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    本当は「日韓併合」が韓国を救った! 「七奪」はすべて捏造

    松木國俊(元豊田通商ソウル事務所駐在員)「遊びに来て」が災いのもと 私は一九七二年に学生として初めて韓国に行きました。クルマといえばトヨタのコロナばかりが走っているころで、裸電球が灯ったりし、初めてなのに、どこか懐かしい気がしました。韓国語は欧米の言語と違って語順が日本語と同じだし、顔も日本人と似ている。けれど、表面はそっくりでも中味は大違いです。 大学卒業後豊田通商に入社。一九八〇年にソウルに駐在しましたが、日韓の文化の違いに驚かされました。日本が当時の金額で5億円の巨費を投じて昭和12年、鴨緑江に建設した水豊ダム。 現在は中朝国境に位置し、いまも北朝鮮の貴重なエネルギー源となっている 日本でも「忠孝の倫理」とか言いますが、韓国では忠より孝が大事。会社の大事なお客が来るときに、韓国人のパートナーが休んでしまう。「お父さんの誕生日だから」と言うのです。仕事のあとで駆けつければいいじゃないかと言うと、「そんなことをしたら周りから白い目で見られる」。考え方が日本とは根本的に違う。言葉の意味も違う。例えば「約束」。ある程度できそうだという見込みがあれば「できる」と約束してしまい、状況が変わると守れなくてもしかたがないという考え方です。「予定」も違う。「明日お客が空港に何時に着く予定だから迎えを頼む」と言っておいたのに、予定の時間に会社にいるので焦って事情を聞くと、「あれは予定でしょ。決定するのを待っていました」との答えがかえってきました。 人と人の間の距離感も違います。韓国人は親しくなってある線を越えると、その内側の相手は身内ということになる。身内ならお金も貸すし、いつ家に遊びに行ってもいい。相手の都合なんかおかまいなしです。私の日本人の友だちが韓国人の女性と結婚しましたが、当時夜間外出禁止令があって、夜、家に帰れなくなった親戚がしょっちゅう泊まりに来る。プライバシーなんかあったものじゃなくて閉口していました。 ある日本人の夫婦が韓国のアパートに入居したとき、エレベーターで隣家の人に会ったので「いつでも遊びに来て」と挨拶したら、その晩に家族五人でやって来て、食事中だから待ってと言ってもかまわず上がりこみ、テレビを勝手につけたり冷蔵庫を開けて飲み物を出したりで、嫁さんが「こんなところにはいられない。日本に帰る」と叫んだなどということもありました。 ジャーナリストの室谷克実さんは慶応大学時代の二年先輩ですが、その室谷さんに聞いた話です。──ソウルのホテルの鮨カウンターで食べていたら、ウェイトレスが「(そのホテルの)社長様がいらっしゃいましたので席を譲ってください」と言う。こっちが客だよ、と窘めても、「私は社長様から給料をもらっていますから」と平気な顔だったそうです。日本と逆で、外部の人に話すときに身内のものに敬語をつけるんです。「父上様は今いらっしゃいません」「課長様は今いらっしゃいません」という調子です。一番大切な身内にすら敬語を使わない日本人は極めて不道徳となるのです。身分格差 韓国人は大げさな表現が好きで、すぐ話がふくらんでしまう。造船輸出が急激に増えた時期にはドックで修理したものまで新造船に数えて統計をふくらませたと聞いたことがあり、実態とは違った数字だったようです。韓国としてはライバル日本に負けないよう精一杯背伸びしたのかもしれません。規模と利益で日本企業を圧倒する韓国のサムスンを模範企業のように言う論調がありますけれど、まだ問題はあるようです。 「サムスン電子は、技術パクリを常とし、世界のさまざまな家電・半導体メーカーから特許権侵害で提訴されている企業です。2011年4月には、アップル社がついにスマートフォンに関する特許権侵害でサムスン電子を告発しました。(略)サムスン電子はアップルに半導体や液晶を納入している、いわばお得意先。そこの製品をパクったのですから、その度胸は賞賛ものです。(略)社員は使い捨てで下請け泣かせ、オーナーの一族は金銭スキャンダルに塗れ、オーナー自身、脱税で有罪判決を受けました。売上高は世界的規模でも、韓国型悪辣・不道徳企業の代表です」〈室谷克実・三橋貴明『韓国人がタブーにする韓国経済の真実』(PHP研究所刊)より〉 サムスンは、以前は日本人を雇って、役員会も時々日本語でやっていたとのことです。研究開発費も、他社から図面やノウハウを買うのにかなり使われているようです。韓国では身分格差が大きくて、サムスン電子のオーナー会長は二〇一一年春、株の配当金だけで百一億円を受け取ったが、勤労者の四五%は二〇一〇年中の平均月収が十五万円以下だったそうです。企業はオーナー一族のものという意識が強く、企業トップが公私混同して背任罪に問われるケースもよくあります。一人が出世すると一族が頼って来て、出世した当人もみんなを養う義務があると考える。一族の者だから金を貸せと突然言って来て、貸さないと門前で「一族なのに貸さないのを皆さんどう思うか」と騒ぎ立てる。大統領ほどの権力者となるとこれにたかろうとする人が後を絶ちません。某大統領が「聞いたこともない親戚が三倍増えた」と嘆いたことがありました。だから辞職した歴代大統領がみんな汚職で追及されることになるのです。人の親切につけこむ人の親切につけこむ こういう韓国社会の様相は百年前に朝鮮を観察したイザベラ・バードの『朝鮮紀行』(講談社学術文庫 時岡敬子訳)にも描かれています。 「朝鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり『人の親切につけこんでいる』その体質にある。そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親族と妻の親族、自分の友人、自分の親族の友人を扶養しなければならない。……おおもとはほとんど揺るがない」 おおもとが揺るがないと言えば、韓国では「過去を水に流す」ということがありません。そういう日本的な美意識は絶対通じません。人を責めるのに、その父、祖父が何をしたかにまでさかのぼって責める。「親日法(日帝下の親日・反民族行為真相糾明に関する特別法)」でも、親日派だった者の子孫の財産を没収するというのですから、不溯及という近代法の原則も何もあったものではありません。だから、過去は自分に都合のいいものでなければならない。実際にあった過去ではなく、「あるべき過去」を主張して、でっち上げてでも押し通さないと生きて行けないのです。 それゆえ、大韓民国の正統性を主張するために、上海にあった大韓民国臨時政府が日本に対する独立戦争をやって勝ったのだと教科書に書き、教えている。近代において日韓が戦ったことなどはないのです。臨時政府が国家として承認されていたのなら、日本の敗戦ですぐ民国ができてもよかったはずですが、実際には南北の軍政下に置かれ、一九四八年にアメリカの軍政下から独立したのです。いわれなき非難に謝罪 韓国にいて歴史認識がおかしいと思い始めたのは、一九八二年の、日本の教科書が「侵略」を「進出」と書き換えたと騒がれたときです。事実ではなかったわけですが、韓国人が興奮状態で、新聞の一面に「日本の軍国主義がまた始まる」と書いて自衛隊観艦式の写真を載せたりした。実態を知らぬまま思い込みだけで非難するのかとびっくりしました。新聞は反日記事を書けば売れる。先日もハンギョレ新聞の論説委員が「日本の右翼勢力をただすには日本を韓国の植民地にするしかない」と書きました。 韓国の非難は的外れだと思って歴史の勉強を始めたのですが、日本では鈴木善幸、宮沢喜一の両元首相が韓国に謝罪してしまい、これでは歴史のウソを認めることになると切歯扼腕しました。 五十歳で会社を早期退職した理由の一つは、日本語教師になり、韓国人に日本語を教えながら日本の本当の姿を伝えて誤解を解きたいと思ったことでした。専門学校に通って教師の資格を取りました。韓国人が日本に来ても、一年ならいい印象を持つ。「韓国人はいじめられる」と聞かされていたがそんなことはなかったと。しかし二年目に文化の壁にぶつかります。友人の家に夜、突然遊びに行ったら嫌な顔をされた、差別じゃないかとか。学校や課外活動を通じて日韓の文化的な違いを教える必要がありますが、なかなか容易じゃない。教師の口が少なく、非常勤講師を二、三コマやっても週に一万円にしかならないなどということもあって、また商売を始めました。 それが可能だったのは、私が前の会社をやめても付き合いを続けてくれた韓国人の友人たちのおかげです。これは有難かった。今度はまず日本人の意識を変えようと、日本会議などに入って情報交換をしていました。 そこへ、ある老人が資料を見せてくれた。かつての朝鮮総督府の年鑑や日本統治下の朝鮮で使われた教科書など。「日本が朝鮮から強奪した」として韓国が主張するいわゆる「七奪」が捏造であることを示す一次資料で、私は目からうろこが落ちる思いでした。 この資料によれば「七奪」非難は完全に否定されます。 一、「韓国国王を奪った」…… 日本は李王家を日本の皇族の一員としてお迎えし、併合時の純宗皇帝は李王となられて日韓の皇室が融合したのです。日本は李王家を手厚く保護しました。朝鮮総督府『施政三十年史』(国立国会図書館蔵)には歳出項目の最上段に「李王家歳費」とあり、毎年百八十万円が計上されています。現在の価値で約二百億円になります。他の宮家の皇族費とは格段に差のある巨額です。さらに梨本宮方子女王が李王家の王世子・李垠殿下に嫁がれました。このこと一つをとっても、日本の「朝鮮統治」は、植民地の王室をことごとく廃止した欧米列強の「植民地支配」とは根本的に違っていることが明らかです。終戦時、李垠殿下は密航してでも朝鮮に帰ろうとされましたが、韓国の李承晩大統領が許さなかった。李王朝を復活させず、共和制国家をつくったのは韓国自身です。 二、「主権を奪った」…… 李氏朝鮮は清の属国であり、国家主権はもともとなかったのです。朝鮮が近代国家として独立し、共に欧米列強の侵略に対抗することを望んだのは日本であり、それを許さぬ清との間で戦争になったのです。日本が勝利し、清と結んだ講和条約(下関条約)第一条には「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス因テ右独立自主ヲ損害スヘキ朝鮮国ヨリ清国ニ対スル貢献典礼等ハ将来全ク之ヲ廃止スヘシ」と朝鮮の独立が明確に謳われています。『日本之朝鮮』(1911)に掲載された「朝鮮人より日本国民に送れる合邦希望の電報」。日韓合邦を望む朝鮮人がいかに多かったかを物語る。水間政憲『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』(PHP刊)より転載日韓合邦の嘆願書日韓合邦の嘆願書 ところが、ロシア、ドイツ、フランスの三国による干渉で日本が遼東半島の放棄を強いられると、国内改革によって専制権力を奪われつつあった国王・高宗はロシアと組んで巻き返しに出ました。国内の親日・改革派を葬り、ロシアに朝鮮の利権を売り渡し、馬山にはロシア海軍の基地が建設されて、日本の独立が脅かされる事態に至りました。そして日露開戦。大韓帝国内では李容九が「一進会」を結成し、日本との一体化こそが国を救う道であると朝鮮民衆に説きました。白人大国ロシアに対する日本の勝利はアジア・アフリカの有色人種を狂喜させた。戦後、李容九は一進会百万人会員の名前で全国民への合邦声明書を発表、さらに韓国皇帝、曾彌統監、李完用首相に対し「日韓合邦」の請願書を提出しました。日韓併合は日本が一方的に進めたのではなく、大韓帝国の中にも日本との合邦を推進した人々が多くいたのです。 一九一〇年に日韓は「韓国併合ニ関スル条約」を締結しました。このときの韓国皇帝の詔勅には、「韓日両国の親密なる関係をさらに進めて一家をなすことがお互いの幸福に通じる」として内閣総理大臣李完用に全権を委任し、大日本帝国統監寺内正毅との両国併合交渉に当らせると記されています。日韓併合条約は国家同士が当時の国際法や国内法に基づいて平和裏に締結した正式な条約なのです。日本が一方的に主権を奪ったのではありません。ヘレン・ミアーズの証言 『アメリカの鏡・日本』の著者ヘレン・ミアーズも「日本が韓国を併合したのは、新皇帝が懇願したからだ。日本は一つ一つ手続きを外交的に正しく積み上げていた、そして宣言ではなく条約で最終的な併合を達成した。列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど合法な手続きを踏んでいなかった」と記しています。J・クロフォード英国ケンブリッジ大教授も、二〇〇一年の国際学術会議で「自分で生きて行けない国について、周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むというのは当時よくあったことであり、日韓併合条約は国際法上不法なものではなかった。強制されたから不法であるという議論は第一次大戦以降のもので、当時としては問題になるものではない」と述べて、韓国側の主張は完全に崩れました。イザベラ・バードも夙にこう書いていたのです。「わたしは朝鮮人の前途をまったく憂えてはいない。ただし、それには左に掲げたふたつの条件が不可欠である。Ⅰ 朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。Ⅱ 国王の権限は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない」三、「土地を奪った」…… 一九七四年以来、韓国の国定教科書には「全国農地の四〇%を日本人に収奪された」と記載されてきました。とんでもない。李氏朝鮮時代は所有権の概念があいまいなために、土地をめぐる争いが絶えませんでした。そこで朝鮮総督府は一九一〇年から八年かけ、近代的測量技術を使って土地調査を行いました。朝鮮総督府『施政二十五年史』(国立国会図書館蔵)には「抑々土地調査は地税の負担を公平にし、地籍を明らかにして其の所有権を確立し、その売買譲渡を簡確実にして以て土地の改良及び利用を自由にし、かつその生産力を増進せしめんとするものである」と目的がはっきり書いてあります。調査の結果、二百七十万町歩と言われていた耕地が、実際には四百八十七万町歩にも上ることが明らかになりました。耕地全体の四五%もが当時の貴族階級であった両班らによって隠匿されていたのです。 韓国では土地調査について「日本人が小高い丘に登ってあたりを見回し、土地を指さして手当り次第良田を奪った」と非難していますが、これは李氏朝鮮時代の話なのです。李朝末期にダレ神父は『朝鮮事情』(平凡社)の中でこう書いています。両班の暴君ぶり「両班は、いたるところで支配者か暴君のようにふるまっている。彼らが強奪に近い形で農民から田畑や家を買うときは、殆どの場合、支払なしですませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令(現在の知事に相当)は一人もいない」。 実際に朝鮮総督府が接収した土地(李朝時代の国有地等)は耕地全体の三%でした。接収の過程で朝鮮人の私有地を奪った事実は全くありません。一九二二年時点で朝鮮半島における国有地及び日本の個人、法人が保有していた土地は合わせて二十五万五千町歩、全耕地面積の六%にすぎません(『朝鮮における内地人』朝鮮総督府、大正十三年発行)。農民たちは自分の土地が測量され地籍に上がるのを見て、測量事業に積極的に協調しました。しかし中には一時の利益に目がくらみ祖先伝来の土地を売ろうとするものもありました。一方、一攫千金を夢見る日本人が大挙、朝鮮にやってきました。当時の寺内総督は、一旗組によって朝鮮の土地が買いたたかれては百害あって一利なしとし、朝鮮農家が日本人に土地を売るとの情報をつかむと憲兵を派遣し、日本人には売らないよう説得させました。そこまで総督府は朝鮮人の利益を守ろうとしていたのです。 四、「国語を奪った」…… 韓国の国定中学校教科書には「我々の言葉を禁止し日本語だけを使うようにして、我々の歴史の教育も禁じた。ハングルで刊行された新聞も廃刊させ、我々の言葉と歴史に対する研究も禁止させた」と書いてあります。そもそもハングルは十五世紀に李朝四代世宗が学者を集めて作らせたと言われていますが、当初より諺文として忌み嫌われ、公文書では一切使われませんでした。イザベラ・バードも「諺文は軽蔑され、知識階級では書きことばとして使用しない」と記しています。そのハングルを再発見したのが日本人の福沢諭吉でした。「日本の漢字仮名まじり文同様、ハングルを駆使すれば難解な漢文を朝鮮語式に自由に読み下すことが可能となり、大衆啓発のために大いに役立つはずだ」 と考え、漢字ハングル混交文を提唱し、ハングル活字を私費で作りました。 朝鮮総督府は日本と朝鮮の学者を集めてハングルを近代的文字体系にまで高め「普通学校用諺文綴法」を決定して教科書に採用しました。さらにソウルとその近郊で話されている言葉を標準語と定め、学校教育を通し全土にこれを広めました。現在の韓国語は、このときに成立したのです。 一九二〇年には総督府によって初めて本格的朝鮮語辞典が完成、刊行され、一九二四年には京城帝国大学に朝鮮語・朝鮮文学の口座が開設されました。半島における日本語の普及にも力を入れましたが、これは共通語の普及が目的であり、朝鮮語廃止など毛頭考えていなかったのです。 日本が朝鮮を植民地と考えていたのなら日本語など教えないほうが支配しやすかったはずです。一九四一年からは朝鮮語の科目が廃止されましたが、これは戦争の激化によって朝鮮語教育に力を入れる余裕がなくなったためです。また科目が廃されたからと言って、朝鮮語の使用が禁止されたわけではありません。当時の日本人は半島の人口の二%程度であり、禁止など不可能です。朝鮮語の新聞も、京城では終戦まで二紙が発行されていました(中村粲『韓国併合とは何だったのか』)。むしろ朝鮮の知識人の中に朝鮮語廃止と日本語常用を唱える人々が大勢いたのです。ハングルを教えている朝鮮・水原郡松山面(村)の公立学校。1929年『生活状態調査』水原郡・第28号より。水間政憲『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』(PHP刊)より転載朝鮮語廃止にストップ日本統治時代のハングル教科書。ハングルを禁止したことなど ないどころか、積極的に教えていた朝鮮語廃止にストップ 南次郎総督が「朝鮮語を廃止するのはよくない。国語(日本語)普及運動も朝鮮語廃止運動に誤解されることがあるくらいであるから、それはできない相談である」と拒否した経緯があります(杉本幹夫『「植民地朝鮮」の研究』)。日本が朝鮮語を奪ったのなら、当時の朝鮮人は全員日本語を話せたはずですが、『朝鮮総督府施政年報 昭和十六年版』には日本語を「やや解しうるもの」「普通会話に差し支えなき者」合わせて約三百九十万人、当時の朝鮮の人口の一六%に過ぎないと記載されています。同資料には「内地人職員に対する朝鮮語の奨励」なる項目があり、日本人官吏が朝鮮語を必死で学ぶ様子がうかがえます。 近代においては日本が西洋の用語を日本語に翻訳して新たな漢語を創造したのですが、朝鮮の人々は日本製の漢語を借用して今日の韓国語を形成しました。韓国語の名詞の七〇%程度が漢語であり、政治、経済、科学、哲学、医学分野はほぼ一〇〇%が日本語の借用です。「社長、副社長、専務、常務、部長、課長、係長」も、「株式会社」「合弁会社」「水素」「酸素」「電気」「手術」もみんな日本語の韓国読みです。日本は統治期間中に朝鮮語の標準語を定め、近代社会に必要な単語を提供しました。奪うどころか、まったく逆のことをやっているのです。 歴史教育についても、朝鮮総督府大正十三年発行『朝鮮語読本 巻五』には「(慶州為先陳列館では)この地方において発見された各種の遺物が保存されており、新羅文明の卓越した様子が明らかに分かる」「石窟庵に入れば穹窿たる石窟の中に二十九体の仏像を周壁に彫刻してあり、その彫刻の優美さは東洋芸術の誇りである」などの記述があり、朝鮮の卓越した歴史を学童たちに教えるべく努力していたことがよくわかります。五、「姓名を奪った」…… 一九三九年に朝鮮総督は朝鮮戸籍法を改正し、朝鮮人が日本名を名乗ることを可能としました。「創氏改名」と呼ばれるこの政策によって朝鮮人の姓名を奪われ、無理やり日本人に同化させられたとして韓国は日本を非難します。しかし、朝鮮人が日本名を名乗ることで日本人が何か得をしたでしょうか。実は、日韓併合直後の一九一一年に朝鮮総督府は総督府令第一二四号「朝鮮人の姓名改称に関する件」を施行し、朝鮮人が日本式姓名を名乗ることを禁止していたのです。朝鮮の伝統風俗を尊重すると同時に、日本人と朝鮮人を名前で区別できなくなることで発生するであろう不都合に配慮したものでした。ハングルで書かれた生徒作品も学校の書道展に並んでいる。日本人がハングルを奪ったという説が大噓であることがわかる。1938年『日本植民地教育政策史料集成』朝鮮篇所収、「渼洞公立普通学校創立30周年記念集」(1936)より。水間政憲『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』(PHP刊)より転載日本名をくれないのは差別 それが変更されたきっかけは、朝鮮人満州開拓団からの強い要望です。朝鮮人に対する中国人や満州人の侮蔑意識が強く、朝鮮人の村々は略奪、放火、虐殺など甚大な被害を受けていた。日本名を名乗れば名実ともに日本臣民となり、侮蔑されなくなるというわけです。半島の朝鮮人の間でも「日本人になって三十年近く経っても日本式姓名を名乗れないのは朝鮮人への差別である」との不満が高まってきました。しかし朝鮮総督府警務部は日本への密航増加や治安上の問題を憂慮して反対し、内地人も朝鮮人も平等であるという「一視同仁」の考えから賛成する文部部とすったもんだの議論の末、ようやく一九三六年に戸籍法改正に至ったのです。 総督府では朝鮮の文化伝統を尊重する立場から「姓」を戸籍簿上に残し、新たにファミリーネームとしての「氏」を創設することにしました。これは朝鮮人が「姓」を変えることなく合法的に日本式の苗字を持てる妙案でした。さらに「せっかく日本人の苗字が名乗れるようになっても、下の名前が朝鮮式のままでは意味がない。名前も変えさせて欲しい」という要望が多く、これに応えるために、裁判所に申請し正当な事由があると認められた場合に限り、手数料を払って名前を変えることも可能としました。これによって「創氏改名」が実現したのです。 この法律が施行されるや町や村の議会で「全員日本名とする」ことを決議するケースも続出しました。朝鮮人官吏が点数稼ぎのために日本名を勧めたこともあったようです。日本名を名乗らないものが朝鮮人の間で非難されることもあったでしょう。改名を拒否して自殺したという話も残っています。しかしそれはあくまで朝鮮人社会内部での問題であり、日本側が強制したわけではありません。南総督は三度も「強制してはならない」という通達を出しています。 また、日本名を名乗らなくても不利益を被ることがなかった証拠に、軍人や政治家、スポーツ選手のなかに朝鮮名を通した人たちもかなりいました。結果的に八○%の朝鮮人が日本名の「氏」を選択したのは、当時世界五大強国の一つであった日本の臣民になることを望んだということです。朝鮮では本貫(一族始祖の発祥地)を同じくする同姓同士の結婚はできず、異姓を婿養子にすることもできない規定がありましたが、創氏改名に伴う民事令の改正で異姓の婿養子を迎えることができるようになり、喜ばれたという事実もありました。あまりの歴史歪曲六、「命を奪った」…… 日清戦争の原因となった東学党の乱から一九四五年までの五十年間、日韓は戦争状態にあり、この期間中に残虐な日本軍は朝鮮人数十万人を虐殺したと韓国では教えています。これが世界中で韓国だけに存在する「日韓五十年戦争」論です。この主張は、朴殷植が一九二〇年に書いた『朝鮮独立運動之血史』という本がベースになっています。朴は上海臨時政府の二代目〝大統領〟になった人物であり、この本は日本を攻撃するために悪意をもって著述したもので、日本の官憲や軍隊の蛮行がこれでもかとばかり書き連ねてあり、私もこれを読んであまりの偏見と事実歪曲、数字の誇張に絶句しました。しかし韓国ではこれが史実として教えられています。「東学党は、政府軍や日清軍と交戦すること九カ月以上にも及んだ。死者三十万人を数え、民族史の上に古今未曾有の惨状を極めた」というのですが、日本軍の本隊が朝鮮半島に上陸したのは東学党の乱が朝鮮政府軍や清国軍隊によって鎮圧されたあとで、それまでは二個小隊しかいませんでした。また、「わが民衆を日露戦争の軍用務労働者として徴用しはじめ、これを拒否したものはロシアの間諜として罪におとしいれ、あるいは拘束し、あるいは拷問を加え、甚だしくは斬殺した。」とあります。しかし日本で国民徴用令が制定されたのは一九三九年であり、一九〇四年に他国の国民を徴用できるはずがありません。 韓国の民族独立運動である「三一運動」を日本が残虐な手段で弾圧し、多くの朝鮮人を虐殺したと韓国は主張しています。一九一九年三月一日、京城(ソウル)の公園に宗教家三十三人が集まり、非暴力・無抵抗主義を標榜して「万歳デモ」に移ったのが始まりですが、これが瞬く間に全国的暴動に発展し、地方では農民たちが武装して村役場、警察・憲兵事務所、富裕地主等を襲撃する凶悪な行動へ転化しました。在朝鮮日本人に「日本へ帰れ」と投石して脅迫した事実はテロそのものであり、決して一般大衆から支持されたものではなかったのです。黄色人種間の分裂を図る欧米宣教師に煽られた朝鮮人キリスト教徒たちが暴徒と化し、これに近代化で特権を喪失した両班や旧軍人らの不満分子が乗っかって広がった破壊活動であり、警察や憲兵が鎮圧するのに武器を使用したのもやむをえざるところでした。『朝鮮独立運動血史』には日本官憲が各地で悪逆非道な弾圧を行ったと記されています。ところがそのほとんどは裏付けのない伝聞にすぎません。唯一、西洋人が視察して公に伝えたとする水原岩里事件では婦女子が犠牲になったとしていますが、英国紙「モーニング・アドバタイザ」の京城特派員は「殺害された三十七名全員が男性」と記述しており(木原悦子『万歳事件を知っていますか』)、朴の創作が明らかです。日本の裁判の公正に感激 実際の日本の対応は、金完燮『親日派のための弁明2』によれば送検された被疑者一万二千六百六十八人、六千四百十七人が起訴され、一審で三千九百六十七人が有罪判決を受けましたが、日本人憲兵六名と警官二名が虐殺され、多くの建物が放火されたにもかかわらず、死刑は一人もなく、十五年以上の実刑もなく、三年以上の懲役がわずか八十人で、しかも減刑と赦免で刑期が半分以下となりました。この時逮捕された三一運動の主要リーダー崔麟、李光洙、崔南善、朴煕道たちは日本の裁判のあまりの公正さに感激し、やがて強烈な日本ファンとなって、一九三〇年代の言論界をリードすることになります。 李朝末期における農民の生活は悲惨で、毎年多数の餓死者が出ていました。この改善が朝鮮総督府の最大の目標であり、一九二六年に「朝鮮産米増殖計画」が施行されました。併合当初、朝鮮の水田は八〇%が天水に依存していましたが、この計画により七〇%以上が天水依存から脱し、その他の改良と相まって朝鮮農業は飛躍的に発展しました。一九一〇年に朝鮮全土で約一千万石程度だった米の生産高は一九三〇年代には二千万石を越え、大豆と雑穀の生産高も併合時より六〇%増えました。一九三一年に朝鮮総督となった宇垣一成は「朝鮮農山漁村振興運動」を展開し、朝鮮農民の意識を近代化に向けて大きく前進させました。一九三三年から三八年にかけての農家収入は二倍に増えています。 李氏朝鮮時代は劣悪な衛生環境のなかでしばしば十万人以上の死者を出す疫病が流行していました。西洋医学が普及しておらず、東洋医学のみに頼る状態でした。本格的に近代医療システムの導入が始まったのは併合後、朝鮮総督府が改善に取り組んでからです。京城大学附属病院、各道の慈恵病院が作られ、一九一〇年には百二十万人に種痘が施されました。このような日本の努力の結果、朝鮮人の平均寿命は、一九一〇年の二十五歳から一九四四年には四十五歳まで伸びました。日本が朝鮮人の寿命を伸ばし、命を救ったのが歴史的事実だったのです。七、「資源を奪った」…… 韓国の中学校歴史教科書には「日帝は金、銀、タングステン、石炭など産業に必要な地下資源を略奪した」と書いてありますが、実際には朝鮮半島にそれほど魅力的な資源はありませんでした。石炭は無煙炭であり、オンドル部屋の暖房用練炭が主用途で、金、銀、タングステンなどは日本の会社が厖大な開発費を投じながら、結局大赤字でした。東南アジアから輸入したほうがよほど安上がりだったのです。収奪どころか、日本は逆に税金をつぎ込み、産業を育成しました。大韓帝国が一九〇六年に初めて作成した国家予算は七百四十八万円にすぎなかったのに対し、日本は一九〇七年から一九一〇年まで毎年二千万円から三千万円を補助しています。日本の国家予算の二〇%を越えたこともあります。併合後も毎年二千万円前後の資金を持ち出し、昭和十四年になっても日本からの補充金と公債を合わせると全予算額の四分の一を占めていました。日本統治期間を通して日本政府が朝鮮半島につぎ込んだ金額は、累計で二十億七千八百九十二万円、当時の一円が平均して現在の三万円とすると六十三兆円という天文学的な数字になります。また、大韓帝国時代から日本は鉄道建設に力を注ぎ、その総経費は現在の価値にして十兆円以上になります。民間資金もダム建設に投入され、有名な水豊ダムだけでもその額は現在の価値で三兆円近いものです。これによって生み出された豊富な電力を利用するために日本の多くの大企業が朝鮮北部に投資しました。それによって朝鮮人の雇用を創出するとともに、付加価値の高い製品を日本へ移出することで朝鮮経済を豊かにしたのです。*   *   * いまや韓国はG20に名を連ねる大国です。「日本への恨」を持ち続けて何の意味があるのでしょう。日本民族と韓民族が互いに誤解と偏見を克服し、それぞれの先人を誇りに思えるとき、初めて日韓間に互恵平等の関係が樹立できると思います。日の丸と太極旗が並び立ってアジアの繁栄と安定を築くことを願っています。松木國俊(まつき・くにとし) 一九五〇年、熊本県生まれ。七三年、慶応義塾大学法学部政治学科卒業。同年、豊田通商株式会社入社。八〇年~八四年、豊田通商ソウル事務所駐在。秘書室次長、機械部次長を経て二〇〇〇年、豊田通商退社。〇一年、松木商事株式会社設立、代表取締役。現在に至る。日本会議東京本部調布支部副支部長、新しい歴史教科書をつくる会三多摩支部副支部長も務める。関連記事■合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識■北岡君、日本を侵略国家にする気かね■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁

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    ヤマトの痕跡を消せ! 前方後円墳まで「整形」 

    るか歴史家の猛省を促さざるをえません。円墳にされた松鶴洞古墳松鶴洞古墳実測図円墳にされた松鶴洞古墳 韓国の古代史改竄、捏造によるおかしな歴史の主張は広開土王碑だけではありません。 一九八〇年代、朝鮮半島南西部の全羅北道、全羅南道、とくに南道の栄山江沿いに十四基の前方後円墳が次々と発見されました。 前方後円墳は日本に固有のものと考えられてきましたから、韓国の学者はここぞとばかりに、「前方後円墳の発祥地は韓国で、倭国へ伝えられた」と声高に主張しました。 しかし、その主張もほどなく破綻しました。 なぜかというと、日本では岩手県から鹿児島県までの広い範囲で前方後円墳が多数見つかっており、造営された年代も明らかに韓国の前方後円墳より古かったからです。前方後円墳は日本で独自に発達した墓制(=墓のつくり方)であり、日本(倭国)から朝鮮半島に伝わったものなのです。 そして、朝鮮半島で前方後円墳が見つかった地は、『日本書紀』が記す任那西部の地なのです。任那をめぐっては、その存在に言及することすらタブーとされる風潮がありますが、史実を政治的な理由で曲げてはなりません。 ところが、前方後円墳と確認されながら、政治的事情のため「三つの円墳」にされてしまった古墳があります。それが慶尚南道の沿海部固城の中心部にある松鶴洞(ソンハクトン)古墳です。固城は古来、小伽耶とも呼ばれ、固有名は古自、古嗟、久嗟ともいわれ、任那南部の一国に数えられていました。 松鶴洞古墳の概要は以下の通りです。〈全長六六m、後円径三七・五m、前方部が若干丸みを帯びるが、円墳二基ではなく、前方後円墳として認識される。後円部上に石材が露呈するが、かつて鳥居龍蔵によって一九一四年に発掘された竪穴式石室の一部で挂甲(小札)など鉄器が出土している。また墳丘上から五世紀代の土器が採集されており、古墳のおおよその時期が推定される。周囲には六基の円墳が、あたかも陪塚群のように分布し、さらにその東側二〇〇~五〇〇mに三基、北三〇〇mほどの基月里に二基の古墳が遺存する。かつては相当数からなる古墳群であったようである。固城は小伽耶国に比定されるが、その中心は地理的にみても、この松鶴洞古墳群付近であろう〉(『韓国の古代遺跡 2百済・伽耶篇』中央公論社) 左の実測図は、一九八三年六月、嶺南大学校の姜仁求教授が「韓国の前方後円形墳」という題で論文を発表したものです。 この発表により、戦前からいわれていた松鶴洞古墳の「前方後円墳」は確定したかにみえましたが、その後、おかしな方向へ進みます。 その原因は、韓国の学者たちの日本から前方後円墳が伝わったなどありえない=認めたくないという極端なナショナリズムと、それに同調する一部の日本人学者によるものです。韓国では、「日本の文化はすべて韓国から渡来した」と主張する人々がおり、前方後円墳韓国起源説を唱える学者もいますが、現在では、前方後円墳は日本で独自に発展したものであるというのが定説です。1996年撮影の固城松鶴洞古墳(西より望む)。岡内三眞編集『韓国の前方後円墳』(雄山閣出版)より2012年6月筆者撮影の同所古代遺跡を改竄工事 ところが、この松鶴洞古墳にある“悲劇”が起こります。 上記の写真をご覧ください。一九九六年撮影時は前方後円墳であったものが、二〇一二年撮影の写真では、三つになっているのがわかります。なぜ、こんなことが起こってしまったのか──。日本考古学の第一人者、森浩一氏の『森浩一・語りの古代学』(大巧社)にその経緯が語られています。〈松鶴洞(ソンハクトン)古墳を案内なしに自分の眼で確かめたく、一九八三年八月に現地を訪れた。十年あまり前の扶余での見学とは違って、まぎれもないダブルマウンドが丘陵上に造営されていて、現状、つまり原形では前方後円墳の仲間に入れることに少しの躊躇も覚えなかった。(中略) その後、松鶴洞古墳については、現在の形が近年の変形であるというような噂話がひろまったりしたが、日本の古墳の例ではそれらは取るに足らない噂話にすぎなかった。はたせるかな、そののち姜先生の努力で故鳥居龍蔵先生が戦前に撮影されていた古墳の側面からの写真が発見され、ぼくは噂話が意図的に流されていると感じ、不快であった。「発掘もある種の遺跡の破壊である」という原則が考古学界にはあって、どの学者もたえずその言葉をみ締め自戒する必要がある。ぼくは今回の松鶴洞古墳の発掘ほど、この言葉を感じた発掘は他に例を見ない。発掘によって、かつていわれていたような近年での変形を示す兆候は何一つないのに、どうして原形がダブルマウンドなのかの前提を抜きにして、数基の円墳連続説が発掘の開始直後から提出され、その説が導かれる過程ではなく、結論だけが流布された。 これは学問の手順として明らかに間違っているし、学問の名において文化財を変形・改変することになる。友人の多くは発掘を見学してきたが、ぼくは現地を見るに耐えられず、見に行かなかった。ぼくには発掘される以前の、あの美しい墳形が今でも瞼に焼きついていて、それで充分である。 福岡県筑紫野市に剣塚という六世紀の前方後円墳があって、横穴式石室が埋葬施設である。これがこの古墳の原形だった。ところが高速道路の建設で、現在の墳丘を取り除くと、墳丘の下には数基の古墳があることがわかり、前期古墳(古剣塚)を取り込んで、六世紀に若干の盛土を加え、前方後円墳に造り替えていることがわかった。 松鶴洞古墳の円墳連続説には、数人の日本人学者も賛同した言辞はみられるが、この人たちは剣塚と古剣塚の関係を報告書で読んだことがあるのだろうか。読んだのに知らぬことにしているようでは、勇気ある学者とはいえないし、応用能力もあるとはいえない〉(『悠山姜仁求教授停年紀念 東北亜古文化論叢』二〇〇二年二月)「高く見えた」から改造「高く見えた」から改造 韓国では、二〇〇〇年七月から東亜大学校博物館によって、前方後円墳の後円部(彼らは第一号墳と呼ぶ)の発掘調査がありました。二〇〇一年秋に沈奉謹教授が発表した「加耶地域と国際交流──固城松鶴洞古墳群」(『東アジアの古代文化』一〇九号、大和書房)で、次のように報告しています。 〈(一)調査を実施した結果、第一号古墳は前方後円墳ではなく、三基以上の大小古墳群が重複していることを現地説明会で報告することになった。(二)メインの1A号墳には頂上からさほど遠くないところに都合一一基の竪穴式の石槨が配置されるなど、中小の石槨が見られる。これらはメインの墳丘が築かれたあと、また墳丘を掘ってその中に石槨を配置する過程での重複、補強土の攪乱状況など、埋葬当時の特徴を通して築造順序の先後関係が明らかにされている。(三)1B号墳は、従来前方部と知られていた北方に当たる部分である。(中略)西南方と西北方の封土層からも陪葬や追加葬と想定される小型の石槨が現れた。(四)1C号墳は、前記の両古墳の間にある。(中略)この古墳はその位置や構造から見て、三基の中でもっとも遅い時期に築造されたものと推定されるが、残存する遺構の規模や形態から、前記した両古墳よりは高く見えたと思われる〉 今回、前方部にも前方部と後円部間の窪地にも遺跡が出てきたことで、三基以上の古墳が出てきたとし、前方後円墳ではないと早トチリをしたのです。 これは後円部のみに被葬者の石室・石棺があるはずとの固定観念によるものです。日本でも西殿塚古墳をはじめ、後円部と前方部に複数の石室・石棺の例があるにもかかわらず……。 また、最後の1C号墳が「両古墳より高く見えた」という意味が不明です。遺物が立派だったから、円丘は高くなくてはならないということになるのでしょうか。 五世紀後半から六世紀前半にかけての任那・伽耶(加羅)地域が、倭国とどのような外交・軍事、そして社会的関係にあったかという文献的知見を見ることなく、ただ「前方後円墳否定」に走ってしまったのは残念なことです。 韓国の考古学界は、この問題について、(1)前方後円墳とは認めない、認めたくない、(2)発掘したら三基の墓が出てきた。前方後円墳でない恰好の理由だ、(3)窪地の第三墓の上に新たに円形の盛土をした、という大きな三つの誤りを犯してしまいました。 鳥居龍蔵による古墳調査の写真、そして姜仁求教授の精密な外形の測量調査結果を無視してはいけないのではないでしょうか。 沈奉謹教授はなぜ、一九九六年まで、一千五百年来固城湾を望み、美しいたたずまいを見せていた松鶴洞前方後円墳を、ただ学会の勢いということで、前方と後方を二分し、その間に醜悪な小山を造ってしまったのでしょうか。 ただ「高く見えたと思われる」の一言で、遺構の未来とその美しい外観をバラバラにしてしまったのではないでしょうか。現在の日韓の人たちに対して、また同時に往時の伽耶・加羅の人、その地で交易をおこなってきた倭国の居留民に対して、あまりにも心ない行いと言わざるをえません。『知っていますか、任那(みまな)日本府』(PHP研究所)は 臆病な学者たちが言及することを避けている真実に迫っている津田左右吉の功罪 このような韓国側の改竄・捏造を日本人の学者も充分に知っているはずですが、なぜ「だめだ」と言わないのでしょうか。なぜ迎合しているのでしょうか。彼らは、指摘してしまうと韓国側から資料をもらえなかったり、お互いの学会の交流ができなくなってしまうであるとか、変なことばかり気にかけているのです。 ですから、「任那」という言葉も使いたがらないのです。これはおかしいことです。事の善し悪しは別にしても、事実は事実として、後世の人のために残すべきです。 教授の方針に逆らえば、准教授の立場もなくなります。当然、学生も逆らえません。ですから、最近の学生がやっているのが木簡の研究です。木簡は「字」が書いてあるわけですから、否定のしようがない。完全に確かなものしか研究できなくなっていて、木簡の研究をせざるをえないのです。そうすると、他のことがおろそかになってしまうという悪循環が起こり、日本の歴史学、特に文献歴史学が遅れているのです。 これらの左翼的学会の風潮をつくったのは、津田左右吉です。 彼は、『古事記』『日本書紀』の仲哀天皇以前は作りものである、ということを書いたために、昭和十七年、「皇統を蔑視した」ということで裁かれます。 皮肉なことにミッドウェー海戦の直前に東京高裁で禁錮二年・執行猶予つきの判決が出ました。一番日本の国力が上がってきたときに実刑にせず、執行猶予つきの判決ですから、ずいぶん公平な判断を下したと思います。 ただ、それを戦後の学者が「津田先生は偉かった。裁判にまでかけられて、政府に反抗した」というように利用しようとしたのです。 戦後数年経って、『世界』が津田左右吉に論文をお願いして、それがまた騒ぎになりました。 津田左右吉は「自分は皇室否定論ではない」という論文を書いたのです。そのことに左翼連中がびっくりして、「これはないことにしてくれ」と言ったのを突っぱね、それ以降津田左右吉は論文を書かなくなってしまいました。 一方、津田左右吉の名前と戦前の学説だけが残り、裁判を受けたという事実をもって、学者たちは彼の名前を利用しながら、戦後日本の社会主義的風潮に乗っかってしまったのです。世界でも稀有な例 そして、これを良しとしたのが、朝鮮半島の歴史学者たちです。これにより、彼らが触れることを避けてきた「日本人が朝鮮半島で高句麗と戦い、新羅王城を攻め、一時期は百済の宗主国的役割を果たしていた」という研究をする必要がなくなってしまったからです。 今は百済も新羅も、大陸の隋や唐も滅亡しましたが、ひとり我が国のみ、善し悪しは別に、絶えることのない歴史のつながりの中に生き続けているのは、世界でも稀有な例であり、誇らしいことでもあります。 任那について否定する風潮が続いていますが、歴史というものは、善悪は別にして史実は史実として研究を重ね、明らかにせねばなりません。その意味で、極端な左翼史観や、極端なナショナリズムにとらわれることのないよう、研究を積み重ねていってほしいものです。大平裕(おおひら・ひろし) 一九三九年生まれ。東京都出身。東京教育大学附属高校より慶應義塾大学法学部政治学科へ進み、六二年古河電気工業に入社。同社海外事業部第一営業部長、監査役、常任監査役を経て二〇〇一年退社。現在は大平正芳記念財団の代表を務める。著著に『日本古代史 正解』『日本古代史 正解 纒向時代編』『日本古代史 正解 渡海編』(以上、講談社)、『知っていますか、任那(みまな)日本府』(PHP研究所)などがある。関連記事■合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識■北岡君、日本を侵略国家にする気かね■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁

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    日本は侵略国家か

    「朝鮮を植民地化した」と気やすく表記しますが、本当でしょうか。正しくは合邦で、日本本国と同等としたのですが…。

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    「侵略戦争」という言葉は歴史を見る目を歪める

    埼玉大名誉教授・長谷川三千子 「私は安倍さんに『日本は侵略した』と言ってほしい」―3月9日、或(あ)るシンポジウムの席上で北岡伸一氏が述べたと伝えられるこの発言は、大変な問題発言と言うべきものです。「安倍談話」について検討する懇談会の座長代理を務める方が、いわば場外である公の場で自らの私見を述べる、というマナー違反もさることながら、一番の問題は発言の内容です。 日本が侵略戦争をしたのか否かという話を政治の場に持ち込んではならない―これは単に、そういう問題は歴史学者にまかせておけばよいから、というだけのことではありません。もしも本当に学問的良心のある歴史学者ならば、そんな問いには答えることができない、と突っぱねるはずです。 なぜなら「侵略戦争」という概念そのものが極めていい加減に成り立ったものであって、今に至るまできちんとした定義づけがなされたためしはないからなのです。 ここで簡単に「侵略(アグレッション)」という言葉が国際法の舞台に登場してきた経緯を振り返ってみましょう。今われわれが使っているような意味での「侵略(アグレッション)」という言葉が最初に登場するのは、第一次大戦後のベルサイユ条約においてです。 いわゆる「戦争責任(ウォー・ギルト)」条項として知られる231条には「連合国政府はドイツおよびその同盟国の侵略により強いられた戦争の結果、連合国政府および国民が被ったあらゆる損失と損害を生ぜしめたことに対するドイツおよびその同盟国の責任を確認し、ドイツはこれを認める」とあります。 そして、このような罪状によって、ドイツには連合国の戦費すべてを負担する全額賠償という巨額の賠償が負わされたのでした。敗戦国だけに責任負わせる概念 では、そのような重大な罪であるドイツの「侵略」はどんな根拠に基づいて認定されたのかといえば、ほとんどいかなる客観的検証もなされなかった。むしろ逆に、前例のない巨額の賠償を根拠づけるために、降伏文書では単なる普通の武力攻撃を意味していた「アグレッション」という語を、重大な罪を意味する言葉「侵略」へと読みかえてしまったのです。 現在のわれわれは、第一次大戦がいわば誰のせいでもなく起こってしまった戦争-各国のナショナリズムの高揚の中であれよあれよという間に拡大してしまった大戦争だったことを知っています。 その戦争の原因をもっぱら敗戦国だけに負わせる概念として登場したのがこの「侵略」という言葉だったのです。こんな言葉を使ったら、歴史認識などというものが正しく語れるはずはありません。 でも、それからすでに100年近くたっているではないか。こんなひどい概念がそのままということはあり得ない、と言う方もあるでしょう。確かに、第一次大戦と第二次大戦の間には不戦条約というものが成立して、それに違反した戦争は違法な侵略戦争である、という言い方ができるようになってはいました。 ところが不戦条約には米国の政府公文の形で、この条約は自衛権を制限するものではなく、各国とも「事態が自衛のための戦争に訴えることを必要とするか否かを独自に決定する権限をもつ」旨が記されています。現実に個々の戦争がこれに違反するか否かを判断するのは至難の業なのです。 第二次大戦後のロンドン会議において、米国代表のジャクソン判事はなんとか「侵略」を客観的に定義づけようとして、枢軸国のみを断罪しようとするソ連と激しく対立しますが、最終的にはその定義づけは断念され、侵略戦争の開始、遂行を犯罪行為とする、ということのみが定められました。しかも、それは枢軸国の側のみに適用されるということになったのです。そしてその後も、この定義を明確化する国際的合意は成り立っていません。 つまり、「侵略」という言葉は、戦争の勝者が敗者に対して自らの要求を正当化するために負わせる罪のレッテルとして登場し、今もその本質は変わっていないというわけなのです。この概念が今のまま通用しているかぎり、国際社会では、どんな無法な行為をしても、その戦争に勝って相手に「侵略」のレッテルを貼ってしまえばこちらのものだ、という思想が許容されることになるといえるでしょう。 こんな言葉を、安倍晋三首相の談話のうちに持ち込んだら大変なことになります。首相がしきりに強調する「未来志向」ということは、もちろん当然正しい歴史認識の上に立って、平和な未来を築いてゆくのに役立つ談話を出したい、ということに違いない。だとすれば、歴史を見る目を著しく歪(ゆが)めてしまうような言葉や、国際社会において、「法の支配」ではなく「力の支配」を肯定し、国家の敵対関係をいつまでも継続させるような概念は、決して使ってはならないのです。国際政治がご専門の北岡さんには改めて、本来の学識者としての良識を発揮していただきたいものです。関連記事■呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁■併合朝鮮をめぐる国政参政権付与

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    北岡君、日本を侵略国家にする気かね

    な内容を期待されますか。伊藤 前の戦争についてはサンフランシスコ講和条約ですでに決着がついています。韓国とは日韓基本条約を結んで多額の資金供与と融資を行い、それをもとに世界最貧国だった韓国の近代化が始まった。中国とは国交正常化を果たし、天安門事件で世界から制裁を受けているときには天皇が訪中して国際的な立場を回復させた。さらに多額のODAと技術的援助をしてやったおかげでいまや世界ナンバー2の経済大国になった。それがすべてです。 だから、もう過去に触れる必要はないんじゃありませんか。そういうことを本当は北岡君が言うべきなんだ。七十年もたって、いまさら「申し訳ありません」でもない。まして「侵略」なんて曖昧な言葉は決して使うべきではない。 過去への反省がないと中国・韓国あたりが言ってきたら、「村山談話」を引き継いでいると言っているんだからそれでいいじゃないか。歴史認識云々に対する反論は別にやればいい。談話は戦後のアジアはじめ世界に対する日本の貢献と未来の話をするべきです。ぜひそういうものにしていただきたい。伊藤隆(いとう・たかし)一九三二年、東京都生まれ。東京大学文学部卒。同大学院人文科学研究科国史専攻修士課程修了。専攻は日本近現代政治史。東京大学教授、亜細亜大学教授、埼玉大学教授、政策研究大学院大学教授を歴任。現在、東京大学名誉教授。主な著書に『日本の内と外』(中公文庫)、『昭和史をさぐる』(吉川弘文館)、『評伝 笹川良一』(中央公論新社)などがある。関連記事■呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁■併合朝鮮をめぐる国政参政権付与

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    合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識

    渡部昇一(上智大名誉教授)ピサロの侵略と「コロニー」 明治四十三年(一九一〇年)、日本と韓国は合邦しました。 これを日本による韓国の「植民地化」ととらえる考え方があり、むしろ、それが一般的な風潮となっています。もちろん、韓国や北朝鮮は政治的な利害からそう主張している。しかし、それは日本と朝鮮半島という、地域的にも思想的にも限定的な、狭い見かたにすぎません。アジアに対する欧米の帝国主義、植民地主義が当然とされていた時代の、世界史的な視野で見るべきだと思います。 たとえば、英語の文献では、日韓合邦のことを「アネクセイション」(annexation)と表現しています。これは「植民地化」を意味する「コロナイゼーション」(colonization)とはイメージがまったく違う。歴史を公平に客観的に見るには、言葉が当時どのように使われていたかを知ることも重要です。現代の常識で過去を断罪すべきではありません。頭ではわかっていても、ついついいまの物差しで歴史を計ってしまいがちです。 そこで、少々衒学めきますが、初めに「アネクセイション」と「コロナイゼーション」の違いをイギリスの辞典などにもとづき、できるだけわかりやすく述べておきたいと思います。 まずコロナイゼーションの語源を考えてみましょう。“colonization”の“colo”は「耕す」とか「居住する」という意味です。このラテン語の動詞の過去分詞“cultum”は「耕された」「洗練された」の意で、「耕作」「教養」の意味の英語「カルチャー」(culture)も、そこからきています。 “cultum”の派生語である“colonia”(コロニア)は、「農場」「領地」という意味でした。元来はローマ帝国の拡大にともなって新たな征服地へ移り住んだローマ市民、とくに「ベテラン」(veteran)と呼ばれる除隊した兵士たちが住んだ土地のことです。彼らはローマ市民権を持ち、駐屯兵として帝国防衛の役割も担いました。「屯田兵」のようなものと言えばわかりやすいでしょうか。 イギリスをみてみると、ブリテン島にはローマのコロニアが九つありました。よく知られている地域では、ロンドン、バース(Bath)、チェスター、リンカーンなどがあげられます。いずれも当時はローマのコロニアでした。 さて、ローマ時代には「農場」「領地」という意味だった「コロニア」が、やがてギリシャ語の「アポイキア」(apoikia)の意味にも使われるようになりました。ギリシャはシュラキウスやイタリアの島に入植し、独立・自治の・植民地を建設した。それが「アポイキア」で、メトロポリス(母なるポリス)から独立して住むところという意味でしたが、それもラテン語ではコロニアというようになったのです。 では現代英語で「植民地」をさす「コロニー」(colony)という言葉はいつから使われるようになったのか。 最初にコロニーという言葉を英語で使ったのは、リチャード・イーデンという十六世紀イギリスの翻訳家です。ペルーのインカ帝国を滅ぼし、文明を破壊した例のスペイン人、フランシスコ・ピサロの行状を書いた本の翻訳のなかで彼が初めて「コロニー」という言葉を使いました。一五五五年に出版した“The Decades of the New Worlde, or West India”(「新世界あるいは西インドの数十年」)という本に出てきます。インカ帝国最後の実質的な皇帝アタワルパの死を描いた絵画。アタワルパはピサロによって処刑され、インカ文明は滅亡した植民地に犯罪者を送り込んだ英国 現代語の「コロニー」、つまり「植民地」という言葉は、大航海時代、ペルーの先住民族を絶滅にまで追い込んだピサロの非道な侵略・掠奪を連想させる言葉として英語に入ったわけです。一五五五年といえば、毛利元就が厳島の戦いで陶晴賢を破って中国地方を支配する基礎を固めた年。織田信長が桶狭間の戦いで今川義元に勝利する五年前です。 「植民地をつくる」という動詞コロナイズ(colonize)、そして「植民地化」という名詞コロナイゼーション(colonization)は、一七七〇年、エドマンド・バークが最初に使いました。著書“The Thoughts on the Present Discontents”(「現代の不平家についての考え」)のなかで彼は、“Our growth by colonization and by conquest”(イギリスのコロナイゼーションと征服による成長は……)という言い方をしています。 その六年後の一七七六年に刊行された、アダム・スミスの『国富論』には“The discovery and colonization of America”(アメリカの発見と植民地化)という用例が見られます。インディアンを蹴散らして強引に土地を奪うというニュアンスです。日本でいえば田沼時代にあたります。 イギリスの詩人・作家であるロバート・サウジーは、晩年には『ネルソン提督伝』を書き、小説家のウォルター・スコットの推薦で桂冠詩人にもなっていますが、若いころは、いまでは忘れられている「パンティソクラシー」(pantisocracy)、日本語にすれば「万民同権社会」なるものを夢見た人で、ドン・マヌエル・アルバレース・エスプリエーラというスペインの旅行者が書いたという設定の“Letters from England”(「ロンドン通信」一八〇七年)に、次のように書いています。「犯罪者をもって植民させる(colonize)ことはイギリスのシステムの一つである」 つまり、イギリスが植民地に犯罪者を送り込んでいることを批判しているのです。彼はまた、英国人の生活は、とくにその産業的・商業的な拡大(industrial  and commercial expansion)という面で非常な危険にさらされているとも言っています。 この頃から、英語の「コロナイズ」には侵略・掠奪というイメージがあり、イギリスの心ある人たちはみな悪い意味で使っていたのです。日韓合邦は「アネクセイション」日韓合邦は「アネクセイション」 一八三〇年代になると、アメリカでは、「コロナイゼーショニズム」(colonizationism)=植民地主義とか、「コロナイゼーショニスト」(colonizationist)=植民地主義者という言葉も用いられるようになりました。これなどはまったく批判的な意味合いを持っています。 もともと悪い意味ではなかった「コロニア」という言葉が、大航海時代に白人が有色人種の国を征服していくにしたがって「コロナイズ」という言葉を生み、「掠奪」「侵略」というイメージを持つようになったのです。 その「コロナイゼーション」という言葉は、日韓合邦については私の知る限り、イギリスの文献にはまったく現れません。すべて「アネクセイション」(annexation)と書かれています。「アネクセイション」という言葉は、イギリスの哲学者フランシス・ベーコンが一六二六年より以前に書いたといわれる“Union England and Scotland”(イングランドとスコットランドのユニオンについて)のなかで、「二つの国(民族)の土地から、一つのコンパウンデッド・アネクセイション(複合した合併)をなす……」と、平等というニュアンスで使っています。 一八七五年には、ジェームズ・ブライスという法学者・歴史学者が、“The Holy Roman Empire”(神聖ローマ帝国)のなかにこう書いています。「フランスは、ピーモントをアネクセイション(合併)することによって、アルプス山脈を越えた」。ここにも「掠奪」という意味合いはまったくありません。 動詞の「アネックス」(annex)は、subordination(従属関係)なしに、という意味を元来含んでいて、もともとどちらが上というニュアンスはなかったのです。 一八四六年に出た『英国史』、元来はラテン語の本で、それ以前に出版されているのですが、そのなかには「ジュリアス・シーザーはブリテンをローマ帝国にアネックスした」という記述があります。この場合も、ローマの文明をブリテン島におよぼしたというニュアンスが強く、掠奪したという感じはない。略奪、征服の意味はない さらに「アネクセイショニスト」(annexationist)という言葉は、アメリカにおけるテキサス併合論者の意味です。一八四五年に実現したアメリカの「テキサス併合(アネクセイション)」という言葉にも、「掠奪」や「征服」という意味はありません。 このことをふまえて、『ブリタニカ百科事典(Ency-clopdia Britannica)』一九二二年の十二版を見てみましょう。日韓合邦の翌年、一九一一年の十一版にはまだ記載がなく、十二年後に発行された十二版の「KOREA」(コリア)の項目のなかに、初めて日韓合邦のことが出てくるのです。 一七七一年にグレートブリテンのエディンバラで第一版が出たブリタニカは、イギリスのみで発行されていた時代には『ロンドン・タイムズ』と並び情報の公平さで世界的に評価され、世界中の知識人に読まれた信頼度の高い事典です。そこには、こう書かれています。「一九一〇年八月二十二日、コリアは大日本帝国(Japanese Empire)の欠くべからざる部分(integral part)になった」 ここで「欠くべからざる部分(インテグラル・パート)」という書き方をしていることからも、・植民地・とは見なしていないことがわかります。 「国名はおよそ五百年前に使われていた朝鮮(Chosen)に戻った。(略)日本が外交権を持った一九〇六年以来、日本によって秩序ある体系的な進歩がはじまっていたが、これ(合邦)によってその進捗はさらに確かなものになった」。ただ、「コリアン・ナショナリズムの抑圧を批判する人もいる」ということも書かれ、以下、およそ次のような趣旨の記述が続きます。「警察制度を整備して内治をすすめたことによって泥棒や強盗団が跋扈していた辺鄙な地方の治安もよくなった。朝鮮の平穏さは、併合(アネクセイション)以来、曇ることなく続いていたが、一九一九年三月に突如、騒乱が起こった(渡部注 三・一運動)。これはウィルソン米大統領の唱えた民族自決主義(セルフ・ディタミネーション)の影響であったが、ただちに鎮圧された。日本は慎重に改革を進めていたが、これを見て計画を急ぐことになった。注目すべきことに、軍人だけでなく民間人でも朝鮮総督に就任できることになり、総督は天皇のみに責任を負う立場から、首相に従うこととなった。朴正熙が日本から受けた恩恵朴正熙が日本から受けた恩恵 原(敬)首相は、教育・産業・公務員制度について日本人と朝鮮人との差別を取り除く政策を進めていると声明し、こうして朝鮮に再び平穏が戻った。その後も不満分子はときどき騒いだが、みごとに押さえられていた」。 朝鮮人が暴動を起こすのは日本統治時代に限ったことではありません。独立後も済州島事件(一九四八)や光州事件(一九八〇)など、ずいぶん反乱が起こっている。日本時代よりむしろ多いくらいです。 それはともかく、この一九二二年版ブリタニカの記述にも、すべて「アネクセイション」という言葉が使われているのです。 それから四年後の一九二六年に発行された第十三版には「アネクセイション・オブ・コリア」という項目がたてられ、「日清・日露戦争は、朝鮮が日本の心臓に向けられた短刀となることを防ぐための戦いであった」と記し、「朝鮮の宮廷人たちの気まぐれで自殺的な外交をやめさせるためには日本が合併するより方法がなかったが、とどのつまり、伊藤博文の暗殺によってクライマックスを迎えた」と、日本に対して非常に同情的に書かれています。 日本との合邦後、朝鮮半島ではいかに経済が発展し、安定したかというようなことも縷々述べられています。「朝鮮を治めるのは日本の責任であると東京の政府は考え、朝鮮王家は、高い名誉と潤沢な経済支援を受けることになった」と記されているのは、朝鮮の李王家に対する日本の丁重な遇し方のことです。日本の皇族に準ずる待遇をし、李垠皇太子のもとには梨本宮家の方子女王が嫁いでいます。侵略によって征服された「植民地」の王家であれば、本国の王家と婚姻を結ぶなど、ありえない話です。朝鮮王でシナの皇族の娘を妻とした例はありません。 それまでの朝鮮半島は清国に支配されていました。朝鮮は明に建ててもらった国ですから、明が清に滅ぼされたとき、義理立てして抵抗したものだから、清に徹底的にやられてしまった。清の属国だった時代が記憶に残っている人の話を聞かないと、そのひどさはなかなかピンときません。私は、たまたま元北朝鮮の脱走兵だった人を一年ほど家に住まわせていたことがあります。旧制の平壌中学を出た教養のある人でしたが、彼の話によれば、清末の朝鮮がなぜあれほど汚かったかといえば、清潔にしておくと清の兵隊がやって来るからで、だから彼らさえ近寄れないほど汚くしたのだというのです。おいしい食べ物があるとすべて持っていかれるから料理も発達せず、口にするのはおこげくらいのもの。倭寇が怖くて昔から海にも出られないから海の魚の料理の発達もなかったのだそうです。 だから、日清・日露戦争のときも朝鮮の民衆は日本に協力的でした。合邦についても、ブリタニカにもフェアに記載されていたように、たしかに反対派もいたしテロリストもいたけれど、大方の民衆は大喜びだったわけです。 合邦のおかげで朝鮮人がいかに救われたかは、一九六三年から七九年まで五期にわたって韓国大統領をつとめた朴正熙の伝記を読めばわかります。 朴正熙は極貧の家で七人目の子供として生まれています。日韓合邦以前の貧しかった朝鮮はいまの北朝鮮のようなもので、多くの人が春窮で餓死していました。だから、七人目の子など育つわけがありませんでした。それが日韓合邦のために生き延びることができただけでなく、日本の教育政策によって学校にも行けた。小学校で成績優秀だったために、日本人の先生のすすめで学費が免除される師範学校に進み、さらに満洲・新京の陸軍軍官学校に進学して首席で卒業したため、とくに選ばれて日本の陸軍士官学校に入りました。日本と合邦していなければ考えられないコースをたどって、結果的には韓国大統領として「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を故国にもたらしたのです。これは日韓合邦によって韓国が受けた恩恵のめざましい一例と言えるでしょう。この種の例は無数にあったのです。「われわれは日本を見習うべし」 日韓合邦時代における朝鮮人の暴動や反乱は、満洲事変以来すっかりなくなりました。それは、かつての朝鮮の支配民族だった清の満洲人に対して、朝鮮人が平等になったからです。満洲人に限らず、漢族のシナ人も、それまでずっと朝鮮民族を見下していて、朝鮮人はいじめられっぱなしでした。ところが、日韓合邦によって「自分たちは日本人だ」と言えるようになった。創始改名運動が起こり、日本人名になると、数千年間つねに頭を押さえつけられていた満洲人やシナ人に対して大いばりできたのです。それからは、いっさい朝鮮人の反乱がなくなりました。「日韓同祖論」が流行り、朝鮮の中学は修学旅行で伊勢神宮に参拝するようにもなった。戦争のときは志願兵も多かったし、朝鮮人の特攻隊員も数多くいました。 明治政府には、「コロナイゼーションはやらない」という覚悟が強くあったと思います。台湾は日清戦争後の明治二十八年(一八九五)に日本に併合されましたが、その約十年後に、『ロンドン・タイムズ』は以下のような主旨のことを書いています。 「わずか十年の間に台湾の人口は数十万人ふえた。イギリス、フランス、オランダも台湾を植民地にしようと思えばできたが、あえてそうしなかったのは、彼の地が風土病と伝染病が蔓延する瘴癘の地だったからである。しかも、山奥の原住民はともかく、住民の大部分はシナから逃げてきた盗賊だ。台湾譲渡を決めた下関条約の全権大使、李鴻章は、「日本に大変なお荷物を押しつけてやった。いまにひどい目に会うから見ていろ」と内心ほくそえんでいた。ところが日本は大変な努力をして風土病を克服し、人口を飛躍的に伸ばした。西洋の植民地帝国は日本の成功を見習うべきである」 『ロンドン・タイムズ』が評価した日本統治は、朝鮮でも同じように行われていました。 台湾合併は五十年、日韓合邦は三十五年続きました。戦後、韓国に戻って初代大統領になった李承晩の反日運動がなければ、そして半島が南北に分かれないままだったら、そうしてあと十五年、台湾と同じく、五十年間日本との合併が続いていれば、日本も台湾に近い感情で韓国に対してつき合うことができていたのではないか……。これは空想にすぎませんが、そんな気がしています。渡部昇一(わたなべ・しょういち)上智大学名誉教授。英語学者。文明批評家。1930年、山形県鶴岡市生まれ。上智大学大学院修士課程修了後、独ミュンスター大学、英オクスフォード大学に留学。Dr.phil.,Dr.phil.h.c.(英語学)。第24回エッセイストクラブ賞、第1回正論大賞受賞。著書に『英文法史』などの専門書のほか、『知的生活の方法』『日本興国論』などの話題作やベストセラー多数。小社より、『読む年表 日本の歴史』好評発売中。関連記事■呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁■併合朝鮮をめぐる国政参政権付与

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    大韓ナチズム

    私たちは優れた〝創造DNA〟を持った民族だ。韓国民のDNAの中には芸術的感性が豊富にある・・・。

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    「大韓ナチズム」に堕ちた韓国

    室谷克実(評論家)反知性主義に 韓国の政権の統治手法が〈大韓ナチズム〉と呼ぶべき様相を強めている。韓国人を「優生学的な選民」「常に善良なる被害者」と位置付けると同時に、「常に悪なる存在である日本」への敵愾心を煽ることで、国民の目を堆積する一方の欠陥局面から逸らせる手法だ。 その〈大韓ナチズム〉の底流にあるのが、韓国ならではのファンタジック史観だ。韓国による近現代史の捏造と歪曲も酷いものだが、それは超ファンタジック古代史観の延長線上にある。 「五千年前から文明国だったわれわれが、未開の倭奴(日本人の蔑称)にあらゆることを教えてやったのに、彼らはその恩を忘れて……」というのが、〈大韓ナチズム〉が説く対日部分の典型的な語りはじめだ。そこには、分子人類学も、考古学も、正史類の文献も、ほとんど活かされていない。〈大韓ナチズム〉の最底辺は、まさに反知性への信仰に他ならない。 しかし日本には、「五千年前から文明国だった云々」は別にして、倭国は朝鮮半島からあらゆるものを教えてもらったと信じ込んでいる人々が今でもたくさんいる。 日本の「戦後(歴史)教育」とは、(1)マルクス(唯物)史観の正しさ、(2)朝鮮半島の民族の優位性──を、学童・学生の頭に叩きこむことだったといえる。 連合国司令部で占領下の教育を管掌した民政局の指導部が、共産主義者や、そのシンパに握られていたことが大きい。 当時、日本の大学の史学科は、それまでに確立されていた研究成果を「皇国史観」として全否定した。奪権闘争の側面も強かった。教授や、その後継者と目されていた人材を「皇国史観の徒」として追放することで、後継者争いから脱落すると見られていた研究者が教授の座に就くための闘争だ。 そこには日本共産党と、在日朝鮮人が介在した。戦中から戦争直後の共産党では、金天海ら在日朝鮮人の指導力が極めて強かったからだ。 井上秀雄の『倭・倭人・倭国』(人文書院、一九九一年)や梶村秀樹の『朝鮮史』(講談社現代新書、一九七七年)には、在日朝鮮人らに吊し上げられた体験が記述されている。金両基の『物語 韓国史』(中公新書、一九八九年)には、彼が井上秀雄を吊し上げたグループの中にいたことを滲みださせる記述がある。 大学教授のポストを手にした戦後の歴史学者は、次には日教組講師団として、小中高の教員たちに「皇国史観」ではない“新常識”を説いた。 かくて日本の「戦後(歴史)教育」は、「資本主義が社会主義へ、そして社会主義が共産主義へと進んでいくのは歴史の必然だ」と折伏を重ね、「朝鮮民族はたいへんに優れた文化を持っていて、日本人はあらゆることを彼らから学んだ。それなのに、帝国主義の日本は朝鮮を植民地にして悪辣極まる収奪を重ねてきた」と自虐する内容になったのだ。 このうち共産主義への折伏は、ソ連共産ブロックの自壊で霊験をあらかた失った。しかし、朝鮮に関する自虐の方は、依然として残っている。朝日社長の発言 朝日新聞の木村伊量社長(当時)は二〇一四年十月、日韓言論人フォーラムに出席した韓国人記者たちに「朝鮮半島の影響なしには日本の文化が豊かにならなかったと考える。そのような面で、韓国は日本の兄のようだ」と語ったという(韓国・中央日報二〇一四年十月二十日)。戦後教育の下で優等生として育った人は、日教組教育の呪縛から抜け出せないのだろう。 木村発言に呼応するかのように、韓国の鄭原首相(当時)は「法律の構造や制度の場合、日本が私たちに習いにきて“兄の国”と呼ぶほどであり、多方面で私たちが日本に先んじている」と述べた(韓国・国民日報二〇一五年一月十日)。 「先んじていた」と過去形なら、まだそれなりに理解のしようもある。首相まで〈大韓ナチズム〉のファンタジック古代史観の虜になっているのだ、と。しかし、首相発言は現在形なのだ。 素直に読めば、今でも韓国は多方面で日本に先んじている“兄の国”だと言っているのだから、すごい現状認識だ。首相発言は「このような点に対する日本の心理的な問題」──つまり、日本人の韓国に対する劣等感──が日本の反韓感情の背景にあると続く。 木村伊量氏は朝日新聞社長を、鄭原氏は首相の職を去ったが、二人とも依然として社会の指導層にいる。〈大韓ナチズム〉の対日政策は、木村氏のような・有為な人材・を改めて抱き込み、そうした人々の影響力を結集することで、日本の国論分裂を深め、「弱い日本」を実現し、韓国に有利な政策を導き出すことにあると見てよい。切り上げて「半万年」〈大韓ナチズム〉の古代史観は「韓民族、半万年(五千年)の歴史」という虚像から始まる。 天帝の庶子が地上に降り立ち、熊から変身した女と交わったことで檀君が誕生する。その檀君が、「鼓腹撃壌」の故事で有名な中国の堯帝より五十年後に、平壌を都とする国を開き、朝鮮と号した──とする「檀君神話」が、「半万年の歴史」の根拠だ。 堯帝の即位を通説に従って紀元前二五〇〇年として、二〇一五年をプラスしても五千年にはならない。が、そこは切り上げして「半万年の歴史」と言うのだ。 ところが韓国の『高等学校国定国史』(日本の教育指導要綱に該当)は冒頭で「わが民族は五千年以上の悠久の歴史を持ち、世界史上まれな単一民族国家としての伝統が続いている」と述べている。 切り上げして五千年が「五千年以上の悠久の……」となり、元に支配されていた時代には「胡水満腹」(水は精液のこと)という露骨な四字熟語までできたのに「世界史上まれな単一民族国家としての伝統」と教えているのだ。 そもそも唯一の根拠である檀君「神話」からして、文註まで含めて四百字(全文漢字)ほどしかない。 神話の大系が伝えられているのではない。十三世紀の高僧が編纂した野史である『三国遺事』の中に「文註まで含めて四百字」ほどが収められているのに過ぎない。 それは古史書の引用の形式を採りながらも、肝心の引用元すら定かでない・あやふやなお噺・だ。 李王朝(一九三二~一九一〇年)は儒教を指導イデオロギーとした国であり、「箕子朝鮮の伝統を引く朝鮮国」が強調された。 箕子とは殷の紂王の暴政を諫めた賢人であり、殷を滅ぼした周の武王は箕子を崇めて敢えて家臣とせず、朝鮮に封じたと『史記』は記す。箕子は殷の遺民を率いて東方へ赴き、礼儀や農事・養蚕・機織の技術を広め、理想的な社会をつくったとされる。 ところが日本統治の時代に入ると、独立運動家にとって明らかな中国系である「箕子朝鮮の伝統を引く朝鮮国」は都合が悪かった。ここに新たな装いで再登場したのが檀君を始祖とする「朝鮮」だった。 それを脚色して表舞台に引き掲げたのが、申采浩(一八八〇~一九三六年)だ。 申采浩とは、ジャーナリストであり、歴史家であり、小説家であり、独立運動家であり……ともかく多彩な文筆家だったことは間違いないが、最後は無政府主義者に転じ、台湾で偽札所持の現行犯で逮捕され獄中で病死した。 彼が書いた『朝鮮上古史』(矢部敦子訳、緑蔭書房、一九八三年)はまさに超ファンタジック古代史論だ。 パミール山麓に発した朝鮮民族は半島に行きつき、ここで成立した檀君の朝鮮国は中国を圧して東アジアに大帝国を築いた。満蒙の諸族はみな朝鮮族の支族……と、勇壮に展開するのだ。「歴史書」でなく「歴史物語」「歴史書」でなく「歴史物語」 『三国遺事』にある記述が檀君に関する唯一の文献上の根拠だが、それには箕子が朝鮮の支配者に任じられると、檀君は山に隠れ「山神」になって歿したとある。『三国遺事』にある記述そのものが・あやふやなお噺・なのだが、申采浩は「檀君」の名前だけ利用して超ファンタジック古代史論を描いたのだ。 『朝鮮上古史』は、仮定として述べていた内容が、明確な論証もないまま、次のステージでは絶対の史実になり、次の仮定を産み出し、また明確な論証もないまま……といったスタイルだ。その過程で、中国の正史類は都合の良い部分が引用され、超拡大解釈されていく。論証重視の歴史書に慣れた日本人には、とても「歴史書」とは思えない。 「皇城中央に向かって唯一無二の大新聞を創刊して愛国せよ愛国せよと血を吐くほどに言葉を書きつらねても愛国者を生むことはできない。国を愛するためには歴史以外にない。それも、幼児から老人まで、男子も女子も、貴賤の別なく、全社会が歴史を読まなくてはならない」と申采浩は書いている(『朝鮮上古史』の「解題」より)。 彼にとっての歴史書とは、訳者の矢部敦子も書いているように「そのスタートから学問のための学問ではなく、国権恢復の実践のための歴史学」だった。 つまり、彼は史実を探求した結果を記したのではなく、初めから民を奮い立たせることを目的として、イデオロギー歴史物語を書いたのだ。 韓国の不幸は、そうした目的を持って書かれたイデオロギー歴史物語の内容が「史実」として広く信じられていることだ。 新聞に載る歴史エッセーや論文でも、「申采浩先生が論考したように……」と、彼が書いた記述を・もはや検証する必要のない絶対事実・と見做した上で立論していくものが多い。そうした著者たちは原典(この場合なら中国の正史類)に当たる努力を怠っているのだろう。サッカー東アジア杯男子 韓国対日本で韓国側応援団が掲げた「歴史を忘れた民族に未来はない」と書かれた横断幕=2013年7月28日午後、韓国・ソウルの蚕室総合運動場(山田喜貴撮影)「歴史を忘れた民族」 余談になるが、「歴史を忘れた民族に未来はない」とは、二〇一四年の仁川アジア大会サッカー日韓戦で、韓国側応援席の大横断幕にあった言葉だ。 申采浩の言葉とされている。しかし、いくら調べても彼がいつ、どこで、こう述べた(書いた)のか分からない。 韓国のサッカーファンは、申采浩=反日だから、申采浩の言葉=反日の言葉だと思い込んで日本戦のスタンドに飾った。だが、・申采浩が活躍した時代に、日朝の大衆を巻き込んだような歴史論争はなかった、・彼は、朝鮮人民を奮い立たせようと「歴史物語」を提示した──ことからすれば、  「歴史を忘れた民族に未来はない」とは当時の朝鮮人民に向かって述べた言葉と解するほかない。 アジア大会のサッカー日韓戦では、この横断幕とは別に、テロリスト・安重根を描いた垂れ幕もあった。 対日非難の言葉と思い込んで横断幕を飾った韓国人ファンも、横断幕に抗議して安重根の垂れ幕については何も言わなかった日本サッカー協会も、お粗末の極みだ。 もう一人、〈大韓ナチズム〉のための歴史書を書いた人物がいる。崔南善(一八九〇~一九三六年)だ。 彼は三・一独立宣言の起草者だったが、いつしか転向し、朝鮮総督府の朝鮮史編集委員、総督府中枢院参議、満州・建国大学教授と、親日派の道を歩む。彼が終戦から四カ月後に上梓したのが『国民朝鮮歴史』(日本語訳の題名は『物語 朝鮮の歴史』山田昌治訳、三一書房、一九八八年)だ。 その中にある倭国に関する部分を要約すると、・半島や大陸からの逃亡民が倭国をつくった、・倭奴は蒙昧で、半島から行った民があらゆる文化文明を教えてやった、・新羅は日本列島に多数の植民地を持っていた──という内容だ。 申采浩の『朝鮮上古史』は中国の正史を引用しては勝手な解釈と飛躍的仮定を重ねていくが、逆に崔南善の『国民朝鮮歴史』は引用が全くない。せめて「新羅は半島に多数の植民地を持っていた」とする部分くらいには、何という史料に基づくのか示してもらいたいのだが、註もなければ参考文献の名も挙げられていない。「私は親日派ではありません」の証明のために書いたのかもしれない。 二人の本は当時、どれほど読まれたのか。申采浩の場合は最初に『朝鮮日報』に連載されたが、『朝鮮日報』の読者数からして限られていただろう。崔南善の本は、戦後のドサクサの最中だ。 どちらも、たいして読まれたとは思えない。しかし、最近の韓国の諸メディアに載る古代の日韓関係をテーマとする論文やエッセーを見ても、どの内容も「申采浩プラス崔南善」の大枠を超えていない。当時はたいして読まれなかったとしても、この二人が〈大韓ナチズム〉の古代史部門のイデオローグなのだ。国民を騙している 韓国では今や、特別な教育を受けた人を除いては漢字を読めない。それを前提にして、国民を騙すような歴史専門家の論文やエッセーもある。 国家機関である国史編纂委員会の編史室長まで務めた朴ソンス名誉教授のエッセー「百済が日本に国を建てた」(民族派サイト「コリアン・スピリッツ」二〇一四年十月二十六日)には、本当に驚かされた。「日本古代史は中国の史書『魏志』倭人伝に至って初めて出てくる」とエッセーは始まる(原文はハングル)のだが、ここからして「!?」だ。『魏志』より遥かに古い『漢書』地理誌に「楽浪海中に倭人あり、分れて百余国と為し、歳時をもつて来たりて献見したと云う」の一文があることを、この名誉教授は本当に知らないのだろうか。 名誉教授のエッセーは、こう続く。 「それ(魏志倭人伝)を読めば……韓半島の南側に韓国があり、また海を渡った日本の土地には、もう一つの韓国である狗邪韓国があるということだ。 すなわち、日本には倭人が暮らしているが、彼らを支配するのは狗邪韓国という国だというのだ。つまり、日本には百済の分国すなわち植民地があったことを証言している」 崔南善は、倭には新羅の植民地があったとしているが、その根拠文献は何ら示していない。今度は、新羅ではなく「百済の植民地」だという。その根拠が『魏志』倭人伝だというのだ。『魏志』倭人伝をどう読むと、そんな解釈が出てくるのか。 これは、もう「解釈の違い」といった問題ではない。韓国の国民一般が漢字を読めないことを前提に、国民を騙しているとしか思えない。『魏志』倭人伝の一つ前は韓伝だ。韓伝には、百済は馬韓五十余カ国の中の一国として名前だけでてくる。新羅は辰韓・弁韓二十四カ国の中の一国として、やはり名前だけ出てくる。そんな存在だ。 一方、倭は邪馬壹国が二十数カ国を束ねる連合王国として描かれている。 半島と列島と、政治文化はどちらが進んでいたか、明らかではないか。馬韓五十四カ国の中の一国にすぎなかった百済が、倭に分国を置き、倭国を支配していた──妄想、ここに極まるだ。 『魏志』韓伝は、半島南部を倭地としている。倭人伝に入ると、狗邪韓国を倭の北岸の地としている。全く矛盾がない。 そして対馬も壱岐も、倭人伝の中で描かれている。 それなのに韓国の民族派は、「対馬はわが領土だ」として「対馬奪還運動」を進めている。昌原市や、釜山市の一部の区では、首長が奪還運動の先頭に立っている。そんな市や区と、姉妹都市関係を結んでいる自治体が日本にあるのだから呆れる。 対馬奪還運動は「昔から対馬は新羅に属していた」と主張している。彼らは『魏志』倭人伝には触れずに、『李王朝実録』を持ち出してくる。 『李王朝実録』には、王が「古籍に対馬は慶尚道に属したとある」と述べたことが記載されている。しかし、その古籍の題名すら書いていない。 李王朝は一四一九年に対馬を急襲するが、宗氏の将兵に撃退され逃げ帰る。その後、対馬から来た使節に「対馬は辺境といえども日本である。日本を相手に戦争する気か」と詰め寄られる。以後、『李王朝実録』では「日本国対馬島」の表記が常態となる。 が、運動を進める民族派は、『李王朝実録』には「王が対馬は慶尚道に属したと言った」とあるだけでいいのだ。きっと、『魏志』倭人伝なんて、名前も知るまい。朴槿惠のネオナチ発言 朴槿惠大統領は述べている。 「私は韓国経済が進む新しい発展パラダイムとして創造経済を提示している。……私たちは優れた・創造DNA・を持った民族だ。……私はその創意の力と情熱を生かして第2の漢江の奇跡を必ず実現する」(「発明の日」記念式典二〇一三年五月十六日) 「韓国民のDNAの中には芸術的感性が豊富にあり、(われわれは)血液中に流れる・気・がある国民だ」(文化人との会話二〇一五年二月二十五日) DNAを「ある民族が持つ不変の遺伝子」といった意味で使っているようだ。朴槿惠大統領は西江大学理工学部を卒業したのに、理系出身者らしからぬ誤用だ。きっと、その背後には「韓国人は世界でも稀な単一民族」とする誤った内容の刷り込み教育も蓄積されているのだろう。 そうした批判はさておき、上に紹介した発言そのものが問題だ。これぞナチスの「アーリア民族の優位性」主張と同質の優生学的選民思想そのものだ。 捏造と歪曲を重ねた超ファンタジック史観をもって、自国民に優生学的選民思想を植え付けると同時に、「劣った隣国」への敵愾心を煽り立てることで、国内の深刻な問題(例えば青年層の高失業率)に国民の目が集中することを回避し、国政を強引に推進していく──まさに〈大韓ナチズム〉だ。 その政権が海外で「日帝=ナチズム=安倍政権」とするキャンペーンを展開しているのは、基本的にジャパン・ディスカウント戦略による。「ネタは何でもいいから国際社会で日本を貶める」という運動だ。同時に、自らへの「ナチス批判」を回避するための・目晦まし工作・と言える。 日本語でいう「修正」とは「正しく直すこと」だから、良いイメージがある。それで「歴史修正主義」という用語も、さして重く受け止められない。しかし、この用語は「ヒストリカル・リビジョニズム」の英訳であり、その英語は「ネオナチス」の言動を意味する。 韓国政府当局者は、一年ほど前から頻繁に「歴史修正主義の安倍政権」といった表現を使うようになった。これは「ネオナチスの安倍政権」と同義だ。そうと知ってか知らずか、日本にも簡単に「歴史修正主義」と言うジャーナリストが出てきた。韓国の狡猾な情報工作に呑み込まれているのだ。 〈大韓ナチズム〉の謀略に呑み込まれてはならない。そのためには、列島と半島の関係史を古代のページからしっかりと押さえておきたい。室谷克実(むろたに・かつみ) 一九四九年、東京都生まれ。慶應大学法学部卒業後、時事通信社に入社。政治部記者、ソウル特派員、宮崎・宇都宮支局長、「時事解説」「時事評論」編集長などを経て定年退社。著書に『悪韓論』『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮新書)、『呆韓論』(産経新聞出版)などがある。関連記事■ 異常国家、異常社会の実体を晒しつつある韓国■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ ナッツリターン問題に潜む韓国文化の深い闇

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    朴大統領批判の大量ビラ&抗議デモ…青瓦台を取り巻く混沌

     韓国に不穏なムードが広がっている。韓国各地で朴槿恵(パク・クネ)大統領を非難するビラがまかれ、海外の韓国系住民による抗議デモが頻発するなど、国内外で政権批判の動きが加速しているのだ。朴政権は、こうした反対勢力に対して、警察による強引な捜査などで対抗。かつての軍事独裁政権を思わせる荒っぽい手法で批判を封じ込めようとしている。青瓦台(韓国大統領府)を取り巻く混沌をノンフィクションライターの高月靖氏がリポートする。 中国や日本などからの観光客でにぎわうソウル中心部の繁華街、明洞(ミョンドン)。先月下旬、この街で奇妙な光景が繰り広げられた。朴氏を批判する大量のビラが、ビル屋上からばらまかれたのだ。 「サイズはA5判ほどで、朴氏を批判する『国民生活破綻』『民主主義破壊』『朴槿恵政権糾弾・汎国民大会』などのメッセージが白黒で印刷されていました。約4000枚が一斉にばらまかれ、一時ビラが空を埋めるような形になったほどです」(現地日本人フリー記者) 朴政権を批判するビラがゲリラ的にばらまかれるのは、この日が初めてではない。昨年12月にソウルと地方都市で行われた後、今年1月から3月にかけて韓国各地へ波及。朴氏のイラストを添えて、朴氏からの「つまり辞任しろと言うんですか?」との問いに、民主主義を願う市民が「そうだ」と答えるものなど、ソウルでは今月1日まで連日のようにあちこちで大量にまかれ続けた。 「ちょうど同じ時期に米国ニューヨークやワシントンDCでも現地の韓国系住民による反・朴政権デモが同時多発的に行われていました。デモはオーストラリアにも飛び火しています。セウォル号事故などの際も同様のデモはありましたが、今また就任2周年の節目で朴政権批判が過熱しているようです」(同)自民党の二階俊博総務会長(左)との会談に臨む韓国の朴槿恵大統領=2015年2月13日、ソウルの青瓦台(共同) 韓国の内外で盛り上がる反・朴政権の動き。だが、1月に30%を割り込んだ支持率は、ここに来て急上昇している。3月上旬の支持率は40%台後半に持ち直した。 「米大使襲撃事件に驚いた保守層が、慌てて政権支持に逆戻りしたせいです。朴政権が事件の背後にいると指摘する左派勢力を一掃すべく、保守層が力を合わせようとしているのでしょう」(同) ビラの作成者らも、朴氏に批判的な左派勢力として政権から目の敵にされている。警察は今月12日までに、地方都市でビラ散布に関わった3人の関係先を家宅捜索した。だが、微罪や別件逮捕の摘発、家族にまで圧力を加える捜査手法が、現地メディアで非難を集めた。 「ビラ散布はゴミを無断投棄した程度の軽犯罪に過ぎません。しかし警察は朴大統領に対する名誉毀損(きそん)、さらに所有するバイクの改造などまで口実にして、強制捜査を行っています。3人のうちの1人が出頭を拒否したところ、警察は令状なしに妻の勤務先にまで踏み込みました」(同) ビラに対して与党は非常に敏感だ。2月に釜山で朴氏を風刺する紙がまかれた際、与党・セヌリ党釜山支部のスポークスマンは「徹底した調査で犯人を探し出し、国家元首に対する冒涜(ぼうとく)と名誉毀損(きそん)に対する厳重な法的責任を問わなくてはならない」と息巻いた。 韓国では過去、国家元首=大統領への冒涜(ぼうとく)を裁く法律が、民主化とともに廃止された経緯がある。そのため、スポークスマンの軍事独裁時代に逆行するような発言には批判が渦巻くが、「警察の横暴な姿勢は変わらない」(現地関係者)という。 インターネット全盛の時代にビラをまくのは古典的な手法だが、実は、これにはわけがあるという。 「ネットではすぐに発信元を特定され、名誉毀損(きそん)で告訴されるからだといわれています。ソウルで連日ビラを散布したグループは防犯カメラもうまくかわしており、まだ身元は特定されていません」(前出のフリー記者) 内外で盛り上がる大統領批判の機運と、大使襲撃事件をも利用して左派勢力への圧力を強める政権。韓国社会を二分する対立は、政権崩壊につながりかねない危険な雰囲気を漂わせている。関連記事■ 加藤達也が指弾 韓国社会の「言論の自由」こそ問われている■ 異常国家、異常社会の実体を晒しつつある韓国■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

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    34カ所の削除に応じなければ出版差止め…慰安婦本が事実上の発禁処分

     世宗大学の朴裕河(パク・ユハ)教授が一昨年8月に韓国で出版した『帝国の慰安婦』は、慰安婦問題について日韓双方の責任に触れた書である。ところが、今年2月17日にソウル東部地裁は「34か所の削除に応じない限り出版を差し止める」との決定を下し、事実上の発禁処分にあっている。同書は、朝日新聞出版から昨年11月に日本語版が出ている。 「(早稲田大学文学研究科で博士号を取得した)朴氏が日本語で書き直した。論旨は同じだが、表現を変えたり加筆したりした部分があり、構成も変えている」(朝日新聞出版担当者) 日本語版は国内の書店で手に入るが、それを見ても、どこが「34か所の削除命令」に該当するのかはわからない。昨年8月に出版された「帝国の慰安婦」 韓国の裁判資料をもとにどんな記述に削除命令が出たのかを紹介する。まず「慰安婦は強制連行されていない」という部分を削るように求めている。 〈慰安婦たちを誘拐し、強制連行したのは、少なくとも朝鮮では、そして公的には、日本軍ではなかった〉(『帝国の慰安婦』38ページ=韓国語版、以下同) 旧日本軍が強制連行を行なったことを示す史料は一つもない。つまりこの部分は単に史料の分析結果を述べただけだが、「名誉毀損の恐れがある」として削除対象になった。事実よりも「親日」の記述を糾弾することが優先された。 元朝日新聞ソウル特派員でジャーナリストの前川惠司氏はこういう。 「朴氏の著書では、朝鮮の女衒(人身売買の仲介業者)が女性を誘い出して慰安婦にしたという事実を紹介しているのですが、原告はとにかくすべて日本軍の責任で、そうでない記述は名誉毀損だと主張しています。日本を悪者にしないと自らの存在意義が失われてしまうからです」 戦時中に日本人と朝鮮人が「同胞」だったことを示唆する部分も削除対象とされた。 〈慰安婦の本質を見るためには、朝鮮人慰安婦の苦痛が日本人娼婦の苦痛と基本的に変わらないということをまずは知っておく必要がある〉(33ページ、傍線部が削除命令の出た部分) 朴教授の記述はもっともで、仮に慰安婦問題を「女性の尊厳」の問題だと捉えるのであれば、国籍による違いはないはずだ。ところが、「日本は悪者で、韓国は被害者」という構図にしがみつくから、「(数としては朝鮮人慰安婦の何倍もいた)日本人の慰安婦は辛くなかった」という倒錯した理屈にたどり着く。 他にも「慰安婦たちには日本帝国の一員としての役割が求められ、それゆえに(兵士との間に)愛が芽生えることもあった」といった部分に削除命令が出た。しかし現実に慰安婦と日本兵が結婚する事例はいくつもあったのだ。 原告側の反日団体が削除を求め、裁判所が認めた部分を見ていくと、戦時中に日韓が協力し合っていたことを絶対に認めたくないとわかる。 それがすべての韓国人の意思に基づくものだったとはいえないが、1910年の日韓併合によって日本と韓国は戦時下で一つの国家だった。当然、韓国は日本と戦争していたわけではないし、戦勝国でもない。だが、反日を貫くためにはそれを認めるわけにはいかないのだ。教授は、慰安婦問題を巡る日韓の和解を模索し、こう書いている。 〈慰安婦問題を否定している人々は「慰安」を「売春」としてだけ考え、我々(注・韓国人)は「強姦」としてのみ理解したが、「慰安」とは基本的にその二つの要素をすべて含んだものだった〉(120ページ) 「慰安婦は存在しなかった」という日本にある極論も、韓国の根拠のない主張も等しく批判する良識ある見解と感じられるが、その部分にも削除が命じられる以上、韓国側には和解の意思などないと思わざるを得ない。関連記事■ 韓国の反日スレ「日本に爆弾テロする?」「お前通報シマス」■ 韓国で「慰安婦は売春婦と認めよ」と主張の署名サイトが出現■ 韓国 慰安婦を人権問題として世界に注目させ日本の譲歩狙う■ 韓国紙 外相が国連総会で安倍首相の足引っ張るかで沸き立つ■ 韓国紙 慰安婦のために闘った朝日新聞を助けようと呼びかけ

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    朱子学の影を引きずる朴大統領の反日

    ければならない。国際的異端者による正当性の主張だからだ。 「3・1独立運動」を記念する式典で演説する韓国の朴槿恵大統領=2015年3月1日、ソウル(共同)異端ではないとの証求めて 正統性はそうではない。「どちらが正しいか。こちらだ!」という選択を経て、選ばれたものが正統で除かれたものが異端である。韓国の朴槿恵政権の苦悩はここにある。韓国は対日独立戦争をしていない。日本統治時代は自然に始まり自然に終わった。北朝鮮の金日成氏は負け戦だったが、日本軍警と東満州で一応戦っている。 国家の正統性は北朝鮮にある、と韓国の左翼政党や左翼教員組合は攻撃する。朴氏は自らの正当性を確保すべく、彼らを非合法として裁判に訴えた。同時に自分が異端でないことの証として反日を連呼する。慰安婦の像や碑を米国に建て続ける韓国系移民も同様だ。自分たちは国を捨てた異端ではないと故国に弁明しているのだ。 こういうのは日本人にとっては迷惑千万である。日本では正統とか異端とか区別しない。神道と仏教はみごとに習合し、今ではキリスト教式で結婚式をしたりする。江戸の儒者たちも寛容だった。 朱子学は南宋の朱子が作った儒教で、本来は排他性が強い。北方民族が攻めてきているし、朱子の住む中国南方では民衆は道教を拝み、仏教で葬式していた。それらはみな異端、儒教こそ正道だ、というのが朱子学の主張である。 朱子学が江戸時代に普及し、儒者の伊藤仁斎などはこれを消化しようと29歳で引きこもりになり、8年たって世に出て塾を開いた。出てきてもやはり日本人だった。弟子が「先生、人の道とは?」と問うと、「情けじゃ」と答えた。「天理とは?」と尋ねると、「おてんとうさまじゃ」と語った。正統コンプレックスの極み 儒教立国した李氏朝鮮は苛酷である。元々排他性の強い朱子学を厳格に実践、仏教を弾圧し仏像の首をはね寺を壊し茶園を枯らし、僧侶を山に追いやった。法事など禁止だ。儒教の祭祀(さいし)をさせ、3年の喪に服さない民を捕らえ棍棒(こんぼう)で打ちすえた。異端になれば酷(ひど)い目にあうと彼らは骨身にしみた。 だから韓国人は自らの歴史から学び続ける。「剣道も茶道もうちが正統で日本が亜流。孔子さまも韓国人、中国人ではない」。周りの国々が唖然(あぜん)とするウリナラ起源説をとうとうと述べる。これぞ正統性コンプレックスの極みだ。 中国はそもそも朱子学が合わなかったので、陽明学の方が広まった。王陽明先生に弟子が意見を聞く。「先生、私はぜひとも古代の音楽を復元したいと思います」。先生はおっしゃる。「うん、しなくていいよ。それは全部、君の心の中にあるのだ」。これが陽明学の「心即理」である。思っているものは実在する。防空識別圏も、中国人が思ったわけだから、実在することになりかねないのだ。 自己中心の彼らに怒りを浴びせたのが、後に清朝を建てた満州族のヌルハチだった。満州語では中国をニカン国、朝鮮をソルホ国と呼ぶ。ニカン国は「天下の主だ」と思い、ニカン人は毎年越境して略奪する。ソルホ国はわが国の国書の受け取りを拒否し侮蔑する。満州族のハーンは二代にわたり遠征して、両国を攻め滅ぼした。竜の衣はシナの皇帝にしか着られない。清朝ではこれをすべての役人に着せ、ニカン人を侮辱した。朝鮮の伝統「告げ口外交」 李氏朝鮮は、明国は滅んで野蛮人の清朝になってしまったのだから、明の正統性を継ぐのはわれわれだと解釈した。そこで「大明国の東の壁」と自称し、清朝から流れ込む文化を悉(ことごと)くはねつけた。 李氏朝鮮の国内では、両班たちが朱子学の正統性を争っていた。朱子学の解釈権を握り、科挙の試験官を自派で占める。合格者は官僚になって、学閥は権力を手に入れる。儒者の塾は棍棒で武装し、敵方の打ち壊しまでした。朝鮮史では、これを「党争」という。 三年喪や祖先祭祀など、朱子学の礼の実践ばかりした李氏朝鮮では、経世済民を考える暇がない。流浪の民が居ついた地方の知事が良い知事である。土地には所有権がなく、村には村界がなかった。町には民のための商店もない。 そこに、今度は近代化した日本がやって来た。南下するロシアに対する安全保障として朝鮮を統治し、開発する必要があった。手の施しようもない李朝の王は臣下たちに丸投げし、諸外国に日本のことを「告げ口」して回った。朴槿恵氏の「告げ口外交」のように、上位者に悪口を言いまくることを韓国語でイガンヂル(離間事)といい、離間が目的である。韓国人同士が毎日国内でやっている。 中国人も韓国人も世界史から学ばず、確かに自国史から学んでいる。彼らには「卑劣」ということが分からないのはそのためだ。関連記事■ 最新の脳科学[ダマシオ理論]で説く韓国・朝日の病理■ 豪州の慰安婦像はこうやって阻止した■ 秦郁彦×西岡力対談「朝日の誤報は日本の名誉毀損」

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    韓国で結びつくナショナリズムとテロリズム

    奪う傾向があるからだ。そして、ナショナリズムとテロリズムが結びつくと厄介なことになる。素直に言うが、韓国でナショナリズムとテロリズムが結びつき始めている。襲われた駐韓米大使 5日朝、韓国のソウルで、リッパート駐韓米大使が、「愛国者」を自称する男に斬りつけられるテロ事件が発生した。この事件について、産経新聞社の藤本欣也支局長はこう報じた。 <リッパート米大使襲撃事件を受けて、大統領府の金寛鎮(キム・グァンジン)国家安全保障室長が5日、国家安保会議を緊急開催、今後の対策と対応を協議した。李完九(イ・ワング)首相は関係当局に対し、米国など各国の大使館・施設の警備と要人の警護に万全を期すよう指示した。 聯合ニュースによると、「主要外交官に対する深刻な襲撃事件でテロ行為ともいえる」(検察関係者)との判断から、捜査指揮はソウル中央地検の公安1部が担当。キム・ギジョン容疑者の犯行動機のほか、共犯者の有無など背後関係について捜査を進めている。 キム容疑者は2010年、日本大使にコンクリート片を投げつけた前科があるにもかかわらず、今回、米国大使に近づくことができた。 捜査当局の発表によると、キム容疑者は政治団体代表としてこの日の朝食会が開かれるとの案内を受けていたほか、米国大使館から警備要請がなかったとしている。だが、ただでさえ米韓関係がぎくしゃくする中、米要人への襲撃を防げなかったのは韓国当局の失態であり、責任問題に発展するのは避けられない>(3月5日「産経ニュース」)リッパート駐韓米国大使が出席した会合の主催団体が入るビルの前で、抗議集会をする保守団体メンバー=3月5日、ソウル(共同) キム容疑者は、要人テロを行う可能性がある要注意人物だ。韓国の警察力は強い。このような要注意人物を24時間、完全監視下に置いて事件の発生を防ぐことは、韓国警察の能力にかんがみれば、可能である。しかし、韓国はそれをしなかった。外交官、とりわけ特命全権大使は国家を人格的に体現する。駐米大使に対するテロ防止について、韓国当局の対応に不作為があったことは間違いない。 ただし、今回の事件は、精神に変調を来した人による突発的な事件ではないと思う。韓国では最近、反米機運が急速に高まっている。そのきっかけになったのが、2月27日のシャーマン米国務次官(政治担当)の発言だ。<シャーマン氏は特定の国を名指しせずに「国家主義的な感情が依然、利用されている」とし、政治指導者がかつての敵を中傷することで国民の歓心を買うことがないように求めた>(2月28日「産経ニュース」)。この発言は、日中韓3国の指導者に対して向けられているにもかかわらず、韓国の政府もマスメディアも、シャーマン次官が日本寄りの立場から韓国を批判したと曲解し激高した。このような、事実を事実として客観的に認識できない韓国の政治的空気が、リッパート大使に対するテロ事件が発生する背景にあったのだと思う。 韓国では、ナショナリズムがテロリズムと結びつき始めている。産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が、朴槿惠大統領に対する名誉毀損(きそん)容疑で在宅起訴され、いまだに韓国からの出国を認められない状態もソフト・テロリズムだ。このようなテロリズムを許す空気が韓国人の集合的無意識を支配している。無意識のうちにある集団がとっている行動を変化させるのは至難の業だ。韓国のナショナリズムが危険水域に入っていることを、われわれは冷静に認識しなくてはならない。関連記事■ 韓国の論理「日本にある物はすべて略奪された」 ■ あの日を境に変わった私のメディア認識■ ケント・ギルバートが説く 日本がサンドバッグから脱するとき

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    存在しなかった反米感情 中国の台頭で揺らぐ韓国の米国観

    んだ。演習を「北朝鮮侵略のためのもの」と決めつけて反発する北朝鮮の主張に通じるものであることもあり、韓国政府と与党は事件翌日には「(北朝鮮に追従する)従北勢力が起こした事件」だと断定。捜査当局は、国家保安法の適用を念頭に置いた捜査を進めている。かつて、韓国には反米感情などなかった 金容疑者が「従北勢力」かどうかは、今後の捜査などを見ないと分からない。ただ、「反米的な傾向を持つ民族主義者」だとは言ってもいいのだろう。ところで、韓国における「反米」というのは、実は、それほど長い歴史があるわけではない。極端な言い方をすれば、かつての韓国には反米感情というものが存在しなかったのだ。 在韓米軍兵士による凶悪事件や交通事故は昔もあったけれど、韓国では、それが大きな問題となることはなかった。朝鮮戦争(1950~53年)で北朝鮮軍に攻め込まれ、全土が戦場となった記憶が強く残っていた時代の韓国では、韓国防衛のために3万7000人の戦死者を出した米国を「命の恩人」とする意識が強かった。現在でも、当時を知る高齢者や保守派の人々は、日本の植民地支配から韓国を解放し、朝鮮戦争で韓国を守ってくれたという「感謝の念」を米国に対して抱いている。 韓国のキャリア官僚の研修機関である国防大学校の2001年優秀論文集に「反米感情が国家安保に与える影響」という論文が収録されている。この論文によると、朝鮮戦争から10年余り後の1965年に駐韓米国公報院がソウルで行った世論調査では、68%の人が「一番好きな国」に米国を挙げた。「米国が嫌い」という回答は1%だけだった。こうした傾向は1980年代初めまで続き、韓国紙・東亜日報による1981年の世論調査でも、米国を「好き」が69%であり、「嫌い」は3.3%に過ぎなかった。光州事件を契機に、米国への懐疑心が台頭 親米一辺倒だった韓国社会の空気が変わる契機は、1980年の光州事件だった。 18年間に渡って独裁を続けた朴正煕大統領が1979年10月、側近によって射殺されたことで、韓国政治は激動期を迎えた。独裁体制が終わったことで民主化を要求する声が高まり、「ソウルの春」と言われる自由な時期が訪れたのだ。一方で、危機感を抱いた新軍部と呼ばれる全斗煥将軍(後の大統領)らのグループは同年12月に「粛軍クーデター」を起こして軍内の実権を掌握し、その後、戒厳令を全国に敷いて民主化要求デモを抑えようとした。 その過程で起きたのが、野党の有力指導者である金大中氏(後の大統領)の強固な地盤である光州を舞台にした光州事件だった。光州では1980年5月、新軍部による金大中氏逮捕などに反発する大規模なデモが連日のように行われ、新軍部は特殊部隊を投入して武力で鎮圧した。犠牲になった市民の数は少なくとも200人、家族が行方不明になったと申告した人も300人を超えた。 韓国軍の指揮権は当時、在韓米軍が握っていた。民主化を要求する学生や知識人の間には、韓国軍による武力鎮圧を米国が承認したか、少なくとも黙認したという疑念が生まれた。「親米」のねじれた「反米」「親米」のねじれた「反米」 そして、同年12月に光州のアメリカ文化院への放火事件が起き、82年3月には釜山のアメリカ文化院が放火された。85年5月には、ソウルのアメリカ文化院に大学生73人が乱入し、立てこもる事件が起きた。 ただ当時の「反米」はまだ、ストレートな反米感情とは言えなかった。当時、ソウル大で学生運動のリーダーを務め、投獄された経験を持つ男性は、一連の事件は「反米運動ではなかった。むしろ心情的には親米とも言えるものだった」と話す。 人権や民主主義のチャンピオンであるはずの米国が新軍部や全斗煥政権を支持するのは道理に合わない。だから、「軍事独裁政権を支持しないでほしい。本来あるべき米国の姿に戻ってほしい」と訴えかけようとしたのだという。 この男性の後輩で、ソウルの文化院襲撃事件に関与したとして投獄された金民錫氏(元国会議員)も、「米国を信頼していたのに、米国を友邦だと信じていたのに、米国は民主主義を保護しなければいけないのではないのか、という思いがあった」と振り返った。米国を特別視する「もう一つの背景」 前述の論文「反米感情が国家安保に与える影響」は、日本の植民地支配からの解放者であり、朝鮮戦争で韓国を救ってくれた米国は、韓国人にとって特別な国だったとしたうえで、「米国を特別な国として認識するようになったもう一つの背景」に言及している。 筆者が挙げた背景とは「韓国の伝統的な対外関係」である。その部分を引用してみよう。過去において、韓国と中国の間では、弟が兄に仕え、兄は弟の面倒を見る「兄弟」のような事大関係が主要な外交形態だった。韓国人たちは、このような役割を米国が代わりに引き受けることを期待したし、韓国が厳しい時は米国が助けてくれると考えた。そして(韓国が)権威主義政権の時は、民主化へと進むように米国が圧力をかけてくれることを期待した。ある意味では、韓国人たちの間に生まれている反米的な見方は、米国がこのような韓国人たちの期待を満たしてくれることが出来ない上に、経済的な圧力を加えることに対して残念がる感情が内包されていると見ることが出来る。 文中の「経済的圧力」は、米国による市場開放圧力や在韓米軍の駐留経費で「応分の負担」を求められるようになったことを指す。米国にすれば、経済成長を遂げた韓国には負担を求めることが可能になったというだけのことだが、論文は「韓国側は米国の態度を批判し、米国は韓国の態度に不満を持った」と指摘する。 事大主義は、中国を宗主国とした朝鮮時代までの伝統を背景にしたものだ。論文の指摘は、80年代に「反米」とされた学生運動に身を投じた人々の証言と見事なまでに重なってくる。こうした感情が、米国に対する不満を韓国社会に広めたと言えるだろう。冷戦終結を経て「反米」変質か 1980年の光州事件を契機に「反米」の芽が出てきたとは言え、冷戦下の韓国の置かれた国際環境は厳しかった。当時の韓国は、冷戦の最前線に置かれていたから、自由主義陣営の盟主である米国にたてつくことなど不可能だった。経済的にも、まだまだ開発途上国の優等生というレベルであり、日米両国との関係に全面的に依存していたからだ。 そうした環境は、冷戦終結を機に一変する。韓国は90年に旧ソ連、92年には中国との国交樹立に踏み切った。韓国では、朝鮮半島を取り巻く日米中露を「4強」と呼ぶ。冷戦が終わったことで、韓国はやっと4強すべてと国交を結ぶことができたのだ。逆に言うと、それまでの40年余りに渡り、韓国外交にとっての「すべて」とも言えた日米両国の比重は相対的に下がることとなった。 90年代に入ると、韓国経済もいよいよ先進国水準に近づいてきた。韓国は96年、「先進国クラブ」とも言われた経済協力開発機構(OECD)への加盟を果たす。97年末に通貨危機を経験するが、大胆な構造改革を受け入れることで経済のV字回復に成功。2002年には、日本と共催したサッカー・ワールドカップ(W杯)で韓国代表が4強入りする奇跡的な成績を上げたことなどもあって、韓国はどんどん自信を深めていった。 こうした社会状況の変化を背景に、韓国では1990年代以降、在韓米軍兵士による凶悪犯罪に社会的非難が集まるようになった。2002年には、在韓米軍の装甲車が女子中学生2人をはねて死亡させた事故で、運転していた米兵らが軍事法廷で無罪になったことを契機に反米感情が爆発し、ソウルなど各地で数十万人がロウソクを手に集まる抗議集会が開かれた。同年末の大統領選と時期が重なったこともあり、「反米的」と見られていた盧武鉉氏が当選する強い追い風となった。 盧氏は選挙期間中、反米集会を直接支援するようなことは避けていた。ただ、盧氏はもともと「米国と水平(対等)な関係を作る」と主張していた。その盧氏を当選させた時代の空気は、1980年代の反米にあった「米国に対するあこがれ」とは異質のものだったと言えるだろう。中国の台頭で揺らぐ、韓国の米国観中国の台頭で揺らぐ、韓国の米国観 韓国人の米国観は2010年を前後した時期から、再び変わり始めたように思われる。契機は、中国の台頭である。 韓国の民間シンクタンクである峨山政策研究院が2014年3月に行った世論調査を見てみよう。この調査では、政治と経済それぞれについて「いま最も影響力のある国」と「今後、最も影響力を持つ国」を聞いている。 「いま最も影響力のある国」では、米国が政治で81.8%、経済で64.7%。中国がそれぞれ、5.2%と25.2%だった。これが「今後」になると、政治は、米国が44.8%、中国が39.3%となり、統計的には誤差の範囲内。経済は、中国が66.7%、米国が22%と完全に逆転した。調査報告書は「多くの韓国人が今もなお米国に高い支持と信頼を寄せているが、中国がこれから進む方向によって韓国人の心が中国の側に傾く余地もなくはないように見える」と評価した。 米国のオバマ大統領は同年4月に訪韓した際、韓国紙・中央日報との書面インタビューで、「地理的条件と歴史を考慮すれば、韓国と中国が経済協力を増やしていくことは、おかしなことではない」という考えを示した上で、「ただし、韓国の安全保障と繁栄を守ることができる基盤は米国だ」とくぎを刺したうえ、「米国は世界で唯一の超大国だ」と強調した。 中国の台頭を受けて、米中両国をてんびんにかけるかのような議論が出始めた韓国への強い警告だった。同紙のワシントン総局長は、「オバマの直接的警告」と題したコラムで、中国に接近しすぎる韓国への不満が米国に強まっていることが背景にあると指摘した。ミサイル防衛で試される米韓同盟 今年2月4日、ソウルの韓国国防省で開かれた中韓国防相会談で、中国の常万全国防相が事前調整になかった話を始めた。在韓米軍への終末高高度防衛(THAAD)ミサイル配備に「憂慮」を表明したのだ。 THAADは、在韓米軍基地への配備が検討されているミサイル防衛(MD)システムだ。北朝鮮の脅威に対応するためのものだが、THAADに付随するXバンドレーダーは探知距離が1000キロ以上あるため、韓国に配備されると中国内陸部のミサイル基地まで常時監視することが可能になる。そのため中国は、実際には「中国封じ込め」の一環だと反発しているのだ。 韓国の韓民求国防相はこの時、「米国は配備を決めていないし、米国からの要請もなく、協議もしていない」と釈明に追われた。青瓦台(大統領府)もその後、同じ立場を表明した。 だが、中国の圧迫は止まらない。3月16日に韓国外務省で李京秀次官補と協議した中国の劉建超外務次官補は協議後、韓国人記者団にTHAAD問題を話し合ったと披瀝し、「中国の関心と憂慮を重視してもらえればありがたい」と述べた。中国の高官は普段なら記者の質問など無視して通り過ぎるだけに、韓国世論を圧迫しようとしていることは明白だった。 一方で米国も、在韓米軍司令部が12日、「THAAD部隊の韓国配備に対する最終決定は、なされていない」と断りつつも、「今後ありうる配備に備えて適切な場所を探すための非公式調査を行った」と表明。17日には訪韓したラッセル国務次官補が、記者団に「まだ配備されていない安保システムについて第三国が声を強めるのは奇妙なことだ」と語り、中国を牽制した。 韓国のベテラン政治記者は「安全保障の問題なのだから、毅然とした態度を取るべきだ」と煮え切らない自国政府の姿勢にいらだちを見せながら、「中国はこの問題で、韓国の政策決定に影響力を行使する前例を作ろうとしているのではないか」という警戒心を示す。 ただ、中国との関係を重視する進歩派の野党陣営からは「韓国の対外基本戦略は米中間に衝突をもたらさないようにすることだ」として、THAAD配備に慎重な声が強い。 19日に発表された民間調査機関・リアルメーターの世論調査では、THAAD配備に「賛成」が42.1%、「反対」が27.2%だった。この調査で注目されるのは、自らを「保守派」と答えた人は、賛成62.9%、反対12.3%と賛成が圧倒的だった半面、「進歩派」と答えた人は、賛成24.2%、反対51.6%と反対が圧倒的だったことだ。 米韓同盟重視の保守派と中国重視の進歩派の意見対立という構図だといえる。韓国では結局、台頭する中国とどう向き合っていくのかということが対米観にも大きな影響を与える時代になってきたと言えそうだ。さわだ・かつみ 1967年埼玉県生まれ。慶応義塾大法学部卒、91年毎日新聞入社。99~04年ソウル、05~09年ジュネーブに勤務し、11年から再びソウルで勤務している。著書に『「脱日」する韓国』(06年、ユビキタスタジオ)、『LIVE講義 北朝鮮入門』(10年、東洋経済新報社、共著)、訳書に『天国の国境を越える』(13年、東洋経済新報社)。毎日新聞サイト内に主な記事などを集めた個人ページ「アンニョン!@ソウル」がある。関連記事■ 日本がサンドバッグから脱するとき■ 「重く受け止めて」ないじゃないか! 驚愕の朝日・慰安婦社説■ 豪州の慰安婦像はこうやって阻止した

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    警察沙汰だらけの韓国財閥一族の悪行

    韓航空前副社長のチョ・ヒョナ氏(40才)による“ナッツリターン騒動”が世間を賑わせているが、そもそも韓国ではヒョナ氏のような財閥一族の非常識行動が問題となっている。 たとえば、韓国ドラマを見ると、劇中には必ずと言っていいほど財閥の人間が出てくる。身分違いを超えた男女のシンデレラストーリーが定番なのだが、財閥御曹司も令嬢も、えてして横柄でわがままだ。「韓国では、財閥一族の悪行が社会問題化しており、国民感情として、そもそも彼らへの反感が根強いんです。だからこそ財閥の人間を悪役として登場させている部分があります。韓国ドラマは、現実世界の映し鏡というわけです」(韓国のテレビ関係者) 実際、今回のナッツリターン事件以外にも、財閥一族の起こしたトンデモ事件はたくさんある。 例えば、総資産30兆円、総従業員40万人という韓国最大の財閥である「サムスングループ」では、2005年にこんな騒動を起こしている。 「2代目会長のイ・ゴンヒ氏(72才)が、バカンスでフランスにある世界最大級のスキー場『クーシュベルスキー場』を訪れたんですが、彼は、“他の客がいるのは嫌だ”と、6万ユーロ(約800万円)を払って貸し切ってしまったんです。フランス国内でも“前代未聞”と報じられ、大顰蹙を買いました」(韓国の全国紙記者) このゴンヒ氏の息子で、現サムスン副会長のイ・ジェヨン氏(46才)もまた、トラブルメーカーだ。2013年、長男を名門中学に裏口入学させ、それが発覚して大問題になったのだ。「息子の点数を不正に水増しさせるという悪質さで、結局、この長男は自主退学に追い込まれました」(前出・韓国の全国紙記者) 一方、サムスンのライバル「LGグループ」は、2012年、高卒で、財閥一族でもないチョ・ソンジン氏(58才)を家電部門の社長に抜擢し、「韓国財閥社会に風穴を開けた」と賞賛された。 もっとも、そんなソンジン氏も、2014年9月にドイツで開かれた家電見本市で、サムスン製の洗濯機を故意に破壊した容疑で検察に告発されるという、期待を見事に裏切る残念ぶりを見せているのだが…。 韓国3位の財閥である自動車会社「ヒュンダイグループ」では、これまでに創業者の孫が3人も大麻で逮捕されており、深刻な薬物汚染が浮かび上がる。 日本人にもなじみ深い「ロッテグループ」も酷い。「1994年、当時の副会長の長男・シン・ドンハク氏が、ドライブ中、割り込んだ軽自動車の運転手に腹を立て、“軽のくせに生意気だ”と因縁をつけて車から引きずりおろし、暴行して逮捕されています。彼は1997年にも大麻で逮捕されていて、典型的なドラ息子です」(在韓ジャーナリスト) ドンハク氏は2000年にも飲酒運転で取り締まりを受けており、その遵法精神の乏しさには呆れるばかりである。 金融最大手の「ハンファグループ」は、会長の起こした事件がドラマにもなるという伝説をお持ちだ。「2代目会長のキム・スンヨン氏(62才)は、次男がナイトクラブで従業員に殴られたことに激怒し、報復のために暴力団を雇って店を襲撃したんです。彼は懲役1年6か月執行猶予3年という判決を受けましたが、政府から不可解な特赦があり、何事もなかったかのように会長職に復帰しました。この事件が元になり、JYJのジェジュンが出演したドラマ『ボスを守れ』が作られたのです」(前出・韓国のテレビ関係者) この2代目会長の次男の素行不良は筋金入りで、2011年にはひき逃げで逮捕され、2013年には大麻で逮捕と、警察沙汰のオンパレードである。関連記事■ イベントに1万人超の超新星とストリートライブ出身CNBLUE■ 韓国の財閥 国内は市場ではないと認識し国民の貧乏を歓迎■ ギャラクシー・ショック サムスン業績不振で韓国経済ピンチ■ 覚えておいたほうがいい韓流アーティスト ZE:A、FTIslandなど■ 韓国にも半沢直樹が上陸 競争社会の憂さ晴らしにもってこい

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    異常国家、異常社会の実体を晒しつつある韓国

    森 清勇(軍事ジャーナリスト、作家) (JBpressより転載) 韓国で朴槿恵(パク・クネ)大統領の支持率が30%まで低下した。年頭記者会見では、日本側に姿勢の変化を求めながら、自からは変わろうとしない態度に終始した。 また、大統領批判を封じるかのように名誉棄損の告発などを連発し、他方で経済の低迷化も危惧され始めた。国民の期待に添えない結果の支持率低下であろう。 言論の自由が制約され、嘘と偽りが横行し、贈収賄が日常的と言われる韓国では、国民の40%以上が海外移住希望という、自由主義国家では稀有で異常な社会である。 しかし、日本は韓国と断絶するわけにはいかない。そのために、韓国社会の現実を知り、かの国との付き合い方を考えることが不可欠である。権力に蝟集する縁故社会 韓国では権力に群がる横暴が目に余る。歴代大統領もその悪弊から逃れ得ず、ある者は亡命し、ある者は刑務所に入り、ある者は自殺するなど惨めな余生を送っている。 また女性蔑視の社会で、朴氏は権力の最高位に就いた。高支持率を千載一遇のチャンスとみて、李朝時代の残滓を排除する社会改革の着手を提言した(「日本の安全と北東アジアの平和のための論考 朴大統領は、社会改革で韓国の救世主となれ」)。 セウォル号事故が発生した直後には、事故の誘因に共通点が見られるとして、再度社会改革の必要性を喚起した(「セウォル号事件を引き起こした韓国社会の病巣 反日で日本を拒絶するより、社会改革に生かすことが先決」)。 韓国は儒教社会で、孝の意識が強い。 その中では「(儒教の)孝がもたらす一族至上の勢道政治」や「諸々の自由の制限」についても触れた。勢道政治とは権力を私し、自身や一族の蓄財、身内の優遇、さらには出身地域を繁栄させることに注力するなどである。 韓国人の大統領批判などに対しても大統領府は頻繁に告訴している。主要国の首脳や国際機関、ならびに世界のメディアから「言論の自由封殺」として非難されているが馬耳東風である。期待する特異性の発揮どころか、同じ穴のムジナになりつつある。 自由民主主義の国でありながら、李氏朝鮮時代の伝統なのか、社会因習に阻害されて権力の正当な行使さえできそうにない。国民は敏感に察知し、就任3年を残して支持率は30%台に急落してしまった。財界も驕りと犯罪・汚辱まみれ JBpress「SKオーナー30億円、サムスンCEOは7億円 韓国で初めての経営者報酬公開で分かったことは?」によると、現代自動車会長約14億円、韓火会長約13億円、CJ会長約5億円、ロッテ会長約4.5億円などとなっている。 韓国経済界を牽引していると言われるサムスン・グループでは非公開の会長や長男のサムスン電子副会長を除いても、4億円以上の役員が何人も列挙されている。 日産自動車のゴーン社長の平成25年度報酬が9億9500万円で多すぎるのではないかと話題になったが、海外メーカーの役員報酬と比べると適正な水準ということに落ち着いた。 ちなみに、トヨタ自動車社長は2億3000万円、ホンダ社長は1億5000万円であった。また日産社長以外の役員7人の報酬は合計6億5900万円である(「産経新聞」平成26.6.25付)。 韓国では財閥上位10社がGDP(国内総生産)の70%を生むといわれる。韓国財閥の飛び抜けた報酬が、かつての両班同様に国民を虫けら同然に思わせるのではなかろうか。 大韓航空の副社長がナッツの出し方が悪いと客室乗務員を叱責し、滑走路に向かっている機を引き返させて客室責任者を降ろす暴挙に出たうえに、嘘の証言まで強要した事件が「ナッツ・リターン」として裁判になっているが、珍しい事案ではなさそうだ。 「週刊新潮」(2014.12.25号)には財閥企業創業者の2世、3世が起こしたスキャンダルが数多く列記されている。 大韓航空に関しても、件の副社長の弟(現在は副社長)は2005年、自身が高級車で割り込みトラブルを起こす。 その行為を叱責するため被害車の後部座席から孫を抱いて出てきた老女の胸を掴んで車道に押し倒し、後頭部打撲で入院させる乱暴を引き起こしている。 その5年前には、車線規制違反で警察官の取り締まりを受けそうになり、警察官をひき逃げし公務執行妨害で立件収監されるが、間もなくして解放されている。 会長夫人も、今回の娘同様に立場を濫用して空港で会社の職員を面罵し、周囲の顰蹙を買ったとされる。真実が喋れない国 以上は倫理観や躾の問題でもあり、家庭、学校、社会という各段階での教育に大いに関係している。 呉善花(オソンファ)は、韓国は「世界有数の嘘つき大国」(『虚言と虚飾の国・韓国』)という。同書中のある知識人は「ウソの上手な国民を作るのが、国家の競争力を高める道だと勘違いしているようだ」と皮肉り、次の話を続けている。 小学校3年生が先生にチェックを受ける「よくできた」日記帳と、「真実」の自分用日記帳の2つを持っており、嘘でもいいから表はきれいに飾りなさいという「外貌重視」の社会教育をしていると述べる。 嘘を教え込まれた韓国の大衆(実は官憲?)は、正確なデータに基づく(韓国)知識人の言動も信じないで、逆に排斥しようとする。呉氏はその最たる者が「反日韓国に未来はない」など、歯に衣着せぬ発言をし、また書き続けて入国拒否されてきた自分だと語る。 2004年に「慰安婦強制連行」を否定した李栄薫(イヨンフン)ソウル大教授は、罵声を浴びせる慰安婦の前で土下座して謝っている。 同じく安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授は大高未貴氏のインタビューで「慰安婦の証言は全然ダメ」と語りながら、後日、そんなことは言っていないと前言を翻している。 最新では、慰安婦問題で「偏った両極端の対立はもうやめるべきだ」という考えから、『帝国の慰安婦』を上梓した世宗大教授朴裕河(パクユハ)がいる。 教授は慰安婦を帝国時代の(日本だけでなく世界中の)問題として、もっと広く考える必要があると提言するが、「日本」から目をそらすことになるとして、慰安婦たちから名誉棄損の批判を受け、損害賠償を求められている。 「いまの韓国はおかしい」という声を上げてきた著名な韓国人19人にSAPIO誌が取材を申し込んだところ、作家の柳舜夏(ユスンハ)および金完燮(キムワンソプ)、元大佐池萬元(チマンウォン)、大学教授の崔吉城(チェキルソン)および呉善花、そしてブロガーのシンシアリー6人だけが応じている。 残りの13人は、「喋ったら生きていけない」と断ったそうである。安秉直教授の翻意も「生きてはいけない」恐怖からであろう。平然と成りすます お菓子や清涼飲料水などの嗜好品、自動車や玩具などのデザイン、ドラマやポップミュージックなどの娯楽、キャラクターの意匠登録、漫画やゲームソフトのコンテンツなどが剽窃され、もともと日本生まれが「韓国生まれ」として満ち満ちていると呉氏はいう。 モノだけでなく、日本の領土である竹島も勝手に韓国領と言い張り、出店希望の家具販売店イケアには日本海を「東海」にしないと許可しないと脅迫する。 グアム島にJTBなどの日本企業が支援して、1991年、防犯と地域交流を目的に「交番」が建設され、「POLICE」という文字が正面左側に掲示され、右側は空白であった。その空白部にハングル文字で「トウモン警察署」と掲示したのが近年見つかった。 在留邦人らが副知事に撤去を求めると、韓国系米国人秘書が「日本企業が寄付すれば、もっと大きな文字を表示できる」との返事が来たという。 「交番3か所と数台のパトカーは日本企業が寄贈したものだ」と訴えて撤去されることになったそうであるが、韓国人や韓国系米国人の動きは面妖で油断ならない。 類似の悪質事案がフィリッピンでも起きていた。 1997年、フィリッピン・レイテ島のパロ市に日本政府の支援で小学校が建設された。「日比協力」の印として校舎の側面に両国旗を挟んで、比国旗「比国-(協力)-日本」日章旗のように日比協力の文字があった。 ところが、2014年6月下旬、台風の復旧支援を行った韓国軍が学校の屋根や窓を修理した後で、「日本」と「日章旗」を消去して比国旗「比国-(協力)-韓国」太極旗のように比韓協力に書き換えたのである。 別の箇所に遠慮気味に書くならばともかく、日本と日章旗を消して上書きするところに韓国(人)の悪意が伺われる。開いた口が塞がらないとはこのことだろう。言いがかりで聞く耳を持たない ジョージ・アキタは『「日本の朝鮮統治」を検証する』で、韓国人あるいは韓国系米国人研究者や歴史家などの成果も引用しながら、国際社会的に見て日本ほどいい政治をやった国はない。諸外国がやった植民地経営とは全く異なり、国内と同様に差別なく行っていたと評価している。 しかし、先述のように、学校では日本がいいことをやるはずがないと教え込まれ、正しい歴史観の披瀝は言論弾圧や物理的暴力などで押さえつけ、聞く耳を持たない。 従って、日本(人)がやったいいことは、ほとんど韓国(人)がやったように書き換えている。要するに日本は悪いことばかりやってきたと烙印を押そうという悪意ばかりが目立つ。 台湾統治も参考にしながら、実際は韓国の文化や国民性などに寄り添った統治を行っている。ただ、それ以上に華夷秩序にどっぷり浸かった李朝が残した国民性の影響が大きく、成りすましなどが平気で行われるのであろう。国交正常化時の請求権について、法律論的には朝鮮は大日本帝国の一員であったので請求権の権利は発生しないという見解や、双方に請求権があるとする見解などがあった。 双方に請求権があるとみた場合、日本からの援助が差引プラスになるとみられた。それ以上に、李朝の残滓を改革した功績は金子で計量できないほど大きかったともみられるが、相手は改悪としか見ないので交渉のテーブルにさえ上げえなかった。 李承晩初代大統領は4億ドルで決着すれば大成功とみていたとされ、当時の野党は27億ドルを主張し、朴正煕大統領時代に8億ドル(韓国GDPの2割相当)を日本が供与することで決着した。これが「漢江の奇跡」をもたらしたが、もちろん相手は認めようとしない。おわりに 韓国は国家ぐるみで、日本痕跡の排除と日本騙しを続けていると言える。総督府の建物は併合時代の残滓として破壊した。ならば形而上でさらに大きな影響を与えたであろう京城帝国大学(現ソウル大学)の破壊こそが韓国人がやるべき第一ではなかったのか。 平昌冬季五輪の日韓共催論が一時出てきた。会場整備の遅れや大会組織委員会が財政難で苦慮していることなどを危惧した国際オリンピック委員会が、複数国での「共催」を容認した結果である。 善意が悪意に変換される韓国であり、河野談話の二の舞を演じてはならない。支援の手を差し伸べるのにやぶさかであってはならないが、大統領の言行さえ平気で反故にする韓国である。 日韓は地勢学的位置関係から、お互いを必要とする関係にある。善意などという情緒ではなく、韓国の政治・社会の現実に立脚した対処こそが前進のカギである。関連記事■ 行き詰まる朴政権の反日外交■ 太政官指令「竹島外一島」の解釈手順■ 何でもあり 幻想の世界に生きている韓国国民

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    ナッツリターン問題に潜む韓国文化の深い闇

    いかえれば、他の状況証拠を集めれば、これと全く反対の結論も出せることをお断りしておきたい。で、今回は韓国文化にネガティブな立ち位置で展開することにする(もちろん、立ち位置を変えればポジティブにやることも可能)。状況証拠として次の6つをあげておく。1.韓国社会が一部の財閥によって支配されていること、2.超学歴社会であること.、3.大韓航空が先進国の航空会社にしてはやたらと飛行機事故が多いこと(世界第六位)、4.世間的なバッシングが多いこと、5.自殺率が世界でトップレベル(2位、1位は北朝鮮)であること、6.インターネットが最も普及していること。で、これらが絡むとナッツリターンは大事件になっていく……。一族経営と超学歴社会が生む社会の構造化 先ず、大韓航空サイドの話から入ってみよう。この事件で気になったこと、それは副社長(もはや前なので以下「前副社長」)が、なぜこんなにゴーマンかますことができるのか、ということだ。まあ、それは一企業の首脳部ゆえ、やれないこともないが、度を過ぎている。この原因として考えられるのが1の財閥による支配だ。世界で活躍する韓国大企業の多くが一族経営と言ってもよいほど、一部の人間によって支配されている。趙顕娥前副社長にしても韓進グループ会長の娘。つまり能力のあるなしにかかわらず副社長になり、そしていずれは社長の椅子に座ることが約束されている状態。で、完全に上層階層の人間として育てられてきたので、上から目線しか出来ない。それが結果としてナッツリターン的な行為を平気でやってしまうことになる。そして、これに2の超学歴社会が絡む。韓国で一流企業入社するための必須条件は前述の名門一族がらみだけではない。あたりまえだが、これだとあまりに人数が少なすぎる。そこでSamsung、HYUNDAI、大韓航空などの一流企業に入り込む可能性が庶民にも残されている。それが学歴によるスクリーニングだ。早い話がソウル大学か延世大学あたりに入学することが、これら企業への登竜門となっている。いいかえれば受験戦争に敗北した者には、もはや一流企業への道は開かれていない(これは日本の学歴社会の比ではない)。こうなると一族がタカビーになるのみならず、当然、これらに入社した庶民もまたタカビーということになる。だが、それが結果として3の大韓航空が問題を起こす温床となっている可能性がある。つまり、これら既得権を獲得した人間が保身に回ることで組織が構造化、官僚化し、フレキシビリティを失っているので合理化が進まない。それが結果として事故を多発させる?到達可能性という幻想が巻き起こす嫉妬 次に、このほとんど~でもいいタカビーな副社長のナッツリターン事件について、なんでこんなに大騒ぎするのかについて考えてみる。これは副社長に対するバッシングの原因についての考察だ。 1.財閥支配、2.超学歴社会という構造は、韓国国内には必然的にこの二つの条件をクリアしていない大多数が存在することを意味する。2は唯一の階層打破のブレークスルーだが、限りなく狭き門でもあり、現実的には「階層」ならぬ「階級」社会が成立していると言ってもよい。ただし、あくまでも階層社会であることはタテマエ、だから可能性としてはここに入れるという希望を持たせることは出来る。しかし実質的には不可能。こういった「到達する可能性があるのに、とどかない」という場合には、当然ながら心理学で言うところの認知的不協和とか合理化といった行動を人々は採ることになる。つまり「あのブドウはすっぱい」。とれるはずの物が取れない。でもその状況を容認することは出来ない。だったらこの認知のゆがみを正す方法は一つ。取れないものを誹謗中傷し、否定すればよいのだ。これは一般的には嫉妬というかたちで現れる。(ちなみに絶対的に到達不可能な場合には、こういった希望=欲望が出現することはない。クラスで成績の良いやつがまたイイ成績をとっても気になることはないが、普段は自分と同じくらいの並の成績しかとらない仲間が良い点を取ると気持ちが落ち着かなくなるという嫉妬の現象は、ようするにこの「到達可能性の有無」の違いで生じる。前者は不可能、後者は可能。だから嫉妬が起こる)。「すっぱいブドウ」と認定された趙顕娥前副社長 趙顕娥前副社長は格好の「すっぱいブドウ」とされた。 韓国は、ただでさえ4.世間のしがらみやバッシングの多い国だ。それが結果として5.自殺率の高さにあらわれている。たとえば、最近ではこの二つ(4+5)の合併症的な事件がセウォル号事件で発生した。この事件では修学旅行で乗船していた高校生(壇園高校)の犠牲者が多数出たが、その中で救助された引率の教頭がいた。この教員が生き残ったことに激しいバッシングが起こり、それを苦にして当該教員が自殺してしまったのだ(ただし韓国マスメディアはこの教員の自殺を美談として展開するというマッチポンプ的な報道を展開していた)。で、こういった世間のしがらみは関係性が合理化させるはずの6.インターネットの普及によってむしろ拍車がかかる。SNSなどでこの教員はバッシングされまくっていたらしいのだ。ちなみに、ここでは詳細な説明を避けるが、ネット(とりわけSNS)は人々の嫉妬にこれまで以上の拍車を駆ける機能を有している。本来なら顔が見渡せる範囲でのみ起こる瞬間的な集団の感情爆発である群集行動が、ネットを介することでお互いの顔が見えなくても一気に起こってしまうのだ(いうまでもなく炎上や荒しといった集団的なフレイーミング現象がそれ。ただし一方的、つまりバッシングされる側が固定されているのだけれど)。 大韓航空副社長という、本来なら決して批判できない対象が、ゴーマンかましてナッツリターンという些細な(殺人事件等に比べればの話だが)を犯したとき、韓国大衆はこの事件に首っ引きになった。嫉妬をかき立てる対象が典型的な階層トップの人間であり、しかも悪役を見事に演じてくれたのだ。この合併症で前副社長は到達可能な人間へと引きずり下ろされた。そして、今こそ恨みを晴らすべき時とばかり、韓国大衆のルサンチマンが爆発する。で、これを大々的にメディアが援護射撃する(というか、むしろ構造は逆でメディアが取り上げ、大衆のルサンチマンが援護射撃するというメディアイベント状態になっている)。 そこからスペクタクルが展開され、検察による前副社長の取り調べにあたっては、ものすごい数の報道陣が駆けつけた。そして趙顕娥前副社長は謝罪すると同時に全ての職から退いた。これに煽られて司法もさらに前副社長の過去を暴き始める……。バッシングは六つの要素が重なり合ってスパイラル的に拡大していくのだ。 ちなみに、韓国は歴代の大統領が悲惨な末路を迎えることで有名だ。その多くが逮捕され、中には死刑判決を受けた者(全斗煥。その後恩赦)も。それ以外でも亡命(李承晩)、暗殺(朴正煕)、クーデターで辞任(崔圭夏)、自殺(盧武鉉)など。これらから逃れているのは金泳三、金大中、そして李明博だが、前者2人は家族が逮捕されている。これもまた同じ構造だろう。つまり、トップのゴーマンと大衆のルサンチマンがなせる業。彼らが引きずり下ろされるのは得てして大統領辞任後、つまり到達可能な存在になってからだ(ちなみに現大統領の朴槿恵は、ご存知のように朴正煕の娘)。 もし、この僕の議論が正しいとしたら、この構造、つまり一部のタカビーと上に上がれない大多数の嫉妬による有名人バッシング・スペクタクルはこれからも継続することになる。というか、むしろインターネット社会の進展によって拍車がかかることになる。日本バッシングも同じ構造? そして、この構造は日本にも向けられている。つまり韓国人にとって日本はタカビーな民族、そして到達可能な相手という認識がある。だからスポーツ競技でも日本が活躍する分野には盛んに進出するし、各種のバッシングを徹底的に行う。そうであるとするならば、韓国による日本バッシングはこれだけが突出した事態なのではなく、現在の韓国が抱えている国民性(つまり要素の1~5)がなせる様々な事態の部分集合として捉えた方がよいということになるだろう。日本も同じ構造を抱えつつある? そして、こういった嫉妬の構造、実は韓国に限ったことではない。わが国日本でも最近拍車がかかっていないだろうか。メディアで突出した特権的に立場にある人間がスキャンダルや事件に巻き込まれた瞬間、嫉妬が炸裂し徹底的なバッシングを開始する。今年一年を思い返しても小保方晴子、佐村河内守、野々村竜太郎、小渕優子、矢口真里、百田尚樹+家鋪さくら(やしきたかじん妻)。これらは一様に趙顕娥前副社長と同じような立場にあり、ちょっとしたスキャンダルがネット上で炎上して嫉妬を巻き起こした。で、最終的に叩くわけで、大衆の「上げて、下げて、私のカタルシス」=嫉妬の解消という構造はまったく同じなのだ。IKEA問題が暗示するここまでの議論の矛盾 スウェーデン家具のIKEAが12月にソウルに第一号店をオープンするにあたって、そのホームページと商品に掲載したマップに「Sea of Japan」、つまり日本海と記したことについての大バッシングが起こったことも記憶に新しい。これもまた同じ構造なのだが……ところが、である。オープン当日の映像を見てみるとびっくりすることがある。オープンを待ち焦がれていた若者たちが、さながらAppleストアでの新型iPhoneの発売イベントのように開店をカウントダウンし、喜色満面でハイタッチしながら店内に次々と入場する姿が映し出されたのだ。 この映像、ここまで僕が展開してきた韓国人のイメージとは正反対の姿だ。メディア的に展開されるような政治問題はさておき、IKEAというイケている新しい消費産業のはじまりを大歓迎している。さて、これどう理解すべきか。つまり、どちらが真の韓国大衆の姿なのか?……僕は後者の方を支持する。ただし、ご存知のようにメディアは徹底的にネガティブな映像、つまり韓国ダメという報道を流し続けている。今回は韓国に対してネガティブな議論展開になってしまったが、これが「メディアと政治によってイメージがコントロールされているだけ」という立ち位置になった瞬間、見方が変わって来ることは、念頭に置いておいた方がいいだろう。 最後に、しつこいようだが、これは「もしも6つの前提をネガティブ考えたら」という前提でしかないことをお断りしておく。僕はヘイトスピーチに荷担しているわけでも、韓国文化を擁護しているわけでもないので(まあ、勘違いして「よくぞ行ってくれた」とか、反対に「そんなこと言いながら、あんた嫌韓論者なんだろ?」なんて邪推する人がいるかもしれないが(笑))(ブログ「勝手にメディア社会論」より)関連記事■ 何でもあり 幻想の世界に生きている韓国国民■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 魔女より、ありのままの女性に脚光を

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    ナッツリターンに潜む韓国財閥の深い闇

    韓国を代表するエアライン、大韓航空の信用を失墜させたナッツリターン事件をめぐり、韓国財閥が揺れている。傲慢な経営体質、政治との癒着…。「ナッツ姫」とも揶揄された財閥令嬢の振る舞いからは、韓国財閥にはびこる宿痾も垣間見える。事件を機に明るみになった財閥国家に潜む深い闇とは。

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    韓国財閥の創業者一族はやりたい放題だ

    降ろした一件で、副社長を辞任した。この女性は、大韓航空も抱える韓進グループの趙亮鎬会長の長女。 私は韓国には200回以上仕事で行っているし、父親の趙さんもよく知っているが、娘を米国の大学に留学させるなどの教育は施したものの、肝心な人間教育がなっていなかったようだ。このパターンで思い出す経営者も数多い。 儒教文化が深く浸透している韓国では、恩師や年長者、社会的地位の高い人を敬う意識が高い。それを見ていた娘も、おやじさんと同じような感覚になって、「こいつを飛行機から降ろせ!」と、機長しかできない行為をしてしまったのだろう。機長が従わなければ、「彼もクビだ!」と叫んでいたに違いない。 航空機は公共の乗り物なのに、オーナー一族が自分の思い通りに動かせるように扱ったことも非難を浴びている。韓国では、財閥の創業者一族はやりたい放題で、絶対君主みたいなところがある。サムスンの李健煕会長のワンマンぶりを告発する元幹部の本が日本でも出ているが、子弟の振る舞いも含めて韓進よりもカラフルかもしれない。 今回の騒動をきっかけに、「そういえば、ウチの会社のオーナーのバカ息子も、横暴なことをやっているぞ」と他の財閥にも飛び火して、収拾のつかない状態になっている。韓国独特の世襲経営の弊害も批判されている。今回は「ナッツ・リターン」という愛嬌のある言葉も有名になったが、こうした実態が明るみに出ることはある意味、いいことだと思う。 一方、世界の航空業界に目を転じると、これまで長い間、低収益で悩んでいたのが、旅行需要の拡大と原油価格下落などを背景に最近は景気のいい話が多くなってきた。 国際航空運送協会(IATA)は10日、2015年の世界の航空業界の最終利益が計250億ドル(約3兆円)になるという予想を発表した。14年の見込みより26%も増え、過去最高になる。原油価格の下落を受け、燃料費の低下が見込まれるからだ。 今後、この燃料費の低下が航空運賃にも反映され、旅行需要も拡大する。IATAでは、15年の旅客数を14年見込みより7%伸びて35億人になると予想している。実は旅行者数はこの先、どんなことがあっても増えると思われる。 かつて「憧れのハワイ航路」と言っていた昭和20~30年代、日本はそれほど豊かではなかった。それでも、ハワイに行くとお土産にジョニーウォーカーを2~3本、必ず持ち帰ってきた。それが円高になり、どんどん海外に出かけるようになって、土産も増えてきた。 現在の中国人がまさにそういう状況だ。円安でタイやインドネシアの人たちも日本に来やすくなった。この年末年始も、海外からの訪日客が大幅に増加している。 全日空によると、12月19日から来年1月4日までの国際線の予約状況は日本発が1年前の6%増なのに対し、訪日客の利用が多い海外発は42%も増加しているという。日本の主要観光地ではホテルの予約ができないくらい混んできている。 旅行業は自動車を抜いて世界最大の産業になっている。この傾向はかなり世界的で、今後も続くはずだ。日本の受け入れ体制の整備、拡充が望まれる。 ■ビジネス・ブレークスルー(スカパー!557チャンネル)の番組「大前研一ライブ」から抜粋。関連記事■ 行き詰まる朴政権の反日外交■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 韓国の皆さんへ 嫌・嫌韓本のススメ

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    韓国の財閥3世に向けられる世間の冷たい視線

    前副社長(40)がナッツの出し方に激怒して離陸直前の自社機を引き返させた「ナッツ・リターン」事件で、韓国の財閥に対する関心が改めて高まっている。  日本でも数年前までは「オーナー主導だから意思決定が速い」などと良い面が評価されていたが、今回の事件では財閥オーナーの専横ぶりへの批判が多い。そうした変化の背景に日本での嫌韓感情の高まりがあるのは否定できないが、一方で、これを機に韓国の財閥というのは何かを考えてみるのも悪いことではないだろう。2014年12月17日、ソウル西部地検に出頭し、記者団に囲まれる大韓航空の趙顕娥前副社長(共同)財閥依存の韓国経済 韓国経済は、財閥に依存しているといわれる。韓国経済における財閥の存在感というのは、実際にはどの程度なのだろうか。 気をつけねばならないのは、「10大財閥の売上高合計が国内総生産(GDP)の7割以上」などという比較は不適切ということだ。GDPは、企業の売上高を積み上げたものではなく、国内で生み出された付加価値の合計だ。違うものさしを並べても、比較にはならない。 ただ、財閥の存在感が非常に大きいのは事実である。財閥情報専門のネットメディア「財閥(チェボル)ドットコム」<http://www.chaebul.com>の調査結果を見ると、それは一目瞭然だ。財閥ドットコムは、サムスンや現代自動車を含む10大財閥の売上高と当期純利益が、国税庁に法人税申告をした企業約52万社の中で占める比率を集計した。ちなみに、大韓航空を擁する韓進グループは、調査時点の資産規模で財閥序列9位に入っている。 財閥ドットコムによると、10大財閥の2013年の売上高合計が全体に占める比率は24.8%、当期純利益だと41.9%に達した。中でも、サムスンの主力企業であるサムスン電子の存在感は圧倒的だ。サムスン電子の2013年の当期純利益は、1社だけで全体の15.5%を占めた。韓国経済の中では財閥が圧倒的な存在感を持ち、その中でもサムスンが他を圧倒しているという構図だ。3世への世襲が進行 サムスンでは昨年5月、李健煕(イ・ゴニ)サムスン電子会長(73)が心筋梗塞で倒れて以降、李会長の長男である李在鎔(イ・ジェヨン)サムスン電子副会長(46)が事実上の経営トップとなる体制への移行が進んでいる。李健煕会長の父が1938年に韓国南東部・大邱でサムスン(三星)商会を設立しているから、李在鎔氏は3世経営者ということになる。 他の財閥でも2010年ごろから、創業者の孫世代がグループ会社の社長や副会長といった要職に就き始めた。韓国の財閥は、日本の敗戦によって植民地支配から解放された1945年前後の創業が多い。創業から70年ほど経って、3代目経営者の時代になってきているということだ。ナッツ・リターン事件の主人公である大韓航空の前副社長も、創業者の孫である。 解放前後の混乱や朝鮮戦争(1950~53年)という動乱期、戦後復興の中で、必需品である砂糖や小麦粉、セメントなどを扱う企業が成長した。その典型がサムスン商会であり、そうした企業が後に財閥の母体となっていった。朴正煕が「作った」財閥 朴槿恵(パク・クネ)大統領は2012年12月の大統領選で勝利した1週間後、日本の経団連に相当する「全国経済人連合会(全経連)」を訪問した。朴氏はこの時、韓国の大企業が成長できた裏には「多くの国民の支援と犠牲があり、国からの支援も多かった。だから、韓国の大企業は国民企業の性格が強い」と強調した。 朴氏の言葉の背景には、韓国特有の事情がある。韓国の財閥は、朴氏の父である故朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が作り、育てたようなものだからだ。 1961年に軍事クーデターで政権を握った朴正煕氏は、1979年に殺害されるまで、民主化運動を弾圧する独裁政治を行う一方で、世界最貧国レベルだった韓国に高度経済成長をもたらした。韓国国防大の許南ソン(ホ・ナムソン、ソンは「さんずいに省」)名誉教授は、「朴正煕大統領は権力掌握後、安保と経済を最優先課題とした。一言で言えば『富国強兵』だ」と話す。 しかし、当時の韓国は貧しかったから、内需主導の成長など望むべくもない。必然的に輸出志向の成長戦略を取るしかないのだが、輸出産業を興すための資金も、技術もなかった。 その状況を覆すべく朴正煕大統領が決断したのが、日本との国交正常化だ。植民地支配に対する謝罪や賠償を勝ち取れないまま対日国交正常化に踏み切るという決断は、「屈辱外交」という強い反発を韓国内で生んだが、朴正煕大統領は戒厳令を敷いてまで押しきった。そして、日本から5億ドルの経済協力資金と技術の供与を受けることで経済成長の基盤を作った。 ただ、資金面の手当てがついたといっても、余裕があるわけではない。だから、限られた資源を効率的に活用するため、特別な低利融資などといった形で「選ばれた企業」を後押しした。こうした形態が政経癒着に結びつくのは当然だが、それでも「漢江の奇跡」と呼ばれる驚異的な高度成長につながっていった。ベトナム戦争とオイルショックで急成長 韓国財閥の歴史で忘れてならないのが、ベトナム戦争特需だ。 韓国は1964年、米国からの要請を受けてベトナムへの派兵を始めた。米国は見返りとして、派兵経費すべてを負担し、多額の軍事援助を行うだけでなく、後方地域での輸送や建設業務に韓国企業が進出することを支援した。派兵された韓国軍は計32万人だが、後方業務に従事した民間人は計50万人といわれる。 許名誉教授は「ベトナム戦争で韓国が得た経済的利益は、総計50億ドル程度になり、日本からの経済協力資金よりずっと多かった。韓進や現代は、ベトナムでの事業で資本と技術を蓄積して急成長した」と話す。 韓国軍は1973年、パリで和平協定が締結されたことを受けてベトナムから撤収する。 そして、同年10月に第4次中東戦争が勃発し、第1次オイルショックが起きる。オイルショックは、重化学工業への転換を急いでいた韓国経済にとっては打撃だったが、同時に、ベトナム戦争終結で東南アジア市場を失った韓国の建設企業にとっては中東進出の好機となった。韓国企業による中東での建設受注は、73年に2410万ドルで、ピークとなった81年には126億7060万ドルに達した。多くの財閥がこの時、先を争うように建設業に参入して大きな利益を上げた。通貨危機で政権の庇護失う 財閥ドットコムの鄭先燮(チョン・ソンソプ)代表は、「権力との関係を維持できている限り、財閥が破産することはなかった」と指摘する。韓国の財閥は、政権との密接な関係を背景に成長してきたからだ。逆に、権力ににらまれた財閥は、姿を消していった。 それが変わったのが、1997年の通貨危機だ。韓国は大胆な構造改革を余儀なくされ、新自由主義的な経済政策への大転換が行われた。結果として、超競争社会が現出し、その中で勝ち残ったサムスン電子やLG電子、現代自動車は世界的企業へと成長した。 だが、それでも創業者一族が「オーナー」として君臨する企業構造は、そのまま残っている。創業者一族の所有株式は今や、それほど多くないので「オーナー」という言葉は正確ではないのだが、それでも大株主であることは変わらない。系列企業間の株式持ち合い構造もあって、「オーナー」は今でも絶対的な影響力を維持しているのである。証人としてソウル西部地裁に入る韓進グループの趙亮鎬会長=1月30日(共同)3世への冷たい視線 ただ、「オーナー」の絶対的立場が、今後も盤石かどうかは疑問視する声がある。鄭代表は、ナッツ・リターン事件で前副社長が逮捕・起訴されたことも「かつてなら考えられなかったことだ」と話す。昔なら罰金程度で終わっていたはずだが、財閥3世に対する世論の視線が冷たくなっていることが厳しい処分につながったというのだ。 鄭代表は、「通貨危機以前と以後で、世襲を取り巻く社会環境が大きく変わった」ことを理由に挙げる。通貨危機後の構造改革では、金融実名制が強化された。世襲のために必要な親子間での資産移動は、仮名口座や借名口座を使う不透明な資産贈与が当然のように行われていた時代には見えづらかったけれど、透明性が高まった現在は隠せない。 鄭代表は「ただ『世襲だ』と言うより、『世襲のために何兆ウォンも資産移動をした』と具体的に言われた方が人々の反発は強くなる」と指摘する。 また、2世への世襲が行われた80年代後半から90年代初めと現在の社会状況の違いもありそうだ。 80年代後半から90年代初めというのは、まだ高度成長の余韻が残っていて、「豊かになる」ことを国民が実感できた時代だった。それに比べると、通貨危機以降の韓国では、それまでになかった勢いで格差拡大が進み、持てる者と持たざる者の葛藤が深まっている。そうした状況下で、財閥3世の世襲に向ける視線が厳しくなるのは当然だろう。世間知らずの3世が直面する試練 韓国紙・ハンギョレ新聞によると、財閥3世が入社してから役員に登用されるまでにかかる期間は平均3.1年。系列会社間の取引で巨額の利益を3世所有の会社に上げさせる脱法的な手法で、資産移動が行われているケースもあるという。 さらに、苦労した創業者の背中を見ながら育った2世に比べ、生まれた時から温室で育てられてきた3世には「世間を知らない」という批判も強い。ナッツ・リターン事件はまさに「財閥3世の世間知らず」を世に知らしめたといえる。 鄭代表は「李健煕会長は、半導体やスマートフォンでサムスン電子を世界的な企業に育てた。他の2世に対しても、功績を認める人が多い。でも、何も実績のない3世は違う。経営に失敗したり、社会的な問題を起こせば、ナッツ・リターン事件のように厳しい批判にさらされるだろう。3世は難しい立場にあるのだが、子供の頃から王子様、お姫さまのように育てられてきた人間に、危機を乗り切るための創造性を発揮しろと言っても簡単ではない。私は、財閥の行く末は暗いと思っている」と話した。さわだ・かつみ 毎日新聞ソウル支局長。1967年埼玉県生まれ。慶応義塾大法学部卒、91年毎日新聞入社。99~04年ソウル、05~09年ジュネーブに勤務し、11年から再びソウルで勤務している。著書に『「脱日」する韓国』(06年、ユビキタスタジオ)、『LIVE講義 北朝鮮入門』(10年、東洋経済新報社、共著)、訳書に『天国の国境を越える』(13年、東洋経済新報社)。毎日新聞サイト内に主な記事などを集めた個人ページ「アンニョン!@ソウル」がある。<著者新刊本のご紹介>文春新書から20日に『韓国「反日」の真相』という新著を出します。書名に「反日」と入っていますが、実際にはもう少し広い「韓国の社会意識」について読み解こうとしたものです。近年、韓国の対日外交などに対して違和感や不快感を抱く日本人が増えています。ヘイトスピーチのような差別主義的な言動は論外だと考える人でも、こうした不快感を感じる人は多いのではないでしょうか。正直に言えば、学生時代から四半世紀に渡って韓国社会と接してきた私ですら、そうした感覚から自由ではありません。私は昨年3月の毎日新聞のコラム「記者の目」に、「韓国で取材していて、『うんざりだ』と思うことが多くなった」と書きました。旧友から「悲鳴のようなコラムだった」と評されましたが、その時の偽らざる心境をつづったものです。日本人が抱く不快感の背景にあるのは、韓国社会の意識構造を「理解できない」と感じることがあるのではないかと思います。でも、だからといって単純に「反日司法」とか「反日団体」というレッテル張りで済ませることは、楽ではあるが、非生産的です。少なくとも、冷静な観察者であるべきメディアがそうしたレッテル張りに走ることは、怠慢でしかないでしょう。そう考えた私は昨年2月、毎日新聞で「『正しさ』とは何かーー韓国社会の法意識」という記事を連載しました。韓国社会のキーワードである「正しさ」や「道徳性」という言葉を手がかりに、日本とは違う韓国社会の意識を探ろうとしたのです。文春新書から刊行する新刊は、この連載を加筆したものが大きな柱の一つになっています。出版社が作った「アマゾン」の内容紹介では「全く新しい韓国論の登場」とされていますが、私にとっては、2006年に出版した『「脱日」する韓国』(ユビキタ・スタジオ)という本や、ふだん書いている記事の延長線上にあるものです。韓国に対して厳しい内容も多くなっていますが、いわゆる嫌韓本ではありません。かといって、親韓本とは絶対に言えないでしょう。日韓関係に限らず、取材をしていると常に「現実というのは単純じゃないんだな」という思いにとらわれます。日本人にとって理解できない「韓国の社会意識」にしても同じことで、単純なわけがありません。しかも、ある部分については「理解できない」と考えている日本人の方が、国際的には少数派だということもありえます。韓国を巡る「単純ではない現実」に関心を持っていただける方には、ご一読いただければ幸いです。関連記事■仮想敵は日本  韓国軍が狂わせる日米韓の歯車■韓国の「外信信仰」と激しい党派対立■安保よりも安全が優先する韓国■「アル=カーイダ3.0」世代と変わるグローバル・ジハード■なぜ環境保護派が原子力を支持するのか

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    最新の脳科学[ダマシオ理論]で説く韓国・朝日の病理

    の平成22年8月10日、日韓併合百年にあたって首相談話が発表されました。日本に一方的な非があったと、韓国に対して過去を謝罪する内容でした。韓国が足元を見るのは当然です。あらためて言いますが、重要なのは無意識であって意識ではありません。無意識は人柄に反映します。菅氏の人柄がどのようなものであるかは、いまさら言うまでもないでしょう。 ちなみに、この首相談話の影の主役は仙谷由人官房長官でした。首相談話の一カ月前に行われた参院選で民主党は大敗を喫していますが、もし民主党が勝っていたら、仙谷官房長官は韓国に対して個人補償にまで踏み切ろうとしていた可能性さえあったと言われています。 民主党だけではありません。憲法9条改正に「断固反対」し、先の参院選では「強い国よりやさしい社会」というキャッチフレーズを掲げて惨敗した社民党の前党首、福島瑞穂氏は『結婚と家族』(岩波新書)で多様な家族のあり方を奨励しています。 彼女が勧めるようにさまざまな形態の家族ができたら、不幸な人間が増えるのは間違いない。トルストイは「幸せな家庭はどれもみな似ているが、不幸な家庭にはそれぞれの不幸の形がある」と『アンナ・カレーニナ』の冒頭に書いていますが、それが普通の考え方です。福島氏は不幸な子供を大量につくり出そうという無意識の破壊衝動にかられ、多様な家族を推奨しているのです。 朝日新聞はもっと露骨に、平成22年から23年にかけて「孤族の国」キャンペーンを行って家族の解体を推奨しました。日本社会の破壊を狙う朝日新聞の「孤族」キャンペーンは今もネットで継続中 経済的豊かさの果てに共同体が崩壊し、「家族の時代には戻れぬ」として、新しい生き方を探す時代がきたと言い、「個を求め、弧に向き合う。そんな私たちのことを『孤族』と呼びたい。家族から、『孤族』へ、新しい生き方と社会の仕組みを求めてさまよう、この国。『孤族』の時代が始まる」のだそうです。さらに「未婚で生涯を送る『孤族』たちが不安を抱えずに生きていける、そんな社会であってほしい」とも記事には書かれています。 未婚で生涯を送る誰もが不安を抱えずに生きていける社会など存在するはずがありません。家族ではなく、一人一人が単位となる社会、家庭も親子関係も否定する社会が果たして幸せでしょうか。朝日新聞のこの「孤族の国」キャンペーンは、日本の破壊行為そのものです。朝日の倒錯した願望 中国や韓国の反日史観が、自らを欺いて客観的な歴史を改竄し、憎悪に導かれて生まれたものであることは言うまでもありませんが、朝日新聞は中韓の反日キャンペーンをことさらに煽り、増長させてきたメディアです。韓国が執拗なまでに言いつのる「慰安婦問題」についても、朝日新聞には大きな責任があります。 朝日新聞は平成3年8月11日、「慰安婦の痛み、切々と」という記事を掲載しました。「日中戦争や第二次大戦の際、戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり」という書き出しの記事でした。 この報道はその後、この女性が14歳のとき、貧しさから身売りされていたことがわかり、事実に反することが明らかになりました。しかし、朝日新聞は懲りることなく、翌平成4年には1月11日付の一面トップで「慰安所 軍関与を示す資料」という記事を掲載し、「政府見解揺らぐ」と報じます。翌日には「歴史から目をそむけまい」という見出しの社説を掲載しました。その冒頭の一節は次のようなものです。〈日中戦争や太平洋戦争中に、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人女性などのいわゆる「従軍慰安婦」について、軍当局が募集を監督したり、慰安所の設置などに関与していたことを裏付ける公文書類が発見された。〉 しかし、「軍当局が関与していた」と言っても、その内容は、慰安所を経営する民間業者に対して、慰安婦を強制的に集めたりしないように軍が伝えたというだけの、むしろ売春行為の強制はなかったことを示すものでした。 にもかかわらず、当時の加藤紘一官房長官は「軍の関与は否定できない」と国の責任に言及したため、韓国でも大きく報道され、1月16日に訪韓した宮澤喜一首相は盧泰愚大統領に何度も謝罪することになりました。 朝日新聞はさらに、1月23日付夕刊の紙面で、「日本軍人が先の戦争中、朝鮮半島に住む女性を強制連行し、慰安婦にした」という吉田清治なる人物の証言を掲載しました。 この証言も結局は虚偽だったのですが、宮澤政権は「日本政府による関与があったと認められる」と表明し、それでも韓国が批判をゆるめないとみるや、翌平成5年8月、退陣を前にしたどさくさまぎれに河野洋平官房長官が「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」、いわゆる「河野談話」を公表しました。 この河野談話には「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」などといった文言が含まれています。事実に基づく証拠が希薄であるにもかかわらず、この談話がその後ひとり歩きを始め、「日本軍が若い女性を強制連行し、慰安婦にした」というとんでもない誤解を国際社会に広めることになりました。 そのきっかけとなったのが朝日新聞の一連の報道です。日本の国益を損うこうした報道を、敵対国の新聞が行うならともかく、れっきとしたわが国の新聞が行うのはどうしたことでしょう。朝日新聞は自国を貶めたいという倒錯した願望を抱いているとしか思えません。「九条信奉」と「神州不滅」「自分をだます」自己欺瞞の一つに、「見たいものだけを見て、見たくないものは見ない」主観主義と呼ばれる現象があります。 「日本が外国から侵略されそうになったらどう対処すべきか」と普通なら考えるところですが、憲法9条を信じている護憲派は、外国からの侵略などあり得ないと言う。 毎日新聞の岩見隆夫氏が、「憲法九条を信じている人は、戦時下に神州不滅(日本は神の国であるから絶対に滅びるはずがないというスローガン)を唱えていた人に似ている」と書いていました。戦争には、こちらから攻撃する場合もあれば、向こうから攻撃される場合も当然あります。それを彼らはまったく考えない。 それどころか、戦後70年間にわたって平和だったのは憲法9条があったおかげだと言い出す始末です。福島瑞穂氏は、平和憲法こそ日本の最大の抑止力だと国会で発言していました。まさしく「見たいものだけを見て、見たくないものは見ない」主観主義です。いくら憲法九条を信じ、外国の侵入などありえないと主張していても、夜、寝るときは家に鍵をかけるはずですが……(笑)。 もしも中国に攻め込まれたら、喜んで奴隷になる、“中国日本省”の人民になる、銃をとって戦うくらいなら、そのほうがずっとましだと発言するテレビのコメンテーターも何人かいます。平和憲法こそ日本の最大の抑止力だと主張する人間も含め、破壊衝動を秘めた人間の典型と言えるでしょう。 実は、先ほど名前の出たバートランド・ラッセルも同じようなことを言っています。アメリカが核を独占している時代には、「共産主義は悪の帝国だから、核兵器でソ連を攻撃すべし」と言っていたのが、ソ連も核武装すると「核戦争を避けるためには西側が核を一方的に放棄するべきだ」と180度主張が変わったのです。 ラッセルの家系も、祖父が二度首相を務めている名門なのですが、彼も幼児期に両親を失い、厳格なキリスト教徒だった祖母に育てられています。おばあさんの愛情がどれほどのものだったかはわかりませんが、彼にそうした破壊衝動が生まれたのは両親の愛情と無縁に育てられたせいかもしれません。 無意識の「破壊衝動」は、現代の脳科学・進化心理学で広く認められつつあるのですが、欧米のような人間性悪説に基づくキリスト教圏と違って、性善説の国民性を持つ日本人には、なかなか受け入れにくいかもしれません。しかし、3年3カ月にわたる民主党政権を振り返ってみれば、納得できるのではないでしょうか。 「平和」「人権」「平等」「権利」「友愛」などといった耳に心地よく響く美辞麗句を並べながら彼らが行ったのは、まさしく日本の破壊そのものでした。 脳科学・進化心理学という科学的な基準によって、「心の核兵器」とでも形容すべき政治家の破壊衝動を見極め、政治を客観的にとらえることが、いま求められています。その第一歩として、憲法9条の非合理性と欺瞞を科学的に暴き、日本国民に伝えていきたいと私は考えています。 関連記事■世界が羨む「日本の力」■日本人が靖国参拝して何が悪い!■戦後70年 落ち着いて歴史を語れる国に■「敗北を抱きしめて」などいられない

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    なぜ、台湾の若年層は韓国を嫌うのか~現地座談会から

    の嫌韓。いったいなぜなのか? 台北市内のレストランを借り切り、座談会を開催。若者層の声を聞いた。「台韓国交断絶」の衝撃 今秋、私は自身にとって初の本格的な歴史概説書となる『知られざる台湾の「反韓」』(PHP研究所)を上梓した。私たちは普段、「日韓関係」「日台関係」のことはよく見聞きする。韓国の反日感情とか、台湾の親日感情などの情報には、日本にいながらにして毎日のように接する。しかし「日本と相手国」という関係性を離れ、台湾と韓国という他国同士の関係性である「台韓関係」となると、途端に馴染みがなくなる。台湾と韓国は共に日本の隣国でありながら、いつもこの二国に対する切り口は日本を基軸とした関係性の視座がほとんどだった。台湾は韓国とどのような関係にあるのか、あるいは台湾は韓国をどのように捉えているかといった視点は、これまであまり存在していない。 2013年3月に開催された第3回WBC(ワールドベースボールクラシック)で、共に出場国であった台湾と韓国はB組で対戦した(台中インターコンチネンタル野球場)。台湾は韓国戦には敗北したものの、予選リーグを突破した。しかしこのとき、韓国選手のラフプレーが大きな問題になり、台湾国内で「反韓」の感情が沸き起こったことは、日本でも話題となった。「棒打高麗(韓国人を棒で叩き出せ)」のプラカードや、You Tubeにアップロードされた太極旗を破り捨てる女学生の動画が紹介され、このとき初めて私は「台湾には根深い嫌韓感情がある」という事実を知った。 WBCにおける一連の騒動についてある韓国紙は「台湾と韓国のあいだには恩讐がある」と表現した。前述のとおり、日本では嫌韓が激増しているものの、それを「恩讐」という言葉で表現する人は少ない。「恩讐」という表現には、表層的な感情とは違う、もっとシリアスなニュアンスが含まれている。この言葉の裏に存在する台湾と韓国の関係とは何か。台湾はなぜ、激しい「嫌韓」の国になっているのだろうか。私はそれを探るべく訪台した。 「台湾における嫌韓」を調査すると、まずこの二国の奇妙な国際的立ち位置が浮き彫りになった。冷戦下、台湾と韓国は軍事独裁(蒋介石=朴正熙)、反共主義、国連非加盟国、分断国家(両岸=南北)、日本統治時代を経験、という5つの項目で見事に共通している。この時代における韓国はアジアで唯一、台湾を国家として承認していた。「お互いに孤立した共通項をもつ国家」という親近感が背景にあった。 台湾政治大学で国際関係学の専門家である蔡教授に話を伺うことができた。教授はこのような冷戦期の「台韓関係」をきわめて友好的なもの、としたうえで、「恩讐」の原因となった大転換が訪れたと指摘する。1992年に行なわれた「台韓国交断絶」である。当時、韓国の盧泰愚政権は「北方政策」と呼ばれる容共姿勢に転換していた。冷戦時代に敵対していた中国、ロシアなど共産圏の国々との国交を確立し、それまで「反共の砦」とまで謳われた国策を大転換したのだ。つまりこの年、韓国は台湾を切り捨てて中国を承認するのだが、ここには台湾人にとって忘れられぬ屈辱的エピソードが存在している。 「台韓国交断絶」の直前まで、韓国政府要人は台湾を訪問し「韓国が台湾を見捨てることは断じてない。われわれの友好関係は続く」と公式に表明し、台湾人は「ならば安心だ」と胸をなで下ろした。にもかかわらず、実際の断交は同年8月24日に電撃的に行なわれた。とくにソウルにある駐韓台湾大使館は、韓国政府から「即日の強制退去」を言い渡され、大使館職員が泣く泣く青天白日旗を降ろし、着の身着のまま国外退去処分になった。国際慣習や礼儀を無視した韓国政府の強権によって、いっさいの台湾外交員が韓国から突然追放されたのである。トンデモ説への怒り 92年以降、台湾人の反韓感情は最悪の状態が続いたが、若い世代では徐々に当時の記憶は薄れている。蔡教授によれば「台湾の嫌韓」には、衝撃的な「台韓国交断絶」を記憶している中年以上の世代と、それを経験していない若年世代のあいだで同じ「嫌韓」とはいえ認識に違いがあるという。 これを受けて私は、台湾在住の日本人教師の方の協力を仰ぎ、台湾の青年層における嫌韓感情の実態を調査すべく大規模な座談会を開催した。6月某日、台北市内のレストランを貸しきって行なわれた座談会には、総勢18名の台湾人青年が集結した。台湾師範大学、台湾大学、台湾科学技術大学など、台湾で最もレベルの高い国立大学の卒業生や大学院在学生たちであり、22歳から32歳までの男女である。まさに「台湾の若手頭脳」ともいえる彼らの目に、韓国はどう映っているのか。 台湾師範大学大学院在学中の范嘉恩さん(24歳・男性)は、台湾においては韓国の整形文化が不気味に映る、と前置きしたうえで、台湾における韓国のイメージは、やはりWBCでの韓国側のラフプレーに対する不快感が大きいと語る。范さんが挙げたのは、中でも台湾野球界のスターでニューヨーク・ヤンキースでも活躍した“台湾のイチロー”こと王建民に対する韓国ネチズンの頓狂な主張だ。王建民は片親の祖先を韓国人にもつが、それを根拠に「王建民は韓国人である」とのトンデモ説に対し、国民的スターを侮辱されたような感じを受け、怒りを禁じえなかったという。このほかにも、「孔子は韓国人」などという無根拠な韓国ネチズンの「韓国起源説」が、台湾人の嫌韓感情を後押ししている、と分析した。対中輸出で争う台韓企業 同じく台湾師範大学大学院在学中の柏さん(30歳・女性)は、「台湾に留学している韓国人には良い人が多いが……」としたものの、台湾と韓国の産業競争問題に触れた。柏さんがとくに問題視するのは2010年に起こった「韓国三星(サムスン)電子による台湾企業密告事件」である。 日本ではあまり報道されなかったが、事件の概要はこうだ。サムスンがEUから、液晶ディスプレイパネルの価格談合(カルテル)を指摘されたのだが、リニエンシー制度(談合やカルテルに加わった企業において、最初に不正を自己申告した場合、その者だけがペナルティーを免れる内部告発制度)を利用し、同じくカルテルに参加した奇美電子など台湾電子企業4社を告発、自らはカルテルを主導したにもかかわらず、EUからの課徴金を逃れた、という事件である。要するにサムスンがEUと司法取引をして「共謀した」台湾企業を保身のために売った、という経済事件で当時、台湾メディアはサムスンを「モラルのない密告者」と非難したのである(奇美電子は台湾を代表する大企業だが、この事件でEUから330億円の制裁金支払いを命じられた)。 台湾と韓国の経済的ライバル関係については、台湾大学中華経済研究院主任研究員の馬道教授からも同様の話を聞くことができた。馬教授によれば、台湾はEMS(受注代行生産)で世界的な地位を確立しているが、近年はとくに最大の貿易相手国になっている対中輸出で、猛追する韓国企業と熾烈な争いを演じているという。サムスンによる台湾企業密告事件は、このような台湾と韓国の国際競争を背景としたものだが、それにしても「仲間を売る」という不義理を犯してまで自己の保身に走ったサムスンの事例は、台湾人のなかに根深い「反韓」意識を植え付けるに十分であった。実際、台湾では韓国企業がネット上での商品レビューで、善意の第三者に成り済ましたレビュアーが自社製品を過剰に持ち上げ、ライバルである台湾企業の製品を貶める投稿をし、虚偽の宣伝工作(ステルスマーケティング)を行なったとして大問題になった。 2013年には、前述のサムスンとその取引会社である「鵬泰」が台湾公正取引委員会からステマの罪科で、罰金の支払いを命じられるなど社会問題化した。商慣習やモラルを踏みにじる行為を繰り返す韓国企業に対する不信は、台湾社会のなかで臨界点を迎えつつある。「韓国のナショナリズムは怖い」 台湾師範大学大学院在学中の鄭さん(24歳・女性)は、とくに韓国にある男尊女卑的傾向に強い憤りを覚えるという。台湾はきわめて強い学歴重視社会で、若年層にとってはスキルアップと学位取得のための海外留学は珍しいことではない。留学先はヨーロッパが多く、その影響で台湾の若年知識階級はリベラル的発想が主流を占めている。女性の人権問題や男女の不平等といったイシューにとくに敏感になりがちな鄭さんにとっても、韓国における女性の地位の低さは、同じ女性としては看過できないという。 また台湾師範大学在学中の黄さん(23歳・女性)は、2014年4月に起こったセウォル号転覆事故のあと、韓国国営放送(KBS)のスタッフらが「韓国政府(青瓦台)から事故報道で政府批判を抑えるよう圧力を受けた」として一斉にストライキに入った事件を挙げ、「韓国には民主的報道倫理観が確立されていないのではないか」と両断する。大事故の際に政府が事故報道に都合の良いように介入するのはジャーナリズムそのものを歪める行為であり、先進国ではありえない現象である。台湾のメディアにも政府に配慮した報道はあるが、さすがに韓国のような情報統制はない。韓国人は彼の国の政府によって情報統制され、それが過度な反日の一因にもなっているのではないか、と分析する。これはきわめて正鵠を射た指摘といえよう。 台湾科学技術大学卒業後、現在メーカー勤務の呉さん(25歳・男性)は、韓国の異様なナショナリズムを問題視した。呉さんは「韓国をみていると、昔のナチスと同じだと思う」と述べた。国際的なスポーツ大会で沸き起こる韓国の異様なサポーターの興奮や、国を挙げた国威発揚は、明らかに行きすぎたナショナリズムであると断言する呉さんの意見には、多くの座談会同席者が賛同した。いわく「韓国のナショナリズムは怖い」「全体主義的で危険な感じがする」等々である。 一方で、韓国のそのような「民族の団結」が逆に羨ましいという意見もあった。韓国に比して台湾ではナショナリズムや愛国心は薄く、ヨーロッパ帰りの若年知識層にはリベラリズムの観点からそのような風潮を半ば警戒し、他方「ないものねだり」で肯定する声も少なくはなかった。 台湾師範大学大学院で美術講師を務める簡さん(31歳・男性)は、冒頭に記した「太極旗を破り捨てる台湾人女学生」の動画を引き合いに出し、「このような行為はたいへん幼稚な行動」と指摘する。嫌韓をことさらに報じるメディアの背景や歴史などをまず自己解析し、客観的な視点で韓国に対する評価を決定するべきであり、ネットの風潮や意見を軽々に信ずるべきでない、という簡さんの見解は、台湾の若年知識層の教養水準の高さを物語っている。 ともあれ、彼らが韓国に対してもつイメージは、「不公正な競争」「モラルの欠如」「非民主的な社会や制度」などに対する怒りと違和感である。この延長線上で彼らが中国にもつイメージは、「韓国のナショナリズムや不道徳をさらに増幅させた存在」として激烈な嫌悪の対象になっているのだ。 1992年の「台韓国交断絶」は、台湾社会に計り知れないほどのショックを与え、台湾が世界で最も先進的で最大の「反韓国家」に変わる直接の分岐点となった。その後、ゼロ年代に入り現在に至るまで、当時を直接知らない若年層に、国際的なスポーツ大会や企業競争などでの「韓国のモラル違反」によって新しい「嫌韓第2世代」が生まれ、その勢いは拡大を続けている。 日本の隣国である台湾は親日国であることに疑いはないが、この国のもう一つの側面である「反韓という恩讐」の背景を知るにつけ、私は東アジアの大きな歴史のうねりと、友邦から仇敵に変わった台湾と韓国の関係に深い感慨を覚えるのである。関連記事■米軍慰安婦像が米大使館前に建つ日/テキサス親父トニー・マラーノ■中国のこれからと日本が果たすべき役割/丹羽宇一郎■オバマの嘘・「尖閣を守る」を信じてはいけない/日高義樹