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    朴政権にトドメを刺す韓国財閥の「ゾンビ企業」化

    高橋洋一(嘉悦大学教授) 韓国経済では、財閥が大きなウエイトを占めている。ただし、しばしばテレビなどで「10大財閥が韓国のGDPの70%を占める」と言われるが、これは事実でない。 10大財閥の総売り上げを韓国のGDPと比較して70%というが、この言い方はちょっと恥ずかしい。比較する場合は同じ概念にすべきだが、GDPは売り上げから労働対価、原材料対価などを除いた付加価値であるからだ。マスコミは、数字があるとその意味をわからずに使うが、「10大財閥が韓国のGDPの70%を占める」はその典型である。そして、テレビコメンテーターにこうした言い方をする人はまず経済に無知であると思ったほうがいい。ちなみに、付加価値は売上高の2~3割程度であるので、「10大財閥が韓国のGDPの2割程度を占める」と言ったほうが適切だ。オーストラリア・シドニーの港に係留された韓国海運最大手、韓進海運のコンテナ船。韓進海運が経営破綻し、世界の物流に混乱が続いている=9月12日(ロイター) それでも、財閥が韓国経済で中心的な役割であるのは間違いない。昨年1月のナッツ・リターンによる韓進への非難に続き、ロッテ、サムスンと不祥事が続き、財閥への信頼が揺らいでいる。 韓進海運は8月末に経営破綻し、同海運が保有するコンテナ船は、荷降ろしに関する不払いを恐れられ世界各地で入港を拒否されている。 ロッテについては、昨年創業家の長男・重光宏之氏と次男・昭夫氏の一族による経営権争いで世間を賑わせたが、今度は巨額な裏金作りの疑惑で創業者父子が在宅起訴されてしまった。 ロッテの件は韓国での日本叩きの巻き添えを食ったのかもしれないが、サムソン事件は驚いた。 しばしば筆者は飛行機を使って出張するが、機内アナウンスで「ギャラクシーノート7」は使えませんと、商品名を出して警告されるので、そのマイナスイメージは計り知れない。 サムソンの「ギャラクシーノート7」に限らず、携帯電話、ノートパソコンなどには、リチウムイオンバッテリーが使われている。この電池は高性能であるが、取扱はけっこうシビアである。 筆者はアップルのiPhoneを使っていた。ただ、実際に1年以上使っていると、電池がへたって持ちが悪くなってくる。アップルでは勝手に携帯内部を開けさせないように特殊ねじを使っており、そうした場合、アップルに頼んで電池交換してもらう仕組みだ。 ところが、筆者は時計いじりマニアなので、iPhoneの電池交換は自分でやっていた。電池そのものやiPhoneを分解する工具もインターネットで入手可能であるからだ。自分でやった方が、早くできるし、コストも圧倒的に安い。 これまで、iPhoneでは何回も電池交換してきたが、先日ついに失敗してしまった。リチウムイオンバッテリーを取り外す際、力を入れたらバッテリーを覆う膜が少し破けてそこからバッテリーが発火し、筆者のiPhoneは燃えてしまった。韓国経済を後押しした日本の金融引き締め こうしたリチウムイオンバッテリーの危険性は以前から知られており、各企業でその安全対策は何重にも施されている。しかし、サムソンで対策出来ていなかったのは、窮地で余裕がなかったという意味でかなり深刻な事態である。 サムソンは、韓国財閥の中でも資産規模でトップである。しかも、資産規模2位の現代自動車でも、中型セダンの「ソナタ」が米国でエンジン欠陥の指摘を受け、リコールになったことがある。 さて、財閥に依存している韓国経済であるが、以前から言われていたこととして、韓国経済の「サンドイッチ現象」がある。「価格では中国に勝てず、技術では日本に勝てない」。つまり、価格で中国に攻められ、技術で日本から攻められてサンドイッチになるというわけだ。 ところが、小泉政権では不十分ながら金融緩和を行ったので円が多くなり、その結果円は他通貨に対して相対的に増え円安になったが、福田政権以降、日銀は金融引き締めに転じ、円高傾向になった。それを加速させたのが、民主党政権である。 そのため、韓国ウォンは日本円に対してウォン安になった。これは、日本製品と比べて技術はイマイチであっても価格競争力が優位になった。技術差は価格差に勝てない。多少の技術差は一般人にはあまりわからないからだ。その結果、スマートフォンや家電製品の世界市場において、韓国製品が日本製品を凌駕するようになった。 また、韓国ウォン安は中国人民元に対しても同様であった。このため、中国製品に対しても価格競争力が以前ほどでなくなった。こうして、韓国のサンドイッチ現象は、日本の金融引き締めという無策のために、逆に韓国経済の後押しになった。 そこで、アベノミクスの登場である。韓国は、アベノミクスの本質が金融緩和にあって、それがもたらす円安効果を見抜いていたと思われる。そのためか、筆者のところには、韓国の在日大使館、在日マスコミなどから多くの取材がきた。その際、アベノミクスになると、韓国経済はそれまでの有利性を失うという趣旨を話した。 今の韓国経済をみていると、まさに、筆者の予想は完全ではないにしても、外れていなかったと思う。韓国経済の足かせはアベノミクスだけではない そうした韓国経済の苦境は、財閥の企業活動を見ていると、見えているという意味で、財閥が悪くなったから韓国経済が悪くなるというものではない。 韓国経済と日本経済はかなり似た産業構造となっており、ともに原材料に付加価値をつけることをしている。このため、日本で行う経済政策の巧拙が韓国経済にもろに反映しがちである。この意味で、アベノミクスがまともに機能する限り韓国経済はかなり苦しいはずだ。 そこで、韓国でも、アベノミクスをぱくって、「チョイノミクス」というアベノミクスと同じようなことやっている。韓国の財務大臣がチョという名前なのでチョイノミクスと名付けたが、実際はうまく機能していない。 経済がうまくいかないと悪循環が生じるが、韓国経済にとってむしろ気がかりなことがある。それは韓国企業の「ゾンビ企業」化である。破綻した韓進海運が典型であるが、韓国企業は多くの負債を抱えており、利益が出ても借金の利息が払えない企業が続出しはじめている。 日本でも、経済落ち込みがあると直ぐに不良債権が問題になったことと似ている。 韓国経済の足かせは、日本のアベノミクスばかりではない。中国経済が低成長で、もはや立ち居かなくなっているのだ。中国経済の低迷は、韓国経済にとっての一方のサンドイッチである中国の価格の安さをさらに引き下げ、韓国経済の足かせになる。さらに、韓国の対中国輸出依存は大きいので、中国経済の低迷により韓国の対中輸出は大きく減少せざるを得ない。これは輸出依存度が高い韓国経済にとって大きな打撃である。会談で握手を終え、すれ違う韓国の朴槿恵大統領(右)と中国の習近平国家主席=9月5日、中国・杭州(共同) いずれにしても、韓国経済の状況は、日本のアベノミクスと中国経済の低迷というマクロ経済から比較的単純に説明可能であるが、そうしたマクロ経済に疎い方でも、韓国経済の中核をなしている財閥企業の企業活動を見ていれば、韓国経済の事情が具体的にみえるだろう。 ちなみに、韓国経済の日本への影響はなくはないが、日本はそもそも対外依存度が低い国なので影響が限定的であろう。要は、そのためにもしっかりと自国のマクロ経済政策をする必要があるということに尽きる。

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    呉善花が読み解く 「反日韓国」の苦悩

    呉善花 (評論家、拓殖大学教授) いま、韓国で起きていること 韓国は李明博政権の後半から反日姿勢を強め、2013年2月に朴槿惠が大統領に就任してからは日韓関係がさらに悪化しました。 日本ではしばしば「朴槿惠大統領は本音では親日なのだが、国民のあいだに反日の声が強いので、仕方なく反日姿勢を取っている」と言われます。しかし、これは明らかな間違いです。そうではなく、反日は韓国では「民主的な政治家」と見なされるための必須の要件であり、国民情緒の動き方しだいで穏健だったり強硬だったりするだけのことです。 現在の韓国では、民意とは事実上、国民情緒を意味し、「民意は天意」とするポピュリズムが、政治世界を強く支配しています。朴槿惠大統領は、の意味での民意=国民情緒に最も忠実に従ってきた大統領だと言ってよいでしょう。 近年、とくに韓国の反日がエスカレートしている一つの理由として、李明博政権の後半頃から韓国社会が経済的にも社会的にも、急速に不安定さを増してきていることが挙げられます。 2013年初頭にアベノミクスが始動してからは、日本経済は急速に息を吹き返し、その一方で、ウォン高進行を契機として韓国経済が大きく揺らぎはじめました。これに対して韓国政府は、「アベノミクスが韓国経済を圧迫する」と、韓国経済の不振と自らの失政を日本に責任転嫁するような主張まで行っています。不況の時代に突入した韓国 韓国は、明らかに不況の時代に突入しています。 2015年10月に韓国銀行が発表した「2014年企業経営分析」によると、韓国製造業の売上高は前年比マイナス1.6%と減少に転じ、同調査を始めた1961年以来、初めてのマイナスになりました(2015年10月28日付・韓国『中央日報』日本語版、「韓国製造業、昨年の売り上げ史上初の『後退』」)。 また、産業通商資源部が11月1日に発表した「2015年10月の輸出入動向」によると、韓国の同年10月の輸出額は前年同月比約16%減で、10カ月連続で減少を続けているというのです(2015年11月2日付・韓国『ハンギョレ新聞』、「輸出不振の韓国、過去6年で最大の下落幅」)。これは過去6年間で最大の落ち込みであり、GDPに占める貿易依存度が約37%に達している韓国経済にとって非常に大きなダメージだと言えます。 さらに、2015年11月21日付の『朝鮮日報』日本語版では、韓国の主要30企業グループのうち、営業利益を出しているのはサムスンと現代自動車だけだと報じられています。そのサムスングループの中核であるサムスン電子でさえ、製品在庫が史上最多レベルに達し、開発センターの職員の3分の2、管理職の30%を解雇する見通しだという報道があるほどです。 こうした状況下で、野党の厳しい政府批判が国民の支持を大きく広げ、保革逆転が確実視されるまでになっています。そのため、政府与党も国民の人気を得ようとして野党に負けじと「反日愛国」の姿勢を強めていくわけです。政府は国内の批判をかわすため、国外の敵(日本)に国民の関心を強く惹ひ きつけておかなくてはならないのです。倫理崩壊が始まった ここで重要なのは、現在の韓国では「政治・経済・社会・家族・個人間と、あらゆる面での倫理が音を立てて崩れ落ちている」ということです。実はこれこそが、韓国国内問題の最たるものなのです。私は、この問題と真剣に取り組まないかぎり韓国に未来はないと考えています。 韓国で倫理崩壊が始まったのは、通貨政策の失敗と金融システムの脆弱性から経済危機に陥り、IMFに資金援助を要請して国家経済がIMF管理下に置かれた時期(1997年11月~2001年8月)からのことです。 IMFの経済管理下で、あっという間に欧米並みの「自由競争市場」への市場開放がもたらされ、企業内では極端な「成果主義」が採用されていきました。それらの改革は、日本のように緩やかに時間をかけて進められたのではありません。「ある日突然、経済秩序が一変した」と言ってよいほど急激なものでした。 ですから、社会に亀裂が走らないわけがありません。 昨日まで信頼し合っていた同志や仲間だった者が、一晩で相手を追い落としてでも生き残ろうとする敵へと変身する。親戚の金まで騙し取ろうとする者が出てくる。どこもかしこも金、金、金の世の中になってしまった─。 「利己主義」「人間不信」の嵐がすさまじい勢いで吹き荒れたのです。そして、一部には続々と億万長者が誕生する一方で、光熱費や子供の給食費を支払えない家庭や家族ホームレスが、かつてないほど増大しました。まさに優勝劣敗の社会現象が激しく進行したのです。その惨状について、2002年当時の韓国の新聞は次のように書いています。 「今、韓国社会を支配しているのは『カネが最高』という極端な拝金主義だ。一晩明けたら数十人ずつ不労所得の億万長者が誕生し、数多くの人が職を失う外貨危機を経験したにもかかわらず、この拝金主義は極大化した。その過程で国の中枢機能を担当している機関と組織の人間が次々と腐敗の鎖に食い込まれていった。長い歳月のあいだ我々を支えてきた礼儀、友情、尊敬、孝行、忠誠のような精神的な支えは、力なく崩れ落ちている。革命的な変化が起こらなければ韓国社会の腐敗と堕落を防ぐことはできない」(『朝鮮日報』2002年1月3日) こうして2002年以降の韓国では、勤労者の賃金格差、財閥と中小企業の格差、上下階層の所得格差が急激に広がって社会の二極化が深化していきました。 中間層が縮小し、大量の貧困層が生み出されていきました。そのように国民生活を犠牲にしながら、国家経済、一部富裕層、財閥大企業の繁栄がもたらされてきたのです。なぜこんなことになったのか それでは、現在の韓国はどうでしょうか。 先の新聞記事そのままの拝金主義が跋扈している。いや、いっそう悪化している─そう言わざるを得ません。 かつて韓国人の美徳だった「年長の人を敬うやまう精神」が失われ、老人の自殺が急増し、同時に若者の自殺も増大しました。 失業者が増加し、世帯主が家計を支えることができなくなると、離婚や女性の不倫が社会問題化する一方、子供が親の面倒を見たくないというケースが増加し、親子の同居が大きく減少しました。 さらには、かつて金大中政権が国策としてIT化と英語教育に力を入れた結果、パソコンも英語もできない高齢者たちを、若い世代が蔑視する風潮さえ生まれています。 なぜこんなことになってしまったのでしょうか。 明らかに、その直接的な原因は経済再建にともなう「経済改革」の失敗にあります。しかし根本にあるのは、韓国特有の「集団利己主義」です。別の言葉で言えば、「韓国社会の構成単位が、いまなお、内側に閉ざされた血縁や地縁の小集団としてある」ということです。 それら小集団が自分の利益だけを追求し、他人の迷惑など考えず、各個闘争し合うところに生じるエネルギーが社会を動かす活力となっていたのが、旧時代の韓国であり、現在の韓国でもあるのです。 日本のように、血縁や地縁の関係を異にする人々が一緒になって一つの共同体を形成し、それがさらに横のつながりをもって連帯していく─といった社会の条件が、韓国では、いまなおあまりにも弱いのです。 本書では、こうした日本人には理解しがたい面を多々抱える韓国人の、国民性や国民感情、韓国社会の慣習などを紹介し、日本との違いを見ていくことで、日本と韓国とのあいだに横たわるカルチャー・ギャップを明らかにしていきたいと思います。お・そんふぁ 1956年、韓国・済州島生まれ。83年来日、大東文化大学(英語学)卒業後、東京外国語大学地域研究科修士課程(北米地域研究)修了。新潟産業大学非常勤講師を経て、現在、拓殖大学国際学部教授。著書に、『韓国併合への道 完全版』(文春新書)ほか多数。関連記事■ 呉善花<緊急寄稿>さよなら、幻想の国・韓国韓国「反日情緒」社会の大問題■ なぜ中国はいつまでも近代国家になれないのか?

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    笑いごとではないロッテお家騒動 韓国の財閥解体はあるのか?

    ネスをしたあと、今日から電気屋だと言ったことからキョウデンとなったようだ。シャルロッテiStock 韓国のいくつかの財閥もこの伝で名前を決めている気がする。特にお菓子のロッテは韓国のお菓子の老舗ヘッテをヒントにした気がしてならない。ソウルのロッテ百貨店に行くと、創業者の言葉が金看板にして埋めてあった。若きウエルテルの悩みのシャルロッテからとったとしている。だとすれば社名はシャルロッテとなるはずだ。かりに安直選びでロッテとなったとしても、トップブランドとして大成功しているので、笑い話で済むはずだ。しかし、今回の家族騒動は笑いごとではない。 昨年来、家族間の争いで世間を騒がせているロッテに対して韓国側では検察が動いた。日本ではガムやチョコレートのロッテも韓国では財閥と呼ばれビジネスは多岐にわたっている。ロッテホテルや百貨店・免税品店は日本からの観光客もお世話になることも多い。コンビニ、飲料、石油化学、果ては建設まである財閥だ。日本では上場していないが、韓国側では多くのロッテグループ企業は上場して株を公開している。 創業者で高齢の父のもと兄弟仲良く、兄は日本ビジネス、弟は韓国ビジネスを成功させてきた。しかし昨年、創業者は兄ではなく一歳違いの弟を後継者に指名した頃から、軋みが始まった。 当初は兄弟の争いからの株価低迷は一種の相続対策といううがった見方も出来たが、本格乱闘となり収拾がつかない。自殺者もでて結末が見えなくなってきている。ロッテだけではなく、韓国の財閥のチャンピオンであるサムスンも最近いくつかネガティヴなニュースを提供して財閥ネタで話題は尽きない。 漢字で書けば日本と同様に財閥となる。ロッテの場合、日本では4000億円程度の売り上げだが、韓国サイドでは8兆円規模で、財閥と呼ばれても何ら不思議ではない。日本で財閥というと独特の響きがある。終戦直後財閥解体がなされ、三菱(岩崎)、三井、住友、安田などの財閥ファミリーは一応、表舞台から消えた。株式も持ち合いや個人株主により吸収され急場をしのいだ。そもそも10大財閥、15大財閥は戦争協力者として位置づけで名前の使用も禁止されてしまった。三菱銀行は千代田銀行となり、安田銀行が富士銀行と名前を変えた。富士の場合、変名後に業容がむしろ拡大したため、近年みずほ銀行となるまで、富士で通したがむしろそれは例外で、多くはそれぞれ元の名前に戻している。韓国の財閥群 一方、ドイツ史専門家によると、ドイツは何らかの理由で戦争協力企業がそのまま現在に至っている場合も多いようだ。特に自動車のフォールクスワーゲンは、ヒトラーの肝いりで出来た会社だ。有名なアウトバーン建設と相まって、国民に自動車を持たせようと、ポルシェ博士が図面を引いた車だ。ポルシェ家は別にスポーツカーのポルシェを製造していたが、最終的にフォールクスワーゲンの子会社となって現在に至っている。 ワーゲンは米国でジーゼル車の排気ガスの操作問題で苦境に立っているが、トヨタ、GMと並んで世界チャンピオンだ。昨年スキャンダルが飛び出す少し前まで、ポルシェ博士の孫、ピエヒがトップであった。ピエヒは自分の孫の通う幼稚園の先生と4度目の結婚をし、尚且つ彼女を重役にもしている。誰も反対出来ない。創業家は強いのだ。 第二次大戦後にわかに生まれたのが韓国の財閥群となる。韓国ビジネスの初心者は、財閥と聞いて安心して取引をするが、日本の三井、三菱とは趣が違う。1997年の韓国経済危機の際、IMFの介入で各財閥は贅肉を切り落とす作業をすることとなった。その過程で大宇などの大手どころでも解体された。その後リーマンショックまでの好況期にエレキのサムスンやLGや自動車の現代などさらに世界に羽ばたいたところも多い。  韓国の財閥は創業家がハンズオンで経営にあたる。危機当時批判された会長室機能などが、経営企画室と名前を変え一族経営が継続されている。家族経営の良い点も多々あるが、 “大韓航空のナッツリターン”はそのネガティブサイドが表に出たのであろう。いまだにオーナー経営者の力は強い。国民経済の厚みと裾野の広ができており、危機は経営と保有の適度な関係を再構築する絶好のチャンスだろう。それとも即断即決でないと前に進めないのだろうか。我が国の場合、敗戦後の手術としてオーナー経営者の退場が求められたが、韓国では今その時期にさしかかっているのかも知れない。 時の政権が強い者を痛めつけることは、目くらましや人気取りになるが、次の政権となれば、敵の敵としてさらに強くなって復活することが多いのがこれまでの韓国財閥だ。ロッテの場合、前政権で拡大した咎ということでしかないのかも知れない。ではもう少し頑張ればいいのか。

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    「日本へ富を出すな」韓国で93歳ロッテ創業者取り調べの虐め

     戦後の焼け跡に建てられたガム工場を、日韓にまたがる巨大グループに成長させたカリスマ経営者に、韓国検察は容赦がなかった。 ソウル中央地検は9月8日、ロッテグループ創業者・重光武雄(辛格浩)氏の宿所兼執務室があるソウル市内のロッテホテルで3時間余り、聴取を行った。6月2日、取り調べで検察に出頭した際、抗議する被害者らから洗剤のような泡をかけられた盧柄容ロッテ物産社長(中央)=ソウル(聯合=共同) 彼が韓国経済復興に果たした役割を考慮しないまでも、今秋94歳を迎える同氏の体力的問題を鑑みれば、残酷な仕打ちにも映る。 一連の動きを巡り、韓国のメディア関係者の間で、こんなことが囁かれている。「韓国検察がロッテグループに対する捜査に動いたのは、ホテルロッテ(韓国のホテル・免税店運営)の上場を阻止して国富が日本に流出するのを食い止めるためだ」 事実とすれば衝撃的な話だ。実際、ロッテは裏金疑惑を受け、7月中に予定していた株式上場を自ら取り下げ、無期延期を決めた。 捜査の発端は、昨夏に勃発した創業家の経営権争いだったはず。なぜ日本への「国富流出」が取り沙汰されるようになったのか。 韓国でお馴染みとなった財閥企業の跡目争いだが、今回、異例なのは、長男・宏之(辛東主)と次男・昭夫(辛東彬)間の諍いから飛び火して、韓国社会に一つの疑念を抱かせたことだ。「ロッテは韓国企業ではなく、日本企業ではないのか?」というものだ。 ロッテは日韓にまたがる連結売上高6兆8000億円(2015年度)の巨大グループだが、そのうち日本事業は数千億円程度にすぎない。一方、資本構成は韓国ロッテグループの主軸であるホテルロッテの株の大半を、ロッテHDなど日本側が持つ逆転した形になっている。そして、韓国ロッテから日本側へは2005年から2014年までの10年間に2486億ウォン(約225億円)が配当として渡った。 こうした構造が報道されるなかで、「ロッテは日本への国富流出の窓口」との声までわき上がったわけだ。ロッテの国籍を問う声 昨年8月中旬のロッテHD株主総会で次男側に軍配があがった後も、ロッテの「国籍」を問う報道は鳴り止まなかった。きわめつきが、ソウルで開かれた昭夫氏の会見の際、発音の拙さをわざわざハングル字幕で強調した問題である。 昭夫氏は、幼少期から成人するまでほとんど日本で過ごしたため、発音には自信がない。にもかかわらず、会見では創業家問題で混乱をもたらしたことを自らの言葉で詫びるため、韓国語を選んだ。 昭夫氏の逃げない姿勢は評価されるものだと思ったが、韓国マスコミの論調は揶揄というよりも「愚弄」に近かった。 ロッテ側も黙っていたわけではない。2005年から日本側に配当を始めた経緯について、「同年、日本の国税庁から『38年間にわたり2000億円を韓国に投資したのに、日本に1円も来ていないのは不自然』と指摘されたため」と明かしている。韓国の国富流出どころか、日本の徴税機会が失われていたのだ。 それに2486億ウォンという配当額も、韓国ロッテがこの間に稼いだ営業利益の1%前後に過ぎない。 国税との紳士協定で、最低限の額を日本へ移しているだけだ。さすがにこの説明を受けて、国籍を問う声は、いったんは大人しくなる。それでも日本から韓国への「38年間にわたる投資」に意味を認める向きは皆無だった。そこにこそ、ロッテのアイデンティティがあるにも関わらずである。※文/ジャーナリスト 李策【PROFILE】李策/1972年生まれ。朝鮮大学校卒。日本の裏経済、ヤクザ社会に精通。現在は、北朝鮮専門ニュースサイト「デイリーNKジャパン」記者として、朝鮮半島関連の取材を精力的に行っている。関連記事■ ロッテグループ創業家の逆襲クーデター ドラマ的抗争の顛末■ ロッテ免税店銀座店オープンにチェ・ジウとEXOが登場■ ロッテ 創業家のクーデター鎮圧で球団身売りの可能性も?■ ロッテ創業者の兄弟ゲンカ 韓国法廷でスキャンダル合戦危惧■ イベントに1万人超の超新星とストリートライブ出身CNBLUE

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    泣き面に蜂のサムスン ギャラクシー製造中止にアップル訴訟敗訴

     岡本裕明(Blue Tree Management 株式会社 代表取締役) 中国と韓国の経済状況に注意マークが点灯したようです。東アジア発の不況などにならなければよいと思います。 まず、韓国GDPの2割をも占めるサムスン社は問題になっていたギャラクシーノート7を製造中止、販売リストから落とす英断を行いました。大変な決断だったと思いますが、これ以上小手先の修理対応では何が起きるか予想がつかず、やむを得ない判断だったと思います。日本では発売されていないので日本の航空機内では警告されているのかわかりませんが、先週乗った国際線や数日前乗ったカナダの国内線ではサムスンノート7は機内で使用、充電をしないで電源を切ってください、とCAから明白にアナウンスされます。 ここまで名指しで否定されると逆マーケティング効果でブランドイメージの遺棄は計り知れないものになるでしょう。仮に更なる対応策をとっても瞬時に広がる情報の罠にサムスン首脳部としては怖くてやりきれない思いがあったと思います。サムスン電子本社のビルを歩く人=2010年4月、ソウル(ロイター) イ・ゴンヒ会長が心筋梗塞で入院したのは14年5月。それから2年半近くたち、長男のイ・ジェヨン氏が実質的代表の地位を固め間もなく登記理事に就任する予定です。剛腕の父親の支援が得られないまま、非常に難しい局面に立たされた息子としてここを乗り切るのはたやすくありません。 さらに複雑なオーナーシップと関係会社間の持ち合いなどを通じて少ない株式所有で大きな力を発揮できる仕組みを作り上げている同社グループに再編せよ、という声も出ています。また、10月7日にはアップルとの特許権侵害訴訟で控訴判決でサムソンの全面敗訴で120億円の支払いを命じているほか、今週からデザイン侵害の550億円訴訟の減額審議もあり、泣きっ面に蜂とはこのことでしょう。 かつて、ソウル大学からサムスンに入ることが韓国子弟教育、夢のプランと言われました。今でもそうなのかもしれませんが、輝きは明らかにくすんでいます。ただでさえ、ほかの財閥系企業で問題山積な中、「サムスンよ、おまえもか」では本当にお話になりません。今になって韓国政府がTPPに参加表明したのも危機感以外の何物でもない、ということでしょう。接待も厳しくなった韓国には一足早い空っ風がふいているようです。実は中国も韓国と同じ では、お隣、中国です。9日に中国の東北特殊鋼集団が経営破たんしました。今年だけで9回も債務不履行をしているのに今まで生き延びてきたいわゆるゾンビ企業の典型であり、中国で最も頭の痛い問題であります。同社は遼寧省ですが、鉄鋼の省、河北省ではいかに鉄鋼を減産するかに取り組んでおり、同省では2020年までに省全体で3割の減産を目指すとされます。同省だけのGDPはマイナスではないかとの観測記事もありました。景気低迷が深刻な中国遼寧省の工業地帯(共同) 一方で住宅建設は再び加速しており、微妙なかじ取りを求められるのでしょう。痛みを伴う再編がうまくいくのか、世界の鉄鋼業界が見守る形となっています。 そんな中、見ないふりをしていた不安材料が頭をもたげ始めました。中国の外貨準備であります。9月は5年4か月ぶりの落ち込みとなる3兆2000億ドル弱。理由はSDRへの組み込みが10月1日に行われるにあたり9月に元を買ってドルを売る作業を進めた結果、外貨の流出が増えた、ということになっています。 問題は今後で元を買う動きが少し緩んだために対ドルで6年ぶりの安値となっているこのトレンドを止めることができるのか、であります。月曜日に攻防とされる6.70のバリアを破った後、元は売られており、火曜日のNYで6.718で張り付いています。仮に元を防衛をするならドルを売らざるを得ず、外貨の流出はさらに進みます。一方、元安の放置もできないところに当局、ひいては習近平国家主席のかじ取りの難しさを如実に表しています。一番怖いのは経済がうまく回らず、国民に不満がたまると外交でかじ取りをしようとする動きが歴史の中ではしばしばみられることです。 そういう意味でもアメリカ大統領選がほぼ終盤に差し掛かってきた今、アメリカの政治的ポジションを見据え、英国のEUとの離脱交渉を注視し、地政学的に北朝鮮の動きをモニターしながらも世界を巻き込んだ大道芸をしないとも限りません。習近平氏は自分を守る動きに出ると思いますので世界情勢を見ながら外交的手段によるはけ口を作ることは大いにあり得ると思います。 そんな中、日本は東アジアの安定化のためにも沈着冷静な行動が求められるのは言うまでもありません。いざというときに余力をもって対応できるよう事前の対策を万全にすることに越したことはありません。新大統領が選ばれるアメリカも盤石ではない今、日本を取り囲む国々は不安定感満載であります。ここは地続きではない独立独歩の日本が作ってきた特徴をうまく生かしてもらいたいものです。(ブログ「外から見る日本、見られる日本人」より2016年10月12日分を転載)

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    販売直前のミャンマーでも信頼失墜させたサムスン

    佐藤仁(情報通信総合研究所副主任研究員) サムスンの新型スマホ「Galaxy Note 7」でバッテリが過熱する問題で、リコールが相次いでいる。2016年9月15日にはアメリカの消費者製品安全委員会(CPSC)も、アメリカで販売された約100万台の「Galaxy Note 7」を全てリコールすることを発表した。アメリカではバッテリーが過熱した報告が92件、そのうち26件が火傷で、55件がガレージや車の中での発火など物的損害が報告されているらしい。  全世界で約250万台の「Galaxy Note 7」が出荷されており、事故やトラブルが懸念されている。日本でも日本航空(JAL)が充電中に内蔵のリチウムイオン電池が爆発するなどの事故の恐れがあることから、機内では充電も含め使用禁止、手荷物としての貨物室への預かりも禁止している。 発火や発煙トラブルが相次ぐサムスン電子の新型スマホ(AP) サムスンは廉価のローエンドから高級なハイエンド端末まで、まさに「ピンからキリまで」の製品ラインナップを揃えていることから、全世界で年間3億台以上のスマホを出荷しており、メーカーとしては世界一の出荷台数を誇っている。最近では中国市場では存在感が無くなってしまったが、それでもインドや東南アジア、欧米での存在感はまだある。  ミャンマーでもサムスンの存在感はある。今回の「Galaxy Note 7」の爆発事故とリコールは大きな話題になっている。「Galaxy Note 7」は当初、2016年9月11日にミャンマーで販売開始する予定で事前に予約の受付も行っていた。そのためヤンゴンの町中や地方でも道路のビルボードなどで「Galaxy Note 7」の宣伝や広告を多く見かけた。しかし、今回の世界規模でのリコールを踏まえて、出荷が10月以降に延期することが発表された。それでも町中には、まだ「Galaxy Note 7」の宣伝の看板やビルボードはそのままだ。 広がるスマホ爆発の懸念 但し、ミャンマー人でサムスンを利用している人はそれ程多くはない。ミャンマーは5年前まで携帯電話すら持っている人がほとんどいなかったが、民政移管後に急速に普及しているので、世界中の新興スマホメーカーが挙って参入している競争が激しい市場だ。サムスンの広告や宣伝は町中で見かけるが、それ以上に中国Huawei、OPPO、vivoやミャンマーのKENBO、タイのTrue、シンガポールのSingtechなどの他にも多くのスマホメーカーが存在し、特に中古端末は町の屋台で購入できることから中古や新品の安いスマホが大量に流通しており、サムスンだけが目立って売れているわけではない。 ミャンマーのヤンゴン また今回の「Galaxy Note 7」は事前予約の920,000チャット (約8万円)と、ミャンマーではとんでもなく高価なスマホで、誰もが簡単に購入できるものではない。事前予約でも数百台の予約しかきていなかった。だからほとんどのミャンマー人にとっては「Galaxy Note 7」の爆発やリコール問題は他人事だ。大量に中古や廉価な新品スマホが流通しているので、サムスンのスマホがなくてもミャンマー人は誰も困らない。  それでも今回の「Galaxy Note 7」のニュースはミャンマーでも多く報じられており、Facebookなどでも話題になっているのでミャンマーでも誰もが知っている。「そんなに超高級なスマホでも爆発するってことは、自分が持っている安いスマホは大丈夫か?」と心配している人もいる。競争激しいミャンマーのスマホ市場でサムスンは多額のマーケティングコストをかけてブランド構築を行っていたが、今回のトラブルでサムスンのブランドはミャンマーでも大きく失墜してしまった。(『Yahoo!ニュース個人』より2016年9月19日分を転載

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    韓国は在日韓国人をいじめながら「金づる」として利用

     1950年代初頭の朝鮮戦争によって壊滅的な打撃を受けた韓国は、1960年代から1970年代にかけ「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を遂げた。目覚ましい発展の裏には、他ならぬ「在日」からの援助や投資が大きく寄与したと言われる。だが、産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘氏は「韓国はそんな同胞を蔑み、利用し続けてきた」と語る。* * * ソウルでの友人に、在日韓国人出身の徐相雲という男がいた。わりと近年、知り合ったのだが昨年秋、自宅の階段でころび、打ちどころが悪くて急死した。筆者より年下でまだ60代だった。葬儀に出かけたが、親族や弔問客も少なく寂しいものだった。夫人と息子にお悔やみを述べ、たった二人の在日系弔問客と思い出話を交わした。 彼は在日韓国人の実業家として知られた故・徐甲虎氏(1915─1976年、日本名・阪本栄一。別表参照)の息子の一人だった。晩年は尾羽打ち枯らした暮らしぶりだったが、祖国・韓国に対する父の貢献、功績を記録に残そうと奔走した。 東京・南麻布の一等地にある約3千坪の広大な韓国大使館の敷地は、実は1960年代の初めに、父・徐甲虎氏が韓国政府に寄贈したものだった。韓国大使館は2013年、老朽化のため建て替えられたが、その際、館の一階に彼の功績を称える資料室が作られ、その胸像も設置された。息子・徐相雲をはじめ在日韓国人のアピールの結果である。 徐甲虎氏は戦後、大阪で「阪本紡績」を創業し、大阪の長者番付でトップになったこともある在日の代表的成功者だった。1960年代に韓国に「邦林紡績」を作るなど「邦林財閥」を形成し、その対韓投資額は280億円に及んだ(「東洋経済日報」2009年7月3日付、永野慎一郎「韓国経済発展への在日韓国人の寄与」から)。 忘れられた在日の祖国への貢献の一端が、半世紀ぶりにやっと在日韓国大使館の片隅に刻まれたのだ。在日は韓国では「金持ち」 韓国がまだ貧しかった1960年代から1970年代にかけ、在日韓国人の本国への寄与については確かな記録がない。在日たちの記憶によると正式な投資や寄贈のほか、いわゆるハンドキャリーで持ち込まれた外貨は相当な額に上るという。 資金だけではない。機械、資材、技術、情報、経営ノウハウ……新たな“メイド・イン・ジャパン”が在日を通じ韓国社会にもたらされた。日本で苦労して貧しさを克服した在日たちの「貧しい親戚、貧しい故郷、貧しい祖国を豊かにしたい」との一念からだった。 在日は韓国では「金持ち」として人気があった。大いに持てはやされ、たかられた。騙された者も多い。 ところが一方で、1970年代には“在日韓国人スパイ事件”が多発した。北朝鮮による日本経由の対韓スパイ工作が背景だが、韓国当局は本国にやってきた留学生など在日韓国人に警戒の目を光らせ、過酷な検挙で多くの犠牲者が出た。 1974年に起きた在日韓国人青年、文世光による朴正熙大統領暗殺未遂(夫人が死亡)は、こうした政治的犠牲を加速させた。在日は経済的に“打ち出の小槌”の“金づる”であったが、政治的には南北対立のスケープゴートにされたのだ。いずれも祖国に“利用”されたことになる。 在日の“利用”という意味では北朝鮮の方がひどいかもしれない。1950─1970年代に“祖国帰還”した10万人近い在日は、「夢のような社会主義祖国の発展」という虚偽宣伝に利用されたうえ、なけなしの財産と労働力と人権を奪い取られ「動揺階層」として差別、監視されてきた。朝鮮総連など北朝鮮系の在日もまた、これまで“金日成・正日・正恩王家”を経済的に支えるとともに、対外宣伝工作のスピーカーとして政治的に利用され続けた。関連記事■ KARA、少女時代、キム・ヨナを通じて日韓の違いを理解する■ 李忠成 韓国代表候補合宿で疎外感を抱き日本帰化へ傾いた■ 在日コリアン 祖国でも彼らに対する差別が厳然と存在■ 在日韓国人留学生 22人中20人が「私は韓国人ではない」■ 朴政権の反日封印でネットでは日本批判にかわって在日糾弾

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    外務省、本日も反論せず~OBの驚愕発言にみる慰安婦「不戦敗」政策

    い通り一遍の答弁をしたので、中山議員が安倍総理の見解を質した。「3・1独立運動」の記念式典で万歳する韓国の朴槿恵大統領=2016年3月1日、ソウル(共同) これに対して安倍総理は、 1、慰安婦問題に関して海外に正しくない誹謗中傷がある、 2、性奴隷、20万人は事実でない、 3、慰安婦募集は軍の要請を受けた業者が主にこれに当たった、 4、慰安婦の強制連行を示す資料は発見されていない、 5、日本政府が認めた「軍の関与」とは慰安所の設置、管理、慰安婦の移送に関与したことを意味する、 という重大な5つの反論を自分の言葉で、次のように明快に答弁した。その直後の中山議員とのやりとりもあわせて引用する。この5つこそが今後の慰安婦問題での国際広報の骨子となるべきものだ。そして、6つめに総理がここで行った反論は、日韓慰安婦合意後になされたという点も重要だ。合意で自制を約束したのは韓国政府への批判であって、国際社会に広がる事実無根の誹謗中傷には反論していくという総理の意思が以下の答弁に込められている。それを外務省が無視していることを告発するのが本稿の目的だ。〈先ほど外務大臣からも答弁をさせていただきましたように、海外のプレスを含め、正しくない事実による誹謗中傷があるのは事実でございます。 性奴隷あるいは二十万人といった事実はない。この批判を浴びせているのは事実でありまして、それに対しましては、政府としてはそれは事実ではないということはしっかりと示していきたいと思いますが、政府としては、これまでに政府が発見した資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかったという立場を辻元清美議員の質問主意書に対する答弁書として、平成十九年、これは安倍内閣、第一次安倍内閣のときでありましたが閣議決定をしておりまして、その立場には全く変わりがないということでございまして、改めて申し上げておきたいと思います。 また、当時の軍の関与の下にというのは、慰安所は当時の軍当局の要請により設営されたものであること、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送について旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与したこと、慰安婦の募集については軍の要請を受けた業者が主にこれに当たったことであると従来から述べてきているとおりであります。 いずれにいたしましても、重要なことは、今回の合意が今までの慰安婦問題についての取組と決定的に異なっておりまして、史上初めて日韓両政府が一緒になって慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認した点にあるわけでありまして、私は、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに謝罪し続ける宿命を背負わせるわけにはいかないと考えておりまして、今回の合意はその決意を実行に移すために決断したものであります。中山 総理の今の御答弁では、この日韓共同記者発表での当時の軍の関与の下にというものは、軍が関与したことについては、慰安所の設置、健康管理、衛生管理、移送について軍が関与したものであると考え、解釈いたしますが、それでよろしゅうございますか。安倍 今申し上げたとおりでございまして、衛生管理も含めて設置、管理に関与したということでございます〉反論を放棄した国際広報 次に、外務省が現在行っている慰安婦問題に関する国際広報が、安倍総理の答弁といかにかけ離れているかを指摘する。 その典型例として外務省のホームページにある「歴史問題Q&A」の慰安婦の項を検討する。その前に、このコーナーの位置づけを簡単に紹介する。米カリフォルニア州グランデール市で韓国系団体によって設置された慰安婦像 外務省のトップページの中段に「トピックス」という見出しがあり、以下の11項目が並んでいる。TPP、安全保障、日米安保 女性、国連外交、日本の領土(北方領土、竹島、尖閣諸島)、拉致問題、歴史関連、日本海、中東支援、戦後日本の歩み。つまり、外務省が現在、内外に広報したい主要項目がここに並んでいると言える。この中から「歴史関連」をクリックすると「歴史関連」コーナーにすぐつながる。同コーナーの最上段を見ると「トップページ>外交政策>その他の分野>歴史関連」と書いてあるので、本来の位置づけは外交政策の中の「その他の分野」の一部ということだが、トップページから直結で飛べるようにしてある点から重点広報項目の一つということが分かる。また、同コーナーは英語版が準備されていることから、国際広報の手段として位置づけられている。「歴史関連」コーナーの一番上に「歴史問題Q&A」があり、そこに入ると以下の8つの問いが設定され、それに対する回答が記されている。〈問1 先の大戦に対して、日本政府はどのような歴史認識を持っていますか。 問2 日本は戦争で被害を受けたアジア諸国に対して公式に謝罪していないのではありませんか。 問3 日本は先の戦争で被害を受けた国や人々に対し、どのように賠償したのですか。 問4 政府間における請求権の問題は解決済みでも、個人の請求権問題は未解決なのではないですか。 問5 慰安婦問題に対して、日本政府はどのように考えていますか。 問6 「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。 問7 極東国際軍事裁判に対して、日本政府はどのように考えていますか。 問8 ドイツに比べて、日本は過去の問題への取り組みが不十分なのではないですか〉 この1つ1つについてきちんと検討することは後日に譲り、本稿では慰安婦問題について取り上げる。〈問5 慰安婦問題に対して、日本政府はどのように考えていますか。 1.日本政府としては、慰安婦問題が多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた問題であると認識しています。政府は、これまで官房長官談話や総理の手紙の発出等で、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からお詫びと反省の気持ちを申し上げてきました。 2.この問題を含めて、先の大戦に係る賠償や財産、請求権の問題は法的に解決済みですが、政府としては、既に高齢になられた元慰安婦の方々の現実的な救済を図るため、元慰安婦の方々への医療・福祉支援事業や「償い金」の支給等を行うアジア女性基金の事業に対し、最大限の協力を行ってきました。 3.アジア女性基金は平成19年3月に解散しましたが、日本政府としては、今後ともアジア女性基金の事業に表れた日本国民及び政府の本問題に対する真摯な気持ちに理解が得られるよう引き続き努力するとともに、慰安婦問題に関する日本の考え方や取組に対し、国際社会から客観的な事実関係に基づく正当な評価を得られるよう引き続き努力していきます。 4.2015年8月14日の内閣総理大臣談話においては、戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりませんとした上で、20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を胸に刻み続け、21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしていくとの決意が述べられています。(参考1)アジア女性基金による活動概要(略)(参考2)慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(略)(参考3)慰安婦問題に対する日本政府の施策(略)〉 総理答弁でいわれている誹謗中傷に対する反論はここにはない。これが外務省の現在の慰安婦問題に関する国際広報の有り様だ。まさに2008年在米日本大使が米議会議員に伝えた内容と同じで、「河野談話で謝罪しアジア女性基金で償いを行った」という従来からの事実関係の反論を放棄した広報そのものだ。だから、私は総理が単騎で歴史戦を戦い、外務省はともに戦うことを放棄しているというのだ。クマラスワミへの訂正要求と同じ日に掲げられた"謝罪文書"クマラスワミへの訂正要求と同じ日に掲げられた"謝罪文書" なお、(参考3)として挙げられた「慰安婦問題に対する日本政府の施策」という文書は2014年10月14日に外務省が公表したものだ。私が本誌などで繰り返し批判してきたように、同文書は朝日新聞が慰安婦問題での誤報を認め謝罪した直後に作成されたものだが、内容は、慰安婦問題について河野談話などで謝罪をしつづけてきたことと、アジア女性基金を作って償い事業が行われたことだけをくわしく記したもので、国際社会で日本に対する事実ではない誹謗中傷が拡散していることなどについては一切触れていない。 重大な事実を発見した。この文書が公表された2014年10月14日は、ニューヨークで元国連人権委員会調査官クマラスワミ氏に外務省の佐藤地・人権人道大使が面会して報告書の訂正を求めた日だった。佐藤大使は10月22日外務省で行った会見でクマラスワミ氏に対して「今般、朝日新聞の関連での新たな動きを改めて説明すると同時に、これまでの我が国政府の取り組み、これは報告書が作成されて以降、アジア基金の話も含めまして誠実に対応してきた、そういう取り組みも含めて説明をいたしました(下線西岡以下同)」と語った。 ここでいわれている「これまでの我が国政府の取り組み」の説明資料として、問題の「慰安婦問題に対する日本政府の施策」文書が作成されたのではないか。だから文書の公表日が、大使がクマラスワミ氏への面会日と同じなのではないか。そうであれば、佐藤大使はクマラスワミ氏との会見で、吉田証言などを引用している部分について訂正を求めたかもしれないがそれよりも、日本は報告書が出た後も謝罪と償いをしつづけているという部分の説明に力点を置いていたのではないかとさえ疑ってしまう。クマラスワミ氏 そもそも、クマラスワミ氏と佐藤大使の面会は、菅義偉官房長官が9月5日の記者会見で「報告書の一部が朝日新聞が取り消した記事内容に影響を受けているのは間違いない」と指摘したことが契機となっている。菅長官は面会2日後の10月16日の会見で「朝日新聞が慰安婦問題に関する報道が誤報だったと取り消したのでクマラスワミ氏に説明し、報告書に示された見解を修正するよう求めた。先方は『修正に応じられない』ということだった」と述べ、「政府としては今後、国連人権理事会をはじめ国際社会で適切な機会をとらえて、わが国の考え方を粘り強く説明し理解を得たい」と強調した。 しかし、外務省は日本が報告書のどの部分の修正を求めているのかということすらいまだに公表せず、その代わりに「河野談話で謝罪し、アジア女性基金で償いを行った」ということだけを強調する文書を公表した。クマラスワミ氏への説明用に作られたと推定される「慰安婦問題に対する日本政府の施策」文書を面会のその日に公表し、いまだにそれ以降、慰安婦問題に関する広報資料を一切作成していない。 佐藤大使は先の記者会見で「(クマラスワミ)報告書に盛られた事実関係あるいは法律的な議論、この部分については政府として留保しているところではあったわけですが、このたびの展開も踏まえて、これは一層しっかりと説明をしていく必要があるというように認識しております」と語っている。外務省は1996年2月、クマラスワミ氏が国連人権委員会に報告書を提出する直前に、長文の反論文書を作成配布して、それを突然取り下げるというおかしな対応をとった。同反論文書については本誌2014年6月号と7月号で詳しく紹介されているが、まさに事実関係と法律的議論の二つにおいてクマラスワミ氏の性奴隷説を正面から批判している。 本誌の報道の後、国会や自民党の特命委員会などで何回も反論文書を公開すべきだと議論になったが、いまだに実現していない。つまり、外務省はクマラスワミ氏への面会を行った日に、新しく作った文書を公表し、過去の反論文書は公開しなかった。その新文書では「河野談話で謝罪しアジア女性基金で償いを行った」という従来からの内容だけしか含まれず、反論は入っていない。反論を広報する意思がないとみなさざるを得ない。マグロウヒル社への要請内容も公表せずマグロウヒル社への要請内容も公表せず 以上見たとおり、現在の外務省の慰安婦問題に広報は、安倍総理が参議院予算委員会で事実に踏み込んで明確に反論していることとあまりにもかけ離れている。 もう一つ、事例を挙げる。2014年11月3日の産経新聞の報道により、米大手教育出版社「マグロウヒル」(本社・ニューヨーク)が出版した高校の世界史の教科書に、慰安婦問題などで重大な事実誤認に基づく記述があることが分かった。「日本軍は14~20歳の約20万人の女性を慰安所で働かせるために強制的に徴用し、慰安婦になることを強要した」「逃げようとして殺害された慰安婦もいた」「日本軍は慰安婦を天皇からの贈り物として軍隊にささげた」との内容が含まれていた。米大手教育出版社「マグロウヒル」(本社・ニューヨーク)が出版した高校の世界史の教科書 この報道を受け外務省も訂正のため動いた。11月7日、在ニューヨーク総領事館が出版社に記述内容の是正を申し入れ、12月中旬に正式な話し合いの場が持たれた。しかし、2015年1月15日、同社は文書を発表して、日本政府の関係者が「慰安婦」に関する記述を変更するよう求めてきたが「『慰安婦』の歴史的事実に対する学者の意見は一致している。われわれは執筆者たちの記述、研究、表現を明確に支持する」と訂正要求を拒否した。 また、外務省は同記述の執筆者である米国歴史学者にも訂正を求めた。ハワイ大学マノア校の准教授を務めるジーグラー氏は「出版社と私は日本政府の関係者から個別に連絡を受け、不愉快な書き方に何らかの修正を求められた。出版社も私もそのような考えは一切受け入れていない」とウォール・ストリート・ジャーナル2015年1月15日付けで述べている。 その後、米国歴史学者らが2回にわたって声明を出し、私を含む日本の学者がそれらに反論を出したことは本誌などで紹介されたとおりだ。安倍総理も2015年1月29日の衆議院予算委員会で、稲田朋美議員の質問に答えて以下のように答弁している。〈マグロウヒル社の教科書を拝見いたしまして、私も本当に愕然といたしました。主張すべき点をしっかりと主張してこなかった、あるいは訂正すべき点を国際社会に向かって訂正してこなかった結果、このような教科書が米国で使われているという結果になってきた。 国際社会においては、決してつつましくしていることによって評価されることはないわけでありまして、主張すべき点はしっかりと主張していくべきであり、(略)外務省におきましても、外交におきましても、国際社会の正しい理解を得るべく、今後とも我が国の国益の実現に資するよう、戦略的かつ効果的な発信に努めていきたい、このように思います〉 ところが、外務省は現在に至るまで、マグロウヒル社の教科書のどの記述を日本政府として問題にしているのかについて、公表していない。ただ、同社に働きかけたことだけを認めて、その訂正要求の具体的内容を明らかにしていない。外務省のホームページにはこの問題についての外務省の見解を示す文書は存在しない。 総理は国会で「外務省におきましても、外交におきましても、国際社会の正しい理解を得るべく、今後とも我が国の国益の実現に資するよう、戦略的かつ効果的な発信に努めていきたい」と答弁したが、外務省は発信をしていないのだ。ここでも総理が単騎で戦っている。隠しているような国連女子差別撤廃委での反論隠しているような国連女子差別撤廃委での反論 外務省の慰安婦問題での反論として、杉山晋輔外務審議官が今年2月16日、ジュネーブの国連女子差別撤廃条約委員会で行った発言を思い出すかもしれない。〈日本政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる「強制連行」を確認できるものはなかった〉〈慰安婦が強制連行されたという見方が広く流布された原因は、吉田清治氏が、日本軍の命令で、韓国の済州島において、大勢の女性狩りをしたという虚偽の事実を捏造して発表したためである。(これが)朝日新聞により、事実であるかのように大きく報道され、日本、韓国の世論のみならず、国際社会にも、大きな影響を与えた〉〈「20万人」という数字も、具体的裏付けがない。朝日新聞は、「20万人」との数字の基になったのは、通常の戦時労働に動員された女子挺身隊と、ここでいう慰安婦を誤って混同したことにあると自ら認めている〉〈「性奴隷」といった表現は事実に反する〉 まさに先に見た安倍総理の参議院予算委員会答弁とほぼ同じ内容であり、外務省が事実関係に踏み込んだ反論をしたという点で画期的なものだった。その点は肯定的に評価したい。しかし、杉山発言は国連女子差別撤廃条約委員会の委員からの質問に口頭で答えたものであり、文書で提出された政府の正式回答や杉山審議官が同委員会の冒頭で行った政府見解ステートメントにもこのような内容は一切含まれていなかった。国連女子差別撤廃委員会の会場で立ち話する中国出身の委員(写真右)と韓国人弁護士=2016年2月16日、国連欧州本部(藤木俊一氏撮影)「国際社会への発信」というには物足りないものだった。内容は画期的だが形式があまりに消極的だった。その上、このような質問への口頭回答も、官邸の衛藤晟一補佐官らが総理の意向を汲んで外務省に強く求めた結果実現したものだと聞いている。そこにも外務省の姿勢が表れている。 もう一つ残念なのは、外務省が杉山反論を国際広報の道具として使おうとしていないことだ。杉山反論は外務省のホームページに収録されている。(産経新聞2月26日正論欄で私は「今回の杉山反論も肝心の外務省のウェブページに掲載されていない」と批判したが、本稿執筆の時点では日英両国語がアップされている)。しかし、残念ながらその場所はたいへんわかりにくい。本稿冒頭で見た「歴史関連」コーナーにはつながっていない。 トップページ>外交政策>日本の安全保障と国際社会の平和と安定>女性>女子差別撤廃条約>「女子差別撤廃条約第7回及び第8回報告審査の質疑応答における杉山外務審議官の発言概要」の順に5回クリックしてやっとたどり着ける。その上、題名がただ「女子差別撤廃条約第7回及び第8回報告審査の質疑応答における杉山外務審議官の発言概要」とされているだけなので、慰安婦問題に関する日本政府の見解を知りたいと思って外務省のホームページを閲覧する人がこの発言をみつけるのは不可能だ。つまり、いまだに外務省は事実に基づく反論を国際広報しようとしていないと言っても良いのではないか。外務省OBたちの呆れる認識「過去の再評価は大学で」外務省OBたちの呆れる認識 なぜ、総理を外務省は支えようとしないのか。外務省高官らは国際社会の誹謗中傷を放置することが外交上得策だと今も内心、考えているのではないかと私は疑っている。外務省OBらは以下のごとく、慰安婦問題や南京事件で事実に基づく反論を政府が行うことを否定して、外務省のこれまでの姿勢を擁護しているからだ。 第1次安倍政権のとき、岡崎久彦氏は〈慰安婦問題は、(中略)勝てない、絶対に勝てないということです。ヘルメットを被って、塹壕の中に入って、弾が頭の上をポンポン飛んでいくのをじっと耐えるしかありません〉(『この国を守る決意』2004)という立場から〈総理自身の言葉で謝ったほうが良い。狭義の強制について質問されれば嘘は言えないが、そもそもそんなことは問題の中心ではない。言ってもその直後に、慰安婦制度を持ったことは女性の尊厳を傷つける人権無視の行動として謝罪すればそれで良いのである〉(産経新聞2007年5月14日)とアドバイスしていた。ただし、岡崎氏は同じ頃、すぎやまこういち氏らが主導した慰安婦問題の事実を米国に伝えるための米紙意見広告の賛同者として名前を出しているから、戦う姿勢がなかったわけではない。その点、あとで紹介する元大使や評論家とは違う。 武藤正敏・元駐韓日本大使は、強制連行があったかもしれないなどという驚くべき認識に立ち、事実に基づく反論をするべきでないと次のように述べている。武藤大使の在任中、日本大使館前に慰安婦像が建ったのだから、まさに歴史戦の主戦場にいた外交官だ。その人物が次のように考えているのだから日本国の名誉は守れないはずだ。〈そもそも、軍による「強制性」がなかったと言い切れるかどうか。資料がないというのは理由になるのか。軍人による強制連行を資料として残すとも考えられません。また、「絶対になかった」と明確に否定できる証拠にしても見つかることはないと思います。〉〈日本が注意すべきポイントは、「狭義の強制性はなかった」という主張は決してしないことです。なぜならその主張は、かえって国際社会に「過去の非人道行為を反省していない」との不信感を植え付け、ますます韓国側に同情を集めてしまいかねないからです。この問題の対応は、世界がどう見ているかという視点で考える必要があるのです。〉(『日韓対立の深層』2015、54頁、23-24頁) 著名な外交評論家の宮家邦彦氏は、日本の敵は日本国内の「民族主義的衝動」だと言って慰安婦問題での反論を控えよと次のように説いている。〈過去の「事実」を過去の「価値基準」に照らして議論し、再評価すること自体は「歴史修正主義」ではない。しかし、そのような知的活動について国際政治の場で「大義名分」を獲得したいなら、「普遍的価値」に基づく議論が不可欠だ。いわゆる「従軍慰安婦問題」や「南京大虐殺」について、歴史の細かな部分を切り取った外国の挑発的議論に安易に乗ることは賢明ではない。 過去の事実を過去の価値基準に照らして再評価したいなら、大学に戻って歴史の講座をとればよい。逆に、過去の事実を外交の手段として活用したければ、過去を「普遍的価値」に基づいて再評価する必要がある。歴史の評価は学者に任せればよい。現代の外交では普遍的価値に基づかない歴史議論に勝ち目はないのだ〉(『WEDGE』2015年5月号)〈日本の生き残りにとって最大の障害は中国や統一後の朝鮮ではない。日本の最大の敵は「自分自身」である。新民族主義時代における日本民族のサバイバルのためには、日本自身が普遍的価値を掲げ、自らの民族主義的衝動を適切に制御する必要がある〉〈最も重要なのが、日本の誇りある伝統を普遍的価値の論理で説明する能力を獲得すること、すなわち「保守の進化」である。日本が国際社会において守りたい価値があれば、それらを自由、民主、人権、人道、法の支配といった普遍的価値のロジックで説明していくことだ。日本が世界各国と競争しているのは国際政治であり、過去の歴史の事実関係ではない。 そのことを正確に理解しない限り、国際政治で日本の影響力を高めることは難しい。イルカ、捕鯨、慰安婦……ナショナリズムは時に普遍的価値と対立するが、これを日本人にしか理解できないロジックで何度説明を試みても、結果は生まれない〉(『日本の敵』2015年) 彼らは慰安婦問題で韓国政府がゴールポストを動かしてきたと主張する。この議論は宮家氏が最初に使った比喩だという。しかし、外務省が事実関係で争わずに謝罪だけをしつづけてきたことで、先に日本がゴールポストを下げたのだ。1992年、宮沢喜一総理が慰安婦問題で8回謝罪した直後に私は外務省北東アジア課の幹部に、「権力による強制連行を認めて謝ったのか、貧困の結果、そのようなことをせざるを得なかった女性に人道的に謝ったのか」と質問したが、答えは「これから調べる」だった。 国際社会では、謝罪すれば非を認めたことになるし、反論しなければ相手の主張を認めたことになる。これが国際社会の普遍的ルールだ。貧困の結果、売春業に就かざるを得なかった女性たちに現在の価値観から同情し、慰安所で彼女らを戦争遂行のために使ったことを謝罪することと、性奴隷、20万人、虐殺などという明らかな虚偽に反論することは両者とも普遍的価値に立つものだ。安倍総理はその両者を同時に主張すべきだと言っている。細くて困難な道だがそれしか日本が生き残る道はない。ウソは悪いと聖書も教えている。 外務省は1日も早く、ホームページの「歴史問題Q&A」の慰安婦の項に、安倍総理が国会で答弁した事実に基づく5つの反論を掲載すべきだと最後にもう一度強調しておく。(※編集部注:本稿掲載後、外務省英語版ホームページの「歴史問題Q&A」に杉山晋輔外務審議官(当時)が国連で行った慰安婦問題の事実関係に関する発言内容のリンクが新たに追加されました。産経新聞 2016.8.20)にしおか・つとむ 昭和31(1956)年、東京都生まれ。国際基督教大学卒。筑波大学大学院地域研究科東アジアコース修士課程修了。在ソウル日本大使館専門研究員などを歴任。「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)会長。著書に『金賢姫からの手紙』『よくわかる慰安婦問題』(ともに草思社)など多数。

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    韓国に圧倒される日本の対外発信 米で存在感増す「KEI」の実態

    リカ側に向けて日本の発信をする他の公的機関は、エンターテインメント志向にもっと徹しているからである。韓国の洗練された対米発信 ロサンゼルスとニューヨークにはそれぞれ「日本文化センター」という機関が存在する。ともに日本の独立行政法人の「国際交流基金」が運営する対米発信拠点である。同基金は外務省の事実上の管轄下にあり、対外的な文化芸術交流や日本語教育の普及を任務とする。だが、そのほかに「日本研究・知的交流」という目的もあり、「日本と海外の人々の間で対話する機会を作ることで、日本の対外発信を強化する」と謳われている。たんに狭い意味の文化にこだわらず、政治や外交も含めての日本からの広範な発信もする、ということだ。 だがアメリカで「ロサンゼルス日本文化センター」の活動を見ると、あまりにも軽い。日本語普及の「みんなでしゃべろう!」というプログラムはまだしも、「かわいいお弁当の作り方」「おにぎりで世界を変えよう」「折り鶴の見本」というような通俗な「発信」ばかりである。その他はお決まりの映画とアニメの連続となっている。 これでは「文化」の名にも値しない。ほんの少しでも日米間の「知的交流」を思わせる対米発信があってよいと思うのだが、まったく見当たらない。日本にとってのいま懸案の外交課題や、日本が国として対外的に知らせたいテーマにわずかでも関わるような行事はゼロなのだ。 だからこそ政治の首都ワシントンにある前述のJICCが、日本の国家としての主張や情報をアメリカに向けて少しは発信すべきなのだが、それもまたないのである。 韓国の洗練された対米発信  では、同じワシントンでの韓国の対米発信活動の状況を報告しよう。韓国を日本との比較の対象に挙げるのは、両国がともにアメリカの同盟国である一方、互いに利害の衝突があるからである。周知のように韓国は日本の領土の竹島を不当に軍事占拠している。まず領有権での衝突があるわけだ。また、慰安婦問題をはじめとする歴史認識でも日韓両国は衝突してきた。 こうした衝突部分の状況は超大国のアメリカの対応に大きく影響される。アメリカが日韓両国それぞれの主張や態度をどう見るかがつねに重要となってくるわけだ。アメリカの理解や賛同を取り付けたほうが有利になる。だからそのアメリカに向かってどんな発信をするかは、日韓両国にとっていつも重要なのである。 この点での日韓両国の対米活動は一種のゼロサム・ゲームだともいえよう。相手が得点を上げれば、それだけこちらの失点になるような相関関係があるわけだ。だからこそ韓国の対米発信の実態を知ることには二重三重の意義がある。 韓国政府の対アメリカ発信の主役は「アメリカ韓国経済研究所(KEI)」である。韓国は官民全体としても、アメリカへの広報や宣伝は日本のそれよりもずっと積極的で大規模だといえる。実際の対米発信の作業はあくまで韓国の政府が主体となり、ワシントンの在米韓国大使館や民間団体をも使う。だがその具体的な広報や情報の活動となると、中心になって動くのがこのKEIなのである。 ただし韓国には、対米発信では日本にない大きな武器がある。それは合計170万人とされる在米韓国人、韓国系アメリカ人の存在である。韓国系アメリカ人は国籍はアメリカだから、韓国政府の指示で必ずしも動くとは限らない。だがそれでもなお韓国を祖国と見なし、その利益のためには協力し、献身するという人たちも多い。韓国政府はアメリカの政府や議会への働きかけでは、この韓国系アメリカ人の存在に依存できる場合が多いのである。韓国の対米発信機関「KEI」の実態 だが対照的に、日本は対米発信で日系アメリカ人に依存することはできない。日系アメリカ人には日米戦争のせいもあって、日本のために動くという意識がまずないからだ。 こうした韓国の対米発信の全体図を背景として踏まえたうえで、主役のKEIの具体的な活動を報告しよう。以下はすべてこの数カ月間のイベントだった。「下院外交委員長エド・ロイス議員に米韓関係の現状を問う」(議会の東アジア政策を扱う中枢のロイス議員にKEI代表が質問し、討論する)「韓日両国間の価値観のギャップを克服するには」(KEI代表の二人の専門家が全米規模のシンポジウムでこのテーマについての意見を発表する)「米韓同盟と経済協力の強化策を論じる」(KEI主催のシンポジウムで米側の専門家9人を3つのパネルに分けて発表と討論をする)「2016年の韓国の国会議員選挙結果を分析する」(米韓両方の専門家たちが公開討論の形で同選挙結果の米韓関係への影響などを論じる) 以上の行事を紹介しただけでも、すでに日本政府の対米発信とは根本が異なることが明白だろう。KEIは韓国やアメリカ、そして日本もが直面するそのときの重要課題を正面から取り上げ、論じるのだ。その論じるプロセスでは、韓国政府の主張やアピールが底流として盛り込まれている。アメリカ側への直接の訴えとか要請という露骨なかたちを取らない、洗練された対米発信なのである。 この種の行事を毎週のように主催するKEIは、表面的には韓国政府の対アメリカPR、働きかけの機関というよりも独立したシンクタンクのようにさえ見えてくる。ところが実態は間違いなく韓国政府の対米発信機関なのである。だからワシントン駐在の韓国大使の安豪栄氏はKEI主催のイベントに頻繁に登場し、熱心に発言する。安大使はアメリカ勤務を重ねた知米派外交官で、きわめて雄弁である。 KEIは1982年に韓国政府によって創設された。資金はすべて韓国政府からなのだ。その公式の目的は「米韓両国間の経済、政治、安全保障に関する対話と理解を促進する」こととされていた。まさに韓国政府による対米発信機関なのである。ワシントンでの一般の研究機関とは異なり、KEIはアメリカ司法省に「外国代理人」として登録されている。外国政府、つまり韓国政府を代弁してアメリカ国内で活動する機関であり、その活動資金も韓国政府から提供されると明記されている。 KEIのオフィスはワシントン市内中心街のビル内の一角にある。一般の事務所のほかにかなり大きな会議室などを備えてはいるが、独立した建物の構えを有する「日本情報文化センター」よりは小規模で控えめである。だが活動内容となると、大人と子供の違いがあるのだ。 しかもKEIは韓国政府の機関ではあるが、所長はアメリカ議会の前下院議員ドナルド・マンズロ氏である。つい最近まで下院外交委員会のアジア太平洋問題小委員会の委員長などを務め、アジアには詳しい政治家だった。副所長はこれまたアメリカ人の元外交官マーク・トコラ氏である。同氏は国務省の外交官としてアジアへの関わりが長く、韓国のアメリカ大使館の次席だったこともある。こうしたアメリカの「顔」がKEIのアメリカ側への受け入れを一段と広く深くしているといえよう。KEIの会合に出席して 私もじつはKEIにはよく出かける。その主催する討論や報告がニュースとするにふさわしい斬新な情報を含むことが多いからだ。 最近でも「中国人民解放軍が北朝鮮をどう見るか」というテーマの研究発表があった。米側の若手研究者の発表だった。 その会合に出ると、所長のマンズロ前議員がわざわざ私の席まで来て自己紹介をしながら歓迎の意を表してくれた。副所長のトコラ氏とも別の会合でかなりの時間、話をしたことがある。いずれも韓国政府の主張を代弁するという態度を感じさせず、米韓関係の改善に努めたいという印象だった。韓国政府側からすれば、きわめて効果的な対米発信の成果ということになると感じた。 ちなみに日本政府も、いまのKEIに似た対米発信機関を運営していたことがあった。外務省の主管で、「日米貿易協議会」という名前の組織だった。日本大使館とは別個の組織とし、トップにはアメリカ人の日米関係専門学者を据えていた。日米貿易摩擦の激しい1970年代から80年代にかけてのことだった。だがこの組織はさまざまな理由でうまく機能せず、廃止に至った。 ところが韓国政府機関のKEIは明らかに成功し、ワシントンでのその存在と影響力とを着実に強めているのだ。この韓国の対米発信と日本の対米発信のギャップをとくに痛切に実感させられたのは、北朝鮮による日本人拉致事件の案件までもKEIが扱っているのを見たときだった。 KEIは今年2月初め、「招待所・北朝鮮の拉致計画の真実」と題するセミナーを開いた。その題名の新刊書を著者のアメリカ人ジャーナリストのロバート・ボイントン氏が紹介し、米側専門家たちが討論する集いだった。オバマ米大統領との面会を終え、大統領に見せた横田めぐみさんの写真を手にする横田滋さんと早紀江さん夫妻=2014年4月、東京都千代田区 同書は、北朝鮮による日本人拉致事件の内容を英語で詳述した初の単行本だった。事件を英語で紹介した文献は、米側の民間調査委員会の報告書などがあるが、商業ベースの英文の単行本はなかったのだ。 ボイントン氏は数年をかけて日本や韓国で取材を重ね、とくに日本では拉致被害者の蓮池薫氏に何度も会って、拉致自体の状況や北朝鮮での生活ぶりを細かく引き出していた。また同じ被害者の地村保志・富貴恵夫妻や横田めぐみさんの両親にも接触して、多くの情報を集めていた。その集大成を平明な文章で生き生きと、わかりやすく書いた同書は迫真のノンフィクションと呼んでも誇張はない。 「何の罪もない若い日本人男女が異様な独裁国家に拘束されて、人生の大半を過ごし、救出を自国に頼ることもできない悲惨な状況はいまも続いている」 ボイントン氏のこうした解説に対して、参加者から同調的な意見や質問が提起された。パネリストで朝鮮問題専門家の韓国系アメリカ人、キャサリン・ムン氏が「日本での拉致解決運動が一部の特殊な勢力に政治利用されてはいないのか」と述べたのが異端だった。そして、同じパネリストの外交問題評議会(CFR)日本担当研究員のシーラ・スミス氏が「いや、拉致解決は日本の国民全体の切望となっている」と否定したのが印象的だった。 この場で私が感じた最大の疑問は、日本にとってこれほど重要な本の紹介をなぜ日本ではなく、KEIという韓国の政府機関が実行するのか、だった。日本政府は何をしているのか。ワシントンの日本大使館は何をしているのか。そんな疑問でもあった。漫画や和食ばかり宣伝する「ジャパン・ハウス」性格を変えた「ジャパン・ハウス」  ワシントンでの日本と韓国との対米発信パワーの差は、米側の主要研究機関の活動でも顕著に表れている。主要シンクタンクの「戦略国際問題研究所(CSIS)」や「ヘリテージ財団」での韓国勢の発言は目覚ましい。 たとえば昨年2月にはCSIが「北朝鮮の人権 今後の進路」と題する大シンポジウムを開いた。副題は「国連調査委員会報告書一周年記念」と記されていた。討議の内容は日本人拉致を含む北朝鮮の人権弾圧だった。 この会議は日本にとっても意義は大きかったが、日本の存在がゼロだった。アメリカ政府と議会、国連代表らとともに韓国の政府代表や学者たちもパネリストとして登場し、活発に発言した。だが、日本はその存在も発言もなかったのだ。日本人拉致事件がこの会議の重要テーマの一端だったのに、日本の声は皆無だった。ワシントンでの日本の対外発信がいかに薄いのかを象徴的に示す出来事だった。クリストファー・パッテン英上院議員(左)に「ジャパン・ハウス」運営委員の委嘱状を手渡す薗浦健太郎外務政務官=2015年7月、ロンドンの日本大使館 こうした流れのなかで日本の外務省はこの春、対外発信の新たな手段と宣言して、海外三都市に「ジャパン・ハウス」という施設を新設する事業計画を発表した。すでに数百億円単位の予算を得ての計画だった。この計画は昨年から、当初は「領土問題、歴史問題など日本としてしっかり主張すべきことを主張し、日本の魅力も発信していく」という触れ込みで推進された。ロサンゼルス、ロンドン、サンパウロの三主要都市に広報施設が開設されるのだという。 ところがいざ予算が取れたあと、この「ジャパン・ハウス」は性格を変えたようだった。外務省当局者たちは、この新施設でアニメ、漫画、和食、ハイテクなど日本の魅力を宣伝することが主眼だと言明するようになったのだ。歴史や領土という課題はそこではとくに提起する方針はない、というのである。そうなると対アメリカ発信の場合、これまでロサンゼルスの「日本文化センター」が実施してきた「かわいいお弁当の作り方」展示会の域を出ないこととなる。 外務省の年来の事なかれ主義の継続ともいえよう。ただし今回の「ジャパン・ハウス」構想では、事前にはいかにも歴史や領土についての対外発信をする必要が高まったからこの構想の実現が欠かせないのだ、という趣旨の説明を外務省代表たちはしていた。私自身も担当官たちからその旨を直接に聞かされた。 このような外務省の体質が長年、続いたからこそ慰安婦問題での「強制連行説」の虚構が国際的に大手を振るようになった経緯はもう実証済みである。その日本式の消極性姿勢を端的に表すのが、いまのワシントンでの韓国に比べてあまりにお粗末な日本政府の対米発信ぶりだといえよう。関連記事■ 慰安婦問題に対するアメリカ人の対日批判が後退している実態!■ <特別対談>慰安婦問題はフィクションだ■ <尖閣問題・日本の一手>国際提訴がもたらす6つの効果

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    在米韓国系のロビー活動により米公立高校で慰安婦授業開始へ

    。“慰安婦教育”導入を推し進めているのは、アメリカ国内での慰安婦像設置運動で世論をあおり立てた、在米韓国系ロビー活動家たちである。 昨年末の日韓合意では「慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決」が定められたはずだ。米グレンデール市内に設置された慰安婦を象徴する像と記念撮影をする韓国人ら=2013年7月、米グレンデール カリフォルニア州のグレンデール市では2013年に慰安婦像が設置されているが、同市の市長は日韓合意について支持する意向を表明しており、合意によってアメリカ発の「日本非難」の動きはブレーキがかかったように見えた。 しかし、韓国系ロビー団体は同じカリフォルニア州で“慰安婦教育”を推進すべく、日韓合意後、アメリカ国内での活動を活発化させていたのである。3月には、元慰安婦らと支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」のメンバーたちが訪米。アメリカの韓国系ロビー団体と連携して、「日韓合意反対」を訴えた。元慰安婦らはニューヨークの国連本部を訪れ、潘基文事務総長と面会。潘氏は会談後にこう述べた。「(元慰安婦の)苦しみに同情します。被害者の声を真摯に聞くことが重要です」 アメリカ、そして国連という場を利用して、「やっぱり日本は悪者だ」と国際社会に印象づけようとしているのだ。 同じ3月には、国連のザイド・フセイン人権高等弁務官が国連人権理事会での演説で、慰安婦について「日本軍による、性奴隷制度を生き延びた人々」と表現し、日韓合意を批判した。これにはすぐに菅義偉官房長官が抗議することを表明したが、国連が「日本非難」の場に利用されていることは間違いない。 SAPIO7月号の特集では、日韓合意を受けて韓国政府が日本批判を控えている中、あちこちから「反日」の動きが復活していることをリポートしているが、アメリカや国連をはじめとする国際社会では、日本を貶める活動が止まるどころか、逆に加速していると言える。 日本側は「合意したから大丈夫だろう」と悠長に構えていてはならないのだ。※SAPIO2016年7月号関連記事米軍慰安婦で問われる朴槿恵氏の「歴史と向き合わぬ国」発言米国の高校で始まる慰安婦授業「20世紀最大の人身売買」など日韓合意後も韓国内で慰安婦像が増殖している米公立高校「慰安婦授業」に問題点多数 英文・訳文紹介「息を吐くように嘘を吐く」 朴槿恵政権は信用ならない

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    稲田朋美氏を「極右」と報じる韓国マスコミ

    会の「女性パワー」を象徴するかのような出来事は、日本のみならず国外でも話題となっている。iStock韓国主要メディアの論調 ところで、稲田氏が防衛大臣に任命されたことについて、韓国マスコミはこぞって批判を繰り広げている。特に目につくのは稲田氏を執拗に「極右」と表現する記事だ。韓国の主要日刊紙やテレビ放送局を見てみよう。 「安倍内閣 今日改造、『極右』稲田氏が防衛相に」(朝鮮日報) 「稲田は歴史認識が安倍総理よりもさらに右寄りだとの評価を受ける極右強硬派だ」(東亜日報) 「稲田防衛相は侵略戦争に対する謝罪は必要ないとし、戦犯を断罪した極東裁判の検証を主導した極右性向の人物」(MBC) 一般の韓国人が稲田氏について知ることができる情報といえば、韓国マスコミが報道する内容だけである。当然、一般の韓国国民の頭の中には「稲田=極右」というイメージが植え付けられたことだろう。 ここで、韓国マスコミの多用する「極右」という語彙について考えてみたい。韓国マスコミの使う「極右」の意味韓国マスコミの使う「極右」の意味 一般的に、漢字語「極右」という言葉が意味するものは何か。辞書的な意味で言えば自国や自民族への過度な優越主義、排他主義性向ではないだろうか? 韓国も日本と同様である。航空自衛隊小松基地を視察し、栄誉礼を受ける稲田朋美防衛相=2016年8月12日、石川県小松市 ところで、稲田氏はここに当てはまる人物だろうか? 日本のマスコミも、稲田氏が保守・右派性向の人物であるという点は否定しないだろう。だが、日本の主要メディアの中に稲田氏を「極右」と表現するメディアがあるだろうか? 恐らく、この表現は見当たらないだろう。なぜか。「極右」という表現は保守だとか右派という言葉とは異なり、ドイツのナチスや米国のKKKのような過激で否定的なイメージを持つ、非常に強い言葉であるからだ。中立を標榜するマスコミであれば、この言葉を使用することに対して慎重にならざるを得ないだろう。 だとすれば、韓国マスコミが「極右」という言葉を惜しげもなく使う理由は何なのか? 極右という言葉の辞書的な意味が日本と同様であることは先ほど述べた通りである。 ただし、ただし、である。韓国においては、相手が「日本」の場合に限り、この言葉の意味が唐突に拡張されるのだ。韓国マスコミは韓国の価値観や主張と対立したり、あるいは、韓国を非難する日本側の主張、日本人はいとも簡単に「極右」だと断じる。この用法は日本語の「極右」には存在しない韓国語独自の用法である。 例えば、韓国マスコミは橋下徹前大阪市長を「極右政治家」、読売新聞を「極右マスコミ」と紹介するのだが、ヘイトスピーチ条例案を提出した橋下氏や世界最多発行部数を誇る読売新聞を「極右」だと考えている日本人がどれだけいるだろうか?野田元総理も「極右」、日刊ゲンダイも「極右」野田元総理も「極右」、日刊ゲンダイも「極右」 韓国が極右だとレッテルを張った人、組織の日本国内での評価を見れば、「極右」という漢字語の意味が日本と韓国で全く違うものだと考えなければ説明がつかないような例はいくらでも挙げられる。 例えば、野田佳彦元総理。2011年に野田氏が首相に就任した時にも韓国マスコミは「日、新しい総理に極右の野田、日韓関係に暗雲?」(東亜日報)、「野田次期総理内定者は歴史認識問題において極右的思考や言動を繰り返してきた」(ハンギョレ新聞)などと、今の稲田氏に対する表現と同じような論調で野田氏を紹介した。理由は、野田氏が過去に「靖国のA級戦犯は戦争犯罪者ではない」と自身の意見を述べたことがあったためである。滋賀県米原市で街頭演説する民進党の野田前首相=2016年6月17日 また、日刊ゲンダイ。「日本の極右マスコミ、五輪出場の李承ヨプ叩き」(東亜日報)というタイトルの記事が出たのは2008年のこと。当時、プロ野球巨人軍で活躍していた韓国人の李承ヨプ選手に批判的な記事を載せた日本のメディアを「極右マスコミ」と報道したのだが、ここで東亜日報が批判したメディアが「日刊ゲンダイ」である。万が一、日本国内の媒体が「日刊ゲンダイ」を極右マスコミなどという紹介をしたら、笑いものになるか、無知を批判されるに違いない。保守政党や政権、特に現・安倍政権を最も辛辣に批判している媒体のうちの一つであるからだ。韓国にとってはその日本マスコミの全般的な「論調」よりも韓国、あるいは韓国人をどんなふうに取り扱うか、が性向を判断するための基準なのだろう。 同様の例としてAERA。2014年11月に韓国の国会図書館で開かれた「嫌韓本・ヘイト本展示会」では朝日新聞系列の雑誌AERAが展示されていた。展示されていた書籍の中身を見ると私の目には「不快」とするほどの内容ではなく、韓国の現状を報告し、苦言を呈しているといった程度の内容だったのだが、それでも、韓国の立場からは「不快」に映るものだったのだろう。韓国で「日本の良心マスコミ」と呼ばれる朝日新聞系列の雑誌であっても、ほんの少しでも韓国の逆鱗に触れれば悪玉になりうるという例である。 野田元首相や日刊ゲンダイを極右と呼ぶことからも分かるように、韓国マスコミの「極右」という表現は、韓国の神経を逆なでしたり、機嫌を損ねるような言動をした相手であることを示すための言葉であり、韓国独自の意味変化を経た結果物といえる。同様に韓国独自の意味変化を遂げた語彙としては「妄言」などが挙げられるのだが、国際的に見たときに、これらの意味に共感してくれる国はあるのだろうか? 中国、北朝鮮なら理解してくれるだろうか?韓国マスコミに期待したいのは「一貫性」「妄言政治家」から「日本の良心」へ――鳩山元総理韓国マスコミに期待したいのは「一貫性」 韓国マスコミの語彙選択についてもう一つ苦言を呈したいのは、彼らがその過激な表現を使うときに、きちんと考察したうえで絶対的な、普遍的な判断としてその語彙を使用しているわけではないということだ。どんなに過激な表現で相手をこき下ろしたとしても、その後に韓国人にとって心地よい言葉を聞かせてもらえれば、いとも簡単にその評価を一変させるのだ。 その好例が、鳩山由紀夫元総理である。2010年当時首相であった鳩山氏が「竹島は日本の領土」だと公の場で発言すると、韓国マスコミは一斉に鳩山氏の発言を「妄言」だと糾弾する批判記事を展開した。北京市内のホテルで記者団の取材に応じる鳩山由紀夫元首相=2016年6月26日 ところが、それから5年後の2015年、鳩山氏がソウルを訪問したときのことである。日本統治期に刑務所として使われていた施設を訪問したのちに、慰霊碑の前で膝をつき、日本の統治について謝罪した鳩山氏を評して、今度は「日本で最も誠実な良心であり勇気」だと一斉に称賛した。ほんの5年前に「妄言政治家」だと批判を繰り広げたマスコミが、である。 起源を一つにする漢字語だったとしても、あるいは発音まで全く同じ単語だったとしても、国が変わり、時代が変われば少しずつ意味にずれが生じ、場合によっては全く違う意味の言葉として使われるようになることもあるだろう。もっと言えば、同じ地域に住んでいる人同士でも、性別、年齢、あるいは個人差で微妙に違うニュアンスをもって言葉が使われることだってある。 だが、それを考慮したにしても、日本の与党も野党も、保守紙もリベラル紙も、その一時の状況次第で「極右」と批判してはばからない韓国マスコミの語彙選択には疑問が残る。せめてもう少し「一貫性」を求めずにはいられないのは私だけだろうか。

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    ミサイル配備が示した朴槿恵大統領の対中外交政策の転換

    所 ウォールストリート・ジャーナル紙の7月13日付社説が、THAAD(高高度防衛ミサイルシステム)の韓国配備決定を、韓国防衛、同盟強化の観点から支持するとともに、これを機に中国は対朝関係を見直すべきである、と述べています。要旨、以下の通り。中国特有の高圧的な警告 韓国による米のTHAAD(高高度防衛ミサイルシステム)の展開決定は、中国にとり打撃である。中国は、中国特有の高圧的な方法で、必要な対応措置を取ると韓国に警告してきた。習近平は朴槿恵に「慎重に扱う」よう告げてきた。 他方で、中国は最近第4回目の核実験や十数回にわたるミサイル実験をしている北朝鮮を抑えることを拒んできた。3月の韓国アサン研究所の世論調査によると74%がTHAAD配備を支持している。朴槿恵は決定にあたって韓国の将来と北の核、ミサイル脅威から国民の生命を守ることが最重要だと述べた。中国は決定を非難したが、未だ報復はしていない。貿易や観光分野で報復をするのではないかとの懸念により韓国化粧品企業や観光企業の株価は下落した。過去に中国は韓国に対して経済報復をしたことがある。 中国がすべきことは北朝鮮支持を再考することだ。金正恩体制は米を懸念させてはいるが、中国の目的であるアジアでの米の能力と同盟の弱体化にはなっていない。韓国の決定により日米韓の協力は強化されている(日本には既に補完的なレーダーシステムがあり今後インターセプターも配備されるかもしれない)。また日米韓三国は先週ミサイル防衛の演習を実施した。THAADは来年末までに実戦配備される。それまでに中国が中朝同盟のコストを知ることになれば、この配備は北のミサイルへの防衛以上の意味を持つだろう。出典:‘South Korea’s Message to Xi Jinping’(Wall Street Journal, July 13, 2016)http://www.wsj.com/articles/south-koreas-message-to-xi-jinping-1468448100 ここ数年米韓、また中韓の間で問題になってきたTHAAD配備がようやく決着したことは歓迎すべきことです。7月8日の決定により、THAAD一基が来年末までに慶尚北道星州(韓国中央部の大邱の西方。韓国空軍施設がある)に実戦配備されます。THAADは飛来するミサイルを、PAC3と比べてより早期にかつより高度で迎撃できます。韓国の報道によれば配備されるTHAADはレーダーと射撃統制装置(発電機含む)、発射台6台、インターセプター48発(発射台あたり8発。最大射程200キロ)で構成されているといいます。韓国政府はインターセプターの追加導入の可能性も示唆しています。中国への傾斜を止めた朴槿恵 北朝鮮、中国、ロシアは配備決定に強く反発しています。中国は当初からレーダーの探知距離(1000~2000キロと言われるので北京も入る)などに鑑み猛烈に反対してきました。ロシアも反対してきました。かかる状況に鑑み、配備決定の米国防総省声明は、これは北朝鮮の脅威に対処するものであり、「いかなる第三国に向けられるものでもない」と述べました。さらに配備地について韓国報道は「THAAD配備地域を慶尚北道星州に決めたのもTHAADレーダーの探知範囲が中国内陸に届かないよう配慮した側面が大きい」と述べています。他方、配備地が南に下がったためソウルがカバーされなくなったので、韓国はソウルに別途PAC3を配備すると言われています。中国への傾斜を止めた朴槿恵 ここ数年迷走してきた韓国の外交・安保政策の経緯はともかく、何とかここに至ったことは良いことです。あれほど中国に傾斜してきた(1年足らず前の対日抗戦勝利式典では習近平と共に天安門の壇上に立っていた)朴槿恵を突き動かした最大の要因は、過去1年の北朝鮮の相次ぐミサイル発射と北朝鮮のミサイル技術の進展です。厳しさを増す安保環境を背景に、安保派が外交派に勝ったともいえます。現に尹炳世外交部長官は最後まで反対したと報じられています。外交部は「事実と異なる」と否定しましたが、あながちありえないことではありません。 来年末までの実戦配備に向けて着実に作業が進められることが期待されます。しかし、二つの問題があります。一つは韓国国内政治です。今や世論の半分はTHAAD展開に理解を示し、大手メディアも展開を支持する社説を書いています。しかし、住民の反対運動は激しくなる様相を示しています。野党や運動家なども攻勢を強めています。ハワイ・カウアイ島で行われたTHAADの発射実験=2010年6月 もう一つの問題は対中関係です。中韓関係は、今後双方で緊張に振れる可能性が高いでしょう。中国は必要な戦略上の措置を取ると警告しています。今韓国の人々が最も恐れるのは中国の報復措置です。2000年に韓国が中国産の冷凍ニンニクなどの関税率を引き上げたところ、中国は猛反発、韓国からの携帯電話やポリエチレンの輸入を中断する報復措置をとり、結局、韓国側が関税率を元に戻すことで問題を落着させざるを得ませんでした。 韓国では中国の強硬な立場に不満が募っています。中韓関係のこれまでの蜜月はどこへ行ったのかと問う声があり、一方で政府の対中外交は何だったのかと政府批判の声もあります。韓国が送り込んだアジアインフラ投資銀行(AIIB)副総裁が国内での収賄疑惑のため休職にされるなど、対中関係は既にギスギスしてきています。

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    少女像移転は条件ではない、慰安婦映画と支援財団を考える

     [韓国の「読み方」]澤田克己 (毎日新聞記者、前ソウル支局長) 元慰安婦に対する支援事業を行う韓国の「和解・癒やし財団」が7月28日に発足した。これに合わせたわけではないだろうが、1週間ほど前に元慰安婦の証言を基に制作されたという韓国映画「鬼郷(クィヒャン)」の上映会が東京で開かれた。「最悪の慰安婦映画」(産経新聞)などと評された映画を紹介するとともに、昨年末の日韓合意について改めて考えてみようと思う。なお、日韓合意に対する朴槿恵大統領の姿勢はこの欄で以前も取り上げている。一言で振り返っておくならば、いったん決めたら頑として動かないという朴大統領の性格そのままで、総選挙での敗北など関係なく合意履行へ突っ走ろうとしているというものだ。基本的には、想定通りの展開になっていると言えるだろう。ソウルの日本大使館前にある従軍慰安婦像(写真:Lee Jae-Won/アフロ) さて、映画「鬼郷」である。今年2月に韓国で公開され、359万人の観客動員を記録した。昨年末の日韓合意が大きなニュースとなり、元慰安婦を支援して活発な活動をしてきた韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)などが「法的責任を認めていない」と合意に猛反発したことでさらに人々の関心が高まったという追い風を受けて、封切り直後の2週間で300万人近く動員するという上々の出足を見せた。ただ、その後は息切れしてしまったようだ。1000万人を超える観客を動員するヒット作が多い近年の韓国映画の中では、この観客動員は「そこそこ」という印象だろう。肩透かしの「強制連行」 事前に読んだ紹介記事は「一方的な描写ばかりで、ひどい」というようなものばかりだった。だから「いつ主人公の強制連行になるのだろうか」などと構えて見ていたのだが、最初のうちは正直に言えば肩透かしを食らったような感じだった。10代半ばの主人公と友人2人という少女3人が森の中で日本兵を乗せたトラックに出くわしたから、そこで拉致されるのかと身構えたのだが、そんなことはなかったのである。 上映後に舞台挨拶をした趙正来(チョ・ジョンネ)監督は「反日映画を作ろうとしたわけではない」と強調した。確かに「日本の見方に配慮した」と主張したいのだろうと思われるシーンが散見された。主人公が連れて行かれるシーンでは、銃を担いだ日本兵と一緒に来た朝鮮人らしい男が両親に娘を差し出すよう強要し、母親が泣きながら荷物をまとめて持たせている。男はおそらく朝鮮人業者だろうし、韓国内で流布されている強制連行のイメージよりはマイルドな描写である。道を歩いている少女を片っ端からさらってトラックの荷台に乗せているというイメージが独り歩きしているのだから。 映画には「いい日本兵」も何人か出てきた。慰安婦の部屋に入ってきて「何もしなくていいから」と休ませる日本兵や、部隊周辺の地図を密かに慰安婦に渡して脱走を手助けしようとする日本兵だ。慰安婦の一人が、恋仲になった日本兵を指して「あの人はいい人。戦争が終わったら結婚しようと言ってくれてる」と話すシーンもあった。後述する処刑シーンでは、慰安婦を射殺するよう命じられながら、どうしても引き金を引けない日本兵も出てくる。 脱走や処刑という行為そのものに現実味が薄いのでそちらはコメントしようがないものの、自分の持ち時間に慰安婦を休ませたり、慰安婦と結婚しようと言ったりする日本兵というのは、元慰安婦の証言にも出てくる。韓国では通常、そういった日本兵の存在は無視されているので、こうした日本兵を登場させているのは「日本への配慮」か、「きちんと事実と向き合おうとする姿勢」なのだろう。おそらく趙監督としては、ここまで配慮しているのに「反日映画」などと言われたら不本意だと考えるのではなかろうか。その感覚は、私が昨年の著書『韓国「反日」の真相』で指摘した「自覚なき反日」に通じるものだと感じられた。「配慮」も処刑シーンで台無しに「配慮」も処刑シーンで台無しに ただし、そうした「配慮」も、現実味に欠ける残虐な処刑シーンによって台無しである。病気などで客を取れなくなった慰安婦は用済みだと処刑され、終戦時には証拠隠滅のために慰安婦全員が処刑対象とされる。さらに、死体にはガソリンのようなものをかけて焼いてしまうのである。銃殺を命じられたのに引き金を引けなかった日本兵が薄笑いを浮かべた上官にその場で射殺され、慰安婦の死体と一緒に燃やされるというシーンまである。 趙監督は、元慰安婦が心理療法の過程で描いた「燃やされる少女たち」という絵に衝撃を受けてシナリオを書いたという。だから処刑して燃やすシーンになったようだが、これは、さすがにやりすぎだ。 この絵を描いた元慰安婦には、私もインタビューしたことがある。慰安婦にひどい扱いをする日本兵がいて、後頭部を激しく蹴り付けられて何日も意識を失うほどの大怪我をしたことがあると訴え、今でも傷が残っていると見せてくれた。当時の日本軍が中国で何をしたか考えれば、そうした乱暴な行為をする日本兵がいたであろうことは想像に難くない。日本人の一人として、非常に申し訳ない気持ちになった。「和解・癒やし財団」の設立会合が開かれた建物前で抗議活動をする市民団体メンバー=2016年7月28日、ソウル(共同) ただ、この女性は気が付いたら病院にいて、1カ月入院したと話していた。映画に描かれていた部隊なら銃殺されたところだが、大事な商品である慰安婦を簡単には殺せなかったということだろう。特別に人道的な扱いというわけではない。私が読んだことのある資料は限られているが、慰安婦に対する暴力自体は珍しくなかったものの、病気の慰安婦を殺すというよりは、1カ月入院させて治療する方が普通の感覚のように思えるのである。日本軍の関与は明白な事実である 慰安所は旧日本軍の要請によって作られ、業者は軍によって管理された。軍は業者と慰安婦の移動に便宜を図り、コンドームも軍が支給した。慰安所は、部隊について移動することもあった。そして、親に身売りされたにせよ、あるいは就業詐欺にひっかかったにせよ、不本意な形で慰安婦になることを強いられた女性たちが多かったことも、実数は不明ながら推測できることである。結婚して慰安婦をやめた女性を部隊命令で強制的に慰安所へ戻した事例もある。慰安所の運営に日本軍が深く関与したのは明白な事実である。戦地や後方などという立地や業者の違いによって待遇は千差万別だったが、慰安婦の尊厳が尊重されていたなどは言えない。 サンフランシスコ講和条約や日韓請求権協定がからむ「請求権」の問題になると難しい面が出てくるけれど、日本に道義的責任があることは明らかだ。そう考える日本人も、この映画で出てくる処刑シーンのようなものを出されると考え込むことになるのではなかろうか。自分たちの考える正義を絶対視し、それを受け入れない他者を全否定するかのような姿勢は、結果として、自らの理解者になってくれるかもしれない人をも遠ざけてしまうのである。 要するに寛容さの欠如であるが、反対の立場に立つ人の中にも大同小異の人がいる。典型例が、ソウルの日本大使館前に建つ少女像の撤去が慰安婦合意で日本が約束した10億円拠出の条件になっているという主張である。少女像移転は10億円拠出の条件ではない少女像移転は10億円拠出の条件ではない 以前の記事でも指摘したが、昨年12月28日に日韓両国の外相がソウルの韓国外務省で記者会見し、明らかにした合意内容は次のようなものである。大事な内容なので、ここに再掲する。 すべての前提となる認識は、▽当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感している▽安倍首相は、日本国内閣総理大臣として心からおわびと反省の気持ちを表明するーーというものだ。 さらに両国の約束として、▽韓国政府が元慰安婦を支援するための財団を設立する▽日本政府が財団に10億円を拠出する▽国連など国際社会において相互非難をしない▽合意がきちんと履行されることを前提に、慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認するーーことが明示された。 そして、前述したようにソウルの日本大使館前に建つ少女像について、韓国政府は「適切に解決されるよう努力する」と表明したのである。少女像の移転が資金拠出の条件だなどとは一言も言っていない。 慰安婦問題が日韓関係の中心課題となったここ数年の間に、少女像は日韓両国において正反対の意味合いを持つシンボルと化してしまった。いくら朴大統領が剛腕だといっても、簡単に突っ走れるのは財団設立までだろう。少女像の移転は極めてハードルが高い。それが、専門家の多くが当初から抱いてきた見立てだ。朴槿恵政権は合意を守ろうとしている それでも朴槿恵政権は、驚くほど合意の精神を守ろうと無理を重ねている。韓国・京郷新聞によると、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界記憶遺産に慰安婦の関連資料を登録しようとする民間団体に対する資金助成が今年の政府予算に計上されていたものの、実際にはまったく執行されていない。韓国の予算は1月から12月までの暦年なので、予算の策定は合意前、執行は合意後ということになる。さらに、韓国政府が鳴り物入りで進めていた「慰安婦白書」は、昨年12月刊行予定だったのに現在も出ておらず、見通しも不透明になっている。当初は、日本語・英語・中国語版も出すという話だったのだが、外国語版は既に白紙化されたという。韓国政府が2014年から慰安婦問題をテーマに開いてきたシンポジウムなどの啓発活動も見直され、今年のテーマは「女性の人権」に変更された。朴槿恵政権に批判的な進歩派である京郷新聞は、こうした姿勢を痛烈に批判している。8月15日、日本統治からの解放を祝う「光復節」で演説する朴槿恵大統領(AP) 元慰安婦たちは既に平均年齢90歳になっている。昨年末の合意時点では46人が存命だったが、7カ月の間に6人が亡くなった。日本政府から100点満点の対応を引き出さねばならないなどと言っていたら、存命の方が誰もいなくなってしまう。一人でも多くの方が存命の間に支援事業を実現させたいというのが、関係者に共通した思いだ。韓国政府の説明によれば、財団側が接触できた37人の元慰安婦の多くは財団に参加する意思を表明したという。認知症などで本人の意思を確認できず、家族との対話となった人もいるようだが、それは仕方ないと考えるしかないだろう。とにかく支援事業の実施は急がれるのである。 日本が10億円を拠出するのは、前述したように明確に合意でうたわれている。合意に入っていない少女像を問題にして資金拠出を先延ばしにするような対応をすれば、「日本が合意を壊そうとしている」ということにしかならない。日韓合意は国際社会に認知されているだけに、それは日本のイメージ低下につながる。昨年末の合意を「最終的かつ不可逆的な合意」にしたいのならば、速やかに10億円を拠出したうえで、財団の行う事業に協力していかなければならないだろう。

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    中国がダメなら米国があるさ 恥を知らない韓国外交

    井本省吾(元日本経済新聞編集委員) 北朝鮮の核開発、弾道ミサイル発射以来の朴槿恵大統領をはじめとする韓国政府の手の平を返したような親日姿勢に、「これほど簡単に態度を変えるとは。恥を知らないのか」と感じた向きは多かろう。 昨年までは中国にべったりと接近し、何でも中国の言う事を聞くという態度で、日本のみならず、米国も呆れさせ激怒させていた。ところが、北朝鮮がキナ臭くなり、軍事的な緊張が高まると、ついこの間まで「歴史上最高の友好関係」とまで謳ってきた中国との関係に隙間風が吹き始め、一気に米国寄りとなった。ついでに日本とも仲直りの風情だ。風見鶏の面目躍如である。ソウルの大統領府の会議で発言する韓国の朴槿恵大統領(聯合=共同) 中国は自分勝手な北朝鮮にイヤケが指し、韓国に急接近したのだが、米国と北朝鮮の関係が冷却化すると、北朝鮮を無視はできなくなった。万一、朝鮮半島に戦争勃発となれば、何百万もの北朝鮮難民が中国に大量流入し、収拾がつかなくなる。それを恐れているから、北朝鮮の息の根を止める行為などできるはずがない。 こうなると、中国にとって大事なのは韓国より北朝鮮。だから、いくら朴大統領が核実験を行った北朝鮮について協議しようと中国政府にもちかけても中国は事実上、これを無視した、朴大統領は怒りとともに中国の態度に見切りをつけ、一気に米国、そして日本側に大接近してきたというわけだ。 韓国は中国にとってその程度の価値しかない国なのである。それをわからずに大統領就任以来、中国にすり寄ったところに朴大統領の甘さがある。問題はその後で、そっち(中国)がダメならこっち(米国)があるさ、と過去の経緯を無視してコロっと代わる変わり身の早さである。風見鶏であるのは政治、外交の常。ビジネスの世界でも同様で、変化に柔軟に対応しなければ生き残れるものではない。別に韓国の政治外交だけのことではない。 だが、政治外交には基本路線というものがあるはずで、それをはずしたら、「これまでの態度とどう筋道を立てるのか」「少しは恥を知れ」と言いたくなる。 2014年3月に日米韓首脳会談が、オランダ・ハーグで開かれた時、オバマ大統領の仲介のもと、安倍首相と、朴大統領が就任以来、初めて正式会談に臨んだが、安倍首相は韓国語も交えて接近を図ったが、朴氏は視線も合わさない無礼な態度で応じた。「反日」で凝り固まった隣国首脳の子供じみた態度が際立った。常に力の強い勢力にすり寄る韓国 ところが、最近の日米韓会談では、朴氏はニコニコ顔で安倍首相にあいさつしている。日本ではこういう態度はとりにくい。恥を知ることが大事だからだ。だが、韓国、朝鮮半島では長い歴史の中で、時と場合に応じ、態度を豹変させるのは当たり前だった。中国、モンゴル、満州、ロシアなど大国に阻まれ、そうしなければ生きて行けなかったからだ。 日韓併合前後に韓国が中国やロシア、日本とその都度、力の強い勢力になびいたのもそのためだ。だが、そうした韓国に同情してはいけない。何度も同情し、戦前の併合時の反省も加わって、さんざん韓国に援助してきたが、一向に日本に感謝するどころか、反発を強めているのが韓国なのである。 今回の場合も、少し北朝鮮情勢が落ち着けば、またぞろ、中国との関係を深め、日本批判を強めるのがオチである。それを繰り返すのが韓国の国柄なのだ。長年、朝鮮半島の歴史や政治を研究してきた筑波大学大学院教授の古田博司氏は「韓国に対しては『助けない、教えない、関わらない』を『非韓三原則』にして日本への甘えを断ち切ることが肝要」と説く。 古田氏は「日本は幕末から明治維新にかけて初めて西洋に出会った、とよく言われますが、実は当時、東洋にも初めて出会ったのです。何も知らないのに、自分も東洋人だから、東洋のことはよく知っていると思い込んでいた。それが間違いのもとだった」と指摘する。 良く知っているつもりだが、それは錯覚で、実は異邦人なのである。「助けない、教えない、関わらない」が賢明な政策なのである。(ブログ『鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌』より2016年4月6日分を転載)

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    まもなく起こる非常事態! 追い詰められた「裸の王様」習近平

    宮崎正弘(評論家)《徳間書店『突然死の危機に陥る中国と韓国』より》 中国の動きで2016年早々から気になるのは、株価暴落の陰に隠れているが、軍事情勢の剣呑さではないだろうか。2015年の師走、大晦日に中国人民解放軍が、新しく「陸軍指導機構」「ロケット部隊(火箭隊)」「戦略支援部隊(サイバー部隊)」という3つの部隊を新設したことは本文でも述べた。  発会式には習近平がじきじきに出席し、それぞれの責任者に部隊旗を自ら下げ渡す儀式まで執り行った。つまり、この新設3部門に象徴される人事に、習近平の軍権掌握への並々ならぬ野心が隠されているのである。陸軍指導機構のトップには、成都軍区司令員の李作成が任命されたが、習近平が陸軍大将の辞令を交付した過去がある。ロケット部隊トップには第二砲兵から横滑りした魏鳳和(ぎほうわ)。こちらも大将昇格は習が任命した。そして、サイバー部隊長の高津(軍事科学院長)は、習が近く大将に任命する。  これらは、軍事改革のプログラムに最初から謳われていた部隊だから少しも驚きではないが、7つの軍区を5つの「戦区」へ改変するという既定の計画については、具体的な発表がなかった。代わりに、政治工作部など15の部門が新設された。同時に、中国国防部は、海軍が中国初の国産空母を建造中であることを公式に認めた。この新空母は、現有するソ連製を改良した「遼寧」に酷似した旧式で、スキージャンプ方式、ディーゼル駆動で、速力は不明。排水量は5万トンという。中国人民解放軍の統合作戦指揮センターを視察する習近平国家主席=2016年4月20日、北京(新華社=共同) だが、はたして、習近平の野心でもある軍事改革はうまくいくのか? 「愛国主義による中華民族の復興」などと虚ろに呼びかけても、経済的苦境に喘ぐ国民はそっぽを向いており、習近平は「裸の王様」ではないのかと訝しんでいるのである。軍はすでに徐才厚、郭伯雄ら江沢民人脈の失脚により、部隊によっては不満が爆発寸前となっており、これ以上の粛清はごめんこうむりたいというムードにある。 険悪な情勢のなか、じつは新3部隊の発足発表の前に、「習近平の軍師」といわれた劉源が辞職するというニュースが流れ、こちらのほうがチャイナウォッチャーを慌てさせた。劉源は劉少奇の長男であり、解放軍の腐敗撲滅を推進した中心人物だ。汚職に浸り、各地に豪邸を建てて美女を十数人も愛人にするなど豪華な生活を送っていた腐敗軍人の谷 俊山(こくしゅんざん)を最初に血祭りにあげ、ついで江沢民系の軍トップだった徐才厚と郭伯雄を失脚させる原動力となった人物だからだ。  劉源は、軍では総後勤部政治委員だった。上海系軍人から恨まれ、宿泊したホテルが放火され、自動車事故(運転手は死亡)などの暗殺未遂に数回も遭遇した。習近平に対しては適宜適切な数々の助言をなし、習がもっとも頼りにした兄貴分だった。その劉源が潔く、次のポストも見返り条件もなく退役するというのだから、中南海の共産党上層部が慌てたのも無理はない。いや劉源の退任を防げなかった習近平の失態ともいえ、人民解放軍は次の党大会までに玉突き人事が行われるだろう。  2017年の第19回党大会で、現在、副主席の范長龍が引退、その後釜として太子党の張又峡が有力視されており、総参謀部長の房峰輝の勇退が確実視されていることはすでに述べた。 また、空軍司令員の馬暁天と海軍司令員の呉勝利も勇退を余儀なくされ、海軍トップには孫建国、空軍は乙暁光という大将が就任するだろうことも、本文で述べたとおりだ。孫は「ミスター潜水艦」の異名をとるが、訪米団に随行し、あるいはアメリカ軍との交流でも名前を売った。2015年5月のシャングリラ会合では南シナ海問題で強硬路線を堅持し、タカ派で鳴らした。いずれにしても軍の上層部は大異動が予測される。  こうした人事異動によって、軍改革はより迅速に進むのか、はたまた挫折するのか、あるいは劉源の退任は上海派からあがっていた不満のガス抜きなのか、さまざまな憶測が乱れ飛んだ。軍政改革という名の政敵失脚戦術 習近平が2015年9月3日の軍事パレードで宣言したように、「軍の近代化」「人民解放軍30万人削減」という大目標は、従来の7軍区を4つないし5つの戦区に改変し、さらに総政治部、総参謀部、総装備部、総後勤部の4総部体制を撤廃し、西側の軍にあるように統合幕僚本部を設置して、全軍一致、命令系統の統一、地方軍閥の希釈化を図る壮大な軍再編をめざすものだったが、この人事が成功すれば、これがやりやすくなるかもしれない。  折しも軍内で反日派の頭目とされる劉亜洲(国防大学政治委員。空軍大将)が論文を書いて「この軍改革は『革命』であり、譚嗣同の精神を継承してやり遂げなければならない」と主張していた。彼のいう「譚嗣同の精神」とは、清末の洋務派(改革派)が流血なく改革をやり遂げようとした方法論を指す。また、彼の論文は「この軍改革をやり遂げなければ軍は死ぬ」としている点に特徴がある(「軍改之一場革命」)。劉亜洲もまた太子党であり、岳父は李先念(元国家主席)だ。軍事パレードで行進する中国人民解放軍兵士=2015年9月、北京(共同) こう見ると、習近平がいまやっている「軍改革」なるものは、信頼できる部下を軍に置いて重宝し、それで軍権を掌握しようとする中国の伝統的手法に則っていることがわかる。 「打老虎 下餃子」(大ボスを撃ち、雑魚も退治せよ)こそ、習近平が政敵を失脚させるための戦術モデルであり、習近平は次の標的を絞り込み失脚させる前に、必ず標的の側近(副官クラス)を拘束し、落馬させてきた。 たとえば2015年11月6日、中国共産党中央紀律検査委員会は、寧夏回族自治区の副主席だった白雲山を「重大な規律違反があった」として取り調べ中であると発表した。 翌週には、北京市党委員会副書記の呂錫 文が「重大な規律違反」という名目で拘束され、ついに汚職追放運動の手が首都圏におよんだかと関係者に大きな衝撃を与えた。彼女は北京のナンバー2である。中国語新聞は、これを「北京官界地震」と伝えた。同日、上海副市長の艾宝俊(がいほうしゅん) が同じ理由で落馬した。  北京市書記は郭金龍、上海市書記は韓正で、つまり、団派と上海派である。習近平と王岐山のねらいは、もはや言うまでもない。最終的に北京と上海のトップをねらい撃ちにしているということであり、「重大な規律違反」などととってつけたような理由で「副」クラスを失脚させたのは、権力闘争の宣伝道具でしかない。  周到に慎重に、団派と上海派を締め上げ、中国を代表する両都市のトップも、習近平気に入りの人物と交替させるのが目的である。中国の政治通は「このやり方は朱元璋に似ている」と分析する。明の太祖である朱元璋は、いうまでもないが白蓮教徒の乱を利用して貧乏僧侶から皇帝に成り上がった。そして、権力を掌握するや、忠臣、側近を次々と粛清した。  2015年8月12日に起きた天津大爆発にしても、雑魚を捕まえてはみたが、天津市前書記だった張高麗はそのまま、天津市長兼書記代理の黄興国への責任追及は何もなされないうえ、爆発原因も情報公開がない。張高麗は現職の政治局常務委員、黄興国は習近平の子飼いだからである。  中国政治にとって権力のトップは政治局常務委員会だが、地方政府は土地使用の許認可権をもち、さらに上限はあるにせよ、省をまたがない企業の進出認可、経営監督、工場の設置許可なども地方政府がもつ。経済繁栄を象徴する富は、北京、上海、天津、広州に集中しており、1人あたりのGDPランクでいえば、広州、上海、天津、北京の順となる。これらの党委員会トップは、これまでは派閥のバランスによって配分されてきた。  広東省の書記は、団派のライジングスター、胡春華である。習近平は掌握する宣伝機関などを使って、さかんに胡春華のスキャンダルを追求させ、いずれ失脚をねらっている。 北京と上海は伝統的に中国を代表する都市であり、この両市を政敵やライバルが牛耳ることに習近平が焦りを感じていることは明白だ。それゆえに側近たちを拘束し、じわりじわりと政敵を葬ろうとしているわけである。  習近平の黄金の片腕として、反腐敗キャンペーンの先頭に立つのが王岐山である。政治局常務委員でありながら、つねに王岐山は姿を隠し、ときに神出鬼没。次の標的は金融界の大物だろうと推測されていたが、なんと拘束、取り調べの標的は、証券取引の監査を行う責任者である姚剛だった。  姚剛は証券監督管理委員会副主席という立場を悪用して、上場審査の権利を巧みに利用し、とりわけA株(国内投資家専用の株式市場銘柄)のIPO(新規株式公開)を操作し、巨額の賄賂を受け取っていた。北方集団(北京大学関連のベンチャー企業)の怪しげなインサイダー取引の黒幕は、同社CEO(最高経営責任者)、李友という男だったが、彼らとつるんで株価操作や、怪しげな会社の上場認可などを行い、以前から黒い噂が絶えなかった。  手口はIPO許可のインサイダー情報を太子党や側近に教え、あらかじめ株式を大量に購入し、売り抜けるというものだ。高級幹部の子弟や親戚名義で大量の株式を事前に買い集め、数千億元の不当な利益を得ていたと見られており、部下のなかには公文書偽造、印鑑偽造などに手を染めた豪傑もいた(「東方新報」2015年11月26日付)。次いで、証券、保険、銀行の3つを監査する「三会」の主任だった肖鋼がスケープゴートとなって更迭され、後任には黄奇帆が選ばれた。  王岐山は全国を潜行行脚し、地方当局が手をつけられない市政府、県役場などに乗り込み、マフィアがらみの党幹部らを逮捕してきたが、なかには白雲山のような大物が含まれていた。第18回党大会以後だけでも摘発は31の省にまたがり、59名の幹部が拘束され、失脚した。山西省7名、内蒙古4、江西省4、黒竜江省3、四川省3、雲南省3、河北省3、江蘇省3、広東省2、広西、湖南、海南、福建省、湖北が各2など、全土的な汚職の広がりには唖然とするばかりである。犠牲者数百人の大事故も党幹部の汚職が原因 人災も党幹部の汚職が原因である。2015年12月20日午前11時42分、夏の天津大爆発に続き、今度は広東省深圳郊外の工業団地(光明地区紅幼村柳渓工業団地)で大規模な地滑りが起きた。ガス管が爆発、またたく間に付近は泥に埋まり、 33棟の高層ビルが倒壊し、100名近くが行方不明、犠牲者は数百名に達するとされた。  事故現場は、泥沼、湿地帯にパイルを打ち込んだだけのずさんな地盤改良が行われ、その上に高層ビルを建てていた。被災面積は10万平方キロメートルにもおよび、東京ドーム2個分が泥に沈没。現地紙は、これを「山体滑波」と表現した。日本語なら「山津波」だ。  深圳は香港に隣接する新興都市で、人口は1000万人を超える。新幹線が乗り入れ、地下鉄も走る。街は高層ビル、急造したマンション、工場がひしめく大都会。印象としては、急遽、バラックを継ぎ足した映画のロケ現場のようで、全国から無数のギャングも入り込み、治安は乱れている。日本人相手のぼったくりバーも多く、土地の速成、でたらめな工事による造成団地の土地は柔らかく、液状化現象や道路陥没などが頻繁に報告されてきた。  日本企業も数百社が進出しており、居住者も多い。香港よりマンションが安いので、ここにマンションを買って香港に通うビジネスマンだけで30万人もいる。日本人の場合、単身赴任で、家族は香港に住み、子どもを日本人学校に通わせるケースも目立つ。事故現場には、西気東輸計画のガス・パイプラインが通っている。これは中国石油天然気(ペトロチャイナ)が推進した国家プロジェクトだ。しかも、このパイプラインは途中の新疆ウイグル自治区などで過去に何回も爆発事故を起こしているいわくつきである。壮大な汚職も取りざたされてきた。  ネットの書き込みなどでは、パイプラインの爆発が大崩落を招いたのではないかという疑問が持ち上がっていたが、中国石油天然気は爆発原因説を否定し、「土砂崩れが爆発を引き起こした」とした。爆発した西気東輸のガス・パイプラインは国家発展改革委員会元副主任、国家エネルギー局元局長の劉鉄男が責任者で、巨大な利権を漁り、24億元をちょろまかしたが、反腐敗キャンペーンによって摘発され、2014年12月の一審で無期懲役の判決が出ている。 さらに中国では、地元の党幹部とマフィアがぐるになっての犯罪が多く、地下経済には武器のブラックマーケットがある。ネット時代、素人の起業家が銃の密造に励み、しかもそれをネットで売る。アメリカの銃器通信販売は合法だが、中国では非合法である。ISがネットを駆使して世界各地から戦闘員を集めたように、中国ではSNSを活用したブラックビジネスが登場していたのだ。  中国では黒社会(マフィア)ばかりか、素人にも武器の所持が拡大している。公式の武器貿易はNORINCO(中国北方工業公司)など、国有企業が取り仕切っているうえ、中国の法律では軍と警察以外、個人が武器を所持することは許されていない。近年は猟銃さえ規制が厳しくなった。ましてや武器の密造など、認められているはずがない。NORINCOの輸出は1億6000万ドルとされる。  ところが、国内にある武器市場は地下経済で猖獗を極めるようになり、ネットで製造方法を取得し、部品をばらばらに仕入れて、ネットで通信販売というニュービジネスに治安当局が振り回される事態となった。ネットでの助言者は「QQ集団」と呼ばれる。  むろん、ネットでは暗号が使われ、「狗友」(密売仲間)、「狗食」(銃弾)といった符丁で頻繁に通信が行われ、お互いがハンドルネームを名乗るため、実態は不明。密造工場の大規模なものは貴州省の小都市で見つかり、部品工場は広東省が多いという。当局が最近手入れした安徽省のグループは、700件以上の取引を成立させていたという(米ジェイムズ財団「チャイナ・ブリーフ」2015年12月21日号)。  これまで武器の地下市場はマフィアが取り仕切り、軍の横流し武器などを取引してきた。怪しげなマッサージパーラーなどの売春組織、ナイトクラブのボディガードたち、石炭の経営者などが顧客で、地下経済の主力である麻薬、博打、売春などの「防衛」のために、武器は欠かせない。  ところが、ネットで取引される武器の顧客はといえば、銃マニアが主力で、密造も素人がネットで製造知識を仕入れ、部品を特注し、しかも性能は軍が使用する武器に遜色がない。まさに異次元の空間から出現したのである。  ことほど左様に、いまの中国はメチャクチャな状況であり、本書で述べてきたように、中国経済は逼迫し、「公式発表」ですらGDP成長は6・8%に落ち込んでいる。表面に現れない地下の動きや権力の舞台裏から推測しても、近い将来、未曾有の混乱に陥ることは確実であろう。みやざき・まさひろ 1946年、石川県金沢生まれ。評論家。早稲田大学中退。「日本学生新聞」編集長、雑誌『浪曼』企画室長、貿易会社経営などを経て、1982年『もうひとつの資源戦争』(講談社)で論壇デビュー。中国ウォッチャーとして知られ、全省にわたり独自の取材活動を続けている。著書に『世界から嫌われる中国と韓国 感謝される日本』(徳間書店)、『日本と世界を動かす悪の孫子』(ビジネス社)など多数。   

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    「反日国家」中国と韓国の劣化が止まらない!

    宮崎正弘(評論家)、室谷克実(評論家)《徳間書店『突然死の危機に陥る中国と韓国』より》宮崎 2015年12月28日、岸田文雄外務大臣が渡韓して尹炳世(ユンビヨンセ)外交相と会談し、慰安婦問題の解決に向けての合意がなされました。 その主な内容は、(1)「日本政府は責任を痛感し、安倍晋三首相が慰安婦に対して心からのお詫わびと反省の気持ちを表明する」、(2)「韓国政府が元慰安婦の支援を目的とした財団を設立し、これに日本政府が資金を拠出する」、(3)「これらの措置を着実に実施することで、この問題は最終的かつ不可逆的に解決されることを確認し、両国政府は国連などの国際社会でこの問題について互いに非難、批判することは控える」というものでした。 (2)の日本政府が拠出する資金は10億円程度とされていますが、結局、これは日本政府が譲歩したということになります。しかし日本政府が望んでいたソウルの日本大使館前にある慰安婦像の撤去については、確約はなく、「努力目標」になっていました。それと、韓国側が慰安婦問題を蒸し返さないことを確約したといいますが、本当に守られますかね。韓国側の要請で合意文書を作成しなかったという話もありますし、口約束で金だけ受け取って、またいつの日にか蒸し返す可能性が高いのではありませんか。 元慰安婦の団体などは「この合意を全部無視する」と言って、猛反発しています。日韓外相会談の共同発表後、握手を交わす岸田文雄外相(左)と韓国の尹炳世外相=2015年12月28日、ソウルの韓国外務省 (共同)室谷 狸(たぬき)と狐(きつね)がオンブにダッコの合意ではないか。そう私は最初に思いました。しかし、ちょっと考えてみると、これはとても良い合意ですよ。“アベ狸”のほうが、“クネ狐”より一枚上どころか数枚も上だった。 もちろん、大きな不満があります。そもそも解決済みの案件に、なぜ10億円も出すのか。これまで韓国が官民挙げて国際社会に向けて吹きまくってきた悪宣伝をそのままにして、フタをしてしまうのか……といろいろあります。 それでも、韓国の悪宣伝をこれで封じ、国際的には「慰安婦問題? もう完全に終わったことですよ」と言えることは大きい。韓国政府は「慰安婦問題は日韓協定の枠に入っていなかった」と言ってきたわけですが、今回の合意は、枠外だったとしても、もう終わったことを「不可逆的に」確認したわけです。 さらに、慰安婦問題を中心に据えた中国と韓国の「反日歴史共闘」に楔(くさび)を打ち込んだことが大きい。 ただ、これで韓国が中国と切れて、日米の陣営に来るかとなると疑問ですね。尹炳世外交相は「世界でアメリカと強い関係を維持しながら中国とも最上の関係を維持する国はいくつもない。戦略的な資産として、これを活用しなければいけない」と、〝コウモリ国家〟であることを公然と誇りにしているのですから。 しかし、北朝鮮の核実験があるという「兆候」をアメリカから教えてもらえなかったことが明らかになり、あわてて中国に電話したら、首脳に〝居留守〟を使われた。哀れなるかな、コウモリ外交です。 宮崎 それにしても、なぜこの時期に、しかも年末のギリギリのところで、この合意が行われたのでしょうか。直前の12月17日に産経新聞の加藤達也前ソウル支局長の名誉毀損裁判で無罪判決が出て(12月22日に確定)、さらにその後(24日)、日韓基本条約の請求権放棄は違憲だとする元徴用工の親族の訴えも、韓国の憲法裁判所は棄却しました。これらによって雪解けムードが促進されたことが大きかったという論調もあります。やはり、韓国に対するアメリカの圧力が強かったのでしょうね。2015年3月にシャーマン国務次官が、「政治指導者が歴史問題で過去の敵を非難することによって、安っぽい拍手を得るのは難しくない」と言って暗に韓国を批判していましたし、後でも述べますが、2015年10月中旬に行われた米韓首脳会談では、事前にラッセル国務次官補やリッパート駐韓大使らが日韓関係の改善を求める記者会見を行ったことで、朴槿恵大統領はオバマ大統領に対して日本批判の「告げ口外交」ができなくなってしまったという経緯がありました。朴槿恵大統領の誤算室谷 朴槿恵大統領は、日韓妥結はないと見ていたのだと思います。また、妥結したくもなかった。だから、直前まで「被害者と国民が納得する内容でなくてはならない」と言っていたのです。被害者と称する人々が納得する内容なんて、日本が吞のめるはずがありませんからね。 そう読んだうえで、「日韓国交正常化50周年の今年中に妥結をすべきだ」と息巻いてきた。韓国政府が、被害者と称する老女たちの意向を聴取する作業をしなかったのも、日本が成案を出してくるとは予想もしていなかったからでしょう。 ところが、日本は年末に突然、妥結に向けた案を持ってきた。妥結後のアメリカのはしゃぎようを見れば、アメリカは「日本が出すのはギリギリの案なのだから絶対に吞め」といった圧力をかけたのでしょうね。韓国は「今年中に妥結をすべきだ」と自ら言ってきたのだから、カウンターパンチを食らったようなものでしょう。いまさら「被害者の意向を聴く作業がまだです」なんて言えるはずもない。 それで妥結後、韓国では保守系紙まで含めて「合意を無効にしろ」の大合唱となりましたが、その大きな論拠は、大統領自身が何度も語った、「被害者と国民が納得する内容」というマジノ線が守られていないどころか、被害者の意向を聴取することすらしていなかった点にあります。日本と韓国のどちらに不満が多いかの一点だけ見ても、この合意の勝者がどちらであるか明白です。宮崎 この合意によって、中国や台湾が日本に対して「われわれの慰安婦問題も解決しろ」という声を上げ始めています。ただ、日本としてはこの合意については、「法的責任を含まない」という見解ですし、基本的にこれまでの立場とまったく変わっていない。そもそも慰安婦の強制性を認めたわけでもなく、慰安所の運営に日本軍が関与していたことへのお詫びで、これは1993年の河野談話の踏襲(とうしゆう)ですから、中国や台湾の要求を吞む必要はない。 とはいえ、河野談話も本来は全否定しなければならない問題ではありますが。いずれにせよ、この合意については、本当に韓国が約束を守るかどうかがポイントであって、もし守らなければ、日韓関係はこれまで以上に悪化することは確実です。そうなればその責任は韓国側にあるということで、ボールは韓国側に投げられている。加えて、中国と韓国との「反日共闘」に楔(くさび)を打ち込む意味もあったともえいるでしょう。実際、中国の新聞は「日本は中国を孤立化させることに成功した」と書いていましたからね。 私としては、「一歩後退、二歩前進」という言葉もあるように、この安倍外交は中国と韓国の反日同盟を壊すための「戦術的後退」と見ています。室谷 アメリカの圧力がどんなものだったのかは厚いベールのなかですが、2016年1月4日付の「中央日報」に載った外部筆者の意見は面白かった。「アメリカの圧力でこうなったのだから、アメリカの責任を追及して実利を得るべきだ」という趣旨で、実利の内容としては3000トン級原子力潜水艦(製造技術)とか米韓通貨スワップとか、いろいろ挙げています。その外部筆者が「元国連大使」なのですから、上から下までタカリの精神が満ちている。靖國爆破未遂事件の真相宮崎 2015年の年末にかけて、日韓関係に影響をおよぼすような事件や出来事がいろいろ起こりましたね。 2015年11月23日に、靖國神社のトイレに手製の爆発物が仕掛けられ、それが爆発したという事件がありました。その容疑者である全昶漢(チヨンチヤンハン)は、約2週間後(12月9日)に再来日したところを逮捕されました。すでに日本ではその前から、部品にハングル文字が書かれていたとか、監視カメラに容疑者が映っていたなどということで、来日した韓国人が怪しいと報道されていた。 全昶漢は再来日の理由を「日本の記者から質問されたから、靖國神社のトイレがどうなっているか確認しに来た」などと言っていましたが、どうも話としておかしいですね。 勘ぐると、日本と韓国には犯人引き渡し協定があるため、日本の警察が犯人だと断定すれば、韓国に対して身柄引き渡しの要求をすることになる。しかし、靖國神社を爆破しようとしたとなれば、韓国ではヒーロー扱いになるので、世論を気にする政府としては引き渡し要求があっても拒否したい。とはいえ、犯罪者だから、そういうわけにもいかない。 だから、「自首に行ってこい」というように容疑者に圧力をかけた、ということではないですか。ソウルの日本大使館前の慰安婦像。足元に追悼プレートが新たに設置された= 4月7日、ソウル(名村隆寛撮影)室谷 そういう説を唱える人がいますけれども、私はちょっと半信半疑ですね。それが本当だとすれば面白いけれど、あまり信憑性(しんぴようせい)がないと思います。 最初は否認していた容疑者も、「前回がうまくいかなかったから、再度、仕掛けようと思った」と供述していますし、荷物には火薬らしきものが入っていたとも報じられています。 その日のうちに帰るための航空チケットも持っていたようですしね。宮崎 来た日のうちに帰国するための航空チケットということは、割引チケットではないですよ。割引チケットには、最低2泊しなければならないという規定がありますから。そうなると正規料金ということになりますが、その資金はどこから出たのかという疑問が残ります。 また、初回、再来日時と、2回も爆発物の原材料となるようなものを機内に持ち込めたということも、不思議ですよ。もしかして、爆破事件そのものも、韓国政府筋の差し金ということはないですか?室谷 さすがに、それはないでしょう。だいたい、韓国では、出国の際の手荷物検査が緩いのです。もちろん、X線検査はやっていますが、きちんと見ているかは疑わしい。何事も、「ケンチャナヨ(大丈夫)」の国ですから。 一方で、入国審査は厳しいのです。呉善花(オソンフア)氏が「反韓的な活動をしている」ということで入国禁止になるくらい厳しい。 だから、容疑者が機内に火薬を持ち込めたのも、それほど不思議ではないのです。この全昶漢という男は、韓国空軍に5年半在籍して、下士で除隊したばかりでした。空軍下士というのは、旧日本軍でいえば伍長です。 韓国では2年間の徴兵で、最初は2等兵、3カ月で1等兵、それから7カ月で上等兵、そして最後の2年目には全員が兵長になります。伍長というのはその次の上の位なのですが、徴兵終了後3年半も軍に在籍していたのに伍長のままだったということは、かなり出来が悪いと思いますよ。靖国爆発犯は英雄になろうとしたのか宮崎 だから、靖國神社を焼き討ちして、国の英雄になろうとしたのかもしれませんね。裁判で有罪判決を受け、国外追放になって韓国に戻ったら、一躍、ヒーローでしょう。 2011年には靖國神社に放火して韓国に逃げた中国人がいましたが、日本側の引き渡し要求に対して、「政治犯だ」という理由で韓国側が拒否し、結局、犯人を中国に逃がしましたからね。 中国では、2012年に尖閣(せんかく)諸島へ上陸して日本の海上保安庁に逮捕され、強制送還となった香港の活動家が、帰国後に英雄扱いされたことがありました。尖閣の海域でわが海上保安庁の船に体当たりした暴力船長も、福建省に帰ると英雄扱いでした。 そういう前例があるだけに、この全昶漢容疑者も、帰国したら大々的に褒めたたえられる可能性がある。実際、韓国国内でのネットなどでは「よくやった」という声が多いそうですから。靖国神社の爆発事件で、麹町警察署を出る全昶漢(チョン・チャンハン)容疑者 =12月09日、東京都千代田区(鴨川一也撮影)室谷 少なくとも、愛国者として扱われるでしょうね。そうすると、いろいろなところからカネをもらえる。 韓国では昔の抗日テロリストたちを褒めたたえて、その孫や曾孫に政府が法律に基づいてカネを支援したり、利権を与えたりしているのです。たとえば、1932年の天長節(天皇誕生日)に上海の虹口(ホンキユウ)公園で行われた祝賀式典で、尹奉吉(ユンボンギル)という朝鮮人が演壇に爆弾を投げつけ、多数の死傷者を出した事件がありました。「上海天長節爆弾事件」です。後に外務大臣となる重光葵(しげみつまもる)はこの爆発で重傷を負いますが、演壇には民間人もいた。まさに無差別テロです。 尹奉吉は逮捕されて死刑となりましたが、戦後の韓国政府はこのテロリストを「義士」として顕彰(けんしよう)し、その子孫に電柱広告の総代理店としての独占権を与えました。 日本人を殺傷したテロリストを「偉い人だった」と持ち上げる反日教育を行い、子孫に利権まで与えるのですから、「それなら俺もやろう」と思う人間も出てきますよ。 大学を卒業しても半数しか職にありつけない韓国で、「伍長で除隊」した者が職を得るのは大変なことです。犯行の底流には、そうしたことも確実にあると思います。 それに、おかしいのは日本のマスコミですよ。大手マスコミはこの事件を、なぜか「靖國爆発音0 0 0 事件」などという名称で報じています。 しかし、現実には4本の鉄パイプ爆弾があったわけです。実際には爆発しませんでしたが、まず爆発音を響かせ、人を誘い込んでから爆発するように仕掛けられていた。 だから明らかに、「靖國無差別テロ未遂事件」と呼ぶべきですが、日本のマスコミはどうしたのか、「爆発音事件」などと矮小(わいしよう)化した名称で呼んでいるのです。しかも、検察にしても、起訴は建造物侵入容疑です。宮崎 手口を見れば、かなり悪質ですよ。検察は「余罪の捜査に支障がありうる」として認否や動機について明確にしていないため、今後、新たな罪状が加わる可能性はありますが、このまま建造物侵入罪だけであれば、犯罪容疑としては非常に軽い罪です。2016年1月中旬の時点で言えることは、前科がなければ、いずれ釈放されるでしょう。起訴猶予にはならないとしても、略式起訴くらいで終わるのではないでしょうか。朴槿恵大統領が「教育の問題」と発言する矛盾室谷 捜査はまだ継続中ですから、どのような結果になるのかはわかりません。しかし、確実に言えることは、韓国の70年にわたる反日教育がこうした犯罪の要因になっているということです。 1980年代前半に韓国紙が報じた世論調査では、日本統治時代を体験した高齢者世代ほど「反日」度合いは薄く、若い高学歴者ほど「反日」の度合いが高いという結果が出ていました。要するに、韓国の「反日」は教育によってつくりだされていることが、そのころから表れていたのです。 すでにその時代には、幼稚園で「独島(トクト)(日本名・竹島)はわが土地」という歌を園児に合唱させていましたし、地方自治体の支所(町役場)の掲示板には、小学生が描いた「韓国空軍が日本を爆撃する絵」が貼ってありました。 当時の私は、今後、実際の日本統治時代を知る年齢層がいなくなり、戦後の反日教育を受けた世代だけになったら、韓国の反日はどうなるのかと思いましたが、その懸念が現実になった感じがしますね。宮崎 そうそう、1970年代の韓国の知識人には、かなりの知日派がいましたから。室谷 戦後間もないころの韓国の教師たちは、「反日」を説かなくては教壇に立てなかったと思いますが、それでも内心では忸怩たるものがあったでしょう。しかし、戦後15年も過ぎれば、自信を持って「反日」を語る新世代の教師が登場してきます。そうして「反日」が純化していって、日本統治時代は何でも悪い、この時代をちょっとでも肯定する者は悪人だという意識に国中が凝り固まってしまった。 日本でも日教組全盛時代に、社会科の担当ではない教師までもがマルクス主義史観に基づく〝史実〟を教えたり、「反米」を説いたりしましたが、その時代にも、ごく少数ですがアンチ日教組の教師がいました。これに対して、韓国では、「反日でない教師」は存在できなかった。 日本の新聞が反米論調で埋まっていた時代にも、日本のテレビはアメリカのホームドラマを流し、ラジオではアメリカのポピュラーソングがオンパレードでしたが、韓国では1990年代前半まで、日本の映画、テレビドラマ、歌謡曲の放送が禁じられていました。しかも、韓国人が制作するドラマに登場する日本人は、極悪非道の立ち回りを演じると決まっていたのです。 韓国では、テロリストが天皇に爆弾を投げている姿がそのまま銅像になっています。「李奉昌義士(イボンチヤン)」の銅像がそれですが、そのようなものを毎日見せられてきたことで、戦後韓国の病的な反日が醸成されたのです。「靖國無差別テロ未遂事件」の背後に歪んだ反日教育があることは疑いようがない。 朴槿恵は2015年11月に起こったフランス・パリの同時多発テロ事件に触れて、「これは教育の問題だ」と言いました。つまり、「教育によって防げる」という意味なのですが、自分の国はどうなのかと呆れてしまいますよ。「日本統治時代は良かった」と言った殴り殺された宮崎 韓国では、日本統治時代のことを知っている高齢者が下手に本当のことを言うと、殴り殺されてしまいますからね。2013年に、95歳の男性が「日本統治時代は良かった」と言ったら、居あわせた38歳の男に殴り殺されるということがありましたね。だから、下の年齢ほど反日が先鋭化しているということなのでしょう。 そこは中国と違うところです。中国では各地に「反日教育基地」、つまり南京大虐殺記念館や抗日記念館といった施設があるのですが、ほとんど誰も見ていません。だいたい、中国共産党のいうことを本当に信じている人など少ないし、プロパガンダであることはわかっているのです。 だから、反日暴動がすぐに政権批判の暴動になる。後述しますが、現在の中国の経済状況は日ごとに悪化していますし、環境問題も命が脅おびやかされるほどひどい状況です。つまり、政権に対する潜在的な不満が高まっているわけですが、それを共産党は力で抑え込んでいる。 2012年に北京や上海で大規模な反日暴動が起こりましたが、あれは完全な官製暴動でした。ところが、これが大規模になってコントロールがきかなくなると、政権批判が噴出するようになった。このまま放置すれば、あっという間に反政権暴動に変わることを、中国共産党もわかったのです。 だから最近は、反日デモや暴動がぱったりとなくなってしまった。下手に煽動すると、自分たちの立場が危うくなるからです。ですから、私はよく冗談で言うのですが、「“反日”は“半日”でやめる」と。 このように、中国人の反日はポーズです。だから日本に来ると、「こんなにいい国はない」となる。2015年1~10月の訪日中国人は約430万人で、2014年通年の約240万人の2倍に迫る勢いです(JTB総合研究所)。 ただ、韓国人も同期約320万人で、2014年の約275万人を大きく上回っています。70年間にわたる反日教育の割には、なぜこれほど日本に来たがるのでしょうかね。竹島室谷 国家・政府が嫌いであることと、その国の産業製品・工業製品が好きか嫌いかということは、別の問題だと思っているのでしょう。 日本を旅行した中国の若者が、「日本はすごい」「日本を見る目が変わった」といったことをブログで書いていることがよく報じられますが、韓国人は反日感情を抱いたまま日本中をまわる人が多いと思いますよ。それで、「やっぱり靖國神社には右翼が多かった」とか「日本は思ったとおり悪い国だった」といったようなことを書いている。 あるいは、日本の観光地で「独島はわが領土」といった横断幕を掲げた記念写真や、靖國神社で放尿している写真をブログに掲載したりしている。産経前支局長の無罪判決と中韓の言論弾圧手法宮崎 まあ、日本を賞賛するような内容を掲載すると、韓国ではすぐに親日(売国奴)扱いされてしまうから、したくてもできないということもあるのでしょう。 でも、韓国は曲がりなりにもOECD(経済協力開発機構)加盟国、つまり先進国で、言論の自由があるはずなのに、国民はこぞって反日史観でしかものが言えないという状況が、なんともやっかいですね。 とはいえ、最近は、本当に先進国なのかという疑念も湧いてきています。産経新聞・前ソウル支局長の加藤達也氏を起訴した事件もそうでしたね。 朝鮮日報の記事を引用して朴槿恵大統領に関するウワサ話を書いたら、検察から名誉毀損で起訴されて、出国禁止を命じられてしまった。 これに世界中のジャーナリストが呆れかえったわけですよ。結局、2015年12月17日に無罪判決が言い渡されたわけですが、同日の米紙「ニューヨークタイムズ」(電子版)は「朴政権は、望まない報道を沈黙させようとして法的手段を使い、批判されてきた」と指摘しています。室谷 そうした国際世論の反発で、加藤氏を有罪にはできなかったわけですが、韓国司法の国家元首への従属はどんどん進んでいます。象徴的なのは、裁判長が延々3時間にわたって読み上げた長い判決文でした。その内容は、加藤氏を有罪にできなかったことに対する朴大統領への言い訳でしょう。 現在の韓国では、朴槿恵大統領の名誉を汚したということで、連行、根拠不明の長期勾留、さらには起訴を次から次へ行っています。 たとえば韓国国内では、2015年11月に大規模な反政府デモが起きたのですが、そこでデモ参加者が朴槿恵大統領を批判するポスターに「独裁者の娘」という文言を入れていたところ、警察が「名誉毀損だ」と言って撤去させたということがありました。 韓国国内だけではありません。「ザ・ネーション」というアメリカの週刊誌が、韓国で起きたこの反政府デモについての記事を掲載(2015年12月1日付)したのですが、そのなかで朴槿恵大統領のことを「独裁者の娘」と書いたところ、やはり韓国の総領事館から猛抗議を受けました。 また、日本でも産経新聞のウェブサイト(2015年8月30日付)が、米中に対して二股外交を続ける韓国のことを「事大主義の国」と書いたところ、韓国の駐日大使が産経新聞に乗り込んできて、「取り消せ」と抗議したのです。 一国の大使が民間の新聞社に抗議のために乗り込むなどということは、ありえないことですよ。 北朝鮮ではよく「われらの首領様の尊厳を汚した」という理由をつけて、外交交渉を打ち切ったりしますが、韓国も同じですね。やはり同じ民族ですよ。加藤前支局長を最初に訴えたのは「自称市民団体」宮崎 産経新聞の加藤前支局長の場合、最初に訴えたのは検察ですか? 朴槿恵大統領が直接、被害届を出したり告訴したりしたわけではないですよね。日本では名誉毀損は親告罪ですから、本人やその親族が「名誉を汚された」ということで訴えるというのが普通ですが、韓国では本人ではない者が、名誉毀損で訴えることができるのですか?室谷 韓国の名誉毀損罪は、第三者が訴えることが可能なのです。加藤前支局長を最初に訴えたのは、「自称市民団体」ですね。それで韓国の検察がこの告発を受理して起訴したわけです。 あくまで市民団体が訴えたのであり、国は関与していないという立場なのですが、産経の前支局長を訴えた団体は「朴槿恵の私兵」と嘲笑されている団体で、この団体が訴えるや、検察は即時受理するのです。ソウル中央地裁に入る加藤達也前ソウル支局長 =2015年12月17日、韓国・ソウル(納冨康撮影)宮崎 そうしたやり方は、中国と似ていますね。明らかに政府や公安当局が資金を出しているのだけれども、民間の反日組織がやったことにするという手口です。最近、戦時中に強制労働させられたということで、かつての中国人労働者が日本企業を訴える動きが中国で頻発しています。 これなども、なぜいまになって次々と起こるようになったのかを考えれば、政府当局の差し金であることは明らかです。しかし表向きは、「善良な一般市民が涙の訴えを起こした」ということになるわけです。 黒竜江省ハルビン市にある方正県は、旧ソ連の侵攻から逃れてきた満州開拓団がたどり着いた地として日本の残留孤児がもっとも多いところですが、そこに、約5000人の日本人犠牲者を祀る中国で唯一の「日本人墓地」があります。数年前に仲間とともにそこへ行って花を供え、線香をあげて、「海行かば」を合唱しました。 地元は非常に親日的な地域なのですが、2011年、北京から中国人活動家が5人やって来て、日本人墓地の慰霊碑にペンキを塗って破損するという事件が起こりました。彼らは「愛国英雄」と称えられましたが、わざわざ飛行機でやって来て、タクシーをチャーターしているところからも、政府なり公安なりの息がかかっていることは明らかです。 しかし、「民間団体が愛国的行為でやった」ということになる。室谷 韓国では、VANK(Voluntary Agency Network of Korea)という反日団体が有名ですね。日本海を「東海と呼べ」という運動や、竹島、慰安婦問題で韓国の主張をしきりに世界に発信して、「ディスカウントジャパン」(日本叩き)を行っている組織ですが、韓国政府は「民間団体がやっている」というスタンスです。 しかし、韓国政府はこの団体に対して補助金を支給し、代表者を表彰しています。韓国ウォッチャーの間では国家情報院(旧KCIA)の指導下にある団体という見方が有力ですが、「民間団体」という隠れ蓑みを使って、政府ではできないような過激な反日運動を展開しているのです。宮崎 産経新聞の加藤前ソウル支局長が在宅起訴されたことについて、アメリカの民間団体「ジャーナリスト保護委員会」は、「こういう名誉毀損罪は廃止されるべきだ」と訴えていました。 民主主義の促進などをめざして国際的に組織されている「民主主義共同体(コミュニティ・オブ・デモクラシーズ)」も、「事態改善に向けて早急に行動すべきだ」と主張していました。この民主主義共同体には、韓国も主要メンバーとして入っています。 こうやってアメリカのジャーナリスト団体が抗議行動を起こしているのに、日本のジャーナリストはほとんど何もしていない。保守論壇のなかには、産経新聞を支援する動きはかなりあるけれど、普段から言論の自由を声高に主張している日本ペンクラブや日本文藝家協会などは、何をやっていたのでしょうかね。 日本ペンクラブは、一応は抗議声明を出してはいますが、声明を出したのは「国境なき記者団」よりも後ですからね。自国の問題なのに、国際的に韓国への批判が高まるのを見届けてからようやく出したという感が否めない。それに、こうした会に加盟している作家やジャーナリストたちが、韓国政府に対して抗議デモを行ったという話も聞かない。室谷 もともと、これらの組織はいわゆるリベラル色が強いですからね。本来、リベラルとは左右の全体主義イデオロギーから解放された人々だったのに、いまや左の全体主義者の巣窟になりつつありますね。 それにしても、この裁判の判決公判は、一度、延期されていますよね。もともとは11月26日に開かれるはずだったのが、その3日前に裁判所が急遽、延期を決めたわけです。しかも、その理由が「熟慮する必要があるから」というのだからお笑いです。 延期した間に外交部が寛大な措置を求める公文を提出して、それが無罪判決の決め手になったわけですから、これまたお笑いです。 1891(明治24)年の大津事件(来日したロシア皇太子ニコライが滋賀県大津町で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に斬りつけられ負傷した暗殺未遂事件)の際、「犯人を死刑にすべし」という内外の圧力に屈せず、法治国家として当時の法が定めるとおりの無期徒刑の判決を下した児島惟謙のような気概もない。児島惟謙を基準にすると、韓国の司法は日本より100年以上遅れていますね。宮崎 韓国には、司法の独立は本当にないですね。中国も司法の独立というのは、あるように見えて、実は全部、共産党の命令のもとに判決が出ているわけですが。ユネスコに飛び火した中韓の歴史戦争への反撃宮崎 2015年10月、中国が申請していた「南京大虐殺事件」の資料がユネスコの記憶遺産に登録されました。いうまでもなく「南京大虐殺」なるものは、中国がでっちあげた日本軍による30万人もの中国人虐殺ですが、そのような捏造された歴史が認められてしまうということは、非常におかしな動きですね。 これはやはり日本の外務省の失態ではないかと思いますが、どうでしょうか。 韓国は、同じくでっちあげの「従軍慰安婦問題」をユネスコの記憶遺産に申請していましたが、こちらの登録は見送られました。しかし、この中国の登録成功で、韓国も再申請するのではないでしょうか。南京大虐殺記念館で資料を見る人たち =2015年9月、中国江蘇省南京市(共同)室谷 先述した2015年12月末の「慰安婦問題に関する日韓合意」の後、岸田外相が「韓国政府が慰安婦関連資料のユネスコへの登録申請を見送ることで合意した」と発言したところ、韓国政府は「そんなことは言っていない、事実無根だ」と即座に反論しました。やはり反日カードとして使うつもりなのでしょう。 南京大虐殺関連資料の登録については、韓国も陰に陽に中国を応援していましたし、登録が決定した後に、朴槿恵大統領が「客観的で民主的」などと評価していました。宮崎 しかし、「南京大虐殺」と韓国とはまったく関係がないのではないですか?室谷 いや、彼らにいわせると、関係があるのです。戦時中、済州島にアルトゥル飛行場という中国大陸爆撃用の日本軍基地があったので、「われわれも黙っているわけにはいかない」と言って、2015年12月13日、済州島の旧日本軍飛行場で追悼式典をやっています。宮崎 日本では「南京大虐殺」の資料登録に対抗するため、「新しい歴史教科書をつくる会」が中心となって10くらいの保守系団体を集め、「通州事件」をユネスコの記憶遺産に申請しようという動きが始まっています。 通州事件とは、1937年7月29日に、通州の日本人居留民や通州守備隊が中国人部隊に襲撃され、残虐な方法で200人以上が殺されたという、明らかな国際法違反の事件です。私は2回、現地を歩いて、写真入りのルポを書いたことがありますが、中国側はあらゆる証拠を消しています。 これに対して韓国では、「つくる会は通州事件を世界記憶遺産に登録して、歴史論争で中国を圧迫し、南京大虐殺の悪行を希薄化する材料にしようとしているとみられる」(聯合ニュース2015年12月12日付)などと批判していますが、通州事件の被害者は朝鮮人(当時は日本国籍)のほうが多かったのですよ。日本叩きのためには、そういうことも無視するんですね。 ただ日本側にしても、記憶遺産の登録審査は2年に一度で、申請できるのは一国2件までと決められており、すでに文部科学省内の日本ユネスコ国内委員会は2017年の登録候補2件を選定しているということで、通州事件をまともに申請する気持ちはないようです。 制度上は国内委員会を通さないで直接ユネスコに申請することも可能なため、「つくる会」はそうするようです。文部科学省の怠慢・ユネスコの欺瞞室谷 私は、どうも文部科学省のなかに韓国のスパイがいるのではないかという気がして仕方がないのですよ。 たとえば2015年7月5日、ドイツのボンで開かれていたユネスコ世界遺産委員会で「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録されることが決まりましたが、その会議の席上で韓国側から軍艦島などでの徴用工の表現をめぐって異議が出され、決定が紛糾するということがありました。 すでにその前段階で日韓双方の外務大臣が話し合い、お互いが協力することで決まっていたはずなのに、突然、韓国側が裏切ったということで、日本国内の嫌韓意識がさらに高まりましたが、実際の事前折衝は文部科学省がしていた。 しかし、ギリギリのところを詰めずに決定の場に臨んだのです。そんなことをしたら、韓国側にやられることは目に見えているわけです。少なくとも韓国ウオッチャーなら、誰もがそう考えます。 そして予想どおり、韓国がいちゃもんをつけてきた。それで「韓国が裏切った」などと言っていたわけですが、いちゃもんをつけられるお膳立てをしたのは文部科学省ですよ。宮崎 そういう利敵行為になるような、いわば「第五列」(自国内におけるスパイのこと)のような存在は、文科省にかぎらず日本には多いですね。 日本のマスコミにしても、第三者を装って、「日本政府がこう言っているが、中国、韓国政府はどう思うか」といったご注進報道を繰り返してきましたからね。 だいたい、教科書検定の中身について、われわれより先に韓国メディアのほうが知っているというのは、おかしな話ですよ。日本のメディアが国内での議論を深めるより、まず中国と韓国にご注進するほうを優先させているからでしょう。 まあ、こういうご仁は日本だけにかぎりませんが。ユネスコのイリナ・ボコバ事務局長にしても、2015年9月3日に北京で開催された抗日戦争勝利70周年記念式典の軍事パレードに出席して、中立性を疑われました。中国から相当の便宜を図ってもらっているのかもしれないですし、彼女は次期国連事務総長に立候補する意向を表明しているため、中国の票欲しさでご機嫌とりに行ったともいわれていますが、どちらにしても中立の立場とはとてもいえない。 いずれにしても、「南京大虐殺資料」の記憶遺産登録は、日本がユネスコ対策を怠っていたということが大きな問題です。すでに決まってしまったものを、いまさら取り消すのはなかなか難しい。 そうすると日本側の対応としては、通州事件などをどんどん申請していかなければならない。相手が政治目的の申請をするなら、こちらもやる。ユネスコの世界遺産はそういうものだということになれば、世界の見る目も変わるでしょう。私は前から提案しているのですが、ついでに日本にも「天安門事件記念館」をつくって、それを申請するという手もあります。室谷 だいたいユネスコの世界遺産認定なんて、地方の信用組合の表彰状みたいなものですよ。日本の名誉を犠牲にしてまでもらう必要はない。アメリカで変化する中国の反日活動宮崎 この「南京大虐殺の資料」が記憶遺産に登録されたことを機に、アメリカでの中国の反日活動が変化し始めています。 これまでアメリカにおける中国の「南京大虐殺」キャンペーンは、アイリス・チャンが書いた歴史捏造書『ザ・レイプ・オブ・南京』を中心に展開されていました。ところが、この方針が変わったようで、現在ではアイリス・チャンを持ち出さなくなったというのです。 これはチャンネル桜代表の水島総さんがアメリカで取材してきてわかったことで、サンフランシスコのチャイナタウンにある抗日戦争記念館が2015年8月15日に改装され、再オープンしたのですが、これまで展示してあったアイリス・チャン関連の資料はほとんど撤去されたというのです。 その代わりに、当時の国民党を支援したアメリカ合衆国義勇軍(フライング・タイガース)の展示などが前面に出され、記念館の名前も、漢字では「海外抗日戦争記念館」ですが、英語名は「パシフィック・ウォー・メモリアルホール」(太平洋戦争記念館)としているそうです。 つまり、アイリス・チャンの役目はもう終わったので縮小し、今度は、中国の抗日戦争はアメリカとともに戦ったことを強調する展示内容に変わったということなのです。 もちろんこれは、北京の指令に基づいているはずです。これから世界中で、中国の反日活動はこういう形に変わっていくのではないかと思います。 日米を離間させるための計略ですが、ある意味では、中国から離れつつあるアメリカを中国側に引き戻したいという意志の表れだと思います。南京大虐殺記念館を訪れる人たち =2015年10月5日、中国江蘇省南京市(共同)室谷 それは韓国のやり方を学んだのかもしれません。慰安婦問題を「全人類の共通問題」にすり替えて世界にアピールしていますから。 そういう論点のすり替えは、非常に長けていますからね。前述の靖國神社での爆破テロ事件のときも、韓国外交部は「訪日韓国人は靖國神社に近づくな」「右翼団体に気をつけろ」といった注意を出していました。 自分たちが不利な立場になったら、いつの間にか加害者が被害者になりすますという、お得意のやり方です。2015年3月に駐韓アメリカ大使が韓国人の暴漢によるテロにあった際も、朴槿恵大統領は「これは韓米同盟に対するテロだ」と言って、被害者の立場になってしまった。日本人には真似ができない才能です。宮崎 日本でも以前、北朝鮮に対する批判が高まると、登下校中の在日朝鮮人の民族衣装がナイフで切られるといった、いわゆる「チマチョゴリ切り裂き事件」がよく起こりましたね。 それで朝鮮総連やその尻馬に乗った朝日新聞などが、「他民族への憎悪をこういう形で表すのは卑劣だ」などと、いかにも日本人が犯人であるかのように論じた。しかし、これまで犯人が検挙されたことはほとんどないし、検挙されたとしても単なる学生同士のケンカが理由だったりと、排外主義などとはまったく関係がなかった。 いまでは、日本人の世論を転換させるために仕組まれた自作自演だったのではないかとさえ疑われています。中国・韓国で言論弾圧が激化する本当の理由室谷 すでに韓国の政府内では、朴槿恵大統領にものが言えないどころか、おもねるような輩ばかりが出世しています。 たとえば、2015年、韓国は42年ぶりともいわれる深刻な干ばつ被害に見舞われました。そこで6月に、朴槿惠大統領は地方に行って、水田に消防車で水を撒まくというパフォーマンスをしました。 消防車のホースはすごい水圧ですから、朴大統領は一人では持ちきれず、田んぼの土がV字型にえぐれてしまい、消防士が慌てて横から支えたということがありました。まあ、そこまではいいのです。 収穫の時期になったとき、韓国の農林大臣が米の試食会の席で、「大統領様が水を撒かれた田んぼは大変に育ちがいい」と、わざわざ言ったのです。まるで北朝鮮そっくりですが、韓国の違うところは、民間のテレビ局が実際に見にいったわけです。 そうしたら、たしかに朴大統領が水を撒いたところの稲は立派に育っていたのですが、その周辺の水田はひどく荒廃していた。つまり、農林大臣は一言ゴマをすりたいがために、朴大統領が水をやったところに毎度、公務員を派遣して水を撒かせたのだと思います。北では一昔前まで、何かにつけて「首領様の現地指導により……」でしたからね。宮崎 本当に北朝鮮そっくりですね。中国でも、習近平主席による言論弾圧がしだいにエスカレートしてきています。人権派弁護士の逮捕・拘束は2015年だけで数百人におよび、中国政府の新疆ウイグル政策を批判した人権派弁護士の浦志強(ほしきよう)は12月22日に、懲役3年、執行猶予3年の実刑判決を受けています。 また、12月25日には、同様に中国のウイグル政策を批判したフランス誌の女性記者が国外退去処分となりました。 これは別の章であらためて解説しますが、2015年12月27日には「反テロ法」が成立し、テロ事件に関する報道の制限や、通信事業者にデータ解析に必要な暗号化キーの提供を義務づけました。 さらに12月31日になって、人民解放軍のなかに3つの部隊が新設されました。そのうちの一つが「戦略支援部隊」という意味不明なフォースでしたが、これがサイバー専門部隊なのです。 こうした言論弾圧が強化される背景には、権力闘争なども絡んでいると思いますが、一方で国民の不満が確実に高まっていて、しかも、以前であれば反日によってそれらの不満を外部に向かわせることができたのですが、それがもはや効かなくなっている、あるいは、それではすまないほど大きな鬱憤が噴出し始めているということではないかと思います。室谷 韓国でも、先に話したとおり、「大統領の名誉」を軸に据えて、ネット監視や、ビラの取り締まりといろいろやっています。民主主義の前に法治主義がいまだに確立されていないのだから、言論の自由が認められないのも当然かもしれませんね。しかし、韓国ではデモはできる。教科書国定化反対、労働問題……掲げるテーマはあふれすぎていますからね。 みやざき・まさひろ 1946年、石川県金沢生まれ。評論家。早稲田大学中退。「日本学生新聞」編集長、雑誌『浪曼』企画室長、貿易会社経営などを経て、1982年『もうひとつの資源戦争』(講談社)で論壇デビュー。中国ウォッチャーとして知られ、全省にわたり独自の取材活動を続けている。著書に『世界から嫌われる中国と韓国 感謝される日本』(徳間書店)、『日本と世界を動かす悪の孫子』(ビジネス社)など多数。むろたに・かつみ 1949年、東京都生まれ。評論家。慶応義塾大学法学部を卒業後、時事通信社入社。政治部記者、ソウル特派員、宇都宮支局長、「時事解説」編集長などを歴任。2009年に定年退社し、評論活動に入る。著書に『呆韓論』『ディス・イズ・コリア』(産経新聞出版)、『悪韓論』『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮新書)、『韓国人がタブーにする韓国経済の真実』(共著、PHP)など。

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    韓国の「東北PRイベント」はなぜ中止に追い込まれたのか

    (THE PAGEより転載) 先月、韓国ソウルで開催されることとなっていた「東北PRイベント」が土壇場で中止された。前日に日本大使公邸で両国政府関係者を招いたレセプションを開催していたにも関わらず、直前の中止決定となった。東日本大震災後の復興状況をPRし、風評被害を払拭しようと外務省が主催したこのイベント。なぜ中止に追い込まれたのだろうか。地元自治体が中止を要請 中止された外務省主催のイベントは、「Explore REAL JAPAN(ソウル)」。東日本大震災の風評被害払拭を目的として、2月20日と21日に韓国ソウルの往十里(ワンシムニ)駅で開催される予定だった。イベントでは、被災3県を訪れた韓国の人気ブロガーが、訪問先の食や観光を紹介するコーナーや、福島県の民芸品「おきあがりこぼし」の絵付けを体験できるコーナーなどがあり、ソウル市民に東北の魅力を伝えることを目的としていた。同様のイベントは、2月28日と29日に台湾の台北でも開催された。イベントの中止を知らせる「Explore REAL JAPAN(ソウル)」のサイト 19日には、駐韓日本大使公邸で、レセプションが開催された。レセプションには、日本側からは、若松謙維復興副大臣、浜地雅一外務政務官、別所浩郎駐韓大使などの政府関係者や、イベントに参加する青森県・宮城県・福島県・鹿児島県の自治体関係者などが出席した。韓国側からは、韓国外務省の林聖男(イムソンナム)第1次官などが出席し、日本酒や東北の郷土料理がふるまわれたという。 事態が急転したのは、レセプションが行われていた19日。イベント会場があるソウル市城東区当局から、日本側に「本件イベントを中止すべきとの通報があった」という。イベントを主催した外務省地方連携推進室の担当者によると、外務省は「(城東区による中止の通報により)イベントを安全に確実に実施できる見通しが立たなくなった」として、中止を決めたという。 同推進室によれば、韓国中央政府はこのイベント開催を重視しており、城東区当局に対してイベント期日の直前まで、中止通報を撤回するように働きかけていたという。反対声明を出した韓国の市民団体に理由を聞いた反対声明を出した韓国の市民団体に理由を聞いた しかし、城東区当局は中止通報を撤回せず、イベント会場にもさまざまな団体の人々が抗議に集まってきており、直前でのイベント中止に至った。イベント中止について、同推進室は「極めて残念だ」と悔しさをにじませた。  韓国中央政府も開催を働きかけていたのに、ソウル市城東区当局が中止通報を撤回しなかったのはなぜなのだろう。今回の東北PRイベントに対して、開催反対の声明を出した市民団体「環境運動連合」(KFEM)に、イベント反対の理由を取材した。 KFEMのエナジーコーディネーターの男性は、取材に対し、「今回のイベントは福島県産の食品の輸入制限を解除するために行うものであり、放射能で汚染された食品を輸入する動きは受け入れられない」と反対の理由を述べた。「我々は、福島県産の食品が輸入される可能性について、怒りと懸念を表明するため、今回の反対運動を行った」という。 イベント開催反対運動に対して、城東区当局は理解を示し中止に至ったとKFEMの担当者は話す。「中央政府は、政治的・外交的観点からものごとを進めようとするが、地元自治体は市民の声により敏感だ。特に韓国は4月に総選挙を控えているので、今回我々の声を聞き入れたのだろう」と、運動の成果を強調した。日本産水産物の輸入制限が続く韓国と台湾 日本政府が、韓国で東日本大震災からの復興をPRするイベントを開いた背景には、韓国が行っている日本産水産物の輸入制限がある。韓国は2013年9月から、福島、茨城、群馬、宮城、岩手、栃木、千葉、青森の8県産の全ての水産物の輸入を禁止している。8県以外の水産物であっても、韓国側の調査でセシウムが微量でも検出された場合は、追加検査を要求。この検査が数ヶ月かかるため、生ものである水産物の輸出は、実質的に困難になった。 政府は、韓国の水産物輸入制限が「科学的根拠に基づかない」として解除を求めてきた。日韓の専門家が2014年12月に福島、青森、北海道産の水産物の放射性物質を測定した結果、不検出か、韓国の定める厳しい基準でさえ大幅に下回る結果が出ている。 政府は、韓国が輸入制限を解除する見通しが立たないため、昨年8月にWTO(世界貿易機関)に対して、韓国を提訴した。外務省北東アジア課によると、提訴手続きは、現在、パネリスト(裁判官に相当)が選ばれた状態まで進んでいる。 台湾も、日本産食品に対して輸入規制を行っており、今回、外務省が韓国と台湾でイベントを企画したのは、日本産食品の安全性を市民にPRする狙いがあったといえる。 日本産食品の輸入規制解除には、現地市民の理解が不可欠だ。イベントを主催した外務省地方連携推進室は、来年度も引き続きさまざまな活動を通じて「風評被害の払拭と、正確な情報発信に努めたい」と述べた。(中野宏一/THE EAST TIMES)

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    韓国で核武装論高まる 保有すれば一流国になれるとの発想

    ったが、国際社会から経済制裁を受けて国家財政は窮地に陥っている。そんな隣国を目の当たりにしながらも、韓国で核武装論が盛り上がっている。それはなぜか。韓国の国民性に精通するジャーナリストの室谷克実氏がこう話す。 「韓国人の“核を持ちたい!”との願望は今に始まった話でなく、北の動向とも関係ありません。韓国で最初に核武装論が持ちあがったのは1970年代であり、北は核保有どころか、その兆候もなかった時代です。根底にあるのは韓国が抱く大国願望だった。つまり、核を保有する国こそ一流国である、という発想です」 無論、核を持てば世界から一目置かれるという思想は幻想にすぎない(北朝鮮がいい例だ)。それでも「核武装したい」との声が韓国内で大きなうねりとなっているのは、韓国人の持つコンプレックスが刺激されたからだという。「今回、韓国は北の核実験の兆候情報を事前にアメリカから提供してもらえませんでした。さらに朴槿恵・大統領と中国の習近平・国家主席の電話会談も実現していない(1月12日現在)。このように大国からは冷たい扱いを受ける一方で、自分たちより“格下”と見なしていた北朝鮮が当初は水爆実験を成功させたと発表した。その屈辱感が核保有論を一気に燃え上がらせたのです」(同前) 1月7日、与党セヌリ党の最高会議で金正薫・政策委員長が口にした次の言葉に韓国世論の本音が見える。「中国、ロシア、そして事実上の核武装国である北朝鮮、さらにウラン濃縮を行なっている日本もいつでも核武装ができる。(北東アジアで)我々だけが核で孤立している」 周りは皆持っているのに、どうして自分だけ――そんな悔しさを露わにしているのだ。しかし、そんな感情的な核武装論は、むしろ東アジア情勢にさらなる危機をもたらす可能性がある。ジャーナリストの惠谷治氏が指摘する。「仮に韓国の核武装が完成すれば、北朝鮮と韓国は戦争に近づく。現在、核兵器は実際に兵器として使うのではなく戦争に対する抑止としても、その威力を発揮している。それは朝鮮半島でも同じで、これまで北は韓国との軍事力の差を核の脅威で埋めることで、危ういながらも均衡を保ってきた。 しかし、互いに核を持つことで、北はアドバンテージを失い、韓国との軍事バランスが一気に崩れる。そうなった時、核の抑止力を失った北が暴発する可能性がある」関連記事■ 北朝鮮核ミサイルに対抗するには日韓核武装も選択肢と専門家■ 北朝鮮の核実験で韓国与党幹部が核武装発言 世論も同調■ 北朝鮮と韓国との全面戦争はあるか? 専門家はないと説明■ 北の核実験に中国が激怒 日本の核武装につながるからと識者■ 核武装論高まる韓国 すでに核兵器製造可能な技術力保有

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    反日物語の嘘を暴け

    日韓首脳会談は、結局慰安婦問題で終始した。なおも両国は交わりそうもない。面倒くさいこと、このうえない。事実と違うことを世界に広げられて、納得できるはずもない。果たして事実はどこにあるのか。アメリカのジャーナリストが立ち上がった。

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    慰安婦の真実を指摘され自国の大学教授を逆ギレして起訴する韓国

    木走正水※木走日記より転載19日付けNHKニュース記事から。韓国 従軍慰安婦の書籍執筆の教授を在宅起訴11月19日 15時21分いわゆる従軍慰安婦の問題を巡り、「20万人の少女が日本軍に強制連行されたという韓国内の一般的な認識は実態と異なる」と指摘した書籍を執筆した韓国の大学教授を、ソウルの検察が名誉毀損の罪で在宅起訴しました。教授は「名誉を毀損する意図はなく、不当な起訴だ」としています。この書籍はおととし韓国で出版された「帝国の慰安婦」で、執筆したセジョン大学のパク・ユハ教授は、この中で、朝鮮人慰安婦の被害を生んだのは日本の植民地支配に原因があると強調しています。そのうえで、女性たちが慰安婦になった経緯はさまざまで、多くの場合、朝鮮人の中間業者が女性を慰安所に連れて行ったとして、「20万人の少女が日本軍に強制連行された」という韓国内での一般的な認識は実態と異なると指摘しました。これに対し、元慰安婦の女性たち9人は、「虚偽の内容を広めて歴史認識をわい曲し、名誉が毀損された」として、去年6月にパク教授を告訴していました。そして、ソウル東部地方検察庁は19日までに、「秩序の維持などのためには言論の自由や学問の自由は制限される」としたうえで、書籍の内容に関して「元慰安婦たちの名誉を侵害し、学問の自由を逸脱した」という判断を示し、パク教授を在宅起訴しました。一方、パク教授は「客観的事実に基づいて執筆したもので、名誉を毀損する意図はない。本の内容に対する間違った理解でなされた告訴を、検察はきちんと検証もせずに起訴しており、不当だ」と述べ、争っていく姿勢を示しました。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151119/k10010312371000.html うむ、ついにソウルの検察がセジョン大学の朴裕河(パク・ユハ)教授を「名誉毀損」の罪で在宅起訴しました。 「20万人の少女が日本軍に強制連行されたという韓国内の一般的な認識は実態と異なる」と指摘した書籍「帝国の慰安婦」を、「秩序の維持などのためには言論の自由や学問の自由は制限される」としたうえで、書籍の内容に関して「元慰安婦たちの名誉を侵害し、学問の自由を逸脱した」として起訴したものです。 いや、呆れました。 「秩序の維持などのためには言論の自由や学問の自由は制限される」って、「20万人の少女が日本軍に強制連行されたという韓国内の一般的な認識は実態と異なる」という学術的研究のもとで下した学者の冷静な指摘のどこが「秩序の維持」がされなくなるというのか、そもそも「秩序の維持」ってなんの「秩序」なのか。世宗大教授、朴裕河氏。 だいたいこの本のどこが「元慰安婦たちの名誉を侵害し、学問の自由を逸脱した」とされるのか。 朴裕河(パク・ユハ)教授の「帝国の慰安婦」ですが、当ブログも日本語版ですが読みました。 読後、この人の筆致がとても学者らしくて好きになりました。 元慰安婦たちや関係者の証言を学者らしくたいへん丹念に拾い、日本軍関係者が朝鮮半島で韓国人の少女を誘拐・強制連行して性奴隷にした、といった韓国に広まっている通俗的な慰安婦像を完全に否定していきます。 多くは朝鮮人の民間業者が詐欺的な手法を用いて慰安婦を集めていた実態や、一定の賃金が支払われていたことなど、韓国の挺身協などが触れたがらない都合の悪い発言も誠実に記しています。 20万人以上という数字にも懐疑的です。 極めて冷静な筆致で好感が持てます。 朴教授は同書で慰安婦問題について、帝国主義下での女性の人権侵害を指摘する一方、慰安婦の女性らは日本軍と実は「同志的関係」にもあったと記述しています。 当ブログとしてはこの書籍の内容の全てに同意するわけではありませんが、このような事実に誠実に向き合っている内容の慰安婦本を韓国人である教授が多くの批判や圧力に屈することなく出版したことを、その学者としての知的誠実さに深く敬意を表すものであります。 ・・・ この裁判、パク教授は「客観的事実に基づいて執筆したもので、名誉を毀損する意図はない。本の内容に対する間違った理解でなされた告訴を、検察はきちんと検証もせずに起訴しており、不当だ」と述べ、意気軒高、最後まで争っていく姿勢を示しています。 裁判の成り行きを注目していきましょう。 真実を指摘され自国の大学教授を逆ギレして起訴する韓国なのであります。 笑止。(木走まさみず)

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    「性奴隷」というプロパガンダ 慰安婦問題をめぐる法人いじめ

    の団体が同シンポジウムに対する抗議デモを計画して、ニューヨーク市警にデモを申請し、ニューヨーク在住の韓国人団体に働きかけた。さらに、認定NPO法人ヒューマンライツ・ナウ(伊藤和子事務局長)、アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館(渡辺美奈事務局長)、ピースボートなどが共催した「慰安婦問題の真実と正義~第二次大戦時の日本軍性奴隷」をテーマとするイベント会場で、「日本の歴史を歪曲する右翼グループがやってくる!緊急アクション」と題するチラシを配布し、抗議デモへの協力を要請した。そこには「脱植民地化を目指す日米フェミニストネットワーク」の名も書かれ、私は「日本社会を歴史教科書改革に巻き込み、日本の歴史教科書の『慰安婦』記述を改正する働きかけに成功した主流の保守的教育学者」として紹介されていた。 その抗議デモ呼びかけが功を奏し、ニューヨーク市警より「数百名の抗議デモが予定されている」との警告を受けた日系人会館のオーナーが器物破壊や物理的衝突を恐れ、他のテナントに配慮して、キャンセルの打診を主催者側にした結果、やむなく応じたという。デモの目撃者情報によれば、実際にデモ行進したのは前述した二人の事務局長を含む十数人で、デモと同時に警察が来て、二名、続けて四名の合計六名を拘束。 『朝鮮日報』によれば、「このような日本の極右勢力の行動は、日本に歴史問題の反省を促す在米日本人や日系人を通して韓国系団体に伝えられた」という。デモ隊の掲げていたスローガンは「日本のファシストを許すな」「人種差別をニューヨークに持ち込むな」「日本の軍国主義復活を中断せよ」「慰安婦女性たちは強制的に連行された性奴隷だった」「日本の歴史修正主義者らに反対する」などであった。 一方、インターネットで公開されている前述の伊藤和子氏の日記には、次のように書かれている。 「この日は、夜に歴史修正主義者グループが会合をNY日系人会で開催するという話があり、それに対するカウンターの行動がNY在住の皆さんによって呼びかけられていました。しかし、日【本/ママ】人会の建物でそのようなイベントを開催することに抗議する声が相次いだため、日系人会は急遽その場を貸さないことを決定。すごい。とても迅速で効果的な草の根の行動にほれぼれするほど、感動しました。(中略)しかし歴史修正主義者グループは場所をミッドタウンのイタリア料理店に変えて開催。急遽、その場に行って、抗議するアクションも行われました。私も様子が気になって出かけて行ったところ、お店側がNYPD(ニューヨーク市警)を呼び出す状況に。私はその場にいた弁護士(NY州弁護士ではないが)でしたし、こんなところで逮捕者でもでたら大変、と思い、憲法・NY州法も少しはかじっていましたので、『この抗議活動を禁止する法律はありませんよね』とNYPDに話しかけました。そこで警官は何やら上司と相談を始めたようですが、さすがは表現の自由を尊重するNY、時には手荒なことをするNYPDですけれど、この抗議行動には寛容で、最終的に、ルールを守った抗議行動なら何も問題ないという見解でOKとなりました。ところが翌日の産経新聞には、この行動で拘束された人もいたなどと報道されています。全くの誤報で驚きました。産経さん、他社の誤報ばっかり責めてる場合ではないのでは?」 目撃者によれば、一時拘束されたのは事実であるから、すぐに解放されたとしても、「誤報」とはいえないのではないか。『東亜日報』によれば、実際には「一〇人余り」しか参加しなかったのに、「数百人の抗議デモが予定されている」などという誇張したデマ情報を流して会場を変更させたことを、「すごい。とても迅速で効果的な草の根の行動にほれぼれするほど、感動しました」などと絶賛するのはいかがなものか。デモ行進で抗議する「表現の自由」のみが尊重されるべきなのか。異なる意見を表明する集会の自由や表現の自由は尊重する必要はないのか。あまりにも身勝手なダブルスタンダードに唖然とせざるをえない。 三月十七日の日本の外国特派員協会における記者会見で大沼保昭・明治大学特任教授が指摘したように、慰安婦問題をこじらせているのは、こういう運動家たちである。気になるのは、米国務省が前述した渡辺美奈事務局長らと会い、渡辺事務局長は「安倍政権の軍隊慰安婦など過去の歴史歪曲などを指摘し、米政府が東北アジア安定のため日本側の認識転換のために積極的に出てほしいと促した」(三月十四日付『畿湖日報』)と報じられていることである。 ところで同シンポジウムで、私は朝日新聞「慰安婦報道」に対する独立検証委員会報告書のポイントと米歴史教科書(マグロウヒル社)の慰安婦・南京記述の具体的問題点について説明した。私は同報告書の第三部「朝日新聞の慰安婦報道が対外的にもたらした影響」の第四章「北米での実害」について執筆した。朝日新聞社による第三者委員会委員は、慰安婦問題が国際的に女性の人権問題として捉えられていると強調したが、米国主要紙にはそのような見方は一切なく、慰安婦制度を「日本に特有のシステム」として扱う記事が大部分であった。 日本政府に対して、事実に踏み込んだ丁寧な反論を、組織的かつ継続的に行なうことを求め、そのために、政府内に専門部署を置くとともに、民間専門家の意見を集約するための有識者会議を設置することを強く求めたい。日本人への悪質な嫌がらせやいじめ日本人への悪質な嫌がらせやいじめ 三月九日のシンポジウム終了後、ニュージャージー州で悪質な嫌がらせを受けた日本人からヒアリングを行なった。同州の慰安婦碑・像の設置に反対した在米日本人に対して、大要次のようなメッセージが送られてきた直後、鳥の死骸が自家用車の横に置かれたので、本人は「殺人予告」と受け止めたという。 「対反日活動をするにあたって大事なことを申し上げねばなりません。それは必ず『邪魔が入る』ということです。A氏に殺人予告が殺到しています。日本人が結束して活動をしようとすると、ネットでの殺人予告だけでなく、ストーカー、車が荒らされる被害に遭った方がいます。怖くなって身を引いてしまい、会が始まる前に空中分解してしまった例もあります。あなたはお顔、ご職業が知れ渡っているだけにリスクも高いと思います。嫌がらせ、営業妨害などの危険性がないとはいえません。私は本当にあなたの安否が心配です。来客される朝鮮系、日本人にまで警戒しなくてはいけません。中には、味方のふりをして近寄ってくる人もいると思います。私こそがあなたの邪魔をする工作員のようですね。祖国のために頑張りましょう!」 翌日、ニューヨーク歴史問題研究会で「朝日慰安婦報道の国際的影響―国連報告書、米メディアと慰安婦碑・像に与えた影響」をテーマに講演後、カナダのトロントに移動。八人の日本人からヒアリングを行ない、八月十五日に正式に会を立ち上げ、発足記念講演会を開催することになった。カナダでも歴史問題で、日本人の子供が中国人や韓国人の子供からいじめや暴言を受けることが多々あるという。 カナダでは二〇〇五年に、オンタリオ州高校教育委員会が十年生の歴史教育で、「第二次大戦における日本の残虐性を教える」カリキュラムを導入したが、さらに昨年十月にカナダ最大のトロント教育委員会の委員長に中国系女性が就任し、アジアの第二次大戦史教育を推進する中国系市民団体「トロント・アルファ」の働きかけにより、公立高校のカリキュラムに慰安婦問題と南京大虐殺などを組み込むことになった。 トロント・アルファは、スタディーツアーという形で数年前からカナダの教師たちを南京大虐殺記念館やナヌムの家(韓国・広州市)に送り込んできたが、今年からは高校生をこのスタディーツアーに組み込もうとしている。今年の二月九日に、トロント・カソリック教育委員会(ディストリクト・ボード)がトロント・アルファの指導の下に、「日帝の残虐かつ悪辣な行為を学生たちが習えるようにしよう」という内容の了解覚書を締結した。 ちなみに、昨年の「海外子女文芸作品コンクール」特別賞に入賞した「作文の部」には、次のようなトロントの日本人補習学校の小学五年生の作文が選ばれている。「私が一番ショックだったのは、昔、多くの日本人の兵士が外国へ行き、その国々を自分たちのものにするために戦う中で、日本人がその国で暮らしていたたくさんの人たちを傷つけ、殺したということでした。私は、今までずっと日本人は礼儀正しく、親切だと思っていました。だから、日本の歴史を知り、悲しい気持ちでいっぱいになりました……」 また、昨年十二月二十五日と今年の三月八日、ニュージャージー州バーゲン郡ニューミルフォードの公立高校生から「南京大虐殺」の授業について話を聞いた。「南京大虐殺」をテーマとするプロジェクトで、クラスメイトがルワンダ、チベット、ナチス・ドイツの収容所の大虐殺と「南京大虐殺」を同じ扱いで発表したが、その日本人高校生は当時南京にいた祖父の話を聞いていたので、日本人がそんなことをするはずがないと抗議した。小学五年生のとき、韓国人の男の子から突然「日本人は悪いから」と言われ、何故アメリカでこんなことを言われるのか理由がまったくわからなかったが、母は戦争についての解釈が違うので、アメリカではそういう教育を行なっているからだと説明したという。 また同郡の、半数以上が韓国人の高校に通う生徒によれば、「竹島は韓国の領土だと思うか?」と何度も同級生から質問され、「そうとう参った」という。また、アメリカの地図には日本海を“EastSea”と標記しているものが多く、とくに韓国人が多い学校ではそういう標記の地図が使われているという。授業でも“EastSea”か“SeaofJapan”かという議論が起き、先生が即答できず、その生徒が翌日に調べて“SeaofJapan”が正しいと主張したが、韓国人生徒も一向に引き下がらなかったため、激しく対立したという。 この生徒の母親は、「韓国でもなく日本でもないアメリカで、このような方法を使って正しくない情報を植え付ける行為を進めることに対し、日本政府として正しい内容を声を上げて周知することが必要だと思います。その正しくない情報をめぐって、日本人の親だけでなく子供たちにまでそれらの被害が及んでいる現状をしっかりと理解してほしい」と訴えた。反日映画『アンブロークン』の影響力反日映画『アンブロークン』の影響力 昨年十二月二十五日に全米各地で封切りされたアンジェリーナ・ジョリー監督の映画『アンブロークン』は、第二次世界大戦時に旧日本軍の捕虜となった元オリンピック陸上競技選手で米軍人のルイス・ザンペリーニ氏の体験を、有名な女性作家のローラ・ヒレンブランド氏が描いた「ノンフィクション」小説が原作となっている。 原作は、捕虜収容所で日本軍による残虐な虐待行為に屈しなかった姿が話題となり、多くの書評で「ダイナミックな物語展開と最高の研究考証」などと賞賛され、米アマゾンのレビュー欄には一万二〇〇〇件以上のコメント(五つ星評価が八五%)が寄せられ、三〇〇万部を超えるベストセラーとなった。 ニューヨークの映画館で見たが、館内はほぼ満席で、北朝鮮からの「サイバー攻撃」による上映中止決定を撤回して同日に上映された映画『インタビュー』をはるかにしのぐ断トツの興行収入(一日で約一八億七七〇〇万円で歴代のクリスマス公開映画で『シャーロック・ホームズ』『レ・ミゼラブル』に続く興行成績順位三位)を得る盛況ぶりで、翌日付の米紙『USA TODAY』は、「事実に忠実なバランス感覚のある映画」と評価した。以前ニューヨークで見た『ラスト・エンペラー』の観客は映画館全体で数人にすぎなかったのと比べると雲泥の差である。 米アマゾンのレビューには、「なんで、われわれはまだ日本製品を買い続けているのだ」「日本人に虐待された捕虜に比べれば、何にだって耐えられると思った」「第二次大戦中の日本の捕虜に対する扱いがよくわかった」「戦時捕虜と日本人に関する話は恐ろしいというほかない。これらは、人間が人間に対してなしうる想像を絶する所業だ」などと書かれているが、映画(一三七分)の約半分に当たる一時間近くが、強制労働や陰湿な拷問・虐待場面で、一・八mの重い角材を炎天下で三十七分間頭上に持ち上げ続けさせたり、捕虜になった仲間の米兵を一列に並ばせて主人公をなぐり続けさせ、基地から一三〇〇㎞も離れた太平洋のど真ん中で高度七〇mの高さから漂流ボートを執拗に爆撃する原作どおりの残虐な場面が目立つ。 ちなみに、原作には「数千人の捕虜が、殴られたり焼かれたりし、突き刺され、斬首され、人体実験で殺害され、また人肉食の習慣によって生きたまま食われた」「日本軍は占領したすべての地域で、少なくとも一万人の戦争捕虜と幼児を含む民間人を生物化学兵器実験の被験者として使った。数千人が死亡した」と書かれ、「強く殴れ」と仲間に要求した連続暴行は日没まで二時間続き、その数は「二二〇発」に及んだという。 さすがに、このようなにわかに信じ難い虐待については、アメリカ人読者のレビューにも「裁判などにおいて証言者の証言に一つでも嘘いつわりがあれば、その者の証言すべてが怪しいと見なされるのであるから、ここまで信じ難い体験をしたと主張するザンペリーニ氏のすべてが疑わしいと見るべきだ」という意見も寄せられており、十二月二十一日付『ニューヨーク・ポスト』紙も、「夏の太平洋の海上で水と食べ物なしに一週間も生き残れるか」、映画のポスター(血塗りの日本地図や有刺鉄線の五輪マークなどのデザイン)にも使われているシーンの「虐待された状態で六フィートもの木の棒を三十七分間も頭上に持ち上げ続けることは可能か」などの疑問とともに、米軍に対拷問訓練などを行なっている専門家の「気温や木の実際の重さによる」といったコメントを紹介している。 この原作をいち早く紹介したフリーライターの徳留絹枝氏は、月刊誌『潮』平成二十四年九月号の「(海外レポート)米国人捕虜の物語が日本人に問いかけるもの」と題する記事において、「一四万人の連合軍の米兵を捕虜とし、その三分の一を死亡させた歴史を持つ日本人は、自らの尊厳をどのように回復すべきなのか……彼女の著書はそのことも問いかけている」と指摘している。 また、徳留氏によるインタビューのなかで、著者のヒレンブランド氏は、「この本は何百万人ものアメリカ人に読まれ、私は何千通もの手紙やメールを読者から受け取りました」「私を『徹底したリサーチャー』と呼び過ぎることは無いと思います。この本に七年を費やしました。内容の正確さと公平さを期すため、あらゆる資料を探し出し、全ての事実を他の資料と照合する執念ともいえるリサーチに取り組んだからです。本の終わりに、すべての事実に関するすべての資料をリスト化していますので、疑問を持つ人は誰でも検証をすることができます」と述べている。このリストを読み、映画を見れば、誰でもすべてが歴史的事実と誤解し、その影響は計り知れない。「慰安婦は性奴隷」と発信した日本人教授「慰安婦は性奴隷」と発信した日本人教授 この資料リストに基づいて、筆者はアメリカの国立公文書館などに保存されている原資料の精査に着手したが、原作の基本的な問題点については、丸谷元人『日本軍は本当に「残虐」だったのか―反日プロパガンダとしての日本軍の蛮行』(ハート出版)の第一章「全米ベストセラー『アンブロークン』の何が問題なのか」をぜひ一読してほしい。同書において、丸谷氏は「この著者は『アンブロークン』を書くにあたって、すべて電話によるインタビューでしか聞き取りをしておらず、出版して一年後までザンペリーニ氏とは面識さえなかった」という『潮』平成二十四年九月号の記述を紹介しつつ、元日本軍関係者らの証言に基づいて、誇張歪曲された部分に説得力のある反論をしている。原作では主人公は最後に日本人を【赦/ゆる】すが、なぜか映画ではその部分がカットされ、原作で五分の一にすぎない日本軍の蛮行が強調されている。 『アンブロークン』の原作は、広島市立大学の田中利幸教授の英文の文献を一〇カ所も引用し、根拠としている。この田中教授は『HiddenHorrors(知られざる恐怖)』という英文の著書で「人肉食は、(日本の)軍隊の中で組織的に行われていた」ということを世界に発信した。日本では『知られざる戦争犯罪――日本軍はオーストラリア人に何をしたか』という題名で翻訳出版され、南京事件については「南京大虐殺(南京強姦)」と書き、当時南京にいた米人宣教師の次のような日記を引用している。 「私はこんな酷い蛮行をこれまで見たことも聞いたこともない。強姦、強姦、強姦の連続だ。一晩に少なく見積もっても一千件はあるだろうし、日中も数多く行われている。抵抗したりすれば……銃剣で刺されるか銃で撃たれるかだ。そんなケースが毎日数百とある」 「慰安婦は性奴隷」と世界に発信した同教授の『日本の慰安婦――第二次大戦と米占領下の売春婦と性奴隷』という英文の著書は、二〇〇七年の米下院の対日非難決議の根拠となり、「日本軍による強制性の証拠」として採用された点に注目する必要がある。同教授は戦時中の連合国軍による性犯罪にも言及しているが、連合国軍の戦場での強姦は「普遍的」な「男性支配文化」すなわち、「ジェンダー問題」であると捉え、「英米両軍」に関しては、「戦時中に敵国女性を大量強姦したというような報告は今のところ見当たらない」と書き、米軍は「戦時中、最も性犯罪の少なかった」と記述している。プロパガンダの常とう手段 このような日本軍と連合国軍に対する二重基準(ダブルスタンダード)の原点はいったい何か。それは、GHQの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(ウィキペディアには、同文書の英文の原資料の存在は確認されていない、と書かれているが、GHQ文書には“warguiltinformationprogram” と明記された文書が数十ページ含まれており、コピーを入手している)」にあると思われる。丸谷元人氏は、吉田清治のウソ証言を全面的に掲載している田中教授の英文著書を、「日本を『越後屋と組んだ悪代官』に仕立てた講談本に過ぎない」と酷評しているが、そのとおりであろう。 田中教授は天皇制と外国人差別ならびに日本人男性の女性蔑視・性的搾取を不当に結び付けて、次のような巧みな「イメージ操作」を行なっている。「この『従軍慰安婦』問題の根底には二つの重大な問題が横たわっていると考えられる。それは日本人全般の意識の奥深くに根強く存在している。天皇制と密接に関連した『外国人差別』の要素、ならびに日本人男性の『女性蔑視とそれに起因する性的搾取』の要素がそれである。慰安婦問題がこれまで日本人の関心を集めなかった理由は、この問題が内包している二重の差別意識要素をわれわれ日本人が直視することを戦後これまでずっと避けてきたからではなかろうか」 いったいなぜ彼が海外で日本軍の「従軍慰安婦」に対する「性的搾取」を強調する「性奴隷」というウソを意図的に拡散しているのか、その思想的意図、狙いがこの文章に凝縮されている。 アメリカの神格化された著名な政治学者で、丸山眞男に大きな影響を与えたハロルド・ラスウェルは、『宣伝技術と欧州大戦』(高山書院)において、このような荒唐無稽な残虐物語が「戦争における大勝利の一つ」となり、「敵に凌辱される若い女性というのは、国境の反対側にいる大勢に当の凌辱者になったかのような秘められた満足感を与える。それ【故/ゆえ】、多分、こうしたストーリーに人気がありそこらじゅうで見られるのだろう」と分析しているが、虐殺や強姦(性的搾取)を強調することは、戦争プロパガンダの常とう手段であった。今日の慰安婦論争をそういう歴史的視点から見直す必要がある。たかはし しろう 1950年、兵庫県生まれ。早稲田大学大学院修了後、スタンフォード大学フーバー研究所客員研究員に、政府の臨教審専門委員、埼玉県教育委員長などを歴任。現在、男女共同参画会議議員。著書に『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』(致知出版社)ほか多数。   関連記事■ <特別対談>慰安婦問題はフィクションだ■ 日米vs中韓~歴史修正主義批判を問う■ 米軍慰安婦像が米大使館前に建つ日■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき■ 日本の立場を危うくする「アジアの時代」の足音

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    3億円の“示談金”で慰安婦問題解決か 韓国側の苦しい事情

    “示談金”ダンピングに応じる構えを示してきたのだ。日韓首脳会談 会談前に握手する安倍晋三首相(左)と韓国の朴槿恵大統領=11月2日、ソウルの青瓦台(代表撮影・共同) 会談後の安倍首相は「早期の妥結を目指して交渉を加速させることで一致した」としかいっていないが、翌日の日本の新聞各紙は〈政府、支援策模索も〉(毎日)、〈慰安婦、財政支援拡大へ 政府検討〉(日経)などと見出しを掲げ、いずれも「アジア女性基金」の復活構想を報じている。〈日本側にはかねて【1】首相による謝罪【2】駐韓日本大使が元慰安婦と面会【3】日本の政府予算を使った元慰安婦支援──という解決策への考え方がある。このうち政府予算を使った支援は2007年に解散したアジア女性基金のフォローアップ事業の拡充が軸になる〉(日経) アジア女性基金は慰安婦問題を謝罪した村山富市首相の談話をきっかけに政府出資で設立(1995年)され、民間から募った募金をもとに韓国、フィリピン、台湾などアジア諸国の元慰安婦に1人200万円の「償い金」を届けた。 基金の解散後は外務省が政府予算でNPOを通じて元慰安婦に医薬品や現金を届けるフォローアップ事業を行なっており、その事業を拡大し、日本政府による元慰安婦への人道支援、すなわち実質的な補償を両国の合意で再開させようという構想である。 日経は〈浮上しているのは予算規模を1億円台に乗せ、支援メニューを拡大する案だ。政府高官は2日「検討する」と認めた〉と書き、韓国側では〈3億円以上〉(東亜日報)という報道も出ている(菅義偉官房長官は会見で「そうした事実は全くない」と否定)。 慰安婦問題について「補償は日韓基本条約で解決済み」と主張してきた安倍首相にすれば、一見、譲歩のように見える。 だが、政府の人道支援は国家賠償ではない。現在、存命している韓国政府登録の元慰安婦は47人。人道支援の予算が日経のいう1億円なら1人約200万円、韓国側が挙げる3億円としてもたかだか1人約600万円になる計算だ。 安倍首相にすれば“あれほど騒いでいたのに、ホントにたった3億円でいいの?”と眉に唾をつけたいのではないか。韓国に詳しいジャーナリストの室谷克実氏がいう。「朴槿恵政権は中国傾斜が行き過ぎてアメリカの政府関係者らからも苦言を呈されるレベルまで来たため、慌ててアメリカにすり寄り、アメリカ陣営の日本とも外交交渉をせざるを得なくなった。基金の話は、それでもなんとか慰安婦カードを使いたい韓国側が流しているものではないでしょうか」 慰安婦問題で安倍政権の対応を批判してきた韓国の有力紙・東亜日報の社説(11月3日付)が、韓国側の苦しい事情をはっきり書いている。〈韓日関係が凍り付き経済にまで寒波が襲った。日本の韓国への直接投資と韓国の対日輸出入、日本人観光客などすべてが急減した。(中略)韓国は慰安婦問題など追及すべきところはすべきだが、過去にのみ縛られると、他の国益を害するという点も直視しなければならない〉 そんな韓国の事情を見すかすように、官邸の外交筋は、「安倍総理はささやかな手土産で窮地に陥っていた朴大統領を救ってあげたということだ」といってのけた。韓国紙 外相が国連総会で安倍首相の足引っ張るかで沸き立つ韓国が小中高生向けに作成した慰安婦教材 史実歪曲した内容従軍慰安婦問題について韓国要人「一言謝れば韓国人は納得」韓国の反日スレ「日本に爆弾テロする?」「お前通報シマス」韓国 慰安婦を人権問題として世界に注目させ日本の譲歩狙う

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    「慰安婦狩りなかった」朝鮮総督府100歳生き証人が語る「強制」の虚構

     慰安婦問題をめぐり韓国が「歴史戦」を仕掛けてくる中、元朝鮮総督府官吏の西川清さん(100)=和歌山県田辺市=が取材に応じ、「強制的に女性を集めることはなかった」と慰安婦募集の強制性を明確に否定した。11月上旬に行われた日韓首脳会談では、安倍晋三首相と朴槿恵(パク・クネ)大統領が慰安婦問題の交渉加速化で一致した。しかし、朴大統領は問題が日韓関係改善の「最も大きな障害物」と指摘しており、日韓の隔たりは大きい。昨年、朝日新聞が慰安婦に関する記事の一部誤報を認めたが、「日本軍による強制連行」の象徴として海外都市に慰安婦像が設置され、今も誤解が根強く残る。韓国側の反日攻勢に対し、当時を知る官吏の貴重な証言は、〝慰安婦狩り〟のような事実がなかったことを改めて示している。平穏な日本統治時代 セピア色の古ぼけた写真。満開の桜の下で肩を組む男性4人が写っている。「80年もたってこんな状況になるとは、当時露ほども思わなかった」。西川さんは見習い官吏だった若き日の写真を手に、ため息をついた。 写真は昭和9年春、朝鮮半島東部にある江原道(こうげんどう)の春川(しゅんせん)で撮影された。職場の同僚と行った花見の際の記念写真で日本人と朝鮮人が2人ずつ納まり、うち1人が西川さんだ。8~20年に総督府に勤めていた。 「差別感情はなく、同等という雰囲気だった。今、韓国が日本統治時代はすべて悪業として批判していることは、事実としてあり得ないことだ」朝鮮総督府官吏時代を振り返る語る西川清さん。「慰安婦を強制的に集めることはなかった」と証言した。 正式に総督府江原道の官吏になった12年当時、朝鮮には日本の県にあたる道が13あり、その下に市にあたる府と郡、さらに町村にあたる邑(ゆう)と面があった。職員の多くは朝鮮人。同僚や上司、知事や部長クラスの重席にもおり、分け隔てなく野球をやったり、飲み会をしたりもした。 「朝鮮人同士は朝鮮語を話していたし、朝鮮名の職員も多かった。何でもかんでも日本が強制したということはありませんでしたよ。ましてや女性を強制的に慰安婦にしたなんてありません」歴史をゆがめた「河野談話」 韓国側は「20万人以上の女性を慰安婦として強制的に動員した」などと主張している。この誤った慰安婦強制連行説は、証拠資料や信頼に足る証言もないまま慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野談話を根拠に世界に流布され、朝日新聞などメディアの報道も後押しした側面がある。 西川さんは「併合時代の朝鮮は、むしろ治安が良かった。そして何より、女性を強制的に集めることがあれば、当時の朝鮮人が黙っていないでしょう」と韓国の主張を否定。「男性の徴用はあったが、だからといって軍や警察も一緒になって暴力的に連行するということは決してなかった」と証言する。 西川さんは昭和18年、江原道寧越郡の内務課長を務めた際、労働力不足を補うための労働者として男性の募集を担当した。19年9月以降は日本国民と同じく課せられた「徴用」となったが、18年当時は総督府自らが集める「官斡旋(あっせん)」方式だった。 西川さんによると、男性の労働力を集める官斡旋は総督府が道庁に人数を割り当て、さらに郡、邑、面に降りていく。前任者は10人の割り当てでも5~6人しか集められない状態だった。「だから村長ら住民のリーダーにきちんと説明して納得してもらうことが必要だった。軍については総督府と指揮系統は別だったが、仮に軍が慰安婦を集めていたなら、われわれの耳にも少なからず入ってくるはず。でもそんな話はなかった」と証言している。「事実と異なる歴史像」元官吏ら2人も反論 「女子の強制連行があったような兆候を感じたことは一度もありませんでした」。元朝鮮総督府江原道地方課長で、「慰安婦強制連行はなかった」の著書がある大師堂経慰(だいしどう・つねやす)さんは生前、こう述べていた。 大正6年に朝鮮で生まれ、「戦前・戦時中を朝鮮で過ごした者の体験」として「慰安婦強制連行」を一貫して否定していたのだ。 「もしも万を数える女性の強制連行があったとすれば、その何倍の目撃者がいるはずだ」。平成15年の月刊誌「正論」3月号の紙面対談で大師堂さんはそう指摘している。強制連行が事実なら、住民の間に深刻な動揺と反発が起きていただろうが、実際は「発生したはずの(抗議運動といった)事象は何ひとつ起きていないのです」と断言していた。 《平和でのどかな農村にある日、突然日本軍が乗り込んできて無垢(むく)な娘たちを無理やり軍用トラックに押し込んで連れ去り、慰安婦にした》 韓国側が主張する慰安婦の強制連行は非人道性がことさら強調され、海外でもこうしたイメージが広がっている。 しかし朝鮮総督府の元警察官僚で、戦後に埼玉県警本部長や大分県副知事を務めた坪井幸生さんも生前、大師堂さんとの対談で韓国側の主張を真っ向から否定していた。「強制連行があれば、必ずトラブルが起き、田舎では日本人はとても普通の生活はできなかったと思う」 しかも、朝鮮に13あった道の警察部では、トラブルの情報は上がってこなかった。「朝鮮人の警察官も半分以上いたのが実情ですから。しかし、そんなトラブルは全く聞いていない」と語っていた。 大師堂さんは著書で、「私の体験した朝鮮とは全く異なった歴史像が作り上げられている」と、国内の偏向報道や韓国側の主張を疑問視。「総督府施政を抑圧と反抗の連続であったような伝え方がされるが、これは事実ではない」とも書き記していた。安倍首相への〝直訴〟 平成5年の河野談話は、慰安婦問題に「軍の関与」を認め、募集について「官憲等が直接加担したこともあった」とした。日本の軍や警察による強制連行の論拠とされたが、政府が集めた公式資料に強制連行を裏付ける証拠はない。 元朝鮮総督府官吏、西川清さんは当時の朝鮮に、朝鮮人が経営する「カルボチビ」という売春宿があったことを記憶している。日本でも貧困から女性が遊郭に身売りされていた時代だ。 「朝鮮でも身売りはあった。こうした女性が朝鮮人の女衒(ぜげん)によって慰安所に連れられたことはあるだろうが、あくまでも民間の話だ。もしも日本の公的機関が関与していれば、絶対に文書で残っているはずだ」 国際的に誤った〝史実〟が広がっていることに憂慮を深める西川さんは2年余り前、日本軍や官吏による強制連行を否定する手紙を安倍首相に郵送したこともある。 「当時の朝鮮の仕組みを知る者からすれば、いわゆる『従軍慰安婦』は戦後に作り上げられた机上の空論です」 今夏に100歳となった西川さんは、事実がねじ曲げられた現状にいまなお憤りを感じている。

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    アジアの「慰安婦」を徹底追跡! マイケル・ヨン現地ルポ

    とを知っている。真っ当な研究者とジャーナリストのあいだでは本件は完了している。ペナン戦争博物館の展示韓国人殺しの証言は皆無 この真実探求の途上において、さまざまな突発事故があった。一例として、高名な米国人作家のローラ・ヒレンブランドが著書『アンブロークン』において読者を騙した、ということだ。 ヒレンブランド女史は、日本人がテニアン島において「皆殺し」の命令を出して5000人の韓国人を虐殺した、と記述している。彼女は2つの出典を示していた。われわれはそれらを調査し、出典のうちの一つは韓国人によって噂に基づいて建てられた記念碑によるものにすぎない、と判明している。 ヒレンブランドの引用元の一つは次のものだ。“Murder on Tinian:Eric Lash,Historic Island of Tinian,Environmental Services,October 2008,vol.1,2nd edition.”1945年のテニアン島:巨大な米軍基地があるが、韓国人虐殺の手がかりはまったく見られない。(テニアンの大虐殺:エリック・ラッシュ、テニアン島の歴史、Environmental Services、2008年10月、第1巻、第2版) ヒレンブランドの引用元になっている「出典」文書は欺瞞そのものである。ほんの数分調べればわかることだ。難しい犯罪学は必要ない。たとえば、ほんの短い分量の文書のなかでエリック・ラッシュ氏の名前の綴りがEric,Erik,Erickと3種類登場している。 Environmental Servicesに問い合わせたところ、考古学担当シニアマネージャーのテリ・ラス(Terri Russ)氏から返答が届いた。ラス女史によると、「ESIはこのテーマに関するプロジェクトはいっさい手がけておりません」とのことだった(エリック・ラッシュ氏は当時ESI勤務ですらなかった)。 われわれは当時のニュース報道を残す米軍の記録にも当たった。米軍の侵攻後、『ニューヨーク・タイムズ』はテニアン島にまだ2400人の韓国人が残っている、と報じていた。 テニアン島は米軍の日本攻撃における死活的重要拠点だった。この小島は米軍でいっぱいとなり、滑走路が6本つくられ、テニアン島は戦時中最大の航空作戦拠点となった。1945年の時点で、テニアンは世界最大の空港だったのだ。 虐殺など、どこからも、誰からも聞いたことがない。われわれの海兵隊、陸軍、海軍が韓国人5000人の虐殺被害の証拠を見逃したとでもいうのか? 合衆国軍の綿密な記録文書化の傾向からして、それは考えにくい。ペナン戦争記念館に残る「原子爆弾」 ヒレンブランドは「皆殺しの命令により、日本軍はテニアンにて5000人の韓国人捕虜を虐殺した……」と記述した。 捕虜? 当時の韓国人は日本国民だった。万単位の韓国人が日本軍に従軍していたのである。少なからず士官もいたのだ。 ヒレンブランドはこの主張を2度も繰り返している。「……日本人は皆殺しの方針を導入していた。そして5000人の韓国人全員を虐殺した」。 われわれは、日本人・韓国人の民間人への降伏勧告を担当した米国の言語専門家による1次情報に当たった。そこにも日本人が韓国人を殺したという証言はいっさいなかった。皆無である。 われわれ米国は、テニアンを対日空爆の出発地として活用した。何十もの日本の都市を焼き払ったのである。なぜにわれわれが敵側による5000人の無辜の民の殺戮を隠す必要があるのか?1945年6月ごろのテニアン島 ここで重要なのは、米国はテニアンから2発の原子爆弾を送り出す準備をしていたということだ。われわれがまさに広島と長崎を破壊するために使っていたその島で、日本軍が5000人を虐殺する戦争犯罪を犯していたとすれば恰好の宣伝材料ではないか。 テニアンはわずか101平方㎞の島である。ヒレンブランドの出身地、ワシントンD.C.は177平方㎞である。つまり彼女は現代にあたる1944~45年に、ある軍隊が何の証拠も残さずに5000人を虐殺し、かつ誰にも気付かれなかったとでもいうのだろうか? これほど大規模な殺戮を、現地取材もせず、米軍の公記録にも当たらずに告発するというのは、プロとしてあるまじき不正行為である。彼女はこの書籍のために7年にわたる調査を続けていたと言い張っていたが、じつは彼女は同書のテーマである人物ルイス・ザンペリーニ氏と1度も対面したことがない、ということが書籍刊行後に暴露された。タイ・ラノン近くの日本軍によるトンネルシステム。ラノンにおいて、第二次世界大戦中に日本軍と協力した高齢者たちは軒並み日本への好感を口にした。 約10年前のことだが、私は当時取材していた戦時下のイラク人の子供たちを支援するために名前を貸してくれた、ということでヒレンブランドをインタビューしたことがある。子供たちを救おうとする努力において私はローラに敬意を抱き、このような辛辣な言葉を並べながらも、彼女の名作については忘れていないが、歴史家として――そしてノンフィクション作家として――ヒレンブランドはエコノミークラスの安物である。 2015年9月に、私はヒレンブランドの出版社に連絡し、テニアンの韓国人5000人虐殺に関する説明を求めた。出版社はコメントを拒否し、同書の刊行はかなりの昔であるため、ヒレンブランドももはやインタビューに応じることはできない、と返答してきた。 私は編集者にもインタビュー申請を出した。同じ返答だった。その版元では、いまだにインタビューの申し込みを受け付けているのだが。 テニアンで日本軍が虐殺に手を染めたと主張するということは、ヒレンブランドが文学に対する罪を犯している、ということだ。彼女は真実を虐殺した。文字どおりの詐欺行為である。 私がヒレンブランドの著書を購入したとき、同書は3年間にわたり『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラーリストに入っており、アンジェリーナ・ジョリー監督による映画化が決定していた。私は返金を求めたい。 プロパガンダは、もはや日本人さえも信じ込むほど行き届いている。現代の「慰安婦」たち現代の「慰安婦」たち ジャカルタからカンチャナブリ、そしてバンコク、ラノン、ペナンに至る今回の調査旅行は大いなる発見の連続だった。 バンコクで、われわれはバンコクの下町にある豪勢なトロカデロ・ホテルにおける慰安所を描いた文学を発見した。 私は国立公文書館からトロカデロ・ホテルまでタクシーで移動したが、そこは荒れ果て、さび付き、ボロボロになっており、それでも建造物が残っていたが、クモの巣だらけで正面の視野がさえぎられていた。 道路沿いの1階は小さな商店に様変わりし、大部分が宝石類を販売している。西から東まで正面の長さは約100mで、東の端近くにNASAシルバーカンパニーがある。 NASAのすぐ隣には「ジャスミン・マッサージ」店があり、午前9時~深夜12時まで営業している。 2重ドアを通り過ぎ、2階につながる階段を上ると、個室とシャワーが揃い、タイ語と英語で「ここでのセックスお断り!! 」と書かれているではないか! 現実を見ると、70年前にトロカデロにあった慰安所はいまも名残があり、そこには法の縛りが行き届かない快楽の提供人がいるというわけだ。上記の警句があるにもかかわらず、今日ここは売春宿になっている。 中国人と韓国人の売春婦がわざわざタイまで輸送されなければならなかったという説の笑止千万ぶりは、もうここで繰り返すまでもない。われわれが調査を行なったおのおのの場所で似たような結果が出た。たとえば、フィリピンのアンヘレス市だ。1カ所であれほど多くの売春婦が集まっている場所は、世界の他のどこでも見たことがない。ペナンの取材協力者が日本兵の古い写真を掲げる。 本件の調査で訪れた8カ国目がマレーシアだ。 1941年、真珠湾攻撃の数時間前に、日本軍はマレーシアのコタバルへ侵攻した。敵は英国、英領インド、オーストラリア、そして地元の抵抗勢力だった。コタバルこそ太平洋戦争で初の大規模戦闘だった。 大英帝国の権勢は絶頂に達していた。世界史上最強の帝国である。日本には大英帝国、オランダ、米国、その他に対してすべて同時に戦端を開く大胆さがあった。 すぐさま日本軍はペナンの街路を闊歩した。 そしてシンガポールが続く。あれから長い年月が過ぎた歴史となり、日本により英国がシンガポールを失った意味がさらに明瞭に見える。 米国流の解釈をすれば、シンガポールを失うのは米国のほぼ全軍が戦死または拘束されたうえでハワイを失うようなものだ。この心理的損失は甚大だった。 この衝撃的な日本の勝利は短命ではあったが、その後のアジア全体の独立に大きな道を開いた。 この70年後に、われわれのチームは日本が20万から40万人の「性奴隷」を拉致し、ペナンのような場所に送り込んだという告発の真偽を確かめるためにペナン入りした。韓国人と中国人による反日物語 韓国人と中国人による反日物語によると、貞節な地元の女の子たちが悪辣な日本軍の侵入によって連行され、海外の「強姦所」で無理やり働かされたという。 これは韓国人と中国人にとっては決して突飛な空想ではない。2015年に、韓国人と中国人は性労働者の人身売買関与を継続しているのである。まさに今年、大規模な売春婦密輸入網がカナダで捕縛された。予想どおりというべきか、逮捕された容疑者は韓国人と中国人であった。売春婦人身売買は韓国と中国の伝統事業である。『戦時のペナン』において、著者のアンドリュー・バーバーは中国人が管理する慰安婦の実情を次のように描いている。 19世紀に、英国人は中国人が牛耳るビジネスを黙認していたが、19世紀の終わりに近づき、英国人はいままで手を出さなかった分野への関与を強めた――まず女性が16歳以上であること、そして自らの自由意思で働いていることを確認するためだ。当局は「ポ・ロン・クク」なる家をシンガポールとペナンに建て、強制的に働かされている娘たちの避難所とした。 2015年のペナンで、われわれは現状が日本軍の侵攻があったはるか前、バーバー氏が描いた1914年から大して変わっていないことをたしかに目撃した。 1914年に、政府高官がペナンの売春宿を訪れ、女性たちが強要されたうえで働いていないか確認した。各宿も小規模で偏狭であり、賭博とアヘン吸引に利用されていた。政府調査で明らかにしたところによるとペナンには159軒の売春宿があり690人の中国人、129人の日本人、36人のタミル人、56人のマレー人女性を雇用していた。――総計911人の「登録された」売春婦がいて、各宿に平均4人の女性が所属し、ジョージタウンの独身女性の5%を占めていた。30人の日本人女性が高い技量で「高級」との定評を得ていた。ペナンにおける欧州人売春婦の不在は説明が難しいが、シンガポールにいる34人の欧州女性は巨大な市場においてはごく小さな存在でしかない。 日本人が第2次大戦中に米国人によって受け入れられていた慣習を踏襲したとき、日本人は野蛮と蔑まれた。 2015年に、われわれが地元民と地下世界を見たところ、今日のマレーシアで売春が完全に非合法化されていることを除き、1914年から大した変化はないことがすぐに見て取れた。 売春はいまもペナンで活発なままだ。大部分が公然と行なわれている。少しは覆い隠されている部分もあるが、タクシー運転手がしょっちゅう聞いてくる。「ロシア女ほしいか? 中国人? ベトナム女いいぞ。ロシア、いちばん高い」。毎日、似たような提案が舞い込んでくる。 売春婦は食べ物を買うのと同じように入手できる。路上の売店があり、バーからのお持ち帰りがあり、「レストラン」もデリバリーもある。 なかには目に余る光景もある。女性とレディーボーイはほぼ同じようなかたちで声を掛けてくる。 ベトナム人女性は観光ビザで入国してきて、ビザが切れるまで滞在し、帰国する。外国人にはバーで接触する。ペナン戦争博物館の展示:日本人はギロチンを使わないことで知られていた。 ロシア人女性その他は、一団になって毎晩異なるホテルを動き回っている。4人1組で、ある晩はホテルXに泊まり、翌晩はホテルY、その次の晩はホテルZだ。 この商売にはタクシー運転手、バーテンダー、ホテル従業員その他のネットワークを通じて誘い込まれる。場合によっては、女性は同じホテルに滞在しながら部屋から部屋へ渡り歩くこともある。価格は地元民向けで10ドルから、高級娼婦だと500ドルということもある。 ペナンには、アジア全域の村々出身の工場労働者の膨大な人口が集まっている。大部分は貧しく、若い娘たちは大型アパートに集められて暮らしている。奴隷制に等しい悲惨な話は各国マスコミによって広く報じられている。 多くの娘たちは最大で月300ドル程度の給料を約束されて募集されてくる。往々にしてパスポートは没収され、最終的に手にできるのは月に100ドル程度で、あとは決して返すことができない借金を課せられる。そして娘たちは夜に売春婦となっていく。 一部の娘たちは、家事手伝いを派遣する組織に属して働いている。そして日中はメイド、コック、ベビーシッターなどとして働き、夜に風俗業に従事するのだ。 売春はペナンにおいてあまりにも手広く行なわれており、このネットワークに入り込むのに1年は必要ない。数日間。いや数時間の話だ。ハワイでパイナップルを探すのと同じだ。 法的側面について話すと、イスラム教国家としての体面を維持しながらも、このデタラメぶりによりビジネスは繁盛するばかりである。 一方で、われわれのコンピュータのパーツの多くは、そんな売春婦としての2重生活を送る年季奉公の労働者たちの手によってつくられているわけだ。ペナンでは、現代の性労働いや性奴隷と年季奉公の労働が同時に重なり合っているのだ。反日感情を醸成する神殿反日感情を醸成する神殿 私は現地でさまざまな背景をもつ人たちに日本人、韓国人、中国人、その他についてどう思うのか聞いてみた。聞いた相手にはインド系もいれば、中国系、マレー系、バングラデシュ系の人もいた。答えは予想どおりだった。好きでない人一覧:韓国人、中華人民共和国の中国人(台湾ほかを除く)、インド人、アラブ人好きな人たち:日本人、欧州人、アメリカ人。私は多くの国々で多くの人たちに聞いてきたが、答えがそれほど異なることはない。 アジア全体で日本人は憎まれているという話は虚構である。日本はアジアのなかで最も大きな敬意を集める国の1つである。 われわれはペナン戦争記念館を訪れた。「記念館」とは甘い用語である。この場所は、紛れもなく反日感情を醸成する神殿である。カミカゼ「自殺用ベスト」 ここは幽霊屋敷の様相を見せており、ペイントボールコースの顔も見せている。ブキト・ハントゥ「亡霊の丘」は、アジアで最も亡霊が姿を見せることが多い10カ所の1つとされている。 この幽霊屋敷には、木の上にいる巨大な恐ろしい化け物と、不気味な物語と、その他もろもろが揃っている。 ここには、リトルボーイにもファットマンにも似ていない実物大の原爆がある。巨大な手榴弾があり、その他諸々があり、現代のDVDプレイヤーから取り出した回路基板を貼り付けたカミカゼパイロットの自殺用ベストも揃っている。 この「自殺用ベスト」の上に掲げられている説明文によると、カミカゼは1941年12月10日にプリンス・オブ・ウェールズとレパルスを破壊したという。真実は、英国艦隊は日本軍の通常の空襲によって破壊されたのであり、カミカゼによるものではない。 そしてカミカゼ「特別攻撃隊」は、戦争が終局に近づく1944年まで決行されることはなかった。 この博物館は同じくらいの力を注いで、日本軍が性奴隷を連行したという虚構の主張を繰り出している。誰か日本人がこの構図に対して立ち上がり、「すべてウソだ」と主張すれば、右翼の歴史修正主義者、好戦的国家主義者、あるいは単純な変人のレッテルを貼られることになる。 ベトナムを訪問して戦争博物館を見学するアメリカ人たちは――私もそうだったが――米軍およびアメリカ合衆国がここでどう描かれているかを見て衝撃を受け、悲嘆にくれ、怒りさえ覚える。一方で日本人はこういった日本についての虚構――真っ赤なウソばかりではないか――に対し同じような感情を覚えるわけだが、そうした日本人は歴史修正主義者と呼ばれてしまうのだ。 博物館長のジョハリ・シャフィエ氏は、「9月に北京で開催された学術会議に招待された」とわれわれに誇らしげに語った。北京で彼が招かれたのは「国際第2次大戦記念館協会」だという。そこの日程に含まれていたのは、「中国人民対日本侵略軍抵抗記念博物館、マルコ・ポーロ橋(盧溝橋)」訪問だったという。北京にある中国の情報作戦機関の訪問者名簿 シャフィエ氏は口を極めて「日本人はペナンの女性を強姦し、性奴隷にした」と罵った。 シャフィエ氏は売春婦の重みで傾きそうな島、2015年のいまも性奴隷がそこかしこにいるペナンの島で、DVDプレイヤーの回路基板を用いたカミカゼ「自殺用ベスト」を展示する男である。 マレーシア全体、そのなかでもペナンは現在進行形の人身売買で悪名高いが、彼が非難するのは日本ばかりだ。私は自分の目でそれを目撃した。 中国は、この情報戦を今後の対日本の熱い戦争の前哨戦として利用している。立ち上がるべき時はいまだ。日本は積極的に、中国がばらまく憎悪に対処すべく真実を広めるキャンペーンに投資するべきだ。マイケル・ヨン ジャーナリスト。1964年生まれ。グリーンベレーを経て90年代後半よりジャーナリストとして活動。アフガニスタンやイラクなど戦地の最前線を取材し、イスラム過激派組織と戦うアメリカ軍の活動を至近距離から伝え、注目を集める。近年は「慰安婦」問題でアジア全域の調査を行なう。著書“Moment of Truth in Iraq”は全米でベストセラーに。  関連記事■ <特別対談>慰安婦問題はフィクションだ■ 米軍慰安婦像が米大使館前に建つ日■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき■ 日本の立場を危うくする「アジアの時代」の足音

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    韓国大変! 訪米で岐路に立たされた二股外交の運命

    鮮半島にとっては例年になく熱い夏だった。8月4日に発生した軍事境界線での「地雷事件」が引き金となり、韓国と北朝鮮が一触即発の状態となったからだ。 「地雷事件」で負傷者を出した韓国軍が報復措置として11年ぶりに拡声器による対北宣伝放送を再開したことに反発した北朝鮮軍が、砲弾を数発撃ち込んだあと 「(22日午後5時までに)放送を中止しなければ軍事行動を全面的に開始する」と警告、これに対して韓国軍が「挑発すれば、徹底的に報復する」と応酬したことで交戦必至とみられていた。ところが一転、北朝鮮は韓国に対話を呼び掛け、3日間のマラソン交渉の末、地雷事件で遺憾の意を表明し、矛を収めてしまった。誰が見ても、北朝鮮が腰砕けになった感は否めない。 腰砕けの理由については、(1)最初から戦争をする気がなかった、(2)「挑発すれば、断固報復する」との韓国軍の威嚇に屈した、(3)準戦時態勢を発令した直後の8月22日から23日にかけて、北朝鮮が経済特区として開発に力を入れている咸鏡北道羅先市が豪雨と洪水に見舞われ、軍隊を復旧に回さざるをえなかった、等々が考えられるが、中国の抗日戦争勝利70周年式典出席のため訪中した朴槿惠大統領が習近平主席との会談で「中国が建設的な役割をしてくれたことに感謝する」と述べたことから中国の圧力説も取り沙汰されている。 北朝鮮の砲撃(8月20日)が朴大統領の式典参加表明直後にあったことから、朴大統領の訪中阻止のための仕業と中国が受け止めたとしても不思議ではない。中国共産党機関紙『人民日報』の姉妹紙『環球時報』(8月24日付)が「中国の抗日戦争勝利70周年の閲兵式に実質的に干渉するものであるならば無関心ではいられない。中国は強力に対応すべき」と言及したのは、そうした疑念が拭い去れないからだろう。 中国がどのような「建設的な役割」をしたかについては伏せられたままだ。中国国防部の楊宇・軍報道官は「事実ではない」と否定しているものの香港紙『東方日報』(8月23日付)は「中国人民解放軍が北朝鮮との国境地帯に戦車を集結させ、北朝鮮を牽制した」と報じ、また一時は中国が北朝鮮への石油や軍事物資の販売を全面禁止したとの情報も流れた。 唯一、公になったのは、中国の邱国洪・駐韓大使が21日に「対話で解決すべきだ」と自制を求めたことだ。これに対して北朝鮮外務省は、その日のうちに「われわれは数十年間自制するだけ自制してきた。いまになってどこの誰かのいかなる自制云々ももはや情勢管理に寄与しない」と不快感を露わにした。北朝鮮が説得に耳を貸さなかったことから、中国が何らかの圧力を加えた可能性も考えられる。 実際に金正恩第1書記は、事態収拾後に招集した党中央軍事委員会拡大会議の場で「われわれには誰の支援も同情もなかった」と吐露していた。この発言からも中国が北朝鮮に与しなかったことは明らかだ。その不満として9月9日の建国記念日に寄せられたロシアのプーチン大統領の祝電を『労働新聞』の一面に載せながら、習主席の祝電は二面扱いにしてしまった。パトロンを取るか、用心棒を取るか パトロンを取るか、用心棒を取るか 朴大統領は、今回の訪中で中朝に楔を打ち込み、習政権の取り込みに成功したと自画自賛している。たしかに中国は西側首脳として唯一出席した朴大統領を熱烈歓迎し、厚遇した。皇帝色でもある黄色のジャケットを着て天安門に現れ、習主席、プーチン大統領と並び立ったことで朴大統領はさぞかし「女帝」のような気分になったかもしれない。帰国後、北朝鮮とのチキンレースでの毅然とした対応や訪中が評価され、支持率も急上昇し、1年5カ月ぶりに「セウォル号沈没事故」前の50%台を回復したことで、いまは幸福の絶頂にあるといっても過言ではない。しかし、前途は多難だ。いつ国民から再びバッシングを受け、支持率が急落するかもしれない状況に置かれていることには変わりがない。 難題の一つは、10月16日に予定されている訪米で、北京の式典出席をめぐって生じたオバマ政権との不協和音を解消し、米韓関係を強化できるかどうかだ。 朴大統領は一応、米国への配慮から訪中発表より先に10月の訪米を発表した。また、習主席との首脳会談で北朝鮮の核放棄を定めた6カ国協議共同声明と国連安保理決議の忠実な履行の確約を取り付け、10月10日の労働党創建70周年記念日に合わせて予想される北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射についても「反対する」ことで意見の一致も見た。さらに、米国が強く求めていた日韓首脳会談にもメドを付けた。 北朝鮮問題を外交的に解決するうえで中国との連携は不可欠だが、中国とは異なり、韓国と相互安全保障条約を結び、米軍を駐屯させている米国としては、米韓および日米韓3カ国の安保協力の強化こそが先決だ。米国が韓国に高高度防衛ミサイル(THAAD)の配備を迫る理由もそこにある。 北朝鮮は再三にわたって「ホワイトハウスもペンタゴンもわれわれの攻撃の照準にある」「米国を墓場にする」と恫喝している。金第1書記も今年7月27日の停戦記念日での演説で「もはや米国はわれわれにとっては脅威でも恐怖の対象でもない。むしろ、われわれのほうが米国への大きな脅威、恐怖になっているのが今日の現実である」と豪語している。事実なら、北朝鮮の核ミサイルは米国にとって深刻な脅威であり、米本土防衛のためTHAADの韓国配備を急がなければならない。 しかしTHAAD韓国配備については、ウクライナやシリアの問題で米国と対峙するロシアに続いて中国も反対し、朴政権に配備しないよう釘を刺している。仮に中国の意向を無視して配備すれば、経済制裁という「報復」を食らうかもしれない。朴政権は、その時になって中国が「韓国カード」を使って北朝鮮を牽制し、その一方で「北朝鮮カード」を使ってTHAADの韓国配備を牽制する、そのしたたかさを痛感することになるだろう。 米国内では、韓国が過度に中国に傾斜しているとの批判が台頭し、韓国に冷淡になりつつある。オバマ政権は、米国主導のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に加わらないばかりか、米国が敬遠している中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)にいち早く参加し、副総裁のポストまで要求している韓国の背信を苦々しく思っている。そこへ、いまや米国の安保に喫緊のTHAAD配備に同盟国である韓国が同意しないとなると、韓国への不信が一段と高まることになるだろう。 経済を中国に、安保を米国に依存する韓国からすれば、中国はパトロンで、米国が用心棒のような存在だ。パトロンを取るのか、用心棒を取るのか、朴政権は訪米で重大な岐路に立たされるかもしれない。3カ国首脳会談の目的は歴史認識問題に対する追及3カ国首脳会談の目的は歴史認識問題に対する追及 冷却化した日韓関係の修復も朴大統領に課せられた難題の一つである。 朴大統領は、式典と軍事パレードへの出席の見返りとして習主席から早ければ10月末、遅くとも11月中に日中韓首脳会談を開催することで同意を取り付けた。 朴大統領が三カ国首脳会談に積極的なのは、仲違いしている世界第2位の経済大国・中国と3位の日本のあいだを取り持つことでホスト国・韓国の国際的地位を高めることにある。また、北朝鮮の核問題で3カ国が足並みを揃え、北朝鮮に圧力を掛けることも狙いの一つだ。そして何よりも歴史認識の問題で中国と協調し、安倍総理に対して戦後70年談話で触れた歴代内閣の歴史認識を確実に継承し、行動で示すよう促すことにも狙いが隠されている。 歴史認識の問題は、今回の中韓首脳会談ではほとんど言及されなかった。しかし、朴大統領は8月15日の日本の植民地支配からの解放を祝う「光復節」70周年の演説で、安倍晋三総理の戦後70年談話に触れ「残念な部分が少なくない」と批判した。3カ国首脳会談を前に、握手を交わす(左から)安倍晋三首相、韓国の朴槿恵大統領、中国の李克強首相=11月1日、韓国・ソウルの青瓦台(共同) 中国も華春瑩・副報道局長が談話を発表し、「日本は、あの軍国主義侵略戦争の性質と責任に対してはっきりかつ明確な説明を行ない、被害国国民に真摯なお詫びを行ない、重大な原則的問題でごまかしを行なってはいけない」と反発した。それでも中韓とも日本との首脳会談開催に前向きになったのは、談話に一応「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「お詫び」の4つの「キーワード」が書き入れられたことにもよるが、首脳会談の席で安倍政権に「痛切な反省」と「お詫び」を行動で示すよう圧力を掛けることにある。そのことは、尹炳世外相が岸田文雄外相から談話について電話で説明を受けた際「日本政府の誠意ある行動が何よりも重要だ」と応じたことからも明らかだ。 朴大統領は中国滞在中、『人民日報』(9月4日付)との書面インタビューで「歴史は悠久に流れ永遠に残るものであり、それを認めまいとするのは掌で天を隠そうとする行為にほかならず、自身の能力に対する過大評価」と遠回しの表現ながら安倍総理を批判していた。さらに「現在、北東アジアで起きている各種の軋轢と対立を平和と協力の秩序に戻すためには、領域内国家間の正しい歴史認識に基づき新たな未来に進もうとする共同の努力が必要だ」と述べたことから、日中韓3カ国首脳会談で歴史認識問題を持ち出す可能性はきわめて高い。しかし、その一方で、日韓関係が長期間にわたって冷却したことで日本からの観光客の減少や日本企業の韓国への投資の鈍化、日本国内における韓流ブームの衰退、ヘイトスピーチの台頭などの弊害が生じたことで日韓関係を早急に立て直す必要性にも迫られている。 朴大統領は日中韓首脳会談の流れのなかで、安倍総理との初の日韓首脳会談に応じることになるが、その前に急を要して解決しなければならない問題がある。日韓関係の最大のネックとなっている従軍慰安婦の問題である。 日韓は昨年4月から今年9月まで慰安婦問題などを話し合う局長級協議を9回行なってきたが、依然として隔たりが大きい。韓国国内では、6月11日に東京で行なわれた8度目の協議の翌日、朴大統領が『ワシントン・ポスト』とのインタビューで「韓日のあいだでそうとうな進展があった。交渉は最終段階にある」と発言したことで期待感が高まった。 韓国側の情報によれば、これまでの交渉で韓国は日本政府が法的責任を認め、安倍総理が謝罪し、謝罪の手紙を駐韓日本大使が慰安婦らに直接手渡し、慰労金を政府の予算から拠出させるよう求めているのに対して、日本は従軍慰安婦問題が最終的に解決、決着したことを韓国政府として担保する、解決した証しとして、日本大使館の前に設置されている慰安婦少女像や慰安婦の碑を撤去することなどを求めているとされている。 日本は慰労金を政府が拠出することは国家の関与、法的責任を認めることとして依然として難色を示しており、韓国もまた日本が提示した条件を「これでは、プラスアルファでなく、マイナスアルファだ」として反発していると伝えられている。 韓国メディアは、安倍総理の70年談話についてこぞって批判的だ。それは、記事の見出しを見れば一目瞭然だ。聯合通信は「安倍談話、村山・小泉談話より後退」、『ソウル新聞』は「既存の談話を引用、形式的に言及」、『韓国日報』は「真実味がない」、『朝鮮日報』は「反省、謝罪しない談話」、『韓国経済新聞』は「過去形の談話」といずれも手厳しい。慰安婦問題で安倍政権から善処を取り付けられなければ、朴政権はマスコミや野党から叩かれることになりかねない。 日本とは経済優先か、それとも過去の問題か、朴大統領はこれまた板挟みになっている。どうやら朴大統領を生かすも、殺すも、安倍総理の手中にあるのは間違いないようだ。北朝鮮がミサイル発射を予告 北朝鮮がミサイル発射を予告 北朝鮮のミサイル発射も朴政権にとっては頭痛の種だ。 北朝鮮が、10月10日の労働党創建70周年記念日に向けて長距離弾道ミサイル「テポドン」を発射しそうだ。北朝鮮の国家宇宙開発局長が9月15日、「世界は今後、労働党中央が決める時期と場所から、先軍朝鮮の衛星が大地を高く飛び立つのをはっきりと見るようになるだろう」と発射を予告したからだ。 失敗したものの2012年4月13日のミサイルも金日成主席生誕100周年(4月15日)に合わせて発射されているので、本誌が発売のころには発射されているかもしれない。 国際社会は、衛星であっても、弾道ミサイルの技術を使用していることから安保理の決議に反するとして容認しない立場だが、しかし、北朝鮮はこれまで1度も国連安保理決議を受け入れたためしがない。 土壇場でオバマ政権が打開案を出すか、あるいは中国の習主席が中国の主席として10年ぶりに訪朝し、党創建式典に花を添え、金正恩政権への支持を表明すれば、話は別だが、現状ではどれも絵に描いた餅である。まして韓国とのチキンレースで腰砕けとなり最高司令官としての面子を失い、権威を失墜した金第1書記としては失地回復の手段として、また抗日70周年式典で朴大統領がど真ん中なのに側近の崔竜海書記が隅の席に追いやられ晒し者にされるなど、冷遇された中国への当てつけとしてもミサイルのボタンを押すだろう。 北朝鮮がミサイルを発射すれば、国連安保理が招集され、制裁の強化が検討されることになる。そうなれば、朴大統領の成果であった10月20日から予定されている南北離散家族の再会事業も吹っ飛んでしまうだろう。仮に、北朝鮮が過去の事例に従い、国連の制裁決議に反発して四度目の核実験を示唆するようなことになれば、11月ごろまでに予定されている日中韓および日韓首脳会談は歴史認識どころの話ではなくなってくる。 北朝鮮がミサイル発射を示唆する前の9月10日、韓国の韓民求・国防相は、10月16日の米韓首脳会談では「現在のところTHAADの配備は議論されないものと理解している」と述べていたが、その前に北朝鮮が米本土を射程にする長距離ミサイルを発射すれば、米国からのプレッシャーが強まるのは避けられない。 ハリー・ハリス米太平洋司令官は米上院軍事委員会の公聴会に出席(9月17日)し、「THAADを韓国に配備することが重要だと考えている」と主張していた。仮に米韓首脳会談でオバマ大統領が持ち出さなかったとしても、11月上旬に予定されている米韓国防長官会談では議題となるのは確実だろう。 オバマ大統領の顔を立てれば、習主席が機嫌を損なうことになり、朴大統領の二股外交は大きな試練に立たされるだろう。ぴょん じんいる 1947年東京生まれ。明治学院大学文学部英文科卒業後、新聞記者を経て、フリージャーナリストへ。82年、朝鮮半島問題専門誌『コリア・レポート』創刊。朝鮮問題の第一人者として、テレビやラジオなどで評論活動を展開。主な著書に『大統領を殺す国 韓国』(角川oneテーマ21)などがある。  関連記事■ケント・ギルバート 韓国人こそ歴史を学べ!■ 日米vs中韓~歴史修正主義批判を問う■ 日韓基本条約50年目の真実~韓国に助け舟は出してはならない!■ 呉善花<緊急寄稿>さよなら、幻想の国・韓国■ [歴史に背く韓国]第二の安重根が生まれる日

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    世界文化遺産でまた煮え湯? 韓国と「国交断絶」の覚悟

    西尾幹二(評論家) 明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産登録問題における韓国の驚くべき裏切りにより、改めて、かの民族がいかに信頼性のおけない民族であるかを、日本国民は広く認識した。 六月二十二日、韓国の尹炳世外相が日本を訪れ、岸田外相と会談したあと、尹外相は「両国が申請した遺産の登録に向けて一緒に協力していくことで意見が一致した」(朝日新聞六月二十二日付)と語った。 また、「韓国も百済の歴史遺産地区について世界遺産への登録を目指している。尹氏は『このような良い協力事例を通じて、今後、他の問題にも好循環ができるよう期待している』とも述べた」(同)。 こうした調整の合意は日本人に明るいニュースとして伝えられ、世界遺産登録へ向け、関係者もメディアも展望が開けたと見た。 この時、私は偶然にも拓殖大学教授の呉善花氏との共著『日韓悲劇の深層』(十月刊行)の出版のため彼女と対談を行っており、その席で呉氏は開口一番、「今度の合意はとんでもない日本側の譲歩です。必ず韓国の騙し打ちに遭います」と述べた。 六月二十九日付産経新聞「正論」欄において、筑波大学教授の古田博司氏もまた呉氏同様に、日本は韓国に必ず騙されると指摘し、次のように明確に予言している。〈「今回の世界遺産申請抱き合わせでもわかるように、韓国の自律行動は、ゴネ、イチャモン、タカリという至極低劣な『民族の最終独立兵器』によって全うされるのが常」「この点に関しての彼らの『恥』意識は存在しない」「むしろ今後、さまざまな要求を抱き合わせてくる可能性がある」〉 結果は二人の予言どおりとなった。 日本国民は、これまで北朝鮮には散々裏切られ続けてきた。北朝鮮による拉致被害者らの再調査が十年ぶりに開始されたのが昨年七月四日。この時、最高指導機関の国防委員会が直轄する国家安全保衛部幹部が再調査の指揮を執るとして外務省も日本政府も期待し、日本政府は北朝鮮への独自制裁の一部を解除した。 ところが、調査開始から一年が経過しても北朝鮮からは知らん顔をされ、「まだ調査の初期段階だから調査結果報告は遅れる」などと足元を見透かされた不誠実な対応を取られ続けている。にもかかわらず、「『政府は交渉窓口が閉ざされることを懸念し、制裁強化を判断するのはまだ早い』(官邸幹部)」(朝日新聞七月四日付)として今日に至っている。 このような北朝鮮の度重なる卑劣なやり口に対して、忍耐の限界を超えるほどの対応をさせられてきたわが国だが、南朝鮮すなわち韓国に対しては、日本と同じ議会制民主主義国家と見做し、共産主義独裁国家の北朝鮮や中国とは異なる対応をとり続けてきた。 しかし、今回の世界遺産登録を巡る韓国の裏切り行為を目の当たりにして、「結局、南朝鮮も北朝鮮と同じ朝鮮人に変わりはない」という呆れ返るほどの、もはや言葉のない絶望にも似た状況に立ち至った。国交断絶を望む強い声 土壇場になって合意を踏みにじった韓国は、強制労働を認めるべきだとして、委員会声明のなかに「force  labor」(強制労働)というナチスの強制収容所に用いられた、世界でもこの意味が通用する概念を盛り込むよう求めてきた。そのため協議に時間を取られ、登録決定が一日ずれ込んだのは周知のとおりだ。 結果は、日本が合意破棄を迫り、韓国の発言を修正させて「forced to work」との表現が採用された。「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録が決定し、スピーチする韓国の趙兌烈外務第2次官(手前から2人目)=2015年7月5日、ドイツ・ボン(共同) 数日後の報道で、六月の外相会談において、すでに委員会での声明を「forced to work」とすることが尹外相の提案で両国が合意していた内容であることが明らかとなった(産経新聞七月十一日付)。 岸田外相は、「働かせた」(forced to work)という表現は強制労働を意味するものではないと釈明している。しかし、欧米人は意思の自由を人格の自由の根幹と見做しており、「force」という単語が含まれている限り、形容詞的に使われようと動詞的に使われようと、労働者の自由意思を踏みにじった意味であることはなにびとも否定することはできない。すなわち、強制労働という意味に読まれることは避けられない。 それも六月の外相会談において、すでに「forced to work」で合意していたというのだから驚きだ。要するに外務省には、はじめから世界遺産登録の実現を優先させ、日本の国益と名誉を守るという必死の思い、「強制」という言質を取られまいとする気概に欠けていた。その決定には当然、官邸の意向も働いていたと考えるのが自然であり、官邸の責任も重大である。こんなことを初めから認めてしまっていたのは日本外交の取り返しのつかない大失態で、第二の河野談話、日本外交の大罪とも言える。 実はわが国の国内には、世界遺産登録の発表前から、この際、世界遺産登録が実現せず、日本人の韓国に対する意識が一段と厳しくなるほうが良いのではないか、といった意見さえ見られていた。 世界遺産登録阻止となれば韓国はお祭り騒ぎだろうが、その後の韓国経済危機、平昌オリンピック危機で日本政府を当てにすることはまったくできなくなり、金輪際一切の関係を断ち、国交断絶に近い状態にさえなることを望む強い声も日本国内にある。言葉にはしないが、そう思っている人は少なくないに違いない。 登録決定後も、日本外交の完全なる敗北であり、深い失望感を表す声が私の周りからも聞こえてくるし、インターネット上にはそうした書き込みが多数見られる。外務省は白痴の集団か外務省は白痴の集団か 菅官房長官は七月六日の記者会見で「強制労働を意味するものではないということをかねてより申し上げている」と語ったが、かねてより申し上げていても、その説明が世界では全くと言っていいほど理解されていない。よくよく考えなければならないのは、我々は国際社会のなかにあってこの問題に対応しているのであり、諸外国に「かねてより申し上げてきた」わけではないだろう。世界は今回、これをどう受けとめたか。「戦争犯罪である残虐行為が行われた場所が、日本の世界遺産となった」(CNN)「日本が強制労働の事実を認めたことで世界遺産に登録」(ガーディアン)「日本政府、世界遺産の遺跡での過去の強制労働を認める」(フォーブス)「軍艦島における戦時の強制労働の歴史を認めたことで世界遺産に登録」(ワシントンポスト) このような外電を見る限り、世界遺産登録などしないほうがよかったのではないかと後々まで言われかねない大きな傷跡を残したと言える。現に、安倍総理のツイッターやフェイスブックには「第二の慰安婦問題じゃないか」といった批判が殺到していると聞く。 案の定、韓国では「日本『韓国人の意に反して強制的に働かせた事実ある』」(中央日報七月六日付)など、日本政府が初めて公式に強制労働を認めたものとして大宣伝を始めるといった早くもお祭り騒ぎである。 古田博司氏は七月九日付産経新聞「正論」欄でこう予言する。「『強制性』さえあれば、不法だったと言い訳ができる。(中略)朝日新聞が『従軍慰安婦』の誤報を認めたことで『強制性』の大半は剥奪された。残るは『徴用工』で、韓国は必死に挑んでくることだろう」 そもそも徴用とは、戦争の目的遂行のために国民が参加協力するものであり、日本のみならず英米をはじめ世界の多くの国で戦時中に行われていたことである。これを戦後、強制労働だったなどと言い出して糾弾している国はどこにもない。「強制労働」などではなく、労働力不足を補うための民間人の労働協力であることは、国民も理解していた。 当時、中学生だった私の兄も、あの時代の学生は学力が遅れたとのちに言われたほど一日中、工場に駆り出されていた。女学生も、そして主婦までもが工場や農場などに総力戦のもとで動員された。そうした光景を、私は幼少時代の記憶としてはっきりと覚えている。 日本では昭和十四年に国民徴用令が制定され、朝鮮半島に適用されたのは五年後の昭和十九年だった。当時、朝鮮半島出身者は日本国民の立場にあったが、五年の時間差は日本側が遠慮していたせいだろう。昭和十九年は戦争末期であり、朝鮮人は日本国民の一人として同等の扱いを受け、規定の賃金も支払われていた。慰安婦(娼妓)と同様、朝鮮人がとくに不利に扱われていたという歴史的事実は一切ない。 こうした史実を今後、世界にどう発信し、理解を求めていくのか、「かねてより申し上げている」と繰り返しているだけでは、日本の名誉と国益がますます損なわれてしまうだろう。はたして、官邸も外務省もそうした対外情報戦略を行っているだろうか。 答えは否である。五百億円の予算をつぎ込んだ対外情報戦略が新たに打ち出された。ところが、「ジャパン・ハウス」なる対外発信拠点を作り、箱物の建設やアニメや日本食の宣伝活動──アニメや日本食は放っておいても広まる──という外務省の新計画は、白痴の集団かと思わざるを得ない絶望的な政策である。 この予算の一割でも対外情報宣伝や史実の翻訳作業に費やし、あるいはNHKが頼りにならないのであれば別の国際通信メディアを作り(一部で動き出していると聞く)、NHKの予算を縮小するなど具体的な手を相次いで講じるのでなければ、すべてが手遅れになりかねない。驚くほどの反日国家ドイツ 情報宣伝という面では、今回の世界遺産登録では日本には不運な事情があった。それは、会の開催地がドイツであったことである。 多くの日本人はドイツは親日的な国家だと思っているかもしれないが、私の知る限り、一般のドイツ人は日本の成果や成功に対して冷淡そのものである。英国放送協会(BBC)の国際放送「ワールド・ワイド」が二〇一四年に行った「日本に対する好感度」の世論調査の結果、「日本が嫌いだ」という国は、中国がダントツで九〇ポイント、次いで韓国が七九ポイント、ここまでは誰もが理解できるが、三番目が意外なことにドイツで四六ポイントとなっている。 なぜなのか、と強い疑問を覚える人も少なくないだろう。ドイツが日本を悪く報道する心理的根拠はどこにあるのか、本論ではその点を深く論ずるのが主題ではないため、ここでは箇条的に申し上げるに留める。 まず第一に、ナチス犯罪を歴史に抱えるドイツは自らの戦争犯罪を日本にも期待し、“犯罪の同伴者”でいてほしいという心理がある。ナチスによる“歴史の大罪”は、とてもドイツ人だけでは背負いきれない。日本にはホロコーストはないのでとんでもない言いがかり、誤認であるが、何としてでも日本も“戦争犯罪の同伴者”に繋ぎ止めておきたいという深層心理がある。 第二に、英仏以下の他の欧米諸国はアジアに向かって植民地を拡大してきた歴史をもっているのに対し、ドイツはそうした海外競争に立ち遅れていた。そのため、アジアのことをあまりよく知らない。その状態がいまだに続いている側面がある。 第三に、第一次世界大戦で日本はドイツの敵国となり、ドイツが唯一保有していた太平洋の利権である山東半島とマリアナ諸島を日本に奪われたことを恨みとしている。日独防共協定が締結されたあとにも、ヒトラーは蒋介石の国民党を支援していた史実からもその点は窺えよう。 第四に、一九八〇年代に経済大国の看板を日本に追い抜かれたこと。兄貴だと思っていたのに弟分にしてやられた口惜しさ。これが案外にも一番の理由かもしれない。 いずれにしてもドイツは驚くほどの反日国家であり、国民こぞってそうだということを、日本政府をはじめ外務省はきちんと認識していただろうか。その国の持つ深層心理にまで深く根差した外交政策をとらなければ、これまでどおり、日本は何度も騙されるだろう。ドイツと韓国の「共闘」ドイツと韓国の「共闘」 案の定、韓国はドイツの強い反日意識を巧みに利用した働きかけを行っていた。こうした宣伝戦においても日本は明らかに劣っていた。「世界遺産委員会の開催にあわせて韓国の市民団体が各国代表団の宿舎でもあったボン市内のホテルで日本が登録を目指す施設の写真とアウシュビッツの写真を同時に展示する写真展を開催し、さらに審議の二日前には『軍艦島とアウシュビッツは同質のものだ』とする主張を官民一体でドイツをはじめとする委員国の代表メンバーに展開」(日本政府関係者)「アウシュビッツを絶対悪とするドイツ出身のベーマー議長が韓国のネガティブ・キャンペーンを繰り返し聞かされるうちに、(中略)韓国寄りに舵を切ってしまったのです」(同)「登録の決議文には『世界遺産委員会は日本の発言に留意する』との脚注が加えられたが、(中略)ドイツのベーマー議長が韓国の意を汲んで加えるよう求めたものだという」(『週刊文春』七月十六日号) 韓国の思惑どおりに議事が進行していった背景には、反日国家ドイツの協力があった。そのことは日本にとって不運であったし、関係者にとっては迂闊であった。 付言すると、いま世界地図はアメリカ・日本vsドイツ・中国という構造が強まり始めている。やがてはエマニエル・トッドが言うように、「ドイツ帝国」が中国の軍事的・産業的な強化増大に寄与し、日本を窮地に陥らせる事態も予測される。 今回の世界遺産登録を巡るドイツと韓国の「共闘」は、その前哨戦のような不吉な出来事でもあった(中国と韓国は、同じ全体主義国家群として一括りにされる必然性がある)。韓国で日本人は奴隷階級 話を韓国に戻す。韓国はなぜ北朝鮮と変わらず平気で嘘をつくのか。彼らが日本人をどう見ているのか。今回の世界遺産登録における裏切り行動の根源がどこにあるのかを少し探ってみたい。 前駐韓特命全権大使の武藤正敏氏と産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘氏との対談(『正論』七月号)を拝読した際、かなり思い切った意見を駐韓大使もお持ちであることは理解できたが、韓国の閉ざされた精神性の歪み、宗教的習俗の奥まで見通せているかというと、残念ながらその認識には達していないように感じた。 韓国では儒教朱子学を国教とした李朝以後において、両班、中人、常民、賤民の四階級があるなかで、日本人は最低の賤民階級以下の奴隷階級であると、我々からすれば筆にするのもばかばかしい位置づけがなされている。 と同時に、韓国では日本民族のルーツは朝鮮半島にあるというトンデモ古代史がある。天孫降臨神話はニニギノミコトが天上から地上に降りて来た神話だが、そのときに降り立った地は、これまで宮崎県の日向と想定されてきたがそうではなく、南朝鮮からの渡来人が北九州に降り立った、これが日本の皇室の祖先に繋がるという説である。 こうした話が韓国では広く認識され、まことしやかな関連本がたくさん出ているし、シンポジウムや研究会議も開かれていると聞く。 たしかにわが国は五世紀頃に半島との交流が盛んになり、渡来人が技術や文字を日本に伝えたことは一応、歴史上の事実として知られてはいる。そのため韓国は、儒教も仏教も漢字も野蛮な日本人に教えてやったと自慢げに語り、あらゆる歴史教科書はここを過度に強調する。ところがその典拠は、実は『日本書紀』なのである。朝鮮の最古の史書『三国史記』はやっと十二世紀であり、朝鮮にはこれを補完する古代の複数の関連史書がないのだ。そのため、トンデモ古代史はあとを絶たない。「集団狂気」の国「集団狂気」の国 六六三年の白村江の戦いなどで百済が滅亡し、王族や貴族たちも含め一千人規模の日本への亡命者がいたとされている。当時の日本の推定人口は五百万~六百万人である。これらの事実から韓国の歴史学者は、日本人の主体は朝鮮半島で生きられなくなって日本に渡った敗残の韓民族だというのである。 滅亡した王朝の王侯貴族だけでなく食いっぱぐれの流民たち、罪人・貧困者・浮浪者たちが日本人を構成した。祖国では生きられない恨みとコンプレックスを抱いた韓民族の子孫が日本人の本体である。 だからこそ、その後の歴史で、恨みを晴らすために秀吉の侵略、日帝三十六年の植民地化、現代の差別化など反韓的な振る舞いに及ぶのであろう、などという。 つまり日本人とは、彼ら韓国の学者たちによれば、在日韓国・朝鮮人のなれの果てなのである。しかも半島では立場を得られなかった敗残者で、それゆえに当然ながら、日本人は四つの階級のさらに下の階級に属するとみなされてしかるべきだ、と考えられるのである。 そのため、いまでも韓国では日本人を「倭奴」ないし「犬」と称しているし、これからもずっとそう呼び続けるだろう。「犬」である日本人との合意や約束など、端から守る気がないということなのだ。 加えて韓国では第二次世界大戦後、伝統となっていた漢字漢文の表記法をやめてしまい、反日からオールハングルに切り替えた。それでいてハングルの背後にある漢字語に縛られ、同音異義語を理解できず、文章の単純化を招き、そのため抽象的思考ができずに知性の衰弱に襲われ、頭が硬直化している。自国の歴史を読むことすらできないので物事を深く考えることもできず、嘘も平気でつき、それを恥とも思わない。 こうした「集団狂気」の韓国を相手に、日本人が彼らに謝罪をすればやり過ごせると思うのは実に愚かである。たとえいくら謝罪しても、いくら賠償金を払っても、絶対に終わりがないからだ。 言い換えればこのことは、日本人が過去に行った行為で彼らが反日意識を持っていると考えるのは全くの間違いだということである。彼らの反日感情は、ただひたすら日本人が儒教朱子学の序列秩序に黙って従うこと、すなわち頭を下げ続けること、そして屈服し続けることを要求する情念に発している。日本の過去の行為の内容いかんに発していない。 したがって、今回の徴用工の問題でも何が何でも日本をやっつける、つまり「強制労働」に対する謝罪を要求してくることは十分に予想がついたはずである。それが韓国の民族の行動パターンなのだ。それに気づかず、またしてもまんまと騙しの罠に嵌るのは、単に不器用というだけでは済まない。日本政府の、事に臨むにあたっての冷徹な洞察力の欠如や、世界遺産登録なんかしなくてもいいから国民の名誉を守ってほしいという、日本人の心の奥にある祈りのような気持ちが分かっていない認識の不足にあるといえよう。 六月二十二日放送のBSフジ「プライムニュース」で、自民党衆議院議員の逢沢一郎氏が「アジア女性基金から支払われた金銭の受け取りを、挺対協の介入もあって韓国側は拒否したではないか」と津田塾大学准教授の朴正鎮氏に質した。 その時、朴氏は「お金は問題じゃないんだ」と述べた。すると逢沢氏はハッとした顔をして、「またそんなことを言うのですか。いつもそういうことを言う。それならどうすればいいのですか?」と訊いた。それに対して朴氏は言い淀み、黙っていた。 そのやり取りをテレビで見ていた私は、韓国は合理的とか現実的な解決など一切求めておらず、ひたすら精神的なことだけを求めていると感じた。精神的なこととは要するに、日本が地べたに頭を擦り付けて謝り続けることである。韓国が求めていることはその一点なのだ。それが根幹にあって、その証拠に、遂には李明博前大統領が天皇にまで土下座を要求したではないか。 かの国に賠償がどうの、謝罪がどうのというのは一切無意味なのだ。もはや韓国人は、根本的な精神構造の異常さからくる対応困難な人種と見るほかないのである。「対韓思想政策」を練り直せ かつて私は韓国の総合月刊誌『月刊朝鮮』の編集長・趙甲済氏と、誌上で論争をした経験がある。趙氏は日本でも知られた韓国の代表的な知識人であり、産経新聞コラム「正論」のメンバーを務めた親日家である。その時の彼の発言の一部を紹介する。「古代国家日本を作った主役集団は、韓半島を経て渡っていった北方遊牧民族出身の騎馬戦士だと私は考えます」「古代の日本の執権層が渡来人だったと私は確信します。米国大陸を開拓した主役が英国から集団で渡っていった人々だったのと同じことではないですか」「米国は英国渡来人が作った国ですが、英国よりもより先進的な文明を作りました。日本もそのようなケースではないかと考えます……」「数日前ソウルに来ていた崔書勉(前東京韓国研究院院長)氏に会いました。崔氏は『なぜ韓国人は天皇の訪韓に反対するのか分からない』と語りました。『天皇が告白したように天皇家こそがもっとも成功した在日同胞ではないか。成功してワールドカップに合わせて故郷を訪問したいというのに、なぜじゃまするのかということだ。歓迎しなければ』 ひとしきり笑い終えると韓日関係が新しい次元で見えるのでした」(『現代コリア』二〇〇二年四月号) 韓国の親日的な代表的知識人がなお根強く、このようなレベルの妄想に囚われているということこそ、私たちがよくよく理解し、認識し、そのうえで対策を立てなければならないことを示す。小手先の対応や善意では日本外交は行き詰まり、国際社会の悪意の坩堝に巻き込まれる恐れがある。よほど腹を据えてかからなければならない。はたして日本政府は、韓国に対する国民の激しい怒りや苛立ちに気づいているだろうか。 もう韓国を拒絶せざるを得ない、もうここから先は相手にすべきではない、本来なら国交断絶というところまで来ているのだという認識をしっかり持ったうえでの外交をしていくためには、用心深い心構えと冷徹な準備が求められる。 そのためには、韓国の思想の根源や深層心理を、朝鮮半島全体を俯瞰して捉え直す必要がある。日本政府は抜本的な「対韓意識政策」あるいは「対韓思想政策」を練り直すことが急務として求められている。   

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    安倍首相 気緩めれば世界中に中国新幹線走り全米に慰安婦像

    、安倍首相は9月26日から訪米し、国連総会で各国首脳との立ち話外交を展開した。その中で、自ら朴槿恵・韓国大統領に近寄り、9月初めの朴大統領と習近平・中国国家主席の首脳会談について、「会談の成功をお祝いします」と祝辞を述べた。 この中韓首脳会談は朴大統領が中国の「抗日戦争勝利記念式典」(9月3日)に出席するため訪中した際に行なわれた。しかも、現地で朴大統領は「歴史は永遠に残るものなので、それを認めないのは手のひらで空を隠すのと変わらない」と安倍批判を展開していたからだ。日本バッシングで一致した中韓首脳会談を「お祝い」するのは奇異に映る。 これまでの安倍首相は、「中国や韓国に下手には出ない」という強い外交姿勢を取ってきたことを考えると、これでは“安倍首相らしくない”弱腰であり、こうした点から「燃え尽き症候群」ではないか、との声が出ているのだ。このままでは韓国や中国からも押されまくられることになる。 安倍首相が訪米する直前の9月22日には、サンフランシスコ市議会が「慰安婦記念碑」を建立する決議を可決した。記念碑をめぐっては、韓国側と日本政府が互いにロビー活動を展開したものの、全会一致で可決されて日本は惨敗、市内の公園や広場に記念碑が建てられることになった。韓国側は米国全土での慰安婦像・記念碑建設を戦略的に進めている。米サンフランシスコ市議会で従軍慰安婦の碑建設を促す決議採択を喜ぶ中国や韓国系の住民ら=2015年9月22日(共同) 日本政府がインフラ輸出をテコに進める中国包囲網も次々に食い破られそうだ。ベトナム新幹線の凍結に続いてインドネシアでも計画が撤回、今後、マレー半島新幹線計画やインド新幹線計画でも「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)の資金力を武器にする中国に巻き返される可能性が高い。 安倍首相が安保法制で「日米同盟が強化された」と気を緩めれば中韓にいいようにやられて、世界中に中国製新幹線が走り、米国全土に慰安婦像が立てられるのは時間の問題だろう。関連記事■ 安倍首相 オバマ氏会談後「遠くから来たのに冷たい」と愚痴■ 安倍首相側近 韓国と首脳会談しても国益上さほど得はしない■ 米に促された岸田外相の韓国外相への平身低頭握手は屈辱的敗北■ 安倍首相 オバマ氏に米中会談の話聞くどころか会うのやっと■ 靖国参拝しなかった安倍首相 中国との関係修復に腐心との評

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    賭けに出る韓国  北朝鮮包囲か米韓関係か

    0日付ウォールストリート・ジャーナル紙掲載の論説にて、中韓の緊密化は中国の対北朝鮮政策を変えるために韓国が取った手だと考えることもできる、と述べています。 すなわち、28日の国連演説で朴槿恵大統領は、北朝鮮の核開発に国際社会が注意を払うよう訴えた。世界第4位の軍隊の7割が南方に前方展開しているほか、北は世界最大の特殊部隊を保有している。近々打ちあげるとしている衛星ミサイルに核、化学兵器を装着すれば韓国にとり大きな脅威になる。対日政策ではなかった中韓緊密化 このような状況で中韓関係は緊密化している。多くの者が中韓接近は両国共通の反日姿勢の結果であり、中国による日韓離反策であると考えている。そういうことかもしれないが、南北関係に注目すると、韓国が半島での特異な機会を見出し中国に手を打っていると説明することもできる。 北朝鮮支持をやめるほどではないが、中朝の外交乖離は明らかだ。昨年習近平は北朝鮮ではなく韓国を訪問し、金正恩とは未だ会っていないのに朴槿恵とは6回も会談している。先の抗日戦勝利式典で朴槿恵は主要な招客だった。 中国は、北朝鮮の挑発的な行動が海軍のプレゼンスやミサイル防衛の強化等当該地域での米の役割拡大に繋がることを恐れている。そこに韓国は機会を見出している。長年、中国の北朝鮮支持政策に悩まされてきた韓国は、統一に関する韓国の考えに中国を同調させ、北の非核化への中国の支持を獲得したいと考えている。それが可能かどうかはわからない。韓国の対中接近は具体的な成果よりも希望に基づいたものだ。日本が歴史に対して充分に誠実でないとの共通の認識もあり、韓国は米の同盟国にしてはあり得ない程好意的に中国を捉えている。iStockより しかし、中韓関係の緊密化は対米関係を複雑にする。韓国関係者は厳しくなっている米中関係の中で動かねばならないことを充分理解しているが、中国の姿勢を変えることができるかどうかを試す「外交空間」が欲しいとしている。これは地勢学上の連携の変更や対米同盟からの離反を意味するものではなく、もっと狭義の外交努力だと韓国はいう。しかし、この均衡外交はトリッキーだ。既に問題が起きている。米国はTHAADミサイル防衛システムの韓国配備を求めているが、中国がこれに反対、韓国は未だ配備を受け入れていない。中国が対北政策を具体的に変更することを条件に、米国は韓国にこの外交空間を認めるかもしれない。北朝鮮の衛星発射に対する安保理での中国の対応が、韓国の賭けが功を奏しているかどうかの判断材料になる、と述べています。出典:Richard Fontaine,‘Seoul’s China Gambit’(Wall Street Journal, September 30, 2015)http://www.wsj.com/articles/seouls-china-gambit-1443627076*   *   * この記事は、韓国の対中接近につき懸念が強まるワシントンの中で、それを敢えて前向きに見てみようとしているようです。しかし、韓国の「賭け」が中国の変化をもたらすかどうかはわからない、対中接近は具体的な成果よりも希望に基づいたものだ、と冷めた見方もしています。戦術的にはともかく、中国が統一と対北政策につき戦略的に変わることは、少なくとも近い将来は考えられません。対北朝鮮戦略を見誤るな 粘り強い交渉を 韓国の対中接近外交は重要なリスクを孕んでいます。韓国は、経済の重要性の他、南北統一に当たって中国の支持を確保したいと考えています。同時に、対中接近は中国の対外関係の中で北朝鮮を出来るだけ「疎外化」することを目的にしています。更に、対中接近については中国が仕掛けている面があります。日米韓の協力体制に楔を打ちたいという中国の基本戦略があります。既にTHAADの問題に見られるように中国の戦略は功を奏しています。韓国にとってバランサー外交は、米中や日中の間にあって永遠に魅力ある外交オプションなのでしょうが、日米韓協力体制の利益を得ながらそれを追求することは、そもそも機能するものではありません。韓国には戦略的選択が求められています。 朴槿恵は南北関係に大きな関心を持っています。2002年に訪朝し金正日とも会談、2011年には米外交誌に南北信頼外交の論文を書き、2014年1月には南北統一は「大博(テバク)」だと打ちあげ、同年3月にはドイツのドレスデンで対北政策を打ち出しました。南北問題はうまくいけば政権支持率を高めることにもなります。朴槿恵は硬軟両様の対北政策をとってきましたが、北は強く反発、未だ具体的成果は出ていません。抗日戦勝式典出席の際、習近平と統一問題につき有益な協議をしたと韓国政府は「自画自賛」していますが、韓国のメディアや識者の間からも、米日との関係の手当てが先決だとか、韓国が果たして中国と南北統一を語る段階にあるのか分からない、北朝鮮の核問題を先に解決するべきではないか、といった批判が出ています。 韓国が今やるべきことは、中国ではなく、北に対して辛抱強く交流を深め、それにより北の内政に影響を与えていくことではないでしょうか。予想以上の速さで達成された東西ドイツ統一は、往来の積み重ね、ソ連の弱体化、ゴルバチョフの新思考外交などの素地があって可能となりました。 統一問題については日本も良く思考しておくことが大事です。それは同盟帰属を含む北東アジアの安全保障に大きな影響を与えます。日米協議が重要であり、日米韓で話し合うことも試みるべきでしょう。

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    韓国にとって日本はどういう国なのか

    久保田るり子(産経新聞編集局編集委員) 韓国にとって日本はどういう存在なのか。10年前、小泉純一郎首相の靖国参拝に反発した盧武鉉政権が「新対日ドクトリン」という物々しい外交原則を発表したことがあるが、そこにはこうある。「日韓関係は日本の謝罪と反省が基礎である」 韓国は憲法の前文で「悠久の歴史と伝統に輝くわが大韓国民は、3・1独立運動(1919年、朝鮮全土で人々が決起し運動家が独立を宣言)により建設された大韓民国臨時政府の法統を継承する」と明記している。この一文には、日本統治を歴史から抹殺したいという想いが詰まっている。少なくとも日本時代は日本に不法、違法に占拠されていたのであって、『我々はこれを認めない!』とする立場が示されている。「臨時政府」(1919-45年)は、李承晩や呂運亨ら独立活動家によって上海(のちに重慶)に設立された。だが連合国、枢軸国の双方から認められず、米軍に解体された。しかし韓国は、いまも「幻の政府」の正統性を国史の根幹としている。世界史的からみると、虚構を生きていることになる。 だから、日本統治は「不法」で当時を「日帝強占期」と呼ぶ。力によって強制的に占領されたと位置付ける歴史観のみが韓国にとって「正しい歴史認識」なのである。だから、日本にはいつまでも、何度でも謝ってもらわなくてはならないのだ。朴槿恵大統領の「加害者と被害者の立場は1000年過ぎても変わらない」という言葉の真意である。 しかし、日韓併合の合法・不法論争は、実はとっくに学術的な決着がついている。 不法論を国際認知させようと考えた韓国は、2001年に「韓国併合再検討国際会議」という国際会議を主催した。日韓のほか欧米からも歴史学者らが参加しハワイ、東京、ワシントンで開かれた会議で、韓国側は併合の不法性を全面展開した。 彼らが特に根拠としたのが「第二次日韓協約」(1905年)での強制性で、不法な強制(脅迫)により外交権を奪っての日韓併合は「不法であり無効」との持論を主張した。しかし日本側は皇帝(高宗)の日記などを分析して高宗が協約に賛成していたことを実証した。また英国の学者などから、当時、米英など列強が日韓併合を認めた以上「違法・無効論」は成り立たないとの見解が相次いで、韓国はこれに反論はできず論争には終止符が打たれた。 これで怯む韓国ではない。その後、今度は「反省と謝罪」の要求の矛先を日韓基本条約(1965年)に変え、これにチャレンジ(挑戦)を開始した。キーワードは「人権」である。女性の人権(慰安婦問題)、個人の賠償権(徴用工問題)である。6月22日、ソウルの日本大使館前で抗議行動をする徴用工の遺族ら(共同) 盧武鉉政権が慰安婦問題で「(基本条約の)請求権協定で解決したとみることはできず、日本の法的責任は残っている」との初めての政府見解を出した。その後、慰安婦問題は2011年、憲法裁判所が「慰安婦が(日本から)賠償請求を得られるように(韓国)政府が行動しないのは憲法違反」との賠償請求権判決を出した。徴用工問題でも、韓国大法院(最高裁に相当)が2012年、「個人の請求権は消滅していない」と判断し、これに依拠して日本企業がいまも続々と訴えられている。 併合不法論も請求権の蒸し返しも、国家のアイデンティティーとは別に、もうひとつの政治性を帯びている。つまり併合したのは現在の韓国だけではなく、北方の北朝鮮があり、未来の日朝国交正常化交渉の重要なテーマとなるからだ。韓国の併合不法論者や慰安婦・徴用工支援勢力の核心部には親北派が見え隠れしている。 もちろん韓国では、「安倍談話は村山談話、小泉談話から一歩も後退してはならない」「日本は植民地侵略や慰安婦動員に対する責任を認める謝罪を」とする声は保守、進歩を問わずにあるから、「過去」をめぐる日韓論争のなかに北朝鮮勢力の思惑を見極めるのには、それなりの眼力がいる。『和解のためにはまず侵略を認め、植民地支配に反省と謝罪を』とする日本の贖罪派の、何と平和で情緒的であることか。

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    韓国軍不祥事、今も韓国を支配する法より大義の儒教モラル

    高月靖(ノンフィクションライター) 韓国に深い傷跡を残した2014年4月のセウォル号沈没事故。この痛ましい惨事はまた韓国社会に巣食うさまざまな病弊を炙り出した。その1つが韓国軍の不正問題。きっかけは海難事故の救助を目的に約170億円を投じた韓国海軍の最新鋭救難艦「統営」が、全く役に立たなかったことだ。 2010年の韓国哨戒艇沈没事件を機に建造された「統営」は、水中探索機や最新鋭ソナーなどのハイテク救助装備が目玉。本来なら2013年に実戦配備され、翌年のセウォル号事故でも出動できたはずだった。だが2012年の進水後、装備品の欠陥が次々に発覚。そのせいでドックに塩漬けされ、出航すらできない有り様だった。 軍の装備を納入する企業に天下りした軍幹部OBが手抜きと横領で私腹を肥やし、生死のかかった現場の装備は欠陥品だらけ――。セウォル号と「統営」の問題を受けて2014年11月に発足した合同捜査団が明らかにしたのは、韓国軍のこんな実態だ。 軍の深刻な不正は社会を驚かせたが、いっぽうで「またか」というおなじみの既視感も拭えない。例えば朝鮮戦争のさなかだった1951年には、国民防衛軍事件が起こった。10年に一度の大寒波のなかを約50万の韓国兵が徒歩で行軍した際、軍幹部が食糧や装備品の予算を横領して飢餓などの大惨事を招いた事件だ。死者の数は9万人に上るともいわれる。 こうした不正の原風景は、朝鮮王朝時代末期の19世紀中頃まで遡ることも可能だ。地方の兵器庫に納められているはずの武器、武具を地方官僚たちがごっそり売り払っていたことが、フランス人宣教師の詳細な報告に記されている。 もちろん不正腐敗は日本をはじめ全ての社会にあるし、個々の事例を思い込みで結びつけるのも早計だ。ただあくまで1つのヒントとして、こうしたもろもろの既視感を手っ取り早く消化してしまえるキーワードがある。それが「儒教」だ。伝統的な儒教様式で行われた「国際花と緑の博覧会」韓国庭園の起工式=1989年10月26日、大阪・鶴見緑地 韓国の儒教といえば「女性軽視」「敬老精神」「冠婚葬祭」「男児選好」など、目に見えやすい伝統文化がよく話題にされる。またその弊害の解消を通じて「現代韓国は儒教社会から脱皮しつつある」というのも定説だ。だが500年にわたって人々を支配した伝統的思考は、彼ら自身も意識しない不可視の領域にいまも根を張っている。 明との君臣関係の上に成立した朝鮮王朝は、儒教を統治理念に据えた。その中核思想となったのは、大義名分を重視する朱子学。これに基づいて身分、年齢、性別、家族の続柄などが、全て垂直の上下関係に位置づけられた。そしてこの序列を人が生きる倫理、モラルの絶対的な根源とし、貴族から庶民まであらゆる階層が徹底的に教化されていく。 やがて朝鮮王朝の朱子学は17世紀以降、形式的な「礼学」の追究に終始して発展が停滞。また儒教の序列と相容れない西洋文明は忌避され、科学技術の進歩も道が閉ざされる。こうして儒教理念一辺倒のまま硬直化した朝鮮は、官僚、貴族たちの凄まじい不正腐敗で荒廃していった。彼ら支配層の意識にあったのは、垂直の序列に沿って上昇することだけ。地方官僚も中央政府への登庁しか視野になく、後先を顧みない収奪に明け暮れた。他人の生死を顧みず蓄財に奔走する軍幹部OBも、同じ構図に違和感なくオーバーラップする。 誰もがひたすら中央を目指す垂直型の上昇志向は、学歴偏重と受験戦争を生み出す原動力でもある。科挙試験で地方貴族が中央に任官された時代は20世紀初頭に終わったが、上昇志向の構造はいまも同じだ。その後の日本統治と朝鮮戦争を経て間もない1960年代、韓国では早くも受験戦争の過熱が社会問題化している。1969年に中学受験を廃止、1974年に全ての高校の学力を平準化するなど、対策の歩みは半世紀に及んだ。生き方、働き方の多様化も模索が重ねられているが、受験戦争は相変わらずだ。学習塾などの「私教育」費は家計を圧迫し、個人債務の膨張や少子化の要因にまでなっている。 厳しい上下の序列は、もちろん職場での人間関係も同様だ。一般論としてよく言われることだが、上司へのつけ届けなど派閥内で上昇するための気配りは日本企業の比ではない。また韓国に特徴的な企業文化として、縁故を重視する「情誼主義」も儒教社会の名残りだ。血縁、地縁、さらに学縁といった単位で集団の序列が束ねられ、縁故者に便宜を図ることを美徳とする風潮さえ伺わせる。そして血縁の序列に基づく繁栄の継承という儒教の一大テーマが、創業者一族による所有と父から子への権力継承という財閥のアウトラインを形作っている。 こうした序列を高みから俯瞰すると、見えてくるのが中華思想だ。地理的な位置関係が儒教倫理の優劣に置き換えられ、中華により近い朝鮮が辺境より道徳的に優れているという世界観を導き出す。したがって領土問題を巡る対日批判も、「倫理的に誤った状況を正さなくてはいけない」といったモラル上の使命感をしばしば漂わせる。 そのほか法律より国民感情を優先する「国民情緒法」といった概念も、儒教をふまえれば理解が容易だ。朝鮮の儒教社会において人が作る制度は、理念や倫理の下位に置かれる低次元なツールにすぎない。つまり倫理的な正統性があれば、法律など後から改変しても構わないという思考が成り立つわけだ。このように大義名分を主張することで規定のルールや約束を乗り越えようとする姿は、K-POPや韓流スターの契約騒動にさえ見受けることができる。 もちろん韓国人の思考を形作る要素は「儒教」だけではない。地理的・歴史的環境、南北のミリタリズム、また国際社会のスタンダードな価値観までが無数に絡まり合っている。だがそれらを単一の切り口で分かりやすく抜き出すキーワードとしては、まだ有効といえるだろう。

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    これぞ田舎民族主義…元毎日新聞ソウル支局長が見た韓国の歴史博物館

    ウルに出かけた。最近の僕のフィールドである「歴史ルポルタージュ」取材のためだ。1週間の滞在中、多くの韓国人に会ってインタビュー取材をしながら、韓国史に関連する6カ所の「博物館」も参観した。予想以上に惨々たる展示内容だったが、植民地時代の展示をめぐって進展している内容も見られた。しかし、総じて言えば「田舎民族主義の展示場」と言うしかない。どうしてこういうことになったか。日本側が警戒しなければならないことは何か。毎日新聞元ソウル特派員(1989~1994)の体験も踏まえて報告したい。孝昌公園(龍山区) ここにはソウルの「歴史博物館」として、代表的な「金九記念館」がある。金大中政権時代に出来た。2階建ての立派な建物だ。金九(1876~1949)は、「大韓民国臨時政府」時代からの独立運動家だ。テロリスト集団「韓人愛国団」の親玉でもある。僕がこの記念館に来たのは2度目だ。今回は、日韓間でさらに問題になりそうな「大韓民国臨時政府」に関連する展示内容を再確認するために来た。先日、パク・クネ韓国大統領が中国の「抗日勝利70周年軍事パレード」に参加した際、上海の「臨時政府庁舎跡」を訪れたのは記憶に新しい。 韓国が憲法前文に、この「臨時政府をルーツにすると記述するのは、1987年(昭和62年)の改正からである」(荒木和博「海外事情」2015年5月号)。それまでは「3・1運動」(1919年)と「4・19民主化革命」(1960年)しか書いてなかった。この憲法前文が日本で注目されたのは、2012年5月24日の大法院(最高裁に相当)判決が、以下のような判断を下したからである。 <憲法前文で「3・1運動によって建立された大韓民国臨時政府の法統」を「継承」しているとうたっている以上、1919年に起きた「3・1運動」が抗った「日帝強占」は、そもそも不当かつ不法であり、それ以降の国家総動員や戦時徴用も当然、「日本の国家権力が関与した反人道的不法行為」、あるいは「植民地支配と直結する不法行為」となる。つまり、問題は「戦時」徴用ではなく、それ以前からの「日帝強占」そのものにあるというのである。(浅羽裕樹「SYNODOS」2013・8・27)> このような韓国側の主張の根拠となるような展示が、この記念館で行なわれているのだが、日本人にとっての観覧ポイントは、臨時政府側すなわち韓国独立軍が一戦も日本軍と戦火を交えずに、1945年8月15日の「終戦」を迎えたことを示す地図が掲示されている点だ。「韓国が戦勝国になれなかった」という対日コンプレックスの根源にある歴史的事実が、ここで確認できる。「李奉昌(イ・ボンチャン)義士」の銅像(撮影:下川正晴) 記念館の外にある「李奉昌(イ・ボンチャン)義士」の銅像(写真)にも注目したい。 この人物は、1932年1月8日、東京・桜田門の警視庁前で、昭和天皇の車列に手榴弾を投げつけた。幸い、手榴弾は車列の前方に落ち、昭和天皇は難を逃れたが、随員1人が負傷した。李奉昌は金九の秘密組織「韓人愛国団」のテロリスト第1号である。 この銅像のデザインがものすごい。写真のように、まさに爆弾を投げつけようという姿だ。僕はこれを初めて見た。心底驚いた。現代韓国人は、これがいかに「国際的に無礼な銅像」であるのか、分からないのだ。駐韓日本大使館も気づかないまま「放置」してきたのだろうか。 この銅像は1995年11月6日に建てられた。「建立文」に、以下のような記述がある。 「国が日帝によって強占された時、祖国の光復のために身を投じた李奉昌義士の気高い民族魂と独立精神は、民族の胸に永遠に燃え盛っている。義士は元凶である日王・裕仁を爆殺除去することが、まさに日帝の侵略と蛮行を全世界に告発し、独立を招来する道だと信じて上海に渡り、金九先生に挙事を願い出て、許諾を得た。1932年1月8日、東京で観兵式を終えて戻る裕仁に爆弾を投ずるも、命を奪うことはできず、現場で逮捕され同年10月10日、市ヶ谷刑務所で絞首刑になり、32歳で殉国した。義士の偉大な愛国思想と独立精神を讃え、光復50周年と義挙63年を迎え、このに銅像を建立する」 昭和天皇(1989年死去)の名前を碑文に明記した上で、こんな途方もないデザインの銅像を、1995年になって建てる韓国側の無神経さ、その国際的意味はきわめて重大だ。 「建立文」には「東亜日報社」後援とある。「韓国の新聞はこんな下劣な国威発揚までやるのか」と、元同業者の僕は思った。これとは別に「銅像建立に意を集めた方」との碑文もあり、ここには「李奉昌義士義挙ならびに殉国60周年記念事業推進委員会会長」として、朴泰俊氏(元国会議員)の名前がある。これも看過できない。朴氏(2011年死去)は、浦項製鉄の創業者であり、第32代首相も務めた知日派だ。「鉄鋼王」「日韓政財界の架け橋」と呼ばれた韓国保守政界の重鎮である。日韓の「知られざる歴史」がここに脈々と波打っていることに、私たちは気がつくべきだ。尹奉吉記念館(瑞草区) 地下鉄「江南」駅から新盆唐線に乗り、次の「良才市民の森」駅で降りて、徒歩5分の場所にある。孝昌公園に高齢者が多いのと対照的に、この記念館は歴史学習のために、教師から引率されて来た中学生の姿が目立った。 「金九記念館」と同様に2階建てだが、建築はこちらが1989年と早い。ソウル五輪の翌年であることに注目したい。五輪を契機に韓国ナショナリズムが高揚した。その風潮の中で建立されたのである。韓国独立後、李承晩大統領と対立した左派の政治家である金九の記念館が、金大中政権時になって建てられたことと比較すると、尹奉吉は包括的な「国民の歴史」の中で、不動の「義士」として称揚されていることが分かる。全身に24個の弾片を浴びて死亡した白川(義則)大将 尹奉吉(ユン・ボンギル)とは何者か。1932年4月29日に上海で起きた「上海天長節爆弾事件」の犯人だ。金九の「韓人愛国団」のテロリスト第2号である。この記念館の展示も、外国人の目から見るとやり過ぎだ。1階右部屋の展示が特にひどい。 爆弾攻撃を受けて死傷した日本人の写真が、これでもかという具合に、個人別に展示されているのだ。ハングルの展示説明通りに日本語訳すると、「全身に24個の弾片を浴びて死亡した白川(義則)大将」(写真)。「片目を失明した野村(吉三郎)中将」「片方の脚を切断した植田(謙吉)中将」「重傷を負って、病院に運ばれる村井(倉松)総領事」「片足を切断した重光(葵)公使」といったありさまだ。 この「上海天長節爆弾事件」では、日本人民間人の死傷者も出た。上海日本人居留民団会長の河端貞次氏(医師)が死亡し、同書記長の友野盛氏が重傷を負った。ところが彼らの写真は展示されていない。 80年以上も昔の「テロの戦果」をいちいち写真で誇示する一方、民間人の死傷は巧妙に隠蔽されているのである。まったく無神経で、国際感覚に欠ける展示だ。これを見せられて愛国教育を受ける韓国の中学生たちは、どういう人間に育つのか。独立国家のアイデンティティを確立することと、隣国への敵愾心と復讐心を植え付けることとは、雲泥の差がある。月とスッポンだ。これでは「夜郎自大の自滅の道」を歩むしかない。元ソウル特派員の僕はそう思った。 翌日、僕は知人の韓国人歴史学者に会った。彼にiPhoneで撮影した尹奉吉記念館の展示写真を示した。「これ見てよ。どう思いますか」。僕の質問に彼は「こんな展示をしてるんですか」と驚いたように言った。数年前まで国策歴史機関のトップにいた人物だ。彼の現役時代の行動に僕はかなり批判的だが、その彼ですら知らない所で「田舎民族主義の愛国教育」が行なわれている実態がある。 爆弾事件が起きた上海.虹口公園(現在の魯迅公園)には、中韓国交樹立後、石碑と資料館「梅軒」が建てられたことも付記しておきたい。梅軒とは、尹奉吉の号である。小沢一郎氏の「贖罪史観」小沢一郎氏の「贖罪史観」金九の墓(撮影:下川正晴) ホテルに戻ってネット検索していたら、日本の野党政治家・小沢一郎氏が1999年4月18日、ソウルの孝昌公園を訪れ、金九の墓(写真)と李奉昌ら「韓国3義士」の墓に参拝していることが分かった。当時の「東亜日報」がそう書いている。「東亜日報」は先述したように、昭和天皇に向かって手榴弾を投げる李の銅像建立を後援した新聞社だ。 この記事によると、小沢氏は訪韓に先立って産経新聞とのインタビューで、「韓国人に心を開くことできる行動をまず日本人がとろう」と述べたそうだ。上記のような歴史的事実、銅像、その建立経過などを十分に事前調査したのだろうか。中途半端な「贖罪意識」が一番悪い、日韓関係を悪くする、と僕は思う。韓国は急激な経済成長に国民意識の発達がついて行けず、「夜郎自大化」しているのだから、なおさら始末が悪い。 「尹奉吉記念館」には、爆弾事件で重傷を負った村井総領事の遺族が寄贈した「事件当時の眼鏡」が展示してあった。遺族としては「友好第一」の気持ちなのだろうが、展示品を見た感じでは、韓国側は「戦利品の展示」という印象でしかなかった。島国日本には、国際感覚に欠けるところがある。自分の意志を素直に受け取ってもらえるという甘えがある。気をつけたい。「歴史的な無知」に居直るなら、小泉首相の良き先例がある。かつて彼はソウル西大門刑務所跡を参観した際、「日韓双方ともに、お互いに、過去を反省すべきですな」と言って、韓国マスコミを激怒させた。韓国メディアには「悪いのは日本だ」という固定観念があるからだ。しかし、僕には小泉首相の発言は正しい指摘だと思える。韓国側の歴史認識にも大いに間違った所がある。堂々と議論を展開すればいい。 「韓米離間策」。これが韓国人の新しい対日非難だ。今回のソウル滞在中に、この言葉を意外な友人から聞き、韓国マスコミが喧伝している「対日用語辞典」が幅広く影響を与えていることが分かった。韓米離間策とは「日本が米国と韓国の仲を引き裂こうと、いろいろ画策している」という話だ。これが「被害者」としての立場からの発想であるのが興味深い。どこの国民も自分が歴史の被害者であることを強調する。ポイントは、それが客観的に見て真実か、ということだ。 日本による「韓米離間策」が現状を的確に表現したものかどうか。悪のりする日本メディアもいるが、「韓国の中国接近への懸念」が必ずしも的外れでないことは、訪韓中に読んだソウル大教授による朝鮮日報への寄稿を読めば、明確であろう。韓国人学者が米国に行くと、米国専門家が韓国政府の対中姿勢に対して、問わず語りの不満を語っているからである。 韓国でのもうひとつの見方は「親中事大主義」。これは僕が今回長時間話し合ったジャーナリスト趙甲済さん(元「月刊朝鮮」編集長)の最新レポートの題目だ。しかし、韓国メディアに登場する用語は、圧倒的に「韓米離間策」が多い。 どうしてなのか? 理由は簡単だ。それが最近の韓国報道陣の「メディアフレーム」だからだ。自分自身がよく理解できない状況について、新聞記者は誰かが言った「現状解釈の枠組み」を援用して記事を作ってしまう。ジャーナリスト(時代を記録する者)として一番警戒しなければならない姿勢だが、どこの国のマスコミでも、これが一番多い。それが社内の安定した地位確保にもつながるからだ。つまり、新聞記者(特派員)は取材対象や読者ではなく、本社の意向を忖度しながら記事を書く。(笑) 読者としてはどうすべきか。マスコミ報道を見ていて「どこかで聞いた台詞だな」と思ったら、必ず疑ってみる姿勢が必要だ。マスコミ出身の僕が言うのだから間違いない。いや、こういう発言から疑って、自分の頭で分析してみてください。新しい視角を世界は求めています。(笑) 話が脱線したついでに、もうひとつ。訪韓中にいろいろ話し合った黒田勝弘氏(産経新聞客員論説委員)の最新刊「決定版 どうしても”日本離れ”できない韓国」(文春新書)に、安倍首相が例の「731部隊」と同ナンバーの戦闘機に乗り、韓国メディアから猛バッシングを受けた事例が書いてある。 今回の訪韓中に、僕もこの「アベ=731論」を韓国人ライターから持ち出され、大いに驚いた。こんな馬鹿げた話を信じているのか。あきれてしまい、カフェで猛烈に反論した。僕のあまりの剣幕にたじろいたライター氏は、「席を替えましょう」と言い、店の外に出た。結果的に僕は「韓国人は日本人から韓国語でシビアな反論に会うとひるんでしまう」という経験則を再確認したのだが、それほど「アベ=悪のシンボル」論は韓国社会でマンエンしているのだ。こういう時に、日本人は懇切丁寧かつ厳しく真相を話してあげないといけない。日韓は死んでも隣国同士だ。これが地政学上の運命だ。「韓国とはもう断交だ!」とプッツンしても、始まらないのである。京城の「モボ・モガ」 旧態依然たる「田舎民族主義」の展示館に混じって、ソウルの「モダンボーイ」「モダンボーイ」が登場する博物館もある。その名も「ソウル歴史博物館」。中心部・光化門交差点から西へ、徒歩5分の場所にある。入場無料。ぜひ行ってみてください。 見どころは3階の「日本統治時代のソウル」だ。ここは「奪われた京城」「抗日運動の中心」「京城都市紀行」「戦争の影」の4コーナーから構成されているが、圧巻は「京城都市紀行」のスペースだ。ここの展示を見ると、京城がとても発展した近代都市だったことが一目で分かる。こんな展示スペースは、大韓民国でここしかない。 子供向けの黄色い説明板に、以下のようなことが書いてある。見出しが「京城スタイル」。聞き慣れない言葉だが、これが世界中で大ヒットした韓国製ラップ「江南スタイル」をもじった言葉である。 「京城の人々は国を失った悲しみと、日本人の差別待遇に哀しみを感じつつも、新たに接することになった近代文物に次第に適応して行ったんだよ。(中略)京城の人々は、日本人の強圧に抵抗しつつも、一方では新しい近代文化に習熟し始めた。このような中で1920ー30年代、京城の都心で流行をリードする若者たちを『モダンガール』『モダンボーイ』と言ったんだよ。彼らは西洋式文化を受け入れるのにとても積極的で、高価な洋服にべっ甲の眼鏡、ストローハットをかぶり、京城の街通りをかっ歩したんだってさ」 堅苦しく言えば、旧来の「植民地収奪論」の包装の中に、最近の「植民地=近代化」論を内包しているのが、ここの展示の特徴だ。2002年に開館した当時から、このコーナーは京城市内を走る路面電車を再現するなどユニークな展示が見られたが、ここに来て収蔵品が増加し、展示の仕方もさらに大胆かつリラックスしたものになった。 「京城のモガ・モボ」を描いた当時の新聞挿絵(撮影:下川正晴) 「京城のモガ・モボ」を描いた当時の新聞挿絵(写真)のほか、彼らが愛用した化粧品やチョッキ、時計、ひげ剃り、さらに京城案内地図、絵はがき、「味の素」の広告、雑誌「朝鮮の自動車」、京城電話番号簿、百貨店の宣伝チラシ、有名レストランの写真、美人キーセンの絵はがき、レコード、ラジオ、映画のパンフ、雑誌、学校や「文化住宅」の写真、スポーツ大会の写真など、ありとあらゆる近代文物が展示してあって、圧倒されてしまう。植民地時代に「三越京城店」は、東京、大阪店に次いで売り上げが多かったというから、この繁栄ぶりは当然なのかもしれない。 その中でも圧巻は、本町(いまの明洞)や鐘路、光化門・太平路の街並み地図と当時の建物写真だ。これは漢陽大学建築学科の冨井正憲教授ら日韓研究者が苦労の末に作り上げた。展示には、制作者として冨井教授の名前も明記してあり、フェアな扱いである。 さらに同コーナーで上映されている動画には、京城時代の風物がどんどん出て来て、とても楽しい。10分間ほどの映像だが、よく見ていると、植民地時代に朝鮮総督府の監修で作られた劇映画の一部が収録されている。僕のような植民地映画研究者には、ことのほか興味深い。ざっと見たところ、朝鮮人特攻隊の奨励映画「愛と誓ひ」(1945)を含む数本の植民地映画から抜粋し、つなぎ合わせたようだ。 特に「迷夢」(1936)は、伝説の美人女優・文藝峰(のちに北朝鮮人民俳優)がデパートで買い物するシーンや、ヒゲの男優とレストランでデートする場面、南大門から京城駅、龍山駅まで男性ダンサーの乗った列車を追いかけるシーンなどが、かなりの時間ピックアップされていている。この映画は現存する最古の朝鮮トーキー作品だ。「女性の自立」を批判的に描いているが、当時の映画スタッフが意識しなかった京城の都市光景が、フィルムの背景に映り込んでいる。「記録としての映像」の力を、再認識させてくれる。 これらの映画は数年ほど前、北京の中国電影資料館の倉庫から見つかった。韓国映像資料院がDVD化して販売したが、現在は入手困難である。それだけに、「ソウル歴史博物館」で無料のダイジェスト版を見れるのは、なかなか貴重な機会なのだ。  「ソウル歴史博物館」は展示内容を収録した図録を、1階売店で売っている。韓国語、英語、中国語版がある。残念ながら、日本語版はない。しかし、図版をふんだんに盛り込み301ページ、約3500円。購入して帰国後、眺めていると勉強になるだろう。  ちなみに「京城」という言葉を、差別語だと言い募って来た人々がいる。慰安婦誤報で「有名」になった朝日新聞元記者の植村隆氏もその一人だ。著書「ソウルの風の中で」(1991)で、「忌まわしい名前」「都市の創氏改名」と言っている。これが全くのウソであることは、この展示内容から見ても一目瞭然だ。詳しくは、雑誌「正論」(2015年10月号)の拙稿「対韓贖罪史観に侵された『京城』問題と新聞社『内規』」を読んでほしい。ソウル駅前で爆弾を投げるソウル駅前で爆弾を投げるソウル駅前の銅像(撮影:下川正晴) ソウル駅前にもテロリストの銅像が立っているというので、見に行った。写真のように、右手に手榴弾を握りしめ、まさに投げんとする構図である。ホントに、この国の人は爆弾を投げる彫刻が好きなんだなあ(笑)。昭和天皇に向かって爆弾を投げる(桜田門事件の)銅像は、すでに紹介した通り、淑明女子大近くの孝昌公園に立っている。 ソウル駅前にあるのは、朝鮮総督に爆弾を投げて、死刑になった姜宇奎(カン・ウギュ)の像だ。1919年9月2日、第3代朝鮮総督に任命された斎藤実がソウル駅に着いた時、爆弾を投げた。しかし総督にはほとんど被害がなく、護衛の日本人警察官ら37人が死傷した事件だ。銅像が建立された2011年当時、産経の黒田勝弘特派員が反対の論陣を張ったが、他の主要紙はほとんどスルーしたので、多くの日本人は存在すら知らない。韓国がこういう無神経なことを重ねた来た延長線上に、日本大使館前の「慰安婦像」という国際条規違反がある。それが僕の見立てだ。韓国人たちにも「近隣国への配慮条項」の適用を切に要望する次第である。(笑) もちろん、韓国でも「テロリスト論争」がないわけではない。 訪韓中に書店で購入したカン・ジュンマン「韓国現代史散策」第8巻(2008)に、そのことが書いてあった。 著者は、あけすけな記述で定評がある大学教授だ。それによると問題提起したのは、ロシアから韓国国籍に帰化したパク・ノジャ氏。韓国史に関して大胆な発言をしている歴史研究者である。彼は2007年4月、上海天長節爆弾事件で「日本の民間人に数名の被害者が出たのに、侵略元凶の爆殺と負傷を喜んだ中国の世論は、これを認識しなかった」と指摘し、さらに南朝鮮労働党の指導者だった朴憲永が「ごく少数の暴力による運動は必ず敗北する」と批判した事を紹介した。「最高のパルチザン大将(金日成のこと)が結局、最悪の独裁者に変身した韓半島の現代史を念頭に置くべきだ」(「ハンギョレ21」)と述べたのである。 これに対して、伝統的右派の論客であるシン・ヨンハ氏(ソウル大名誉教授)が、朝鮮日報の紙面で「大韓民国臨時政府による特攻隊攻撃をテロと言うのは、歪曲であり誤解だ」と反論した。彼が「特攻隊」を賛美しているのが、笑止千万だ。日本軍の特攻機は体当たり攻撃によって、米国の民間人を殺傷したとでも言うのだろうか。 もうひとつ。同書によると、尹奉吉記念館を建立したのも、「東亜日報」のキャンペーンによるものだと分かった。2008年当時の「東亜日報」会長は、金学俊氏だ。つい最近まで、国策機関「東北アジア歴史財団」の理事長だった人物だ。 同書が引用した別の本には、「抗日義士」の顕彰作業が韓国内の政治に翻弄されたとの指摘もある。政権与党・民自党内の民正党系の代表人物だった朴泰俊氏(浦項製鉄会長)が、桜田門事件の李奉昌記念事業の会長であり、これに対抗して、民主党系のトップだった金泳三氏(のちに大統領)が、尹奉吉記念事業会の会長を引き受けたという指摘だ。「だから、あんな無神経な銅像と展示になっているのか」と、韓国政治状況を取材して来た僕は思った。「中興の祖」に愛情なし!? 朴正煕記念館。W杯サッカー場近くの麻浦区上岩洞にある。2012年になって、やっと出来た。3階建て。第1展示室「5・16革命と近代化」「輸出主導型、経済開発推進」「電力難解決のための苦闘」、第2展示室「高速道路建設」「セマウル運動」「産業開発」と、いかにも型通りだ。やっと第3展示室になって「人間・朴正煕大統領と陸英修夫人」となる。「まあ、なんと愛情不足の展示なのだろうか」というのが、僕の感想だ。朴正煕 朴正煕(写真)が政権を奪取した時、韓国はフィリピン、北朝鮮よりも貧しい国だった。殺された時「僕は大丈夫だ」と言った。陸英修夫人は、彼の後ろ姿を見て「この人と結婚しよう」と思った。20世紀を生きたアジアの政治家の中でも、傑出した人物だと思うのだが、現代の韓国人には、よく理解されていないようだ。その娘である現職大統領にしても、父親の偉業の真価がわかっているのかどうか、実に心もとないところがある。 「朴正煕記念館」は、階段を登って2階から入場させる。いかにも旧時代の権威主義だ。1階の黒眼鏡をかけた警備員は、公開されている私邸(東大門区)に行ったこともないという。全体的に「朴正煕が可哀想だ」と思うしかない展示だ。 初代大統領の李承晩にしても同様だ。鍾路区梨花洞にある私邸は、以前見に行った時「これが大統領の邸宅か」とは思えないほど、ぼろっちい住居だった。壁にベタベタと写真が貼付けてあり、ライバル政治家だった金九の記念館とは雲泥の差がある。2017年まで修復工事のため、いま休館中。再開館したら、期待せずに、行ってみたい。 金鍾泌(キム・ジョンピル)を、知っている日本人も少なくなった。韓国の元首相。朴正煕とともに、軍事クーデターを起こした。89歳。不倒翁。彼が「中央日報」で連載した自伝を、評価する韓国人の声を聞いた。「今の韓国を作ったプランナー」という評価だ。果たしてそうだったか。まだ読んでいない僕としては、判断のしようがない。別の信用できる韓国人は「時々読んで来た」とだけ言った。 残念ながら、金鍾泌氏とは長時間話したことがない。ただひとつ、忘れがたい記憶がある。金泳三政権がスタートした頃、毎日新聞の夕刊コラムに、僕は「韓国は人治社会だ。法治社会ではない」と書いた。彼が大統領になったとたん、野党時代には未解決だった刑事事件が、たちまち解決したからだ。 僕のコラムを読んだJP(愛称)は、出入りの韓国人記者に「毎日新聞の特派員が、こんなことを書いているよ」と紹介した。それが韓国紙の政治面に載った。JPとしては、YS(金泳三)に対する牽制球だったのだろう。国会で僕の記事が引用される騒ぎになり、少し迷惑した。「月刊朝鮮」に僕へのインタビュー記事が載ったりした。「人治の韓国。法治社会ではない」。いまではマンネリになった批評だが、当時は中国に対して使われる用語で、韓国に対しては「情の社会」(黒田勝弘さん)という言い方が一般的だった。黒田さんほど韓国に対する愛情がない(笑)僕は、ストレートに表現した。 朴正煕の娘は、韓国を日本から遠くに連れて行った。生残ったJPは、いま、「韓国の将来」をどう思っているのか?  韓国の田舎民族主義韓国の田舎民族主義  韓国の「田舎民族主義」になぜ、注目するのか!? もちろん、日韓両国にとって、危ないからだ。「田舎民族主義」とはまことに失礼な言い方だが、これ以外に的確な表現を思いつかない。 4年後は「大韓民国臨時政府」樹立100周年になる。「3・1独立運動100周年」だから、これは当然だ。「大韓民国臨時政府」が韓国内でさらに注目されそうだ。憲法前文を楯にした対日歴史攻勢も、強まるだろう。なぜなら、北朝鮮(金日成のカリスマ)に対抗して韓国政府が「政権の正統性」を主張する際、この臨時政府こそが最大の「アリバイ」だからだ。 いま韓国では「教科書問題」が火を噴いている。左派の国史教科書が氾濫したため、政府が国定教科書を復活させることにしたのだ。この場合でも「臨時政府」をどう評価するかが大きなポイントだ。 韓国の「歴史的建造物」は時間が経つにつれ、どんどん立派になって行く傾向がある。 その一例が、小泉首相も訪問した西大門刑務所跡だ。1985年、ソウルの延世大学に留学中、僕はこの近くに下宿していた。時々、刑務所跡に散歩に出かけた。約20年後、ソウルの某大学の客員教授になってソウルに住んでいたころ、この刑務所跡を再訪して驚いた。展示物が増えて、外装も立派になっていたからだ。そのころには地下鉄「独立門」駅から展示が始まり、中国からの自主独立を意味する「独立門」は、日本からの独立を意味するかのように誤解させる内容になっていた。 かつて文化広報省の建物があった光化門近くの一帯は、「大韓民国歴史博物館」に変貌していた。5階建ての近現代史博物館だ。2012年末に出来たというが、特別に目新しい展示はない。この国の人は本当に「歴史博物館」が好きだ。ソウルのど真ん中にできた「大韓民国のPR館」だが、それが外国人の目には、韓国近代史の「恥ずかしい歴史」を糊塗する建物と映っていることに、気づかないのだろうか。北品川にある「相模屋」跡(東京都品川区) 撮影:下川正晴 帰国の朝。空港に向かうバスの車窓から、写真7のような光景を見かけた。光化門から西大門に向かう途中、京郷新聞社ビルの反対側である。この周辺一帯を「歴史公園」として整備する計画があり、地元民が反対しているらしい。 数年後には、計画通りの「歴史公園」が造成され、過剰包装の「歴史」が展示されることになるのだろう。それで、いいのだろうか?! 反対者の横断幕には、ここで商売して来た住民の「歴史」をどう考えているのか、という抗議文が見えた。なんとも皮肉な光景だ。 100年、200年後の韓国民は、21世紀初期の韓国を、過去の歴史をぶち壊し、画一的な街づくりを行った時代と記憶するに違いない。すでに他の都市整備で見られるように、最近の韓国で行われている街区整備は、旧時代の良さを残さず、それを恥じるかのような、国籍不明のピッカピカで薄っぺらな街づくりで満ち満ちている。 急激な都市整備は、韓国社会の急激な民主化がもたらした弊害に通底するものを感じる。 過去の「親日」時代を恥じ、過去の「開発独裁」時代を恥じて、それらがもたらした遺産を省みることがない。国定教科書に反対する「親日・独裁の歴史を固着させるな」という横断幕が、その典型だ。薄っぺらな歴史観だ。先人たちの労苦を思い偲ぶことがない歴史観だ。韓半島に生きた人々の歩みは、そんなに価値のないものだったのか? ソウルを去る日、通り過ぎるバスから見かけた街頭の光景は、自国史を考える時にも自戒すべき点であると思った。「日韓テロリズム」を考える ソウルから帰国した4日後、品川区立「品川歴史館」(大井6丁目)に出かけた。ここでは、開館30周年記念特別展「東海道品川宿」を開催中である。北品川の遊郭旅籠「相模屋」の模型があるので、是非、行きたいと思っていた。 「相模屋」は川島雄三監督の名作「幕末太陽伝」(1957)の舞台になった遊郭だ。フランキー堺(居残り左平次役)主演、石原裕次郎(高杉晋作役)助演の楽しい映画である。模型は歴史館2階にあった。素晴らしいのは、「相模屋」の2階から外を見ている男女の人形があったことだ。これは英国公使館が燃える様子を見ていた、映画のフランキー堺と遊女そのままである。 「品川歴史館」からの帰途、北品川の「相模屋」跡に行き、写真を撮影した。そこにある小さな標識を見ながら、僕は「日韓のテロリズム」について考えた。 安重根のテロリズムに倒れた伊藤博文が、若き日はテロリストだったことは意外と知られていない。伊藤は文久2年、麹町の路上で塙次郎を殺害した。このことを伊藤は後々まで、気に病んでいた。「伊藤博文伝」に載っている事柄だ。 僕が北品川で見た「相模屋」跡地は、高杉晋作らが英国公使館の焼き討ちを謀議し、実行のために出撃した遊郭があった場所だ。いま、ここは「ファミリーマート北品川店」になっている。高杉らも幕末の攘夷テロに手を染めた「志士」だったのだ。伊藤もこの焼き打ちに参加した。 久しぶりに訪韓した僕は、ソウルのあちこちで韓国テロリストを「抗日義士」として顕彰する銅像を見た。これらが、1980年後半以降に建てられているのを見て、韓国人の無神経さに驚き、「韓国ナショナリズムの病巣」に困惑した。日韓には、歴史的事実のモニュメント表現をめぐって大きな違いがある。いま北品川のファミマ前には、英国公使館焼き討ちを記念する銅像はない。写真の小さな標識があるだけだ。事件から100余年。それが独立国家の矜持というものだろう。 弱小民族がテロリズムに訴える事は、現代世界でもありうる。しかし、それを「歴史の教訓」として、どう記録し、どう表象するかが肝要だ。経済的には立派な先進国になったのに、いまも旧植民地の過去(テロリズム)に引きずられるのは、韓国人の精神衛生と国際協調上、まことによろしくない。 元テロリスト伊藤博文は、朝鮮テロリズムに倒れた。テロリズムを称揚する大韓民国は何によって、自壊するのか。僕の推論は書かずともよいだろう。品川ーソウルー品川を往復しながら、こういうことを僕は思った。

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    軍人とお姫サマ-朴槿恵研究-

    「日本人として恥じざるだけの精神と気魄を以て一死御奉公の堅い決心でございます」。満洲国軍人を志願した朴正煕は血書をもってこの嘆願書を窓口に書き送った。軍人魂をみずから叩き込んだのが朴正煕だとすれば、娘の朴槿惠はタダのお姫サマ!? ナッツ姫ほどではないにせよ…。

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    「売国奴」と言われた朴正煕が称賛される理由

     日韓両国が基本条約に調印し、国交正常化に踏み切ってから6月22日で丸50年。韓国国内の猛反対を押し切り、正常化を決断したのが当時の大統領、朴正煕(パク・チョンヒ)だ。「売国奴」呼ばわりされた朴正煕に対する評価は、この半世紀で一変した。(韓国南東部亀尾(クミ) 藤本欣也) 寒村のイメージを抱いていたので、そのにぎわいぶりに拍子抜けしてしまった。 韓国南東部、慶尚北道(キョンサンプクド)亀尾にある朴正煕の生家。土壁の家屋自体は粗末だったが、周囲には記念館や焼香所、公園が整備され、観光客が押し寄せていた。1日平均2千人以上-。 「優れた大統領のおかげで私たちは幸せに暮らしています」「強力な改革だけが韓国を維持できる」「将来、朴正煕大統領のような政治家が再び現れたらいいのに」 寄せ書き帳を見ると、強いリーダーを求める声や賛辞であふれている。 だが、およそ半世紀前には、それからは想像もつかない光景が広がっていた。 1964年6月3日、ソウル中心部。「韓日交渉を中止せよ」「屈辱外交を許すな」「売国奴を殺せ」 催涙弾が飛び交う中、大学生ら1万5千人以上が集結し、治安当局と衝突を繰り返した。夜、戒厳令を布告したのは当時の大統領、朴正煕その人だった。 デモ隊がやり玉に挙げたのが、日韓国交正常化の秘密交渉に当たっていた朴正煕の側近で、後に首相を務める金鍾泌(キム・ジョンピル)(89)だ。61年5月16日、朴正煕が主導した軍事クーデターの中心人物の一人である。 金鍾泌は今年、韓国紙への寄稿で、日韓国交正常化を「(クーデターに続く)第2の革命だった」と振り返っている。朝鮮戦争(50~53年)で壊滅的打撃を受けた韓国経済は最貧国の水準。「近代化のための資金を何としても捻出しなければならなかったのだ」        始まりは“用日” 残された“反日”2月23日、弔問に訪れた韓国の鄭義和国会議長(左)とあいさつを交わす金鍾泌元首相(聯合=共同) 日韓国交正常化の立役者とされるのが、大統領の朴正煕(パク・チョンヒ)の命を受けて秘密交渉に当たった金鍾泌(キム・ジョンピル)である。中央情報部(KCIA)の初代部長を務めた金は「反日より、“用日”こそ困難な道である」という話をよく朴と交わしたという。 日本を用いて経済発展の道を探る-。1962年に始まった経済開発5カ年計画は莫大(ばくだい)な資金を必要としていた。 当時、ソウル大学生で学生運動のリーダーの一人だった玄勝一(ヒョン・スンイル)(73)と金道鉉(ドヒョン)(72)に、かつて学生たちがデモ隊を組織した光化門(クァン・ファムン)前の大通り沿いのホテルで会った。 「朴正煕のリーダーシップで韓国が発展を遂げたのは事実だ。が、だからといって軍事クーデター、人権・民主化弾圧などを許すことはできない」 玄は逮捕され服役した後、米国に渡った。帰国できたのは79年に朴正煕が暗殺されてからだ。その後の民主化過程で、国民大学の総長や国会議員を務めた。 「反日デモというより、クーデターで樹立された朴政権への不満、批判が爆発したデモだった」 こう振り返る金道鉉は、文民大統領の金泳三(ヨンサム)政権(93~98年)時代に文化体育省次官などを歴任した。 国交正常化の前年に起きた6月3日の騒乱は、韓国の近代化を優先する勢力と、民主化を求める勢力の衝突でもあった。 民主化勢力も反日を利用して朴政権打倒を目指した意味では、“用日”だったのである。 朴政権は、日韓国交正常化の果実である日本の資金や、米欧の援助を元手に60年代中盤以降、10%を超す高度経済成長を実現。「漢江(ハンガン)の奇跡」と評された。 その朴正煕の最大の政敵が、民主化勢力リーダーの金大中(デジュン)だった。97年の大統領選に出馬した金大中が保守派の票を取り込むために利用したのが、朴正煕の生家だ。投票の約2週間前に生家を訪れて和解を演出、劣勢を覆し勝利を収めた。いわば“用朴”である。 以後、朴人気も裾野が広がり、96年に約4万2千人だった生家の観光客数は昨年、実に69万人を数えた。 “用日”から始まった日韓国交正常化。50年がたち近代化と民主化が一通り達成された韓国に、むき出しの反日が残された。反日より困難な道、つまり新たな対日戦略を打ち出せる強いリーダーシップこそ、韓国には求められている。=敬称略(藤本欣也)【用語解説】朴正煕(1917~79年) 韓国・慶尚北道亀尾の貧しい農家に生まれる。大邱師範学校、満州国軍官学校、日本の陸軍士官学校卒。満州国軍中尉で終戦。朝鮮戦争を経て韓国軍での地歩を固め、陸軍少将だった61年、5・16軍事クーデターを主導して全権を掌握し、前年の李承晩政権崩壊に伴う内政の混乱を収拾。63年から5期にわたって大統領を務めた。開発独裁型の統治を推し進め、民主化勢力を弾圧する一方、高度経済成長を達成した。反政府暴動の高まりの中、79年に側近に暗殺された。現大統領の朴槿恵氏(63)は長女。【用語解説】日韓国交正常化 日韓両政府は14年間の交渉を経て、1965年6月22日に日韓基本条約に調印(同年12月18日に発効)、国交が正常化した。付属協定では、日本側が韓国に「無償3億ドル、有償2億ドル」を供与する一方、双方の財産・請求権については「完全かつ最終的に解決された」と明記された。しかし韓国側は近年、元慰安婦の賠償請求権は残っているとの主張を強めている。

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    朴槿恵大統領の妹はなぜタブーである「親日」発言に挑んだのか? 

     「私たちは親日をしなければ」。韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領の妹、槿令(クンリョン)氏のこうした発言が韓国で大バッシングを浴びた。日本のインターネット番組に出演し、靖国神社参拝や慰安婦問題について日本を擁護する主張を連発したからだ。韓国でタブーとされる「親日」という言葉をあえて使い、批判覚悟で発言した真意はどこにあったのか。彼女には、韓国民が本来立ち向かうべき“敵”の存在があった。(桜井紀雄) 「元慰安婦の方々に対しても、私たち(韓国民)がもっと配慮しなければならないのに、日本ばかりを責めてきた。そんなニュースが何度も流れたことについて申し訳なく思う」 朴槿令氏は4日にネットサイト「ニコニコ動画」の特別番組でインタビューに応じ、日本人ネットユーザーらに向けてこうメッセージを送った。日本から帰国したソウルの金浦空港で、記者団に持論を語る韓国の朴槿恵大統領の妹、槿令氏=30日(聯合=共同) インタビュー冒頭から、「韓国人も日本から学んでほしい」と日本のマナーのよさを持ち上げた。50年前に父の朴正煕(チョンヒ)元大統領が成し遂げた日韓国交正常化に伴う日本からの援助が「韓国の経済発展の原動力になった」とたたえた。 朝鮮半島に対する日本による過去の支配についても、天皇陛下がかつて韓国の大統領に「痛惜の念」を表明されており、「日本の首相が替わるたびに謝罪を求め、隣人を責めるのは、恥ずかしいことだ」と語った。 靖国神社参拝についても、「子孫として父の墓を参るのを拒むことはできない」と理解を示した。「安倍晋三首相が靖国参拝をして、再び戦争を起こしたいという気持ちがあるとは思っていない」とし、「そう思う人はおかしい」とまで述べた。日本の政治家の靖国参拝をたびたび非難する自国の外務省に対しても「内政干渉になる」とたしなめた。 極め付きは、「独立前の『親日』と国交正常化した後の『親日』の概念は全く変わっている」と強調した上で、「私たちは、親日・親米をして、国を発展させなければならない」と言ってのけたことだ。 韓国では、「親日=売国奴」と認識されており、日本に好意的な人物でも自分が「親日派」と名指しされることを絶対に避けようとするにもかかわらずだ。「仲良くなるのを邪魔する人がいる」 槿令氏の発言に対しては、韓国内で当然といえるほど、大反発が巻き起こった。 インタビューは7月末に収録されたもので、ソウルの空港で帰国を待ち構えていた韓国の報道陣に、槿令氏は、番組で語った内容と同様の主張を繰り返し、韓国メディアを刺激した。 韓国世論にとって最大級といえる“妄言”を朴槿恵政権の足をすくう好材料とみて、待ってましたとばかりにやり玉に挙げたのは、野党の新政治民主連合だ。 韓国の報道によると、同党幹部は、「朴槿令氏の言葉は、口にすることさえ恥ずかしい。大統領の妹としてなおのこと不適切だ。これを親日といわずして何だというのか」と非難し、朴槿恵大統領に対しても、立場を表明するよう迫った。 与党側でも、擁護するどころか、そろって「ゆがんだ歴史認識だ」などと不快感をあらわにした。 日本政府に補償と謝罪を求め続けている元慰安婦支援団体なども、当然のごとく反発した。 親北朝鮮傾向の強い支援組織「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)代表は、「歴史をきちんと学んでいない人の発言にすぎない。植民地時代の考え方から抜け出せない一部の人たちの誤った視点をそのまま反映している」と一蹴した。 韓国メディアは、放映した「ニコニコ動画」に対しても、「日本のネット右翼が多く視聴するサイト」とこき下ろし、発言が伝わった直後に朴政権の支持率が若干低下したことについても、「発言が影響した」との分析を伝えた。 だが、槿令氏はインタビューで「日本を責めるニュースが好きな勢力と私は闘っている」と述べ、こんな言葉をいい残している。 「よいことをしようとすると、水を差す人、仲良くなることを邪魔する人がいる。そういう人を警戒しないといけない。賢い人は分かると思う」 一連の日本擁護の発言は、失言などではなく、自国で非難にさらされることを覚悟した上での主張だったことを示す言葉だ。彼女なりに日韓関係を憂えての“確信犯”だったわけだ。 では、なぜ彼女は火中の栗をあえて拾ったのか。真意を解くキーワードは、インタビューの中にちりばめられている。 槿令氏は、日韓国交正常化に道を開いた大統領の娘として、韓国の支援に尽力してきた多くの日本人に接してきたことを説明している。韓国で治療が遅れていたハンセン病患者への支援や、先の大戦での韓国人戦没者の慰霊に、私財や身をなげうって取り組んだ日本人への感謝を表明した。 つまり、“親日”発言は、一つには、自身の実体験に裏打ちされているのだ。 そうした日本人たちの献身が「韓国人には、あまり知られていない」と嘆いた上で、その原因として、一人の大統領経験者を名指しした。左派を代表し、親北朝鮮傾向の強かった盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏だ。 「盧武鉉大統領時代、いきなり、父を含む国会議員の先祖に対して、親日的・反民族的だったとリストを作る動きを見せた」 盧元大統領は2005年に「親日反民族行為真相糾明委員会」を立ち上げ、日本統治時代に日本に協力した者の子孫を弾劾し、財産を没収するといった政策をぶち上げる。自分の政権の歴史的正統性と純血性を誇示する狙いは明白だった。 最大の標的が、槿令氏らの父、正煕氏であり、槿令氏姉妹も攻撃に巻き込まれる。野党議員時代の槿恵氏も「父が親日行為をやったとバッシングを受けた。かなりたいへんだった」と槿令氏は振り返り、「有権者の意思を反映するために対日関係を強硬にした」と説明した。 現在の朴槿恵大統領の歴史問題に絡む対日姿勢のかたくなさの底にも、過去にこうむったバッシングのトラウマがあるというのだ。 槿令氏が主張するように、韓国の「反日」の裏には、国内で執拗(しつよう)に繰り返される“親日派狩り”があるのは確かだ。韓国は、「反日」というよりむしろ、「反親日」といった方が正確だろう。 日本の首相に謝罪を何度も求めるのも、韓国で政権が替わるごとに、正統性を獲得するための国内向けの事情によるところが大きい。 韓国に対する日本人の貢献を手放しでたたえることは、「親日派」というレッテルを貼られる恐れがある。多くの人が口をつぐんだ結果、献身した日本人の存在も戦後の歴史に埋没させられてきた。 槿令氏は「父を『親日だ』と批判していた人々も経済発展の恩恵を享受している」と、国交正常化における正煕氏の努力と日本の援助を正当に評価しようとしない国内の左派勢力に向けた不満を何度か口にした。 「過去の歴史を利用」しようとした盧武鉉氏のような政治勢力に対しては、「歴史を何度も蒸し返そうとするのは、浮気をした夫とよりを戻した後も、悪い噂を立てることと同じではないか」と反論する。 日本との関係でも、朴正煕政権時代に「和解したにもかかわらず、蒸し返し責め続ければ、歴史は逆戻りし、後退させる。国益にもいいことでない」と述べた。槿令氏の主張を「歴史に反する」と非難するであろう勢力への皮肉とも聞こえる。 ここまできっぱり言い切る背景には、彼女が父同様に北朝鮮こそが、日米と協力して対峙(たいじ)すべき「民主主義国」共通の“敵”だとの強い信念があるようだ。 「私たちは親日・親米をしなければならない」と語った際も、続けて「従北はしてはいけない。親北朝鮮と言ってはならない」と強調した。それは「韓国の憲法に反し、“敵”を利することになる」と断言している。北朝鮮を「敵」だと明言してはばからないのだ。 「日本が再武装している」との韓国などで持たれる見方に対しても、「北朝鮮が核を持っているからだ。韓国にとって大きな脅威であり、沖縄などの米軍基地も韓国にとって大事だ」と述べ、日本の安全保障政策の強化にも理解を示した。 「大半の韓国の人は私と同じ考え方を持っていると分かっていただければ。韓国をもっと好きになっていただければと思う」 槿令氏は日本人にこうも訴えかけた。帰国後に彼女が大バッシングに遭ったことを考えると、信じられない日本人が多いかと思う。 しかし、筆者の経験からも、槿令氏と似た対日観を持つ韓国人は、珍しくはない。 特に、槿令氏同様に現実的脅威を直視し、北朝鮮を“敵”とみなす比較的年齢の高い人にその傾向がみられる。日本統治時代や朝鮮戦争を経験した年齢層の方がむしろ多いといえるかもしれない。 北朝鮮政権を民主主義共通の敵だとみるとき、日本は一方的に憎むだけの“他者”とはならないからだ。少なくとも、軍国主義が再び台頭する「侵略国家日本」という“フィクション”に振り回されることはない。 槿令氏も「日本は他の国を侵略する憲法でもなく、国民を天皇の『臣民』と呼んだ軍国主義の時代でもない」と現実的な認識を述べている。 逆に、北朝鮮と親和を図ろうという幻想にしがみつこうとすれば、するほど、「日帝時代」という苦難をともに乗り越えたという共通の「体験記」や「軍国主義日本」という“共通の敵”が必要になる。 慰安婦問題が日韓で大きな外交問題に浮上した1990年代初めにも、北朝鮮が狙い定めたように「20万人性奴隷」説などを喧伝(けんでん)し、韓国の挺対協などの支援団体と歩調を合わせた。槿令氏が日韓が「仲良くなるのを邪魔する人」と称した南北の勢力による共同戦線がこのとき立ち上がる。 慰安婦問題も南北に共通した苦難の歴史であり、日本を敵として、南北が共闘できるという格好の“かすがい”を提供したことになる。 同じ構図が日本による統治時代を経験した台湾にも当てはまる。「台湾は中国から独立した地域だ」と中国を“他人”扱いする台湾で生まれ育った一定数の人たちは、親日的傾向を持っていることが知られている。彼らは、自分たちの歴史の独自性を語る材料として、日本統治の影響を肯定的に持ち出しさえする。 反対に、戦後、台湾に渡った外省人の中で、中国との共通性にこだわる人々は、反日的傾向が強い。つまり、中国共産党と台湾の国民党にとって、共通の敵だった日本という「悪役」が必要不可欠なのだ。 戦後70年の今年、台湾の国民党政権が「抗日戦の主役は国民党軍だった」との色彩を全面に出した記念行事を計画したところ、「反日」が際立つことになり、台湾人意識の強い住民らから反感を買った。 一方、中国共産党政府は、国民党に統一を呼び掛ける際に、たびたび「南京大虐殺」の「史実」を誘い水に使う。ただ、現実の歴史では、民族同士血で血を洗う内戦の結果、中国に共産党政権が誕生した。 だからこそ、統一中国のためには、日本を絶対悪とした南京事件を共通の歴史として手放すわけにはいかないのだろう。国共内戦が凄惨(せいさん)であれば、あるほど、南京事件はクローズアップされ、中国と台湾の距離が離れれば、離れるだけ、中国側が示す事件での犠牲者数は10万人単位で跳ね上がっていく。 民族同士相争ったのは、なにも中国共産党と国民党だけではない。韓国と北朝鮮もまた、朝鮮戦争で戦火を交え、多くの街が焦土と化すほどの傷跡を残した。朝鮮戦争が悲惨であれば、あるほど、南北融和を訴えるには、民族の「正しい歴史」という舞台に、残忍だった日本人という共通の敵に出演してもらわなければならない。 そして、親北傾向の強い人ほど、日本に対し、繰り返し過去の歴史への懺悔(ざんげ)を請求し続ける必要性に追い立てられることになる。その中で、真っ先に標的にされるのは、正煕氏のような「親日派」であり、槿令氏のような日本擁護は「妄言」と一刀両断される。 「米国の議会がうらやましい」 槿令氏はこうも漏らした。米与党の民主党と野党の共和党ともに、福祉問題など現実的な課題で議論を戦わせるといった当たり前の光景がうらやましいという。 「国益のためには、野党でも与党でも一つのことに向かうシンガポールがうらやましい」。こう話していたという父、正煕氏の生前の言葉にも触れた。 「申し上げるのは、はばかられるが…」と断った上で、「韓国の政界では、北朝鮮にあまりに近い勢力がいて、韓国は共産化はされていないが、左翼化しているのではないかと思う」とも語った。 「建設的な論争をする米国議会とは違い、韓国国会は、北朝鮮問題といったイデオロギー論争を繰り返している」とも嘆く。高校生ら約300人が犠牲となった旅客船セウォル号沈没事故の原因究明をめぐっても、与野党が理念対立に固執し、長期間、国会が空転したことも記憶に新しい。 槿令氏は、「韓国はIT強国といわれるが、3、4カ月間、日本から部品を供給しないだけでたいへんなことになる」と、韓国経済の障害となる日韓関係の冷え込みにも懸念を示した。 経済や福祉問題という現実をほうって、不毛なイデオロギー論争と対日歴史問題に拘泥する韓国の政治状況に心底嫌気が差していたのだろう。「親日」という刺激的禁句を使ってまで、日本擁護の発言をし、注目を浴びることで、閉塞(へいそく)した国内状況に、自分なりに一石を投じるつもりだったのかもしれない。“孤独”な姉へ孤立無援のエール 姉の朴槿恵大統領に対しては、日韓国交正常化50年式典で、「日本との協力関係を強化する立場」を表明したことから、日韓関係改善に向け期待感を示した。日本の視聴者には、「新しい出発を見守ってほしい」と呼びかけ、姉にエールを送った。 だが、韓国でイデオロギー対立が解消されない限り、「親日派の娘」というレッテルを貼られ、事あるごとに攻撃にさらされてきた槿恵大統領の対日姿勢が急に改善するとは到底、予想できない。韓国野党は、妹の日本擁護発言を「妄言」として、朴政権への攻撃材料とみなしたぐらいで、槿令氏の渾身(こんしん)の主張は、火に油を注いだ逆効果だったと考えざるを得ない。 保守・左派そろって民族主義的傾向が強く、民族にとっての「正しい歴史」が政治的正義と信じられている韓国にあって、「反親日」に錦の御旗があることに変わりはない。 歴史問題を封印し、日本から巨額の援助を引き出し、祖国を経済発展に導いた正煕氏は、韓国最高の「英雄」と称賛される半面、「売国奴」だと後ろ指を指される背反する2つの評価がつきまとう。この韓国現代史上最も大きな存在を父に持つゆえ、現国家指導者の姉は、皮肉にも、自ら「正しい歴史」に絡め取られ、歴史問題で、安倍政権に繰り返し譲歩を求めるほか、身じろぎ一つできないのが現実だ。 「正しい歴史」が幅を利かせるなか、正煕氏や朴槿恵大統領の支持層であっても、槿令氏の主張に首肯するわけにはいかないのだ。 民族的正義のために振りかざされる歴史問題よりも、北朝鮮の脅威や経済問題といった現実を直視する人でも、「親日派」のレッテルを恐れ、表立って賛意を示す人はほとんどいないだろう。槿令氏がいう「私と同じ考え方」の人は、どこまでいっても声なき声の域を越えられない。 槿令氏の活動に姉が干渉することは、ほとんどないという。大統領就任と前後して槿恵氏は、家族も遠ざけてきたとされる。「最後に姉に会ったのはいつか」との質問に、槿令氏は「よく思い出せない」とも答えた。 インタビューの最後、槿令氏は「未来を背負って懸命に生きてこられた父の遺志は、何だったのかを考えて」と前置きし、日韓双方の人々に向け、こう語りかけた。 「痛みのある歴史に執着して、未来に向けて踏み出せない人々は、日韓の国益や平和を考え、もっと仲良くなれるようにベストを尽くすべきだと思う」 血を分けた妹の本音でもあり、迷惑この上なくもあろう姉に向けた“孤立無援”のエールを、家族さえ遠ざけ、“孤独”に執政に没頭する朴槿恵大統領は、どう受けとめるのだろうか。

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    本音では日本好き? 元ソウル支局長が見た朴槿恵の素顔

     行き過ぎた「反日」を改める声が韓国内からも出ている韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領だが、表面上その行動は窺えない。なぜ、そこまで日本に敵意を示すのか。 産経新聞の元ソウル支局長・黒田勝弘氏は、1980年代当時、産経ソウル支局と同じビルに朴氏の事務所があった関係で、幾度も顔を合わせていたという。「1980年代前半に彼女を招いてホテルの日本料理店で会食をしたことがありました。彼女との会話は韓国語でしたが、ある程度の日本語は理解している様子でした。 社交的な女性ですから、微妙な話はスマイルで避けてましたが、決して日本を批判したり、過去に触れることはなかった。1980年代に日本の財団の招待で、1週間ほど京都などを旅行していたこともあります。  政界入りしてからは(1998年~)、韓国の国会議事堂の近くの日本料理が行きつけで、よく日本蕎麦を注文していましたね。本音は日本を好きなはずです。彼女は、大統領という立場上、反日を唱えているに過ぎません」(黒田氏) 大統領就任にあたって朴氏は、李明博(イ・ミョンバク)前大統領の強硬反日路線(*注)を踏襲した。【*注/李明博政権は、発足当初こそ建設的な日韓外交を志したが、国内政策の失敗によって求心力が低下した政権末期に強硬な反日路線に転換。2012年8月には竹島に上陸し、日韓関係は暗転した】 朴氏が慰安婦問題において盛んに発信するのも、慰安婦問題の解決に向けて行動しなければならない法的義務を負うからだ。李明博時代の2011年、韓国の憲法裁判所は元従軍慰安婦たちが起こした憲法訴訟において、慰安婦問題の解決に向けて韓国政府が動こうとしない「不作為」は違憲である、との判断を下した。「歴史認識問題等に断固として対処する」。朴氏は就任直後から対日姿勢の原則として掲げる。その姿勢は、過去の発言とはまるで異なる。 おそらく朴氏は、父の代弁者として生きることの限界を悟ったのだろう。亡き父の復権を果たそうと努めた朴氏の前半生だったが、父・朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領も懐かしまれるだけの存在になりつつある。若年層を中心に、あの時代から形成された既得権益層への批判も根強い。 父に倣って行動することも、前政権の縛りから抜け出すことも今の朴氏からは想像できない。父が暗殺された上、「親日」の烙印を押されれたことなど、数多の悲劇が育んだ警戒心は、政治家としての「頑迷さ」となり、日韓関係に深刻な影を落としている。

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    日本の賠償金はなぜ従軍慰安婦に使われなかったのか 

    経済協力に関する協定」により5億ドル(無償3億=1千80億円、有償2億=720億円)の経済協力資金が韓国に供与されたが、従軍慰安婦の補償には一銭も宛がわれなかった。  その理由の一つは、日韓国交交渉で従軍慰安婦問題が議題に上がらなかったことにある。 首都ソウルの日本大使館前に設置された「慰安婦像」と記念撮影する少女=2015年8月14日、韓国(早坂洋祐撮影) 韓国側の交渉責任者であった李東元外相(故人)は今から19年前、国交樹立30年目の年にあたる1995年、慰安婦問題が交渉時にどのように処理されたかについて次のように証言していた。  「記憶がはっきりしないが、当時の協定条項には従軍慰安婦の問題と被爆者、徴用者に対する賠償はどこにも含まれなかった。誰の口からも持ち出されなかった。理由は、従軍慰安婦の問題は被害者である韓国にとっても、加害者である日本にとっても恥ずべき歴史の痛みであるからだ。この問題を持ち出せば、国民感情を損なうだけで、外交的に得るものがないからだ。それで、この問題は将来の両国の関係に委ねることにした」  被害者国の韓国側からの提起もなく、討議の対象になっていなかったことからみても第一次的な責任は韓国側にある。  次に日本からの賠償金(経済協力金)の使途については日本政府の同意(署名)が必要とされ、日本からの商品や産品、用役の購入、導入が前提条件となっていたことにある。  賠償とはほど遠く、明らかに商業主義に基づく資金提供であった。慰安婦など植民地統治による被害者への救済という概念は日本側には全くと言っていいほどなかった。従って、日本側にも道義的責任がある。  日本からの賠償金(経済協力金)は日本からすれば、商品もさばけ、技術料も手に入る仕組みになっており、少なからず先行投資的要素もあった。   条約当時、中川融外務省条約局長は「大声じゃ言えないけど、私は日本の金でなく、日本の品物、機械、日本人のサービス、役務で支払うと言うことであれば、これは将来日本の経済発展にむしろプラスになると考えていた。それによって相手国に工場ができるとか、日本の機械が行くことになれば、修繕のため日本から部品が輸出される。工場を拡大する時には、同じ種類の器械がさらに日本から輸出される。従って、経済協力と言う形は、決して日本の損にはならない」(「季刊青丘」1993年夏号)と語っていたが、中川局長の予言とおり、国交正常化翌年の1966年から76年までの11年間 韓国の対日輸出は70億ドル、対日輸入は148億ドルと、2対1の貿易逆調となった。  日韓条約交渉は李承晩政権下の1952年からスタートしたが、韓国は1953年の第3回交渉で日本の植民地支配で被った損害補償として当初27億ドルを「対日財産請求権」という名目で要求していた。  しかし、日本が「韓国にある日本人の私的財産については十分に請求する権利がある」と「対韓請求権」を主張したことから相殺され、韓国は請求権を放棄せざるを得なかった。しかも、韓国が手にした無償資金(3億ドル)は要求額の9分の1に過ぎなかった。  当時、韓国は8項目にわたる膨大な請求権とは別途に日韓会談の一環として開かれていた一般請求権小委員会で強制徴用された労務者66万7千684名と軍人・軍属36万5千名、併せて103万2千684名と見積もり、生存者に対し一人当たり200ドル、死亡者に対して一人当たり1千650ドル、負傷者に対して一人当たり2千ドル、総計で3億6千400万ドルの補償を要求していた。  対日請求権を放棄するなど韓国が大幅に譲歩、妥協したのは、軍事クーデターで政権の座に就いた朴正煕大統領にとって政権維持のための資金と経済再建5か年計画を進める上で日本からの資金を緊急に要していたことに尽きる。  朴正煕大統領がいかに焦っていたかは、クーデターを起こし、政権を掌握した翌年の1961年6月1日、外国人記者招待パーティーの席上で、「日本人は過去を謝罪し、より以上の誠意で(日韓会談)に臨むべきか」との質問に「そういうことは今の時代に通用しない。昔のことは水に流して国交を正常化するのが賢明だと考えている」と答えていたことでもわかる。  対日請求権を放棄したことで国民から突き上げられた朴正煕政権は日韓協定から6年後に被害者に補償することとしたが、対象は「日本軍によって軍人・軍属あるいは労務者として招集あるいは徴用され、1945年8月以前に死亡した者」の遺族に限られた。生存している戦傷者、強制連行者、被爆者、サハリン残留者、従軍慰安婦、BC級戦犯などは除外されてしまった。  その後、判明したことだが、日本が投じた5億ドルのうち、主たる援助先の農林や水産部門には6千670万ドル(13.3%)しか回らず、対照的に朴正煕大統領の出身地でもあり、選挙地盤の慶尚北道の浦項(ポハン)総合製鉄所建設には1億千948万ドル(23.9%)がつぎ込まれ、この製鉄所工場に支援する建材の入札をめぐっては日本企業が対米価格よりも高く売りつけ、水増しした額の一部がリベートとして朴政権の懐に入ることとなった。  日韓協定に基づいて日本から10年間にわたって投じられた総額5億ドルの資金はその一部が金大中野党候補と一騎打ちとなった大統領選(1971年)用に流用されたとの疑惑を持たれるなど使途をめぐっては不透明な部分が多く、「日韓癒着」という言葉が「流行語」となった。  従軍慰安婦問題は朴槿恵大統領の父親である朴正煕大統領が国交正常化時に日本から得た経済協力金を慰安婦ら被害者らに宛がわず、放置したことによる「負の遺産」でもある。ならば、朴槿恵大統領はまずは、慰安婦を切り捨ててしまった父親の過ちを正すべきである。(Yahoo!ニュース個人 2014年1月10日より転載)

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    朴正熙と朴槿恵の「反日」を比較する

    京基督教大学教授) 朴槿恵政権下で反日外交が展開される中、日本人の嫌韓感情はかつてなく高まっている。韓国研究者としてかの国と40年近く付き合ってきた私はこの間「現在の韓国人の反日感情の原因は日本統治時代の記憶ではない。なぜなら、反日感情は統治時代を経験していない若い世代ほど高いからだ。」と繰り返し述べてきた。朴正熙大統領 朴槿恵大統領も日本の統治時代を知らない世代だ。そしてその父、朴正熙大統領は日本統治時代を経験した世代だ。日本では父は「親日」で娘は「反日」だという誤解が広がっているが、朴正熙大統領も自分も「反日」だと明言している。朴正熙時代には日本で嫌韓感情は生まれなかったが、朝日新聞など左派メディアからは独裁者だとして激しい非難が加えられていた。 朴正熙大統領の「反日」は朴槿恵大統領のそれとは質的に異なっていた。だから、侮蔑意識が含まれる嫌韓感情を生むことはなく、むしろ、心ある日本人の尊敬を集めた。 一言でその違いをいうなら、甘えがなく自己の欠点を直視する勇気を備えている「反日」だった。朴正熙大統領は1965年、国内の激しい反対運動を戒厳令と衛戍令をひいて抑え付けて日韓国交正常化を断行した。そのとき、以下のような談話を発表している(1965年6月23日、韓日条約に関する韓国国民への特別談話)。 去る数十年間、いや数百年間われわれは日本と深い怨恨のなかに生きてきました。彼等はわれわれの独立を抹殺しましたし、彼等はわれわれの父母兄弟を殺傷しました。そして彼等はわれわれの財産を搾取しました。過去だけに思いをいたらすならば彼等に対するわれわれの骨にしみた感情はどの面より見ても不倶戴天といわねばなりません。しかし、国民の皆さん! それだからといってわれわれはこの酷薄な国際社会の競争の中で過去の感情にのみ執着していることは出来ません。昨日の怨敵とはいえどもわれわれの今日と明日のために必要とあれば彼等ともてをとらねばならないことが国利民福を図る賢明な処置ではないでしょうか。(略) 諸問題がわれわれの希望と主張の通り解決されたものではありません。しかし、私が自信を持っていえますことはわれわれが処しているところの諸般与件と先進諸国の外交慣例から照らしてわれわれの国家利益を確保することにおいて最善を尽くしたという事実であります。外交とは相手のあることであり、また一方的強要を意味することではありません。それは道理と条理を図り相互間に納得がいってはじめて妥結に至るのであります。(略) 天は自ら助ける者を助けるのであります。応当な努力を払わずにただで何かが出来るだろうとか、または何かが生まれるであろうとかという考えは自信力を完全に喪失した卑屈な思考方式であります。 今一部国民の中に韓日国交正常化が実現すればわれわれはまたもや日本の侵略を受けると主張する人々がありますが、このような劣等意識こそ捨てねばならないと同時にこれと反対に国交正常化が行われればすぐわれわれが大きな得をするという浅薄な考えはわれわれに絶対禁物であります。従って一言でいって韓日国交正常化がこれからわれわれによい結果をもたらすか、または不幸な結果をもたらすかということの鍵はわれわれの主体意識がどの程度に正しいか、われわれの覚悟がどの程度固いかということにかかっているのであります。 韓国の「反日」がおかしくなるのは1982年、全斗煥政権が日本の左派メディアと中国共産党と野合して、歴史認識問題を外交に持ち出すという禁じ手を使ってからだ。第1次歴史教科書事件で、朝日などが文部省の検定の結果、「侵略が進出に書き換えさせられた」という大誤報をして日本政府を非難したことに、まず中国政府が公式抗議し、それに全斗煥政権が乗っかって、他国の歴史教科書の記述の修正を外交交渉の議題にするという前代未聞の「内政干渉」を行った。 このとき、全斗煥政権は、韓国軍近代化資金を日本も負担すべきだという安保経済協力を求めていた。ところが、冷戦をともに戦っているという意識の低かった当時の鈴木善幸政権と外務省は、その要求を冷たく拒否したため、全斗煥政権が禁じ手を使ったのだ。それから、盧泰愚政権まで、韓国政府は日本から経済協力資金や技術協力を得る手段として、歴史認識問題を使った。それも朝日などの誤報をそのまま利用する事実に反する反日キャンペーンを外交に使った。まさに、「甘え」の反日だ。1992年1月、訪韓した宮沢首相に対して盧泰愚大統領が首脳会談の場に慰安婦問題を持ち出したのがその典型だ。軍人出身の盧泰愚大統領は慰安婦強制連行がなかったことを知っていたが、技術移転を求める外交カードとしてそれを使った。 1995年、村山談話が出されたが、韓国の反日はその年からより悪化、劣化した。金泳三大統領が江沢民主席と会談して、反日外交での共闘を提唱し、統治時代の歴史だけでなく、竹島問題も「日本軍国主義による侵略」という一方的な決めつけをして、日本政府や日本国民が領有権主張をすること自体を許さない、外交常識に反する反日を展開した。このときから、反日の目的が、日本からの支援獲得でなく、韓国国内での人気獲得に変わった。韓国では1980年代以降、親北左派勢力が学界、教育界、マスコミに急速に拡散し、いわゆる韓国版自虐史観を広げていった。その鍵も「反日」だった。李栄薫ソウル大学教授は名著「大韓民国の物語」でその誤った歴史観を次のように要約した。 「宝石にも似た美しい文化を持つ李氏朝鮮王朝が、強盗である日本の侵入を受けた。それ以後は民族の反逆者である親日派たちが大手を振った時代だった。日本からの解放はもう一つの占領軍であるアメリカが入ってきた事件だった。すると親日派はわれ先に親米事大主義にその姿を変えた。民族の分断も、悲劇の朝鮮戦争も、これら反逆者たちのせいだった。それ以後の李承晩政権も、また1960〜70年代の朴正熙政権も、彼らが支配した反逆の歴史だった。経済開発を行ったとしても、肝心の心を喪ってしまった。歴史においてこのように正義は敗れ去った」 朴槿恵大統領はこのような自虐史観に支えられた親北左派勢力と大統領選挙で戦って、51%対48%で辛勝した。本来なら彼女の役割は、自虐史観勢力を各界各層から追放する国家正常化であったはずだ。今回、歴史教科書を検定から国定に戻すことを決めたのも、まさに自虐史観一辺倒になってしまった歴史教科書を正常化するためだった。しかし、朴槿恵大統領は世論に迎合する機会主義的政治家だった。 彼女は父親に対する支持から絶対に自分を離れない保守層約3割を固定支持勢力として持っている。また、反対側に約3割の左派固定勢力が分布している。選挙で勝つためには、中間の4割を自分の側につけるしかない。だから、彼女の政策は親北派に妥協的で、世論迎合的なものが多い。朴正熙大統領が「つばは墓に吐け」(自分の政策の評価は死後、決まる)と語り、信念を曲げなかったことと正反対だ。 慰安婦が性奴隷だったら、彼女の父を含む戦前、日本軍(満州軍を含む)の将校だった韓国人はみな、同胞がレイプされていることを知りながらその犯人に奉仕した「売国奴」になる。事実を直視し、与えられた国際環境の中で日本を利用して韓国の安保と繁栄を実現するために全力を尽くすという、父にあった健全で尊敬できる「反日」に彼女が戻れば、日本人の多くの嫌韓感情は解消するだろう。

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    朴槿恵政権を「親日」と見る早計

    加瀬英明(評論家)呉善花(拓殖大学教授)加瀬 日韓国交回復をしたのは安倍さんのおじい様の岸信介首相でした。朴正熙大統領の時代ですね。アメリカはアイゼンハワー政権だったのですが、李承晩が過激な反日だったため、冷戦下で日本と韓国の仲が悪いので困っていたんです。ですから、日韓国交回復を、ドイツのアデナウワー首相とフランスのドゴール大統領の歴史的和解のアジア版だと言って、大喜びした。 今もアメリカは、日韓の不仲に悩んでいますが(笑)、今度こそ岸さんのお孫さんと朴大統領のお嬢さんが、歴史的和解をしてほしいと思っているんですね。 岸さんから晩年お伺いしたのですが、朴大統領は日本語が大変お上手で、宴会のときに、「私はパクパク食べるからパクなんです」といって皆を笑わせた(笑)。呉 朴大統領は日本の陸軍士官学校を出ていますからね。韓国の戦後の軍事制度も、日本のシステムを導入しているんです。 朴大統領について、日本人は独裁政権のイメージと、日韓国交回復させたことで、あたかも親日家であるかのような、二つのイメージがありますよね。加瀬 日本で、朴さんのことを「独裁者でけしからん」と言っているのは朝日新聞などの、左派の人たちで、保守側は総じていい印象をもっています。朴政権が反日教育をした呉 日本人は、韓国の「悪いところを見たくない」というイメージがあると思います。だから、朴大統領に関しても、親日家的側面しか見ていません。彼は個人的には日本が好きでしょうが、一番強烈な反日教育を行った張本人なんですよ。加瀬 朴大統領の演説集には「李朝があまりにも腐敗して、国家の体をなしていなかったから日韓併合につながった」とありますよ。呉 表向きはそう言いますが、朴大統領が反日教育をしたツケが今の韓国人なんですから。加瀬 でも、反日教育は李承晩政権のときからですよね。呉 李承晩のころは根深いものではなかったんですが、朴大統領のときに徹底した反日教育をやってしまった。朴槿恵は、その反日教育を受けた世代です。加瀬 お母さんの陸英修夫人も日本の女学校を出ているでしょう。呉 にもかかわらず、反日教育をしたんです。朴槿恵の主張からすると、親がどうであれ、反日感情のレベルは普通の韓国人と同じです。 竹島問題に関しても「日本側が正しい認識をもってほしい」と言っています。これは他の歴史認識同様、あくまでも韓国の考え方が正しいものであって、日本側は誤っているという解釈です。日本の朴槿恵政権に対する認識は甘すぎます。加瀬 本人の内心はともあれ、韓国世論があるからそう言わなければならないということですか。呉 というよりは、骨がらみ反日教育で育った世代だということです。 これは李明博大統領も同じです。彼が日本で生まれたというだけで、幻想を持っている。ところが、反日教育を受けた一般の韓国人となんら違う考えを持っていない。判断力がないんです。ですから、今の反日教育世代からずば抜けた日本人観をもった人が出てくるのは極めて難しいですよ。安倍首相は「shameful」?加瀬 さきの総選挙の投票日にワシントンにいて、固唾を飲んでみていたら安倍自民党が圧勝したので安心したんです。その直後にニューヨークタイムズが「今度の安倍首相は河野談話の見直しを行うということを言っている」と社説で論じ、そのタイトルが「shameful」=「恥知らず」の考え方、というものでした。呉 安倍さんに対してそんな失礼なこと言っているんですか。加瀬 「韓国の若い女性を無理に性奴隷に仕立て上げた罪を否定するとはshamefulだ」と言っているんです。日本専門家のマイケル・グリーンは、「首相が靖國神社に参拝しても理解できるだろう。しかし、河野談話を否定するとなると、上下両院、地方議会などで大変な反発を招くだろう」と言っていました。今月もニューヨーク・タイムズで「村山談話を否定するならば、日本は中国・韓国をはじめとするアジア諸国を侵略した罪を否定する、大変ひどいことだ」と書いていた。呉 それは、日本と韓国の教育が作り上げた結果でしょう。加瀬 日本も韓国と同じように「日本がひどいことをした」という妄想に囚われています。 でも、安倍さんを「shameful」と批判する三カ月くらい前のニューヨーク・タイムズは「韓国は売春大国だ」と書いていた(笑)。呉 世界でワースト1ですから(笑)。加瀬 それに、韓国では賃金の大きな差がありますね。呉 良い大学を出ても就職できない。まともな会社に就職しようと思ったら、選ぶべき大学はおのずと絞られてしまいます。だから受験競争が激しくなる。韓国では″知=学歴〟が一番大切ですからね。加瀬 儒教の影響ですね。しかし、世界にはニューヨーク・タイムズのような認識をもっている人たちはたくさんいる。呉 それをこれからどのように正していくかが大きな政治的テーマでしょう。安倍政権は、それを期待されてこれだけ圧勝したわけです。しかも、安倍総理は力強く出ていますからね。加瀬 韓国の妄想につける薬はまったくないと思いますが(笑)。呉 少なくとも、「朴槿恵が親日」という妄想だけは、早く壊さないと危ない。加瀬 朴大統領が軍事クーデターを起こしたときに参加した金鍾泌さんとはたいへん親しくさせていただいたんです。彼も日本語を話すのが大好きで、親日でした。「漢江の奇跡」は日本の援助「漢江の奇跡」は日本の援助呉 朴大統領やその周りの方々は親日でも、戦後の「漢江の奇跡」は日本からの援助によってなされたものだと発表していない。ソウル市街と、街の中心を東西に流れる漢江 私は新日鉄の会長だった有賀敏彦さんとは親しくさせていただいたんですが、新日鉄は韓国のポハン製鉄に技術提供をし、韓国の地下鉄などに多大な貢献をしているんです。そのため、韓国の青瓦台の大統領官邸に呼ばれ、賞をいただいたそうです。しかし、賞を頂くのに〝個室〟で誰にも知らせないでたった一人でもらったという(笑)。 ウラでは、評価しているし、援助に対する感謝の気持ちもあるけれど、国民どころかまわりの官僚にも言わない。このようにして、徹底した反日教育を行ったことの結果が表れているんです。加瀬 日本語が得意で、日本が好きだった方に「なぜ反日教育を行ってきたのか。同じような状況だった台湾は親日であるのに、なぜ韓国は違うのか」と聞いたことがあるんです。すると、「日本が悪い」と──。「日本が戦争に負けたから悪くて、あと十五年、つまり五十年間日本が統治していたら、台湾に負けない親日になっていただろう」と言われたことがあります。 それにもかかわらず、どうして朴政権は反日政策を施したのでしょうか。呉 私も不思議でならないんです。朴大統領は、韓国人は朝鮮時代に腐敗したどうしようもない国民性を持っていることは知ってらっしゃるんです。『人間改造の民俗的課題 韓民族の進むべき道』で韓国朝鮮民族のどうしようもないところを指摘して、変えるべきだと言っています。例えば、特殊特権意識。これは韓国人はすごく強い。お金がある、学閥や門閥が優れているということに対しての執着が強いんです。民族の共同利益と繁栄を阻害していると指摘しています。もう一つは過去の国家政策のすべてが歪曲されていること。自党の利益のためだけに政策が実施されてきたと言っています。加瀬 今の韓国そのものですね。呉 李承晩政権の反日教育はわずかな期間でしかないし、全国民が教育を受けられるような環境でもなかった。朴大統領は、あれだけの力を持っていたのですから、反日教育を変えることが出来たはずなのに、むしろ徹底した反日路線を継承してしまった。加瀬 李朝五百年の間に何も誇れることがないから、反日を韓国の愛国心の柱にするしかなかったんですね。呉 これまでもお話ししてきたように、漢字廃止とハングル礼賛、そして反日ですね。加瀬 朴正熙大統領は強硬な反日政策をとったにもかかわらず、盧武鉉政権のときには日本の士官学校を出たというだけで、親日というレッテルを貼られてしまいましたね。呉 それは朴槿恵に対する牽制です。親日派の娘ということで潰したかったんです。加瀬 朴政権の頃の韓国によく通いましたが、政府の方、国会議員、学者も親日ぶりを披露ばかりするもので、反日のムードがあることに全然気がつきませんでした。呉 トップの方たちはそうかもしれませんが、一般では反日ムードが強く、日本人たちは韓国に行くのが怖かったと聞いています。加瀬 全斗煥時代からではなくて?呉 私が日本に来たのは全斗煥時代でしたけど、そのときにはすでに反日教育を受けていましたから。日本人観光客を見ると学生たちは指差して揶揄したり……。 むしろ、今の方が落ち着いている気がします。何が何でも反日というのではなくて竹島や慰安婦というキーワードに反応し、それも全国民が立ちあがるのではなく、一部の団体が騒いでいるのが現状です。鳥もネズミも知らない内に加瀬 従軍慰安婦問題に火をつけたのは朝日新聞です。呉 ええ。昔は個別の問題で騒ぐのではなく、〝漠然とした〟反日でした。私が日本に来た頃は、韓国からの留学生たちが集まると、とにかく反日的な言い方をしないと韓国人ではないという扱いを受けました。私も当時は凄かったんですよ(笑)。加瀬 おや、どのようなことをおっしゃっていたんですか。呉 「日本人は血も涙もない国民だ」とか(笑)。加瀬 それから二十五年経って、韓国の現状はどうですか。呉 変わってない(笑)。ただ、今は行き来する人が増えたので、実は昔ほど根深いものではないという印象ですね。 最初に本を書いたころは、親日的なことは書けない時代でした。韓国には「鳥もネズミも知らない内に」という言葉があって、夜行性のネズミも知らない内に拉致されて、どうなるか分からない……。それくらい朴政権というのは怖いという印象があった。加瀬 韓国人で面白いのは、反日を言いつつも、日本製品が大好きですよね。女性なら化粧品、男性なら電化製品……。イスラエルはユダヤ人ですから、ホロコーストをやったドイツ人が大嫌いです。だからドイツ製品も、ベートーベンも一切だめ。でも、韓国は違いますね。日本が大好きという一面もある。呉 消費社会はいいんです。でも、漠然とした日本というもの、国家となると拒否反応が出るんですよ。加瀬 最近、韓国では日本の居酒屋が流行っているそうです。日本酒もブームだとか。ビールは「アサヒビール」が若い人には好まれているようですね。呉 「サケ」という言葉が特許を取っているくらいです。韓国人にとって、「酒」というのは最高級品です。加瀬 この二重人格というか、複雑な日本観は何とも不思議ですね。呉 感情的なんですよ。イスラエルのように、〝理性的に〟排除することはせず、矛盾した二つの日本観が同居しているのが韓国なんです。加瀬 日本人をいい奴だと思っているんでしょう、「いい奴がつくっているならいい国だ」ということにはならないんですか。呉 一般の韓国人にそんなまともな冷静さはありません(笑)。 この感覚を知らなければ、韓国人とはまともに付き合えないと思います。たとえ父親が日本の学校を出ていたとしても、この感覚で育ってきた朴槿恵に期待しすぎたら痛い目を見ますよ。本質を知る気がないのなら、中途半端な韓国との付き合いはやめるべきです。加瀬 分裂症みたいですよね。呉 そうですね。加瀬 中国には逆らいませんが、それも国民性というか、二千年のDNAなんでしょうね。呉 中国人にも韓国人にも共通している点なんですが、上から物事を見たい。見下したいんです。さきに公明党代表が中国で習近平に会いましたね。その時の態度が、まさしくそれを表しています。日本人はお辞儀をするけれど、彼らはしません。韓国でもお辞儀は下位のものが深く、上位者は軽く頭を下げる程度です。 李朝時代、朱子学一本でピラミッド型の国づくりを進めていきました。次第にそれが家庭生活まで貫くようになり、一つの乱れもない階級社会が出来てしまった。これが結局は戦後、韓国人が唯一の価値観で動くことに繫がっています。完璧なたった一つの真理が貫いている北朝鮮を理想とする若者がいるのも、硬直した価値観があるからなんです。その価値観に当てはめると、韓国と日本は……。加瀬 両班と常民の関係ですね。日本人はいつも「すみません」と深々と頭を下げているからね。呉 外交はパフォーマンスですから、非常に大切なわけです。日本人は謙虚な気持ちの表れで、上に行けばいくほど深くお辞儀をする。韓国人からしてみると、深く、もしくは何度もぺこぺこするのは、卑屈に見えて仕方がない。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざは、日本だけで通じる美学だと考えた方がいいのです(笑)。加瀬 なるほど。韓国では一度しかお辞儀をしないんですよね。複数回するのは死んだ人にだけです。ましてや、慰安婦問題のように事実でないことについて何度もおわびをするというのは、本当に卑屈なことですね。呉 「ほら、自分で認めたじゃないか」ということになってしまいます。「もっとよこせ」と要求するもっとよこせ加瀬 河野談話については、石原信雄官房副長官というキャリアのお役人が「韓国人女性を強制的に拉致してきて慰安婦にしたということを日本が一回認めれば、もう二度と言いませんから」という韓国側の主張を信じて、上役の河野官房長官に談話を発表させたんです。いまでは「私はだまされた」と言っていますが……。呉 日本人は「謝ったほうが勝ちだ」というような自分たちの価値観で勝手に判断したんです。中国は「謝ったら終わり」でしょう(笑)。加瀬 韓国人にとって「負けるが勝ち」というのは理解出来ない言葉だそうですね。呉 ないですよ! 「勝てば官軍」です!加瀬 中国の人に同じ質問をしたら、「そんな発想はまったく中国にない」と言われました。呉 ″助ける〟ということもそうです。なにかあった時に助けるということになったとしますよね。余計な助けは、逆に良くないんです。 韓国人の性格がそうなんですが、助けてもらうということは、「私」に力があるからということになる。助けてもらうのではなく、「あなたが助けてくれるべきでしょう」と。加瀬 計算をして、後に得をするために、援助をしたと解釈するんですか。呉 というよりも、「私にそれだけの価値があるから、私を助けてくれる。だから私を助けなさい」という発想なんです。それが受ける側の価値になる。 経済的援助を例にすると、小さな金額で助けてもらうと「私の価値をこれだけしか判断できないのか」とものすごく怒るんです。それで「もっとよこせ」と要求する。たくさん相手に助けてもらえるということは、その人の力と判断されるんです。加瀬 日本が日韓条約で大変な金額をあげたんですよね。ところが今は全然感謝されない(笑)。呉 「そんなのはハシタ金にすぎない、足りない。もっとよこしなさい!」と(笑)。加瀬 いまの中国の発展は、日本のODAのおかげですよ。「日中友好は大切だから」と一番初めに中国に進出したのは松下。今回の反日暴動で一番初めに襲撃を受けたのは、パナソニックの工場なんですよ。日本では「どうして恩を仇で返すのか」とキョトンとしているけれど、これと同じ話ですね。呉 ありがたいという気持ちがないんです。助ければ助けるほど、「それくらいしか私の価値を認めないのか」と怒り狂って、「もっとよこせ!」と要求するんです。こういうことで存在意義をアピールする。国家間も、普通の人間関係も同じです。働くことは卑しい加瀬 韓国では、食堂や料亭では、常連から高くとるんですよね。「よく来るから、高くとってもいいだろう」という発想です。日本だと、常連さんには安くする。呉 そうですよね。「ありがたい」という気持ちですね。 韓国の店は「常連としてくるということは、それだけこの店に価値があるからだ。だからもっと払え」となる。だから次はもっと高いお酒を出して(笑)。本当に日本人とは違うんです。加瀬 現金で払うと、常連客にはおつりをくれないんですよ(笑)。呉 もっと言うならば、「働かないでもタダでもらえる」ということもその人の力だと考えるんです。日本人にとっては、タダで誰かからお金をもらって生活するなんて、みっともないことでしょう。 韓国では、どうすれば働かなくても助けてもらえるかがその人の力なんです。「私に〝徳〟があるからみんな持ってくるんだ」という発想につながるんです。生まれつき、あるいは先祖から受け継いだ徳に対する対価と考える。だから、汗水たらして働くというのは、不幸なことなんですよ。 この間、韓国人と会って「あれ?」と思ったことがあったんです。手先が器用で才能がある人は日本ではどう評価しますか。加瀬 「匠」として尊敬され、高く評価を受けますよね。呉 韓国では、器用な人は不幸になると言われているんです。色々な仕事が出来てしまいますから、たくさん働かなくてはならない。加瀬 要するに、働くことは卑しいことなんですよね。呉 この前、韓国人が私の家に来たんです。「これもあれも私が作ったのよ」と言ったら「器用ですね」と誉めてくれたんです。嬉しいなと思ったら、そのあと「昔から器用な人は不幸な運命の持主だと言われるけど」って(笑)。そんなことを言われて、本当にがっかりして……。加瀬 両班は自分の手の届くところにあるものしかとらないというし、馬に乗るのも、従者に腰を高く持ちあげてもらうんですよ。自分の力は使わない。 日韓併合のときの日本の調査で、両班は五〇パーセントだった。明治に入ったときの士分は八パーセント以下。韓国では働かない両班がどんどん増えていって、国が潰れてしまったんです。日本は武士だって畑を耕しました。呉 働かなくても食べていけることが幸せ。今でも、そういう人は幸せの象徴なんです。このような国民の精神性が、国家間の外交問題にすごく表れているんです。 汗水たらして働くことを美徳としている日本人は、〝低い〟人たちと判断される。だから、日本人に働かせて、お金を稼がせて、それを韓国人が使うべきなんだという発想です。加瀬 不当な生活保護受給者みたいですよね。呉 韓国の牧師さんの説教があったんです。「キリスト教を信じなければ、日本は滅びる。その証拠に、汗水たらして働いているのに、日本人が住んでいるのはウサギ小屋ではないか。日本人はお金を稼ぐが、それを使っているのは、クリスチャンであるアメリカ人ではないか。日本人は呪われている奴隷である」と言っていたんです。 これに象徴的に表れていますよね。日本人はお金を持っていても、使うのが下手だから、韓国人が使ってあげなくてはならないという感覚はものすごく強いんです。これに対する罪の意識はありません。むしろ、韓国人が使ってあげないと日本人がダメになるという発想です(笑)。加瀬 ハハハ、ありがとうございます(笑)。カムサハムニダ!!かせ・ひであき 1936年、東京都生まれ。慶應大学経済学部卒業後、エール大学、コロンビア大学に学ぶ。『ブリタニカ国際大百科事典』初代編集長を経て、評論家として活動。映画『プライド 運命の瞬間』(98年)『ムルデカ 17805』(01年)の監修も担当した。海外での講演も多い。お・そんふぁ 1956年、韓国生まれ。拓殖大学国際学部教授。大東文化大学卒業後、東京外国語大学地域研究科修士課程修了。韓国時代に四年間の軍隊経験あり。東京外国語大学大学院時代に発表した『スカートの風』が大ベストセラーに。また『攘夷の韓国 開国の日本』で第5回山本七平賞受賞。著書『私はいかにして「日本信徒」となったか』『虚言と虚飾の国・韓国』(共にワック)など多数。 

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    「シェフとチーフ」韓国大統領は族長ナミ

    フランス語でシェフといえば、スマートでカッコよく聞こえますが、英語ならチーフ。ひところは「酋長」との訳語もあったのですが「未開を笑うのは差別的」とかでいまは「族長」の言いかえがフツーとか。

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    まるで金太郎アメ 韓国歴代大統領「反日・侮日」妄言集

    拳骨拓史(作家) 韓国大統領による「反日発言」がかまびすしい。 とは言え歴史をみれば、朴槿惠、李明博、盧武鉉以前にも、歴代韓国大統領の多くは、日本に「謝罪と賠償」を求めることが一種の伝統化していることに気づく。いわば“反日の金太郎アメ”なのだ。(1)李承晩 初代~第三代韓国大統領。在任期間=一九四八~一九六〇〈朝日新聞を通じた新年メッセージ〉 日本の皆さん新年おめでとう。 韓国人は善良な皆さんに対してなんの呵責ももっていないが、日本人もまた韓国人に不平を抱いていないと思う。過去四十年の間、韓国人がうけた痛手は日本軍国主義者の罪に帰すべきものであって、日本人もまた彼らの政府のあとで同じように被害をうけたものと思う。(中略)われわれは隣人同士であり、両国民はお互いに仲良くつきあわねばならないことを日本人は忘れてはならない。(一九四九年一月五日) 李承晩(イ・スンマン)韓国大統領(一八七五~一九六五)が就任間もない時期に、日本に宛てたメッセージである。反日で有名になる李承晩大統領も、当時はまだその牙を見せていなかった。 李承晩は若くして反日活動団体である独立協会に身を投じ、投獄。釈放後に渡米し、朝鮮独立のための宣伝活動をおこなった。 一九一九年、上海の大韓民国臨時政府(注 国際的には承認されず)の大統領に就いたが、一時期上海にわたっただけでほとんどをアメリカですごし、第二次世界大戦後に韓国大統領に就任。1950年6月の朝鮮戦争勃発直後、金浦空軍基地に到着したダグラス・マッカーサー元帥を迎える李承晩・韓国初代大統領(右)親日派を断圧 李承晩ライン(一九五二年に李承晩大統領が韓国の主権があると宣言した水域を囲む線。日本側はこれを認めず、ラインが廃止されるまでの十三年間に日本漁船の捕獲事件などが起こり、日本人抑留者は三千九百二十九人、死傷者は四十四人を数えた)を設定して日本と対立した。 日本人抑留者たちは人間として満足な生活をする権利すら与えられず、寝室はゴザが敷かれた部屋に毛布が一、二枚程度与えられ、食事は茶碗一杯、麦飯に具なしの味噌汁だけがおかずであった。小アジの煮付け一匹が三人分の食事として出されることもあり、健康を維持するカロリーを与えられることはなかった。 抑留者たちは家族が送ってくる差し入れ品を金に替え、食糧や夜具などに交換したが、この差し入れ品も、韓国警察によって中身が抜かれたり、届かなかったりした。 当時、李承晩大統領が語り、韓国で流行語となったのが「アメリカは余り信じるな。ソ連の奴らには騙されるな。日本は必ず再起する。注意せよ!」というものであった。 アメリカ生活の長い李承晩は日本統治の実際を知らず、日本統治に協力した人々を「親日派」として弾圧した。 日本語で「親日派」といえば、日本について詳しかったり、日本に対し好意をもつていたりする人を意味するが、韓国語ではこのような意味の場合は「知日派」を使い、「親日派」は使わない。 「親日派」は日本の植民地支配に協力した者を指し、「売国奴」に近い意味で用いられ、反日教育を実施して韓国国民の日本への敵愾心を強くした。 李承晩大統領はライバルの暗殺や不正占拠などを繰り返し、反共独裁政治をおこなったが、野党や国民の批判を浴び辞任、ハワイに亡命。晩年は貧困と孤独にあえぐ悲惨な末路をたどった。〈韓国スポークスマンの発表〉 李承晩大統領は共産主義者が民主主義政府および国民に比べていかに残忍であり、独裁的かつ野蛮であるかを教えるとともに、日本帝国主義の侵略性およびその韓国に対する悪意にみちた態度を生徒に教えるよう命令した。 またこの新指示は、韓国経済を独占しようとする日本の陰謀に対する対抗措置を準備するため、教師および大学教授に命じ、生徒を激動させようとするものである。(一九五四年十月十四日)〈「三・一事件」四十一周年祈念集会でのメッセージ〉 日本は戦時中、強制的に日本に送られ、軍事産業で働かされた二百万の韓国人に対する補償の義務がある。岸首相は最近の訪米中、米国に補償支払い援助を要請したといわれるが、外国に援助を求めるのは理由のないことで、補償については日本が全責任を負うべきである。(一九六〇年三月一日)(2)全斗煥 第十一~十二代韓国大統領。在任期間=一九八〇~一九八八 全斗煥(チョン・ド・ファン)は朝鮮戦争中に陸軍士官学校に入学し、一九七九年の朴大統領暗殺事件の混乱を処理して実権を掌握。大統領を辞任した後、不正蓄財などが発覚し逮捕された。 全斗煥の父親、全相禹は一九三〇年代後半に日本への高い忠誠心があるとの理由から、任地である内川里の里長に抜擢され、農民たちに「皇国臣民化」を説いてまわり、日本への供出物の確保に情熱を傾けた。 その後、中国の吉林省松花江流域の農村に居をかまえたが、そこで朝鮮独立運動家を取り締まるべく日本軍の案内をおこなって大金を得、その後韓国へ戻って暮らしていた。 全斗煥韓国大統領もその影響を受け、早稲田大学教授・松原正氏と会った際に、満洲などにいた日本へのテロ勢力を討伐するための歌である『討匪行』を歌詞ひとつ間違えずに歌ったと言われている。まるでお化け屋敷 全斗煥自身、「私の幼いころ、将校たちが軍刀をつるし、皮の長ぐつをはいて部隊を指揮する姿とか、さっそうとした乗馬姿とかをよく見かけて、すっかりあこがれてしまい、めしも食わずに追いかけていっては訓練に見とれていたものです」と述べ、大東亜戦争勃発後は、日本の少年航空兵になりたいと熱望していた。特別機で来日した全斗煥韓国大統領と李順子夫人=羽田空港、1984年 9月 6日  大統領になってからは、彼が父とも呼ぶ前任の朴正熙元大統領が日本から多額の支援金を受けていたことが、「親日家」だとして批判される理由になっていたため、全斗煥大統領は「反日」と「親日」を超えた「克日」という新しいスローガンを用意した。 その事蹟というべきものが、一九八七年に建設された韓国の独立記念館である。数十億円もの寄付金を募り、約五百億ウォンで建てられた独立記念館は、日本軍による銃殺刑や拷問などの様子が蠟人形をつかって虚実とりまぜて再現されており、訪れた人々の多くは口を揃えて「まるでお化け屋敷だ」という悪趣味なものとなって仕上がった。 一九八一年には、「我々は国を失った民族の恥辱をめぐり、日本の帝国主義を責めるべきではなく、当時の情勢、国内的な団結、国力の弱さなど、我々自らの責任を厳しく自責する姿勢が必要である」と、全斗煥自身、韓国の非を認める発言もしていただけに、独立記念館を建設したことは日韓関係の未来を考える上で残念でならない。〈昭和天皇に拝謁した全斗煥大統領の宮中晩餐会での挨拶〉 われわれ両国には、「雨降って地固まる」との共通のことわざがあります。(中略)われわれ両国の間にあった不幸な過去は、今やより明るく、より親しい韓日間の未来を開拓していくうえで、貴重な礎にならねばならないと信じております。(一九八四年九月七日) 全斗煥韓国大統領は昭和天皇に拝謁した最初の韓国大統領となった。昭和天皇との拝謁については、日韓両国から激しい批判があったが、その際、昭和天皇より過去の歴史に対する謝罪の発言を引き出すよう強く日本側に要望していた。 宮中晩餐会の前日、全斗煥は安倍晋太郎外務大臣と会談し、「弱い立場にある人間は普通、富める人、強い人に対してひねくれを感じ、先方が寛大にしても時として誤解をもつ。従って強い人、富める人は多少損をしても寛大な気持を持って欲しい」「韓日の(過去の)誤解は大部分そういうものだったと思う」と述べたという。(『読売新聞』一九八四年七月十日) 昭和天皇の御言葉を受け、韓国の民族主義団体「光復会」(日本統治時代の抗日、独立運動家とその家族で構成)は、「過去の歴史の張本人である日本の天皇が不幸だった過去に心から遺憾の意を表明し謝罪した。われわれは日本側の反省と謝罪を喜びをもって受け入れる。この謝罪は、われわれの歴史的勝利を意味する」などと反応を見せたが、これ以降、韓国政府は大統領が代わるごとに天皇陛下に謝罪を要求しようという悪癖を生むようになった。(3)盧泰愚 第十三代韓国大統領。在任期間=一九八八~一九九三 天皇陛下の御言葉を政治的なかけ引きに利用しようとする動きは、全斗煥の後任である慮泰愚大統領(一九三二~)の時代には始まっている。盧泰愚大統領 『東亜日報』では天皇陛下が過去の歴史について直接謝罪を表明しなければ、またその内容が韓国政府の期待にそぐわない場合は、盧泰愚大統領の訪日時に天皇陛下への訪韓招請を行わないと報じた。 この韓国政府の動きにあきれた小沢一郎自民党幹事長(当時)は、「反省しているから(経済面などで)協力している。これ以上、土下座などする必要があるのか」と反発したが、マスコミなどから突き上げられ、謝罪へと追い込まれている。〈慮泰愚総裁と日本人記者団との懇談形式での会見〉 私の前任者(全斗換・前大統領)の訪日時、昭和天皇が不幸な歴史に遺憾の意を表明した。両国間に不幸なことがあったことはだれもが認識している。 加害者がだれであり、被害者がだれであったかについても共通の認識がある。加害者が被害者に「すみません」とか慰めの言葉をいうのは当然のことだ。 韓国側からいうと謝罪がはっきりしない。被害者は加害者の真心を疑わざるを得ない。真心から「すみません」といってくれれば被害者としても感動して「いや、結構です。これからうまくやりましょう」といえるのではないか。(中略)「間違っていた」「すみません」というおおらかな心を見せれば、韓国だけでなく中国や東南アジアが日本に対する認識を変える契機になる。力量があり、強い方がおおらかな心を見せることが必要だ。(天皇の「お言葉」については)天皇の名前にかけてというのではなく、皆さん(日本人記者)や日本の国民と話をしてみましょう。そうすれば日本がどうすれば正しいのか自明のことだ。 そんな次元から自然に解決されれば天皇訪韓もうまく解ける問題ではないか。(一九九〇年五月十五日)〈宮中晩さん会での慮泰愚・韓国大統領の答礼あいさつ〉 日本は陛下のご即位によって、平成の新しい時代を迎えました。本日、陛下と歴史的な交歓をもち、天皇ご即位の祝賀の挨拶を直接お伝えできますことを意義深く考えます。 また、日本が戦後の廃虚から立ち上がり、全世界がうらやむ平和で繁栄する国家を築いたことに、賛辞を送ります。私は平成時代が日本ばかりではなく、私どもが生きる東アジアと世界の平和と繁栄、友誼を増進する時代になるものと確信いたします。 遥かな古代から今日に至るまで、韓日両国は最も近い隣人として親しんで来ました。両国の国民は狭い海峡を越えてお互いに往来し、相手国の文化形成に大きな影響をおよぼし合いました。両国間には歓迎すべきことも数多くありました。しかし、わが国民は近世に入り、苦痛を受ける一時期を経験しなければなりませんでした。 両国間の長い善隣友好の歴史から見るとき、暗い時代は相対的に短い期間でした。歴史の真実は消されたり忘れられたりすることはありませんが、韓国国民はいつまでも過去に束縛されていることはできません。 われわれ両国は真正な歴史認識に基づいて過去の過ちを洗い流し、友好協力の新たな時代を開かねばなりません。日本の歴史と新しい日本を象徴する陛下がこの問題に深い関心を示されましたことは、きわめて意味深いことです。 今やわれわれ両国が近くて近い隣人、信頼する友邦として、両国関係を発展させるのに障害となってきた過去の歴史の影を消し、残滓を取り除くためにわれわれすべてが努力しなければなりません。そうすることによって、両国間の望ましい関係をわれわれの子孫に受け継がせなければなりません。(一九九〇年五月二十五日) 一九六五年の日韓基本条約によって、過去の賠償はすべて完了していることは言うまでもないが、謝罪についても盧泰愚大統領が明確に「解決した」と断言している。 日本はすでに、謝罪も賠償も終わっているはずだが、彼らは未だにこれを要求しつづけている。 金泳三は一九五四年に国会議員に当選以来、ながく野党議員を経験するが九〇年に与党に合流。九三年に十三年ぶりとなる文民大統領となった。だが政権末期には通貨危機がおき、韓国経済を迷走させたまま任期を終えた。(4)金泳三 第十四代韓国大統領。在任期間=一九九三~一九九八〈金泳三韓国大統領による衆議院本会場での国会演説〉 一八九四年、韓(朝鮮)半島では日本と中国間の戦争があった。日清戦争で勝利した日本は、ついに韓半島を併合した。一九四五年、韓国は解放されたが、南北に分断され、同族相争う戦争を体験した。韓国は今も地球上の最後の分断国家として、民族的苦痛をなめている。 私と、わが国民は、一世紀にわたった諍いと葛藤の歴史に終止符を打ち、真の友情と協力の新しい歴史を開いていくことを提起する。(中略)韓日両国国民は心の扉をすっかり開かなければならない。過去のしこりはきれいに洗い流さなければならない。(一九九四年三月二十五日)韓国の金泳三大統領と握手する橋本首相 1996年 3月 2日  李承晩韓国大統領然り、就任当初はかならず過去の歴史について問題としないという姿勢をとるのが歴代韓国大統領の御家芸である。〈金泳三・韓国大統領の朝日新聞社との会見〉 再三強調してきたように、日韓関係を未来志向に発展させていくには、正しい歴史認識の確立が何よりも重要だ。それには、過去を直視する土台の上に、未来に向かって協力していかなければならない。過去の歴史をウソで美化したり、不問にしたりするのは、日本自身にとっても決してためにならない。(一九九五年八月九日) 金泳三大統領の時代には、細川首相が韓国併合について謝罪を述べたのに対し、永野茂門(一九二二~二〇一〇)法務大臣が「日本で言う大東亜戦争というものが、侵略を目的にやったか。日本がつぶされそうだったから生きるために立ち上がったのであり、かつ植民地を解放する、大東亜共栄圏を確立するということを、まじめに考えた。私は南京事件というのは、あれ、でっち上げだと思う」と発言。永野法務大臣は就任後、わずか十一日で更迭されることになったが、韓国の世論は沸騰した。〈江沢民中国国家主席との会談〉「自分の就任後、侵略行為と植民地支配によって我々に残酷にしたことに対して日本は反省し、歴史を直視するなかで未来に向けて進むことを繰り返し明らかにしてきた。日本は歴史認識を正しくすべきだ」「日本側の妄言が続いており、建国以来三十数回続いている。今度こそ(日本側の)悪い癖を直してみせる」(一九九五年十一月二十四日) この日本の「悪い癖を直してやる」という金大統領の発言は、日本側を怒らせることになった。 特に一九九五年は韓国の光復(独立)から五十周年の節目(実際に大韓民国が樹立されたのは一九四八年)となるため、日本の朝鮮統治時代のシンボルというべき旧朝鮮総督府府庁を解体する行為に及んだ。 この建物は花崗岩によって出来ており、近代建築の観点からも文化的見地からも取り壊しに反対する声は少なくはなかったが、日帝残滓を清算するという政府方針と世論におされ、一部を残して破壊されることになった。 また一九九五年には竹島に接岸施設を設置したほか、軍隊を常駐化させるなどの要塞化を推進。現在まで続く竹島問題を引き起こすことになった。日帝風水謀略説日帝風水謀略説 さらには韓国独立五十周年を記念した「歴史立て直し事業」のなかで、日本により断絶された朝鮮風水の地脈を復興しようと杭除去運動を開始した。 これは日本が風水によって朝鮮民族の精気を奪おうと杭を打ち込んだとされるもので、「日帝風水謀略説」とも呼ばれている。 朝鮮半島は風水に対する信仰が根強い地域であったため、日本が鉄道を敷設したり、建物を造ろうとすると風水を断ち切るとされ、各地で反対運動が巻き起こった。 これは齋藤実朝鮮総督が、「工事を止めてしまえ」というほど、アタマの痛い問題であったが、最終的には朝鮮王であった李垠(一八九七~一九七〇)の同意によって進められることになったが、韓国では未だに日本軍による陰謀説が語りつがれている。 金泳三はこの工事で埋め込まれた杭が、朝鮮を呪うものであるとして、これらの除去作業を命じたのである。 だが日本ではそもそも風水などそれほど根付いていないように、荒唐無稽な話以外の何物でもなく、事実、韓国で引き抜かれた多くの杭は、単なる測量用の杭に過ぎない。 しかしながら韓国では現在でも測量技術に対する理解は低く、二〇〇六年には「山の頂上部で発見されたのだから、測量用である可能性は薄い」などとメディアが平気で報じる始末である(山頂などに測量用の三角点を設けることは日本人なら高校生でも知る常識であろう)。〈日韓首脳会談〉 日韓関係は未来志向であるべきだが、日本の正しい歴史観が前提にある。 日本は植民地支配、侵略戦争を行ったことをきちんと直視すべきだ。植民地支配を含め、日本が韓国を支配した期間は四十年を超える。その間、韓国国民は苦しみと悲しみを味わった。日本は経済力だけでは、これまで以上に世界の尊敬は受け難い。日本の指導者が正しい歴史認識を持って政策を進めることを期待したい。(一九九五年十一月十九日)〈竹下登元首相らと金泳三大統領との会談〉「『近くて遠い国』を『近くて近い国』にするには指導者、政治家の言葉が重要で、政治家は歴史を重んじる必要がある」(一九九六年十二月十七日)〈村山富市首相との会談〉「日本の一部に『日本が戦った相手はアジアではない』との意見もあるが、それはアジアの人たちが決めることで日本の人が決めるのはおかしい」「過去の正しい清算が必要で、両国の学者が一堂に会して、例えば伊藤博文が何をしたのか、などの歴史的事実をきちんと調べてはどうか」(一九九五年四月十三日)(5)金大中 第十五代韓国大統領。在任期間=一九九八~二〇〇三 金大中(キム・デジュン)は朴正熙大統領と対立し、東京で韓国情報機関に逮捕、拉致された経歴をもつ(金大中事件)。その後、死刑判決を受けるものの、減刑されてアメリカへと亡命した。のちに帰国して四度目の挑戦で韓国大統領に就任した。訪日日程を終え、特別機で帰国の途に着く韓国の金大中大統領夫妻=2000年9月24日 日韓の歴史問題については「韓国と日本の関係において、私は門を開く役割を担いたいと願っている。何よりも両国の指導者の思慮のなさと過ちからくる、両国民の間にある不信と憎悪の門の、何と固く閉じられていることか」(『金大中獄中書簡』、岩波書店)と述べているように、政治活動を始めた当初から、日本との軋轢の原因となっている歴史問題を克服しようとした。 「韓国政府は、過去の問題を持ち出さないようにしたい。自分が責任を持つ」と述べたほか、映画や音楽など日本文化も開放することを表明し、日本との垣根を取り払うよう尽力をしている。 さらに一九九八年に訪日し、天皇陛下と拝謁した際にも、植民地支配には言及せず、戦後日本の発展と平和主義を讃え、韓国への支援を求める内容となっていた(訪日に先立ち、政府として天皇を表す「日王」の呼称を改め、「天皇」を使用することを公式に宣言した)。 彼自身、自らの伝記に日本統治時代の創氏改名などを批判しつつも、次のように記している。「そういう重苦しい日々のなかでしたが、東アジアで日本だけが近代化に成功したという事実が私たちにある希望を与えてくれたことも事実でした。 小学校、商業学校を通じて日本人の先生から大きな影響を受けたことも数知れないほどありました。私の人間形成に影響したのも日本人の先生方の言動でした。暗い記憶ばかりの毎日でなかったことは、申し上げておきたいと思います」(『わたしの自叙伝─日本へのメッセージ─』日本放送出版協会) このように日本統治へ一定の評価をおこなっている点も、他と異なり日本に対し柔軟な対応をとった理由であるように思える。 もっとも二〇〇一年に「新しい教科書をつくる会」が教科書修正を求める運動を起こした際にはこの活動を外交問題として捉え、クレームを入れてきているが、金泳三時代と比べると日韓関係に尽くしたという意味では評価できるとする声もある。〈宮中晩餐会後、韓国大統領府スポークスマンによる感想〉 日本が過去、韓国から文化の恩恵を受けたことを天皇が直接認めたのは意味がある。また、天皇は(過去、日本が韓国に対して)被害を与えたことを悲しく思っているとおっしゃっている。そういうことを考える未来の若者のために、二十一世紀を新しく迎えようという意思が入っていると思う。(一九九八年十月八日)〈鳩山由紀夫民主党代表と教科書問題において会談〉「今が非常に大事だ。小さな傷が体全体に広がる大きな病に至る可能性がある」「心に受けた衝撃は大きい。誤って処理された場合、両国関係に悪い影響を与えることを強く懸念する」(韓国政府に対し)「むやみに感情的に反論せず、学問的、実証的に検討し、日本が自発的に修正するよう自制的に行動することだ。日本人すべてが(つくる会の)教科書支持ではない。十分区別すべきだ」(二〇〇一年五月四日)(6)盧武鉉 第十六代韓国大統領。在任期間=二〇〇三~二〇〇八盧武鉉元大統領=2003年 盧武鉉は日本統治を経験していない初の大統領として注目を浴びた。 苦学して弁護士となった後、盧泰愚大統領の時代に野党議員として名を馳せ、金大中前大統領の政策の継承を訴え、インターネットを基盤とした支持層を得て大統領に就任した。 行政能力に乏しく、政権末期では支持率は一割程度にまで下落した。さらに清廉であるとされ支持をされていたにも関わらず、収賄や不正献金で親族の逮捕が相次ぎ、自身も逮捕が近づくと崖から身を投げて自殺した。 盧武鉉大統領も就任当初は未来志向を謳い、対日重視の姿勢を見せていたものの、裏では元人権派弁護士として活動した経歴が示すように、日本に対する「歴史の清算」を求めるようになってきた。「米韓共通の敵」 小泉純一郎首相(当時)が靖國神社に参拝することを表明すると、「過去の戦争を誇り、栄光のように展示していると聞いている」「(靖國神社は)過去の戦争と戦争英雄を美化し、これを学んだ国が隣りにあり、こうした国が膨大な経済力と軍事力を持っている。(韓国など)その近隣国が過去に何度も苦しめられたことがあるならば、国民は未来を不安に思わざるを得ない」と、靖國神社を批判したほか、首脳会談をキャンセルするようになった。 さらに韓国にいる親日派の財産を没収するため、「親日反民族行為者財産調査委員会」を発足させ、親日家だと認定された人々の子孫のもつ財産を没収することを合法化させ、日本側の制止を無視して竹島の海洋調査をおこない、日本に対しては「武力行使もありえる」と恫喝し、事実、島根県内の防衛庁(現在の防衛省)施設に対して軍事攻撃を行なうよう検討していたことが明らかになった(『ワシントンポスト』、二〇〇六年四月二十一日)。 またアメリカ軍に対し「日本を米韓共通の敵として、仮想敵国にしよう」と要請し、関係者を当惑させるなどしている。 盧武鉉大統領はこれだけにとどまらず、日本海を「東海」と改称するよう求め、新しく「平和の海」と呼ぶように提案するなど迷走をつづけた。 盧武鉉大統領の異常なまでの反日は、日本統治時代を経験していない世代、つまり反日教育を受けた世代であったと言われているが、日本では年長者の女性を中心に二〇〇四年の韓国ドラマ『冬のソナタ』ブームが起こる一方、若者を中心として二〇〇五年には嫌韓ブームが助長されることになった。 盧武鉉大統領による負の遺産は、今なお日韓関係を損なう障害へと繋がっている。〈盧武鉉大統領による就任二年目の国会演説〉 歴史問題を処理するドイツと日本の異なった態度は多くの教訓を与えてくれる。態度によって周辺国から受ける信頼も違う。過去に率直にならねばならず、そうすることで初めて過去を振り払い未来に向かうことができる。(二〇〇五年二月二十五日)〈日韓首脳会談〉 総理の靖國参拝や最近の多数の政治家による参拝は韓国に対する挑戦でもあり、日本が過去に戻るのではないのかという懸念がある。韓国国民の考え方をよく分かってほしい。靖國参拝、歴史教科書、竹島(韓国名・独島)問題の三つの問題をぜひとも解決する必要がある。(二〇〇五年十一月十九日)(7)李明博 第十七代韓国大統領。在任期間=二〇〇八~二〇一三 李明博大統領は大阪市生まれで在日韓国人の出身である。 金大中、盧武鉉と二代続いた左翼政権によって経済が停滞したため、現代建設を世界有数の企業に押し上げた経歴から、経済再生の手腕に期待が集まり、対抗馬に大差をつけて当選した。 しかし就任直後から米国産牛肉の輸入制限緩和がBSE問題への危機意識と直結し、支持率は一機に一割代まで下落した。 その後、支持率は三割程度まで回復したものの、世界金融危機などを受け、再度下落。国民が期待した「経済大統領」というイメージからは遠いまま、大統領の任期を満了した。 日本との歴史問題については、〈李明博次期大統領と外国メディアとの会見〉「新しい韓日関係のためには(韓国への)謝罪や反省をしろという話はしたくない。今の日本はそれを要求しなくても話し合いができるほど成熟した外交ができる」 との意見を表明し、二〇〇六年一月のダボス会議では「一部アジアの政治指導者は、過去の歴史に縛られて、国家間の緊張を高め、未来を暗くしている」と、過去の歴史にとらわれる盧武鉉前大統領を暗に批判する余裕をみせていたが、真意は日本が歴史問題に対し、韓国への謝罪や賠償を自発的に行なうことを促すことであった。 そのため日本の学生に竹島は韓国の領土であることや、日本統治の残虐性を教え込むため、修学旅行生を韓国内へ誘致することを発表したほか、従軍慰安婦への賠償金について「日本政府は法律的でなくとも人道主義的な措置を必ず取るべき」であると主張している。 補足すると「法律的でなくとも人道主義的」という表現が示すように、日本の韓国への賠償金問題は一九六五年に日韓基本条約が締結され、国交の回復がおこなわれたときに「完全かつ最終的に」解決されたのであり、従軍慰安婦への賠償金を対象に含めなかったのは韓国政府の問題である。 政権末期になると李明博韓国大統領の反日発言はエスカレートし、二〇一二年八月十四日には、天皇陛下について「痛惜の念などという単語ひとつを言いに来るのなら、訪韓の必要はない」、「韓国に来たければ、韓国の独立運動家が全てこの世を去る前に、心から謝罪せよ」と謝罪を要求する発言をおこなった。〝痛惜〟とは盧泰愚大統領が訪日した際に、天皇陛下が述べられた御言葉である。 また同年十五日には慰安婦問題について、「日本軍慰安婦被害者問題は人類の普遍的価値と正しい歴史に反する行為」だと述べた。就任式を終え、李明博前大統領と会場を出る韓国の朴槿恵大統領=2013年 2月25日午前、ソウルの国会前広場(8)朴槿惠 第十八代韓国大統領。在任期間=二〇一三~ 朴槿惠(一九五二~)は、よく知られているように朴正熙元大統領の長女として生まれた。 母親の陸英修が暗殺されると二十二歳でファーストレディーの役を継承。父が暗殺された後は政治からは身を退いていたが、九七年のアジア通貨危機をきっかけに政界復帰。二〇〇四年にはハンナラ党代表に選ばれ、党をけん引した。 東アジア初となる女性大統領であり、韓国のサッチャーなどと言われている。 父親の朴正熙大統領は経済発展に必要な外貨を獲得すべく、経済資金が得られる日韓基本条約の締結を急いだ人物であった。 当時、カネのために民族の主体を売ったとして、反対勢力から「物乞い外交」と批判されている。 現在の韓国政府は「過去の歴史」をエサにし、官民あわせて「物乞い外交」を恥ともしていないが、この当時はまだそのような気概があったのであろう。 朴正熙は貧しい農家に生まれ、一人、日本人教師に教えて貰った剣道のマネをして遊んでいたという。 成績優秀であった彼は学校推薦で大邸師範学校(官費)へ入学。日本の軍事教練が好きで、ラッパ手に選ばれ喜んで吹いていた。 学校を卒業すると教員生活を捨て、日本の職業軍人になることを決意。至誠を示すべく、血書を書いて新京軍官学校(旧満州国・新京)の試験を受けた。 朴は全学生の模範となり、成績優秀者だけが選ばれる連合大演習の指揮を任せられるにいたった。嫌韓が激化するだけ 卒業時には満州国皇帝の前で卒業生代表として答辞を読み、金時計が下賜された。さらに日本の陸軍士官学校(五十七期)に入学する特典を得た彼は、日本名を高木正雄と名乗り、同校を優秀な成績で卒業した。 新京軍官学校校長であった南雲親一郎(後に中将)は、「半島出身ではあるが、精神においては完全に日本人である。高木生徒のように天皇陛下のためにたてまつり、忠誠心のあつい者は日本人にも稀である」と讃えた。 このような経歴を持つ朴正熙の娘だということで、一部の日本マスコミにおいて、朴槿惠の時代になれば、日韓関係は融和されるのではないかという楽観論が浮上したが、それは長くは続かなかった。 就任後、間もなく開かれた式典で、〈三・一独立運動式典での演説〉「加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらない」(二〇一三年三月一日) と発言。さらに五月六日での国会答弁では、〈金奎顕外務次官がオバマ米大統領との首脳会談における朴大統領の訪問目的について〉「「日本が『普通の国』になる前に、心から過去を悔やみ、新たに出発することを確実にしなければ、周辺国の懸念が残る」という点を米国に説明したい」(二〇一三年五月六日) と述べた以外にも、「今が日本が許しを得られる最後のチャンス」「日本が歴史を正視し、歴史が残した傷跡を癒す努力をする」(慰安婦問題について)「北東アジアの平和のためには日本が正しい歴史認識を持たねばならない」(オバマ大統領との会談)「(日本の)右傾化は北東アジアだけでなくアジア全体(の国家)との関係を難しくし、日本にとっても望ましい方向ではない。日本は深く慎重に考えてほしい」 などと対日批判が止む気配はない。 以上、足早に歴代韓国大統領の反日言論を眺めてみたが、発言の内容を要約すれば、①韓国側の言い分をのまない限り、韓国は延々と過去の歴史カードを使いつづける。②日本が韓国のことを考え譲歩すれば、韓国側はチャンスとばかり次々と要求を強める。 ということに尽きるのであり、日本が譲歩することは日韓友好とはなりえない。仮に日本が要求を呑んだとしても、真実を捻じ曲げた日本にはフラストレーションがたまり、ますます嫌韓運動が激化していくのみである。 日本と韓国が真の融和をするには、韓国への温情を廃し、国際法の手続きに則って粛々と抗議をおこなうこと。そして韓国における親日家を育成・支援するよりほかはないのかもしれない。 もしくは融和などという言葉を捨てて、淡々と付き合う他ないか……。げんこつ・たくふみ 1976年生まれ。漢学、東洋思想、東洋史の研究をおこない、名越二荒之助(元高千穂商科大学教授)、杉之尾宣生(元防衛大学教授)に師事。日本のみならず、中国・韓国などで論文や研究発表などを精力的におこない成果を挙げている。著書は『韓国の歴史教材「東アジア史」の真実』( PHP研究所)、 『昭和の戦争の真実 語り継ぐ70の秘話』(扶桑社)など多数。   

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    様々な差別ある韓国 全羅道が長く地域差別の対象となった訳

     韓国大統領の出身地は、11人中6人が慶尚道(韓国の南東部に位置。慶尚北道および慶尚南道)で全羅道(道韓国の西南部に位置。1896年に全羅北道と全羅南道に分かれた)は金大中氏わずか1人と不自然なほど片寄っている。背景には、長い歴史を持つ地域差別があった。ジャーナリスト、岸建一氏がレポートする。* * * ソウルの居酒屋でテーブルを囲む同年代の男たち。焼酎やマッコリを酌み交わし、すっかり酔いも回ってそろそろお開きとなったとき、1人の男がトイレに立った。それを見届けた別の男が、皆に向かってこう言った。「会計はオレがやるよ。(トイレに立った)あいつにやらせたら、割り勘をごまかすに決まってるからさ。なんたって、あいつは全羅道(の人間だからな」 それを聞いた残りの男たちは、にやけたような顔で笑った。トイレに立った男以外は、日本人の筆者を除いて、全員が慶尚道出身だった。 筆者が10年ほど前に体験したエピソードだが、韓国社会には、こうした出身地をめぐる「地域差別」が、現在も根強く残っている。自国や自民族に対する差別には非常に敏感な反応を示す韓国だが、国内に目を向けると学歴信仰や男尊女卑など、さまざまな差別意識がはびこっていることに気付かされる。中でも地域差別は、その代表格だ。 韓国では、全羅道が、長く地域差別の対象となってきた。とりわけ、木浦や光州などの全羅南道エリア一帯は「湖南」と呼ばれ、気候温暖な米どころとして豊かな食文化を持ち、歌舞音曲にも秀でていることで知られ、著名な料理家や芸能人を輩出してきた。だが、韓国内では「湖南の奴らは信用できない」と疎んじられる対象でもあった。 そのルーツをたどっていくと、後百済(892年建国。全羅道地域を治めていた)を滅ぼし、朝鮮半島を統一した高麗(王建が建国した朝鮮王朝。918~1392年。935年に新羅を、936年に後百済を制圧して、朝鮮半島を統一)の王建(太祖)が、全羅道からの人材登用を厳しく戒めた歴史にあると言われている。 そうした中で培われた差別意識は、現代にも引き継がれて、1961年の軍事クーデターで朴正熙が政権を掌握してから顕著になる。 1963年の大統領選挙に当選した朴は、出身地の慶尚道を優先したインフラ整備を行い、官庁人事では同郷の出身者を優遇した。朴が主導した地域開発運動「セマウル運動」(韓国語で「新しい村づくり」の意。農漁村の近代化、所得拡大などを目的に、1972年から開始された)でも、モデル地域を慶尚道に置いている。 一方、全羅道は開発が後回しとなり、中央官庁でも出身者が冷遇されるなど露骨な差別にさらされた。朴への強い不満が、慶尚道に対する対抗心につながっていったのだった。 そうした長年にわたる全羅道の鬱憤を晴らしたのが、1998年の金大中の大統領就任だった。民主化運動のリーダーとして知られる金だが、生まれ故郷は全羅南道で、差別にあえいできた歴史を肌で知る政治家でもあった。 大統領として南北首脳会談など国際的に注目される政治活動を展開するだけでなく、金は地域差別の解消を訴えるとともに、鉄道や道路など全羅道への開発にも力を注いだ。 全羅道の人たちにとって、金に対する尊敬の念は格別のものがある。2008年に筆者が木浦を訪れた際、タクシーの運転手に「金大中の出身地はこの近くですね」と話しかけると、いきなり激高し「呼び捨てとは何だ! 金大中先生と言いなさい!」とまくしたててきた。 そうした反応には面食らったものの、差別を受け続けてきた地域から大統領を輩出したというカタルシスに裏打ちされていると思えば理解しやすいだろう。関連記事■ キムチに欠かせない唐辛子 16世紀に日本から韓国に伝わった■ 秋田犬は韓国の珍島犬から 英人祖先が韓国説を信じる人少数■ 胃がん患者が日本海側に多い理由 「伝統的な食生活」と関係か■ 肝がんの罹患率 山梨県と西日本で全国比1.2倍以上多い背景■ 自殺が低年齢化している現状や背景とその予防策を紹介した本

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    歴史清算は大統領の常套句…韓国で深化する「歴史の政治化」

    ロシアに挑んだ戦争である。ポーツマス講和会議に臨む小村寿太郎に対して首相桂太郎が与えた訓令の第一は「韓国ヲ全然我(ワガ)自由処分ニ委(マカ)スルコトヲ露国ニ約諾セシムルコト」であった。 明治日本にとって朝鮮は、いかなる犠牲を払ってでも第三国に優越的支配を許すことのできない生命線であり、幾多の経緯を辿(たど)って明治43年の韓国併合に至った。併合は第二次大戦における日本の敗北までの36年間に及んだ。 現代の国際法の通念からすれば他国の「自由処分」など許されるはずもないが、骨肉相食(は)む帝国主義の時代にあっては併合以外に選択肢はなかった。韓国併合は清露はもとより、日英同盟下の英国、桂・タフト協定下の米国によって幾重もの国際的な承認を得ており、併合を妨げるものは何もなかった。桂・タフト協定とは、米国のフィリピン領有と日本の韓国における優越的支配権とを相互に認め合った協定である。 併合によって韓国の経済社会の近代化の幕が開(あ)いた。もっとも、このことは結果論であって併合の正当性を証すものではない。重要なことは韓国人の誰もが語りたがらない次の事実にある。常套句である「歴史清算」 併合により日本に頼るしか韓国の近代化はありえないと考える李容九(イ・ヨング)、宋秉●(ソン・ビョンジュン)などを指導者とする「一進会」の存在であり、韓国統監府の資料によれば参加者は14万人、実際には数十万人に及ぶ往時の韓国最大の社会集団であった。 自立の気概なき李朝末期の朝鮮にあって近代化への唯一の道は、外国の影響圏に入るより他なしとみなす集団が一大勢力となったのである。朝鮮近代史学の泰斗グレゴリー・ヘンダーソンは、一進会を「自民族に対して行われた反民族的大衆運動」だと皮肉な表現を用い、これを世界の政治史においては稀(まれ)なる事例だとして高い評価を与えている。日韓基本条約の調印式。左から金首席代表、李東元外相、椎名悦三郎外相、高杉晋一首席代表 =東京都千代田区永田町の首相官邸大ホール 1965年6月22日撮影 今年は1965年の「日韓基本条約」から50年である。51年に始まり条約締結に至る超長期の国交正常化交渉は難渋をきわめたが、最終的には朴正煕大統領の英断により、日本が韓国に3億ドルの無償資金と2億ドルの低利借款を供与することをもって韓国の日本に対する請求権の問題の一切が「完全かつ最終的に解決する」とされた。 当時の韓国の国家予算は3億5千万ドルであった。日本統治時代の物的・制度的・人的インフラにこの厖大(ぼうだい)な資金が加わって、「漢江の奇跡」が展開された。韓国は重化学工業部門とハイテク部門を擁する新興産業国家として急進し、ついには先進国の一員として登場したのである。 その一方で、慰安婦問題を中心に猛烈な反日運動が始まり、元慰安婦の対日請求権を韓国政府が放棄することは違憲だとする憲法裁判所の判決までが出された。その他にも、日本統治時代の対日協力者子孫の財産没収を求める法案の国会成立、日本企業の元徴用工への賠償金支払いを命じる最高裁判所判決などが相次いだ。「歴史の政治化」というべきか。韓国の反日は国家の制度の中に組み込まれようとしている。「歴史清算」は大統領の常套(じょうとう)句でもある。反日は永続的なものなのか 韓国においては、時代が新しくなるほど遠い過去の記憶がより鮮明に甦(よみがえ)りつつある。日本統治時代に発展基盤を整え、日韓基本条約を経て近代化の資金を日本から手にし大いなる発展を遂げたという「過去」は、いかにも居心地が悪い。「歴史清算」により日本の「悪」を糾弾し、もって今日を築いたのは韓国自身の手による以外の何ものでもないという国民意識を形成しなければ、自らの正統性を訴えることができないという深層心理なのであろう。 何より大韓民国の建国自体が、民族独立闘争とは無縁のものであった。第二次大戦で日本が敗北したことにより、3年間の米軍による軍政期を経て転がり込んだ独立なのである。誇るに足る建国の物語はここにはない。一人前の国家になったればこそ、自国の胡乱(うろん)な成り立ちが耐え難いという感覚を噴出させているのである。 北朝鮮の成立に建国の正統性を求める「従北派」が韓国内で大きな勢力を張りつつあるのも、そのゆえである。韓国の反日は永続的なものなのかと、私は慨嘆する。(わたなべ としお)●=田へんに俊のつくり.

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    射殺、餓死…李承晩ラインで日本漁民が味わった塗炭の苦しみ

    松木國俊(元豊田通商ソウル事務所駐在員) 日韓関係の悪化について、韓国側は「日本の右傾化が原因」「加害者と被害者の関係は1000年経っても変わらない」などと、一方的に日本を批判している。だが、歴史を振り返ると、韓国はこれまで、日本に理不尽かつ非道な行動・対応を取り続けてきた。韓国が口を閉ざす「理不尽な真実」について、元大手商社マンで日韓問題研究家の松木國俊氏が迫る。 「李承晩(イ・スンマン)ライン」。それは、日本の主権回復を承認するサンフランシスコ平和条約発効直前の1952年1月、韓国が海洋資源を独占し、領土を拡張するため、島根県・竹島を取り込んで、一方的に公海上に引いた軍事境界線・排他的経済水域である。竹島 いかなる国際法を持っても正当化できるものではなかったが、日本政府は憲法第9条などに縛られて手も足も出せなかった。これより13年にわたって、日本漁民は、韓国警備艇による射殺、体当たり、拿捕(だほ)、抑留、餓死という塗炭の苦しみを味わった。 日韓漁業協議会発行の『日韓漁業対策運動史』に、当時の詳しい記録が残っている。韓国の暴虐を風化させないため、あえて、その悲惨な過去を振り返ってみる。 韓国警備艇は、李承晩ラインの外側を航行中の日本漁船にまで見境なく襲い掛かり、罪のない日本漁民を拿捕して釜山港へ連行した。棒でたたくなど残虐な拷問を加え、自白を強要し、文明国では考えられない人権を無視した一方的な裁判で判決を言い渡した。 獄中生活は悲惨を極めた。雑居房には20人前後が押し込められ、手足だけでなく体も重ねあわせて寝なければならなかった。食事の不潔さは言語に絶し、カビの生えた麦、腐敗した魚は度々で人間の食べる物ではなかった。ほぼ全員が栄養失調状態となって死線をさまよい、ついに餓死者まで出たのだった。 54年以降は、「刑期」を終了した者さえ釈放せず、韓国側は抑留者を「人質」にしてさまざまな要求を日本に突き付けてきた。帰国の希望を奪われた抑留者は、肉体的にも精神的にも限界を超え、狂乱状態になるものもあったという。残された家族にも、重い経済的、精神的負担が発生した。堪えかねて精神を病み、自殺した妻もいた。 日本漁民を守るべき海上保安庁の巡視船は「不測の事態を避ける」という理由で砲を撤去させられていた。拿捕されそうな日本漁船を救出するため、丸腰で韓国警備艇との間に割り込み、自ら銃弾を浴びながら漁船を逃す以外になかったという。 65年に日韓基本条約や請求権・経済協力協定、日韓漁業協定が締結されるまでの間、韓国の不法拿捕により抑留された日本漁民は3929人、拿捕時の攻撃による死傷者は44人、物的被害総額は当時の金額で約90億円にも上る。 にもかかわらず、韓国は現在に至るまで一言の謝罪も補償もしていない。それどころか、朴槿恵(パク・クネ)大統領は高飛車な態度で、反日発言を続けている。日本人は、韓国の非道な行為で無念の死を遂げた同胞のことを、決して忘れてはならない。まつき・くにとし 1950年、熊本県生まれ。73年、慶応大学を卒業し、豊田通商に入社。直後から韓国担当を務め、80~84年、ソウル事務所に駐在する。秘書室次長、機械部次長を経て、2000年に退社。松木商事を設立する。韓国問題を長く研究しており、「慰安婦の真実国民運動」幹事長。著書に『ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った』『こうして捏造された韓国「千年の恨み」』(ワック)など。

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    韓国「卑日」とは対等な関係も友好もない

    デザイナー) 以前にも取り上げたことのある連載記事、「早読み 深読み 朝鮮半島」は、なかなか興味深い韓国分析をしている。多少、筆者のバイアスがかかっているとしても、わりと的確な内容だと思う。 多くのメディアでは、韓国の姿勢を「反日」と表現しているが、この記事では「卑日」という言葉を使っている。「反日」というと、ただ日本を敵視しているようにも受け取れるが、その動機や背景を知ると「卑日」という言葉の方が適切だと思えてくる。 詳しくはリンク先の記事を読んで欲しいが、韓国にとっては、立ち位置が日本より下か上かが、なによりも重要なのだという。 連載記事の最新号では……  韓国人の「自嘲」が生んだ「卑日」:日経ビジネスオンライン——前回は「崇日」の時代があり、それが「反日」の爆発を抑えていた、という話でした。鈴置:私のソウル在勤時代、まだ「葉銭」(ヨプチョン)という単語が使われていました。自嘲、卑下の言葉で「旧弊にしがみついて没落した韓国人」というぐらいの意味でした。 もともとは朝鮮朝の銅貨を指す単語だったそうです。それが「日本が紙幣を持ち込んだのに、古臭く使いにくい銅貨にしがみついた朝鮮人」という意味に転じ、さらには近代化に失敗した結果、日本の植民地に転落した自らを嘲笑う言葉に使われるようになった――と聞きました。 日本語にはそれに相当する、自嘲の単語は見当たりません。19世紀末、近代化に乗り遅れたことに韓国人がどれだけ悔しい思いをしているかをよく示す話と思います。そしてこの悔しさが奇妙な“崇日思想”を生んだのです。(中略)——「卑日」の動機と構造がよく分かりました。最後の質問です。韓国人はなぜ、「卑日」を世界で繰り広げるのでしょう。羽田行きモノレールの中でのように、韓国人同士で言い合えば十分な気もしますが。鈴置:いい質問です。そこがポイントです。答えは、韓国人がまだ、日本を見下すほどの自信を本当は持っていないからです。 世界の人々が「韓国が日本より上だ」とはっきり言ってくれるまで、韓国人はその確信が持てないのです。結局、慰安婦像は世界で立てられ続けることでしょう。                                                                                                                                                                                                                                 長い記事なので、最初と最後の引用だけに。 ようするに、韓国は自分たちが「上」で、日本は「下」だと、上下関係を確立したいのだろう。その根底には儒教の教えがあるという。 道理で、韓国発の記事では、なにかと日本と比較するものが多いわけだ。いちいち日本と比べなくてもいいだろうに……と思うことは少なくない。 韓国は中国を逆らえない宗主国だとも思っている一方で、経済発展を遂げた現在、国民感情的には中国を「下」だと思っているらしい。その歴史的背景は、日清戦争(1894年)以前の時代まで遡るという。▼関連記事 ついに「属国に戻れ」と韓国に命じた中国:日経ビジネスオンライン中国の歴代王朝は1895年に日清戦争で敗れるまで、朝鮮半島の王朝を冊封体制に組み込んでいました。長い間、中国人にとって朝鮮は属国、朝鮮人にとって中国は宗主国だったのです。                                                                                                            日本が植民地支配したことは1000年恨むといいつつも、まだ1000年経っていない中国(かつての清)による冊封体制は問題にしないようだ。 韓国の執拗なまでの謝罪要求は、自分たちが「上」であることを、内外に誇示したいという欲求(願望)なのだろう。これまでも度々謝罪はしているし、賠償(もしくは相当する補償や援助)もしているが、それでは欲求(願望)に見合う結果を得られていないと考えていると思われる。特に、国際的な評価では、韓国が望む上下関係は確立されていない。しかし、その手法では国際的な評価・評判は上がらないことに、当人達は気がついていないようだ。 韓国のコンプレックスは、相当に根が深い。 日本人の大多数は、日本が韓国より「上」とか「下」とかいう見方はしていないと思う。嫌韓の人たちは、見下しているのかもしれないが、好きか嫌いかというのは、上下関係の問題ではなく、好みの問題だ。嫌いになるのは拒絶であって、上下関係を確定することではないだろう。 「卑日」が求めていることは、日本を蔑むこと、屈服させることだ。そこに対等な関係はなく、友好もない。 そんな国と、どうやってつきあえばいいのか? まもなく戦後70年談話が発表されるが、そこにどんな文言が書かれていようが、韓国が納得することはありえない。 かの国が取るべき行動は、際限なく日本を叩くことだからだ。反日あるいは卑日をやめることは、彼らのアイデンティティを捨てることでもある。そんなことをできるはずがない。 私は嫌韓ではないものの、かといって親韓でもない。どちらかというと、あまり関わりたくない国という感覚。日本を仮想敵国のように扱う国に対して、無理してつきあわなくてもいいんじゃね? 距離を置いてつきあう相手……ということで、「離韓」でいいように思う。 サッカーの試合で韓国と対戦すると、異様に敵意むき出しなのには閉口する。東アジアカップで、日本は負けに等しい引き分けだったけど、韓国は強かったよ。それは認める。日本が弱すぎるんだけどね。 中国も日本相手だと、けっこうガツガツに戦うけど、ことサッカーに関しては、メディアもネット民も冷静なコメントをするんだよね。国歌斉唱での観客のブーイングはいただけないが、選手が政治問題を持ち込んだりはしていない。そこはサッカーに対して、実直だと思う。 共産党独裁政権で、言論統制も行われているのに、中国の方が韓国よりもバランスが取れている気がする。荒唐無稽な抗日ドラマを、「あほらしい」と酷評できる感覚はあるようだし。韓国では、親日的な発言は非国民扱いだよね。それが正論であっても。朴大統領の妹「正論」炸裂 舌鋒鋭く韓国批判 ネット民激怒「日本に移住しろ」:イザ!韓国による対日謝罪要求についても、「全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が訪日した際、首相よりはるかに重要な天皇(陛下)が頭を下げているのに、なぜ(日本の)首相が替わるたびに謝れと言うのか」と、韓国の対応を批判。「日本は韓国の経済発展の基になることをたくさんしてくれたのに、被害意識だけ抱いていては国益にならない」と発言した。 そのうえで、「北東アジアの平和実現のために日本は親しく付き合わなければならない隣国であり、解放前の“親日”と解放後の“親日”では概念が違う」と強調した。 すべてにおいて、日本を批判しなくてはいけない考え方は、理解に苦しむ。 中国とは仲良くできると思うけど、韓国は無理っぽい。 「離韓」で、距離を取ることが、お互いのためではないかと思う。(諫山裕の仕事部屋より転載)

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    悪業と非道──李承晩大統領は蛮族の酋長

    本の心をつたえる会代表) 二〇一二年の李明博大統領の竹島不法入国や陛下に対する侮辱発言をはじめとする韓国の非道ぶりに腹をたてている方も多いかと思います。 けれど実は、韓国の対日侮辱はいまに始まったことではありません。 もともと韓国は、五百年もの間支那の属国だった国です。 国内に産業らしい産業はなく、国は貧しく国民は飢え、その劣悪な環境から、平均寿命は二十四、五歳。主な輸出品目は、支那に献上する女性だけ。国内では両班と呼ばれる貴族が横暴の限りをつくしていた。ひらたくいったら未開の野蛮国です。 ところがいまから百年ほど前、支那の清王朝が滅びました。韓国は封主を失ったのです。 一方でお隣の日本は、日清日露の大戦に勝利して世界の一等国の仲間入りを果たしました。韓国は手のひらをかえして日本にすり寄りました。支那の属国ではなく、日本の属国となろうとしたわけです。けれどそれは日本にとって、何のメリットもない提案でした。 日本の韓国併合について、支那やロシアの脅威に対抗するための軍事的理由をあげる人がいます。 が、それは間違いです。 かつてのヨーロッパ諸国にとってのアフリカや東南アジア諸国、あるいはかつて戦った日米にとっての太平洋の島々と同様、当時の列強というのは、軍事的必要があれば勝手にそこを通過し、軍事施設を作りました。つまり国家というのは、世界に認められた一部の強国を指し、それ以外は「未開の蛮族の生息する地域」とみなされたのです。日本もそのようにみなされるところを、あと一歩のところで近代国家の仲間入りをはたし、韓国は名前こそ「大韓帝国」といさましくしたけれど、国際的には「蛮族が生息する地域」としてしかみなされないエリアだったのです。 日本は、日清日露の戦争においても、朝鮮半島に一方的に軍を進めていますし、軍の施設を置いています。韓国の都合に関わりなく、日本にとってその都合があったからです。軍事的には、併合する意味などまるでありません。「属国になりたい」伊藤博文は韓国属国化に反対したために韓国人に狙われた ところが、日本が韓国の「属国にしてほしい」という要求を拒否すると、韓国はびっくりするような挙にでます。何をしたかというと、属国拒否の中心人物であった伊藤博文を暗殺してしまったのです。そして殺害の翌月には、「韓国は日本と『対等に』合邦して新たな帝国を築く」というとんでもない声明を世界に向けて発表しました。 このことは、当時の世界にあって大爆笑の「珍事」でした。世界の一等国として英国とさえ対等な同盟関係にある列強の日本が、国とさえ認識されていない「未開の蛮族」から「対等な」合邦を言い出されたのです。 世界列強諸国は、日本に「隣にあるのだから、すこしは蛮族の面倒をみてやったらどうだ」と言い出しました。この結果行われたのが、明治四十三年(一九一〇)八月の日韓併合です。要するに当時の国際外交(未開の蛮国は含まれません)にあって、日本は朝鮮半島の面倒を見ざるを得なくなってしまったのです。文献史料によっては「日本が韓国を併合して良いか列強諸国に聞いて回った」としているものがありますが、事実はまるで反対です。日韓併合 日本は困り果てました。平素から人種の平等を唱える日本が、隣にある「未開の蛮族」を押し付けられたのです。欧米のように奴隷支配するなら話は簡単ですが、それをしたら日本の主張する「人種の平等」は噓になってしまいます。であれば、併合し蛮族を教育して近代国家人に仕立て直すしかない。そうすることで有色人種も人であることを立証するしかなくなったのです。 結果日本は、韓国を併合しました。以後三十六年間にわたって、莫大な国費と人材を朝鮮半島に投下し続けました。 おかげで朝鮮半島では、八つあった言語がひとつに統一され、数校しかなかった小学校は五千二百校になり、それまで教育を受けたことなどなかった人々を二百三十九万人も無料で就学させ、名前のなかった女性に名前をつけ、戸籍をつくり、住民台帳を整備し、道路をつくり、橋を架け、鉄道を敷設し、上下水道を整備し、路上大便があたりまえだったのをトイレでさせ、病院をつくり、電気を敷き、ビルを建て、半島内に古くからある不条理な刑罰や牢獄を廃止するなど、可能な限りの誠意と力を尽くして韓半島の近代化を押し進めたのです。韓国の人口は二倍に増えています。 もっとも日本が統治をはじめた当初には、抵抗運動もあるにはありました。ある地元の宗教団体が、民衆を煽動して「日本による搾取を許すな!」と宣伝し、民衆が蜂起したのです。しかし、民衆のあいだに日本統治による治安や、なにより「臭気のない清潔な暮らし」が徐々に浸透すると、抗日運動も自然と沈静化していきました。そして朝鮮半島は、すくなくとも表向きは、蛮族ではなく、近代国家の人士の体裁を整えるようになっていったのです。李承晩の帰国朝鮮戦争時、金浦空軍基地に到着したマッカーサー将軍を出迎える李承晩 ところが、こうした日本の努力がまだ実りきらないうちに、大東亜戦争で日本が負け、朝鮮半島から去ることになったのです。 朝鮮半島には、新たな統治者として米軍が上陸しました。そして米軍と一緒にやってきたのが、米国内で李氏朝鮮王朝時代を東洋の天国のように崇拝し宣伝していた李承晩でした。 李承晩は日本が韓国を併合した当時、上海で「大韓民国臨時政府」を作って、その大総理におさまっていた人物です。ところが、「臨時政府」どころか韓国を独立国でなく、国際連盟の「委任統治領」にしてくれと李承晩が米国に依頼したことがバレてしまいます。これは韓国を米国の植民地にするということです。臨時政府のメンバーにこのことを糾弾された李承晩は、ひそかに上海から逃亡し、米国に渡りました。 そして米国内で李承晩は、李氏朝鮮時代をまるでファンタジックなおとぎ話のように賛美する作り話を英文にしてあちこちに寄稿し、たまたまこれが対日戦争を仕掛けようとする米国の意向に添ったことで、米国内で名前と顔が売れていきました。 もっとも、米国内でそれなりの政治家との繫がりをもったとはいえ、韓半島に帰還した李承晩には、半島内での人脈も政治活動のための資金力もありません。これに目をつけたのが日本とのパイプで力をつけていた湖南財閥で、旧統治者であった日本がいなくなると、財閥としての力を失わないために米国内に顔がきく李承晩の支援を申し出たのです。これによって李承晩は、湖南財閥の資金力と国内人脈を手に入れ、ついに昭和二十三年(一九四八)八月、大韓民国(いまの韓国)が建国され、初代大統領に就任したのです。 大統領に就任した李承晩が大統領として最初にやった仕事が、「親日派の抹殺」でした。彼は公の場で「日本統治時代はよかった」「今の政府は駄目だ」などと発言した者を片端から政治犯として逮捕投獄したのです。収監した者に対しては、日本が統治するようになってから禁止したはずの李氏朝鮮時代の残酷な拷問道具を復活させてこれを用い、刑務所がいっぱいになると、入獄の古い者から次々と裁判もなしで殺害しています。まるで蛮族の酋長ですが、おかげで李承晩が初代大統領に就任してからたった二年で、政治犯として投獄された囚人数は、日本が朝鮮を統治した三十六年間の投獄者の総数をはるかに上回っています。対馬、竹島領有宣言 李承晩が次にした仕事が昭和二十四年(一九四九)の「対馬領有宣言」です。李承晩ライン これは例えていえば、建国したてのアフリカの某国の酋長がいきなりカリフォルニアは我が領土と言い出したようなものです。これまた世界からみれば、ただの笑い話ですが、韓国国内には、たいへんな衝撃がありました。かつての封主国の領土を「我が領土」と一方的に宣言したわけです。権威あるものを貶めることに快感を覚える人というのは、世の中に少なからずいるもので、新国家建設でナショナリズムにわく韓国民の一部は、このニュースは実に気宇壮大な誇り高いものに思えたのです。 調子に乗った李承晩は、宣言だけでなく、こんどは日本に対する竹島の返還請求まで行ないました。李承晩ラインの設定より三年も前のことです。 とはいえ、韓国内には衝撃を与えたこれらの発言は、当時韓国を占領していた米軍にとっても、米国本国政府にとっても、また日本にとっても、何の関心もひかないものでした。ただのポーズであり、相手にする必要ナシと判断されたからです。言っただけで何かできるだけの実力は、当時の李承晩にはまだありませんでした。 その李承晩は、反日だけに凝り固まっていたわけではありません。同時に共産党も頭から嫌っていました。李承晩のこのあまりの反共ぶりに危機感を募らせた金日成は、ソ連と謀り、ソ連から武器と資金の供給を受けて朝鮮半島北部に日本が築いた工業地帯を軍事制圧してしまいました。 これは韓国にとっては一大事です。朝鮮半島の富の源泉を共産党金日成軍閥に奪われたのですから。そして財力を身に付けた金日成は、昭和二十五年(一九五〇)六月、ソ連製の強力な戦車隊と、十一万の陸兵をもって、ソウルを急襲します。朝鮮戦争の勃発です。 そもそも朝鮮戦争というのは、実はしなくて済んだ戦争です。なぜなら昭和二十年の終戦直後に朝鮮半島では、もとの朝鮮総督府の呂運亨らが中心となって「朝鮮人民共和国」建国が宣言されていたのです。この「朝鮮人民共和国」には、後に朝鮮半島を二分する勢力となる金日成も新政府メンバーとして参列していました。つまり、共産党もそれ以外の政党も、まずはひとつの統一朝鮮としての新国家建国を目指していたのです。 もしこれが成功していたら、他の国々同様、政権内部での言論戦は多々あったろうし、局地的デモによる逮捕者などはあったかもしれないけれど、国を分けての戦争など起こっていません。 しかしこの「朝鮮人民共和国」は、建国宣言の翌日には、上陸してきた米軍によって潰されてしまいました。米国にいた李承晩が、米政治家を動かし「共産主義者が一緒にいる統一政権は建国を少し見合わせて、先に実態調査をした方がいい」ということになったからです。 結局、「朝鮮人民共和国」建国は見送られ、李承晩が新たに建国した大韓民国の初代大統領に就任したのですが、そのことがきっかけとなり、北の金日成が決起して朝鮮戦争に至っています。つまり、朝鮮戦争を導いた最大の原因は、李承晩の存在そのものにあったということです。サンフランシスコ講和条約 朝鮮戦争による死傷者数がどれほどのものであったか。死傷者は韓国軍二十万。他に米軍十四万、その他連合軍二十二万、北朝鮮軍二十九万、中共軍四十五万が死傷しています。さらに民間人は韓国百三十三万、北朝鮮二百五十万人が殺害されたとされています。たった三年間の、しかも朝鮮半島内という局地で行われた戦争で、南北合わせて五百万人を超える死傷者が出ています。いかに朝鮮戦争が悲惨で酷い戦争だったかということです。ちなみにこの戦争で米軍が投下した爆弾の総重量は約六十万トン。これは大東亜戦争で日本に投下された爆弾の約四倍です。 それだけ悲惨だった朝鮮戦争ですが、この戦争が行われた期間は、昭和二十五年六月から昭和二十八年七月までです。 そして、この戦争のまっただなかに行われたのが、サンフランシスコ講和条約による日本の主権回復でした。 この条約は昭和二十六年に締結され、昭和二十七年四月に発効しています。これが何を意味するか。時期を考えれば答えは簡単に見えてきます。それは悲惨さの増す朝鮮戦争に、日本を狩り出そうという意図です。米国も財政面では、日本との戦争ですでに逼迫したものとなっていました。そこへ重ねて朝鮮戦争が起こったのです。多くの米国民は、もうすでに戦争に倦んでいました。なぜわざわざアジアまで出かけていって米国民が命を落とさなければならないのか。そんなことをしなくても、日本に再軍備させて、朝鮮の対応をさせればよいではないか、というわけです。 ところがそうなると困るのは李承晩です。なぜなら李承晩にとっては、もし日本が朝鮮戦争に参戦すれば、強兵をもって鳴る日本軍です。米軍とともにまたたく間に北朝鮮と中共軍を蹴散らして戦争を勝利に導くことは、火を見るよりも明らかです。現に同じ韓国兵でも、旧日本軍所属だった兵隊と、新たに登用した韓国兵では、実力の違いは天と地でした。もし日本が参戦し、日米で北朝鮮を駆逐すれば、今度は日本が戦勝国として再び朝鮮半島に還って来る。そうなれば、反日を煽り非道の数々を行ってきた李承晩は、一〇〇パーセント間違いなく政権を追われます。なんとかしてサンフランシスコ講和を潰したい。けれど李承晩には、サンフランシスコ講和に参加する資格がありません。なぜなら大東亜戦争に韓国は参戦していないからです。大東亜戦争の最中には、韓国は日本の一部であり、国でさえなかったのです。李承晩の貪欲ぶり李承晩の貪欲ぶり そこで李承晩は、サンフランシスコ講和そのものを邪魔するのではなく、日本と韓国の対立を深めることを画策します。 李承晩は、昭和二十六年(一九五一)七月、サンフランシスコ講和条約の草案を起草中の米国政府に対して「要望書」を提出しました。内容は、〈一〉日本の在朝鮮半島資産の韓国政府への移管〈二〉竹島、波浪島を韓国領とする そういう要求でした。 米国は驚きました。せっかく日本をなだめすかして朝鮮戦争を戦わせようとしている矢先に、肝心の韓国が日本との対立関係を故意にあおってきたのです。日本と韓国が対立関係になれば、日本が韓国のために出兵する可能性は、一〇〇パーセントなくなります。 米国は、翌月には李承晩に「在朝鮮半島の日本資産の移管については認める。それ以外の要求は一切認めない」というたいへん厳しい内容の書簡を発行しました。「ラスク書簡」です。そして、その一カ月後の昭和二十六年九月八日、日本との間にサンフランシスコ講和条約を締結したのです。隣接海洋に対する主権宣言韓国によって拿捕され、取り調べを受ける日本漁船の船員たち。1953年12月 ところが、講和条約締結にますます危機感を募らせた李承晩は、さらなる暴挙に出ました。昭和二十七年一月八日に、突然日本との国境を一方的に定めた「隣接海洋に対する主権宣言」を発表したのです。これが世に言う「李承晩ライン」です。 どう対策しようか迷う米国に対して李承晩は、同月二十七日、さらに追い打ちをかけます。「李承晩宣言韓国政府声明」を発表したのです。この声明で李承晩は、李承晩ラインは「国際法において確立された」と一方的に「国内だけで」宣言します。そんなことをすれば当然日本は怒る。怒れば日本は対北朝鮮戦争参加を拒否するにきまっています。そして日本が参戦しなければ、米軍の朝鮮戦争での損耗はますます激しくなります。 米国は、ここへきてようやく事態を重く考えました。そして「サンフランシスコ講和条約によって竹島は日本領である」「李承晩の一方的な宣言による李承晩ラインは国際法上違法である」と韓国政府に伝達します。 ところが李承晩はこの伝達を握りつぶし、対馬海峡上で操業する日本人漁船に銃撃を加え、船員を拿捕してしまいます。日本漁民への暴虐解放された日本人漁民。人間のすることとは思えない虐待を受けたことがまざまざとわかる 日本漁船拿捕にあたっては、韓国漁船を装った船で日本漁船に近づくという卑劣な手口も使いました。漁船で近づき日本語で「調子はどうですか」などとにこやかに声をかけたうえで、付近に船を待機させ、日本漁船が網の巻き上げ作業にはいったところ(つまり身動きがとれなくなったところ)を見計らって、警告なしに機関銃を乱射して日本人船員を殺害し、慌てて網を切り落として逃げ出そうとする日本漁船を追尾して、これを漁船ごと拿捕するという極めて卑劣な手口でした。軍事は当該国の軍服を着用して行うことというのが、国際法のルールです。 襲われた日本漁船はたいへんです。船内は血の海、怪我をした者は息があっても治療してもらえない。運良く生き残っても収容施設は六畳一間に三十人を押し込むという非道さです。食事は残飯、水も三十人で一日に桶一杯です。満員電車のような室内では、誰ひとり横になることもできず、トイレも行かせてもらえない。立ったまま室内に大小便垂れ流しという状態にされたのです。 取り調べと称して部屋から連れ出されるときは、もっと大変です。牢屋を出される瞬間に、殴る蹴るの暴行を受ける。ぐったりして抵抗できなくなったところで、ようやく取調室に連れ出されると、そこでまた殴る蹴るの暴行です。 結局、この李承晩ラインは、廃止となった昭和四十年(一九六五)六月まで、なんと十三年間も続きました。そしてこの間に韓国によって拿捕された日本漁船は、合計三百二十八隻、拿捕された者三千九百三十九人、殺害された者四十四人にのぼります。 写真は、ようやく解放されて帰国した日本人漁民です。ガリガリに痩せ細った体、腫れ上がった顔、焼けただれた頭皮、さらに全身が打撲と裂傷で紫色に変色しています。あまりにも酷い姿です。竹島占領 李承晩の非道はそれだけではありません。李承晩ラインによって、一方的に領海線を敷いた彼は、一緒に朝鮮戦争を戦ってくれている米軍にも内緒で、勝手に竹島に兵を入れ、これを軍事占領してしまっています。 もっとも、李承晩のこうした暴挙を、日本政府は上手に活用しています。すなわち韓国の日本に対する暴挙と、日本に与えられた〈日本は軍事力を持たない〉という占領憲法を盾に、朝鮮戦争への参戦を拒んだのです。 要するに、まだ大東亜戦争の傷跡の癒えない日本は、戦争に駆り出されるより、日本国内の復興を優先させたのです。また、韓国に拉致された被害者の漁船員たちについては、米軍に依頼して、そのつど日本への返還を要求し、船員たちをもらいうけています。このときの日本の動きは、結果として日本の朝鮮戦争参戦を拒否し、国内の復興を促進するという好ましい結果をもたらした反面、サンフランシスコ講和の時点で本来破棄すべき占領憲法(現・日本国憲法)を温存するというマイナス面を残して現在に至っています。 李承晩の暴挙によって、せっかくの日本の参戦を棒に振った米国は、あくまで北朝鮮との継続戦を望む李承晩を無視して、彼の頭越しに北朝鮮と休戦協定を結びます。これが昭和二十八年七月二十七日の出来事で、以来、朝鮮半島は北緯三十八度線を境に北と南に別れることとなりました。失脚 もっとも、この休戦を不服とした李承晩は、韓国内に収容した北朝鮮軍の捕虜を国内で何の脈絡もなく全員釈放して放逐するという暴挙を行っています。放逐された捕虜たちは韓国各地で事件を起こし、多くの韓国民に惨事を招いています。米国政府は、この李承晩の勝手な行動に猛抗議をしていますが、あとの祭りでした。李承晩の専横政治に民衆が蜂起、韓国全土に打倒デモが広がった こうして大統領というよりも、まさに暴君としての専制政治を行った李承晩でしたが、彼の専横政治がようやく倒れたのは、昭和三十五年(一九六〇)になってからのことです。韓国国内で民衆による李承晩打倒デモが起こったのです。 韓国全土に広がったこのデモは、百八十六人もの死者を出し、ついに駐韓米国大使のマカナギーが李承晩を訪れて、大統領を辞任しなければ、米国は対韓経済援助を中止するとまで宣言します。米国に見放された李承晩は「行政責任者の地位は去り、元首の地位だけにとどまる」と発言するのだけれど、これがまた韓国民衆の怒りを買い、民衆によってパゴダ公園にあった李承晩の銅像が引き倒され、韓国国会は全会一致で、李承晩の大統領即時辞任を要求するという事態に至っています。これによって、李承晩体制にようやく終止符がうたれます。そして李承晩は養子にとった息子まで自殺するなかで、ひとり米国に逃亡し、九十を越える歳までしぶとく生き延びました。 李承晩自身は失脚しますが、「李承晩ライン」は、その後も維持されました。これが廃止されたのは、昭和三十一年(一九五六)に軍事クーデターが起こり、韓国内に朴正熙大統領の新政権が誕生してからのことです。日本の陸軍士官学校を卒業し、親日家であった朴正熙大統領は、昭和四十年(一九六五)六月に日本との間で「日韓基本条約」を締結し、李承晩ラインを廃止しました。そして日本の経済援助を得て、韓国内の産業振興を図り、結果、韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる経済の大発展を遂げます。 ただ、この日韓基本条約において李承晩ラインは廃止となったものの、竹島については、当時の日韓両国において「争いの余地のない日本の領土」という認識のもとで、特段の取り決めがなされませんでした。このため、竹島はいまだに日韓の火種となってしまったのです。大統領=酋長なみ さて、私たち日本人は大統領という名前を聞くと、米大統領のような法治主義の代表者というイメージを持ちます。けれど韓国における大統領は、未開の蛮族酋長と同様、ある種の絶対権力者です。そしてその絶対権力者が、市民をあおり、反日侮日工作を行うわけです。昨今の李明博政権もその典型です。そしてその韓国の反日侮日の原点となっているのが、韓国の初代大統領李承晩なのです。李承晩はあわてて米国に亡命する(左から二人目)。左端は李承晩の亡命後、過渡的に大統領代行を務めた許政 ひとつ申し上げたいことがあります。李承晩は(いまの韓国もそうですが)、李氏朝鮮時代をまるである種の「理想国家」として描いています。その「理想国家」を打ち壊し破壊したのが日本だというわけです。けれど、この路線を敷いた李承晩は、その李氏朝鮮王朝について、何ら畏敬の念も尊敬の念も敬愛の情も持っていなかったことは、以下の事実が証明しています。 李承晩は、李氏朝鮮王朝の正当な血を引く李氏朝鮮の皇族の韓国入国を拒否しているのです。日本は戦前、朝鮮を統治するにあたって、李氏朝鮮王朝の最後の皇太子である李垠殿下を、日本の皇族と同じ待遇をして日本に招きました。李垠殿下は日本の陸軍中将として軍事参議官まで勤められました。李承晩は、その李垠殿下を、事実上の国外追放状態のままにしたのです。結局、李垠殿下は、生涯を日本の質素な公営住宅で過ごされ、亡くなられたときも公営住宅内の集会所でひっそりとした葬儀がとりおこなわれています。このとき韓国政府からの出席者は皆無でした。日本からは三笠宮崇仁親王殿下がご出席賜わり、その様子に参列した全員が涙を流しています。 要するに李承晩には、李氏朝鮮時代への憧憬などまるでなかったわけで、あったのは己の権力欲だけだったということです。そしてその李承晩の妄想から、いまも韓国は抜け出せないでいる。 しかし、おのれの権力欲とイデオロギーにこだわり、結果として朝鮮戦争という大戦をひき起し、同国民を百万単位で殺し、戦後二十年間も韓国を貧国のままにした李承晩の妄想は、結局のところ、韓国人に幸せをもたらしたでしょうか。 そして権力にしがみつかんがために、朝鮮戦争の最中に李承晩ラインをひき、竹島を占拠した。そのことが韓国国民のために、いったい何の役にたっているのでしょうか。争いの種を撒いただけのことでしかない。 日本人は、しっかりと歴史の真実を見据え、戦後にねじ曲げられた歴史から、真実の歴史を取り戻さなければなりません。そして同様に心ある韓国の人々が一日もはやく、歴史の真実に目を覚ましてくれることを願うばかりです。おなぎ・ぜんこう 1956年生まれ。大手信販会社にて債権管理、法務を担当し、本社経営企画部のあと、営業店支店長として全国一の成績を連続して達成。その後独立して食品会社経営者となり、2009年より保守系徳育団体「日本の心をつたえる会」を主催、代表を勤める。ブログ「ねずさんのひとりごと」は、政治部門で常に全国ベスト10に入る人気ブログとなっている。

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    甦る「脱亜論」 「反日」ばかりの中韓とは離れたほうがうまくいく

    けて訪中する差の付け方だった。 米政界で安倍氏の評判が必ずしも良くなかった原因は、日本が近隣の中国、韓国と揉(も)め事ばかり起こしている。それも戦争中の慰安婦をめぐって、謝らず、補償もしない。一方で戦後秩序を否定するために憲法を改正しようとしている右翼政治家だというものだった。 オバマ氏の対日感情もそれを基礎としたものだった。太平洋のバランスは日米対中国でとれるはずだったが、日本が中国と揉め事ばかり起こすのでは、米国が直接中国と仲良くしたほうが良いとでも考えるようになったのだろう。 中国も「新大陸関係」(新しい米中関係)という造語で米国を誘ったが、実態は太平洋を半分ずつ“管理”しようというものだった。そうなると日本は中華圏に入るのか。 中国という国の本質、日中両国の二千年近くにもわたる関係は当事者以外にはわからないだろう。韓国の朴槿惠大統領は米国をはじめ、欧州主要国を歴訪して、ひたすら、日本の悪口をいって廻った。この告げ口外交は「いまから思うとひどかった」と各国共に感じているようだが、当初は日本の外交にダメージを与えた。しかしセウォル号の沈没や軍内部の利権のつながり、政治家の汚職などが表面化してきて韓国が丸裸になると、日本の主張のまともさが際立ってきた。 軍が強制して慰安婦をかき集めてきたという醜聞も、それを書き立ててきた『朝日新聞』が昨年、32年間にわたる記事を取り消したため、韓国政府の立場が、一挙に怪しくなった。そもそも韓国はありもしない〝慰安婦〟事件で騒いで日本から何をとろうとしていたのか。 韓国は「慰安婦は性奴隷だ」と主張したが、その根拠は国連人権委員会のクマラスワミ報告書だけだ。同報告書で20万人の性奴隷と証言しているのは日本の左翼学者だけで他に正当な根拠はなにもない。従って日本政府はクマラスワミ氏に正式に訂正を申し入れた。一方、慰安婦達が戦中であっても“商行為”として正当な支払いを受けていたことは、米国の裁判所でも行政府でも認められている。 安倍訪米を控えて米国では韓国の言い分が成り立たないことが徐々に判明しつつあった。 片や、友好を深めようとした中国が箸にも棒にもかからない国であることを、オバマ氏は理解してきた。南シナ海の強盗のような岩礁地の埋め立てや基地造りを見れば、中国には力で抑止力を発揮するしかないと悟ったろう。日本の尖閣諸島についてオバマ氏は「日米安保条約の適用範囲だ」とわざわざ述べた。このことは米国ははっきりと日本の側に立つことを明らかにしたことにほかならない。中国とは力で対決する以外に身を護る方法はない。こういうと、所詮、暴力を使うのかと護憲論者はいうのだが、土俵上で四つに組んで横綱同士が動かないのはなぜか。両者が必死の力を込めているからだ。力を込められる自衛隊にしようというのが、国会で審議中の安保関連法案なのである。理解を深める騎士道と武士道 オバマ氏は中国を知るにつれ、日本ほど律義で頼りになる友好国はいないと悟っただろう。 安倍首相の米議会での演説は秀逸だった。 抜きんでていたのは第二次大戦について「痛切な反省」(deep remorse)を表明したことだろう。それまで中、韓両国に加えて米政府内にも河野、村山談話で述べられた同じ文言を使うべきだとの主張が強かった。しかし安倍氏は「アジア諸国に苦しみを与えた」と述べたうえで「痛切な反省」を述べた。「お詫び」とか「侵略」を入れろという周囲の声が一気に軽くなった。会談を前に握手するオバマ米大統領と安倍首相=2015年4月28日、ワシントンのホワイトハウス(共同) 首相は議場に硫黄島で生き残った米軍の老司令官と玉砕した日本側守備隊長の孫を紹介し、二人が固く握手する場面を演出した。「痛切な反省」と敵味方の握手があれば、騎士道と武士道では理解し合えるだろう。もう一つ良かったのは首相が前夜の夜会で、ナンバー2が手練手管を使ってナンバー1を追い出す米国のハウス・オブ・カードというドラマを紹介し、「このドラマをナンバー2の麻生副総理には見せないことにしたい」と述べて爆笑させた。米国人はこの手のユーモアをこよなく好み、安倍晋三という人物の印象を心に刻んだことだろう。 『読売新聞』の世論調査(5月11日)では安倍首相とオバマ大統領との間で、新たな日米防衛協力の指針(ガイドライン)を通じて日米同盟の強化を確認したことを「評価する」と答えた人は70%に達した。「評価しない」はわずか19%だった。 下院本会議場は500人を超える両院議員で埋め尽くされ、2階の傍聴席もほぼ満員だった。議員は頻繁に立ち上がって拍手も含めてスタンディングオベーションは35回重ねられたという。安倍氏の演説は40分の予定だったが、拍手によって5分間延びた。 安倍氏は日米同盟は、「法の支配、人権、自由を尊ぶという価値観を共同している」ことで成り立っていると定義し、自ら「希望の同盟」と名付けた。 同盟というのは力の均衡や戦力補充といった権謀術数を狙って行なわれるのが常だ。しかし単なる軍事的利害損得による離合集散は、事件が終われば疎遠になって解消する。米英ソは日独の軍国主義、全体主義を潰すといって同盟したが、日独が破滅したあとは中ソの共産主義と米国を中心とする西側の対立となった。米ソの冷戦が終わると、世界は米国一極となって米国は世界の警察官といわれた。 その米国一極体制が相対的に弱体化し、米国は三つの戦争ができなくなった。欧州、中東、アジアの三つの戦争を同時にできなくなって、欧州はNATO欧州諸国にまかせている。中東では戦争への介入失敗を続け、完全撤退はいまのところ無理だ。この時点でアジアが不安定になれば、米国一国では対中抑止力が効かなくなるだろう。中国への抑止力の一部として日本の軍事支援体制が不可欠になった。日本の側だけからみても、オバマ体制の初期に中国が「新大陸関係」と称して米中の“直接対話”を持ち出してきた時に、米国が乗り気になった時がある。米国が頼りにならなければ、日本独自で中国と対立せねばならなくなる。だからこそ米国との同盟関係を一段と強化しなければならないというのが安倍氏の考え方だ。同盟の動機、目的は自由、民主主義、基本的人権といった「希望」である限り、目的が陳腐化して同盟が崩れることはない。 世界情勢の変化に合わせて日米の軍事ガイドラインを仕切り直す必要がある。 安倍氏はとりあえず、軍事面での不備を補強、補正する必要があった。歴代内閣がことごとく避けてきたものを洗いざらい取り上げた。豪州との軍事協力体制は着々と進んでおり、潜水艦技術の供与も可能になった。これまで武器輸出三原則によって武器の輸出や共同製作ができなくなっていたのが昨年、防衛装備移転三原則に改められた。 訪米に当たって安倍内閣は国家安全保障会議(NSC)の設置、防衛計画大綱の改定、集団的自衛権の限定的容認を決めた。集団的自衛権をめぐる法律は恒久法にまとめられて国会に提出された。 野党は国会承認の前に安倍首相が米国で「夏にはまとめる」と約束したことをとらえて非難しているが、民主主義国の同盟というのは、内容を世界に発信することも必要なのだ。中国の「力の外交」に屈するな中国の「力の外交」に屈するな 戦後70年の日本の節目にふさわしいのは「集団的自衛権」を容認する安全保障関連法を成立させることだろう。国会審議は5月下旬から始まる予定だが、当分、国政選挙も地方選挙もない。国会で何十時間でも実のある審議ができる。この際、日本人は“軍事”について聡明になってもらいたい。 軍備は要らないという人達は憲法九条があったからこそ70年の平和が保てたという。あるいは9条を掲げるが故に軍備は持つべきではないという。この無手勝流の論理を掲げた旧社会党は最盛期の166議席から名を変えて存続する社民党2名(衆院)にまで転落した。九条の思想は実態的には消滅した。もはや宗教といっていいのではないか。 圧倒的に強かった米国の保護国並みの頃は、「戦さ」は米国まかせの気風が強かった。そのオバマ米国が頼りない感じを漂わせる一方、隣国、中国が力の外交をやるようになった。南シナ海の岩礁に飛行場やら軍事基地を造り出すやり方はまさに中国式だ。2014年の世界の軍事費は米国が前年比6・5%減らすなか、中国は9・7%増。第3位のロシアも8・1%増となった。 10年前に比べると米国が0・4%減らしたのに対し、中国が167%と伸びて世界最高を示している。日本はインド、ドイツを下廻り9位である。日米の軍事費に比べて中国の増加率はけたたましい。日米の側がこれに対抗するには日本の自衛力を動員できるようにするか、軍事費を注ぎ込むしかない。 9条派は以上のような国際情勢の変化を一顧だにせず、「解釈改憲」「戦争法案」反対だと切り捨てようとしている。民主党の岡田克也代表は憲法改正について「安倍さんの時代には議論しない」という。安倍首相の改憲論は厳しいだろうから「議論したくない」という論法である。相手がどのような思想であれ、議会というものは、議論を戦わせて勝負をつけるのがしきたりだ。岡田氏がいっているのは「あいつは人相が悪いから議論したくない」といっているのに等しい。それも国家にとって最重要な問題についてだ。 日本の憲法はもともと自衛権を否定してはいない。国連憲章には自衛権には「個別的」と「集団的」と両面あると規定してある。日本が勝手に「集団的自衛の権利はあるが行使はできない」と解釈してきた。これは内閣法制局の明白な誤りである。そもそも内閣法制局があらゆる法律について〝絶対的〟な解釈権をもっているのはおかしい。憲法四一条には国権の最高機関は国会であると規定してある。あらゆる法律が国会でつくられるのに、その解釈権を内閣法制局がなぜもつのか。内閣法制局は官僚内閣制を創るに当たって、法解釈の最高機関として設置された。国会を最高権力と決めた新憲法を制定するに当たって、内閣法制局は消滅した。これは当然の措置だが、それでは官僚内閣制が不備になるといって、数年後に復活誕生させたのである。安倍晋三氏は内閣の最高決議は閣議であるべきだとの考え方で、安保関連法は国会提出に当たって閣議で決定された。これが真っ当な形だ。 安保法制の具体像は簡略化していえば次の通りだ。(1)日本防衛活動をしている米軍や他国軍の支援(グレーゾーン事態への対応)(2)日本に重要な影響を与える事態への対応(周辺事態法の改正)(3)国際的な平和協力活動(PKO法改正)(4)集団的自衛権の行使(自衛隊法、武力攻撃事態法の改正)(5)相手国が同意した場合の邦人救出(自衛隊法改正)日米同盟は中東と中国で共通認識をもて 日米同盟は世界政策をも共有するほど重いものだ。共通の認識をもつに当たって、重要な点が2点ある。 中東と中国政策である。まず中東について米国はアラブ諸国に民主主義体制を植えつけるのを最善と考えているようだが、少なくともアラブ圏に先進国並みの民主主義体制を導入するのは無理だ。 私もイランのホメイニ革命の頃、アラブ諸国に入り浸っていたが、正直いって殺し合うほどの宗派の差は外部の人間には理解できない。現在、シリアでスンニ派と「イスラム国」という過激派が強烈に争う形になっている。そのシリアは強権的とはいえアサド大統領によって少なくとも治安は維持されていた。それが崩れたのはチュニジアでジャスミン革命と呼ばれる“民主化”革命がきっかけだった。その動きを世界中がほめそやして全アラブに広まった。エジプトでは過激派のイスラム同胞団が担いだモルシ氏が新大統領に当選した。モルシ氏が憲法改正案を準備したところで、軍部がクーデターを起こし、実質的にムバラク体制を復活させた。イランでホメイニ革命が成功したのはホメイニ師が政権をとってすぐに軍を掌握し宗教独裁の憲法制定に成功したからだ。 エジプトでムバラク大統領に仕えていた軍部はモルシ氏がホメイニ革命の二の舞いを演じ始めたのを悟って直ちに反革命を起こした。アラブ内で治まっている国の体制は軍部独裁、宗教独裁、王制、酋長(しゅうちょう)制など“独裁国家”に限られる。理論が1、2ミリ食い違っただけで殺し合いに発展する社会では、力で押えている政治体制のほうが安定的だと認識すべきだ。キリスト教の世界では宗派の違いを越えて共存するのに2千年かかった。アラブ世界に民主主義を導入するにはあと700年かかる勘定になる。イスラエルとの関係を抱えて、日本のように傍観するわけにはいかないが、米国が内戦を助長しているように見える。 第二点は中国の扱いである。 中国が突如、持ち出してきたAIIB(アジアインフラ投資銀行)構想は、中国が米国と太平洋を分割しようという“新大陸関係”の延長線上の戦略だろう。太平洋を分けるという軍事上の狙いに加えて、国際金融の面でもアジア・太平洋地域における覇権を強める狙いだ。 そこで中国がひねり出した手がAIIBという新手だ。国際金融機関としてはIMF(国際通貨基金)とADB(アジア開発銀行)がある。共に米国と日本が仕切っている銀行で、中国の思うような投資ができない。そこで資本金の50%を出資し、総裁も中国、本部も北京、理事会は設けないという中国国営銀行のようなものを編み出したのである。 中国はシルクロードの復活を目指して周辺国に“一帯一路”を呼びかけている。近隣各国に巨大な公共投資を行なわせれば、景気浮揚にもなるとあおっている。 中国はAIIBをテコに人民元を国際通貨の座に押し上げることに懸命になっている。 中国の李克強首相はIMFの特別引出し権(SDR)の構成要素に人民元を採用するようラガルド専務理事に申し入れた。人民元の資本取引を活発化させ、人民元が国際通貨に採用されることで、金融の維持や人民元の国際化により国際社会のなかで中国が大きな役割を担うことになると力説したという。 しかし中国のAIIB設立もSDRの構成要素に入れろというのも、別の意図が透けてみえる。中国は2008年のリーマンショックの際、莫大な公共投資を行なって中国や世界の窮地を救った。その後遺症で中国は国民総生産4、5%の域に落ちているという見方もある。本来の中国流なら莫大な国費を注ぎ込んで、同様の対策を試みるはずだが、実は中国には金がない。 中国の債券証券発行額は増加する一方で、これ以上の借金ができない。そこでAIIBを設立して、そこから金を出して周辺国に公共投資をやらせる腹なのではないか。下手をすると国内投資の不足分をAIIBの名でかき集めて、自国の公共投資に当てる算段かもしれない。 欧州諸国が参加したのはIMF、ADBでは物品の輸出入には便利でも、大規模なインフラ投資に不利だったということがあるだろう。安倍首相は「ガバナンスをみてみる」と述べたが、妥当な判断だろう。忘れてならないのはAIIBが正真正銘の中国共産党の銀行だということだ。三権分立もなく、不公正を訴える場もない銀行は国際社会の信を得られない。その本質を直視しつつ矛盾点を指摘し続ければ、不正な銀行は破綻する。 日本では教養人で漢詩をたしなむ者が多く、中国コンプレックスが強い。中国人を“大人”と見なし、話し合えば争いの片がつくと思っている官僚、政治家が多い。完全に中国人を買いかぶっているのだ。 戦後、中国に対して贖罪意識を抱いていた政治家は日米同盟があるのに、中国やソ連とも等距離で付き合おうという首相(三木武夫氏)まで出た。中国と付き合うこと自体が自民党内のステータスにもなった。 これは官僚も同じで、与党の外交方針が固まっていないため、外務省の各局が独自の方針で相手国に臨んだ。その典型が中国を専門とする「チャイナスクール」の誕生だ。チャイナスクールは中国や韓国の機嫌を損ねてはいけないというのが、第一義の任務で、その典型が慰安婦問題だ。つい何年か前まで日本の中学校教科書には「従軍慰安婦強制連行」という単語があった。しかし「従軍慰安婦」という単語自体存在しなかったというので「慰安婦」だけが残された。さらに「強制連行」した事実もない。そこで「従軍」と「強制連行」を削除すると「慰安婦」だけになる。とすればこういう“商売”があるということを中学校段階の教科書に使うことはない。当然、教科書から記述が落ちたのだが、これを落とすと「歴史認識」で中国、韓国両国は日本を攻めることができない。「慰安婦」問題で攻められたら、政治家はもちろん、外交官はそれが誤りだったことを説明しなければならない。 ところがファクトを勉強していない外交官はこの問題を持ち出されると、「河野談話で詫びたし、もう補償も済んでいます」と答えるのだ。米国大使だった加藤良三氏は韓国の謝罪申し入れに強烈に反論すべき立場なのに「いまからではもう遅すぎますよ」とうそぶいていたものだ。『朝日新聞』が32年経って「事実は確認できない」といって取り消したのが立派に見えるほどだ。中世も近代も経験しなかった中韓中世も近代も経験しなかった中韓 官僚、政治家、教養人がどうしても一目置くのは5千年という中国の古さである。5千年の間に国家は財や知識を積み上げているはずだと錯覚する。2300年も前の孔子や孟子の教えを日本では江戸時代の寺子屋で農民の婦女子にまで教えていた。寺子屋時代は250年続き、その後百年孔子の論語は生命を得た。日本人の知識に「古い国」という意識を植え込んだのは司馬遷の『史記』だと中国史の泰斗・岡田英弘氏はいう。 実際の中国は洛陽のそばの「華山」という山の近くで栄えた商業都市で、紀元前221年に始皇帝が「秦」を起こして、そのあと「漢」「唐」「元」「明」「清」の五つの異種族王朝が興亡した。秦以前の「夏」「殷」「周」は神話の世界である。 五つの大国があったのは確かだが、五つとも人種も言語も違い、共通するのは商売のやり方ぐらいのものだった。韓国銀行の調べでは200年以上続いた老舗企業は世界41カ国で5586社が確認されているが、日本は3146社(全体の56%)と断トツ。2位はドイツ837社で、中国は第6位だが、9社しかない。商売が長続きするには社会が安定しなければならない。長期、安定してこそ技術も芸術も栄える。 中国は大地の上に入れ替わり立ち替わり、支配民族が交代したにすぎない。しかし商売するためには共通の符帳や共通の文字が必要だ。そこで使われたのが漢字で、7世紀頃から科挙の制度を創設して、商売や行政命令書を漢字で書かせた。国が交代しても科挙(役人)が必要なわけで、科挙の給料は自分で決めた。現在でも、市長が交代したら税金が5割上がるなどは当たり前だが、これは清の時代に廃止されたはずの科挙の伝統なのだ。 「中国」とは洛陽を中心にした「マーケット」で近所に華山があったから中華と呼ばれたが、中国とか中華という国が2千年続いたわけではない。中国という土地に国を建てたのは漢族、満州族、蒙古族、回(ウィグル)族、チベット族の五族だ。朝鮮民族が中国の主になったことはなく、日本併合までの500年間、中国の属国だった。彼等は漢字を操るのが最高の価値だと考えて、職人を卑しんだ。 帝国主義の時代、西欧列強は中国を侵食しはじめ、中国は朝鮮を併呑しようとした。日本はこれを食い止めるため日清戦争を起こして勝った。日清戦争の講和条件を決めた下関条約の第一条をみると、日本の戦争目的がよくわかる。普通、第一条は戦勝国に対する賠償金や分捕った領土が書いてあるが、下関条約の第一条には、これにて「朝鮮の独立を確認する」旨が書いてある。朝鮮がこれに従って独立を確保すれば、東アジアの安定につながったはずだが、属国根性の抜けない朝鮮はロシアの支配下に入ろうとしたのである。 朝鮮戦争のあと韓国は米韓条約を結んで“西側陣営”に自らをつなぎとめたが、朴槿惠大統領をはじめ韓国全体は元の中華圏に入って中国の属国に復帰したいようだ。 韓国にとって致命的なのは、中国の属国になって儒教を信奉したことだ。儒教というのは宗教ではなく社会や家庭の秩序を保つために、長幼の序を決めることだ。その社会で最も大切なのは漢字で、支配階級は漢字を書く以外のことを蔑んだ。したがって技術者は育たず、国民の30%が奴隷となった。日清戦争の結果、朝鮮の奴隷は解放された。中、韓とも中世も近代も経験せず、日本にいきなり現代に引きずり込まれたようなものだ。当時、敗れた清から孫文や魯迅ら2万人前後が日本に留学し、日本語に訳された西洋文化や科学を学んだ。 哲学、主義、科学といった単語はみな日本語で、現在、中国で使われている単語の6割か7割は日本語であるという。中華人民共和国などは日本語表記だと岡田英弘先生はいう。「東亜の悪友」と離れるとき 西欧と日本に共通しているのは長い中世の時代、封建時代を経て、社会に共通のモラルが醸成されたことだ。騎士道と武士道は似ているが、永い戦いが続いて、戦さの作法ができ上がったことがわかる。日本では最後は大将同士が戦って勝敗を決めた。戦争の簡素化が続くうちに戦国時代が終わって、文明の時代が築かれた。 明治時代、孫文や岡倉天心は「アジアは一つ」とか「黄色人種の団結」を叫んでいたが、これに断固、異を唱えたのは福沢諭吉で、中、韓を「東亜の悪友」と断じ、日本は西欧と交わるべしと「脱亜論」を書いた。 福沢は中国や韓国と組んでいると、西欧諸国から同類とみられるぞと戒めている。日本と中国、韓国との違いはいまも明らかだ。嘘をつくとか偽物を造るなどを、中・韓両国では「悪徳」と思っていないのではないか。あらゆる製品の偽物は瞬時にできる。中・韓両国では知的財産権などまったく認められていない。 ある大会社の社長にこの偽物をどうすれば成敗できるのかと聞いたところ、偽物が出たら、向こうがしこたま在庫が出たところで、こちらが新製品を出す。向こうは在庫を抱えて日本に「爆買い」に来るしかないと呵々大笑したのには驚いた。 中・韓の致命傷は新製品を造り出せないという発想と技術の粗末さにある。この欠点は中世と近代を経なかった彼等の歴史上の欠陥にある。「歴史認識」とはこういうことをいうのだと自戒せよ。 ややま・たろう 1932年、福岡県生まれ。東北大学文学部仏文科卒。時事通信社に入社後、政治部記者、ローマ特派員、官邸クラブキャップ、ジュネーブ特派員、編集委員兼解説委員を歴任。81年より第二次臨時行政調査会(土光臨調)に参画し、国鉄の分割・民営化を推進した。87年に退社。2001年に正論大賞を受賞。著書に『それでも日本を救うのは安倍政権しかない』(PHP研究所)ほか多数。関連記事■ 日米vs中韓~歴史修正主義批判を問う■ 日韓基本条約50年目の真実~韓国に助け舟は出してはならない!■ 呉善花<緊急寄稿>さよなら、幻想の国・韓国■ [歴史に背く韓国]第二の安重根が生まれる日■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき

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    習近平と朴槿惠、ワニとワニチドリ

    巨漢習近平に寄り添う朴槿惠をみて連想したのは、ワニとワニチドリの関係です。生物世界でいう「共生」ですね。ほかにアリとアブラムシも、よく引合いに出されます。

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    「裸の女王様」にご用心!

    室谷克実(ジャーナリスト)韓国人の労働意識の低さ 「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録に対する韓国の妨害活動は大成功だったと言っていいでしょう。 韓国は、長崎県の端島炭坑、いわゆる軍艦島をはじめ日本が登録を申請した二十三の施設のうち、軍艦島や旧八幡製鉄など七つの施設で「第二次大戦中に朝鮮人が強制労働をさせられた」と主張して登録に反対していました。日本が産業国家に生まれ変わる幕末から明治にかけての「一八五〇年から一九一〇年まで」が対象だったにもかかわらず、韓国は「第二次大戦中の強制労働を隠蔽しようとするものだ」と難癖をつけた。そもそも、戦時中の徴用は国民徴用令に基づくものであって、「強制労働」などではありません。戦時下の労働力不足を補う「徴用」は欧米をはじめどこの国でも行われており、給料も支払われます。これを非人道的な強制というのなら、韓国の徴兵制だって「強制」として拒否できることになる。 しかし、韓国国内で、元徴用工が「強制労働をさせられた」と日本企業を相手取って訴訟を起こし、賠償金を要求しているため、いつのまにか徴用が強制連行という話になった。つまり〝従軍慰安婦〟と構造はまったく同じです。 考えてみると、これは単に日本を貶め、金を巻き上げるためだけでなく、彼らの労働観が日本人とはまったく違っていることも理由の一つかもしれません。「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録決定後、スピーチする韓国政府関係者=10月5日、ドイツ・ボン 日本が進出するまでの朝鮮半島では、商工業は無きに等しかったから、労働者といえば「奴婢」のことでした。奴婢は両班と呼ばれる貴族階級の家に属し、家事や雑用、畑仕事などをしていました。別に給料が出るわけではない。飯を食わせてもらって、たまに着るものをもらうくらい。ご主人一家の残飯を雑穀にかけて混ぜて食べたのがビビンバの始まりで、それが御馳走です。半島の古典などを読んでみると、仲間同士でおしゃべりをしたり、適当にサボったりしながら最低限の仕事しかしない。そういうものが労働だと彼らは思っていた。 その感覚で日本の近代産業工場に働きに来てみたら、流れ作業で次から次へ仕事が回ってくる。そんなところでマゴマゴしていたり、サボったりしていたら、昔なら「こいつめ、何やっとる」と、それこそ頭の一発も殴られたでしょう。それが朝鮮人にとっては「強制的に働かされた」ということになるのかもしれない。もちろん、当時の記録や手記などを読むと、優秀でよく働く朝鮮人もいたようです。しかし、一般的な朝鮮人の勤労意識の低さが、強制労働だ、奴隷労働だという発想に結びついていることは十分に考えられます。 いまの韓国でも、現代自動車の工場労働者たちに言わせれば、トヨタ自動車では「奴隷労働」をさせている。ヒュンダイの工場は世界的にみても一人あたりの生産台数が非常に低い。トヨタの半分くらいです。それでいて給料はトヨタの倍近く取っている。だから生産効率からいったらトヨタの四分の一しかないのです。 七〇年代後半から八〇年代にかけて、日本の自動車メーカーがアメリカに進出して現地生産を始めたとき、アメリカ人工場労働者の意識の低さ、勤労意欲の欠如に頭を悩ませたことがありました。クルマを組み立てながらものを食べる、組み立てラインに平気でゴミを捨てる、勤務終了時間になると途中で放り出して帰ってしまう。おそらく意識としてはヒュンダイの工場労働者も同じようなものでしょう。労働観のまったく違う彼らからみれば、トヨタは規律が厳しく、半分の給料で二倍働かされる。まさに、日本はいまも日本人に〝強制労働〟を強いているわけです(笑)。スパイか大バカ者 世界遺産登録の審議がドイツのボンで開かれる二週間前に、韓国の尹炳世外相が来日して日韓外相会談が行われました。それまで尹外相は議長国のドイツに行って外相と会談し、韓国の閣僚が一度も足を踏み入れたことのない委員国のクロアチアにまで足をのばして日本の世界遺産登録反対を働きかけていた。それが日本に来たら一転して「日本の世界文化遺産登録に協力します」と言い出しました。 岸田文雄外相は「両国が協力することで完全に一致した」と胸を張り、日本は韓国側の「百済の歴史遺跡地区」の登録に全面協力すると発表しました。それだけならともかく、世界遺産委員会の審議の場で、朝鮮人が徴用されて働かされた歴史に触れること、登録後は軍艦島などにそうした歴史を記した案内板を設置するなどと約束して、この件は解決済みとした。実に甘い。 韓国が急に好意的になったわけではありません。この件に関して尹外相は公式には「円満に解決しようという共通認識をもって緊密に協力することにした」と言っただけでした。つまり、最後の交渉の余地を残しておいたのです。あの国のことを少しでも知っている人間なら、そんなことをしたら韓国人が最後に手のひらを反し、ゴネ始めることはわかりきっていた。 野田佳彦前首相が六月二十九日、BLOGOSに「油断禁物」と題するコラムをアップしています。李明博ジキルが一晩明けたらハイドになっていた体験を語り、世界遺産の件でも「油断禁物」と。 案の定、遺産登録審査の土壇場になって、韓国は「軍艦島はアウシュビッツと同じものだ」とまで言い出して強硬に反対し、審査が一日延びた。さらに登録決定後の委員会におけるスピーチで日本代表団は「(朝鮮人は)意に反して労働を強いられた(forced to work)」と付け加えざるを得なくなりました。 日本からすれば詐欺にあったようなものです。しかし、韓国からすれば、「協力することに原則としては一致したが、課題はまだ残っているということは日本もわかっていたではないか」ということになる。それは韓国の言い分のほうが正しい。「それについては今後また詰めましょう」という話だったのですから。 非難されるべきは、そんな重要なことを今後の課題として残した人間です。私は、初めからそういう手筈を整えていた内通者がいたのではないかと疑っています。そうでなければ、日本の官僚はこれまでの日韓関係史を何も学んでいない大バカ者としか言いようがない。「国連なんて田舎の信用組合」 「徴用は強制労働を意味するものではない」と岸田外相は弁明しましたが、後の祭りです。韓国に言わせれば、ボンでは強制労働を認めておきながら日本は二枚舌を使っている。だから、「これは日本との戦いである。強制労働だったという正しい解釈を、国を挙げて世界に広めなければならない」という論調になります。韓国人は「正当性はわれにあり」と心から信じているのです。 外務省は、「強制性を認めた」日本代表団の委員会での発言を資料として裁判に利用しない旨、韓国政府から言質を取ってあると言っています。しかし、三権分立の建前からすれば政府は政府、司法は司法です。資料は行政府から渡されたのではない、ユネスコの委員会から受け取った資料で裁くのに何の問題もないはずだと言われれば、どうしようもない。 まして、一九六五年の日韓請求権、経済協力協定で「法的に完全かつ最終的に解決済み」だった問題さえ蒸し返す国ですから、そんな〝約束〟はいつでもひっくり返すでしょう。現に韓国の聯合通信は「日本が強制労働を認定した」「日本が第二次大戦中の強制徴用の事実を国際社会で公式に言及したのは初めて」と、勝ち誇るような記事を配信しています。 韓国側が登録申請した「百済の歴史地区」など、あんなもの何もないつまらないところです。日本はお人よしにも全面的に支持しましたが、日本は韓国と渡り合うためにこれを利用すべきだった。「百済は日本人がつくった」と韓国流に難癖をつけて相打ちにするとか、やりようはいくらでもあったはずです。それを百済のほうは無条件で先に通してしまって、それから韓国にゴネられて「強制労働」の表現をどうしようと悩むのだから、バカに上・中・並があるとしたら特上の大バカです。 そもそも、ユネスコごときに世界遺産と認定されるのがそんなにありがたいことなのか。かつて佐藤栄作内閣の防衛長官だった西村直己氏が「国連なんて田舎の信用組合みたいなものだ」と言って辞めさせられたことがありましたが、あれこそ正論です。観光客が増えると言ったって効果はせいぜい一年か二年でしょう。観光客向けに、田舎の信用組合からもらった表彰状を仰々しく飾っているようなもので、そんなもののために日本に関する歪曲史を世界に広める権利を、日本の外務省は韓国に売り渡したのです。北朝鮮と同じDNA北朝鮮と同じDNA国連総会で一般討論演説を行う韓国の朴槿恵大統領。慰安婦問題や日本の安全保障関連法について持論を展開した=9月28日、米ニューヨークの国連本部 最近の朴槿惠氏を見ていると、自分はもはや大統領ではなく、女王であるという意識が生まれているように思えます。つまり、父親の朴正熙と同じ独裁者です。 彼女には大統領になろうという意思はあったにしても、具体的に何をしようということは、おそらく考えていなかったのではないか。基本方針だけ考えて、あとはすべて側近に任せたのでしょう。もう誰も覚えていないし、本人も忘れてしまっているかもしれないが(笑)、大統領選時の第一の公約は「経済民主化」でした。 ところが、保守系の新聞、朝鮮日報によれば、「初めて親朴グループを結成したときのメンバーの七〇%が朴大統領に背を向け」、朴大統領は彼らを「臣下」だと思っているというのです。つまり、逆に言えば朴大統領は自分を女帝と意識していることになる。 現在、与党セヌリ党は大統領との軋轢で党内がガタガタになっています。朴槿惠派のほうが実際は少数であるにもかかわらず、大統領府の権力で多数派が完全に切り崩され、イエスマンばかりになった。そうなると、つまるところ私に逆らうものは許さないという話になってくる。それが顕著に現れたのが、セヌリ党の劉承旼院内代表を閣議で罵倒し、辞任に追い込んだ六月の事件です。 発端は、行政府に対して国会の権限を強化する改正国会法案でした。韓国の行政府は法律に定められた範囲を逸脱して施行令を出したりすることがよくあるから、それに国会が異議を唱えた場合は、行政府は再検討して国会に報告しなければならないという法案です。 この法案に対して大統領府は「行政府を縛り、三権分立を脅かすものだ」と反対していました。しかし、セヌリ党は与野党協力を優先させ、別の法案と抱き合わせる形で国会を通過させた。これに朴槿惠氏が激怒しました。ところが、実は法案の内容というよりも、劉承旼院内代表が許せないということだった。院内代表とは、日本で言えば国会対策委員長です。劉承旼氏は反朴槿惠派でしたが、議員投票で院内代表に選ばれていました。 朴槿惠大統領は六月二十五日、通常は首相が主宰する閣議を自ら主宰して、劉承旼氏を糾弾する自筆原稿を十分以上も延々と読み上げました。表向きは「与野党の国会法改正合意は違憲である」と、その責任者を批判する内容でしたが、「(国会対応で)民意ではなく自らの政治目的を優先させた」「裏切りの政治に国民の審判を」などと劉氏個人を槍玉に挙げていた。実質的には起訴状の朗読でした。 実は、劉承旼氏は、かつて朴槿惠氏の政策参謀だった人です。どうしても参謀になってほしいと朴槿惠氏自身が頼み込んで、ようやく承知してもらった。ところが自分を見限って出ていってしまったから、彼女にとっては〝裏切り者〟です。 おもしろいのは、セヌリ党がハンナラ党という名前の野党時代に、総裁だった朴槿惠氏は問題の改正国会法案とほとんど同じ法案を提出していることです。結局、それは否決されましたが、同じような内容の法案であるにもかかわらず、かつては側近だったのに「増税なき福祉は虚論だ」と自分を批判するような裏切り者が提出したのは許せない、辞めさせてやるというわけです。もう完全な「私」の政治になっている。 例のセウォル号の沈没事故があった日(四月十六日)に朴槿惠氏が行方不明になっていた、いわゆる「空白の七時間」事件でも、朴槿惠氏が議員時代から使っていた青瓦台の秘書官が問題にされると、朴槿惠は「この人たちは私心なく仕えてきた」といきり立った。国のためではなく、私心なく「私」に仕えてきた、何の問題があるんだということです。「公」の概念が完全になくなって、「私」の政治になってしまっている。もう何かしら敵をつくって攻撃しないと政権が持たない、末期的な症状と言っていいかもしれません。 国政を審議する閣議を私物化し、十分間以上にわたって元側近の与党幹部の罪状を読み上げて直接批判するなど、実に異常です。しかも閣僚たちは何も言わずに黙ってメモを取っていた。韓国の政界では「まるで王朝時代だ」という声が上がりました。 これは公開か非公開か、〝政治的死〟か〝物理的死〟かの違いはあっても、張成沢氏を抹殺した北朝鮮の金正恩王朝の体制と同じ、王と臣下の関係です。文句を言う家来は死罪になる。北も南も、李氏朝鮮時代と同じことをいまだにやっている。これが朝鮮人の体質なのでしょう。引きこもりの毎日 MERS(中東呼吸器症候群)感染拡散の問題については、あの国の民度の低さを表していました。隔離の対象になった人たちが、どんどん海外に出て行ってしまう。院内感染した医者までが一千五百人以上集まった地域行事に参加している。老人ばかりの山村で自宅隔離されていたおばあさんが平気であちこち出かけて行っては何時間も話し込んでいるので、警察はしかたなく村を封鎖してしまった(笑)。 そんな大騒ぎになっても、大統領は見事に何もしませんでした。専門家に任せると言って丸投げし、本人は一回か二回、病院を視察に行って、全感染者の半数を出したサムスンソウル病院のソン・ジェフン院長を自分の出張先まで呼びつけて叱りとばしただけだった。サムスン財閥に気をつかって初めは病院名さえ公表しませんでした。ネットで名前が拡散して、しかたなく公表する始末です。 保健福祉大臣(厚生大臣)の文亨杓 氏は、当初は「三百万人が感染して初めて非常事態と言える」と発言し、感染力が弱いから問題はない、マスクをする必要もないと言っていたのに、病院を視察に行ったとき、自分はマスクをしていた(笑)。朴槿惠氏も「手洗いを励行すれば大丈夫」などと言っていました。政府にも、医療関係者にも危機管理意識がまったくなかった。その結果、感染者百八十六人、死者三十六人を出すことになってしまった。 MERS対策の不手際と院内代表の辞任問題もあって、最近は国内の新聞でも「大統領府は無能だ」「裸の女王だ」という反朴槿惠の論調が目立つようになりました。 左翼系のハンギョレ新聞は「大韓民国は民主共和国なのか」と題する社説(七月九日)で、「政党民主主義が一瞬にして軍事独裁時代に戻ってしまうとは」と書いています。これは与党の多数派を裏切って〝女王〟にひれ伏したセヌリ党の金武星代表を攻撃しているのです。 同じくハンギョレの「朴大統領が会っている人は本当にいるのか」(七月四日)という記事は、できるだけ人と会わず官邸、それも大統領個人の居住スペースに引きこもっている朴槿惠の姿を報じ、「(大統領は)誰かに会うことがあるのだろうか?」と結んでいます。 保守系の中央日報の「裸になった大統領」(七月六日)は、「青瓦台(大統領府)と政権与党の指導部の対立、政権与党の内紛を見守りながら思い浮かんだのが(開高健の小説)『裸の王様』だった。……王は裸になっても恥ずかしいとは知らず、臣下は偽りを言いながら唇に唾も塗らない」と、婉曲ながら手厳しく朴槿惠氏を批判している。 さらに、朝鮮日報の「大韓民国の女王・朴槿惠」(七月九日)は、周辺の人物が語った朴槿惠氏のさまざまな〝異様な素顔〟を紹介し、「十二歳から三十歳までの時期の(大統領府での)生活が、人格の形成にどのような影響を与えたのかは、誰もが知っている」と書いています。報道の自由が事実上ない国のメディアとしては、ギリギリの表現と言えるでしょう。 保守系の新聞までこうした記事を書くようになったことは朴槿惠大統領にはある程度のダメージを与えそうですが、自分には強い支持者がいるのだという信念、あるいは思い込みがあるから、大して気にしていないかもしれない。 国内問題と与党との対立はマイナス要因ですが、世界遺産登録の問題で日本に強制性を認めさせた、日本に勝ったという外交上の成功が作用して、プラス・マイナスにしたら結局プラスになるのではないでしょうか。MERSへの対応のまずさで支持率が三〇%を切ったとはいえ、すぐに持ち直すでしょう。ただ、長期低落は間違いなしですが、日本の内閣のように支持率が底を打ったら潰れるというわけではないし、自分から政権を投げ出すか、国会で弾劾が決議されるとか、よほどのことがない限り、大統領は任期満了まで務められる。だから、裸の女王様と「イエスマン」ばかりの臣下による迷走は、あと二年半の任期いっぱいつづくでしょう。仲が悪くて結構 はっきりしていることは、韓国人にとっては慰安婦が強制連行され、強制的な徴用が行われたのは明らかな〝歴史的事実〟だということです。七十年間、ずっとそういった教育をされてきたわけだから、いま五十代から六十代の韓国人も、それは絶対に正しいと思い込んでいる。だから、韓国人が徴用された施設が世界遺産になるのはどうあっても許せない、従軍慰安婦を認めない日本政府は極悪非道である。だから断固、抗議行動をすべきだというのは彼らの頭では当然の話になるのです。日本がそうじゃないと説明しても、また言い訳を始めたと怒るばかりで聞く耳を持たない。 もっと長いスパンでは、何の文化も持たない未開の土人が住んでいる日本列島に百済の人間が行ってあらゆることを教えてやったという歴史を教えている。そういう歴史観が頭に叩き込まれているから、日本に優れたものがあると聞くと、韓国人が教えてやったにちがいないと考えるのです。こんなに美しい桜の木が日本にあったはずがない、韓国人が教えてやったにちがいない。武士道などという優れた文化が日本に生まれるはずがない。すべて韓国人が教えたもので、オリジナルはすべて韓国にある。つまり「ウリジナル」という発想にしかならないのです。 そんな劣等人種の日本人がわれわれに敬意を払わない、感謝しない、あまつさえかつてわれわれを支配さえした。それが悔しくてたまらないのです。 日韓基本条約で国交を〝正常化〟してから五十年ということで、朴槿惠大統領は「歴史問題の重い荷を下ろし、未来志向的な両国関係の発展のために相互に協力していこう」と祝辞を述べました。だからといって、日本に対する態度が変化したわけではない。アメリカがうるさいから、日本と仲良くする糸口ぐらい言っておいてもいいといった感じでしょう。 朴槿惠大統領は六月訪米を予定していたのですが、MERS問題で、国内を留守にすべきではないと、中止になりました。が、別にどうしても行かなければならなかったわけではない。むしろ、行けばTHADD(終末高高度防衛ミサイル)の配備をどうする、AIIB(アジアインフラ投資銀行)参加はどういう気なのだと責められるだけです。ただ、アメリカ向けとはいえ、「未来志向で」などと対日関係の改善に触れた手前、何かのきっかけを捉えて日韓会談を開こうとするかもしれません。しかし、世界遺産登録を妨害されたこの状況では、おそらく日本は受け入れないでしょう。 首脳会談を開いたところで、停滞している日韓関係が具体的に好転するものではない。韓国は円安に困っているけれど、朴槿惠大統領と安倍晋三首相が会ったからといって解決する問題ではありません。ところがマスコミも国民も、韓国人は解決すると思っている。為替は外交力の結果だという発想があるからです。 日本は外交がうまいから円安になっていると思い込んでいる。韓国は外交力がないから、ウォンを切り下げようとすると、アメリカから為替の不正操作をしていると叩かれる。それでこんなにウォンが高くなった。日本はうまくやっているからアメリカも何も言わない。そういう発想だから、日韓首脳会談で友好関係を築けば、ウォン高・円安は解消すると考えているのです(笑)。 隣国とは仲よくしなければいけないという言い方は、戦後の日教組教育の産物でしょう。日韓関係が良好でなければいけないという発想が日本をおかしくしている。別に隣の国だからって仲よくする必要はさらさらない。隣国同士の仲が悪いのは世界的に見れば普通のことです。政府どうしが対立していようと、民間の交流はあるわけで、日本としてはまったく困ることはない。 世界遺産の件でもわかるように、ネコ撫で声と忍び足で寄ってきて爪を立てるのが韓国のやり方です。用心するに越したことはない。別に日韓の仲が悪くたって、いいではありませんか。日韓の不仲は、北が喜ぶ? 北が喜んでも、いいではないですか。韓国にただ一つ忠告するのは、北に背後操縦された反日勢力の扇動に乗って国を潰すことがないように、ということです。むろたに・かつみ 1949年、東京都生まれ。慶應大学法学部卒業後、時事通信社に入社。政治部記者、ソウル特派員、宮崎・宇都宮支局長、「時事解説」「時事評論」編集長などを経て定年退社。著書に『悪韓論』『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮新書)、『呆韓論』『ディス・イズ・コリア』(産経新聞出版)などがある。「裸の女王様」にご用心!   

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    「中国に従順であればいい」習近平の朝鮮政策の本音を暴く

     北京で今月3日に行われた「抗日戦勝70年」の記念式典と軍事パレードで、韓国の朴槿恵大統領に対し中国当局が見せた“異例”の厚遇と、北朝鮮への露骨なまでの冷遇。対朝鮮半島外交での南北への温度差を、中国は強烈に見せつけた。韓国では朝鮮半島統一を視野に、対中関係の進展を歓迎する熱が今も冷めていない。そんな韓国への接近を続ける姿勢からは、中国の朝鮮半島政策の本音が感じ取られる。(ソウル 名村隆寛)異例の厚遇に今も余韻 天安門広場で盛大に行われた軍事パレードを、朴大統領は天安門の楼上から観閲した。習近平国家主席の右隣にはロシアのプーチン大統領。朴大統領は賓客としてはそれに次ぐ2番目に座った。 北京からの映像は、黄色い服装でただでさえ目立つ朴大統領を、その“序列”が一層際立たせた。韓国メディアは、韓国の首脳として初めて軍事パレードを参観した朴大統領の様子を、逐一速報。予想以上の中国のもてなしぶりを感激を込めて伝えた。 また、韓国人の潘基文国連事務総長が夫妻で習主席から5番目と6番目にそれぞれ着席したことも、加えて韓国を感動させた。 同時に韓国が驚いたのは、北朝鮮に対する中国の想像以上の冷たさだ。北朝鮮の金正恩第1書記の「代理」として訪中した崔竜海書記は、列の最も端に座った。「中朝関係の変化を象徴」(聯合ニュース)「朝鮮半島の南北に対する中国の比重が変化」(KBSテレビ)などと、韓国メディアは中国の「変化」をこぞって指摘し、強調した。 「感激」「感激」の雰囲気に包まれるなか、朴大統領は帰国。訪中の成果を強調する韓国政府はもちろんのこと、メディアも大統領の訪中をおおむね肯定的に評価している。中国の朴大統領への厚遇と韓国への“特別な配慮”は、韓国世論の対中国観をさらに向上させている。苦慮の末の訪中、観閲 朴大統領の訪中と軍事パレード観閲については、韓国国内で異論もあった。 中国は南シナ海のスプラトリー(中国名・南沙)諸島の実効支配で国際社会から批判を受けている。そんな中国で軍事パレード観閲に参加することが、果たして韓国の国益にかなうのかという批判だ。 また、中国は朝鮮戦争(1950~53年)に介入し、韓国軍と米国を中心とした国連の連合軍を相手に戦った。緒戦で北朝鮮の南下を許した韓国側は、その後、一気に北上し、中朝国境の一部にまで達した。ここで北側に付き参戦した中国軍(人民志願軍)のために、戦況は膠着(こうちゃく)し、その結果、韓国軍は約20万人の死傷者(米軍を含む国連軍全体での死傷者は約36万人)を出したといわれ、大きな打撃を受けた。 韓国には当時を生々しく記憶している世代が今も存命している。特に保守層の中には朴大統領の軍事パレード観閲に反発する声もあった。しかし、朴大統領はそうした反対を押し切り、訪中した。反対世論を説得したキーワードは「朝鮮半島の統一」である。 昨年の年頭記者会見で「統一は大当たり(大もうけ)だ」とまで断言した朴大統領にとって、朝鮮半島の統一は最大の目玉政策だ。その統一のためには、北朝鮮との関係改善には中国の影響力は欠かせない。中朝関係が冷え切っているとはいえ、中国の存在は大きい。背に腹は代えられないわけだ。露骨な対北冷遇 韓国大歓迎の一方で、中国は今回、北朝鮮への“冷遇ぶり”を見せつけた。国家元首ではない“格下”とはいえ、崔竜海書記への対応は冷た過ぎると言ってもいいほどだ。 金正恩第1書記の祖父である金日成主席の存命中に、中朝関係を象徴する表現だった「血の友誼」や「唇と歯のような関係」は面影もなく、全く消えうせた。また、自ら訪中し中朝首脳会談に臨み、対中関係を維持した金正日総書記の時代に比べても、中朝関係が極端に冷え込んでいることが露呈した。 崔竜海書記を残酷なまでに“冷遇のさらし者”としたこの様子は、映像などを通して朝鮮半島の南北だけでなく、全世界に知らしめたられたわけだ。習近平体制の中国は当然、これを意図的に見せつけた。もちろん、北朝鮮の金正恩政権を意識した上でのことは間違いない。中国は北朝鮮に相当な圧力かけ、それを白日の下にさらした。 北京の天安門で青空のもと、大胆な「南軟・北硬」のドラマを演出した中国。かつては血で塗り固められた関係であろうが、従わない北朝鮮には無言の圧力を感じさせる。ソウルからその様子を見ていて、「実にやり方が中国らしい」と感じさせられた。白猫でも黒猫でも。南でも北でも 朴槿恵大統領を最大限に厚遇し、韓国を感激させるかたわら、国際社会で孤立する北朝鮮を容赦なく追い込む中国。中国の朴大統領厚遇について韓国大統領府関係者は「(中国当局の)大きな配慮で、変化した韓国の地位を示した」(聯合ニュース)と評価したという。だが、果たして韓国メディアが分析したように中国の朝鮮半島政策は変わったのだろうか。 習近平国家主席が朝鮮半島の南北に示した態度を見ていて、トウ小平元国家主席が残した名言が頭をよぎった。 「白猫であれ黒猫であれ、ネズミを捕るのがよい猫である」という言葉だ。経済での生産力第一主義を言い表したものであり、時代背景やその意図は全く異なる。 ただ、私見ではあるが、この「白猫と黒猫」を朝鮮半島の南北に置き換えてみたら、すんなりとくる。「北であれ南であれ、中国に従順な朝鮮半島であればいい」。中国の本音は、あえて言えばこんなものではないか。 秋波を送れば近寄ってくる韓国は“予想通り”に感激し、近寄ってきた。一方で、北朝鮮の金正恩政権は親中国派の張成沢氏を処刑した後も、ますます中国の言うことを聞かなくなっている。仕方ないから中国は、さらに北朝鮮を締め上げる。北朝鮮が本心から米国と関係を改善し、米国ベッタリにならない限りにおいては。 北朝鮮の経済状況が悪化しようが、当分は米国との防波堤のままでいてくれればいい。それほどに中国はこと朝鮮半島に対しては歴史的にもドライであり、したたかであり続けているのだ。変わったのはむしろ南北 先述のように、韓国には過度な対中国傾斜を戒める声が厳然としてある。特に同盟国である米国とのからみで、中韓接近が米国の「誤解」を招かないかという懸念だ。 そうした韓国国内の心配や米国に配慮したのか、朴大統領は最後まで毅然(きぜん)とした表情で座ったまま軍事パレードを観閲し続けたという。韓国なりに頭をひねり、気を配ったことがうかがえる。 訪米した習近平主席は、25日にオバマ米大大統領と会談する。ほぼ同時期に朴大統領も訪米し、ニューヨークで国連総会に出席。さらに10月にも再度、訪米し、米韓首脳会談に臨む。この場で朴大統領が米韓関係、米韓同盟の緊密さを確認しアピールすることは必至だ。 韓国外務省の元当局者は「朴政権は対米関係の重要性や誤解を招いてはならないことは十分に理解している。慎重に扱うべきことは対米、対中との距離のバランスではないか」と指摘する。 米中の間で苦慮する韓国の様子を眺める中国。その韓国の胸中を中国が十分に見透かしていることは濃厚であり、この元外務省当局者もそのことについては否定しない。 米国に気を使いながらも、中国との関係進展を歓迎し、期待通りに近づいてくる韓国。一方で、弾道ミサイルの発射や4回目の核実験を示唆するなど中国の言うことを聞かなくなってしまった北朝鮮。そんな朝鮮半島の南北を中国は高みから眺めているかのような状況だ。長年、中国が朝鮮半島にとり続けてきた基本的な変わらない姿勢である。手のひら返しも 朴大統領の訪中の際、韓国厚遇で見せたように、中国は韓国を感激させ、韓国世論(メディア)の操作も簡単かつ巧妙にやってのける。中国が今後も韓国に対し“笑顔”で接し続けることは容易に予想できる。ただし、韓国が自ら中国に接近し、北朝鮮のように逆らわない限りは。 中国が現在、韓国に対して最も神経をとがらせているのは、ミサイル防衛(MD)だ。米国は最新鋭の迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD、サード」の韓国配備を韓国に促しており、中国は配備に強く反対している。 THAADへの韓国の対応次第では、中国が手のひらを返したような反応に出ることは十分に予想できる。笑顔で手招きする一方で、相手の出方によっては態度を急変させる。中国はそうしたことをできる国である。とりわけ朝鮮半島に関しては。さらに、THAAD配備をめぐる韓国の胸の内、対中懸念についても、中国は十分に把握しているとみられる。 朝鮮半島では今、南が米中双方の関係維持に苦慮する一方で、北は孤立の度を深めている。これまでの“挑発ポーズ”の繰り返しではなく、北朝鮮の本気の暴発が起きた場合、中国がどのように出てくるかは分からない。ただ、南であれ北であれ、素直に言うことを聞いてくれる朝鮮半島の政権の動向を中国は今、冷静に見守っていることだろう。

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    キムチも中国色に染まる対中依存に危うさを感じないのか?

     韓国が朴槿恵(パク・クネ)大統領の訪中を「大成功」と有頂天である。大統領府は「中国との外交ルートをフル活動する」と表明、尹炳世(ユン・ビョンセ)・韓国外相は「韓中関係の進展は桑田碧海(世の中が大きく変わった)」とその成果を国内に強調している。そんな韓国を牽制(けんせい)するかのように、北朝鮮はミサイル発射を予告、第4回核実験も示唆した。中韓の対北認識はどこまで深化したのか。中国の習近平体制は韓国側に付くのか、それとも北朝鮮を擁護するのか?自信満々の韓国の対中観がさっそく試されることになる。(久保田るり子)キムチも中国味 現在の日中韓関係は、韓国のキムチ事情に現れている。目下、韓国の食卓を席巻しているのは中国キムチだ。韓国キムチの6分の1という安価で韓国市場を広げている。一方、韓国キムチの輸出先のほとんどは日本で、これまでは約8割以上を占めてきたが、日韓関係の悪化などで日本向け輸出が急速に減少している。 象徴的なのはその物量。輸入キムチは年間22万トン、日本への輸出キムチは年間約2万6000トンに過ぎない。そこには経済依存から中国に傾斜していく韓国の姿がクッキリみえる。また中国キムチは年々おいしくなっており、キムチ業者は「中国産の需要はさらに増える」と断言している。 キムチの中国味に慣れたからでもないだろうが、朴大統領の訪中成功に韓国世論は沸いた。今年6月、中東呼吸器症候群(MERS)の影響で就任以来最低の29%まで落ち込んだ朴大統領の支持率は訪中後、54%に急上昇した。任期後半の大統領支持率では歴代最高の記録となった。 一体、訪中の何が評価されたのか。韓国政府は「新たな能動的外交で、韓国の存在感を高め、強固な米韓同盟と中韓戦略的協力パートナー関係を同時に進めることができた」などと自賛している。 世論には、政府の中国一辺倒を批判する声や、中国との半島統一協議には慎重論もある。だが政府サイドはこの訪中を「歴史的なターニングポイント」と位置付けている。 尹外相は訪中直後のラジオ番組で、北朝鮮による地雷事件をめぐり、「解決に向けて中国は背後でさまざまな役割を果たした」と暴露したり、首脳会談では「北朝鮮の核問題で中国は積極的な役割を果たす考えを示した」と語った。 中韓関係がいかに緊密化したかのアピールだったとはいえ、外相自らが相手国の水面下の動きを語るのは外交儀礼上はあり得ない。こんなところにも期待と熱望の韓国外交の中国に寄せる「熱い思い」が現れているようだ。“エビ・コンプレックス”は克服? 韓国には「クジラのけんかでエビが潰れる」(強いもののケンカで弱い者が被害を受ける)ということわざがある。米中は「クジラ」、韓国は「エビ」である。そして朴政権が中国傾斜を強めて、安全保障を米国、経済を中国に後ろ盾を求め、両国の意向にも気をもむようになったことを「エビ・コンプレックス」と呼んでいる。 一例は、米国が韓国側に駐韓米軍の配備の了解を求めている戦域高高度防衛ミサイル(THAAD)問題と中国のアジアインフラ投資銀行(AIIB)への韓国の参加問題だった。韓国はこの問題で米中のはざまに立った。そんな韓国を「ソウルエビ」などと揶揄(やゆ)して、その外交戦略の危うさを指摘した欧米メディアもあった。 朴大統領は先月、訪中を前にしてのセミナーの演説でこの「エビ・コンプレックス」を取り上げた。そしてこう述べた。「私たちは世界史に類例がないぐらい成長を成し遂げたのだ。“クジラとエビ”の話を口にするのは敗北主義だ」 このところ韓国政府は訪中問題を「国民は誇りを感じ、米国など友好国は理解や共感を示している」とコメントし、訪中は米国とも緊密に協調してきたなどと強調して、「エビ・コンプレックス」の払拭に懸命だ。 朴大統領自身も韓国メディアに「内容を具体的には明らかにできないが」としながらも、習近平氏と北朝鮮による軍事挑発を抑制する方策について「非常に緊密に話し合った」などと述べ、首脳外交に自信を示している。 ただ、中韓が急接近したからといって中国にとっての北朝鮮という戦略的な価値が簡単に変化するわけではない。中国の対北戦略は、国際的な緊張関係のなかで国益に即した戦術的選択がなされることになる。長年、北朝鮮を見てきた韓国のウオッチャーは、中韓首脳会談の成果について「まず、北朝鮮の長距離ミサイル発射に中国がどのような立場を取るかを見定めることだ」と冷静に指摘している。 朴大統領は来月中旬に訪米予定で、「もう一方のクジラ」である米国のオバマ大統領との首脳会談が控えている。次いで10月末には日中韓首脳会談と日韓首脳会談が続く。韓国の「エビ・コンプレックス」の行方は、今秋の首脳外交の課題となりそうだ。