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    「テレビなくても受信料」NHKに怒り心頭

    「不道徳、不誠実…この声を、NHK様にお届けしよう」。離婚騒動でワイドショーをにぎわす女優、松居一代さんもブログで書いていましたが、趣旨は違えど、思いは同じです。NHKがテレビなし世帯を対象に「ネット受信料」の新設を検討しているようです。こんな暴挙、許してもいいんですか?

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    相次ぐ不祥事に巨額マネー、肥大化するNHK「もう一つの貯金箱」

     「受信料の公平負担は社会の要請だ。タブレットでもスマホでも放送を受信できる端末を所有している場合、NHKとの受信契約が生じ、受信料を支払わなければならない」がNHKのスタンスである。 だが、受信契約・受信料徴収に訪れるNHKの委託を受けた業者の職員や地域スタッフに「NHKの番組を見るためにスマホを持っているわけではない」「そもそもタブレットでNHKは見ない」と素朴な意見をぶつける若者が後を絶たない。 放送法やNHKの放送受信規約を読み込み、インターネットでNHKの集金スタッフを追い返す方法を学んでいる若者の中には、「法律では“設置”と“携帯”の用語を区別して使っている。スマホは携帯するものであって受信設備の設置に当たらない」などと断固拒否する。 放送法第64条第1項の「協会(NHK=筆者注)の放送を受信することができる受信設備を設置した者は、協会と受信契約をしなければならない」とあるからだ。全国各地では、この受信契約をめぐっては裁判で争われている。NHKが勝訴する場合もあるが、第一審で敗訴し控訴することもある。就任会見で記者の質問に答えるNHK・上田良一新会長=1月25日午後、東京都渋谷区神南のNHK(宮川浩和撮影) ケータイやスマホでの放送の受信を含めた受信料制度の今後のあり方について、今年1月25日付で会長に就任した上田良一氏(元三菱商事代表取締役副社長執行役員)は、2月27日に会長の諮問機関として「NHK受信料制度等検討委員会」(座長=安藤英義・専修大学教授)を設置。諮問第1号「常時同時配信の負担のあり方について」、諮問第2号「公平負担のあり方」、諮問第3号「受信料体系のあり方」の検討を始めた。 6月27日、検討委員会は第1号の答申案をまとめ同日に開かれた経営委員会に提出した。第2号、第3号も7月末には答申案を公表する予定だ。原案の柱では、テレビを持たずネット同時配信のみを利用する世帯について別の受信契約を新設すること。支払いは世帯単位。スマホなどでネット受信アプリのダウンロードなどの手続きを済ませた者を対象とする、としている。どうなるネット受信料? ネット受信料金については、現行の地上放送と同額(口座振替2カ月払いで2520円)とする案が有力だという。「地上波より安くするとテレビよりもネットでの視聴が増えてしまう」との懸念に加え、営業の現場からは「アンテナやケーブルなどで設置が確認しやすいテレビと異なるケータイやスマホは、今時持っていない人がいないのが常識とはいえ『持っているでしょ』と決めつけるわけにもいかない。地上波よりも安くすれば契約が取りやすいわけでもない」との声が上がっている。 また、民間放送事業者は「ネット常時同時配信は、NHKがネット事業をさらに強化することにつながり、将来的に通信分野に進出していく可能性も想定される。放送法に基づくNHKの通信分野へ進出することが許されるのか、許されるとすればどんな限度を設定すべきかも考える必要がある」とその巨大化を警戒する(編注:放送法によりNHKの業務範囲は制限されており、現行法上はNHKのすべての番組をインターネットで同時配信することはできない)。 NHKの上田会長は、7月6日の定例会見での「同時配信は(付随業務ではなく)本来業務という認識か」との質問に、「NHKとしては放送が太い幹で、インターネット活用業務は放送を補完し効果を高めるものであるという考え方に変わりはない」と強調した。 放送による受信料収入で成り立つNHKが、通信の一形態であるネット事業にどの程度の費用をかけるのか。その妥当性も厳しく検証されなければならないだろう。小泉純一郎元首相=4月6日、東京都中央区(寺河内美奈撮影) NHK経営陣にとって、ネット受信者との契約・受信料徴収以上に悩ましいのが職員の犯罪・不祥事だ。 2004年、『NHK紅白歌合戦』元チーフプロデューサーによる6200万円の詐欺罪、編成局エグゼクティブプロデューサーら2人のカラ出張による約320万円の不正受給、前ソウル支局長による総額4400万円の経費水増し請求などが相次いで発覚した。架空の飲食費の請求もあった。 これを受け、小泉純一郎内閣の竹中平蔵総務相の下で、受信料の値下げ、経営委員会の理事会(執行機関)に対する監督権限・ガバナンス(企業統治)の強化などを内容とする「政府・与党合意」がまとまった。2006年6月のことである。だがそれ以降も、NHK本体や関連団体・子会社の職員の犯罪・不祥事は絶えることはなかった。止められない不祥事 窃盗未遂や建造物侵入に加え、勤務時間中に全国の放送局を結ぶ報道用端末にアクセスして知り得た特ダネをもとに、インサイダー取引をしていた30歳前後の記者やディレクターもいた。2013年10月には、「音響のプロフェッショナル」として国内外から高い評価を受けていたNHK放送技術研究所の主任研究員が、業者に架空工事を発注する見返りに百数十万円の物品を受け取っていたことが明らかになった。 倫理・行動憲章の策定、報道局内の一定の範囲内での株取引の禁止、職員教育・研修の徹底など、そのたびに対策を打ち出すのだが、あとは殺人事件で職員が逮捕・有罪ともなれば、ほぼすべての刑事・経済犯がそろいかねないありさまだ。しかも年代や所属部署、肩書を問わないから始末に負えない。 「NHKにはグループ企業を合わせて約1万6500人の職員がいるのですから、そりゃあ不届き者もいますよ。みんながみんな身ぎれいで犯罪や不祥事に無縁とはいきません。憲章に署名させ、何かの誓約書を書いてもらってもゼロにならないのですから」 NHK理事経験者がこうため息交じりに話せば、現在関連会社の役員を務める報道局出身者も「打つ手なし」といった表情で次のように語った。「NHKと名がつくすべての法人・団体・企業の職員にGPS機能の付いた業務用端末を持たせて24時間監視するわけにもいきませんでしょう。監視のための職員確保も難しい(笑)。何よりもそんなことをすれば職場の雰囲気がギスギスしてきます」 今年1月には、横浜放送局の営業部勤務の40代職員が、受信料の過払い分を視聴者に払い戻すように装った架空の伝票を作り、部の運営費から現金を引き出し数十万円着服していた事案が発覚した。しかもその職員が自殺しただけではなく、それらの事実を約3カ月間公表していなかったことも明らかになった。同月13日、閣議後の記者会見で、高市早苗総務相はNHKをこう批判している。4Kと8Kのチャンネルを割り当てられた放送事業者の首脳に認定証を手渡す高市早苗総務相=1月24日午後、総務省 「ガバナンスを強化するこれまでの取り組みが不十分だった」 今年2月には、初任地の甲府放送局から山形放送局酒田支局へ異動した28歳(当時)の記者が、両県での婦女暴行事件の容疑者として逮捕されている。NHKの営業部門の職員は、「おカネにまつわる不祥事に次いで視聴者の受信料支払いストップの理由になるのが、放火や暴行、強制性交といった重犯罪です」と頭を抱える。 NHK内には、「2019年にはネットの同時配信を始めたいが、その時期やネット受信料の実現にも影響するのでは」と先行きを心配する向きもある。不祥事の裏では… ガバナンスが低空飛行を続ける一方で、絶好調なのが受信料収入と財務体質である。5月11日の定例会見で上田会長は、2016年度の決算速報と営業業績を発表した。事業収入は、計画を56億円上回る7073億円(うち受信料収入は6769億円)で、事業収支差金で280億円の黒字になった。 営業実績を見ると、契約総数が51万4000件増(計画比102・9%)で4030万件に、BS契約は69万3000件増えて(同109・9%)2018万件となった。BS契約については2015年度実績が78万件増(同130・0%)で、BS契約の大幅増加が受信料収入増につながっているのが分かる。 2017年度の計画は、契約総数50万件、BS契約60万件の増加を見込んでいる。「BS契約割合(BS受信可能件数に占める契約数)51%を目指す」(5月11日の定例会見)と上田会長の鼻息は荒い。世帯・事業所の契約総数、BS契約ともに順調に増え続けていけば、そう遠くない将来に受信料収入1兆円も見えてくるだろう。 子会社からの受取配当金や全国に散らばる職員寮の固定資産売却益などの「その他の事業収入」も増え続けている。 上田会長は、7月6日の定例会見で「子会社11社の株主総会がすべて終了し配当が確定した。去年配当に関する考え方を見直し、前年度に続き大型の配当を実施した。その結果84億1千万円で、このうちNHKが受け取る総額は56億3000万円といずれも過去最高となった。関連会社の放送衛星システムの配当金を含めると、配当総額は88億6000万円で、NHKの受取額は56億5000万円」と胸を張った。 2016年度の事業収支差金280億円のうち、80億円を新放送センターの建設積立資金に回し、これで積立残高は1707億円になった。繰越金残高は957億円に達している。子会社の内部留保も948億円あり、NHK本体にとっては「もう一つの貯金箱」になっている。潤沢すぎる建て替え資金 6月27日に開いた経営委員会で放送センター建て替え工事担当の大橋一三理事が説明したスケジュールは次のようなものである。 まず、その日にホームページ上で業者募集を開始する。7月26日には参加申請を締め切り、業者からの提案書提出期限は12月20日。落札では技術提案、入札価格、コストを総合的に評価する総合評価落札方式を採用する。そこでは、費用だけではなく技術提案を重視。コストについての参考額は600億円で、NHKが事業運営していく上での目安の数字になる。 入札に当たっての予定価格は改めて設定するが、入札に参加しない業者に積算させ、来年春には確定したいと考えている。600億円には、放送設備は含まれていない。これは将来の放送内容が不確定なためで規模や価格は見通せない。放送設備は既存設備の更新という形で段階的に整備するため、全体でならせば減価償却費を原資とする従来の設備投資の範囲内で原則対応することになろう。 2014年度の収支予算と事業計画の説明資料によれば、放送開始100周年に当たる2025年に運用開始を想定。近年の民間放送事業者の新社屋建設コストなどを参考に試算し、総額3400億円と見込んでいる。費目はざっくりと、建物経費が1900億円、番組制作設備や送出・送信設備などに1500億円とはじいた。 大橋理事が説明したように、放送設備は更新という形で段階的に整備するため、初期の設備費はぐっと圧縮され1000億円を下回るかもしれない。仮に総額3000億円とすれば、すでに2011年度から始めた建設積立資金が1707億円ある。 2017年度から運用開始前年度まで8年間あり、毎年100億円ずつ積み立てれば800億円だ。この金額は、2010年度以降の契約総数とBS契約の伸びを見れば、そう難しい目標ではない。なにしろ2015年度は278億円もの繰り入れを実施しているのだから、年150億円平均の積み立ても可能ではないか。957億円に達した繰越金残高も増えていくだろう。もう放送センター建て替え資金は用意できたも同然だ。 もともとNHKの財務体質は健全だ。オンライン上で公開しているここ数年の連結財務諸表などを参考に、その財務体質の特徴的な点を見ていこう。 テレビ放送開始前の1950年前後、各都道府県に建設した放送局が順次建て替えの時期を迎えていることもあって、NHKの事業収入に占める減価償却の比率が実は10%を超えている。上場平均、放送業平均とも4%台で、通常7%を超えると過大であるといわれている。そんな常識からすれば、NHKの事業収入と比べた減価償却費の割合は超過大と言っても良い。巨額内部留保の存在 耐用年数で決まってくる減価償却の中でも、建築構造物は、償却年数が長く劣化が緩慢なので、受信料収入・その他事業収入が安定的に増え続けているNHKといえども加速度償却(加速償却ともいい、耐用期間の初期に大きな割合の償却をする減価償却の方法)は行いにくい。NHK放送センターの看板=2011年4月24日、東京都渋谷区 だが、製品のモデルチェンジが速い固定資産である機械・装置はそれが可能だ。電子機器の割合が急増し数年で新規モデルが登場する機械・装置の耐用年数は見積もりにくく、かなりの主観が伴うといわれる。NHKの場合、取得原価に対する償却進捗(しんちょく)率は80%(2016年度は81・4%)を超えている。 償却進捗率は固定資産の減価償却の進展割合を示すもので、償却の進展具合だけではなく資産の古さも確認できる。進捗率が小さい会社は体力がないということになるが、50%以上あれば良好水準といわれる。ちなみにトヨタ自動車の償却進捗率が66・5%だから、NHKの償却進捗率がいかに良好な水準にあるのかがよく分かる。 有形固定資産も過大だ。先に述べたように電子技術のイノベーションの進行が速いこともあってか、有形固定資産への投資は右肩上がり。同局では、総資産に占める有形固定資産の比率が45%以上を占める。日経経営指標ではこれらの比率が算出されていないので比較できないが、NHKの有形固定資産は明らかに多いと言っていいだろう。 巨額の投資ができるのも、減価償却費を早期に多額計上できるのも、キャッシュフローが潤沢だからである。事業活動による(=営業)キャッシュフローは、毎年1000億円超の水準で安定的に推移している。 高い自己資本比率もNHK財務の特徴の一つだ。すでにご承知のように、最近、財務安定性を計る指標として、自己資本比率が最も重視されるようになった。NHKは、2006年に62%だった自己資本比率を2016年度末に65・6%にまで高めている。 残りの34・4%が負債だが、2011年11月11日の経営委員会の議事録によれば、260億円あったNHKの有利子負債はこの3年間でゼロになっている。2016年度682億円の現金預金があり、これまた2425億円弱の短期保有有価証券(同年度)、985億円超の長期保有の有価証券(同)があるのだから、そもそも有利子負債を負う必要がないのである。 財務・年度の収支情報を公開すれば、年度単位の必要な支出と将来のリスクに備えた一定の内部留保を超えた額(収入)は本来徴収してはいけないという、いわゆる受信料積算の根拠となっている「総括原価主義」が崩れかねないと考えているならば、大きな間違いである。 契約拒否や受信料の長期滞納者に対する民事手続きの強化、簡易裁判所・地方裁判所での訴訟合戦を経て、受信料の支払いも法的義務化へ。4K・8Kハイビジョンの普及など課題が山積する中で、子会社を含め巨額の内部留保(金融資産)を抱えるNHK。まずはその財務実態について広く情報公開し、視聴者に丁寧に説明責任を果たすとともに、早急に適正かつ公正な受信料体系を示すべきだろう。

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    公共放送の自覚なきNHKに「ネット受信料」の議論は早すぎる

    杉江義浩(ジャーナリスト) NHKがテレビを所有せずにネットで番組を受信する世帯にも、ネット受信料を新設するという中間答申案を6月に取りまとめ、それに対する批判や議論が高まっています。 議論を整理すると、全く異なる二つの論点が、ごっちゃ混ぜになって語られていることに気づきました。一つはNHKの番組を受信できる世帯に義務化されている、受信料制度そのものの是非を問う論点。もう一つは高度に進化したデジタル環境において、放送と通信をどうすみ分けるか、あるいはどう融合するかという論点です。この二つの論点を混同しないように切り分け、順に論じていきたいと思います。 一つ目の論点、受信料制度については、私は確固たる信念があります。受信料制度は必要不可欠です。NHKが受信料で支えられているべき最大の、そして唯一の理由は「国家権力からの独立」です。NHKのクライアントは、時の政権ではなく、あくまで視聴者一人一人であるべきです。常に視聴者を利する方向で、番組やニュースは編集されなければいけません。政府を利する方向で編集されてしまったら、それは国営放送です。 NHKの予算は税金でまかなって国営放送にしてしまえばよい、などと軽々しく口にする人には、国家権力が放送を牛耳る恐ろしさについて、想像力が欠如していると言わざるを得ません。ミサイルの発射実験をするたびに、笑顔で金正恩労働党委員長をたたえる、朝鮮中央テレビの女性キャスターの映像を思い浮かべてください。国営放送になるということは、あのような権力者の宣伝機関になり果てるということを意味しています。それを避けるために受信料制度があるのです。 では、実際にNHK職員が制作現場で、国営放送ではなく公共放送であることを十分に自覚し、政権に忖度(そんたく)することなく視聴者目線で日々の仕事に従事しているのか、と問われたら、私は力強く首を縦にふることは難しい気もします。NHKの役職員それぞれの、ジャーナリストとしての矜持(きょうじ)に期待することしかできないからです。NHKが構造的に、時の政権に影響を受けやすい脆弱(ぜいじゃく)性を持った組織であることは、iRONNAの別の記事に書いたとおりです。記者会見で質問に答えるNHKの上田良一会長=東京都渋谷区(宮川浩和撮影) それでも私たちは、決して安くはない受信料をNHKに支払わなければなりません。さすがに最近は少なくなりましたが、今述べたような「編集権の独立」という概念ではなく、もっと単純に、民放やネットは無料なのに、なぜNHKだけが受信料を取るのだ、と批判する人も昔はけっこういました。そういう人は「情報には対価が必要」という基本的なことを理解していないのです。 私だって支払わなくてよいのなら「WOWOW」を無料で見たいし、大手新聞社のデジタル版も無料で購読したいです。しかし、情報には対価が必要だと理解しているから、納得して支払っているのです。この話をすると、WOWOWには加入するかしないかの選択肢があるのに、なぜNHKには選択肢がないのだ、と必ず聞かれます。放送と通信は相反する概念 私は世の中には視聴者にとって「見たい番組」と「見るべき番組」があると思っています。視聴者が見たい番組のみを集めたのがWOWOWです。名作ドラマやスポーツ中継、有名アーティストのライブなど、徹底して「見たい番組」を追求しています。一方、NHKは「見るべき番組」も放送します。 学校放送など教育番組も含まれるかもしれません。国会中継や政見放送を面白いと思って見る人は少ないでしょう。でもこれらは国民の知る権利として「見るべき番組」です。いざというときに役立つ情報は、広くあまねく提供されるべきで、それを担うのがNHKの重要な役割の一つではないでしょうか。 「ぐらりときたらNHK」とよく言われますが、地震を感じたときに、思わずNHKの総合テレビをつけて、地震の規模と震源地を確かめた経験はありませんか。NHKには公共放送としての使命があります。手話ニュースも、乳幼児と母親のための番組も放送します。こういった公共の福祉に寄与する放送は、いわゆる商業目的の「PayTV」ではできません。そもそもの目的が違うのですから、NHKと動画配信サービスを比較しても意味がありません。 動画配信サービスの話が出たところで、二つ目の論点である、高度デジタル社会における、放送と通信の関係についてお話ししたいと思います。 今回の議論の中では、テレビを所有せずにネットのみでテレビ番組を視聴する、という状況をどう捉えるかも論点になっています。ですから今は仮に地上波やBSで視聴する現状のNHK受信料制度には納得している、という前提で話を進めさせてください。※写真はイメージ もともと放送と通信は相反する概念です。放送とは一カ所から不特定多数に向かって拡散する情報伝達です。原点は巨大なスピーカーだといえます。区市町村の防災放送を、あるいは小中学で各教室や運動場に響き渡る校内放送を思い浮かべてください。秘密はなく、誰もがいや応なく聞かされます。 一方、通信とは個人から個人に向けた、非公開で秘密を原則とする情報伝達です。原点は郵便です。親書の秘密や通信の秘密が守られ、電話やインターネットも通信に含まれます。不特定多数に向けて公開される放送とは、その理念からして通信が融合することはないと、長らく考えられてきました。しかし、通信網の量的変化が、質的変化をもたらして、新しい時代に入ったようです。 ご存じのようにテレビの放送はこれまで、地上波アナログ、BS、地上波デジタルといった具合に、主に電波の使い方や伝送技術に関して進化してきました。電波という自然界において物理的に限りのある資源を、ラジオやテレビだけではなく警察無線や船舶無線、携帯電話、Wi-Fiなどで周波数を分け合って、いかに効率的に配分するか、が大きなテーマでした。スマホでテレビは放送として不完全 問題は伝送技術が、限られた電波の配分、という枠組みを超えて、増やしたければいくらでも増やせる、インターネットの光ファイバー網に乗ったとき、それは通信なのか放送なのかという論点です。もし放送と定義されるなら、その時は放送法が適用されることになりますから、熟慮が必要です。それはもはや放送であると定義してよいのではないか。というのが今の私の考えです。 技術的には、ハイビジョンのテレビ番組を、パソコンやスマホにリアルタイム配信することは難しくありません。個人的にはスマホの小さい画面でサッカーの試合を見る気にはなれませんが、小さい画面でも十分楽しめる、という人もいるでしょう。民放の番組をスマホで見るアプリも既に出回っていますから、たっぷりコマーシャルを見せられるのさえ我慢すれば、番組を楽しむことは今でもできます。※写真はイメージ パソコンに至っては、私の場合27インチの5K解像度のモニターを使っていますから、フルHDの番組をオンデマンドで見ると、テレビより鮮明かと思えるほどです。これでテレビの放送番組をリアルタイムで見られるようになるのなら、テレビなんか必要ない、と考える人が続出することも、あるいは考えられます。 そこで受信料収入で成り立っているNHKが、テレビではなくネットで放送を見る人たちからも受信料を得る仕組みを作っておこう、と先回りして中間答申案を出したのも理解できなくはありません。 ただし、既存のテレビでの受信が、画面サイズに多少の差こそあれ、テレビの機種にかかわらずほぼ一定の品質で誰もが簡単に放送を楽しめるのに対して、ネット経由の受信はインターネット環境やデバイスの種類によって、品質に極端な違いが生じることは考慮しなくてはならない課題です。  小さなスマホでしか番組を見られない人が、高解像度大画面のモニターで番組を見ている人と、同じように受信料を取られるとしたら、納得がいかないでしょう。放送番組はある程度大きな画面サイズのテレビで視聴することを前提に作られていますから、番組中の小さな字幕などはスマホでは読み取れません。これではNHKの放送として定義するには不完全だということになります。 また、放送というからには受信者側に手間をかけさせてはいけません。起動に時間がかかったり、デスクトップ画面が出たり、アプリケーションを選択したり、といったお年寄りに難しい操作性ではだめです。自治体からの防災放送のように、誰もがスイッチ一つでパッと番組を受信できなければ、放送とは定義できません。 私自身はネット経由でリアルタイムのテレビが見られるようになったとしても、テレビ番組はパソコン画面上ではなく、あくまでもテレビ受像機で見たいと思っています。なぜなら気持ちを切り替えたいからです。やりかけの仕事や、SNSの画面などさまざまな情報であふれているパソコンの画面では、純粋にテレビ番組を楽しめる気分には、とてもなれそうにありません。 Apple社の創設者、故スティーブ・ジョブズ氏は、テレビとコンピューターの画面の違いについて、こう述べています。 「テレビを見るとき、人間の脳はリラックスする。コンピュータースクリーンを見るとき、人間の脳は覚醒する」 まさにその通りだと思います。技術的に放送と通信の垣根が取り払われても、人間の脳はテレビとパソコンに異なる情報を求めています。ということは、テレビはテレビの形態のまま4K、8Kへと進化すると考えられます。ゆるぎない信頼性がNHKの生命線 伝送ルートが地上波でも、ケーブルテレビでも、インターネットでも、関係ありません。誰もが簡単なリモコンによるチャンネル操作で、それなりのサイズの画面で瞬時に放送番組が見られるなら、それはもうテレビと呼ぶべきでしょう。 ぐらりと揺れたら、お年寄りでもスイッチ一つですぐに地震速報のニュースが見られる。最低限それくらいの操作性をテレビは満たしている必要があります。そういったデバイスが世に出回ったときに、始めて受信料を課金すればよいのではないでしょうか。 伝送ルートにこだわるのは、技術者の発想です。視聴者は番組がどんなアンテナによって受信されようと気にも止めていません。気にするのは映像の品質と操作性、そして何よりもコンテンツ(放送番組の内容)が満足できるものであるかどうかが、最も重要事項なのはいうまでもないことです。※写真はイメージ 前半にも書きましたが、NHKの視聴者は安くはない受信料を対価として支払い、それに見合うだけの公共放送としてのサービスを受けているかを、シビアに考えています。公共放送は、コンテンツ販売業者ではないので、単に「今の朝ドラはつまらないから受信料は払いたくない」といったレベルの話ではありません。常に政府から独立した報道機関として、視聴者を利するジャーナリストの立場で番組作りをしているという、ゆるぎない信頼性を確保しているかどうかが生命線なのです。  NHKが独立した公共放送としての信頼性を失い、国営放送と同じではないか、とそしりを受けるようなことが度重なれば、ネット受信料どころか地上波の受信料さえ収納する根拠を失うでしょう。 受信技術の如何(いかん)を議論する暇があったら、まず顧客である視聴者からの信託にしっかりと内容面で対応できるレベルの、独立した中立公正な取材・編集体制が機能しているかどうかを、真っ先に議論するべきです。

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    こんなNHKに黙ってカネを払うくらいなら裁判で争ってやる!

    小山和伸(神奈川大学経済学部教授) NHKがネット同時配信を行い、利用者から受信料を徴収し、さらに将来ネット配信事業を本来業務としたい趣旨を明らかにしているが、そもそもNHKに受信料を強制徴収する資格があるのであろうか。本稿では、NHKの番組内容の検証を中心にその公正性を考えてみたいと思う。NHKの受信料はどうあるべきなのか=2015年1月28日(斎藤浩一撮影) 公共放送局としてのNHKについては、その経営資源が国民一般からの受信料徴収に依存し、さらに政府からの補助金をも受けていることから、その報道姿勢の公正性についてひときわ重視すべきである。NHKの報道姿勢については国会の場でもしばしば議論になってきたが、監督官庁である総務省は、政府の言論統制の非難を恐れるためか、「個別の番組への言及は避けたい」との立場を貫いている。しかしながら、個別の番組内容に立ち入った検証なくして、報道姿勢全般の傾向を評価することは決してできない。従って本稿では、過去に放映された実際の番組を検証することによって、NHKの報道姿勢の実情に迫っていきたいと思う。 まず、受信料制度自体が憲法違反ではないかとの意見はかなり以前からあり、たびたび裁判になっている。NHKが視聴者に対して受信料強制徴収の正当性の論拠としているのは、放送法64条である。すなわち、NHKを受信できる受信設備を設置した者はNHKと受信契約を結ばねばならず、NHKは契約者から受信料を徴収しなければならないという趣旨の条文である。天野聖悦著『NHK受信料制度 違憲の論理』(東京図書出版会)によれば、かかる強制契約は「契約自由の原則」という近代私法の大原則に違反しているという。さらに、NHKとの契約を逃れようとするとテレビを廃棄しなければならず、そうすると民放も全て見ることができなくなるから、国民の「知る権利」が侵害される。 受信料制度の違憲性について、判決は現状全て否定的である。判決文の多くに、受信料強制徴収は全国あまねく良質な放送サービスを提供するための資金調達上必要なもので、公共の福祉に反しないという判決理由がある。しかるに、NHKの番組の多くは到底「良質な放送サービス」とは言いがたい、ひどく偏向したりさらには事実に反する内容であったりする。つまり、このような番組を全国あまねく配信されてはたまらないといった実情があることを、裁判所は理解しようとしない現状がある。受信料制度の正当性はなくなった 放送法は、昭和25(1950)年に連合国軍占領下で公布された。テレビ放送は、昭和28(1953)年にNHKをはじめとして民放各社の開局が続くが、そのころの番組放送はNHKのみで、民放はほぼテストパターンの放映に限られた状態であった。すなわち、この時代にテレビを買うということはNHKを見ることを意味していた。従って、テレビを買ったら受信料を払えという論理も、この時代には正当性があったといえる。 また、このころはテレビ普及率も10%に満たなかったから、放送サービスの拡充をテレビの保有者が支払う受信料によってまかなうという制度は、受益者負担の原則にも合致していたと言ってよい。しかしながら、その後テレビの普及率は飛躍的に増大する。さらに民放各社の番組も拡充され、その多様性も拡大していく。有識者でつくるNHK受信料制度の検討委員会の初会合。左奥はNHKの上田良一会長=2月27日、東京都渋谷区(川元康彦撮影) こうなると、NHKのみが受信料を強制徴収して、それをNHKの放送事業のためだけに支出するという受信料制度の正当性はなくなる。むしろ、テレビに一定の税金をかけて放送事業全般の財源とするか、あるいは一般の税収から放送サービスへの支出を行う方が公平である。さらに、NHKがどうしても受信料を徴収したければ、契約者のみから徴収すべきであろう。実際に衛星放送で行われているように、契約しない者を受信できないように排除する、いわゆるスクランブル放送は、現在技術的に実行可能なわけだから、NHKは直ちにこの方法を地上波にも適用すべきである。さらには、視聴時間に応じて受信料を徴収することも、技術的に可能なはずで、視聴者は見たい番組だけ買う、NHKには売れた番組だけ収入が入るという、当たり前の企業活動と消費者主権が実現されるべき時が来ている。 これについて私が代表理事を務める「メディア報道研究政策センター」は、平成24(2012)年、NHKが受信者を特定し受信者のみに課金することが今や技術的に可能であるにもかかわらず、それを放置してNHKを見ていない者を含めたテレビの所有者全部から受信料を強制徴収することを定めた放送法64条1項は、憲法29条(財産権)および84条(課税の要件)に違反するとして、東京地裁に告訴した。 これに対する判決は驚くべきもので、NHKの受信を希望する者にのみ課金した場合、NHKの財源が不足して公共放送の享受を国民に保証できなくなる可能性があるから、放送法64条1項は公共の福祉に反せず違憲とはいえない、というものであった。慰安婦問題を流布した番組 スクランブル放送や視聴時間制の受信料徴収で財源を不足させたくなかったら、NHKは視聴者が喜んで見たくなるような魅力的な番組づくりに努力すべき、というのが事業者として当然であるし、視聴者は見たくもなく見てもいない番組に代金を支払わなくて良いというのも、消費者主権の常識であろう。 NHKが受信料強制徴収の論拠としている64条は、いわば視聴者側に課せられた義務規定といえる。これに対して、民放も含めた放送各社に対する義務規定として4条がある。放送法4条は、公序良俗に反しない報道や政治的中立、事実に反しない報道、論争のある問題の公平な報道、等を定めている。しかし、NHKの報道の中にはこの規定に違反しているものが少なくない。 以下では、論争の余地もなく逃れようもないNHKの違反番組の事例を挙げて、いかにNHKが自分たちに都合の良い64条のみを振り回して、4条を踏みにじっているかを明らかにしていくことにしよう。以下のNHKの放送法違反事例に関しては、『これでも公共放送かNHK!』(小山和伸著/展転社)に依拠している。 まずは1996年に放映されたNHK教育の番組「51年目の戦争責任」に注目したい。古い事例になるが、今日なおいわゆる慰安婦問題は全く沈静化しておらず、それどころかソウルや釜山の日本大使館・領事館前に慰安婦像なる建造物が、事実に反する碑文とともに設置され、その設置場所も韓国内にとどまらず既にアメリカに複数設置されており、さらにオーストラリアなどへもこれを波及させようとの画策がはたらいている。従って、21年も前に報道されたこの番組の悪意は、決していまだ色あせてはいない。「NHK番組改変問題」に関する会見に臨むNHKの松尾武元放送総局長(左)=2005年1月19日(大山文兄撮影) 事実に反する慰安婦強制連行が流布される潮流を作ったのは、朝日新聞とNHKの報道であった。最初のきっかけとなったのは吉田清治著『私の戦争犯罪』だが、平成7(1995)年に著者自身がその虚偽記述を認めている。その本人の自供から19年もたった後、朝日新聞は強制連行記事について撤回し謝罪した。しかしながら、NHKは歴史資料を改竄(かいざん)までして強制連行説を裏付けた詐欺番組について、いまだに撤回も修正も謝罪も一切していない。 この番組においてNHKは、「陸支密大日記」(防衛省防衛研究所蔵)という史料を改竄(かいざん)して紹介し、慰安婦強制連行を軍が指示していた証拠が出てきたと報じた。しかし同史料は、慰安婦の募集に当たっている業者の中に、ことさら軍との関係があるかの如く吹聴して、甘言をろうしたり中には誘拐まがいの方法で女性を集めるような悪徳業者がいるので、軍は憲兵や警察と協力してしっかり取り締まらなければならない、という趣旨の通達文である。NHK番組改竄の真実 NHKは、この史料文中の「慰安所設置」「従業婦等ヲ募集」「募集ノ方法誘拐ニ類シ」「派遣軍ニ於テ統制」「関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋」等を巧みに切り貼りして、軍が警察などと連係して誘拐に類する方法で婦女子を集めるよう指示していた証拠だと、ゲストの吉見義明中央大学教授の解説とともに報道した。 同史料のコピーを持っていた私は、番組直後に電話によって抗議した。番組担当のプロデューサーは当初「テレビ画面は限られているので全文をそのまま映すことはできなかった」などと言い訳したが、40分にわたる論争の末に番組の不公正を認めた。翌日、この経緯に基づき受信料支払いを拒否する旨、当時の川口幹夫会長あてに内容証明郵便を送付し、以来受信料の不払いを続けている。当番組の放映時期が、吉田清治著者自身の虚偽本告白の翌年であることからも、番組製作の悪意を知ることができる。「NHK番組改変問題」で会見するNHKの石村英二郎・放送総局副総局長=東京都渋谷区(栗橋隆悦撮影) しかし実は、くだんの吉田著書の虚偽性は早くも平成元(1989)年、同著の韓国語版出版と同時に済州島の郷土史家金奉玉氏によって暴かれている。もしこの時点で、メディアがこの事実を正確に報道していれば、「戦後50年」に向けて加熱の一途をたどった反日運動や慰安婦賠償請求、河野談話などの動きは大きく変わったものになっていたかもしれない。しかし、反日メディアはこの事実を決して伝えようとはしなかった。 2001年に放映された番組「ETV2001 問われる戦時性暴力」は、バウネット・ジャパンなる市民グループが主催した、裁判形式による集会「女性国際戦犯法廷」を極めて好意的に紹介したものである。NHKスタジオの番組司会者は、弁護士無しで検事役が史実に反する旧日本軍の慰安婦強制連行や性奴隷制度を一方的に糾弾するこのえせ法廷集会について、「裁判形式上問題があるにせよ」と前提にしつつも「旧日本軍の蛮行を改めて問いただす意義」を強調した。 まじめな事実検証からほど遠い集会の肯定的・支持的な報道は、放送法4条の3「報道は事実を曲げないですること」に違反している。もしNHKが、「性奴隷制度の存在を前提とした団体の集会という事実を報道しただけだ」と逃げを打ったとしても、逆の立場の集会を同等に報道していない限り、同法4条の2「政治的に公平であること」および、同法4条の4「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」に違反していることは明らかである。沖縄を「捨て石」NHKの偏向姿勢 月刊『正論』に「一筆啓誅NHK」を連載していた元高校教師の本間一誠氏からの情報によれば、NHKは平成29年6月23日からの「沖縄全戦没者追悼式~沖縄県糸満市・平和記念公園」のNHK総合テレビ中継の冒頭、「沖縄は本土防衛のための捨て石とされ…」とのナレーションを流したという。本間氏によれば、昨年、一昨年の同式典でのナレーションは「沖縄は本土防衛のための最前線と位置づけられ…」であったという。ここに、反日偏向意志の増長は明らかであろう。沖縄全戦没者追悼式「平和の礎」の前で祈る人たち=23日、沖縄県糸満市の平和祈念公園(門井聡撮影) 日本軍11万6400人が連合国軍54万8000人を迎え撃った3カ月に及ぶ激闘の沖縄戦、あるいは航空・水上・水中特別攻撃に散華した4000人におよぶ若き命のどこを取って、沖縄が捨て石にされたというのであろうか。確かに、地上戦において沖縄住民の戦没者は、日本軍人とほぼ同数の9万4000人にのぼる。これは、米軍急襲に際して兵民分離がなされなかった悲劇ではあるが、戦時国際法に違反する米軍の都市爆撃による民間人の犠牲は、同様な悲劇を全国各都市で生んでいる。特段に沖縄を捨て石と表現する合理性はなく、NHK報道の偏向姿勢が如実に表れているといえよう。 朝日新聞の反日偏向に嫌気がさして購読を止めれば、もちろん購読料は取られない。しかしどんなにNHKを嫌って視聴しなくても、受信料強制徴収はやむことがない。自らの支払う受信料によってさらに悪質な反日偏向番組が作られていくという精神的苦痛が、良識的な国民を苦しめている。 今も全国各地でNHK受信料不払い裁判が起こされている。裁判結果はNHKの勝訴だが、それでもNHKの告訴を受けて立つ視聴者は後を絶たない。彼らは異口同音に訴える。「うそまでついて日本の悪口を放送し続ける、こんなNHKに黙って金を払うくらいなら裁判で被告になって、言いたいことを言ってやりたい」と。こうした法廷闘争が奏功してか、最近の判決では「NHKが編集の自由の下に偏った価値観に基づく番組だけを放送し続けるならば…視聴者の側から放送受信契約を解除することを認めることも一つの方策と考える余地がないではないと言い得る」という東京高裁判断を得ている。  もしNHKがネット配信での受信料請求を始めるというのであれば、裁判件数の急増と裁判所判断の行方に覚悟をもって臨まなければならないであろう。

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    NHK 政権の空気読む「静かな籾井さん」が局内に多数存在

    内に多くいるということではないか」(元NHK局員)1月24日、3年の任期を満了し、職員らに見送られるNHKの籾井勝人前会長。右端は上田良一会長 上智大学教授の田島泰彦氏(メディア論)はNHKの報道姿勢をこう批判する。「NHKの報道は、政府の仕掛けに率先して乗った読売新聞のケースとは別の問題を孕んでいる。情報を入手した場合、事実を事実として伝えるのがジャーナリズムの最低限のルールですが、NHKは肝心の部分だけを黒塗りにしており、視聴者からすれば、なにを報じているか分からない。 ではなんのための報道かといえば、政府に対してNHKが『情報は持ってるけど報じませんよ』と自らのスタンスを示すため。視聴者より政府に伝えることを優先したのですから、公共放送としてあるまじき態度です。権力を監視するというジャーナリズムの基盤が歪み、極めて危うい状況になりつつある」 NHKに黒塗りにした理由などを質した。「個別の編集材料や取材の過程などについては、お答えを差し控えますが、ご指摘のあったニュースに関しては、NHKの独自取材によるものも含めて随時、お伝えしています」(広報局) さて、この回答は誰に伝えるためのものだろう。関連記事■ 厚労省の圧力で「消えた年金」と書くのを止めた大手メディア■ 『南方週末』問題報じたNHK 検閲で海外放送が一時真っ黒に■ 朝日の視線の先にあるのは権力者の顔色や大新聞仲間との関係■ 雑誌スクープ後追いの新聞「一部で報じられた」等の表現横行■ 権威に弱い新聞は大誤報しても“俺たちも被害者”と開き直る

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    NHK、新会長就任で雰囲気一変も「数字」求められるように

    に上田良一氏が新会長に就任して以来、NHK内部の雰囲気は一変した。1月25日、就任会見に臨む上田良一NHK会長「これまでは幹部たちが籾井さんの顔色を窺ってばかりで、局内には萎縮ムードが漂っていた。しかし、上田会長は“現場介入はしない”という方針のようで、局内の風通しがよくなりました。 たとえば、1月19日放送の内村光良(52)のコント番組『LIFE!』に、綾瀬はるか(31)がドラマ『精霊の守り人』のコスチュームで出演してコントをやりましたが、これが大ウケで、上田会長も絶賛していたといいます。これまでの“縦割り”のNHKでは考えられなかったことです」(NHK関係者) 視聴率が営業成績に大きく影響する民放と違い、国民からの受信料で支えられているNHKは視聴率と無縁のように思えるが、最近はそうでもないらしい。NHKの若手ディレクターがいう。「民放以上に視聴率を気にしています。いまは受信料徴収を厳しくしているため、視聴者に『これだけ良い番組があるのだから受信料を払ってください』とアピールしなければならない。上層部からは常に“数字”を求められています」 そんなNHKにとって最大の敵となるのが3年連続視聴率三冠王の日本テレビだ。前出・NHKディレクターがいう。「昨年上半期のゴールデンタイム(※1)はウチが視聴率11.8%で11.6%の日テレに勝った。2016年の全日(※2)平均でも0.9ポイント差と肉薄した。高視聴率が期待できる朝ドラや大河ドラマはBSでも放送しているため、そちらに流れてしまった視聴者も多い。それを含めれば、実質ナンバー1はウチだと思います」 NHKと日テレの“テレビ界最強”を懸けた戦い。現在攻勢を仕掛けているのはNHKだ。【※1/19~22時の間の平均視聴率のこと。視聴率が最も高い時間帯】【※2/朝6時から深夜24時までの間の平均視聴率のこと】関連記事■ フジTV社員「数字取れるのはサザエさんとスマスマ位」と消沈■ 「篠原涼子>米倉涼子」のギャラ格差 直接対決で異変発生■ テレビドラマ キャスティングが第一で面白くするのは二の次■ 米倉涼子『ドクターX』第二弾の現場でも幸運の焼肉弁当配る■ ドラマ視聴率 月9も水10も日9も「10%超えがやっと」の現実

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    落語家の時代劇悪役はなぜ怖いのか 春風亭昇太、小朝も

     時代劇で落語家が演じる悪役ぶりが話題を集めている。NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』では、今川義元を演じる春風亭昇太が“怪演”と話題沸騰中。春風亭小朝もBS時代劇で演じる不気味な悪役で存在感を発揮している。彼らの“怖さ”の秘密について時代劇研究家でコラムニストのペリー荻野さんが迫る。* * * 怖っ!! 大河ドラマ『おんな城主 直虎』で春風亭昇太演じる今川義元が出てくるたびに、そう思う人は多いはず。なにしろ、第一話で初登場の際には、ピロピロリ~と不協和音っぽい音楽に乗って、白いマントのような豪華な羽織をぶわっとさせて登場。その顔は、額には黒丸のような眉毛が描かれ、唇まで真っ白! 怖しい白カラスのような雰囲気だ。2016年12月18日、大河ドラマのトークショーで今川義元役の春風亭昇太さん(中央)と並ぶ、静岡市非公式のゆるキャラ「今川さん」 その義元は、目の前の裏切り者・井伊直満(宇梶剛士)を嫌な顔でにらみつけ、無言のままさっと手を挙げると、あっという間に家来たちが宇梶を抹殺してしまう。いつもの昇太なら、宇梶と目が合っただけでボコボコにされそうだが、今回は違う。しかも、人殺しを命じておきながら、白カラス義元は終始無言なのだ。 その後、ドラマの主人公井伊家の娘おとわ(後の次郎法師・直虎)を人質から解放する際にも、まったく声を出さず、扇をパサッとしただけで命令完了。家臣はそれだけで、おとわに「去ってよいとの仰せじゃ」と義元の言葉を理解するのである。テレパシーか。 しかし、これは絶妙な演出だ。視聴者はふだん『笑点』でお茶目でおしゃべりな昇太を観ているだけに、口を開かず、白塗りの義元とのギャップは強烈で怖い。威圧感もある。おまけに『笑点』では嫁がいないことをいつもネタにされているが、この義元は、かつて人質にされた井伊家の美女佐名(花總まり)を「お手付き」にしているのである。おとわの侍女の話では「それはもう何度も何度も」で、その挙句、飽きるとぼろのように「捨てた」という。これもギャップ…。 今川義元は、これまで大河ドラマでは、『功名が辻』江守徹、『武田信玄』中村勘九郎(中村勘三郎)、フジテレビの『女信長』では三谷幸喜、最近では『信長協奏曲』で生瀬勝久など、名優が演じてきたが、この昇太ほど不気味な義元はいない。『下町ロケット』で主人公の町工場を痛めつける非情な銀行融資係から、昇太の敵役はさらに進化した。 しかし、そんな昇太の前に「ちょっと待った!」とばかりに立ちはだかった先輩落語家がいる。NHK BS時代劇『雲霧仁左衛門3』の春風亭小朝だ。小朝は主人公・雲霧仁左衛門(中井貴一)に裏金を奪われ、彼らに復讐をしようとあの手この手を考える藤堂家の家老・磯部役。悪の黒幕だ。ただし、こちらは昇太義元とは対照的。密談をするため、商家の座敷にわざわざ駕籠で乗り込んだり、悪だくみを思いつくと、「ふふふ、面白くってきたぞ」と、池の鯉のエサの麩をバリバリと握りつぶしたり。冷たい顔をした殺し屋剣豪(板尾創路)に指示したり。いかにも悪役。何を考えているのかわからない義元とは違って、わかりやすいのである。 昇太はトレードマークのメガネをはずすと別人のような怖い顔になり、小朝はやはりトレードマークの金髪を封じると悪役に。ふたりの不気味顔対決は、あと少し続く。今のところ、義元の不気味さが勝っている気がするが、最終対決に向けて、「微笑みながら悪い事を考える」小朝家老が何を仕掛けるか。目が離せない。関連記事■ 落語が本業の『笑点』メンバー 高座が一番面白いのは誰か■ 藤原紀香 愛之助も出演する新ドラマで新米バスガイドに挑戦■ オタク少年からイケメン噺家に転身した春風亭昇々■ 春風亭昇太ひたすらなバカバカしさがナウなヤングにバカウケ■ 朝ドラ新ヒロイン波瑠 純白の衣装で伏し目がちな美しい笑顔

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    NHK会長人事のバカさ加減

    NHKの籾井勝人会長が退任する。公共放送のトップとしての資質に欠けた言動で混乱を招きながら、続投に意欲をみせた籾井氏の退任は、事実上の「クビ宣告」に等しい。一連の会長人事をめぐるごたごたは、NHK内部のバカさ加減を露呈したようなものだが、要は会長が誰であれ、公平中立な番組を作ってくれたらそれでいい。

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    私だけが知っている「籾井降ろし」とNHK「腐敗」の真実

    らは「政権癒着」と国会でつるし上げを食らい、同時に逆の極端な保守派からは「反日」と叩かれることもあるNHK。 NHKについては、あまりにも外側から妄想で語られることが多いので、私はあえてNHKの真の姿と課題を知ってもらうことにします。 2014年1月25日、私は渋谷にある放送センターの自席で業務を続けたまま、NHKの館内共聴回線でテレビ画面に映し出される、籾井勝人NHK新会長の初会見に何げなく耳を傾けていました。就任会見する籾井勝人氏=2014年1月25日、東京都渋谷区のNHK 私が最初の会見で受けた印象は、籾井会長という人はずいぶんとよく喋る人だな、というものでした。私が働き始めたころのNHK会長は、NHK専務理事から昇進した川原正人氏でした。2008年まで20年間、NHKの会長には、NHK内部からの叩き上げの人間が就任する時代が、長く続きました。 だいたいが組織の人間というのは、現場にいるころはよく喋りますが、偉くなって責任が重くなってくると、舌禍を恐れて口が重くなるものです。 それに比べると組織の外部から来た籾井会長のリップサービスは、いささか無防備に過ぎるように感じられました。最初のうちは、僕が注意深く聞いていなかったせいでしょう、籾井会長がよく喋るのは、総合商社でのキャリアが長かったせいだろう、くらいに甘く考えていたのです。 ところがその初会見の直後、報道各社から一斉に籾井新会長の発言内容に対する激しい責任追及の声が高まり、私も新会長の発言を再検証することになりました。事態は2月27日の衆議院総務委員会での質疑応答にまでもつれ込む大騒動に発展したのです。軽はずみすぎた発言 当時は特定秘密保護法が安倍政権により強行採決されたばかり。マスコミ各社が、これは報道の自由を損なうとして厳しく批判しているさなかでした。 その特定秘密保護法に関するNHKの報道姿勢が政府寄りではないか、と指摘された際に、籾井新会長は、「まあ一応通っちゃったんで、言ってもしようがないんじゃないかと思うんですけども」「あまりカッカする必要はない」と発言しました。 報道機関としては特定秘密保護法が施行されると、自由な取材活動が制限されて、真実の報道が難しくなるわけですから、NHKの会長は自らにとって重要な問題と認識して、責任ある発言をすべき立場だったのです。 それにもかかわらず、籾井会長の発言はずいぶんと軽はずみでした。 また時の政権の施策に対して、公正中立な立場からしっかりとした検証を行うという重要な任務が公共放送にはあります。それをはなから放棄しているような籾井会長の姿勢がマスコミ各社から問題視されたとも言えるでしょう。民主党の総務・内閣部門会議に出席し、議員の質問に答えるNHKの籾井勝人会長(左端)=2015年2月18日、衆院第2議員会館 さらに、「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」 この発言は衝撃的でした。安倍首相が右を向けと言えば、ハイと無条件に右を向く。そんな政権与党に言われるままの人物に、不偏不党であるべきNHKの舵取りを任せて大丈夫なのか。動揺が走りました。 国のリーダーに言われるままの放送を行うということは、北朝鮮や中国の国営放送と同じような放送局になることを意味しています。 先の大戦の時、日本の報道機関はすべて軍部によりコントロールされていました。NHKから新聞各社まで、軍部に都合の良い片寄ったニュースだけを、そのまま報道するように強要されていたのです。 軍部が率いる時の政権の方針を、国民は正しいものだと信じ込むようになり、いつのまにか洗脳されていきました。そして結果的に報道機関は、悲惨な戦争を長期化へと誘導する旗振り役を果たしてしまったのです。 逆に戦後、サンフランシスコ講和条約が結ばれるまでの7年間は、GHQが決めたプレスコードで管理され、戦勝国側に不都合な報道は禁じられていました。原爆の被害の大きさや、国民の貧窮について語ることさえ許されませんでした。 この苦い経験を生かして今の放送法は作られました。放送局は時の政権から干渉されない独立した編集権を持ち、不偏不党で公正中立な報道をすることを、その精神としたのです。   残念なことに籾井会長の発言は、この編集権の独立という報道の自由にとって重要な概念を、もののみごとに吹き飛ばした感があると思います。安倍政権に追従する 国会に呼び出されて以降は、さすがに饒舌な籾井会長も言葉をつつしむようになり、何を質問されても、「放送法に従って粛々と」としか答弁しないようになりました。しかし一連の発言については、「考えを取り消したわけではないが、申し上げたことは取り消した」と答弁しています。つまり事態が収拾した後も、安倍政権に追従するという籾井会長の考え方そのものは、何ら変化しないことを確認したのです。 籾井会長はさらに、直属の部下である理事たちを全員集めて辞表を提出させ、それを一時的に預かるという極めて異例な儀式を行いました。これにより理事たちは籾井会長に生殺与奪を握られ、事実上の絶対服従を誓わされたのです。 理事たちは直接ニュースや番組を作りませんが、これらを作る現場の管理職トップの人事権を握っているので、その影響はないとは言えません。 そもそもNHKの会長は、経営委員会という会議で選任します。NHKの経営委員会というのは、株式会社に例えれば株主総会のようなものです。委員になるのは衆参両議院の承認を得て内閣総理大臣に指名された有識者など12人です。籾井会長を専任した時の委員は、作家の百田尚樹氏らでした。経営委員会の委員を指名するのが首相ですから、NHK会長の選任が時の政権に左右されやすいのは、今に始まった状況ではないと言えるでしょう。 ただし時の政権の意向が、すぐさまニュースや番組に反映されるわけではありません。NHKの現場で働く記者やディレクターは、会長の指示をそのまま受け入れるとは限らないからです。 2016年4月14日に始まった熊本地震に伴う原子力発電所関連の報道について、籾井会長がNHK役職員らに対して、「(国や電力会社の)公式発表をベースに伝えるように」と指示したことが各紙に伝えられました。これに対し4月25日に、NHKの労働組合である日放労の中央委員長はただちに声明を出し、「公共放送として、報道にあたってベースとするものは、取材してわかった事実であり、判明した事実関係である」とする見解を発表しました。公式発表をただ流すのではなく、記者たちが自らの取材で事実関係を追求していく調査報道の姿勢を強く示したのです。何人からも干渉されず 7月13日には、天皇陛下に遠くないうちに譲位のお気持ちがあることを、NHKは7時のニュースで独自のスクープとして報道し、世間を驚かせました。 これは全く官邸の意向に沿うものではありませんでした。この直後、官邸や宮内庁の高官は憮然とした表情でインタビューに答え、そのような事実はない、と当初は全面否定していました。 しかし実際には8月8日の天皇陛下ご自身のビデオメッセージで、このスクープが事実であることを示されたのです。 NHKには放送法とは別に、内規として国内番組基準というものがあります。そこには「何人からも干渉されず、不偏不党の立場を守って、放送による言論の自由と表現の自由を確保」することが謳われています。 何人からも干渉されずとは、時の政権、圧力団体その他のあらゆる干渉を受け付けず、「事実と己の良心のみに基づいて」判断することだ、と私は教えられました。 視聴者からの受信料で成り立つNHKの番組は、国内の放送に税金を一切使っていません。政府から独立して自主的な取材を綿密に行い、独自に事実関係を検証し、良いものは良い、悪いものは悪いと放送するためです。 取材結果によっては、時には上司はもちろんのこと国家権力からの反発も覚悟の上で、屈することなく真実を述べる存在でなければならないのです。 それが出来るかできないかは、ひとえにNHKで働くスタッフや職員一人ひとりのジャーナリズム精神と矜持にかかっていると言えるでしょう。 報道機関に不当な圧力をかけて萎縮させているのでは、と一部から批判された安倍首相本人は、その批判に対してこう答えています。「私の圧力ごときに萎縮するような頼りないマスコミであっては困る」 実に挑発的な表現ですが、まさに政治権力とジャーナリズムは、常に真剣勝負なのだと再認識する一言でした。 政権による報道への介入を批判する態度はもちろん大切ですが、そもそも国家権力というものはいつの時代も、報道に介入したがるものだという認識を持たなければいけません。その上で政治的な圧力に負けないように、自分の足元を見つめ直し、タフなものへと固めていくことの方がより重要ではないでしょうか。ジャーナリストとしてブレない態度が求められているのです。NHKの次期会長に選ばれた経営委員の上田良一氏  2017年1月24日に、籾井会長は任期満了を迎えます。 籾井会長は解任され、現在経営委員を務める上田良一氏が新しいNHK会長の座に着くことになりました。首相が直接指名した経営委員出身ですから、安倍政権の意向をより強く反映した人物であることが予想されます。 NHKは一歩間違えれば、政権与党あるいは安倍首相の私的な広報組織に成り果てる危険性と、今もなお隣り合わせです。 現場のスタッフや職員一人ひとりが高い志を持ち続ける限り、NHKを健全な報道機関として保ち続けることは可能だと思っています。

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    なぜマスコミは「籾井いじめ」に半狂乱したのか

    宮脇睦(ITジャーナリスト) 籾井勝人NHK会長が発表した「受信料値下げ」に「再任狙いか」との邪推が駆け巡った。しかし、籾井会長は退任し、新会長へとバトンが渡される。籾井会長については、就任直後より様々な舌禍騒動を起こし、釈明における「キレる」かの態度に眉根を寄せるものだが、果たして批判は正しかったのか。とりわけ「独裁」との批判が妥当ではなかったことは、就任以降のそのNHKの報道から明らかだ。衆院予算委員会で答弁席に向かうNHKの籾井勝人会長(右) 質問者の民主党の階猛氏(左手前)が速く歩くよう促した =2015年2月20日、衆院第1委員室 会長就任直後に、当時の理事全員に日付のない辞表を提出させた。言論封殺を目的だと定義し「独裁」とレッテルを貼る。とりわけ「安倍政権のお友達人事」と揶揄していた報道機関、有識者が声高に叫んでいた。籾井氏は記者の追及に「よくあること」と答えたものの、事例を説明できなかったことが、火に油を注ぐ形となった。だが、小川洋福岡県知事は平成23年9月13日の定例会見で、副知事の退任の説明として、県議会終了後に辞表を受け取っていたと説明し、知事就任時にも前任者から辞表を受け取っていたことが福岡県のホームページで確認できる。 また、韓国の事例ながら『現代重工業、役員260人が一括で辞表提出(中央日報)』というものもある。「よくあること」かどうかはともかく実例はあるのだ。実際には労働法務からの問題を孕むとはいえ、籾井氏に「レッテル」を貼り、言葉尻を捉え「失言」を待っていたのならば、それはジャーナリズムではなく「虐め」だ。あるいは説明責任を理由に、権力者からの言葉を待つだけなら「甘え」だ。 籾井氏の代表的な「慰安婦発言」からは、日本がなんでも悪いと「自虐史観」からの距離を置く姿勢が確認できる。慰安婦についての記者からの質問に「今のモラルでは悪いんですよ」と断りつつも、「戦争をしているどこの国にもあった」と事実の指摘に、やはり特定のマスコミは半狂乱となった。仮に籾井独裁政権下のNHKならば、彼の発言に沿った報道が相次ぐはずだが退任間際の今になっても確認できていない。むしろ逆だ。 ウィキペディアには『NHKの不祥事』なるコンテンツがあり、それだけNHKに不祥事が多いわけだが、籾井氏の就任以降、書き加えられたのは籾井会長の行動の他には、佐村河内守氏によるゴーストライター騒動に、NHKスペシャルの取材班が加担していたことや、社員と子会社によるそれぞれの横領事件と「貧困騒動」で、籾井氏の歴史観が反映されている形跡は確認できない。野放しの「歴史観」こそ追及せよ 「貧困騒動」とは、NHKが貧困に喘ぐという切り口で紹介した女子高校生が、1万数千円レベルの画材を手にし、遊興に費やす余裕のある生活水準であることがSNSで特定されて炎上した騒動だ。騒動の拡大により、女子高生への誹謗中傷も確認されたが、批判の発端は「日本は経済格差の広がる悪い国ですよ」というNHKの思惑を感じとったネット民からの反発と、同じベクトルからの「捏造批判」であった。 NHKは「相対的貧困」という言葉で「捏造」を否定する。進路において学費その他を気にしない豊かな世帯と比較してのことのようだが、それに納得するネット民(民=ユーザー)は多くない。いや、周囲の主婦にも確認したが、子供の進路を考えるとき、経済的理由に頭を悩ませている世帯の方が主流派なのだ。NHKの籾井勝人会長=2016年1月7日、 東京都渋谷区のNHK放送センター NHKが発表している職員の平均年収は1150万円だが、残業代や諸手当を含めると1700万円を越えると、元BPO委員でジャーナリストの小田切誠氏は指摘する。一方、平成25年の国税庁の調査によると、一般企業のサラリーマンの年収は414万円だ。つまり庶民の3~4倍の収入を得ている貴族のようなNHK職員からみれば、大半の日本国民は貧困に喘ぐ貧しき下々とでも見ているのだろう。だから、政権を批判し、そんな日本と歴史を卑下するのではないか。 事実、Eテレ(旧教育テレビ)の『NHK 高校講座 日本史』における「日中戦争」で、「南京事件」について《女性や子どもを含む多くの中国人を殺害》とわざわざテロップをいれ、日本軍の敵として対峙した「中国軍」がいたことに触れもしない。小学生向けの歴史番組『歴史にドキリ』でも、日本が一方的に中国各地に進出し都市を占領、さらに太平洋へと歩を進めた日本を、懲らしめるかの如く米国が立ち上がったかのようなナレーションが加えられている。いわゆる「自虐史観」だ。 NHKは公式ホームページの「放送法と公共放送」で、《放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること(第1章総則 第2条)》等の放送法を掲げ、財政の自立が自主性に繋がると受信料の意義を説明する。自主や自律は曲者だ。リベラル陣営にとっても、極左勢力にとっても、日本人を拉致し原爆の開発を進める北朝鮮の主張でさえ、彼らにとっての「自主」であり「自律」だからだ。NHKの唱える「自律と自由」とは、どの思想信条を下敷きにジャッジメントを下すものなのか。少なくとも「高校講座」を見る限り、籾井会長の歴史観でないことは確かだ。むしろ青少年に特定の「歴史観」による洗脳を試みるかの内容が、野放しにされている現実を危惧する。 いずれにせよ「独裁」は終了する。世襲も後任指名もなく、革命だって起こる気配がない。「独裁」でなかった何よりの証拠だ。再任できなかったのは、単純に「不人気」だったと評価すべきだろう。単純なレッテル張りは大衆迎合の思考停止だ。批判に用いる言葉は正しく選択すべきだと、自戒を込めて筆を置く。

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    NHK会長続投に有識者らがNO 「一般企業ならとっくにクビ」

    と思えば、政府与党べったりの偏向報道姿勢を堂々と公言し、多くの批判も買ってきた。衆院総務委で答弁するNHKの籾井勝人会長。左は高市総務相=2015年3月 上智大学教授の田島泰彦氏が憤る。「NHKは公共放送といえども、報道機関である以上“不偏不党”を貫き、いかなる政治権力にも縛られずに独自の情報を視聴者に届けるのが基本の『き』です。 にもかかわらず、籾井氏は自ら〈政府が右ということを左とはいえない〉と公言し、慰安婦問題や原発報道でも政府の方針や発表が出るまではNHKのスタンスは決まらないとの暴言を繰り返してきました。公平中立が生命線である報道機関のトップとしてまったく相応しくない資質の持ち主なのです」 10月31日、そんな公共放送らしからぬNHKの体質改善を求めるべく、田島氏をはじめとした学識者やジャーナリスト、児童文学作家、噺家ら17名が呼びかけ人となり、籾井体制にNOを突きつける要望書をNHKの経営委員会に提出した。賛同者は早くも100名を超えているという。 なぜ、この時期に要望書を出したのか。それは籾井氏の1期3年に及ぶ会長任期が来年1月24日に迫り、次期会長選びが本格化しているためだ。しかし、なんと「続投」の可能性も残されているという。「籾井氏は10月の定例会見で続投への意欲を問われ、〈普通の人は『やりますか?』と言われたら『やる』と言うんじゃないですか?〉と答えていた。あくまでも自分の話ではないと断っていたが、まんざらでもない様子だった」(全国紙記者)前述の要望書の呼びかけ人に名を連ねている立教大学名誉教授の服部孝章氏も、こんな見立てをする。「NHKの会長人事は、政府の息のかかった有識者で構成する経営委員会のメンバーが選任することになっていますが、その委員長を務めているのは3年前に籾井氏を強く推薦した石原進氏(JR九州相談役)です。 これまで籾井氏が度重なる暴言や失言、最近では私的ゴルフにNHKからハイヤー代が支払われていた問題が発覚したにもかかわらず辞任に追い込まれなかったのは、石原氏をはじめ経営委員会が独立した最高意思決定機関として機能していないことの表れです。普通の会社ならとっくにクビになっていますよ」 服部氏はNHK会長の人選や選考方法が極めて不透明で“密室”で行われていることも問題視しており、要望書の中では〈視聴者・市民の意思を広く反映させるよう、会長候補の推薦・公募制を採用し、そのための受付窓口を経営委員会内に設置すること〉を求めている。 前出の田島氏はこんな指摘をする。「NHKは視聴者をパートナーだといっていますし、現にNHKの経営を支えているのは受信料を払っている視聴者です。そんな市民の声や協調関係を無視した経営をこれ以上続ければ、公共放送そのものに対する批判もますます高まっていくでしょう。 もちろん公共放送の役割には大事な点もありますが、それがすべてNHKでなければ果たせないのでしょうか。今はNHKだけが“独占企業”になって視聴者は選びようがありませんが、我々の声が反映されないなら受信料を拒否する選択肢だってあっていいと思います」 2015年度決算でNHKは過去最高となる6625億円の受信料収入を上げた。徴収の義務化やワンセグ受信料の徴収など、今後NHKはさらに肥大化していく可能性もある。ならば、視聴者はなおさら声を大にして、NHKの経営体制や番組づくりに関与してもいいはずである。関連記事■ 高橋真麻 恋人同伴ハロウィンパーティーでホリエモンとハグ■ 有吉弘行と熱愛報道の夏目三久 きっちり筋を通し信頼獲得■ 元TBS枡田絵理奈 カープファンからは心ない声も■ 長期欠席の愛子さま 「お疲れ」レベルは他の中学生と別次元■ NHK籾井会長 「モミジョンイル、モミジョンウン」の揶揄も

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    完全独立とはほど遠い「公共放送」NHKはすでに役割を終えている

    放送センターの建て替え費用として積み立て、余剰金を見えない形にしていたのであった。定例会見に出席したNHKの籾井勝人会長=東京都渋谷区のNHK放送センター すでにこの積立金は15年度末現在で約1627億円になっており、積み立てが終わる来年度以降はこれが余剰金として表面化することになっていたわけである。籾井会長はこれを利用者に還元すべきとし、値下げを主張したわけなのだ。そして、今回、経営委員会は将来のスーパーハイビジョン投資(4K、8K)などのために温存すべきとこれを否定した構図になっている。 この判断は一般的な民間企業であれば決して間違った判断とは言えないものである。将来の投資計画に合わせ内部留保を行う事はステークホルダーである株主や従業員、取引先に対しても誠実な対応であるといえる。 しかしNHKの場合、一般的な民間企業と違うわけである。NHKは非営利を前提に放送法により受信料収益を保証された団体であり、民間企業と違い競争にさらされていないのである。また、経営委員は執行部を監視するための組織であり、監視組織から経営者である会長を選ぶというのは明確な利益相反(COI)に該当すると考えられるわけだ。 また、余剰金に関しても、それが適切な額であるか疑念が生じる部分もある。なぜならば、NHKの職員の平均給与は1150万円程度(2015年)であり、手厚い福利厚生費などを含めると1700万円を大きく超える水準にあるのだ。また、番組制作費も民放の2倍程度であり、この部分に膨大な数のNHK職員やOBが関係する関連会社が寄生しているのである。本来、経営委員は、経営を監視し関係会社との関係を見直しコストをカットし、無駄を省くのが主たる仕事でなくてはいけないわけだが、これが機能しているとは思えない状況なのである。 NHKの予算は国会の承認案件になっており、予算の適正化を求めるのが国会の役割であるわけだが、これも適正に機能していない状態にある。なぜならば、政治家はスキャンダルなどメディアを恐れる傾向にあり、メディアに手を付けることを嫌うのである。また、監督官庁である総務省も、直接的な天下りはないが関連団体等を天下りに利用しているわけである。だから、監視部分の機能不全が起きているのである。受信料徴収は時代遅れ では、NHKが本当に必要なのか考えてみたい。NHKは国営放送ではなく、直接的な国家の支配を受けない公共放送ということになっている。なぜ、公共放送が必要かといえば、民放の場合、スポンサーや関連企業などの影響を受けやすい構造にあり、国家からも企業からも独立した存在を担保するためである。また、営利を目的とした民放だけでは、人口が少ない地域で難視聴地域や視聴できない地域が生まれるためでもあった。そして、これがNHKの報道以外の娯楽放送が認められてきた要因でもある。東京都渋谷区のNHK放送センター しかし、現在、これはすでに破たんしており、NHKは歴史的役割を終えているともいえる。なぜならば、NHKは紅白歌合戦がその典型であるが大手広告代理店や芸能事務所と密接な関係にあり、完全な独立構造にはない。逆に独立させれば番組を作れない構造にあるといえるのだ。また、難視聴地域対策という側面でも衛星放送とインターネットの普及で不要な存在になってしまっているのである。つまり、すでにNHKは公共放送としての役割を終えているといえるわけである。 さらに、B-CASにより、スカパーのようなペーパービューでの課金が可能であり、受信機を持っているからという理由で課金する今の仕組みは時代遅れであるわけだ。見たい人だけがお金を払い見ればよく、それはすでに可能なのである。 公共放送の役割が問題になっているのは何も日本だけの話ではない。英国でもBBCの存在が大きな問題になり存続を巡り政治的案件になった。英国ではBBCの存続を5年に1度の国民投票で決めるものとし、不要の意見が上回った場合、民営化や解体をするとしたわけである。また、BBCに対する意見を政府が公募し、政府がそれを公表するとともに意見を反映させるものとしたわけである。 これにより、大規模な賃金カットとリストラが行われ、一部事業のロンドンからの移動も行われた。NHKでも、建前上、全国で「視聴者の皆様と語る会」を開催し、経営委員と視聴者が直接語る機会を設けているが、この存在を知る人は僅かであり、それが機能しているように思えないのが実態である。だからこそ、今の存在が許されているといえるのだろう。日本でも大規模な改革と国民の声を問う必要があるのではないだろうか。

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    NHKの「黒歴史」になった籾井体制、私が再任反対を呼び掛けた理由

    、信じられないほど野党に政策発信能力がないせいなのか。あるいはマス・メディアの報道姿勢のせいなのか。NHK会長の選考過程の透明化を求める記者会見を開いた服部孝章氏(右)、小林緑氏(右から2人目)ら=10月31日午後、衆院第2議員会館 2017年1月のNHK会長任期満了を前に、2016年秋から現会長の再任をめぐる動きが新聞で報じられ始めた。またしても過去を検証せず、未来の理想像を語ることなしに、人脈や政治力のなかで人事が決められるのか、といった諦めを感じていた。だが、これではいけないと思い、10月末に「次期NHK会長選考にあたり籾井現会長の再任に反対し、独立した公共放送に相応しい会長の選任を求めるとともに、透明な選考過程の下で推薦・公募制を採用するよう求める要望」を呼びかけ人17名と賛同者約100名の名簿とともに、NHK経営委員会に渋谷の放送センターで手渡し、国会議員会館で記者発表をした。   「アベノミクス」の是非を主な争点として成立した第2次安倍政権だったが、特定秘密保護法、そして安全保障関連法を次々と成立させ、7月の参院選にも勝利して3分の2の勢力で改憲を目指している。 この間、第2次安倍政権は断続的にメディアに対する規制介入を繰り返し、その中核は「公平中立は政権が判断する」というものあった。もっとも明確な事例は、2014年の衆院選に在京テレビ局にあてた文書「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」である。 自民党の萩生田光一筆頭副幹事長・福井照報道局長の連名で各局の編成局長・報道局長にあてたもので、「文書は衆院解散前日の20日付で、自民党総裁特別補佐の萩生田光一筆頭副幹事長が自民党記者クラブに所属する各局の責任者(キャップ)を個別に呼び出し、手渡していた」(「西日本新聞」2014年11月28日朝刊)。新聞各紙は西日本同様同日の朝刊で報道したが、呼び出して手渡していたとは伝えていない。この西日本は1面トップと2面で解説記事を載せるなど大きく紙面を割いた。政府・与党の「アンダー・コントロール」下にあるテレビ報道 他紙にも報じられていることだが、「文書について複数の関係者は、安倍晋三首相が解散表明した(11月)18日、TBSの『NEWS23』に出演し、強い不快感を持ったことがきっかけと証言している。番組は景気回復の実感を街頭の市民にインタビューし、放送された5人のうち4人が「全然恩恵を受けていない」などと疑問視する趣旨の発言をした。首相はすかさず「街の声ですから、皆さん(TBSが)選んでおられると思います。おかしいじゃないですか」と局側を批判した。TBS広報部は『放送内容に問題があるとは思っていない。これまでと同様、公正中立な報道に努める』と話した。・・(略)・・NHKは『文書を受け取ったかどうかを含め、個別の件には答えられない』としている」(「西日本」1面記事)このNHKの対応は受信料で成り立つ放送事業者としての自律を疑わせるものだが、在京民放テレビ各局もこの文書について、ニュース番組では取り上げなかった。私が知る範囲では、同月末のテレビ朝日「朝まで生テレビ」で田原総一朗氏が朝日新聞や毎日新聞を参考にして取り上げただけであった。 こうした状況は、まさにテレビ報道が政権や与党の「アンダー・コントロール」下にあることを、同時に権力チェックを期待されるジャーナリズムの役割を放棄している姿勢を政権与党に示したといえるのではないか。その後、安倍氏は読売テレビやフジテレビなど政権との親和性の高いとみられるテレビ局の生放送に出演しているがTBSやテレビ朝日には生で登場することはこれまでのところない。 現政権は東京電力の福島原発事故後の状態をコントロールしていると世界に流布したように、メディア・コントロールを展開した。先の文書、そして昨年秋以降、放送法・電波法に基づくものとして「停波措置」を繰り返し国会で総務大臣が答弁をした。そしてこの春、TBS、テレビ朝日、NHKの長寿ニュース番組のキャスターなどが降板した。 2013年9月7日、ブエノスアイレスで開催されたIOC総会で2020年オリンピックを東京に招致するため安倍首相の「アンダー・コントロール」と胸張って強弁した姿は、この5月の伊勢志摩サミットで「リーマンショック・クライシス」と都合のよいデータをもとに述べた同サミット議長の安倍氏の姿と相似するものであった。籾井選出と変わらなかった今回の選考基準 さて、2017年1月の籾井会長任期満了にともない、経営委は次期会長選考を進めた。籾井会長は、就任以来、「国際放送については政府が右ということを左とは言えない」「慰安婦問題は政府の方針を見極めないとNHKのスタンスは決まらない」「原発報道はむやみに不安をあおらないよう、公式発表をベースに」など、NHKをまるで政府の広報機関とみなすかのような暴言を繰り返し、報道機関や視聴者から厳しい批判を浴びた。 あわせて、一連の暴言について国会にも参考人招致され、議員の質問を浴びた。質疑の大半が会長個人の資質にかかわるもので、放送文化の発展に寄与する質疑応答とは無関係であった。このように自主・自立・自律を欠如したまま3年もの間、ジャーナリズムのトップに立つNHKを代表してきたことは、NHKの消すに消せない「歴史」であると思う。2014年2月、質問に答えるため挙手するNHKの籾井勝人会長(左)。右はNHK経営委員会の浜田健一郎委員長=国会・衆院第1委員室(酒巻俊介撮影) 12月に入ると籾井氏の再任が難しいことが新聞各紙で大きく取り上げられた。12月2日「朝日」は朝刊1面トップで「籾井NHK会長再任困難/経営委員の同意足りず」と4段見出しで伝えた。その後、いくつかの新聞も「再任困難」と報じた。確かに、それまで籾井氏が続投に意欲を見せているとの報道があったからか、「困難」となったのであろう。その目線は籾井氏や首相のお友達と言われる経営委員からのもので客観的な報道姿勢ではない。そのように朝日新聞の見出しに違和感を覚えた私は、朝日は同氏の続投を願っているのかとさえ感じてしまった。 報道に先だって、NHKの最高意思決定機関である経営委は、10月11日に「会長指名部会」を開き、(1)公共放送としての使命を十分理解している、(2)政治的に中立である、(3)人格高潔であり説明力に優れ、広く国民から信頼を得られる、(4)構想力、リーダーシップが豊かで業務遂行力がある、(5)社会環境の変化、新しい時代の要請に対し、的確に対応できる経営的センスがある、と5項目の資格要件を決め、今後委員から候補者を募り、年内に次期会長を決める方針を明らかにしていた。その際、現会長の籾井氏も候補者の一人として議論するとした。 この「資格要件」は、それぞれが抽象的とはいえ一般論として容認されうるものだが、3年間も経営委員会から注意を受けつつ、NHKを代表する地位にいた籾井氏はその要件を満たしたとは思えない。実は籾井氏の選任を決めた前回の会長選考でもほぼ同じ6項目の要件が示され、その選考過程で籾井氏を強く推薦したのは当時委員だった石原進経営委員長なのである。NHKの歴史に刻まれた籾井体制という「汚点」NHKの石原進経営委員長=10月17日、東京・渋谷 今回、石原委員長の下で進められた次期会長選考には、約3年間に度重なる暴言や失言、そして経営委から籾井氏に「注意」が3度もあったことは、記憶に残る事実であり、NHKの歴史に刻まれた「汚点」だ。にもかかわらず、現在の経営委には自戒も自責の念もない。その上、少なくとも失言や強引な理事人事などのこの3年を検証し、次期会長選任理由やその背景を明確に説明することを欠いたままでは、汚点をぬぐい、信頼を回復するには至らないだろう。それでも現在の受信料支払い率は7割を超える。年金よりも高い支払い率に安穏としている経営陣、政府はいつの日か強烈な批判を受けることになるかもしれない。それ以上に人口減少が進むなかで受信料収入は値上げや新たな受信料対象を見つけなければ、番組制作体制を維持できなくなることは明白ではないか。 いま、NHKの将来像やあるべき放送体制を、国会審議だけでなく市民をも巻き込んで探求する必要に迫られている。であるからこそ、今回の会長選考は過去への反省を忘れ、未来への理念も思想も示されないままでは、視聴者の利益を少しも考慮しない姿勢との批判は避けられないだろう。 経営委員に政府、とりわけ安倍首相の「お友達」委員が多いと多くのメディアが指摘しているように、委員会は安倍政権の利益代弁者であり、まさに籾井氏の政治姿勢である「政府が右ということを左とは言えない」とぴったりと重なるといえる。だからこそ、次期会長選考にあたっては透明な手続きの下で、ジャーナリズム精神を備え、政治権力に毅然と対峙できる人物が選任されることを期待していた。 しかしながら12月6日、現在経営委員で元三菱商事副社長の上田良一氏が後任に決定した。会長は4代続けてNHK外部からで、経営委員からは異例の登用だという。経営委は上田氏選出までの経過を説明すべきだ。あわせて上田次期会長と委員会は、失態が続いた籾井時代の3年間を検証し、経営委の見解だけでなく、委員一人ひとりが明確な言葉で表明することが不可欠である。間違っても、籾井体制の継続を語ることがないよう祈りたい。NHK組織内でジャーナリズムに邁進している良識派を今以上あきらめさせてはならないからだ。見識も展望もなかった籾井氏の「値下げ」提案 退任が決まった籾井氏だが、経営委の次期会長選びが進む中で来秋から受信料を月額50円値下げする意向を示していた。しかし経営委はNHK執行部つまりは籾井氏サイドの提案を、11月22日に見送ることを決定した。毎日新聞は翌日の朝刊第2面に「受信料下げ見送り決定 NHK経営委 会長再任より困難」と3段見出しで伝えた。同記事の解説では、認められなかったのは施行部の値下げ案に具体的な裏付けが見られなかったためだとし、議論の進め方が拙速だと批判した。 1968年5月、テレビ受信契約が「カラー契約(月額465円)」と「普通契約(月額315円)」(白黒受信契約)に分割された際にラジオ聴取料(月額50円、なおそれまでテレビ・ラジオあわせて月額200円)が撤廃された。カラーテレビが右肩あがりで普及が進んでいたことがその背景にあったが、今回の値下げにはそうした将来の財源増はなく、ただ余剰金が出たからというもので、ここから番組制作費の増額とか番組保存・公開への利便を拡充するといった方策にあてるといった放送文化の向上への意向が見られないのは、きわめて残念なことである。 そもそも、NHK受信料契約について社会の多くが理解しているのか。その契約自体があいまいで、当のNHK、国、国会が具体的な説明を回避してきた歴史がある。受信料を支払う市民がNHKに物申す手段があるのかといえば、投書やメールあるいは電話を使うくらいしかなく、受信契約を結んでいる(多くの市民はその意識がない)ものの、通常の契約関係に見られるようなコミュニケーション回路は閉ざされている。 回路を開く努力を、そして具体的な方策を明示できなければ、「支払い拒否」は人口減以上の速度で拡大することになるだろう。このような危機を回避するために、NHKはもちろん行政も国会も、この国における放送のあるべき将来像を早急に見出すべきだろう。通信分野は技術発展に併走するかのように多くの市民に受け入れられているのだから。

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    NHK 国会中継で籾井会長のカンペ映さぬ「モミールール」

     「みなさまのNHK」のニュース番組には公平中立で、民放に比べて内容もしっかりしているという印象があるが、実は視聴者にひた隠しにされる、奇妙な“ルール”が数多く存在する。本当は「報道の不自由」だらけの裏事情を紹介しよう。●籾井会長の“カンペ”は映さない「モミールール」 かつてNHKは、番組制作費の不正支出問題などで海老沢勝二・会長が参考人招致(2004年)された時、国会中継をせずに批判を浴びた。 それを反省してか、現在の籾井勝二・会長の下で発覚した数々の不祥事が国会で追及された際には、籾井氏の答弁の様子を中継している。 しかし、「会長に後ろの席からメモを渡すNHK職員の姿が雑誌メディアに報じられたことがあった。なので答弁待ちの時は会長が映らないように気をつけている」(NHK関係者)というのだ(NHKは「ご指摘のようなルールはありません」と回答)。●「反政府デモ」を放送する時には…… 原発再稼働や安保法制で広がった政府批判デモに対して、NHKはデリケートな対応を迫られている。 当初、NHKはそうしたデモをニュースでほとんど取り上げなかった。だが、籾井会長の「政府が右と言っているものを左と言うわけにはいかない」という発言(後に撤回、謝罪)も相まって、怒った市民約1000人が昨年8月、2回にわたって「デモを報じないNHKを包囲するデモ」を行なうと“報道基準”を一変させた。「今は重要なデモはきちんとニュースで報じている。ただし、同時に番組内で政府の立場・主張もしっかり取り上げることでバランスに配慮している」(30代NHK職員) たしかに3月25日の『ニュース7』を例にとると、保育制度拡充を求める国会前デモの映像を流す一方で、別のニュースとして安倍首相の待機児童問題での国会答弁、つまり「政権の言い分」も報じた。「報道しないで視聴者に怒りを向けられるのは怖いが、政府に睨まれるのはもっと怖い」というのがNHK流のバランス感覚なのだろう。●『日曜討論』の発言時間は秒単位まで計測 一方で、NHKの杓子定規な「政治的公平の原則」が伝わってくるのが『日曜討論』だろう。 司会者が自民党から共産党、社民党まで出席者を順番に指名し、「原則、出演者は秒単位まで同じ時間発言させる」(NHK報道スタッフ)という徹底ぶり。ちなみに「画面には映らないが、『日曜討論』ではスタジオのカメラマンもスーツ着用が原則」(同前)だといい、そのクソ真面目な雰囲気もNHKならではか。関連記事■ 失言のNHK籾井会長に三井物産OB「モミィ、やっちまったか」■ 国会前デモ報道のNHK 報じないことにデモ起こされたためか■ NHK職員「籾井会長居座れば受信料解除・不払い発生」と心配■ 籾井NHK会長「理事総入れ替えだ」で理事大半が反籾井になる■ NHK籾井会長 「モミジョンイル、モミジョンウン」の揶揄も

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    そして誰もNHKを信じなくなった

    暗くて誰も希望を持てない時代だった。そんなシーンを何度も垂れ流し続ける公共放送といえば、言わずもがなNHKである。誤解と偏見に満ちた番組をNHKはなぜ作り続けるのか。「暗黒史観」を無意識に刷り込んでいく巨大メディアの罪を再び考える。

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    「べっぴんさん」もそうだった! NHK朝ドラ暗黒史観に油断は禁物

    潮匡人(評論家、拓殖大学客員教授) NHK総合テレビで放送中の「連続テレビ小説」(朝ドラ)は「べっぴんさん」。歴代の朝ドラ同様、今回も先の大戦(大東亜戦争、いわゆる太平洋戦争)を暗く、重苦しく描いている。「いや、それは保守派の偏見」云々の水掛け論を避けるため、直近の具体例を挙げよう。番組公式サイトが紹介した「あらすじ」(10月10日~15日放送分)はこうだ。「紀夫に召集令状が届き、お腹の子供を託されたすみれは、夫不在の中、娘のさくらを出産する。戦況が厳しくなり、近江の坂東本家に疎開するすみれとゆりだったが、おじの長太郎一家の態度は冷たい。そんな中、神戸で大きな空襲があったと五十八からの知らせが入る。昭和20年8月、終戦の日を迎えたすみれは、様子を確認するため、神戸に戻る。そこで目にしたのは、焼け野原になった街と、焼け崩れた屋敷の姿だった」 ご覧のとおり、暗く、重苦しい雰囲気が「あらすじ」からも伝わってくる。NHKは「フィクション」と断るが、誰もが先の大戦と重ね合わせて視聴したに違いない。「フィクション作品の朝ドラに目くじらを立てるな」云々の苦言もあり得よう。「べっぴんさん」の(前列左から)山村紅葉、三倉茉奈、芳根京子、本田博太郎、(後列左から)蓮佛美沙子、中村玉緒、生瀬勝久 だが、それは違う。なぜなら、以下のとおりフィクションとは言い切れないからだ。ヒロイン「坂東すみれ」はこう描かれる。《会社経営者の父と優しい母、快活な姉のいる裕福な坂東家の次女として生まれる。(中略)太平洋戦争のさなかに結婚・妊娠するが、ほどなく夫は出征。夫不在の中、長女を出産する。さらに、終戦間際には神戸が空襲を受け、生まれ育った屋敷も財産も失ってしまう。戦地から帰らぬ夫を待ちながら、乳飲み子を抱えたすみれは、人々との出逢いに導かれ、得意だった洋裁の腕を生かして「子供服作り」を始める》(番組サイト) こうして出来た「子供服」が、あの有名ブランド「ファミリア」である。創業者の坂野惇子について同社公式サイトはこう紹介する。「神戸で裕福な家庭に生まれ、何不自由なく育ったが、結婚後、神戸の大空襲で自宅は全焼。終戦後、疎開先で幼い子どもを抱えながら、出征したまま消息のわからない夫を不安な気持ちで待つ日々を過ごす。(中略)途方に暮れ、父に相談したのがきっかけで、それまでのお嬢さん的甘えを捨て、自分の手で仕事をして生きていこうと決心する」 朝ドラのヒロイン「坂東すみれ」が、実在した坂野惇子であることは、もはや誰の目にも明らかであろう。こうした手法は、なにも「べっぴんさん」に限らない。描かれる暗黒史観描かれる暗黒史観 今年上半期の「とと姉ちゃん」もそうだった。ヒロインの「小橋常子」は「暮しの手帖社」創業者の大橋鎭子、同様に「花山伊佐次」は『暮しの手帖』の花森安治編集長。ここまで似た名前にしておきながら、「フィクションです」と言われても困る。この作品も、先の大戦を暗く、重苦しく描いた。「べっぴんさん」に登場する、終戦直後の大阪・梅田のヤミ市 昨年下半期の「あさが来た」のヒロイン「白岡あさ」も、実業家の広岡浅子。その二作前の「マッサン」に至っては、ヒロインが実在したニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝の妻(英国人)であることは公知の事実と化している。実際その後、関連銘柄の売り上げは急上昇、品薄状態を招いた。その他、実在の人物を描いた「朝ドラ」は枚挙に暇がない。 純然たるフィクションならともかく、実在の人物を描いたドラマである以上、われわれ視聴者は、現実の日本国とその歴史を想起せざるを得ない。もとより先の大戦も例外でない。これまでの関連する全作品が、いわば暗黒史観で描かれた。朝ドラが描く先の大戦は決まって暗く、重苦しい。 朝ドラだけではない。皇室を「王家」と連呼した大河ドラマ「平清盛」その他、問題作を挙げ出せばキリがない。ニュース番組や「クローズアップ現代」等々、報道番組に至っては死屍累々である(具体例は、拙著最新刊『そして誰もマスコミを信じなくなった』飛鳥新社)。ここでは朝ドラに絞ろう。「ひよっこ」も油断禁物「ひよっこ」も油断禁物 次回(来年前期)の予定作品は「ひよっこ」。「東京オリンピックが開催された1964年から始まる物語」で「集団就職で上京した“金の卵”ヒロインが、自らの殻を破って成長していく波乱万丈青春記」らしい。ならば、暗黒史観の出番はあるまい。 とはいえ、油断は禁物。なぜなら、同じ脚本家(岡田惠和)による「おひさま」(2011年前期)という〝前科〟があるからだ。同作品の舞台は「激動の昭和」で「軍事色に染まった教育や、貧困・空腹・親の死などに耐える子どもたちを目の前に戸惑いながら」云々の内容であり、なんと、これが連続テレビ放送開始50周年の記念作品だった。 案の定、作中の軍人は〝悪者〟として描かれた。旧日本軍ないし戦前の日本に対する敵意や悪意が、むき出しの朝ドラであった。  残念ながら、NHK朝ドラの視聴率はコンスタントに高い(過去最高は「おしん」の52.6%、最近も20%以上)。視聴者層も老若男女を問わず広い。反日的な暗黒史観を無意識のように刷り込んでいく凄まじいインパクトを持つ。 せっかく朝8時から放送される、名実ともの「朝ドラ」なのだ。せめて、もう少し明るく描けないものか。戦前戦中を描いた朝ドラをみるたび、そう思う。 さらに言えば、こうして朝から視聴者を暗い気分にさせておきながら、平気で受信料を強制徴収する。とても同じ日本人の所業とは思えない。 果たして次回作は、どうなるか。これまでの轍を踏むことがないよう願ってやまない。

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    旧陸軍の無謀さよりも恐ろしい無責任なNHKの「サヨク体質」

    中宮崇(サヨクウォッチャー) かつて、NHKの戦争関連番組は素晴らしかった。中でも1992年から1993年まで6回のシリーズで放映された「ドキュメント太平洋戦争」は、その最高峰と言える。(Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89) 当時まだ大学生であった私は、放映のたびにそのオープニング曲「漣歌」を聞いただけで胸が熱くなり涙が止めどなく流れ出てきたものだ。飢えと病気で次々と倒れ、歩ける者だけが生き残った「インパール作戦」の敗走路=タイ・ミャンマー国境付近(井上朝義氏撮影) 第1集の「大日本帝国のアキレス腱 〜太平洋シーレーン作戦〜」からして、太平洋戦争中に海上護衛総司令部に勤務され名著「海上護衛戦」(角川文庫)の著者としても知られる大井篤氏が登場する力の入れようで、その後も第2集「敵を知らず己を知らず 〜ガダルカナル〜」第3集「エレクトロニクスが戦を制す〜マリアナ・サイパン〜」第4集「責任なき戦場 〜ビルマ・インパール〜」第5集「踏みにじられた南の島 〜レイテ・フィリピン〜」第6集「一億玉砕への道 〜日ソ終戦工作〜」と、タイトルを見ただけで泣かされる、質の高い放送が続いた。 あまりにも評判が良かったためか、1993年に角川書店で書籍化された後もシリーズ名を「NHK取材班 編『太平洋戦争 日本の敗因』」と変え文庫化され、現在も全6巻が発売中である。 どの集も名作揃いであったが、ここでは特に第4集「責任なき戦場 〜ビルマ・インパール〜」を取り上げたい。 これは1944年に行われた「インパール作戦」の失敗の要因を批判的に検証した回である。悪化した戦局の挽回を狙い、インドの都市インパールを攻略するという野心的と言うよりもむしろ無謀極まりないこの作戦は、戦死だけで2万6千人もの犠牲者を出した挙句、参加した三個師団の師団長全員が無謀な命令に反対し、司令官の牟田口廉也の逆鱗に触れ、作戦途中に解任されるという極めて異常な様相を見せたことでも知られている。 番組では、作戦失敗の責任者である牟田口に対する日本陸軍による責任追及が極めて不十分であったことが詳細に検証される。その「無責任体質」はただこのインパール作戦に限ったことではなく、戦争中のあらゆる場面で見受けられたものであり、それが太平洋戦争敗戦の重大な要因の一つであったと結論する。 そればかりではない。この番組は、そうした軍部の「無責任体質」が敗戦後の日本の官僚機構、企業等あらゆるところで未だ続いており、それが日本の将来を危うくしていると示唆して終わる。NHKが番組関係者や上層部に処分を下したか 当時まだ青臭い学生であった私は、この番組の結論に大いに膝を打って感心したものだ。「なるほど、我が国の未来の為にも『無責任体質』の打破が必要だ。NHKはなんとすばらしいテレビ局なのだろう」と。 ところがその後のNHKの歴史は、彼らの存在そのものが「無責任体質」であったことを証明してしまった。 中でも、小泉訪朝によって北朝鮮による拉致犯罪が白日の下にさらされる前年、2001年1月30日のETV特集シリーズ「戦争をどう裁くか」は、「反日的」だのなんだのという批判では到底収まらぬほど犯罪的である。後に「NHK番組改変問題」と称され、朝日新聞等反日サヨク勢力がこぞって「自民党安倍晋三代議士等からNHK上層部に圧力があった」と騒ぎ立てたこの番組には、よりにもよって北朝鮮の工作員が2名も、その素性を隠して出演していたことが判明している。NHKは「拉致など無い」「拉致は日本による捏造」などと息を吐くように嘘をついていた朝鮮総連やサヨク勢力と結託し、その反日プロパガンダに加担していたわけである。 しかしこの驚くべき事件について、NHKが番組関係者や上層部に相応の処分を下したという話は寡聞にして聞かない。 NHKによる反日プロパガンダとその事実が発覚した後も、ろくな処分が行われぬ「無責任体質」は、その後も何度となく繰り返されており、いまだ根絶される気配はない。 そうした数多の不祥事の中でも特に、2009年4月放送のNHKスペシャルシリーズ 「JAPANデビュー」第1回「アジアの“一等国”」は、現地の台湾人が日本による台湾への貢献について証言した部分をカットしたインタビューが流された結果、「捏造番組である」として、台湾人等から集団訴訟を起こされるという事態まで招く恥知らずな結果を招いた。 捏造や偏向だけではない。かつて北朝鮮の工作員を番組に登場させて将軍様のプロパガンダに加担した責任がなんら問われぬまま、今もサヨク活動家等をその素性を隠して登場させる番組が横行している。 先日9月3日放送のETV特集「関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか」においても、バリバリの反日活動家のプロパガンダを垂れ流したとの批判がネット上において多数見られ、登場人物の素性を詳細に調査したホームページも公開されている。 NHKによる捏造・偏向番組は、こうした政治的な内容を含むもの以外についても溢れかえっている。最近では「全ろうの作曲家佐村河内守」を扱った2013年3月31日放送のNHKスペシャル「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」が有名であろう。2014年3月、会見中に記者の要望で手話を披露する佐村河内守氏(矢島康弘撮影) はたしてあの番組の責任問題は一体どうなっているのであろうか。企業や行政が不祥事を起こすたびに厳しい処分を求め、時には責任者が自殺に追い込まれるまで追及の手を止めぬのが我が国のテレビ局文化であるが、NHKが自らの不祥事において責任者を解雇したなどということが一体どれだけあったであろうか?他人に厳しく自分に甘い、そういう人間を「卑怯者」と言わずしてなんと言うのか。 幸いにして、NHKには「ドキュメント太平洋戦争」という素晴らしいコンテンツがある。新人教育を始め、定期的にこの絶好の教材を用いて職員のモラル向上教育を行うことをNHKにはお勧めしたい。

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    日本の安全保障の観点ゼロ! 沖縄基地問題で偏向番組を流したNHK

    古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員) NHKが沖縄の米軍基地問題を日本の高校生に解説し、議論させるという番組をみて、驚いた。米軍基地の基礎となる日本の安全保障という観点がゼロ、沖縄の地域住民にとっての環境問題としかみないのだ。その偏向したNHK視点を高校生たちに刷り込むというのは政治的な洗脳工作にもみえた。米軍北部訓練場視察のため自衛隊ヘリに乗り込む菅義偉官房長官(右から3人目)=10月8日、航空自衛隊那覇基地 この番組は1月25日午後5時から放映された「シブ5時」というニュースがらみの総合番組だった。そのなかで15分ほども費やすセクションに「高校生が考える沖縄 イチから学ぶ基地問題」という部分があった。東京都の高校生が沖縄に修学旅行するに際して、沖縄の米軍基地について事前に学習をさせ、そのうえで現地の実態を見学する、という趣旨の番組だった。 その進行役が安達宣正解説委員、そこに芸人の田畑、勝本という人物2人が加わっていた。その安達解説委員の沖縄の米軍基地についての説明はネガティブな側面ばかり、地元の住民が騒音に悩んでいる。米軍将兵が地元の女性を暴行した。沖縄県の基地負担が過剰に大きい。こんな点ばかりのあの手この手の紹介だった。 では沖縄に米軍基地がなぜ必要なのか。この点は安達解説委員は最初から最後まで何一つ述べなかった。日本の安全保障への言及がゼロなのだ。その過程で東京の男子高校生が「日本は憲法などのために戦うことができないから、米軍の強大な軍事力に国を守ってもらう。そのために米軍基地が沖縄には必要なのだと思う」と述べた。この鋭い指摘に対し、先生役の安達解説委員はなにも述べず、また基地の騒音などを語るだけだった。 後半で女子高校生が「日本に戦争をしかけようとするところはどこにもないから、米軍基地は必要ないと思う」と述べた。その結論の適否はともかく、「戦争」という概念と「米軍基地」とを結びつける発言は少なくとも沖縄の基地を日本の安全という文脈で考えようとする態度をみせていた。だがNHKを代表する安達解説委員はこれまたこの発言を無視して、「米軍基地問題は国と沖縄県とが同じ歩調で取り組むべきだ」などと、沖縄知事の安保無視の構えを応援するような言葉を発し、高校生が提起した重要な課題から逃げていた。 日本固有の領土の尖閣諸島は沖縄県である。中国がいま軍事力を使ってでもその尖閣諸島を日本から奪取しようという企図していることは武装艦艇による尖閣至近の日本領海への毎週への侵入をみても明白である。 日本を敵視する北朝鮮が核兵器や弾道ミサイルを開発している。しかも韓国には実際に軍事攻撃をかけるし、日本に対しても好戦的な言辞を頻繁に発し、日本方向に弾道ミサイルを何度も発射する。中国の軍事脅威、北朝鮮の軍事脅威こそ沖縄の米軍基地の存在理由なのだ。だがNHKはそんな現実にはツユほどの関心も示さない。その象徴がこの高校生洗脳番組のように思えた。 NHKが規制される放送法は番組が「政治的に公平である」ことを義務づけている。「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」ことも決めている。沖縄の米軍基地は日本国が求めた結果、起きた現象だといえる。日本全体でみた場合、沖縄の米軍基地の存在には「対立する意見」があることは自明である。であれば、NHKは放送法の規定により、「多くの角度からの論点を明らかにする」義務がある。 だが1月25日放映の番組は沖縄の米軍基地への反対論ばかりを宣伝し、放送法に明らかに違反していた。そんな政治偏向番組に高校生を利用するとは、なんとも卑劣にみえた。

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    村山富市元首相と何も変わらないNHKの解説委員

    西村眞悟(元衆院議員) NHKで「解説スタジアム、戦後70年談話、解説委員が生討論!」というのをやっていた。その番組の後半の10分位を見たが、そのレベルの低さに驚いた。お前達は、中共の解説委員か、日本の解説委員か、どっちだ!村山富市元首相 TV画面をつけると、解説委員達が居並ぶ中央に、村山富市の大きな写真があるので、葬式の献花台の写真かと思いながら、彼らが何をしゃべるのかと聞いていると解説委員達は、もっともらしい顔をして、戦後70年の安倍総理の談話が、   ①我が国の戦争に対する外国の非難に応じたものになりうるかが問題、②村山富市談話を変更する談話であれば問題、③何故なら、内閣の談話は、一貫したものがなければならないから、④「謝罪」という言葉をいれるかどうかがポイント、⑤安倍総理が歴史修正主義者だと思われない方がよい、などと、しゃべっていた。 この、今の時点で、歴史の事実には触れずに、解説委員どもが、安倍総理が、ああ言えば問題だ、こう言えば非難されると、もっともらしく話し合うのを視聴者に見せることは、明らかに、NHKの「報道」ではなく、「世論誘導」、正確には「世論誤導」である。   何故なら、彼らがどこの外国の意向を念頭に置いて、問題だとか、非難されるとか、言っているのかを察すればすぐ分かるではないか。それは、中共である。NHKは、今から安倍総理談話が、中共の意向に合致して、中共から非難されないように我が国世論を誘導しようとしている。従って、解説委員どもは、中共の解説委員であり、日本の解説委員ではない。 歴史の事実は、こうである。 (1)1930年代、スターリンのコミンテルン(国際共産主義運動)の革命戦略は、「内戦から戦争へ、戦争から革命へ」であり、毛沢東の中国共産党の革命戦略も、コミンテルンと同じ「政権は銃口から生まれる」である。つまり、両者は、革命のために戦争を欲していたのだ。しかし、毛沢東の共産軍は、蒋介石の国民党軍の討伐作戦に敗北し延安に逃げ込んで武器も装備も乏しい弱小集団にすぎなかった。 (2)同時期、蒋介石の国民党軍は、ドイツ軍事顧問団により、ドイツ製の武器を装備した近代的軍隊に成長していた。そして、ドイツ顧問団の「敵を日本一個に絞ること」という意見に従い、上海で近代的陣地を構築して対日戦の準備をしていた。その時の蒋介石の軍隊は200万人を超えていた。日本軍は、上海に海軍陸戦隊が5千人で本土などに29万人である。 (3)1936年12月、満州の軍閥張作霖の息子の張学良は西安で蒋介石を監禁する。スターリンと毛沢東は、蒋介石を殺さずに、彼をして日本との戦争を開始させようとする。そして、1937年1月、蒋介石と毛沢東の、第二次国共合作成立。 (4)第二次国共合作の後の同年7月7日、共産党、蘆溝橋で日本軍に発砲して蘆溝橋事件勃発。次に、西安での約束を実行する為に、上海で蒋介石が、育成した正規軍に、日本海軍陸戦隊に対する総攻撃を命令じて第二次上海事変勃発。 (5)戦争を欲したのは中国側である。その戦争の中から、毛沢東とスターリンは、その戦略通り、中国の権力を握り、中華人民共和国が、1949年10月1日、誕生する。 (6)蘆溝橋事件つまり日華事変前の日中の戦力差は、200万人超の中国に対して日本は29万である。日華事変後に急遽増員しても日本の戦力は95万人である。この戦力差から見ても、戦争を欲したのは中国であることが明らかではないか。 (7)我が国が戦っているときには、中華人民共和国は存在しない。我が国は中華民国もしくは蒋介石と戦っていたのである。  NHKの解説委員が、日本の解説委員なら、以上の事実の一つでも国民に「解説」するはずだ。NHKの解説委員は日本人なのか 次に、対アメリカであるが、敵の総大将であったマッカーサー元帥が、斯くの如く告白し、また、証言したと国民に広報すべき責務が日本の解説委員にはある。 (1)マッカーサー、1950年(昭和25年)10月15日、ウェーキ島でトルーマン大統領に対し、「東京裁判は誤りだった」と告白する。 (2)マッカーサー、1951年5月3日、アメリカ上院軍事外交合同委員会聴聞会で、次の通り証言する。①「日本がもしこれらの原料の供給を断ちきられたら、1000万人からの失業者が日本で発生するであろう事を彼らは恐れた。従って、彼らが、戦争に駆り立てられた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだったのだ・・・」②「アメリカの太平洋でのこの100年の最大の政治的な誤りは、中国において共産主義者に権力を握らせたということだと、全く個人的な見解ながら私はそう考える」  ここでも繰り返す。NHKの解説委員が、日本の解説委員なら、このマッカーサーの告白と証言を国民に「解説」するはずだ。最後に、我が国の國體の観点から導かれる明確な原理を指摘しておく。   天皇が、総理大臣を任命される。よって、総理大臣は、天皇の詔書に反する内容の談話を発表できない。天皇は、「開戦の詔書」、昭和16年12月8日、「終戦の詔書」、同20年8月14日、「新日本建設の詔書」、同21年1月1日、の三つの詔書を発せられ、以後、その内容を一切、訂正も否定もされていない。 天皇の御製、「ふりつもる 深雪にたへて いろかえぬ 松ぞおおしき 人もかくあれ」。諸兄姉、この三つの詔書と御製を拝されよ。詔書には、自虐史観のかけらもないではないか。(西村眞悟公式ブログ 2015年7月20日分を転載)

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    NHK会長の問題発言 「政府公式発表」以外排除なら報道機関の危機

    (筑紫女学園大学教授、元フジテレビプロデューサー)(メディアゴンより2016年4月30日分を転載) NHK会長の問題発言が波紋を呼んでいる。今月20日、NHKの災害対策本部会議で籾井勝人会長は、原発関連の報道について、「住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えてほしい」「いろいろある専門家の見解を伝えても、いたずらに不安をかき立てる」などと指示していたと朝日新聞(2016/4/24・4/27)は伝えている。NHKの籾井勝人会長 この発言は事実上、「原発に関する報道では、政府や原子力規制委員会の公式発表のみ伝えて、原発の安全性に疑問を投げかける専門家の意見は取り上げるな」と部下に指示しているのと同じだ。 NHKは政府や原子力規制委員会の広報ではない。そんなわかりきったことをわざわざ確認しなくてはならないご時世になっていることに思い至り背筋が寒くなる。言うまでもなくNHKを含め報道機関は独自の批判的な視点から「公式発表」を点検するのも重要な使命だが、籾井会長はそんなことには考え及ばないらしい。 そもそも籾井会長がいう「不安をかき立てる情報」とは何なのか? 東日本大震災発生時の報道を振り返ってみよう。震災発生直後の放射性物質拡散予測システム「SPEEDI」のデータはまさに「不安をかき立てる情報」であった。当時の菅政権は福島原発の周辺住民がパニックになるのを恐れ、そのデータの隠ぺいに走ったとされる。結果、肝心の避難の際には全く活用されなかった。【参考】「報道の自由」の低下は日本が発展途上国に戻りつつある証か?[茂木健一郎] このほかにも核燃料が解け落ちるメルトダウンや汚染水の海への流出に関する情報は「不安をかき立てる」ため公表されず、発生後ずいぶん時間が経ってからニュースになっている。皮肉なことに「不安をかき立てる情報」を隠ぺいしたがる政府や東電の体質が明らかになればなるほど、逆に国民の不安は募っていったのだ。 当時のニュース報道の教訓を生かして、改めてNHKは原発に関する事実や様々な見解を隠さずにきちんと伝えてほしい。日本は地震大国。私たちはパニックに陥らずに現実に向き合えるだけのリテラシーと冷静さを持ち合わせているはずだ。 地震学の専門家からは川内原発周辺の活断層が大きく動く可能性が指摘されているし、一度停止するべきという意見もある。一方で、停止に反対する人にも隠された言い分があるだろう。政治的な駆け引きや日本経済への影響、再稼働を決めた人たちの面子・・・原発問題の背景には「公式発表」ではわからない事実がいくつもあるはずだ。九州に住んでいて今も時々余震を感じる筆者は、それらをすべて知っておきたい。 籾井会長は、彼なりの責任感や使命感から原発関連の情報に多様性をもたせたくないのであろうが、報道はなによりも「事実」を伝えることを優先するべきだろう。それによって人々の生命が救われることがあるかもしれない。NHKは、「事実」の伝達より「国益」を優先し大本営発表を続けた戦時中の報道機関のようになってはならない。 ネガティブに考えて、もしも籾井会長が指示した通りに「公式情報」以外の情報を排除する傾向がNHKに表れ始めているとしたら明らかに時代を逆走している。 報道機関としての緩やかな死へと向かっているのではないか。

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    何かと話題になる特殊法人、NHKってどんな団体?

    (THE PAGEより転載) このところ何かと話題になるNHKですが、誰もが知っているテレビ局である一方、どのような組織なのか、その実態はほとんど知られていません。 NHK(日本放送協会)は、放送法に基づいて設立された特殊法人です。かつて日本にはNTTの前進である日本電信電話公社、JTの前進である日本専売公社、JRの前身である日本国有鉄道など、数多くの特殊法人がありました。しかし、一連の特殊法人改革によって、その多くが民営化され、日本郵政グループ(前日本郵政公社)の上場も目前となっていますから、日本年金機構など一部の例外を除くと、旧来の体制を維持しているもっとも大きな特殊法人のひとつということになるでしょう。またNHK本体とは別に、制作会社であるNHKエンタープライズ、NHKエデュケーショナルなど子会社・関連会社を17社所有しており、NHKグループを形成しています。 NHKは公共放送という位置付けになっており、国営放送とは明確に区別されています。理屈の上では政府の仕事を行っているわけではありませんが、受信料の支払いが義務付けられていることから、公金で運営されているという解釈になります。したがって、NHKの予算は毎年、国会の承認を得ることになっています。監督官庁ではなく国会の承認を得る仕組みになっているのは、行政府とは独立した組織になっていないと報道の中立性を保てないからです。[グラフ]NHKの業務別予算(単体)「平成26年度収支予算と事業計画」から転載 NHKの予算はかなり巨額なものです。2014年3月期おける連結事業収入(民間の売上高に相当)は約7400億円もあり、このほとんどが国民からの受信料です。ちなみに地上波大手の日本テレビホールディングスの売上高は約3400億円ですから、2倍以上の規模があります。 職員数は約1万人を超えており(NHK本体のみ)、こちらも日テレの2倍以上あります。NHK職員の平均年収は財務諸表上では1200万円程度と計算されますが、手当などを含めた年収は1500万円に達するとの報道もあります。これは民間のテレビ局などに匹敵する水準と考えてよいでしょう。 ちなみにNHKは受信料の徴収業務の多くを外部に委託していますが、こうした徴収業務にかかる費用は580億円に達します。6400億円の受信料を確保するために、580億円の費用をかけているのですが、この金額の妥当性はもっと検証されてもよいでしょう。 NHKが国営放送ではなく独立性を持った公共放送であることには、それなりの意義があります。しかし、公共放送としての体制を維持していくためには、国民から理解され、支持されることが重要です。その意味で、より多くの人がNHKの経営実態をもっと知る必要があるでしょう。(The Capital Tribune Japan)

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    朝ドラ「戦争=人殺し」という描写の薄っぺらさを専門家批判

     数々の名作を世に送り出してきたNHK『連続テレビ小説』(朝ドラ)には、戦時下の日本をテーマにした作品が多い。だが、国史研究家の小名木善行氏は「朝ドラで描かれる日本軍はあまりに恣意的ではないか」と疑問を呈す。* * * NHKの朝ドラは『おしん』の頃からよく見ています。良質な作品が多く、毎朝これを見ないと一日が始まらないという人もいるでしょう。2010年8月、NHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の最終収録を終えた主演の松下奈緒(左)と向井理 しかし、近年の作品は思想性が色濃く反映されたものが多いように感じます。たとえば、2010年に放送された『ゲゲゲの女房』では、主人公の夫・茂が戦時中に南方の島・ラバウルの最前線に送られた戦争体験を語る場面があります。 壊滅した前線から味方の部隊に命からがらたどり着くと、茂は上官たちから「命より貴重な銃を捨ててよく帰ってきおったなぁ」「なぜお前だけ生きて戻ったんだ!」と責め立てられる。これは、モデルとなった水木しげるさんの実体験です。ただし、その叱責の後には「今回のことは不問に付す。但し、次の戦闘では必ず挽回せい!」という上官の台詞が続くのです。 ちょっとした判断ミスによって命が失われるような過酷な状況では、軍の上官たるもの、常に厳しくあらねばならない。これは仕方のないことです。ただ、「不問に付す」という台詞で上官の愛情を示しているにもかかわらず、映像では上官たちがとても憎々しい表情をしており、憎たらしい存在として描かれている。文章の場合と違って、映像作品ではその“余白”にさまざまな要素を作り手が盛り込めます。旧日本軍とその上層部を「絶対的な悪」に仕立てようとする作為的なものを感じてしまうのです。 2013年に放送された『ごちそうさん』は、戦時下で子の無事を願う母親の気持ちがよく描かれたドラマでした。また、当時の家庭におけるひもじい食生活や、食料を得るための主婦の懸命な姿も描写されています。 一方で、戦争に対する偏向的な思想が描かれた作品でもありました。 その一つが、次男の活男が本格的な西洋料理を学ぶため「海軍主計科に仕官したい」と言い出し、母・め以子が猛反対する場面です。母の思わぬ反対に、活男は「自分もあと3年すれば否応なしに徴兵されてしまう」「戦争に行かなくても空襲で死んでしまうかもしれない」「自分の好きなことをやって死にたい」と食い下がりますが、め以子は、「お母ちゃんを人殺しにするつもりか!」と一喝します。 戦争に行くことは「人殺しに行く」ことであり、また、それを許すことは子を死なせることでもある、というニュアンスで描かれているのです。 もちろん、子を想う母親の愛情は普遍的です。「3年のうちに(戦争が)終わるかもしれんやろ」という、め以子の言葉も、子供への愛情という意味で大変印象的でした。 ただ、当時は軍人だけではなく、民間人も空襲で殺されていく、そういう現実が目の前にあった時代です。愛する家族の命を守るために、自分ができることをしたい、そう考えるのが当時の一般的な国民の気持ちだったのではないでしょうか。「戦争反対」は、戦争のない平和な時代だからこそ叫べるのであり、戦時下で戦争反対を唱えることは、目の前で多くの命が奪われていく現実からの“逃避行為”に過ぎませんでした。そういう時代に生きた当事者の気持ちを察すると、「戦争=人殺し」という単純な構図で描いたこのドラマは、あまりにも薄っぺらなものに見えてしまうのです。【PROFILE】1956年生まれ。静岡県浜松市出身。会社員、会社経営を経て国史研究家として活動。日本の正しい歴史を伝える自身のブログ「ねずさんのひとりごと」が人気に。著書に『昔も今もすごいぞ日本人!』、日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」』(いずれも彩雲出版刊)などがある。関連記事■ 戦争を回避することがでなかった理由を紐解く『昭和史講義』■ 「戦争ができる国作り」が進む日本の現在の状況を分析した本■ 戦犯逃れた石原莞爾再評価に異論「満州事変は彼が起こした」■ 涙なくしては読めない 戦争の残酷さを描く野坂昭如の童話集■ アメリカの原爆投下に戦争責任はないのかを真正面から問う本

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    元NEWS23岸井成格氏「政権からの巧妙な圧力あった」

     各局がしのぎを削るニュース番組の現場。そこへ、政権側からの注文が目立つようになっている。特に今年2月、放送行政を司る総務省のトップ、高市早苗総務相の発言は、圧力として受け止められ、広く報じられた。 高市大臣は、放送局が政治的に公平性を欠く放送を繰り返す場合は放送法第4条に違反するとし「行政指導しても全く改善されず、公共の電波を使って繰り返される場合、それに対して何の反応もしないと約束するわけにいかない」と発言し、“電波停止”をにおわせたのだ。シンポジウムで講演する毎日新聞社特別編集委員の岸井成格氏=6月14日、徳島市 放送は、新聞や雑誌と異なり、国の認可事業だ。総務省が発行する免許を5年ごとに更新できないと放送を続けられなくなる。電波停止とはその免許を剥奪することを意味するもので、“反政権の姿勢”を貫く番組があると、その放送局は政府によって放送をできなくする──そう圧力をかけたと指摘されたわけだ。 元民放連職員で、立教大学社会学部メディア社会学教授の砂川浩慶さんは「高市大臣は法律の内容を理解していない」と言う。 この議論の中心にある放送法は、戦前の政府が言論弾圧していた過去を踏まえて制定されており、第1条ではその目的を《放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること》としている。「いったい誰が、《放送の不偏不党、真実及び自律を保障》するのか。それは、放送局ではなく、政府です。政府が自律を保障しなくてはならないのです。また、第4条の“政治的に公平であること”という項が注目されますが、“意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること”という項もあります。つまりニュース番組には、視聴者に対して、考えるための材料を提供することが求められているのです。この観点で見ると、NHKは政府の考えを肯定するような報道が目立ちます。政治的公平という点でいえば、NHKは偏ったニュースを放送しています」(砂川さん)やり方が非常に巧妙『テレビ局の都合で決めました』 つまり反権力の報道ではなく、親権力の報道こそ、政治的に公平ではないというわけだ。時間をかけた独自の取材で定評のある『報道特集』(TBS系)でキャスターを務める金平茂紀さんも次のように指摘する。「政治が世論と違う方向に突き進んでいくときに政府に物申したからといって、それが公平性を欠くとはいえないでしょう」 ところが、反権力の姿勢だったと自認する『報道ステーション』(テレビ朝日系)の古舘伊知郎さんや、『NEWS23』(TBS系)のアンカーだった毎日新聞特別編集委員の岸井成格さんなど、番組内で政権に批判的な発言をしたキャスターが今春、次々と番組を降りた。そこには放送法でしばられたテレビ局への政権からの圧力があったからだという説が今も根強い。「直接的なものはなかったけれど、あったか、なかったかでいえば、圧力はあったと思います。ただ、やり方が非常に巧妙で、『テレビ局の都合で決めました』となる」 そう話すのは、岸井さんだ。「総理官邸や自民党幹部が『岸井のあの発言はまずいんじゃない?』と言っていたなどという情報は、しょっちゅう、私の耳にまで届いていました。そういったことはテレビ各局の上層部にも伝わり、そこから現場へも伝われば、現場は自粛したり、萎縮する傾向はあります。政権側としては、味をしめるでしょう。最近のNHKが心配です」 降板したもう1人の古舘さんは朝日新聞(5月31日付朝刊)のインタビューで直接の圧力については否定した上で、こう語っていた。《画面上、圧力があったかのようなニュアンスを醸し出す間合いを、僕がつくった感はある。実力が足りなかった。原発事故後の福島の甲状腺がんの特集も、ドイツのワイマール憲法の特集も、考え方が違う人は『偏っている』と言う。その気配を察して、僕を先頭に番組をつくる側が自主規制をしたきらいがないか。だれかから文句を言われる前に、よく言えば自制、悪く言えば勝手に斟酌(しんしゃく)したところがあったと思う》 萎縮・自主規制・斟酌…それこそが、今のニュースの制作現場に蔓延している雰囲気だ。民放のニュース番組ディレクターは首をすくめてこう語った。「原発や安保など、賛否が二分されるテーマほど扱いにくくなっています。企画を出すときも番組を作るときも両方の意見を均等に入れるように上から指示されたり、“慎重に”と釘を刺される。でも、それじゃあ尺も足りないし、やる意味があるのかということすら思えてきます」 気がつけば、放送されるのは当たり障りのないどうでもいいニュースばかり、という笑えない状況も必ずしも絵空事ではないかもしれない。関連記事■ オールナイトニッポンの誕生秘話と全盛期エピソードが本に■ 「紅白ストリップ合戦」など画期的企画送り出した『11PM』■ 台湾のお天気番組で話題のコスプレ美女軍団を生足撮り下ろし■ 『あさチャン!』プロデューサー 夏目三久の魅力は笑顔力■ 紅白歌合戦 正月特番から大晦日に日程変更された意外な理由

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    貧困女子高生という安易な「記号」に飛びついたNHKとネットの呪縛

    北条かや(著述家)それでも炎上事件を取り上げる理由 正直に告白すると、この原稿を書くのは気が重い。NHKが報じた「子供の貧困」特集で、家庭の窮状を訴えた高校生のツイッターが特定され、ネットで集中的にバッシングされた件についてである。自身もよくネットで炎上してしまう者として、誤解に基づく記事や中傷的な書き込みが一生ネットに残ることの気持ち悪さ、誰を責めて良いのかわからず結局自分をすり減らす虚しさなど、炎上が文字通り「業火で身を焼かれるような苦しみ」であることが思い出される。この件について書くこと自体が、バッシングされた彼女を苦しめる「炎上」に火をくべることにならないか。だからできるだけ彼女の個人情報(ツイッターやテレビでの発言など)には触れず、炎上した細かな内容についても説明を避ける。その上で今回は、少し別の視点からこの問題を掘り下げることにする。 NHKの番組に登場した女子高生のツイッターが暴かれ、叩かれる様子は見ていていたたまれなかった。番組が終了した直後から、私のツイッターのタイムラインには次々とこの件に関するRTが流れては消え、それらの扇情的なタイトルを見るだけでも嫌な気持ちになる。以前から生活保護受給者に厳しい目を向けていた片山さつき議員も便乗し、まるでその女子高生を非難するかのようなツイートを重ねた。大々的に「NHKのやらせ」とか、貧困が「女子高生自身の問題」と報じたネットメディアもある。万が一、NHKの報道に問題があったとしても、この個人バッシングは一体なんだろう。 後日、バッシング記事が根拠のない「捏造」であることが露呈し、議論は一気に「貧困の当事者を叩くのはよくない」との方向へ傾く。炎上の的になった彼女を擁護する意見も相次ぎ、人権侵害であるとの見方も広まっているが、彼女が受けた傷は計り知れない。ネットには、中傷記事やコメントが一生残るのである。大きなリスクを負って訴訟を起こしても、表現の自由との兼ね合いで削除できないものは多い。ネットに溢れる「自由な言論」は、簡単に責任を問えないのである。どうしてこんなことになってしまったのか。 私たちはどこかで、自分の感情を吐き出したい、発散させたいと思っている。匿名でどろどろした感情を発信できるインターネットは、このカタルシス願望を叶えてくれる。今回の件にかぎらず、ネットに溢れる罵詈雑言は、「匿名で感情を吐き出すことの快楽」に裏付けされている。 何かを吐き出したい私たちは、分かりやすいコンテンツを求める。分かりやすいコンテンツとは、容易に理解できそうで、ゴシップ的な興味をそそり、楽しめそうな内容だ。たとえば「貧困」「女子高生の私生活」「NHKのやらせ疑惑」。それらはコンテンツというより、もはや記号=ある種の属性に還元されている。炎上に加担する人は、安易で分かりやすい記号に反応しているのである。テレビに出て窮状を訴えた彼女の人生や、貧困問題について深く考える必要はない。「女子高生」「やらせ」「NHK」などの記号を消費し、上から目線で論評することで、世間と一体化した「強い自分」がカタルシスを得られればいいのだから。今回の炎上に加担した(しているかもしれない)1人として、筆者もまたこの批判を免れ得ない。テレビにつきまとう「分かりやすさ」の呪縛テレビにつきまとう「分かりやすさ」の呪縛 ネットだけが悪いわけではない。テレビもまた、その本質からして分かりやすさとカタルシスにまみれたメディアである。お硬いニュースさえ、物事の本質を深く考えさせることには向かない。数分間の映像と解説が、それらを省略したテロップと共に流れ消えていく。数千万という視聴者にニュースを知らせ、何らかのコンテンツを提供するテレビの役割は、「分かりやすさ」に縛られざるをえない。 NHKの番組制作サイドは今回のニュース特集を作成するにあたって、分かりやすく現状を伝えるために「使えそうな」人材を探していただろう。そこで、神奈川で行われた「子どもの貧困」を考えるフォーラムで登壇したある女子高生がたまたま目をつけられたのである。表現は悪いが、彼女が視聴者にとって分かりやすいコンテンツになりそうだったから、NHK側が取材した部分はあるだろう。「こんなに良い子が、家庭の事情で進学の夢を諦めなくてはならないなんて」と、視聴者のカタルシスを叶えられそうだったから、彼女は選ばれたのである。選ばれた彼女に一切の非はない。「貧困」「女子高生の私生活」「夢を諦める辛さ」……いずれも分かりやすい記号が、たまたま彼女に関係していた。それを取り上げたのはテレビだ。制作側に貧困問題の複雑さを報じようとする使命があったとしても、テレビにつきまとう「分かりやすく」との呪縛が、それを難しくさせる。 加えてインターネットには、もっともっと多くのカタルシス願望があふれていた。分かりやすく問題を報じたと思っていたNHK側は、ネットがここまでやるとは思っていなかっただろう。人々は、安易に記号を消費し、バッシングする。それが炎上だ。「女子高生」「貧困」というコンテンツを分かりやすく紹介したテレビと、カタルシスを欲しがる私たち。両者の欲望が、悲しくも一致してしまったのが今回の炎上事件だ。この問題で、相対的貧困なる概念に人々の注目が集まったことを評価する向きもあるが、傷ついたであろう当事者の心を思えば、その代償はあまりに大きい。

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    NHK「貧困女子騒動」はここがおかしい

    NHKのニュース番組が取り上げた「貧困女子高生」をめぐるバッシングが止まない。当該女子高生のツイッターが特定され、ネット上では「またやらせではないのか?」との憶測が広がり、片山さつき議員までも参戦する騒ぎに発展した。さてこの騒動、いったい何がどうなっているのか。

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    これが本当の「貧困」だ! 女子高生バッシングで分かった日本社会の闇

    大内裕和(中京大学教授) NHKニュースの貧困高校生報道に対して、大きな反響がありました。シングルマザーの家庭で母親の仕事がアルバイトであり、パソコンが買えず、希望する専門学校への進学を費用負担の大きさのためにあきらめたこと、などが報道されました。 これに対して、放送に自宅にあるアニメグッズなどの趣味の品々が映ったり、放送後に特定されたツイッターによって、高校生自身が昼食1000円のランチを食べたり、好きな映画を観ていたりしていたことが判明し、「あれでは貧困とは呼べない。貧困のふりをしているだけだ」「好きな昼食や映画を楽しんでいるから、支援の必要はない」などのバッシングが、ネットやツイッターなどのSNSにあふれました。 ここには第一に、相対的貧困への無理解があらわれています。報道に対して「貧困ではない」というバッシングは、貧困とは収入が全くなかったり、食べるものや住むところがなかったりなどの窮乏状態を意味するという認識に基づいています。こうした窮乏状態のことを絶対的貧困と呼びます。 この絶対的貧困を認識し、解決していくことは大切な課題ですが、これだけでは先進諸国の貧困を問い直すことはできません。この絶対的貧困に対して、その社会での標準的な生活ができない状態のことを相対的貧困と呼びます。日本を含む先進諸国は、この相対的貧困を貧困の指標としています。日本の「相対的貧困率」は、16.1%と公表されています(2012年厚労省「国民生活基礎調査」)。日本社会では現在、約6人に1人が貧困状態にあります。シングルペアレント(母子・父子家庭)の貧困率は54.6%と、非常に高い比率になっています。標準的な生活ができなければ貧困 相対的貧困とは、仕事はあるものの非正規で低賃金であるために希望している結婚や出産ができなかったり、普段食べることはできても学費が払えないために大学や専門学校への進学をあきらめるなどのことを指します。一見、普通の生活をしているように見えても、その社会での標準的な生活ができていなければ、貧困であると見なすのです。 2015年度の大学・短大進学率は56・5%、専門学校進学率は22・4%ですから、合わせて高校卒業後に78・9%が進学しています。アルバイトで働くシングルマザーの子どもで、同世代の約8割が可能となっている進学をあきらめなければならないのは、相対的貧困に当てはまる可能性が極めて高いといえるでしょう。 また、集団への同調圧力が一人ひとりに過剰にかかっているのが、日本社会の特徴です。経済的に貧しい人々にとってそれは、無理をしてでも「中流」生活に自己を適合させる行動様式を生み出します。スマホ所有や趣味、消費行動などを周囲に合わせなければ、自分が排除される危険性があるからです。「中流」への同調圧力が強ければ強いほど、相対的貧困は見えにくくなります。 この相対的貧困について、「一億総中流」幻想も災いして日本社会の認識は極めて不十分であり、貧困問題への誤解を生み出しています。相対的貧困は一見分かりにくいものですから、それを捉える側に客観的な事実認識と豊かな想像力が必要です。貧困報道バッシングの多くは客観的な事実認識と想像力を欠いており、相対的貧困への無理解を露呈したものでした。当事者である高校生へのバッシングは卑劣な個人攻撃であり、重大な人権侵害です。 第二に、新自由主義政策によって社会に蔓延する自己責任論と中間層の解体です。1980年代に始まり、1990年代以降に浸透した新自由主義は、人々の思考や行動様式、メンタリティに大きな影響を与えました。新自由主義グローバリズムと雇用の規制緩和によって、派遣、契約、パート、アルバイトなど非正規雇用の比率が高まり、不安定な仕事が急増しました。正規雇用労働者でもブラック企業や長時間労働に苦しんでいる人が多数います。高校生や大学生も、「学生であることを尊重しないアルバイト」であるブラックバイトに苦しんでいます。浸透する新自由主義 雇用の安定性が大きく奪われたのが、現代日本の特徴です。人々の生活を支えてきた日本型雇用が解体することによって、多くの人々は「自分の身は自分で守らなければならない」と考え、その感覚を強固に内面化するようになりました。 そもそも日本社会において新自由主義が浸透したのは、それまでの高度経済成長の歴史が影響しています。「頑張れば何とかなる」という努力主義と成功体験が、新自由主義を支える自己責任論へと引き継がれることになりました。 しかし、高度経済成長期の努力主義は頑張ることで「それまで以上の豊かな生活」が期待できたのに対して、現在は「頑張らなければ生き残れない」状況へと悪化しています。中流生活からの脱落におびえ、その恐怖と自己責任論に日々、痛めつけられているのが多くの人々の日常です。 貧困層の増加と同時に、中間層の解体が急速に進んでいます。中間層から振り落とされそうになっている人々の生活は、貧困層に同情したり、共感する余裕を失いつつあります。「生き残り」のための自己責任論を強く内面化している人々が、他者の貧困の苦しみに同情し、共感することは容易ではないでしょう。そして、自己や他者の貧困を、自らが声を上げたり、社会に働きかけることによって解決しようと考えることは、さらに困難であるに違いありません。 貧困高校生報道への多くのバッシングには、「貧困に陥るのはその個人や家族に責任がある」という自己責任論の考え方と、貧困の是正を社会に訴えることへの「いらだち」があらわれているように思います。このいらだちが貧困高校生報道に向けられました。自己責任論に依拠するバッシングは、相対的貧困に苦しむ高校生からの訴えを封じ、貧困報道を委縮させる危険性があります。 求められているのは相対的貧困への理解を深め、貧困層の増加と中間層の解体を同時に阻止する社会保障の枠組みを提示することです。高度経済成長時代に人々の一定の生活保障の役割を果たしていた、終身雇用と年功序列型賃金を特徴とする日本型雇用がここまで解体した以上、それは必要不可欠な課題です。 過度な自助努力を強制する新自由主義政策を転換し、所得の再分配政策と社会保障の枠組みを提示することが重要です。それがなければ、人々はますます自己責任論へとからめとられやすくなるでしょう。自己責任論が蔓延し、自助努力がこれまで以上に求められれば、貧困層の増加と中間層の解体・縮小はさらに進みます。それらが進めば民主主義は危機に陥り、経済や社会が衰退することになります。 今回の貧困高校生報道バッシングから私たちが学ぶべきことは、相対的貧困を認識してその解決を目指していくこと、そして自己責任論の罠に陥らないことだと思います。

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    勝手に「貧困女子高生」をマイナスにとらえるNHKの傲慢

    の貧困」の例として登場した高校生が貧困とは程遠い生活をしていたことが、指摘されているようです。どうもNHK側のやらせなのか、この女子高生がウソをついていたのかはわかりませんが、とにかくテレビ上で「1000円のキーボードを買ってもらって努力しましたが…」なんて悲しそうに話していた女子高生は、自らのツイッターでアニメグッズなどを買いあさって散財していたことを自慢気に話していたのでした。 私は、実はこの特集をリアルタイムで見ていました。 で、今ネットなどで言われている視点とは全く「違う視点」で、違和感を感じていた人間なのです。う~ん…このNHKの制作者の視点って…あまりにも子供じみているというか、言いたいことは2点あります。NHK金沢放送局 私が違和感を感じたのは…この女子高生が特集の最後に言う言葉なんですけれど、 「努力した人間が、その努力の分、評価される社会にしてほしいです」と話していた点なんです。甘えるのも大概にしてほしいのですが、人間は生まれながらに「不平等」です。人間は単体でそれぞれが違います。能力の高い人間がいますし、能力の低い人間がいます。アホみたいに何でもそろっている人間もいますし、生まれながらにして何にも出来ない人間もいます。だからいいのです。それが社会なのです。努力した分評価して欲しい?幼稚園児か。 高校生くらいになれば、ちょっと意見は変わらないかなぁ…。ちょっとあまりにも痛いというか、高校生がこんな子供みたいなことを言って、それを垂れ流しにしているNHKってどうなんだろうか、と。むしろそちらの方に気を取られてしまったのです。あの発言って…特集の〆にもってくるレベルの話か?どんな青臭いディレクターの作品なんだか…。 社会は厳しいです。世界は残酷です。そんなこと、高校生にもなれば、誰でも知ってる話です。福山雅治はほっといてもモテるんです。な~んにもしなくてもモテるんです。あれだけカッコよくてあれだけ喋りも出来てモテない訳ないでしょうが。私が1万年努力したって福山になんて慣れないんです。イチローは野球が上手いです。 私が「野球選手になりたいな~」って思って、本当にイチロー選手と同じだけ努力しても絶対にアメリカで3000本安打なんて打てません。打てないんです。才能がないから。生まれつき、私はイチロー選手とは違うからです。才能ない人間は死ぬまで頑張っても評価されない 努力した分評価される社会になって欲しい?本籍地をお花畑・ユートピア・タンポポ畑に移した方がいいんじゃないでしょうか?そんな世界あるなら私だって行きたいよ。そんな訳ないでしょうが。努力なんて、どれだけしても結果は1~2割しか変わらない、と主張する学者さんもいます。それ、あながち間違っているとも思えません。そんなもんだと思います。 私が、企業ファーストじゃなく、ビジネスファーストじゃなく、まずは「家族」を大事にしましょう、まずは「子供たちを大事にしましょう」って言い続けているのは、どんな人にも、子供たちは微笑んでくれることが多いからです。 社会的な評価は「社会に対して貢献できた分」しか評価されません。社会は人が人を評価するので、とても残酷なものです。あの特集に出ていた女子高生も、青臭い特集を恥ずかしげもなく組んでいたNHKの高給取りのディレクターもよく聞きなさい。努力した分「評価される」社会なんてものは存在しません。社会に対して与えた「結果」に対して「評価」はされるのです。才能ない人間は死ぬまで頑張っても評価なんてものはされません。きついこと言ってますが事実です。忘れないでください。 そして、その「残酷な現実」を受け入れた上で、もっと人間として大切な、もっと根本的な部分に力を注いだ方が絶対に幸せになれる確率は高いと私は思っています。何人にもモテなくていいから、一人でいいから、大切に思える人を見つける。そして、出来れば、その人と子供を持つ。会社でゴマすりだけが上手い、政治力の高い同僚と競ってて、あなた、幸せですか?子供たちと一緒に夕食食べてる方が1億倍は幸せよ? そして、NHKの特集で絶望的にわかっていない…最もイタいのが「貧困」という「状況」を…勝手にマイナスポイントと決めつけ、それを憐れみ、それを「可哀想ですねぇぇぇぇぇぇ」と言ってる自分たちに酔っている点です。自分たち、優しいでしょぉぉぉぉぉ?と。気持ち悪いわー。私、こういうの、大嫌いです。いいよねNHKさん。あなた方、高給取りで。 ええとですね、私の身の上話を少ししますと、私の家庭は少なくとも「お金のある家庭」ではありませんでした。素晴らしい両親でしたが、特に父親は出世よりも家族と一緒にいることを望んで、あの高度経済成長期に会社とケンカしてでも出来るだけ定時に帰ってきてくれる父でしたので、親と一緒にいる時間は長かったですが少なくともお金はありませんでした。 中学2年生の時、毎月のお小遣いが500円でした。テニス部だった私はもう少しだけ欲しいと訴えかけ、毎月の小遣いが2000円もらえるようになった時は本当に潤ったものでした。家の炊飯器は、先日ついに買い換えましたが、それまで、その炊飯器は40年間使われていました。ガスのやつね。若い人たち、誰も知らないタイプのやつね。あのですね、高給取りのNHKクンたち、よく聞け。お金がなくてかわいそう?アホか。お金持ちが得られない「絶好のチャンス」 お金がないのは「お金がない」という「特徴」でしかないのです。私は確かにクラスの同級生の友人のようにファミコンのソフトはほとんど買えなかったですが、家の近くにある山に行けば、たくさんの木が落ちていました。その木の枝を使って、組み替えてテントのような家を作り、秘密基地を作って遊ぶのは…言っときますけど、ファミコンなんかよりもずっと面白いからね?木の枝の上の方にビニールテープを木の枝を括り付けて放り投げるのです。で、テープを通して、ターザンブランコを作るのです。ワイワイ遊んでいると、木の枝が折れるんだ、これが。下に落ちてね~流血ですよ。ま…唾つけて治しましたけどね。 あのね、お金がないっていう状況は「そこから這い上がる力を身に着けられる絶好のチャンス」なのです。そして、それらの力は受験勉強などよりもよほど社会に出たときに力になります。お金が「たくさんある」と絶対にそれらを乗り越えるチャンスを得られないのです。だってお金があるから。だって物があるから。物もチャンスもないからこそ「自分で作り上げられる」のです。お金持ちさんには、それらのチャンスは絶対に得られないのです。 あの特集を作って満足している視野の狭いNHK君、よく覚えておけ。お金がある人は「お金のかかるいろんな経験」を出来ます。しかし、お金のない人は逆に「お金がないからこそできる様々な経験」を出来るのです。それらは単なる特徴であって、栄養失調になったりするレベルだとそれは問題ですが、貧困な生活であれば、それはそんな恵まれた環境は、私はないと思っています。 金持ちクンたちには絶対に得られない打たれ強さを鍛えるためには、金なんてない方がいいくらいです。NHKクン、正直に言えよ。金のない人間をバカにして楽しいんだろ?金のない人間を憐れんでいる自分が大好きなだけだろ?金がない状況にあるすべての人々にこのコラムを届けたい。君らは「素晴らしい恵まれた環境」にあります。大丈夫。君らは大人になった時に、負けない力を得るチャンスを得たのです。 貧乏人をあざ笑っている中身スカスカの金持ちボンやお嬢ちゃんに負けるな! 応援しています!!

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    ネット右翼と融合する政治家、片山さつきの「参戦」は問題ないのか

    古谷経衡(評論家/著述家) NHKが2016年8月18日に「ニュース7」の中で報じた「貧困女子高生」報道にネットが炎上中だ。この報道を要約すると、母子家庭の女子高生が、低所得のため専門学校への進学費用である約50万円を捻出できず進学をあきらめてしまったこと、その他に家にクーラーがない、パソコンがない、という窮状を扱ったもの。 わずか6分少々の特集ではあったが、ラストでは被写体となった女子高生が、横浜市のシンポジウムで「子供の貧困の実態」を訴えるという内容で終わる。これに対し、またぞろネットユーザーが「本当は(この女子高生は)貧困ではないのではないか」と疑いを持ち、SNS等で「本人特定」を開始。 やれアニメのグッズを買った、高い画材を買った、高いランチを食った、映画に行った、DVDやゲーム機を持っている、などと私生活の消費動態を徹底的に調べ上げ、「NHKの捏造だ!」と大騒ぎしている。参議院本会議を終え議場を後にする片山さつき議員=2016年6月1日、国会 特集の中でも、くだんの女子高生の家にクーラーがなく、パソコンがないという状況から、この女子高生の家庭の貧困度合いは明らかであるし、この女子高生の姉がこの報道内容が事実であると語っている。にも拘らず、一部のネットユーザーは過去のSNSを掘り下げ「豪遊だ」「捏造だ」と決めつけている。 一般的に低所得者は、高価な消費財を買うのが難しいので、小さな消費行動をため込み、消費のフラストレーションを小出しに開放する。すると部屋にモノが溢れるが、パソコンや車、土地や住宅といった高価な耐久消費財や不動産は持っていない。よって、くだんの女子高生の部屋がアニメグッズや小物で溢れているのは、なんら不自然ではない。 そして若年層の貧困は、現に存在する。ネットユーザーによる「炎上」はこの本質を無視し、ひたすらNHKの些末な荒さがしに終始する「反NHK」的イデオロギーに基づいていると言えよう。「本人特定」はネットのお家芸 こうした、疑惑の市井の人物に関しての「本人特定」は、なにも今回が初めてではない。ファイル共有ソフトに感染したパソコンから私的な画像がネットに流失したことで、大手メーカーに勤める写真の所有者が特定される騒動(いわゆる「ケツ毛バーガー事件」2006年)、札幌市の衣料品量販店の店員を強制的に土下座させ、その模様をツイッターにアップロードしていた女を特定する騒動(「しまむら店員土下座強要事件」2013年、女は逮捕された)、大手コンビニ店に勤務するアルバイトの男性が同店舗内に設置されたアイス用冷蔵庫に闖入している模様をSNSでアップロードしたところ、本人の特定に至り店舗が休業になった騒動(いわゆる「ローソン店員アイス事件」2013年)など、枚挙に暇がない。 今回の「貧困女子高生」に対する個人のSNS特定も、決して褒められたものではないが、ある種のネットユーザーの歪んだ義侠心ゆえの追求の一例として、ある種ネットユーザーの「お家芸」の延長であり、特段驚くにはあたらないといえる。 しかし、今回の炎上騒動が、他と決定的に異なるのは、ここに自民党の参議議員という、歴とした国会議員が介入してきたことだ。片山さつき議員による介入片山さつき議員による介入 自民党参議院議員の片山さつき氏は、このネット上の騒動をツイッターで知ったとして、 拝見した限り自宅の暮らし向きはつましい御様子ではありましたが、チケットやグッズ、ランチ節約すれば中古のパソコンは十分買えるでしょうからあれっと思い方も当然いらっしゃるでしょう。出典:片山さつきツイッター(2016年8月20日) とネットの騒動に便乗した「本当は貧困ではないのではないか」という趣旨の投稿を開始する。この片山議員が参照したツイッター情報とは、『痛い2ちゃんねるニュース』という、2ちゃんねるユーザーの書き込みをまとめた「まとめサイト」に依拠している。片山議員はこれを見て、 追加の情報とご意見多数頂きましたので、週明けにNHKに説明をもとめ、皆さんにフィードバックさせて頂きます!出典:片山さつきツイッター(2016年8月20日) などと血気盛んである。これまでの本人特定は、2ちゃんねるやその他のユーザーが盛り上がるだけで、政治家がこういった問題に関与することはなかった。なぜこういった2ちゃんねるの「本人特定」騒動に政治家が関与しなかったのか。第一に根拠があいまいであること、そして第二に、ネットによって「本人特定」された当人が、無名の市井の人であった、という点である。 片山議員は、2012年にも、お笑い芸人の河本準一氏の母親が生活保護を不正受給しているとの疑惑がもたれた際に、河本氏を徹底的に糾弾する急先鋒の一人となり、2012年7月に新宿で開かれた「片山さつき頑張れデモ行進」にも参加した来歴がある。 これは、くだんの河本氏への批判を行った片山議員が、メディアで批判を受けていることについて、在特会(在日特権を許さない市民の会)の支持者など、「行動する保守」を標榜する人々が主体になって行われたデモで、約180人が参加したものだった。このとき片山は、このデモを「日本版ティーパーティー運動が始まった。皆さんは本当に素晴らしい愛国者」など絶賛している。 しかし、河本氏はメディアへの露出も多く、私人とはいえ著名人であり、その親族の不正受給疑惑を糾弾することには、最低限の蓋然性があったともいえる。だが、今回の「貧困女子高生」に関する片山議員の介入は、その対象者が芸能人でも著名人でもない、市井の無名の10代の女子高生であり、「NHKの捏造!」というネットユーザーの滾る声を全面に受け、ネットの「まとめサイト」を批判的に検証することもなく、国会議員が「NHKに説明を求める」などと公言するという事態は、前代未聞の珍事である。 そしてその「説明を求める」の根拠が、「まとめサイト」というところが拙速に過ぎる。今回の「貧困女子高生」騒動は、ネットユーザーの中でも右派、保守系と目されるネット右翼(ネット保守とも)が中心となっていることは疑いようもない。一部のネット右翼によるネット上に限局した(根拠もあやふやな)騒動を、公僕たる国会議員が問題視し、NHKに説明を求める、ということ自体、極めて異様な光景だ。ここまでくると、片山議員自体がある種のネット右翼と融合しているのではないか、と見做されても致し方ないであろう。「反NHK」はネット右翼の精神的支柱「反NHK」はネット右翼の精神的支柱 NHKへのネット右翼の本格的憎悪は、2009年に始まる。同年4月にNHKが放送した「ジャパンデビュー・アジアの一等国」の放送内容について、その内容が日本の台湾統治を悪玉であると決めつけ、取材対象となった台湾少数民族を「人間動物園」などと誹謗したなどとして、「NHKの偏向報道」と銘打ち、右派系の独立放送局「日本文化チャンネル桜」が中心となって、ネット上で原告を集め、集団提訴に及んだのが端緒である(いわゆる「1万人訴訟」)。 この裁判は、2012年の第一審(東京地裁)で原告・チャンネル桜側が敗訴。しかし翌2013年の控訴審(東京高裁)で原告・チャンネル桜が逆転勝訴し、高裁はNHK側に賠償請求を命じた。NHK側は上告し、2016年1月、上告審(最高裁判所)により、原告・チャンネル桜の主張が全面的に棄却され、原告敗訴が確定した。このときの裁判所の判決には「(NHKは)日本による台湾統治の際に人種差別的な扱いがあったと番組の中で批判的に論評しているのであって、台湾少数民族に対する名誉を棄損することには到底あたらない」などとしている。 しかしこの判決以後、ネット右翼層にとって、NHKは唾棄すべき巨悪の対象になった。今回の騒動も、ネットユーザーの中でも右派的、保守的と目されるネット右翼層が主導して火付け役の機能を果たしている。片山議員もこうしたネット右翼の潮流をトレースしていることは明らかである。やはり、ある種のネット右翼と融合しているのではないか、と見做されても致し方ない。片山議員の行為は問題ではないのか片山議員の行為は問題ではないのか 繰り返すように、私はNHKの報道内容の真偽を検証する、というある種のネットユーザーによる義侠心を否定するつもりはない。前述したように、「本人特定」はネットのお家芸だからだ。しかし、その対象が私人である以上、公僕たる国会議員が、市井の日本人に対するネット右翼層の糾弾の騒擾に便乗するのは、果たして国会議員の本務なのだろうか。  NHKの番組内容を批判的に検証することは、NHKウォッチャーやメディア・ウォッチ・ライターの役割であり、国会議員の役割ではない。百歩譲って公共放送の疑義を追及する大義ありとしても、その根拠が2ちゃんねるの「まとめサイト」というところに、知的な怠惰を感じる。しかも、番組で取り上げられた「貧困女子高生」の貧困度合いは、番組に取り上げられた範囲でも明らかに問題として提起するだけの蓋然性がある。この辺の精査も、片山氏のソースは「まとめサイト」なのだから根拠が無い。たまたま自らのツイッターのタイムラインでながれてきた「まとめサイト」の内容を読んで、紛糾しているという印象しか持ちえない。 舛添前都知事は公費で「クレヨンしんちゃん」を購入したとして問題視されたが、「まとめサイト」やある種のネット右翼ユーザーの吹き上がりを根拠とし、無名の10代の私人たる女子高生に関する疑惑をNHKに公に説明求める姿勢、という片山議員の公僕らしからぬ姿勢そのものの方が、より問題であると思うのは私だけだろうか。(2016年8月23日 Yahoo!ニュース個人 「だれ日。」より転載)

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    NHKで話題となった「貧困JK」を生み出すキャリア教育の深刻な問題

    増沢隆太(人事コンサルタント 株式会社RMロンドンパートナーズ代表取締役)         NHKの子供の貧困問題で取り上げられた女子生徒が、実は貧困ではないのではないかという強い批判を呼び、炎上騒動が起きました。番組制作に問題があることには同意ですが、もう一つ、出演者が語る夢とキャリアについても強い違和感を覚えます。それはキャリア教育が目的を果たせていないことにより、貧困の連鎖放置にもつながる教育の課題です。炎上の原因 番組が貧困の例として紹介した女子生徒は、自室の風景や高価な趣味のコレクション、食事風景をSNSで投稿していたことが暴露され、「貧困ではない」という批判が起きました。番組制作上の偽装だという批判も呼び、騒動が拡大しています。政治家の片山さつき議員も参加し、いまだ延焼中といえます。 貧困の定義が明確に共有されず個人の感覚も交錯する中、多分に番組の流れが一方的で安易な「貧困、かわいそう」という風潮に寄ったことで、自己責任論が強いネット世論を刺激したといえます。パソコンが買えずに千円のキーボードで練習したという逸話も、無料でパソコンが習える環境がある等、ツッコミどころは確かに多々あります。 もう一つの批判は貧困環境であるにもかかわらず、「夢であるアニメーション関係の仕事に就きたい」という願望が果たせないことへの不満を述べていた点に向かいました。アニメーションの仕事がどんなものか、それこそちょっと調べればわかる今、貧困から抜け出そうとせず、食うのもやっとといわれるキャリアを志向し、それがかなえられないのはかわいそうだというトーンは強い批判を呼んでも仕方ありません。 貧困が偽装かどうかを判断する立場にはありませんが、「貧困だから望むキャリアがかなえられない」という主張には、キャリア教育を実践する立場として強い違和感があります。「夢をかなえる」ことがキャリアではなく、キャリア教育はそうした夢と現実の違いや、その困難を克服するための思考や行動を選択できる力の養成を目指すものだからです。キャリア教育の実態はどうなっているか 平成20年の中央教育審議会答申で、「幼稚園,小学校,中学校,高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について」として新しい学習指導要領でのキャリア教育の充実が求められました。今学校教育で求められているのは「生きる力」であり、キャリア教育推進はそのために注力されているのです。(文科省「高等学校キャリア教育の手引き」より) 正に「生きる力」の養成がキャリア教育であり、そのためには情報のリテラシーからメンタルタフネスまで、自分自身が社会に揉まれながらも生存する、技術なり思考なりを身に付けさせることが欠かせないといえます。しかし一方学校教育現場では、「夢をかなえる」式の説話がいまでも蔓延していると感じます。 例えば小学校や中学校などで社会人の話を聞く催しがありますが、私が知る限りの狭い範囲ですと医者や弁護士、公務員の方が来ることはあっても、工場労働者、サービス業で店頭に立つ人、営業職で一日中走り回る人はなかなか登場しないようです。 今、日本のキャリア状況で、生産職、サービス職、営業職以外に就く可能性はどのくらいあるでしょう。まして医師や弁護士に就けるのはごくごく例外的なほんの一部の人だけです。もっとも中心的なキャリアへの理解が著しく欠けた結果、イメージが持ちやすい医師・弁護士等ごく一部の専門職、芸術や芸能、プロスポーツといった、これまた例外的なキャリアの夢と現実を混同してしまう子供が出ています。 小学生が将来はお花屋さんになりたい、Jリーガーになりたいといっている分には何の問題もありませんが、それを高校や大学という現実のキャリア選択においても変わらなかったらどうでしょう、ろくな調査もせず、知識もないままにです。職業選択の自由は好きなことして食べられる権利ではない職業選択の自由は好きなことして食べられる権利ではない 断っておきますが憲法が保障した職業選択の自由は断固守られるべきです。しかしそれは「選択」の自由であって、その選択の結果の生活を保障するものではありません。ロックミュージシャンが、練習時間が8時間を超えたので残業手当が出ないとか、ヒット曲の出し方を教えられていないので自分は売れないなど主張しても誰も聞く耳は持ちません。 自由業ではブラックを飛び越えた超絶な過酷環境での仕事が普通ですが、それは誰にも強制されるものではなく自ら進んで選択するキャリアです。プロボクサーが練習で殴られたのでパワハラだと訴えることができないのは、自ら好き好んで選んだ道だからです。夢には輝く面だけなく、負の面も必ず付いて回ることを教えるのは、キャリア教育では絶対に欠かせません。 1曲歌うだけでとんでもない金額を手にできる、自分が好きな絵やイラスト、アニメを書いてお金がもらえる、パンが好きだから好きなパンを売ってお客さんに喜んでもらう。その現実をわかった上で選ぶなら、全くもって個人の自由であり、憲法はそれを保証しているだけなのです。1曲どころかデビューもできずに沈んで行き、もはや会社員にもなれない末路、売ったパンで腹をこわしたらしいというクレーマー対処で病的に消耗する、キャリアの現実はきれいごとだけでは済まないのです。サラリーマンというキャリアを教えよ キャリア教育で実際に働く大人の話を聞くことは非常に有意義です。しかしそこで聞くべき話はまず第一にリアルな社会を代表するべきです。それは会社員です。世の中の会社員の半分以上が何らかの形で営業職・営業関連職に就いているにも関わらず、営業の仕事が何かをきちんと知っているのは大学生でもまず見たことがありません。 今現在貧困状態であるなら、夢の前に現実を見なければ生きることはできません。生きる力を身に付けさせるには、現実を知ることと、その知った現実にどう対処するかの判断力を養成することです。文科省の目指す「生きる力」は実際に必要な教育なのです。 夢をかなえることをあきらめさせる必要は全くありません。あきらめさせるのではなく、自分で判断する能力を養い、今すぐやりたいことを目指させるのではなく、本当にやりたいことであれば一生かけて夢に近づく努力が必要だと自覚させることです。理想と現実の差をしっかり教育できていれば、貧困環境にあるにもかかわらず非現実的な夢をすぐ実現しようという、キャリア選択の危険から守ることができます。 人間は生まれながらにして不平等です。お金持ちの人もいれば美男美女、スポーツにたけた人、芸術にたけた人もいれば、いずれにも才能がない人もいるのが現実の社会です。不平等で問題のある社会だからこそ、そこでできること、自分の努力で変えられることとそうでないことを見きわめる力を教える必要があると思います。(シェアーズカフェ・オンライン 2016年08月26日分を転載)【参考記事】■就活で傷つく若者たちhttp://shachosan.rm-london.com/?eid=656497■コミュニケーション能力と丸暗記http://shachosan.rm-london.com/?eid=638064■本当に必要?就活用マナー講座 (増沢隆太 人事コンサルタント)http://sharescafe.net/48109814-20160317.html■内定辞退の作法(増沢隆太 人事コンサルタント) http://sharescafe.net/46036751-20150826.html■2018年卒就活時期の読み方 (増沢隆太 人事コンサルタント)http://sharescafe.net/49262203-20160809.html

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    EXILEは貧困の怒りを代弁しない

    田中俊英(一般社団法人officeドーナツトーク代表)湯浅氏と藤田氏の解説 NHKの貧困女子高校生番組は反響を呼び、バッシングも擁護も含め、結局は「相対的貧困」について理解が進んだと僕は解釈している。 擁護しつつ冷静に解説したのはやはり湯浅誠氏で(NHK貧困報道”炎上” 改めて考える貧困と格差)、氏は大学の先生になってしまい微妙に心配していたものの、最近はやっと「前線」に戻ってきたようだ。 また、藤田孝典氏の解説も明晰であり(「1000円ランチ」女子高生をたたく日本人の貧困観)、湯浅氏と藤田氏の擁護解説を読めば、この問題のポイントは理解できる。念のため、湯浅氏の末文を引用しておこう。※ 今回のNHK貧困報道“炎上”は、 登場した高校生と番組を制作したNHKが「まとまった進学費用を用意できない程度の低所得、相対的貧困状態にある」ことを提示したのに対して、 受け取る視聴者の側は「1000円のキーボードしか買えないなんて、衣食住にも事欠くような絶対的貧困状態なんだ」と受け止めた。 そのため、後で出てきた彼女の消費行動が、 一方からは「相対的貧困状態でのやりくりの範囲内」だから「問題なし」とされ、 他方からは「衣食住にも事欠くような状態ではない」から「問題あり」とされた。 いずれにも悪意はなく(高校生の容姿を云々するような誹謗中傷は論外)、 行き違いが求めているのは、 衣食住にも事欠くような貧困ではない相対的貧困は、許容されるべき格差なのか、対処されるべき格差なのか、 という点に関する冷静な議論だ。 そしてその議論は、どうすればより多くの子どもたちが夢と希望を持てて、より日本の発展に資する状態に持っていけるか、という観点でなされるのが望ましい。 その際には、高度経済成長を経験した日本の経緯からくる特殊性や、格差に対する個人の感じ方の違いを十分に踏まえた、丁寧な議論が不可欠だ。文化のシャワーを小さい頃に浴びないことには、発信できない文化のシャワーを小さい頃に浴びないことには、発信できない この結論を読めば今回の騒動の大筋は理解できるが、そのことと、「相対的貧困」当事者の声をどう伝えるか、どう「代弁」するかは別問題である。 相対的貧困者は6人に1人になっているが、その2,000万人の人々は、残念ながらほとんどが自らの気持ちや状態を発信できない。 これは、貧困に伴う学習不足や、貧困の結果生じる児童虐待から陥った発達の遅れ等の原因が考えられるが(たとえば杉山登志郎医師の「第四の発達障がい」や、ライター鈴木大介氏の「脳障害と貧困記事」貧困の多くは「脳のトラブル」に起因している 「見えない苦しみ」ほど過酷なものはない等参照)、そうした原因論はまさに最前線の議論だからまだ一般化はされていない。 これらはひとことで言うと、「文化」不足からくる発信能力の低さだ。 貧困家庭や養育環境が原因の低さなので、思春期以降に出会った第三者による「文化シャワー」があったとしてもなかなか発信能力は獲得できない(ちなみに僕の本業はこうした「文化シャワー」をハイティーンに伝えることだ→たとえばこの記事参照「カルチュラル・シャワー」高校生カフェは2.0に~横浜、川崎、大阪のチャレンジ)。 人間の「世界」とは、イコール「ことば」の世界の豊穣さとつながる。また、ことば(記号)を土台としたさまざまな「文化」を子ども時代にどれだけ浴びたか、その浴びた文化「量」がそのまま、その人の「世界」の広さとつながる。 その文化内容に「善悪」はあるとしても、まずは「量」を浴びる必要がある。ことばと文化をたくさんたくさん浴び、それらのシャワーから自分に適した価値を選択していく。 その価値に基づいた自分なりの「ことば」が、その人の世界観を構成し、その世界観から自分なりのことば(つまりはその人の世界観)が発信できる。 まずは、ことばや文化のシャワーを小さい頃に浴びないことには、発信もできない。 その点で、一般的に、紋切りの文化や狭い語彙しかもたない貧困層の世界観は不利だ。エグザイルは貧困の怒りを代弁しないエグザイルは貧困の怒りを代弁しない だからこそ、貧困層が愛する「文化」が、そうした多様なことばや価値をもつ必要があるのだが、コロンブスの卵的にどちらが先かはわからないものの、貧困層やその代表的生活様式のひとつである「ヤンキー」層が愛する文化は、徹底的に細く紋切り的なことばや価値しかもたない。 それはたとえば、エグザイルの作品に現れている。 ちなみに僕はエグザイルのアツシが結構好きで、アツシが無謀にもアメリカ進出というかアメリカ修行に行くこと(EXILEのATSUSHIが2018年まで海外へ 決断した思いを語る)にはガッカリ感はあるものの、数で勝負するヤンキー/アンダークラス文化のトップにいるアツシが人員キャパを超えるエグザイルから「押し出される」ことは仕方がない(ヤンキー文化と「数」はこれ参照→ヤンキーは「海賊王」がすき~階層社会の『ワンピース』)。 ちなみに元祖ヤンキー代表といえば矢沢永吉だが、ミドルクラスばかりの当時の日本社会ではエーちゃんはマイナーであり、またエーちゃんは『成り上がり』というベストセラー本も書いた。エーちゃん自ら、自分のナマのことばで、「自分」を語る人だったのだ。 が、エグザイルは徹底的に紋切り型だ。典型的な愛のことば、若者のことばが詞にはあふれるが、それは無難な若者世界観を表象しており、ロック的エゴイズムもない(マーケティング的にロック的うっとおしさを排除している)。 エグザイルははじめから貧困層を狙っているわけでもなく、実際、中間ミドルクラス層にも好きな人はいるのだろうが、多くのアンダークラス若者にも結果としてて支持されている。 その結果、無難なエグザイルのことばは、アンダークラス若者の「気持ち」を無難な世界として閉じ込める。現実の貧困アンダークラス若者はもっとセンシティブだったり暴力的だったりするだろうが、そうした微細さは紋切りな愛の言葉が発現を抑止する。 結果として、エグザイルは貧困の怒りを代弁しない。彼女ら彼らと毎日関わる、支援者や教師彼女ら彼らと毎日関わる、支援者や教師 では誰が「代弁」するか。 それは湯浅氏や藤田氏ではない。彼らはあくまでも「良質な外部」なのだ。もちろん片山さつき氏でもない。 では、雨宮処凛氏だろうか。雨宮氏のこのエッセイを読むと一見代弁者のように勘違いしてしまうが(すべての貧困バッシングは、通訳すると「黙れ」ということ~「犠牲の累進性」という言葉で対抗しよう~の巻 - 雨宮処凛)、ここには「ロマンティック・ヒューマニズム・イデオロギー」(ロマンティック・ラブ・イデオロギーのパロディです)といってもいい、過剰な人権主義ロマンのようなものがある。 この過剰な人権主義ロマンは、一人ひとりの貧困者の単独性(世界でただ1人のその人のあり方)を隠し、ヒューマニズムを主張したいための道具として使われるという皮肉な結果になる(いずれ別に詳述します)。 アンダークラスの人々を誰が代弁するか。 僕は今のところ、それは、「現場」で彼女ら彼らと毎日関わる、支援者や教師だと思っている。現場の支援者や教師は、日々の忙しさも大事ではあるが、ある意味、貧困若者を「どう代弁するか」という最重要な仕事を担うと僕は考える。有名人が解説する段階は終わっているのだ。(2016年9月3日 Yahoo!ニュース個人「子ども若者論のドーナツトーク」より転載)

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    敗者の選択を描く三谷幸喜 「真田丸」は先が見えない現代と重なる

    清須会議」(2013年)で秀吉を演じた。同じ映画で、丹羽長秀を演じた、小日向文世は今回、秀吉である。NHK大河ドラマ「真田丸」の一場面。徳川勢に見つかりあわてる信繁(堺雅人) 喜劇作家としてみられる三谷であるが、その作品はユーモアの味付けが少々加えられているとはいえ、人間の権力欲や所有欲、愛欲など逃れられない「業(ごう)」に切り込む作家である、と思う。 「ザ・マジックアワー」(2008年)は、太陽が沈む刹那の残光のなかに照らし出される美しい風景が現れる時間を、人生に重ねている。劇中劇ともいえる古い映画のなかで、主役を演じた柳澤眞一が、いまでは老人となってコマーシャルの登場人物となっている。それでも、また主役を演じる夢を抱いている。 夢見ることは、美しい。そんなマジックアワーのセットのライティングは、物語のすべてを現しているようである。時代の流れと大河人気の相関関係 大河ドラマは、制作者の意図を超えて時代の象徴となる。逆に、時代の流れと異なるときには、あまり話題にならない。 前作「花燃ゆ」の視聴率の低迷は、主役の井上真央のせいではない。司馬遼太郎がいう「坂の上の雲」を目指した明治維新の時代相は、現代と不具合をきたしている。 「賊軍の昭和史」(2015年、半藤一利・保阪正康)が話題になったように、維新を成し遂げた薩長閥が太平洋戦争をはじめ、総理だった鈴木貫太郎らかつての賊軍の出身者が終戦に持ち込んだという、歴史の見直しがなされている。 そして、いま時代はその先行きが、ますます不透明となって読めない。メディアは「老人破たん」を声高に報じるが、その対策は示し得ない。 時代の動向を感じられない劇作家はいない。三谷の「真田丸」は家族が、この時代をいかにして生き抜くか、というテーマが底に流れているようにみえる。

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    最高視聴率の大河脚本書いたジェームス三木が『真田丸』を語る

     平均視聴率39%超。いまだ破られていないNHK大河ドラマの金字塔『独眼竜政宗』(1987年)や、『八代将軍吉宗』(1995年)、『葵 徳川三代』(2000年)の脚本を書いたジェームス三木さんは、現在放送中のNHK大河ドラマ『真田丸』について、こんな独特な言い回しで絶賛する。 「ぼくは面白いかどうか、そういう見方は商売敵だから、しないんです。だって、面白いと、悔しいし、腹立たしいですから。逆につまらなかったら、まったく見ません。『真田丸』はまぁ、毎回必ず見ていますよ(笑い)」脚本家のジェームス三木さん ジェームスさんが最後に大河ドラマの脚本を手掛けた『葵 徳川三代』から15年、『真田丸』は、かつての大河とは隔世の感があるという。 「昔の言葉遣いとか立ち居振る舞い、礼儀作法を(脚本家の)三谷幸喜さんは、あまり気にしていないように感じます。ぼくなんかの時は、時代考証の先生がついて、廊下の歩き方から目配りの仕方や刀の差し方まで脚本も演出も事細かく直されました。『とんでもございません』というせりふはあり得なくて、『とんでもないことでございます』が正しいとか、随分と叩き込まれてね。 それは大河ドラマを見ている視聴者がそういう古い『時代劇らしさ』を求めていた部分も大きかったと思うんですが、今はそういうお年寄りも少なくなったんでしょう。それに詰まるところ、何が事実かなんて、実際に見た人は誰一人いないわけですから(笑い)」 『真田丸』では確かに、武将同士が道や廊下を歩きながらしゃべったり、家来が主君に質問をするなど、ジェームスさんが言う「かつてはあり得なかった場面」がポンポンと出てくる。そういう意味で『真田丸』は、斬新な大河ドラマといえそうだ。関連記事■ 武井咲 11本のCMに出演する17歳美少女のミニスカナマ脚■ 柴咲コウ主演「女ばかりの大河ドラマ」に惨敗ドラマとの共通点■ 剛力彩芽が走る、走る! 19歳の疾走シーンを独占撮り下ろし■ 金網越しに見た剛力彩芽を撮影 近くて遠い距離がもどかしい■ 剛力彩芽独占撮り下ろし こちらをじっと見つめる瞳が眩しい

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    「あさが来た」がおもろいのはなんでだす?

    視聴率が連日20%を超えるNHK連続テレビ小説「あさが来た」の勢いが止まらない。大ヒットの理由はさまざまだが、同じ明治時代を舞台にした昨年の大河ドラマ「花燃ゆ」と比較すると、やっぱり朝ドラの方が全然おもしろい。こんなにもハラハラする「あさが来た」の展開に、ほんまびっくりポンや!

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    歴史に残る傑作の予感 「あさが来た」は朝ドラ55年の王道である

    碓井広義(上智大学文学部新聞学科教授) NHKの連続テレビ小説(通称、朝ドラ)『あさが来た』が好調、いや絶好調だ。昨年10月のスタート時から現在まで、平均視聴率は連続して20%台をキープ。11月20日には番組史上最高の25%を記録した。視聴率だけでなく、新聞や雑誌などメディアで取り上げられる頻度も高く、雪だるま式に支持層が広がっている。そんな『あさが来た』の絶好調の理由を探ってみたい。NHK朝ドラの基本 朝ドラが開始されたのは1961年だ。すでに55年の長い歴史をもつ。第1作は獅子文六の小説を原作とする『娘と私』だった。66年に樫山文枝が主演した『おはなはん』で平均視聴率が45%を超え、視聴者の間に完全に定着した。 当初、一つのドラマを1年間流す通年放送だったが、74年の『鳩子の海』以降は渋谷のNHK東京放送局と大阪放送局が半年交代で制作を担当するようになり、現在に至っている。途中、唯一の例外は、平均視聴率52.6%(最高視聴率62.9%)というメガヒットとなった『おしん』(83~84年)で、全297話の通年放送だった。NHK連続テレビ小説「おしん」スタジオ収録が開始。左から泉ピン子、乙羽信子、小林綾子、田中裕子、伊東四朗=1983年2月14日、東京・渋谷のNHK 歴代のNHK朝ドラには、いくつかの共通点がある。その第1は、当然のことながら、主人公が女性であることだ。少女が大人になり、仕事や恋愛、結婚などを経験していくのがパターンである。幼少時から晩年までを描いた、いわゆる「一代記」の形をとったものも多く、『おしん』では、その生涯を年齢の異なる複数の女優(小林綾子、田中裕子、音羽信子)がリレーで演じていた。また朝ドラには、女性の自立をテーマとした「職業ドラマ」という側面もあり、全体的には、生真面目なヒロインの「成長物語」という内容が一般的だ。「あさが来た」のポイント 『あさが来た』の主人公は、京都の豪商の家に、次女として生まれた今井あさ(波瑠)。大阪に嫁いだ後、炭鉱、銀行、生命保険といった事業を起こし、日本で初めてとなる女子大学の設立にも携わる。 このドラマ、物語としてのポイントは2つある。1つ目は、あさが実在の人物をモデルとしていることだ。“明治の女傑”といわれた実業家・広岡浅子である。2番目は、物語の背景が幕末から明治という時代であることだろう。 実在の人物がヒロインのモデルとなるのは、最近の朝ドラでは珍しくない。2010年の『ゲゲゲの女房』(漫画家・水木しげるの妻)、その翌年の『カーネーション』(デザイナーのコシノ3姉妹の母)、14年の『花子とアン』(翻訳家 村岡花子)などだ。いずれも現代の話ではなく、近い過去がドラマの舞台となっていた。今回の『あさが来た』も、これらの作品が好評だったことを踏まえて企画・制作されている。とはいえ、幕末から話が始まるという設定は大胆で、冒険でもあったはずだ。 この“過去の実在の人物”という選択は、逆に言えば、近年“現在の架空の人物”で制作された朝ドラが、視聴者の気持ちをあまり捉えてこなかったことを示している。視聴者側としては、ヒロインが人間的にあまり魅力的とも思えない架空の人物の場合、彼女の個人的な“さまよい”や“試行錯誤”や“自分探し”に毎日つき合ってもいられない、ということだ。登場人物と役者たち 今回は特に、前作が『まれ』だったことが大きい。世界一のパティシエになる夢を追う女性を描くこと自体は悪くないが、物語としてはかなり迷走気味で、脚本にもご都合主義が目立った。それに比べると、『あさが来た』は実話をベースにしている分、物語の骨格がしっかりしている。“女性の一代記”ドラマとして成立するだけの実質が広岡浅子にあるからだ。 また、時代設定が幕末から明治という大激動期である点も有効に働いている。現代は明日が見えにくい閉塞感が漂っているが、今とは比べものにならないほどのパラダイムシフト(社会構造の大転換)があった時代を、ひとりの女性がどう生き抜いたか、視聴者は興味をもって見ることができる。 さらに、舞台が関西であることにも注目したい。同じ時代であっても、立つ位置によって異なる視点から眺めることができるからだ。そこに発見もある。また幕末維新ものの多くは、江戸を舞台にすると武家中心の話になってしまう。武家の場合、しきたりに縛られてあまり面白くないが、『あさが来た』では大阪の商人たちが自由で伸び伸びと活躍する様子が新鮮だ。登場人物と役者たち ヒロインに抜擢された波瑠は、これまで何本かの主演作はあるものの、女優としては発展途上という印象だった。どちらかといえば、やや捉えどころのない、どこかミステリアスな役柄が多く、“女傑”が似合うタイプとも思えなかった。 しかし今回は、いい意味で裏切られたことになる。意外や、明るいコメディタッチも表現できることを証明してみせたのだ。加えて、まだ女優としてはこれからという波瑠のたどたどしさ、素人っぽさが、両替商の若いおかみさんや炭鉱の責任者といった場における初々しさに、うまく自然に重なった。視聴者側からいえば、応援したくなるヒロイン像になっている。 また確かに美人女優ではあるが、現代劇ではどこか生かしづらかった容貌も、このドラマの時代設定にはマッチしており、日本髪と和服がよく似合う。トータルで、非常に効果的なキャスティングとなった。 しかし、ドラマは主役だけでは成立しない。周囲に魅力的な登場人物が必要になる。その点でも、いくつか秀逸なキャスティングが行われている。 前半で大活躍したのが、姉のはつ(宮崎あおい)だ。性格も生き方も異なる姉の存在が、このドラマにどれだけの奥行きを与えてくれたことか。『花子とアン』で成功した、一種の“ダブルヒロイン”構造の踏襲だが、そこに宮崎あおいという芸達者を置いたことで、視聴者は2つの人生を比較しながら見守ることになった。ドラマを支えるもの 次が、あさの夫である新次郎(玉木宏)である。この男の人物像が何とも面白い。江戸時代までの男性の多くは、女性に関して、「台所を中心に夫や家族を支え、常に2歩も3歩も引いた控えめな態度でいること」をよしとしていた。だが新次郎は、「女性はこうでなくてはならない」というステレオタイプな女性観の持ち主ではない。あさが旧来の女性の生き方からはみ出して、思い切り活動できるのも、実は新次郎のおかげだと言える。あの夫がいたからこそ起業もできたのだ。 新次郎は常に、のんびり、のらくらしているが、リーダーとしての仕事をさせたら、きちんとこなせるだけの力量がある。それにも関わらず、自分は表に出ず、当然のように妻の仕事を応援しているところが侮れない。“頼りない”のではなく、あさが思う存分羽ばたける環境を整えてやれるだけの“度量がある”のだ。お転婆なあさは、孫悟空ならぬ新次郎の手のひらの上で飛び回っているのかもしれない。玉木宏が、そんな男をさらりと具現化している。 もう一人、魅力的な脇役として五代友厚(ディーン・フジオカ)がいる。後に「近代大阪経済の父」と呼ばれることになる人物だ。五代がいることで、時代の動きを見せることだけでなく、あさと新次郎の心情にも膨らみが生まれた。フジオカという役者の出現もまた、このドラマの収穫だ。ドラマを支えるものNHK連続テレビ小説「あさが来た」の新たな出演者が決まり、記念撮影に応じる、(左から)瀬戸康史、波瑠、玉木宏、辻本茂雄=2015年11月11日、NHK大阪放送局(撮影・白鳥恵) こうして見てくると、『あさが来た』の絶好調の裏には、以下のような要素があると言えるだろう。1)幕末から明治へというこの国の激動期を、関西を舞台に描いていること。2)女性実業家のパイオニアともいうべき実在の女性を、魅力的な主人公として設定したこと。3)「びっくりぽん!」などの決め台詞も交え、全体が明るくテンポのいい脚本になっていること。4)主演の波瑠をはじめ、吸引力のあるキャスティングがなされていること。 しかも、『あさが来た』には、「女性の一代記」、「職業ドラマ」、そして「成長物語」という朝ドラの“王道”ともいうべき三要素がすべて込められている。まだ前半が終わったところではあるが、朝ドラの歴史の中で傑作の一本となるかもしれない。 このドラマの第1回は、洋装のあさが、初の女子大(後の日本女子大学)設立を祝う式典の壇上に立つところから始まっていた。あの場面に到達するまでに、あさはまだまだ多くの試練を経なければならない。その過程だけでなく、出来れば女子大設立後のあさの人生も、しっかり見届けたいと思う。これから展開される、『あさが来た』の後半戦が楽しみだ。

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    大阪制作だからおもしろい! 「あさが来た」にNHKの意地を見た

    影山貴彦(同志社女子大学情報メディア学科教授) NHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)『あさが来た』がここまで好調なのは、朝ドラを東京のNHK放送センター(上期)と大阪放送局(下期)が交代で制作していることが大きいと思います。つまり「あさが来た」は大阪局が大阪で作っていることが大きい。 東京の一極集中が進んでいるのは経済だけではなく、エンターテインメントや放送の世界でも同様で、私が大阪の毎日放送(MBS)に入った80年代後半と比べて、全国ネットの番組制作本数が非常に減っています。特に民放では顕著です。今でも何本か全国ネットで作ってはいますが、東京のスタジオを借りて作っている番組が多い。プロデューサーや宣伝担当は在阪局の人間でも、あとは概ね制作プロダクションのスタッフで、ディレクターすら在阪局から出さないこともあるから、「東京と変わりがないやんか!」と思うこともありますよね(笑)。NHK大阪放送局=大阪市中央区大手前4 例えば、私は肩入れするつもりもファンでもないですが、宮根誠司さん司会のワイドショー『ミヤネ屋』が人気を博しているのは読売テレビ、つまり関西から全国に向けて放送しているからだと思います。関西発の全国ネット番組といえば、土曜の朝の番組『にじいろジーン』(関西テレビ)や『朝だ!生です旅サラダ』(朝日放送)もありますが、ミヤネ屋は月曜から金曜まで平日昼間の帯番組という違いがある。それに宮根さんは朝日放送のアナウンサー出身だから、完全な東京目線ではなく距離を置いて発信していることが奏功している。宮根さんが東京の番組で語る場合とはスタンスが明らかに違うと私は感じています。 なぜそう言えるかというと、私がMBSに入社してから出会ったある上司から教育を受けてきたからです。私はテレビとラジオの企画・制作に計15年半携わってきましたが、入社10年目ぐらいに念願かなってラジオ番組『MBSヤングタウン』(ヤンタン)のプロデューサーとなりました。そのときヤンタンを作った渡邊一雄さん(初代プロデューサー)から「いろいろなタレントがヤンタンをきっかけに売れていく。お前もタレントやプロダクションから『東京のスタジオで放送させてください』と言われるようになるだろうけど、出来る限り大阪でやれよ。ヤンタンを作ってるんだから大阪からやることにこだわれ。それで空気感が変わるんだから」と言われたんです。 私は半信半疑だったんですが、50歳を過ぎた今になって渡邊さんの言ってたことがわかるようになった気がします。この「大阪で作るこだわり」が『あさが来た』にも生きていると思います。大阪局も東京も同じNHKではありますが、大阪局には「絶対東京には負けない」という精神があるんじゃないでしょうか。民放を含む大阪の作り手はそうあるべきだと思っていますし、現役の作り手たちには肝に銘じて欲しいと思っています。でも「大阪で作るこだわり」を忠実に守っているのが皮肉なことにNHKなんですよ。半年の放送期間という同じ条件で、出演者に撮影のために半年以上の大阪滞在を強いるわけですから。大阪でも東京でも受けるドラマを作るには それは題材にも表れています。『あさが来た』でも「東京が何でもかんでも中心じゃ駄目なのよ、大阪が頑張らないと駄目なのよ」といった内容を脚本に書かせて放送に反映させていますよね。東京への反骨精神を肌で感じている大阪の人間は拍手喝采を送るわけです。東京の人間はそこまでは感じていないでしょうけどね。それでも東京の視聴率がいいのは確実に関西人に受けて、さらに東京にも受け入れられる題材としてしっかり作っているからです。 ヒロインの白岡あさのモデル、広岡浅子は日本女子大学の創設者ですし、福沢諭吉、渋沢栄一、大隈重信など誰でも知っている歴史上の人物も登場させてバランスを取った描き方をしています。バランスの上手さでいえば『ごちそうさん』も序盤に東京の実家を描いてから大阪に嫁ぎましたし、民放でも大ヒットを記録したTBS系の『半沢直樹』も前半の梅田支店で大阪の視聴者をつかんでおいて、後半で東京に乗り込む図式を作ってましたよね。関西の人間は情に厚いから、東京編でも視聴者は離れなかったわけです。 今、テレビは東京ローカルと全国ネットがほとんど同じになってますよね。関西人は自己愛が強すぎる傾向があるので、排他的な関西愛のエンターテインメントになってしまうと全国区には受け入れられない。過去の視聴率が証明しているように大阪の視聴率は多少上乗せされるでしょうが、東京は高視聴率になりません。東京と大阪は人気番組でも視聴率に5%以上の違いが出る場合がありますから、たった500キロしか離れていないのに、ここまで違う嗜好性を持っていることは作り手、研究者の両方の観点から興味深いと思います。 そのほか、『あさが来た』が好調な理由を挙げると、ヒットした『下町ロケット』(TBS)の佃航平もそうですけど、あさがまっすぐな主人公で、奇をてらわずに成長の様を描いていますよね。しかも企画・脚本・演出・演者が揃っているから、陳腐なドラマにならずに現代の視聴者から共感を得ることに成功したわけです。加えて『まれ』があのような中途半端な結果になってしまったことも大きい。作り手から言えば前後の番組は非常に重要です。もし『あまちゃん』のあとを受けていたら、今ほど礼賛はなかったかもしれません。だから次の東京制作の『とと姉ちゃん』は必死でやってくるでしょうから見ものですね。 NHKのように大阪からドラマを全国に発信することが民放にも出来るのか。私は民放に頑張ってほしいと思っていますが、ドラマにはものすごくお金がかかるんです。民放のローカル局が頑張ってドラマを作っても安普請のセットになって、視聴者も「安っ!」と10秒で気づいてしまうでしょう。キー局とタッグを組む形じゃないと制作費も集まるものも集まらなくなります。頑張るだけでは限界があるんです。だから民放各キー局の編成、営業に言いたいのは、大阪、名古屋、福岡、札幌など基幹局も入れて、年間通じてリレー方式でドラマを作ってほしいですね。テレビ、ドラマだけじゃなく地方の活性化にも繋がるし、なにより各局の制作能力を高める意味でもプログラムの中に整えてほしいと思います。先ほども言った通り、NHKは東京・大阪が朝ドラを同じ条件で制作しているわけですから、無関係ではないと思いますよ。キー局だけじゃ回らなくなってきているこのご時勢、既得権を手放したくないのはわかるけど、ネットワーク局を盛り上げていってほしいですね。 私も昔ドラマADとして昼の帯ドラマを担当したことがありましたが、帯ドラマはドラマの中でも一番しんどいと思います。出演者が会見でよく「帯ドラマ大変でした、こんなに大変だったことはなかったです」などと言いますが、本当に大変なんです。担当もせず批評ばかりしている作り手にどれだけしんどいか、いっぺんやってみろと言いたいぐらい(笑)。また視聴率でも『あまちゃん』以降一段とハードルが上がって、20%超えの期待というプレッシャーがかかる状況もあると思います。でもフジテレビ系・東海テレビの昼ドラも3月に幕を下ろすわけですから、帯ドラマはNHKしかなくなるわけで、看板を守っていってほしいし、厳しい状況で結果を出し続けていることは凄いことだと思います。(聞き手、iRONNA編集部・松田穣)かげやま・たかひこ 同志社女子大学情報メディア学科教授。1962年、岡山市生まれ。早大政治経済学部卒。毎日放送プロデューサーを経て現職。専門はメディアエンターテインメント論。そのほかに上方漫才大賞審査員、コンフィデンスアワード・ドラマ賞審査員、日本笑い学会理事なども務める。主な著書に「テレビのゆくえ」(世界思想社)「影山教授の教え子が泣きにくる。」(雇用開発センター)など多数。

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    明治のハンサム・ウーマン再び 「あさが来た」大ヒットの理由

    の『あさが来た』。 物語を幕末から始めるのは、朝ドラ史上、最も古い時代設定として画期的であるが、同じNHKによる、大河ドラマ『八重の桜』(2013年)『花燃ゆ』(2015年)も、江戸から明治への激動の時代を生きた女性たちが主人公。従来の歴史ドラマでは、明治維新期の変革は、主として男性である幕末の志士や政治家に焦点をあてて描くことが多かった。歴史の表舞台の激動を描くには、確かに男性を主人公にしないと無理がくる。上記の大河ドラマの視聴率が残念ながら低調であったのも、それが一因と思われる。だが、テレビドラマの価値は、決して視聴率だけで決まるものではない。歴史の大きな変化のなかで、とかく陰に隠れがちであった女性たちは、いったいどのように生き、いかなる思いを抱いていたのか――従来の男性中心の歴史像に風穴を開ける意味で、視聴率低下のリスクをかえりみず、あえて無名の女性を主人公に据えるメディアの試みは重要である。「あさが来た」の一場面。姉・はつ(宮﨑あおい)から届いた手紙を読む、あさ(波瑠)と新次郎(玉木宏) 女性、しかも無名女性に焦点をあてるドラマづくりは、女性へのエンパワメントのみならず、著名人中心の歴史像に偏ることなく、一般市民の視点から歴史を描く、つまり、歴史認識を書き換えるという意味でも評価できる。広岡浅子も、朝ドラで取り上げられるまでは、決して一般的に著名な女性ではなかった。その意味では、新島八重や杉文ほどではないにせよ、ドラマづくりとしては同じ試みの一環である。朝ドラも大河ドラマも、テレビドラマの黎明期に、ほぼ同時期にシリーズを開始(朝ドラは1961年、大河は1963年)しており、看板ドラマ枠での大胆な挑戦という意味でも、共通性をもっている。 にもかかわらず、なぜ大河の視聴率は低く、朝ドラは好調なのか。それは、ドラマの枠の性質や放送時間帯の影響にもよる。大河ドラマは視聴者にとって、硬派な歴史ドラマとしての印象が強く、男性視聴者が感情移入しやすいつくりであったが、朝ドラはそもそも、朝に家族を送りだした女性視聴者をターゲットとして制作されてきた。女性の活躍を描くドラマは、大河では苦戦しても、朝ドラでは歓迎される素地が整っている。 原作小説『土佐堀川』の作者も、女性の古川智映子。1988年刊の小説が今、ドラマ化され好評であるのは、時代の関心がやっと小説に追いついたといえようか。同じ上方女性で、吉本興業の発展を支えた吉本せいが主人公の小説『花のれん』の作者も女性(山崎豊子)。女性の生き方や価値観にも多様性があるので、女性であれば女性の真実の姿が書ける、と一概には言えないが、女性原作のドラマが人気を博するのも、女性の活力の証としてうれしい。ヒーローよりは、どこかがぬけたダメ男 結婚、子育てしつつ、事業で敏腕をふるうヒロイン像は、まさに現代の男女共同参画の機運にかなっているが、できる女性とセットになっているのが、どこか頼りない男性、というのも、『あさが来た』の人気の大きな秘訣であろう。日本の芸能や文学の傾向とも重なるのだが、日本の読者や視聴者は、『心中天網島』(近松門左衛門)の治兵衛や『夫婦善哉』(織田作之助)の柳吉のように、よくできるヒーローよりは、どこかがぬけたダメ男に惹かれやすい。同じく働く女性を主人公にした朝ドラの『あぐり』(1997年)も、ヒロインの美容師としての活躍ぶりにもまして、夫のエイスケの破天荒ぶりが、愛嬌をもって受け止められた。その意味では、玉木宏演じる浅子の夫・新次郎の癒し系のキャラは、見事にツボにはまっている。 教師や看護師、美容関係など、女性の適職とみなされやすい、いわゆる“女性職”ではなく、男社会の典型ともいうべき実業の世界で活躍する女性を主人公に据えた点も意義深い。明治以降の近代化の波は、勤め人の男性を中心に、男は仕事、女は家庭という性別役割分業を推進したが、上方の歴史に根差した大阪放送局制作らしい『朝が来た』は、一般市民の女性が普通に働いていた、明治以前からの日本の歴史を活写する。女性の労働や社会参画は、現代の新しい現象と誤解されがちだが、明治以前の日本の一般市民の女性の多くは、農作業や自営業で生計を担って働いており、働く母親は当たりまえの存在であった。専業主婦が理想化されてゆくのは明治後半以降であり、それ以前の時代のパワフルな女性の活力を、『あさが来た』は生き生きと描く。 21世紀の今、従来の歴史観やメディアの表象では埋もれがちであった、日本の近代化における女性の役割に光をあて、主体的に社会貢献する「ハンサム・ウーマン」が活躍する『あさが来た』は、かくも画期的なドラマであり、人気の背景もそこにあろう。もっとも、男性視聴者には、ダメ男ぶりを見習ってほしくはないが……。

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    「あさが来た」の五代様 “逆輸入俳優”ディーン・フジオカの素顔

     NHK連続テレビ小説「あさが来た」で、「近代大阪経済の父」と呼ばれ、主人公・あさの“実業の師”として登場する「五代友厚」に、女性視聴者たちの熱い視線が注がれている。演じているのは俳優のディーン・フジオカさん。香港や台湾などではすでに有名な国際派スターだ。日本で人気に火がつくきっかけとなった朝ドラや五代役について、たっぷりと語ってもらった。(聞き手 杉山みどり)◇―「五代さんを演じているあのイケメンは誰?」と、ディーンさん人気が女性の間で急上昇していますディーン ほんとですか? うれしいですね。やはり朝ドラ効果はすごいなぁ。―薩摩藩士として生まれ、官を捨てて大阪発展のために生きた五代さんは、ドラマでもキーパーソンとなっていますNHK「あさが来た」で五代友厚を演じる俳優のディーン・フジオカさん=大阪市中央区のNHK大阪放送局(南雲都撮影)ディーン 感動ですね。こんな偉大な人物が日本人の先輩にいたということが。そして、その五代友厚という人物を演じさせていただく機会を自分がいただいたということが。150年前にこんな偉大な先輩がいたおかげで、現代日本人はそれぞれのライフスタイル、ワークスタイルで生きていられるんだ-。そう思いながら演じています。―五代さんの生き方に感銘を受けられたのですねディーン 今はパスポートを取得して飛行機のチケットを買うお金があればどこにでも行けますが、彼が生きたのは国交がなかった時代。上海への密航、薩英戦争で捕虜となり藩外での亡命生活、偽名を使っての渡欧…。いずれも命がけです。そこまでして前に進もうとする意志の強さというか原動力は、どこからきたのか。すごく考えさせられました。―何だと思われますかディーン もちろん好奇心もあったと思うのですが、それだけでは命を捨てても、という覚悟はできないでしょう。自分の国、日本という国がなくなってしまうかもしれない、という危機感を持っていたんだと思います。そして、日本のために何かを持って帰ろうとする愛国心の深さも感じます。―五代さんのことをよくご存じなんですねディーン 白状しますと、恥ずかしながら、オファーを受けるまでは、まったく五代さんのことを知らなかったんです。必死で勉強しましたよ。―猛勉強の甲斐があったのでしょう。ディーンさんが演じる五代さんはとても魅力的ですディーン ありがとうございます。“人物像”は白紙の状態で臨みました。脚本があって監督さんの演出があって、プロジェクトを進めるプロデューサーさんがいて…。決して役者1人のミッション(使命)ではなく、みんなで作り上げていくものですが、自分が大きな責任を担っているのも確かです。朝ドラは「大使館で見るもの」!?朝ドラは「大使館で見るもの」!?―五代友厚役に決まったときのことを聞かせてくださいディーン びっくりしました。僕にとって朝ドラは「海外の日本大使館で見るテレビドラマ」というイメージでしたから…。―大使館で、ですか!?ディーン はい。書類待ちしていて、「やることないなぁ」と手持ちぶさたになっていたときに、ふとテレビに目をやると、何か番組がかかっている。それが朝ドラでした。―ディーンさんは海外生活が長いですものねディーン 高校卒業と同時に日本を離れました。まさか自分が日本のテレビ、それも大使館で見ていた朝ドラに出演するとは想像もしていませんでした。―その朝ドラの撮影現場はいかがですか? 超ハードスケジュールだと聞いていますが…NHK連続テレビ小説「あさが来た」の1シーン(NHK提供)ディーン 確かにきついですね。でも、笑顔もお茶目な会話もありますよ。テンションを保ちながらも和やかな雰囲気、といったところですかね。―あさを演じる波瑠さんはどんな方ですかディーン 最初は「静かな方」というイメージでしたが、意外とノリノリで、小芝居を交えて話してくれます。主人公はセリフが多く体力的にもきついと思うのですが、プレッシャーに負けず、プロの仕事をしてらっしゃいます。すばらしい女優さんです。―ご自身のことをお聞きします。ディーンさんは日本語、英語、中国語、インドネシア語を操る国際派ですが、ドラマでは英語だけでなく関西弁や薩摩弁まで話さなければならず、大変なのでは?ディーン 薩摩弁も関西弁も自分にとっては外国語に近い感じで、最初は苦労しました。特に関西弁。薩摩弁はルールがはっきりあるのでリズムをつかめば大丈夫でしたが、関西弁は単語によってイントネーションが全く違うのでかなり苦戦しました。―役作りのために、五代さんにまつわる場所も回られたとかディーン はい。大阪取引所をはじめいろいろと。五代さんの末裔(まつえい)の方ともお会いしました。「こういう人物像にしていただいてよかった」とおっしゃっていただいたので、肩の荷が下りたというか、このままやっていけばいいんだと安心しました。―五代さんは、私利私欲とは無縁の人物だったそうですねディーン 五代さんのすごいところは、激動期の混乱の中、具体的なアイデアを持って実行したということだと思います。亡くなった後に分かったらしいのですが、ほとんど資産を持たず借財だけが残っていたそうです。―縁もゆかりもない大阪の経済の発展に尽くした…ディーン 「侍」ですね。刀を持っている者が侍じゃない。五代さんの生き方そのものが侍なんだと思います。―それを演技で表しているわけですねディーン 「このとき五代さんはこう思っていたんじゃないかな」と感情の流れを肉付けして演じているつもりです。気になる女性には声をかけなきゃダメ気になる女性には声をかけなきゃダメ―五代さん(五代友厚)のせりふの中で特に印象に残っているのは?ディーン うわぁ、いいせりふばかりだから難しいですね…。「達者で生きったもんせ」かな。もっと難しい言葉や志を高く持つ言葉、応援する言葉はいっぱいあるんですが、シンプルに「達者で生きてくれ」が心に響きますね。―それは、主人公・あさへの言葉ですね。唐突ですが、五代さんはあさのことが好きなんでしょうかNHK「あさが来た」で五代友厚を演じる俳優のディーン・フジオカさん=大阪市中央区のNHK大阪放送局(南雲都撮影)ディーン もちろん興味は持つと思うんですよ。当時は、女性に勉強は必要ない、家の商売に口を出すなんてとんでもない、という時代。疑問に思ったことを自分の言葉で相手に伝えるあさという女性に可能性を感じたと思います。―「これからの女性」の可能性を持ったあさに興味を持った?ディーン 世の中は男女がいて成り立っています。女性の可能性を覚醒させるのが、五代さんにとって1つのミッションであったとしたら、あさのような人は絶対必要だったと思うんです。女性の立場で女性を導く人。その特殊な存在感にひかれたと思います。それと、何かを伝えていきたいと願うメンター(指導者)として、弟子のような感覚もあったと思います。―なるほど。それはそれとして、私がお聞きしたのは「恋心」という意味でのことだったのですが…ディーン それは、トレーラー(視聴者を牽引(けんいん)する映像)を作る方々の技術の素晴らしさですよ。ははは! まったく、すばらしい腕をしてますよね。―ドラマを見ていて、五代さんの中にあさへの淡い恋心が芽生えたのではと妄想してしまったんです。しかも、五代さんの片思い…。あさは人妻ですからディーン ははぁ、なるほど。脚本家やプロデューサーの意図とはちょっと違ってくるかもしれないけど、僕が演じていて感じたのは、男である以上、気になる女性がいたら声をかけなきゃだめだろうってことですね。これを世間では“ナンパ”とも言いますが、「君はすてきな人だ」とちゃんと伝えるべきです。僕がそんな考え方だから、“男として率直に生きている五代さん”のような感じが出たのかな。―女性としても興味があるから声をかけるわけですね。当時は、あさのような女性は好奇の目で見られていたと思うんです。五代さんと出会えたことは、あさにとって幸運だったんでしょうねディーン 女性として「こうあるべき」というものにしばられて幸せになれない人がいる。その一方で、五代さんみたいに「こんな生き方もある」と道を示してくれる人に出会い、自分の能力を存分に発揮して尊敬される人間になっていく人もいる。すごく幸せなことだと思いますね。―五代さんとディーンさん。共通すると感じるところはありますか?ディーン 五代さん、大好きです。僕が今まで歩いてきた道のりを客観的に見て、どこかに共通点があると思ってもらえたおかげで、今回のキャスティングがあったとしたなら光栄です。もちろん五代さんには到底及ばないですが。双子のパパと言ったらびっくりされた双子のパパと言ったらびっくりされた―ディーンさんは高校卒業と同時に海外へ行かれたということでした。そのきっかけはディーン 花粉症がひどくて。いや、もうしんどいわ~と思って…。―えっ、花粉症!? ディーン ドラスチックに症状がなくなるので、おすすめですよ。―はぁ…ディーン ははは。花粉症がきっかけの1つであることはまちがいないんですが、目的はちゃんとあって、IT(情報技術)を勉強しようと米国のシアトルに留学したんです。父がIT関連の仕事に就いていたのでその影響でしょう。1990年代はまだまだインターネットって何?という時代でしたが、「いずれITが当たり前になる時代が来るから」と。―その後、どういう経緯で香港や台湾に?ディーン 大学卒業後は米国で仕事に就くつもりだったのですが、9・11(2001年、米同時多発テロ事件)の影響でビザの切り替えが難しくなってしまって…。で、ここで停滞しているぐらいなら次に進もう、と思い、アジア放浪の旅に出ました。―その途上で転機が訪れたんですよねNHK連続テレビ小説「あさが来た」の1シーン(NHK提供)ディーン 香港でした。あるイベントに飛び入りでパフォーマンスをしたら、モデルにスカウトされまして。生きていくためにお金を稼がないといけないので引き受けました。そのうち、ミュージックビデオやテレビCMなど映像の仕事も増え、演技が面白いなと思うようになりました。―05年に香港映画の主演に抜擢(ばってき)され、俳優としてのキャリアをスタート。その後、台湾のテレビ局からオファーが入ってドラマや映画への出演が続き、日本デビューは2年前でした。今回の朝ドラ出演で国内での知名度は一気に跳ね上がりましたねディーン 家族、特に祖母が喜んでくれています。これまではどこか別の国、別の言語で活動していたから実感がなかったそうですが、今は、ちょちょっとチャンネルを回したら僕が出ているのがうれしいみたいです。―ご家族といえば、「ディーンさんには妻子がいる!」とインターネット上で大騒ぎになったのをご存じですかディーン 大阪のイベントで「双子のパパです」と言ったら、みなさんにびっくりされました。それがネットニュースになったそうですね。―突如現れた“謎のイケメン”が多くの女性のハートをわしづかみにしていたんです。それが、すでに結婚していて、しかもお子さんもいると判明したんですから、そりゃあショックですよディーン 僕にそんなにも興味を持っていただいて素直にうれしいです。特に隠すつもりもなく、時々インスタグラム(画像共有アプリ)に妻子の写真も投稿していたんですが、みなさんには届いていなかったようですね(笑)。―ご家族はどちらに?ディーン 妻と子供たちはインドネシアのジャカルタに住んでいます。妻はインドネシアの人なんですよ。今は離ればなれで寂しいですが、単身赴任でがんばっています。“五代ロス”おびえる!?ファンも感激“五代ロス”おびえる!?ファンもアメちゃんもらって感激―これまでディーンさんの活動は海外がメーンでしたが、どんな感覚なのでしょうかディーン どの国にも年に半年以上は住まない「パーマネントトラベラー」の感覚に近いですね。帰属感ゼロで、どこのルールを守ったらいいのか分からず、自分の国籍まで分からなくなる状態…。―「あさが来た」に出演している今現在は?ディーン その時活動している場所。今は大阪、日本です。―収録中は大阪に住んでいらしたんですね大阪も五代さんも大好きですと笑顔のディーン・フジオカさんディーン 大阪はご飯が安くておいしい。みなさんが同じことを言うと思いますが、それってすごいことなんですよ。町が碁盤の目状になっているところもすばらしい。いろんな国で暮らしましたが、大阪は国際的にもトップレベルの豊かさだと思います。―話は変わりますが、堺市で行われたイベントには大勢のファンが殺到したそうですねディーン あ、飴ちゃんいただきました。ほかにもいろいろと。―飴ちゃん…ディーン この場をお借りして、ありがとうございました!―「五代さま~」と黄色い声も飛んだとかディーン 「おディーン」と呼ばれる方もおられますよ。―おディーン?ディーン 日本で仕事を始めたころ、テレビのバラエティー番組で「好きな食べ物はもちろん、おディン(おでん)ですよね」と聞かれ、なるほどと思って「はい。大根が好きです」と返すと、「あぁ、ディンこんね」となりまして。その日大根の売り上げが上がったそうなんです。で、景気もいいから「おディーン」となりました。―では、数年来のファンの間ではおディーンで通っているんですねディーン 朝ドラをきっかけに知ってくださった方からは、「五代さん」と呼ばれますね。ということは、「ディーン・五代」かな(笑)。―朝ドラの話に戻ります。史実では五代さんは主人公・あさより早く亡くなっています。いつか訪れる「五代ロス」におびえているファンも多いのですが…ディーン その後はみなさんで五代さんをもっと掘り下げてくださいね。―五代さんをもっと知りたいと本を読んだり、ゆかりの地を訪れたりする人も増えていますディーン それはもう、ぜひやってください! 五代友厚という役のおかげで、僕自身がすごく影響を受けました。役者としてだけでなく生き方という意味でも。また、子供の親となり、後世に何を残せるのか、ということを考えるようにもなりました。―やはり、ディーンさんと五代さんがリンクします。今後も日本で活動されるのでしょうか。そして、五代さん以外のいろんな顔のディーンさんを見られるでしょうかディーン はい、日本での仕事は続きます。1月からは民放ドラマに出演します。これからもよろしくお願いします。―それを聞いて安心しました。楽しみですディーン・フジオカ 昭和55(1980)年8月19日、福島県生まれ。香港映画「八月の物語」(2005年)主役で俳優デビュー。台湾に拠点を移し中華圏エンターテインメントの新星として活躍。日本ではカンテレ系「探偵の探偵」、NHK連続テレビ小説「あさが来た」など。

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    玉木宏演じる『あさが来た』新次郎 女性に大人気の理由とは

    が来た」の衣装で紅白歌合戦に登場した波瑠(左)と玉木宏(右)=2015年12月31日、東京・渋谷区のNHKホール(撮影・山田俊介) 思えば、はつが嫁いだ山王寺屋が潰れ、あさの前から姿を消したときも、決してあさにはバレないよう新次郎は、はつを捜し出した。あさが、笑顔になれることを敏感に察知して動くことができる。それでいて、ここぞというときには側にいてくれる。 「あさが炭坑の経営で苦しんでいるとき、新次郎が福岡まで会いに来ましたよね。かごに乗って(笑い)。それも、“わてが会いたくなったんや”なんて言葉まで。あさだって会いたかったはずです。その気持ちに気づいて、でも恩着せがましくなんか言わない。男だらけの炭坑で男のように闘うあさのピンと張り詰めた気持ちを、本来の天真爛漫なあさに戻してあげた。あぁ~、私もあんな夫がほしかった!」(41才・会社員女性) 自分を前面に押し出さないスマートさこそが、新次郎の真骨頂。でも、決して“へらへらやさしいだけ”の男ではない。 「遊び歩きながらも世の中の動きをピンと察知できるのは、柔軟な心の持ち主だから。でもただ柔らかいだけだと、豆腐のようにぐしゅっと潰れてしまう。いうなれば、彼はこんにゃく。しなやかで柔らかな心でありながらも、絶対に煮崩れない芯の強さがある」(47才・主婦) 新次郎の魅力あふれるシーンが、次々と描かれ、なかでも私たちの胸をキュンとさせたのは、あさの口元を“むにっ”とつまむシーン。「あんたの武器はこの柔らかい大福餅だす」 このセリフに、新次郎の魅力、そして『あさが来たブーム』の本質が込められている。なぜ、ここまで新次郎に惹きつけられるのか? 朝ドラ評論家の田幸和歌子さんは、AKB48が歌う主題歌にも、その心理が隠されているという。 「サビに入る前の、《やりたいこと好きなように自由にできる夢》という歌詞などが、象徴的です。社会で女性の活力が求められ、結婚しても、出産しても、仕事を持ち続けることが当たり前となった今、女性がやりたいことを思う存分やって、それを男性が支えてくれるのが、働く女性にとってのひとつの理想形になっている。 明治の時代に、社会に出ようとするあさの行く手には、それを阻もうとするいくつもの障害が出てきますが、新次郎がそれを涼しい顔でどんどん取り除いていきます。その様はどこか、黙って手を差し伸べる母のようでもあり、ガンガン進んでいく社長をサポートする秘書のようでもある。細かいところに目配りができる男性は、今の時代の女性にこそ求められている」 近藤正臣(73才)が演じる新次郎の父親・正吉も、新次郎に負けず劣らずの人気だったが、それはやはり、あさの行動力を買い、温かく見守ってくれた心強い存在だったからだろう。 「新次郎も、正吉も、家庭の外に出て働く女性を支えられる魅力を持っている。女性が社会に出ることを応援し、本人に足りない部分をさりげなくフォローしてくれる男性を求めている女性はこんなにも多いのだと、彼らの人気から実感します」(田幸さん)関連記事■ 朝ドラ新ヒロイン波瑠 純白の衣装で伏し目がちな美しい笑顔■ 年内にも出産シーンが登場? 『あさが来た』禁断のネタバレ■ 爽やかな朝がウリのNHK朝ドラで魅せた波瑠らのキスシーン■ 『あさが来た』好調の玉木宏 女子大に人気も過激トーク封印■ 小林よしのり氏「『あさが来た』は絶対に妾を描くべきだ」

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    NHKあさが来た ハゲタカ全盛時代に光る大阪人の「商い」魂

    実氏が分析した。* * * いよいよ、2016年の幕が開けた。今年のテレビドラマを考えるにはやはり、NHK連続テレビ小説『あさが来た』から始めるべきでしょう。 視聴率は12週連続20%超えで、最高値は『ごちそうさん』の27.3%にあとひと息。数字だけでなく、評判もぐんぐん右肩上がり。幕末~明治という変革期の中で、大阪の両替商・加野屋に嫁ぎ、しなやかに、力強く自分らしく生き抜く主人公・あさ(波瑠)。その姿は凜(りん)としていて、まぶしい。大阪取引所の正面に立つ五代友厚の銅像=大阪市中央区 あさの輝きは言うまでもないが、このドラマのエッセンスは『あさが来た』ならぬ、『あきない(商い)が来た』ではないか。「商い」。加野屋を舞台にした「商い」の仕方、考え方、所作。それらが丁寧に細やかに、哲学も含めてぎゅぎゅっと詰まっていて、大きな見所になっているのでは。 たとえば、あさの義理の父・大旦那の正吉。演じた近藤正臣は「大阪商い」の秘密を明かしている。最初は、衣装として履くぞうりの鼻緒がすべて「黒」だった。が、わざわざ小道具さんに指示を出して、茶と黒の二色にした、と。切れた時に自分で替えた、という設定を考えた上で。「昔、鼻緒はしょっちゅう切れてたもんなんですよ。切れたら、替えなあかん。で自分の手拭いかなんかを裂いて鼻緒をとり替えた、そういう設定にした」(『あさイチ』のインタビューにて) この小さな工夫には、大きな理由が潜んでいた。「大阪は始末の町だからです」と近藤正臣。無駄に使い捨てしない。できるものなら直して使う。ものを循環させる。二色の鼻緒の草履を「履いてると、そういう(大阪商人の)気になれるんです」。 始末を大切にする「大阪商人」になりきる役作り。両替商の旦那の心根を作るために、わざわざ草履の鼻緒の色を工夫して履く。画面で見ても気付かないほど細かな部分に、このドラマの「魂」がはっきりと見えた気がした。 日本初の経済小説を書いた井原西鶴は、商売を行う上で必要な心得として「始末」「算用」「才覚」「信用」を挙げている。あるいは近江商人から生まれた「相手良し、自分良し、世間良し」という三方良しの精神は、かつて日本の「商い」の神髄として浸透していた。 相手の立場を考え、それによって自分自身も生かされる--。あさと家族の物語の中に、そうした「商い」の哲学の潔さ、かっこよさが透けて見える。ハゲタカ的な経済行為が世界を席巻している今だからこそ、「商い」に惹かれる。『あさが来た』が人気を集める理由の一つ、かもしれない。 あるいは、人気急上昇中のディーン・フジオカが演じる五代友厚という人物もそう。「東の渋沢(栄一)、西の五代」と並び称され、大阪経済の牽引役だったという五代は、「上に立つ者の5ヶ条」を残している。・愚説愚論だろうと最後まで聞く。・地位の低いものが自分と同じ意見なら、その人の意見として採用すること。手柄は部下に譲る。・頭にきても大声で怒気怒声を発しない。・事務上の決断は、部下の話が煮詰まってからすること。・嫌いな人にも積極的に交際を広めること。 当り前のようでいて、今だってなかなか実現できないこと。商売とは、えてして倫理を無視して欲に突っ走りがち。自分自身のブレーキとして、精神性や哲学を身につけなければ--かつての大阪商人たちはそう自覚していたのだろう。 歴史ドラマといえば、戦国武将に維新の志士と、きな臭い戦いに偏りがちだった。そんな風潮に今、『あさが来た』が風穴を開けようとしている。商売や町の暮らしを細やかにリアルに、より深く描く中から、時代と人々の挌闘ぶりを浮き彫りにするドラマの魅力に、みんな目覚め始めた。 さて、今年の「商い」ドラマとして、まずは1月3日、『百年の計 我にあり~知られざる明治産業維新リーダー伝~』(TBSひる 12時)が登場してくる。江戸初期から続いてきた銅商・住友が、近代化の波の中で企業に脱皮していく激動のプロセス。いかにイキイキと深く、人と時代を描き出すことができるか。あえて「ドキュメンタリードラマ」と銘打っているあたりにも、チャレンジの気配が漂っている。 いよいよ2016年、ドラマ界に「商いが来ている」。関連記事■ AKB48が朝ドラ主題歌初担当 会見で見せた柏木由紀のお脚!■ 朝ドラ新ヒロイン波瑠 純白の衣装で伏し目がちな美しい笑顔■ 大河と朝ドラ子役の鈴木梨央 紅白でAKB48との共演願う■ 相武紗季 ノースリーブのドレスに身を包んだその麗しき美貌■ 大河も経験した『あさが来た』P 大河と朝ドラとの違いを解説

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    「歌番組を装ったバラエティ化」が紅白歌合戦をもっとダメにする

    ギュラー獲得を視野に入れてのことか。だとしたら、それはそれで歓迎するが。紅白歌合戦の総合司会を務めるNHKの有働由美子アナウンサー、紅組司会の女優・綾瀬はるか もちろん、メインキャスターのイノッチと有働由美子アナが紅白でも司会を務めるワケだから、あさイチでも宣伝しない手はない。このふたりが熱を持って宣伝するかと思いきや、11日の段階では何も決まっていなかったために、案外低体温かつ他人事。冷めた感じが逆に面白く映った。その代わり、悪ふざけに近い熱を帯びて登場したのが、近藤泰朗アナである。 身頃半分が白、半分が赤で、肩には文鳥を載せているというトンチキなスーツで現れた近藤アナ。紅白を盛り上げるために、激しくタンバリンを打ちまくる姿に視聴者も反応したようだ。これだけ張り切っている割に、紅白には呼ばれていないという近藤アナに、視聴者が同情を寄せる結果に。 さらに25日放送では、再び近藤アナが(もちろんトンチキスーツで)登場し、「紅白直前最新情報」を組んでいた。イノッチ&有働アナの当日の衣装候補を紹介したり(正直どうでもいい)、紅白公式アプリや副音声の裏紅白を解説するなど、熱病の如く宣伝&喧伝。高視聴率の朝ドラ&あさイチにすがりまくるNHKの必死さ、それなりに功を奏したようでもある。 最近、NHKがやらかしがちなのは「本編よりも番宣が話題になる」という痛し痒しの状態だ。あさイチを観ている人はすでに満腹感が増している。そして、もうひとつトドメを刺してしまう番宣番組があった。  26日放送の「データが生んだ!紅白The平均ソング 日本人が”なぜか”気持ち良くなる歌をデータで探るスペシャル!」である。過去の紅白で歌われた曲の歌詞をデータ化し、各時代ごとの平均ソングを自動作曲ソフトで作るという主旨だった。  これが実に面白かった。新奇性と意外性に富んだ試みで、企画力に拍手を送りたいほど。つまり、枠を超えない演出で飽きられ始めている紅白の本編よりも、俄然興味を引いたワケだ。 すでに私も満腹状態に近づいている。紅白の番宣番組が優秀すぎて。周辺情報だけで満足し、本編への興味を失っているという…。NHKの気張ってる空気感はちゃんと伝わっているのだが。紅白以外の番組スタッフが優秀ということを改めて教えてくれた気もする。最大の欠点は、歌番組としての魅力が伝わってこないところ もうひとつ。紅白の最大の欠点は、歌番組なのに歌番組としての魅力が伝わってこないところ。テレビ界における芸能事務所の政治力をまるまんま反映したようなラインナップ。ヒット曲がなくてもOK、はるか昔のヒット曲でOK(むしろ新曲禁止令?)、メドレーで歌わせてもらえるのはデカい事務所所属、歌手なのに歌が下手、朝ドラ&大河関連で無理繰りねじ込まれるゲストの人々…。第65回NHK紅白歌合戦 森進一(左)とお笑いコンビ、日本エレキテル連合 すでに紅白歌合戦は歌番組ではなく「歌番組を装ったバラエティ番組」なのだ。正直、視聴者も延々と観るわけではない。曲順も事前に発表されるため、リモコン片手にザッピングするのが前提だ。好きな歌手や聴きたい曲がなければ、格闘技やダウンタウンに流れる。 となると、紅白は何のために観るのか。それは「ネタ消費」だ。生放送で起こるハプニング待ちだったり、巨額をつぎ込むバカげた衣装を鼻で嗤ったり、言葉の足りない司会女優の発言や暴言を拾ったり、久しぶりに登場した歌手の老い衰えた姿を生温かい目で見守ったり。SNSでつぶやくネタのために観る人も多い。 週刊誌もネットも、大ネタを拾いにくい年末年始には、こぞって紅白のアラを探す。なんだかんだいっても紅白の視聴率は高いため、アラは格好のネタだからね。 今年も多くの記者たちが紅白の舞台裏で何時間も待機し、「森進一これで最後の仏頂面」やら「松田聖子の剥げない鉄面皮」やら「ネットアイドル気取りで調子に乗る小林幸子に浴びせる冷や水」など、香ばしいアラ探しをしてくれることだろう。年始号に注目である。 個人的に、ネタ消費として期待をしているのは、演歌歌手に対するえげつないコラボレーションである。しっとりどっしりピンで歌わせてもらえる演歌歌手は少なく、特にヒット曲のない大御所はアイドルと無理矢理組まされることが多い。舞台上が「安っぽいキャバ嬢と太客」か「やり手のクラブママと宴会担当若手営業マン」みたいな構図になるのが密かな楽しみでもある。 もちろん、この人の歌をちゃんと聴きたいなと思う歌手もいることはいる。巷に蔓延るおしゃれ風カフェ(別名・おしゃクソカフェ)で頻繁に流れている星野源の歌。ジャニーズの中でも地方ロケ&ドサ回り担当だが、実は音楽性が高いと言われているTOKIOの歌。民放ドラマの主題歌になることが多いSuperflyの歌。今このタイミングでなぜ? と思いつつも80年代の懐かしさを噛みしめたいレベッカの声。洗脳騒動やら不仲説やら、過去にいろいろとありすぎて、さすがのNHKも触れるに触れられないであろうXJAPANの腫れモノ感…。 ま、人それぞれの愉しみ方があるわけで。紅白にさも思い入れがあるかのように書き連ねたのだが、今年の大晦日は、格闘技をメインで観て過ごす予定である。

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    あのころ紅白歌合戦は面白かった

    ニッポンの大みそかの風物詩といえば、多くの人がNHK紅白歌合戦を挙げるだろう。昭和26年の放送開始以来、時代のスターが出場した「紅白」の歩みは、まさに日本人の戦後の歩みそのものだった。ただ、最近は出場歌手の選考や番組構成に疑問符をつけたくなることも多い。なぜ紅白はつまらなくなったのか。

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    「?」だらけの紅白歌合戦は既に死んだも同然である

    富澤一誠(音楽評論家) 今年で66回目を迎える「NHK紅白歌合戦」のニュースを時系列で追ってみることにする。 11月26日、今年の紅白歌合戦の出場歌手、司会者が発表された。毎年この瞬間を楽しみにしている人も多いと思うが、このリストを見ての私の感想は以下の通りである。 まずはピンとこない、ということ。紅白と言えば毎年テーマを打ち出すものだが、「ザッツ、日本!ザッツ、紅白!」というテーマが理解できない。要は何がメインなのか? 何をめざしてやろうとするのか? まったくわからないということ。おそらくそれは今年を代表する歌がなかった、ということにもよるが、そうだとしたら、それをカバーするような企画が欲しいものだ。 出場歌手のラインナップに関しては、事前の予想では演歌勢が減るだろう、ということだったが、意外や意外、減るどころか増えていた。これはどういうことか?理解しがたいことだが、三山ひろし、山内惠介という若手演歌歌手が選ばれていたことは評価ができる。やはり若手を起用しないと活性化がおぼつかないからだ。片や、森進一、和田アキ子というベテランが今年も残っていたことには正直言って「?」という感じがした。 復活組ではX JAPANや特別枠での小林幸子も今さらという感じで「?」。初出場のBUMP OF CHICKEN、Superflyもなぜ今なのか?で「?」。はっきり言って、出てもらうには遅すぎたと言うしかない。 一方、落選組では、ももいろクローバーZを今年なぜ落としたのか? 実績を考えればこれまた「?」と言うしかない。それより私が理解できないのは、これまで出場回数15回を誇るDREAMS COME TRUEがなぜ選ばれなかったのかということ。7月にリリースしたベスト・アルバム「DREAMS COME TRUE BEST!私のドリカム」は100万枚に届く勢いでロングセラーを続けている。ということは大衆の支持がドリカムにはあるということだ。にもかかわらず、選にもれたとは「?」である。ゲスト出演で「ありがとう・今」を熱唱する歌手、森進一=12月19日、帝国劇場(撮影・今野顕) 初出場のゲスの極み乙女。はナイスな抜擢と言っていい。惜しむらくは今年の新人では最も売れた部類に入る「あったかいんだからぁ♪」のクマムシは“応援ゲスト”ではなく正統枠で選んでほしかったという気がした。 いずれにしても、紅白出場歌手の発表というニュースを知って、私が感じたことは、「?」だった、ということ。 12月4日、森進一が歌手生活50年でけじめをつけて紅白卒業へというニュースが流れた。北島三郎の先例もあるのでびっくりはしなかったが、やはり遅きに失した、というイメージはある。というのは、いくら実績のある大物歌手とはいえ、ここ数年間は「昔の名前で出ています」で、なんであの人がまだ出ているのか?というイメージを誰もが抱いていたからだ。個人的に私は森進一の歌が好きだ。カラオケでは歌い続けている。だからこそ、引き際は美しく散ってほしい、と思っていた。「昔の名前で出ています」ではそれこそ森進一の名前が泣くというものだ。 北島三郎、そして今回の森進一の紅白卒業を他人事とは思えない大物歌手も何人かいるはずだ。昔の名前で昔のヒット曲をいつまでも歌っていていいのか?と私は思う。トリに選ばれた「大義」ってナニ? 12月8日、「戦後70年 紅白特別企画」でMISIAの出演が決定した。えっ?なんでMISIAなの?と正直思った。なぜならば、戦後70年とMISIAがイメージとして結びつかなかったからだ。今年8月、NHKの戦後70年特集番組「いのちのうた」にMISIAが出演したことがきっかけらしいが、この番組を見ていない人にとっては「?」と言うしかない。戦後70年というならば、今年「平和元年」というアルバムをリリースした元ちとせを私は推めたい。ベトナム戦争真っ最中の1967年にピート・シーガーが発表した「腰まで泥まみれ」など、12編で反戦を願う「平和の歌」を取り上げた元ちとせの方がリアリティーがある。ちなみにこのアルバム「平和元年」は今年の日本レコード大賞企画賞を受賞している。なぜ元ちとせではなくてMISIAなのか? 私には「?」である。 12月12日、紅白のトリが決定。紅組は松田聖子、白組は近藤真彦。本当かな?と思った。紅白のトリと言えば、その年を代表する歌を、それにふさわしい歌手が歌うということが「大義」でしょう。ところが、2人にとって今年めだった活躍やヒット曲があったかというと、残念ながらない。2人共に35周年ということだが、そんなことは一般の人たちには関係ないことだ。その意味では、学芸会の乗りもいいところだ。紅白はいつから学芸会というお遊びになってしまったのか? 聖子、マッチ、2人が紅白トリに選ばれた「大義」を私は知りたい。だから、これまた「?」である。 12月21日、紅白曲目決定。と同時に大トリは松田聖子と決定。このニュースを聞いて、私は今年の紅白は終わった、と思った。石川さゆり「津軽海峡・冬景色」、伍代夏子「東京五輪音頭」、髙橋真梨子「五番街のマリーへ2015」、松田聖子「赤いスイートピー」、和田アキ子「笑って許して」、五木ひろし「千曲川」、郷ひろみ「2億4千万の瞳―エキゾチック・ジャパン」、細川たかし「心のこり」、美輪明宏「ヨイトマケの唄」、森進一「おふくろさん」など、この選曲はどうひいき目に見ても「懐かしのメロディー」でしかない。紅白はいつから懐メロ番組になってしまったのか? その証拠に、白組トリの近藤真彦は1981年にヒットした「ギンギラギンにさりげなく」、紅組トリで大トリの松田聖子は1982年の大ヒット曲「赤いスイートピー」を歌うとか。共に30数年も前のヒット曲。紅白の両トリが30数年前の歌を歌って終わる紅白っていったい何?と思うのは私だけではないだろう。 結論。「?」だらけの紅白歌合戦は既に死んだも同然である。

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    「特別枠」を乱発しすぎた紅白歌合戦の苦悩と違和感

    影山貴彦(同志社女子大学情報メディア学科教授) 紅白歌合戦は「特別」な番組である。 1951年の第1回目の放送から数えて、今年2015年で66回目の放送となる。1年に1度の放送のはずなのに、回数が1回分多いのでは?と気づいた読者がいるかもしれない。 実は1953年には、第3回の1月2日、第4回の12月31日のあわせて2回、紅白歌合戦は放送されているのだ。現在「大晦日」に放送される国民的番組として知らない人はいない紅白だが、第1回目から第3回目まで「正月番組」であったことは興味深い。 ちなみに過去の最高視聴率と最低視聴率を記しておくと、最高は、第14回(1963年)の81.4パーセント、最低は第55回の39.3パーセントであった。視聴率はいずれもビデオリサーチの調査による関東の数字である。細かいことを申せば、ビデオリサーチの設立は1962年の9月なので、それ以前の紅白の視聴率はわからない。もしかすると80パーセント後半、90パーセント近かったかもしれない。 ここ数年は40パーセントを少し超える程度の視聴率で推移している紅白である。過去の視聴率と比較して、勢いの衰えを主張する向きもいるようだが、時代の流れ、視聴者のテレビとの向き合い方の変化を考えれば、紅白は視聴率の高さひとつをとっても驚異的な存在で、今も変わらぬ「お化け番組」であり、「特別」な存在であることは間違いないところであろう。 民放各局が多くの時間を割いて、その年の紅白の司会者、出場歌手などをニュースとして報道することもよくよく冷静に考えると「敵に塩」の行為なのである。けれどなぜかずっと当たり前のこととして捉えられ続けてきている。 こうして「特別」な存在として扱われる紅白歌合戦を私は好意的に受け止めている。 人々は、何かにつけ「特別」な対象に惹かれるものである。「特別」なものは「特別」なものとして存在し続けることによって、大衆は安堵するのだ。紅白を楽しみに観る人も、民放にチャンネルを合わせる人も、大晦日に限らず、普段からテレビを観ない人も、紅白歌合戦が66回にも渡り放送され続ける事を確認することは、歓迎すべきことなのである。  1981年に公開された「駅 STATION」いう映画を覚えていらっしゃるだろうか。映画「駅 STATION」の舞台、北海道・留萠本線の終点増毛駅前に立つ高倉健さん=1981年3月 私は、高倉健さんが主演した映画の中でもっとも好きな作品である。刑事である主人公は、北海道の小さな町の小料理屋をたまたま訪れる。年末の30日、実家に帰省するための連絡船が欠航となったのだ。その店の女将を演じていたのが、倍賞千恵子さんである。訳ありの二人は互いの背景を多く語ることなく惹かれあう。船は翌日の大晦日も欠航となり、小料理屋のカウンターで二人は寄り添いながら紅白歌合戦を観る。それぞれに去来する思いを胸に秘めながら。10数インチの小さなテレビから流れるのは、1979年の紅白歌合戦、八代亜紀さんの「舟唄」である。「特別」な番組に少々抱く違和感 このシーンでの高倉健さんと倍賞千恵子さんの二人の芝居が素晴らしい。降旗康男監督の演出が素晴らしい。倉本聰さんの脚本が素晴らしい。そして、テレビに映し出される紅白歌合戦の八代亜紀さんの「舟唄」が最高に素晴らしい。大げさでなく、この作品の中で飛び切り重要な役割を演じているのである。 紅白歌合戦が仮に何でもない普通の番組であったとしたら、このシーンは成立しない。 成立したとしても、受け手の大きな感動を呼ぶことはないだろう。紅白が「特別」なものとして私たちひとりひとりの共通認識となっているからこそ、感動はより増幅されるのだ。 ここまで紅白を「特別」な番組として称えてきた私だが、少々違和感を抱いていることがある。それは第58回(2007年)から始まった、「特別枠」制度である。紅組、白組、いずれにも属さない「特別」な歌手という枠組みで何組かを出演させるようになった。今年は4年ぶりに復活を果たした小林幸子さんが話題となっているが、彼女もその「特別枠」での出演である。彼女の復活を喜んでいるファンも多かろう。私自身、彼女の復活になんら異論を唱えるものではない。ただ「特別枠」という点に、いささかのもやもやしたものを払拭できないでいる。その他、視聴者にしっかりと話題を作りたいとの意向が透けてみえる歌手たちも何組か「特別枠」で出演している。 紅白歌合戦は、「紅白」だからこそ意味があるのではなかろうか。「特別枠」の乱発は、むしろ紅白の「特別」感を薄らげることになりはしないか。何より、今も歌手たちの中には「紅白歌合戦」に出場することをひとつの目標として精進し続けている人も少なくあるまい。 正式に紅白出場を果たした歌手たちよりも「特別枠」の歌手たちの方が大きくクローズアップされ、多額の制作費をかけてもらい、長時間出演している現状は、長い目で考えたとき、紅白歌合戦がこれからも「特別」な存在であり続けることと逆行しているように思えてならないのだが、いかがだろう。 と、「特別枠」について少々熱く記してみた。ただ冷静に我が思いを反芻してみれば、こうした主張もまた紅白歌合戦が「特別」な番組である証に他ならないのかもしれない。  いずれにせよ私は、紅白歌合戦は今後も変わらず大きく輝き続けて欲しいと、紅白ファンのひとりとして強く願っているものである。

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    今年ほど国民的音楽番組っぽい紅白はない これが音楽シーンの現実だ

    常見陽平(千葉商科大学 国際教養学部専任講師) 年末である。今年もNHK紅白歌合戦が迫ってきた。楽しみで仕方がない。矢沢永吉や中島みゆき、サザン・オールスターズなどいかにも紅白に出ない人の出演、昨年のような海外から中森明菜出演などの夢企画は少なめだけど、今年は楽しめるラインナップなのではないかと思っている。そして、これぞ国民的音楽番組なのではないかと思ったのだ、今の音楽シーンにとって。 最初に今年の紅白の見どころについて、一音楽ファンとして語らせて頂こう。中年ロッカー、そしてプロレス者はこの布陣にNHKの本気と、気迫、さらに言えば狂気のようなものを感じるからだ。今年の紅白は闘いである。なんせ、トリのマッチさん(さん付けで表記しないといけない)と聖子ちゃん(もう中高年だが、安室奈美恵がアムロちゃんであるのと一緒で聖子ちゃんは、聖子ちゃんなのだ)の対決に目が行く。マッチさんは「ギンギラギンにさりげなく」、聖子ちゃんは「赤いスイートピー」で勝負してきた。80年代アイドル頂上決戦である。昔の格闘技で言うならば、これはヒョードル対ミルコなのだ。マッチさんは昨年、特別出演した中森明菜を背負っている。聖子ちゃん派対明菜派という、80年代の女性アイドル歌手イデオロギー闘争はここで、時を経て代理戦争が行われることになる。聖子ちゃんは昨年の明菜、そして今年のマッチさん、さらにはトリという重責と闘わなくてはならない。だから「赤いスイートピー」という最終鬼畜兵器を紅白に投下することになった。 さらに追い打ちをかけるように、白組の、そして番組のトップバッターは郷ひろみで「2億4000万の瞳」である。かつての交際相手であることは言うまでもない(若い人は知らないか)。聖子ちゃんが破局会見をしたのは1985年の1月だ。約30年の時を経て、お互い数々の恋愛の紆余曲折を経て、再度対決である。このカードを組んだNHKに決意を感じるのである。 このトップバッター郷ひろみ、トリにマッチさんという布陣は、現状、ジャニーズ勢に対する闘魂伝承、いやジャニ魂伝承の意味もあるだろう。存在自体が中年サラリーマン的、万年中間管理職的なV6、TOKIOがこれでどれだけ奮起するか、やはり紅白において万年前座枠であり、もはやプロ若者化しているSexy Zoneとどんな化学反応が起こるか、関ジャニ∞が嵐、SMAPを超えていくキッカケになるか、見ものである。 著作権問題があった森進一の「おふくろさん」、BPO問題があった和田アキ子が「笑って許して」を歌うなど、意味深な展開も。他にも坂本冬美と徳永英明の歌唱力対決、レベッカ、星野源、Superflyの投入、X JAPANがバラード曲ではなくメドレーで参加するなど、見どころはたくさんある。応援枠での出場が決まったお笑いコンビ、クマムシ 出演者もスタッフも、そして視聴者も、死人が出るのではないかと思うほどの気迫を感じる。紅白が日本の音楽シーンを過激なまでに先取りしている 個人的な想い、解説はここまでにして、これからが本題。 今年の紅白に対して、懐メロだらけだとか、メドレー大杉じゃないかとか、なぜこの人がという批判がある。 昨日もBLOGOSを見ていたら<NHK紅白歌合戦出場曲にランキング1位はわずかに5曲>「懐メロ」で埋め尽くされた紅白は国民的番組ではないhttp://blogos.com/article/151856/というmediagongから配信された、矩子幸平さんの記事が掲載されていた。 タイトルが全てを語っているが、前述したようなよく見られる批判を代弁したものであるといえる。そのピュアな問題意識には同意しつつ、また数年前なら私もこんなことを言っただろうな(実際、書いていたような気がする)と共感というか、同情する。 とはいえ、こういう批判自体がちょっと違うのではないかと考える。要するに、日本の音楽シーンが変わっているのであって、それを紅白が反映している、むしろ過激なまでに先取りしているということなのではないかと私は見ている、悲しくなる部分を含めて。 今年の紅白のテーマはザッツ、紅白!ザッツ、日本! うん、皮肉にもこれが紅白だし、今の日本なのだよ。 以下、手短に論点を述べよう。・紅白はその年のヒット曲「だけ」を紹介する場ではない。「代表曲」を紹介する場でもある。すでに演歌、ポピュラーなどは20~30年前からそうなっていた。・ポップスの売れ方もド定番化(演歌化とも言う)。90年代後半にCDの売上はピーク。ネット配信に完全に置き換わるわけでもなく。ライブは伸びる。音楽の定額配信サービスは定番化をおしすすめる?新曲も出るが、定番で盛り上がる音楽シーン。・新曲チャートは、ぱっと見はAKB、ジャニーズ、EXILEのファミリーだらけ。もっとも、これらを取り除いてチャートを作れば印象は変わるのだが、それが届きにくい。・音楽の志向はベタベタ、コテコテの定番と先鋭化したものに多極化。・やはりAKB、ジャニーズだらけに見えるが、これもまた現実(ただ、より多様なアーチストを紹介してほしいものの、一方、テレビに、紅白に出てくれる人たちのお祭りというのでもある)。・演歌の大御所が減ったのは大きな変化。40代以下を意識したつくりになっている?・メドレーは楽しむためにも便利。まさにDJがウケるのと同じ理由かも。という点において、今の音楽シーンを反映したものだし、これはこれで「国民的な音楽番組」なのではないかと思う。いま、紅白に出る人たち、見る人たちの利害関係を調整したならば。ナウなヤングでライブ志向の子たちはカウントダウンジャパンに行ったりするわけで。 参考までに次のような記事を参照して頂きたい。AKB商法を実は非難できないこれだけの理由 視聴形態が多様な時代の音楽チャートを考える | 「若き老害」常見陽平が行く - 東洋経済オンラインhttp://toyokeizai.net/articles/-/73543出版不況でも売れまくる!新興音楽誌の正体 新創刊で一気にブレーク、「ヘドバン」人気の秘密 | 「若き老害」常見陽平が行く - 東洋経済オンラインhttp://toyokeizai.net/articles/-/62302若者の音楽離れはウソ?中年はカモ! いまこそ「新曲不要論」を提唱しよう | 「若き老害」常見陽平が行く - 東洋経済オンラインhttp://toyokeizai.net/articles/-/61261就活テーマ曲ランキング…就活生はいつまで『負けないで』に励まされるのか問題 | しらべぇhttp://sirabee.com/2014/09/19/3277/【コラム】売れるのはAKBと嵐だけ?あいつらを除いたヒットチャートを作ってみた | しらべぇhttp://sirabee.com/2014/07/11/954/ というわけで、悲しい部分、呆れる部分も含めて、これはこれで、一生懸命国民的音楽番組を成立させようとしていると思うのだ、NHK紅白歌合戦は。うむ。(「陽平ドットコム~試みの水平線~」より2015年12月27日分を転載)

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    紅白はもう古い…「NHK47都道府県歌合戦」にリニューアルしよう

    神田敏晶(ITジャーナリスト) KNNポール神田です! NHKの紅白歌合戦の楽曲が発表となった…。http://www.nhk.or.jp/kouhaku/artists/ しかし、なぜ2015年の大晦日の、あの「紅白歌合戦」でこの楽曲を聞かなせられなきゃならないのかが不思議な曲が今年はさらに満載なのである。誰がこの曲とアーティストを選んでいるのか?郷ひろみ 2億4000万の瞳ゴールデンボンバー 女々しくて近藤真彦 ギンギラギンにさりげなくTOKIO AMVITOUS JAPAN細川たかし 心のこり美輪明宏 ヨイトマケの唄森進一 おふくろさん高橋真梨子 五番街のマリーへ2015松田聖子 赤いスイートピー和田アキ子 笑って許して 個人的なセレクトで申し訳ないが、紅白歌合戦で、なぜこの歌手、この曲が選ばれたのかのホントの理由が知りたい。すでに時代錯誤な「紅白歌合戦」 ボクは、こうもいいながら、毎年「紅白歌合戦」を録画して観ている大ファンだ。あのNHKの局の中の運動会と文化祭が一緒になったような、あの緊張感はすさまじい。裏方の罵声まで含めてNHKの本気度がわかる。しかしだ。見せられている側からすれば、もうマンネリで、アドリブも入らない緊張感だらけのお祭りはつまらなくなってしまっている。さらに、楽曲が売れなくなり、歌番組もわずか…。もう昭和時代のような国民的な大ヒットは生まれようがなく、歌のランキングもニッチで知らない楽曲だらけとなってしまった。 さらに、女性を「赤組」男性を「白組」とし、男女で唄を対抗するというのも、この「LGBT」が社会現象化しているこの時代には完全にふさわしくない。「ピンク組」も応援コーナーではなく、真剣に考えるべき時代になっているのだ。むしろ、この紅白歌合戦の「紅白」のフォーマットをそろそろイノベーションする時期だと考えている。ぜひ、NHKの経営委員会の皆様、真剣に討議してみてほしい。ネット時代の「NHK47都道府県歌合戦」案 すでに、男女別でどちらが勝とうが、どちらでもよくなっている。そんな「紅白」よりも、日本で生まれた人ならば、日本の47都道府県のどこかで生まれたはずだ。生まれ育った場所、現在いる場所、嫁いだ場所。大晦日で帰省して実家で正月を過ごす時の国民的番組であれば、「47都道府県」別で「歌合戦」すればよいのではないだろうか?。それだけでも地元にいながら地元愛で盛り上がれるはずだ。そして自分の属する地域の歌手を知り応援することもできる。 フォーマットは、47都道府県から県民の選んだ歌手が登場する。さらに、各地方自治による都道府県のアピールによる応援合戦も行われ、それも審査対象とするのだ。地方の名産から訴求ポイントと一緒に都道府県のお国自慢大会となるのだ。全国各地の祭りと食にスポットを当てたイベント「ふるさと祭り東京2015」。プレスプレビューで披露された青森ねぶた祭りの山車 大事なのは、大晦日だけでなく、「高校野球」のように予選大会が重要なのである。もちろん、県出身のタレントはノミネートされるが、YouTuberのような素人もオーディション参加できるようにすれば、チャンスは広がる。「◯◯県では、プロのベテラン歌手が高校生YouTuberに負ける!」なんてことがヤフー!ニュースに掲載されるのだ。県民をあげて予選からSNSで盛り上がる歌合戦県民をあげて予選からSNSで盛り上がる歌合戦 この企画のポイントはNHK支局もあわせて予選大会から放送できるところがミソとなる。NHKのこの資産をフル活用できるのだ。http://www3.nhk.or.jp/toppage/zenkoku/ 自治体協力で、ノミネートアーティストを選び、インターネット上で投票する。これは閑散期の選挙対策本部を総務省マターで動かすといいだろう。 YouTubeやfacebook、twitter、instagram、LINE、niconico、pinterestなども含めて、各自治体ごとに、在住や出身地のアーティストのページでSNSサイトをまとめる。これだけで非日常な国政選挙の時の候補者のSNSフォーマット化が日常で誰もが職員レベルで作成できるようになるだろう。ネット選挙の本丸の「ネット投票」時代を牽引することもできる。 NHKの番組の予選だけれども、アーティストのSNSなどの連携で、地域のアーティストの発掘と「ふるさと納税」ならぬ「ふるさとアーティスト」を支援したくなる想いも募れるだろう。海外インバウンド客にむけての地域宣伝 そして、大晦日の「47都道府県歌合戦」の目玉は、都道府県別の応援型のプレゼンテーションだ。どの地方自治体も観光課から選挙対策本部から広報課から少子化対策課、などの大横断的なプロジェクトで自分たちの「県」をアピールすることができる。当然、海外観光客向けのインバウンド情報も満載にすることができるだろう。NHKの紅白歌合戦の後番組で、地元をアピールできる機会なのだからチカラも入ることだろう。 2016年から「47都道府県歌合戦」をやれば、東京オリンピック開催の2020年まで、あと4回も開催できるとするとかなり、それだけでもアイデア予選大会とかも、地域をまとめてイベント化し、予選大会には地元の広告は入れることが可能とかにすれば地域の活性化にもつながるだろうし、NHKの支局でも事業局収入が増え、NHKの歳出低減に貢献できるのではないだろうか?地元企業だけのスポンサードにすることによって全国レベルのアピールができる。広告としてではなく広報としての社名だ。このあたりもNHKの企業名に対する考え方をこれは広告にあたるかあたらないかを常に考えさせるいい機会となる。 何よりも、海外での放送や番組のスピンアウト企画から、予選大会まで考えると、県の観光、グルメ、名産、特産、レジャー、ゆるキャラまでを年間の予選をとおして総動員できる。そして、県の予選を勝ち残ったアーティストと、自治体プレゼンテーションが大晦日のハイライトとなる。地方創生の交付金を4200億円をかけなくとも、NHK紅白歌合戦の予算たったの3億円で地方創生のメディア露出が図れるのだ。 こう考えるとNHK紅白の予算3億円が安く思えてきた。 ぜひ、NHKの経営委員会のみなさんは、何も生み出さない「NHK紅白歌合戦」の代替案として、ぜひ検討していただきたい。(「Yahoo!ニュース個人」より2015年12月21日分を転載)

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    紅白歌合戦司会者 屈指の名コンビは上沼恵美子と古舘伊知郎

    1951年1月3日、ラジオ放送から始まった紅白歌合戦。一年を締めくくるにふさわしい、豪華な出演者たちを1つにまとめ、独特の緊張感の中、“歌のバトル”を仕切る司会者は、相当の大物揃い。個性と実力溢れる、その時代の“顔”が揃っている。 2015年を締めくくる紅白歌合戦の司会者は、V6の井ノ原快彦(39才)と綾瀬はるか(30才)だ。 「お茶の間にアットホームな空気を届けます」(井ノ原)、「前回の経験を踏まえて臨機応変に対応したい」(綾瀬)とそれぞれ意気込みを語った。総合司会は、黒柳徹子、有働由美子アナが務める盤石の態勢だ。 「紅白歌合戦の面白さは、司会で決まるといっても過言ではありません」。『怪物番組 紅白歌合戦の真実』などの著者でもある合田道人さんは断言する。第46回NHK紅白歌合戦 優勝旗を手にする、白組司会者の 古舘伊知郎と紅組司会者の上沼恵美子(左) 「“紅白”は一年を締めくくる歌番組である一方、チーム対抗戦。紅白両者のリーダーの司会者がお互いに火花を散らし合うことで、番組がさらに盛り上がるんです。平成の“名司会コンビ”は上沼恵美子さんと古舘伊知郎さん(1994年)。あの2人の熱気に、周囲は巻き込まれて酔わされていく。“次はなんと…このかたです!!”とハイテンションに紹介されると、つい“何だ何だ?”と見てしまいますよね。 そして、黒柳徹子さん。初司会だったのが、1958年の第9回。まだ当時最年少の25才でした。この時は会場が新宿コマ劇場でしたが、他の番組と掛け持ちしている歌手がほとんどで、なかなか来ない。歌う順番もぐちゃぐちゃです。 “紅のかた、到着しました”なんて、着いた人から順番に紹介して歌手名をミスってしまったり(笑い)。そんな黎明期から紅白をご存じの黒柳さんが、今年はどんなふうに総合司会を務めるのか、そこに注目しています。何しろよき時代の紅白も知っている人ですからね」関連記事■ 『NHK紅白歌合戦』 GHQから一度企画を却下された過去もある■ 紅白歌合戦 正月特番から大晦日に日程変更された意外な理由■ NHK・有働由美子アナ 理事待遇エグゼクティブアナに昇進か■ 紅白最も歌われた歌 8回3曲『河内おとこ節』『天城越え』等■ 紅白司会井ノ原 木村拓哉が勝敗意識する姿を見て感じたこと

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    開発秘話「NHKだけ映らないアンテナ」はこうして生まれた!

    会βウェブサイト上の告知で大きな話題となり、同発表は「研究してみたマッドネス大賞」を受賞した。(上)NHKだけ映らないアンテナフィルター「イラネッチケー」をテレビに取り付ける筑波大の掛谷英紀准教授=茨城県つくば市の筑波大(下)左が関東地域で使用できる地上波用、右が衛星用のイラネッチケー 放送法64条には「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」とある。ここでいう協会とは日本放送協会、すなわちNHKのことである。よって、条文を文字通り解釈すれば、たとえテレビ受信機があっても、NHKの放送が受信できなければ、NHKとの契約は不要であると考えられる。 スカイツリーから発信される電波では、NHKEテレは物理チャンネル26チャンネル、NHK総合は物理チャンネル27チャンネルを使って放送がなされている。ニコニコ超会議で発表したアンテナは、この中間である554MHzにピークを持つLC共振型ノッチフィルタをアンテナのマッチング回路と同じ基板に導入したものである。この基板を取り除くと、全ての信号が伝わらなくなるため、どのテレビ局の放送も見ることができない。この基板を取り付けると、NHKのみ見ることができない。旧郵政省(現総務省)は「復元可能な程度にNHKの放送を受信できないよう改造された受信機については、受信契約の対象とする」との見解を示しているが、このアンテナは復元不可能な程度にNHKの放送を受信できない受信機とみなすことができると考えられる。 ここで、一つ疑問が湧くかもしれない。それは、なぜNHKだけ映らないテレビではなくて、アンテナなのかである。もちろん、テレビ側でNHKを映らなくしてしまう方が話は分かりやすい。しかし、残念ながらそれは技術的には容易であっても法的には難しい。というのは、NHKは放送技術研究所という研究機関を所有しており、そこでテレビ放送に関する大量の特許が取得されているからである。特許データベースJ-PlatPatで検索すると、デジタル放送に関するNHKの特許は出願で1000件以上、権利化されたもので100件以上である。NHKによるものだけでなく、各家電メーカー所有のものも含めて、テレビに関する特許はARIB必須特許ライセンスとしてアルダージ株式会社によって管理されている。この特許プールがNHKの特許を含む以上、NHKが映らないテレビは、特許使用が認められない可能性が高い。もちろん、特許の存続期間は20年と限られるが、次の4Kテレビの時代に向けて、UHDTV必須特許ライセンスが準備されている。よって、テレビ製造において、NHKの知的財産権の網を免れることは今後も難しい。一方、アンテナ技術は非常に古く、知的財産権の制約が少ない。それがアンテナに着目した理由である。 NHKだけ映らないアンテナは、今のところ販売には至っていないが、同じ原理でNHKの放送のみを受信できなくするアンテナ線フィルタは2014年7月よりAmazonで販売されている。フィルタの場合、取り外しができるため復元可能な程度の改造に当たる可能性はある。しかし、住人がアクセスできないアンテナ配線中にこのフィルタを埋め込んだ場合、復元不可能な改造と見なせる可能性はある。実際、山口ケーブルテレビジョンでは、NHKの衛星放送のみを受信できなくするカットフィルタを壁内や天井裏の配線中に取り付けることで、NHKの了解のもとBS料金を免除するサービスを行っている。また、2015年6月には、船橋市議の立花孝志氏が、このフィルタを室内配線中に取付けるとともに、このフィルタを絶対に外さないという誓約書を提出の上、NHKとの契約が不要であることを確認するための債務不存在確認訴訟を提訴しており、現在東京地裁にて係争中である。 NHKのみ受信できなくするフィルタは、2013年度、筆者の研究室配属の4年生の卒業研究として開発した。原理自体は非常に単純で、電気電子工学を専攻する大学2年生であれば理解できるレベルのものである。同様の装置は、2007年に出版されたラジオライフの「本気の電子工作2」でも紹介されている。ただし、当時はアナログ放送であったため、NHKに周波数が近接する放送にノイズが出る問題があった。デジタル放送化された現在、NHK以外の放送にノイズを発生させず、NHKの放送のみを完全に遮断することが容易に実現できるようになっている。「政治的に公平」に違反する事案が続く背景「政治的に公平」に違反する事案が続く背景 この卒論テーマ設定のきっかけは、NHKの要請でYouTubeにアップロードされた2013年3月8日の中山成彬議員の国会質問が削除されたことである。同日の衆議院予算委員会で、いわゆる従軍慰安婦問題について、辻元清美議員と中山成彬議員が正反対の立場から質問した。いずれもYouTubeにアップロードされたものの、NHKは後者についてのみ削除要請をした。この件は国会でも追及され、平成25年3月27日の参議院総務委員会では、亀井亜紀子議員がこの問題についてNHKの見解を問いただした。NHKの石田理事は、後日辻元議員の質問も削除要請したと答えたが、亀井亜紀子議員は削除に時間差があったことを問題視している。また、平成26年2月3日の衆議院予算委員会で、杉田水脈議員も、この問題を取り上げており、放送法4条にある「政治的に公平であること」に違反するのではないかと述べている。  上記の案件に限らず、近年のNHKの放送には、やらせや意図的編集など、公共性を疑わせる事案が数多く発覚している。こうした事案が続く背景として、NHKに公共性を担保させる仕組みがないことがあると考えられる。国会議員には選挙、裁判官には国民審査があるように、公権力に対しては国民によって何らかの選別・監視が行われる。一方、NHKは予算については国会の承認が必要なものの、それ以外については国民による監視が一切行われない。ふれあいセンターという苦情受付窓口はあるものの、そこで寄せられた視聴者の声を反映する義務はNHKにはない。放送倫理を審査するBPOも、その人選は放送局側によって行われており、放送局に甘い判断が下される傾向が顕著である。こうした状況を考えると、NHKに対して国民が自らの声を反映させる何らかの手段を確立することが必要である。受信料不払い運動はそうした手段の一つであるが、NHKを受信できる受信設備を設置している場合、それは放送法に違反する行為となる。そこで、合法的にNHKとの契約を拒否する手段を提供しようというのが、NHKを受信できなくする装置開発の目的である。 筆者自身、NHKの存在意義を全て否定するつもりはない。震災時の報道は民放に比べてはるかに充実していたのは事実であり、また最近話題になった安保法制についても、民放は反対意見以外ほとんど放送しない中で、NHKは賛否両方の意見を取り上げていた。こうした報道姿勢については、公共放送として評価すべきであろう。しかし、公共放送らしからぬ振る舞いがあったとき、それに対して訂正、謝罪処分がほとんど行われていない点については、早急に改善される必要がある。 さらに、不公平な受信料制度の放置も無視できない問題である。NHKの受信料不払いに罰則がないため、NHKを視聴しながら受信料を払っていない人が多数いる一方、NHKを全く見ない人でもNHKが受信できる状態にあることから、法律を遵守してNHK受信料を支払っている人がいる。この不公平な状態を解消するために、現在NHKの受信料支払いを完全義務化する案が、自民党を中心に検討されている。もちろん、負担の公平化は大事だが、NHKが抱える上述の問題を放置したまま受信料の支払いを義務化することには、国民の抵抗が強いであろう。受信料の支払いを義務化するならば、NHKが真に公共的な存在であり続けることを担保する仕組みが必要である。 NHKの公共性を議論する上では、公共性の定義が重要になる。武田徹氏は著書「NHK問題」で、齋藤純一氏による公共性の3つの定義 official, common, openを引用している。このうち、今のNHKに著しく欠けているのが3つ目の公開性である。上述の通り、現在の制度下においては、契約者である視聴者はNHKに対して何の影響力も及ぼせず、NHKの放送を単に受け入れ続けることしか許されない。受信料支払いを強制するならば、NHKを国民に開かれたものにすることが必要不可欠である。具体的には、NHK理事やBPO委員を公選にすることが考えられる。会員の投票で理事を決定することはNPO法人や社団法人などの非営利・公益活動を行う法人でも義務化されている。国民に強制的に金銭的負担を課す特殊法人の役員が、国民の意思を全く反映せずに決定するのでは、これは独裁以外の何物でもない。 もしNHKが国民に開かれた組織であることを拒むのであれば、スクランブル放送、民営化などの選択肢も考えざるを得ないのであろう。スクランブル化した場合も、緊急時の災害放送だけスクランブルを外すことは技術的に容易である。スクランブル化が実現すれば、コストと手間をかけてNHKだけ受信しなくする装置を導入する必要もなくなる。 今後、これからのNHKの在り方についての議論が活発化すると予想されるが、NHKの既得権益を守る方向ではなく、国民の利益を最大化する方向で議論が進むことを願っている。

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    NHK受信料「緩やかな義務化」に賛成する3つの理由

    べく、組織暗号の研究を、 NICT(情報通信研究機構)からの委託研究として進めている。マイナンバーがNHK受信料の支払い義務化にどんな関係があるのか、順を追って説明しよう。 私は、NHK受信料支払いの緩やかな義務化に賛成である。受信料の義務化と言っても、罰則規定などを設けて、国民に強制的な印象を与えるのは好ましくないが、現在のように、契約者の内、約4分の1の人が払っていないというのも不公平ではないだろうか。また、受信媒体が、テレビ受像機に限らず、パソコン・スマホなど多様化している現状を考慮すると受像機を購入した人だけに、契約義務があるというのもおかしな話である。 先ず、多くの民間放送がある中で、また最近急速に普及し始めたSNS等、誰もが自由に情報発信・交流できる情報環境の中でのNHKの存在意義について、・番組作成経費と受信料・日本の文化力向上・国際放送の充実・放送技術の研究開発・高い視座からの評価体制の面から考えてみよう。番組作成経費と受信料マイナンバー制度が始動し、個人番号の通知開始を広報するため配布されたチラシ=10月5日午後、横浜市のJR関内駅前 情報通信技術の関係者から、「我々は、このようなレベルの低い番組を見るために、営々と研究を進めてきたのか」という嘆きを時折聞かされる。私自身も、今から半世紀ほど前、ある企業に勤務していた頃、テレビ画像のデジタル化の開発を世界に先駆けて進めた経験から、同じ感慨に捉われることも少なくない。しかし、良質な番組を作るには経費がかかることを考えると、それも仕方がないのかなと思ったりもする。 夜中に目覚めて、民間のBS放送を見ると、多くの時間が、美容・健康のための食品・器具などの広告に割かれている。民間放送は、無料で見られるのに対して、NHKは受信料を取られると考えている人も多いが、民間放送の総計2兆円を超える売り上げの多くは、広告費で賄われ、商品の値段がそれだけ高くなっていること、つまり、等価的には視聴料を払っている(平等にではないが)とも言えるわけである。 NHKの受信料は安いに越したことはないが、良質な番組には、それなりの対価が必要である。その際、学生や低所得者に対する配慮が必要なことは言うまでもない。プライバシーに配慮したマイナンバーの活用によって、所得・資産に応じた受信料をNHKの放送を視聴する、しないに関わらず負担することが望ましい。それは、何故か。以下、日本の文化力向上、国際放送の充実、放送技術の研究開発の3点から考えてみたい。1)日本の文化力向上 民間放送が、視聴率第一主義になり勝ちなのは広告収入を考えると止むを得ない。また、SNSでやり取りされる情報は玉石混交である。これらに対して、視聴率を余り気にせずに良質な番組を提供して、国民の知的レベル向上に資する公共放送が安定的に続くことが期待される。私はNHKの大河ドラマを数十年見続けているが、最近は視聴率を気にし過ぎているように思われ、不満が残る。今年の大河ドラマではないが、昔未熟なタレントを主役にしたりして興ざめすることもあった。また、多くの視聴者に1年間見続けてもらうためには娯楽性は必要だが、史実を曲げてまで面白くするのは如何なものか。 最近、歴史認識が重要な国民的課題となっているが、これに関して驚いたことがある。それは日清戦争に対する日本と中韓の歴史学者の評価の大きな違いである。中国、韓国の歴史学者が日清戦争を近代戦争の中で最も重要視しているのに対し、日本の歴史学者はそれ程重要視していないとのことである。客観的に歴史を研究する立場にある歴史学者にしてそうであれば、感情的に成りがちな諸国民の間で歩みよることは難しい。幕末から明治のかけての歴史はドラマ作りに当っても、視聴者が長期的・客観的な世界史的視野の中での見方を養えるような工夫を期待したい。 「そのような面倒なことは誰か考えてよ、自分は娯楽・スポーツ番組だけ視ていたい。その代わりNHKを見ないのだから、受信料は払わない」など了見の狭いことは言わず、「受信料は払って間接的に貢献するよ」という寛容な精神に基づくシステムが良いのではないだろうか。 「NHKは、娯楽番組など放送しなくても良い」という考えもあるが、娯楽番組も年齢層などに応じて様々だから、民放を補完する放送も必要だろうし、国民全体に親しみを持ってもらう意味でも娯楽番組は必要だろう。「国際放送の充実」と「放送技術の研究開発」2)国際放送の充実 最近NHKは、国際放送の充実にも力を入れているようだが、日本の全体像やアジアにおける状況を偏らずに世界に発信する国際放送はNHKの大きな役割であろう。私は BBCやCNNをよく視ているが、言語の問題もあるので、これらのレベルまでは無理としても、日本の文化や社会状況を正しく映してもらうためにNHKに期待するところは大きい。お隣の大国も可なりの国費を国際放送に投入しているようである。3)放送技術の研究開発 私は、NHKの放送技術研究所公開を毎年見学しているが、4K、8Kのような誰にも目に見えて分かる研究成果に限らず、例えば、高齢者向けに音声を聴き取り易くするための話速変換機能を始め、ハンデキャップを有する人々が視聴しやすくなるための研究など、時代に合わせた研究が進められている。また私が今年6月まで理事長を努めていたマルチメディア振興センターでは、総務省と協同で、災害情報伝達システム(公共情報コモンズ、Lアラート)の全国展開を推進している。Lアラートは、自治体、消防庁、気象庁や、交通・電力などのライフラインに関する災害情報を、データ形式を整えて、NHKを始めとするメデイアに届けるシステムであるが、ここでも、放送技術研究所の果たす役割は大きい。 これらの成果は、NHKだけでなく民間放送全般に利用されることになるだろう。10年くらい前、市場万能主義的論調が支配的な中で、「研究所など不要だ」という政治的圧力もあったが、NHKの総予算の約1パーセントの研究費から生み出される多くの研究成果を考慮すれば、見当違いも甚だしいことが分かる。4K、8Kの前身であるハイビジョンの研究は1964年に始まり、1994年に実用化された。このように、研究開発には長期的・継続的努力が必要であり、公共的支援が不可欠である。高い視座からの評価体制 私は2005年度、橋本NHK元会長の頃に、多分野の有識者を集めて討議する「デジタル懇談会」の座長を務めたが、その際、梶原拓元岐阜県知事が何度か言われた「政治的に中立な政治家はいない」という言葉が印象に残っている。税金でNHKを支えるという案もあるだろうが、それでは国民の公共放送に対する意識が間接的になり過ぎるし、また国会の権限が強くなり、「政治的に中立な政治家はいない」ということが問題となる。 私はその時々の政府の方針に偏らない高い視座から、広い視野と長期的展望を持って、NHKの番組を評価する多分野の中立的な立場の有識者から構成される組織を、経営委員会とは別に、設置するのが良いと考えている。 以上、NHKの番組について述べてきたが、何よりも強調したいのは、受像機でテレビを視る、視ないに関わらず、テレビ番組を皆で支えようという国民的精神基盤の醸成である。 私は朝のニュース、歴史番組や歌謡番組を中心に民間放送も楽しんで視ている。両者が切磋琢磨して、良質な、或いは楽しめる番組が提供されることを願っている。つじい・しげお 中央大学研究開発機構教授。昭和8年、京都府生まれ。東京工業大学卒。平成16~21年、情報セキュリティ大学院大学学長を務め「辻井重男セキュリティ学生論文賞」が創設される。同時期に「デジタル時代のNHK懇談会」の座長を務めた。東京工業大学名誉教授。

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    NHK受信料の義務化などもってのほか

    先日、NHKの中間決算が発表され、総資産が初めて1兆円を超えたという。受信料の堅調な増収が背景にあるようだが、その裏で支払い義務化への布石も着々と進む。NHKにとっては笑いが止まらない受信料義務化。でも、その前に職員厚遇の是正とか、やるべきことがたくさんあるでしょ、NHKさん。

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    マイナンバーを使うなら、NHKは完全なる「安倍チャンネル」

    荻原博子(経済ジャーナリスト) 10月1日、NHKの籾井勝人会長が、受信料の徴収にマイナンバーの活用を検討する方針を示しました。この発言を聞いて、正直、驚くと同時に、マスコミの一員として、これからの日本がどうなっていくのかという得体の知れない怖さを感じました。 それは、NHKという、日本国民に信頼されている籾井会長率いる巨大マスコミが、この先、どこを目指し、どこに行こうとしているのかわからないことへの恐怖です。 なぜそう思うのかといえば、マイナンバーを活用して受信料の徴収をはじめるということは、とりもなおさずNHKが政府と一体化するということだからです。 来年1月にスタートするマイナンバーは、社会保障と税と災害の3つの用途を設定してスタートします。社会保障では、年金などの資格取得の確認などに関する手続きの簡素化や未払いに対応していきます。税では、税務当局に提出する確定申告書などの届け出書の簡素化や未払い、脱税などに対応していきます。災害では、災害社生活債券支援金の給付などの処理に使われることになっています。 さらに、将来的にはこのマイナンバーに、銀行や証券会社をひも付けされ、個人の預金口座や投資信託口座、証券口座、積立型・年金型保険、死亡保険などの資産情報も政府が把握できるようにしていきます。ただし、金融機関とのひも付けは、まだ構想段階であり具体化はされていません。 では、このマイナンバーを、NHKの受信料の徴収に使うというのは、何を意味するのでしょうか。 NHKは、スポンサー料で成り立つ民間放送とは一線を画し、視聴者の受信料で成り立つ放送局としてのスタンスを保ってきました。NHKは、よく国営放送と言われますが、これは間違いで、開局以来、政府のプロバガンダ専用放送局ではなく、公平中立を旨とした放送局というスタンスを維持してきました。そこで番組制作にかかわる人たちも、マスコミとしての矜持を持って、政府寄りではなく、常に公正な立場で、社会問題や政治問題などの番組化に取り組んできたはずです。 確かに、放送免許や受信料の許諾については国が握ってはいますが、放送の許諾権については民間放送も政府が握っているので、これで国営放送だということにはならないでしょう。また、NHKの財務内容を見ると、税金で運営されているのではなく事業収入の大部分を、視聴者からの受信料でまかなっています。そういう意味では、NHKとは、政府とは一線を画した報道のできる、日本を代表する放送局として、長年、多くの人たちから愛されてきました。消費税再増税先送り、衆院解散を表明する安倍首相の会見映像が流れた水戸市内の家電量販店=2014年11月18日夜(桐原正道撮影) ところがそのNHKが、政府にしか使えないはずのマイナンバーを使って、受信料を徴収することを検討しているというのです。しかも今のところ、社会保障にも税にも災害関連の手続きにも関係ありません。NHKの受信料の徴収などという用途はまったく考慮されていないのですから、もし、これを実現させるとなれば、公営放送としての中立性をかなぐり捨てて、政府の一員としての国営放送に大転換し、大本営発表に終始した戦前のNHKのような存在にならなければできないことです。そうなってはじめて、政府の一員としてNHKはマイナンバーを使って受信料を徴収できるのです。 誤解してはいけないのは、確かにマイナンバー制度では、銀行や証券会社などが制度にひも付けされますが、これは、国が各自の持っている顧客情報を把握するために状況提供させる仕組みであって、銀行や証券会社が、国が管理しているマイナンバーを自分たちの営業に使えるということではありません。国の機関でない限り、国民の個人情報を使うことなどはいっさいできません。そうでなくては、ナンバーを把握される私たちの、国への信頼性が地に落ちてしまうからです。 ですから、繰り返しになりますが、こうした中でNHKだけがマイナンバーを使うえるというのは、これまで中立性を守ってきたNHKが、それをかなぐり捨てて国と一体化し、政府のプロパガンダ放送局になるということを意味します。 穿った見方かもしれませんが、籾井会長が、堂々とマイナンバーで受信料を徴収することを公に話せる背景には、すでに安倍内閣が、NHKを政府内に取り込む密約ができているのかもしれません。 冒頭で書いた、私が感じた得体の知れない怖さの原因は、ここにあります。 かつて、ナチスドイツでは、宣伝大臣にヨセフ・ゲッペルスを起用し、ナチス礼参の一大プロバガン組織をつくり、国民を啓蒙し、第二次世界大戦に突入していきました。日本でも、戦前はNHKが大本営発表を行い、「一億総火の玉」を煽り立て、太平洋戦争へと突入していきました。 その戦争の悪夢が、再び繰り返されようとしているのかもしれません。 同じ会見の中で、籾井会長は、NHKに対して「安倍チャンネル」という言葉は使わないでくださいと言っています。けれど、政府以外には使うことが許されないマイナンバーをNHKが使うということは、すなわちNHKの「安倍チャンネル」化の公式表明としか考えられないでしょう。