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    3億円の“示談金”で慰安婦問題解決か 韓国側の苦しい事情

    “示談金”ダンピングに応じる構えを示してきたのだ。日韓首脳会談 会談前に握手する安倍晋三首相(左)と韓国の朴槿恵大統領=11月2日、ソウルの青瓦台(代表撮影・共同) 会談後の安倍首相は「早期の妥結を目指して交渉を加速させることで一致した」としかいっていないが、翌日の日本の新聞各紙は〈政府、支援策模索も〉(毎日)、〈慰安婦、財政支援拡大へ 政府検討〉(日経)などと見出しを掲げ、いずれも「アジア女性基金」の復活構想を報じている。〈日本側にはかねて【1】首相による謝罪【2】駐韓日本大使が元慰安婦と面会【3】日本の政府予算を使った元慰安婦支援──という解決策への考え方がある。このうち政府予算を使った支援は2007年に解散したアジア女性基金のフォローアップ事業の拡充が軸になる〉(日経) アジア女性基金は慰安婦問題を謝罪した村山富市首相の談話をきっかけに政府出資で設立(1995年)され、民間から募った募金をもとに韓国、フィリピン、台湾などアジア諸国の元慰安婦に1人200万円の「償い金」を届けた。 基金の解散後は外務省が政府予算でNPOを通じて元慰安婦に医薬品や現金を届けるフォローアップ事業を行なっており、その事業を拡大し、日本政府による元慰安婦への人道支援、すなわち実質的な補償を両国の合意で再開させようという構想である。 日経は〈浮上しているのは予算規模を1億円台に乗せ、支援メニューを拡大する案だ。政府高官は2日「検討する」と認めた〉と書き、韓国側では〈3億円以上〉(東亜日報)という報道も出ている(菅義偉官房長官は会見で「そうした事実は全くない」と否定)。 慰安婦問題について「補償は日韓基本条約で解決済み」と主張してきた安倍首相にすれば、一見、譲歩のように見える。 だが、政府の人道支援は国家賠償ではない。現在、存命している韓国政府登録の元慰安婦は47人。人道支援の予算が日経のいう1億円なら1人約200万円、韓国側が挙げる3億円としてもたかだか1人約600万円になる計算だ。 安倍首相にすれば“あれほど騒いでいたのに、ホントにたった3億円でいいの?”と眉に唾をつけたいのではないか。韓国に詳しいジャーナリストの室谷克実氏がいう。「朴槿恵政権は中国傾斜が行き過ぎてアメリカの政府関係者らからも苦言を呈されるレベルまで来たため、慌ててアメリカにすり寄り、アメリカ陣営の日本とも外交交渉をせざるを得なくなった。基金の話は、それでもなんとか慰安婦カードを使いたい韓国側が流しているものではないでしょうか」 慰安婦問題で安倍政権の対応を批判してきた韓国の有力紙・東亜日報の社説(11月3日付)が、韓国側の苦しい事情をはっきり書いている。〈韓日関係が凍り付き経済にまで寒波が襲った。日本の韓国への直接投資と韓国の対日輸出入、日本人観光客などすべてが急減した。(中略)韓国は慰安婦問題など追及すべきところはすべきだが、過去にのみ縛られると、他の国益を害するという点も直視しなければならない〉 そんな韓国の事情を見すかすように、官邸の外交筋は、「安倍総理はささやかな手土産で窮地に陥っていた朴大統領を救ってあげたということだ」といってのけた。韓国紙 外相が国連総会で安倍首相の足引っ張るかで沸き立つ韓国が小中高生向けに作成した慰安婦教材 史実歪曲した内容従軍慰安婦問題について韓国要人「一言謝れば韓国人は納得」韓国の反日スレ「日本に爆弾テロする?」「お前通報シマス」韓国 慰安婦を人権問題として世界に注目させ日本の譲歩狙う

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    「性奴隷」というプロパガンダ 慰安婦問題をめぐる法人いじめ

    の団体が同シンポジウムに対する抗議デモを計画して、ニューヨーク市警にデモを申請し、ニューヨーク在住の韓国人団体に働きかけた。さらに、認定NPO法人ヒューマンライツ・ナウ(伊藤和子事務局長)、アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館(渡辺美奈事務局長)、ピースボートなどが共催した「慰安婦問題の真実と正義~第二次大戦時の日本軍性奴隷」をテーマとするイベント会場で、「日本の歴史を歪曲する右翼グループがやってくる!緊急アクション」と題するチラシを配布し、抗議デモへの協力を要請した。そこには「脱植民地化を目指す日米フェミニストネットワーク」の名も書かれ、私は「日本社会を歴史教科書改革に巻き込み、日本の歴史教科書の『慰安婦』記述を改正する働きかけに成功した主流の保守的教育学者」として紹介されていた。 その抗議デモ呼びかけが功を奏し、ニューヨーク市警より「数百名の抗議デモが予定されている」との警告を受けた日系人会館のオーナーが器物破壊や物理的衝突を恐れ、他のテナントに配慮して、キャンセルの打診を主催者側にした結果、やむなく応じたという。デモの目撃者情報によれば、実際にデモ行進したのは前述した二人の事務局長を含む十数人で、デモと同時に警察が来て、二名、続けて四名の合計六名を拘束。 『朝鮮日報』によれば、「このような日本の極右勢力の行動は、日本に歴史問題の反省を促す在米日本人や日系人を通して韓国系団体に伝えられた」という。デモ隊の掲げていたスローガンは「日本のファシストを許すな」「人種差別をニューヨークに持ち込むな」「日本の軍国主義復活を中断せよ」「慰安婦女性たちは強制的に連行された性奴隷だった」「日本の歴史修正主義者らに反対する」などであった。 一方、インターネットで公開されている前述の伊藤和子氏の日記には、次のように書かれている。 「この日は、夜に歴史修正主義者グループが会合をNY日系人会で開催するという話があり、それに対するカウンターの行動がNY在住の皆さんによって呼びかけられていました。しかし、日【本/ママ】人会の建物でそのようなイベントを開催することに抗議する声が相次いだため、日系人会は急遽その場を貸さないことを決定。すごい。とても迅速で効果的な草の根の行動にほれぼれするほど、感動しました。(中略)しかし歴史修正主義者グループは場所をミッドタウンのイタリア料理店に変えて開催。急遽、その場に行って、抗議するアクションも行われました。私も様子が気になって出かけて行ったところ、お店側がNYPD(ニューヨーク市警)を呼び出す状況に。私はその場にいた弁護士(NY州弁護士ではないが)でしたし、こんなところで逮捕者でもでたら大変、と思い、憲法・NY州法も少しはかじっていましたので、『この抗議活動を禁止する法律はありませんよね』とNYPDに話しかけました。そこで警官は何やら上司と相談を始めたようですが、さすがは表現の自由を尊重するNY、時には手荒なことをするNYPDですけれど、この抗議行動には寛容で、最終的に、ルールを守った抗議行動なら何も問題ないという見解でOKとなりました。ところが翌日の産経新聞には、この行動で拘束された人もいたなどと報道されています。全くの誤報で驚きました。産経さん、他社の誤報ばっかり責めてる場合ではないのでは?」 目撃者によれば、一時拘束されたのは事実であるから、すぐに解放されたとしても、「誤報」とはいえないのではないか。『東亜日報』によれば、実際には「一〇人余り」しか参加しなかったのに、「数百人の抗議デモが予定されている」などという誇張したデマ情報を流して会場を変更させたことを、「すごい。とても迅速で効果的な草の根の行動にほれぼれするほど、感動しました」などと絶賛するのはいかがなものか。デモ行進で抗議する「表現の自由」のみが尊重されるべきなのか。異なる意見を表明する集会の自由や表現の自由は尊重する必要はないのか。あまりにも身勝手なダブルスタンダードに唖然とせざるをえない。 三月十七日の日本の外国特派員協会における記者会見で大沼保昭・明治大学特任教授が指摘したように、慰安婦問題をこじらせているのは、こういう運動家たちである。気になるのは、米国務省が前述した渡辺美奈事務局長らと会い、渡辺事務局長は「安倍政権の軍隊慰安婦など過去の歴史歪曲などを指摘し、米政府が東北アジア安定のため日本側の認識転換のために積極的に出てほしいと促した」(三月十四日付『畿湖日報』)と報じられていることである。 ところで同シンポジウムで、私は朝日新聞「慰安婦報道」に対する独立検証委員会報告書のポイントと米歴史教科書(マグロウヒル社)の慰安婦・南京記述の具体的問題点について説明した。私は同報告書の第三部「朝日新聞の慰安婦報道が対外的にもたらした影響」の第四章「北米での実害」について執筆した。朝日新聞社による第三者委員会委員は、慰安婦問題が国際的に女性の人権問題として捉えられていると強調したが、米国主要紙にはそのような見方は一切なく、慰安婦制度を「日本に特有のシステム」として扱う記事が大部分であった。 日本政府に対して、事実に踏み込んだ丁寧な反論を、組織的かつ継続的に行なうことを求め、そのために、政府内に専門部署を置くとともに、民間専門家の意見を集約するための有識者会議を設置することを強く求めたい。日本人への悪質な嫌がらせやいじめ日本人への悪質な嫌がらせやいじめ 三月九日のシンポジウム終了後、ニュージャージー州で悪質な嫌がらせを受けた日本人からヒアリングを行なった。同州の慰安婦碑・像の設置に反対した在米日本人に対して、大要次のようなメッセージが送られてきた直後、鳥の死骸が自家用車の横に置かれたので、本人は「殺人予告」と受け止めたという。 「対反日活動をするにあたって大事なことを申し上げねばなりません。それは必ず『邪魔が入る』ということです。A氏に殺人予告が殺到しています。日本人が結束して活動をしようとすると、ネットでの殺人予告だけでなく、ストーカー、車が荒らされる被害に遭った方がいます。怖くなって身を引いてしまい、会が始まる前に空中分解してしまった例もあります。あなたはお顔、ご職業が知れ渡っているだけにリスクも高いと思います。嫌がらせ、営業妨害などの危険性がないとはいえません。私は本当にあなたの安否が心配です。来客される朝鮮系、日本人にまで警戒しなくてはいけません。中には、味方のふりをして近寄ってくる人もいると思います。私こそがあなたの邪魔をする工作員のようですね。祖国のために頑張りましょう!」 翌日、ニューヨーク歴史問題研究会で「朝日慰安婦報道の国際的影響―国連報告書、米メディアと慰安婦碑・像に与えた影響」をテーマに講演後、カナダのトロントに移動。八人の日本人からヒアリングを行ない、八月十五日に正式に会を立ち上げ、発足記念講演会を開催することになった。カナダでも歴史問題で、日本人の子供が中国人や韓国人の子供からいじめや暴言を受けることが多々あるという。 カナダでは二〇〇五年に、オンタリオ州高校教育委員会が十年生の歴史教育で、「第二次大戦における日本の残虐性を教える」カリキュラムを導入したが、さらに昨年十月にカナダ最大のトロント教育委員会の委員長に中国系女性が就任し、アジアの第二次大戦史教育を推進する中国系市民団体「トロント・アルファ」の働きかけにより、公立高校のカリキュラムに慰安婦問題と南京大虐殺などを組み込むことになった。 トロント・アルファは、スタディーツアーという形で数年前からカナダの教師たちを南京大虐殺記念館やナヌムの家(韓国・広州市)に送り込んできたが、今年からは高校生をこのスタディーツアーに組み込もうとしている。今年の二月九日に、トロント・カソリック教育委員会(ディストリクト・ボード)がトロント・アルファの指導の下に、「日帝の残虐かつ悪辣な行為を学生たちが習えるようにしよう」という内容の了解覚書を締結した。 ちなみに、昨年の「海外子女文芸作品コンクール」特別賞に入賞した「作文の部」には、次のようなトロントの日本人補習学校の小学五年生の作文が選ばれている。「私が一番ショックだったのは、昔、多くの日本人の兵士が外国へ行き、その国々を自分たちのものにするために戦う中で、日本人がその国で暮らしていたたくさんの人たちを傷つけ、殺したということでした。私は、今までずっと日本人は礼儀正しく、親切だと思っていました。だから、日本の歴史を知り、悲しい気持ちでいっぱいになりました……」 また、昨年十二月二十五日と今年の三月八日、ニュージャージー州バーゲン郡ニューミルフォードの公立高校生から「南京大虐殺」の授業について話を聞いた。「南京大虐殺」をテーマとするプロジェクトで、クラスメイトがルワンダ、チベット、ナチス・ドイツの収容所の大虐殺と「南京大虐殺」を同じ扱いで発表したが、その日本人高校生は当時南京にいた祖父の話を聞いていたので、日本人がそんなことをするはずがないと抗議した。小学五年生のとき、韓国人の男の子から突然「日本人は悪いから」と言われ、何故アメリカでこんなことを言われるのか理由がまったくわからなかったが、母は戦争についての解釈が違うので、アメリカではそういう教育を行なっているからだと説明したという。 また同郡の、半数以上が韓国人の高校に通う生徒によれば、「竹島は韓国の領土だと思うか?」と何度も同級生から質問され、「そうとう参った」という。また、アメリカの地図には日本海を“EastSea”と標記しているものが多く、とくに韓国人が多い学校ではそういう標記の地図が使われているという。授業でも“EastSea”か“SeaofJapan”かという議論が起き、先生が即答できず、その生徒が翌日に調べて“SeaofJapan”が正しいと主張したが、韓国人生徒も一向に引き下がらなかったため、激しく対立したという。 この生徒の母親は、「韓国でもなく日本でもないアメリカで、このような方法を使って正しくない情報を植え付ける行為を進めることに対し、日本政府として正しい内容を声を上げて周知することが必要だと思います。その正しくない情報をめぐって、日本人の親だけでなく子供たちにまでそれらの被害が及んでいる現状をしっかりと理解してほしい」と訴えた。反日映画『アンブロークン』の影響力反日映画『アンブロークン』の影響力 昨年十二月二十五日に全米各地で封切りされたアンジェリーナ・ジョリー監督の映画『アンブロークン』は、第二次世界大戦時に旧日本軍の捕虜となった元オリンピック陸上競技選手で米軍人のルイス・ザンペリーニ氏の体験を、有名な女性作家のローラ・ヒレンブランド氏が描いた「ノンフィクション」小説が原作となっている。 原作は、捕虜収容所で日本軍による残虐な虐待行為に屈しなかった姿が話題となり、多くの書評で「ダイナミックな物語展開と最高の研究考証」などと賞賛され、米アマゾンのレビュー欄には一万二〇〇〇件以上のコメント(五つ星評価が八五%)が寄せられ、三〇〇万部を超えるベストセラーとなった。 ニューヨークの映画館で見たが、館内はほぼ満席で、北朝鮮からの「サイバー攻撃」による上映中止決定を撤回して同日に上映された映画『インタビュー』をはるかにしのぐ断トツの興行収入(一日で約一八億七七〇〇万円で歴代のクリスマス公開映画で『シャーロック・ホームズ』『レ・ミゼラブル』に続く興行成績順位三位)を得る盛況ぶりで、翌日付の米紙『USA TODAY』は、「事実に忠実なバランス感覚のある映画」と評価した。以前ニューヨークで見た『ラスト・エンペラー』の観客は映画館全体で数人にすぎなかったのと比べると雲泥の差である。 米アマゾンのレビューには、「なんで、われわれはまだ日本製品を買い続けているのだ」「日本人に虐待された捕虜に比べれば、何にだって耐えられると思った」「第二次大戦中の日本の捕虜に対する扱いがよくわかった」「戦時捕虜と日本人に関する話は恐ろしいというほかない。これらは、人間が人間に対してなしうる想像を絶する所業だ」などと書かれているが、映画(一三七分)の約半分に当たる一時間近くが、強制労働や陰湿な拷問・虐待場面で、一・八mの重い角材を炎天下で三十七分間頭上に持ち上げ続けさせたり、捕虜になった仲間の米兵を一列に並ばせて主人公をなぐり続けさせ、基地から一三〇〇㎞も離れた太平洋のど真ん中で高度七〇mの高さから漂流ボートを執拗に爆撃する原作どおりの残虐な場面が目立つ。 ちなみに、原作には「数千人の捕虜が、殴られたり焼かれたりし、突き刺され、斬首され、人体実験で殺害され、また人肉食の習慣によって生きたまま食われた」「日本軍は占領したすべての地域で、少なくとも一万人の戦争捕虜と幼児を含む民間人を生物化学兵器実験の被験者として使った。数千人が死亡した」と書かれ、「強く殴れ」と仲間に要求した連続暴行は日没まで二時間続き、その数は「二二〇発」に及んだという。 さすがに、このようなにわかに信じ難い虐待については、アメリカ人読者のレビューにも「裁判などにおいて証言者の証言に一つでも嘘いつわりがあれば、その者の証言すべてが怪しいと見なされるのであるから、ここまで信じ難い体験をしたと主張するザンペリーニ氏のすべてが疑わしいと見るべきだ」という意見も寄せられており、十二月二十一日付『ニューヨーク・ポスト』紙も、「夏の太平洋の海上で水と食べ物なしに一週間も生き残れるか」、映画のポスター(血塗りの日本地図や有刺鉄線の五輪マークなどのデザイン)にも使われているシーンの「虐待された状態で六フィートもの木の棒を三十七分間も頭上に持ち上げ続けることは可能か」などの疑問とともに、米軍に対拷問訓練などを行なっている専門家の「気温や木の実際の重さによる」といったコメントを紹介している。 この原作をいち早く紹介したフリーライターの徳留絹枝氏は、月刊誌『潮』平成二十四年九月号の「(海外レポート)米国人捕虜の物語が日本人に問いかけるもの」と題する記事において、「一四万人の連合軍の米兵を捕虜とし、その三分の一を死亡させた歴史を持つ日本人は、自らの尊厳をどのように回復すべきなのか……彼女の著書はそのことも問いかけている」と指摘している。 また、徳留氏によるインタビューのなかで、著者のヒレンブランド氏は、「この本は何百万人ものアメリカ人に読まれ、私は何千通もの手紙やメールを読者から受け取りました」「私を『徹底したリサーチャー』と呼び過ぎることは無いと思います。この本に七年を費やしました。内容の正確さと公平さを期すため、あらゆる資料を探し出し、全ての事実を他の資料と照合する執念ともいえるリサーチに取り組んだからです。本の終わりに、すべての事実に関するすべての資料をリスト化していますので、疑問を持つ人は誰でも検証をすることができます」と述べている。このリストを読み、映画を見れば、誰でもすべてが歴史的事実と誤解し、その影響は計り知れない。「慰安婦は性奴隷」と発信した日本人教授「慰安婦は性奴隷」と発信した日本人教授 この資料リストに基づいて、筆者はアメリカの国立公文書館などに保存されている原資料の精査に着手したが、原作の基本的な問題点については、丸谷元人『日本軍は本当に「残虐」だったのか―反日プロパガンダとしての日本軍の蛮行』(ハート出版)の第一章「全米ベストセラー『アンブロークン』の何が問題なのか」をぜひ一読してほしい。同書において、丸谷氏は「この著者は『アンブロークン』を書くにあたって、すべて電話によるインタビューでしか聞き取りをしておらず、出版して一年後までザンペリーニ氏とは面識さえなかった」という『潮』平成二十四年九月号の記述を紹介しつつ、元日本軍関係者らの証言に基づいて、誇張歪曲された部分に説得力のある反論をしている。原作では主人公は最後に日本人を【赦/ゆる】すが、なぜか映画ではその部分がカットされ、原作で五分の一にすぎない日本軍の蛮行が強調されている。 『アンブロークン』の原作は、広島市立大学の田中利幸教授の英文の文献を一〇カ所も引用し、根拠としている。この田中教授は『HiddenHorrors(知られざる恐怖)』という英文の著書で「人肉食は、(日本の)軍隊の中で組織的に行われていた」ということを世界に発信した。日本では『知られざる戦争犯罪――日本軍はオーストラリア人に何をしたか』という題名で翻訳出版され、南京事件については「南京大虐殺(南京強姦)」と書き、当時南京にいた米人宣教師の次のような日記を引用している。 「私はこんな酷い蛮行をこれまで見たことも聞いたこともない。強姦、強姦、強姦の連続だ。一晩に少なく見積もっても一千件はあるだろうし、日中も数多く行われている。抵抗したりすれば……銃剣で刺されるか銃で撃たれるかだ。そんなケースが毎日数百とある」 「慰安婦は性奴隷」と世界に発信した同教授の『日本の慰安婦――第二次大戦と米占領下の売春婦と性奴隷』という英文の著書は、二〇〇七年の米下院の対日非難決議の根拠となり、「日本軍による強制性の証拠」として採用された点に注目する必要がある。同教授は戦時中の連合国軍による性犯罪にも言及しているが、連合国軍の戦場での強姦は「普遍的」な「男性支配文化」すなわち、「ジェンダー問題」であると捉え、「英米両軍」に関しては、「戦時中に敵国女性を大量強姦したというような報告は今のところ見当たらない」と書き、米軍は「戦時中、最も性犯罪の少なかった」と記述している。プロパガンダの常とう手段 このような日本軍と連合国軍に対する二重基準(ダブルスタンダード)の原点はいったい何か。それは、GHQの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(ウィキペディアには、同文書の英文の原資料の存在は確認されていない、と書かれているが、GHQ文書には“warguiltinformationprogram” と明記された文書が数十ページ含まれており、コピーを入手している)」にあると思われる。丸谷元人氏は、吉田清治のウソ証言を全面的に掲載している田中教授の英文著書を、「日本を『越後屋と組んだ悪代官』に仕立てた講談本に過ぎない」と酷評しているが、そのとおりであろう。 田中教授は天皇制と外国人差別ならびに日本人男性の女性蔑視・性的搾取を不当に結び付けて、次のような巧みな「イメージ操作」を行なっている。「この『従軍慰安婦』問題の根底には二つの重大な問題が横たわっていると考えられる。それは日本人全般の意識の奥深くに根強く存在している。天皇制と密接に関連した『外国人差別』の要素、ならびに日本人男性の『女性蔑視とそれに起因する性的搾取』の要素がそれである。慰安婦問題がこれまで日本人の関心を集めなかった理由は、この問題が内包している二重の差別意識要素をわれわれ日本人が直視することを戦後これまでずっと避けてきたからではなかろうか」 いったいなぜ彼が海外で日本軍の「従軍慰安婦」に対する「性的搾取」を強調する「性奴隷」というウソを意図的に拡散しているのか、その思想的意図、狙いがこの文章に凝縮されている。 アメリカの神格化された著名な政治学者で、丸山眞男に大きな影響を与えたハロルド・ラスウェルは、『宣伝技術と欧州大戦』(高山書院)において、このような荒唐無稽な残虐物語が「戦争における大勝利の一つ」となり、「敵に凌辱される若い女性というのは、国境の反対側にいる大勢に当の凌辱者になったかのような秘められた満足感を与える。それ【故/ゆえ】、多分、こうしたストーリーに人気がありそこらじゅうで見られるのだろう」と分析しているが、虐殺や強姦(性的搾取)を強調することは、戦争プロパガンダの常とう手段であった。今日の慰安婦論争をそういう歴史的視点から見直す必要がある。たかはし しろう 1950年、兵庫県生まれ。早稲田大学大学院修了後、スタンフォード大学フーバー研究所客員研究員に、政府の臨教審専門委員、埼玉県教育委員長などを歴任。現在、男女共同参画会議議員。著書に『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』(致知出版社)ほか多数。   関連記事■ <特別対談>慰安婦問題はフィクションだ■ 日米vs中韓~歴史修正主義批判を問う■ 米軍慰安婦像が米大使館前に建つ日■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき■ 日本の立場を危うくする「アジアの時代」の足音

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    韓国大変! 訪米で岐路に立たされた二股外交の運命

    鮮半島にとっては例年になく熱い夏だった。8月4日に発生した軍事境界線での「地雷事件」が引き金となり、韓国と北朝鮮が一触即発の状態となったからだ。 「地雷事件」で負傷者を出した韓国軍が報復措置として11年ぶりに拡声器による対北宣伝放送を再開したことに反発した北朝鮮軍が、砲弾を数発撃ち込んだあと 「(22日午後5時までに)放送を中止しなければ軍事行動を全面的に開始する」と警告、これに対して韓国軍が「挑発すれば、徹底的に報復する」と応酬したことで交戦必至とみられていた。ところが一転、北朝鮮は韓国に対話を呼び掛け、3日間のマラソン交渉の末、地雷事件で遺憾の意を表明し、矛を収めてしまった。誰が見ても、北朝鮮が腰砕けになった感は否めない。 腰砕けの理由については、(1)最初から戦争をする気がなかった、(2)「挑発すれば、断固報復する」との韓国軍の威嚇に屈した、(3)準戦時態勢を発令した直後の8月22日から23日にかけて、北朝鮮が経済特区として開発に力を入れている咸鏡北道羅先市が豪雨と洪水に見舞われ、軍隊を復旧に回さざるをえなかった、等々が考えられるが、中国の抗日戦争勝利70周年式典出席のため訪中した朴槿惠大統領が習近平主席との会談で「中国が建設的な役割をしてくれたことに感謝する」と述べたことから中国の圧力説も取り沙汰されている。 北朝鮮の砲撃(8月20日)が朴大統領の式典参加表明直後にあったことから、朴大統領の訪中阻止のための仕業と中国が受け止めたとしても不思議ではない。中国共産党機関紙『人民日報』の姉妹紙『環球時報』(8月24日付)が「中国の抗日戦争勝利70周年の閲兵式に実質的に干渉するものであるならば無関心ではいられない。中国は強力に対応すべき」と言及したのは、そうした疑念が拭い去れないからだろう。 中国がどのような「建設的な役割」をしたかについては伏せられたままだ。中国国防部の楊宇・軍報道官は「事実ではない」と否定しているものの香港紙『東方日報』(8月23日付)は「中国人民解放軍が北朝鮮との国境地帯に戦車を集結させ、北朝鮮を牽制した」と報じ、また一時は中国が北朝鮮への石油や軍事物資の販売を全面禁止したとの情報も流れた。 唯一、公になったのは、中国の邱国洪・駐韓大使が21日に「対話で解決すべきだ」と自制を求めたことだ。これに対して北朝鮮外務省は、その日のうちに「われわれは数十年間自制するだけ自制してきた。いまになってどこの誰かのいかなる自制云々ももはや情勢管理に寄与しない」と不快感を露わにした。北朝鮮が説得に耳を貸さなかったことから、中国が何らかの圧力を加えた可能性も考えられる。 実際に金正恩第1書記は、事態収拾後に招集した党中央軍事委員会拡大会議の場で「われわれには誰の支援も同情もなかった」と吐露していた。この発言からも中国が北朝鮮に与しなかったことは明らかだ。その不満として9月9日の建国記念日に寄せられたロシアのプーチン大統領の祝電を『労働新聞』の一面に載せながら、習主席の祝電は二面扱いにしてしまった。パトロンを取るか、用心棒を取るか パトロンを取るか、用心棒を取るか 朴大統領は、今回の訪中で中朝に楔を打ち込み、習政権の取り込みに成功したと自画自賛している。たしかに中国は西側首脳として唯一出席した朴大統領を熱烈歓迎し、厚遇した。皇帝色でもある黄色のジャケットを着て天安門に現れ、習主席、プーチン大統領と並び立ったことで朴大統領はさぞかし「女帝」のような気分になったかもしれない。帰国後、北朝鮮とのチキンレースでの毅然とした対応や訪中が評価され、支持率も急上昇し、1年5カ月ぶりに「セウォル号沈没事故」前の50%台を回復したことで、いまは幸福の絶頂にあるといっても過言ではない。しかし、前途は多難だ。いつ国民から再びバッシングを受け、支持率が急落するかもしれない状況に置かれていることには変わりがない。 難題の一つは、10月16日に予定されている訪米で、北京の式典出席をめぐって生じたオバマ政権との不協和音を解消し、米韓関係を強化できるかどうかだ。 朴大統領は一応、米国への配慮から訪中発表より先に10月の訪米を発表した。また、習主席との首脳会談で北朝鮮の核放棄を定めた6カ国協議共同声明と国連安保理決議の忠実な履行の確約を取り付け、10月10日の労働党創建70周年記念日に合わせて予想される北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射についても「反対する」ことで意見の一致も見た。さらに、米国が強く求めていた日韓首脳会談にもメドを付けた。 北朝鮮問題を外交的に解決するうえで中国との連携は不可欠だが、中国とは異なり、韓国と相互安全保障条約を結び、米軍を駐屯させている米国としては、米韓および日米韓3カ国の安保協力の強化こそが先決だ。米国が韓国に高高度防衛ミサイル(THAAD)の配備を迫る理由もそこにある。 北朝鮮は再三にわたって「ホワイトハウスもペンタゴンもわれわれの攻撃の照準にある」「米国を墓場にする」と恫喝している。金第1書記も今年7月27日の停戦記念日での演説で「もはや米国はわれわれにとっては脅威でも恐怖の対象でもない。むしろ、われわれのほうが米国への大きな脅威、恐怖になっているのが今日の現実である」と豪語している。事実なら、北朝鮮の核ミサイルは米国にとって深刻な脅威であり、米本土防衛のためTHAADの韓国配備を急がなければならない。 しかしTHAAD韓国配備については、ウクライナやシリアの問題で米国と対峙するロシアに続いて中国も反対し、朴政権に配備しないよう釘を刺している。仮に中国の意向を無視して配備すれば、経済制裁という「報復」を食らうかもしれない。朴政権は、その時になって中国が「韓国カード」を使って北朝鮮を牽制し、その一方で「北朝鮮カード」を使ってTHAADの韓国配備を牽制する、そのしたたかさを痛感することになるだろう。 米国内では、韓国が過度に中国に傾斜しているとの批判が台頭し、韓国に冷淡になりつつある。オバマ政権は、米国主導のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に加わらないばかりか、米国が敬遠している中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)にいち早く参加し、副総裁のポストまで要求している韓国の背信を苦々しく思っている。そこへ、いまや米国の安保に喫緊のTHAAD配備に同盟国である韓国が同意しないとなると、韓国への不信が一段と高まることになるだろう。 経済を中国に、安保を米国に依存する韓国からすれば、中国はパトロンで、米国が用心棒のような存在だ。パトロンを取るのか、用心棒を取るのか、朴政権は訪米で重大な岐路に立たされるかもしれない。3カ国首脳会談の目的は歴史認識問題に対する追及3カ国首脳会談の目的は歴史認識問題に対する追及 冷却化した日韓関係の修復も朴大統領に課せられた難題の一つである。 朴大統領は、式典と軍事パレードへの出席の見返りとして習主席から早ければ10月末、遅くとも11月中に日中韓首脳会談を開催することで同意を取り付けた。 朴大統領が三カ国首脳会談に積極的なのは、仲違いしている世界第2位の経済大国・中国と3位の日本のあいだを取り持つことでホスト国・韓国の国際的地位を高めることにある。また、北朝鮮の核問題で3カ国が足並みを揃え、北朝鮮に圧力を掛けることも狙いの一つだ。そして何よりも歴史認識の問題で中国と協調し、安倍総理に対して戦後70年談話で触れた歴代内閣の歴史認識を確実に継承し、行動で示すよう促すことにも狙いが隠されている。 歴史認識の問題は、今回の中韓首脳会談ではほとんど言及されなかった。しかし、朴大統領は8月15日の日本の植民地支配からの解放を祝う「光復節」70周年の演説で、安倍晋三総理の戦後70年談話に触れ「残念な部分が少なくない」と批判した。3カ国首脳会談を前に、握手を交わす(左から)安倍晋三首相、韓国の朴槿恵大統領、中国の李克強首相=11月1日、韓国・ソウルの青瓦台(共同) 中国も華春瑩・副報道局長が談話を発表し、「日本は、あの軍国主義侵略戦争の性質と責任に対してはっきりかつ明確な説明を行ない、被害国国民に真摯なお詫びを行ない、重大な原則的問題でごまかしを行なってはいけない」と反発した。それでも中韓とも日本との首脳会談開催に前向きになったのは、談話に一応「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「お詫び」の4つの「キーワード」が書き入れられたことにもよるが、首脳会談の席で安倍政権に「痛切な反省」と「お詫び」を行動で示すよう圧力を掛けることにある。そのことは、尹炳世外相が岸田文雄外相から談話について電話で説明を受けた際「日本政府の誠意ある行動が何よりも重要だ」と応じたことからも明らかだ。 朴大統領は中国滞在中、『人民日報』(9月4日付)との書面インタビューで「歴史は悠久に流れ永遠に残るものであり、それを認めまいとするのは掌で天を隠そうとする行為にほかならず、自身の能力に対する過大評価」と遠回しの表現ながら安倍総理を批判していた。さらに「現在、北東アジアで起きている各種の軋轢と対立を平和と協力の秩序に戻すためには、領域内国家間の正しい歴史認識に基づき新たな未来に進もうとする共同の努力が必要だ」と述べたことから、日中韓3カ国首脳会談で歴史認識問題を持ち出す可能性はきわめて高い。しかし、その一方で、日韓関係が長期間にわたって冷却したことで日本からの観光客の減少や日本企業の韓国への投資の鈍化、日本国内における韓流ブームの衰退、ヘイトスピーチの台頭などの弊害が生じたことで日韓関係を早急に立て直す必要性にも迫られている。 朴大統領は日中韓首脳会談の流れのなかで、安倍総理との初の日韓首脳会談に応じることになるが、その前に急を要して解決しなければならない問題がある。日韓関係の最大のネックとなっている従軍慰安婦の問題である。 日韓は昨年4月から今年9月まで慰安婦問題などを話し合う局長級協議を9回行なってきたが、依然として隔たりが大きい。韓国国内では、6月11日に東京で行なわれた8度目の協議の翌日、朴大統領が『ワシントン・ポスト』とのインタビューで「韓日のあいだでそうとうな進展があった。交渉は最終段階にある」と発言したことで期待感が高まった。 韓国側の情報によれば、これまでの交渉で韓国は日本政府が法的責任を認め、安倍総理が謝罪し、謝罪の手紙を駐韓日本大使が慰安婦らに直接手渡し、慰労金を政府の予算から拠出させるよう求めているのに対して、日本は従軍慰安婦問題が最終的に解決、決着したことを韓国政府として担保する、解決した証しとして、日本大使館の前に設置されている慰安婦少女像や慰安婦の碑を撤去することなどを求めているとされている。 日本は慰労金を政府が拠出することは国家の関与、法的責任を認めることとして依然として難色を示しており、韓国もまた日本が提示した条件を「これでは、プラスアルファでなく、マイナスアルファだ」として反発していると伝えられている。 韓国メディアは、安倍総理の70年談話についてこぞって批判的だ。それは、記事の見出しを見れば一目瞭然だ。聯合通信は「安倍談話、村山・小泉談話より後退」、『ソウル新聞』は「既存の談話を引用、形式的に言及」、『韓国日報』は「真実味がない」、『朝鮮日報』は「反省、謝罪しない談話」、『韓国経済新聞』は「過去形の談話」といずれも手厳しい。慰安婦問題で安倍政権から善処を取り付けられなければ、朴政権はマスコミや野党から叩かれることになりかねない。 日本とは経済優先か、それとも過去の問題か、朴大統領はこれまた板挟みになっている。どうやら朴大統領を生かすも、殺すも、安倍総理の手中にあるのは間違いないようだ。北朝鮮がミサイル発射を予告 北朝鮮がミサイル発射を予告 北朝鮮のミサイル発射も朴政権にとっては頭痛の種だ。 北朝鮮が、10月10日の労働党創建70周年記念日に向けて長距離弾道ミサイル「テポドン」を発射しそうだ。北朝鮮の国家宇宙開発局長が9月15日、「世界は今後、労働党中央が決める時期と場所から、先軍朝鮮の衛星が大地を高く飛び立つのをはっきりと見るようになるだろう」と発射を予告したからだ。 失敗したものの2012年4月13日のミサイルも金日成主席生誕100周年(4月15日)に合わせて発射されているので、本誌が発売のころには発射されているかもしれない。 国際社会は、衛星であっても、弾道ミサイルの技術を使用していることから安保理の決議に反するとして容認しない立場だが、しかし、北朝鮮はこれまで1度も国連安保理決議を受け入れたためしがない。 土壇場でオバマ政権が打開案を出すか、あるいは中国の習主席が中国の主席として10年ぶりに訪朝し、党創建式典に花を添え、金正恩政権への支持を表明すれば、話は別だが、現状ではどれも絵に描いた餅である。まして韓国とのチキンレースで腰砕けとなり最高司令官としての面子を失い、権威を失墜した金第1書記としては失地回復の手段として、また抗日70周年式典で朴大統領がど真ん中なのに側近の崔竜海書記が隅の席に追いやられ晒し者にされるなど、冷遇された中国への当てつけとしてもミサイルのボタンを押すだろう。 北朝鮮がミサイルを発射すれば、国連安保理が招集され、制裁の強化が検討されることになる。そうなれば、朴大統領の成果であった10月20日から予定されている南北離散家族の再会事業も吹っ飛んでしまうだろう。仮に、北朝鮮が過去の事例に従い、国連の制裁決議に反発して四度目の核実験を示唆するようなことになれば、11月ごろまでに予定されている日中韓および日韓首脳会談は歴史認識どころの話ではなくなってくる。 北朝鮮がミサイル発射を示唆する前の9月10日、韓国の韓民求・国防相は、10月16日の米韓首脳会談では「現在のところTHAADの配備は議論されないものと理解している」と述べていたが、その前に北朝鮮が米本土を射程にする長距離ミサイルを発射すれば、米国からのプレッシャーが強まるのは避けられない。 ハリー・ハリス米太平洋司令官は米上院軍事委員会の公聴会に出席(9月17日)し、「THAADを韓国に配備することが重要だと考えている」と主張していた。仮に米韓首脳会談でオバマ大統領が持ち出さなかったとしても、11月上旬に予定されている米韓国防長官会談では議題となるのは確実だろう。 オバマ大統領の顔を立てれば、習主席が機嫌を損なうことになり、朴大統領の二股外交は大きな試練に立たされるだろう。ぴょん じんいる 1947年東京生まれ。明治学院大学文学部英文科卒業後、新聞記者を経て、フリージャーナリストへ。82年、朝鮮半島問題専門誌『コリア・レポート』創刊。朝鮮問題の第一人者として、テレビやラジオなどで評論活動を展開。主な著書に『大統領を殺す国 韓国』(角川oneテーマ21)などがある。  関連記事■ケント・ギルバート 韓国人こそ歴史を学べ!■ 日米vs中韓~歴史修正主義批判を問う■ 日韓基本条約50年目の真実~韓国に助け舟は出してはならない!■ 呉善花<緊急寄稿>さよなら、幻想の国・韓国■ [歴史に背く韓国]第二の安重根が生まれる日

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    アジアの「慰安婦」を徹底追跡! マイケル・ヨン現地ルポ

    とを知っている。真っ当な研究者とジャーナリストのあいだでは本件は完了している。ペナン戦争博物館の展示韓国人殺しの証言は皆無 この真実探求の途上において、さまざまな突発事故があった。一例として、高名な米国人作家のローラ・ヒレンブランドが著書『アンブロークン』において読者を騙した、ということだ。 ヒレンブランド女史は、日本人がテニアン島において「皆殺し」の命令を出して5000人の韓国人を虐殺した、と記述している。彼女は2つの出典を示していた。われわれはそれらを調査し、出典のうちの一つは韓国人によって噂に基づいて建てられた記念碑によるものにすぎない、と判明している。 ヒレンブランドの引用元の一つは次のものだ。“Murder on Tinian:Eric Lash,Historic Island of Tinian,Environmental Services,October 2008,vol.1,2nd edition.”1945年のテニアン島:巨大な米軍基地があるが、韓国人虐殺の手がかりはまったく見られない。(テニアンの大虐殺:エリック・ラッシュ、テニアン島の歴史、Environmental Services、2008年10月、第1巻、第2版) ヒレンブランドの引用元になっている「出典」文書は欺瞞そのものである。ほんの数分調べればわかることだ。難しい犯罪学は必要ない。たとえば、ほんの短い分量の文書のなかでエリック・ラッシュ氏の名前の綴りがEric,Erik,Erickと3種類登場している。 Environmental Servicesに問い合わせたところ、考古学担当シニアマネージャーのテリ・ラス(Terri Russ)氏から返答が届いた。ラス女史によると、「ESIはこのテーマに関するプロジェクトはいっさい手がけておりません」とのことだった(エリック・ラッシュ氏は当時ESI勤務ですらなかった)。 われわれは当時のニュース報道を残す米軍の記録にも当たった。米軍の侵攻後、『ニューヨーク・タイムズ』はテニアン島にまだ2400人の韓国人が残っている、と報じていた。 テニアン島は米軍の日本攻撃における死活的重要拠点だった。この小島は米軍でいっぱいとなり、滑走路が6本つくられ、テニアン島は戦時中最大の航空作戦拠点となった。1945年の時点で、テニアンは世界最大の空港だったのだ。 虐殺など、どこからも、誰からも聞いたことがない。われわれの海兵隊、陸軍、海軍が韓国人5000人の虐殺被害の証拠を見逃したとでもいうのか? 合衆国軍の綿密な記録文書化の傾向からして、それは考えにくい。ペナン戦争記念館に残る「原子爆弾」 ヒレンブランドは「皆殺しの命令により、日本軍はテニアンにて5000人の韓国人捕虜を虐殺した……」と記述した。 捕虜? 当時の韓国人は日本国民だった。万単位の韓国人が日本軍に従軍していたのである。少なからず士官もいたのだ。 ヒレンブランドはこの主張を2度も繰り返している。「……日本人は皆殺しの方針を導入していた。そして5000人の韓国人全員を虐殺した」。 われわれは、日本人・韓国人の民間人への降伏勧告を担当した米国の言語専門家による1次情報に当たった。そこにも日本人が韓国人を殺したという証言はいっさいなかった。皆無である。 われわれ米国は、テニアンを対日空爆の出発地として活用した。何十もの日本の都市を焼き払ったのである。なぜにわれわれが敵側による5000人の無辜の民の殺戮を隠す必要があるのか?1945年6月ごろのテニアン島 ここで重要なのは、米国はテニアンから2発の原子爆弾を送り出す準備をしていたということだ。われわれがまさに広島と長崎を破壊するために使っていたその島で、日本軍が5000人を虐殺する戦争犯罪を犯していたとすれば恰好の宣伝材料ではないか。 テニアンはわずか101平方㎞の島である。ヒレンブランドの出身地、ワシントンD.C.は177平方㎞である。つまり彼女は現代にあたる1944~45年に、ある軍隊が何の証拠も残さずに5000人を虐殺し、かつ誰にも気付かれなかったとでもいうのだろうか? これほど大規模な殺戮を、現地取材もせず、米軍の公記録にも当たらずに告発するというのは、プロとしてあるまじき不正行為である。彼女はこの書籍のために7年にわたる調査を続けていたと言い張っていたが、じつは彼女は同書のテーマである人物ルイス・ザンペリーニ氏と1度も対面したことがない、ということが書籍刊行後に暴露された。タイ・ラノン近くの日本軍によるトンネルシステム。ラノンにおいて、第二次世界大戦中に日本軍と協力した高齢者たちは軒並み日本への好感を口にした。 約10年前のことだが、私は当時取材していた戦時下のイラク人の子供たちを支援するために名前を貸してくれた、ということでヒレンブランドをインタビューしたことがある。子供たちを救おうとする努力において私はローラに敬意を抱き、このような辛辣な言葉を並べながらも、彼女の名作については忘れていないが、歴史家として――そしてノンフィクション作家として――ヒレンブランドはエコノミークラスの安物である。 2015年9月に、私はヒレンブランドの出版社に連絡し、テニアンの韓国人5000人虐殺に関する説明を求めた。出版社はコメントを拒否し、同書の刊行はかなりの昔であるため、ヒレンブランドももはやインタビューに応じることはできない、と返答してきた。 私は編集者にもインタビュー申請を出した。同じ返答だった。その版元では、いまだにインタビューの申し込みを受け付けているのだが。 テニアンで日本軍が虐殺に手を染めたと主張するということは、ヒレンブランドが文学に対する罪を犯している、ということだ。彼女は真実を虐殺した。文字どおりの詐欺行為である。 私がヒレンブランドの著書を購入したとき、同書は3年間にわたり『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラーリストに入っており、アンジェリーナ・ジョリー監督による映画化が決定していた。私は返金を求めたい。 プロパガンダは、もはや日本人さえも信じ込むほど行き届いている。現代の「慰安婦」たち現代の「慰安婦」たち ジャカルタからカンチャナブリ、そしてバンコク、ラノン、ペナンに至る今回の調査旅行は大いなる発見の連続だった。 バンコクで、われわれはバンコクの下町にある豪勢なトロカデロ・ホテルにおける慰安所を描いた文学を発見した。 私は国立公文書館からトロカデロ・ホテルまでタクシーで移動したが、そこは荒れ果て、さび付き、ボロボロになっており、それでも建造物が残っていたが、クモの巣だらけで正面の視野がさえぎられていた。 道路沿いの1階は小さな商店に様変わりし、大部分が宝石類を販売している。西から東まで正面の長さは約100mで、東の端近くにNASAシルバーカンパニーがある。 NASAのすぐ隣には「ジャスミン・マッサージ」店があり、午前9時~深夜12時まで営業している。 2重ドアを通り過ぎ、2階につながる階段を上ると、個室とシャワーが揃い、タイ語と英語で「ここでのセックスお断り!! 」と書かれているではないか! 現実を見ると、70年前にトロカデロにあった慰安所はいまも名残があり、そこには法の縛りが行き届かない快楽の提供人がいるというわけだ。上記の警句があるにもかかわらず、今日ここは売春宿になっている。 中国人と韓国人の売春婦がわざわざタイまで輸送されなければならなかったという説の笑止千万ぶりは、もうここで繰り返すまでもない。われわれが調査を行なったおのおのの場所で似たような結果が出た。たとえば、フィリピンのアンヘレス市だ。1カ所であれほど多くの売春婦が集まっている場所は、世界の他のどこでも見たことがない。ペナンの取材協力者が日本兵の古い写真を掲げる。 本件の調査で訪れた8カ国目がマレーシアだ。 1941年、真珠湾攻撃の数時間前に、日本軍はマレーシアのコタバルへ侵攻した。敵は英国、英領インド、オーストラリア、そして地元の抵抗勢力だった。コタバルこそ太平洋戦争で初の大規模戦闘だった。 大英帝国の権勢は絶頂に達していた。世界史上最強の帝国である。日本には大英帝国、オランダ、米国、その他に対してすべて同時に戦端を開く大胆さがあった。 すぐさま日本軍はペナンの街路を闊歩した。 そしてシンガポールが続く。あれから長い年月が過ぎた歴史となり、日本により英国がシンガポールを失った意味がさらに明瞭に見える。 米国流の解釈をすれば、シンガポールを失うのは米国のほぼ全軍が戦死または拘束されたうえでハワイを失うようなものだ。この心理的損失は甚大だった。 この衝撃的な日本の勝利は短命ではあったが、その後のアジア全体の独立に大きな道を開いた。 この70年後に、われわれのチームは日本が20万から40万人の「性奴隷」を拉致し、ペナンのような場所に送り込んだという告発の真偽を確かめるためにペナン入りした。韓国人と中国人による反日物語 韓国人と中国人による反日物語によると、貞節な地元の女の子たちが悪辣な日本軍の侵入によって連行され、海外の「強姦所」で無理やり働かされたという。 これは韓国人と中国人にとっては決して突飛な空想ではない。2015年に、韓国人と中国人は性労働者の人身売買関与を継続しているのである。まさに今年、大規模な売春婦密輸入網がカナダで捕縛された。予想どおりというべきか、逮捕された容疑者は韓国人と中国人であった。売春婦人身売買は韓国と中国の伝統事業である。『戦時のペナン』において、著者のアンドリュー・バーバーは中国人が管理する慰安婦の実情を次のように描いている。 19世紀に、英国人は中国人が牛耳るビジネスを黙認していたが、19世紀の終わりに近づき、英国人はいままで手を出さなかった分野への関与を強めた――まず女性が16歳以上であること、そして自らの自由意思で働いていることを確認するためだ。当局は「ポ・ロン・クク」なる家をシンガポールとペナンに建て、強制的に働かされている娘たちの避難所とした。 2015年のペナンで、われわれは現状が日本軍の侵攻があったはるか前、バーバー氏が描いた1914年から大して変わっていないことをたしかに目撃した。 1914年に、政府高官がペナンの売春宿を訪れ、女性たちが強要されたうえで働いていないか確認した。各宿も小規模で偏狭であり、賭博とアヘン吸引に利用されていた。政府調査で明らかにしたところによるとペナンには159軒の売春宿があり690人の中国人、129人の日本人、36人のタミル人、56人のマレー人女性を雇用していた。――総計911人の「登録された」売春婦がいて、各宿に平均4人の女性が所属し、ジョージタウンの独身女性の5%を占めていた。30人の日本人女性が高い技量で「高級」との定評を得ていた。ペナンにおける欧州人売春婦の不在は説明が難しいが、シンガポールにいる34人の欧州女性は巨大な市場においてはごく小さな存在でしかない。 日本人が第2次大戦中に米国人によって受け入れられていた慣習を踏襲したとき、日本人は野蛮と蔑まれた。 2015年に、われわれが地元民と地下世界を見たところ、今日のマレーシアで売春が完全に非合法化されていることを除き、1914年から大した変化はないことがすぐに見て取れた。 売春はいまもペナンで活発なままだ。大部分が公然と行なわれている。少しは覆い隠されている部分もあるが、タクシー運転手がしょっちゅう聞いてくる。「ロシア女ほしいか? 中国人? ベトナム女いいぞ。ロシア、いちばん高い」。毎日、似たような提案が舞い込んでくる。 売春婦は食べ物を買うのと同じように入手できる。路上の売店があり、バーからのお持ち帰りがあり、「レストラン」もデリバリーもある。 なかには目に余る光景もある。女性とレディーボーイはほぼ同じようなかたちで声を掛けてくる。 ベトナム人女性は観光ビザで入国してきて、ビザが切れるまで滞在し、帰国する。外国人にはバーで接触する。ペナン戦争博物館の展示:日本人はギロチンを使わないことで知られていた。 ロシア人女性その他は、一団になって毎晩異なるホテルを動き回っている。4人1組で、ある晩はホテルXに泊まり、翌晩はホテルY、その次の晩はホテルZだ。 この商売にはタクシー運転手、バーテンダー、ホテル従業員その他のネットワークを通じて誘い込まれる。場合によっては、女性は同じホテルに滞在しながら部屋から部屋へ渡り歩くこともある。価格は地元民向けで10ドルから、高級娼婦だと500ドルということもある。 ペナンには、アジア全域の村々出身の工場労働者の膨大な人口が集まっている。大部分は貧しく、若い娘たちは大型アパートに集められて暮らしている。奴隷制に等しい悲惨な話は各国マスコミによって広く報じられている。 多くの娘たちは最大で月300ドル程度の給料を約束されて募集されてくる。往々にしてパスポートは没収され、最終的に手にできるのは月に100ドル程度で、あとは決して返すことができない借金を課せられる。そして娘たちは夜に売春婦となっていく。 一部の娘たちは、家事手伝いを派遣する組織に属して働いている。そして日中はメイド、コック、ベビーシッターなどとして働き、夜に風俗業に従事するのだ。 売春はペナンにおいてあまりにも手広く行なわれており、このネットワークに入り込むのに1年は必要ない。数日間。いや数時間の話だ。ハワイでパイナップルを探すのと同じだ。 法的側面について話すと、イスラム教国家としての体面を維持しながらも、このデタラメぶりによりビジネスは繁盛するばかりである。 一方で、われわれのコンピュータのパーツの多くは、そんな売春婦としての2重生活を送る年季奉公の労働者たちの手によってつくられているわけだ。ペナンでは、現代の性労働いや性奴隷と年季奉公の労働が同時に重なり合っているのだ。反日感情を醸成する神殿反日感情を醸成する神殿 私は現地でさまざまな背景をもつ人たちに日本人、韓国人、中国人、その他についてどう思うのか聞いてみた。聞いた相手にはインド系もいれば、中国系、マレー系、バングラデシュ系の人もいた。答えは予想どおりだった。好きでない人一覧:韓国人、中華人民共和国の中国人(台湾ほかを除く)、インド人、アラブ人好きな人たち:日本人、欧州人、アメリカ人。私は多くの国々で多くの人たちに聞いてきたが、答えがそれほど異なることはない。 アジア全体で日本人は憎まれているという話は虚構である。日本はアジアのなかで最も大きな敬意を集める国の1つである。 われわれはペナン戦争記念館を訪れた。「記念館」とは甘い用語である。この場所は、紛れもなく反日感情を醸成する神殿である。カミカゼ「自殺用ベスト」 ここは幽霊屋敷の様相を見せており、ペイントボールコースの顔も見せている。ブキト・ハントゥ「亡霊の丘」は、アジアで最も亡霊が姿を見せることが多い10カ所の1つとされている。 この幽霊屋敷には、木の上にいる巨大な恐ろしい化け物と、不気味な物語と、その他もろもろが揃っている。 ここには、リトルボーイにもファットマンにも似ていない実物大の原爆がある。巨大な手榴弾があり、その他諸々があり、現代のDVDプレイヤーから取り出した回路基板を貼り付けたカミカゼパイロットの自殺用ベストも揃っている。 この「自殺用ベスト」の上に掲げられている説明文によると、カミカゼは1941年12月10日にプリンス・オブ・ウェールズとレパルスを破壊したという。真実は、英国艦隊は日本軍の通常の空襲によって破壊されたのであり、カミカゼによるものではない。 そしてカミカゼ「特別攻撃隊」は、戦争が終局に近づく1944年まで決行されることはなかった。 この博物館は同じくらいの力を注いで、日本軍が性奴隷を連行したという虚構の主張を繰り出している。誰か日本人がこの構図に対して立ち上がり、「すべてウソだ」と主張すれば、右翼の歴史修正主義者、好戦的国家主義者、あるいは単純な変人のレッテルを貼られることになる。 ベトナムを訪問して戦争博物館を見学するアメリカ人たちは――私もそうだったが――米軍およびアメリカ合衆国がここでどう描かれているかを見て衝撃を受け、悲嘆にくれ、怒りさえ覚える。一方で日本人はこういった日本についての虚構――真っ赤なウソばかりではないか――に対し同じような感情を覚えるわけだが、そうした日本人は歴史修正主義者と呼ばれてしまうのだ。 博物館長のジョハリ・シャフィエ氏は、「9月に北京で開催された学術会議に招待された」とわれわれに誇らしげに語った。北京で彼が招かれたのは「国際第2次大戦記念館協会」だという。そこの日程に含まれていたのは、「中国人民対日本侵略軍抵抗記念博物館、マルコ・ポーロ橋(盧溝橋)」訪問だったという。北京にある中国の情報作戦機関の訪問者名簿 シャフィエ氏は口を極めて「日本人はペナンの女性を強姦し、性奴隷にした」と罵った。 シャフィエ氏は売春婦の重みで傾きそうな島、2015年のいまも性奴隷がそこかしこにいるペナンの島で、DVDプレイヤーの回路基板を用いたカミカゼ「自殺用ベスト」を展示する男である。 マレーシア全体、そのなかでもペナンは現在進行形の人身売買で悪名高いが、彼が非難するのは日本ばかりだ。私は自分の目でそれを目撃した。 中国は、この情報戦を今後の対日本の熱い戦争の前哨戦として利用している。立ち上がるべき時はいまだ。日本は積極的に、中国がばらまく憎悪に対処すべく真実を広めるキャンペーンに投資するべきだ。マイケル・ヨン ジャーナリスト。1964年生まれ。グリーンベレーを経て90年代後半よりジャーナリストとして活動。アフガニスタンやイラクなど戦地の最前線を取材し、イスラム過激派組織と戦うアメリカ軍の活動を至近距離から伝え、注目を集める。近年は「慰安婦」問題でアジア全域の調査を行なう。著書“Moment of Truth in Iraq”は全米でベストセラーに。  関連記事■ <特別対談>慰安婦問題はフィクションだ■ 米軍慰安婦像が米大使館前に建つ日■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき■ 日本の立場を危うくする「アジアの時代」の足音

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    「慰安婦狩りなかった」朝鮮総督府100歳生き証人が語る「強制」の虚構

     慰安婦問題をめぐり韓国が「歴史戦」を仕掛けてくる中、元朝鮮総督府官吏の西川清さん(100)=和歌山県田辺市=が取材に応じ、「強制的に女性を集めることはなかった」と慰安婦募集の強制性を明確に否定した。11月上旬に行われた日韓首脳会談では、安倍晋三首相と朴槿恵(パク・クネ)大統領が慰安婦問題の交渉加速化で一致した。しかし、朴大統領は問題が日韓関係改善の「最も大きな障害物」と指摘しており、日韓の隔たりは大きい。昨年、朝日新聞が慰安婦に関する記事の一部誤報を認めたが、「日本軍による強制連行」の象徴として海外都市に慰安婦像が設置され、今も誤解が根強く残る。韓国側の反日攻勢に対し、当時を知る官吏の貴重な証言は、〝慰安婦狩り〟のような事実がなかったことを改めて示している。平穏な日本統治時代 セピア色の古ぼけた写真。満開の桜の下で肩を組む男性4人が写っている。「80年もたってこんな状況になるとは、当時露ほども思わなかった」。西川さんは見習い官吏だった若き日の写真を手に、ため息をついた。 写真は昭和9年春、朝鮮半島東部にある江原道(こうげんどう)の春川(しゅんせん)で撮影された。職場の同僚と行った花見の際の記念写真で日本人と朝鮮人が2人ずつ納まり、うち1人が西川さんだ。8~20年に総督府に勤めていた。 「差別感情はなく、同等という雰囲気だった。今、韓国が日本統治時代はすべて悪業として批判していることは、事実としてあり得ないことだ」朝鮮総督府官吏時代を振り返る語る西川清さん。「慰安婦を強制的に集めることはなかった」と証言した。 正式に総督府江原道の官吏になった12年当時、朝鮮には日本の県にあたる道が13あり、その下に市にあたる府と郡、さらに町村にあたる邑(ゆう)と面があった。職員の多くは朝鮮人。同僚や上司、知事や部長クラスの重席にもおり、分け隔てなく野球をやったり、飲み会をしたりもした。 「朝鮮人同士は朝鮮語を話していたし、朝鮮名の職員も多かった。何でもかんでも日本が強制したということはありませんでしたよ。ましてや女性を強制的に慰安婦にしたなんてありません」歴史をゆがめた「河野談話」 韓国側は「20万人以上の女性を慰安婦として強制的に動員した」などと主張している。この誤った慰安婦強制連行説は、証拠資料や信頼に足る証言もないまま慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野談話を根拠に世界に流布され、朝日新聞などメディアの報道も後押しした側面がある。 西川さんは「併合時代の朝鮮は、むしろ治安が良かった。そして何より、女性を強制的に集めることがあれば、当時の朝鮮人が黙っていないでしょう」と韓国の主張を否定。「男性の徴用はあったが、だからといって軍や警察も一緒になって暴力的に連行するということは決してなかった」と証言する。 西川さんは昭和18年、江原道寧越郡の内務課長を務めた際、労働力不足を補うための労働者として男性の募集を担当した。19年9月以降は日本国民と同じく課せられた「徴用」となったが、18年当時は総督府自らが集める「官斡旋(あっせん)」方式だった。 西川さんによると、男性の労働力を集める官斡旋は総督府が道庁に人数を割り当て、さらに郡、邑、面に降りていく。前任者は10人の割り当てでも5~6人しか集められない状態だった。「だから村長ら住民のリーダーにきちんと説明して納得してもらうことが必要だった。軍については総督府と指揮系統は別だったが、仮に軍が慰安婦を集めていたなら、われわれの耳にも少なからず入ってくるはず。でもそんな話はなかった」と証言している。「事実と異なる歴史像」元官吏ら2人も反論 「女子の強制連行があったような兆候を感じたことは一度もありませんでした」。元朝鮮総督府江原道地方課長で、「慰安婦強制連行はなかった」の著書がある大師堂経慰(だいしどう・つねやす)さんは生前、こう述べていた。 大正6年に朝鮮で生まれ、「戦前・戦時中を朝鮮で過ごした者の体験」として「慰安婦強制連行」を一貫して否定していたのだ。 「もしも万を数える女性の強制連行があったとすれば、その何倍の目撃者がいるはずだ」。平成15年の月刊誌「正論」3月号の紙面対談で大師堂さんはそう指摘している。強制連行が事実なら、住民の間に深刻な動揺と反発が起きていただろうが、実際は「発生したはずの(抗議運動といった)事象は何ひとつ起きていないのです」と断言していた。 《平和でのどかな農村にある日、突然日本軍が乗り込んできて無垢(むく)な娘たちを無理やり軍用トラックに押し込んで連れ去り、慰安婦にした》 韓国側が主張する慰安婦の強制連行は非人道性がことさら強調され、海外でもこうしたイメージが広がっている。 しかし朝鮮総督府の元警察官僚で、戦後に埼玉県警本部長や大分県副知事を務めた坪井幸生さんも生前、大師堂さんとの対談で韓国側の主張を真っ向から否定していた。「強制連行があれば、必ずトラブルが起き、田舎では日本人はとても普通の生活はできなかったと思う」 しかも、朝鮮に13あった道の警察部では、トラブルの情報は上がってこなかった。「朝鮮人の警察官も半分以上いたのが実情ですから。しかし、そんなトラブルは全く聞いていない」と語っていた。 大師堂さんは著書で、「私の体験した朝鮮とは全く異なった歴史像が作り上げられている」と、国内の偏向報道や韓国側の主張を疑問視。「総督府施政を抑圧と反抗の連続であったような伝え方がされるが、これは事実ではない」とも書き記していた。安倍首相への〝直訴〟 平成5年の河野談話は、慰安婦問題に「軍の関与」を認め、募集について「官憲等が直接加担したこともあった」とした。日本の軍や警察による強制連行の論拠とされたが、政府が集めた公式資料に強制連行を裏付ける証拠はない。 元朝鮮総督府官吏、西川清さんは当時の朝鮮に、朝鮮人が経営する「カルボチビ」という売春宿があったことを記憶している。日本でも貧困から女性が遊郭に身売りされていた時代だ。 「朝鮮でも身売りはあった。こうした女性が朝鮮人の女衒(ぜげん)によって慰安所に連れられたことはあるだろうが、あくまでも民間の話だ。もしも日本の公的機関が関与していれば、絶対に文書で残っているはずだ」 国際的に誤った〝史実〟が広がっていることに憂慮を深める西川さんは2年余り前、日本軍や官吏による強制連行を否定する手紙を安倍首相に郵送したこともある。 「当時の朝鮮の仕組みを知る者からすれば、いわゆる『従軍慰安婦』は戦後に作り上げられた机上の空論です」 今夏に100歳となった西川さんは、事実がねじ曲げられた現状にいまなお憤りを感じている。

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    世界文化遺産でまた煮え湯? 韓国と「国交断絶」の覚悟

    西尾幹二(評論家) 明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産登録問題における韓国の驚くべき裏切りにより、改めて、かの民族がいかに信頼性のおけない民族であるかを、日本国民は広く認識した。 六月二十二日、韓国の尹炳世外相が日本を訪れ、岸田外相と会談したあと、尹外相は「両国が申請した遺産の登録に向けて一緒に協力していくことで意見が一致した」(朝日新聞六月二十二日付)と語った。 また、「韓国も百済の歴史遺産地区について世界遺産への登録を目指している。尹氏は『このような良い協力事例を通じて、今後、他の問題にも好循環ができるよう期待している』とも述べた」(同)。 こうした調整の合意は日本人に明るいニュースとして伝えられ、世界遺産登録へ向け、関係者もメディアも展望が開けたと見た。 この時、私は偶然にも拓殖大学教授の呉善花氏との共著『日韓悲劇の深層』(十月刊行)の出版のため彼女と対談を行っており、その席で呉氏は開口一番、「今度の合意はとんでもない日本側の譲歩です。必ず韓国の騙し打ちに遭います」と述べた。 六月二十九日付産経新聞「正論」欄において、筑波大学教授の古田博司氏もまた呉氏同様に、日本は韓国に必ず騙されると指摘し、次のように明確に予言している。〈「今回の世界遺産申請抱き合わせでもわかるように、韓国の自律行動は、ゴネ、イチャモン、タカリという至極低劣な『民族の最終独立兵器』によって全うされるのが常」「この点に関しての彼らの『恥』意識は存在しない」「むしろ今後、さまざまな要求を抱き合わせてくる可能性がある」〉 結果は二人の予言どおりとなった。 日本国民は、これまで北朝鮮には散々裏切られ続けてきた。北朝鮮による拉致被害者らの再調査が十年ぶりに開始されたのが昨年七月四日。この時、最高指導機関の国防委員会が直轄する国家安全保衛部幹部が再調査の指揮を執るとして外務省も日本政府も期待し、日本政府は北朝鮮への独自制裁の一部を解除した。 ところが、調査開始から一年が経過しても北朝鮮からは知らん顔をされ、「まだ調査の初期段階だから調査結果報告は遅れる」などと足元を見透かされた不誠実な対応を取られ続けている。にもかかわらず、「『政府は交渉窓口が閉ざされることを懸念し、制裁強化を判断するのはまだ早い』(官邸幹部)」(朝日新聞七月四日付)として今日に至っている。 このような北朝鮮の度重なる卑劣なやり口に対して、忍耐の限界を超えるほどの対応をさせられてきたわが国だが、南朝鮮すなわち韓国に対しては、日本と同じ議会制民主主義国家と見做し、共産主義独裁国家の北朝鮮や中国とは異なる対応をとり続けてきた。 しかし、今回の世界遺産登録を巡る韓国の裏切り行為を目の当たりにして、「結局、南朝鮮も北朝鮮と同じ朝鮮人に変わりはない」という呆れ返るほどの、もはや言葉のない絶望にも似た状況に立ち至った。国交断絶を望む強い声 土壇場になって合意を踏みにじった韓国は、強制労働を認めるべきだとして、委員会声明のなかに「force  labor」(強制労働)というナチスの強制収容所に用いられた、世界でもこの意味が通用する概念を盛り込むよう求めてきた。そのため協議に時間を取られ、登録決定が一日ずれ込んだのは周知のとおりだ。 結果は、日本が合意破棄を迫り、韓国の発言を修正させて「forced to work」との表現が採用された。「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録が決定し、スピーチする韓国の趙兌烈外務第2次官(手前から2人目)=2015年7月5日、ドイツ・ボン(共同) 数日後の報道で、六月の外相会談において、すでに委員会での声明を「forced to work」とすることが尹外相の提案で両国が合意していた内容であることが明らかとなった(産経新聞七月十一日付)。 岸田外相は、「働かせた」(forced to work)という表現は強制労働を意味するものではないと釈明している。しかし、欧米人は意思の自由を人格の自由の根幹と見做しており、「force」という単語が含まれている限り、形容詞的に使われようと動詞的に使われようと、労働者の自由意思を踏みにじった意味であることはなにびとも否定することはできない。すなわち、強制労働という意味に読まれることは避けられない。 それも六月の外相会談において、すでに「forced to work」で合意していたというのだから驚きだ。要するに外務省には、はじめから世界遺産登録の実現を優先させ、日本の国益と名誉を守るという必死の思い、「強制」という言質を取られまいとする気概に欠けていた。その決定には当然、官邸の意向も働いていたと考えるのが自然であり、官邸の責任も重大である。こんなことを初めから認めてしまっていたのは日本外交の取り返しのつかない大失態で、第二の河野談話、日本外交の大罪とも言える。 実はわが国の国内には、世界遺産登録の発表前から、この際、世界遺産登録が実現せず、日本人の韓国に対する意識が一段と厳しくなるほうが良いのではないか、といった意見さえ見られていた。 世界遺産登録阻止となれば韓国はお祭り騒ぎだろうが、その後の韓国経済危機、平昌オリンピック危機で日本政府を当てにすることはまったくできなくなり、金輪際一切の関係を断ち、国交断絶に近い状態にさえなることを望む強い声も日本国内にある。言葉にはしないが、そう思っている人は少なくないに違いない。 登録決定後も、日本外交の完全なる敗北であり、深い失望感を表す声が私の周りからも聞こえてくるし、インターネット上にはそうした書き込みが多数見られる。外務省は白痴の集団か外務省は白痴の集団か 菅官房長官は七月六日の記者会見で「強制労働を意味するものではないということをかねてより申し上げている」と語ったが、かねてより申し上げていても、その説明が世界では全くと言っていいほど理解されていない。よくよく考えなければならないのは、我々は国際社会のなかにあってこの問題に対応しているのであり、諸外国に「かねてより申し上げてきた」わけではないだろう。世界は今回、これをどう受けとめたか。「戦争犯罪である残虐行為が行われた場所が、日本の世界遺産となった」(CNN)「日本が強制労働の事実を認めたことで世界遺産に登録」(ガーディアン)「日本政府、世界遺産の遺跡での過去の強制労働を認める」(フォーブス)「軍艦島における戦時の強制労働の歴史を認めたことで世界遺産に登録」(ワシントンポスト) このような外電を見る限り、世界遺産登録などしないほうがよかったのではないかと後々まで言われかねない大きな傷跡を残したと言える。現に、安倍総理のツイッターやフェイスブックには「第二の慰安婦問題じゃないか」といった批判が殺到していると聞く。 案の定、韓国では「日本『韓国人の意に反して強制的に働かせた事実ある』」(中央日報七月六日付)など、日本政府が初めて公式に強制労働を認めたものとして大宣伝を始めるといった早くもお祭り騒ぎである。 古田博司氏は七月九日付産経新聞「正論」欄でこう予言する。「『強制性』さえあれば、不法だったと言い訳ができる。(中略)朝日新聞が『従軍慰安婦』の誤報を認めたことで『強制性』の大半は剥奪された。残るは『徴用工』で、韓国は必死に挑んでくることだろう」 そもそも徴用とは、戦争の目的遂行のために国民が参加協力するものであり、日本のみならず英米をはじめ世界の多くの国で戦時中に行われていたことである。これを戦後、強制労働だったなどと言い出して糾弾している国はどこにもない。「強制労働」などではなく、労働力不足を補うための民間人の労働協力であることは、国民も理解していた。 当時、中学生だった私の兄も、あの時代の学生は学力が遅れたとのちに言われたほど一日中、工場に駆り出されていた。女学生も、そして主婦までもが工場や農場などに総力戦のもとで動員された。そうした光景を、私は幼少時代の記憶としてはっきりと覚えている。 日本では昭和十四年に国民徴用令が制定され、朝鮮半島に適用されたのは五年後の昭和十九年だった。当時、朝鮮半島出身者は日本国民の立場にあったが、五年の時間差は日本側が遠慮していたせいだろう。昭和十九年は戦争末期であり、朝鮮人は日本国民の一人として同等の扱いを受け、規定の賃金も支払われていた。慰安婦(娼妓)と同様、朝鮮人がとくに不利に扱われていたという歴史的事実は一切ない。 こうした史実を今後、世界にどう発信し、理解を求めていくのか、「かねてより申し上げている」と繰り返しているだけでは、日本の名誉と国益がますます損なわれてしまうだろう。はたして、官邸も外務省もそうした対外情報戦略を行っているだろうか。 答えは否である。五百億円の予算をつぎ込んだ対外情報戦略が新たに打ち出された。ところが、「ジャパン・ハウス」なる対外発信拠点を作り、箱物の建設やアニメや日本食の宣伝活動──アニメや日本食は放っておいても広まる──という外務省の新計画は、白痴の集団かと思わざるを得ない絶望的な政策である。 この予算の一割でも対外情報宣伝や史実の翻訳作業に費やし、あるいはNHKが頼りにならないのであれば別の国際通信メディアを作り(一部で動き出していると聞く)、NHKの予算を縮小するなど具体的な手を相次いで講じるのでなければ、すべてが手遅れになりかねない。驚くほどの反日国家ドイツ 情報宣伝という面では、今回の世界遺産登録では日本には不運な事情があった。それは、会の開催地がドイツであったことである。 多くの日本人はドイツは親日的な国家だと思っているかもしれないが、私の知る限り、一般のドイツ人は日本の成果や成功に対して冷淡そのものである。英国放送協会(BBC)の国際放送「ワールド・ワイド」が二〇一四年に行った「日本に対する好感度」の世論調査の結果、「日本が嫌いだ」という国は、中国がダントツで九〇ポイント、次いで韓国が七九ポイント、ここまでは誰もが理解できるが、三番目が意外なことにドイツで四六ポイントとなっている。 なぜなのか、と強い疑問を覚える人も少なくないだろう。ドイツが日本を悪く報道する心理的根拠はどこにあるのか、本論ではその点を深く論ずるのが主題ではないため、ここでは箇条的に申し上げるに留める。 まず第一に、ナチス犯罪を歴史に抱えるドイツは自らの戦争犯罪を日本にも期待し、“犯罪の同伴者”でいてほしいという心理がある。ナチスによる“歴史の大罪”は、とてもドイツ人だけでは背負いきれない。日本にはホロコーストはないのでとんでもない言いがかり、誤認であるが、何としてでも日本も“戦争犯罪の同伴者”に繋ぎ止めておきたいという深層心理がある。 第二に、英仏以下の他の欧米諸国はアジアに向かって植民地を拡大してきた歴史をもっているのに対し、ドイツはそうした海外競争に立ち遅れていた。そのため、アジアのことをあまりよく知らない。その状態がいまだに続いている側面がある。 第三に、第一次世界大戦で日本はドイツの敵国となり、ドイツが唯一保有していた太平洋の利権である山東半島とマリアナ諸島を日本に奪われたことを恨みとしている。日独防共協定が締結されたあとにも、ヒトラーは蒋介石の国民党を支援していた史実からもその点は窺えよう。 第四に、一九八〇年代に経済大国の看板を日本に追い抜かれたこと。兄貴だと思っていたのに弟分にしてやられた口惜しさ。これが案外にも一番の理由かもしれない。 いずれにしてもドイツは驚くほどの反日国家であり、国民こぞってそうだということを、日本政府をはじめ外務省はきちんと認識していただろうか。その国の持つ深層心理にまで深く根差した外交政策をとらなければ、これまでどおり、日本は何度も騙されるだろう。ドイツと韓国の「共闘」ドイツと韓国の「共闘」 案の定、韓国はドイツの強い反日意識を巧みに利用した働きかけを行っていた。こうした宣伝戦においても日本は明らかに劣っていた。「世界遺産委員会の開催にあわせて韓国の市民団体が各国代表団の宿舎でもあったボン市内のホテルで日本が登録を目指す施設の写真とアウシュビッツの写真を同時に展示する写真展を開催し、さらに審議の二日前には『軍艦島とアウシュビッツは同質のものだ』とする主張を官民一体でドイツをはじめとする委員国の代表メンバーに展開」(日本政府関係者)「アウシュビッツを絶対悪とするドイツ出身のベーマー議長が韓国のネガティブ・キャンペーンを繰り返し聞かされるうちに、(中略)韓国寄りに舵を切ってしまったのです」(同)「登録の決議文には『世界遺産委員会は日本の発言に留意する』との脚注が加えられたが、(中略)ドイツのベーマー議長が韓国の意を汲んで加えるよう求めたものだという」(『週刊文春』七月十六日号) 韓国の思惑どおりに議事が進行していった背景には、反日国家ドイツの協力があった。そのことは日本にとって不運であったし、関係者にとっては迂闊であった。 付言すると、いま世界地図はアメリカ・日本vsドイツ・中国という構造が強まり始めている。やがてはエマニエル・トッドが言うように、「ドイツ帝国」が中国の軍事的・産業的な強化増大に寄与し、日本を窮地に陥らせる事態も予測される。 今回の世界遺産登録を巡るドイツと韓国の「共闘」は、その前哨戦のような不吉な出来事でもあった(中国と韓国は、同じ全体主義国家群として一括りにされる必然性がある)。韓国で日本人は奴隷階級 話を韓国に戻す。韓国はなぜ北朝鮮と変わらず平気で嘘をつくのか。彼らが日本人をどう見ているのか。今回の世界遺産登録における裏切り行動の根源がどこにあるのかを少し探ってみたい。 前駐韓特命全権大使の武藤正敏氏と産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘氏との対談(『正論』七月号)を拝読した際、かなり思い切った意見を駐韓大使もお持ちであることは理解できたが、韓国の閉ざされた精神性の歪み、宗教的習俗の奥まで見通せているかというと、残念ながらその認識には達していないように感じた。 韓国では儒教朱子学を国教とした李朝以後において、両班、中人、常民、賤民の四階級があるなかで、日本人は最低の賤民階級以下の奴隷階級であると、我々からすれば筆にするのもばかばかしい位置づけがなされている。 と同時に、韓国では日本民族のルーツは朝鮮半島にあるというトンデモ古代史がある。天孫降臨神話はニニギノミコトが天上から地上に降りて来た神話だが、そのときに降り立った地は、これまで宮崎県の日向と想定されてきたがそうではなく、南朝鮮からの渡来人が北九州に降り立った、これが日本の皇室の祖先に繋がるという説である。 こうした話が韓国では広く認識され、まことしやかな関連本がたくさん出ているし、シンポジウムや研究会議も開かれていると聞く。 たしかにわが国は五世紀頃に半島との交流が盛んになり、渡来人が技術や文字を日本に伝えたことは一応、歴史上の事実として知られてはいる。そのため韓国は、儒教も仏教も漢字も野蛮な日本人に教えてやったと自慢げに語り、あらゆる歴史教科書はここを過度に強調する。ところがその典拠は、実は『日本書紀』なのである。朝鮮の最古の史書『三国史記』はやっと十二世紀であり、朝鮮にはこれを補完する古代の複数の関連史書がないのだ。そのため、トンデモ古代史はあとを絶たない。「集団狂気」の国「集団狂気」の国 六六三年の白村江の戦いなどで百済が滅亡し、王族や貴族たちも含め一千人規模の日本への亡命者がいたとされている。当時の日本の推定人口は五百万~六百万人である。これらの事実から韓国の歴史学者は、日本人の主体は朝鮮半島で生きられなくなって日本に渡った敗残の韓民族だというのである。 滅亡した王朝の王侯貴族だけでなく食いっぱぐれの流民たち、罪人・貧困者・浮浪者たちが日本人を構成した。祖国では生きられない恨みとコンプレックスを抱いた韓民族の子孫が日本人の本体である。 だからこそ、その後の歴史で、恨みを晴らすために秀吉の侵略、日帝三十六年の植民地化、現代の差別化など反韓的な振る舞いに及ぶのであろう、などという。 つまり日本人とは、彼ら韓国の学者たちによれば、在日韓国・朝鮮人のなれの果てなのである。しかも半島では立場を得られなかった敗残者で、それゆえに当然ながら、日本人は四つの階級のさらに下の階級に属するとみなされてしかるべきだ、と考えられるのである。 そのため、いまでも韓国では日本人を「倭奴」ないし「犬」と称しているし、これからもずっとそう呼び続けるだろう。「犬」である日本人との合意や約束など、端から守る気がないということなのだ。 加えて韓国では第二次世界大戦後、伝統となっていた漢字漢文の表記法をやめてしまい、反日からオールハングルに切り替えた。それでいてハングルの背後にある漢字語に縛られ、同音異義語を理解できず、文章の単純化を招き、そのため抽象的思考ができずに知性の衰弱に襲われ、頭が硬直化している。自国の歴史を読むことすらできないので物事を深く考えることもできず、嘘も平気でつき、それを恥とも思わない。 こうした「集団狂気」の韓国を相手に、日本人が彼らに謝罪をすればやり過ごせると思うのは実に愚かである。たとえいくら謝罪しても、いくら賠償金を払っても、絶対に終わりがないからだ。 言い換えればこのことは、日本人が過去に行った行為で彼らが反日意識を持っていると考えるのは全くの間違いだということである。彼らの反日感情は、ただひたすら日本人が儒教朱子学の序列秩序に黙って従うこと、すなわち頭を下げ続けること、そして屈服し続けることを要求する情念に発している。日本の過去の行為の内容いかんに発していない。 したがって、今回の徴用工の問題でも何が何でも日本をやっつける、つまり「強制労働」に対する謝罪を要求してくることは十分に予想がついたはずである。それが韓国の民族の行動パターンなのだ。それに気づかず、またしてもまんまと騙しの罠に嵌るのは、単に不器用というだけでは済まない。日本政府の、事に臨むにあたっての冷徹な洞察力の欠如や、世界遺産登録なんかしなくてもいいから国民の名誉を守ってほしいという、日本人の心の奥にある祈りのような気持ちが分かっていない認識の不足にあるといえよう。 六月二十二日放送のBSフジ「プライムニュース」で、自民党衆議院議員の逢沢一郎氏が「アジア女性基金から支払われた金銭の受け取りを、挺対協の介入もあって韓国側は拒否したではないか」と津田塾大学准教授の朴正鎮氏に質した。 その時、朴氏は「お金は問題じゃないんだ」と述べた。すると逢沢氏はハッとした顔をして、「またそんなことを言うのですか。いつもそういうことを言う。それならどうすればいいのですか?」と訊いた。それに対して朴氏は言い淀み、黙っていた。 そのやり取りをテレビで見ていた私は、韓国は合理的とか現実的な解決など一切求めておらず、ひたすら精神的なことだけを求めていると感じた。精神的なこととは要するに、日本が地べたに頭を擦り付けて謝り続けることである。韓国が求めていることはその一点なのだ。それが根幹にあって、その証拠に、遂には李明博前大統領が天皇にまで土下座を要求したではないか。 かの国に賠償がどうの、謝罪がどうのというのは一切無意味なのだ。もはや韓国人は、根本的な精神構造の異常さからくる対応困難な人種と見るほかないのである。「対韓思想政策」を練り直せ かつて私は韓国の総合月刊誌『月刊朝鮮』の編集長・趙甲済氏と、誌上で論争をした経験がある。趙氏は日本でも知られた韓国の代表的な知識人であり、産経新聞コラム「正論」のメンバーを務めた親日家である。その時の彼の発言の一部を紹介する。「古代国家日本を作った主役集団は、韓半島を経て渡っていった北方遊牧民族出身の騎馬戦士だと私は考えます」「古代の日本の執権層が渡来人だったと私は確信します。米国大陸を開拓した主役が英国から集団で渡っていった人々だったのと同じことではないですか」「米国は英国渡来人が作った国ですが、英国よりもより先進的な文明を作りました。日本もそのようなケースではないかと考えます……」「数日前ソウルに来ていた崔書勉(前東京韓国研究院院長)氏に会いました。崔氏は『なぜ韓国人は天皇の訪韓に反対するのか分からない』と語りました。『天皇が告白したように天皇家こそがもっとも成功した在日同胞ではないか。成功してワールドカップに合わせて故郷を訪問したいというのに、なぜじゃまするのかということだ。歓迎しなければ』 ひとしきり笑い終えると韓日関係が新しい次元で見えるのでした」(『現代コリア』二〇〇二年四月号) 韓国の親日的な代表的知識人がなお根強く、このようなレベルの妄想に囚われているということこそ、私たちがよくよく理解し、認識し、そのうえで対策を立てなければならないことを示す。小手先の対応や善意では日本外交は行き詰まり、国際社会の悪意の坩堝に巻き込まれる恐れがある。よほど腹を据えてかからなければならない。はたして日本政府は、韓国に対する国民の激しい怒りや苛立ちに気づいているだろうか。 もう韓国を拒絶せざるを得ない、もうここから先は相手にすべきではない、本来なら国交断絶というところまで来ているのだという認識をしっかり持ったうえでの外交をしていくためには、用心深い心構えと冷徹な準備が求められる。 そのためには、韓国の思想の根源や深層心理を、朝鮮半島全体を俯瞰して捉え直す必要がある。日本政府は抜本的な「対韓意識政策」あるいは「対韓思想政策」を練り直すことが急務として求められている。   

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    安倍首相 気緩めれば世界中に中国新幹線走り全米に慰安婦像

    、安倍首相は9月26日から訪米し、国連総会で各国首脳との立ち話外交を展開した。その中で、自ら朴槿恵・韓国大統領に近寄り、9月初めの朴大統領と習近平・中国国家主席の首脳会談について、「会談の成功をお祝いします」と祝辞を述べた。 この中韓首脳会談は朴大統領が中国の「抗日戦争勝利記念式典」(9月3日)に出席するため訪中した際に行なわれた。しかも、現地で朴大統領は「歴史は永遠に残るものなので、それを認めないのは手のひらで空を隠すのと変わらない」と安倍批判を展開していたからだ。日本バッシングで一致した中韓首脳会談を「お祝い」するのは奇異に映る。 これまでの安倍首相は、「中国や韓国に下手には出ない」という強い外交姿勢を取ってきたことを考えると、これでは“安倍首相らしくない”弱腰であり、こうした点から「燃え尽き症候群」ではないか、との声が出ているのだ。このままでは韓国や中国からも押されまくられることになる。 安倍首相が訪米する直前の9月22日には、サンフランシスコ市議会が「慰安婦記念碑」を建立する決議を可決した。記念碑をめぐっては、韓国側と日本政府が互いにロビー活動を展開したものの、全会一致で可決されて日本は惨敗、市内の公園や広場に記念碑が建てられることになった。韓国側は米国全土での慰安婦像・記念碑建設を戦略的に進めている。米サンフランシスコ市議会で従軍慰安婦の碑建設を促す決議採択を喜ぶ中国や韓国系の住民ら=2015年9月22日(共同) 日本政府がインフラ輸出をテコに進める中国包囲網も次々に食い破られそうだ。ベトナム新幹線の凍結に続いてインドネシアでも計画が撤回、今後、マレー半島新幹線計画やインド新幹線計画でも「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)の資金力を武器にする中国に巻き返される可能性が高い。 安倍首相が安保法制で「日米同盟が強化された」と気を緩めれば中韓にいいようにやられて、世界中に中国製新幹線が走り、米国全土に慰安婦像が立てられるのは時間の問題だろう。関連記事■ 安倍首相 オバマ氏会談後「遠くから来たのに冷たい」と愚痴■ 安倍首相側近 韓国と首脳会談しても国益上さほど得はしない■ 米に促された岸田外相の韓国外相への平身低頭握手は屈辱的敗北■ 安倍首相 オバマ氏に米中会談の話聞くどころか会うのやっと■ 靖国参拝しなかった安倍首相 中国との関係修復に腐心との評

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    韓国にとって日本はどういう国なのか

    久保田るり子(産経新聞編集局編集委員) 韓国にとって日本はどういう存在なのか。10年前、小泉純一郎首相の靖国参拝に反発した盧武鉉政権が「新対日ドクトリン」という物々しい外交原則を発表したことがあるが、そこにはこうある。「日韓関係は日本の謝罪と反省が基礎である」 韓国は憲法の前文で「悠久の歴史と伝統に輝くわが大韓国民は、3・1独立運動(1919年、朝鮮全土で人々が決起し運動家が独立を宣言)により建設された大韓民国臨時政府の法統を継承する」と明記している。この一文には、日本統治を歴史から抹殺したいという想いが詰まっている。少なくとも日本時代は日本に不法、違法に占拠されていたのであって、『我々はこれを認めない!』とする立場が示されている。「臨時政府」(1919-45年)は、李承晩や呂運亨ら独立活動家によって上海(のちに重慶)に設立された。だが連合国、枢軸国の双方から認められず、米軍に解体された。しかし韓国は、いまも「幻の政府」の正統性を国史の根幹としている。世界史的からみると、虚構を生きていることになる。 だから、日本統治は「不法」で当時を「日帝強占期」と呼ぶ。力によって強制的に占領されたと位置付ける歴史観のみが韓国にとって「正しい歴史認識」なのである。だから、日本にはいつまでも、何度でも謝ってもらわなくてはならないのだ。朴槿恵大統領の「加害者と被害者の立場は1000年過ぎても変わらない」という言葉の真意である。 しかし、日韓併合の合法・不法論争は、実はとっくに学術的な決着がついている。 不法論を国際認知させようと考えた韓国は、2001年に「韓国併合再検討国際会議」という国際会議を主催した。日韓のほか欧米からも歴史学者らが参加しハワイ、東京、ワシントンで開かれた会議で、韓国側は併合の不法性を全面展開した。 彼らが特に根拠としたのが「第二次日韓協約」(1905年)での強制性で、不法な強制(脅迫)により外交権を奪っての日韓併合は「不法であり無効」との持論を主張した。しかし日本側は皇帝(高宗)の日記などを分析して高宗が協約に賛成していたことを実証した。また英国の学者などから、当時、米英など列強が日韓併合を認めた以上「違法・無効論」は成り立たないとの見解が相次いで、韓国はこれに反論はできず論争には終止符が打たれた。 これで怯む韓国ではない。その後、今度は「反省と謝罪」の要求の矛先を日韓基本条約(1965年)に変え、これにチャレンジ(挑戦)を開始した。キーワードは「人権」である。女性の人権(慰安婦問題)、個人の賠償権(徴用工問題)である。6月22日、ソウルの日本大使館前で抗議行動をする徴用工の遺族ら(共同) 盧武鉉政権が慰安婦問題で「(基本条約の)請求権協定で解決したとみることはできず、日本の法的責任は残っている」との初めての政府見解を出した。その後、慰安婦問題は2011年、憲法裁判所が「慰安婦が(日本から)賠償請求を得られるように(韓国)政府が行動しないのは憲法違反」との賠償請求権判決を出した。徴用工問題でも、韓国大法院(最高裁に相当)が2012年、「個人の請求権は消滅していない」と判断し、これに依拠して日本企業がいまも続々と訴えられている。 併合不法論も請求権の蒸し返しも、国家のアイデンティティーとは別に、もうひとつの政治性を帯びている。つまり併合したのは現在の韓国だけではなく、北方の北朝鮮があり、未来の日朝国交正常化交渉の重要なテーマとなるからだ。韓国の併合不法論者や慰安婦・徴用工支援勢力の核心部には親北派が見え隠れしている。 もちろん韓国では、「安倍談話は村山談話、小泉談話から一歩も後退してはならない」「日本は植民地侵略や慰安婦動員に対する責任を認める謝罪を」とする声は保守、進歩を問わずにあるから、「過去」をめぐる日韓論争のなかに北朝鮮勢力の思惑を見極めるのには、それなりの眼力がいる。『和解のためにはまず侵略を認め、植民地支配に反省と謝罪を』とする日本の贖罪派の、何と平和で情緒的であることか。

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    賭けに出る韓国  北朝鮮包囲か米韓関係か

    0日付ウォールストリート・ジャーナル紙掲載の論説にて、中韓の緊密化は中国の対北朝鮮政策を変えるために韓国が取った手だと考えることもできる、と述べています。 すなわち、28日の国連演説で朴槿恵大統領は、北朝鮮の核開発に国際社会が注意を払うよう訴えた。世界第4位の軍隊の7割が南方に前方展開しているほか、北は世界最大の特殊部隊を保有している。近々打ちあげるとしている衛星ミサイルに核、化学兵器を装着すれば韓国にとり大きな脅威になる。対日政策ではなかった中韓緊密化 このような状況で中韓関係は緊密化している。多くの者が中韓接近は両国共通の反日姿勢の結果であり、中国による日韓離反策であると考えている。そういうことかもしれないが、南北関係に注目すると、韓国が半島での特異な機会を見出し中国に手を打っていると説明することもできる。 北朝鮮支持をやめるほどではないが、中朝の外交乖離は明らかだ。昨年習近平は北朝鮮ではなく韓国を訪問し、金正恩とは未だ会っていないのに朴槿恵とは6回も会談している。先の抗日戦勝利式典で朴槿恵は主要な招客だった。 中国は、北朝鮮の挑発的な行動が海軍のプレゼンスやミサイル防衛の強化等当該地域での米の役割拡大に繋がることを恐れている。そこに韓国は機会を見出している。長年、中国の北朝鮮支持政策に悩まされてきた韓国は、統一に関する韓国の考えに中国を同調させ、北の非核化への中国の支持を獲得したいと考えている。それが可能かどうかはわからない。韓国の対中接近は具体的な成果よりも希望に基づいたものだ。日本が歴史に対して充分に誠実でないとの共通の認識もあり、韓国は米の同盟国にしてはあり得ない程好意的に中国を捉えている。iStockより しかし、中韓関係の緊密化は対米関係を複雑にする。韓国関係者は厳しくなっている米中関係の中で動かねばならないことを充分理解しているが、中国の姿勢を変えることができるかどうかを試す「外交空間」が欲しいとしている。これは地勢学上の連携の変更や対米同盟からの離反を意味するものではなく、もっと狭義の外交努力だと韓国はいう。しかし、この均衡外交はトリッキーだ。既に問題が起きている。米国はTHAADミサイル防衛システムの韓国配備を求めているが、中国がこれに反対、韓国は未だ配備を受け入れていない。中国が対北政策を具体的に変更することを条件に、米国は韓国にこの外交空間を認めるかもしれない。北朝鮮の衛星発射に対する安保理での中国の対応が、韓国の賭けが功を奏しているかどうかの判断材料になる、と述べています。出典:Richard Fontaine,‘Seoul’s China Gambit’(Wall Street Journal, September 30, 2015)http://www.wsj.com/articles/seouls-china-gambit-1443627076*   *   * この記事は、韓国の対中接近につき懸念が強まるワシントンの中で、それを敢えて前向きに見てみようとしているようです。しかし、韓国の「賭け」が中国の変化をもたらすかどうかはわからない、対中接近は具体的な成果よりも希望に基づいたものだ、と冷めた見方もしています。戦術的にはともかく、中国が統一と対北政策につき戦略的に変わることは、少なくとも近い将来は考えられません。対北朝鮮戦略を見誤るな 粘り強い交渉を 韓国の対中接近外交は重要なリスクを孕んでいます。韓国は、経済の重要性の他、南北統一に当たって中国の支持を確保したいと考えています。同時に、対中接近は中国の対外関係の中で北朝鮮を出来るだけ「疎外化」することを目的にしています。更に、対中接近については中国が仕掛けている面があります。日米韓の協力体制に楔を打ちたいという中国の基本戦略があります。既にTHAADの問題に見られるように中国の戦略は功を奏しています。韓国にとってバランサー外交は、米中や日中の間にあって永遠に魅力ある外交オプションなのでしょうが、日米韓協力体制の利益を得ながらそれを追求することは、そもそも機能するものではありません。韓国には戦略的選択が求められています。 朴槿恵は南北関係に大きな関心を持っています。2002年に訪朝し金正日とも会談、2011年には米外交誌に南北信頼外交の論文を書き、2014年1月には南北統一は「大博(テバク)」だと打ちあげ、同年3月にはドイツのドレスデンで対北政策を打ち出しました。南北問題はうまくいけば政権支持率を高めることにもなります。朴槿恵は硬軟両様の対北政策をとってきましたが、北は強く反発、未だ具体的成果は出ていません。抗日戦勝式典出席の際、習近平と統一問題につき有益な協議をしたと韓国政府は「自画自賛」していますが、韓国のメディアや識者の間からも、米日との関係の手当てが先決だとか、韓国が果たして中国と南北統一を語る段階にあるのか分からない、北朝鮮の核問題を先に解決するべきではないか、といった批判が出ています。 韓国が今やるべきことは、中国ではなく、北に対して辛抱強く交流を深め、それにより北の内政に影響を与えていくことではないでしょうか。予想以上の速さで達成された東西ドイツ統一は、往来の積み重ね、ソ連の弱体化、ゴルバチョフの新思考外交などの素地があって可能となりました。 統一問題については日本も良く思考しておくことが大事です。それは同盟帰属を含む北東アジアの安全保障に大きな影響を与えます。日米協議が重要であり、日米韓で話し合うことも試みるべきでしょう。

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    韓国軍不祥事、今も韓国を支配する法より大義の儒教モラル

    高月靖(ノンフィクションライター) 韓国に深い傷跡を残した2014年4月のセウォル号沈没事故。この痛ましい惨事はまた韓国社会に巣食うさまざまな病弊を炙り出した。その1つが韓国軍の不正問題。きっかけは海難事故の救助を目的に約170億円を投じた韓国海軍の最新鋭救難艦「統営」が、全く役に立たなかったことだ。 2010年の韓国哨戒艇沈没事件を機に建造された「統営」は、水中探索機や最新鋭ソナーなどのハイテク救助装備が目玉。本来なら2013年に実戦配備され、翌年のセウォル号事故でも出動できたはずだった。だが2012年の進水後、装備品の欠陥が次々に発覚。そのせいでドックに塩漬けされ、出航すらできない有り様だった。 軍の装備を納入する企業に天下りした軍幹部OBが手抜きと横領で私腹を肥やし、生死のかかった現場の装備は欠陥品だらけ――。セウォル号と「統営」の問題を受けて2014年11月に発足した合同捜査団が明らかにしたのは、韓国軍のこんな実態だ。 軍の深刻な不正は社会を驚かせたが、いっぽうで「またか」というおなじみの既視感も拭えない。例えば朝鮮戦争のさなかだった1951年には、国民防衛軍事件が起こった。10年に一度の大寒波のなかを約50万の韓国兵が徒歩で行軍した際、軍幹部が食糧や装備品の予算を横領して飢餓などの大惨事を招いた事件だ。死者の数は9万人に上るともいわれる。 こうした不正の原風景は、朝鮮王朝時代末期の19世紀中頃まで遡ることも可能だ。地方の兵器庫に納められているはずの武器、武具を地方官僚たちがごっそり売り払っていたことが、フランス人宣教師の詳細な報告に記されている。 もちろん不正腐敗は日本をはじめ全ての社会にあるし、個々の事例を思い込みで結びつけるのも早計だ。ただあくまで1つのヒントとして、こうしたもろもろの既視感を手っ取り早く消化してしまえるキーワードがある。それが「儒教」だ。伝統的な儒教様式で行われた「国際花と緑の博覧会」韓国庭園の起工式=1989年10月26日、大阪・鶴見緑地 韓国の儒教といえば「女性軽視」「敬老精神」「冠婚葬祭」「男児選好」など、目に見えやすい伝統文化がよく話題にされる。またその弊害の解消を通じて「現代韓国は儒教社会から脱皮しつつある」というのも定説だ。だが500年にわたって人々を支配した伝統的思考は、彼ら自身も意識しない不可視の領域にいまも根を張っている。 明との君臣関係の上に成立した朝鮮王朝は、儒教を統治理念に据えた。その中核思想となったのは、大義名分を重視する朱子学。これに基づいて身分、年齢、性別、家族の続柄などが、全て垂直の上下関係に位置づけられた。そしてこの序列を人が生きる倫理、モラルの絶対的な根源とし、貴族から庶民まであらゆる階層が徹底的に教化されていく。 やがて朝鮮王朝の朱子学は17世紀以降、形式的な「礼学」の追究に終始して発展が停滞。また儒教の序列と相容れない西洋文明は忌避され、科学技術の進歩も道が閉ざされる。こうして儒教理念一辺倒のまま硬直化した朝鮮は、官僚、貴族たちの凄まじい不正腐敗で荒廃していった。彼ら支配層の意識にあったのは、垂直の序列に沿って上昇することだけ。地方官僚も中央政府への登庁しか視野になく、後先を顧みない収奪に明け暮れた。他人の生死を顧みず蓄財に奔走する軍幹部OBも、同じ構図に違和感なくオーバーラップする。 誰もがひたすら中央を目指す垂直型の上昇志向は、学歴偏重と受験戦争を生み出す原動力でもある。科挙試験で地方貴族が中央に任官された時代は20世紀初頭に終わったが、上昇志向の構造はいまも同じだ。その後の日本統治と朝鮮戦争を経て間もない1960年代、韓国では早くも受験戦争の過熱が社会問題化している。1969年に中学受験を廃止、1974年に全ての高校の学力を平準化するなど、対策の歩みは半世紀に及んだ。生き方、働き方の多様化も模索が重ねられているが、受験戦争は相変わらずだ。学習塾などの「私教育」費は家計を圧迫し、個人債務の膨張や少子化の要因にまでなっている。 厳しい上下の序列は、もちろん職場での人間関係も同様だ。一般論としてよく言われることだが、上司へのつけ届けなど派閥内で上昇するための気配りは日本企業の比ではない。また韓国に特徴的な企業文化として、縁故を重視する「情誼主義」も儒教社会の名残りだ。血縁、地縁、さらに学縁といった単位で集団の序列が束ねられ、縁故者に便宜を図ることを美徳とする風潮さえ伺わせる。そして血縁の序列に基づく繁栄の継承という儒教の一大テーマが、創業者一族による所有と父から子への権力継承という財閥のアウトラインを形作っている。 こうした序列を高みから俯瞰すると、見えてくるのが中華思想だ。地理的な位置関係が儒教倫理の優劣に置き換えられ、中華により近い朝鮮が辺境より道徳的に優れているという世界観を導き出す。したがって領土問題を巡る対日批判も、「倫理的に誤った状況を正さなくてはいけない」といったモラル上の使命感をしばしば漂わせる。 そのほか法律より国民感情を優先する「国民情緒法」といった概念も、儒教をふまえれば理解が容易だ。朝鮮の儒教社会において人が作る制度は、理念や倫理の下位に置かれる低次元なツールにすぎない。つまり倫理的な正統性があれば、法律など後から改変しても構わないという思考が成り立つわけだ。このように大義名分を主張することで規定のルールや約束を乗り越えようとする姿は、K-POPや韓流スターの契約騒動にさえ見受けることができる。 もちろん韓国人の思考を形作る要素は「儒教」だけではない。地理的・歴史的環境、南北のミリタリズム、また国際社会のスタンダードな価値観までが無数に絡まり合っている。だがそれらを単一の切り口で分かりやすく抜き出すキーワードとしては、まだ有効といえるだろう。

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    これぞ田舎民族主義…元毎日新聞ソウル支局長が見た韓国の歴史博物館

    ウルに出かけた。最近の僕のフィールドである「歴史ルポルタージュ」取材のためだ。1週間の滞在中、多くの韓国人に会ってインタビュー取材をしながら、韓国史に関連する6カ所の「博物館」も参観した。予想以上に惨々たる展示内容だったが、植民地時代の展示をめぐって進展している内容も見られた。しかし、総じて言えば「田舎民族主義の展示場」と言うしかない。どうしてこういうことになったか。日本側が警戒しなければならないことは何か。毎日新聞元ソウル特派員(1989~1994)の体験も踏まえて報告したい。孝昌公園(龍山区) ここにはソウルの「歴史博物館」として、代表的な「金九記念館」がある。金大中政権時代に出来た。2階建ての立派な建物だ。金九(1876~1949)は、「大韓民国臨時政府」時代からの独立運動家だ。テロリスト集団「韓人愛国団」の親玉でもある。僕がこの記念館に来たのは2度目だ。今回は、日韓間でさらに問題になりそうな「大韓民国臨時政府」に関連する展示内容を再確認するために来た。先日、パク・クネ韓国大統領が中国の「抗日勝利70周年軍事パレード」に参加した際、上海の「臨時政府庁舎跡」を訪れたのは記憶に新しい。 韓国が憲法前文に、この「臨時政府をルーツにすると記述するのは、1987年(昭和62年)の改正からである」(荒木和博「海外事情」2015年5月号)。それまでは「3・1運動」(1919年)と「4・19民主化革命」(1960年)しか書いてなかった。この憲法前文が日本で注目されたのは、2012年5月24日の大法院(最高裁に相当)判決が、以下のような判断を下したからである。 <憲法前文で「3・1運動によって建立された大韓民国臨時政府の法統」を「継承」しているとうたっている以上、1919年に起きた「3・1運動」が抗った「日帝強占」は、そもそも不当かつ不法であり、それ以降の国家総動員や戦時徴用も当然、「日本の国家権力が関与した反人道的不法行為」、あるいは「植民地支配と直結する不法行為」となる。つまり、問題は「戦時」徴用ではなく、それ以前からの「日帝強占」そのものにあるというのである。(浅羽裕樹「SYNODOS」2013・8・27)> このような韓国側の主張の根拠となるような展示が、この記念館で行なわれているのだが、日本人にとっての観覧ポイントは、臨時政府側すなわち韓国独立軍が一戦も日本軍と戦火を交えずに、1945年8月15日の「終戦」を迎えたことを示す地図が掲示されている点だ。「韓国が戦勝国になれなかった」という対日コンプレックスの根源にある歴史的事実が、ここで確認できる。「李奉昌(イ・ボンチャン)義士」の銅像(撮影:下川正晴) 記念館の外にある「李奉昌(イ・ボンチャン)義士」の銅像(写真)にも注目したい。 この人物は、1932年1月8日、東京・桜田門の警視庁前で、昭和天皇の車列に手榴弾を投げつけた。幸い、手榴弾は車列の前方に落ち、昭和天皇は難を逃れたが、随員1人が負傷した。李奉昌は金九の秘密組織「韓人愛国団」のテロリスト第1号である。 この銅像のデザインがものすごい。写真のように、まさに爆弾を投げつけようという姿だ。僕はこれを初めて見た。心底驚いた。現代韓国人は、これがいかに「国際的に無礼な銅像」であるのか、分からないのだ。駐韓日本大使館も気づかないまま「放置」してきたのだろうか。 この銅像は1995年11月6日に建てられた。「建立文」に、以下のような記述がある。 「国が日帝によって強占された時、祖国の光復のために身を投じた李奉昌義士の気高い民族魂と独立精神は、民族の胸に永遠に燃え盛っている。義士は元凶である日王・裕仁を爆殺除去することが、まさに日帝の侵略と蛮行を全世界に告発し、独立を招来する道だと信じて上海に渡り、金九先生に挙事を願い出て、許諾を得た。1932年1月8日、東京で観兵式を終えて戻る裕仁に爆弾を投ずるも、命を奪うことはできず、現場で逮捕され同年10月10日、市ヶ谷刑務所で絞首刑になり、32歳で殉国した。義士の偉大な愛国思想と独立精神を讃え、光復50周年と義挙63年を迎え、このに銅像を建立する」 昭和天皇(1989年死去)の名前を碑文に明記した上で、こんな途方もないデザインの銅像を、1995年になって建てる韓国側の無神経さ、その国際的意味はきわめて重大だ。 「建立文」には「東亜日報社」後援とある。「韓国の新聞はこんな下劣な国威発揚までやるのか」と、元同業者の僕は思った。これとは別に「銅像建立に意を集めた方」との碑文もあり、ここには「李奉昌義士義挙ならびに殉国60周年記念事業推進委員会会長」として、朴泰俊氏(元国会議員)の名前がある。これも看過できない。朴氏(2011年死去)は、浦項製鉄の創業者であり、第32代首相も務めた知日派だ。「鉄鋼王」「日韓政財界の架け橋」と呼ばれた韓国保守政界の重鎮である。日韓の「知られざる歴史」がここに脈々と波打っていることに、私たちは気がつくべきだ。尹奉吉記念館(瑞草区) 地下鉄「江南」駅から新盆唐線に乗り、次の「良才市民の森」駅で降りて、徒歩5分の場所にある。孝昌公園に高齢者が多いのと対照的に、この記念館は歴史学習のために、教師から引率されて来た中学生の姿が目立った。 「金九記念館」と同様に2階建てだが、建築はこちらが1989年と早い。ソウル五輪の翌年であることに注目したい。五輪を契機に韓国ナショナリズムが高揚した。その風潮の中で建立されたのである。韓国独立後、李承晩大統領と対立した左派の政治家である金九の記念館が、金大中政権時になって建てられたことと比較すると、尹奉吉は包括的な「国民の歴史」の中で、不動の「義士」として称揚されていることが分かる。全身に24個の弾片を浴びて死亡した白川(義則)大将 尹奉吉(ユン・ボンギル)とは何者か。1932年4月29日に上海で起きた「上海天長節爆弾事件」の犯人だ。金九の「韓人愛国団」のテロリスト第2号である。この記念館の展示も、外国人の目から見るとやり過ぎだ。1階右部屋の展示が特にひどい。 爆弾攻撃を受けて死傷した日本人の写真が、これでもかという具合に、個人別に展示されているのだ。ハングルの展示説明通りに日本語訳すると、「全身に24個の弾片を浴びて死亡した白川(義則)大将」(写真)。「片目を失明した野村(吉三郎)中将」「片方の脚を切断した植田(謙吉)中将」「重傷を負って、病院に運ばれる村井(倉松)総領事」「片足を切断した重光(葵)公使」といったありさまだ。 この「上海天長節爆弾事件」では、日本人民間人の死傷者も出た。上海日本人居留民団会長の河端貞次氏(医師)が死亡し、同書記長の友野盛氏が重傷を負った。ところが彼らの写真は展示されていない。 80年以上も昔の「テロの戦果」をいちいち写真で誇示する一方、民間人の死傷は巧妙に隠蔽されているのである。まったく無神経で、国際感覚に欠ける展示だ。これを見せられて愛国教育を受ける韓国の中学生たちは、どういう人間に育つのか。独立国家のアイデンティティを確立することと、隣国への敵愾心と復讐心を植え付けることとは、雲泥の差がある。月とスッポンだ。これでは「夜郎自大の自滅の道」を歩むしかない。元ソウル特派員の僕はそう思った。 翌日、僕は知人の韓国人歴史学者に会った。彼にiPhoneで撮影した尹奉吉記念館の展示写真を示した。「これ見てよ。どう思いますか」。僕の質問に彼は「こんな展示をしてるんですか」と驚いたように言った。数年前まで国策歴史機関のトップにいた人物だ。彼の現役時代の行動に僕はかなり批判的だが、その彼ですら知らない所で「田舎民族主義の愛国教育」が行なわれている実態がある。 爆弾事件が起きた上海.虹口公園(現在の魯迅公園)には、中韓国交樹立後、石碑と資料館「梅軒」が建てられたことも付記しておきたい。梅軒とは、尹奉吉の号である。小沢一郎氏の「贖罪史観」小沢一郎氏の「贖罪史観」金九の墓(撮影:下川正晴) ホテルに戻ってネット検索していたら、日本の野党政治家・小沢一郎氏が1999年4月18日、ソウルの孝昌公園を訪れ、金九の墓(写真)と李奉昌ら「韓国3義士」の墓に参拝していることが分かった。当時の「東亜日報」がそう書いている。「東亜日報」は先述したように、昭和天皇に向かって手榴弾を投げる李の銅像建立を後援した新聞社だ。 この記事によると、小沢氏は訪韓に先立って産経新聞とのインタビューで、「韓国人に心を開くことできる行動をまず日本人がとろう」と述べたそうだ。上記のような歴史的事実、銅像、その建立経過などを十分に事前調査したのだろうか。中途半端な「贖罪意識」が一番悪い、日韓関係を悪くする、と僕は思う。韓国は急激な経済成長に国民意識の発達がついて行けず、「夜郎自大化」しているのだから、なおさら始末が悪い。 「尹奉吉記念館」には、爆弾事件で重傷を負った村井総領事の遺族が寄贈した「事件当時の眼鏡」が展示してあった。遺族としては「友好第一」の気持ちなのだろうが、展示品を見た感じでは、韓国側は「戦利品の展示」という印象でしかなかった。島国日本には、国際感覚に欠けるところがある。自分の意志を素直に受け取ってもらえるという甘えがある。気をつけたい。「歴史的な無知」に居直るなら、小泉首相の良き先例がある。かつて彼はソウル西大門刑務所跡を参観した際、「日韓双方ともに、お互いに、過去を反省すべきですな」と言って、韓国マスコミを激怒させた。韓国メディアには「悪いのは日本だ」という固定観念があるからだ。しかし、僕には小泉首相の発言は正しい指摘だと思える。韓国側の歴史認識にも大いに間違った所がある。堂々と議論を展開すればいい。 「韓米離間策」。これが韓国人の新しい対日非難だ。今回のソウル滞在中に、この言葉を意外な友人から聞き、韓国マスコミが喧伝している「対日用語辞典」が幅広く影響を与えていることが分かった。韓米離間策とは「日本が米国と韓国の仲を引き裂こうと、いろいろ画策している」という話だ。これが「被害者」としての立場からの発想であるのが興味深い。どこの国民も自分が歴史の被害者であることを強調する。ポイントは、それが客観的に見て真実か、ということだ。 日本による「韓米離間策」が現状を的確に表現したものかどうか。悪のりする日本メディアもいるが、「韓国の中国接近への懸念」が必ずしも的外れでないことは、訪韓中に読んだソウル大教授による朝鮮日報への寄稿を読めば、明確であろう。韓国人学者が米国に行くと、米国専門家が韓国政府の対中姿勢に対して、問わず語りの不満を語っているからである。 韓国でのもうひとつの見方は「親中事大主義」。これは僕が今回長時間話し合ったジャーナリスト趙甲済さん(元「月刊朝鮮」編集長)の最新レポートの題目だ。しかし、韓国メディアに登場する用語は、圧倒的に「韓米離間策」が多い。 どうしてなのか? 理由は簡単だ。それが最近の韓国報道陣の「メディアフレーム」だからだ。自分自身がよく理解できない状況について、新聞記者は誰かが言った「現状解釈の枠組み」を援用して記事を作ってしまう。ジャーナリスト(時代を記録する者)として一番警戒しなければならない姿勢だが、どこの国のマスコミでも、これが一番多い。それが社内の安定した地位確保にもつながるからだ。つまり、新聞記者(特派員)は取材対象や読者ではなく、本社の意向を忖度しながら記事を書く。(笑) 読者としてはどうすべきか。マスコミ報道を見ていて「どこかで聞いた台詞だな」と思ったら、必ず疑ってみる姿勢が必要だ。マスコミ出身の僕が言うのだから間違いない。いや、こういう発言から疑って、自分の頭で分析してみてください。新しい視角を世界は求めています。(笑) 話が脱線したついでに、もうひとつ。訪韓中にいろいろ話し合った黒田勝弘氏(産経新聞客員論説委員)の最新刊「決定版 どうしても”日本離れ”できない韓国」(文春新書)に、安倍首相が例の「731部隊」と同ナンバーの戦闘機に乗り、韓国メディアから猛バッシングを受けた事例が書いてある。 今回の訪韓中に、僕もこの「アベ=731論」を韓国人ライターから持ち出され、大いに驚いた。こんな馬鹿げた話を信じているのか。あきれてしまい、カフェで猛烈に反論した。僕のあまりの剣幕にたじろいたライター氏は、「席を替えましょう」と言い、店の外に出た。結果的に僕は「韓国人は日本人から韓国語でシビアな反論に会うとひるんでしまう」という経験則を再確認したのだが、それほど「アベ=悪のシンボル」論は韓国社会でマンエンしているのだ。こういう時に、日本人は懇切丁寧かつ厳しく真相を話してあげないといけない。日韓は死んでも隣国同士だ。これが地政学上の運命だ。「韓国とはもう断交だ!」とプッツンしても、始まらないのである。京城の「モボ・モガ」 旧態依然たる「田舎民族主義」の展示館に混じって、ソウルの「モダンボーイ」「モダンボーイ」が登場する博物館もある。その名も「ソウル歴史博物館」。中心部・光化門交差点から西へ、徒歩5分の場所にある。入場無料。ぜひ行ってみてください。 見どころは3階の「日本統治時代のソウル」だ。ここは「奪われた京城」「抗日運動の中心」「京城都市紀行」「戦争の影」の4コーナーから構成されているが、圧巻は「京城都市紀行」のスペースだ。ここの展示を見ると、京城がとても発展した近代都市だったことが一目で分かる。こんな展示スペースは、大韓民国でここしかない。 子供向けの黄色い説明板に、以下のようなことが書いてある。見出しが「京城スタイル」。聞き慣れない言葉だが、これが世界中で大ヒットした韓国製ラップ「江南スタイル」をもじった言葉である。 「京城の人々は国を失った悲しみと、日本人の差別待遇に哀しみを感じつつも、新たに接することになった近代文物に次第に適応して行ったんだよ。(中略)京城の人々は、日本人の強圧に抵抗しつつも、一方では新しい近代文化に習熟し始めた。このような中で1920ー30年代、京城の都心で流行をリードする若者たちを『モダンガール』『モダンボーイ』と言ったんだよ。彼らは西洋式文化を受け入れるのにとても積極的で、高価な洋服にべっ甲の眼鏡、ストローハットをかぶり、京城の街通りをかっ歩したんだってさ」 堅苦しく言えば、旧来の「植民地収奪論」の包装の中に、最近の「植民地=近代化」論を内包しているのが、ここの展示の特徴だ。2002年に開館した当時から、このコーナーは京城市内を走る路面電車を再現するなどユニークな展示が見られたが、ここに来て収蔵品が増加し、展示の仕方もさらに大胆かつリラックスしたものになった。 「京城のモガ・モボ」を描いた当時の新聞挿絵(撮影:下川正晴) 「京城のモガ・モボ」を描いた当時の新聞挿絵(写真)のほか、彼らが愛用した化粧品やチョッキ、時計、ひげ剃り、さらに京城案内地図、絵はがき、「味の素」の広告、雑誌「朝鮮の自動車」、京城電話番号簿、百貨店の宣伝チラシ、有名レストランの写真、美人キーセンの絵はがき、レコード、ラジオ、映画のパンフ、雑誌、学校や「文化住宅」の写真、スポーツ大会の写真など、ありとあらゆる近代文物が展示してあって、圧倒されてしまう。植民地時代に「三越京城店」は、東京、大阪店に次いで売り上げが多かったというから、この繁栄ぶりは当然なのかもしれない。 その中でも圧巻は、本町(いまの明洞)や鐘路、光化門・太平路の街並み地図と当時の建物写真だ。これは漢陽大学建築学科の冨井正憲教授ら日韓研究者が苦労の末に作り上げた。展示には、制作者として冨井教授の名前も明記してあり、フェアな扱いである。 さらに同コーナーで上映されている動画には、京城時代の風物がどんどん出て来て、とても楽しい。10分間ほどの映像だが、よく見ていると、植民地時代に朝鮮総督府の監修で作られた劇映画の一部が収録されている。僕のような植民地映画研究者には、ことのほか興味深い。ざっと見たところ、朝鮮人特攻隊の奨励映画「愛と誓ひ」(1945)を含む数本の植民地映画から抜粋し、つなぎ合わせたようだ。 特に「迷夢」(1936)は、伝説の美人女優・文藝峰(のちに北朝鮮人民俳優)がデパートで買い物するシーンや、ヒゲの男優とレストランでデートする場面、南大門から京城駅、龍山駅まで男性ダンサーの乗った列車を追いかけるシーンなどが、かなりの時間ピックアップされていている。この映画は現存する最古の朝鮮トーキー作品だ。「女性の自立」を批判的に描いているが、当時の映画スタッフが意識しなかった京城の都市光景が、フィルムの背景に映り込んでいる。「記録としての映像」の力を、再認識させてくれる。 これらの映画は数年ほど前、北京の中国電影資料館の倉庫から見つかった。韓国映像資料院がDVD化して販売したが、現在は入手困難である。それだけに、「ソウル歴史博物館」で無料のダイジェスト版を見れるのは、なかなか貴重な機会なのだ。  「ソウル歴史博物館」は展示内容を収録した図録を、1階売店で売っている。韓国語、英語、中国語版がある。残念ながら、日本語版はない。しかし、図版をふんだんに盛り込み301ページ、約3500円。購入して帰国後、眺めていると勉強になるだろう。  ちなみに「京城」という言葉を、差別語だと言い募って来た人々がいる。慰安婦誤報で「有名」になった朝日新聞元記者の植村隆氏もその一人だ。著書「ソウルの風の中で」(1991)で、「忌まわしい名前」「都市の創氏改名」と言っている。これが全くのウソであることは、この展示内容から見ても一目瞭然だ。詳しくは、雑誌「正論」(2015年10月号)の拙稿「対韓贖罪史観に侵された『京城』問題と新聞社『内規』」を読んでほしい。ソウル駅前で爆弾を投げるソウル駅前で爆弾を投げるソウル駅前の銅像(撮影:下川正晴) ソウル駅前にもテロリストの銅像が立っているというので、見に行った。写真のように、右手に手榴弾を握りしめ、まさに投げんとする構図である。ホントに、この国の人は爆弾を投げる彫刻が好きなんだなあ(笑)。昭和天皇に向かって爆弾を投げる(桜田門事件の)銅像は、すでに紹介した通り、淑明女子大近くの孝昌公園に立っている。 ソウル駅前にあるのは、朝鮮総督に爆弾を投げて、死刑になった姜宇奎(カン・ウギュ)の像だ。1919年9月2日、第3代朝鮮総督に任命された斎藤実がソウル駅に着いた時、爆弾を投げた。しかし総督にはほとんど被害がなく、護衛の日本人警察官ら37人が死傷した事件だ。銅像が建立された2011年当時、産経の黒田勝弘特派員が反対の論陣を張ったが、他の主要紙はほとんどスルーしたので、多くの日本人は存在すら知らない。韓国がこういう無神経なことを重ねた来た延長線上に、日本大使館前の「慰安婦像」という国際条規違反がある。それが僕の見立てだ。韓国人たちにも「近隣国への配慮条項」の適用を切に要望する次第である。(笑) もちろん、韓国でも「テロリスト論争」がないわけではない。 訪韓中に書店で購入したカン・ジュンマン「韓国現代史散策」第8巻(2008)に、そのことが書いてあった。 著者は、あけすけな記述で定評がある大学教授だ。それによると問題提起したのは、ロシアから韓国国籍に帰化したパク・ノジャ氏。韓国史に関して大胆な発言をしている歴史研究者である。彼は2007年4月、上海天長節爆弾事件で「日本の民間人に数名の被害者が出たのに、侵略元凶の爆殺と負傷を喜んだ中国の世論は、これを認識しなかった」と指摘し、さらに南朝鮮労働党の指導者だった朴憲永が「ごく少数の暴力による運動は必ず敗北する」と批判した事を紹介した。「最高のパルチザン大将(金日成のこと)が結局、最悪の独裁者に変身した韓半島の現代史を念頭に置くべきだ」(「ハンギョレ21」)と述べたのである。 これに対して、伝統的右派の論客であるシン・ヨンハ氏(ソウル大名誉教授)が、朝鮮日報の紙面で「大韓民国臨時政府による特攻隊攻撃をテロと言うのは、歪曲であり誤解だ」と反論した。彼が「特攻隊」を賛美しているのが、笑止千万だ。日本軍の特攻機は体当たり攻撃によって、米国の民間人を殺傷したとでも言うのだろうか。 もうひとつ。同書によると、尹奉吉記念館を建立したのも、「東亜日報」のキャンペーンによるものだと分かった。2008年当時の「東亜日報」会長は、金学俊氏だ。つい最近まで、国策機関「東北アジア歴史財団」の理事長だった人物だ。 同書が引用した別の本には、「抗日義士」の顕彰作業が韓国内の政治に翻弄されたとの指摘もある。政権与党・民自党内の民正党系の代表人物だった朴泰俊氏(浦項製鉄会長)が、桜田門事件の李奉昌記念事業の会長であり、これに対抗して、民主党系のトップだった金泳三氏(のちに大統領)が、尹奉吉記念事業会の会長を引き受けたという指摘だ。「だから、あんな無神経な銅像と展示になっているのか」と、韓国政治状況を取材して来た僕は思った。「中興の祖」に愛情なし!? 朴正煕記念館。W杯サッカー場近くの麻浦区上岩洞にある。2012年になって、やっと出来た。3階建て。第1展示室「5・16革命と近代化」「輸出主導型、経済開発推進」「電力難解決のための苦闘」、第2展示室「高速道路建設」「セマウル運動」「産業開発」と、いかにも型通りだ。やっと第3展示室になって「人間・朴正煕大統領と陸英修夫人」となる。「まあ、なんと愛情不足の展示なのだろうか」というのが、僕の感想だ。朴正煕 朴正煕(写真)が政権を奪取した時、韓国はフィリピン、北朝鮮よりも貧しい国だった。殺された時「僕は大丈夫だ」と言った。陸英修夫人は、彼の後ろ姿を見て「この人と結婚しよう」と思った。20世紀を生きたアジアの政治家の中でも、傑出した人物だと思うのだが、現代の韓国人には、よく理解されていないようだ。その娘である現職大統領にしても、父親の偉業の真価がわかっているのかどうか、実に心もとないところがある。 「朴正煕記念館」は、階段を登って2階から入場させる。いかにも旧時代の権威主義だ。1階の黒眼鏡をかけた警備員は、公開されている私邸(東大門区)に行ったこともないという。全体的に「朴正煕が可哀想だ」と思うしかない展示だ。 初代大統領の李承晩にしても同様だ。鍾路区梨花洞にある私邸は、以前見に行った時「これが大統領の邸宅か」とは思えないほど、ぼろっちい住居だった。壁にベタベタと写真が貼付けてあり、ライバル政治家だった金九の記念館とは雲泥の差がある。2017年まで修復工事のため、いま休館中。再開館したら、期待せずに、行ってみたい。 金鍾泌(キム・ジョンピル)を、知っている日本人も少なくなった。韓国の元首相。朴正煕とともに、軍事クーデターを起こした。89歳。不倒翁。彼が「中央日報」で連載した自伝を、評価する韓国人の声を聞いた。「今の韓国を作ったプランナー」という評価だ。果たしてそうだったか。まだ読んでいない僕としては、判断のしようがない。別の信用できる韓国人は「時々読んで来た」とだけ言った。 残念ながら、金鍾泌氏とは長時間話したことがない。ただひとつ、忘れがたい記憶がある。金泳三政権がスタートした頃、毎日新聞の夕刊コラムに、僕は「韓国は人治社会だ。法治社会ではない」と書いた。彼が大統領になったとたん、野党時代には未解決だった刑事事件が、たちまち解決したからだ。 僕のコラムを読んだJP(愛称)は、出入りの韓国人記者に「毎日新聞の特派員が、こんなことを書いているよ」と紹介した。それが韓国紙の政治面に載った。JPとしては、YS(金泳三)に対する牽制球だったのだろう。国会で僕の記事が引用される騒ぎになり、少し迷惑した。「月刊朝鮮」に僕へのインタビュー記事が載ったりした。「人治の韓国。法治社会ではない」。いまではマンネリになった批評だが、当時は中国に対して使われる用語で、韓国に対しては「情の社会」(黒田勝弘さん)という言い方が一般的だった。黒田さんほど韓国に対する愛情がない(笑)僕は、ストレートに表現した。 朴正煕の娘は、韓国を日本から遠くに連れて行った。生残ったJPは、いま、「韓国の将来」をどう思っているのか?  韓国の田舎民族主義韓国の田舎民族主義  韓国の「田舎民族主義」になぜ、注目するのか!? もちろん、日韓両国にとって、危ないからだ。「田舎民族主義」とはまことに失礼な言い方だが、これ以外に的確な表現を思いつかない。 4年後は「大韓民国臨時政府」樹立100周年になる。「3・1独立運動100周年」だから、これは当然だ。「大韓民国臨時政府」が韓国内でさらに注目されそうだ。憲法前文を楯にした対日歴史攻勢も、強まるだろう。なぜなら、北朝鮮(金日成のカリスマ)に対抗して韓国政府が「政権の正統性」を主張する際、この臨時政府こそが最大の「アリバイ」だからだ。 いま韓国では「教科書問題」が火を噴いている。左派の国史教科書が氾濫したため、政府が国定教科書を復活させることにしたのだ。この場合でも「臨時政府」をどう評価するかが大きなポイントだ。 韓国の「歴史的建造物」は時間が経つにつれ、どんどん立派になって行く傾向がある。 その一例が、小泉首相も訪問した西大門刑務所跡だ。1985年、ソウルの延世大学に留学中、僕はこの近くに下宿していた。時々、刑務所跡に散歩に出かけた。約20年後、ソウルの某大学の客員教授になってソウルに住んでいたころ、この刑務所跡を再訪して驚いた。展示物が増えて、外装も立派になっていたからだ。そのころには地下鉄「独立門」駅から展示が始まり、中国からの自主独立を意味する「独立門」は、日本からの独立を意味するかのように誤解させる内容になっていた。 かつて文化広報省の建物があった光化門近くの一帯は、「大韓民国歴史博物館」に変貌していた。5階建ての近現代史博物館だ。2012年末に出来たというが、特別に目新しい展示はない。この国の人は本当に「歴史博物館」が好きだ。ソウルのど真ん中にできた「大韓民国のPR館」だが、それが外国人の目には、韓国近代史の「恥ずかしい歴史」を糊塗する建物と映っていることに、気づかないのだろうか。北品川にある「相模屋」跡(東京都品川区) 撮影:下川正晴 帰国の朝。空港に向かうバスの車窓から、写真7のような光景を見かけた。光化門から西大門に向かう途中、京郷新聞社ビルの反対側である。この周辺一帯を「歴史公園」として整備する計画があり、地元民が反対しているらしい。 数年後には、計画通りの「歴史公園」が造成され、過剰包装の「歴史」が展示されることになるのだろう。それで、いいのだろうか?! 反対者の横断幕には、ここで商売して来た住民の「歴史」をどう考えているのか、という抗議文が見えた。なんとも皮肉な光景だ。 100年、200年後の韓国民は、21世紀初期の韓国を、過去の歴史をぶち壊し、画一的な街づくりを行った時代と記憶するに違いない。すでに他の都市整備で見られるように、最近の韓国で行われている街区整備は、旧時代の良さを残さず、それを恥じるかのような、国籍不明のピッカピカで薄っぺらな街づくりで満ち満ちている。 急激な都市整備は、韓国社会の急激な民主化がもたらした弊害に通底するものを感じる。 過去の「親日」時代を恥じ、過去の「開発独裁」時代を恥じて、それらがもたらした遺産を省みることがない。国定教科書に反対する「親日・独裁の歴史を固着させるな」という横断幕が、その典型だ。薄っぺらな歴史観だ。先人たちの労苦を思い偲ぶことがない歴史観だ。韓半島に生きた人々の歩みは、そんなに価値のないものだったのか? ソウルを去る日、通り過ぎるバスから見かけた街頭の光景は、自国史を考える時にも自戒すべき点であると思った。「日韓テロリズム」を考える ソウルから帰国した4日後、品川区立「品川歴史館」(大井6丁目)に出かけた。ここでは、開館30周年記念特別展「東海道品川宿」を開催中である。北品川の遊郭旅籠「相模屋」の模型があるので、是非、行きたいと思っていた。 「相模屋」は川島雄三監督の名作「幕末太陽伝」(1957)の舞台になった遊郭だ。フランキー堺(居残り左平次役)主演、石原裕次郎(高杉晋作役)助演の楽しい映画である。模型は歴史館2階にあった。素晴らしいのは、「相模屋」の2階から外を見ている男女の人形があったことだ。これは英国公使館が燃える様子を見ていた、映画のフランキー堺と遊女そのままである。 「品川歴史館」からの帰途、北品川の「相模屋」跡に行き、写真を撮影した。そこにある小さな標識を見ながら、僕は「日韓のテロリズム」について考えた。 安重根のテロリズムに倒れた伊藤博文が、若き日はテロリストだったことは意外と知られていない。伊藤は文久2年、麹町の路上で塙次郎を殺害した。このことを伊藤は後々まで、気に病んでいた。「伊藤博文伝」に載っている事柄だ。 僕が北品川で見た「相模屋」跡地は、高杉晋作らが英国公使館の焼き討ちを謀議し、実行のために出撃した遊郭があった場所だ。いま、ここは「ファミリーマート北品川店」になっている。高杉らも幕末の攘夷テロに手を染めた「志士」だったのだ。伊藤もこの焼き打ちに参加した。 久しぶりに訪韓した僕は、ソウルのあちこちで韓国テロリストを「抗日義士」として顕彰する銅像を見た。これらが、1980年後半以降に建てられているのを見て、韓国人の無神経さに驚き、「韓国ナショナリズムの病巣」に困惑した。日韓には、歴史的事実のモニュメント表現をめぐって大きな違いがある。いま北品川のファミマ前には、英国公使館焼き討ちを記念する銅像はない。写真の小さな標識があるだけだ。事件から100余年。それが独立国家の矜持というものだろう。 弱小民族がテロリズムに訴える事は、現代世界でもありうる。しかし、それを「歴史の教訓」として、どう記録し、どう表象するかが肝要だ。経済的には立派な先進国になったのに、いまも旧植民地の過去(テロリズム)に引きずられるのは、韓国人の精神衛生と国際協調上、まことによろしくない。 元テロリスト伊藤博文は、朝鮮テロリズムに倒れた。テロリズムを称揚する大韓民国は何によって、自壊するのか。僕の推論は書かずともよいだろう。品川ーソウルー品川を往復しながら、こういうことを僕は思った。

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    軍人とお姫サマ-朴槿恵研究-

    「日本人として恥じざるだけの精神と気魄を以て一死御奉公の堅い決心でございます」。満洲国軍人を志願した朴正煕は血書をもってこの嘆願書を窓口に書き送った。軍人魂をみずから叩き込んだのが朴正煕だとすれば、娘の朴槿惠はタダのお姫サマ!? ナッツ姫ほどではないにせよ…。

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    「売国奴」と言われた朴正煕が称賛される理由

     日韓両国が基本条約に調印し、国交正常化に踏み切ってから6月22日で丸50年。韓国国内の猛反対を押し切り、正常化を決断したのが当時の大統領、朴正煕(パク・チョンヒ)だ。「売国奴」呼ばわりされた朴正煕に対する評価は、この半世紀で一変した。(韓国南東部亀尾(クミ) 藤本欣也) 寒村のイメージを抱いていたので、そのにぎわいぶりに拍子抜けしてしまった。 韓国南東部、慶尚北道(キョンサンプクド)亀尾にある朴正煕の生家。土壁の家屋自体は粗末だったが、周囲には記念館や焼香所、公園が整備され、観光客が押し寄せていた。1日平均2千人以上-。 「優れた大統領のおかげで私たちは幸せに暮らしています」「強力な改革だけが韓国を維持できる」「将来、朴正煕大統領のような政治家が再び現れたらいいのに」 寄せ書き帳を見ると、強いリーダーを求める声や賛辞であふれている。 だが、およそ半世紀前には、それからは想像もつかない光景が広がっていた。 1964年6月3日、ソウル中心部。「韓日交渉を中止せよ」「屈辱外交を許すな」「売国奴を殺せ」 催涙弾が飛び交う中、大学生ら1万5千人以上が集結し、治安当局と衝突を繰り返した。夜、戒厳令を布告したのは当時の大統領、朴正煕その人だった。 デモ隊がやり玉に挙げたのが、日韓国交正常化の秘密交渉に当たっていた朴正煕の側近で、後に首相を務める金鍾泌(キム・ジョンピル)(89)だ。61年5月16日、朴正煕が主導した軍事クーデターの中心人物の一人である。 金鍾泌は今年、韓国紙への寄稿で、日韓国交正常化を「(クーデターに続く)第2の革命だった」と振り返っている。朝鮮戦争(50~53年)で壊滅的打撃を受けた韓国経済は最貧国の水準。「近代化のための資金を何としても捻出しなければならなかったのだ」        始まりは“用日” 残された“反日”2月23日、弔問に訪れた韓国の鄭義和国会議長(左)とあいさつを交わす金鍾泌元首相(聯合=共同) 日韓国交正常化の立役者とされるのが、大統領の朴正煕(パク・チョンヒ)の命を受けて秘密交渉に当たった金鍾泌(キム・ジョンピル)である。中央情報部(KCIA)の初代部長を務めた金は「反日より、“用日”こそ困難な道である」という話をよく朴と交わしたという。 日本を用いて経済発展の道を探る-。1962年に始まった経済開発5カ年計画は莫大(ばくだい)な資金を必要としていた。 当時、ソウル大学生で学生運動のリーダーの一人だった玄勝一(ヒョン・スンイル)(73)と金道鉉(ドヒョン)(72)に、かつて学生たちがデモ隊を組織した光化門(クァン・ファムン)前の大通り沿いのホテルで会った。 「朴正煕のリーダーシップで韓国が発展を遂げたのは事実だ。が、だからといって軍事クーデター、人権・民主化弾圧などを許すことはできない」 玄は逮捕され服役した後、米国に渡った。帰国できたのは79年に朴正煕が暗殺されてからだ。その後の民主化過程で、国民大学の総長や国会議員を務めた。 「反日デモというより、クーデターで樹立された朴政権への不満、批判が爆発したデモだった」 こう振り返る金道鉉は、文民大統領の金泳三(ヨンサム)政権(93~98年)時代に文化体育省次官などを歴任した。 国交正常化の前年に起きた6月3日の騒乱は、韓国の近代化を優先する勢力と、民主化を求める勢力の衝突でもあった。 民主化勢力も反日を利用して朴政権打倒を目指した意味では、“用日”だったのである。 朴政権は、日韓国交正常化の果実である日本の資金や、米欧の援助を元手に60年代中盤以降、10%を超す高度経済成長を実現。「漢江(ハンガン)の奇跡」と評された。 その朴正煕の最大の政敵が、民主化勢力リーダーの金大中(デジュン)だった。97年の大統領選に出馬した金大中が保守派の票を取り込むために利用したのが、朴正煕の生家だ。投票の約2週間前に生家を訪れて和解を演出、劣勢を覆し勝利を収めた。いわば“用朴”である。 以後、朴人気も裾野が広がり、96年に約4万2千人だった生家の観光客数は昨年、実に69万人を数えた。 “用日”から始まった日韓国交正常化。50年がたち近代化と民主化が一通り達成された韓国に、むき出しの反日が残された。反日より困難な道、つまり新たな対日戦略を打ち出せる強いリーダーシップこそ、韓国には求められている。=敬称略(藤本欣也)【用語解説】朴正煕(1917~79年) 韓国・慶尚北道亀尾の貧しい農家に生まれる。大邱師範学校、満州国軍官学校、日本の陸軍士官学校卒。満州国軍中尉で終戦。朝鮮戦争を経て韓国軍での地歩を固め、陸軍少将だった61年、5・16軍事クーデターを主導して全権を掌握し、前年の李承晩政権崩壊に伴う内政の混乱を収拾。63年から5期にわたって大統領を務めた。開発独裁型の統治を推し進め、民主化勢力を弾圧する一方、高度経済成長を達成した。反政府暴動の高まりの中、79年に側近に暗殺された。現大統領の朴槿恵氏(63)は長女。【用語解説】日韓国交正常化 日韓両政府は14年間の交渉を経て、1965年6月22日に日韓基本条約に調印(同年12月18日に発効)、国交が正常化した。付属協定では、日本側が韓国に「無償3億ドル、有償2億ドル」を供与する一方、双方の財産・請求権については「完全かつ最終的に解決された」と明記された。しかし韓国側は近年、元慰安婦の賠償請求権は残っているとの主張を強めている。

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    本音では日本好き? 元ソウル支局長が見た朴槿恵の素顔

     行き過ぎた「反日」を改める声が韓国内からも出ている韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領だが、表面上その行動は窺えない。なぜ、そこまで日本に敵意を示すのか。 産経新聞の元ソウル支局長・黒田勝弘氏は、1980年代当時、産経ソウル支局と同じビルに朴氏の事務所があった関係で、幾度も顔を合わせていたという。「1980年代前半に彼女を招いてホテルの日本料理店で会食をしたことがありました。彼女との会話は韓国語でしたが、ある程度の日本語は理解している様子でした。 社交的な女性ですから、微妙な話はスマイルで避けてましたが、決して日本を批判したり、過去に触れることはなかった。1980年代に日本の財団の招待で、1週間ほど京都などを旅行していたこともあります。  政界入りしてからは(1998年~)、韓国の国会議事堂の近くの日本料理が行きつけで、よく日本蕎麦を注文していましたね。本音は日本を好きなはずです。彼女は、大統領という立場上、反日を唱えているに過ぎません」(黒田氏) 大統領就任にあたって朴氏は、李明博(イ・ミョンバク)前大統領の強硬反日路線(*注)を踏襲した。【*注/李明博政権は、発足当初こそ建設的な日韓外交を志したが、国内政策の失敗によって求心力が低下した政権末期に強硬な反日路線に転換。2012年8月には竹島に上陸し、日韓関係は暗転した】 朴氏が慰安婦問題において盛んに発信するのも、慰安婦問題の解決に向けて行動しなければならない法的義務を負うからだ。李明博時代の2011年、韓国の憲法裁判所は元従軍慰安婦たちが起こした憲法訴訟において、慰安婦問題の解決に向けて韓国政府が動こうとしない「不作為」は違憲である、との判断を下した。「歴史認識問題等に断固として対処する」。朴氏は就任直後から対日姿勢の原則として掲げる。その姿勢は、過去の発言とはまるで異なる。 おそらく朴氏は、父の代弁者として生きることの限界を悟ったのだろう。亡き父の復権を果たそうと努めた朴氏の前半生だったが、父・朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領も懐かしまれるだけの存在になりつつある。若年層を中心に、あの時代から形成された既得権益層への批判も根強い。 父に倣って行動することも、前政権の縛りから抜け出すことも今の朴氏からは想像できない。父が暗殺された上、「親日」の烙印を押されれたことなど、数多の悲劇が育んだ警戒心は、政治家としての「頑迷さ」となり、日韓関係に深刻な影を落としている。

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    朴槿恵大統領の妹はなぜタブーである「親日」発言に挑んだのか? 

     「私たちは親日をしなければ」。韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領の妹、槿令(クンリョン)氏のこうした発言が韓国で大バッシングを浴びた。日本のインターネット番組に出演し、靖国神社参拝や慰安婦問題について日本を擁護する主張を連発したからだ。韓国でタブーとされる「親日」という言葉をあえて使い、批判覚悟で発言した真意はどこにあったのか。彼女には、韓国民が本来立ち向かうべき“敵”の存在があった。(桜井紀雄) 「元慰安婦の方々に対しても、私たち(韓国民)がもっと配慮しなければならないのに、日本ばかりを責めてきた。そんなニュースが何度も流れたことについて申し訳なく思う」 朴槿令氏は4日にネットサイト「ニコニコ動画」の特別番組でインタビューに応じ、日本人ネットユーザーらに向けてこうメッセージを送った。日本から帰国したソウルの金浦空港で、記者団に持論を語る韓国の朴槿恵大統領の妹、槿令氏=30日(聯合=共同) インタビュー冒頭から、「韓国人も日本から学んでほしい」と日本のマナーのよさを持ち上げた。50年前に父の朴正煕(チョンヒ)元大統領が成し遂げた日韓国交正常化に伴う日本からの援助が「韓国の経済発展の原動力になった」とたたえた。 朝鮮半島に対する日本による過去の支配についても、天皇陛下がかつて韓国の大統領に「痛惜の念」を表明されており、「日本の首相が替わるたびに謝罪を求め、隣人を責めるのは、恥ずかしいことだ」と語った。 靖国神社参拝についても、「子孫として父の墓を参るのを拒むことはできない」と理解を示した。「安倍晋三首相が靖国参拝をして、再び戦争を起こしたいという気持ちがあるとは思っていない」とし、「そう思う人はおかしい」とまで述べた。日本の政治家の靖国参拝をたびたび非難する自国の外務省に対しても「内政干渉になる」とたしなめた。 極め付きは、「独立前の『親日』と国交正常化した後の『親日』の概念は全く変わっている」と強調した上で、「私たちは、親日・親米をして、国を発展させなければならない」と言ってのけたことだ。 韓国では、「親日=売国奴」と認識されており、日本に好意的な人物でも自分が「親日派」と名指しされることを絶対に避けようとするにもかかわらずだ。「仲良くなるのを邪魔する人がいる」 槿令氏の発言に対しては、韓国内で当然といえるほど、大反発が巻き起こった。 インタビューは7月末に収録されたもので、ソウルの空港で帰国を待ち構えていた韓国の報道陣に、槿令氏は、番組で語った内容と同様の主張を繰り返し、韓国メディアを刺激した。 韓国世論にとって最大級といえる“妄言”を朴槿恵政権の足をすくう好材料とみて、待ってましたとばかりにやり玉に挙げたのは、野党の新政治民主連合だ。 韓国の報道によると、同党幹部は、「朴槿令氏の言葉は、口にすることさえ恥ずかしい。大統領の妹としてなおのこと不適切だ。これを親日といわずして何だというのか」と非難し、朴槿恵大統領に対しても、立場を表明するよう迫った。 与党側でも、擁護するどころか、そろって「ゆがんだ歴史認識だ」などと不快感をあらわにした。 日本政府に補償と謝罪を求め続けている元慰安婦支援団体なども、当然のごとく反発した。 親北朝鮮傾向の強い支援組織「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)代表は、「歴史をきちんと学んでいない人の発言にすぎない。植民地時代の考え方から抜け出せない一部の人たちの誤った視点をそのまま反映している」と一蹴した。 韓国メディアは、放映した「ニコニコ動画」に対しても、「日本のネット右翼が多く視聴するサイト」とこき下ろし、発言が伝わった直後に朴政権の支持率が若干低下したことについても、「発言が影響した」との分析を伝えた。 だが、槿令氏はインタビューで「日本を責めるニュースが好きな勢力と私は闘っている」と述べ、こんな言葉をいい残している。 「よいことをしようとすると、水を差す人、仲良くなることを邪魔する人がいる。そういう人を警戒しないといけない。賢い人は分かると思う」 一連の日本擁護の発言は、失言などではなく、自国で非難にさらされることを覚悟した上での主張だったことを示す言葉だ。彼女なりに日韓関係を憂えての“確信犯”だったわけだ。 では、なぜ彼女は火中の栗をあえて拾ったのか。真意を解くキーワードは、インタビューの中にちりばめられている。 槿令氏は、日韓国交正常化に道を開いた大統領の娘として、韓国の支援に尽力してきた多くの日本人に接してきたことを説明している。韓国で治療が遅れていたハンセン病患者への支援や、先の大戦での韓国人戦没者の慰霊に、私財や身をなげうって取り組んだ日本人への感謝を表明した。 つまり、“親日”発言は、一つには、自身の実体験に裏打ちされているのだ。 そうした日本人たちの献身が「韓国人には、あまり知られていない」と嘆いた上で、その原因として、一人の大統領経験者を名指しした。左派を代表し、親北朝鮮傾向の強かった盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏だ。 「盧武鉉大統領時代、いきなり、父を含む国会議員の先祖に対して、親日的・反民族的だったとリストを作る動きを見せた」 盧元大統領は2005年に「親日反民族行為真相糾明委員会」を立ち上げ、日本統治時代に日本に協力した者の子孫を弾劾し、財産を没収するといった政策をぶち上げる。自分の政権の歴史的正統性と純血性を誇示する狙いは明白だった。 最大の標的が、槿令氏らの父、正煕氏であり、槿令氏姉妹も攻撃に巻き込まれる。野党議員時代の槿恵氏も「父が親日行為をやったとバッシングを受けた。かなりたいへんだった」と槿令氏は振り返り、「有権者の意思を反映するために対日関係を強硬にした」と説明した。 現在の朴槿恵大統領の歴史問題に絡む対日姿勢のかたくなさの底にも、過去にこうむったバッシングのトラウマがあるというのだ。 槿令氏が主張するように、韓国の「反日」の裏には、国内で執拗(しつよう)に繰り返される“親日派狩り”があるのは確かだ。韓国は、「反日」というよりむしろ、「反親日」といった方が正確だろう。 日本の首相に謝罪を何度も求めるのも、韓国で政権が替わるごとに、正統性を獲得するための国内向けの事情によるところが大きい。 韓国に対する日本人の貢献を手放しでたたえることは、「親日派」というレッテルを貼られる恐れがある。多くの人が口をつぐんだ結果、献身した日本人の存在も戦後の歴史に埋没させられてきた。 槿令氏は「父を『親日だ』と批判していた人々も経済発展の恩恵を享受している」と、国交正常化における正煕氏の努力と日本の援助を正当に評価しようとしない国内の左派勢力に向けた不満を何度か口にした。 「過去の歴史を利用」しようとした盧武鉉氏のような政治勢力に対しては、「歴史を何度も蒸し返そうとするのは、浮気をした夫とよりを戻した後も、悪い噂を立てることと同じではないか」と反論する。 日本との関係でも、朴正煕政権時代に「和解したにもかかわらず、蒸し返し責め続ければ、歴史は逆戻りし、後退させる。国益にもいいことでない」と述べた。槿令氏の主張を「歴史に反する」と非難するであろう勢力への皮肉とも聞こえる。 ここまできっぱり言い切る背景には、彼女が父同様に北朝鮮こそが、日米と協力して対峙(たいじ)すべき「民主主義国」共通の“敵”だとの強い信念があるようだ。 「私たちは親日・親米をしなければならない」と語った際も、続けて「従北はしてはいけない。親北朝鮮と言ってはならない」と強調した。それは「韓国の憲法に反し、“敵”を利することになる」と断言している。北朝鮮を「敵」だと明言してはばからないのだ。 「日本が再武装している」との韓国などで持たれる見方に対しても、「北朝鮮が核を持っているからだ。韓国にとって大きな脅威であり、沖縄などの米軍基地も韓国にとって大事だ」と述べ、日本の安全保障政策の強化にも理解を示した。 「大半の韓国の人は私と同じ考え方を持っていると分かっていただければ。韓国をもっと好きになっていただければと思う」 槿令氏は日本人にこうも訴えかけた。帰国後に彼女が大バッシングに遭ったことを考えると、信じられない日本人が多いかと思う。 しかし、筆者の経験からも、槿令氏と似た対日観を持つ韓国人は、珍しくはない。 特に、槿令氏同様に現実的脅威を直視し、北朝鮮を“敵”とみなす比較的年齢の高い人にその傾向がみられる。日本統治時代や朝鮮戦争を経験した年齢層の方がむしろ多いといえるかもしれない。 北朝鮮政権を民主主義共通の敵だとみるとき、日本は一方的に憎むだけの“他者”とはならないからだ。少なくとも、軍国主義が再び台頭する「侵略国家日本」という“フィクション”に振り回されることはない。 槿令氏も「日本は他の国を侵略する憲法でもなく、国民を天皇の『臣民』と呼んだ軍国主義の時代でもない」と現実的な認識を述べている。 逆に、北朝鮮と親和を図ろうという幻想にしがみつこうとすれば、するほど、「日帝時代」という苦難をともに乗り越えたという共通の「体験記」や「軍国主義日本」という“共通の敵”が必要になる。 慰安婦問題が日韓で大きな外交問題に浮上した1990年代初めにも、北朝鮮が狙い定めたように「20万人性奴隷」説などを喧伝(けんでん)し、韓国の挺対協などの支援団体と歩調を合わせた。槿令氏が日韓が「仲良くなるのを邪魔する人」と称した南北の勢力による共同戦線がこのとき立ち上がる。 慰安婦問題も南北に共通した苦難の歴史であり、日本を敵として、南北が共闘できるという格好の“かすがい”を提供したことになる。 同じ構図が日本による統治時代を経験した台湾にも当てはまる。「台湾は中国から独立した地域だ」と中国を“他人”扱いする台湾で生まれ育った一定数の人たちは、親日的傾向を持っていることが知られている。彼らは、自分たちの歴史の独自性を語る材料として、日本統治の影響を肯定的に持ち出しさえする。 反対に、戦後、台湾に渡った外省人の中で、中国との共通性にこだわる人々は、反日的傾向が強い。つまり、中国共産党と台湾の国民党にとって、共通の敵だった日本という「悪役」が必要不可欠なのだ。 戦後70年の今年、台湾の国民党政権が「抗日戦の主役は国民党軍だった」との色彩を全面に出した記念行事を計画したところ、「反日」が際立つことになり、台湾人意識の強い住民らから反感を買った。 一方、中国共産党政府は、国民党に統一を呼び掛ける際に、たびたび「南京大虐殺」の「史実」を誘い水に使う。ただ、現実の歴史では、民族同士血で血を洗う内戦の結果、中国に共産党政権が誕生した。 だからこそ、統一中国のためには、日本を絶対悪とした南京事件を共通の歴史として手放すわけにはいかないのだろう。国共内戦が凄惨(せいさん)であれば、あるほど、南京事件はクローズアップされ、中国と台湾の距離が離れれば、離れるだけ、中国側が示す事件での犠牲者数は10万人単位で跳ね上がっていく。 民族同士相争ったのは、なにも中国共産党と国民党だけではない。韓国と北朝鮮もまた、朝鮮戦争で戦火を交え、多くの街が焦土と化すほどの傷跡を残した。朝鮮戦争が悲惨であれば、あるほど、南北融和を訴えるには、民族の「正しい歴史」という舞台に、残忍だった日本人という共通の敵に出演してもらわなければならない。 そして、親北傾向の強い人ほど、日本に対し、繰り返し過去の歴史への懺悔(ざんげ)を請求し続ける必要性に追い立てられることになる。その中で、真っ先に標的にされるのは、正煕氏のような「親日派」であり、槿令氏のような日本擁護は「妄言」と一刀両断される。 「米国の議会がうらやましい」 槿令氏はこうも漏らした。米与党の民主党と野党の共和党ともに、福祉問題など現実的な課題で議論を戦わせるといった当たり前の光景がうらやましいという。 「国益のためには、野党でも与党でも一つのことに向かうシンガポールがうらやましい」。こう話していたという父、正煕氏の生前の言葉にも触れた。 「申し上げるのは、はばかられるが…」と断った上で、「韓国の政界では、北朝鮮にあまりに近い勢力がいて、韓国は共産化はされていないが、左翼化しているのではないかと思う」とも語った。 「建設的な論争をする米国議会とは違い、韓国国会は、北朝鮮問題といったイデオロギー論争を繰り返している」とも嘆く。高校生ら約300人が犠牲となった旅客船セウォル号沈没事故の原因究明をめぐっても、与野党が理念対立に固執し、長期間、国会が空転したことも記憶に新しい。 槿令氏は、「韓国はIT強国といわれるが、3、4カ月間、日本から部品を供給しないだけでたいへんなことになる」と、韓国経済の障害となる日韓関係の冷え込みにも懸念を示した。 経済や福祉問題という現実をほうって、不毛なイデオロギー論争と対日歴史問題に拘泥する韓国の政治状況に心底嫌気が差していたのだろう。「親日」という刺激的禁句を使ってまで、日本擁護の発言をし、注目を浴びることで、閉塞(へいそく)した国内状況に、自分なりに一石を投じるつもりだったのかもしれない。“孤独”な姉へ孤立無援のエール 姉の朴槿恵大統領に対しては、日韓国交正常化50年式典で、「日本との協力関係を強化する立場」を表明したことから、日韓関係改善に向け期待感を示した。日本の視聴者には、「新しい出発を見守ってほしい」と呼びかけ、姉にエールを送った。 だが、韓国でイデオロギー対立が解消されない限り、「親日派の娘」というレッテルを貼られ、事あるごとに攻撃にさらされてきた槿恵大統領の対日姿勢が急に改善するとは到底、予想できない。韓国野党は、妹の日本擁護発言を「妄言」として、朴政権への攻撃材料とみなしたぐらいで、槿令氏の渾身(こんしん)の主張は、火に油を注いだ逆効果だったと考えざるを得ない。 保守・左派そろって民族主義的傾向が強く、民族にとっての「正しい歴史」が政治的正義と信じられている韓国にあって、「反親日」に錦の御旗があることに変わりはない。 歴史問題を封印し、日本から巨額の援助を引き出し、祖国を経済発展に導いた正煕氏は、韓国最高の「英雄」と称賛される半面、「売国奴」だと後ろ指を指される背反する2つの評価がつきまとう。この韓国現代史上最も大きな存在を父に持つゆえ、現国家指導者の姉は、皮肉にも、自ら「正しい歴史」に絡め取られ、歴史問題で、安倍政権に繰り返し譲歩を求めるほか、身じろぎ一つできないのが現実だ。 「正しい歴史」が幅を利かせるなか、正煕氏や朴槿恵大統領の支持層であっても、槿令氏の主張に首肯するわけにはいかないのだ。 民族的正義のために振りかざされる歴史問題よりも、北朝鮮の脅威や経済問題といった現実を直視する人でも、「親日派」のレッテルを恐れ、表立って賛意を示す人はほとんどいないだろう。槿令氏がいう「私と同じ考え方」の人は、どこまでいっても声なき声の域を越えられない。 槿令氏の活動に姉が干渉することは、ほとんどないという。大統領就任と前後して槿恵氏は、家族も遠ざけてきたとされる。「最後に姉に会ったのはいつか」との質問に、槿令氏は「よく思い出せない」とも答えた。 インタビューの最後、槿令氏は「未来を背負って懸命に生きてこられた父の遺志は、何だったのかを考えて」と前置きし、日韓双方の人々に向け、こう語りかけた。 「痛みのある歴史に執着して、未来に向けて踏み出せない人々は、日韓の国益や平和を考え、もっと仲良くなれるようにベストを尽くすべきだと思う」 血を分けた妹の本音でもあり、迷惑この上なくもあろう姉に向けた“孤立無援”のエールを、家族さえ遠ざけ、“孤独”に執政に没頭する朴槿恵大統領は、どう受けとめるのだろうか。

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    朴正熙と朴槿恵の「反日」を比較する

    京基督教大学教授) 朴槿恵政権下で反日外交が展開される中、日本人の嫌韓感情はかつてなく高まっている。韓国研究者としてかの国と40年近く付き合ってきた私はこの間「現在の韓国人の反日感情の原因は日本統治時代の記憶ではない。なぜなら、反日感情は統治時代を経験していない若い世代ほど高いからだ。」と繰り返し述べてきた。朴正熙大統領 朴槿恵大統領も日本の統治時代を知らない世代だ。そしてその父、朴正熙大統領は日本統治時代を経験した世代だ。日本では父は「親日」で娘は「反日」だという誤解が広がっているが、朴正熙大統領も自分も「反日」だと明言している。朴正熙時代には日本で嫌韓感情は生まれなかったが、朝日新聞など左派メディアからは独裁者だとして激しい非難が加えられていた。 朴正熙大統領の「反日」は朴槿恵大統領のそれとは質的に異なっていた。だから、侮蔑意識が含まれる嫌韓感情を生むことはなく、むしろ、心ある日本人の尊敬を集めた。 一言でその違いをいうなら、甘えがなく自己の欠点を直視する勇気を備えている「反日」だった。朴正熙大統領は1965年、国内の激しい反対運動を戒厳令と衛戍令をひいて抑え付けて日韓国交正常化を断行した。そのとき、以下のような談話を発表している(1965年6月23日、韓日条約に関する韓国国民への特別談話)。 去る数十年間、いや数百年間われわれは日本と深い怨恨のなかに生きてきました。彼等はわれわれの独立を抹殺しましたし、彼等はわれわれの父母兄弟を殺傷しました。そして彼等はわれわれの財産を搾取しました。過去だけに思いをいたらすならば彼等に対するわれわれの骨にしみた感情はどの面より見ても不倶戴天といわねばなりません。しかし、国民の皆さん! それだからといってわれわれはこの酷薄な国際社会の競争の中で過去の感情にのみ執着していることは出来ません。昨日の怨敵とはいえどもわれわれの今日と明日のために必要とあれば彼等ともてをとらねばならないことが国利民福を図る賢明な処置ではないでしょうか。(略) 諸問題がわれわれの希望と主張の通り解決されたものではありません。しかし、私が自信を持っていえますことはわれわれが処しているところの諸般与件と先進諸国の外交慣例から照らしてわれわれの国家利益を確保することにおいて最善を尽くしたという事実であります。外交とは相手のあることであり、また一方的強要を意味することではありません。それは道理と条理を図り相互間に納得がいってはじめて妥結に至るのであります。(略) 天は自ら助ける者を助けるのであります。応当な努力を払わずにただで何かが出来るだろうとか、または何かが生まれるであろうとかという考えは自信力を完全に喪失した卑屈な思考方式であります。 今一部国民の中に韓日国交正常化が実現すればわれわれはまたもや日本の侵略を受けると主張する人々がありますが、このような劣等意識こそ捨てねばならないと同時にこれと反対に国交正常化が行われればすぐわれわれが大きな得をするという浅薄な考えはわれわれに絶対禁物であります。従って一言でいって韓日国交正常化がこれからわれわれによい結果をもたらすか、または不幸な結果をもたらすかということの鍵はわれわれの主体意識がどの程度に正しいか、われわれの覚悟がどの程度固いかということにかかっているのであります。 韓国の「反日」がおかしくなるのは1982年、全斗煥政権が日本の左派メディアと中国共産党と野合して、歴史認識問題を外交に持ち出すという禁じ手を使ってからだ。第1次歴史教科書事件で、朝日などが文部省の検定の結果、「侵略が進出に書き換えさせられた」という大誤報をして日本政府を非難したことに、まず中国政府が公式抗議し、それに全斗煥政権が乗っかって、他国の歴史教科書の記述の修正を外交交渉の議題にするという前代未聞の「内政干渉」を行った。 このとき、全斗煥政権は、韓国軍近代化資金を日本も負担すべきだという安保経済協力を求めていた。ところが、冷戦をともに戦っているという意識の低かった当時の鈴木善幸政権と外務省は、その要求を冷たく拒否したため、全斗煥政権が禁じ手を使ったのだ。それから、盧泰愚政権まで、韓国政府は日本から経済協力資金や技術協力を得る手段として、歴史認識問題を使った。それも朝日などの誤報をそのまま利用する事実に反する反日キャンペーンを外交に使った。まさに、「甘え」の反日だ。1992年1月、訪韓した宮沢首相に対して盧泰愚大統領が首脳会談の場に慰安婦問題を持ち出したのがその典型だ。軍人出身の盧泰愚大統領は慰安婦強制連行がなかったことを知っていたが、技術移転を求める外交カードとしてそれを使った。 1995年、村山談話が出されたが、韓国の反日はその年からより悪化、劣化した。金泳三大統領が江沢民主席と会談して、反日外交での共闘を提唱し、統治時代の歴史だけでなく、竹島問題も「日本軍国主義による侵略」という一方的な決めつけをして、日本政府や日本国民が領有権主張をすること自体を許さない、外交常識に反する反日を展開した。このときから、反日の目的が、日本からの支援獲得でなく、韓国国内での人気獲得に変わった。韓国では1980年代以降、親北左派勢力が学界、教育界、マスコミに急速に拡散し、いわゆる韓国版自虐史観を広げていった。その鍵も「反日」だった。李栄薫ソウル大学教授は名著「大韓民国の物語」でその誤った歴史観を次のように要約した。 「宝石にも似た美しい文化を持つ李氏朝鮮王朝が、強盗である日本の侵入を受けた。それ以後は民族の反逆者である親日派たちが大手を振った時代だった。日本からの解放はもう一つの占領軍であるアメリカが入ってきた事件だった。すると親日派はわれ先に親米事大主義にその姿を変えた。民族の分断も、悲劇の朝鮮戦争も、これら反逆者たちのせいだった。それ以後の李承晩政権も、また1960〜70年代の朴正熙政権も、彼らが支配した反逆の歴史だった。経済開発を行ったとしても、肝心の心を喪ってしまった。歴史においてこのように正義は敗れ去った」 朴槿恵大統領はこのような自虐史観に支えられた親北左派勢力と大統領選挙で戦って、51%対48%で辛勝した。本来なら彼女の役割は、自虐史観勢力を各界各層から追放する国家正常化であったはずだ。今回、歴史教科書を検定から国定に戻すことを決めたのも、まさに自虐史観一辺倒になってしまった歴史教科書を正常化するためだった。しかし、朴槿恵大統領は世論に迎合する機会主義的政治家だった。 彼女は父親に対する支持から絶対に自分を離れない保守層約3割を固定支持勢力として持っている。また、反対側に約3割の左派固定勢力が分布している。選挙で勝つためには、中間の4割を自分の側につけるしかない。だから、彼女の政策は親北派に妥協的で、世論迎合的なものが多い。朴正熙大統領が「つばは墓に吐け」(自分の政策の評価は死後、決まる)と語り、信念を曲げなかったことと正反対だ。 慰安婦が性奴隷だったら、彼女の父を含む戦前、日本軍(満州軍を含む)の将校だった韓国人はみな、同胞がレイプされていることを知りながらその犯人に奉仕した「売国奴」になる。事実を直視し、与えられた国際環境の中で日本を利用して韓国の安保と繁栄を実現するために全力を尽くすという、父にあった健全で尊敬できる「反日」に彼女が戻れば、日本人の多くの嫌韓感情は解消するだろう。

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    日本の賠償金はなぜ従軍慰安婦に使われなかったのか 

    経済協力に関する協定」により5億ドル(無償3億=1千80億円、有償2億=720億円)の経済協力資金が韓国に供与されたが、従軍慰安婦の補償には一銭も宛がわれなかった。  その理由の一つは、日韓国交交渉で従軍慰安婦問題が議題に上がらなかったことにある。 首都ソウルの日本大使館前に設置された「慰安婦像」と記念撮影する少女=2015年8月14日、韓国(早坂洋祐撮影) 韓国側の交渉責任者であった李東元外相(故人)は今から19年前、国交樹立30年目の年にあたる1995年、慰安婦問題が交渉時にどのように処理されたかについて次のように証言していた。  「記憶がはっきりしないが、当時の協定条項には従軍慰安婦の問題と被爆者、徴用者に対する賠償はどこにも含まれなかった。誰の口からも持ち出されなかった。理由は、従軍慰安婦の問題は被害者である韓国にとっても、加害者である日本にとっても恥ずべき歴史の痛みであるからだ。この問題を持ち出せば、国民感情を損なうだけで、外交的に得るものがないからだ。それで、この問題は将来の両国の関係に委ねることにした」  被害者国の韓国側からの提起もなく、討議の対象になっていなかったことからみても第一次的な責任は韓国側にある。  次に日本からの賠償金(経済協力金)の使途については日本政府の同意(署名)が必要とされ、日本からの商品や産品、用役の購入、導入が前提条件となっていたことにある。  賠償とはほど遠く、明らかに商業主義に基づく資金提供であった。慰安婦など植民地統治による被害者への救済という概念は日本側には全くと言っていいほどなかった。従って、日本側にも道義的責任がある。  日本からの賠償金(経済協力金)は日本からすれば、商品もさばけ、技術料も手に入る仕組みになっており、少なからず先行投資的要素もあった。   条約当時、中川融外務省条約局長は「大声じゃ言えないけど、私は日本の金でなく、日本の品物、機械、日本人のサービス、役務で支払うと言うことであれば、これは将来日本の経済発展にむしろプラスになると考えていた。それによって相手国に工場ができるとか、日本の機械が行くことになれば、修繕のため日本から部品が輸出される。工場を拡大する時には、同じ種類の器械がさらに日本から輸出される。従って、経済協力と言う形は、決して日本の損にはならない」(「季刊青丘」1993年夏号)と語っていたが、中川局長の予言とおり、国交正常化翌年の1966年から76年までの11年間 韓国の対日輸出は70億ドル、対日輸入は148億ドルと、2対1の貿易逆調となった。  日韓条約交渉は李承晩政権下の1952年からスタートしたが、韓国は1953年の第3回交渉で日本の植民地支配で被った損害補償として当初27億ドルを「対日財産請求権」という名目で要求していた。  しかし、日本が「韓国にある日本人の私的財産については十分に請求する権利がある」と「対韓請求権」を主張したことから相殺され、韓国は請求権を放棄せざるを得なかった。しかも、韓国が手にした無償資金(3億ドル)は要求額の9分の1に過ぎなかった。  当時、韓国は8項目にわたる膨大な請求権とは別途に日韓会談の一環として開かれていた一般請求権小委員会で強制徴用された労務者66万7千684名と軍人・軍属36万5千名、併せて103万2千684名と見積もり、生存者に対し一人当たり200ドル、死亡者に対して一人当たり1千650ドル、負傷者に対して一人当たり2千ドル、総計で3億6千400万ドルの補償を要求していた。  対日請求権を放棄するなど韓国が大幅に譲歩、妥協したのは、軍事クーデターで政権の座に就いた朴正煕大統領にとって政権維持のための資金と経済再建5か年計画を進める上で日本からの資金を緊急に要していたことに尽きる。  朴正煕大統領がいかに焦っていたかは、クーデターを起こし、政権を掌握した翌年の1961年6月1日、外国人記者招待パーティーの席上で、「日本人は過去を謝罪し、より以上の誠意で(日韓会談)に臨むべきか」との質問に「そういうことは今の時代に通用しない。昔のことは水に流して国交を正常化するのが賢明だと考えている」と答えていたことでもわかる。  対日請求権を放棄したことで国民から突き上げられた朴正煕政権は日韓協定から6年後に被害者に補償することとしたが、対象は「日本軍によって軍人・軍属あるいは労務者として招集あるいは徴用され、1945年8月以前に死亡した者」の遺族に限られた。生存している戦傷者、強制連行者、被爆者、サハリン残留者、従軍慰安婦、BC級戦犯などは除外されてしまった。  その後、判明したことだが、日本が投じた5億ドルのうち、主たる援助先の農林や水産部門には6千670万ドル(13.3%)しか回らず、対照的に朴正煕大統領の出身地でもあり、選挙地盤の慶尚北道の浦項(ポハン)総合製鉄所建設には1億千948万ドル(23.9%)がつぎ込まれ、この製鉄所工場に支援する建材の入札をめぐっては日本企業が対米価格よりも高く売りつけ、水増しした額の一部がリベートとして朴政権の懐に入ることとなった。  日韓協定に基づいて日本から10年間にわたって投じられた総額5億ドルの資金はその一部が金大中野党候補と一騎打ちとなった大統領選(1971年)用に流用されたとの疑惑を持たれるなど使途をめぐっては不透明な部分が多く、「日韓癒着」という言葉が「流行語」となった。  従軍慰安婦問題は朴槿恵大統領の父親である朴正煕大統領が国交正常化時に日本から得た経済協力金を慰安婦ら被害者らに宛がわず、放置したことによる「負の遺産」でもある。ならば、朴槿恵大統領はまずは、慰安婦を切り捨ててしまった父親の過ちを正すべきである。(Yahoo!ニュース個人 2014年1月10日より転載)

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    朴槿恵政権を「親日」と見る早計

    加瀬英明(評論家)呉善花(拓殖大学教授)加瀬 日韓国交回復をしたのは安倍さんのおじい様の岸信介首相でした。朴正熙大統領の時代ですね。アメリカはアイゼンハワー政権だったのですが、李承晩が過激な反日だったため、冷戦下で日本と韓国の仲が悪いので困っていたんです。ですから、日韓国交回復を、ドイツのアデナウワー首相とフランスのドゴール大統領の歴史的和解のアジア版だと言って、大喜びした。 今もアメリカは、日韓の不仲に悩んでいますが(笑)、今度こそ岸さんのお孫さんと朴大統領のお嬢さんが、歴史的和解をしてほしいと思っているんですね。 岸さんから晩年お伺いしたのですが、朴大統領は日本語が大変お上手で、宴会のときに、「私はパクパク食べるからパクなんです」といって皆を笑わせた(笑)。呉 朴大統領は日本の陸軍士官学校を出ていますからね。韓国の戦後の軍事制度も、日本のシステムを導入しているんです。 朴大統領について、日本人は独裁政権のイメージと、日韓国交回復させたことで、あたかも親日家であるかのような、二つのイメージがありますよね。加瀬 日本で、朴さんのことを「独裁者でけしからん」と言っているのは朝日新聞などの、左派の人たちで、保守側は総じていい印象をもっています。朴政権が反日教育をした呉 日本人は、韓国の「悪いところを見たくない」というイメージがあると思います。だから、朴大統領に関しても、親日家的側面しか見ていません。彼は個人的には日本が好きでしょうが、一番強烈な反日教育を行った張本人なんですよ。加瀬 朴大統領の演説集には「李朝があまりにも腐敗して、国家の体をなしていなかったから日韓併合につながった」とありますよ。呉 表向きはそう言いますが、朴大統領が反日教育をしたツケが今の韓国人なんですから。加瀬 でも、反日教育は李承晩政権のときからですよね。呉 李承晩のころは根深いものではなかったんですが、朴大統領のときに徹底した反日教育をやってしまった。朴槿恵は、その反日教育を受けた世代です。加瀬 お母さんの陸英修夫人も日本の女学校を出ているでしょう。呉 にもかかわらず、反日教育をしたんです。朴槿恵の主張からすると、親がどうであれ、反日感情のレベルは普通の韓国人と同じです。 竹島問題に関しても「日本側が正しい認識をもってほしい」と言っています。これは他の歴史認識同様、あくまでも韓国の考え方が正しいものであって、日本側は誤っているという解釈です。日本の朴槿恵政権に対する認識は甘すぎます。加瀬 本人の内心はともあれ、韓国世論があるからそう言わなければならないということですか。呉 というよりは、骨がらみ反日教育で育った世代だということです。 これは李明博大統領も同じです。彼が日本で生まれたというだけで、幻想を持っている。ところが、反日教育を受けた一般の韓国人となんら違う考えを持っていない。判断力がないんです。ですから、今の反日教育世代からずば抜けた日本人観をもった人が出てくるのは極めて難しいですよ。安倍首相は「shameful」?加瀬 さきの総選挙の投票日にワシントンにいて、固唾を飲んでみていたら安倍自民党が圧勝したので安心したんです。その直後にニューヨークタイムズが「今度の安倍首相は河野談話の見直しを行うということを言っている」と社説で論じ、そのタイトルが「shameful」=「恥知らず」の考え方、というものでした。呉 安倍さんに対してそんな失礼なこと言っているんですか。加瀬 「韓国の若い女性を無理に性奴隷に仕立て上げた罪を否定するとはshamefulだ」と言っているんです。日本専門家のマイケル・グリーンは、「首相が靖國神社に参拝しても理解できるだろう。しかし、河野談話を否定するとなると、上下両院、地方議会などで大変な反発を招くだろう」と言っていました。今月もニューヨーク・タイムズで「村山談話を否定するならば、日本は中国・韓国をはじめとするアジア諸国を侵略した罪を否定する、大変ひどいことだ」と書いていた。呉 それは、日本と韓国の教育が作り上げた結果でしょう。加瀬 日本も韓国と同じように「日本がひどいことをした」という妄想に囚われています。 でも、安倍さんを「shameful」と批判する三カ月くらい前のニューヨーク・タイムズは「韓国は売春大国だ」と書いていた(笑)。呉 世界でワースト1ですから(笑)。加瀬 それに、韓国では賃金の大きな差がありますね。呉 良い大学を出ても就職できない。まともな会社に就職しようと思ったら、選ぶべき大学はおのずと絞られてしまいます。だから受験競争が激しくなる。韓国では″知=学歴〟が一番大切ですからね。加瀬 儒教の影響ですね。しかし、世界にはニューヨーク・タイムズのような認識をもっている人たちはたくさんいる。呉 それをこれからどのように正していくかが大きな政治的テーマでしょう。安倍政権は、それを期待されてこれだけ圧勝したわけです。しかも、安倍総理は力強く出ていますからね。加瀬 韓国の妄想につける薬はまったくないと思いますが(笑)。呉 少なくとも、「朴槿恵が親日」という妄想だけは、早く壊さないと危ない。加瀬 朴大統領が軍事クーデターを起こしたときに参加した金鍾泌さんとはたいへん親しくさせていただいたんです。彼も日本語を話すのが大好きで、親日でした。「漢江の奇跡」は日本の援助「漢江の奇跡」は日本の援助呉 朴大統領やその周りの方々は親日でも、戦後の「漢江の奇跡」は日本からの援助によってなされたものだと発表していない。ソウル市街と、街の中心を東西に流れる漢江 私は新日鉄の会長だった有賀敏彦さんとは親しくさせていただいたんですが、新日鉄は韓国のポハン製鉄に技術提供をし、韓国の地下鉄などに多大な貢献をしているんです。そのため、韓国の青瓦台の大統領官邸に呼ばれ、賞をいただいたそうです。しかし、賞を頂くのに〝個室〟で誰にも知らせないでたった一人でもらったという(笑)。 ウラでは、評価しているし、援助に対する感謝の気持ちもあるけれど、国民どころかまわりの官僚にも言わない。このようにして、徹底した反日教育を行ったことの結果が表れているんです。加瀬 日本語が得意で、日本が好きだった方に「なぜ反日教育を行ってきたのか。同じような状況だった台湾は親日であるのに、なぜ韓国は違うのか」と聞いたことがあるんです。すると、「日本が悪い」と──。「日本が戦争に負けたから悪くて、あと十五年、つまり五十年間日本が統治していたら、台湾に負けない親日になっていただろう」と言われたことがあります。 それにもかかわらず、どうして朴政権は反日政策を施したのでしょうか。呉 私も不思議でならないんです。朴大統領は、韓国人は朝鮮時代に腐敗したどうしようもない国民性を持っていることは知ってらっしゃるんです。『人間改造の民俗的課題 韓民族の進むべき道』で韓国朝鮮民族のどうしようもないところを指摘して、変えるべきだと言っています。例えば、特殊特権意識。これは韓国人はすごく強い。お金がある、学閥や門閥が優れているということに対しての執着が強いんです。民族の共同利益と繁栄を阻害していると指摘しています。もう一つは過去の国家政策のすべてが歪曲されていること。自党の利益のためだけに政策が実施されてきたと言っています。加瀬 今の韓国そのものですね。呉 李承晩政権の反日教育はわずかな期間でしかないし、全国民が教育を受けられるような環境でもなかった。朴大統領は、あれだけの力を持っていたのですから、反日教育を変えることが出来たはずなのに、むしろ徹底した反日路線を継承してしまった。加瀬 李朝五百年の間に何も誇れることがないから、反日を韓国の愛国心の柱にするしかなかったんですね。呉 これまでもお話ししてきたように、漢字廃止とハングル礼賛、そして反日ですね。加瀬 朴正熙大統領は強硬な反日政策をとったにもかかわらず、盧武鉉政権のときには日本の士官学校を出たというだけで、親日というレッテルを貼られてしまいましたね。呉 それは朴槿恵に対する牽制です。親日派の娘ということで潰したかったんです。加瀬 朴政権の頃の韓国によく通いましたが、政府の方、国会議員、学者も親日ぶりを披露ばかりするもので、反日のムードがあることに全然気がつきませんでした。呉 トップの方たちはそうかもしれませんが、一般では反日ムードが強く、日本人たちは韓国に行くのが怖かったと聞いています。加瀬 全斗煥時代からではなくて?呉 私が日本に来たのは全斗煥時代でしたけど、そのときにはすでに反日教育を受けていましたから。日本人観光客を見ると学生たちは指差して揶揄したり……。 むしろ、今の方が落ち着いている気がします。何が何でも反日というのではなくて竹島や慰安婦というキーワードに反応し、それも全国民が立ちあがるのではなく、一部の団体が騒いでいるのが現状です。鳥もネズミも知らない内に加瀬 従軍慰安婦問題に火をつけたのは朝日新聞です。呉 ええ。昔は個別の問題で騒ぐのではなく、〝漠然とした〟反日でした。私が日本に来た頃は、韓国からの留学生たちが集まると、とにかく反日的な言い方をしないと韓国人ではないという扱いを受けました。私も当時は凄かったんですよ(笑)。加瀬 おや、どのようなことをおっしゃっていたんですか。呉 「日本人は血も涙もない国民だ」とか(笑)。加瀬 それから二十五年経って、韓国の現状はどうですか。呉 変わってない(笑)。ただ、今は行き来する人が増えたので、実は昔ほど根深いものではないという印象ですね。 最初に本を書いたころは、親日的なことは書けない時代でした。韓国には「鳥もネズミも知らない内に」という言葉があって、夜行性のネズミも知らない内に拉致されて、どうなるか分からない……。それくらい朴政権というのは怖いという印象があった。加瀬 韓国人で面白いのは、反日を言いつつも、日本製品が大好きですよね。女性なら化粧品、男性なら電化製品……。イスラエルはユダヤ人ですから、ホロコーストをやったドイツ人が大嫌いです。だからドイツ製品も、ベートーベンも一切だめ。でも、韓国は違いますね。日本が大好きという一面もある。呉 消費社会はいいんです。でも、漠然とした日本というもの、国家となると拒否反応が出るんですよ。加瀬 最近、韓国では日本の居酒屋が流行っているそうです。日本酒もブームだとか。ビールは「アサヒビール」が若い人には好まれているようですね。呉 「サケ」という言葉が特許を取っているくらいです。韓国人にとって、「酒」というのは最高級品です。加瀬 この二重人格というか、複雑な日本観は何とも不思議ですね。呉 感情的なんですよ。イスラエルのように、〝理性的に〟排除することはせず、矛盾した二つの日本観が同居しているのが韓国なんです。加瀬 日本人をいい奴だと思っているんでしょう、「いい奴がつくっているならいい国だ」ということにはならないんですか。呉 一般の韓国人にそんなまともな冷静さはありません(笑)。 この感覚を知らなければ、韓国人とはまともに付き合えないと思います。たとえ父親が日本の学校を出ていたとしても、この感覚で育ってきた朴槿恵に期待しすぎたら痛い目を見ますよ。本質を知る気がないのなら、中途半端な韓国との付き合いはやめるべきです。加瀬 分裂症みたいですよね。呉 そうですね。加瀬 中国には逆らいませんが、それも国民性というか、二千年のDNAなんでしょうね。呉 中国人にも韓国人にも共通している点なんですが、上から物事を見たい。見下したいんです。さきに公明党代表が中国で習近平に会いましたね。その時の態度が、まさしくそれを表しています。日本人はお辞儀をするけれど、彼らはしません。韓国でもお辞儀は下位のものが深く、上位者は軽く頭を下げる程度です。 李朝時代、朱子学一本でピラミッド型の国づくりを進めていきました。次第にそれが家庭生活まで貫くようになり、一つの乱れもない階級社会が出来てしまった。これが結局は戦後、韓国人が唯一の価値観で動くことに繫がっています。完璧なたった一つの真理が貫いている北朝鮮を理想とする若者がいるのも、硬直した価値観があるからなんです。その価値観に当てはめると、韓国と日本は……。加瀬 両班と常民の関係ですね。日本人はいつも「すみません」と深々と頭を下げているからね。呉 外交はパフォーマンスですから、非常に大切なわけです。日本人は謙虚な気持ちの表れで、上に行けばいくほど深くお辞儀をする。韓国人からしてみると、深く、もしくは何度もぺこぺこするのは、卑屈に見えて仕方がない。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざは、日本だけで通じる美学だと考えた方がいいのです(笑)。加瀬 なるほど。韓国では一度しかお辞儀をしないんですよね。複数回するのは死んだ人にだけです。ましてや、慰安婦問題のように事実でないことについて何度もおわびをするというのは、本当に卑屈なことですね。呉 「ほら、自分で認めたじゃないか」ということになってしまいます。「もっとよこせ」と要求するもっとよこせ加瀬 河野談話については、石原信雄官房副長官というキャリアのお役人が「韓国人女性を強制的に拉致してきて慰安婦にしたということを日本が一回認めれば、もう二度と言いませんから」という韓国側の主張を信じて、上役の河野官房長官に談話を発表させたんです。いまでは「私はだまされた」と言っていますが……。呉 日本人は「謝ったほうが勝ちだ」というような自分たちの価値観で勝手に判断したんです。中国は「謝ったら終わり」でしょう(笑)。加瀬 韓国人にとって「負けるが勝ち」というのは理解出来ない言葉だそうですね。呉 ないですよ! 「勝てば官軍」です!加瀬 中国の人に同じ質問をしたら、「そんな発想はまったく中国にない」と言われました。呉 ″助ける〟ということもそうです。なにかあった時に助けるということになったとしますよね。余計な助けは、逆に良くないんです。 韓国人の性格がそうなんですが、助けてもらうということは、「私」に力があるからということになる。助けてもらうのではなく、「あなたが助けてくれるべきでしょう」と。加瀬 計算をして、後に得をするために、援助をしたと解釈するんですか。呉 というよりも、「私にそれだけの価値があるから、私を助けてくれる。だから私を助けなさい」という発想なんです。それが受ける側の価値になる。 経済的援助を例にすると、小さな金額で助けてもらうと「私の価値をこれだけしか判断できないのか」とものすごく怒るんです。それで「もっとよこせ」と要求する。たくさん相手に助けてもらえるということは、その人の力と判断されるんです。加瀬 日本が日韓条約で大変な金額をあげたんですよね。ところが今は全然感謝されない(笑)。呉 「そんなのはハシタ金にすぎない、足りない。もっとよこしなさい!」と(笑)。加瀬 いまの中国の発展は、日本のODAのおかげですよ。「日中友好は大切だから」と一番初めに中国に進出したのは松下。今回の反日暴動で一番初めに襲撃を受けたのは、パナソニックの工場なんですよ。日本では「どうして恩を仇で返すのか」とキョトンとしているけれど、これと同じ話ですね。呉 ありがたいという気持ちがないんです。助ければ助けるほど、「それくらいしか私の価値を認めないのか」と怒り狂って、「もっとよこせ!」と要求するんです。こういうことで存在意義をアピールする。国家間も、普通の人間関係も同じです。働くことは卑しい加瀬 韓国では、食堂や料亭では、常連から高くとるんですよね。「よく来るから、高くとってもいいだろう」という発想です。日本だと、常連さんには安くする。呉 そうですよね。「ありがたい」という気持ちですね。 韓国の店は「常連としてくるということは、それだけこの店に価値があるからだ。だからもっと払え」となる。だから次はもっと高いお酒を出して(笑)。本当に日本人とは違うんです。加瀬 現金で払うと、常連客にはおつりをくれないんですよ(笑)。呉 もっと言うならば、「働かないでもタダでもらえる」ということもその人の力だと考えるんです。日本人にとっては、タダで誰かからお金をもらって生活するなんて、みっともないことでしょう。 韓国では、どうすれば働かなくても助けてもらえるかがその人の力なんです。「私に〝徳〟があるからみんな持ってくるんだ」という発想につながるんです。生まれつき、あるいは先祖から受け継いだ徳に対する対価と考える。だから、汗水たらして働くというのは、不幸なことなんですよ。 この間、韓国人と会って「あれ?」と思ったことがあったんです。手先が器用で才能がある人は日本ではどう評価しますか。加瀬 「匠」として尊敬され、高く評価を受けますよね。呉 韓国では、器用な人は不幸になると言われているんです。色々な仕事が出来てしまいますから、たくさん働かなくてはならない。加瀬 要するに、働くことは卑しいことなんですよね。呉 この前、韓国人が私の家に来たんです。「これもあれも私が作ったのよ」と言ったら「器用ですね」と誉めてくれたんです。嬉しいなと思ったら、そのあと「昔から器用な人は不幸な運命の持主だと言われるけど」って(笑)。そんなことを言われて、本当にがっかりして……。加瀬 両班は自分の手の届くところにあるものしかとらないというし、馬に乗るのも、従者に腰を高く持ちあげてもらうんですよ。自分の力は使わない。 日韓併合のときの日本の調査で、両班は五〇パーセントだった。明治に入ったときの士分は八パーセント以下。韓国では働かない両班がどんどん増えていって、国が潰れてしまったんです。日本は武士だって畑を耕しました。呉 働かなくても食べていけることが幸せ。今でも、そういう人は幸せの象徴なんです。このような国民の精神性が、国家間の外交問題にすごく表れているんです。 汗水たらして働くことを美徳としている日本人は、〝低い〟人たちと判断される。だから、日本人に働かせて、お金を稼がせて、それを韓国人が使うべきなんだという発想です。加瀬 不当な生活保護受給者みたいですよね。呉 韓国の牧師さんの説教があったんです。「キリスト教を信じなければ、日本は滅びる。その証拠に、汗水たらして働いているのに、日本人が住んでいるのはウサギ小屋ではないか。日本人はお金を稼ぐが、それを使っているのは、クリスチャンであるアメリカ人ではないか。日本人は呪われている奴隷である」と言っていたんです。 これに象徴的に表れていますよね。日本人はお金を持っていても、使うのが下手だから、韓国人が使ってあげなくてはならないという感覚はものすごく強いんです。これに対する罪の意識はありません。むしろ、韓国人が使ってあげないと日本人がダメになるという発想です(笑)。加瀬 ハハハ、ありがとうございます(笑)。カムサハムニダ!!かせ・ひであき 1936年、東京都生まれ。慶應大学経済学部卒業後、エール大学、コロンビア大学に学ぶ。『ブリタニカ国際大百科事典』初代編集長を経て、評論家として活動。映画『プライド 運命の瞬間』(98年)『ムルデカ 17805』(01年)の監修も担当した。海外での講演も多い。お・そんふぁ 1956年、韓国生まれ。拓殖大学国際学部教授。大東文化大学卒業後、東京外国語大学地域研究科修士課程修了。韓国時代に四年間の軍隊経験あり。東京外国語大学大学院時代に発表した『スカートの風』が大ベストセラーに。また『攘夷の韓国 開国の日本』で第5回山本七平賞受賞。著書『私はいかにして「日本信徒」となったか』『虚言と虚飾の国・韓国』(共にワック)など多数。 

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    「シェフとチーフ」韓国大統領は族長ナミ

    フランス語でシェフといえば、スマートでカッコよく聞こえますが、英語ならチーフ。ひところは「酋長」との訳語もあったのですが「未開を笑うのは差別的」とかでいまは「族長」の言いかえがフツーとか。

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    悪業と非道──李承晩大統領は蛮族の酋長

    本の心をつたえる会代表) 二〇一二年の李明博大統領の竹島不法入国や陛下に対する侮辱発言をはじめとする韓国の非道ぶりに腹をたてている方も多いかと思います。 けれど実は、韓国の対日侮辱はいまに始まったことではありません。 もともと韓国は、五百年もの間支那の属国だった国です。 国内に産業らしい産業はなく、国は貧しく国民は飢え、その劣悪な環境から、平均寿命は二十四、五歳。主な輸出品目は、支那に献上する女性だけ。国内では両班と呼ばれる貴族が横暴の限りをつくしていた。ひらたくいったら未開の野蛮国です。 ところがいまから百年ほど前、支那の清王朝が滅びました。韓国は封主を失ったのです。 一方でお隣の日本は、日清日露の大戦に勝利して世界の一等国の仲間入りを果たしました。韓国は手のひらをかえして日本にすり寄りました。支那の属国ではなく、日本の属国となろうとしたわけです。けれどそれは日本にとって、何のメリットもない提案でした。 日本の韓国併合について、支那やロシアの脅威に対抗するための軍事的理由をあげる人がいます。 が、それは間違いです。 かつてのヨーロッパ諸国にとってのアフリカや東南アジア諸国、あるいはかつて戦った日米にとっての太平洋の島々と同様、当時の列強というのは、軍事的必要があれば勝手にそこを通過し、軍事施設を作りました。つまり国家というのは、世界に認められた一部の強国を指し、それ以外は「未開の蛮族の生息する地域」とみなされたのです。日本もそのようにみなされるところを、あと一歩のところで近代国家の仲間入りをはたし、韓国は名前こそ「大韓帝国」といさましくしたけれど、国際的には「蛮族が生息する地域」としてしかみなされないエリアだったのです。 日本は、日清日露の戦争においても、朝鮮半島に一方的に軍を進めていますし、軍の施設を置いています。韓国の都合に関わりなく、日本にとってその都合があったからです。軍事的には、併合する意味などまるでありません。「属国になりたい」伊藤博文は韓国属国化に反対したために韓国人に狙われた ところが、日本が韓国の「属国にしてほしい」という要求を拒否すると、韓国はびっくりするような挙にでます。何をしたかというと、属国拒否の中心人物であった伊藤博文を暗殺してしまったのです。そして殺害の翌月には、「韓国は日本と『対等に』合邦して新たな帝国を築く」というとんでもない声明を世界に向けて発表しました。 このことは、当時の世界にあって大爆笑の「珍事」でした。世界の一等国として英国とさえ対等な同盟関係にある列強の日本が、国とさえ認識されていない「未開の蛮族」から「対等な」合邦を言い出されたのです。 世界列強諸国は、日本に「隣にあるのだから、すこしは蛮族の面倒をみてやったらどうだ」と言い出しました。この結果行われたのが、明治四十三年(一九一〇)八月の日韓併合です。要するに当時の国際外交(未開の蛮国は含まれません)にあって、日本は朝鮮半島の面倒を見ざるを得なくなってしまったのです。文献史料によっては「日本が韓国を併合して良いか列強諸国に聞いて回った」としているものがありますが、事実はまるで反対です。日韓併合 日本は困り果てました。平素から人種の平等を唱える日本が、隣にある「未開の蛮族」を押し付けられたのです。欧米のように奴隷支配するなら話は簡単ですが、それをしたら日本の主張する「人種の平等」は噓になってしまいます。であれば、併合し蛮族を教育して近代国家人に仕立て直すしかない。そうすることで有色人種も人であることを立証するしかなくなったのです。 結果日本は、韓国を併合しました。以後三十六年間にわたって、莫大な国費と人材を朝鮮半島に投下し続けました。 おかげで朝鮮半島では、八つあった言語がひとつに統一され、数校しかなかった小学校は五千二百校になり、それまで教育を受けたことなどなかった人々を二百三十九万人も無料で就学させ、名前のなかった女性に名前をつけ、戸籍をつくり、住民台帳を整備し、道路をつくり、橋を架け、鉄道を敷設し、上下水道を整備し、路上大便があたりまえだったのをトイレでさせ、病院をつくり、電気を敷き、ビルを建て、半島内に古くからある不条理な刑罰や牢獄を廃止するなど、可能な限りの誠意と力を尽くして韓半島の近代化を押し進めたのです。韓国の人口は二倍に増えています。 もっとも日本が統治をはじめた当初には、抵抗運動もあるにはありました。ある地元の宗教団体が、民衆を煽動して「日本による搾取を許すな!」と宣伝し、民衆が蜂起したのです。しかし、民衆のあいだに日本統治による治安や、なにより「臭気のない清潔な暮らし」が徐々に浸透すると、抗日運動も自然と沈静化していきました。そして朝鮮半島は、すくなくとも表向きは、蛮族ではなく、近代国家の人士の体裁を整えるようになっていったのです。李承晩の帰国朝鮮戦争時、金浦空軍基地に到着したマッカーサー将軍を出迎える李承晩 ところが、こうした日本の努力がまだ実りきらないうちに、大東亜戦争で日本が負け、朝鮮半島から去ることになったのです。 朝鮮半島には、新たな統治者として米軍が上陸しました。そして米軍と一緒にやってきたのが、米国内で李氏朝鮮王朝時代を東洋の天国のように崇拝し宣伝していた李承晩でした。 李承晩は日本が韓国を併合した当時、上海で「大韓民国臨時政府」を作って、その大総理におさまっていた人物です。ところが、「臨時政府」どころか韓国を独立国でなく、国際連盟の「委任統治領」にしてくれと李承晩が米国に依頼したことがバレてしまいます。これは韓国を米国の植民地にするということです。臨時政府のメンバーにこのことを糾弾された李承晩は、ひそかに上海から逃亡し、米国に渡りました。 そして米国内で李承晩は、李氏朝鮮時代をまるでファンタジックなおとぎ話のように賛美する作り話を英文にしてあちこちに寄稿し、たまたまこれが対日戦争を仕掛けようとする米国の意向に添ったことで、米国内で名前と顔が売れていきました。 もっとも、米国内でそれなりの政治家との繫がりをもったとはいえ、韓半島に帰還した李承晩には、半島内での人脈も政治活動のための資金力もありません。これに目をつけたのが日本とのパイプで力をつけていた湖南財閥で、旧統治者であった日本がいなくなると、財閥としての力を失わないために米国内に顔がきく李承晩の支援を申し出たのです。これによって李承晩は、湖南財閥の資金力と国内人脈を手に入れ、ついに昭和二十三年(一九四八)八月、大韓民国(いまの韓国)が建国され、初代大統領に就任したのです。 大統領に就任した李承晩が大統領として最初にやった仕事が、「親日派の抹殺」でした。彼は公の場で「日本統治時代はよかった」「今の政府は駄目だ」などと発言した者を片端から政治犯として逮捕投獄したのです。収監した者に対しては、日本が統治するようになってから禁止したはずの李氏朝鮮時代の残酷な拷問道具を復活させてこれを用い、刑務所がいっぱいになると、入獄の古い者から次々と裁判もなしで殺害しています。まるで蛮族の酋長ですが、おかげで李承晩が初代大統領に就任してからたった二年で、政治犯として投獄された囚人数は、日本が朝鮮を統治した三十六年間の投獄者の総数をはるかに上回っています。対馬、竹島領有宣言 李承晩が次にした仕事が昭和二十四年(一九四九)の「対馬領有宣言」です。李承晩ライン これは例えていえば、建国したてのアフリカの某国の酋長がいきなりカリフォルニアは我が領土と言い出したようなものです。これまた世界からみれば、ただの笑い話ですが、韓国国内には、たいへんな衝撃がありました。かつての封主国の領土を「我が領土」と一方的に宣言したわけです。権威あるものを貶めることに快感を覚える人というのは、世の中に少なからずいるもので、新国家建設でナショナリズムにわく韓国民の一部は、このニュースは実に気宇壮大な誇り高いものに思えたのです。 調子に乗った李承晩は、宣言だけでなく、こんどは日本に対する竹島の返還請求まで行ないました。李承晩ラインの設定より三年も前のことです。 とはいえ、韓国内には衝撃を与えたこれらの発言は、当時韓国を占領していた米軍にとっても、米国本国政府にとっても、また日本にとっても、何の関心もひかないものでした。ただのポーズであり、相手にする必要ナシと判断されたからです。言っただけで何かできるだけの実力は、当時の李承晩にはまだありませんでした。 その李承晩は、反日だけに凝り固まっていたわけではありません。同時に共産党も頭から嫌っていました。李承晩のこのあまりの反共ぶりに危機感を募らせた金日成は、ソ連と謀り、ソ連から武器と資金の供給を受けて朝鮮半島北部に日本が築いた工業地帯を軍事制圧してしまいました。 これは韓国にとっては一大事です。朝鮮半島の富の源泉を共産党金日成軍閥に奪われたのですから。そして財力を身に付けた金日成は、昭和二十五年(一九五〇)六月、ソ連製の強力な戦車隊と、十一万の陸兵をもって、ソウルを急襲します。朝鮮戦争の勃発です。 そもそも朝鮮戦争というのは、実はしなくて済んだ戦争です。なぜなら昭和二十年の終戦直後に朝鮮半島では、もとの朝鮮総督府の呂運亨らが中心となって「朝鮮人民共和国」建国が宣言されていたのです。この「朝鮮人民共和国」には、後に朝鮮半島を二分する勢力となる金日成も新政府メンバーとして参列していました。つまり、共産党もそれ以外の政党も、まずはひとつの統一朝鮮としての新国家建国を目指していたのです。 もしこれが成功していたら、他の国々同様、政権内部での言論戦は多々あったろうし、局地的デモによる逮捕者などはあったかもしれないけれど、国を分けての戦争など起こっていません。 しかしこの「朝鮮人民共和国」は、建国宣言の翌日には、上陸してきた米軍によって潰されてしまいました。米国にいた李承晩が、米政治家を動かし「共産主義者が一緒にいる統一政権は建国を少し見合わせて、先に実態調査をした方がいい」ということになったからです。 結局、「朝鮮人民共和国」建国は見送られ、李承晩が新たに建国した大韓民国の初代大統領に就任したのですが、そのことがきっかけとなり、北の金日成が決起して朝鮮戦争に至っています。つまり、朝鮮戦争を導いた最大の原因は、李承晩の存在そのものにあったということです。サンフランシスコ講和条約 朝鮮戦争による死傷者数がどれほどのものであったか。死傷者は韓国軍二十万。他に米軍十四万、その他連合軍二十二万、北朝鮮軍二十九万、中共軍四十五万が死傷しています。さらに民間人は韓国百三十三万、北朝鮮二百五十万人が殺害されたとされています。たった三年間の、しかも朝鮮半島内という局地で行われた戦争で、南北合わせて五百万人を超える死傷者が出ています。いかに朝鮮戦争が悲惨で酷い戦争だったかということです。ちなみにこの戦争で米軍が投下した爆弾の総重量は約六十万トン。これは大東亜戦争で日本に投下された爆弾の約四倍です。 それだけ悲惨だった朝鮮戦争ですが、この戦争が行われた期間は、昭和二十五年六月から昭和二十八年七月までです。 そして、この戦争のまっただなかに行われたのが、サンフランシスコ講和条約による日本の主権回復でした。 この条約は昭和二十六年に締結され、昭和二十七年四月に発効しています。これが何を意味するか。時期を考えれば答えは簡単に見えてきます。それは悲惨さの増す朝鮮戦争に、日本を狩り出そうという意図です。米国も財政面では、日本との戦争ですでに逼迫したものとなっていました。そこへ重ねて朝鮮戦争が起こったのです。多くの米国民は、もうすでに戦争に倦んでいました。なぜわざわざアジアまで出かけていって米国民が命を落とさなければならないのか。そんなことをしなくても、日本に再軍備させて、朝鮮の対応をさせればよいではないか、というわけです。 ところがそうなると困るのは李承晩です。なぜなら李承晩にとっては、もし日本が朝鮮戦争に参戦すれば、強兵をもって鳴る日本軍です。米軍とともにまたたく間に北朝鮮と中共軍を蹴散らして戦争を勝利に導くことは、火を見るよりも明らかです。現に同じ韓国兵でも、旧日本軍所属だった兵隊と、新たに登用した韓国兵では、実力の違いは天と地でした。もし日本が参戦し、日米で北朝鮮を駆逐すれば、今度は日本が戦勝国として再び朝鮮半島に還って来る。そうなれば、反日を煽り非道の数々を行ってきた李承晩は、一〇〇パーセント間違いなく政権を追われます。なんとかしてサンフランシスコ講和を潰したい。けれど李承晩には、サンフランシスコ講和に参加する資格がありません。なぜなら大東亜戦争に韓国は参戦していないからです。大東亜戦争の最中には、韓国は日本の一部であり、国でさえなかったのです。李承晩の貪欲ぶり李承晩の貪欲ぶり そこで李承晩は、サンフランシスコ講和そのものを邪魔するのではなく、日本と韓国の対立を深めることを画策します。 李承晩は、昭和二十六年(一九五一)七月、サンフランシスコ講和条約の草案を起草中の米国政府に対して「要望書」を提出しました。内容は、〈一〉日本の在朝鮮半島資産の韓国政府への移管〈二〉竹島、波浪島を韓国領とする そういう要求でした。 米国は驚きました。せっかく日本をなだめすかして朝鮮戦争を戦わせようとしている矢先に、肝心の韓国が日本との対立関係を故意にあおってきたのです。日本と韓国が対立関係になれば、日本が韓国のために出兵する可能性は、一〇〇パーセントなくなります。 米国は、翌月には李承晩に「在朝鮮半島の日本資産の移管については認める。それ以外の要求は一切認めない」というたいへん厳しい内容の書簡を発行しました。「ラスク書簡」です。そして、その一カ月後の昭和二十六年九月八日、日本との間にサンフランシスコ講和条約を締結したのです。隣接海洋に対する主権宣言韓国によって拿捕され、取り調べを受ける日本漁船の船員たち。1953年12月 ところが、講和条約締結にますます危機感を募らせた李承晩は、さらなる暴挙に出ました。昭和二十七年一月八日に、突然日本との国境を一方的に定めた「隣接海洋に対する主権宣言」を発表したのです。これが世に言う「李承晩ライン」です。 どう対策しようか迷う米国に対して李承晩は、同月二十七日、さらに追い打ちをかけます。「李承晩宣言韓国政府声明」を発表したのです。この声明で李承晩は、李承晩ラインは「国際法において確立された」と一方的に「国内だけで」宣言します。そんなことをすれば当然日本は怒る。怒れば日本は対北朝鮮戦争参加を拒否するにきまっています。そして日本が参戦しなければ、米軍の朝鮮戦争での損耗はますます激しくなります。 米国は、ここへきてようやく事態を重く考えました。そして「サンフランシスコ講和条約によって竹島は日本領である」「李承晩の一方的な宣言による李承晩ラインは国際法上違法である」と韓国政府に伝達します。 ところが李承晩はこの伝達を握りつぶし、対馬海峡上で操業する日本人漁船に銃撃を加え、船員を拿捕してしまいます。日本漁民への暴虐解放された日本人漁民。人間のすることとは思えない虐待を受けたことがまざまざとわかる 日本漁船拿捕にあたっては、韓国漁船を装った船で日本漁船に近づくという卑劣な手口も使いました。漁船で近づき日本語で「調子はどうですか」などとにこやかに声をかけたうえで、付近に船を待機させ、日本漁船が網の巻き上げ作業にはいったところ(つまり身動きがとれなくなったところ)を見計らって、警告なしに機関銃を乱射して日本人船員を殺害し、慌てて網を切り落として逃げ出そうとする日本漁船を追尾して、これを漁船ごと拿捕するという極めて卑劣な手口でした。軍事は当該国の軍服を着用して行うことというのが、国際法のルールです。 襲われた日本漁船はたいへんです。船内は血の海、怪我をした者は息があっても治療してもらえない。運良く生き残っても収容施設は六畳一間に三十人を押し込むという非道さです。食事は残飯、水も三十人で一日に桶一杯です。満員電車のような室内では、誰ひとり横になることもできず、トイレも行かせてもらえない。立ったまま室内に大小便垂れ流しという状態にされたのです。 取り調べと称して部屋から連れ出されるときは、もっと大変です。牢屋を出される瞬間に、殴る蹴るの暴行を受ける。ぐったりして抵抗できなくなったところで、ようやく取調室に連れ出されると、そこでまた殴る蹴るの暴行です。 結局、この李承晩ラインは、廃止となった昭和四十年(一九六五)六月まで、なんと十三年間も続きました。そしてこの間に韓国によって拿捕された日本漁船は、合計三百二十八隻、拿捕された者三千九百三十九人、殺害された者四十四人にのぼります。 写真は、ようやく解放されて帰国した日本人漁民です。ガリガリに痩せ細った体、腫れ上がった顔、焼けただれた頭皮、さらに全身が打撲と裂傷で紫色に変色しています。あまりにも酷い姿です。竹島占領 李承晩の非道はそれだけではありません。李承晩ラインによって、一方的に領海線を敷いた彼は、一緒に朝鮮戦争を戦ってくれている米軍にも内緒で、勝手に竹島に兵を入れ、これを軍事占領してしまっています。 もっとも、李承晩のこうした暴挙を、日本政府は上手に活用しています。すなわち韓国の日本に対する暴挙と、日本に与えられた〈日本は軍事力を持たない〉という占領憲法を盾に、朝鮮戦争への参戦を拒んだのです。 要するに、まだ大東亜戦争の傷跡の癒えない日本は、戦争に駆り出されるより、日本国内の復興を優先させたのです。また、韓国に拉致された被害者の漁船員たちについては、米軍に依頼して、そのつど日本への返還を要求し、船員たちをもらいうけています。このときの日本の動きは、結果として日本の朝鮮戦争参戦を拒否し、国内の復興を促進するという好ましい結果をもたらした反面、サンフランシスコ講和の時点で本来破棄すべき占領憲法(現・日本国憲法)を温存するというマイナス面を残して現在に至っています。 李承晩の暴挙によって、せっかくの日本の参戦を棒に振った米国は、あくまで北朝鮮との継続戦を望む李承晩を無視して、彼の頭越しに北朝鮮と休戦協定を結びます。これが昭和二十八年七月二十七日の出来事で、以来、朝鮮半島は北緯三十八度線を境に北と南に別れることとなりました。失脚 もっとも、この休戦を不服とした李承晩は、韓国内に収容した北朝鮮軍の捕虜を国内で何の脈絡もなく全員釈放して放逐するという暴挙を行っています。放逐された捕虜たちは韓国各地で事件を起こし、多くの韓国民に惨事を招いています。米国政府は、この李承晩の勝手な行動に猛抗議をしていますが、あとの祭りでした。李承晩の専横政治に民衆が蜂起、韓国全土に打倒デモが広がった こうして大統領というよりも、まさに暴君としての専制政治を行った李承晩でしたが、彼の専横政治がようやく倒れたのは、昭和三十五年(一九六〇)になってからのことです。韓国国内で民衆による李承晩打倒デモが起こったのです。 韓国全土に広がったこのデモは、百八十六人もの死者を出し、ついに駐韓米国大使のマカナギーが李承晩を訪れて、大統領を辞任しなければ、米国は対韓経済援助を中止するとまで宣言します。米国に見放された李承晩は「行政責任者の地位は去り、元首の地位だけにとどまる」と発言するのだけれど、これがまた韓国民衆の怒りを買い、民衆によってパゴダ公園にあった李承晩の銅像が引き倒され、韓国国会は全会一致で、李承晩の大統領即時辞任を要求するという事態に至っています。これによって、李承晩体制にようやく終止符がうたれます。そして李承晩は養子にとった息子まで自殺するなかで、ひとり米国に逃亡し、九十を越える歳までしぶとく生き延びました。 李承晩自身は失脚しますが、「李承晩ライン」は、その後も維持されました。これが廃止されたのは、昭和三十一年(一九五六)に軍事クーデターが起こり、韓国内に朴正熙大統領の新政権が誕生してからのことです。日本の陸軍士官学校を卒業し、親日家であった朴正熙大統領は、昭和四十年(一九六五)六月に日本との間で「日韓基本条約」を締結し、李承晩ラインを廃止しました。そして日本の経済援助を得て、韓国内の産業振興を図り、結果、韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる経済の大発展を遂げます。 ただ、この日韓基本条約において李承晩ラインは廃止となったものの、竹島については、当時の日韓両国において「争いの余地のない日本の領土」という認識のもとで、特段の取り決めがなされませんでした。このため、竹島はいまだに日韓の火種となってしまったのです。大統領=酋長なみ さて、私たち日本人は大統領という名前を聞くと、米大統領のような法治主義の代表者というイメージを持ちます。けれど韓国における大統領は、未開の蛮族酋長と同様、ある種の絶対権力者です。そしてその絶対権力者が、市民をあおり、反日侮日工作を行うわけです。昨今の李明博政権もその典型です。そしてその韓国の反日侮日の原点となっているのが、韓国の初代大統領李承晩なのです。李承晩はあわてて米国に亡命する(左から二人目)。左端は李承晩の亡命後、過渡的に大統領代行を務めた許政 ひとつ申し上げたいことがあります。李承晩は(いまの韓国もそうですが)、李氏朝鮮時代をまるである種の「理想国家」として描いています。その「理想国家」を打ち壊し破壊したのが日本だというわけです。けれど、この路線を敷いた李承晩は、その李氏朝鮮王朝について、何ら畏敬の念も尊敬の念も敬愛の情も持っていなかったことは、以下の事実が証明しています。 李承晩は、李氏朝鮮王朝の正当な血を引く李氏朝鮮の皇族の韓国入国を拒否しているのです。日本は戦前、朝鮮を統治するにあたって、李氏朝鮮王朝の最後の皇太子である李垠殿下を、日本の皇族と同じ待遇をして日本に招きました。李垠殿下は日本の陸軍中将として軍事参議官まで勤められました。李承晩は、その李垠殿下を、事実上の国外追放状態のままにしたのです。結局、李垠殿下は、生涯を日本の質素な公営住宅で過ごされ、亡くなられたときも公営住宅内の集会所でひっそりとした葬儀がとりおこなわれています。このとき韓国政府からの出席者は皆無でした。日本からは三笠宮崇仁親王殿下がご出席賜わり、その様子に参列した全員が涙を流しています。 要するに李承晩には、李氏朝鮮時代への憧憬などまるでなかったわけで、あったのは己の権力欲だけだったということです。そしてその李承晩の妄想から、いまも韓国は抜け出せないでいる。 しかし、おのれの権力欲とイデオロギーにこだわり、結果として朝鮮戦争という大戦をひき起し、同国民を百万単位で殺し、戦後二十年間も韓国を貧国のままにした李承晩の妄想は、結局のところ、韓国人に幸せをもたらしたでしょうか。 そして権力にしがみつかんがために、朝鮮戦争の最中に李承晩ラインをひき、竹島を占拠した。そのことが韓国国民のために、いったい何の役にたっているのでしょうか。争いの種を撒いただけのことでしかない。 日本人は、しっかりと歴史の真実を見据え、戦後にねじ曲げられた歴史から、真実の歴史を取り戻さなければなりません。そして同様に心ある韓国の人々が一日もはやく、歴史の真実に目を覚ましてくれることを願うばかりです。おなぎ・ぜんこう 1956年生まれ。大手信販会社にて債権管理、法務を担当し、本社経営企画部のあと、営業店支店長として全国一の成績を連続して達成。その後独立して食品会社経営者となり、2009年より保守系徳育団体「日本の心をつたえる会」を主催、代表を勤める。ブログ「ねずさんのひとりごと」は、政治部門で常に全国ベスト10に入る人気ブログとなっている。

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    韓国「卑日」とは対等な関係も友好もない

    デザイナー) 以前にも取り上げたことのある連載記事、「早読み 深読み 朝鮮半島」は、なかなか興味深い韓国分析をしている。多少、筆者のバイアスがかかっているとしても、わりと的確な内容だと思う。 多くのメディアでは、韓国の姿勢を「反日」と表現しているが、この記事では「卑日」という言葉を使っている。「反日」というと、ただ日本を敵視しているようにも受け取れるが、その動機や背景を知ると「卑日」という言葉の方が適切だと思えてくる。 詳しくはリンク先の記事を読んで欲しいが、韓国にとっては、立ち位置が日本より下か上かが、なによりも重要なのだという。 連載記事の最新号では……  韓国人の「自嘲」が生んだ「卑日」:日経ビジネスオンライン——前回は「崇日」の時代があり、それが「反日」の爆発を抑えていた、という話でした。鈴置:私のソウル在勤時代、まだ「葉銭」(ヨプチョン)という単語が使われていました。自嘲、卑下の言葉で「旧弊にしがみついて没落した韓国人」というぐらいの意味でした。 もともとは朝鮮朝の銅貨を指す単語だったそうです。それが「日本が紙幣を持ち込んだのに、古臭く使いにくい銅貨にしがみついた朝鮮人」という意味に転じ、さらには近代化に失敗した結果、日本の植民地に転落した自らを嘲笑う言葉に使われるようになった――と聞きました。 日本語にはそれに相当する、自嘲の単語は見当たりません。19世紀末、近代化に乗り遅れたことに韓国人がどれだけ悔しい思いをしているかをよく示す話と思います。そしてこの悔しさが奇妙な“崇日思想”を生んだのです。(中略)——「卑日」の動機と構造がよく分かりました。最後の質問です。韓国人はなぜ、「卑日」を世界で繰り広げるのでしょう。羽田行きモノレールの中でのように、韓国人同士で言い合えば十分な気もしますが。鈴置:いい質問です。そこがポイントです。答えは、韓国人がまだ、日本を見下すほどの自信を本当は持っていないからです。 世界の人々が「韓国が日本より上だ」とはっきり言ってくれるまで、韓国人はその確信が持てないのです。結局、慰安婦像は世界で立てられ続けることでしょう。                                                                                                                                                                                                                                 長い記事なので、最初と最後の引用だけに。 ようするに、韓国は自分たちが「上」で、日本は「下」だと、上下関係を確立したいのだろう。その根底には儒教の教えがあるという。 道理で、韓国発の記事では、なにかと日本と比較するものが多いわけだ。いちいち日本と比べなくてもいいだろうに……と思うことは少なくない。 韓国は中国を逆らえない宗主国だとも思っている一方で、経済発展を遂げた現在、国民感情的には中国を「下」だと思っているらしい。その歴史的背景は、日清戦争(1894年)以前の時代まで遡るという。▼関連記事 ついに「属国に戻れ」と韓国に命じた中国:日経ビジネスオンライン中国の歴代王朝は1895年に日清戦争で敗れるまで、朝鮮半島の王朝を冊封体制に組み込んでいました。長い間、中国人にとって朝鮮は属国、朝鮮人にとって中国は宗主国だったのです。                                                                                                            日本が植民地支配したことは1000年恨むといいつつも、まだ1000年経っていない中国(かつての清)による冊封体制は問題にしないようだ。 韓国の執拗なまでの謝罪要求は、自分たちが「上」であることを、内外に誇示したいという欲求(願望)なのだろう。これまでも度々謝罪はしているし、賠償(もしくは相当する補償や援助)もしているが、それでは欲求(願望)に見合う結果を得られていないと考えていると思われる。特に、国際的な評価では、韓国が望む上下関係は確立されていない。しかし、その手法では国際的な評価・評判は上がらないことに、当人達は気がついていないようだ。 韓国のコンプレックスは、相当に根が深い。 日本人の大多数は、日本が韓国より「上」とか「下」とかいう見方はしていないと思う。嫌韓の人たちは、見下しているのかもしれないが、好きか嫌いかというのは、上下関係の問題ではなく、好みの問題だ。嫌いになるのは拒絶であって、上下関係を確定することではないだろう。 「卑日」が求めていることは、日本を蔑むこと、屈服させることだ。そこに対等な関係はなく、友好もない。 そんな国と、どうやってつきあえばいいのか? まもなく戦後70年談話が発表されるが、そこにどんな文言が書かれていようが、韓国が納得することはありえない。 かの国が取るべき行動は、際限なく日本を叩くことだからだ。反日あるいは卑日をやめることは、彼らのアイデンティティを捨てることでもある。そんなことをできるはずがない。 私は嫌韓ではないものの、かといって親韓でもない。どちらかというと、あまり関わりたくない国という感覚。日本を仮想敵国のように扱う国に対して、無理してつきあわなくてもいいんじゃね? 距離を置いてつきあう相手……ということで、「離韓」でいいように思う。 サッカーの試合で韓国と対戦すると、異様に敵意むき出しなのには閉口する。東アジアカップで、日本は負けに等しい引き分けだったけど、韓国は強かったよ。それは認める。日本が弱すぎるんだけどね。 中国も日本相手だと、けっこうガツガツに戦うけど、ことサッカーに関しては、メディアもネット民も冷静なコメントをするんだよね。国歌斉唱での観客のブーイングはいただけないが、選手が政治問題を持ち込んだりはしていない。そこはサッカーに対して、実直だと思う。 共産党独裁政権で、言論統制も行われているのに、中国の方が韓国よりもバランスが取れている気がする。荒唐無稽な抗日ドラマを、「あほらしい」と酷評できる感覚はあるようだし。韓国では、親日的な発言は非国民扱いだよね。それが正論であっても。朴大統領の妹「正論」炸裂 舌鋒鋭く韓国批判 ネット民激怒「日本に移住しろ」:イザ!韓国による対日謝罪要求についても、「全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が訪日した際、首相よりはるかに重要な天皇(陛下)が頭を下げているのに、なぜ(日本の)首相が替わるたびに謝れと言うのか」と、韓国の対応を批判。「日本は韓国の経済発展の基になることをたくさんしてくれたのに、被害意識だけ抱いていては国益にならない」と発言した。 そのうえで、「北東アジアの平和実現のために日本は親しく付き合わなければならない隣国であり、解放前の“親日”と解放後の“親日”では概念が違う」と強調した。 すべてにおいて、日本を批判しなくてはいけない考え方は、理解に苦しむ。 中国とは仲良くできると思うけど、韓国は無理っぽい。 「離韓」で、距離を取ることが、お互いのためではないかと思う。(諫山裕の仕事部屋より転載)

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    歴史清算は大統領の常套句…韓国で深化する「歴史の政治化」

    ロシアに挑んだ戦争である。ポーツマス講和会議に臨む小村寿太郎に対して首相桂太郎が与えた訓令の第一は「韓国ヲ全然我(ワガ)自由処分ニ委(マカ)スルコトヲ露国ニ約諾セシムルコト」であった。 明治日本にとって朝鮮は、いかなる犠牲を払ってでも第三国に優越的支配を許すことのできない生命線であり、幾多の経緯を辿(たど)って明治43年の韓国併合に至った。併合は第二次大戦における日本の敗北までの36年間に及んだ。 現代の国際法の通念からすれば他国の「自由処分」など許されるはずもないが、骨肉相食(は)む帝国主義の時代にあっては併合以外に選択肢はなかった。韓国併合は清露はもとより、日英同盟下の英国、桂・タフト協定下の米国によって幾重もの国際的な承認を得ており、併合を妨げるものは何もなかった。桂・タフト協定とは、米国のフィリピン領有と日本の韓国における優越的支配権とを相互に認め合った協定である。 併合によって韓国の経済社会の近代化の幕が開(あ)いた。もっとも、このことは結果論であって併合の正当性を証すものではない。重要なことは韓国人の誰もが語りたがらない次の事実にある。常套句である「歴史清算」 併合により日本に頼るしか韓国の近代化はありえないと考える李容九(イ・ヨング)、宋秉●(ソン・ビョンジュン)などを指導者とする「一進会」の存在であり、韓国統監府の資料によれば参加者は14万人、実際には数十万人に及ぶ往時の韓国最大の社会集団であった。 自立の気概なき李朝末期の朝鮮にあって近代化への唯一の道は、外国の影響圏に入るより他なしとみなす集団が一大勢力となったのである。朝鮮近代史学の泰斗グレゴリー・ヘンダーソンは、一進会を「自民族に対して行われた反民族的大衆運動」だと皮肉な表現を用い、これを世界の政治史においては稀(まれ)なる事例だとして高い評価を与えている。日韓基本条約の調印式。左から金首席代表、李東元外相、椎名悦三郎外相、高杉晋一首席代表 =東京都千代田区永田町の首相官邸大ホール 1965年6月22日撮影 今年は1965年の「日韓基本条約」から50年である。51年に始まり条約締結に至る超長期の国交正常化交渉は難渋をきわめたが、最終的には朴正煕大統領の英断により、日本が韓国に3億ドルの無償資金と2億ドルの低利借款を供与することをもって韓国の日本に対する請求権の問題の一切が「完全かつ最終的に解決する」とされた。 当時の韓国の国家予算は3億5千万ドルであった。日本統治時代の物的・制度的・人的インフラにこの厖大(ぼうだい)な資金が加わって、「漢江の奇跡」が展開された。韓国は重化学工業部門とハイテク部門を擁する新興産業国家として急進し、ついには先進国の一員として登場したのである。 その一方で、慰安婦問題を中心に猛烈な反日運動が始まり、元慰安婦の対日請求権を韓国政府が放棄することは違憲だとする憲法裁判所の判決までが出された。その他にも、日本統治時代の対日協力者子孫の財産没収を求める法案の国会成立、日本企業の元徴用工への賠償金支払いを命じる最高裁判所判決などが相次いだ。「歴史の政治化」というべきか。韓国の反日は国家の制度の中に組み込まれようとしている。「歴史清算」は大統領の常套(じょうとう)句でもある。反日は永続的なものなのか 韓国においては、時代が新しくなるほど遠い過去の記憶がより鮮明に甦(よみがえ)りつつある。日本統治時代に発展基盤を整え、日韓基本条約を経て近代化の資金を日本から手にし大いなる発展を遂げたという「過去」は、いかにも居心地が悪い。「歴史清算」により日本の「悪」を糾弾し、もって今日を築いたのは韓国自身の手による以外の何ものでもないという国民意識を形成しなければ、自らの正統性を訴えることができないという深層心理なのであろう。 何より大韓民国の建国自体が、民族独立闘争とは無縁のものであった。第二次大戦で日本が敗北したことにより、3年間の米軍による軍政期を経て転がり込んだ独立なのである。誇るに足る建国の物語はここにはない。一人前の国家になったればこそ、自国の胡乱(うろん)な成り立ちが耐え難いという感覚を噴出させているのである。 北朝鮮の成立に建国の正統性を求める「従北派」が韓国内で大きな勢力を張りつつあるのも、そのゆえである。韓国の反日は永続的なものなのかと、私は慨嘆する。(わたなべ としお)●=田へんに俊のつくり.

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    まるで金太郎アメ 韓国歴代大統領「反日・侮日」妄言集

    拳骨拓史(作家) 韓国大統領による「反日発言」がかまびすしい。 とは言え歴史をみれば、朴槿惠、李明博、盧武鉉以前にも、歴代韓国大統領の多くは、日本に「謝罪と賠償」を求めることが一種の伝統化していることに気づく。いわば“反日の金太郎アメ”なのだ。(1)李承晩 初代~第三代韓国大統領。在任期間=一九四八~一九六〇〈朝日新聞を通じた新年メッセージ〉 日本の皆さん新年おめでとう。 韓国人は善良な皆さんに対してなんの呵責ももっていないが、日本人もまた韓国人に不平を抱いていないと思う。過去四十年の間、韓国人がうけた痛手は日本軍国主義者の罪に帰すべきものであって、日本人もまた彼らの政府のあとで同じように被害をうけたものと思う。(中略)われわれは隣人同士であり、両国民はお互いに仲良くつきあわねばならないことを日本人は忘れてはならない。(一九四九年一月五日) 李承晩(イ・スンマン)韓国大統領(一八七五~一九六五)が就任間もない時期に、日本に宛てたメッセージである。反日で有名になる李承晩大統領も、当時はまだその牙を見せていなかった。 李承晩は若くして反日活動団体である独立協会に身を投じ、投獄。釈放後に渡米し、朝鮮独立のための宣伝活動をおこなった。 一九一九年、上海の大韓民国臨時政府(注 国際的には承認されず)の大統領に就いたが、一時期上海にわたっただけでほとんどをアメリカですごし、第二次世界大戦後に韓国大統領に就任。1950年6月の朝鮮戦争勃発直後、金浦空軍基地に到着したダグラス・マッカーサー元帥を迎える李承晩・韓国初代大統領(右)親日派を断圧 李承晩ライン(一九五二年に李承晩大統領が韓国の主権があると宣言した水域を囲む線。日本側はこれを認めず、ラインが廃止されるまでの十三年間に日本漁船の捕獲事件などが起こり、日本人抑留者は三千九百二十九人、死傷者は四十四人を数えた)を設定して日本と対立した。 日本人抑留者たちは人間として満足な生活をする権利すら与えられず、寝室はゴザが敷かれた部屋に毛布が一、二枚程度与えられ、食事は茶碗一杯、麦飯に具なしの味噌汁だけがおかずであった。小アジの煮付け一匹が三人分の食事として出されることもあり、健康を維持するカロリーを与えられることはなかった。 抑留者たちは家族が送ってくる差し入れ品を金に替え、食糧や夜具などに交換したが、この差し入れ品も、韓国警察によって中身が抜かれたり、届かなかったりした。 当時、李承晩大統領が語り、韓国で流行語となったのが「アメリカは余り信じるな。ソ連の奴らには騙されるな。日本は必ず再起する。注意せよ!」というものであった。 アメリカ生活の長い李承晩は日本統治の実際を知らず、日本統治に協力した人々を「親日派」として弾圧した。 日本語で「親日派」といえば、日本について詳しかったり、日本に対し好意をもつていたりする人を意味するが、韓国語ではこのような意味の場合は「知日派」を使い、「親日派」は使わない。 「親日派」は日本の植民地支配に協力した者を指し、「売国奴」に近い意味で用いられ、反日教育を実施して韓国国民の日本への敵愾心を強くした。 李承晩大統領はライバルの暗殺や不正占拠などを繰り返し、反共独裁政治をおこなったが、野党や国民の批判を浴び辞任、ハワイに亡命。晩年は貧困と孤独にあえぐ悲惨な末路をたどった。〈韓国スポークスマンの発表〉 李承晩大統領は共産主義者が民主主義政府および国民に比べていかに残忍であり、独裁的かつ野蛮であるかを教えるとともに、日本帝国主義の侵略性およびその韓国に対する悪意にみちた態度を生徒に教えるよう命令した。 またこの新指示は、韓国経済を独占しようとする日本の陰謀に対する対抗措置を準備するため、教師および大学教授に命じ、生徒を激動させようとするものである。(一九五四年十月十四日)〈「三・一事件」四十一周年祈念集会でのメッセージ〉 日本は戦時中、強制的に日本に送られ、軍事産業で働かされた二百万の韓国人に対する補償の義務がある。岸首相は最近の訪米中、米国に補償支払い援助を要請したといわれるが、外国に援助を求めるのは理由のないことで、補償については日本が全責任を負うべきである。(一九六〇年三月一日)(2)全斗煥 第十一~十二代韓国大統領。在任期間=一九八〇~一九八八 全斗煥(チョン・ド・ファン)は朝鮮戦争中に陸軍士官学校に入学し、一九七九年の朴大統領暗殺事件の混乱を処理して実権を掌握。大統領を辞任した後、不正蓄財などが発覚し逮捕された。 全斗煥の父親、全相禹は一九三〇年代後半に日本への高い忠誠心があるとの理由から、任地である内川里の里長に抜擢され、農民たちに「皇国臣民化」を説いてまわり、日本への供出物の確保に情熱を傾けた。 その後、中国の吉林省松花江流域の農村に居をかまえたが、そこで朝鮮独立運動家を取り締まるべく日本軍の案内をおこなって大金を得、その後韓国へ戻って暮らしていた。 全斗煥韓国大統領もその影響を受け、早稲田大学教授・松原正氏と会った際に、満洲などにいた日本へのテロ勢力を討伐するための歌である『討匪行』を歌詞ひとつ間違えずに歌ったと言われている。まるでお化け屋敷 全斗煥自身、「私の幼いころ、将校たちが軍刀をつるし、皮の長ぐつをはいて部隊を指揮する姿とか、さっそうとした乗馬姿とかをよく見かけて、すっかりあこがれてしまい、めしも食わずに追いかけていっては訓練に見とれていたものです」と述べ、大東亜戦争勃発後は、日本の少年航空兵になりたいと熱望していた。特別機で来日した全斗煥韓国大統領と李順子夫人=羽田空港、1984年 9月 6日  大統領になってからは、彼が父とも呼ぶ前任の朴正熙元大統領が日本から多額の支援金を受けていたことが、「親日家」だとして批判される理由になっていたため、全斗煥大統領は「反日」と「親日」を超えた「克日」という新しいスローガンを用意した。 その事蹟というべきものが、一九八七年に建設された韓国の独立記念館である。数十億円もの寄付金を募り、約五百億ウォンで建てられた独立記念館は、日本軍による銃殺刑や拷問などの様子が蠟人形をつかって虚実とりまぜて再現されており、訪れた人々の多くは口を揃えて「まるでお化け屋敷だ」という悪趣味なものとなって仕上がった。 一九八一年には、「我々は国を失った民族の恥辱をめぐり、日本の帝国主義を責めるべきではなく、当時の情勢、国内的な団結、国力の弱さなど、我々自らの責任を厳しく自責する姿勢が必要である」と、全斗煥自身、韓国の非を認める発言もしていただけに、独立記念館を建設したことは日韓関係の未来を考える上で残念でならない。〈昭和天皇に拝謁した全斗煥大統領の宮中晩餐会での挨拶〉 われわれ両国には、「雨降って地固まる」との共通のことわざがあります。(中略)われわれ両国の間にあった不幸な過去は、今やより明るく、より親しい韓日間の未来を開拓していくうえで、貴重な礎にならねばならないと信じております。(一九八四年九月七日) 全斗煥韓国大統領は昭和天皇に拝謁した最初の韓国大統領となった。昭和天皇との拝謁については、日韓両国から激しい批判があったが、その際、昭和天皇より過去の歴史に対する謝罪の発言を引き出すよう強く日本側に要望していた。 宮中晩餐会の前日、全斗煥は安倍晋太郎外務大臣と会談し、「弱い立場にある人間は普通、富める人、強い人に対してひねくれを感じ、先方が寛大にしても時として誤解をもつ。従って強い人、富める人は多少損をしても寛大な気持を持って欲しい」「韓日の(過去の)誤解は大部分そういうものだったと思う」と述べたという。(『読売新聞』一九八四年七月十日) 昭和天皇の御言葉を受け、韓国の民族主義団体「光復会」(日本統治時代の抗日、独立運動家とその家族で構成)は、「過去の歴史の張本人である日本の天皇が不幸だった過去に心から遺憾の意を表明し謝罪した。われわれは日本側の反省と謝罪を喜びをもって受け入れる。この謝罪は、われわれの歴史的勝利を意味する」などと反応を見せたが、これ以降、韓国政府は大統領が代わるごとに天皇陛下に謝罪を要求しようという悪癖を生むようになった。(3)盧泰愚 第十三代韓国大統領。在任期間=一九八八~一九九三 天皇陛下の御言葉を政治的なかけ引きに利用しようとする動きは、全斗煥の後任である慮泰愚大統領(一九三二~)の時代には始まっている。盧泰愚大統領 『東亜日報』では天皇陛下が過去の歴史について直接謝罪を表明しなければ、またその内容が韓国政府の期待にそぐわない場合は、盧泰愚大統領の訪日時に天皇陛下への訪韓招請を行わないと報じた。 この韓国政府の動きにあきれた小沢一郎自民党幹事長(当時)は、「反省しているから(経済面などで)協力している。これ以上、土下座などする必要があるのか」と反発したが、マスコミなどから突き上げられ、謝罪へと追い込まれている。〈慮泰愚総裁と日本人記者団との懇談形式での会見〉 私の前任者(全斗換・前大統領)の訪日時、昭和天皇が不幸な歴史に遺憾の意を表明した。両国間に不幸なことがあったことはだれもが認識している。 加害者がだれであり、被害者がだれであったかについても共通の認識がある。加害者が被害者に「すみません」とか慰めの言葉をいうのは当然のことだ。 韓国側からいうと謝罪がはっきりしない。被害者は加害者の真心を疑わざるを得ない。真心から「すみません」といってくれれば被害者としても感動して「いや、結構です。これからうまくやりましょう」といえるのではないか。(中略)「間違っていた」「すみません」というおおらかな心を見せれば、韓国だけでなく中国や東南アジアが日本に対する認識を変える契機になる。力量があり、強い方がおおらかな心を見せることが必要だ。(天皇の「お言葉」については)天皇の名前にかけてというのではなく、皆さん(日本人記者)や日本の国民と話をしてみましょう。そうすれば日本がどうすれば正しいのか自明のことだ。 そんな次元から自然に解決されれば天皇訪韓もうまく解ける問題ではないか。(一九九〇年五月十五日)〈宮中晩さん会での慮泰愚・韓国大統領の答礼あいさつ〉 日本は陛下のご即位によって、平成の新しい時代を迎えました。本日、陛下と歴史的な交歓をもち、天皇ご即位の祝賀の挨拶を直接お伝えできますことを意義深く考えます。 また、日本が戦後の廃虚から立ち上がり、全世界がうらやむ平和で繁栄する国家を築いたことに、賛辞を送ります。私は平成時代が日本ばかりではなく、私どもが生きる東アジアと世界の平和と繁栄、友誼を増進する時代になるものと確信いたします。 遥かな古代から今日に至るまで、韓日両国は最も近い隣人として親しんで来ました。両国の国民は狭い海峡を越えてお互いに往来し、相手国の文化形成に大きな影響をおよぼし合いました。両国間には歓迎すべきことも数多くありました。しかし、わが国民は近世に入り、苦痛を受ける一時期を経験しなければなりませんでした。 両国間の長い善隣友好の歴史から見るとき、暗い時代は相対的に短い期間でした。歴史の真実は消されたり忘れられたりすることはありませんが、韓国国民はいつまでも過去に束縛されていることはできません。 われわれ両国は真正な歴史認識に基づいて過去の過ちを洗い流し、友好協力の新たな時代を開かねばなりません。日本の歴史と新しい日本を象徴する陛下がこの問題に深い関心を示されましたことは、きわめて意味深いことです。 今やわれわれ両国が近くて近い隣人、信頼する友邦として、両国関係を発展させるのに障害となってきた過去の歴史の影を消し、残滓を取り除くためにわれわれすべてが努力しなければなりません。そうすることによって、両国間の望ましい関係をわれわれの子孫に受け継がせなければなりません。(一九九〇年五月二十五日) 一九六五年の日韓基本条約によって、過去の賠償はすべて完了していることは言うまでもないが、謝罪についても盧泰愚大統領が明確に「解決した」と断言している。 日本はすでに、謝罪も賠償も終わっているはずだが、彼らは未だにこれを要求しつづけている。 金泳三は一九五四年に国会議員に当選以来、ながく野党議員を経験するが九〇年に与党に合流。九三年に十三年ぶりとなる文民大統領となった。だが政権末期には通貨危機がおき、韓国経済を迷走させたまま任期を終えた。(4)金泳三 第十四代韓国大統領。在任期間=一九九三~一九九八〈金泳三韓国大統領による衆議院本会場での国会演説〉 一八九四年、韓(朝鮮)半島では日本と中国間の戦争があった。日清戦争で勝利した日本は、ついに韓半島を併合した。一九四五年、韓国は解放されたが、南北に分断され、同族相争う戦争を体験した。韓国は今も地球上の最後の分断国家として、民族的苦痛をなめている。 私と、わが国民は、一世紀にわたった諍いと葛藤の歴史に終止符を打ち、真の友情と協力の新しい歴史を開いていくことを提起する。(中略)韓日両国国民は心の扉をすっかり開かなければならない。過去のしこりはきれいに洗い流さなければならない。(一九九四年三月二十五日)韓国の金泳三大統領と握手する橋本首相 1996年 3月 2日  李承晩韓国大統領然り、就任当初はかならず過去の歴史について問題としないという姿勢をとるのが歴代韓国大統領の御家芸である。〈金泳三・韓国大統領の朝日新聞社との会見〉 再三強調してきたように、日韓関係を未来志向に発展させていくには、正しい歴史認識の確立が何よりも重要だ。それには、過去を直視する土台の上に、未来に向かって協力していかなければならない。過去の歴史をウソで美化したり、不問にしたりするのは、日本自身にとっても決してためにならない。(一九九五年八月九日) 金泳三大統領の時代には、細川首相が韓国併合について謝罪を述べたのに対し、永野茂門(一九二二~二〇一〇)法務大臣が「日本で言う大東亜戦争というものが、侵略を目的にやったか。日本がつぶされそうだったから生きるために立ち上がったのであり、かつ植民地を解放する、大東亜共栄圏を確立するということを、まじめに考えた。私は南京事件というのは、あれ、でっち上げだと思う」と発言。永野法務大臣は就任後、わずか十一日で更迭されることになったが、韓国の世論は沸騰した。〈江沢民中国国家主席との会談〉「自分の就任後、侵略行為と植民地支配によって我々に残酷にしたことに対して日本は反省し、歴史を直視するなかで未来に向けて進むことを繰り返し明らかにしてきた。日本は歴史認識を正しくすべきだ」「日本側の妄言が続いており、建国以来三十数回続いている。今度こそ(日本側の)悪い癖を直してみせる」(一九九五年十一月二十四日) この日本の「悪い癖を直してやる」という金大統領の発言は、日本側を怒らせることになった。 特に一九九五年は韓国の光復(独立)から五十周年の節目(実際に大韓民国が樹立されたのは一九四八年)となるため、日本の朝鮮統治時代のシンボルというべき旧朝鮮総督府府庁を解体する行為に及んだ。 この建物は花崗岩によって出来ており、近代建築の観点からも文化的見地からも取り壊しに反対する声は少なくはなかったが、日帝残滓を清算するという政府方針と世論におされ、一部を残して破壊されることになった。 また一九九五年には竹島に接岸施設を設置したほか、軍隊を常駐化させるなどの要塞化を推進。現在まで続く竹島問題を引き起こすことになった。日帝風水謀略説日帝風水謀略説 さらには韓国独立五十周年を記念した「歴史立て直し事業」のなかで、日本により断絶された朝鮮風水の地脈を復興しようと杭除去運動を開始した。 これは日本が風水によって朝鮮民族の精気を奪おうと杭を打ち込んだとされるもので、「日帝風水謀略説」とも呼ばれている。 朝鮮半島は風水に対する信仰が根強い地域であったため、日本が鉄道を敷設したり、建物を造ろうとすると風水を断ち切るとされ、各地で反対運動が巻き起こった。 これは齋藤実朝鮮総督が、「工事を止めてしまえ」というほど、アタマの痛い問題であったが、最終的には朝鮮王であった李垠(一八九七~一九七〇)の同意によって進められることになったが、韓国では未だに日本軍による陰謀説が語りつがれている。 金泳三はこの工事で埋め込まれた杭が、朝鮮を呪うものであるとして、これらの除去作業を命じたのである。 だが日本ではそもそも風水などそれほど根付いていないように、荒唐無稽な話以外の何物でもなく、事実、韓国で引き抜かれた多くの杭は、単なる測量用の杭に過ぎない。 しかしながら韓国では現在でも測量技術に対する理解は低く、二〇〇六年には「山の頂上部で発見されたのだから、測量用である可能性は薄い」などとメディアが平気で報じる始末である(山頂などに測量用の三角点を設けることは日本人なら高校生でも知る常識であろう)。〈日韓首脳会談〉 日韓関係は未来志向であるべきだが、日本の正しい歴史観が前提にある。 日本は植民地支配、侵略戦争を行ったことをきちんと直視すべきだ。植民地支配を含め、日本が韓国を支配した期間は四十年を超える。その間、韓国国民は苦しみと悲しみを味わった。日本は経済力だけでは、これまで以上に世界の尊敬は受け難い。日本の指導者が正しい歴史認識を持って政策を進めることを期待したい。(一九九五年十一月十九日)〈竹下登元首相らと金泳三大統領との会談〉「『近くて遠い国』を『近くて近い国』にするには指導者、政治家の言葉が重要で、政治家は歴史を重んじる必要がある」(一九九六年十二月十七日)〈村山富市首相との会談〉「日本の一部に『日本が戦った相手はアジアではない』との意見もあるが、それはアジアの人たちが決めることで日本の人が決めるのはおかしい」「過去の正しい清算が必要で、両国の学者が一堂に会して、例えば伊藤博文が何をしたのか、などの歴史的事実をきちんと調べてはどうか」(一九九五年四月十三日)(5)金大中 第十五代韓国大統領。在任期間=一九九八~二〇〇三 金大中(キム・デジュン)は朴正熙大統領と対立し、東京で韓国情報機関に逮捕、拉致された経歴をもつ(金大中事件)。その後、死刑判決を受けるものの、減刑されてアメリカへと亡命した。のちに帰国して四度目の挑戦で韓国大統領に就任した。訪日日程を終え、特別機で帰国の途に着く韓国の金大中大統領夫妻=2000年9月24日 日韓の歴史問題については「韓国と日本の関係において、私は門を開く役割を担いたいと願っている。何よりも両国の指導者の思慮のなさと過ちからくる、両国民の間にある不信と憎悪の門の、何と固く閉じられていることか」(『金大中獄中書簡』、岩波書店)と述べているように、政治活動を始めた当初から、日本との軋轢の原因となっている歴史問題を克服しようとした。 「韓国政府は、過去の問題を持ち出さないようにしたい。自分が責任を持つ」と述べたほか、映画や音楽など日本文化も開放することを表明し、日本との垣根を取り払うよう尽力をしている。 さらに一九九八年に訪日し、天皇陛下と拝謁した際にも、植民地支配には言及せず、戦後日本の発展と平和主義を讃え、韓国への支援を求める内容となっていた(訪日に先立ち、政府として天皇を表す「日王」の呼称を改め、「天皇」を使用することを公式に宣言した)。 彼自身、自らの伝記に日本統治時代の創氏改名などを批判しつつも、次のように記している。「そういう重苦しい日々のなかでしたが、東アジアで日本だけが近代化に成功したという事実が私たちにある希望を与えてくれたことも事実でした。 小学校、商業学校を通じて日本人の先生から大きな影響を受けたことも数知れないほどありました。私の人間形成に影響したのも日本人の先生方の言動でした。暗い記憶ばかりの毎日でなかったことは、申し上げておきたいと思います」(『わたしの自叙伝─日本へのメッセージ─』日本放送出版協会) このように日本統治へ一定の評価をおこなっている点も、他と異なり日本に対し柔軟な対応をとった理由であるように思える。 もっとも二〇〇一年に「新しい教科書をつくる会」が教科書修正を求める運動を起こした際にはこの活動を外交問題として捉え、クレームを入れてきているが、金泳三時代と比べると日韓関係に尽くしたという意味では評価できるとする声もある。〈宮中晩餐会後、韓国大統領府スポークスマンによる感想〉 日本が過去、韓国から文化の恩恵を受けたことを天皇が直接認めたのは意味がある。また、天皇は(過去、日本が韓国に対して)被害を与えたことを悲しく思っているとおっしゃっている。そういうことを考える未来の若者のために、二十一世紀を新しく迎えようという意思が入っていると思う。(一九九八年十月八日)〈鳩山由紀夫民主党代表と教科書問題において会談〉「今が非常に大事だ。小さな傷が体全体に広がる大きな病に至る可能性がある」「心に受けた衝撃は大きい。誤って処理された場合、両国関係に悪い影響を与えることを強く懸念する」(韓国政府に対し)「むやみに感情的に反論せず、学問的、実証的に検討し、日本が自発的に修正するよう自制的に行動することだ。日本人すべてが(つくる会の)教科書支持ではない。十分区別すべきだ」(二〇〇一年五月四日)(6)盧武鉉 第十六代韓国大統領。在任期間=二〇〇三~二〇〇八盧武鉉元大統領=2003年 盧武鉉は日本統治を経験していない初の大統領として注目を浴びた。 苦学して弁護士となった後、盧泰愚大統領の時代に野党議員として名を馳せ、金大中前大統領の政策の継承を訴え、インターネットを基盤とした支持層を得て大統領に就任した。 行政能力に乏しく、政権末期では支持率は一割程度にまで下落した。さらに清廉であるとされ支持をされていたにも関わらず、収賄や不正献金で親族の逮捕が相次ぎ、自身も逮捕が近づくと崖から身を投げて自殺した。 盧武鉉大統領も就任当初は未来志向を謳い、対日重視の姿勢を見せていたものの、裏では元人権派弁護士として活動した経歴が示すように、日本に対する「歴史の清算」を求めるようになってきた。「米韓共通の敵」 小泉純一郎首相(当時)が靖國神社に参拝することを表明すると、「過去の戦争を誇り、栄光のように展示していると聞いている」「(靖國神社は)過去の戦争と戦争英雄を美化し、これを学んだ国が隣りにあり、こうした国が膨大な経済力と軍事力を持っている。(韓国など)その近隣国が過去に何度も苦しめられたことがあるならば、国民は未来を不安に思わざるを得ない」と、靖國神社を批判したほか、首脳会談をキャンセルするようになった。 さらに韓国にいる親日派の財産を没収するため、「親日反民族行為者財産調査委員会」を発足させ、親日家だと認定された人々の子孫のもつ財産を没収することを合法化させ、日本側の制止を無視して竹島の海洋調査をおこない、日本に対しては「武力行使もありえる」と恫喝し、事実、島根県内の防衛庁(現在の防衛省)施設に対して軍事攻撃を行なうよう検討していたことが明らかになった(『ワシントンポスト』、二〇〇六年四月二十一日)。 またアメリカ軍に対し「日本を米韓共通の敵として、仮想敵国にしよう」と要請し、関係者を当惑させるなどしている。 盧武鉉大統領はこれだけにとどまらず、日本海を「東海」と改称するよう求め、新しく「平和の海」と呼ぶように提案するなど迷走をつづけた。 盧武鉉大統領の異常なまでの反日は、日本統治時代を経験していない世代、つまり反日教育を受けた世代であったと言われているが、日本では年長者の女性を中心に二〇〇四年の韓国ドラマ『冬のソナタ』ブームが起こる一方、若者を中心として二〇〇五年には嫌韓ブームが助長されることになった。 盧武鉉大統領による負の遺産は、今なお日韓関係を損なう障害へと繋がっている。〈盧武鉉大統領による就任二年目の国会演説〉 歴史問題を処理するドイツと日本の異なった態度は多くの教訓を与えてくれる。態度によって周辺国から受ける信頼も違う。過去に率直にならねばならず、そうすることで初めて過去を振り払い未来に向かうことができる。(二〇〇五年二月二十五日)〈日韓首脳会談〉 総理の靖國参拝や最近の多数の政治家による参拝は韓国に対する挑戦でもあり、日本が過去に戻るのではないのかという懸念がある。韓国国民の考え方をよく分かってほしい。靖國参拝、歴史教科書、竹島(韓国名・独島)問題の三つの問題をぜひとも解決する必要がある。(二〇〇五年十一月十九日)(7)李明博 第十七代韓国大統領。在任期間=二〇〇八~二〇一三 李明博大統領は大阪市生まれで在日韓国人の出身である。 金大中、盧武鉉と二代続いた左翼政権によって経済が停滞したため、現代建設を世界有数の企業に押し上げた経歴から、経済再生の手腕に期待が集まり、対抗馬に大差をつけて当選した。 しかし就任直後から米国産牛肉の輸入制限緩和がBSE問題への危機意識と直結し、支持率は一機に一割代まで下落した。 その後、支持率は三割程度まで回復したものの、世界金融危機などを受け、再度下落。国民が期待した「経済大統領」というイメージからは遠いまま、大統領の任期を満了した。 日本との歴史問題については、〈李明博次期大統領と外国メディアとの会見〉「新しい韓日関係のためには(韓国への)謝罪や反省をしろという話はしたくない。今の日本はそれを要求しなくても話し合いができるほど成熟した外交ができる」 との意見を表明し、二〇〇六年一月のダボス会議では「一部アジアの政治指導者は、過去の歴史に縛られて、国家間の緊張を高め、未来を暗くしている」と、過去の歴史にとらわれる盧武鉉前大統領を暗に批判する余裕をみせていたが、真意は日本が歴史問題に対し、韓国への謝罪や賠償を自発的に行なうことを促すことであった。 そのため日本の学生に竹島は韓国の領土であることや、日本統治の残虐性を教え込むため、修学旅行生を韓国内へ誘致することを発表したほか、従軍慰安婦への賠償金について「日本政府は法律的でなくとも人道主義的な措置を必ず取るべき」であると主張している。 補足すると「法律的でなくとも人道主義的」という表現が示すように、日本の韓国への賠償金問題は一九六五年に日韓基本条約が締結され、国交の回復がおこなわれたときに「完全かつ最終的に」解決されたのであり、従軍慰安婦への賠償金を対象に含めなかったのは韓国政府の問題である。 政権末期になると李明博韓国大統領の反日発言はエスカレートし、二〇一二年八月十四日には、天皇陛下について「痛惜の念などという単語ひとつを言いに来るのなら、訪韓の必要はない」、「韓国に来たければ、韓国の独立運動家が全てこの世を去る前に、心から謝罪せよ」と謝罪を要求する発言をおこなった。〝痛惜〟とは盧泰愚大統領が訪日した際に、天皇陛下が述べられた御言葉である。 また同年十五日には慰安婦問題について、「日本軍慰安婦被害者問題は人類の普遍的価値と正しい歴史に反する行為」だと述べた。就任式を終え、李明博前大統領と会場を出る韓国の朴槿恵大統領=2013年 2月25日午前、ソウルの国会前広場(8)朴槿惠 第十八代韓国大統領。在任期間=二〇一三~ 朴槿惠(一九五二~)は、よく知られているように朴正熙元大統領の長女として生まれた。 母親の陸英修が暗殺されると二十二歳でファーストレディーの役を継承。父が暗殺された後は政治からは身を退いていたが、九七年のアジア通貨危機をきっかけに政界復帰。二〇〇四年にはハンナラ党代表に選ばれ、党をけん引した。 東アジア初となる女性大統領であり、韓国のサッチャーなどと言われている。 父親の朴正熙大統領は経済発展に必要な外貨を獲得すべく、経済資金が得られる日韓基本条約の締結を急いだ人物であった。 当時、カネのために民族の主体を売ったとして、反対勢力から「物乞い外交」と批判されている。 現在の韓国政府は「過去の歴史」をエサにし、官民あわせて「物乞い外交」を恥ともしていないが、この当時はまだそのような気概があったのであろう。 朴正熙は貧しい農家に生まれ、一人、日本人教師に教えて貰った剣道のマネをして遊んでいたという。 成績優秀であった彼は学校推薦で大邸師範学校(官費)へ入学。日本の軍事教練が好きで、ラッパ手に選ばれ喜んで吹いていた。 学校を卒業すると教員生活を捨て、日本の職業軍人になることを決意。至誠を示すべく、血書を書いて新京軍官学校(旧満州国・新京)の試験を受けた。 朴は全学生の模範となり、成績優秀者だけが選ばれる連合大演習の指揮を任せられるにいたった。嫌韓が激化するだけ 卒業時には満州国皇帝の前で卒業生代表として答辞を読み、金時計が下賜された。さらに日本の陸軍士官学校(五十七期)に入学する特典を得た彼は、日本名を高木正雄と名乗り、同校を優秀な成績で卒業した。 新京軍官学校校長であった南雲親一郎(後に中将)は、「半島出身ではあるが、精神においては完全に日本人である。高木生徒のように天皇陛下のためにたてまつり、忠誠心のあつい者は日本人にも稀である」と讃えた。 このような経歴を持つ朴正熙の娘だということで、一部の日本マスコミにおいて、朴槿惠の時代になれば、日韓関係は融和されるのではないかという楽観論が浮上したが、それは長くは続かなかった。 就任後、間もなく開かれた式典で、〈三・一独立運動式典での演説〉「加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらない」(二〇一三年三月一日) と発言。さらに五月六日での国会答弁では、〈金奎顕外務次官がオバマ米大統領との首脳会談における朴大統領の訪問目的について〉「「日本が『普通の国』になる前に、心から過去を悔やみ、新たに出発することを確実にしなければ、周辺国の懸念が残る」という点を米国に説明したい」(二〇一三年五月六日) と述べた以外にも、「今が日本が許しを得られる最後のチャンス」「日本が歴史を正視し、歴史が残した傷跡を癒す努力をする」(慰安婦問題について)「北東アジアの平和のためには日本が正しい歴史認識を持たねばならない」(オバマ大統領との会談)「(日本の)右傾化は北東アジアだけでなくアジア全体(の国家)との関係を難しくし、日本にとっても望ましい方向ではない。日本は深く慎重に考えてほしい」 などと対日批判が止む気配はない。 以上、足早に歴代韓国大統領の反日言論を眺めてみたが、発言の内容を要約すれば、①韓国側の言い分をのまない限り、韓国は延々と過去の歴史カードを使いつづける。②日本が韓国のことを考え譲歩すれば、韓国側はチャンスとばかり次々と要求を強める。 ということに尽きるのであり、日本が譲歩することは日韓友好とはなりえない。仮に日本が要求を呑んだとしても、真実を捻じ曲げた日本にはフラストレーションがたまり、ますます嫌韓運動が激化していくのみである。 日本と韓国が真の融和をするには、韓国への温情を廃し、国際法の手続きに則って粛々と抗議をおこなうこと。そして韓国における親日家を育成・支援するよりほかはないのかもしれない。 もしくは融和などという言葉を捨てて、淡々と付き合う他ないか……。げんこつ・たくふみ 1976年生まれ。漢学、東洋思想、東洋史の研究をおこない、名越二荒之助(元高千穂商科大学教授)、杉之尾宣生(元防衛大学教授)に師事。日本のみならず、中国・韓国などで論文や研究発表などを精力的におこない成果を挙げている。著書は『韓国の歴史教材「東アジア史」の真実』( PHP研究所)、 『昭和の戦争の真実 語り継ぐ70の秘話』(扶桑社)など多数。   

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    射殺、餓死…李承晩ラインで日本漁民が味わった塗炭の苦しみ

    松木國俊(元豊田通商ソウル事務所駐在員) 日韓関係の悪化について、韓国側は「日本の右傾化が原因」「加害者と被害者の関係は1000年経っても変わらない」などと、一方的に日本を批判している。だが、歴史を振り返ると、韓国はこれまで、日本に理不尽かつ非道な行動・対応を取り続けてきた。韓国が口を閉ざす「理不尽な真実」について、元大手商社マンで日韓問題研究家の松木國俊氏が迫る。 「李承晩(イ・スンマン)ライン」。それは、日本の主権回復を承認するサンフランシスコ平和条約発効直前の1952年1月、韓国が海洋資源を独占し、領土を拡張するため、島根県・竹島を取り込んで、一方的に公海上に引いた軍事境界線・排他的経済水域である。竹島 いかなる国際法を持っても正当化できるものではなかったが、日本政府は憲法第9条などに縛られて手も足も出せなかった。これより13年にわたって、日本漁民は、韓国警備艇による射殺、体当たり、拿捕(だほ)、抑留、餓死という塗炭の苦しみを味わった。 日韓漁業協議会発行の『日韓漁業対策運動史』に、当時の詳しい記録が残っている。韓国の暴虐を風化させないため、あえて、その悲惨な過去を振り返ってみる。 韓国警備艇は、李承晩ラインの外側を航行中の日本漁船にまで見境なく襲い掛かり、罪のない日本漁民を拿捕して釜山港へ連行した。棒でたたくなど残虐な拷問を加え、自白を強要し、文明国では考えられない人権を無視した一方的な裁判で判決を言い渡した。 獄中生活は悲惨を極めた。雑居房には20人前後が押し込められ、手足だけでなく体も重ねあわせて寝なければならなかった。食事の不潔さは言語に絶し、カビの生えた麦、腐敗した魚は度々で人間の食べる物ではなかった。ほぼ全員が栄養失調状態となって死線をさまよい、ついに餓死者まで出たのだった。 54年以降は、「刑期」を終了した者さえ釈放せず、韓国側は抑留者を「人質」にしてさまざまな要求を日本に突き付けてきた。帰国の希望を奪われた抑留者は、肉体的にも精神的にも限界を超え、狂乱状態になるものもあったという。残された家族にも、重い経済的、精神的負担が発生した。堪えかねて精神を病み、自殺した妻もいた。 日本漁民を守るべき海上保安庁の巡視船は「不測の事態を避ける」という理由で砲を撤去させられていた。拿捕されそうな日本漁船を救出するため、丸腰で韓国警備艇との間に割り込み、自ら銃弾を浴びながら漁船を逃す以外になかったという。 65年に日韓基本条約や請求権・経済協力協定、日韓漁業協定が締結されるまでの間、韓国の不法拿捕により抑留された日本漁民は3929人、拿捕時の攻撃による死傷者は44人、物的被害総額は当時の金額で約90億円にも上る。 にもかかわらず、韓国は現在に至るまで一言の謝罪も補償もしていない。それどころか、朴槿恵(パク・クネ)大統領は高飛車な態度で、反日発言を続けている。日本人は、韓国の非道な行為で無念の死を遂げた同胞のことを、決して忘れてはならない。まつき・くにとし 1950年、熊本県生まれ。73年、慶応大学を卒業し、豊田通商に入社。直後から韓国担当を務め、80~84年、ソウル事務所に駐在する。秘書室次長、機械部次長を経て、2000年に退社。松木商事を設立する。韓国問題を長く研究しており、「慰安婦の真実国民運動」幹事長。著書に『ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った』『こうして捏造された韓国「千年の恨み」』(ワック)など。

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    様々な差別ある韓国 全羅道が長く地域差別の対象となった訳

     韓国大統領の出身地は、11人中6人が慶尚道(韓国の南東部に位置。慶尚北道および慶尚南道)で全羅道(道韓国の西南部に位置。1896年に全羅北道と全羅南道に分かれた)は金大中氏わずか1人と不自然なほど片寄っている。背景には、長い歴史を持つ地域差別があった。ジャーナリスト、岸建一氏がレポートする。* * * ソウルの居酒屋でテーブルを囲む同年代の男たち。焼酎やマッコリを酌み交わし、すっかり酔いも回ってそろそろお開きとなったとき、1人の男がトイレに立った。それを見届けた別の男が、皆に向かってこう言った。「会計はオレがやるよ。(トイレに立った)あいつにやらせたら、割り勘をごまかすに決まってるからさ。なんたって、あいつは全羅道(の人間だからな」 それを聞いた残りの男たちは、にやけたような顔で笑った。トイレに立った男以外は、日本人の筆者を除いて、全員が慶尚道出身だった。 筆者が10年ほど前に体験したエピソードだが、韓国社会には、こうした出身地をめぐる「地域差別」が、現在も根強く残っている。自国や自民族に対する差別には非常に敏感な反応を示す韓国だが、国内に目を向けると学歴信仰や男尊女卑など、さまざまな差別意識がはびこっていることに気付かされる。中でも地域差別は、その代表格だ。 韓国では、全羅道が、長く地域差別の対象となってきた。とりわけ、木浦や光州などの全羅南道エリア一帯は「湖南」と呼ばれ、気候温暖な米どころとして豊かな食文化を持ち、歌舞音曲にも秀でていることで知られ、著名な料理家や芸能人を輩出してきた。だが、韓国内では「湖南の奴らは信用できない」と疎んじられる対象でもあった。 そのルーツをたどっていくと、後百済(892年建国。全羅道地域を治めていた)を滅ぼし、朝鮮半島を統一した高麗(王建が建国した朝鮮王朝。918~1392年。935年に新羅を、936年に後百済を制圧して、朝鮮半島を統一)の王建(太祖)が、全羅道からの人材登用を厳しく戒めた歴史にあると言われている。 そうした中で培われた差別意識は、現代にも引き継がれて、1961年の軍事クーデターで朴正熙が政権を掌握してから顕著になる。 1963年の大統領選挙に当選した朴は、出身地の慶尚道を優先したインフラ整備を行い、官庁人事では同郷の出身者を優遇した。朴が主導した地域開発運動「セマウル運動」(韓国語で「新しい村づくり」の意。農漁村の近代化、所得拡大などを目的に、1972年から開始された)でも、モデル地域を慶尚道に置いている。 一方、全羅道は開発が後回しとなり、中央官庁でも出身者が冷遇されるなど露骨な差別にさらされた。朴への強い不満が、慶尚道に対する対抗心につながっていったのだった。 そうした長年にわたる全羅道の鬱憤を晴らしたのが、1998年の金大中の大統領就任だった。民主化運動のリーダーとして知られる金だが、生まれ故郷は全羅南道で、差別にあえいできた歴史を肌で知る政治家でもあった。 大統領として南北首脳会談など国際的に注目される政治活動を展開するだけでなく、金は地域差別の解消を訴えるとともに、鉄道や道路など全羅道への開発にも力を注いだ。 全羅道の人たちにとって、金に対する尊敬の念は格別のものがある。2008年に筆者が木浦を訪れた際、タクシーの運転手に「金大中の出身地はこの近くですね」と話しかけると、いきなり激高し「呼び捨てとは何だ! 金大中先生と言いなさい!」とまくしたててきた。 そうした反応には面食らったものの、差別を受け続けてきた地域から大統領を輩出したというカタルシスに裏打ちされていると思えば理解しやすいだろう。関連記事■ キムチに欠かせない唐辛子 16世紀に日本から韓国に伝わった■ 秋田犬は韓国の珍島犬から 英人祖先が韓国説を信じる人少数■ 胃がん患者が日本海側に多い理由 「伝統的な食生活」と関係か■ 肝がんの罹患率 山梨県と西日本で全国比1.2倍以上多い背景■ 自殺が低年齢化している現状や背景とその予防策を紹介した本

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    甦る「脱亜論」 「反日」ばかりの中韓とは離れたほうがうまくいく

    けて訪中する差の付け方だった。 米政界で安倍氏の評判が必ずしも良くなかった原因は、日本が近隣の中国、韓国と揉(も)め事ばかり起こしている。それも戦争中の慰安婦をめぐって、謝らず、補償もしない。一方で戦後秩序を否定するために憲法を改正しようとしている右翼政治家だというものだった。 オバマ氏の対日感情もそれを基礎としたものだった。太平洋のバランスは日米対中国でとれるはずだったが、日本が中国と揉め事ばかり起こすのでは、米国が直接中国と仲良くしたほうが良いとでも考えるようになったのだろう。 中国も「新大陸関係」(新しい米中関係)という造語で米国を誘ったが、実態は太平洋を半分ずつ“管理”しようというものだった。そうなると日本は中華圏に入るのか。 中国という国の本質、日中両国の二千年近くにもわたる関係は当事者以外にはわからないだろう。韓国の朴槿惠大統領は米国をはじめ、欧州主要国を歴訪して、ひたすら、日本の悪口をいって廻った。この告げ口外交は「いまから思うとひどかった」と各国共に感じているようだが、当初は日本の外交にダメージを与えた。しかしセウォル号の沈没や軍内部の利権のつながり、政治家の汚職などが表面化してきて韓国が丸裸になると、日本の主張のまともさが際立ってきた。 軍が強制して慰安婦をかき集めてきたという醜聞も、それを書き立ててきた『朝日新聞』が昨年、32年間にわたる記事を取り消したため、韓国政府の立場が、一挙に怪しくなった。そもそも韓国はありもしない〝慰安婦〟事件で騒いで日本から何をとろうとしていたのか。 韓国は「慰安婦は性奴隷だ」と主張したが、その根拠は国連人権委員会のクマラスワミ報告書だけだ。同報告書で20万人の性奴隷と証言しているのは日本の左翼学者だけで他に正当な根拠はなにもない。従って日本政府はクマラスワミ氏に正式に訂正を申し入れた。一方、慰安婦達が戦中であっても“商行為”として正当な支払いを受けていたことは、米国の裁判所でも行政府でも認められている。 安倍訪米を控えて米国では韓国の言い分が成り立たないことが徐々に判明しつつあった。 片や、友好を深めようとした中国が箸にも棒にもかからない国であることを、オバマ氏は理解してきた。南シナ海の強盗のような岩礁地の埋め立てや基地造りを見れば、中国には力で抑止力を発揮するしかないと悟ったろう。日本の尖閣諸島についてオバマ氏は「日米安保条約の適用範囲だ」とわざわざ述べた。このことは米国ははっきりと日本の側に立つことを明らかにしたことにほかならない。中国とは力で対決する以外に身を護る方法はない。こういうと、所詮、暴力を使うのかと護憲論者はいうのだが、土俵上で四つに組んで横綱同士が動かないのはなぜか。両者が必死の力を込めているからだ。力を込められる自衛隊にしようというのが、国会で審議中の安保関連法案なのである。理解を深める騎士道と武士道 オバマ氏は中国を知るにつれ、日本ほど律義で頼りになる友好国はいないと悟っただろう。 安倍首相の米議会での演説は秀逸だった。 抜きんでていたのは第二次大戦について「痛切な反省」(deep remorse)を表明したことだろう。それまで中、韓両国に加えて米政府内にも河野、村山談話で述べられた同じ文言を使うべきだとの主張が強かった。しかし安倍氏は「アジア諸国に苦しみを与えた」と述べたうえで「痛切な反省」を述べた。「お詫び」とか「侵略」を入れろという周囲の声が一気に軽くなった。会談を前に握手するオバマ米大統領と安倍首相=2015年4月28日、ワシントンのホワイトハウス(共同) 首相は議場に硫黄島で生き残った米軍の老司令官と玉砕した日本側守備隊長の孫を紹介し、二人が固く握手する場面を演出した。「痛切な反省」と敵味方の握手があれば、騎士道と武士道では理解し合えるだろう。もう一つ良かったのは首相が前夜の夜会で、ナンバー2が手練手管を使ってナンバー1を追い出す米国のハウス・オブ・カードというドラマを紹介し、「このドラマをナンバー2の麻生副総理には見せないことにしたい」と述べて爆笑させた。米国人はこの手のユーモアをこよなく好み、安倍晋三という人物の印象を心に刻んだことだろう。 『読売新聞』の世論調査(5月11日)では安倍首相とオバマ大統領との間で、新たな日米防衛協力の指針(ガイドライン)を通じて日米同盟の強化を確認したことを「評価する」と答えた人は70%に達した。「評価しない」はわずか19%だった。 下院本会議場は500人を超える両院議員で埋め尽くされ、2階の傍聴席もほぼ満員だった。議員は頻繁に立ち上がって拍手も含めてスタンディングオベーションは35回重ねられたという。安倍氏の演説は40分の予定だったが、拍手によって5分間延びた。 安倍氏は日米同盟は、「法の支配、人権、自由を尊ぶという価値観を共同している」ことで成り立っていると定義し、自ら「希望の同盟」と名付けた。 同盟というのは力の均衡や戦力補充といった権謀術数を狙って行なわれるのが常だ。しかし単なる軍事的利害損得による離合集散は、事件が終われば疎遠になって解消する。米英ソは日独の軍国主義、全体主義を潰すといって同盟したが、日独が破滅したあとは中ソの共産主義と米国を中心とする西側の対立となった。米ソの冷戦が終わると、世界は米国一極となって米国は世界の警察官といわれた。 その米国一極体制が相対的に弱体化し、米国は三つの戦争ができなくなった。欧州、中東、アジアの三つの戦争を同時にできなくなって、欧州はNATO欧州諸国にまかせている。中東では戦争への介入失敗を続け、完全撤退はいまのところ無理だ。この時点でアジアが不安定になれば、米国一国では対中抑止力が効かなくなるだろう。中国への抑止力の一部として日本の軍事支援体制が不可欠になった。日本の側だけからみても、オバマ体制の初期に中国が「新大陸関係」と称して米中の“直接対話”を持ち出してきた時に、米国が乗り気になった時がある。米国が頼りにならなければ、日本独自で中国と対立せねばならなくなる。だからこそ米国との同盟関係を一段と強化しなければならないというのが安倍氏の考え方だ。同盟の動機、目的は自由、民主主義、基本的人権といった「希望」である限り、目的が陳腐化して同盟が崩れることはない。 世界情勢の変化に合わせて日米の軍事ガイドラインを仕切り直す必要がある。 安倍氏はとりあえず、軍事面での不備を補強、補正する必要があった。歴代内閣がことごとく避けてきたものを洗いざらい取り上げた。豪州との軍事協力体制は着々と進んでおり、潜水艦技術の供与も可能になった。これまで武器輸出三原則によって武器の輸出や共同製作ができなくなっていたのが昨年、防衛装備移転三原則に改められた。 訪米に当たって安倍内閣は国家安全保障会議(NSC)の設置、防衛計画大綱の改定、集団的自衛権の限定的容認を決めた。集団的自衛権をめぐる法律は恒久法にまとめられて国会に提出された。 野党は国会承認の前に安倍首相が米国で「夏にはまとめる」と約束したことをとらえて非難しているが、民主主義国の同盟というのは、内容を世界に発信することも必要なのだ。中国の「力の外交」に屈するな中国の「力の外交」に屈するな 戦後70年の日本の節目にふさわしいのは「集団的自衛権」を容認する安全保障関連法を成立させることだろう。国会審議は5月下旬から始まる予定だが、当分、国政選挙も地方選挙もない。国会で何十時間でも実のある審議ができる。この際、日本人は“軍事”について聡明になってもらいたい。 軍備は要らないという人達は憲法九条があったからこそ70年の平和が保てたという。あるいは9条を掲げるが故に軍備は持つべきではないという。この無手勝流の論理を掲げた旧社会党は最盛期の166議席から名を変えて存続する社民党2名(衆院)にまで転落した。九条の思想は実態的には消滅した。もはや宗教といっていいのではないか。 圧倒的に強かった米国の保護国並みの頃は、「戦さ」は米国まかせの気風が強かった。そのオバマ米国が頼りない感じを漂わせる一方、隣国、中国が力の外交をやるようになった。南シナ海の岩礁に飛行場やら軍事基地を造り出すやり方はまさに中国式だ。2014年の世界の軍事費は米国が前年比6・5%減らすなか、中国は9・7%増。第3位のロシアも8・1%増となった。 10年前に比べると米国が0・4%減らしたのに対し、中国が167%と伸びて世界最高を示している。日本はインド、ドイツを下廻り9位である。日米の軍事費に比べて中国の増加率はけたたましい。日米の側がこれに対抗するには日本の自衛力を動員できるようにするか、軍事費を注ぎ込むしかない。 9条派は以上のような国際情勢の変化を一顧だにせず、「解釈改憲」「戦争法案」反対だと切り捨てようとしている。民主党の岡田克也代表は憲法改正について「安倍さんの時代には議論しない」という。安倍首相の改憲論は厳しいだろうから「議論したくない」という論法である。相手がどのような思想であれ、議会というものは、議論を戦わせて勝負をつけるのがしきたりだ。岡田氏がいっているのは「あいつは人相が悪いから議論したくない」といっているのに等しい。それも国家にとって最重要な問題についてだ。 日本の憲法はもともと自衛権を否定してはいない。国連憲章には自衛権には「個別的」と「集団的」と両面あると規定してある。日本が勝手に「集団的自衛の権利はあるが行使はできない」と解釈してきた。これは内閣法制局の明白な誤りである。そもそも内閣法制局があらゆる法律について〝絶対的〟な解釈権をもっているのはおかしい。憲法四一条には国権の最高機関は国会であると規定してある。あらゆる法律が国会でつくられるのに、その解釈権を内閣法制局がなぜもつのか。内閣法制局は官僚内閣制を創るに当たって、法解釈の最高機関として設置された。国会を最高権力と決めた新憲法を制定するに当たって、内閣法制局は消滅した。これは当然の措置だが、それでは官僚内閣制が不備になるといって、数年後に復活誕生させたのである。安倍晋三氏は内閣の最高決議は閣議であるべきだとの考え方で、安保関連法は国会提出に当たって閣議で決定された。これが真っ当な形だ。 安保法制の具体像は簡略化していえば次の通りだ。(1)日本防衛活動をしている米軍や他国軍の支援(グレーゾーン事態への対応)(2)日本に重要な影響を与える事態への対応(周辺事態法の改正)(3)国際的な平和協力活動(PKO法改正)(4)集団的自衛権の行使(自衛隊法、武力攻撃事態法の改正)(5)相手国が同意した場合の邦人救出(自衛隊法改正)日米同盟は中東と中国で共通認識をもて 日米同盟は世界政策をも共有するほど重いものだ。共通の認識をもつに当たって、重要な点が2点ある。 中東と中国政策である。まず中東について米国はアラブ諸国に民主主義体制を植えつけるのを最善と考えているようだが、少なくともアラブ圏に先進国並みの民主主義体制を導入するのは無理だ。 私もイランのホメイニ革命の頃、アラブ諸国に入り浸っていたが、正直いって殺し合うほどの宗派の差は外部の人間には理解できない。現在、シリアでスンニ派と「イスラム国」という過激派が強烈に争う形になっている。そのシリアは強権的とはいえアサド大統領によって少なくとも治安は維持されていた。それが崩れたのはチュニジアでジャスミン革命と呼ばれる“民主化”革命がきっかけだった。その動きを世界中がほめそやして全アラブに広まった。エジプトでは過激派のイスラム同胞団が担いだモルシ氏が新大統領に当選した。モルシ氏が憲法改正案を準備したところで、軍部がクーデターを起こし、実質的にムバラク体制を復活させた。イランでホメイニ革命が成功したのはホメイニ師が政権をとってすぐに軍を掌握し宗教独裁の憲法制定に成功したからだ。 エジプトでムバラク大統領に仕えていた軍部はモルシ氏がホメイニ革命の二の舞いを演じ始めたのを悟って直ちに反革命を起こした。アラブ内で治まっている国の体制は軍部独裁、宗教独裁、王制、酋長(しゅうちょう)制など“独裁国家”に限られる。理論が1、2ミリ食い違っただけで殺し合いに発展する社会では、力で押えている政治体制のほうが安定的だと認識すべきだ。キリスト教の世界では宗派の違いを越えて共存するのに2千年かかった。アラブ世界に民主主義を導入するにはあと700年かかる勘定になる。イスラエルとの関係を抱えて、日本のように傍観するわけにはいかないが、米国が内戦を助長しているように見える。 第二点は中国の扱いである。 中国が突如、持ち出してきたAIIB(アジアインフラ投資銀行)構想は、中国が米国と太平洋を分割しようという“新大陸関係”の延長線上の戦略だろう。太平洋を分けるという軍事上の狙いに加えて、国際金融の面でもアジア・太平洋地域における覇権を強める狙いだ。 そこで中国がひねり出した手がAIIBという新手だ。国際金融機関としてはIMF(国際通貨基金)とADB(アジア開発銀行)がある。共に米国と日本が仕切っている銀行で、中国の思うような投資ができない。そこで資本金の50%を出資し、総裁も中国、本部も北京、理事会は設けないという中国国営銀行のようなものを編み出したのである。 中国はシルクロードの復活を目指して周辺国に“一帯一路”を呼びかけている。近隣各国に巨大な公共投資を行なわせれば、景気浮揚にもなるとあおっている。 中国はAIIBをテコに人民元を国際通貨の座に押し上げることに懸命になっている。 中国の李克強首相はIMFの特別引出し権(SDR)の構成要素に人民元を採用するようラガルド専務理事に申し入れた。人民元の資本取引を活発化させ、人民元が国際通貨に採用されることで、金融の維持や人民元の国際化により国際社会のなかで中国が大きな役割を担うことになると力説したという。 しかし中国のAIIB設立もSDRの構成要素に入れろというのも、別の意図が透けてみえる。中国は2008年のリーマンショックの際、莫大な公共投資を行なって中国や世界の窮地を救った。その後遺症で中国は国民総生産4、5%の域に落ちているという見方もある。本来の中国流なら莫大な国費を注ぎ込んで、同様の対策を試みるはずだが、実は中国には金がない。 中国の債券証券発行額は増加する一方で、これ以上の借金ができない。そこでAIIBを設立して、そこから金を出して周辺国に公共投資をやらせる腹なのではないか。下手をすると国内投資の不足分をAIIBの名でかき集めて、自国の公共投資に当てる算段かもしれない。 欧州諸国が参加したのはIMF、ADBでは物品の輸出入には便利でも、大規模なインフラ投資に不利だったということがあるだろう。安倍首相は「ガバナンスをみてみる」と述べたが、妥当な判断だろう。忘れてならないのはAIIBが正真正銘の中国共産党の銀行だということだ。三権分立もなく、不公正を訴える場もない銀行は国際社会の信を得られない。その本質を直視しつつ矛盾点を指摘し続ければ、不正な銀行は破綻する。 日本では教養人で漢詩をたしなむ者が多く、中国コンプレックスが強い。中国人を“大人”と見なし、話し合えば争いの片がつくと思っている官僚、政治家が多い。完全に中国人を買いかぶっているのだ。 戦後、中国に対して贖罪意識を抱いていた政治家は日米同盟があるのに、中国やソ連とも等距離で付き合おうという首相(三木武夫氏)まで出た。中国と付き合うこと自体が自民党内のステータスにもなった。 これは官僚も同じで、与党の外交方針が固まっていないため、外務省の各局が独自の方針で相手国に臨んだ。その典型が中国を専門とする「チャイナスクール」の誕生だ。チャイナスクールは中国や韓国の機嫌を損ねてはいけないというのが、第一義の任務で、その典型が慰安婦問題だ。つい何年か前まで日本の中学校教科書には「従軍慰安婦強制連行」という単語があった。しかし「従軍慰安婦」という単語自体存在しなかったというので「慰安婦」だけが残された。さらに「強制連行」した事実もない。そこで「従軍」と「強制連行」を削除すると「慰安婦」だけになる。とすればこういう“商売”があるということを中学校段階の教科書に使うことはない。当然、教科書から記述が落ちたのだが、これを落とすと「歴史認識」で中国、韓国両国は日本を攻めることができない。「慰安婦」問題で攻められたら、政治家はもちろん、外交官はそれが誤りだったことを説明しなければならない。 ところがファクトを勉強していない外交官はこの問題を持ち出されると、「河野談話で詫びたし、もう補償も済んでいます」と答えるのだ。米国大使だった加藤良三氏は韓国の謝罪申し入れに強烈に反論すべき立場なのに「いまからではもう遅すぎますよ」とうそぶいていたものだ。『朝日新聞』が32年経って「事実は確認できない」といって取り消したのが立派に見えるほどだ。中世も近代も経験しなかった中韓中世も近代も経験しなかった中韓 官僚、政治家、教養人がどうしても一目置くのは5千年という中国の古さである。5千年の間に国家は財や知識を積み上げているはずだと錯覚する。2300年も前の孔子や孟子の教えを日本では江戸時代の寺子屋で農民の婦女子にまで教えていた。寺子屋時代は250年続き、その後百年孔子の論語は生命を得た。日本人の知識に「古い国」という意識を植え込んだのは司馬遷の『史記』だと中国史の泰斗・岡田英弘氏はいう。 実際の中国は洛陽のそばの「華山」という山の近くで栄えた商業都市で、紀元前221年に始皇帝が「秦」を起こして、そのあと「漢」「唐」「元」「明」「清」の五つの異種族王朝が興亡した。秦以前の「夏」「殷」「周」は神話の世界である。 五つの大国があったのは確かだが、五つとも人種も言語も違い、共通するのは商売のやり方ぐらいのものだった。韓国銀行の調べでは200年以上続いた老舗企業は世界41カ国で5586社が確認されているが、日本は3146社(全体の56%)と断トツ。2位はドイツ837社で、中国は第6位だが、9社しかない。商売が長続きするには社会が安定しなければならない。長期、安定してこそ技術も芸術も栄える。 中国は大地の上に入れ替わり立ち替わり、支配民族が交代したにすぎない。しかし商売するためには共通の符帳や共通の文字が必要だ。そこで使われたのが漢字で、7世紀頃から科挙の制度を創設して、商売や行政命令書を漢字で書かせた。国が交代しても科挙(役人)が必要なわけで、科挙の給料は自分で決めた。現在でも、市長が交代したら税金が5割上がるなどは当たり前だが、これは清の時代に廃止されたはずの科挙の伝統なのだ。 「中国」とは洛陽を中心にした「マーケット」で近所に華山があったから中華と呼ばれたが、中国とか中華という国が2千年続いたわけではない。中国という土地に国を建てたのは漢族、満州族、蒙古族、回(ウィグル)族、チベット族の五族だ。朝鮮民族が中国の主になったことはなく、日本併合までの500年間、中国の属国だった。彼等は漢字を操るのが最高の価値だと考えて、職人を卑しんだ。 帝国主義の時代、西欧列強は中国を侵食しはじめ、中国は朝鮮を併呑しようとした。日本はこれを食い止めるため日清戦争を起こして勝った。日清戦争の講和条件を決めた下関条約の第一条をみると、日本の戦争目的がよくわかる。普通、第一条は戦勝国に対する賠償金や分捕った領土が書いてあるが、下関条約の第一条には、これにて「朝鮮の独立を確認する」旨が書いてある。朝鮮がこれに従って独立を確保すれば、東アジアの安定につながったはずだが、属国根性の抜けない朝鮮はロシアの支配下に入ろうとしたのである。 朝鮮戦争のあと韓国は米韓条約を結んで“西側陣営”に自らをつなぎとめたが、朴槿惠大統領をはじめ韓国全体は元の中華圏に入って中国の属国に復帰したいようだ。 韓国にとって致命的なのは、中国の属国になって儒教を信奉したことだ。儒教というのは宗教ではなく社会や家庭の秩序を保つために、長幼の序を決めることだ。その社会で最も大切なのは漢字で、支配階級は漢字を書く以外のことを蔑んだ。したがって技術者は育たず、国民の30%が奴隷となった。日清戦争の結果、朝鮮の奴隷は解放された。中、韓とも中世も近代も経験せず、日本にいきなり現代に引きずり込まれたようなものだ。当時、敗れた清から孫文や魯迅ら2万人前後が日本に留学し、日本語に訳された西洋文化や科学を学んだ。 哲学、主義、科学といった単語はみな日本語で、現在、中国で使われている単語の6割か7割は日本語であるという。中華人民共和国などは日本語表記だと岡田英弘先生はいう。「東亜の悪友」と離れるとき 西欧と日本に共通しているのは長い中世の時代、封建時代を経て、社会に共通のモラルが醸成されたことだ。騎士道と武士道は似ているが、永い戦いが続いて、戦さの作法ができ上がったことがわかる。日本では最後は大将同士が戦って勝敗を決めた。戦争の簡素化が続くうちに戦国時代が終わって、文明の時代が築かれた。 明治時代、孫文や岡倉天心は「アジアは一つ」とか「黄色人種の団結」を叫んでいたが、これに断固、異を唱えたのは福沢諭吉で、中、韓を「東亜の悪友」と断じ、日本は西欧と交わるべしと「脱亜論」を書いた。 福沢は中国や韓国と組んでいると、西欧諸国から同類とみられるぞと戒めている。日本と中国、韓国との違いはいまも明らかだ。嘘をつくとか偽物を造るなどを、中・韓両国では「悪徳」と思っていないのではないか。あらゆる製品の偽物は瞬時にできる。中・韓両国では知的財産権などまったく認められていない。 ある大会社の社長にこの偽物をどうすれば成敗できるのかと聞いたところ、偽物が出たら、向こうがしこたま在庫が出たところで、こちらが新製品を出す。向こうは在庫を抱えて日本に「爆買い」に来るしかないと呵々大笑したのには驚いた。 中・韓の致命傷は新製品を造り出せないという発想と技術の粗末さにある。この欠点は中世と近代を経なかった彼等の歴史上の欠陥にある。「歴史認識」とはこういうことをいうのだと自戒せよ。 ややま・たろう 1932年、福岡県生まれ。東北大学文学部仏文科卒。時事通信社に入社後、政治部記者、ローマ特派員、官邸クラブキャップ、ジュネーブ特派員、編集委員兼解説委員を歴任。81年より第二次臨時行政調査会(土光臨調)に参画し、国鉄の分割・民営化を推進した。87年に退社。2001年に正論大賞を受賞。著書に『それでも日本を救うのは安倍政権しかない』(PHP研究所)ほか多数。関連記事■ 日米vs中韓~歴史修正主義批判を問う■ 日韓基本条約50年目の真実~韓国に助け舟は出してはならない!■ 呉善花<緊急寄稿>さよなら、幻想の国・韓国■ [歴史に背く韓国]第二の安重根が生まれる日■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき

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    習近平と朴槿惠、ワニとワニチドリ

    巨漢習近平に寄り添う朴槿惠をみて連想したのは、ワニとワニチドリの関係です。生物世界でいう「共生」ですね。ほかにアリとアブラムシも、よく引合いに出されます。

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    「裸の女王様」にご用心!

    室谷克実(ジャーナリスト)韓国人の労働意識の低さ 「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録に対する韓国の妨害活動は大成功だったと言っていいでしょう。 韓国は、長崎県の端島炭坑、いわゆる軍艦島をはじめ日本が登録を申請した二十三の施設のうち、軍艦島や旧八幡製鉄など七つの施設で「第二次大戦中に朝鮮人が強制労働をさせられた」と主張して登録に反対していました。日本が産業国家に生まれ変わる幕末から明治にかけての「一八五〇年から一九一〇年まで」が対象だったにもかかわらず、韓国は「第二次大戦中の強制労働を隠蔽しようとするものだ」と難癖をつけた。そもそも、戦時中の徴用は国民徴用令に基づくものであって、「強制労働」などではありません。戦時下の労働力不足を補う「徴用」は欧米をはじめどこの国でも行われており、給料も支払われます。これを非人道的な強制というのなら、韓国の徴兵制だって「強制」として拒否できることになる。 しかし、韓国国内で、元徴用工が「強制労働をさせられた」と日本企業を相手取って訴訟を起こし、賠償金を要求しているため、いつのまにか徴用が強制連行という話になった。つまり〝従軍慰安婦〟と構造はまったく同じです。 考えてみると、これは単に日本を貶め、金を巻き上げるためだけでなく、彼らの労働観が日本人とはまったく違っていることも理由の一つかもしれません。「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録決定後、スピーチする韓国政府関係者=10月5日、ドイツ・ボン 日本が進出するまでの朝鮮半島では、商工業は無きに等しかったから、労働者といえば「奴婢」のことでした。奴婢は両班と呼ばれる貴族階級の家に属し、家事や雑用、畑仕事などをしていました。別に給料が出るわけではない。飯を食わせてもらって、たまに着るものをもらうくらい。ご主人一家の残飯を雑穀にかけて混ぜて食べたのがビビンバの始まりで、それが御馳走です。半島の古典などを読んでみると、仲間同士でおしゃべりをしたり、適当にサボったりしながら最低限の仕事しかしない。そういうものが労働だと彼らは思っていた。 その感覚で日本の近代産業工場に働きに来てみたら、流れ作業で次から次へ仕事が回ってくる。そんなところでマゴマゴしていたり、サボったりしていたら、昔なら「こいつめ、何やっとる」と、それこそ頭の一発も殴られたでしょう。それが朝鮮人にとっては「強制的に働かされた」ということになるのかもしれない。もちろん、当時の記録や手記などを読むと、優秀でよく働く朝鮮人もいたようです。しかし、一般的な朝鮮人の勤労意識の低さが、強制労働だ、奴隷労働だという発想に結びついていることは十分に考えられます。 いまの韓国でも、現代自動車の工場労働者たちに言わせれば、トヨタ自動車では「奴隷労働」をさせている。ヒュンダイの工場は世界的にみても一人あたりの生産台数が非常に低い。トヨタの半分くらいです。それでいて給料はトヨタの倍近く取っている。だから生産効率からいったらトヨタの四分の一しかないのです。 七〇年代後半から八〇年代にかけて、日本の自動車メーカーがアメリカに進出して現地生産を始めたとき、アメリカ人工場労働者の意識の低さ、勤労意欲の欠如に頭を悩ませたことがありました。クルマを組み立てながらものを食べる、組み立てラインに平気でゴミを捨てる、勤務終了時間になると途中で放り出して帰ってしまう。おそらく意識としてはヒュンダイの工場労働者も同じようなものでしょう。労働観のまったく違う彼らからみれば、トヨタは規律が厳しく、半分の給料で二倍働かされる。まさに、日本はいまも日本人に〝強制労働〟を強いているわけです(笑)。スパイか大バカ者 世界遺産登録の審議がドイツのボンで開かれる二週間前に、韓国の尹炳世外相が来日して日韓外相会談が行われました。それまで尹外相は議長国のドイツに行って外相と会談し、韓国の閣僚が一度も足を踏み入れたことのない委員国のクロアチアにまで足をのばして日本の世界遺産登録反対を働きかけていた。それが日本に来たら一転して「日本の世界文化遺産登録に協力します」と言い出しました。 岸田文雄外相は「両国が協力することで完全に一致した」と胸を張り、日本は韓国側の「百済の歴史遺跡地区」の登録に全面協力すると発表しました。それだけならともかく、世界遺産委員会の審議の場で、朝鮮人が徴用されて働かされた歴史に触れること、登録後は軍艦島などにそうした歴史を記した案内板を設置するなどと約束して、この件は解決済みとした。実に甘い。 韓国が急に好意的になったわけではありません。この件に関して尹外相は公式には「円満に解決しようという共通認識をもって緊密に協力することにした」と言っただけでした。つまり、最後の交渉の余地を残しておいたのです。あの国のことを少しでも知っている人間なら、そんなことをしたら韓国人が最後に手のひらを反し、ゴネ始めることはわかりきっていた。 野田佳彦前首相が六月二十九日、BLOGOSに「油断禁物」と題するコラムをアップしています。李明博ジキルが一晩明けたらハイドになっていた体験を語り、世界遺産の件でも「油断禁物」と。 案の定、遺産登録審査の土壇場になって、韓国は「軍艦島はアウシュビッツと同じものだ」とまで言い出して強硬に反対し、審査が一日延びた。さらに登録決定後の委員会におけるスピーチで日本代表団は「(朝鮮人は)意に反して労働を強いられた(forced to work)」と付け加えざるを得なくなりました。 日本からすれば詐欺にあったようなものです。しかし、韓国からすれば、「協力することに原則としては一致したが、課題はまだ残っているということは日本もわかっていたではないか」ということになる。それは韓国の言い分のほうが正しい。「それについては今後また詰めましょう」という話だったのですから。 非難されるべきは、そんな重要なことを今後の課題として残した人間です。私は、初めからそういう手筈を整えていた内通者がいたのではないかと疑っています。そうでなければ、日本の官僚はこれまでの日韓関係史を何も学んでいない大バカ者としか言いようがない。「国連なんて田舎の信用組合」 「徴用は強制労働を意味するものではない」と岸田外相は弁明しましたが、後の祭りです。韓国に言わせれば、ボンでは強制労働を認めておきながら日本は二枚舌を使っている。だから、「これは日本との戦いである。強制労働だったという正しい解釈を、国を挙げて世界に広めなければならない」という論調になります。韓国人は「正当性はわれにあり」と心から信じているのです。 外務省は、「強制性を認めた」日本代表団の委員会での発言を資料として裁判に利用しない旨、韓国政府から言質を取ってあると言っています。しかし、三権分立の建前からすれば政府は政府、司法は司法です。資料は行政府から渡されたのではない、ユネスコの委員会から受け取った資料で裁くのに何の問題もないはずだと言われれば、どうしようもない。 まして、一九六五年の日韓請求権、経済協力協定で「法的に完全かつ最終的に解決済み」だった問題さえ蒸し返す国ですから、そんな〝約束〟はいつでもひっくり返すでしょう。現に韓国の聯合通信は「日本が強制労働を認定した」「日本が第二次大戦中の強制徴用の事実を国際社会で公式に言及したのは初めて」と、勝ち誇るような記事を配信しています。 韓国側が登録申請した「百済の歴史地区」など、あんなもの何もないつまらないところです。日本はお人よしにも全面的に支持しましたが、日本は韓国と渡り合うためにこれを利用すべきだった。「百済は日本人がつくった」と韓国流に難癖をつけて相打ちにするとか、やりようはいくらでもあったはずです。それを百済のほうは無条件で先に通してしまって、それから韓国にゴネられて「強制労働」の表現をどうしようと悩むのだから、バカに上・中・並があるとしたら特上の大バカです。 そもそも、ユネスコごときに世界遺産と認定されるのがそんなにありがたいことなのか。かつて佐藤栄作内閣の防衛長官だった西村直己氏が「国連なんて田舎の信用組合みたいなものだ」と言って辞めさせられたことがありましたが、あれこそ正論です。観光客が増えると言ったって効果はせいぜい一年か二年でしょう。観光客向けに、田舎の信用組合からもらった表彰状を仰々しく飾っているようなもので、そんなもののために日本に関する歪曲史を世界に広める権利を、日本の外務省は韓国に売り渡したのです。北朝鮮と同じDNA北朝鮮と同じDNA国連総会で一般討論演説を行う韓国の朴槿恵大統領。慰安婦問題や日本の安全保障関連法について持論を展開した=9月28日、米ニューヨークの国連本部 最近の朴槿惠氏を見ていると、自分はもはや大統領ではなく、女王であるという意識が生まれているように思えます。つまり、父親の朴正熙と同じ独裁者です。 彼女には大統領になろうという意思はあったにしても、具体的に何をしようということは、おそらく考えていなかったのではないか。基本方針だけ考えて、あとはすべて側近に任せたのでしょう。もう誰も覚えていないし、本人も忘れてしまっているかもしれないが(笑)、大統領選時の第一の公約は「経済民主化」でした。 ところが、保守系の新聞、朝鮮日報によれば、「初めて親朴グループを結成したときのメンバーの七〇%が朴大統領に背を向け」、朴大統領は彼らを「臣下」だと思っているというのです。つまり、逆に言えば朴大統領は自分を女帝と意識していることになる。 現在、与党セヌリ党は大統領との軋轢で党内がガタガタになっています。朴槿惠派のほうが実際は少数であるにもかかわらず、大統領府の権力で多数派が完全に切り崩され、イエスマンばかりになった。そうなると、つまるところ私に逆らうものは許さないという話になってくる。それが顕著に現れたのが、セヌリ党の劉承旼院内代表を閣議で罵倒し、辞任に追い込んだ六月の事件です。 発端は、行政府に対して国会の権限を強化する改正国会法案でした。韓国の行政府は法律に定められた範囲を逸脱して施行令を出したりすることがよくあるから、それに国会が異議を唱えた場合は、行政府は再検討して国会に報告しなければならないという法案です。 この法案に対して大統領府は「行政府を縛り、三権分立を脅かすものだ」と反対していました。しかし、セヌリ党は与野党協力を優先させ、別の法案と抱き合わせる形で国会を通過させた。これに朴槿惠氏が激怒しました。ところが、実は法案の内容というよりも、劉承旼院内代表が許せないということだった。院内代表とは、日本で言えば国会対策委員長です。劉承旼氏は反朴槿惠派でしたが、議員投票で院内代表に選ばれていました。 朴槿惠大統領は六月二十五日、通常は首相が主宰する閣議を自ら主宰して、劉承旼氏を糾弾する自筆原稿を十分以上も延々と読み上げました。表向きは「与野党の国会法改正合意は違憲である」と、その責任者を批判する内容でしたが、「(国会対応で)民意ではなく自らの政治目的を優先させた」「裏切りの政治に国民の審判を」などと劉氏個人を槍玉に挙げていた。実質的には起訴状の朗読でした。 実は、劉承旼氏は、かつて朴槿惠氏の政策参謀だった人です。どうしても参謀になってほしいと朴槿惠氏自身が頼み込んで、ようやく承知してもらった。ところが自分を見限って出ていってしまったから、彼女にとっては〝裏切り者〟です。 おもしろいのは、セヌリ党がハンナラ党という名前の野党時代に、総裁だった朴槿惠氏は問題の改正国会法案とほとんど同じ法案を提出していることです。結局、それは否決されましたが、同じような内容の法案であるにもかかわらず、かつては側近だったのに「増税なき福祉は虚論だ」と自分を批判するような裏切り者が提出したのは許せない、辞めさせてやるというわけです。もう完全な「私」の政治になっている。 例のセウォル号の沈没事故があった日(四月十六日)に朴槿惠氏が行方不明になっていた、いわゆる「空白の七時間」事件でも、朴槿惠氏が議員時代から使っていた青瓦台の秘書官が問題にされると、朴槿惠は「この人たちは私心なく仕えてきた」といきり立った。国のためではなく、私心なく「私」に仕えてきた、何の問題があるんだということです。「公」の概念が完全になくなって、「私」の政治になってしまっている。もう何かしら敵をつくって攻撃しないと政権が持たない、末期的な症状と言っていいかもしれません。 国政を審議する閣議を私物化し、十分間以上にわたって元側近の与党幹部の罪状を読み上げて直接批判するなど、実に異常です。しかも閣僚たちは何も言わずに黙ってメモを取っていた。韓国の政界では「まるで王朝時代だ」という声が上がりました。 これは公開か非公開か、〝政治的死〟か〝物理的死〟かの違いはあっても、張成沢氏を抹殺した北朝鮮の金正恩王朝の体制と同じ、王と臣下の関係です。文句を言う家来は死罪になる。北も南も、李氏朝鮮時代と同じことをいまだにやっている。これが朝鮮人の体質なのでしょう。引きこもりの毎日 MERS(中東呼吸器症候群)感染拡散の問題については、あの国の民度の低さを表していました。隔離の対象になった人たちが、どんどん海外に出て行ってしまう。院内感染した医者までが一千五百人以上集まった地域行事に参加している。老人ばかりの山村で自宅隔離されていたおばあさんが平気であちこち出かけて行っては何時間も話し込んでいるので、警察はしかたなく村を封鎖してしまった(笑)。 そんな大騒ぎになっても、大統領は見事に何もしませんでした。専門家に任せると言って丸投げし、本人は一回か二回、病院を視察に行って、全感染者の半数を出したサムスンソウル病院のソン・ジェフン院長を自分の出張先まで呼びつけて叱りとばしただけだった。サムスン財閥に気をつかって初めは病院名さえ公表しませんでした。ネットで名前が拡散して、しかたなく公表する始末です。 保健福祉大臣(厚生大臣)の文亨杓 氏は、当初は「三百万人が感染して初めて非常事態と言える」と発言し、感染力が弱いから問題はない、マスクをする必要もないと言っていたのに、病院を視察に行ったとき、自分はマスクをしていた(笑)。朴槿惠氏も「手洗いを励行すれば大丈夫」などと言っていました。政府にも、医療関係者にも危機管理意識がまったくなかった。その結果、感染者百八十六人、死者三十六人を出すことになってしまった。 MERS対策の不手際と院内代表の辞任問題もあって、最近は国内の新聞でも「大統領府は無能だ」「裸の女王だ」という反朴槿惠の論調が目立つようになりました。 左翼系のハンギョレ新聞は「大韓民国は民主共和国なのか」と題する社説(七月九日)で、「政党民主主義が一瞬にして軍事独裁時代に戻ってしまうとは」と書いています。これは与党の多数派を裏切って〝女王〟にひれ伏したセヌリ党の金武星代表を攻撃しているのです。 同じくハンギョレの「朴大統領が会っている人は本当にいるのか」(七月四日)という記事は、できるだけ人と会わず官邸、それも大統領個人の居住スペースに引きこもっている朴槿惠の姿を報じ、「(大統領は)誰かに会うことがあるのだろうか?」と結んでいます。 保守系の中央日報の「裸になった大統領」(七月六日)は、「青瓦台(大統領府)と政権与党の指導部の対立、政権与党の内紛を見守りながら思い浮かんだのが(開高健の小説)『裸の王様』だった。……王は裸になっても恥ずかしいとは知らず、臣下は偽りを言いながら唇に唾も塗らない」と、婉曲ながら手厳しく朴槿惠氏を批判している。 さらに、朝鮮日報の「大韓民国の女王・朴槿惠」(七月九日)は、周辺の人物が語った朴槿惠氏のさまざまな〝異様な素顔〟を紹介し、「十二歳から三十歳までの時期の(大統領府での)生活が、人格の形成にどのような影響を与えたのかは、誰もが知っている」と書いています。報道の自由が事実上ない国のメディアとしては、ギリギリの表現と言えるでしょう。 保守系の新聞までこうした記事を書くようになったことは朴槿惠大統領にはある程度のダメージを与えそうですが、自分には強い支持者がいるのだという信念、あるいは思い込みがあるから、大して気にしていないかもしれない。 国内問題と与党との対立はマイナス要因ですが、世界遺産登録の問題で日本に強制性を認めさせた、日本に勝ったという外交上の成功が作用して、プラス・マイナスにしたら結局プラスになるのではないでしょうか。MERSへの対応のまずさで支持率が三〇%を切ったとはいえ、すぐに持ち直すでしょう。ただ、長期低落は間違いなしですが、日本の内閣のように支持率が底を打ったら潰れるというわけではないし、自分から政権を投げ出すか、国会で弾劾が決議されるとか、よほどのことがない限り、大統領は任期満了まで務められる。だから、裸の女王様と「イエスマン」ばかりの臣下による迷走は、あと二年半の任期いっぱいつづくでしょう。仲が悪くて結構 はっきりしていることは、韓国人にとっては慰安婦が強制連行され、強制的な徴用が行われたのは明らかな〝歴史的事実〟だということです。七十年間、ずっとそういった教育をされてきたわけだから、いま五十代から六十代の韓国人も、それは絶対に正しいと思い込んでいる。だから、韓国人が徴用された施設が世界遺産になるのはどうあっても許せない、従軍慰安婦を認めない日本政府は極悪非道である。だから断固、抗議行動をすべきだというのは彼らの頭では当然の話になるのです。日本がそうじゃないと説明しても、また言い訳を始めたと怒るばかりで聞く耳を持たない。 もっと長いスパンでは、何の文化も持たない未開の土人が住んでいる日本列島に百済の人間が行ってあらゆることを教えてやったという歴史を教えている。そういう歴史観が頭に叩き込まれているから、日本に優れたものがあると聞くと、韓国人が教えてやったにちがいないと考えるのです。こんなに美しい桜の木が日本にあったはずがない、韓国人が教えてやったにちがいない。武士道などという優れた文化が日本に生まれるはずがない。すべて韓国人が教えたもので、オリジナルはすべて韓国にある。つまり「ウリジナル」という発想にしかならないのです。 そんな劣等人種の日本人がわれわれに敬意を払わない、感謝しない、あまつさえかつてわれわれを支配さえした。それが悔しくてたまらないのです。 日韓基本条約で国交を〝正常化〟してから五十年ということで、朴槿惠大統領は「歴史問題の重い荷を下ろし、未来志向的な両国関係の発展のために相互に協力していこう」と祝辞を述べました。だからといって、日本に対する態度が変化したわけではない。アメリカがうるさいから、日本と仲良くする糸口ぐらい言っておいてもいいといった感じでしょう。 朴槿惠大統領は六月訪米を予定していたのですが、MERS問題で、国内を留守にすべきではないと、中止になりました。が、別にどうしても行かなければならなかったわけではない。むしろ、行けばTHADD(終末高高度防衛ミサイル)の配備をどうする、AIIB(アジアインフラ投資銀行)参加はどういう気なのだと責められるだけです。ただ、アメリカ向けとはいえ、「未来志向で」などと対日関係の改善に触れた手前、何かのきっかけを捉えて日韓会談を開こうとするかもしれません。しかし、世界遺産登録を妨害されたこの状況では、おそらく日本は受け入れないでしょう。 首脳会談を開いたところで、停滞している日韓関係が具体的に好転するものではない。韓国は円安に困っているけれど、朴槿惠大統領と安倍晋三首相が会ったからといって解決する問題ではありません。ところがマスコミも国民も、韓国人は解決すると思っている。為替は外交力の結果だという発想があるからです。 日本は外交がうまいから円安になっていると思い込んでいる。韓国は外交力がないから、ウォンを切り下げようとすると、アメリカから為替の不正操作をしていると叩かれる。それでこんなにウォンが高くなった。日本はうまくやっているからアメリカも何も言わない。そういう発想だから、日韓首脳会談で友好関係を築けば、ウォン高・円安は解消すると考えているのです(笑)。 隣国とは仲よくしなければいけないという言い方は、戦後の日教組教育の産物でしょう。日韓関係が良好でなければいけないという発想が日本をおかしくしている。別に隣の国だからって仲よくする必要はさらさらない。隣国同士の仲が悪いのは世界的に見れば普通のことです。政府どうしが対立していようと、民間の交流はあるわけで、日本としてはまったく困ることはない。 世界遺産の件でもわかるように、ネコ撫で声と忍び足で寄ってきて爪を立てるのが韓国のやり方です。用心するに越したことはない。別に日韓の仲が悪くたって、いいではありませんか。日韓の不仲は、北が喜ぶ? 北が喜んでも、いいではないですか。韓国にただ一つ忠告するのは、北に背後操縦された反日勢力の扇動に乗って国を潰すことがないように、ということです。むろたに・かつみ 1949年、東京都生まれ。慶應大学法学部卒業後、時事通信社に入社。政治部記者、ソウル特派員、宮崎・宇都宮支局長、「時事解説」「時事評論」編集長などを経て定年退社。著書に『悪韓論』『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮新書)、『呆韓論』『ディス・イズ・コリア』(産経新聞出版)などがある。「裸の女王様」にご用心!   

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    「中国に従順であればいい」習近平の朝鮮政策の本音を暴く

     北京で今月3日に行われた「抗日戦勝70年」の記念式典と軍事パレードで、韓国の朴槿恵大統領に対し中国当局が見せた“異例”の厚遇と、北朝鮮への露骨なまでの冷遇。対朝鮮半島外交での南北への温度差を、中国は強烈に見せつけた。韓国では朝鮮半島統一を視野に、対中関係の進展を歓迎する熱が今も冷めていない。そんな韓国への接近を続ける姿勢からは、中国の朝鮮半島政策の本音が感じ取られる。(ソウル 名村隆寛)異例の厚遇に今も余韻 天安門広場で盛大に行われた軍事パレードを、朴大統領は天安門の楼上から観閲した。習近平国家主席の右隣にはロシアのプーチン大統領。朴大統領は賓客としてはそれに次ぐ2番目に座った。 北京からの映像は、黄色い服装でただでさえ目立つ朴大統領を、その“序列”が一層際立たせた。韓国メディアは、韓国の首脳として初めて軍事パレードを参観した朴大統領の様子を、逐一速報。予想以上の中国のもてなしぶりを感激を込めて伝えた。 また、韓国人の潘基文国連事務総長が夫妻で習主席から5番目と6番目にそれぞれ着席したことも、加えて韓国を感動させた。 同時に韓国が驚いたのは、北朝鮮に対する中国の想像以上の冷たさだ。北朝鮮の金正恩第1書記の「代理」として訪中した崔竜海書記は、列の最も端に座った。「中朝関係の変化を象徴」(聯合ニュース)「朝鮮半島の南北に対する中国の比重が変化」(KBSテレビ)などと、韓国メディアは中国の「変化」をこぞって指摘し、強調した。 「感激」「感激」の雰囲気に包まれるなか、朴大統領は帰国。訪中の成果を強調する韓国政府はもちろんのこと、メディアも大統領の訪中をおおむね肯定的に評価している。中国の朴大統領への厚遇と韓国への“特別な配慮”は、韓国世論の対中国観をさらに向上させている。苦慮の末の訪中、観閲 朴大統領の訪中と軍事パレード観閲については、韓国国内で異論もあった。 中国は南シナ海のスプラトリー(中国名・南沙)諸島の実効支配で国際社会から批判を受けている。そんな中国で軍事パレード観閲に参加することが、果たして韓国の国益にかなうのかという批判だ。 また、中国は朝鮮戦争(1950~53年)に介入し、韓国軍と米国を中心とした国連の連合軍を相手に戦った。緒戦で北朝鮮の南下を許した韓国側は、その後、一気に北上し、中朝国境の一部にまで達した。ここで北側に付き参戦した中国軍(人民志願軍)のために、戦況は膠着(こうちゃく)し、その結果、韓国軍は約20万人の死傷者(米軍を含む国連軍全体での死傷者は約36万人)を出したといわれ、大きな打撃を受けた。 韓国には当時を生々しく記憶している世代が今も存命している。特に保守層の中には朴大統領の軍事パレード観閲に反発する声もあった。しかし、朴大統領はそうした反対を押し切り、訪中した。反対世論を説得したキーワードは「朝鮮半島の統一」である。 昨年の年頭記者会見で「統一は大当たり(大もうけ)だ」とまで断言した朴大統領にとって、朝鮮半島の統一は最大の目玉政策だ。その統一のためには、北朝鮮との関係改善には中国の影響力は欠かせない。中朝関係が冷え切っているとはいえ、中国の存在は大きい。背に腹は代えられないわけだ。露骨な対北冷遇 韓国大歓迎の一方で、中国は今回、北朝鮮への“冷遇ぶり”を見せつけた。国家元首ではない“格下”とはいえ、崔竜海書記への対応は冷た過ぎると言ってもいいほどだ。 金正恩第1書記の祖父である金日成主席の存命中に、中朝関係を象徴する表現だった「血の友誼」や「唇と歯のような関係」は面影もなく、全く消えうせた。また、自ら訪中し中朝首脳会談に臨み、対中関係を維持した金正日総書記の時代に比べても、中朝関係が極端に冷え込んでいることが露呈した。 崔竜海書記を残酷なまでに“冷遇のさらし者”としたこの様子は、映像などを通して朝鮮半島の南北だけでなく、全世界に知らしめたられたわけだ。習近平体制の中国は当然、これを意図的に見せつけた。もちろん、北朝鮮の金正恩政権を意識した上でのことは間違いない。中国は北朝鮮に相当な圧力かけ、それを白日の下にさらした。 北京の天安門で青空のもと、大胆な「南軟・北硬」のドラマを演出した中国。かつては血で塗り固められた関係であろうが、従わない北朝鮮には無言の圧力を感じさせる。ソウルからその様子を見ていて、「実にやり方が中国らしい」と感じさせられた。白猫でも黒猫でも。南でも北でも 朴槿恵大統領を最大限に厚遇し、韓国を感激させるかたわら、国際社会で孤立する北朝鮮を容赦なく追い込む中国。中国の朴大統領厚遇について韓国大統領府関係者は「(中国当局の)大きな配慮で、変化した韓国の地位を示した」(聯合ニュース)と評価したという。だが、果たして韓国メディアが分析したように中国の朝鮮半島政策は変わったのだろうか。 習近平国家主席が朝鮮半島の南北に示した態度を見ていて、トウ小平元国家主席が残した名言が頭をよぎった。 「白猫であれ黒猫であれ、ネズミを捕るのがよい猫である」という言葉だ。経済での生産力第一主義を言い表したものであり、時代背景やその意図は全く異なる。 ただ、私見ではあるが、この「白猫と黒猫」を朝鮮半島の南北に置き換えてみたら、すんなりとくる。「北であれ南であれ、中国に従順な朝鮮半島であればいい」。中国の本音は、あえて言えばこんなものではないか。 秋波を送れば近寄ってくる韓国は“予想通り”に感激し、近寄ってきた。一方で、北朝鮮の金正恩政権は親中国派の張成沢氏を処刑した後も、ますます中国の言うことを聞かなくなっている。仕方ないから中国は、さらに北朝鮮を締め上げる。北朝鮮が本心から米国と関係を改善し、米国ベッタリにならない限りにおいては。 北朝鮮の経済状況が悪化しようが、当分は米国との防波堤のままでいてくれればいい。それほどに中国はこと朝鮮半島に対しては歴史的にもドライであり、したたかであり続けているのだ。変わったのはむしろ南北 先述のように、韓国には過度な対中国傾斜を戒める声が厳然としてある。特に同盟国である米国とのからみで、中韓接近が米国の「誤解」を招かないかという懸念だ。 そうした韓国国内の心配や米国に配慮したのか、朴大統領は最後まで毅然(きぜん)とした表情で座ったまま軍事パレードを観閲し続けたという。韓国なりに頭をひねり、気を配ったことがうかがえる。 訪米した習近平主席は、25日にオバマ米大大統領と会談する。ほぼ同時期に朴大統領も訪米し、ニューヨークで国連総会に出席。さらに10月にも再度、訪米し、米韓首脳会談に臨む。この場で朴大統領が米韓関係、米韓同盟の緊密さを確認しアピールすることは必至だ。 韓国外務省の元当局者は「朴政権は対米関係の重要性や誤解を招いてはならないことは十分に理解している。慎重に扱うべきことは対米、対中との距離のバランスではないか」と指摘する。 米中の間で苦慮する韓国の様子を眺める中国。その韓国の胸中を中国が十分に見透かしていることは濃厚であり、この元外務省当局者もそのことについては否定しない。 米国に気を使いながらも、中国との関係進展を歓迎し、期待通りに近づいてくる韓国。一方で、弾道ミサイルの発射や4回目の核実験を示唆するなど中国の言うことを聞かなくなってしまった北朝鮮。そんな朝鮮半島の南北を中国は高みから眺めているかのような状況だ。長年、中国が朝鮮半島にとり続けてきた基本的な変わらない姿勢である。手のひら返しも 朴大統領の訪中の際、韓国厚遇で見せたように、中国は韓国を感激させ、韓国世論(メディア)の操作も簡単かつ巧妙にやってのける。中国が今後も韓国に対し“笑顔”で接し続けることは容易に予想できる。ただし、韓国が自ら中国に接近し、北朝鮮のように逆らわない限りは。 中国が現在、韓国に対して最も神経をとがらせているのは、ミサイル防衛(MD)だ。米国は最新鋭の迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD、サード」の韓国配備を韓国に促しており、中国は配備に強く反対している。 THAADへの韓国の対応次第では、中国が手のひらを返したような反応に出ることは十分に予想できる。笑顔で手招きする一方で、相手の出方によっては態度を急変させる。中国はそうしたことをできる国である。とりわけ朝鮮半島に関しては。さらに、THAAD配備をめぐる韓国の胸の内、対中懸念についても、中国は十分に把握しているとみられる。 朝鮮半島では今、南が米中双方の関係維持に苦慮する一方で、北は孤立の度を深めている。これまでの“挑発ポーズ”の繰り返しではなく、北朝鮮の本気の暴発が起きた場合、中国がどのように出てくるかは分からない。ただ、南であれ北であれ、素直に言うことを聞いてくれる朝鮮半島の政権の動向を中国は今、冷静に見守っていることだろう。

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    キムチも中国色に染まる対中依存に危うさを感じないのか?

     韓国が朴槿恵(パク・クネ)大統領の訪中を「大成功」と有頂天である。大統領府は「中国との外交ルートをフル活動する」と表明、尹炳世(ユン・ビョンセ)・韓国外相は「韓中関係の進展は桑田碧海(世の中が大きく変わった)」とその成果を国内に強調している。そんな韓国を牽制(けんせい)するかのように、北朝鮮はミサイル発射を予告、第4回核実験も示唆した。中韓の対北認識はどこまで深化したのか。中国の習近平体制は韓国側に付くのか、それとも北朝鮮を擁護するのか?自信満々の韓国の対中観がさっそく試されることになる。(久保田るり子)キムチも中国味 現在の日中韓関係は、韓国のキムチ事情に現れている。目下、韓国の食卓を席巻しているのは中国キムチだ。韓国キムチの6分の1という安価で韓国市場を広げている。一方、韓国キムチの輸出先のほとんどは日本で、これまでは約8割以上を占めてきたが、日韓関係の悪化などで日本向け輸出が急速に減少している。 象徴的なのはその物量。輸入キムチは年間22万トン、日本への輸出キムチは年間約2万6000トンに過ぎない。そこには経済依存から中国に傾斜していく韓国の姿がクッキリみえる。また中国キムチは年々おいしくなっており、キムチ業者は「中国産の需要はさらに増える」と断言している。 キムチの中国味に慣れたからでもないだろうが、朴大統領の訪中成功に韓国世論は沸いた。今年6月、中東呼吸器症候群(MERS)の影響で就任以来最低の29%まで落ち込んだ朴大統領の支持率は訪中後、54%に急上昇した。任期後半の大統領支持率では歴代最高の記録となった。 一体、訪中の何が評価されたのか。韓国政府は「新たな能動的外交で、韓国の存在感を高め、強固な米韓同盟と中韓戦略的協力パートナー関係を同時に進めることができた」などと自賛している。 世論には、政府の中国一辺倒を批判する声や、中国との半島統一協議には慎重論もある。だが政府サイドはこの訪中を「歴史的なターニングポイント」と位置付けている。 尹外相は訪中直後のラジオ番組で、北朝鮮による地雷事件をめぐり、「解決に向けて中国は背後でさまざまな役割を果たした」と暴露したり、首脳会談では「北朝鮮の核問題で中国は積極的な役割を果たす考えを示した」と語った。 中韓関係がいかに緊密化したかのアピールだったとはいえ、外相自らが相手国の水面下の動きを語るのは外交儀礼上はあり得ない。こんなところにも期待と熱望の韓国外交の中国に寄せる「熱い思い」が現れているようだ。“エビ・コンプレックス”は克服? 韓国には「クジラのけんかでエビが潰れる」(強いもののケンカで弱い者が被害を受ける)ということわざがある。米中は「クジラ」、韓国は「エビ」である。そして朴政権が中国傾斜を強めて、安全保障を米国、経済を中国に後ろ盾を求め、両国の意向にも気をもむようになったことを「エビ・コンプレックス」と呼んでいる。 一例は、米国が韓国側に駐韓米軍の配備の了解を求めている戦域高高度防衛ミサイル(THAAD)問題と中国のアジアインフラ投資銀行(AIIB)への韓国の参加問題だった。韓国はこの問題で米中のはざまに立った。そんな韓国を「ソウルエビ」などと揶揄(やゆ)して、その外交戦略の危うさを指摘した欧米メディアもあった。 朴大統領は先月、訪中を前にしてのセミナーの演説でこの「エビ・コンプレックス」を取り上げた。そしてこう述べた。「私たちは世界史に類例がないぐらい成長を成し遂げたのだ。“クジラとエビ”の話を口にするのは敗北主義だ」 このところ韓国政府は訪中問題を「国民は誇りを感じ、米国など友好国は理解や共感を示している」とコメントし、訪中は米国とも緊密に協調してきたなどと強調して、「エビ・コンプレックス」の払拭に懸命だ。 朴大統領自身も韓国メディアに「内容を具体的には明らかにできないが」としながらも、習近平氏と北朝鮮による軍事挑発を抑制する方策について「非常に緊密に話し合った」などと述べ、首脳外交に自信を示している。 ただ、中韓が急接近したからといって中国にとっての北朝鮮という戦略的な価値が簡単に変化するわけではない。中国の対北戦略は、国際的な緊張関係のなかで国益に即した戦術的選択がなされることになる。長年、北朝鮮を見てきた韓国のウオッチャーは、中韓首脳会談の成果について「まず、北朝鮮の長距離ミサイル発射に中国がどのような立場を取るかを見定めることだ」と冷静に指摘している。 朴大統領は来月中旬に訪米予定で、「もう一方のクジラ」である米国のオバマ大統領との首脳会談が控えている。次いで10月末には日中韓首脳会談と日韓首脳会談が続く。韓国の「エビ・コンプレックス」の行方は、今秋の首脳外交の課題となりそうだ。

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    朴槿恵訪中に見る歴史トラウマ

     中国人民解放軍の精鋭部隊が敬礼を送る天安門城楼の上に中国の習近平国家主席、ロシアのプーチン大統領、韓国の朴槿恵大統領が並ぶ姿は、やはり違和感を禁じえないものだった。9月3日の「抗日戦勝70周年」を記念する式典での軍事パレードである。軍事パレード前の記念撮影でも、習主席夫妻を中央にプーチン大統領と朴大統領が並び、その後、城楼へ歩いて向かう時にもプーチン、朴両大統領が習主席をはさんで歩く姿が、世界に配信された。 東シナ海や南シナ海で一方的な行動を繰り返す中国が軍事力を誇示する場とあって、安倍晋三首相やオバマ米大統領をはじめとする欧米諸国の首脳は軒並み欠席。ウクライナ危機を巡って欧米から経済制裁を受けるロシアのプーチン大統領と同席することが避けられたという面も指摘された。結局、米国と同盟関係にある国の首脳で出席したのは、チェコのゼマン大統領と朴大統領だけだった。注目されたのは「中国の厚遇ぶり」 韓国でこの時、もっとも注目されたのは北朝鮮の崔竜海党書記と朴大統領の位置関係だった。中国の発表では崔書記も「首脳級」とされたが、天安門城楼で与えられたのは首脳級の末席だった。 韓国メディアは、1954年に同じ場所で北朝鮮の金日成首相(当時)と毛沢東主席が軍事パレードを観覧した時の写真を並べて「時代の変化」に焦点を当てた。聯合ニュースは「主役の変化は、半世紀を超える間に韓中関係と中朝関係がどれだけ変化したかを象徴している」と伝えた。 1992年の国交樹立以来で最良ともいわれる中韓関係と、金正恩体制下で冷えきった中朝関係を反映した席次というわけだ。習主席が、出席した首脳の中で朴大統領だけを単独の昼食会に招き、朴大統領には特別な待機室を用意したなどという異例の厚遇ぶりも大きく報道された。「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年」の記念行事に出席した(左から)韓国の朴槿恵大統領、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領、習近平国家主席=9月3日、中国・北京の天安門 8月下旬に中国外務省が参加首脳を発表した際には、「プーチン大統領より朴大統領の名前を先に読み上げた」という報道もあった。中国がそれだけ朴大統領を重視したというのだが、北京の同僚に確認したところ、実際には、国名のアルファベット順で読み上げただけだった。韓国でなぜこんな報道が出たのかは不明である。 ただ、朴大統領の左右に並んだ各国首脳のイメージは悪すぎた。朴大統領の向かって右側に習主席とプーチン大統領、左側にカザフスタンのナザルバエフ大統領、ウズベキスタンのカリモフ大統領だった。ナザルバエフ、カリモフ両氏はソ連崩壊前から25年以上も君臨する独裁者だ。国際刑事裁判所(ICC)から虐殺などの疑いで逮捕状が出ているスーダンのバシル大統領も出席者リストに名を連ねた。 韓国メディアはこの点にあまり触れなかったが、進歩系のハンギョレ新聞は電子版で、米国のシンクタンク研究員が「一部では『青チームのはずの人が赤チームにいる』とまで言っている」と話したと報じた。青チームは「自分たちのチーム」、赤チームは「相手チーム」の意味だという。参加理由は、北朝鮮、経済、そして…… 外交筋によると、中国は当初、関連行事を2日間にわたって行う計画だった。韓国はそれを前提に「軍事パレードのない日だけ参加する」ことを模索したが、中国はその後、日程を1日に短縮した。記念式典の途中で朴大統領だけが退席するという対応は非現実的だから、「軍事パレードを避ける」ことは不可能になったのだという。 朴大統領が出席を決めた理由として、韓国でよく挙げられるのが北朝鮮と経済だ。北朝鮮問題では、中朝関係が悪化しているとはいっても、北朝鮮への影響力という面では中国に期待せざるをえないということだ。この点は日米も否定できない。 だが、韓国がよく挙げる「統一には中国の協力が不可欠だ」という理由には「韓国の考える統一と中国のそれが同じとは、とても思えない」(日本政府当局者)と首をひねる向きがある。この点を冷笑的に見る見方は韓国政府内にもあり、対北政策に携わったことがある韓国政府当局者は、北朝鮮が軍事境界線の南側に敷設した地雷の爆発を契機に南北が緊張状態に陥った事件が8月にあったことで「訪中理由を説明しやすくなったのではないか。あの事件がなかったら、なぜ訪中するのか説明するのが大変だったろう」と話した。 経済についても、中国への依存はどんどん強くなっている。韓国にとって中国は最大の貿易国となって久しく、2009年以降は中国との貿易額が日米両国との合計をも上回る。1980年代までは日米両国との貿易額が全体の5割を超えていたのだが、昨年は中国21%、米国11%、日本8%になっている。 そうした状況を受けて、韓国外交の基本は「安保は米国、経済は中国」となっているのだ。 ただ、貿易相手として中国が重要だというのは、日本や米国、豪州、欧州諸国など、首脳が欠席した国々も変わらない。貿易依存度が高い経済構造で、中国の隣国であるという韓国の特異点はあるのだが、それだけで出席理由とするのは難しそうだ。無視できない「中国との歴史」 やはり、韓国が中国との歴史に抱く特別な思いを軽く見ることはできないのだろう。 韓国の通信社・聯合ニュースは訪中最終日の4日、「薩水大捷から最近の蜜月まで」という記事を配信した。中国を統一した隋が建国直後の612年に高句麗を攻撃した「薩水大捷」と呼ばれる戦争から説き起こし、13世紀の元による高麗攻撃と17世紀の清による朝鮮攻撃を紹介。日本の植民地支配下では「抗日」で協力したものの、朝鮮戦争に中国軍が参戦したことで中韓は「完全に背を向けることになった」。そして、冷戦終結を受けて1992年に国交を樹立することになり、その後「両国関係は急速に進展」し、「最近になって韓中の関係はさらに密着するようになった」という内容だった。 記事の小見出しには「中国が統一したり、強盛になる度に朝鮮半島は受難を経験した」とある。韓国ではよく聞く歴史観だ。近代以降は日本やロシアの思惑も朝鮮半島に大きな影響を与えるファクターになってきたが、歴史的に見れば圧倒的に中国の動向の影響が大きかった。だから、中国との関係には注意深くならざるをえない。 北朝鮮や経済といった実利や朴大統領と習主席が親しいからというような要素だけでは説明しきれない韓国の行動の背景には、こうした歴史観がありそうだ。大陸との間に海をはさむ日本では理解が難しいかもしれないが、日本と韓国は置かれた状況が違うのである。中国と日米の間で「難しい戦略的決断」 韓国外務省は9月10日に国会外交統一委員会に提出した業務報告で、朴大統領の行事出席について「難しい判断による戦略的決断」だったと説明し、「一部にあった憂慮を理解と共感に転換した」と評価。さらに「行事前後に行った米国との緊密な協議を通じて、中国傾斜という憂慮を払拭した」と主張した。 「米国との緊密な協議」には、尹炳世外相が8月31日に米アンカレジでケリー国務長官と行った会談が含まれるとみられる。尹外相は、米国主催で北極圏の保護と開発について話しあう閣僚級会議にアジアの外相として唯一参加した。聯合ニュースによると、朴大統領の訪中について米国に説明したとみられる外相会談で、尹外相はケリー長官に松の苗木を贈ると伝えた。常緑樹で冬でも落葉しない松は「常に裏切らない、変わらない信義を意味する」(韓国紙記者)という。聯合ニュースは、「韓米同盟が堅固なものであることを改めて強調するジェスチャー」と伝えた。 中国による厚遇ぶりを大々的に報じ、訪中の成果を高く評価する韓国メディアだが、それでも、日米との関係悪化を心配する声は強い。 保守系の朝鮮日報はパレード翌日の4日の社説で、「朴大統領の戦勝行事出席が韓中関係を新しいレベルに発展させるだろうが、同時に韓米同盟をはじめとする、この国の外交のさまざまな場所に少なくない雲と、負担を負わせたという点を決して看過してはならない」と警告。さらに9日の社説で、「今回の韓中首脳会談の結果を多くの国民が評価しているのは事実だ」としながらも、「伝統的な友邦である米国と日本との関係を心配する意見が少なくないことも否定できない現実だ」と指摘した。 同じく保守系の中央日報は式典翌日の4日、「韓国の外交空間を拡大した朴大統領の軍事パレード参観」と題した社説で、出席を「勇気ある選択だ」と評価したものの、一方では「ワシントンと東京では韓国の中国傾斜の可能性に対する憂慮が高まっている」と懸念を示した。 一方、進歩派のハンギョレ新聞は4日の社説で「中国の平和に対する意思を疑う国が多い」と警戒心を示しつつ、朴大統領の出席については「(米中間での)バランス外交で我が国の国際的発言権を高めたといえる」と評価した。北朝鮮ミサイルへの対応が新たな難題に 北朝鮮は9月14日、10月10日の朝鮮労働党創建70周年に合わせた弾道ミサイル発射を示唆した。北朝鮮は「衛星打ち上げ」と主張するが、「いかなる弾道ミサイル技術を使用した発射」をも禁じた国連安全保障理事会決議への明白な違反であり、重大な挑発行為といえる。 朴大統領は訪中後、対北政策でも中国との協力を深めていこうとする姿勢を鮮明にしている。北朝鮮のミサイル発射への対応は、中国との協力がどの程度の水準で可能なのかを推し量る試金石となるだろう。 一方で、北朝鮮の核・ミサイル問題は厳然たる安全保障問題であり、日米両国との緊密な協力の必要性を改めて実感させるものでもある。朴大統領は10月16日にはワシントンでオバマ大統領との首脳会談を予定しており、同月末にも日中韓首脳会談が実現すれば、安倍晋三首相との初めての首脳会談も開かれる可能性が高い。朴大統領は、自らの訪中が生んだ日米両国の疑念を払拭するためにも、北朝鮮問題での連携強化を打ち出すことになるはずだ。 朴大統領にとっては、8月下旬の南北合意に基づく対話路線の今後にも直結しかねない大きな問題だ。韓国世論の関心が高い南北離散家族の再会は10月下旬に予定されており、北朝鮮が実際にミサイル発射に踏み切れば韓国は難しい立場に立たされることになる。離散家族再会は人道問題だと主張してきた手前、韓国側から打ち切るのは難しいからだ。 離散家族再会は韓国世論の関心が高く、ミサイル発射とは無関係に進めるべきだという意見が強く出るだろうが、何事もなかったかのように進めることへの異論も出る可能性が高い。そうなると、北朝鮮問題での定番とも言える「韓国内での激しい意見対立」が生まれかねない。 韓国政府当局者は「韓国としては人道問題だから淡々と進める。でも、ミサイル発射には厳しい対応を取るから、それに反発する北朝鮮側が打ち切ると言い出すかもしれない」と語る。聞きようによっては、そうなれば離散家族再会が実現しない責任を北朝鮮に押しつけられるから、できればそうなってほしいという願望にも聞こえる。 韓国の民間調査機関、リアルメーターが9月7日に発表した世論調査によると、朴大統領の支持率は昨年11月末以来、初めて50%台を回復して50・7%になった。訪中の成果が評価されたと見られているが、朴槿恵外交の真価が問われるのは、むしろ、これからだろう。

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    中国とアメリカの狭間で…TPPへの参加を検討し始める韓国 

    在の参加国の経済規模は世界の約4割を占めるのですからすごいと言えます。 ここで注目されるのは、中国と韓国が入っていないこと。途中からはやはり世界の経済大国アメリカが中心になって交渉が始められました。つまりアメリカ中心の自由貿易圏を作るという意図がでてきました。日本は国内での賛否両論がありましたが、結局、このアメリカ中心の自由貿易圏に入ることを決め、現在に至っています。日本にとっては、世界第二の経済大国中国を牽制するという意味もあります。  困ったのは韓国でした。韓国はこれまで2国・地域間のFTA締結を中心に自由貿易体制を築いてきました。アメリカともFTAを結んでいますし、中韓は6月に2国間FTAに正式署名し、年内にも発効を控えています。最大の貿易国となった中国への目配りもあり、あえてTPPに入らない選択をとってきたのです。多くの国とFTAを結んでいますから、あまり影響はないだろうという見込みもありました。  アメリカと中国との狭間で、中国を選択したともいえます。しかし今、この選択が良かったのかどうか、問われているのです。中国経済が停滞しつつある中、韓国がTPPに入らないと、相対的に日本との輸出競争で不利になるのではないかと危惧する声があがっています。韓国は言うまでもなく、貿易で経済を成り立たせています。中国経済が低迷し、今後の先行きが見えない中、アメリカ市場でも不利な状況ができれば、今でも厳しくなった韓国経済は大きなダメージを受けます。円安ウォン高で、韓国の輸出産業は厳しい状況に追いやられています。サムスンにはかつての勢いはなく、自動車メーカーのヒュンダイは不調が続いています。韓国経済は崖っぷちに追いやられているのですが、TPPが結ばれるとさらなる危機が訪れる可能性があるのです。  国内では、今からでもTPPに入るべきだという意見が出ています。しかし、時を逃したということも事実。後から入る国は不利な条件を飲まなければならない可能性が強いのです。また時間もかかるでしょう。 アメリカと中国の狭間で揺れ動いた韓国。これからも揺れ続けるようです。韓国はどこへ向かうのか。方向性の定まらない状態が続くと、韓国経済はさらに大きなダメージを受けそうです。 環太平洋連携協定(TPP)交渉が大筋合意しました。これで世界最大の自由貿易圏が誕生することになります。このTPPは歴史的にはやや奇妙な展開をしています。まずは、2006年にシンガポールとブルネイ、チリ、ニュージーランドの4カ国間で発効しました。かなり経済的には小国でまとめられたものですが、その後、アメリカ国と日本、オーストラリア、カナダ、メキシコ、ベトナム、ペルー、マレーシアを加えた12カ国の交渉が展開されてきて、今、それがまとめられようとしています。現在の参加国の経済規模は世界の約4割を占めるのですからすごいと言えます。 ここで注目されるのは、中国と韓国が入っていないこと。途中からはやはり世界の経済大国アメリカが中心になって交渉が始められました。つまりアメリカ中心の自由貿易圏を作るという意図がでてきました。日本は国内での賛否両論がありましたが、結局、このアメリカ中心の自由貿易圏に入ることを決め、現在に至っています。日本にとっては、世界第二の経済大国中国を牽制するという意味もあります。  困ったのは韓国でした。韓国はこれまで2国・地域間のFTA締結を中心に自由貿易体制を築いてきました。アメリカともFTAを結んでいますし、中韓は6月に2国間FTAに正式署名し、年内にも発効を控えています。最大の貿易国となった中国への目配りもあり、あえてTPPに入らない選択をとってきたのです。多くの国とFTAを結んでいますから、あまり影響はないだろうという見込みもありました。  アメリカと中国との狭間で、中国を選択したともいえます。しかし今、この選択が良かったのかどうか、問われているのです。中国経済が停滞しつつある中、韓国がTPPに入らないと、相対的に日本との輸出競争で不利になるのではないかと危惧する声があがっています。韓国は言うまでもなく、貿易で経済を成り立たせています。中国経済が低迷し、今後の先行きが見えない中、アメリカ市場でも不利な状況ができれば、今でも厳しくなった韓国経済は大きなダメージを受けます。円安ウォン高で、韓国の輸出産業は厳しい状況に追いやられています。サムスンにはかつての勢いはなく、自動車メーカーのヒュンダイは不調が続いています。韓国経済は崖っぷちに追いやられているのですが、TPPが結ばれるとさらなる危機が訪れる可能性があるのです。  国内では、今からでもTPPに入るべきだという意見が出ています。しかし、時を逃したということも事実。後から入る国は不利な条件を飲まなければならない可能性が強いのです。また時間もかかるでしょう。  アメリカと中国の狭間で揺れ動いた韓国。これからも揺れ続けるようです。韓国はどこへ向かうのか。方向性の定まらない状態が続くと、韓国経済はさらに大きなダメージを受けそうです。

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    国際貢献度で韓国に圧倒的に先行する日本 フェアな未来志向を築けるか

    長谷川良(ウィーン在住ジャーナリスト) 韓国では新しい為政者が登場する度に、「日韓の両国関係は未来志向でいくべきだ」と発言する。その度に日本国民は、「やっと過去問題から解放されて、新しい関係が樹立できる」と受け取ってきたが、隣国の国内情勢が厳しくなると、その為政者は日本の過去問題を争点化し、国民に媚を売るのを日本国民は何度も目撃してきた。最近では、李明博前大統領の豹変ぶりは特出していた。韓国の朴槿恵大統領(右)との会談に臨む額賀元財務相=2015年6月22日、ソウルの青瓦台(聯合=共同) そのような歴史が繰り返されてきたので、韓国の政治家が、「日本とは未来志向で……」と発言したとしても、日本国民はもう何の感動も湧いてこなくなった。「ああ、そうですか、どうぞご自由に」と白けてしまうだけだ。 当方もそんな日本人の一人だったが、「未来志向の関係」という言葉の意味がここにきて分かってきたのだ。21世紀の日韓は、「国際社会にどれだけ貢献する国となるか」を競う関係こそ「未来志向の関係」という意味だったのだ。 「過去のあの時、こうだった」とか、「迫害されてきた」といった類のテーマに時間を注がず、世界の紛争解決や開発途上国の開発援助にどれだけ貢献したかの競い合いこそ、日韓両国がエネルギーを投入しなればならない課題だ。 それでは現時点で日韓両国の国際貢献度はどうだろうか。当方が日本人だから言うのではないが、日本は貢献度レースでは韓国に圧倒的に先行している。簡単な例として、ノーベル賞受賞者の数だ。物理学、化学、医学生理学などの分野で日本人学者はノーベル賞を受賞済みだ。ノーベル賞を受賞するということは、その分野で国際貢献を果たしたことを意味する。 一方、韓国は、数億ドルを北朝鮮の故金正日総書記にプレゼントしてその代価として実現した南北首脳会談が評価されて受賞した故金大中氏の平和賞1つだけだ。明らかに、韓国は日本に大きく水をあけられている。 政府開発援助(ODA)の支出額や国連への救出金では韓国は日本より大きく遅れている。世界が日本人を好ましく受け取り、一定の尊敬を払うのは当然の結果だ。国際社会への貢献度が高いからだ。 誤解を恐れずにいえば、国際社会は日韓両国間の過去の問題など余り関心がないのだ。戦時の慰安婦問題や植民地時代での強制労働といった問題は、日本よりも欧米諸国がいち早く体験済みだ。日韓両国がそんな問題で争うのをみて、欧米諸国は「時間とエネルギーの浪費だ」と受け止めたとしても不思議ではないだろう。 国際社会は世界の紛争解決や開発支援で貢献する国に対しては尊敬を払う。過去の問題を取り上げて中傷、誹謗しあっても、国際社会から歓迎されることはないだろう。 繰り返すが、日韓両国以外の国にとって、日韓両国が国際貢献でフェアな戦いを演じてくれたほうがどれだけ頼もしいことだろうか。未来もいつかは過去になる。「未来志向の関係」とは、次の世代の為に“フェアな過去”を積み重ねていくことではないか。そして、フェアな過去が悲惨な過去より少しでも長くなれば、それだけ日韓両国間は喜ばしい関係となるのではないか。(公式ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より2015年7月19日分より転載)

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    韓国受験戦争もあり自殺率と肥満率上昇 体育と部活動充実へ

     韓国は日本以上の苛烈な学歴社会だが、ノーベル賞受賞者の数となると22対1で日本が圧勝。そこで注目されたのが日本の教育である。ノンフィクションライター・高月靖氏が韓国の教育事情をレポートする。 * * * 日本の専門教育が韓国でもてはやされた背景には、超学歴社会、受験戦争というおなじみの教育問題もある。学力だけでなく、専門性を磨くことで生き残ろうというわけだ。(写真と本文は関係ありません) 韓国では親たちが遅れを取るまいと張り合うあまり、幼い頃から塾などの習いごとをさせるため家計負担が増大。高校ではさらに夜遅くまで学校に残り、自習しなくてはいけない。 だがその結果として上位の大学がますます狭き門となり、学歴がインフレ化。大学進学率は日本が49.9%、韓国が70.7%(2013年)だが、大卒の就職率は日本94.4%に対して韓国56.2%(2014年)。韓国の子供は不毛な「競争のための競争」に、幼い頃から追い立てられているようなものだ。学習時間に対する成績の効率は、経済協力開発機構(OECD)30か国中24位との報告もある(韓国職業能力開発院2008年発表データ)。 また青少年の自殺率は2000年の6.4人から10年で9.4人に増加。深刻なゲーム中毒や学校暴力、また児童生徒の肥満率上昇も、常にこの学業ストレスと関連づけられている。 こうした問題をふまえて議論されてきたのが、韓国では軽視されてきた体育の充実と部活動の導入。例えば教育部(文科省に相当)は2007年に小中高校のスポーツ部活性化を宣言した際、「日本のスポーツ部参加率は50%超。韓国は今後5年で30%を目指す」との目標を掲げた。 また政府支援研究機関・教育開発院は2013年の報告で、日本の事例を詳しく紹介。そこでは体育も部活動も、社会性と道徳性を育む「人格教育」の役割が強調されている。こうしたなか朴槿恵大統領は、人格教育のための学校体育をテーマに打ち出してきた。2013年には全ての小学校に体育担当教師を配置する方針も示している。

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    呉善花の警告 韓国は「北朝鮮化」したと思ってかかれ

    呉善花(拓殖大教授)河野談話を上回る失態 「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録をめぐって今韓国がおおいに盛り上がっています。日本が国際社会の公の場で「強制労働」「強制連行」を認めたというのです。日本政府は「強制連行」を認めてはいない、「強制労働」を意味するものではないなどと釈明しています。 しかし英文でユネスコの文書には英語で「force to work…」となっています。英文で何と記録されたかが重要です。言い訳は通用しないと思います。 今回のことが何を意味するのか。日本の皆さんはまだピンときていないかもしれません。しかし、世界のメディアは今回の出来事をどう報じているでしょう。 英国の代表紙、テレグラフの見出しは「日本の奴隷労働の跡地が世界遺産を獲得」でした。奴隷労働という言葉で報じているのです。 また、ガーディアンは「日本の遺産は、強制労働の事実を認めた後に世界遺産登録を獲得」と報じました。 米CNNは「かつて凶行がおこなわれた戦争犯罪の現場─日本の推薦世界産業遺産」と報じ、ワシントン・ポストは「日韓政府は産業遺産、特に軍艦島での戦時強制労働の歴史を認めることで合意に至る」と強制労働と言う言葉を使いました。 米ABCは「日本からの推薦遺産は日韓の口げんか、日本が戦時強制労働特に軍艦島において認める合意後に全会一致で承認された」としており、米紙フォーブスは「日韓が合意:日本ユネスコ遺産での朝鮮人強制労働を深く反省」となっていました。 シンガポール紙トゥデイは「日本のユネスコ産業遺産登録に様々な反応」ですが「日本も韓国政府が外交的に勝利を収める、日本も数万人の韓国人や中国人そして捕虜を戦争末期の労働力不足を補うために数十カ所の工場や鉱山そして他の産業施設で働かせたことに同意した」と報じました。(著者訳) 近代国家として力強く進んでいった日本の誇りの詰まった文化財を世界的に公認してもらうはずの話が、韓国人を奴隷にし、強制労働によって成り立っていた、世界遺産はその拠点だったという話にすり替わってしまったのです。なぜ、英語で「force to work」などという表現を入れてしまったのでしょうか。言葉もありません。 これ以上の汚辱はないと思います。私は今回の出来事は河野談話以上の深刻な失態だと思っています。私はこれまで日本人の“お人好し”について美徳だと述べてきました。しかし美徳にも限度はあります。愚かです。 日本政府関係者が帰国後の記者会見で「砂を噛むような思いだった」とこぼしていました。しかし、砂を噛むような思いをこれから味わうのは世界遺産登録を楽しみにしていた関係者であり、日本人だと思います。この問題は慰安婦問題以上の禍根をもたらすのではないか。そのくらい重大だと思います。韓国の“変貌”を疑わなかった日本 予兆はありました。今回韓国の外務部長官が訪日、日本の外務大臣と会談したというニュースが流れた時から、私は「これは絶対怪しい」と直感しました。というのはその直前まで、MERS問題で大荒れの最中にもかかわらず、韓国の外務部長官はドイツまで足を運んで日本の世界遺産を認めてはいけないと働きかけていたからでした。「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録決定後、スピーチする韓国の趙兌烈外務第2次官(前列中央)=2015年7月5日、ドイツ・ボン(共同) 韓国では長い時間を掛けて日本の世界遺産を絶対認めさせてはいけないと準備を積み重ねてきたのです。朴槿惠大統領は自ら世界の首脳と会うたびに、この話をあえて切り出していました。まさに国家を挙げた課題といっていいでしょう。それがいきなり日本に来て、にこにこ笑って会談しましょうというのです。素朴に私は韓国が一日にして変わるはずがないと直観しました。危なく怪しかったのです。 しかし、一方でどうして日本人はそれを疑わないのか。これが不思議で仕方ありませんでした。すごく驚いたのは、翌日の日本のマスコミほとんどが韓国がすり寄ってきていると報じたことでした。日本の保守派の方々までがそうでした。 安倍晋三総理が米国に行って演説され、高い評価を受けた。中国も最近日本に少しだけすり寄ってきている。それで、韓国は孤独感をつのらせている、韓国経済は今、ほんとによくない。だから朴大統領は焦っているといった解説が多かったように思います。 しかし、韓国は原理原則で動く国です。誰に何と言われようとも、これが絶対だと思ったら簡単には曲げません。そのことをしっかり認識していれば、外務部長官が笑顔で寄ってくる光景に「果たしてあれほど執拗だった韓国が一日で変わるだろうか」くらいの疑義は抱いてほしいものです。 韓国はドイツまで行ったのち方針を変えました。世界遺産登録が認められる。それが不可避なのであれば、それをやめさせるのではなく、協力する形を取ろう。そしてその際に強制労働、強制という言葉を必ず使わせる。そう狙っていたのだと思う。そうすれば、自分達の目的は達せられるわけです。 そこを足掛かりに安倍晋三総理が出す戦後70年談話につなげたい。それが韓国の狙いだと思うのです。実際、韓国は外務大臣級の会談が終わったら、首脳会談に持っていきたいと持ちかけています。戦後70年談話に強制的なニュアンスを盛り込ませ、国家としての謝罪と賠償を求めていく。これは単に世界遺産だけにとどまらない話で韓国はそう思い描いているはずです。日本は相当慎重に臨まなければならないと思っています。韓国人は“攪乱”を得意とする韓国人は“攪乱”を得意とする 相手に考える時間を与えずに振り回しながら、自分の思惑を果たす。こうしたやり方は韓国人が最も得意とするやり方だと思います。今回も会場で韓国はさんざんかき回しました。不意を突かれた結果、世界遺産の登録決定は一日先延ばしになり、そして韓国側は目的を達成しました。実は、これに似たような出来事を私もいやと言うほど味わったことがあります。 私が韓国のマスコミに叩かれたときの話です。韓国のメディアは私のみならず、私の知り合い、友人などにまで一斉に取材をかけるのです。それだけで大混乱に陥ってしまいます。 例えば、知り合いの経済専門家のところには日韓経済の話を聞きたいと、韓国で有名なテレビ番組がインタビューを申し込みました。それでインタビューも佳境を過ぎたあたりで突然、呉善花の話を切り出す。呉善花がいかに卑怯なのか、呉善花がいかにとんでもない人物かという話をぶつけ、反応を記録していきます。 本当ははじめからそれがインタビューの狙いでした。そういう番組をつくりたかったわけです。呉善花の話ばかり、突然執拗に振られる不自然さに「これはおかしい」と思ったその方は「帰れ」と怒ったそうです。すると「じゃあ、話題を変えます」といったん収まってしまう。ですが時間が経つと今度は「あの事件をどう思いますか」と脈絡なく聞いたというのです。 以前日本で起きたある有名な犯罪事件に関する質問でした。その専門家は「それは犯罪です。とんでもない話です」と答えたそうです。 一時間半に及ぶインタビューが終わって番組を見たら、あれだけ熱心に答えていた日韓経済についての話は一切なく、自分が呉善花について「とんでもない」と語っているように切り取られて使われていたそうです。一事が万事こんなやり方なのです。物事の裏についてナイーブすぎる 韓国では強制連行、強制労働を日本が自ら認めたということで大騒ぎになっています。韓国の外務部長官は「これだけの難しい難問を対話で解決できた最初の例で大きな意義がある」とまるで自分が歴史をつくったような口ぶりで自画自賛しています。 日本政府は「強制連行」を認めたのではない、といっている。しかし、ここに韓国政府は反応せず、沈黙を守っています。これは内心、嘲笑っているからだと思います。先ほども述べましたが問題は英文でどう書かれたかでしょう。韓国では、そこで勝負がついていると言っているのです。 韓国という近い国が何を考えているのか、あまりに日本人は知らなさすぎると思います。物事の裏についてナイーブで読めなさすぎです。韓国は別に日本と仲良くしたいなどとは思っていないのです。 それを間違えて日本から対立をなくしたい、手を結びたい、仲良くしようとするから足もとをすくわれてしまうのです。日本は韓国と無理してつきあう必要はない。そのくらいに考えていた方がいいのです。国民情緒法という難物 そう申しあげた理由の一つは、まず韓国の後ろに中国がいるという事情があります。韓国は今、中国にものすごく配慮しているのです。中国抜きにして日本と仲良くすることなどできません。日本と仲良くすると中国から怒られることになりかねない。韓国には今、中国を怒らせたくないという気持ちがとても強いのです。 それともう一つは、今の韓国の背後には北朝鮮がいるということです。特に反日の裏で北朝鮮がうごめいていることを見逃してはいけません。なぜ北朝鮮がうごめいているのか。複雑な問題なのですが、今の朴槿惠政権は日本をなんとか孤立させようと─簡単に言えば中国と米国を仲良くさせ、北朝鮮とも和解を図ろうと─躍起になっています。 その背景には国民情緒法というものがあります。私は8月に朴大統領に関する書籍を出しますが一番のポイントがこの国民情緒法です。国民情緒法というのは韓国独特の法論理で、国民情緒に合致すれば、司法は実定法に拘束されずに判決を出せるというものです。 常識的にいえば、そんなことを許せば罪刑法定主義を否定してしまうことになってしまいます。しかし韓国ではそういう法理が現にあります。そしてそれは法律より国民感情が優先するという韓国独特の風潮にもなっています。この国民情緒を優先する風潮が朴政権をどれだけむしばんでいるのか、そして韓国がどれだけ親北化しているのか。そうした動きを読み解く書物です。 もともと、韓国には反日という対立の火種がありました。李承晩などはその典型です。しかし彼は、政治や外交の場には─どんなに教育の場で反日が根付くべく激しい反日教育を続けていても─そうした感情的で情緒的な要素は、あまり持ち込まなかった。そうした国民情緒をいったん棚上げして表に出さない。それで日本と向き合ってきたのです。 特にそれは朴槿惠の父、朴正煕に顕著でした。反日教育はするが日本の協力を受けながら韓国の経済発展を遂げる。そういう選択をしてきたのです。プロに徹した姿勢といってもいいと思います。 細かくいえばいろいろなことはありましたが、これは全斗煥や盧泰愚までの軍人出身の大統領に基本的に受け継がれ、事をあまり荒らげたりはしない。韓国も良好な関係を築くことを望んでおり、日本の良識が比較的通じる出来事が多かったのではないかと思います。韓国における「民主化」という多義語韓国における「民主化」という多義語 これが変わったのは金泳三のときからでした。民主化大統領と呼ばれた金泳三の時代から日本とのこじれた関係が始まる。それは今やこじれにこじれています。 金泳三時代には慰安婦問題が俎上に上るようになりました。金泳三、金大中、盧武鉉と民主化大統領が続くなかで今の最悪ともいえる日韓関係への流れがつくられていったのです。 金泳三時代に民主化という言葉は「反軍事」を意味していました。民主という言葉は民主主義の民主ですが、当時の韓国では盧泰愚まで三代続いた軍事政権の反語として用いられたのです 軍事政権は在韓米軍とも密接に結びついていました。「反軍事」から出てきた「民主化」という言葉は「反軍事」に「反在韓米軍」という意味を帯びます。それは「反米」という文脈に転化していき、やがて「反米」は「民族主義」とも結びついていくのです。 今でもそうですが、当時の韓国も深刻な社会問題をたくさん抱えていました。それを韓国国内では、米国と結びついて西洋化が図られたために、だんだん個人主義がもたらされた結果である、と読み解くのです。 西洋化によって今まで民族が大切にしてきた伝統的な儒教的価値観は崩れ、家族関係も核家族化が進んで崩れ、それが今日の荒廃を生んだ─というわけです。そうして「民主化」という言葉は「民族主義」とも結びついていきます。 今度はそれが「親北」へとつながっていくのです。北朝鮮はとても貧しい。独裁国家でもある。とてもあんな国にはなりたくない。しかし、少なくともわれわれと同じ民族である、われわれのように米国に頼って生きているのではない。貧しくても主体的な思想を持って民族として誇り高い生き方を続けている─というわけです。 こうして「民主化」という言葉は様々な意味が付加されたり、変容を重ねながら「親北」という意味も帯びるようになっていくわけです。なぜ親北が反日と結びつくのか 金大中元大統領の時代には太陽政策が掲げられました。金正日との南北首脳会談が実現し、金大中はノーベル平和賞を手にしました。太陽政策はイソップ寓話『北風と太陽』になぞらえ「北朝鮮の頑な態度を改めさせるためには、圧力ではなく温情が必要である」という考えから融和的な政策をとりました。 これは盧武鉉政権にも引き継がれました。軍事力での統一よりも人道援助、経済援助、文化交流、観光事業を深める。それで将来の南北朝鮮統一を図ろうとする外交政策ですが紛れもなく親北の政策です。 こうして「親北=民主」という構図ができ、盧武鉉時代に「反日」であることも「民主」であることだとなって、「親北=反日=民主」というイデオロギーが国内に根付いていったのです。 盧武鉉は「過去清算」というスローガンを掲げました。そして「過去清算」の矛先は日本に向きます。北朝鮮では親日派、つまり「何らかの形で日本統治政策に協力した者たち」は、悪逆な犯罪者・売国奴としてことごとく粛正されました。韓国も北朝鮮同様に反日国家ではあるものの、「日本統治時代の親日行為は当時の事情では仕方なかったこと」だとして不問に付すのを社会一般の習いとしてきました。盧武鉉は、それでは「過去清算」にはならないとして、親日派を一掃しはじめたのです。これでもともと韓国にあった反日が鮮明に顕在化していきました。 盧武鉉時代に「親北=民主」が確立されていったのは、金大中時代から北のスパイが韓国国内に大勢入ってきたことが関係しています。そうした層は「従北」と呼ばれるのですが、国内に12万とも15万とも言われています。直接的なスパイもいれば、間接的なスパイなども含めて「従北」「親北」勢力が広がり、こうした人達はマスコミ、大学、専門家や裁判官などあらゆる分野に浸透を図っていったのです。朴槿惠は親北の政治家である そして今の朴槿惠大統領ですが、韓国の政治家の例にもれず、親北姿勢の政治家です。彼女は野党党首時代に、北朝鮮に行って、金正日と握手しています。そのときに彼女が言った台詞が「二世同士うまくやりましょう」でした。 そのさい金正日は謝ってきたそうです。朴槿惠のお母さんは文世光という北朝鮮のスパイによって殺されました。金正日はそのときの事実関係を認めて「自分の意志じゃなくて、下の人たちがもう勝手にやってしまって申し訳なかった」と謝罪したというのです。 朴槿惠の本などを見ると、彼女は金正日をかなり評価しています。実際、それ以来、彼女は北朝鮮に対してあまり激しいことは言わないのです。朴槿惠自身がかなりの親北で、これまでも北朝鮮を刺激しないように努めているというわけです。 それに朴槿惠の場合、自分の今の大統領という立場が実はぎりぎりの辛勝で得られているという事情もあります。「反北」では票が得られない。だから政治生命を維持するために親北を取り込まなければいけない。韓国社会の親北化は相当広がっていて特に若い人ほど親北の傾向が強いのです。 たとえば、朴槿恵が大統領となった2012年の大統領選挙では、太陽政策の再開を掲げた親北の対立候補は、敗れたものの実に48%を超える得票率を獲得しています。 朴槿惠の支持層は年配の方たちが中心です。彼女には若いほど反朴槿惠の傾向が強いというジレンマがあります。 一方で韓国内の保守派たちは頑張ってなんとか反北を維持しなければならない、親北の浸透を何とか防がなければならないと考えています。ですが、この数が決定的に少なく力にならない。それで与党の中では朴槿惠離れ─今の与党内では反朴槿惠となっています─が起きています。日本の良識が通じない国となった、韓国 冒頭の世界遺産の話のなかで私は韓国人がどのように考える傾向があるのかという点について日本人は知らなさすぎるといいました。なぜ、民主化という言葉が、民主主義発祥の地である米国に反旗を翻す「反米」とつながるのか。それがなぜ反日と化すのか。さらにそれがどう親北となっていくのか…など日本人から見るとこうした点はなかなか、理解しづらいようです。 ただ、かつては比較的良識が通じていた韓国は過去のものとなっています。親北、従北勢力の浸透とともに大統領までが親北色が強まっていること、親北勢力の顔色をうかがうまでになっていること、従って朴槿惠の反日的な行動は単なる人気取りや一時的な奇策ではなく、根の深い問題であって日本人的な良識は今後、同じようには通用しないでしょう。 対応を誤ると、今回の世界遺産の出来事のように足元を救われかねない出来事は今後も続くでしょう。あそこは韓国ではない、少し極端な言い方をすれば韓国は北朝鮮と同じなのだ、くらいに警戒しなければならない。そういう認識と覚悟をしっかりともって韓国に臨まなければならないと考えています。お・そんふぁ 1956年、韓国生まれ。拓殖大学国際学部教授。大東文化大学卒業後、東京外国語大学大学院地域研究科修士課程修了。外語大大学院時代に発表した『スカートの風』がベストセラーに。また『攘夷の韓国 開国の日本』で第五回山本七平賞受賞。著書に『虚言と虚飾の国・韓国』など多数。 

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    日本人ノーベル賞にいちゃもんをつける国

    日本人のノーベル賞ラッシュに列島は沸きましたが、隣国は複雑な思いで見ていたようです。「百済の子孫だからね」「日本人が受賞しても安倍がイメージを悪くしている」…。心ないネットユーザーもいたようですが、日本のやることなすことにいちゃもんをつける病気はもう治しようがないのでしょうか?

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    ノーベル賞日本22人韓国1人 韓国人「なぜ同じ人種なのに」

     韓国の巨大掲示板サイト「イルベ」(正式名称は「日刊ベスト貯蔵所」)は閲覧回数が10億を超える韓国版・ネット右翼の巣窟とされ反日的な書き込みの多かったサイトだが、最近は「日本を見直した」という言葉や日本を褒める書き込みが増加している。とくに目立つのが、訪日した韓国人が日本の公共サービスなどに感激して日本びいきとなるパターン。 また災害時の対応なども韓国と比較して賞賛の的となっている。 日本の子供たちも絶賛される。横断歩道の手前で停止したドライバーにお辞儀をして渡る子供たちの姿が動画サイトに投稿されると、韓国のネット民はこの礼儀正しさに大きな衝撃を受けたようだ。〈子供たちの教育をこんなにしっかり出来るのはやはり先進国だな〉〈車もしっかり停止線守ってる〉〈カルチャーショックだ〉 日韓の家庭教育の「格差」を指摘する書き込みもあった。〈家庭教育自体、韓国と日本では雲泥の差だ。日本の母親が子供たちに必ず教えるのは、他人に迷惑をかけないということ。これを最も重視するから、日本の子供たちは他者に配慮する心を持っている〉〈日本人の子供に対するしつけだけは認める〉 教育熱心で知られる韓国だが、日本人のノーベル賞受賞者22人に対し韓国人はわずか1人。この動かせない事実に頭を抱えるネット民もいた。〈同じ人種なのに、なぜこれほどまでに違うのか? 幼い頃から高度な教育を受けているので頭が冴えているのか? それとも、純粋に両国民のDNAの差なのか〉 一方でこんな冷静な分析も。 〈韓国人は開発に対する意欲がなく、安定した暮らしばかりを考えるから、発展するはずがない。学問に飢えてこそ習得できるというものだが、韓国人は勉強をある程度すると、金銭管理や自己管理の方に忙しくなる。確かに、時代的な問題もあっただろうが、結局は文化的な問題のほうが大きいと思う〉 いまだ言論統制の風潮が強い韓国では、匿名の掲示板ゆえに「本音」を発散できる側面がある。イルベに寄せられたネット民たちの声は、日本の素晴らしさばかりでなく、現在の韓国が抱える様々な問題を映し出している。関連記事■ ウリジナルで発明多数を主張の韓国 ノーベル賞は平和賞1人■ 日韓協定で解決済の問題覆す韓国 この国とは協定結べない…■ 韓国が強制労働と呼ぶ戦時徴用 宿舎用意され給料支払われた■ 「へこむ」言い出したのは松本人志 「心が折れる」は神取忍■ 元秋田朝日放送の超人気女子アナ 89cm・Gカップの谷間披露

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    北から連行された女性たちが韓国兵の「性奴隷」になった過去

     韓国政府が旧日本軍の慰安婦関連史料を永久保存し、ユネスコの世界遺産登録を目指しているという。だが、そこに自国による「韓国軍慰安婦」の史料は含まれない。ならば、歴史の闇に埋もれる前にここで公開しよう。 韓国軍が女性をどのように扱ってきたかという歴史的記録の数々を、在韓ジャーナリストの藤原修平氏が明らかにする。* * * 朝日新聞が「吉田証言」(文筆家・吉田清治氏の「日本軍が朝鮮人女性を連行し慰安婦にした」という証言)の誤報を認めた昨年8月以降、強制連行のカードを失った韓国政府は、慰安婦の“人権蹂躙”を訴える戦術に舵を切った。日本政府から謝罪と賠償をもぎ取るための材料だった「強制性」の根拠が揺らいでいるからだ。韓国紙「朝鮮日報」 人権蹂躙は、韓国が慰安婦問題で日本を非難するうえでの基盤となっている。これをクローズアップし国際社会からの同調を得て、自国に有利な国際世論を形成しようという算段だ。その一方で、「正しい歴史認識」が口癖の韓国政府は、自国が主導したもう一つの慰安婦の存在をひた隠しにしてきた。 韓国軍慰安婦の存在が初めて韓国メディアで報じられたのは2002年2月。慶南大学の金貴玉・客員教授(現・漢城大学教授)が「朝鮮戦争中に韓国軍慰安婦がいた」という調査報告を、立命館大学の国際会議席上で発表したのである。このことは『朝鮮日報』をはじめとする韓国の主要メディアで大きく報じられ、韓国社会に衝撃を与えた。 金教授が根拠の一つとして挙げたのが、1956年に韓国陸軍本部が編纂した公式資料『後方戦史・人事編』にある記述だ。 現在、この資料を民間人が閲覧することは困難であるが、筆者はわずかな手掛かりから資料の入手に成功した。そこには朝鮮戦争(1950~1953年)時の「特殊慰安隊」設置の経緯が次のように記されていた。 「士気昂揚はもちろん、長期間の戦闘で異性に対する憧憬から惹起される生理作用がもたらしうる性格の変化、憂鬱症やその他の支障を未然に防止するために、特殊慰安隊を設置することになった」 資料では、慰安隊として活動する女性を「慰安婦」と称し、「週2回、軍医官が厳格な検診を行い、性病に対する徹底的な対策を講じた」ことも明記されていた。性病検診を定期的に行うのは、慰安婦が不特定多数の兵士と性的な関係を持つことを前提としていたためで、韓国陸軍はそうした組織を公式部隊として運営していたことが判る。 慰安隊はソウル市中区忠武路周辺と、日本海に面した江原道江陵地区にそれぞれ3部隊、そのほか江原道の主要都市である原州、春川、束草にそれぞれ1部隊が配置され、計9か所に89名の慰安婦が動員された。 慰安隊の運営開始時期については定かではない。ただ、設置目的が朝鮮戦争で戦う韓国軍のためであること、前述の『後方戦史』に1952年の特殊慰安隊実績統計表が掲載されていることから、1951年までには運営が開始されたと推定される。なお、慰安隊の廃止は1954年3月と明記されていた。 統計表には、4部隊における1952年の利用実績が月ごとにまとめられている。利用者が多くなるのは春から夏にかけてで、最も多いのは8月の約2万2000名。1年間の利用者は延べ約20万5000名に上った。慰安婦は単純計算で1日平均6名以上の兵士の相手をしていた計算になる。 金教授は、「上記9か所の固定式慰安所のほかに、移動式慰安所があった」ことも明らかにしている。後者は軍部からの要請があると、指示された部隊まで出張して特定期間テントを張り、そこで運営する形態をとっていた。 移動式慰安所については、朝鮮戦争に参加した元韓国軍幹部の回顧録にも書かれている。例えば、全斗煥政権下で陸軍第二司令部司令官などを歴任した車圭憲氏は、回顧録『戦闘』(1985年)の中で、「24人用の野戦テントの内部をベニヤ板と防水布で仕切った野戦寝室に慰安婦は収容されていた」と、当時の移動式慰安所の光景を綴っている。 また、同じ頃に首都師団の小隊長であった金喜午氏の回顧録『人間の香り』(2000年)によれば、移動式慰安所には「小隊ごとに2名(中隊全体で合計6名)の慰安婦が日中の8時間に限って宛がわれていた」という。 さらに金氏は、慰安隊が「第五種補給品」と呼ばれていたことを同書に記していた。 韓国軍の実際の軍補給品は食料や被服類、燃料など一~四種までで、慰安婦をそれに並列させるこの俗称は、慰安隊の女性たちが“物品”として扱われていたことを示している。これが「人権国家」を標榜する韓国の実態だった。関連記事■ 韓国の反日スレ「日本に爆弾テロする?」「お前通報シマス」■ 従軍慰安婦問題について韓国要人「一言謝れば韓国人は納得」■ 韓国紙 外相が国連総会で安倍首相の足引っ張るかで沸き立つ■ 韓国 慰安婦を人権問題として世界に注目させ日本の譲歩狙う■ 韓国紙 慰安婦のために闘った朝日新聞を助けようと呼びかけ

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    韓国新婚女性に「人権なしが9年間続く」を意味する言葉あり

     日本人女性もハマった韓流ドラマの甘い恋愛は、ある韓国人男性に言わせれば「女性に独身の間だけ見させる夢のようなもの」だという。韓国社会の男尊女卑の実態をフリーライターの張赫氏がレポートする。* * * 韓国には儒教文化を建前にした因習が根強く残っている。目上に当たる親や年長者には決して逆らってはならない、妻は夫に絶対服従するといったものだ。結婚3年目の韓国人男性(30代)が語る。「今でも“超“男尊女卑社会ですよ。チェサ(法事)なんかがいい例。韓国では3代前まで遡って行なう家が多く、法事は年に4~5回、多い家では7~8回ある。 女性たちは台所で供え物や料理を準備してテーブルに並べます。男性が食べ終わるまで給仕し、同席は許されない。男性の食べ残しを洗い物をしながら台所の片隅で食べるんです」 別の韓国人男性(20代)は法事の時に見たある光景を述懐する。 「10代の頃に法事に参加した時、長男を産んだばかりの親戚がいたのですが、20人くらいいる男性の前で乳房を出して授乳を始めた。というか、強引にさせられていましたね。韓国で長男は“宝物”とされ、そうするのが風習だというのですが、当時はまだ知らなかったので驚きました」 ソウルで新婚生活を始めたばかりのイ・ヨンミさん(仮名)は「結婚してからが本当に大変……」とため息をつく。「毎日一回は必ず姑さんに電話してその日にあった出来事を報告し、週末になれば決まって夫の実家で食事。準備はすべて私がやるんですよ。夫は『そうするのが当然』と言って味方になってくれません。付き合っている頃はデートのエスコートやサプライズで尽くしてくれたのに、結婚した途端に人が変わったみたい」 さらにイさんが続ける。 「韓国では新婚女性の立場を表わすのに『見ざる3年、聞かざる3年、言わざる3年』と言います。人権なしの状態が9年間も続くという意味。大袈裟ではありません。ごく一般的な家庭がそうです」 韓国では近年、「女性緊急電話(*注)」の利用者が増えており、今年6月発表の統計では家庭内暴力(DV)が全相談件数の42.6%を占める。結婚後に暴力を振るう男性がこれほど多いのは、女性の人権が蔑ろにされている証拠だ。 企業にも女性蔑視がある。ある女子大生は助教授に就職の相談をしたところ、こんな言葉を投げかけられた。「あなたは“サムスン型”の顔じゃないよ。これまで就職に成功した卒業生をたくさん見てきた。企業ごとに受ける顔があって、顔を見ればどの会社に向いているのかわかるものだよ」 “サムスン型”が本当にあるかどうかは不明だが、面接で好印象を与えるために整形する女子学生は多い。 そうまでして内定を勝ち取っても、その先にはさらに厳しい現実が待ち構えている。能力を発揮できる場を与えられることは稀で、男性社員の補助要員として職場の“お飾り”にされてしまう。 「性接待」を強要されることもある。今年5月に投身自殺した26歳の女性消防士は、同僚らの証言によると、職場関係の飲み会のたびに性行為を強要されていたといい、現在警察が捜査中だ。 内閣府(日本)がまとめた2013年版男女共同参画白書によれば、韓国の女性管理職の比率はわずか9.4%。アメリカ43%、イギリス35.7%、フランス38.7%などに比べると圧倒的に低い。日本も11.1%とかなり低いが、韓国はそれをさらに下回る。 OECD(経済協力開発機構)の調査では、韓国の男性の平均賃金を100としたとき、女性の賃金は61。格差は39%となっている。これは統計がある加盟国平均15%の2.6倍で、ワースト1位だ(2010年)。 今年、史上初の女性大統領が誕生し、大きく変革を遂げたイメージがあるが、国際社会の尊敬を得るには程遠い現実がある。【*注】DVや犯罪から女性を守るため、24時間運営されている通報窓口。女性家族部がNGOに委託し事業支援を行なっている。関連記事■ 韓国女性は美容にかける時間が日本人の2倍 平均で約68分■ アジアで8割超が日本に好印象 中韓だけ日本嫌いの現実あり■ 「活版印刷」と「羅針盤」 韓国が起源は韓国人の間では常識■ 暖房使いすぎの韓国 電力不足で室温を制限、罰金22万円■ 一部の韓国人 イギリス人もキリストも韓国が起源と主張する

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    傲慢なるメディアの「良心」と「戦勝国」気取りの中韓

    判されるからと、大東亜戦争という呼称を使うことに躊躇する人は大勢いるでしょう。自己検閲が入るのです。韓国よ、君達は戦勝国ではないよメディアに深く浸透する反射的意識 TBSのワシントン支局長だった山口敬之氏をめぐる問題も同じ思いです。彼はベトナム戦争中、韓国軍が慰安所を開設していたことを週刊文春でスクープしました。 山口氏はアメリカ赴任直前の2013年、外交関係者から、韓国軍の慰安所について米政府の資料で裏付けられるかもしれないと耳打ちされます。そこから山口氏の公文書探しの取材が始まります。 そして、14年7月、米軍司令部が「韓国軍による韓国兵専用慰安所」と断定する書簡を発見。米海兵隊の歩兵部隊長の男性から決定的な証言を得ます。慰安所の実態をついにつかみました。 ところが、山口氏の取材はTBSでは放送されませんでした。山口氏は取材結果を文春で明らかにします。ところがそれが問題になり、TBSから15日間の出勤停止処分と営業局のローカルタイム営業部への異動を命ぜられた―というのです。 山口氏はフェイスブックで、異動と懲戒処分の事実を明らかにしました。処分理由を「週刊文春への寄稿内容ではなく、寄稿に至る手続きが問題とされました」。外部メディアに書く場合、事前に届け出―許可ではない―を書面でしなければならないそうですが、そこでの落ち度を咎められたというわけです。「見解の相違はありますが、今回の懲戒処分がTBSの報道姿勢に直接リンクするものではない」とも説明しています。 しかし、なぜTBSは山口氏の取材内容を報じなかったのか、という疑問は残ります。山口氏は「会社が私の取材成果を報道しなかった真意は、私にはわからない」として「事実は揺るぎなく、世に知らしむべきニュースと考えて公表に踏み切りました」と説明しています。 要するに韓国に不利な報道には抑制的になった。それがTBSに限らず、全てのメディアに染みついた反射的意識なのです。これがWGIPの残滓でなければ何だというのですか。考えさせられる出来事でした。 もうひとつ挙げましょう。安倍晋三首相がご自身の公式ホームページで、日本国憲法の成立過程をこう書いています。 《まず、憲法の成立過程に大きな問題があります。日本が占領下にあった時、GHQ司令部から「憲法草案を作るように」と指示が出て、松本烝治国務大臣のもと、起草委員会が草案作りに取り組んでいました。その憲法原案が昭和21年2月1日に新聞にスクープされ、その記事、内容にマッカーサー司令官が激怒して「日本人には任すことはできない」とホイットニー民生局長にGHQが憲法草案を作るように命令したのです。これは歴史的な事実です。その際、ホイットニーは部下に「2月12日までに憲法草案を作るよう」に命令し、「なぜ12日までか」と尋ねた部下にホイットニーは「2月12日はリンカーンの誕生日だから」と答えています。これも、その後の関係者の証言などで明らかになっています。 草案作りには憲法学者も入っておらず、国際法に通じた専門家も加わっていない中で、タイムリミットが設定されました。日本の憲法策定とリンカーンの誕生日は何ら関係ないにもかかわらず、2月13日にGHQから日本側に急ごしらえの草案が提示され、そして、それが日本国憲法草案となったのです》 これは紛れもない事実です。ところがこれを言うと怒り狂ってかみつく日本人が現れ、安倍首相は今、彼らの批判を浴びています。 しかし、国の根本法である憲法の成立過程に関する歴史的事実を詳らかにして、疑問を提起することは、本来なら何も問題ないはずです。野党の国会議員は怒りを露わにして「それを口にすることなど許されない」といわんがばかりの剣幕です。私には歴史的事実の否定や隠蔽を図り感情的に反応する人たちが、最後の悪あがきをする光景にしか見えません。このように洗脳はメディアだけとは限らず、WGIPで見事に洗脳された人(もしくはWGIPによる洗脳効果を持続させたい人)は、他にも大勢いるのです。韓国よ、君達は戦勝国ではないよ夕食会で乾杯する韓国の朴槿恵大統領(左)と中国の習近平国家主席。右はロシアのプーチン大統領=2015年9月2日、北京の釣魚台迎賓館(共同) WGIPは当初、米国のための政策でしたが、韓国とPRC(中華人民共和国)、北朝鮮も大いに恩恵を受けました。北朝鮮は国際社会で最初から相手にされておらず、ここでは触れませんが、韓国とPRCは看過できません。今も彼らは国連はじめ国際社会やアメリカ国内でロビー活動を展開し、日本を狙い撃ちにする「ディスカウント・ジャパン」運動を執拗に続けているからです。 韓国は戦後一貫して、自分達を「戦勝国の一員」と主張しています。しかし、昭和20年(1945)の大東亜戦争終結まで、朝鮮半島はすべて「日本領土」でした。日本は韓国と戦争などしていないのです。これは歴史的事実です。敗戦後になって韓国が建国されましたが、そもそも、終戦時に存在しなかった国なのにどうして「戦勝国」のような振る舞いができるのか。私はとても理解に苦しみます。あまりにも恥知らずです。 子供たちが集まってAチームとBチームで野球をしたとします。試合はAチームが勝ちました。するとBチームにいたK君がAチームにやってきて「ボクも最初からAチームの一員として戦い、勝ったんだ」と言い出すようなものです。今の韓国がやっていることはこれと同じです。日本をはじめとする他の先進国では、あり得ない振る舞いだと思います。戦勝国気どるPRCにレッドカード 「中華人民共和国」にも同じ思いがあります。彼らもまた第二次世界大戦中は存在していませんでした。私は「戦勝国」を自称したがる彼らに大きな違和感を覚えています。 日本が相手にしていたのは最初から最後まで蒋介石の「中華民国」、つまり国民党政府とその軍でした。日本人は「中国」と何気なく言いますが、現政府は中華人民共和国の英語の正式名称の頭文字を取った「PRC」と呼ぶなりして区別すべきです。 毛沢東率いる中国共産党の八路軍が日本軍と戦った事実は確かにあります。が、それは断じて「戦争」ではありません。あくまで彼らは非合法ゲリラ組織に過ぎなかったのです。 ボクシングに喩えましょう。彼らは「日本軍対国民党軍」という公式戦の最中、リングの外から日本軍に空き缶を投げつけるライセンスのない輩のような存在です。公式戦は常に日本軍の圧倒的優勢でしたが、結果は国民党軍の判定勝ちでした。しかし試合でボロボロになった勝者(戦勝国)を今度は先程の輩がボコボコにして追い出してしまう。 彼らは後にライセンスを取得し、ジムの会長になる。そして国際舞台で一定の地位を得て代替わりを重ねるうちに急に「昔、私達が公式試合で日本に勝ったのだ」「自分がチャンピオン(戦勝国)だ」と言い出します。このあたりの感覚は韓国とほとんど同じだと思いますが、PRCの振る舞いはざっとこんな感じです。 先の戦争で日本に勝ったのは米国だけです。「連合国が勝った」と言う人がいますが、オランダ軍やイギリス軍、フランス軍もアジアの植民地から日本軍によってあっさり追い出されました。米軍もフィリピンから一度は追い出されましたが、戻ってきて日本と徹底的に戦って、最終的に勝ったのです。ちなみに米国は対日戦で明らかな戦時国際法違反を数多く犯しました。日本はそれほど強かった。米国はなり振り構わず、死に物狂いで勝利をつかんだのです。 そういうわけで私は韓国やPRCの戦勝国を気どった振る舞いをみるたびに「ふざけるな」と一喝したくなります。ただ、彼らに反論できずにいる日本人にも「もっとしっかりしろよ」と言いたい。70歳にもなるプロパガンダに縛られる必要はありません。世界中で日本ほど他国に昔の戦争で謝罪を繰り返す国はありません。今年は戦争終結70周年の節目の年です。自国を取り巻く外交の現状や史実が正しく理解され、周辺国の執拗な言い掛かりに屈せず、主張すべきことを堂々と主張する。日本の主張がより世界へ広まるよう心から願っています。ケント・ギルバート氏 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、国際法律事務所に就職して東京に赴任。83年、TBS系列「世界まるごとHOWマッチ」に出演し、一躍人気タレントへ。最新刊は「不死鳥の国・ニッポン」(日新報道)。公式ブログ「ケント・ギルバートの知ってるつもり?」では辛口の意見を発信中。  

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    韓国の二次大戦戦勝国主張は嘘 戦勝国や敗戦国でもない第三国

     韓国が世界に広げている様々なデタラメのうち「韓国は第二次世界大戦の戦勝国である」というものがある。 そもそも韓国は終戦まで日本の一部であり、両者が交戦した事実はない。2015年9月2日、北京の人民大会堂で握手する韓国の朴槿恵大統領(左)と中国の習近平国家主席(共同) 日本統治に反対する独立運動家・李承晩らが1919年に上海で組織した「大韓民国臨時政府」は日中戦争勃発後、重慶で「韓国光復軍」を創設し、中国国民党の蒋介石の支援を受けて「祖国の解放のため抗日闘争に乗り出した」(韓国戦争記念館)というのだが、実態はただのゲリラで戦闘実績は皆無に等しかった。 また、連合国側は臨時政府を国として認めておらず、第二次世界大戦末期の光復軍の対日宣戦布告も無効とされている。戦後、韓国はサンフランシスコ条約の署名国としての地位を求めたが、これも拒否された。韓国が「連合国側の戦勝国」というのは妄想に過ぎない。つまり韓国は戦勝国でも敗戦国でもない第三国なのだ。関連記事■ 日本と戦っていない韓国 中国の要請で抗日勝利式典へ参加か■ 中国 来年の抗日戦勝70周年式典にオバマ大統領の参加を画策■ 竹島はサンフランシスコ条約で日本領確定 米も韓国帰属一蹴■ 日韓 国際貢献は日本が上で韓国の「日本は誠意ない」に異議■ ソウル市劇団 慰安婦演劇の全米横断公演等で反日盛り上げる

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    潘基文氏は「中立性原則」違反の常習者だ

    だ。193カ国の加盟国を抱える国連の事務局トップが参加すべきではないことは通常の外交官ならば分かる。韓国外相などを歴任した職業外交官出身の潘基文氏が知らないはずはない。国連は世界の平和と紛争解決を明記した国連憲章を掲げているが、その原則は「中立性」だ。米サンフランシスコで開かれた記念行事でスピーチする国連の潘基文事務総長(共同) 米国や日本は国連事務総長の「抗日戦争勝利70周年式典」参加に懸念を表明している。日本政府は事務総長にその件を通達したと聞く。当然だろう。中国共産党政権が歴史的記念日を国威高揚の場に利用し、特定の国(この場合、日本)を糾弾する狙いがある。潘基文氏は中国側の意図を知ったうえで、参加を決めたのだ。同氏は確信犯だ。  当方は過去、このコラム欄で数回、潘基文氏の言動が国連の「中立性の原則」を違反していると報告してきた。特に、日本の過去問題に対しては一方的な歴史観に基づいて日本を批判してきた経緯がある。 潘基文氏の反日発言は国連事務総長に選出される前から見られた。同氏が2005年、韓国の外交通商相時代、ブリュッセルの欧州議会を訪問し、その直後の記者会見で「欧州議会も小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝を批判した。第2次世界大戦参戦国として日本軍の犠牲となった経験をもつ欧州の国民の視点から見ると、靖国神社参拝は受け入れられないという意見が多かった」と報告した。その直後、「日本首相の靖国神社参拝は議題ではなく、1人の記者が質問したので、欧州議員の誰かが答えただけに過ぎない。欧州議会が小泉首相の靖国神社訪問を正式に批判したという発言は事実とは異なっている」ということが関係者の証言で明らかになった。韓国外相の発言は政治的意図を含んだ一方的な解釈であり、事実ではなかったのだ(「国連の潘基文事務総長の『悪い癖』」(2013年8月27日参考)。 その一方、韓国の朴槿恵大統領に対する名誉毀損で産経新聞前ソウル特派員が在宅起訴された問題について、世界のメディア関係者が一斉に「言論の自由」を蹂躙する蛮行と韓国を批判する論調を発表し、韓国に「言論の自由」を守るように要求したが、肝心の国連事務総長はスポークスマンの代行で終始し、母国の言論弾圧に対して沈黙した(「潘基文氏の『名文』とその胸の内」2014年10月31日参考)。 当方は最近もこのコラム欄で「『中立性の原則』を破った潘基文氏」(2015年6月29日参考)という記事を書いた。その中で「国連事務総長が率先して同性愛者支持の姿勢を示すことは職務上、好ましくない。米連邦最高裁判所は合憲と判断したが、あくまでも米国内の判決だ。世界には同性婚を公認しない国も多数存在する。国連憲章第100条1を指摘するまでもなく、国連事務総長はその職務履行では中立性が求められている」と述べた。 上記の例からみても分かるように、潘基文氏には「中立性の原則」を無視した言動が少なくないのだ。「抗日戦争勝利70周年式典」への参加決定は、同氏が中立性が求められる国際機関トップには相応しくないことを改めて明確に物語っているわけだ。 ちなみに、潘基文氏はここにきて次期韓国大統領選に意欲を示している。「潘基文氏が反日言動を繰り返すのは韓国国民を意識しているからだろう」という見方もある。(公式ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より2015年8月31日分より転載)

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    韓国はいかにして竹島を奪ったか

    ナ人の方がましでしたよ」とは、戦前の半島に暮らした老婦人の言葉だ。日韓条約締結から50年たった今も、韓国は竹島を「固有の領土」と主張し、都合のいい歴史を創作する。そう、彼らは何も変わっていない。説明するまでもなく、竹島は日本固有の領土である。

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    竹島問題、日本政府はなぜ対処できなかったのか

    が日韓の間には未解決の問題が残されている。竹島問題である。竹島問題の発端は昭和1952年1月18日、韓国政府が「李承晩ライン」を公海上に設定し、その中に竹島を含めたことにある。その竹島は、明治38(1905)年1月28日、閣議決定によって日本領に編入され、終戦までは日本が実効支配をしていた。 その竹島を含め、韓国政府が「李承晩ライン」を宣言したのは、「サンフランシスコ講和条約」が発効し、日本が国際社会に復帰する3カ月ほど前である。その際、韓国政府の兪鎮午は、日本の朝鮮統治時代から著名な史家であった崔南善の元を訪れ、「歴史的に見て韓国領として主張のできる島嶼」を尋ねていた。兪鎮午は、その崔南善から独島(日本名、竹島)が韓国領であることを「確信できる程度の説明を受けた」としている。 だが崔南善が1953年8月から『ソウル新聞』に連載した「欝陵島と独島」を見る限り、竹島を韓国領とする論拠は限定的であった。それは独島を、朝鮮の文献に登場する「三峰島を指すのかもしれない」。「可支島ではないか」とする程度であった。 それが今日では、竹島問題は領土問題ではなく歴史問題とされ、日本を「侵略国家」とする論拠にされている。それも崔南善が必ずしも歴史的根拠としていなかった『三国史記』、『高麗史』、『世宗実録』「地理志」、『新増東国輿地勝覧』等に記された于山島を独島と曲解し、歴史問題にすり替えられてしまったのである。その傾向が強まったのは1954年9月、竹島を武力占拠した韓国政府に対し、日本政府が国際司法裁判所への付託を提案してからである。この時、韓国政府は声明を通じ、「竹島は日本が韓国侵略をした最初の犠牲の地」とし、日本が竹島の領有を主張することは、「再侵略を意味する」とした歴史認識を示して、国際司法裁判所への提訴を拒否したのである。竹島が記された最古とみられる日本地図「改製日本扶桑分里図」(島根県提供) それも日韓の国交正常化交渉と並行し、公海上に引いた「李承晩ライン」を根拠に日本人漁船員を拿捕抑留し、それを外交カードとしたのである。戦後、日本には夥しい数の朝鮮半島からの密航者がいたが、拿捕抑留された日本人漁船員の解放を求める日本政府に対し、韓国政府は不法入国者等にも日本定住の「法的地位」を与えるよう求めたのである。 この日韓関係に変化が現れたのは1994年、国連の海洋法条約が発効し、国際ルールに従って対話をする機会が訪れたからである。そこで韓国政府は、竹島の不法占拠を正当化すべく、竹島に接岸施設の建設をはじめ、日本政府が抗議すると、反日感情を爆発させて牽制したのである。 だが日本政府は、韓国側の反日感情を考慮してか竹島問題を棚上げし、1998年末、新「日韓漁業協定」を締結したのである。その結果、日本海には排他的経済水域の中間線が引けずに、日韓の共同管理水域が設定され、韓国漁船による不法漁撈問題が発生したのである。そこで島根県議会は2005年3月16日、「竹島の日」条例を成立させ、竹島の領土権確立を求めたのである。 だが当初、日本政府は「竹島の日」条例には批判的で、竹島問題を歴史問題や漁業問題に局限し、韓国側の動きに同調する動きも強まった。そこで島根県では2014年2月、『竹島問題100問100答』(ワック出版)を刊行し、韓国側には竹島の領有権を主張できる歴史的権原がない事実を明らかにしたのである。これに対して、韓国側では今に至るまで反論ができていない。 ここで問題となるのは、日本の国家主権が侵され続けて半世紀、その間、日本政府は適切な対処をしていたのかということである。外務省のホームページで「竹島は日本固有の領土」とし、「韓国が不法占拠している」とするのは、「竹島の日」条例の成立が確実となってからのことで、『防衛白書』に竹島問題が記述されたのも2005年度版からである。 それに島根県竹島問題研究会が『竹島問題100問100答』の企画を進めていた頃、外務省でも島嶼研究の基本調査と称して8億円の予算を組んでいた。だがこの類似の試みに対し、韓国側が反応したのは、出版費200万円程の『竹島問題100問100答』の方であった。それも『竹島問題100問100答』を批判した慶尚北道独島史料研究会では、『竹島問題100問100答』を韓国語訳し、その後に批判を加えた『「竹島問題100問100答」に対する批判』をネット上に公開したことで、墓穴を掘ってしまったのである。これまで韓国内では韓国側に不利な竹島関連の情報は制限されていたが、島根県竹島問題研究会の見解と、それを批判する韓国側の見解を比較できる場を作ってしまったからだ。 だが事の重大さに気がついたのか、慶尚北道庁は突如、『「竹島問題100問100答」に対する批判』をネット上から削除したのである。事実上の敗北宣言である。 竹島問題は、領土問題である。それを解決していくには、歴史の事実と若干の戦略が要る。島根県にできることが、日本政府には何故できなかったのか。ここに竹島問題の本質がある。

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    「接近」でも蜜月になれない中韓の事情

    、朝鮮半島ではそれ以上に、「分断70年の年」という意味合いが強い。中国との距離が近いと言われて久しい韓国だが、両者は「統一」に対する認識が決定的に異なっている─。 3月、米韓合同演習の中断を要求する韓国の民族主義者が駐韓米国大使を襲撃した。この衝撃的事件への北朝鮮の対応が、実は中国の南北統一に関する立場と一致していると述べたなら奇異に聞こえようか。父親の朴正煕元大統領と異なり、娘の朴槿恵大統領は日米より中国と緊密になっている─と言われてきたが、対米競争を意識する中国は決して、南北分断を中立姿勢で見ているわけではない。分断から70年を経てもなお、統一問題は韓国の直面する中国との深刻な対立点である。分断70年 韓国と中朝の対立 事件の後、朴槿恵政権が国内の「従北」勢力批判を展開すると北朝鮮はこれを強く非難した。その際の朝鮮中央通信によれば朴槿恵の統一政策「信頼プロセス」は「外勢」(外部勢力)と結託した「反統一政策」なのだという(2015年3月17日)。 他方、中国の習近平主席は前年、北朝鮮より先に韓国を訪問し朴槿恵政権との緊密さを誇示した。ソウル大学での演説を通じ習近平は朝鮮半島での核兵器開発への反対と「自主平和統一」への支持も表明している。これは印象として韓国の「反統一政策」を非難する北朝鮮とほとんど対照的だろう。 しかし習近平の「自主」統一支持と北朝鮮の朴槿恵政権批判には一貫性がある。実は朴槿恵は決して「自主」統一は謳わない。習近平が支持した「自主」統一は「外勢」、つまり米国を排除する概念であり、米国大使襲撃に際して北朝鮮も朴槿恵と「外勢」たる米国の結託を非難した。 米国排除としての「自主」には2つの意味が含まれる。第1に米国のソフト・パワーにより社会主義体制が崩壊して実現したドイツのような統一は否定される。第2に米韓同盟への脅威認識である。体制生存と米軍対処での目標共有が中朝の「自主」原則での一致から強く示唆されている。 分断70年でもあり、南北の指導者がこれを意識する今年は統一に関する認識の違いが生じやすいのかもしれない。双方による「新年の辞」はともに分断70年を強調したが、これを機とする「統一基盤」構築を謳った朴槿恵に対し、金正恩は「自主」統一を主張した。 そして中国は南北双方の「新年の辞」への論評として「自主」平和統一の最終的実現を一貫して支持してきたと表明し、北側に立ったのである(外交部報道官、15年1月6日)。以下、体制と軍事の両面から中韓の対立をみていきたい。 朴槿恵大統領は就任前、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルに寄稿し欧州冷戦の終結過程「ヘルシンキ・プロセス」のように日中および南北朝鮮の緊張を緩和すべきと訴えた。現在ウクライナ停戦を進めている欧州安全保障協力機構(OSCE)も40年前のヘルシンキ最終文書採択に始まったこの過程で設置された。ドイツ型とは異なる中朝の目論見 この寄稿の議論を引継ぎ朴槿恵政権は、統一政策としての「信頼プロセス」と域内国家の和解を図る「東北アジア平和協力構想」を掲げている。同地域構想の外交部による説明文書(14年)はヘルシンキ・プロセスの再現を強調しており、これは西側の専門家には説得力があろう。 しかしヘルシンキ・プロセスの再現を謳うことこそ、中朝が構想を「信頼」できない理由となる。これはソ連東欧の一党体制崩壊「プロセス」でもあり、共産党体制の生存を図る中国にとって忌むべき歴史である。その帰結であるドイツ統一も、北朝鮮が回避すべき社会主義体制の資本主義側による吸収に他ならない。中朝は韓国とは対立する視点で冷戦終結の教訓を引き出すことになる。 欧州社会主義圏が崩壊したころ韓国では、北朝鮮も東ドイツのように消滅するとの期待が高まった。当時の盧泰愚政権が掲げた目標たる複数政党制の議会制民主主義の統一国家「韓民族共同体」は、ドイツ統一の再現を強く示唆するが、朴槿恵はその目標追求の継続を重視する(統一部説明資料13年9月)。 朴槿恵大統領に報告された外交部の行動計画「統一時代を開くグローバル信頼外交」も「ドイツ統一過程から引き出せる全般的な教訓と示唆をよく活用していく」と述べた(15年1月)。 これに対し中国が支持する北朝鮮の「自主」統一は一党体制を保全するもので、ドイツ型統一とは明らかに異なる。「外勢」排除の「自主」原則は決して米国の影響を受けた体制による吸収統一を許容しない。同原則に基づく統一国家は北朝鮮の体制が生き残る「連邦制」である。米韓同盟への脅威認識を反映 「自主」を主張することは、一党体制の崩壊「プロセス」を再現しようとする企図への反対を意味しよう。複数政党制の統一国家を目指す朴槿恵政権に対し、むしろ中国は北朝鮮の一党体制を保全する従前からの立場、「自主」統一支持を繰り返し確認してきた。習近平と朴槿恵特使、金武星の会見(13年1月)、楊潔チ篪・国務委員の朴槿恵大統領との会見(同11月)、習近平の朴槿恵との会談(14年3月、7月)において「自主」統一支持を中国側が表明したと新華社は伝える。 ヘルシンキ・プロセス再現の阻止で一致する中朝は何をすべきか。ソフト・パワーの効果的な行使の例としてジョセフ・ナイが挙げているように、米国は軍事力で東側体制を崩壊させたわけではない。ヘルシンキ最終文書で西側陣営はソ連の決めた国境線を受け入れたが、代わりに基本的人権の尊重を合意に書き込んだ。西側体制を正統化する人権を直接的に否定できなくなった結果、ソ連と東欧諸国は内部の反体制派増大という予想外の事態に直面した。 この体制崩壊の教訓に基づけば北朝鮮は、南の体制を正統化する人権を「外勢」の攻勢手段として否定せねばならない。北朝鮮にとって国連北朝鮮人権委員会による問題提起も「反帝自主」の道に進む「我々の制度を転覆」する「米国の人権攻勢」と見なすべきものとなる(朝鮮中央通信、14年3月25日)。 冒頭述べた米大使襲撃に関する北朝鮮の論評は、こうした姿勢を反映している。論評によれば北朝鮮の人権状況の改善を求める朴槿恵政権の政策は「反共和国『人権』謀略騒動」だった。「信頼プロセス」はまさに「米国が社会主義諸国を崩壊に追い込んだヘルシンキ・プロセス」を朝鮮半島に適用したものであり「自由民主主義体制による吸収統一」を実現する手段が「『従北』狩り」なのだという。米韓同盟への脅威認識を反映 韓国との「未来ビジョン」(13年6月)で習近平は「信頼プロセス」を「歓迎」したが、「民族の念願」たる統一との表現で「自主」統一への実質的支持を貫徹した。 そこには「外勢」排除のもう一つの意味、米韓同盟への脅威認識が反映されている。同ビジョンのいう「両者、地域次元のみならず、国際社会」での協力は、類似表現で既に合意されていた米韓共同「ビジョン」(09年)を相殺する。 米韓ビジョンで先に謳われた「二国間、地域、世界」での協力は半島をこえる「地域」同盟の発展を企図していた。これが合意されたとき米国は、東アジア地域で韓国を日本と並ぶ「パートナー」として中国に対処する「ミサイル防衛見直し」を進めていた(翌10年発表)。 米韓ビジョンの「地域」協力が中国の軍事力に対処するためなら、中韓「地域」協力と両立しない。米韓「地域」ミサイル防衛協力の抑制を目指す中国外交の成果が、中韓「地域」協力合意だったのかもしれない。 韓国が中国の批判する戦域高高度地域防衛(THAAD)を導入しない方針を明確にしたのは中韓ビジョンから4カ月後である(国防日報、13年10月16日)。 15年2月の国防長官会談以降、中国は在韓米軍のTHAAD受け入れも拒否するよう韓国を圧迫した。その後米韓合同演習が開始されると北朝鮮は中国との提携に期待を持ってTHAADを批判している。 北朝鮮外務省の声明によれば米国は「我々の強硬対応を誘導」することで中露を制圧する有利な条件たるTHAAD配備を強行し、日米韓によるアジア版北大西洋条約機構(NATO)形成の出発点にしようとしているという(15年3月26日)。 70年の歳月は分断を収束させず、いまも米国の盟邦が一党体制と対峙している─その認識を持たず習近平が朴槿恵の「信頼」に応じて見せたわけではあるまい。中国のソフト・パワー攻勢への効果的対応が、日米韓協力の要件となろう。わたなべ・たけし 防衛省防衛研究所アジア・アフリカ研究室主任研究官。1997年東京都立大学法学部卒業、2000年慶應義塾大学大学院法学部研究科政治学専攻修士課程終了。02年より防衛省防衛研究所。09年アメリカン大学国際サービス大学院修士課程終了。専門は、朝鮮半島の政治と安全保障。関連記事■ 存在しなかった反米感情 中国の台頭で揺らぐ韓国の米国観■ 中国、この腐肉に群がるハイエナ■ 「孤立論」まで飛び出した 韓国歴史外交の敗北   

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    韓国が日本を見下す理由

     前回、韓国がなぜ反日活動を執拗に行うのかを説明し、その問題を根本的に解決するためには、歴史を直視する事が必要であると結びました。そこで今回は、日韓の近代史を振り返って見ましょう。 西暦1392年、それまで朝鮮半島を支配していた高麗王朝の王位を李成桂という男が簒奪しました。彼はすぐさま明に使者を送り皇帝に国名を選んでもらいました。それが二十世紀初頭まで続いた朝鮮という国です。 19世紀中頃になると、当時、世界を覆いつくさんばかりの欧米列強の魔の手が、とうとう北東アジアにも伸びてきました。まず、清国が阿片戦争で血祭りにあげられ、その後、西欧諸国は日本や朝鮮に対しても、首都の近くまで船を進めて開国を迫るようになってきました。日本における、その典型的な事件がアメリカのペリー提督率いる黒船来航でした。 当初、日本では、外国人を国内に入れるなという意見が大勢を占めていましたが、欧米の科学力に裏打ちされた軍事力を知るにつけ「これは、とてもかなわない」と思う人間が増えはじめ、更に清国の現状を知り「日本も欧米の植民地にされるかもしれない」という猛烈な危機感を抱いた人たちが、欧米に対抗すべく中央集権体制の国家を樹立したのが明治維新です。 そして西欧列強国に対抗するには、彼らから学ぶしかないと考えた日本政府の要人たちは、なりふり構わず西洋の社会システムを模倣しました。また、彼らの軍事的脅威に対抗するために隣国の朝鮮と同盟を結ぼうと考え、国の統治体系が変わったこともあり、改めて国交を結ぶべく使者を送ったのが西暦1868年です。 当時、欧米の軍事力は圧倒的に日本を凌駕していたのですから日本の立場としては少しでも仲間が多い方が良いと思うのは当然のことであり、また、朝鮮が日本を狙う侵略国に占領されてしまえば、その地理的位置から自国の防衛が非常に困難になるため、日本としては、何としても朝鮮と同盟関係を結ばねばならなかったのです。 ところが朝鮮は、長らく華夷秩序体制(中華皇帝を中心とした国際関係。周辺諸国を夷狄の王として中国より格下に位置付けた冊封体制)の中にいたため自分達より中華から遠い日本を蔑視していただけではなく、西洋人を夷狄として忌み嫌っていました。その外国と条約を結んだ日本から中華皇帝以外に使用を許されない「皇」の字が入った親書が来たものですから、親書の受け取り自体を拒否したのです。 本来、日本は中華冊封体制の外に位置し、独自の天皇を頂く国ですから「皇」の字を使用したとしても何の問題もないのですが、朝鮮側の一方的な思い込みにより国交樹立のための交渉のテーブルに着くことすらかないませんでした。(高まる中国や北朝鮮の脅威に日韓が連携して対抗しなければならないというのに、日本にとっては言いがかりの理由で会談すら拒否する、今の大統領を見れば、こういうところは何も変わっていないことが良く分かるでしょう)     西郷隆盛 そこで、日本国内に巻き起こったのが、朝鮮に出兵して武力で従わせようとする「征韓論」です。しかし、当時、参議であった西郷隆盛は自分が全権大使として朝鮮を説得し、平和的に同盟を結ぶと言い張り、西郷大使の派遣は実現まであと一歩の段階まで迫ったのですが、日本国内の政変により日の目を見ませんでした。簡単ではなかった朝鮮の独立 その後、日朝両国は互いに国内の政変などの紆余曲折を経た後、江華島事件を契機として「日朝修好条規」を締結しました。この条約は、この時代における他の条約と同様、ご多分に漏れず不平等条約でしたが、一つ大きな違いがありました。 それは第一条において「朝鮮は自主の国であり、日本と平等の権利を有する国家と認める」と、わざわざ朝鮮が独立国家であると謳っていることです。しかも日本は、この日朝修好条規締結の5年前、清との間に両国が対等である事を確認した「日清修好条規」条約を結んでいました。つまり日本=清、日本=朝鮮という対等関係になれば長年主従関係にあった清国と朝鮮も清=朝鮮という対等関係になるという理屈です。 しかし、ことはそう簡単に行くはずもなく朝鮮の独立には、それからも歳月を要しました。とはいえ、この条約をきっかけに、建国から約500年の時を経た朝鮮が、ようやく独立への第一歩を踏み出したことには間違いありません。ただし、ここで確認しておかねばならないのは、日本は善意だけで朝鮮を独立させようとしていたのではないということです。 例えが適当かどうかわかりませんが、自分の二軒隣の家が燃えている場面を想像してください。隣の人は、そんな大変な時だというのに、自分の住んでいる家は借家なので、燃えても仕方ないと思って逃げ出そうとしているようなものでした。当時の国際社会には消防局もなく、しかも日本は新しい家の建築中で他家の消火活動を行う余裕がなかったのですから、隣の朝鮮に住んでいる人たちに、本当は借家ではなく自分の家であるとの自覚を持ってもらい、自分の家は自分で消火してもらおうと懸命だったのです。 そのために日本は朝鮮の自主独立派に軍事顧問を送るなどして援助し、清からの独立を後押しした結果、その独立派が政治の主導権を握り、そのまま朝鮮も近代化への道を歩むかと思われましたが、従来通り清の冊封体制を維持しようとする守旧派がクーデターを起こしたため、一転して独立派は窮地に陥りました。 朝鮮では古来より外国勢力の助けを借りて政敵を倒すのが常套手段でしたから、この時も独立派は遅滞なく外国勢力に助けを求めたのですが、問題は、その相手です。この時、独立派の頭目である閔妃が頼ったのは従来から付き合いがあり独立を支援してくれる日本ではなく、対立する守旧派の後ろ盾である清の軍人袁世凱でした。 結果、従来からの親清派でクーデターの首謀者である大院君(国王の父)は清に捕らえられ、その一派と対立していた日本寄りの閔妃が、一夜にして親清派に転向したのです。もはや国家国民や政策など関係なく、ただ己の権力を維持するための争いでしかなかったというわけです。日本の努力は水泡に中華民国の初代総統・袁世凱 このような行動は我々日本人には理解しにくいところですが、もともと裏切りによってできた国であり、事大主義政策が国是とも言える朝鮮にとっては当たり前のことで、また一方の袁世凱にとっても朝鮮を牛耳る、またとない機会なので断る理由はなく、結局、割を食ったのは朝鮮独立のために援助し続けてきた挙句、いともたやすく裏切られた日本だけだということです。  朝鮮の基本政策である事大主義を日本の諺で言えば「長い物には巻かれろ」という意味で、長年、大国に隣接してきた小国としては、ある意味当然の選択だったのかもしれません。当時の清は大国でしたが、一方の日本は、まだまだ弱小国だったのです。弱小国の日本は、この動乱で自国の公使館が襲撃を受け、軍事顧問や外交官が殺傷されましたが何も出来ず、朝鮮独立のために尽くした日本の努力は水泡に帰したのでした。 こうして朝鮮は王の外威である閔氏一族が近代国家への道を閉ざし、再び国民の生活を顧みない政治を行うようになりました。しかし、朝鮮にも心から祖国を憂う骨のある人間がおり、この二年後にクーデターを起こして閔氏一族を追放し、国王を皇帝と改め朝鮮の独立を宣言しました。ところが、またも閔氏の要請により出動した清軍によって独立派が駆逐され朝鮮の独立はわずか三日で終わってしまいました。まったく自国の独立運動を自国民が妨害するのですから、どうしようもありません。 結局のところ、この時代の朝鮮の権力者たちは己の権力を如何に保持するのかという事しか頭になく、国家の独立、ましてや民の暮らしの事などは全く考えていなかったのです。そして、この動乱の際にも、また多くの日本人居留民が犠牲になりました。このような私利私欲のための裏切り行為や反対派に対する鬼畜のような残忍な所業を目の当たりにして、忍耐強い日本人の中にも朝鮮や清に愛想を尽かす人が多くなり始め、その意見の代表的なものが、このころ発表された福沢諭吉の「脱亜論」です。 日本としては自身が関与しなくとも朝鮮が名実ともに独立してくれさえすれば良く、あえて手のかかる朝鮮半島から手を退きたかったのですが、その後に清が居座るようになっては困るので、天津条約を結び両国が同条件で撤兵することとしました。このとき日本は外国からの侵略などの特殊なケースを除き朝鮮半島から永久に撤兵すべきであると主張しましたが、清としては属国である朝鮮の内乱などに「宗主国が出兵するのは当然だ」と一歩も譲らず、最終的に互いの国が、今後、朝鮮半島に派兵する場合は相互通知することで合意しました。ロシアにすり寄る朝鮮 ようやく日清両国が兵を退き、平和になるかと思われた朝鮮半島でしたが、相変わらず朝鮮は自立するでもなく、新たな後ろ盾を求めて今度はロシアに接近し始めました。そんなことをすれば宗主国の清が黙っているはずもなく、袁世凱は閔氏一族のライバルである大院君を伴って朝鮮に乗り込み朝鮮政府を指導する立場に就任しました。 しかし、それでも朝鮮国王はロシアへの接近を止めませんでした。その心境は「自分で独立するのは面倒なので誰かに頼りたいが、特定の誰かには支配されたくない」という感じなのでしょうか、清の顔色を伺いながら、あちこちの国に色目を使うさまは、なんとも哀れとしか言いようがありません。 それでも朝鮮政府は一定の開化政策を試み、欧米諸国から借金をしようとしますが、朝鮮独自の発展を望まない宗主国の清が許すはずもなく、様々な政策が、ことごとく失敗に終わり、それでも王侯貴族たちは民衆の生活を顧みなかったので、庶民の間にどんどんと不満が高まっていきました。 そして1884年に朝鮮国内で大規模な反乱が起きたのですが、事態を収拾する能力がなかった朝鮮政府は、またも清に派兵を要請しました。それを受けた日本も過去の動乱で自国民が虐殺された経験から、天津条約に基づき居留民保護のために派兵しました。そして反乱が収まっても日清両国が一歩も引かず、とうとう戦争になったのです。それが日清戦争です。 この戦争は詰まる所、朝鮮における日清両国の権力闘争でしたが、その影響は朝鮮半島にとどまらず、広く、その後のアジアの運命を大きく変えました。もし、清が勝利していれば、朝鮮はもとよりアジアの多くの国は、今でも欧米の支配下にあったかもしれません。 何故ならば、日本が朝鮮の独立のために戦ったのに対して、清は現状維持=植民地支配肯定が戦争の目的だったからです。事実、日本は「宣戦ノ詔勅」から「講和条約」に至るまで終始一貫して朝鮮の独立を謳い、そのために戦いました。日清講和条約が締結された割烹旅館。日清講和記念館には会議の様子を描いた画なども展示している それは、日清講和条約(下関条約)第一条を見れば良く分かることで、そこには「淸國ハ朝鮮國ノ完全無缺ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ淸國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ」と明記されています。 講和条約=戦争の目的=朝鮮の独立ということで、しかも条約において一番重要なことを定める第一条に明記されているのですから、これ以上の説明は不要でしょう。なにも日本が純粋に朝鮮の独立のためだけに戦ったと言うつもりはありません。当然、自国の利益のために戦ったのですが、いくら自国の利益のためとは言え、古今東西、当事国が何もしないのに、勝てる見込みの少ない戦争を他国の独立のために多大な犠牲を払って戦った国があったでしょうか。 そして、その言葉通り朝鮮は、日本の勝利により有史以降初めて独立したのでした。その象徴が、それまで建っていた属国の証である「迎恩門」(歴代朝鮮王が中国皇帝の使者を迎えるために建てられていた門)を取り壊し、文字通り朝鮮の清からの独立を記念して、その隣に建てられた「独立門」です。歴史の事実を知らない韓国国民 独立門は、現在も韓国の首都ソウルにある西大門に建っていますが、多くの韓国人が、この門について日本から独立したときに建てられたものだと誤解しています。普通に考えると、この門が完成した1897年11月20日という日付を見れば、直ぐその間違いに気が付きそうなものですが、それすら分からないということは、韓国において歴史は事実である必要がないということなのでしょう。 もう一点、韓国の歴史観を教えてくれるのが、この「独立門」の扁額は李完用の作品だということです。彼は日韓併合条約に調印した人物で、本当のところはともかく韓国国民からは親日派=売国奴ナンバーワンとも言われ、2007年に作られた事後法により、彼の子孫は財産を強制的に没収されるくらい憎まれています。 それなのに、その彼の作品が史跡として登録され、そこに多くの人が観光に訪れているのを見れば、いかに韓国国民の多くが歴史の事実を知らないのかということが良く分かります。 さて、それはともかく日本と清の講和条約により、目出度く独立国となった朝鮮。日本としては多大な犠牲を払って獲得した独立ですから、彼らが自力で国家発展の道を歩んでくれるものと期待していましたが、そうはいかないのが朝鮮という国です。 彼らは、口では独立と言っていましたが、とても当時の国際社会の荒波を乗り切っていけるだけの力はなく、彼らも本心は独立が現実的ではないことを理解していました。ですから、当初は単に宗主国を、戦争に負けた清から勝った日本に乗り換えるくらいのつもりだったのでしょう。 しかし、日清講和条約締結のわずか6日後に起きた「三国干渉」により、事態は一変します。三国干渉とは、日清戦争において日本の勝利が濃厚になり、自国の満州や支那における権益に対して危機感を持ったロシアがドイツとフランスを巻き込んで日本に圧力をかけ、日本に日清戦争で血を流して獲得した大陸における権益を放棄させた事件です。 その大義名分が、日本が遼東半島を所有すれば「極東平和の妨げになる」というものでした。しかし、日本が放棄させられた権益は、その後、彼ら自身があの手この手で清から奪いとったのですから無茶苦茶という他ありません。しかし、この時代は力こそ正義であり弱小国日本としては黙るしかありませんでした。一つ言える事は、いつの時代も臆面もなく「平和」という言葉を使う人間や国は信用出来ないということです。 その結果、朝鮮は宗主国を日本からロシアへと乗り換えました。朝鮮としては、宗主国は強いことが第一条件ですから、より長いものにまかれることは当然の行動でした。しかし、日本としては多大な犠牲を払って獲得した朝鮮の独立や日本の権益が失われることを座視できるはずもなく、それに呼応した日本派とロシア派の争いが朝鮮政府内で勃発し、しまいには国王がロシア公館に逃げ込む事態にまで発展しました。 その後、国王を手の内に取り込んだロシアは朝鮮での権益をどんどんと拡大させていきます。日本としては日清戦争で多大な犠牲を払ったにもかかわらず大陸での権益を三国干渉で横取りされたうえ、また朝鮮での権益を横取りされそうになっているわけですから、たまったものではありませんでした。 しかも、前述したとおり朝鮮をロシアにとられるということは権益云々というより国家としての死活問題なわけですから、これだけは譲れなかったのです。当初、ロシアに対して大幅に国力が劣る日本は懸命に外交努力を重ねましたが、力(軍事力)なき外交はみじめなものでした。日本の世論は併合賛成へ 当時、世界一の陸軍国であるロシアは東洋の島国のことなど歯牙にもかけず、だんだんと交渉の余地はなくなり、とうとう日露戦争が勃発してしまいました。結果、辛くも日本は勝利をおさめましたが、相変わらず朝鮮は大韓帝国と名を変えてもシャキッとしません。 日本としては、二度の戦争を行い朝鮮半島や満州におけるロシアの影響力を排除したものの、相変わらず大韓帝国が、またふらふらと他国にすり寄ってはかなわないので、保護国としました。しかし、彼らは相変わらず密使を送るなど、ちょろちょろとした動きを止めませんでした。そのような彼らの行動に対して日本国内では「朝鮮併合すべし」という意見が強くなってきました。伊藤博文 しかし、一方で財政上の理由などで反対する人も沢山おり、この問題は文字通り賛成派と反対派で国論を二分していましたが、その状態にけりをつけたのが現在韓国で英雄と崇められている安重根その人です。彼が併合に慎重だった伊藤博文を暗殺したため、日本国内の世論は、一挙に併合賛成へと傾いたのです。「英雄視」の疑問 この事件についても現在の韓国では、韓国義勇軍による戦闘行為だったと教えていますが、当時の法令や常識に照らしても理解不可能な話です。第三国の領土において軍服を着用せず、非戦闘員に対して、いきなり銃口を向けるという卑怯な手段により殺害した行為を独立戦争と呼ぶのはあまりにも常軌を逸しています。 さらに彼の主張は、暗殺後に行われた裁判での陳述や彼が唱えた東洋平和論を読めば分かるのですが、特段、反日思想に凝り固まっているわけではなく、欧米列強の侵略に対する日中韓の連携を呼びかけているだけで、暗殺は当時の朝鮮人が持つ伊藤博文個人に対する誤った認識に基づくものであったと考えるのが妥当です。安重根義士記念館敷地内に建立された安重根像=韓国・ソウル市内 いずれにしても、自国が日本に併合されるきっかけを作った人物を、彼の本心を理解せぬまま、ただ単に日本の偉人を殺害したという理由だけで英雄視しているというのは実に皮肉なものです。まあ、客観的に見れば日本と併合して初めて朝鮮が近代化したわけですから、ある意味祖国を救った英雄とも言えますが・・・。 少し話はそれますが、他にも、韓国では上海天長節爆弾事件で日本人2名を殺害し、中国国民党から大金をもらったとされる尹奉吉も英雄視されています。とにもかくにも、現代韓国においては手段や動機にかかわらず日本の要人を殺害した人間が英雄視されているのが現実なのです。 普通に考えれば他国の要人を暗殺した人物を国家が英雄として崇め奉るというのは、その国のことを見下していなければできない行為で、韓国人が日本人には何をやっても構わないと思っている証拠です。 話しを日韓併合に戻しますが、現代韓国では日本が武力で大韓帝国を植民地にしたと信じている人が少なくはありません。しかし、日本は国対国として朝鮮に武力を行使したことはなく(正当防衛等の突発事案は除く)、日韓双方が平和裏に話し合った合意に基いて、国際法に則った手続きにより大日本帝国が大韓帝国を併合したのです。 また、植民地と併合では全く意味が違います。イギリスを例に挙げれば、イギリスはアメリカやインドを「植民地」として支配しましたが、北アイルランドやスコットランドは「併合」して同じ国になり、現在もそのままです。 また、日韓併合を会社に例えるならば、業績が悪化した会社(朝鮮)をベンチャー企業(日本)が、子会社にするのではなく吸収合併したようなものです。その結果、日本が朝鮮の借金を棒引きし、インフラ整備などに莫大な資金を費やしたのは、同じ国になったのですから当然のことです。 そして、その過程で新会社の方式を取り入れて従来の方式を廃止することもあれば、人事の面でいろいろと差が出たりするのは会社合併でよく見られる光景と同じです。そんな中でも日本は朝鮮の王家に敬意を払い、王族や一部の貴族を併合後も、その地位にとどめました。 にもかかわらず、何が何でも日本が無理矢理朝鮮を植民地にしたというのは、当時、韓国最大の政治団体「一進会」が併合に対して積極的賛成であったという事実をも無視し、当時の人たちが無能で無為無策だったために併合されたと言っているのと同じことで、実に彼らを馬鹿にした話です。 ちなみに、当時の弱小国日本は、三国干渉の苦い経験から事前に日韓併合について主要国に打診しており、その結果、米英は賛成し、清国を含む、その他の主要国から反対の声は全くありませんでした。(それどころか米英から「韓国の面倒を見るように」と、押し付けられたという説もあります) こうして、新生日本が朝鮮に親書を送ってから42年の歳月をかけて、ようやく日本は朝鮮半島の住人とともに西欧列強と戦うスタートラインについたのでした。

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    韓国軍とベトナム慰安所

    韓国がベトナム戦争で強姦・殺戮に飽き足らず、現地女性を集めて韓国兵向けの慰安所を開設していたことが近年明白になった。手先となって蛮行の限りを尽くした700年前の元寇から何ら変わらぬ隣国の素顔に迫る。

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    爆弾証言発掘 朴槿恵の父がベトナムに送った「芸能人慰問団」

     ベトナム戦争中、韓国の「芸能人慰問団」がたびたび現地に派遣されたことは、当時の新聞でも報じられている。しかし、もし彼女たちに与えられた任務が韓国兵の「性欲処理」だったとしたら……? 1965年、本格的なベトナム派兵を開始した朴正煕政権(朴槿恵大統領の父)は、戦場における兵士の「性欲処理」問題に直面していた。派兵直後から韓国兵による強姦事件や性犯罪が相次いだだけでなく、買春中の韓国兵がベトコンに襲撃され捕虜として捕らえられるケースが多発したのである。 こうした事態を重く受け止めた朴大統領は、直ちに軍指導部や国防委員、現地関係者を青瓦台(大統領府)に召集し解決策を協議した。そこで朴大統領が提案したのが、ベトナムでの慰安所設置だった。 だが、この案は当時の駐ベトナム韓国大使らの反対に遭い見送られた。彼らが反対したのは人道的見地からではなく、経済的損失を懸念したためだ。ジャーナリスト盧載鉱氏の『青瓦台秘書室2』(1993年)に詳しい経緯が書かれている。「慰安所を設置すればコストが嵩むだけではなく、兵士がドルを本国に送金せず慰安所で消費してしまう恐れがある」 大使らはそう進言した上で、「派兵期間は1年間に過ぎず、その程度の期間なら性欲をコントロールできるだろう」と付け加えたという。もっとも、その後ベトナムに「韓国軍慰安所」が設置されたことを考えれば、大使らの見通しは甘かったと言わざるを得ない。そうした中で、朴大統領はある代案を思いつく。女性芸能人による「慰問団」の結成だ。「(慰安所設置の)代わりに芸能人慰問団を送るので、これを積極的に活用して兵士たちの士気高揚に資するよう、大使館の協力を要請する」 駐ベトナム大使にそう通知した朴大統領は、8年間で延べ1200名近くの女性芸能人をベトナムに送り込んだ。 戦時における芸能人の部隊慰問は決して特殊なことではない。大戦中の日本軍は宝塚歌劇団を動員して慰問公演を行い、朝鮮戦争時の米軍はマリリン・モンローを現地に派遣して兵士を鼓舞した。だが、「朴大統領が慰問団を結成した真意は別のところにあった」と『親日派のための弁明』などの著作がある作家の金完燮氏は証言する。「私が予備役として訓練を受けていた1990年頃、陸軍中佐としてベトナム戦争に参戦した教官から『芸能人慰問団は部隊に長期間留まり、軍人相手に性的な接待を行っていた。彼女たちは“慰安隊”として戦地に送り込まれていた』と聞かされました。主な相手は将官クラスでしたが、一般の兵士たちにもその順番が回って来ることがあったそうです」 金氏は、芸能人慰安隊結成の背景を次のように解説する。「軍事政権下の韓国で、大統領府と芸能界は密接な繋がりを持っていました。朴政権は芸能人を政治宣伝に利用し、芸能人側も政権に擦り寄ることで自身のポジションを確保していた。いわば持ちつ持たれつの関係だったのです。 そこに目を付けた朴大統領は、慰安所設置に比べてコストが安上がりな女性芸能人の利用を思いついた。もちろん、彼女たちの多くはベトナム派遣を嫌がりましたが、拒否すれば芸能界追放は免れない。慰安隊結成の裏には大統領府による暗黙の強制があったと見て間違いありません」 当時、19歳でベトナムに派遣されたある人気歌手は、韓国のテレビ局KBSの報道番組でこう証言している。「政府にベトナム行きを命じられた芸能人は『渡航時に何があっても政府にはいかなる瑕疵もない』との覚書を書かされました。慰問はお金にもならず、誰もが嫌がっていた」 彼女の口から「性接待」について語られることはなかったが、派遣前にステージを放り出して逃げだす者もいたという証言からすると、やはりこの慰問団は特殊な性格を帯びていたことが判る。 半ば強制的にベトナムに派遣された彼女たちもまた、韓国軍の被害者だったのではないか。関連記事■ 韓国によるベトナム派兵 軍事独裁体制を維持するためだった■ 韓国軍 ベトナム戦争で戦果を上げる勇猛部隊として知られた■ ベトナム 50歳以上、年の差16歳以上の韓国男性との結婚禁止■ 韓国のベトナム派兵は誇りではなく「忘れたい歴史」になった■ 新聞社ベトナム人助手 韓国軍取材を「吐き気がする」と拒否

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    戦争犯罪認めぬ韓国政府 賠償も進まず 韓国兵とベトナム

    石井孝明(ジャーナリスト) 「韓国兵は恐れられていた。残忍なやり方で女性をレイプして殺す例が多かったからだ」 米ニューズウィーク誌は2000年4月12日号で、韓国軍のベトナム戦争参戦をめぐる記事を掲載し、現地の人々の恐怖と怒りをこう伝えた。韓国軍は民間人を8000人以上殺害した可能性があるという。 米ジャーナリスト、ディヴィド・W・コンデ著『朝鮮』(新時代社)には、「(1966年に)韓国軍が昼日中に結婚行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦。結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ3人の女性を川へ投げ込んだ」(要約)などと、凄惨な描写がある。 ベトナム戦争で、韓国は1964年から72年まで、延べ32万人の兵士を送り込み、北ベトナム政府軍、南ベトナムの共産勢力と戦った。そして、5099人が戦死した。米国が払った韓国兵の給料の一部は貧しかった国庫に入り、韓国の経済成長「漢江(ハンガン)の奇跡」のために使われた。兵士たちは英雄としてたたえられた。 しかし、ベトナムでは韓国人に対する憎しみが強い。民間人の大量虐殺を含む、韓国兵の掃討作戦の過酷さに加え、現地女性の間に生まれた「ライダイハン」と呼ばれる子供の問題もある。 韓国政府は戦争犯罪を認めていない。前出のニューズウィーク誌で、韓国軍司令官だった蔡命新(チェ・ミョンシン)中将(退役)は「償いは必要ない」「生き残るために兵士は相手を殺した」と語った。南ベトナムの共産勢力はゲリラ戦術を使い、民間人を装って攻撃を繰り返した。ただ、韓国軍の攻撃は過剰であり、または必要のない「人を殺すだけ」のものがあった。 歴史の直視は韓国でも難しいが、建前と違って兵士は苦しんでいる。 韓国の作家、金賢娥(キム・ヒョナ)氏が書いた『戦争の記憶 記憶の戦争-韓国人のベトナム戦争』(三元社)では、犠牲者と加害者の双方の言葉を伝える。参戦した兵士は次のように語る。 「一度だけでも民間人を殺してはならない、強姦してはならないと聞いていたら、しなかった。私が戦う理由がどこにある。しかし生き残らなければならないと考えるようになると、婦女子もベトコン(注・共産兵の蔑称)に見えた」(要約) 同書で、金氏は韓国の歴史家のこんな言葉を記している。 「日本は犯罪行為を力の論理で包み込んで美化することに忙しい。罪責感と責任感は眼中にもない。日本は理解しなければならない。過去の克服は『ともに記憶すること』であって、『ひとりで埋めてしまうこと』ではないことを」 金氏は日本に強い批判を向けるが、「国名に韓国という単語を当てはめても同じ」とも指摘した。 戦争で強められた憎悪と狂気が敵の女性への暴力に向かう。どの国でも、こうした悲劇が繰り返されたことが、文献や報道などから見えてきた。2001年には当時の金大中大統領がベトナムを訪れ、謝罪し、補償を約束したが、賠償はほとんど行われていない。 犯罪加害者が罪と向き合うことは難しい。だが、韓国が日本を批判するなら、自国の歴史を真剣に見つめてほしい。 いしい・たかあき ジャーナリスト。1971年、東京都生まれ。慶応大学経済学部卒。時事通信記者、経済誌記者を経て、フリーに。安全保障や戦史、エネルギー、環境問題の研究や取材・執筆活動を行う。アゴラ研究所運営のエネルギー情報サイト「GEPR」の編集を担当。著書に「京都議定書は実現できるのか」(平凡社)、「気分のエコでは救えない」(日刊工業新聞)など。関連記事■ 朴槿恵大統領は父親を糾弾すべし■ 折れた朴槿恵 父の遺産をなぜ壊したか■ 朴大統領に問われる反日外交の検証

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    「慰安所で欲望ぎらつかせる韓国兵に恐怖感も」とベトナム人

     ベトナム戦争中、韓国軍が多くの婦女子を強姦・凌辱した事実を本誌は報じてきたが、さらにこのほど発見された米公文書により、ベトナムに「韓国軍慰安所」が存在していたことが判明した。 韓国政府が沈黙を守る中、フォトジャーナリストの村山康文氏と本誌取材班はベトナムに飛び、その隠された史実を探った。 * * * 旧サイゴン市内には韓国軍専用の飲食施設があった。そのひとつが、市の中心部・フーニャン区の「ホンハーホテル」に店を構える「ハンクォック・クラブ(韓国クラブ)」だ。しかし、その実態は「クラブとは名ばかりの韓国軍慰安所のようなもの」(近隣住民)だったという。 付近でヘアサロンを営むゴー・ヴァン・タムさんが語る。「店では15~20人の若いベトナム人女性が韓国兵の相手をしていました。クラブで女性をピックアップし、上階のホテルに連れ込むシステムです。彼らは子供ができないよう、女性たちにピルを飲ませて行為に及ぶため性病が蔓延していたそうです。性病が元で命を落とした女性もいたと聞いています」 避妊に失敗し女性が身ごもった場合も責任を取らず、韓国兵がそのまま帰国してしまうケースも相次いだ。そうしてできた子供は「ライダイハン」と呼ばれ、ベトナム戦争終結後も困窮と差別の中で生きることとなった。ベトナムには最大で2万人のライダイハンがいるとも言われている。 当時、同ホテルの裏手に住んでいたホアン・ティ・バック・トゥエットさんは、欲望をぎらつかせる韓国兵に、得体の知れない恐怖を感じたという。「ホテルの近くにある倉庫で、軍服を着た韓国兵たちが番号札を付けた女性を並ばせていたことがありました。何をするのか遠目に様子を窺っていると、彼らは福引の抽選機のようなものを持ち出した。セックスの相手を選ぶゲームをしていたのです。 番号で選ばれた女性は、韓国兵に手を引かれどこかへと消えていきました。彼女たちがどのような女性だったのかは分かりませんが、このようなことをする韓国人がとても、怖かった」 ベトナム戦争終結から40年。サイゴンからホーチミンへと名前を変えたベトナム最大の都市は近年急速な発展を遂げ、今や戦争の面影は残されていない。しかし、韓国軍がこの地で行った恥ずべき行為の数々は人々の記憶に深く刻み込まれている。関連記事■ 韓国軍 ベトナム戦争で戦果を上げる勇猛部隊として知られた■ 20歳時に4、5人の韓国兵に暴行を受けたベトナム人女性の証言■ 李明博氏 ベトナム政府の逆鱗に触れ国賓訪問一時拒否された■ 韓国農村部に嫁いだベトナム人妻を韓国人夫が虐待する例頻発■ 韓国軍がベトナムで働いた婦女子への性暴行 現地からの報告