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    朴槿恵大統領の妹はなぜタブーである「親日」発言に挑んだのか? 

     「私たちは親日をしなければ」。韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領の妹、槿令(クンリョン)氏のこうした発言が韓国で大バッシングを浴びた。日本のインターネット番組に出演し、靖国神社参拝や慰安婦問題について日本を擁護する主張を連発したからだ。韓国でタブーとされる「親日」という言葉をあえて使い、批判覚悟で発言した真意はどこにあったのか。彼女には、韓国民が本来立ち向かうべき“敵”の存在があった。(桜井紀雄) 「元慰安婦の方々に対しても、私たち(韓国民)がもっと配慮しなければならないのに、日本ばかりを責めてきた。そんなニュースが何度も流れたことについて申し訳なく思う」 朴槿令氏は4日にネットサイト「ニコニコ動画」の特別番組でインタビューに応じ、日本人ネットユーザーらに向けてこうメッセージを送った。日本から帰国したソウルの金浦空港で、記者団に持論を語る韓国の朴槿恵大統領の妹、槿令氏=30日(聯合=共同) インタビュー冒頭から、「韓国人も日本から学んでほしい」と日本のマナーのよさを持ち上げた。50年前に父の朴正煕(チョンヒ)元大統領が成し遂げた日韓国交正常化に伴う日本からの援助が「韓国の経済発展の原動力になった」とたたえた。 朝鮮半島に対する日本による過去の支配についても、天皇陛下がかつて韓国の大統領に「痛惜の念」を表明されており、「日本の首相が替わるたびに謝罪を求め、隣人を責めるのは、恥ずかしいことだ」と語った。 靖国神社参拝についても、「子孫として父の墓を参るのを拒むことはできない」と理解を示した。「安倍晋三首相が靖国参拝をして、再び戦争を起こしたいという気持ちがあるとは思っていない」とし、「そう思う人はおかしい」とまで述べた。日本の政治家の靖国参拝をたびたび非難する自国の外務省に対しても「内政干渉になる」とたしなめた。 極め付きは、「独立前の『親日』と国交正常化した後の『親日』の概念は全く変わっている」と強調した上で、「私たちは、親日・親米をして、国を発展させなければならない」と言ってのけたことだ。 韓国では、「親日=売国奴」と認識されており、日本に好意的な人物でも自分が「親日派」と名指しされることを絶対に避けようとするにもかかわらずだ。「仲良くなるのを邪魔する人がいる」 槿令氏の発言に対しては、韓国内で当然といえるほど、大反発が巻き起こった。 インタビューは7月末に収録されたもので、ソウルの空港で帰国を待ち構えていた韓国の報道陣に、槿令氏は、番組で語った内容と同様の主張を繰り返し、韓国メディアを刺激した。 韓国世論にとって最大級といえる“妄言”を朴槿恵政権の足をすくう好材料とみて、待ってましたとばかりにやり玉に挙げたのは、野党の新政治民主連合だ。 韓国の報道によると、同党幹部は、「朴槿令氏の言葉は、口にすることさえ恥ずかしい。大統領の妹としてなおのこと不適切だ。これを親日といわずして何だというのか」と非難し、朴槿恵大統領に対しても、立場を表明するよう迫った。 与党側でも、擁護するどころか、そろって「ゆがんだ歴史認識だ」などと不快感をあらわにした。 日本政府に補償と謝罪を求め続けている元慰安婦支援団体なども、当然のごとく反発した。 親北朝鮮傾向の強い支援組織「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)代表は、「歴史をきちんと学んでいない人の発言にすぎない。植民地時代の考え方から抜け出せない一部の人たちの誤った視点をそのまま反映している」と一蹴した。 韓国メディアは、放映した「ニコニコ動画」に対しても、「日本のネット右翼が多く視聴するサイト」とこき下ろし、発言が伝わった直後に朴政権の支持率が若干低下したことについても、「発言が影響した」との分析を伝えた。 だが、槿令氏はインタビューで「日本を責めるニュースが好きな勢力と私は闘っている」と述べ、こんな言葉をいい残している。 「よいことをしようとすると、水を差す人、仲良くなることを邪魔する人がいる。そういう人を警戒しないといけない。賢い人は分かると思う」 一連の日本擁護の発言は、失言などではなく、自国で非難にさらされることを覚悟した上での主張だったことを示す言葉だ。彼女なりに日韓関係を憂えての“確信犯”だったわけだ。 では、なぜ彼女は火中の栗をあえて拾ったのか。真意を解くキーワードは、インタビューの中にちりばめられている。 槿令氏は、日韓国交正常化に道を開いた大統領の娘として、韓国の支援に尽力してきた多くの日本人に接してきたことを説明している。韓国で治療が遅れていたハンセン病患者への支援や、先の大戦での韓国人戦没者の慰霊に、私財や身をなげうって取り組んだ日本人への感謝を表明した。 つまり、“親日”発言は、一つには、自身の実体験に裏打ちされているのだ。 そうした日本人たちの献身が「韓国人には、あまり知られていない」と嘆いた上で、その原因として、一人の大統領経験者を名指しした。左派を代表し、親北朝鮮傾向の強かった盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏だ。 「盧武鉉大統領時代、いきなり、父を含む国会議員の先祖に対して、親日的・反民族的だったとリストを作る動きを見せた」 盧元大統領は2005年に「親日反民族行為真相糾明委員会」を立ち上げ、日本統治時代に日本に協力した者の子孫を弾劾し、財産を没収するといった政策をぶち上げる。自分の政権の歴史的正統性と純血性を誇示する狙いは明白だった。 最大の標的が、槿令氏らの父、正煕氏であり、槿令氏姉妹も攻撃に巻き込まれる。野党議員時代の槿恵氏も「父が親日行為をやったとバッシングを受けた。かなりたいへんだった」と槿令氏は振り返り、「有権者の意思を反映するために対日関係を強硬にした」と説明した。 現在の朴槿恵大統領の歴史問題に絡む対日姿勢のかたくなさの底にも、過去にこうむったバッシングのトラウマがあるというのだ。 槿令氏が主張するように、韓国の「反日」の裏には、国内で執拗(しつよう)に繰り返される“親日派狩り”があるのは確かだ。韓国は、「反日」というよりむしろ、「反親日」といった方が正確だろう。 日本の首相に謝罪を何度も求めるのも、韓国で政権が替わるごとに、正統性を獲得するための国内向けの事情によるところが大きい。 韓国に対する日本人の貢献を手放しでたたえることは、「親日派」というレッテルを貼られる恐れがある。多くの人が口をつぐんだ結果、献身した日本人の存在も戦後の歴史に埋没させられてきた。 槿令氏は「父を『親日だ』と批判していた人々も経済発展の恩恵を享受している」と、国交正常化における正煕氏の努力と日本の援助を正当に評価しようとしない国内の左派勢力に向けた不満を何度か口にした。 「過去の歴史を利用」しようとした盧武鉉氏のような政治勢力に対しては、「歴史を何度も蒸し返そうとするのは、浮気をした夫とよりを戻した後も、悪い噂を立てることと同じではないか」と反論する。 日本との関係でも、朴正煕政権時代に「和解したにもかかわらず、蒸し返し責め続ければ、歴史は逆戻りし、後退させる。国益にもいいことでない」と述べた。槿令氏の主張を「歴史に反する」と非難するであろう勢力への皮肉とも聞こえる。 ここまできっぱり言い切る背景には、彼女が父同様に北朝鮮こそが、日米と協力して対峙(たいじ)すべき「民主主義国」共通の“敵”だとの強い信念があるようだ。 「私たちは親日・親米をしなければならない」と語った際も、続けて「従北はしてはいけない。親北朝鮮と言ってはならない」と強調した。それは「韓国の憲法に反し、“敵”を利することになる」と断言している。北朝鮮を「敵」だと明言してはばからないのだ。 「日本が再武装している」との韓国などで持たれる見方に対しても、「北朝鮮が核を持っているからだ。韓国にとって大きな脅威であり、沖縄などの米軍基地も韓国にとって大事だ」と述べ、日本の安全保障政策の強化にも理解を示した。 「大半の韓国の人は私と同じ考え方を持っていると分かっていただければ。韓国をもっと好きになっていただければと思う」 槿令氏は日本人にこうも訴えかけた。帰国後に彼女が大バッシングに遭ったことを考えると、信じられない日本人が多いかと思う。 しかし、筆者の経験からも、槿令氏と似た対日観を持つ韓国人は、珍しくはない。 特に、槿令氏同様に現実的脅威を直視し、北朝鮮を“敵”とみなす比較的年齢の高い人にその傾向がみられる。日本統治時代や朝鮮戦争を経験した年齢層の方がむしろ多いといえるかもしれない。 北朝鮮政権を民主主義共通の敵だとみるとき、日本は一方的に憎むだけの“他者”とはならないからだ。少なくとも、軍国主義が再び台頭する「侵略国家日本」という“フィクション”に振り回されることはない。 槿令氏も「日本は他の国を侵略する憲法でもなく、国民を天皇の『臣民』と呼んだ軍国主義の時代でもない」と現実的な認識を述べている。 逆に、北朝鮮と親和を図ろうという幻想にしがみつこうとすれば、するほど、「日帝時代」という苦難をともに乗り越えたという共通の「体験記」や「軍国主義日本」という“共通の敵”が必要になる。 慰安婦問題が日韓で大きな外交問題に浮上した1990年代初めにも、北朝鮮が狙い定めたように「20万人性奴隷」説などを喧伝(けんでん)し、韓国の挺対協などの支援団体と歩調を合わせた。槿令氏が日韓が「仲良くなるのを邪魔する人」と称した南北の勢力による共同戦線がこのとき立ち上がる。 慰安婦問題も南北に共通した苦難の歴史であり、日本を敵として、南北が共闘できるという格好の“かすがい”を提供したことになる。 同じ構図が日本による統治時代を経験した台湾にも当てはまる。「台湾は中国から独立した地域だ」と中国を“他人”扱いする台湾で生まれ育った一定数の人たちは、親日的傾向を持っていることが知られている。彼らは、自分たちの歴史の独自性を語る材料として、日本統治の影響を肯定的に持ち出しさえする。 反対に、戦後、台湾に渡った外省人の中で、中国との共通性にこだわる人々は、反日的傾向が強い。つまり、中国共産党と台湾の国民党にとって、共通の敵だった日本という「悪役」が必要不可欠なのだ。 戦後70年の今年、台湾の国民党政権が「抗日戦の主役は国民党軍だった」との色彩を全面に出した記念行事を計画したところ、「反日」が際立つことになり、台湾人意識の強い住民らから反感を買った。 一方、中国共産党政府は、国民党に統一を呼び掛ける際に、たびたび「南京大虐殺」の「史実」を誘い水に使う。ただ、現実の歴史では、民族同士血で血を洗う内戦の結果、中国に共産党政権が誕生した。 だからこそ、統一中国のためには、日本を絶対悪とした南京事件を共通の歴史として手放すわけにはいかないのだろう。国共内戦が凄惨(せいさん)であれば、あるほど、南京事件はクローズアップされ、中国と台湾の距離が離れれば、離れるだけ、中国側が示す事件での犠牲者数は10万人単位で跳ね上がっていく。 民族同士相争ったのは、なにも中国共産党と国民党だけではない。韓国と北朝鮮もまた、朝鮮戦争で戦火を交え、多くの街が焦土と化すほどの傷跡を残した。朝鮮戦争が悲惨であれば、あるほど、南北融和を訴えるには、民族の「正しい歴史」という舞台に、残忍だった日本人という共通の敵に出演してもらわなければならない。 そして、親北傾向の強い人ほど、日本に対し、繰り返し過去の歴史への懺悔(ざんげ)を請求し続ける必要性に追い立てられることになる。その中で、真っ先に標的にされるのは、正煕氏のような「親日派」であり、槿令氏のような日本擁護は「妄言」と一刀両断される。 「米国の議会がうらやましい」 槿令氏はこうも漏らした。米与党の民主党と野党の共和党ともに、福祉問題など現実的な課題で議論を戦わせるといった当たり前の光景がうらやましいという。 「国益のためには、野党でも与党でも一つのことに向かうシンガポールがうらやましい」。こう話していたという父、正煕氏の生前の言葉にも触れた。 「申し上げるのは、はばかられるが…」と断った上で、「韓国の政界では、北朝鮮にあまりに近い勢力がいて、韓国は共産化はされていないが、左翼化しているのではないかと思う」とも語った。 「建設的な論争をする米国議会とは違い、韓国国会は、北朝鮮問題といったイデオロギー論争を繰り返している」とも嘆く。高校生ら約300人が犠牲となった旅客船セウォル号沈没事故の原因究明をめぐっても、与野党が理念対立に固執し、長期間、国会が空転したことも記憶に新しい。 槿令氏は、「韓国はIT強国といわれるが、3、4カ月間、日本から部品を供給しないだけでたいへんなことになる」と、韓国経済の障害となる日韓関係の冷え込みにも懸念を示した。 経済や福祉問題という現実をほうって、不毛なイデオロギー論争と対日歴史問題に拘泥する韓国の政治状況に心底嫌気が差していたのだろう。「親日」という刺激的禁句を使ってまで、日本擁護の発言をし、注目を浴びることで、閉塞(へいそく)した国内状況に、自分なりに一石を投じるつもりだったのかもしれない。“孤独”な姉へ孤立無援のエール 姉の朴槿恵大統領に対しては、日韓国交正常化50年式典で、「日本との協力関係を強化する立場」を表明したことから、日韓関係改善に向け期待感を示した。日本の視聴者には、「新しい出発を見守ってほしい」と呼びかけ、姉にエールを送った。 だが、韓国でイデオロギー対立が解消されない限り、「親日派の娘」というレッテルを貼られ、事あるごとに攻撃にさらされてきた槿恵大統領の対日姿勢が急に改善するとは到底、予想できない。韓国野党は、妹の日本擁護発言を「妄言」として、朴政権への攻撃材料とみなしたぐらいで、槿令氏の渾身(こんしん)の主張は、火に油を注いだ逆効果だったと考えざるを得ない。 保守・左派そろって民族主義的傾向が強く、民族にとっての「正しい歴史」が政治的正義と信じられている韓国にあって、「反親日」に錦の御旗があることに変わりはない。 歴史問題を封印し、日本から巨額の援助を引き出し、祖国を経済発展に導いた正煕氏は、韓国最高の「英雄」と称賛される半面、「売国奴」だと後ろ指を指される背反する2つの評価がつきまとう。この韓国現代史上最も大きな存在を父に持つゆえ、現国家指導者の姉は、皮肉にも、自ら「正しい歴史」に絡め取られ、歴史問題で、安倍政権に繰り返し譲歩を求めるほか、身じろぎ一つできないのが現実だ。 「正しい歴史」が幅を利かせるなか、正煕氏や朴槿恵大統領の支持層であっても、槿令氏の主張に首肯するわけにはいかないのだ。 民族的正義のために振りかざされる歴史問題よりも、北朝鮮の脅威や経済問題といった現実を直視する人でも、「親日派」のレッテルを恐れ、表立って賛意を示す人はほとんどいないだろう。槿令氏がいう「私と同じ考え方」の人は、どこまでいっても声なき声の域を越えられない。 槿令氏の活動に姉が干渉することは、ほとんどないという。大統領就任と前後して槿恵氏は、家族も遠ざけてきたとされる。「最後に姉に会ったのはいつか」との質問に、槿令氏は「よく思い出せない」とも答えた。 インタビューの最後、槿令氏は「未来を背負って懸命に生きてこられた父の遺志は、何だったのかを考えて」と前置きし、日韓双方の人々に向け、こう語りかけた。 「痛みのある歴史に執着して、未来に向けて踏み出せない人々は、日韓の国益や平和を考え、もっと仲良くなれるようにベストを尽くすべきだと思う」 血を分けた妹の本音でもあり、迷惑この上なくもあろう姉に向けた“孤立無援”のエールを、家族さえ遠ざけ、“孤独”に執政に没頭する朴槿恵大統領は、どう受けとめるのだろうか。

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    「売国奴」と言われた朴正煕が称賛される理由

     日韓両国が基本条約に調印し、国交正常化に踏み切ってから6月22日で丸50年。韓国国内の猛反対を押し切り、正常化を決断したのが当時の大統領、朴正煕(パク・チョンヒ)だ。「売国奴」呼ばわりされた朴正煕に対する評価は、この半世紀で一変した。(韓国南東部亀尾(クミ) 藤本欣也) 寒村のイメージを抱いていたので、そのにぎわいぶりに拍子抜けしてしまった。 韓国南東部、慶尚北道(キョンサンプクド)亀尾にある朴正煕の生家。土壁の家屋自体は粗末だったが、周囲には記念館や焼香所、公園が整備され、観光客が押し寄せていた。1日平均2千人以上-。 「優れた大統領のおかげで私たちは幸せに暮らしています」「強力な改革だけが韓国を維持できる」「将来、朴正煕大統領のような政治家が再び現れたらいいのに」 寄せ書き帳を見ると、強いリーダーを求める声や賛辞であふれている。 だが、およそ半世紀前には、それからは想像もつかない光景が広がっていた。 1964年6月3日、ソウル中心部。「韓日交渉を中止せよ」「屈辱外交を許すな」「売国奴を殺せ」 催涙弾が飛び交う中、大学生ら1万5千人以上が集結し、治安当局と衝突を繰り返した。夜、戒厳令を布告したのは当時の大統領、朴正煕その人だった。 デモ隊がやり玉に挙げたのが、日韓国交正常化の秘密交渉に当たっていた朴正煕の側近で、後に首相を務める金鍾泌(キム・ジョンピル)(89)だ。61年5月16日、朴正煕が主導した軍事クーデターの中心人物の一人である。 金鍾泌は今年、韓国紙への寄稿で、日韓国交正常化を「(クーデターに続く)第2の革命だった」と振り返っている。朝鮮戦争(50~53年)で壊滅的打撃を受けた韓国経済は最貧国の水準。「近代化のための資金を何としても捻出しなければならなかったのだ」        始まりは“用日” 残された“反日”2月23日、弔問に訪れた韓国の鄭義和国会議長(左)とあいさつを交わす金鍾泌元首相(聯合=共同) 日韓国交正常化の立役者とされるのが、大統領の朴正煕(パク・チョンヒ)の命を受けて秘密交渉に当たった金鍾泌(キム・ジョンピル)である。中央情報部(KCIA)の初代部長を務めた金は「反日より、“用日”こそ困難な道である」という話をよく朴と交わしたという。 日本を用いて経済発展の道を探る-。1962年に始まった経済開発5カ年計画は莫大(ばくだい)な資金を必要としていた。 当時、ソウル大学生で学生運動のリーダーの一人だった玄勝一(ヒョン・スンイル)(73)と金道鉉(ドヒョン)(72)に、かつて学生たちがデモ隊を組織した光化門(クァン・ファムン)前の大通り沿いのホテルで会った。 「朴正煕のリーダーシップで韓国が発展を遂げたのは事実だ。が、だからといって軍事クーデター、人権・民主化弾圧などを許すことはできない」 玄は逮捕され服役した後、米国に渡った。帰国できたのは79年に朴正煕が暗殺されてからだ。その後の民主化過程で、国民大学の総長や国会議員を務めた。 「反日デモというより、クーデターで樹立された朴政権への不満、批判が爆発したデモだった」 こう振り返る金道鉉は、文民大統領の金泳三(ヨンサム)政権(93~98年)時代に文化体育省次官などを歴任した。 国交正常化の前年に起きた6月3日の騒乱は、韓国の近代化を優先する勢力と、民主化を求める勢力の衝突でもあった。 民主化勢力も反日を利用して朴政権打倒を目指した意味では、“用日”だったのである。 朴政権は、日韓国交正常化の果実である日本の資金や、米欧の援助を元手に60年代中盤以降、10%を超す高度経済成長を実現。「漢江(ハンガン)の奇跡」と評された。 その朴正煕の最大の政敵が、民主化勢力リーダーの金大中(デジュン)だった。97年の大統領選に出馬した金大中が保守派の票を取り込むために利用したのが、朴正煕の生家だ。投票の約2週間前に生家を訪れて和解を演出、劣勢を覆し勝利を収めた。いわば“用朴”である。 以後、朴人気も裾野が広がり、96年に約4万2千人だった生家の観光客数は昨年、実に69万人を数えた。 “用日”から始まった日韓国交正常化。50年がたち近代化と民主化が一通り達成された韓国に、むき出しの反日が残された。反日より困難な道、つまり新たな対日戦略を打ち出せる強いリーダーシップこそ、韓国には求められている。=敬称略(藤本欣也)【用語解説】朴正煕(1917~79年) 韓国・慶尚北道亀尾の貧しい農家に生まれる。大邱師範学校、満州国軍官学校、日本の陸軍士官学校卒。満州国軍中尉で終戦。朝鮮戦争を経て韓国軍での地歩を固め、陸軍少将だった61年、5・16軍事クーデターを主導して全権を掌握し、前年の李承晩政権崩壊に伴う内政の混乱を収拾。63年から5期にわたって大統領を務めた。開発独裁型の統治を推し進め、民主化勢力を弾圧する一方、高度経済成長を達成した。反政府暴動の高まりの中、79年に側近に暗殺された。現大統領の朴槿恵氏(63)は長女。【用語解説】日韓国交正常化 日韓両政府は14年間の交渉を経て、1965年6月22日に日韓基本条約に調印(同年12月18日に発効)、国交が正常化した。付属協定では、日本側が韓国に「無償3億ドル、有償2億ドル」を供与する一方、双方の財産・請求権については「完全かつ最終的に解決された」と明記された。しかし韓国側は近年、元慰安婦の賠償請求権は残っているとの主張を強めている。

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    朴正熙と朴槿恵の「反日」を比較する

    京基督教大学教授) 朴槿恵政権下で反日外交が展開される中、日本人の嫌韓感情はかつてなく高まっている。韓国研究者としてかの国と40年近く付き合ってきた私はこの間「現在の韓国人の反日感情の原因は日本統治時代の記憶ではない。なぜなら、反日感情は統治時代を経験していない若い世代ほど高いからだ。」と繰り返し述べてきた。朴正熙大統領 朴槿恵大統領も日本の統治時代を知らない世代だ。そしてその父、朴正熙大統領は日本統治時代を経験した世代だ。日本では父は「親日」で娘は「反日」だという誤解が広がっているが、朴正熙大統領も自分も「反日」だと明言している。朴正熙時代には日本で嫌韓感情は生まれなかったが、朝日新聞など左派メディアからは独裁者だとして激しい非難が加えられていた。 朴正熙大統領の「反日」は朴槿恵大統領のそれとは質的に異なっていた。だから、侮蔑意識が含まれる嫌韓感情を生むことはなく、むしろ、心ある日本人の尊敬を集めた。 一言でその違いをいうなら、甘えがなく自己の欠点を直視する勇気を備えている「反日」だった。朴正熙大統領は1965年、国内の激しい反対運動を戒厳令と衛戍令をひいて抑え付けて日韓国交正常化を断行した。そのとき、以下のような談話を発表している(1965年6月23日、韓日条約に関する韓国国民への特別談話)。 去る数十年間、いや数百年間われわれは日本と深い怨恨のなかに生きてきました。彼等はわれわれの独立を抹殺しましたし、彼等はわれわれの父母兄弟を殺傷しました。そして彼等はわれわれの財産を搾取しました。過去だけに思いをいたらすならば彼等に対するわれわれの骨にしみた感情はどの面より見ても不倶戴天といわねばなりません。しかし、国民の皆さん! それだからといってわれわれはこの酷薄な国際社会の競争の中で過去の感情にのみ執着していることは出来ません。昨日の怨敵とはいえどもわれわれの今日と明日のために必要とあれば彼等ともてをとらねばならないことが国利民福を図る賢明な処置ではないでしょうか。(略) 諸問題がわれわれの希望と主張の通り解決されたものではありません。しかし、私が自信を持っていえますことはわれわれが処しているところの諸般与件と先進諸国の外交慣例から照らしてわれわれの国家利益を確保することにおいて最善を尽くしたという事実であります。外交とは相手のあることであり、また一方的強要を意味することではありません。それは道理と条理を図り相互間に納得がいってはじめて妥結に至るのであります。(略) 天は自ら助ける者を助けるのであります。応当な努力を払わずにただで何かが出来るだろうとか、または何かが生まれるであろうとかという考えは自信力を完全に喪失した卑屈な思考方式であります。 今一部国民の中に韓日国交正常化が実現すればわれわれはまたもや日本の侵略を受けると主張する人々がありますが、このような劣等意識こそ捨てねばならないと同時にこれと反対に国交正常化が行われればすぐわれわれが大きな得をするという浅薄な考えはわれわれに絶対禁物であります。従って一言でいって韓日国交正常化がこれからわれわれによい結果をもたらすか、または不幸な結果をもたらすかということの鍵はわれわれの主体意識がどの程度に正しいか、われわれの覚悟がどの程度固いかということにかかっているのであります。 韓国の「反日」がおかしくなるのは1982年、全斗煥政権が日本の左派メディアと中国共産党と野合して、歴史認識問題を外交に持ち出すという禁じ手を使ってからだ。第1次歴史教科書事件で、朝日などが文部省の検定の結果、「侵略が進出に書き換えさせられた」という大誤報をして日本政府を非難したことに、まず中国政府が公式抗議し、それに全斗煥政権が乗っかって、他国の歴史教科書の記述の修正を外交交渉の議題にするという前代未聞の「内政干渉」を行った。 このとき、全斗煥政権は、韓国軍近代化資金を日本も負担すべきだという安保経済協力を求めていた。ところが、冷戦をともに戦っているという意識の低かった当時の鈴木善幸政権と外務省は、その要求を冷たく拒否したため、全斗煥政権が禁じ手を使ったのだ。それから、盧泰愚政権まで、韓国政府は日本から経済協力資金や技術協力を得る手段として、歴史認識問題を使った。それも朝日などの誤報をそのまま利用する事実に反する反日キャンペーンを外交に使った。まさに、「甘え」の反日だ。1992年1月、訪韓した宮沢首相に対して盧泰愚大統領が首脳会談の場に慰安婦問題を持ち出したのがその典型だ。軍人出身の盧泰愚大統領は慰安婦強制連行がなかったことを知っていたが、技術移転を求める外交カードとしてそれを使った。 1995年、村山談話が出されたが、韓国の反日はその年からより悪化、劣化した。金泳三大統領が江沢民主席と会談して、反日外交での共闘を提唱し、統治時代の歴史だけでなく、竹島問題も「日本軍国主義による侵略」という一方的な決めつけをして、日本政府や日本国民が領有権主張をすること自体を許さない、外交常識に反する反日を展開した。このときから、反日の目的が、日本からの支援獲得でなく、韓国国内での人気獲得に変わった。韓国では1980年代以降、親北左派勢力が学界、教育界、マスコミに急速に拡散し、いわゆる韓国版自虐史観を広げていった。その鍵も「反日」だった。李栄薫ソウル大学教授は名著「大韓民国の物語」でその誤った歴史観を次のように要約した。 「宝石にも似た美しい文化を持つ李氏朝鮮王朝が、強盗である日本の侵入を受けた。それ以後は民族の反逆者である親日派たちが大手を振った時代だった。日本からの解放はもう一つの占領軍であるアメリカが入ってきた事件だった。すると親日派はわれ先に親米事大主義にその姿を変えた。民族の分断も、悲劇の朝鮮戦争も、これら反逆者たちのせいだった。それ以後の李承晩政権も、また1960〜70年代の朴正熙政権も、彼らが支配した反逆の歴史だった。経済開発を行ったとしても、肝心の心を喪ってしまった。歴史においてこのように正義は敗れ去った」 朴槿恵大統領はこのような自虐史観に支えられた親北左派勢力と大統領選挙で戦って、51%対48%で辛勝した。本来なら彼女の役割は、自虐史観勢力を各界各層から追放する国家正常化であったはずだ。今回、歴史教科書を検定から国定に戻すことを決めたのも、まさに自虐史観一辺倒になってしまった歴史教科書を正常化するためだった。しかし、朴槿恵大統領は世論に迎合する機会主義的政治家だった。 彼女は父親に対する支持から絶対に自分を離れない保守層約3割を固定支持勢力として持っている。また、反対側に約3割の左派固定勢力が分布している。選挙で勝つためには、中間の4割を自分の側につけるしかない。だから、彼女の政策は親北派に妥協的で、世論迎合的なものが多い。朴正熙大統領が「つばは墓に吐け」(自分の政策の評価は死後、決まる)と語り、信念を曲げなかったことと正反対だ。 慰安婦が性奴隷だったら、彼女の父を含む戦前、日本軍(満州軍を含む)の将校だった韓国人はみな、同胞がレイプされていることを知りながらその犯人に奉仕した「売国奴」になる。事実を直視し、与えられた国際環境の中で日本を利用して韓国の安保と繁栄を実現するために全力を尽くすという、父にあった健全で尊敬できる「反日」に彼女が戻れば、日本人の多くの嫌韓感情は解消するだろう。

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    日本の賠償金はなぜ従軍慰安婦に使われなかったのか 

    経済協力に関する協定」により5億ドル(無償3億=1千80億円、有償2億=720億円)の経済協力資金が韓国に供与されたが、従軍慰安婦の補償には一銭も宛がわれなかった。  その理由の一つは、日韓国交交渉で従軍慰安婦問題が議題に上がらなかったことにある。 首都ソウルの日本大使館前に設置された「慰安婦像」と記念撮影する少女=2015年8月14日、韓国(早坂洋祐撮影) 韓国側の交渉責任者であった李東元外相(故人)は今から19年前、国交樹立30年目の年にあたる1995年、慰安婦問題が交渉時にどのように処理されたかについて次のように証言していた。  「記憶がはっきりしないが、当時の協定条項には従軍慰安婦の問題と被爆者、徴用者に対する賠償はどこにも含まれなかった。誰の口からも持ち出されなかった。理由は、従軍慰安婦の問題は被害者である韓国にとっても、加害者である日本にとっても恥ずべき歴史の痛みであるからだ。この問題を持ち出せば、国民感情を損なうだけで、外交的に得るものがないからだ。それで、この問題は将来の両国の関係に委ねることにした」  被害者国の韓国側からの提起もなく、討議の対象になっていなかったことからみても第一次的な責任は韓国側にある。  次に日本からの賠償金(経済協力金)の使途については日本政府の同意(署名)が必要とされ、日本からの商品や産品、用役の購入、導入が前提条件となっていたことにある。  賠償とはほど遠く、明らかに商業主義に基づく資金提供であった。慰安婦など植民地統治による被害者への救済という概念は日本側には全くと言っていいほどなかった。従って、日本側にも道義的責任がある。  日本からの賠償金(経済協力金)は日本からすれば、商品もさばけ、技術料も手に入る仕組みになっており、少なからず先行投資的要素もあった。   条約当時、中川融外務省条約局長は「大声じゃ言えないけど、私は日本の金でなく、日本の品物、機械、日本人のサービス、役務で支払うと言うことであれば、これは将来日本の経済発展にむしろプラスになると考えていた。それによって相手国に工場ができるとか、日本の機械が行くことになれば、修繕のため日本から部品が輸出される。工場を拡大する時には、同じ種類の器械がさらに日本から輸出される。従って、経済協力と言う形は、決して日本の損にはならない」(「季刊青丘」1993年夏号)と語っていたが、中川局長の予言とおり、国交正常化翌年の1966年から76年までの11年間 韓国の対日輸出は70億ドル、対日輸入は148億ドルと、2対1の貿易逆調となった。  日韓条約交渉は李承晩政権下の1952年からスタートしたが、韓国は1953年の第3回交渉で日本の植民地支配で被った損害補償として当初27億ドルを「対日財産請求権」という名目で要求していた。  しかし、日本が「韓国にある日本人の私的財産については十分に請求する権利がある」と「対韓請求権」を主張したことから相殺され、韓国は請求権を放棄せざるを得なかった。しかも、韓国が手にした無償資金(3億ドル)は要求額の9分の1に過ぎなかった。  当時、韓国は8項目にわたる膨大な請求権とは別途に日韓会談の一環として開かれていた一般請求権小委員会で強制徴用された労務者66万7千684名と軍人・軍属36万5千名、併せて103万2千684名と見積もり、生存者に対し一人当たり200ドル、死亡者に対して一人当たり1千650ドル、負傷者に対して一人当たり2千ドル、総計で3億6千400万ドルの補償を要求していた。  対日請求権を放棄するなど韓国が大幅に譲歩、妥協したのは、軍事クーデターで政権の座に就いた朴正煕大統領にとって政権維持のための資金と経済再建5か年計画を進める上で日本からの資金を緊急に要していたことに尽きる。  朴正煕大統領がいかに焦っていたかは、クーデターを起こし、政権を掌握した翌年の1961年6月1日、外国人記者招待パーティーの席上で、「日本人は過去を謝罪し、より以上の誠意で(日韓会談)に臨むべきか」との質問に「そういうことは今の時代に通用しない。昔のことは水に流して国交を正常化するのが賢明だと考えている」と答えていたことでもわかる。  対日請求権を放棄したことで国民から突き上げられた朴正煕政権は日韓協定から6年後に被害者に補償することとしたが、対象は「日本軍によって軍人・軍属あるいは労務者として招集あるいは徴用され、1945年8月以前に死亡した者」の遺族に限られた。生存している戦傷者、強制連行者、被爆者、サハリン残留者、従軍慰安婦、BC級戦犯などは除外されてしまった。  その後、判明したことだが、日本が投じた5億ドルのうち、主たる援助先の農林や水産部門には6千670万ドル(13.3%)しか回らず、対照的に朴正煕大統領の出身地でもあり、選挙地盤の慶尚北道の浦項(ポハン)総合製鉄所建設には1億千948万ドル(23.9%)がつぎ込まれ、この製鉄所工場に支援する建材の入札をめぐっては日本企業が対米価格よりも高く売りつけ、水増しした額の一部がリベートとして朴政権の懐に入ることとなった。  日韓協定に基づいて日本から10年間にわたって投じられた総額5億ドルの資金はその一部が金大中野党候補と一騎打ちとなった大統領選(1971年)用に流用されたとの疑惑を持たれるなど使途をめぐっては不透明な部分が多く、「日韓癒着」という言葉が「流行語」となった。  従軍慰安婦問題は朴槿恵大統領の父親である朴正煕大統領が国交正常化時に日本から得た経済協力金を慰安婦ら被害者らに宛がわず、放置したことによる「負の遺産」でもある。ならば、朴槿恵大統領はまずは、慰安婦を切り捨ててしまった父親の過ちを正すべきである。(Yahoo!ニュース個人 2014年1月10日より転載)

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    朴槿恵政権を「親日」と見る早計

    加瀬英明(評論家)呉善花(拓殖大学教授)加瀬 日韓国交回復をしたのは安倍さんのおじい様の岸信介首相でした。朴正熙大統領の時代ですね。アメリカはアイゼンハワー政権だったのですが、李承晩が過激な反日だったため、冷戦下で日本と韓国の仲が悪いので困っていたんです。ですから、日韓国交回復を、ドイツのアデナウワー首相とフランスのドゴール大統領の歴史的和解のアジア版だと言って、大喜びした。 今もアメリカは、日韓の不仲に悩んでいますが(笑)、今度こそ岸さんのお孫さんと朴大統領のお嬢さんが、歴史的和解をしてほしいと思っているんですね。 岸さんから晩年お伺いしたのですが、朴大統領は日本語が大変お上手で、宴会のときに、「私はパクパク食べるからパクなんです」といって皆を笑わせた(笑)。呉 朴大統領は日本の陸軍士官学校を出ていますからね。韓国の戦後の軍事制度も、日本のシステムを導入しているんです。 朴大統領について、日本人は独裁政権のイメージと、日韓国交回復させたことで、あたかも親日家であるかのような、二つのイメージがありますよね。加瀬 日本で、朴さんのことを「独裁者でけしからん」と言っているのは朝日新聞などの、左派の人たちで、保守側は総じていい印象をもっています。朴政権が反日教育をした呉 日本人は、韓国の「悪いところを見たくない」というイメージがあると思います。だから、朴大統領に関しても、親日家的側面しか見ていません。彼は個人的には日本が好きでしょうが、一番強烈な反日教育を行った張本人なんですよ。加瀬 朴大統領の演説集には「李朝があまりにも腐敗して、国家の体をなしていなかったから日韓併合につながった」とありますよ。呉 表向きはそう言いますが、朴大統領が反日教育をしたツケが今の韓国人なんですから。加瀬 でも、反日教育は李承晩政権のときからですよね。呉 李承晩のころは根深いものではなかったんですが、朴大統領のときに徹底した反日教育をやってしまった。朴槿恵は、その反日教育を受けた世代です。加瀬 お母さんの陸英修夫人も日本の女学校を出ているでしょう。呉 にもかかわらず、反日教育をしたんです。朴槿恵の主張からすると、親がどうであれ、反日感情のレベルは普通の韓国人と同じです。 竹島問題に関しても「日本側が正しい認識をもってほしい」と言っています。これは他の歴史認識同様、あくまでも韓国の考え方が正しいものであって、日本側は誤っているという解釈です。日本の朴槿恵政権に対する認識は甘すぎます。加瀬 本人の内心はともあれ、韓国世論があるからそう言わなければならないということですか。呉 というよりは、骨がらみ反日教育で育った世代だということです。 これは李明博大統領も同じです。彼が日本で生まれたというだけで、幻想を持っている。ところが、反日教育を受けた一般の韓国人となんら違う考えを持っていない。判断力がないんです。ですから、今の反日教育世代からずば抜けた日本人観をもった人が出てくるのは極めて難しいですよ。安倍首相は「shameful」?加瀬 さきの総選挙の投票日にワシントンにいて、固唾を飲んでみていたら安倍自民党が圧勝したので安心したんです。その直後にニューヨークタイムズが「今度の安倍首相は河野談話の見直しを行うということを言っている」と社説で論じ、そのタイトルが「shameful」=「恥知らず」の考え方、というものでした。呉 安倍さんに対してそんな失礼なこと言っているんですか。加瀬 「韓国の若い女性を無理に性奴隷に仕立て上げた罪を否定するとはshamefulだ」と言っているんです。日本専門家のマイケル・グリーンは、「首相が靖國神社に参拝しても理解できるだろう。しかし、河野談話を否定するとなると、上下両院、地方議会などで大変な反発を招くだろう」と言っていました。今月もニューヨーク・タイムズで「村山談話を否定するならば、日本は中国・韓国をはじめとするアジア諸国を侵略した罪を否定する、大変ひどいことだ」と書いていた。呉 それは、日本と韓国の教育が作り上げた結果でしょう。加瀬 日本も韓国と同じように「日本がひどいことをした」という妄想に囚われています。 でも、安倍さんを「shameful」と批判する三カ月くらい前のニューヨーク・タイムズは「韓国は売春大国だ」と書いていた(笑)。呉 世界でワースト1ですから(笑)。加瀬 それに、韓国では賃金の大きな差がありますね。呉 良い大学を出ても就職できない。まともな会社に就職しようと思ったら、選ぶべき大学はおのずと絞られてしまいます。だから受験競争が激しくなる。韓国では″知=学歴〟が一番大切ですからね。加瀬 儒教の影響ですね。しかし、世界にはニューヨーク・タイムズのような認識をもっている人たちはたくさんいる。呉 それをこれからどのように正していくかが大きな政治的テーマでしょう。安倍政権は、それを期待されてこれだけ圧勝したわけです。しかも、安倍総理は力強く出ていますからね。加瀬 韓国の妄想につける薬はまったくないと思いますが(笑)。呉 少なくとも、「朴槿恵が親日」という妄想だけは、早く壊さないと危ない。加瀬 朴大統領が軍事クーデターを起こしたときに参加した金鍾泌さんとはたいへん親しくさせていただいたんです。彼も日本語を話すのが大好きで、親日でした。「漢江の奇跡」は日本の援助「漢江の奇跡」は日本の援助呉 朴大統領やその周りの方々は親日でも、戦後の「漢江の奇跡」は日本からの援助によってなされたものだと発表していない。ソウル市街と、街の中心を東西に流れる漢江 私は新日鉄の会長だった有賀敏彦さんとは親しくさせていただいたんですが、新日鉄は韓国のポハン製鉄に技術提供をし、韓国の地下鉄などに多大な貢献をしているんです。そのため、韓国の青瓦台の大統領官邸に呼ばれ、賞をいただいたそうです。しかし、賞を頂くのに〝個室〟で誰にも知らせないでたった一人でもらったという(笑)。 ウラでは、評価しているし、援助に対する感謝の気持ちもあるけれど、国民どころかまわりの官僚にも言わない。このようにして、徹底した反日教育を行ったことの結果が表れているんです。加瀬 日本語が得意で、日本が好きだった方に「なぜ反日教育を行ってきたのか。同じような状況だった台湾は親日であるのに、なぜ韓国は違うのか」と聞いたことがあるんです。すると、「日本が悪い」と──。「日本が戦争に負けたから悪くて、あと十五年、つまり五十年間日本が統治していたら、台湾に負けない親日になっていただろう」と言われたことがあります。 それにもかかわらず、どうして朴政権は反日政策を施したのでしょうか。呉 私も不思議でならないんです。朴大統領は、韓国人は朝鮮時代に腐敗したどうしようもない国民性を持っていることは知ってらっしゃるんです。『人間改造の民俗的課題 韓民族の進むべき道』で韓国朝鮮民族のどうしようもないところを指摘して、変えるべきだと言っています。例えば、特殊特権意識。これは韓国人はすごく強い。お金がある、学閥や門閥が優れているということに対しての執着が強いんです。民族の共同利益と繁栄を阻害していると指摘しています。もう一つは過去の国家政策のすべてが歪曲されていること。自党の利益のためだけに政策が実施されてきたと言っています。加瀬 今の韓国そのものですね。呉 李承晩政権の反日教育はわずかな期間でしかないし、全国民が教育を受けられるような環境でもなかった。朴大統領は、あれだけの力を持っていたのですから、反日教育を変えることが出来たはずなのに、むしろ徹底した反日路線を継承してしまった。加瀬 李朝五百年の間に何も誇れることがないから、反日を韓国の愛国心の柱にするしかなかったんですね。呉 これまでもお話ししてきたように、漢字廃止とハングル礼賛、そして反日ですね。加瀬 朴正熙大統領は強硬な反日政策をとったにもかかわらず、盧武鉉政権のときには日本の士官学校を出たというだけで、親日というレッテルを貼られてしまいましたね。呉 それは朴槿恵に対する牽制です。親日派の娘ということで潰したかったんです。加瀬 朴政権の頃の韓国によく通いましたが、政府の方、国会議員、学者も親日ぶりを披露ばかりするもので、反日のムードがあることに全然気がつきませんでした。呉 トップの方たちはそうかもしれませんが、一般では反日ムードが強く、日本人たちは韓国に行くのが怖かったと聞いています。加瀬 全斗煥時代からではなくて?呉 私が日本に来たのは全斗煥時代でしたけど、そのときにはすでに反日教育を受けていましたから。日本人観光客を見ると学生たちは指差して揶揄したり……。 むしろ、今の方が落ち着いている気がします。何が何でも反日というのではなくて竹島や慰安婦というキーワードに反応し、それも全国民が立ちあがるのではなく、一部の団体が騒いでいるのが現状です。鳥もネズミも知らない内に加瀬 従軍慰安婦問題に火をつけたのは朝日新聞です。呉 ええ。昔は個別の問題で騒ぐのではなく、〝漠然とした〟反日でした。私が日本に来た頃は、韓国からの留学生たちが集まると、とにかく反日的な言い方をしないと韓国人ではないという扱いを受けました。私も当時は凄かったんですよ(笑)。加瀬 おや、どのようなことをおっしゃっていたんですか。呉 「日本人は血も涙もない国民だ」とか(笑)。加瀬 それから二十五年経って、韓国の現状はどうですか。呉 変わってない(笑)。ただ、今は行き来する人が増えたので、実は昔ほど根深いものではないという印象ですね。 最初に本を書いたころは、親日的なことは書けない時代でした。韓国には「鳥もネズミも知らない内に」という言葉があって、夜行性のネズミも知らない内に拉致されて、どうなるか分からない……。それくらい朴政権というのは怖いという印象があった。加瀬 韓国人で面白いのは、反日を言いつつも、日本製品が大好きですよね。女性なら化粧品、男性なら電化製品……。イスラエルはユダヤ人ですから、ホロコーストをやったドイツ人が大嫌いです。だからドイツ製品も、ベートーベンも一切だめ。でも、韓国は違いますね。日本が大好きという一面もある。呉 消費社会はいいんです。でも、漠然とした日本というもの、国家となると拒否反応が出るんですよ。加瀬 最近、韓国では日本の居酒屋が流行っているそうです。日本酒もブームだとか。ビールは「アサヒビール」が若い人には好まれているようですね。呉 「サケ」という言葉が特許を取っているくらいです。韓国人にとって、「酒」というのは最高級品です。加瀬 この二重人格というか、複雑な日本観は何とも不思議ですね。呉 感情的なんですよ。イスラエルのように、〝理性的に〟排除することはせず、矛盾した二つの日本観が同居しているのが韓国なんです。加瀬 日本人をいい奴だと思っているんでしょう、「いい奴がつくっているならいい国だ」ということにはならないんですか。呉 一般の韓国人にそんなまともな冷静さはありません(笑)。 この感覚を知らなければ、韓国人とはまともに付き合えないと思います。たとえ父親が日本の学校を出ていたとしても、この感覚で育ってきた朴槿恵に期待しすぎたら痛い目を見ますよ。本質を知る気がないのなら、中途半端な韓国との付き合いはやめるべきです。加瀬 分裂症みたいですよね。呉 そうですね。加瀬 中国には逆らいませんが、それも国民性というか、二千年のDNAなんでしょうね。呉 中国人にも韓国人にも共通している点なんですが、上から物事を見たい。見下したいんです。さきに公明党代表が中国で習近平に会いましたね。その時の態度が、まさしくそれを表しています。日本人はお辞儀をするけれど、彼らはしません。韓国でもお辞儀は下位のものが深く、上位者は軽く頭を下げる程度です。 李朝時代、朱子学一本でピラミッド型の国づくりを進めていきました。次第にそれが家庭生活まで貫くようになり、一つの乱れもない階級社会が出来てしまった。これが結局は戦後、韓国人が唯一の価値観で動くことに繫がっています。完璧なたった一つの真理が貫いている北朝鮮を理想とする若者がいるのも、硬直した価値観があるからなんです。その価値観に当てはめると、韓国と日本は……。加瀬 両班と常民の関係ですね。日本人はいつも「すみません」と深々と頭を下げているからね。呉 外交はパフォーマンスですから、非常に大切なわけです。日本人は謙虚な気持ちの表れで、上に行けばいくほど深くお辞儀をする。韓国人からしてみると、深く、もしくは何度もぺこぺこするのは、卑屈に見えて仕方がない。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざは、日本だけで通じる美学だと考えた方がいいのです(笑)。加瀬 なるほど。韓国では一度しかお辞儀をしないんですよね。複数回するのは死んだ人にだけです。ましてや、慰安婦問題のように事実でないことについて何度もおわびをするというのは、本当に卑屈なことですね。呉 「ほら、自分で認めたじゃないか」ということになってしまいます。「もっとよこせ」と要求するもっとよこせ加瀬 河野談話については、石原信雄官房副長官というキャリアのお役人が「韓国人女性を強制的に拉致してきて慰安婦にしたということを日本が一回認めれば、もう二度と言いませんから」という韓国側の主張を信じて、上役の河野官房長官に談話を発表させたんです。いまでは「私はだまされた」と言っていますが……。呉 日本人は「謝ったほうが勝ちだ」というような自分たちの価値観で勝手に判断したんです。中国は「謝ったら終わり」でしょう(笑)。加瀬 韓国人にとって「負けるが勝ち」というのは理解出来ない言葉だそうですね。呉 ないですよ! 「勝てば官軍」です!加瀬 中国の人に同じ質問をしたら、「そんな発想はまったく中国にない」と言われました。呉 ″助ける〟ということもそうです。なにかあった時に助けるということになったとしますよね。余計な助けは、逆に良くないんです。 韓国人の性格がそうなんですが、助けてもらうということは、「私」に力があるからということになる。助けてもらうのではなく、「あなたが助けてくれるべきでしょう」と。加瀬 計算をして、後に得をするために、援助をしたと解釈するんですか。呉 というよりも、「私にそれだけの価値があるから、私を助けてくれる。だから私を助けなさい」という発想なんです。それが受ける側の価値になる。 経済的援助を例にすると、小さな金額で助けてもらうと「私の価値をこれだけしか判断できないのか」とものすごく怒るんです。それで「もっとよこせ」と要求する。たくさん相手に助けてもらえるということは、その人の力と判断されるんです。加瀬 日本が日韓条約で大変な金額をあげたんですよね。ところが今は全然感謝されない(笑)。呉 「そんなのはハシタ金にすぎない、足りない。もっとよこしなさい!」と(笑)。加瀬 いまの中国の発展は、日本のODAのおかげですよ。「日中友好は大切だから」と一番初めに中国に進出したのは松下。今回の反日暴動で一番初めに襲撃を受けたのは、パナソニックの工場なんですよ。日本では「どうして恩を仇で返すのか」とキョトンとしているけれど、これと同じ話ですね。呉 ありがたいという気持ちがないんです。助ければ助けるほど、「それくらいしか私の価値を認めないのか」と怒り狂って、「もっとよこせ!」と要求するんです。こういうことで存在意義をアピールする。国家間も、普通の人間関係も同じです。働くことは卑しい加瀬 韓国では、食堂や料亭では、常連から高くとるんですよね。「よく来るから、高くとってもいいだろう」という発想です。日本だと、常連さんには安くする。呉 そうですよね。「ありがたい」という気持ちですね。 韓国の店は「常連としてくるということは、それだけこの店に価値があるからだ。だからもっと払え」となる。だから次はもっと高いお酒を出して(笑)。本当に日本人とは違うんです。加瀬 現金で払うと、常連客にはおつりをくれないんですよ(笑)。呉 もっと言うならば、「働かないでもタダでもらえる」ということもその人の力だと考えるんです。日本人にとっては、タダで誰かからお金をもらって生活するなんて、みっともないことでしょう。 韓国では、どうすれば働かなくても助けてもらえるかがその人の力なんです。「私に〝徳〟があるからみんな持ってくるんだ」という発想につながるんです。生まれつき、あるいは先祖から受け継いだ徳に対する対価と考える。だから、汗水たらして働くというのは、不幸なことなんですよ。 この間、韓国人と会って「あれ?」と思ったことがあったんです。手先が器用で才能がある人は日本ではどう評価しますか。加瀬 「匠」として尊敬され、高く評価を受けますよね。呉 韓国では、器用な人は不幸になると言われているんです。色々な仕事が出来てしまいますから、たくさん働かなくてはならない。加瀬 要するに、働くことは卑しいことなんですよね。呉 この前、韓国人が私の家に来たんです。「これもあれも私が作ったのよ」と言ったら「器用ですね」と誉めてくれたんです。嬉しいなと思ったら、そのあと「昔から器用な人は不幸な運命の持主だと言われるけど」って(笑)。そんなことを言われて、本当にがっかりして……。加瀬 両班は自分の手の届くところにあるものしかとらないというし、馬に乗るのも、従者に腰を高く持ちあげてもらうんですよ。自分の力は使わない。 日韓併合のときの日本の調査で、両班は五〇パーセントだった。明治に入ったときの士分は八パーセント以下。韓国では働かない両班がどんどん増えていって、国が潰れてしまったんです。日本は武士だって畑を耕しました。呉 働かなくても食べていけることが幸せ。今でも、そういう人は幸せの象徴なんです。このような国民の精神性が、国家間の外交問題にすごく表れているんです。 汗水たらして働くことを美徳としている日本人は、〝低い〟人たちと判断される。だから、日本人に働かせて、お金を稼がせて、それを韓国人が使うべきなんだという発想です。加瀬 不当な生活保護受給者みたいですよね。呉 韓国の牧師さんの説教があったんです。「キリスト教を信じなければ、日本は滅びる。その証拠に、汗水たらして働いているのに、日本人が住んでいるのはウサギ小屋ではないか。日本人はお金を稼ぐが、それを使っているのは、クリスチャンであるアメリカ人ではないか。日本人は呪われている奴隷である」と言っていたんです。 これに象徴的に表れていますよね。日本人はお金を持っていても、使うのが下手だから、韓国人が使ってあげなくてはならないという感覚はものすごく強いんです。これに対する罪の意識はありません。むしろ、韓国人が使ってあげないと日本人がダメになるという発想です(笑)。加瀬 ハハハ、ありがとうございます(笑)。カムサハムニダ!!かせ・ひであき 1936年、東京都生まれ。慶應大学経済学部卒業後、エール大学、コロンビア大学に学ぶ。『ブリタニカ国際大百科事典』初代編集長を経て、評論家として活動。映画『プライド 運命の瞬間』(98年)『ムルデカ 17805』(01年)の監修も担当した。海外での講演も多い。お・そんふぁ 1956年、韓国生まれ。拓殖大学国際学部教授。大東文化大学卒業後、東京外国語大学地域研究科修士課程修了。韓国時代に四年間の軍隊経験あり。東京外国語大学大学院時代に発表した『スカートの風』が大ベストセラーに。また『攘夷の韓国 開国の日本』で第5回山本七平賞受賞。著書『私はいかにして「日本信徒」となったか』『虚言と虚飾の国・韓国』(共にワック)など多数。 

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    「シェフとチーフ」韓国大統領は族長ナミ

    フランス語でシェフといえば、スマートでカッコよく聞こえますが、英語ならチーフ。ひところは「酋長」との訳語もあったのですが「未開を笑うのは差別的」とかでいまは「族長」の言いかえがフツーとか。

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    歴史清算は大統領の常套句…韓国で深化する「歴史の政治化」

    ロシアに挑んだ戦争である。ポーツマス講和会議に臨む小村寿太郎に対して首相桂太郎が与えた訓令の第一は「韓国ヲ全然我(ワガ)自由処分ニ委(マカ)スルコトヲ露国ニ約諾セシムルコト」であった。 明治日本にとって朝鮮は、いかなる犠牲を払ってでも第三国に優越的支配を許すことのできない生命線であり、幾多の経緯を辿(たど)って明治43年の韓国併合に至った。併合は第二次大戦における日本の敗北までの36年間に及んだ。 現代の国際法の通念からすれば他国の「自由処分」など許されるはずもないが、骨肉相食(は)む帝国主義の時代にあっては併合以外に選択肢はなかった。韓国併合は清露はもとより、日英同盟下の英国、桂・タフト協定下の米国によって幾重もの国際的な承認を得ており、併合を妨げるものは何もなかった。桂・タフト協定とは、米国のフィリピン領有と日本の韓国における優越的支配権とを相互に認め合った協定である。 併合によって韓国の経済社会の近代化の幕が開(あ)いた。もっとも、このことは結果論であって併合の正当性を証すものではない。重要なことは韓国人の誰もが語りたがらない次の事実にある。常套句である「歴史清算」 併合により日本に頼るしか韓国の近代化はありえないと考える李容九(イ・ヨング)、宋秉●(ソン・ビョンジュン)などを指導者とする「一進会」の存在であり、韓国統監府の資料によれば参加者は14万人、実際には数十万人に及ぶ往時の韓国最大の社会集団であった。 自立の気概なき李朝末期の朝鮮にあって近代化への唯一の道は、外国の影響圏に入るより他なしとみなす集団が一大勢力となったのである。朝鮮近代史学の泰斗グレゴリー・ヘンダーソンは、一進会を「自民族に対して行われた反民族的大衆運動」だと皮肉な表現を用い、これを世界の政治史においては稀(まれ)なる事例だとして高い評価を与えている。日韓基本条約の調印式。左から金首席代表、李東元外相、椎名悦三郎外相、高杉晋一首席代表 =東京都千代田区永田町の首相官邸大ホール 1965年6月22日撮影 今年は1965年の「日韓基本条約」から50年である。51年に始まり条約締結に至る超長期の国交正常化交渉は難渋をきわめたが、最終的には朴正煕大統領の英断により、日本が韓国に3億ドルの無償資金と2億ドルの低利借款を供与することをもって韓国の日本に対する請求権の問題の一切が「完全かつ最終的に解決する」とされた。 当時の韓国の国家予算は3億5千万ドルであった。日本統治時代の物的・制度的・人的インフラにこの厖大(ぼうだい)な資金が加わって、「漢江の奇跡」が展開された。韓国は重化学工業部門とハイテク部門を擁する新興産業国家として急進し、ついには先進国の一員として登場したのである。 その一方で、慰安婦問題を中心に猛烈な反日運動が始まり、元慰安婦の対日請求権を韓国政府が放棄することは違憲だとする憲法裁判所の判決までが出された。その他にも、日本統治時代の対日協力者子孫の財産没収を求める法案の国会成立、日本企業の元徴用工への賠償金支払いを命じる最高裁判所判決などが相次いだ。「歴史の政治化」というべきか。韓国の反日は国家の制度の中に組み込まれようとしている。「歴史清算」は大統領の常套(じょうとう)句でもある。反日は永続的なものなのか 韓国においては、時代が新しくなるほど遠い過去の記憶がより鮮明に甦(よみがえ)りつつある。日本統治時代に発展基盤を整え、日韓基本条約を経て近代化の資金を日本から手にし大いなる発展を遂げたという「過去」は、いかにも居心地が悪い。「歴史清算」により日本の「悪」を糾弾し、もって今日を築いたのは韓国自身の手による以外の何ものでもないという国民意識を形成しなければ、自らの正統性を訴えることができないという深層心理なのであろう。 何より大韓民国の建国自体が、民族独立闘争とは無縁のものであった。第二次大戦で日本が敗北したことにより、3年間の米軍による軍政期を経て転がり込んだ独立なのである。誇るに足る建国の物語はここにはない。一人前の国家になったればこそ、自国の胡乱(うろん)な成り立ちが耐え難いという感覚を噴出させているのである。 北朝鮮の成立に建国の正統性を求める「従北派」が韓国内で大きな勢力を張りつつあるのも、そのゆえである。韓国の反日は永続的なものなのかと、私は慨嘆する。(わたなべ としお)●=田へんに俊のつくり.

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    悪業と非道──李承晩大統領は蛮族の酋長

    本の心をつたえる会代表) 二〇一二年の李明博大統領の竹島不法入国や陛下に対する侮辱発言をはじめとする韓国の非道ぶりに腹をたてている方も多いかと思います。 けれど実は、韓国の対日侮辱はいまに始まったことではありません。 もともと韓国は、五百年もの間支那の属国だった国です。 国内に産業らしい産業はなく、国は貧しく国民は飢え、その劣悪な環境から、平均寿命は二十四、五歳。主な輸出品目は、支那に献上する女性だけ。国内では両班と呼ばれる貴族が横暴の限りをつくしていた。ひらたくいったら未開の野蛮国です。 ところがいまから百年ほど前、支那の清王朝が滅びました。韓国は封主を失ったのです。 一方でお隣の日本は、日清日露の大戦に勝利して世界の一等国の仲間入りを果たしました。韓国は手のひらをかえして日本にすり寄りました。支那の属国ではなく、日本の属国となろうとしたわけです。けれどそれは日本にとって、何のメリットもない提案でした。 日本の韓国併合について、支那やロシアの脅威に対抗するための軍事的理由をあげる人がいます。 が、それは間違いです。 かつてのヨーロッパ諸国にとってのアフリカや東南アジア諸国、あるいはかつて戦った日米にとっての太平洋の島々と同様、当時の列強というのは、軍事的必要があれば勝手にそこを通過し、軍事施設を作りました。つまり国家というのは、世界に認められた一部の強国を指し、それ以外は「未開の蛮族の生息する地域」とみなされたのです。日本もそのようにみなされるところを、あと一歩のところで近代国家の仲間入りをはたし、韓国は名前こそ「大韓帝国」といさましくしたけれど、国際的には「蛮族が生息する地域」としてしかみなされないエリアだったのです。 日本は、日清日露の戦争においても、朝鮮半島に一方的に軍を進めていますし、軍の施設を置いています。韓国の都合に関わりなく、日本にとってその都合があったからです。軍事的には、併合する意味などまるでありません。「属国になりたい」伊藤博文は韓国属国化に反対したために韓国人に狙われた ところが、日本が韓国の「属国にしてほしい」という要求を拒否すると、韓国はびっくりするような挙にでます。何をしたかというと、属国拒否の中心人物であった伊藤博文を暗殺してしまったのです。そして殺害の翌月には、「韓国は日本と『対等に』合邦して新たな帝国を築く」というとんでもない声明を世界に向けて発表しました。 このことは、当時の世界にあって大爆笑の「珍事」でした。世界の一等国として英国とさえ対等な同盟関係にある列強の日本が、国とさえ認識されていない「未開の蛮族」から「対等な」合邦を言い出されたのです。 世界列強諸国は、日本に「隣にあるのだから、すこしは蛮族の面倒をみてやったらどうだ」と言い出しました。この結果行われたのが、明治四十三年(一九一〇)八月の日韓併合です。要するに当時の国際外交(未開の蛮国は含まれません)にあって、日本は朝鮮半島の面倒を見ざるを得なくなってしまったのです。文献史料によっては「日本が韓国を併合して良いか列強諸国に聞いて回った」としているものがありますが、事実はまるで反対です。日韓併合 日本は困り果てました。平素から人種の平等を唱える日本が、隣にある「未開の蛮族」を押し付けられたのです。欧米のように奴隷支配するなら話は簡単ですが、それをしたら日本の主張する「人種の平等」は噓になってしまいます。であれば、併合し蛮族を教育して近代国家人に仕立て直すしかない。そうすることで有色人種も人であることを立証するしかなくなったのです。 結果日本は、韓国を併合しました。以後三十六年間にわたって、莫大な国費と人材を朝鮮半島に投下し続けました。 おかげで朝鮮半島では、八つあった言語がひとつに統一され、数校しかなかった小学校は五千二百校になり、それまで教育を受けたことなどなかった人々を二百三十九万人も無料で就学させ、名前のなかった女性に名前をつけ、戸籍をつくり、住民台帳を整備し、道路をつくり、橋を架け、鉄道を敷設し、上下水道を整備し、路上大便があたりまえだったのをトイレでさせ、病院をつくり、電気を敷き、ビルを建て、半島内に古くからある不条理な刑罰や牢獄を廃止するなど、可能な限りの誠意と力を尽くして韓半島の近代化を押し進めたのです。韓国の人口は二倍に増えています。 もっとも日本が統治をはじめた当初には、抵抗運動もあるにはありました。ある地元の宗教団体が、民衆を煽動して「日本による搾取を許すな!」と宣伝し、民衆が蜂起したのです。しかし、民衆のあいだに日本統治による治安や、なにより「臭気のない清潔な暮らし」が徐々に浸透すると、抗日運動も自然と沈静化していきました。そして朝鮮半島は、すくなくとも表向きは、蛮族ではなく、近代国家の人士の体裁を整えるようになっていったのです。李承晩の帰国朝鮮戦争時、金浦空軍基地に到着したマッカーサー将軍を出迎える李承晩 ところが、こうした日本の努力がまだ実りきらないうちに、大東亜戦争で日本が負け、朝鮮半島から去ることになったのです。 朝鮮半島には、新たな統治者として米軍が上陸しました。そして米軍と一緒にやってきたのが、米国内で李氏朝鮮王朝時代を東洋の天国のように崇拝し宣伝していた李承晩でした。 李承晩は日本が韓国を併合した当時、上海で「大韓民国臨時政府」を作って、その大総理におさまっていた人物です。ところが、「臨時政府」どころか韓国を独立国でなく、国際連盟の「委任統治領」にしてくれと李承晩が米国に依頼したことがバレてしまいます。これは韓国を米国の植民地にするということです。臨時政府のメンバーにこのことを糾弾された李承晩は、ひそかに上海から逃亡し、米国に渡りました。 そして米国内で李承晩は、李氏朝鮮時代をまるでファンタジックなおとぎ話のように賛美する作り話を英文にしてあちこちに寄稿し、たまたまこれが対日戦争を仕掛けようとする米国の意向に添ったことで、米国内で名前と顔が売れていきました。 もっとも、米国内でそれなりの政治家との繫がりをもったとはいえ、韓半島に帰還した李承晩には、半島内での人脈も政治活動のための資金力もありません。これに目をつけたのが日本とのパイプで力をつけていた湖南財閥で、旧統治者であった日本がいなくなると、財閥としての力を失わないために米国内に顔がきく李承晩の支援を申し出たのです。これによって李承晩は、湖南財閥の資金力と国内人脈を手に入れ、ついに昭和二十三年(一九四八)八月、大韓民国(いまの韓国)が建国され、初代大統領に就任したのです。 大統領に就任した李承晩が大統領として最初にやった仕事が、「親日派の抹殺」でした。彼は公の場で「日本統治時代はよかった」「今の政府は駄目だ」などと発言した者を片端から政治犯として逮捕投獄したのです。収監した者に対しては、日本が統治するようになってから禁止したはずの李氏朝鮮時代の残酷な拷問道具を復活させてこれを用い、刑務所がいっぱいになると、入獄の古い者から次々と裁判もなしで殺害しています。まるで蛮族の酋長ですが、おかげで李承晩が初代大統領に就任してからたった二年で、政治犯として投獄された囚人数は、日本が朝鮮を統治した三十六年間の投獄者の総数をはるかに上回っています。対馬、竹島領有宣言 李承晩が次にした仕事が昭和二十四年(一九四九)の「対馬領有宣言」です。李承晩ライン これは例えていえば、建国したてのアフリカの某国の酋長がいきなりカリフォルニアは我が領土と言い出したようなものです。これまた世界からみれば、ただの笑い話ですが、韓国国内には、たいへんな衝撃がありました。かつての封主国の領土を「我が領土」と一方的に宣言したわけです。権威あるものを貶めることに快感を覚える人というのは、世の中に少なからずいるもので、新国家建設でナショナリズムにわく韓国民の一部は、このニュースは実に気宇壮大な誇り高いものに思えたのです。 調子に乗った李承晩は、宣言だけでなく、こんどは日本に対する竹島の返還請求まで行ないました。李承晩ラインの設定より三年も前のことです。 とはいえ、韓国内には衝撃を与えたこれらの発言は、当時韓国を占領していた米軍にとっても、米国本国政府にとっても、また日本にとっても、何の関心もひかないものでした。ただのポーズであり、相手にする必要ナシと判断されたからです。言っただけで何かできるだけの実力は、当時の李承晩にはまだありませんでした。 その李承晩は、反日だけに凝り固まっていたわけではありません。同時に共産党も頭から嫌っていました。李承晩のこのあまりの反共ぶりに危機感を募らせた金日成は、ソ連と謀り、ソ連から武器と資金の供給を受けて朝鮮半島北部に日本が築いた工業地帯を軍事制圧してしまいました。 これは韓国にとっては一大事です。朝鮮半島の富の源泉を共産党金日成軍閥に奪われたのですから。そして財力を身に付けた金日成は、昭和二十五年(一九五〇)六月、ソ連製の強力な戦車隊と、十一万の陸兵をもって、ソウルを急襲します。朝鮮戦争の勃発です。 そもそも朝鮮戦争というのは、実はしなくて済んだ戦争です。なぜなら昭和二十年の終戦直後に朝鮮半島では、もとの朝鮮総督府の呂運亨らが中心となって「朝鮮人民共和国」建国が宣言されていたのです。この「朝鮮人民共和国」には、後に朝鮮半島を二分する勢力となる金日成も新政府メンバーとして参列していました。つまり、共産党もそれ以外の政党も、まずはひとつの統一朝鮮としての新国家建国を目指していたのです。 もしこれが成功していたら、他の国々同様、政権内部での言論戦は多々あったろうし、局地的デモによる逮捕者などはあったかもしれないけれど、国を分けての戦争など起こっていません。 しかしこの「朝鮮人民共和国」は、建国宣言の翌日には、上陸してきた米軍によって潰されてしまいました。米国にいた李承晩が、米政治家を動かし「共産主義者が一緒にいる統一政権は建国を少し見合わせて、先に実態調査をした方がいい」ということになったからです。 結局、「朝鮮人民共和国」建国は見送られ、李承晩が新たに建国した大韓民国の初代大統領に就任したのですが、そのことがきっかけとなり、北の金日成が決起して朝鮮戦争に至っています。つまり、朝鮮戦争を導いた最大の原因は、李承晩の存在そのものにあったということです。サンフランシスコ講和条約 朝鮮戦争による死傷者数がどれほどのものであったか。死傷者は韓国軍二十万。他に米軍十四万、その他連合軍二十二万、北朝鮮軍二十九万、中共軍四十五万が死傷しています。さらに民間人は韓国百三十三万、北朝鮮二百五十万人が殺害されたとされています。たった三年間の、しかも朝鮮半島内という局地で行われた戦争で、南北合わせて五百万人を超える死傷者が出ています。いかに朝鮮戦争が悲惨で酷い戦争だったかということです。ちなみにこの戦争で米軍が投下した爆弾の総重量は約六十万トン。これは大東亜戦争で日本に投下された爆弾の約四倍です。 それだけ悲惨だった朝鮮戦争ですが、この戦争が行われた期間は、昭和二十五年六月から昭和二十八年七月までです。 そして、この戦争のまっただなかに行われたのが、サンフランシスコ講和条約による日本の主権回復でした。 この条約は昭和二十六年に締結され、昭和二十七年四月に発効しています。これが何を意味するか。時期を考えれば答えは簡単に見えてきます。それは悲惨さの増す朝鮮戦争に、日本を狩り出そうという意図です。米国も財政面では、日本との戦争ですでに逼迫したものとなっていました。そこへ重ねて朝鮮戦争が起こったのです。多くの米国民は、もうすでに戦争に倦んでいました。なぜわざわざアジアまで出かけていって米国民が命を落とさなければならないのか。そんなことをしなくても、日本に再軍備させて、朝鮮の対応をさせればよいではないか、というわけです。 ところがそうなると困るのは李承晩です。なぜなら李承晩にとっては、もし日本が朝鮮戦争に参戦すれば、強兵をもって鳴る日本軍です。米軍とともにまたたく間に北朝鮮と中共軍を蹴散らして戦争を勝利に導くことは、火を見るよりも明らかです。現に同じ韓国兵でも、旧日本軍所属だった兵隊と、新たに登用した韓国兵では、実力の違いは天と地でした。もし日本が参戦し、日米で北朝鮮を駆逐すれば、今度は日本が戦勝国として再び朝鮮半島に還って来る。そうなれば、反日を煽り非道の数々を行ってきた李承晩は、一〇〇パーセント間違いなく政権を追われます。なんとかしてサンフランシスコ講和を潰したい。けれど李承晩には、サンフランシスコ講和に参加する資格がありません。なぜなら大東亜戦争に韓国は参戦していないからです。大東亜戦争の最中には、韓国は日本の一部であり、国でさえなかったのです。李承晩の貪欲ぶり李承晩の貪欲ぶり そこで李承晩は、サンフランシスコ講和そのものを邪魔するのではなく、日本と韓国の対立を深めることを画策します。 李承晩は、昭和二十六年(一九五一)七月、サンフランシスコ講和条約の草案を起草中の米国政府に対して「要望書」を提出しました。内容は、〈一〉日本の在朝鮮半島資産の韓国政府への移管〈二〉竹島、波浪島を韓国領とする そういう要求でした。 米国は驚きました。せっかく日本をなだめすかして朝鮮戦争を戦わせようとしている矢先に、肝心の韓国が日本との対立関係を故意にあおってきたのです。日本と韓国が対立関係になれば、日本が韓国のために出兵する可能性は、一〇〇パーセントなくなります。 米国は、翌月には李承晩に「在朝鮮半島の日本資産の移管については認める。それ以外の要求は一切認めない」というたいへん厳しい内容の書簡を発行しました。「ラスク書簡」です。そして、その一カ月後の昭和二十六年九月八日、日本との間にサンフランシスコ講和条約を締結したのです。隣接海洋に対する主権宣言韓国によって拿捕され、取り調べを受ける日本漁船の船員たち。1953年12月 ところが、講和条約締結にますます危機感を募らせた李承晩は、さらなる暴挙に出ました。昭和二十七年一月八日に、突然日本との国境を一方的に定めた「隣接海洋に対する主権宣言」を発表したのです。これが世に言う「李承晩ライン」です。 どう対策しようか迷う米国に対して李承晩は、同月二十七日、さらに追い打ちをかけます。「李承晩宣言韓国政府声明」を発表したのです。この声明で李承晩は、李承晩ラインは「国際法において確立された」と一方的に「国内だけで」宣言します。そんなことをすれば当然日本は怒る。怒れば日本は対北朝鮮戦争参加を拒否するにきまっています。そして日本が参戦しなければ、米軍の朝鮮戦争での損耗はますます激しくなります。 米国は、ここへきてようやく事態を重く考えました。そして「サンフランシスコ講和条約によって竹島は日本領である」「李承晩の一方的な宣言による李承晩ラインは国際法上違法である」と韓国政府に伝達します。 ところが李承晩はこの伝達を握りつぶし、対馬海峡上で操業する日本人漁船に銃撃を加え、船員を拿捕してしまいます。日本漁民への暴虐解放された日本人漁民。人間のすることとは思えない虐待を受けたことがまざまざとわかる 日本漁船拿捕にあたっては、韓国漁船を装った船で日本漁船に近づくという卑劣な手口も使いました。漁船で近づき日本語で「調子はどうですか」などとにこやかに声をかけたうえで、付近に船を待機させ、日本漁船が網の巻き上げ作業にはいったところ(つまり身動きがとれなくなったところ)を見計らって、警告なしに機関銃を乱射して日本人船員を殺害し、慌てて網を切り落として逃げ出そうとする日本漁船を追尾して、これを漁船ごと拿捕するという極めて卑劣な手口でした。軍事は当該国の軍服を着用して行うことというのが、国際法のルールです。 襲われた日本漁船はたいへんです。船内は血の海、怪我をした者は息があっても治療してもらえない。運良く生き残っても収容施設は六畳一間に三十人を押し込むという非道さです。食事は残飯、水も三十人で一日に桶一杯です。満員電車のような室内では、誰ひとり横になることもできず、トイレも行かせてもらえない。立ったまま室内に大小便垂れ流しという状態にされたのです。 取り調べと称して部屋から連れ出されるときは、もっと大変です。牢屋を出される瞬間に、殴る蹴るの暴行を受ける。ぐったりして抵抗できなくなったところで、ようやく取調室に連れ出されると、そこでまた殴る蹴るの暴行です。 結局、この李承晩ラインは、廃止となった昭和四十年(一九六五)六月まで、なんと十三年間も続きました。そしてこの間に韓国によって拿捕された日本漁船は、合計三百二十八隻、拿捕された者三千九百三十九人、殺害された者四十四人にのぼります。 写真は、ようやく解放されて帰国した日本人漁民です。ガリガリに痩せ細った体、腫れ上がった顔、焼けただれた頭皮、さらに全身が打撲と裂傷で紫色に変色しています。あまりにも酷い姿です。竹島占領 李承晩の非道はそれだけではありません。李承晩ラインによって、一方的に領海線を敷いた彼は、一緒に朝鮮戦争を戦ってくれている米軍にも内緒で、勝手に竹島に兵を入れ、これを軍事占領してしまっています。 もっとも、李承晩のこうした暴挙を、日本政府は上手に活用しています。すなわち韓国の日本に対する暴挙と、日本に与えられた〈日本は軍事力を持たない〉という占領憲法を盾に、朝鮮戦争への参戦を拒んだのです。 要するに、まだ大東亜戦争の傷跡の癒えない日本は、戦争に駆り出されるより、日本国内の復興を優先させたのです。また、韓国に拉致された被害者の漁船員たちについては、米軍に依頼して、そのつど日本への返還を要求し、船員たちをもらいうけています。このときの日本の動きは、結果として日本の朝鮮戦争参戦を拒否し、国内の復興を促進するという好ましい結果をもたらした反面、サンフランシスコ講和の時点で本来破棄すべき占領憲法(現・日本国憲法)を温存するというマイナス面を残して現在に至っています。 李承晩の暴挙によって、せっかくの日本の参戦を棒に振った米国は、あくまで北朝鮮との継続戦を望む李承晩を無視して、彼の頭越しに北朝鮮と休戦協定を結びます。これが昭和二十八年七月二十七日の出来事で、以来、朝鮮半島は北緯三十八度線を境に北と南に別れることとなりました。失脚 もっとも、この休戦を不服とした李承晩は、韓国内に収容した北朝鮮軍の捕虜を国内で何の脈絡もなく全員釈放して放逐するという暴挙を行っています。放逐された捕虜たちは韓国各地で事件を起こし、多くの韓国民に惨事を招いています。米国政府は、この李承晩の勝手な行動に猛抗議をしていますが、あとの祭りでした。李承晩の専横政治に民衆が蜂起、韓国全土に打倒デモが広がった こうして大統領というよりも、まさに暴君としての専制政治を行った李承晩でしたが、彼の専横政治がようやく倒れたのは、昭和三十五年(一九六〇)になってからのことです。韓国国内で民衆による李承晩打倒デモが起こったのです。 韓国全土に広がったこのデモは、百八十六人もの死者を出し、ついに駐韓米国大使のマカナギーが李承晩を訪れて、大統領を辞任しなければ、米国は対韓経済援助を中止するとまで宣言します。米国に見放された李承晩は「行政責任者の地位は去り、元首の地位だけにとどまる」と発言するのだけれど、これがまた韓国民衆の怒りを買い、民衆によってパゴダ公園にあった李承晩の銅像が引き倒され、韓国国会は全会一致で、李承晩の大統領即時辞任を要求するという事態に至っています。これによって、李承晩体制にようやく終止符がうたれます。そして李承晩は養子にとった息子まで自殺するなかで、ひとり米国に逃亡し、九十を越える歳までしぶとく生き延びました。 李承晩自身は失脚しますが、「李承晩ライン」は、その後も維持されました。これが廃止されたのは、昭和三十一年(一九五六)に軍事クーデターが起こり、韓国内に朴正熙大統領の新政権が誕生してからのことです。日本の陸軍士官学校を卒業し、親日家であった朴正熙大統領は、昭和四十年(一九六五)六月に日本との間で「日韓基本条約」を締結し、李承晩ラインを廃止しました。そして日本の経済援助を得て、韓国内の産業振興を図り、結果、韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる経済の大発展を遂げます。 ただ、この日韓基本条約において李承晩ラインは廃止となったものの、竹島については、当時の日韓両国において「争いの余地のない日本の領土」という認識のもとで、特段の取り決めがなされませんでした。このため、竹島はいまだに日韓の火種となってしまったのです。大統領=酋長なみ さて、私たち日本人は大統領という名前を聞くと、米大統領のような法治主義の代表者というイメージを持ちます。けれど韓国における大統領は、未開の蛮族酋長と同様、ある種の絶対権力者です。そしてその絶対権力者が、市民をあおり、反日侮日工作を行うわけです。昨今の李明博政権もその典型です。そしてその韓国の反日侮日の原点となっているのが、韓国の初代大統領李承晩なのです。李承晩はあわてて米国に亡命する(左から二人目)。左端は李承晩の亡命後、過渡的に大統領代行を務めた許政 ひとつ申し上げたいことがあります。李承晩は(いまの韓国もそうですが)、李氏朝鮮時代をまるである種の「理想国家」として描いています。その「理想国家」を打ち壊し破壊したのが日本だというわけです。けれど、この路線を敷いた李承晩は、その李氏朝鮮王朝について、何ら畏敬の念も尊敬の念も敬愛の情も持っていなかったことは、以下の事実が証明しています。 李承晩は、李氏朝鮮王朝の正当な血を引く李氏朝鮮の皇族の韓国入国を拒否しているのです。日本は戦前、朝鮮を統治するにあたって、李氏朝鮮王朝の最後の皇太子である李垠殿下を、日本の皇族と同じ待遇をして日本に招きました。李垠殿下は日本の陸軍中将として軍事参議官まで勤められました。李承晩は、その李垠殿下を、事実上の国外追放状態のままにしたのです。結局、李垠殿下は、生涯を日本の質素な公営住宅で過ごされ、亡くなられたときも公営住宅内の集会所でひっそりとした葬儀がとりおこなわれています。このとき韓国政府からの出席者は皆無でした。日本からは三笠宮崇仁親王殿下がご出席賜わり、その様子に参列した全員が涙を流しています。 要するに李承晩には、李氏朝鮮時代への憧憬などまるでなかったわけで、あったのは己の権力欲だけだったということです。そしてその李承晩の妄想から、いまも韓国は抜け出せないでいる。 しかし、おのれの権力欲とイデオロギーにこだわり、結果として朝鮮戦争という大戦をひき起し、同国民を百万単位で殺し、戦後二十年間も韓国を貧国のままにした李承晩の妄想は、結局のところ、韓国人に幸せをもたらしたでしょうか。 そして権力にしがみつかんがために、朝鮮戦争の最中に李承晩ラインをひき、竹島を占拠した。そのことが韓国国民のために、いったい何の役にたっているのでしょうか。争いの種を撒いただけのことでしかない。 日本人は、しっかりと歴史の真実を見据え、戦後にねじ曲げられた歴史から、真実の歴史を取り戻さなければなりません。そして同様に心ある韓国の人々が一日もはやく、歴史の真実に目を覚ましてくれることを願うばかりです。おなぎ・ぜんこう 1956年生まれ。大手信販会社にて債権管理、法務を担当し、本社経営企画部のあと、営業店支店長として全国一の成績を連続して達成。その後独立して食品会社経営者となり、2009年より保守系徳育団体「日本の心をつたえる会」を主催、代表を勤める。ブログ「ねずさんのひとりごと」は、政治部門で常に全国ベスト10に入る人気ブログとなっている。

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    様々な差別ある韓国 全羅道が長く地域差別の対象となった訳

     韓国大統領の出身地は、11人中6人が慶尚道(韓国の南東部に位置。慶尚北道および慶尚南道)で全羅道(道韓国の西南部に位置。1896年に全羅北道と全羅南道に分かれた)は金大中氏わずか1人と不自然なほど片寄っている。背景には、長い歴史を持つ地域差別があった。ジャーナリスト、岸建一氏がレポートする。* * * ソウルの居酒屋でテーブルを囲む同年代の男たち。焼酎やマッコリを酌み交わし、すっかり酔いも回ってそろそろお開きとなったとき、1人の男がトイレに立った。それを見届けた別の男が、皆に向かってこう言った。「会計はオレがやるよ。(トイレに立った)あいつにやらせたら、割り勘をごまかすに決まってるからさ。なんたって、あいつは全羅道(の人間だからな」 それを聞いた残りの男たちは、にやけたような顔で笑った。トイレに立った男以外は、日本人の筆者を除いて、全員が慶尚道出身だった。 筆者が10年ほど前に体験したエピソードだが、韓国社会には、こうした出身地をめぐる「地域差別」が、現在も根強く残っている。自国や自民族に対する差別には非常に敏感な反応を示す韓国だが、国内に目を向けると学歴信仰や男尊女卑など、さまざまな差別意識がはびこっていることに気付かされる。中でも地域差別は、その代表格だ。 韓国では、全羅道が、長く地域差別の対象となってきた。とりわけ、木浦や光州などの全羅南道エリア一帯は「湖南」と呼ばれ、気候温暖な米どころとして豊かな食文化を持ち、歌舞音曲にも秀でていることで知られ、著名な料理家や芸能人を輩出してきた。だが、韓国内では「湖南の奴らは信用できない」と疎んじられる対象でもあった。 そのルーツをたどっていくと、後百済(892年建国。全羅道地域を治めていた)を滅ぼし、朝鮮半島を統一した高麗(王建が建国した朝鮮王朝。918~1392年。935年に新羅を、936年に後百済を制圧して、朝鮮半島を統一)の王建(太祖)が、全羅道からの人材登用を厳しく戒めた歴史にあると言われている。 そうした中で培われた差別意識は、現代にも引き継がれて、1961年の軍事クーデターで朴正熙が政権を掌握してから顕著になる。 1963年の大統領選挙に当選した朴は、出身地の慶尚道を優先したインフラ整備を行い、官庁人事では同郷の出身者を優遇した。朴が主導した地域開発運動「セマウル運動」(韓国語で「新しい村づくり」の意。農漁村の近代化、所得拡大などを目的に、1972年から開始された)でも、モデル地域を慶尚道に置いている。 一方、全羅道は開発が後回しとなり、中央官庁でも出身者が冷遇されるなど露骨な差別にさらされた。朴への強い不満が、慶尚道に対する対抗心につながっていったのだった。 そうした長年にわたる全羅道の鬱憤を晴らしたのが、1998年の金大中の大統領就任だった。民主化運動のリーダーとして知られる金だが、生まれ故郷は全羅南道で、差別にあえいできた歴史を肌で知る政治家でもあった。 大統領として南北首脳会談など国際的に注目される政治活動を展開するだけでなく、金は地域差別の解消を訴えるとともに、鉄道や道路など全羅道への開発にも力を注いだ。 全羅道の人たちにとって、金に対する尊敬の念は格別のものがある。2008年に筆者が木浦を訪れた際、タクシーの運転手に「金大中の出身地はこの近くですね」と話しかけると、いきなり激高し「呼び捨てとは何だ! 金大中先生と言いなさい!」とまくしたててきた。 そうした反応には面食らったものの、差別を受け続けてきた地域から大統領を輩出したというカタルシスに裏打ちされていると思えば理解しやすいだろう。関連記事■ キムチに欠かせない唐辛子 16世紀に日本から韓国に伝わった■ 秋田犬は韓国の珍島犬から 英人祖先が韓国説を信じる人少数■ 胃がん患者が日本海側に多い理由 「伝統的な食生活」と関係か■ 肝がんの罹患率 山梨県と西日本で全国比1.2倍以上多い背景■ 自殺が低年齢化している現状や背景とその予防策を紹介した本

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    射殺、餓死…李承晩ラインで日本漁民が味わった塗炭の苦しみ

    松木國俊(元豊田通商ソウル事務所駐在員) 日韓関係の悪化について、韓国側は「日本の右傾化が原因」「加害者と被害者の関係は1000年経っても変わらない」などと、一方的に日本を批判している。だが、歴史を振り返ると、韓国はこれまで、日本に理不尽かつ非道な行動・対応を取り続けてきた。韓国が口を閉ざす「理不尽な真実」について、元大手商社マンで日韓問題研究家の松木國俊氏が迫る。 「李承晩(イ・スンマン)ライン」。それは、日本の主権回復を承認するサンフランシスコ平和条約発効直前の1952年1月、韓国が海洋資源を独占し、領土を拡張するため、島根県・竹島を取り込んで、一方的に公海上に引いた軍事境界線・排他的経済水域である。竹島 いかなる国際法を持っても正当化できるものではなかったが、日本政府は憲法第9条などに縛られて手も足も出せなかった。これより13年にわたって、日本漁民は、韓国警備艇による射殺、体当たり、拿捕(だほ)、抑留、餓死という塗炭の苦しみを味わった。 日韓漁業協議会発行の『日韓漁業対策運動史』に、当時の詳しい記録が残っている。韓国の暴虐を風化させないため、あえて、その悲惨な過去を振り返ってみる。 韓国警備艇は、李承晩ラインの外側を航行中の日本漁船にまで見境なく襲い掛かり、罪のない日本漁民を拿捕して釜山港へ連行した。棒でたたくなど残虐な拷問を加え、自白を強要し、文明国では考えられない人権を無視した一方的な裁判で判決を言い渡した。 獄中生活は悲惨を極めた。雑居房には20人前後が押し込められ、手足だけでなく体も重ねあわせて寝なければならなかった。食事の不潔さは言語に絶し、カビの生えた麦、腐敗した魚は度々で人間の食べる物ではなかった。ほぼ全員が栄養失調状態となって死線をさまよい、ついに餓死者まで出たのだった。 54年以降は、「刑期」を終了した者さえ釈放せず、韓国側は抑留者を「人質」にしてさまざまな要求を日本に突き付けてきた。帰国の希望を奪われた抑留者は、肉体的にも精神的にも限界を超え、狂乱状態になるものもあったという。残された家族にも、重い経済的、精神的負担が発生した。堪えかねて精神を病み、自殺した妻もいた。 日本漁民を守るべき海上保安庁の巡視船は「不測の事態を避ける」という理由で砲を撤去させられていた。拿捕されそうな日本漁船を救出するため、丸腰で韓国警備艇との間に割り込み、自ら銃弾を浴びながら漁船を逃す以外になかったという。 65年に日韓基本条約や請求権・経済協力協定、日韓漁業協定が締結されるまでの間、韓国の不法拿捕により抑留された日本漁民は3929人、拿捕時の攻撃による死傷者は44人、物的被害総額は当時の金額で約90億円にも上る。 にもかかわらず、韓国は現在に至るまで一言の謝罪も補償もしていない。それどころか、朴槿恵(パク・クネ)大統領は高飛車な態度で、反日発言を続けている。日本人は、韓国の非道な行為で無念の死を遂げた同胞のことを、決して忘れてはならない。まつき・くにとし 1950年、熊本県生まれ。73年、慶応大学を卒業し、豊田通商に入社。直後から韓国担当を務め、80~84年、ソウル事務所に駐在する。秘書室次長、機械部次長を経て、2000年に退社。松木商事を設立する。韓国問題を長く研究しており、「慰安婦の真実国民運動」幹事長。著書に『ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った』『こうして捏造された韓国「千年の恨み」』(ワック)など。

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    まるで金太郎アメ 韓国歴代大統領「反日・侮日」妄言集

    拳骨拓史(作家) 韓国大統領による「反日発言」がかまびすしい。 とは言え歴史をみれば、朴槿惠、李明博、盧武鉉以前にも、歴代韓国大統領の多くは、日本に「謝罪と賠償」を求めることが一種の伝統化していることに気づく。いわば“反日の金太郎アメ”なのだ。(1)李承晩 初代~第三代韓国大統領。在任期間=一九四八~一九六〇〈朝日新聞を通じた新年メッセージ〉 日本の皆さん新年おめでとう。 韓国人は善良な皆さんに対してなんの呵責ももっていないが、日本人もまた韓国人に不平を抱いていないと思う。過去四十年の間、韓国人がうけた痛手は日本軍国主義者の罪に帰すべきものであって、日本人もまた彼らの政府のあとで同じように被害をうけたものと思う。(中略)われわれは隣人同士であり、両国民はお互いに仲良くつきあわねばならないことを日本人は忘れてはならない。(一九四九年一月五日) 李承晩(イ・スンマン)韓国大統領(一八七五~一九六五)が就任間もない時期に、日本に宛てたメッセージである。反日で有名になる李承晩大統領も、当時はまだその牙を見せていなかった。 李承晩は若くして反日活動団体である独立協会に身を投じ、投獄。釈放後に渡米し、朝鮮独立のための宣伝活動をおこなった。 一九一九年、上海の大韓民国臨時政府(注 国際的には承認されず)の大統領に就いたが、一時期上海にわたっただけでほとんどをアメリカですごし、第二次世界大戦後に韓国大統領に就任。1950年6月の朝鮮戦争勃発直後、金浦空軍基地に到着したダグラス・マッカーサー元帥を迎える李承晩・韓国初代大統領(右)親日派を断圧 李承晩ライン(一九五二年に李承晩大統領が韓国の主権があると宣言した水域を囲む線。日本側はこれを認めず、ラインが廃止されるまでの十三年間に日本漁船の捕獲事件などが起こり、日本人抑留者は三千九百二十九人、死傷者は四十四人を数えた)を設定して日本と対立した。 日本人抑留者たちは人間として満足な生活をする権利すら与えられず、寝室はゴザが敷かれた部屋に毛布が一、二枚程度与えられ、食事は茶碗一杯、麦飯に具なしの味噌汁だけがおかずであった。小アジの煮付け一匹が三人分の食事として出されることもあり、健康を維持するカロリーを与えられることはなかった。 抑留者たちは家族が送ってくる差し入れ品を金に替え、食糧や夜具などに交換したが、この差し入れ品も、韓国警察によって中身が抜かれたり、届かなかったりした。 当時、李承晩大統領が語り、韓国で流行語となったのが「アメリカは余り信じるな。ソ連の奴らには騙されるな。日本は必ず再起する。注意せよ!」というものであった。 アメリカ生活の長い李承晩は日本統治の実際を知らず、日本統治に協力した人々を「親日派」として弾圧した。 日本語で「親日派」といえば、日本について詳しかったり、日本に対し好意をもつていたりする人を意味するが、韓国語ではこのような意味の場合は「知日派」を使い、「親日派」は使わない。 「親日派」は日本の植民地支配に協力した者を指し、「売国奴」に近い意味で用いられ、反日教育を実施して韓国国民の日本への敵愾心を強くした。 李承晩大統領はライバルの暗殺や不正占拠などを繰り返し、反共独裁政治をおこなったが、野党や国民の批判を浴び辞任、ハワイに亡命。晩年は貧困と孤独にあえぐ悲惨な末路をたどった。〈韓国スポークスマンの発表〉 李承晩大統領は共産主義者が民主主義政府および国民に比べていかに残忍であり、独裁的かつ野蛮であるかを教えるとともに、日本帝国主義の侵略性およびその韓国に対する悪意にみちた態度を生徒に教えるよう命令した。 またこの新指示は、韓国経済を独占しようとする日本の陰謀に対する対抗措置を準備するため、教師および大学教授に命じ、生徒を激動させようとするものである。(一九五四年十月十四日)〈「三・一事件」四十一周年祈念集会でのメッセージ〉 日本は戦時中、強制的に日本に送られ、軍事産業で働かされた二百万の韓国人に対する補償の義務がある。岸首相は最近の訪米中、米国に補償支払い援助を要請したといわれるが、外国に援助を求めるのは理由のないことで、補償については日本が全責任を負うべきである。(一九六〇年三月一日)(2)全斗煥 第十一~十二代韓国大統領。在任期間=一九八〇~一九八八 全斗煥(チョン・ド・ファン)は朝鮮戦争中に陸軍士官学校に入学し、一九七九年の朴大統領暗殺事件の混乱を処理して実権を掌握。大統領を辞任した後、不正蓄財などが発覚し逮捕された。 全斗煥の父親、全相禹は一九三〇年代後半に日本への高い忠誠心があるとの理由から、任地である内川里の里長に抜擢され、農民たちに「皇国臣民化」を説いてまわり、日本への供出物の確保に情熱を傾けた。 その後、中国の吉林省松花江流域の農村に居をかまえたが、そこで朝鮮独立運動家を取り締まるべく日本軍の案内をおこなって大金を得、その後韓国へ戻って暮らしていた。 全斗煥韓国大統領もその影響を受け、早稲田大学教授・松原正氏と会った際に、満洲などにいた日本へのテロ勢力を討伐するための歌である『討匪行』を歌詞ひとつ間違えずに歌ったと言われている。まるでお化け屋敷 全斗煥自身、「私の幼いころ、将校たちが軍刀をつるし、皮の長ぐつをはいて部隊を指揮する姿とか、さっそうとした乗馬姿とかをよく見かけて、すっかりあこがれてしまい、めしも食わずに追いかけていっては訓練に見とれていたものです」と述べ、大東亜戦争勃発後は、日本の少年航空兵になりたいと熱望していた。特別機で来日した全斗煥韓国大統領と李順子夫人=羽田空港、1984年 9月 6日  大統領になってからは、彼が父とも呼ぶ前任の朴正熙元大統領が日本から多額の支援金を受けていたことが、「親日家」だとして批判される理由になっていたため、全斗煥大統領は「反日」と「親日」を超えた「克日」という新しいスローガンを用意した。 その事蹟というべきものが、一九八七年に建設された韓国の独立記念館である。数十億円もの寄付金を募り、約五百億ウォンで建てられた独立記念館は、日本軍による銃殺刑や拷問などの様子が蠟人形をつかって虚実とりまぜて再現されており、訪れた人々の多くは口を揃えて「まるでお化け屋敷だ」という悪趣味なものとなって仕上がった。 一九八一年には、「我々は国を失った民族の恥辱をめぐり、日本の帝国主義を責めるべきではなく、当時の情勢、国内的な団結、国力の弱さなど、我々自らの責任を厳しく自責する姿勢が必要である」と、全斗煥自身、韓国の非を認める発言もしていただけに、独立記念館を建設したことは日韓関係の未来を考える上で残念でならない。〈昭和天皇に拝謁した全斗煥大統領の宮中晩餐会での挨拶〉 われわれ両国には、「雨降って地固まる」との共通のことわざがあります。(中略)われわれ両国の間にあった不幸な過去は、今やより明るく、より親しい韓日間の未来を開拓していくうえで、貴重な礎にならねばならないと信じております。(一九八四年九月七日) 全斗煥韓国大統領は昭和天皇に拝謁した最初の韓国大統領となった。昭和天皇との拝謁については、日韓両国から激しい批判があったが、その際、昭和天皇より過去の歴史に対する謝罪の発言を引き出すよう強く日本側に要望していた。 宮中晩餐会の前日、全斗煥は安倍晋太郎外務大臣と会談し、「弱い立場にある人間は普通、富める人、強い人に対してひねくれを感じ、先方が寛大にしても時として誤解をもつ。従って強い人、富める人は多少損をしても寛大な気持を持って欲しい」「韓日の(過去の)誤解は大部分そういうものだったと思う」と述べたという。(『読売新聞』一九八四年七月十日) 昭和天皇の御言葉を受け、韓国の民族主義団体「光復会」(日本統治時代の抗日、独立運動家とその家族で構成)は、「過去の歴史の張本人である日本の天皇が不幸だった過去に心から遺憾の意を表明し謝罪した。われわれは日本側の反省と謝罪を喜びをもって受け入れる。この謝罪は、われわれの歴史的勝利を意味する」などと反応を見せたが、これ以降、韓国政府は大統領が代わるごとに天皇陛下に謝罪を要求しようという悪癖を生むようになった。(3)盧泰愚 第十三代韓国大統領。在任期間=一九八八~一九九三 天皇陛下の御言葉を政治的なかけ引きに利用しようとする動きは、全斗煥の後任である慮泰愚大統領(一九三二~)の時代には始まっている。盧泰愚大統領 『東亜日報』では天皇陛下が過去の歴史について直接謝罪を表明しなければ、またその内容が韓国政府の期待にそぐわない場合は、盧泰愚大統領の訪日時に天皇陛下への訪韓招請を行わないと報じた。 この韓国政府の動きにあきれた小沢一郎自民党幹事長(当時)は、「反省しているから(経済面などで)協力している。これ以上、土下座などする必要があるのか」と反発したが、マスコミなどから突き上げられ、謝罪へと追い込まれている。〈慮泰愚総裁と日本人記者団との懇談形式での会見〉 私の前任者(全斗換・前大統領)の訪日時、昭和天皇が不幸な歴史に遺憾の意を表明した。両国間に不幸なことがあったことはだれもが認識している。 加害者がだれであり、被害者がだれであったかについても共通の認識がある。加害者が被害者に「すみません」とか慰めの言葉をいうのは当然のことだ。 韓国側からいうと謝罪がはっきりしない。被害者は加害者の真心を疑わざるを得ない。真心から「すみません」といってくれれば被害者としても感動して「いや、結構です。これからうまくやりましょう」といえるのではないか。(中略)「間違っていた」「すみません」というおおらかな心を見せれば、韓国だけでなく中国や東南アジアが日本に対する認識を変える契機になる。力量があり、強い方がおおらかな心を見せることが必要だ。(天皇の「お言葉」については)天皇の名前にかけてというのではなく、皆さん(日本人記者)や日本の国民と話をしてみましょう。そうすれば日本がどうすれば正しいのか自明のことだ。 そんな次元から自然に解決されれば天皇訪韓もうまく解ける問題ではないか。(一九九〇年五月十五日)〈宮中晩さん会での慮泰愚・韓国大統領の答礼あいさつ〉 日本は陛下のご即位によって、平成の新しい時代を迎えました。本日、陛下と歴史的な交歓をもち、天皇ご即位の祝賀の挨拶を直接お伝えできますことを意義深く考えます。 また、日本が戦後の廃虚から立ち上がり、全世界がうらやむ平和で繁栄する国家を築いたことに、賛辞を送ります。私は平成時代が日本ばかりではなく、私どもが生きる東アジアと世界の平和と繁栄、友誼を増進する時代になるものと確信いたします。 遥かな古代から今日に至るまで、韓日両国は最も近い隣人として親しんで来ました。両国の国民は狭い海峡を越えてお互いに往来し、相手国の文化形成に大きな影響をおよぼし合いました。両国間には歓迎すべきことも数多くありました。しかし、わが国民は近世に入り、苦痛を受ける一時期を経験しなければなりませんでした。 両国間の長い善隣友好の歴史から見るとき、暗い時代は相対的に短い期間でした。歴史の真実は消されたり忘れられたりすることはありませんが、韓国国民はいつまでも過去に束縛されていることはできません。 われわれ両国は真正な歴史認識に基づいて過去の過ちを洗い流し、友好協力の新たな時代を開かねばなりません。日本の歴史と新しい日本を象徴する陛下がこの問題に深い関心を示されましたことは、きわめて意味深いことです。 今やわれわれ両国が近くて近い隣人、信頼する友邦として、両国関係を発展させるのに障害となってきた過去の歴史の影を消し、残滓を取り除くためにわれわれすべてが努力しなければなりません。そうすることによって、両国間の望ましい関係をわれわれの子孫に受け継がせなければなりません。(一九九〇年五月二十五日) 一九六五年の日韓基本条約によって、過去の賠償はすべて完了していることは言うまでもないが、謝罪についても盧泰愚大統領が明確に「解決した」と断言している。 日本はすでに、謝罪も賠償も終わっているはずだが、彼らは未だにこれを要求しつづけている。 金泳三は一九五四年に国会議員に当選以来、ながく野党議員を経験するが九〇年に与党に合流。九三年に十三年ぶりとなる文民大統領となった。だが政権末期には通貨危機がおき、韓国経済を迷走させたまま任期を終えた。(4)金泳三 第十四代韓国大統領。在任期間=一九九三~一九九八〈金泳三韓国大統領による衆議院本会場での国会演説〉 一八九四年、韓(朝鮮)半島では日本と中国間の戦争があった。日清戦争で勝利した日本は、ついに韓半島を併合した。一九四五年、韓国は解放されたが、南北に分断され、同族相争う戦争を体験した。韓国は今も地球上の最後の分断国家として、民族的苦痛をなめている。 私と、わが国民は、一世紀にわたった諍いと葛藤の歴史に終止符を打ち、真の友情と協力の新しい歴史を開いていくことを提起する。(中略)韓日両国国民は心の扉をすっかり開かなければならない。過去のしこりはきれいに洗い流さなければならない。(一九九四年三月二十五日)韓国の金泳三大統領と握手する橋本首相 1996年 3月 2日  李承晩韓国大統領然り、就任当初はかならず過去の歴史について問題としないという姿勢をとるのが歴代韓国大統領の御家芸である。〈金泳三・韓国大統領の朝日新聞社との会見〉 再三強調してきたように、日韓関係を未来志向に発展させていくには、正しい歴史認識の確立が何よりも重要だ。それには、過去を直視する土台の上に、未来に向かって協力していかなければならない。過去の歴史をウソで美化したり、不問にしたりするのは、日本自身にとっても決してためにならない。(一九九五年八月九日) 金泳三大統領の時代には、細川首相が韓国併合について謝罪を述べたのに対し、永野茂門(一九二二~二〇一〇)法務大臣が「日本で言う大東亜戦争というものが、侵略を目的にやったか。日本がつぶされそうだったから生きるために立ち上がったのであり、かつ植民地を解放する、大東亜共栄圏を確立するということを、まじめに考えた。私は南京事件というのは、あれ、でっち上げだと思う」と発言。永野法務大臣は就任後、わずか十一日で更迭されることになったが、韓国の世論は沸騰した。〈江沢民中国国家主席との会談〉「自分の就任後、侵略行為と植民地支配によって我々に残酷にしたことに対して日本は反省し、歴史を直視するなかで未来に向けて進むことを繰り返し明らかにしてきた。日本は歴史認識を正しくすべきだ」「日本側の妄言が続いており、建国以来三十数回続いている。今度こそ(日本側の)悪い癖を直してみせる」(一九九五年十一月二十四日) この日本の「悪い癖を直してやる」という金大統領の発言は、日本側を怒らせることになった。 特に一九九五年は韓国の光復(独立)から五十周年の節目(実際に大韓民国が樹立されたのは一九四八年)となるため、日本の朝鮮統治時代のシンボルというべき旧朝鮮総督府府庁を解体する行為に及んだ。 この建物は花崗岩によって出来ており、近代建築の観点からも文化的見地からも取り壊しに反対する声は少なくはなかったが、日帝残滓を清算するという政府方針と世論におされ、一部を残して破壊されることになった。 また一九九五年には竹島に接岸施設を設置したほか、軍隊を常駐化させるなどの要塞化を推進。現在まで続く竹島問題を引き起こすことになった。日帝風水謀略説日帝風水謀略説 さらには韓国独立五十周年を記念した「歴史立て直し事業」のなかで、日本により断絶された朝鮮風水の地脈を復興しようと杭除去運動を開始した。 これは日本が風水によって朝鮮民族の精気を奪おうと杭を打ち込んだとされるもので、「日帝風水謀略説」とも呼ばれている。 朝鮮半島は風水に対する信仰が根強い地域であったため、日本が鉄道を敷設したり、建物を造ろうとすると風水を断ち切るとされ、各地で反対運動が巻き起こった。 これは齋藤実朝鮮総督が、「工事を止めてしまえ」というほど、アタマの痛い問題であったが、最終的には朝鮮王であった李垠(一八九七~一九七〇)の同意によって進められることになったが、韓国では未だに日本軍による陰謀説が語りつがれている。 金泳三はこの工事で埋め込まれた杭が、朝鮮を呪うものであるとして、これらの除去作業を命じたのである。 だが日本ではそもそも風水などそれほど根付いていないように、荒唐無稽な話以外の何物でもなく、事実、韓国で引き抜かれた多くの杭は、単なる測量用の杭に過ぎない。 しかしながら韓国では現在でも測量技術に対する理解は低く、二〇〇六年には「山の頂上部で発見されたのだから、測量用である可能性は薄い」などとメディアが平気で報じる始末である(山頂などに測量用の三角点を設けることは日本人なら高校生でも知る常識であろう)。〈日韓首脳会談〉 日韓関係は未来志向であるべきだが、日本の正しい歴史観が前提にある。 日本は植民地支配、侵略戦争を行ったことをきちんと直視すべきだ。植民地支配を含め、日本が韓国を支配した期間は四十年を超える。その間、韓国国民は苦しみと悲しみを味わった。日本は経済力だけでは、これまで以上に世界の尊敬は受け難い。日本の指導者が正しい歴史認識を持って政策を進めることを期待したい。(一九九五年十一月十九日)〈竹下登元首相らと金泳三大統領との会談〉「『近くて遠い国』を『近くて近い国』にするには指導者、政治家の言葉が重要で、政治家は歴史を重んじる必要がある」(一九九六年十二月十七日)〈村山富市首相との会談〉「日本の一部に『日本が戦った相手はアジアではない』との意見もあるが、それはアジアの人たちが決めることで日本の人が決めるのはおかしい」「過去の正しい清算が必要で、両国の学者が一堂に会して、例えば伊藤博文が何をしたのか、などの歴史的事実をきちんと調べてはどうか」(一九九五年四月十三日)(5)金大中 第十五代韓国大統領。在任期間=一九九八~二〇〇三 金大中(キム・デジュン)は朴正熙大統領と対立し、東京で韓国情報機関に逮捕、拉致された経歴をもつ(金大中事件)。その後、死刑判決を受けるものの、減刑されてアメリカへと亡命した。のちに帰国して四度目の挑戦で韓国大統領に就任した。訪日日程を終え、特別機で帰国の途に着く韓国の金大中大統領夫妻=2000年9月24日 日韓の歴史問題については「韓国と日本の関係において、私は門を開く役割を担いたいと願っている。何よりも両国の指導者の思慮のなさと過ちからくる、両国民の間にある不信と憎悪の門の、何と固く閉じられていることか」(『金大中獄中書簡』、岩波書店)と述べているように、政治活動を始めた当初から、日本との軋轢の原因となっている歴史問題を克服しようとした。 「韓国政府は、過去の問題を持ち出さないようにしたい。自分が責任を持つ」と述べたほか、映画や音楽など日本文化も開放することを表明し、日本との垣根を取り払うよう尽力をしている。 さらに一九九八年に訪日し、天皇陛下と拝謁した際にも、植民地支配には言及せず、戦後日本の発展と平和主義を讃え、韓国への支援を求める内容となっていた(訪日に先立ち、政府として天皇を表す「日王」の呼称を改め、「天皇」を使用することを公式に宣言した)。 彼自身、自らの伝記に日本統治時代の創氏改名などを批判しつつも、次のように記している。「そういう重苦しい日々のなかでしたが、東アジアで日本だけが近代化に成功したという事実が私たちにある希望を与えてくれたことも事実でした。 小学校、商業学校を通じて日本人の先生から大きな影響を受けたことも数知れないほどありました。私の人間形成に影響したのも日本人の先生方の言動でした。暗い記憶ばかりの毎日でなかったことは、申し上げておきたいと思います」(『わたしの自叙伝─日本へのメッセージ─』日本放送出版協会) このように日本統治へ一定の評価をおこなっている点も、他と異なり日本に対し柔軟な対応をとった理由であるように思える。 もっとも二〇〇一年に「新しい教科書をつくる会」が教科書修正を求める運動を起こした際にはこの活動を外交問題として捉え、クレームを入れてきているが、金泳三時代と比べると日韓関係に尽くしたという意味では評価できるとする声もある。〈宮中晩餐会後、韓国大統領府スポークスマンによる感想〉 日本が過去、韓国から文化の恩恵を受けたことを天皇が直接認めたのは意味がある。また、天皇は(過去、日本が韓国に対して)被害を与えたことを悲しく思っているとおっしゃっている。そういうことを考える未来の若者のために、二十一世紀を新しく迎えようという意思が入っていると思う。(一九九八年十月八日)〈鳩山由紀夫民主党代表と教科書問題において会談〉「今が非常に大事だ。小さな傷が体全体に広がる大きな病に至る可能性がある」「心に受けた衝撃は大きい。誤って処理された場合、両国関係に悪い影響を与えることを強く懸念する」(韓国政府に対し)「むやみに感情的に反論せず、学問的、実証的に検討し、日本が自発的に修正するよう自制的に行動することだ。日本人すべてが(つくる会の)教科書支持ではない。十分区別すべきだ」(二〇〇一年五月四日)(6)盧武鉉 第十六代韓国大統領。在任期間=二〇〇三~二〇〇八盧武鉉元大統領=2003年 盧武鉉は日本統治を経験していない初の大統領として注目を浴びた。 苦学して弁護士となった後、盧泰愚大統領の時代に野党議員として名を馳せ、金大中前大統領の政策の継承を訴え、インターネットを基盤とした支持層を得て大統領に就任した。 行政能力に乏しく、政権末期では支持率は一割程度にまで下落した。さらに清廉であるとされ支持をされていたにも関わらず、収賄や不正献金で親族の逮捕が相次ぎ、自身も逮捕が近づくと崖から身を投げて自殺した。 盧武鉉大統領も就任当初は未来志向を謳い、対日重視の姿勢を見せていたものの、裏では元人権派弁護士として活動した経歴が示すように、日本に対する「歴史の清算」を求めるようになってきた。「米韓共通の敵」 小泉純一郎首相(当時)が靖國神社に参拝することを表明すると、「過去の戦争を誇り、栄光のように展示していると聞いている」「(靖國神社は)過去の戦争と戦争英雄を美化し、これを学んだ国が隣りにあり、こうした国が膨大な経済力と軍事力を持っている。(韓国など)その近隣国が過去に何度も苦しめられたことがあるならば、国民は未来を不安に思わざるを得ない」と、靖國神社を批判したほか、首脳会談をキャンセルするようになった。 さらに韓国にいる親日派の財産を没収するため、「親日反民族行為者財産調査委員会」を発足させ、親日家だと認定された人々の子孫のもつ財産を没収することを合法化させ、日本側の制止を無視して竹島の海洋調査をおこない、日本に対しては「武力行使もありえる」と恫喝し、事実、島根県内の防衛庁(現在の防衛省)施設に対して軍事攻撃を行なうよう検討していたことが明らかになった(『ワシントンポスト』、二〇〇六年四月二十一日)。 またアメリカ軍に対し「日本を米韓共通の敵として、仮想敵国にしよう」と要請し、関係者を当惑させるなどしている。 盧武鉉大統領はこれだけにとどまらず、日本海を「東海」と改称するよう求め、新しく「平和の海」と呼ぶように提案するなど迷走をつづけた。 盧武鉉大統領の異常なまでの反日は、日本統治時代を経験していない世代、つまり反日教育を受けた世代であったと言われているが、日本では年長者の女性を中心に二〇〇四年の韓国ドラマ『冬のソナタ』ブームが起こる一方、若者を中心として二〇〇五年には嫌韓ブームが助長されることになった。 盧武鉉大統領による負の遺産は、今なお日韓関係を損なう障害へと繋がっている。〈盧武鉉大統領による就任二年目の国会演説〉 歴史問題を処理するドイツと日本の異なった態度は多くの教訓を与えてくれる。態度によって周辺国から受ける信頼も違う。過去に率直にならねばならず、そうすることで初めて過去を振り払い未来に向かうことができる。(二〇〇五年二月二十五日)〈日韓首脳会談〉 総理の靖國参拝や最近の多数の政治家による参拝は韓国に対する挑戦でもあり、日本が過去に戻るのではないのかという懸念がある。韓国国民の考え方をよく分かってほしい。靖國参拝、歴史教科書、竹島(韓国名・独島)問題の三つの問題をぜひとも解決する必要がある。(二〇〇五年十一月十九日)(7)李明博 第十七代韓国大統領。在任期間=二〇〇八~二〇一三 李明博大統領は大阪市生まれで在日韓国人の出身である。 金大中、盧武鉉と二代続いた左翼政権によって経済が停滞したため、現代建設を世界有数の企業に押し上げた経歴から、経済再生の手腕に期待が集まり、対抗馬に大差をつけて当選した。 しかし就任直後から米国産牛肉の輸入制限緩和がBSE問題への危機意識と直結し、支持率は一機に一割代まで下落した。 その後、支持率は三割程度まで回復したものの、世界金融危機などを受け、再度下落。国民が期待した「経済大統領」というイメージからは遠いまま、大統領の任期を満了した。 日本との歴史問題については、〈李明博次期大統領と外国メディアとの会見〉「新しい韓日関係のためには(韓国への)謝罪や反省をしろという話はしたくない。今の日本はそれを要求しなくても話し合いができるほど成熟した外交ができる」 との意見を表明し、二〇〇六年一月のダボス会議では「一部アジアの政治指導者は、過去の歴史に縛られて、国家間の緊張を高め、未来を暗くしている」と、過去の歴史にとらわれる盧武鉉前大統領を暗に批判する余裕をみせていたが、真意は日本が歴史問題に対し、韓国への謝罪や賠償を自発的に行なうことを促すことであった。 そのため日本の学生に竹島は韓国の領土であることや、日本統治の残虐性を教え込むため、修学旅行生を韓国内へ誘致することを発表したほか、従軍慰安婦への賠償金について「日本政府は法律的でなくとも人道主義的な措置を必ず取るべき」であると主張している。 補足すると「法律的でなくとも人道主義的」という表現が示すように、日本の韓国への賠償金問題は一九六五年に日韓基本条約が締結され、国交の回復がおこなわれたときに「完全かつ最終的に」解決されたのであり、従軍慰安婦への賠償金を対象に含めなかったのは韓国政府の問題である。 政権末期になると李明博韓国大統領の反日発言はエスカレートし、二〇一二年八月十四日には、天皇陛下について「痛惜の念などという単語ひとつを言いに来るのなら、訪韓の必要はない」、「韓国に来たければ、韓国の独立運動家が全てこの世を去る前に、心から謝罪せよ」と謝罪を要求する発言をおこなった。〝痛惜〟とは盧泰愚大統領が訪日した際に、天皇陛下が述べられた御言葉である。 また同年十五日には慰安婦問題について、「日本軍慰安婦被害者問題は人類の普遍的価値と正しい歴史に反する行為」だと述べた。就任式を終え、李明博前大統領と会場を出る韓国の朴槿恵大統領=2013年 2月25日午前、ソウルの国会前広場(8)朴槿惠 第十八代韓国大統領。在任期間=二〇一三~ 朴槿惠(一九五二~)は、よく知られているように朴正熙元大統領の長女として生まれた。 母親の陸英修が暗殺されると二十二歳でファーストレディーの役を継承。父が暗殺された後は政治からは身を退いていたが、九七年のアジア通貨危機をきっかけに政界復帰。二〇〇四年にはハンナラ党代表に選ばれ、党をけん引した。 東アジア初となる女性大統領であり、韓国のサッチャーなどと言われている。 父親の朴正熙大統領は経済発展に必要な外貨を獲得すべく、経済資金が得られる日韓基本条約の締結を急いだ人物であった。 当時、カネのために民族の主体を売ったとして、反対勢力から「物乞い外交」と批判されている。 現在の韓国政府は「過去の歴史」をエサにし、官民あわせて「物乞い外交」を恥ともしていないが、この当時はまだそのような気概があったのであろう。 朴正熙は貧しい農家に生まれ、一人、日本人教師に教えて貰った剣道のマネをして遊んでいたという。 成績優秀であった彼は学校推薦で大邸師範学校(官費)へ入学。日本の軍事教練が好きで、ラッパ手に選ばれ喜んで吹いていた。 学校を卒業すると教員生活を捨て、日本の職業軍人になることを決意。至誠を示すべく、血書を書いて新京軍官学校(旧満州国・新京)の試験を受けた。 朴は全学生の模範となり、成績優秀者だけが選ばれる連合大演習の指揮を任せられるにいたった。嫌韓が激化するだけ 卒業時には満州国皇帝の前で卒業生代表として答辞を読み、金時計が下賜された。さらに日本の陸軍士官学校(五十七期)に入学する特典を得た彼は、日本名を高木正雄と名乗り、同校を優秀な成績で卒業した。 新京軍官学校校長であった南雲親一郎(後に中将)は、「半島出身ではあるが、精神においては完全に日本人である。高木生徒のように天皇陛下のためにたてまつり、忠誠心のあつい者は日本人にも稀である」と讃えた。 このような経歴を持つ朴正熙の娘だということで、一部の日本マスコミにおいて、朴槿惠の時代になれば、日韓関係は融和されるのではないかという楽観論が浮上したが、それは長くは続かなかった。 就任後、間もなく開かれた式典で、〈三・一独立運動式典での演説〉「加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらない」(二〇一三年三月一日) と発言。さらに五月六日での国会答弁では、〈金奎顕外務次官がオバマ米大統領との首脳会談における朴大統領の訪問目的について〉「「日本が『普通の国』になる前に、心から過去を悔やみ、新たに出発することを確実にしなければ、周辺国の懸念が残る」という点を米国に説明したい」(二〇一三年五月六日) と述べた以外にも、「今が日本が許しを得られる最後のチャンス」「日本が歴史を正視し、歴史が残した傷跡を癒す努力をする」(慰安婦問題について)「北東アジアの平和のためには日本が正しい歴史認識を持たねばならない」(オバマ大統領との会談)「(日本の)右傾化は北東アジアだけでなくアジア全体(の国家)との関係を難しくし、日本にとっても望ましい方向ではない。日本は深く慎重に考えてほしい」 などと対日批判が止む気配はない。 以上、足早に歴代韓国大統領の反日言論を眺めてみたが、発言の内容を要約すれば、①韓国側の言い分をのまない限り、韓国は延々と過去の歴史カードを使いつづける。②日本が韓国のことを考え譲歩すれば、韓国側はチャンスとばかり次々と要求を強める。 ということに尽きるのであり、日本が譲歩することは日韓友好とはなりえない。仮に日本が要求を呑んだとしても、真実を捻じ曲げた日本にはフラストレーションがたまり、ますます嫌韓運動が激化していくのみである。 日本と韓国が真の融和をするには、韓国への温情を廃し、国際法の手続きに則って粛々と抗議をおこなうこと。そして韓国における親日家を育成・支援するよりほかはないのかもしれない。 もしくは融和などという言葉を捨てて、淡々と付き合う他ないか……。げんこつ・たくふみ 1976年生まれ。漢学、東洋思想、東洋史の研究をおこない、名越二荒之助(元高千穂商科大学教授)、杉之尾宣生(元防衛大学教授)に師事。日本のみならず、中国・韓国などで論文や研究発表などを精力的におこない成果を挙げている。著書は『韓国の歴史教材「東アジア史」の真実』( PHP研究所)、 『昭和の戦争の真実 語り継ぐ70の秘話』(扶桑社)など多数。   

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    韓国「卑日」とは対等な関係も友好もない

    デザイナー) 以前にも取り上げたことのある連載記事、「早読み 深読み 朝鮮半島」は、なかなか興味深い韓国分析をしている。多少、筆者のバイアスがかかっているとしても、わりと的確な内容だと思う。 多くのメディアでは、韓国の姿勢を「反日」と表現しているが、この記事では「卑日」という言葉を使っている。「反日」というと、ただ日本を敵視しているようにも受け取れるが、その動機や背景を知ると「卑日」という言葉の方が適切だと思えてくる。 詳しくはリンク先の記事を読んで欲しいが、韓国にとっては、立ち位置が日本より下か上かが、なによりも重要なのだという。 連載記事の最新号では……  韓国人の「自嘲」が生んだ「卑日」:日経ビジネスオンライン——前回は「崇日」の時代があり、それが「反日」の爆発を抑えていた、という話でした。鈴置:私のソウル在勤時代、まだ「葉銭」(ヨプチョン)という単語が使われていました。自嘲、卑下の言葉で「旧弊にしがみついて没落した韓国人」というぐらいの意味でした。 もともとは朝鮮朝の銅貨を指す単語だったそうです。それが「日本が紙幣を持ち込んだのに、古臭く使いにくい銅貨にしがみついた朝鮮人」という意味に転じ、さらには近代化に失敗した結果、日本の植民地に転落した自らを嘲笑う言葉に使われるようになった――と聞きました。 日本語にはそれに相当する、自嘲の単語は見当たりません。19世紀末、近代化に乗り遅れたことに韓国人がどれだけ悔しい思いをしているかをよく示す話と思います。そしてこの悔しさが奇妙な“崇日思想”を生んだのです。(中略)——「卑日」の動機と構造がよく分かりました。最後の質問です。韓国人はなぜ、「卑日」を世界で繰り広げるのでしょう。羽田行きモノレールの中でのように、韓国人同士で言い合えば十分な気もしますが。鈴置:いい質問です。そこがポイントです。答えは、韓国人がまだ、日本を見下すほどの自信を本当は持っていないからです。 世界の人々が「韓国が日本より上だ」とはっきり言ってくれるまで、韓国人はその確信が持てないのです。結局、慰安婦像は世界で立てられ続けることでしょう。                                                                                                                                                                                                                                 長い記事なので、最初と最後の引用だけに。 ようするに、韓国は自分たちが「上」で、日本は「下」だと、上下関係を確立したいのだろう。その根底には儒教の教えがあるという。 道理で、韓国発の記事では、なにかと日本と比較するものが多いわけだ。いちいち日本と比べなくてもいいだろうに……と思うことは少なくない。 韓国は中国を逆らえない宗主国だとも思っている一方で、経済発展を遂げた現在、国民感情的には中国を「下」だと思っているらしい。その歴史的背景は、日清戦争(1894年)以前の時代まで遡るという。▼関連記事 ついに「属国に戻れ」と韓国に命じた中国:日経ビジネスオンライン中国の歴代王朝は1895年に日清戦争で敗れるまで、朝鮮半島の王朝を冊封体制に組み込んでいました。長い間、中国人にとって朝鮮は属国、朝鮮人にとって中国は宗主国だったのです。                                                                                                            日本が植民地支配したことは1000年恨むといいつつも、まだ1000年経っていない中国(かつての清)による冊封体制は問題にしないようだ。 韓国の執拗なまでの謝罪要求は、自分たちが「上」であることを、内外に誇示したいという欲求(願望)なのだろう。これまでも度々謝罪はしているし、賠償(もしくは相当する補償や援助)もしているが、それでは欲求(願望)に見合う結果を得られていないと考えていると思われる。特に、国際的な評価では、韓国が望む上下関係は確立されていない。しかし、その手法では国際的な評価・評判は上がらないことに、当人達は気がついていないようだ。 韓国のコンプレックスは、相当に根が深い。 日本人の大多数は、日本が韓国より「上」とか「下」とかいう見方はしていないと思う。嫌韓の人たちは、見下しているのかもしれないが、好きか嫌いかというのは、上下関係の問題ではなく、好みの問題だ。嫌いになるのは拒絶であって、上下関係を確定することではないだろう。 「卑日」が求めていることは、日本を蔑むこと、屈服させることだ。そこに対等な関係はなく、友好もない。 そんな国と、どうやってつきあえばいいのか? まもなく戦後70年談話が発表されるが、そこにどんな文言が書かれていようが、韓国が納得することはありえない。 かの国が取るべき行動は、際限なく日本を叩くことだからだ。反日あるいは卑日をやめることは、彼らのアイデンティティを捨てることでもある。そんなことをできるはずがない。 私は嫌韓ではないものの、かといって親韓でもない。どちらかというと、あまり関わりたくない国という感覚。日本を仮想敵国のように扱う国に対して、無理してつきあわなくてもいいんじゃね? 距離を置いてつきあう相手……ということで、「離韓」でいいように思う。 サッカーの試合で韓国と対戦すると、異様に敵意むき出しなのには閉口する。東アジアカップで、日本は負けに等しい引き分けだったけど、韓国は強かったよ。それは認める。日本が弱すぎるんだけどね。 中国も日本相手だと、けっこうガツガツに戦うけど、ことサッカーに関しては、メディアもネット民も冷静なコメントをするんだよね。国歌斉唱での観客のブーイングはいただけないが、選手が政治問題を持ち込んだりはしていない。そこはサッカーに対して、実直だと思う。 共産党独裁政権で、言論統制も行われているのに、中国の方が韓国よりもバランスが取れている気がする。荒唐無稽な抗日ドラマを、「あほらしい」と酷評できる感覚はあるようだし。韓国では、親日的な発言は非国民扱いだよね。それが正論であっても。朴大統領の妹「正論」炸裂 舌鋒鋭く韓国批判 ネット民激怒「日本に移住しろ」:イザ!韓国による対日謝罪要求についても、「全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が訪日した際、首相よりはるかに重要な天皇(陛下)が頭を下げているのに、なぜ(日本の)首相が替わるたびに謝れと言うのか」と、韓国の対応を批判。「日本は韓国の経済発展の基になることをたくさんしてくれたのに、被害意識だけ抱いていては国益にならない」と発言した。 そのうえで、「北東アジアの平和実現のために日本は親しく付き合わなければならない隣国であり、解放前の“親日”と解放後の“親日”では概念が違う」と強調した。 すべてにおいて、日本を批判しなくてはいけない考え方は、理解に苦しむ。 中国とは仲良くできると思うけど、韓国は無理っぽい。 「離韓」で、距離を取ることが、お互いのためではないかと思う。(諫山裕の仕事部屋より転載)

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    甦る「脱亜論」 「反日」ばかりの中韓とは離れたほうがうまくいく

    けて訪中する差の付け方だった。 米政界で安倍氏の評判が必ずしも良くなかった原因は、日本が近隣の中国、韓国と揉(も)め事ばかり起こしている。それも戦争中の慰安婦をめぐって、謝らず、補償もしない。一方で戦後秩序を否定するために憲法を改正しようとしている右翼政治家だというものだった。 オバマ氏の対日感情もそれを基礎としたものだった。太平洋のバランスは日米対中国でとれるはずだったが、日本が中国と揉め事ばかり起こすのでは、米国が直接中国と仲良くしたほうが良いとでも考えるようになったのだろう。 中国も「新大陸関係」(新しい米中関係)という造語で米国を誘ったが、実態は太平洋を半分ずつ“管理”しようというものだった。そうなると日本は中華圏に入るのか。 中国という国の本質、日中両国の二千年近くにもわたる関係は当事者以外にはわからないだろう。韓国の朴槿惠大統領は米国をはじめ、欧州主要国を歴訪して、ひたすら、日本の悪口をいって廻った。この告げ口外交は「いまから思うとひどかった」と各国共に感じているようだが、当初は日本の外交にダメージを与えた。しかしセウォル号の沈没や軍内部の利権のつながり、政治家の汚職などが表面化してきて韓国が丸裸になると、日本の主張のまともさが際立ってきた。 軍が強制して慰安婦をかき集めてきたという醜聞も、それを書き立ててきた『朝日新聞』が昨年、32年間にわたる記事を取り消したため、韓国政府の立場が、一挙に怪しくなった。そもそも韓国はありもしない〝慰安婦〟事件で騒いで日本から何をとろうとしていたのか。 韓国は「慰安婦は性奴隷だ」と主張したが、その根拠は国連人権委員会のクマラスワミ報告書だけだ。同報告書で20万人の性奴隷と証言しているのは日本の左翼学者だけで他に正当な根拠はなにもない。従って日本政府はクマラスワミ氏に正式に訂正を申し入れた。一方、慰安婦達が戦中であっても“商行為”として正当な支払いを受けていたことは、米国の裁判所でも行政府でも認められている。 安倍訪米を控えて米国では韓国の言い分が成り立たないことが徐々に判明しつつあった。 片や、友好を深めようとした中国が箸にも棒にもかからない国であることを、オバマ氏は理解してきた。南シナ海の強盗のような岩礁地の埋め立てや基地造りを見れば、中国には力で抑止力を発揮するしかないと悟ったろう。日本の尖閣諸島についてオバマ氏は「日米安保条約の適用範囲だ」とわざわざ述べた。このことは米国ははっきりと日本の側に立つことを明らかにしたことにほかならない。中国とは力で対決する以外に身を護る方法はない。こういうと、所詮、暴力を使うのかと護憲論者はいうのだが、土俵上で四つに組んで横綱同士が動かないのはなぜか。両者が必死の力を込めているからだ。力を込められる自衛隊にしようというのが、国会で審議中の安保関連法案なのである。理解を深める騎士道と武士道 オバマ氏は中国を知るにつれ、日本ほど律義で頼りになる友好国はいないと悟っただろう。 安倍首相の米議会での演説は秀逸だった。 抜きんでていたのは第二次大戦について「痛切な反省」(deep remorse)を表明したことだろう。それまで中、韓両国に加えて米政府内にも河野、村山談話で述べられた同じ文言を使うべきだとの主張が強かった。しかし安倍氏は「アジア諸国に苦しみを与えた」と述べたうえで「痛切な反省」を述べた。「お詫び」とか「侵略」を入れろという周囲の声が一気に軽くなった。会談を前に握手するオバマ米大統領と安倍首相=2015年4月28日、ワシントンのホワイトハウス(共同) 首相は議場に硫黄島で生き残った米軍の老司令官と玉砕した日本側守備隊長の孫を紹介し、二人が固く握手する場面を演出した。「痛切な反省」と敵味方の握手があれば、騎士道と武士道では理解し合えるだろう。もう一つ良かったのは首相が前夜の夜会で、ナンバー2が手練手管を使ってナンバー1を追い出す米国のハウス・オブ・カードというドラマを紹介し、「このドラマをナンバー2の麻生副総理には見せないことにしたい」と述べて爆笑させた。米国人はこの手のユーモアをこよなく好み、安倍晋三という人物の印象を心に刻んだことだろう。 『読売新聞』の世論調査(5月11日)では安倍首相とオバマ大統領との間で、新たな日米防衛協力の指針(ガイドライン)を通じて日米同盟の強化を確認したことを「評価する」と答えた人は70%に達した。「評価しない」はわずか19%だった。 下院本会議場は500人を超える両院議員で埋め尽くされ、2階の傍聴席もほぼ満員だった。議員は頻繁に立ち上がって拍手も含めてスタンディングオベーションは35回重ねられたという。安倍氏の演説は40分の予定だったが、拍手によって5分間延びた。 安倍氏は日米同盟は、「法の支配、人権、自由を尊ぶという価値観を共同している」ことで成り立っていると定義し、自ら「希望の同盟」と名付けた。 同盟というのは力の均衡や戦力補充といった権謀術数を狙って行なわれるのが常だ。しかし単なる軍事的利害損得による離合集散は、事件が終われば疎遠になって解消する。米英ソは日独の軍国主義、全体主義を潰すといって同盟したが、日独が破滅したあとは中ソの共産主義と米国を中心とする西側の対立となった。米ソの冷戦が終わると、世界は米国一極となって米国は世界の警察官といわれた。 その米国一極体制が相対的に弱体化し、米国は三つの戦争ができなくなった。欧州、中東、アジアの三つの戦争を同時にできなくなって、欧州はNATO欧州諸国にまかせている。中東では戦争への介入失敗を続け、完全撤退はいまのところ無理だ。この時点でアジアが不安定になれば、米国一国では対中抑止力が効かなくなるだろう。中国への抑止力の一部として日本の軍事支援体制が不可欠になった。日本の側だけからみても、オバマ体制の初期に中国が「新大陸関係」と称して米中の“直接対話”を持ち出してきた時に、米国が乗り気になった時がある。米国が頼りにならなければ、日本独自で中国と対立せねばならなくなる。だからこそ米国との同盟関係を一段と強化しなければならないというのが安倍氏の考え方だ。同盟の動機、目的は自由、民主主義、基本的人権といった「希望」である限り、目的が陳腐化して同盟が崩れることはない。 世界情勢の変化に合わせて日米の軍事ガイドラインを仕切り直す必要がある。 安倍氏はとりあえず、軍事面での不備を補強、補正する必要があった。歴代内閣がことごとく避けてきたものを洗いざらい取り上げた。豪州との軍事協力体制は着々と進んでおり、潜水艦技術の供与も可能になった。これまで武器輸出三原則によって武器の輸出や共同製作ができなくなっていたのが昨年、防衛装備移転三原則に改められた。 訪米に当たって安倍内閣は国家安全保障会議(NSC)の設置、防衛計画大綱の改定、集団的自衛権の限定的容認を決めた。集団的自衛権をめぐる法律は恒久法にまとめられて国会に提出された。 野党は国会承認の前に安倍首相が米国で「夏にはまとめる」と約束したことをとらえて非難しているが、民主主義国の同盟というのは、内容を世界に発信することも必要なのだ。中国の「力の外交」に屈するな中国の「力の外交」に屈するな 戦後70年の日本の節目にふさわしいのは「集団的自衛権」を容認する安全保障関連法を成立させることだろう。国会審議は5月下旬から始まる予定だが、当分、国政選挙も地方選挙もない。国会で何十時間でも実のある審議ができる。この際、日本人は“軍事”について聡明になってもらいたい。 軍備は要らないという人達は憲法九条があったからこそ70年の平和が保てたという。あるいは9条を掲げるが故に軍備は持つべきではないという。この無手勝流の論理を掲げた旧社会党は最盛期の166議席から名を変えて存続する社民党2名(衆院)にまで転落した。九条の思想は実態的には消滅した。もはや宗教といっていいのではないか。 圧倒的に強かった米国の保護国並みの頃は、「戦さ」は米国まかせの気風が強かった。そのオバマ米国が頼りない感じを漂わせる一方、隣国、中国が力の外交をやるようになった。南シナ海の岩礁に飛行場やら軍事基地を造り出すやり方はまさに中国式だ。2014年の世界の軍事費は米国が前年比6・5%減らすなか、中国は9・7%増。第3位のロシアも8・1%増となった。 10年前に比べると米国が0・4%減らしたのに対し、中国が167%と伸びて世界最高を示している。日本はインド、ドイツを下廻り9位である。日米の軍事費に比べて中国の増加率はけたたましい。日米の側がこれに対抗するには日本の自衛力を動員できるようにするか、軍事費を注ぎ込むしかない。 9条派は以上のような国際情勢の変化を一顧だにせず、「解釈改憲」「戦争法案」反対だと切り捨てようとしている。民主党の岡田克也代表は憲法改正について「安倍さんの時代には議論しない」という。安倍首相の改憲論は厳しいだろうから「議論したくない」という論法である。相手がどのような思想であれ、議会というものは、議論を戦わせて勝負をつけるのがしきたりだ。岡田氏がいっているのは「あいつは人相が悪いから議論したくない」といっているのに等しい。それも国家にとって最重要な問題についてだ。 日本の憲法はもともと自衛権を否定してはいない。国連憲章には自衛権には「個別的」と「集団的」と両面あると規定してある。日本が勝手に「集団的自衛の権利はあるが行使はできない」と解釈してきた。これは内閣法制局の明白な誤りである。そもそも内閣法制局があらゆる法律について〝絶対的〟な解釈権をもっているのはおかしい。憲法四一条には国権の最高機関は国会であると規定してある。あらゆる法律が国会でつくられるのに、その解釈権を内閣法制局がなぜもつのか。内閣法制局は官僚内閣制を創るに当たって、法解釈の最高機関として設置された。国会を最高権力と決めた新憲法を制定するに当たって、内閣法制局は消滅した。これは当然の措置だが、それでは官僚内閣制が不備になるといって、数年後に復活誕生させたのである。安倍晋三氏は内閣の最高決議は閣議であるべきだとの考え方で、安保関連法は国会提出に当たって閣議で決定された。これが真っ当な形だ。 安保法制の具体像は簡略化していえば次の通りだ。(1)日本防衛活動をしている米軍や他国軍の支援(グレーゾーン事態への対応)(2)日本に重要な影響を与える事態への対応(周辺事態法の改正)(3)国際的な平和協力活動(PKO法改正)(4)集団的自衛権の行使(自衛隊法、武力攻撃事態法の改正)(5)相手国が同意した場合の邦人救出(自衛隊法改正)日米同盟は中東と中国で共通認識をもて 日米同盟は世界政策をも共有するほど重いものだ。共通の認識をもつに当たって、重要な点が2点ある。 中東と中国政策である。まず中東について米国はアラブ諸国に民主主義体制を植えつけるのを最善と考えているようだが、少なくともアラブ圏に先進国並みの民主主義体制を導入するのは無理だ。 私もイランのホメイニ革命の頃、アラブ諸国に入り浸っていたが、正直いって殺し合うほどの宗派の差は外部の人間には理解できない。現在、シリアでスンニ派と「イスラム国」という過激派が強烈に争う形になっている。そのシリアは強権的とはいえアサド大統領によって少なくとも治安は維持されていた。それが崩れたのはチュニジアでジャスミン革命と呼ばれる“民主化”革命がきっかけだった。その動きを世界中がほめそやして全アラブに広まった。エジプトでは過激派のイスラム同胞団が担いだモルシ氏が新大統領に当選した。モルシ氏が憲法改正案を準備したところで、軍部がクーデターを起こし、実質的にムバラク体制を復活させた。イランでホメイニ革命が成功したのはホメイニ師が政権をとってすぐに軍を掌握し宗教独裁の憲法制定に成功したからだ。 エジプトでムバラク大統領に仕えていた軍部はモルシ氏がホメイニ革命の二の舞いを演じ始めたのを悟って直ちに反革命を起こした。アラブ内で治まっている国の体制は軍部独裁、宗教独裁、王制、酋長(しゅうちょう)制など“独裁国家”に限られる。理論が1、2ミリ食い違っただけで殺し合いに発展する社会では、力で押えている政治体制のほうが安定的だと認識すべきだ。キリスト教の世界では宗派の違いを越えて共存するのに2千年かかった。アラブ世界に民主主義を導入するにはあと700年かかる勘定になる。イスラエルとの関係を抱えて、日本のように傍観するわけにはいかないが、米国が内戦を助長しているように見える。 第二点は中国の扱いである。 中国が突如、持ち出してきたAIIB(アジアインフラ投資銀行)構想は、中国が米国と太平洋を分割しようという“新大陸関係”の延長線上の戦略だろう。太平洋を分けるという軍事上の狙いに加えて、国際金融の面でもアジア・太平洋地域における覇権を強める狙いだ。 そこで中国がひねり出した手がAIIBという新手だ。国際金融機関としてはIMF(国際通貨基金)とADB(アジア開発銀行)がある。共に米国と日本が仕切っている銀行で、中国の思うような投資ができない。そこで資本金の50%を出資し、総裁も中国、本部も北京、理事会は設けないという中国国営銀行のようなものを編み出したのである。 中国はシルクロードの復活を目指して周辺国に“一帯一路”を呼びかけている。近隣各国に巨大な公共投資を行なわせれば、景気浮揚にもなるとあおっている。 中国はAIIBをテコに人民元を国際通貨の座に押し上げることに懸命になっている。 中国の李克強首相はIMFの特別引出し権(SDR)の構成要素に人民元を採用するようラガルド専務理事に申し入れた。人民元の資本取引を活発化させ、人民元が国際通貨に採用されることで、金融の維持や人民元の国際化により国際社会のなかで中国が大きな役割を担うことになると力説したという。 しかし中国のAIIB設立もSDRの構成要素に入れろというのも、別の意図が透けてみえる。中国は2008年のリーマンショックの際、莫大な公共投資を行なって中国や世界の窮地を救った。その後遺症で中国は国民総生産4、5%の域に落ちているという見方もある。本来の中国流なら莫大な国費を注ぎ込んで、同様の対策を試みるはずだが、実は中国には金がない。 中国の債券証券発行額は増加する一方で、これ以上の借金ができない。そこでAIIBを設立して、そこから金を出して周辺国に公共投資をやらせる腹なのではないか。下手をすると国内投資の不足分をAIIBの名でかき集めて、自国の公共投資に当てる算段かもしれない。 欧州諸国が参加したのはIMF、ADBでは物品の輸出入には便利でも、大規模なインフラ投資に不利だったということがあるだろう。安倍首相は「ガバナンスをみてみる」と述べたが、妥当な判断だろう。忘れてならないのはAIIBが正真正銘の中国共産党の銀行だということだ。三権分立もなく、不公正を訴える場もない銀行は国際社会の信を得られない。その本質を直視しつつ矛盾点を指摘し続ければ、不正な銀行は破綻する。 日本では教養人で漢詩をたしなむ者が多く、中国コンプレックスが強い。中国人を“大人”と見なし、話し合えば争いの片がつくと思っている官僚、政治家が多い。完全に中国人を買いかぶっているのだ。 戦後、中国に対して贖罪意識を抱いていた政治家は日米同盟があるのに、中国やソ連とも等距離で付き合おうという首相(三木武夫氏)まで出た。中国と付き合うこと自体が自民党内のステータスにもなった。 これは官僚も同じで、与党の外交方針が固まっていないため、外務省の各局が独自の方針で相手国に臨んだ。その典型が中国を専門とする「チャイナスクール」の誕生だ。チャイナスクールは中国や韓国の機嫌を損ねてはいけないというのが、第一義の任務で、その典型が慰安婦問題だ。つい何年か前まで日本の中学校教科書には「従軍慰安婦強制連行」という単語があった。しかし「従軍慰安婦」という単語自体存在しなかったというので「慰安婦」だけが残された。さらに「強制連行」した事実もない。そこで「従軍」と「強制連行」を削除すると「慰安婦」だけになる。とすればこういう“商売”があるということを中学校段階の教科書に使うことはない。当然、教科書から記述が落ちたのだが、これを落とすと「歴史認識」で中国、韓国両国は日本を攻めることができない。「慰安婦」問題で攻められたら、政治家はもちろん、外交官はそれが誤りだったことを説明しなければならない。 ところがファクトを勉強していない外交官はこの問題を持ち出されると、「河野談話で詫びたし、もう補償も済んでいます」と答えるのだ。米国大使だった加藤良三氏は韓国の謝罪申し入れに強烈に反論すべき立場なのに「いまからではもう遅すぎますよ」とうそぶいていたものだ。『朝日新聞』が32年経って「事実は確認できない」といって取り消したのが立派に見えるほどだ。中世も近代も経験しなかった中韓中世も近代も経験しなかった中韓 官僚、政治家、教養人がどうしても一目置くのは5千年という中国の古さである。5千年の間に国家は財や知識を積み上げているはずだと錯覚する。2300年も前の孔子や孟子の教えを日本では江戸時代の寺子屋で農民の婦女子にまで教えていた。寺子屋時代は250年続き、その後百年孔子の論語は生命を得た。日本人の知識に「古い国」という意識を植え込んだのは司馬遷の『史記』だと中国史の泰斗・岡田英弘氏はいう。 実際の中国は洛陽のそばの「華山」という山の近くで栄えた商業都市で、紀元前221年に始皇帝が「秦」を起こして、そのあと「漢」「唐」「元」「明」「清」の五つの異種族王朝が興亡した。秦以前の「夏」「殷」「周」は神話の世界である。 五つの大国があったのは確かだが、五つとも人種も言語も違い、共通するのは商売のやり方ぐらいのものだった。韓国銀行の調べでは200年以上続いた老舗企業は世界41カ国で5586社が確認されているが、日本は3146社(全体の56%)と断トツ。2位はドイツ837社で、中国は第6位だが、9社しかない。商売が長続きするには社会が安定しなければならない。長期、安定してこそ技術も芸術も栄える。 中国は大地の上に入れ替わり立ち替わり、支配民族が交代したにすぎない。しかし商売するためには共通の符帳や共通の文字が必要だ。そこで使われたのが漢字で、7世紀頃から科挙の制度を創設して、商売や行政命令書を漢字で書かせた。国が交代しても科挙(役人)が必要なわけで、科挙の給料は自分で決めた。現在でも、市長が交代したら税金が5割上がるなどは当たり前だが、これは清の時代に廃止されたはずの科挙の伝統なのだ。 「中国」とは洛陽を中心にした「マーケット」で近所に華山があったから中華と呼ばれたが、中国とか中華という国が2千年続いたわけではない。中国という土地に国を建てたのは漢族、満州族、蒙古族、回(ウィグル)族、チベット族の五族だ。朝鮮民族が中国の主になったことはなく、日本併合までの500年間、中国の属国だった。彼等は漢字を操るのが最高の価値だと考えて、職人を卑しんだ。 帝国主義の時代、西欧列強は中国を侵食しはじめ、中国は朝鮮を併呑しようとした。日本はこれを食い止めるため日清戦争を起こして勝った。日清戦争の講和条件を決めた下関条約の第一条をみると、日本の戦争目的がよくわかる。普通、第一条は戦勝国に対する賠償金や分捕った領土が書いてあるが、下関条約の第一条には、これにて「朝鮮の独立を確認する」旨が書いてある。朝鮮がこれに従って独立を確保すれば、東アジアの安定につながったはずだが、属国根性の抜けない朝鮮はロシアの支配下に入ろうとしたのである。 朝鮮戦争のあと韓国は米韓条約を結んで“西側陣営”に自らをつなぎとめたが、朴槿惠大統領をはじめ韓国全体は元の中華圏に入って中国の属国に復帰したいようだ。 韓国にとって致命的なのは、中国の属国になって儒教を信奉したことだ。儒教というのは宗教ではなく社会や家庭の秩序を保つために、長幼の序を決めることだ。その社会で最も大切なのは漢字で、支配階級は漢字を書く以外のことを蔑んだ。したがって技術者は育たず、国民の30%が奴隷となった。日清戦争の結果、朝鮮の奴隷は解放された。中、韓とも中世も近代も経験せず、日本にいきなり現代に引きずり込まれたようなものだ。当時、敗れた清から孫文や魯迅ら2万人前後が日本に留学し、日本語に訳された西洋文化や科学を学んだ。 哲学、主義、科学といった単語はみな日本語で、現在、中国で使われている単語の6割か7割は日本語であるという。中華人民共和国などは日本語表記だと岡田英弘先生はいう。「東亜の悪友」と離れるとき 西欧と日本に共通しているのは長い中世の時代、封建時代を経て、社会に共通のモラルが醸成されたことだ。騎士道と武士道は似ているが、永い戦いが続いて、戦さの作法ができ上がったことがわかる。日本では最後は大将同士が戦って勝敗を決めた。戦争の簡素化が続くうちに戦国時代が終わって、文明の時代が築かれた。 明治時代、孫文や岡倉天心は「アジアは一つ」とか「黄色人種の団結」を叫んでいたが、これに断固、異を唱えたのは福沢諭吉で、中、韓を「東亜の悪友」と断じ、日本は西欧と交わるべしと「脱亜論」を書いた。 福沢は中国や韓国と組んでいると、西欧諸国から同類とみられるぞと戒めている。日本と中国、韓国との違いはいまも明らかだ。嘘をつくとか偽物を造るなどを、中・韓両国では「悪徳」と思っていないのではないか。あらゆる製品の偽物は瞬時にできる。中・韓両国では知的財産権などまったく認められていない。 ある大会社の社長にこの偽物をどうすれば成敗できるのかと聞いたところ、偽物が出たら、向こうがしこたま在庫が出たところで、こちらが新製品を出す。向こうは在庫を抱えて日本に「爆買い」に来るしかないと呵々大笑したのには驚いた。 中・韓の致命傷は新製品を造り出せないという発想と技術の粗末さにある。この欠点は中世と近代を経なかった彼等の歴史上の欠陥にある。「歴史認識」とはこういうことをいうのだと自戒せよ。 ややま・たろう 1932年、福岡県生まれ。東北大学文学部仏文科卒。時事通信社に入社後、政治部記者、ローマ特派員、官邸クラブキャップ、ジュネーブ特派員、編集委員兼解説委員を歴任。81年より第二次臨時行政調査会(土光臨調)に参画し、国鉄の分割・民営化を推進した。87年に退社。2001年に正論大賞を受賞。著書に『それでも日本を救うのは安倍政権しかない』(PHP研究所)ほか多数。関連記事■ 日米vs中韓~歴史修正主義批判を問う■ 日韓基本条約50年目の真実~韓国に助け舟は出してはならない!■ 呉善花<緊急寄稿>さよなら、幻想の国・韓国■ [歴史に背く韓国]第二の安重根が生まれる日■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき

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    習近平と朴槿惠、ワニとワニチドリ

    巨漢習近平に寄り添う朴槿惠をみて連想したのは、ワニとワニチドリの関係です。生物世界でいう「共生」ですね。ほかにアリとアブラムシも、よく引合いに出されます。

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    「中国に従順であればいい」習近平の朝鮮政策の本音を暴く

     北京で今月3日に行われた「抗日戦勝70年」の記念式典と軍事パレードで、韓国の朴槿恵大統領に対し中国当局が見せた“異例”の厚遇と、北朝鮮への露骨なまでの冷遇。対朝鮮半島外交での南北への温度差を、中国は強烈に見せつけた。韓国では朝鮮半島統一を視野に、対中関係の進展を歓迎する熱が今も冷めていない。そんな韓国への接近を続ける姿勢からは、中国の朝鮮半島政策の本音が感じ取られる。(ソウル 名村隆寛)異例の厚遇に今も余韻 天安門広場で盛大に行われた軍事パレードを、朴大統領は天安門の楼上から観閲した。習近平国家主席の右隣にはロシアのプーチン大統領。朴大統領は賓客としてはそれに次ぐ2番目に座った。 北京からの映像は、黄色い服装でただでさえ目立つ朴大統領を、その“序列”が一層際立たせた。韓国メディアは、韓国の首脳として初めて軍事パレードを参観した朴大統領の様子を、逐一速報。予想以上の中国のもてなしぶりを感激を込めて伝えた。 また、韓国人の潘基文国連事務総長が夫妻で習主席から5番目と6番目にそれぞれ着席したことも、加えて韓国を感動させた。 同時に韓国が驚いたのは、北朝鮮に対する中国の想像以上の冷たさだ。北朝鮮の金正恩第1書記の「代理」として訪中した崔竜海書記は、列の最も端に座った。「中朝関係の変化を象徴」(聯合ニュース)「朝鮮半島の南北に対する中国の比重が変化」(KBSテレビ)などと、韓国メディアは中国の「変化」をこぞって指摘し、強調した。 「感激」「感激」の雰囲気に包まれるなか、朴大統領は帰国。訪中の成果を強調する韓国政府はもちろんのこと、メディアも大統領の訪中をおおむね肯定的に評価している。中国の朴大統領への厚遇と韓国への“特別な配慮”は、韓国世論の対中国観をさらに向上させている。苦慮の末の訪中、観閲 朴大統領の訪中と軍事パレード観閲については、韓国国内で異論もあった。 中国は南シナ海のスプラトリー(中国名・南沙)諸島の実効支配で国際社会から批判を受けている。そんな中国で軍事パレード観閲に参加することが、果たして韓国の国益にかなうのかという批判だ。 また、中国は朝鮮戦争(1950~53年)に介入し、韓国軍と米国を中心とした国連の連合軍を相手に戦った。緒戦で北朝鮮の南下を許した韓国側は、その後、一気に北上し、中朝国境の一部にまで達した。ここで北側に付き参戦した中国軍(人民志願軍)のために、戦況は膠着(こうちゃく)し、その結果、韓国軍は約20万人の死傷者(米軍を含む国連軍全体での死傷者は約36万人)を出したといわれ、大きな打撃を受けた。 韓国には当時を生々しく記憶している世代が今も存命している。特に保守層の中には朴大統領の軍事パレード観閲に反発する声もあった。しかし、朴大統領はそうした反対を押し切り、訪中した。反対世論を説得したキーワードは「朝鮮半島の統一」である。 昨年の年頭記者会見で「統一は大当たり(大もうけ)だ」とまで断言した朴大統領にとって、朝鮮半島の統一は最大の目玉政策だ。その統一のためには、北朝鮮との関係改善には中国の影響力は欠かせない。中朝関係が冷え切っているとはいえ、中国の存在は大きい。背に腹は代えられないわけだ。露骨な対北冷遇 韓国大歓迎の一方で、中国は今回、北朝鮮への“冷遇ぶり”を見せつけた。国家元首ではない“格下”とはいえ、崔竜海書記への対応は冷た過ぎると言ってもいいほどだ。 金正恩第1書記の祖父である金日成主席の存命中に、中朝関係を象徴する表現だった「血の友誼」や「唇と歯のような関係」は面影もなく、全く消えうせた。また、自ら訪中し中朝首脳会談に臨み、対中関係を維持した金正日総書記の時代に比べても、中朝関係が極端に冷え込んでいることが露呈した。 崔竜海書記を残酷なまでに“冷遇のさらし者”としたこの様子は、映像などを通して朝鮮半島の南北だけでなく、全世界に知らしめたられたわけだ。習近平体制の中国は当然、これを意図的に見せつけた。もちろん、北朝鮮の金正恩政権を意識した上でのことは間違いない。中国は北朝鮮に相当な圧力かけ、それを白日の下にさらした。 北京の天安門で青空のもと、大胆な「南軟・北硬」のドラマを演出した中国。かつては血で塗り固められた関係であろうが、従わない北朝鮮には無言の圧力を感じさせる。ソウルからその様子を見ていて、「実にやり方が中国らしい」と感じさせられた。白猫でも黒猫でも。南でも北でも 朴槿恵大統領を最大限に厚遇し、韓国を感激させるかたわら、国際社会で孤立する北朝鮮を容赦なく追い込む中国。中国の朴大統領厚遇について韓国大統領府関係者は「(中国当局の)大きな配慮で、変化した韓国の地位を示した」(聯合ニュース)と評価したという。だが、果たして韓国メディアが分析したように中国の朝鮮半島政策は変わったのだろうか。 習近平国家主席が朝鮮半島の南北に示した態度を見ていて、トウ小平元国家主席が残した名言が頭をよぎった。 「白猫であれ黒猫であれ、ネズミを捕るのがよい猫である」という言葉だ。経済での生産力第一主義を言い表したものであり、時代背景やその意図は全く異なる。 ただ、私見ではあるが、この「白猫と黒猫」を朝鮮半島の南北に置き換えてみたら、すんなりとくる。「北であれ南であれ、中国に従順な朝鮮半島であればいい」。中国の本音は、あえて言えばこんなものではないか。 秋波を送れば近寄ってくる韓国は“予想通り”に感激し、近寄ってきた。一方で、北朝鮮の金正恩政権は親中国派の張成沢氏を処刑した後も、ますます中国の言うことを聞かなくなっている。仕方ないから中国は、さらに北朝鮮を締め上げる。北朝鮮が本心から米国と関係を改善し、米国ベッタリにならない限りにおいては。 北朝鮮の経済状況が悪化しようが、当分は米国との防波堤のままでいてくれればいい。それほどに中国はこと朝鮮半島に対しては歴史的にもドライであり、したたかであり続けているのだ。変わったのはむしろ南北 先述のように、韓国には過度な対中国傾斜を戒める声が厳然としてある。特に同盟国である米国とのからみで、中韓接近が米国の「誤解」を招かないかという懸念だ。 そうした韓国国内の心配や米国に配慮したのか、朴大統領は最後まで毅然(きぜん)とした表情で座ったまま軍事パレードを観閲し続けたという。韓国なりに頭をひねり、気を配ったことがうかがえる。 訪米した習近平主席は、25日にオバマ米大大統領と会談する。ほぼ同時期に朴大統領も訪米し、ニューヨークで国連総会に出席。さらに10月にも再度、訪米し、米韓首脳会談に臨む。この場で朴大統領が米韓関係、米韓同盟の緊密さを確認しアピールすることは必至だ。 韓国外務省の元当局者は「朴政権は対米関係の重要性や誤解を招いてはならないことは十分に理解している。慎重に扱うべきことは対米、対中との距離のバランスではないか」と指摘する。 米中の間で苦慮する韓国の様子を眺める中国。その韓国の胸中を中国が十分に見透かしていることは濃厚であり、この元外務省当局者もそのことについては否定しない。 米国に気を使いながらも、中国との関係進展を歓迎し、期待通りに近づいてくる韓国。一方で、弾道ミサイルの発射や4回目の核実験を示唆するなど中国の言うことを聞かなくなってしまった北朝鮮。そんな朝鮮半島の南北を中国は高みから眺めているかのような状況だ。長年、中国が朝鮮半島にとり続けてきた基本的な変わらない姿勢である。手のひら返しも 朴大統領の訪中の際、韓国厚遇で見せたように、中国は韓国を感激させ、韓国世論(メディア)の操作も簡単かつ巧妙にやってのける。中国が今後も韓国に対し“笑顔”で接し続けることは容易に予想できる。ただし、韓国が自ら中国に接近し、北朝鮮のように逆らわない限りは。 中国が現在、韓国に対して最も神経をとがらせているのは、ミサイル防衛(MD)だ。米国は最新鋭の迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD、サード」の韓国配備を韓国に促しており、中国は配備に強く反対している。 THAADへの韓国の対応次第では、中国が手のひらを返したような反応に出ることは十分に予想できる。笑顔で手招きする一方で、相手の出方によっては態度を急変させる。中国はそうしたことをできる国である。とりわけ朝鮮半島に関しては。さらに、THAAD配備をめぐる韓国の胸の内、対中懸念についても、中国は十分に把握しているとみられる。 朝鮮半島では今、南が米中双方の関係維持に苦慮する一方で、北は孤立の度を深めている。これまでの“挑発ポーズ”の繰り返しではなく、北朝鮮の本気の暴発が起きた場合、中国がどのように出てくるかは分からない。ただ、南であれ北であれ、素直に言うことを聞いてくれる朝鮮半島の政権の動向を中国は今、冷静に見守っていることだろう。

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    「裸の女王様」にご用心!

    室谷克実(ジャーナリスト)韓国人の労働意識の低さ 「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録に対する韓国の妨害活動は大成功だったと言っていいでしょう。 韓国は、長崎県の端島炭坑、いわゆる軍艦島をはじめ日本が登録を申請した二十三の施設のうち、軍艦島や旧八幡製鉄など七つの施設で「第二次大戦中に朝鮮人が強制労働をさせられた」と主張して登録に反対していました。日本が産業国家に生まれ変わる幕末から明治にかけての「一八五〇年から一九一〇年まで」が対象だったにもかかわらず、韓国は「第二次大戦中の強制労働を隠蔽しようとするものだ」と難癖をつけた。そもそも、戦時中の徴用は国民徴用令に基づくものであって、「強制労働」などではありません。戦時下の労働力不足を補う「徴用」は欧米をはじめどこの国でも行われており、給料も支払われます。これを非人道的な強制というのなら、韓国の徴兵制だって「強制」として拒否できることになる。 しかし、韓国国内で、元徴用工が「強制労働をさせられた」と日本企業を相手取って訴訟を起こし、賠償金を要求しているため、いつのまにか徴用が強制連行という話になった。つまり〝従軍慰安婦〟と構造はまったく同じです。 考えてみると、これは単に日本を貶め、金を巻き上げるためだけでなく、彼らの労働観が日本人とはまったく違っていることも理由の一つかもしれません。「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録決定後、スピーチする韓国政府関係者=10月5日、ドイツ・ボン 日本が進出するまでの朝鮮半島では、商工業は無きに等しかったから、労働者といえば「奴婢」のことでした。奴婢は両班と呼ばれる貴族階級の家に属し、家事や雑用、畑仕事などをしていました。別に給料が出るわけではない。飯を食わせてもらって、たまに着るものをもらうくらい。ご主人一家の残飯を雑穀にかけて混ぜて食べたのがビビンバの始まりで、それが御馳走です。半島の古典などを読んでみると、仲間同士でおしゃべりをしたり、適当にサボったりしながら最低限の仕事しかしない。そういうものが労働だと彼らは思っていた。 その感覚で日本の近代産業工場に働きに来てみたら、流れ作業で次から次へ仕事が回ってくる。そんなところでマゴマゴしていたり、サボったりしていたら、昔なら「こいつめ、何やっとる」と、それこそ頭の一発も殴られたでしょう。それが朝鮮人にとっては「強制的に働かされた」ということになるのかもしれない。もちろん、当時の記録や手記などを読むと、優秀でよく働く朝鮮人もいたようです。しかし、一般的な朝鮮人の勤労意識の低さが、強制労働だ、奴隷労働だという発想に結びついていることは十分に考えられます。 いまの韓国でも、現代自動車の工場労働者たちに言わせれば、トヨタ自動車では「奴隷労働」をさせている。ヒュンダイの工場は世界的にみても一人あたりの生産台数が非常に低い。トヨタの半分くらいです。それでいて給料はトヨタの倍近く取っている。だから生産効率からいったらトヨタの四分の一しかないのです。 七〇年代後半から八〇年代にかけて、日本の自動車メーカーがアメリカに進出して現地生産を始めたとき、アメリカ人工場労働者の意識の低さ、勤労意欲の欠如に頭を悩ませたことがありました。クルマを組み立てながらものを食べる、組み立てラインに平気でゴミを捨てる、勤務終了時間になると途中で放り出して帰ってしまう。おそらく意識としてはヒュンダイの工場労働者も同じようなものでしょう。労働観のまったく違う彼らからみれば、トヨタは規律が厳しく、半分の給料で二倍働かされる。まさに、日本はいまも日本人に〝強制労働〟を強いているわけです(笑)。スパイか大バカ者 世界遺産登録の審議がドイツのボンで開かれる二週間前に、韓国の尹炳世外相が来日して日韓外相会談が行われました。それまで尹外相は議長国のドイツに行って外相と会談し、韓国の閣僚が一度も足を踏み入れたことのない委員国のクロアチアにまで足をのばして日本の世界遺産登録反対を働きかけていた。それが日本に来たら一転して「日本の世界文化遺産登録に協力します」と言い出しました。 岸田文雄外相は「両国が協力することで完全に一致した」と胸を張り、日本は韓国側の「百済の歴史遺跡地区」の登録に全面協力すると発表しました。それだけならともかく、世界遺産委員会の審議の場で、朝鮮人が徴用されて働かされた歴史に触れること、登録後は軍艦島などにそうした歴史を記した案内板を設置するなどと約束して、この件は解決済みとした。実に甘い。 韓国が急に好意的になったわけではありません。この件に関して尹外相は公式には「円満に解決しようという共通認識をもって緊密に協力することにした」と言っただけでした。つまり、最後の交渉の余地を残しておいたのです。あの国のことを少しでも知っている人間なら、そんなことをしたら韓国人が最後に手のひらを反し、ゴネ始めることはわかりきっていた。 野田佳彦前首相が六月二十九日、BLOGOSに「油断禁物」と題するコラムをアップしています。李明博ジキルが一晩明けたらハイドになっていた体験を語り、世界遺産の件でも「油断禁物」と。 案の定、遺産登録審査の土壇場になって、韓国は「軍艦島はアウシュビッツと同じものだ」とまで言い出して強硬に反対し、審査が一日延びた。さらに登録決定後の委員会におけるスピーチで日本代表団は「(朝鮮人は)意に反して労働を強いられた(forced to work)」と付け加えざるを得なくなりました。 日本からすれば詐欺にあったようなものです。しかし、韓国からすれば、「協力することに原則としては一致したが、課題はまだ残っているということは日本もわかっていたではないか」ということになる。それは韓国の言い分のほうが正しい。「それについては今後また詰めましょう」という話だったのですから。 非難されるべきは、そんな重要なことを今後の課題として残した人間です。私は、初めからそういう手筈を整えていた内通者がいたのではないかと疑っています。そうでなければ、日本の官僚はこれまでの日韓関係史を何も学んでいない大バカ者としか言いようがない。「国連なんて田舎の信用組合」 「徴用は強制労働を意味するものではない」と岸田外相は弁明しましたが、後の祭りです。韓国に言わせれば、ボンでは強制労働を認めておきながら日本は二枚舌を使っている。だから、「これは日本との戦いである。強制労働だったという正しい解釈を、国を挙げて世界に広めなければならない」という論調になります。韓国人は「正当性はわれにあり」と心から信じているのです。 外務省は、「強制性を認めた」日本代表団の委員会での発言を資料として裁判に利用しない旨、韓国政府から言質を取ってあると言っています。しかし、三権分立の建前からすれば政府は政府、司法は司法です。資料は行政府から渡されたのではない、ユネスコの委員会から受け取った資料で裁くのに何の問題もないはずだと言われれば、どうしようもない。 まして、一九六五年の日韓請求権、経済協力協定で「法的に完全かつ最終的に解決済み」だった問題さえ蒸し返す国ですから、そんな〝約束〟はいつでもひっくり返すでしょう。現に韓国の聯合通信は「日本が強制労働を認定した」「日本が第二次大戦中の強制徴用の事実を国際社会で公式に言及したのは初めて」と、勝ち誇るような記事を配信しています。 韓国側が登録申請した「百済の歴史地区」など、あんなもの何もないつまらないところです。日本はお人よしにも全面的に支持しましたが、日本は韓国と渡り合うためにこれを利用すべきだった。「百済は日本人がつくった」と韓国流に難癖をつけて相打ちにするとか、やりようはいくらでもあったはずです。それを百済のほうは無条件で先に通してしまって、それから韓国にゴネられて「強制労働」の表現をどうしようと悩むのだから、バカに上・中・並があるとしたら特上の大バカです。 そもそも、ユネスコごときに世界遺産と認定されるのがそんなにありがたいことなのか。かつて佐藤栄作内閣の防衛長官だった西村直己氏が「国連なんて田舎の信用組合みたいなものだ」と言って辞めさせられたことがありましたが、あれこそ正論です。観光客が増えると言ったって効果はせいぜい一年か二年でしょう。観光客向けに、田舎の信用組合からもらった表彰状を仰々しく飾っているようなもので、そんなもののために日本に関する歪曲史を世界に広める権利を、日本の外務省は韓国に売り渡したのです。北朝鮮と同じDNA北朝鮮と同じDNA国連総会で一般討論演説を行う韓国の朴槿恵大統領。慰安婦問題や日本の安全保障関連法について持論を展開した=9月28日、米ニューヨークの国連本部 最近の朴槿惠氏を見ていると、自分はもはや大統領ではなく、女王であるという意識が生まれているように思えます。つまり、父親の朴正熙と同じ独裁者です。 彼女には大統領になろうという意思はあったにしても、具体的に何をしようということは、おそらく考えていなかったのではないか。基本方針だけ考えて、あとはすべて側近に任せたのでしょう。もう誰も覚えていないし、本人も忘れてしまっているかもしれないが(笑)、大統領選時の第一の公約は「経済民主化」でした。 ところが、保守系の新聞、朝鮮日報によれば、「初めて親朴グループを結成したときのメンバーの七〇%が朴大統領に背を向け」、朴大統領は彼らを「臣下」だと思っているというのです。つまり、逆に言えば朴大統領は自分を女帝と意識していることになる。 現在、与党セヌリ党は大統領との軋轢で党内がガタガタになっています。朴槿惠派のほうが実際は少数であるにもかかわらず、大統領府の権力で多数派が完全に切り崩され、イエスマンばかりになった。そうなると、つまるところ私に逆らうものは許さないという話になってくる。それが顕著に現れたのが、セヌリ党の劉承旼院内代表を閣議で罵倒し、辞任に追い込んだ六月の事件です。 発端は、行政府に対して国会の権限を強化する改正国会法案でした。韓国の行政府は法律に定められた範囲を逸脱して施行令を出したりすることがよくあるから、それに国会が異議を唱えた場合は、行政府は再検討して国会に報告しなければならないという法案です。 この法案に対して大統領府は「行政府を縛り、三権分立を脅かすものだ」と反対していました。しかし、セヌリ党は与野党協力を優先させ、別の法案と抱き合わせる形で国会を通過させた。これに朴槿惠氏が激怒しました。ところが、実は法案の内容というよりも、劉承旼院内代表が許せないということだった。院内代表とは、日本で言えば国会対策委員長です。劉承旼氏は反朴槿惠派でしたが、議員投票で院内代表に選ばれていました。 朴槿惠大統領は六月二十五日、通常は首相が主宰する閣議を自ら主宰して、劉承旼氏を糾弾する自筆原稿を十分以上も延々と読み上げました。表向きは「与野党の国会法改正合意は違憲である」と、その責任者を批判する内容でしたが、「(国会対応で)民意ではなく自らの政治目的を優先させた」「裏切りの政治に国民の審判を」などと劉氏個人を槍玉に挙げていた。実質的には起訴状の朗読でした。 実は、劉承旼氏は、かつて朴槿惠氏の政策参謀だった人です。どうしても参謀になってほしいと朴槿惠氏自身が頼み込んで、ようやく承知してもらった。ところが自分を見限って出ていってしまったから、彼女にとっては〝裏切り者〟です。 おもしろいのは、セヌリ党がハンナラ党という名前の野党時代に、総裁だった朴槿惠氏は問題の改正国会法案とほとんど同じ法案を提出していることです。結局、それは否決されましたが、同じような内容の法案であるにもかかわらず、かつては側近だったのに「増税なき福祉は虚論だ」と自分を批判するような裏切り者が提出したのは許せない、辞めさせてやるというわけです。もう完全な「私」の政治になっている。 例のセウォル号の沈没事故があった日(四月十六日)に朴槿惠氏が行方不明になっていた、いわゆる「空白の七時間」事件でも、朴槿惠氏が議員時代から使っていた青瓦台の秘書官が問題にされると、朴槿惠は「この人たちは私心なく仕えてきた」といきり立った。国のためではなく、私心なく「私」に仕えてきた、何の問題があるんだということです。「公」の概念が完全になくなって、「私」の政治になってしまっている。もう何かしら敵をつくって攻撃しないと政権が持たない、末期的な症状と言っていいかもしれません。 国政を審議する閣議を私物化し、十分間以上にわたって元側近の与党幹部の罪状を読み上げて直接批判するなど、実に異常です。しかも閣僚たちは何も言わずに黙ってメモを取っていた。韓国の政界では「まるで王朝時代だ」という声が上がりました。 これは公開か非公開か、〝政治的死〟か〝物理的死〟かの違いはあっても、張成沢氏を抹殺した北朝鮮の金正恩王朝の体制と同じ、王と臣下の関係です。文句を言う家来は死罪になる。北も南も、李氏朝鮮時代と同じことをいまだにやっている。これが朝鮮人の体質なのでしょう。引きこもりの毎日 MERS(中東呼吸器症候群)感染拡散の問題については、あの国の民度の低さを表していました。隔離の対象になった人たちが、どんどん海外に出て行ってしまう。院内感染した医者までが一千五百人以上集まった地域行事に参加している。老人ばかりの山村で自宅隔離されていたおばあさんが平気であちこち出かけて行っては何時間も話し込んでいるので、警察はしかたなく村を封鎖してしまった(笑)。 そんな大騒ぎになっても、大統領は見事に何もしませんでした。専門家に任せると言って丸投げし、本人は一回か二回、病院を視察に行って、全感染者の半数を出したサムスンソウル病院のソン・ジェフン院長を自分の出張先まで呼びつけて叱りとばしただけだった。サムスン財閥に気をつかって初めは病院名さえ公表しませんでした。ネットで名前が拡散して、しかたなく公表する始末です。 保健福祉大臣(厚生大臣)の文亨杓 氏は、当初は「三百万人が感染して初めて非常事態と言える」と発言し、感染力が弱いから問題はない、マスクをする必要もないと言っていたのに、病院を視察に行ったとき、自分はマスクをしていた(笑)。朴槿惠氏も「手洗いを励行すれば大丈夫」などと言っていました。政府にも、医療関係者にも危機管理意識がまったくなかった。その結果、感染者百八十六人、死者三十六人を出すことになってしまった。 MERS対策の不手際と院内代表の辞任問題もあって、最近は国内の新聞でも「大統領府は無能だ」「裸の女王だ」という反朴槿惠の論調が目立つようになりました。 左翼系のハンギョレ新聞は「大韓民国は民主共和国なのか」と題する社説(七月九日)で、「政党民主主義が一瞬にして軍事独裁時代に戻ってしまうとは」と書いています。これは与党の多数派を裏切って〝女王〟にひれ伏したセヌリ党の金武星代表を攻撃しているのです。 同じくハンギョレの「朴大統領が会っている人は本当にいるのか」(七月四日)という記事は、できるだけ人と会わず官邸、それも大統領個人の居住スペースに引きこもっている朴槿惠の姿を報じ、「(大統領は)誰かに会うことがあるのだろうか?」と結んでいます。 保守系の中央日報の「裸になった大統領」(七月六日)は、「青瓦台(大統領府)と政権与党の指導部の対立、政権与党の内紛を見守りながら思い浮かんだのが(開高健の小説)『裸の王様』だった。……王は裸になっても恥ずかしいとは知らず、臣下は偽りを言いながら唇に唾も塗らない」と、婉曲ながら手厳しく朴槿惠氏を批判している。 さらに、朝鮮日報の「大韓民国の女王・朴槿惠」(七月九日)は、周辺の人物が語った朴槿惠氏のさまざまな〝異様な素顔〟を紹介し、「十二歳から三十歳までの時期の(大統領府での)生活が、人格の形成にどのような影響を与えたのかは、誰もが知っている」と書いています。報道の自由が事実上ない国のメディアとしては、ギリギリの表現と言えるでしょう。 保守系の新聞までこうした記事を書くようになったことは朴槿惠大統領にはある程度のダメージを与えそうですが、自分には強い支持者がいるのだという信念、あるいは思い込みがあるから、大して気にしていないかもしれない。 国内問題と与党との対立はマイナス要因ですが、世界遺産登録の問題で日本に強制性を認めさせた、日本に勝ったという外交上の成功が作用して、プラス・マイナスにしたら結局プラスになるのではないでしょうか。MERSへの対応のまずさで支持率が三〇%を切ったとはいえ、すぐに持ち直すでしょう。ただ、長期低落は間違いなしですが、日本の内閣のように支持率が底を打ったら潰れるというわけではないし、自分から政権を投げ出すか、国会で弾劾が決議されるとか、よほどのことがない限り、大統領は任期満了まで務められる。だから、裸の女王様と「イエスマン」ばかりの臣下による迷走は、あと二年半の任期いっぱいつづくでしょう。仲が悪くて結構 はっきりしていることは、韓国人にとっては慰安婦が強制連行され、強制的な徴用が行われたのは明らかな〝歴史的事実〟だということです。七十年間、ずっとそういった教育をされてきたわけだから、いま五十代から六十代の韓国人も、それは絶対に正しいと思い込んでいる。だから、韓国人が徴用された施設が世界遺産になるのはどうあっても許せない、従軍慰安婦を認めない日本政府は極悪非道である。だから断固、抗議行動をすべきだというのは彼らの頭では当然の話になるのです。日本がそうじゃないと説明しても、また言い訳を始めたと怒るばかりで聞く耳を持たない。 もっと長いスパンでは、何の文化も持たない未開の土人が住んでいる日本列島に百済の人間が行ってあらゆることを教えてやったという歴史を教えている。そういう歴史観が頭に叩き込まれているから、日本に優れたものがあると聞くと、韓国人が教えてやったにちがいないと考えるのです。こんなに美しい桜の木が日本にあったはずがない、韓国人が教えてやったにちがいない。武士道などという優れた文化が日本に生まれるはずがない。すべて韓国人が教えたもので、オリジナルはすべて韓国にある。つまり「ウリジナル」という発想にしかならないのです。 そんな劣等人種の日本人がわれわれに敬意を払わない、感謝しない、あまつさえかつてわれわれを支配さえした。それが悔しくてたまらないのです。 日韓基本条約で国交を〝正常化〟してから五十年ということで、朴槿惠大統領は「歴史問題の重い荷を下ろし、未来志向的な両国関係の発展のために相互に協力していこう」と祝辞を述べました。だからといって、日本に対する態度が変化したわけではない。アメリカがうるさいから、日本と仲良くする糸口ぐらい言っておいてもいいといった感じでしょう。 朴槿惠大統領は六月訪米を予定していたのですが、MERS問題で、国内を留守にすべきではないと、中止になりました。が、別にどうしても行かなければならなかったわけではない。むしろ、行けばTHADD(終末高高度防衛ミサイル)の配備をどうする、AIIB(アジアインフラ投資銀行)参加はどういう気なのだと責められるだけです。ただ、アメリカ向けとはいえ、「未来志向で」などと対日関係の改善に触れた手前、何かのきっかけを捉えて日韓会談を開こうとするかもしれません。しかし、世界遺産登録を妨害されたこの状況では、おそらく日本は受け入れないでしょう。 首脳会談を開いたところで、停滞している日韓関係が具体的に好転するものではない。韓国は円安に困っているけれど、朴槿惠大統領と安倍晋三首相が会ったからといって解決する問題ではありません。ところがマスコミも国民も、韓国人は解決すると思っている。為替は外交力の結果だという発想があるからです。 日本は外交がうまいから円安になっていると思い込んでいる。韓国は外交力がないから、ウォンを切り下げようとすると、アメリカから為替の不正操作をしていると叩かれる。それでこんなにウォンが高くなった。日本はうまくやっているからアメリカも何も言わない。そういう発想だから、日韓首脳会談で友好関係を築けば、ウォン高・円安は解消すると考えているのです(笑)。 隣国とは仲よくしなければいけないという言い方は、戦後の日教組教育の産物でしょう。日韓関係が良好でなければいけないという発想が日本をおかしくしている。別に隣の国だからって仲よくする必要はさらさらない。隣国同士の仲が悪いのは世界的に見れば普通のことです。政府どうしが対立していようと、民間の交流はあるわけで、日本としてはまったく困ることはない。 世界遺産の件でもわかるように、ネコ撫で声と忍び足で寄ってきて爪を立てるのが韓国のやり方です。用心するに越したことはない。別に日韓の仲が悪くたって、いいではありませんか。日韓の不仲は、北が喜ぶ? 北が喜んでも、いいではないですか。韓国にただ一つ忠告するのは、北に背後操縦された反日勢力の扇動に乗って国を潰すことがないように、ということです。むろたに・かつみ 1949年、東京都生まれ。慶應大学法学部卒業後、時事通信社に入社。政治部記者、ソウル特派員、宮崎・宇都宮支局長、「時事解説」「時事評論」編集長などを経て定年退社。著書に『悪韓論』『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮新書)、『呆韓論』『ディス・イズ・コリア』(産経新聞出版)などがある。「裸の女王様」にご用心!   

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    朴槿恵訪中に見る歴史トラウマ

     中国人民解放軍の精鋭部隊が敬礼を送る天安門城楼の上に中国の習近平国家主席、ロシアのプーチン大統領、韓国の朴槿恵大統領が並ぶ姿は、やはり違和感を禁じえないものだった。9月3日の「抗日戦勝70周年」を記念する式典での軍事パレードである。軍事パレード前の記念撮影でも、習主席夫妻を中央にプーチン大統領と朴大統領が並び、その後、城楼へ歩いて向かう時にもプーチン、朴両大統領が習主席をはさんで歩く姿が、世界に配信された。 東シナ海や南シナ海で一方的な行動を繰り返す中国が軍事力を誇示する場とあって、安倍晋三首相やオバマ米大統領をはじめとする欧米諸国の首脳は軒並み欠席。ウクライナ危機を巡って欧米から経済制裁を受けるロシアのプーチン大統領と同席することが避けられたという面も指摘された。結局、米国と同盟関係にある国の首脳で出席したのは、チェコのゼマン大統領と朴大統領だけだった。注目されたのは「中国の厚遇ぶり」 韓国でこの時、もっとも注目されたのは北朝鮮の崔竜海党書記と朴大統領の位置関係だった。中国の発表では崔書記も「首脳級」とされたが、天安門城楼で与えられたのは首脳級の末席だった。 韓国メディアは、1954年に同じ場所で北朝鮮の金日成首相(当時)と毛沢東主席が軍事パレードを観覧した時の写真を並べて「時代の変化」に焦点を当てた。聯合ニュースは「主役の変化は、半世紀を超える間に韓中関係と中朝関係がどれだけ変化したかを象徴している」と伝えた。 1992年の国交樹立以来で最良ともいわれる中韓関係と、金正恩体制下で冷えきった中朝関係を反映した席次というわけだ。習主席が、出席した首脳の中で朴大統領だけを単独の昼食会に招き、朴大統領には特別な待機室を用意したなどという異例の厚遇ぶりも大きく報道された。「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年」の記念行事に出席した(左から)韓国の朴槿恵大統領、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領、習近平国家主席=9月3日、中国・北京の天安門 8月下旬に中国外務省が参加首脳を発表した際には、「プーチン大統領より朴大統領の名前を先に読み上げた」という報道もあった。中国がそれだけ朴大統領を重視したというのだが、北京の同僚に確認したところ、実際には、国名のアルファベット順で読み上げただけだった。韓国でなぜこんな報道が出たのかは不明である。 ただ、朴大統領の左右に並んだ各国首脳のイメージは悪すぎた。朴大統領の向かって右側に習主席とプーチン大統領、左側にカザフスタンのナザルバエフ大統領、ウズベキスタンのカリモフ大統領だった。ナザルバエフ、カリモフ両氏はソ連崩壊前から25年以上も君臨する独裁者だ。国際刑事裁判所(ICC)から虐殺などの疑いで逮捕状が出ているスーダンのバシル大統領も出席者リストに名を連ねた。 韓国メディアはこの点にあまり触れなかったが、進歩系のハンギョレ新聞は電子版で、米国のシンクタンク研究員が「一部では『青チームのはずの人が赤チームにいる』とまで言っている」と話したと報じた。青チームは「自分たちのチーム」、赤チームは「相手チーム」の意味だという。参加理由は、北朝鮮、経済、そして…… 外交筋によると、中国は当初、関連行事を2日間にわたって行う計画だった。韓国はそれを前提に「軍事パレードのない日だけ参加する」ことを模索したが、中国はその後、日程を1日に短縮した。記念式典の途中で朴大統領だけが退席するという対応は非現実的だから、「軍事パレードを避ける」ことは不可能になったのだという。 朴大統領が出席を決めた理由として、韓国でよく挙げられるのが北朝鮮と経済だ。北朝鮮問題では、中朝関係が悪化しているとはいっても、北朝鮮への影響力という面では中国に期待せざるをえないということだ。この点は日米も否定できない。 だが、韓国がよく挙げる「統一には中国の協力が不可欠だ」という理由には「韓国の考える統一と中国のそれが同じとは、とても思えない」(日本政府当局者)と首をひねる向きがある。この点を冷笑的に見る見方は韓国政府内にもあり、対北政策に携わったことがある韓国政府当局者は、北朝鮮が軍事境界線の南側に敷設した地雷の爆発を契機に南北が緊張状態に陥った事件が8月にあったことで「訪中理由を説明しやすくなったのではないか。あの事件がなかったら、なぜ訪中するのか説明するのが大変だったろう」と話した。 経済についても、中国への依存はどんどん強くなっている。韓国にとって中国は最大の貿易国となって久しく、2009年以降は中国との貿易額が日米両国との合計をも上回る。1980年代までは日米両国との貿易額が全体の5割を超えていたのだが、昨年は中国21%、米国11%、日本8%になっている。 そうした状況を受けて、韓国外交の基本は「安保は米国、経済は中国」となっているのだ。 ただ、貿易相手として中国が重要だというのは、日本や米国、豪州、欧州諸国など、首脳が欠席した国々も変わらない。貿易依存度が高い経済構造で、中国の隣国であるという韓国の特異点はあるのだが、それだけで出席理由とするのは難しそうだ。無視できない「中国との歴史」 やはり、韓国が中国との歴史に抱く特別な思いを軽く見ることはできないのだろう。 韓国の通信社・聯合ニュースは訪中最終日の4日、「薩水大捷から最近の蜜月まで」という記事を配信した。中国を統一した隋が建国直後の612年に高句麗を攻撃した「薩水大捷」と呼ばれる戦争から説き起こし、13世紀の元による高麗攻撃と17世紀の清による朝鮮攻撃を紹介。日本の植民地支配下では「抗日」で協力したものの、朝鮮戦争に中国軍が参戦したことで中韓は「完全に背を向けることになった」。そして、冷戦終結を受けて1992年に国交を樹立することになり、その後「両国関係は急速に進展」し、「最近になって韓中の関係はさらに密着するようになった」という内容だった。 記事の小見出しには「中国が統一したり、強盛になる度に朝鮮半島は受難を経験した」とある。韓国ではよく聞く歴史観だ。近代以降は日本やロシアの思惑も朝鮮半島に大きな影響を与えるファクターになってきたが、歴史的に見れば圧倒的に中国の動向の影響が大きかった。だから、中国との関係には注意深くならざるをえない。 北朝鮮や経済といった実利や朴大統領と習主席が親しいからというような要素だけでは説明しきれない韓国の行動の背景には、こうした歴史観がありそうだ。大陸との間に海をはさむ日本では理解が難しいかもしれないが、日本と韓国は置かれた状況が違うのである。中国と日米の間で「難しい戦略的決断」 韓国外務省は9月10日に国会外交統一委員会に提出した業務報告で、朴大統領の行事出席について「難しい判断による戦略的決断」だったと説明し、「一部にあった憂慮を理解と共感に転換した」と評価。さらに「行事前後に行った米国との緊密な協議を通じて、中国傾斜という憂慮を払拭した」と主張した。 「米国との緊密な協議」には、尹炳世外相が8月31日に米アンカレジでケリー国務長官と行った会談が含まれるとみられる。尹外相は、米国主催で北極圏の保護と開発について話しあう閣僚級会議にアジアの外相として唯一参加した。聯合ニュースによると、朴大統領の訪中について米国に説明したとみられる外相会談で、尹外相はケリー長官に松の苗木を贈ると伝えた。常緑樹で冬でも落葉しない松は「常に裏切らない、変わらない信義を意味する」(韓国紙記者)という。聯合ニュースは、「韓米同盟が堅固なものであることを改めて強調するジェスチャー」と伝えた。 中国による厚遇ぶりを大々的に報じ、訪中の成果を高く評価する韓国メディアだが、それでも、日米との関係悪化を心配する声は強い。 保守系の朝鮮日報はパレード翌日の4日の社説で、「朴大統領の戦勝行事出席が韓中関係を新しいレベルに発展させるだろうが、同時に韓米同盟をはじめとする、この国の外交のさまざまな場所に少なくない雲と、負担を負わせたという点を決して看過してはならない」と警告。さらに9日の社説で、「今回の韓中首脳会談の結果を多くの国民が評価しているのは事実だ」としながらも、「伝統的な友邦である米国と日本との関係を心配する意見が少なくないことも否定できない現実だ」と指摘した。 同じく保守系の中央日報は式典翌日の4日、「韓国の外交空間を拡大した朴大統領の軍事パレード参観」と題した社説で、出席を「勇気ある選択だ」と評価したものの、一方では「ワシントンと東京では韓国の中国傾斜の可能性に対する憂慮が高まっている」と懸念を示した。 一方、進歩派のハンギョレ新聞は4日の社説で「中国の平和に対する意思を疑う国が多い」と警戒心を示しつつ、朴大統領の出席については「(米中間での)バランス外交で我が国の国際的発言権を高めたといえる」と評価した。北朝鮮ミサイルへの対応が新たな難題に 北朝鮮は9月14日、10月10日の朝鮮労働党創建70周年に合わせた弾道ミサイル発射を示唆した。北朝鮮は「衛星打ち上げ」と主張するが、「いかなる弾道ミサイル技術を使用した発射」をも禁じた国連安全保障理事会決議への明白な違反であり、重大な挑発行為といえる。 朴大統領は訪中後、対北政策でも中国との協力を深めていこうとする姿勢を鮮明にしている。北朝鮮のミサイル発射への対応は、中国との協力がどの程度の水準で可能なのかを推し量る試金石となるだろう。 一方で、北朝鮮の核・ミサイル問題は厳然たる安全保障問題であり、日米両国との緊密な協力の必要性を改めて実感させるものでもある。朴大統領は10月16日にはワシントンでオバマ大統領との首脳会談を予定しており、同月末にも日中韓首脳会談が実現すれば、安倍晋三首相との初めての首脳会談も開かれる可能性が高い。朴大統領は、自らの訪中が生んだ日米両国の疑念を払拭するためにも、北朝鮮問題での連携強化を打ち出すことになるはずだ。 朴大統領にとっては、8月下旬の南北合意に基づく対話路線の今後にも直結しかねない大きな問題だ。韓国世論の関心が高い南北離散家族の再会は10月下旬に予定されており、北朝鮮が実際にミサイル発射に踏み切れば韓国は難しい立場に立たされることになる。離散家族再会は人道問題だと主張してきた手前、韓国側から打ち切るのは難しいからだ。 離散家族再会は韓国世論の関心が高く、ミサイル発射とは無関係に進めるべきだという意見が強く出るだろうが、何事もなかったかのように進めることへの異論も出る可能性が高い。そうなると、北朝鮮問題での定番とも言える「韓国内での激しい意見対立」が生まれかねない。 韓国政府当局者は「韓国としては人道問題だから淡々と進める。でも、ミサイル発射には厳しい対応を取るから、それに反発する北朝鮮側が打ち切ると言い出すかもしれない」と語る。聞きようによっては、そうなれば離散家族再会が実現しない責任を北朝鮮に押しつけられるから、できればそうなってほしいという願望にも聞こえる。 韓国の民間調査機関、リアルメーターが9月7日に発表した世論調査によると、朴大統領の支持率は昨年11月末以来、初めて50%台を回復して50・7%になった。訪中の成果が評価されたと見られているが、朴槿恵外交の真価が問われるのは、むしろ、これからだろう。

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    キムチも中国色に染まる対中依存に危うさを感じないのか?

     韓国が朴槿恵(パク・クネ)大統領の訪中を「大成功」と有頂天である。大統領府は「中国との外交ルートをフル活動する」と表明、尹炳世(ユン・ビョンセ)・韓国外相は「韓中関係の進展は桑田碧海(世の中が大きく変わった)」とその成果を国内に強調している。そんな韓国を牽制(けんせい)するかのように、北朝鮮はミサイル発射を予告、第4回核実験も示唆した。中韓の対北認識はどこまで深化したのか。中国の習近平体制は韓国側に付くのか、それとも北朝鮮を擁護するのか?自信満々の韓国の対中観がさっそく試されることになる。(久保田るり子)キムチも中国味 現在の日中韓関係は、韓国のキムチ事情に現れている。目下、韓国の食卓を席巻しているのは中国キムチだ。韓国キムチの6分の1という安価で韓国市場を広げている。一方、韓国キムチの輸出先のほとんどは日本で、これまでは約8割以上を占めてきたが、日韓関係の悪化などで日本向け輸出が急速に減少している。 象徴的なのはその物量。輸入キムチは年間22万トン、日本への輸出キムチは年間約2万6000トンに過ぎない。そこには経済依存から中国に傾斜していく韓国の姿がクッキリみえる。また中国キムチは年々おいしくなっており、キムチ業者は「中国産の需要はさらに増える」と断言している。 キムチの中国味に慣れたからでもないだろうが、朴大統領の訪中成功に韓国世論は沸いた。今年6月、中東呼吸器症候群(MERS)の影響で就任以来最低の29%まで落ち込んだ朴大統領の支持率は訪中後、54%に急上昇した。任期後半の大統領支持率では歴代最高の記録となった。 一体、訪中の何が評価されたのか。韓国政府は「新たな能動的外交で、韓国の存在感を高め、強固な米韓同盟と中韓戦略的協力パートナー関係を同時に進めることができた」などと自賛している。 世論には、政府の中国一辺倒を批判する声や、中国との半島統一協議には慎重論もある。だが政府サイドはこの訪中を「歴史的なターニングポイント」と位置付けている。 尹外相は訪中直後のラジオ番組で、北朝鮮による地雷事件をめぐり、「解決に向けて中国は背後でさまざまな役割を果たした」と暴露したり、首脳会談では「北朝鮮の核問題で中国は積極的な役割を果たす考えを示した」と語った。 中韓関係がいかに緊密化したかのアピールだったとはいえ、外相自らが相手国の水面下の動きを語るのは外交儀礼上はあり得ない。こんなところにも期待と熱望の韓国外交の中国に寄せる「熱い思い」が現れているようだ。“エビ・コンプレックス”は克服? 韓国には「クジラのけんかでエビが潰れる」(強いもののケンカで弱い者が被害を受ける)ということわざがある。米中は「クジラ」、韓国は「エビ」である。そして朴政権が中国傾斜を強めて、安全保障を米国、経済を中国に後ろ盾を求め、両国の意向にも気をもむようになったことを「エビ・コンプレックス」と呼んでいる。 一例は、米国が韓国側に駐韓米軍の配備の了解を求めている戦域高高度防衛ミサイル(THAAD)問題と中国のアジアインフラ投資銀行(AIIB)への韓国の参加問題だった。韓国はこの問題で米中のはざまに立った。そんな韓国を「ソウルエビ」などと揶揄(やゆ)して、その外交戦略の危うさを指摘した欧米メディアもあった。 朴大統領は先月、訪中を前にしてのセミナーの演説でこの「エビ・コンプレックス」を取り上げた。そしてこう述べた。「私たちは世界史に類例がないぐらい成長を成し遂げたのだ。“クジラとエビ”の話を口にするのは敗北主義だ」 このところ韓国政府は訪中問題を「国民は誇りを感じ、米国など友好国は理解や共感を示している」とコメントし、訪中は米国とも緊密に協調してきたなどと強調して、「エビ・コンプレックス」の払拭に懸命だ。 朴大統領自身も韓国メディアに「内容を具体的には明らかにできないが」としながらも、習近平氏と北朝鮮による軍事挑発を抑制する方策について「非常に緊密に話し合った」などと述べ、首脳外交に自信を示している。 ただ、中韓が急接近したからといって中国にとっての北朝鮮という戦略的な価値が簡単に変化するわけではない。中国の対北戦略は、国際的な緊張関係のなかで国益に即した戦術的選択がなされることになる。長年、北朝鮮を見てきた韓国のウオッチャーは、中韓首脳会談の成果について「まず、北朝鮮の長距離ミサイル発射に中国がどのような立場を取るかを見定めることだ」と冷静に指摘している。 朴大統領は来月中旬に訪米予定で、「もう一方のクジラ」である米国のオバマ大統領との首脳会談が控えている。次いで10月末には日中韓首脳会談と日韓首脳会談が続く。韓国の「エビ・コンプレックス」の行方は、今秋の首脳外交の課題となりそうだ。

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    中国とアメリカの狭間で…TPPへの参加を検討し始める韓国 

    在の参加国の経済規模は世界の約4割を占めるのですからすごいと言えます。 ここで注目されるのは、中国と韓国が入っていないこと。途中からはやはり世界の経済大国アメリカが中心になって交渉が始められました。つまりアメリカ中心の自由貿易圏を作るという意図がでてきました。日本は国内での賛否両論がありましたが、結局、このアメリカ中心の自由貿易圏に入ることを決め、現在に至っています。日本にとっては、世界第二の経済大国中国を牽制するという意味もあります。  困ったのは韓国でした。韓国はこれまで2国・地域間のFTA締結を中心に自由貿易体制を築いてきました。アメリカともFTAを結んでいますし、中韓は6月に2国間FTAに正式署名し、年内にも発効を控えています。最大の貿易国となった中国への目配りもあり、あえてTPPに入らない選択をとってきたのです。多くの国とFTAを結んでいますから、あまり影響はないだろうという見込みもありました。  アメリカと中国との狭間で、中国を選択したともいえます。しかし今、この選択が良かったのかどうか、問われているのです。中国経済が停滞しつつある中、韓国がTPPに入らないと、相対的に日本との輸出競争で不利になるのではないかと危惧する声があがっています。韓国は言うまでもなく、貿易で経済を成り立たせています。中国経済が低迷し、今後の先行きが見えない中、アメリカ市場でも不利な状況ができれば、今でも厳しくなった韓国経済は大きなダメージを受けます。円安ウォン高で、韓国の輸出産業は厳しい状況に追いやられています。サムスンにはかつての勢いはなく、自動車メーカーのヒュンダイは不調が続いています。韓国経済は崖っぷちに追いやられているのですが、TPPが結ばれるとさらなる危機が訪れる可能性があるのです。  国内では、今からでもTPPに入るべきだという意見が出ています。しかし、時を逃したということも事実。後から入る国は不利な条件を飲まなければならない可能性が強いのです。また時間もかかるでしょう。 アメリカと中国の狭間で揺れ動いた韓国。これからも揺れ続けるようです。韓国はどこへ向かうのか。方向性の定まらない状態が続くと、韓国経済はさらに大きなダメージを受けそうです。 環太平洋連携協定(TPP)交渉が大筋合意しました。これで世界最大の自由貿易圏が誕生することになります。このTPPは歴史的にはやや奇妙な展開をしています。まずは、2006年にシンガポールとブルネイ、チリ、ニュージーランドの4カ国間で発効しました。かなり経済的には小国でまとめられたものですが、その後、アメリカ国と日本、オーストラリア、カナダ、メキシコ、ベトナム、ペルー、マレーシアを加えた12カ国の交渉が展開されてきて、今、それがまとめられようとしています。現在の参加国の経済規模は世界の約4割を占めるのですからすごいと言えます。 ここで注目されるのは、中国と韓国が入っていないこと。途中からはやはり世界の経済大国アメリカが中心になって交渉が始められました。つまりアメリカ中心の自由貿易圏を作るという意図がでてきました。日本は国内での賛否両論がありましたが、結局、このアメリカ中心の自由貿易圏に入ることを決め、現在に至っています。日本にとっては、世界第二の経済大国中国を牽制するという意味もあります。  困ったのは韓国でした。韓国はこれまで2国・地域間のFTA締結を中心に自由貿易体制を築いてきました。アメリカともFTAを結んでいますし、中韓は6月に2国間FTAに正式署名し、年内にも発効を控えています。最大の貿易国となった中国への目配りもあり、あえてTPPに入らない選択をとってきたのです。多くの国とFTAを結んでいますから、あまり影響はないだろうという見込みもありました。  アメリカと中国との狭間で、中国を選択したともいえます。しかし今、この選択が良かったのかどうか、問われているのです。中国経済が停滞しつつある中、韓国がTPPに入らないと、相対的に日本との輸出競争で不利になるのではないかと危惧する声があがっています。韓国は言うまでもなく、貿易で経済を成り立たせています。中国経済が低迷し、今後の先行きが見えない中、アメリカ市場でも不利な状況ができれば、今でも厳しくなった韓国経済は大きなダメージを受けます。円安ウォン高で、韓国の輸出産業は厳しい状況に追いやられています。サムスンにはかつての勢いはなく、自動車メーカーのヒュンダイは不調が続いています。韓国経済は崖っぷちに追いやられているのですが、TPPが結ばれるとさらなる危機が訪れる可能性があるのです。  国内では、今からでもTPPに入るべきだという意見が出ています。しかし、時を逃したということも事実。後から入る国は不利な条件を飲まなければならない可能性が強いのです。また時間もかかるでしょう。  アメリカと中国の狭間で揺れ動いた韓国。これからも揺れ続けるようです。韓国はどこへ向かうのか。方向性の定まらない状態が続くと、韓国経済はさらに大きなダメージを受けそうです。

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    呉善花の警告 韓国は「北朝鮮化」したと思ってかかれ

    呉善花(拓殖大教授)河野談話を上回る失態 「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録をめぐって今韓国がおおいに盛り上がっています。日本が国際社会の公の場で「強制労働」「強制連行」を認めたというのです。日本政府は「強制連行」を認めてはいない、「強制労働」を意味するものではないなどと釈明しています。 しかし英文でユネスコの文書には英語で「force to work…」となっています。英文で何と記録されたかが重要です。言い訳は通用しないと思います。 今回のことが何を意味するのか。日本の皆さんはまだピンときていないかもしれません。しかし、世界のメディアは今回の出来事をどう報じているでしょう。 英国の代表紙、テレグラフの見出しは「日本の奴隷労働の跡地が世界遺産を獲得」でした。奴隷労働という言葉で報じているのです。 また、ガーディアンは「日本の遺産は、強制労働の事実を認めた後に世界遺産登録を獲得」と報じました。 米CNNは「かつて凶行がおこなわれた戦争犯罪の現場─日本の推薦世界産業遺産」と報じ、ワシントン・ポストは「日韓政府は産業遺産、特に軍艦島での戦時強制労働の歴史を認めることで合意に至る」と強制労働と言う言葉を使いました。 米ABCは「日本からの推薦遺産は日韓の口げんか、日本が戦時強制労働特に軍艦島において認める合意後に全会一致で承認された」としており、米紙フォーブスは「日韓が合意:日本ユネスコ遺産での朝鮮人強制労働を深く反省」となっていました。 シンガポール紙トゥデイは「日本のユネスコ産業遺産登録に様々な反応」ですが「日本も韓国政府が外交的に勝利を収める、日本も数万人の韓国人や中国人そして捕虜を戦争末期の労働力不足を補うために数十カ所の工場や鉱山そして他の産業施設で働かせたことに同意した」と報じました。(著者訳) 近代国家として力強く進んでいった日本の誇りの詰まった文化財を世界的に公認してもらうはずの話が、韓国人を奴隷にし、強制労働によって成り立っていた、世界遺産はその拠点だったという話にすり替わってしまったのです。なぜ、英語で「force to work」などという表現を入れてしまったのでしょうか。言葉もありません。 これ以上の汚辱はないと思います。私は今回の出来事は河野談話以上の深刻な失態だと思っています。私はこれまで日本人の“お人好し”について美徳だと述べてきました。しかし美徳にも限度はあります。愚かです。 日本政府関係者が帰国後の記者会見で「砂を噛むような思いだった」とこぼしていました。しかし、砂を噛むような思いをこれから味わうのは世界遺産登録を楽しみにしていた関係者であり、日本人だと思います。この問題は慰安婦問題以上の禍根をもたらすのではないか。そのくらい重大だと思います。韓国の“変貌”を疑わなかった日本 予兆はありました。今回韓国の外務部長官が訪日、日本の外務大臣と会談したというニュースが流れた時から、私は「これは絶対怪しい」と直感しました。というのはその直前まで、MERS問題で大荒れの最中にもかかわらず、韓国の外務部長官はドイツまで足を運んで日本の世界遺産を認めてはいけないと働きかけていたからでした。「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録決定後、スピーチする韓国の趙兌烈外務第2次官(前列中央)=2015年7月5日、ドイツ・ボン(共同) 韓国では長い時間を掛けて日本の世界遺産を絶対認めさせてはいけないと準備を積み重ねてきたのです。朴槿惠大統領は自ら世界の首脳と会うたびに、この話をあえて切り出していました。まさに国家を挙げた課題といっていいでしょう。それがいきなり日本に来て、にこにこ笑って会談しましょうというのです。素朴に私は韓国が一日にして変わるはずがないと直観しました。危なく怪しかったのです。 しかし、一方でどうして日本人はそれを疑わないのか。これが不思議で仕方ありませんでした。すごく驚いたのは、翌日の日本のマスコミほとんどが韓国がすり寄ってきていると報じたことでした。日本の保守派の方々までがそうでした。 安倍晋三総理が米国に行って演説され、高い評価を受けた。中国も最近日本に少しだけすり寄ってきている。それで、韓国は孤独感をつのらせている、韓国経済は今、ほんとによくない。だから朴大統領は焦っているといった解説が多かったように思います。 しかし、韓国は原理原則で動く国です。誰に何と言われようとも、これが絶対だと思ったら簡単には曲げません。そのことをしっかり認識していれば、外務部長官が笑顔で寄ってくる光景に「果たしてあれほど執拗だった韓国が一日で変わるだろうか」くらいの疑義は抱いてほしいものです。 韓国はドイツまで行ったのち方針を変えました。世界遺産登録が認められる。それが不可避なのであれば、それをやめさせるのではなく、協力する形を取ろう。そしてその際に強制労働、強制という言葉を必ず使わせる。そう狙っていたのだと思う。そうすれば、自分達の目的は達せられるわけです。 そこを足掛かりに安倍晋三総理が出す戦後70年談話につなげたい。それが韓国の狙いだと思うのです。実際、韓国は外務大臣級の会談が終わったら、首脳会談に持っていきたいと持ちかけています。戦後70年談話に強制的なニュアンスを盛り込ませ、国家としての謝罪と賠償を求めていく。これは単に世界遺産だけにとどまらない話で韓国はそう思い描いているはずです。日本は相当慎重に臨まなければならないと思っています。韓国人は“攪乱”を得意とする韓国人は“攪乱”を得意とする 相手に考える時間を与えずに振り回しながら、自分の思惑を果たす。こうしたやり方は韓国人が最も得意とするやり方だと思います。今回も会場で韓国はさんざんかき回しました。不意を突かれた結果、世界遺産の登録決定は一日先延ばしになり、そして韓国側は目的を達成しました。実は、これに似たような出来事を私もいやと言うほど味わったことがあります。 私が韓国のマスコミに叩かれたときの話です。韓国のメディアは私のみならず、私の知り合い、友人などにまで一斉に取材をかけるのです。それだけで大混乱に陥ってしまいます。 例えば、知り合いの経済専門家のところには日韓経済の話を聞きたいと、韓国で有名なテレビ番組がインタビューを申し込みました。それでインタビューも佳境を過ぎたあたりで突然、呉善花の話を切り出す。呉善花がいかに卑怯なのか、呉善花がいかにとんでもない人物かという話をぶつけ、反応を記録していきます。 本当ははじめからそれがインタビューの狙いでした。そういう番組をつくりたかったわけです。呉善花の話ばかり、突然執拗に振られる不自然さに「これはおかしい」と思ったその方は「帰れ」と怒ったそうです。すると「じゃあ、話題を変えます」といったん収まってしまう。ですが時間が経つと今度は「あの事件をどう思いますか」と脈絡なく聞いたというのです。 以前日本で起きたある有名な犯罪事件に関する質問でした。その専門家は「それは犯罪です。とんでもない話です」と答えたそうです。 一時間半に及ぶインタビューが終わって番組を見たら、あれだけ熱心に答えていた日韓経済についての話は一切なく、自分が呉善花について「とんでもない」と語っているように切り取られて使われていたそうです。一事が万事こんなやり方なのです。物事の裏についてナイーブすぎる 韓国では強制連行、強制労働を日本が自ら認めたということで大騒ぎになっています。韓国の外務部長官は「これだけの難しい難問を対話で解決できた最初の例で大きな意義がある」とまるで自分が歴史をつくったような口ぶりで自画自賛しています。 日本政府は「強制連行」を認めたのではない、といっている。しかし、ここに韓国政府は反応せず、沈黙を守っています。これは内心、嘲笑っているからだと思います。先ほども述べましたが問題は英文でどう書かれたかでしょう。韓国では、そこで勝負がついていると言っているのです。 韓国という近い国が何を考えているのか、あまりに日本人は知らなさすぎると思います。物事の裏についてナイーブで読めなさすぎです。韓国は別に日本と仲良くしたいなどとは思っていないのです。 それを間違えて日本から対立をなくしたい、手を結びたい、仲良くしようとするから足もとをすくわれてしまうのです。日本は韓国と無理してつきあう必要はない。そのくらいに考えていた方がいいのです。国民情緒法という難物 そう申しあげた理由の一つは、まず韓国の後ろに中国がいるという事情があります。韓国は今、中国にものすごく配慮しているのです。中国抜きにして日本と仲良くすることなどできません。日本と仲良くすると中国から怒られることになりかねない。韓国には今、中国を怒らせたくないという気持ちがとても強いのです。 それともう一つは、今の韓国の背後には北朝鮮がいるということです。特に反日の裏で北朝鮮がうごめいていることを見逃してはいけません。なぜ北朝鮮がうごめいているのか。複雑な問題なのですが、今の朴槿惠政権は日本をなんとか孤立させようと─簡単に言えば中国と米国を仲良くさせ、北朝鮮とも和解を図ろうと─躍起になっています。 その背景には国民情緒法というものがあります。私は8月に朴大統領に関する書籍を出しますが一番のポイントがこの国民情緒法です。国民情緒法というのは韓国独特の法論理で、国民情緒に合致すれば、司法は実定法に拘束されずに判決を出せるというものです。 常識的にいえば、そんなことを許せば罪刑法定主義を否定してしまうことになってしまいます。しかし韓国ではそういう法理が現にあります。そしてそれは法律より国民感情が優先するという韓国独特の風潮にもなっています。この国民情緒を優先する風潮が朴政権をどれだけむしばんでいるのか、そして韓国がどれだけ親北化しているのか。そうした動きを読み解く書物です。 もともと、韓国には反日という対立の火種がありました。李承晩などはその典型です。しかし彼は、政治や外交の場には─どんなに教育の場で反日が根付くべく激しい反日教育を続けていても─そうした感情的で情緒的な要素は、あまり持ち込まなかった。そうした国民情緒をいったん棚上げして表に出さない。それで日本と向き合ってきたのです。 特にそれは朴槿惠の父、朴正煕に顕著でした。反日教育はするが日本の協力を受けながら韓国の経済発展を遂げる。そういう選択をしてきたのです。プロに徹した姿勢といってもいいと思います。 細かくいえばいろいろなことはありましたが、これは全斗煥や盧泰愚までの軍人出身の大統領に基本的に受け継がれ、事をあまり荒らげたりはしない。韓国も良好な関係を築くことを望んでおり、日本の良識が比較的通じる出来事が多かったのではないかと思います。韓国における「民主化」という多義語韓国における「民主化」という多義語 これが変わったのは金泳三のときからでした。民主化大統領と呼ばれた金泳三の時代から日本とのこじれた関係が始まる。それは今やこじれにこじれています。 金泳三時代には慰安婦問題が俎上に上るようになりました。金泳三、金大中、盧武鉉と民主化大統領が続くなかで今の最悪ともいえる日韓関係への流れがつくられていったのです。 金泳三時代に民主化という言葉は「反軍事」を意味していました。民主という言葉は民主主義の民主ですが、当時の韓国では盧泰愚まで三代続いた軍事政権の反語として用いられたのです 軍事政権は在韓米軍とも密接に結びついていました。「反軍事」から出てきた「民主化」という言葉は「反軍事」に「反在韓米軍」という意味を帯びます。それは「反米」という文脈に転化していき、やがて「反米」は「民族主義」とも結びついていくのです。 今でもそうですが、当時の韓国も深刻な社会問題をたくさん抱えていました。それを韓国国内では、米国と結びついて西洋化が図られたために、だんだん個人主義がもたらされた結果である、と読み解くのです。 西洋化によって今まで民族が大切にしてきた伝統的な儒教的価値観は崩れ、家族関係も核家族化が進んで崩れ、それが今日の荒廃を生んだ─というわけです。そうして「民主化」という言葉は「民族主義」とも結びついていきます。 今度はそれが「親北」へとつながっていくのです。北朝鮮はとても貧しい。独裁国家でもある。とてもあんな国にはなりたくない。しかし、少なくともわれわれと同じ民族である、われわれのように米国に頼って生きているのではない。貧しくても主体的な思想を持って民族として誇り高い生き方を続けている─というわけです。 こうして「民主化」という言葉は様々な意味が付加されたり、変容を重ねながら「親北」という意味も帯びるようになっていくわけです。なぜ親北が反日と結びつくのか 金大中元大統領の時代には太陽政策が掲げられました。金正日との南北首脳会談が実現し、金大中はノーベル平和賞を手にしました。太陽政策はイソップ寓話『北風と太陽』になぞらえ「北朝鮮の頑な態度を改めさせるためには、圧力ではなく温情が必要である」という考えから融和的な政策をとりました。 これは盧武鉉政権にも引き継がれました。軍事力での統一よりも人道援助、経済援助、文化交流、観光事業を深める。それで将来の南北朝鮮統一を図ろうとする外交政策ですが紛れもなく親北の政策です。 こうして「親北=民主」という構図ができ、盧武鉉時代に「反日」であることも「民主」であることだとなって、「親北=反日=民主」というイデオロギーが国内に根付いていったのです。 盧武鉉は「過去清算」というスローガンを掲げました。そして「過去清算」の矛先は日本に向きます。北朝鮮では親日派、つまり「何らかの形で日本統治政策に協力した者たち」は、悪逆な犯罪者・売国奴としてことごとく粛正されました。韓国も北朝鮮同様に反日国家ではあるものの、「日本統治時代の親日行為は当時の事情では仕方なかったこと」だとして不問に付すのを社会一般の習いとしてきました。盧武鉉は、それでは「過去清算」にはならないとして、親日派を一掃しはじめたのです。これでもともと韓国にあった反日が鮮明に顕在化していきました。 盧武鉉時代に「親北=民主」が確立されていったのは、金大中時代から北のスパイが韓国国内に大勢入ってきたことが関係しています。そうした層は「従北」と呼ばれるのですが、国内に12万とも15万とも言われています。直接的なスパイもいれば、間接的なスパイなども含めて「従北」「親北」勢力が広がり、こうした人達はマスコミ、大学、専門家や裁判官などあらゆる分野に浸透を図っていったのです。朴槿惠は親北の政治家である そして今の朴槿惠大統領ですが、韓国の政治家の例にもれず、親北姿勢の政治家です。彼女は野党党首時代に、北朝鮮に行って、金正日と握手しています。そのときに彼女が言った台詞が「二世同士うまくやりましょう」でした。 そのさい金正日は謝ってきたそうです。朴槿惠のお母さんは文世光という北朝鮮のスパイによって殺されました。金正日はそのときの事実関係を認めて「自分の意志じゃなくて、下の人たちがもう勝手にやってしまって申し訳なかった」と謝罪したというのです。 朴槿惠の本などを見ると、彼女は金正日をかなり評価しています。実際、それ以来、彼女は北朝鮮に対してあまり激しいことは言わないのです。朴槿惠自身がかなりの親北で、これまでも北朝鮮を刺激しないように努めているというわけです。 それに朴槿惠の場合、自分の今の大統領という立場が実はぎりぎりの辛勝で得られているという事情もあります。「反北」では票が得られない。だから政治生命を維持するために親北を取り込まなければいけない。韓国社会の親北化は相当広がっていて特に若い人ほど親北の傾向が強いのです。 たとえば、朴槿恵が大統領となった2012年の大統領選挙では、太陽政策の再開を掲げた親北の対立候補は、敗れたものの実に48%を超える得票率を獲得しています。 朴槿惠の支持層は年配の方たちが中心です。彼女には若いほど反朴槿惠の傾向が強いというジレンマがあります。 一方で韓国内の保守派たちは頑張ってなんとか反北を維持しなければならない、親北の浸透を何とか防がなければならないと考えています。ですが、この数が決定的に少なく力にならない。それで与党の中では朴槿惠離れ─今の与党内では反朴槿惠となっています─が起きています。日本の良識が通じない国となった、韓国 冒頭の世界遺産の話のなかで私は韓国人がどのように考える傾向があるのかという点について日本人は知らなさすぎるといいました。なぜ、民主化という言葉が、民主主義発祥の地である米国に反旗を翻す「反米」とつながるのか。それがなぜ反日と化すのか。さらにそれがどう親北となっていくのか…など日本人から見るとこうした点はなかなか、理解しづらいようです。 ただ、かつては比較的良識が通じていた韓国は過去のものとなっています。親北、従北勢力の浸透とともに大統領までが親北色が強まっていること、親北勢力の顔色をうかがうまでになっていること、従って朴槿惠の反日的な行動は単なる人気取りや一時的な奇策ではなく、根の深い問題であって日本人的な良識は今後、同じようには通用しないでしょう。 対応を誤ると、今回の世界遺産の出来事のように足元を救われかねない出来事は今後も続くでしょう。あそこは韓国ではない、少し極端な言い方をすれば韓国は北朝鮮と同じなのだ、くらいに警戒しなければならない。そういう認識と覚悟をしっかりともって韓国に臨まなければならないと考えています。お・そんふぁ 1956年、韓国生まれ。拓殖大学国際学部教授。大東文化大学卒業後、東京外国語大学大学院地域研究科修士課程修了。外語大大学院時代に発表した『スカートの風』がベストセラーに。また『攘夷の韓国 開国の日本』で第五回山本七平賞受賞。著書に『虚言と虚飾の国・韓国』など多数。 

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    国際貢献度で韓国に圧倒的に先行する日本 フェアな未来志向を築けるか

    長谷川良(ウィーン在住ジャーナリスト) 韓国では新しい為政者が登場する度に、「日韓の両国関係は未来志向でいくべきだ」と発言する。その度に日本国民は、「やっと過去問題から解放されて、新しい関係が樹立できる」と受け取ってきたが、隣国の国内情勢が厳しくなると、その為政者は日本の過去問題を争点化し、国民に媚を売るのを日本国民は何度も目撃してきた。最近では、李明博前大統領の豹変ぶりは特出していた。韓国の朴槿恵大統領(右)との会談に臨む額賀元財務相=2015年6月22日、ソウルの青瓦台(聯合=共同) そのような歴史が繰り返されてきたので、韓国の政治家が、「日本とは未来志向で……」と発言したとしても、日本国民はもう何の感動も湧いてこなくなった。「ああ、そうですか、どうぞご自由に」と白けてしまうだけだ。 当方もそんな日本人の一人だったが、「未来志向の関係」という言葉の意味がここにきて分かってきたのだ。21世紀の日韓は、「国際社会にどれだけ貢献する国となるか」を競う関係こそ「未来志向の関係」という意味だったのだ。 「過去のあの時、こうだった」とか、「迫害されてきた」といった類のテーマに時間を注がず、世界の紛争解決や開発途上国の開発援助にどれだけ貢献したかの競い合いこそ、日韓両国がエネルギーを投入しなればならない課題だ。 それでは現時点で日韓両国の国際貢献度はどうだろうか。当方が日本人だから言うのではないが、日本は貢献度レースでは韓国に圧倒的に先行している。簡単な例として、ノーベル賞受賞者の数だ。物理学、化学、医学生理学などの分野で日本人学者はノーベル賞を受賞済みだ。ノーベル賞を受賞するということは、その分野で国際貢献を果たしたことを意味する。 一方、韓国は、数億ドルを北朝鮮の故金正日総書記にプレゼントしてその代価として実現した南北首脳会談が評価されて受賞した故金大中氏の平和賞1つだけだ。明らかに、韓国は日本に大きく水をあけられている。 政府開発援助(ODA)の支出額や国連への救出金では韓国は日本より大きく遅れている。世界が日本人を好ましく受け取り、一定の尊敬を払うのは当然の結果だ。国際社会への貢献度が高いからだ。 誤解を恐れずにいえば、国際社会は日韓両国間の過去の問題など余り関心がないのだ。戦時の慰安婦問題や植民地時代での強制労働といった問題は、日本よりも欧米諸国がいち早く体験済みだ。日韓両国がそんな問題で争うのをみて、欧米諸国は「時間とエネルギーの浪費だ」と受け止めたとしても不思議ではないだろう。 国際社会は世界の紛争解決や開発支援で貢献する国に対しては尊敬を払う。過去の問題を取り上げて中傷、誹謗しあっても、国際社会から歓迎されることはないだろう。 繰り返すが、日韓両国以外の国にとって、日韓両国が国際貢献でフェアな戦いを演じてくれたほうがどれだけ頼もしいことだろうか。未来もいつかは過去になる。「未来志向の関係」とは、次の世代の為に“フェアな過去”を積み重ねていくことではないか。そして、フェアな過去が悲惨な過去より少しでも長くなれば、それだけ日韓両国間は喜ばしい関係となるのではないか。(公式ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より2015年7月19日分より転載)

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    日本人ノーベル賞にいちゃもんをつける国

    日本人のノーベル賞ラッシュに列島は沸きましたが、隣国は複雑な思いで見ていたようです。「百済の子孫だからね」「日本人が受賞しても安倍がイメージを悪くしている」…。心ないネットユーザーもいたようですが、日本のやることなすことにいちゃもんをつける病気はもう治しようがないのでしょうか?

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    韓国受験戦争もあり自殺率と肥満率上昇 体育と部活動充実へ

     韓国は日本以上の苛烈な学歴社会だが、ノーベル賞受賞者の数となると22対1で日本が圧勝。そこで注目されたのが日本の教育である。ノンフィクションライター・高月靖氏が韓国の教育事情をレポートする。 * * * 日本の専門教育が韓国でもてはやされた背景には、超学歴社会、受験戦争というおなじみの教育問題もある。学力だけでなく、専門性を磨くことで生き残ろうというわけだ。(写真と本文は関係ありません) 韓国では親たちが遅れを取るまいと張り合うあまり、幼い頃から塾などの習いごとをさせるため家計負担が増大。高校ではさらに夜遅くまで学校に残り、自習しなくてはいけない。 だがその結果として上位の大学がますます狭き門となり、学歴がインフレ化。大学進学率は日本が49.9%、韓国が70.7%(2013年)だが、大卒の就職率は日本94.4%に対して韓国56.2%(2014年)。韓国の子供は不毛な「競争のための競争」に、幼い頃から追い立てられているようなものだ。学習時間に対する成績の効率は、経済協力開発機構(OECD)30か国中24位との報告もある(韓国職業能力開発院2008年発表データ)。 また青少年の自殺率は2000年の6.4人から10年で9.4人に増加。深刻なゲーム中毒や学校暴力、また児童生徒の肥満率上昇も、常にこの学業ストレスと関連づけられている。 こうした問題をふまえて議論されてきたのが、韓国では軽視されてきた体育の充実と部活動の導入。例えば教育部(文科省に相当)は2007年に小中高校のスポーツ部活性化を宣言した際、「日本のスポーツ部参加率は50%超。韓国は今後5年で30%を目指す」との目標を掲げた。 また政府支援研究機関・教育開発院は2013年の報告で、日本の事例を詳しく紹介。そこでは体育も部活動も、社会性と道徳性を育む「人格教育」の役割が強調されている。こうしたなか朴槿恵大統領は、人格教育のための学校体育をテーマに打ち出してきた。2013年には全ての小学校に体育担当教師を配置する方針も示している。

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    ノーベル賞日本22人韓国1人 韓国人「なぜ同じ人種なのに」

     韓国の巨大掲示板サイト「イルベ」(正式名称は「日刊ベスト貯蔵所」)は閲覧回数が10億を超える韓国版・ネット右翼の巣窟とされ反日的な書き込みの多かったサイトだが、最近は「日本を見直した」という言葉や日本を褒める書き込みが増加している。とくに目立つのが、訪日した韓国人が日本の公共サービスなどに感激して日本びいきとなるパターン。 また災害時の対応なども韓国と比較して賞賛の的となっている。 日本の子供たちも絶賛される。横断歩道の手前で停止したドライバーにお辞儀をして渡る子供たちの姿が動画サイトに投稿されると、韓国のネット民はこの礼儀正しさに大きな衝撃を受けたようだ。〈子供たちの教育をこんなにしっかり出来るのはやはり先進国だな〉〈車もしっかり停止線守ってる〉〈カルチャーショックだ〉 日韓の家庭教育の「格差」を指摘する書き込みもあった。〈家庭教育自体、韓国と日本では雲泥の差だ。日本の母親が子供たちに必ず教えるのは、他人に迷惑をかけないということ。これを最も重視するから、日本の子供たちは他者に配慮する心を持っている〉〈日本人の子供に対するしつけだけは認める〉 教育熱心で知られる韓国だが、日本人のノーベル賞受賞者22人に対し韓国人はわずか1人。この動かせない事実に頭を抱えるネット民もいた。〈同じ人種なのに、なぜこれほどまでに違うのか? 幼い頃から高度な教育を受けているので頭が冴えているのか? それとも、純粋に両国民のDNAの差なのか〉 一方でこんな冷静な分析も。 〈韓国人は開発に対する意欲がなく、安定した暮らしばかりを考えるから、発展するはずがない。学問に飢えてこそ習得できるというものだが、韓国人は勉強をある程度すると、金銭管理や自己管理の方に忙しくなる。確かに、時代的な問題もあっただろうが、結局は文化的な問題のほうが大きいと思う〉 いまだ言論統制の風潮が強い韓国では、匿名の掲示板ゆえに「本音」を発散できる側面がある。イルベに寄せられたネット民たちの声は、日本の素晴らしさばかりでなく、現在の韓国が抱える様々な問題を映し出している。関連記事■ ウリジナルで発明多数を主張の韓国 ノーベル賞は平和賞1人■ 日韓協定で解決済の問題覆す韓国 この国とは協定結べない…■ 韓国が強制労働と呼ぶ戦時徴用 宿舎用意され給料支払われた■ 「へこむ」言い出したのは松本人志 「心が折れる」は神取忍■ 元秋田朝日放送の超人気女子アナ 89cm・Gカップの谷間披露

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    北から連行された女性たちが韓国兵の「性奴隷」になった過去

     韓国政府が旧日本軍の慰安婦関連史料を永久保存し、ユネスコの世界遺産登録を目指しているという。だが、そこに自国による「韓国軍慰安婦」の史料は含まれない。ならば、歴史の闇に埋もれる前にここで公開しよう。 韓国軍が女性をどのように扱ってきたかという歴史的記録の数々を、在韓ジャーナリストの藤原修平氏が明らかにする。* * * 朝日新聞が「吉田証言」(文筆家・吉田清治氏の「日本軍が朝鮮人女性を連行し慰安婦にした」という証言)の誤報を認めた昨年8月以降、強制連行のカードを失った韓国政府は、慰安婦の“人権蹂躙”を訴える戦術に舵を切った。日本政府から謝罪と賠償をもぎ取るための材料だった「強制性」の根拠が揺らいでいるからだ。韓国紙「朝鮮日報」 人権蹂躙は、韓国が慰安婦問題で日本を非難するうえでの基盤となっている。これをクローズアップし国際社会からの同調を得て、自国に有利な国際世論を形成しようという算段だ。その一方で、「正しい歴史認識」が口癖の韓国政府は、自国が主導したもう一つの慰安婦の存在をひた隠しにしてきた。 韓国軍慰安婦の存在が初めて韓国メディアで報じられたのは2002年2月。慶南大学の金貴玉・客員教授(現・漢城大学教授)が「朝鮮戦争中に韓国軍慰安婦がいた」という調査報告を、立命館大学の国際会議席上で発表したのである。このことは『朝鮮日報』をはじめとする韓国の主要メディアで大きく報じられ、韓国社会に衝撃を与えた。 金教授が根拠の一つとして挙げたのが、1956年に韓国陸軍本部が編纂した公式資料『後方戦史・人事編』にある記述だ。 現在、この資料を民間人が閲覧することは困難であるが、筆者はわずかな手掛かりから資料の入手に成功した。そこには朝鮮戦争(1950~1953年)時の「特殊慰安隊」設置の経緯が次のように記されていた。 「士気昂揚はもちろん、長期間の戦闘で異性に対する憧憬から惹起される生理作用がもたらしうる性格の変化、憂鬱症やその他の支障を未然に防止するために、特殊慰安隊を設置することになった」 資料では、慰安隊として活動する女性を「慰安婦」と称し、「週2回、軍医官が厳格な検診を行い、性病に対する徹底的な対策を講じた」ことも明記されていた。性病検診を定期的に行うのは、慰安婦が不特定多数の兵士と性的な関係を持つことを前提としていたためで、韓国陸軍はそうした組織を公式部隊として運営していたことが判る。 慰安隊はソウル市中区忠武路周辺と、日本海に面した江原道江陵地区にそれぞれ3部隊、そのほか江原道の主要都市である原州、春川、束草にそれぞれ1部隊が配置され、計9か所に89名の慰安婦が動員された。 慰安隊の運営開始時期については定かではない。ただ、設置目的が朝鮮戦争で戦う韓国軍のためであること、前述の『後方戦史』に1952年の特殊慰安隊実績統計表が掲載されていることから、1951年までには運営が開始されたと推定される。なお、慰安隊の廃止は1954年3月と明記されていた。 統計表には、4部隊における1952年の利用実績が月ごとにまとめられている。利用者が多くなるのは春から夏にかけてで、最も多いのは8月の約2万2000名。1年間の利用者は延べ約20万5000名に上った。慰安婦は単純計算で1日平均6名以上の兵士の相手をしていた計算になる。 金教授は、「上記9か所の固定式慰安所のほかに、移動式慰安所があった」ことも明らかにしている。後者は軍部からの要請があると、指示された部隊まで出張して特定期間テントを張り、そこで運営する形態をとっていた。 移動式慰安所については、朝鮮戦争に参加した元韓国軍幹部の回顧録にも書かれている。例えば、全斗煥政権下で陸軍第二司令部司令官などを歴任した車圭憲氏は、回顧録『戦闘』(1985年)の中で、「24人用の野戦テントの内部をベニヤ板と防水布で仕切った野戦寝室に慰安婦は収容されていた」と、当時の移動式慰安所の光景を綴っている。 また、同じ頃に首都師団の小隊長であった金喜午氏の回顧録『人間の香り』(2000年)によれば、移動式慰安所には「小隊ごとに2名(中隊全体で合計6名)の慰安婦が日中の8時間に限って宛がわれていた」という。 さらに金氏は、慰安隊が「第五種補給品」と呼ばれていたことを同書に記していた。 韓国軍の実際の軍補給品は食料や被服類、燃料など一~四種までで、慰安婦をそれに並列させるこの俗称は、慰安隊の女性たちが“物品”として扱われていたことを示している。これが「人権国家」を標榜する韓国の実態だった。関連記事■ 韓国の反日スレ「日本に爆弾テロする?」「お前通報シマス」■ 従軍慰安婦問題について韓国要人「一言謝れば韓国人は納得」■ 韓国紙 外相が国連総会で安倍首相の足引っ張るかで沸き立つ■ 韓国 慰安婦を人権問題として世界に注目させ日本の譲歩狙う■ 韓国紙 慰安婦のために闘った朝日新聞を助けようと呼びかけ

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    韓国新婚女性に「人権なしが9年間続く」を意味する言葉あり

     日本人女性もハマった韓流ドラマの甘い恋愛は、ある韓国人男性に言わせれば「女性に独身の間だけ見させる夢のようなもの」だという。韓国社会の男尊女卑の実態をフリーライターの張赫氏がレポートする。* * * 韓国には儒教文化を建前にした因習が根強く残っている。目上に当たる親や年長者には決して逆らってはならない、妻は夫に絶対服従するといったものだ。結婚3年目の韓国人男性(30代)が語る。「今でも“超“男尊女卑社会ですよ。チェサ(法事)なんかがいい例。韓国では3代前まで遡って行なう家が多く、法事は年に4~5回、多い家では7~8回ある。 女性たちは台所で供え物や料理を準備してテーブルに並べます。男性が食べ終わるまで給仕し、同席は許されない。男性の食べ残しを洗い物をしながら台所の片隅で食べるんです」 別の韓国人男性(20代)は法事の時に見たある光景を述懐する。 「10代の頃に法事に参加した時、長男を産んだばかりの親戚がいたのですが、20人くらいいる男性の前で乳房を出して授乳を始めた。というか、強引にさせられていましたね。韓国で長男は“宝物”とされ、そうするのが風習だというのですが、当時はまだ知らなかったので驚きました」 ソウルで新婚生活を始めたばかりのイ・ヨンミさん(仮名)は「結婚してからが本当に大変……」とため息をつく。「毎日一回は必ず姑さんに電話してその日にあった出来事を報告し、週末になれば決まって夫の実家で食事。準備はすべて私がやるんですよ。夫は『そうするのが当然』と言って味方になってくれません。付き合っている頃はデートのエスコートやサプライズで尽くしてくれたのに、結婚した途端に人が変わったみたい」 さらにイさんが続ける。 「韓国では新婚女性の立場を表わすのに『見ざる3年、聞かざる3年、言わざる3年』と言います。人権なしの状態が9年間も続くという意味。大袈裟ではありません。ごく一般的な家庭がそうです」 韓国では近年、「女性緊急電話(*注)」の利用者が増えており、今年6月発表の統計では家庭内暴力(DV)が全相談件数の42.6%を占める。結婚後に暴力を振るう男性がこれほど多いのは、女性の人権が蔑ろにされている証拠だ。 企業にも女性蔑視がある。ある女子大生は助教授に就職の相談をしたところ、こんな言葉を投げかけられた。「あなたは“サムスン型”の顔じゃないよ。これまで就職に成功した卒業生をたくさん見てきた。企業ごとに受ける顔があって、顔を見ればどの会社に向いているのかわかるものだよ」 “サムスン型”が本当にあるかどうかは不明だが、面接で好印象を与えるために整形する女子学生は多い。 そうまでして内定を勝ち取っても、その先にはさらに厳しい現実が待ち構えている。能力を発揮できる場を与えられることは稀で、男性社員の補助要員として職場の“お飾り”にされてしまう。 「性接待」を強要されることもある。今年5月に投身自殺した26歳の女性消防士は、同僚らの証言によると、職場関係の飲み会のたびに性行為を強要されていたといい、現在警察が捜査中だ。 内閣府(日本)がまとめた2013年版男女共同参画白書によれば、韓国の女性管理職の比率はわずか9.4%。アメリカ43%、イギリス35.7%、フランス38.7%などに比べると圧倒的に低い。日本も11.1%とかなり低いが、韓国はそれをさらに下回る。 OECD(経済協力開発機構)の調査では、韓国の男性の平均賃金を100としたとき、女性の賃金は61。格差は39%となっている。これは統計がある加盟国平均15%の2.6倍で、ワースト1位だ(2010年)。 今年、史上初の女性大統領が誕生し、大きく変革を遂げたイメージがあるが、国際社会の尊敬を得るには程遠い現実がある。【*注】DVや犯罪から女性を守るため、24時間運営されている通報窓口。女性家族部がNGOに委託し事業支援を行なっている。関連記事■ 韓国女性は美容にかける時間が日本人の2倍 平均で約68分■ アジアで8割超が日本に好印象 中韓だけ日本嫌いの現実あり■ 「活版印刷」と「羅針盤」 韓国が起源は韓国人の間では常識■ 暖房使いすぎの韓国 電力不足で室温を制限、罰金22万円■ 一部の韓国人 イギリス人もキリストも韓国が起源と主張する

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    傲慢なるメディアの「良心」と「戦勝国」気取りの中韓

    判されるからと、大東亜戦争という呼称を使うことに躊躇する人は大勢いるでしょう。自己検閲が入るのです。韓国よ、君達は戦勝国ではないよメディアに深く浸透する反射的意識 TBSのワシントン支局長だった山口敬之氏をめぐる問題も同じ思いです。彼はベトナム戦争中、韓国軍が慰安所を開設していたことを週刊文春でスクープしました。 山口氏はアメリカ赴任直前の2013年、外交関係者から、韓国軍の慰安所について米政府の資料で裏付けられるかもしれないと耳打ちされます。そこから山口氏の公文書探しの取材が始まります。 そして、14年7月、米軍司令部が「韓国軍による韓国兵専用慰安所」と断定する書簡を発見。米海兵隊の歩兵部隊長の男性から決定的な証言を得ます。慰安所の実態をついにつかみました。 ところが、山口氏の取材はTBSでは放送されませんでした。山口氏は取材結果を文春で明らかにします。ところがそれが問題になり、TBSから15日間の出勤停止処分と営業局のローカルタイム営業部への異動を命ぜられた―というのです。 山口氏はフェイスブックで、異動と懲戒処分の事実を明らかにしました。処分理由を「週刊文春への寄稿内容ではなく、寄稿に至る手続きが問題とされました」。外部メディアに書く場合、事前に届け出―許可ではない―を書面でしなければならないそうですが、そこでの落ち度を咎められたというわけです。「見解の相違はありますが、今回の懲戒処分がTBSの報道姿勢に直接リンクするものではない」とも説明しています。 しかし、なぜTBSは山口氏の取材内容を報じなかったのか、という疑問は残ります。山口氏は「会社が私の取材成果を報道しなかった真意は、私にはわからない」として「事実は揺るぎなく、世に知らしむべきニュースと考えて公表に踏み切りました」と説明しています。 要するに韓国に不利な報道には抑制的になった。それがTBSに限らず、全てのメディアに染みついた反射的意識なのです。これがWGIPの残滓でなければ何だというのですか。考えさせられる出来事でした。 もうひとつ挙げましょう。安倍晋三首相がご自身の公式ホームページで、日本国憲法の成立過程をこう書いています。 《まず、憲法の成立過程に大きな問題があります。日本が占領下にあった時、GHQ司令部から「憲法草案を作るように」と指示が出て、松本烝治国務大臣のもと、起草委員会が草案作りに取り組んでいました。その憲法原案が昭和21年2月1日に新聞にスクープされ、その記事、内容にマッカーサー司令官が激怒して「日本人には任すことはできない」とホイットニー民生局長にGHQが憲法草案を作るように命令したのです。これは歴史的な事実です。その際、ホイットニーは部下に「2月12日までに憲法草案を作るよう」に命令し、「なぜ12日までか」と尋ねた部下にホイットニーは「2月12日はリンカーンの誕生日だから」と答えています。これも、その後の関係者の証言などで明らかになっています。 草案作りには憲法学者も入っておらず、国際法に通じた専門家も加わっていない中で、タイムリミットが設定されました。日本の憲法策定とリンカーンの誕生日は何ら関係ないにもかかわらず、2月13日にGHQから日本側に急ごしらえの草案が提示され、そして、それが日本国憲法草案となったのです》 これは紛れもない事実です。ところがこれを言うと怒り狂ってかみつく日本人が現れ、安倍首相は今、彼らの批判を浴びています。 しかし、国の根本法である憲法の成立過程に関する歴史的事実を詳らかにして、疑問を提起することは、本来なら何も問題ないはずです。野党の国会議員は怒りを露わにして「それを口にすることなど許されない」といわんがばかりの剣幕です。私には歴史的事実の否定や隠蔽を図り感情的に反応する人たちが、最後の悪あがきをする光景にしか見えません。このように洗脳はメディアだけとは限らず、WGIPで見事に洗脳された人(もしくはWGIPによる洗脳効果を持続させたい人)は、他にも大勢いるのです。韓国よ、君達は戦勝国ではないよ夕食会で乾杯する韓国の朴槿恵大統領(左)と中国の習近平国家主席。右はロシアのプーチン大統領=2015年9月2日、北京の釣魚台迎賓館(共同) WGIPは当初、米国のための政策でしたが、韓国とPRC(中華人民共和国)、北朝鮮も大いに恩恵を受けました。北朝鮮は国際社会で最初から相手にされておらず、ここでは触れませんが、韓国とPRCは看過できません。今も彼らは国連はじめ国際社会やアメリカ国内でロビー活動を展開し、日本を狙い撃ちにする「ディスカウント・ジャパン」運動を執拗に続けているからです。 韓国は戦後一貫して、自分達を「戦勝国の一員」と主張しています。しかし、昭和20年(1945)の大東亜戦争終結まで、朝鮮半島はすべて「日本領土」でした。日本は韓国と戦争などしていないのです。これは歴史的事実です。敗戦後になって韓国が建国されましたが、そもそも、終戦時に存在しなかった国なのにどうして「戦勝国」のような振る舞いができるのか。私はとても理解に苦しみます。あまりにも恥知らずです。 子供たちが集まってAチームとBチームで野球をしたとします。試合はAチームが勝ちました。するとBチームにいたK君がAチームにやってきて「ボクも最初からAチームの一員として戦い、勝ったんだ」と言い出すようなものです。今の韓国がやっていることはこれと同じです。日本をはじめとする他の先進国では、あり得ない振る舞いだと思います。戦勝国気どるPRCにレッドカード 「中華人民共和国」にも同じ思いがあります。彼らもまた第二次世界大戦中は存在していませんでした。私は「戦勝国」を自称したがる彼らに大きな違和感を覚えています。 日本が相手にしていたのは最初から最後まで蒋介石の「中華民国」、つまり国民党政府とその軍でした。日本人は「中国」と何気なく言いますが、現政府は中華人民共和国の英語の正式名称の頭文字を取った「PRC」と呼ぶなりして区別すべきです。 毛沢東率いる中国共産党の八路軍が日本軍と戦った事実は確かにあります。が、それは断じて「戦争」ではありません。あくまで彼らは非合法ゲリラ組織に過ぎなかったのです。 ボクシングに喩えましょう。彼らは「日本軍対国民党軍」という公式戦の最中、リングの外から日本軍に空き缶を投げつけるライセンスのない輩のような存在です。公式戦は常に日本軍の圧倒的優勢でしたが、結果は国民党軍の判定勝ちでした。しかし試合でボロボロになった勝者(戦勝国)を今度は先程の輩がボコボコにして追い出してしまう。 彼らは後にライセンスを取得し、ジムの会長になる。そして国際舞台で一定の地位を得て代替わりを重ねるうちに急に「昔、私達が公式試合で日本に勝ったのだ」「自分がチャンピオン(戦勝国)だ」と言い出します。このあたりの感覚は韓国とほとんど同じだと思いますが、PRCの振る舞いはざっとこんな感じです。 先の戦争で日本に勝ったのは米国だけです。「連合国が勝った」と言う人がいますが、オランダ軍やイギリス軍、フランス軍もアジアの植民地から日本軍によってあっさり追い出されました。米軍もフィリピンから一度は追い出されましたが、戻ってきて日本と徹底的に戦って、最終的に勝ったのです。ちなみに米国は対日戦で明らかな戦時国際法違反を数多く犯しました。日本はそれほど強かった。米国はなり振り構わず、死に物狂いで勝利をつかんだのです。 そういうわけで私は韓国やPRCの戦勝国を気どった振る舞いをみるたびに「ふざけるな」と一喝したくなります。ただ、彼らに反論できずにいる日本人にも「もっとしっかりしろよ」と言いたい。70歳にもなるプロパガンダに縛られる必要はありません。世界中で日本ほど他国に昔の戦争で謝罪を繰り返す国はありません。今年は戦争終結70周年の節目の年です。自国を取り巻く外交の現状や史実が正しく理解され、周辺国の執拗な言い掛かりに屈せず、主張すべきことを堂々と主張する。日本の主張がより世界へ広まるよう心から願っています。ケント・ギルバート氏 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、国際法律事務所に就職して東京に赴任。83年、TBS系列「世界まるごとHOWマッチ」に出演し、一躍人気タレントへ。最新刊は「不死鳥の国・ニッポン」(日新報道)。公式ブログ「ケント・ギルバートの知ってるつもり?」では辛口の意見を発信中。  

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    韓国の二次大戦戦勝国主張は嘘 戦勝国や敗戦国でもない第三国

     韓国が世界に広げている様々なデタラメのうち「韓国は第二次世界大戦の戦勝国である」というものがある。 そもそも韓国は終戦まで日本の一部であり、両者が交戦した事実はない。2015年9月2日、北京の人民大会堂で握手する韓国の朴槿恵大統領(左)と中国の習近平国家主席(共同) 日本統治に反対する独立運動家・李承晩らが1919年に上海で組織した「大韓民国臨時政府」は日中戦争勃発後、重慶で「韓国光復軍」を創設し、中国国民党の蒋介石の支援を受けて「祖国の解放のため抗日闘争に乗り出した」(韓国戦争記念館)というのだが、実態はただのゲリラで戦闘実績は皆無に等しかった。 また、連合国側は臨時政府を国として認めておらず、第二次世界大戦末期の光復軍の対日宣戦布告も無効とされている。戦後、韓国はサンフランシスコ条約の署名国としての地位を求めたが、これも拒否された。韓国が「連合国側の戦勝国」というのは妄想に過ぎない。つまり韓国は戦勝国でも敗戦国でもない第三国なのだ。関連記事■ 日本と戦っていない韓国 中国の要請で抗日勝利式典へ参加か■ 中国 来年の抗日戦勝70周年式典にオバマ大統領の参加を画策■ 竹島はサンフランシスコ条約で日本領確定 米も韓国帰属一蹴■ 日韓 国際貢献は日本が上で韓国の「日本は誠意ない」に異議■ ソウル市劇団 慰安婦演劇の全米横断公演等で反日盛り上げる

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    潘基文氏は「中立性原則」違反の常習者だ

    だ。193カ国の加盟国を抱える国連の事務局トップが参加すべきではないことは通常の外交官ならば分かる。韓国外相などを歴任した職業外交官出身の潘基文氏が知らないはずはない。国連は世界の平和と紛争解決を明記した国連憲章を掲げているが、その原則は「中立性」だ。米サンフランシスコで開かれた記念行事でスピーチする国連の潘基文事務総長(共同) 米国や日本は国連事務総長の「抗日戦争勝利70周年式典」参加に懸念を表明している。日本政府は事務総長にその件を通達したと聞く。当然だろう。中国共産党政権が歴史的記念日を国威高揚の場に利用し、特定の国(この場合、日本)を糾弾する狙いがある。潘基文氏は中国側の意図を知ったうえで、参加を決めたのだ。同氏は確信犯だ。  当方は過去、このコラム欄で数回、潘基文氏の言動が国連の「中立性の原則」を違反していると報告してきた。特に、日本の過去問題に対しては一方的な歴史観に基づいて日本を批判してきた経緯がある。 潘基文氏の反日発言は国連事務総長に選出される前から見られた。同氏が2005年、韓国の外交通商相時代、ブリュッセルの欧州議会を訪問し、その直後の記者会見で「欧州議会も小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝を批判した。第2次世界大戦参戦国として日本軍の犠牲となった経験をもつ欧州の国民の視点から見ると、靖国神社参拝は受け入れられないという意見が多かった」と報告した。その直後、「日本首相の靖国神社参拝は議題ではなく、1人の記者が質問したので、欧州議員の誰かが答えただけに過ぎない。欧州議会が小泉首相の靖国神社訪問を正式に批判したという発言は事実とは異なっている」ということが関係者の証言で明らかになった。韓国外相の発言は政治的意図を含んだ一方的な解釈であり、事実ではなかったのだ(「国連の潘基文事務総長の『悪い癖』」(2013年8月27日参考)。 その一方、韓国の朴槿恵大統領に対する名誉毀損で産経新聞前ソウル特派員が在宅起訴された問題について、世界のメディア関係者が一斉に「言論の自由」を蹂躙する蛮行と韓国を批判する論調を発表し、韓国に「言論の自由」を守るように要求したが、肝心の国連事務総長はスポークスマンの代行で終始し、母国の言論弾圧に対して沈黙した(「潘基文氏の『名文』とその胸の内」2014年10月31日参考)。 当方は最近もこのコラム欄で「『中立性の原則』を破った潘基文氏」(2015年6月29日参考)という記事を書いた。その中で「国連事務総長が率先して同性愛者支持の姿勢を示すことは職務上、好ましくない。米連邦最高裁判所は合憲と判断したが、あくまでも米国内の判決だ。世界には同性婚を公認しない国も多数存在する。国連憲章第100条1を指摘するまでもなく、国連事務総長はその職務履行では中立性が求められている」と述べた。 上記の例からみても分かるように、潘基文氏には「中立性の原則」を無視した言動が少なくないのだ。「抗日戦争勝利70周年式典」への参加決定は、同氏が中立性が求められる国際機関トップには相応しくないことを改めて明確に物語っているわけだ。 ちなみに、潘基文氏はここにきて次期韓国大統領選に意欲を示している。「潘基文氏が反日言動を繰り返すのは韓国国民を意識しているからだろう」という見方もある。(公式ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より2015年8月31日分より転載)

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    韓国はいかにして竹島を奪ったか

    ナ人の方がましでしたよ」とは、戦前の半島に暮らした老婦人の言葉だ。日韓条約締結から50年たった今も、韓国は竹島を「固有の領土」と主張し、都合のいい歴史を創作する。そう、彼らは何も変わっていない。説明するまでもなく、竹島は日本固有の領土である。

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    竹島問題、日本政府はなぜ対処できなかったのか

    が日韓の間には未解決の問題が残されている。竹島問題である。竹島問題の発端は昭和1952年1月18日、韓国政府が「李承晩ライン」を公海上に設定し、その中に竹島を含めたことにある。その竹島は、明治38(1905)年1月28日、閣議決定によって日本領に編入され、終戦までは日本が実効支配をしていた。 その竹島を含め、韓国政府が「李承晩ライン」を宣言したのは、「サンフランシスコ講和条約」が発効し、日本が国際社会に復帰する3カ月ほど前である。その際、韓国政府の兪鎮午は、日本の朝鮮統治時代から著名な史家であった崔南善の元を訪れ、「歴史的に見て韓国領として主張のできる島嶼」を尋ねていた。兪鎮午は、その崔南善から独島(日本名、竹島)が韓国領であることを「確信できる程度の説明を受けた」としている。 だが崔南善が1953年8月から『ソウル新聞』に連載した「欝陵島と独島」を見る限り、竹島を韓国領とする論拠は限定的であった。それは独島を、朝鮮の文献に登場する「三峰島を指すのかもしれない」。「可支島ではないか」とする程度であった。 それが今日では、竹島問題は領土問題ではなく歴史問題とされ、日本を「侵略国家」とする論拠にされている。それも崔南善が必ずしも歴史的根拠としていなかった『三国史記』、『高麗史』、『世宗実録』「地理志」、『新増東国輿地勝覧』等に記された于山島を独島と曲解し、歴史問題にすり替えられてしまったのである。その傾向が強まったのは1954年9月、竹島を武力占拠した韓国政府に対し、日本政府が国際司法裁判所への付託を提案してからである。この時、韓国政府は声明を通じ、「竹島は日本が韓国侵略をした最初の犠牲の地」とし、日本が竹島の領有を主張することは、「再侵略を意味する」とした歴史認識を示して、国際司法裁判所への提訴を拒否したのである。竹島が記された最古とみられる日本地図「改製日本扶桑分里図」(島根県提供) それも日韓の国交正常化交渉と並行し、公海上に引いた「李承晩ライン」を根拠に日本人漁船員を拿捕抑留し、それを外交カードとしたのである。戦後、日本には夥しい数の朝鮮半島からの密航者がいたが、拿捕抑留された日本人漁船員の解放を求める日本政府に対し、韓国政府は不法入国者等にも日本定住の「法的地位」を与えるよう求めたのである。 この日韓関係に変化が現れたのは1994年、国連の海洋法条約が発効し、国際ルールに従って対話をする機会が訪れたからである。そこで韓国政府は、竹島の不法占拠を正当化すべく、竹島に接岸施設の建設をはじめ、日本政府が抗議すると、反日感情を爆発させて牽制したのである。 だが日本政府は、韓国側の反日感情を考慮してか竹島問題を棚上げし、1998年末、新「日韓漁業協定」を締結したのである。その結果、日本海には排他的経済水域の中間線が引けずに、日韓の共同管理水域が設定され、韓国漁船による不法漁撈問題が発生したのである。そこで島根県議会は2005年3月16日、「竹島の日」条例を成立させ、竹島の領土権確立を求めたのである。 だが当初、日本政府は「竹島の日」条例には批判的で、竹島問題を歴史問題や漁業問題に局限し、韓国側の動きに同調する動きも強まった。そこで島根県では2014年2月、『竹島問題100問100答』(ワック出版)を刊行し、韓国側には竹島の領有権を主張できる歴史的権原がない事実を明らかにしたのである。これに対して、韓国側では今に至るまで反論ができていない。 ここで問題となるのは、日本の国家主権が侵され続けて半世紀、その間、日本政府は適切な対処をしていたのかということである。外務省のホームページで「竹島は日本固有の領土」とし、「韓国が不法占拠している」とするのは、「竹島の日」条例の成立が確実となってからのことで、『防衛白書』に竹島問題が記述されたのも2005年度版からである。 それに島根県竹島問題研究会が『竹島問題100問100答』の企画を進めていた頃、外務省でも島嶼研究の基本調査と称して8億円の予算を組んでいた。だがこの類似の試みに対し、韓国側が反応したのは、出版費200万円程の『竹島問題100問100答』の方であった。それも『竹島問題100問100答』を批判した慶尚北道独島史料研究会では、『竹島問題100問100答』を韓国語訳し、その後に批判を加えた『「竹島問題100問100答」に対する批判』をネット上に公開したことで、墓穴を掘ってしまったのである。これまで韓国内では韓国側に不利な竹島関連の情報は制限されていたが、島根県竹島問題研究会の見解と、それを批判する韓国側の見解を比較できる場を作ってしまったからだ。 だが事の重大さに気がついたのか、慶尚北道庁は突如、『「竹島問題100問100答」に対する批判』をネット上から削除したのである。事実上の敗北宣言である。 竹島問題は、領土問題である。それを解決していくには、歴史の事実と若干の戦略が要る。島根県にできることが、日本政府には何故できなかったのか。ここに竹島問題の本質がある。

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    「接近」でも蜜月になれない中韓の事情

    、朝鮮半島ではそれ以上に、「分断70年の年」という意味合いが強い。中国との距離が近いと言われて久しい韓国だが、両者は「統一」に対する認識が決定的に異なっている─。 3月、米韓合同演習の中断を要求する韓国の民族主義者が駐韓米国大使を襲撃した。この衝撃的事件への北朝鮮の対応が、実は中国の南北統一に関する立場と一致していると述べたなら奇異に聞こえようか。父親の朴正煕元大統領と異なり、娘の朴槿恵大統領は日米より中国と緊密になっている─と言われてきたが、対米競争を意識する中国は決して、南北分断を中立姿勢で見ているわけではない。分断から70年を経てもなお、統一問題は韓国の直面する中国との深刻な対立点である。分断70年 韓国と中朝の対立 事件の後、朴槿恵政権が国内の「従北」勢力批判を展開すると北朝鮮はこれを強く非難した。その際の朝鮮中央通信によれば朴槿恵の統一政策「信頼プロセス」は「外勢」(外部勢力)と結託した「反統一政策」なのだという(2015年3月17日)。 他方、中国の習近平主席は前年、北朝鮮より先に韓国を訪問し朴槿恵政権との緊密さを誇示した。ソウル大学での演説を通じ習近平は朝鮮半島での核兵器開発への反対と「自主平和統一」への支持も表明している。これは印象として韓国の「反統一政策」を非難する北朝鮮とほとんど対照的だろう。 しかし習近平の「自主」統一支持と北朝鮮の朴槿恵政権批判には一貫性がある。実は朴槿恵は決して「自主」統一は謳わない。習近平が支持した「自主」統一は「外勢」、つまり米国を排除する概念であり、米国大使襲撃に際して北朝鮮も朴槿恵と「外勢」たる米国の結託を非難した。 米国排除としての「自主」には2つの意味が含まれる。第1に米国のソフト・パワーにより社会主義体制が崩壊して実現したドイツのような統一は否定される。第2に米韓同盟への脅威認識である。体制生存と米軍対処での目標共有が中朝の「自主」原則での一致から強く示唆されている。 分断70年でもあり、南北の指導者がこれを意識する今年は統一に関する認識の違いが生じやすいのかもしれない。双方による「新年の辞」はともに分断70年を強調したが、これを機とする「統一基盤」構築を謳った朴槿恵に対し、金正恩は「自主」統一を主張した。 そして中国は南北双方の「新年の辞」への論評として「自主」平和統一の最終的実現を一貫して支持してきたと表明し、北側に立ったのである(外交部報道官、15年1月6日)。以下、体制と軍事の両面から中韓の対立をみていきたい。 朴槿恵大統領は就任前、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルに寄稿し欧州冷戦の終結過程「ヘルシンキ・プロセス」のように日中および南北朝鮮の緊張を緩和すべきと訴えた。現在ウクライナ停戦を進めている欧州安全保障協力機構(OSCE)も40年前のヘルシンキ最終文書採択に始まったこの過程で設置された。ドイツ型とは異なる中朝の目論見 この寄稿の議論を引継ぎ朴槿恵政権は、統一政策としての「信頼プロセス」と域内国家の和解を図る「東北アジア平和協力構想」を掲げている。同地域構想の外交部による説明文書(14年)はヘルシンキ・プロセスの再現を強調しており、これは西側の専門家には説得力があろう。 しかしヘルシンキ・プロセスの再現を謳うことこそ、中朝が構想を「信頼」できない理由となる。これはソ連東欧の一党体制崩壊「プロセス」でもあり、共産党体制の生存を図る中国にとって忌むべき歴史である。その帰結であるドイツ統一も、北朝鮮が回避すべき社会主義体制の資本主義側による吸収に他ならない。中朝は韓国とは対立する視点で冷戦終結の教訓を引き出すことになる。 欧州社会主義圏が崩壊したころ韓国では、北朝鮮も東ドイツのように消滅するとの期待が高まった。当時の盧泰愚政権が掲げた目標たる複数政党制の議会制民主主義の統一国家「韓民族共同体」は、ドイツ統一の再現を強く示唆するが、朴槿恵はその目標追求の継続を重視する(統一部説明資料13年9月)。 朴槿恵大統領に報告された外交部の行動計画「統一時代を開くグローバル信頼外交」も「ドイツ統一過程から引き出せる全般的な教訓と示唆をよく活用していく」と述べた(15年1月)。 これに対し中国が支持する北朝鮮の「自主」統一は一党体制を保全するもので、ドイツ型統一とは明らかに異なる。「外勢」排除の「自主」原則は決して米国の影響を受けた体制による吸収統一を許容しない。同原則に基づく統一国家は北朝鮮の体制が生き残る「連邦制」である。米韓同盟への脅威認識を反映 「自主」を主張することは、一党体制の崩壊「プロセス」を再現しようとする企図への反対を意味しよう。複数政党制の統一国家を目指す朴槿恵政権に対し、むしろ中国は北朝鮮の一党体制を保全する従前からの立場、「自主」統一支持を繰り返し確認してきた。習近平と朴槿恵特使、金武星の会見(13年1月)、楊潔チ篪・国務委員の朴槿恵大統領との会見(同11月)、習近平の朴槿恵との会談(14年3月、7月)において「自主」統一支持を中国側が表明したと新華社は伝える。 ヘルシンキ・プロセス再現の阻止で一致する中朝は何をすべきか。ソフト・パワーの効果的な行使の例としてジョセフ・ナイが挙げているように、米国は軍事力で東側体制を崩壊させたわけではない。ヘルシンキ最終文書で西側陣営はソ連の決めた国境線を受け入れたが、代わりに基本的人権の尊重を合意に書き込んだ。西側体制を正統化する人権を直接的に否定できなくなった結果、ソ連と東欧諸国は内部の反体制派増大という予想外の事態に直面した。 この体制崩壊の教訓に基づけば北朝鮮は、南の体制を正統化する人権を「外勢」の攻勢手段として否定せねばならない。北朝鮮にとって国連北朝鮮人権委員会による問題提起も「反帝自主」の道に進む「我々の制度を転覆」する「米国の人権攻勢」と見なすべきものとなる(朝鮮中央通信、14年3月25日)。 冒頭述べた米大使襲撃に関する北朝鮮の論評は、こうした姿勢を反映している。論評によれば北朝鮮の人権状況の改善を求める朴槿恵政権の政策は「反共和国『人権』謀略騒動」だった。「信頼プロセス」はまさに「米国が社会主義諸国を崩壊に追い込んだヘルシンキ・プロセス」を朝鮮半島に適用したものであり「自由民主主義体制による吸収統一」を実現する手段が「『従北』狩り」なのだという。米韓同盟への脅威認識を反映 韓国との「未来ビジョン」(13年6月)で習近平は「信頼プロセス」を「歓迎」したが、「民族の念願」たる統一との表現で「自主」統一への実質的支持を貫徹した。 そこには「外勢」排除のもう一つの意味、米韓同盟への脅威認識が反映されている。同ビジョンのいう「両者、地域次元のみならず、国際社会」での協力は、類似表現で既に合意されていた米韓共同「ビジョン」(09年)を相殺する。 米韓ビジョンで先に謳われた「二国間、地域、世界」での協力は半島をこえる「地域」同盟の発展を企図していた。これが合意されたとき米国は、東アジア地域で韓国を日本と並ぶ「パートナー」として中国に対処する「ミサイル防衛見直し」を進めていた(翌10年発表)。 米韓ビジョンの「地域」協力が中国の軍事力に対処するためなら、中韓「地域」協力と両立しない。米韓「地域」ミサイル防衛協力の抑制を目指す中国外交の成果が、中韓「地域」協力合意だったのかもしれない。 韓国が中国の批判する戦域高高度地域防衛(THAAD)を導入しない方針を明確にしたのは中韓ビジョンから4カ月後である(国防日報、13年10月16日)。 15年2月の国防長官会談以降、中国は在韓米軍のTHAAD受け入れも拒否するよう韓国を圧迫した。その後米韓合同演習が開始されると北朝鮮は中国との提携に期待を持ってTHAADを批判している。 北朝鮮外務省の声明によれば米国は「我々の強硬対応を誘導」することで中露を制圧する有利な条件たるTHAAD配備を強行し、日米韓によるアジア版北大西洋条約機構(NATO)形成の出発点にしようとしているという(15年3月26日)。 70年の歳月は分断を収束させず、いまも米国の盟邦が一党体制と対峙している─その認識を持たず習近平が朴槿恵の「信頼」に応じて見せたわけではあるまい。中国のソフト・パワー攻勢への効果的対応が、日米韓協力の要件となろう。わたなべ・たけし 防衛省防衛研究所アジア・アフリカ研究室主任研究官。1997年東京都立大学法学部卒業、2000年慶應義塾大学大学院法学部研究科政治学専攻修士課程終了。02年より防衛省防衛研究所。09年アメリカン大学国際サービス大学院修士課程終了。専門は、朝鮮半島の政治と安全保障。関連記事■ 存在しなかった反米感情 中国の台頭で揺らぐ韓国の米国観■ 中国、この腐肉に群がるハイエナ■ 「孤立論」まで飛び出した 韓国歴史外交の敗北   

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    韓国が日本を見下す理由

     前回、韓国がなぜ反日活動を執拗に行うのかを説明し、その問題を根本的に解決するためには、歴史を直視する事が必要であると結びました。そこで今回は、日韓の近代史を振り返って見ましょう。 西暦1392年、それまで朝鮮半島を支配していた高麗王朝の王位を李成桂という男が簒奪しました。彼はすぐさま明に使者を送り皇帝に国名を選んでもらいました。それが二十世紀初頭まで続いた朝鮮という国です。 19世紀中頃になると、当時、世界を覆いつくさんばかりの欧米列強の魔の手が、とうとう北東アジアにも伸びてきました。まず、清国が阿片戦争で血祭りにあげられ、その後、西欧諸国は日本や朝鮮に対しても、首都の近くまで船を進めて開国を迫るようになってきました。日本における、その典型的な事件がアメリカのペリー提督率いる黒船来航でした。 当初、日本では、外国人を国内に入れるなという意見が大勢を占めていましたが、欧米の科学力に裏打ちされた軍事力を知るにつけ「これは、とてもかなわない」と思う人間が増えはじめ、更に清国の現状を知り「日本も欧米の植民地にされるかもしれない」という猛烈な危機感を抱いた人たちが、欧米に対抗すべく中央集権体制の国家を樹立したのが明治維新です。 そして西欧列強国に対抗するには、彼らから学ぶしかないと考えた日本政府の要人たちは、なりふり構わず西洋の社会システムを模倣しました。また、彼らの軍事的脅威に対抗するために隣国の朝鮮と同盟を結ぼうと考え、国の統治体系が変わったこともあり、改めて国交を結ぶべく使者を送ったのが西暦1868年です。 当時、欧米の軍事力は圧倒的に日本を凌駕していたのですから日本の立場としては少しでも仲間が多い方が良いと思うのは当然のことであり、また、朝鮮が日本を狙う侵略国に占領されてしまえば、その地理的位置から自国の防衛が非常に困難になるため、日本としては、何としても朝鮮と同盟関係を結ばねばならなかったのです。 ところが朝鮮は、長らく華夷秩序体制(中華皇帝を中心とした国際関係。周辺諸国を夷狄の王として中国より格下に位置付けた冊封体制)の中にいたため自分達より中華から遠い日本を蔑視していただけではなく、西洋人を夷狄として忌み嫌っていました。その外国と条約を結んだ日本から中華皇帝以外に使用を許されない「皇」の字が入った親書が来たものですから、親書の受け取り自体を拒否したのです。 本来、日本は中華冊封体制の外に位置し、独自の天皇を頂く国ですから「皇」の字を使用したとしても何の問題もないのですが、朝鮮側の一方的な思い込みにより国交樹立のための交渉のテーブルに着くことすらかないませんでした。(高まる中国や北朝鮮の脅威に日韓が連携して対抗しなければならないというのに、日本にとっては言いがかりの理由で会談すら拒否する、今の大統領を見れば、こういうところは何も変わっていないことが良く分かるでしょう)     西郷隆盛 そこで、日本国内に巻き起こったのが、朝鮮に出兵して武力で従わせようとする「征韓論」です。しかし、当時、参議であった西郷隆盛は自分が全権大使として朝鮮を説得し、平和的に同盟を結ぶと言い張り、西郷大使の派遣は実現まであと一歩の段階まで迫ったのですが、日本国内の政変により日の目を見ませんでした。簡単ではなかった朝鮮の独立 その後、日朝両国は互いに国内の政変などの紆余曲折を経た後、江華島事件を契機として「日朝修好条規」を締結しました。この条約は、この時代における他の条約と同様、ご多分に漏れず不平等条約でしたが、一つ大きな違いがありました。 それは第一条において「朝鮮は自主の国であり、日本と平等の権利を有する国家と認める」と、わざわざ朝鮮が独立国家であると謳っていることです。しかも日本は、この日朝修好条規締結の5年前、清との間に両国が対等である事を確認した「日清修好条規」条約を結んでいました。つまり日本=清、日本=朝鮮という対等関係になれば長年主従関係にあった清国と朝鮮も清=朝鮮という対等関係になるという理屈です。 しかし、ことはそう簡単に行くはずもなく朝鮮の独立には、それからも歳月を要しました。とはいえ、この条約をきっかけに、建国から約500年の時を経た朝鮮が、ようやく独立への第一歩を踏み出したことには間違いありません。ただし、ここで確認しておかねばならないのは、日本は善意だけで朝鮮を独立させようとしていたのではないということです。 例えが適当かどうかわかりませんが、自分の二軒隣の家が燃えている場面を想像してください。隣の人は、そんな大変な時だというのに、自分の住んでいる家は借家なので、燃えても仕方ないと思って逃げ出そうとしているようなものでした。当時の国際社会には消防局もなく、しかも日本は新しい家の建築中で他家の消火活動を行う余裕がなかったのですから、隣の朝鮮に住んでいる人たちに、本当は借家ではなく自分の家であるとの自覚を持ってもらい、自分の家は自分で消火してもらおうと懸命だったのです。 そのために日本は朝鮮の自主独立派に軍事顧問を送るなどして援助し、清からの独立を後押しした結果、その独立派が政治の主導権を握り、そのまま朝鮮も近代化への道を歩むかと思われましたが、従来通り清の冊封体制を維持しようとする守旧派がクーデターを起こしたため、一転して独立派は窮地に陥りました。 朝鮮では古来より外国勢力の助けを借りて政敵を倒すのが常套手段でしたから、この時も独立派は遅滞なく外国勢力に助けを求めたのですが、問題は、その相手です。この時、独立派の頭目である閔妃が頼ったのは従来から付き合いがあり独立を支援してくれる日本ではなく、対立する守旧派の後ろ盾である清の軍人袁世凱でした。 結果、従来からの親清派でクーデターの首謀者である大院君(国王の父)は清に捕らえられ、その一派と対立していた日本寄りの閔妃が、一夜にして親清派に転向したのです。もはや国家国民や政策など関係なく、ただ己の権力を維持するための争いでしかなかったというわけです。日本の努力は水泡に中華民国の初代総統・袁世凱 このような行動は我々日本人には理解しにくいところですが、もともと裏切りによってできた国であり、事大主義政策が国是とも言える朝鮮にとっては当たり前のことで、また一方の袁世凱にとっても朝鮮を牛耳る、またとない機会なので断る理由はなく、結局、割を食ったのは朝鮮独立のために援助し続けてきた挙句、いともたやすく裏切られた日本だけだということです。  朝鮮の基本政策である事大主義を日本の諺で言えば「長い物には巻かれろ」という意味で、長年、大国に隣接してきた小国としては、ある意味当然の選択だったのかもしれません。当時の清は大国でしたが、一方の日本は、まだまだ弱小国だったのです。弱小国の日本は、この動乱で自国の公使館が襲撃を受け、軍事顧問や外交官が殺傷されましたが何も出来ず、朝鮮独立のために尽くした日本の努力は水泡に帰したのでした。 こうして朝鮮は王の外威である閔氏一族が近代国家への道を閉ざし、再び国民の生活を顧みない政治を行うようになりました。しかし、朝鮮にも心から祖国を憂う骨のある人間がおり、この二年後にクーデターを起こして閔氏一族を追放し、国王を皇帝と改め朝鮮の独立を宣言しました。ところが、またも閔氏の要請により出動した清軍によって独立派が駆逐され朝鮮の独立はわずか三日で終わってしまいました。まったく自国の独立運動を自国民が妨害するのですから、どうしようもありません。 結局のところ、この時代の朝鮮の権力者たちは己の権力を如何に保持するのかという事しか頭になく、国家の独立、ましてや民の暮らしの事などは全く考えていなかったのです。そして、この動乱の際にも、また多くの日本人居留民が犠牲になりました。このような私利私欲のための裏切り行為や反対派に対する鬼畜のような残忍な所業を目の当たりにして、忍耐強い日本人の中にも朝鮮や清に愛想を尽かす人が多くなり始め、その意見の代表的なものが、このころ発表された福沢諭吉の「脱亜論」です。 日本としては自身が関与しなくとも朝鮮が名実ともに独立してくれさえすれば良く、あえて手のかかる朝鮮半島から手を退きたかったのですが、その後に清が居座るようになっては困るので、天津条約を結び両国が同条件で撤兵することとしました。このとき日本は外国からの侵略などの特殊なケースを除き朝鮮半島から永久に撤兵すべきであると主張しましたが、清としては属国である朝鮮の内乱などに「宗主国が出兵するのは当然だ」と一歩も譲らず、最終的に互いの国が、今後、朝鮮半島に派兵する場合は相互通知することで合意しました。ロシアにすり寄る朝鮮 ようやく日清両国が兵を退き、平和になるかと思われた朝鮮半島でしたが、相変わらず朝鮮は自立するでもなく、新たな後ろ盾を求めて今度はロシアに接近し始めました。そんなことをすれば宗主国の清が黙っているはずもなく、袁世凱は閔氏一族のライバルである大院君を伴って朝鮮に乗り込み朝鮮政府を指導する立場に就任しました。 しかし、それでも朝鮮国王はロシアへの接近を止めませんでした。その心境は「自分で独立するのは面倒なので誰かに頼りたいが、特定の誰かには支配されたくない」という感じなのでしょうか、清の顔色を伺いながら、あちこちの国に色目を使うさまは、なんとも哀れとしか言いようがありません。 それでも朝鮮政府は一定の開化政策を試み、欧米諸国から借金をしようとしますが、朝鮮独自の発展を望まない宗主国の清が許すはずもなく、様々な政策が、ことごとく失敗に終わり、それでも王侯貴族たちは民衆の生活を顧みなかったので、庶民の間にどんどんと不満が高まっていきました。 そして1884年に朝鮮国内で大規模な反乱が起きたのですが、事態を収拾する能力がなかった朝鮮政府は、またも清に派兵を要請しました。それを受けた日本も過去の動乱で自国民が虐殺された経験から、天津条約に基づき居留民保護のために派兵しました。そして反乱が収まっても日清両国が一歩も引かず、とうとう戦争になったのです。それが日清戦争です。 この戦争は詰まる所、朝鮮における日清両国の権力闘争でしたが、その影響は朝鮮半島にとどまらず、広く、その後のアジアの運命を大きく変えました。もし、清が勝利していれば、朝鮮はもとよりアジアの多くの国は、今でも欧米の支配下にあったかもしれません。 何故ならば、日本が朝鮮の独立のために戦ったのに対して、清は現状維持=植民地支配肯定が戦争の目的だったからです。事実、日本は「宣戦ノ詔勅」から「講和条約」に至るまで終始一貫して朝鮮の独立を謳い、そのために戦いました。日清講和条約が締結された割烹旅館。日清講和記念館には会議の様子を描いた画なども展示している それは、日清講和条約(下関条約)第一条を見れば良く分かることで、そこには「淸國ハ朝鮮國ノ完全無缺ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ淸國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ」と明記されています。 講和条約=戦争の目的=朝鮮の独立ということで、しかも条約において一番重要なことを定める第一条に明記されているのですから、これ以上の説明は不要でしょう。なにも日本が純粋に朝鮮の独立のためだけに戦ったと言うつもりはありません。当然、自国の利益のために戦ったのですが、いくら自国の利益のためとは言え、古今東西、当事国が何もしないのに、勝てる見込みの少ない戦争を他国の独立のために多大な犠牲を払って戦った国があったでしょうか。 そして、その言葉通り朝鮮は、日本の勝利により有史以降初めて独立したのでした。その象徴が、それまで建っていた属国の証である「迎恩門」(歴代朝鮮王が中国皇帝の使者を迎えるために建てられていた門)を取り壊し、文字通り朝鮮の清からの独立を記念して、その隣に建てられた「独立門」です。歴史の事実を知らない韓国国民 独立門は、現在も韓国の首都ソウルにある西大門に建っていますが、多くの韓国人が、この門について日本から独立したときに建てられたものだと誤解しています。普通に考えると、この門が完成した1897年11月20日という日付を見れば、直ぐその間違いに気が付きそうなものですが、それすら分からないということは、韓国において歴史は事実である必要がないということなのでしょう。 もう一点、韓国の歴史観を教えてくれるのが、この「独立門」の扁額は李完用の作品だということです。彼は日韓併合条約に調印した人物で、本当のところはともかく韓国国民からは親日派=売国奴ナンバーワンとも言われ、2007年に作られた事後法により、彼の子孫は財産を強制的に没収されるくらい憎まれています。 それなのに、その彼の作品が史跡として登録され、そこに多くの人が観光に訪れているのを見れば、いかに韓国国民の多くが歴史の事実を知らないのかということが良く分かります。 さて、それはともかく日本と清の講和条約により、目出度く独立国となった朝鮮。日本としては多大な犠牲を払って獲得した独立ですから、彼らが自力で国家発展の道を歩んでくれるものと期待していましたが、そうはいかないのが朝鮮という国です。 彼らは、口では独立と言っていましたが、とても当時の国際社会の荒波を乗り切っていけるだけの力はなく、彼らも本心は独立が現実的ではないことを理解していました。ですから、当初は単に宗主国を、戦争に負けた清から勝った日本に乗り換えるくらいのつもりだったのでしょう。 しかし、日清講和条約締結のわずか6日後に起きた「三国干渉」により、事態は一変します。三国干渉とは、日清戦争において日本の勝利が濃厚になり、自国の満州や支那における権益に対して危機感を持ったロシアがドイツとフランスを巻き込んで日本に圧力をかけ、日本に日清戦争で血を流して獲得した大陸における権益を放棄させた事件です。 その大義名分が、日本が遼東半島を所有すれば「極東平和の妨げになる」というものでした。しかし、日本が放棄させられた権益は、その後、彼ら自身があの手この手で清から奪いとったのですから無茶苦茶という他ありません。しかし、この時代は力こそ正義であり弱小国日本としては黙るしかありませんでした。一つ言える事は、いつの時代も臆面もなく「平和」という言葉を使う人間や国は信用出来ないということです。 その結果、朝鮮は宗主国を日本からロシアへと乗り換えました。朝鮮としては、宗主国は強いことが第一条件ですから、より長いものにまかれることは当然の行動でした。しかし、日本としては多大な犠牲を払って獲得した朝鮮の独立や日本の権益が失われることを座視できるはずもなく、それに呼応した日本派とロシア派の争いが朝鮮政府内で勃発し、しまいには国王がロシア公館に逃げ込む事態にまで発展しました。 その後、国王を手の内に取り込んだロシアは朝鮮での権益をどんどんと拡大させていきます。日本としては日清戦争で多大な犠牲を払ったにもかかわらず大陸での権益を三国干渉で横取りされたうえ、また朝鮮での権益を横取りされそうになっているわけですから、たまったものではありませんでした。 しかも、前述したとおり朝鮮をロシアにとられるということは権益云々というより国家としての死活問題なわけですから、これだけは譲れなかったのです。当初、ロシアに対して大幅に国力が劣る日本は懸命に外交努力を重ねましたが、力(軍事力)なき外交はみじめなものでした。日本の世論は併合賛成へ 当時、世界一の陸軍国であるロシアは東洋の島国のことなど歯牙にもかけず、だんだんと交渉の余地はなくなり、とうとう日露戦争が勃発してしまいました。結果、辛くも日本は勝利をおさめましたが、相変わらず朝鮮は大韓帝国と名を変えてもシャキッとしません。 日本としては、二度の戦争を行い朝鮮半島や満州におけるロシアの影響力を排除したものの、相変わらず大韓帝国が、またふらふらと他国にすり寄ってはかなわないので、保護国としました。しかし、彼らは相変わらず密使を送るなど、ちょろちょろとした動きを止めませんでした。そのような彼らの行動に対して日本国内では「朝鮮併合すべし」という意見が強くなってきました。伊藤博文 しかし、一方で財政上の理由などで反対する人も沢山おり、この問題は文字通り賛成派と反対派で国論を二分していましたが、その状態にけりをつけたのが現在韓国で英雄と崇められている安重根その人です。彼が併合に慎重だった伊藤博文を暗殺したため、日本国内の世論は、一挙に併合賛成へと傾いたのです。「英雄視」の疑問 この事件についても現在の韓国では、韓国義勇軍による戦闘行為だったと教えていますが、当時の法令や常識に照らしても理解不可能な話です。第三国の領土において軍服を着用せず、非戦闘員に対して、いきなり銃口を向けるという卑怯な手段により殺害した行為を独立戦争と呼ぶのはあまりにも常軌を逸しています。 さらに彼の主張は、暗殺後に行われた裁判での陳述や彼が唱えた東洋平和論を読めば分かるのですが、特段、反日思想に凝り固まっているわけではなく、欧米列強の侵略に対する日中韓の連携を呼びかけているだけで、暗殺は当時の朝鮮人が持つ伊藤博文個人に対する誤った認識に基づくものであったと考えるのが妥当です。安重根義士記念館敷地内に建立された安重根像=韓国・ソウル市内 いずれにしても、自国が日本に併合されるきっかけを作った人物を、彼の本心を理解せぬまま、ただ単に日本の偉人を殺害したという理由だけで英雄視しているというのは実に皮肉なものです。まあ、客観的に見れば日本と併合して初めて朝鮮が近代化したわけですから、ある意味祖国を救った英雄とも言えますが・・・。 少し話はそれますが、他にも、韓国では上海天長節爆弾事件で日本人2名を殺害し、中国国民党から大金をもらったとされる尹奉吉も英雄視されています。とにもかくにも、現代韓国においては手段や動機にかかわらず日本の要人を殺害した人間が英雄視されているのが現実なのです。 普通に考えれば他国の要人を暗殺した人物を国家が英雄として崇め奉るというのは、その国のことを見下していなければできない行為で、韓国人が日本人には何をやっても構わないと思っている証拠です。 話しを日韓併合に戻しますが、現代韓国では日本が武力で大韓帝国を植民地にしたと信じている人が少なくはありません。しかし、日本は国対国として朝鮮に武力を行使したことはなく(正当防衛等の突発事案は除く)、日韓双方が平和裏に話し合った合意に基いて、国際法に則った手続きにより大日本帝国が大韓帝国を併合したのです。 また、植民地と併合では全く意味が違います。イギリスを例に挙げれば、イギリスはアメリカやインドを「植民地」として支配しましたが、北アイルランドやスコットランドは「併合」して同じ国になり、現在もそのままです。 また、日韓併合を会社に例えるならば、業績が悪化した会社(朝鮮)をベンチャー企業(日本)が、子会社にするのではなく吸収合併したようなものです。その結果、日本が朝鮮の借金を棒引きし、インフラ整備などに莫大な資金を費やしたのは、同じ国になったのですから当然のことです。 そして、その過程で新会社の方式を取り入れて従来の方式を廃止することもあれば、人事の面でいろいろと差が出たりするのは会社合併でよく見られる光景と同じです。そんな中でも日本は朝鮮の王家に敬意を払い、王族や一部の貴族を併合後も、その地位にとどめました。 にもかかわらず、何が何でも日本が無理矢理朝鮮を植民地にしたというのは、当時、韓国最大の政治団体「一進会」が併合に対して積極的賛成であったという事実をも無視し、当時の人たちが無能で無為無策だったために併合されたと言っているのと同じことで、実に彼らを馬鹿にした話です。 ちなみに、当時の弱小国日本は、三国干渉の苦い経験から事前に日韓併合について主要国に打診しており、その結果、米英は賛成し、清国を含む、その他の主要国から反対の声は全くありませんでした。(それどころか米英から「韓国の面倒を見るように」と、押し付けられたという説もあります) こうして、新生日本が朝鮮に親書を送ってから42年の歳月をかけて、ようやく日本は朝鮮半島の住人とともに西欧列強と戦うスタートラインについたのでした。

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    韓国軍とベトナム慰安所

    韓国がベトナム戦争で強姦・殺戮に飽き足らず、現地女性を集めて韓国兵向けの慰安所を開設していたことが近年明白になった。手先となって蛮行の限りを尽くした700年前の元寇から何ら変わらぬ隣国の素顔に迫る。

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    「慰安所で欲望ぎらつかせる韓国兵に恐怖感も」とベトナム人

     ベトナム戦争中、韓国軍が多くの婦女子を強姦・凌辱した事実を本誌は報じてきたが、さらにこのほど発見された米公文書により、ベトナムに「韓国軍慰安所」が存在していたことが判明した。 韓国政府が沈黙を守る中、フォトジャーナリストの村山康文氏と本誌取材班はベトナムに飛び、その隠された史実を探った。 * * * 旧サイゴン市内には韓国軍専用の飲食施設があった。そのひとつが、市の中心部・フーニャン区の「ホンハーホテル」に店を構える「ハンクォック・クラブ(韓国クラブ)」だ。しかし、その実態は「クラブとは名ばかりの韓国軍慰安所のようなもの」(近隣住民)だったという。 付近でヘアサロンを営むゴー・ヴァン・タムさんが語る。「店では15~20人の若いベトナム人女性が韓国兵の相手をしていました。クラブで女性をピックアップし、上階のホテルに連れ込むシステムです。彼らは子供ができないよう、女性たちにピルを飲ませて行為に及ぶため性病が蔓延していたそうです。性病が元で命を落とした女性もいたと聞いています」 避妊に失敗し女性が身ごもった場合も責任を取らず、韓国兵がそのまま帰国してしまうケースも相次いだ。そうしてできた子供は「ライダイハン」と呼ばれ、ベトナム戦争終結後も困窮と差別の中で生きることとなった。ベトナムには最大で2万人のライダイハンがいるとも言われている。 当時、同ホテルの裏手に住んでいたホアン・ティ・バック・トゥエットさんは、欲望をぎらつかせる韓国兵に、得体の知れない恐怖を感じたという。「ホテルの近くにある倉庫で、軍服を着た韓国兵たちが番号札を付けた女性を並ばせていたことがありました。何をするのか遠目に様子を窺っていると、彼らは福引の抽選機のようなものを持ち出した。セックスの相手を選ぶゲームをしていたのです。 番号で選ばれた女性は、韓国兵に手を引かれどこかへと消えていきました。彼女たちがどのような女性だったのかは分かりませんが、このようなことをする韓国人がとても、怖かった」 ベトナム戦争終結から40年。サイゴンからホーチミンへと名前を変えたベトナム最大の都市は近年急速な発展を遂げ、今や戦争の面影は残されていない。しかし、韓国軍がこの地で行った恥ずべき行為の数々は人々の記憶に深く刻み込まれている。関連記事■ 韓国軍 ベトナム戦争で戦果を上げる勇猛部隊として知られた■ 20歳時に4、5人の韓国兵に暴行を受けたベトナム人女性の証言■ 李明博氏 ベトナム政府の逆鱗に触れ国賓訪問一時拒否された■ 韓国農村部に嫁いだベトナム人妻を韓国人夫が虐待する例頻発■ 韓国軍がベトナムで働いた婦女子への性暴行 現地からの報告

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    爆弾証言発掘 朴槿恵の父がベトナムに送った「芸能人慰問団」

     ベトナム戦争中、韓国の「芸能人慰問団」がたびたび現地に派遣されたことは、当時の新聞でも報じられている。しかし、もし彼女たちに与えられた任務が韓国兵の「性欲処理」だったとしたら……? 1965年、本格的なベトナム派兵を開始した朴正煕政権(朴槿恵大統領の父)は、戦場における兵士の「性欲処理」問題に直面していた。派兵直後から韓国兵による強姦事件や性犯罪が相次いだだけでなく、買春中の韓国兵がベトコンに襲撃され捕虜として捕らえられるケースが多発したのである。 こうした事態を重く受け止めた朴大統領は、直ちに軍指導部や国防委員、現地関係者を青瓦台(大統領府)に召集し解決策を協議した。そこで朴大統領が提案したのが、ベトナムでの慰安所設置だった。 だが、この案は当時の駐ベトナム韓国大使らの反対に遭い見送られた。彼らが反対したのは人道的見地からではなく、経済的損失を懸念したためだ。ジャーナリスト盧載鉱氏の『青瓦台秘書室2』(1993年)に詳しい経緯が書かれている。「慰安所を設置すればコストが嵩むだけではなく、兵士がドルを本国に送金せず慰安所で消費してしまう恐れがある」 大使らはそう進言した上で、「派兵期間は1年間に過ぎず、その程度の期間なら性欲をコントロールできるだろう」と付け加えたという。もっとも、その後ベトナムに「韓国軍慰安所」が設置されたことを考えれば、大使らの見通しは甘かったと言わざるを得ない。そうした中で、朴大統領はある代案を思いつく。女性芸能人による「慰問団」の結成だ。「(慰安所設置の)代わりに芸能人慰問団を送るので、これを積極的に活用して兵士たちの士気高揚に資するよう、大使館の協力を要請する」 駐ベトナム大使にそう通知した朴大統領は、8年間で延べ1200名近くの女性芸能人をベトナムに送り込んだ。 戦時における芸能人の部隊慰問は決して特殊なことではない。大戦中の日本軍は宝塚歌劇団を動員して慰問公演を行い、朝鮮戦争時の米軍はマリリン・モンローを現地に派遣して兵士を鼓舞した。だが、「朴大統領が慰問団を結成した真意は別のところにあった」と『親日派のための弁明』などの著作がある作家の金完燮氏は証言する。「私が予備役として訓練を受けていた1990年頃、陸軍中佐としてベトナム戦争に参戦した教官から『芸能人慰問団は部隊に長期間留まり、軍人相手に性的な接待を行っていた。彼女たちは“慰安隊”として戦地に送り込まれていた』と聞かされました。主な相手は将官クラスでしたが、一般の兵士たちにもその順番が回って来ることがあったそうです」 金氏は、芸能人慰安隊結成の背景を次のように解説する。「軍事政権下の韓国で、大統領府と芸能界は密接な繋がりを持っていました。朴政権は芸能人を政治宣伝に利用し、芸能人側も政権に擦り寄ることで自身のポジションを確保していた。いわば持ちつ持たれつの関係だったのです。 そこに目を付けた朴大統領は、慰安所設置に比べてコストが安上がりな女性芸能人の利用を思いついた。もちろん、彼女たちの多くはベトナム派遣を嫌がりましたが、拒否すれば芸能界追放は免れない。慰安隊結成の裏には大統領府による暗黙の強制があったと見て間違いありません」 当時、19歳でベトナムに派遣されたある人気歌手は、韓国のテレビ局KBSの報道番組でこう証言している。「政府にベトナム行きを命じられた芸能人は『渡航時に何があっても政府にはいかなる瑕疵もない』との覚書を書かされました。慰問はお金にもならず、誰もが嫌がっていた」 彼女の口から「性接待」について語られることはなかったが、派遣前にステージを放り出して逃げだす者もいたという証言からすると、やはりこの慰問団は特殊な性格を帯びていたことが判る。 半ば強制的にベトナムに派遣された彼女たちもまた、韓国軍の被害者だったのではないか。関連記事■ 韓国によるベトナム派兵 軍事独裁体制を維持するためだった■ 韓国軍 ベトナム戦争で戦果を上げる勇猛部隊として知られた■ ベトナム 50歳以上、年の差16歳以上の韓国男性との結婚禁止■ 韓国のベトナム派兵は誇りではなく「忘れたい歴史」になった■ 新聞社ベトナム人助手 韓国軍取材を「吐き気がする」と拒否

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    戦争犯罪認めぬ韓国政府 賠償も進まず 韓国兵とベトナム

    石井孝明(ジャーナリスト) 「韓国兵は恐れられていた。残忍なやり方で女性をレイプして殺す例が多かったからだ」 米ニューズウィーク誌は2000年4月12日号で、韓国軍のベトナム戦争参戦をめぐる記事を掲載し、現地の人々の恐怖と怒りをこう伝えた。韓国軍は民間人を8000人以上殺害した可能性があるという。 米ジャーナリスト、ディヴィド・W・コンデ著『朝鮮』(新時代社)には、「(1966年に)韓国軍が昼日中に結婚行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦。結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ3人の女性を川へ投げ込んだ」(要約)などと、凄惨な描写がある。 ベトナム戦争で、韓国は1964年から72年まで、延べ32万人の兵士を送り込み、北ベトナム政府軍、南ベトナムの共産勢力と戦った。そして、5099人が戦死した。米国が払った韓国兵の給料の一部は貧しかった国庫に入り、韓国の経済成長「漢江(ハンガン)の奇跡」のために使われた。兵士たちは英雄としてたたえられた。 しかし、ベトナムでは韓国人に対する憎しみが強い。民間人の大量虐殺を含む、韓国兵の掃討作戦の過酷さに加え、現地女性の間に生まれた「ライダイハン」と呼ばれる子供の問題もある。 韓国政府は戦争犯罪を認めていない。前出のニューズウィーク誌で、韓国軍司令官だった蔡命新(チェ・ミョンシン)中将(退役)は「償いは必要ない」「生き残るために兵士は相手を殺した」と語った。南ベトナムの共産勢力はゲリラ戦術を使い、民間人を装って攻撃を繰り返した。ただ、韓国軍の攻撃は過剰であり、または必要のない「人を殺すだけ」のものがあった。 歴史の直視は韓国でも難しいが、建前と違って兵士は苦しんでいる。 韓国の作家、金賢娥(キム・ヒョナ)氏が書いた『戦争の記憶 記憶の戦争-韓国人のベトナム戦争』(三元社)では、犠牲者と加害者の双方の言葉を伝える。参戦した兵士は次のように語る。 「一度だけでも民間人を殺してはならない、強姦してはならないと聞いていたら、しなかった。私が戦う理由がどこにある。しかし生き残らなければならないと考えるようになると、婦女子もベトコン(注・共産兵の蔑称)に見えた」(要約) 同書で、金氏は韓国の歴史家のこんな言葉を記している。 「日本は犯罪行為を力の論理で包み込んで美化することに忙しい。罪責感と責任感は眼中にもない。日本は理解しなければならない。過去の克服は『ともに記憶すること』であって、『ひとりで埋めてしまうこと』ではないことを」 金氏は日本に強い批判を向けるが、「国名に韓国という単語を当てはめても同じ」とも指摘した。 戦争で強められた憎悪と狂気が敵の女性への暴力に向かう。どの国でも、こうした悲劇が繰り返されたことが、文献や報道などから見えてきた。2001年には当時の金大中大統領がベトナムを訪れ、謝罪し、補償を約束したが、賠償はほとんど行われていない。 犯罪加害者が罪と向き合うことは難しい。だが、韓国が日本を批判するなら、自国の歴史を真剣に見つめてほしい。 いしい・たかあき ジャーナリスト。1971年、東京都生まれ。慶応大学経済学部卒。時事通信記者、経済誌記者を経て、フリーに。安全保障や戦史、エネルギー、環境問題の研究や取材・執筆活動を行う。アゴラ研究所運営のエネルギー情報サイト「GEPR」の編集を担当。著書に「京都議定書は実現できるのか」(平凡社)、「気分のエコでは救えない」(日刊工業新聞)など。関連記事■ 朴槿恵大統領は父親を糾弾すべし■ 折れた朴槿恵 父の遺産をなぜ壊したか■ 朴大統領に問われる反日外交の検証

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    韓国はベトナムで何を為したのか─経済発展と殺戮そしてライダイハン

    」 (日工ムック) より村山康文(フォトジャーナリスト)派兵は「豊かな国」になる好機 「あのころは、韓国社会自体が混乱していたんだ。ベトナム戦争に参戦したから経済は発展し、今の韓国がある。ベトナムには感謝しているよ」 2011年10月、韓国の慶尚北道(キョンサンブクド)亀尾(クミ)市にある朴正煕(パク・チョンヒ)体育館で開催された「大韓民国越南戦参戦者会第47回記念式典(ベトナム戦争に参戦した韓国退役軍人の集会)」に参加した元韓国軍猛虎部隊のキム・ジェソンさん(61)=当時=は、ゆっくりと言葉を紡いだ。 1960年代の韓国は、50年に始まった朝鮮戦争で壊滅的な被害を受けたために、休戦の53年にはアジアの最貧国グループの一つになっていた。 貧国を脱却したい韓国。1961年5月のクーデターで権力を掌握した朴正煕国家再建最高会議議長は、クーデター直後に「民衆苦を至急解決し、自立経済基盤の確立を目標として、総力を尽くす」と発表した。 朴氏は後に第5~9代大統領を務め、第18代の現・朴槿惠(パク・クネ)大統領の父である。 強権的な政治を行いながら経済開発政策を推し進め、国内資金の調達によっての経済建設を試みたが、政府が期待したほどの資金を調達することができず、外貨導入による経済建設に頼るしかなかった。しかし、当時の韓国は国際信用度が低いうえに、国際市場では国内企業の知名度がまったくなかったため、外貨導入は厳しい局面に立たされる。 そんな折の1964年8月、ベトナム北部のトンキン湾で、北ベトナム軍の哨戒艇が米軍の駆逐艦に魚雷を発射したとされる「トンキン湾事件」が起きる。米国はベトナムに軍事介入をはじめ、翌65年2月に北爆を開始した。 朴正煕政権は日本が朝鮮戦争で高度経済成長のきっかけをつかんだことをよく知っていた。ベトナム戦争を経済成長の絶好の機会と捉え、韓国を豊かな国に変えるべく、韓国軍戦闘部隊のベトナム派兵を決定する。キム・ジェソンさん (C)村山康文 派兵は、64年9月の医療班やベトナムにテコンドーを普及させるための教官など非戦闘先遣部隊から始まった。戦況が悪化していくにつれ、65年10月には1万8500人余の戦闘部隊を本格的に投入。その数は韓国軍が撤退する73年3月までに、延べ32万5517人になり、米国に次ぐ大量派兵となった。 朴正煕政権は、派兵と引き換えるように「経済援助」というカードを日米両国から引き出していく。1963(昭和38)年12月、「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約)」の締結に向けて当時のジョンソン米大統領に働きかける。そして、李東元(イ・ドンウォン)外務部長官とブラウン駐韓米大使との間で66年3月に交わされた「ブラウン覚書」に基づき、開発借款供与の約束を取り付けた。 日米両国からの支援による経済建設にこぎつけた韓国。ノンフィクション作家の野村進氏は「コリアン世界の旅」(平成九年)に、韓国軍元上等兵の次のような発言を書き綴っている。 「韓国がベトナム戦争に参戦したのは、世界の自由主義を守るためだとか言ってましたけど、本当はカネのためなんですよ。カネ目当てなんだから、早い話がアメリカの“傭兵”ということですよね」 米国は、ベトナムに派兵されたすべての韓国兵に戦闘手当を払い、その大半が韓国本土に送金されたという。 韓国から南ベトナムに向かったのは、兵士だけではなかった。「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」を合言葉として、国内よりも高い賃金目当てに韓国人労働者も現地へ赴いた。商社、建設、サービス業を主力として、技術者や労務者らも1965年から相次いで海を渡る。 また、韓進(ハンジン)、現代(ヒュンダイ)、大宇(デーウ)、三星(サムスン)などの韓国「大財閥」もいわゆる「ベトナム特需」により、基礎が形成された。韓国軍のベトナム参戦がもたらした経済への影響を研究している静岡大学、朴根好(パク・クノ)教授の「韓国の経済発展とベトナム戦争」(平成5年)によると、1965年から72年までの米国が韓国に与えた「ベトナム特需」の総額は10億2200万㌦で、実質的には日本が「朝鮮特需」で得た利益をはるかに上回っている。GNP14倍、輸出29倍に ベトナム戦争期の韓国への援助は、米国からの「ベトナム特需」以外に、日本からの支援も大きな位置を占めている。 65(昭和40)年6月22日、日韓の間で国交正常化を目的として締結された日韓基本条約。第一条において「三億㌦を十年の期間にわたり、無償で供与する」「二億㌦を額に達するまで低金利の貸し付けを行う」としている。韓国はベトナム戦争時代、この大部分の資金を国内の高速道路やダム、地下鉄建設などのインフラ整備に使用した。 ベトナム研究者の吉沢南氏は、歴史学研究会編「日本同時代史④高度成長の時代」(平成2年)の中で「もっとも注目すべきは、14年間も難航しつづけた日本と韓国の交渉がここにきて急転直下妥結にいたったことである。日韓両国『国交正常化』が急がれた背後には米国の事情があった」と述べている。 ベトナム戦争に介入した米国にとって、戦争拡大のために膨張した戦費はドル防衛策と矛盾するため、対韓援助の「肩代わり」を日本に求めた。当時の佐藤栄作首相は当初、日韓基本条約に乗り気ではなかった。しかし、内閣発足後まもなくの65年1月に訪米し、ジョンソン大統領と会談してからは一転、条約締結に 向け積極的に動き始める。 同2月17日、椎名悦三郎外相を韓国に派遣し、慌ただしく条約の仮調印をすると、それに合わせたかのように翌月、韓国政府は戦闘部隊の第一陣をベトナムに送り込んだ。 「ベトナム戦争への韓国軍派兵と韓日条約(日韓基本条約)はリンクされていたに違いない」(朴根好「韓国の経済発展とベトナム戦争」)=年表。 「ベトナム戦争がなければ我々は今ここにいることはできない。京釜(キョンブ)高速道路やソウルメトロはもちろん、我々個人の生活水準の向上などに貢献してくださった朴正煕大統領の功労は知るべきだ。同時に、ベトナムの国民らと亡き同士に感謝しなければならない」と、大韓民国越南戦参戦者会中央部のオ・ヨンラク会長(65)は第47回記念式典の壇上で語った。オ・ヨンラク韓国越南戦参戦者会中央部会長 (C)村山康文 韓国は日米両国からの資金援助により、65年からベトナム戦争終結までの十年間で、国民総生産(GNP)が14倍に、保有する外貨や外国為替が24倍、輸出総額が29倍に跳ね上がり、いわゆる「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げた。 韓国国内は右肩上がりの経済発展に潤う一方、韓国兵らはベトナムの地で一体何をしたのか。知られざる韓国軍の虐殺の数々       知られざる韓国軍の虐殺の数々        64年9月の先遣隊に続き、翌年10月には韓国軍戦闘部隊の青龍部隊(海兵第二旅団)と猛虎部隊(首都師団)が、同12月には青龍部隊と白馬部隊が、さらに66年4月と9月には猛虎第二六連隊と白馬部隊(第九師団)が次々とベトナムに上陸。韓国軍戦闘部隊の多くは、ベトナム中部のニントゥアン省からダナン市にかけて、海岸沿いを走る国道1号の主要都市に駐屯した。 韓国軍は「共産主義と戦うため」「朝鮮戦争の際に『自由諸国』が韓国に援助してくれた『恩返し』のため」という公式的な名目を掲げ、米国の「傭兵」としてベトナムで「まじめに」働いた。この結果、多くの罪もないベトナムの民間人の命を奪うこととなった。 ベトナム戦争中に共同通信のサイゴン特派員をしていた亀山旭氏。あるとき、韓国軍を視察した韓国の著名な言論人が「韓国軍がまじめに戦っていることが唯一の救いだ」と亀山氏に話す。それを受けて「韓国軍が反共の意気に燃えて解放戦線の兵士やその住民たちと〝まじめ〟に戦い、〝まじめ〟に殺したことが救いようのない悲劇だったのではないか」と、亀山氏は「ベトナム戦争―サイゴン・ソウル・東京―」(昭和47年)で表現している。 「まじめ」に戦い、「まじめ」に殺した韓国軍戦闘部隊は、ベトナムに上陸後、数々の過ちを生んだ。 その一つに、ベトナム中部のいたるところで繰り広げられた韓国軍による民間人虐殺事件が挙げられる。韓国軍による虐殺地は百カ所近くにのぼり、犠牲者の数は1万~3万人とされる(北岡俊明、北岡正敏「韓国の大量虐殺事件を告発する」平成26年)。 ベトナム戦争時、駐越韓国軍野戦司令部が置かれていたカインホア省ニャチャン市から、北へおよそ90㌔の省境にあるカー峠を越えるとフーイエン省に入る。農業、漁業、林業などの第一次産業が六割を占めるフーイエン省は、省都のトゥイホア市を離れるとすぐにのどかな田園風景が広がる。刈り入れた稲を山積みにしたリアカーが、水牛にのっそりと引かれているさまを見ることができる田舎町だ。 1966年1月2日(旧暦65年12月11日)、この田舎町の小さな村で悲劇は起きた。韓国軍は朝7時頃、フーイエン省ドンホア県ホアヒエップナム社ブンタウ村に奇襲攻撃を仕掛けた=地図。 近くにいたおじに手を引かれ、その場から逃げきったグエン・ティ・マンさん(68)=取材した2014年6月時点=は当時を振り返る。ブンタウ村虐殺を最近のことのように振り返るグエン・ティ・マンさん (C)村山康文 「あのころ、ブンタウ村の住民は50人余でした。そのうち37人が、あっという間に殺されたのです。男たちは捕まれば殺されると思い、真っ先に村から逃げました。まさか婦女や子供には手を出さないと思っていたら、韓国兵は残っている村人を一カ所に集めて、ひとりずつ撃ち殺していったのです」乳房を削ぎ性器を銃剣でかき回し、子供を股裂き、串刺し 韓国軍がフーイエン省に駐留を始めたのが65年12月26日(旧暦12月4日)。ブンタウ村で起きた虐殺は韓国軍が駐留を始めて十日も経っていなかった。 さらに4カ月と経たない66年5月14日(同3月24日)、ブンタウ村から3㌔ほど西にあるドンホア県ホアヒエップナム社ソムソイ村でも韓国軍による虐殺事件が起きた。当時9歳だったファム・ディン・タオさん(57)=同=は集落から百㍍ほど離れた場所で牛の放牧をしていたときに、虐殺の様子を目の当たりにする。ブンタウ村の「憎悪碑」は1975年建立。韓国軍による虐殺があった村の多くに「憎悪碑」「慰霊碑」が建てられている (C)村山康文 「午前10時頃のことでした。韓国兵は不意を突いたかのように、あらゆる場所から村に突入しました。陸からはもちろん、ヘリからも。おそらく兵隊は300人以上いたと思います。そのとき、私と父以外のすべての村民42人が殺されました。私の家族や親戚17人も含まれています」 目に大粒の涙を浮かべたタオさん。 「私は突然の出来事に驚いて、畦道を走って逃げました。逃げている時に、畦道で破裂した擲弾銃(てきだんじゅう)の破片を顔や足に被弾しました。そのショックで意識を失ったのです。気が付くと、村の近くの病院で韓国軍に拘束されていました」 意識が戻ったタオさんに対して韓国軍の通訳が「共産党の基地を教えろ」と何度も尋問する。しかし、タオさんは「子供だから知らない」と言い張ったという。 「当時、子供ながらに韓国軍がソムソイ村でしたことを許せませんでした。釈放された数年後、私は韓国兵を皆殺しにしてやろうと思い、南ベトナム解放民族戦線の少年遊撃兵になりました。でも、その後しばらくして米軍に捕まりました。この顔の傷は韓国兵が発射した擲弾銃の破片の傷と、米軍に捕らわれたときの拷問でできた傷。つまり、生涯背負わなければならない『恨み』の傷です」ソムソイ村虐殺を逃れたファム・ディン・タオさん(右)と父ファム・チュンさん。タオさんの口元の傷痕が惨劇を伝える (C)村山康文 フーイエン省では韓国軍による虐殺地域が省内のあちこちに点在している。同省の村々で2年にわたる聞き取り調査を行い「フーイエン省の歴史書」を編纂したフーイエン新聞のファン・タン・ビン編集長(54)=同=は「韓国軍は66年から68年にかけて、北はビンディン省境にあるクーモン峠から南のカー峠の海側全域に駐留し、フーイエン省の至るところで1563人を虐殺しました。そのほとんどが婦女や子供、老人などの罪もない民間人です」と語る。「フーイエン省の歴史書」を編纂したファン・タン・ビン編集長 (C)村山康文 「虐殺をした村での韓国軍の行動は、とても正気の沙汰とは思えません。婦女を輪姦し、乳房をナイフで切ったあと、女性器を銃剣でかき回し、殺害した。乳児の足を持ち、カエルの股裂きのように裂いた。一人の韓国兵が持つ銃剣に、輪投げのように子供を投げ落として殺害したなど、耳を疑うような証言をいくつも聞きました」(ビン編集長)。年ごろの娘を皆の前で輪姦し射殺年ごろの娘を皆の前で輪姦し射殺 「百人のベトコンを逃がしても一人の民間人を保護せよ」。ベトナム戦争中、蔡命新(チェ・ミョンシン)初代駐越韓国軍最高司令官の「至上命令」が書かれた看板が、韓国軍が駐留していたベトナム中部のあちこちに立てられていたという。しかし、その命令に従った韓国兵は、ごくわずかだった。「百人のベトコンを逃がしても一人の民間人を保護せよ」の看板の写真を持つ元猛虎部隊の韓国兵 (C)村山康文ビンアン社にある壁画は虐殺の様子を生々しく伝える (C)村山康文 韓国軍はフーイエン省の北に接するビンディン省でも虐殺を行った。66年2月13日から3月17日(旧暦1月23日から2月26日)にかけて起きた、ビンディン省タイソン県ビンアン社(注①)の韓国軍によるベトナム最大の虐殺事件。一カ月余の間に村全体で1925戸の住宅が破壊され、1004人の命が奪われた。 中でも66年3月17日(同2月26日)にビンアン社のゴザイ集落で起きた「ゴザイの虐殺」は凄まじい。わずか2時間足らずで集落の住民380人を韓国軍は虐殺したとされる。現在、ビンアン社にある韓国軍による虐殺慰霊廟の片隅に、過去を忘れないようにと「ゴザイの虐殺」慰霊碑が建立されている。ビンアン社「ゴザイの虐殺」の慰霊碑。殺された380人の名前が刻まれている (C)村山康文 ゴザイ集落にあるタイヴィン村で、腕や足に銃弾や手榴弾の破片の傷を負いながらも奇跡的に命を取り留めたグエン・タン・ランさん(62)=同2月=が、当時の様子を心憂い表情で語った。 「百人以上の韓国兵が村に押し入ってきたのは、朝食を取ろうとしている時だったと記憶しています。各家から引きずり出された村人は一カ所に集められました。そして、村人の中から年ごろの娘を見つけた韓国兵が、娘の長い髪を引っ張って集団から引き離し、皆の目の前で輪姦を始めたのです。数人の兵士が順に事を済ませると、娘は容赦なく撃ち殺されました。その惨劇を見て発狂した村人らが韓国兵に襲い掛かろうとすると、次々に撃ち殺されていきました」タイヴィン村虐殺を目の当たりにしたグエン・タン・ランさん。今も銃弾や手榴弾の破片が腕や足に残る (C)村山康文韓国内で史実を葬り去る動き 韓国軍による無差別殺戮はフーイエン省やビンディン省だけにとどまらなかった。クアンガイ省のソンティン県などや、クアンナム省フォンニャット村・フォンニ村、ハミ村など、さらにカインホア省やダクラク省、ニントゥアン省でも無抵抗な民間人の虐殺があったとされる(「韓国の大量虐殺事件を告発する」)。 韓国軍による1万人から3万人にも及ぶ大量虐殺。1968年3月16日に米陸軍のウィリアム・カリー中尉(虐殺を命令)率いる米兵部隊が、ベトナム中部のクアンガイ省ソンミ村(現ティンケ村)で村民504人の命を奪った「ソンミ村大量虐殺事件」は世界中の多くの人に知られているが、韓国軍がベトナム戦争時代に行った大量殺戮行為の詳細はあまり知られていない。 それどころか、韓国軍がベトナムのいたるところで民間人を虐殺していた事実さえ知らない人も多い。 なぜだろうか。 米軍による民間人虐殺事件(ソンミ村大量虐殺事件)は事件から9日目に、虐殺を知った南ベトナム民族解放戦線の中部ベトナム委員会が「ソンミ村における米兵の犯罪行為を激しく糾弾する緊急宣言」を採択し、同4月16日にハノイ市で公表したことに加え、虐殺の現場に居合わせた複数の米兵が軍上層部に事件の内容を報告。翌69年9月に「ソンミ村大量虐殺事件」の見出しで米国メディアが書き立てたことなどにより、広く知られるところとなった。フォンニャット村とフォンニ村の住民74人がこの場所で、無抵抗のまま虐殺された (C)村山康文ハミ村の慰霊堂。慰霊碑裏面の碑文には国花の蓮をデザインした蓋がされている (C)村山康文 一方、韓国軍による民間人虐殺事件に関しては、1990年代後半にベトナムの大学院へ留学していたク・スジョン通信員が、韓国軍による虐殺に関する内部文書をベトナム当局から入手。その情報を基にして徹底的に調査し、韓国の左派紙ハンギョレ新聞が発行する週刊誌「ハンギョレ21」99年5月6日号で「韓国軍はベトナムで民間人の大量殺戮をしていた」とスクープする。 しかし、2000年6月27日に起きた韓国退役軍人会のメンバーによるハンギョレ新聞本社への激しい抗議活動など、史実を消し去ろうというソンミ村虐殺事件とは全く反対の動きが起きた。そのためか、韓国軍によるベトナム民間人虐殺の情報は、あまり知られていない。強姦とライダイハン強姦とライダイハン 韓国軍がベトナム戦争時代に犯した罪は「民間人虐殺行為」以外にも「ライダイハン」の問題がある。ライダイハンとは、「ライ」がベトナム語で混血を表し、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称。現在、ベトナム戦争時代にできたライダイハンの数は、最小1500人(朝日新聞平成7年5月2日付)から最大3万人(釜山日報2004年9月18日)と推計されている(注②)。 ライダイハンができた原因には「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」を合言葉として流入した韓国人労働者とベトナム人女性が結ばれてできたケースもあるが、韓国軍による強姦でできたケースも少なからずあった。 ベトナム戦争時、ビンディン省トゥイフック県のフックタン地区にできた韓国軍施設でウエートレスをしていたヴォー・ティ・マイ・ディンさん(59)=同2009年9月時点。19歳のころに施設内の食堂で韓国兵に輪姦され、誰の子かわからないライダイハンである長男、ヴォー・スアン・ヴィンさん(39)=同=を身籠った(注③)。「あのころのことは、もう思い出したくありません」と語るヴォー・ティ・マイ・ディンさん (C)村山康文ライダイハンのヴォー・スアン・ヴィンさん (C)村山康文 「軍施設で働き始めて3、4年が経っていたころです。ある日、人気のない食堂で後片づけをしているときに突然、数人の韓国兵に背後から襲われました。恐ろしくて声をあげることもできないでいると、次々と無理矢理に私の中に押し入ってきました。その時にできた子が、ヴィンです」と、マイ・ディンさんは当時の様子を息子の前で静かに語った。 日本は昭和7年の第一次上海事変の際に派兵先での軍規を逸脱した強姦を防止する目的で、初めて公娼としての「慰安婦」を利用したとする説がある。「慰安婦」がいたから強姦事件がなくなったとは必ずしもいえないが、当時の陸軍参謀副長、岡村寧次大佐(終戦時は支那派遣軍総司令官)が「海軍にならい、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである」と回顧録に記している(秦郁彦「慰安婦と戦場の性」平成11年)。 日本軍が衛生や待遇などの監督面で関与した「慰安婦」と、韓国軍のベトナム戦争での性暴力の違いについて、元韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉(ユン・ジョンオク)初代共同代表は、「女性・戦争・人権」八号(「女性・戦争・人権」学会編2007年)で次のように述べている。 「日本軍『慰安婦』とベトナム戦の性暴力のもっとも大きな違いは二世の問題である。『慰安婦』は計画的かつ制度的に行った犯罪であるが、ベトナム戦における性暴力は、参戦軍人たちが戦争中に犯したものであるため二世が生まれるケースが多い」 尹氏の「慰安婦」に関する評価はともかくとして、戦時の軍隊の女性に対する性行動において、日本軍の「慰安婦」に対するものと、韓国軍がベトナムで行った行為は、次元が異なっている。韓国の未来への礎は… 韓国軍のベトナム参戦から五十年の節目となった2014年9月25日、「大韓民国越南戦参戦者会第五十回記念式典」が、韓国・ソウル特別市松坡(ソンパ)区にある蚕室(チャムシル)室内体育館で開かれた。全国の退役軍人とその家族、政治家や韓国に嫁いだベトナム人女性、また、今回初となった在韓米軍関係者など約2万人(主催者推計)が参加した。越南戦参戦者会第50回記念式典。約2万人(主催者推計)が参加した (C)村山康文同式典には在韓米軍も初めて参列した (C)村山康文同式典には韓国に嫁いだベトナム人女性も。近年、同様の女性が増えている (C)村山康文 式典では朴槿惠大統領が映像メッセージで「皆さんが若いころ、国に貢献してくださったおかげで、今日の韓国の平和と繁栄の礎を築いたのです」と退役軍人らを激励したものの、戦時中の日米両国からの支援に関してはもちろん、ベトナムの人々に対しての非人道的な行いに具体的に言及することはなかった。 韓国兵に輪姦され、ライダイハンを産んだヴォー・ティ・マイ・ディンさんは「あのころのことは、もう思い出したくありません」と呟き、ソムソイ村で虐殺を逃れたファム・ディン・タオさんは「韓国兵がやったことは、毎年、家族の命日が近づくと涙が出て、体が熱くなります」と、怒りに震えながら話す。 そして、タイヴィン村で一命を取り留めたグエン・タン・ランさんは「ベトナム政府の人たちは『これからのベトナムは韓国との外交が大切なので、過去を忘れる努力をしてくれ』と話します。でも、私の眼に焼き付いたあの惨劇を、どうしたら忘れられようものですか」と、苦しそうに言葉を絞り出す。 この幾つもの「呟き」「震えながら」「絞り出す」言葉と、証言の時にこらえられずに溢れ出す涙を見ていると、韓国軍から残虐行為を受けたベトナムの誰しもが、あの日の惨劇を必死で忘れようと、日々、努力しているように感じてならない。 韓国は、ベトナム戦争終結から30年後に、ようやく一部の民間人が虐殺やライダイハンに対する謝罪の意味合いから支援を始めた。2005年9月、韓国軍による虐殺があったフーイエン省ドンホア県ホアヒエップチュン社に「韓越友好病院」を設立。また近年、在越韓国企業がライダイハンの子供たちへの奨学金進呈など始めている。 政府レベルでは、1998年に当時の金大中(キム・デジュン)大統領(第15代)が、訪越した際に「不本意ながら、過去の一時期、ベトナム国民に苦痛を与えたことを遺憾に思う」と謝罪した。しかし、保守派のハンナラ党(現セヌリ党)副総裁だった朴槿惠氏は、金大中大統領の謝罪に対し「大統領の歴史認識に不安を抱く。軽はずみな発言は参戦者会の名誉を著しく傷つけた」と強く非難した。同式典で流された朴槿惠大統領の映像メッセージは退役軍人らを激励するも、ベトナムでの非道行為には触れなかった (C)村山康文 朴槿惠氏は自身が大統領に就任して7カ月後の2013年9月9日に初めて訪越し、ベトナムのチュオン・タン・サン第5代国家主席と会談する。訪越の目的は、あくまで韓国からベトナムに供与されるODAによる各分野でのパートナーシップを重視するだけのもので、韓国軍がベトナム戦争時に犯した過ちに関しての謝罪の言葉は一切なかった。 それどころか2週間後の同24日に朴槿惠大統領は国連総会の一般討論で演説し、直接的にこそ日本や「慰安婦」の批判はしなかったものの、「戦時の女性に対する性暴力は時代や地域を問わず、明らかに人権や人道主義に反する行為だ」と、自国軍がベトナムでしたことを棚に上げ、遠回しに日本を批判した。 韓国人の「名誉」や韓国の「国益」を重んじる朴大統領親子。ならば今、韓国政府がすべきことは、自らの「歴史の事実」に目を向け、新たな道を切り開くための努力なのではないのだろうか。 注① 当時のビンディン省タイソン県ビンアン社は、14の村から構成。このうちタイヴィン村、タイビン村、タイアン村などの一部集落をまとめて「ゴザイ集落」と呼んでいた。 注② 「ライダイハン」は、厳密には1992年にベトナムが韓国と国交を結ぶまでにできた子供の呼称で、92年以降にできた韓国人とベトナム人女性の間の子供は「新ライダイハン」と呼ばれる。ただ、近年は韓国人とのハーフ(他国も含む)の総称として「ライダイハン」が用いられることも多い。 注③ ヴィンさんの戸籍証明(ID)上の年齢は36歳。ベトナムでは徴兵を逃れるため、年齢を偽ることが稀に行われた。貧困などの理由で出生証明書をのちに取得することもある。むらやま・やすふみ 昭和43年兵庫県生まれ。平成10年に出会った報道写真家の石川文洋氏に触発されてベトナムに魅せられ、これまで40回近く渡越。米軍が散布した枯葉剤による被害者の支援運動にも参加。18年に当時18歳だった被害者とみられる一人を日本に招き、京大病院での手術を実現した。26(2014)年、ホアンサ(英名パラセル、中国名西沙)諸島に接近し、中国が設置強行した石油掘削の海上基地を撮影。ベトナムを中心にエイズ、戦争、人権、差別などカメラとペンで追いかけ、各地で写真展や講演を行っている。2007、09年にホーチミン市文化スポーツ観光局から表彰され、戦争証跡博物館(ホーチミン市)が2011年から写真4点を常設展示。ベトナム参戦の元兵士の聞き取りや社会問題など韓国でも取材している。著書に「いのちの絆 エイズ・ベトナム・少女チャン」(アットワークス)など。関連記事■ 朴槿恵大統領は父親を糾弾すべし■ 折れた朴槿恵 父の遺産をなぜ壊したか■ 朴大統領に問われる反日外交の検証   

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    訪越で謝罪しなかった朴大統領

    西原正(平和安全保障研究所理事長) 韓国の朴槿恵大統領は2013年9月7日から5日間、ベトナムを訪れた。滞在中、大統領の口からは、ベトナム戦争中に南ベトナムに派兵された、約30万人の韓国兵が犯した婦女暴行や住民虐殺への謝罪は一切なかった。この点に日本政府が何らかのコメントをすることが、中長期的な日韓関係の改善に役立つのではないだろうか。「過去を直視せよ」は偽善か 朴大統領は就任以来、日本に対し「過去を直視せよ」と迫り、安倍晋三首相との首脳会談も拒否している。例えば、8月15日の光復節の演説でも、「過去を直視する勇気と相手の痛みに対する配慮がなければ未来を開く信頼を重ねていくことは厳しい」と述べた。だが、韓国兵に暴行されたベトナム人女性や虐殺されたベトナム人遺族に、「過去を直視する勇気と相手の痛みに対する配慮」を示すことはなかったのである。 日本からすれば、「日本には、『過去を直視せよ』『相手の痛みに配慮せよ』と鋭く要求しておいて、自国のことになると、知らぬ顔をしているのは偽善的ではないか」ということになる。 韓国は中国と同様、歴史問題を政治目的に利用してきた。よく韓国や欧米の知識人は、日韓の歴史認識のこじれを独仏間の和解と対比させるが、独仏間は和解への真摯(しんし)な努力をした。残念ながら、韓国は「従軍慰安婦」を「性奴隷」と決めつけたり、数を故意に膨らませたり、「軍による強制連行」説を捏造(ねつぞう)したり、慰安婦像をあちこちに建てたりして、日本の名誉を傷つけ、日本を貶(おとし)めるのに使っている。独仏関係にはない、この誠実さに欠ける態度が日本側を刺激して、河野談話の修正を求める動きにつながってきた。ソウルの青瓦台で会議に臨む韓国の朴槿恵大統領(聯合=共同) この問題に関する韓国の国内事情は実は複雑で、統合進歩党をはじめ左翼政党、左翼労組、左翼教組などが北朝鮮の指示ないしは意向をくんで日韓の亀裂を画策してきたといわれている。この「従北勢力」に韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)という組織があり、慰安婦問題を執拗(しつよう)に掲げて慰安婦像をソウルの日本大使館前に設置したり、慰安婦への補償を要求したりしているとされる。歴史認識を政治利用する韓国 韓国政治は明らかに左に振れている。一昨年のソウル市長選では左翼市民運動家の朴元淳氏が当選し、昨年12月の大統領選でも、ソウルは2大野党の民主統合党と統合進歩党を合わせた得票率が与党セヌリ党のそれを上回った。この9月初めには、先の統合進歩党関係者3人が内乱陰謀容疑で国会決議によって逮捕されている。首謀者の李石基容疑者は5月の秘密集会で、有事(北からの指示など)に備えて武器を収集し、石油、通信施設の襲撃準備をすべきことなどを協議していたという。 左翼勢力は強い反日イデオロギーを浸透させようとしており、親日派の朴正煕大統領の娘として朴槿恵大統領には歴史認識問題で日本に譲歩するのは政治的リスクが大きすぎるのであろう。大統領は韓国主要紙が安倍首相につけた、「極右ナショナリスト」のレッテルを修正するようメディアを誘導する意思もないようだ。 歴史体験が異なる国民が歴史認識の相違を簡単に解決できるわけがない。歴史認識は、それぞれの国の愛国心や誇りも絡み、関係国の政府レベルで合意に達するのは極めて困難である。歴史認識の議論は、政府間の協議事項から外して学者やジャーナリストなどの専門家に任せるしかない。 それにより、歴史認識の相違の政治利用を防止できる。9月の初めに韓国国防大学が催したシンポジウムに招かれた折、筆者は歴史認識問題を日韓政府間の協議事項から分離すべきだと提案してみたが、案の定、韓国側からは、パネリストにしろ、会場の出席者にしろ賛同の声はなかった。日韓の政府協議事項から外せ 「それは無理だ」とし、「そんな前例があるのか」と質問してきたので、筆者は「前例はある」と言って日米間の歴史認識を説明した。「米国が広島、長崎に投下した原爆は何十万という日本の市民を殺戮(さつりく)した。これを人道的な罪だとする認識と、これ以上の米兵の犠牲を防ぐためには原爆投下によって戦争を終結するしかなかったとする認識があるが、日米はこれを政府間の協議事項とはしなかった。それによって今日強固な日米同盟ができている」と。 独仏、ドイツ-ポーランド、日本と東南アジア諸国の間の和解などが継続しているのも、歴史問題を政府レベルで議論することを封印してきたからである。 実は韓国も、ベトナムに対しては歴史認識(ベトナム戦争中の韓国兵によるベトナム人に対する蛮行)を政府間の協議事項としないことで、1992年に国交を正常化している。ベトナム側が協議事項としなかったことが、韓国には幸いしたのである。日本は、韓国がこの蛮行に対して何の償いもしていないことを想起させながら、歴史問題を外して、両国間の重要な問題に取り組むべきことを促すべきではないだろうか。 関連記事■ 朴槿恵大統領は父親を糾弾すべし■ 折れた朴槿恵 父の遺産をなぜ壊したか■ 朴大統領に問われる反日外交の検証

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    韓国はなぜ謝罪にこだわるのか?

    締役) 安倍首相がアメリカから帰国し日にちが経っているにもかかわらず、一部ネットのニュースには今だ、韓国発の「安倍首相の謝罪要求」のテーマが並んでいます。先日は中央日報が「日本はなぜ謝罪をしないのか?」というコラムを立ち上げていましたがしつこい韓国人の性格がよく表れていると思います。 朴政権の対日外交は失敗した、あるいは中国からもアメリカからも冷たくされたという報道で慰安婦問題は切り離すと言いながら両国間の問題の本質であることに変わりはありません。(経済と慰安婦を切り離すことでいいとこどりする作戦なのでしょうか。) 安倍首相がアメリカで様々な講演をした中でもっとも重要なポイントは日米が未来志向の努力をしてきたことを双方がきちんと認識し、前に向かっていることを確認したことではないでしょうか?もしも日本が韓国のような謝罪要求文化を前面に出していれば広島、長崎の原爆、大空襲による民間人の損害賠償で今の日米関係はあり得なかったでしょう。そうなれば直接的交戦がほとんどなかった欧州と仲良くしていたのでしょうか?歴史のレバタラです。 日本が未来志向であるのは8月15日の涙によって切り替わった点でもよくわかります。人はそれほど変ることが出来るのか、という外国人の疑問はあるでしょう。しかし、外国には宗教があり、その予言者なり牧師なりがお言葉を発した時、人々の発想は素直に納得し、180度転換することもありましょう。日本は神道であり、八百万の神がいます。その究極は万世一系の天皇であり、その陛下のお言葉は日本人にとっては神の声そのものであったと言ってもよいのであります。 マッカーサー元帥が昭和天皇を戦犯にするかどうかを検討した結果、それをすることは日本を死に追いやるという判断を下したのは実に賢明であるとともによくぞそれだけの勇気ある決断をしたと思います。それが日米間の新たなる未来志向の関係のベースラインであり、現代の成熟しお互いが尊重し合える関係が形成されてきたと思います。 では韓国人はなぜ、謝罪にこだわるのか、様々な見方があるかと思います。 根本は儒教に依るところは否定できないでしょう。司馬遼太郎氏はその著書で「儒教とは華(文明)であるにはどうすればいいかという『宗教』で、『野蛮』を悪とした。しかし現実には文明が野蛮に服従している」とあります。これはうまく言いあてていて、「野蛮」に日本を当てはめるとぴったりくるわけです。 韓国は自分たちが上であるという自負が強い一方で実際には日本から様々な技術を盗み、日本料理をまね、物まねコンビニを作り上げてきました。つまり日本は必要悪であり、なくては困るのです。しかし、悪は悪なのですから思想的に許されません。 残念なことに儒教は宗教の様に代弁する人がいません。ですので儒教は宗教ではなく思想であります。これは発想の修正、修復がしにくい点で過去に固執し、がんじがらめになりやすくなるともいえないでしょうか? 日本は慰安婦問題について過去、何度も謝罪を繰り返しています。しかしながら首相が代わる度に「謝罪」を要求するのはなぜでしょうか?これは謝罪の意味が違うのだろうと考えます。日本では問題が生じた時、世論が騒ぎ、最後、テーブル越しに3人ぐらいが立ち上がり、フラッシュがたかれる中、深々と頭を下げることを意味します。その時点で日本人は程度の差こそあれ、許すことを知っています。許しが出れば再生できるわけです。よく日本人は失敗するとバッテンがついて一生立ち直れないと言います。しかし、ことと状況次第では不遇にはなりますが、ひっそりと静かに生きるという再生は可能です。 ところが韓国の場合には大統領からして1000年も恨み続ける文化であると述べています。これは日本の首相が2年に一度変わるとして500回謝罪してもまだ許しをもらえないという意味であります。 私はこの謝罪とは上下関係の明白化であると考えています。つまり絶対服従を意味しているのではないでしょうか?中華思想において日本は野蛮な国であります。その野蛮な人種から辱めを受けたとするならばそのつじつまは合います。よって謝りつづけさせることによりその上下関係を明白にするポジションセットが背景にあると考えています。 韓国が求める謝罪要求文化についてもう少し書いてみたいと思いますので明日に続けたいと思います。韓国人が日本人に謝ることはあるのか韓国人が日本人に謝ることはあるのか 日本に対して謝罪を要求し続ける韓国ですが、韓国人が日本人に謝ることはあるのでしょうか?私の経験からは日本人には謝るどころかお礼すらまともにされないことがしばしばでした。自分が日本人から習いたい時は「センセイ」と敬い、揉み手ですり寄る一方で、それをゲットした瞬間、態度は豹変です。 教えてもらって当たり前、これはもらって当たり前、という発想です。私が高校生の時、嫌なクラスメートがいて「君のモノは私のモノ、私のモノは私のモノ、だから借りたものは返さない」というとてつもない論理を振り回していた人がいて、いまだに貸したモノは返ってきていません。私も1000年の恨みを言い続けようかと思ってしまいますがこれと同じ論理ではないでしょうか? 韓国人が謝らないのは「チェミョン(メンツ)」を大事にし、論争好きであるとする法政大学、朴チョン玄教授の著書もあります。謝れば自分の非を認めることになり一生、その挽回は出来なくなると考えているというのです。ならば日本人もこれ以上、謝ってはいけないともいえるのです。だからこそ、安倍首相のアメリカ議会での演説、あるいはインドネシアでのバンドン会議で深い反省の意は表したものの謝罪はありませんでした。これは首相が謝罪の定義をきちんと捉えている表れではないでしょうか? 韓国ではメンツを大事にするが故にあちらこちらで殴り合いのけんかが起きてしまいます。その血みどろの戦いを最後に解決方法ですが、朴教授の著書によると「ウリという身内意識が強く、同郷の地縁、血縁、学縁、親、先輩、先生の序列上で上が述べたら下は従う」という事であります。これは一神教には神がおり、日本には天皇陛下、韓国にはウリがいるという事なのでしょうか?やや次元が違う気もしますが否定もできないでしょう。 ここに一つ注目したいのはこのウリに政府は入っていないということです。私が問題視しているのは国民感情と政府は一体化しておらず、ここにも韓国人論でキーワードともいえるアンビバレンス(相反感情)があるともいえるのです。そして精神的なリーダーシップ不在となる中で韓国がてんでバラバラとなりつつあるともいえるのです。 これは韓半島の歴史そのものであり、いまだに北と南で相反する関係もそれである程度説明できるでしょう。あるいは朴大統領の低支持率や相次ぐ首相の交代も良い例であります。 ところで日本と韓国がいつから仲が悪くなったのか、いろいろ紐解いてみました。大陸と日本の間には長い行き来の歴史があり、その中で長年、日本を蔑む傾向はあったようです。が、直接的きっかけは私がみる限り、1592年の豊臣秀吉の朝鮮出兵である文禄・慶長の役ではなかったかと思います。その当時より朝鮮人からすれば日本はとんでもなく野蛮な人種であることを強く印象付けたようです。 その背景は明と李氏朝鮮の関係に遡ります。中国で蒙古族の元が倒れ漢民族の明となったのが1368年です。時を同じくして朝鮮半島では李氏朝鮮が1392年に勃興します。その李氏朝鮮は仏教を禁じ、儒教をもって国教とし、明でポピュラーになった科挙も取り込むことで明と李氏朝鮮は一体化した体制を作り上げました。それは儒教の「礼」の思想を根底とした主従関係(冊封関係)を体系化したと言ってもよいでしょう。 言わずもがな日本は野蛮な国としての認識を深めたわけであります。そのような主従関係がしっかり出来上がった大陸に対して豊臣秀吉が朝鮮出兵をし、非常に後味の悪い結果を生んだことは朝鮮の歴史に深く刻み込むことになったのかもしれません。 韓国の要求する謝罪の意味あいは日本人の口癖である「アイム ソーリー」とまるで違うということをまずは知るべきです。日本ではソーリーは何回行ってもそれ以上の意味合いはありません。人間関係の潤滑剤のようなものだからでしょう。しかし、諸外国では謝罪はその責任を取り、何らかの補償を行うことに繋がります。 安倍首相がこれ以上の謝罪をしないのは65年の日韓基本条約で責任問題は解決済みだというスタンスを貫いているからであります。謝罪すれば李明博前大統領のように「日本が解決策を打ち出さない」というとんでもない論理を振りかざされてしまいます。 慰安婦問題などを論じるにあたり謝罪が解決することはないと考えています。中華思想という差別史観が何百年もの間続いた中で謝罪の定義がまるで違うことを双方が理解した上で切り口を変えたアプローチをするしかありません。 その間、両国間の謝罪文化には他国の人には簡単に理解しえない歴史とファンダメンタルな思想的相違があることを広く世界にボイスアウトし、日本が一方的に悪いイメージを持たれないような努力もすべきでありましょう。 二回にわたり、韓国の謝罪要求について考えてみました。(ブログ『外から見る日本、見られる日本人』(http://blog.livedoor.jp/fromvancouver/)より5月13日、14日分を転載)関連記事■ 朴槿恵大統領の呆言、妄言、妄言録■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ ドローンの恐怖 加速する進化についていけない日常社会

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    折れた朴槿恵 父の遺産をなぜ壊したか

    らず、現在の国際社会における現実的な要請であることを勘案し…」 これはいまから51年前の1月はじめ、韓国国会で朴槿恵氏の父、朴正煕大統領(当時)が行った年頭教書演説の一節だ。演説はこのあとこう続く。 「政府は現在進行中の韓日会談を早期妥結させるべく、超党派的な外交を推進する」 この決意表明から約1年半後、1965年6月22日、両国外相は東京で日韓基本条約に署名、国交を正常化した。ソウル市内は野党や学生などによる汎国民闘争委員会が「屈辱外交反対」のデモを繰り広げ、怒号と罵声に荒れた。だが朴正煕は非常戒厳令を宣布して条約を批准した。 朴正煕の演説にある「極東の安全と平和維持」――これを阻む東アジアの冷戦構造は半世紀たってもさほど変わっていない。しかし、父が苦心して作り上げた日韓関係を、娘はドロ沼に突き落としてしまった。アメリカからの厳しい目 4月14日、韓国政府は、朴槿恵大統領への名誉毀損で在宅起訴され公判中の産経新聞の加藤達也前ソウル支局長の出国禁止措置を8カ月ぶりに解除した。 なぜ、このタイミングだったのか。韓国司法当局は解除の理由を「重要な争点の審理が終わった」ことや、「前支局長への人道的配慮」を挙げているが、態度の転換が政治的判断であるのは明らかだ。「対米配慮だろう。特に“言論の自由”や“人道問題”で米国に文句を言われたくなかったのだろう」(外交筋)との見方が少なくない。 直後の16日には、米ワシントンでの日米韓外務次官級協議と日米韓防衛局長級協議が控えていた。特に次官級会議は米国が設定したもので、日米韓の間で初めての開催となった。議題は北朝鮮問題と日韓問題だった。また、その後に安倍首相のバンドン会議(アジア・アフリカ会議)での演説、そして安倍訪米と上下両院合同会議での演説と続く。世界に向けた日本の発信と安倍首相のアピール、そして日米関係強化の日程が目白押しだった。2014年11月、北京の人民大会堂で中国の習近平国家主席(右)と握手する韓国の朴槿恵大統領(共同) 米国は韓国に苛立っていた。今春以来、米要人の発言が相次いでいだ。シャーマン米国務次官は「政治家たちが過去の敵を非難して安っぽい拍手を浴びるのは難しいことではない」と忠告し、キャンベル前米次官補は「金正恩氏とは条件ナシに会う用意があると言うのに、朴氏はなぜ安倍首相とはそうできないのか」と批判した。ローレス元国防副次官は「習近平氏は歴史問題を利用して日米韓から韓国を引き離そうとしているのだ」とずばり指摘していた。リーダーとしての器量が父と違う いまではよく知られるように、半世紀前の日韓国交正常化には背後に米国の強い意向が働いていた。朝鮮戦争(1950―53年)を経て・アジアの火薬庫・となった韓国、北朝鮮という分断国家は、東西冷戦の最前線であった。米国にとって日韓国交正常化は、アジアにおける自由主義陣営の砦であった。 一方の軍事クーデターで政権を取った朴正煕氏にとっては、政権の正統性や大義名分は第一国是の「反共」だけでは足りなかった。目の前には朝鮮戦争で荒れ果て復興できずにいる民衆と国土があった。「飢餓や貧困にあえぐ民衆の救済」こそが必要で、体制競争する金日成を制するためにも、経済開発に一刻の猶予もなかった。その朴正煕のモデルは満州国の経済発展だった。国交正常化で得た無償3億ドル、有償2億ドルの対日請求権資金と日本の民間ベース資金は、乾いた砂漠のような韓国全土を潤し始めた。 朴正煕氏は日韓国交正常化で米韓関係を安定化させ、日本との正常化で国際社会に政権の正統性を印象付け、経済資金を手に入れた。プラグマチスト(実用主義者)の朴正煕氏は強い指導者だった。日韓国交正常化のあと米国はベトナムに関与を深めていき、韓国はベトナム戦争に参戦、ベトナム特需で飛躍し、日本資本で高度経済成長を遂げた。 しかし、日本に「正しい歴史認識」と慰安婦問題の謝罪を要求し続ける朴槿恵氏に、父親のような政治へのリアリズムも外交の戦略性も見いだせない。 父、朴正煕氏は世論調査で常にトップの評価を受けてきた。国民所得を約20年で20倍という「漢江の奇跡」を実現、その半面で独裁、圧政の非難も受けたが、人材登用では能力のあるものを抜擢し、組織運営に長けていた。しかし娘、朴槿恵氏の政治はあらゆる問題に対応が遅く、鈍い。人事で何度も躓き組織が動かない。韓国国民の朴槿恵大統領への視線は日に日に厳しさを増し、3年目に入った朴政権はいま、苦悩している。 4月中旬のセウォル号沈没事件一年の追悼式典や集会は、事故後の対応に不満と不信を募らせた遺族らの抗議集会と化した。事故対応の不手際、その後の人事の混乱、一年たっても始まらない真相究明調査、船体の引き揚げ作業など、どれをとってもリーダーの指導力不足が批判の的だ。加えて朴政権は新たに発覚した朴大統領側近らの裏金献金疑惑も抱え、現役首相が検察の捜査を受けた。取り調べ結果いかんで首相退陣は避け難い情勢で国政には暗雲が垂れ込めている。若干持ち直していた朴大統領の支持率は再び急降下、30%台に急落している。反日外交にも疑問の声 そんな朴政権で唯一、国民の支持を受けていたのが「反日外交」だった。だが、この評価も最近怪しくなってきた。韓国の有力メディアに「別次元に進化した米日同盟、韓国は対応できるのか」「対米外交で日本がリード」「日本よりの姿勢みせる米国」などの見出しが目立つようになったのは、日本が安倍首相の所信表明に続き外務省のホームページ、外交青書のそれぞれで、これまで韓国に関して使ってきた「基本的な価値や利益を共有」との文言を外してからだ。ソウルでは、折しも駐韓米大使を親北分子が襲撃、重傷を負わせる事件も発生した。米韓関係への韓国の不安は一気に高まった。 一方、安倍外交の日米関係強化の成果は、ようやく形となってきた。昨秋の集団的自衛権容認の閣議決定に基づき、安保法制の準備が本格化し、日米防衛協力の指針(ガイドライン)改正も間近だ。経済連携政策でも日米は中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に対する慎重姿勢や、環太平洋戦略経済連携協定(TPP)交渉で対中政策の歩調を合せてきた。 そうした日米関係が韓国世論を刺激している。「米国との関係で日本にリードされてしまった!」というわけだ。 安全保障問題だけではなく、慰安婦問題でも米国は安倍首相の歴史認識を評価した。米紙ワシントンポストの取材に安倍氏は慰安婦が「人身売買の犠牲となり、筆舌につくしがたい痛みと苦しみを経験されたことを思うと、心が痛む」と述べた。慰安婦は米国で通常「人身売買の被害者」と表現されていることから、米国務省は安倍氏の発言を「歓迎」したが、これが韓国は気に入らない。「人身売買」とされて強制連行のイメージは薄れてしまった。セックス・スレーブ(性奴隷)は金銭で買われていた。慰安婦に対する日本の歴史認識が「正しくない」と、日韓首脳会談に「日本の正しい認識」を求めてきた朴外交の土台は、米国の安倍発言の評価で揺らいでしまった。 朴大統領の原則主義が放置してきた日韓関係について、韓国の知識人がようやくモノ申すようになった。韓国の著名な日本研究者は有力紙にこう寄稿している。『日米は韓国の安保の支えだ。日本との関係が改善しなければ米韓関係にヒビが入る可能性があると見抜く眼力が必要だ』。保守政治家もこう書いた。『対日外交、安全保障と歴史認識を切り離せ』『外交の舞台では悪魔と踊ることもためらってはならない』朴槿恵氏の目は覚めるのか 朴槿恵大統領は6月にも訪米を予定している。米韓関係は、中国が強く牽制する米国の最新鋭迎撃システム「高高度防衛ミサイル」(THAAD)配備問題が最大テーマとなる訪米だ。AIIB参加を表明した朴政権は、米中両国の顔を立てることに懸命である。 日韓の戦後を総括する機会となるはずだった国交正常化の記念日、6月22日を両国首脳がどう迎えるのだろうか。日本では朴槿恵政権が醸成してきた嫌韓ムードも一段落の観である。いま日本人は「韓国にはもう疲れた」と言いコリア・パッシング(韓国は無視)といった雰囲気が漂う。 朴槿恵氏に問いたいところだ。日韓関係は「父の遺産」であったはず。それは正の遺産ではなかったか? 負の遺産であったのですか?関連記事■ 朴槿恵大統領はなぜ第三国での日本批判を繰り返すのか■ 呉善花 恨と火病と疑似イノセンスと― 異常な反日行為と心の病■ 「大韓ナチズム」に堕ちた韓国

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    朴槿恵大統領の呆言、妄言、暴言録

    の視角と意向、知識レベル、さらには配慮すべき国内外の事情などを総合的な背景として発せられる。 だから韓国を観察する場合には、朴槿惠大統領の発言をしっかりと受け止め、分析する作業が重要になる。以下は、そのための一つの試みだ。「門番三人組」がブロック 韓国の現行憲法下の大統領とは、日本の天皇のような象徴元首ではなく、アメリカ型の実権大統領だ。しかし、朴槿惠大統領は就任して2年2カ月余にもなるのに、記者会見は2回しかしていない。それも再質問を認めない形式で、痛いところを突く質問には木で鼻を括ったような、受け流し回答だった。国会で演説したことは一度しかない。それも言いっぱなしであり、国会答弁もしたことがない。 朴槿惠大統領は、日本の首相官邸とは比べ物にならないほど広い韓国大統領府(青瓦台)のなかに、いくつかの大統領専用スペースを確保しているらしい。それらの専用スペース域から、政権のナンバー2である大統領府秘書室長の執務室まで500メートルあると言われる。 専用スペース域は、大統領になる前からの秘書が「秘書官」に昇格して“門番役”を務めている(韓国のマスコミをして「門番三人組」と言う。最近、うち一人は広報部門の秘書官に移動した)。 韓国のマスコミは「門番三人組」のブロックにより、本来なら大統領の手足である首席秘書官はもとより、閣僚も「対面報告」ができない状況を批判してきた。しかしそのブロックは、そもそも大統領の意向に基づくのだろう。つまり、「引きこもり型元首」なのだ。 それは、父親が側近に殺害されたことが影響しているのかもしれない。「引きこもり型元首」は首席秘書官や閣僚との面談すら嫌い、必要なことは文書報告にするよう命じている。文書報告のなかによほど気になる点があれば電話をする。与党執行部とも、時たま昼食会を開くぐらいだ。 朴槿惠大統領は妹弟と絶縁状態にある。家族はいない。昔から使っている家政婦が夕方6時に帰ると、愛玩する珍島犬だけが友となる。大統領自身、「大統領府にいる本当の実力者は珍島犬だ」(与党幹部との昼食会、14年12月8日)と述べている。 これは出席者を笑わす発言だったとされているが、裏側には「淋しい女性大統領」の実像が隠れている。世界の元首のなかでも、この女性は極めて異様な環境のなかに好んで身を置いている。それはユーモアある対話に欠け、精選された極少量の情報しかインプットされない環境だ。  もしかしたら、妄想を育てるのには最適の環境であるのかもしれないが……。会談を前に握手する、国連の潘基文事務総長(左)と韓国の朴槿恵大統領=5月20日、ソウルの青瓦台(共同) 日本で「保守派」とされる人々は、頻繁に「◇◇さんは○○氏の息子だから」と、会ったこともない◇◇氏に全幅の信頼を寄せてはよく裏切られる。それなのに懲りずに同じ手法の見立てを繰り返す。 朴槿惠氏についても、日本の保守系親韓派は「朴正煕の娘だから親日派のはずだ」と言い、「きっと日本語も話せるのだろう」と妄想を膨らませた。 が、大統領就任から1週間ほどで、その妄想は一瞬にして砕かれた。 「加害者と被害者という歴史的な立場は千年の歴史が流れても変わらない」(三・一節式辞、13年3月1日)という、今後の日韓関係史に100年ぐらいは残りそうな台詞を述べたのだ。 大統領就任後、初の大式典(三・一節=独立運動記念日)だから、その式辞の対日部分には外交省、教育省などの徹底的なチェックが入ったはずだ。しかし、「こんなことを述べたら日本人は……」とチェックできるだけの日本通はいなかった。 「高麗兵が先陣を務めた元寇からまだ千年経っていませんから……」と史実を指摘できるスタッフもいなかった。対日ファンタジー史観 つまり「我々は常に一方的被害者だった」とする対日ファンタジー史観が、大統領周辺を完全に支配しているのだ。 無理もない。反日ファンタジー史の教育を始めてから70年の重みがある。日本統治時代を肌で知る人々はほとんど鬼籍に入っているか、もはや社会的発言力がない。反日ファンタジー史の教育下で優等生として育った人々が、韓国のあらゆる部門の指導層を形成しているのだから。朴槿惠氏も、そうしたなかの一人なのだ。 韓国人は事あるごとに「歴史が、歴史が」と叫ぶが、韓国の学校教育に占める教科としての歴史はとてもお粗末だ。とりわけ世界史は教師の絶対数が足りない。そのうえ、「大学入試のため」至上主義が支配する環境のなかで、国史も世界史も大学入試の必須科目になっていない。 朴槿惠氏は、西江大学の理工学部卒業だ。理工系進学を目指した時点で政治家になるつもりはなく、歴史学などには興味もなかったのだろう。しかし彼女は大統領就任後、理工学部の卒業者らしいことは語らないが、「植民地時代」の歴史、わけても慰安婦についてよく語る。 ヘーゲル米国防長官との会談(13年9月30日)では思い切り言いたいことを言った。 「歴史問題と領土問題についてたびたび時代・歴史退行的な発言をする日本指導部のために信頼が形成されずにいる」 「日本は(歴史問題などを)無視して何の誠意も見せておらず、傷口に塩を塗るようなことをしながら『対話すればよいのではないか』と言っている残念な状況だ」 「傷を受けた国民がいるため国民とともに解決する問題であって、首脳2人が座っても解決できない状況だ」 「国民の傷はそのままなのに、前にもそうだったように日本の指導部がまた傷つくような話を会談後に投げかけることになれば、一体どうしてその会談をやったのかと国民の心が痛むだろう」 「このような悪循環になるのが真の問題だ」 「慰安婦女性の問題はいまも続いている歴史だ。その方たちは花のように美しい青春を全て失い、いままでずっと深い傷を抱えて生きてきたのに、日本は謝罪どころか侮辱し続けている。その女性だけでなく国民もともに怒っており、これではいけないという状況だ」 「21世紀にも紛争地域で女性に対する性的蹂躪が強行されていることに怒りを禁じえない」 延々と続く「歴史的対日批判」は、ヘーゲル長官を辟易させたらしい。その流れが、シャーマン米国務次官の「安っぽい喝采を浴びるのは容易だろうが……」(15年2月28日)という発言に繋がったのだと思う。モンスターに変質モンスターに変質 それでもヘーゲル氏に対する発言は、朴槿惠大統領お得意の「告げ口外交」の内容を知るうえでも役に立つし、韓国人の発想、韓国官僚の忠誠心の在り方を学ぶうえでも参考になる。 それぞれが“突っ込みどころ満載”の発言なのだが、領土(竹島)問題に関して言えば、その決定的な再発火点は、2012年8月の李明博大統領の竹島(独島)上陸だった。自分たちで火を付けたにもかかわらず、“加害者は日本”という認識なのだ。 日本への刺激という点では、李明博氏がその数日後、「天皇に土下座させ……」とはしゃぎ回ったことのほうが強かった。が、前任大統領の言動については何も語っていない。ただただ「日本が一方的に悪い加害者」、逆に言えば「善良なる韓国は一方的被害者」という立場からの発言だ。 「善良なる被害者」と社会から認知されるや、被害者はその関連分野では超法規的存在になる。何をしても許されるモンスターに変質するのだ(典型は沈没したセウォル号の遺族)。この国が「立派な条文を揃えた法律はあるが、法治国家ではなく情治国家」とされるのと同じようなことだろう。 朴大統領の「告げ口外交」とは“韓国の常識は世界の常識”との思い込みの下で、「韓国は善良なる被害者」と国際社会に認知してもらうための努力と言えようか。 韓国社会に限って見れば、「善良なる韓国民は一方的被害者」とする対日認識がすでに確立されている。だから、こと日本に対しては条約違反も国内法違反も、大体のところ“お咎めなし”になるわけだ。外交慣例などくそ食らえ 朴・ヘーゲル会談で「発表することで合意」した内容は、「対北に関する米韓協力合意」だけだったとされている。米国としては対北陣営内部の日韓不和、とりわけ朴槿惠大統領の対日敵愾心を表に出したくなかったのだろう。 が、青瓦台の担当者はブリーフィングですべてを明らかにしたあと、「(大統領発言の内容が)とても良いと思ったので公開した」と述べたという(京郷新聞13年10月1日)。青瓦台のエリート官僚をして、“姫の素晴らしいご発言”があれば外交慣例などくそ食らえとばかり発表してしまうのだ。 これこそが、韓国流の直属上司への忠誠心の発露だ。まさにゴマ摺りであり、「上司への告げ口」とともに韓国社会に蔓延している処世術だ。 京郷新聞が「こうしたことは、海外のリーダーに韓国との協議を憚らせるように仕向け、率直な意見交換を成り立たなくする」との外交消息筋の発言を併せ伝えたことが、せめてもの救いだ。 話は前後するが、慰安婦に関して「その方たちは花のように美しい青春を全て失い……」とする表現は、朴槿惠大統領の発言のなかにしばしば出てくる。 あっちでもこっちでも慰安婦について語るなら、慰安婦自身の証言も含め様々な史料を漁っていて、多彩な事実の叙述や表現が出てきてもよさそうだが、韓国紙が伝えるところ「花のように美しい……」ばかり目立つ。 インプットされる情報域が狭すぎるのではないのか。もしかしたら、特定の人物に依拠した耳学問ぐらいしかないのかもしれない。 もしも強制連行されなかったなら、「花のように美しい青春」を謳歌できたはずと信じているとしたら、李王朝末期の庶民がまるで縄文時代から抜け出してきたかのような生活をしていたことや、「内鮮一体」の日本の投資でようやく食べられるようになった史実も知らないのだろう。 朴槿惠大統領に限らず、韓国の与野党指導者たちも、慰安婦の証言録すら読んだことがないのかもしれない。読んでいたなら、そしてまともな史料と突き合わせていたなら、「ジープに乗せられ」といった証言のおかしさが分かる(日本軍にジープはなかった)。 慰安婦問題を管轄する女性家族省のホームページでは、慰安婦と一緒にいる髪を伸ばした若者の写真が「日本兵」として紹介され、「慰安婦募集」と漢字で書かれたポスターが「強制連行の証拠」として掲載されていた。 そういう知的レベルの国だ。その国の大統領の知識が、「その方たちは花のように美しい青春を全て失い……」くらいしかなかったとしても不思議はない。 それにしても「21世紀にも紛争地域で女性に対する性的蹂躪が強行されていることに怒りを禁じえない」とは、どこの国のことを言っているのか(韓国も北朝鮮との間には休戦協定しかなく、「紛争地域」だ)。よもや、朴槿惠大統領は自分の国では売春が一大産業であり、同時に「韓国=売春婦輸出大国」である事実もご存知ないのだろうか。「ギロチン処分」に滲む性格 インプットされる情報域が狭ければ、それまでに得ていた“もっともな知識”と合致する新情報はたちまち消化される。きっと、報告書のなかにあった「外国人観光客の招致積極化」や「経済部門の規制廃止の必要性」といった建議は、たちまち朴大統領の血肉に転じたのだろう。 観光に関しては、「金の卵を産むガチョウだ」(国民観光振興会議、14年2月3日)と、とても露骨な表現で述べている。自民党の二階俊博総務会長(全国観光業協会長)は、そうした“日本人ガチョウ”を韓国に送り込んでくれる人として今年3月、韓国観光公社から招待を受けたわけだ。 規制については韓国産業界をがんじがらめにしているものであり、産業活性化の最大の足枷という考えを何度も表明している。 規制廃止のための関係者会議も何度か開いている。そのたびに、ドキッとするような面白い発言が飛び出している。平場の会合での質問に対する回答や即座の指示は、事前のレクチャー資料があったとしても、朴槿惠氏個人の感覚に基づく部分が大きいと見てよかろう。 「ブルドッグよりも珍島犬がよりいっそう、一度噛みつけば肉がちぎれるまで放さない。我々は珍島犬の精神で取り組まなければいけない」(国務調整室などの業務報告、14年2月6日) 「もつれた糸を解く最も速くて確実な方法は何か……糸のもつれを切ってしまうことだ」(官民合同規制改革点検会議、14年9月3日) 「副作用が心配で『できない』というのではなく、『副作用をどう賢く創意的に解決するか』を考えなければいけない。小さな副作用のためにだめだという方向に行けば、より大きな損失となる」(同) 「規制の妥当性を直ちに検討し、雇用の創出や投資の障害となっているものはギロチンで一気に処分すべきだ」(閣議、14年11月25日) 自信をもって打ち出した規制緩和が遅々として進まないことへの怒りと焦りがあるのだろうが、激しい性格が滲み出ているような発言に思える。「日帝=ナチス」に躍起有銭無罪、無銭有罪 朴槿惠氏の「指示」に関して、日本ではしばしば「具体性がない」と言われるが、歴代の韓国大統領の「……よう、すべきだ」式の発言は押しなべて具体性がない。韓国の大統領とは単に行政府の長ではなく、すべての国家機関の上に君臨する存在だから、大原則を述べることが職務なのだ。その大原則に基づいて具体的施策を考え、実行するのが閣僚以下の官僚たちだ。 大原則が間違っていても、「やり方が悪かったから」「タイミングを失したから」と更迭されるのは閣僚だ(官僚はよほど重大な過失や大規模汚職の発覚でもなければ生き残れる)。大統領は原則論を述べ続けるのだ。 大統領の発言は、時には政策遂行のうえで絶対の大義名分になる。しかし、産業分野の規制のように受益者がたくさんいて利害が錯綜する部門では、「ギロチンで一気に」と声を張り上げても進んでいかない。 歴史的な重みを持つ文化に対する改善指示も同様に進まない。 「『有銭無罪、無銭有罪』のような恥ずかしい話が大韓民国でこれ以上、常用されないように皆さんが先頭に立ってほしい」(「法の日」50周年記念式、13年4月24日) 大統領がこう演説してからも、警察、検察、裁判所による「有銭無罪」の扱いは次から次に明るみになる。伝統的文化である「司直の腐敗」のほうが強いのだ。 大統領発言は絶対的権威を持つ。しかし、実際の利害関係や腐敗と汚職が蔓延する社会のなかでは、実効性を貫けない。 朴槿惠大統領はそうした現状に怒りと焦燥を感じつつも、韓国民の「偉大さと可能性」を信じているようだ。 「私は韓国経済が進む新しい発展パラダイムに創造経済を提示している。……私たちは優れた“創造DNA”を持った民族だ。……私はその創意の力と情熱を活かして第二の漢江の奇跡を必ず実現する」(「発明の日」記念式典、13年5月16日) 「韓国民DNAのなかには芸術的感性が豊富であり、血液中に流れる“気”がある国民だ」(文化人との会合、15年2月25日) DNAを「ある民族が持つ不変の遺伝子」といった意味で使っているようだ。理系出身者らしからぬ誤用だ。さらにその背後には、「韓国人は世界でも稀な単一民族」(韓国高校用教科書)とする誤った内容の刷り込み教育が蓄積されているのだろう。 そうした批判はさておき、いま紹介した発言そのものが問題だ。これぞ優生学的選民思想そのものではないか。日帝=ナチス 韓国はいま、「日帝=ナチスだった」とするキャンペーンの世界的展開に躍起になっているが、大統領が堂々と語る優生学的選民思想、その選民による奇跡実現の呼びかけこそ、ナチズムそのものではないのか。都合よく改竄したファンタジー史を国民に教え、隣国への敵意を煽る手法もナチスと同質だ。 「日帝=ナチスだった」とするキャンペーンの下部にあるのが、「旭日旗=戦犯旗=カギ十字旗」のサブ・キャンペーンだ。 11年のアジアサッカー杯から僅か2年の間に、「旭日旗=戦犯旗」とする国民的認識を醸成した草の根運動、海外で旭日旗に似たデザインを見付けるや一斉にサーバー攻撃を仕掛ける手口……、「君たちこそ現代のナチスだよ」と言わねばなるまい。 「政治指導者が過去の敵を非難することによって、安っぽい喝采を浴びるのは難しいことではない。しかし、このような挑発は進展ではなく麻痺をもたらす」──米国務省のウェンディ・シャーマン米次官の発言(2月28八日)は、韓国の政権や保守系マスコミにとって大変な衝撃だった。 青瓦台内部の情報伝達は「突発的な軍事情報」を除いては、極めてスローモーなようだ。公式文書の形式を整えてから「門番三人組」のところに持っていくのだから。 シャーマン発言は米国時間では27日だったが、韓国の通信社聯合ニュースが配信したのは3月1日、すなわち三・一節の朝だった。おそらく、朴槿惠大統領はシャーマン発言を知らないまま三・一節の演壇に立ち、その足で中東歴訪へと旅立った。 あとになって、自分が「安っぽい喝采を浴びた政治指導者」になってしまったことを悟り、追い打ちを掛けられるかのように日本の外務省がホームページのなかの韓国紹介欄にあった「自由と民主主義、市場経済等の基本的価値を共有する」との表現を削除したことを知った。大使襲撃事件でも謝罪ナシ 激しい気性の大統領がどれほど怒ったことか……とは、想像するだけだが。 さらなる大きな追い討ちがあった。5日午前のリッパート米国大使襲撃事件の発生だ。朴大統領はアラブ首長国連邦(UAE)で事件の報告を受け、次のように述べた。 「驚きを禁じ得ない。今回の事件は駐韓米国大使に対する身体的な攻撃に留まらず、韓米同盟に対する攻撃であり、決して容認できない」 「大使の一刻も早い回復を祈り、家族に対しても心よりお見舞い申し上げるとともに、オバマ大統領や米国政府にもお見舞い申し上げる」3月10日、リッパート駐韓米国大使の退院を受け、米大使館周辺で韓米同盟の強化を求める保守団体メンバー=ソウル(共同) 日本大使に投石した前科(判決は執行猶予)を持つ過激派を野放しにしていたこと、会合を主催した国策団体(代表者は大統領側近の一人)がその危険人物をやすやすと大使の近くの席に座らせたこと……韓国側に不手際があったことは明らかだが、大統領は「回復を祈り、お見舞いを申し上げる」とは言っても謝罪の言葉は口にしない。 大統領に限らない。韓国人は謝罪しない。「謝罪」とは、韓国人にとって一種の“希少価値”と見れば理解しやすい。自分が持っている(発することができる)希少価値は出したくないが、他人(他国)が持っている希少価値は手に入れたい。だから日本に向かっては「謝罪しろ、誠意を見せろ」とばかり叫ぶのだ。 「韓米同盟に対する攻撃」という規定の仕方は、「テロリストは北の意を受けた人間」という前提があるからだが、「韓国も被害者」という意味が半分込められている。先にも触れたが、“被害者の地位確保”は韓国のお家芸だ。 保守系紙の中央日報(3月6日)は、「大韓民国に対するテロだ」との社説を掲げた。これはもう半分ではなく、完全に「韓国はテロの被害者」との立場の表明だ。 韓国当局の不手際もあり、米国大使が顔を切られた。が、これは韓国に対するテロであり、韓国人は実は被害者なのだ──日本で「三百代言」と罵られる人々とて、目を白黒させるような論法だ。 韓国の大統領は、こんな論法が日常的に闊歩する社会の頂点にいる。その配下にいる官僚だから、たばこ価格を今年1月1日から一挙に2倍に値上げしても「これは増税ではない。国民のための健康対策の一環である」と、恥じらうことなく言えるのだ(朴槿惠氏は「増税せず」を大統領選挙の公約に掲げていた)。もしやキリストの心意気?縫合手術を終えた大使に 朴槿惠大統領は中東歴訪から戻ると、その足で大使の入院先を見舞った。誠意を示したのだろうが、大使への見舞いの言葉は日本人の波長とは到底合わない。 慰めの言葉はあったが、謝罪の言葉はやはりない。そして、06年に自らも顔を切られるテロに遭った経験を挙げて、こう述べた。 「それからの人生はおまけだと思って、国と国民のために生きると決心した。大使も今後、韓米同盟のために多くのことをしてくれるという気がする」 八十針もの縫合手術を終えたばかりの大使に向かって、何という押し付けがましい言葉だろうか。 アンタに俺の人生航路まで決めてもらいたくないよ──と、なんて一国の大使が言うはずがない。大使は「私も、おまけで得られた人生と時間を家族と韓米両国の関係のために」と応じた。これぞ外交辞令というものだろうに、大統領周辺は「韓米関係が強固になった」と大はしゃぎ。 親米保守派は、まさに鉦や太鼓を打ち鳴らして「リッパート全快」を祈る街頭パフォーマンスを繰り広げた。李王朝の後裔と称する老人は(これは本当に善意だったようだが)、犬肉を見舞い品として届けた(病院が受け取らなかった)。中央日報(15年3月9日)に至っては、「リッパート効果」なる心ない造語を見出しに立てた。 そうしたなかで朴大統領は、「世界で最も成功している同盟と評価される韓米同盟が前代未聞の攻撃を受けた……だが私たちは、この危機をさらに強力な韓米同盟への契機とする成熟した姿を見せた」(ソウルCOEX祈会、15年3月12日)と事件を総括した。 韓国のコウモリ外交によりガタついている米韓同盟が「世界で最も成功している同盟」であり、大はしゃぎの「リッパート効果」が誇るべき「成熟した姿」であるらしい。もしやキリストの心意気? 朴大統領は支持率が低下してくると、あばら家のような商店がひしめき、屋台が連なる市場に出向く。カボチャの葉を買ったり、おばあさんに声を掛けたり……きっと「門番三人組」の配下が、どこで何を買うか、誰に声を掛けるか段取りを決めて、厳重なガードを張り巡らしているのだろうが。韓国・ソウルにある明洞聖堂 そして、危機を感じさせる時にはしばしば教会や寺に出向いたり、宗教関係者と懇談したりする。 上記のCOEXも、キリスト教(おそらくプロテスタント系)の組織と思われる。大統領は事件総括の続きで述べた。 「イスラエル民族が広野の試練を一つの心で勝ち抜いた時、乳と蜜が流れる土地カナンに至ることができたように、私たちもいま、葛藤と分裂の足枷を克服するならば新しい祝福の時代に進むことができると信じる」 「羊の群れの世話をする羊飼いの気持ちで、韓国の新時代を切り開いていくことに全力を尽くす」 キリスト教では、民は「迷える羊」であるらしい。国民を「羊の群れ」に譬えることに問題はないのかもしれないが、朴槿惠氏はもしやモーゼかキリストの心意気なのだろうか。 ちなみに韓国統計庁の資料によると、韓国の宗教人口は53・1%で、仏教22・8%、プロテスタントが18・3%、カトリックが10・9%、儒教0・2%など。 大統領のこうした発言に、仏教徒の反発が聞こえてこないのは不思議だ。 漢字をほとんど放棄してしまった韓国だが、「国格」という熟語は韓国人が最近、漢字を基に創り出した(実際に新聞紙面に出てくるときは「クッギョク」と読むハングル表記)。 私が愛用する小学館と韓国・金星社の共同編集による「朝鮮語辞典」にも載っていない。おそらく、日本でベストセラーになった藤原正彦氏の『国家の品格』(新潮新書)をヒントに創作されたのだろう。中央日報にこの熟語が初めて出てくるのは09年9月28日のことだ。 韓国語で言う「国格」とは「国家の品格」ではなく、「国家としての総合的な格」といった意味で使われる。 ランク付け大好き国家ならではの造語ともいえる。朴大統領の偉大なるギャグ 朴大統領も、「国格」という造語を使って面白いことを述べている。 「言葉は人格を表し、国民を代表する人たちの言動は国格を表す。……私たちは相手に対して深く配慮しなければならず、それがまさに国格と直結する重要な資産だ」(首席秘書官会議、13年7月15日) 野党による大統領非難が続き、ある議員は「鬼胎(生まれてきてはならなかった人)だ」とまで言った。 そうした「野党の暴言攻勢」に対する反論なのだが、それが朴槿惠氏の口をついて出た言葉となるとどうだ。 南北統一問題では「テバク」(儲け時といった意味)という博打用語を使い、「ギロチンで一気に処分すべきだ」と指示をした国家元首がその一方で、「言葉は人格を表し、国民を代表する人たちの言動は国の国格を表す」と教訓を垂れていた。まさにギャグだ。 朴槿惠氏は「引きこもり型元首」だが、その職責上、さまざまな式典、会議に出席すれば、実によく話す。 「国民を代表する人たちの言動は国格を表す」と朴大統領自身が明言している。 朴槿惠大統領の発言を、その政治社会的背景に留まらず、どんな文化的背景のなかから出てきたのかを探ることは、韓国の国格を理解するうえで有効な手段だと思う。 朴槿惠大統領がますます語ってくれることを期待してやまない。むろたに・かつみ 1949年、東京都生まれ。評論家。慶応大学法学部を卒業後、時事通信社入社。政治部記者、ソウル特派員、宇都宮支局長、「時事解説」編集長を歴任。2009年に定年退社し、評論活動に入る。著書に『悪韓論』『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮新書)、『呆韓論』(産経新聞出版)、『妄想大国・韓国を嗤う』(共著、PHP)など多数。関連記事■ 「大韓ナチズム」に堕ちた韓国■ 「ウリジナル」と「反日」の底流にある韓国ファンタジー古代史観■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出

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    朴槿恵の低レベル発言を嗤う

    「日帝=ナチスだった」「韓国は善良なる被害者」……。外交の場で対日ファンタジー史観丸出しの発言を吹聴して回る朴槿恵大統領。延々と続く「告げ口外交」にアメリカは辟易している。朴槿恵政権はいい加減、そのことに気付いた方がいい。

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    歴史認識問題で批判を続ける韓国知識人の典型的な主張

    岡崎研究所 韓国延世大学教授の李正民が、4月16日付の米ウォール・ストリート・ジャーナル紙で、安倍総理が米議会での演説で歴史に向き合おうとしなければ、米国の利益にならず、アジア人の心は掴めないだろう、と述べています。 すなわち、安倍総理が4月29日米議会での演説でどのような歴史に関するメッセージを伝えるかに、アジアの関心が集まっている。 もし安倍総理が、慰安婦問題を含む日本の戦時中の残虐行為をごまかし、無視しつづけるなら、日本が戦後民主主義、人権の先導役を果たしてきたとの主張はできなくなる。多くのアメリカ人は、中国と韓国が歴史にこだわっていることを快く思っておらず、日本が大きな過ちを起こしたのは70年前のことであり、中国など他の国の歴史にも暗い時代がある、日本は戦後責任ある大国であり、ほぼすべての重要問題で米国と立場を同じくする民主主義国、米国の同盟国として、歴史的苦痛を超える勇気を持つべきである、と言う。 しかし、日本の優れた戦後の記録は、その前の出来事を消しはしない。安倍総理の修正主義は、オバマ大統領のアジアへの軸足移動も含めた米国の戦略的利益に反する。日本が歴史と向き合わないため、地域の和解ができず、中国に軍事力強化のための絶好の口実を与える。日本が歴史を否定することで、中国の国際的地位が上がり、中国の政策は他のアジアと調和しているとの見方が広がってしまう。 安倍総理はアジア人の心をつかむことより、日本を「不沈空母」にする方が重要と考えるかもしれないが、もしそれが米議会での演説のメッセージであるとしたら、日本が米国のかけがいのない同盟国、中国に対する責任ある対抗勢力、そしてアジアの友人となる絶好の機会を失うことになるだろう、と述べています。出典:李正民‘Shinzo Abe’s Duty to History’(Wall Street Journal, April 16, 2015)URL:http://www.wsj.com/articles/shinzo-abes-duty-to-history-1429203445* * * 韓国知識人の典型的な議論です。しかし、筆者の李正民は、元安全保障大使を務めた人物であり、安全保障分野では日本にも知人が多く、対中政策、対北朝鮮政策では、日米韓の3国連携を重視している人の一人です。その彼が、ここまで歴史認識に触れなければならない韓国の現在の世論の雰囲気というのは、ゆゆしき状況でしょう。 この論評が、ウォール・ストリート・ジャーナル紙に掲載されたということは、米国、米国人に対する意見として書かれたものであることを示しています。 日本が歴史と向き合わないために中国に軍事力強化のための絶好の口実を与えているとか、日本が歴史を否定していることで中国の国際的地位が上がっているという議論は、説得力に欠けるものです。 論説は、安倍総理が歴史認識を改めない限り、アジア人の心はつかめず、日本はアジアの友人になれないと言っていますが、それは事実に反します。タイをはじめ、東南アジアや南アジアの国々は、太平洋戦争に関し、日本が侵略を認め、お詫びをすべきだとは言っていません。歴史認識はすぐれて中韓2国の問題です。 1つ言えることは、今後どのような形で歴史認識問題に言及するにしても、それで中国と韓国の批判が収まるとは思われないことです。20年前、戦後50年の年に、村山談話が「植民地支配と侵略」に触れ、「心からのお詫び」を述べたにもかかわらず、中国と韓国は、それで歴史認識問題に区切りがつけられたとは思いませんでした。歴史認識問題に関する両国の批判は、今後も続くと覚悟しなくてはならないでしょう。関連記事■ 朝鮮民族の「恨」は恨み辛みや不満を生きる力に転換した状態■ 北岡君、日本を侵略国家にする気かね■ 「大韓ナチズム」に堕ちた韓国

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    韓国お家芸 無残な末路辿る「前政権批判」朴槿恵氏も発動か

     一時は20%台に下落した韓国の朴槿恵政権の支持率は3月5日、ソウルでリッパート駐韓国米大使が政治団体代表の男に刃物で襲われて重傷を負った事件を境に30%台に回復した。 米韓関係悪化を懸念した保守派が朴政権支持に転じたとみられるが、依然として低支持率であることに変わりはない。反日だけでは支持率維持が難しくなってきた中で出てきたのが、韓国の“もうひとつのお家芸”である前政権の糾弾だ。李明博・前大統領 韓国の検察当局は、李明博・前大統領が掲げた「資源外交」の看板の下での融資に不正があり、最大で約60兆ウォン(約6兆6000億円)もの税金が消える可能性があるとして関連企業への捜査に着手した。「前政権の糾弾」は韓国の現代史で繰り返されてきた。歴代大統領の退任後を振り返ると、その末路は悲惨である。 全斗煥氏は大統領退任後、光州事件(1980年5月18日から光州市で始まった韓国の民主化運動を韓国軍が弾圧した事件)や不正蓄財を追及され、死刑判決を受けた(減刑後に特赦)。 盧泰愚氏も政治資金隠匿や粛軍クーデター、光州事件の責任などを理由に、懲役刑に処された(後に特赦)。金泳三氏の場合、自身は逮捕されなかったが次男が収賄と脱税で逮捕され、金大中氏も息子3人が全員収賄で逮捕されている。 李明博氏の前任者である盧武鉉氏は実兄が収賄で逮捕された後、自身も収賄疑惑で捜査を受け、2009年5月に自殺に追い込まれた。 そうした追及の反復には韓国独自の文化が影響していると、朝日新聞元ソウル特派員でジャーナリストの前川惠司氏は指摘する。「韓国に『旧官は良官』という諺があります。李氏朝鮮時代から、新しい権力者が出てくると、より過酷な圧政をすることを表わした言葉です。そのため現政権は『旧官よりも良官』であることをアピールしたがり、古い権力者を叩くことに繋がっていきます。前の権力者の罪を糾弾して、自分の政権への求心力を高めるのです」 元大統領を裁くためであれば、「法の不遡及」という法治国家の大原則までも無視される。法の不遡及とは、後から作った法で過去において適法とされた行為を裁くのを禁止することで、法治国家では当たり前の制度だ。それを認めたら国家の都合で誰でも処罰できてしまうからだ。 が、全氏と盧泰愚氏に対しては、「大統領に限って時効は成立しない」とする「光州事件特別法」という事後法が制定され、罪が遡って裁かれた。 前川氏は当時の状況をこう話す。「市民団体から全斗煥、盧泰愚を法で裁いてくれという訴えが出ていたが、検察は時効や高度な内政的事情を理由に1995年7月に不起訴にした。ところが、その年の冬に当時の金泳三大統領が元大統領を裁くために特別立法で時効を無効にして2人を処罰したのです」 注目すべきは裁かれた2人が当時は金泳三氏と同じ与党(民主自由党)の政治家だったという点だ。現在の朴氏と李氏の関係と同じ与党同士でも追及は行なわれてきたのだ。身内にも厳しいといえば聞こえはいいが、たいていはご都合主義の政治的ショーの意味合いが強い。 東京大学東洋文化研究所教授の真鍋祐子氏の解説。「金泳三氏が特別法を制定した背景には、世論の盛り上がりがありました。同じ与党の人間であるにもかかわらず特別法を作ってまで厳しく処罰するという姿勢を見せたことで、これまで大統領の手腕に懐疑的だった国民の溜飲を下げ、政権への感情は大きく好転しました」 韓国メディアは李氏の疑惑を厳しく追及し、国民はそれに喝采を送り始めた。状況は当時と似通ってきている。朴氏はその圧力と誘惑に耐えるのか、それとも歴史は繰り返されるのか。関連記事■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ「北にそっくり」■ 人類滅亡――マヤ暦の予言とは異なる「2012年問題」の正体■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画「鏡のない国のパク」■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画【1/2】「根拠のないデマ」■ 【ジョーク】オバマ米大統領とプーチン・ロシア大統領の違い

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    朴槿恵大統領はなぜ第三国での日本批判を繰り返すのか

    澤田克己(毎日新聞前ソウル支局長)日韓で食い違う「告げ口」理解 韓国の朴槿恵大統領が5月4日、安倍晋三首相が米上下両院合同会議で行った演説について「慰安婦被害者たちをはじめとする歴史問題に対する真の謝罪をして近隣諸国と信頼を強化できる機会を活かせなかったことは、米国でも多くの批判を受けている」と述べた。「米国で批判されている」と主張することで、安倍首相を批判したといえる。朴大統領は20日には、ユネスコのボコバ事務局長との会談で、戦時中に徴用された朝鮮人が働かされた施設を含む「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産として登録することに反対する考えを伝えた。 ボコバ氏との会談に関するニュースが流れてきた時、私は編集局内で「朴槿恵さんらしいよね」という声を聞いた。朴大統領が日本にケチをつけるのは珍しくない、という反応だ。驚きがないから、このニュースは翌日の新聞に小さくしか載らなかった。安倍首相の演説への反応にしろ、世界遺産にしろ、日本では「またか」という受け止め方が強いというのが、率直な評価だろう。 ただ、日本でいわゆる「告げ口外交」と言われる言動について、韓国では一般に「告げ口」という意識が共有されていない。韓国では、朴大統領は「正しいことを正当に言っているだけ」であり、「告げ口」という評価は当たらないという感覚が強い。韓国人とこの話題を話すと、話がかみ合わないことが多いのだ。 こうした認識の差は、韓国と日本の社会意識の違いからくるように思われる。韓国側の特徴として挙げることができるのは、やはり儒教の影響だろう。ただし、過去の事象にどれくらい適用すべきかは判断が分かれるとしても、基本的人権のような普遍的「正しさ」というものがあるという感覚は、欧米社会にも強い。さらに、世界遺産問題では日本側の主張にもかなり苦しい部分があるのだが、この点については後述しようと思う。「正しさ」への強い確信4月29日、米議会の上下両院合同会議の演説に臨む安倍首相(共同) 朴大統領は安倍演説を批判した際、「このように日本が歴史を直視できず、自らの過去の問題に埋没していこうとしているといっても、それは私たちが解決してあげられない問題だ」と続けた。ずいぶんと「上から目線」に感じられる発言だ。朴大統領のキャラクターということもあるのだろうが、それだけではなく、自分たちの立場が絶対的に「正しい」という確信が背景にあると見るのが自然だろう。 これは、儒教に基づく韓国社会の伝統的思考法に則ったものだ。韓国では、「正しさ=正義」が絶対視される。別の言い方をするならば、道徳性が非常に重視される。ただ、正義や道徳性の判断基準は自分たちが決めるので、その感覚を共有しない他者から見ると「正義の押しつけ」になってしまう。だから、日本とは「正しい歴史認識」を巡って衝突することになる。 現代韓国研究の第一人者である慶応大の小此木政夫名誉教授は「近世までの朝鮮は経済的に豊かでなく、軍事的に強大でもなかった。中国の儒教文明の強い影響下にあったこともあり、『何が正しいか』という名分論で自分たちの正統性を主張するしかなかった。中国との関係では、力ではかなわないから、論理的な反論をする以外に方法がない。それが、『正しさ』を追及する伝統を生んだのではないか」と話す。 1980年代までの強権的体制の下ではこうした意識が顕在化することはなかったが、民主化と冷戦終結によって重しが外れ、「伝統」の影響力が復活してきたと考えられる。こうした現象は、韓国に限らず、東欧などでも見られることだ。強い序列意識が背景に 韓国の社会意識に大きな影響を与えている儒教・朱子学は、序列意識の強いものだ。そして、序列上位のものには道徳性を強く求める「徳治」が強調される。この考えは、国際関係にも持ち込まれる。韓国が自らより序列上位にあると考える欧米先進国や国際機関に徳を求めて、韓国の正しさ=日本の不当性を訴えようとなるようだ。 その裏には、強大国に力で対抗できない「小国」だと自らを規定する意識がある。周辺国の思惑と争いの中で、自らの運命を主体的に決められずにきた朝鮮半島の歴史を背景にしたものだ。 だから、過去の侵略行為を否定し、慰安婦問題での日本の責任を否定する(と韓国が考える)安倍首相を、米国が歓迎するようなことは、あってはならないことだ。米国を訪れる外国首脳に対する最高のもてなしである、上下両院合同総会での演説の機会を安倍首相に提供し、過去への謝罪をしない安倍首相に拍手を送ることは言語道断ということになる。 それなのに実際には、慰安婦問題や植民地支配について演説で明言しなかった安倍首相に、米国の議員たちは総立ちの拍手を送った。韓国の感覚からすれば、あってはならないことだ。韓国メディアが演説後、「韓国外交の敗北」などと大きく書き立てるほどのショックを受けた背景には、こうした感覚があるといえそうだ。 日本と同じように、韓国にも「国連信仰」がある。世界遺産の問題でユネスコが「正しい」姿勢を見せることに期待する韓国の心理は、安倍演説への反応に通じるものだ。米国やユネスコに「正しい主張」を伝えることは、決して「告げ口」などとは評されないのである。日本相手だけではない「告げ口」日本研究者の「声明」に安堵 米国の著名な日本研究者ら187人が5月4日、慰安婦問題などで安倍首相に批判的な見解を示した「声明」を発表した。賛同者はその後、457人に増えている。 声明は、慰安婦問題について「最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません」と指摘。戦後70年の今年は「日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会」だとして、安倍首相に適切な対応を取るよう求めた。 韓国メディアが歓迎したのは当然だが、その背景には、やはり「国際社会が味方をしてくれた」という安堵感があるはずだ。 研究者たちの声明は、慰安婦問題が「韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました」と中韓を批判する一方で、「強制連行」があったかどうかよりも「非人道的制度を取り巻く、より広い文脈」を重視すべきだと指摘している。普遍的な人権問題としてとらえる国際社会の潮流を反映しつつ、単純な日本批判に陥らないよう苦心した跡のうかがえる内容だ。 残念ながら韓国メディアの多くは、自分たちの「正しさ」に合う部分だけに焦点を当てて報道し、中韓への苦言は無視したり、簡単に触れるにとどめていた。 ただ、朝鮮日報が「日本に対する世界の著名な歴史学者たちの批判を、第三者によるものだから意味があるというならば、韓国に対する彼らの苦言も第三者によるものだから価値があると受け止めるのが成熟した姿勢だ」というコラムを掲載するなど、一部ではあるものの、正面から受け止めようとする姿勢も見られたことは留意すべきだろう。日本相手だけではない「告げ口」 実は、日本的な感覚で「告げ口」に見える行動は、日本を相手にした時だけ出てくるわけではない。修学旅行の高校生ら300人余りが犠牲になった昨年4月の「セウォル号」沈没事故の時も、朴槿恵政権に責任があると糾弾する活動が、約250万人の韓国系市民が住む米国で繰り広げられた。中韓投資フォーラムに出席した中国の習近平国家主席(左)と韓国の朴槿恵大統領=2014年7月4日、ソウル(代表撮影・共同) 事故の約1カ月後には、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストに「真実に光を」と題する1ページ全面を使った意見広告が掲載された。ニューヨーク・タイムズには「なぜ韓国人は朴槿恵大統領に怒っているのか」、ワシントン・ポストには「朴槿恵大統領はセウォル号と共に韓国の民主主義を沈めようとしているのか」というサブタイトルがそれぞれ付いていた。 ニューヨークなど、全米各地で朴大統領の退陣要求集会も行われた。左派系ネットメディア・オーマイニュースによると、マンハッタンでの集会には約150人が参加した。参加者たちは、英語と韓国語で「朴槿恵は出て行け」などと書かれた横断幕やプラカードを持って、「無能無責任な朴槿恵反民主独裁政権を糾弾する」と訴えたのだという。 朴大統領と敵対する進歩派による「場外乱闘」だ。米国の世論が、韓国内の問題に対する抗議活動に大きな関心を寄せるとは考えづらい。抗議活動をしている人たちも、そんなことを本気で期待しているわけではないだろう。米国の世論に「正しさ」を訴えている姿をアピールすることが大事だという感覚があるようだ。世界遺産問題は日韓の意思疎通不在を象徴 「告げ口」外交という本筋からは外れるが、世界遺産問題と関連して一つ紹介しておきたい。「明治日本の産業革命遺産」の対象時期の問題だ。私が知る限り、本稿を書いている5月下旬時点で、このことにきちんと触れたのは5月22日付毎日新聞の社説だけである。 冒頭で紹介した朴大統領の言及にある通り、韓国は、「産業革命遺産」には徴用された朝鮮人が働かされた施設が含まれていると反発している。日本側はこれに対して「対象となっているのは1850年代から1910年までであり、第二次世界大戦中の徴用とは時期が違う」と反論。菅義偉官房長官は「韓国の主張するような政治的主張を持ち込むべきではない」(5月22日の記者会見)と、韓国の反発を一蹴している。 日本も、戦時中に朝鮮人徴用が行われたことを否定しているわけではない。争点といえば、世界遺産登録の申請に入っている時期ではなかったということになる。 申請で対象とされた1850年代は、幕末という意味だ。それくらい、私にもすぐ分かった。だが、「1910年まで」というのは分からなかった。そのため政府の担当者に「1910年に何があったのか」と質問したところ、「ロンドンで開かれた日英博覧会に八幡製鉄所で作られた鉄が出品された」という答が返ってきた。日本が産業化に成功したことを西欧諸国に知らしめた記念の年ということらしい。 世界遺産登録をめざすにあたって、日本の成功を西欧諸国に誇示できた年を区切りとすることは、遺産群にストーリー性を持たせ、訴求力を高める効果を期待できる。だから、申請に当たってそうした手法を取ることは当然であり、なんら批判されるべきことではない。負の歴史があったから世界遺産として保存すべきでないという主張も、正当なものとは思えない。 ただ、1910年が、日本の産業化における画期的な年として従来から認められてきたのかと問われれば、かなり苦しいと言わざるをえない。 象徴的な施設の一つとなっている長崎県の「軍艦島(端島)」で保存運動に取り組んできた関係者によると、世界遺産申請の話が出た当初から、関係者の間では朝鮮人徴用への反発が出るのではないかという懸念があった。そのため、軍艦島などは対象から外そうと検討されたこともあったという。この関係者は「この問題をクリアできるようにしたのが、1910年という区切りだった」と話した。 石破茂・内閣府特命担当相は5月8日の記者会見[注]で、「ロンドンにおいて日英博覧会というものが開催をされ、そこにおいて日本の新しい産業の発展が一つの区切りということになったものだという議論がなされて今回の勧告になった」と説明すると同時に、「この年は日韓併合の年ではないかという指摘も当然予想される」と話した。石破氏の発言にある通り、1910年というのは、韓国との関係においては感情的反発を呼びやすい年でもある。 この問題では、日韓両国の専門家や外交官の多くが「昔だったら事前調整がきちんと行われ、大きな問題にはならなかったはず」と口をそろえる。当初からそうした懸念を持たれていたにもかかわらず、最終局面になるまで放置されていたということは、まさに近年の両国間における意思疎通の不在を象徴するものといえるだろう。[注] http://www.cao.go.jp/minister/1412_s_ishiba/kaiken/2015/0508kaiken.htmlさわだ・かつみ 1967年埼玉県生まれ。慶応義塾大法学部卒、91年毎日新聞入社。99~04年ソウル、05~09年ジュネーブに勤務し、11~15年ソウル支局。15年5月から外信部副部長兼論説委員。著書に『「脱日」する韓国』(06年、ユビキタスタジオ)、『LIVE講義 北朝鮮入門』(10年、東洋経済新報社、共著)、訳書に『天国の国境を越える』(13年、東洋経済新報社)。毎日新聞サイト内に主な記事などを集めた個人ページ「アンニョン!@ソウル」がある。近著に『韓国「反日」の真相』(15年、文藝春秋)。関連記事■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ 朱子学の影を引きずる朴大統領の反日■ 本当は「日韓併合」が韓国を救った! 「七奪」はすべて捏造

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    朴大統領に問われる反日外交の検証

    長谷川良(ウィーン在住ジャーナリスト) 韓国の朴槿恵大統領は過去2年余り展開してきた日本の歴史問題に対する“告口外交”への再考を強いられてきている。というより、外交路線の変更を余儀なくされている。 朴大統領は4日の首席秘書官会議で、「われわれの外交は歴史に埋没せず、歴史は歴史としてしっかり対応し、韓米同盟や韓日関係、韓中関係などの外交問題は別次元の明確な目標を持って、今後もしっかりとした信念の下、積極的に努力してほしい」(韓国聯合ニュース日本語電子版)と述べ、歴史問題と経済・安全保障は区別して対応するという対日外交の基本方針をあらためて示したというのだ。 このニュースは本来、朗報だが、韓国の一方的な反日攻勢にさらされ、傷つけられてきた日本人ならば、「なんと身勝手な政策変更だ」と批判の一つでも呟きたくなるだろう。 朴大統領は就任後、2年余り、反日外交を主導し、外遊先では告げ口外交を展開してきた張本人だ。その間、日本国民は旧日本軍の慰安婦問題で追及され、米国でも慰安婦像が設置され、年内にはソウル市庁舎前広場にも慰安婦像が設置されるという。その大統領はここにきて歴史問題と経済・安全保障は区別して対応するという。朴大統領は過去2年余りの反日外交を検証したのだろうか。 韓国は歴史問題を反日攻撃の武器として利用してきた。その間、日本側は首脳会談の開催を打診するなど、対話を模索してきたが、韓国側からは「先ず、謝罪しろ」と一蹴されてきた。その韓国がここにきて、「歴史問題と経済・安保問題は区別して対応する」と言い出したのだが、日本側が果たしてすんなりと応じるだろうか。 日本の社会では既に嫌韓が広がる一方、韓国への無関心が広がっている。知識人の間では、韓国とは冷静に話し合うことができない、といったネガティブな韓国観が定着してきた。停滞傾向が見えてきた国民経済を回復させるため、韓国が日本へ再度歩み寄ってきたとしても、日本側から「はい、そうですか」といった返答は期待できないのではないか。日本側から「韓国は過去2年間の一方的な反日外交に対し、わが国の国民に謝罪表明すべきだ」という声が出てきても不思議ではない。 喧嘩をふっかけておいて、分が悪くなると喧嘩を止めた、と言いだしても、喧嘩相手が素直に応じるか。もう一度、仲良しになるためには、喧嘩を始めた側が先ず、「ごめんなさい」というのが筋だ。 誹謗や中傷は怖い。悪口、罵声を発した後、その原状復帰には多くの時間がかかる。言葉による暴力は拳よりも痛く、癒されるまで多くの時間がかるものだ。5月6日、米ロサンゼルス近郊グレンデールで、慰安婦問題を象徴する少女像に触れる李容洙さん(共同) 韓国は日本に併合され、多くの苦渋を味わってきたことは間違いない。その民族が相手の痛みには無頓着となれば、民族の品格が問われる。韓国側の一方的な反日プロパガンダで傷ついた多くの日本国民がいることを忘れないでほしい。「安倍晋三首相が70年前の蛮行を謝罪しないからだ」と、いつものように弁解しないでほしい。 「河野談話」や「村山談話」で日本側は過去に対してはっきりと謝罪を表明したが、日本で新政権が発足する度に韓国側は「日本はこれまで謝罪していない」と言い張り、謝罪を要求してきた経緯がある。 朴大統領は、生存されている慰安婦の一人、李容洙さん(86)が6日、 米ロサンゼルス近郊グレンデールに設置された慰安婦の少女像を訪れ 「安倍首相が謝罪するのを見届けるまで200歳まででも生きる」と訴えたというニュースをどのように受け取っているだろうか。李さんは大統領の反日外交の所産だ。一人の慰安婦の過去の痛みに火を付け、憎悪を駆り立ててきたのは誰か。悲しみ、恨みを癒す努力ではなく、火に油を注いできたのが朴大統領の過去2年余りの外交政策ではなかったか。 70年前、日本が多くの韓国人を傷つけたように、韓国は今、多くの日本人を根拠の乏しい反日プロパガンダで傷つける一方、国内の戦争犠牲者に対して日本への憎悪を煽っている。韓国は同じことをしているのだ。 ベトナム戦争時の韓国兵士によるベトナム人虐殺問題が話題となった時の韓国側の戸惑いは何を意味するのだろうか。韓国が常に自負する「道徳の優位性」は幻想に過ぎないのだ。(ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より)関連記事■ 韓国人はドイツ人を全く知らない■ 「大韓ナチズム」に堕ちた韓国■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出

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    なぜ韓国は日本を許さないのか

     日本がいくら韓国に対して謝っても、彼らは、いつまでも謝罪や賠償の要求を繰り返します。そのことに対し、多くの日本人が疑問に思うとともに辟易としているのが現状ではないでしょうか。なぜ彼らは日本を許そうとしないのか、どうすれば彼らの要求が終わるのか? それを理解しないことには日韓友好も何もあった物ではありません。 日韓両国は1965年に締結された日韓基本条約の付随協約により、当時の国家予算の二倍強の協力金(日韓は戦争しておらず賠償義務がないため賠償金とは呼ばない)を日本が韓国に支払うことにより日韓両国間の請求権問題が「完全かつ最終的」に解決されたことを確認しています。 本来であれば、その時点で両国の過去は清算され対等の付き合いを始めるべきなのですが、日韓それぞれの事情により、その後も日本は韓国に対して何度も謝罪や援助を繰り返してきました。それにもかかわらず、韓国は日本に対して、いつまでも謝罪と賠償を要求しています。そんな韓国という国が、我々日本人の目には理解不可能な国に映るのも当然と言えば当然でしょう。韓国人の理屈日韓条約調印式 調印後握手する椎名悦三郎外相(左から2人目)と李・韓国外務部長官(左) しかし、これは日本から韓国を見た感想であり一面的な物の見方でしかありません。では、反対に韓国から日本を見た場合はどうなのでしょうか。当たり前のことですが、彼らには彼らなりの理屈があります。そして、それを理解しないことには韓国人の日本に対する言動の本質は見えてきません。 その理屈を簡単に言うと「日本の植民地支配に起因する出来事は、すべて日本政府の責任であり、それに対して時効の概念はない」というものです。少し大げさに言えば、日韓併合時代に起こったことは、例え交通事故でも「日帝が道路を拡張したから事故が起こった」と言えば日本政府の責任になるということであり、しかもそれは永遠に請求できる権利であるということなのです。日本人からすれば「そんなアホな」という話ですが、韓国では裁判所も認める当たり前の話として通用しています。 ちなみに、日韓基本条約の交渉時に日本政府は未払い賃金等の個人債権は直接個人に対して保証すると提案しましたが、韓国側がそれを断った経緯があるので、条約締結後の個人補償義務は韓国政府にあります。しかし、韓国政府が意図的に自国民に条約の内容を知らせないでいたため、いまだに多くの韓国民が、その事実を認識していません。もう一つ付け加えれば、この時、韓国は朝鮮半島を代表する国家として北朝鮮の分も受け取っています。ですから百歩譲って日本が北朝鮮に協力金を支払う義務があるとしても、日朝の国交が開始された時点で支払い義務は日本にではなく韓国にあるのです。 なぜ韓国は日本が何度となく謝罪や賠償を行っても、許さないのか それを一言でいえば「そういう国だから」という答えになります。ふざけた言い方に聞こえるかもしれませんが、一言で言いあらわそうとすると、本当にそうなるのです。これで話を終えれば本当に「ふざけるな」といわれるのは間違いないので、今から順を追って説明いたします。韓国はどういう国なのか その国がどういう国なのかを知ろうと思えば、その国民性を見る事も重要ですが、何と言っても、国家の成り立ち(歴史)や統治形態(法令等)を見るのが一番の近道です。特に憲法、中でも「前文」を読み解き現実と対比させれば、その国が、おおよそどの様な国であるのかという様な事がわかります。一例をあげると、いわゆる日本国憲法は前文で「(前略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(後略)」と謳い、まさに「自国の命運を他国に委ねる」という無責任国家の本質を端的に表しています。 では「大韓民国憲法」の前文はどうなっているのかというと、 「悠久の歴史と伝統に輝く私たち大韓国民は己未三一運動で大韓民国を建立し(中略)檀紀4281年7月12日に憲法を制定する」 ※注となっています。 ここで、韓国の歴史を多少なりとも知っている人は、何かがおかしいと感じるはずです。韓国=大韓民国の独立の宣言は1948年8月15日に初代大統領の李承晩が行っているのですから、おかしいと思うのは当然の事です。では、大韓民国が建立されたという「己未三一運動」とは、一体何なのでしょうか? それは、1919年3月1日、日韓併合時代の朝鮮半島で起こった、反日暴動のことです。「大韓民国臨時政府」の史跡前で記念撮影する韓国人観光客。内部は改装され記念館になっている。=2013年8月15日、中国・上海(河崎真澄撮影) この運動自体の評価は諸説いろいろとありますが、要約すると、33名の宗教家が独立宣言書を作成し、それに共鳴した民衆がデモを起こしたという事件です。デモに参加した人数は多いものの運動は約2か月で収束し、処罰された人数の少なさや量刑の軽さ、何の成果もあげられなかったことを客観的に見ると「建国」とはほど遠いのが実情ですが、彼らに言わせると宣言書を読み上げただけで、大韓民国臨時政府ができたということらしいです。  彼らの歴史では、その後、大韓民国臨時政府は上海、重慶と場所を移しながら光復軍を創設し、それをもって連合国の一員として日本と戦い、最終的に勝利したことにより自力で独立を勝ち取ったという話になっています。つまり、大韓民国という国は自国の建立の歴史を、国際社会が認めた李承晩の独立宣言ではなく、自分の都合のいいように書き換えていることが、この前文から分かるわけです。 このことを、分かりやすく書けば 朝鮮(清の属国)→大韓帝国→大日本帝国→アメリカ軍政→大韓民国 という本来の歴史を 朝鮮→大韓帝国→日本植民地→臨時政府→大韓民国 というふうに書き換えているということです。 以上、韓国が自国の都合のいいように歴史を書き換える国であるという説明です。日韓の歴史認識の違い 次に、日本と韓国の歴史に対する認識の違いを整理しておきましょう。 日本において歴史というのは過去に起こった事実を客観的に検証し事実に迫ろうとするものですが、韓国においては事実とは関係なく「こうあってほしい」「こうあるべきだ」という結論をもとにストーリーを作ります。そして、その結論を決めるのは戦いの勝者、つまり時の権力者ですから、話がおかしいと思っても誰も文句は言いません。 彼らは往々にして、自分たちに都合の良い結論をもとに歴史をつくり、自分たちが政権の座から引き摺り下ろした過去の為政者を否定します。それは自分たちが新しく作った政権の正当性を担保するため、政権が交代する度に繰り返し行われる行為で、昔は一族皆殺しなどの残虐行為も珍しくありませんでした。民主化された今は、残虐行為こそ行われませんが、歴代大統領の末路を見れば、韓国の歴史に対する考え方が良くわかるかと思います。 ちなみに政権の正統性というのは、その政権が国を統治する根拠のことで、多くの国では国家設立の過程にその淵源を見ることができます。具体例を挙げると「アメリカ」は、植民地支配により自国を搾取していたイギリスに戦争で勝ち国民を救ったことを、「フランス」は、民を顧みない王家を革命によって倒し国民を救ったことを、根拠としています。 李氏朝鮮の場合は、高麗の将軍であった李成桂が、明との戦いのために集めた兵を己のために自国の王家に向け、いわゆる謀反により政権を簒奪したのですが、彼の国の歴史では高麗王朝は腐敗して民から見放されていたため、李成桂がやむなく高麗王家を討ったという筋書きになっています。 このように事実はともかく、新しく政権に就いたものにとっては、以前の政権が民を苦しめるダメな政権でなければならず、仮にそうでなければ現政権がおこなった行為(特に武力行使)が、君臣の秩序を乱した、ただの権力奪取になり、政権の正統性が疑われてしまいかねません。 大韓民国の場合はどうかというと、憲法前文で「三・一運動により建立された大韓民国臨時政府(後略)」と謳い、1919年に建国したことになっているので、現在の大韓民国にとっての前政権は日本であり、かつ彼の国の歴史では「光復軍」というものにより日本から武力で独立したという話になっていますから、先ほどの「政権の正当性」の話に当てはめれば、歴史の事実がどうであれ日本は民を苦しめる、倒されて然るべき政権であったという話でなければならないのです。 ですから日韓併合時代に朝鮮王国が近代化し、圧政に苦しんでいた民衆の生活が向上して民が暮らしやすい世の中になったという本当の歴史では、韓国政府としては非常に困るのです。まして大韓民国の建国後には国民の生活レベルが日韓併合時代より下がっているのですから、そんなことを認めれば日韓併合時代の方が良かったという話になりかねず、ひいては自分たちの政権の正当性が揺らぐため、何が何でも日本を悪者にしなければないのです。 そのため韓国政府は、歴史を書き換え、自国民を年端もいかない子供の頃から虚実交えて日本に反感を持つように教育しており、その成果とも言えるのが、平成25年にソウルで起きた「日本統治はよいことだった」と発言した老人が若者に殴り殺された事件です。 20代後半で終戦を迎えた日韓併合時代を実体験として良く知る95歳の老人が、自らの体験に基づいて述べた率直な感想に対して、それが真実か否かは関係なく、朴正煕政権末期に生まれた実際の日韓併合時代を直接知らない38歳の若者が日本をほめたという理由だけで殺意を抱くほどの怒りを覚え、それだけではなく、それを実行に移し、なおかつその行為を称賛する人が少なくないという事実は、実際の歴史である日本統治体験よりも、虚構をもとに行われている反日教育の方が、韓国人が日本を憎む原動力となっているという韓国社会の病根を如実に表していると言えるでしょう。 おまけに裁判所が、この若者に対して下した判決が懲役5年であるいうことと、韓国の裁判所が慰安婦訴訟やセウォル号事件で分かるように国民世論の影響を受けやすい体質であることを、重ね合わせて考えてみれば、韓国社会における、この反日無罪のような風潮は一部の人たちだけではなく広く世間一般の人々が容認しているという結論にならざるを得ません。まともな人もいたがまともな人もいたが では韓国人すべてが反日思想の持ち主かというと、そうではありません。このように日本人から見れば絶望的な韓国社会ですが、そんな中でも事実を捻じ曲げた一方的な日本悪玉論に異を唱える希望の光のような人がいるにはいました。 金完燮という作家は「親日派のための弁明」という日韓併合に肯定的な見解の書物を出版しましたが、その結果、本は事実上の発禁処分、本人は逮捕されました。(ちなみに日本ではベストセラーとなっています) また、韓国で国民的人気を誇った趙英男というタレントが「殴り殺される覚悟で書いた親日宣言」という本を出版しましたが、その後は親日派(=売国奴)として激しく糾弾され、芸能活動は休止に追い込まれました。 韓国社会において社会的地位の高い学者とて例外ではありませんでした。ソウル大学で韓国経済史を研究する李栄薫教授は「従軍慰安婦は売春業」と発言したため、元慰安婦らの前で土下座させられ、長時間にわたり罵倒を浴びせられ続けました。 このように韓国社会で日韓併合時代を良く言うことは自殺行為なのです。どんな人気者でも社会的地位の高い人でも、ひとたび日本寄りの発言をすればマスコミをはじめ司法に至るまで、ありとあらゆる方面から圧力を受け、集団リンチで社会的に抹殺されてしまうのです。韓国にも日本のことを正当に評価する人はいるのですが、怖くて声をあげられないというのが本当のところなのです。  このような社会に真の言論の自由などあるはずもなく、今この瞬間にも公教育により反日韓国人が生産され続けられているのです。彼ら韓国政府にとっては日韓併合時代こそが不都合な真実であり、特に日清戦争で日本が勝利したことによって初めて朝鮮が独立したことや、日本人として大東亜戦争を戦ったなどという歴史の事実は、彼らにとっては消し去りたい悪夢なのです。 ですから日韓併合時代に建設された建造物を「日本が建てた」という理由だけで取り壊し、日本に協力したとされる人たちを、親日(韓国では親日=売国)リストに載せ、子孫の財産を没収するなど、近代法の常識である「法の不遡及の原則」を捻じ曲げてまで、過去を消し去ろうとするのです。悲しいことに韓国は日韓併合時代を全否定しなければ国が成り立たないのです。反日の理由ソウルの在韓日本大使館前で慰安婦問題の解決を訴える抗議集会に参加した韓国の若者たち また、今なお戦争状態(南北間は休戦中であり、国際法上の戦争は終わっていません)にあり領土の北半分を占領しながら、韓国と朝鮮半島における政権の正当性を争っている北朝鮮の存在も見逃せません。北朝鮮建国の父である金日成は、日本軍と勇敢に戦い勝利した(事実かどうかは問題ではない)ことを政権の正当性としていますから、そのような歴史的事実がない韓国としては、何が何でも光復軍が日本軍に勝ったという話を創らなければならず、そのために日本人を殺した人物を英雄に祭り上げるなどして組織的な戦闘行為を行わなかった本当の歴史を、暗殺=戦争という歴史に書き換えるなどの作業を行っているのです。 つまり、国家として最も大事な政権の正当性のためには、彼らにとって事実がどうであれ日本が悪の帝国でなければならないのです。そのために彼らは、自分たちが一方的な被害者であると捏造した物語を武器に、国内では自国民に対して幼少期から徹底的に反日教育を行い、国外では諸外国(特にアメリカ)に対して、陰に陽に日本を非難し、日本が悪い国であるかのような印象を与えようとしているのです。 以上、ここまで述べてきたように韓国における反日の根本的な原因は、彼ら自身にあるのですが、それを大前提としたとしても、ここで忘れてはならないのが日本の責任です。言うまでもなく自己の保身のために歴史を書き換えて他国を非難する方が悪いのですが、それを助長してきたのが日本の政治家、官僚、マスコミ、学者、弁護士、市民活動家を名乗る人たちなどである事を忘れてはいけません。 政治家や官僚は保身のために目先のトラブルだけを回避しようとして、韓国の嘘を半ば認めるかのような対応を繰り返してきました。マスコミは日本が悪かったという話を捏造してまで日韓の両国民を洗脳し、時には日本の何気ない出来事を、悪意を持って韓国に伝え、反日感情を煽る一方、韓国の不都合な真実は日本で報道しません。学者は学問ではなく政治活動に走り日本を非難し、弁護士は海外に出かけ被害者を金で釣って集め、その人たちを自身の政治活動のために利用し、市民活動家を名乗る人たちはこれらの人たちの尻馬に乗って騒いでいます。 これでは韓国に対して「どうぞ日本を叩いてください」と言っているのと同じようなもので、実際に現在の日韓関係悪化の最大の原因と言われる慰安婦問題を創り出し育てたのも、これらの人たちです。この人たちは口先では「日韓友好」を唱えていますが、実際にやっていることといえば日韓両国民が互いに反発するようなことばかりで、結果的に日韓関係を悪くしているのです。 中でも日本政府は、今まで韓国の言いがかりを放置しただけではなく、さしたる根拠がないのにも関わらず、ただ単に日本が悪かったという内容の談話を発表するなど国家の責務を放棄したかのような振る舞いを続けてきました。 そのため「日本も自身の非を認めている」などと他国から誤解され、韓国には「日本は嘘でもなんでも大声を出せば、謝り金を出す」と馬鹿にされ、都合のいいように反日カードを使われてきたのです。いわば韓国を傍若無人な国に育てたあげた責任は日本にあるといっても過言ではありません。 そして、もう一つ忘れてはならないのが、日韓両国が友好な関係になれば困る国の工作活動です。典型的なのが、韓国でアジア女性基金を受け取ろうとした元慰安婦の老婆を脅迫して金を受け取らせず、問題の解決を妨げた親北団体の「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)で、彼らは事あるごとに「慰安婦」問題を持ち出し、無理難題な要求を突きつけて問題の解決を妨げてきました。 彼らのように表立って行動する人間は、まだ分かりやすくて良いのですが、本当に気を付けなければいけないのが、日韓の政府中枢やマスコミに深く潜り込んでいる人間です。スパイを取り締まる法令のない日本は言うまでもありませんが、金大中、廬武鉉と従北政権が10年も続き、国家の屋台骨であった国家安全企画部が縮小された韓国は昔では考えられないほど食い込まれています。日韓の主要なポストにいる人間の中にも、日々、日韓両国が離反するような活動を行っている人間がいる事を忘れてはいけません。 いずれにしても韓国は、国策として反日政策を行っているわけですから、そのような相手に対して共通の歴史認識など模索しても無意味な話です。あえて日韓共通の歴史認識を確立するとすれば、日本が韓国の言い分を丸呑みするしか方法がないでしょう。 また、単に嫌韓と言って感情論だけで対抗しようとしてもかなうはずがありません。日本も国家が中心となって戦略的に対抗しなければ、この先も彼らは日本に対しての謝罪や賠償を要求するだけではなく、執拗に反日工作を続けてくるでしょう。 この問題を解決するには彼らが言うように「日韓双方とも歴史を直視して、是は是、非は非と認めることから始めなければならないのです。ただし、それには長い長い時間が掛かるでしょう。※注韓国は1948年の憲法制定から現在に至るまで9回、改憲されています。上記は制定時のものですが、現在においても(中略)より前の文言はほとんど変わっていません。関連記事■呉善花 恨と火病と疑似イノセンスと― 異常な反日行為と心の病■韓国好きの私が韓国を批判するワケ■呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁■「大韓ナチズム」に堕ちた韓国

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    歴史捏造

    日本文化は朝鮮半島から伝えられた、などと信じている人がいたら、その根拠は? 天皇のルーツは半島にあり、などと無知をさらした政治家もいましたが…

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    韓国による濡れ衣「もう傍観できない」個人の挑戦

    ックス奴隷』ですから」。しかし、「もう傍観できない。日本人として反撃キックオフ、それしかない」 氏は韓国人の言い分を聞くべく、まず、ソウル郊外にある元慰安婦のための施設、ナヌムの家を訪ねる。しかし、そこで摩訶(まか)不思議な体験をする。大阪の在日の人々に阻まれ、門前払いされたのだ。彼らは一体そこで何をし、何を隠そうとしているのか。 日本大使館正面に設置された慰安婦像前の集会で歌や踊りに熱中する韓国の若者にも氏は問う。金学順氏の「貧しさゆえに14歳で母親に売られた」とのハンギョレ新聞の告白記事を読んだことがあるかと。彼らは読んでいない。金氏は女子挺身隊の名の下に連行されたとの「朝日」の記事を信じているのであろう。 谷山氏は別の元慰安婦、文玉珠氏の残した貯金通帳の拡大コピーを示し、東条英機首相の月給が800円だったとき、彼女が2年間で2万6145円を貯金したことを明らかにする。ソウルでは1千円で家が買えた時代に26軒分の資産を2年で蓄えた女性を奴隷と呼ぶのは無理だと、これは誰でもわかる。 こうした情報はすでに大半の日本人が共有する。問題は、しかし、当の韓国をはじめ諸外国の人々が恐らく、ほとんど知らないことだ。だからこそ全情報を英語で発信する谷山氏のように、国際社会にあらゆる面で事実を知らしめる具体策が急がれる。 1944年10月1日の米軍による慰安婦の調査書や94年1月24日のオランダ政府の調査書は、日本が活用すべき一次資料である。 ビルマで働いていた朝鮮人慰安婦20人を米軍が実態調査した結果、彼女らは強制連行の犠牲者でも、性奴隷でもなかったことが明確にされている。これも多くの日本人にとっては、いまや常識であっても、アメリカ議会の選良でさえ、知っているのは極めて少数である。 94年1月24日のオランダ政府の調査報告書は日本人として気の重くなる内容も多いが、詳細な事実関係を踏まえている。 報告書はインドネシアのスマランの慰安所を「最悪のケース」と断じ、同時に日本軍の上官が、現地の日本軍が女性たちを強制したことを知ると、同慰安所を直ちに閉鎖させたこと、さらに責任者が戦後死刑に処せられたことも明記している。同件は、女性たちへの強制が日本軍の方針ではなかったことを、オランダ政府が逆に証明する結果になっている。 調査は全体の結論を、200~300人のオランダ系女性が働いていた、内65人は売春を強いられたが、大多数(majority)の女性は強制ではなかったとまとめた。 スマランの事例は戦時の性犯罪であり、強制連行問題とは明確に分けて考えるべきものだ。ところが、両者を意図的に混同する議論や論点のすり替えがとまらない。 朝日新聞は吉田清治氏の嘘を認めたうえで、慰安婦問題の「本質」は女性の人権問題だと強弁する。韓国も朝日の論調に同意する。 ではなぜ、韓国政府は韓国当局が100万人もの女性が売春に身を落としていると発表した自国の現実を正そうとしないのか、なぜ、気の毒な女性たちに救いの手を差しのべないのか。谷山氏のこの問いかけに、私は同感である。 もうひとつ、私たちが改めてしっかりと見据えるべきことは慰安婦問題をはじめとする歴史問題がおよそいつも日本人によって提起されている点である。どれも火元は日本であり、朝日はそのすべてに関わっている。 挺身隊と慰安婦を同一の存在として報じた植村隆元記者、南京事件を捏造(ねつぞう)報道した本多勝一氏らの説明責任とともに、一連の問題に日本はなぜ筋立てて反論できなかったのかが、私たちが自問すべき最重要の点であろう。 谷山氏はドキュメンタリーの最後で、日本にいわれなき非難を浴びせる韓国やアメリカにすさまじい憤りを爆発させている。その憤りこそ、大半の日本国民が、実は国内に向けて抱いている思いであることを、私は実感している。 政権与党も外務省も含めて私たちの国は、一体どこで、なぜ、何を、間違えたのか。その失敗を認識して、初めて、有効な反撃作戦が可能になると思う。関連記事■合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識■北岡君、日本を侵略国家にする気かね■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁