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    韓国はベトナムで何を為したのか─経済発展と殺戮そしてライダイハン

    」 (日工ムック) より村山康文(フォトジャーナリスト)派兵は「豊かな国」になる好機 「あのころは、韓国社会自体が混乱していたんだ。ベトナム戦争に参戦したから経済は発展し、今の韓国がある。ベトナムには感謝しているよ」 2011年10月、韓国の慶尚北道(キョンサンブクド)亀尾(クミ)市にある朴正煕(パク・チョンヒ)体育館で開催された「大韓民国越南戦参戦者会第47回記念式典(ベトナム戦争に参戦した韓国退役軍人の集会)」に参加した元韓国軍猛虎部隊のキム・ジェソンさん(61)=当時=は、ゆっくりと言葉を紡いだ。 1960年代の韓国は、50年に始まった朝鮮戦争で壊滅的な被害を受けたために、休戦の53年にはアジアの最貧国グループの一つになっていた。 貧国を脱却したい韓国。1961年5月のクーデターで権力を掌握した朴正煕国家再建最高会議議長は、クーデター直後に「民衆苦を至急解決し、自立経済基盤の確立を目標として、総力を尽くす」と発表した。 朴氏は後に第5~9代大統領を務め、第18代の現・朴槿惠(パク・クネ)大統領の父である。 強権的な政治を行いながら経済開発政策を推し進め、国内資金の調達によっての経済建設を試みたが、政府が期待したほどの資金を調達することができず、外貨導入による経済建設に頼るしかなかった。しかし、当時の韓国は国際信用度が低いうえに、国際市場では国内企業の知名度がまったくなかったため、外貨導入は厳しい局面に立たされる。 そんな折の1964年8月、ベトナム北部のトンキン湾で、北ベトナム軍の哨戒艇が米軍の駆逐艦に魚雷を発射したとされる「トンキン湾事件」が起きる。米国はベトナムに軍事介入をはじめ、翌65年2月に北爆を開始した。 朴正煕政権は日本が朝鮮戦争で高度経済成長のきっかけをつかんだことをよく知っていた。ベトナム戦争を経済成長の絶好の機会と捉え、韓国を豊かな国に変えるべく、韓国軍戦闘部隊のベトナム派兵を決定する。キム・ジェソンさん (C)村山康文 派兵は、64年9月の医療班やベトナムにテコンドーを普及させるための教官など非戦闘先遣部隊から始まった。戦況が悪化していくにつれ、65年10月には1万8500人余の戦闘部隊を本格的に投入。その数は韓国軍が撤退する73年3月までに、延べ32万5517人になり、米国に次ぐ大量派兵となった。 朴正煕政権は、派兵と引き換えるように「経済援助」というカードを日米両国から引き出していく。1963(昭和38)年12月、「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約)」の締結に向けて当時のジョンソン米大統領に働きかける。そして、李東元(イ・ドンウォン)外務部長官とブラウン駐韓米大使との間で66年3月に交わされた「ブラウン覚書」に基づき、開発借款供与の約束を取り付けた。 日米両国からの支援による経済建設にこぎつけた韓国。ノンフィクション作家の野村進氏は「コリアン世界の旅」(平成九年)に、韓国軍元上等兵の次のような発言を書き綴っている。 「韓国がベトナム戦争に参戦したのは、世界の自由主義を守るためだとか言ってましたけど、本当はカネのためなんですよ。カネ目当てなんだから、早い話がアメリカの“傭兵”ということですよね」 米国は、ベトナムに派兵されたすべての韓国兵に戦闘手当を払い、その大半が韓国本土に送金されたという。 韓国から南ベトナムに向かったのは、兵士だけではなかった。「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」を合言葉として、国内よりも高い賃金目当てに韓国人労働者も現地へ赴いた。商社、建設、サービス業を主力として、技術者や労務者らも1965年から相次いで海を渡る。 また、韓進(ハンジン)、現代(ヒュンダイ)、大宇(デーウ)、三星(サムスン)などの韓国「大財閥」もいわゆる「ベトナム特需」により、基礎が形成された。韓国軍のベトナム参戦がもたらした経済への影響を研究している静岡大学、朴根好(パク・クノ)教授の「韓国の経済発展とベトナム戦争」(平成5年)によると、1965年から72年までの米国が韓国に与えた「ベトナム特需」の総額は10億2200万㌦で、実質的には日本が「朝鮮特需」で得た利益をはるかに上回っている。GNP14倍、輸出29倍に ベトナム戦争期の韓国への援助は、米国からの「ベトナム特需」以外に、日本からの支援も大きな位置を占めている。 65(昭和40)年6月22日、日韓の間で国交正常化を目的として締結された日韓基本条約。第一条において「三億㌦を十年の期間にわたり、無償で供与する」「二億㌦を額に達するまで低金利の貸し付けを行う」としている。韓国はベトナム戦争時代、この大部分の資金を国内の高速道路やダム、地下鉄建設などのインフラ整備に使用した。 ベトナム研究者の吉沢南氏は、歴史学研究会編「日本同時代史④高度成長の時代」(平成2年)の中で「もっとも注目すべきは、14年間も難航しつづけた日本と韓国の交渉がここにきて急転直下妥結にいたったことである。日韓両国『国交正常化』が急がれた背後には米国の事情があった」と述べている。 ベトナム戦争に介入した米国にとって、戦争拡大のために膨張した戦費はドル防衛策と矛盾するため、対韓援助の「肩代わり」を日本に求めた。当時の佐藤栄作首相は当初、日韓基本条約に乗り気ではなかった。しかし、内閣発足後まもなくの65年1月に訪米し、ジョンソン大統領と会談してからは一転、条約締結に 向け積極的に動き始める。 同2月17日、椎名悦三郎外相を韓国に派遣し、慌ただしく条約の仮調印をすると、それに合わせたかのように翌月、韓国政府は戦闘部隊の第一陣をベトナムに送り込んだ。 「ベトナム戦争への韓国軍派兵と韓日条約(日韓基本条約)はリンクされていたに違いない」(朴根好「韓国の経済発展とベトナム戦争」)=年表。 「ベトナム戦争がなければ我々は今ここにいることはできない。京釜(キョンブ)高速道路やソウルメトロはもちろん、我々個人の生活水準の向上などに貢献してくださった朴正煕大統領の功労は知るべきだ。同時に、ベトナムの国民らと亡き同士に感謝しなければならない」と、大韓民国越南戦参戦者会中央部のオ・ヨンラク会長(65)は第47回記念式典の壇上で語った。オ・ヨンラク韓国越南戦参戦者会中央部会長 (C)村山康文 韓国は日米両国からの資金援助により、65年からベトナム戦争終結までの十年間で、国民総生産(GNP)が14倍に、保有する外貨や外国為替が24倍、輸出総額が29倍に跳ね上がり、いわゆる「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げた。 韓国国内は右肩上がりの経済発展に潤う一方、韓国兵らはベトナムの地で一体何をしたのか。知られざる韓国軍の虐殺の数々       知られざる韓国軍の虐殺の数々        64年9月の先遣隊に続き、翌年10月には韓国軍戦闘部隊の青龍部隊(海兵第二旅団)と猛虎部隊(首都師団)が、同12月には青龍部隊と白馬部隊が、さらに66年4月と9月には猛虎第二六連隊と白馬部隊(第九師団)が次々とベトナムに上陸。韓国軍戦闘部隊の多くは、ベトナム中部のニントゥアン省からダナン市にかけて、海岸沿いを走る国道1号の主要都市に駐屯した。 韓国軍は「共産主義と戦うため」「朝鮮戦争の際に『自由諸国』が韓国に援助してくれた『恩返し』のため」という公式的な名目を掲げ、米国の「傭兵」としてベトナムで「まじめに」働いた。この結果、多くの罪もないベトナムの民間人の命を奪うこととなった。 ベトナム戦争中に共同通信のサイゴン特派員をしていた亀山旭氏。あるとき、韓国軍を視察した韓国の著名な言論人が「韓国軍がまじめに戦っていることが唯一の救いだ」と亀山氏に話す。それを受けて「韓国軍が反共の意気に燃えて解放戦線の兵士やその住民たちと〝まじめ〟に戦い、〝まじめ〟に殺したことが救いようのない悲劇だったのではないか」と、亀山氏は「ベトナム戦争―サイゴン・ソウル・東京―」(昭和47年)で表現している。 「まじめ」に戦い、「まじめ」に殺した韓国軍戦闘部隊は、ベトナムに上陸後、数々の過ちを生んだ。 その一つに、ベトナム中部のいたるところで繰り広げられた韓国軍による民間人虐殺事件が挙げられる。韓国軍による虐殺地は百カ所近くにのぼり、犠牲者の数は1万~3万人とされる(北岡俊明、北岡正敏「韓国の大量虐殺事件を告発する」平成26年)。 ベトナム戦争時、駐越韓国軍野戦司令部が置かれていたカインホア省ニャチャン市から、北へおよそ90㌔の省境にあるカー峠を越えるとフーイエン省に入る。農業、漁業、林業などの第一次産業が六割を占めるフーイエン省は、省都のトゥイホア市を離れるとすぐにのどかな田園風景が広がる。刈り入れた稲を山積みにしたリアカーが、水牛にのっそりと引かれているさまを見ることができる田舎町だ。 1966年1月2日(旧暦65年12月11日)、この田舎町の小さな村で悲劇は起きた。韓国軍は朝7時頃、フーイエン省ドンホア県ホアヒエップナム社ブンタウ村に奇襲攻撃を仕掛けた=地図。 近くにいたおじに手を引かれ、その場から逃げきったグエン・ティ・マンさん(68)=取材した2014年6月時点=は当時を振り返る。ブンタウ村虐殺を最近のことのように振り返るグエン・ティ・マンさん (C)村山康文 「あのころ、ブンタウ村の住民は50人余でした。そのうち37人が、あっという間に殺されたのです。男たちは捕まれば殺されると思い、真っ先に村から逃げました。まさか婦女や子供には手を出さないと思っていたら、韓国兵は残っている村人を一カ所に集めて、ひとりずつ撃ち殺していったのです」乳房を削ぎ性器を銃剣でかき回し、子供を股裂き、串刺し 韓国軍がフーイエン省に駐留を始めたのが65年12月26日(旧暦12月4日)。ブンタウ村で起きた虐殺は韓国軍が駐留を始めて十日も経っていなかった。 さらに4カ月と経たない66年5月14日(同3月24日)、ブンタウ村から3㌔ほど西にあるドンホア県ホアヒエップナム社ソムソイ村でも韓国軍による虐殺事件が起きた。当時9歳だったファム・ディン・タオさん(57)=同=は集落から百㍍ほど離れた場所で牛の放牧をしていたときに、虐殺の様子を目の当たりにする。ブンタウ村の「憎悪碑」は1975年建立。韓国軍による虐殺があった村の多くに「憎悪碑」「慰霊碑」が建てられている (C)村山康文 「午前10時頃のことでした。韓国兵は不意を突いたかのように、あらゆる場所から村に突入しました。陸からはもちろん、ヘリからも。おそらく兵隊は300人以上いたと思います。そのとき、私と父以外のすべての村民42人が殺されました。私の家族や親戚17人も含まれています」 目に大粒の涙を浮かべたタオさん。 「私は突然の出来事に驚いて、畦道を走って逃げました。逃げている時に、畦道で破裂した擲弾銃(てきだんじゅう)の破片を顔や足に被弾しました。そのショックで意識を失ったのです。気が付くと、村の近くの病院で韓国軍に拘束されていました」 意識が戻ったタオさんに対して韓国軍の通訳が「共産党の基地を教えろ」と何度も尋問する。しかし、タオさんは「子供だから知らない」と言い張ったという。 「当時、子供ながらに韓国軍がソムソイ村でしたことを許せませんでした。釈放された数年後、私は韓国兵を皆殺しにしてやろうと思い、南ベトナム解放民族戦線の少年遊撃兵になりました。でも、その後しばらくして米軍に捕まりました。この顔の傷は韓国兵が発射した擲弾銃の破片の傷と、米軍に捕らわれたときの拷問でできた傷。つまり、生涯背負わなければならない『恨み』の傷です」ソムソイ村虐殺を逃れたファム・ディン・タオさん(右)と父ファム・チュンさん。タオさんの口元の傷痕が惨劇を伝える (C)村山康文 フーイエン省では韓国軍による虐殺地域が省内のあちこちに点在している。同省の村々で2年にわたる聞き取り調査を行い「フーイエン省の歴史書」を編纂したフーイエン新聞のファン・タン・ビン編集長(54)=同=は「韓国軍は66年から68年にかけて、北はビンディン省境にあるクーモン峠から南のカー峠の海側全域に駐留し、フーイエン省の至るところで1563人を虐殺しました。そのほとんどが婦女や子供、老人などの罪もない民間人です」と語る。「フーイエン省の歴史書」を編纂したファン・タン・ビン編集長 (C)村山康文 「虐殺をした村での韓国軍の行動は、とても正気の沙汰とは思えません。婦女を輪姦し、乳房をナイフで切ったあと、女性器を銃剣でかき回し、殺害した。乳児の足を持ち、カエルの股裂きのように裂いた。一人の韓国兵が持つ銃剣に、輪投げのように子供を投げ落として殺害したなど、耳を疑うような証言をいくつも聞きました」(ビン編集長)。年ごろの娘を皆の前で輪姦し射殺年ごろの娘を皆の前で輪姦し射殺 「百人のベトコンを逃がしても一人の民間人を保護せよ」。ベトナム戦争中、蔡命新(チェ・ミョンシン)初代駐越韓国軍最高司令官の「至上命令」が書かれた看板が、韓国軍が駐留していたベトナム中部のあちこちに立てられていたという。しかし、その命令に従った韓国兵は、ごくわずかだった。「百人のベトコンを逃がしても一人の民間人を保護せよ」の看板の写真を持つ元猛虎部隊の韓国兵 (C)村山康文ビンアン社にある壁画は虐殺の様子を生々しく伝える (C)村山康文 韓国軍はフーイエン省の北に接するビンディン省でも虐殺を行った。66年2月13日から3月17日(旧暦1月23日から2月26日)にかけて起きた、ビンディン省タイソン県ビンアン社(注①)の韓国軍によるベトナム最大の虐殺事件。一カ月余の間に村全体で1925戸の住宅が破壊され、1004人の命が奪われた。 中でも66年3月17日(同2月26日)にビンアン社のゴザイ集落で起きた「ゴザイの虐殺」は凄まじい。わずか2時間足らずで集落の住民380人を韓国軍は虐殺したとされる。現在、ビンアン社にある韓国軍による虐殺慰霊廟の片隅に、過去を忘れないようにと「ゴザイの虐殺」慰霊碑が建立されている。ビンアン社「ゴザイの虐殺」の慰霊碑。殺された380人の名前が刻まれている (C)村山康文 ゴザイ集落にあるタイヴィン村で、腕や足に銃弾や手榴弾の破片の傷を負いながらも奇跡的に命を取り留めたグエン・タン・ランさん(62)=同2月=が、当時の様子を心憂い表情で語った。 「百人以上の韓国兵が村に押し入ってきたのは、朝食を取ろうとしている時だったと記憶しています。各家から引きずり出された村人は一カ所に集められました。そして、村人の中から年ごろの娘を見つけた韓国兵が、娘の長い髪を引っ張って集団から引き離し、皆の目の前で輪姦を始めたのです。数人の兵士が順に事を済ませると、娘は容赦なく撃ち殺されました。その惨劇を見て発狂した村人らが韓国兵に襲い掛かろうとすると、次々に撃ち殺されていきました」タイヴィン村虐殺を目の当たりにしたグエン・タン・ランさん。今も銃弾や手榴弾の破片が腕や足に残る (C)村山康文韓国内で史実を葬り去る動き 韓国軍による無差別殺戮はフーイエン省やビンディン省だけにとどまらなかった。クアンガイ省のソンティン県などや、クアンナム省フォンニャット村・フォンニ村、ハミ村など、さらにカインホア省やダクラク省、ニントゥアン省でも無抵抗な民間人の虐殺があったとされる(「韓国の大量虐殺事件を告発する」)。 韓国軍による1万人から3万人にも及ぶ大量虐殺。1968年3月16日に米陸軍のウィリアム・カリー中尉(虐殺を命令)率いる米兵部隊が、ベトナム中部のクアンガイ省ソンミ村(現ティンケ村)で村民504人の命を奪った「ソンミ村大量虐殺事件」は世界中の多くの人に知られているが、韓国軍がベトナム戦争時代に行った大量殺戮行為の詳細はあまり知られていない。 それどころか、韓国軍がベトナムのいたるところで民間人を虐殺していた事実さえ知らない人も多い。 なぜだろうか。 米軍による民間人虐殺事件(ソンミ村大量虐殺事件)は事件から9日目に、虐殺を知った南ベトナム民族解放戦線の中部ベトナム委員会が「ソンミ村における米兵の犯罪行為を激しく糾弾する緊急宣言」を採択し、同4月16日にハノイ市で公表したことに加え、虐殺の現場に居合わせた複数の米兵が軍上層部に事件の内容を報告。翌69年9月に「ソンミ村大量虐殺事件」の見出しで米国メディアが書き立てたことなどにより、広く知られるところとなった。フォンニャット村とフォンニ村の住民74人がこの場所で、無抵抗のまま虐殺された (C)村山康文ハミ村の慰霊堂。慰霊碑裏面の碑文には国花の蓮をデザインした蓋がされている (C)村山康文 一方、韓国軍による民間人虐殺事件に関しては、1990年代後半にベトナムの大学院へ留学していたク・スジョン通信員が、韓国軍による虐殺に関する内部文書をベトナム当局から入手。その情報を基にして徹底的に調査し、韓国の左派紙ハンギョレ新聞が発行する週刊誌「ハンギョレ21」99年5月6日号で「韓国軍はベトナムで民間人の大量殺戮をしていた」とスクープする。 しかし、2000年6月27日に起きた韓国退役軍人会のメンバーによるハンギョレ新聞本社への激しい抗議活動など、史実を消し去ろうというソンミ村虐殺事件とは全く反対の動きが起きた。そのためか、韓国軍によるベトナム民間人虐殺の情報は、あまり知られていない。強姦とライダイハン強姦とライダイハン 韓国軍がベトナム戦争時代に犯した罪は「民間人虐殺行為」以外にも「ライダイハン」の問題がある。ライダイハンとは、「ライ」がベトナム語で混血を表し、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称。現在、ベトナム戦争時代にできたライダイハンの数は、最小1500人(朝日新聞平成7年5月2日付)から最大3万人(釜山日報2004年9月18日)と推計されている(注②)。 ライダイハンができた原因には「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」を合言葉として流入した韓国人労働者とベトナム人女性が結ばれてできたケースもあるが、韓国軍による強姦でできたケースも少なからずあった。 ベトナム戦争時、ビンディン省トゥイフック県のフックタン地区にできた韓国軍施設でウエートレスをしていたヴォー・ティ・マイ・ディンさん(59)=同2009年9月時点。19歳のころに施設内の食堂で韓国兵に輪姦され、誰の子かわからないライダイハンである長男、ヴォー・スアン・ヴィンさん(39)=同=を身籠った(注③)。「あのころのことは、もう思い出したくありません」と語るヴォー・ティ・マイ・ディンさん (C)村山康文ライダイハンのヴォー・スアン・ヴィンさん (C)村山康文 「軍施設で働き始めて3、4年が経っていたころです。ある日、人気のない食堂で後片づけをしているときに突然、数人の韓国兵に背後から襲われました。恐ろしくて声をあげることもできないでいると、次々と無理矢理に私の中に押し入ってきました。その時にできた子が、ヴィンです」と、マイ・ディンさんは当時の様子を息子の前で静かに語った。 日本は昭和7年の第一次上海事変の際に派兵先での軍規を逸脱した強姦を防止する目的で、初めて公娼としての「慰安婦」を利用したとする説がある。「慰安婦」がいたから強姦事件がなくなったとは必ずしもいえないが、当時の陸軍参謀副長、岡村寧次大佐(終戦時は支那派遣軍総司令官)が「海軍にならい、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである」と回顧録に記している(秦郁彦「慰安婦と戦場の性」平成11年)。 日本軍が衛生や待遇などの監督面で関与した「慰安婦」と、韓国軍のベトナム戦争での性暴力の違いについて、元韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉(ユン・ジョンオク)初代共同代表は、「女性・戦争・人権」八号(「女性・戦争・人権」学会編2007年)で次のように述べている。 「日本軍『慰安婦』とベトナム戦の性暴力のもっとも大きな違いは二世の問題である。『慰安婦』は計画的かつ制度的に行った犯罪であるが、ベトナム戦における性暴力は、参戦軍人たちが戦争中に犯したものであるため二世が生まれるケースが多い」 尹氏の「慰安婦」に関する評価はともかくとして、戦時の軍隊の女性に対する性行動において、日本軍の「慰安婦」に対するものと、韓国軍がベトナムで行った行為は、次元が異なっている。韓国の未来への礎は… 韓国軍のベトナム参戦から五十年の節目となった2014年9月25日、「大韓民国越南戦参戦者会第五十回記念式典」が、韓国・ソウル特別市松坡(ソンパ)区にある蚕室(チャムシル)室内体育館で開かれた。全国の退役軍人とその家族、政治家や韓国に嫁いだベトナム人女性、また、今回初となった在韓米軍関係者など約2万人(主催者推計)が参加した。越南戦参戦者会第50回記念式典。約2万人(主催者推計)が参加した (C)村山康文同式典には在韓米軍も初めて参列した (C)村山康文同式典には韓国に嫁いだベトナム人女性も。近年、同様の女性が増えている (C)村山康文 式典では朴槿惠大統領が映像メッセージで「皆さんが若いころ、国に貢献してくださったおかげで、今日の韓国の平和と繁栄の礎を築いたのです」と退役軍人らを激励したものの、戦時中の日米両国からの支援に関してはもちろん、ベトナムの人々に対しての非人道的な行いに具体的に言及することはなかった。 韓国兵に輪姦され、ライダイハンを産んだヴォー・ティ・マイ・ディンさんは「あのころのことは、もう思い出したくありません」と呟き、ソムソイ村で虐殺を逃れたファム・ディン・タオさんは「韓国兵がやったことは、毎年、家族の命日が近づくと涙が出て、体が熱くなります」と、怒りに震えながら話す。 そして、タイヴィン村で一命を取り留めたグエン・タン・ランさんは「ベトナム政府の人たちは『これからのベトナムは韓国との外交が大切なので、過去を忘れる努力をしてくれ』と話します。でも、私の眼に焼き付いたあの惨劇を、どうしたら忘れられようものですか」と、苦しそうに言葉を絞り出す。 この幾つもの「呟き」「震えながら」「絞り出す」言葉と、証言の時にこらえられずに溢れ出す涙を見ていると、韓国軍から残虐行為を受けたベトナムの誰しもが、あの日の惨劇を必死で忘れようと、日々、努力しているように感じてならない。 韓国は、ベトナム戦争終結から30年後に、ようやく一部の民間人が虐殺やライダイハンに対する謝罪の意味合いから支援を始めた。2005年9月、韓国軍による虐殺があったフーイエン省ドンホア県ホアヒエップチュン社に「韓越友好病院」を設立。また近年、在越韓国企業がライダイハンの子供たちへの奨学金進呈など始めている。 政府レベルでは、1998年に当時の金大中(キム・デジュン)大統領(第15代)が、訪越した際に「不本意ながら、過去の一時期、ベトナム国民に苦痛を与えたことを遺憾に思う」と謝罪した。しかし、保守派のハンナラ党(現セヌリ党)副総裁だった朴槿惠氏は、金大中大統領の謝罪に対し「大統領の歴史認識に不安を抱く。軽はずみな発言は参戦者会の名誉を著しく傷つけた」と強く非難した。同式典で流された朴槿惠大統領の映像メッセージは退役軍人らを激励するも、ベトナムでの非道行為には触れなかった (C)村山康文 朴槿惠氏は自身が大統領に就任して7カ月後の2013年9月9日に初めて訪越し、ベトナムのチュオン・タン・サン第5代国家主席と会談する。訪越の目的は、あくまで韓国からベトナムに供与されるODAによる各分野でのパートナーシップを重視するだけのもので、韓国軍がベトナム戦争時に犯した過ちに関しての謝罪の言葉は一切なかった。 それどころか2週間後の同24日に朴槿惠大統領は国連総会の一般討論で演説し、直接的にこそ日本や「慰安婦」の批判はしなかったものの、「戦時の女性に対する性暴力は時代や地域を問わず、明らかに人権や人道主義に反する行為だ」と、自国軍がベトナムでしたことを棚に上げ、遠回しに日本を批判した。 韓国人の「名誉」や韓国の「国益」を重んじる朴大統領親子。ならば今、韓国政府がすべきことは、自らの「歴史の事実」に目を向け、新たな道を切り開くための努力なのではないのだろうか。 注① 当時のビンディン省タイソン県ビンアン社は、14の村から構成。このうちタイヴィン村、タイビン村、タイアン村などの一部集落をまとめて「ゴザイ集落」と呼んでいた。 注② 「ライダイハン」は、厳密には1992年にベトナムが韓国と国交を結ぶまでにできた子供の呼称で、92年以降にできた韓国人とベトナム人女性の間の子供は「新ライダイハン」と呼ばれる。ただ、近年は韓国人とのハーフ(他国も含む)の総称として「ライダイハン」が用いられることも多い。 注③ ヴィンさんの戸籍証明(ID)上の年齢は36歳。ベトナムでは徴兵を逃れるため、年齢を偽ることが稀に行われた。貧困などの理由で出生証明書をのちに取得することもある。むらやま・やすふみ 昭和43年兵庫県生まれ。平成10年に出会った報道写真家の石川文洋氏に触発されてベトナムに魅せられ、これまで40回近く渡越。米軍が散布した枯葉剤による被害者の支援運動にも参加。18年に当時18歳だった被害者とみられる一人を日本に招き、京大病院での手術を実現した。26(2014)年、ホアンサ(英名パラセル、中国名西沙)諸島に接近し、中国が設置強行した石油掘削の海上基地を撮影。ベトナムを中心にエイズ、戦争、人権、差別などカメラとペンで追いかけ、各地で写真展や講演を行っている。2007、09年にホーチミン市文化スポーツ観光局から表彰され、戦争証跡博物館(ホーチミン市)が2011年から写真4点を常設展示。ベトナム参戦の元兵士の聞き取りや社会問題など韓国でも取材している。著書に「いのちの絆 エイズ・ベトナム・少女チャン」(アットワークス)など。関連記事■ 朴槿恵大統領は父親を糾弾すべし■ 折れた朴槿恵 父の遺産をなぜ壊したか■ 朴大統領に問われる反日外交の検証   

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    訪越で謝罪しなかった朴大統領

    西原正(平和安全保障研究所理事長) 韓国の朴槿恵大統領は2013年9月7日から5日間、ベトナムを訪れた。滞在中、大統領の口からは、ベトナム戦争中に南ベトナムに派兵された、約30万人の韓国兵が犯した婦女暴行や住民虐殺への謝罪は一切なかった。この点に日本政府が何らかのコメントをすることが、中長期的な日韓関係の改善に役立つのではないだろうか。「過去を直視せよ」は偽善か 朴大統領は就任以来、日本に対し「過去を直視せよ」と迫り、安倍晋三首相との首脳会談も拒否している。例えば、8月15日の光復節の演説でも、「過去を直視する勇気と相手の痛みに対する配慮がなければ未来を開く信頼を重ねていくことは厳しい」と述べた。だが、韓国兵に暴行されたベトナム人女性や虐殺されたベトナム人遺族に、「過去を直視する勇気と相手の痛みに対する配慮」を示すことはなかったのである。 日本からすれば、「日本には、『過去を直視せよ』『相手の痛みに配慮せよ』と鋭く要求しておいて、自国のことになると、知らぬ顔をしているのは偽善的ではないか」ということになる。 韓国は中国と同様、歴史問題を政治目的に利用してきた。よく韓国や欧米の知識人は、日韓の歴史認識のこじれを独仏間の和解と対比させるが、独仏間は和解への真摯(しんし)な努力をした。残念ながら、韓国は「従軍慰安婦」を「性奴隷」と決めつけたり、数を故意に膨らませたり、「軍による強制連行」説を捏造(ねつぞう)したり、慰安婦像をあちこちに建てたりして、日本の名誉を傷つけ、日本を貶(おとし)めるのに使っている。独仏関係にはない、この誠実さに欠ける態度が日本側を刺激して、河野談話の修正を求める動きにつながってきた。ソウルの青瓦台で会議に臨む韓国の朴槿恵大統領(聯合=共同) この問題に関する韓国の国内事情は実は複雑で、統合進歩党をはじめ左翼政党、左翼労組、左翼教組などが北朝鮮の指示ないしは意向をくんで日韓の亀裂を画策してきたといわれている。この「従北勢力」に韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)という組織があり、慰安婦問題を執拗(しつよう)に掲げて慰安婦像をソウルの日本大使館前に設置したり、慰安婦への補償を要求したりしているとされる。歴史認識を政治利用する韓国 韓国政治は明らかに左に振れている。一昨年のソウル市長選では左翼市民運動家の朴元淳氏が当選し、昨年12月の大統領選でも、ソウルは2大野党の民主統合党と統合進歩党を合わせた得票率が与党セヌリ党のそれを上回った。この9月初めには、先の統合進歩党関係者3人が内乱陰謀容疑で国会決議によって逮捕されている。首謀者の李石基容疑者は5月の秘密集会で、有事(北からの指示など)に備えて武器を収集し、石油、通信施設の襲撃準備をすべきことなどを協議していたという。 左翼勢力は強い反日イデオロギーを浸透させようとしており、親日派の朴正煕大統領の娘として朴槿恵大統領には歴史認識問題で日本に譲歩するのは政治的リスクが大きすぎるのであろう。大統領は韓国主要紙が安倍首相につけた、「極右ナショナリスト」のレッテルを修正するようメディアを誘導する意思もないようだ。 歴史体験が異なる国民が歴史認識の相違を簡単に解決できるわけがない。歴史認識は、それぞれの国の愛国心や誇りも絡み、関係国の政府レベルで合意に達するのは極めて困難である。歴史認識の議論は、政府間の協議事項から外して学者やジャーナリストなどの専門家に任せるしかない。 それにより、歴史認識の相違の政治利用を防止できる。9月の初めに韓国国防大学が催したシンポジウムに招かれた折、筆者は歴史認識問題を日韓政府間の協議事項から分離すべきだと提案してみたが、案の定、韓国側からは、パネリストにしろ、会場の出席者にしろ賛同の声はなかった。日韓の政府協議事項から外せ 「それは無理だ」とし、「そんな前例があるのか」と質問してきたので、筆者は「前例はある」と言って日米間の歴史認識を説明した。「米国が広島、長崎に投下した原爆は何十万という日本の市民を殺戮(さつりく)した。これを人道的な罪だとする認識と、これ以上の米兵の犠牲を防ぐためには原爆投下によって戦争を終結するしかなかったとする認識があるが、日米はこれを政府間の協議事項とはしなかった。それによって今日強固な日米同盟ができている」と。 独仏、ドイツ-ポーランド、日本と東南アジア諸国の間の和解などが継続しているのも、歴史問題を政府レベルで議論することを封印してきたからである。 実は韓国も、ベトナムに対しては歴史認識(ベトナム戦争中の韓国兵によるベトナム人に対する蛮行)を政府間の協議事項としないことで、1992年に国交を正常化している。ベトナム側が協議事項としなかったことが、韓国には幸いしたのである。日本は、韓国がこの蛮行に対して何の償いもしていないことを想起させながら、歴史問題を外して、両国間の重要な問題に取り組むべきことを促すべきではないだろうか。 関連記事■ 朴槿恵大統領は父親を糾弾すべし■ 折れた朴槿恵 父の遺産をなぜ壊したか■ 朴大統領に問われる反日外交の検証

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    韓国はなぜ謝罪にこだわるのか?

    締役) 安倍首相がアメリカから帰国し日にちが経っているにもかかわらず、一部ネットのニュースには今だ、韓国発の「安倍首相の謝罪要求」のテーマが並んでいます。先日は中央日報が「日本はなぜ謝罪をしないのか?」というコラムを立ち上げていましたがしつこい韓国人の性格がよく表れていると思います。 朴政権の対日外交は失敗した、あるいは中国からもアメリカからも冷たくされたという報道で慰安婦問題は切り離すと言いながら両国間の問題の本質であることに変わりはありません。(経済と慰安婦を切り離すことでいいとこどりする作戦なのでしょうか。) 安倍首相がアメリカで様々な講演をした中でもっとも重要なポイントは日米が未来志向の努力をしてきたことを双方がきちんと認識し、前に向かっていることを確認したことではないでしょうか?もしも日本が韓国のような謝罪要求文化を前面に出していれば広島、長崎の原爆、大空襲による民間人の損害賠償で今の日米関係はあり得なかったでしょう。そうなれば直接的交戦がほとんどなかった欧州と仲良くしていたのでしょうか?歴史のレバタラです。 日本が未来志向であるのは8月15日の涙によって切り替わった点でもよくわかります。人はそれほど変ることが出来るのか、という外国人の疑問はあるでしょう。しかし、外国には宗教があり、その予言者なり牧師なりがお言葉を発した時、人々の発想は素直に納得し、180度転換することもありましょう。日本は神道であり、八百万の神がいます。その究極は万世一系の天皇であり、その陛下のお言葉は日本人にとっては神の声そのものであったと言ってもよいのであります。 マッカーサー元帥が昭和天皇を戦犯にするかどうかを検討した結果、それをすることは日本を死に追いやるという判断を下したのは実に賢明であるとともによくぞそれだけの勇気ある決断をしたと思います。それが日米間の新たなる未来志向の関係のベースラインであり、現代の成熟しお互いが尊重し合える関係が形成されてきたと思います。 では韓国人はなぜ、謝罪にこだわるのか、様々な見方があるかと思います。 根本は儒教に依るところは否定できないでしょう。司馬遼太郎氏はその著書で「儒教とは華(文明)であるにはどうすればいいかという『宗教』で、『野蛮』を悪とした。しかし現実には文明が野蛮に服従している」とあります。これはうまく言いあてていて、「野蛮」に日本を当てはめるとぴったりくるわけです。 韓国は自分たちが上であるという自負が強い一方で実際には日本から様々な技術を盗み、日本料理をまね、物まねコンビニを作り上げてきました。つまり日本は必要悪であり、なくては困るのです。しかし、悪は悪なのですから思想的に許されません。 残念なことに儒教は宗教の様に代弁する人がいません。ですので儒教は宗教ではなく思想であります。これは発想の修正、修復がしにくい点で過去に固執し、がんじがらめになりやすくなるともいえないでしょうか? 日本は慰安婦問題について過去、何度も謝罪を繰り返しています。しかしながら首相が代わる度に「謝罪」を要求するのはなぜでしょうか?これは謝罪の意味が違うのだろうと考えます。日本では問題が生じた時、世論が騒ぎ、最後、テーブル越しに3人ぐらいが立ち上がり、フラッシュがたかれる中、深々と頭を下げることを意味します。その時点で日本人は程度の差こそあれ、許すことを知っています。許しが出れば再生できるわけです。よく日本人は失敗するとバッテンがついて一生立ち直れないと言います。しかし、ことと状況次第では不遇にはなりますが、ひっそりと静かに生きるという再生は可能です。 ところが韓国の場合には大統領からして1000年も恨み続ける文化であると述べています。これは日本の首相が2年に一度変わるとして500回謝罪してもまだ許しをもらえないという意味であります。 私はこの謝罪とは上下関係の明白化であると考えています。つまり絶対服従を意味しているのではないでしょうか?中華思想において日本は野蛮な国であります。その野蛮な人種から辱めを受けたとするならばそのつじつまは合います。よって謝りつづけさせることによりその上下関係を明白にするポジションセットが背景にあると考えています。 韓国が求める謝罪要求文化についてもう少し書いてみたいと思いますので明日に続けたいと思います。韓国人が日本人に謝ることはあるのか韓国人が日本人に謝ることはあるのか 日本に対して謝罪を要求し続ける韓国ですが、韓国人が日本人に謝ることはあるのでしょうか?私の経験からは日本人には謝るどころかお礼すらまともにされないことがしばしばでした。自分が日本人から習いたい時は「センセイ」と敬い、揉み手ですり寄る一方で、それをゲットした瞬間、態度は豹変です。 教えてもらって当たり前、これはもらって当たり前、という発想です。私が高校生の時、嫌なクラスメートがいて「君のモノは私のモノ、私のモノは私のモノ、だから借りたものは返さない」というとてつもない論理を振り回していた人がいて、いまだに貸したモノは返ってきていません。私も1000年の恨みを言い続けようかと思ってしまいますがこれと同じ論理ではないでしょうか? 韓国人が謝らないのは「チェミョン(メンツ)」を大事にし、論争好きであるとする法政大学、朴チョン玄教授の著書もあります。謝れば自分の非を認めることになり一生、その挽回は出来なくなると考えているというのです。ならば日本人もこれ以上、謝ってはいけないともいえるのです。だからこそ、安倍首相のアメリカ議会での演説、あるいはインドネシアでのバンドン会議で深い反省の意は表したものの謝罪はありませんでした。これは首相が謝罪の定義をきちんと捉えている表れではないでしょうか? 韓国ではメンツを大事にするが故にあちらこちらで殴り合いのけんかが起きてしまいます。その血みどろの戦いを最後に解決方法ですが、朴教授の著書によると「ウリという身内意識が強く、同郷の地縁、血縁、学縁、親、先輩、先生の序列上で上が述べたら下は従う」という事であります。これは一神教には神がおり、日本には天皇陛下、韓国にはウリがいるという事なのでしょうか?やや次元が違う気もしますが否定もできないでしょう。 ここに一つ注目したいのはこのウリに政府は入っていないということです。私が問題視しているのは国民感情と政府は一体化しておらず、ここにも韓国人論でキーワードともいえるアンビバレンス(相反感情)があるともいえるのです。そして精神的なリーダーシップ不在となる中で韓国がてんでバラバラとなりつつあるともいえるのです。 これは韓半島の歴史そのものであり、いまだに北と南で相反する関係もそれである程度説明できるでしょう。あるいは朴大統領の低支持率や相次ぐ首相の交代も良い例であります。 ところで日本と韓国がいつから仲が悪くなったのか、いろいろ紐解いてみました。大陸と日本の間には長い行き来の歴史があり、その中で長年、日本を蔑む傾向はあったようです。が、直接的きっかけは私がみる限り、1592年の豊臣秀吉の朝鮮出兵である文禄・慶長の役ではなかったかと思います。その当時より朝鮮人からすれば日本はとんでもなく野蛮な人種であることを強く印象付けたようです。 その背景は明と李氏朝鮮の関係に遡ります。中国で蒙古族の元が倒れ漢民族の明となったのが1368年です。時を同じくして朝鮮半島では李氏朝鮮が1392年に勃興します。その李氏朝鮮は仏教を禁じ、儒教をもって国教とし、明でポピュラーになった科挙も取り込むことで明と李氏朝鮮は一体化した体制を作り上げました。それは儒教の「礼」の思想を根底とした主従関係(冊封関係)を体系化したと言ってもよいでしょう。 言わずもがな日本は野蛮な国としての認識を深めたわけであります。そのような主従関係がしっかり出来上がった大陸に対して豊臣秀吉が朝鮮出兵をし、非常に後味の悪い結果を生んだことは朝鮮の歴史に深く刻み込むことになったのかもしれません。 韓国の要求する謝罪の意味あいは日本人の口癖である「アイム ソーリー」とまるで違うということをまずは知るべきです。日本ではソーリーは何回行ってもそれ以上の意味合いはありません。人間関係の潤滑剤のようなものだからでしょう。しかし、諸外国では謝罪はその責任を取り、何らかの補償を行うことに繋がります。 安倍首相がこれ以上の謝罪をしないのは65年の日韓基本条約で責任問題は解決済みだというスタンスを貫いているからであります。謝罪すれば李明博前大統領のように「日本が解決策を打ち出さない」というとんでもない論理を振りかざされてしまいます。 慰安婦問題などを論じるにあたり謝罪が解決することはないと考えています。中華思想という差別史観が何百年もの間続いた中で謝罪の定義がまるで違うことを双方が理解した上で切り口を変えたアプローチをするしかありません。 その間、両国間の謝罪文化には他国の人には簡単に理解しえない歴史とファンダメンタルな思想的相違があることを広く世界にボイスアウトし、日本が一方的に悪いイメージを持たれないような努力もすべきでありましょう。 二回にわたり、韓国の謝罪要求について考えてみました。(ブログ『外から見る日本、見られる日本人』(http://blog.livedoor.jp/fromvancouver/)より5月13日、14日分を転載)関連記事■ 朴槿恵大統領の呆言、妄言、妄言録■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ ドローンの恐怖 加速する進化についていけない日常社会

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    折れた朴槿恵 父の遺産をなぜ壊したか

    らず、現在の国際社会における現実的な要請であることを勘案し…」 これはいまから51年前の1月はじめ、韓国国会で朴槿恵氏の父、朴正煕大統領(当時)が行った年頭教書演説の一節だ。演説はこのあとこう続く。 「政府は現在進行中の韓日会談を早期妥結させるべく、超党派的な外交を推進する」 この決意表明から約1年半後、1965年6月22日、両国外相は東京で日韓基本条約に署名、国交を正常化した。ソウル市内は野党や学生などによる汎国民闘争委員会が「屈辱外交反対」のデモを繰り広げ、怒号と罵声に荒れた。だが朴正煕は非常戒厳令を宣布して条約を批准した。 朴正煕の演説にある「極東の安全と平和維持」――これを阻む東アジアの冷戦構造は半世紀たってもさほど変わっていない。しかし、父が苦心して作り上げた日韓関係を、娘はドロ沼に突き落としてしまった。アメリカからの厳しい目 4月14日、韓国政府は、朴槿恵大統領への名誉毀損で在宅起訴され公判中の産経新聞の加藤達也前ソウル支局長の出国禁止措置を8カ月ぶりに解除した。 なぜ、このタイミングだったのか。韓国司法当局は解除の理由を「重要な争点の審理が終わった」ことや、「前支局長への人道的配慮」を挙げているが、態度の転換が政治的判断であるのは明らかだ。「対米配慮だろう。特に“言論の自由”や“人道問題”で米国に文句を言われたくなかったのだろう」(外交筋)との見方が少なくない。 直後の16日には、米ワシントンでの日米韓外務次官級協議と日米韓防衛局長級協議が控えていた。特に次官級会議は米国が設定したもので、日米韓の間で初めての開催となった。議題は北朝鮮問題と日韓問題だった。また、その後に安倍首相のバンドン会議(アジア・アフリカ会議)での演説、そして安倍訪米と上下両院合同会議での演説と続く。世界に向けた日本の発信と安倍首相のアピール、そして日米関係強化の日程が目白押しだった。2014年11月、北京の人民大会堂で中国の習近平国家主席(右)と握手する韓国の朴槿恵大統領(共同) 米国は韓国に苛立っていた。今春以来、米要人の発言が相次いでいだ。シャーマン米国務次官は「政治家たちが過去の敵を非難して安っぽい拍手を浴びるのは難しいことではない」と忠告し、キャンベル前米次官補は「金正恩氏とは条件ナシに会う用意があると言うのに、朴氏はなぜ安倍首相とはそうできないのか」と批判した。ローレス元国防副次官は「習近平氏は歴史問題を利用して日米韓から韓国を引き離そうとしているのだ」とずばり指摘していた。リーダーとしての器量が父と違う いまではよく知られるように、半世紀前の日韓国交正常化には背後に米国の強い意向が働いていた。朝鮮戦争(1950―53年)を経て・アジアの火薬庫・となった韓国、北朝鮮という分断国家は、東西冷戦の最前線であった。米国にとって日韓国交正常化は、アジアにおける自由主義陣営の砦であった。 一方の軍事クーデターで政権を取った朴正煕氏にとっては、政権の正統性や大義名分は第一国是の「反共」だけでは足りなかった。目の前には朝鮮戦争で荒れ果て復興できずにいる民衆と国土があった。「飢餓や貧困にあえぐ民衆の救済」こそが必要で、体制競争する金日成を制するためにも、経済開発に一刻の猶予もなかった。その朴正煕のモデルは満州国の経済発展だった。国交正常化で得た無償3億ドル、有償2億ドルの対日請求権資金と日本の民間ベース資金は、乾いた砂漠のような韓国全土を潤し始めた。 朴正煕氏は日韓国交正常化で米韓関係を安定化させ、日本との正常化で国際社会に政権の正統性を印象付け、経済資金を手に入れた。プラグマチスト(実用主義者)の朴正煕氏は強い指導者だった。日韓国交正常化のあと米国はベトナムに関与を深めていき、韓国はベトナム戦争に参戦、ベトナム特需で飛躍し、日本資本で高度経済成長を遂げた。 しかし、日本に「正しい歴史認識」と慰安婦問題の謝罪を要求し続ける朴槿恵氏に、父親のような政治へのリアリズムも外交の戦略性も見いだせない。 父、朴正煕氏は世論調査で常にトップの評価を受けてきた。国民所得を約20年で20倍という「漢江の奇跡」を実現、その半面で独裁、圧政の非難も受けたが、人材登用では能力のあるものを抜擢し、組織運営に長けていた。しかし娘、朴槿恵氏の政治はあらゆる問題に対応が遅く、鈍い。人事で何度も躓き組織が動かない。韓国国民の朴槿恵大統領への視線は日に日に厳しさを増し、3年目に入った朴政権はいま、苦悩している。 4月中旬のセウォル号沈没事件一年の追悼式典や集会は、事故後の対応に不満と不信を募らせた遺族らの抗議集会と化した。事故対応の不手際、その後の人事の混乱、一年たっても始まらない真相究明調査、船体の引き揚げ作業など、どれをとってもリーダーの指導力不足が批判の的だ。加えて朴政権は新たに発覚した朴大統領側近らの裏金献金疑惑も抱え、現役首相が検察の捜査を受けた。取り調べ結果いかんで首相退陣は避け難い情勢で国政には暗雲が垂れ込めている。若干持ち直していた朴大統領の支持率は再び急降下、30%台に急落している。反日外交にも疑問の声 そんな朴政権で唯一、国民の支持を受けていたのが「反日外交」だった。だが、この評価も最近怪しくなってきた。韓国の有力メディアに「別次元に進化した米日同盟、韓国は対応できるのか」「対米外交で日本がリード」「日本よりの姿勢みせる米国」などの見出しが目立つようになったのは、日本が安倍首相の所信表明に続き外務省のホームページ、外交青書のそれぞれで、これまで韓国に関して使ってきた「基本的な価値や利益を共有」との文言を外してからだ。ソウルでは、折しも駐韓米大使を親北分子が襲撃、重傷を負わせる事件も発生した。米韓関係への韓国の不安は一気に高まった。 一方、安倍外交の日米関係強化の成果は、ようやく形となってきた。昨秋の集団的自衛権容認の閣議決定に基づき、安保法制の準備が本格化し、日米防衛協力の指針(ガイドライン)改正も間近だ。経済連携政策でも日米は中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に対する慎重姿勢や、環太平洋戦略経済連携協定(TPP)交渉で対中政策の歩調を合せてきた。 そうした日米関係が韓国世論を刺激している。「米国との関係で日本にリードされてしまった!」というわけだ。 安全保障問題だけではなく、慰安婦問題でも米国は安倍首相の歴史認識を評価した。米紙ワシントンポストの取材に安倍氏は慰安婦が「人身売買の犠牲となり、筆舌につくしがたい痛みと苦しみを経験されたことを思うと、心が痛む」と述べた。慰安婦は米国で通常「人身売買の被害者」と表現されていることから、米国務省は安倍氏の発言を「歓迎」したが、これが韓国は気に入らない。「人身売買」とされて強制連行のイメージは薄れてしまった。セックス・スレーブ(性奴隷)は金銭で買われていた。慰安婦に対する日本の歴史認識が「正しくない」と、日韓首脳会談に「日本の正しい認識」を求めてきた朴外交の土台は、米国の安倍発言の評価で揺らいでしまった。 朴大統領の原則主義が放置してきた日韓関係について、韓国の知識人がようやくモノ申すようになった。韓国の著名な日本研究者は有力紙にこう寄稿している。『日米は韓国の安保の支えだ。日本との関係が改善しなければ米韓関係にヒビが入る可能性があると見抜く眼力が必要だ』。保守政治家もこう書いた。『対日外交、安全保障と歴史認識を切り離せ』『外交の舞台では悪魔と踊ることもためらってはならない』朴槿恵氏の目は覚めるのか 朴槿恵大統領は6月にも訪米を予定している。米韓関係は、中国が強く牽制する米国の最新鋭迎撃システム「高高度防衛ミサイル」(THAAD)配備問題が最大テーマとなる訪米だ。AIIB参加を表明した朴政権は、米中両国の顔を立てることに懸命である。 日韓の戦後を総括する機会となるはずだった国交正常化の記念日、6月22日を両国首脳がどう迎えるのだろうか。日本では朴槿恵政権が醸成してきた嫌韓ムードも一段落の観である。いま日本人は「韓国にはもう疲れた」と言いコリア・パッシング(韓国は無視)といった雰囲気が漂う。 朴槿恵氏に問いたいところだ。日韓関係は「父の遺産」であったはず。それは正の遺産ではなかったか? 負の遺産であったのですか?関連記事■ 朴槿恵大統領はなぜ第三国での日本批判を繰り返すのか■ 呉善花 恨と火病と疑似イノセンスと― 異常な反日行為と心の病■ 「大韓ナチズム」に堕ちた韓国

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    韓国お家芸 無残な末路辿る「前政権批判」朴槿恵氏も発動か

     一時は20%台に下落した韓国の朴槿恵政権の支持率は3月5日、ソウルでリッパート駐韓国米大使が政治団体代表の男に刃物で襲われて重傷を負った事件を境に30%台に回復した。 米韓関係悪化を懸念した保守派が朴政権支持に転じたとみられるが、依然として低支持率であることに変わりはない。反日だけでは支持率維持が難しくなってきた中で出てきたのが、韓国の“もうひとつのお家芸”である前政権の糾弾だ。李明博・前大統領 韓国の検察当局は、李明博・前大統領が掲げた「資源外交」の看板の下での融資に不正があり、最大で約60兆ウォン(約6兆6000億円)もの税金が消える可能性があるとして関連企業への捜査に着手した。「前政権の糾弾」は韓国の現代史で繰り返されてきた。歴代大統領の退任後を振り返ると、その末路は悲惨である。 全斗煥氏は大統領退任後、光州事件(1980年5月18日から光州市で始まった韓国の民主化運動を韓国軍が弾圧した事件)や不正蓄財を追及され、死刑判決を受けた(減刑後に特赦)。 盧泰愚氏も政治資金隠匿や粛軍クーデター、光州事件の責任などを理由に、懲役刑に処された(後に特赦)。金泳三氏の場合、自身は逮捕されなかったが次男が収賄と脱税で逮捕され、金大中氏も息子3人が全員収賄で逮捕されている。 李明博氏の前任者である盧武鉉氏は実兄が収賄で逮捕された後、自身も収賄疑惑で捜査を受け、2009年5月に自殺に追い込まれた。 そうした追及の反復には韓国独自の文化が影響していると、朝日新聞元ソウル特派員でジャーナリストの前川惠司氏は指摘する。「韓国に『旧官は良官』という諺があります。李氏朝鮮時代から、新しい権力者が出てくると、より過酷な圧政をすることを表わした言葉です。そのため現政権は『旧官よりも良官』であることをアピールしたがり、古い権力者を叩くことに繋がっていきます。前の権力者の罪を糾弾して、自分の政権への求心力を高めるのです」 元大統領を裁くためであれば、「法の不遡及」という法治国家の大原則までも無視される。法の不遡及とは、後から作った法で過去において適法とされた行為を裁くのを禁止することで、法治国家では当たり前の制度だ。それを認めたら国家の都合で誰でも処罰できてしまうからだ。 が、全氏と盧泰愚氏に対しては、「大統領に限って時効は成立しない」とする「光州事件特別法」という事後法が制定され、罪が遡って裁かれた。 前川氏は当時の状況をこう話す。「市民団体から全斗煥、盧泰愚を法で裁いてくれという訴えが出ていたが、検察は時効や高度な内政的事情を理由に1995年7月に不起訴にした。ところが、その年の冬に当時の金泳三大統領が元大統領を裁くために特別立法で時効を無効にして2人を処罰したのです」 注目すべきは裁かれた2人が当時は金泳三氏と同じ与党(民主自由党)の政治家だったという点だ。現在の朴氏と李氏の関係と同じ与党同士でも追及は行なわれてきたのだ。身内にも厳しいといえば聞こえはいいが、たいていはご都合主義の政治的ショーの意味合いが強い。 東京大学東洋文化研究所教授の真鍋祐子氏の解説。「金泳三氏が特別法を制定した背景には、世論の盛り上がりがありました。同じ与党の人間であるにもかかわらず特別法を作ってまで厳しく処罰するという姿勢を見せたことで、これまで大統領の手腕に懐疑的だった国民の溜飲を下げ、政権への感情は大きく好転しました」 韓国メディアは李氏の疑惑を厳しく追及し、国民はそれに喝采を送り始めた。状況は当時と似通ってきている。朴氏はその圧力と誘惑に耐えるのか、それとも歴史は繰り返されるのか。関連記事■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ「北にそっくり」■ 人類滅亡――マヤ暦の予言とは異なる「2012年問題」の正体■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画「鏡のない国のパク」■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画【1/2】「根拠のないデマ」■ 【ジョーク】オバマ米大統領とプーチン・ロシア大統領の違い

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    歴史認識問題で批判を続ける韓国知識人の典型的な主張

    岡崎研究所 韓国延世大学教授の李正民が、4月16日付の米ウォール・ストリート・ジャーナル紙で、安倍総理が米議会での演説で歴史に向き合おうとしなければ、米国の利益にならず、アジア人の心は掴めないだろう、と述べています。 すなわち、安倍総理が4月29日米議会での演説でどのような歴史に関するメッセージを伝えるかに、アジアの関心が集まっている。 もし安倍総理が、慰安婦問題を含む日本の戦時中の残虐行為をごまかし、無視しつづけるなら、日本が戦後民主主義、人権の先導役を果たしてきたとの主張はできなくなる。多くのアメリカ人は、中国と韓国が歴史にこだわっていることを快く思っておらず、日本が大きな過ちを起こしたのは70年前のことであり、中国など他の国の歴史にも暗い時代がある、日本は戦後責任ある大国であり、ほぼすべての重要問題で米国と立場を同じくする民主主義国、米国の同盟国として、歴史的苦痛を超える勇気を持つべきである、と言う。 しかし、日本の優れた戦後の記録は、その前の出来事を消しはしない。安倍総理の修正主義は、オバマ大統領のアジアへの軸足移動も含めた米国の戦略的利益に反する。日本が歴史と向き合わないため、地域の和解ができず、中国に軍事力強化のための絶好の口実を与える。日本が歴史を否定することで、中国の国際的地位が上がり、中国の政策は他のアジアと調和しているとの見方が広がってしまう。 安倍総理はアジア人の心をつかむことより、日本を「不沈空母」にする方が重要と考えるかもしれないが、もしそれが米議会での演説のメッセージであるとしたら、日本が米国のかけがいのない同盟国、中国に対する責任ある対抗勢力、そしてアジアの友人となる絶好の機会を失うことになるだろう、と述べています。出典:李正民‘Shinzo Abe’s Duty to History’(Wall Street Journal, April 16, 2015)URL:http://www.wsj.com/articles/shinzo-abes-duty-to-history-1429203445* * * 韓国知識人の典型的な議論です。しかし、筆者の李正民は、元安全保障大使を務めた人物であり、安全保障分野では日本にも知人が多く、対中政策、対北朝鮮政策では、日米韓の3国連携を重視している人の一人です。その彼が、ここまで歴史認識に触れなければならない韓国の現在の世論の雰囲気というのは、ゆゆしき状況でしょう。 この論評が、ウォール・ストリート・ジャーナル紙に掲載されたということは、米国、米国人に対する意見として書かれたものであることを示しています。 日本が歴史と向き合わないために中国に軍事力強化のための絶好の口実を与えているとか、日本が歴史を否定していることで中国の国際的地位が上がっているという議論は、説得力に欠けるものです。 論説は、安倍総理が歴史認識を改めない限り、アジア人の心はつかめず、日本はアジアの友人になれないと言っていますが、それは事実に反します。タイをはじめ、東南アジアや南アジアの国々は、太平洋戦争に関し、日本が侵略を認め、お詫びをすべきだとは言っていません。歴史認識はすぐれて中韓2国の問題です。 1つ言えることは、今後どのような形で歴史認識問題に言及するにしても、それで中国と韓国の批判が収まるとは思われないことです。20年前、戦後50年の年に、村山談話が「植民地支配と侵略」に触れ、「心からのお詫び」を述べたにもかかわらず、中国と韓国は、それで歴史認識問題に区切りがつけられたとは思いませんでした。歴史認識問題に関する両国の批判は、今後も続くと覚悟しなくてはならないでしょう。関連記事■ 朝鮮民族の「恨」は恨み辛みや不満を生きる力に転換した状態■ 北岡君、日本を侵略国家にする気かね■ 「大韓ナチズム」に堕ちた韓国

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    朴槿恵の低レベル発言を嗤う

    「日帝=ナチスだった」「韓国は善良なる被害者」……。外交の場で対日ファンタジー史観丸出しの発言を吹聴して回る朴槿恵大統領。延々と続く「告げ口外交」にアメリカは辟易している。朴槿恵政権はいい加減、そのことに気付いた方がいい。

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    朴槿恵大統領の呆言、妄言、暴言録

    の視角と意向、知識レベル、さらには配慮すべき国内外の事情などを総合的な背景として発せられる。 だから韓国を観察する場合には、朴槿惠大統領の発言をしっかりと受け止め、分析する作業が重要になる。以下は、そのための一つの試みだ。「門番三人組」がブロック 韓国の現行憲法下の大統領とは、日本の天皇のような象徴元首ではなく、アメリカ型の実権大統領だ。しかし、朴槿惠大統領は就任して2年2カ月余にもなるのに、記者会見は2回しかしていない。それも再質問を認めない形式で、痛いところを突く質問には木で鼻を括ったような、受け流し回答だった。国会で演説したことは一度しかない。それも言いっぱなしであり、国会答弁もしたことがない。 朴槿惠大統領は、日本の首相官邸とは比べ物にならないほど広い韓国大統領府(青瓦台)のなかに、いくつかの大統領専用スペースを確保しているらしい。それらの専用スペース域から、政権のナンバー2である大統領府秘書室長の執務室まで500メートルあると言われる。 専用スペース域は、大統領になる前からの秘書が「秘書官」に昇格して“門番役”を務めている(韓国のマスコミをして「門番三人組」と言う。最近、うち一人は広報部門の秘書官に移動した)。 韓国のマスコミは「門番三人組」のブロックにより、本来なら大統領の手足である首席秘書官はもとより、閣僚も「対面報告」ができない状況を批判してきた。しかしそのブロックは、そもそも大統領の意向に基づくのだろう。つまり、「引きこもり型元首」なのだ。 それは、父親が側近に殺害されたことが影響しているのかもしれない。「引きこもり型元首」は首席秘書官や閣僚との面談すら嫌い、必要なことは文書報告にするよう命じている。文書報告のなかによほど気になる点があれば電話をする。与党執行部とも、時たま昼食会を開くぐらいだ。 朴槿惠大統領は妹弟と絶縁状態にある。家族はいない。昔から使っている家政婦が夕方6時に帰ると、愛玩する珍島犬だけが友となる。大統領自身、「大統領府にいる本当の実力者は珍島犬だ」(与党幹部との昼食会、14年12月8日)と述べている。 これは出席者を笑わす発言だったとされているが、裏側には「淋しい女性大統領」の実像が隠れている。世界の元首のなかでも、この女性は極めて異様な環境のなかに好んで身を置いている。それはユーモアある対話に欠け、精選された極少量の情報しかインプットされない環境だ。  もしかしたら、妄想を育てるのには最適の環境であるのかもしれないが……。会談を前に握手する、国連の潘基文事務総長(左)と韓国の朴槿恵大統領=5月20日、ソウルの青瓦台(共同) 日本で「保守派」とされる人々は、頻繁に「◇◇さんは○○氏の息子だから」と、会ったこともない◇◇氏に全幅の信頼を寄せてはよく裏切られる。それなのに懲りずに同じ手法の見立てを繰り返す。 朴槿惠氏についても、日本の保守系親韓派は「朴正煕の娘だから親日派のはずだ」と言い、「きっと日本語も話せるのだろう」と妄想を膨らませた。 が、大統領就任から1週間ほどで、その妄想は一瞬にして砕かれた。 「加害者と被害者という歴史的な立場は千年の歴史が流れても変わらない」(三・一節式辞、13年3月1日)という、今後の日韓関係史に100年ぐらいは残りそうな台詞を述べたのだ。 大統領就任後、初の大式典(三・一節=独立運動記念日)だから、その式辞の対日部分には外交省、教育省などの徹底的なチェックが入ったはずだ。しかし、「こんなことを述べたら日本人は……」とチェックできるだけの日本通はいなかった。 「高麗兵が先陣を務めた元寇からまだ千年経っていませんから……」と史実を指摘できるスタッフもいなかった。対日ファンタジー史観 つまり「我々は常に一方的被害者だった」とする対日ファンタジー史観が、大統領周辺を完全に支配しているのだ。 無理もない。反日ファンタジー史の教育を始めてから70年の重みがある。日本統治時代を肌で知る人々はほとんど鬼籍に入っているか、もはや社会的発言力がない。反日ファンタジー史の教育下で優等生として育った人々が、韓国のあらゆる部門の指導層を形成しているのだから。朴槿惠氏も、そうしたなかの一人なのだ。 韓国人は事あるごとに「歴史が、歴史が」と叫ぶが、韓国の学校教育に占める教科としての歴史はとてもお粗末だ。とりわけ世界史は教師の絶対数が足りない。そのうえ、「大学入試のため」至上主義が支配する環境のなかで、国史も世界史も大学入試の必須科目になっていない。 朴槿惠氏は、西江大学の理工学部卒業だ。理工系進学を目指した時点で政治家になるつもりはなく、歴史学などには興味もなかったのだろう。しかし彼女は大統領就任後、理工学部の卒業者らしいことは語らないが、「植民地時代」の歴史、わけても慰安婦についてよく語る。 ヘーゲル米国防長官との会談(13年9月30日)では思い切り言いたいことを言った。 「歴史問題と領土問題についてたびたび時代・歴史退行的な発言をする日本指導部のために信頼が形成されずにいる」 「日本は(歴史問題などを)無視して何の誠意も見せておらず、傷口に塩を塗るようなことをしながら『対話すればよいのではないか』と言っている残念な状況だ」 「傷を受けた国民がいるため国民とともに解決する問題であって、首脳2人が座っても解決できない状況だ」 「国民の傷はそのままなのに、前にもそうだったように日本の指導部がまた傷つくような話を会談後に投げかけることになれば、一体どうしてその会談をやったのかと国民の心が痛むだろう」 「このような悪循環になるのが真の問題だ」 「慰安婦女性の問題はいまも続いている歴史だ。その方たちは花のように美しい青春を全て失い、いままでずっと深い傷を抱えて生きてきたのに、日本は謝罪どころか侮辱し続けている。その女性だけでなく国民もともに怒っており、これではいけないという状況だ」 「21世紀にも紛争地域で女性に対する性的蹂躪が強行されていることに怒りを禁じえない」 延々と続く「歴史的対日批判」は、ヘーゲル長官を辟易させたらしい。その流れが、シャーマン米国務次官の「安っぽい喝采を浴びるのは容易だろうが……」(15年2月28日)という発言に繋がったのだと思う。モンスターに変質モンスターに変質 それでもヘーゲル氏に対する発言は、朴槿惠大統領お得意の「告げ口外交」の内容を知るうえでも役に立つし、韓国人の発想、韓国官僚の忠誠心の在り方を学ぶうえでも参考になる。 それぞれが“突っ込みどころ満載”の発言なのだが、領土(竹島)問題に関して言えば、その決定的な再発火点は、2012年8月の李明博大統領の竹島(独島)上陸だった。自分たちで火を付けたにもかかわらず、“加害者は日本”という認識なのだ。 日本への刺激という点では、李明博氏がその数日後、「天皇に土下座させ……」とはしゃぎ回ったことのほうが強かった。が、前任大統領の言動については何も語っていない。ただただ「日本が一方的に悪い加害者」、逆に言えば「善良なる韓国は一方的被害者」という立場からの発言だ。 「善良なる被害者」と社会から認知されるや、被害者はその関連分野では超法規的存在になる。何をしても許されるモンスターに変質するのだ(典型は沈没したセウォル号の遺族)。この国が「立派な条文を揃えた法律はあるが、法治国家ではなく情治国家」とされるのと同じようなことだろう。 朴大統領の「告げ口外交」とは“韓国の常識は世界の常識”との思い込みの下で、「韓国は善良なる被害者」と国際社会に認知してもらうための努力と言えようか。 韓国社会に限って見れば、「善良なる韓国民は一方的被害者」とする対日認識がすでに確立されている。だから、こと日本に対しては条約違反も国内法違反も、大体のところ“お咎めなし”になるわけだ。外交慣例などくそ食らえ 朴・ヘーゲル会談で「発表することで合意」した内容は、「対北に関する米韓協力合意」だけだったとされている。米国としては対北陣営内部の日韓不和、とりわけ朴槿惠大統領の対日敵愾心を表に出したくなかったのだろう。 が、青瓦台の担当者はブリーフィングですべてを明らかにしたあと、「(大統領発言の内容が)とても良いと思ったので公開した」と述べたという(京郷新聞13年10月1日)。青瓦台のエリート官僚をして、“姫の素晴らしいご発言”があれば外交慣例などくそ食らえとばかり発表してしまうのだ。 これこそが、韓国流の直属上司への忠誠心の発露だ。まさにゴマ摺りであり、「上司への告げ口」とともに韓国社会に蔓延している処世術だ。 京郷新聞が「こうしたことは、海外のリーダーに韓国との協議を憚らせるように仕向け、率直な意見交換を成り立たなくする」との外交消息筋の発言を併せ伝えたことが、せめてもの救いだ。 話は前後するが、慰安婦に関して「その方たちは花のように美しい青春を全て失い……」とする表現は、朴槿惠大統領の発言のなかにしばしば出てくる。 あっちでもこっちでも慰安婦について語るなら、慰安婦自身の証言も含め様々な史料を漁っていて、多彩な事実の叙述や表現が出てきてもよさそうだが、韓国紙が伝えるところ「花のように美しい……」ばかり目立つ。 インプットされる情報域が狭すぎるのではないのか。もしかしたら、特定の人物に依拠した耳学問ぐらいしかないのかもしれない。 もしも強制連行されなかったなら、「花のように美しい青春」を謳歌できたはずと信じているとしたら、李王朝末期の庶民がまるで縄文時代から抜け出してきたかのような生活をしていたことや、「内鮮一体」の日本の投資でようやく食べられるようになった史実も知らないのだろう。 朴槿惠大統領に限らず、韓国の与野党指導者たちも、慰安婦の証言録すら読んだことがないのかもしれない。読んでいたなら、そしてまともな史料と突き合わせていたなら、「ジープに乗せられ」といった証言のおかしさが分かる(日本軍にジープはなかった)。 慰安婦問題を管轄する女性家族省のホームページでは、慰安婦と一緒にいる髪を伸ばした若者の写真が「日本兵」として紹介され、「慰安婦募集」と漢字で書かれたポスターが「強制連行の証拠」として掲載されていた。 そういう知的レベルの国だ。その国の大統領の知識が、「その方たちは花のように美しい青春を全て失い……」くらいしかなかったとしても不思議はない。 それにしても「21世紀にも紛争地域で女性に対する性的蹂躪が強行されていることに怒りを禁じえない」とは、どこの国のことを言っているのか(韓国も北朝鮮との間には休戦協定しかなく、「紛争地域」だ)。よもや、朴槿惠大統領は自分の国では売春が一大産業であり、同時に「韓国=売春婦輸出大国」である事実もご存知ないのだろうか。「ギロチン処分」に滲む性格 インプットされる情報域が狭ければ、それまでに得ていた“もっともな知識”と合致する新情報はたちまち消化される。きっと、報告書のなかにあった「外国人観光客の招致積極化」や「経済部門の規制廃止の必要性」といった建議は、たちまち朴大統領の血肉に転じたのだろう。 観光に関しては、「金の卵を産むガチョウだ」(国民観光振興会議、14年2月3日)と、とても露骨な表現で述べている。自民党の二階俊博総務会長(全国観光業協会長)は、そうした“日本人ガチョウ”を韓国に送り込んでくれる人として今年3月、韓国観光公社から招待を受けたわけだ。 規制については韓国産業界をがんじがらめにしているものであり、産業活性化の最大の足枷という考えを何度も表明している。 規制廃止のための関係者会議も何度か開いている。そのたびに、ドキッとするような面白い発言が飛び出している。平場の会合での質問に対する回答や即座の指示は、事前のレクチャー資料があったとしても、朴槿惠氏個人の感覚に基づく部分が大きいと見てよかろう。 「ブルドッグよりも珍島犬がよりいっそう、一度噛みつけば肉がちぎれるまで放さない。我々は珍島犬の精神で取り組まなければいけない」(国務調整室などの業務報告、14年2月6日) 「もつれた糸を解く最も速くて確実な方法は何か……糸のもつれを切ってしまうことだ」(官民合同規制改革点検会議、14年9月3日) 「副作用が心配で『できない』というのではなく、『副作用をどう賢く創意的に解決するか』を考えなければいけない。小さな副作用のためにだめだという方向に行けば、より大きな損失となる」(同) 「規制の妥当性を直ちに検討し、雇用の創出や投資の障害となっているものはギロチンで一気に処分すべきだ」(閣議、14年11月25日) 自信をもって打ち出した規制緩和が遅々として進まないことへの怒りと焦りがあるのだろうが、激しい性格が滲み出ているような発言に思える。「日帝=ナチス」に躍起有銭無罪、無銭有罪 朴槿惠氏の「指示」に関して、日本ではしばしば「具体性がない」と言われるが、歴代の韓国大統領の「……よう、すべきだ」式の発言は押しなべて具体性がない。韓国の大統領とは単に行政府の長ではなく、すべての国家機関の上に君臨する存在だから、大原則を述べることが職務なのだ。その大原則に基づいて具体的施策を考え、実行するのが閣僚以下の官僚たちだ。 大原則が間違っていても、「やり方が悪かったから」「タイミングを失したから」と更迭されるのは閣僚だ(官僚はよほど重大な過失や大規模汚職の発覚でもなければ生き残れる)。大統領は原則論を述べ続けるのだ。 大統領の発言は、時には政策遂行のうえで絶対の大義名分になる。しかし、産業分野の規制のように受益者がたくさんいて利害が錯綜する部門では、「ギロチンで一気に」と声を張り上げても進んでいかない。 歴史的な重みを持つ文化に対する改善指示も同様に進まない。 「『有銭無罪、無銭有罪』のような恥ずかしい話が大韓民国でこれ以上、常用されないように皆さんが先頭に立ってほしい」(「法の日」50周年記念式、13年4月24日) 大統領がこう演説してからも、警察、検察、裁判所による「有銭無罪」の扱いは次から次に明るみになる。伝統的文化である「司直の腐敗」のほうが強いのだ。 大統領発言は絶対的権威を持つ。しかし、実際の利害関係や腐敗と汚職が蔓延する社会のなかでは、実効性を貫けない。 朴槿惠大統領はそうした現状に怒りと焦燥を感じつつも、韓国民の「偉大さと可能性」を信じているようだ。 「私は韓国経済が進む新しい発展パラダイムに創造経済を提示している。……私たちは優れた“創造DNA”を持った民族だ。……私はその創意の力と情熱を活かして第二の漢江の奇跡を必ず実現する」(「発明の日」記念式典、13年5月16日) 「韓国民DNAのなかには芸術的感性が豊富であり、血液中に流れる“気”がある国民だ」(文化人との会合、15年2月25日) DNAを「ある民族が持つ不変の遺伝子」といった意味で使っているようだ。理系出身者らしからぬ誤用だ。さらにその背後には、「韓国人は世界でも稀な単一民族」(韓国高校用教科書)とする誤った内容の刷り込み教育が蓄積されているのだろう。 そうした批判はさておき、いま紹介した発言そのものが問題だ。これぞ優生学的選民思想そのものではないか。日帝=ナチス 韓国はいま、「日帝=ナチスだった」とするキャンペーンの世界的展開に躍起になっているが、大統領が堂々と語る優生学的選民思想、その選民による奇跡実現の呼びかけこそ、ナチズムそのものではないのか。都合よく改竄したファンタジー史を国民に教え、隣国への敵意を煽る手法もナチスと同質だ。 「日帝=ナチスだった」とするキャンペーンの下部にあるのが、「旭日旗=戦犯旗=カギ十字旗」のサブ・キャンペーンだ。 11年のアジアサッカー杯から僅か2年の間に、「旭日旗=戦犯旗」とする国民的認識を醸成した草の根運動、海外で旭日旗に似たデザインを見付けるや一斉にサーバー攻撃を仕掛ける手口……、「君たちこそ現代のナチスだよ」と言わねばなるまい。 「政治指導者が過去の敵を非難することによって、安っぽい喝采を浴びるのは難しいことではない。しかし、このような挑発は進展ではなく麻痺をもたらす」──米国務省のウェンディ・シャーマン米次官の発言(2月28八日)は、韓国の政権や保守系マスコミにとって大変な衝撃だった。 青瓦台内部の情報伝達は「突発的な軍事情報」を除いては、極めてスローモーなようだ。公式文書の形式を整えてから「門番三人組」のところに持っていくのだから。 シャーマン発言は米国時間では27日だったが、韓国の通信社聯合ニュースが配信したのは3月1日、すなわち三・一節の朝だった。おそらく、朴槿惠大統領はシャーマン発言を知らないまま三・一節の演壇に立ち、その足で中東歴訪へと旅立った。 あとになって、自分が「安っぽい喝采を浴びた政治指導者」になってしまったことを悟り、追い打ちを掛けられるかのように日本の外務省がホームページのなかの韓国紹介欄にあった「自由と民主主義、市場経済等の基本的価値を共有する」との表現を削除したことを知った。大使襲撃事件でも謝罪ナシ 激しい気性の大統領がどれほど怒ったことか……とは、想像するだけだが。 さらなる大きな追い討ちがあった。5日午前のリッパート米国大使襲撃事件の発生だ。朴大統領はアラブ首長国連邦(UAE)で事件の報告を受け、次のように述べた。 「驚きを禁じ得ない。今回の事件は駐韓米国大使に対する身体的な攻撃に留まらず、韓米同盟に対する攻撃であり、決して容認できない」 「大使の一刻も早い回復を祈り、家族に対しても心よりお見舞い申し上げるとともに、オバマ大統領や米国政府にもお見舞い申し上げる」3月10日、リッパート駐韓米国大使の退院を受け、米大使館周辺で韓米同盟の強化を求める保守団体メンバー=ソウル(共同) 日本大使に投石した前科(判決は執行猶予)を持つ過激派を野放しにしていたこと、会合を主催した国策団体(代表者は大統領側近の一人)がその危険人物をやすやすと大使の近くの席に座らせたこと……韓国側に不手際があったことは明らかだが、大統領は「回復を祈り、お見舞いを申し上げる」とは言っても謝罪の言葉は口にしない。 大統領に限らない。韓国人は謝罪しない。「謝罪」とは、韓国人にとって一種の“希少価値”と見れば理解しやすい。自分が持っている(発することができる)希少価値は出したくないが、他人(他国)が持っている希少価値は手に入れたい。だから日本に向かっては「謝罪しろ、誠意を見せろ」とばかり叫ぶのだ。 「韓米同盟に対する攻撃」という規定の仕方は、「テロリストは北の意を受けた人間」という前提があるからだが、「韓国も被害者」という意味が半分込められている。先にも触れたが、“被害者の地位確保”は韓国のお家芸だ。 保守系紙の中央日報(3月6日)は、「大韓民国に対するテロだ」との社説を掲げた。これはもう半分ではなく、完全に「韓国はテロの被害者」との立場の表明だ。 韓国当局の不手際もあり、米国大使が顔を切られた。が、これは韓国に対するテロであり、韓国人は実は被害者なのだ──日本で「三百代言」と罵られる人々とて、目を白黒させるような論法だ。 韓国の大統領は、こんな論法が日常的に闊歩する社会の頂点にいる。その配下にいる官僚だから、たばこ価格を今年1月1日から一挙に2倍に値上げしても「これは増税ではない。国民のための健康対策の一環である」と、恥じらうことなく言えるのだ(朴槿惠氏は「増税せず」を大統領選挙の公約に掲げていた)。もしやキリストの心意気?縫合手術を終えた大使に 朴槿惠大統領は中東歴訪から戻ると、その足で大使の入院先を見舞った。誠意を示したのだろうが、大使への見舞いの言葉は日本人の波長とは到底合わない。 慰めの言葉はあったが、謝罪の言葉はやはりない。そして、06年に自らも顔を切られるテロに遭った経験を挙げて、こう述べた。 「それからの人生はおまけだと思って、国と国民のために生きると決心した。大使も今後、韓米同盟のために多くのことをしてくれるという気がする」 八十針もの縫合手術を終えたばかりの大使に向かって、何という押し付けがましい言葉だろうか。 アンタに俺の人生航路まで決めてもらいたくないよ──と、なんて一国の大使が言うはずがない。大使は「私も、おまけで得られた人生と時間を家族と韓米両国の関係のために」と応じた。これぞ外交辞令というものだろうに、大統領周辺は「韓米関係が強固になった」と大はしゃぎ。 親米保守派は、まさに鉦や太鼓を打ち鳴らして「リッパート全快」を祈る街頭パフォーマンスを繰り広げた。李王朝の後裔と称する老人は(これは本当に善意だったようだが)、犬肉を見舞い品として届けた(病院が受け取らなかった)。中央日報(15年3月9日)に至っては、「リッパート効果」なる心ない造語を見出しに立てた。 そうしたなかで朴大統領は、「世界で最も成功している同盟と評価される韓米同盟が前代未聞の攻撃を受けた……だが私たちは、この危機をさらに強力な韓米同盟への契機とする成熟した姿を見せた」(ソウルCOEX祈会、15年3月12日)と事件を総括した。 韓国のコウモリ外交によりガタついている米韓同盟が「世界で最も成功している同盟」であり、大はしゃぎの「リッパート効果」が誇るべき「成熟した姿」であるらしい。もしやキリストの心意気? 朴大統領は支持率が低下してくると、あばら家のような商店がひしめき、屋台が連なる市場に出向く。カボチャの葉を買ったり、おばあさんに声を掛けたり……きっと「門番三人組」の配下が、どこで何を買うか、誰に声を掛けるか段取りを決めて、厳重なガードを張り巡らしているのだろうが。韓国・ソウルにある明洞聖堂 そして、危機を感じさせる時にはしばしば教会や寺に出向いたり、宗教関係者と懇談したりする。 上記のCOEXも、キリスト教(おそらくプロテスタント系)の組織と思われる。大統領は事件総括の続きで述べた。 「イスラエル民族が広野の試練を一つの心で勝ち抜いた時、乳と蜜が流れる土地カナンに至ることができたように、私たちもいま、葛藤と分裂の足枷を克服するならば新しい祝福の時代に進むことができると信じる」 「羊の群れの世話をする羊飼いの気持ちで、韓国の新時代を切り開いていくことに全力を尽くす」 キリスト教では、民は「迷える羊」であるらしい。国民を「羊の群れ」に譬えることに問題はないのかもしれないが、朴槿惠氏はもしやモーゼかキリストの心意気なのだろうか。 ちなみに韓国統計庁の資料によると、韓国の宗教人口は53・1%で、仏教22・8%、プロテスタントが18・3%、カトリックが10・9%、儒教0・2%など。 大統領のこうした発言に、仏教徒の反発が聞こえてこないのは不思議だ。 漢字をほとんど放棄してしまった韓国だが、「国格」という熟語は韓国人が最近、漢字を基に創り出した(実際に新聞紙面に出てくるときは「クッギョク」と読むハングル表記)。 私が愛用する小学館と韓国・金星社の共同編集による「朝鮮語辞典」にも載っていない。おそらく、日本でベストセラーになった藤原正彦氏の『国家の品格』(新潮新書)をヒントに創作されたのだろう。中央日報にこの熟語が初めて出てくるのは09年9月28日のことだ。 韓国語で言う「国格」とは「国家の品格」ではなく、「国家としての総合的な格」といった意味で使われる。 ランク付け大好き国家ならではの造語ともいえる。朴大統領の偉大なるギャグ 朴大統領も、「国格」という造語を使って面白いことを述べている。 「言葉は人格を表し、国民を代表する人たちの言動は国格を表す。……私たちは相手に対して深く配慮しなければならず、それがまさに国格と直結する重要な資産だ」(首席秘書官会議、13年7月15日) 野党による大統領非難が続き、ある議員は「鬼胎(生まれてきてはならなかった人)だ」とまで言った。 そうした「野党の暴言攻勢」に対する反論なのだが、それが朴槿惠氏の口をついて出た言葉となるとどうだ。 南北統一問題では「テバク」(儲け時といった意味)という博打用語を使い、「ギロチンで一気に処分すべきだ」と指示をした国家元首がその一方で、「言葉は人格を表し、国民を代表する人たちの言動は国の国格を表す」と教訓を垂れていた。まさにギャグだ。 朴槿惠氏は「引きこもり型元首」だが、その職責上、さまざまな式典、会議に出席すれば、実によく話す。 「国民を代表する人たちの言動は国格を表す」と朴大統領自身が明言している。 朴槿惠大統領の発言を、その政治社会的背景に留まらず、どんな文化的背景のなかから出てきたのかを探ることは、韓国の国格を理解するうえで有効な手段だと思う。 朴槿惠大統領がますます語ってくれることを期待してやまない。むろたに・かつみ 1949年、東京都生まれ。評論家。慶応大学法学部を卒業後、時事通信社入社。政治部記者、ソウル特派員、宇都宮支局長、「時事解説」編集長を歴任。2009年に定年退社し、評論活動に入る。著書に『悪韓論』『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮新書)、『呆韓論』(産経新聞出版)、『妄想大国・韓国を嗤う』(共著、PHP)など多数。関連記事■ 「大韓ナチズム」に堕ちた韓国■ 「ウリジナル」と「反日」の底流にある韓国ファンタジー古代史観■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出

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    朴槿恵大統領はなぜ第三国での日本批判を繰り返すのか

    澤田克己(毎日新聞前ソウル支局長)日韓で食い違う「告げ口」理解 韓国の朴槿恵大統領が5月4日、安倍晋三首相が米上下両院合同会議で行った演説について「慰安婦被害者たちをはじめとする歴史問題に対する真の謝罪をして近隣諸国と信頼を強化できる機会を活かせなかったことは、米国でも多くの批判を受けている」と述べた。「米国で批判されている」と主張することで、安倍首相を批判したといえる。朴大統領は20日には、ユネスコのボコバ事務局長との会談で、戦時中に徴用された朝鮮人が働かされた施設を含む「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産として登録することに反対する考えを伝えた。 ボコバ氏との会談に関するニュースが流れてきた時、私は編集局内で「朴槿恵さんらしいよね」という声を聞いた。朴大統領が日本にケチをつけるのは珍しくない、という反応だ。驚きがないから、このニュースは翌日の新聞に小さくしか載らなかった。安倍首相の演説への反応にしろ、世界遺産にしろ、日本では「またか」という受け止め方が強いというのが、率直な評価だろう。 ただ、日本でいわゆる「告げ口外交」と言われる言動について、韓国では一般に「告げ口」という意識が共有されていない。韓国では、朴大統領は「正しいことを正当に言っているだけ」であり、「告げ口」という評価は当たらないという感覚が強い。韓国人とこの話題を話すと、話がかみ合わないことが多いのだ。 こうした認識の差は、韓国と日本の社会意識の違いからくるように思われる。韓国側の特徴として挙げることができるのは、やはり儒教の影響だろう。ただし、過去の事象にどれくらい適用すべきかは判断が分かれるとしても、基本的人権のような普遍的「正しさ」というものがあるという感覚は、欧米社会にも強い。さらに、世界遺産問題では日本側の主張にもかなり苦しい部分があるのだが、この点については後述しようと思う。「正しさ」への強い確信4月29日、米議会の上下両院合同会議の演説に臨む安倍首相(共同) 朴大統領は安倍演説を批判した際、「このように日本が歴史を直視できず、自らの過去の問題に埋没していこうとしているといっても、それは私たちが解決してあげられない問題だ」と続けた。ずいぶんと「上から目線」に感じられる発言だ。朴大統領のキャラクターということもあるのだろうが、それだけではなく、自分たちの立場が絶対的に「正しい」という確信が背景にあると見るのが自然だろう。 これは、儒教に基づく韓国社会の伝統的思考法に則ったものだ。韓国では、「正しさ=正義」が絶対視される。別の言い方をするならば、道徳性が非常に重視される。ただ、正義や道徳性の判断基準は自分たちが決めるので、その感覚を共有しない他者から見ると「正義の押しつけ」になってしまう。だから、日本とは「正しい歴史認識」を巡って衝突することになる。 現代韓国研究の第一人者である慶応大の小此木政夫名誉教授は「近世までの朝鮮は経済的に豊かでなく、軍事的に強大でもなかった。中国の儒教文明の強い影響下にあったこともあり、『何が正しいか』という名分論で自分たちの正統性を主張するしかなかった。中国との関係では、力ではかなわないから、論理的な反論をする以外に方法がない。それが、『正しさ』を追及する伝統を生んだのではないか」と話す。 1980年代までの強権的体制の下ではこうした意識が顕在化することはなかったが、民主化と冷戦終結によって重しが外れ、「伝統」の影響力が復活してきたと考えられる。こうした現象は、韓国に限らず、東欧などでも見られることだ。強い序列意識が背景に 韓国の社会意識に大きな影響を与えている儒教・朱子学は、序列意識の強いものだ。そして、序列上位のものには道徳性を強く求める「徳治」が強調される。この考えは、国際関係にも持ち込まれる。韓国が自らより序列上位にあると考える欧米先進国や国際機関に徳を求めて、韓国の正しさ=日本の不当性を訴えようとなるようだ。 その裏には、強大国に力で対抗できない「小国」だと自らを規定する意識がある。周辺国の思惑と争いの中で、自らの運命を主体的に決められずにきた朝鮮半島の歴史を背景にしたものだ。 だから、過去の侵略行為を否定し、慰安婦問題での日本の責任を否定する(と韓国が考える)安倍首相を、米国が歓迎するようなことは、あってはならないことだ。米国を訪れる外国首脳に対する最高のもてなしである、上下両院合同総会での演説の機会を安倍首相に提供し、過去への謝罪をしない安倍首相に拍手を送ることは言語道断ということになる。 それなのに実際には、慰安婦問題や植民地支配について演説で明言しなかった安倍首相に、米国の議員たちは総立ちの拍手を送った。韓国の感覚からすれば、あってはならないことだ。韓国メディアが演説後、「韓国外交の敗北」などと大きく書き立てるほどのショックを受けた背景には、こうした感覚があるといえそうだ。 日本と同じように、韓国にも「国連信仰」がある。世界遺産の問題でユネスコが「正しい」姿勢を見せることに期待する韓国の心理は、安倍演説への反応に通じるものだ。米国やユネスコに「正しい主張」を伝えることは、決して「告げ口」などとは評されないのである。日本相手だけではない「告げ口」日本研究者の「声明」に安堵 米国の著名な日本研究者ら187人が5月4日、慰安婦問題などで安倍首相に批判的な見解を示した「声明」を発表した。賛同者はその後、457人に増えている。 声明は、慰安婦問題について「最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません」と指摘。戦後70年の今年は「日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会」だとして、安倍首相に適切な対応を取るよう求めた。 韓国メディアが歓迎したのは当然だが、その背景には、やはり「国際社会が味方をしてくれた」という安堵感があるはずだ。 研究者たちの声明は、慰安婦問題が「韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました」と中韓を批判する一方で、「強制連行」があったかどうかよりも「非人道的制度を取り巻く、より広い文脈」を重視すべきだと指摘している。普遍的な人権問題としてとらえる国際社会の潮流を反映しつつ、単純な日本批判に陥らないよう苦心した跡のうかがえる内容だ。 残念ながら韓国メディアの多くは、自分たちの「正しさ」に合う部分だけに焦点を当てて報道し、中韓への苦言は無視したり、簡単に触れるにとどめていた。 ただ、朝鮮日報が「日本に対する世界の著名な歴史学者たちの批判を、第三者によるものだから意味があるというならば、韓国に対する彼らの苦言も第三者によるものだから価値があると受け止めるのが成熟した姿勢だ」というコラムを掲載するなど、一部ではあるものの、正面から受け止めようとする姿勢も見られたことは留意すべきだろう。日本相手だけではない「告げ口」 実は、日本的な感覚で「告げ口」に見える行動は、日本を相手にした時だけ出てくるわけではない。修学旅行の高校生ら300人余りが犠牲になった昨年4月の「セウォル号」沈没事故の時も、朴槿恵政権に責任があると糾弾する活動が、約250万人の韓国系市民が住む米国で繰り広げられた。中韓投資フォーラムに出席した中国の習近平国家主席(左)と韓国の朴槿恵大統領=2014年7月4日、ソウル(代表撮影・共同) 事故の約1カ月後には、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストに「真実に光を」と題する1ページ全面を使った意見広告が掲載された。ニューヨーク・タイムズには「なぜ韓国人は朴槿恵大統領に怒っているのか」、ワシントン・ポストには「朴槿恵大統領はセウォル号と共に韓国の民主主義を沈めようとしているのか」というサブタイトルがそれぞれ付いていた。 ニューヨークなど、全米各地で朴大統領の退陣要求集会も行われた。左派系ネットメディア・オーマイニュースによると、マンハッタンでの集会には約150人が参加した。参加者たちは、英語と韓国語で「朴槿恵は出て行け」などと書かれた横断幕やプラカードを持って、「無能無責任な朴槿恵反民主独裁政権を糾弾する」と訴えたのだという。 朴大統領と敵対する進歩派による「場外乱闘」だ。米国の世論が、韓国内の問題に対する抗議活動に大きな関心を寄せるとは考えづらい。抗議活動をしている人たちも、そんなことを本気で期待しているわけではないだろう。米国の世論に「正しさ」を訴えている姿をアピールすることが大事だという感覚があるようだ。世界遺産問題は日韓の意思疎通不在を象徴 「告げ口」外交という本筋からは外れるが、世界遺産問題と関連して一つ紹介しておきたい。「明治日本の産業革命遺産」の対象時期の問題だ。私が知る限り、本稿を書いている5月下旬時点で、このことにきちんと触れたのは5月22日付毎日新聞の社説だけである。 冒頭で紹介した朴大統領の言及にある通り、韓国は、「産業革命遺産」には徴用された朝鮮人が働かされた施設が含まれていると反発している。日本側はこれに対して「対象となっているのは1850年代から1910年までであり、第二次世界大戦中の徴用とは時期が違う」と反論。菅義偉官房長官は「韓国の主張するような政治的主張を持ち込むべきではない」(5月22日の記者会見)と、韓国の反発を一蹴している。 日本も、戦時中に朝鮮人徴用が行われたことを否定しているわけではない。争点といえば、世界遺産登録の申請に入っている時期ではなかったということになる。 申請で対象とされた1850年代は、幕末という意味だ。それくらい、私にもすぐ分かった。だが、「1910年まで」というのは分からなかった。そのため政府の担当者に「1910年に何があったのか」と質問したところ、「ロンドンで開かれた日英博覧会に八幡製鉄所で作られた鉄が出品された」という答が返ってきた。日本が産業化に成功したことを西欧諸国に知らしめた記念の年ということらしい。 世界遺産登録をめざすにあたって、日本の成功を西欧諸国に誇示できた年を区切りとすることは、遺産群にストーリー性を持たせ、訴求力を高める効果を期待できる。だから、申請に当たってそうした手法を取ることは当然であり、なんら批判されるべきことではない。負の歴史があったから世界遺産として保存すべきでないという主張も、正当なものとは思えない。 ただ、1910年が、日本の産業化における画期的な年として従来から認められてきたのかと問われれば、かなり苦しいと言わざるをえない。 象徴的な施設の一つとなっている長崎県の「軍艦島(端島)」で保存運動に取り組んできた関係者によると、世界遺産申請の話が出た当初から、関係者の間では朝鮮人徴用への反発が出るのではないかという懸念があった。そのため、軍艦島などは対象から外そうと検討されたこともあったという。この関係者は「この問題をクリアできるようにしたのが、1910年という区切りだった」と話した。 石破茂・内閣府特命担当相は5月8日の記者会見[注]で、「ロンドンにおいて日英博覧会というものが開催をされ、そこにおいて日本の新しい産業の発展が一つの区切りということになったものだという議論がなされて今回の勧告になった」と説明すると同時に、「この年は日韓併合の年ではないかという指摘も当然予想される」と話した。石破氏の発言にある通り、1910年というのは、韓国との関係においては感情的反発を呼びやすい年でもある。 この問題では、日韓両国の専門家や外交官の多くが「昔だったら事前調整がきちんと行われ、大きな問題にはならなかったはず」と口をそろえる。当初からそうした懸念を持たれていたにもかかわらず、最終局面になるまで放置されていたということは、まさに近年の両国間における意思疎通の不在を象徴するものといえるだろう。[注] http://www.cao.go.jp/minister/1412_s_ishiba/kaiken/2015/0508kaiken.htmlさわだ・かつみ 1967年埼玉県生まれ。慶応義塾大法学部卒、91年毎日新聞入社。99~04年ソウル、05~09年ジュネーブに勤務し、11~15年ソウル支局。15年5月から外信部副部長兼論説委員。著書に『「脱日」する韓国』(06年、ユビキタスタジオ)、『LIVE講義 北朝鮮入門』(10年、東洋経済新報社、共著)、訳書に『天国の国境を越える』(13年、東洋経済新報社)。毎日新聞サイト内に主な記事などを集めた個人ページ「アンニョン!@ソウル」がある。近著に『韓国「反日」の真相』(15年、文藝春秋)。関連記事■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ 朱子学の影を引きずる朴大統領の反日■ 本当は「日韓併合」が韓国を救った! 「七奪」はすべて捏造

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    朴大統領に問われる反日外交の検証

    長谷川良(ウィーン在住ジャーナリスト) 韓国の朴槿恵大統領は過去2年余り展開してきた日本の歴史問題に対する“告口外交”への再考を強いられてきている。というより、外交路線の変更を余儀なくされている。 朴大統領は4日の首席秘書官会議で、「われわれの外交は歴史に埋没せず、歴史は歴史としてしっかり対応し、韓米同盟や韓日関係、韓中関係などの外交問題は別次元の明確な目標を持って、今後もしっかりとした信念の下、積極的に努力してほしい」(韓国聯合ニュース日本語電子版)と述べ、歴史問題と経済・安全保障は区別して対応するという対日外交の基本方針をあらためて示したというのだ。 このニュースは本来、朗報だが、韓国の一方的な反日攻勢にさらされ、傷つけられてきた日本人ならば、「なんと身勝手な政策変更だ」と批判の一つでも呟きたくなるだろう。 朴大統領は就任後、2年余り、反日外交を主導し、外遊先では告げ口外交を展開してきた張本人だ。その間、日本国民は旧日本軍の慰安婦問題で追及され、米国でも慰安婦像が設置され、年内にはソウル市庁舎前広場にも慰安婦像が設置されるという。その大統領はここにきて歴史問題と経済・安全保障は区別して対応するという。朴大統領は過去2年余りの反日外交を検証したのだろうか。 韓国は歴史問題を反日攻撃の武器として利用してきた。その間、日本側は首脳会談の開催を打診するなど、対話を模索してきたが、韓国側からは「先ず、謝罪しろ」と一蹴されてきた。その韓国がここにきて、「歴史問題と経済・安保問題は区別して対応する」と言い出したのだが、日本側が果たしてすんなりと応じるだろうか。 日本の社会では既に嫌韓が広がる一方、韓国への無関心が広がっている。知識人の間では、韓国とは冷静に話し合うことができない、といったネガティブな韓国観が定着してきた。停滞傾向が見えてきた国民経済を回復させるため、韓国が日本へ再度歩み寄ってきたとしても、日本側から「はい、そうですか」といった返答は期待できないのではないか。日本側から「韓国は過去2年間の一方的な反日外交に対し、わが国の国民に謝罪表明すべきだ」という声が出てきても不思議ではない。 喧嘩をふっかけておいて、分が悪くなると喧嘩を止めた、と言いだしても、喧嘩相手が素直に応じるか。もう一度、仲良しになるためには、喧嘩を始めた側が先ず、「ごめんなさい」というのが筋だ。 誹謗や中傷は怖い。悪口、罵声を発した後、その原状復帰には多くの時間がかかる。言葉による暴力は拳よりも痛く、癒されるまで多くの時間がかるものだ。5月6日、米ロサンゼルス近郊グレンデールで、慰安婦問題を象徴する少女像に触れる李容洙さん(共同) 韓国は日本に併合され、多くの苦渋を味わってきたことは間違いない。その民族が相手の痛みには無頓着となれば、民族の品格が問われる。韓国側の一方的な反日プロパガンダで傷ついた多くの日本国民がいることを忘れないでほしい。「安倍晋三首相が70年前の蛮行を謝罪しないからだ」と、いつものように弁解しないでほしい。 「河野談話」や「村山談話」で日本側は過去に対してはっきりと謝罪を表明したが、日本で新政権が発足する度に韓国側は「日本はこれまで謝罪していない」と言い張り、謝罪を要求してきた経緯がある。 朴大統領は、生存されている慰安婦の一人、李容洙さん(86)が6日、 米ロサンゼルス近郊グレンデールに設置された慰安婦の少女像を訪れ 「安倍首相が謝罪するのを見届けるまで200歳まででも生きる」と訴えたというニュースをどのように受け取っているだろうか。李さんは大統領の反日外交の所産だ。一人の慰安婦の過去の痛みに火を付け、憎悪を駆り立ててきたのは誰か。悲しみ、恨みを癒す努力ではなく、火に油を注いできたのが朴大統領の過去2年余りの外交政策ではなかったか。 70年前、日本が多くの韓国人を傷つけたように、韓国は今、多くの日本人を根拠の乏しい反日プロパガンダで傷つける一方、国内の戦争犠牲者に対して日本への憎悪を煽っている。韓国は同じことをしているのだ。 ベトナム戦争時の韓国兵士によるベトナム人虐殺問題が話題となった時の韓国側の戸惑いは何を意味するのだろうか。韓国が常に自負する「道徳の優位性」は幻想に過ぎないのだ。(ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より)関連記事■ 韓国人はドイツ人を全く知らない■ 「大韓ナチズム」に堕ちた韓国■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出

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    なぜ韓国は日本を許さないのか

     日本がいくら韓国に対して謝っても、彼らは、いつまでも謝罪や賠償の要求を繰り返します。そのことに対し、多くの日本人が疑問に思うとともに辟易としているのが現状ではないでしょうか。なぜ彼らは日本を許そうとしないのか、どうすれば彼らの要求が終わるのか? それを理解しないことには日韓友好も何もあった物ではありません。 日韓両国は1965年に締結された日韓基本条約の付随協約により、当時の国家予算の二倍強の協力金(日韓は戦争しておらず賠償義務がないため賠償金とは呼ばない)を日本が韓国に支払うことにより日韓両国間の請求権問題が「完全かつ最終的」に解決されたことを確認しています。 本来であれば、その時点で両国の過去は清算され対等の付き合いを始めるべきなのですが、日韓それぞれの事情により、その後も日本は韓国に対して何度も謝罪や援助を繰り返してきました。それにもかかわらず、韓国は日本に対して、いつまでも謝罪と賠償を要求しています。そんな韓国という国が、我々日本人の目には理解不可能な国に映るのも当然と言えば当然でしょう。韓国人の理屈日韓条約調印式 調印後握手する椎名悦三外務大臣(左から2人目)と李・韓国外務部長官(左) しかし、これは日本から韓国を見た感想であり一面的な物の見方でしかありません。では、反対に韓国から日本を見た場合はどうなのでしょうか。当たり前のことですが、彼らには彼らなりの理屈があります。そして、それを理解しないことには韓国人の日本に対する言動の本質は見えてきません。 その理屈を簡単に言うと「日本の植民地支配に起因する出来事は、すべて日本政府の責任であり、それに対して時効の概念はない」というものです。少し大げさに言えば、日韓併合時代に起こったことは、例え交通事故でも「日帝が道路を拡張したから事故が起こった」と言えば日本政府の責任になるということであり、しかもそれは永遠に請求できる権利であるということなのです。日本人からすれば「そんなアホな」という話ですが、韓国では裁判所も認める当たり前の話として通用しています。 ちなみに、日韓基本条約の交渉時に日本政府は未払い賃金等の個人債権は直接個人に対して保証すると提案しましたが、韓国側がそれを断った経緯があるので、条約締結後の個人補償義務は韓国政府にあります。しかし、韓国政府が意図的に自国民に条約の内容を知らせないでいたため、いまだに多くの韓国民が、その事実を認識していません。もう一つ付け加えれば、この時、韓国は朝鮮半島を代表する国家として北朝鮮の分も受け取っています。ですから百歩譲って日本が北朝鮮に協力金を支払う義務があるとしても、日朝の国交が開始された時点で支払い義務は日本にではなく韓国にあるのです。 なぜ韓国は日本が何度となく謝罪や賠償を行っても、許さないのか それを一言でいえば「そういう国だから」という答えになります。ふざけた言い方に聞こえるかもしれませんが、一言で言いあらわそうとすると、本当にそうなるのです。これで話を終えれば本当に「ふざけるな」といわれるのは間違いないので、今から順を追って説明いたします。韓国はどういう国なのか その国がどういう国なのかを知ろうと思えば、その国民性を見る事も重要ですが、何と言っても、国家の成り立ち(歴史)や統治形態(法令等)を見るのが一番の近道です。特に憲法、中でも「前文」を読み解き現実と対比させれば、その国が、おおよそどの様な国であるのかという様な事がわかります。一例をあげると、いわゆる日本国憲法は前文で「(前略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(後略)」と謳い、まさに「自国の命運を他国に委ねる」という無責任国家の本質を端的に表しています。 では「大韓民国憲法」の前文はどうなっているのかというと、 「悠久の歴史と伝統に輝く私たち大韓国民は己未三一運動で大韓民国を建立し(中略)檀紀4281年7月12日に憲法を制定する」 ※注となっています。 ここで、韓国の歴史を多少なりとも知っている人は、何かがおかしいと感じるはずです。韓国=大韓民国の独立の宣言は1948年8月15日に初代大統領の李承晩が行っているのですから、おかしいと思うのは当然の事です。では、大韓民国が建立されたという「己未三一運動」とは、一体何なのでしょうか? それは、1919年3月1日、日韓併合時代の朝鮮半島で起こった、反日暴動のことです。「大韓民国臨時政府」の史跡前で記念撮影する韓国人観光客。内部は改装され記念館になっている。=2013年8月15日、中国・上海(河崎真澄撮影) この運動自体の評価は諸説いろいろとありますが、要約すると、33名の宗教家が独立宣言書を作成し、それに共鳴した民衆がデモを起こしたという事件です。デモに参加した人数は多いものの運動は約2か月で収束し、処罰された人数の少なさや量刑の軽さ、何の成果もあげられなかったことを客観的に見ると「建国」とはほど遠いのが実情ですが、彼らに言わせると宣言書を読み上げただけで、大韓民国臨時政府ができたということらしいです。  彼らの歴史では、その後、大韓民国臨時政府は上海、重慶と場所を移しながら光復軍を創設し、それをもって連合国の一員として日本と戦い、最終的に勝利したことにより自力で独立を勝ち取ったという話になっています。つまり、大韓民国という国は自国の建立の歴史を、国際社会が認めた李承晩の独立宣言ではなく、自分の都合のいいように書き換えていることが、この前文から分かるわけです。 このことを、分かりやすく書けば 朝鮮(清の属国)→大韓帝国→大日本帝国→アメリカ軍政→大韓民国 という本来の歴史を 朝鮮→大韓帝国→日本植民地→臨時政府→大韓民国 というふうに書き換えているということです。 以上、韓国が自国の都合のいいように歴史を書き換える国であるという説明です。日韓の歴史認識の違い 次に、日本と韓国の歴史に対する認識の違いを整理しておきましょう。 日本において歴史というのは過去に起こった事実を客観的に検証し事実に迫ろうとするものですが、韓国においては事実とは関係なく「こうあってほしい」「こうあるべきだ」という結論をもとにストーリーを作ります。そして、その結論を決めるのは戦いの勝者、つまり時の権力者ですから、話がおかしいと思っても誰も文句は言いません。 彼らは往々にして、自分たちに都合の良い結論をもとに歴史をつくり、自分たちが政権の座から引き摺り下ろした過去の為政者を否定します。それは自分たちが新しく作った政権の正当性を担保するため、政権が交代する度に繰り返し行われる行為で、昔は一族皆殺しなどの残虐行為も珍しくありませんでした。民主化された今は、残虐行為こそ行われませんが、歴代大統領の末路を見れば、韓国の歴史に対する考え方が良くわかるかと思います。 ちなみに政権の正統性というのは、その政権が国を統治する根拠のことで、多くの国では国家設立の過程にその淵源を見ることができます。具体例を挙げると「アメリカ」は、植民地支配により自国を搾取していたイギリスに戦争で勝ち国民を救ったことを、「フランス」は、民を顧みない王家を革命によって倒し国民を救ったことを、根拠としています。 李氏朝鮮の場合は、高麗の将軍であった李成桂が、明との戦いのために集めた兵を己のために自国の王家に向け、いわゆる謀反により政権を簒奪したのですが、彼の国の歴史では高麗王朝は腐敗して民から見放されていたため、李成桂がやむなく高麗王家を討ったという筋書きになっています。 このように事実はともかく、新しく政権に就いたものにとっては、以前の政権が民を苦しめるダメな政権でなければならず、仮にそうでなければ現政権がおこなった行為(特に武力行使)が、君臣の秩序を乱した、ただの権力奪取になり、政権の正統性が疑われてしまいかねません。 大韓民国の場合はどうかというと、憲法前文で「三・一運動により建立された大韓民国臨時政府(後略)」と謳い、1919年に建国したことになっているので、現在の大韓民国にとっての前政権は日本であり、かつ彼の国の歴史では「光復軍」というものにより日本から武力で独立したという話になっていますから、先ほどの「政権の正当性」の話に当てはめれば、歴史の事実がどうであれ日本は民を苦しめる、倒されて然るべき政権であったという話でなければならないのです。 ですから日韓併合時代に朝鮮王国が近代化し、圧政に苦しんでいた民衆の生活が向上して民が暮らしやすい世の中になったという本当の歴史では、韓国政府としては非常に困るのです。まして大韓民国の建国後には国民の生活レベルが日韓併合時代より下がっているのですから、そんなことを認めれば日韓併合時代の方が良かったという話になりかねず、ひいては自分たちの政権の正当性が揺らぐため、何が何でも日本を悪者にしなければないのです。 そのため韓国政府は、歴史を書き換え、自国民を年端もいかない子供の頃から虚実交えて日本に反感を持つように教育しており、その成果とも言えるのが、平成25年にソウルで起きた「日本統治はよいことだった」と発言した老人が若者に殴り殺された事件です。 20代後半で終戦を迎えた日韓併合時代を実体験として良く知る95歳の老人が、自らの体験に基づいて述べた率直な感想に対して、それが真実か否かは関係なく、朴正煕政権末期に生まれた実際の日韓併合時代を直接知らない38歳の若者が日本をほめたという理由だけで殺意を抱くほどの怒りを覚え、それだけではなく、それを実行に移し、なおかつその行為を称賛する人が少なくないという事実は、実際の歴史である日本統治体験よりも、虚構をもとに行われている反日教育の方が、韓国人が日本を憎む原動力となっているという韓国社会の病根を如実に表していると言えるでしょう。 おまけに裁判所が、この若者に対して下した判決が懲役5年であるいうことと、韓国の裁判所が慰安婦訴訟やセウォル号事件で分かるように国民世論の影響を受けやすい体質であることを、重ね合わせて考えてみれば、韓国社会における、この反日無罪のような風潮は一部の人たちだけではなく広く世間一般の人々が容認しているという結論にならざるを得ません。まともな人もいたがまともな人もいたが では韓国人すべてが反日思想の持ち主かというと、そうではありません。このように日本人から見れば絶望的な韓国社会ですが、そんな中でも事実を捻じ曲げた一方的な日本悪玉論に異を唱える希望の光のような人がいるにはいました。 金完燮という作家は「親日派のための弁明」という日韓併合に肯定的な見解の書物を出版しましたが、その結果、本は事実上の発禁処分、本人は逮捕されました。(ちなみに日本ではベストセラーとなっています) また、韓国で国民的人気を誇った趙英男というタレントが「殴り殺される覚悟で書いた親日宣言」という本を出版しましたが、その後は親日派(=売国奴)として激しく糾弾され、芸能活動は休止に追い込まれました。 韓国社会において社会的地位の高い学者とて例外ではありませんでした。ソウル大学で韓国経済史を研究する李栄薫教授は「従軍慰安婦は売春業」と発言したため、元慰安婦らの前で土下座させられ、長時間にわたり罵倒を浴びせられ続けました。 このように韓国社会で日韓併合時代を良く言うことは自殺行為なのです。どんな人気者でも社会的地位の高い人でも、ひとたび日本寄りの発言をすればマスコミをはじめ司法に至るまで、ありとあらゆる方面から圧力を受け、集団リンチで社会的に抹殺されてしまうのです。韓国にも日本のことを正当に評価する人はいるのですが、怖くて声をあげられないというのが本当のところなのです。  このような社会に真の言論の自由などあるはずもなく、今この瞬間にも公教育により反日韓国人が生産され続けられているのです。彼ら韓国政府にとっては日韓併合時代こそが不都合な真実であり、特に日清戦争で日本が勝利したことによって初めて朝鮮が独立したことや、日本人として大東亜戦争を戦ったなどという歴史の事実は、彼らにとっては消し去りたい悪夢なのです。 ですから日韓併合時代に建設された建造物を「日本が建てた」という理由だけで取り壊し、日本に協力したとされる人たちを、親日(韓国では親日=売国)リストに載せ、子孫の財産を没収するなど、近代法の常識である「法の不遡及の原則」を捻じ曲げてまで、過去を消し去ろうとするのです。悲しいことに韓国は日韓併合時代を全否定しなければ国が成り立たないのです。反日の理由ソウルの在韓日本大使館前で慰安婦問題の解決を訴える抗議集会に参加した韓国の若者たち また、今なお戦争状態(南北間は休戦中であり、国際法上の戦争は終わっていません)にあり領土の北半分を占領しながら、韓国と朝鮮半島における政権の正当性を争っている北朝鮮の存在も見逃せません。北朝鮮建国の父である金日成は、日本軍と勇敢に戦い勝利した(事実かどうかは問題ではない)ことを政権の正当性としていますから、そのような歴史的事実がない韓国としては、何が何でも光復軍が日本軍に勝ったという話を創らなければならず、そのために日本人を殺した人物を英雄に祭り上げるなどして組織的な戦闘行為を行わなかった本当の歴史を、暗殺=戦争という歴史に書き換えるなどの作業を行っているのです。 つまり、国家として最も大事な政権の正当性のためには、彼らにとって事実がどうであれ日本が悪の帝国でなければならないのです。そのために彼らは、自分たちが一方的な被害者であると捏造した物語を武器に、国内では自国民に対して幼少期から徹底的に反日教育を行い、国外では諸外国(特にアメリカ)に対して、陰に陽に日本を非難し、日本が悪い国であるかのような印象を与えようとしているのです。 以上、ここまで述べてきたように韓国における反日の根本的な原因は、彼ら自身にあるのですが、それを大前提としたとしても、ここで忘れてはならないのが日本の責任です。言うまでもなく自己の保身のために歴史を書き換えて他国を非難する方が悪いのですが、それを助長してきたのが日本の政治家、官僚、マスコミ、学者、弁護士、市民活動家を名乗る人たちなどである事を忘れてはいけません。 政治家や官僚は保身のために目先のトラブルだけを回避しようとして、韓国の嘘を半ば認めるかのような対応を繰り返してきました。マスコミは日本が悪かったという話を捏造してまで日韓の両国民を洗脳し、時には日本の何気ない出来事を、悪意を持って韓国に伝え、反日感情を煽る一方、韓国の不都合な真実は日本で報道しません。学者は学問ではなく政治活動に走り日本を非難し、弁護士は海外に出かけ被害者を金で釣って集め、その人たちを自身の政治活動のために利用し、市民活動家を名乗る人たちはこれらの人たちの尻馬に乗って騒いでいます。 これでは韓国に対して「どうぞ日本を叩いてください」と言っているのと同じようなもので、実際に現在の日韓関係悪化の最大の原因と言われる慰安婦問題を創り出し育てたのも、これらの人たちです。この人たちは口先では「日韓友好」を唱えていますが、実際にやっていることといえば日韓両国民が互いに反発するようなことばかりで、結果的に日韓関係を悪くしているのです。 中でも日本政府は、今まで韓国の言いがかりを放置しただけではなく、さしたる根拠がないのにも関わらず、ただ単に日本が悪かったという内容の談話を発表するなど国家の責務を放棄したかのような振る舞いを続けてきました。 そのため「日本も自身の非を認めている」などと他国から誤解され、韓国には「日本は嘘でもなんでも大声を出せば、謝り金を出す」と馬鹿にされ、都合のいいように反日カードを使われてきたのです。いわば韓国を傍若無人な国に育てたあげた責任は日本にあるといっても過言ではありません。 そして、もう一つ忘れてはならないのが、日韓両国が友好な関係になれば困る国の工作活動です。典型的なのが、韓国でアジア女性基金を受け取ろうとした元慰安婦の老婆を脅迫して金を受け取らせず、問題の解決を妨げた親北団体の「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)で、彼らは事あるごとに「慰安婦」問題を持ち出し、無理難題な要求を突きつけて問題の解決を妨げてきました。 彼らのように表立って行動する人間は、まだ分かりやすくて良いのですが、本当に気を付けなければいけないのが、日韓の政府中枢やマスコミに深く潜り込んでいる人間です。スパイを取り締まる法令のない日本は言うまでもありませんが、金大中、廬武鉉と従北政権が10年も続き、国家の屋台骨であった国家安全企画部が縮小された韓国は昔では考えられないほど食い込まれています。日韓の主要なポストにいる人間の中にも、日々、日韓両国が離反するような活動を行っている人間がいる事を忘れてはいけません。 いずれにしても韓国は、国策として反日政策を行っているわけですから、そのような相手に対して共通の歴史認識など模索しても無意味な話です。あえて日韓共通の歴史認識を確立するとすれば、日本が韓国の言い分を丸呑みするしか方法がないでしょう。 また、単に嫌韓と言って感情論だけで対抗しようとしてもかなうはずがありません。日本も国家が中心となって戦略的に対抗しなければ、この先も彼らは日本に対しての謝罪や賠償を要求するだけではなく、執拗に反日工作を続けてくるでしょう。 この問題を解決するには彼らが言うように「日韓双方とも歴史を直視して、是は是、非は非と認めることから始めなければならないのです。ただし、それには長い長い時間が掛かるでしょう。※注韓国は1948年の憲法制定から現在に至るまで9回、改憲されています。上記は制定時のものですが、現在においても(中略)より前の文言はほとんど変わっていません。関連記事■呉善花 恨と火病と疑似イノセンスと― 異常な反日行為と心の病■韓国好きの私が韓国を批判するワケ■呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁■「大韓ナチズム」に堕ちた韓国

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    韓国による濡れ衣「もう傍観できない」個人の挑戦

    ックス奴隷』ですから」。しかし、「もう傍観できない。日本人として反撃キックオフ、それしかない」 氏は韓国人の言い分を聞くべく、まず、ソウル郊外にある元慰安婦のための施設、ナヌムの家を訪ねる。しかし、そこで摩訶(まか)不思議な体験をする。大阪の在日の人々に阻まれ、門前払いされたのだ。彼らは一体そこで何をし、何を隠そうとしているのか。 日本大使館正面に設置された慰安婦像前の集会で歌や踊りに熱中する韓国の若者にも氏は問う。金学順氏の「貧しさゆえに14歳で母親に売られた」とのハンギョレ新聞の告白記事を読んだことがあるかと。彼らは読んでいない。金氏は女子挺身隊の名の下に連行されたとの「朝日」の記事を信じているのであろう。 谷山氏は別の元慰安婦、文玉珠氏の残した貯金通帳の拡大コピーを示し、東条英機首相の月給が800円だったとき、彼女が2年間で2万6145円を貯金したことを明らかにする。ソウルでは1千円で家が買えた時代に26軒分の資産を2年で蓄えた女性を奴隷と呼ぶのは無理だと、これは誰でもわかる。 こうした情報はすでに大半の日本人が共有する。問題は、しかし、当の韓国をはじめ諸外国の人々が恐らく、ほとんど知らないことだ。だからこそ全情報を英語で発信する谷山氏のように、国際社会にあらゆる面で事実を知らしめる具体策が急がれる。 1944年10月1日の米軍による慰安婦の調査書や94年1月24日のオランダ政府の調査書は、日本が活用すべき一次資料である。 ビルマで働いていた朝鮮人慰安婦20人を米軍が実態調査した結果、彼女らは強制連行の犠牲者でも、性奴隷でもなかったことが明確にされている。これも多くの日本人にとっては、いまや常識であっても、アメリカ議会の選良でさえ、知っているのは極めて少数である。 94年1月24日のオランダ政府の調査報告書は日本人として気の重くなる内容も多いが、詳細な事実関係を踏まえている。 報告書はインドネシアのスマランの慰安所を「最悪のケース」と断じ、同時に日本軍の上官が、現地の日本軍が女性たちを強制したことを知ると、同慰安所を直ちに閉鎖させたこと、さらに責任者が戦後死刑に処せられたことも明記している。同件は、女性たちへの強制が日本軍の方針ではなかったことを、オランダ政府が逆に証明する結果になっている。 調査は全体の結論を、200~300人のオランダ系女性が働いていた、内65人は売春を強いられたが、大多数(majority)の女性は強制ではなかったとまとめた。 スマランの事例は戦時の性犯罪であり、強制連行問題とは明確に分けて考えるべきものだ。ところが、両者を意図的に混同する議論や論点のすり替えがとまらない。 朝日新聞は吉田清治氏の嘘を認めたうえで、慰安婦問題の「本質」は女性の人権問題だと強弁する。韓国も朝日の論調に同意する。 ではなぜ、韓国政府は韓国当局が100万人もの女性が売春に身を落としていると発表した自国の現実を正そうとしないのか、なぜ、気の毒な女性たちに救いの手を差しのべないのか。谷山氏のこの問いかけに、私は同感である。 もうひとつ、私たちが改めてしっかりと見据えるべきことは慰安婦問題をはじめとする歴史問題がおよそいつも日本人によって提起されている点である。どれも火元は日本であり、朝日はそのすべてに関わっている。 挺身隊と慰安婦を同一の存在として報じた植村隆元記者、南京事件を捏造(ねつぞう)報道した本多勝一氏らの説明責任とともに、一連の問題に日本はなぜ筋立てて反論できなかったのかが、私たちが自問すべき最重要の点であろう。 谷山氏はドキュメンタリーの最後で、日本にいわれなき非難を浴びせる韓国やアメリカにすさまじい憤りを爆発させている。その憤りこそ、大半の日本国民が、実は国内に向けて抱いている思いであることを、私は実感している。 政権与党も外務省も含めて私たちの国は、一体どこで、なぜ、何を、間違えたのか。その失敗を認識して、初めて、有効な反撃作戦が可能になると思う。関連記事■合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識■北岡君、日本を侵略国家にする気かね■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁

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    歴史捏造

    日本文化は朝鮮半島から伝えられた、などと信じている人がいたら、その根拠は? 天皇のルーツは半島にあり、などと無知をさらした政治家もいましたが…

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    慰安婦強制連行は虚構…マイケル・ヨン氏「韓国は中国の操り人形」

    、発信しようとしていることの意味は大きい。慰安婦問題の主戦場の一つはアメリカになっているからである。韓国を利用する中国 ヨン氏の指摘で興味深いのは、慰安婦問題の背景に中国の存在を見ていることだ。「本当の主役は韓国ではありません。慰安婦問題を地政学的、政治的問題の道具として利用しているのは中国です。いわば韓国は、中国の操り人形として利用されているだけなのです」。対談でこれまた明快にヨン氏はそう述べている。 ほか、ヨン氏は「ザ・リバティ」2月号のインタビューでも、「中国は歴史問題を使って、アメリカ、日本、韓国の仲を割り、協力しないようにしています。これは巨大な情報戦・諜報戦なのです」としている。 こうした見解には筆者も同意見である。過去、何度か書いたことだが、中国には古典兵法以来の謀略の伝統がある。思考様式といってもよい。はかりごとにより敵を追い込む世論を作り、心理的に士気をくじき、戦わないで勝つことが、最上なのである。「兵とは詭道(きどう)なり」「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」とはすでに「孫子」にある。 中国は歴史問題で韓国を走狗(そうく)として使ってきたといってよい。2年前、朴槿恵政権が発足する直前に中国はソウルに特使を送り、「中韓が(歴史問題で)はっきりとした態度を取り、立場を示さなければならない」などと、歴史問題での共闘を呼びかけた。韓国はけたたましく反日に走ったが、中国はしばらく静かに構えていた。大国に事(つか)える事大主義の伝統を持ち、反日をいわば国是とする韓国を、うまく使ってきたのである。 自由主義国である韓国と日本が離反して都合がよいのはどの国か。共産主義国にほかならない。だが韓国にはそれが見えていない。さらにアメリカでも、歴史問題で反日世論を広めている中心は、先述の「世界抗日戦争史実維護連合会」という中国系組織である。日米韓を離反させようとする中国の思惑を、日米韓の敏感な人間は読み取るべきなのだ。「親にしてこれを離す」、つまり敵が親しみあっているときはこれを分裂させる、ということも、「孫子」に書かれている。朝日は深刻な問題をもたらした 日本では、慰安婦についての報道で誤った事実を広め国民の名誉を傷つけたとして、約8700人が朝日新聞に謝罪広告などを求める訴訟を起こした。訴訟とは関係ないが、ヨン氏は「Voice」でこうも言っている。「『朝日新聞』は全世界を騙(だま)して、日本に深刻な問題をもたらしたままです」。朝日はこうした声に、言論機関としてもっと答えていくべきだろう。 ヨン氏のように慰安婦問題を公平に見るアメリカ人がいるということは、心強い。「Voice」では、日本人に次のようなメッセージを発している。「大切なのは、慰安婦問題を大声でわめく韓国に対して日本が引き下がらないこと、そして中国の脅威に屈しないことです」。その通りだろう。さらにいえば、日本人が日本の中の左傾勢力の言い分などにごまかされず背筋を伸ばしていくことも、大切である。(大阪正論室長 河村直哉)関連記事■合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識■北岡君、日本を侵略国家にする気かね■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁

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    「不遡及」覆し歴史清算に走る国

    「過去史清算」とか「歴史清算」という表現をたやすく使う国が隣にある。2005年12月、盧武鉉政権下の韓国において「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」が成立した。日本統治時代、その統治に協力した指導者の「反民族行為」の真相を糾明(きゅうめい)し、それが罪過(ざいか)と認定されれば、子孫の財産を没収して国家の帰属とするための法律である。韓国の政治家の法感覚は一驚に値しよう。近代法における法律不遡及(そきゅう)の原則(事後法の禁止)は、ここではいとも簡単に放棄されている。「罪千歳に及ぶ」という中世の法感覚というべきか。 韓国には「正しい歴史」と「間違った歴史」というものがあって、前者の中に生きていくためには後者を抹消しなければならないと考えられているようだ。11年8月の「元従軍慰安婦の個人請求権放棄は違憲」とする大法院判決、13年7月に相次いだ新日鉄住金や三菱重工の元徴用工に対する賠償金支払いに関する高等法院判決などの背後にあるのは、同類の法感覚であろう。 過去史清算や歴史清算の多くが日本の統治時代を対象としており、中国やロシアとの関係史にこれが向けられることはない。一体、どうしてか。李朝の成立以来、朝鮮の支配者の脳細胞の中に埋め込まれた民族的遺伝子のなせるわざなのであろう。14世紀末に成立した李氏朝鮮は、往時の中華王朝・明の忠実な臣下として生きる道を選択した。国号も王位も明による命に服し、喪礼(もれい)、祭祀(さいし)など冠婚葬祭の礼式のすべてが中華のそれに擬して執り行われた。中華より中華的たることをもって誇りとし、「大明国之東屏」と称して中華文明を守護することが朝鮮王朝の任務だと自認したのである。 しかし、17世紀の中葉に満族によって明が倒され、征服王朝としての清が成立して、朝鮮の中華に対する崇敬の念は鬱屈へと変じた。「蛮夷(ばんい)」満族によって樹立された清には服属し難い。さりとて小国朝鮮にはこの巨大王朝に抗(あらが)う力はない。そこで表面的には清の臣下として事(つか)えながらも、心の深層においては中華の伝統を正しく継承するのは清ではなく、「東方礼儀之国」たる朝鮮のみだとする考え方が次第に強化されていった。前者を事大主義と呼び、後者を小中華主義と称する。 朝鮮の小中華主義思想の中枢に位置していたものは、人間社会は儒教の思想と礼式(礼教)により教化され、初めてまっとうすると考える朱子学である。これが原理主義となって朝鮮社会を染め上げた。礼教に無縁な日本人は文字通りの蛮夷である。礼教を原理とする典雅なる朝鮮王朝を蛮夷の日本が侵略し、あまつさえ朝鮮を日本に「併合」することなど道義において許されるはずがない。道義に違背する過去はそのことごとくを糾弾・否定しなければならない。韓国の方こそ未来あるのか ここでは道義が近代法や国際条約に優先する。先の大法院や高等法院の判決がそのことを端的に物語る。国際条約とは1965年の日韓基本条約のことである。それに伴う協定で国家賠償はもとより個人賠償までが「完全かつ最終的に解決」されているのである。道義を近代法と国際条約の上位観念とする国家が近代主権国家といえるか。道義を国是とする専制国家への道を韓国は歩もうというのか。「反日の法令化」を進めて韓国は中世への逆行を始めたのか。 現在の韓国人にはいかにも悔しかろうが、日本の韓国併合は諸列強によって幾重にも承認され、往時の国際法に則(のっと)って合法的に実現されたものである。朝鮮の「文明開化」は日本との「合邦」によって実現するより他に方途なしとする「一進会」に集(つど)った人々は、朝鮮統監府の資料によれば14万人、実際には数十万人に及んだといわれ、朝鮮史上最大の政治集団であった。日本統治下にあって朝鮮の人的・物的・制度的インフラが、王朝時代には信じられない速度で整備され、後の「漢江の奇跡」を呼びさます誘因となった。このことについては、韓国の真摯(しんし)なる研究者の実証研究が少なくない。 「歴史を顧みない国家に未来はない」と朴槿恵大統領は言うのだが、この問いかけが何より自国民に対してなされるのでなければ、韓国は今後とも「仮想空間」の中を漂いつづけ、日本との和解も叶(かな)うまい。従軍慰安婦問題などという虚構を国事と見違える国家にこそ、未来はないのであろう。関連記事■合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識■北岡君、日本を侵略国家にする気かね■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁

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    本当は「日韓併合」が韓国を救った! 「七奪」はすべて捏造

    松木國俊(元豊田通商ソウル事務所駐在員)「遊びに来て」が災いのもと 私は一九七二年に学生として初めて韓国に行きました。クルマといえばトヨタのコロナばかりが走っているころで、裸電球が灯ったりし、初めてなのに、どこか懐かしい気がしました。韓国語は欧米の言語と違って語順が日本語と同じだし、顔も日本人と似ている。けれど、表面はそっくりでも中味は大違いです。 大学卒業後豊田通商に入社。一九八〇年にソウルに駐在しましたが、日韓の文化の違いに驚かされました。日本が当時の金額で5億円の巨費を投じて昭和12年、鴨緑江に建設した水豊ダム。 現在は中朝国境に位置し、いまも北朝鮮の貴重なエネルギー源となっている 日本でも「忠孝の倫理」とか言いますが、韓国では忠より孝が大事。会社の大事なお客が来るときに、韓国人のパートナーが休んでしまう。「お父さんの誕生日だから」と言うのです。仕事のあとで駆けつければいいじゃないかと言うと、「そんなことをしたら周りから白い目で見られる」。考え方が日本とは根本的に違う。言葉の意味も違う。例えば「約束」。ある程度できそうだという見込みがあれば「できる」と約束してしまい、状況が変わると守れなくてもしかたがないという考え方です。「予定」も違う。「明日お客が空港に何時に着く予定だから迎えを頼む」と言っておいたのに、予定の時間に会社にいるので焦って事情を聞くと、「あれは予定でしょ。決定するのを待っていました」との答えがかえってきました。 人と人の間の距離感も違います。韓国人は親しくなってある線を越えると、その内側の相手は身内ということになる。身内ならお金も貸すし、いつ家に遊びに行ってもいい。相手の都合なんかおかまいなしです。私の日本人の友だちが韓国人の女性と結婚しましたが、当時夜間外出禁止令があって、夜、家に帰れなくなった親戚がしょっちゅう泊まりに来る。プライバシーなんかあったものじゃなくて閉口していました。 ある日本人の夫婦が韓国のアパートに入居したとき、エレベーターで隣家の人に会ったので「いつでも遊びに来て」と挨拶したら、その晩に家族五人でやって来て、食事中だから待ってと言ってもかまわず上がりこみ、テレビを勝手につけたり冷蔵庫を開けて飲み物を出したりで、嫁さんが「こんなところにはいられない。日本に帰る」と叫んだなどということもありました。 ジャーナリストの室谷克実さんは慶応大学時代の二年先輩ですが、その室谷さんに聞いた話です。──ソウルのホテルの鮨カウンターで食べていたら、ウェイトレスが「(そのホテルの)社長様がいらっしゃいましたので席を譲ってください」と言う。こっちが客だよ、と窘めても、「私は社長様から給料をもらっていますから」と平気な顔だったそうです。日本と逆で、外部の人に話すときに身内のものに敬語をつけるんです。「父上様は今いらっしゃいません」「課長様は今いらっしゃいません」という調子です。一番大切な身内にすら敬語を使わない日本人は極めて不道徳となるのです。身分格差 韓国人は大げさな表現が好きで、すぐ話がふくらんでしまう。造船輸出が急激に増えた時期にはドックで修理したものまで新造船に数えて統計をふくらませたと聞いたことがあり、実態とは違った数字だったようです。韓国としてはライバル日本に負けないよう精一杯背伸びしたのかもしれません。規模と利益で日本企業を圧倒する韓国のサムスンを模範企業のように言う論調がありますけれど、まだ問題はあるようです。 「サムスン電子は、技術パクリを常とし、世界のさまざまな家電・半導体メーカーから特許権侵害で提訴されている企業です。2011年4月には、アップル社がついにスマートフォンに関する特許権侵害でサムスン電子を告発しました。(略)サムスン電子はアップルに半導体や液晶を納入している、いわばお得意先。そこの製品をパクったのですから、その度胸は賞賛ものです。(略)社員は使い捨てで下請け泣かせ、オーナーの一族は金銭スキャンダルに塗れ、オーナー自身、脱税で有罪判決を受けました。売上高は世界的規模でも、韓国型悪辣・不道徳企業の代表です」〈室谷克実・三橋貴明『韓国人がタブーにする韓国経済の真実』(PHP研究所刊)より〉 サムスンは、以前は日本人を雇って、役員会も時々日本語でやっていたとのことです。研究開発費も、他社から図面やノウハウを買うのにかなり使われているようです。韓国では身分格差が大きくて、サムスン電子のオーナー会長は二〇一一年春、株の配当金だけで百一億円を受け取ったが、勤労者の四五%は二〇一〇年中の平均月収が十五万円以下だったそうです。企業はオーナー一族のものという意識が強く、企業トップが公私混同して背任罪に問われるケースもよくあります。一人が出世すると一族が頼って来て、出世した当人もみんなを養う義務があると考える。一族の者だから金を貸せと突然言って来て、貸さないと門前で「一族なのに貸さないのを皆さんどう思うか」と騒ぎ立てる。大統領ほどの権力者となるとこれにたかろうとする人が後を絶ちません。某大統領が「聞いたこともない親戚が三倍増えた」と嘆いたことがありました。だから辞職した歴代大統領がみんな汚職で追及されることになるのです。人の親切につけこむ人の親切につけこむ こういう韓国社会の様相は百年前に朝鮮を観察したイザベラ・バードの『朝鮮紀行』(講談社学術文庫 時岡敬子訳)にも描かれています。 「朝鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり『人の親切につけこんでいる』その体質にある。そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親族と妻の親族、自分の友人、自分の親族の友人を扶養しなければならない。……おおもとはほとんど揺るがない」 おおもとが揺るがないと言えば、韓国では「過去を水に流す」ということがありません。そういう日本的な美意識は絶対通じません。人を責めるのに、その父、祖父が何をしたかにまでさかのぼって責める。「親日法(日帝下の親日・反民族行為真相糾明に関する特別法)」でも、親日派だった者の子孫の財産を没収するというのですから、不溯及という近代法の原則も何もあったものではありません。だから、過去は自分に都合のいいものでなければならない。実際にあった過去ではなく、「あるべき過去」を主張して、でっち上げてでも押し通さないと生きて行けないのです。 それゆえ、大韓民国の正統性を主張するために、上海にあった大韓民国臨時政府が日本に対する独立戦争をやって勝ったのだと教科書に書き、教えている。近代において日韓が戦ったことなどはないのです。臨時政府が国家として承認されていたのなら、日本の敗戦ですぐ民国ができてもよかったはずですが、実際には南北の軍政下に置かれ、一九四八年にアメリカの軍政下から独立したのです。いわれなき非難に謝罪 韓国にいて歴史認識がおかしいと思い始めたのは、一九八二年の、日本の教科書が「侵略」を「進出」と書き換えたと騒がれたときです。事実ではなかったわけですが、韓国人が興奮状態で、新聞の一面に「日本の軍国主義がまた始まる」と書いて自衛隊観艦式の写真を載せたりした。実態を知らぬまま思い込みだけで非難するのかとびっくりしました。新聞は反日記事を書けば売れる。先日もハンギョレ新聞の論説委員が「日本の右翼勢力をただすには日本を韓国の植民地にするしかない」と書きました。 韓国の非難は的外れだと思って歴史の勉強を始めたのですが、日本では鈴木善幸、宮沢喜一の両元首相が韓国に謝罪してしまい、これでは歴史のウソを認めることになると切歯扼腕しました。 五十歳で会社を早期退職した理由の一つは、日本語教師になり、韓国人に日本語を教えながら日本の本当の姿を伝えて誤解を解きたいと思ったことでした。専門学校に通って教師の資格を取りました。韓国人が日本に来ても、一年ならいい印象を持つ。「韓国人はいじめられる」と聞かされていたがそんなことはなかったと。しかし二年目に文化の壁にぶつかります。友人の家に夜、突然遊びに行ったら嫌な顔をされた、差別じゃないかとか。学校や課外活動を通じて日韓の文化的な違いを教える必要がありますが、なかなか容易じゃない。教師の口が少なく、非常勤講師を二、三コマやっても週に一万円にしかならないなどということもあって、また商売を始めました。 それが可能だったのは、私が前の会社をやめても付き合いを続けてくれた韓国人の友人たちのおかげです。これは有難かった。今度はまず日本人の意識を変えようと、日本会議などに入って情報交換をしていました。 そこへ、ある老人が資料を見せてくれた。かつての朝鮮総督府の年鑑や日本統治下の朝鮮で使われた教科書など。「日本が朝鮮から強奪した」として韓国が主張するいわゆる「七奪」が捏造であることを示す一次資料で、私は目からうろこが落ちる思いでした。 この資料によれば「七奪」非難は完全に否定されます。 一、「韓国国王を奪った」…… 日本は李王家を日本の皇族の一員としてお迎えし、併合時の純宗皇帝は李王となられて日韓の皇室が融合したのです。日本は李王家を手厚く保護しました。朝鮮総督府『施政三十年史』(国立国会図書館蔵)には歳出項目の最上段に「李王家歳費」とあり、毎年百八十万円が計上されています。現在の価値で約二百億円になります。他の宮家の皇族費とは格段に差のある巨額です。さらに梨本宮方子女王が李王家の王世子・李垠殿下に嫁がれました。このこと一つをとっても、日本の「朝鮮統治」は、植民地の王室をことごとく廃止した欧米列強の「植民地支配」とは根本的に違っていることが明らかです。終戦時、李垠殿下は密航してでも朝鮮に帰ろうとされましたが、韓国の李承晩大統領が許さなかった。李王朝を復活させず、共和制国家をつくったのは韓国自身です。 二、「主権を奪った」…… 李氏朝鮮は清の属国であり、国家主権はもともとなかったのです。朝鮮が近代国家として独立し、共に欧米列強の侵略に対抗することを望んだのは日本であり、それを許さぬ清との間で戦争になったのです。日本が勝利し、清と結んだ講和条約(下関条約)第一条には「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス因テ右独立自主ヲ損害スヘキ朝鮮国ヨリ清国ニ対スル貢献典礼等ハ将来全ク之ヲ廃止スヘシ」と朝鮮の独立が明確に謳われています。『日本之朝鮮』(1911)に掲載された「朝鮮人より日本国民に送れる合邦希望の電報」。日韓合邦を望む朝鮮人がいかに多かったかを物語る。水間政憲『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』(PHP刊)より転載日韓合邦の嘆願書日韓合邦の嘆願書 ところが、ロシア、ドイツ、フランスの三国による干渉で日本が遼東半島の放棄を強いられると、国内改革によって専制権力を奪われつつあった国王・高宗はロシアと組んで巻き返しに出ました。国内の親日・改革派を葬り、ロシアに朝鮮の利権を売り渡し、馬山にはロシア海軍の基地が建設されて、日本の独立が脅かされる事態に至りました。そして日露開戦。大韓帝国内では李容九が「一進会」を結成し、日本との一体化こそが国を救う道であると朝鮮民衆に説きました。白人大国ロシアに対する日本の勝利はアジア・アフリカの有色人種を狂喜させた。戦後、李容九は一進会百万人会員の名前で全国民への合邦声明書を発表、さらに韓国皇帝、曾彌統監、李完用首相に対し「日韓合邦」の請願書を提出しました。日韓併合は日本が一方的に進めたのではなく、大韓帝国の中にも日本との合邦を推進した人々が多くいたのです。 一九一〇年に日韓は「韓国併合ニ関スル条約」を締結しました。このときの韓国皇帝の詔勅には、「韓日両国の親密なる関係をさらに進めて一家をなすことがお互いの幸福に通じる」として内閣総理大臣李完用に全権を委任し、大日本帝国統監寺内正毅との両国併合交渉に当らせると記されています。日韓併合条約は国家同士が当時の国際法や国内法に基づいて平和裏に締結した正式な条約なのです。日本が一方的に主権を奪ったのではありません。ヘレン・ミアーズの証言 『アメリカの鏡・日本』の著者ヘレン・ミアーズも「日本が韓国を併合したのは、新皇帝が懇願したからだ。日本は一つ一つ手続きを外交的に正しく積み上げていた、そして宣言ではなく条約で最終的な併合を達成した。列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど合法な手続きを踏んでいなかった」と記しています。J・クロフォード英国ケンブリッジ大教授も、二〇〇一年の国際学術会議で「自分で生きて行けない国について、周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むというのは当時よくあったことであり、日韓併合条約は国際法上不法なものではなかった。強制されたから不法であるという議論は第一次大戦以降のもので、当時としては問題になるものではない」と述べて、韓国側の主張は完全に崩れました。イザベラ・バードも夙にこう書いていたのです。「わたしは朝鮮人の前途をまったく憂えてはいない。ただし、それには左に掲げたふたつの条件が不可欠である。Ⅰ 朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。Ⅱ 国王の権限は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない」三、「土地を奪った」…… 一九七四年以来、韓国の国定教科書には「全国農地の四〇%を日本人に収奪された」と記載されてきました。とんでもない。李氏朝鮮時代は所有権の概念があいまいなために、土地をめぐる争いが絶えませんでした。そこで朝鮮総督府は一九一〇年から八年かけ、近代的測量技術を使って土地調査を行いました。朝鮮総督府『施政二十五年史』(国立国会図書館蔵)には「抑々土地調査は地税の負担を公平にし、地籍を明らかにして其の所有権を確立し、その売買譲渡を簡確実にして以て土地の改良及び利用を自由にし、かつその生産力を増進せしめんとするものである」と目的がはっきり書いてあります。調査の結果、二百七十万町歩と言われていた耕地が、実際には四百八十七万町歩にも上ることが明らかになりました。耕地全体の四五%もが当時の貴族階級であった両班らによって隠匿されていたのです。 韓国では土地調査について「日本人が小高い丘に登ってあたりを見回し、土地を指さして手当り次第良田を奪った」と非難していますが、これは李氏朝鮮時代の話なのです。李朝末期にダレ神父は『朝鮮事情』(平凡社)の中でこう書いています。両班の暴君ぶり「両班は、いたるところで支配者か暴君のようにふるまっている。彼らが強奪に近い形で農民から田畑や家を買うときは、殆どの場合、支払なしですませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令(現在の知事に相当)は一人もいない」。 実際に朝鮮総督府が接収した土地(李朝時代の国有地等)は耕地全体の三%でした。接収の過程で朝鮮人の私有地を奪った事実は全くありません。一九二二年時点で朝鮮半島における国有地及び日本の個人、法人が保有していた土地は合わせて二十五万五千町歩、全耕地面積の六%にすぎません(『朝鮮における内地人』朝鮮総督府、大正十三年発行)。農民たちは自分の土地が測量され地籍に上がるのを見て、測量事業に積極的に協調しました。しかし中には一時の利益に目がくらみ祖先伝来の土地を売ろうとするものもありました。一方、一攫千金を夢見る日本人が大挙、朝鮮にやってきました。当時の寺内総督は、一旗組によって朝鮮の土地が買いたたかれては百害あって一利なしとし、朝鮮農家が日本人に土地を売るとの情報をつかむと憲兵を派遣し、日本人には売らないよう説得させました。そこまで総督府は朝鮮人の利益を守ろうとしていたのです。 四、「国語を奪った」…… 韓国の国定中学校教科書には「我々の言葉を禁止し日本語だけを使うようにして、我々の歴史の教育も禁じた。ハングルで刊行された新聞も廃刊させ、我々の言葉と歴史に対する研究も禁止させた」と書いてあります。そもそもハングルは十五世紀に李朝四代世宗が学者を集めて作らせたと言われていますが、当初より諺文として忌み嫌われ、公文書では一切使われませんでした。イザベラ・バードも「諺文は軽蔑され、知識階級では書きことばとして使用しない」と記しています。そのハングルを再発見したのが日本人の福沢諭吉でした。「日本の漢字仮名まじり文同様、ハングルを駆使すれば難解な漢文を朝鮮語式に自由に読み下すことが可能となり、大衆啓発のために大いに役立つはずだ」 と考え、漢字ハングル混交文を提唱し、ハングル活字を私費で作りました。 朝鮮総督府は日本と朝鮮の学者を集めてハングルを近代的文字体系にまで高め「普通学校用諺文綴法」を決定して教科書に採用しました。さらにソウルとその近郊で話されている言葉を標準語と定め、学校教育を通し全土にこれを広めました。現在の韓国語は、このときに成立したのです。 一九二〇年には総督府によって初めて本格的朝鮮語辞典が完成、刊行され、一九二四年には京城帝国大学に朝鮮語・朝鮮文学の口座が開設されました。半島における日本語の普及にも力を入れましたが、これは共通語の普及が目的であり、朝鮮語廃止など毛頭考えていなかったのです。 日本が朝鮮を植民地と考えていたのなら日本語など教えないほうが支配しやすかったはずです。一九四一年からは朝鮮語の科目が廃止されましたが、これは戦争の激化によって朝鮮語教育に力を入れる余裕がなくなったためです。また科目が廃されたからと言って、朝鮮語の使用が禁止されたわけではありません。当時の日本人は半島の人口の二%程度であり、禁止など不可能です。朝鮮語の新聞も、京城では終戦まで二紙が発行されていました(中村粲『韓国併合とは何だったのか』)。むしろ朝鮮の知識人の中に朝鮮語廃止と日本語常用を唱える人々が大勢いたのです。ハングルを教えている朝鮮・水原郡松山面(村)の公立学校。1929年『生活状態調査』水原郡・第28号より。水間政憲『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』(PHP刊)より転載朝鮮語廃止にストップ日本統治時代のハングル教科書。ハングルを禁止したことなど ないどころか、積極的に教えていた朝鮮語廃止にストップ 南次郎総督が「朝鮮語を廃止するのはよくない。国語(日本語)普及運動も朝鮮語廃止運動に誤解されることがあるくらいであるから、それはできない相談である」と拒否した経緯があります(杉本幹夫『「植民地朝鮮」の研究』)。日本が朝鮮語を奪ったのなら、当時の朝鮮人は全員日本語を話せたはずですが、『朝鮮総督府施政年報 昭和十六年版』には日本語を「やや解しうるもの」「普通会話に差し支えなき者」合わせて約三百九十万人、当時の朝鮮の人口の一六%に過ぎないと記載されています。同資料には「内地人職員に対する朝鮮語の奨励」なる項目があり、日本人官吏が朝鮮語を必死で学ぶ様子がうかがえます。 近代においては日本が西洋の用語を日本語に翻訳して新たな漢語を創造したのですが、朝鮮の人々は日本製の漢語を借用して今日の韓国語を形成しました。韓国語の名詞の七〇%程度が漢語であり、政治、経済、科学、哲学、医学分野はほぼ一〇〇%が日本語の借用です。「社長、副社長、専務、常務、部長、課長、係長」も、「株式会社」「合弁会社」「水素」「酸素」「電気」「手術」もみんな日本語の韓国読みです。日本は統治期間中に朝鮮語の標準語を定め、近代社会に必要な単語を提供しました。奪うどころか、まったく逆のことをやっているのです。 歴史教育についても、朝鮮総督府大正十三年発行『朝鮮語読本 巻五』には「(慶州為先陳列館では)この地方において発見された各種の遺物が保存されており、新羅文明の卓越した様子が明らかに分かる」「石窟庵に入れば穹窿たる石窟の中に二十九体の仏像を周壁に彫刻してあり、その彫刻の優美さは東洋芸術の誇りである」などの記述があり、朝鮮の卓越した歴史を学童たちに教えるべく努力していたことがよくわかります。五、「姓名を奪った」…… 一九三九年に朝鮮総督は朝鮮戸籍法を改正し、朝鮮人が日本名を名乗ることを可能としました。「創氏改名」と呼ばれるこの政策によって朝鮮人の姓名を奪われ、無理やり日本人に同化させられたとして韓国は日本を非難します。しかし、朝鮮人が日本名を名乗ることで日本人が何か得をしたでしょうか。実は、日韓併合直後の一九一一年に朝鮮総督府は総督府令第一二四号「朝鮮人の姓名改称に関する件」を施行し、朝鮮人が日本式姓名を名乗ることを禁止していたのです。朝鮮の伝統風俗を尊重すると同時に、日本人と朝鮮人を名前で区別できなくなることで発生するであろう不都合に配慮したものでした。ハングルで書かれた生徒作品も学校の書道展に並んでいる。日本人がハングルを奪ったという説が大噓であることがわかる。1938年『日本植民地教育政策史料集成』朝鮮篇所収、「渼洞公立普通学校創立30周年記念集」(1936)より。水間政憲『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』(PHP刊)より転載日本名をくれないのは差別 それが変更されたきっかけは、朝鮮人満州開拓団からの強い要望です。朝鮮人に対する中国人や満州人の侮蔑意識が強く、朝鮮人の村々は略奪、放火、虐殺など甚大な被害を受けていた。日本名を名乗れば名実ともに日本臣民となり、侮蔑されなくなるというわけです。半島の朝鮮人の間でも「日本人になって三十年近く経っても日本式姓名を名乗れないのは朝鮮人への差別である」との不満が高まってきました。しかし朝鮮総督府警務部は日本への密航増加や治安上の問題を憂慮して反対し、内地人も朝鮮人も平等であるという「一視同仁」の考えから賛成する文部部とすったもんだの議論の末、ようやく一九三六年に戸籍法改正に至ったのです。 総督府では朝鮮の文化伝統を尊重する立場から「姓」を戸籍簿上に残し、新たにファミリーネームとしての「氏」を創設することにしました。これは朝鮮人が「姓」を変えることなく合法的に日本式の苗字を持てる妙案でした。さらに「せっかく日本人の苗字が名乗れるようになっても、下の名前が朝鮮式のままでは意味がない。名前も変えさせて欲しい」という要望が多く、これに応えるために、裁判所に申請し正当な事由があると認められた場合に限り、手数料を払って名前を変えることも可能としました。これによって「創氏改名」が実現したのです。 この法律が施行されるや町や村の議会で「全員日本名とする」ことを決議するケースも続出しました。朝鮮人官吏が点数稼ぎのために日本名を勧めたこともあったようです。日本名を名乗らないものが朝鮮人の間で非難されることもあったでしょう。改名を拒否して自殺したという話も残っています。しかしそれはあくまで朝鮮人社会内部での問題であり、日本側が強制したわけではありません。南総督は三度も「強制してはならない」という通達を出しています。 また、日本名を名乗らなくても不利益を被ることがなかった証拠に、軍人や政治家、スポーツ選手のなかに朝鮮名を通した人たちもかなりいました。結果的に八○%の朝鮮人が日本名の「氏」を選択したのは、当時世界五大強国の一つであった日本の臣民になることを望んだということです。朝鮮では本貫(一族始祖の発祥地)を同じくする同姓同士の結婚はできず、異姓を婿養子にすることもできない規定がありましたが、創氏改名に伴う民事令の改正で異姓の婿養子を迎えることができるようになり、喜ばれたという事実もありました。あまりの歴史歪曲六、「命を奪った」…… 日清戦争の原因となった東学党の乱から一九四五年までの五十年間、日韓は戦争状態にあり、この期間中に残虐な日本軍は朝鮮人数十万人を虐殺したと韓国では教えています。これが世界中で韓国だけに存在する「日韓五十年戦争」論です。この主張は、朴殷植が一九二〇年に書いた『朝鮮独立運動之血史』という本がベースになっています。朴は上海臨時政府の二代目〝大統領〟になった人物であり、この本は日本を攻撃するために悪意をもって著述したもので、日本の官憲や軍隊の蛮行がこれでもかとばかり書き連ねてあり、私もこれを読んであまりの偏見と事実歪曲、数字の誇張に絶句しました。しかし韓国ではこれが史実として教えられています。「東学党は、政府軍や日清軍と交戦すること九カ月以上にも及んだ。死者三十万人を数え、民族史の上に古今未曾有の惨状を極めた」というのですが、日本軍の本隊が朝鮮半島に上陸したのは東学党の乱が朝鮮政府軍や清国軍隊によって鎮圧されたあとで、それまでは二個小隊しかいませんでした。また、「わが民衆を日露戦争の軍用務労働者として徴用しはじめ、これを拒否したものはロシアの間諜として罪におとしいれ、あるいは拘束し、あるいは拷問を加え、甚だしくは斬殺した。」とあります。しかし日本で国民徴用令が制定されたのは一九三九年であり、一九〇四年に他国の国民を徴用できるはずがありません。 韓国の民族独立運動である「三一運動」を日本が残虐な手段で弾圧し、多くの朝鮮人を虐殺したと韓国は主張しています。一九一九年三月一日、京城(ソウル)の公園に宗教家三十三人が集まり、非暴力・無抵抗主義を標榜して「万歳デモ」に移ったのが始まりですが、これが瞬く間に全国的暴動に発展し、地方では農民たちが武装して村役場、警察・憲兵事務所、富裕地主等を襲撃する凶悪な行動へ転化しました。在朝鮮日本人に「日本へ帰れ」と投石して脅迫した事実はテロそのものであり、決して一般大衆から支持されたものではなかったのです。黄色人種間の分裂を図る欧米宣教師に煽られた朝鮮人キリスト教徒たちが暴徒と化し、これに近代化で特権を喪失した両班や旧軍人らの不満分子が乗っかって広がった破壊活動であり、警察や憲兵が鎮圧するのに武器を使用したのもやむをえざるところでした。『朝鮮独立運動血史』には日本官憲が各地で悪逆非道な弾圧を行ったと記されています。ところがそのほとんどは裏付けのない伝聞にすぎません。唯一、西洋人が視察して公に伝えたとする水原岩里事件では婦女子が犠牲になったとしていますが、英国紙「モーニング・アドバタイザ」の京城特派員は「殺害された三十七名全員が男性」と記述しており(木原悦子『万歳事件を知っていますか』)、朴の創作が明らかです。日本の裁判の公正に感激 実際の日本の対応は、金完燮『親日派のための弁明2』によれば送検された被疑者一万二千六百六十八人、六千四百十七人が起訴され、一審で三千九百六十七人が有罪判決を受けましたが、日本人憲兵六名と警官二名が虐殺され、多くの建物が放火されたにもかかわらず、死刑は一人もなく、十五年以上の実刑もなく、三年以上の懲役がわずか八十人で、しかも減刑と赦免で刑期が半分以下となりました。この時逮捕された三一運動の主要リーダー崔麟、李光洙、崔南善、朴煕道たちは日本の裁判のあまりの公正さに感激し、やがて強烈な日本ファンとなって、一九三〇年代の言論界をリードすることになります。 李朝末期における農民の生活は悲惨で、毎年多数の餓死者が出ていました。この改善が朝鮮総督府の最大の目標であり、一九二六年に「朝鮮産米増殖計画」が施行されました。併合当初、朝鮮の水田は八〇%が天水に依存していましたが、この計画により七〇%以上が天水依存から脱し、その他の改良と相まって朝鮮農業は飛躍的に発展しました。一九一〇年に朝鮮全土で約一千万石程度だった米の生産高は一九三〇年代には二千万石を越え、大豆と雑穀の生産高も併合時より六〇%増えました。一九三一年に朝鮮総督となった宇垣一成は「朝鮮農山漁村振興運動」を展開し、朝鮮農民の意識を近代化に向けて大きく前進させました。一九三三年から三八年にかけての農家収入は二倍に増えています。 李氏朝鮮時代は劣悪な衛生環境のなかでしばしば十万人以上の死者を出す疫病が流行していました。西洋医学が普及しておらず、東洋医学のみに頼る状態でした。本格的に近代医療システムの導入が始まったのは併合後、朝鮮総督府が改善に取り組んでからです。京城大学附属病院、各道の慈恵病院が作られ、一九一〇年には百二十万人に種痘が施されました。このような日本の努力の結果、朝鮮人の平均寿命は、一九一〇年の二十五歳から一九四四年には四十五歳まで伸びました。日本が朝鮮人の寿命を伸ばし、命を救ったのが歴史的事実だったのです。七、「資源を奪った」…… 韓国の中学校歴史教科書には「日帝は金、銀、タングステン、石炭など産業に必要な地下資源を略奪した」と書いてありますが、実際には朝鮮半島にそれほど魅力的な資源はありませんでした。石炭は無煙炭であり、オンドル部屋の暖房用練炭が主用途で、金、銀、タングステンなどは日本の会社が厖大な開発費を投じながら、結局大赤字でした。東南アジアから輸入したほうがよほど安上がりだったのです。収奪どころか、日本は逆に税金をつぎ込み、産業を育成しました。大韓帝国が一九〇六年に初めて作成した国家予算は七百四十八万円にすぎなかったのに対し、日本は一九〇七年から一九一〇年まで毎年二千万円から三千万円を補助しています。日本の国家予算の二〇%を越えたこともあります。併合後も毎年二千万円前後の資金を持ち出し、昭和十四年になっても日本からの補充金と公債を合わせると全予算額の四分の一を占めていました。日本統治期間を通して日本政府が朝鮮半島につぎ込んだ金額は、累計で二十億七千八百九十二万円、当時の一円が平均して現在の三万円とすると六十三兆円という天文学的な数字になります。また、大韓帝国時代から日本は鉄道建設に力を注ぎ、その総経費は現在の価値にして十兆円以上になります。民間資金もダム建設に投入され、有名な水豊ダムだけでもその額は現在の価値で三兆円近いものです。これによって生み出された豊富な電力を利用するために日本の多くの大企業が朝鮮北部に投資しました。それによって朝鮮人の雇用を創出するとともに、付加価値の高い製品を日本へ移出することで朝鮮経済を豊かにしたのです。*   *   * いまや韓国はG20に名を連ねる大国です。「日本への恨」を持ち続けて何の意味があるのでしょう。日本民族と韓民族が互いに誤解と偏見を克服し、それぞれの先人を誇りに思えるとき、初めて日韓間に互恵平等の関係が樹立できると思います。日の丸と太極旗が並び立ってアジアの繁栄と安定を築くことを願っています。松木國俊(まつき・くにとし) 一九五〇年、熊本県生まれ。七三年、慶応義塾大学法学部政治学科卒業。同年、豊田通商株式会社入社。八〇年~八四年、豊田通商ソウル事務所駐在。秘書室次長、機械部次長を経て二〇〇〇年、豊田通商退社。〇一年、松木商事株式会社設立、代表取締役。現在に至る。日本会議東京本部調布支部副支部長、新しい歴史教科書をつくる会三多摩支部副支部長も務める。関連記事■合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識■北岡君、日本を侵略国家にする気かね■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁

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    ヤマトの痕跡を消せ! 前方後円墳まで「整形」 

    るか歴史家の猛省を促さざるをえません。円墳にされた松鶴洞古墳松鶴洞古墳実測図円墳にされた松鶴洞古墳 韓国の古代史改竄、捏造によるおかしな歴史の主張は広開土王碑だけではありません。 一九八〇年代、朝鮮半島南西部の全羅北道、全羅南道、とくに南道の栄山江沿いに十四基の前方後円墳が次々と発見されました。 前方後円墳は日本に固有のものと考えられてきましたから、韓国の学者はここぞとばかりに、「前方後円墳の発祥地は韓国で、倭国へ伝えられた」と声高に主張しました。 しかし、その主張もほどなく破綻しました。 なぜかというと、日本では岩手県から鹿児島県までの広い範囲で前方後円墳が多数見つかっており、造営された年代も明らかに韓国の前方後円墳より古かったからです。前方後円墳は日本で独自に発達した墓制(=墓のつくり方)であり、日本(倭国)から朝鮮半島に伝わったものなのです。 そして、朝鮮半島で前方後円墳が見つかった地は、『日本書紀』が記す任那西部の地なのです。任那をめぐっては、その存在に言及することすらタブーとされる風潮がありますが、史実を政治的な理由で曲げてはなりません。 ところが、前方後円墳と確認されながら、政治的事情のため「三つの円墳」にされてしまった古墳があります。それが慶尚南道の沿海部固城の中心部にある松鶴洞(ソンハクトン)古墳です。固城は古来、小伽耶とも呼ばれ、固有名は古自、古嗟、久嗟ともいわれ、任那南部の一国に数えられていました。 松鶴洞古墳の概要は以下の通りです。〈全長六六m、後円径三七・五m、前方部が若干丸みを帯びるが、円墳二基ではなく、前方後円墳として認識される。後円部上に石材が露呈するが、かつて鳥居龍蔵によって一九一四年に発掘された竪穴式石室の一部で挂甲(小札)など鉄器が出土している。また墳丘上から五世紀代の土器が採集されており、古墳のおおよその時期が推定される。周囲には六基の円墳が、あたかも陪塚群のように分布し、さらにその東側二〇〇~五〇〇mに三基、北三〇〇mほどの基月里に二基の古墳が遺存する。かつては相当数からなる古墳群であったようである。固城は小伽耶国に比定されるが、その中心は地理的にみても、この松鶴洞古墳群付近であろう〉(『韓国の古代遺跡 2百済・伽耶篇』中央公論社) 左の実測図は、一九八三年六月、嶺南大学校の姜仁求教授が「韓国の前方後円形墳」という題で論文を発表したものです。 この発表により、戦前からいわれていた松鶴洞古墳の「前方後円墳」は確定したかにみえましたが、その後、おかしな方向へ進みます。 その原因は、韓国の学者たちの日本から前方後円墳が伝わったなどありえない=認めたくないという極端なナショナリズムと、それに同調する一部の日本人学者によるものです。韓国では、「日本の文化はすべて韓国から渡来した」と主張する人々がおり、前方後円墳韓国起源説を唱える学者もいますが、現在では、前方後円墳は日本で独自に発展したものであるというのが定説です。1996年撮影の固城松鶴洞古墳(西より望む)。岡内三眞編集『韓国の前方後円墳』(雄山閣出版)より2012年6月筆者撮影の同所古代遺跡を改竄工事 ところが、この松鶴洞古墳にある“悲劇”が起こります。 上記の写真をご覧ください。一九九六年撮影時は前方後円墳であったものが、二〇一二年撮影の写真では、三つになっているのがわかります。なぜ、こんなことが起こってしまったのか──。日本考古学の第一人者、森浩一氏の『森浩一・語りの古代学』(大巧社)にその経緯が語られています。〈松鶴洞(ソンハクトン)古墳を案内なしに自分の眼で確かめたく、一九八三年八月に現地を訪れた。十年あまり前の扶余での見学とは違って、まぎれもないダブルマウンドが丘陵上に造営されていて、現状、つまり原形では前方後円墳の仲間に入れることに少しの躊躇も覚えなかった。(中略) その後、松鶴洞古墳については、現在の形が近年の変形であるというような噂話がひろまったりしたが、日本の古墳の例ではそれらは取るに足らない噂話にすぎなかった。はたせるかな、そののち姜先生の努力で故鳥居龍蔵先生が戦前に撮影されていた古墳の側面からの写真が発見され、ぼくは噂話が意図的に流されていると感じ、不快であった。「発掘もある種の遺跡の破壊である」という原則が考古学界にはあって、どの学者もたえずその言葉をみ締め自戒する必要がある。ぼくは今回の松鶴洞古墳の発掘ほど、この言葉を感じた発掘は他に例を見ない。発掘によって、かつていわれていたような近年での変形を示す兆候は何一つないのに、どうして原形がダブルマウンドなのかの前提を抜きにして、数基の円墳連続説が発掘の開始直後から提出され、その説が導かれる過程ではなく、結論だけが流布された。 これは学問の手順として明らかに間違っているし、学問の名において文化財を変形・改変することになる。友人の多くは発掘を見学してきたが、ぼくは現地を見るに耐えられず、見に行かなかった。ぼくには発掘される以前の、あの美しい墳形が今でも瞼に焼きついていて、それで充分である。 福岡県筑紫野市に剣塚という六世紀の前方後円墳があって、横穴式石室が埋葬施設である。これがこの古墳の原形だった。ところが高速道路の建設で、現在の墳丘を取り除くと、墳丘の下には数基の古墳があることがわかり、前期古墳(古剣塚)を取り込んで、六世紀に若干の盛土を加え、前方後円墳に造り替えていることがわかった。 松鶴洞古墳の円墳連続説には、数人の日本人学者も賛同した言辞はみられるが、この人たちは剣塚と古剣塚の関係を報告書で読んだことがあるのだろうか。読んだのに知らぬことにしているようでは、勇気ある学者とはいえないし、応用能力もあるとはいえない〉(『悠山姜仁求教授停年紀念 東北亜古文化論叢』二〇〇二年二月)「高く見えた」から改造「高く見えた」から改造 韓国では、二〇〇〇年七月から東亜大学校博物館によって、前方後円墳の後円部(彼らは第一号墳と呼ぶ)の発掘調査がありました。二〇〇一年秋に沈奉謹教授が発表した「加耶地域と国際交流──固城松鶴洞古墳群」(『東アジアの古代文化』一〇九号、大和書房)で、次のように報告しています。 〈(一)調査を実施した結果、第一号古墳は前方後円墳ではなく、三基以上の大小古墳群が重複していることを現地説明会で報告することになった。(二)メインの1A号墳には頂上からさほど遠くないところに都合一一基の竪穴式の石槨が配置されるなど、中小の石槨が見られる。これらはメインの墳丘が築かれたあと、また墳丘を掘ってその中に石槨を配置する過程での重複、補強土の攪乱状況など、埋葬当時の特徴を通して築造順序の先後関係が明らかにされている。(三)1B号墳は、従来前方部と知られていた北方に当たる部分である。(中略)西南方と西北方の封土層からも陪葬や追加葬と想定される小型の石槨が現れた。(四)1C号墳は、前記の両古墳の間にある。(中略)この古墳はその位置や構造から見て、三基の中でもっとも遅い時期に築造されたものと推定されるが、残存する遺構の規模や形態から、前記した両古墳よりは高く見えたと思われる〉 今回、前方部にも前方部と後円部間の窪地にも遺跡が出てきたことで、三基以上の古墳が出てきたとし、前方後円墳ではないと早トチリをしたのです。 これは後円部のみに被葬者の石室・石棺があるはずとの固定観念によるものです。日本でも西殿塚古墳をはじめ、後円部と前方部に複数の石室・石棺の例があるにもかかわらず……。 また、最後の1C号墳が「両古墳より高く見えた」という意味が不明です。遺物が立派だったから、円丘は高くなくてはならないということになるのでしょうか。 五世紀後半から六世紀前半にかけての任那・伽耶(加羅)地域が、倭国とどのような外交・軍事、そして社会的関係にあったかという文献的知見を見ることなく、ただ「前方後円墳否定」に走ってしまったのは残念なことです。 韓国の考古学界は、この問題について、(1)前方後円墳とは認めない、認めたくない、(2)発掘したら三基の墓が出てきた。前方後円墳でない恰好の理由だ、(3)窪地の第三墓の上に新たに円形の盛土をした、という大きな三つの誤りを犯してしまいました。 鳥居龍蔵による古墳調査の写真、そして姜仁求教授の精密な外形の測量調査結果を無視してはいけないのではないでしょうか。 沈奉謹教授はなぜ、一九九六年まで、一千五百年来固城湾を望み、美しいたたずまいを見せていた松鶴洞前方後円墳を、ただ学会の勢いということで、前方と後方を二分し、その間に醜悪な小山を造ってしまったのでしょうか。 ただ「高く見えたと思われる」の一言で、遺構の未来とその美しい外観をバラバラにしてしまったのではないでしょうか。現在の日韓の人たちに対して、また同時に往時の伽耶・加羅の人、その地で交易をおこなってきた倭国の居留民に対して、あまりにも心ない行いと言わざるをえません。『知っていますか、任那(みまな)日本府』(PHP研究所)は 臆病な学者たちが言及することを避けている真実に迫っている津田左右吉の功罪 このような韓国側の改竄・捏造を日本人の学者も充分に知っているはずですが、なぜ「だめだ」と言わないのでしょうか。なぜ迎合しているのでしょうか。彼らは、指摘してしまうと韓国側から資料をもらえなかったり、お互いの学会の交流ができなくなってしまうであるとか、変なことばかり気にかけているのです。 ですから、「任那」という言葉も使いたがらないのです。これはおかしいことです。事の善し悪しは別にしても、事実は事実として、後世の人のために残すべきです。 教授の方針に逆らえば、准教授の立場もなくなります。当然、学生も逆らえません。ですから、最近の学生がやっているのが木簡の研究です。木簡は「字」が書いてあるわけですから、否定のしようがない。完全に確かなものしか研究できなくなっていて、木簡の研究をせざるをえないのです。そうすると、他のことがおろそかになってしまうという悪循環が起こり、日本の歴史学、特に文献歴史学が遅れているのです。 これらの左翼的学会の風潮をつくったのは、津田左右吉です。 彼は、『古事記』『日本書紀』の仲哀天皇以前は作りものである、ということを書いたために、昭和十七年、「皇統を蔑視した」ということで裁かれます。 皮肉なことにミッドウェー海戦の直前に東京高裁で禁錮二年・執行猶予つきの判決が出ました。一番日本の国力が上がってきたときに実刑にせず、執行猶予つきの判決ですから、ずいぶん公平な判断を下したと思います。 ただ、それを戦後の学者が「津田先生は偉かった。裁判にまでかけられて、政府に反抗した」というように利用しようとしたのです。 戦後数年経って、『世界』が津田左右吉に論文をお願いして、それがまた騒ぎになりました。 津田左右吉は「自分は皇室否定論ではない」という論文を書いたのです。そのことに左翼連中がびっくりして、「これはないことにしてくれ」と言ったのを突っぱね、それ以降津田左右吉は論文を書かなくなってしまいました。 一方、津田左右吉の名前と戦前の学説だけが残り、裁判を受けたという事実をもって、学者たちは彼の名前を利用しながら、戦後日本の社会主義的風潮に乗っかってしまったのです。世界でも稀有な例 そして、これを良しとしたのが、朝鮮半島の歴史学者たちです。これにより、彼らが触れることを避けてきた「日本人が朝鮮半島で高句麗と戦い、新羅王城を攻め、一時期は百済の宗主国的役割を果たしていた」という研究をする必要がなくなってしまったからです。 今は百済も新羅も、大陸の隋や唐も滅亡しましたが、ひとり我が国のみ、善し悪しは別に、絶えることのない歴史のつながりの中に生き続けているのは、世界でも稀有な例であり、誇らしいことでもあります。 任那について否定する風潮が続いていますが、歴史というものは、善悪は別にして史実は史実として研究を重ね、明らかにせねばなりません。その意味で、極端な左翼史観や、極端なナショナリズムにとらわれることのないよう、研究を積み重ねていってほしいものです。大平裕(おおひら・ひろし) 一九三九年生まれ。東京都出身。東京教育大学附属高校より慶應義塾大学法学部政治学科へ進み、六二年古河電気工業に入社。同社海外事業部第一営業部長、監査役、常任監査役を経て二〇〇一年退社。現在は大平正芳記念財団の代表を務める。著著に『日本古代史 正解』『日本古代史 正解 纒向時代編』『日本古代史 正解 渡海編』(以上、講談社)、『知っていますか、任那(みまな)日本府』(PHP研究所)などがある。関連記事■合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識■北岡君、日本を侵略国家にする気かね■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁

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    日本は侵略国家か

    「朝鮮を植民地化した」と気やすく表記しますが、本当でしょうか。正しくは合邦で、日本本国と同等としたのですが…。

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    「侵略戦争」という言葉は歴史を見る目を歪める

    埼玉大名誉教授・長谷川三千子 「私は安倍さんに『日本は侵略した』と言ってほしい」―3月9日、或(あ)るシンポジウムの席上で北岡伸一氏が述べたと伝えられるこの発言は、大変な問題発言と言うべきものです。「安倍談話」について検討する懇談会の座長代理を務める方が、いわば場外である公の場で自らの私見を述べる、というマナー違反もさることながら、一番の問題は発言の内容です。 日本が侵略戦争をしたのか否かという話を政治の場に持ち込んではならない―これは単に、そういう問題は歴史学者にまかせておけばよいから、というだけのことではありません。もしも本当に学問的良心のある歴史学者ならば、そんな問いには答えることができない、と突っぱねるはずです。 なぜなら「侵略戦争」という概念そのものが極めていい加減に成り立ったものであって、今に至るまできちんとした定義づけがなされたためしはないからなのです。 ここで簡単に「侵略(アグレッション)」という言葉が国際法の舞台に登場してきた経緯を振り返ってみましょう。今われわれが使っているような意味での「侵略(アグレッション)」という言葉が最初に登場するのは、第一次大戦後のベルサイユ条約においてです。 いわゆる「戦争責任(ウォー・ギルト)」条項として知られる231条には「連合国政府はドイツおよびその同盟国の侵略により強いられた戦争の結果、連合国政府および国民が被ったあらゆる損失と損害を生ぜしめたことに対するドイツおよびその同盟国の責任を確認し、ドイツはこれを認める」とあります。 そして、このような罪状によって、ドイツには連合国の戦費すべてを負担する全額賠償という巨額の賠償が負わされたのでした。敗戦国だけに責任負わせる概念 では、そのような重大な罪であるドイツの「侵略」はどんな根拠に基づいて認定されたのかといえば、ほとんどいかなる客観的検証もなされなかった。むしろ逆に、前例のない巨額の賠償を根拠づけるために、降伏文書では単なる普通の武力攻撃を意味していた「アグレッション」という語を、重大な罪を意味する言葉「侵略」へと読みかえてしまったのです。 現在のわれわれは、第一次大戦がいわば誰のせいでもなく起こってしまった戦争-各国のナショナリズムの高揚の中であれよあれよという間に拡大してしまった大戦争だったことを知っています。 その戦争の原因をもっぱら敗戦国だけに負わせる概念として登場したのがこの「侵略」という言葉だったのです。こんな言葉を使ったら、歴史認識などというものが正しく語れるはずはありません。 でも、それからすでに100年近くたっているではないか。こんなひどい概念がそのままということはあり得ない、と言う方もあるでしょう。確かに、第一次大戦と第二次大戦の間には不戦条約というものが成立して、それに違反した戦争は違法な侵略戦争である、という言い方ができるようになってはいました。 ところが不戦条約には米国の政府公文の形で、この条約は自衛権を制限するものではなく、各国とも「事態が自衛のための戦争に訴えることを必要とするか否かを独自に決定する権限をもつ」旨が記されています。現実に個々の戦争がこれに違反するか否かを判断するのは至難の業なのです。 第二次大戦後のロンドン会議において、米国代表のジャクソン判事はなんとか「侵略」を客観的に定義づけようとして、枢軸国のみを断罪しようとするソ連と激しく対立しますが、最終的にはその定義づけは断念され、侵略戦争の開始、遂行を犯罪行為とする、ということのみが定められました。しかも、それは枢軸国の側のみに適用されるということになったのです。そしてその後も、この定義を明確化する国際的合意は成り立っていません。 つまり、「侵略」という言葉は、戦争の勝者が敗者に対して自らの要求を正当化するために負わせる罪のレッテルとして登場し、今もその本質は変わっていないというわけなのです。この概念が今のまま通用しているかぎり、国際社会では、どんな無法な行為をしても、その戦争に勝って相手に「侵略」のレッテルを貼ってしまえばこちらのものだ、という思想が許容されることになるといえるでしょう。 こんな言葉を、安倍晋三首相の談話のうちに持ち込んだら大変なことになります。首相がしきりに強調する「未来志向」ということは、もちろん当然正しい歴史認識の上に立って、平和な未来を築いてゆくのに役立つ談話を出したい、ということに違いない。だとすれば、歴史を見る目を著しく歪(ゆが)めてしまうような言葉や、国際社会において、「法の支配」ではなく「力の支配」を肯定し、国家の敵対関係をいつまでも継続させるような概念は、決して使ってはならないのです。国際政治がご専門の北岡さんには改めて、本来の学識者としての良識を発揮していただきたいものです。関連記事■呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁■併合朝鮮をめぐる国政参政権付与

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    北岡君、日本を侵略国家にする気かね

    な内容を期待されますか。伊藤 前の戦争についてはサンフランシスコ講和条約ですでに決着がついています。韓国とは日韓基本条約を結んで多額の資金供与と融資を行い、それをもとに世界最貧国だった韓国の近代化が始まった。中国とは国交正常化を果たし、天安門事件で世界から制裁を受けているときには天皇が訪中して国際的な立場を回復させた。さらに多額のODAと技術的援助をしてやったおかげでいまや世界ナンバー2の経済大国になった。それがすべてです。 だから、もう過去に触れる必要はないんじゃありませんか。そういうことを本当は北岡君が言うべきなんだ。七十年もたって、いまさら「申し訳ありません」でもない。まして「侵略」なんて曖昧な言葉は決して使うべきではない。 過去への反省がないと中国・韓国あたりが言ってきたら、「村山談話」を引き継いでいると言っているんだからそれでいいじゃないか。歴史認識云々に対する反論は別にやればいい。談話は戦後のアジアはじめ世界に対する日本の貢献と未来の話をするべきです。ぜひそういうものにしていただきたい。伊藤隆(いとう・たかし)一九三二年、東京都生まれ。東京大学文学部卒。同大学院人文科学研究科国史専攻修士課程修了。専攻は日本近現代政治史。東京大学教授、亜細亜大学教授、埼玉大学教授、政策研究大学院大学教授を歴任。現在、東京大学名誉教授。主な著書に『日本の内と外』(中公文庫)、『昭和史をさぐる』(吉川弘文館)、『評伝 笹川良一』(中央公論新社)などがある。関連記事■呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁■併合朝鮮をめぐる国政参政権付与

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    合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識

    渡部昇一(上智大名誉教授)ピサロの侵略と「コロニー」 明治四十三年(一九一〇年)、日本と韓国は合邦しました。 これを日本による韓国の「植民地化」ととらえる考え方があり、むしろ、それが一般的な風潮となっています。もちろん、韓国や北朝鮮は政治的な利害からそう主張している。しかし、それは日本と朝鮮半島という、地域的にも思想的にも限定的な、狭い見かたにすぎません。アジアに対する欧米の帝国主義、植民地主義が当然とされていた時代の、世界史的な視野で見るべきだと思います。 たとえば、英語の文献では、日韓合邦のことを「アネクセイション」(annexation)と表現しています。これは「植民地化」を意味する「コロナイゼーション」(colonization)とはイメージがまったく違う。歴史を公平に客観的に見るには、言葉が当時どのように使われていたかを知ることも重要です。現代の常識で過去を断罪すべきではありません。頭ではわかっていても、ついついいまの物差しで歴史を計ってしまいがちです。 そこで、少々衒学めきますが、初めに「アネクセイション」と「コロナイゼーション」の違いをイギリスの辞典などにもとづき、できるだけわかりやすく述べておきたいと思います。 まずコロナイゼーションの語源を考えてみましょう。“colonization”の“colo”は「耕す」とか「居住する」という意味です。このラテン語の動詞の過去分詞“cultum”は「耕された」「洗練された」の意で、「耕作」「教養」の意味の英語「カルチャー」(culture)も、そこからきています。 “cultum”の派生語である“colonia”(コロニア)は、「農場」「領地」という意味でした。元来はローマ帝国の拡大にともなって新たな征服地へ移り住んだローマ市民、とくに「ベテラン」(veteran)と呼ばれる除隊した兵士たちが住んだ土地のことです。彼らはローマ市民権を持ち、駐屯兵として帝国防衛の役割も担いました。「屯田兵」のようなものと言えばわかりやすいでしょうか。 イギリスをみてみると、ブリテン島にはローマのコロニアが九つありました。よく知られている地域では、ロンドン、バース(Bath)、チェスター、リンカーンなどがあげられます。いずれも当時はローマのコロニアでした。 さて、ローマ時代には「農場」「領地」という意味だった「コロニア」が、やがてギリシャ語の「アポイキア」(apoikia)の意味にも使われるようになりました。ギリシャはシュラキウスやイタリアの島に入植し、独立・自治の・植民地を建設した。それが「アポイキア」で、メトロポリス(母なるポリス)から独立して住むところという意味でしたが、それもラテン語ではコロニアというようになったのです。 では現代英語で「植民地」をさす「コロニー」(colony)という言葉はいつから使われるようになったのか。 最初にコロニーという言葉を英語で使ったのは、リチャード・イーデンという十六世紀イギリスの翻訳家です。ペルーのインカ帝国を滅ぼし、文明を破壊した例のスペイン人、フランシスコ・ピサロの行状を書いた本の翻訳のなかで彼が初めて「コロニー」という言葉を使いました。一五五五年に出版した“The Decades of the New Worlde, or West India”(「新世界あるいは西インドの数十年」)という本に出てきます。インカ帝国最後の実質的な皇帝アタワルパの死を描いた絵画。アタワルパはピサロによって処刑され、インカ文明は滅亡した植民地に犯罪者を送り込んだ英国 現代語の「コロニー」、つまり「植民地」という言葉は、大航海時代、ペルーの先住民族を絶滅にまで追い込んだピサロの非道な侵略・掠奪を連想させる言葉として英語に入ったわけです。一五五五年といえば、毛利元就が厳島の戦いで陶晴賢を破って中国地方を支配する基礎を固めた年。織田信長が桶狭間の戦いで今川義元に勝利する五年前です。 「植民地をつくる」という動詞コロナイズ(colonize)、そして「植民地化」という名詞コロナイゼーション(colonization)は、一七七〇年、エドマンド・バークが最初に使いました。著書“The Thoughts on the Present Discontents”(「現代の不平家についての考え」)のなかで彼は、“Our growth by colonization and by conquest”(イギリスのコロナイゼーションと征服による成長は……)という言い方をしています。 その六年後の一七七六年に刊行された、アダム・スミスの『国富論』には“The discovery and colonization of America”(アメリカの発見と植民地化)という用例が見られます。インディアンを蹴散らして強引に土地を奪うというニュアンスです。日本でいえば田沼時代にあたります。 イギリスの詩人・作家であるロバート・サウジーは、晩年には『ネルソン提督伝』を書き、小説家のウォルター・スコットの推薦で桂冠詩人にもなっていますが、若いころは、いまでは忘れられている「パンティソクラシー」(pantisocracy)、日本語にすれば「万民同権社会」なるものを夢見た人で、ドン・マヌエル・アルバレース・エスプリエーラというスペインの旅行者が書いたという設定の“Letters from England”(「ロンドン通信」一八〇七年)に、次のように書いています。「犯罪者をもって植民させる(colonize)ことはイギリスのシステムの一つである」 つまり、イギリスが植民地に犯罪者を送り込んでいることを批判しているのです。彼はまた、英国人の生活は、とくにその産業的・商業的な拡大(industrial  and commercial expansion)という面で非常な危険にさらされているとも言っています。 この頃から、英語の「コロナイズ」には侵略・掠奪というイメージがあり、イギリスの心ある人たちはみな悪い意味で使っていたのです。日韓合邦は「アネクセイション」日韓合邦は「アネクセイション」 一八三〇年代になると、アメリカでは、「コロナイゼーショニズム」(colonizationism)=植民地主義とか、「コロナイゼーショニスト」(colonizationist)=植民地主義者という言葉も用いられるようになりました。これなどはまったく批判的な意味合いを持っています。 もともと悪い意味ではなかった「コロニア」という言葉が、大航海時代に白人が有色人種の国を征服していくにしたがって「コロナイズ」という言葉を生み、「掠奪」「侵略」というイメージを持つようになったのです。 その「コロナイゼーション」という言葉は、日韓合邦については私の知る限り、イギリスの文献にはまったく現れません。すべて「アネクセイション」(annexation)と書かれています。「アネクセイション」という言葉は、イギリスの哲学者フランシス・ベーコンが一六二六年より以前に書いたといわれる“Union England and Scotland”(イングランドとスコットランドのユニオンについて)のなかで、「二つの国(民族)の土地から、一つのコンパウンデッド・アネクセイション(複合した合併)をなす……」と、平等というニュアンスで使っています。 一八七五年には、ジェームズ・ブライスという法学者・歴史学者が、“The Holy Roman Empire”(神聖ローマ帝国)のなかにこう書いています。「フランスは、ピーモントをアネクセイション(合併)することによって、アルプス山脈を越えた」。ここにも「掠奪」という意味合いはまったくありません。 動詞の「アネックス」(annex)は、subordination(従属関係)なしに、という意味を元来含んでいて、もともとどちらが上というニュアンスはなかったのです。 一八四六年に出た『英国史』、元来はラテン語の本で、それ以前に出版されているのですが、そのなかには「ジュリアス・シーザーはブリテンをローマ帝国にアネックスした」という記述があります。この場合も、ローマの文明をブリテン島におよぼしたというニュアンスが強く、掠奪したという感じはない。略奪、征服の意味はない さらに「アネクセイショニスト」(annexationist)という言葉は、アメリカにおけるテキサス併合論者の意味です。一八四五年に実現したアメリカの「テキサス併合(アネクセイション)」という言葉にも、「掠奪」や「征服」という意味はありません。 このことをふまえて、『ブリタニカ百科事典(Ency-clopdia Britannica)』一九二二年の十二版を見てみましょう。日韓合邦の翌年、一九一一年の十一版にはまだ記載がなく、十二年後に発行された十二版の「KOREA」(コリア)の項目のなかに、初めて日韓合邦のことが出てくるのです。 一七七一年にグレートブリテンのエディンバラで第一版が出たブリタニカは、イギリスのみで発行されていた時代には『ロンドン・タイムズ』と並び情報の公平さで世界的に評価され、世界中の知識人に読まれた信頼度の高い事典です。そこには、こう書かれています。「一九一〇年八月二十二日、コリアは大日本帝国(Japanese Empire)の欠くべからざる部分(integral part)になった」 ここで「欠くべからざる部分(インテグラル・パート)」という書き方をしていることからも、・植民地・とは見なしていないことがわかります。 「国名はおよそ五百年前に使われていた朝鮮(Chosen)に戻った。(略)日本が外交権を持った一九〇六年以来、日本によって秩序ある体系的な進歩がはじまっていたが、これ(合邦)によってその進捗はさらに確かなものになった」。ただ、「コリアン・ナショナリズムの抑圧を批判する人もいる」ということも書かれ、以下、およそ次のような趣旨の記述が続きます。「警察制度を整備して内治をすすめたことによって泥棒や強盗団が跋扈していた辺鄙な地方の治安もよくなった。朝鮮の平穏さは、併合(アネクセイション)以来、曇ることなく続いていたが、一九一九年三月に突如、騒乱が起こった(渡部注 三・一運動)。これはウィルソン米大統領の唱えた民族自決主義(セルフ・ディタミネーション)の影響であったが、ただちに鎮圧された。日本は慎重に改革を進めていたが、これを見て計画を急ぐことになった。注目すべきことに、軍人だけでなく民間人でも朝鮮総督に就任できることになり、総督は天皇のみに責任を負う立場から、首相に従うこととなった。朴正熙が日本から受けた恩恵朴正熙が日本から受けた恩恵 原(敬)首相は、教育・産業・公務員制度について日本人と朝鮮人との差別を取り除く政策を進めていると声明し、こうして朝鮮に再び平穏が戻った。その後も不満分子はときどき騒いだが、みごとに押さえられていた」。 朝鮮人が暴動を起こすのは日本統治時代に限ったことではありません。独立後も済州島事件(一九四八)や光州事件(一九八〇)など、ずいぶん反乱が起こっている。日本時代よりむしろ多いくらいです。 それはともかく、この一九二二年版ブリタニカの記述にも、すべて「アネクセイション」という言葉が使われているのです。 それから四年後の一九二六年に発行された第十三版には「アネクセイション・オブ・コリア」という項目がたてられ、「日清・日露戦争は、朝鮮が日本の心臓に向けられた短刀となることを防ぐための戦いであった」と記し、「朝鮮の宮廷人たちの気まぐれで自殺的な外交をやめさせるためには日本が合併するより方法がなかったが、とどのつまり、伊藤博文の暗殺によってクライマックスを迎えた」と、日本に対して非常に同情的に書かれています。 日本との合邦後、朝鮮半島ではいかに経済が発展し、安定したかというようなことも縷々述べられています。「朝鮮を治めるのは日本の責任であると東京の政府は考え、朝鮮王家は、高い名誉と潤沢な経済支援を受けることになった」と記されているのは、朝鮮の李王家に対する日本の丁重な遇し方のことです。日本の皇族に準ずる待遇をし、李垠皇太子のもとには梨本宮家の方子女王が嫁いでいます。侵略によって征服された「植民地」の王家であれば、本国の王家と婚姻を結ぶなど、ありえない話です。朝鮮王でシナの皇族の娘を妻とした例はありません。 それまでの朝鮮半島は清国に支配されていました。朝鮮は明に建ててもらった国ですから、明が清に滅ぼされたとき、義理立てして抵抗したものだから、清に徹底的にやられてしまった。清の属国だった時代が記憶に残っている人の話を聞かないと、そのひどさはなかなかピンときません。私は、たまたま元北朝鮮の脱走兵だった人を一年ほど家に住まわせていたことがあります。旧制の平壌中学を出た教養のある人でしたが、彼の話によれば、清末の朝鮮がなぜあれほど汚かったかといえば、清潔にしておくと清の兵隊がやって来るからで、だから彼らさえ近寄れないほど汚くしたのだというのです。おいしい食べ物があるとすべて持っていかれるから料理も発達せず、口にするのはおこげくらいのもの。倭寇が怖くて昔から海にも出られないから海の魚の料理の発達もなかったのだそうです。 だから、日清・日露戦争のときも朝鮮の民衆は日本に協力的でした。合邦についても、ブリタニカにもフェアに記載されていたように、たしかに反対派もいたしテロリストもいたけれど、大方の民衆は大喜びだったわけです。 合邦のおかげで朝鮮人がいかに救われたかは、一九六三年から七九年まで五期にわたって韓国大統領をつとめた朴正熙の伝記を読めばわかります。 朴正熙は極貧の家で七人目の子供として生まれています。日韓合邦以前の貧しかった朝鮮はいまの北朝鮮のようなもので、多くの人が春窮で餓死していました。だから、七人目の子など育つわけがありませんでした。それが日韓合邦のために生き延びることができただけでなく、日本の教育政策によって学校にも行けた。小学校で成績優秀だったために、日本人の先生のすすめで学費が免除される師範学校に進み、さらに満洲・新京の陸軍軍官学校に進学して首席で卒業したため、とくに選ばれて日本の陸軍士官学校に入りました。日本と合邦していなければ考えられないコースをたどって、結果的には韓国大統領として「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を故国にもたらしたのです。これは日韓合邦によって韓国が受けた恩恵のめざましい一例と言えるでしょう。この種の例は無数にあったのです。「われわれは日本を見習うべし」 日韓合邦時代における朝鮮人の暴動や反乱は、満洲事変以来すっかりなくなりました。それは、かつての朝鮮の支配民族だった清の満洲人に対して、朝鮮人が平等になったからです。満洲人に限らず、漢族のシナ人も、それまでずっと朝鮮民族を見下していて、朝鮮人はいじめられっぱなしでした。ところが、日韓合邦によって「自分たちは日本人だ」と言えるようになった。創始改名運動が起こり、日本人名になると、数千年間つねに頭を押さえつけられていた満洲人やシナ人に対して大いばりできたのです。それからは、いっさい朝鮮人の反乱がなくなりました。「日韓同祖論」が流行り、朝鮮の中学は修学旅行で伊勢神宮に参拝するようにもなった。戦争のときは志願兵も多かったし、朝鮮人の特攻隊員も数多くいました。 明治政府には、「コロナイゼーションはやらない」という覚悟が強くあったと思います。台湾は日清戦争後の明治二十八年(一八九五)に日本に併合されましたが、その約十年後に、『ロンドン・タイムズ』は以下のような主旨のことを書いています。 「わずか十年の間に台湾の人口は数十万人ふえた。イギリス、フランス、オランダも台湾を植民地にしようと思えばできたが、あえてそうしなかったのは、彼の地が風土病と伝染病が蔓延する瘴癘の地だったからである。しかも、山奥の原住民はともかく、住民の大部分はシナから逃げてきた盗賊だ。台湾譲渡を決めた下関条約の全権大使、李鴻章は、「日本に大変なお荷物を押しつけてやった。いまにひどい目に会うから見ていろ」と内心ほくそえんでいた。ところが日本は大変な努力をして風土病を克服し、人口を飛躍的に伸ばした。西洋の植民地帝国は日本の成功を見習うべきである」 『ロンドン・タイムズ』が評価した日本統治は、朝鮮でも同じように行われていました。 台湾合併は五十年、日韓合邦は三十五年続きました。戦後、韓国に戻って初代大統領になった李承晩の反日運動がなければ、そして半島が南北に分かれないままだったら、そうしてあと十五年、台湾と同じく、五十年間日本との合併が続いていれば、日本も台湾に近い感情で韓国に対してつき合うことができていたのではないか……。これは空想にすぎませんが、そんな気がしています。渡部昇一(わたなべ・しょういち)上智大学名誉教授。英語学者。文明批評家。1930年、山形県鶴岡市生まれ。上智大学大学院修士課程修了後、独ミュンスター大学、英オクスフォード大学に留学。Dr.phil.,Dr.phil.h.c.(英語学)。第24回エッセイストクラブ賞、第1回正論大賞受賞。著書に『英文法史』などの専門書のほか、『知的生活の方法』『日本興国論』などの話題作やベストセラー多数。小社より、『読む年表 日本の歴史』好評発売中。関連記事■呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁■併合朝鮮をめぐる国政参政権付与

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    大韓ナチズム

    私たちは優れた〝創造DNA〟を持った民族だ。韓国民のDNAの中には芸術的感性が豊富にある・・・。

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    「大韓ナチズム」に堕ちた韓国

    室谷克実(評論家)反知性主義に 韓国の政権の統治手法が〈大韓ナチズム〉と呼ぶべき様相を強めている。韓国人を「優生学的な選民」「常に善良なる被害者」と位置付けると同時に、「常に悪なる存在である日本」への敵愾心を煽ることで、国民の目を堆積する一方の欠陥局面から逸らせる手法だ。 その〈大韓ナチズム〉の底流にあるのが、韓国ならではのファンタジック史観だ。韓国による近現代史の捏造と歪曲も酷いものだが、それは超ファンタジック古代史観の延長線上にある。 「五千年前から文明国だったわれわれが、未開の倭奴(日本人の蔑称)にあらゆることを教えてやったのに、彼らはその恩を忘れて……」というのが、〈大韓ナチズム〉が説く対日部分の典型的な語りはじめだ。そこには、分子人類学も、考古学も、正史類の文献も、ほとんど活かされていない。〈大韓ナチズム〉の最底辺は、まさに反知性への信仰に他ならない。 しかし日本には、「五千年前から文明国だった云々」は別にして、倭国は朝鮮半島からあらゆるものを教えてもらったと信じ込んでいる人々が今でもたくさんいる。 日本の「戦後(歴史)教育」とは、(1)マルクス(唯物)史観の正しさ、(2)朝鮮半島の民族の優位性──を、学童・学生の頭に叩きこむことだったといえる。 連合国司令部で占領下の教育を管掌した民政局の指導部が、共産主義者や、そのシンパに握られていたことが大きい。 当時、日本の大学の史学科は、それまでに確立されていた研究成果を「皇国史観」として全否定した。奪権闘争の側面も強かった。教授や、その後継者と目されていた人材を「皇国史観の徒」として追放することで、後継者争いから脱落すると見られていた研究者が教授の座に就くための闘争だ。 そこには日本共産党と、在日朝鮮人が介在した。戦中から戦争直後の共産党では、金天海ら在日朝鮮人の指導力が極めて強かったからだ。 井上秀雄の『倭・倭人・倭国』(人文書院、一九九一年)や梶村秀樹の『朝鮮史』(講談社現代新書、一九七七年)には、在日朝鮮人らに吊し上げられた体験が記述されている。金両基の『物語 韓国史』(中公新書、一九八九年)には、彼が井上秀雄を吊し上げたグループの中にいたことを滲みださせる記述がある。 大学教授のポストを手にした戦後の歴史学者は、次には日教組講師団として、小中高の教員たちに「皇国史観」ではない“新常識”を説いた。 かくて日本の「戦後(歴史)教育」は、「資本主義が社会主義へ、そして社会主義が共産主義へと進んでいくのは歴史の必然だ」と折伏を重ね、「朝鮮民族はたいへんに優れた文化を持っていて、日本人はあらゆることを彼らから学んだ。それなのに、帝国主義の日本は朝鮮を植民地にして悪辣極まる収奪を重ねてきた」と自虐する内容になったのだ。 このうち共産主義への折伏は、ソ連共産ブロックの自壊で霊験をあらかた失った。しかし、朝鮮に関する自虐の方は、依然として残っている。朝日社長の発言 朝日新聞の木村伊量社長(当時)は二〇一四年十月、日韓言論人フォーラムに出席した韓国人記者たちに「朝鮮半島の影響なしには日本の文化が豊かにならなかったと考える。そのような面で、韓国は日本の兄のようだ」と語ったという(韓国・中央日報二〇一四年十月二十日)。戦後教育の下で優等生として育った人は、日教組教育の呪縛から抜け出せないのだろう。 木村発言に呼応するかのように、韓国の鄭原首相(当時)は「法律の構造や制度の場合、日本が私たちに習いにきて“兄の国”と呼ぶほどであり、多方面で私たちが日本に先んじている」と述べた(韓国・国民日報二〇一五年一月十日)。 「先んじていた」と過去形なら、まだそれなりに理解のしようもある。首相まで〈大韓ナチズム〉のファンタジック古代史観の虜になっているのだ、と。しかし、首相発言は現在形なのだ。 素直に読めば、今でも韓国は多方面で日本に先んじている“兄の国”だと言っているのだから、すごい現状認識だ。首相発言は「このような点に対する日本の心理的な問題」──つまり、日本人の韓国に対する劣等感──が日本の反韓感情の背景にあると続く。 木村伊量氏は朝日新聞社長を、鄭原氏は首相の職を去ったが、二人とも依然として社会の指導層にいる。〈大韓ナチズム〉の対日政策は、木村氏のような・有為な人材・を改めて抱き込み、そうした人々の影響力を結集することで、日本の国論分裂を深め、「弱い日本」を実現し、韓国に有利な政策を導き出すことにあると見てよい。切り上げて「半万年」〈大韓ナチズム〉の古代史観は「韓民族、半万年(五千年)の歴史」という虚像から始まる。 天帝の庶子が地上に降り立ち、熊から変身した女と交わったことで檀君が誕生する。その檀君が、「鼓腹撃壌」の故事で有名な中国の堯帝より五十年後に、平壌を都とする国を開き、朝鮮と号した──とする「檀君神話」が、「半万年の歴史」の根拠だ。 堯帝の即位を通説に従って紀元前二五〇〇年として、二〇一五年をプラスしても五千年にはならない。が、そこは切り上げして「半万年の歴史」と言うのだ。 ところが韓国の『高等学校国定国史』(日本の教育指導要綱に該当)は冒頭で「わが民族は五千年以上の悠久の歴史を持ち、世界史上まれな単一民族国家としての伝統が続いている」と述べている。 切り上げして五千年が「五千年以上の悠久の……」となり、元に支配されていた時代には「胡水満腹」(水は精液のこと)という露骨な四字熟語までできたのに「世界史上まれな単一民族国家としての伝統」と教えているのだ。 そもそも唯一の根拠である檀君「神話」からして、文註まで含めて四百字(全文漢字)ほどしかない。 神話の大系が伝えられているのではない。十三世紀の高僧が編纂した野史である『三国遺事』の中に「文註まで含めて四百字」ほどが収められているのに過ぎない。 それは古史書の引用の形式を採りながらも、肝心の引用元すら定かでない・あやふやなお噺・だ。 李王朝(一九三二~一九一〇年)は儒教を指導イデオロギーとした国であり、「箕子朝鮮の伝統を引く朝鮮国」が強調された。 箕子とは殷の紂王の暴政を諫めた賢人であり、殷を滅ぼした周の武王は箕子を崇めて敢えて家臣とせず、朝鮮に封じたと『史記』は記す。箕子は殷の遺民を率いて東方へ赴き、礼儀や農事・養蚕・機織の技術を広め、理想的な社会をつくったとされる。 ところが日本統治の時代に入ると、独立運動家にとって明らかな中国系である「箕子朝鮮の伝統を引く朝鮮国」は都合が悪かった。ここに新たな装いで再登場したのが檀君を始祖とする「朝鮮」だった。 それを脚色して表舞台に引き掲げたのが、申采浩(一八八〇~一九三六年)だ。 申采浩とは、ジャーナリストであり、歴史家であり、小説家であり、独立運動家であり……ともかく多彩な文筆家だったことは間違いないが、最後は無政府主義者に転じ、台湾で偽札所持の現行犯で逮捕され獄中で病死した。 彼が書いた『朝鮮上古史』(矢部敦子訳、緑蔭書房、一九八三年)はまさに超ファンタジック古代史論だ。 パミール山麓に発した朝鮮民族は半島に行きつき、ここで成立した檀君の朝鮮国は中国を圧して東アジアに大帝国を築いた。満蒙の諸族はみな朝鮮族の支族……と、勇壮に展開するのだ。「歴史書」でなく「歴史物語」「歴史書」でなく「歴史物語」 『三国遺事』にある記述が檀君に関する唯一の文献上の根拠だが、それには箕子が朝鮮の支配者に任じられると、檀君は山に隠れ「山神」になって歿したとある。『三国遺事』にある記述そのものが・あやふやなお噺・なのだが、申采浩は「檀君」の名前だけ利用して超ファンタジック古代史論を描いたのだ。 『朝鮮上古史』は、仮定として述べていた内容が、明確な論証もないまま、次のステージでは絶対の史実になり、次の仮定を産み出し、また明確な論証もないまま……といったスタイルだ。その過程で、中国の正史類は都合の良い部分が引用され、超拡大解釈されていく。論証重視の歴史書に慣れた日本人には、とても「歴史書」とは思えない。 「皇城中央に向かって唯一無二の大新聞を創刊して愛国せよ愛国せよと血を吐くほどに言葉を書きつらねても愛国者を生むことはできない。国を愛するためには歴史以外にない。それも、幼児から老人まで、男子も女子も、貴賤の別なく、全社会が歴史を読まなくてはならない」と申采浩は書いている(『朝鮮上古史』の「解題」より)。 彼にとっての歴史書とは、訳者の矢部敦子も書いているように「そのスタートから学問のための学問ではなく、国権恢復の実践のための歴史学」だった。 つまり、彼は史実を探求した結果を記したのではなく、初めから民を奮い立たせることを目的として、イデオロギー歴史物語を書いたのだ。 韓国の不幸は、そうした目的を持って書かれたイデオロギー歴史物語の内容が「史実」として広く信じられていることだ。 新聞に載る歴史エッセーや論文でも、「申采浩先生が論考したように……」と、彼が書いた記述を・もはや検証する必要のない絶対事実・と見做した上で立論していくものが多い。そうした著者たちは原典(この場合なら中国の正史類)に当たる努力を怠っているのだろう。サッカー東アジア杯男子 韓国対日本で韓国側応援団が掲げた「歴史を忘れた民族に未来はない」と書かれた横断幕=2013年7月28日午後、韓国・ソウルの蚕室総合運動場(山田喜貴撮影)「歴史を忘れた民族」 余談になるが、「歴史を忘れた民族に未来はない」とは、二〇一四年の仁川アジア大会サッカー日韓戦で、韓国側応援席の大横断幕にあった言葉だ。 申采浩の言葉とされている。しかし、いくら調べても彼がいつ、どこで、こう述べた(書いた)のか分からない。 韓国のサッカーファンは、申采浩=反日だから、申采浩の言葉=反日の言葉だと思い込んで日本戦のスタンドに飾った。だが、・申采浩が活躍した時代に、日朝の大衆を巻き込んだような歴史論争はなかった、・彼は、朝鮮人民を奮い立たせようと「歴史物語」を提示した──ことからすれば、  「歴史を忘れた民族に未来はない」とは当時の朝鮮人民に向かって述べた言葉と解するほかない。 アジア大会のサッカー日韓戦では、この横断幕とは別に、テロリスト・安重根を描いた垂れ幕もあった。 対日非難の言葉と思い込んで横断幕を飾った韓国人ファンも、横断幕に抗議して安重根の垂れ幕については何も言わなかった日本サッカー協会も、お粗末の極みだ。 もう一人、〈大韓ナチズム〉のための歴史書を書いた人物がいる。崔南善(一八九〇~一九三六年)だ。 彼は三・一独立宣言の起草者だったが、いつしか転向し、朝鮮総督府の朝鮮史編集委員、総督府中枢院参議、満州・建国大学教授と、親日派の道を歩む。彼が終戦から四カ月後に上梓したのが『国民朝鮮歴史』(日本語訳の題名は『物語 朝鮮の歴史』山田昌治訳、三一書房、一九八八年)だ。 その中にある倭国に関する部分を要約すると、・半島や大陸からの逃亡民が倭国をつくった、・倭奴は蒙昧で、半島から行った民があらゆる文化文明を教えてやった、・新羅は日本列島に多数の植民地を持っていた──という内容だ。 申采浩の『朝鮮上古史』は中国の正史を引用しては勝手な解釈と飛躍的仮定を重ねていくが、逆に崔南善の『国民朝鮮歴史』は引用が全くない。せめて「新羅は半島に多数の植民地を持っていた」とする部分くらいには、何という史料に基づくのか示してもらいたいのだが、註もなければ参考文献の名も挙げられていない。「私は親日派ではありません」の証明のために書いたのかもしれない。 二人の本は当時、どれほど読まれたのか。申采浩の場合は最初に『朝鮮日報』に連載されたが、『朝鮮日報』の読者数からして限られていただろう。崔南善の本は、戦後のドサクサの最中だ。 どちらも、たいして読まれたとは思えない。しかし、最近の韓国の諸メディアに載る古代の日韓関係をテーマとする論文やエッセーを見ても、どの内容も「申采浩プラス崔南善」の大枠を超えていない。当時はたいして読まれなかったとしても、この二人が〈大韓ナチズム〉の古代史部門のイデオローグなのだ。国民を騙している 韓国では今や、特別な教育を受けた人を除いては漢字を読めない。それを前提にして、国民を騙すような歴史専門家の論文やエッセーもある。 国家機関である国史編纂委員会の編史室長まで務めた朴ソンス名誉教授のエッセー「百済が日本に国を建てた」(民族派サイト「コリアン・スピリッツ」二〇一四年十月二十六日)には、本当に驚かされた。「日本古代史は中国の史書『魏志』倭人伝に至って初めて出てくる」とエッセーは始まる(原文はハングル)のだが、ここからして「!?」だ。『魏志』より遥かに古い『漢書』地理誌に「楽浪海中に倭人あり、分れて百余国と為し、歳時をもつて来たりて献見したと云う」の一文があることを、この名誉教授は本当に知らないのだろうか。 名誉教授のエッセーは、こう続く。 「それ(魏志倭人伝)を読めば……韓半島の南側に韓国があり、また海を渡った日本の土地には、もう一つの韓国である狗邪韓国があるということだ。 すなわち、日本には倭人が暮らしているが、彼らを支配するのは狗邪韓国という国だというのだ。つまり、日本には百済の分国すなわち植民地があったことを証言している」 崔南善は、倭には新羅の植民地があったとしているが、その根拠文献は何ら示していない。今度は、新羅ではなく「百済の植民地」だという。その根拠が『魏志』倭人伝だというのだ。『魏志』倭人伝をどう読むと、そんな解釈が出てくるのか。 これは、もう「解釈の違い」といった問題ではない。韓国の国民一般が漢字を読めないことを前提に、国民を騙しているとしか思えない。『魏志』倭人伝の一つ前は韓伝だ。韓伝には、百済は馬韓五十余カ国の中の一国として名前だけでてくる。新羅は辰韓・弁韓二十四カ国の中の一国として、やはり名前だけ出てくる。そんな存在だ。 一方、倭は邪馬壹国が二十数カ国を束ねる連合王国として描かれている。 半島と列島と、政治文化はどちらが進んでいたか、明らかではないか。馬韓五十四カ国の中の一国にすぎなかった百済が、倭に分国を置き、倭国を支配していた──妄想、ここに極まるだ。 『魏志』韓伝は、半島南部を倭地としている。倭人伝に入ると、狗邪韓国を倭の北岸の地としている。全く矛盾がない。 そして対馬も壱岐も、倭人伝の中で描かれている。 それなのに韓国の民族派は、「対馬はわが領土だ」として「対馬奪還運動」を進めている。昌原市や、釜山市の一部の区では、首長が奪還運動の先頭に立っている。そんな市や区と、姉妹都市関係を結んでいる自治体が日本にあるのだから呆れる。 対馬奪還運動は「昔から対馬は新羅に属していた」と主張している。彼らは『魏志』倭人伝には触れずに、『李王朝実録』を持ち出してくる。 『李王朝実録』には、王が「古籍に対馬は慶尚道に属したとある」と述べたことが記載されている。しかし、その古籍の題名すら書いていない。 李王朝は一四一九年に対馬を急襲するが、宗氏の将兵に撃退され逃げ帰る。その後、対馬から来た使節に「対馬は辺境といえども日本である。日本を相手に戦争する気か」と詰め寄られる。以後、『李王朝実録』では「日本国対馬島」の表記が常態となる。 が、運動を進める民族派は、『李王朝実録』には「王が対馬は慶尚道に属したと言った」とあるだけでいいのだ。きっと、『魏志』倭人伝なんて、名前も知るまい。朴槿惠のネオナチ発言 朴槿惠大統領は述べている。 「私は韓国経済が進む新しい発展パラダイムとして創造経済を提示している。……私たちは優れた・創造DNA・を持った民族だ。……私はその創意の力と情熱を生かして第2の漢江の奇跡を必ず実現する」(「発明の日」記念式典二〇一三年五月十六日) 「韓国民のDNAの中には芸術的感性が豊富にあり、(われわれは)血液中に流れる・気・がある国民だ」(文化人との会話二〇一五年二月二十五日) DNAを「ある民族が持つ不変の遺伝子」といった意味で使っているようだ。朴槿惠大統領は西江大学理工学部を卒業したのに、理系出身者らしからぬ誤用だ。きっと、その背後には「韓国人は世界でも稀な単一民族」とする誤った内容の刷り込み教育も蓄積されているのだろう。 そうした批判はさておき、上に紹介した発言そのものが問題だ。これぞナチスの「アーリア民族の優位性」主張と同質の優生学的選民思想そのものだ。 捏造と歪曲を重ねた超ファンタジック史観をもって、自国民に優生学的選民思想を植え付けると同時に、「劣った隣国」への敵愾心を煽り立てることで、国内の深刻な問題(例えば青年層の高失業率)に国民の目が集中することを回避し、国政を強引に推進していく──まさに〈大韓ナチズム〉だ。 その政権が海外で「日帝=ナチズム=安倍政権」とするキャンペーンを展開しているのは、基本的にジャパン・ディスカウント戦略による。「ネタは何でもいいから国際社会で日本を貶める」という運動だ。同時に、自らへの「ナチス批判」を回避するための・目晦まし工作・と言える。 日本語でいう「修正」とは「正しく直すこと」だから、良いイメージがある。それで「歴史修正主義」という用語も、さして重く受け止められない。しかし、この用語は「ヒストリカル・リビジョニズム」の英訳であり、その英語は「ネオナチス」の言動を意味する。 韓国政府当局者は、一年ほど前から頻繁に「歴史修正主義の安倍政権」といった表現を使うようになった。これは「ネオナチスの安倍政権」と同義だ。そうと知ってか知らずか、日本にも簡単に「歴史修正主義」と言うジャーナリストが出てきた。韓国の狡猾な情報工作に呑み込まれているのだ。 〈大韓ナチズム〉の謀略に呑み込まれてはならない。そのためには、列島と半島の関係史を古代のページからしっかりと押さえておきたい。室谷克実(むろたに・かつみ) 一九四九年、東京都生まれ。慶應大学法学部卒業後、時事通信社に入社。政治部記者、ソウル特派員、宮崎・宇都宮支局長、「時事解説」「時事評論」編集長などを経て定年退社。著書に『悪韓論』『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮新書)、『呆韓論』(産経新聞出版)などがある。関連記事■ 異常国家、異常社会の実体を晒しつつある韓国■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ ナッツリターン問題に潜む韓国文化の深い闇

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    朴大統領批判の大量ビラ&抗議デモ…青瓦台を取り巻く混沌

     韓国に不穏なムードが広がっている。韓国各地で朴槿恵(パク・クネ)大統領を非難するビラがまかれ、海外の韓国系住民による抗議デモが頻発するなど、国内外で政権批判の動きが加速しているのだ。朴政権は、こうした反対勢力に対して、警察による強引な捜査などで対抗。かつての軍事独裁政権を思わせる荒っぽい手法で批判を封じ込めようとしている。青瓦台(韓国大統領府)を取り巻く混沌をノンフィクションライターの高月靖氏がリポートする。 中国や日本などからの観光客でにぎわうソウル中心部の繁華街、明洞(ミョンドン)。先月下旬、この街で奇妙な光景が繰り広げられた。朴氏を批判する大量のビラが、ビル屋上からばらまかれたのだ。 「サイズはA5判ほどで、朴氏を批判する『国民生活破綻』『民主主義破壊』『朴槿恵政権糾弾・汎国民大会』などのメッセージが白黒で印刷されていました。約4000枚が一斉にばらまかれ、一時ビラが空を埋めるような形になったほどです」(現地日本人フリー記者) 朴政権を批判するビラがゲリラ的にばらまかれるのは、この日が初めてではない。昨年12月にソウルと地方都市で行われた後、今年1月から3月にかけて韓国各地へ波及。朴氏のイラストを添えて、朴氏からの「つまり辞任しろと言うんですか?」との問いに、民主主義を願う市民が「そうだ」と答えるものなど、ソウルでは今月1日まで連日のようにあちこちで大量にまかれ続けた。 「ちょうど同じ時期に米国ニューヨークやワシントンDCでも現地の韓国系住民による反・朴政権デモが同時多発的に行われていました。デモはオーストラリアにも飛び火しています。セウォル号事故などの際も同様のデモはありましたが、今また就任2周年の節目で朴政権批判が過熱しているようです」(同)自民党の二階俊博総務会長(左)との会談に臨む韓国の朴槿恵大統領=2015年2月13日、ソウルの青瓦台(共同) 韓国の内外で盛り上がる反・朴政権の動き。だが、1月に30%を割り込んだ支持率は、ここに来て急上昇している。3月上旬の支持率は40%台後半に持ち直した。 「米大使襲撃事件に驚いた保守層が、慌てて政権支持に逆戻りしたせいです。朴政権が事件の背後にいると指摘する左派勢力を一掃すべく、保守層が力を合わせようとしているのでしょう」(同) ビラの作成者らも、朴氏に批判的な左派勢力として政権から目の敵にされている。警察は今月12日までに、地方都市でビラ散布に関わった3人の関係先を家宅捜索した。だが、微罪や別件逮捕の摘発、家族にまで圧力を加える捜査手法が、現地メディアで非難を集めた。 「ビラ散布はゴミを無断投棄した程度の軽犯罪に過ぎません。しかし警察は朴大統領に対する名誉毀損(きそん)、さらに所有するバイクの改造などまで口実にして、強制捜査を行っています。3人のうちの1人が出頭を拒否したところ、警察は令状なしに妻の勤務先にまで踏み込みました」(同) ビラに対して与党は非常に敏感だ。2月に釜山で朴氏を風刺する紙がまかれた際、与党・セヌリ党釜山支部のスポークスマンは「徹底した調査で犯人を探し出し、国家元首に対する冒涜(ぼうとく)と名誉毀損(きそん)に対する厳重な法的責任を問わなくてはならない」と息巻いた。 韓国では過去、国家元首=大統領への冒涜(ぼうとく)を裁く法律が、民主化とともに廃止された経緯がある。そのため、スポークスマンの軍事独裁時代に逆行するような発言には批判が渦巻くが、「警察の横暴な姿勢は変わらない」(現地関係者)という。 インターネット全盛の時代にビラをまくのは古典的な手法だが、実は、これにはわけがあるという。 「ネットではすぐに発信元を特定され、名誉毀損(きそん)で告訴されるからだといわれています。ソウルで連日ビラを散布したグループは防犯カメラもうまくかわしており、まだ身元は特定されていません」(前出のフリー記者) 内外で盛り上がる大統領批判の機運と、大使襲撃事件をも利用して左派勢力への圧力を強める政権。韓国社会を二分する対立は、政権崩壊につながりかねない危険な雰囲気を漂わせている。関連記事■ 加藤達也が指弾 韓国社会の「言論の自由」こそ問われている■ 異常国家、異常社会の実体を晒しつつある韓国■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

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    34カ所の削除に応じなければ出版差止め…慰安婦本が事実上の発禁処分

     世宗大学の朴裕河(パク・ユハ)教授が一昨年8月に韓国で出版した『帝国の慰安婦』は、慰安婦問題について日韓双方の責任に触れた書である。ところが、今年2月17日にソウル東部地裁は「34か所の削除に応じない限り出版を差し止める」との決定を下し、事実上の発禁処分にあっている。同書は、朝日新聞出版から昨年11月に日本語版が出ている。 「(早稲田大学文学研究科で博士号を取得した)朴氏が日本語で書き直した。論旨は同じだが、表現を変えたり加筆したりした部分があり、構成も変えている」(朝日新聞出版担当者) 日本語版は国内の書店で手に入るが、それを見ても、どこが「34か所の削除命令」に該当するのかはわからない。昨年8月に出版された「帝国の慰安婦」 韓国の裁判資料をもとにどんな記述に削除命令が出たのかを紹介する。まず「慰安婦は強制連行されていない」という部分を削るように求めている。 〈慰安婦たちを誘拐し、強制連行したのは、少なくとも朝鮮では、そして公的には、日本軍ではなかった〉(『帝国の慰安婦』38ページ=韓国語版、以下同) 旧日本軍が強制連行を行なったことを示す史料は一つもない。つまりこの部分は単に史料の分析結果を述べただけだが、「名誉毀損の恐れがある」として削除対象になった。事実よりも「親日」の記述を糾弾することが優先された。 元朝日新聞ソウル特派員でジャーナリストの前川惠司氏はこういう。 「朴氏の著書では、朝鮮の女衒(人身売買の仲介業者)が女性を誘い出して慰安婦にしたという事実を紹介しているのですが、原告はとにかくすべて日本軍の責任で、そうでない記述は名誉毀損だと主張しています。日本を悪者にしないと自らの存在意義が失われてしまうからです」 戦時中に日本人と朝鮮人が「同胞」だったことを示唆する部分も削除対象とされた。 〈慰安婦の本質を見るためには、朝鮮人慰安婦の苦痛が日本人娼婦の苦痛と基本的に変わらないということをまずは知っておく必要がある〉(33ページ、傍線部が削除命令の出た部分) 朴教授の記述はもっともで、仮に慰安婦問題を「女性の尊厳」の問題だと捉えるのであれば、国籍による違いはないはずだ。ところが、「日本は悪者で、韓国は被害者」という構図にしがみつくから、「(数としては朝鮮人慰安婦の何倍もいた)日本人の慰安婦は辛くなかった」という倒錯した理屈にたどり着く。 他にも「慰安婦たちには日本帝国の一員としての役割が求められ、それゆえに(兵士との間に)愛が芽生えることもあった」といった部分に削除命令が出た。しかし現実に慰安婦と日本兵が結婚する事例はいくつもあったのだ。 原告側の反日団体が削除を求め、裁判所が認めた部分を見ていくと、戦時中に日韓が協力し合っていたことを絶対に認めたくないとわかる。 それがすべての韓国人の意思に基づくものだったとはいえないが、1910年の日韓併合によって日本と韓国は戦時下で一つの国家だった。当然、韓国は日本と戦争していたわけではないし、戦勝国でもない。だが、反日を貫くためにはそれを認めるわけにはいかないのだ。教授は、慰安婦問題を巡る日韓の和解を模索し、こう書いている。 〈慰安婦問題を否定している人々は「慰安」を「売春」としてだけ考え、我々(注・韓国人)は「強姦」としてのみ理解したが、「慰安」とは基本的にその二つの要素をすべて含んだものだった〉(120ページ) 「慰安婦は存在しなかった」という日本にある極論も、韓国の根拠のない主張も等しく批判する良識ある見解と感じられるが、その部分にも削除が命じられる以上、韓国側には和解の意思などないと思わざるを得ない。関連記事■ 韓国の反日スレ「日本に爆弾テロする?」「お前通報シマス」■ 韓国で「慰安婦は売春婦と認めよ」と主張の署名サイトが出現■ 韓国 慰安婦を人権問題として世界に注目させ日本の譲歩狙う■ 韓国紙 外相が国連総会で安倍首相の足引っ張るかで沸き立つ■ 韓国紙 慰安婦のために闘った朝日新聞を助けようと呼びかけ

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    朱子学の影を引きずる朴大統領の反日

    ければならない。国際的異端者による正当性の主張だからだ。 「3・1独立運動」を記念する式典で演説する韓国の朴槿恵大統領=2015年3月1日、ソウル(共同)異端ではないとの証求めて 正統性はそうではない。「どちらが正しいか。こちらだ!」という選択を経て、選ばれたものが正統で除かれたものが異端である。韓国の朴槿恵政権の苦悩はここにある。韓国は対日独立戦争をしていない。日本統治時代は自然に始まり自然に終わった。北朝鮮の金日成氏は負け戦だったが、日本軍警と東満州で一応戦っている。 国家の正統性は北朝鮮にある、と韓国の左翼政党や左翼教員組合は攻撃する。朴氏は自らの正当性を確保すべく、彼らを非合法として裁判に訴えた。同時に自分が異端でないことの証として反日を連呼する。慰安婦の像や碑を米国に建て続ける韓国系移民も同様だ。自分たちは国を捨てた異端ではないと故国に弁明しているのだ。 こういうのは日本人にとっては迷惑千万である。日本では正統とか異端とか区別しない。神道と仏教はみごとに習合し、今ではキリスト教式で結婚式をしたりする。江戸の儒者たちも寛容だった。 朱子学は南宋の朱子が作った儒教で、本来は排他性が強い。北方民族が攻めてきているし、朱子の住む中国南方では民衆は道教を拝み、仏教で葬式していた。それらはみな異端、儒教こそ正道だ、というのが朱子学の主張である。 朱子学が江戸時代に普及し、儒者の伊藤仁斎などはこれを消化しようと29歳で引きこもりになり、8年たって世に出て塾を開いた。出てきてもやはり日本人だった。弟子が「先生、人の道とは?」と問うと、「情けじゃ」と答えた。「天理とは?」と尋ねると、「おてんとうさまじゃ」と語った。正統コンプレックスの極み 儒教立国した李氏朝鮮は苛酷である。元々排他性の強い朱子学を厳格に実践、仏教を弾圧し仏像の首をはね寺を壊し茶園を枯らし、僧侶を山に追いやった。法事など禁止だ。儒教の祭祀(さいし)をさせ、3年の喪に服さない民を捕らえ棍棒(こんぼう)で打ちすえた。異端になれば酷(ひど)い目にあうと彼らは骨身にしみた。 だから韓国人は自らの歴史から学び続ける。「剣道も茶道もうちが正統で日本が亜流。孔子さまも韓国人、中国人ではない」。周りの国々が唖然(あぜん)とするウリナラ起源説をとうとうと述べる。これぞ正統性コンプレックスの極みだ。 中国はそもそも朱子学が合わなかったので、陽明学の方が広まった。王陽明先生に弟子が意見を聞く。「先生、私はぜひとも古代の音楽を復元したいと思います」。先生はおっしゃる。「うん、しなくていいよ。それは全部、君の心の中にあるのだ」。これが陽明学の「心即理」である。思っているものは実在する。防空識別圏も、中国人が思ったわけだから、実在することになりかねないのだ。 自己中心の彼らに怒りを浴びせたのが、後に清朝を建てた満州族のヌルハチだった。満州語では中国をニカン国、朝鮮をソルホ国と呼ぶ。ニカン国は「天下の主だ」と思い、ニカン人は毎年越境して略奪する。ソルホ国はわが国の国書の受け取りを拒否し侮蔑する。満州族のハーンは二代にわたり遠征して、両国を攻め滅ぼした。竜の衣はシナの皇帝にしか着られない。清朝ではこれをすべての役人に着せ、ニカン人を侮辱した。朝鮮の伝統「告げ口外交」 李氏朝鮮は、明国は滅んで野蛮人の清朝になってしまったのだから、明の正統性を継ぐのはわれわれだと解釈した。そこで「大明国の東の壁」と自称し、清朝から流れ込む文化を悉(ことごと)くはねつけた。 李氏朝鮮の国内では、両班たちが朱子学の正統性を争っていた。朱子学の解釈権を握り、科挙の試験官を自派で占める。合格者は官僚になって、学閥は権力を手に入れる。儒者の塾は棍棒で武装し、敵方の打ち壊しまでした。朝鮮史では、これを「党争」という。 三年喪や祖先祭祀など、朱子学の礼の実践ばかりした李氏朝鮮では、経世済民を考える暇がない。流浪の民が居ついた地方の知事が良い知事である。土地には所有権がなく、村には村界がなかった。町には民のための商店もない。 そこに、今度は近代化した日本がやって来た。南下するロシアに対する安全保障として朝鮮を統治し、開発する必要があった。手の施しようもない李朝の王は臣下たちに丸投げし、諸外国に日本のことを「告げ口」して回った。朴槿恵氏の「告げ口外交」のように、上位者に悪口を言いまくることを韓国語でイガンヂル(離間事)といい、離間が目的である。韓国人同士が毎日国内でやっている。 中国人も韓国人も世界史から学ばず、確かに自国史から学んでいる。彼らには「卑劣」ということが分からないのはそのためだ。関連記事■ 最新の脳科学[ダマシオ理論]で説く韓国・朝日の病理■ 豪州の慰安婦像はこうやって阻止した■ 秦郁彦×西岡力対談「朝日の誤報は日本の名誉毀損」

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    韓国で結びつくナショナリズムとテロリズム

    奪う傾向があるからだ。そして、ナショナリズムとテロリズムが結びつくと厄介なことになる。素直に言うが、韓国でナショナリズムとテロリズムが結びつき始めている。襲われた駐韓米大使 5日朝、韓国のソウルで、リッパート駐韓米大使が、「愛国者」を自称する男に斬りつけられるテロ事件が発生した。この事件について、産経新聞社の藤本欣也支局長はこう報じた。 <リッパート米大使襲撃事件を受けて、大統領府の金寛鎮(キム・グァンジン)国家安全保障室長が5日、国家安保会議を緊急開催、今後の対策と対応を協議した。李完九(イ・ワング)首相は関係当局に対し、米国など各国の大使館・施設の警備と要人の警護に万全を期すよう指示した。 聯合ニュースによると、「主要外交官に対する深刻な襲撃事件でテロ行為ともいえる」(検察関係者)との判断から、捜査指揮はソウル中央地検の公安1部が担当。キム・ギジョン容疑者の犯行動機のほか、共犯者の有無など背後関係について捜査を進めている。 キム容疑者は2010年、日本大使にコンクリート片を投げつけた前科があるにもかかわらず、今回、米国大使に近づくことができた。 捜査当局の発表によると、キム容疑者は政治団体代表としてこの日の朝食会が開かれるとの案内を受けていたほか、米国大使館から警備要請がなかったとしている。だが、ただでさえ米韓関係がぎくしゃくする中、米要人への襲撃を防げなかったのは韓国当局の失態であり、責任問題に発展するのは避けられない>(3月5日「産経ニュース」)リッパート駐韓米国大使が出席した会合の主催団体が入るビルの前で、抗議集会をする保守団体メンバー=3月5日、ソウル(共同) キム容疑者は、要人テロを行う可能性がある要注意人物だ。韓国の警察力は強い。このような要注意人物を24時間、完全監視下に置いて事件の発生を防ぐことは、韓国警察の能力にかんがみれば、可能である。しかし、韓国はそれをしなかった。外交官、とりわけ特命全権大使は国家を人格的に体現する。駐米大使に対するテロ防止について、韓国当局の対応に不作為があったことは間違いない。 ただし、今回の事件は、精神に変調を来した人による突発的な事件ではないと思う。韓国では最近、反米機運が急速に高まっている。そのきっかけになったのが、2月27日のシャーマン米国務次官(政治担当)の発言だ。<シャーマン氏は特定の国を名指しせずに「国家主義的な感情が依然、利用されている」とし、政治指導者がかつての敵を中傷することで国民の歓心を買うことがないように求めた>(2月28日「産経ニュース」)。この発言は、日中韓3国の指導者に対して向けられているにもかかわらず、韓国の政府もマスメディアも、シャーマン次官が日本寄りの立場から韓国を批判したと曲解し激高した。このような、事実を事実として客観的に認識できない韓国の政治的空気が、リッパート大使に対するテロ事件が発生する背景にあったのだと思う。 韓国では、ナショナリズムがテロリズムと結びつき始めている。産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が、朴槿惠大統領に対する名誉毀損(きそん)容疑で在宅起訴され、いまだに韓国からの出国を認められない状態もソフト・テロリズムだ。このようなテロリズムを許す空気が韓国人の集合的無意識を支配している。無意識のうちにある集団がとっている行動を変化させるのは至難の業だ。韓国のナショナリズムが危険水域に入っていることを、われわれは冷静に認識しなくてはならない。関連記事■ 韓国の論理「日本にある物はすべて略奪された」 ■ あの日を境に変わった私のメディア認識■ ケント・ギルバートが説く 日本がサンドバッグから脱するとき

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    存在しなかった反米感情 中国の台頭で揺らぐ韓国の米国観

    んだ。演習を「北朝鮮侵略のためのもの」と決めつけて反発する北朝鮮の主張に通じるものであることもあり、韓国政府と与党は事件翌日には「(北朝鮮に追従する)従北勢力が起こした事件」だと断定。捜査当局は、国家保安法の適用を念頭に置いた捜査を進めている。かつて、韓国には反米感情などなかった 金容疑者が「従北勢力」かどうかは、今後の捜査などを見ないと分からない。ただ、「反米的な傾向を持つ民族主義者」だとは言ってもいいのだろう。ところで、韓国における「反米」というのは、実は、それほど長い歴史があるわけではない。極端な言い方をすれば、かつての韓国には反米感情というものが存在しなかったのだ。 在韓米軍兵士による凶悪事件や交通事故は昔もあったけれど、韓国では、それが大きな問題となることはなかった。朝鮮戦争(1950~53年)で北朝鮮軍に攻め込まれ、全土が戦場となった記憶が強く残っていた時代の韓国では、韓国防衛のために3万7000人の戦死者を出した米国を「命の恩人」とする意識が強かった。現在でも、当時を知る高齢者や保守派の人々は、日本の植民地支配から韓国を解放し、朝鮮戦争で韓国を守ってくれたという「感謝の念」を米国に対して抱いている。 韓国のキャリア官僚の研修機関である国防大学校の2001年優秀論文集に「反米感情が国家安保に与える影響」という論文が収録されている。この論文によると、朝鮮戦争から10年余り後の1965年に駐韓米国公報院がソウルで行った世論調査では、68%の人が「一番好きな国」に米国を挙げた。「米国が嫌い」という回答は1%だけだった。こうした傾向は1980年代初めまで続き、韓国紙・東亜日報による1981年の世論調査でも、米国を「好き」が69%であり、「嫌い」は3.3%に過ぎなかった。光州事件を契機に、米国への懐疑心が台頭 親米一辺倒だった韓国社会の空気が変わる契機は、1980年の光州事件だった。 18年間に渡って独裁を続けた朴正煕大統領が1979年10月、側近によって射殺されたことで、韓国政治は激動期を迎えた。独裁体制が終わったことで民主化を要求する声が高まり、「ソウルの春」と言われる自由な時期が訪れたのだ。一方で、危機感を抱いた新軍部と呼ばれる全斗煥将軍(後の大統領)らのグループは同年12月に「粛軍クーデター」を起こして軍内の実権を掌握し、その後、戒厳令を全国に敷いて民主化要求デモを抑えようとした。 その過程で起きたのが、野党の有力指導者である金大中氏(後の大統領)の強固な地盤である光州を舞台にした光州事件だった。光州では1980年5月、新軍部による金大中氏逮捕などに反発する大規模なデモが連日のように行われ、新軍部は特殊部隊を投入して武力で鎮圧した。犠牲になった市民の数は少なくとも200人、家族が行方不明になったと申告した人も300人を超えた。 韓国軍の指揮権は当時、在韓米軍が握っていた。民主化を要求する学生や知識人の間には、韓国軍による武力鎮圧を米国が承認したか、少なくとも黙認したという疑念が生まれた。「親米」のねじれた「反米」「親米」のねじれた「反米」 そして、同年12月に光州のアメリカ文化院への放火事件が起き、82年3月には釜山のアメリカ文化院が放火された。85年5月には、ソウルのアメリカ文化院に大学生73人が乱入し、立てこもる事件が起きた。 ただ当時の「反米」はまだ、ストレートな反米感情とは言えなかった。当時、ソウル大で学生運動のリーダーを務め、投獄された経験を持つ男性は、一連の事件は「反米運動ではなかった。むしろ心情的には親米とも言えるものだった」と話す。 人権や民主主義のチャンピオンであるはずの米国が新軍部や全斗煥政権を支持するのは道理に合わない。だから、「軍事独裁政権を支持しないでほしい。本来あるべき米国の姿に戻ってほしい」と訴えかけようとしたのだという。 この男性の後輩で、ソウルの文化院襲撃事件に関与したとして投獄された金民錫氏(元国会議員)も、「米国を信頼していたのに、米国を友邦だと信じていたのに、米国は民主主義を保護しなければいけないのではないのか、という思いがあった」と振り返った。米国を特別視する「もう一つの背景」 前述の論文「反米感情が国家安保に与える影響」は、日本の植民地支配からの解放者であり、朝鮮戦争で韓国を救ってくれた米国は、韓国人にとって特別な国だったとしたうえで、「米国を特別な国として認識するようになったもう一つの背景」に言及している。 筆者が挙げた背景とは「韓国の伝統的な対外関係」である。その部分を引用してみよう。過去において、韓国と中国の間では、弟が兄に仕え、兄は弟の面倒を見る「兄弟」のような事大関係が主要な外交形態だった。韓国人たちは、このような役割を米国が代わりに引き受けることを期待したし、韓国が厳しい時は米国が助けてくれると考えた。そして(韓国が)権威主義政権の時は、民主化へと進むように米国が圧力をかけてくれることを期待した。ある意味では、韓国人たちの間に生まれている反米的な見方は、米国がこのような韓国人たちの期待を満たしてくれることが出来ない上に、経済的な圧力を加えることに対して残念がる感情が内包されていると見ることが出来る。 文中の「経済的圧力」は、米国による市場開放圧力や在韓米軍の駐留経費で「応分の負担」を求められるようになったことを指す。米国にすれば、経済成長を遂げた韓国には負担を求めることが可能になったというだけのことだが、論文は「韓国側は米国の態度を批判し、米国は韓国の態度に不満を持った」と指摘する。 事大主義は、中国を宗主国とした朝鮮時代までの伝統を背景にしたものだ。論文の指摘は、80年代に「反米」とされた学生運動に身を投じた人々の証言と見事なまでに重なってくる。こうした感情が、米国に対する不満を韓国社会に広めたと言えるだろう。冷戦終結を経て「反米」変質か 1980年の光州事件を契機に「反米」の芽が出てきたとは言え、冷戦下の韓国の置かれた国際環境は厳しかった。当時の韓国は、冷戦の最前線に置かれていたから、自由主義陣営の盟主である米国にたてつくことなど不可能だった。経済的にも、まだまだ開発途上国の優等生というレベルであり、日米両国との関係に全面的に依存していたからだ。 そうした環境は、冷戦終結を機に一変する。韓国は90年に旧ソ連、92年には中国との国交樹立に踏み切った。韓国では、朝鮮半島を取り巻く日米中露を「4強」と呼ぶ。冷戦が終わったことで、韓国はやっと4強すべてと国交を結ぶことができたのだ。逆に言うと、それまでの40年余りに渡り、韓国外交にとっての「すべて」とも言えた日米両国の比重は相対的に下がることとなった。 90年代に入ると、韓国経済もいよいよ先進国水準に近づいてきた。韓国は96年、「先進国クラブ」とも言われた経済協力開発機構(OECD)への加盟を果たす。97年末に通貨危機を経験するが、大胆な構造改革を受け入れることで経済のV字回復に成功。2002年には、日本と共催したサッカー・ワールドカップ(W杯)で韓国代表が4強入りする奇跡的な成績を上げたことなどもあって、韓国はどんどん自信を深めていった。 こうした社会状況の変化を背景に、韓国では1990年代以降、在韓米軍兵士による凶悪犯罪に社会的非難が集まるようになった。2002年には、在韓米軍の装甲車が女子中学生2人をはねて死亡させた事故で、運転していた米兵らが軍事法廷で無罪になったことを契機に反米感情が爆発し、ソウルなど各地で数十万人がロウソクを手に集まる抗議集会が開かれた。同年末の大統領選と時期が重なったこともあり、「反米的」と見られていた盧武鉉氏が当選する強い追い風となった。 盧氏は選挙期間中、反米集会を直接支援するようなことは避けていた。ただ、盧氏はもともと「米国と水平(対等)な関係を作る」と主張していた。その盧氏を当選させた時代の空気は、1980年代の反米にあった「米国に対するあこがれ」とは異質のものだったと言えるだろう。中国の台頭で揺らぐ、韓国の米国観中国の台頭で揺らぐ、韓国の米国観 韓国人の米国観は2010年を前後した時期から、再び変わり始めたように思われる。契機は、中国の台頭である。 韓国の民間シンクタンクである峨山政策研究院が2014年3月に行った世論調査を見てみよう。この調査では、政治と経済それぞれについて「いま最も影響力のある国」と「今後、最も影響力を持つ国」を聞いている。 「いま最も影響力のある国」では、米国が政治で81.8%、経済で64.7%。中国がそれぞれ、5.2%と25.2%だった。これが「今後」になると、政治は、米国が44.8%、中国が39.3%となり、統計的には誤差の範囲内。経済は、中国が66.7%、米国が22%と完全に逆転した。調査報告書は「多くの韓国人が今もなお米国に高い支持と信頼を寄せているが、中国がこれから進む方向によって韓国人の心が中国の側に傾く余地もなくはないように見える」と評価した。 米国のオバマ大統領は同年4月に訪韓した際、韓国紙・中央日報との書面インタビューで、「地理的条件と歴史を考慮すれば、韓国と中国が経済協力を増やしていくことは、おかしなことではない」という考えを示した上で、「ただし、韓国の安全保障と繁栄を守ることができる基盤は米国だ」とくぎを刺したうえ、「米国は世界で唯一の超大国だ」と強調した。 中国の台頭を受けて、米中両国をてんびんにかけるかのような議論が出始めた韓国への強い警告だった。同紙のワシントン総局長は、「オバマの直接的警告」と題したコラムで、中国に接近しすぎる韓国への不満が米国に強まっていることが背景にあると指摘した。ミサイル防衛で試される米韓同盟 今年2月4日、ソウルの韓国国防省で開かれた中韓国防相会談で、中国の常万全国防相が事前調整になかった話を始めた。在韓米軍への終末高高度防衛(THAAD)ミサイル配備に「憂慮」を表明したのだ。 THAADは、在韓米軍基地への配備が検討されているミサイル防衛(MD)システムだ。北朝鮮の脅威に対応するためのものだが、THAADに付随するXバンドレーダーは探知距離が1000キロ以上あるため、韓国に配備されると中国内陸部のミサイル基地まで常時監視することが可能になる。そのため中国は、実際には「中国封じ込め」の一環だと反発しているのだ。 韓国の韓民求国防相はこの時、「米国は配備を決めていないし、米国からの要請もなく、協議もしていない」と釈明に追われた。青瓦台(大統領府)もその後、同じ立場を表明した。 だが、中国の圧迫は止まらない。3月16日に韓国外務省で李京秀次官補と協議した中国の劉建超外務次官補は協議後、韓国人記者団にTHAAD問題を話し合ったと披瀝し、「中国の関心と憂慮を重視してもらえればありがたい」と述べた。中国の高官は普段なら記者の質問など無視して通り過ぎるだけに、韓国世論を圧迫しようとしていることは明白だった。 一方で米国も、在韓米軍司令部が12日、「THAAD部隊の韓国配備に対する最終決定は、なされていない」と断りつつも、「今後ありうる配備に備えて適切な場所を探すための非公式調査を行った」と表明。17日には訪韓したラッセル国務次官補が、記者団に「まだ配備されていない安保システムについて第三国が声を強めるのは奇妙なことだ」と語り、中国を牽制した。 韓国のベテラン政治記者は「安全保障の問題なのだから、毅然とした態度を取るべきだ」と煮え切らない自国政府の姿勢にいらだちを見せながら、「中国はこの問題で、韓国の政策決定に影響力を行使する前例を作ろうとしているのではないか」という警戒心を示す。 ただ、中国との関係を重視する進歩派の野党陣営からは「韓国の対外基本戦略は米中間に衝突をもたらさないようにすることだ」として、THAAD配備に慎重な声が強い。 19日に発表された民間調査機関・リアルメーターの世論調査では、THAAD配備に「賛成」が42.1%、「反対」が27.2%だった。この調査で注目されるのは、自らを「保守派」と答えた人は、賛成62.9%、反対12.3%と賛成が圧倒的だった半面、「進歩派」と答えた人は、賛成24.2%、反対51.6%と反対が圧倒的だったことだ。 米韓同盟重視の保守派と中国重視の進歩派の意見対立という構図だといえる。韓国では結局、台頭する中国とどう向き合っていくのかということが対米観にも大きな影響を与える時代になってきたと言えそうだ。さわだ・かつみ 1967年埼玉県生まれ。慶応義塾大法学部卒、91年毎日新聞入社。99~04年ソウル、05~09年ジュネーブに勤務し、11年から再びソウルで勤務している。著書に『「脱日」する韓国』(06年、ユビキタスタジオ)、『LIVE講義 北朝鮮入門』(10年、東洋経済新報社、共著)、訳書に『天国の国境を越える』(13年、東洋経済新報社)。毎日新聞サイト内に主な記事などを集めた個人ページ「アンニョン!@ソウル」がある。関連記事■ 日本がサンドバッグから脱するとき■ 「重く受け止めて」ないじゃないか! 驚愕の朝日・慰安婦社説■ 豪州の慰安婦像はこうやって阻止した

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    ナッツリターンに潜む韓国財閥の深い闇

    韓国を代表するエアライン、大韓航空の信用を失墜させたナッツリターン事件をめぐり、韓国財閥が揺れている。傲慢な経営体質、政治との癒着…。「ナッツ姫」とも揶揄された財閥令嬢の振る舞いからは、韓国財閥にはびこる宿痾も垣間見える。事件を機に明るみになった財閥国家に潜む深い闇とは。

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    警察沙汰だらけの韓国財閥一族の悪行

    韓航空前副社長のチョ・ヒョナ氏(40才)による“ナッツリターン騒動”が世間を賑わせているが、そもそも韓国ではヒョナ氏のような財閥一族の非常識行動が問題となっている。 たとえば、韓国ドラマを見ると、劇中には必ずと言っていいほど財閥の人間が出てくる。身分違いを超えた男女のシンデレラストーリーが定番なのだが、財閥御曹司も令嬢も、えてして横柄でわがままだ。「韓国では、財閥一族の悪行が社会問題化しており、国民感情として、そもそも彼らへの反感が根強いんです。だからこそ財閥の人間を悪役として登場させている部分があります。韓国ドラマは、現実世界の映し鏡というわけです」(韓国のテレビ関係者) 実際、今回のナッツリターン事件以外にも、財閥一族の起こしたトンデモ事件はたくさんある。 例えば、総資産30兆円、総従業員40万人という韓国最大の財閥である「サムスングループ」では、2005年にこんな騒動を起こしている。 「2代目会長のイ・ゴンヒ氏(72才)が、バカンスでフランスにある世界最大級のスキー場『クーシュベルスキー場』を訪れたんですが、彼は、“他の客がいるのは嫌だ”と、6万ユーロ(約800万円)を払って貸し切ってしまったんです。フランス国内でも“前代未聞”と報じられ、大顰蹙を買いました」(韓国の全国紙記者) このゴンヒ氏の息子で、現サムスン副会長のイ・ジェヨン氏(46才)もまた、トラブルメーカーだ。2013年、長男を名門中学に裏口入学させ、それが発覚して大問題になったのだ。「息子の点数を不正に水増しさせるという悪質さで、結局、この長男は自主退学に追い込まれました」(前出・韓国の全国紙記者) 一方、サムスンのライバル「LGグループ」は、2012年、高卒で、財閥一族でもないチョ・ソンジン氏(58才)を家電部門の社長に抜擢し、「韓国財閥社会に風穴を開けた」と賞賛された。 もっとも、そんなソンジン氏も、2014年9月にドイツで開かれた家電見本市で、サムスン製の洗濯機を故意に破壊した容疑で検察に告発されるという、期待を見事に裏切る残念ぶりを見せているのだが…。 韓国3位の財閥である自動車会社「ヒュンダイグループ」では、これまでに創業者の孫が3人も大麻で逮捕されており、深刻な薬物汚染が浮かび上がる。 日本人にもなじみ深い「ロッテグループ」も酷い。「1994年、当時の副会長の長男・シン・ドンハク氏が、ドライブ中、割り込んだ軽自動車の運転手に腹を立て、“軽のくせに生意気だ”と因縁をつけて車から引きずりおろし、暴行して逮捕されています。彼は1997年にも大麻で逮捕されていて、典型的なドラ息子です」(在韓ジャーナリスト) ドンハク氏は2000年にも飲酒運転で取り締まりを受けており、その遵法精神の乏しさには呆れるばかりである。 金融最大手の「ハンファグループ」は、会長の起こした事件がドラマにもなるという伝説をお持ちだ。「2代目会長のキム・スンヨン氏(62才)は、次男がナイトクラブで従業員に殴られたことに激怒し、報復のために暴力団を雇って店を襲撃したんです。彼は懲役1年6か月執行猶予3年という判決を受けましたが、政府から不可解な特赦があり、何事もなかったかのように会長職に復帰しました。この事件が元になり、JYJのジェジュンが出演したドラマ『ボスを守れ』が作られたのです」(前出・韓国のテレビ関係者) この2代目会長の次男の素行不良は筋金入りで、2011年にはひき逃げで逮捕され、2013年には大麻で逮捕と、警察沙汰のオンパレードである。関連記事■ イベントに1万人超の超新星とストリートライブ出身CNBLUE■ 韓国の財閥 国内は市場ではないと認識し国民の貧乏を歓迎■ ギャラクシー・ショック サムスン業績不振で韓国経済ピンチ■ 覚えておいたほうがいい韓流アーティスト ZE:A、FTIslandなど■ 韓国にも半沢直樹が上陸 競争社会の憂さ晴らしにもってこい

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    韓国財閥の創業者一族はやりたい放題だ

    降ろした一件で、副社長を辞任した。この女性は、大韓航空も抱える韓進グループの趙亮鎬会長の長女。 私は韓国には200回以上仕事で行っているし、父親の趙さんもよく知っているが、娘を米国の大学に留学させるなどの教育は施したものの、肝心な人間教育がなっていなかったようだ。このパターンで思い出す経営者も数多い。 儒教文化が深く浸透している韓国では、恩師や年長者、社会的地位の高い人を敬う意識が高い。それを見ていた娘も、おやじさんと同じような感覚になって、「こいつを飛行機から降ろせ!」と、機長しかできない行為をしてしまったのだろう。機長が従わなければ、「彼もクビだ!」と叫んでいたに違いない。 航空機は公共の乗り物なのに、オーナー一族が自分の思い通りに動かせるように扱ったことも非難を浴びている。韓国では、財閥の創業者一族はやりたい放題で、絶対君主みたいなところがある。サムスンの李健煕会長のワンマンぶりを告発する元幹部の本が日本でも出ているが、子弟の振る舞いも含めて韓進よりもカラフルかもしれない。 今回の騒動をきっかけに、「そういえば、ウチの会社のオーナーのバカ息子も、横暴なことをやっているぞ」と他の財閥にも飛び火して、収拾のつかない状態になっている。韓国独特の世襲経営の弊害も批判されている。今回は「ナッツ・リターン」という愛嬌のある言葉も有名になったが、こうした実態が明るみに出ることはある意味、いいことだと思う。 一方、世界の航空業界に目を転じると、これまで長い間、低収益で悩んでいたのが、旅行需要の拡大と原油価格下落などを背景に最近は景気のいい話が多くなってきた。 国際航空運送協会(IATA)は10日、2015年の世界の航空業界の最終利益が計250億ドル(約3兆円)になるという予想を発表した。14年の見込みより26%も増え、過去最高になる。原油価格の下落を受け、燃料費の低下が見込まれるからだ。 今後、この燃料費の低下が航空運賃にも反映され、旅行需要も拡大する。IATAでは、15年の旅客数を14年見込みより7%伸びて35億人になると予想している。実は旅行者数はこの先、どんなことがあっても増えると思われる。 かつて「憧れのハワイ航路」と言っていた昭和20~30年代、日本はそれほど豊かではなかった。それでも、ハワイに行くとお土産にジョニーウォーカーを2~3本、必ず持ち帰ってきた。それが円高になり、どんどん海外に出かけるようになって、土産も増えてきた。 現在の中国人がまさにそういう状況だ。円安でタイやインドネシアの人たちも日本に来やすくなった。この年末年始も、海外からの訪日客が大幅に増加している。 全日空によると、12月19日から来年1月4日までの国際線の予約状況は日本発が1年前の6%増なのに対し、訪日客の利用が多い海外発は42%も増加しているという。日本の主要観光地ではホテルの予約ができないくらい混んできている。 旅行業は自動車を抜いて世界最大の産業になっている。この傾向はかなり世界的で、今後も続くはずだ。日本の受け入れ体制の整備、拡充が望まれる。 ■ビジネス・ブレークスルー(スカパー!557チャンネル)の番組「大前研一ライブ」から抜粋。関連記事■ 行き詰まる朴政権の反日外交■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 韓国の皆さんへ 嫌・嫌韓本のススメ

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    異常国家、異常社会の実体を晒しつつある韓国

    森 清勇(軍事ジャーナリスト、作家) (JBpressより転載) 韓国で朴槿恵(パク・クネ)大統領の支持率が30%まで低下した。年頭記者会見では、日本側に姿勢の変化を求めながら、自からは変わろうとしない態度に終始した。 また、大統領批判を封じるかのように名誉棄損の告発などを連発し、他方で経済の低迷化も危惧され始めた。国民の期待に添えない結果の支持率低下であろう。 言論の自由が制約され、嘘と偽りが横行し、贈収賄が日常的と言われる韓国では、国民の40%以上が海外移住希望という、自由主義国家では稀有で異常な社会である。 しかし、日本は韓国と断絶するわけにはいかない。そのために、韓国社会の現実を知り、かの国との付き合い方を考えることが不可欠である。権力に蝟集する縁故社会 韓国では権力に群がる横暴が目に余る。歴代大統領もその悪弊から逃れ得ず、ある者は亡命し、ある者は刑務所に入り、ある者は自殺するなど惨めな余生を送っている。 また女性蔑視の社会で、朴氏は権力の最高位に就いた。高支持率を千載一遇のチャンスとみて、李朝時代の残滓を排除する社会改革の着手を提言した(「日本の安全と北東アジアの平和のための論考 朴大統領は、社会改革で韓国の救世主となれ」)。 セウォル号事故が発生した直後には、事故の誘因に共通点が見られるとして、再度社会改革の必要性を喚起した(「セウォル号事件を引き起こした韓国社会の病巣 反日で日本を拒絶するより、社会改革に生かすことが先決」)。 韓国は儒教社会で、孝の意識が強い。 その中では「(儒教の)孝がもたらす一族至上の勢道政治」や「諸々の自由の制限」についても触れた。勢道政治とは権力を私し、自身や一族の蓄財、身内の優遇、さらには出身地域を繁栄させることに注力するなどである。 韓国人の大統領批判などに対しても大統領府は頻繁に告訴している。主要国の首脳や国際機関、ならびに世界のメディアから「言論の自由封殺」として非難されているが馬耳東風である。期待する特異性の発揮どころか、同じ穴のムジナになりつつある。 自由民主主義の国でありながら、李氏朝鮮時代の伝統なのか、社会因習に阻害されて権力の正当な行使さえできそうにない。国民は敏感に察知し、就任3年を残して支持率は30%台に急落してしまった。財界も驕りと犯罪・汚辱まみれ JBpress「SKオーナー30億円、サムスンCEOは7億円 韓国で初めての経営者報酬公開で分かったことは?」によると、現代自動車会長約14億円、韓火会長約13億円、CJ会長約5億円、ロッテ会長約4.5億円などとなっている。 韓国経済界を牽引していると言われるサムスン・グループでは非公開の会長や長男のサムスン電子副会長を除いても、4億円以上の役員が何人も列挙されている。 日産自動車のゴーン社長の平成25年度報酬が9億9500万円で多すぎるのではないかと話題になったが、海外メーカーの役員報酬と比べると適正な水準ということに落ち着いた。 ちなみに、トヨタ自動車社長は2億3000万円、ホンダ社長は1億5000万円であった。また日産社長以外の役員7人の報酬は合計6億5900万円である(「産経新聞」平成26.6.25付)。 韓国では財閥上位10社がGDP(国内総生産)の70%を生むといわれる。韓国財閥の飛び抜けた報酬が、かつての両班同様に国民を虫けら同然に思わせるのではなかろうか。 大韓航空の副社長がナッツの出し方が悪いと客室乗務員を叱責し、滑走路に向かっている機を引き返させて客室責任者を降ろす暴挙に出たうえに、嘘の証言まで強要した事件が「ナッツ・リターン」として裁判になっているが、珍しい事案ではなさそうだ。 「週刊新潮」(2014.12.25号)には財閥企業創業者の2世、3世が起こしたスキャンダルが数多く列記されている。 大韓航空に関しても、件の副社長の弟(現在は副社長)は2005年、自身が高級車で割り込みトラブルを起こす。 その行為を叱責するため被害車の後部座席から孫を抱いて出てきた老女の胸を掴んで車道に押し倒し、後頭部打撲で入院させる乱暴を引き起こしている。 その5年前には、車線規制違反で警察官の取り締まりを受けそうになり、警察官をひき逃げし公務執行妨害で立件収監されるが、間もなくして解放されている。 会長夫人も、今回の娘同様に立場を濫用して空港で会社の職員を面罵し、周囲の顰蹙を買ったとされる。真実が喋れない国 以上は倫理観や躾の問題でもあり、家庭、学校、社会という各段階での教育に大いに関係している。 呉善花(オソンファ)は、韓国は「世界有数の嘘つき大国」(『虚言と虚飾の国・韓国』)という。同書中のある知識人は「ウソの上手な国民を作るのが、国家の競争力を高める道だと勘違いしているようだ」と皮肉り、次の話を続けている。 小学校3年生が先生にチェックを受ける「よくできた」日記帳と、「真実」の自分用日記帳の2つを持っており、嘘でもいいから表はきれいに飾りなさいという「外貌重視」の社会教育をしていると述べる。 嘘を教え込まれた韓国の大衆(実は官憲?)は、正確なデータに基づく(韓国)知識人の言動も信じないで、逆に排斥しようとする。呉氏はその最たる者が「反日韓国に未来はない」など、歯に衣着せぬ発言をし、また書き続けて入国拒否されてきた自分だと語る。 2004年に「慰安婦強制連行」を否定した李栄薫(イヨンフン)ソウル大教授は、罵声を浴びせる慰安婦の前で土下座して謝っている。 同じく安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授は大高未貴氏のインタビューで「慰安婦の証言は全然ダメ」と語りながら、後日、そんなことは言っていないと前言を翻している。 最新では、慰安婦問題で「偏った両極端の対立はもうやめるべきだ」という考えから、『帝国の慰安婦』を上梓した世宗大教授朴裕河(パクユハ)がいる。 教授は慰安婦を帝国時代の(日本だけでなく世界中の)問題として、もっと広く考える必要があると提言するが、「日本」から目をそらすことになるとして、慰安婦たちから名誉棄損の批判を受け、損害賠償を求められている。 「いまの韓国はおかしい」という声を上げてきた著名な韓国人19人にSAPIO誌が取材を申し込んだところ、作家の柳舜夏(ユスンハ)および金完燮(キムワンソプ)、元大佐池萬元(チマンウォン)、大学教授の崔吉城(チェキルソン)および呉善花、そしてブロガーのシンシアリー6人だけが応じている。 残りの13人は、「喋ったら生きていけない」と断ったそうである。安秉直教授の翻意も「生きてはいけない」恐怖からであろう。平然と成りすます お菓子や清涼飲料水などの嗜好品、自動車や玩具などのデザイン、ドラマやポップミュージックなどの娯楽、キャラクターの意匠登録、漫画やゲームソフトのコンテンツなどが剽窃され、もともと日本生まれが「韓国生まれ」として満ち満ちていると呉氏はいう。 モノだけでなく、日本の領土である竹島も勝手に韓国領と言い張り、出店希望の家具販売店イケアには日本海を「東海」にしないと許可しないと脅迫する。 グアム島にJTBなどの日本企業が支援して、1991年、防犯と地域交流を目的に「交番」が建設され、「POLICE」という文字が正面左側に掲示され、右側は空白であった。その空白部にハングル文字で「トウモン警察署」と掲示したのが近年見つかった。 在留邦人らが副知事に撤去を求めると、韓国系米国人秘書が「日本企業が寄付すれば、もっと大きな文字を表示できる」との返事が来たという。 「交番3か所と数台のパトカーは日本企業が寄贈したものだ」と訴えて撤去されることになったそうであるが、韓国人や韓国系米国人の動きは面妖で油断ならない。 類似の悪質事案がフィリッピンでも起きていた。 1997年、フィリッピン・レイテ島のパロ市に日本政府の支援で小学校が建設された。「日比協力」の印として校舎の側面に両国旗を挟んで、比国旗「比国-(協力)-日本」日章旗のように日比協力の文字があった。 ところが、2014年6月下旬、台風の復旧支援を行った韓国軍が学校の屋根や窓を修理した後で、「日本」と「日章旗」を消去して比国旗「比国-(協力)-韓国」太極旗のように比韓協力に書き換えたのである。 別の箇所に遠慮気味に書くならばともかく、日本と日章旗を消して上書きするところに韓国(人)の悪意が伺われる。開いた口が塞がらないとはこのことだろう。言いがかりで聞く耳を持たない ジョージ・アキタは『「日本の朝鮮統治」を検証する』で、韓国人あるいは韓国系米国人研究者や歴史家などの成果も引用しながら、国際社会的に見て日本ほどいい政治をやった国はない。諸外国がやった植民地経営とは全く異なり、国内と同様に差別なく行っていたと評価している。 しかし、先述のように、学校では日本がいいことをやるはずがないと教え込まれ、正しい歴史観の披瀝は言論弾圧や物理的暴力などで押さえつけ、聞く耳を持たない。 従って、日本(人)がやったいいことは、ほとんど韓国(人)がやったように書き換えている。要するに日本は悪いことばかりやってきたと烙印を押そうという悪意ばかりが目立つ。 台湾統治も参考にしながら、実際は韓国の文化や国民性などに寄り添った統治を行っている。ただ、それ以上に華夷秩序にどっぷり浸かった李朝が残した国民性の影響が大きく、成りすましなどが平気で行われるのであろう。国交正常化時の請求権について、法律論的には朝鮮は大日本帝国の一員であったので請求権の権利は発生しないという見解や、双方に請求権があるとする見解などがあった。 双方に請求権があるとみた場合、日本からの援助が差引プラスになるとみられた。それ以上に、李朝の残滓を改革した功績は金子で計量できないほど大きかったともみられるが、相手は改悪としか見ないので交渉のテーブルにさえ上げえなかった。 李承晩初代大統領は4億ドルで決着すれば大成功とみていたとされ、当時の野党は27億ドルを主張し、朴正煕大統領時代に8億ドル(韓国GDPの2割相当)を日本が供与することで決着した。これが「漢江の奇跡」をもたらしたが、もちろん相手は認めようとしない。おわりに 韓国は国家ぐるみで、日本痕跡の排除と日本騙しを続けていると言える。総督府の建物は併合時代の残滓として破壊した。ならば形而上でさらに大きな影響を与えたであろう京城帝国大学(現ソウル大学)の破壊こそが韓国人がやるべき第一ではなかったのか。 平昌冬季五輪の日韓共催論が一時出てきた。会場整備の遅れや大会組織委員会が財政難で苦慮していることなどを危惧した国際オリンピック委員会が、複数国での「共催」を容認した結果である。 善意が悪意に変換される韓国であり、河野談話の二の舞を演じてはならない。支援の手を差し伸べるのにやぶさかであってはならないが、大統領の言行さえ平気で反故にする韓国である。 日韓は地勢学的位置関係から、お互いを必要とする関係にある。善意などという情緒ではなく、韓国の政治・社会の現実に立脚した対処こそが前進のカギである。関連記事■ 行き詰まる朴政権の反日外交■ 太政官指令「竹島外一島」の解釈手順■ 何でもあり 幻想の世界に生きている韓国国民

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    ナッツリターン問題に潜む韓国文化の深い闇

    いかえれば、他の状況証拠を集めれば、これと全く反対の結論も出せることをお断りしておきたい。で、今回は韓国文化にネガティブな立ち位置で展開することにする(もちろん、立ち位置を変えればポジティブにやることも可能)。状況証拠として次の6つをあげておく。1.韓国社会が一部の財閥によって支配されていること、2.超学歴社会であること.、3.大韓航空が先進国の航空会社にしてはやたらと飛行機事故が多いこと(世界第六位)、4.世間的なバッシングが多いこと、5.自殺率が世界でトップレベル(2位、1位は北朝鮮)であること、6.インターネットが最も普及していること。で、これらが絡むとナッツリターンは大事件になっていく……。一族経営と超学歴社会が生む社会の構造化 先ず、大韓航空サイドの話から入ってみよう。この事件で気になったこと、それは副社長(もはや前なので以下「前副社長」)が、なぜこんなにゴーマンかますことができるのか、ということだ。まあ、それは一企業の首脳部ゆえ、やれないこともないが、度を過ぎている。この原因として考えられるのが1の財閥による支配だ。世界で活躍する韓国大企業の多くが一族経営と言ってもよいほど、一部の人間によって支配されている。趙顕娥前副社長にしても韓進グループ会長の娘。つまり能力のあるなしにかかわらず副社長になり、そしていずれは社長の椅子に座ることが約束されている状態。で、完全に上層階層の人間として育てられてきたので、上から目線しか出来ない。それが結果としてナッツリターン的な行為を平気でやってしまうことになる。そして、これに2の超学歴社会が絡む。韓国で一流企業入社するための必須条件は前述の名門一族がらみだけではない。あたりまえだが、これだとあまりに人数が少なすぎる。そこでSamsung、HYUNDAI、大韓航空などの一流企業に入り込む可能性が庶民にも残されている。それが学歴によるスクリーニングだ。早い話がソウル大学か延世大学あたりに入学することが、これら企業への登竜門となっている。いいかえれば受験戦争に敗北した者には、もはや一流企業への道は開かれていない(これは日本の学歴社会の比ではない)。こうなると一族がタカビーになるのみならず、当然、これらに入社した庶民もまたタカビーということになる。だが、それが結果として3の大韓航空が問題を起こす温床となっている可能性がある。つまり、これら既得権を獲得した人間が保身に回ることで組織が構造化、官僚化し、フレキシビリティを失っているので合理化が進まない。それが結果として事故を多発させる?到達可能性という幻想が巻き起こす嫉妬 次に、このほとんど~でもいいタカビーな副社長のナッツリターン事件について、なんでこんなに大騒ぎするのかについて考えてみる。これは副社長に対するバッシングの原因についての考察だ。 1.財閥支配、2.超学歴社会という構造は、韓国国内には必然的にこの二つの条件をクリアしていない大多数が存在することを意味する。2は唯一の階層打破のブレークスルーだが、限りなく狭き門でもあり、現実的には「階層」ならぬ「階級」社会が成立していると言ってもよい。ただし、あくまでも階層社会であることはタテマエ、だから可能性としてはここに入れるという希望を持たせることは出来る。しかし実質的には不可能。こういった「到達する可能性があるのに、とどかない」という場合には、当然ながら心理学で言うところの認知的不協和とか合理化といった行動を人々は採ることになる。つまり「あのブドウはすっぱい」。とれるはずの物が取れない。でもその状況を容認することは出来ない。だったらこの認知のゆがみを正す方法は一つ。取れないものを誹謗中傷し、否定すればよいのだ。これは一般的には嫉妬というかたちで現れる。(ちなみに絶対的に到達不可能な場合には、こういった希望=欲望が出現することはない。クラスで成績の良いやつがまたイイ成績をとっても気になることはないが、普段は自分と同じくらいの並の成績しかとらない仲間が良い点を取ると気持ちが落ち着かなくなるという嫉妬の現象は、ようするにこの「到達可能性の有無」の違いで生じる。前者は不可能、後者は可能。だから嫉妬が起こる)。「すっぱいブドウ」と認定された趙顕娥前副社長 趙顕娥前副社長は格好の「すっぱいブドウ」とされた。 韓国は、ただでさえ4.世間のしがらみやバッシングの多い国だ。それが結果として5.自殺率の高さにあらわれている。たとえば、最近ではこの二つ(4+5)の合併症的な事件がセウォル号事件で発生した。この事件では修学旅行で乗船していた高校生(壇園高校)の犠牲者が多数出たが、その中で救助された引率の教頭がいた。この教員が生き残ったことに激しいバッシングが起こり、それを苦にして当該教員が自殺してしまったのだ(ただし韓国マスメディアはこの教員の自殺を美談として展開するというマッチポンプ的な報道を展開していた)。で、こういった世間のしがらみは関係性が合理化させるはずの6.インターネットの普及によってむしろ拍車がかかる。SNSなどでこの教員はバッシングされまくっていたらしいのだ。ちなみに、ここでは詳細な説明を避けるが、ネット(とりわけSNS)は人々の嫉妬にこれまで以上の拍車を駆ける機能を有している。本来なら顔が見渡せる範囲でのみ起こる瞬間的な集団の感情爆発である群集行動が、ネットを介することでお互いの顔が見えなくても一気に起こってしまうのだ(いうまでもなく炎上や荒しといった集団的なフレイーミング現象がそれ。ただし一方的、つまりバッシングされる側が固定されているのだけれど)。 大韓航空副社長という、本来なら決して批判できない対象が、ゴーマンかましてナッツリターンという些細な(殺人事件等に比べればの話だが)を犯したとき、韓国大衆はこの事件に首っ引きになった。嫉妬をかき立てる対象が典型的な階層トップの人間であり、しかも悪役を見事に演じてくれたのだ。この合併症で前副社長は到達可能な人間へと引きずり下ろされた。そして、今こそ恨みを晴らすべき時とばかり、韓国大衆のルサンチマンが爆発する。で、これを大々的にメディアが援護射撃する(というか、むしろ構造は逆でメディアが取り上げ、大衆のルサンチマンが援護射撃するというメディアイベント状態になっている)。 そこからスペクタクルが展開され、検察による前副社長の取り調べにあたっては、ものすごい数の報道陣が駆けつけた。そして趙顕娥前副社長は謝罪すると同時に全ての職から退いた。これに煽られて司法もさらに前副社長の過去を暴き始める……。バッシングは六つの要素が重なり合ってスパイラル的に拡大していくのだ。 ちなみに、韓国は歴代の大統領が悲惨な末路を迎えることで有名だ。その多くが逮捕され、中には死刑判決を受けた者(全斗煥。その後恩赦)も。それ以外でも亡命(李承晩)、暗殺(朴正煕)、クーデターで辞任(崔圭夏)、自殺(盧武鉉)など。これらから逃れているのは金泳三、金大中、そして李明博だが、前者2人は家族が逮捕されている。これもまた同じ構造だろう。つまり、トップのゴーマンと大衆のルサンチマンがなせる業。彼らが引きずり下ろされるのは得てして大統領辞任後、つまり到達可能な存在になってからだ(ちなみに現大統領の朴槿恵は、ご存知のように朴正煕の娘)。 もし、この僕の議論が正しいとしたら、この構造、つまり一部のタカビーと上に上がれない大多数の嫉妬による有名人バッシング・スペクタクルはこれからも継続することになる。というか、むしろインターネット社会の進展によって拍車がかかることになる。日本バッシングも同じ構造? そして、この構造は日本にも向けられている。つまり韓国人にとって日本はタカビーな民族、そして到達可能な相手という認識がある。だからスポーツ競技でも日本が活躍する分野には盛んに進出するし、各種のバッシングを徹底的に行う。そうであるとするならば、韓国による日本バッシングはこれだけが突出した事態なのではなく、現在の韓国が抱えている国民性(つまり要素の1~5)がなせる様々な事態の部分集合として捉えた方がよいということになるだろう。日本も同じ構造を抱えつつある? そして、こういった嫉妬の構造、実は韓国に限ったことではない。わが国日本でも最近拍車がかかっていないだろうか。メディアで突出した特権的に立場にある人間がスキャンダルや事件に巻き込まれた瞬間、嫉妬が炸裂し徹底的なバッシングを開始する。今年一年を思い返しても小保方晴子、佐村河内守、野々村竜太郎、小渕優子、矢口真里、百田尚樹+家鋪さくら(やしきたかじん妻)。これらは一様に趙顕娥前副社長と同じような立場にあり、ちょっとしたスキャンダルがネット上で炎上して嫉妬を巻き起こした。で、最終的に叩くわけで、大衆の「上げて、下げて、私のカタルシス」=嫉妬の解消という構造はまったく同じなのだ。IKEA問題が暗示するここまでの議論の矛盾 スウェーデン家具のIKEAが12月にソウルに第一号店をオープンするにあたって、そのホームページと商品に掲載したマップに「Sea of Japan」、つまり日本海と記したことについての大バッシングが起こったことも記憶に新しい。これもまた同じ構造なのだが……ところが、である。オープン当日の映像を見てみるとびっくりすることがある。オープンを待ち焦がれていた若者たちが、さながらAppleストアでの新型iPhoneの発売イベントのように開店をカウントダウンし、喜色満面でハイタッチしながら店内に次々と入場する姿が映し出されたのだ。 この映像、ここまで僕が展開してきた韓国人のイメージとは正反対の姿だ。メディア的に展開されるような政治問題はさておき、IKEAというイケている新しい消費産業のはじまりを大歓迎している。さて、これどう理解すべきか。つまり、どちらが真の韓国大衆の姿なのか?……僕は後者の方を支持する。ただし、ご存知のようにメディアは徹底的にネガティブな映像、つまり韓国ダメという報道を流し続けている。今回は韓国に対してネガティブな議論展開になってしまったが、これが「メディアと政治によってイメージがコントロールされているだけ」という立ち位置になった瞬間、見方が変わって来ることは、念頭に置いておいた方がいいだろう。 最後に、しつこいようだが、これは「もしも6つの前提をネガティブ考えたら」という前提でしかないことをお断りしておく。僕はヘイトスピーチに荷担しているわけでも、韓国文化を擁護しているわけでもないので(まあ、勘違いして「よくぞ行ってくれた」とか、反対に「そんなこと言いながら、あんた嫌韓論者なんだろ?」なんて邪推する人がいるかもしれないが(笑))(ブログ「勝手にメディア社会論」より)関連記事■ 何でもあり 幻想の世界に生きている韓国国民■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 魔女より、ありのままの女性に脚光を

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    韓国の財閥3世に向けられる世間の冷たい視線

    前副社長(40)がナッツの出し方に激怒して離陸直前の自社機を引き返させた「ナッツ・リターン」事件で、韓国の財閥に対する関心が改めて高まっている。  日本でも数年前までは「オーナー主導だから意思決定が速い」などと良い面が評価されていたが、今回の事件では財閥オーナーの専横ぶりへの批判が多い。そうした変化の背景に日本での嫌韓感情の高まりがあるのは否定できないが、一方で、これを機に韓国の財閥というのは何かを考えてみるのも悪いことではないだろう。2014年12月17日、ソウル西部地検に出頭し、記者団に囲まれる大韓航空の趙顕娥前副社長(共同)財閥依存の韓国経済 韓国経済は、財閥に依存しているといわれる。韓国経済における財閥の存在感というのは、実際にはどの程度なのだろうか。 気をつけねばならないのは、「10大財閥の売上高合計が国内総生産(GDP)の7割以上」などという比較は不適切ということだ。GDPは、企業の売上高を積み上げたものではなく、国内で生み出された付加価値の合計だ。違うものさしを並べても、比較にはならない。 ただ、財閥の存在感が非常に大きいのは事実である。財閥情報専門のネットメディア「財閥(チェボル)ドットコム」<http://www.chaebul.com>の調査結果を見ると、それは一目瞭然だ。財閥ドットコムは、サムスンや現代自動車を含む10大財閥の売上高と当期純利益が、国税庁に法人税申告をした企業約52万社の中で占める比率を集計した。ちなみに、大韓航空を擁する韓進グループは、調査時点の資産規模で財閥序列9位に入っている。 財閥ドットコムによると、10大財閥の2013年の売上高合計が全体に占める比率は24.8%、当期純利益だと41.9%に達した。中でも、サムスンの主力企業であるサムスン電子の存在感は圧倒的だ。サムスン電子の2013年の当期純利益は、1社だけで全体の15.5%を占めた。韓国経済の中では財閥が圧倒的な存在感を持ち、その中でもサムスンが他を圧倒しているという構図だ。3世への世襲が進行 サムスンでは昨年5月、李健煕(イ・ゴニ)サムスン電子会長(73)が心筋梗塞で倒れて以降、李会長の長男である李在鎔(イ・ジェヨン)サムスン電子副会長(46)が事実上の経営トップとなる体制への移行が進んでいる。李健煕会長の父が1938年に韓国南東部・大邱でサムスン(三星)商会を設立しているから、李在鎔氏は3世経営者ということになる。 他の財閥でも2010年ごろから、創業者の孫世代がグループ会社の社長や副会長といった要職に就き始めた。韓国の財閥は、日本の敗戦によって植民地支配から解放された1945年前後の創業が多い。創業から70年ほど経って、3代目経営者の時代になってきているということだ。ナッツ・リターン事件の主人公である大韓航空の前副社長も、創業者の孫である。 解放前後の混乱や朝鮮戦争(1950~53年)という動乱期、戦後復興の中で、必需品である砂糖や小麦粉、セメントなどを扱う企業が成長した。その典型がサムスン商会であり、そうした企業が後に財閥の母体となっていった。朴正煕が「作った」財閥 朴槿恵(パク・クネ)大統領は2012年12月の大統領選で勝利した1週間後、日本の経団連に相当する「全国経済人連合会(全経連)」を訪問した。朴氏はこの時、韓国の大企業が成長できた裏には「多くの国民の支援と犠牲があり、国からの支援も多かった。だから、韓国の大企業は国民企業の性格が強い」と強調した。 朴氏の言葉の背景には、韓国特有の事情がある。韓国の財閥は、朴氏の父である故朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が作り、育てたようなものだからだ。 1961年に軍事クーデターで政権を握った朴正煕氏は、1979年に殺害されるまで、民主化運動を弾圧する独裁政治を行う一方で、世界最貧国レベルだった韓国に高度経済成長をもたらした。韓国国防大の許南ソン(ホ・ナムソン、ソンは「さんずいに省」)名誉教授は、「朴正煕大統領は権力掌握後、安保と経済を最優先課題とした。一言で言えば『富国強兵』だ」と話す。 しかし、当時の韓国は貧しかったから、内需主導の成長など望むべくもない。必然的に輸出志向の成長戦略を取るしかないのだが、輸出産業を興すための資金も、技術もなかった。 その状況を覆すべく朴正煕大統領が決断したのが、日本との国交正常化だ。植民地支配に対する謝罪や賠償を勝ち取れないまま対日国交正常化に踏み切るという決断は、「屈辱外交」という強い反発を韓国内で生んだが、朴正煕大統領は戒厳令を敷いてまで押しきった。そして、日本から5億ドルの経済協力資金と技術の供与を受けることで経済成長の基盤を作った。 ただ、資金面の手当てがついたといっても、余裕があるわけではない。だから、限られた資源を効率的に活用するため、特別な低利融資などといった形で「選ばれた企業」を後押しした。こうした形態が政経癒着に結びつくのは当然だが、それでも「漢江の奇跡」と呼ばれる驚異的な高度成長につながっていった。ベトナム戦争とオイルショックで急成長 韓国財閥の歴史で忘れてならないのが、ベトナム戦争特需だ。 韓国は1964年、米国からの要請を受けてベトナムへの派兵を始めた。米国は見返りとして、派兵経費すべてを負担し、多額の軍事援助を行うだけでなく、後方地域での輸送や建設業務に韓国企業が進出することを支援した。派兵された韓国軍は計32万人だが、後方業務に従事した民間人は計50万人といわれる。 許名誉教授は「ベトナム戦争で韓国が得た経済的利益は、総計50億ドル程度になり、日本からの経済協力資金よりずっと多かった。韓進や現代は、ベトナムでの事業で資本と技術を蓄積して急成長した」と話す。 韓国軍は1973年、パリで和平協定が締結されたことを受けてベトナムから撤収する。 そして、同年10月に第4次中東戦争が勃発し、第1次オイルショックが起きる。オイルショックは、重化学工業への転換を急いでいた韓国経済にとっては打撃だったが、同時に、ベトナム戦争終結で東南アジア市場を失った韓国の建設企業にとっては中東進出の好機となった。韓国企業による中東での建設受注は、73年に2410万ドルで、ピークとなった81年には126億7060万ドルに達した。多くの財閥がこの時、先を争うように建設業に参入して大きな利益を上げた。通貨危機で政権の庇護失う 財閥ドットコムの鄭先燮(チョン・ソンソプ)代表は、「権力との関係を維持できている限り、財閥が破産することはなかった」と指摘する。韓国の財閥は、政権との密接な関係を背景に成長してきたからだ。逆に、権力ににらまれた財閥は、姿を消していった。 それが変わったのが、1997年の通貨危機だ。韓国は大胆な構造改革を余儀なくされ、新自由主義的な経済政策への大転換が行われた。結果として、超競争社会が現出し、その中で勝ち残ったサムスン電子やLG電子、現代自動車は世界的企業へと成長した。 だが、それでも創業者一族が「オーナー」として君臨する企業構造は、そのまま残っている。創業者一族の所有株式は今や、それほど多くないので「オーナー」という言葉は正確ではないのだが、それでも大株主であることは変わらない。系列企業間の株式持ち合い構造もあって、「オーナー」は今でも絶対的な影響力を維持しているのである。証人としてソウル西部地裁に入る韓進グループの趙亮鎬会長=1月30日(共同)3世への冷たい視線 ただ、「オーナー」の絶対的立場が、今後も盤石かどうかは疑問視する声がある。鄭代表は、ナッツ・リターン事件で前副社長が逮捕・起訴されたことも「かつてなら考えられなかったことだ」と話す。昔なら罰金程度で終わっていたはずだが、財閥3世に対する世論の視線が冷たくなっていることが厳しい処分につながったというのだ。 鄭代表は、「通貨危機以前と以後で、世襲を取り巻く社会環境が大きく変わった」ことを理由に挙げる。通貨危機後の構造改革では、金融実名制が強化された。世襲のために必要な親子間での資産移動は、仮名口座や借名口座を使う不透明な資産贈与が当然のように行われていた時代には見えづらかったけれど、透明性が高まった現在は隠せない。 鄭代表は「ただ『世襲だ』と言うより、『世襲のために何兆ウォンも資産移動をした』と具体的に言われた方が人々の反発は強くなる」と指摘する。 また、2世への世襲が行われた80年代後半から90年代初めと現在の社会状況の違いもありそうだ。 80年代後半から90年代初めというのは、まだ高度成長の余韻が残っていて、「豊かになる」ことを国民が実感できた時代だった。それに比べると、通貨危機以降の韓国では、それまでになかった勢いで格差拡大が進み、持てる者と持たざる者の葛藤が深まっている。そうした状況下で、財閥3世の世襲に向ける視線が厳しくなるのは当然だろう。世間知らずの3世が直面する試練 韓国紙・ハンギョレ新聞によると、財閥3世が入社してから役員に登用されるまでにかかる期間は平均3.1年。系列会社間の取引で巨額の利益を3世所有の会社に上げさせる脱法的な手法で、資産移動が行われているケースもあるという。 さらに、苦労した創業者の背中を見ながら育った2世に比べ、生まれた時から温室で育てられてきた3世には「世間を知らない」という批判も強い。ナッツ・リターン事件はまさに「財閥3世の世間知らず」を世に知らしめたといえる。 鄭代表は「李健煕会長は、半導体やスマートフォンでサムスン電子を世界的な企業に育てた。他の2世に対しても、功績を認める人が多い。でも、何も実績のない3世は違う。経営に失敗したり、社会的な問題を起こせば、ナッツ・リターン事件のように厳しい批判にさらされるだろう。3世は難しい立場にあるのだが、子供の頃から王子様、お姫さまのように育てられてきた人間に、危機を乗り切るための創造性を発揮しろと言っても簡単ではない。私は、財閥の行く末は暗いと思っている」と話した。さわだ・かつみ 毎日新聞ソウル支局長。1967年埼玉県生まれ。慶応義塾大法学部卒、91年毎日新聞入社。99~04年ソウル、05~09年ジュネーブに勤務し、11年から再びソウルで勤務している。著書に『「脱日」する韓国』(06年、ユビキタスタジオ)、『LIVE講義 北朝鮮入門』(10年、東洋経済新報社、共著)、訳書に『天国の国境を越える』(13年、東洋経済新報社)。毎日新聞サイト内に主な記事などを集めた個人ページ「アンニョン!@ソウル」がある。<著者新刊本のご紹介>文春新書から20日に『韓国「反日」の真相』という新著を出します。書名に「反日」と入っていますが、実際にはもう少し広い「韓国の社会意識」について読み解こうとしたものです。近年、韓国の対日外交などに対して違和感や不快感を抱く日本人が増えています。ヘイトスピーチのような差別主義的な言動は論外だと考える人でも、こうした不快感を感じる人は多いのではないでしょうか。正直に言えば、学生時代から四半世紀に渡って韓国社会と接してきた私ですら、そうした感覚から自由ではありません。私は昨年3月の毎日新聞のコラム「記者の目」に、「韓国で取材していて、『うんざりだ』と思うことが多くなった」と書きました。旧友から「悲鳴のようなコラムだった」と評されましたが、その時の偽らざる心境をつづったものです。日本人が抱く不快感の背景にあるのは、韓国社会の意識構造を「理解できない」と感じることがあるのではないかと思います。でも、だからといって単純に「反日司法」とか「反日団体」というレッテル張りで済ませることは、楽ではあるが、非生産的です。少なくとも、冷静な観察者であるべきメディアがそうしたレッテル張りに走ることは、怠慢でしかないでしょう。そう考えた私は昨年2月、毎日新聞で「『正しさ』とは何かーー韓国社会の法意識」という記事を連載しました。韓国社会のキーワードである「正しさ」や「道徳性」という言葉を手がかりに、日本とは違う韓国社会の意識を探ろうとしたのです。文春新書から刊行する新刊は、この連載を加筆したものが大きな柱の一つになっています。出版社が作った「アマゾン」の内容紹介では「全く新しい韓国論の登場」とされていますが、私にとっては、2006年に出版した『「脱日」する韓国』(ユビキタ・スタジオ)という本や、ふだん書いている記事の延長線上にあるものです。韓国に対して厳しい内容も多くなっていますが、いわゆる嫌韓本ではありません。かといって、親韓本とは絶対に言えないでしょう。日韓関係に限らず、取材をしていると常に「現実というのは単純じゃないんだな」という思いにとらわれます。日本人にとって理解できない「韓国の社会意識」にしても同じことで、単純なわけがありません。しかも、ある部分については「理解できない」と考えている日本人の方が、国際的には少数派だということもありえます。韓国を巡る「単純ではない現実」に関心を持っていただける方には、ご一読いただければ幸いです。関連記事■仮想敵は日本  韓国軍が狂わせる日米韓の歯車■韓国の「外信信仰」と激しい党派対立■安保よりも安全が優先する韓国■「アル=カーイダ3.0」世代と変わるグローバル・ジハード■なぜ環境保護派が原子力を支持するのか

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    最新の脳科学[ダマシオ理論]で説く韓国・朝日の病理

    の平成22年8月10日、日韓併合百年にあたって首相談話が発表されました。日本に一方的な非があったと、韓国に対して過去を謝罪する内容でした。韓国が足元を見るのは当然です。あらためて言いますが、重要なのは無意識であって意識ではありません。無意識は人柄に反映します。菅氏の人柄がどのようなものであるかは、いまさら言うまでもないでしょう。 ちなみに、この首相談話の影の主役は仙谷由人官房長官でした。首相談話の一カ月前に行われた参院選で民主党は大敗を喫していますが、もし民主党が勝っていたら、仙谷官房長官は韓国に対して個人補償にまで踏み切ろうとしていた可能性さえあったと言われています。 民主党だけではありません。憲法9条改正に「断固反対」し、先の参院選では「強い国よりやさしい社会」というキャッチフレーズを掲げて惨敗した社民党の前党首、福島瑞穂氏は『結婚と家族』(岩波新書)で多様な家族のあり方を奨励しています。 彼女が勧めるようにさまざまな形態の家族ができたら、不幸な人間が増えるのは間違いない。トルストイは「幸せな家庭はどれもみな似ているが、不幸な家庭にはそれぞれの不幸の形がある」と『アンナ・カレーニナ』の冒頭に書いていますが、それが普通の考え方です。福島氏は不幸な子供を大量につくり出そうという無意識の破壊衝動にかられ、多様な家族を推奨しているのです。 朝日新聞はもっと露骨に、平成22年から23年にかけて「孤族の国」キャンペーンを行って家族の解体を推奨しました。日本社会の破壊を狙う朝日新聞の「孤族」キャンペーンは今もネットで継続中 経済的豊かさの果てに共同体が崩壊し、「家族の時代には戻れぬ」として、新しい生き方を探す時代がきたと言い、「個を求め、弧に向き合う。そんな私たちのことを『孤族』と呼びたい。家族から、『孤族』へ、新しい生き方と社会の仕組みを求めてさまよう、この国。『孤族』の時代が始まる」のだそうです。さらに「未婚で生涯を送る『孤族』たちが不安を抱えずに生きていける、そんな社会であってほしい」とも記事には書かれています。 未婚で生涯を送る誰もが不安を抱えずに生きていける社会など存在するはずがありません。家族ではなく、一人一人が単位となる社会、家庭も親子関係も否定する社会が果たして幸せでしょうか。朝日新聞のこの「孤族の国」キャンペーンは、日本の破壊行為そのものです。朝日の倒錯した願望 中国や韓国の反日史観が、自らを欺いて客観的な歴史を改竄し、憎悪に導かれて生まれたものであることは言うまでもありませんが、朝日新聞は中韓の反日キャンペーンをことさらに煽り、増長させてきたメディアです。韓国が執拗なまでに言いつのる「慰安婦問題」についても、朝日新聞には大きな責任があります。 朝日新聞は平成3年8月11日、「慰安婦の痛み、切々と」という記事を掲載しました。「日中戦争や第二次大戦の際、戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり」という書き出しの記事でした。 この報道はその後、この女性が14歳のとき、貧しさから身売りされていたことがわかり、事実に反することが明らかになりました。しかし、朝日新聞は懲りることなく、翌平成4年には1月11日付の一面トップで「慰安所 軍関与を示す資料」という記事を掲載し、「政府見解揺らぐ」と報じます。翌日には「歴史から目をそむけまい」という見出しの社説を掲載しました。その冒頭の一節は次のようなものです。〈日中戦争や太平洋戦争中に、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人女性などのいわゆる「従軍慰安婦」について、軍当局が募集を監督したり、慰安所の設置などに関与していたことを裏付ける公文書類が発見された。〉 しかし、「軍当局が関与していた」と言っても、その内容は、慰安所を経営する民間業者に対して、慰安婦を強制的に集めたりしないように軍が伝えたというだけの、むしろ売春行為の強制はなかったことを示すものでした。 にもかかわらず、当時の加藤紘一官房長官は「軍の関与は否定できない」と国の責任に言及したため、韓国でも大きく報道され、1月16日に訪韓した宮澤喜一首相は盧泰愚大統領に何度も謝罪することになりました。 朝日新聞はさらに、1月23日付夕刊の紙面で、「日本軍人が先の戦争中、朝鮮半島に住む女性を強制連行し、慰安婦にした」という吉田清治なる人物の証言を掲載しました。 この証言も結局は虚偽だったのですが、宮澤政権は「日本政府による関与があったと認められる」と表明し、それでも韓国が批判をゆるめないとみるや、翌平成5年8月、退陣を前にしたどさくさまぎれに河野洋平官房長官が「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」、いわゆる「河野談話」を公表しました。 この河野談話には「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」などといった文言が含まれています。事実に基づく証拠が希薄であるにもかかわらず、この談話がその後ひとり歩きを始め、「日本軍が若い女性を強制連行し、慰安婦にした」というとんでもない誤解を国際社会に広めることになりました。 そのきっかけとなったのが朝日新聞の一連の報道です。日本の国益を損うこうした報道を、敵対国の新聞が行うならともかく、れっきとしたわが国の新聞が行うのはどうしたことでしょう。朝日新聞は自国を貶めたいという倒錯した願望を抱いているとしか思えません。「九条信奉」と「神州不滅」「自分をだます」自己欺瞞の一つに、「見たいものだけを見て、見たくないものは見ない」主観主義と呼ばれる現象があります。 「日本が外国から侵略されそうになったらどう対処すべきか」と普通なら考えるところですが、憲法9条を信じている護憲派は、外国からの侵略などあり得ないと言う。 毎日新聞の岩見隆夫氏が、「憲法九条を信じている人は、戦時下に神州不滅(日本は神の国であるから絶対に滅びるはずがないというスローガン)を唱えていた人に似ている」と書いていました。戦争には、こちらから攻撃する場合もあれば、向こうから攻撃される場合も当然あります。それを彼らはまったく考えない。 それどころか、戦後70年間にわたって平和だったのは憲法9条があったおかげだと言い出す始末です。福島瑞穂氏は、平和憲法こそ日本の最大の抑止力だと国会で発言していました。まさしく「見たいものだけを見て、見たくないものは見ない」主観主義です。いくら憲法九条を信じ、外国の侵入などありえないと主張していても、夜、寝るときは家に鍵をかけるはずですが……(笑)。 もしも中国に攻め込まれたら、喜んで奴隷になる、“中国日本省”の人民になる、銃をとって戦うくらいなら、そのほうがずっとましだと発言するテレビのコメンテーターも何人かいます。平和憲法こそ日本の最大の抑止力だと主張する人間も含め、破壊衝動を秘めた人間の典型と言えるでしょう。 実は、先ほど名前の出たバートランド・ラッセルも同じようなことを言っています。アメリカが核を独占している時代には、「共産主義は悪の帝国だから、核兵器でソ連を攻撃すべし」と言っていたのが、ソ連も核武装すると「核戦争を避けるためには西側が核を一方的に放棄するべきだ」と180度主張が変わったのです。 ラッセルの家系も、祖父が二度首相を務めている名門なのですが、彼も幼児期に両親を失い、厳格なキリスト教徒だった祖母に育てられています。おばあさんの愛情がどれほどのものだったかはわかりませんが、彼にそうした破壊衝動が生まれたのは両親の愛情と無縁に育てられたせいかもしれません。 無意識の「破壊衝動」は、現代の脳科学・進化心理学で広く認められつつあるのですが、欧米のような人間性悪説に基づくキリスト教圏と違って、性善説の国民性を持つ日本人には、なかなか受け入れにくいかもしれません。しかし、3年3カ月にわたる民主党政権を振り返ってみれば、納得できるのではないでしょうか。 「平和」「人権」「平等」「権利」「友愛」などといった耳に心地よく響く美辞麗句を並べながら彼らが行ったのは、まさしく日本の破壊そのものでした。 脳科学・進化心理学という科学的な基準によって、「心の核兵器」とでも形容すべき政治家の破壊衝動を見極め、政治を客観的にとらえることが、いま求められています。その第一歩として、憲法9条の非合理性と欺瞞を科学的に暴き、日本国民に伝えていきたいと私は考えています。 関連記事■世界が羨む「日本の力」■日本人が靖国参拝して何が悪い!■戦後70年 落ち着いて歴史を語れる国に■「敗北を抱きしめて」などいられない

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    なぜ、台湾の若年層は韓国を嫌うのか~現地座談会から

    の嫌韓。いったいなぜなのか? 台北市内のレストランを借り切り、座談会を開催。若者層の声を聞いた。「台韓国交断絶」の衝撃 今秋、私は自身にとって初の本格的な歴史概説書となる『知られざる台湾の「反韓」』(PHP研究所)を上梓した。私たちは普段、「日韓関係」「日台関係」のことはよく見聞きする。韓国の反日感情とか、台湾の親日感情などの情報には、日本にいながらにして毎日のように接する。しかし「日本と相手国」という関係性を離れ、台湾と韓国という他国同士の関係性である「台韓関係」となると、途端に馴染みがなくなる。台湾と韓国は共に日本の隣国でありながら、いつもこの二国に対する切り口は日本を基軸とした関係性の視座がほとんどだった。台湾は韓国とどのような関係にあるのか、あるいは台湾は韓国をどのように捉えているかといった視点は、これまであまり存在していない。 2013年3月に開催された第3回WBC(ワールドベースボールクラシック)で、共に出場国であった台湾と韓国はB組で対戦した(台中インターコンチネンタル野球場)。台湾は韓国戦には敗北したものの、予選リーグを突破した。しかしこのとき、韓国選手のラフプレーが大きな問題になり、台湾国内で「反韓」の感情が沸き起こったことは、日本でも話題となった。「棒打高麗(韓国人を棒で叩き出せ)」のプラカードや、You Tubeにアップロードされた太極旗を破り捨てる女学生の動画が紹介され、このとき初めて私は「台湾には根深い嫌韓感情がある」という事実を知った。 WBCにおける一連の騒動についてある韓国紙は「台湾と韓国のあいだには恩讐がある」と表現した。前述のとおり、日本では嫌韓が激増しているものの、それを「恩讐」という言葉で表現する人は少ない。「恩讐」という表現には、表層的な感情とは違う、もっとシリアスなニュアンスが含まれている。この言葉の裏に存在する台湾と韓国の関係とは何か。台湾はなぜ、激しい「嫌韓」の国になっているのだろうか。私はそれを探るべく訪台した。 「台湾における嫌韓」を調査すると、まずこの二国の奇妙な国際的立ち位置が浮き彫りになった。冷戦下、台湾と韓国は軍事独裁(蒋介石=朴正熙)、反共主義、国連非加盟国、分断国家(両岸=南北)、日本統治時代を経験、という5つの項目で見事に共通している。この時代における韓国はアジアで唯一、台湾を国家として承認していた。「お互いに孤立した共通項をもつ国家」という親近感が背景にあった。 台湾政治大学で国際関係学の専門家である蔡教授に話を伺うことができた。教授はこのような冷戦期の「台韓関係」をきわめて友好的なもの、としたうえで、「恩讐」の原因となった大転換が訪れたと指摘する。1992年に行なわれた「台韓国交断絶」である。当時、韓国の盧泰愚政権は「北方政策」と呼ばれる容共姿勢に転換していた。冷戦時代に敵対していた中国、ロシアなど共産圏の国々との国交を確立し、それまで「反共の砦」とまで謳われた国策を大転換したのだ。つまりこの年、韓国は台湾を切り捨てて中国を承認するのだが、ここには台湾人にとって忘れられぬ屈辱的エピソードが存在している。 「台韓国交断絶」の直前まで、韓国政府要人は台湾を訪問し「韓国が台湾を見捨てることは断じてない。われわれの友好関係は続く」と公式に表明し、台湾人は「ならば安心だ」と胸をなで下ろした。にもかかわらず、実際の断交は同年8月24日に電撃的に行なわれた。とくにソウルにある駐韓台湾大使館は、韓国政府から「即日の強制退去」を言い渡され、大使館職員が泣く泣く青天白日旗を降ろし、着の身着のまま国外退去処分になった。国際慣習や礼儀を無視した韓国政府の強権によって、いっさいの台湾外交員が韓国から突然追放されたのである。トンデモ説への怒り 92年以降、台湾人の反韓感情は最悪の状態が続いたが、若い世代では徐々に当時の記憶は薄れている。蔡教授によれば「台湾の嫌韓」には、衝撃的な「台韓国交断絶」を記憶している中年以上の世代と、それを経験していない若年世代のあいだで同じ「嫌韓」とはいえ認識に違いがあるという。 これを受けて私は、台湾在住の日本人教師の方の協力を仰ぎ、台湾の青年層における嫌韓感情の実態を調査すべく大規模な座談会を開催した。6月某日、台北市内のレストランを貸しきって行なわれた座談会には、総勢18名の台湾人青年が集結した。台湾師範大学、台湾大学、台湾科学技術大学など、台湾で最もレベルの高い国立大学の卒業生や大学院在学生たちであり、22歳から32歳までの男女である。まさに「台湾の若手頭脳」ともいえる彼らの目に、韓国はどう映っているのか。 台湾師範大学大学院在学中の范嘉恩さん(24歳・男性)は、台湾においては韓国の整形文化が不気味に映る、と前置きしたうえで、台湾における韓国のイメージは、やはりWBCでの韓国側のラフプレーに対する不快感が大きいと語る。范さんが挙げたのは、中でも台湾野球界のスターでニューヨーク・ヤンキースでも活躍した“台湾のイチロー”こと王建民に対する韓国ネチズンの頓狂な主張だ。王建民は片親の祖先を韓国人にもつが、それを根拠に「王建民は韓国人である」とのトンデモ説に対し、国民的スターを侮辱されたような感じを受け、怒りを禁じえなかったという。このほかにも、「孔子は韓国人」などという無根拠な韓国ネチズンの「韓国起源説」が、台湾人の嫌韓感情を後押ししている、と分析した。対中輸出で争う台韓企業 同じく台湾師範大学大学院在学中の柏さん(30歳・女性)は、「台湾に留学している韓国人には良い人が多いが……」としたものの、台湾と韓国の産業競争問題に触れた。柏さんがとくに問題視するのは2010年に起こった「韓国三星(サムスン)電子による台湾企業密告事件」である。 日本ではあまり報道されなかったが、事件の概要はこうだ。サムスンがEUから、液晶ディスプレイパネルの価格談合(カルテル)を指摘されたのだが、リニエンシー制度(談合やカルテルに加わった企業において、最初に不正を自己申告した場合、その者だけがペナルティーを免れる内部告発制度)を利用し、同じくカルテルに参加した奇美電子など台湾電子企業4社を告発、自らはカルテルを主導したにもかかわらず、EUからの課徴金を逃れた、という事件である。要するにサムスンがEUと司法取引をして「共謀した」台湾企業を保身のために売った、という経済事件で当時、台湾メディアはサムスンを「モラルのない密告者」と非難したのである(奇美電子は台湾を代表する大企業だが、この事件でEUから330億円の制裁金支払いを命じられた)。 台湾と韓国の経済的ライバル関係については、台湾大学中華経済研究院主任研究員の馬道教授からも同様の話を聞くことができた。馬教授によれば、台湾はEMS(受注代行生産)で世界的な地位を確立しているが、近年はとくに最大の貿易相手国になっている対中輸出で、猛追する韓国企業と熾烈な争いを演じているという。サムスンによる台湾企業密告事件は、このような台湾と韓国の国際競争を背景としたものだが、それにしても「仲間を売る」という不義理を犯してまで自己の保身に走ったサムスンの事例は、台湾人のなかに根深い「反韓」意識を植え付けるに十分であった。実際、台湾では韓国企業がネット上での商品レビューで、善意の第三者に成り済ましたレビュアーが自社製品を過剰に持ち上げ、ライバルである台湾企業の製品を貶める投稿をし、虚偽の宣伝工作(ステルスマーケティング)を行なったとして大問題になった。 2013年には、前述のサムスンとその取引会社である「鵬泰」が台湾公正取引委員会からステマの罪科で、罰金の支払いを命じられるなど社会問題化した。商慣習やモラルを踏みにじる行為を繰り返す韓国企業に対する不信は、台湾社会のなかで臨界点を迎えつつある。「韓国のナショナリズムは怖い」 台湾師範大学大学院在学中の鄭さん(24歳・女性)は、とくに韓国にある男尊女卑的傾向に強い憤りを覚えるという。台湾はきわめて強い学歴重視社会で、若年層にとってはスキルアップと学位取得のための海外留学は珍しいことではない。留学先はヨーロッパが多く、その影響で台湾の若年知識階級はリベラル的発想が主流を占めている。女性の人権問題や男女の不平等といったイシューにとくに敏感になりがちな鄭さんにとっても、韓国における女性の地位の低さは、同じ女性としては看過できないという。 また台湾師範大学在学中の黄さん(23歳・女性)は、2014年4月に起こったセウォル号転覆事故のあと、韓国国営放送(KBS)のスタッフらが「韓国政府(青瓦台)から事故報道で政府批判を抑えるよう圧力を受けた」として一斉にストライキに入った事件を挙げ、「韓国には民主的報道倫理観が確立されていないのではないか」と両断する。大事故の際に政府が事故報道に都合の良いように介入するのはジャーナリズムそのものを歪める行為であり、先進国ではありえない現象である。台湾のメディアにも政府に配慮した報道はあるが、さすがに韓国のような情報統制はない。韓国人は彼の国の政府によって情報統制され、それが過度な反日の一因にもなっているのではないか、と分析する。これはきわめて正鵠を射た指摘といえよう。 台湾科学技術大学卒業後、現在メーカー勤務の呉さん(25歳・男性)は、韓国の異様なナショナリズムを問題視した。呉さんは「韓国をみていると、昔のナチスと同じだと思う」と述べた。国際的なスポーツ大会で沸き起こる韓国の異様なサポーターの興奮や、国を挙げた国威発揚は、明らかに行きすぎたナショナリズムであると断言する呉さんの意見には、多くの座談会同席者が賛同した。いわく「韓国のナショナリズムは怖い」「全体主義的で危険な感じがする」等々である。 一方で、韓国のそのような「民族の団結」が逆に羨ましいという意見もあった。韓国に比して台湾ではナショナリズムや愛国心は薄く、ヨーロッパ帰りの若年知識層にはリベラリズムの観点からそのような風潮を半ば警戒し、他方「ないものねだり」で肯定する声も少なくはなかった。 台湾師範大学大学院で美術講師を務める簡さん(31歳・男性)は、冒頭に記した「太極旗を破り捨てる台湾人女学生」の動画を引き合いに出し、「このような行為はたいへん幼稚な行動」と指摘する。嫌韓をことさらに報じるメディアの背景や歴史などをまず自己解析し、客観的な視点で韓国に対する評価を決定するべきであり、ネットの風潮や意見を軽々に信ずるべきでない、という簡さんの見解は、台湾の若年知識層の教養水準の高さを物語っている。 ともあれ、彼らが韓国に対してもつイメージは、「不公正な競争」「モラルの欠如」「非民主的な社会や制度」などに対する怒りと違和感である。この延長線上で彼らが中国にもつイメージは、「韓国のナショナリズムや不道徳をさらに増幅させた存在」として激烈な嫌悪の対象になっているのだ。 1992年の「台韓国交断絶」は、台湾社会に計り知れないほどのショックを与え、台湾が世界で最も先進的で最大の「反韓国家」に変わる直接の分岐点となった。その後、ゼロ年代に入り現在に至るまで、当時を直接知らない若年層に、国際的なスポーツ大会や企業競争などでの「韓国のモラル違反」によって新しい「嫌韓第2世代」が生まれ、その勢いは拡大を続けている。 日本の隣国である台湾は親日国であることに疑いはないが、この国のもう一つの側面である「反韓という恩讐」の背景を知るにつけ、私は東アジアの大きな歴史のうねりと、友邦から仇敵に変わった台湾と韓国の関係に深い感慨を覚えるのである。関連記事■米軍慰安婦像が米大使館前に建つ日/テキサス親父トニー・マラーノ■中国のこれからと日本が果たすべき役割/丹羽宇一郎■オバマの嘘・「尖閣を守る」を信じてはいけない/日高義樹