西国際空港に到着して歓迎を受ける李登輝夫妻(安元雄太撮影) 大東亜戦争において、私の兄も、陸軍少尉として戦った私を含め、多くの人々が日本という国のためにと犠牲を払い、命さえも落としました。 あの当時の国際社会も、私が縷々述べたように善悪正邪とは無縁の、武力や軍事による自国権益確保のための熾烈な争いが繰り返されていました。 そのような過酷な国家の生存競争の中に、自らの命をなげうった彼らが一心に守ろうとしたのは、この日本という国をおいてほかにありません。 日本は戦後70年、非常な進歩を遂げました。終戦の昭和20年8月15日、私は名古屋城で帝国陸軍少尉として玉音放送を聞いたのです。あれだけ爆撃を受け焦土と化したにもかかわらず、そこから立ち上がり、世界屈指の経済大国を作り上げた日本人の勤勉さと叡智にはただただ頭が下がります。 また、民主的な平和な国として世界各国の尊敬を受けることができました。その間における人々の努力と指導者に敬意を表したいと思います。それと同時に日本文化の優れた伝統が、進歩した社会の中で失われていなかったことには驚嘆しました。2000年の総統退任以降、私は数度訪日しましたが、必ず田舎をまわりました。 みなさんは気付かないかもしれませんが、外国から来るとこんな田舎まで、ゴミ一つ落ちていないことは本当に驚きなのです。長い間、伝統的に培われた日本人の考え方であり、国を愛すると同時に村を愛する、自然を愛するという精神に結び付いているのです。 旅館も、新幹線も、仕事に従事する日本人の真面目さ、細やかさをはっきりと感ずることができます。社会秩序がきちんと保たれているのです。それはまさに精神的に高い日本文化を日本人がもっていることの証明です。まず信仰を持ちなさい しかし、いまの日本には何かが欠けているのも確かです。これを取り戻さなくてはなりません。さもなくば日本は国際的に強い国になれないでしょう。それは、先ほどから書いているように憲法を改正して自分の国は自分たちで守ること、そして同時に日本人自身が「私は誰だ?」と考えることが大切です。 倉田百三は戯曲「出家とその弟子」で、死を迎える前に、生きている間に何をすべきかと問うています。生きている間に自分の精神を高め、自分以外の公共のために努力しなければいけない、これが公(おおやけ)の精神です。自分さえよければという考え方が若い人に広がっていますが、日本人の一人として奮闘すべきではありませんか。 私は91歳になっても台湾のために奮闘しています。私は「私(わたくし)」ではない私、公のために奮闘する私です。日本の指導者には、どうもそのような精神が欠けるように思えてなりません。 日本から私の話を聞きに来る際に最も要望の多いテーマは、リーダーシップ、つまり指導者能力の修練についてです。 そこで、私は指導者の条件としてまず「信仰」を持ちなさいといいます。どんな宗教でもいいから、ものごとの正邪の判断に当たって、しっかりした考え方の基準が必要だからです。 次に「権力放棄」をしてほしい。自分が置かれた立場が持つ権力は、人民から一時的に借りたものであって自分のものじゃないからに他なりません。すなわち「公と私(わたくし)の区別」。「私は私でない私」と言ったけれども、すなわち公のために尽くす私がいるのであって、私だけのために生きる私がいるのではないということです。 特に若い人は「人が嫌がる仕事」を進んでやる必要があります。私は中学生のころ、進んで便所掃除をやりました。どれだけ自分が耐えられるか、自分で試したかったからです。それから「カリスマのマネをしてはいけません」。新聞やテレビに登場するような人物ばかりが実社会を構成しているのではないのです。 凛として生き、手本となるような人は市井にもたくさんいます。その最もいい例が靖國神社に祀られている英霊の方たちです。この日本の衰退を食い止め、激動する国際社会の中で生き抜いていくためにも、憲法改正を実現させ、真の自立国家として歩んでいくことこそが、彼らが礎となった平和日本に生きる今日の日本人の務めであり、靖國神社に祀られる英霊の方々に報いることであると思うのです。李登輝(り・とうき Lee Teng-hui) 1923年台湾生まれ。京都帝大を終戦のため中退し、台湾大学に編入・卒業。米アイオワ州立大大学院を経て台湾大教授。国民党入党の翌72年、行政院政務委員として入閣。台北市長、台湾省主席などを務め、84年当時の蒋経国総統から副総統に指名され、88年蒋総統死去で総統に昇格。96年、中国の武力でよる威嚇に屈せず台湾初の総統直接選挙を断行、自ら初の民主的総統となり、台湾の民主化を飛躍的に進めた。2000年任期満了で退任。07年第1回後藤新平賞受賞。著書に「『武士道』解題―ノーブレス・オブリージュとは」(小学館)、「李登輝実録―台湾民主化への蒋経国との対話」(産経新聞出版)、「李登輝より日本へ 贈る言葉」(ウェッジ)など。

  • Thumbnail

    記事

    忘れてはいけない歴史、知らねばならぬ国の姿

    んの笑顔は、きっとこれからの日本に必要な原動力なのですから。きっかけは「占領政策の洗脳」 さて、僕が靖国神社に奉納演奏を始めたきっかけについて書こうと思います。 まずは出版の世界でタブーだった戦中・戦後の事柄が表に出てきたことに他なりません。つまり、それまで知り得なかった情報がやっと白日の下に晒され始めたということです。 無類の本好きですから、一度興味を持ってしまうと次々に関連の本を購入し、読みあさっていったわけです。そして「WGIP」に行き着き、実際を知ったのです。僕は昭和24年の生まれですから「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」真っ最中の戦後っ子です。 アメリカは夢の叶う国、あらゆる人にチャンスを与える国、音楽やファッションがカッコいい国。同時に銃社会で麻薬が横行し、人種差別があり、殺人や強盗などの犯罪が日常的に起きている危険に充ちた国、自分達の意見を武力を背景に押し通してくる国、日本の同盟国でありながらなかなか日本を理解してくれない国でもある。それなのにアメリカをどうしても嫌いになれない。 特に音楽をはじめとするポピュラー音楽、そして煌めくステージ文化に関しては、誰もが認める先進国であり、音楽を生業とする僕にとっては未だに〝まぶしい国〟であり続けているというわけです。 一方、我が国はと言うとGHQが指導した戦後の公職追放やWGIPによって一部教育機関や一部マスコミ、映画界の一部などが左翼化。映画や小説、ドラマでも戦時中の軍部がいかに悪辣であったか、庶民や女子供を泣かせ、近隣諸国に迷惑をかけ、人々を苦しめたかと言う虚像を作り出し、それを教科書にも採用し、子供だった我々の無垢で真っ白な脳に、偏った思想を植え付けたのだ。 我々は至る所で見聞きするその話を素直に信じて育ち、「日本軍=悪」のイメージを頭の中に少しずつ刷り込まれていった。そして刷り込まれた結果から、アメリカを憎まない心も生まれたのかもしれない。催眠術師は知っていてかける。我々は知らないうちに術にかかるというわけ。嘘も百回つけば真実になっていく? どこかで聞いたセリフである。生き証言に目が覚める それでは、僕がこの事に気付く発端のエピソードを紹介しよう。 娘がまだ幼稚園のころ、同級生のお祖母さまと話す機会があり、何故か戦時中の話になった。お祖母さまは、現在は防衛省がある東京・市谷の大本営参謀本部にお務めだったそうで、終戦のころの話をいろいろしてくださった。 昭和20年8月末、米軍が日本に上陸、その数日前から市谷の大本営は書類の焼却に忙殺されていたといいます。毎日毎日、大量の書類が燃やされて、あたりは凄い煙に包まれたのだそうです。その話を聞いた僕、お祖母さまに何気なくこう尋ねる。「やはり戦争犯罪の証拠とか、軍にとって都合の悪いことを隠滅したってことですかね」。お祖母さまは怪訝な顔をされ「何を言ってるのかしら? 先日まで戦っていた敵国が日本に上陸してくるのですよ。敵に国家機密を渡すはずがないじゃないですか」と。 この時、僕の脳がなにかグルンと半周ひっくり返った。 そうだ国家機密じゃないか、国家機密は敵国に渡していいわけがない。それすら気が付かない戦後教育の恐ろしさ、教えられたことを疑いもせず鵜呑みにする若い世代の愚かしさ。 お祖母さまは続けてこうも言った。「私が存じ上げている日本の兵隊さんは、紳士で礼儀正しく正義感にあふれ、崇高なる目的のために命を懸けていらっしゃいました」。そして敗戦の日本を戦勝国が一方的に裁く東京裁判があって「ないことをあったように言われてたくさんの政治家、将校や兵士が無実の罪で殺されていったんですから…そうあの時は『ああ、やられた』って思いました。亜細亜の英雄・日本はいつの間にか連合国軍に悪者にされていたんです」。 そうですよね! 領土覇権主義を前面に押し出していたのは日本ではなかったわけで、歴史を見ても欧米型の植民地化はしていないのは明らか。自分で自分を守れない国に代わって、日本が現在の駐留米軍のような役割を果たしただけであって、その国民を差別したわけでも搾取したわけでもない。 ご存じのように日本はもともと資源が豊富な国ではない。石油などは輸入に頼っていたし、鉄鋼なども輸入国であった。その屑鉄や鋼鉄、石油及び航空機燃料などをABCD包囲網により封鎖されてしまい、国民生活は途端に危険にさらされた。 ちなみに戦時国際法では中立国の権利義務というものがあり、ある国が交戦対象国に経済的圧力を及ぼす目的で、中立国に協力を要請し、中立国がそれに協力することは中立義務違反になるので禁止されている。 にもかかわらず、どんな手を使ってでも日本を戦争に引きずり込みたい大国がなりふりかまわず経済封鎖をした。資源に乏しい島国日本は戦うにも戦えず、このままでは欧米の言うがままに日清・日露戦争で勝ち取ったすべての権益から手を引かねばならないハメになった。 もちろん日本は、外交努力を続けており、戦争を避けるべく妥協案を携えてアメリカに幾度となく会談を申し入れた。それも無視され、結局、最後通牒に等しい無理難題の「ハルノート」を突き付けられ、「座して死ぬよりは」と開戦に至ったのです。ひとが好い日本人ソウルフルなボーカルは若者を引き付けてやまない そもそも戦争とは、国と国との紛争が外交で折り合わない場合に武力をもって解決する手段で、どんな国でも持っている国際的に認められた権利。ところが、外交努力を丹念に続けたとしても、どちらかの国が戦争を選択した時点で戦争は起こってしまうものなのである。 つまり日本の場合アジア進出を狙っていた大国の策略によって、無理矢理に大東亜戦争から〝太平洋戦争〟に移行させられたようなもので、考えてみれば海に隔てられた島国で育ち、純粋培養で分を守って生きてきた日本人に、地続きで国境を接し領土争奪を繰り返してきた諸外国の如き陰謀・策謀は、とても巡らせられなかったに違いない。 そして国際的にウブでバカ正直な日本人には当時、この運命は避けがたかったかもしれない。また、今考えれば、日本がもっと国際的に情報発信力を持って、英語や仏語で自分たちの立場を堂々と発信し、世界から理解を得ていれば、結果はもう少し違うものになっていたのかもしれない。 あのような圧倒的劣勢の中でも、少ない資源、少ない兵力、少ない武器弾薬で、日本はかなり善戦している。戦争末期には特攻の如き捨て鉢な、命を弾にした乱暴な作戦もあったが、その命令さえも潔く受け止めて、国のため散華した勇気ある英霊方を靖國神社はご祭神として祀っている。異を唱える人は、靖國に詣で頭を垂れて、まず英霊を顕彰してから反対意見を述べてほしい。 ただ無駄死にというなかれ、彼らの死の後にこそ、我々の平和は繋がっているのだから…。  「なぜ?」で真実追求を   文京区にある都の戦没者霊苑に碑が建っており、その碑文の冒頭には「あの苦しい戦いの後、四十有余年、私たちは身近に一発の銃声も聞かず、過ごしてきました」とあります。 思えば毎日どこかで銃声が聞こえ、どこかで人が死んでいる国に比べ、今の日本はなんと平和なのでしょうか?だから靖國神社に詣で「ありがとう」と御礼を言うのです。 神社に詣で神前で「良い縁談がありますように」とか「宝くじが当たりますように」などとお祈りする人を見かけますが、そもそも神社はそう言った場所ではなく、自分を今まで生かしていただいてありがとうと御礼を申し上げる場所なのだ、ということを覚えておいてほしい。 さて僕は普段から子供のように「なぜ?」「どうしてそうなるの?」と考える癖がある。 例えば、日本を悪く言う人たちとその理由、背景を考える。まあ簡単に言えば風が吹くと何故、桶屋が儲かるのか。敵の敵は味方なんじゃないの?のように疑ってみるのだ。 何故この国はこの様に主張するのか? 沖縄から米軍がいなくなればいま喜ぶ国はどこだろう? 日本の内外で工作資金も工作員も使い情報操作や工作を行う国はどこだろう? 現在ではせっかくの平和日本でも、このように考える癖をつけないと国際関係は危険過ぎるように思えてならない。このスパイ天国と言われている日本で、誤った思想を真っ直ぐ信じている人々、無関心な人々のなんと多いことか。いろいろな方角から調べれば、真実はすぐわかる。 もちろん、こんな調べ物、しないで済むならそれに越したことはない。 反日の勢力が指摘するような日本兵も中にはいたかも知れないけれど、概ね純朴で辛抱強く、情け深く、まじめな人間が多かったと思える。食料がなくて飢死したり、薬もなく風土病に蝕まれて倒れたりする兵の方が多かったと伝えられる南方での戦いにおいても、草や木の根をかじり、耐えに耐えて前進する日本の兵隊は、現在では考えられないほど強固な精神力と強靱な体力に支えられていたからに違いないと思う。 徴兵は19歳からだったので終戦間際には圧倒的に若い兵が多かったと思うが、靖國神社が頒布している「英霊の言乃葉」に収録されている遺書や手紙、和歌などをひと目見れば、その若さとは思えないような素晴らしい気品と教養あふれる成熟した〝大人の日本人〟を、誰もが感じるだろう。感謝の気持ちは家庭から前期高齢者に突入しても「高齢者」という呼び名を吹き飛ばすほどパワフルなステージ ここでちょっと僕自身のことに触れたい。僕は幼いころから歌が絶えない家庭で育った。おカネがなくておもちゃを買ってもらえないから、歌のほかに娯楽がなかった。両親は理髪店を営み、若いお弟子さんたちが5人ほど住み込んでいたから、朝は皆で歌いながら掃除をした。もちろん僕も手伝った。中学に進んでドラムをやりたくなり独学した。そんな姿を見ていたからか、高校になるとドラムを習いに行く月謝を払ってくれた。貧乏だったが、両親は食うのに困っても教育にはおカネを惜しまなかった。 家庭でのしつけも、人としての礼儀作法には厳しかった。学校の式典で国歌を歌うのは当然だったし、両親からも知らず知らずに国を大切にする気持ちを伝えられていた。ところが、かなり前になるが、僕の息子が都内の公立小学校を卒業する際、驚くべきことがあった。「蛍の光」は式次第になく、国歌斉唱では僕ら夫婦以外に誰も立たなかったし、声すら出さなかった。 「ご起立ください」のアナウンスは「翼をください」を歌う時に初めてあった。 息子も国歌を歌っていなかったので帰宅して理由を聞いて、さらに驚いた。「だって歌ったことがないから知らないんだもん」。日本の国民を教える公学校なのに、国歌を教えない。今は少し良くなっているようだが、まだ教えない学校はあるようだ。 平成9年に国立競技場で行われたサッカーW杯アジア予選の日本対ウズベキスタン戦で国歌を独唱した時は対照的だった。僕が歌い始めると、観客がドッと立ち上がった。風圧を感じるほどだった。そして皆で声を合わせた。忘れないでほしいのは、国歌は祖国を敬うと同時に、歌って披露することで相手国への表敬にもなること。だから僕は双方の選手への激励と、わが祖先への感謝を込めて歌った。 僕は「WILD MUSIC SCHOOL」で若者に音楽のすばらしさを教えてもいる。学びに来た子供には、音楽より先に、レッスン料を払ってくれる親に感謝する気持ちを教える。僕自身、今の自分があるのは両親をはじめ音楽の師匠や仲間のおかげ。感謝の気持ちは僕の原動力だし、その大切さは次世代にも伝えたい。感謝の気持ちを持つというのは、靖國の英霊方に対しても同じなのだ。「八紘一宇」の理念とは 日本が大東亜戦争で掲げた理念に「八紘一宇」という理念がある。平たく言うと、全世界をまとめて、一つの家のように仲睦まじくすること、だと僕は解釈する。東京裁判においても、東條英樹の弁護人、清瀬一郎は八紘一宇を、日本の固有の道徳であり、侵略思想ではないと言っている。 ところが戦後、日本の政治家の口から「戦前は八紘一宇ということで、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよいというくらいな考え方から出発しておったようであります」や「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった」といった発言があり、生存していた元日本兵の皆さまは、さぞ悔しい気持ちで一杯だったろう。しかしこの八紘一宇の考えから、ナチスに追われヨーロッパから満州や日本に逃れるユダヤ人を救済した「命のビザ」という美談が生まれた。その杉原千畝が「八紘一宇の精神があるから軍も外務省もユダヤ人を助けた」と言っているのである。 当時、満洲国で言われていた「五族協和」も似ている。五族とは日本と朝鮮、漢、満洲、モンゴルの五民族を言い、これら民族が協調、協力して行こうという呼びかけであり、前述の「八紘一宇」と基本的に共通の思いを感じる。 日本の大陸への進出は、侵略と捉える説も多いが、少なくとも侵略が主眼ではなかったと思っている。それは西洋的な植民地、つまり軍事力をもって略奪・簒奪し、言葉を奪い教育をしない植民地とは違い、内地同様の理念や手法で台湾や韓国(当時はどちらも日本国)を経営したことからも、日本の意図が理解できる。 確かに日本は燃料の確保だったり、ゴムなどの資源の獲得だったり、援蒋ルートを潰すためだったりと、戦端を広げ過ぎて窮地に陥ってしまったが、この「八紘一宇」の精神は日本が敗戦後に現実化して、その理想は達成された。アジア独立に散ったこと伝えよ 有色人種で初めて白人と戦って、日露戦争では大国ロシアに勝利、大東亜戦争では連合国の欧米列強を相手に資源も何もない小国が善戦した。こんな日本に刺激を受けて「我々アジア人でも白人と戦えるのだ」と旧植民諸国(驚くことに戦前、アジアの主な国で日本とタイ以外は、いずれも欧米の植民地になるか一部侵略されるかしていた)が発奮した。 対白人の第一次インドシナ戦争のように旧日本軍の武器で武装、或いは残留日本兵の力を借りて組織的に訓練して戦い、次々独立に成功。アジアからヨーロッパの勢力を駆逐したのだ。その独立運動の大きな流れにスペイン、ポルトガル、イギリス、フランス、オランダなどはアジアの植民地を手放さざるを得なくなった。その後、遠くアフリカでもどんどん独立が続き、現在の形に近い世界ができ上がったのだ。 それまでアジア人が独自では成し得なかったことが成功していったのは、すべて日本が大東亜戦争に負けた後のこと。靖國神社にはその大東亜戦争後にアジアの独立戦争に身を捧げ、散華した〝アジアの救世主〟であった日本兵たちの御霊も祀られている。 このように我々の祖父や曽祖父の時代はまさに戦争の時代、欧米からの独立の時代。そして愛する者のために命を捨てることが自分に課せられた天命と信じ、勇気を鼓舞して困難に向かっていかねばならなかった時代だった。同じアジアの友人のために命を捨てた日本兵たちの矜持は、護られなければならないと思う。  靖国に英霊として祀られたのは大東亜戦争の戦没者が213万3千余柱。全英霊が246万6千余柱だから、大半の英霊は大東亜戦争で散華したことがわかる。 この英霊方を当時のアジア各国要人もこぞって擁護し、褒め称えている。 しかし、アジアのためにこれだけ力を尽くし命を捧げた英霊、本来なら世界史に燦然と輝く偉業にもかかわらず、不思議なことに戦後は日本国内でも一切語られることはなかったのです。代わりに「あり得ないほど醜く粉飾された日本」が世界の常識として現在も語られているというわけです。 あろうことか日本人が使う日本の教科書にもその記述はなく、子供たちが〝日本人の誇り〟を持てないばかりか、祖父や曽祖父の時代を貶められ、事実を歪められたまま、隣国から反省や謝罪を強制させられるありさまだ。 今、日本国中が道を失っている。子供たちが「日本人に生まれて良かった」と誇りを持てるように頑張った祖霊に、尊敬をもって光を当てられる日が来ることを願う。まず現近代史を正しく小中学校で教えること、これこそが急務だと思うのだ。真の日米同盟がなる日は こんなこともあった。 僕には30年来のアメリカ人の友人がいる。彼とは映画やゴシップから政治まで何でも話すが、ある時、靖國神社が話題になると、彼はこんな質問をしてきた。「そもそもその神社には戦争犯罪人の骨が何体埋めてあるのか?」 中韓に加えアメリカまでもが総理大臣の参拝に批判的なので、自分なりに納得できる理由を探していたのだろう。「遺体も遺骨も一体もない」と僕は答えた。どうやら彼はハワイのパンチボール(米国立太平洋記念墓地)やアーリントン国立墓地と靖國神社を同列に考えていたようだ。 「それじゃなんで他の国があんなにわいわい言うんだい?」と言う彼に、「だから、靖國は国のために命を懸けて亡くなった人たちの魂を祀る場所なんだよ」と僕。すると彼は「魂なんて形がないじゃないか。何で騒ぐんだ。騒ぐ人たちは日本が死んだ兵隊の魂を自由に操れるとでも思っているのか? それともこれほど平和な日本が世界征服を企んでいるとでも思っているのか? 第二次大戦後一度だって戦争をしていない国をなぜそこまで疑うのか?」。さらに「米軍が駐留している国なのに何故? 日本人は謎めいて何を考えているかわからないなんて、米国人が勝手に作ったイメージだ。自分たちの作ったイメージに自分たちが踊らされて誤解し続けるのか?」と、立て続けに言った。 2013年に安倍晋三総理はアーリントン国立墓地を訪れ、無名戦士の墓に献花した。しかしアメリカの大統領は戦後70年、一人として靖國神社に詣でていない。友人が言うように、戦争が終了してお互いを認めて同盟を結びながら、これから先も変わることなく日本を疑い続けるのだろうか。危険な国と思い込んで日本の国力を弱めることに腐心し続けるのだろうか。英霊、戦没者が許すなら一日も早く大統領が靖國に詣でる日が来ることを望む。多分その時初めて戦後は終わり、日本はアメリカの真の同盟国になるのだと思う。無知は罪、学べ若者よ! さて靖國神社には戦後、世界各国や国連の代表が公式に参拝。アメリカの駐日大使や武官も幾度となく参拝している。靖国神社を日本の総理が参拝すると、反日教育をしている中韓に加え、何故に同盟国アメリカまでが「遺憾」を表明するのか、理解に苦しむ。 正常に考えて、これは異常な事態だ。僕としてはたくさんの友人がいるアメリカが好きだからこそ、こんなアメリカではいてほしくないと願う。 さて近年、訪日外国人観光客が平成二十五年に一千万人を超えた。ゴミ一つ落ちていない清潔な国、古い文化と新しい文化が融合した国、世界でも希に見る犯罪の少ない安全国家、優しさにあふれた国、テクノロジーの進んだ国、食べ物が新鮮で信用できる国と、なかなか評価が高い我が日本。五輪の開催も決定している。 しかし「忘れてはいけない歴史」「知らねばならない国の姿」がある。 本来、靖國神社は散華した英霊を慰霊、顕彰するための神社。「顕彰」とは、命をなげうち平和の礎となった英霊を、褒め称えることだ。それを忘れて、その平和に寄りかかってばかりの人はいないだろうか。 英霊がありてこそ、今の我々の生活があるという事実を忘れないでいただきたい。敗戦という歴史があったればこそ、今の日本の姿があるのだ。 僕は靖國神社について考える時、いつも日本人が歩んだ戦後の苦悩を感じる。戦後七十年の節目に日本や世界がこれからどうなっていくのかは予想できないし、未来はいつだって思いがけない方向に跳び、行く先が読めない。 けれども、過去だけは学び、調べれば教えられ、知ることができる。無知は罪だ。学べ若者たちよ。これからは誰にどんなことを言われても恥じることのない真っ直ぐな道を歩いて行こうではないか。 日本人の持つ高潔さを愛し、その優しさを信じ、正義を愛する者として。つのだ・ひろ 昭和24年福島県生まれ。翌年東京に移住、理髪店を営む両親に頼んで中学時代からドラムを始め、高校生でプロデビュー。力強い演奏が評価されて45年「渡辺貞夫カルテット」に加わり、世界で活躍。作詞作曲でも才能は発揮し、日本人離れした太くソウルフルな歌声も手伝って46年発表の名曲「メリー・ジェーン」は今も歌い継がれる。「失恋レストラン」「街角のラブソング」など楽曲も提供。中島みゆきらとも共演している。母校が廃校した経験から、平成14年廃校の滋賀県浅井町(現・長浜市)立中の生徒たちの詞を仕上げ、曲を付けて贈った。新種のブドウを発見し「メリー・ジェーン」と名付けた。総合音楽学校「Wild Music School」校長。漫画家つのだじろうは次兄。

  • Thumbnail

    記事

    若き神職 汗と涙の一日 祀られた人、祀る人、祈る人

    泰道雄一郎(靖國神社宮掌)袴の色で職位がわかる!? 皆さんは「靖國神社」と聞いて、どのようなイメージをお持ちですか。どことなく重々しい、政治や外交のニュースで取り上げられる神社? それとも、桜がきれいな、静かな慰霊のための神社? 実際に参拝いただいた方も、そうでない方も、それぞれに靖國神社像をお持ちだと思います。 神職についてはいかがですか? あまりご存じない方が多いと思います。そこで、入社五年目の私が、謎に包まれた靖國神社の内部、そして神職としての生活の一端をご紹介しようと思います。まず、簡単に靖國神社の組織などをご説明します。 靖國神社では約40人の神職が奉仕をしております。職位の順に、宮司(ぐうじ)、権宮司(ごんぐうじ)、禰宜(ねぎ)、権禰宜(ごんねぎ)、主典(しゅてん)、宮掌(くじょう)の職掌があり、私は一番下の宮掌です。 職位は袴の色で表され、宮掌は松葉色の袴を穿いています。宮司は織紋入りの白、権宮司は織紋入りの紫、禰宜は薄い織紋入りの紫、権禰宜は紋なしの紫か浅葱色、主典は浅葱色です。 各職掌には、祭典の際に行うそれぞれの所役(役割)があります。さらに同じ職位の中でも固定的な序列があり、同期の神職同士でも序列の上下が発生します。たまに他の神社から転入してくる方もおられますが、こういった場合は序列の組み直しがあります。私は入社5年目ですが、私より序列が下の神職は2人しかいません。 神職というと世襲で代々家系(社家)が引き継がれているというイメージがあると思いますが、実際にはそれ以外の者も多く、靖國神社でも社家でない神職が多くいます。私も社家ではありませんが、ご縁をいただいて奉仕をさせていただいております。 一般の会社組織と同様に靖國神社も組織化されておりまして、各担当部署があります。例えば、祭典・祭儀を統括するのは「祭務部」、遊就館を統括する「遊就館部」など。各部の下に各課があります。人事課や総務課もありますので、この点では一般の企業などと変わらないですよね。靖國神社ならではの部署としては「調査課」というのがあります。御祭神情報の調査を業務としており、御遺族の依頼に応じて御祭神の情報を提供したり、その訂正などを行ったりします。参拝者に教えられる大事なこと 私のような経験の浅い神職はまず祭儀課に配属されます。祭典・祭儀の執行と、参拝者の接遇を主な務めとする部署です。課長以下8人ほどの神職と仕女(しじょ)、事務員、宮務員など三十人近くで構成。ここでも聞き慣れない職名がありますね。「仕女」は靖國神社独特の呼び方で、一般の神社の巫女(みこ)のことです。 祭儀課は社内では大所帯で、若手の職員も多いので、いつも活気にあふれているんですよ。 まあ、それだけ大変なことも多いのですけど…。特に新入職員は4月の初めに入社し、そのまま「さくらまつり」の最前線に投入されるため、わけもわからないまま、 尋常ではない混雑の中で右往左往します。私も入社当初、こんなことがありました。 硫黄島戦歿者の慰霊祭に参列される御遺族に「いおうじま」と言ったところ「それは米軍が使い始めた呼び方だ! 日本では昔から〝いおうとう〟と呼ぶんだ」と注意されました。慌ててお詫びして頭を上げると、その方の目からは涙があふれていたのです。 かけがいのない肉親を硫黄島で亡くされ、その慰霊にみえたのに、戦歿地名をかつての交戦国式に呼ばれたら、どんな思いをするか…何気なしに言ったこと、無知から出た言葉が、実はどれだけ人を悲しませ、憤らせてしまうか、思い知った瞬間でした。 また、戦友の方を参拝へご案内したら「そんなことはわかっている! お前が生まれる前から、毎年ここに来ているんだ」と、お叱りを受けたこともありました。過剰な、無用な親切はかえって無礼になることもあると学びました。 とにかく緊張と失敗の連続でした。今にして思えば、御遺族や戦友の方は、見るからに入社間もない私に、靖國神社の「感覚」を教えてくださったのだと思います。一日の始まりは“潔斎” では次に、実際に神職がどのような一日を送っているのか、出社から退社まで、順を追ってご紹介します。 毎朝8時から、御本殿周辺の掃き掃除があり、参拝受入の準備も事前に済ませなければなりません。逆算して7時30分には白衣袴を着て、行動開始、としたいところです。 スーツ姿で出社して、そのまま白衣袴に着替えていいわけではありません。社務所の地下には潔斎所(けっさいじょ)があり、ここで潔斎を取らなければ白衣を着ることはできないのです。潔斎と書くと大げさですが、全身に水を浴びることです。神社にお参りする前には、手水をとって手と口を清めますよね。これと同じお清めの作法です。神社参拝の前に手水を取ると、とても清々しい気持ちになります。私たち神社に奉仕する者も潔斎を取り、雑念を祓って、清々しい心持ちで社殿に向かうのです。 朝早くの時間は参拝者の影もまばらです。社務所を出て、桜の枝が広がる境内を横切り、参集殿へ向かいます。私は毎朝、この間に「今日はここまで仕事を仕上げたいなー」「あの起案を上げなければなー」と、一日の目標を決めるのです。実際には半分も達成できませんが…。 参集殿に着くと、宿直者が事務所に詰めています。 宿直は月に3、4回あります。公平に振り分けられ、常勤の職員の退社後から、翌朝の9時まで、御本殿をお守りするために参集殿に詰めるのです。 ですから、朝一番に会うのは前日の宿直者ということになります。参集殿の事務所でまず確認するのは、主な団体参拝、祭典の予定、休暇の職員は誰なのか…これらを見て一日の大体の動きをシミュレートします。 ところで、神職と言うと「年がら年じゅう神社にいる」というイメージをお持ちではないですか? 靖國神社では出張もけっこうあり、休暇も取れますので、必ずしも「年がら年じゅう」という訳ではないんです。 ですから、緑袴の神職にとって、その日に誰がいて、誰がいないのかは、とても大事なのです。序列によってその日の役割が自動的に決まるので、自分の序列位置を朝のうちに確認します。 予定を確認したら準備に移ります。署名簿、控室、下足などを準備し、午前中の参拝に備えます。笛は神職に欠かせぬ技能 準備を終えて8時の清掃までに時間があれば、笛の稽古をするように心掛けています。靖國神社で用いられる笛は「神楽笛」という種類の笛です。よく神社で吹かれる龍笛(りゅうてき)より一回り細い笛で、指で押さえる穴も一つ少ないものです。さまざまな祭典で奏されます。神職は神楽笛の習得が絶対なんです。曲目は10数曲あり、自分で稽古し、祭典に備えなければなりません。得意な方はいいのですが、私のような鈍い者は、5年たっても苦しみ続けるのです…。 さて、8時になると、拝殿の大太鼓が打ち鳴らされ、本殿では朝の神饌(しんせん=供物)をお供えする一日の最初の祭典である朝御饌祭(あさみけさい)が齋行されます。同時に、本殿と拝殿の間の中庭(ちゅうてい)の清掃が始まります。 太鼓を打つのは、神社に住み込みで実習をしている大学生です。神職と同じ白衣袴を着ています(袴は白)。日中は神社で神饌を準備し、参拝者の介添えなどの実習を行い、夕方から國學院大學で勉学に励んでいるんです。 春、秋の例大祭でお供えする50台の神饌は、彼ら実習生が中心となって調製します。靖國神社には欠くことのできない存在なのです。中庭掃除は、竹ぼうきで落ち葉を集めますが、夏場は環境が最悪です。 まずは蚊! ここが都心とは信じられないほどの大群で、虫よけスプレーをかけても、白衣の袖、袴の裾から容赦なく襲撃してくるので、とても間に合いません。こうなると追い払う気力も失せ、吸血されるがままになるんです…。蚊、クモの巣、鳥フンとの戦い さらには直射日光です。ただでさえ強烈な日差しに、玉砂利と石畳から反射が加わって、上下からジリジリくるんですね、これが。汗っかきの職員は下着から白衣まで汗でびっしょり。 強烈な日差しにはウンザリですが、蚊は日差しの下までは追って来ません。日差しを避けて木陰で蚊に刺されるのを選ぶか、蚊から逃れて日差しに身を晒すか、ほうきを動かしながら、日々悩み続けているのです。 中庭の掃除に続き、玉砂利の線引き(ならし)を行い、引き続きみんなで元宮、鎮霊社がある一角へ掃き掃除に向かいますが、私は別の担当があるので、いったん草履を脱いで社殿に戻ります。 私は祭儀課の「恒例祭典」を担当しており、その担当者は朝、社 殿の見回りをすることになっています。本殿、拝殿、南北廻廊を見て回り、あるべきものがあるべき位置に、あるべき形で整っているかを確認します。また、箒でゴミを掃き集め、鳥のフンを拭き取り、竹竿でクモの巣を取り除いたり、穴が開いた障子を補修したりもします。 特に注意しなければならないのはクモの巣。冬場はあまり気にしなくてもいいのですが、三月初旬、啓蟄のころを過ぎると、蜘蛛が一斉に出てきて、中庭の樹木の間や社殿の隅、手すりの間、灯篭の屋根などに人知れず巣を張るのです。光の加減で目視できない蜘蛛の巣もあるので、巣が張られそうなポイントはとりあえず竹竿を突っ込みます。 小さな巣も見逃すといつの間にか大きくなってしまうので、根気強く、寒さで蜘蛛がいなくなるまで毎日続けます。蜘蛛からしたら堪ったものではないですね。 神話の中で「国つ罪」とされるものの中に「飛ぶ鳥の災」「昆虫(はうむし)の災」というものがありますが、毎日社殿で鳥のフン、蜘蛛の巣と戦っていると「神話の時代と変わってないんだなぁ」と思う(私見)のです。「ドテッ」と転んでもおられず この作業を8時から概ね40分で終え、9時からは朝拝(ちょうはい)があります。朝拝には、出社している職員のほとんどが参列します。9時ちょうどに大太鼓が打ち鳴らされ、まずお祓いが行われ、次に拝礼を行ってから、今日の宿直員は誰なのか、祭典、主な参拝の予定はどうなっているのか、会議は何時からどこで行われるのか、社内申し送り事項が伝達されます。 これが終わると職員は一斉に社殿に散って、掃除をします。朝拝前の掃除は祭儀課の者だけで行う中庭の清掃でしたが、今度は職員全員で行う社殿内の掃除です。各人に振り分けられた担当箇所があり、床の拭き掃除が主です。 この際、若手はまっ先に駆けて行き、バケツの保管場所の扉を開けなければなりません。が、社殿内は走ってはいけないことになっているので、可能な限りの急ぎ足に。毎朝恒例の〝短距離競歩大会〟です。たまに足が追い付かずに「ドテッ」と転ぶ者がいても、誰も助けてはくれません。 拭き掃除も毎日行うので、普段の汚れはそれほどでもないのですが、花粉が大量に飛散する季節や空気中の汚染物質が多い日などは、目に見えて雑巾が汚れます。そんな時は二度拭き三度拭きをします。御遺族の思いは変わらない 朝拝が終わると、本格的に参拝の受入が始まります。朝拝の前も参拝受け付けはしますが、靖國神社の主な参拝団体である遺族会の多くは、朝拝が終わった後に到着されます。 全国各地から大小さまざまな遺族会が神社に見えます。若い世代も参加し、バスを10台も連ねて毎年参拝される遺族会もあれば、「もう五人しかいなくなってしまったわ」と皆さん杖をつきながら遠路はるばる見える遺族会もあります。 とはいえ、御祭神への思いはどの御遺族も同じ。御祭神の生前の様子をご存知の方は、御本殿に昇殿され、涙を流しながら参拝される方が少なくありません。 遺族の方の参拝の際は、祝詞の中でお身内の御祭神名を奏上します。遺族会でお越しの場合は、全員の御祭神名の奏上をしていると時間がかなり長くなってしまうので、代表として遺族会長さんのお身内の御祭神名と遺族会の名称のみの奏上とさせていただいています。 遺族会が到着されると、参拝準備が整うまで参集殿でお待ちいただくようご案内すると同時に、会長さんを探し出して受付をお願いしなければなりません。 署名簿に遺族会名を記入し、前述の代表御祭神名を教えていただくのです。ここで最も大事なことは、読み仮名をはっきりと確認することです。御祭神名はもちろんですが、遺族会名に難読地名が入っている場合や、濁点、半濁点が判別し難い場合が多いのです。 間違ったまま祝詞奏上が行われると、取り返しのつかない事態になってしまいます。このような受付や参拝者の案内は、ほとんどは若手神職が行う場合が多いので、緑袴の出番です。水色袴や紫袴の方は参拝の順番調整や連絡をして、全体の指揮を執ります。 案内指令が出たら、遺族会をご案内します。写真撮影の禁止、脱帽のお願いなど簡単な注意事項をお伝えし、手水を取っていただきます。参集殿の手水舎にも大きな一枚岩も手水盤があります。地味なものですが、側面には「明治二年己巳六月進献」と刻まれています。明治2年というと、靖國神社ご創立の年であり、現在の御本殿より古いものなのです(明治2年の社殿は現在の社殿とは異なる場所にありました)。 参拝される方にご覧いただけるものとしては最も古い構造物が、この手水盤になるわけです。大変貴重なものですので、皆さんぜひとも昇殿しての正式参拝をされ、 その時にこちらの手水 盤をご覧になり、実際にお使いになってみてください。正式参拝の詳しいことは神社にお尋ねください。 御本殿では祝詞を奏上し、参拝を終えた皆さんは途中の回廊でお神酒を召し上がり、参集殿に戻ってきます。このような流れで日中の参拝予定が進んでいきます。御守り担当に提灯担当も では、団体参拝がない時間帯は何をしているのかというと、各自の担当の仕事をします。私の担当は前述のように「恒例祭典」。春、秋の例大祭をはじめ神社が主催する各種祭典の準備をするのです。具体的には、お祭りで使うさまざまな道具の管理や神饌の発注、祭典装束の管理などになります。他にも「御守り」の担当や、奉納された物品を管理する担当、みたままつりの提灯担当もいます。専任であったり、兼務であったりで、状況に応じて担当が変わることもあります。 さらに自分の担当業務以外にも、さまざまな〝雑務〟が回ってきます。若手ほど多くの雑用が回ってきます。まあ、これは靖國神社に限らずサラリーマンに共通することですが…。 外から神社を見るととてもわかりにくいと思いますが、靖國神社の神職は参拝者から見えないところでも、事務をしたり、問い合わせ電話を受けたり、駆けずり回って雑用をこなしたりしています。 そうこうするうちに、一日も終わりに近づいてきました。 まだ大事な仕事があります。夕方5時までに「祭務報告書」を作らなければなりません。これは、その日の祭典は何時に誰が奉仕したのか、どんな団体が何人参拝したのか、祈願参拝は何件あったのか―など細かく記録するものです。明くる朝、ご神前にお供えして、ご神に奉告しますので、間違いがあってはいけません。もちろんこれも若手神職が作ります。これを完成させ、宿直の神職に認可をもらうまでは帰れないのです。 通常であれば30分程度で作成できますが、お正月や8月15日などは非常に多くの団体・個人の参拝があるため、集計して確認するだけでも大変。内容が不十分で認可されず差し戻されると、夜中まで作業が続いてしまいます。退社の〝ハードル〟どこも同じ 祭務報告書が完成した~さあ、帰宅だ…といきたいところですが、そう単純ではありません。上司の動向を見極めつつ、退社するタイミングをうかがわなければなりません。同世代の会社や役所勤めの方も「きっと同じなんだろうなぁ~」と思いますが、それも共通の〝宿命〟ですね。 こんな私がこそこそと帰る支度をしていると、来た…「泰道君さぁ、あれ、どうなってんの?いつやるの?」と上司の言葉。 わが上司(課長)は普段から部下の皆に気を配り、時にはよその課長と侃々諤々の議論を交わすような熱心な先輩で、もちろん尊敬はしております。それだけに、こんな牽制球が飛んでくることもよくあること…。何とか折り合いを付け、スーツに着替えて帰宅の途につくのです。 以上が靖國神社の若手神職の平均的な一日です。外からは見えないようなところを中心にご紹介しました。靖國神社をより深くご理解いただく一助になりましたら幸いです。 ついつい愚痴も出ましたが、辛いことがあると、私は権宮司のこの言葉を思い出し、自分の愚痴など些細なことであると思い、日々精進しています。 「辛いこともあるが、御祭神はもっと大変な困難に立ち向かっていった方々なんだ。それを我々は忘れてはならん」泰道雄一郎(たいどう・ゆういちろう) 昭和61年、千葉県鎌ケ谷市生まれ。平成22年皇學館大学文学部国史学科卒業。同年靖國神社に奉職、現在に至る。千葉県立高校時代、いわゆる「慰安婦問題」や「強制連行」を吹聴する授業、男女差を無理になくそうとするジェンダーフリー教育に疑問を覚える。神社に関する知識は全く無かったものの、校名からのイメージに魅力を感じて皇學館大に進む。大学入学後、神道や神社に対する興味が強まり、神職をめざす。そして幸運にも靖國神社へ。趣味はドライブ(現在マイカーなし)、世界地図を眺めては海外旅行した気分になること。嫌いな食べ物はキウイフルーツ。奉職後は親元を離れて独身寮暮らし。良き伴侶を募集中。

  • Thumbnail

    記事

    安倍首相、今年も靖国神社参拝を

    その場所はどこでもいいわけではない。なぜなら、想う人の魂は靖国にいると多くの遺族が確信している以上、靖国神社以外はありえないからだ。 お墓参りの時期、私はいつも祖父の兄の事を思う。彼の無念を思うといたたまれない気持ちとなる。これからも私はお墓参りを欠かさないつもりだ。機会があったら再び靖国神社を訪れたいとも思っている。私自身できる限り慰霊をしていくつもりだ。 そしてその責任は安倍総理をはじめとする政治家にもあるはずだ。2013年の安倍総理の参拝は当然の事とはいえ、それができない人が多い現状にあっては英断であったと言える。今年もまた靖国神社を参拝するという英断を下す事を切に望む。