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    ゾンビ映画『新感染』は韓国人の叫びだ!

    韓国初のゾンビ映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』がとにかく凄い。あのホラー映画の巨匠、スティーブン・キングが大絶賛したほどの本作が描くのは、韓国社会のトラウマである。それにしてもこの映画、韓流ファンはもちろん、韓国嫌いな日本人にこそ、ぜひ見ていただきたい傑作です!

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    ゾンビ映画『新感染』で分かった「ジコチュー」韓国人のリアル

    中宮崇(サヨクウォッチャー) いやー、たまげた。びっくりした。大傑作でしたよ!  韓国初のゾンビ映画『新感染  ファイナル・エクスプレス』ですよ。原題は『釜山行』だそうで、「新幹線」に掛けてみたけど滑っちゃった、みたいな邦題に改悪されていますが、内容はピカイチ。  これ、ゾンビ物という皮をかぶった朝鮮戦争モノ映画でもあったんですね。軍オタおじさんとしてはそこもハートを射抜かれました。『嫌韓流の真実』なんてムックに執筆させてもらったこともある私は正直何も期待していませんでした。どうせ韓国人お得意のパクリにまみれた駄作だろうって高をくくっていました。良い意味で完全に裏切られましたね!© 2016 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & REDPETER FILM. All Rights Reserved. ゾンビ映画なんて見たことない韓流好きな人も当然楽しめます。そればかりか韓国嫌いの人でもめちゃめちゃ楽しめます。ゾンビ映画としてはもちろんのこと、いろんな意味で名作でした。ゾンビ物が好きな人もそれ以外の人も、全ての日本人にとって極めて楽しめる、そして示唆に満ちた映画です。  今旬のゾンビ物といえば何と言っても『ウォーキング・デッド』ですね。アメリカで2010年から放送が開始され、既に7年にわたり制作され続けている人気ドラマです。『新感染』がどれぐらいすごい傑作であるかと言うと、なんとあのホラーの巨匠スティーブン・キングまで、この映画を「『ウォーキング・デッド』を超える」と大絶賛するぐらい飛び抜けたゾンビ映画なんですよ。 傑作ゾンビ映画というものは、ただのホラーにとどまるものではありません。多くの場合、極めて強い「社会性」を反映しています。 よく言われることですが、そもそもゾンビ物というジャンルの作品は、他のホラー以上に「社会性」を反映せざるを得ません。その理由の1つは、襲ってくるのが「同胞」だからです。昨日まで、いやつい数秒前までの「親兄弟」や「恋人」「友人」などが、一変して襲い掛かってくる。その恐怖は他のホラー物における「異質な存在」への恐怖心とはそれこそ異質なものでしょう。  しかもゾンビ物の場合、「真の敵」はゾンビではなかったりします。ゾンビを生み出したのは銭ゲバの製薬会社だったり、軍だったりするわけですね。ゾンビはただの「被害者」とさえ考えることもできる。 また、「真に恐ろしい存在」もゾンビ自体ではなかったりします。『新感染』においても、ゾンビから生き延びようとする韓国人同士が平気で同胞を裏切り盗み殺していく姿を見た少女が「感染者たちに襲われるより、もっと怖い」と、ゾンビより韓国人の方を恐れます。 こうしたゾンビ映画の特性をかんがみると、『新感染』はただのホラー映画ではなく、韓国社会の歪(いびつ)さを告発した社会派映画でもあるということができます。韓国人の本性を見せつけられた 物語の舞台は、ソウル発釜山行きの「新幹線」車内にほぼ限定されています。それ以外の韓国全土の様子は、断片的に入ってくる不正確なテレビ報道やインターネット経由でしかわかりません。その辺りも恐怖心をあおる要素になっていますね。 主人公のファンドマネジャーであるソグは、平気で他人を利用してのし上がってきた嫌なやつです。奥さんにまで愛想を尽かされ出ていかれてしまっています。奥さんから強引に奪い取ってまで手元に残した、9歳の娘スアンからも疎まれている孤独な仕事人間です。そんな娘のスアンは誕生日にわがままを言って、ソグを強引に韓国が誇る高速鉄道KTXに乗せ、母親のいる釜山を目指します。ところが、彼ら親子と一緒に1人の「感染者」がソウル駅から乗り込んでしまいます。© 2016 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & REDPETER FILM. All Rights Reserved. 感染者はたちまちゾンビ化し、KTX車内の客を襲い始めます。襲われた客たちも次々と感染し、ゾンビ化して他の客を襲い始めるというまさに地獄絵図。時を同じくして車内のニュース映像に流れるのは、首都ソウルばかりか韓国全土で大暴れするゾンビの群れ。果たして親子は無事釜山にたどり着くことができるのか?  いや、そもそも母は、釜山は無事なのか? こんな感じのあらすじですが、他のゾンビ物と異なり、韓国映画ならではの要素がてんこ盛りです。ざっくり言っちゃえば、韓国社会や韓国人の本性というものをまざまざと見せつけられる映画です。 トランプ大統領が韓国を「物乞い」と言った、との報道が最近ありましたが、戦後70年以上にわたって日本は韓国の「物乞い」に悩まされ、煮え湯を飲まされてきました。なんでもパクって「剣道、柔道、ドラえもんも韓国起源」とおとなしい日本相手に言うだけにしとけばよいものの、最近はつけあがって「孔子は韓国人」とか、「端午の節句は韓国起源だから世界遺産登録するニダ!」とかやらかしちゃって、怖い宗主国の中国まで怒らす有り様です。 約束を平気で破る国民性ゆえ、条約まで反故(ほご)にする無法ぶりは慰安婦問題や戦後補償問題で日本人にはおなじみですが、近年の北朝鮮ミサイル問題に絡んで、アメリカも韓国人のそうした約束破りの国民性にようやく気付いてトサカに来たご様子。オリンピックやサッカーワールドカップなどでは毎度毎度「疑惑の判定」と買収がうわさされ「買収民族」とまで各国メディアから批判される始末。 そんな国民性を反映してか、『新感染』はこれまでの他国のゾンビ映画と比べることさえおこがましいほど、登場人物たちがジコチューで卑劣、邪悪極まりない。平気で他人をだまし、盗み、約束を破り、果ては殺します。ほぼ全員が自分のことしか考えない。ためらいなく他人を犠牲にする。歴史が物語る絶望的な韓国社会 韓国人以外がこの映画を見たら「非現実的」「誇張している」と感じかねません。しかし、韓国人にとってはこれは極めてリアルな映画なんですね。 つまり韓国人は、日本人をはじめとする外国人だけをパクり、だまし、嘘をつき、約束を破っているわけではないんです。「同胞」であろうが外国人に対するときと同じように、平気でだまし、盗み、約束を破っているわけです。そのことが如実に表れたのが、2014年に韓国で発生したフェリー転覆事故「セウォル号事故」です。この事故で、韓国政府の稚拙な事故対応が国民の反発を招いたばかりか、国民に対しさまざまな嘘をつき、自分のことしか考えぬ会社、乗務員や乗客、遺族同士もさまざまなだまし合いや不正などがあったことが暴露され、いまだに韓国社会に深刻なトラウマを遺(のこ)しています。 これは1950年に北朝鮮による侵略で始まった朝鮮戦争でもそうでした。5年前まで「同胞」であったはずの人々が敵となり押し寄せ、あっという間にソウルは火の海と化します。しかも侵略者「北朝鮮軍」は、その名とは異なり、北朝鮮の人々だけで構成されていたわけではありませんでした。占領されたソウルの市民が「徴兵」されたり、自ら「志願」したりして「北朝鮮軍」に加わり、昨日までのよき隣人、親類縁者である「韓国人」を追い、襲い、盗み、殺し始めたのです。 ソウルの人々は、襲ってくる昨日までの「同胞」から必死で逃げ回ります。目指すは南端の釜山。今でならKTXでたった2時間しかかかりません。あっという間に北朝鮮軍が押し寄せてきかねない距離です。© 2016 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & REDPETER FILM. All Rights Reserved. しかも逃避行は悲惨極まりないものでした。北朝鮮兵に襲われるだけでなく、政府は国民を見捨てさっさと逃げ出し、自分たちだけが助かるために、まだ市民が渡っている途中のソウルの橋を爆破してたたき落としたのです。さらに北朝鮮シンパの「韓国市民」に襲われ、やっと逃げ延びた先では「北朝鮮スパイ」と疑われ殺され、それどころか敗残兵の韓国兵にまで略奪、虐殺されるという、まさにこの世の地獄。『新感染』で描かれる世界そのものといえる絶望が朝鮮半島全体を襲ったのです。信用できるものは何もありません。親兄弟友人知人さえ敵かもしれない。その記憶はセウォル号事故とも重なり、韓国人全体にいまだ暗い影を落としています。 この朝鮮戦争のトラウマが、『新感染』を見た韓国人にフラッシュバックを起こし、本作に特別な感情をもたらす効果を与えています。例えば、日本で『新感染』同様に、東京発の新幹線の中で博多までゾンビから逃れる映画なんてものを制作しても、『新感染』のような劇的な作品には成り得ないでしょう。本作は極めて韓国的な作品なのです。韓国人は韓国社会を絶望的に見ている 朝鮮戦争やセウォル号事故同様、『新感染』で描かれるKTX車内、いや韓国全土が、同胞同士が平気でだまし合い、盗み、約束を破り、果ては殺し合うこの世の地獄です。政府の発表は嘘ばかりですし、軍隊まで敵です。乗り合わせた客たちは、この期に及んでコネを悪用し、他人を買収し、自分だけ生き残ろうとします。その結果、感染が広がって韓国全体が危機に陥ろうと知ったことじゃありません。舞台となるKTX以外の鉄道車両も、自分たちだけが生き残ろうとして信号や管制を無視して、われ先にと逃げ出そうとして衝突事故を起こし、結局全滅するという全く救いようがない結果に終わります。 繰り返しますが、これは誇張でも何でもなく韓国人のリアルなのです。実際ヨン・サンホ監督はインタビューで、登場人物が「実在しそうな人物」になるよう心がけたと答えています。あれが韓国人にとっての「実在しそうな人物」なんです。韓国人は韓国社会をなんと絶望的に見ているのでしょう。 われわれ日本人のイメージに反し、韓国人の韓国嫌いは昔から有名です。最近も韓国の就職ポータル「ジョブコリア」によるアンケートの結果、実に70・8%が「機会があれば外国に移住したいと考えている」と回答しています。移住を希望する理由としては、「激しい競争社会から離れ、余裕のある生活を送りたい」という回答が51・2%で圧倒的に高く、「不正、腐敗があふれる政府に見込みがないから」(24・8%)、「外国の福祉制度に関心があるから」(18・1%)、「子供の教育のため」(15・0%)と続いたとのことです。韓国を最も嫌うのは日本人ではありません。韓国人自身なのです。彼らは自分たちの社会に絶望しきっているのです。 韓国人のそうした絶望感そのままに、『新感染』も絶望に満ちた作品です。もはや現役世代には何の希望もありません。自分のことしか考えず、他人を平気で裏切り、結局はお互いつぶし合って自滅していきます。韓国そのものを食いつぶし滅ぼしてしまいます。© 2016 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & REDPETER FILM. All Rights Reserved. そんな中で、はかないながらも唯一の希望は子供たちだけです。ゾンビだらけの車両から命からがら逃げることができたジコチューの主人公ソグは、疲れ果てた老女に席を譲った9歳の娘スアンをなんと「あんなことしなくていいんだよ」と叱り、ジコチュー韓国人の再教育再生産をしようとします。しかし、スアンはめげません。それに反発します。 一方、席を譲られた老女は極めて利他的で献身的です。妹のために自身を犠牲にして朝鮮戦争を生き延びてきたこの老女インギルは、ゾンビに満ちた車内においても、他の客たちを救うために犠牲となります。ジコチューな現役世代が共食いしあって自滅する一方で、そうした醜悪な連中を救うために動いた人も、結局は一緒に滅びて行きます。「良心的な韓国人」は、「悪貨は良貨を駆逐する」ということわざ通り、どんどん犠牲になって消えていきます。韓国の唯一にして最後の希望 ネタバレになるのではっきりと書くわけにはいきませんが、ジコチューゆえにこのゾンビパニックを引き起こし、娘を危険にさらした主人公ソグは、結局は金や自己保身などよりも娘への愛が全てに勝ることに気付きます。そして自らを犠牲にして娘を救い和解を果たし、これまで1度も経験したことがないような心地よい満足感に包まれます。政府も信用できず、友人知人もほとんど全て敵。そうして自滅していく韓国人にとって、唯一にして最後の希望は、伝統文化に汚されぬまっさらな心と未来を持った次の世代だけなのかもしれません。© 2016 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & REDPETER FILM. All Rights Reserved. 最後の最後で9歳のスアンは、ある歌を歌うことによって救われます。従来の韓国人であれば、その「歌」はご自慢のアリラン辺りであったでしょう。しかしスアンが歌うのは、ある外国の歌でした。閉鎖的かつ外国人差別で有名な韓国の未来を辛うじて救ったのは、海外文化との交流・接触だったのです。この結末も、韓国人の未来に対する監督の思いを大いに反映した告発、警告のように思えてなりません。 本作は、決してヨン・サンホ監督の独善的な韓国批判、告発映画ではありません。韓国では2016年興行ナンバーワンを記録していることからも分かるように、韓国人が広く共感し、同じ問題意識、同じ希望を抱いている極めて韓国的な映画であるといえます。韓国人の5人に1人が見たとさえ言われるこの作品は、韓国人がホラー好きやゾンビマニアというだけでなく、親子そろって、いや祖父母まで含めた一家そろって映画館に押しかけ涙した感動巨編なのです。 では老若男女多くの韓国人の心を揺さぶったこの一大傑作は、われわれ日本人が見ても楽しめるものなのでしょうか? 「残念ながら」楽しめます。なぜ残念なのか。 恐らく、30年ほど昔の日本社会に生きた当時の日本人にとっては、『新感染』はそれほど楽しめる映画ではなかったでしょう。なぜならその頃までの日本は韓国と違い、平気で他人をだまし、盗み、約束を破るような社会ではなかったからです。『新感染』は極めて現実離れした作品と取られていたことでしょう。 しかし、ここ最近の日本は違います。格差社会はとどまるところを知らず、若者・現役世代と高齢者の世代間断絶はますます進むばかり。資本家・経営者や親の世代を信じられぬばかりか敵にさえなりかねない。かといって、政府や企業などの組織はそれ以上に信用できない。まさに日本社会の「韓国化」とでも言うべき状態です。ゆえに今のわれわれは韓国人同様に、『新感染』を老若男女一族そろって見に行っても感動できてしまうのです。実際、私が映画館に足を運んだ際も、上映後若いカップルやご老人夫婦などがみんな号泣していて、しばらく立てずにいる観客もかなりいました。 『新感染』は未来を作り、和解をもたらすゾンビ映画です。現在、韓国社会がどのような問題を抱え、何に悩み、何を欲しているのかが一目瞭然の優れた名作です。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」と言いますが、韓国好きはもちろん、韓国嫌いの人こそ見ていただきたい映画です。忌み嫌ってきた「敵」の中にも、われわれと同様に人間としての悩みがあると見て取ることができれば、そこから何か新しい未来、希望、和解が生まれてくるのかもしれません。

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    「稲田大臣への報告はあった」日報問題の真実はそれしかない

    潮匡人(評論家) 7月28日午前、防衛省が「特別防衛監察の結果について」を公表した(以下「監察結果」)。今回の特別防衛観察は「南スーダン派遣施設隊日々報告」(以下「日報」)の管理状況に関し、「防衛大臣の命を受け、平成29年3月17日から実施している特別防衛監察について、これまで明らかになった事項等を取りまとめたものである」(監察結果)。特別防衛監察の結果を公表し、辞任を表明する稲田防衛相=7月28日、防衛省 つまり、稲田朋美「防衛大臣の命を受け」実施された監察であり、防衛省の防衛監察本部が実施した監察結果に過ぎない。一定の独立性があるとはいえ、公正中立な第三者によるチェック機能は働いていない。元検事長らが監察した結果とはいえ、裁判所の確定判決とは似て非なる性質である。 広く知られたとおり、稲田大臣が「隠蔽(いんぺい)を了承していた」と報じられてきた。加えて、日報データの存在を複数回にわたり報告されていたと報じられた。その際の場面を克明に記録したメモの存在も明かされた。そうした経緯を受けた監察結果である。当然ながら関心はその一点に集中した。 監察結果で、以上はどう結論づけられたのか。該当個所の本文を引こう。 平成29年2月16日、事務次官は、陸幕長等に対し、陸自に存在する本件日報は個人データであるとの認識により、当該日報の取扱いについて、防衛省として本件日報を公表していることから、情報公開法上は問題ないとし、対外説明する必要はないとする旨の対外説明方針を示した。特別防衛監察の結果について (防衛省ホームページより) この「情報公開法上は問題ない」との判断が批判されたが、当を得ない。なぜなら、なかで「戦闘」と明記され、問題視された当該「日報」は、一部が黒塗りになっていたとはいえ、すでに(2月6日)公開されていたからである。 河野太郎衆院議員のブログを借りよう。防衛省は、見つかった日報が個人の文書だと考え、特に発表の必要がないと考えた。しかし、日報に関してはそれまでいろいろとあったわけだから、自分たちで判断するだけではなく、内閣府の公文書課や国立公文書館に、きちんとした判断を仰ぐべきだった。それがこの騒動の本質ではないか。こうした説明もなく、あたかも日報を隠蔽する決定が行われたかのような報道は、間違っていないか。河野太郎ブログ「ごまめの歯ぎしり」 その通り。公開済「日報」の電子データが見つかった、というだけ。すでに「公開」したものを「隠蔽」するなど、技術的にも不可能である。自ら火に油を注いだ防衛省 同様に当初「日報」を「破棄」した経緯も批判されたが、これも当を得ない。今度は監察結果を借りよう。 本件日報は、「注意」、「用済み後破棄」の取扱いであるが、これらに関連する標記の表示がなされておらず、関係者において、必ずしも認識が統一されていなかった。また、平成28年8月3日付の日報からこれらの標記が表示された。「特別防衛監察の結果について」 もともと「用済み後破棄」されるべき日報である。ポレミック(論争的)に言えば、用が済んだにもかかわらず、そのデータが「破棄」されず、“保管”されていたという“問題”にすぎない。 さらに言えば、マスコミは「保管されていた」と報じたが、いったん陸自の指揮システムにアップロードされたものを、誰かがどこかで閲覧(ダウンロード)すれば、ほぼ自動的にそうした状態が発生してしまう。公表された「特別防衛監察の結果について」 単に、それだけの話である。もともと、大騒ぎするような話ではなかった。だが、他ならぬ防衛省が自ら火に油を注いだ。稲田大臣が特別防衛監察を命じ、今日に至る結果を自ら招いた。 監察結果は「改善策」として、以下の3点を挙げた。(1)適正な情報公開業務の実施(2)適正な文書管理等の実施(3)日報の保存期間等のあり方の検討及び措置 それらより、例えば電子データの取り扱いを今後どうすべきか、といった視点のほうが重要なポイントではないかと思うが、監察結果にそうした問題意識はない。最後の「結言」はこう述べた。 防衛省・自衛隊の活動には、国民の理解と支持が不可欠であり、国民に説明する責務を全うすることが、極めて重要であることを認識し、改善策を早急に講じた上で、各種業務における適正性の確保に万全を期すべきである。「特別防衛監察の結果について(概要)」(防衛省ホームページより) 以上に納得した国民が一人でもいるだろうか。もしいるなら、たぶん稲田大臣ひとりであろう。焦点の「隠蔽了承」について、監察結果は上記引用個所の注記で以下のとおり記した。まず、フジテレビが当日の詳細な報告場面のメモまで明かした2月13日の統幕総括官および陸幕副長による防衛大臣への日報に関する報告について、こう書いた。 その際のやり取りの中で、陸自における日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できないものの、陸自における日報データの存在を示す書面を用いた報告がなされた事実や、非公表の了承を求める報告がなされた事実はなかった。また、防衛大臣により公表の是非に関する何らかの方針の決定や了承がなされた事実もなかった。「特別防衛監察の結果について」 同様に2月15日の事務次官、陸幕長、大臣官房長、統幕総括官による防衛大臣への日報に関する報告についても、同じ表現が用いられた。マスコミ、防衛省・陸自幹部が全員ウソつき? 果たして、2月13日および15日に、日報データの存在が報告されたのか。監察結果は、上記の表現で、巧妙にその判断を避けた。 今回、最も真相に迫った報道を続けたフジテレビは7月28日午前のニュース番組でメモの存在を改めて指摘しながら「真相を明らかにしませんでした」と監察結果を断罪した。 日本テレビの番組でも政治部長が「稲田大臣が関わったわけではないと結論付けたわけではない」と解説した。TBSも「曖昧な表現にとどめた」と報じ、テレビ朝日も「保管の事実は(稲田大臣に)伝えていたことがANNの取材でわかっています」と明言し「十分に解明されていません」と監察結果を批判した。NHK総合テレビも正午のニュースで「解明できない点も残りました」と報じた。特別防衛監察の結果を公表する稲田防衛相=7月28日、防衛省(納冨康撮影) 他方、稲田大臣は辞任表明会見で「私への報告がなかった」と明言、監察結果を“錦の御旗”に掲げながら、「隠蔽了承、そのような事実はない」と断言した。フジテレビが報じたメモについても、「しかしながら、私の認識を覆す報告は一切なかったと承知しております」との表現で、報じられた事実関係を全否定した。 もし、稲田大臣が真実を語ったとすれば、これまで全マスコミが誤報を繰り返したことになる。ひとり大臣を除き、防衛省・陸上自衛隊の主要幹部らがウソをついたことになる。あろうことか、メモまで捏造(ねつぞう)し、大臣を陥れたことになってしまう。 真実はひとつ。大臣への報告はあった。監察結果のとおり「日報データの存在を示す書面を用いた報告」はなかったとしても、大臣室における口頭での報告は複数回あった。そうとしか考えられない。同時に、稲田会見もまた真実を語ったとすれば、大臣は複数回にわたる口頭報告の中身を正しく理解できなかった。そういうことになろう。いずれにせよ「自衛隊の隊務を統括する」(自衛隊法第8条)防衛大臣がすべての責任を負う。その大臣が部下に責任を転嫁するなど、あり得ない。 この1年間で、防衛省・自衛隊が失ったものは大きい。次の防衛大臣が背負う責任は重大かつ深刻である。

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    「自衛隊は自民党の軍隊」稲田辞任は護憲派にとって最大の功績である

    相はどうあれ、防衛大臣だけが辞任しないで済むとなれば、その衝撃は計り知れないほど大きかっただろう。 iRONNAに私の「自衛官の『矛盾』を放置し信頼を失った稲田氏は潔く身を引くべきだ」という論考が掲載されたのが3月末。稲田氏がこの時点で辞任していたら、安倍内閣の傷はこれほどのものにならなかったはずだ。 何よりも、東京都議選で自民党候補を応援する場での「自衛隊としてお願いする」発言は、稲田氏の防衛大臣としての資質を大きく疑わせるものだった。自衛隊は、過去に違憲判決もあったことなどから、どうすれば国民に支持されるかを探ってきた。政治的な争いから身を引いた場に自分を置くことも、その一環であった。稲田氏の発言は、本人が自覚していたかどうかは別にして「自衛隊は自民党のものだ」とする立場を鮮明にするものであり、自衛隊が模索してきたものとは真逆の立ち位置である。言葉は悪いが、中国人民解放軍が共産党の軍隊だとされていることと同じなのである。都議選の自民党候補を応援する集会で演説する稲田防衛相=6月27日、東京都板橋区 これは、安倍首相が最大の目標と位置づける憲法改正に深刻な影響を与える性格の問題だけに、その時点で首相はもっと敏感にならなければいけなかった。安倍首相は5月3日、憲法9条の1項2項はそのまま残して、自衛隊の存在を別項で位置づけるという「加憲案」を提示した。これに対する評価は立場によりマチマチだが、首相の言明によると、憲法解釈は変えないで自衛隊の合憲性を明確にするものだとされ、当初の世論調査では支持が高かった。9条を残すことで護憲派に配慮し、国民の支持が高い自衛隊を明記するというわけだから、反対するのは簡単ではないのである。 しかし、この案が多数の支持を得るのが可能になるのも、自衛隊の政治的中立性が保たれているという安心感が国民の中に存在してこそである。河野克俊統合幕僚長が「一自衛官として申し上げるならば、自衛隊の根拠規定が憲法に明記されるということであれば、非常にありがたいと思う」と発言し、自衛官のそういう気持ちは私もよく理解できる。しかし、政治的に深刻な争いになっている問題で、一方の側だけに加担するというのは、自衛隊の基本的な性格に関わる問題であった。 「自衛隊は自民党の軍隊」という前提に立った稲田氏の発言の衝撃度は、河野氏の発言の比ではなかった。現在の自衛隊について憲法上の位置づけを明確にするだけということだったのに、その自衛隊はかつてのような国民の支持を模索する自衛隊ではなく、特定党派の自衛隊というのだから、国民は皮膚感覚で加憲案に胡散(うさん)臭さを感じたのではないだろうか。安倍内閣の支持率とともに加憲案への支持も低下しているのは当然である。自衛隊の隠蔽体質を浮き彫りに 稲田氏辞任の直接のきっかけとなった南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報問題も、同じ見地で捉えることが可能だ。加憲により明文で位置づけられることになる自衛隊を「政治的争点」にしてしまったということである。 もともと昨年7月のジャーナリストの開示請求に対して、「(陸上自衛隊が)廃棄しており不存在」だから公開できないと答えたことは、自衛隊の隠蔽(いんぺい)体質をうかがわせるものである。しかし、今年2月になって、その日報は統合幕僚監部に保管されていることが分かり、公開されたのである(陸自にも保管されていたことも分かった)。ところが、公開されたにもかかわらず、一連の事態の推移の中で、自衛隊の隠蔽体質と政治化が現実以上に国民の認識になったように思われる。 そうなったのは、陸上自衛隊に対する特別監察の過程で、稲田氏と自衛隊の間に確執が存在しているように見えたからである。稲田氏は一貫して、日報の存在は報告されなかったし、隠蔽を了承したこともないと発言している。特別監察の結果も、稲田氏が参加する会議で日報の存在について出席者から発言があった可能性は否定できないとしつつ、非公表という方針の了承を求める報告があったり、それを稲田氏が了承した事実はなかったとした。稲田氏の発言と異なるのは、会議で発言があった可能性を認めただけである。 真相は分からない。ただ、少なくとも稲田氏の発言がもたらしたものは、自分は報告があるなら公開せよという立場なのに、自衛隊からの報告はなかったという印象である。自衛隊の隠蔽体質を浮き彫りにする役割を果たしたわけだ。稲田朋美防衛相の辞表を受理し、会見で頭を下げる安倍晋三首相=7月28日、首相官邸(斎藤良雄撮影) これに対して、稲田氏には報告したとの暴露が、おそらく自衛隊側から相次ぐことになるだろう。自分たちだけが悪者にされてはたまらないからだろうとの観測があり、同情もされているが、一方、「政治に盾突く自衛隊」というイメージが膨れ上がっているのも事実だ。「クーデターだ」「二・二六事件の再来だ」と極端なことを言う人も出ている。加計学園をめぐる首相官邸の役割をめぐって文部科学省から内部文書が暴露されると歓迎する人が、自衛隊が同じことをすると危険視するわけである。 自衛隊は今回、別に武力を振りかざしているわけではない。言論を行使する枠内でのことである。しかし、自衛隊は一貫して政治への関与を慎んできただけに、少しでも関与しようとすると、必要以上に警戒されるわけである。 このままでは憲法改正の議論が、政治化した自衛隊、自民党の軍隊を憲法に明記するのかという問題に発展しかねない。ところが、最後まで稲田氏をかばい続けた安倍首相には、そういう認識はなかったようである。稲田氏を個人的にかわいがるあまり、信念を実現するために必要なことまで見えなくなっているのではないか。護憲派の私としては、それこそが稲田氏の最大の「功績」である。

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    外資系秘書の「どんなムチャ振りにも『NO』と言わない」仕事術

    フラナガン裕美子(国際コミュニケーション・コンサルタント)多くの外資系企業で活躍し、「伝説の秘書」と呼ばれるフラナガン氏。秘書というと、スケジュールを管理する程度の簡単な仕事だと思う人もいるだろうが、外資系企業では事情が違う。上司のムチャ振りに応えてきたフラナガン氏の仕事の習慣とは? 秘書にとって最も基本的で重要な習慣は、上司にどんな「ムチャ振り」をされても「できません」と言わないことだとフラナガン氏は話す。「日本企業の多くの秘書は、上司から言われたことをこなす一方通行のサポートが多いイメージでしょう。でも、外資系企業の秘書は、上司が業務に専念できるよう、右腕となって尽くすのが仕事です。ですから、秘書に『できない』という選択肢はないのです」 とはいえ、実際のところ、できないこともあるはずだ。そう聞くと、「考えさえすれば、何かしらの方法が見つかるものだ」とフラナガン氏。「たとえば、上司に飛行機のチケットの予約を頼まれたのに、その便がすでに満席になっていたことがありました。そこで『満席でチケットを取れませんでした』と報告するわけにはいきません。『それは俺の問題か? 君の問題だろう。君がどうにかするんだ』と言われるに決まっているからです。 そこで私がしたのは、まず、その航空会社に連絡を取ること。実は、どの便にも必ず要人用に確保している席があるので、それをなんとか譲ってもらえないかと交渉したのです。 同時進行で、別の航空会社にも連絡をしました。そのときには、『ビジネスクラスの席を、無料でファーストクラスにアップグレードしてほしい』と頼みました。上司が指定した便を予約できなくても、無料でファーストクラスにアップグレードしておけば、上司も納得するだろうと考えたからです」 このままでは、今度は航空会社に対してムチャ振りをすることになってしまう。とても受け入れてはもらえないだろう。そうならないよう、フラナガン氏は交渉の際、常に「Win-Win」になる提案をしている。「その代わり、以後、上司が出張をする際には2回以上はその航空会社を利用することと、社内でその航空会社の利用を勧めることを約束しました。それで航空会社に納得してもらい、席を確保することができたのです」 こんなムチャ振りは、外資系企業の秘書にとって日常茶飯事だという。「上司の奥様が来日して、道に迷ったこともありました。そのときは、本人に連絡の取りようがなかったので、立ち寄りそうなお店に片っ端から電話をかけて、『似た人が来たら連絡をほしい』と頼みました。 とても重要な会議に『出たくない』と駄々をこねはじめた上司もいましたね。言い出すと理屈は通りません。『会議の前に休憩を設けますから、ご自由にお好きなところでリフレッシュしてきてください』とか『会議では一番に発言させてもらい、次のアポがあることにして、すぐに退室させてもらうようにしましょう』などと、あの手この手を尽くして出席してもらいました」どんな上司でもまずは「好き!」と思ってみる「NO」と言わない習慣は、秘書にとって、これほどまでに絶対的なものなのだ。「上司の指示を、その言葉どおりに受け止めると、できないこともあります。しかし、『本当は何を求めているのか』を理解すれば、言葉どおりのことはできなくても、それに代わる提案をして、上司に喜んでもらうことができます。 上司によっては、具体的なやり方まで指示する人もいるでしょう。でも、それは他のやり方を知らないだけかもしれませんから、真意を読み取る必要があると思います」 たとえば、上司はAというものを所望していたとする。でも、上司が知らないBというものも好みかもしれない。そういう場合は、さりげなく、AとBの両方を提示する。すると、Bを選択することもあるという。「上司に対してNOと言わないのは、決して受け身になるということではありません。むしろ、主体的に行動することが重要なのです」 上司が喜びそうな行動を主体的に起こせるようになるためには、上司を「観察する」習慣を持つことが欠かせない。なかなか本心を見せない上司でも、日常の些細なことを観察することで、どんなことをすれば喜ぶのかがわかるようになるという。「『今日は表情が硬いな』ということに気づければ、『機嫌が悪いかもしれないから、複雑な話をするのはあとにしよう』といった判断もできるようになります。 好きな人のことなら、どんな小さなことでも見逃しませんよね。ですから、私がお勧めするのは、心の中で『好き』と思いながら上司に接することです。人は、本心でなくても、『好き』と思いながら相手を見つめると瞳孔が開いて、相手が心を開いてくれやすくなるそうです。 どうしても『好き』と思えなければ、お給料をくれる上司の顔を1万円札だと思えば、好きになれるのではないでしょうか(笑)」お礼メールの最後に入れる「一文」とは? 上司の指示を実行し、ときにはそれ以上の提案をすることは、自分1人だけの力でできることではない。幅広いコネクションを持ち、協力を仰げるようにしておくことも重要だ。コネクションを築くための習慣はあるのだろうか。「上司の仕事のために、さまざまな方と話をさせていただく機会があります。そのあとで感謝のメールを送るのですが、その文面の最後に『何かありましたら、お知らせいただければ、お力になります』と添えて、実際に何かあれば積極的にお手伝いすることでお近づきになれます。 ただし、利用したいという気持ちでは、相手が離れていってしまいます。『愛情』を持って接しているかどうかは、必ず伝わりますから」「愛情というと陳腐な響きがするかもしれませんが」とフラナガン氏も話すが、やはり仕事のベースは愛情だという。「上司に対しても同じです。私は、最初に勤めた会社で、上司からひどいパワハラを受けました。それで、胃を痛めて吐血したり、1円ハゲがいくつもできたりしました。でも、パワハラ上司に対して萎縮したら負けなんです。 もちろん、パワハラは許される行為ではありませんが、『ご指導ありがとうございます』とお礼を言うくらいの気持ちで愛情を持って接すると、かえって上司のほうがひるむものです」 愛情は、自分に対しても向ける必要がある。「秘書の仕事は『できて当たり前』なんですね。どんな難題をこなしても、上司は褒めてくれません。だから『自分で自分を褒める』ことが不可欠。鏡を見たり、自分で自分の肩を抱いたりしながら、『よくやってる』などと褒めるのです。 そして、完璧な仕事ができなくてもあまり落胆しないことも大切。完璧にできなくても、軽く反省するくらいでいいのです。ゲームで少しポイントが減点されるくらいのもの。努力はいずれ何かしらの役に立つはずです」《『THE21』2017年5月号より》《取材・構成:西澤まどか》フラナガン・ゆみこ 国際コミュニケーション・コンサルタント。1967年生まれ。津田塾大学卒業。スイス・ユニオン銀行を経て、バンカース・トラスト銀行から秘書のキャリアをスタート。以降、ドイツ証券、メリルリンチ証券、リーマン・ブラザーズ証券など、5つの外資系企業と日系企業で、日本人、米国人、英国人、アイルランド人、スイス人、豪州人、香港人、韓国人という8カ国のエグゼクティブをサポート。著書に『伝説の秘書が教える「NO」と言わない仕事術』(幻冬舎)など。関連記事■ 元社長秘書が見た「大きな仕事を任される人の習慣」■ ストレスを味方にする11の習慣■ <お勧め記事>「ストレスで胃が痛い!」ときに読みたい記事

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    嫌いな相手を「すごい」と言えば怒りが消えていく

    大嶋信頼(心理カウンセラー) 老いも若きもイライラしている現代社会。原因はいろいろありますが、とくに大きな原因の一つになっているのは、「インターネット」です。ニュースサイトや掲示板、SNSなどを見ると、政治経済からスポーツ、芸能人の不倫に至るまで、さまざまな問題について「良い・悪い」「正しい・間違っている」を裁いている人を大勢見かけます。まさしく「一億総評論家時代」といえますが、これは人間の心に負担をかけます。そうやって、人を裁くことをしていると、自分の心の中に怒りが溜まっていくからです。 さらに問題なのは、この怒りは伝染すること。怒りとは電気のようなものであり、一人の人から怒りが放電されると、周囲の人が無意識に怒りで帯電してしまいます。すると、元々怒っていない人にまで放電した人の怒りやイライラが伝染し、周囲の人までそんな気持ちになってくるのです。 科学的には、この現象は脳の神経細胞である「ミラーニューロン」が引き起こしています。その特徴は「他人の動作を見ているとき、脳の中で自動的にその人のマネをする」こと。緊張している人の近くにいると緊張が移ることがありますが、同様に、怒っている人の近くにいると、怒りが移ってしまうのです。 さらに厄介なことに、放電した人は、放電したからといって怒りを発散できないこと。周囲の人に放電し続けて、悪影響を与え続けます。すると、周囲にイライラした人が増えるという悪循環に陥ります。  以上の現象は、仕事にも悪影響を及ぼします。たとえば、多くの職場では上司が怒りを放電していると思いますが、その怒りが伝染すると、部下もイライラし、集中力を失ってしまいます。すると、仕事でミスすることが増えてきます。すると上司はさらにイライラし、部下はさらにミスをするという泥沼状態にハマってしまうわけです。※画像はイメージ 部下の立場の人がこのような状況から脱するためには、上司の怒りからうまく身を守る必要があります。その方法の一つが、「チューニング」。「呼吸」を合わせることで、相手の怒りを抑える方法です。 人は呼吸をする時に肩が動くので、その肩の動きを相手と合わせます。たとえば、息を吸う時には肩が上がるので、同じタイミングで肩を上げるのです。すると、鏡の細胞であるミラーニューロンが活性化することにより、最初は相手の怒りが伝染するのですが、そのうち波長が合ってくることで、怒りの波長が打ち消され怒っていた相手が自分に対して怒りを向けなくなるのです。 もう一つ、お勧めの方法は、相手に対して「◯◯さんってすごい」と心のなかで何度も唱えることです。怒られているときにはとてもそんなことは思えないでしょうが、何も考えないで「◯◯さんってすごい!」と唱えます。すると、これもミラーニューロンの働きで、あなたが「相手をすごいと思っている。尊敬している」という気持ちが相手に伝染し、相手の中にある、あなたに対する怒りが消えていくのです。  このとき、何がすごいかを具体的に考えてしまうと、「本当にそうか?」と疑念が生まれてしまうので逆効果。「○○さんってすごい」と言うだけでOKです。同じ要領で、周囲のすべての人に、「○○さんってすごい!」と唱えていれば、常に怒りから身を守れるようになります。怒りや不満、負の感情をどうおさめるか(1)《怒り》部下にイラッときたときは「本音モード」で叱る 上司のイライラが周囲に伝染してしまうとはいえ、部下が何度も同じミスを繰り返したり、支離滅裂な言い訳をしてきたりすれば、上司も人間ですからムカッとくることはあるでしょう。しかし、そんなとき、「こういう言い方をしたら傷つくのではないか」「メンタルダウンでもされたら困る」などと考え、はっきりと物が言えないという人は多いようです。 たしかに、我を忘れて怒りをそのまま相手にぶつけるのは良くないことですが、問題点をはっきり伝えず遠回しに優しく注意するというのも、良い結果につながりません。結局真意が伝わらないので、部下の行動改善につながらず、ますますストレスが溜まります。そうやってストレスを溜め続ければ、いつか爆発するでしょう。※画像はイメージ このようにはっきりと言えない人にお勧めするのは、叱ることが必要なときに、「本音モード!」と心の中で言うことです。すると、それだけでも気持ちが切り替わり、「この前と同じミスを繰り返しているぞ」「君の言いたいことが私にはよくわからないんだ」などと、はっきりと物が言えるようになります。「ストレートに言っても大丈夫だろうか?」と思うかもしれませんが、優しい言葉ばかりを投げかけるより、感じたままを伝えたほうが、相手も納得してくれるものです。 (2)《不満》嫌いな相手でも心の中で「すごい!」と言ってみる 理不尽なことで怒鳴られたり、朝令暮改を繰り返されて振り回されたり、クドクドと説教されたりして、上司や取引先に不満を抱えたとき。言い返す手もありますが、リスクが高いのも確かです。そんなときには、「すごい!」が有効です。その上司のことを「◯◯さんってすごい!」と心の中で唱えましょう。心の中で言うだけですから、「○○さんって、すげえ!」でも構いません。 何度も唱えていると、本気で「すごい」と思っていなくても、なんとなく「相手はすごい」ように思えてきます。すると、相手に対する自分の怒りは静まっていくのと同時に、「すごい」と思う気持ちが相手に伝染します。それによって、相手にも自分のことを尊重する気持ちが芽生え、不満の元になっていたふるまいをやめることがあるのです。 もう一つ、不満の元になったふるまいをやめてもらう手として、「逆暗示を入れる」という方法もあります。たとえば、クドクドと説教する上司には、「◯◯さんは、話が端的でわかりやすいです」などと逆のことを言うのです。すると、上司の頭の中に「自分は話が端的でわかりやすい」という暗示が入り、説教が長い上司でも、本当に端的に話してくれるようになります。 (3)《わずらわしさ》「相手の気持ちはわからない」でイライラを防げる 会議の席で空気を読まない発言を繰り返す人や、プライベートなことに平気で踏み込んでくるおせっかいな人…。自分には理解できないようなことをするわずらわしい人が、あなたの周りにもいませんか。 しかし、この人に対して、「なんでこの人はこんなことをするのか?」と考えてはいけません。相手の考えや気持ちを汲み取ったところで、それを変えることはできないので、余計にイライラするからです。さらに、相手の発言やふるまいに対して、「私が普段からヘラヘラしているから、平気な顔して仕事を押し付けてくるのか」などと自分に原因を求め始めたりすると、最悪。イライラはさらに加速します。 こんな状態に陥らないためには、相手のことを考えそうになった瞬間に、「相手の気持ちはわからない。自分の気持ちもわからない」とつぶやくことをお勧めします。すると、「相手の気持ちなんてどうでもいいか」という気分になって、深く考えなくなるので、イライラするのを防げます。「自分の気持ちもわからない」というのは、「自分の気持ちですらわからないのだから、他人の気持ちなんてわからない」と思えるようにするためです。おおしま・のぶより 心理カウンセラー/〔株〕インサイト・カウンセリング代表取締役。米国・私立アズベリー大学心理学部心理学科卒業。アルコール依存症専門病院、周愛利田クリニックに勤務する傍ら東京都精神医学総合研究所の研修生として、また嗜癖問題臨床研究所付属原宿相談室非常勤職員として依存症に関する対応を学ぶ。嗜癖問題臨床研究所原宿相談室室長、㈱アイエフエフ代表取締役等を経て現職。ブリーフ・セラピーのFAP(Free from Anxiety Program)を開発した。『あなたを困らせる遺伝子をスイッチオフ!』 (SIBAA BOOKS)、『「いつも誰かに振り 回される」が一瞬で変わる方法』(すばる舎)など、著書多数。関連記事■ メンタルを安定させるメモ・手帳の使い方とは?■ ビジネスマンの「ストレス」大調査■ 今の日本が「ストレス社会」になった理由とは?

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    史上最年少プロ棋士、藤井聡太の「最強伝説」はこうして始まった

    藤井聡太(将棋棋士)聞き手=タカ大丸(ポリグロット<多言語話者>) 藤井聡太四段(10月1日付で四段に昇格)は、9月3日に最終日を迎えた第59回奨励会三段リーグ戦で1位となった。1954年に加藤一二三九段が14歳7カ月で達成した最年少記録を62年ぶりに更新し、史上最年少(14歳2カ月)プロ棋士が誕生した。過去に中学生でプロ入りを決めたのは、加藤九段のほかに、日本将棋連盟会長の谷川浩司九段、羽生善治三冠、渡辺明竜王の4名だけである。 将棋のプロになるには必ず棋士一人の推薦を得て師匠となってもらい、日本将棋連盟が運営する奨励会というプロ棋士養成機関に入会しなければならない。最初は六級からスタートするが、県代表・アマ五段と奨励会の六級がほぼ同じレベルである。小学生のうちにこの奨励会に入らないと、まずプロになることはない。 入会後は、各級・各段で規定の勝率(6連勝・9勝3敗など)を上げながら、昇級・昇段を重ねる。三段になると三段だけで構成される三段リーグ(年2回)で戦うことになるが、四段に昇格できるのは上位2名だけだ。今回の三段リーグの場合、29名が参加し、藤井四段を含め上位2名が昇段した。三段リーグは奨励会トップの棋士が集い、勝ち上がるのは容易ではない。5月1日、プロ公式戦デビュー後の連勝記録を「15」に更新した藤井聡太四段=東京・千駄ヶ谷の将棋会館(春名中撮影) 将棋の世界は三段まで無給で、四段からプロ棋士となり報酬がもらえるようになる。そして、年齢制限が厳然と存在する。26歳までに四段昇段、つまりプロになれない場合は原則退会である。三段リーグのなかで10代は3名しかいなかった。しかも2名は「19歳」である。そう考えると、藤井四段の凄みがよくわかる。 私は、藤井四段がまだ小学6年生、奨励会初段のときから、成長を見届けている。小6で初段(最終的に二段になった)という記録は、羽生三冠、渡辺竜王を上回る早さである。今回は藤井四段の母・裕子さんの同席のもと、昇段直後の心境や将棋に打ち込む思いを聞いた。年上と対局するプレッシャーはない――藤井四段が昇段を決めた例会当日、将棋連盟で待ち伏せしていたのですが、お父さまと肩を並べながら談笑する藤井四段を見かけて驚きました。多くの奨励会員は、たいてい、青ざめた顔で将棋連盟にやって来るものです。藤井聡太(以下、聡太) あの日は、それほど緊張しませんでした。――会場に入って、周囲からの威圧感はありましたか。大学生以上の棋士のなかで、1人だけ中学生が紛れ込んでいる。「こいつだけは上に行かせたくない」という思いは強いはずです。聡太 昔から大会で年上とばかり指していたこともあり、特別な違和感やプレッシャーはあまりないですね。奨励会に入会してからはとくに、同級生と対局することも少なくなりましたし。――しかし、藤井四段は第一局目を落としてしまいました。どこで間違えたのですか。聡太 あとで知ったのですが、対局相手の坂井三段は「昇段者キラー」で有名だったようです。序盤、中盤は順調だったのですが、終盤で悪くしてしまい、逆転されてしまった。――第一局が終わると、二局目の前に昼食が出ますね。その間、どのように過ごされていたのですか。聡太 昼食は食べませんでした。奨励会は東京と大阪に本部があり、大阪で行なわれる対局だと、いろいろなメニューから好きな食事を選べるんです。でも、東京の場合なぜか、おかずが詰まった弁当しか出されない。僕はチャーハンのような一品物が好きなんです。ご飯とおかずというのは何か重い感じがして、その日もお弁当は口にしませんでした。――午後の対局を前に、昇段争いは4人に絞られていました。午前中に勝った大橋三段がまず一抜けを決め、藤井三段を含む残り3人は全員負けていた。つまり、この日までに12勝4敗で首位に立っていた藤井四段が午後に勝てば文句なく昇段という局面でした。聡太 二局目は、僕が勝ったら昇段、負けたら100%昇段しないという、わかりやすい状況だったので、迷わず指せました。――これまでの戦歴を振り返って、大一番に負けたことはほとんどないのでは?聡太 じつは、わりと負けているんです。五級昇級の際に、3、4回昇級を逃しています。その後はそれほどのことはなかったと思うのですが。(補足)昨年8月、藤井聡太二段(当時)は、2連勝すれば三段昇段という場面があった。昇段を果たせば、9月からの三段リーグに参戦、この勢いで今年の3月に「中学1年生のプロ棋士」が誕生というのが私の読みだった。彼はこの機会を1勝1敗で逃した。三段昇段は昨年10月まで延び、次の三段リーグ開幕の4月まで半年もの期間が空いてしまった。これにより、藤井聡太の四段昇段が半年遅れてしまったともいえる。詰将棋が自分を強くしてくれた――現在、藤井四段は名古屋大学教育学部附属中学校に通う中学2年生ですが、プロ棋士昇格が決まり、学校の反応はいかがでしたか?聡太 学校には将棋部もないし、将棋に詳しい友人があまりいないんです。でも、新聞とかテレビに僕が出ているのを見て、“すげぇじゃん”とはいわれましたが(笑)。いま通っている学校は、カート競技で世界大会に出場している子もいたり、個人で取り組んでいることに対して、比較的大きな目で見てくれていると感じますね。先生も含めて、サラッと受け入れてくれていますよ。――授業中に将棋のことを考えることはありますか。聡太 それはないです。授業のときは授業に集中しています。師匠の杉本昌隆七段には「僕は学校に詰将棋を持参していっていたけれど」といわれたこともありますが、僕は持っていかない。頭の中で盤面が浮かぶということもありません。4月13日、将棋の竜王戦ランキング戦6組で星野良生四段(右)を破り、自身の持つデビュー後の連勝記録を「12」に更新した藤井聡太四段=大阪市の関西将棋会館――藤井四段は、将棋の場面を図面で考えるのか、棋譜で考えるのか、どちらのタイプですか。聡太 基本的に、符号で考えて、最後に図面に直して、その局面の形勢判断をしています。――5歳で将棋を始めたきっかけが、祖母・育子さんが買ってきた「スタディ将棋」(くもん出版)だったそうですね。藤井裕子(以下、裕子) それぞれの駒に矢印が付いていて、役割が一目でわかる将棋キットで、すぐに熱中していました。私の母がいうには、のめり込み方が、ほかの孫に比べて聡太だけ突出していたそうです。聡太  「スタディ将棋」の何が気に入ったのかはあまり覚えていないのですが、単純に楽しかったのだと思います。将棋なら年上の相手と対等に渡り合えるというのも嬉しかった。どんどん新しい手を覚えて、それまで勝てなかった相手に勝てることに、やり甲斐を感じていました。――この半年で急激に強くなったように感じます。3月に藤井三段(当時)と対戦したプロ棋士は「一期抜けは無理」と断言していました。一方で私の友人は、いまや三段と大駒一枚違うといいます。何があったのですか?聡太 大駒一枚は、言い過ぎです(笑)。でも、今年の5月くらいからフリーソフトを何個かインストールして、パソコン上で将棋を指すようになりました。自分の弱みや間違っていた手がわかるので、勉強になります。母「対局に負けると不機嫌になる」――プロ棋士になるための必須要件の1つに「詰将棋」があります。藤井四段はタイトル保持者を含むプロ棋士たちを抑え、2年連続「詰将棋回答選手権」で優勝していますが、詰将棋の楽しみを教えてください。聡太 詰将棋は、配置された将棋の局面から王手の連続で相手の玉将を詰めるパズルのようなもので、終盤にかけて何か筋が見えた瞬間に快感を覚えます。詰将棋が自分を強くしてくれたと思っています。――お母さまにお聞きします。5歳から将棋をずっと続けていた藤井四段をご覧になっていて、性格に何か変化はありましたか。裕子 どちらかというと、いい変化のほうが大きいですね。集中力が身に付いたことで、長時間ジッと座っていられるようにもなりました。 一方で、怒りっぽくなった印象があります。普段はほとんど怒ることはないのに、対局に負けると、不機嫌になるんです。外では抑えているのでしょうけど、家に帰ってくると、すごく悔しがっているのが伝わってきます。聡太 負けたことが許せないというより、自分の弱さを痛感させられるんです。それが純粋に悔しい。――藤井四段自身は自分の弱さをどう分析しているのですか。聡太 先ほど母は、「集中力がある」と述べましたが、自分では集中力がないと思っています。目の前の対戦相手と対局していても、隣の対局のほうが気になってしまう。10分に1回ぐらいの間隔で、隣の対局の進捗が気になってしまうんです(笑)。――自分の対局に必死で、横を見る余裕はないのでは?聡太 ほかの対局が気になる棋士は、僕に限らずたまに見かけます。三段の試合に出場している棋士のなかには、席を立って、二段以下の対局を見に行く人もいました。三段の対局を見るのは気が重いから、二段以下、つまり自分に関係ない将棋を見て気分転換をしているらしいです。裕子 私はもっと、集中したほうがいいと思うな。聡太 もちろん、つねに目の前の対局に集中できればいちばんです。でも、緊張感のある対局のなかで、集中力を持続するのは意外に難しいんです。息抜きというわけではないですが、多少、気分を緩めることも必要かなという気もします。AIとの勝負に意味はない――最近の将棋を語るうえで避けて通れないのが、AI(人工知能)との対戦です。2015年4~5月に開催された第1期電王戦では、山崎隆之叡王(八段)が将棋ソフト「Ponanza」(山本一成氏と下山晃氏が開発)に敗れました。現在、第2期電王戦でAIと対戦する棋士を決める叡王戦の本選が行なわれています。藤井四段はAIと戦うことをどう考えていますか。聡太 個人的には、今後は囲碁や将棋といった「頭脳スポーツ」の分野においては、AIは勝負の対象ではなくなっていくのではないか、という気はします。たしかに、AI棋士がだんだん強くなり、将棋の概念が狭いものになってしまう懸念はありました。一方で、これまでにない新しい指し方もたくさん発見できたことで、僕自身も将棋の奥深さを再認識することができた。同じ視点で、将棋ファンの方にも、AIとの対戦を楽しんでもらえばいいのではないでしょうか。 最終的には、プロ棋士よりAIが強くなると思います。両者の力の差はどんどん広がっていくかもしれない。たとえそうなったとしても、角落ち(上手が自分の駒のうちから角行を外して対局すること)されてまで勝負を挑むことに意味があるとは、僕は思わないです。――「将棋ファン」という言葉を述べられましたが、最近では、29歳の若さで亡くなった天才将棋棋士・村山聖の一生を描いた映画『聖の青春』が公開されたり、人気漫画『3月のライオン』(白泉社)がアニメ化されるなど、若年層のあいだで将棋がブームになっています。若くしてプロ棋士になったからこそ、将棋振興のためにご自身が果たせる役割をどう考えていますか。聡太 将棋の素晴らしさは、年齢や性別を問わず、対等に対局できること。僕みたいな若い子が大人に交じって頑張っている姿を通して、将棋の魅力をいろいろな人に伝えることができれば、と思います。――羽生善治三冠や76歳の加藤九段といったトップ棋士と同じテーブルで将棋を指せるのは、将棋ファンでなくても、羨ましく思います。聡太 加藤九段とは先日、対談しましたが(『読売新聞』10月17日付)、その年齢まで将棋を続けられる加藤先生は偉大だと思います。――最後に、プロ棋士になるにあたり、これまでサポートしてくれたお母さまへどんな言葉を贈りますか。聡太 母は、将棋に関しては、あまり口出しをせずに、いつも傍で支えてきてくれたので、本当に感謝しています。裕子 将棋に関してはよくわからないので口出しできないのですが、生活態度については、その都度注意するようにしています。息子のために将棋に集中できる環境を整えたい、とはいつも思っています。また、大勝負の前はとくに、聡太が落ち着いて試合に臨めるように、私自身も穏やかな気持ちでいよう、と心掛けています。聡太 へぇ、そうなんだ(笑)。12月には初対局が控えています。これまでと変わらずしっかり準備をして、あまり気負わずに戦っていきたい。頑張りますので、読者の皆さんにも応援していただけたら、嬉しいです。関連記事■ 「たった5%」の情報でも、仮説を立てて即断即決する■ 祝 世界タイトル奪取!商社マンボクサー強さの秘密■ 新海誠 「日本の風景」で世界を驚かせたい

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    将棋界のトップを走る羽生善治が明かした「強さ」の秘訣

    羽生善治(将棋棋士) 将棋界において、25年以上にわたって一度も無冠になったことがなく、トップの座をキープし続けている羽生善治氏。変化のスピードが速く、「情報戦」の様相を呈しつつある将棋界において、羽生氏はいかに膨大な情報を処理し、素早い判断につなげているのか? お話をうかがった。 ITの進化などによって変化のスピードが速くなっているのは、ビジネスの世界だけではなく、将棋界も同じだ。 将棋の公式戦は年間2,000局以上行なわれており、今はそれらの棋譜をパソコンで検索することが可能になっている。また、主だった対局については、インターネットでの中継も頻繁に行なわれるようになった。そのため、新しい戦型を編み出しても、すぐに研究されて、通用しなくなってしまうようになっているのだ。 さまざまな戦型が次々と試され、同じ棋士でも戦い方のスタイルがどんどん変わっている今の将棋界。そんな中で勝ち続けるためには、情報の収集と分析が欠かせない。だが羽生氏は、「情報とのつきあい方に気をつけないと、情報がかえって勝負の邪魔をすることが少なくない」と言う。第87期棋聖戦の第5局で、永瀬拓矢六段と対局した羽生棋聖=2016年8月1日、新潟市西浦区の高島屋(松本健吾撮影)「私は、対局の前に、対戦相手の最近の戦い方の傾向をチェックするようにしています。あらかじめ情報収集をしておくことのメリットは、予想どおりの展開になったとき、最初の30~40手ぐらいまでの間は、あまり考えることなく進めていけることです。前半にエネルギーを温存できるぶん、本当の勝負どころで集中力を発揮することができます。 しかし、情報収集にはデメリットもあります。1つは、物理的に多くの時間を取られてしまうこと。最新の動向を吸収することばかりにとらわれていると、自ら創造的な手を編み出していくことの研究に時間を割けなくなってしまいます。 もう1つは、情報を収集して対策を練れば練るほど、思い入れが強くなりすぎてしまうことです。ある新しい戦型を1カ月間かけて勉強し、自分のものにしたのに、そのときにはすでに時代遅れのものになってしまっていることがあります。ところが、『せっかくこんなに情報を仕入れて勉強したのに』という思いが強いと、容易に捨てられず、判断の遅れにつながることがあるのです。情報収集をしすぎたり、対策を練りすぎたりすることが、かえって時代に取り残されてしまうことになりかねないということです。 ですから、『捨てるべきときには、過去の蓄積を惜しまずに捨てる』という覚悟が重要になります」情報を覚えるのではなく全体像を把握する もちろん、羽生氏は情報を軽視しているわけではない。意識しているのは、時間が限られている中で、自分にとって重要だと判断した情報だけを適切に選択していくことだ。「選択する情報はテーマによって変わってきます。たとえば、ある戦型を体系的に分析するときには、その戦型の歴史を振り返り、転換点となった対局の棋譜をいくつか探します。また、何か新しいアイデアを得たいというときには、過去に誰かが試みた一手でヒントになりそうなものをピックアップします。テーマが違えば、必要となる情報も違ってくるのです。 そして、『これはぜひ自分のものにしたい』という棋譜については、プリントアウトをしたうえで、実際に盤に駒を並べて覚えるようにしています。第87期棋聖戦の第4局を制した羽生棋聖=2016年7月13日、島根県隠岐の島町の羽衣荘(松本健吾撮影) プリントは、ある程度溜まったら捨てています。捨てることで『ここで覚えておかないと、しばらく見ることができない』という緊張感が生まれるからです。 ただし、覚えるといっても、暗記をするというより、その場面の状況を全体像として把握しておくという感覚です。将棋の場合、『過去に見た棋譜と似ているが、歩の位置が少し違う』といったように、似て非なる場面というのが非常に多いんですね。そこで、全体像を覚えておけば、実際の対局の中で初めて経験する局面になったときでも、『あのとき覚えたあの場面の状況に似ているぞ』というふうに類推が働き、対処法が見つかることがあります。 情報は、ただ見て暗記するだけだと、しばらく経ったら忘れてしまいます。これは時間のロスでしかありません。収集した情報を経験知として活かせるように、しっかりと自分のものにすることが大切です」重視するのは、相手が「指さなかった手」 世の中の変化のスピードが速くなるということは、これまでに経験したことがない、新しい場面に遭遇することが増えるということでもある。そんな場面であってもスピーディに適切な判断をしていくため、羽生氏はどんなことを心がけているのだろうか。「過去に経験したことであれば、全体像や勝負の流れを把握することが容易です。すると、次に指すべき一手も、さほど迷わずに決められます。 ところが、経験したことがない場面では、今の状況がどうなっていて、これからどう展開させていけばいいのか、見えないことだらけです。それこそ全体の5%とか10%ぐらいしか掴めていない状態で、決断を下していかなくてはいけない。 そんな中で私が心がけているのは、たとえ5%しか見えていなくても、全体像についての仮説を立ててみることです。頭の中で海図を思い描き、大海原の中で、今、自分はどの辺りにいて、どこを目指すべきなのかをイメージするのです。 もちろん、仮説は外れることもあります。しかし、仮説検証を繰り返すうちに、次第に全体像をイメージする精度が上がっていくと考えています。 最初は、最低でも30%は見えていないと掴めなかった全体像が、20%や15%ぐらいでも掴めるようになっていくはずです。すると、『だいたいこの辺りに指せば間違いないだろう』という直感力も働かせやすくなります」 仮説を立てて検証していく力は、実際の対局だけではなく、情報を収集し、分析する中でも、鍛えていくことが可能だ。「私が棋譜を研究するときに意識しているのは、その棋士が指した手ではなく、指さなかった手のほうです。 たとえば、ある一手を指すのに60分かかった場合、その間にいろんな指し手の選択肢が棋士の頭の中で浮かんだはずです。『それは何だったのか?』『その手を指さなかったのはなぜなのか?』をイメージすることで、その棋士がやろうとしたことについての仮説を立てるのです。 そうしておくと、実際にその棋士と対戦する場面が、仮説を検証する機会になります。対局中は相手の反応も見えますから、『この戦型には相当な自信を持っているな』とか、『ここまでは分析できているけど、この先はまだ迷いがあるな』といった様子を窺うことができます。想像力を働かせることが、状況を掴む力を鍛えていくのです」 もう1つ、羽生氏が対局で大切にしていることに、直感力がある。「直感力とは、今、自分はどこにいて、どの方向に進めばいいのかを、おおまかに掴む羅針盤のようなものです。答えを見つけ出すときに、ゼロからロジカルに考えるよりも、直感力によって『だいたいあの辺りだな』と目星をつけてから、そのうえでロジカルに考えていけば、より速く答えに到達することができます」 直感力は、さまざまな場面で論理的思考を働かせながら答えを見つけ出す経験によって鍛えられていくと、羽生氏は考えている。その経験の積み重ねの中で、やがて論理の手順を踏まなくても、一気に答えに近づくことができるようになる。それが直感力なのだ。 瞬時に物事を判断する必要がある場面で大きな武器となる直感力は、ビジネスマンもぜひ鍛えておきたい力である。「大切なのは、若いうちから、いろいろと考え、工夫しなくては答えが見つからない経験を、意識的にたくさん積んでおくことです。そうすると、旅慣れた人が初めて訪れた街でも栄えている場所や危ない場所についての土地勘が働くように、未知の場面に遭遇したときにも、直感力を働かせることが可能になります」《取材・構成:長谷川 敦  写真撮影:長谷川博一》関連記事■ 「やらなくてもいい仕事」を排除すれば仕事の速度は一気に上がる!■ 進むべき道を選び出す「直感力」の磨き方■ [直感力] 直感の醸成は1人ではなし得ない

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    サウジ国王との会談を実現した孫正義の本当の狙い

    嶋聡(多摩大学客員教授、ソフトバンク前社長室長) 人型ロボット、ペッパーがアラビア語で「来日を歓迎します」と挨拶した。3月14日、東京パレスホテル。孫正義ソフトバンクグループ社長が来日中のサウジアラビア、サルマン国王と会談したときのことだ。サルマン国王は「すばらしい!」と応じた。ソフトバンクの人型ロボット「ペッパー」(AP) 織田信長が、ポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスから地球儀を送られ、「地球は丸い」ということを理解し、南蛮貿易を推進した。ポルトガル人は理解力に優れた日本のリーダーに取り入るのは新技術を見せるのが一番いいということを知っていたのだ。 「織田信長は私の心のヒーローです」と孫社長はいう。この故事にならったわけでもあるまいが、孫社長はペッパーにアラビア語で挨拶させた。賢明なサルマン国王はロボット、AI、IoTが飛躍的に成長する「次代」を感じ取ったに違いない。孫氏は25分の会談の中で、新設予定の11兆円(1000億ドル)規模のファンドを通じたIT投資で、同国の石油依存からの脱却に貢献すると伝えた。 「サウジを投資を通じて繁栄させていく」と表明する孫社長に対し、国王は「すばらしい夜だった。大いに期待している」と答えた。ファンドの具体的な詰めはこれからだが、実現への大きな布石になった。 2016年7月、アームを買収する際には、イギリス首相メイ氏に会った。12月7日、ニューヨーク、トランプタワーでアメリカ大統領、トランプ氏に会い、12月16日エネルギー事業推進の前に日露ビジネス対話でプーチン氏と肩を抱き合い談笑する。そして、今回のサルマン国王である。 事業推進という遠くの的を見ながら、布石として政治トップに会い、戦略環境を整備する。これは私がソフトバンク社長室長の八年三千日で行ってきたことだが、賢明な孫社長はこの手法を自家薬籠中の物としたようである。 経団連会館でプーチン大統領と「立ち話」をしたのは、政府筋からの急な連絡だったようだが、今回はペッパーのアラビア語での挨拶にも見られるように、準備して臨んでいる。孫正義とサウジ副皇太子の出会い サルマン国王との会談の萌芽は、昨年9月、13機の飛行機、500名の派遣団とともに現れたムハンマド・ビン・サルマン・アル・サウド副皇太子と孫社長が日本で会談したことにある。サウジアラビアの経済改革と軍事、外交を握る副皇太子は。イニシャルから、「MBS」と呼ばれる。MBS副皇太子は、「我が国は石油中毒に陥っている」と述べ、2030年までに脱石油、投資立国を柱とする「ビジョン2030」を掲げる改革派として知られる。 3ヶ月前の、2016年6月。当時のオバマ大統領と会談し、IS=イスラミックステートへ軍事作戦での協力を語ったMBS副皇太子は、シリコンバレーでフェイスブック、グーグルなどの経営陣と会った。IT投資に長けたパートナーを探しているMBS副皇太子に、シリコンバレーのCEOたちは孫社長の名を挙げ、推薦したのである。 日本での会談の6週間後、2人はサウジの首都リヤドで会うことになった。総額約11兆円(1000億ドル)という、この種のものとしては史上最大のプライベート・ファンドの設立計画をスタートさせるためだ。シリコンバレー並みのスピードである。3月14日、会談したサウジアラビアのサルマン国王(左)とソフトバンクグループの孫正義社長 10月14日、ソフトバンクグループは、サウジアラビアの政府系投資ファンド「PIF」と共同で、最大11兆円規模のファンドを設立すると発表した。ソフトバンクは5年間で250億ドル(約2・6兆円)以上を、PIFは最大で450億ドル(4・7兆円)を出資するという計画である。 米国ではグーグルやインテルなどシリコンバレーのIT企業が新興企業への積極投資を続けている。だが、米国に中国、日本、欧州を加えた主要4カ国・地域の2015年のベンチャー投資額でも約10兆円である。サウジアラビア、MBS副皇太子とともにぶちあげた構想は、世界一が好きな孫社長らしくまさに世界最大級のプライベート・ファンドである。 計画が実現すれば、孫社長が考える、IoTの未来に投資できるようになり、サウジはその果実を得て、「ビジョン2030」が目指す「投資立国」実現へ一歩を進めることになる。 2014年、「デジタル・インディア」を掲げたモディ首相と会談。インドへ10年で1兆円の投資を約束した。大きな改革ビジョンを掲げた国家リーダーと意気投合し、そのビジョン実現をサポートするというのはいまや孫社長の得意技になりつつある。 モディ首相のときは互いの携帯電話番号を教えあった。サルマン国王はともかく、シリコンバレーの経営者とも親交のあるMBS副皇太子なら携帯電話で直接話せる仲であるように思える。11兆円規模のファンドは、MBS副皇太子の「ビジョン2030」にちなんだのか「ソフトバンク・ビジョンファンド」と名づけられた。サウジアラビアの財政危機 孫社長の実質パートナーである、MBS副皇太子には不安もある。MBS副皇太子は王位継承権で第2位とはいえ、権力基盤はまだ盤石ではないのだ。ソフトバンク・ビジョンファンド設立も経済対策での実績作りを急いだ面もあるとの情報もある。 「ジャック・ウェルチ(アメリカ、GEの前CEO)に『次は誰が良いか』と聞かれたので、イメルト(GEの現CEO)がいいと推薦した。それをイメルトに話したら『私がCEOになれたのはマサのおかげか』と喜んでいたよ」と私に語ったことがある。孫社長の推薦がどこまで効果があったかはわからないが、率直に話したことは間違いない。孫社長のことだから、MBS副皇太子のすばらしさをサルマン国王に話したかもしれない。 サウジアラビアの財政状況はかなり深刻である。歳入の七割を原油輸出に頼っているが、このところの原油安で2年連続歳入を歳出が上回っている。蓄積したオイルマネーを取り崩し、欧米の金融機関からの融資で賄っている。IMFは今の水準の原油安が続けば、「後五年でオイルマネーの蓄えは底をつく」と指摘している。羽田空港に到着したサウジアラビアのサルマン国王(左)=3月12日夜(代表撮影) そこで、MBS副皇太子が起死回生の策として考えているのが、国営石油会社サウジアラコムの株式上場である。サウジアラコムは時価総額200兆円(約2兆ドル)の会社になると予想され、2019年の上場をめざして準備中である。 上場はニューヨーク、ロンドン、アジアでは香港を考えられており、残念ながら日本の東京市場は出遅れている。MBS副皇太子来日の際に政府関係者が東京証券取引所の上場を依頼したり、2016年10月に経済産業省のミッションがサウジアラビアを訪れたが、結果は芳しくなかったようだ。 孫社長とサルマン国王、MBS副皇太子の関係がより密となれば、サウジアラコムが東京証券取引所で上場する可能性も高くなるだろう。これは日本の株式市場の活性化と、中東最大の石油供給国と日本の関係が強化されることになる。サウジアラコムの東京証券取引所での上場が実現すれば、今回の孫社長とサルマン国王の会談は大いなる戦略的意味を持つことになるだろう。

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    救いなきR18映画「無垢の祈り」に私の邪心が揺さぶられたワケ

    中宮崇(サヨクウォッチャー) 「無垢の祈り」という異様な、いや、異常なR18映画が注目を浴びている。見た人々の感想を聞いてみると、「グロい」「キモい」「救いがない」と否定的な言葉が真っ先に飛び出してくる。しかし、それでも彼らは再び映画館を目指す。映画「無垢の祈り」にはそんな麻薬的な魅力があるようだ。とりあえず価値観にせよ、感情にせよ、今まで確固たるものだと思い込んできたさまざまなものが「揺さぶられる」稀有な作品であることは間違いない。 「無垢の祈り」は間違いなく「キツイ」映画である。一言で言ってしまえば、「幼女虐待」「ロリコン」映画とでも言うべきか。そのような内容ゆえに、本作は全国のほとんどの映画館から上映を拒否されてしまい、わずかな小劇場でしか見ることができない。何しろ製作時にはスポンサーになってもらえる所がどこも現れず、監督の亀井亨が「自腹」で撮影にこぎつけたのだと聞く。その後も、どこの配給会社も難色を示し扱ってもらえなかったため上映さえままならず、昨年9月の「カナザワ映画祭2016」において、ようやく日本初公開となったという「いわくつき」の作品だ。 そうした児童虐待映画のようなものを許さぬ「日本の良識」や「ポリティカル・コレクトネス」からいわば総スカンを食らった「無垢の祈り」であるが、カナザワ映画祭において本作を観た人々の衝撃はただならぬものがあり、インターネット上の口コミ等により大いに話題となった結果、私も再度観に行くつもりでいる3月12日からの名古屋・シネマスコーレにおける再上映や、全国各地の小劇場で異例のアンコール上映が続いている。 「無垢の祈り」にはもともと、原作小説が存在する。ミステリー作家、ホラー作家としてカルトな人気を誇る平山夢明の短編集「独白するユニバーサル横メルカトル」(光文社)収録の30ページ足らずの作品「無垢の祈り」がそれである。平山はこの短編集にて、2007年度「このミステリーがすごい!」国内部門1位の栄誉に輝いている。ホントに救いがない作品 10歳の小学生である主人公のフミは、家庭内で実母と義父から虐待を受け続ける悲惨な境遇にあった。義父は幼女にいたずらをして刑務所に入れられていた過去があり、フミを毎日のように殴るばかりか、性的な慰み物にしようとする。フミの母はそんな夫を止めるどころか、カルト宗教にハマった挙げ句にフミを教団や夫に差し出す始末。家庭から外に出ても、始終虐待でケガだらけのフミは学校のクラスメイトから「おばけ」といじめを受け、先生もフミへのいじめにかかわろうとせず、近所の変態オヤジからも性的いたずらをされ、心休まる場所などどこにもない。(C) YUMEAKI HIRAYAMA / TORU KAMEI そんな中、フミの住む生き地獄の町で連続殺人事件が発生する。学校で先生が生徒たちに注意喚起し、クラスメイトたちが怯える中、フミだけは連続殺人鬼に恋い焦がれ、殺人現場を訪れては「あいたい」とメッセージを残していく。 そんなある日、いつものように殺人現場に忍び込んだフミは、事件を担当する刑事に見つかり、ああいう人間は捕まえなければいけないと諭される。虐待されるフミにとって、何の役にも立たぬそんな良識的な刑事に対し「みんな死ンじゃえばいい。みんなあの人に殺されちゃえばいい」と吐き捨てて逃げ出すフミ。そんなフミに、ついに義父は牙をむき、誰もいない廃工場に追い詰められる。そして……。 と、ネタバレになってしまうので結末は書けないが、観た人々の多くにとってはホントの本当に救いがない作品だ。だが私は、原作小説の結末には実はある意味、大いなる「救い」を見た。これはトランプ現象と一緒ではないかと。 アメリカのトランプ支持者は、偉そうに「反差別」だの「難民受け入れ」だのと「正義」を押し付けるサヨクやリベラルに対してうんざりしている。仕事を失ったりして経済的にも追い詰められているトランプ支持者にとって、そんな正義ヅラした「リベサヨ連中」なんぞ腹の足しにもならないどころか、自分たちの尊厳に対してさえ「正義」の名の下に攻撃的な言葉で、いや場合によっては実力行使さえ厭(いと)わない。連続殺人鬼のトランプ そこに颯爽と現れたのが、連続殺人鬼のトランプだ。フミが「良識派」刑事に対し「みんな死ンじゃえばいい。みんなあの人に殺されちゃえばいい」と吐き捨てたときの気持ちは、トランプ支持者の気持ちと重なるのではなかろうか。 だれも助けの手を差し伸べてくれないどころか、口先だけの正義を語る邪悪な連中ばかりで周囲はみな敵だらけ、ドン詰まりのこの世界を圧倒的な暴力によってぶち壊してくれる「ヒーロー」の登場に恋い焦がれる。それは何も、幼女虐待の犠牲者である10歳の少女の歪んだ、幼稚な願望として片付けられるべきものではない。しかし、サヨクやリベラルがトランプ大統領誕生後もやり続けていることは「殺人鬼に憧れるフミは愚民!」とののしり、蔑(さげす)むのと同様の行為である。 別にトランプ支持者だけに限らない。日本でも、経済的にも政治的にも大いなるドン詰まり感が蔓延し、ある意味「殺人鬼のようなダークヒーロー」を求める土壌が既に整っていると言わざるを得ない。そんな閉塞感でがんじがらめとなり、一向に明るい未来が見いだせぬ人々にとっては「無垢の祈り」は他に類を見ぬカタルシスをもたらしてくれる作品となっている。 映像化にあたり、監督の亀井亨は原作小説での描写にいくつかの大きな変更を加えている。例えば、小説では殺人鬼による死体解体などというグロシーンは全く出てこない。あくまで間接的に「身体がふたつに切断され、置かれていたのだという」などと記述されているだけである。しかし、映画では殺人鬼「サコイ」が、血の海の中で死体を丹念に解体作業する様子が描かれている。少なくとも私は、それがただのグロい猟奇的なシーンというよりも、言葉は悪いが生真面目な職人の「いい仕事」シーンにさえ見えた。 小説は小説で素晴らしかったが、亀井監督の解釈による変更は、総じてプラスの効果を生み出している。例えば、フミが自転車で公道を爆走するシーンなどは、家庭にも町にもどこにも居場所がない彼女にとって、自転車に乗っている時だけが全てを忘れられる瞬間なのだ、ということがひしひしと感じられる名シーンである。(C) YUMEAKI HIRAYAMA / TORU KAMEI日本でも起こるトランプ現象(C) YUMEAKI HIRAYAMA / TORU KAMEI そして最大の変更点が、フミの「救い」としても解釈することができるラストシーンであるが、小説と映画とどちらのラストがお好みかはそれぞれの判断にお任せしたい。映画公開の舞台あいさつに立った亀井は「僕的にはエンディングは原作小説からは変えていない。映画では小説エンディングを30秒延長し、フミの望みの叫びを描いてる」とも語った。 ただ、一つだけ難癖をつけるとすれば、いきなり何の予備知識もなく一度映画を見ただけでは、消化不良に終わる可能性がある。場面ごとにセリフ等で言語化されていない「仕掛け」が多く、高度なリテラシーが必要とされるためだ。そうならぬためには、できれば平山夢明の原作小説に目を通してから劇場に赴くか、一度ではなく二度、三度と繰り返し映画を観ていただきたい。繰り返すごとに、新たなる「発見」があること請け合いである。 その意味で「無垢の祈り」は、かつて私がiRONNAの記事「ディズニーに騙されるな!オバマの米国を暗示するズートピアの奥深さ」でも書いたように、映画「ズートピア」と似たような深い楽しみ方ができる作品である。その観られ方がトランプ現象と大いに関連がある点も共通している。  「無垢の祈り」は、アメリカで既に起きてしまったトランプ現象、そして日本でもこれから起こるであろう同様の現象を考える上で、極めて重要な作品である。この名作映画を我が国の主要映画館や配給会社、そしてサヨクリベラルは「ポリティカル・コレクトネス」の名の下に排除し続けている。彼らこそ、作品中でフミに愛情を持っているように偽装し「正義」を語りつつ、フミを虐待する「母親」や「義父」そのものなのである。そのことをいつまでも自覚と反省もせずに、今まで同様に「ポリコレ棒」を振り回し続ければ、いつか必ずフミが望んだように手痛いしっぺ返しをされた上で、日本のトランプを生み出した「戦犯」として永遠に後世の歴史家に記憶されることになるであろう。「無垢の祈り」監督・脚本:亀井亨 原作:平山夢明 出演:福田美姫フミ、BBゴローほかオフィシャルサイト

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    私が韓国と断交すべきではないと思う理由

    拳骨拓史(作家)輸出減少に繋がる可能性 私は約三年前、本誌『Voice』(平成二十五年十二月号)に寄稿した拙稿「『反日』歴史教育の真犯人」で、「韓国の大統領の任期は五年である。次の韓国大統領選になったとき、朴大統領に投票した世代は弱体化し、従北派(※筆者注・北朝鮮の思想や政治理念などに従う人びと)の勢力がますます勢いを得ていく可能性がある」 と予測したが、いまやそれが最悪のかたちで現実になろうとしている。捜査チームの取り調べを前に、記者団に大声で訴える崔順実被告=1月25日、ソウル(聯合=共同) 二〇一六年十月に発覚した「崔順実ゲート事件」で韓国が揺れている。 朴槿惠大統領が「心友」である崔順実に国家の秘密情報を渡し指南を受けていたとされるほか、崔順実が私物化していたミル財団やスポーツ財団等への資金拠出を大企業等に強要。娘の不正入学やセウォル号の沈没事故で当日の朴大統領の動静不明(空白の七時間)に彼女が関わっていたのではないか、など多くの疑惑が持ち上がった。 崔順実は新興宗教の総裁、崔太敏の娘として生まれた。崔太敏は朴大統領の母親である陸英修が暗殺されたのち、朴槿惠大統領に近づきその信頼を得ていった。朴正熙暗殺事件を引き起こした金載圭中央情報部長は、暗殺の動機は明らかになっていないものの「崔太敏と朴槿惠が部屋に入れば、一日中出てこない」という噂や、「韓国のラスプーチン」といわれ、青瓦台(大統領府)に影響力をもちつつある彼の経歴・不正・利権介入に関する報告を朴正熙大統領にしたものの、受け入れられなかったことが一因とする説が浮上している。 崔順実は朴槿惠の無二の友人として長きにわたり影響力を有していたが、韓国国民は自らが選んだ大統領が得体の知れない新興宗教に操られていたという事実に衝撃を受け、朴大統領の即時退陣を求めて青瓦台前で数百万人の人びとがろうそくデモを行なった。 だが朴大統領と崔順実との関係は以前から囁かれており、二〇一四年に『産経新聞』の加藤達也元ソウル支局長が、朴大統領の男女関係に関する噂を取り上げたとして在宅起訴された際、青瓦台の指示で捜査が進められ「崔順実との関係をどこまで知っているのか」と何度も尋問されたという。さらには金淇春・青瓦台秘書室長が「『産経』を忘れてはならない。懲らしめなければ」などと青瓦台が主導して不当な言論弾圧を指示したメモが公表されている。「崔順実ゲート事件」は韓国経済にも大きな波紋を呼び、アメリカでは「海外腐敗行為防止法(FCPA)」により米国および海外企業が贈収賄などで処罰を受けた場合、公共事業入札への参加を認めていないため、この事件の結果いかんで韓国企業が経済的打撃を受ける可能性は高まることになる。 またこのニュースが海外でも大々的に報じられたことで、韓国企業のイメージが悪化し、輸出減少に繋がる可能性もある。すでに経済協力開発機構(OECD)はこの事件を主因として、二〇一七年の韓国の経済成長率予想を〇・四%下方修正した。  そして二〇一六年十二月九日、ついに朴大統領に対する弾劾訴追案が可決され、大統領としての職務が停止した。 今後は最長百八十日かけ、憲法裁判所が「弾劾は妥当」と判断した場合、大統領を罷免されることになる。この場合、本来二〇一七年十二月に予定されていた大統領選は同年春から夏には行なわれるのではないか、との見方が浮上している。有力候補はいずれも北朝鮮シンパ有力候補はいずれも北朝鮮シンパ 朴大統領退陣にともない、わが国がいちばん危惧するのは慰安婦問題解決の合意遵守(在ソウル日本大使館前の慰安婦少女像撤去はいまだ実施されず)と、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の履行である。 ところが韓国大統領選挙を控え、次期大統領として取り沙汰されている有力候補は、いずれも北朝鮮シンパとされる「従北派」であり、「親中」「反日」を旗印にしている人びとである。韓国・釜山の日本総領事館前に設置された少女像を訪れた「共に民主党」の文在寅前代表(手前)=1月20日(聯合=共同) 韓国の世論調査会社ギャラップの調査(二〇一六年十二月九日)では、各大統領候補の支持率は最大野党である「共に民主党」の文在寅前代表が二〇%。潘基文国連事務総長も同じく二〇%。三位の李在明城南市長が一八%。四位が野党「国民の党」の安哲秀前共同代表で八%となっている。 文在寅は二〇一二年大韓民国大統領選挙で朴槿惠と大統領の椅子をめぐって激しく争った人物であり、結果は四八%の得票数を獲得するも敗北した。文は盧武鉉元大統領の下で外交安保会議の重責を担った。大統領秘書室長を務めたが、二〇〇七年に国連の北朝鮮人権決議案の採択前に北朝鮮に「内通」したことが明らかになっている。また二〇一六年七月には竹島へ上陸し、慰安婦合意・GSOMIAの破棄を明言するなど「反日派」でもある。 潘基文国連事務総長は英国誌『エコノミスト』が「歴代最悪の事務総長」と批判し、「無能」「縁故主義」「国連を私物化」「透明人間」などと世界中から酷評されてきた人物である。中国に対しては過度に配慮し、日米欧の首脳らが欠席するなか、抗日戦争勝利七十年記念行事の軍事パレード等に参加し、香港の大規模デモに対する中国政府の対応を「内政問題」と擁護するなど以前から韓国大統領就任を意識してきた。おそらく韓国大統領になれば、中国へさらに配慮した政策を打ち出すものと見られる。 李在明は「韓国のトランプ」と呼ばれ、過激な発言で知られた人物であり、城南市役所前に新しい慰安婦少女像を建立。「朴正熙元大統領は日本軍将校出身で、日本軍慰安婦を真似して米軍慰安婦制度をつくった」と主張するほか、朴大統領を「日本のスパイ」と批判し、財閥解体や北朝鮮との無条件会談を主張し注目を浴びている。日韓両国がGSOMIAに署名した際には「日本は敵性国家であり、日本が軍事大国化する場合一番先に攻撃対象になる場所は朝鮮半島であることは明らかだ」と訴えた。不倫疑惑や経歴詐称、論文剽窃で修士号が取り消されたほか、側近が不正事件で逮捕されるなど弱点の多い人物でもある。 安哲秀は二〇一二年大韓民国大統領選挙で野党候補一本化のため、出馬を文在寅に譲った経緯をもつ。慰安婦問題については「日本の謝罪と賠償なしに未来志向的な関係をつくり難い」とし、THAAD(終末高高度防衛ミサイル)配備についても「理念論争ではなく徹底的に国益の観点で見るべきであり、得るものよりも失うものが多い」と反対姿勢を鮮明にしている。 程度の差こそあれ、誰が大統領になっても日韓関係が好転することは難しそうな面々だといえるだろう。民主化運動が東アジアの安定と秩序を狂わせた民主化運動が東アジアの安定と秩序を狂わせた 韓国で「この程度の人物」しか大統領候補に挙がらないというのは、国民世論と無関係ではない。韓国はもはや左翼勢力の浸透を防ぐのではなく、彼らに支配された国家機関をどのように奪還するかという段階にある。 朝鮮戦争の際、北朝鮮の攻撃によって韓国は百数十万人もの犠牲者を出しながら、従北派になる心理はわれわれには理解しづらい部分があるが、心理学でいうところの「ストックホルム症候群」が正鵠を得ているのかもしれない。誘拐された人間は長時間、非日常的体験を共有することで犯人へ信頼や愛情を抱くようになるという。長期にわたる休戦状態と北朝鮮と韓国が同じ朝鮮同胞であることや北朝鮮による韓国国内での工作活動、全教組(全国教職員労働組合)による左翼教育が加わり、従北派は勢力を拡大していった(韓国における北朝鮮のスパイ活動史は拙著『韓国「反日謀略」の罠』〈扶桑社〉にて詳述)。 韓国の左傾化には民主化運動が深く関わっている。韓国で民主化を叫ぶ勢力の主力は自由主義者たちではなく、従北派であった。「軍事政権=悪」という戦後日本の短絡的な思い込みで韓国の民主化を讃えるのは誤りであり、これが東アジアの安定と秩序を狂わせた転換点であった、と後世の歴史家たちはその史書に書き加えるであろう。 金大中・盧武鉉大統領が政権を執った約十年のあいだ、国会議員をはじめ、行政・司法・立法などの主要な地位は従北派が占めるようになった。韓国軍までもこれまでの「大韓民国在郷軍人会」に対抗した「平和在郷軍人会」という組織をつくり、従北を支援する動きを取りはじめている。 従北派の狙いは「韓国の内部崩壊」「日韓・米韓関係の悪化(反日・反米)」であり、「中国への従属(親中)」である。 そして彼らは日本の左翼勢力とも密接な紐帯を有している。たとえば沖縄の「高江ヘリパッド問題」では、アメリカ海兵隊の基地である北部訓練場返還をめぐって抗議活動が展開されたが、運動に多くの韓国人が交ざっていたことがインターネットで報じられている。その根底にあるのは、在韓米軍撤退を主導する韓国の従北派が日本の左翼と共闘しているためである。 もともと、前述した全教組は親北朝鮮であった日教組が韓国で創設を指導し、韓国の労働組合(韓国労働組合総連盟〈韓国労総〉、全国民主労働組合総連盟〈民労総〉)創設も日本の労働組合が支援するかたちで広まったが、いまや従北派の勢力は巨大化し、日本の左翼運動を逆に指導するかたちへと変貌した。この一連の背景を知らなければ、なぜ彼らが日本の政治運動に参加しようとしているかの真相に近づくことはできない。韓国と断交すべきではない理由韓国と断交すべきではない理由 韓国の現状をこのように分析してきたが、日韓関係が悪化するなか、保守派の多くから「日本は韓国と断交すべき」との論調が多く聞こえるのも事実である。 気持ちはわかるが、私はその提案には同意しかねる。 第一に安全保障の問題である。 朝鮮半島は南北とも準戦時体制を維持し、平時としては最大限の兵力を投入しており、無理を重ねている。しかも南北ともに反日教育を徹底しており、ここから南北と国内団結の方便を見出している。 ドイツが東西合併後に深刻な経済不振に見舞われたことを考え、北朝鮮の経済を立て直したあとでなければ、南北統一は難しいとの見解もあるが、数兆円ともいわれる統一費用を賄うことができれば不可能ではなくなる(その費用を日本に負担させようと韓国は活動しているようだが)。 一九八〇年に金日成主席は「高麗民主連邦共和国」の創設を韓国に提案したことがある。これは一民族・一国家・二制度・二政府の下で連邦制による朝鮮半島の統一を主張したものであるが、韓国で暗躍する従北派が画策する統一もこの一国二制度案である。先述した文在寅は二〇一二年、大統領となれば北朝鮮の連邦制案を採用して南北統一を図ることを明言している。 いずれにせよ歴史の流れは早晩、南北統一の方向に向かい、朝鮮半島には巨大な兵力と核兵器、中長距離ミサイルを有した反日国家が誕生することになるだろう。 二〇一二年十一月、中国の代表団がロシア・韓国の代表と今後の対日戦略について話し合っている。そこで中国が提案した内容は、①中国・ロシア・韓国で「反日統一共同戦線」をつくる。②中露韓は一体となり、日本の領土要求(北方領土・竹島・沖縄)を断念させる。③「反日統一共同戦線」にアメリカも加える、ということであった。昨年十二月十五日に行なわれた日露首脳会談で、北方領土の返還が「〇島」でありながら経済支援を急いだ理由は、強固になりうる可能性があるこの戦線を破る必要があった、という側面を忘れてはならない。 いうまでもなく日本は縦に長く横に狭いため、敵からの侵攻に対して脆弱であり、そのうえ資源の乏しい国である。貿易立国でなければ生存できない致命的弱点をもつ。このような国が生き残るには、周辺の敵は少なければ少ないほどよい。敵の存在は、わが国の安全保障に深刻な影響を与えることは明白だ。 日本の生存のために、そして反日統一共同戦線を打破するためにも、日本にとって韓国との友好関係はきわめて重要である。今後の東アジア情勢に鑑み、朝鮮半島、とくに半島南部の安定は日本に重要な意味をもたらす。 朝鮮半島と日本を結ぶ対馬海峡を確保した国は、日本海を内海として利用することができる。中国が対馬を確保すれば日本は東シナ海だけでなく、日本海も戦域として想定しなければならなくなる(ロシアが対馬を確保した場合はより最悪の事態となる)。 水上艦ならばまだ対抗できるが、潜水艦は中国海軍も能力を向上させており、ロシアは世界有数の潜水艦大国である。たとえ海上自衛隊が有能であっても行動が受動的になる以上、極度の緊張を強いられることになる。 よって現代の日本にとって韓国の必要性は「対馬海峡の制海権の確保」にある。対馬海峡を確保できれば、日本の側面となる日本海を通過するすべての艦艇は一度、日本の監視下に置かれることになる、この優位性を得るため日本にとって韓国と最低限、安全保障では友好を確保する必要があるのだ。対話を拒絶するのは日朝関係と同じだ 第二は韓国という国の問題である。 一九六五年は日本と韓国が日韓基本条約を締結し、国交回復させた年であるが、それまで日本が歩んだ塗炭の苦しみを思い起こす必要がある。島根県の竹島などに慰安婦像を設置するため、募金運動を始めると表明した韓国・京畿道議会の超党派議員ら=1月16日、京畿道議会(聯合=共同) 韓国初代大統領・李承晩は日本に対し、「反民族行為処罰法」による親日反民族行為者への処罰のほか、在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業を阻止するため新潟日赤センター爆破未遂事件(一九五九年十二月)を指示するなど数々の暴虐を働いたが、その最大というべきものが「李承晩ライン」の制定であった。「李承晩ライン」とは一九五二年一月、サンフランシスコ講和条約発効直前に突如として韓国政府が一方的に海洋資源の独占と領土拡張のため、島根県の竹島を取り込んで軍事境界線・排他的経済水域を公海上に引いた事件である。 日韓漁業協議会『日韓漁業対策運動史』によれば、日本漁民を拿捕すると彼らは漁民たちに拷問を加え自白を強要し、その獄中生活も雑居房には二十数名が押し込められ身動きができないうえに、食事も腐敗した物を与えられ、栄養失調となり餓死する者まで現れた。 日韓基本条約締結にともない請求権、経済協力協定、日韓漁業協定が締結されるまでのあいだ、日本漁民三九二九名が不当に抑留され、拿捕時に射殺された漁民は四四名、物的被害額は当時の金額で約九〇億円に及んだ。 国交断絶するということは、対話のチャネルを謝絶することであり、現在の北朝鮮と同じ状況になることだ。 国交断絶したのちの韓国が日本に対して〝理性的な行動〟を取ることを前提にしているならば、論者はよほど韓国を信頼しているのだと皮肉りたくもなる。 いまの日韓関係に憤りを感じるのは私も同じだ。しかし一時の感情に身を任せ国交断絶を提唱し、すべてを白紙に戻すような論調を言論人が行なうことは、ハーメルンの笛吹きとなり国民を誤った道へと誘うことになるのではないか。日韓の歴史に鑑み、国益を損なうことがあってはならない。日本が「強い国家」へ変貌すればよい日本が「強い国家」へ変貌すればよい では韓国が北朝鮮化していくことを、日本は止めることはできないのだろうか。断っておくが、私の考える韓国との友好は、韓国への従属ではない。韓国の朴槿恵大統領の即刻退陣を求め、デモ行進する市民ら=2016年12月、ソウル(共同) 一九七二年、アメリカのニクソン大統領は、中国の周恩来に「北も南も韓国人は感情的で衝動的な人びとだ。その衝動的で好戦的な人びとが事件を起こさないようにしなければならない」と語ったという(『朝鮮日報』二〇一三年十一月十三日)。感情的、衝動的、好戦的が韓国人の民族性であるというニクソンの指摘は傾聴に値する。 一方で、韓国人を称して「ひまわりの国」という見方もなされている。ひまわりの国とはつねに太陽(自分より強い者)のみに低頭するという意味であり、強い者にモミ手、おとなしい者には居丈高に出るという韓国人の本質を端的に表している言葉だといえる。 近代史を見てみれば、清が強いときは清を崇(あが)め、ロシアが強いときはロシアを崇め、日本が強ければ日本を崇めてきたことはすぐにわかる事実である。 この国民性を利用することで、韓国の世論を変えることができるはずだ。 つまり従北派を黙らせ、韓国を親日にするには日本が「強い国家」へと変貌を遂げる必要がある。 悪と戦うためには、自らが正義であることだけでは不十分であり、強くなければならない。日本が強い国家となれば、韓国の世論は親日へと転じ、北朝鮮と中国の謀略を打ち破れる公算は高い。当初は反日一辺倒だった朴政権が、末期になるにつれ〝親日的〟になったのも日本政府が圧力に揺るがなかったからにほかならない。 大事なことは、日本は歴史戦などによる圧迫は毅然と突き放す一方、韓国国内の世論工作に取り組むことである。韓国と断交することを考えるのならば、私が以前より主張しているように、韓国国内で少数ながらも日本を信頼し、日韓友好が必要だと信じている人士を支援し、現状の打開を進めるほうがはるかに有益であると付言する。 韓国の保守勢力は、韓国の主要機関に巣食う従北派をどのように駆除していくかを考えている。彼らは韓国が戦後発展できたのは、日米と共に自由主義陣営の一員として生きてきたからだと知っている。  これまで世界の警察として君臨してきたアメリカは、その役目を終えた。これに代わって世界を主導できるのは、世界第三位の経済力を有する日本にほかならない。かつて有色人種を支配し、不死の半神と思われた白人をアジアから駆逐し、世界に独立の光を差し込んだ光輝ある日本人の精神をいまこそ再起させることが、緊張感を増す東アジアの安定のため必要な喫緊の課題だと考えるのである。関連記事■ 共産党スパイ五万人の恐怖■ 呉善花 「反日韓国」の苦悩 ■ 【危ない!韓国】日韓合意というデタラメ

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    韓国次期大統領、リベラルが勝てば米韓関係は緊張する

    岡崎研究所【世界潮流を読む 岡崎研究所論評集】 米ヘリテージ財団のクリングナー上席研究員が、12月9日付のDaily Signalで、韓国の内政について解説し、トランプ政権が日韓両国に対する抑止力を再確認し、日米韓三国間の軍事協力を進めるべきであると論じています。要旨は以下の通りです。朴槿恵大統領の即刻退陣や罷免を求める集会で、レッドカードをイメージした赤い紙にスマートフォンの光を当てる参加者ら=2月18日、ソウル(共同) 韓国国会で朴大統領の弾劾訴追案が圧倒的多数で可決されたことで、同大統領の職務執行権限が停止され、黄教安首相が職務を代行することとなった。リベラル派の最大野党は、黄首相が今回の政治危機に関与しているとして同首相による職務代行に反対している。これに対し、保守派の与党は憲法の手続きに従うべきであると反論している。 朴大統領の親友に関わるスキャンダルが暴露されたことにより、韓国は過去2カ月にわたり大規模なデモに曝されている。大統領が韓国の経済問題を解決できず、孤高の統治姿勢を維持し、多くの陰謀論が蔓延していることで国民の不満が鬱積し、抗議行動を煽っている。 各政党は朴解任の場合の次期大統領選挙に備える。保守派のセヌリ党は朴が党首であるので、重大な打撃を受け、分裂することになりそうである。本年12月末に退任する潘基文国連事務総長が出馬する場合には、セヌリ党の残留派とともに新党を結成することとなろう。 盧武鉉大統領の秘書室長を務めた文在寅を含むリベラル派の候補は今回の不祥事で有利になった。盧大統領は2002年の大統領選で「反米で何が悪い?」と公言した人物である。今回の政治危機により、韓国では野党側の反対により朴大統領の政策の多くが実行に移されず、機能不全が起こっている。 次期大統領選挙でリベラル派が勝てば、米韓関係が緊張するリスクは高まろう。リベラル派は、朴大統領が米国の強い支援の下に推進してきたTHAADの国内配備、北朝鮮に対する制裁強化、日本との関係改善に反対してきた。リベラル派の諸政党は、開城と金剛山での北朝鮮との経済協力活動の再開を推進し、厳しい条件をつけずに北朝鮮を支援することになるだろう。 トランプ政権は米国の政権が変わっても、友邦を防衛する米国の公約と決意は変わらないことを同盟国に再保証すべきである。米国は韓国と日本に対する軍事的抑止力の提供を無条件で再確認すべきである。そのためには、オバマ政権の下で進んだ兵力レベル、調達、作戦予算の大幅削減を埋め合わせる為の軍事予算の全面的復活が必要となる。米、韓、日の軍の三角協力は各国の特有の能力を活かすことにより同盟の抑止力と防衛能力を向上させる。ワシントンは韓日両国に対し2015年12月の慰安婦問題に関する合意と二国間の包括的軍事情報保護協定の推進を奨励すべきである。ワシントンは米国法、国際法、国連安保理決議に関する北朝鮮の度重なる違反に対抗し制裁や標的を絞った金融措置を強化すべきである。出 典:Bruce Klingner‘As South Korea Impeaches President, US Must Remain Steady Ally’(Daily Signal, December 9, 2016)http://dailysignal.com/2016/12/09/as-south-korea-impeaches-president-us-must-remain-steady-ally/ 朴大統領は弾劾されるのか? 韓国の憲法裁判所が、朴大統領の弾劾訴追につき、いかなる時点でいかなる判断を下すことになるのか不明なまま、韓国の内政は混迷を深めています。憲法裁判所は、唯一の先例である2004年の盧武鉉大統領の弾劾訴追裁判では、約2カ月で弾劾棄却の決定を出しています。 その際の決定文の中に「大統領を罷免するほど重大な違反」として「大統領の権限と地位を乱用し、収賄や公金の横領などの不正腐敗行為」など五つの例示があります(朝日新聞参照)。弾劾訴追裁判は、高度の政治性を伴うものでありますので、今回のケースについて、この例示が適用されるか否かは不明です。朴大統領は弾劾されるのか? 憲法裁判所は9名の裁判官で構成され、9名のうち6名以上が弾劾を支持すれば弾劾が決定されます。決定書には裁判官一人一人が意見を書くこととなっています。弾劾が決定されれば、60日以内に次期大統領選挙が行われることとなります。弾劾が棄却されれば、朴大統領が任期満了まで留任する可能性も出てきます。 与党セヌリ党内では、親朴派と非親朴派の双方が相手方の離党を要求し、収拾がつかない状況です。分裂した場合、現在のセヌリ党に、潘基文国連事務総長の大統領選出馬の受け皿となる新党の核となる能力が残っているか否かも不明です。 韓国の政情は、米中関係や北朝鮮の動向によっても大きな影響を受けます。米国のトランプ政権の対中政策や対北朝鮮政策の方向性が重要な鍵となります。トランプ政権が日韓両国に対する核抑止力の提供を再確認し、日米韓の軍事協力の強化を図ることを推奨するクリングナーの主張は適切です。日本としても引き続き韓国との結束強化に努力することが重要となるでしょう。

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    東シナ海は「世界の火薬庫」 日中軍事衝突は現実に起こり得るのか

    邱海涛(ジャーナリスト)《徳間書店『中国大動乱の結末』より》 南シナ海問題では、2016年7月、仲裁裁判所がフィリピンの提訴に対して、「中国が主張する領有権は認めない」という裁定を出した。 中国の地方都市ではいくつか小規模の対米抗議デモがあったものの、まもなく取り締まりによって姿を消した。おもしろいことに、翌日になってアメリカ、日本、中国の株市場では株価がいっせいに大きく値上がりした。 フィリピンが仲裁裁判所に提訴したのは2013年1月で、同裁判所は2015年10月に本格審理入りすることを決めた。そのときから中国が悪戦苦闘を強いられることになった。 中国政府は最初から不利な結果が出るだろうと予測していたため、あの手この手でフィリピン側の提訴を阻止しようとした。南シナ海に人工島を造成、中国の実効支配が進む 中国はWTOなどの経済分野での国際訴訟については、一応、対応する姿勢を見せているが、人権や領土などをめぐる国際裁判への提訴には、いっさい応じない立場をとっている。基本的に中国は国際裁判所を欧米の傀儡だと決めつけており、まったく信頼していないからだ。 そのため、フィリピンを原告とする南シナ海紛争の国際裁判について、中国は「4つのしない」を貫いてきた。すなわち、「裁判に応じない、相手の提訴を認めない、判決の結果を受け入れない、判決の処罰に従わない」という外交姿勢である。 だから、中国側は裁定が出る前から「裁定は紙くず」だと宣言していた。中国は国連安全保障理事会の常任理事国であり、国際裁判所が判決文1枚で巨大な特権を持つ常任理事国の勝敗を決めるなどということは、中国にとってとても考えられない不面目なことなのである。 加えて、中国が国際裁判を拒否するのは、次のような懸念があるからである。まず、フィリピンが主張している島の領有権の範囲は、南シナ海の約3分の1にもおよんでいるので、南シナ海の全体を支配しようとしている中国にとって当然、受け入れられない。 また、中国はファイアリー・クロス礁、スビ礁、ミスチーフ礁などに莫大な投資をして7つの人工島を建設しているが、裁定に従うならば、そのうちのいくつかの島をフィリピンに返さなければならない。 南シナ海問題は、フィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイなど、7~8カ国が権利を主張している複雑さがあり、フィリピンが勝訴すれば、フィリピンの真似をする国が現れる恐れがある。これを中国は非常に警戒しており、そのために仲裁裁判所自体を否定しているのである。ASEANの切り崩しに動く中国 中国は紛争の解決案について当事国としか交渉しないと主張し、アメリカの介入を批判・阻止してきた。それはルールの制定や交渉の主導権がアメリカ側に渡ることを心配しているからである。一方、当事国側はアメリカが中国に働きかけ、公正平等な秩序をつくってもらおうとアメリカの介入を強く希望している。 たしかに、仲裁裁判所が下した裁定に強制力はないが、判決が出た以上、やはり中国に常にマイナスのイメージがつきまとう。国際舞台でのリーダシップをとりにくくなるし、欧米からは「仲裁裁判所の裁定を守れ」と要求される。実際、2016年9月のG20において、オバマ大統領は習近平主席との米中首脳会談で仲裁裁判所の裁定受諾を迫ったとされる。中国・杭州で開かれたG20サミッ=2016年9月ASEANの切り崩しに動く中国 こうした懸念から、中国はこれまでも、ASEAN(東南アジア諸国連合)各国が南シナ海問題で一致団結することを恐れ、切り崩し工作を進めてきた。 実際、関係各国は対策がばらばらで、必ずしも思惑が一致しているわけではない。カンボジア、ラオス、ミャンマーのような親中派と、フィリピン、ベトナム、マレーシアなどの反中派、そしてシンガポールやタイなどの中間派に分かれている。さらに、反中派の国でも中国とは緊密な経済関係にあり、徹底的に対抗することには躊躇があり、常に態度が変わったりしている。 そのうえ、自国も南シナ海で埋め立てや空港建設、施設軍事化を進めているので、立場が曖昧だ。 こうした背景が、アメリカの対中外交を弱めている一因だといわれてきた。2015年11月4日にマレーシアのクアラルンプール近郊でASEAN拡大国防相会議が開かれたが、南シナ海問題をめぐって混乱し、共同宣言の採択には至らなかった。続いて11月23日にASEAN首脳会議が開かれ、議長声明を発表した。南シナ海問題に関し「軍事プレゼンスの強化やさらなる軍事拠点化の可能性について、複数の首脳が示した懸念を共有する」と明記したものの、紛争場所を特定せず曖昧な表現にとどまっていた。 2016年2月17日にアメリカ・カリフォルニア州パームスプリングス近郊で開かれたアメリカとASEANの首脳会議では、南シナ海情勢を念頭に「航行と飛行の自由」「紛争の平和的解決」などを盛り込んだ共同声明が発表されたが、相変わらず紛争場所は特定しなかった。中国を援護するカンボジアの狙い 2016年7月12日に仲裁裁判所の裁定が出た直後ですら、ASEANは南シナ海での中国の主権を否定した仲裁裁判所の判断を支持する内容の共同声明採択を断念している(7月13日)。議長国ラオスが「コンセンサスが得られなかった」と加盟各国に通知した。カンボジアなど親中派の加盟国が反対したためと見られる。 さらに、7月25日にはASEAN外相会議が開かれたが、ようやくまとめられた共同声明ではやはり仲裁裁判所の裁定のことは触れられず、当事国同士の話し合いによる解決が望ましいという文言が盛り込まれることになった。このニュースが中国国内に報じられると、世論は外交上の大勝利だと沸き上がった。仲裁裁判所の裁定について触れられなければ、国際世論の圧力が和らぐからだ。 当事国同士の話し合いというのは、中国以外の当事国が消極的だった。彼らはアメリカかASEANに調停に入ってほしいと思っていた。交渉で中国に強く出られることを警戒していたからだ。 しかし、中国は、それを頑なに拒否してきた。中国側の理由としては、「関係のない第三者が入ると、問題がより複雑化する恐れがある」ということだが、アメリカ在住のある中国問題専門家は、「それは建前で、実際には、中国は経済援助も含めて当事国の弱みを握っており、対策に長じているため、個別交渉のほうが圧倒的に有利だからだ」と語った。中国を援護するカンボジアの狙い しかも、ASEANでは「全会一致」の原則がとられており、1カ国でも反対なら共同声明は発表できないことになっている。2016年7月のASEAN外相会議では、カンボジアが中国に不利な内容が盛り込まれることに強く反対したため、各加盟国は妥協案を探るしかなかった。 このことについて、「産経新聞」(2016年7月25日付)はこう分析する。 「カンボジアは、過去に採択した声明文までも引っ込め、中国に配慮するよう迫った。背景には、30年以上にわたりカンボジアの実権を握ってきたフン・セン首相が、軍事的にも経済的も中国へ依存を深めざるをえない事情が指摘される。国内でも強権体質が強まり、2018年の総選挙を控え政治対立が激化している。南シナ海問題では、ASEAN内部でも、親中のカンボジアなどと、フィリピンやベトナムなど対中強硬派が対立している」カンボジアの親中姿勢 中国のほうでは、カンボジアをどう評価しているのか。「人民日報」傘下の「環球時報」(2016年7月27日付)には、「世間ではフン・セン首相の夫人の先祖が中国人(海南島出身の林氏家族)であることは言い伝えられているが、それは事実だ。ある日、内閣会議が開かれているところ、フン・セン首相は突然、翌日が中国の旧正月にあたるのを思い出して急いで会議を終わらせ、家に帰って夫人の傍で正月料理の準備を手伝った。家ではかかあ天下であることを披露している」という記事が掲載された。 カンボジアの親中姿勢は、中国がカンボジアへ巨額の援助をしているからではないか、という問いに対して、記事は、カンボジアに対する援助は日本が長い間トッブを占めており、20年間で総計30億ドルの援助があった。にもかかわらず、フン・セン首相が中国を支持してきたのは、絆が強いためだと述べる。アメリカもTPP加盟をカンボジアに持ちかけて誘惑したが、それでも功を奏することができなかった。西側と比べて中国の経済援助は無償で、カンボジアは中国人民に感謝しているという。カンボジアのフン・セン首相=10月7日、首都プノンペン そのため、フン・セン首相はカンボジア在住の華僑たちと良好な関係を持ち、いままで禁止されていた中国語の使用を広げるようにした。華僑たちも積極的にカンボジアの経済建設に力を捧げている。 記事は最後にフン・セン首相の性格に触れ、彼は恩返しを知る男だと評価した。ちなみに、カンボジアはいま中国で「柬鉄(かんてつ)」と呼ばれている。「柬」はカンボジア国名の略称で、「鉄」は永遠の友達の意味である。 記事は中国の無償援助がカンボジアに感謝されていると書いているが、筆者はやや疑問である。かつて中国はベトナムに大量の軍事的、経済的援助を行ったが、現在では敵対関係にある。 問題の本質は、カンボジアの外交戦略にあり、宿敵のベトナムに対抗するために中国の力を必要としているからだ。言い換えれば、中国とカンボジアが互いに利用し合っているわけだ。 カンボジアと中国は国境を接していないから、国境紛争で悩まされることがない。それに対して、ベトナムは隣国であるため、長い間、紛争が繰り返されてきた。カンボジアに言わせれば、現在のベトナムの国土の多くはカンボジアから略奪したものだという。アメリカが中国に譲歩 フン・セン首相はもともとベトナムへ亡命した過去もあり、1978年のベトナムによるカンボジア侵攻により樹立したベトナム寄りの政権で外務大臣になった人物である。また、政権を取る際にもベトナムの支援があったとされている。だが、首相に就いてからは、傀儡政権にならないようにずっとベトナムを警戒している。南シナ海問題で対中強硬派のフィリピンやベトナムと対立しているのもそのためである。 東南アジアにおいてベトナムは、もっとも実力のある国である。だから、フン・セン首相は小国カンボジアの安全のために軍事的にも経済的にも中国に依存しなければならないのだ。 2016年10月13日付の「ロイター」の報道によると、習近平主席は同日、カンボジアを訪問し、高速鉄道建設やシェムリアップ州での空港建設などに対する中国の投資を促進させることを約束したうえで、中国政府が約8900万ドルの債務を免除することも表明した。また、融資合意など合わせて31件の合意が成立し、カンボジア首相側近は「合意や約束の数という点で歴史的」と述べた。中国は1400万ドルの軍事支援も約束したという。「中国は国際秩序と規則に挑戦するつもりはない」 2016年7月25日、アメリカと中国の間で2つの会談が行われた。いずれの会談も非常に興味深く、日本のメディアも報道していたが、なぜか大事な内容を書き漏らしたり、あるいは事実を隠したりしていた。 まず、1つめの会談を見てみよう。ラオスのビエンチャンで開催中のASEAN外相会議に出席したアメリカのケリー国務長官は25日、中国の王毅外相と会談した。南シナ海をめぐる仲裁裁判所の判決後、初めての米中外相の会談であったが、ケリー長官が中国の主権主張を退けた仲裁裁判所の裁定を遵守するよう要求したのに対して、王外相は裁定を拒否する中国の立場をあらためて伝え、南シナ海問題へのアメリカの介入を牽制した。 日本のメディアが伝えたのは、ここくらいまでだった。しかし、大事な内容が報じられなかった。中国メディアの「新華網」(2016年7月26日付)は、会談の中身をこう伝えた。 「ケリー国務長官は中国とASEANが関連の共同声明を発表したことを歓迎し、米国側は南中国海の仲裁結果に対し立場を持たず、中国・フィリピンによる二国間対話の再開を支持し、仲裁案というページを速やかにめくり、南中国海情勢の温度を下げさせるべきだとの見方を示した」 中国にとって都合のいい表現が織り込まれてはいるが、ポイントは「米国側は南中国海の仲裁結果に対して立場を持たない」というケリー国務長官の意思表明である。これは作り話ではなく、事実である。アメリカが中国に譲歩したと見られる。 2つめの会談は、習近平国家主席とライス大統領補佐官の間で行われた。7月25日、習近平国家主席は訪中したライス大統領補佐官と会い、「互いに核心的利益を尊重しなければならない」と述べ、南シナ海問題で譲歩しない立場をあらためて表明した。一方で、「中国は国際秩序と規則に挑戦する意図はなく覇権は求めない」と強調した。 ここのポイントは、「中国は国際秩序と規則に挑戦する意図がない」という習近平の意思表明である。外交上の策略であるかもしれないが、いままで習近平はどんな場合でも、このような言葉を一度も口にしたことがない。言い換えれば、「中国はアメリカをはじめとする国際秩序と規則に挑戦する意図がない」という意思表明であり、中国も一歩下がったと解することもできよう。 仲裁裁判所の裁定が出てから、米中関係はさらなる緊張が高まることもなく、逆に歩み寄りそうな言動が見られた。全面対決はアメリカの国益に背くことになるからであり、また、オバマ政権の終わりが近づき、アメリカ人の関心は南シナ海ではなく大統領選挙に注がれている。こんなときに戦争を発動することは考えられない。 加えて、仲裁裁判所の裁定はアメリカにとっても不利な影響が広がる恐れがある。今回の裁定は国際法上の「島」の要件を厳格化した。裁定は、島で人間集団が安定した共同体(コミュニティ)を維持できることや、外部に依存しないで経済的生活が保てることなどを要件として示した。 ただし、この基準を敷衍(ふえん)していけば、アメリカにとっても厄介なことになるかもしれない。中国メディアは専門家の話を引用して、「アメリカには『島』と呼ばれる領地が多くあるが、この基準で認定すれば島とは呼ばれなくなり、ただの岩礁にすぎないことになるケースが出てくる」と報道している。東京都小笠原村の沖ノ鳥島=2005年4月 日本にしても、すでに国内で議論されているように、日本最南端の沖ノ鳥島の法的地位が揺らぎ、EEZ(排他的経済水域)の設定などが難しくなるだろう。だから、アメリカは、南シナ海の仲裁結果について立場を持たないと言って、曖昧な態度を示したのである。 中国にもいくつか譲歩の姿勢があった。外電には、仲裁裁判所の裁定が出る前日に、中国は南シナ海のウッディ(永興)島に配備された地対空ミサイル「紅旗(HQ)9」を本土に移動させたという報道があった。 また、中国とASEAN外相会議の共同声明では、関係国がこれから無人の島、礁、浅瀬などでの入植をいっさいしない義務が定められた。もちろん、これは主に中国を制約するものだ。むしろ危ないのは日中の衝突 次の章で詳しく触れるが、南シナ海が紛争・戦争状態になることでもっとも困るのは、中国である。海上輸送が封じられると、中国経済は計り知れない損失をこうむるからだ。そのため、仲裁裁判所の裁定以降、中国は南シナ海で目立った活動はしていない。 その裏で、アメリカをはじめとする欧米世論への対策、ASEANの切り崩しなどを静かに進めているのである。G20首脳会合で中国の習近平国家主席(右)と 握手する安倍首相=2016年9月4日、中国・杭州むしろ危ないのは日中の衝突 2016年8月に入ってから、東シナ海では日本と中国の関係が急変し、日本のマスコミが頻繁に「中国船侵入事件」を報道するようになった。「産経新聞」(2016年8月9日付)は次のように伝えた。 「中国の公船が尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺の領海への侵入を繰り返していることに対し、北京の日本大使館の伊藤康一公使は8日『現場の緊張をさらに高める一方的な行動』として、中国外務省に抗議した。日本大使館が明らかにした。中国の公船と漁船が尖閣諸島周辺の接続水域や領海での航行を活発化させた5日以降、北京の日本大使館から中国側への抗議は4日連続」 2012年9月、日本政府は尖閣諸島(中国名は釣魚島)を国有化した。中国側は再三にわたって日本政府にこの「誤った」決定を撤回するよう求めた。そして、日本側が「島に上陸しない」「島の開発はしない」「海洋調査は行わない」という3つのことを守れば、中国は日本の国有化を黙認してもいいという秘密交渉が行われていたとも囁かれた。 実際、日本はこの「3つのしない」に対しては、そのとおり実行している。一方で、中国政府は月に十数回も監視船、海警船および監視用の飛行機まで繰り出して、国土保全の意志がいかに堅いかを国内に示してきた。 しかし、2016年8月からはかなり違った展開となった。それは、これまで日中双方にあった暗黙の了解が破られたことを意味する。 まず、船の量だ。中国が尖閣諸島の周辺海域に漁船約230隻を集結させた。これは過去の最大規模の集結より2倍も多い数であった。加えて、日本領とされる水域にまで入ってきたのである。これまでは中国漁船が入ったことはあるが、監視船などの公船が入ったのは初めてだという。 なぜ、中国は、日本に対して急に強硬な態度をとるようになったのだろうか。 日中両国のマスコミには、それを分析した記事が多い。安倍晋三政権が右翼思想の稲田朋美氏を防衛相に起用することへの反発との説もあれば、公船によるパトロールの常態化を強化し、世界の目を南シナ海の紛争から東シナ海に逸らす狙いだという説もある。日中戦争はいつでも起こりうる 筆者は、南シナ海問題でアメリカに追随する日本に対する報復措置という面が強いと考えている。中国では、日本は部外者だという認識であり、それだけに余計な口をはさんで中国の邪魔をする日本を憎む気持ちが強い。 中国政府は、仲裁裁判所の裁定について、「一部に事態をかき乱そうとする者がいた」と強く主張している。2016年7月25日、岸田文雄外務大臣と中国の王毅外相が会談を行った際、王毅は「これ以上介入を続ければ、別の意図があると証明することになる」などと高圧的な態度を見せたという。中国政府の日本に対するいらだちは、日本人が思う以上に強い。南シナ海の南沙諸島で訓練する中国人民解放軍の海軍兵士日中戦争はいつでも起こりうる 中国の国際問題専門家(シンクタンク)は、中国のアジア政策を「穏北、保東、争南」という言葉で説明している。以下、それぞれの説明である。 ・穏北:北とは朝鮮半島を指し、バランスをとりながら韓国と北朝鮮との外交を展開する。「穏」は安定化を図るの意である。 ・保東:東とは釣魚島(尖閣諸島)と台湾を指し、それを奪回することが目標である。「保」は取り返すの意である。 ・争南:南とは南シナ海を指し、国益を確保しながらも、ASEAN諸国にも利益を残す。「争」は交渉するの意である。 中国最高指導部は、外交政策を調整しながらアジア各国や地域との関係を維持している。上層部の詳しい情報は知らないが、前記のシンクタンクの考え方はかなり反映されていると思われる。 1つの裏づけがある。中国外務省はいま、多くの場で南シナ海を「共同家園」(皆の家)と呼ぶようになった。たとえば、2016年3月8日に第12期全国人民代表大会第4回会議が開かれ、王毅外相が記者団の質問に答えたとき、彼は、「南シナ海は中国と周辺諸国の『共同家園』だ」と語った。 一方、東シナ海や釣魚島について「共同家園」という言葉が使われることはない。これからも使わないだろう。なぜなら、取り戻さなければならないからだ。 こうした中国の対外政策の違いからすると、紛争や戦争が起こる可能性があるのは南シナ海よりも、むしろ東シナ海をめぐる日中間のほうだと考えられる。 香港・台湾の軍事専門家には、次のような中国の戦略シナリオを描く人が多い。 尖閣諸島所有権紛争でアメリカを介入させないように、中国はまず海上武装警察という準軍事力を使うだろう。海上武装警察の海警船には銃器・火砲などの武器が装備されているので、戦闘力が結構ある。このままでは日本に勝ち目がない 中国側はしつこく挑発し続けるが、第一砲は撃たない。そして日本側から攻撃を受けたら、ただちに全面的に反撃に出る。もし、日本の海上自衛隊が出動したら、中国の正規軍も登場する。中国はあくまで「応戦」という形をとるから、アメリカが出にくくなる。 戦いは一進一退すると思われるが、日本政府が尖閣諸島の領有権について双方が係争中であることを認めれば、中国は撤退していく。領有権交渉の余地が出てくれば、第1戦の目的は達成される。これで将来、島を取り戻す正当な理由ができるからである。いつかアメリカと日本の軍事同盟の関係がゆるみ、隙間ができるのを待って、この理由をもって島を奪回することができる。 日本メディアのなかにも、中国軍事専門家たちの作戦シナリオの実効性を認める見方がいくつかある。日本のあるメディアは、次のように指摘する。 現在、海上警備では日中間のパワーバランスが崩れはじめている。1000トン級以上の船艇の数が日本の倍にまでになるなど、中国の優位性がかなり目立つようになってきた。 2016年1月1日現在、海上保安庁は合計454隻の船艇を保有している。2013年前後には海上保安庁が保有している1000トン級以上の船艇は中国より多かったが、中国が急速に保有数を拡大して逆転した。2014年は日本54隻に対して中国82隻、2015年は日本62隻に対して中国111隻と、驚くべき伸張ぶりを見せた。 2016年以降は、その開きがさらに大きくなると予測される。このままでは日本に勝ち目がなくなることは明らかであろう。訓練のため南シナ海を航行する中国初の空母「遼寧」(右中央)=1月2日 しかし中国の官製サイトには、海上警備では日本の実力のほうが中国をはるかに超えていると紹介する記事もある。そのきっかけは、2016年8月11日に尖閣沖で中国漁船がギリシャ船籍の貨物船と衝突し、海に転落した漁船の乗組員6人が日本の海上保安庁の巡視船によって救助されたという事件だった。 中国公船の救助対応が遅かったため、中国のインターネットでは「肝心なときにどこへ行った」など、海警局を批判する書き込みが相次いだ。中国官製サイトはこの件についての記事を発表したが、それによると、海での上空パトロールや海難救助について中国と日本ではかなりの差がある、ということだった。 中国では海上警備や漁業保護にあたっては、海監、漁政、海事、税関、公安、国境警備隊など複数の管理部門がそれぞれ行っているが、職権の範囲が曖昧なために、公務執行上、多くの支障が生じている。職責不明で放任のままということである。2013年にはこれらの部門を1つに統合するという中央政府の決定がなされたが、いまだにばらばらで1つになっていない。 要するに、命令系統や設備などがまちまちで、実力は想像以上に乏しいということであった。中国の軍事専門家の分析 一方、中国の軍事専門家たちは、米中衝突よりも日中での紛争・戦争の確率がかなり高いと見ている。いつでも不測の事態が起こる恐れがある、としている。 その理由として、日中間では、米中のような危機管理連絡メカニズムが1つもできていないということである。日中間では海空連絡メカニズムの構築について数年にわたって協議されているが、いまだに合意には至っていない。その裏には、相互不信のために日中首脳会談がほとんど行われていないという重大な事情があげられよう。海上自衛隊が東シナ海で撮影したルーヤンII級 ミサイル駆逐艦=12月24日(防衛省提供) 2016年8月15日付の「産経新聞」は、中国の海洋戦略を研究するアメリカ官民の複数の専門家の見解を紹介した。それによると、2016年8月に中国が見せた動きは、尖閣の奪取にとどまらず、東シナ海全体への覇権を目指す野心的目標への新展開だと見ている点で、ほぼ一致しているという。 「中国の最近の尖閣海域での動きは明らかに日本を威圧する作戦の新たなエスカレーションであり、日本を領土問題での2国間協議に引き出すことが当面の狙いだろう」 アメリカ海軍大学の中国海洋研究所のピーター・ダットン所長はこう述べたうえで、「米国の当面の役割は軍事衝突を抑止することだ」という表現で、現在の尖閣情勢が軍事衝突に発展する危険性が高いことを示唆した。 日中の軍事的な衝突の可能性は、ますます現実味を帯びてきているといえるだろう。

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    習近平の権力闘争、経済停滞 中国の混乱が止まらない

    邱海涛(ジャーナリスト)はじめに《徳間書店『中国大動乱の結末』より》 ここ数年、日本では中国の報道について、かなり悲観的なものが目立つようになってきた。経済の落ち込み、南シナ海をめぐるオランダ・ハーグの常設仲裁裁判所の裁定、国内の権力闘争など、さまざまな問題が取り沙汰されている。 一方で、「AIIB(アジアインフラ投資銀行)の加盟国が100カ国まで増えそうだ。中国が世界経済を制する」という報道もあれば、「AIIBはうまくいっていない。確実に失敗する」というものもある。その時々や立場によって、かなり論調が異なるものも多い。はたしてどちらが正しいのか。 筆者の実感では、日本の中国報道については、そのとおりであるものもあれば、現地の実情からしてかなり誇張されているものもある。 逆に、中国ではあまりネガティブな報道はされない。報道規制で報じられないようなニュースもある。とくに官製報道は、中国の国民もそれほど信用していない。米大統領選後の11日、北京の人民大会堂で、孫文の生誕150周年の式典で講演する習近平国家主席。 たしかに、中国は大きな転換点を迎えようとしている。さまざまな矛盾が顕在化し、混乱もあちこちで起こっている。それだけに情報が入り乱れるのも無理からぬ話なのだろう。 本書は、筆者が目にしている中国の国内事情、国内メディアや香港メディアの報道、日本のニュースなどとも照らし合わせながら、中国の現状を分析し、今後を予測したものである。 さまざまな中国報道でも、内外で一致しているのが中国経済の落ち込みについてである。国内は経済の減速がますます目立つようになり、輸出入も低下の一途をたどっている。とくに輸出の落ち込みは深刻で、中国の税関当局が2016年10月13日に発表した9月の貿易統計は前年同月比の10%減で、6カ月連続で前年を下まわった。 中国政府もこれ以上の経済停滞を避けるべく、さまざまな手を打っている。国内では「城鎮化」という農民政策、対外的には「新シルクロード構想」(一帯一路)やAIIB、あるいは高速鉄道の海外輸出など積極策に出ている。2015年にはインドネシアの高速鉄道建設において、中国が日本に競り勝って受注した。ただし、この高速鉄道については、うまくいっていないという報道が日本でさかんに出ている。 はたして、これらの経済政策は、今後、うまくいくのだろうか。今後の中国経済に明るい展望があるのか否か。 また、2016年6月には仲裁裁判所が、中国が主張する南シナ海の領有権について「歴史的根拠なし」という裁定を出したが、これによって中国はどこまで追いつめられているのか。しかも、仲裁裁判所に提訴したフィリピンでは、ドゥテルテ新大統領が選ばれてから急速に中国への接近が進んでいる。このようなきわめて流動的な国際情勢は、どう見るべきであろうか。中国はアメリカとの衝突を想定しているのか。加えて東シナ海では日本に対して何をしようとしているのか。 さらに混沌としているのが中国国内の権力闘争である。反腐敗運動をてこに、習近平主席はかなりの領域で権力を掌握したと思われるが、2017年秋の中国共産党第19回全国代表大会(党大会)に向けて、はたして思いどおりに改革が実施できるのだろうか。政局が逆転する可能性はないのだろうか。 本書では、こうした複雑かつ情報が錯綜しがちな問題について、中国国内で入手した情報も交えながら論評を加えている。 筆者は仕事の関係で、長年、日中の間を行き来し、両国の国柄から民族性、政治、社会制度などの違いについては、よく知っているつもりである。それだけに、日本人が中国の何に関心があるのかということも理解しており、それを誇張なく正確に伝えることができるとも自負している。 本書が読者の中国理解、現状把握、そして未来分析に役立てば本望である。 2016年10月中旬 邱海涛

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    上杉鷹山に学ぶ復興の精神

    童門冬二(作家)×村井嘉浩(宮城県知事)政治の「原点」を思い出させてくれる本 村井 今回は尊敬する童門先生と対談する機会をいただきまして、非常に嬉しく思います。童門先生の『小説 上杉鷹山』は私の座右の書であり、このご本を読むことによって、つねに政治家の「原点」に戻ることができます。 童門 ありがとうございます。上杉鷹山はいまから二百年以上前の米沢藩主(山形県米沢市)で、九州の小藩から名門の上杉家に養子に入り、見事に藩財政を立て直した人物です。『小説 上杉鷹山』は私の代表作の一つであり、私も村井知事と鷹山について語り合えることを楽しみにしておりました。 村井 童門先生のご本は私に政治の「原点」を思い出させてくれると申し上げましたが、同じく政治家としてのバックボーンになっている経験は、自衛隊と松下政経塾で得たものです。高校まで比較的、恵まれた環境で育った私が防衛大学校に進学したのは「自分を鍛え直したい」という思いからで、防大を卒業後は当然のごとく陸上自衛官に任官し、幹部候補生学校に入校しました。 童門 幹部学校は久留米(福岡県)のほうでしたか。 村井 ええ。 童門 現在、私は目黒(東京都)の自衛隊幹部学校で「徳育」の講義を行なっているのですが、以前は久留米の幹部学校で教えていました。久留米の幹部学校ということは、村井知事は伝統行事である高良山の登山走(標高三一二・二m)も経験されたわけですね。 村井 はい。ヒイヒイいいながら、何とか登りました(笑)。幹部学校卒業後はヘリコプターのパイロットとして、東北方面航空隊(仙台霞目駐屯地)に赴任しました。これが私と宮城とのご縁の始まりです。その後、一等陸尉に任官し、結婚して子供も生まれ、それなりに充実した生活を送っていたのですが、ちょうど昭和から平成に元号が変わったころ、PKO(国連平和維持活動)への自衛隊派遣問題が起こりました。当時の国会では「小銃は武器なのか、武器ではないのか」といった些末な議論が行なわれていましたが、われわれ自衛官からすれば、机上の空論にしか思えませんでした。 そんなとき、たまたま目にしたのが、松下政経塾の募集広告だったんです。「志のみ持参」というキャッチコピーを見て、自分にはお金はないけれど、これなら行けるかもしれないと思い、このとき初めて政治家という仕事に強い関心をもちました。 童門 自衛官の幹部候補生向けの講義を担当した際、防衛庁(当時)から自衛官が行なう誓いの内容を取り寄せてもらったことがあります。そのなかに「身命を賭して」という言葉が書いてあった。先の安保法制をめぐる議論にも関連しますが、「安全な戦場」なんてものは、村井知事の言葉を借りれば机上の空論でしかないことは、当の自衛官がいちばんよく知っています。紛争地に派遣される自衛官は皆、覚悟して現地へ赴くわけですから。自衛隊で学んだ究極の「ハウツー」 村井 おっしゃるとおりです。自衛隊で私が学んだものは、究極の「ハウツー」です。相手はこちらを撃滅する意図をもっており、短時間で判断をしなければならない。そのときにどう行動するか。最初に叩き込まれたのは「任務分析」を必ずやれ、ということでした。部隊の任務や組織のなかでの地位、役割、達成すべき目標。これらを押さえたうえで、敵や自分の戦力比較や地形の分析をして作戦を立てる。このような基礎教育を長く受けました。 次に指揮官を支える幕僚の教育として受けたのが、物事に取り組む優先順位のつけ方です。まず、時宜に適った活動をする「適時性」。二番目は、先を見通す「先行性」。三番目は、さまざまな組織や人と調整しながら同時並行的に仕事を行なう「並行性」。最後が、緻密で完全な仕事をめざす「完全性」。この順番が大事であり、よく「適・先・並・完」と覚えさせられました。 もう一つ、先輩から教えられたのが「結論から先に述べる」ということです。「やれるのか、やらないのか、まず先にいえ。そのあとで理由を述べよ」と口を酸っぱくしていわれました。二〇一一年三月十一日、東日本大震災が起こった直後には、重要な決断を次々に下す必要がありましたが、自衛隊時代に学んだことがほんとうに役に立ちました。 童門 時代環境はまったく異なりますが、私も旧海軍時代に学んだことがあります。いわゆる予科練(海軍甲種飛行予科練習生)として、霞ヶ浦(茨城県)畔にある土浦海軍航空隊で訓練を受けていたのですが、日本人の人間関係にはウエットなところがあり、「何をいっているか」という内容よりも「誰がいっているか」という人物を重んじる、ということを身をもって知りました。 村井 それは私も経験上、同感ですね。 童門 当時はまだ十五、六の子供でしたが、「アイツのためなら、喜んで協力してやろう」と思われる人間にならなければいけない、と思いました。軍隊という制約の多い組織でしたが、自分なりの人格陶冶の方法を見つけたいと考え、発見も多くありましたね。 もともと私が少年航空兵になったのは、飛行機に憧れていたからです。土浦での訓練教程を終えると、青森県の三沢基地に配属され、「第一〇五特別攻撃隊」の一員として、出撃を待っていました。ところが、飛べる飛行機がもう一機もなかった。毎朝、沖にいるアメリカの航空母艦から艦載機がやってきて、ダダダッと機銃掃射をする。われわれは逃げまくる以外になく、生と死の境が三〇㎝しかない、というのが日常でした。いまでも好きで口ずさむのが、阿川弘之さんの小説『雲の墓標』の一節「雲こそ吾が墓標/落暉よ碑銘をかざれ」です。つまり、雲を墓標にして潔く散りたかった。丈夫な男の子は軍隊へ、という時代でしたが、そのようなロマンがありましたね。「主権在民」の精神「主権在民」の精神米沢城跡に建つ上杉鷹山立像。行動的な藩主だった 村井 私が上杉鷹山という人物に初めて強い関心を抱いたのは、一九九五年、宮城県の県議会議員になったときです。ある食品の卸会社の会長さんのところに挨拶に行くと、「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」という上杉鷹山の言葉が貼られていました。「いい言葉だなあ」と眺めていると、その会長さんから「村井君、ああいう思いで政治をやれ」といわれました。そこで鷹山の人物像が知りたくて書店で買い求めたのが、童門先生の『小説 上杉鷹山』だったんです。 童門 それはご散財をおかけしました(笑)。 村井 何をおっしゃいますか(笑)。私がいちばん感銘を受けたのは、鷹山の「主権在民」の精神です。士農工商の封建時代において「藩主は人民と国家のために存在するのであって、藩主のために存在する人民と国家ではない」と言い切った。しかもそれを、家督を譲る際の「伝国の辞」として後世に残した。いまでこそ「都民ファースト」「県民ファースト」などと誰でもいいますが、江戸時代に「藩民ファースト」という考えをもつ為政者は稀だったでしょう。ジョン・F・ケネディ大統領が生前「最も尊敬する日本人は」と問われた際、「ウエスギ・ヨウザン」と答えたのも納得できます。 童門 じつは本書は、美濃部亮吉東京都政三期十二年(一九六七~七九年)の反省の書でもあるんです。当時の私は、知事のいわば側近として都政に携わっていました。その経験から、「あれはちょっとやりすぎたかな」とか「もっと丁寧な説明をして、彼らを納得させておくべきだった」という反省が込められています。 鷹山の藩政改革も、反対派による意地の悪い妨害に遭いました。門閥外から有用な人材を抜擢し、封建時代の武士に「愛民」を説いて荒地の開墾までさせたのですから、藩内の保守層の反発を買ったのは、ある意味で当然のことかもしれません。最終的には、鷹山はアンチ改革派に厳しい処分を下しましたが、どんな前向きな改革であっても、必ず協力しない者が出てくるのは、いつの世も同じでしょう。面従腹背は人の世の常なんです。 ちなみに本書のほとんどの登場人物には、実在のモデルがいます。悪く書いた人間はほとんど鬼籍に入り、いまは安心しておりますけれど(笑)。 村井 本書の冒頭に、鷹山が江戸櫻田藩邸の庭にある池の魚をそれぞれ家臣に見立てるシーンがありますが、じつはモデルがいたわけですね。 童門 そういうことです(笑)。 村井 鷹山の改革はけっして順風満帆というわけにはいかなかった。他家からわずか十七歳で名門の上杉家の養子に入った経歴から、家中をまとめるのに苦労しました。時に鷹山は「泣いて馬謖を斬る」厳しい人事を貫きましたが、普段は部下を怒鳴るような真似はしなかった。ほんとうのリーダーとしての資質を備えていたと思います。私は未熟な人間で、鷹山のようにはいきませんが、「為せば成る」の精神で今後もやっていきたいと考えております。 童門 鷹山がいろいろな難事にぶつかった際、教えを仰いだのが師の細井平洲(儒学者)です。平洲の答えはいつも決まって「大事なのは勇気」でした。まさに「為せば成る」の精神ですね。「衆知を集める」という方法「衆知を集める」という方法 村井 いまから十一年前、私が宮城県知事になったのは、四十五歳のときでした。県庁の課長クラスは私よりも年上で、しかも私は、前知事の後継者を破っての就任です。最初、職員は柱の陰に隠れてしまって「いったい、この人は何をやるつもりか」という感じで遠巻きに私を見ていた。たいへん苦しかった記憶があります。2005年10月、宮城県知事選に初当選し、花を受け取る村井嘉浩候補(左)と夫人(撮影・浅野直哉) そこで私が実践したのが、「衆知を集める」という方法です。できるだけ多くの人に会って、意見を聞くようにしたのです。周囲の声に耳を傾けず、いきなりトップダウンで物事を決めると、人心が離れてしまうと思ったからです。童門先生のご本からは、そうした知恵も学ばせていただきました。最初は「何か打ち解けていないな」と思った職員も、だんだん私に近寄ってくれるようになり、とくに東日本大震災の際は、ぎりぎりの状況のなか、よく頑張って協力してくれたと今も感謝しています。 そもそも部下というものは、上役が本気であるかどうか、すぐに見抜きます。さらにいえば、上が全体の利益を考えて行動しているか、それとも私利私欲で動いているか、下の者からはじつによく見えるんですね。 童門 おっしゃるとおりですね。鷹山の改革が成功したのも、「愛民」を貫く誠の精神の持ち主である、と多くの藩士たちが認めたからでしょう。江戸時代には多くの藩が財政再建に取り組みましたが、一部を除いてほとんどが失敗した。「領民のために」という大義が欠けていたからだと思います。 かくいう私自身、偉そうなことはいえません。私が都の職員になったのは昭和二十二(一九四七)年ですが、最初から「主権在民」の精神で働いていたかどうか。ちなみに、初めての仕事は税金の滞納整理でした。 村井 それはたいへんだったでしょう。 童門 もう仕事が嫌で仕方がありませんでした。直属の上司に対して「税金の督促なんて、全然面白くない。こんな仕事よりも福祉とか、公害防止とか、もう少し給料の額のお返しになるような仕事がしたい」といっていたくらいです。上司からは「おまえはバカか。都知事の代わりに仕事をしている気概をもて」とか「予算書の項目ぐらい、諳んじていなければダメだ」とか叱られていました。つねづねその上司から、税金がどう使われているか、都民に説明できるようになれ、といわれたのですが、結局、私は上司のいうことを聞かなかった。 するとある日、「おまえが尊敬する人物は誰だ」と聞いてきた。私が「黒澤明監督です」と答えると、上司は「『七人の侍』をもう一度観てみろ」という。映画の最後に「勝ったのはあの百姓たちじゃ、儂たちではない」という台詞があり、「ああ、上司は俺に『主権在民』の精神をわからせようとしたんだな」と気付きました。このような配慮には、感服するところがありましたね。 村井 素晴らしい上司じゃないですか(笑)。 童門 その上司のおかげで、私は真人間になることができました(笑)。まさに私にとって、師の一人であると感謝しています。「創造的な復興」をめざす「創造的な復興」をめざす 童門 現在、村井知事は被災地の復興の先頭に立っておられますが、復興の現状はいかがですか。 村井 幸い、国を挙げて応援してくれているおかげで、着実に進んでおります。ただ、あれだけの大きな被害でしたので、いまだに仮設住宅にお住まいの方が約一万五〇〇〇世帯、三万人ほどおられます。あと二年程でほぼすべての方に対し、快適な住環境を提供することができる見込みです。 一九九五年に起きた阪神・淡路大震災では、整地を行ない、住民の方々は以前に住んでいた場所に戻ることができました。しかし今回の東日本大震災では、同じ場所に住居を建て直しても、再び津波が来れば流されてしまう恐れがあります。安全な高台に移り住んでいただくことを前提に街づくりをした分、住環境の整備に時間がかかりましたが、多くの方のご支援をいただいて確実に前進しています。民営化された仙台空港出発ロビーの利用者ら=2016年7月1日 震災からの復興にあたり、ただ元に戻すだけの「復旧」では、時代の変化に取り残されてしまいます。そこで、私が掲げたのが「創造的な復興」です。一例を挙げますと、宮城県の沿岸部では亡くなったり、行方不明になったりした方々とその他の地域に移転された方々で四万人もの人口が減少しました。この状態を元に戻すことは残念ながら、困難といわざるをえません。そこで代わりに交流人口、すなわち海外や県外から宮城県を訪れていただく観光客を増やそうと考えました。およそ三三万人の外国人観光客の経済効果は、住民四万人分の効果とほぼ等しい、という試算もあります。さらに国に強くお願いした結果、今年七月に実現したのが仙台空港の民営化です。 童門 全国初の地方空港の民営化の試みとして、話題になっていますね。 村井 ええ。仙台空港の民営化によって、たとえばそれまで全国一律で決められていた着陸料が自由に設定できるようになりました。おかげでLCC(格安航空会社)の参入が増えてきまして、外国からのお客さんも比例して伸びています。 そもそも国の目標として、二〇二〇年の東京オリンピックまでに、外国人観光客数を東北で五〇万人から一五〇万人、宮城県単独では一五万人から五〇万人に増やすという数字があります。宮城県でプラス三五万人を増やす計算になりますが、これは先の経済効果をめぐる試算の三三万人とほぼ等しい。こうした具体的な数字を達成する意気込みで観光誘致をすれば、東北沿岸部は絶対に元気になる、と考えています。 また、「創造的な復興」の一環として水産業復興特区を設けて区画漁業権を一部、漁業者を主体とした企業に免許を付与しました。というのも、現在、宮城県の漁業就労者の平均年齢は六十五歳なんです。必要な投資は惜しみなく行なった鷹山 童門 かなり高齢化しているんですね。 村井 はい。日本全体でみても、高齢化によって毎年漁師が一万人ずつ減っている状況です。このままでは日本の漁業は衰退する一方です。これまで区画漁業権は法律で漁協がもつことに決まっていました。水産業復興特区の導入でこうした「既得権益」を一部見直したところ、大きな反対に遭いました。私は宮城県知事選に出る際に漁協の推薦を得ていましたから、「裏切り者」「おまえだけは許さん」といったお叱りも多くいただきました。 そんなとき、私に勇気を与えてくれたのが『小説 上杉鷹山』だったんです。鷹山は疲弊しきった米沢の地域に農業開発を行ない、養蚕や製紙などの殖産興業を実施して甦らせた。さらに藩校の興譲館をつくり、藩士の教育まで行なった。おそらく周りからみたら「こんなことはできない」と思われるような改革でも、志の力でやり遂げてしまった。私も鷹山の故事に倣い、「全体の利益になることは、どんなに反対に遭ってでもやる」と覚悟を定めることができました。 童門 村井知事のお話を聞いていて「わが意を得たり」の感を強くしました。なぜなら、上杉鷹山というと、倹約だけの人物だと誤解されている向きがあるからです。でも、けっしてそうではない。必要な投資は惜しみなく行なっています。鷹山の政治手法の新しさは、それまで米作一辺倒であった経済を改め、米沢の自然条件に合った植物を植えて、それを原料にした製品を売ることで、藩財政を立て直そうとした点です。たとえば、漆からは塗料や蠟をとり、楮から紙を漉き出し、桑からは生糸を織り出して、絹織物を生産した。新産業の創出で経済が成長すれば、その恩恵は領民にも行き渡って消費力が高まり、さらに内需が拡大します。 藩校の興譲館はこうした鷹山の考えを広めるための「研修機関」「PR機関」であり、たんなる精神論を教えていたわけではありません。 村井 おっしゃるとおりで、質素な格好をしていたから鷹山は立派なわけではない。まず、無駄な出費を抑えるという止血をしながら、入り(収入)を増やしていくための政策を考案し、実行したことに意味があります。まさに、現代のわれわれの自治体がやるべきことです。江戸時代にできた改革がいまの時代にできないわけがない。もしできないとしたら、それは周囲の批判を恐れているからです。反対派の批判を鎮めようとしてバラマキ行政ばかりをやっていては、改革は進みません。その点、私は厳しくやっておりまして、だからこそお叱りばかり受けています。個々人の努力が復興の城となる個々人の努力が復興の城となる 村井 東北の復興において、宮城県が果たすべき役割はきわめて大きいと考えています。原発事故のあった福島県は、想像もできない大変さがあろうかと思いますが、宮城県では、震災で亡くなった方のうち、五割強を占めるなど、大きな津波被害を受けました。これらを乗り越え、われわれには復興のモデルをしっかりつくり、被災地のみならず、東北の経済を牽引していく責務があるのです。先ほど述べた仙台空港の民営化についても、宮城県だけがよくなればいい、ということではなく、東北全体にいかに外国からのお客を呼び込むか、という視点で行なっています。東北の医師不足解消を目的に、全国で三十七年ぶりに東北医科薬科大学(仙台市)に医学部を新設したのも、東北の未来を考えてのことです。 もともと私は「道州制」論者です。四七の都道府県が角を突き合わせて競争しているのは効率的ではない、というのが持論です。国のほうは外交や防衛などに専念してもらい、国会議員の数も減らす。他方、インフラ整備や社会保障などは、「州」や基礎自治体に任せてもらう。もし「東北州」ができた場合、政治の中心は青森県や秋田県でいいかもしれない。ただ、経済的な牽引役は、やはり宮城県が担わなければならない。震災復興もつねにそうした位置付けのなかで進めております。 童門 村井知事の発想は伊達政宗と同じだ、と思いますね。政宗は東北の奥州探題、いまでいう「東北州」の長官という意識をもっていた。支倉常長を欧州に派遣して、中央の徳川政権とは別のかたちで文物や人材の交流を行なおうとした。しかし、当時の幕府は料簡が狭く、諸藩の海外との交易を禁じてしまった。もし〝鎖国令〟がなければ、いまごろ石巻は完全な国際港になっていたかもしれない。そう思えば残念なことです。村井知事のお話を聞いていて、政宗はここに健在なり、と思いました(笑)。仙台城跡に立つ伊達政宗騎馬像 村井 いえいえ。私などは政宗公の足元にも及びません(笑)。 童門 じつは私、震災後、一時的に腑抜けになってしまったんです。被災地の方がたいへんな苦労をされているのに、自分は何もできないというもどかしさと無力感、そして無常観でいっぱいになりました。そんなとき、テレビで宮城県南三陸町の被災者が避難されている体育館の様子を見ました。なぜか、雰囲気が明るい。一人の中学生のおかげだというんです。震災前、悪ガキだった男の子が館内を走り回って、みんなを励ましていた。その男の子は祖母に聞いたらしい。「復興って、何をすればいいんだよ」と。祖母はこう答えたそうです。おまえがいる場所で、やれることをやればいい――。 この言葉を聞いて、目が覚める思いがしました。そうか、自分の今いる場所で、私情を交えず、手を抜かず、仕事をすることで、間接的ではあるけれど、被災地の励ましにつながっていくのだ、と。個々人の努力の小さな積み重ねがやがて大きな石垣となって、被災地の復興の城となる。だからこそ、自分の仕事に手を抜いてはならないのだ、と。 村井 そのとおりだと思います。 童門 私は今年で八十九歳になりますが、被災地の子供に教えられて、また真人間に戻ることができたわけです(笑)。かつては薪を背負って本を読む二宮金次郎(尊徳)の銅像が、あちこちの学校に立っていましたね。その金次郎が読んでいたのは、中国古典の『大学』です。この本が説くのは、修身(身を修める)、斉家(家を整える)、治国(この場合は地方を治める)、平天下(天下を平らかにする)の順序のこと。つまり、まず自分の身を正しくし、次に家のことをしっかり整え、地方の自治を確立し、最終的に天下、つまり国家の平和のために尽くしなさい、という教えです。国民一人ひとりがこのように思わなければ、東北の復興はなりません。ただそのためには、どうしても子供のころの躾が大事というか、教育が絡んできますね。大人になって急に国家のために尽くしたいと思っても、それはハリボテにすぎない。 村井 そうですね。私が小さいころ、父もよくいっていました。お金持ちだからといって、誰も尊敬なんかしない、と。それよりも、全体のために死ねるような人間のほうが、お父さんは偉いと思う。そういう人間になってほしい、といわれたことを思い出します。覇道ではなく、王道の政治を覇道ではなく、王道の政治を 童門 ときどき、市長が集まる会などに呼ばれて講演することがあります。決まったように出る質問は、「いくら正しいことをいっているつもりでも、なかなか人が付いてこない、どうしたらいいか」というものです。そんな難しい問題の解決策を聞かれても困るんですが(笑)、こう答えるようにしています。一〇〇〇人のうち、最初の理解者は五人ぐらいだと思ったほうがいい、と。本人のやる気が町内に徐々に口コミで広がれば、五人が一〇人になり、一〇人が一〇〇人になる。一〇〇〇人全員は無理でも、半数の五〇〇人が味方に付けば、改革は成功するでしょう。 村井 童門先生が『小説 上杉鷹山』でお書きになられているように、まずは少数でもいいから、改革の火種をつくることが大事なのですね。 童門 そう。最初から全員が賛成する改革なんてありません。私利私欲のためではなく、天下万民のために働くリーダーのもとには、自然と人が集まってきます。その意味でも、覇道ではなく、王道の政治をめざしてほしいですね。 村井 今回は童門先生から直接、お話をうかがうことができて、感動いたしました。ご多忙のご様子で、なかなか時間が取れないのではないかと、心配しておりました。 童門 そんなことはありません(笑)。 村井 今日、童門先生にサインしていただいたご本は、親父にも必ず見せるつもりです(笑)。冒頭でも述べましたが、童門先生の『小説 上杉鷹山』が私の傍にあることで、いつでも「県民ファースト」という原点に戻ることができます。加えて、私は「遠方目標」ということを大事にしています。ヘリコプターは遠方目標を捉えておくことで、突発的な風で流されても、本来の位置を見失わずに進むことができる。同様に、つねに政治の原点と復興における遠方目標を見誤らないようにしておくことで、宮城県の復興が可能になると考えています。私は宮城と東北を元気にすることで、日本に対する恩返しがしたいんです。 童門 私の本をご自身の志と結び付けて行政に活かしていただいていることを嬉しく思うと同時に、頼もしく感じますね。これからの村井知事のご活躍を心から願っております。どうもん・ふゆじ 作家。1927年、東京生まれ。東京都庁に勤め、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任。退職後、作家活動に入る。著書に、『小説 上杉鷹山』(上・下/95年、学陽書房人物文庫。96年、集英社文庫より『全一冊 小説 上杉鷹山』として刊行)、『上杉鷹山の経営学』(PHP文庫)、『名将 真田幸村』(成美文庫)など多数。むらい・よしひろ 宮城県知事。1960年、大阪府生まれ。84年、防衛大学校を卒業し、陸上自衛官に任官。陸上自衛隊東北方面航空隊(ヘリコプターパイロット)および自衛隊宮城地方連絡部募集課にて勤務。92年、自衛隊退職後に松下政経塾に入塾。95年から宮城県議会議員を3期務める。2005年、宮城県知事選挙に当選し、現在3期目。関連記事■ 東日本大震災5年、いま必要とされる新しい発想の地域づくり(1)■ 『ハーバードはなぜ日本の東北で学ぶのか』■ 松下幸之助が考えた「自分流」の生き方とは?

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    ハーバードはなぜ日本の東北で学ぶのか

    山崎繭加(元ハーバード・ビジネス・スクール<HBS>日本リサーチセンター アシスタント・ディレクター)HBSが行なった教育改革 ――ハーバード・ビジネス・スクール(以下、HBS)はMBA(経営学修士)教育を行なう世界トップのビジネススクールとして知られていますが、二〇一〇年、インド出身のニティン・ノーリア氏が一〇代目学長になったのを機に、教育カリキュラムの改革を行なったそうですね。どのような背景があるのでしょうか。 山崎 世界最古のビジネススクールの一つであるHBSでは、二〇〇八年に創立百周年を迎えた際、今後の百年もトップスクールであり続けるために必要な改革について議論が行なわれました。ちょうど二〇〇八年は世界金融危機が起こった年でもあり、ウォール街に多数の人材を送り出していたHBSは、「自分たちの教育は正しかったのか」という深刻な自省に迫られました。ニティン学長による改革が加速した背景には、こうした経緯がありました。ハーバード大学のキャンパス ――具体的にどのような改革が行なわれたのですか。 山崎 これまでのHBSの授業の特徴は、「ケース・メソッド」といわれる教授法にありました。ある組織が抱える課題について記されたケース(事例)を基に、教授のファシリテーションの下、学生たちが互いに議論をして学んでいくというものです。じつに効果的な教授法であるとはいえ、「知識を増やすこと(knowing)」に偏った教育になっているのではないか、という反省も生まれたのです。 そこで今後は、よりスキルや能力の開発につながるような「実践(doing)の場」を増やすことに加えて、「自分が何者であるか(being)を知る教育」を行なっていかなければならない、という結論になりました。ニティン学長が強調してきたのは、全人格的な教育の必要性です。これまでは頭ばかり動かしていたけれども、実際に体も動かし、心も豊かにするようなバランスの取れた教育をしていくということです。日本の武道の世界で唱えられてきた「心・技・体」の概念に近いのかもしれません。 ――knowingに加え、doing、beingの力を鍛えるために、どんな方法が採られたのですか。 山崎 二〇一一年、HBSではこれまでの「ケース・メソッド」に加え、教室を出て自ら経験するなかで学ぶという「フィールド・メソッド」が導入されました。こうした流れと、二〇一一年の東日本大震災が重なって生まれたのが「ジャパンIXP(Immersion Experience Program:どっぷり浸かって経験して学ぶプログラム)」です。東京と東北に一週間ずつ滞在して学ぶプログラムであり、担当教授はHBS唯一の日本人教授である竹内弘高氏です。学生たちの力を直接還元するほうが役に立てる ――本書『ハーバードはなぜ日本の東北で学ぶのか』は、まさにそのジャパンIXPの歩みを記録した歴史書であるといえます。二〇一二年の開始当初は、被災地の復旧について貢献する企業に関するケースを作成するチームプロジェクトと、全員でボランティア活動を行なう二本柱で成り立っていたのが、第四回(二〇一五年)から、東北の企業にコンサルティング(経営指南)を行なうプロジェクトに切り替わっていったそうですね。 山崎 震災翌年には、まだ壮絶な被災の現場が残っていましたが、年を経るごとに体を動かすボランティアが少なくなっていく事情がありました。また、せっかく企業を訪問してケースをまとめても、それを出版するころには課題の変化によって時代遅れになっていることもありました。そうした活動よりも、HBSの学生たちの力を直接、還元するほうが被災地の企業の役に立てると考えたのです。震災から三、四年経つと、受け入れる企業のほうも、未来につながるようなコンサルティングを学生たちに求めるようになってきた、という側面もありました。南三陸町防災対策庁舎近くに移設した献花台を訪れる人ら=2016年4月11日、南三陸町(岡田美月撮影) ――世界最高峰の知性をもつHBSの学生たちが被災地の企業にどのようなコンサルティングを行なうのか。本書の読みどころの一つでしょう。たとえば宮城県南三陸町の農家、小野花匠園に対しては「南三陸での雇用を増やす」というミッションが屋根だとすると、それを支える三つの柱が栽培、加工、販売・配達であるという整理を行ないました。その結果、小野政道社長は売り上げの四割を占めていた大手スーパーとの取引を打ち切るという勇断を行なった。これで逆に利益は大幅に上昇したというのですから、見事なアドバイスといえます。 山崎 HBSの学生たちがスーパーとの取引について直接アドバイスしたわけではありませんが、課題や強みを整理してあげて、気付きを与えたといえます。それによって、栽培に加え、自社で価格を決められる販売力こそ小野花匠園の強みである、と再認識した小野社長が自ら決断したわけです。 ――たった数日間の現地滞在で、そのような課題の整理ができるHBSの学生たちの能力は「すごい」といいたくなります。 山崎 学生たちのスキルに関していえば、前述の「ケース・メソッド」による教授法によって、マーケティングから会計まであらゆるケースについて考える訓練ができています。したがって、どんな課題に接してもすぐに対応できる力が身に付いていると思います。HBSに入学する前はコンサルティング会社に勤めていた学生もおり、そうした経験から得られたものもあるでしょう。何よりHBSの学生は、短期間の滞在でも被災地の企業に貢献したいという強い思いをもっている。ちょっと小ぎれいなプレゼンをして終わるのでは意味がない、自分たちが来たからには本物のインパクトを残したい、と考えていたのです。「真のエリートはナイスな人」「真のエリートはナイスな人」 ――HBSの学生たちに接してきた経験から、山崎さんは「真のエリートはナイスな人」という事実を発見されたそうです。能力だけでもなく、人間的にも「ナイスな人」という意味だと思いますが、なぜそのような学生が育つのでしょうか。 山崎 やはり、教授たちの教育や研究に懸ける熱意が大きいと思います。さらに、日本の大学では教授と職員のあいだに距離がある場合も多いですが、HBSの教授たちは職員をチームの一員として扱ってくれます。そうした教授たちの態度から、学生たちもリーダーのあり方を自然と学ぶのでしょう。ただ、トップが人間的に素晴らしいのはHBSに限らず、私が以前に在籍していたマッキンゼーでも同じでした。多様性のあるチームをまとめるために、アメリカのエリートは意識して「ナイスな人間」になるように努めている気がします。その点、日本企業には上意下達で動く組織文化があり、部下が黙って従うから、上司のほうも甘えてしまっている面はあるかもしれません。 ――本書の執筆を終えて、日本の教育でとくに改善すべきだと考えるようになったことは何でしょうか。 山崎 まず、自分の考えを深め、人の考えを知り、そのうえで、自分の考えを発表するという訓練ですね。日本で広く行なわれている教育では、ただ一方的に先生の話を聞き流しているだけで、相手の話を能動的に聞くこともできません。かつ自分の意見とは何かを考えることもなければ、それを発表することもない。「考える」「聞く」「話す」という基本の動作がまったく鍛えられない。私は日本の大学でそうした訓練を行なう講義を担当しているのですが、砂漠に水を撒くような徒労感を味わうこともあります。ほんとうは小学生のころから、そうした訓練をすべきでしょう。 ――本書の刊行を節目として、山崎さんは十年勤めたHBSを辞めて、新たな道を歩く準備をしているそうです。今後の活動について教えてください。 山崎 並行して二十年近く続けてきたいけばな(華道)を、新たなかたちで社会に広めていく活動をするつもりです。「美」に対する感度を強めることで、経営者や企業人の創造力や発想力を磨く場をつくり出していきたい、と考えています。やまざき・まゆか 元ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)日本リサーチセンター アシスタント・ディレクター。東京大学経済学部、ジョージタウン大学国際関係大学院卒業。マッキンゼー・アンド・カンパニー、東京大学先端科学研究センターを経て、2006年よりHBS日本リサーチセンター勤務。主にHBSで使用される日本の企業・経済に関するケース作成、東北を学びの場とするHBSの2年生向け選択科目ジャパンIXPの企画・運営に従事。また、特任教授として東京大学医学部にてグローバルヘルス・アントレプレナーシップ・プログラムの運営・教育に関与。関連記事■ パックン流・相手の心をつかむ話し方■ 頭がいい人の話し方が身につく3つの「口ぐせ」■ 人間関係に悩まないための「魔法の言葉」とは?

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    日本は今もGHQの占領下 共産党がいまだ党勢拡大できる理由

    ケント・ギルバート(米カリフォルニア州弁護士)どの局も同じような報道 40年以上前に初めて日本にやって来て、徐々に日本語がわかりはじめるようになったころ、最初に不思議だなと感じたことの一つが、日本のメディアがあまりにも共産党や社会党を持ち上げ、あるいはソ連や共産中国(PRC)を賛美していることでした。 アメリカでは、共産主義活動が連邦法で禁止されていますからね。日本は自由主義と民主主義を採用した西側諸国の一員であり、政府自体も安定した自民党政権なのに、なぜテレビや新聞は左翼ばかりを賛美しているのか、理由がわからなかったのです。 実際、テレビ放送でも、圧倒的多数の支持を誇っていた自民党の発言機会は少なく、社会党の主張に多くの放送時間が割かれており、自民党が何か一言発すると、社会党には反論をする時間が10倍ぐらい与えられている感じがしましたし、新聞媒体なども大半が左翼的な意見で埋まっていました。メディアはあからさまな意図をもって左翼思想を喧伝していました。その結果、日本人の多くは保守政権を支持しながらも、自由主義と民主主義の解体を目論む社会党・共産党に対して、それほど警戒感をもたなくなったのではないかと思います。強大な権力を背景に、戦後の日本の民主化政策を推し進めた連合軍総指令部(GHQ) その主な原因は、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)がWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)を通じて、日本人に「自虐史観」と「東京裁判史観」を効率よく刷り込んだことでした。左翼人士は大手メディアや教育界、法曹界を通じて日本人全般を洗脳し弱体化させることで、わが世の春を謳歌することができたのでしょう。 他方、アメリカではメディアが非常に発達しています。ユタ州にある拙宅では、ケーブルテレビの基本契約をしただけで400チャンネルくらいの視聴が可能です。だからこそ、メディアに対して疑問を抱く習慣も発達しています。政治的見解などは、放送局によっていうことがバラバラなので、疑問をもたざるをえないという側面もあります。たとえば、CNNとFOXニュースを見比べたら、「どっちの話が本当なの?」と誰でも考えます。 一方の日本では、NHKとTBSがまったく違う見解を報じたりはしません。私にいわせれば、どの局も気持ち悪いくらい同じような報道ばかり行なっています。世の中ではもっとさまざまな出来事が起きているはずなのに、報じられるニュース内容はどの局も不思議なほど同じで、放送の順番までそっくりです。長いものには巻かれる日本人の感覚 日本人は、とにかくお人好しで騙されやすいのが最大の弱点です。「オレオレ詐欺」などという犯罪は日本人の「人の好さ」に付け込んだ犯罪で、日本特有のものといっても過言ではないでしょう。物事を疑う習慣のない人がパニック状態に追い込まれると、簡単に騙されます。これは日本人が、政治的プロパガンダに乗せられやすいことを意味します。 日本人のもう一つの弱点は、とにかく権威ある職業や組織(学者、医師、弁護士、大企業、大手マスコミなど)から発せられる情報であれば、ほとんど疑うことなく、すべてを信じる傾向があるということです。 このような、「お上」には逆らわず、「長いものには巻かれろ」という感覚は、決して日本人が、純粋無垢で従属的だったからではないと私は考えています。むしろ、かつての日本の権力者や大商人というものが、伝統的に庶民の信頼を勝ち得ていたからではないでしょうか。庶民は、権力者を信じて付いていけば決して悪いようにはならない、と感じていたのです。『古事記』の「因幡の白兎」、あるいは「海幸彦・山幸彦」などの神話、仁徳天皇の「民のかまど」の逸話、数多くある「恩返し」の昔話などから、日本という国は太古の昔から、「正直で誠実に、そして慈悲深く仲良く暮らしていれば、きっと良いことがある」と教えられ、それを信じることのできる社会が、現実に存在したのです。 このようななかで、歴代天皇はもちろんのこと、将軍や大名、あるいは武士にせよ、大商人にせよ、農村の長にせよ、世の中のリーダーは民の信頼を決して裏切ってはならないと考え、逆に民は、権威あるリーダーに全幅の信頼を寄せて精進しさえすれば、いつか必ず報われるというコンセンサスがあったのではないでしょうか。 こうした日本人の特性は、GHQにとって、占領政策を実行するうえで予想以上に好都合であったことでしょう。GHQにしてみれば、彼らがやるべき最初の仕事は、自らが「権威」になることでした。その結果、マッカーサーを頂点とするGHQは、天皇陛下に代わって新たな「神」となったのです。 戦後すぐに撮影された、昭和天皇とマッカーサーが一緒に並んで写った写真は、まさに「神の交代」という意味を無意識のうちに日本国民に植え付けたはずです。そして、新しい神であるGHQによる、邪悪で巧妙な日本解体作戦が、あまりにも功を奏した結果、戦後の日本は71年間も自虐史観に苦しめられ、汚名を着せられ、国家は計り知れないほどの損失に苦しんできたのです。なぜ左翼思想が広まったかなぜ左翼思想が広まったか 最近、日本共産党がなぜか人気だそうです。先の参議院議員選挙でも、民進党などの野党が軒並み議席数を減らすなかで、共産党だけは比例区5議席と選挙区1議席の計6議席を獲得。改選前の3議席から倍増を果たしました。共産党本部で開かれた中央委員会総会=9月20日午前、東京都渋谷区 これは、マスメディアが共産党を含む反・安倍政権的な野党連合を擁護するかのような報道スタンスを取ってきたことも影響していると思います。新刊の『いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人』(PHP研究所)にも詳しく書きましたが、日本の戦後の思想状況を一言で表すと、「GHQが残した負の遺産を左翼が徹底的に利用して、日本人を洗脳してきた」ということに尽きます。 左翼の人々は、日本の過去をすべて否定し、文化や伝統を軽視し、歴史を捏造し、社会のなかの価値観を徹底的に破壊することに専念したのですが、このことを今日になってもまだ、それほど実感していない日本人が多いことに驚かされます。 共産党を支持している人たちのなかには、性格も本当に穏やかで人間的な方もいます。物事の考え方が良心的なのです。そんな人たちと接していると、「まあ、共産党とはいっても、旧ソ連やPRCなんかとは違うのだろうし、この人たちはいい人だから、少しは応援してもいいかな」という気になるわけです。 共産党をそうやって支持する人たちは、非常に良心的であり、また、あまりに純粋無垢であるがゆえに、一部の確信犯的共産主義者(国家解体を目論む者たち)に騙され、利用されているのです。 つまり、良心的な左翼人士の大半は、共産党の正体がわかっていないのです。 良識ある日本人を無意識的で無自覚な左翼思想へと洗脳したのは、戦後のメディアです。GHQがつくり上げた「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」を、占領中は全面的に受け入れるしかありませんでした。しかし、GHQの占領が終わったあとも左翼思想を日本に蔓延させたのは、メディアの大罪です。 たとえば、大手メディアは今日も、60万人もの日本人が違法に拘留され、塗炭の苦しみを味わったシベリア抑留や、満洲におけるソ連軍の鬼畜のごとき行動について、ほとんど報道しません。占領時代に報道を禁止されていた事項だからです。それにもかかわらず、やってもいない慰安婦強制連行や、嘘にまみれた南京大虐殺なる問題については、徹底的なキャンペーンを張るのです。 こんなマスコミに71年間も毎日洗脳されつづければ、良心的な人が祖国を愛さず、左翼的になってしまうのは致し方ないことです。そしてじつは、WGIPの実施者たちそのものが共産党と同根なのだ、という点を認識する必要があります。 日本弱体化をめざしたWGIPは、GHQの民政局に入り込み、日本を骨抜きにする日本国憲法をつくった共産主義者たち(ニューディーラーたちを含む)が実施したものです。だからこそ、共産党が狙っていた日本の「国体」の破壊、すなわち皇室制度とそれに由来する日本人の古き良き国民性の破壊と、完全に合致していたのです。 日本国憲法の原案は、昭和21(1946)年2月13日に、松本烝治国務大臣が外相官邸において、GHQ民政局のホイットニー准将らから「マッカーサー憲法草案」として渡されたものが最初ですが、松本はその幼稚な内容に驚愕。さっそく幣原喜重郎首相にその内容を報告し、「総理、じつに途方もない文書です。まるで共産主義者の作文ですよ」 と伝えています。娯楽化した報道番組娯楽化した報道番組 共産主義とか左翼思想とかいわれても、今日のほとんどの日本人は、その実態に対しては無頓着です。そもそも「外来種」である共産主義の思想に日本人の考え方が合致するわけがないのですが、なぜこんな思想が今日もまだ日本国内に残っているのかということを、考えなければなりません。 その最大の原因の一つは、繰り返しますが、マスメディアです。「慰安婦強制連行誤報問題」を引き起こした『朝日新聞』をはじめ、日本の新聞がそうとうに偏向している事実は、ようやく国民の常識となってきましたが、日本人洗脳工作においてメディアを最大の道具として活用したのがGHQでした。NHKを使って『眞相はかうだ』など一連の戦争プロパガンダ放送を流し、その方針をほとんどの民放各局や新聞などのメディアが今日まで維持してきました。そんな71年間の洗脳工作は、GHQが予想した以上の効果を発揮しましたが、そこは共産主義者や、それに影響を受けた左翼人士が跋扈する世界でした。 本来、メディアの最大の役割は、事実を事実として、余計な色を付けずに報道することですが、戦後のメディアの多くはGHQの影響を受けたせいで、そんな基本的な事さえできなくなってしまいました。その理由の一つは、これまで述べてきたようにメディアを左翼人士が牛耳ったからにほかなりませんが、それ以上に報道番組が「娯楽化」したということもあると思います。 報道番組を最初に本格的な娯楽に変えたのは、おそらくは久米宏氏だったと思います。久米氏は1982年から始まった日本テレビ系列の『久米宏のTVスクランブル』で、日本国内のさまざまなニュースを取り上げ、それに笑いを交えることで大きな視聴率を得ました。私もかつて、TBSの『サンデーモーニング』に放送開始から10年間レギュラー出演していました。その当時は、みんなでかなり自由かつ真面目に議論をしていたことは間違いありません。 これはある意味で、テレビ界の革命だったのかもしれません。時代の風雲児のような久米宏さんは、少しでもニュースを面白くさせ、視聴者を楽しませようとしたのでしょう。結果として視聴率が良かったせいもあり、それが同時に、日本の報道番組全体が徐々に娯楽化するきっかけになったのだと思います。 一方、アメリカの主要な報道番組では今日でも、コメンテーターが意見を述べるのは、特定の問題に限ったコーナーの中だけで、基本的にはキャスターだけが粛々とニュースを伝える形態を崩していません。求められる自浄作用 私自身がTBSの『NEWS23』への出演を依頼され、インタビューに応じたのですが、信じられないほど不快な思いをさせられました。詳しくは新刊の『いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人』を参照していただきたいのですが、この事件をきっかけとして、私は任意団体である「放送法遵守を求める視聴者の会」の呼びかけ人の一人として名前を連ねることになりました。 この団体は、国民主権に基づく民主主義の下、政治について国民が正しく判断できるよう、公平公正な報道を放送局に対して求め、国民の「知る権利」を守る活動を行なう、というのが主な趣旨です。 間違いのないように付け加えますが、この団体には特定の政治的思想はありません。たとえば共産党支持者のように、私や他のメンバーと異なる政治的主張をもつ人であったとしても、フェアに情報が出されることに賛同されるのであれば大歓迎です。 TBSのみならず、日本のマスコミの多くはあまりに偏向しているので、「放送法遵守を求める視聴者の会」の活動はむしろ、いまの日本社会には絶対に必要だと私は信じています。求められる自浄作用 マスコミは「第4の権力」ともいわれるほどの影響力をもっています。だからこそ、反省すべきはきっちりと反省するという自浄作用がなければ、やがてテレビそのものが、その傲岸不遜さゆえに社会から置き去りにされる日がやがて来るだろうと思います。 インターネットとともに、ツイッター、フェイスブックを含むソーシャルメディアの発達で、かつてマスコミが謳歌した言論統制社会は、急速に過去の遺物になっています。いまではもはや、嘘や隠し事が通用しない社会になっているのです。 人間というものは、限られた、一方的な情報にだけ触れていると、結局、それを信じて流されてしまう生き物です。全体主義とは、そういった大衆の無知を利用し、さらなる愚民化政策で社会を牛耳ろうとする考え方です。最近のテレビ番組はあまりにもバカらしく、低俗なものが増えており、日本国民をターゲットとした愚民化政策がますます強化されているような気がしてなりません。 大手テレビ局は視聴率主義に走るのではなくフェアで公正な番組づくりや、教養度の高い内容を日々追い求めてほしいものです。 マスコミが、自らのあり方に大きな疑問をもち、少しでもそれを是正して、もっと真面目に戦えるコンテンツをつくろうということになれば、日本のマスコミの質はもっと上がるでしょう。その結果として、日本国民はソフト面でもっと強い社会をつくることができるはずです。『眞相はかうだ』の検証を『眞相はかうだ』の検証を 私が最初にやってほしいと願っているのは、NHK自身によって行なわれた、『眞相はかうだ』に関する検証ドキュメンタリー番組です。GHQが台本を書き、NHKが流した『眞相はかうだ』の内実をすべて検証してほしいのです。題名は「『眞相はかうだ』の真相」というのが面白いですね。 NHKは台本などの1次資料をすべてもっているわけですし、当時はGHQの命令に抗することができなかったという視点でもまったく構いません。それが事実だったのですから、そういう方向で検証すればよいのです。 しかしその一方で、『眞相はかうだ』が戦後日本人の歴史観に多大な影響を与えたという事実を、しっかりと指摘してほしいのです。『眞相はかうだ』はのちに書籍化されています。それはいま、国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」のデジタルデータになっており、ネットでも内容を読むことができます。本の制作者として、日本放送協会ではなく、「連合軍総司令部民間情報教育局編」ときっちりと書かれていて、誰でも無料で閲覧が可能です。 もし、NHK自身がそんな検証番組などつくれないというのであれば、民放でも構いません。NHKが映像や資料協力をするというかたちでもよいのです。 これができれば、「メディアにおける戦後」は初めて終わりを告げると思います。逆にいうならば、こういったものをつくれないうちは、日本のメディアはまだGHQの占領下にあるのに等しいのです。 まともなメディア人であれば、自分たちがまだ71年前の占領軍に思想を支配されているということに気付くはずです。自分の祖国である日本や、それを命懸けで守ってくれたご先祖様を貶める行為を無自覚のまま続けている事実に愕然とし、それを悔しいと感じるはずです。 WGIPは、メディアが国民に対して平気で嘘を語ることを覚えさせ、またそれを継続させてきました。いまこそ、高い意識をもつメディア人が立ち上がり、自らの意識がいまだにGHQに占領されている事実を悟り、それを克服していただきたいのです。若いプロデューサーのなかには優秀な人も多いのですから、ぜひ、それらをやっていただきたいと思います。ケント・ギルバート(Kent Sidney Gilbert) 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ生まれ。1971年に初来日。1980年、国際法律事務所に就職して東京に赴任。TV番組『世界まるごとHOWマッチ』に出演し、一躍人気タレントへ。最新刊は『不死鳥の国・日本』(日新報道)。公式ブログ「ケント・ギルバートの知ってるつもり?」で論陣を張る。関連記事■ 【危ない!韓国】日韓合意というデタラメ■ 韓国は日本のストーカーだ!■ 中国のチベット人虐殺こそ世界記憶遺産に登録せよ!

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    迎撃網は穴だらけ! 北朝鮮の脅威に自衛隊は無力なのか

    潮匡人(評論家)発射実験の域は超えた 8月24日早朝、北朝鮮が半島東岸から東北東に向け、新型SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)「KN11」(推定)を発射、約500km飛翔させ、日本の防空識別圏(ADIZ)内にあたる日本海上に着水させた。自衛隊による破壊措置は取られなかった。北朝鮮による潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の発射実験(撮影日時不明)。2朝鮮中央通信が4月24日に配信した(ロイター) 8月22日から始まっていた米韓合同軍事演習に北朝鮮は「敵に先制攻撃を加えられるよう決戦態勢を堅持している」、「我々の領土、領海、領空に、わずかでも侵略の兆候を見せれば、核の先制攻撃を浴びせ、挑発の牙城を灰の山にする」(軍総参謀部)と反発していた。 北朝鮮は昨2015年以降、SLBMの発射実験を重ねてきたが失敗を繰り返し、今年4月の飛翔距離も約30kmに終わっていた。ただ、これまで北朝鮮が公表した画像や映像が捏造でないなら、空中にミサイルを射出したあとに点火する「コールド・ローンチ」システムの運用に成功している。それも従来の液体燃料ではなく、不意急襲的な実戦運用に適した固体燃料が使用された可能性が高い。 それが7度目となる今回、飛翔距離が大幅に延びた。案の定「固体燃料エンジン」(金正恩・党委員長)が使用され、機体の1段目と2段目の分離にも成功した(と推定する)。しかも今回は「最大の発射角度で行なわれた」(同前)。通常の角度なら1000km以上、燃料を増やせば2000km以上飛んだ計算になる。深刻かつ重大な脅威である。 北朝鮮は8月3日にも半島西岸から弾道ミサイル「ノドン」(推定)を東北東に発射。約1000km飛翔させ、日本の排他的経済水域(EEZ)内に着水させた。今年3月にも一昨年3月にもノドンを日本海に向け西岸から半島を横断させ発射した。間違いなく「ミサイルの性能や信頼性に自信を深めている」(最新平成28年版「防衛白書」)。“二正面作戦”を強いられている自衛隊 ノドンは「我が国に対する安全保障上の重大な脅威」(防衛省)であり、防衛大臣は「引き続き、情報収集・警戒監視に万全を期せ」と指示したが、それは難しい注文である。 現にノドン発射の兆候すら探知できなかった。このため海自イージスMD艦も、空自パトリオット(PAC-3)ミサイルの事前展開も、「Jアラート」の発信もなく、政府は自衛隊に破壊措置命令を出すことすらできなかった。『毎日新聞』(8月4日付)紙上で「政府関係者」が語ったとおり「もし日本の領土まで飛んで」いたら「迎撃できなかっただろう」。 翌々日の8月5日には、中国公船が尖閣諸島周辺の領海に侵入。その後も、領海や接続水域への侵入を繰り返した。自衛隊は“二正面作戦”を強いられている。これほど深刻かつ重大な脅威が迫っているのに、NHK以下マスコミ報道の扱いは小さい。この間、テレビや新聞はリオ五輪関連のニュースで埋め尽くされた。 マスコミはノドンの着水地点を「秋田県沖」と報じたが、的を射ていない。標的は秋田県ではなく、青森県の米陸軍「車力通信所」であろう。車力は発射軌道の延長線上に位置し、早期警戒レーダー「Xバンド・レーダー」が配備されている。韓国への配備が決まった迎撃システム「THAAD(ターミナル段階高高度地域防衛)」のレーダーでもある。つまりTHAAD配備への反発に加え、実際に車力を攻撃するための発射訓練であった。もはや発射実験の域は超えた。私はそう考える。 もとより米軍は事態を深刻に受け止めた。米国から要請があったと聞く。日本政府は今後、自衛隊がつねに迎撃態勢を取れるよう、破壊措置命令を常時発令することとした(政府は発令を肯定も否定もしていない)。関連法の想定を超えた異常な発令だが、現行法令上なしうる実効的な対処はほかにない。憲法上、自衛隊は軍隊ではない。ゆえに根拠法令がなければ、迎撃はおろか出動すらできない。 今後は(非公表の)破壊措置命令を根拠として、迎撃ミサイル「SM-3」を搭載した海自のイージスMD艦や、空自のPAC-3が常時展開される。 だが現実問題、イージスMD艦は4隻しかない。定期的な点検や整備の必要上、同時に運用できるのは最大で3隻。そのうち1隻を訓練や演習に充てれば、残りは2隻しかない。じつは2隻あれば、ほぼ日本全域をカバーできる。……ひと安心、というわけにはいかない。なぜなら、MD艦の乗員とて人間だからである。当たり前だが24時間、365日は戦えない。2隻を常時展開するのは“机上の空論”にすぎない。ロフテッド軌道によって迎撃がより困難にロフテッド軌道によって迎撃がより困難に2007年2月、米軍嘉手納基地で配備が完了し、公開された最新鋭の地対空誘導弾パトリオット(PAC-3)(鈴木健児撮影) さらにいえば、空自のPAC-3による迎撃網も穴だらけ。海自のSM-3と違い、PAC-3の迎撃範囲は小さい。すべてフル可動させても日本列島をカバーできない。おそらく都心や米軍基地など特定の拠点防空に絞った迎撃態勢となろう。だとすると、大阪の空にも、名古屋の空にも穴が開く。 ならば、どうすればよいか。MD艦と、能力向上型迎撃ミサイル(SM-3ブロックⅡA)の整備を進める。加えてTHAADを導入する。それらが整えば穴は塞がるが、それは最短でも2年後以降。それまでは今後も脅威にさらされる。 ノドンに加え、「ムスダン」の脅威も忘れてはならない。いずれも日本を射程に収める弾道ミサイルだ。しかもTEL(発射台付き車両)に搭載され移動して運用される。ゆえにSLBM同様「その詳細な発射位置や発射のタイミングなどに関する個別具体的な兆候を事前に把握することは困難である」(白書)。 北朝鮮は今年4月15日にムスダンを初めて発射させ、失敗した。その直後、私は「今回は失敗したが、次は発射に成功すると想定すべきだ」、「最近の(中略)一部航跡がロフテッド軌道を辿った」、「意図的に高く撃ち上げた可能性が高い。どうやら北朝鮮は本気だ」と警鐘を鳴らした(「時事評論」5月20日号拙稿)。 6月22日、北朝鮮は再び(正確には6度目)ムスダンを発射。高度は1000kmを超え、約400km飛翔し、日本海上に落下した。最新版「防衛白書」を借りよう。《高い角度で発射され、通常の軌道に比べて高高度まで打ち上げる一方で、短い距離を飛翔させる、いわゆる「ロフテッド軌道」で発射されたものとみられる》 さらに白書はこうも注記した。「ロフテッド軌道により弾道ミサイルが発射された場合、一般的に、迎撃がより困難になると考えられている」 上述のとおり通常軌道でも迎撃網には穴が開く。「迎撃がより困難になる」ロフテッド軌道なら、どうなるか。具体的には海自イージスMD艦が搭載する「SM-3ブロックⅠAミサイル」の迎撃高度より、はるかに高い軌道を描く。そのため自衛隊による迎撃は不可能となってしまう。 そこで日米は現在、先述した「SM-3ブロックⅡAミサイル」を開発中だが、最短でも2018年まで配備できない。年内や来年に再発射があり、もしロフテッド軌道を辿れば、日本への着弾が現実の脅威となってしまう。仮に核弾頭が搭載されれば、被害は甚大となろう(詳しくは拙著『日本人が知らない安全保障学』中公新書ラクレ)。 こうした軍事技術の進展に加え、見過ごせない問題がある。再び白書を借りよう。「仮に北朝鮮がこうした弾道ミサイルの長射程化をさらに進展させ、同時に核兵器の小型化・弾頭化等を実現した場合は、北朝鮮が米国に対する戦略的抑止力を確保したとの認識を一方的に持つに至る可能性がある。仮に、北朝鮮がそのような抑止力に対する過信・誤認をすれば、北朝鮮による地域における軍事的挑発行為の増加・重大化につながる可能性もあり、わが国としても強く懸念すべき状況となり得る」金正恩がどう考えているか金正恩がどう考えているか 流行りの「地政学」を“客観”に依拠した分析とするなら、“主観”に着目した分析も忘れてはならない。その意味で右の指摘は重要である。ベストセラーの書名を借りれば、『世界は感情で動く』(モッテルリーニー・紀伊國屋書店)。北朝鮮もその例外でない。 実際に北朝鮮が核の小型化・弾頭化に成功したか、よりも、金正恩にどう報告され、彼がどう考えているか、のほうが重要である。もし彼が「過信・誤認をすれば(中略)強く懸念すべき状況となり得る」(白書)。第2次朝鮮戦争が始まるかもしれない。 今年1月の核実験に始まり、2月のテポドン2派生型の発射以降、多くの「識者」がメディアに露出し「北朝鮮はまだ核の小型化・弾頭化に成功していない」と解説したが、私はひとり異論を表明してきた(月刊『正論』拙稿など)。この点、防衛省の認識はどうか。最新版の白書はこう述べる。「北朝鮮が核兵器の小型化・弾頭化の実現に至っている可能性も考えられる」 昨年度版の白書はこう書いていた。「北朝鮮が核兵器の小型化・弾頭化の実現に至っている可能性も排除できない」 要は、この1年間の動き(と最新の『東アジア戦略概観』の表現)を踏まえ、防衛省として「核兵器の小型化・弾頭化」のプロセスが進んだ、つまり脅威が高まったとの認識を示したわけである。もし昨年の記述を踏襲すると“霞が関文法上”そうはならない。そこで微妙に表現を変えたのであろう。本稿執筆中の8月下旬現在、北朝鮮による核実験の兆候が伝えられている。はたして来年度版の防衛白書はどう表現するのであろうか。 話を戻そう。NHK以下テレビ御用達の「識者」らにより「北は弾道ミサイルの再突入技術をまだ獲得していない」とも解説された。しかし過去、北朝鮮はスカッドやノドン、テポドンなど弾道ミサイルの再突入を繰り返し成功させてきた。識者らは「高速で大気圏に再突入する弾頭を高熱から保護する技術はまだない」というが、惠谷治氏(軍事ジャーナリスト)と私は異論を表明してきた。専門にわたるので深入りしないが、ここでも先の“主観”に依拠した“感情論”が当てはまる。 つまり、実際に北が再突入技術を獲得したか、より、金正恩がどう思っているか、のほうが重要である。実際「獲得した」との報告を鵜呑みにした可能性が高い。専門的な技術論や地政学より、そのほうが重要な論点ではないだろうか。いつ何が起きても不思議でない 証拠を挙げよう。ムスダン発射の翌6月23日、北の朝鮮中央放送は「地対地中長距離戦略弾道ロケット『火星10』の試験発射を成功させた」と発表し、「高角発射(ロフテッド)体制」で行なわれたことや、「最大頂点高度1413・6km」まで上昇し、目標水域に正確に着弾させたことに加え、「再突入段階での弾頭の耐熱性と飛行安全性が検証された」と自画自賛した。現地視察を行なった金正恩は「太平洋の作戦地帯内の米軍を全面的かつ現実的に攻撃しうる確実な能力をもつことになった」と豪語した。潜水艦発射弾道ミサイルの実験を成功させた関係者らをたたえる金正恩朝鮮労働党委員長(中央)。朝鮮中央通信が8月25日に報じた(朝鮮通信=共同) たとえ客観的な事実がNOでも、金正恩がYESと考えているなら、「軍事的挑発行為の増加・重大化につながる」(白書)。そうである以上、いくらテレビ御用達の識者が技術的な問題点や地政学的な分析を披瀝しても議論の実益に乏しい。白書はこうも懸念する。「幹部の頻繁な処刑や降格・解任にともなう萎縮効果により、幹部が金正恩党委員長の判断に異論を唱え難くなることや、対南政策を担う統一戦線部の金養建(キム・ヤンゴン)部長が(中略)交通事故死し、後任には強硬派とされる金英哲(キム・ヨンチヨル)偵察総局長が就任したとの指摘もあることから、十分な外交的勘案がなされないまま北朝鮮が軍事的挑発行動に走る可能性も含め、不確実性が増しているとも考えられる」 昨年、(北朝鮮軍で対外工作を担当する)偵察総局の幹部(大佐)と、アフリカ駐在の外交官が相次いで韓国に亡命した(別途、2名の上将、中将と少将の計4名の将官も亡命)。今年4月には、中国のレストランで働いていた男女13人が集団で韓国に亡命した。8月17日には、駐英公使の韓国亡命も明らかになった。「今年に入って、北朝鮮のエリート層の亡命が相次いでいる。(中略)北朝鮮になんらかの異変が生じつつある」(8月23日付「産経抄」)。 これらは白書が懸念する「不確実性」の増大を強く示唆する。6月のムスダン発射、8月のノドン発射と今回のSLBM発射。それら発射の相次ぐ成功は「軍事的挑発行為の増加・重大化につながる可能性」(白書)を飛躍的に増大させた。 もはや、いつ何が起きても不思議でない。関連記事■ ついに領海侵犯した中国の「灰色の船」■ 放送法論争、国民は怒っている■ 「サンデーモーニング」の何が気持ち悪いのか

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    お飾りになった自衛隊 現役隊員は「国軍」である自覚を持て

    荒谷卓(陸上自衛隊「特殊部隊」初代群長)荒木和博(特定失踪者問題調査会代表)伊藤祐靖(海上自衛隊「特殊部隊」初代先任小隊長)(『自衛隊幻想 拉致問題から考える安全保障と憲法改正』第一章より抜粋)自衛隊は「抑止」の存在 荒谷卓(陸上自衛隊「特殊部隊」初代群長) 冷戦の間、ずっと日本は「抑止」だけできました。もっと言えば、日米安保があれば、日本は攻撃されることはないと考えてきた。日米安保は軍と軍の関係で成り立っています。だから自衛隊を保持しておくことが必要で、それによって日本の安全が保障されるということです。その意味で、自衛隊は「抑止」の存在であった。だから自衛隊が何かに対処する事態を、政府は具体的には検討していません。 仮にソ連が攻めてきたらどのように対処するか、どの程度の攻撃だったら日本は単独で持ち堪えられるのか、そういった検討をしていないのです。「基盤的防衛力構想」というものがありましたね。平成22年の防衛大綱改定で「動的防衛力」の構築に代わるまでは、「基盤的防衛力」という考え方で日本は防衛力を整備していました。「基盤的防衛力構想」は政府が説明しているように、具体的な想定に基づいて算出された戦力ではなく、必要な機能を最低限、持っておこうというものでした。「戦車がないのはおかしい」とか「戦闘機はあったほうがいい」とか、駆逐艦や補給艦などを一通り持っておくと、いざ本当に戦争になったときに、それをエクスパンド(増産)すれば対処できるという考えです。つまり、「基盤的防衛力構想」では、具体的な侵略などを想定して対処する戦力ではなかった。それは「防衛白書」でも説明しています。平成26年10月、航空自衛隊百里基地で行われた航空観閲式に出席した安倍晋三首相(手前) 荒木和博(特定失踪者問題調査会代表) 私が予備自衛官になった頃に、現役自衛官やOBと話をしていてショックだったのは、拉致問題を自分たちの仕事だと捉えている人がほとんどいなかったことです。「自衛隊が拉致被害者救出に向かうべきではないですか?」と聞いても「憲法上の制約がある」「自衛隊法の制約がある」と、あれが駄目これが駄目と言うだけでした。いい加減な人間がそう言うならまだ救いがあるのですが、すごく真面目な自衛官が「自分たちの仕事ではない」という話をするので、かなりショックを受けました。 自衛隊の中にも拉致問題を考えてくれる人はいますが、一所懸命考えすぎると、自衛隊の中にいづらくなるという矛盾もあります。極めて真面目な組織なので、命令があればどんな犠牲を払ってでもそれを行うでしょうが、その命令がないので拉致問題に関わってこなかったわけです。ちなみに、拉致問題対策本部の職員は各省庁からの出向です。防衛省からきても事務官で、しかも防衛とは関係のない業務をしている。自衛隊との連絡将校のようなことはやっていないわけです。 よく例に挙げるのですが、実は自衛隊がはじめて拉致問題に関わったのは、平成25年12月の北朝鮮人権侵害問題啓発週間です。拉致問題対策本部主催のコンサートがあり、海上自衛隊の歌姫こと三宅由佳莉三等海曹が歌を歌ったときがはじめてでした。そこには「拉致問題には自衛隊は意地でも使わない」という日本政府の意思を感じます。自衛隊の存在を忘れていたとか、なんとなく使わないのではなく、「絶対に使わない」という明確な意図があるようです。 吉本正弘さん(元陸上自衛隊特殊作戦群副中隊長、予備役ブルーリボンの会幹事)が第六章で「防衛白書」の北朝鮮の項目に「拉致」に関する記述がないと述べていますが、拉致問題を安全保障の問題だと認めると対処しなければならなくなるわけです。さらに、これまでの論理がすべて破綻してしまうから困るということなのではないでしょうか。拉致問題交渉の場に自衛官を参加させるべきだった 荒谷 田中眞紀子外務大臣のときに、「TCOG:3国調整・監督グループ」という日米韓の外交・防衛部門が集まって北朝鮮問題について議論する枠組みがありました。参加国の外交・防衛部門から代表が出るということだったのですが、日本は外務省だけで、防衛庁(現防衛省)は出席していませんでした。つまり北朝鮮問題は拉致問題も含めて、総じて防衛省は関係なかったのです。おかしいですよね。 ですから私は、会合に防衛庁スタッフも出席できるように田中外務大臣に直訴したら、田中さんは、「そうだったの、それはおかしいわね」と言ってくれましたが、そうしたら、外務防衛両高級官僚から「何を勝手なことをやってるんだ」とひどく怒られました。でも結局は、その会合に防衛庁側が出席してよかったし、出席しないのはおかしいわけですよ。北朝鮮問題に関して、防衛省は当事者になっていないんです。拉致問題だけでなく、いろいろな意味でミサイル防衛以外当事者ではない。 平成28年8月3日に、北朝鮮が日本の排他的経済水域(EEZ)、秋田沖に弾道ミサイルを撃ってきました。そういうミサイルに関しては対処しています。が、防衛というのは対処だけではなく、安全保障問題に平素から絡んでいくのが常識です。でも日本は対処だけ。他国の軍隊が襲ってきたときの対処、ミサイルが飛んできたときの対処というふうにしてしまっているから片手落ちです。日朝間の拉致問題の交渉の場に、制服を着た自衛官を参加させれば北朝鮮に対するインパクトは大きく変わってきます。 荒木 北朝鮮の弾道ミサイルに対して安倍総理は、「我が国の安全保障に対する重大な脅威であり、許し難い暴挙だ」と語ったそうですが、では何をするのかといえば抗議するとか日米韓の連携を強めるといった程度の話です。それなら「許すしかない暴挙だ」の方が適当なのではないでしょうか。本当に許し難いなら具体的な方策を取るのが当然で、それができないならそういう言葉を使うべきではありません。そもそも領土に着弾したわけでもないミサイルが「許し難い暴挙」なら拉致問題は何なのかと思います。 荒谷 せっかく安保法制で、国民の中にも「国は守らなくてはならない」「いざというときには軍事的な対応も必要」というような議論が行われる素地ができてきたのです。もういい加減に、「危険だと判断されれば自衛隊は出さない」とか「後方支援は戦闘ではない」というくだらない議論をせず、「どんな目的でどういうときにどの程度の軍事力を使うことを国民は是とするか」という真面目な議論ができる場をつくっていかなければいけない。 おそらく多くの国民は、すでにそのような議論ができるようになっています。いい加減、馬鹿な議論はやめてくれ、と国民は思っているのではないでしょうか。だから拉致問題も、どうやって自衛隊を使うべきか、その条件がどこにあるのかを議論すればいい。それを本書ではシミュレーションしましたので、叩き台にしてもらえればいいと思います。拉致問題を知らない自衛隊拉致問題を知らない自衛隊 荒木 「予備役ブルーリボンの会」のシンポジウムで伊東寛さん(陸自初のサイバー戦部隊「システム防護隊」初代隊長、現在は経済産業省サイバーセキュリティ・情報化審議官)が、自衛隊には拉致問題に対する危機感がまったくないと指摘されていました。伊東さん自身も二七年間、自衛隊にいて任務に非常に真面目に励んでいたけれども、拉致問題について考えたことがなかった、どこか他国の人の話のように遠く感じていたといいます。 伊東さんは情報関係の部門にもいたので、拉致問題を知らなかったわけではありません。実は非常によく知っていたけれども、それを自衛官の問題として捉えることはなかったというわけです。自分が拉致問題を解決するために汗をかくということを、当時は考えつかなかったという。そしてシンポジウムではこう述べておられます。「私は自衛官として、戦争に備えていると思っていたけれども、すでに日本は戦争をしていたのかもしれない、自分の国の国民が外国の勢力に捕われてしまっているのは、すでに戦争かもしれないと気がつきました」米陸軍(手前)とともに訓練開始式に臨む陸上自衛隊員=2015年12月5日、兵庫県伊丹市の陸上自衛隊伊丹駐屯地 また、伊東さんは普段からブルーリボンバッジをつけていますが、防衛大学校の教授をしている後輩と食事をしたときに、「先輩、そのバッジは何ですか」と訊かれたといいます。防大の教授で、制服自衛官が、ブルーリボンバッジを知らなかったというわけです。伊東さんはすでに民間人なので、彼に「馬鹿野郎!」とは言えなかったそうですが(笑)、丁寧に説明して、自分のバッジを外して彼にあげた。そして、「あなたは防大の先生なのだから、明日からバッジをつけて歩け。おそらく防大生のほとんどがブルーリボンを知らず、『それは何ですか』と訊いてくるはずだから、そうしたら説明しろ」と言ったというわけです。伊東さんは、拉致が犯罪だと思っていたら解決しないと言っておられましたね。 北朝鮮による日本人拉致とは何なのか。普通の国の情報機関が行うような拉致は、その対象が要人などになります。が、北朝鮮はそのようなものではなく、基本的には山賊のやっている人さらいと同じ。そういう意味でいうと北朝鮮による拉致を表現するのは難しいものがあります。日本国内で北朝鮮が行ったことに関しては犯罪ですし、テロという側面もある。山賊が国を運営していて、その国の意思として日本人を拉致したわけですから、そういう意味では戦争ということになりますね。 伊藤祐靖(海上自衛隊「特殊部隊」初代先任小隊長) 私は何でもいいと思うんですよ。自分の国から国民をかっさらっていった奴をどう表現しようがね。犯罪者だろうと敵だろうと、山賊だろうと、何でもいいから、取り返すという話です。テロだろうが戦争だろうが、何かの表に照らし合わせれば拉致はそのうちのどれかに当てはまるのかもしれませんが、その表をつくるよりももっと大事なことがある。 荒谷 私は北朝鮮による拉致とは、少なくとも警察だけが対処する治安上の問題ではないし、外務省だけが対処する外交上の問題ではないと思います。その拉致にどう対処するのか、それを日本政府が決めればいいだけです。 荒木 平成11(1999)年、伊藤さんがイージス艦「みょうこう」に航海長として乗っていたとき、能登半島沖での北朝鮮工作船への対処で、日本初の「海上警備行動」の発令がありました。拉致被害者が乗っている可能性があることを前提としての命令は、そういう意味では日本としてはかなり明確な意思表示だったのでしょうか。現役自衛官は拉致問題に関心が薄い 伊藤 その命令はなかったですね。「拉致被害者が乗っている可能性があるから何々せよ」という命令はなかった。自衛隊得意のアクションだけです。「何々だから何々せよ」は、やはりなかったのです。「みょうこう」に乗っていた我々自衛官が「拉致被害者が乗っているんじゃないか」と思っただけです。我々はあの北朝鮮の工作船の中に日本人がいる可能性が非常に高いと考え、日本人が乗っていることを前提に任務遂行を考えました。 少なくとも私はいままで、上級司令部からの「拉致被害者が乗っている可能性があるので何々を行え」という命令は、見たことも聞いたこともありません。ただ、私も船乗りだったときは拉致問題に限らず、正直に言って、突き詰めて考えてはいませんでした。まだ二〇代から三〇代前半だったので若く、目の前の業務に追われていたわけです。自衛隊のやることなすことには根拠法規がある。だから船乗りだったときは、この業務を年に何回しなさい、というような決まりがあって、スケジュールを組んで、それをこなすことが真面目だと思っていました。 しかし、能登半島沖事案をきっかけに特殊部隊を創設した頃になって振り返ってみると、自分は真面目ではなかったと気がつきましたね。何をすべきかを何も考えていないなんて、頭がどうかしていました。先ほどの荒谷さんの話にもありましたが、その原因は何なのかと言うと「このために行ってこい」というのがないんです。つまり、目的がない。平成19年3月31日、陸上自衛隊中央即応集団の編成祝賀式に黒い覆面姿で出席した特殊作戦群隊員=東京都練馬区の朝霞駐屯地 荒木 私は平成15(2003)年、技能公募の予備自衛官補に応募し、10日間の訓練を終えて予備自衛官に任官しました。そのとき、現役の何人もの方から「ともかく失望しないでくれ」と言われ、最初は何を言われているのかわからなかったものです。予備自衛官は年間5日間の訓練に出頭します。任官して最初の訓練に行くと、その班の方は真面目な方々でした。しかし後で聞いてみると、最近は厳しくなったものの、昔は訓練に来ても昼は熱発(発熱のこと)就寝で訓練に参加せず、夜になるとどんちゃん騒ぎをしてそれを5日続け、手当てをもらって帰るというのが普通だったということでした。 予備自衛官制度は「とにかくあればよいだろう」ということだったのだと思います。一応揃えておいて、最低限のことをやっておく。しかし、それは3・11で激変しました。それまでも少しずつ変化していましたが、あのとき明確に変わりました。3・11のときには翌日に私のところにも連絡があり、災害派遣に行けますかという声がかかりました。いつでも行くと答えて、大学で当時の渡辺利夫学長に事情を説明し、場合によってはご迷惑をおかけしますと言ったものです。学長は理解のある方で、「よしわかった、私が責任をとるから行ってきてくれ」と言われました。結局は招集はかかりませんでしたが、そういうことがありました。だんだんと変わってきていることは間違いありません。よい方向に進んでいます。しかし、その後押しをする世論が内外に向けて必要です。 荒谷 現役自衛官が、拉致問題に対する関心が低いのではないかという指摘は、確かにその通りだと思いますし、一国民として関心を払うべき重要なことだと思います。ただ、自衛官の心情によって自衛隊が実力を行使するようなことは当然あるべきではありません。自衛隊を運用するためには、国家意思が絶対的に必要です。そして、国家意思の決定には国民の意思が必要です。自衛隊は自国の主権、領土、国民を守る実態と実力が必要 戦後の日本はずっと「我が国防衛」のために自衛隊は存在するのだと言っていました。でも実際は、我が国防衛すらしていなかった。していないと言い切るのは極端かもしれませんが、先ほど述べたように基盤的なことしかやっていなかったのです。だから何かあったときには「超法規でもいいからやるぞ!」という、現場にはそういった気持ちを持っている人もいます。装備が少なかろうが、敵が来たらやるしかないと考えている自衛官がいます。 しかし、全体を見ると、やはりやれないんですよ。平成15年まで、有事法制すらありませんでした。しかも、できた有事法制も信号機が赤でも行っていいとか、その程度のものです。なぜそのようなことになるのか。先ほどの話に戻りますが、国全体の理念の準備ができていないからです。まず、自国の安全と防衛を自分達で果たそうという国民の意識、政府の意思が必要なのです。 そして自衛隊は「国軍」である以上、自国の主権、領土、国民を守る実態と実力が必要。その次の段階として、国際的な軍事活動にどんな目的でどの程度参加すべきか、可能性と必要性を考えるという段取りですよ。その中で、アメリカの要求に対して日本はここまで応えましょう、ここから先はやらないという議論ができるようにならなくてはいけない。 つまり、アメリカの国益と日本の国益はどこまで重なっているのかをよく見極め、「トランプ候補がアメリカの大統領になったら、日米の国益が重なるかわからない」などという前に、自国と自国民の安全と防衛は自分の責任で果たすという自覚が必要です。

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    南シナ海環礁で暴走する中国 止められるのは日本しかない

    香田洋二(元自衛艦隊司令官)中国に対する国際社会の厳しい反応 2015年5月21日、米CNNテレビは南シナ海上空を飛行する米海軍P8哨戒機に同乗取材して中国によるサンゴ礁(環礁)埋め立ての様子を放映し、全世界の注目を集めた。これは9日後、シンガポールで開かれたアジア安全保障会議(シャングリラ対話)における米国防長官による埋め立て即時中止要求と中国人民解放軍参謀副総長の強固な反論の応酬へと続き、米中関係緊張に発展した。また6月8日の主要7カ国首脳会議(G7サミット)首脳宣言には「威嚇、強制又は武力の行使、大規模な埋立てを含む現状の変更を試みるいかなる一方的行動にも強く反対」という文言が盛り込まれ、本件に対する国際社会の厳しい反応を中国に突き付けた。 報道によると、南シナ海・南沙諸島(スプラトリー諸島)の環礁7カ所で中国による埋め立てが行われている。最初に埋め立ての事実を公表したフィリピン政府の資料写真からは、遅くとも2013年後期に埋め立てが開始されたと推察される。中国はその後約2年間にわたり環礁の埋め立てをひそかに進めてきたが、今次報道を契機にその活動が明らかになった。南シナ海のスプラトリーで警備する中国人民解放軍の海軍兵士(新華社=共同) 中国は近年、南シナ海中央部を覆う「九段線」を持ち出して、その海域の全ての島々の領有権を含む独占的な権利を主張している。 第2次世界大戦後、同海北部の西沙諸島(パラセル諸島)は南ベトナムと中国が領有権を争ったが、ベトナム戦争末期、1974年の両国交戦の結果、南ベトナムが駆逐され中国が実効支配を確立した。 その後の南北ベトナム統一を経て、西沙諸島はるか南方にある南沙諸島では、1988年の越中軍事衝突の結果、中国が一部の岩礁や岩を手にした。これらは高潮時には水没するなど、国連海洋法条約(UNCLOS)では領海などの基点とならないものであった。しかし以前は活用可能な2万平方メートル以上の地積を有する南沙諸島内の13島全てをベトナム(越)、フィリピン(比)、台湾(台)、マレーシア(馬)が実効支配し、同海域での活動拠点を全く保有していなかった中国が小なりとはいえ岩や岩礁を獲得して、同諸島への侵出の足掛かりを得た意味は大きかった。 同時に、同諸島で軍事拠点を有しない中国にとって、本格的な「島」の獲得は最優先事項であった。ただ、越、比、台、馬が実効支配し小規模ながら滑走路も有する南沙主要4島に対する軍事侵攻は乱暴すぎる上、国連安保理常任理事国の行動としても受け入れられないことは明白である。そこで中国が採った次善の策が、巧妙な主張で自らの正当性を主張できる環礁の埋め立てであった。軍事バランス、中国優位に傾斜軍事バランス、中国優位に傾斜 中国の南シナ海侵出の策源地(後方基地)は海南島の三亜で、最新設備を有するアジア最大の海軍基地のほか、空軍基地も所在する。三亜の南東約700キロメートルの西沙諸島にウッディー島がある。同島は、埋め立てによる2500メートル級滑走路を有する飛行場と大型艦船が寄港可能な港湾を擁する前進拠点である。これに対し、拠点を有しない南シナ海中・南部における中国軍のプレゼンスの現状は、海軍艦艇の限定的な展開にとどまっている。 中国の環礁埋め立ては、南沙諸島のファイアリー・クロス礁(以後ファイアリー礁)をはじめ、同礁を中心とする半径約200キロメートル圏に所在する7つの環礁で進められており、間もなく完了するとしている。ファイアリー礁には3000メートル級滑走路と並行誘導路、エプロン、燃料・弾薬施設などを含む航空施設と十分な能力を有する港湾施設が建設される公算が高い。他の6つの環礁はファイアリー礁の出城的な位置付けで、周辺海空域の監視・早期警戒および防御機能を提供する。 全てが完成するとウッディー島の南約900キロメートルの南沙諸島に有力な艦艇・航空基地が出現することになり、中国の南シナ海支配は、今までのウッディー島という「点」から、ファイアリー礁とを結ぶ南北の「線」へと移行する。これだけでも南シナ海における軍事バランスが中国に大きく傾くことは明白であり、最近の米国の対中強硬姿勢はまさにこの点を強く警戒したものである。 国際社会が将来の埋め立てを阻止できない場合、南シナ海東部のマニラ沖に位置し、2012年以降中国が実効支配しているスカボロー礁の埋め立てと軍事基地化が大きな懸案となる。これが実行された場合、ウッディー島、ファイアリー礁、そしてスカボロー礁を結ぶ一辺650~900キロメートルの三角形の中国支配海空域が南シナ海に出現することから、沖縄以西の広大な海域に本格的な作戦基地を有しない米国にとって極めて深刻な事態となる。 環礁の埋め立てとその基地化は、南シナ海の米中軍事バランスの変化に加え、三亜配備の戦略原子力潜水艦の活動範囲が太平洋およびインド洋へと拡大し、米中戦略核均衡に重大な変化をもたらすなど、地域安全保障に与える影響は極めて深刻である。 政治、経済面では、①九段線内側海域の支配という国際規則を無視した独善的な主張が容認され、人類の繁栄を支えてきた国際海洋秩序が大混乱に陥る②中国は「力による現状変更」という冒険主義信仰を強め、地域の安定が大きく損なわれる事態を引き起こす③人類の普遍的権利である「航行の自由」が、南シナ海において中国の意図により管制・制約される事態を生起する、などの深刻な悪影響が懸念される。日本の採るべき方策日本の採るべき方策 中国による南シナ海の軍事拠点化は、日本の安全保障のみならず国家活動の全分野に影響を与える。日本は国際規範を無視した中国の活動を中止させることに全力を傾けるべきであるが、南シナ海を核心的利益と位置付ける中国にとって、同利益を担保する「埋め立て」は取り下げにくい案件であることも容易に想像できる。 その前提で、中国の独善的活動を封殺し冒険主義を抑制するためには、政治・外交上の措置および並行した「能力」構築が必要である。その能力の二本柱が米軍のプレゼンスおよびそれを支えるわが国の努力である。 米軍は既に、アジア太平洋重視のリバランス(再均衡)政策を具現するため、太平洋軍への兵力増配や運用体制の強化、そして地域諸国との軍事関係緊密化などの方策を実行している。朝鮮半島の現状から、南シナ海の情勢変化に対応する部隊は在韓米軍ではなく、在日米軍および米本国から展開する米軍である。日本は米軍部隊のプレゼンスを支えるとともに、危機および有事においては作戦行動に従事する米軍部隊との共同強化も含め、全面的に自衛隊が支援する体制の構築が必須となる。 「盾と矛」に例えられる自衛隊と米軍の戦略的任務分担の下、日本には弾道・巡航ミサイル防衛から島嶼(とうしょ)防衛までの国土防衛、そして自国生存と米軍来援を保障する海上交通保護の両任務を確実に果たすことが求められる。この際、米軍は対中戦略打撃を主任務としつつ南シナ海などの任務も並行して遂行することから、この面の日米の戦略整合が鍵となる。南シナ海のスプラトリー諸島で巡回警備する中国軍兵士 日本がなすべきことは、中国軍に対し有効に機能する自衛隊の国土防衛と西太平洋における海上交通保護作戦能力を高め、それにより米軍部隊の他地域への展開(オフセット)を可能にすることである。このオフセットにより米軍の対中作戦の柔軟性は大きく向上し、抑止力が強化される。最近国会などで議論になっている南シナ海の警戒監視は、米軍の主務としつつ、困難な場合に限り自衛隊が実施することが日本の国情に合致する。 中国の南シナ海進出の背景に沿岸諸国、特に比、越の海洋能力の著しい不足がある。また、沿岸諸国全般の貧弱な海空領域認識(AMDA: Air and Maritime Domain Awareness)能力の向上は焦眉の急である。同時に、各国の資源投入が極めて限定されることから、広大な海空領域の情報収集・共有メカニズム構築における日米の役割は極めて大きい。  中国は対外戦略の中で米国を対極として意識している。中国は米国の実力を知り、将来の競争を予期するからこそ、「域外国」米国による「域内問題」である南シナ海問題への干渉を嫌うのである。 南シナ海問題を含む中国問題の解決は政治・外交などの非軍事分野を柱とすべきであるが、その活動は防衛・軍事能力によって支えられる。上述した米軍の確実な関与と沿岸国の能力向上があって初めて、中国は「ようやく」そして「真剣に」南シナ海問題協議のテーブルに着くであろう。米国および沿岸国を支える意味で、南シナ海問題に係る日本の役割は極めて重大である。 こうだ・ようじ 元海上自衛隊自衛艦隊司令官(海将)。ジャパンマリンユナイテッド顧問。1949年徳島県生まれ。1972年防衛大学校卒業、海上自衛隊入隊。1992年米海軍大学指揮課程修了。統合幕僚会議事務局長、佐世保地方総監、自衛艦隊司令官などを歴任し、2008年退官。2009年から2011年までハーバード大学アジアセンター上席研究員。

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    一色正春が読み解く尖閣史、日本はいつまで中国の侵略を許すのか

    一色正春(元海上保安官) 平成28年8月5日午後、中国海警局の巡視船2隻と中国漁船6隻が沖縄県石垣市にある尖閣諸島の我が国領海内に侵入しました。日本国外務省によると、中国の公船と漁船が同時に尖閣諸島の領海に侵入するのは、これが初めてだということで、この行為によって中国が尖閣諸島に対するアプローチを一段階レベルアップさせたことは間違いありません。 中国のこのような動きに対して多くの識者が、彼らの狙いは尖閣諸島海域で中国公船が自国の漁船に対して法執行を実施し、それをもって司法管轄権を行使したという既成事実を作ることだとみているようですが、改めて1970年代から始まった中国の東シナ海における一連の動きを振り返ってみると、どうも中国にはそれ以外の目的があるのではないかと思えるようになってきました。度重なる日本の抗議に対して一向に態度を改める素振りすら見せない中国、その真の狙いはどこにあるのか。その説明の前に、過去に中国が東シナ海で行ってきた主な侵略行為について簡単に振り返ってみましょう。尖閣諸島周辺の接続水域を航行する中国公船や漁船と、海上保安庁の巡視船(左端)=8月上旬(海上保安庁提供) 中国が正式に尖閣諸島の領有権を主張し始めたのは沖縄返還直前の1971年ですが、その後、暫くは大きな動きはなく、最初に大々的な動きを見せたのは1978年の4月で、山東省と福建省の海軍基地から指令を受けた百数十隻の武装漁船が尖閣諸島沖に押し寄せ、約1か月間にわたって入れ代わり立ち代わり日本の領海内で違法操業を繰り返し、海上保安庁の巡視船が近寄ると銃口を向けて追い回すなど乱暴狼藉を繰り返しました。 この時期は日中間で平和友好条約の締結交渉が行われており、日本では当時健在だった自民党保守派が尖閣諸島の帰属を明確にすべきであると主張し、条約締結に前のめりになっていた福田首相(当時)をはじめとする親中派との間で綱引きが行われていました。一説によると、これに危機感を持った中国が実力行使に出たという話ですが確証はありません。 いずれにしても普通の国であれば武力衝突に発展しかねない事態で、少なくとも条約交渉が白紙に戻っていたとしてもおかしくないのですが、なぜか、その後の展開は結果的に中国の威嚇に屈する形で同年8月に日中平和友好条約が締結され、その後、当時中国の最高実力者であった鄧小平が一方的に棚上げ論を発表しました。尖閣諸島が注目されるようになってから、この話を持ち出して日中間に棚上げの密約があったという人もいますが、当時の中国には海軍と呼べるものや、日本に圧力をかけることのできる経済力もなく、日本が唯一対抗できない核兵器も冷戦時代だったのでアメリカの核の傘の威力が十分に及んでおり、日本に密約を結ぶ理由など何一つありませんでした。 ですから、翌1979年の5月に日本の海上保安庁が魚釣島に仮設のヘリポートを造り、沖縄開発庁が調査団を派遣しています。仮に密約があったとすれば、日本政府が約束をして一年も経たないうちに、このような行動をとるはずがありませんし、中国が猛烈な抗議を行っているはずですが、中国外務省の局長が日本の大使に「日中関係を損なわないよう大局的立場から対処することを望む」と口頭で伝えた程度の抗議しか行っていません。しかし、これも不思議なことに中国に対して過剰に配慮した政府内の勢力(外務省と言われている)により、仮設ヘリポートはすぐに撤去されました。(一説によれば、本当は撤去されていないという話もあります) 次は、その14年後の1992年に中国は尖閣諸島が自国の領土であると明記した中華人民共和国の領海及び隣接区法(領海法)をという法律を作り発表しました。2012年の9月に日本が尖閣諸島の3つの島を国有化したと言って大騒ぎしましたが、実はその20年も前に中国が先に国有化していたのです。この時、中国は鄧小平が自ら語った棚上げ論を破棄して国有化しているのですから、日本政府は棚上げ論に合意していない立場であってもそれを非難し、棚上げ論の無効を確認しておくべきでした。 そして、それとは別に主権が侵されたことに対して断固とした抗議を行い、灯台等の施設を建設するなど然るべき対抗措置を取るべきだったのですが、形だけの抗議を行っただけ終わりました。しかも、その年の秋に天安門事件が原因で国際的に孤立していた中国に対して、まるで中国による尖閣諸島の国有化が何の問題もなかったかのように初の天皇陛下御訪中という最大級の援助を行い、中国側に日本が尖閣諸島を重視していないかのような印象を与え、結果として中国に領土拡張の野心を抱かせてしまいました。ちなみに台湾は2004年の 1月に魚釣島の土地を登記 しています。 その12年後の2004年3月には中国人活動家7名が尖閣諸島海域を領海侵犯し魚釣島に不法上陸しました。この時に現場で警備にあたっていた人から私が直接聞いた話では、海上保安庁は海上で活動家たちを停船させて島への上陸を阻止できたにもかかわらず、誰に対しての配慮かわかりませんが日本政府は敢えて活動家たちを上陸させたそうです。その結果、彼らは戦前、島に日本人が住んでいた証拠を隠滅するため尖閣神社などの貴重な遺跡を破壊しました。 ガス田開発で中国に無視された日本 普通に考えれば、これらの行為は「入管法違反」「器物損壊」の疑いが濃厚であるため、上陸した活動家を逮捕起訴し、裁判にかけるべきなのですが、なぜか日本政府は彼らを罪に問うことなく帰国させました。この時、日本が尖閣諸島に上陸した中国人を裁判にかけて不法入国の罪で有罪にしていれば、彼らの尖閣諸島に対する領有権を真っ向から否定する形で日本が自国の領土で中国人に対して法執行を実施した既成事実となり、日本の領有権を全世界に示すことができただけではなく、その後の不法上陸に対する抑止力になっただけに惜しいことをしました。 この事件と因果関係があるか否かはわかりませんが、この8か月後に中国の原子力潜水艦が潜航したまま石垣島周辺の日本の領海を航行しました。これは国連海洋法条約第20条に明記されている潜水船の海面上航行義務に違反した明白な領海侵犯であったにもかかわらず、この時の日本政府は潜水艦が領海を通過した後にようやく海上警備行動を発令し、普通の国であれば行うであろう警告射撃等の威嚇を行わず(行えず)、ただひたすら潜水艦を追尾するだけで実質的に何もしませんでした。この事件が中国に対して自衛隊は何もしてこないという認識を持たせ、後の航空機異常接近や火器管制レーダー照射に繋がっていったのかもしれません。 話は前後しますが2004年6月、中国は東シナ海の真ん中にある白樺ガス田の本格開発に着手しました。日本政府は白樺ガス田が海底で日本側のガス田に繋がっている恐れがあるとして、中国側に開発の即時停止とデータの提供を求めましたが無視されました。そこで2005年5月に故中川昭一経済産業大臣が帝国石油に試掘権を付与したのですが、彼が7か月後に退任した後は、誰も実際に試掘を行おうとはせず、日本政府は東シナ海のガス田に関して目に見える成果を何一つ残すことなく今に至っています。中国が埋め立て、格納庫を建設する南シナ海・南沙諸島のミスチーフ礁=2016年7月(CSISアジア海洋透明性イニシアチブ・デジタルグローブ提供・共同) 中国は度重なる日本の要求に応じて2008年6月にようやく東シナ海のガス田に関する日本との会談に応じましたが、日本政府が中国に対して日中いずれの排他的経済水域であるか確定していない海域のガス田全般について共同開発を求めたのに対して、中国は「中間線より日本側の共同開発には応じるが中間線より中国側に関しては資金提供しか応じない」という明らかに不平等な提案を持ちかけてきました。それに対して、何とか目に見える成果を残したいと焦る日本政府は中国の一方的な言い分を飲む形で「東シナ海における日中間の排他的経済水域の境界画定が実現するまで単独で採掘しない」「今後も引き続き協議を継続していく」との合意に至りました。 しかし、合意からたった半年後の年が明けた2009年1月に中国が樫ガス田で合意違反の単独開発を行っていることが確認されました。ガス田の開発というのは長い時間をかけて準備をしなければならず、思い立ってすぐに出来るものではありません。つまり、中国は最初から約束を守るつもりなどなかったのです。外務省は、今なお中国に対して協議に応じるよう呼びかけて共同開発を行うべく努力しているようですが、中国が沖縄トラフまでが自国の海だと思っている以上は、日本側が思い描いているような対等の共同開発などできるはずもなく、日本が主権の一部または全部を放棄し中国に対して大幅に譲歩する形でしか共同で開発など出来ません。 この問題に関しての中国の言い分は「自分たちが日中中間線の中国側で採掘するのは構わないが、日本は中間線の日本側といえども単独で開発するのは許さない」という滅茶苦茶自己中心的な理屈です。日本は中国が自分たちの思う通りに協力してくれるかもしれないなどという淡い希望を抱くのではなく、この厳しい現実を受け止めて自国単独で開発するしか彼らに対抗する方法はありません。中国の主権侵害に対策を取らなかった日本 そして2009年12月に中国は中華人民共和国海島保護法(海島保護法)を制定し、東シナ海と南シナ海にある中国領内の全ての無人島が国家に帰属し、それを軍が管理することを明文化しました。要するに中国は自国の艦船が尖閣諸島の日本領海内で自由に行動し法執行を行う根拠となる国内法を定めたのですが、この時も日本政府は、このような重大な主権侵害に対して何ら有効な対応策を取りませんでした。 そして年が明けて、この法律が3月に施行されると東シナ海において中国のやりたい放題の乱暴狼藉が始まりました。まず4月8日に中国海軍の艦載ヘリコプターが東シナ海の公海上で海上自衛隊の護衛艦に異常接近するという挑発行為を行いましたが、時の日本政府は事の重大性を理解できなかったのか、抗議するか否かということを4日間かけて慎重に検討した挙句、12日にようやく中国側に抗議ではなく事実確認を求めるという間の抜けた対応で、しかもその翌日にワシントンで鳩山首相と胡錦濤国家主席(いずれも当時)が日中首脳会談を行ったにもかかわらず、鳩山首相は抗議するどころか、この問題に全く触れませんでした。 すると中国は約2週間後に前回を上回る悪質な挑発行為を行ったので、さすがに日本も抗議したのですが、それに対して中国政府は「日本側の警戒監視活動に対する必要な防衛措置だ」と木で鼻を括った様な反論をし、国営新華社通信系の国際先駆導報は「日本は中国の軍艦が頻繁に外に出ることに慣れるべきだ」と反対に日本を窘めるかのように報じました。日本はこのように中国から約束を破られ、武力で威嚇されたにもかかわらず翌月の2010年5月に鳩山首相(当時)は白樺ガス田への出資を温家宝首相(当時)に約束しました。 この2010年という年は、このようにはっきりと目に見える解り易い事件だけではなく、一般の国民が普段目にすることのない出来事が飛躍的に増えた年で、その数字を見れば明らかに中国の日本に対する侵略の度合いが2010年にレベルアップしたことがわかります。そのうちの一つが尖閣諸島周辺海域における海上保安庁の外国漁船に対する退去警告件数と立ち入り検査数です。海上保安庁の立ち入り検査というのは、大雑把に言えば警察官が路上で行う職務質問と同じようなもので、通常は違反行為を行っている疑いのある船に対して行うのですが、尖閣諸島沖の我が国領海内においては少し違います。 この海域で巡視船や航空機が中国漁船の違法操業を発見した場合、本来は直ちに立入検査を行い違法操業の容疑が固まれば現行犯逮捕するところなのですが、巡視船が漁船に対して領海外に退去するよう船外マイクなどで指導するだけで済ますのが通例になっていました。(その数が退去警告件数)それは中国漁船体当たり事件の動画を見れば良く分ります。一回目の衝突の前に海上保安庁の巡視船が網を入れている中国漁船に対して網を揚げるよう船外マイクで指示し漁船が停まり網を揚げ始めましたが、巡視船は漁船の周りを回るだけでビデオ撮影以外は何もアクションを起こしていません。 漁船は網を揚げるときには網の抵抗を減らすために停船します。普通に考えればわかる通り相手船が動いているときより停まっているときの方が乗り移りやすいので、通常、違反船を検挙する場合は、そのタイミングで海上保安官が漁船に移乗するのですが、そんな気配は映像から全く感じられません。漁船の乗組員も海上保安官が乗り込んでくることを全く想定していないかのように、のんびりと網を揚げており、双方ともに緊張感がないのは2回目の衝突直前の雰囲気と比べれば良く分かるかと思います。2010年に激増した退去警告件数 つまり、この海域では中国漁船が犯罪行為を行っても海上保安庁の巡視船は注意するだけで済まし、彼らを捕まえて処罰を科すようなことはしてこなかったということで、あの漁船も、あのまま領海外に退去していれば立ち入り検査を受けることも何の御咎めもなかったのです。これは、おそらく中国に対する日本の過剰な配慮が原因であると思われますが、本題からそれるため、そこは詳しく説明しません。話が長くなりましたが、要は尖閣諸島付近で立入検査が行われるのは中国漁船が犯罪行為を行い、かつ巡視船の指導に従わないというような悪質なケースに限られるということです。その前提で海上保安庁が発表した年ごとの数字を見ると 明らかに退去警告件数と立入検査数の双方が2010年に激増しています。もう一つの数字が航空自衛隊の中国機に対する緊急発進(スクランブル)の数ですが、これも表を見ていただければわかる通り2010年に飛躍的に増加しています。ここまではっきりとした数字を見れば、中国が国家の意思として海と空の両方で尖閣侵略の度合いを強めていることは明白で、そのきっかけが3月に施行された海島保護法だと考えるのが普通でしょう。 そして、このような流れの延長線上にあるのが2010年9月に起こった中国漁船体当たり事件です。しかし当時、マスコミや多くの識者の間には、このような背景があるにもかかわらず、それを深く掘り下げることなく、当初は「ただ単に中国漁船と巡視船が衝突しただけの事だから対立を煽りたてるな」というような抑制的な意見が多数を占めていました。日本政府も中国漁船の船長を一旦は逮捕したものの、当初から弱腰で普通の漁船ではないことをうかがわせる物証があったにもかかわらず船長以外の乗組員と漁船を早々と返した挙句、結局は中国の圧力に耐えかね検察に責任を押し付ける形で中国漁船の船長をチャーター機で帰国させるという大失態を演じました。尖閣諸島周辺を航行する中国海警局の船=8月8日(第11管区海上保安本部提供) その結果、中国が嵩にかかって日本を責めたてただけではなく、台湾の抗議船が自国の巡視船12隻を引き連れて尖閣諸島の接続水域まで接近し日本の海上保安庁の巡視船と睨みあいになったり、ロシアのメドベージェフ大統領(当時)が国後島に不法上陸したりするなど、日本はやられ放題でした。こうなってくると中国は自分たちの野望を隠すこともしなくなり、日中合意に反して白樺ガス田の単独採掘を開始し、10月になると中国国家海洋局南海分局局長が「今後5年間で30隻の巡視船を建造する」と発表しました。今、尖閣諸島付近海域に多数の中国巡視船が押し寄せて我が国領海を脅かしていますが、日本政府が発表した今年8月に尖閣諸島周辺海域で確認された中国公船20隻のうち13隻が、1000トン以上の大型船に限れば10隻中8隻が2010年以降に建造された船です。そうなのです、今日の事態は、この時から計画されていたのです。 しかし、2010年にあれほど攻勢を強めていた中国ですが、年が明けて2011年になると3月に東日本大震災が発生したためか、比較的目立たない日本の排他的経済水域での測量行作業は依然として継続していましたが、8月まで特に目立った動きはありませんでした。ところが中国は前年同様、与党民主党の代表選の最中に公船の領海侵犯という大きな観測気球を打ち上げてきました。 前年の漁船体当たり事件が投票日の1週間前、この時の公船領海侵犯が投票日の5日前であるということは偶然と考えるより、中国が敢えて与党代表選挙の最中を狙って攻撃してきたと考えるのが普通なのですが、いずれの代表候補者も、これらの問題を重視することも国家安全保障について熱く語ることもありませんでした。その一方で関係者の間には「中国の尖閣諸島に対するアプローチが一段階レベルアップした」と大きな衝撃が走りました。マスコミが熱心に取り上げなかった尖閣問題 それは今でこそ当たり前のようになっている中国公船の領海侵犯ですが、この時は2008年12月以来の2度目で、前回は聯合号事件により日台接近を恐れた中国政府が、いわば突発的に1回だけ行ったものでしたから、実質的には、この時が初めて計画的に行われた領海侵犯だったからです。しかも継続的に行われることが予想されたので、公船が他国の領海に侵入することの意味を理解する人間にとっては大きなインパクトがあったのです。※聯合号事件台湾の遊漁船聯合号に乗った活動家16人が、8年ぶりに国民党が政権を奪取した直後の2008年6月10日に尖閣諸島の我が国領海内に侵入したので、当時海上警備中の海上保安庁の巡視船「こしき」が同船を領海外に退去させるべく追跡し、結果的に両船が衝突し聨合号は沈没した。乗組員は全員救助されたが石垣海上保安部は両船の船長を業務上過失往来危険罪等の容疑で書類送検した。その後、中台の激しい反発に恐れをなした日本政府は海上保安庁に過失を認めさせ聨合号に3000万円相当を支払い和解した。 ここ数年、中国公船が尖閣諸島の我が国領海を頻繁に侵犯しているにもかかわらず、あまり熱心にマスコミが取り上げないため多くの国民が現状に慣れてくるとともに関心が薄くなり、問題の本質を理解していないようですが、この公船が他国の領海に侵入するという行為は非常に大きな問題です。なぜ公船が来ると大問題なのかというと、公船というのは国際法上一種の治外法権を有しているため他国の警察権が及ばないからです。沈没した中国漁船の乗員を救助する海上保安庁の小型船=8月11日、尖閣諸島沖(海上保安庁提供) ですから日本では領海内で外国船舶が有害航行することに対して取締等の行為を行う根拠となっている「領海等における外国船舶の航行に関する法律」(領海警備法)をはじめとする外国船を取り締まるための国内法には、対象船舶の条文に「軍艦及び各国政府が所有し又は運航する船舶であって非商業的目的のみに使用されるものを除く。」というような但し書きが付いています。 つまり外国の公船が領海を侵犯しても、国内法の規定=警察力では「当該領海から直ちに退去することを要求すること」しかできません。では相手の行動が、どんどんとエスカレートして我が国の主権が回復不可能な程度に侵されようとしても相手が公船であれば何もできないのかといえばそうではなく、たとえ相手が公船であろうとも国際法では最小限の範囲で武力を行使する権利を有するとされています。 しかし我が国の国内法には防衛出動以外に、そのような規定がなく憲法9条との絡みもあり実行するにはハードルが高すぎるので、現実的には日本側に死傷者が出るような事態にでもならない限り実力行使はできないと思われます。一旦そのような事態に陥れば両国とも後戻りができなくなり、戦争に発展することもあり得る訳で、外国公船の領海侵犯というのは、戦争に繋がりかねない非常に危険な行為なのです。だから世界中見渡しても同じようなこと行っている国がないのです。(続く)

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    韓国に圧倒される日本の対外発信 米で存在感増す「KEI」の実態

    古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員)アメリカへの発信の成否が運命を左右 日本にとって外部世界への発信がますます重要になってきたことは言を俟たない。日本側の厳然たる事実を事実として国際的にきちんと主張しなかったために、日本の国家にとっての、さらには国民にとっての利益や評価が傷つけられた実例は数多い。中韓両国や国連のような外部勢力からの虚構の非難を正面から否定しなかったために、日本全体が数世代にわたり濡れ衣を着せられることになった事例もある。慰安婦問題などはその氷山の一角である。「アニメエキスポ」の会場=米ロサンゼルス 日本のその対外発信では、アメリカに向けてのメッセージの伝達の必要性がとくに重みをもつ。超大国としてのアメリカの政策や世論は全世界に影響を発揮する。日本の同盟国としてのアメリカの比重も大きい。アメリカは言論の自由な国だから、外国からのアピールも政府・議会やニュースメディアや一般国民に至るまで直接に届かせることができる。 だから何をどのようにアメリカに向かって発信するかは、日本だけでなく他の多くの諸国にとっても超重要な意味をもつ。極端な場合、アメリカへの発信の成否が発信国の運命を左右することさえある。  こうした前提を踏まえたうえで、まず日本の対アメリカ発信の現状を眺めてみた。「盆栽フェスティバル」「落語、カナダ出身の桂 三輝の登場」「アニメ映画『思い出のマーニー』上映」「ドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』上映」 娯楽性の強い行事ばかりがずらりと並ぶ。皆、2016年4月から5月にかけての最近の催しである。主催はアメリカの首都ワシントンの中心街に位置する立派で広壮な建物の「日本情報文化センター(JICC)」である。日本政府直轄の機関、より具体的には日本国外務省の組織であり、ワシントンの在米日本大使館の一部でもある。 JICCの任務は日本政府からの対アメリカ発信である。「アメリカ一般に日本へのよりよい理解を促進し、日本についての広範な情報やイベントを提供することで日本の文化をも促進する」と記されているように、日本についての幅の広い情報を伝えることがその活動の主目的とされる。たんに文化だけでなく日本の実態や思考をアメリカ側、とくにその首都の官民に知らせること、つまり対アメリカ発信がその存在理由だといえよう。対象は超大国の首都の官民だから、とくに日本側のその任務は重要となる。 その発信内容は、JICCの名称自体に「情報文化」とあるように、まず日本について、あるいは日本側からの情報が主であり、文化は従だろう。JICCの内部にはその種の広報活動のための大きな講堂もあるし、討論や会議のできるラウンジ風の空間もたっぷりある。 だが私のワシントンでの長い駐在での観察では、日本政府の対米発信センターであるこの公的機関の活動はあまりに偏っているといわざるをえない。映画、アニメ、日本語、落語、和食などという娯楽性の強いプログラムの実施に専念しているのだ。ことに最も安易な映画上映というイベントがあまりに多く、まるで日本政府直営の映画館のようにさえ見えるのだ。ここ数年そうした偏重傾向がとくに激しい。日本の政府として、あるいは国民として同盟相手の超大国アメリカの官民に向けて発し続けねばならない歴史問題や領土問題についての発信は皆無なのだ。 日本政府にその種の日本側の国益の核心に絡むメッセージをアメリカに向けて発信する他の機関があるのならば、JICCの映画館化もまだ弁解が立つだろう。だが、そんな機関は存在しない。実情はむしろ逆なのだ。アメリカ側に向けて日本の発信をする他の公的機関は、エンターテインメント志向にもっと徹しているからである。韓国の洗練された対米発信 ロサンゼルスとニューヨークにはそれぞれ「日本文化センター」という機関が存在する。ともに日本の独立行政法人の「国際交流基金」が運営する対米発信拠点である。同基金は外務省の事実上の管轄下にあり、対外的な文化芸術交流や日本語教育の普及を任務とする。だが、そのほかに「日本研究・知的交流」という目的もあり、「日本と海外の人々の間で対話する機会を作ることで、日本の対外発信を強化する」と謳われている。たんに狭い意味の文化にこだわらず、政治や外交も含めての日本からの広範な発信もする、ということだ。 だがアメリカで「ロサンゼルス日本文化センター」の活動を見ると、あまりにも軽い。日本語普及の「みんなでしゃべろう!」というプログラムはまだしも、「かわいいお弁当の作り方」「おにぎりで世界を変えよう」「折り鶴の見本」というような通俗な「発信」ばかりである。その他はお決まりの映画とアニメの連続となっている。 これでは「文化」の名にも値しない。ほんの少しでも日米間の「知的交流」を思わせる対米発信があってよいと思うのだが、まったく見当たらない。日本にとってのいま懸案の外交課題や、日本が国として対外的に知らせたいテーマにわずかでも関わるような行事はゼロなのだ。 だからこそ政治の首都ワシントンにある前述のJICCが、日本の国家としての主張や情報をアメリカに向けて少しは発信すべきなのだが、それもまたないのである。 韓国の洗練された対米発信  では、同じワシントンでの韓国の対米発信活動の状況を報告しよう。韓国を日本との比較の対象に挙げるのは、両国がともにアメリカの同盟国である一方、互いに利害の衝突があるからである。周知のように韓国は日本の領土の竹島を不当に軍事占拠している。まず領有権での衝突があるわけだ。また、慰安婦問題をはじめとする歴史認識でも日韓両国は衝突してきた。 こうした衝突部分の状況は超大国のアメリカの対応に大きく影響される。アメリカが日韓両国それぞれの主張や態度をどう見るかがつねに重要となってくるわけだ。アメリカの理解や賛同を取り付けたほうが有利になる。だからそのアメリカに向かってどんな発信をするかは、日韓両国にとっていつも重要なのである。 この点での日韓両国の対米活動は一種のゼロサム・ゲームだともいえよう。相手が得点を上げれば、それだけこちらの失点になるような相関関係があるわけだ。だからこそ韓国の対米発信の実態を知ることには二重三重の意義がある。 韓国政府の対アメリカ発信の主役は「アメリカ韓国経済研究所(KEI)」である。韓国は官民全体としても、アメリカへの広報や宣伝は日本のそれよりもずっと積極的で大規模だといえる。実際の対米発信の作業はあくまで韓国の政府が主体となり、ワシントンの在米韓国大使館や民間団体をも使う。だがその具体的な広報や情報の活動となると、中心になって動くのがこのKEIなのである。 ただし韓国には、対米発信では日本にない大きな武器がある。それは合計170万人とされる在米韓国人、韓国系アメリカ人の存在である。韓国系アメリカ人は国籍はアメリカだから、韓国政府の指示で必ずしも動くとは限らない。だがそれでもなお韓国を祖国と見なし、その利益のためには協力し、献身するという人たちも多い。韓国政府はアメリカの政府や議会への働きかけでは、この韓国系アメリカ人の存在に依存できる場合が多いのである。韓国の対米発信機関「KEI」の実態 だが対照的に、日本は対米発信で日系アメリカ人に依存することはできない。日系アメリカ人には日米戦争のせいもあって、日本のために動くという意識がまずないからだ。 こうした韓国の対米発信の全体図を背景として踏まえたうえで、主役のKEIの具体的な活動を報告しよう。以下はすべてこの数カ月間のイベントだった。「下院外交委員長エド・ロイス議員に米韓関係の現状を問う」(議会の東アジア政策を扱う中枢のロイス議員にKEI代表が質問し、討論する)「韓日両国間の価値観のギャップを克服するには」(KEI代表の二人の専門家が全米規模のシンポジウムでこのテーマについての意見を発表する)「米韓同盟と経済協力の強化策を論じる」(KEI主催のシンポジウムで米側の専門家9人を3つのパネルに分けて発表と討論をする)「2016年の韓国の国会議員選挙結果を分析する」(米韓両方の専門家たちが公開討論の形で同選挙結果の米韓関係への影響などを論じる) 以上の行事を紹介しただけでも、すでに日本政府の対米発信とは根本が異なることが明白だろう。KEIは韓国やアメリカ、そして日本もが直面するそのときの重要課題を正面から取り上げ、論じるのだ。その論じるプロセスでは、韓国政府の主張やアピールが底流として盛り込まれている。アメリカ側への直接の訴えとか要請という露骨なかたちを取らない、洗練された対米発信なのである。 この種の行事を毎週のように主催するKEIは、表面的には韓国政府の対アメリカPR、働きかけの機関というよりも独立したシンクタンクのようにさえ見えてくる。ところが実態は間違いなく韓国政府の対米発信機関なのである。だからワシントン駐在の韓国大使の安豪栄氏はKEI主催のイベントに頻繁に登場し、熱心に発言する。安大使はアメリカ勤務を重ねた知米派外交官で、きわめて雄弁である。 KEIは1982年に韓国政府によって創設された。資金はすべて韓国政府からなのだ。その公式の目的は「米韓両国間の経済、政治、安全保障に関する対話と理解を促進する」こととされていた。まさに韓国政府による対米発信機関なのである。ワシントンでの一般の研究機関とは異なり、KEIはアメリカ司法省に「外国代理人」として登録されている。外国政府、つまり韓国政府を代弁してアメリカ国内で活動する機関であり、その活動資金も韓国政府から提供されると明記されている。 KEIのオフィスはワシントン市内中心街のビル内の一角にある。一般の事務所のほかにかなり大きな会議室などを備えてはいるが、独立した建物の構えを有する「日本情報文化センター」よりは小規模で控えめである。だが活動内容となると、大人と子供の違いがあるのだ。 しかもKEIは韓国政府の機関ではあるが、所長はアメリカ議会の前下院議員ドナルド・マンズロ氏である。つい最近まで下院外交委員会のアジア太平洋問題小委員会の委員長などを務め、アジアには詳しい政治家だった。副所長はこれまたアメリカ人の元外交官マーク・トコラ氏である。同氏は国務省の外交官としてアジアへの関わりが長く、韓国のアメリカ大使館の次席だったこともある。こうしたアメリカの「顔」がKEIのアメリカ側への受け入れを一段と広く深くしているといえよう。KEIの会合に出席して 私もじつはKEIにはよく出かける。その主催する討論や報告がニュースとするにふさわしい斬新な情報を含むことが多いからだ。 最近でも「中国人民解放軍が北朝鮮をどう見るか」というテーマの研究発表があった。米側の若手研究者の発表だった。 その会合に出ると、所長のマンズロ前議員がわざわざ私の席まで来て自己紹介をしながら歓迎の意を表してくれた。副所長のトコラ氏とも別の会合でかなりの時間、話をしたことがある。いずれも韓国政府の主張を代弁するという態度を感じさせず、米韓関係の改善に努めたいという印象だった。韓国政府側からすれば、きわめて効果的な対米発信の成果ということになると感じた。 ちなみに日本政府も、いまのKEIに似た対米発信機関を運営していたことがあった。外務省の主管で、「日米貿易協議会」という名前の組織だった。日本大使館とは別個の組織とし、トップにはアメリカ人の日米関係専門学者を据えていた。日米貿易摩擦の激しい1970年代から80年代にかけてのことだった。だがこの組織はさまざまな理由でうまく機能せず、廃止に至った。 ところが韓国政府機関のKEIは明らかに成功し、ワシントンでのその存在と影響力とを着実に強めているのだ。この韓国の対米発信と日本の対米発信のギャップをとくに痛切に実感させられたのは、北朝鮮による日本人拉致事件の案件までもKEIが扱っているのを見たときだった。 KEIは今年2月初め、「招待所・北朝鮮の拉致計画の真実」と題するセミナーを開いた。その題名の新刊書を著者のアメリカ人ジャーナリストのロバート・ボイントン氏が紹介し、米側専門家たちが討論する集いだった。オバマ米大統領との面会を終え、大統領に見せた横田めぐみさんの写真を手にする横田滋さんと早紀江さん夫妻=2014年4月、東京都千代田区 同書は、北朝鮮による日本人拉致事件の内容を英語で詳述した初の単行本だった。事件を英語で紹介した文献は、米側の民間調査委員会の報告書などがあるが、商業ベースの英文の単行本はなかったのだ。 ボイントン氏は数年をかけて日本や韓国で取材を重ね、とくに日本では拉致被害者の蓮池薫氏に何度も会って、拉致自体の状況や北朝鮮での生活ぶりを細かく引き出していた。また同じ被害者の地村保志・富貴恵夫妻や横田めぐみさんの両親にも接触して、多くの情報を集めていた。その集大成を平明な文章で生き生きと、わかりやすく書いた同書は迫真のノンフィクションと呼んでも誇張はない。 「何の罪もない若い日本人男女が異様な独裁国家に拘束されて、人生の大半を過ごし、救出を自国に頼ることもできない悲惨な状況はいまも続いている」 ボイントン氏のこうした解説に対して、参加者から同調的な意見や質問が提起された。パネリストで朝鮮問題専門家の韓国系アメリカ人、キャサリン・ムン氏が「日本での拉致解決運動が一部の特殊な勢力に政治利用されてはいないのか」と述べたのが異端だった。そして、同じパネリストの外交問題評議会(CFR)日本担当研究員のシーラ・スミス氏が「いや、拉致解決は日本の国民全体の切望となっている」と否定したのが印象的だった。 この場で私が感じた最大の疑問は、日本にとってこれほど重要な本の紹介をなぜ日本ではなく、KEIという韓国の政府機関が実行するのか、だった。日本政府は何をしているのか。ワシントンの日本大使館は何をしているのか。そんな疑問でもあった。漫画や和食ばかり宣伝する「ジャパン・ハウス」性格を変えた「ジャパン・ハウス」  ワシントンでの日本と韓国との対米発信パワーの差は、米側の主要研究機関の活動でも顕著に表れている。主要シンクタンクの「戦略国際問題研究所(CSIS)」や「ヘリテージ財団」での韓国勢の発言は目覚ましい。 たとえば昨年2月にはCSIが「北朝鮮の人権 今後の進路」と題する大シンポジウムを開いた。副題は「国連調査委員会報告書一周年記念」と記されていた。討議の内容は日本人拉致を含む北朝鮮の人権弾圧だった。 この会議は日本にとっても意義は大きかったが、日本の存在がゼロだった。アメリカ政府と議会、国連代表らとともに韓国の政府代表や学者たちもパネリストとして登場し、活発に発言した。だが、日本はその存在も発言もなかったのだ。日本人拉致事件がこの会議の重要テーマの一端だったのに、日本の声は皆無だった。ワシントンでの日本の対外発信がいかに薄いのかを象徴的に示す出来事だった。クリストファー・パッテン英上院議員(左)に「ジャパン・ハウス」運営委員の委嘱状を手渡す薗浦健太郎外務政務官=2015年7月、ロンドンの日本大使館 こうした流れのなかで日本の外務省はこの春、対外発信の新たな手段と宣言して、海外三都市に「ジャパン・ハウス」という施設を新設する事業計画を発表した。すでに数百億円単位の予算を得ての計画だった。この計画は昨年から、当初は「領土問題、歴史問題など日本としてしっかり主張すべきことを主張し、日本の魅力も発信していく」という触れ込みで推進された。ロサンゼルス、ロンドン、サンパウロの三主要都市に広報施設が開設されるのだという。 ところがいざ予算が取れたあと、この「ジャパン・ハウス」は性格を変えたようだった。外務省当局者たちは、この新施設でアニメ、漫画、和食、ハイテクなど日本の魅力を宣伝することが主眼だと言明するようになったのだ。歴史や領土という課題はそこではとくに提起する方針はない、というのである。そうなると対アメリカ発信の場合、これまでロサンゼルスの「日本文化センター」が実施してきた「かわいいお弁当の作り方」展示会の域を出ないこととなる。 外務省の年来の事なかれ主義の継続ともいえよう。ただし今回の「ジャパン・ハウス」構想では、事前にはいかにも歴史や領土についての対外発信をする必要が高まったからこの構想の実現が欠かせないのだ、という趣旨の説明を外務省代表たちはしていた。私自身も担当官たちからその旨を直接に聞かされた。 このような外務省の体質が長年、続いたからこそ慰安婦問題での「強制連行説」の虚構が国際的に大手を振るようになった経緯はもう実証済みである。その日本式の消極性姿勢を端的に表すのが、いまのワシントンでの韓国に比べてあまりにお粗末な日本政府の対米発信ぶりだといえよう。関連記事■ 慰安婦問題に対するアメリカ人の対日批判が後退している実態!■ 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    それでも娘に受けさせますか? 子宮頸がんワクチンが「危険」な理由

    澤田石順(医師、鶴巻温泉病院 回復期リハビリテーション病棟専従医)  米国の心理学者、シルヴァーノ・アリエティはこんなことを言っている。独創的とは無から有を生ずるようなものではない従来無関係だと思われたことに、新しい関係性を発見すること 私はヒトパピローマウイルスワクチン(以下、HPVワクチン)を子宮頸がんワクチンと呼ぶことを認めることができない。このワクチンは子宮頸がんそのものを予防する効果がまだ証明されておらず、実際に子宮頸がんの発病率ないし死亡率の変化など、最終的な効果判定がなされるまでは少なくともあと十余年は待たねばならない。 私はワクチンや脳神経・免疫・内分泌系疾患等の専門資格を有さない病院勤務医ではあるが、2010年からNPO法人「筋痛性脳脊髄炎の会」の元理事として慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎(以下、CFS/ME)という難病患者の支援活動を行っている。CFS/MEは厚労省が定める難病のリストにないため、研究は進んでないし、医療費の助成や生活支援も無い。医師からも「心因反応」とか「詐病」だとみなされることが多い難病だ。 2011年にHPVワクチン接種後に日常生活が困難となった女子中高生のことを知り、HPVワクチン接種後の症状とCFS/MEの症状との共通性、そして患者達の社会状況の類似性に驚いた。 私はHPVワクチンについては慎重の立場だ。被害者を診療してないので、形式的には当事者ではないが、全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会とは昨年から連絡を取り合っている。私が今日までかかわってきた経験を基礎として、HPVワクチン問題の創造的な解決に役立つ“種”となるような言説を展開したい。会見で全身の痛みや記憶障害などの深刻な症状を涙で話す被害者の谷口結衣さん (中央)=3月30日、東京都港区(早坂洋祐撮影)「HPVワクチン接種後症候群」の症状 「HPVワクチン接種後症候群」という呼称は私が独自に使用している。症候群とは症状と医師の診察による徴候の組み合わせとの意味である。これらは以下のような多彩な症状の組み合わせで特徴づけられる。1. 運動系障害: 姿勢保持・起立・歩行障害、不随意運動、痙攣、筋力低下、運動後の疲労回復の遅延2. 感覚系障害: 頭痛、四肢・関節などの疼痛、光・音・嗅覚過敏、激しい生理痛3. 自律神経・内分泌系障害: 過敏性腸症候群、体温調節障害、発汗異常、睡眠障害、生理不順、ナルコレプシー、起座位での低血圧や頻脈4. 認知・情動系障害:無気力、だるさ、幻視、幻聴、妄想、暴言、記憶障害、学習障害、集中力低下、肉親の顔をみても認知できない テレビの映像でよく取り上げられる手足が勝手に動くという不随意運動・痙攣は症状の一つに過ぎなく、どの患者にも必ず出現するのではないことは強調されねばならない(ワクチンによる被害を軽視する一部の医師は、不随意運動・痙攣だけを取り上げて、昔からそんな症状を呈する未成年はしばしばいると見当違いのことを言っている)。 上記の諸症状の多くが、接種後すぐに一度に現れるのではなく、長い経過の間に出現したり消えたりする。慢性的な極度の疲労や歩行障害が出現したら、通学不能となる。痛みや脱力を我慢して通学はしても、学習が困難なケースが少なくない。読者にはこのような多彩な症状が自らにふりかかったら、生活がどうなるかを想像して欲しいと願う。車いす生活を余儀なくされている女子中高生が何人も存在する事実の重みを考えていただきたい。 患者を実際に診療した医師達は最初の患者をみて、このような症状の組み合わせは「みたことがない」と驚き、似たような症状の患者が幾人も外来に来て、HPVワクチン接種が共通項であることに気づいた。患者を何人も診療した医師達は互いに連絡を取り合い、共同で研究し、診断基準を作成したが、未だにそれは仮説段階である。「HPVワクチン接種後症候群」が新たな疾患だと示唆される理由 ちなみに、HPVワクチン接種後症候群とCFS/MEとの相違点は、後者では「不随意運動、痙攣、幻視、幻聴、妄想、暴言」等がほとんどみられないこと。被害者会に登録している女子中高生の中には真のCFS/ME患者が一人以上「紛れ込んで」いると推察されるが、そのことは問題とするに足らないことは常識的に考えて自明であろう。 この項の最後に、名古屋市による計7万人のHPVワクチン接種・非接種者についての調査報告に触れないわけにはいかない。名古屋市は様々な症状の一つ一つについて「だけ」比較したため、当然のことながら明確な結果は出なかった。HPVワクチン接種後症候群というくくりで、複数の症状を組み合わせての比較(当然、組み合わせは何種類も必要)をしなかった理由は不明だ。症状の組み合わせでの比較検討は厚労省の研究班による調査報告に期待する。 新たな「疾患」だと示唆される理由 新たな疾患として世界レベルの医学界で認知される条件としてあげられるのは、症状の新規性はもちろん、時間と空間の広がりの二点で未知の疾患が発生していると考えないと説明がつかないこと。原因の判明も客観的な検査による診断が可能なことも、新たな疾患と認定される必須条件ではない(例えば、CFS/MEは原因不明で、しかも検査による診断は不可能であるが疾患として認知されている)。1. 空間の観点 米国、イギリス、アイルランド、デンマーク、フランス、ドイツ、オーストラリア、インド、コロンビア等の諸国において、HPVワクチン接種後症候群が多数報告されており、日本と同様に多かれ少なかれ社会問題化している。医師組織が接種中止を求めたり、被害者・家族が裁判に訴えたりしている事実はネットで検索したら枚挙にいとまがない。一部の医師は「日本だけで社会問題化」しているように主張しているが、根拠を欠いている。2. 時間の観点 HPVワクチンを接種した生来健康な女子達の一部が、多彩な症状で日常生活が困難になっている事実が第一に重大(一部の医師は、出来事の時系列関係は因果関係を証明しないと当然のことを言い、被害者団体を揶揄しているが、言うまでなくそんなことは被害者も父母も理解している)。このような症状の発現が他のワクチンでも極めて稀にはあったと考えられるが、社会問題化することはほとんどなかったという事実も重大だ。 決定的なことは、厚労省が積極的な接種推奨を中止した2013年6月以降は接種が激減し、それ以後に接種してから発症した患者の被害者会へ登録は二人しかいないこと。HPVワクチン接種後症候群を診療している医師達は「新たな患者さんは(ほとんど、あるいは全く)来てない」と証言している。 思い起こしていただきたい事実がある。チェルノブイリ原発事故後に、小児甲状腺癌が激増したとき、放射線による増加ではないと一部の医師は主張したものの、その後に発病が経時的に減少したために、主張の誤りが明らかとなったことを。 一部の医師は、「そのような症状の患者はもともと存在しており、減じてない」との根拠無き仮説を未だに維持し、「HPVワクチン接種が激減したから、HPVワクチンが原因とは疑わないので、HPVワクチン接種後症候群をみている医師のところにはいかないだけだ。被害者連絡会に登録などしないのだ」と主張するかも知れないが、事実による根拠を提示できるとは思えない。 これら二点の重要性は、医学的知識がない一般の方々にも自明だと思う。接種後に症状が長期化した女子の数接種後に症状が長期化した女子の数 ワクチン接種後、日常生活に支障がでるほどの副作用が数か月続く頻度が、何万人に一人なら、あなた、あるいは、あなたの娘への接種を容認するであろうか。50~100万人に一人なら、大多数の人はリスクを許容すると思う。5~10万に一人なら、少なからずの人々は接種を控えるのではあるまいか。5~10万に一人がそうなってしまうようなワクチンを厚生労働省が医薬品として認可するとは考えられないのではなかろうか。 約338万人が接種(延べでない)した。もしも5万人に一人ならば、68人くらいしか深刻で長期にわたる健康被害は発生してないこととなる。その程度の発病者数であれば、被害者会が発足するような事態にはなるまい。  厚労省が昨年公開した報告書より引用。未回復の186人の生活状況は、入院した期間あり87人、日常生活に介助を要した期間あり63人、通学・通勤に支障を生じた期間あり135人 この186人という数値は、あくまでも医療機関が副反応疑いとして自発的に報告した2584例のうち、どうなったか判明した1739例についてのもの。186人の全員が長期にわたり日常生活に支障をきたしたわけではない。「期間」ありという表現が「今はそうではない」ということを必ずしも意味するわけでもない。 被害者会に登録されている患者は約550人。登録者の全員が「日常生活に支障がでるほどの副作用が数か月ないし今日まで継続している」わけではないことは言うまでもない。被害者会の550人中の3分の1、すなわち183人が「長期にわたり日常生活に支障をきたした(ている)」と仮定し、厚労省調査で未回復の186人という数値を参考に推定しみよう。 「二万人に一人」との推定頻度になるのだ。338÷2=169。183・186を少なめに169とするならば。「二万人に一人」という推定頻度は、娘への接種を控えさせるに十分に高いのではないのだろうか。提訴のため車椅子で大阪地裁に入る原告=7月27日、大阪市北区の大阪地裁中枢神経系の機能異常 多彩な症状の多くは中枢神経系の機能異常そのものであるが、客観的な検査による機能異常に関連する生理的異常の裏付けはまだまだ不足している。私が注目したのは、2015年5月、日本神経学会における信州大病院の医師による報告。症状を説明できる脳の特定部位において、頭部MRIでは異常はないが、血流ないしブドウ糖取り込みの異常が認められたとのこと。 ちなみに、同大学の池田修一教授はマウスでの実験結果の途中経過をマスコミに公開した。脳内炎症の存在を「示唆」するという控えめの結論であったが、その手法について一部の医師は「ねつ造」との行き過ぎた表現をし、それどころか教授の人格も攻撃した。中枢神経系の機能異常は厳然たる事実であり、そのことに疑問を呈する医師は私の知る限りいない。 池田教授は中枢神経系の機能異常についての仮説を検証するためにマウスで実験しただけのことであり、同教授の手法に一定の限界があるのは医学研究の経験がある医師には自明のこと。研究手法の限界を理由に、中枢神経系の機能異常の存在自体を否定することは原理的に不可能なことを念のために強調しておく。予防・慎重の原則と医師の倫理予防・慎重の原則と医師の倫理 医薬品は人の生命・生活を左右する。医薬品による健康被害をゼロにすることはできないが、最小限にするための適正な手続きは必須であり、諸国において法令により厳密に定められている。健康被害が発生した後に、完全に回復させる治療法が無い限りは予防するという大原則だ。 もう一つは「疑わしきは使用を認めない」という慎重の原則。HPVワクチン接種後症候群に関して言えば、地球上の諸国において同様の症状を呈する女子が高頻度に発生しており社会問題化している。HPVワクチンが原因か否かの判定にはまだまだ年余にわたる研究が必要であることは言うまでもない。 一部の医師はワクチンの安全性は「確立」されていると信じて、厚労省は積極的な推奨を再開すべしと主張しているが、安全性の根拠は何であろうか。事実上は、ワクチン製造会社がほとんどの資金を提供した臨床治験だけなのだ。莫大な資金提供を受けた医師であっても、不都合な結果がでないように研究をデザインしたり、結果を可能な限り捻じ曲げないだろうと、一般市民の大多数は信じないのではないだろうか。製薬会社による医学研究者の事実上の買収による結果ねつ造事件は数多い。だから、HPVワクチンもそうに「違いない」とまでは言わないのであるが。画像はイメージです 医師の倫理についても触れないわけにはいかない。様々な理由や動機(製薬会社からお金をもらっているとか、そうではなくて、論文を読んだから安全性と有効性を信じたからでもよい)により、医師がHPVワクチンの推進再開を強く提唱するだけならまだしも理解できる。しかしながら、一部の医師は被害者会の方々を医師倫理に違反する疑いのある言葉で非難している。 例えば、私の元友人である上昌広医師。彼は特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長で、2010年に私がCFS/ME患者についての支援をお願いしたとき、直ちに患者会代表と面会し、絶大な支援をしてくださった。HPVワクチン接種後症候群とCFS/MEの症状が類似しており、社会的状況もほとんど同一なのに、どうしたものか上氏はHPVワクチン接種後症候群については最初からその重大性を軽視している。HPVワクチン推進言動では非常によく知られているが、なんと上氏は「16歳の高校生を利用した『社会運動』、そろそろやめたらどうだろう」とツイッターで言明した。 患者と家族の怒りを買ったことは言うまでもない。同じく元友人の医師、久住英二氏(医療法人社団鉄医会理事長)も被害者会の活動を「醜悪」と表現して、轟轟たる非難を浴びた。両人とも患者と被害者団体による批判など馬耳東風で今日に至るまで、相変わらず「患者の診療をすることなく」、「医学研究の結果に対しては、独自の研究で反証を試みることもなく」、ほとんどネット上だけで同じ主張を繰り返している。 正直のところ、元友人の実名をあげて批判することは心苦しいのであるが、彼らは実名をさらして言論を展開しているからには、覚悟の上なのであろう。匿名でHPV推進を声高に提唱し、池田教授や被害者団体の誹謗中傷を継続して実行している一部の医師については言及するに値しないので直接には触れないが、彼・彼女らも元友人の両人と同様に患者を実際に診療しての「根拠」を何一つ示していない。問題解決のために最も重要なこと問題解決のために最も重要なこと HPVワクチン接種後症候群に関しては、まだまだ不明の点が数多いことでは推進派も反対・慎重派も一致していると思える。両派が対立することは、必要なことだった考えるが、私は両派の人々に問題解決のための協業を模索しようと呼びかける(この提唱は、ワクチン製造会社のエージェントとして活動している医師は対象外)。 協業実現の必要条件の一つは、推進派が自らの決定的な欠陥を自覚することだ。患者をみることなくネット空間や非医学雑誌で声高に主張しても、医学専門誌や学会において有力な証拠を提示できない限りは、無力であり続けることを。反対・慎重派の医師達はHPVワクチンについての医学論文を読んだ上で、現実の患者を診療して危険性がわかったので警鐘を鳴らしている。これに対して、推進派は外国の他人が執筆した論文だけが主張の根拠。この決定的な非対称性が解消しない限りは、両派の協業などできないであろう。 推進派の医師達は被害者会と真摯な対話を始めるべきだ。これまでのような言動を無反省に継続すると、いつの日か医療界での信用を決定的に失うことになろう。 問題解決のための協業における、具体的な諸目標の中で最も重要と考えられることを一つだけ挙げる。 本人・家族のアレルギー体質、白血球型(HLA)、人種とか様々なファクターと、HPVワクチン接種後症候群の発病頻度との関連性を明らかにすること。そのためには、338万人の既接種女子について、50万人くらいは調査する必要があろう。既に健康を害している被害者とその家族の全員については特に詳細な調査が必要であろう。なお、調査のための資金は、国庫支出金プラス製薬会社の拠出金によってまかなわれることになろう。 調査のデザインは精緻かつ偏らない態様であらねばならない。名古屋市の調査はテザインに決定的な欠陥があったため、意味のある結果を出せなかった。そのようなことを防止するためには、調査・研究デザインの作成には、ワクチン専門家たけでなく、推進派と反対・慎重派双方の医師を加えるべきではあるまいか。 調査・研究の結果、個人のリスク評価が可能となれば、厚労省として「これこれに該当する方には推奨しない」と明確なガイドラインを作成できる。個々のリスクを数値化して、合計点により定量的なリスク評価をする手法も確立できるかも知れない。 リスクが高いと判定された女子は受けないであろうが、そのことにより死亡リスクが高まることがないように、実際に必要な検診を受ける確率を高めるための、実効的なシステムの構築も必要であろう。 そもそも、接種したとしても、子宮頸がんの原因ウイルスは幾種類もあり、ワクチンの攻撃対象ウイルスはそのごく一部。接種したことで安心して、検診をしないことによりかえって死亡率が高まる危険もあるから、検診体制を先進国並みに整備することは是非ともなされねばならない。 リスクを評価する手法が確立することにより、実際の被害者の実数は大きく減じることであろう。被害者の実数が著明に減じることは、ワクチン製造企業にとっての利益であることも言うまでもない。リスク評価手法の確立は、女子中高生にとって必須なことであり、ワクチン製造企業、推進派、反対・慎重派、厚労省の四者ともそれに賛成し、四者は協業できるのではなかろうか。医師としての倫理を踏み外したように見える元友人の医師二人へ元友人の医師二人へ HPVワクチン推進派の代表格とみなされる二人の医師、上昌広氏と久住英二氏には、2008年以来、個人的に絶大な恩義がある(2008年、私は厚生労働大臣を被告として、リハビリ棄民政策の差し止めを求めて二件の行政訴訟を開始。真っ先に支援を開始してくれたのは両人だった)。HPVワクチン問題への姿勢が異なるために、両氏は私をツイッターでブロックする形で、私との人間関係を断った。『女性セブン』の2016年4月14日号において、私は上氏の言動を「医師としての倫理」の観点から非難した。 彼らは「現場からの医療改革推進」を実践してきた。両氏が苦境に陥った患者達(CFS/MEという難病患者だけでない)を救うために絶大な努力を重ねてきたことを、私は深く知っている。現場・現実を直視して問題を同定し、解決するための方策を試みるという両人のかつての姿勢と、HPVワクチン接種後の患者をみることなくして被害者会(の人々)を揶揄・誹謗・中傷するような言動とは明らかに矛盾している。彼らがどのような経緯で道を踏み外したのか、幾通りもの説明が考えられるが、それは言わない。 私が昨年6月に被害者のある方とコンタクトを取った時に、(被害者会から憎まれている)上・久住両医師とは昔からの知り合いだと正直に言ったため、「スパイ」の疑いをもたれてしまった。誤解が解けてからは、被害者会の方々と情報・意見交換を重ねてきている。私には上氏らと被害者会とを仲介する用意がある。このような立ち位置にある医者は私以外にそんなにいないはずだ。 両氏に呼びかける。まずは、これまでの医師倫理に反する言動について、被害者会の人達に真摯に謝罪すること。謝罪が受け入れられたら、現実の患者さんをみさせて下さいとお願いすること。HPVワクチンの「有効性」と「安全性」を示唆する百の医学論文よりも、現実世界で苦境に陥っている数人の女子中高生をしっかりとみる方が大切ではなかろうか。 HPVワクチンの被害者達が7月27日に集団訴訟に踏み切った。上氏も久住氏も私が「勝てる見込みがほぼゼロの裁判」を起こした時は絶大なる応援をしてくれた。然るに、久住氏はHPVワクチン被害者は裁判で勝てるはずがないと公言し、被害者会の事務局長を執拗にツイッターで揶揄している。上氏と久住氏が本来の「現場主義」の姿勢に戻ることを願って、本稿の終わりとする。 善とは人と人とを結び付けること、悪とは人と人とを離反させること(トルストイ)

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    計り知れぬ潜在被害者 暴かれた子宮頸がんワクチン禍の真相 

    古賀真子(NPO法人コンシューマネット・ジャパン理事長)子宮頸がんワクチン禍訴訟はじまる 2016年7月27日、子宮頸がんワクチンの接種後に健康被害が出た15歳から22歳の女性63人が、東京、名古屋、大阪、福岡の4つの地方裁判所に、国とワクチンメーカーの責任を問う集団訴訟を起こしました。子宮頸がんワクチンは、2009年10月16日にグラクソ・スミスクライン社のサーバリックスが、2011年7月1日にはMSD社のガーダシルがそれぞれ国内で承認され、2010年11月から子宮頸がん等ワクチン接種緊急接種促進事業により事業接種(実質は任意接種であるが、特例交付金(基金)事業として無料で接種が勧奨された)としてはじめられました。 2013年4月1日には予防接種法上の定期接種とされましたが、2013年6月14日、接種後全身に痛みを訴えるケースが多発したとの報告をうけ、副反応について適切な情報が提供できるまでの間、積極的勧奨を控えるとして、わずか2カ月半で積極的勧奨が中止され現在に至っています。積極的勧奨が中止されたまま、3年余の歳月が経過したわけです。日本産科婦人科学会などを中心に、これを「ゆゆしきこと」として再開を主張する声がおきていますが、そもそも定期接種化はもちろん、イレギュラーな事業接種という形で導入したこと自体が間違っていたと言わざるを得ません。東京地裁に入る、子宮頸がんワクチン薬害訴訟の原告団ら=2016年7月27日、東京都千代田区(寺河内美奈撮影) コンシューマネット・ジャパンは2016年3月に予防接種とはどのようなものか、副作用被害の実態はなど、長年予防接種被害者救済と予防接種行政の監視をしてきた立場から、子宮頸がんワクチン問題を中心に、副作用の実態と救済されない現実を冊子にまとめました[注1]。特に子宮頸がんワクチンについては、接種導入から、現在にいたるまでの導入経緯への疑問や被害実態、厚労省の対応の問題点などを広く知らせ、多くの人にこの問題をどう解決していくべきか考えていただくことを出版目的としました。 予防接種は感染症からいのちや健康を守ることを期待して行われるものですが、行政として接種方針を決定する国(厚労省)と接種を受ける個人の間には、制度を支えるさまざまなステークホルダーが存在します。歴史的、世界的に見ても、国は公衆衛生の立場(名のもと)から、病気の撲滅を目指して接種の推進に努めるなか、予防接種による副作用被害を矮小化し救済を拒んできました。一方で、副作用被害者は連携し、市民の支援や弁護士の協力を得て集団訴訟を勝ち抜き、制度そのものを変えてきました。 すべてのワクチンやワクチンの効用を否定するものではありませんが、出版を通して、子宮頸がんワクチンだけでなく、現在の推進一辺倒の予防接種行政の背後にある、ワクチンメーカーの世界戦略や国会議員や審議会委員、利害関係者の利益相反などの問題も見えてきました。推進派と慎重派の間には、ワクチンに対する評価、それを支える公衆衛生観、あるべき医療リテラシー、などに大きな超え難い壁があるかもしれません。 しかし、こと子宮頸がんワクチンについては、「いらないものを入れて被害を発生、拡大。副作用を原因不明の病気、心因性のものとして接種との因果関係をかたくなに否定する」国の姿勢への漠然とした不信感は共有できるのではないでしょうか。身を挺した少女たちの訴えに対してマスコミももっと真摯に耳をかたむけるべきでしょう。 今回の提訴を契機に、被害の実相や関係者の果たした役割が明らかになることを隠したい個人や機関(組織)、それを擁護する学識者等を中心に、ワクチンの有効性のことさらの強調、国際平準化を根拠とした根拠のない因果関係の否定論や無過失補償の提言などが散見します。本来導入すべきでないものを導入した責任を回避するだけでなく、被害者の権利回復と国の誤った制度設計責任を問う国民の権利に対する侵害であり大きな問題と言わざるを得ません。実態が不透明なワクチン被害被害の実態が不透明 子宮頸がんワクチンは、接種後の過剰な免疫応答により、神経障害(中枢神経系症状、抹消神経症状)をおこしています。①感覚系障害(頭痛、関節痛、筋肉痛、視覚障害、痺れ等)、②運動系障害(不随意運動、脱力、筋力低下、歩行運動失調、けいれん)、③認知・情動系障害(学習障害、記憶障害、見当識障害、睡眠障害)、④自律神経・内分泌系障害(発熱、月経異常、過呼吸)などを発生させているとされます。 今回の提訴者の中には重篤な副作用である、ギランバレー症候群、複合性局所疼痛症候群(CRPS)、多発性硬化症(MS)、全身性エリテマトーデス、体位性頻拍症候群(POTS)などの自己免疫性疾患や脱随性疾患など難病の診断を受けている人もいるようです。「第15回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会、平成 27年度第 4 回薬事・食品衛生審議会医薬品等安全対策部会安全対策調査会」(合同開催:2015 年9月17日)で、厚労省は「子宮頸がんワクチン副反応報告」を提出しました。 この中で、これまで副反応報告で集積した2584人を副反応疑い例とした上で、発症日・転帰が確認できたものが1739人、うち未回復者を186人と発表していますが、この数はあまりにも少ないとの批判があります。今なお重篤な副作用のために治療中の被害者が調査の報告中に入っていなかったり、調査自体が国や自治体ではなくメーカーのMR(医薬情報担当者)が主導していたこと、救済窓口となるべき自治体の中には救済制度はおろか、この問題についての大きな情報格差があることなどから、もの言えぬ被害者が多く存在することが予想され、国の把握している被害者数は氷山の一角に過ぎないと思われます。 全国子宮頸がん被害者連絡会に寄せられた被害者登録では①被害者は全国におよぶこと(とりわけ首都圏に多い)、②接種年齢は13歳をピークに12、14、15歳が大半を占めること、③20代~45歳までの接種者もいることなどが報告されています。初交以後の接種も含め、このワクチンの有効性についての正確な情報提供がされないままに接種が推進されていたことがわかります。2016年3月の提訴会見以後、被害者登録数は530件余になったとされていますが、潜在的な被害者数は計り知れません。認められない副作用被害 2016年8月3日の子宮頸がんワクチンに関するPMDAの報告では、ADEMやギランバレー症候群(GBS)など添付文書にも副作用として書かれている症状についてもたった1件しか認められていません。また、市販後、2016年6月30日までに決定(判断)された件数は129件ですが、うち28例が不支給、救済されたのは101例とされています。救済申請自体が多くの書類や医師の診断書等の労多いものですが、重篤な副作用にあい、ようやく申請までこぎつけても否認が大多数というのが実態です。大半は医療費と医療手当のみの支給に留まり、被害救済に資するものとなっていません。そもそも、申請自体にたどりつけない被害者が大半です。 子宮頸がんワクチンは定期接種前の被害者が大半を占めます。ですから定期接種以外の PMDA での審査も詳しく公表される必要があります。公表されることで、同じような症状に悩むより多くの全国の被害者が被害に気が付くことが必要です。入院レベルでないものも救済するとしていますが、入院できずにさまざまな不調を訴えたり、学校に通えなくなっている多くの子どもがいます。接種から数年たち、患者記録の保存もむずかしくなってきています。症状が改善している例もありますが、症状によってはこうした救済の土俵にすら上がれない人も多くいます。医学的な原因解明の困難にどう立ち向かうか 筆者が相談を受けた中には、3年近くたってからうつ病となったという方もいます。精神科を含む病院を受診し、学業を中断され、実家への帰郷を余儀なくされた本人の苦しみ。家族の心労や、経済的負担も驚くほどです。しかし、当初から、ワクチンの副作用とは全く気付かれませんでした。気づいたとしても申請すらできないし、「どうしたらよいかわからない」という状態です。この方に限らず、遅延性のものがあり、状態も好悪を繰り返す被害者も多くいるようです。 こうした中、医療者、研究者の間では、個別の症状を分断してとらえたり既存疾患にあてはめたりしないで、ワクチンによる過剰な免疫反応が引き起こす疾患群として、HPVワクチン関連神経免疫異常症候群(HPV vaccine-associated neuroimmunopathic syndorome)と呼ぶことも提唱されています。検査では異常はでない、治療法が確立していないものについて、丁寧な分析をし、救済への足がかりを提供するものといえます。 これに対して、国の審議会の座長はHANSは病名ではないとして、殊更無視をしています。心因性のものとして認知行動療法をすすめる国と、多くの症例をていねいに分析して被害救済を訴える研究者、どちらが医療者として適格か、良心があるかは明白でしょう。国が因果関係は治療に無意味との見解を重用し、因果関係を否定し、責任を認めることをあくまでも拒否するのであれば訴訟以外に取るべき道はありません。医学的原因解明の困難にどう立ち向かうか 子宮頸がんワクチンの副作用の医学的な原因は未だ解明されていません。子宮頸がんワクチンは遺伝子組み換え技術で作成されたウイルス様粒子(VLP)にアジュバントと外来DNAなど自然免疫を活性化する数種の成分が含まれているとされています。どの成分が激烈な免疫応答を示すかは科学的に解明されていません。よく、海外では副作用被害は発生していないとか、日本ほど発生していないなどと言われますが、海外でも副作用は大きな問題となっており、報告のトップは神経系関連障害とされています。自己免疫疾患や神経障害が多数報告されています。日本でも海外でも医学的な原因究明の努力がされていますが、未だ、原因は明らかになっていません。 子宮頸がんワクチンに限らず、ワクチンにより自然免疫の強力な活性化や炎症反応により、神経障害の臨床症状が発生することは、その原因物質がアルミニュームや水銀(チメロサール)に由来するのではないかと指摘されてきました。原因がわからない中で、どう法的救済につなげるのか。因果関係が認められなければ、当然損害論までたどり着けない日本の司法制度の中で、過去の4大裁判でいかに原告が勝訴することができたのか。白木4原則が果たした役割を紹介します。 予防接種禍4大裁判で原告側証人として活躍され、水俣病、スモンでも原告側の証人として証言された、白木博次博士は著作(藤原書店 冒される日本人の脳より「 」内引用)の中でこう述べられています。白木博次博士は、優れた臨床神経病理学者ですが、化学物質とそれよる被害の因果関係の立証は極めて困難とし、終始、厳密細心に自然科学の手続きを踏みながら、同時にそのなかで、(物)の局面での「客観性」に固執して魂の訴え(自覚症状など)を軽視する科学の手法の本質的な限界に警鐘を鳴らしながら、今日の科学技術文明は、自然には存在しない人工化学物質の多用による速効性の追求と、反面、そのマイナスの副作用の顕在化を特色とするとしています。 ワクチン禍の医学的解明は、ほとんど不可能に近いとし、ワクチン禍の総論または原則論を組み立てるのに参考になる医学関係のわが国の文献は全くないに等しいということで、自分で考えられたのです。白木博士の因果関係の立証のための白木4原則は、①ワクチン接種と予防接種事故とが、時間的、空間的に密接していること、②他に原因となるべきものが考えられないこと、③副反応とその後遺症(折れ曲がり)が原則として質量的に強烈であること、④事故発生のメカニズムが、実験・病理・臨床などの観点からみて、科学的・学問的に実証性や妥当性があること、の4つを組み合わせて、その蓋然性の高低の視点から、ワクチン禍の有無を考えることを提唱しました。 そして、現にある被害は動物実験のように条件づけできないので、あるがままの状態を受け取る経験科学ととらえ、4つの原則論の組み合わせによって蓋然性が60%以上の確率によりワクチン禍の存在を肯定すべきとし、これが全国の裁判所に受け入れられたのでした。(その後の因果関係判定のためのルンバール事件[注3]も同様のロジックである[注2])。白木博士の卓越した点は、東京裁判以外の全患者を診察、CT、MRI、PET、脳波などの特殊検査を加味し、主として母親と近親者の聞き取り調査も行い、死亡した患者の剖検所見も参考として、その実態について総合的に把握することを怠たらずにされたことです。もう一度問い直す子宮頸がんワクチンの危険性 その上で、因果関係の立証は、動物実験のように条件づけできないので、あるがままの状態を受け取る経験科学として、4つの原則論の組み合わせによって蓋然性が60%以上の確率によりワクチン禍の存在を肯定させたことです。こうした化学物質による被害の因果関係の立証については、経験医学、社会医学の観点から解決されるべきだと提唱されています。 予防接種問題についての白木博士はいくつか「遺言」を残されています。まず、白木博士は、ワクチンがどう改良されても絶対になくならないと断言しています。「ワクチンを製造・管理する人が自らいわれているように、ワクチンは所詮「毒をもって毒を制する必要悪」であって、「たとえ防御抗原のみの純粋な製剤が開発されたとしても、それ自体は抗原であるから、アレルギー反応による神経系の傷害を惹起する可能性を避けられないであろう。(中略)。正と負の効果(アレルギー反応とワクチン禍)とは常に表裏一体をなしている。特に神経障害のように、少数であっても犠牲者が出てしまうことを、今後いかにワクチンを改良しようとも避けて通ることができないのは、理論上または経験上からも明白である。またもし副作用を避けるために本来の毒性を薄めてしまうなら、その防御効果は全く期待できないことになる。しかも神経細胞は容易に失われやすい事実に加えて、失われた神経細胞は二度と再生されることはなく、後遺症として永久かつ不可逆性に残ってしまうという厳然たる事実がそこにある。これが神経組織が他の臓器や組織と違う最大の特徴をなしている」 「①弱毒化したワクチンが強毒化する点についての症例は述べなかったが、これはワクチン自体の問題か、それとも接種を受ける個体側の問題か、それは大きな学問的な問題として未解決。いずれ実現するであろう遺伝子組み換えワクチンによる安全性について、特に大きな問題になるであろう。遺伝子組み換えの基礎的な部分が完全にわかっていないのではないだろうか。②ワクチン禍には第1から第4アレルギー型まであり、それぞれ相互の移行型もあり免疫学の領域から見ても未知の部分が数多く残っている。また、遅延型アレルギーの重大な問題が残っている。4原則目は、医学のうちの特に免疫学のうちで、未知の領域が数多く残っている。今後のワクチンの改良、強制接種の廃止、その他によって、将来の問題としてクローズアップされるのは、国賠がそのまま適用できなくなるというのは思い過ごしか。(中略)どのようにワクチンが改良され、被害者の数は減ってこようと、ワクチン禍がなくなってしまうことは考えられないとすれば、今後のワクチン禍訴訟は、どのような総論・原則論に基づき、国の責任論はどのようなものになるのかの問題を今からでも真剣にかんがえておかなければならない」。白木博士が、1998年12月に危惧されていた問題提起は、子宮頸がんワクチン問題の発生を見据えていたかのような重みがあります。もう一度問い直す、子宮頸がんワクチンの必要性 長年予防接種問題に取り組む中で、シンプルな結論にたどり着きつつあります。それは、「ワクチンの安全性や有効性に優先するものは当該ワクチンの必要性についての徹底した検証」です。一言でいえば、「やらなくてよいワクチンで、利益より被害が多いものはやるべきではない」ということです。現在、0才までに13回(2016年10月からはB型肝炎ワクチンも導入されるために16回)のワクチン接種が定期接種とされています。勢い、複数ワクチンの同時接種が勧められ、同時接種後の死亡例も発生しています。効果に疑問のあるインフルエンザワクチンも1994年の改正時には30万本まで減少したものが、5500万本を超える生産高となっています。 2000年代に入り、一方で、被害者救済が強調されることは、より多くの感染症による被害を予防すべきワクチン行政をゆがめるという指摘のもと、ワクチンで予防できる病気という原語が、ワクチンで防げるものは防ぎたい(防ぐべき)という標語のもとに、Vaccine Preventable Desease(VPD)という考え方が台頭し、予防接種推進の巻き返しを図る医師会とワクチンの世界戦略が跋扈するなか、2012年5月23日の厚生科学審議会予防接種部会の「予防接種制度の見直しについて(第二次提言)[注4]以降、厚労省も基本政策としてVPDの考えを採ることを明確に打ち出しています。しかし、いまこそ、ワクチンがあるから接種すべきというのではなく、本当にそのワクチンが必要であるのかどうかという原点に返って考え直さなければならない時期にきていると思います。子宮頸がんワクチン問題はそのことを警告していると言っても過言ではありません。 接種再開論者は、「日本だけがワクチンを接種しないことで将来子宮頸がんで死亡する不利益がある」と言います。しかし、当初から、ワクチン接種だけでは原因ウイルスであるHPVの感染を防ぐことはできず、検診の重要性が強調されていました。ワクチンの有効性については添付文書ですら、断定していません。がん予防効果は証明されていない上、前がん病変の予防効果も限定的、継続感染におけ効果持続期間すら不明です。以下は拙著[注1]からの引用です。厚労省は予防接種行政を見直すべき HPVというのは、大体100種類くらいあって、皮膚と粘膜に、ほとんど常在的にいるウイルスです。そのうちの15種類くらいが、ハイリスクグループと言われ子宮頸がんと関係があります。ワクチンが効くのはわずか2種のウイルスです。HPVは100種類くらいあり、子宮頸がんと関わるハイリスクHPVといわれるのは15種類です。日本人の場合、子宮頸がんで見つかる16型、18型の頻度は併せて58.8%。認可されているワクチンは16型、18型が対象のもの(サーバリックスでハイリスクの方はガーダシルの同様)ですが、日本人でそれ以外に多いのが52型、58型、33型があります。このワクチンでは16型、18型以外のハイリスクHPVの感染は、予防できないのです。 しかも、ウイルスを取り込んでも、自然のメカニズムでウイルスの存在がなくなり、持続感染になるのはごく一部で、さらにその一部、HPV感染を起こしたものの0.15%だけしかがんにならないのです。HPVというのは皮膚常在のウイルスで、ウイルス単独で存在しても、そこで増殖することはできません。細胞の中に入り込んで、その中で細胞の機能も利用しながら増殖するのです。 たとえば、HIV(エイズウイルス)はリンパ球の中で増え、B型肝炎ウイルスは肝細胞の中に入って、そこで増殖するという特徴があります。HPVは、子宮頸部の粘膜の上皮細胞の中に入り込んで、そこで生き続けていくわけです。他のワクチン療法と違って難しいのは、ワクチンを使うことによって、HPVの感染を防ぐことはできますが、がんそのものを防ぐことはできないのです。 HPVに感染することにより、その後、細胞の異形成をつくり、それらががん化し、さらに進行して浸潤がんになるということであれば、この最初のHPVの感染をワクチンで防ごうという考え方が出てきたわけです。しかし感染してからがん化して浸潤がんに変化するまでには、数年から十数年という時間がかかります。非常にゆっくり進んでいくので、現在の検診のシステムで充分この変化を捉えていくことは可能です。そうしたことを考えて、ワクチンの必要性も考えていくべきでしょう。 うつらない病気、他に安全で有効かつ経済合理性ある対策があることを情報提供し、副作用被害防止のために必要な政策へシフトすることが必要ですが、子宮頸がんワクチンはまさに、WHOが推奨しているとか、世界では日本のような被害はない、最近では、ワクチン接種をやめたままでいると将来的に日本は、子宮頸がん対策で世界の遅れをとるなどの意見があり、被害者を詐病や思春期の一過性の症状扱いしたり、提訴を「不幸なこと」などと揶揄したりする主張がされています。しかし、実際にはがん予防効果は限定的であり、「がん予防ワクチン」というネーミング自体おかしいこと、世界的にも深刻な副作用被害が多発していることなどが明らかになっているのです。厚労省は予防接種行政を根本的に見直すべき 全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会や自治体議員や教員、市民の支援者による取り組み、民間の研究者による治療や原因究明への努力は、国の救済に向けた動きを促してきたものの、国は未だに被害と接種との間の因果関係を認めず、相談体制や協力医療機関の設置など、小手先の対応に終始してきました。厚労省の検討部会は2014年、ワクチン後の症状について「心身の反応によるもの」との検討結果をまとめる一方、健康被害を訴える患者を診る協力医療機関を整備し、研究班を作って治療法の開発などを急いでいるとされていますが、その対応は被害者の救済支援とは程遠いものです。 2016年7月22日、厚労省の「ヒトパピロマーウイルス感染症の予防接種後に生じた症状の診療に係る研修会」で出された「当面の対応」は、2015年9月17日の審議会での結論を敷衍したものでした。被害者の声を無視できない厚労省は、頑なに因果関係を認めない一方で、2015年9月17日に、副反応を検討する審議会の合同開催の委員であり、疾病・傷害認定審査会感染症・予防接種審査分科会(分科会長五十嵐隆、稲松孝思、岡部信彦、多屋馨子(敬称略))連名で、「ワクチン接種後に生じた症状に関する今後の救済に対する意見」(以下、有志の意見書)をだしました。ここでの結論は、因果関係は認めないまま、ある程度の救済は行うという中途半端なものでした。 その内容は、①患者とのていねいな個別交渉で対応する、②入院以外にも医療費、医療手当を払う(接種を受けた時期が定期接種化(2013年4月)の前か後かで救済範囲に差があるのを改善し、定期接種化前では入院相当しか出なかった医療費と医療手当(月額 34,000~36,000円)を、定期接種化後と同じように通院でも出す)、③患者の治療のために患者からの研究への協力を得やすくする仕組みを検討する(因果関係が否定された場合でも、治療が必要な人には研究に協力してもらうとの名目で支援金を出す)、④協力医療機関が全都道府県に整備されたが、患者に適切な治療ができるよう、更に診療の質の充実を図る、⑤患者の学習支援や教育現場との連携等、患者の生活を支えるための相談体制を拡充する、というものでした。利益相反体制の下で適正な議論がなされるか 翌9月18日から疾病・障害認定審査会感染症・予防接種分科会(認定部会)ではHPVワクチンの審査が始められました。しかし、申請自体が多くない中、しかも定期接種前の接種が大半であることから、もともと被害者を絞っておこなう審査制度は真の被害者の救済のための審査とは程遠いものといえます。2016年7月22日の、「研修会」では、「診療の質を高める」「被害者で診療調査協力者には支援金を出す」「事業接種時のPMDA法では救済されない入院相当でない通院についても医療費・医療手当の範囲とする予算事業措置をする」と確認されました。目新しいところでは、「臨床的観点からの研究に加え、疫学的観点からの研究を実施する」というものですが、現在の被害者のためにどれだけ役立つ研究がされるのか疑問です。 この「研修会」は、「回復例」の報告研修会と称し、国の協力指定病院のうちの4例を医療機関の医師(ペインクリニック等)が回復例として紹介しましたが、痛み感覚障害や脱力、意識消失発作、記憶力低下、頭痛、耳鳴り、まぶしさ、立ちくらみなど、それぞれ患者の接種歴や主訴、初診時の様子や経緯を説明し、医療者が患者に親切に冷静に対応すること、普通の生活をさせること、慢性疾患となった副作用被害に病名をつけることは意味がないこと、ワクチンとの因果関係を追及することは痛みに対するネガティブな思考となり症状を悪化させること、原因のわからない痛みは多くあることなどを患者に説明している等と報告されました。 牛田班[注2]が提唱していたように、認知行動療法(慢性疼痛の原因治療と慢性痛と心理社会的要因の相互作用から物事の受け取り方や考え方である「認知」に働きかけて物事のとらえ方を改善し、日常生活でできることを増やし、痛みがあっても安心してできることをする、因果関係や病名を特定することは意味がないなど、決して因果関係を認めようとしない国の立場に添うため、ワクチンとの関係を棚上げしたままで対処方法をすすめているように受け止められました。心因性の病気には心因性治療で対応するというものでしょうか。 そもそも、政府の予防接種関連の審議会は、ワクチンの導入から、評価、救済にいたるまで、一貫してワクチン擁護の立場を取っており、その委員構成は利益相反を強く疑わせるものです。子宮頸がんワクチンも最初にワクチンの医学的な評価をするためのファクトシート作成にあたって、グラクソスミス・クライン(GSK) 社員の論文が重用されたり、関係委員がメーカーからの寄付金を受け取っていたことなども明らかにされていますが、このようなことは氷山の一角です。 副反応の検討すべき審議会(厚生科学審議会医薬品等安全対策部会安全対策調査会と予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会の合同開催、以下合同開催)の委員長が、メーカーから多額の寄付金を受け取っていて、合同開催の審議規程により参加できないことも多々あります。しかし実際はその委員の知見が必要として発言を許し、審議会の議論をリードしています。しかも、その委員が最終的な個々の副反応を審査する認定部会の部会長をしているのがこの国の実態です。信頼できる審議会体制とは到底言えないところで、実質的な予防接種行政を決定づける審議会は国の責任回避のためのノウハウを蓄積しているとしか思えません。 それ以上に問題なのは、こうした失政が明らかになると審議会内の一部委員が「意見」を出して小手先の救済の対応(ポーズ)をとることです。2015年9月17日の「有志の意見書」はその典型例です。国としては訴訟回避しながら被害者の声にこたえるための苦肉の策かもしれませんが、責任をあいまいにする姿勢は許されるものではありません。訴訟ではどこまでこうした意思決定が問われるのか、注視していきたいと思います。無過失補償制度は被害者保護になるのか 4大裁判やMMR裁判を経て、1994年に予防接種禍4大訴訟の敗訴をうけた国は、予防接種法を改正しました。予防接種は集団社会防衛から個人の健康を守るため個別接種となり、接種は基本的に義務ではなくなりました。どのようなワクチンも基本的には、接種を受ける側が選択できることが保障されたわけです。しかし、その後の制度設計そのものが、経済成長戦略の観点から、ワクチンの増加による市場規模の急速な拡大と、り患するリスクの少ない疾病についても、ワクチンで防げるものは防ぐVPD(Vaccine Preventable Diseases)という考えのもと、国と業界、医師界の太宗、一部マスコミをあげての接種推進政策が続けられている点に根本的な問題があります。 ネット等で被害者へのバッシングともうけとれる論調に、「国際的にはHPVワクチンの有用性・安全性は確立されています」との前提のもとに、「因果関係がないことは国際的にも明らか」とか、「米国疾病予防管理センター(CDC)や欧州医薬品庁(EMA)もHPVワクチンの安全声明を出し、『これまでの科学的検討から、HPVワクチンが複合性局所疼痛症候群(CRPS)や起立性調節障害(POTS)を引き起こすことを支持する知見はない』と断言している」とし、(被害者の副作用を)「日本で年間約3000人の命を奪う子宮頚がんの脅威と比べて、ゼロではないとしても如何に小さい『副反応』であるかはあきらか」としたうえで、(私の目的は提訴に踏み切った)「彼女たちを『科学的ではない』と批判することにはありません。彼女たちは『HPVワクチン接種後に、それぞれの後遺症を受けた』被害者です。科学的方法とは、A→Bの順番に起こったことをそのまま『因果関係』と認めることではありません。適切な証拠、明確な結論、証拠と結論を結ぶ推論過程、並びに事象の再現性。このような条件を揃えて、科学者はある事象を(少なくともその時点での)科学的事実と捉えます」としています。 「(原告となることを決めた『被害者』12人を批判する気はありません。『因果関係』が科学的に認められようと認められなかろうと、彼女たちが『被害』を受けたことは事実であり、それに対して『無過失補償』を行うことは必要だと考えています。最終的に因果関係が明確に否定される(あるいは「被害者」たちが納得する)日が来たら、『無過失補償』ではなく、通常のCRPSやPOTSに対する保険診療のみで対応しても良いでしょうが、まだ原告たちが納得できる社会状況にはないと考えています。)としています。(「 」内2016年4月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会寄稿文より抜粋) 因果関係に関する主張の当否は別として、このほかにも、無過失補償をすべきとの議論があります。訴訟という多大なる時間と費用を考えた場合に、無過失補償という立法的解決は有用な選択肢であることも論を待たないでしょう。現にこれまでの薬害エイズやB型肝炎訴訟、スモンなどの一連の訴訟では敗訴または和解後、国は被害者救済のための特別立法での救済の対応を行っています。 しかし、それも因果関係を認めさせ、訴訟という過酷な手続きを経ての成果です。「因果関係はともかく、被害を受けたから無過失補償でいいじゃないか」という考えは、真の意味での原因究明や責任の所在をあいまいにするものであり、失政やそれに加担した真の原因者の責任をあいまいにし、将来にわたって化学物質等における被害救済にとって組織的過失を繰り返す元凶だということに思いを致す必要があります。なによりも、被害者はなぜ、このようになったのか、その原因を知りたい、そしてもとの状態にもどしてほしいというのは当然の権利というべきものです。 そもそも予防接種法自体が。国が強制(積極的勧奨)をしたことによる損失補償的な観点からつくられた法律ですから、本来は国の無過失責任を保障するものであったはずです。1994年の法改正以後、迅速な救済と情報公開の理念のもとに改正された法律ですが、その改正を跨いで、予防接種法上の救済と国家賠償法による救済が両方とも司法で認められたことが、改正後の予防接種法の解釈に混乱を期待している原因のように思われます。ここでもう一歩、法的救済について考えてみましょう。 日本では、民事上、行政上被害を受けた場合の被害回復の金銭的な填補として、損害賠償と損失補償という制度があります。損害賠償は、民事上、債務不履行や不法行為等の違法な行為によって損害が発生した場合に損害を与えた者が、損害を受けた者に対してその損害を賠償して、損害がなかった状態と同じ状態にすることをいいます。損害賠償で賠償される損害の範囲は、原則として不法行為や債務不履行等の原因事実と相当因果関係に立つ全損害。国が損害を与えた場合は、国家賠償法によるとされます。 これに対して、損失補償とは、適法な公権力の行使によって損なわれた特別の犠牲による財産的補償をいいます。一般的な法律の定めはありませんが、憲法第29条第1項は、「財産権は、これを侵してはならない」と定め、同条第3項では、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる」と定め、損失補償の根拠とされています。米国の制度は優れているのか 予防接種禍の法的救済としては、第1に,1976年,予防接種法が改正され予防接種健康被害救済制度(以下,被害救済制度)が作られているので,それによる給付を求める(予防接種法の救済)、第2に,国が行っている予防接種制度によって被害を受けたとして,国家賠償法に基づき裁判に訴えて損害賠償を求める、第3に,一方で,被害救済制度は不十分であり,他方で,損害賠償請求訴訟では過失の立証その他,被害者に重い負担があるとして,損失補償の理論による救済を求めることができるとされてきました。 被害救済制度による給付請求では予防接種と後遺症との因果関係が,国家賠償法による損害賠償では過失の有無および後遺症との因果関係が問題となりました。この場合の過失とは何か,そしてそれぞれの手続で争われた因果関係はどのような内容のものかが論点とされました。1986年に福島県で提訴された訴訟(筆者も傍聴)では、1996年に不支給処分取り消しとして、第1の請求が認められました。また、2001年,東京地裁は,本件接種に過失があり,それによって原告は損害を被ったとして因果関係も肯定し、第2についても原告勝訴の判決を出しました。 その後、第1が認められると自動的に第2も認められることから、被害者救済に厚い反面、国が認めない方向に固執し、逆に被害者救済を阻害することになったいう見解も出され、「疑わしきものは認定」ということで、国の因果関係を肯定する姿勢を躊躇させ、逆に被害者救済逆に阻害する可能性が出てきたとの見解もだされています。第3の請求のロジックは今のところ日本の高裁レベルでは否定されていますが、米国はこれに近い考え方取っており、低額ではあっても無過失補償を得るか、弁護士を立て徹底的に損害賠償を争うかの二者択一をさせるという制度を取っています。米国の制度は優れているのか 米国では、1970年代から80年代にかけて,予防接種による被害者がワクチン製造業者や予防接種を実施した医師を被告として訴える訴訟が増加しました。予防接種を推進した州政府や連邦政府を訴えなかったのは,アメリカでは伝統的な主権免責法理の下で国家責任を問うことが難しいこと,主権免責を放棄した州についても予防接種自体が効果的な公衆衛生の施策だと評価されている限り,そこに過失を伴う不法行為があるという立証は不可能に近いと考えられたからだとされています。 そこで,アメリカでは,当時製造物責任一般について判例法による無過失責任(厳格責任)等の救済が拡大していたことから、ワクチン製造業者に対する製造物責任訴訟が主要な被害者救済手段となりました。1980年から1986年までの間に,予防接種被害に関する製造物責任訴訟の請求額は総額で35億ドルにも上り,賠償責任を恐れて,製薬会社でワクチン製造から手を引くものが増加したとされています。 アメリカの場合には,社会の個人主義的傾向にもかかわらず,強制という要素を伴わせて1988年に救済制度が連邦政府の下で作られました。しかも,アメリカの場合,その救済を選択すると損害賠償請求の訴権を失う形(補償としての被害救済制度と損害賠償請求訴訟が択一的で,どちらかを選択しなければならない)になっているのです。その代わり,被害救済制度では過失を立証する必要がなく,予防接種によって被害を受けたことだけを立証すれば救済が与えられるとされています。 アメリカの弁護士には,予防接種によって被害を受けた人に相談をされた場合,この救済制度が存在することを知らせる義務が課されており,不法行為訴訟に訴える前に救済制度への請求をしなければならない形になっているそうです。しかしながら、米国の救済制度がうまくいっているわけではなさそうです。 無過失補償と言っても、① 軽微な損害を除外するため,損害は少なくとも6か月以上継続し,死亡かまたは入院や手術を必要とする重症の場合に限定した。②救済を請求する期間に一定の出訴期限を設けた。③請求にあたっては,百日ぜきなど限定列挙された一定範囲の感染症に対する予防接種を受けた事実とそれによって被害を受けたことを証明する医療記録を提示することが求められている。④法律には付表(table)が付けられており,そこには予防接種の種類ごとに一定の副反応と接種後発症する通常の期間が明記されている。それに当てはまる請求は付表型として因果関係ありとの推定が働く。しかし,それが当てはまらないケース(非付表型)では,被害者は予防接種によって被害が生じたことの立証責任を負う。⑤請求は裁判所に行う。Court of Federal Claims(連邦請求裁判所)に訴え,補助裁判官(special master)が240日以内に認定を行い,通常はそれに従った決定の形で判断がなされる。上訴も可能であり,その場合,Court of Appeals for the Federal Circuit(連邦巡回区控訴裁判所)への上訴がなされ,最終的には連邦最高裁へも上訴する可能性がある。国の責任追及と訴訟への支援を その実態は、被害者に手厚い保護を与えるための制度だと強調していたにもかかわらず,実際の運用は敵対主義的になっており,容易に因果関係が認められない状況になっている。予防接種と副反応との因果関係が現代の医学では十分にわからないことのリスクを,どちらかといえば被害者に負わせているのである。なお2001年から2005年までの期間で,この救済制度の恩恵を受けた被害者は年平均66件である。(以上、医療と法を考える 法学教室 2007 June № 321 予防接種被害と救済 樋口範雄より抜粋引用)日本のこれから~国の責任追及と訴訟への支援を これまで述べてきたように、子宮頸がんワクチンはいまだに定期接種の対象に入っています。未だに接種を受けている人がいるのです。また、いつ被害が発症するかとの不安な思いを持っている接種をした人に十分な説明責任を果たすためにも、定期接種から外し、政策の誤りを認め公的に謝罪すべきでしょう。まずはここから始めるとしても、被害者のための救済体制の整備もされていません。厚労大臣は超法規的な救済も視野に入れるとの発言をして、予防接種リサーチセンターで、わずかばかりの救済事業を始めましたが、医療費や医療手当の支給の留まり、その手続きも煩雑で被害者を苦しめています。 こうした中で、定期接種からもすでに5年を超えた今、法的裏付けのある公的な救済体制を求めての提訴は当然の権利です。提訴にネガティブな意見がネット上散見されますが、再発防止の観点から、国は真摯に訴えを受け、検証委員会を設置し、第三者機関として導入の経緯から再発防止の観点から、国自らがこれまでの姿勢を問うことがなければなりません。それをしないで、接種再開など許されるはずがないことは言うまでもありません。 最期に、お子さんがインフルエンザワクチンで被害に遭われ、「私憤から公憤へ」の著者であり、4大裁判の被害者をまとめ上げ26年の訴訟を戦い抜かれた吉原賢二さんの言葉を引用させていただきます。少数の被害者は「ひとごと」ではなく、もしかしたら自分にもあたるかもしれない災厄であり、社会の多数者の問題として意識されなけれならないということです。人がそれぞれの知恵とわざをもって造りあげた文明社会で、連帯の精神を忘れたらどうなるでしょう。社会は崩れるほかないと思います。予防接種が社会問題となって約40年、このことを明らかにしてきた私どもの運動はそれなりに意義があったと確信します。(中略)伝染病と人類の闘いは有史以来ですが、ワクチンは万能ではなく、その効果の限界、副反応の状況をよく把握して使わなければなりません。  問われているのは、私たち一人ひとりの医療リテラシーかもしれません。子宮頸がんワクチン禍訴訟を全力で支援していきます。[注1] 新刊ブックレット それでも受けますか?予防接種~知っておきたい副作用と救済のこと(コンシューマネット・ジャパン)[注2] http://www.aichi-med-u.ac.jp/mpcmhlw/H25研究報告.html(代表研究者 牛田享宏  愛知医科大学医学部学際的痛みセンター教授)[注3]ルンバール事件(東大病院ルンバール事件) 1975年10月24日に下された最高裁判決(民集29巻9号1417)。因果関係について、裁判所が因果関係の証明に関して「指導的な判断」を示した判例[注4]厚生労働省「予防接種制度の見直しについて(第二次提言)」(この提言で7つのワクチンの積極的推進の方向が出されたが、特に子宮頸がんワクチンについては委員間で疑問も呈される中、座長の加藤達夫氏が異例の意見書を出していた)

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    日本に万人平等の社会をもたらした「天皇」という超越的存在

    黄文雄(評論家)《徳間書店『世界が憧れる天皇のいる日本』より》  「国の誇り」は世界のどの国にもあるものである。 たとえば近代中国は、悠久な五千年の歴史や人口が多いこと、さらには地大物博(土地が広くて何でもあること)などを小学生の頃から教え、それを国自慢にしてきた。 近年よく話題になっているのは、韓国ハングル世代のウリナラ(我が国)自慢である。漢字もサッカーも、人類の文化、文明、文物はたいてい韓国起源と主張し、朴槿恵大統領まで、「韓国人は優れた創造DNAをもつ」などと自慢している。 もちろん西欧においても、大航海時代以後に文明的優位を確立してから、非西洋諸民族への植民地化は宗主国の使命であり、文明化や人道人権を伝えたとしている。現在でも自由、民主、人権などは普遍的価値として、欧米ではそれらを世界に広めたと誇りにしている。 戦後日本は、国に誇りをもつよりも貶める自虐史観が流行った。戦前はすべて否定され、「愛国」は危険な思想とまで見られてきた。だから「日本の誇りを取り戻す」ということは国を思う人々にとっては、むしろ宿願だろう。 だが、日本は「万邦無比」の誇りをもっている。それは「万世一系の天皇」をいただいているということである。そしてこれは世界唯一のものであり、世界の憧れでもあるのだ。象徴としての務めについてのお気持ちを表明される天皇陛下=8月7日、皇居・御所応接室(宮内庁提供) 日本は平安時代や江戸時代に数百年にわたる平和社会が続いた。また、戦後日本も70年近くにわたり平和を維持している。しかも、江戸時代から現在まで、来日した外国人が一様に認めるように、治安が良く、親切で、世界一安全な国である。世界中それほど安定して安全な社会があるだろうか。これも「万邦無比」であろう。 この平和な社会は、全人類にとって貴重な文化財産でもある。では、こうした「万邦無比」の平和と安定、そして安全な社会は、いったいどう生まれたのだろうか。それは「万世一系」が象徴するように、超越的な「天皇」の存在があってこそ、その社会を育んだのである。天皇を中心として国民がまとまり、平和が維持されてきたのである。そうでなければ、「万世一系」自体が不可能である。中華の王朝交替時に見られた反乱や虐殺の歴史を見れば、それは明らかであろう。 日本人にとっても、人類史にとっても「万世一系」の超越的な天皇の存在が、いかに貴重で「万邦無比」あり、未来の人類にとっても福音であるかということを明らかにするのが、本書を世に問う動機の一つである。世界一「何でもある国」日本 本書は主に四つの論題にしぼり、四章に分けて天皇をとりあげている。その主な主眼は次の通りである。(1)まず外国からの天皇観を紹介した。古代から近現代まで、そして東洋人、西洋人から天皇はどう見られ、どう語られてきたかを述べた。もちろんその中には誤解や曲解も含まれている。(2)他国では不可能だった「万世一系」が、なぜ日本では可能だったのか。そして、それが日本にどのような作用を及ぼしたのか。ことに明治維新以後にアジアでもっとも早く近代化し、世界の大国にまでなれた理由を、天皇の存在から読み解いていく。(3)天皇と他国の元首とはどこが異なっているのか。中華帝国の皇帝との違いを中心に、他国の国王や法王などのあり方の差異から、皇統が連綿と続いてきた理由を探る。(4)天皇と日本人の関係について。歴史的に見ても、天皇は日本人にとって「無私」としての公的で超越的な存在である。その一方で、日本人と天皇のつながりは、他国の国家元首と国民の関係に比べて、極めて強い。なぜ天皇は日本人にとって特別な存在なのか、その秘密を探る。 日本が海外から誤解されていることは多々ある。たとえば、戦後に民主主義が広まったというのも、その一つである。民主主義にとって必要不可欠な条件は、少なくとも二つある。一つは徳治(人治)社会ではなく法治社会であり、民衆に遵法精神があるということである。日本人の遵法精神については、すでに開国維新以前に確立されていた。そのことは、江戸時代に来日した西洋人の見聞録などにも書かれている(詳しくは拙著『日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか』〈徳間書店〉を参照されたい)。 もう一つは多様性の是認である。日本は世界一「何でもある国」である。江戸時代は朱子学だけでなく陽明学、蘭学、国学、そして神道も仏教もダイナミックに競っていた。天皇という超越的存在の下で万人平等の社会であったため、それが可能だったのだ。 フランスの民主主義は国王から奪ったものだが、日本の民主主義は四民平等、万民平等という社会のしくみから生まれたものである。 神代の神議から今日に至るまで、日本の民主主義は日本文化の歴史の申し子そのものであることは、本書でも改めて指摘したい。 本書は日本人が書いた天皇論とはやや趣を異とし、台湾で生まれ育ち、その後、日本で半世紀を暮らしてきた筆者が、第三者の目から天皇と日本人について分析したものである。日本の素晴らしさや底力について考えるための一助になれば幸いである。 黄 文雄(コウ ブンユウ) 1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。1994年、巫永福文明評論賞、台湾ペンクラブ賞受賞。日本、中国、韓国など東アジア情勢を文明史の視点から分析し、高く評価されている。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』の他、『世界から絶賛される日本人』『韓国人に教えたい日本と韓国の本当の歴史』『日本人はなぜ特攻を選んだのか』『中国・韓国が死んでも隠したい 本当は正しかった日本の戦争』『世界に災難をばら撒き続ける 中国の戦争責任』(以上、徳間書店)、『もしもの近現代史』(扶桑社)など多数。

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    なぜ天皇は日本人にとって特別な存在なのか

    黄文雄(評論家)《徳間書店『世界が憧れる天皇のいる日本』より》天皇の権威は「神格化」からくるものではない バチカン教皇庁のローマ教皇やかつてのオスマン・トルコの皇帝、ロシア帝国のツァーリが、権力と権威の両方を持つことは知られている。 日本の天皇は権威を持っているが、権力者ではない。権威というものはたいてい長い歳月を経た伝統から生まれるものが多いが、「造神運動(ぞうしんうんどう)」、いわゆる「神格化」によって作り出されるものもある。その一例としては、文革中、毛沢東を神格化しようとした「造神運動」がある。全民運動による物量作戦で、毛沢東が毛沢東思想とマルクス・レーニン主義の最高峰として不動の権威を確立したことはよく知られている。 日本の天皇が神聖視されるようになったのは明治維新後からではない。「現人神(あらひとがみ)」「現御神(あきつみかみ)」と呼ばれたのは、日本人のごく自然の感情の発露であって、神格化された神ではない。伊勢神宮を参拝するため近鉄宇治山田駅に到着された天皇、皇后両陛下。左は20年ぶりに携行される「三種の神器」の剣=2014年3月25日午後、三重県伊勢市(沢野貴信撮影) 大日本帝国憲法に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(第一条)、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」(第三条)という記載があるが、それは権威に関する記述であって、国家の大事はほとんど議会、閣議で決定し、天皇が独断で決めたことはない。 和辻哲郎(わつじてつろう)は、天皇は「現御神」であっても「ヤーヴェやゼウスのように超自然的超人間的な力を振るう神なのではない」として「御自らも神仏に祈願せられる」という祭司としての神だと指摘している(『尊王思想とその伝統』)。 『聖書』の「創世記」では、人間は天の父によって「つくられた」ものだとされている。これに対し、日本人は「神から生まれた」もので、神とは直接血がつながっているとされる。初代の神武(じんむ)天皇の開国は、武力によるよりも天照大神(あまてらすおおみかみ)からの血のつながりによってなされた伝統的権威であって、新たに「造神運動」などする必要がなかった。 天皇の真の使命は祭祀(さいし)だ。それは祭主としての神聖観からくる使命である。即位の後の大嘗祭(だいじょうさい)において、進退をつねに三種の神器とともにしていることからも明らかである。「国の祭主」天皇が国体の中核的存在になった 神武天皇以来、125代の天皇の中で、かつて「天皇親政」といわれる時代もあったが、それでも天皇が絶対的権力を牛耳って国家を支配したことはない。「君臨しても治めず」だった。 日本人の精神史から見て、天皇を神聖視するのは、はるか国家成立以前からである。和辻哲郎は、「天皇の神聖な権威は国民的統一が祭祀的団体としての性格において成り立ち来るところにすでに存する」(同右)と指摘した。天皇の神聖性は、政治的統一が行われるよりも遥(はる)かに古い時期に形成されたものなのである。 近代欧州の王権については「王権神授説」がある。西欧の神はGOD(ゴッド)であり、宇宙万物を創造した唯一の神で、超自然的な存在である。その神から王権を授かったとするのが「王権神授説」である。 一方、日本は「神授」とは違って、神代(かみよ)から「自然神」であり、神は神から生まれ、神は葦(あし)の芽(め)のように自然から生まれたものと考えられている。縄文文化を見ても、自然神信仰のアニミズムである。自然を神とする信仰から、天皇が神を祭る祭主として神聖視されるのもごく自然な感情で、「造神運動」から神格化されたものではなく、自然からごく自然に生まれた自然の感情である。 大日本帝国憲法と並ぶ「皇室典範(こうしつてんぱん)」には、皇嗣(こうし)が皇位を継ぐ践祚(せんそ)に際し天皇が「祖宗ノ神器ヲ承」とあり、「祭主」としての相続のあり方が明記されている。 日本は祭りの国として知られる。全国各地でさまざまな祭りが行われ、住民が絆(きずな)を育(はぐく)む場ともなっている。その土地その土地の神社を中心に行われることが多いが、精霊を慰める盆祭りなど寺院中心の祭りや、神社と寺院が半々のものもある。神社によって祭祀の様式に異なりはあるが、だいたいが「国安かれ民安かれ」と日常の罪(つみ)穢(けが)れを祈りによって禊(みそぎはら)祓いするものである。五穀豊穣(ほうじよう)を祈る天皇の祭祀となったものだった。新嘗祭に臨まれる天皇陛下=2013年11月23日、皇居・神嘉殿(宮内庁提供) 天皇は国の祭主として、全国の主要神社に幣帛(へいはく)(神への供え物)も供進している。つまり天皇は国の祭祀の中心的祭主にほかならず、祭主としての君主として、日本人に仰がれてきたのである。それが天皇と国民を結ぶ紐帯(ちゆうたい)となり、天皇が国体の中核的存在になったのだった。 福沢諭吉は『帝室論(ていしつろん)』(1882年)に「古代の史乗に徴するに日本国の人民が此(この)尊厳神聖を用いて直に日本の人民に敵したることなく又日本の人民が結合して直に帝室に敵したることもなし」と書いている。 洋の東西の歴史を見ると、国と民が敵対することが多いものである。たとえば易姓革命の国、中華の国は、「有徳者」が天命を受けて天子たる皇帝に即位するということを建前としているが、実際には天意と民意が異なる場合が多い。だから皇帝に基づく国権を重んじ、民権に反対してきたのである。 中国では、「国富民窮(こくふみんきゅう)(貧)」という言葉があるように、国富と民富とは対立するものなのである。「剥民肥国(はくみんひこく)」、民をしぼって国が肥(ふと)るという成語も生まれた。奴隷や愚民が理想的な人間像だから、ヘーゲルが「万民が奴隷」と定義する東洋型独裁専制の代表的な「国のかたち」こそ、中華帝国なのである。民は王朝とはまったく利害関係を共有しないので、「生民」「天民」とも称せられるのだ。 天皇が国体の中心となる国、日本の天皇が神聖視されるのは、統治者としての君主であることよりも、祭主であることによるのだろう。「昔の日本人は天皇を知らなかった」のウソ「昔の日本人は天皇を知らなかった」のウソ 戦後日本の「進歩的文化人」は、「江戸時代の日本人は天皇の存在を知らなかった」という主張まで始めた。これに対して里見岸雄(さとみきしお)(1897~1974)は著書『万世一系の天皇』で、こうした進歩的文化人らはただ2、3の特例を拾って、維新前の大部分の日本人が天皇を「知らなかった」と結論づけているが、その論証はあいまいで漠然としており、史実とはかなり乖離(かいり)している、としている。 もし日本人が天皇の存在を知らなかったとすれば、幕末のあの強烈な勤王思想(きんのうしそう)が、庶民の間にですら盛んな勢いで沸き起こったことを説明できないし、明治以降の国民の天皇崇拝意識もあり得ない。薩長(さっちょう)によってとってつけられたような天皇の権威であるなら、決して君民一体の大日本帝国は生まれなかったはずである。 江戸時代の民間文化や伝説の多くは、皇室の雅(みやび)に対する庶民の憧(あこが)れによって生まれたものである。たとえば雛祭(ひなまつり)はもともと宮中の伝統行事だったが、江戸中期以降に庶民の間でも流行した。雛人形は天皇を象(かたど)った人形にほかならない。庶民の間に流行した歌舞伎の戯曲(ぎきょく)や俳句、短歌でも、よく日本は「神国」と表現されたが、それは天照大神の子孫である天皇が治める国々という意味である。庶民に人気の「お伊勢参り」も「皇祖参り」以外の何ものでもなかった。明治初年、奥羽の住民は古来の注連縄(しめなわ)を門前に張って天皇の行幸(ぎょうこう)を仰(あお)いだ。これも天皇が天照大神の子孫であることを知っていたからである。祭りが大好きな日本人が、最高の祭主が天皇であることを知らなかったなどとは、どうしても考えられない。 大君の征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)、徳川の権力の根拠はどこにあるかといえば、それは天皇から付与されているという一言につきる。 國學院大學教授の大原康男(おおはらやすお)氏は著書『現御神考試論(あきつみかみこうしろん)』(暁書房)で、日本人は天皇を知らなかったという説について、はっきりと論拠だとする資料がほとんど提示されていないことを指摘している。 江戸中期に来日したオランダ商館長、ティッチングなど西洋人の日本見聞録には、日本の元祖は天皇であり、将軍はそれの武官であると記されている。 西洋人の日本見聞録にさえ書かれているぐらいのことを、日本人が知らないことがあるだろうか。武士にしてもほとんどが源氏か平氏の末裔(まつえい)と名乗り、自らの先祖が皇祖とつながっていることを意識していたのはいうまでもない。武士だけが知っていて、庶民が知らないということはないだろう。もし江戸時代の日本人が天皇を知らなかったら、「尊王攘夷(そんのうじょうい)」を掲げることもなかっただろう。 戦前戦後の天皇観に大きな変化があったことは事実である。天皇を戴く日本の国体は、神代の時代から続く、「万邦無比」(世界唯一)の国体だからだ。 古来、天皇は日本の国土を統一した大和朝廷の後継者としての政治的、権力的天皇と、国の祭主としての日本伝統文化の集約者、代表者という天皇観があった。日本の「万世一系」は「万邦無比」の国体 繰り返しになるが、天皇は国を代表して国家、国土の祭祀を行う祭司王だということである。大嘗祭や践祚などは、その皇権の権威と正統性を伝えるものだからだ。戦後は、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と日本国憲法にも明記されている。「万邦無比」の論拠の1つとなっているのが「万世一系」である。「万世一系」論は、20世紀初頭の辛亥(しんがい)革命(1911年)後に清(しん)王朝が崩壊した後、支那(しな)学者や東洋学者から国学者にいたるまで、日本人はしきりに易姓革命の国と「万世一系」の国を比較した。清国旗 清朝末期に制定された欽定憲法大綱は、明治の帝国憲法をモデルに「万世一系」の文言まで条文に入れたが、戊戌(ぼじゅつ)維新も立憲運動も、清の皇統と皇帝の権力を護持することに成功しなかった。満洲人の主張によれば、満洲史は支那史とは並行して5000年を有しているという伝説があるものの、太祖(たいそ)のアイシンカクラ・ヌルハチが後金国を建国してから約300年の歴史しかなく、日本とは異なり神代からの「万世一系」とは言えなかった。 実際には天皇国家日本に類似する国体が20世紀の初頭、アフリカの高地エチオピアに存在していた。しかしこの国体は1974年に消え、今現在「日本の万世一系」の国体はたしかに「万邦無比」のものである。 第2章でも記述したが、「万世一系」に対する批判は戦後起こったものではなく、戦前にもあった。早大教授、津田左右吉博士の『古事記及び日本書紀の新研究』『神代史の研究』などの文献学的批判は有名である。 また、こちらも繰り返しになるが、戦後、江上波夫東大名誉教授が1948(昭和23)年に「騎馬民族征服王朝説」を説くと、大きな話題を呼び、論争になった。水野祐(みずのゆう)早大名誉教授が1952(昭和27)年、『日本古代王朝史論序説』を著して「万世一系」思想を否定し、いわゆる「三王朝交替説」を説く。古代日本では、互いに血統の異なる3つの王朝が交替していたとする説である。 春秋戦国(しゅんじゅうせんごく)時代以前の黄河中、下流域の中原(ちゆうげん)地方も血縁が異なるどころか、夏(か)人、殷(いん)(商)(しょう)人、周(しゅう)人など3つの異民族が約2000年にもわたって混合されて形成された文化集団が、いわゆる華夏の民、漢人の祖先とされている。水野教授の「三王朝交替説」は、日本上古史のことで、実証するには限界があるだろう。こうした「万世一系」否定説は、考古学、民俗学、神話学、国文学など、さまざまな分野や論者から出ている。 「万世一系」説以外に「天皇不親政」論も大きな議論のテーマとして残っている。津田左右吉は「建国の事情と万世一系の思想」(雑誌「世界」1946年4月号 『津田左右吉歴史論集』岩波文庫)と題する一文の中で、「天皇親政論」について、「国民的結合の中心であり国民的精神の生きた象徴であるところに、皇室の存在の意義があることになる。そうして、国民の内部にあられるが故に、皇室は国民と共に永久であり、国民が父祖子孫相承(あいう)けて無窮に継続すると同じく、その国民と共に万世一系なのである」と説いている。 実際、超古代史は「謎解き」の説に止まっていることはよく知られている。大和朝廷以後の日本史には、政権を握った蘇我(そが)、平、源(みなもと)、足利(あしかが)、豊臣、徳川などが登場する。文官もあれば武官もあり、政体は異なるが、天皇不親政が伝説となっている。 しかし、天皇不親政についても批判は少なくない。古代の天武(てんむ)天皇前後の天皇や中世の後醍醐天皇などは親政した、戦前の明治憲法では、天皇は国家元首として統治権の総攬者(そうらんしゃ)であるとの規定があり、大権を持っていたので、戦後の「象徴天皇」とは異なるなどの主張もあり、天皇論は続いていく。「現人神」と「ゴッド」の違い「現人神」と「ゴッド」の違い 中国の日本研究者には、日本の天皇を「古代からの奴隷主」と決めつける者が少なくない。それは伝統的中華史観からではなく、人民共和国成立後に跋扈(ばっこ)したマルクス、スターリンの「史的唯物論」のドグマからくる発想である。 人民共和国政権が成立した後、伝統的正統主義的中華史観は全面的に禁止され、革命史観しか許されなかった。唯物弁証法(ゆいぶつべんしょうほう)に基づく唯物史観である。唯物史観の図式によれば、人類の発展は原始共産社会から奴隷社会へ、さらに封建社会、資本主義社会、そして社会主義社会・共産主義社会へと発展していくというものである。 日本は「日本民主主義人民共和国」の革命成らず、社会主義社会にまで発展することができなかったと、中国人日本研究者は考えた。奴隷社会という中国の史実と現実からの投影もある。 詩人、政治家、そして古代史研究家でもあった郭沫若(かくまつじゃく)は、中国の代表的文化人といえる。『中国古代社会研究』や『十批判書』などの著名な著書の中で、氏は古代中国社会は奴隷社会だと説いている。 中国近代文学の父として、神格化された毛沢東とともに唯一中国で高く評価されている魯迅(ろじん)が唱えた中国奴隷史説も有名である。 魯迅は学者の歴史の時代区分に反対し、中国史を「奴隷になろうとしてもなれなかった時代としばらく奴隷になれて満足している時代」とに二分すればよいと説いている。魯迅だけでなく、中国史を奴隷史と説く近代中国の文人は多い。 人民共和国の国歌「義勇軍行進曲」は冒頭、「奴隷になりたくない人民よ、立ち上がれ」と勇壮な文句で始まる。しかし、中国人は結局立ち上がることはできず、「社会主義中国」の中身は「新しい奴隷制度」にすぎないとも指摘されている。 マックス・ウェーバーは中国を「家産制国家」(支配者が国家を私的な世襲財産のように扱う国)と呼んだ。ヘーゲルの定義によれば、「一人だけが自由、万民が奴隷」という「アジア型専制独裁国家」の典型である。人民共和国が「真の人民民主主義」と誇りにする「人民専制(プロレタリア独裁)」そのものが、まさしく中国政府が自称する「中国的特色を持つ社会主義」だろう。 山本七平(やまもとしちへい)(1921~1991)によれば、奴隷制度がないのは、世界で日本人とユダヤ人だけだという。  日本人が「現人神」として抱く伝統的な天皇観は、キリスト教を信仰する西洋人には理解できない。自然や人間としての「神」は、西洋人の「GOD」とはまったく違うものだからである。宮内省(当時)の職員運動会を、昭和天皇と一緒に観戦される天皇陛下=昭和22年4月、皇居内の馬場(宮内庁提供) 神話における天照大神は、一神教に見られるような唯我独尊的な排他的な神ではなく、八百万(やおよろず)の神々を集めて「神集えに集え、神議かりに議かる」と衆議を命じた神とされている。その神の直系の子孫として地上の日本を治めるとされる天皇もまた、皇族、臣民の補翼(ほよく)、つまり彼らの叡智(えいち)を結集して政治を行うのが伝統である。つまり独裁という概念が生じないのが、日本の君主制度の一大特色なのである。 戦後、現人神の「神」が「ゴッド」と訳されたため、アメリカ人は天皇をそう理解した。天皇が神、ゴッドなどとは独裁、独断、迷信だと、GHQが昭和天皇の「人間宣言」を命令したのである。アインシュタインをも驚かせた「万世一系」 しかし日本人は天皇を全知全能のゴッドのように考えてはいなかった。日本人は古来、神と通じ、神の心を体現する天皇を目に見える神として「現人神」と呼んできたのである。天皇は決して宗教上の「神」ではなかった。アルバート・アインシュタイン(共同) 1922年、日本を訪問したアルバート・アインシュタインは、早稲田大学の大隈講堂で行った講演で次のように語っている。 「近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない。果たせるかな、この国の三千年の歴史がそれであった。この長い歴史を通じて一系の天皇をいただいていることが、今日の日本をあらしめたのである」 さらにこう続けた。 「世界の未来は進むだけ進み、その間、いくどか争いは繰り返され、最後は闘いに疲れる時が来る。その時、人類はまことの平和を求め、世界的な盟主をあげなければならない。世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、最も古く、また尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まり、アジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない」(『新世紀の宝庫・日本』名越二荒之助著。アインシュタインの発言については、田中智學の『日本とは如何なる國ぞ』〈1928年〉、雑誌『改造』〈1922年12月号〉などに多く出ている) アインシュタインよりも約6年早く、1916年に日本を訪れたフランスの哲学者、神学者で高名な詩人だったポール・リシャール博士は、日本に魅せられ、その後4年間日本に滞在した。そのとき詠んだ「日本の児等に」と題する詩に、日本の7つの栄誉と使命をあげている。その6番目と7番目を紹介しよう。 (6)建国以来一系の天皇を永遠に奉戴(ほうたい)する唯一の民よ。貴国は万国に対し、人がなお天の子であり、天を永遠の君主とする一つの帝国を建設すべきことを教えるために生まれてきた。 (7)万国に優って統一性のある民よ。貴国は未来の統一に貢献するために生まれ来た戦士として人類の平和を促すために生まれてきた。アインシュタインの思いと似ている。 1919年、第一次大戦後のパリ講和会議で日本は人種の平等を国際連盟の規約に入れるように提案した。これは国際会議における世界で初めての人種差別撤廃の提言であった。それはアメリカのウィルソン大統領の反対で潰えたが、その後、日本は有色人種にとって希望の星となった。そしてそれは、アメリカの黒人たちも同様だった。 アメリカの黒人史の専門家で、ハンプトン大学や神田外語大学の助教授も務めたレジナルド・カーニー氏は、著書『20世紀の日本人』(五月書房)で、当時のアメリカの黒人たちの親日感情について記述している。 当時、黒人差別を撤廃するために汎アフリカン運動を組織していたアメリカのW・E・B・デュボイス博士もその一人で、1937(昭和12)年に満洲と日本を訪れ、「日本人ほど知的で礼儀正しく、清潔好きで、時間を守り、善悪の判断をする国民はいない」と知り、「神道とは善悪を見きわめて行動する教義であり、それを人格化したのが天皇である」と述べたという(『世界に開かれた昭和の戦争記念館』展転社)。 カーニー氏は、著書の中で、「日米戦争を喜んだのは中国人やインド人、フィリピン人などだけではなく、アメリカ黒人も同じように喜んだのである。黒人の中には、この戦争は『人種戦争』だと公言し、日本はアジアを白人から解放する英雄であるというものすら出てきた。白人優位の神話を根底から覆した日本人。そんな日本人と戦うくらいなら、監獄に行った方がましだ。こんな考えが黒人の間を駆けめぐっていた」とも記している。天皇という超越的存在の下の同胞意識天皇という超越的存在の下の同胞意識 明治維新だけがなぜ成功したのかについては、維新から100年以上が経った今もなお、魅力と興味を誘う政治改革の研究テーマの1つである。 近現代、ことに西力東来後の列強の時代になって、「維新」(あるいは変法ともいわれる)をめざしたのは、決して日本だけではなかった。たとえば日本の隣国を見ても清末の戊戌(ぼじゅつ)維新、朝鮮にも同時代に甲申(こうしん)政変があったが、すべて失敗した。戦後、イランのパーレビ国王の維新(白色革命)も失敗に終わった。 なぜ日本だけが成功したのかについて、渡部昇一(わたなべしょういち)氏は、「それは神話の時代以来連綿と続いている天皇という超伝統的な要素が、まず先端をきって近代化したためである」と指摘している。 易姓革命の国、中国で改革維新が唯一成功したのは中華帝国よりはるか昔、戦国時代の秦の商鞅(しょうおう)変法のみだった。これ以外には、歴代王朝の変法は戊戌維新だけでなく、宋(そう)の王安石(おうあんせき)変法をはじめ成功したものはない。血を流す「革命」しかなかった。フランス革命もロシア革命も血の粛清を避けられなかったのである。功臣や同志に対する血の粛清がなければ、革命政権は安定しない。 隣邦の韓国(朝鮮)の易姓革命を見ても、前王朝、あるいは前大統領に対する血の粛清は凄(すさ)まじいものである。たとえば、現在の朴槿恵(パククネ)大統領は、政敵を暗殺した安重根(あんじゅうこん)を民族の英雄として、大々的に造神運動を進めているが、韓国人によるジェノサイドはほぼ民族の特徴ともなっている。明末の明人大虐殺をはじめ朴正熙(パクチョンヒ)時代の南ベトナム解放民族戦線大虐殺、近代でも金玉均(きんぎょくきん)や独立運動指導者の金九(キムグ)や呂運亨(ヨウニョン)などもことごとく政敵に暗殺しつくされ、朴槿恵大統領の両親朴正熙大統領夫妻も暗殺された。 なぜ日本だけが自国民に対するジェノサイドを避けられたのだろうか。そこにも超越的な存在としての天皇の存在と日本人が持つ同胞意識に理由がある。 たいていの社会はないもの、欲しいものを「そうである」「そうすべきである」と強調する。それがごく一般的な常識といえる。しかしあることとあるべきことを区別できる人はそれほど多くはない。 中華の国は仁義道徳を強調し、ことに孝は万徳の本だと強調する。それはそうすべきである(当為(ダンウェイ))という願望にすぎない。中国や韓国は家族を大事にする国だとよくいわれているが、実際には親子兄弟姉妹の殺し合い、いがみ合いはほかのどの国よりも激しい。李(り)朝の例を見ても、李成桂(りせいけい)が高麗朝から政権を奪ってから、諸子たちは殺し合い、第一次王子の乱から第二次王子の乱へと王位をめぐる殺し合いが繰り広げられた。それは近現代には朋党(ほうとう)の争いへと引き継がれ、朝鮮半島の社会のしくみ、歴史の掟(おきて)として今日に至り、南北対峙(たいじ)が続いている。同胞意識が欠如しているだけでなく、祖国から離れても、アメリカの大学で韓国人学生による銃乱射事件が続出し、不特定多数の人間に対する恨(ハン)は消えない。 なぜ韓国人は政敵に対してだけでなく、無差別に、誰に対しても恨をもつのだろうか。日中韓の文化比較はきわめて示唆的(しさてき)である。中華世界では絶対出来なかった明治維新の偉業 そもそも明治維新は、外圧を受ける中で国内の団結が求められたとき、佐幕派も討幕派も敵対し得ない、天皇を中心とした国を造らなくてはならないと痛感した上での「尊皇攘夷」だった。そこで内戦の危機を最小限に抑えるために、大政奉還、江戸城無血開城、廃藩置県という国の大事が無血のまま行われ、国民のエネルギーを結集し、さまざまな国難を乗り越えて近代化を断行できたのである。中国のような国共内戦や韓国のような南北戦争を避けられたのは、天皇という国家の祭主の下で、日本人同士が同胞意識を持っているからだろう。これは易姓革命がなくても維新、改革を可能にした日本の社会のしくみでもある。徳川慶喜 明治維新後では、大政奉還した徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は公爵(こうしゃく)にまで列せられ、徳川家達(いえさと)は貴族院議長を務め、五稜郭(ごりょうかく)で最後まで官軍に矢を向けた榎本武揚(えのもとたけあき)は海軍卿(きょう)、同じく大鳥圭介(おおとりけいすけ)は駐清国公使になっている。徳川慶喜の孫は高松宮妃(たかまつのみやひ)となり、京都守護職の松平容保(まつだいらかたもり)の孫も秩父宮妃(ちちぶのみやひ)になった。そして本来朝敵だった徳川家の家臣たちは新政府の行政機構の中枢を担い、引き続き国政を支えていった。これは中華世界では絶対あり得ないことである。 中華世界では、政敵の一家皆殺し、いわゆる「滅門」だけでなく、海外まで逃げ隠れても、追っ手がどこまでも追いかけてくるしつこさがある。 たとえば朝鮮の甲申政変の主役であった金玉均は、改革失敗後、東京や札幌など転々と逃亡し続けたが、ついに上海で暗殺され、その亡骸(なきがら)は朝鮮に運ばれて八つ裂きにされた。 その残酷な有り様を知った福沢諭吉が、中華大陸と朝鮮の近代化に絶望し、「脱亜論」を書いたことは有名な話である。 台湾では、蒋経国(しょうけいこく)(蒋介石の長男で第6代・7代の中華民国総統)のことを批判的に書いた『蒋経国伝』の著者で台湾系アメリカ人の江南が、サンフランシスコで台湾からの刺客に暗殺されるという「江南事件」があった(1984年)。これにアメリカ政府は激怒し、蒋介石一族の「帝位継承」は2代目で終わってしまったのである。 佐幕派も討幕派も、「尊皇攘夷」という共通の錦旗(きんき)の前で一変することが可能なのは、まさしく天皇という超越的存在があるからである。内戦のような事態に陥っても、互いが憎悪や不信に駆られて徹底的な殺戮(さつりく)を行うことがなかったのは、天皇という「家長」の下で、日本人同士が同胞意識を強くもっているからである。日本国民は貴賤(きせん)を問わず、この神聖なる天皇という存在の「赤子」であることを喜び、国家と国民が一体感を持っているからなのである。天皇と日本国民の固い絆天皇と日本国民の固い絆 戦後、「一視同仁(いっしどうじん)」という言葉はタブー用語にまではされなかったが、いわゆる進歩的文化人によって嘲笑(ちょうしょう)の的(まと)として頻繁に引用されている。 しかしこの言葉のいったいどこが悪いのだろうか。天皇から見れば、「臣民」であろうと「赤子」であろうと、国民でも「非国民」でも、良し悪しを超えて見る立場にあり、私を超えて「無私」という立場を貫いている。それは、「天皇制打倒」を狙(ねら)う者に対しても例外ではない。 敗戦直後、日本が食糧危機に直面した際、日本の左翼政党に率いられた人々が皇居のまわりを囲い、「朕(ちん)はタラフク食ってるぞ、ナンジ、人民飢えて死ね」というプラカードを掲げ、米をよこせのスローガンを叫んでデモ行動を行った。 侍従(じじゅう)の一人が「陛下、あれは共産党の煽動によるデモです」と言うと、昭和天皇は「あれも日本国民だろう」と答えたという。 第16代仁徳(にんとく)天皇が先代の応神天皇から位を継ぐ前に、さまざまなエピソードがあった。応神天皇は、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子を皇太子に立てた。ところが天皇が崩御すると、皇太子は兄の大鷦鷯(おおさざき)皇子が天皇に即位するよう望んだ。兄の皇子こそ人格が優れ天皇の大位につくべきだと考えたのである。しかし大鷦鷯皇子は弟の申し出を辞退した。そうこうしているうちに、もう一人の兄の大山守(おおやまもり)皇子が皇太子暗殺をはかったが、失敗に終わった。皇子と皇太子の兄弟2人で皇位を譲り合うこと3年に及んだ末、皇太子はついに自殺して兄に皇位を譲り、皇位についたのが仁徳天皇だった。大阪府堺市の仁徳天皇陵 仁徳天皇は難波に高津宮(たかつのみや)を営んだが、生活は質素だった。即位して4年目に、天皇が高殿から眺めると、民家からかまどの煙が立ちのぼっていないことに気がついた。「民百姓は貧しいために炊くことができないでいる」と群臣に相談して、向こう3年間、徴税を止めた。 それから3年後に煙が上がったので、「朕はすでに富んだ」と喜んだが、皇后は「宮殿の垣根が破れ、建物は荒れ、衣裳もぼろぼろ、それなのに、富んだなどとよくおっしゃるものですね」と言った。 すると天皇は「もともと天が王を立てるのは、民百姓のためなのだ。民百姓のうち1人でも飢えこごえるものがいれば、わが身を責めたのだ。民百姓が豊かならば朕は豊かである。民百姓が富んでいるのに王が貧しいということは聞いたことがない」と答え、さらに3年間、税を免じた。信長も秀吉も家康も天皇に取って代われなかった マックス・ウェーバーが言う「家産制国家」の中華の王朝とは違って、日本の天皇家は中国の「家天下」と異なる。つまり天下の財産はすべて天子・皇帝のものとする中華王朝とは対照的に、皇室は古来質素だった。ことに武家時代にはなおさらである。応仁(おうにん)の乱の時代には、天皇家は貧乏きわまりないものだった。第103代後土御門(ごつちみかど)天皇は1500(明応9)年10月21日に崩御したが、葬儀にあたってその費用さえなかった。幕府から1万疋(ひき)の献上金が用意されるまで、遺骸は43日間も清涼殿北側の黒戸御所に安置されていた。天皇の菩提寺(ぼだいじ)である泉涌寺(せんにゅうじ)で大葬に付されたのは11月7日のことだった。 その子の第104代の後柏原(ごかしわばら)天皇が践祚(せんそ)し即位式を行うときにも応仁の乱のため費用がなかった。朝廷は即位式のための50万疋(5千貫文)の費用さえ調達することができず、即位の式典が実現したのは、践祚から21年後のことだった。 戦後日本は一変して、日本共産党をはじめ、国外の諸勢力を背後にひかえた者たちが「天皇制廃止」を掲げ、「日本革命」と「天皇処刑」を唱えた。何かあるたびにメディアを動員して、皇室バッシングを行ってきた。その一連の策動により、1993(平成5)年10月20日、59歳の誕生日を迎えた美智子皇后が赤坂御所の談話室で倒れ、失声症になる。そして週刊誌の皇后バッシングが始まった。熊本地震で避難所となっている益城中央小を訪れ、被災者に声を掛けられる皇后陛下=5月19日、熊本県益城町(代表撮影) 宮内庁は同26日に皇室への批判に対する反論を発表した。美智子皇后も「批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が繰り返し許される社会であって欲しくありません」と文書で回答した。 戦後日本の報道の問題は、まさしくそこにあると筆者も痛感している。無責任で悪意に満ちた言論人の驕(おご)りには、つねに憤りを感じさせられる。 どのような世界でも、戦乱にもなるとそれまでの王権が消え、地方の有力諸侯などが覇(は)を競い、王を名乗ることがほとんどである。たとえば春秋五覇(しゅんじゅうごは)や戦国七雄(せんごくしちゆう)はそれぞれ公や王と自称し、五胡十六国の時代は多くの王や帝が乱立した。そうした例はいくらでもある。 日本では応仁の乱以後、天皇の存在が薄くなった時代もあったが、織田信長や豊臣秀吉が天皇に取って代わることはできなかった。徳川の武家政治が300年近く続き、皇室を無力化したが、最後にはやはり、大政奉還せざるを得なかった。 応仁の乱から明治維新に至るまで、天皇は権力も武力も、財力さえジリ貧の時代だった。即位式も、葬式でさえ幕府や有力な大名から費用を出してもらってやっと執り行うことができ、泥棒が宮内に入ってくることさえあったのである。「無私」の超越的存在としての天皇「無私」の超越的存在としての天皇 有史以来、日本人にとって皇室は「私」のない「公的」存在として考えられてきた。100%の公的存在であることは日本の皇室の伝統であり、文化そのものでもある。 法的には明治憲法、大日本帝国憲法と戦後の日本国憲法にも明記されているが、近現代になってから、その考え方にも若干の変化が見られる。それは、世俗的社会を超越した国家元首としての存在である。 天皇の超越性について、福沢諭吉は『帝室論』で「帝室は政治社外のものなり。苟(いやしく)も日本国に居て政治を談じ政治に関する者は其主義に於て帝室の尊厳と其神聖とを濫用す可(べか)らずとの事は我輩の持論」としている。また、国会開設以前の1888(明治21)年に『尊王論』を著し、政党政治は政争をともなうもの、国論を二分する可能性も潜むので、その「俗世界」を「皇室は独り悠然として一視同仁(いっしどうじん)の旨を体(たい)し、日本国中唯忠淳(ちゅうじゅん)の良民あるのみにして友敵の差別(さべつ)見ることなし」という天皇は、あくまで「不党不偏」の立場に立った超越的、超俗的存在でなければならないと説いた。 吉野作造も「枢府と内閣」の一文で、「我国に於いて君主の統治し得る全能の地位に拠り乍(なが)ら而(しか)も親(みずか)ら統治せず、唯君臨して自ら国民の儀表たり、政界紛争の上に超越して常に風教道徳の淵源(えんげん)たる所に寧(むし)ろ我が国体の尊貴なる所以(ゆえん)が存するのではないか」と論じていた。 日本の天皇は国家の祭主である以上、祈りの心を持つ「無私」の存在として超世俗的な公的存在であることが、伝統であると客観的にみなされる。 ところが近現代になり、時局時勢の変化に従って、政局に左右されざるを得なかった。三島由紀夫 三島由紀夫は『文化防衛論』の中で、「無私」という天皇政治の本来的性格の「恐るべき理論的変質」が始まったのは1925(大正14)年の治安維持法制定からだと指摘している。 治安維持法の制定直後、左翼運動家たちから「ブルジョア階級が神聖なる国体を自己防衛の具にして悪用した」という批判が上がった。社会主義思想蔓延(まんえん)の危機感から公布されたこの法律の第一条には、「国体を変革し、又は私有財産制を否認することを目的として結社を組織した者」を罰すると規定され、今日では「天皇制ファシズム」を確立するための国民の思想統制の道具だったと非難されている。 三島由紀夫によれば、この法律が国体と私有財産制(資本主義)とを並列したため、両者はその瞬間同義語になってしまったのである。無産階級の国体即資本主義とする考えは無知であり、国体をブルジョア擁護の盾とするのは国体冒瀆(ぼうとく)だと三島は糾弾した。「経済外要因としての天皇の機能」を認めないのは唯物論者だけだったが、この法規定によって彼らの「不敬」の理念が、誰一人として気がつかないうちに日本人の間に定着したことを述べている。 そもそも皇室は超世俗的な「公的」存在であり、私財を有しないのが原則である。明治維新以前に「禁裏十万石」と称されていたのは、皇室の私産ではなく公的な経費だった。宮城、京都御所、各地離宮、正倉院財宝、御用林野などは決して天皇の私産ではない。 昭和天皇崩御にあたり、政府が今上天皇に対して皇位継承にともなう相続税を設定したことは、戦後政府の皇室、公人である天皇の伝統を曲解したものである。 さらに戦後の政党政治の建前として、天皇を政治圏外におくべきだと主張するのも、天皇の権限を制限する日本国憲法の規定に沿うなどといって好意的に解されているが、「君臨すれども統治せず」とは政治からの完全な排除ではなく、政争には介入しない超越的存在としての超俗的「無私」の精神こそ天皇の役割、そして存在理由だ。だから「政治利用」について国民からもタブー視されているのである。真のユニークな日本文化とは何か真のユニークな日本文化とは何か 文化と文明の定義は実に難しく、国によっても民族によっても違う。文化が個々にユニークなものであるのに対し、文明は普遍的で、どの民族も国家も共有することが可能である。物質的なもの、ハードウエアが文明で、精神的なもの、ソフトウエアが文化だと思う。 とりわけ日本文化はユニークだと昔から内外からよく言われ、議論されている。では、いったい日本文化の何がユニークなのだろうか。日本文化のうちもっともユニークな点は何かと問われれば、「万世一系」の天皇と平和の社会的しくみだと私は躊躇(ちゅうちょ)なく答える。これだけは人類史のどこにもない、あり得ない、「万邦無比」のユニークな日本文化である。1月、フィリピンを訪問し「比島戦没者の碑」に供花される天皇、皇后両陛下(共同) それはいったいどこから生まれたものかというと、日本列島は地政学的、物理学的に一つの定量空間であり、それによる自然の摂理と、社会のしくみからである。そのもっともよく知られ、共鳴共感、共有されているのが「和」の原理である。日本民族が「和」あるいは「大和民族」と自称し他称されるのも、この和の原理を共有しているからである。和の原理は仏教的な衆生(しゅじょう)の思想と神道的な共生の思想の習合によって生まれた自然の摂理と社会のしくみであり、そこから日本人の自然や社会環境に対する対応力が生まれてきたのである。 たとえば、平和社会というしくみについては、「和」や「大和」の社会にしか生まれてこないもので、「同」や「大同」の社会なら必ず抗争や紛争が絶えない。そこが日本と中国やほかの国のしくみの違いというものである。 日本は戦後内戦が起きなかったことはもとより、江戸時代は300年近く、平安時代は400年近く、縄文時代は1万年ほども平和を保ち続けてきた。そんなことがいったいなぜ可能なのだろうか。「平和運動」が盛んに行われたためではもちろんない。平和な社会は自然の摂理と社会の仕組みから生まれたもので、日本文化の基層を支えるものである。だから「平和主義」「平和運動」「平和のしくみ」について、それぞれの次元から語らなければならない。これについては別の機会に述べることにして、もう1つのユニークなしくみが「万世一系」の天皇である。 天皇が「万世一系」であるということについては、さまざまな異議、異論もあるだろう。けれど神代から今日に至るまで、日本史はいかなる紆余(うよ)曲折を経ても「易姓革命」はなかった。古代に王朝が別の一族に変わったという異説を唱える学者も中にはいるが、長い歴史において、律令、摂政、幕藩といった体制、さらに国民国家の時代に至るまで、天皇は日本の歴史とともに存在してきた。皇室の存在を抜きにして日本史を解くことも語ることもできないというのが事実である。日本人の心の中に存在している天皇観は、それぞれの時代によって違いがあっても、無視することはできない。日本文化そのものが皇室を核に形成されたものともいえる。 社会的条件の変化から国際環境の変化によって、人類史にはさまざまな革命があった。易姓革命だけでなく、宗教革命や市民革命、産業革命、社会主義革命、さらに人間革命と呼ばれるものまである。 万物は流転する。有為転変は世の常で、文化も文明も文物も王朝も王家も環境や時代とともに消えていく。しかしなぜ日本の天皇だけが「万世一系」の存続が可能なのか、それこそ「万邦無比」である。いくら饒舌(じょうぜつ)な論客が言葉尻(ことばじり)をとらえても、日本の天皇は今でも存在する。いくら政情の動揺や激変があっても、天皇は今でも存在しているのである。天皇は人類共有の貴重な財産である たしかに戦後、日本は有史以来存亡の危機に直面した。しかしアメリカの夢も、社会主義世界革命、人類解放の夢も、日本の文化伝統に取って代わることはできなかった。日本人の心情と宗教心は神代から国生みの物語とともに、天皇家をコアに続いてきたものである。どんな革命も文化摩擦も、文明の衝突も、日本人の心の奥底にある天皇との絆(きずな)を断ち切ることはできない。 天皇と国家の関係を考える場合、ことに近代国家になってから、天皇は、いっそう国民の心の中で国民ともにある共生的存在となった。「天皇陛下万歳」と叫ぶのは日本人のアイデンティティのシンボルでもある。敗戦後でさえ、日本国民の95%が天皇を支持しているとの調査結果がある(川島高峰『戦後世論調査事始──占領軍の情報政策と日本政府の調査機関』ゆまに書房)。しかも敗戦後であっても、アメリカの占領政策の遂行には、天皇抜きには考えられなかった。日本への進駐軍の目には、戦争中以上に恐ろしい日本であると映ったことだろう。 戦後日本は「象徴天皇制」であるという言論人が多いが、天皇はむしろ日本文化とともにある文化的象徴といえる。天皇陛下の「お気持ち」を表明したビデオメッセージを放送する街頭ビジョンに足を止めて見入る通行人=8月8日、東京都新宿区(撮影・春名中) 少なくとも近現代史を見るに、国際環境がどのように変化しても日本が強かったのは、まさしく日本人の一人一人が天皇とアイデンティティと価値観を共有していたからだった。日本人と天皇は文化、文明を共有していたのだから、課題も夢も共有していたに違いない。 ユーラシア大陸に限定してみても、西洋も中洋(中東・中央アジア)も東洋も、いかなる文明、民族、国家も、あたかも歴史の法則のように興亡を繰り返してきた。ギリシャ・ローマ文明の流れをくむイベリア半島やバルカン半島も、長期にわたってイスラム文明に支配された。東亜世界だけでなく、インド世界に至るまで、草原の力に屈したことがしばしばあった。 中国大陸は万里の長城の存在がそれを示しているように、異民族の侵入による脅威が度々あった。五胡十六国(ごこじゅうろっこく)、南北朝(なんぼくちょう)時代もそうだし、それ以後も、遼(りょう)、金(きん)、元(げん)や満蒙の諸民族に繰り返し征服された。どの国家や民族も栄枯盛衰の運命を辿り、いったん「易姓革命」が起こったら、まるで法則のように歴史循環が繰り返されていくのである。 世界がこのような状況であったなか、なぜ日本だけが「万世一系」「万邦無比」の天皇の存続が可能だったのだろうか。このことについて、比較文化や比較文明の視点から見ればさらにはっきり見えてくる。 なぜ天皇が人類共有の貴重な財産なのだろうか。それは日本の自然の摂理と社会のしくみから生まれた「和」の日本文化を物語るものだからである。戦後アメリカイズムが拡散していくグローバリズムは、今現在さまざまなひずみに直面している。 今こそまさしく日本の文化を見つめ直すときだろう。黄 文雄(コウ ブンユウ) 1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。1994年、巫永福文明評論賞、台湾ペンクラブ賞受賞。日本、中国、韓国など東アジア情勢を文明史の視点から分析し、高く評価されている。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』の他、『世界から絶賛される日本人』『韓国人に教えたい日本と韓国の本当の歴史』『日本人はなぜ特攻を選んだのか』『中国・韓国が死んでも隠したい 本当は正しかった日本の戦争』『世界に災難をばら撒き続ける 中国の戦争責任』(以上、徳間書店)、『もしもの近現代史』(扶桑社)など多数。

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    土用の丑の日はいらない ウナギ密輸の「闇」台湾・香港ルートを追う

     [WEDGE REPORT]伊藤 悟(WEDGE編集部)ウナギの取材を始めると、違法行為や業界のコンプライアンス意識の低さなどが次から次へと明らかになる。ニホンウナギは絶滅危惧種にも指定されており、もはや「今年も土用の丑の日がやってきました」などとお祭り騒ぎをしている状況ではない──。 「絶対に名は出さないでくれ」 台湾のシラスウナギ(ウナギの稚魚、以下シラス)輸出業者は我々取材班にそう告げた。なぜ名を出すことを頑(かたく)なに拒むのか──。それは彼に「罪」の自覚があるからである。 日本人の好物であるウナギを巡って、台湾、香港、日本を舞台に壮大な「不正」が行われている。今回、取材班はその舞台である台湾、香港へと飛び、関係者らを取材した。 取材のアポイントメントを入れるのにはかなり骨が折れた。当たり前だが話すメリットなどなく、誰も話したがらないからだ。だが、様々なコネクションを使って、交渉を続けた結果、匿名を条件に複数の人物が取材を受けてくれた。2011年12月、台湾の桃園国際空港で香港行きの航空機に搭乗予定の乗客のスーツケースから押収された2万匹のシラス(写真・TAIWAN FISHERIES AGENCY)2013年12月、台湾の宜蘭の沖合約13キロの地点で、海岸巡防署が漁船内から検挙したシラス24万匹余り(写真・TAIWAN FISHERIES AGENCY) 台湾は2007年にシラスの輸出を禁止した。正確に言えば、台湾でシラスが採れる10月下旬~3月末とほぼ重なる11月~3月における輸出の禁止である。冒頭登場した台湾の業者は、シラスの密輸出に携わる人物である。 「もちろん台湾でシラスの輸出が禁止されているのは知っている。だから色んな〝抜け道〟がある香港へまず運び、その後日本へ運ぶんだよ」 台北市内のとあるホテルの一室で、台湾の輸出業者は身振り手振りを交えながら話をした。 「台湾で採れたシラスは、香港の〝立て場〟に運ばれ、そこから日本へ向けて輸出されます。立て場には日本のウナギ業界でもごく限られた人しか行ったことがありません。詳しい場所も開示されていない知る人ぞ知る施設です。あまり首を突っ込み過ぎると、東京湾に浮かびますよ」 取材に先立ち、ウナギ業界に詳しい人物からそう忠告を受けた。この人物だけでない。複数の人から同じような話を聞いた。(左)ウナギ稚魚の輸入は8割以上が香港から(注)2015年全期の結果。ウナギ稚魚はシラス、クロコ等 (右)2007年に台湾からの輸入量が激増する一方、香港からの輸入量が急増 (左右ともに、財務省貿易統計をもとにウェッジ作成) 業界の最高機密施設 香港「立て場」実態業界の最高機密施設 香港「立て場」実態 香港の中心部から車で走ること数十分。舗装もされていない道を進んでいくと、業界の最高機密施設とも呼べる「立て場」が突然目の前に現れた。よく見ると、いたるところに監視カメラが設置されている。門をくぐると番犬が吠えながら近寄ってきた。 本業は中国本土で賭博の胴元をしているというシラス問屋は「台湾からの密輸入などお安い御用だ。漁船で香港へ水揚げしたことにすればいいし、中国の港まで漁船で運び、(香港と隣接する)深圳(シンセン)から陸路で入ってもほぼノーチェック。航空機を使ったとしても、空港で働く税関の一部の人間と手を握ればよい。何が難しいんだい? この立て場からシラスは日本へ向かっていくんだよ」とお茶を飲みながら淡々と話す(こうした台湾と香港の現地取材の詳細については、Wedge8月号で報じている)。シラスウナギは台湾、中国から香港を経由して日本へ入ってくる (出典・取材時の情報をもとにウェッジ作成) 多くの日本人にとって、実は「立て場」は無縁の場所ではない。ウナギ好きであれば、立て場に一時保管されたウナギを口にしている可能性は極めて高いからだ。 「国産のウナギしか食べたことがないから自分には関係ない」と考える方もいらっしゃることだろう。しかし、香港の立て場から日本へ送られたシラスは、養鰻池に入れられて出荷サイズになるまで育てられる。養殖ウナギは主たる養殖地が産地となる。つまり台湾から香港の立て場を経由したシラスはその後「国産ウナギ」として販売され、日本人に「国産だ」とありがたがられながら頬張られているのだ。香港でシラスウナギはロンダリングされる (注)台湾のシラスの漁期を含む11月1日~3月31日までは、台湾から他国への輸出は禁止されている。 (出典・取材時の情報をもとにウェッジ作成) ウナギを生業(なりわい)にしている人であれば誰でも、シラス漁やその取り引きが裏社会と密接なかかわりをもっていることを知っている。昨年のWedge8月号で報じたように、日本国内では暴力団らによるシラスの密漁がはびこっており、輸出が禁じられている台湾からは、香港を経由して国内へ輸入されていることもまた、業界公然の秘密だ。1キロ300万円超!土用の丑の日向けシラスの高騰 日本の水産庁にあたる、台湾の行政院農業委員会漁業署の黄鴻燕副署長は「香港への密輸があることは承知している。罰則強化を検討するなどしているが、取り締まりは容易ではない」と話す。 また、日本鰻輸入組合の森山喬司理事長に、台湾から香港を経由して、日本へシラスが入ってくる不透明な取り引きの実態について取材したところ、その事実を認めたうえで、「ただ、これは今に始まったことではない。台湾は07年からシラスの輸出を禁止したが、それ以前にも禁止していた時期がある。いわばずっと禁止状態で、同時に日本はずっと輸入している状態だ。今のところ、組合として台湾からのシラス輸入防止に向けて何らかの対策をうつつもりはない。香港からの輸入は日本政府も認めている」と話す。「台湾では日本よりシラスの漁期が早いことから、夏の〝土用の丑の日〟までに出荷サイズに育つシラスが多く、日本の養鰻業者にとってこのシラスはかなりありがたい存在」と続けた。 こうした状況に対して水産庁増殖推進部のウナギ担当者は「日本からすると、香港から輸入されるため密輸入とはいえないが、輸出を禁じている台湾からシラスが日本へ入ってくる仕組みはよくないとは思っている」と話す。 ウナギは、人工孵化(ふか)から育てた成魚が産卵し、その卵をもとに再び人工孵化を行う「完全養殖」の実用化技術が確立していない。つまり、天然の稚魚(シラス)を捕獲し、養殖の池に入れて育て、出荷するしか方法がない。 日本でウナギが大量消費される夏の「土用の丑の日」は例年7月下旬か8月上旬に訪れる。今年は7月30日だ。日本ではビニールハウスのなかでウナギを養殖するのが一般的な方法 シラスは一尾0・2グラムほどで、これを出荷サイズである200~250グラムほどにするには、天然の場合、環境にもよるが5年ほどかかる。一方、日本で一般的な養殖方法であるビニールハウスとボイラーを使って、水温を上げ、エサを与え続けて太らす方法だと、わずか6~7カ月ほどで出荷サイズにまで成長する。つまり、1月中旬までには養鰻池に入れなければ、その年の「土用の丑の日」の出荷には間に合わない。 日本のシラス漁最盛期は、年にもよる(シラスは、新月かつ大潮の日に海から川へ大量に遡上するため、そのタイミングで河口付近で採捕する)が、1月下旬~2月上旬が一般的である。シラスはマリアナ海溝で生まれて、黒潮にのってやってくるが、日本からみると黒潮の「上流」である台湾では、11月1日からシラス漁が解禁され、11、12月が最盛期となる。少しでも早くシラスが欲しい日本の養鰻業者が台湾のシラスに飛びついている、という構図だ。 シラスの価格は日々変動するが、土用の丑の日に間に合う時期のシラスを巡っては、数年前から1キロ300万円を超すことが常態化しており、これは銀の価格をもしのぐ。この高価格は考えてみたら当たり前だ。7月下旬の「土用の丑の日」に間に合わせるため、買う側である日本の養鰻業者はどうしてもシラスが欲しい。売る側はその足元を見て販売できるからだ。ウナギ特売の裏は、魑魅魍魎が跋扈する世界が また、高値でしかシラスが買えない状況をつくると、「購買力のある巨大な養鰻業者以外は購入できず、寡占化を進めることができる」(養鰻業者)という面もある。この影響は日本にとどまらない。「約10年前、台湾では1700社ほどの養鰻業者がいましたが、現在では1100社ほどに減っています。実際にウナギを取り扱っている企業となると、さらにその半分ほどです」(台湾区鰻魚発展基金会の郭瓊英元董事長)という。養鰻業者の数が減っている要因は他にもあるというが、なかでもシラス価格の高騰は大きな要因だという。 また、シラス価格の上昇は、最終的には消費者に価格転嫁される。特に「新仔(しんこ)」と呼ばれるシラスから半年ほどで出荷サイズに育てたウナギは人気があるため、価格転嫁しやすい。 だが、とある老舗ウナギ屋の店主は「日本の新仔幻想はくだらない。半年ほどで急に太らせた、いわば肥満児のウナギをありがたがって食べているだけ。正直ウナギのレベルとしては高くないので、ウチでは絶対に使わない。タダでもらっても使わない」と話す。 例年、土用の丑の日が近付けば、「今年もウナギ屋には行列ができています」「このスーパーではウナギが安値で購入できます」という食欲をそそる平和なニュースが流れる。だが、その舞台裏では魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する、ドロドロとした世界が広がっているのだ。ニホンウナギは黒潮にのって日本へやってくる (出典・水産庁資料をもとにウェッジ作成)  ウナギの問題は密漁や密輸入といった違法行為だけではない。日本人はこれまで世界のウナギを食い尽くしてきた。日本や台湾、中国、韓国など東アジアに生息しているニホンウナギは14年にIUCN(国際自然保護連合)によって、「近い将来における野生での絶滅の危険性が高い」とされる絶滅危惧IB類に指定された。 護岸工事や堰(せき)の設置などといった環境要因もあるとはいえ、これまでシラスを採れるだけ採ってきたことと無縁ではないだろう。 このニホンウナギだけでなく、ヨーロッパウナギ、ビカーラ種などもそれぞれ絶滅危惧IA類、準絶滅危惧に指定されているが、これも日本人の「ウナギ爆食」と無縁ではない。日本の商社が世界のウナギをかき集め、それを日本人が食べ続けることで、資源量を大幅に減らしてきたのだ。絶滅危惧種だらけのウナギ(出典・各種資料をもとにウェッジ作成)   挙げ句の果てにはワシントン条約「違反」まで挙げ句の果てにはワシントン条約「違反」まで また、ヨーロッパウナギに至っては、09年から野生動物の国際取り引きを規制するワシントン条約の附属書Ⅱにも指定され、許可なしには取り引きが禁止されている。また、EUは域外との商取り引きを全面的に禁止している。 だが、毎年外食店やスーパーでウナギを購入してDNA検査を行っている北里大学の吉永龍起准教授によると、今なおヨーロッパウナギを取り扱っている店があるという。EU域外国へ不法に出されたシラスが、香港を経由して、中国で養殖・加工され、日本へ輸入されているものとみられている。 DNA検査を実施すると、ヨーロッパウナギであることがすぐに判明することなどから、昨年から急激にヨーロッパウナギを取り扱う店舗は減少したが、未だに日本国内で販売されている。 ウナギの取材を始めると、次から次へと違法行為や不正、業界のコンプライアンス意識の低さなどが明らかになってくる。「今年も土用の丑の日がやってきました。おいしくウナギをいただきましょう」などと言っている場合ではない。 そもそも「土用の丑の日」にウナギを食すようになったきっかけについては諸説あるが、江戸時代に平賀源内が知り合いのウナギ屋から依頼されて、閑散期である夏に売り上げを伸ばすためにつくったキャッチコピーという説がよく知られている。 日本のシラス問屋、養鰻業者のみならず、絶滅危惧種を大量販売し続けるスーパーや外食店、資源問題には触れず土用の丑の日だからといって消費を煽るメディア、それぞれに責任はある。知らず知らずのうちにではあるが、残念ながら、消費者もこうした状況をつくりあげている一員である。 もし、平賀源内がこの世にいれば、こうした「惨状」を知るにつけ、「土用の丑の日」のキャッチコピーを取り下げるかもしれない。

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    ウナギ研究の異端児が暴く 市場に出回るウナギ蒲焼きの正体

     [WEDGE REPORT] 吉永龍起(北里大学海洋生命科学部准教授)インタビュー聞き手・塩月由香(月刊「Wedge」編集部員) 7月に入り、美味しそうなウナギの蒲焼きのポスターやのぼりを目にすることが増えた今日このごろ。土用の丑の日を迎える24日前後には、「ひとつ鰻重でも」と考えている読者も多いことだろう。 だがウナギといえば、一方で資源の枯渇が叫ばれ、この1、2年ではさらに、中国産ウナギ蒲焼き商品の多くに絶滅危惧種に指定されているヨーロッパ種のウナギが使われていたといった報道も。店頭の蒲焼き商品に対して、産地だけでなく品種を自主的に開示するスーパーも出始めるなど、にわかに販売側の変化も出始めている。 こうした変化の影に一人の男がいる。市販のウナギの蒲焼きを片っ端からDNA検査し、結果を公表している北里大学海洋生命科学部の吉永龍起准教授だ。ウナギ研究者の中でも「異端児」の彼がなぜ蒲焼きの調査をしようと思ったのか。続ける理由とは。丑の日を前に話を聞いた。北里大学・吉永龍起准教授の研究室にて。(撮影:Wedge編集部)Q:いつから市販のウナギ蒲焼きのDNA検査を?──2011年から行っています。初年度はサンプル数がピース単位でわずか28検体でしたが、今年は1シーズンで170検体の商品を調査しました。商品は主にスーパーや牛丼チェーンを中心に、中国産の商品で実施しています。Q:検査はどのように行うのか?──まず買ってきた商品の写真を撮り、重さを測り、背開きかどうかなどウナギの捌き方を確認したうえで、人が触れていないと思われる部位の蒲焼きの身を、2、3ミリ角の大きさにカットし、PCRという遺伝子解析の手法を用いてDNAの配列を確認します。そして、世界で19種亜種が確認されているウナギのDNA配列と照らし合わせて、商品にどのウナギが使われているのかを確認します。ひつまぶしなど、蒲焼きの切れ端がたくさん入っている商品の場合、1つの商品の中に複数の品種のウナギが混ざっていることがあるので、ピースごとに検査しています。Q:検査を始めたきっかけは?──いま思えば本当にたまたまですね。2011年の東日本大震災で、当時、海洋生命科学部があった岩手県・三陸キャンパスが被災して、冷凍していた研究サンプルがすべて駄目になってしまった。約1カ月後に神奈川県・相模原キャンパスに緊急移転した後も、割り当てられた仮設の研究スペースはわずか机2個分で。10人ほどいた研究室の学生からは、学部が今後どうなるのかといった不安や、新4年生からは「もう自分たちは卒論なんてできない」といった雰囲気が漂っていました。そんな彼らを見ていて、こんな状況だけど、しっかりと卒論研究をさせたい、相模原キャンパスの近くに海はないけど、スーパーはたくさんあるのだから、市販の海産物商品を使ったDNA検査をさせようと思い、始めたのが、きっかけでした。中国産蒲焼からヨーロッパウナギを検出Q:検査を始めた初年度に中国産蒲焼きからヨーロッパウナギを検出。ヨーロッパウナギといえば09年にはレッドリストで絶滅危惧種に指定され、輸出規制も始まっていた品種ですね。検査結果を見たときの感想は?──ああ、けっこうまだ出回ってるんだと。実際にやってみてわかるのは面白いもんだなあと思った程度でした。蒸したり焼いたりといった蒲焼きの工程をへても遺伝子解析でウナギのDNAが判明することは、すでにほかの大学が発表していた手法だったので、取り立てて目新しいことをやっているという気持ちもありませんでした。そのため初年度は、水産加工商品全般で検査を行いました。蒲焼きのDNA検査を行う研究室員(撮影:Wedge編集部) 検査で判明したDNA結果は、東大時代の恩師である塚本勝巳教授(現・日本大学教授)をはじめとするウナギ研究者との飲み会の席でネタとして話したり、大学の講義で学生たちに伝えたりする程度でした。学生たちに対して検査結果を伝えようと思ったのは、有名なスーパーの商品でもこういった結果が出ているという事実を通して、世の中を疑う力を学生につけさせたいという思いからでした。 2012年に引き続き検査を行ったのも、蒲焼きのDNA検査が、研究室に入ってくる新4年生に、標本の扱い方や研究ノートのつけ方、失敗しない検査方法など、研究の基礎を教えるのに最適だったことが主な理由でした。  Q:2013年から一気に新聞やテレビ、雑誌などメディアに出るようになりましたね──そうですね。塚本先生や青山潤先生など、ウナギの研究で有名な先生方がメディア取材を受けた際に自分のDNA検査のことを話してくれたみたいで、次々、取材の依頼が入るようになりました。ニホンウナギがIUCNのレッドリストに登録された2014年は最もすごくて、レットリスト登録の6月から、国内の池入れ規制が発表された秋にかけて、新聞やテレビ、雑誌の取材が50件近くありました。あまりにも自分では意図しない展開だったのですが、とにかく、来るものは拒まず受けようと思って受けていました。 2013年のシラスウナギ(稚魚)の不漁で資源保護が大きく叫ばれるようになる中で、塚本教授からも、「これからは、ただ単に研究用にウナギを使うだけでなく、保全の観点も持ちながら、研究者も研究や情報発信をしないといけない」と言われていたことも、取材依頼を受け続けた理由でした。 ただ、取材は受けても、顔だけは出すまいと思っていたのに、とうとうテレビにも出てしまって。親は喜びましたが、自分としては複雑でした。ワシントン条約による輸出規制の効果Q:もともとはウナギの研究がメーンではなかったんですよね?──そうなんです。最初に入った大学は海のない信州大学で、大学ではヒツジの繁殖の研究をしていました。修士課程が終了する際に人生を真剣に考えて、このままではいけないと思い、ご縁があって紹介された東大の塚本教授のウナギ研究室に入れていただきました。塚本教授の勧めもあり、なぜ魚の資源量は増えたり減ったりするのか、魚の寿命はどうやって決まるのかという観点からワムシという魚の餌の一種である動物プランクトンの研究を行っていました。 ウナギは塚本研究室の一員として趣味程度で調査の手伝いをする程度でした。たまたま塚本教授が世界で初めてウナギの卵を見つけた船にも乗っていて、その後、発見時のドラマを描いた本の執筆にも加わらせていただきましたが、あくまでも趣味としてのウナギ研究でした。 被災後に相模原にキャンパスが移転し、ウナギ研究者との交流が増えたこともあり、ワムシ研究時の遺伝子解析手法を用いてウナギ蒲焼きのDNA調査を行ったことで、いまメディアからウナギ全般について取材されることが増えたのですが、いまでもウナギの研究者として紹介されるたびに、研究の本流にいる先生方を思うと、自分が出ていいのだろうかと逡巡します。Q:ただ、先生のDNA調査によって、業界では常識だった中国産・格安ウナギに絶滅危惧種指定のヨーロッパウナギが使用されていることがこの数年で一般にも知られるようになった。そうした自分が行ってきたことに対する自負や手ごたえもあるのでは?北里大学・吉永龍起准教授の研究チームが行った中国産蒲焼き商品のDNA検査結果。(nはサンプル商品数)──いえ、そうは思っていません。確かに今年になって、中国産ウナギ蒲焼きの材料からヨーロッパウナギが姿を消しているといった変化は起きていますが、背景には、スーパーや商社が、同様にDNAの検査結果を公表した環境保護団体の目を気にしているからだと思います。ワシントン条約による輸出規制の効果も出てき始めたのだと思います。 2014年にニホンウナギが取れたこともあり、今夏はたまたま中国産蒲焼きの材料がニホンウナギに切り替わったようですが、来年はどうなるか分からないですよね。またヨーロッパウナギを使った中国産蒲焼きに戻っているかもしれない。 今年、初めて5年間の調査をまとめてみましたが、改めて、ヨーロッパウナギからニホンウナギに切り替えている様子が分かりました。科学的な調査としては検体数や手法など穴もありますが、マーケットの動向を見るうえでは十分な資料だと思います。 検査では、取り違えがあってはいけないので、役割分担や流れをきっちり院生らに指導しながら行っています。調査結果に疑問を抱いたときのために、サンプルを再調査用に保存していますが、再調査をしてみて当初と違う結果が出たことはありません。今後は、これまでの調査結果を論文にまとめたいと思っています。後ろめたくても食えば食うだけウナギは減るQ:今後も市販のウナギ蒲焼きのDNA検査を続けるのでしょうか。──はい。今後も続けていくつもりです。ウナギって、水産資源をどう適正に消費するかを考えるうえで、最も適した材料だと思うんです。以前はすし屋も時価が普通でしたよね。魚は漁獲量が増えたり減ったりする生き物です。なのに、いつ行っても同じ値段で食べられることが果たして正しい食べ方なのか。資源が特に問題視されていないものは別ですが、ウナギという限られた資源で大量消費を続けることが正しいのか。 ウナギの完全養殖がうまくいって、好きなときに好きなだけ作れるようになったら人間の技術の勝利なので、安く、美味しくウナギを食べていいわけですけど、まだ完全養殖が事業レベルまで達していなくって、人間って動物の持つ力はそこまで達していないわけですよね。なのに第二、第三、第四のウナギを持ってきて食べようというのは、消費行動としては愚か。ただそれで研究者やメディアが、どれだけ大きな声を挙げたとしても、結局どうするかって消費者であって。後ろめたくても食えば食うだけウナギは減るわけですよね。そのためにも、消費者には賢くなってもらいたい。ビジネスでされている方にとって「売れるから売る」というスタンスは、しょうがないと思うんです。でも消費者には現状を知ってほしい。  そのうえで、テレビという媒体を通した発信の大切さを実感しています。消費者って耳の痛いことは聞きたくないから、テレビ局側もあまり、こうした苦言を放送しない。インタビューで資源について話したとしても、オンエアでは、今年は安いかどうかという部分だけでほかはカットされていたりする。活字メディアは取材で話したことをある程度書いてくれるけど、もともとアンテナを張っている人にしか情報が届かない可能性もある。 だから、これからも調査を続けながら、できるだけテレビなど多くの消費者に届く媒体で、耳の痛いことも含めて、限られた水産資源の食べ方を一緒に考えてもらえるように発信を続けたいと思います。ウナギの問題を解決することができれば、ほかのいろいろな問題の解決にもつながるような気がするんです。

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    中国の軍事力はどこに向けられているのか

    小原凡司(東京財団研究員・政策プロデューサー)《徳間書店『世界を威嚇する軍事大国・中国の正体』より》「抗日戦勝70周年」はなぜ「世界反ファシスト戦争勝利」なのか 2015年9月3日、「中国人民抗日戦争および世界反ファシスト戦争勝利70周年記念軍事パレード」が挙行された。この軍事パレードを控えた8月22日深夜から23日にかけて、さらに24日にも、式典の予行演習が北京の天安門前の長安街で行われた。 日本では、22日深夜に「厳戒態勢下で」予行演習が行われたと報じられたが、中国の報道では、24日の予行演習に多くの市民が見学に詰めかけた様子が窺える。民衆に比較的人気のある軍事パレードに、今年は、特別な意味が込められていたからだ。軍事パレードで行進する中国人民解放軍兵士=2015年9月、北京(ロイター) この軍事パレードは、社会の安定化を図る絶好の機会だ、という中国人研究者もいた。中国国内では、習近平主席が展開する反腐敗キャンペーンや改革によって中国社会が不安定化している、と認識されているからだ。 戦勝70周年を記念する軍事パレードに、不安定化した社会を一つにする効果が期待されていたのである。国民の気持ちを一つにする効果があると考えられていたのはなぜだろうか。それは、国民に「明日は今より豊かになれる」と信じさせ、中国共産党にその力があると信じさせることができると考えられたからである。 中国が、単に「抗日戦争勝利70周年記念」と呼ばず、「世界反ファシスト戦争勝利」を加えたのは、中国が第二次世界大戦の勝者であることを誇示したいからだが、なぜ「反ファシスト」なのだろうか。それは、過度に日本を相手にすることによって、中国指導部の本来の目的を損ねることになりかねないと考えられているからだ。 中国が示したいのは、国際社会における自らの地位である。今や、中国が相手にすべきは、同じく大国である米国である、ということである。理論的には、日本は大国ではないのだから相手にしなくともよいとすることで、国内の「反日」感情が指導部批判の火種となることを避けたいのだ。 また、実は中国共産党は日本軍とはほとんど戦っていない。日本と戦った主役は蒋介石の国民党である。そうなると抗日戦争勝利70周年を祝うべきは台湾の国民党だということになってしまう。軍事パレードにおける習近平主席のスピーチでも、共産党とも国民党とも言わず、「中国人民の勝利」とされている。 中国は、連合国の一員として、世界と協力してファシストを倒したとすることで、中国が国際社会の中で勝者の側にいる大国なのだということと、一党統治の正統性を確保したいのである。軍事パレードはアメリカに向けられていた そして、重要なのはここからだ。中国は、第二次世界大戦の勝者として本来、国際規範を作る側にいるはずだったが、国力の低さゆえに欧米に好き勝手に国際規範を作られてしまった。「国際社会は、不公平と不平等が突出している」という中国外交部などの発言には、こうした意識が表れている。これは、「これから中国の番なのだ」という意識の裏返しでもある。 軍事パレードに先立つ演説で、習近平主席は、「協力とウィン・ウィンを核心とする『新型国際関係』を積極的に構築する」と宣言した。協力とウィン・ウィンを核心とするのが「新型」であるという表現は、「現在の国際関係は中国にとって協力的でも公平でもない」と言っているに等しい。習近平は、この現在の国際関係を変えてやる、と言ったのである。国際社会における地位向上を狙った「国際観閲式」 具体的に、中国がどのように国際規範を「中国にとって公平」なものとしていきたいのかは、中国が自ら答えを示している。米中「新型大国関係」である。米中両大国が、国際社会のルールを決めていくということだ。 軍事パレードは、「中国には今やその能力がある」ことを示す機会でもあった。そのためにパレードでは、その能力を効果的に示す新型兵器がお披露目されたのである。その能力とは、「米国と対等な能力」という意味だ。 軍事パレードが行われる前の中国の報道では、J-15戦闘機、J-20戦闘機、H-6K爆撃機、KJ-500空中警戒管制機、IL-78空中給油機、高新-6号対潜哨戒機、Y-20大型輸送機といった航空機の名前が挙げられていた。 いずれも新型航空機であるが、米国を強く意識した陣容である。J-15戦闘機は、空母艦載機だ。J-20は、中国が、米国のF-22ラプターに匹敵するとするステルス戦闘機である。H-6Kは、約3500kmの作戦半径を持ち、搭載できる東風10巡航ミサイルの射程と合わせて、グアム島の米軍基地を制圧できると豪語する。KJ-500は、南シナ海など中国周辺で活動する米軍機を監視できる。IL-78は、戦闘機の滞空時間を延ばすために不可欠だ。 しかし、航空機は、ヘリコプターを除いて、通過速度が速い。各国首脳を始めとする観客に印象深いのは、目の前をゆっくり移動する地上の大型兵器である。特に、米国と対等な立場を誇示したい中国が見せたかったのは、大陸間弾道ミサイルだろう。核抑止こそ、米国との対等な力を示すものだからだ。 米国本土を攻撃できる大陸間弾道ミサイルでは、これまでもTEL(Transporter Erector Launcher:輸送起立発射機)に搭載されたDF-31が軍事パレードに参加している。そして、中国は今、新しい大陸間弾道弾の試験を繰り返している。DF-41だ。この新しいミサイルがパレードに参加する可能性もあると考えられていた。米国や国際社会に対して、中国の軍事力を誇示するには最適の兵器であるからだ。軍事パレードの前には、DF-41とされる写真が、インターネット上に出回っていたのである。国際社会における地位向上を狙った「国際観閲式」でもあった しかし、パレードに実際に参加した兵器を見ると、サプライズはなかった。J-20もDF-41も姿を見せなかったのだ。それよりも中国が演出したかったのは、各国が参加する「国際観閲式」だったようだ。各国軍にパレードへの参加を呼びかけたのはそのためだ。ファシストに対する勝利を世界が祝う祭典である。中国は、その祭典を主催し、戦勝国の中でも主導的な地位を見せることができる。中国の言う、「国際社会における地位の調整(この場合、「向上」の意味に近い)」である。 日本では、日米を含む多くの西側諸国が、首脳級の出席を見送ったことが話題になったが、中国外交部副部長は、8月25日、49カ国の元首、政府首脳、高官が軍事パレードに出席すると発表した。同日付の『環球網』は、中国が9月3日に行う抗日戦勝記念の軍事パレードに招待した51カ国のうち、日本とフィリピンだけが招待に応じなかったと報じている。欧米諸国の元首と首脳は出席しないが、フランスとイタリアの外相は自国政府代表として出席するとし、欧州連合(EU)加盟国としてはチェコのゼマン大統領が、また、オランダとオーストラリアも閣僚級の政府代表が出席すると報じた。 「中国は、『外交戦』という形で出席者の肩書きを求めない」というのは言い訳がましいが、日本で考えられているほど、国際社会が中国を冷遇した訳でもない。中国としては、首脳でなくとも、元首脳や代表団の参加があれば、その国名を挙げることができる。世界の式典であると誇示できるのである。習近平は中国皇帝のイメージを演出した習近平は中国皇帝のイメージを演出した 中国が、国民と国際社会に見せたいのは、国際社会を主導する正当な権利とその能力を有する中国の姿なのだ。軍事パレード当日の朝、パレードの観閲に訪れた各国首脳を出迎える習近平夫妻の姿も、中国国内でテレビ放映された。その姿は、まるで、朝貢を受ける皇帝のようであった。 場所は、天安門から故宮の午門(ごもん)へ向かう通りである。天安門から故宮に向かって赤いカーペットが敷かれ、その端に習近平夫妻が立つ。各国首脳は、一人(夫妻の場合は夫妻一組)ずつ、赤いカーペットを習近平夫妻の下に歩いていく。習近平夫妻と握手をした後、習近平夫妻の隣に立って写真撮影をする。その後、習近平に促されて、その場を離れ、控室に向かう。習近平夫妻はその場に残り、次の首脳が挨拶に歩いて来るのを待つ。 故宮を背にして各国首脳一人一人の挨拶を受ける習近平の姿は、中国国民の目にはどう映っただろうか? まさに、中国王朝の皇帝ではないだろうか。世界の中心にある中国を率いている皇帝のイメージである。習近平は、中国の、世界の中における位置づけを、国民に印象づけようとしたのだ。中国中央電視台は、ご丁寧にも、天安門の下で、習近平夫妻への挨拶を待って列を作る各国首脳の様子まで映し出していた。 ところで、このとき、韓国の朴槿恵(パククネ)大統領は、黄色い洋服を着て挨拶に訪れた。これには驚かされた。なぜなら黄色という色は、紫禁城を宮廷とした清朝では、皇帝だけが用いることができる色だからだ。日本には、「朴槿恵大統領はそんなことも知らないのか」と批判する人もいたが、朴槿恵大統領は、もちろん知らなかったはずはあるまい。わかっていて、わざとやったのだ。ただでさえ批判の多かった訪中で、中国に朝貢するような姿を見せては、韓国大統領としては立つ瀬がない。皇帝のみが着ることが許されていた黄色の洋服を着ることによって、中国皇帝に朝貢に来た蛮族の長ではない、ということを示そうとしたのだ。朴槿恵大統領の抵抗である。記念行事に臨む(左から)プーチン大統領、習近平国家主席、朴槿恵大統領=2015年9月、北京(新華社=共同) 朴槿恵大統領は、これ以外にも、同様の抵抗を見せている。例えば、習近平が各国首脳を導いて天安門の階段を上る際、朴槿恵が、一人だけ習近平の左前を颯爽と上る姿が、テレビ画面に映し出された。また、軍事パレードの最中、習近平、ロシアのプーチン大統領他、各国首脳等が立ち上がっていたにもかかわらず、一人だけ、サングラスをかけて座ったままだった。朴槿恵は、中国の手下ではないことを示そうと、苦労していたのである。 もう一つ、この挨拶の状況を途中まで見ていて心配したのは、プーチンが怒らないだろうか、ということだった。常に中国を目下に見るロシアは、中国に朝貢させられるような振る舞いは許さないだろうと思ったからだ。ところが、習近平は、そのことはしっかり考えていた。プーチンの登場は、最後だったのである。プーチンは、列を作って待ったりはしなかっただろう。プーチンも、赤いカーペットを歩いて習近平夫妻に挨拶して記念撮影をしたが、そこからが他国の首脳とは違った。習近平夫妻は、プーチン大統領と並んで、談笑しながら一緒に控室に向かったのである。談笑しながら歩くというのは、対等な関係であることを示すばかりでなく、二人が良い関係であることを示すことにもなる。プーチンの顔を立てつつ、中露の良好な関係もアピールしたのだ。潘基文国連事務総長に対して何の配慮もなかったのとは対照的である。誰の目にも、潘基文は、ただ、習近平に摺(す)り寄っただけに見えただろう。習近平は言っていることとやっていることが違う習近平は言っていることとやっていることが違う この、2015年9月3日に北京で挙行された軍事パレードは、中国国外から観る者にとっては矛盾を孕むものだった。中国は、言っていることと、やっていることが違うだろう、ということである。 軍事パレードに先立つ演説で、習近平は、「中国は永遠に覇を唱えず、永遠に拡張しない」と述べた。中国の平和的台頭を主張しているのだ。『2015年国防白書「中国の軍事戦略」』の前言にも全く同様の表現があるが、実は、この表現は新しいものではない。「中国は永遠に覇を唱えず、永遠に拡張しない」というフレーズは、2002年の中国共産党第16回全国代表大会において江沢民元主席が使用して以降、胡錦濤前主席も使い続けてきた。 しかし、これまでの中国の南シナ海における行動等を見て、これを簡単に信じる国はない。最近でも、中国は、南シナ海においてサンゴ礁を埋め立てて人工島を建設し、軍事施設と思しき建造物の建設を進めている。 さらに、このフレーズは、軍事パレードの場で述べられたのだ。そもそも軍事パレードは、軍の威容を示すものである。しかも、中国が、今回の軍事パレードにおいて、米国に対抗できる能力を誇示したことは明らかだ。軍事パレードにおける兵器の披露の仕方が、米国を意識したものだったからである。 航空部隊を率いたKJ-2000は、南シナ海や東シナ海で活動する米軍機を監視し、戦闘機を管制する。1機300億円とも言われ、5機しか装備されていないと言われる。一方、KJ-500は価格が安く、大量生産が可能だとされる。機数が揃えば南シナ海等における監視能力が飛躍的に向上する可能性がある。 また、東風10(長剣10から改名された)巡航ミサイルを発射可能なH-6K長距離爆撃機は、グアム島の米軍基地を制圧できると中国は宣伝している。この東風10巡航ミサイルは、射程1500~2500km、50~150mの巡航高度を、マッハ0・75の速度で飛行する。中国は、このミサイル一発で、7000~1万トンのミサイル巡洋艦を海底に葬ることができると豪語する。東風10は、本来、DF-21Dと並んで、対艦ミサイルとして開発されたミサイルなのだ。 J-15戦闘機は、わざわざ、空母着艦時にアレスティング・ワイヤーに引っ掛けるフックを下ろして飛行した。空母艦載機であることを誇示するためである。中国が、正規空母を運用できることを示したかったからだろう。J-15は、中国人民解放軍海軍の策定した中国の空母建造計画のために開発された艦上戦闘機である。本機は、ロシア製のSu-33をベースに用い、国産の兵装とレーダーを装備している。 中国は、本来、空母艦載機として、ロシアからSu-33を購入する希望を持っていたが、中国のJ-11がSu-27から技術を無断コピーし、知的財産権協定に違反しているとの理由で、ロシアが中国へのSu-33の提供を拒んだのである。そのためSu-33の試作機を、苦労してウクライナから入手したとも言われる。 そして、弾道ミサイル群も、上記の航空機群とともに、西太平洋およびアジア地域における米軍の活動を無力化できることを誇示する、バラエティーに富んだ陣容となった。射程1000kmとされるDF-16は、第一列島線をターゲットにしていると言われる。沖縄から南西諸島に所在する米軍基地や、自衛隊基地を狙うと言うのだ。 DF-21D対艦弾道ミサイルも披露された。中国の対艦弾道ミサイル(ASBM:Anti-Ship Ballistic Missile)は、単純な放物線を描いて飛翔するのではなく、最終段階で飛翔経路を変えられるという。各国は、その技術に疑念を抱きつつも、その能力を否定することもできない以上、これに対処する方策を考えなければならない。中距離弾道ミサイルの射程は、3000~4000km この技術が確立しているとすれば、現有の弾道ミサイル防衛(BMD:Ballistic Missile Defense)で撃墜することは極めて難しい。BMDは、放物線を描いて飛び、最終段階では高速で自由落下する弾頭を破壊するようプログラムされているからだ。現在の武器は、砲弾やミサイルの弾着の精度を上げるため、コンピューター・プログラムに頼っている。弾道ミサイル撃墜も例外ではないのである。DF-21Dが「空母キラー」と呼ばれる所以である。中国指導部は、米国の空母打撃群が中国に進攻して来ても、次のDF-26による攻撃を含め、中国本土から1500~3000㎞離れた海域で廃滅させる能力を示したかったのだ。 中距離弾道ミサイルDF-26の射程は、3000~4000kmと言われ、日本、韓国およびグァム島に所在する米軍基地をすべて射程に収める。また、今回の軍事パレードでは「対艦弾道ミサイルである」と紹介された。 そして、中国では、米国と対等な立場を示すものは、やはり核抑止力だと認識されている。大陸間弾道ミサイル(ICBM:Inter-Continental Ballistic Missile)である。 中国の大陸間弾道ミサイルの射程は、米国のほぼ全土をカバーできると言われる。TEL(輸送起立発射機)に搭載された、巨大なDF-31Aは、ゆっくりと、各国首脳および代表団が居並ぶ観閲台の前を通り過ぎた。天安門前をパレードする対艦弾道ミサイル=2015年9月(ロイター) その後ろを、DF-5B大陸間弾道ミサイルが、トレーラーに搭載されて行進した。DF-5Bは、ミサイル自体は新しいものではなく、液体燃料を使用しているが、多弾頭化され、1基のミサイルに3発の核弾頭を搭載できると言われている。 古い弾道ミサイルが液体燃料を使用しているのは、燃焼をコントロールしやすいからである。弾道ミサイルは、打ち上げる角度と燃料の燃焼による推力によって、その弾道、すなわち弾着点が決まる。野球のボールを投げるときに、投げる力と角度によってボールの落下点が決まるのと同様である。いったん発射された弾道ミサイルは放物線を描いて飛び、基本的には弾道を変えることはできない。 燃料の燃焼がコントロールできず、計算されたとおりの推力が得られなければ、狙ったところに落とせないということである。以前は、固体燃料を安定して燃焼させ一定の推力を保つことが技術的に難しかった。そのため、特に大きな推力を必要とし、大量の燃料を燃焼させなければならない大陸間弾道弾には液体燃料が使用されることが多かった。 しかし、液体燃料には欠点もあった。品質を保つのが難しく、ミサイルに搭載したままにすると燃料が劣化してしまうからだ。そのため、ミサイルを発射する前に燃料を搭載する必要があった。ミサイル発射の兆候を晒してしまうということである。ただ現在では技術が進歩し、固体燃料を安定して燃焼させることができるようになり、固体燃料を使用した大陸間弾道ミサイルが多く登場している。一方で、液体燃料の品質維持もできるようになり、発射直前に燃料を搭載する必要がなくなっている。双方の利点と欠点は、さほど明確ではなくなっているのだ。中国は対米軍事力を誇示すると同時に平和を言う必要があった中国は対米軍事力を誇示すると同時に平和を言う必要があった ところで、この軍事パレードに矛盾を感じるのは、習近平が、軍事力を誇示しておきながら、平和を強調しているからである。この矛盾は、中国指導部が、異なるメッセージを軍事パレードに込めたから生じたものだ。習近平指導部が中国の軍事力を誇示したかったのは、実は中国国民に対してである。 軍事パレードは、中国国内に向けて、中国が第二次世界大戦の勝者であり、国際社会を主導する資格と権利があり、今や中国にはその能力があると示す場だったからである。中国国民に、中国の経済発展を信じさせ、社会を安定させるためだ。「これから中国が発展する番なのだ」というイメージを国民に与えることが重要だったのである。 また、中国が米国の軍事力を意識した兵器を披露したのは、今後、国際社会のルールを決めていくのは米中両大国であると示したかったからだ。しかし、中国が米国との戦争に勝利できない以上、本当に軍事衝突するわけにはいかない。国際社会、特に米国に対しては、中国が平和の支持者であると示す必要もあったのである。 中国は、米国が中国の発展を妨害するのではないかと恐れている。その手段には、軍事力も含まれる。近年、中国が主張している米中「新型大国関係」は、極端に言えば、中国が自由に国益を追求しても、米国が軍事力を行使しない関係である。 中国は、米国との軍事衝突は何としても避けたい。なぜなら勝てないからだ。中国は、米国が中国に対して軍事力を行使しないぎりぎりの落としどころを探りながら、国際ルールを変えていこうとしているのだとも言える。 しかし、当の米中関係は、中国の思いどおりに進展している訳ではない。2015年5月20日に、米国が、中国の南シナ海における人工島建設の状況をCNNに報道させたのは、中国が力を以て国際規範を変えようとしていることを、世界に知らしめるためだ。 米海軍が監視飛行を繰り返しても、米国と水面下で決着できると考えていた中国にとっては衝撃だっただろう。米中間の問題ではなく、中国が国際社会に挑戦するという構図になったからだ。米国および周辺各国との対立の構図が鮮明になる中で、中国はその軍事力を誇示することになってしまった。 不安定化した中国社会を安定させ、共産党に対する求心力を高めるために、軍事パレードは必要なイベントだった。しかし、中国の平和的な台頭を信じられない各国は、ますます警戒感を高める結果になってしまった。 習近平訪米を控えたこの時点で、米国から種々の問題について非難され、対立ばかりがクローズアップされることは、中国にとって好ましい状況ではなかった。中国は、現在の国際社会に対抗する新しい政治・経済ブロックを構築しようとしている訳ではないのだ。中国は、現在の国際社会のルールを変えたいのである。そのためには、国際社会から孤立する訳にはいかない。中国の軍事力は何のためにあるのか そうした状況の下で、中国が、平和の支持者であると主張できるのは、日中関係の改善くらいしかない。中国では、8月14日に発表された「安倍談話」は極めて不評であった。それでも、非難を抑制したのは、日中関係の改善を期待したからだ。 中国の報道を見れば、9月3日の安倍首相の訪中に期待していたのは明らかである。抗日戦勝記念式典が開催されているさなかに安倍首相と習主席の首脳会談が実現していれば、習近平が訪米した際にも、東アジアの安定に寄与していると主張することが出来ただろう。70年談話を発表し、記者会見する安倍晋三首相=2015年8月 しかし、安倍首相の訪中は中止された。中国は、減速する経済を再浮揚させるためにも日本との関係改善が不可欠であったが、外交面でも大きなダメージである。 日本政府には、安保法案の国会審議等、安倍首相が日本を離れられない理由があった。しかし、日中関係は、日中二国間だけの問題ではない。 中国と韓国は、軍事パレードに先立って行われた中韓首脳会談において、日中韓首脳会談の開催を決定した。韓国側から提案したと言われるが、中国が日中韓首脳会談に賛成したのは、自らが北東アジアの平和のために努力していると主張したいためだ。 また、日中関係には、米国も関わってくる。さらに、もう一国、注目しなければならない国がある。米中二極に対抗して、第三極として生き残るゲームをアジアで展開しようとするロシアだ。 現在の日本と中国は、ロシアにとって扱いやすい。日中間がほぼ断絶状態だからだ。イランの核開発問題で存在感を見せたロシアに対して、米国は態度を軟化させたと言われる。こうした状況が、ロシアにとって日本の利用価値を下げさせた。 北方四島返還の議論のテーブルにロシアを着かせるためには、ロシアに、日本が必要だと認識させなければならない。日中が種々の問題について直接協議できるようになれば、中ロ関係にも影響を及ぼし、日本のロシアに対するオプションが増えるかも知れない。日本は、中国との関係を考える際にも、米国やロシアといった他の大国の意図を見ながら難しいかじ取りを迫られる。中国だけに目を奪われれば、さらに大きな盤でゲームを試みる他の大国に、駒扱いされることになりかねないということである。中国の軍事力は何のためにあるのか 中国人民解放軍が米国に対処する能力を見せようとしつつ、実際には米国との軍事衝突を避けたいと考えているならば、中国の軍事力は何のために存在しているのだろうか? その理由は、2012年末以降、習近平が、「戦えるようになれ、勝てる戦いをしろ」と人民解放軍に檄を飛ばしていることからも理解できる。習近平の戦闘準備の指示は、他国との戦争を企図したものではない。他国と戦争できる能力を身につけろと言っているのだ。裏を返せば、現在の中国人民解放軍は、他国と戦える状態にはないということだ。習近平は人民解放軍の土着化を恐れている 現在の中国で最も腐敗しているのは、人民解放軍であると言われる。朱鎔基首相(当時)が人民解放軍の商売を禁じて以来、人民解放軍は表向き、ビジネスができなくなった。それでも、予算の着服や武器装備品購入時の賄賂、基地や宿舎を整備する際の不動産取引に関する不正等、腐敗と無縁になった訳ではない。特に、1989年6月4日の天安門事件の結果、政治的に色がついていないという理由で党総書記・国家主席となった江沢民は、鄧小平が進めようとしていた軍改革である「制度化」の流れをひっくり返した。 中国では、最終的に自らを守るのは軍や警察といった武装力量であるという考えが指導者たちに強く残っており、反対に、自らの勢力を広げようとする際にも、武装力量を取り込もうとする。軍の支持を得たい江沢民は、人民解放軍が江沢民を支持するかわりに、不正を見逃したのだ。 一方の軍は、政治権力者と結ぶことによって、利権を維持しようとした。胡錦濤元総書記は、この流れを断ち切り鄧小平の路線に戻そうとしたが、人民解放軍の主要幹部は江沢民に抜擢された腹心たちで固められており、ほとんど効果を上げることができなかった。 習近平は、胡錦濤の努力を引き継いでいる。それは、習近平が胡錦濤に近いからでも、同情したからでもない。それが必要だからだ。人民解放軍の各軍区やその下の部隊が、地方の権力者と結びついている状況は、人民解放軍を戦争ができない軍隊にしているばかりでなく、中国指導者に対して武力が使用される危険を秘めたものなのである。 もちろん、人民解放軍の第一の任務は、表向きは中国の領土と主権を守ることである。しかし、これまでの人民解放軍は、実質的に、毛沢東に権力闘争の道具として利用され、江沢民の時代には地方のボスと結びついて利権を得る代わりにボスの手下になった。人民解放軍は、他国の侵略から自国を防衛するための軍隊として機能していなかったのだ。習近平は人民解放軍の土着化を恐れている 中国人民解放軍が、2014年7月から行った演習では、8月15日までの間、上海や浙江省杭州など沿岸部を中心とする12カ所の空港で発着フライト数を25%削減するよう要求したことから、演習の規模が大きく、高度な内容を伴うものであったのではないかという分析もあった。しかし、実際のところ、人民解放軍各部隊が行ったのは、地元を離れて別の訓練場に行って射撃等の訓練を行うというものであった。 射撃訓練自体は、基礎的な訓練である。決して難しい応用訓練を行ったわけではない。では、何が重要だったのかというと、地元を離れるということだったのだ。それほど、人民解放軍の各部隊は土着化していたということである。各部隊が土着化してしまったのでは、各地域においてゲリラ戦を展開することはできるかもしれないが、他国から攻撃があった際に、中国本土防衛のために陸軍全体として対応することはできない。 さらに、土着化するということは、地方の有力者と癒着しやすくなるということでもある。実際、習近平が潰した薄熙来は、2個集団軍を掌中に収めていると豪語していた。成都軍区には第13集団軍と第14集団軍の2個集団軍があるが、薄熙来は、成都軍区を掌握していると言っていたのである。薄熙来は、当時、重慶市党委員会書記、すなわち重慶市のトップであった。 また、中央が地方のトップを拘束する際、まずその地方の軍隊、武装警察等の指揮官や政治委員の首をすげ替えるが、これも地方の軍の部隊や警察が、その地方のボスに掌握されていることを示すものだ。中国中央の権威とはその程度のものなのだとも言える。人民解放軍30万人削減のほとんどが文職人民解放軍30万人削減のほとんどが文職 現在の中国人民解放軍陸軍全体は170万人、その内、戦闘部隊は155万人を擁し、85万人の機動部隊と70万人の地方守備部隊から構成される。中国陸軍は、全体で18個の集団軍を有しており、これが、7大軍区にそれぞれ配置されているのである。集団軍は、歩兵、機甲、砲兵、高射、工兵、電子戦それぞれの部隊を有しており、第13集団軍の人員は4万5000人、第14集団軍の人員は4万人とされる。習近平主席(ロイター) ちなみに、習近平は、軍事パレードにおけるスピーチの中で「人民解放軍の人員の30万人削減」を明らかにしたが、このほとんどが文職であると言われる。文職とは、戦闘には参加しない軍人で、歌や踊り、あるいは映画といった、主として文化や芸能活動に携わる軍人も含まれている。 中国には、各軍区にも、賓客をもてなすための「歌舞団」があり、歌手やダンサー、さらには雑技を行う人員擁している。この中には、大量の美女も含まれていて、過去には、軍の高級幹部の愛人も多く輩出している。こうした文職について、習近平は、いち早く縮小するよう命じている。自身の夫人である彭麗媛・少将が、人民解放軍総政治部歌舞団団長であり、文職軍人の大ボスであるにもかかわらず、である。 習近平が、陸軍の土着化に危機感を抱いているのは、2015年の『国防白書』にも見て取れる。「陸軍は、小型化・機動化を進める」としているのだ。一般に、中国陸軍は精鋭化を進めると言われるが、それは、これからスリム化して、中国陸軍として中国全土で戦闘できる状態にする、という意味である。7大軍区の統廃合と合同作戦司令部の設立 中国人民解放軍には、具体的な計画もある。軍区の改編と合同作戦司令部の設立だ。これらの計画を最初に報じたのは日本のメディアである。2014年1月1日付の読売新聞は中国軍の制度改革案を報じている。現在の7大軍区を5大戦区に改変。さらに陸軍、海軍、空軍、第二砲兵部隊(戦略ミサイル部隊)の4軍種を統合する合同作戦司令部が設立されるとの内容だった。合同作戦司令部とは、統合作戦を指揮する司令部である。 中国国防部は中国英字紙『チャイナデイリー』の取材に答え、合同作戦司令部設立を大筋で認めた。合同作戦司令部は情報時代に対応したもので、すでに試行業務に着手しているという。ただし正式な改組がいつになるかは未定だという。軍区から戦区への改変案についてはコメントしていない。 しかし、この後、中国では、合同作戦司令部の設立計画を否定する報道も見られた。これらの記事によれば、2013年11月に北京で開催された中国共産党18期三中全会において、「軍隊の体制編制の調整改革を進化させなければならない」と公言されたことが、合同作戦司令部設立計画が取り沙汰される原因になったとされるが、実際に、統合作戦が重要であることは人民解放軍自身も認めている。 合同作戦司令部の設立や、7大軍区から4~5戦区への改編については、土着化した人民解放軍各指揮官や各部隊から不満の声も上がるだろう。不満の声を表面上は抑え込んでも、不満は陸軍の中にたまり続ける。不満の圧力が高くなることは危険なのだ。習近平指導部は、部隊の不満を軽減しながら、陸軍の改編を進めなければならないのである。「統合作戦指揮体制」を本格導入する 中国はもちろん、米国の中国本土攻撃を想定して、装備品を調達し作戦計画を立てていると言うだろう。しかし、実際のところ、これまでの中国人民解放軍は、本気で戦争する気はなかったように見受けられる。各部隊は、自らの懐(ふところ)を肥やすことに邁進し、自らの権益を守るために、地方の権力者とそれぞれに結びついていたのだ。 中国人民解放軍という統一された名前がありながら、各軍区や各部隊は、地方の権力者が向く方向に、同様に向いていたのだ。たとえ、党中央からの命令があったとしても、地方の権力者の意向に従ったのである。2006年に失脚した上海党委書記(上海のトップ)陳良宇や、薄熙来の事案を見ても、中国共産党中央が、地元の軍や武装警察、警察等が、地方の権力者の意のままに動くことを警戒していたことがわかる。 そして、中国人民解放軍の改編がいよいよ実施される。習近平が、北京で2015年11月26日に閉幕した中央軍事委員会改革工作会議において、1949年の新中国成立以来初めてとなる軍の大規模改革に着手すると表明したのだ。米軍をモデルに、縦割りの弊害が指摘されていた命令系統を集約する「統合作戦指揮体制」を本格導入するという。 国営新華社通信は、習近平が24日から開かれた同会議において、「軍の最高指揮権は共産党中央、軍事委員会に集中させる」と強調するとともに、「統合作戦指揮体制の構築を進め、戦闘力を高めるため部隊の規模・編成を見直し、量から質の重視へ転換する」と述べたと報じた。また、習主席が、これを「革命的な改革だ」とし、「2020年までに改革を反映した体制を確立させる方針を示した」とも報じている。 地方の指導者との癒着の原因ともなっていた、軍区の再編にも取り組む。中国では、2015年に入ってから、人民解放軍の改革に関わる噂が多く聞かれた。先述の中央軍事委員会改革工作会議における「重要講話」において習近平は、「(軍区に替えて)新たに戦区を設定し、戦区統合作戦指揮機構を構築する」と述べたのである。 作戦指揮系統は大きく変わる。「中央軍事委員会-戦区-部隊の作戦指揮体系と政治委員-軍種(陸・海・空・ロケット軍)-部隊の指導管理体系」という指揮系統だ。中央軍事委員会は、総参謀部を通さず、戦区を直接指揮する。また、戦区の作戦は統合作戦になる。戦区統合作戦指揮機構は、いわゆる、統合作戦司令部であろう。人民解放軍全体に対する統合作戦司令部ではなく、戦区ごとに統合作戦が行われ、それぞれの戦区は、中央軍事委員会が直接指揮するのだ。その中央軍事委員会の主席が習近平である。 中央軍事委員会が、2016年1月1日に公表した、「国防と軍隊改革の深化に関する意見」によれば、人民解放軍改革の原則は、「中央軍事委員会がすべてを管理し、戦区は戦闘し、軍種は建設する」であるという。自衛隊でも採用されている、フォース・ユーザーとフォース・プロバイダの明確化である。フォース・ユーザーとは、部隊(力)を使用する、すなわち作戦指揮の系統であり、戦闘の指揮系統でもある。フォース・プロバイダとは、戦闘能力を有した部隊(力)を建設(人員、武器装備)して、フォース・ユーザーに提供するものだ。陸、海、空、ロケット軍(新設)の4軍種は、主として部隊建設を担い、原則として作戦指揮の系統には入らないということである。中国防衛白書が示す中国人民解放軍の変化 一方で、7大軍区をいくつの戦区に改編するのかは、2016年1月10日現在、まだ明確に示されていない。2015年に飛び交った情報では「4戦区になる」と言われていたが、同年12月には、「4戦区の予定であったが、国防の観点から5戦区の区分が最良とされた」という報道等も出始めた。国防の観点もさることながら、戦区の区分が、これまでの既得権益と衝突するために、難航しているのかもしれない。 さらに、総参謀部、総政治部、総後勤部、総装備部の4総部の統廃合も行われる。人民解放軍の中でも、腐敗の温床となっていたのが、装備部と後勤部、特に、不動産を扱う後勤部である。4総部の権限を制限し、党中央および中央軍事委員会の管理を強化して、人民解放軍の腐敗を根絶しようというのだ。人民解放軍の改革により、4総部は廃止され、中国中央軍事委員会の言う「実行多部門制」に移行する。4総部が持っていたそれぞれの機能は、いくつもの部門に細分化され、純粋に参謀組織として中央軍事委員会を補佐することになる。4総部が持っていた権限は、すべて中央軍事委員会に吸い上げられるのだ。 こうした改編が実施されれば、中国人民解放軍の運用が効率化され作戦能力が向上する可能性がある。また、これまで、不満や反発を恐れて実施されてこなかった改編が行われるということ自体、習近平の軍の掌握が進んでいることを示すものでもある。中国防衛白書が示す中国人民解放軍の変化 中国の軍事戦略を公に示すものとして、概ね2年に一度発表される中国の国防白書が挙げられる。2015年5月26日、中国国防部が発表した『2015年国防白書』のタイトルは、まさに、「中国の軍事戦略」である。前回、2013年に発表された国防白書のタイトルは「中国武装力量の多様化運用」であった。 中国国防部は、2013年の国防白書から、テーマ型の国防白書に変更したとしている。テーマ別の国防白書になって2回目となる今年の国防白書のテーマが「中国の軍事戦略」という訳だ。訓練を受ける中国人民解放軍の新兵ら(ロイター) テーマが異なるのだから、当然、内容も異なる。「具体性を特徴とした」と中国国防部が言う『2013年国防白書』とは異なり、『2015年国防白書』には、具体的なデータは記載されていない。分量も減っている。しかし、何も読み取れないという訳でもない。『2015年国防白書』を見れば、中国人民解放軍が大きな変化を遂げようとしていることが理解できる。 まず、全体から受ける印象として、中国が自信を前面に出そうとしていることが挙げられる。これは、これまでに見られなかったことだ。中国の自信は、前書きの最初の文章から現れている。 『2013年国防白書』は、「現在、平和と発展はチャンスと挑戦に面している」という書き出しで始まる。それに比べて、『2015年国防白書』は、「現在の世界は未曽有の大変局に面しており、中国は改革発展の鍵となる段階にいる」という文章から始まる。 「未曽有の大変局」をもたらしているのが、「中国の台頭」である。その上で、中国がさらに発展するために、現在の人民解放軍の活動が重要であると言っているのだ。 「1章安全保障環境」の中にも、中国の自信を見て取れる。最初に国際社会全体の状況を述べる中で、2013年は「経済のグローバル化、多極化」の順番であったものが、2015年は順番が入れ替わり、「多極化」が「経済のグローバル化」より先に来ている。中ロ蜜月を演出してみせた習近平 中国もロシアも、「多極化」という表現を、米国一極型の国際社会に対抗するものとして使用する。2015年5月9日にモスクワで実施された、第二次世界大戦の対ドイツ戦勝70周年記念式典において、プーチン大統領が「一極支配の試みがみられる」と米国を批判したのは記憶に新しい。このときの軍事パレードでは、中国の習近平主席がプーチン大統領の隣に座り、中ロ蜜月を強調して見せた。 この自信を基にして、米国の一極支配に対抗するために、中国軍の活動範囲および機能等の拡大を示すのである。中でも目を引くのが、海軍の重視だ。「3章積極防御戦略の方針」の中で、「戦争の形態の変化および国家安全保障情勢に基づき……海上軍事闘争および闘争準備を最優先にし……」と述べ、「4章軍事力量建設発展」では、「伝統的な陸重視・海軽視の考え方を突破し、海洋に関する経済戦略と海洋権益の保護を高度に重視しなければならない」とまで述べている。 元々、中国人民解放軍は陸軍である。最近でこそ、「人民解放軍陸軍」という表現を用いるようになったが、中国の海軍、空軍、第二砲兵は、陸軍の一部という位置づけであった。軍の編成がこの事実をよく表している。海軍、空軍、第二砲兵のトップである司令員(官)は、人民解放軍(陸軍)の7大軍区の司令員と同格なのだ。これまで人民解放軍には、陸軍司令員という職は存在しなかった。 実は、中国軍に陸軍司令員がいないことが、他国の陸軍との交流の阻害要因になっていたことも事実である。中国人民解放軍は、他国の陸軍司令官が訪中した際に、あてがうべきカウンターパートがいなかったのである。中国側が提示するカウンターパートは、例えば、大軍区の司令員等、海空軍司令員と同列の陸軍軍人であり、立場的に中国陸軍を代表することはできない。対等な立場の交流を求める他国の陸軍は、陸軍司令官に当たるのは、7大軍区の運用を統括する総参謀長であると考えるが、格にこだわる中国としては、これが受け入れられないのだ。現在、中国人民解放軍は、その生い立ちによるいびつな編成から、近代戦を戦える軍隊の編成へと移行しようとしていると言える。 この状況にも変化が生じる。2015年12月13日に、陸軍指導機構が新設され、陸軍司令員が任命されたからだ。人民解放軍改革の一部である。陸軍指導機構とは、いわゆる陸軍司令部だ。改革の一部とは言え、中国では、「大陸軍主義の放棄」であるとも言われる大改革である。陸軍司令部が創設されるということは、陸海空軍を同列に扱うということであり、海空軍が大幅に格上げされたとも言える。国防思想の根本的な転換なのだ。 陸重視から海重視へのシフトは、急激に起こっている訳ではない。実は、海空軍重視は、胡錦濤も進めてきたものだ。2004年9月の第16期四中全会において、海軍、空軍および第二砲兵の司令員が、初めて中央軍事委員に選出されたのはその一例である。しかし、海空軍重視の具現化は、軍内の反応を見ながら、少しずつ進められている。軍内の既得権益者を過度に刺激しないようにするためである。中国では、一部のグループに不満をためないように、バランスをとりながら変革を進めるのが常なのだ。 「4章軍事力量建設発展」でも、陸軍、海軍、空軍、第二砲兵、武装警察それぞれについて、戦略の変化が述べられている。しかし、明らかな活動範囲の拡大を示しているのは、海軍と空軍である。中国海軍はどのような戦略的目標で動いているのか中国海軍はどのような戦略的目標で動いているのか 海軍は、「『近海防御』から『近海防御と遠海保護の結合型』への転換」が求められている。近海防御は、1980年代から、中国海軍の父とも呼ばれる劉華清が指示してきたものだ。中国海軍の定義によれば、近海とは、第1列島線内外までの海域を指している。この海域には、西太平洋の一部も含まれる。中国の本土防衛に直接関わる部分だ。 一方の遠海保護は、中国の経済活動の拡大に伴って、社会経済の発展を保障するために、世界規模で戦略的任務を遂行するものである。こちらは、主として、軍事プレゼンスによるものだ。すでに、中国海軍は、ソマリア沖アデン湾において、海賊対処活動に参加し、これを足掛かりに、ヨーロッパ諸国に親善訪問を実施し、地中海において中ロ海軍共同演習も実施している。 海軍運用の二分化が、国防白書にも明記された形である。中国の本土防衛とともに世界各地に空母戦闘群を展開するために、引き続き、多くの予算が配分されることになる。ちなみに、米海軍では空母戦闘群と呼ぶのを止め、空母打撃群と呼んでいるが、中国では未だ空母戦闘群という呼称が用いられることもある。 この海軍運用の二分化は、中国の海洋に対する認識に、矛盾を引き起こしているように見受けられる。中国は、本土防衛のために、南シナ海で見られるような海域の囲い込みを行い、「海洋領土」という表現さえ用いる。開かれた海洋の利用こそ国益である海洋国家なら用いない表現である。しかし、一方で、中国は経済活動を世界に広げ、これを保護するために海軍の活動も拡大している。中国は、「航行の自由」の重要性を理解しつつあるのだ。 こうした認識の矛盾は、中国の経済活動等がさらに国際化するにつれて解消していく可能性もある。中国が米海軍に対抗できる十分な海軍力を持ったとき、中国は、米国同様、「航行の自由」を声高に主張するようになるかもしれない。中国空軍は宇宙での戦闘力も視野に入れている 国防白書の中で、海軍とともに、活動範囲の拡大が明記されているのが空軍である。空軍は、国土防空型から攻防兼備型への転換が求められている。 また、空軍がカバーする範囲が、空中と宇宙を一体化した範囲であると明記された。『2013年国防白書』では、空軍は「空中作戦行動の主体」であるとされているが、『2015年国防白書』には、2014年4月に、習近平主席が空軍に対して行った講話の中の、「空軍は、空中および宇宙における戦闘力を向上させなければならない」という指示が反映されているのだ。南シナ海上空で米軍機に異常接近したことが明らかになった、中国空軍の戦闘機「殲11」(共同) ところで、「攻防兼備」の「攻」は、現段階では、必ずしも米国本土を攻撃する能力を含んでいない。国防白書の中で、空挺作戦能力や戦略的兵力輸送能力の向上が指示されているが、輸送されて陸上戦闘を展開する陸軍に関する記述の中に、それだけの能力が含まれていないのだ。 陸軍に関する記述は、主として陸軍内の統合作戦能力の向上を指示するものだ。「地域防衛型から全域機動型への転換を実現する」という「全域」は、世界ではなく中国全土を意味している。2014年7月から3カ月にわたって行われた軍事演習は、部隊を全国に展開する訓練を重要な演習項目としていた。 さらに、国防白書は、「小型化、多機能化、モジュール化の歩みを加速する」としている。陸軍は、拡大ではなく、効率化を求められているのだと言える。しかし、モジュール化して機動力を向上させることは、他国に展開する能力の向上にもつながる。より専門化すると予測されているロケット軍 戦略ミサイル部隊である第二砲兵は、特に顕著な拡大や変化が求められている訳ではない。毛沢東は、すでに1950年代には核抑止の重要性を説き、核兵器や戦略原子力潜水艦の開発・配備を指示している。 第二砲兵は、1984年までその存在が秘密にされ、他の軍種が、中央軍事委員会が指導する4総部(総政治部、総参謀部、総装備部、総後勤部)の管理・指揮を受けるのに対し、中央軍事委員会の指揮を直接受ける。そもそも、核兵力は特別に扱われてきたのだ。対米核抑止を担うその地位に変わりはない。 人民解放軍の改革によって、第二砲兵はロケット軍に改名された。2015年12月31日、習近平は、八一大楼において、陸軍指導機構、ロケット軍、戦略支援部隊に対する軍旗授与式を実施した。八一大楼は、元々、中央軍事委員会の執務のために建設された巨大なビルだが、現在では、主として、軍事外交のための行事(儀仗、表敬訪問、会見・会議、晩餐会等)を実施する人民解放軍接待所のようになっている。 これまで、第二砲兵は「軍」とは呼称されず、正式名称は「第二砲兵部隊」であったが、改革によって「軍」に昇格したのである。第二砲兵は、実際には、その戦略性の高さから、これまでも実質的には一つの軍種として扱われていたが、正式に軍種の一つになったのだ。 格上げされただけではない。ロケット軍は、より専門化すると予測されている。戦略打撃機能に特化されるということである。主として大陸間弾道ミサイルを運用するロシアの戦略ミサイル軍のような軍になることが予想されるのだ。 国防白書の中に「軍事闘争準備」が挙げられていることから、中国が武力行使を考え始めたと捉える向きもある。しかし、内容を見ると、2012年末に習主席が人民解放軍に対して行った「戦えるようになれ、勝てる戦いをしろ」という指示を実現しろ、という意味であることが理解できる。 「戦争準備」は、2013年の国防白書にも明記されている。習主席の指示が2012年であるから、当然、反映されているのだ。 しかし、たとえ中国が今すぐに戦争を起こす意図がないからといって、安心していて良いわけではない。中国は、もはや、自らが台頭していることを否定しない。今後、国際社会の中で主要な位置を占めることを自認し、他国にも認めさせようとしている。戦後70周年の軍事パレードも、国際社会において中国が主導的位置を占めることの正統性を示すためのものだった。 改革が成功すれば、中国人民解放軍は、戦闘能力を向上させることになる。 実力をつけつつある中国は、南シナ海で米国との衝突コースにいる。米中とも、南シナ海における双方の主張が自国の安全保障の根幹に関わるものだけに譲ることはできない。台頭する中国は、米国との対立を鮮明にし、周辺諸国を巻き込んだ衝突を起こすかもしれないのである。 おはら・ぼんじ 東京財団研究員・政策プロデューサー。1985年3月、防衛大学校卒(29期)。筑波大学大学院修士課程修了、修士論文「中国の独立自主外交」。海上自衛隊第101飛行隊長(回転翼)、2003年3月~2006年4月、駐中国防衛駐在官(海軍武官)、防衛省海上幕僚監部情報班長、海上自衛隊第21航空隊副長~司令(回転翼)、防衛研究所研究部などを経て退官。2011年3月、IHS Jane's 入社。アナリスト兼ビジネス・デベロップメント・マネージャーを務め、2013年から現職。中国通の軍事アナリストとしてテレビ出演も多数。著書に『中国の軍事戦略』(東洋経済新報社)がある。

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    中国は「強さ」からではなく、「弱さ」ゆえに軍事力を振り回す

    小原凡司(東京財団研究員・政策プロデューサー)《徳間書店『世界を威嚇する軍事大国・中国の正体』より》 中国人民解放軍の活動が、ますます活発になっている。 特に、南シナ海の南沙諸島(スプラトリー諸島)では、暗礁を埋め立てて人工島を建設し、その上に滑走路やビル、さらにはレーダー施設まで建設している。しかも、1カ所ではない。2015年5月に公開された南シナ海・スプラトリー(中国名・南沙)諸島のファイアリークロス礁(同・永暑)の画像 (米海軍提供・ロイター) 南シナ海で、少なくとも7カ所の人工島を建設し、その面積は、東京ドームの170個分以上に及ぶ。 中国は、九段線で囲まれた南シナ海のほぼ全域に主権が及ぶかのような主張をしているが、これら人工島をベースにして、実際のコントロールに乗り出したのだ。これを可能にしたのが、中国の急速な軍事力の増強である。特に、中国海軍の増強は目覚ましい。少なくとも2隻の空母を建造中で、中国版イージスと呼ばれる大型の駆逐艦も大量に建造されている。やはり大量に建造されている最新型のフリゲートとともに、日常的に、南シナ海や東シナ海、さらには西太平洋で任務行動を行うようになった。数の上では、同地域にある米海軍艦艇を圧倒している。 空軍の増強も目が離せない。2013年11月には、東シナ海にADIZ(防空識別圏)を設定し、自衛隊機や米軍機の監視を強めた。現在の空中戦では欠かすことのできない、空中警戒管制機の整備も進めている。さらには、新たに最新型のロシア製戦闘機Su-35の導入も決まった。航空優勢の確保が海上および陸上での軍事作戦の成否を左右することから、中国空軍力の増強は、地域のパワー・バランスに大きな影響を与える可能性がある。中国の軍事力はどの程度なのか「なぜ、中国が軍備増強に熱を上げ、挑発的な態度をとるのか、理解できない」 確かにそうかもしれない。しかし、その疑問こそが、現在の中国を読み解く鍵になる。なぜなら、現在の中国指導部は、実力の不足を認識しながらも、その認識を国内外に示すことが出来ず、一種の「強がり」とも言える態度を示さなければならないからだ。その原因は、中国社会の不安定化にある。 中国は、高度経済成長の段階から、安定経済成長の段階に移行しなければならない情況にある。しかし、タイミングが早すぎた。まだ、多くの国民が豊かになる前に、高度経済成長が終わろうとしているからだ。現段階で経済成長が過度に鈍化すれば、貧しい者が豊かになる機会を失われて格差が固定され、あるいはさらに拡大する。シンガポールでの海上防衛関連国際展示会に参加した、中国のミサイルフリゲート艦「玉林」 経済成長の減速は、中国国民の目にも明らかだ。妬みの眼差しで金持ちを見ながら、自分には豊かになる望みがないと思えば、大衆は、現指導部やその統治に不満を募らせる。権威主義国家では、暴力以外に、この不満を政策に反映させる方法がない。 現在の中国指導部は、中国国民に「偉大な中華民族の復興」という「中国の夢」を信じさせなければならない。経済発展とともに軍事力を増強してきた中国は、「これからは、米国と中国という二大国が、中国にとって公平な世界秩序を決定していく」ことを、身をもって示さなくてはならないのだ。 一方で、中国は、米国が「中国の世界秩序への挑戦」を妨害すると考えている。また、戦争になれば米国に勝利できないことも理解されている。「弱い」からこそ、力こぶを見せて威嚇し、ときには、こぶしを振り回さなければならない。しかし問題は、中国が「弱い」のは、米国やロシアに対してであって、他の周辺諸国にとってみれば中国はすでに「強大」であることだ。その「強大」な中国がこぶしを振り回せば、周辺諸国は実害を被ることになる。 そして、米国は「中国の世界秩序への挑戦」に懸念を抱き始めた。中国が米国を威嚇してこぶしを振り回す、すなわち軍事力を使うからだ。しかも、実際に米国に損害を与えている。それも、米国が許容できない部分で、である。 本書では、中国が軍事力を用いて何をしたいのか、その軍事力はどの程度のものなのか、そして、日本および米国、さらには国際社会がどのように中国の行動に対処していくのかを考えてみたい。おはら・ぼんじ 東京財団研究員・政策プロデューサー。1985年3月、防衛大学校卒(29期)。筑波大学大学院修士課程修了、修士論文「中国の独立自主外交」。海上自衛隊第101飛行隊長(回転翼)、2003年3月~2006年4月、駐中国防衛駐在官(海軍武官)、防衛省海上幕僚監部情報班長、海上自衛隊第21航空隊副長~司令(回転翼)、防衛研究所研究部などを経て退官。2011年3月、IHS Jane's 入社。アナリスト兼ビジネス・デベロップメント・マネージャーを務め、2013年から現職。中国通の軍事アナリストとしてテレビ出演も多数。著書に『中国の軍事戦略』(東洋経済新報社)がある。

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    「反日国家」中国と韓国の劣化が止まらない!

    宮崎正弘(評論家)、室谷克実(評論家)《徳間書店『突然死の危機に陥る中国と韓国』より》宮崎 2015年12月28日、岸田文雄外務大臣が渡韓して尹炳世(ユンビヨンセ)外交相と会談し、慰安婦問題の解決に向けての合意がなされました。 その主な内容は、(1)「日本政府は責任を痛感し、安倍晋三首相が慰安婦に対して心からのお詫わびと反省の気持ちを表明する」、(2)「韓国政府が元慰安婦の支援を目的とした財団を設立し、これに日本政府が資金を拠出する」、(3)「これらの措置を着実に実施することで、この問題は最終的かつ不可逆的に解決されることを確認し、両国政府は国連などの国際社会でこの問題について互いに非難、批判することは控える」というものでした。 (2)の日本政府が拠出する資金は10億円程度とされていますが、結局、これは日本政府が譲歩したということになります。しかし日本政府が望んでいたソウルの日本大使館前にある慰安婦像の撤去については、確約はなく、「努力目標」になっていました。それと、韓国側が慰安婦問題を蒸し返さないことを確約したといいますが、本当に守られますかね。韓国側の要請で合意文書を作成しなかったという話もありますし、口約束で金だけ受け取って、またいつの日にか蒸し返す可能性が高いのではありませんか。 元慰安婦の団体などは「この合意を全部無視する」と言って、猛反発しています。日韓外相会談の共同発表後、握手を交わす岸田文雄外相(左)と韓国の尹炳世外相=2015年12月28日、ソウルの韓国外務省 (共同)室谷 狸(たぬき)と狐(きつね)がオンブにダッコの合意ではないか。そう私は最初に思いました。しかし、ちょっと考えてみると、これはとても良い合意ですよ。“アベ狸”のほうが、“クネ狐”より一枚上どころか数枚も上だった。 もちろん、大きな不満があります。そもそも解決済みの案件に、なぜ10億円も出すのか。これまで韓国が官民挙げて国際社会に向けて吹きまくってきた悪宣伝をそのままにして、フタをしてしまうのか……といろいろあります。 それでも、韓国の悪宣伝をこれで封じ、国際的には「慰安婦問題? もう完全に終わったことですよ」と言えることは大きい。韓国政府は「慰安婦問題は日韓協定の枠に入っていなかった」と言ってきたわけですが、今回の合意は、枠外だったとしても、もう終わったことを「不可逆的に」確認したわけです。 さらに、慰安婦問題を中心に据えた中国と韓国の「反日歴史共闘」に楔(くさび)を打ち込んだことが大きい。 ただ、これで韓国が中国と切れて、日米の陣営に来るかとなると疑問ですね。尹炳世外交相は「世界でアメリカと強い関係を維持しながら中国とも最上の関係を維持する国はいくつもない。戦略的な資産として、これを活用しなければいけない」と、〝コウモリ国家〟であることを公然と誇りにしているのですから。 しかし、北朝鮮の核実験があるという「兆候」をアメリカから教えてもらえなかったことが明らかになり、あわてて中国に電話したら、首脳に〝居留守〟を使われた。哀れなるかな、コウモリ外交です。 宮崎 それにしても、なぜこの時期に、しかも年末のギリギリのところで、この合意が行われたのでしょうか。直前の12月17日に産経新聞の加藤達也前ソウル支局長の名誉毀損裁判で無罪判決が出て(12月22日に確定)、さらにその後(24日)、日韓基本条約の請求権放棄は違憲だとする元徴用工の親族の訴えも、韓国の憲法裁判所は棄却しました。これらによって雪解けムードが促進されたことが大きかったという論調もあります。やはり、韓国に対するアメリカの圧力が強かったのでしょうね。2015年3月にシャーマン国務次官が、「政治指導者が歴史問題で過去の敵を非難することによって、安っぽい拍手を得るのは難しくない」と言って暗に韓国を批判していましたし、後でも述べますが、2015年10月中旬に行われた米韓首脳会談では、事前にラッセル国務次官補やリッパート駐韓大使らが日韓関係の改善を求める記者会見を行ったことで、朴槿恵大統領はオバマ大統領に対して日本批判の「告げ口外交」ができなくなってしまったという経緯がありました。朴槿恵大統領の誤算室谷 朴槿恵大統領は、日韓妥結はないと見ていたのだと思います。また、妥結したくもなかった。だから、直前まで「被害者と国民が納得する内容でなくてはならない」と言っていたのです。被害者と称する人々が納得する内容なんて、日本が吞のめるはずがありませんからね。 そう読んだうえで、「日韓国交正常化50周年の今年中に妥結をすべきだ」と息巻いてきた。韓国政府が、被害者と称する老女たちの意向を聴取する作業をしなかったのも、日本が成案を出してくるとは予想もしていなかったからでしょう。 ところが、日本は年末に突然、妥結に向けた案を持ってきた。妥結後のアメリカのはしゃぎようを見れば、アメリカは「日本が出すのはギリギリの案なのだから絶対に吞め」といった圧力をかけたのでしょうね。韓国は「今年中に妥結をすべきだ」と自ら言ってきたのだから、カウンターパンチを食らったようなものでしょう。いまさら「被害者の意向を聴く作業がまだです」なんて言えるはずもない。 それで妥結後、韓国では保守系紙まで含めて「合意を無効にしろ」の大合唱となりましたが、その大きな論拠は、大統領自身が何度も語った、「被害者と国民が納得する内容」というマジノ線が守られていないどころか、被害者の意向を聴取することすらしていなかった点にあります。日本と韓国のどちらに不満が多いかの一点だけ見ても、この合意の勝者がどちらであるか明白です。宮崎 この合意によって、中国や台湾が日本に対して「われわれの慰安婦問題も解決しろ」という声を上げ始めています。ただ、日本としてはこの合意については、「法的責任を含まない」という見解ですし、基本的にこれまでの立場とまったく変わっていない。そもそも慰安婦の強制性を認めたわけでもなく、慰安所の運営に日本軍が関与していたことへのお詫びで、これは1993年の河野談話の踏襲(とうしゆう)ですから、中国や台湾の要求を吞む必要はない。 とはいえ、河野談話も本来は全否定しなければならない問題ではありますが。いずれにせよ、この合意については、本当に韓国が約束を守るかどうかがポイントであって、もし守らなければ、日韓関係はこれまで以上に悪化することは確実です。そうなればその責任は韓国側にあるということで、ボールは韓国側に投げられている。加えて、中国と韓国との「反日共闘」に楔(くさび)を打ち込む意味もあったともえいるでしょう。実際、中国の新聞は「日本は中国を孤立化させることに成功した」と書いていましたからね。 私としては、「一歩後退、二歩前進」という言葉もあるように、この安倍外交は中国と韓国の反日同盟を壊すための「戦術的後退」と見ています。室谷 アメリカの圧力がどんなものだったのかは厚いベールのなかですが、2016年1月4日付の「中央日報」に載った外部筆者の意見は面白かった。「アメリカの圧力でこうなったのだから、アメリカの責任を追及して実利を得るべきだ」という趣旨で、実利の内容としては3000トン級原子力潜水艦(製造技術)とか米韓通貨スワップとか、いろいろ挙げています。その外部筆者が「元国連大使」なのですから、上から下までタカリの精神が満ちている。靖國爆破未遂事件の真相宮崎 2015年の年末にかけて、日韓関係に影響をおよぼすような事件や出来事がいろいろ起こりましたね。 2015年11月23日に、靖國神社のトイレに手製の爆発物が仕掛けられ、それが爆発したという事件がありました。その容疑者である全昶漢(チヨンチヤンハン)は、約2週間後(12月9日)に再来日したところを逮捕されました。すでに日本ではその前から、部品にハングル文字が書かれていたとか、監視カメラに容疑者が映っていたなどということで、来日した韓国人が怪しいと報道されていた。 全昶漢は再来日の理由を「日本の記者から質問されたから、靖國神社のトイレがどうなっているか確認しに来た」などと言っていましたが、どうも話としておかしいですね。 勘ぐると、日本と韓国には犯人引き渡し協定があるため、日本の警察が犯人だと断定すれば、韓国に対して身柄引き渡しの要求をすることになる。しかし、靖國神社を爆破しようとしたとなれば、韓国ではヒーロー扱いになるので、世論を気にする政府としては引き渡し要求があっても拒否したい。とはいえ、犯罪者だから、そういうわけにもいかない。 だから、「自首に行ってこい」というように容疑者に圧力をかけた、ということではないですか。ソウルの日本大使館前の慰安婦像。足元に追悼プレートが新たに設置された= 4月7日、ソウル(名村隆寛撮影)室谷 そういう説を唱える人がいますけれども、私はちょっと半信半疑ですね。それが本当だとすれば面白いけれど、あまり信憑性(しんぴようせい)がないと思います。 最初は否認していた容疑者も、「前回がうまくいかなかったから、再度、仕掛けようと思った」と供述していますし、荷物には火薬らしきものが入っていたとも報じられています。 その日のうちに帰るための航空チケットも持っていたようですしね。宮崎 来た日のうちに帰国するための航空チケットということは、割引チケットではないですよ。割引チケットには、最低2泊しなければならないという規定がありますから。そうなると正規料金ということになりますが、その資金はどこから出たのかという疑問が残ります。 また、初回、再来日時と、2回も爆発物の原材料となるようなものを機内に持ち込めたということも、不思議ですよ。もしかして、爆破事件そのものも、韓国政府筋の差し金ということはないですか?室谷 さすがに、それはないでしょう。だいたい、韓国では、出国の際の手荷物検査が緩いのです。もちろん、X線検査はやっていますが、きちんと見ているかは疑わしい。何事も、「ケンチャナヨ(大丈夫)」の国ですから。 一方で、入国審査は厳しいのです。呉善花(オソンフア)氏が「反韓的な活動をしている」ということで入国禁止になるくらい厳しい。 だから、容疑者が機内に火薬を持ち込めたのも、それほど不思議ではないのです。この全昶漢という男は、韓国空軍に5年半在籍して、下士で除隊したばかりでした。空軍下士というのは、旧日本軍でいえば伍長です。 韓国では2年間の徴兵で、最初は2等兵、3カ月で1等兵、それから7カ月で上等兵、そして最後の2年目には全員が兵長になります。伍長というのはその次の上の位なのですが、徴兵終了後3年半も軍に在籍していたのに伍長のままだったということは、かなり出来が悪いと思いますよ。靖国爆発犯は英雄になろうとしたのか宮崎 だから、靖國神社を焼き討ちして、国の英雄になろうとしたのかもしれませんね。裁判で有罪判決を受け、国外追放になって韓国に戻ったら、一躍、ヒーローでしょう。 2011年には靖國神社に放火して韓国に逃げた中国人がいましたが、日本側の引き渡し要求に対して、「政治犯だ」という理由で韓国側が拒否し、結局、犯人を中国に逃がしましたからね。 中国では、2012年に尖閣(せんかく)諸島へ上陸して日本の海上保安庁に逮捕され、強制送還となった香港の活動家が、帰国後に英雄扱いされたことがありました。尖閣の海域でわが海上保安庁の船に体当たりした暴力船長も、福建省に帰ると英雄扱いでした。 そういう前例があるだけに、この全昶漢容疑者も、帰国したら大々的に褒めたたえられる可能性がある。実際、韓国国内でのネットなどでは「よくやった」という声が多いそうですから。靖国神社の爆発事件で、麹町警察署を出る全昶漢(チョン・チャンハン)容疑者 =12月09日、東京都千代田区(鴨川一也撮影)室谷 少なくとも、愛国者として扱われるでしょうね。そうすると、いろいろなところからカネをもらえる。 韓国では昔の抗日テロリストたちを褒めたたえて、その孫や曾孫に政府が法律に基づいてカネを支援したり、利権を与えたりしているのです。たとえば、1932年の天長節(天皇誕生日)に上海の虹口(ホンキユウ)公園で行われた祝賀式典で、尹奉吉(ユンボンギル)という朝鮮人が演壇に爆弾を投げつけ、多数の死傷者を出した事件がありました。「上海天長節爆弾事件」です。後に外務大臣となる重光葵(しげみつまもる)はこの爆発で重傷を負いますが、演壇には民間人もいた。まさに無差別テロです。 尹奉吉は逮捕されて死刑となりましたが、戦後の韓国政府はこのテロリストを「義士」として顕彰(けんしよう)し、その子孫に電柱広告の総代理店としての独占権を与えました。 日本人を殺傷したテロリストを「偉い人だった」と持ち上げる反日教育を行い、子孫に利権まで与えるのですから、「それなら俺もやろう」と思う人間も出てきますよ。 大学を卒業しても半数しか職にありつけない韓国で、「伍長で除隊」した者が職を得るのは大変なことです。犯行の底流には、そうしたことも確実にあると思います。 それに、おかしいのは日本のマスコミですよ。大手マスコミはこの事件を、なぜか「靖國爆発音0 0 0 事件」などという名称で報じています。 しかし、現実には4本の鉄パイプ爆弾があったわけです。実際には爆発しませんでしたが、まず爆発音を響かせ、人を誘い込んでから爆発するように仕掛けられていた。 だから明らかに、「靖國無差別テロ未遂事件」と呼ぶべきですが、日本のマスコミはどうしたのか、「爆発音事件」などと矮小(わいしよう)化した名称で呼んでいるのです。しかも、検察にしても、起訴は建造物侵入容疑です。宮崎 手口を見れば、かなり悪質ですよ。検察は「余罪の捜査に支障がありうる」として認否や動機について明確にしていないため、今後、新たな罪状が加わる可能性はありますが、このまま建造物侵入罪だけであれば、犯罪容疑としては非常に軽い罪です。2016年1月中旬の時点で言えることは、前科がなければ、いずれ釈放されるでしょう。起訴猶予にはならないとしても、略式起訴くらいで終わるのではないでしょうか。朴槿恵大統領が「教育の問題」と発言する矛盾室谷 捜査はまだ継続中ですから、どのような結果になるのかはわかりません。しかし、確実に言えることは、韓国の70年にわたる反日教育がこうした犯罪の要因になっているということです。 1980年代前半に韓国紙が報じた世論調査では、日本統治時代を体験した高齢者世代ほど「反日」度合いは薄く、若い高学歴者ほど「反日」の度合いが高いという結果が出ていました。要するに、韓国の「反日」は教育によってつくりだされていることが、そのころから表れていたのです。 すでにその時代には、幼稚園で「独島(トクト)(日本名・竹島)はわが土地」という歌を園児に合唱させていましたし、地方自治体の支所(町役場)の掲示板には、小学生が描いた「韓国空軍が日本を爆撃する絵」が貼ってありました。 当時の私は、今後、実際の日本統治時代を知る年齢層がいなくなり、戦後の反日教育を受けた世代だけになったら、韓国の反日はどうなるのかと思いましたが、その懸念が現実になった感じがしますね。宮崎 そうそう、1970年代の韓国の知識人には、かなりの知日派がいましたから。室谷 戦後間もないころの韓国の教師たちは、「反日」を説かなくては教壇に立てなかったと思いますが、それでも内心では忸怩たるものがあったでしょう。しかし、戦後15年も過ぎれば、自信を持って「反日」を語る新世代の教師が登場してきます。そうして「反日」が純化していって、日本統治時代は何でも悪い、この時代をちょっとでも肯定する者は悪人だという意識に国中が凝り固まってしまった。 日本でも日教組全盛時代に、社会科の担当ではない教師までもがマルクス主義史観に基づく〝史実〟を教えたり、「反米」を説いたりしましたが、その時代にも、ごく少数ですがアンチ日教組の教師がいました。これに対して、韓国では、「反日でない教師」は存在できなかった。 日本の新聞が反米論調で埋まっていた時代にも、日本のテレビはアメリカのホームドラマを流し、ラジオではアメリカのポピュラーソングがオンパレードでしたが、韓国では1990年代前半まで、日本の映画、テレビドラマ、歌謡曲の放送が禁じられていました。しかも、韓国人が制作するドラマに登場する日本人は、極悪非道の立ち回りを演じると決まっていたのです。 韓国では、テロリストが天皇に爆弾を投げている姿がそのまま銅像になっています。「李奉昌義士(イボンチヤン)」の銅像がそれですが、そのようなものを毎日見せられてきたことで、戦後韓国の病的な反日が醸成されたのです。「靖國無差別テロ未遂事件」の背後に歪んだ反日教育があることは疑いようがない。 朴槿恵は2015年11月に起こったフランス・パリの同時多発テロ事件に触れて、「これは教育の問題だ」と言いました。つまり、「教育によって防げる」という意味なのですが、自分の国はどうなのかと呆れてしまいますよ。「日本統治時代は良かった」と言った殴り殺された宮崎 韓国では、日本統治時代のことを知っている高齢者が下手に本当のことを言うと、殴り殺されてしまいますからね。2013年に、95歳の男性が「日本統治時代は良かった」と言ったら、居あわせた38歳の男に殴り殺されるということがありましたね。だから、下の年齢ほど反日が先鋭化しているということなのでしょう。 そこは中国と違うところです。中国では各地に「反日教育基地」、つまり南京大虐殺記念館や抗日記念館といった施設があるのですが、ほとんど誰も見ていません。だいたい、中国共産党のいうことを本当に信じている人など少ないし、プロパガンダであることはわかっているのです。 だから、反日暴動がすぐに政権批判の暴動になる。後述しますが、現在の中国の経済状況は日ごとに悪化していますし、環境問題も命が脅おびやかされるほどひどい状況です。つまり、政権に対する潜在的な不満が高まっているわけですが、それを共産党は力で抑え込んでいる。 2012年に北京や上海で大規模な反日暴動が起こりましたが、あれは完全な官製暴動でした。ところが、これが大規模になってコントロールがきかなくなると、政権批判が噴出するようになった。このまま放置すれば、あっという間に反政権暴動に変わることを、中国共産党もわかったのです。 だから最近は、反日デモや暴動がぱったりとなくなってしまった。下手に煽動すると、自分たちの立場が危うくなるからです。ですから、私はよく冗談で言うのですが、「“反日”は“半日”でやめる」と。 このように、中国人の反日はポーズです。だから日本に来ると、「こんなにいい国はない」となる。2015年1~10月の訪日中国人は約430万人で、2014年通年の約240万人の2倍に迫る勢いです(JTB総合研究所)。 ただ、韓国人も同期約320万人で、2014年の約275万人を大きく上回っています。70年間にわたる反日教育の割には、なぜこれほど日本に来たがるのでしょうかね。竹島室谷 国家・政府が嫌いであることと、その国の産業製品・工業製品が好きか嫌いかということは、別の問題だと思っているのでしょう。 日本を旅行した中国の若者が、「日本はすごい」「日本を見る目が変わった」といったことをブログで書いていることがよく報じられますが、韓国人は反日感情を抱いたまま日本中をまわる人が多いと思いますよ。それで、「やっぱり靖國神社には右翼が多かった」とか「日本は思ったとおり悪い国だった」といったようなことを書いている。 あるいは、日本の観光地で「独島はわが領土」といった横断幕を掲げた記念写真や、靖國神社で放尿している写真をブログに掲載したりしている。産経前支局長の無罪判決と中韓の言論弾圧手法宮崎 まあ、日本を賞賛するような内容を掲載すると、韓国ではすぐに親日(売国奴)扱いされてしまうから、したくてもできないということもあるのでしょう。 でも、韓国は曲がりなりにもOECD(経済協力開発機構)加盟国、つまり先進国で、言論の自由があるはずなのに、国民はこぞって反日史観でしかものが言えないという状況が、なんともやっかいですね。 とはいえ、最近は、本当に先進国なのかという疑念も湧いてきています。産経新聞・前ソウル支局長の加藤達也氏を起訴した事件もそうでしたね。 朝鮮日報の記事を引用して朴槿恵大統領に関するウワサ話を書いたら、検察から名誉毀損で起訴されて、出国禁止を命じられてしまった。 これに世界中のジャーナリストが呆れかえったわけですよ。結局、2015年12月17日に無罪判決が言い渡されたわけですが、同日の米紙「ニューヨークタイムズ」(電子版)は「朴政権は、望まない報道を沈黙させようとして法的手段を使い、批判されてきた」と指摘しています。室谷 そうした国際世論の反発で、加藤氏を有罪にはできなかったわけですが、韓国司法の国家元首への従属はどんどん進んでいます。象徴的なのは、裁判長が延々3時間にわたって読み上げた長い判決文でした。その内容は、加藤氏を有罪にできなかったことに対する朴大統領への言い訳でしょう。 現在の韓国では、朴槿恵大統領の名誉を汚したということで、連行、根拠不明の長期勾留、さらには起訴を次から次へ行っています。 たとえば韓国国内では、2015年11月に大規模な反政府デモが起きたのですが、そこでデモ参加者が朴槿恵大統領を批判するポスターに「独裁者の娘」という文言を入れていたところ、警察が「名誉毀損だ」と言って撤去させたということがありました。 韓国国内だけではありません。「ザ・ネーション」というアメリカの週刊誌が、韓国で起きたこの反政府デモについての記事を掲載(2015年12月1日付)したのですが、そのなかで朴槿恵大統領のことを「独裁者の娘」と書いたところ、やはり韓国の総領事館から猛抗議を受けました。 また、日本でも産経新聞のウェブサイト(2015年8月30日付)が、米中に対して二股外交を続ける韓国のことを「事大主義の国」と書いたところ、韓国の駐日大使が産経新聞に乗り込んできて、「取り消せ」と抗議したのです。 一国の大使が民間の新聞社に抗議のために乗り込むなどということは、ありえないことですよ。 北朝鮮ではよく「われらの首領様の尊厳を汚した」という理由をつけて、外交交渉を打ち切ったりしますが、韓国も同じですね。やはり同じ民族ですよ。加藤前支局長を最初に訴えたのは「自称市民団体」宮崎 産経新聞の加藤前支局長の場合、最初に訴えたのは検察ですか? 朴槿恵大統領が直接、被害届を出したり告訴したりしたわけではないですよね。日本では名誉毀損は親告罪ですから、本人やその親族が「名誉を汚された」ということで訴えるというのが普通ですが、韓国では本人ではない者が、名誉毀損で訴えることができるのですか?室谷 韓国の名誉毀損罪は、第三者が訴えることが可能なのです。加藤前支局長を最初に訴えたのは、「自称市民団体」ですね。それで韓国の検察がこの告発を受理して起訴したわけです。 あくまで市民団体が訴えたのであり、国は関与していないという立場なのですが、産経の前支局長を訴えた団体は「朴槿恵の私兵」と嘲笑されている団体で、この団体が訴えるや、検察は即時受理するのです。ソウル中央地裁に入る加藤達也前ソウル支局長 =2015年12月17日、韓国・ソウル(納冨康撮影)宮崎 そうしたやり方は、中国と似ていますね。明らかに政府や公安当局が資金を出しているのだけれども、民間の反日組織がやったことにするという手口です。最近、戦時中に強制労働させられたということで、かつての中国人労働者が日本企業を訴える動きが中国で頻発しています。 これなども、なぜいまになって次々と起こるようになったのかを考えれば、政府当局の差し金であることは明らかです。しかし表向きは、「善良な一般市民が涙の訴えを起こした」ということになるわけです。 黒竜江省ハルビン市にある方正県は、旧ソ連の侵攻から逃れてきた満州開拓団がたどり着いた地として日本の残留孤児がもっとも多いところですが、そこに、約5000人の日本人犠牲者を祀る中国で唯一の「日本人墓地」があります。数年前に仲間とともにそこへ行って花を供え、線香をあげて、「海行かば」を合唱しました。 地元は非常に親日的な地域なのですが、2011年、北京から中国人活動家が5人やって来て、日本人墓地の慰霊碑にペンキを塗って破損するという事件が起こりました。彼らは「愛国英雄」と称えられましたが、わざわざ飛行機でやって来て、タクシーをチャーターしているところからも、政府なり公安なりの息がかかっていることは明らかです。 しかし、「民間団体が愛国的行為でやった」ということになる。室谷 韓国では、VANK(Voluntary Agency Network of Korea)という反日団体が有名ですね。日本海を「東海と呼べ」という運動や、竹島、慰安婦問題で韓国の主張をしきりに世界に発信して、「ディスカウントジャパン」(日本叩き)を行っている組織ですが、韓国政府は「民間団体がやっている」というスタンスです。 しかし、韓国政府はこの団体に対して補助金を支給し、代表者を表彰しています。韓国ウォッチャーの間では国家情報院(旧KCIA)の指導下にある団体という見方が有力ですが、「民間団体」という隠れ蓑みを使って、政府ではできないような過激な反日運動を展開しているのです。宮崎 産経新聞の加藤前ソウル支局長が在宅起訴されたことについて、アメリカの民間団体「ジャーナリスト保護委員会」は、「こういう名誉毀損罪は廃止されるべきだ」と訴えていました。 民主主義の促進などをめざして国際的に組織されている「民主主義共同体(コミュニティ・オブ・デモクラシーズ)」も、「事態改善に向けて早急に行動すべきだ」と主張していました。この民主主義共同体には、韓国も主要メンバーとして入っています。 こうやってアメリカのジャーナリスト団体が抗議行動を起こしているのに、日本のジャーナリストはほとんど何もしていない。保守論壇のなかには、産経新聞を支援する動きはかなりあるけれど、普段から言論の自由を声高に主張している日本ペンクラブや日本文藝家協会などは、何をやっていたのでしょうかね。 日本ペンクラブは、一応は抗議声明を出してはいますが、声明を出したのは「国境なき記者団」よりも後ですからね。自国の問題なのに、国際的に韓国への批判が高まるのを見届けてからようやく出したという感が否めない。それに、こうした会に加盟している作家やジャーナリストたちが、韓国政府に対して抗議デモを行ったという話も聞かない。室谷 もともと、これらの組織はいわゆるリベラル色が強いですからね。本来、リベラルとは左右の全体主義イデオロギーから解放された人々だったのに、いまや左の全体主義者の巣窟になりつつありますね。 それにしても、この裁判の判決公判は、一度、延期されていますよね。もともとは11月26日に開かれるはずだったのが、その3日前に裁判所が急遽、延期を決めたわけです。しかも、その理由が「熟慮する必要があるから」というのだからお笑いです。 延期した間に外交部が寛大な措置を求める公文を提出して、それが無罪判決の決め手になったわけですから、これまたお笑いです。 1891(明治24)年の大津事件(来日したロシア皇太子ニコライが滋賀県大津町で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に斬りつけられ負傷した暗殺未遂事件)の際、「犯人を死刑にすべし」という内外の圧力に屈せず、法治国家として当時の法が定めるとおりの無期徒刑の判決を下した児島惟謙のような気概もない。児島惟謙を基準にすると、韓国の司法は日本より100年以上遅れていますね。宮崎 韓国には、司法の独立は本当にないですね。中国も司法の独立というのは、あるように見えて、実は全部、共産党の命令のもとに判決が出ているわけですが。ユネスコに飛び火した中韓の歴史戦争への反撃宮崎 2015年10月、中国が申請していた「南京大虐殺事件」の資料がユネスコの記憶遺産に登録されました。いうまでもなく「南京大虐殺」なるものは、中国がでっちあげた日本軍による30万人もの中国人虐殺ですが、そのような捏造された歴史が認められてしまうということは、非常におかしな動きですね。 これはやはり日本の外務省の失態ではないかと思いますが、どうでしょうか。 韓国は、同じくでっちあげの「従軍慰安婦問題」をユネスコの記憶遺産に申請していましたが、こちらの登録は見送られました。しかし、この中国の登録成功で、韓国も再申請するのではないでしょうか。南京大虐殺記念館で資料を見る人たち =2015年9月、中国江蘇省南京市(共同)室谷 先述した2015年12月末の「慰安婦問題に関する日韓合意」の後、岸田外相が「韓国政府が慰安婦関連資料のユネスコへの登録申請を見送ることで合意した」と発言したところ、韓国政府は「そんなことは言っていない、事実無根だ」と即座に反論しました。やはり反日カードとして使うつもりなのでしょう。 南京大虐殺関連資料の登録については、韓国も陰に陽に中国を応援していましたし、登録が決定した後に、朴槿恵大統領が「客観的で民主的」などと評価していました。宮崎 しかし、「南京大虐殺」と韓国とはまったく関係がないのではないですか?室谷 いや、彼らにいわせると、関係があるのです。戦時中、済州島にアルトゥル飛行場という中国大陸爆撃用の日本軍基地があったので、「われわれも黙っているわけにはいかない」と言って、2015年12月13日、済州島の旧日本軍飛行場で追悼式典をやっています。宮崎 日本では「南京大虐殺」の資料登録に対抗するため、「新しい歴史教科書をつくる会」が中心となって10くらいの保守系団体を集め、「通州事件」をユネスコの記憶遺産に申請しようという動きが始まっています。 通州事件とは、1937年7月29日に、通州の日本人居留民や通州守備隊が中国人部隊に襲撃され、残虐な方法で200人以上が殺されたという、明らかな国際法違反の事件です。私は2回、現地を歩いて、写真入りのルポを書いたことがありますが、中国側はあらゆる証拠を消しています。 これに対して韓国では、「つくる会は通州事件を世界記憶遺産に登録して、歴史論争で中国を圧迫し、南京大虐殺の悪行を希薄化する材料にしようとしているとみられる」(聯合ニュース2015年12月12日付)などと批判していますが、通州事件の被害者は朝鮮人(当時は日本国籍)のほうが多かったのですよ。日本叩きのためには、そういうことも無視するんですね。 ただ日本側にしても、記憶遺産の登録審査は2年に一度で、申請できるのは一国2件までと決められており、すでに文部科学省内の日本ユネスコ国内委員会は2017年の登録候補2件を選定しているということで、通州事件をまともに申請する気持ちはないようです。 制度上は国内委員会を通さないで直接ユネスコに申請することも可能なため、「つくる会」はそうするようです。文部科学省の怠慢・ユネスコの欺瞞室谷 私は、どうも文部科学省のなかに韓国のスパイがいるのではないかという気がして仕方がないのですよ。 たとえば2015年7月5日、ドイツのボンで開かれていたユネスコ世界遺産委員会で「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録されることが決まりましたが、その会議の席上で韓国側から軍艦島などでの徴用工の表現をめぐって異議が出され、決定が紛糾するということがありました。 すでにその前段階で日韓双方の外務大臣が話し合い、お互いが協力することで決まっていたはずなのに、突然、韓国側が裏切ったということで、日本国内の嫌韓意識がさらに高まりましたが、実際の事前折衝は文部科学省がしていた。 しかし、ギリギリのところを詰めずに決定の場に臨んだのです。そんなことをしたら、韓国側にやられることは目に見えているわけです。少なくとも韓国ウオッチャーなら、誰もがそう考えます。 そして予想どおり、韓国がいちゃもんをつけてきた。それで「韓国が裏切った」などと言っていたわけですが、いちゃもんをつけられるお膳立てをしたのは文部科学省ですよ。宮崎 そういう利敵行為になるような、いわば「第五列」(自国内におけるスパイのこと)のような存在は、文科省にかぎらず日本には多いですね。 日本のマスコミにしても、第三者を装って、「日本政府がこう言っているが、中国、韓国政府はどう思うか」といったご注進報道を繰り返してきましたからね。 だいたい、教科書検定の中身について、われわれより先に韓国メディアのほうが知っているというのは、おかしな話ですよ。日本のメディアが国内での議論を深めるより、まず中国と韓国にご注進するほうを優先させているからでしょう。 まあ、こういうご仁は日本だけにかぎりませんが。ユネスコのイリナ・ボコバ事務局長にしても、2015年9月3日に北京で開催された抗日戦争勝利70周年記念式典の軍事パレードに出席して、中立性を疑われました。中国から相当の便宜を図ってもらっているのかもしれないですし、彼女は次期国連事務総長に立候補する意向を表明しているため、中国の票欲しさでご機嫌とりに行ったともいわれていますが、どちらにしても中立の立場とはとてもいえない。 いずれにしても、「南京大虐殺資料」の記憶遺産登録は、日本がユネスコ対策を怠っていたということが大きな問題です。すでに決まってしまったものを、いまさら取り消すのはなかなか難しい。 そうすると日本側の対応としては、通州事件などをどんどん申請していかなければならない。相手が政治目的の申請をするなら、こちらもやる。ユネスコの世界遺産はそういうものだということになれば、世界の見る目も変わるでしょう。私は前から提案しているのですが、ついでに日本にも「天安門事件記念館」をつくって、それを申請するという手もあります。室谷 だいたいユネスコの世界遺産認定なんて、地方の信用組合の表彰状みたいなものですよ。日本の名誉を犠牲にしてまでもらう必要はない。アメリカで変化する中国の反日活動宮崎 この「南京大虐殺の資料」が記憶遺産に登録されたことを機に、アメリカでの中国の反日活動が変化し始めています。 これまでアメリカにおける中国の「南京大虐殺」キャンペーンは、アイリス・チャンが書いた歴史捏造書『ザ・レイプ・オブ・南京』を中心に展開されていました。ところが、この方針が変わったようで、現在ではアイリス・チャンを持ち出さなくなったというのです。 これはチャンネル桜代表の水島総さんがアメリカで取材してきてわかったことで、サンフランシスコのチャイナタウンにある抗日戦争記念館が2015年8月15日に改装され、再オープンしたのですが、これまで展示してあったアイリス・チャン関連の資料はほとんど撤去されたというのです。 その代わりに、当時の国民党を支援したアメリカ合衆国義勇軍(フライング・タイガース)の展示などが前面に出され、記念館の名前も、漢字では「海外抗日戦争記念館」ですが、英語名は「パシフィック・ウォー・メモリアルホール」(太平洋戦争記念館)としているそうです。 つまり、アイリス・チャンの役目はもう終わったので縮小し、今度は、中国の抗日戦争はアメリカとともに戦ったことを強調する展示内容に変わったということなのです。 もちろんこれは、北京の指令に基づいているはずです。これから世界中で、中国の反日活動はこういう形に変わっていくのではないかと思います。 日米を離間させるための計略ですが、ある意味では、中国から離れつつあるアメリカを中国側に引き戻したいという意志の表れだと思います。南京大虐殺記念館を訪れる人たち =2015年10月5日、中国江蘇省南京市(共同)室谷 それは韓国のやり方を学んだのかもしれません。慰安婦問題を「全人類の共通問題」にすり替えて世界にアピールしていますから。 そういう論点のすり替えは、非常に長けていますからね。前述の靖國神社での爆破テロ事件のときも、韓国外交部は「訪日韓国人は靖國神社に近づくな」「右翼団体に気をつけろ」といった注意を出していました。 自分たちが不利な立場になったら、いつの間にか加害者が被害者になりすますという、お得意のやり方です。2015年3月に駐韓アメリカ大使が韓国人の暴漢によるテロにあった際も、朴槿恵大統領は「これは韓米同盟に対するテロだ」と言って、被害者の立場になってしまった。日本人には真似ができない才能です。宮崎 日本でも以前、北朝鮮に対する批判が高まると、登下校中の在日朝鮮人の民族衣装がナイフで切られるといった、いわゆる「チマチョゴリ切り裂き事件」がよく起こりましたね。 それで朝鮮総連やその尻馬に乗った朝日新聞などが、「他民族への憎悪をこういう形で表すのは卑劣だ」などと、いかにも日本人が犯人であるかのように論じた。しかし、これまで犯人が検挙されたことはほとんどないし、検挙されたとしても単なる学生同士のケンカが理由だったりと、排外主義などとはまったく関係がなかった。 いまでは、日本人の世論を転換させるために仕組まれた自作自演だったのではないかとさえ疑われています。中国・韓国で言論弾圧が激化する本当の理由室谷 すでに韓国の政府内では、朴槿恵大統領にものが言えないどころか、おもねるような輩ばかりが出世しています。 たとえば、2015年、韓国は42年ぶりともいわれる深刻な干ばつ被害に見舞われました。そこで6月に、朴槿惠大統領は地方に行って、水田に消防車で水を撒まくというパフォーマンスをしました。 消防車のホースはすごい水圧ですから、朴大統領は一人では持ちきれず、田んぼの土がV字型にえぐれてしまい、消防士が慌てて横から支えたということがありました。まあ、そこまではいいのです。 収穫の時期になったとき、韓国の農林大臣が米の試食会の席で、「大統領様が水を撒かれた田んぼは大変に育ちがいい」と、わざわざ言ったのです。まるで北朝鮮そっくりですが、韓国の違うところは、民間のテレビ局が実際に見にいったわけです。 そうしたら、たしかに朴大統領が水を撒いたところの稲は立派に育っていたのですが、その周辺の水田はひどく荒廃していた。つまり、農林大臣は一言ゴマをすりたいがために、朴大統領が水をやったところに毎度、公務員を派遣して水を撒かせたのだと思います。北では一昔前まで、何かにつけて「首領様の現地指導により……」でしたからね。宮崎 本当に北朝鮮そっくりですね。中国でも、習近平主席による言論弾圧がしだいにエスカレートしてきています。人権派弁護士の逮捕・拘束は2015年だけで数百人におよび、中国政府の新疆ウイグル政策を批判した人権派弁護士の浦志強(ほしきよう)は12月22日に、懲役3年、執行猶予3年の実刑判決を受けています。 また、12月25日には、同様に中国のウイグル政策を批判したフランス誌の女性記者が国外退去処分となりました。 これは別の章であらためて解説しますが、2015年12月27日には「反テロ法」が成立し、テロ事件に関する報道の制限や、通信事業者にデータ解析に必要な暗号化キーの提供を義務づけました。 さらに12月31日になって、人民解放軍のなかに3つの部隊が新設されました。そのうちの一つが「戦略支援部隊」という意味不明なフォースでしたが、これがサイバー専門部隊なのです。 こうした言論弾圧が強化される背景には、権力闘争なども絡んでいると思いますが、一方で国民の不満が確実に高まっていて、しかも、以前であれば反日によってそれらの不満を外部に向かわせることができたのですが、それがもはや効かなくなっている、あるいは、それではすまないほど大きな鬱憤が噴出し始めているということではないかと思います。室谷 韓国でも、先に話したとおり、「大統領の名誉」を軸に据えて、ネット監視や、ビラの取り締まりといろいろやっています。民主主義の前に法治主義がいまだに確立されていないのだから、言論の自由が認められないのも当然かもしれませんね。しかし、韓国ではデモはできる。教科書国定化反対、労働問題……掲げるテーマはあふれすぎていますからね。 みやざき・まさひろ 1946年、石川県金沢生まれ。評論家。早稲田大学中退。「日本学生新聞」編集長、雑誌『浪曼』企画室長、貿易会社経営などを経て、1982年『もうひとつの資源戦争』(講談社)で論壇デビュー。中国ウォッチャーとして知られ、全省にわたり独自の取材活動を続けている。著書に『世界から嫌われる中国と韓国 感謝される日本』(徳間書店)、『日本と世界を動かす悪の孫子』(ビジネス社)など多数。むろたに・かつみ 1949年、東京都生まれ。評論家。慶応義塾大学法学部を卒業後、時事通信社入社。政治部記者、ソウル特派員、宇都宮支局長、「時事解説」編集長などを歴任。2009年に定年退社し、評論活動に入る。著書に『呆韓論』『ディス・イズ・コリア』(産経新聞出版)、『悪韓論』『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮新書)、『韓国人がタブーにする韓国経済の真実』(共著、PHP)など。

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    まもなく起こる非常事態! 追い詰められた「裸の王様」習近平

    宮崎正弘(評論家)《徳間書店『突然死の危機に陥る中国と韓国』より》 中国の動きで2016年早々から気になるのは、株価暴落の陰に隠れているが、軍事情勢の剣呑さではないだろうか。2015年の師走、大晦日に中国人民解放軍が、新しく「陸軍指導機構」「ロケット部隊(火箭隊)」「戦略支援部隊(サイバー部隊)」という3つの部隊を新設したことは本文でも述べた。  発会式には習近平がじきじきに出席し、それぞれの責任者に部隊旗を自ら下げ渡す儀式まで執り行った。つまり、この新設3部門に象徴される人事に、習近平の軍権掌握への並々ならぬ野心が隠されているのである。陸軍指導機構のトップには、成都軍区司令員の李作成が任命されたが、習近平が陸軍大将の辞令を交付した過去がある。ロケット部隊トップには第二砲兵から横滑りした魏鳳和(ぎほうわ)。こちらも大将昇格は習が任命した。そして、サイバー部隊長の高津(軍事科学院長)は、習が近く大将に任命する。  これらは、軍事改革のプログラムに最初から謳われていた部隊だから少しも驚きではないが、7つの軍区を5つの「戦区」へ改変するという既定の計画については、具体的な発表がなかった。代わりに、政治工作部など15の部門が新設された。同時に、中国国防部は、海軍が中国初の国産空母を建造中であることを公式に認めた。この新空母は、現有するソ連製を改良した「遼寧」に酷似した旧式で、スキージャンプ方式、ディーゼル駆動で、速力は不明。排水量は5万トンという。中国人民解放軍の統合作戦指揮センターを視察する習近平国家主席=2016年4月20日、北京(新華社=共同) だが、はたして、習近平の野心でもある軍事改革はうまくいくのか? 「愛国主義による中華民族の復興」などと虚ろに呼びかけても、経済的苦境に喘ぐ国民はそっぽを向いており、習近平は「裸の王様」ではないのかと訝しんでいるのである。軍はすでに徐才厚、郭伯雄ら江沢民人脈の失脚により、部隊によっては不満が爆発寸前となっており、これ以上の粛清はごめんこうむりたいというムードにある。 険悪な情勢のなか、じつは新3部隊の発足発表の前に、「習近平の軍師」といわれた劉源が辞職するというニュースが流れ、こちらのほうがチャイナウォッチャーを慌てさせた。劉源は劉少奇の長男であり、解放軍の腐敗撲滅を推進した中心人物だ。汚職に浸り、各地に豪邸を建てて美女を十数人も愛人にするなど豪華な生活を送っていた腐敗軍人の谷 俊山(こくしゅんざん)を最初に血祭りにあげ、ついで江沢民系の軍トップだった徐才厚と郭伯雄を失脚させる原動力となった人物だからだ。  劉源は、軍では総後勤部政治委員だった。上海系軍人から恨まれ、宿泊したホテルが放火され、自動車事故(運転手は死亡)などの暗殺未遂に数回も遭遇した。習近平に対しては適宜適切な数々の助言をなし、習がもっとも頼りにした兄貴分だった。その劉源が潔く、次のポストも見返り条件もなく退役するというのだから、中南海の共産党上層部が慌てたのも無理はない。いや劉源の退任を防げなかった習近平の失態ともいえ、人民解放軍は次の党大会までに玉突き人事が行われるだろう。  2017年の第19回党大会で、現在、副主席の范長龍が引退、その後釜として太子党の張又峡が有力視されており、総参謀部長の房峰輝の勇退が確実視されていることはすでに述べた。 また、空軍司令員の馬暁天と海軍司令員の呉勝利も勇退を余儀なくされ、海軍トップには孫建国、空軍は乙暁光という大将が就任するだろうことも、本文で述べたとおりだ。孫は「ミスター潜水艦」の異名をとるが、訪米団に随行し、あるいはアメリカ軍との交流でも名前を売った。2015年5月のシャングリラ会合では南シナ海問題で強硬路線を堅持し、タカ派で鳴らした。いずれにしても軍の上層部は大異動が予測される。  こうした人事異動によって、軍改革はより迅速に進むのか、はたまた挫折するのか、あるいは劉源の退任は上海派からあがっていた不満のガス抜きなのか、さまざまな憶測が乱れ飛んだ。軍政改革という名の政敵失脚戦術 習近平が2015年9月3日の軍事パレードで宣言したように、「軍の近代化」「人民解放軍30万人削減」という大目標は、従来の7軍区を4つないし5つの戦区に改変し、さらに総政治部、総参謀部、総装備部、総後勤部の4総部体制を撤廃し、西側の軍にあるように統合幕僚本部を設置して、全軍一致、命令系統の統一、地方軍閥の希釈化を図る壮大な軍再編をめざすものだったが、この人事が成功すれば、これがやりやすくなるかもしれない。  折しも軍内で反日派の頭目とされる劉亜洲(国防大学政治委員。空軍大将)が論文を書いて「この軍改革は『革命』であり、譚嗣同の精神を継承してやり遂げなければならない」と主張していた。彼のいう「譚嗣同の精神」とは、清末の洋務派(改革派)が流血なく改革をやり遂げようとした方法論を指す。また、彼の論文は「この軍改革をやり遂げなければ軍は死ぬ」としている点に特徴がある(「軍改之一場革命」)。劉亜洲もまた太子党であり、岳父は李先念(元国家主席)だ。軍事パレードで行進する中国人民解放軍兵士=2015年9月、北京(共同) こう見ると、習近平がいまやっている「軍改革」なるものは、信頼できる部下を軍に置いて重宝し、それで軍権を掌握しようとする中国の伝統的手法に則っていることがわかる。 「打老虎 下餃子」(大ボスを撃ち、雑魚も退治せよ)こそ、習近平が政敵を失脚させるための戦術モデルであり、習近平は次の標的を絞り込み失脚させる前に、必ず標的の側近(副官クラス)を拘束し、落馬させてきた。 たとえば2015年11月6日、中国共産党中央紀律検査委員会は、寧夏回族自治区の副主席だった白雲山を「重大な規律違反があった」として取り調べ中であると発表した。 翌週には、北京市党委員会副書記の呂錫 文が「重大な規律違反」という名目で拘束され、ついに汚職追放運動の手が首都圏におよんだかと関係者に大きな衝撃を与えた。彼女は北京のナンバー2である。中国語新聞は、これを「北京官界地震」と伝えた。同日、上海副市長の艾宝俊(がいほうしゅん) が同じ理由で落馬した。  北京市書記は郭金龍、上海市書記は韓正で、つまり、団派と上海派である。習近平と王岐山のねらいは、もはや言うまでもない。最終的に北京と上海のトップをねらい撃ちにしているということであり、「重大な規律違反」などととってつけたような理由で「副」クラスを失脚させたのは、権力闘争の宣伝道具でしかない。  周到に慎重に、団派と上海派を締め上げ、中国を代表する両都市のトップも、習近平気に入りの人物と交替させるのが目的である。中国の政治通は「このやり方は朱元璋に似ている」と分析する。明の太祖である朱元璋は、いうまでもないが白蓮教徒の乱を利用して貧乏僧侶から皇帝に成り上がった。そして、権力を掌握するや、忠臣、側近を次々と粛清した。  2015年8月12日に起きた天津大爆発にしても、雑魚を捕まえてはみたが、天津市前書記だった張高麗はそのまま、天津市長兼書記代理の黄興国への責任追及は何もなされないうえ、爆発原因も情報公開がない。張高麗は現職の政治局常務委員、黄興国は習近平の子飼いだからである。  中国政治にとって権力のトップは政治局常務委員会だが、地方政府は土地使用の許認可権をもち、さらに上限はあるにせよ、省をまたがない企業の進出認可、経営監督、工場の設置許可なども地方政府がもつ。経済繁栄を象徴する富は、北京、上海、天津、広州に集中しており、1人あたりのGDPランクでいえば、広州、上海、天津、北京の順となる。これらの党委員会トップは、これまでは派閥のバランスによって配分されてきた。  広東省の書記は、団派のライジングスター、胡春華である。習近平は掌握する宣伝機関などを使って、さかんに胡春華のスキャンダルを追求させ、いずれ失脚をねらっている。 北京と上海は伝統的に中国を代表する都市であり、この両市を政敵やライバルが牛耳ることに習近平が焦りを感じていることは明白だ。それゆえに側近たちを拘束し、じわりじわりと政敵を葬ろうとしているわけである。  習近平の黄金の片腕として、反腐敗キャンペーンの先頭に立つのが王岐山である。政治局常務委員でありながら、つねに王岐山は姿を隠し、ときに神出鬼没。次の標的は金融界の大物だろうと推測されていたが、なんと拘束、取り調べの標的は、証券取引の監査を行う責任者である姚剛だった。  姚剛は証券監督管理委員会副主席という立場を悪用して、上場審査の権利を巧みに利用し、とりわけA株(国内投資家専用の株式市場銘柄)のIPO(新規株式公開)を操作し、巨額の賄賂を受け取っていた。北方集団(北京大学関連のベンチャー企業)の怪しげなインサイダー取引の黒幕は、同社CEO(最高経営責任者)、李友という男だったが、彼らとつるんで株価操作や、怪しげな会社の上場認可などを行い、以前から黒い噂が絶えなかった。  手口はIPO許可のインサイダー情報を太子党や側近に教え、あらかじめ株式を大量に購入し、売り抜けるというものだ。高級幹部の子弟や親戚名義で大量の株式を事前に買い集め、数千億元の不当な利益を得ていたと見られており、部下のなかには公文書偽造、印鑑偽造などに手を染めた豪傑もいた(「東方新報」2015年11月26日付)。次いで、証券、保険、銀行の3つを監査する「三会」の主任だった肖鋼がスケープゴートとなって更迭され、後任には黄奇帆が選ばれた。  王岐山は全国を潜行行脚し、地方当局が手をつけられない市政府、県役場などに乗り込み、マフィアがらみの党幹部らを逮捕してきたが、なかには白雲山のような大物が含まれていた。第18回党大会以後だけでも摘発は31の省にまたがり、59名の幹部が拘束され、失脚した。山西省7名、内蒙古4、江西省4、黒竜江省3、四川省3、雲南省3、河北省3、江蘇省3、広東省2、広西、湖南、海南、福建省、湖北が各2など、全土的な汚職の広がりには唖然とするばかりである。犠牲者数百人の大事故も党幹部の汚職が原因 人災も党幹部の汚職が原因である。2015年12月20日午前11時42分、夏の天津大爆発に続き、今度は広東省深圳郊外の工業団地(光明地区紅幼村柳渓工業団地)で大規模な地滑りが起きた。ガス管が爆発、またたく間に付近は泥に埋まり、 33棟の高層ビルが倒壊し、100名近くが行方不明、犠牲者は数百名に達するとされた。  事故現場は、泥沼、湿地帯にパイルを打ち込んだだけのずさんな地盤改良が行われ、その上に高層ビルを建てていた。被災面積は10万平方キロメートルにもおよび、東京ドーム2個分が泥に沈没。現地紙は、これを「山体滑波」と表現した。日本語なら「山津波」だ。  深圳は香港に隣接する新興都市で、人口は1000万人を超える。新幹線が乗り入れ、地下鉄も走る。街は高層ビル、急造したマンション、工場がひしめく大都会。印象としては、急遽、バラックを継ぎ足した映画のロケ現場のようで、全国から無数のギャングも入り込み、治安は乱れている。日本人相手のぼったくりバーも多く、土地の速成、でたらめな工事による造成団地の土地は柔らかく、液状化現象や道路陥没などが頻繁に報告されてきた。  日本企業も数百社が進出しており、居住者も多い。香港よりマンションが安いので、ここにマンションを買って香港に通うビジネスマンだけで30万人もいる。日本人の場合、単身赴任で、家族は香港に住み、子どもを日本人学校に通わせるケースも目立つ。事故現場には、西気東輸計画のガス・パイプラインが通っている。これは中国石油天然気(ペトロチャイナ)が推進した国家プロジェクトだ。しかも、このパイプラインは途中の新疆ウイグル自治区などで過去に何回も爆発事故を起こしているいわくつきである。壮大な汚職も取りざたされてきた。  ネットの書き込みなどでは、パイプラインの爆発が大崩落を招いたのではないかという疑問が持ち上がっていたが、中国石油天然気は爆発原因説を否定し、「土砂崩れが爆発を引き起こした」とした。爆発した西気東輸のガス・パイプラインは国家発展改革委員会元副主任、国家エネルギー局元局長の劉鉄男が責任者で、巨大な利権を漁り、24億元をちょろまかしたが、反腐敗キャンペーンによって摘発され、2014年12月の一審で無期懲役の判決が出ている。 さらに中国では、地元の党幹部とマフィアがぐるになっての犯罪が多く、地下経済には武器のブラックマーケットがある。ネット時代、素人の起業家が銃の密造に励み、しかもそれをネットで売る。アメリカの銃器通信販売は合法だが、中国では非合法である。ISがネットを駆使して世界各地から戦闘員を集めたように、中国ではSNSを活用したブラックビジネスが登場していたのだ。  中国では黒社会(マフィア)ばかりか、素人にも武器の所持が拡大している。公式の武器貿易はNORINCO(中国北方工業公司)など、国有企業が取り仕切っているうえ、中国の法律では軍と警察以外、個人が武器を所持することは許されていない。近年は猟銃さえ規制が厳しくなった。ましてや武器の密造など、認められているはずがない。NORINCOの輸出は1億6000万ドルとされる。  ところが、国内にある武器市場は地下経済で猖獗を極めるようになり、ネットで製造方法を取得し、部品をばらばらに仕入れて、ネットで通信販売というニュービジネスに治安当局が振り回される事態となった。ネットでの助言者は「QQ集団」と呼ばれる。  むろん、ネットでは暗号が使われ、「狗友」(密売仲間)、「狗食」(銃弾)といった符丁で頻繁に通信が行われ、お互いがハンドルネームを名乗るため、実態は不明。密造工場の大規模なものは貴州省の小都市で見つかり、部品工場は広東省が多いという。当局が最近手入れした安徽省のグループは、700件以上の取引を成立させていたという(米ジェイムズ財団「チャイナ・ブリーフ」2015年12月21日号)。  これまで武器の地下市場はマフィアが取り仕切り、軍の横流し武器などを取引してきた。怪しげなマッサージパーラーなどの売春組織、ナイトクラブのボディガードたち、石炭の経営者などが顧客で、地下経済の主力である麻薬、博打、売春などの「防衛」のために、武器は欠かせない。  ところが、ネットで取引される武器の顧客はといえば、銃マニアが主力で、密造も素人がネットで製造知識を仕入れ、部品を特注し、しかも性能は軍が使用する武器に遜色がない。まさに異次元の空間から出現したのである。  ことほど左様に、いまの中国はメチャクチャな状況であり、本書で述べてきたように、中国経済は逼迫し、「公式発表」ですらGDP成長は6・8%に落ち込んでいる。表面に現れない地下の動きや権力の舞台裏から推測しても、近い将来、未曾有の混乱に陥ることは確実であろう。みやざき・まさひろ 1946年、石川県金沢生まれ。評論家。早稲田大学中退。「日本学生新聞」編集長、雑誌『浪曼』企画室長、貿易会社経営などを経て、1982年『もうひとつの資源戦争』(講談社)で論壇デビュー。中国ウォッチャーとして知られ、全省にわたり独自の取材活動を続けている。著書に『世界から嫌われる中国と韓国 感謝される日本』(徳間書店)、『日本と世界を動かす悪の孫子』(ビジネス社)など多数。   

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    ディズニーに騙されるな!オバマの米国を暗示するズートピアの奥深さ

    中宮崇(サヨク ウオッチャー)    映画「ズートピア」の人気が止まらない。ツイッター等ネットでの反応を見ても、下手をすると十回も見まくった方もいるようで、二回三回繰り返し見るのが当たり前になっているという大人気ぶりだ。かく言う私も、名古屋から大阪東京に遠征してまで既に7回も見てしまった。『ズートピア』V3達成 カメのごとくスローペースで60億円も視野に 人類が存在せず肉食獣と草食獣が仲良く暮らす超近代都市ズートピア。そこから300km以上離れた田舎町に住む主人公の少女うさぎのジュディはそんな理想郷での生活を夢見て努力し、見事うさぎ族初の警察官になる……と言うところから始まる物語だ。一見ありふれたお話に聞こえるので、ズートピアに「所詮子供向けアニメだ」という偏見をお持ちの方々からアナと雪の女王を遥かに上回る面白さの秘密は一体どのあたりにあるのかとよく聞かれる。その最大のポイントを簡単に言うとこうだ。 「差別や偏見を捨て去ることでどれだけ世界の見方が広がり、人生が豊かになり、日々が楽しくなるかを興奮とともに実体験させてくれる」  サヨクやリベラルはよく、「差別は正義に反するからやめろ!」「偏見を持つのは良くない」などと偉そうに説教をしつつその実平気で差別するどころかテロ等の暴力さえ振るうが、ディズニーはそんな傲慢でつまらん連中とは大違いだ。なんと「差別や偏見を無くすことはこんなに楽しいことなんだよ、得をすることなんだよ、面白くて気持ちの良いことなんだよ」とたった約二時間の上映時間で体感させてくれるのである。  しかし、この「差別をなくすことの楽しさ」は、最初に見終わった時すぐにはなかなか気付けない。数日経って「あれ?あそこで描かれていたのはどういうことだったのだろう」と振り返り家族や友人と話し合うことによって、徐々に見えてくることなのである。   この映画の登場人物(登場動物?)である狐のニックは「詐欺師と呼んでくれ」と言って主人公のうさぎ警官ジュディを怒らせるが、各種インタビュー記事等を見ると、ディズニーもまるでニックのごとく、観客を騙す気まんまんでこの映画を作っていることがわかる。そこに気付かぬ観客は本作を「ディズニーのいつもの子供向けの楽しい冒険活劇」としか感じられず映画館をあとにすることになる。  それよりも少しマシに深読みできる大人でも、ディズニーの罠に気付かなければ、せいぜいこう感じて感動し号泣するだけであろう。   「強い肉食獣の支配に対し弱い草食獣のうさぎが挑戦し、見事お互いに和解をする物語」であると。  めでたし、めでたし。  それ、見事ディズニーに騙されてますから!   どういうことか。ズートピアを初めて見る観客のほとんどは、いくつかの偏見や差別心を持ってスクリーンの前に座る。その一つが「肉食獣は強いので、弱い草食獣を虐げている」という偏見だ。ディズニーはこの我々の差別心を極めて巧妙に利用しているのだ。  映画を見た方は、よーく思い起こしてみて欲しい。ライオンの市長にこき使われていた羊の副市長は、「草食獣は肉食獣の約10倍の人口」と言っているではないか。しかもズートピアは民主政だ。さらに言えば、進化した結果今や肉食獣は草食獣を捕まえて食べているわけではない。暴力とは無縁なのだ。それどころか心優しくさえある。むしろ草食獣の方が凶暴でいじわるだったりする。ということは、ズートピアでモノを言うのは有権者の頭数、票数なのである。  「肉食獣は強くて草食獣は弱い」という偏見に囚われているとそれに気付かないどころか、「肉食獣=恵まれたアメリカ白人、草食獣=不遇のアメリカ黒人」と思い込んでしまう。ところが実はズートピアにおいては逆に、肉食獣はアメリカにおける黒人同様少数派マイノリティであり、草食獣が圧倒的多数派の強者、つまり白人なのだ!肉食獣はブッシュではなくオバマ肉食獣はブッシュではなくオバマ ライオンが市長として登場ししかも傲慢な性格であると描かれていることもあり「暴力とは無縁な民主政治の世界でも肉食獣が強い」と勘違いしてしまうが、実は草食獣である羊族(白人)に媚を売って副市長に任命し票を取り込まないと肉食獣(黒人)は市長になれないのである。特にサヨク諸氏からは傲慢なライオン市長をブッシュ大統領に重ねてイメージする感想も聞かれるが、彼はむしろオバマ大統領なのだ。  それだけではない。本作におけるテーマの一つは「差別問題」であるのだが、実は作中で差別をしているのは肉食獣ではない。草食動物こそが「肉食獣は大昔我々草食獣を食べていた」という恐怖心から来る偏見で、ライオンや狐、シロクマ等肉食獣を差別する側なのである。例えば狐のニックは幼い頃から草食獣に差別され続けた結果定職にも就けず詐欺師をやっている。街でアイスを買おうとしても、草食獣である象の店主に差別され販売拒否をされる。肉食獣は強者どころか、被差別弱者マイノリティなのである。「ズートピア」ポスタービジュアル (C)2016 Disney. All Rights Reserved. 作中の企業や店舗、警察からマフィア等各種組織のリーダーや長の顔もよく思い起こして欲しい。その殆どが草食獣であり、肉食獣のリーダーはせいぜい市長のライオンぐらいしかいない。銀行等金融を支配するのは小さなネズミのレミング達、iPhoneのアップル社ならぬキャロット社は恐らくうさぎ社長。背広を来て歩いているのも殆どが草食獣であり、肉食獣は差別されホワイトカラー等頭脳労働からは締め出されており、ブルーカラーやマフィアの下っ端に甘んじている世界がズートピアなのである。花屋さんになりたいと夢見ても、街中に堂々と華やかな店舗を持てる草食獣と異なり、肉食獣はマフィアと取引するしかない。  そんな肉食獣不遇の世界の中でライオン市長は、草食獣への妥協や取引によってやっとその地位を獲得できた、恐らく初の肉食獣出身市長なのだ。オバマ大統領なのだ。  だいたい、主人公のうさぎのジュディが働くこの世界唯一の暴力装置である警察のワッペンにはサイがシンボルとして描かれている。つまり我々の思い込みと異なり、治安を守ってきたのは肉食獣ではなく、大型草食獣であるという事実が示唆されている。ジュディの上司の署長も当然草食獣のバッファローである。  後半に登場する「最終決戦」の舞台である博物館の展示にも注意すると、興味深い事実が色々と見えてくる。民主政以前の王政においては肉食獣ではなく草食獣の象が王であったらしいし、石器時代に槍を発明したのは草食獣であり、「素手」の肉食獣をうさぎ等が集団で武装し狩っていたのだ。まるで帝国主義の時代にイギリスの白人がアフリカの黒人を近代的な武器で打ち破り植民地を獲得し支配してきた歴史のように。  実際ディズニーは制作当初は、肉食獣=被差別マイノリティであるという描写をもっとドギツくおこなっていたらしい。肉食獣はなんと、興奮すると電気ショックで懲罰される「テイム・カラー」という首輪をつけられているという設定だったというのだ。 ‘Zootopia’ Directors Explain How The Movie Evolved From A ‘James Bond’ Parody [Exclusive Interview] ディズニーによる詐欺を見抜き、この「肉食獣こそが実は被差別弱者マイノリティ」であるという事実に気付くことができると、物語は180度全く違うものに見えてくる。そしてもう一度見直すべく映画館に足を運びたくなること必然だ。サヨクやリベラルが唱えている反差別という正義 サヨクやリベラルが唱えている反差別という正義  映画は少女時代のうさぎのジュディが主役を務める「人権啓発劇」から始まる。「大昔肉食獣は草食獣を捕まえ食べていた。しかし動物たちが進化した今、みんな仲良くズートピアで暮らし、うさぎでも警官になれる、誰でもなりたいものになれる」と。しかしそれを見ていた狐の少年ギデオンは、彼のいじめを止めようとしたジュディを「昔俺たち狐はお前たちうさぎを食っていたんだぞ!」と脅して襲い、「お前なんかが警官になれるわけがない」と言い捨てる。  最初にこの場面を見た我々観客は、「強者である狐のギデオンが、弱者で草食獣である主人公のうさぎのジュディをいじめた!ひどいやつだ!」と感じてしまうに違いない。だが……   それ、見事ディズニーに騙されてますから!  自分は差別や偏見とは無縁だと思い込んでいたあなた、見事に肉食獣差別主義者ですから!  この映画は差別について直接には多くのことを語らない。セリフの表面だけ聞いていたら「ズートピアが語る真実」について何もわからず終わる。逆にさりげないポスターや風景などの描写に実は極めて重要な意味が込められているので注意深く見る必要がある。  例えば、冒頭にジュディが故郷の田舎町の駅で両親と275匹の兄弟!とさらに親類縁者に見送られズートピアに旅立つシーン。普段善良な父親が「肉食獣、特に狐に気をつけろ!」と差別心丸出しで娘の身を案じる。そして気付かない観客が多いと思うが、町の看板をよく見ると、うさぎの人口はなんと810万匹以上表示されている!我々は「田舎町」という言葉に対する偏見で騙されてしまっているが、これでは近代都市ズートピア以上の「州」いや「国家」だ。そもそも町名からして「バニーバロウ(うさぎの巣穴)」であり、うさぎこそが支配種族なのである。「ズートピア」(C)2016 Disney. All Rights Reserved.   実際人権啓発劇のシーンを思い起こすと、ジュディは両親兄弟一家総出で娘の観劇に来ているのに、狐のギデオンはひとりぼっちだ。客層もギデオンとその友人の計2匹以外は全て草食獣。この町において肉食獣は圧倒的マイノリティなのである。しかもうさぎたちは狐を差別し一緒に仕事をすることを嫌っているという描写もある。つまり、ギデオンの親は無職あるいは低所得非正規労働者である可能性が高い。そして息子と一緒に町のお祭りの観劇に来られないほど祝日も忙しいか、あるいはネグレクトされている可能性さえある。ギデオンが草食獣の子供たちから奪ったのも、彼らが来ていた「にんじん祭り」の屋台で使える金券らしい。ギデオンの親は、息子にお祭りで楽しむ小遣いさえ与えられぬ境遇なのである。  ギデオンがジュディを脅した文句にも注意する必要がある。肉食獣が進化し草食獣を襲わなくなったこの映画の世界において、ギデオンがジュディに用いた「昔俺たち狐はお前たちうさぎを食っていたんだぞ!」という脅しが成立した理由は何か。決して狐の凶暴な本能とうさぎの臆病な本能が理由ではない。二人が反差別政策としての人権啓発劇を見せられたからだ。劇のせいでギデオンは「そうか、貧しく仲間も少ない弱者の自分でも、昔のご先祖は強かったのだから、豊かで数が多い強者のうさぎたちを脅せるのか」と学んでしまった。ジュディだって劇を見せられなければ、ギデオンに「食っちゃうぞ!」と脅されても「え?動物が動物を食べるなんてどこのホラー映画のお話?」とでも感じるだけで、怯える理由など何もないのである。つまり、日本やアメリカでもサヨクやリベラルが唱えている反差別という正義のお題目が、ズートピアにおける差別や偏見、いじめや対立を作り出していたのである。  そうしたことを踏まえると、「強者である狐の乱暴者ギデオンが、主人公の弱者で草食獣であるうさぎのジュディをいじめた」という解釈がいかに偏見にもとづいた間違った思い込みであったかということに気付くだろう。詐欺師ディズニーが巧妙に隠していた正解は「強者のうさぎに差別され親にまともな職もなく家庭でネグレクトされてきたマイノリティの狐(黒人)が、差別的な草食獣(白人)による偏向教育で脅迫の方法を学びそれを武器にし抵抗した」というものなのだ!社会問題に繋がる描写が満ち溢れたズートピア 社会問題に繋がる描写が満ち溢れたズートピア ズートピアのプロデューサーは、「主人公を含む全てのキャラクターに偏見を抱かせることが、とても重要だった」と語っている。しかしその「全てのキャラクター」には、実は我々観客までもが含まれているのである。映画『ズートピア』:クラーク・スペンサー(プロデューサー)&ジャレド・ブッシュ(脚本/共同監督)ロングインタビュー ズートピアにはこれ以外にも、ディズニーが客の偏見や差別心を利用して「真の意味」をわざとわかりにくくしている所が山のようにある。我々観客は、「肉食獣は強く草食獣は弱い」「サバンナはアフリカの遅れた地域」「マフィアのボスは大男」等の偏見を持って生きており、そして映画館にズートピアを見に来る。そうした各種の偏見を捨てていくことによって本作の隠された「真の意味」を次々と発見して楽しみ興奮することができるのである。「ズートピア」(C)2016 Disney. All Rights Reserved.   言い換えるとズートピアは、観客に「偏見を捨てて見ないとこの物語の真の面白さに気付けないよ」と強いる作りになっているのだ。そして我々がそれに気付き偏見を捨て面白さを知ったという快感を実際に体験させることで、「差別や偏見を捨てるとこんなに面白いし世界の見方が広がったでしょ?」と微笑みかけているのである。  差別をやめた時の快感を実感できる映画などというものがこれまであったであろうか?ズートピアはそれほど凄い作品なのだ。 ズートピアがサヨクやリベラルに対するアンチテーゼになっている点は他にも多いし、アメリカの実際の人種差別問題に重なる描写も溢れている。例えば物語のキーを握る羊族は実は、よーく見るとただの草食動物(白人)ではなく、同じ白人でもネズミやうさぎ等WASPに比べて恵まれぬプアホワイトを表しているらしい。つまり、一見単純な「肉食獣vs草食獣」の差別問題を描いているように見える本作であるが、実はそんな簡単な話ではないのである。本来の敵は豊かな草食獣(白人)なのに、より弱い被差別マイノリティの肉食獣(黒人)を敵視しKKKのような組織まで作ってしまうというやりきれぬ哀しさ。差別問題の深刻さを示すそんなプアホワイトの姿まで盛り込んでいるのだから徹底している。  このように、ズートピアには現在進行形の社会問題にダイレクトに繋がる描写が満ち溢れている。今アメリカ大統領選にて吹き荒れているトランプ旋風を説明することさえ可能だ。そうした隠された真実を一つ一つ探り発見していく快楽の強烈さで満たされているのがズートピアなのだ。  ここまで読んで頂き、あなたが詐欺師ディズニーの仕掛けた罠を見破る悦楽に浸りたくなったのならば、今すぐ映画館に足を運んで欲しい。  そしてズートピアを見終わった方は、ネタバレゆえに本稿では書けなかった数多の真実を私のツイッターでつぶやいているので、是非訪れて、自分に偏見がまだ残っていないかどうかチェックしていただきたい。「やっぱり差別や偏見はいけないよね」と感動し泣きながら映画館を出てきたはずのあなたでさえ「え、自分はまだこんなに偏見にまみれていたのか!無意識の差別心は怖い!」とショックを受けるに違いない。   無論以上の考察は「多様性」を重んじるディズニー作品についての私的な一仮説に過ぎない。十人十色、見る人によってまた違う解釈が出てくるに違いない。うさぎと狐が全く同じ考え方をする必要などない。ズートピアで暮らす動物たちのように、みんな違って良いじゃないか!   いずれにせよディズニーはこう言ってあなたを待っているのだ。「差別と偏見を捨てないと、僕らが作った夢の国ズートピアに入れてあげないよ!」と。ズートピアに関する興味深い考察。肉食獣は本当に強者なのか? - Togetterまとめ 中宮崇「ズートピア」ツイートまとめ

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    高まる排外主義へのディズニーの強烈な危機感が生んだ「ズートピア」

    古谷経衡(著述家)徳川夢声が感嘆したディズニーアニメ再び 日米戦争華やかりしころ、戦中・戦後に第一級の文化人として活躍した徳川夢声がシンガポールで日本軍が鹵獲したディズニーのアニメ映画『ファンタジア』を観て、そのあまりの完成度の高さに衝撃を受けたというエピソードはあまりにも有名である。 今次公開されたディズニー映画の最新作『ズートピア』を観た小生も、夢声ほどではないがやはり大きな衝撃を受けた。 日本のアニメは物量(予算等)の関係からリミテッドアニメ(コマ節約)の制約を受け、古くから如何に物量を演出力や大人向けの世界観で補うかの試行錯誤を経たことにより、1980年代には「ジャパニメーション」と呼ばれる世界屈指の作品群を生み出すまでに至った。その「ジャパニメーション」はいまや「クールジャパン」の一角に包摂され(日本政府がどれほどそこへの正確な理解があるのかはともかく)、世界のアニメファンを魅了し続けている。 それに比して、フルアニメーションの歴史と伝統を誇る世界的大家こそがディズニーであるが、2013年の『アナと雪の女王』(アナ雪)を遥かに上回る屈指の傑作こそ、『ズートピア』であるといえよう。「ズートピア」(C)2016 Disney. All Rights Reserved. 前々作『アナ雪』は”女性の自立アニメ”ではない 前々作『アナ雪』でディズニーは、不遇の超能力者エルサ(雪の女王)とその妹のアナが融和することにより、白かった雪の結晶が多種多様な色彩のグラデーションで示される多様な価値観と人生の共生を示した。 この映画を観て「女性の自立」を読み取ったある社民党議員が居たが、その感想はあまりにも凡庸に過ぎる。『アナ雪』のテーマは多様な価値観の共生であり、であるからこそエンドロールで示される氷の結晶の多彩な色調が多文化共生への輝かしい未来を暗示しているのである。『アナ雪』はエルサが自立するフェミニズム万歳映画などではない。 今作、『ズートピア』は、基本的に『アナ雪』の基本的理念、つまり多文化共生の尊さを踏襲するものとなってはいるものの、『アナ雪』の公開からたった2,3年で世界情勢は大きく変化した。 21世紀最大の民族問題ともいえるシリア難民の流入、そしてそれに呼応するフランスを含む欧州での同時多発テロ、露骨な排外主義を掲げるトランプ候補の共和党大統領候補の指名(確実)等々、世界は多文化共生を拒絶する方向へと着実にその歩を進めている。この世界情勢の激変は、ディズニーに大きな影響を与えたことは想像に難くない。世界情勢の緊迫が『ズートピア』を生んだ世界情勢の緊迫が『ズートピア』を生んだ『ズートピア』は寓話である。人間の一切登場しない動物たちだけが暮らす大都市「ズートピア」は、肉食動物と草食動物、大型動物と小型動物等々、根本的に生態が違う動物たちが暮らす”理想郷=ユートピア”の象徴である。 その理想郷で突如沸き起こる排外主義と動揺。主人公でウサギの「ジュディ・ポップス」は新米警察官として「種族間のヘイト」を煽る巨大な陰謀にキツネの相棒・ニックと共に立ち向かっていく。 白眉なのは主人公のウサギが全面的な正義ではないこと。このウサギにも無意識の差別感情が存在することが劇中、鋭利に指摘される。それを乗り越え、受け入れること、融和することでキツネのニックと最高のコンビを形成する様は、『マイアミ・バイス』や『110番街交差点』など、往年の”人種を超えた”最高のバディ・ムービーの系譜をもれなく踏襲するものだ。「ズートピア」(C)2016 Disney. All Rights Reserved. 「多文化共生」とは、耳に柔らかい美辞麗句である。「移民」先進国であるヨーロッパの事例を見れば一目瞭然のように、先住者と移民のとめどない憎悪の応酬は、具体例を挙げるまでもなく現在進行形で繰り返されている。「移民」に免疫の薄い日本人は、このような欧州(あるいは米国)の先行事例から学び取ることはあまりにも多い。日本が今後、多文化共生という「ある種の理想」とどう折り合いをつけるのかは明瞭ではないが、『ズートピア』の示すテーマは、そのテーマソング「Try everything」というタイトルからも自明のように、試行錯誤の後にあるべき人類の理想形を追い続けるものだ。 たとえそれが綺麗ごとであっても、たとえそれが到底実現不可能な理想であっても、誰かが言い続けなければ世界は変わらない。まさにキング牧師の「I have a dream.」の名演説である。現下の世界情勢を鑑みた上の、ある種の強烈な危機感が、ディズニーをして『ズートピア』を創らせたのだろう。その試みは敬意に値する。 そしてそれは人間ではなく、どうしても動物に置き換えなければならなかった。なぜなら人間世界はそれほどまでに荒み、憎悪に満ちているからだ。この物語は動物の話にしなければ、とても寓話としての訴求を持ちえないと判断したのだろう。それほどまでに現下の世界は多文化共生が不可能になりつつある危機的情勢だからである。誰かが唱え続ければならない理想。その代弁者としての”ディズニー”誰かが唱え続ければならない理想。その代弁者としての”ディズニー”「みんな仲良くしよう」「お互いの違いを認め合おう」―。 この手のデモや集会を横目で見るたびに、「何を馬鹿な」「夢想的だ」「偽善ではないか」という批判が飛び交う。かくいう小生も、確かにその批判には一理あると思う。 言うや易し行うは…、とはよく言ったもので、近所の河原でリア充どもが集団でBBQや花火をやっているだけで眉間に皺を寄せる小生にとって、「多文化共生」は美辞麗句、欺瞞・偽善の象徴たるフレーズかもしれない。「ズートピア」(C)2016 Disney. All Rights Reserved. 大ヒット上映中 しかし、世界から、例えそれが到底実現困難であるとしても、理想をいう人がいなくなったら、どうなるのだろうか。「現実主義」とは名ばかりの卑小で卑屈な理論だけがまかり通り、今日と明日のカネ勘定(そして晩飯の献立と貯金額の計算)だけが支配する殺伐とした世の中になろう。そして小生に言わせれば、その卑小な損得勘定こそ、「戦後レジーム」の正体そのものである。 小生は到底実現困難であるとしても、憲法改正と対米自立という「夢想」を言い続けたいと思っている。自分の生きている間は無理でも、その子孫、またその子孫の時代にそれが実現されたとすれば、自らの言動は後世の歴史家の手によって、歴史の中に記憶されるであろうから、と固く信じるからだ。 ディズニーも同様である。「多文化共生」をいくら『ズートピア』で訴えたところで、現実は変更されない。ウサギが飛び跳ねるフルCGアニメが上映される傍らで、ガザ地区ではイスラエル軍のロケット攻撃によって無辜のパレスチナ人が死んでいる。子供が死ぬ。赤ん坊が死ぬ。アラブ青年はユダヤ人への報復を誓って自らの体に爆弾を巻いて自爆攻撃を仕掛ける。負の連鎖である。 彼らにとっては先進国の空調の効いた何不自由ない劇場で乱舞する、歌って踊るウサギやガゼルやバッファローよりも、目の前の生と死、そして憎悪こそがリアルだ。 だが、言い続けなければならない。誰かが理想を。理想の世界を。その役割を担っているのが、小生はディズニーであると信じる。

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    「アジアのトラブルメーカー」中国にどう対峙すべきか

    黄文雄(評論家)《徳間書店『世界に災難をばら撒き続ける 中国の戦争責任』より》はじめに 二〇一五年十月二十七日、アメリカはイージス駆逐艦を南シナ海に派遣し、中国が自国の領土だと主張し人工島の建設を進めているスービ(渚碧)礁の一二海里以内を航行させた。いわゆる「航行の自由作戦」(FONOP)である。 中国は南シナ海を一方的に「自国の領海」とし、ベトナムやフィリピンなどの周辺国と衝突を繰り返してきたが、防空識別圏を勝手に設定するなどやりたい放題の状況に、アメリカの堪忍袋の緒がついに切れたのである。 数年前には東シナ海の尖閣諸島をめぐり日本とも一触即発の事態となったことは記憶に新しいが、もちろん中国による東シナ海への侵略行為と日本に対する挑発は現在も進行中である。 思い返せば、一九四九年の中華人民共和国の成立から、中国はチベット侵攻、中印国境紛争、中ソ国境紛争、中越戦争などを引き起こし、朝鮮戦争に介入するなど、戦争ばかりしてきた。そして現在も新たな紛争・戦争の種を撒き散らしているのだ。 だが、それは共産党一党支配の中国に限ったことではない。歴史的に中国は、つねにアジアにおけるトラブルメーカーとなり続けてきた。とくに近代におけるアジアの紛争は、ほとんどが中国が原因となっている。中国が日本の「戦争責任」を執拗に追及している日中戦争も、実際にはその元凶は中国側にあった。 列強の植民地となったアジア諸国の独立を妨げてきたのは華僑であり、そのために東南アジアでは華僑排斥運動が何度も繰り返されてきた。 本書はそうした実態と「中国の戦争責任」を明らかにするとともに、中国はなぜこれほどまでに戦争をしたがるのか、中国人の伝統的な戦争観、侵略観、領土観などを解明し、これから日本、世界はどのように中国に対処すべきかを論考したものである。世界のものはすべて中国のもの 領土紛争において、中国はつねに「歴史的には中国のもの」という「決まり文句」や主張を掲げるが、これは単に中国人の「口癖」というだけであり、国際法的な「領土主権」とは関係がない。それはただ古代中国の「天下王土に非ざるものなし」という「王土王民」思想である。言ってみれば、「世界のものはすべて中国のもの」という思い込みにすぎない。 清の乾隆帝の時代の『皇清職貢図(こうしんしょっこうず)』にイギリスやオランダまでも「朝貢国」と書き込んだが、同様に、現在の中国の領土主張はただの思い込みである。要するに「かつて交遊があった」だけですぐに「自分のもの」という錯覚を起こしているだけのことだ。 中国政府はよく「古典に書いてある」と主張するが、この「書いてある根拠」も、せいぜいこの類のものだ。しかし、「お笑い草」で「話にならない」と反論をすれば、中国はすぐに逆上して「戦争だ」と喧嘩腰に出る。これも国民性の一つである。 私もかつて、インド政府関係者から、「『歴史的に中国のもの』という主張に、なにか『確実』な記録でもあるのか」と確認されたことがある。あの遠い天竺には、せいぜい支那僧が取経に来たくらいのもので、インド仏教が支那だけでなくユーラシア大陸東半分に伝え広がったことはあっても、支那の文物が天竺に入ったことはほとんどなかった。 中国がインドにまで国境紛争を仕掛けたのは、ただ「農奴解放」という口実だけでチベットを軍事占領した後、「チベットのものは中国のもの」という「三段論法」を用いて、印パ紛争の隙につけ込んでケンカを売ったにすぎない。「有史以来、中国人は一人としてヒマラヤを登ったことはない。それなのに、よく『ヒマラヤは中国のもの』などと言えるものだ」とネパール政府が皮肉ったのは正論である。 私が高校生のときは、軍事教官から地図を広げて「シベリアは中国の固有領土」と教えられたが、そこにはなんの根拠もない。アラスカまでが中国の領土だという主張は、ただ上海語(呉語)において、「アラ」は「われわれ」と、「スカ」は「自家」と発音が似ているから、「われわれの家」というこじつけであり、ただの小咄にすぎない。 中国では、アメリカは中国人が発見したという話もある。二万年前に中国人が発見したとはいうが、二万年前に中国人はまだこの地上に現れていない。そのとき米州にいたのは、せいぜいネイティブ・アメリカンか、もっと以前の石器時代の人類かもっと前の原人か猿人ぐらいのものである。 コロンブスの新大陸「発見」以外には、古代フェニキア人やら北欧のバイキングなどが来たという説も多々ある。中国では明の時代に艦隊を率いてアフリカまで航行したとされる鄭和(ていわ)がアメリカを発見したという説まである。だが、鄭和は去勢された西南のイスラム教徒である。南海遠航(「下西洋」ともいわれる)の主役は、むしろモンゴル系のイスラム教徒であった。たったそれだけのことで、すぐに「アメリカは中国人が発見したもの」「BC兵器でアメリカを叩き潰して回収する」とまで主張する者たちすらいるのだ。 ネット世代は月まで中国の固有領土と言うが、その根拠はただの中国の伝説「嫦娥奔月(じょうがほんげつ)」だ。これは日本の『竹取物語』に似たお伽話である。そこからすぐに「宇宙戦争」まで空想妄想し空理空論を振り回すが、これは中国国内にしか通用しないことである。 これらは単なるホラ話の域を出ないが、笑い話で済まないのが中国の厄介なところだ。そうした神話や伝説、古典を利用して、時には「新事実の発見」までを捏造し、既成事実を積み重ねて勢力拡大を狙ってくることだ。 東シナ海については、中国船が「釣魚臺列嶼中国領土」(尖閣諸島は中国領土)と刻まれた石碑を、尖閣近くの海域に何本も沈めていることが明らかになっている。南シナ海の島礁においても、古い貨幣をわざわざ地中に埋めたり、古石碑を海中に沈めていたことが判明している。いずれそれを掘り返して「やっぱり中国の土地だ」と言い張ることは目に見えている。 しかも、現在ではモンゴルのチンギス・ハーンまでも中華の「民族英雄」と見なしている。これに対してモンゴル政府は猛烈に反発している。 そういう中国人のこじつけについて、旧ソ連のフルシチョフ元書記長は「中国は有史以来、最北の国境である万里の長城を越えたことはない。もし古代の神話を持ち出して理不尽な主張を続けるならば、それを宣戦布告とみなす」と警告した。ベトナムは「漢の時代からずっと管理」 ベトナムは七世紀ごろにすでに南沙諸島(ベトナム名・黄沙、長沙諸島)を発見し、領有を主張していたのに対し、中国ではもっと以前、二千余年も前の漢の武帝の時代にすでに発見し、宋の時代に領有を宣言したと言い張った。しかし、そこにはいかなる論拠もない。中国が「核心的利益」(絶対に手放せない利益)として、「絶対不可分の固有の領土」としているのが台湾である。一時、古代からすでに中国のものだったと語るために、最初の書『尚書(しょうしょ)』(『書経(しょきょう)』)・禹貢(うこう)篇にある「島夷卉服(とういきふく)」というたった四文字を根拠にしたことがある。この四つの文字をもって、卉服を帰服と読みかえ、台湾が四千年前にすでに中国の朝貢国であったと主張したが、しかし、南洋に浮かぶ当時の南沙諸島は「島夷」がいないどころか無人の島ばかりであり、しかも満潮時にはすっかり海面下に水没してしまう暗礁だらけの海であった。そんなところに「島夷卉服」のたった四文字だけを根拠にして主権や固有領土を主張するのは、荒唐無稽である。 そのため、中国政府の公式の主張としては、「漢の時代からずっと管理している」というのみが正式な見解として残っている。 習近平主席は自らアメリカ政府に対し、南シナ海の諸島は太古から中国の固有領土だと主張した。中国人民解放軍の統合作戦指揮センターを視察する習近平国家主席=2016年4月20日、北京(新華社=共同) その習近平だが、文革中に正式な学校教育を受けていなかった。なのに博士号までもっていることに対し、ネット世代の真相探りによって、学歴詐称との話まで出ている。 習は中国史でさえ一知半解であり、正確な知識はないので、勝手に言っているだけである。勝手に「太古から」と言い、「ずっと管理している」とする中国の公式の主張には、はたして根拠があるかどうか。 このように、ときには捏造までして領土主張をする中国、中国人のメンタリティはどうなっているのか。中国の拡張主義や恫喝行為をどう受け止め、処理すべきなのか。 それを考えることは、緊迫の度合いを増しているアジア情勢の中で、日本がいかにして中国に対峙すべきかを考えることでもある。 本書が中国理解と今後のアジアを考えるうえで参考になれば幸いである。 二〇一五年一二月中旬 黄文雄黄 文雄(コウ ブンユウ) 1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。1994年、巫永福文明評論賞、台湾ペンクラブ賞受賞。日本、中国、韓国など東アジア情勢を文明史の視点から分析し、高く評価されている。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』の他、『世界から絶賛される日本人』『韓国人に教えたい日本と韓国の本当の歴史』『日本人はなぜ特攻を選んだのか』『中国・韓国が死んでも隠したい 本当は正しかった日本の戦争』『世界が憧れる天皇のいる日本』(以上、徳間書店)、『もしもの近現代史』(扶桑社)など多数。

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    戦争と殺戮ばかりの国・中国

    黄文雄(評論家)《徳間書店『世界に災難をばら撒き続ける 中国の戦争責任』より》戦争がない時代はなかった中国 中国ほど戦争をしてきた国はない。また、自国民を含めた殺戮を行ってきた国もない。 共産主義の中国になってからでさえ、チベット侵攻(一九四八─一九五一)、中印戦争(一九六二)、中ソ国境紛争(一九六九)、中越戦争(一九七九)を行い、加えて南シナ海の東沙諸島、西沙諸島を略奪し、現在は南沙諸島を自国領土に編入しようと目論んで、フィリピンやベトナムと衝突を繰り返している。『共産党黒書』(ステファヌ・クルトワ、ニコラ・ヴェルト著、恵雅堂出版)によれば、二十世紀において中国の共産主義によって犠牲になった人々は六千五百万人にのぼるとされている。 しかし、それはなにも二十世紀にかぎってのことではない。台湾の歴史家であり作家でもある柏楊(はくよう)氏は、中国史上「戦争のない年はなかった」とまで言っている。 中国はそもそも、歴史が連続した国ではない。現在の中華人民共和国は一九四九年の成立だが、その前は清朝であった。中国は秦の始皇帝による統一から、易姓革命(皇帝の姓が変わる、つまり王朝交代)を何度も繰り返してきた。元、清のように異民族によって支配された時代もあった。「万世一系」の日本人にはわかりづらいかもしれないが、易姓革命ということは、まったく違う国に取って代わられるということだ。それは改革でも変化でもない。だから「革命」という言葉が使われる。 王朝交代時に戦乱を伴うのはもちろんのこと、謀反や反乱、内乱、農民蜂起などが日常的に頻発しており、そのため中国は「一治一乱」(治めたと思えばすぐに反乱が起こる)だと言われてきた。南シナ海・スプラトリー諸島のヒューズ礁に建設された施設と監視塔(右)=4月14日(タインニエン紙提供・共同) 太古から資源や領土の奪い合いを繰り広げてきた中国は、現在もなお、他国領土に対する侵略を続けている。東シナ海、南シナ海での中国の身勝手な振る舞いはその典型である。 もちろん戦争は一騎討ちから総力戦に至るまで、戦争の型はさまざまである。後述するが、唐の玄武門の変のように兄弟の戦争から、明の靖難(せいなん)の変の叔父と甥、漢の武帝と皇太子との長安の都での親子の決闘もある。無辜の「難民」も出る。 私の小学生のころに国共内戦後に追われた中国から数十万人の難民と学校の教室を生活の場として共有共生したこともあった。決して遠い昔々の話ではない。 自国民虐殺だけでなく、異民族虐殺も中国では現在進行形の「犯罪」である。儒教の国である中国では、中華の民とそれ以外の民を厳しく峻別(しゅんべつ)してきた。中華以外の国は夷狄(いてき、未開の野蛮人)であり、獣と等しいと考える。そのため獣偏や虫偏をつけて「北狄」「南蛮」などと呼んできた。これを中華の徳によって文明人に変えることが「徳化(王化・漢化ともいわれる)」なのである。そして、儒教の発展理論である朱子学や陽明学では、天朝(中華の王朝)に従わない異民族は天誅を加えるべしという論となり、正当化されている。 十九世紀末から現在に至るまで延々と続くイスラム教徒(ウイグル人)の大虐殺、十六世紀の明末から十九世紀の清末に至るまでの西南雲貴高原の漢人による少数民族のジェノサイド、辛亥革命後の満洲人虐殺、通州(つうしゅう)事件などの日本人虐殺、人民共和国時代の文革中の「内モンゴル人民革命党員粛清」に象徴されるモンゴル人大虐殺、チベットに対する数百万人の虐殺と文化抹殺、台湾人に対する二・二八大虐殺など、近代中国人によって行われた民族浄化の大虐殺……近代中国では、こうした人類に対する犯罪がまかり通っているのである。「すべて自分たちのもの」と考える中華思想 後述するが、こうした異民族に対する優越意識、さらにはすべて自らが世界の中心であると考える中華思想が、現在の中国においても、かつての王朝が統治していた場所のみならず、「歴史書に記述があった」くらいの場所までも、すべて自分たちのものだと主張する大きな要因となっている。 だが、これらについてはまったく根拠がない。後の章でも詳しく説明するが、それについて簡単に述べると、①中華歴代王朝は、漢の時代からだけでなく、春秋戦国時代まで遡(さかのぼ)っても、城や関による国禁(入出国の禁止)が厳しく、戦国時代に築かれた長城や秦時代の万里の長城がそのシンボルである。それ以外にも、明時代には南方の苗(ミャオ)族を防ぐために建設された「南長城」まで発掘されている。それほど中原より外の世界との関わりあいは避けてきたのだ。 漢以後の歴代王朝も陸禁(陸の鎖国)と海禁(海の鎖国)がますます厳しくなっていった。たとえばもっとも開放的で国際色豊かとされる唐でさえ、その国禁については、鑑がん真和上の日本への密航や、渡唐僧の空海らの入につ唐、三蔵法師玄奘和尚が陸禁(関所越えの禁止)を犯して天竺に取経に行った故事がその真相を物語っている。②海洋的思考や海上勢力、航海力、海の英雄譚さえなかったのは、史前から典型的なハートランド国家であったからである。 宋は陸のシルクロードのすべてを北方雄邦に押さえられ、江南まで追われた。明は北虜南倭(ほくりょなんわ)(北のモンゴル人と北の倭寇)に悩まされ続け、清は広州十三洋行という海の窓口しかなかった。海については、海岸から五十里の居住禁止や「寸板不得入海」(一寸のイカダでさえ、海上に浮かべることは禁止)など、海に出たら「皇土皇民」を自ら棄すてた者、「棄民」とみなされた。華僑も例外ではない。帰国断禁どころか、厳しい場合は一族誅殺、村潰しまでの悲劇が避けられなかった。③宋の時代の海への知識は、華夷図が代表的で、海南島はあっても台湾の存在さえ知らず、南海は未知の領域であった。④東亜大陸の民は、原住民の原支那人の先祖たちも、華夏の民・漢人も、基本的には農耕民か城民としての商人、それ以外に、満洲人も狩猟採集民だった。モンゴル人などの遊牧民を除いては、土地に縛られる陸の民と言える。古代東アジアの北から南洋、さらにインド洋に至るまで、河川、湖沢、海岸に暮らし広く分布していた倭人は、不可触賤民として、中国人どころか天民や生民とさえみなされていない。 陸の民は太古から海を忌避し、暗黒の世界とみなしていた。字源にしても、黒は海と同系の発音である。海は有史以来、中土、中国としては認められていなかった。陸を離れてなおも「絶対不可分の神聖なる固有領土」とする与太話は、正常な人間なら絶対に認知すべきではない。⑤今の中国人は「近代の国際法は西洋人が勝手につくったものだ。中国はもうすでに強くなったので、一切認めない」と主張するが、大航海時代以後の海洋に関する諸法を認めるとか認めないとか、あるいは勝手につくるとかしても、それはあくまでも中国だけの都合である。 そもそも太古から海洋をずっと忌避してきた中国人は、海洋とは無縁であり、法をつくる能力もない。海洋に関するかぎり、中国がいくら理不尽な主張をしても、ただ強欲を口にしているだけで、そこにほとんど説得力はない。「中華民族」とは何か「中華民族」とは何か 中国は「南シナ海は漢の時代の二千年前から中国の一部だった」などと主張し、習近平国家主席は「中華民族の偉大なる復興」を掲げている。では、この場合の中華民族とは、どこまでの人たちを指すのか。 そもそも中原の漢人の「華夏」と称される原中国人(支那人)の祖先であるはずの夏人、殷人、周人は、今現在の自称中国人とはいったいどこまでつながっているのか。かつて北方の雄だった匈奴(きょうど)をはじめ、五胡(ごこ)などの子孫たちは今現在、いったいどの民族で、どこにいるのか。「自己主張」だけではなんの証拠にもならない。 国家と民族の歴史をあまり区別しない人が少なくない。ことに「民族」は、近代になってから近代国民国家とともに生まれた人間集団の用語で、客観的な存在というよりも心理的かつ意識的な存在としての近代ナショナリズムの歴史的産物である。「民族」というのは生理的や心理的な概念として、法的な概念である「国民」とは違う。たとえば南ヨーロッパのラテン人は、中南米のラテンアメリカに至るまで新旧大陸に広く暮らしている。共有の文化と言語をもっていても国が違うというのは決して稀有なことではなく、違和感もない。そもそもヒトラーはオーストリア人で、ドイツ国籍を取るためにドイツ軍に入隊した。ナポレオンももとはといえばコルシカ人である。 同一語族や民族でも、多くの国々に分かれているのは、決してヨーロッパにかぎらない。たとえば、同じくモンゴル人でも、現在モンゴルと中国・ロシアに分かれている。コリアンも北朝鮮・韓国のみならず、中・露など多くの国々に分かれている。アジアの南のタイ系やマレー・ポリネシア系の人びとも同様だ。 だから民族の歴史をいくら遡っていってもきりはない。数万年前まで遡ってDNAから見てみれば、それは第二の「出アフリカ」に突き当たる。 中華民族がいるところが中国ならば、華僑のいる東南アジアやアメリカでさえ中国となってしまう。華人が伝統的に海を忌避していたことは述べたが、そうした歴史や伝統を踏まえれば、南シナ海も東シナ海も中華民族のものではないことになる。 ギリシャ文明の歴史は、中国の三代(夏・殷・周)から春秋戦国時代とほぼ同時代だったが、ギリシャの北のブルガリアは六千年前の人類最古の黄金文明がのこっている。いったい彼らは、このバルカン半島でどう暮らし、どう活躍していたのか。 地中海域のヨーロッパ文明の先駆の地は有史以来、北からはフン族やゲルマン人、スラブ人が南下してきて、東の砂漠からはモンゴル系やトルコ系の人びとが入ってきたので、特定の民族が「われわれの祖先の地」などと称するのは、じつに難しい。さまざまな異民族に支配された過去がある中華の地にしても、同様である。 人類史上において、民族や種族による分別が先で、国家は後で生まれたのだ。 もっとも、現在では太古の「部族国家」は「都市国家」に比べ、あまり国家らしくなくても、「××国家」と称される。「封建国家」や「天下国家」(世界帝国)、「近代国民国家」は歴史的に国家として認知されている。 だが、ことに近現代になって、すべての国家の条件をそなえても、国際法的には認知や承認が必要とされるようになった。たとえば、わが祖国の台湾はその一例で、中国が「自分たちのものだ」との主張を譲らないために、いくら中国より進んだ民主主義や経済、技術を持っていても、世界的には独立国家として認められていない。 日本人にとって、国家とは神から生まれたものとして「記紀」の国生み物語にある。もちろん「国」は神から生まれたものだから、私から見れば、じつに夢の夢として羨ましい。たいていの近代国民国家は生まれたものよりもつくられたものがほとんどである。「生まれた」ものは血の繋がりがあるため、「つくられた」ものとはまったく違うのである。「アイデンティティ」だけでも天と地の差があるのではないだろうか。「国家と民族」についての中国の主張のでたらめ「国家と民族」についての中国の主張のでたらめ だが、現在の中国、中国人の「国家と民族」についての主張はじつに矛盾だらけで、ご都合主義だらけである。 「悠久の歴史」があっても、「一治一乱」と分離集合を繰り返してきたことを無視して、あくまで中国という国家が太古から存在していたかのように主張している。華夷が交代して中華世界に君臨した事実も無視しており、つまりミソもクソも一緒なのである。 加えて、「人の世」と「神の代」を区分せずに、「神の代」まで擬人化し、伝説と歴史が混合、混乱。民族史や国家史のスパンだけでなく、中国史の時間と空間の設定も確定もできていない。 だから、同じ中華人民共和国であっても、時代によって主張がころころ変わって、一定していないのだ。ここで、現代中国の歴史観の変化とその問題点について、箇条書きにしてまとめてみよう。①中国史の長さについて、始皇帝の統一からではなく、春秋戦国から、さらに遡って「三代(夏・殷・周)」、そして伝説時代の「三皇五帝」から「推定」四千余年を「四拾五入」して「五千年の悠久なる歴史」と小学校から教えてきた。 習近平の時代になってからは、さらに「五千余年」と膨らませている。②中華世界には、国家としては、「一治一乱」の歴史法則にしたがって、国家と天下とが揺れ動き、「易姓革命」だけでなく、華夷などの主役交替も時代によってあった。 二十世紀初頭前後に起きた、清朝において大中華民族主義(異民族も含めて中華民族として扱う)と大漢民族主義(漢民族こそが中華の中心であるとする主義)との論争があり、辛亥革命後、大中華民族主義が主流となりつつあったが、毛沢東の人民共和国時代になると、「世界革命、人類解放」を目指し、「民族」は否定され人民の敵とみなされるようになった。 だが、一九九〇年代からは中華民族主義がマルクス・レーニン主義、毛沢東思想に代わって強く説かれるようになった。 習近平政権になると「中華民族の偉大なる復興」を連呼絶叫するようになったが、その「中華民族」の実態は、チベットやウイグルなど異民族の文化を抹殺することで創作しようとしているだけである。③漢族と五十五の非漢族を一つの中華民族に強制創出することは、なおも模索中である。目下は民族の同化と浄化の手しかない。「五千年の歴史」をかけても、なおも五十五の非漢族が存在すること自体、漢化・華化=徳化=王化の限界を如実に物語るものである。 そもそも、元帝国のモンゴル人、清朝の女真人まで中華民族だというならば、従来、歴史教科書に救国の英雄として載っている南宋の岳飛(がくひ)、文天祥、明末に元に抵抗した史可法など、女真人、モンゴル人、満洲人に反抗した「民族英雄史」は、「中華民族史観」の下で再編、書き換えざるをえないはずだ。④異民族による征服王朝である遼・金・元・清について、あるいは夷狄が中国を征服、君臨した歴史を、中国は階級闘争史観にもとづいて、「支配的階級の交替」のみで書き換えようとしてきた。だが、中国史の全史を改編しないかぎりそれは無理だ。だから本当の歴史は語れない。⑤中華世界の「征服民族」や「支配民族」の変更については、「易姓革命」だけでなく、民族ことごとくの変更である。大元時代のように、モンゴル人、色目人、漢人(北方漢人、女真人、高麗人)、南人などの人種による階級規定まであった。また、「反清復明」(清に背いて漢人の明朝を再興する)のような、「反胡(はんこ)」の民族的抗争もあった。 中華民族主義史観をナショナリズムとして成熟させ、史論、史説、史観として確立することは、空想妄想のファンタジーでしかない。⑥歴代王朝は、主役民族の違いや交代のみならず、国家と天下の歴史循環も時代によって異なり、領土範囲のスケールも時代と国力によって異なっていた。空理空論、空想妄想で国家と民族の歴史を説くのは、きわめて非現実的である。⑦イタリアがローマ帝国の正統なる継承国家、ギリシャ人が「東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の正統なる相続人」と主張し、そのかつての領土を要求したら、ヨーロッパはいったいどうなるのだろうか。「天下大乱」が待っているだろう。心のなかではそのような矜持を持っていたとしても、実際には要求などしないのが、近代国家、近代国民である。だから中国は永遠に近代国家にはなれないのだ。 このような「チャイナの振り子」のような歴史時間と空間の変化の下で生まれた歴史観、史説と歴史意識は、じょじょに中国人のものの見方と考え方として、歴史観から世界観、人間観、人生観、そして価値観として定着していった。 では、具体的に、それらはどのようなもので、どうやって中国人に定着していったのだろうか。以下、要約して簡略にとりあげる。①歴史観については、以下の史書が史観として定着していった。 ・『史記』──皇帝中心史観。 ・「二十四正史」──『漢書』をはじめとする歴代王朝の明滅亡までの「正史」であり、易姓革命の正当性と正統主義により、新たな王朝は前の王朝の後継王朝だと自己主張する。 ・『春秋』──尊王攘夷、華夷の分、春秋の大義。 ・『資治通鑑』──中華思想の確立。②新儒学としての「朱子学」と「陽明学」が、華夷の分と別、そして夷狄の排除と虐殺を「天誅」として正当化し、理論的、学問的基礎となった。③勝者が歴史をつくり、敗者が歴史を学ぶ優勝劣敗の歴史法則の確立。④「有徳者」が天命をうけ、天子となる「徳治(人治)主義」の正統性の主張が、「道統」(道徳的正統性)から「法統」(法的正統性)へと拡大解釈されていく。変わる中国人の戦争手法変わる中国人の戦争手法 戦争の定義については、字書、辞典、百科全書、政治用語辞典などなど、それぞれの概念規定、注釈があっても、時代とともに概念が変わり、歴代の戦争論や戦争観が変わるだけでなく、時代とともにますます追いつかなくなってきている。 では、内訌(ないこう)や内乱、朋党(官僚がつくった党派)の争い、政争、村と村の決闘である「械闘(かいとう)」、さらに今現在進行中のサイバー・ウォーが戦争かどうか、「経済戦争」や「貿易戦争」が「戦争」かどうかが問われる。そればかりか、戦争の字義だけでなく、命名も論議され、対立までしている。 「大東亜戦争」か「太平洋戦争」かだけではない。日本で通称「アヘン戦争」については、英国では「Trade War」と称されるので、名称も異なる。 六〇年代に、私と同じ大学の院生たちが夏休みに帰国した際、「経営革命」や「マーケティング革命」などの専門書が税関に没収された。中国共産党が「世界革命」を唱え革命の輸出を目論んでいたあの時代には、台湾の政府は「革命」という文字に神経を尖らせていたので、専門書であろうと政治とはまったく関係ない書籍であろうと、「革命」という文字を目にしただけで、すぐ「造反」と思い込み、没収された。なにしろ、あの時代は歌曲まで三百余曲が公式に禁唱されていたので、精神的ななぐさめは、トイレの中で、小さな声で唄い、あるいは心の中だけで楽しみ、声を出さずに済まさなければならなかった。あの時代には三人以上でひそひそと話をしたら、「造反の密議」とみなされたので、友達をもたないことが最高の生活の知恵となっていた。 インドネシアでビジネスをしている大学時代の友人は、日本に来るたびに日本語の著書をそれぞれ選んで持って帰っていた。インドネシアは一時、反華僑、反華人の国策を断行し、漢字をすべて禁止した。漢文や中国語書籍まで持ち込みが禁止されていた。国によっては文字や言語についての考え方がそこまで違うので、「戦争」や「平和」、「侵略」についての解釈は狭義から広義までそれぞれ違う。学者だけでなく、民衆の意識に至るまで、ことに概念からイメージに至るまで、共有するのはじつに難しい。 人類史にはさまざまな戦争(平和も)についての論議がある。たとえば、世界で有名なクラウゼヴィッツの『戦争論』をはじめ、『韓非子(かんぴし)』やマキャベリの『君主論』もそれに含まれると言える。「孫呉の兵法」をはじめとする「武経七書(ぶけいしちしょ)」(『孫子』『呉子』『司馬法』『尉繚子(うつりょうし)』『六韜(りくとう)』『三略』『李衛公問対』)だけでなく、トルストイの『戦争と平和』をも含めて、純理論からハウツー本、そして小説に至るまで、戦争についての考え方、兵法に至るまで、戦争についてはさまざまな異なる考えがある。もちろん今でも新著が続けて出ている。戦争と平和については、異なる考えがあるだけでなく、対立するものも多い。「春秋に義戦なし」と孟子は言っていても、「十字軍の東征」について、キリスト教徒とイスラム教徒の考えはまったく対立的にして両極端である。 それでも、今では西洋の正義と中洋(イスラム)の大義、そして東洋の「道義」があって、対立もしている。中国の「超限戦」の限界 クラウゼヴィッツは、戦争は政治の延長と説き、毛沢東はレーニンの戦争観を受け入れ、クラウゼヴィッツの戦争論について、「政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である」と言い換えた。しかし、レーニンは戦争を「正義」の戦争と「不義」の戦争に二分し、プロレタリアの革命戦争、植民地の解放、独立戦争こそ「正義の戦争」と戦争の「正義」を説いた。「毛沢東の戦争論こそマルクス・レーニン主義の戦争論を最高峰にまで発展させたもので、それは矛盾論、実践論をも含めてまさしく、戦争をもって戦争を否定する最高の『仁』だ」とべた褒めし、礼賛する日本の進歩的文化人もみられる。 このように、戦争の定義はいろいろな意見があるが、現在の中国が採用している戦争の定義とその手法は、「超限戦」というものだ。 これは、一九九九年に中国軍大佐の喬良(きょうりょう)と王湘穂(おうしょうすい)が共著で出版した戦略研究書の名前であるが、現在の中国および中国軍の戦略は、これに則っていると思われる。 私はかつて台湾大学の歴史学教授の友人から「ぜひ一読を」と勧められ、台北で買い求めて大学の研究室に持ち帰り、研究者たちと共同研究会で勉強したことがある。 この著書は、通常戦のみならず外交戦、情報戦、金融戦、ネットワーク戦、心理戦、メディア戦、国家テロ戦など、あらゆる空間や手段による戦争を提唱したものである。外国人漁業規制法違反の容疑で海上保安庁に停船させられた中国サンゴ漁船=2014年11月21日、小笠原諸島嫁島沖(第3管区海上保安本部提供) 実際に現在、中国によるサイバーテロや、日本のメディアを利用した情報操作や世論撹乱、アメリカでのロビー活動、アジアインフラ投資銀行(AIIB)による金融戦などが展開されている。 当時、私は「超限戦」の戦争観について、 「特定の戦争はなく、正面対決もない。武器、軍人、国家、技術、科学、理論、心理、倫理、伝統、習性などにも、限界や境界はない。そして多くの場合は戦火も砲火も流血もないのだが、その戦いが引き起こす破壊力は軍事戦争に劣ることはない。 『超限戦』にはまた、陸海空、政治、軍事、経済、文化などの境界もない。孫子、呉子の兵法やクラウゼヴィッツの戦争論を超え、無限の手段で敵を服従させるのが超限戦の真骨頂である」 と分析した。そしてすぐ討論に入った。 しかし、まずイスラム学者から、「いくら超限戦といっても、イスラムのようなジハードは不可能なのではないか」と、中国人の考えている「超限戦」の限界が指摘された。 考えればそのとおりである。いくら超限戦と言っても、中国人には日本人のような「特攻」や「割腹」はない。イスラムのような信仰もない。 それが極端に利己的で現実主義の中国人の限界ではないのか。中国は海外の島々に対して、「歴史的に中国のもの」と主張し、「心理戦、世論戦、法律戦」という「三戦」を繰り広げているが、それでも核ミサイルの増強といった「力」に頼ることに必死になっている。 そこにも中国の「超限戦」の限界が見られる。黄 文雄(コウ ブンユウ) 1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。1994年、巫永福文明評論賞、台湾ペンクラブ賞受賞。日本、中国、韓国など東アジア情勢を文明史の視点から分析し、高く評価されている。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』の他、『世界から絶賛される日本人』『韓国人に教えたい日本と韓国の本当の歴史』『日本人はなぜ特攻を選んだのか』『中国・韓国が死んでも隠したい 本当は正しかった日本の戦争』『世界が憧れる天皇のいる日本』(以上、徳間書店)、『もしもの近現代史』(扶桑社)など多数。

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    戦艦「三笠」の故郷・英バローを訪ねて

    岡部伸(産経新聞ロンドン支局長) 1904(明治37)年2月に始まった日露戦争は、翌年5月の日本海海戦での連合艦隊の勝利で大勢が決した。欧米を驚かせたのは、その大勝利が極東の開国したばかりの非白人小国によって達成されたことだった。「日本は鎖国を解いて50年、海軍をもって10年で早くも世界一流の海軍国になった」(米『ニューヨーク・サン』紙)。しかし、「皇国の興廃この一戦にあり」とZ旗を掲げて勝利した背景に「大英帝国」の存在があったことはあまり知られていない。日本海でロシアのバルチック艦隊を撃破して世界史に残る大偉業を達成した連合艦隊旗艦「三笠」をはじめ日本艦艇の9割が英国で製造され、当時最高級の英国産「カージフ炭」を燃料とするなど英国が少なからぬ側面援助をしていたのだ。世紀の勝利は帝政ロシアと覇を競った英国によって支えられていた。 「三笠」の故郷である英イングランド北部のバロー・イン・ファーネスを訪ねると、一世紀前の日英交流の想い出と「三笠」を建造した誇りが今も語り継がれていた。それは干戈を交えた先の大戦中も変わることがなかったという。語り継がれるMIKASA ロンドンから電車で5時間。アイルランド海に面したバローは造船の町だ。沖合に自動車レースで有名なマン島。近くには「ピーター・ラビット」の作者、ヘレン・ベアトリックス・ポターが創作活動を行なった湖水地方のニア・ソーリーがある。 19世紀後半から20世紀初頭、世界で最初に産業革命に成功した英国が世界の工場だった時代に、バローは造船会社「ヴィッカース」の企業城下町として発展した。現在は、「ヴィッカース」を引き継いだ防衛航空宇宙企業「BAEシステムズ」が原子力潜水艦を建造して英国における安全保障の一端を担っている。 「三笠」は1899(明治32)年、最新戦艦として起工され、1900(明治33)年11月進水した。市内のカンブリア公文書館には、進水式の写真と地元紙の挿絵などが保存されている。駐英日本大使が出席した進水式には、数多くの地元市民が参加して熱烈な声援を受けた。地元紙には「アジアの最新興の列強国日本の発注を受け、最大の戦艦を建造したことは、英国さらにバローのヴィッカースの誇り」と記されている。 百年余を経て、「三笠」を誇りに思う市民の気持ちは現在も変わらない。 街の対岸のウォルニー島に、造船従業員の社宅が立ち並ぶ「ヴィッカース・タウン」がある。通りの名前は同社が建造した船名から名付けており、その一つ(約50m)が「MIKASA ST」と命名されている。「三笠」が建造された1900年に名付けられたのだが、以来116年間、日英が戦った第2次大戦中も名前を変えていない。バローの「MIKASA STREET」(写真:筆者、以下同) 一般的な道路で、命名の由来を記した記念碑もない。玄関の壁に「MIKASA ST」と書かれた通りの発端の「ミカサ・ストリート」56番地に住むウィリアム・ヒギンソンさんは、40年間ヴィッカースで造船工として原潜などを造った。「ミカサ」を「マイカサ」と発音して、「先輩が偉大な戦艦を造ったことを誇りに思う。ロシアを負かしたから。マイカサは私たちの歴史」と述べた。日本が学んだ英国の造船技術日本が学んだ英国の造船技術 日本が「三笠」建造を英国に頼んだのは、当時の造船大国英国をお手本に造船技術を向上させるためだった。ヴィッカースも、新たに開発した技術を海外からの受注艦に実装して試すことができるメリットがあった。その技術は、当時の最新鋭だった。 完成した「三笠」は122mの船体の前後に旋回式の連装砲塔を各一基備え、舷側にずらりと副砲を並べた。進水式で市民から絶賛されたのは、艦橋や居住部、火砲の配置に無理がなく均整が取れた容姿が先進的だったためだ。 1年数カ月かけ兵器などの装備を取り付けて、1902(明治35)年3月1日、サウサンプトンで日本海軍に引き渡された。翌2日、プリマスで英国の戦艦「クイーン」の進水式に参列した初代艦長、早崎源吾は、「英国側から非常なる歓待を受けたのは、日英同盟のおかげ」と海軍大臣、山本権兵衛に書いている。英国が日本と同盟を結んだのは2カ月前だった。いわば「三笠」は日英同盟の象徴として日本に提供されたといえる。 「三笠」を建造した古い石積みの「船渠(ドック)」が残っている。その「船渠」跡地を改造して、造船業の歴史を展示する「ドックミュージアム」がある。博物館前には、船の舵とスクリューを模った記念碑があり、ヴィッカースが建造した船の名前が書かれてあり、「三笠」や「金剛」の名も記されている。 博物館には、「三笠」の1年前に建造されモデルとなったフランスの戦艦「ヴェンジャンス」と共に、日露戦争後、1913(大正2)年8月に竣工された「金剛」の模型などが飾られている。 「金剛」は日本海軍初の超弩級巡洋戦艦として発注した戦艦で当時、世界最大で世界最強、最先端だった。高速戦艦として第二次大戦でも活躍するが、学芸員のグラハム・カービンさんによると、ヴィッカースは「三笠」建造を誇りに日本海軍と親密な関係を続け、「金剛」建造にあたって企業秘密を隠さず「技術供与」を図った。日本側からの造船技術者派遣、調査や船体の図面入手や同型艦の日本国内での建造まで許可した。英国は、同盟国日本に最先端造船技術を惜しみなく提供したのであった。「金剛」の模型を前に語る「ドッグミュージアム」の学芸員 この結果、日本は同型艦「比叡」「榛名」「霧島」3隻を国内で建造して造船技術を世界一流に引き上げた。「三笠」建造以来十数年間、バローには技術者や訓練する水兵ら海軍関係者などの日本人が定期的に滞在し、地元の市民らと積極的な交流が行なわれた。バローの市民が日本に親しみをもっているのは、こうした歴史があるからだろう。 日露戦争当時、日本の主力の戦艦六隻はすべてニューカッスルなど英国で製造された。 装甲巡洋艦8隻のうち半数が英国製だった。当時英国は世界一の造船大国で、同盟国として最先端技術がそろう最新鋭艦を提供した。勝利を収めた要因の一つはここにあった。 日露戦争後も日本は英国に人を派遣して戦艦の造船方法を研究した。「金剛」の建造を通じた技術盗用は成功し、その後日本は独自の造船技術を確立する。バローで造船技術を学んだ技術者のなかには、のちに戦艦「大和」の主砲を製造した者もいる。英国で学んだ造船技術は日本流にアレンジされ、その後の「大和」や「武蔵」など巨大戦艦を造る基礎となり、戦後日本が造船大国として復興する礎にもなった。 同じようにヴィッカースはトルコから戦艦の発注を受けたが、第一次大戦勃発直前に英国が接収して英海軍戦艦「エリン」となり、トルコに渡さなかった。効率よいカージフ炭を輸入効率よいカージフ炭を輸入 日露戦争で日本海軍は英国で採れる「カージフ炭」という石炭を燃料とした。カージフ炭は英国のウェールズで産出される石炭で、当時最高級を誇った。それまで日本で使用していた石炭は、黒煙が多く出るが火力が弱く、艦船用燃料として不都合だった。 そこで日清戦争後、ロシアとの戦争に備えた山本権兵衛海軍大臣は、カージフ炭を英国から大量に買い付けた。山本は1898(明治31)年から日露戦争が終結するまで、7年2カ月海軍大臣を務め、国内造船所や製鉄所の整備、艦上での食事の改良に取り組んだ。英国海軍から取り入れたカレーライスや肉じゃがは現在、日本の国民食として定着している。カージフ炭を輸入して日本海軍の燃料性能は飛躍的に向上、日露戦争の勝利につながった。 さらに、日本海海戦でロシア海軍の主力となったバルチック艦隊は、旧ソ連ラトビアのリバウから7カ月かけて極東まで向かったが、英国は植民地の英領の港に艦隊が入るのを拒んだ。7つの海を支配していた英国は、バルチック艦隊が大西洋、インド洋、フィリピン沖を回航する途中、燃料と食料の補給を妨害したのだ。ようやく日本海に辿り着いたロシア人たちは疲れ果てていた。東郷元帥率いる日本の連合艦隊に負けるのは当然だった。リアリズムから日本と同盟 ただ、日本に多大な便宜を図った英国にも戦略があった。19世紀末、世界は弱肉強食の帝国主義の時代だった。とりわけ不凍港を求めて南下する帝政ロシアと、エジプト、インド、中国を結ぶ海上ルートを支配したい大英帝国は、利害が激突して熾烈なグレート・ゲームが展開された。 クリミアでロシアの地中海進出の野望を挫いた英国は、アフガンでもインド洋への進出を阻止する。ユーラシア大陸の西で出口を失ったロシアは、東の極東に失地回復を求め、シベリア鉄道の建設を進め、日本海に出た。シンガポールから香港を拠点にアジア支配を進めた英国は、朝鮮半島から満洲(中国東北部)まで戦線を拡大できず、日本を武装させて極東でのロシアの南下に対抗させようとした。そこで生まれたのが日英同盟という軍事同盟だった。日露戦争の2年前にあたる1902(明治35)年のことだ。 「栄光ある孤立」として非同盟政策を貫き、欧州の紛争に介入せず、あらゆる国と自由貿易を行ない、自国製品の販売や輸出で世界経済の中心として栄えた英国だが、他の欧州主要国が連合体制(三国同盟、露仏協商)を敷いて優位性が揺らいだことも大きかった。南下政策を行なうロシアとことごとく対立し、同じくアジアでロシアに脅威を抱く新興の日本と手を組む決断を下したのである。 英国からすると、日露戦争で日本がロシアに勝利すれば、自らの手を汚さずにロシアを封じ込められる。たとえ日本が負けても傷がつかない。近代国家として成立したばかりの東洋の新興国日本と軍事同盟を結び、先端軍事技術を惜しみなく提供した背景には、したたかな大国のリアリズムがあった。いわば日本は、英国の帝国主義の先兵とされたとも解釈できる。日露戦争は英国の代理戦争ではなかったかとの見方さえある。 日本は、帝国主義の時代、大国と軍事同盟を結び安全を確保しなければいけなかった。 周辺諸国へ侵略を繰り返すロシアに備えるため、薩長藩閥の日本政府は、明治維新以来、友好関係にあった英国を同盟相手に選ばざるをえなかった側面もある。帝政ロシアを媒介に利害が一致したことは間違いない。横須賀市や舞鶴市と姉妹都市交流を横須賀市や舞鶴市と姉妹都市交流を 「百年近く歴代市長が大切に受け継いできた、日本との交流を示す日本の記念品です」 バローの中心のタウンホール(市庁舎)の市長室で、アン・トンプソン市長が語った。歴代の市長の写真が飾られた市長室の真ん中に、透明のガラスケースに入れて日本製の大皿が大切に飾られていた。東郷平八郎贈呈の記念品と並ぶバローのトンプソン市長 大皿の記念品は手製の「金華山焼」で作製された陶器である。日露戦争後の1911年に、英国王ジョージ5世の戴冠式のため渡英した東郷平八郎元帥がバローまで足を延ばし、「三笠」建造の感謝と新起工される「金剛」の依頼のため当時の市長を表敬訪問した際、連合艦隊を代表して贈呈したものだ。 23歳から7年間も英国に留学した東郷は、かつての留学先の「ウースター」校も訪問して日本海海戦で「三笠」に掲げられた大将旗を寄贈している。バロー市の説明では、「三笠」を建造したバローを東郷は愛し、建造中の「三笠」や「香取」を見学にしばしば足を運んだという。 表敬を受けたバローも日本海海戦における東郷の偉業に敬意を表して、寄贈品の隣に「三笠」のブリッジで日本海海戦の指揮を執る東郷元帥や艦長の伊地知彦次郎を東城鉦太郎画伯が描いた『三笠艦橋之圖』画の写真が誇らしく添えられていた。 タウンホールのロビーには、東郷元帥が日本海海戦で歴史的な勝利を収めたちょうど百年前の1805年、トラファルガーの海戦でネルソン提督率いる英艦隊がナポレオンのフランス・スペイン軍を破った絵画が展示されている。トンプソン市長は「アドミラル・トーゴー(東郷元帥)は、日本のネルソン提督として市民の熱烈な歓迎を受けました。MIKASAの活躍に当時の市長はじめ多くの市民が熱狂したそうです」と語った。東郷元帥を招いて昼食会を開催したバンケットホールは数百人を収容できる天井が高い大ホールで、ロシアを破った「アドミラル・トーゴー」を当時の市長は手厚くもてなしたという。 「ドックミュージアム」には、この歓迎昼食会の式次第とメニューが展示されている。それによると、ヴィッカースの従業員で構成する「バロー・シップヤード・プライズ・シルバー・バンド」の演奏で、「日本の旋律 ホソカ」で昼食会は始まり、「ロマンス ジャポネーズ」「ダンス オリエンタル」や「日本で人気の愛の歌による日本のダンス」も披露された。また、菊の紋章が入ったメニューには「バウムクーヘン」とともに「タルト・トーキョー」などのデザートも供された。 バローには東郷元帥のほかにも、「三笠」が建造された1900年4月、日本海海戦で東郷元帥の下で作戦担当参謀を務め勝利に導いた秋山真之と、旅順閉塞作戦で軍神として名を馳せた広瀬武夫が訪れており、完成間近の「三笠」を見学している。 大戦中もミカサ・ストリートの名前を変えなかったことについてトンプソン市長は、「ミカサはわれわれの誇り。元市長がミカサ・ストリートに住んでいたくらいだ。国同士が交戦しても、私たちが造ったミカサの歴史は変わらない。今後もミカサ・ストリートの名前を変えるつもりはない。市長室に飾ってきた記念品も永遠に飾り続ける」と語った。 現在、「三笠」は横須賀市で保存されている。また横須賀市とともに母港だった舞鶴市には、バローと同じように「三笠通り」がある。「三笠」の生誕地バローのトンプソン市長は、「三笠」の縁を通じて横須賀市、舞鶴市と結び付きを深められないか調査するワーキンググループを立ち上げる方針だ。実現には議会の承認が必要だが、姉妹都市提携などを通じて交流を深め、日本からも「三笠」の故郷に足を運んでほしいと話している。関連記事■ 【歴史街道.TV】横須賀歴史散歩■ 創設150年・横須賀製鉄所なくして日本の近代化はなかった■ 日本海海戦…日露両艦隊の「総合戦闘力」を比較すると■ 敵艦隊を震撼させた「下瀬火薬」と「伊集院信管」

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    日本を歴史問題で貶め続ける中韓の「戦勝国包囲網」に気をつけよ!

    ケント・ギルバート(米カリフォルニア州弁護士)小浜逸郎(批評家)安倍外交の相次ぐ失態の原因小浜 中共(中華人民共和国)が主張してきた「南京大虐殺30万人説」には確実な目撃証言もなく、写真資料などの証拠も偽造ばかりであることは、日本側の歴史研究者のあいだでは常識になりつつあります。ところが2015年10月10日、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に、中共が申請した「南京大虐殺文書」の登録が認められてしまいました。 さらに同年12月28日、日韓両政府はいわゆる慰安婦問題の最終解決に向けて合意したと発表しましたが、明らかに安倍外交の致命的失敗だと評価せざるをえません。「旧日本軍は20万人のセックス・スレイブ(性奴隷)を強制連行し、虐待した」という戦勝国による定説をオウンゴールで追認したことになるからです。 外交・歴史問題で日本は中共や韓国にいいようにやられているわけですが、その原因はむしろ日本自身にある、というのが私の考えです。ケントさんが著書『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』や『やっと自虐史観のアホらしさに気づいた日本人』(いずれもPHP研究所)で展開されているように、GHQ(連合国軍総司令部)のウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)によって、私たちは「日本が悪い国だった」という自虐史観を植え付けられた。安倍外交の相次ぐ失態の原因を突き詰めていくと、その背景にはこのWGIPがあります。ただ、ケントさんの著書にも書かれているとおり、GHQによる占領期間は7年間にすぎませんでした。ケント そう、1945年8月から52年4月の7年弱。52年は私が生まれた年でもあります。小浜 それからすでに60年余りが経っているにもかかわらず、WGIPの洗脳が解けていないのは、これこそ「日本が悪い」というほかありません。 もう一つの問題は、日本人は外交・歴史問題を「対中共」「対韓国」など個別の二国間問題として捉えがちですが、よりグローバルな構図のなかで考えるべきだということです。アメリカをはじめ、イギリス、オーストラリアなど欧米圏には、戦勝国の大義を保つためにいつまでも日本をナチス・ドイツと同じような「悪の象徴」にしておきたい、という心理がある。中共や韓国はそうした戦勝国の心理に付け込んで日本に対する「戦勝国包囲網」をつくり上げ、外交戦で優位に立とうとしている。その意図の恐ろしさを日本人は認識すべきです。ケント たしかに先の大戦の戦勝国のなかで、イギリスは戦前の日本に対する態度を引きずっているかもしれません。先の大戦の勃発がインドの独立を早めた部分もあるわけですから。 一方、現在のアメリカは日本をよきパートナーだと考えています。私が子供のころに不思議だったのは、ニュース番組などで西側同盟国を「アメリカとヨーロッパ、日本」といっていたことです。アメリカとヨーロッパが一緒なのはわかる。でもなぜ、日本が入るのか。それでも、子供心に「とにかく一緒に冷戦を戦っている国なんだな……」と、漠然と感じていました。だから私は現在に至るまで、一度も「日本が悪い国だ」という感情をもったことがありません。いまのアメリカ人のほとんども「かつて日本とは激しく戦ったが、いまはトモダチだ」という意識だと思います。小浜 ほとんどのアメリカ人がですか? 一般的なアメリカ国民がアジアの片隅にある日本に対して、ケントさんのように幅広く歴史的に深く考えているとは思えません。ケント アメリカで世論調査をすると、いちばん人気がある国はやはり日本なんですよ。日本の漫画やアニメは大人気で、いまやポケモンを知らない子供はいない。私の故郷、ユタ州の州都であるソルトレイクシティでコスプレのコンベンション(見本市)をやったら、3日間で10万人も集まりました。アメリカ人は日本発の「変な文化」が大好きなんです(笑)。小浜 反日教育を行なっているはずの中共や韓国の国民も、日本文化に憧れをもっているそうですね。でも、そういう文化現象と習近平や朴槿惠の対日政策は別です。同じように、いくらアメリカで日本の文化が人気だといっても、政治や外交、経済の分野でほんとうに日米がトモダチといえるのか。そう単純には言い切れない部分があると思いますが。たとえば、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)。私は国会の承認が進まないことを強く望みます。ケント 小浜さんはTPPに反対なんですか?小浜 断固として反対です。ケント 僕はいちおう賛成ですけどね。小浜 TPPについて議論を始めると永遠に続きそうなので(笑)、要点を絞ります。TPPは自由貿易を名目にしながら、結局のところ強い国(つまりアメリカですね)が参加国の経済的主権を奪っていくような構図になると思います。ケントさんが、祖国であるアメリカの利益になるような条約に賛成なのはわかります。しかし、私たち日本人がそうしたアメリカの要求をやすやすと受け入れてしまうのは、従属国家の証しというか、自主独立の精神の欠如です。これこそ、まさにケントさんがおっしゃるWGIPの呪縛がいまだ続いていることの証左ではないでしょうか。ケント 私の考えは異なります。1952年に日本がサンフランシスコ講和条約の発効で独立を回復した際、軍隊をもってはいけないことになった。日本の防衛はアメリカが担うから、日本は経済復興に専念してください、と。ところが当時は、アジアにまともな市場がありませんでした。そこで日本に対してアメリカの市場を開放することになった。しかしその後、日本は経済的に十分すぎるほど発展しました。もういい加減、特別措置はいらないのではないか。TPPそのものがよい協定かどうかは別にして、日米は対等な貿易体制が求められる時代になっています。経済面で相互関係を強め、さらに日本が憲法を改正することで、安全保障の面でもアメリカ任せではなく、自分で責任を負う国家となるべきです。世界記憶遺産はナンセンス世界記憶遺産はナンセンス小浜 安全保障に関するご意見には完全に同意します。しかし、アメリカがほんとうに日本の自立を望んでいるかとなると、私には疑問ですね。先の「南京大虐殺文書」という名の捏造資料がユネスコに登録されて喜ぶのは、中共や韓国だけでなく、じつは戦勝国であるアメリカも同じでしょう。もちろん同盟国としての関係も大事なので、そこには一種のダブルスタンダードがあるのではないでしょうか。ネガティブなほうのスタンダードに着目すると、東京大空襲や広島、長崎への原爆投下といった「アメリカの戦争犯罪」を隠すために、日本にはいつまでも悪い戦争を仕掛けた国でいてほしいわけです。ケント しかし、それと同じことはアメリカに関してだけでなく、すべての戦勝国にいえるのではないですか。たとえば、ロシア(旧ソ連)はシベリアで日本人捕虜に対して行なった非人間的な行為を長く謝罪しなかった。小浜 「シベリア抑留資料」については日本が申請して登録が認められましたが、すぐにロシアが文句をつけてきましたね。シベリア抑留は紛れもない事実ですが、そもそも私は、ユネスコの記憶遺産という事業そのものがインチキだと思っています。ケント 私もそう思います。ずいぶん政治的なものになっていますから、世界記憶遺産はもうやめたほうがいいでしょう。歴史に関する問題は、専門の学者に任せておくべきです。なにもユネスコにお願いする必要はありません。小浜 歴史というものは、いうまでもなく国の立場や利害によってさまざまに見方が変わります。それをユネスコという国連の一機関が「事実」として認める、という発想自体がナンセンスですね。ケントさんがご著書で書かれているとおり、国際連合とは要するに戦勝国連合です。その証拠に、国連は日本やドイツに対する「敵国条項」を今日に至るまで残しています。ケント 他に国際機関がないから便宜上、国連が使われているだけで、アメリカ政府は自分たちの出先機関にすぎないと思っています。そのアメリカですらユネスコの政治的なスタンスに反発しており、2012年から拠出金も出していません。30万人という犠牲者数を記した南京大虐殺記念館の壁=2015年10月5日、中国江蘇省南京市(共同)小浜 他方、いままさに中共はユネスコに多数の「工作員」を送り込み、ロビー活動をやっていますね。ケント 中華人民共和国(PRC)には、アメリカをアジアから追い出して太平洋の半分を制覇するという大きな目的がある。PRCのこの計画をマイケル・ピルズベリー氏(ハドソン研究所中国戦略センター所長・国防総省顧問)は「中国の百年マラソン」と呼んでいます。PRCがユネスコに「南京大虐殺文書」を認めさせたのも、アメリカに「日本は悪い国だった」と思い込ませて信頼関係を失わせることで、日米安保の解体につなげたい、という長期的な野望があるからです。アジア版NATOを創設せよ小浜 他方、アメリカは中共のそうした覇権主義をどこまで本気になって阻止するつもりなんでしょうか。2015年、スプラトリー諸島(南沙諸島)海域で中共が人工島を建設し、フィリピンやベトナムなど周辺国に脅威を与えた際、アメリカは「航行の自由」作戦を行ないました。しかし、中共の人工島建設は明らかな侵略行為です。フィリピンはもちろん、いまやベトナムでさえもアメリカの友好国であることを考えれば、その対応はじつに「手ぬるい」と思いました。ケント アメリカは、南沙諸島の領土問題には巻き込まれたくないのです。フィリピンやベトナムと友好関係を保ちつつ、PRCとも喧嘩はしたくない。すでにいまのアメリカは世界の警察官を担うのではなく、同盟国のなかで一定の貢献をしたい、という考えに変わっています。そこで私が提案するのは、アジア版NATO(北大西洋条約機構)の創設です。名付けて「ATO」(笑)。小浜 それは大賛成ですね。そのATOの中心になる国は、やはり日本でしょう。ただし前提として、まず民主主義国の頭目アメリカが共産主義の中共に対して強く出てくれないと困る。日本も弱腰ではいけませんが、ともかく中共を怖がらせないと話にならないからです。その上で日本がアメリカと緊密な関係を保ちながらアジア諸国に協力を呼び掛ける、というかたちが理想です。ケント 日本がATOの中心になるためにも、憲法改正が必要でしょう。そもそも、南沙諸島についてアメリカの対応が「手ぬるい」ということ自体、アメリカ依存症患者のような発言です。エネルギーや食糧を運ぶ輸送上、南沙諸島がPRCのものになっていちばん困るのは、日本ではないですか。小浜 決して依存心からではなく、現状ではそれが戦略的に一番有効だというつもりなんです。ですが、いちばん困るのは日本というのはそのとおりですね。日本へ向かう大型タンカーが通る海上交通路、すなわちシーレーンを中国共産党に押さえられたら、日本は石油供給が途絶えてアウトです。ケント だとすれば、どの国よりも率先して日本が対応すればいい。何でもアメリカにお願いすれば済む時代は終わったのですから。小浜 そのとおりです。しかし、いまの安倍政権と国内世論の動静からすると、現実的に憲法改正や海外派兵は難しい。ケント だとすれば、南沙諸島はPRCのものになることを覚悟するしかないですね。それは日本が憲法改正をしないことの代償だといえます。戦略的な対外宣伝活動を担う組織を戦略的な対外宣伝活動を担う組織を小浜 憲法改正の大きな壁となっているのは、国内世論です。昨年9月、平和安全法制が成立しましたが、日本のメディアはこぞって「戦争法案」「徴兵制の復活」という言い方で反対の世論を煽りました。ケント だからこそ、私たちはいまメディアを変えようとしているのです。私が呼びかけ人の一人に名を連ねている任意団体「放送法遵守を求める視聴者の会」は、政治について国民が正しく判断できるように、公正公平な報道を放送局に対して求める活動をしています。昨年11月14日付と15日付の『産経新聞』『読売新聞』には「私達は、違法な報道を見逃しません」という全面意見広告を出しました。日本のマスコミは国民を誘導する義務や責任、使命があると思っているようですが、これは大いなる勘違いです。マスコミの役割は、複数の角度から正確な情報を国民に提供することであり、それ以上のことをする必要はありません。記者会見した「放送法遵守を求める視聴者の会」の(左から)上念司氏、すぎやまこういち氏、小川榮太郎氏、ケント・ギルバート氏=2015年11月26日、東京都千代田区(三品貴志撮影)小浜 ケントさんの活動にはほんとうに頭が下がりますし、こうした試みをどんどんやってもらいたい。インターネットを使えば、民間のボランティアでも情報発信ができる時代になっていますから、マスコミの偏向報道による歪みは、ある程度、正すことができるでしょう。 問題なのは対外活動のほうです。くだんの「南京大虐殺文書」の登録について、中共は何年も前から申請の準備をしていた。日本の外務省はそれを知っていたにもかかわらず、何もしませんでした。ケント 申請が認められてから、慌ててちょっと抗議しただけ。じつにお粗末な対応です。元谷外志雄さん(アパグループ代表)は「日本の正しい情報を世界に発信するための組織を政府がつくるべきだ」とおっしゃっていますが、私も同意見です。じつは、私はそういう組織に勤めていたことがあるんです。USIA(米国文化情報局、1953年設立。99年、国務省に統合、国際情報計画局に引き継がれた)という海外向けの広報活動を担当するアメリカ政府の機関があります。CIAとは違いますよ(笑)。 USIAで私がどんな仕事をしたかというと、たとえば1975年、日本の沖縄国際海洋博覧会でアメリカ・パビリオンのガイドを務めました。このパビリオンには、表向きの文化事業とは別に「アメリカ式民主主義を世界に売り込む」という明確な国家目的があった。当時の私はそれをあまり意識していなかったのですが、7カ月そこで働いて得た給料で大学院に進み、弁護士になることができたという思い出があります。小浜 アメリカは以前からずっとそういう活動をやっていたわけですね。ケント はい。冷戦中、アメリカが行なった宣伝活動として、1951年に放送を開始した「ラジオ・フリー・ヨーロッパ(RFE)」は有名です。東欧の旧社会主義国に対して、民主主義の素晴らしさをアピールしていた。そのおかげで89年にベルリンの壁が崩れた際、東欧諸国はすぐさま民主主義体制に移行できたわけです。小浜 アメリカと違って、日本には戦略的な対外宣伝活動を担う組織がありません。ケント だから「情報はアメリカにお願いすれば無料で手に入る」と思っているんです。もっと日本政府がお金を効果的に使わないと。小浜 敗戦以来、日本人は潜在的に対米依存で来ていますから、なんとかその壁を打ち破らないといけない。日本の悪評が世界中に…ロビイストを雇え!日本の悪評が世界中に小浜 冒頭で述べた慰安婦問題をめぐる日韓合意なるものについて、岸田文雄外務大臣は韓国の尹炳世外相との会談(2015年12月28日)で「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」「日本政府は責任を痛感している」と述べました。この発言は、誰が読んでも軍の強制性を認めたものとしか受け取れません。『朝日新聞』が不十分とはいえ慰安婦問題の誤報を認めたにもかかわらず、それすら台無しにする行為です。あまりのショックで、血圧が上がりましたね。ケント 私も以前から「日本政府は韓国政府とのあいだで妥協的な解決を二度と行なうべきではない」と言い続けてきましたので、日韓合意の第一報を聞いたときはかなり落ち込みました。ただしばらくして、こう考えるようになりました。日本はいつまでも慰安婦の強制連行という「作り話」に振り回される必要はない。加えて日本は10億円の拠出金と引き換えに慰安婦像の撤去を求めるボールを韓国側のコートに送ったのだから、とりあえず相手の出方を待つべきであると。小浜 いや、このままではまずいですよ。現に日本の悪評がすでに世界中を駆け回っているからです。オーストラリア・ジャパン・コミュニティー・ネットワーク(AJCN)代表・山岡鉄秀氏の調査によれば、「日本政府は潔く謝罪した。韓国は受け入れるべきだ」と主張する海外のメディアは皆無であり、「日本政府がついに性奴隷を認めた。その多くは韓国人女性だった」という論調だったそうです。 これはほんの一例ですが、米紙『ニューヨーク・タイムズ』(2016年1月1日付)は、慰安婦問題に関する共著をもつアメリカの大学教授による次のような投書を掲載しています。「生存者の証言によれば、この残酷なシステムの標的は生理もまだ始まっていない13、14歳の少女だった。彼女たちは積み荷としてアジア各地の戦地へ送られ、日常的に強姦された。これは戦争犯罪のみならず、幼女誘拐の犯罪でもある」。ケント まったく呆れる内容ですね。しかし日本のジャーナリストは海外メディアの誤った報道に対して、英語できちんと反論していない。それ以上に問題なのは、専門の広報機関が日本にないことです。ロビイストを雇えばいい小浜 本来、そうした仕事は外務省がやるべきですが、いまの外務省にはまったく期待できない。ケントさんは、どうすればよいと考えていますか。ケント これから日本が海外向けの広報機関をつくるにしても、外務省から独立した組織が望ましいでしょう。外務省の管轄にすると結局、何もしない組織が新たに増えるだけで終わりかねない。では、いまの日本には打つ手がないのか。そんなことはありません。簡単なことで、ロビイストを雇えばいいんです。昨年4月に安倍首相が渡米した際、アメリカ上下両院の議員に対して「希望の同盟へ」と題する演説を行ないました。あの演説が実現して大成功に終わったのは、日本政府が雇ったロビイストのおかげです。一方で韓国も2013年5月、朴槿惠大統領が同じくロビイストを使ってアメリカで議会演説をしました。ところが「歴史に目を閉ざす者は未来が見えない」と対日批判をして安倍首相を妨害しようとしたら、見事に失敗した。つまり、日本にはロビイストを使った戦いで勝利した前例があるわけです。小浜 先に名前の出たAJCNにしても、民間のボランティアの集まりです。それでもオーストラリアで慰安婦像の建設を阻止するなど、政府以上の活動を展開している。政府が歴史問題に関する事実を公式に訴えていくとともに、民間の団体も活発に活動して官民一体となって動くのが理想ですね。ケント いや、私は政府が表に出るべきではないと思っています。あらかじめ政府が「公式のお金」で海外のロビイストを雇い、現地の世論をいかに誘導するかを考えていくべきです。「慰安婦」女性の遺影の前で両ひざをついて線香をあげるエド・ロイス米下院外交委員=米カリフォルニア州グレンデール(中村将撮影)小浜 中共や韓国はそれを日常的にやっているということですね。もちろん、アメリカも。ケント そうです。アメリカ国内で慰安婦像が建ってしまったのも、韓国に雇われたロビイスト、小浜さんの言葉を借りれば「工作員」の働きがあったからです。もちろんPRCも工作員を日本のメディアに浸透させている可能性があります。今年2月、菅義偉官房長官は「わが国はいかなる国に対してもスパイ活動に従事していない」と発言しましたが、日本がほんとうに何も情報活動していないのだとすれば、そちらのほうが大問題です(笑)。スパイ活動はともかく、日本は海外向けの宣伝活動にもっとお金を使うべきですよ。日本の歴史認識や政策を広めるためには当然のことでしょう。経済規模からいっても、日本は十分に「大国」です。しかし、自国の正義なり、政策を外国に説明するような体制をもたない大国なんていうものが世界にありますか。さらにいえば、自分の防衛をすべてヨソの国に委ねている大国がありますか。アメリカ頼みの時代はもう終わったのですから、取るべき政策を早く取ってほしいですね。小浜 自国の基地に外国の軍隊がこれほど駐留している国は大国どころか、そもそも独立国家の名に値しません。日本に課せられた役割は、名実ともに大国となり、アジアの平和を守る盟主として台湾やフィリピン、ベトナム、インドネシア、オーストラリア、インドなど利害の一致する友好国をまとめ上げ、中共や北朝鮮に対抗する集団安全保障体制を築くことなのです。Kent Sidney Gilbert 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ生まれ。1971年に初来日。1980年、国際法律事務所に就職して東京に赴任。TV番組『世界まるごとHOWマッチ』に出演し、一躍人気タレントへ。最新刊は『不死鳥の国・日本』(日新報道)。公式ブログ「ケント・ギルバートの知ってるつもり?」で論陣を張る。こはま・いつお 批評家。1947年、横浜市生まれ。横浜国立大学工学部卒業。2001年より連続講座「人間学アカデミー」を主宰。家族論、教育論、思想、哲学など幅広く批評活動を展開。現在、批評家。国士舘大学客員教授。著書に、『日本の七大思想家』(幻冬舎新書)、『なぜ人を殺してはいけないのか』(PHP文庫)など多数。関連記事■ 少年法は改正すべきか■ 中国のチベット人虐殺こそ世界記憶遺産に登録せよ!■ 韓国は日本のストーカーだ!■ 五輪エンブレム問題から学ぶ――現代人が守るべき表現倫理とは

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    肉フェス4連覇のプロが語る「お肉の常識・非常識」

    千葉祐士(門崎熟成肉・格之進オーナー)近年は空前の「肉」ブーム。焼き肉店はどこも盛況で、A5ランクの国産牛を謳う店、話題の「熟成肉」を扱う店など、バラエティも広がっている。だが、『和牛の真髄を食らい尽くす』の著者であり、人気焼き肉店の経営者として黒毛和牛の魅力を伝え続けている千葉祐士氏は、「日本人の多くが、間違った肉の常識にとらわれている」という。それはどういうことなのか、ご寄稿いただいた。今、「肉フェス」が大人気に! 巷では、空前のお肉ブームが起きています。 昨年1年間だけでも、国内外のお肉料理を集めた国内最大イヴェント「肉フェス」は、春と秋の2回、東京(駒沢公園)、千葉(幕張)、横須賀、新潟、三重等で開催され、延べ200万人もが集まりました。今年の正月には大阪ドームでも開催され、ここでも約7万人が入場し肉の味を楽しんでいます。「肉フェス」表彰式にて 私はこれらの大会に「黒毛和牛」「熟成肉」「塊焼き」を旗印に出店し、4大会連続で総合優勝を飾ることができました。 それもこれも、「黒毛和牛」の魅力あってこそのこと。私は、このお肉ブームのど真ん中で、日本の宝である黒毛和牛の魅力を語り続けることを使命とし、その本当の美味しさを読者(消費者)に伝えたい一心で活動をしています。「A5ランク」はおいしさの基準ではない!? ブームが起きると一時市場は沸き返りますが、えてして間違った情報が流れたり、まがい物が氾濫したりします。例を挙げれば、「一番おいしいのはA5ランクの肉」という、「常識」があります。 私が、A5ランクがお肉の美味しさを示す評価基準ではないと言うと、ほとんどの方が驚きます。なぜならA5とは、その牛の枝肉の歩留り量が多いかどうかと、霜降りの見た目の評価に過ぎないからです。 そう言うと、「肉質がやっぱりうまさの決め手では?」と思うかもしれません。しかし、たとえサシがたくさん入った霜降りでも、脂の質で旨さは大きく異なります。そこには見ただけでは決められない、血統や飼料などの要素が大きく影響しているのです。 こうしたお肉の真実を知ると、これまでのお肉の常識がいかに脆いものだったかわかると思います。その熟成肉、「本物」ですか?その熟成肉、「本物」ですか? ここ数年、爆発的に増えた「熟成肉」についても然りです。昨今では焼き肉チェーン店や牛丼チェーン店でも「熟成肉」がうたわれていますが、最大の問題は、日本では熟成について明確な定義がないことです。 アメリカからやってきた「ドライエイジング」については明確な定義があります。「真空パック詰めされていないお肉を、温度1度前後、湿度70~80度の庫内で2~3週間寝かせる。その庫内には、お肉と相性のいい菌を木に付着させて置き、ファンで風を当てる」 今ではアメリカからやってきたように語られるこの技術ですが、実は日本にも、まだ「熟成」という言葉が輸入される前から「枯らし」と呼ばれる熟成方法がありました。 市場から買ってきた枝肉(骨付きの牛の半身)を、そのままの状態で室温1~4度程度に設定した冷蔵庫内に吊るして3~4週間放置します。風を当てたりはしませんが、庫内にはお肉に相応しい菌が繁殖していて熟成が進みます。この業界では昔から「お肉は腐りかけが美味しい」と言われていましたが、私たち日本人も経験的に「枯らす」「干す」ことで熟成させていたのです。枝肉 ドライエイジングという手法は、欧米で主流のブラックアンガスやホルスタインといった牛種に合います。ところがサシが豊富に入った和牛の場合には、枯らし熟成のほうが合うようです。さらに4週間程度枯らし熟成をかけたあとの「追加熟成」という工程も大事です。 このように、多くの経験知に導かれ手間と時間をかけたお肉でなければ、本物の熟成肉とは言えないのです。奥深き「赤身」の世界 黒毛和牛の美味しさのもう一つの秘密は、世界でこの種でしか食べられない「希少部位」の存在にあります。焼肉屋のメニューでも、かつては「ロース」と「カルビ」が主流でした。けれど現在では、「はねした」「みすじ」「イチボ」「ともさんかく」等、様々な部位が記されるようになりました。 私は一頭の牛を大きく「肩」「ロース」「ばら」「もも」と4分類し、小分類としては80以上に分けています。なかには、一頭から数百グラムしか取れないような幻の希少部位もあります。各部位にはそれぞれに個性があり、味わいが違います。 たとえば、肩にある「さんかく」です。近年は希少部位として肉料理店のメニューに載ったり、焼き肉屋では特上赤身として出していることも。 全体に美しいサシが入り、赤身とのバランスがとれているのが特徴です。脂の旨さと赤身の味と、どちらもしっかりと味わうことができ、焼いたときには香ばしい香りが感じられ、ファンを増やしています。 脂がくどくかったり、見た目だけ美しい霜降りに飽きた肉好きたちが、今もこうした赤身の世界を切り拓いています。「なじみの肉屋さん」を作っておこう!「なじみの肉屋さん」を作っておこう!筆者が手掛ける門崎熟成肉の魅力を最大限に引き出す「塊焼き」。 ところで、これら希少部位は、焼肉屋さんで高いお金を払わなければ食べられないというわけではありません。対面販売している昔ながらのお肉屋さんに行けば買うことができ、家庭でも味わえます。そうしたお店の職人に好きな部位や食べ方の好みを伝えれば、喜んで希望の部位をとっておいたり勧めてくれたりするはずです。 かつてお肉は、お客様の好みで職人が「あつらえて」くれる物でした。スーパーでのパック詰めが全盛となったいまでは、そんな希望を聞いてくれる職人は少なくなりましたが、ぜひ馴染みの肉屋を作って家庭でもお肉を楽しんでいただきたいと思います。肉で地域を元気にしたい! 近著『和牛の真髄を食らい尽くす』では、こうしたお肉に関する誤解を解くとともに、熟成肉の真実や各部位による味の違い、料理との合わせ方など、黒毛和牛を本当に楽しむための方法をご紹介しています。 私がこうした本を書いたり、各地でお肉の魅力を語ったりするのは、「お肉を通して日本の地域や生産者を元気にしたい」という「思い」があるからです。「解体ショー」の様子 私は岩手県一関で「馬喰郎」(牛の選別・流通を手掛ける仕事)をしていた父のもとで生まれ、牛とともに育ちました。いまは故郷で育つ「いわて南牛」を中心に扱っていますが、このビジネスを通して故郷を元気にしたい。牛に限らず米農家や野菜農家も元気になって欲しい。そう願って私の店では、米も野菜も調味料も、可能な限り一関や岩手産の物を使っています。 また行政と組んで、一関の美味しい食材を楽しむ食事会を開いたり、故郷の生産者と都会の消費者を様々な形で繋げたりする活動も続けています。 お客様にも恵まれ、いまでは一関まで足を運んで生産者たちと交流したり、一関の生産物を都内で紹介してくださったりする方も増えました。「同じお金を使うならば、将来に渡って持続的に生産してほしい生産物を買いたい」という考えをもつお客様の存在が、日本の地方や生産者を勇気づけてくれているのです。 後継者問題やTPP等、生産現場の苦境は続きます。けれど日本の宝である黒毛和牛がこれからも栄え、世界の宝になるように、私は「お肉一筋」の人生を歩みたいと思っています。ちば・ますお 門崎熟成肉・格之進オーナー。1971年、岩手県一関市生まれ。27歳で脱サラし1999年故郷で焼き肉店「格之進」を開業。実家の牧場の牛を一頭買いし、熟成肉とコース料理を切り札に人気店となる。2002年から黒毛和牛の熟成に向き合い「門崎熟成肉」というブランドを立ち上げ、加工〜流通までを一貫して担う。現在は六本木2店舗、代々木八幡、桜台、一関に7店舗展開している。関連記事■ なぜ、モスバーガーは愛され続けるのか?■ 手軽でおいしい!「缶詰グルメ」を味わおう■ 疲れない身体を作る食習慣 4つのポイント

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    牛・豚・鶏にも「ブランド肉」 そのネーミングは案外難しい

     ブランド肉が近場のスーパーでも手頃に入手できる時代になった。ただそれが良いことばかり、とはいかないようで。食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が解説する。* * * 国内における肉のブランドは牛肉だけで数百に渡る。正式に登録しているものから、自由に名乗ったものまでさまざまあれど、近年では豚や鶏など、新しいブランド肉も次々に登場する。TPPなど周囲の喧騒は止まらないが、今日も「肉」のまわりは総じて活気があると言っていい。 食肉のブランド名の由来は、ざっくり4つのパターンに分類できる。1.地名、2.飼料など育て方、3.生産者の名前、4.その他、といったところだ。 たとえば牛肉では、1.の地名は神戸ビーフ、松阪牛、宮崎牛などの黒毛和牛について、一定のルールに基づいてその名が冠される牛肉が多い。主に「雌牛のみか、去勢も含むか」「肉質等級(5~1)、歩留まり等級(A~C)」などが基準となっている。各地域でそれぞれ異なる基準を設け、複数の肥育農家の間で運用できるルールがある。2.は、北海道の鶴居村アップルビーフ、大阪ウメビーフ、小豆島オリーブ牛、宮崎のパイン牛など、飼料由来の名前がつけられたパターン。3.の個人名は神戸高見牛や宮崎の尾崎牛など生産者の名前が冠されたものだ。 肉の味を「血統7割、飼料3割」と言う生産者もいる。試して舌に合うようであれば、2.の飼料や3.の牧場指定のほうが、より味の方向性が明確なので、指名買いをするのもいい。 実は豚肉にも5段階で枝肉の格付けはあるが、消費者の判断材料として提供されることはまずない。その分、熱心な畜産農家は「血統」「飼料」「生育環境」を組み合わせて、独自のブランド豚を作り上げることに熱を入れている。鶏については、日本農林規格(JAS)で「地鶏」の定義が定められている。「在来種純系血統50%以上」「飼育期間80日以上」「28日齢以降は平飼いで1㎡当たり10羽以下」など一定の基準があるため、より厳格な飼育を行うなどして、強固なブランドを構築しようという養鶏家もいる。 そして4パターン目の「その他」。実はここが悩ましい。ブランド名から「味」が見えてこなかったり、「?」とクビをかしげてしまうようなネーミングのものが多いのだ。たとえば牛肉のブランド名のリストを見ていると、「美味旨牛」「しあわせ絆牛」「しあわせ満天牛」「しあわせ牛」といった名前がそこかしこに……。 気持ちはわからないでもないが、「うまい」「しあわせ」といった気分については、どうか食べ手のわれわれに預けていただきたいところ。豚肉でも「コレナイ豚」という銘柄を発見して、「?」マークが頭上を駆け巡ったが、どうやら「コレステロールが少ない」という意味のようだ。「少ない」を「ナイ」と表記してしまうと、最近の傾向としては炎上しかねないんじゃないかとか、余計なことが心配になる。 もっとも先日、さらにすごいキャッチコピーのついた肉を発見してしまった。都内のとある飲食店の紹介文で、「黒毛和羊」「羊の中で唯一の肉専用種『サフォーク種』」という謎の表記を見つけてしまったのだ。 何が謎かというと「黒毛和牛」をもじったのであろう「和羊」という表記だ。和牛には品種に明確な定義がある。サフォークはイギリス原産で「和羊」ではないし、黒いのは顔など体の一部だけだ。しかも肉用種の羊にはサフォークのほか、「肉めん羊の王」とされるサウスダウンなどもある。 普段なら「信州サフォークは数十頭しか飼育されておらず、幻の羊とも呼ばれています」などの表記はスルーするが、あまりにツッコミどころ満載なので、信州サフォークのお膝元、信州新町支所の産業振興担当に問い合わせてみることに。 まず飼育頭数は「出荷の前後で変わるが、多い時期で約500頭、少ないときには250頭くらい」だという。ケタがひとつ違う。さらに「黒毛和羊」について聞くと、担当者は苦笑いしながら「一時期、そう呼んでいたお店もありましたが、こちらでは、まずそういう呼び方はしません」とバッサリ。 もったいない。あまりにもったいない。というのも、信州サフォークはとてもおいしい羊だ。出荷されるのは、ラムより味が乗り、マトンより香りがやさしいとされる12~24か月までの「ホゲット」。主にチルド・冷蔵で流通に乗せているので、肉の状態もいい。 そこにどんな意図があるにせよ(もしくはないにせよ)、情報はものの価値を操作してしまう。お手軽に「盛った」ところですぐバレてしまう。いいものであれば、そのいいところに向けて、真摯に焦点を合わせ、光を当てたほうが生産者や食べ手にも喜ばれる。あふれかえる情報のなか、ブランディングにも当然のように誠実さが求められる時代なのだ。本来は、いつの時代でもそうあるべきではあるのだが。関連記事■ 武井咲 LAVIE新ロゴ発表会で早着替えパフォーマンス披露■ 子供に大人気 ピカチュウカレーの作り方■ フィンランド人の精子の数 日本人の精子の数の1.47倍■ 北乃きい 腕組み2ショットでウルトラマンもメロメロに!?■ 「スッキリ幸せ女子」平子理沙 スタイル抜群のお腹出し衣装

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    熟成肉ブームの裏に腐敗リスクあり 良質な旨味の見極め方は

     ここ数年、肉を一定期間寝かせてから食す「熟成肉」がブームになっている。 最近ではファミリーレストランの「デニーズ」が熟成肉のステーキを扱ったり、「吉野家」「松屋」といった牛丼チェーンが冷凍の牛肉から冷蔵熟成に調理方法を切り替えたりするなど、身近な外食でも味わえる機会が増えた。 しかし、飲食店関係者によれば、いつもリスクと隣合わせなのだという。「熟成の仕方や期間などに明確な定義や規制がないため、店によって品質・安全管理がまちまちなのが現状です。 これだけ人気になっても消費者側の知識が乏しく、実際には“腐敗”一歩手前の肉を提供する店があっても、『これが熟成肉の特徴なんだ』と勘違いしているケースがある。 一度でも食中毒を出す店が出たら、熟成肉を提供するすべての店が打撃を受けることになるのです」(都内の焼肉レストラン店主) 熟成と腐敗は紙一重――。それは「ウェットエイジング」、「ドライエイジング」という2つの一般的な熟成法と旨味アップのメカニズムを知れば理解できる。 ウェットエイジングは真空パックや布などで肉を包み、乾燥を抑えながら低温で30~50日寝かせる方法。ファミレスや牛丼チェーンは主にこの製法を用いている。 一方、ドライエイジングは空気に触れる低温・高湿度の環境で肉を保管し、扇風機などで風を当てながら水分を飛ばしてじっくりと熟成させる。保存食の意識が強いアメリカでは古くから赤身の肉で取り入れており、日本のブームに火をつけたのもこの製法だ。「ドライエイジングは熟成が始まると肉の表面が黒ずんで青かびが付着してくるが、他の菌を寄せ付けないので肉は痛むことなく、ゆっくりと発酵させることができる。そうしてカビを削って出来上がった熟成肉は、甘みや柔らかさが格段に上がる」(精肉業者) いずれの製法も、酵素の働きで肉のタンパク質が分解され、アミノ酸やペプチドに変化することで旨味が増すとみられている。 この業者がいうには、「腐るか腐らないかのギリギリのところで食べるのが一番おいしく、それ以上寝かした熟成肉はアンモニア臭が漂ってしまう」のだという。 では、良質な熟成肉を見分けるポイントは何か。熟成肉炭火焼店「旬熟成」(東京・六本木)などの飲食店を運営するフードイズム代表の跡部美樹雄氏に聞いてみた。「生の熟成肉の場合は、質のいいものは肉の色がはっきりと赤く、肉臭さがまったくないのと同時に、ほのかにチーズのような香りがします。ねっとりとした触感も特徴的です。また、焼いた熟成肉の場合は、ナッツのような香ばしくも甘い香りがします。 どちらで食べても良質な熟成肉は口に入れた途端にまろやかに溶け出し、肉の脂が体に蓄積されないので食べやすく、胃もたれするようなこともありません」 跡部氏は“究極の熟成肉”を目指し、日々実験や研究を重ねている。店で提供する熟成肉の中には、最高で140日間もの熟成をかけているというから驚きだ。「今後、熟成肉を扱う店舗の人たち、有識者、畜産農家も交えた価値向上のための協会を設立できたらいいなと思っています。 やはりお客様の口に入るものなので、何か事故があってからでは遅い。安全管理を徹底させて熟成肉がブームで終わらず日本人の食文化に定着してほしいと願っています」(跡部氏) 牛や豚の生レバー規制など、食の安全がなにかと問題になっている昨今。だが、消費者自身も、もっと食に対する知識を持ち、新しい食べ方の特徴や好みを見極める「五感」を磨くべきだろう。関連記事■ 1か月長期熟成肉を900度で焼き上げる旨み凝縮極上ステーキ■ 赤身牛肉ブーム 太りたくないが肉を食べたい欲求が満たされる■ 牛丼が「三社三様」の変革期に突入 過去の常識は通用せず?■ 隔離病棟のASKA被告 「第二のシャブ愛人」報道に絶叫した■ ドラマ『昼顔』大ヒット 不倫妻を演じる上戸彩を撮りおろし

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    西洋人を「白人」と呼ぶのはやめろ 差別語を追放する提案

    北原惇(哲学者) 二十世紀も終わりに近づく頃、いくつかの非常に興味のある現象が西洋文明の中に見られるようになった。その一例は一九八九年にアメリカのテレビで放映されはじめた「シンプソン一家」と題されたアニメのシリーズである。これはスプリングフィールドと呼ばれるアメリカの小さな町に住む、ごく平均的なヨーロッパ系アメリカ人一家の毎日の生活を扱ったものである。 これは最初はアメリカ国内だけの放映であったが視聴率の高い番組となり、その後ヨーロッパや日本などで世界的に放映されるようになった。これは息の長い番組で現在でも見られるほどの人気を博す有名なシリーズとなってしまった。 このアニメはシンプソン一家が毎日のように体験するいろいろな事件をおもしろおかしく描写する。それらの出来事はアメリカでの日常生活でごく当たり前に見られるもので、そのためアメリカ人の視聴者ならば誰でもこれらの出来事を直ちに自分のことのように感じとり、一家の人物と一緒になって一喜一憂するわけである。そしてこれがこのシリーズが大成功をした理由であると思われる。 このシリーズの最も興味深い点は、シンプソン一家を含め、スプリングフィールド住民の大多数、つまりヨーロッパ系の住民、が明らかに黄色の肌をしていることである。それと共にアメリカの町であるために少数のアフリカ系の住民も登場する。さらには現在のアメリカを描写しているためにインド系の人物も登場する。これらのアフリカ系やインド系の人物は黄色ではなく濃い茶色の肌に描かれている。そしてアフリカ系住民の肌の色は黒ではなく濃い茶色であるのが注目すべき点である。 このシリーズでよく知られている特徴として政治や文化などあらゆる分野のアメリカの有名人がほぼ毎回登場する。そしてこれらの有名人がヨーロッパ系であっても、その皮膚の色はやはり黄色なのである。 あるエピソードでは一家は日本に行くが、描写されている日本人はヨーロッパ系と同じ肌色かほとんど白と言ってもよい灰色になっている。このエピソードでは日本の有名人として天皇が登場するが天皇の皮膚もシンプソン一家と同じ色となっている。 二番目の例としてスウェーデンで見られた現象を取り上げたい。一九九一年に「新民主党」と呼ばれる新しい政党がスウェーデンで結成され、早くもその年の選挙でスウェーデン議会に党員を送り込むことに成功してしまった。それまでに存在していたスウェーデンの政党のエンブレムは花やアルファベットの頭文字を用いたものが多かったが、新民主党は型破りで、童顔をした若い男の顔をエンブレムに用いた。 人間の顔を政党のエンブレムに用いたこと自体がスウェーデンで型破りであったのはもちろんであるが、更に興味深いのはこの男の顔の皮膚の色が黄色であり、髪の色は黒であるという点である。念のために明記しておく必要があるが、新民主党はスウェーデン国民全体から支持票を得るために結成されたもので、「黄色の肌と黒い髪」の人々を意識して発足した政党ではない。そして事実スウェーデン国民は新民主党を他の全国政党とまったく同じようにスウェーデン人全体のための政党と理解したのである。 三番目の例はデンマークにある「レゴランド」と呼ばれるテーマパークである。このテーマパークの中にはあちらこちらに像が設置されているが、これらの像はすべて黄色の顔をしている。日本でもよく知られている、レゴと呼ばれるプラスチック製の積み木のようなものを組み立てる玩具があるが、レゴランドはレゴを使って組み立てた建物や動物などを多く集めたテーマパークである。 用いられるレゴはいくつかの色のもので、白、黒、黄色、緑色などいろいろあり、白のレゴを選んで顔にするのはもちろん可能である。にもかかわらず立っている像の顔には白ではなく黄色のレゴが用いられている。 四番目の例はオーストラリアで放映された「パジャマを着たバナナたち」という子供向けのテレビ番組である。その題名のとおり、二つのバナナがパジャマを着て二人の人間のようにふるまう。当然であるが主人公二人はバナナであるので体全体は黄色である。これはオーストラリアの子供たちの人気番組で、二〇〇〇年にシドニーで夏季オリンピックが開催された時には二人のバナナも開会式の入場行進に参加した。西洋文明内の意識の変化西洋文明内の意識の変化 筆者は長い間スウェーデンに住んでいるため、日本以外にヨーロッパ、特にスカンディナビアのマス・メディアからも毎日世の中の情報を得ている。それとともにあらゆる種類の広告にもお目にかかる。これらの経験から一貫して言えることは、ヨーロッパでヨーロッパ人の皮膚の色を黄色や薄い茶色に描くことは一般的であり、白く描くことは事実上ない。新聞のように黒と白の選択肢しかない場合は例外で黒を用いないでいるだけのことである。 これまでの世界の常識と慣習ではヨーロッパ人、そしてアメリカやオーストラリアなどのヨーロッパ系住民を「白い」と考え「白人」と呼ぶのが一般的であった。日本も例外ではない。この思想の基礎にあるのはヨーロッパ人は遺伝的に「白い」皮膚をしているのだから「白い人」つまり「白人」であり「白人」と呼ばれて当たり前であるという理屈であるものと思われる。 しかしそれならば二十世紀末ごろからの世界でなぜヨーロッパ系の人間の皮膚の色を明らかに黄色や薄い茶色に描いたりするようになったのであろうか? ヨーロッパ系の人間の皮膚の色が黄色に描かれていてもヨーロッパ系の背景の一般大衆がそれを疑問に思わず、黄色に描くのは間違っているとなぜ指摘しないのであろうか? シンプソン一家のしていることを見ているヨーロッパ系アメリカ人たちが、なぜ彼らの体験することをあたかも自分たちのことのように感じとり、一喜一憂するのであろうか?「シンプソン一家」にほとんど毎回現れるヨーロッパ系の有名人たちが黄色の肌をしていてもなぜそれがおかしい、間違っていると思わないのであろうか? すでに述べた他の例についても同様のことが言える。スウェーデン国民は新民主党の黄色の肌と黒い髪のエンブレムに何の疑問も持たなかった。マス・メディアもこの現象を取り上げたことはなく、人種主義的な発言などまったく現れなかった。レゴランドの像の黄色の肌もこれまで疑問視されたことはない。 西洋文明のこのような認知的な変化にはいくつかの理由が考えられる。一九五〇年代にアメリカで始まった公民権運動の結果、保育所から大学までの人種差別の撤廃や機会均等の思想とその実行などにより、すべてのアメリカ国民は他の人種や民族について考えさせられ接触させられることとなった。その結果異なった人々の皮膚の色や自らの皮膚の色についてより客観的に眺めるようになった可能性が考えられる。 それと共に映画やテレビは白黒から色のついたものとなり、その後インターネットも実用化された。世界の人々は経済的に豊かになったおかげで外国旅行も可能になり、異なった人種や民族と簡単に接触できるようになった。 これらの理由により世界のヨーロッパ系の人々が人間の皮膚の色をより客観的に眺めるようになった可能性が考えられる。別の表現を用いると、世界の民族や人種を色で表現するのは写実的でも科学的でもなく、むしろ文化的、文明的なものであるということを理解し始めたとも推測できる。人種を色によって分類する歴史 西洋文明で人種に関して最初に発表された学術論文はフランソワ・ベルニエという医師によるもので、これは一六八四年に出版された。ベルニエは世界には四種類の人種があるとし、その分類の根拠は地理的なものであった。この論文で注目すべき点はヨーロッパ、北アフリカ、インド、西アジア、そしてアメリカ大陸の先住民を一つの人種としていることで、その特徴は「明るい皮膚の色」であった。東南アジア、東アジア、中央アジアの人々は別の人種のグループと見なされ、その皮膚の色は「白い」とされている。ここで注目すべきはヨーロッパ人は白いとは描写されておらず、単に「明るい皮膚」であるとされ、アジア人が「白い」とされている点である。 カール・フォン・リンネが一七五八年に出版した学術書でも原則として四種類の人種が認識されている。その分類はベルニエの場合と同様に地理的なものであるが、ベルニエに比較すると皮膚の色の問題が強調されている。それによればアメリカ大陸の先住民は赤い、ヨーロッパ人は白い、アジア人は黄色い、アフリカ人は黒いとしている。リンネはこの他に二種類のグループがあるとしているが詳しくは述べていない。 西洋文明の思想史で人種の分類に関して決定的な影響を及ぼした学術書は一七七六年に出版された。それはヨハネス・フリードリッヒ・ブルーメンバッハによるもので、原則的にはリンネの分類方法と皮膚の色の重要さを継承している。しかしアジア人は二種類に分けられ、リンネの認識していた重要ではないとされた二種類のグループは除外されている。 このブルーメンバッハの分類はその後学術的に広く認められ、人類学の歴史の根底に確立された。そればかりでなく、これは世界の「常識」となり、日本も例外ではなく、日本人の「常識」になってしまっている。 二一世紀の人類学では分子生物学、DNAとRNA、YクロモソムDNA、ミトコンドリアDNAなどの研究が基本である。現在の人類学では皮膚の色で世界の人々を分類するなどという考えは全くの時代遅れであり、そのような主張をすれば本職の人類学者には嘲笑される。しかし人類学者ではない一般人にとっては、この古い非科学的な思想が日本でも世界でもいまだに普遍的である。色についての単語が含有している善悪と優劣の意味合いいくつかの疑問 西洋文明の人種についての思想史を簡単にふりかえってみると、いくつかの疑問が浮かんでくる。第一に、ベルニエはなぜヨーロッパ人を「白」ではなく「明るい」肌色をしていると描写したのであろうか? 第二に、ベルニエはなぜアジア人を「白い」と描写したのであろうか? 第三に、リンネとブルーメンバッハはなぜヨーロッパ人を「白い」と描写したのであろうか? 第四に、リンネとブルーメンバッハはなぜアジア人を「黄色い」と描写したのであろうか? 第五に、リンネとブルーメンバッハはなぜアフリカ人を「黒い」と描写したのであろうか? 第六に、ベルニエの学術論文はなぜ最近まで無視されていたのであろうか?色についての単語が含有している善悪と優劣の意味合い ブレント・バーリンとポール・ケイというアメリカの二人の文化人類学者は世界の多くの言語を調査し、大変興味のある結論を出している。それによると、人類の歴史で最初に現われた色についての用語は「黒」と「白」であるとのことである。そして文化が進化するにつれ、他の色を表現する別の用語が現われたという結論を出している。 この研究によれば、人類の歴史の最初の時点では「暗い」ものはすべて「黒い」と見なされ、「明るい」ものはすべて「白い」と見なされた。人類が最初に認知した世界は「黒」か「白」であったわけである。 時が経つにつれてこの二分法は善悪と優劣の意味合いを持つようになった。黒い色は悪い、危険な、怪しい、好ましくない、醜い、劣った、不道徳な、などの状態を意味するようになり、その反面、白い色は良い、安全な、信用できる、好ましい、美しい、優れた、道徳的な、などの意味合いを持つようになった。 これは言語の違いに関係なく世界中の言語で広く見られる現象であるとされている。人類の初期の時点では、生きてゆくためには夜や暗いところは危険であるのでこのような意識が発達したと推測するのも可能であろう。 日本語には「身の潔白」「晴天白日のもとに」「色の白いは七難隠す」「黒幕」「腹黒い」「世は闇だ」「お先真っ暗」「黒い霧」「ブラック企業」などといった表現がある。 英語では「ブラック・マーケット」「ブラック・リスト」「ブラック・マジック」「ブラックメール」「ブラック・シープ」「ブラック・レッグ」「ブラック・ボール」などと言う表現があり、そのいくつかは日本語にも取り入れられている。これらの表現は物理学的な観点から見た光の波長とは全く関係がない。すべて善悪と優劣を象徴しているのである。 西洋文明では「白」は純正、公正、処女性、道徳、美、正直、優越、安全、神、などを象徴し、その反対に「黒」は不純、不道徳、犯罪、醜、不正直、劣等、危険、悪魔、などを象徴している。この対照は日常の言語に見られるだけでなく、大衆文化、文学、舞台芸術、絵画、哲学、神学にも明確に見られる。 ここで注目すべき点はリンネとブルーメンバッハの頃から「黒」と「白」という色を描写する用語がアフリカ人とヨーロッパ人を描写するために使用され始めたことである。西洋文明ではこの他に「赤」「茶色」「黄色」という色を描写する用語も人種描写に用いられるようになった。 これらの五種類の用語が西洋文明の中でそれぞれどれだけ好ましいか、または好ましくないかという点を調べてみると、「黒」は最も好ましくない色で「白」は最も好ましい色である。その他の三つの用語はこの両極端の中間にある。植民地形成と帝国主義を正当化する手段としての人種主義思想考えられる仮説 これらの考察から、すでに述べた六つの疑問に答える仮説が考えられる。その仮説とはつぎのようなものである。十六世紀以来、西洋は世界を侵略し植民地の形成を始めた。それを正当化し実行するために人種主義の思想が必要となり、色の用語の好ましい、または好ましくないという意味合いを利用したのではないか、という仮説である。 この仮説を裏づける根拠も存在する。ベルニエの論文は一六八四年に発表され、リンネの本は一七五八年に出版された。ここには七四年の年月の経過があるが、この間西洋文明には何が起こったのであろうか? 歴史を振り返ってみると、この七四年の間に西洋による世界の侵略と植民地形成が積極的に実行された事実がある。南北アメリカはほぼ完全に西洋のものとなり、先住民たちは侵略され、虐殺され、支配される立場におかれてしまった。 イギリス、デンマーク、オランダ、フランス、スウェーデンなどの国々の東インド会社は植民地形成に積極的に貢献した。一七五〇年代以来、イギリスの植民地形成は世界的なものとなり、ロバート・クライブは一七五八年にインドのベンガルの総督になった。植民地形成と帝国主義を正当化する手段としての人種主義思想 西洋文明が色の用語が含有している好ましい、または好ましくない意味合いを利用して侵略と植民地形成を実行したのには三つの理由が考えられる。 第一に、侵略するヨーロッパ人たちにとって、自分たちをヨーロッパ人と呼ぶには抵抗感があったものと考えられる。なぜなら事実上すべての侵略者と入植者にとって、それはヨーロッパでの悲惨な過去を意識させられることになるからである。彼らは貧乏、差別、飢え、戦争、などの理由によりやむをえずヨーロッパを去らなければならず、ここには罰としてオーストラリアやアメリカに送られた受刑者も含まれていた。 これらの侵略者や入植者がヨーロッパで多大の心理的苦痛を体験させられ、それを何らかの形で軽減し、できれば解消してしまう必要があったことは充分推測できる。 ここで用いられた効果的な解決策は自分たちを「ヨーロッパ人」ではなく「白い人たち」と呼ぶことであった。「白い人たち」は哀れで、貧しく、飢え、迫害され、犯罪を犯した罪人たちではなくなり、全く別の種類の新しく素晴らしい人たちに変身したのである。 これは人種・民族的、宗教的、職業的な理由などで馬鹿にされ迫害されていたヨーロッパ人にとっては特に効果的な解決策であり、侵略し植民地化した地域の先住民に対し罪悪感を持つどころか優越感を持って土地の強奪と殺戮を実行できたのであった。 第二に、「白い人」と自称することにより、自分たちは美しく、知能が高く、勤勉で、正直で、優れていて、すばらしい人たちであると確信できるようになった。これらの美点は「有色人種」には見られるものではないとされ、侵略と植民地形成はごく自然のなりゆきであると解釈できたのである。場合によってはキリスト教が引用され、これらの行動が宗教的に承認され正当化された。 ここに存在していた「白人対有色人種」の思想により侵略と植民地形成は「良い人と悪い人」「優れた人と劣った人」「美しい人と醜い人」「利口な人と馬鹿な人」「勤勉な人と怠け者」「進歩した人と未開の人」という問題にすりかえられてしまったのである。歴史的に見た西洋の人種観 第三に、この「白人対有色人種」の思想により、ヨーロッパ人は自分たちが侵略者や不法な入植者である事実を忘れることができた。「白人」と呼ぶことによって、自分たちは合法的な原住民であると信じることができた。自分たちはその場所に合法的に住んでいる住民の一種であるという理屈を持ちだし、先住民から奪った土地を所有することは当然の権利であると議論するようになった。 したがって奪った土地は暴力をもって守らなければならず、別の侵略者や移民には力をもって対決するという思想になった。自分たちの土地を保持することは当然の権利であり、先住民であろうが他の侵略者であろうが移民であろうがすべて断固として追い払い土地を死守するという考えが常識になった。 これはアメリカでは西部劇の映画にごく当たり前に見られる話であり、のちに各種の移民排斥運動の根拠にもなった。オーストラリアのワン・ネーション党やアメリカのクー・クラックス・クランも別の例である。歴史的に見た西洋の人種観 西洋文明の大規模な植民地形成と人種主義は十六世紀以来のもので、ここには明らかに相関関係がある。しかしそれ以前の西洋では事情は異なっていた。 ギリシャ文明やローマ帝国では人々が野蛮で残酷な扱いを受ける場合があったのは周知の事実である。しかしそれは必ずしも人種や民族と相関したものではなかった。そして異なった人種や民族に対する認識も十六世紀以後の西洋のものとは同じではなかった。 例えばフン族がヨーロッパを侵略したとき、その主導者のアッティラは人種的には明らかにヨーロッパ人とは異なっていたにもかかわらず、当時の記録は特に悪意をもってその人種的特徴を文章で描写してはいない。アッティラは恐れられた侵略者でありヨーロッパ人の侵略者と同じように見なされていた。事実アッティラの肖像がヨーロッパ人のように描かれている点に注目すべきである。 そしてヨーロッパ人は自分たちはフン族には軍事的にはるかに劣っていると理解したのである。そのためローマ法王レオ一世はわざわざアッティラの駐屯地まで出向き、ローマを侵略して壊滅しないよう請願したのであった。 しかしその後西洋文明が次第に強力な軍事力を持ち、世界を支配するようになると、西洋独特の人種主義とそれにともなう傲慢さが現われるようになった。このような思想的変化は西洋の侵略と植民地形成を正当化し、ヨーロッパ人自身を洗脳し、侵略され植民地化された人々たちをも洗脳するのに役立ったのである。 「白と黒」「白人と有色人種」の思想は効果的に用いられた。色の用語「白」は侵略し植民地化するヨーロッパ人を――そしてヨーロッパ人だけを――描写するために用いられ、ベルニエによって「白い」と見なされたアジア人は侵略と植民地形成をするヨーロッパ人ではないために「白」ではなく「黄色」であるとされた。 「白」の対象語「黒」はヨーロッパ人によれば世界で最も未開で、醜く、馬鹿な人たちと見なされたアフリカ人を描写するのに用いられた。ダービンの進化論は十九世紀の半ばに発表されたが、進化論の考えは効果的に利用され、または悪用され、それによって人種主義と植民地形成を正当化し自己満足ができるという利点があった。相反する思想が共存する現代西洋文明 以上の考察からすでに述べられた六つの疑問に答えることができる。西洋の大規模な世界の侵略以前の時点で発表されたベルニエの学術論文ではヨーロッパ人は「白」ではなく「明るい色」の肌をしていると描写された。その後西洋が侵略と植民地形成を世界で実行するようになると、ヨーロッパ人は「白」と見なされ、リンネとブルーメンバッハの考えが学術的な業績として広く受け入れられるようになった。これによって西洋の侵略と植民地形成は学術的に承認され支持されることになったわけである。 しかし二十世紀中ごろにアメリカで始まった公民権運動とそのかなりの成功の結果、ヨーロッパ人は人種の問題に直面し再考することをよぎなくされた。このような知的環境の変化により、それまで無視されていたベルニエの人種についての学術論文も歴史的観点から再認識され始めたものと言える。相反する思想が共存する現代西洋文明 一九五〇年代にアメリカで始まった公民権運動はアメリカ社会に抜本的な変化をもたらし、人種の平等を主張する考えは西洋文明全体に大きな影響を及ぼした。わずか五〇年ほどの間に西洋は大きく変わってしまったのである。しかしこれによって西洋の昔からの人種主義の考えが消滅したわけではない。 二一世紀始めの西洋文明には昔ながらの人種主義と、より客観的な人種観という相反する二つの思想が共存している。この共存現象はマス・メディア、教育界、言語の使い方、大衆文化などに繰り返し繰り返し見られる。 例えばヨーロッパ系アメリカ人は「シンプソン一家」のテレビ番組を熱狂的に視聴し、黄色い肌のシンプソン一家の人々を我がことのように感じとり一喜一憂している。にもかかわらず、同じヨーロッパ系アメリカ人は昔ながらに自らを「白人」と呼んでいる。 南アフリカの住民は「黒人」か「白人」であり「アフリカ先住民」と「ヨーロッパ系住民」とは見なされていない。「黒人対白人」の思想は侵略と植民地形成の犠牲者とそれを実行した侵略者の歴史と現実をたくみに隠蔽している。「白人」とは南アフリカに昔から存在していた人たちと見なされてしまい、「黒人」と「白人」はアフリカの昔からの二種類の人たちのように心理操作をしてしまっているのである。結論 西洋文明が圧倒的な支配をする現在、日本がその支配と影響から逃れるのはほぼ不可能である。西洋文明の思想全般、特にその人種主義も例外ではない。現在の日本では「黒人」「白人」「有色人種」などという、西洋が世界侵略と植民地形成のためにこれまで使用してきた表現に何の疑問も持たずにそれらを受け入れ、使用している。この現象は「右翼」であろうが「左翼」であろうが政治思想に関係なく観察される。 しかし現在の西洋文明にはこれまでの人種主義の言語表現に疑問をもたせるような変化が現われ始めている。読者はこの点を注意深く考えていただきたい。そして西洋から盲目的に移入された人種主義的な用語を日本文化から排除することを熟考すべきである。別の表現を用いれば、これらは差別語であると言ってよい。 それでは人類学者ではない世間の一般人は、世界に現存するいろいろな人たちをどう描写すればよいのであろうか? これはマス・メディアがこのような差別語の使用を避けるためには重要な課題である。 その回答はしごく簡単である。ベルニエが示してくれた、世界の人々の地理学的な分布という出発点に戻り、地理学的な用語を用いればよい。「白人」ではなくヨーロッパ系、「黒人」ではなくアフリカ系、と描写すればよい。必要であればこれを更に詳しくし、南ヨーロッパ系とか北アフリカ系などとすることもできる。アジアは広いので西アジア系、東南アジア系、東アジア系、などとするのが適切である。これによって色の用語が含んでいる人種主義を排除することができるわけである。注:これは二〇〇七年に花伝社から出版された北原 惇著『黄色に描かれる西洋人――思想史としての西洋の人種主義』の要約である。この要約の英語版はMichio Kitahara, "Western Racism as a History of Ideas," Eastern Anthropologist, Vol. 63:3-4, pp. 303-308, 2010 である。きたはら・じゅん 本名は北原順男(きたはら みちお)。1937 年生まれ。横浜出身。武蔵高校卒。1961 年モンタナ大学(米国モンタナ州ミゾーラ市)卒(社会学と人類学の二専攻)。一九六八年ウプサラ大学(スウェーデン)修士課程修了(社会学専攻)。1971 年ウプサラ大学博士課程修了(社会心理学専攻)。同年哲学博士号を受ける。メリーランド大学、ミシガン大学、サンフランシスコ大学、ニューヨーク州立大学(バッファロ)などでの教職、研究職を経て1997 年までノーデンフェルト・インスティテュート(スウェーデン・イエデボリ市)所長。マーキズ・フーズフーその他海外約20 のフーズフーに経歴掲載。英語の著書はChildren of the Sun (Macmillan,1989), The Tragedy of Evolution (Praeger, 1991), The Entangled Civilization (University Press of America, 1995), The African Revenge (Phoenix Archives, 2003) など。日本語の著書は『なぜ太平洋戦争になったのか』(TBSブリタニカ、2001)、『幼児化する日本人』(リベルタ出版、2005 年)、『生き馬の目を抜く西洋文明』(実践社、2006 年)、『ロック文化が西洋を滅ぼす』(花伝社、2007 年)、『黄色に描かれる西洋人』(花伝社、2007 年)、『現代音楽と現代美術にいたる歴史』(花伝社、2009 年)、『脱西洋の民主主義へ』(花伝社、2009 年)、『ポルトガルの植民地形成と日本人奴隷』(花伝社、2013 年)、『戦争犯罪と歴史意識 日本・中国・韓国のちがい』(花伝社、2014年)

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    原節子が満州・朝鮮国境で騎兵銃をぶっ放す!

    下川正晴(元毎日新聞論説委員) 95歳で亡くなった「伝説の女優」原節子さんの珍しいプライベート写真を公開したい。 22歳の彼女が今井正監督「望楼の決死隊」(1943)撮影のため、満州・朝鮮国境の満浦鎮(現在の北朝鮮慈江道満浦市)で、1943年の正月を迎えた時の記念写真である。この映画は、国境警備隊長の妻を演じた原節子が、村を襲撃した匪賊ゲリラ撃退のため騎兵銃をぶっ放す、という破天荒なシーンがあることで知られている。写真は、撮影当時の国境警察署長の官舎で撮影された。 この貴重な写真を紹介しながら、日本映画史に埋もれた日朝合作の傑作「望楼の決死隊」を考察したい。「日本一の女優」(「キネ旬」アンケート)と評された原節子さんの死去は、日本現代史がひとつの帰結を迎えた2015年の象徴的な出来事であり、日本人がバランスのとれた認識を持つための優れた教材であると思うからだ。(以下、敬称略)写真に潜む悲惨な終戦史  写真は、私が大分県立芸術文化短大教授として在任していた2010年、「望楼の決死隊」を上映した際に、国境警察署員だった亡父の遺品として、遺族がご持参いただいた。写真の中段右から5番目(チマ・チョゴリの女性の左隣)が、原節子である。写真の裏には、「昭和18年1月5日、東宝『望楼の決死隊』ロケーション記念撮影(朝鮮平安北道江界郡満浦邑文興洞警察署長官舎)」との記載があった。原節子さん(中段の右から5番目)と地元民ら (C)下川正晴 映画関係者のうち男性陣は警察署で、女性陣は署長官舎で新年の祝宴を開いたという。記念写真を見ると、何人かの日本、朝鮮の女優らしき姿が見える。チマ・チョゴリ姿の女性は、明らかに当時の朝鮮トップ女優である金信哉だ。その他の人物は特定できていない。 写真を所持していたのは大分市の無職、宮明健児(75)である。右端の女性は健児の母親(9年前に90歳で死去)。彼女に抱かれている子供が健児だ。彼は「この写真は父親が大分にいる妹に送っていたために、我が家に残っていたのではないか」と言う。 父親の松夫(明治45年生まれ)は、普通文官(準キャリア)試験に合格した警察官であり、当時は満浦警察署に勤めていた。7年前に96歳で死去した。松夫は戦後、故郷の大分県に帰ったが「朝鮮戦争が起きると、公安調査庁からたびたび復職するように勧められたが、断っていた」(健児の話)という。 松夫は終戦時、新義州にあった平安北道警察高等教育課の幹部(警部補)だった。その際、上司のN課長が一家心中する悲劇に遭遇した。坪井幸生「ある朝鮮総督府警察官僚の回想」(草思社)の「あとがき」にも短く記述されている事実だ。健児によると、真相はソ連に抑留される直前に、課長は短銃自殺、妻と子供たちは服毒自殺したという悲惨な事件だったという。Nは故郷が福岡県椎田町であり、父親の松夫はたびたび墓参に出かけていた。 銀幕引退から52年   原節子は東京五輪が開かれる前年の1963年に銀幕を引退した。この年が戦後史の画期点であることは、再論する余地がないほどに明確である。そして、彼女が亡くなった戦後70年目にして、日本現代史は新たなステージに入った。安保法制、TPPという安全保障、国際経済の重要事項とともに、「原節子の死去」を時代が変わったメルクマールとして、後世は記録するだろう。 しかし、彼女の「不在」がきわめて長期にわたったため、その存在は「伝説の女優」として神秘化された。世界映画史上の「名女優」として、現代の日本人が明瞭に記憶しているか疑わしい。 もうひとつの問題は、名画座やテレビで上映される彼女の映画は、黒澤明監督「わが青春に悔いなし」(1946)小津安二郎監督「東京物語」(1953)など戦後制作の作品が多いことだ。原節子の映画人としてのキャリアは、1935年4月15日、14歳で日活多摩川撮影所に入社し、同年の日活映画「ためらふ勿れ若人よ」(田口哲監督)でデビューしたことから始まる。 彼女の戦前期の映画は、計51本もある。しかし、いま上映される戦前の映画は決して多くない。戦後映画に偏重しているのだ。本稿で取り上げる「望楼の決死隊」にしても、ようやく今年の夏にDVDが出るなど、これまで看過されてきた作品なのである。 この映画の主な特徴を列記すると、以下の通りだ。 (1)戦争のさなかに、朝鮮国境で撮影された希有な作品である(2)「内鮮一体」を基調とする日朝合作の国策映画である(3)米国映画「ボー・ジェスト」を下敷きにした活劇映画である(4)巨匠・今井正監督(戦後は共産党員)が演出した国威発揚作品である(5)朝鮮映画界の巨匠になる崔寅奎(チェインギュ)が演出補佐として参加した―などが挙げられる。日本から「永遠の処女」原節子が出演する一方、朝鮮からは「永遠の少女」と称された金信哉(キム・シンジェ)が出演(巡査の妹役)していることも、もちろん特筆大書すべきである。戦中派による「望楼」批判 戦中派による「望楼」批判  「撃ちてし止まむ」。戦時期の国策映画の通例として、映画の冒頭に登場するのは、激烈なアジテーションだ。 「後援:朝鮮総督府」「制作応援:朝鮮映画制作株式会社」「朝鮮軍司令部検閲済」 「この一編を国境警備の重責に当たる警察官に捧ぐ―」 「演出:今井正」「演出補佐:崔寅奎」「脚本:山形雄策、八木隆一郎」とクレジット。 さらに、 「鴨緑江、豆満江に境される北鮮地方一帯は、日本の重要産業地帯である。しかし、かつては山岳重畳たるこの地に、満州国討伐軍に追われた匪賊の群れが、最後の暴威を逞しうした。昭和10年の頃・・・」と続き、本編が始まるのである。映画「望楼の決死隊」 (C)東宝 主演の国境警備所長(高津警部補)を演じたのは、戦前の二枚目スター高田稔(1899ー1977)だ。彼は崔寅奎監督が演出した朝鮮人特攻隊映画「愛と誓ひ」(1945)にも出演するなど、朝鮮映画との因縁が強まった。 原節子(1920-2015)は、この国境警備所長の妻役である。国境の村の助産婦として貢献する一方、匪賊の襲撃には銃撃戦で立ち向かうという、後代の「永遠の処女」らしからぬ活躍を見せるのは、すでに紹介した通りだ。 この映画に対する批評は、従来、厳しいものが多かった。その代表例が、映画評論家・佐藤忠男による批判だ。講座日本映画史4「戦争と日本映画」(岩波書店)所載の「国家に管理された映画」で言及している。抜粋すると、以下の通りだ。 <朝鮮で抗日ゲリラ運動がなぜ起こったか、彼らの目的はなんであり、なぜ彼らは活動をつづけていられるのかといったことに、この映画はいっさい触れていない。一般の日本人は抗日ゲリラを山賊のようなものだと思っていたのであり、山賊が出没するような野蛮な土地の良民を、日本人が自らの血を流して守ってやっているのだ、というふうに考えて、すませていたからである。それはまた日本政府の公式見解であり、この映画はそれに忠実だっただけである> このような批判は戦中世代の佐藤(1930年生まれ)としては当然の受け止め方であるが、私のように1949年生まれの戦後世代ともなると、自ずから別の感想も出て来る。以下は、5年前に書いた私の記述だ。 <この映画をソウルの韓国映像資料院で見ました。面白かった。なにせ西部劇仕立ての植民統治映画ですからね。それを戦後、共産党に入党した今井正監督が演出し、「伝説の女優」原節子が警備隊長夫人として登場する!! 現在の視点から見ればアナクロニズムの極地ですが、当時の映画の水準からすれば、とてもよく出来た「娯楽映画」でもあった> 我ながら、きわめて軽いノリで書いている。私は毎日新聞ソウル特派員(1989-1994)だったし、コリアに関する関心は大学時代から現在まで継続して来た。「抗日ゲリラ」の意味するものを十分に理解しているが、それでも、この映画は上記のような理由で「面白かった」のだ。 「戦後民主主義」の代名詞  原節子は韓国の映画ファンにも人気が高い。ソウルの有名大学の映画学科教授に頼まれて、写真集「原節子」(マガジンハウス編)を買い求め、韓国まで配達したこともある。彼は現在、韓国映画評論家協会の会長だ。小津安二郎作品などで見た彼女が忘れられないのだそうだ。 この写真集「原節子」の巻末には、佐藤忠男が「原節子の魅力」を書いている。 <原節子は、1930年代半ばから1960年代の初めまで、ちょうど戦争の時期を挟んで30年近く、日本映画界でトップスターの座にあった大女優である><花の盛りのときに戦争の時代を過ごさなければならなかったことは、彼女にとって実に不幸だった><敗戦後、民主主義啓蒙の時代が来ると、知的で生真面目なキャラクターを持つ彼女の出番がやってくる> 確かに原節子の名前は、「戦後民主主義」と関連して語られることが多い。だから国策映画「望楼の決死隊」で、彼女が騎兵銃をぶっ放すシーンには、本当に仰天してしまうのだ。だが原節子は「民主主義」「軍国主義」の二項対立だけで語ることができる女優なのだろうか。 彼女が映画で演じた「進歩的思想傾向は彼女自身とは関係のないもののようである」。佐藤忠男は前出の「原節子の魅力」で、このように述べ「彼女は義兄の熊谷久虎監督の影響下にあり、熊谷監督は右翼的な人だったからだ」と指摘した。 原節子の姉が熊谷の妻だった。熊谷が原節子に与えた影響については、今井正の次のような証言もある。講座日本映画史4「戦争と日本映画」(岩波書店)の中の「戦争・占領時代の回想」である。「望楼の決死隊」朝鮮ロケに関する証言の一部だ。 <宿に着いた晩、原節子がやってきて、今井さん、これ兄(熊谷監督)からですって封筒を差し出すんです。その手紙には、日本は全勢力を挙げて南方諸国に領土を確保しなければならない。その時に日本国民の目を北方にそらそうと目論んでいるのは、ユダヤ人の陰謀だ、この「望楼の決死隊」は日本国民を撹乱しようとするユダヤの陰謀だから、即刻中止されたいというようなことが書いてあった。その影響で原節子までユダヤ人謀略説をとなえるありさまだった> これは、「生身の原節子」を伝える意外な逸話である。 しかし、その今井正にしても、戦後の共産党員という経歴が示す通り、「社会派映画を主に手掛け、戦後日本映画の左翼ヒューマニズムを代表する名匠である」(ウィキペディア)というのが、定番の評価だ。戦後は「戦犯映画」と批判の矛先に戦後は「戦犯映画」と批判の矛先に 今井は「望楼の決死隊」について、前述書で以下のように語る。 <このロケハンの間に、太平洋戦争が勃発したでしょう。戻ると撮影所も戦時色一色になってね、満浦鎮という鴨緑江の中程にある平壌から汽車で20時間もかかる国境の街に、翌年の3月に、原節子や高田稔の俳優も一緒に出発したわけです。朝鮮側からは、浮浪児問題を扱って「家なき天使」といういいシャシンを撮っていた崔寅奎という監督が全面的に協力してくれて、そのおかげで朝鮮の映画スターがずいぶん出てくれたわけです> しかし、この国策映画は戦後になると、一転して批判の矛先に立たされた。 <いつか、どっかから、「望楼の決死隊」というシャシンを戦争中に撮ったそうだけど、戦犯映画だなんて言ってきたから、僕の責任で作ったんだから、ちっとも答えないなんていうことはないんだよ、と言ったことがある。><僕は学生時代、左翼運動をやって何回か引っ張られた後、転向手記を書いたし、戦争中には「戦争協力映画」と言われても仕方ないようなのを何本か作っている。そのことは、自分の犯した誤りの中でいちばん大きいと思っているんです。だから、自分の弱さを知っているだけに、戦後もなかなか自信が持てなかったわけですよ> こういった映画業界の雰囲気が左右して、「望楼の決死隊」をはじめとした戦前戦中期の映画は、今日も上映される機会が少なくなった。本稿は映画人の「戦争責任」を考察するものではないが、テークノートしておきたい。 「望楼の決死隊」は、現在の韓国ではどう評価されているのか?  まず根本理恵が日本語訳した「韓国映画史」(キネマ旬報社)。30人ほどの気鋭の映画研究者が手分けして書いている。「日帝末期の合作宣伝映画」に、「望楼の決死隊」に関する記述がある。筆者は、キム・リョシル(釜山大学国語国文学科教授)だ。 <この映画は軍民一体のイデオロギーを盛り込んだスパイアクション物だ。内容は鴨緑江沿いの国境警備を担当する日本の警察隊が、朝鮮人住民と力を合わせて中国人ゲリラを一網打尽にするというものである。日本でも上映された「望楼の決死隊」は唯一、興行的に成功した国策宣伝映画だが、今井正監督によれば、ハリウッド映画「ボー・ジェスト」(1939)を翻案したものだという> きわめて客観的な評価であり、不思議なことに、僕の「軽いノリの感想」と似ている。硬めの文章にすると、こういう形になりそうな内容だ。評価する韓国の監督、評論家 次は韓国映画界の元老監督である金洙容(キム・スヨン)が見た「望楼の決死隊」だ。彼はなんと、中学1年のころ日本人教師に連れられて、団体で「望楼の決死隊」を見に行った。1929年生まれ。韓国芸術院会員。彼の「生きている歴史の本『望楼の決死隊』」という文章が、韓国の「映像文化情報」2号(1996年冬号)にある。 「中学1年の頃だったか、日本人教師に引率されて団体観覧した」キム・スヨンは、この映画を、最近もう一度見て「警備隊が危機に陥り、家族たちは自決のためのピストルを手にする。破裂する手榴弾、壊れる窓ガラス、壁に当たる銃弾、射殺されるゲリラなど息を呑む場面が絶え間なく演出される。53年前の映画とは信じられない。やはり映画というのは、正確な映画文法に立脚した精巧な編集が生命」であると激賞する。 彼は「映画を見た後、ひたすら勇敢だった警備隊の勝利に、あやうく拍手を送るところだった。しかし、ゲリラが馬賊ではなくて抗日独立軍だったら、と考えると、戦慄を感じた。映画の魔力は観客を敵と同寝させることも出来る」とも評価した。彼らしい正直な感想だ。国策映画「望楼の決死隊」が興行映画的には成功作だったことを立証する文章である。 最後に、韓国映画評論の元老格である金鐘元(キム・ジョンウォン)の名著「韓国映画100年」(ヒョンナム社、2001年)。「望楼の決死隊」に関して、次のように記述する。 <日本人の今井正が演出し、ハン・ヒョンモが撮影した「望楼の決死隊」は、いわゆる国策映画全盛期に作られた多くの作品が、大衆性や質的な面で期待に叶わぬものであったのとは違い、唯一つ、成功した力作としてあげられる。この映画は韓半島の北側、朝鮮と満州が境界を接する国境地帯の満浦鎮(平安北道江界)に出没する共産匪賊(抗日ゲリラ)と戦う日本の警備隊の活躍を、一人の警察官の視点で記録したものである。今井の5本目の作品である「望楼の決死隊」は、映像と音響が鮮明であり躍動的であるという評価とともに、正確な映画文法に基づく編集も関心を呼んだ。> 「映画は映画として評価する」。彼の批評には不動の信念が感じられる。キム・スヨンによる批評にも目を通した形跡がうかがわれる文章である。 「望楼の決死隊」の快感と悲惨  結論的に言うならば、「望楼の決死隊」に対する韓国映画界の評価は、驚くほど高いのである。 これには、映画自体の出来映えが大いに影響しているのは、前述の通りだ。戦中期の日本映画に対しても、このような客観的な視点を持ち得るようになったのが、今日の韓国映画界のパワーの根源にある。それが私の見立てだ。いつまでたっても「被害者史観」にとらわれ、国際水準の外交が構築できない韓国政治のあり方とは対照的だ。もちろん韓国映画界にも「反日史観」による金儲け主義があるのは事実だが、その深層部に真っ当な映画人がいることを見落としてはならない。 「植民地末期の朝鮮映画史の正しい復元のためには、親日と抗日、抵抗と闘争、屈従と拒否の間の複雑な連鎖が現れる植民地朝鮮の日帝宣伝映画を、もう少し多層的かつ多様に読み込むという試行が先行しなければならない」 植民地期の朝鮮映画を分析した若き韓国映画史研究者パク・ヒョンヒ「文芸峰と金信哉」(2008)の結語部分にある言葉であり、彼女の決意表明だ。上記のような日韓映画界の「望楼の決死隊」評を参考にしながら、この映画をご覧頂ければ幸いである。日本が生んだ希代の女優・原節子の騎兵銃乱射シーンに、薬師丸ひろ子ならぬ「カイカン」を感じていただいても結構だが、2015年の私たちは、本稿の冒頭に記した「終戦時の警察一家心中事件」という歴史の真実にも、思いをはせる必要があるだろう。

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    視聴率男・太川陽介にオファー殺到 56歳で再ブレイクの理由

     太川陽介(56)が売れに売れまくっている。2年ほど前から『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京系)における蛭子能収とのコンビが話題を呼び、テレビ出演の機会が激増。1月30日には、20時台の『ぴったんこカン・カン』、21時台の『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS系)に連続出演。TBSのゴールデン帯を“ルイルイ色”で飾った。テレビ局関係者が話す。路線バスに乗る(左から)蛭子能収、太川陽介、ゲストの宮地真緒。昨年4月には「出雲大社編」「松本城編」、1月には「出雲~枕崎編」「四国ぐるり一周編」のDVDが発売された「TBSの金曜は、基本的に『爆報!THEフライデー』から『金スマ』まで連続2ケタが続いている。TBSゴールデン帯で、最も好調なのが金曜なんです。逆にいえば、絶対に視聴率を落とせない時間帯。その枠に、連続で“ルイルイおじさん”こと太川陽介をキャスティングした。『ぴったんこ』『金スマ』は、ゲストの人選で数字が決まると言っても過言ではない番組です。『金スマ』は1時間ぶっ通しで太川を特集したわけですから、いかにTBSが太川の持っている“数字”を信用しているかよくわかります」 実際、視聴率を見ると、『ぴったんこ』14.9%、『金スマ』15.2%と、いつもよりよい数字で、太川は結果を残している。「この日に限らず、太川は今まさに視聴率男ですよ。準レギュラーである『ぶらり途中下車の旅』(日本テレビ系、土曜9時25分~)では、太川出演の1月24日に今年度最高の12.2%を記録。前週は7.7%でしたから、かなり伸ばしています。ちなみに、12月20日の2時間スペシャルに出演したときも、11.1%をマークしている。 ゲスト出演した1月11日の『誰だって波瀾爆笑』(日本テレビ系、日曜9時55分~)は、10%を獲得しました。この番組は、毎週だいたい1ケタですから、2ケタに乗せるのは快挙。1人のゲストにスポットを当てる構成なので、太川が数字を持っている何よりの証拠なんです」 それにしても、56歳にしての再ブレイクはなぜ起こったのだろうか。芸能記者はこう語る。 「今、テレビをよく観る層は主に40代以上です。彼らの幼少期や青春時代、太川はアイドルとして活躍していた。1977年にはレコード大賞の新人賞を獲っているし、芸能界におけるアイドル全盛期に、NHKの若者向け音楽番組『レッツゴーヤング』の司会を7年も務めていた。ほかにも、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』(テレビ朝日系)、『カックラキン大放送』(日本テレビ系)、『ヒントでピント』(テレビ朝日系)という高視聴率番組のレギュラーだったことも、かなり大きい。振り返ると、太川は昔から“数字を持っている男”だったのかもしれません(笑)。 要するに、有名番組のレギュラーが多かったこともあり、もともとの認知度がかなり高い。そして、何よりも『ルイルイ』のインパクトが強かった。『ルイルイ』に関しては、太川自身も『意味がよくわからない』と言っていますが、あのような歌詞は何年経っても記憶に残る。アイドル時代は嫌だった『太川=ルイルイ』というイメージに、今は助けられていますね」 たしかに、同年代で太川より売れたアイドルは何人もいるが、印象度で『ルイルイ』に勝てるものはそうそうない。前出・テレビ局関係者は、こう分析する。 「現在のテレビのターゲット層である40代、50代に、太川の生き様は訴えかけるものがある。アイドル時代以降、思うように売れず、陰に隠れていた太川が、不遇の時を経て、56歳になって大ブレイクしている。40代以上の男性からすれば、『自分も頑張ればまだ行けるはずだ』と励みになるし、太川をテレビで見掛けなくなった時期も知っているから、共感できるんです。年を取れば取るほど、同年代の活躍は嬉しいものですからね。 また、40代以上の女性からすれば、アイドル時代をよく知っている懐かしさに加え、妻の藤吉久美子に一途で、大事にしている姿も応援したくなる要因のひとつ。家事も積極的にこなし、子供の面倒もよく見る太川は、『こんな夫がいたらなあ』という主婦の願望を体現しているんです。『バス旅』でも、わがままな蛭子能収への温厚な対応を昔から、途切れることなく続けている。画面から主婦に『偽りのない優しさを持っている』と伝わっているのでしょう」 若い頃もがき苦しんだ太川は、56歳にして時代の流れに乗ったようだ。関連記事■ クリス松村が独自視点で綴ったアイドル論 特典商法に警鐘も■ 太川陽介 バスの旅で最もイライラした蛭子能収の言動を告白■ 太川陽介 旅番組が高視聴率連発で「何か持っている」の声も■ 950曲掲載 ジャケットだけでも楽しいアイドルディスクガイド■ 94cmJカップアイドル こぼれちゃった“下乳ショット”5連発

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    蛭子能収 何してもうまくいく千人に一人の手相と絶賛される

     鑑定予約は14か月先までいっぱい、メディアに引っ張りだこの喫茶店のスピリチュアルマスター・室井健助さん。そんな彼の霊視相談に現在“裏視聴率男”と再ブレーク中のあの人が登場。天然キャラの裏に潜むのは、幸運か悪運か…? 自分の孫の名前が覚えられない。葬式のかしこまった感じが苦手で、ヘラヘラ笑ってしまう。グルメ番組のロケでも特産品を無視して食べたいものを食べる…蛭子能収さんには数々の“伝説”がつきまとう。  だが、当の本人から「嘘をつくのが苦手だから、もし占いが当たってなかったら違うって言っちゃう。平気かなぁ、怒られないかなぁ」と頭をポリポリされると、その自由さこそ魅力だと感じられる。“へへっ”と笑う蛭子さんにつられて自然と笑みがこぼれるムロケンだったが、その右手を見た瞬間、彼の表情が一変した。室井:いやあ、驚きました。1000人に1人のすばらしい手相です。“超大運線”といって、頭脳線も感情線もまっすぐ突き抜けた線が1年くらい前から出現しています。これは何をしてもうまくいくすごい手相なんです。しかも生命線も4本もあって長生きする。お顔を見ても、肉厚の大きな鼻も濃い眉毛もお金がどんどん入ってくる証拠です。絶好調ですね。蛭子:え~…自分では鼻が大きくて顔がちょっと整ってないもんで、嫌だなと思っていたんですけど…。その、大運線っていうのは、いつまであるんですか。今年はたしかに忙しいけど、来年になると心細いから。室井:いやいや、10年、20年先までずーっと続きますよ。蛭子:それまで生きてないかも…。室井:長生きしますから大丈夫ですよ(笑い)。テレビにはあと30年は出続けられます。タレントとして売れている限り、漫画も、ほかの仕事も入ってくる。それに、仕事がうまく回るときは、健康運も家庭運もすべてがうまく回ります。こんなにうまくいってるのは、なんでだと思います?蛭子:やっぱり“路線バス”(テレビ東京系『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』)が当たったからでしょう?室井:いや、大運線が出るまでは、そこまでブレークしていなかったはずです。とくに若い時は苦しかったですね。芸能界に入った直後は少し(仕事が多くて)よかったけど、40才くらいでグッと落ちて、そこからは細々と低迷期が続きましたよね。お金は入ってもすぐ出ちゃっていたし。蛭子:ちょうど賭け麻雀で捕まっちゃって、仕事がなくなった時ですね(苦笑)。まあ、ギャンブルも好きですし。室井:でも破産とか借金までには至らず、なんとかなっちゃうんですよね。それは、蛭子さんがすごく守護霊に守られているからなんですよ。たとえ事故に遭っても、無傷かかすり傷で済むタイプ。大病になったこともないはずです。お墓参りとか、結構されているんですね。蛭子:はい、死んだ女房の墓参りは行ってます。室井:うん、奥さまもちゃんとそこにおられますね。おじいさんとおばあさんも。そしてお金の入るかた、えびす顔をした人がほんとについていますよ。蛭子:なんかちょっと怖いな~、ここにいると思うと(笑い)。でもそんなに金運いいのかなあ、ギャンブル、ものすごく負けてるんですけど。室井:お客さんが勝ち続けたらギャンブルの運営会社がつぶれちゃうでしょ。そうならないような仕組みになっているんだから当然ですよ(苦笑)。蛭子さんは女性関係は全然だけど、ギャンブルに関してはスケベ根性があるから、100円しか手元になくても、最後のそのお金も賭けちゃうんですよね。蛭子:そうそう! よくわかったなぁ(笑い)。室井:もしもっと金運を高めたいと思ったら、その立派な鼻を、いつもきれいにするよう心がけるといいですよ。勝負事の時に鼻をこするとか。蛭子:わぁ、それなら簡単だからやってみようかな!関連記事■ 和室のYURIと洋室のYURI つい太ももに目が行っちゃいます■ 櫻井翔「男は周りの女の子は自分のことが好きだと思ってる」■ 中谷美紀の白くて柔らかそうなナマ脚に悶えちゃいますね■ 橋田壽賀子「次はイチローを通して米国人を描きたい」と告白■ 「豊かな胸羨ましい」と言われ30万円補正下着買わされた女性

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    「見栄」を手放せば何事にも動じない心が手に入る!

    蛭子能収(漫画家/タレント) いつも笑顔でマイペース。テレビで観る蛭子能収氏の立ち居振る舞いは、至って自然で無理がないように感じる。そののびやかさは、どういう心の持ちようから生まれているのだろうか? 物事にとらわれない自由の秘訣をうかがった。「自由気ままにやっているわけではないんですよ!」 漫画家とタレントという2つの顔を持つ蛭子能収氏。その幅広い活動の中でも最近とりわけ注目を集めているのが、テレビ東京系で放送されている番組『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』で見せる自由奔放さだ。その姿に、視聴者は一種の憧れを抱く。とくに会社勤めのビジネスマンは「あんなふうに自由に振る舞えたら」という気持ちになるのではないだろうか。しかし、蛭子氏本人は、「決してしたい放題に行動してはいない」と語る。 「何も考えていないようでいて、実は考えているんですよ。思いを言葉で上手に表現できないほうなので、誤解されがちなのですが……。 スタッフの指示は必ず守っています。そこから外れることは決してしていません。それ以外の、たとえば『飲食店で何を食べるか』といったことは指示されていないから、好きなものを頼んでいるだけです。それで、その土地の名物ではなく、パンとコーヒーなどを注文したりするのが、視聴者の方々には面白いのでしょうね」 この番組は、路線バスのみを使って4日以内に所定の目的地に到達するというルールのもとで進行する。スタッフと出演者は、時に過酷なスケジュールをこなしつつ、旅の成功を目指す。 「制限時間内の到着が全員の共通の目的。僕も『成功させたい』という強い思いを持って臨んでいます。その中で、許された範囲で僕らしさを出す感じですね。自由そうに見えるのも、実は演技かもしれませんよ?(笑) それはともかく、僕も番組を作るチームの一員として、ちゃんと考えながら仕事をしていることは確かです」仕事はきちんとする。だから、好きなことができる このように、仕事に対する蛭子氏の考え方は意外にストイックだ。しかし、そこにストレスや悲壮感の影は感じられない。この「真剣で気楽」な姿勢は、これまでに就いたどの職業においても持っていたものだという。 「仕事は一生懸命やる。その結果として得られるお金と自由を楽しんで使う。この点は一貫していると思います」 漫画家になる前、蛭子氏はサラリーマンだった。最初に就職したのは看板店。その後、ちり紙交換の仕事を経て、ダスキンの配達と営業を8年にわたって務めた。 「ちり紙交換もダスキンの仕事も、1人でクルマを運転する、自由にやりやすい仕事でした。ダスキンのときはお客さんの家を1日に200軒くらい回るんです。勤務時間は8時間でしたが、ムダなく効率的に回れば5時間で終わります。そうすれば、早く競艇場に行けるわけですよ(笑)。好きなことをするために、どう効率的に仕事をするかを考えていました」先のことを手堅く読むから不安はあまりない ダスキン時代は常に一定の成果を出し、社内の人間関係も良好だったと振り返る蛭子氏。しかし一方で、「漫画家として食べていきたい」という思いもずっと持ち続けていた。「上京して間もない頃から、プロを目指して投稿を続けていました。そうこうするうち、漫画雑誌『ガロ』で賞をいただいて、にわかに夢が現実味を帯びてきました」 こうして、1982年、長年務めた会社を退職。かねてからの夢を叶えたとはいえ、安定した仕事を離れることに不安はなかったのだろうか。「辞めて大丈夫かどうか、綿密に計算しましたよ。当面の貯蓄、退職金、失業保険、今後の収入の見込み。見込みは、連載など、確実性の高いものだけを計算しました。それらと1カ月の生活費を比べて、『これなら生活していける』と判断してから辞めたんです。だから、不安はありませんでした」「収入が3倍なら、いいか」。自分の生き方に固執しない 蛭子氏の漫画は独特の画風とエキセントリックで不条理なストーリーを持っているが、それを描くときの気分は至って呑気なものだそうだ。 「何を描くか悩んでしまう、ということはありませんね。すごい作品を作ろうなんていっさい思っていません(笑)。ただ、締切りは必ず守ります。指示されたことだけはきっちりやるという仕事のやり方は、会社勤めのときから変わっていません」 熱心なファンもつき、充実した漫画家生活を送っていた87年、再び転機が訪れる。「劇団東京乾電池」のポスターを手がけた縁で舞台への参加を求められて出演。その舞台がきっかけで、テレビ出演という新しい道が拓けたのだ。 「恥ずかしかったんですけど、僕は断わるのが苦手なんですよ。頼まれるがままにドラマに出て、バラエティに出て、としているうちに、漫画のファンが離れていってしまいました。作品のイメージとテレビに映る僕のイメージがあまりにかけ離れていたからだと思います」 ずっとなりたかった漫画家という夢をせっかく叶えたのに、漫画家としてよりもタレントとして世の中に広く認知されるようになっていく。そのことに、蛭子氏は悩まなかったのだろうか。 「テレビに出てもらえる収入が、漫画を描いてもらえる収入の3倍くらい高かったんです。しかも、漫画を描くのはなかなかの重労働。『テレビのほうがラクだ!』と思ったら、すぐに気持ちが切り替わりました。抵抗はなかったですね」「仕事が第一。人間関係は二の次」と割り切ってしまおう 1人で仕事をする漫画家と違い、テレビの仕事では数多くのスタッフや共演者とつきあうことになる。人づきあいが増えれば、それによるストレスも増えたのではないか。 「確かに、僕はずっと1人でやる仕事ばかりをしてきたし、性格的にも1人でいるのが好きです。でも、人が嫌いなわけではないんですよ。 人を嫌うのは、決して愉快な感情ではありません。だから僕は、苦手な相手であっても、ネガティブな感情は絶対に見せないようにしています。誰かに対して『2度と一緒に仕事をしたくない』と思うこともないですね。どんな人とでも、頼まれれば何度でも共演します。内心の苦手意識は我慢します」 我慢はしても、ストレスを溜め込むことはない、と蛭子氏。日頃、上司や部下、お客や取引先に対して我慢を重ね、神経を擦り減らしているビジネスマンからすると、ぜひ、その秘訣を聞きたいところだ。 「仕事だと考えているから、我慢してもストレスにならないのではないでしょうか。ビジネスマンの方々も、ビジネスのことを一生懸命にやればいいのだと思います。会社は仕事をする場所であって、人間関係は二の次でしょう。上司が偉そうでも、部下が生意気でも、大した問題ではありません。そんなことよりも、仕事がきちんと進むことのほうが大事だと思っていたら、ラクになりますよ」結構ひどい仕事であっても「断わらない」 仕事のほうが大事とはいえ、他人に嫌われたくないというのは、蛭子氏もいつも思っていることだ。そのためにしていることは至ってシンプル。「笑顔でいること」と「断わらないこと」の2つに尽きると蛭子氏は言う。京都国際映画祭、セクシードレス姿の橋本マナミ(右)の背中(脇?)をガン見する蛭子能収。左はトリンドル玲奈=2015年10月15日、京都市東山区(榎本雅弘撮影) 「いつもニッコリしていれば、嫌われる心配はまずないと思っています。それから、頼まれごとにもできるだけ応えたいですね。単に断わるのが下手なだけということもあるかもしれませんが(笑)。仕事も、パラシュート降下みたいに怪我や命の危険を伴うようなものでない限りは、結構ひどい扱いをされたこともありますけど、どんなものでも引き受けてきました」 スタッフや共演者とは、ある程度の関係を築ければ、必要以上に仲良くすることはないと考えている。 「共演者に自分から話しかけることはまずありません。向こうから話しかけられれば、もちろん話をしますよ。 これは、誰か特定の人と仲良くなることを避けたいと思っているからなんです。『Aさんとはよく話すのに、Bさんとはあまり話さない』という不均衡や、固定された関係ができてしまうことが嫌なんですね。それくらいなら、1人でいたほうがいい。1人を寂しいと感じることもありません」 このように話を聞いてくると、どのような環境も自然に受け入れ、自分らしく生きる蛭子氏の自由さは、決して考えなしのものではなく、むしろ明確な考え方に裏打ちされているものであることに気づかされる。 「そう、意外と計算しているんです(笑)。人間関係もそうですが、お金や生活設計に関しては、さらに緻密に先を読んでいます」仕事なんて、選ばなければいくらでもある! 人によっては、先々のことをあれこれ考えると、かえって不安になるかもしれない。蛭子氏がそうならないのは、「何をしてでも生きていける」という自信が根底にあるからだろう。 「僕は今年で68歳になりますが、もしタレントとしても漫画家としても食べていけなくなったとしたら、別の仕事をすればいいと思っています。また配達業に戻ってもいいし、肉体労働でもいい。 仕事なんて、選ばなければいくらでもあるじゃないですか。将来、食べていけるか不安だという人は、見栄があるんじゃないかな。僕にはないんでしょうね。 昔から、どんな仕事をするか考えるとき、内容にこだわることはありませんでした。仕事はお金を得る手段ですから、『いくらもらえるか』のほうが大事。見栄を捨てれば、生きる方法はいくらでもある。少し見方を変えれば、人生で思い悩むことは少なくなると思いますよ」《取材・構成:林 加愛 写真撮影:永井 浩》えびす・よしかず 1947 年、長崎県生まれ。長崎商業高校卒業後、看板店勤務を経て70 年に上京。ちり紙交換、ダスキンの配達などの職業を経て漫画家となる。その後、俳優やタレントとしてバラエティ番組やテレビドラマ、映画にも出演。『蛭子能収コレクション』(マガジン・ファイブ)をはじめとする漫画作品の他、ベストセラーとなったエッセイ『ひとりぼっちを笑うな』(角川新書)などの著書がある。関連記事■ “コミュ障”のアナウンサーが教える「困らない話し方」■ 12月より開始「ストレスチェック制度」って何?■ 何事も「どうにかなる」という鈍感力を身につけよう■ <松井忠三・竹下佳江特別対談>「セッター思考」とは何か?

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    広島vs大阪!? お好み焼きルーツ戦争

    歴史街道編集部 世の中にはふたつの派閥があります。広島風お好み焼き派と、大阪風お好み焼き派。 しかしどちら派にせよ、どっちでも良いよ! という方にせよ、意外とそのルーツを知っている人は少ないのでは? 広島風と大阪風、どう違うの? という疑問にも触れつつ、探ってみましょう。【広島風vs.大阪風】そもそも何が違うの? お好み焼きをよく食べる方にとっては当たり前かもしれませんが、意外と知られていないのが、そもそもの違い。 中華そばが入っていれば広島風なんでしょ? と思っている方も多いかもしれませんが、それは違います。大阪風でも、そばを入れれば「モダン焼き」として成立してしまうので、本質的な違いではありません。 二つの違いは、その作り方にあります。 大阪風は、生地と具材を一緒くたに混ぜこんでからおたまですくって平らに焼きます。 広島風は、まず生地をクレープ状に鉄板に薄く伸ばし、その上にキャベツをどさっと置いて、さらにその上に豚肉をかぶせ、いったんひっくり返します。その脇でそばと卵を焼き、お好み焼きをその上に乗せて、もう一度ひっくり返して出来上がりです。 違いは断面図を見てみると一目瞭然。生地でつながった素材が均一な大阪風に対し、広島風は層状なのです。広島風は大阪風より分厚いことが多いいつから生まれたの? お好み焼きの起源については実は確固たる証明がなされているわけではありませんが、いわゆる「一銭洋食」の発展形だろう、という説が有力です。 単純に小麦粉を焼いただけのものなら江戸時代にも既に食べられていましたが、昭和初期、西日本の駄菓子屋で子どもたちに流行った一銭洋食というおやつは、かなり現在のお好み焼きにも近いものでした。 小麦粉を薄く焼いて、ねぎや粉ガツオ、とろろ昆布などをちょちょっと乗せて、ソースをかけて半月状に折って食べるのです。 しかしそれは、その名の通り、あくまで安い子供向けのおやつ。大人が喜んで手を伸ばすようなものではありませんでした。(ただ、今でもお持ち帰り用のお好み焼きを半分に折ってパックに入れるお店があるのは、その名残かもしれません) ところが戦争が終わり、物資が乏しく、特に深刻な米不足に悩まれた日本では、俄然小麦粉に注目が集まるようになりました。 小麦粉を「メリケン粉」とも称する通り、アメリカ軍が多くの小麦粉を提供したのです。ここに、大阪でも広島でも、お好み焼き文化は花開くこととなりました。こちらは大阪風広島風が「ああなった」理由は…… 殊、原爆の被害で食糧不足が著しかった広島では、このメリケンの粉が非常に重宝されました。広島で、大阪と比べて小麦粉の使用量が少なくて済むお好み焼きが根付いたのは、そこに理由がありそうです。 また、広島市内では、観音ねぎというねぎ(九条ねぎの一種)が作られており、始めはそれを入れて食べていましたが、次第に、もっと安くてボリュームのあるキャベツを大量に入れるようになります(小麦粉の少なさを補うためかもしれません)。さらに復興が進むにつれ、大人の腹も充分満たせるよう中華そばやうどんも加えた「広島風」の形が出来上がっていったのです。 ちなみに、広島にいらした方は覚えがあるかもしれませんが、広島のお好み焼き屋さんには、「みっちゃん」「れいちゃん」という女性のあだなのような店名が少なくありません。それは、戦争で寡婦となってしまった女性が、焼け野原で女手一つで生きてゆくために出したお店が多いからなのです。*** では、お好み焼きの「元祖」は広島とも大阪とも決めがたいのでしょうか? 後編では、東京の下町フード、もんじゃ焼きも仲間に加えて、お好み焼きの歴史を整理してみましょう。【後編】広島風vs.大阪風 結局、どっちが元祖なの? 前編では、広島と大阪のお好み焼きのそもそもの違い、そしてその違いが生まれることとなった広島独特の事情について探っていきました。 が。つまるところ、どちらのほうが歴史が古いのでしょうか。【広島風vs.大阪風】結局、どっちが元祖なの? 正直なところ、広島風も大阪風も、昭和初期に子どもたちの間で流行した「一銭洋食」が発展したものです。 もちろん、原爆投下で文字通り壊滅した広島において、「小麦粉の使用量を減らしながらもお腹がいっぱいになる」今の広島風お好み焼きのスタイルが定着したわけですが、ルーツは大阪風と同じ。 では、その「一銭洋食」発祥の地はどこなのでしょうか? それを探るためには、一銭洋食が流行するさらに前の時代に遡る必要があります。ルーツのルーツのルーツは…… そもそも小麦自体は、日本では弥生時代から食されていた伝統的な食材でした。ただ、この頃は小麦を重湯のようにして食べていたのみで、これを粉にするという発想はまだなかったようです。 しかし奈良時代には、留学生・吉備真備が、唐で学んだ料理を日本に持ち帰ります。彼は小麦を粉にして水で溶き、薄く伸ばして焼く、「煎餅(せんびん)」を作りました。ただ、それが国内に受け入れられるには、もっと時間が必要でした。 そして時は安土桃山。豊臣秀吉に仕えた茶人・千利休がお茶菓子として、「麩焼き」という和菓子を作らせます。これは、小麦粉を水で溶いて薄く焼き、味噌や砂糖を塗ってからくるくる巻いたもの。 吉備真備の煎餅の発展形でしょうか。利休の茶会の記録をまとめた『利休百会記』にもしばしば登場し、定番のお菓子だったようです。 これが江戸以降も受け継がれ、明治には新たな展開を見せます。 西洋文化の流入激しい東京、下町の駄菓子屋で人気を博した――そう、もんじゃ焼きです。路地裏のお店で、家には無いような大きな鉄板を使って友達と一緒に焼くというスタイルが、子どもたちに受けました。 名前の由来は、子どもがその鉄板に生地で文字を書いて遊びながら食べていたこと。もじ→もんじ→もんじゃ、と変化したのです。 ただ、とろとろのもんじゃ焼きはお店で鉄板に向かわなければ食べられません。同じ小麦粉料理で、テイクアウトや移動販売ができないか? そこで、もっと水分を少なくし、生地を固くした「どんどん焼き」が考案されます。 どんどん焼きは人口の密集した東京ではあまり広まりませんでしたが、むしろ地方に伝播し、大いに受け入れられました。 そしてこれが、関西で「一銭洋食」と呼ばれ親しまれたのです。しかも、その流行の中心地は、意外にも京都でした。ただ、次第に大阪、広島でも流行を見せ、太平洋戦争を経て今に至るのです。*** 煎餅、麩焼き、もんじゃ焼き、どんどん焼き、一銭洋食、そしてお好み焼きへ。身近な大衆食にも、意外と長い歴史が隠れています。 ただ、広島vs.大阪、お好み焼きルーツ戦争、東京に勝利を奪われるのは、地方出身者にはちょっと悔しいかもしれませんね。関連記事■ 「たこ焼き」と「明石焼き」と「ラヂオ焼き」■ 小岩井農場の「小岩井」は地名じゃない!?■ 「低糖質ダイエット」論争、体験者の言い分■ 疲れない身体を作る食習慣 4つのポイント■ やせたい人は、今夜もビールを飲みなさい―メタボが気になる方に朗報!

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    棚橋弘至は力道山と猪木を超えられるか

    もあります。プロレスは輝きを取り戻すのではなくて、もっと輝き続ける。僕はそう信じています。(聞き手 iRONNA編集部 川畑希望)たなはし・ひろし  昭和51(1976)年、岐阜県生まれ。平成11年、立命館大学法学部卒業後、新日本プロレスに入門。キャッチフレーズは「100年に1人の逸材」。類まれな肉体美と全力投球のファイトスタイルが人気を集める新日本プロレスのエース。第45・47・50・52・56・58・61代IWGPヘビー級王者。同王座の最多戴冠記録(7回)、通算最多防衛記録 (28回)保持者。著書に『棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか』(飛鳥新社)など多数。

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    男たちよ、デートではおごりなさい

    細川珠生(政治ジャーナリスト) 新年度を前後して、特に気になっていたことが二つある。一つは産休・育休明けで職場復帰を望んでいた人たちの動向。もう一つは新入社員たちのこれから、である。 前者については、年度初めでの職場復帰に向けて、数か月前から“入園活動”に勤しみ、それでもなかなか入れる保育園が見つからないと焦っていた女性たちが、その後、職場復帰を果たせたのかどうかということだ。ちらほらと耳に入ってくることは、「職場とは逆方向の保育園だけど、何とか入れた」「できたばかりの、薄暗いキッズルームで、不安はたくさんあるけど、そこしかなくて」など、決していい条件ではないケースが多い。政府は、少子化対策として、またアベノミクスの目玉政策でもある「成長戦略」の一つとして、待機児童の解消に力を入れているはずだが、それでもまだ足りないのである。 後者については、社会人一年生が、会社をすぐにやめず、しっかり生き抜いていけるのかということだ。この春の新入社員の就職内定率は、大卒者で86・7%、7年ぶりの高水準という。しかし、せっかく入社したにもかかわらず、大卒者の3年以内の離職率は32・4%。1年以内でも13・4%。留学や転職などの前向きな理由もあるが、「見込み違い」が圧倒的に多く、思っていた仕事内容や職場環境、人間関係ではないと、あっという間に辞めてしまうのだ。 社会での活躍の場を求め、必要な社会の整備や意識改革を強く求める女性たちと、片や男性でも、嫌なことがあるとすぐに辞めてしまうという現状。私は同性でありながら、彼女らの主張のすべてに共感するわけではないが、それでもその心意気は大したものだと思う。自己実現に対する強い意欲は、男性以上である。 周囲を見回してみれば、特に若い男性には、いわゆる“草食系”がいかに多いかと実感する。残業を嫌がることはもちろん、海外赴任も嫌、職場の飲み会や懇親会も行きたくないのだそうだ。「夫は外、妻は家」という性別役割分担意識も、「そうだと思う」という20代の独身男性は約4割。できれば妻も働いて、家計を支えてほしいと思う若者が、半数以上になっている。巷間言われるような景気回復を実感できない現状では致し方ないとも思うが、自分が将来、結婚して家庭を持ち、一家の「大黒柱」として家族を養っていくという意識や、そもそも「大黒柱」などという感覚すら前時代のものとなっているようだ。 聞けば、今の若い人たちは、デート代も割り勘が基本。女性に支払ってもらうことに、躊躇や恥じらいもないことも珍しくないという。もちろん、お互いの年齢なども関係するが、それでもすべてが同等ということには、私は違和感がある。 もう何年も前からだが、彼女のバッグを持ってあげている男性が多いことに驚いてしまった。荷物の多さや重さにかかわらず、「持ってあげる」という優しさはよいとしても、女性物のバッグ一つ、男性が肩から掛けているのは、恥ずかしくないのだろうか。持つ方も持つ方だが、持たせる女性にも大いに問題がある。 自分に合わせてくれる心地よさを感じたとしても、好みの違いはあれども結局のところ、女性は頼りがいのある男性を好むはずである。どんな社会状況、職場環境であっても、力強く生き抜く男性こそ、結婚相手となりうるのである。女性が高学歴化、高収入化し、晩婚化が進んでいる。当然、求める相手の条件も高くなる。50歳時の未婚率は、男性は女性の2倍の20・1%だという現実が、いかに男性が女性に頼りにされていないかを象徴しているように思えてならない。セクハラと言われるかもしれないが、男性の非婚化も深刻な社会問題だと私は思う。 男女雇用機会均等法の施行後に社会に出た私の世代も、まだまだ「男性優位社会」にどっぷりと浸って生きてきた。その中でも、自分の能力を生かし、努力して活躍している女性たちもたくさんいる。そこには、私たちの親の世代が、「男らしさ」「女らしさ」という教育を否定しなかったからこそ、自らの役割をしっかりと自覚し、お互いの能力を尊重し、それが結果として、社会のバランスを保つことにもなってきたように思う。 とにもかくにも、男性は、女性が努力して開拓しようとしている今の社会の中で、その勢いや意欲に負けないように、それを上回る力で努力しなければならないのである。「俺が家族を養う」とか、「俺がデート代は払う」という気概を、特に若い男性には持ってもらいたい。ほそかわ・たまお ‘68年東京都生まれ。聖心女子大学卒業。米ペパーダイン大学政治学部留学。20代よりフリーランスのジャーナリストとして政治、地方自治や教育を中心に取材、執筆、講演活動等を行う。2003~2011年 品川区教育委員。現在、国土交通省有識者会議等の委員、星槎大学非常勤講師を務める。「細川珠生のモーニングトーク」(ラジオ日本・毎土7:05~7:20)放送中。「政治家になるには」「自治体の挑戦」他、著書多数。父は政治評論家の故細川隆一郎。  

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    「感動をありがとう」にノーセンキュー

    加地伸行(立命館大フェロー) いつだったか、もう忘れてしまったが、日本代表として出場した女子マラソン選手が入賞後のインタビューでこう言っていた。「自分で自分を褒めたい」と。 なるほど。利己主義全盛の今日、まことにずばりとよく言うよ。あんたの旅費から合宿費、強化訓練に使われた費用などなど、大半は国費ではないか。もちろん国民のそれこそ血税ではないか。 とすれば、まずは祖国の日本に対して感謝のことばが最初にあるべきである。第一、日の丸ゼッケンを付けている。誰のお蔭で、そして誰のために走っているのか。 祖国のことより自分のこと、これが現況である。それがことばにしぜんと出てきている。 もっとひどいのは国立大学の教員や学生ども。彼らの中で、国営されている大学を通じて国家に感謝している者が何人いるのであろうか。ほとんどの者は、感謝どころか、逆に不満を洩らしている。 そういう中で感心したのは、山中伸弥・京大教授。同氏はノーベル賞受賞時のインタビューにおいて、国家の名を背負っていることと感謝とをきちんと述べていた。人物である。 一応の人であるならば、自分の立場とは、社会的にどういうものであるかということを考えた上での発言でなくてはならないのに、それができていない人が多い。今やテレビ名物の一つとなってきている謝罪会見でそれがよく分る。 例えば、こう言う。自分側の失態であるのに、「皆さまに御心配をおかけしまして……」と。 何を言う。だれもあんたのことやあんたの組織について心配などしていない。そうではなくて、怒っているのだぞ。相手の自分に対する怒りや侮蔑や非難などを実感せず、つまりは心からの反省がないから、失態を同情へ引きこもうとする。それは、真の謝罪などないことを自ら示している。厚かましいのである。この厚顔無恥が利己主義者の態度であることは言うまでもない。 さて、今やことばの世界の主流は、テレビとインターネットとになってきた。残念ながら、新聞や雑誌はその後塵を拝している。まして書籍はますます趣味的となってきている。 しかし老生は、インターネットとはまったく無縁なので、その世界の話は分らないし、もちろん知らない。辛うじてテレビは折節見る程度の、時代遅れの人間である。それだけに、逆に気になることによく出会す。 例えば、共同作業のときの合言葉。物体を数人で持ち上げるとしよう、老生が幼少時から身に付いているのは、「1、2の3」の掛け声の内、「3」でぐっといっしょに持ち上げる方式。それが本流であった。 ところが近ごろは違う。テレビでそういう場面を見ていたとき、こうだった。「1、2の3、よいしょ」であり、「よいしょ」のときにぐっといっしょに持ち上げたのである。それを見ていて老生はこけた。いや、心が折れた。共同作業のしかたが根本的に変ってしまっているのだ。しかし、「1、2の3、よいしょ」はないでしょう、「1、2の3」ですよ。 どうしてそのように変化したのか、その理由らしきものとしては、どうも西洋流のカウントダウン方式のような気がする。 「5、4、3、2、1、発射」である。この「発射」が「よいしょ」に当るのではあるまいか。 となると、美輪明宏の持ち歌、「ヨイトマケの唄」も「トオちゃんのためなら、エーンヤコラ」の「コラ」で落す打杵は、後世、「エーンヤコラ、(よいしょ)」と一呼吸置いての落下になるのかもしれない。歌は世につれ、人につれではあるわ。 事実、テレビにおいては、或る映像を映し出す前にカウントダウンを取り入れており、順に「(3)、(2)、(1)」と数字を示して、その次に映像の登場。もうこれはふつうになっている。「(3)、(2)、(1)」の(1)のところで映像が示されることはない。 そういう変化の中で、新聞紙上、最近すごく気になることばがある。それは「も」という助詞の使いかたである。 「も」のふつうの用法は、並べるときである。「リンゴもバナナも食べた」というふうに。もちろん、古文にまで溯るならば、強めることや感動を表わすこともあるが、それは現代文ではほとんど現われない。 ところが、新聞の見出しにおいて、異様と言ってもよいような使いかたが近ごろなされている。例えば、次のような見出し。 (1)橋下再選も議会運営困難 (2)円安も輸出拡大遅れ (3)直訴も幹部不問 (1)は、「橋下再選があったとしても」、(2)は「円安になっても」、(3)は「直訴をしたとしても」といった意味である。すなわち、「も」を「……だけれども」と逆接の意味に使っているのである。 逆接の助詞となると、形の上で「も」字があるものを拾ってみると、「行かなくとも」の「とも」、「行けども」の「ども」がある。 すると、この「……するとも」・「……すれども」の「とも・ども」の「と・ど」を抜いて「も」に逆接の感じを被せたのであろうか。 これには、老生、非常に抵抗を覚える。「するとも」或いは「すれども」の意を勝手に「も」一字に託すのは、国語の破壊ではないのか。 そういう勝手な「も」用法が産経新聞の見出しにも増えている。これは改めるべきである。 推測であるが、見出しという短いスペースであるため、そこにぎゅっと意味を圧縮して示したいのであろうが、それは邪道である。 不自然なことばづかいはしないことである。「感動をありがとう」だの、「元気をもらいました」だのなどというような、気障で歯が浮くような不愉快なことばづかいがテレビで多く飛び交っている。なんだか今や〈節度〉という心得がなくなってきているような感じである。 しかし、現代ではもはやテレビの存在を否定することはできない。それはそれとして避けられない現実である。 とすれば、結局は国語教育を充実させるほかないという基本に帰ってくる。 ただし、「国語」の意味が分っていない人が多いので、あえてその定義を記しておこう。「国語」とは、「国」家の歴史・文化・伝統を背景として展開してきた言「語」であり、その中間を省略して「国語」と言う。だから必然的に古典が入るのだ。 「日本語」というのは、日常会話レベルのもので外国人用。外国人は日本語は分っても我が日本国語は分らない。 同じく、日本人は英語や米語はできるようになれるが、英国語や米国語は一生かかってもできない。英・米それぞれの歴史・文化・伝統が身についていないからである。 われわれ日本人にとって大切なのは国語である。英米語はいくら学習しても底が知れている。国語学習の徹底が今こそ求められているのだ。かじ・のぶゆき 昭和35年、京都大学文学部卒業。名古屋大学・大阪大学・同志社大学教授を歴任。現在、大阪大学名誉教授、立命館大学フェロー。文学博士。中国哲学専攻。著書に、加地伸行著作集全三巻(『孝研究』『中国論理学史研究』『日本思想史研究』・研文出版)、『儒教とは何か』(中公新書)、『沈黙の宗教―儒教』(ちくま学芸文庫)、『論語全訳注』『漢文法基礎』(講談社学術文庫)など。