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    象の「はな子」はホントに不幸なのか

    日本最高齢のアジアゾウとして知られる「はな子」の飼育をめぐり、海外から「救出」を求める声が広がっている。「牢獄」に閉じ込められた悲劇の象として紹介されて同情を買う一方、69歳という高齢のはな子を懸命に世話する動物園側の本音も聞こえてくる。檻の中で暮らすはな子は本当に不幸せなのか。

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    「必要悪」の動物園で生き続けたはな子が幸せをつかむとき

    佐藤栄記(動物ジャーナリスト) 私は象のはな子さんのいる井の頭自然文化園の年間パスポートを持っていて、しょっちゅう足を運んでいます。はな子さんの飼育場の前には、ベンチがあり、私はたいてい空いているそのベンチに座り、少しでも長い時間、はな子さんを見るようにしています。 ここは、瞑想にふけるのには最高の場所だからです。なにせ陸上哺乳類で最大の動物であるゾウ、しかもその国内最高齢記録保持者が目の前で同じ瞬間を生きているのですから。 ひとつの命をじっと見つめる事は、その生き物の生態を理解する上でとても重要です。そしてよく見るという事が、よく考えるという一番大切な事へつながっていく気がします。 長い時間、じっとその場にたたずみ見続ける事で、単なる生態観察ではなく、その命に対し、いろいろな事を考えるようになっていきます。 『この象を、こんなにも狭い場所に閉じ込め続ける権利が人間にあるのだろうか』 そんな事を考えます。 動物園とは人間からすれば、本来はまず見る事のできない野生の生き物を観賞し、楽しむ事ができる場所ですが、檻の中で一生を過ごし死んでいく動物の立場で考えると、物凄く悲しく残酷な場所に思えます。 もう10年ぐらい前でしょうか、テレビで旭山動物園の園長である坂東元さん(当時は副園長)がこの事について、『必要悪』という表現をされていました。動物園は、人々を喜ばせるだけでなく、希少動物の繁殖や研究等も手掛けています。だから必要とした上で、本来は大地を駆け回る生き物を狭い檻に閉じ込めているのだから悪であるという事を正直におっしゃっていました。夏期営業が始まった旭山動物園でキリンを見る来園者=4月29日、北海道旭川市 私もこの考え方に非常に近いものを持っています。しかし、悪だとわかっていて悪であり続けるのはいけない事だと思うのです。必要悪を必要善に変える事は絶対に不可能なのか 必要悪を、必要善に変える事は絶対に不可能なのでしょうか? 旭山動物園が2000年頃を境に急激に人気が出て、マスコミに騒がれ出したのは、「行動展示」という方法を用いて、悪を善に変える一歩を踏み出した事が要因です。 行動展示とは、鳥を大きなケージで飼育し飛べるようにしたり、草原にすむ動物が土の上を走ったりできるようにする等といった動物達が本来行っている当たり前の行動をできるようにして見せる事です。 昭和の動物園は、動物の身体的特徴をただ見せるだけの形態展示というものでしたが、今は、この行動展示をはじめ、エンリッチメント(Enrichment)に重点を置く時代です。エンリッチメントとは、思い切り噛み砕いて言いますと、動物を幸せに飼育する為の工夫です。飼育場はできる限り広くし、その環境も本来生息する場所に近づけます。ただ生かすのではなく、命を尊重し、選択の自由や良い刺激を与えるようにするのです。このようなエンリッチメントは、必要悪を必要善に近づけると私は思います。 先進国の多くが何年も前からエンリッチメントを実行しています。スイスのチューリッヒ動物園では、はな子さんと同じアジアゾウを東京ドーム約2個分の広さで飼育しています。多頭飼いで仲間もいて繁殖もしています。タイの森林を模した自然に近い環境を歩き、巨大なプールで泳ぎ、自分で餌を探すという達成感を得ながら生きています。ゆっくり歩いても10秒ほどで端から端まで行けてしまうはな子さんの飼育場とは比較になりません。 はな子さんは、確かに多くの人間に愛され続けました。しかし、その人間のエゴの犠牲者として、不幸な生涯を送ったと私は思います。高齢の為、今さら移動させるのは逆に良くないでしょう。 だから、はな子さんの生涯は不幸のまま幕を閉じるでしょう。もちろん、はな子さんが幸せだったのか不幸だったのかは、はな子さんに聞いてみなければわかりません。 でも、はな子さんは、このような論議に一石を投じました。もし、この論議が人々の心を動かし、動物園に限らず、一般家庭も含めた動物を飼育する現場が、よりエンリッチメントな方向へと改善されるなら、はな子さんは例え不幸のまま死んでも、天国で『私は幸せです』と思うかもしれません。

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    動物園の象が「幸せ」かどうか、本当にわかるのか?

    落合知美(「市民ZOOネットワーク」理事) 動物園のゾウに「そこでの暮らしは幸せですか?」と質問してみる。「パオーン」と返事をしたからといって、「幸せなんだな」と思ってはいけない。それどころか、一刻も早くその場を離れた方が良い。声を発するやいなや、耳をバサバサと広げ、鼻を振り回し、突撃してくるかもしれない。その声は、威嚇時に発することの多い声だ。ゾウの鼻の一振りで、人は軽く飛ばされる。ヒトとゾウでは、体の大きさや力が違うのはもちろん、見えている世界、聞こえている世界、感じている世界が違う。幸せかどうかは(音声で)聞けないし、人間の基準で考えると失敗する。 動物が幸せか、どうやって知ればいいのだろうか。私が大学院生の時使った“幸せ”の評価方法は、動物の行動観察をおこない、その「行動レパートリー」と「時間配分」を、野生のものと比較するというものである。飼育されている動物の行動は、野生で観察される行動とかなり異なる。野生ではおこなわない行動をするし、反対に、野生でする行動をしなかったりする。そこで、飼育での行動を調査し、野生の行動と比較する。そして、行動の「質」および「量」をより野生に近づけることで、“幸せ”な環境づくりを目指す。 動物の“幸せ”を測定する方法は、他にもある。例えば、病気や怪我の頻度も指標になる。病気や怪我は痛みをともなう。ストレスが高まると、無駄な喧嘩が増え、免疫力が下がり、病気の治りも悪くなる。動物にとって、病気や怪我は少ない方が良い。つまり、病気や怪我の頻度が少ない方が、より“幸せ”だと言える。しかし、楽しく遊びすぎて怪我をすることもあれば、無気力で動かないために怪我をしないこともあるから、注意が必要だ。その他にも、ストレスホルモンを測定する方法、身体の発達程度を比較する方法、そして繁殖成功率なども、“幸せ”の指標となるだろう。結局、言葉ではわからない動物の“幸せ”をはかるためには、何らかの尺度を設定し、それを数値化することで客観的に評価する必要がある。「動物福祉」の分野では、こうした様々な手法により、“幸せ”が評価されている。 野生の状態がより“幸せ”とする評価方法では、「そもそも野生の生活は幸せなのか?」という質問を受けることがある。野生では、昼も夜も、どこからか襲い掛かってくる敵や、不確かな水や食べ物の確保に脅えなければならない。アジアゾウなら、トラやヘビに襲われることもあれば、水を求めて果てしない距離を移動することもあるだろう。一方、動物園なら敵に襲われることもなければ、食べ物の心配をすることもない。毎日をのんびりと満喫することができるのである。その暮らしがなぜ“幸せ”ではなく、わざわざ過酷な野生の状態に近づけるのか、と考えるのは当然である。また、動物園で飼うことが問題なら、飼育しなければよい、とも考えられる。これらの問いに答えるには、「動物福祉」について説明しておかなければならない。「動物福祉」の立場から考える動物園のゾウ 動物福祉とは、「人間のためになるという目標を満たすように動物が使われるのはやむを得ないが、その動物が被る痛みや苦しみは最小限に抑えなければならない」という考え方である。つまり、人間がある目的のために動物を利用することを認めている。認めた上で、動物の“幸せ”にも配慮する。一方、「動物の権利(アニマルライツ)」という考え方もある。動物は、人間から不当な扱いを受けることなく生きる権利がある、という考え方だ。どちらも動物への配慮を求めるが、人間のために動物を利用することを認めるか、認めないかという点で大きく異なる。動物の権利の考えでは、動物園は不必要なものだが、動物福祉の考えではその存在は問題ない。「来園者を楽しませるなどの目的があるなら、存在は問題ないが、動物ができるだけ幸せに生きられるよう配慮しよう」と考える。 そしてこの「福祉」は、究極の「幸せ」や「豊かさ」を追求するものではない。人間社会でも、福祉が対象とするのは、児童や高齢者など、何らかの配慮や支援が必要な人である。「動物福祉」においても同様で、対象となるのは問題を持つ動物たちである。そうした彼らに、配慮や支援を提供する。動物の苦痛は、少しでも減らす。人間同様、苦痛は身体的なものだけでなく、心理的、社会的なものに対しても考慮する必要がある。心身そして社会ともに、健康に暮らせる環境を整える必要がある。 動物福祉の立場から、動物園のゾウについて考えてみる。来園者からゾウが見たいという希望があるのなら、動物園でゾウを展示することに問題はない。では、何に配慮する必要があるのだろう。問題は、動物園のゾウを少し長い時間観察してみると明らかになる。体を揺らし、ステップを踏んでいる時間が長いのである。個体によって多少の違いはあるが、多くの場合、部屋に入る扉、もしくは来園者と堀を隔てて向き合い、体を同じリズムで動かしている。頭を右、左と振っている場合もあれば、右足を左に、左足を右にとあげる場合もある。まるでダンスを踊っているようかのようだ。しかし、これは飼育ゾウで頻繁に観察される「常同行動」と呼ばれる「異常行動」である。「常同行動」では、目的もなく同じ行動を何度も続ける。ゾウの場合は、こうした体を揺らす行動のほか、同じところをグルグル回る(足を置く位置がまったく同じであることもある)、前進後進を繰り返すなどの常同行動が現れる。 こうした行動は、本来、長距離を移動するゾウが、狭くて刺激の少ない環境下におかれたために発現すると言われている。餌の時間が終わり何もすることがない時、閉園前の部屋に移動する前など、行動の欲求が満たされていない時に多く観察されることもわかっている。つまり、飼育環境は捕食者もおらず、時間になれば餌も出てくるという“恵まれた”環境ながら、飼育されている動物は、あまりにも退屈で、異常を示す行動をおこなっているのである。動物園が施す「いきいきと暮らせる工夫」 動物園では、こうしたゾウの問題を解決するため、環境に刺激や変化を持たせて、動物がいきいきと暮らせる工夫をしている。この取り組みを「環境エンリッチメント」という。飼育環境は、どうしても、狭く、単純で、変化が少ないものになりがちだ。その環境に工夫を加えて、“豊かで充実したもの(リッチ)”にする。環境エンリッチメントには様々な種類があるが、大きく「採食」「社会」「認知」「感覚」「空間」の5つの種類にわけることができる。以下、動物園のゾウを例に、それぞれの環境エンリッチメントについて紹介する。 採食エンリッチメントでは、餌の種類や回数を増やしたりする。野生のゾウは、特徴的なその大きな体を維持するために、起きている時間の6~8割を食べる時間に費やす。食べるという行動には、餌を探し、移動し、鼻などで操作し、口に入れ、噛み、飲み込むという行動が含まれる。飼育では、カロリーの高い餌が食べやすい状態で提供されることが多く、ゾウはそれらをすぐに食べ終え、後の時間が退屈になる。そこで、餌をばらまいたり、隠したり、種類を変えたりする。ゾウは餌を探し、歩き、鼻で操作したりして、食べることに時間をかけ、やりがいのある時間を過ごせる。 社会エンリッチメントでは、群れで飼育したり、他の動物と関わったりする機会を提供する。ゾウは、最年長のリーダーメスを中心とする母系集団で暮らす動物種である。テレビなどで、赤ちゃんゾウを群れの中心にいれて守る姿、泥にはまったゾウを仲間が助ける姿を見たことはないだろうか?ゾウの大きな体は1個体で生きるには不自由であり、群れでお互いに支えあって暮らす。子供は生まれた集団で守られながら育ち、成長するとオスは群れを出るが、メスはそのまま残り、母親や叔母、いとこたちと生涯ともに暮らす。そのため飼育でも、メスは3個体以上で暮らせるよう推奨している。群れ飼育ができない場合は、他の動物種との同居や、飼育担当者との社会的時間の確保など、その社会性を満たす手段も有効である。近年は、健康管理に自主的トレーニングを取り入れ、社会的な時間を確保する動物園もある。 知能の高いゾウには、おもちゃを与える認知エンリッチメントも喜ばれる。葉の付いた枝や竹は、鼻や前脚で器用に加工する。それを使って、鼻の届かないかゆい部分をかくこともある。丈夫なトラックのタイヤは、力比べのできる玩具であり、持ち上げたり、下腹部をこすり付けたり、時にはお腹に入れて脚を休ませたりする。大きな丸太も良いだろう。これらは飽きない程度に入れ替え、投げたり壊したりした時に問題にならないよう、鎖で結びつけるなどして安全を確保する必要がある。「個体」に合わせることが一番の配慮 長い鼻、大きな耳を使った感覚エンリッチメントも有効だろう。鼻を高く持ち上げて匂いを確認したり、耳を広げてわずかな音を拾ったりする。そのためには、登れる小山、視界の広がる場所なども確保したい。ある動物園では、小さな餌を土に埋めた。ゾウは、鼻で地面をチェックし、匂いを頼りに見つけ、掘り出す。見えない場所にある餌でも、鼻先で匂いを確認し、鼻先でつまむことができる。時には届かない餌を、鼻から息を吹きつけて飛ばし、手に入れることもある。群れで暮らすゾウたちは、人間の聞こえない超低周波で会話していることもわかっている。仲間の存在は、感覚エンリッチメントでも重要である。 空間エンリッチメントでは、飼育空間に工夫を加える。野生ゾウの遊動域は、10~800平方キロメートルもあるので、できるだけ広い空間を確保したい。そして、その環境の内容についても配慮する。ゾウの皮膚の維持には、水浴びや砂浴び、泥浴びが重要である。大人のゾウが背中まで入れるプール、存分に砂浴びができる砂場、転がれるだけの泥場、そして日光浴できるひなたや涼める日陰も確保したい。ゾウの足の裏は、その体重を支えるために柔らかいクッションのようになっているが、まっすぐで堅いコンクリートの上で暮らしていると、脚の皮膚は角質化し、ひび割れたり化膿したりする。起伏のある柔らかい地面、体をもたれさせる場所もあると良い。 さて、さまざまな環境エンリッチメントの方法を書いた。動物たちは、長い年月をかけてそれぞれの生息地に適応してきた。動物の体の特徴や生態、社会は、その適応の結果生まれたものである。そこで、環境エンリッチメントをおこなう際には、動物が適応してきた本来の生息地の環境要素について考えることが重要である。しかし、飼育施設ごとに事情は異なるので、それぞれの施設でできるものを取り入れるという姿勢でじゅうぶんである。そして一番配慮が必要なのは、その「個体」に合わせることである。その個体の、年齢、性別、体格、性格、習性などを考え、それに合ったものにする。多くの個体で成功した環境エンリッチメントでも、ある個体ではまったく効果がなかったり、反対に大きなストレスになったりすることもある。環境エンリッチメントは、やれば良いものではない。その現場で、その個体の飼育管理を考え、取り入れていくものである。 環境エンリッチメントで、できるだけ失敗がないよう、またやりっぱなしにならないように提唱されているのが「SPIDERモデル」である。SPIDERとは、「目標設定(S)」「計画(P)」「実行(I)」「記録(D)」「評価(A)」「見直し(R)」の頭文字をとったもので、目標を決め、計画を立て、実施後には記録を取り、その評価をおこない、訂正をくわえていくという方法である。各施設、各個体でこのような取り組みができるのが理想的だが、公立運営が多く各役所の雇用体制の中で運営されることの多い日本の動物園では、なかなか実現は難しい。責任が重いのに職務を全うできない飼育員 ここからは個人的な感想だが、日本の飼育技術の水準は特に悪くはない。動物に対する配慮も「環境エンリッチメント」という言葉ができる前からおこなわれていたし、素晴らしい技術を持った“動物園人”もいる。日本人がほとんど参加していなかった第5回国際環境エンリッチメント会議(2001年)では、日本の動物園で見た餌のエンリッチメントが素晴らしいと話題になっていた。しかし、海外の有名な動物園は、1980年以降に急激に変化した「環境破壊」「動物種の絶滅」などといった時代の変化に合わせて組織的に変化してきている。この流れに日本の動物園は、乗り遅れてしまっているように感じる。 動物園について書かれた洋書を読むと、「以前は、動物たちはコンクリートと鉄檻だけの環境で飼育されていた。現在は、より自然な環境で動物を飼育するようになったためこのような施設を目にすることはなくなった」という記載があったりする。日本では、大手の動物園でもまだこうした施設が残っている。こうした違いが、欧米と日本の動物園に対する意識の差を生み出しているようにも思える。 動物の飼育を担当するということは、とても責任の重い大変な仕事である。日本に数個体しかいない命を預からなければならない。うまく飼育していても褒めてもらえないが、上司や来園者などからはさまざまな意見が来る。そして日本の動物園では、良かれと思っていたことに対し「仕事が増えるからやめてくれ」と言われることもあれば、「4月に突然担当を外される」なんてことも珍しくない。担当者の責任は重いのに、職務を全うできないことがあるのだ。それでも日本の動物園の現場では、常に必死の努力が続けられている。組織的に担当者を応援し、援護する仕組みが必要だろう。また、市民もそれに協力していきたい。動物園の動物に対する責任は、社会で負うべきである。社会で支えあい、協力し合って動物を飼育する必要があるだろう。

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    ニッポンの動物園から象を解放せよ! はな子が「うつ」になる悲劇 

    岡田千尋(NPO法人アニマルライツセンター代表理事) 象は、1日のほとんどの時間(16時間~20時間)を探索や採食をして過ごす動物で、特に夕方や明け方に活発に活動します。残りの時間は、仲間とコミュニケーションや、水浴び、睡眠に使います。つまり、ほとんどの時間、活動し続ける動物です。そして自分で食べ物を探して採って食べたい、水浴びをしたい、砂浴びをしたい、仲間とコミュニケーションを取りたいという思いは、象の本能です。 はな子を含め、日本の動物園に閉じ込められているほとんどの象には、これらの本能を叶える方法がありません。 やる事がないという退屈は、象を精神的に追い詰めます。攻撃的になったり、うつ状態になったり、異常行動を起こしたりします。何もすることがないというのは虐待の一種なのです。 さらに、人々の好奇の目に晒され、人が周囲で騒ぎたて、子供が泣きわめくという環境にいつづけなくてはならないことはストレスです。今、はな子は屋内であってもそのような環境に置かれ、人との距離も近く、逃げ場がありません。はな子は、そんな環境で60年以上を過ごしてきた象です。あなたがはな子の立場だったら、耐えられるでしょうか。 人間のいっときの娯楽を与えるという役割を押し付けられたはな子は、かつては吉祥寺や井の頭公園周辺への人出、そして経済効果に寄与してきたことでしょう。はな子の恩恵に預かったであろう吉祥寺周辺や東京都の人々は、彼女が少しでもましな環境で最後の時を迎えられるよう、考え、実行する義務を負っているはずです。 彼女のために、何が出来るのでしょうか。 まずは、動物行動学に基づいた対応策をサンクチュアリーを持つ海外の専門家の意見を聞きながら考え、具体的に彼女の環境を改善することです。見せ物にすることを前提とした人が喜ぶ対策が優先されるべきではありません。また、「愛情深く見守る」ことでは、彼女は何一つ救われません。応援する声をかけることも、なんの救いにもなりません。 出来る事はたくさんあります。  サンクチュアリに移送できるのならそれが最適でしょう。海外の専門家に見てもらい、健康上難しいと判断されるのであれば、環境と行動エンリッチメントをトライし続けるべきです。コンクリート製の地面は土と砂に変える必要がある まず、コンクリート製の地面は土と砂に変える必要があります。人のための面積を減らし、その土地を動物のために使う必要があります。幸いとなりに比較的広い芝生広場が位置していますし、人間用の通路も広く取られています。広げた面積を利用して隠れ場所を用意し、草木に触れ合えるようにし、簡易的な滝と池を作り、水浴する場所を用意します。砂浴びや砂遊びができる場所を提供します。象のための遊具を次々と導入し交換します。難しくはありません、タイヤや大きなブラシ、プラスチック製の樽、ボール、丸太、枯葉、その他、毒性がなくガラスなど鋭利なものではなければ、様々なものが利用できます。海外には象用のおもちゃが売られていますので、それを利用することもできます。 給餌方法や餌自体も様々な方法、種類を試します。給餌の回数や量に変動をつけ、食感の違うものや味覚が異なるもので変化をつけます。また、象は嗅覚の優れた動物ですので、ハーブやアロマやスパイスなどを使い刺激を与えます。様々な方法がすでに確立されています。あとは、それを東京都が、実行する判断ができるかどうかだけです。 当然ながら費用がかかります。環境を整えるための費用と、行動エンリッチメントを継続し新たに導入し続けるための数名の人件費と材料費、スタッフをトレーニングするための費用です。 全ては人の身勝手さから生まれた犠牲です。野生のような幸せを叶えることはもはやできませんが、彼女の生活の質が最大限向上するよう、最善を尽くしていただきたいと思います。 そして最も重要なことは、人が象を飼育することは不可能であることを認識し、今後一切飼育しないと決定することです。象を適正に飼育しようとすれば、広大な土地と多額の費用とトレーニングを受けた専門スタッフが常に数名、数十年間必要になります。安い入場料や、税金で賄うことができるものではないのです。 エンリッチメントを行うと、動物は以前より活き活きとし、その姿は人々を喜ばせることでしょう、けれどもそれに乗じて再びお金儲けを考えてはなりません。象の幸せを、人が叶えることはできないのですから。 孤独で何もする事がなく、ただ息をしているような動物は日本にたくさんいます。その苦しみに無関心になり、動物の姿を眺め、楽しむことはできるでしょう。けれども、間違いなく動物たちはそこに閉じ込められているべきではありません。象は家族や仲間とともに生きる術を学びながら、自然の中で彼らの素晴らしい能力を発揮し、人の管理下に置かれずに自由に生きるべきです。 動物たちの苦しみに少しでも目を向けてくださるなら、これ以上、人の管理下に置く動物を増やさないこと、そして今動物を飼育している人たちは、動物たちには本来の習性を発揮できる適切な環境を叶えなくてはなくてはなりません。

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    何よりも重いはな子の「1票」 イヤなら象は檻に入らない!

    パンク町田 アジアゾウのはな子ですか…。僕も子供のころから(はな子に)癒されてきました。練馬生まれの中野育ちですから中央線一本です。僕は三十歳過ぎまで井の頭自然文化園(通称・井之頭動物園)へ頻度に足を運んでいましたが、ハナ子は立ち尽くすことなく、陽気で愛情に満ちた眼差しを来園者に披露していましたね。なのに…。もう老体なのでしょうね。僕とてもせつないです。 だから僕、今の“はな子”を労わる方法を真面目に考えました。まず輸送・移動は絶対ダメ。トンデモナイ話ですね。老体の動物の飼育環境が変わるというのは、我々がどんなに良いことをしてあげたつもりであっても、逆効果になりやすいと言うことを僕は声を大にしてここでお伝えします。来園者に愛きょうを振りまくゾウの「はな子」=東京都武蔵野市の井の頭自然文化園 例えば人間の場合、御老人が少々怪我をしただけですが、大事をとり入院したとします。すると、以前より元気がなくなり、寝込みがちになる。或いはボケが加速化したなど聞いたことありませんか? それはですね、各種・各個体ごとに能力の誤差はあるものの、人を含む動物に複数のことを同時に学習させようとすると、すでに習得していた関連する記憶や技術がぎこちなくなったり、場合によってはいわゆるド忘れと言われるような停止状態を起こしてしまうんですね。そして動物の輸送・移動(引っ越し)と言うのがこれに当たるのです。 一見して引っ越しと言うのは、住処が変わるという一つの変化のように考えてしまいがちですが、動物の立場から考えると、飼育員も新しくなり、餌の器も変わり、もちろん獣舎だって変わりますから、決して一つの変化ではないんです。複数の変化であり、即ち、複数のことを同時に学習させようとしていることになるわけですね。 神経質な種類や固体であれば、飼育員の服装や帽子が変わっただけでも混乱を招く場合があるぐらいですから、老個体であるはな子に、このような数多くの新しい条件を同時に介入すると言うことは、一般に考えられている以上に時間を要し、脳の機能的にも負担が大きく、非常に大きなストレスをかけることになります。 このような理由から、引っ越しは老化を促進させ、死期を早める恐れが強まるんですね。それに、話によると、ハナ子は既に歯が一本しかないと言うではありませんか! しかも69歳!! これ、どういう事か解りますか? 人の最高年齢122歳とゾウの最高年齢86歳から割り出し、人間の寿命に換算すると約80歳です。 それにゾウは、乳歯が3回と、永久歯が3回の合わせ66回歯が生え変わりますが、はな子は既に6回めの最後の歯が1本残るのみ。陸生哺乳類の寿命は、歯の寿命と比例させる見かたがあります。即ち、はな子にはもう時間がないんですね。子ゾウのころから住み続けた土地から、残り短い余生を別天地で暮らしたいなんて思うでしょうか? ましてや国外? 今まで井の頭自然文化園で飼育され続けたゾウを、人間の勝手なイメージで輸送・移動するなんて、僕は無知による虐待だと思いますね。はな子の1票を重く受け取る井の頭自然文化園のアジアゾウ「はな子」=2011年1月29日(三鷹市提供)はな子の1票を重く受け取る なぜ日本人は海外の意見に弱いのでしょうか? よく考えてください。確かにタイには野生のゾウも、ゾウ使いも沢山いますが、タイのネットユーザーは専門家ではありませんから、ただ少ない情報から自分の中にあるイメージで回答しているにすぎない状態です。簡単に言えば、日本にはニホンザルが沢山いて、サル使いも沢山いますが、貴方がニホンザルに対する専門的なコメントを求められたとき、どの程度信憑性の持てる返事をかえせるでしょうか…? 僕は30万~45万の署名より、はな子の1票を重く受け取るべきだと思う。ゾウは犬と同じように、いつも生活している人との別れを嫌い悲しみます。僕はこれをはな子の1票として受け止めます。 それに、現在のはな子の飼育環境が虐待に近いものなら、とっくの昔に死んでいるでしょうね。 実際のところ、はな子は切り刻んだ野菜や果物、スポーツドリンクなどの特別な餌を、歯が一本になって以来、30年間以上手間暇かけ与え続けているからこそ今があるのです。忘れないでください。はな子は日本最高齢のゾウですぞ! 確かに、近代の新しい設備で飼育されている他の動物園のゾウたちと比べると、明らかに解放感にかけ、コンクリート丸出しの獣舎は、いかにも人工物の象徴であり、見る人の感情を痛めつけるでしょう。しかし、実際には多くの野生種において、「この人工的な環境が大好きだ!!」という個体がたくさん飼育下(飼育されている動物)では現れます。 ひょっとしたら、既に皆さんも経験しているかもしれませんね。例えば「飼われているインコや文鳥が、部屋の中で遊ばしていると自ら籠の中へ戻り寝る或いはくつろいでいる。また犬の繋留鎖が切れているのに犬小屋の中で寝ていた。晴れの日に子供が自分の部屋から出てこない」なんて言うのも、多くの場合が「この人工的な環境が大好きだ!!」という飼育下の野生動物の行動と、同じ作用の働きかけにより起きた現象です。 要するに、人がイメージするほど人工物を動物たちは嫌っていないと言いたかったのです。それどころか、人が木や岩などを飼育スペースにレイアウトしてやったにもかかわらず、繁殖率が下がったり、予期せぬ怪我や事故を多発させることもあるのです。 つまり飼われている動物からすると、木や岩をレイアウトしても、結局は人の目を楽しませることを前提とした人工物にすぎないのです。もし100%動物のためのレイアウトを本気でしたなら、3~5回は足を運ばなければヒョウを見ることができないとか、10回近く見に来たけど一度も見たことのないアルマジロ…。なんてことになってしまうでしょう。 幸いゾウは人を大好きになってくれる動物なので、ものすごく手の込んだ森を飼育スペースに作ったとしても、人のいる方に頻繁にきて、愛嬌を振りまいてくれることでしょうが…。しかし、レイアウトを考えたスタッフからすると森に入らないゾウは、場合によりつまらない結果なのかもしれませんね。嫌ならゾウは檻に入らない嫌ならゾウは檻に入らない そしてこれが重要なのですが、たいていの動物園では、どんなに素晴らしい生態展示をしている場合であっても、夜間はコンクリートと鉄でできた無機質な狭い檻に入れます。しかしこれは悪いことではありませんね。良いことです。そうしなければいけませんね。狭い檻に入れるからケガや体調のチェックができるのです。フンの状態もすぐに確認できますね。特別に調合した餌や薬も与えやすいですね。それに保温も確実にできます。 私は以前に狭くて見通しの悪い(故意に見通しを悪くしている)ケースの中でワニを飼っていました。それを一般の方が見学されたとき「なんと残酷な飼い方をしているのだ!恥を知れ!!!」と物凄いお叱りを受けましてね。しかし個別にされた動物は、食べた餌の量が確実にわかります。それに見通しが良いケースは人に都合がいいだけで、そもそもワニは人を見たくないのです。水の中にいる動物に薬をやる場合、餌に混ぜて与えることもありますが、水量に対して投薬することもあるので、個別に小さいケースで管理する方が状態良く保てます…。つまり野生の状態に近づけたように見える飼育設備の中で飼うことが、すべての動物にとって幸せに近付くわけではないということです。 そして何より大事なのは今回の主役、ゾウさんたち。狭いコンクリートの檻の中、好きですね。だから毎日自ら入ってきます。ただ餌が置いてあるから入るわけではありませんよ。ゾウは途轍もなく頭がいいので、嫌なら入りません。断固として抵抗します。 僕を含め、動物を擬人化したりイメージで接してはいけませんね。今回のはな子だけではないはずです。もっと多くの動物たちが人間の勝手なイメージにより、混乱するような扱いを受けているはずです。我々はたとえ少しずつでもそれに気づき、改善してゆかなくてはなりません。そのためにも我々人間の経験と研究が、動物園という知られざる秘境の門を開き、未来のため地球の生態系の保護・促進を導くことに関与し、生物多様性の一員として参加しようではありませんか!

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    父の生き方は象のはな子がみんな教えてくれた

    山川宏治(多摩動物公園主任飼育員)※肩書など掲載時のまま 東京・井の頭自然文化園の「はな子」が今秋、還暦を迎える。戦後間もなく、タイから来日した当時は2歳半だった。現在、国内で一番長く飼育されているアジアゾウとなった。 敗戦にうちひしがれた日本で「彼女」は、たちまち子供のアイドルになった。だが昭和31年、夜中に動物園に忍び込んだ酔っ払いを事故死させ、「殺人ゾウ」の烙印(らくいん)を押されてしまった。重い鎖につながれ、来園客から石を投げられたこともある。すっかりやせ細り、心も病み、人間不信になった。そんな彼女の世話を引き受けたのがベテラン飼育員、父の清蔵さんだった。ゾウの「はな子」を父と親子二代で飼育してきた多摩動物公園主任飼育員の山川宏治さん=2006年12月2日午前、東京都日野市の多摩動物公園 (矢島康弘撮影) 「いったん閉ざした心を無理にはこじ開けられない」 父は愛情というカギで、はな子の閉ざされた心を開けようと試みた。赴任後4日目に足の鎖を外し、暇さえあれば飼育舎でスキンシップを図った。それでもはな子が父の手をなめるまでに6年かかった。元気だったころの体重に戻るには、8年かかった。 □     □ 中学2年生のとき、父親の帰りを1人飼育舎近くで待ったことがある。初めてはな子を見た。「ブハーッ」と鼻を鳴らし、今にも突進してきそうな姿に圧倒された。「怖い」。それが第一印象だった。 高校を卒業後、警察官になったが肌に合わず、すぐにやめた。そして父親の後を追うように動物相手の仕事についた。 多摩動物公園(東京都日野市)でゾウやヒグマの相手を約25年、務めた。平成8年秋、井の頭自然文化園の勤務に異動となった。1年後、はな子の担当を任された。教科書がないところで答えを探す 父は前年、他界していた。 「父ちゃん、おれもはな子の話し相手になったよ。どうか見守ってください」と墓前で手を合わせた。「お前にできるかな」。父がそうささやいたような気がした。 「おやじが30年間も世話したゾウなら、話もよく聞いてくれるだろう」。とんだ思い違いだった。甘かった。世襲が通じる世界ではなかった。 年を取ったはな子は歯が左下に1本しか残っていない。物をかむことができず、餌やりは飼育員泣かせだった。バナナやリンゴを千切りにして食事を与えたが、「当初はうまくいかず、歯がゆかった。でもやめられない。神様が引き合わせてくれたことを運命と感じていましたから」。 「はな子一筋の『職人』だった父に追いつきたい」。その思いが支えだった。「父と同じく絶えずこちらから話しかけ、本気でぶつかれば、こちらの思いは通じるはず」。そう信じた。 食事のパンにわざとつばをつけ、自分のにおいを覚えさせた。お尻を指で強くもんであげ、まぶたの辺りや鼻の先にも手を伸ばしてなでてあげた。はな子のことしか頭になかった。そのうち、はな子の方から握手を求めるように鼻を伸ばしてくるようになった。 2年後には「はな子さんにお菓子をあげよう」という「ふれ合いタイム」を始めた。 直接パンを与え、体に触り、遊ぶ。飼育員でさえ一時期は中に入れなかったはな子のおりに、子供たちが入った。他に例がないスキンシップの挑戦だった。子供たちの笑顔がはじけるのを見て、「自分の人生の選択は間違いなかった」と感じた。毎朝、職場に向かうのが楽しくてならなかった。 「父のような昔かたぎの飼育員にしかられそうですが、はな子がゾウではなく、長年の友達に思えるようになっていました」□     □ 父は生前、仕事については多くを語らず、「気を付けろ、油断するな」としか言わなかった。「自分の体験で学べ」という主義の父が教えてくれたのは、しつけに使う道具「手かぎ」の使い方だけ。「手かぎはいざというときお前の命を守る道具だ」との声がいつも聞こえていた。敬老の日にちなみゾウの形をしたパンを振る舞われた「はな子」=東京都武蔵野市の井の頭自然文化園 「飼育員は絶対、ゾウにけがをさせられてはならない。そうなれば、かつてのはな子のようにつらい境遇が待つ。自分を守ることは、ゾウを守ることなんだ」 飼育方法に困り、行き詰まったときはいつも、「父ならどうしただろう」と考えた。亡父はいつも、的確な答えを用意してくれた。 「今でこそ動物の飼育方法のイロハを説明した参考書はあふれているが、父の時代はゼロからのスタートだった。教科書がないところで答えを探す。どんなに苦労したことか」 めげそうになるたび、昔の苦労を思った。 「少しは『お手本』に近づいたとは思いますが、経験も浅いし、とてもかなわない。その道一筋の人物は輝いている。それが父だった。今後も父の後ろ姿を追いかけながら、輝きを放つ人間になりたい」 現在は多摩動物公園に職場が戻ったが、はな子のことを忘れたことはない。はな子はいま、歓談中の飼育仲間の輪に「何を話しているの」と首を突っ込んでくるほど、人間と仲がいい。親子2代にわたる飼育の成果だった。 (文 村上智博 写真 矢島康弘)

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    リニューアルでV字回復した「京都市動物園」子ゾウ寄贈秘話

     「京都市動物園」(京都市左京区)がリニューアルし、話題を呼んでいる。コンセプトは「近くて楽しい動物園」だ。「近いというのは、都心から近いという意味と、お客様と動物の距離が近い、ということもある。動物の福祉に配慮し、動物も楽しい気持ちになれるような環境づくりをしています。リニューアル後は滞留時間が長くなっています」と、同動物園の学芸員は語る。人止め柵の撤去をした「トラ舎」をはじめ、「サルワールド」のゴリラなども自然に近い形で展示されており、樹上のゴリラを観察できる。さらに「ゾウの森」にはラオスから寄贈された子ゾウが4頭、水浴び姿が目玉の一つになっている。だが、この4頭、確保するのに3年も歳月を要したという。これにはあまり知られていない秘話があった。そんな話を聞きに同動物園を訪ねた。新しく完成した南側通路からゾウを眺める来園者=京都市左京区1903年開園、上野動物園に次ぐ歴史 「京都市動物園」は1903年に開園し、国内では上野動物園に次ぐ歴史を持つ。ピーク時には140万人を数えた年間入園者数も、1998年(平成10年)頃から65万人前後を推移するようになり、2002年(平成14年)には60万人にまで落ち込んだという。 ところが、2009年(平成21年)に「京都市動物園構想」が策定され、これは「市民の手による、市民のための動物園づくり」という、市民参加型の構想計画だった。そして開園した状態で7年かけて改装を重ね、昨年11月、ついにグランドオープンした。現在は100万人を達成している。わずか4メートルという至近距離で観察「ゾウの森」わずか4メートルという至近距離で観察「ゾウの森」 人気がV字回復したのには、それなりの理由がある。たとえば、トラの息遣いや迫力を間近に感じられるようにと、トラ舎は「人止め柵」を撤去。頭上を歩く空中通路も設けている。「サルワールド」のゴリラも、本来の自然の姿を再現。木の実を食べに木に登るゴリラのために、エサも天井部分から与え、そういう行動を見ることができる。他にも、アイデアが満載で、市民目線の動物園に生まれ変わったと言える。 獣医師・学芸員の坂本英房さんは、こう話す。「大幅なリニューアルはこれまでなかった。建物が老朽化していたこともあり、約7年かけて整備しました。今は滞留時間が長くなっています」 さまざまな工夫や仕掛けが施されており、見どころ豊富なだけに、うれしい結果だろう。そんな中、「ゾウの森」では、アジアゾウがわずか4メートルという至近距離から水浴びなどを観察できる。今や人気者になっている子ゾウだが、以前からいる大人の一頭に加え、オス1、メス3はラオス政府から寄贈されたものだ。 「小さい社会ですが、群れで生活していますので、ゾウ社会の構造がわかるんですよ。オスがいじめられていると、リーダー格のお姉ちゃんゾウが止めに入ったり、慰めたり、そういう行動が垣間見えます」とのこと。水浴びでじゃれ合うゾウの子供。見ている方がハラハラする=京都市左京区の京都市動物園学芸員が語る「ゾウ寄贈秘話」 さて、この子ゾウの寄贈には、秘話があり、それはあまり知られていない。ゾウの取引は、絶滅の恐れがあるため、ワシントン条約で規制されているためだ。しかし、今回はゾウを群れで飼育して繁殖につなげる研究を進めることや、2015年が日本とラオスの外交関係樹立60周年にあたり、無償で寄贈されたという。 「繁殖の計画をつくり、そのプロジェクトを立ち上げました。ラオスでもかつては多くのゾウが生息していましたが、最近は乱獲や自然環境の変化などで減少し、同国内のゾウは500頭ほどだと言われています。ゾウの受胎率はわずか5%で、100回やって5頭しか産まれない。そんな状態です。だから両国が一緒になって繁殖の研究をするということで、届け出を出し、はじめてワシントン条約のOKが出たという経緯がありました」(坂本さん) 京都ラオス人民民主共和国名誉領事館、名誉領事の大野嘉宏さんは、ラオスでの子ゾウ探しに奔走した1人で、こう振り返る。 「動物園から譲り受けたと誤解されがちですが、違うんですよ。ラオスの山岳地帯にある村を丹念に調べ、何度も訪れ、4頭確保するのに実は3年もかかっているんです。野生ゾウは飼育に向かないため、農作業や運送に使う“使役ゾウ”を探し、ようやく見つかったんです」 そのような苦労を経て、小ゾウたちは今、元気な姿を見せている。(文責/フリーライター・北代靖典)

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    全面取引禁止の象牙 中国への密輸目的で3万2000頭の象密猟

     高値で取引される象牙が目的で、アフリカ象の密猟が深刻化している。その象牙の大半は中国に密輸出されており、昨年だけで3万2000頭の象が殺されていることが自然保護団体「ボーンフリー協会」の調べで分かった。米紙「ニューヨーク・タイムズ」が報じた。 象牙取引は1989年のワシントン条約締結国会議で、全面禁止が決定されているが、中国政府の統計によると、中国内では昨年1年間で摘発された象牙密輸は900件以上に及んでいる。これらの象牙は1キロ、約24万円で取引されているという。 中国当局も摘発に力を入れており、昨年は密輸業者33人が終身刑の判決を受けたという。とはいえ、象牙密輸は増加傾向にあり、昨年は香港で1.5トン、時価にして140万ドル(約1億2600万円)もの象牙の密輸が摘発された。また、マカオでも1.1トンもの象牙が摘発されている。 中国では象牙に精巧な細工をほどこした芸術品が高く売れており、2011年のオークションでは、象牙製品だけで総額では9400万ドル(約84億6000万円)に達している。 象牙製品は装飾品として非常に人気が高く、中国では象牙の密売に軍や警察関係者が関わっているとの情報もある。 このため、世界的な動物学者で象を救う活動に取り組むイアイン・ダグラス・ハミルトン氏は「アフリカ象の将来は中国にかかっている」と警告している。関連記事■ 中国 レッサーパンダを食用にし、漢方にカバの牙などを輸入■ 中国で乳幼児誘拐組織摘発 約2万人救出も実態はその数倍か■ 中国で売買春をしたら勾留・罰金刑 死刑になるケースも■ 中国医薬品市場 年間2.6兆円のうち偽薬品が3900億円占める■ 世界中で犯罪起こす中国人 日本と韓国での外国人犯罪数1位に

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    イルカ漁を批判する英国で近くキツネ狩りが復活する見込みに

     世界動物園水族館協会(WAZA)が、和歌山県太地町で捕獲されたイルカ入手をやめるよう日本動物園水族館協会(JAZA)に要求し、JAZAは受け入れた。欧米のイルカ漁反対派は「日本のイルカ漁は野蛮」と主張している。 だが、イルカ漁反対を声高に唱える欧米人は自国の“動物虐待”から目を背けている。代表的な例が娯楽として狩りを楽しむスポーツ・ハンティングやスポーツ・フィッシングだ。 イギリスの大手紙ガーディアンは、今回のWAZAの通告を報じる記事で、日本のイルカ漁を批判する立場を示した。しかし同国では、残酷だとして2005年に禁止された猟犬とともにキツネを追い回すキツネ狩りが、先の選挙で擁護派が大勝したことで復活する見込みである。理由は「伝統文化の継承」だという。「イルカを追い込めば野蛮」でも「キツネを追い回すのは文化的」らしい。 スポーツ・ハンティングの中でも悪名高いのが、記念品として毛皮や剥製にするための頭部や角を収集するトロフィー・ハンティングだ。『動物保護運動の虚像』(成山堂書店)の著者で水産ジャーナリストの梅崎義人氏が語る。「ワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)では、クジラ、アザラシ、アフリカゾウ、ウミガメなど有色人種が狩猟する動物が狙い撃ちで貿易禁止とされている一方で、国立公園などにおけるスポーツ・ハンティングは例外措置として認められている。ジンバブエでは約100万円の許可料を支払えば狩りが楽しめる。ジープに乗り込んだ欧米人が動物を追い回し、仕留めた後は記念品として持ち帰ることもできる。 反捕鯨の急先鋒であるオーストラリアでも、年間にカンガルーを約300万頭、ラクダを約80万頭、いずれも害獣という理由でハンティングの対象にしています」 文教施設である水族館や、伝統としてのイルカ漁に反対する欧米人は、数多くの動物が人間の娯楽のために命を落としている事実をどう説明するのだろうか。関連記事■ イルカ漁反対派の主張 極めて独善的な価値観の押し付けだ■ イルカ輸出もする太地町 人に慣れさせる訓練技術は世界唯一■ 白人はイルカ食べてもOKで日本人はNG 科学的根拠はない■ 日本のイルカ漁非難のWAZA 太地のイルカ輸入国も除名すべき■ シー・シェパードが大好きなイルカ 壁や岩を使い自慰行為

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    東大教授の平均年収は1156万円「職務」に見合った額といえるのか

    沖大幹(東京大学教授) 大学教授の給与はいったいどのくらいなのでしょうか? その職務に見合った額なのでしょうか? そもそも大学教授になるにはどうすればよいのでしょうか?  1200人あまりいる東大教授の場合、年間給与の総額は約1156万円(平均年齢55.9歳、平成26年度)という平均値が公表されています。最低866万円弱から最高1800万円以上まで幅が広がっている主な理由は、40歳過ぎで教授になっても年功序列のために45歳准教授約860万円というモデル給与と大差がないのに対し、研究科長などの管理職につくと6割の手当がつくからです。つまり、管理職にならないヒラの東大教授の年収は高くとも1200万円に届かないのが普通です。東京大学 それでも、東大の平均給与は他の国立大学法人に比べてやや高めです。公務員の給与の仕組に準じた都市手当てが東京では18%と全国一であるのに加えて、東大には医学系の教員が多く、大学外で医者になった場合との給与格差是正のためとして臨床医師教員手当てが支給されるため、医系教員の割合が多い大学の方が一般に平均給与は高くなるからです。そのため、国立大学法人の中では東大は東京医科歯科大学に次いで2番目に高い給与なのです。 しかし、その東大の平均給与も、私立大学に比べると最低クラスです。学部や専門によってまちまちのようですが、平均が東大の1.5倍程度の一流私大もあるようです。もっとも、国立大学法人に比べると教員あたりの学生数が私立大学では圧倒的に多く、講義や研究論文指導の負担を考えると妥当な違いかもしれません。 さらに、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大といったアメリカのトップ大学の教授の給与は平均で約2千万円です。円安のご時勢、この格差はさらに開いています。学生が世界中からその講義を目指して入学してくるような名物教授ですと平均よりもさらに多額、日本の数倍の給与がもらえるようで、僕と同じ分野でプリンストン大学の大御所の先生の給与は30万ドル(約3300万円)をくだらないそうです。 一方でアメリカでは教員間格差も大きく、大学によってはトップ大学平均の数分の一しかもらえない方もいるようです。そもそも、アメリカの多くの大学では1年間に9か月分の給与しか教員には支払われず、残り3ヵ月分の給与は自分で獲得した研究予算から自分自身に支払うか、サマースクールの講師をやって給与をもらうか、といった自助努力が必要とされています。上を見たらきりがない これに対し、東大のみならず日本の(国立)大学の場合には、教育研究で目覚ましい成果をあげていてもあげていなくても、教授は教授、待遇にほとんど差はありません。総合的に考えると、アメリカの大学よりも日本の大学の方がまだ恵まれていると言えるかもしれません。 また、民間企業に勤めて出世した大学の同級生と比べると安い給与かもしれませんが、上を見たらきりがありません。比べるとしてもいろいろな道を歩んでいる同級生全体と比較するべきです。僕の実感としては、やりがいのある教育とやりたい研究に従事させていただいている割には厚遇してもらっているように感じます。 普通は嫌な仕事を我慢したり何らかのリスクを取ったりしないとお金儲けはできないところ、普通に教育研究に専念しているだけで、少なくとも自分自身の人件費がどんな教員でも定年まで保証されているというのは大変ありがたい点です。 研究費の獲得は大変ですが、それはアメリカなどではさらに熾烈な様ですし、研究費が獲得出来たら研究する、という方よりは、研究費のあてがない時には自腹ででも研究をするような人が最終的には研究者として成功しているように思います。 そもそも趣味が教育研究だと普段の暮らしに大金はいりません。給与水準が国際的には低くとも自由平等とやりがいがあるため、多くの東大教授が日夜教育研究に邁進し、自己実現を達成し、満足しているのだと同僚を見ていると思います。 ただ、部局や組織によっては、気の進まない会議や書類作成に時間を奪われて、思うように自由な時間がとれなくなっている場合もあるのかもしれません。また、研究がうまくいってその分野で世界に名を馳せる学者になれても給与が特段増えるわけではなく、待遇としてはやる気を失いゆったりと日々を過ごしている同僚とほぼ同じだという点に不満をいだく場合もあるのかもしれません。 そうした状況で海外の一流大学から良い条件の転職オファーがあれば日本を飛び出して海外に転出する一流の大学教授の先生もいらっしゃることでしょう。逆に、海外の一流研究者を海外標準の給与で遇する仕組が東大でも導入され、何人かの先生方には総長以上の給与が支払われているはずです。 では、大学教授がそんなに悪くない仕事だとして、大学教授になるにはどうすればよいのでしょうか。大学教授を選ぶのは大学教授ですが、人物評価能力が高いから大学教授についているわけではありませんし、場合によっては私的感情に支配されたりもするでしょう。実力と実績があるからといって必ずしもなれるとは限りません。逆に、どうしても特定の分野の専門家が必要だという場合、実力や実績に乏しくとも大学教授になれる機会はあります。 マックス・ウェーバーによる古典『職業としての学問』でも述べられている通り、学者になれるかどうかは本人の能力や努力以外の運に大きく左右されます。希望していても大学教授になれない場合には運の問題だとさっさと見切りをつけて、他の知的職業で充実した人生を送るのが良いと思います。 大学からもらう給与以外の講演料や原稿料といったいわば「お布施」の相場、専門家として国会に召致されたりテレビから出演依頼が来たりした際にどうすればよいのか、大学教授への道、仕事、やりがいなど、本稿では紹介できなかった点については拙著『東大教授』(新潮新書、2014年)をぜひご覧ください。本のタイトルや帯に反発を覚えた方もいらしたようですが、東大に限らず全国の大学の先生方に支持を頂戴しましたので、読んで面白く感じるかどうかで大学教授に向いているかどうかがある程度わかるかもしれません。皆様のご参考になれば幸甚です。

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    【独占手記】私が京都大学の給与明細を公開したホントの理由

    高山佳奈子(京都大教授)  2014年に私が個人ブログで公表した2013年の京都大学での給与明細について、2016年3月以降にいくつかのインターネット記事や掲示板のスレッドが公表されて多くの方々の注目を集めた。高山佳奈子教授が公表した給与明細 その過程でわかったのは、現在の国公立大学の状況、特に2004年4月以降の激変後の制度や実態が、大学関係者以外の方々にほとんど知られていないことである。こうした基本的な前提が共有されていなければ、給与の高低だけを論じてみても、それは誤解に基づく意見となってしまう。 今般、こうした機会を与えていただいたので、社会に対し少しでも情報が提供できれば幸いである。あらかじめ簡単に申し上げれば、現在の国公立大学の制度は、私立大学にかなり近いものに変更されているため、数十年前のイメージで大学を語ると全くの誤解であることが多い。たとえば、私が法学部生であった1990年頃までは、東大法学部教授は週2コマの授業しか担当していないことが多かったが、2015年度の私の授業担当は次のとおりであった(これより多い年もある)。 <前期> 京都大学法科大学院 刑法必修科目 京都大学法学部 刑法ゼミ 京都大学研究者大学院 刑法ゼミ 京都女子大学法学部 経済刑法 名古屋大学大学院留学生コース集中講義 Comparative Studies in Criminal Law <後期> 京都大学法科大学院 刑法必修科目 京都大学法学部 刑法各論(週2コマ) 京都大学研究者大学院 刑法ゼミ 大阪国際大学グローバルビジネス学部 刑法 すぐ後で触れるように、国公立・私立を問わず、大学では人件費削減が進められているため、少ない教員で多様な授業展開を受験生などにアピールするには、専任教員の負担を増やすか、非常勤講師によって充実を図るかを迫られることになる。どこの大学でも学生のためのサービスを単独で完備することは困難なので、相互扶助のしくみに頼らざるをえない。 純粋に個人的なことを書かせていただくと、私自身はあまりお金を使わない生活を送っている。日常の買い物は食料品も含めてできるだけ100円ショップですませるようにしているし、外食もほとんどしない。友達付き合いもない。衣服は親族からのお下がりや20年前に就職したときに購入したものが多いし、今仕事で持ち歩いているバッグは大学生協で売れ残って値下げされていた690円のものである。車は持っておらず通勤には6000円の中古自転車を使用している。マンションのローンが残っているが、賃貸の場合よりも月々の支払い額は低くしている。ふだんの出費のうち最大のものは、東京にいる病気の親のもとに毎週通うための往復の新幹線代である。したがって、私自身は現在よりかなり低い収入でも生活できる。有力私立大への人材流出が止まらない! しかし、他のすべての方がそれでよいわけではない。2004年以降、東大・京大を始めとする国公立大学から、有力私立大学への人材流出が顕著に起こっている。その大きな理由が、待遇の格差であると考えられる。最も優秀な学生が集まり、教育環境が良いと考えられる大学から、そうでない大学への流出にも歯止めがかからない。とりわけ、研究・教育のために特別の設備を必要としない専門分野では、流出が起こりやすいといえる。 2000年代以降、政府支出の削減の波が教育・研究機関にも押し寄せ、国立大学は2004年4月に国から切り離されて「国立大学法人」となった。それまで文部科学省に所属する国家公務員であった教職員は公務員の身分を剥奪され、民間の労働者になった。従来、国の一部として国の資金で運営されていた国立大学は、私大に近い形態で経営が行われることになり、私大がおおむね規模に応じて政府から交付を受けている「私学助成金」と類似する形で、「運営費交付金」という資金を受けることになった。 現在、私の所属する京都大学では、収入に占めるこの「運営費交付金」の割合は約3割にまで低下している。これは、かつての有力私大における「私学助成金」の割合とほぼ同等である。「国立」大学とは名ばかりで、実際には教職員は公務員ではないし、経営も民間型に変えられてきているのである。しかも、私大でも私学助成金は削減されている。全国の公立大学も国立大学と同様の経過をたどったところが多いが、特定の専門分野の大学を除き、国立大よりもはるかに苦しい経営を強いられている。 毎年、各社が報道しているとおり、OECDの資料によれば、日本の教育への公的支出割合は加盟国中最下位である。将来の産業競争力を生み出し支える基盤となる教育がこの状態で、国益は維持できるのか。 毎年大幅な資金切下げを受け続けている国公立大学では、いわゆる競争的資金を外部から獲得するための事務量が膨大になり、授業料もおよそ「国公立」と呼べる金額ではなくなっている。私の所属する法科大学院では、入学料が282,000円で、授業料が年間804,000円。授業料免除や奨学金の制度は十分でなく、これでは優秀だが裕福でない学生が法律家を目指さなくなる。教員の給与以前に、高額の授業料を何とかする必要がある。「使い捨て」の大学職員 もう1つ教員の給与以前の深刻な問題として、職員の使い捨てと待遇がある。2004年以降、常勤職員は大幅に削減され、従来職員が担当していた作業を教員がするようになり、非常勤職員や派遣職員が重大な職務を任されるようになった。現在、京都大学では、事務職員の大多数がこれらの人々によって占められている。 そして、非常勤の時間雇用職員においては、経験を積んで高い業務能力を備えた人材が次々に5年で雇用を打ち切られる「5年雇止め」の対象となり、新規の契約では交通費がカットされ時間給にも反映されないという問題が起きている。しかもこれらの方々の多くは、そもそもの年収が200万円台に抑えられている。教員の賃上げどころの話ではない。私は京都大学職員組合の役員をしており、組合が大学法人に対する団体交渉において、こうした方々の雇用継続や、極端な低賃金の是正を優先課題にしていることはいうまでもない。このままでは国益が維持できない そもそも、雇用が確保できるかどうかのところで、労働組合は日々尽力しているのであるが、それと同時に、教員の流出も深刻な問題となっている。私と同世代の他分野の京大教員の中には、アメリカで成功を収めたのにもかかわらず京大に来られたという奇特な方々もおられる。しかし、そのような方のみに頼っていたのでは、教育・研究水準の維持は困難である。 一般論として紹介すれば、私大のほうが授業コマ数の負担は多いであろう。しかし、京大教員は政府の仕事や留学生の受入れも比較的多い。よく、教員1人あたりの学生数が少ないと指摘されるものの、法学に限っていえば、京大生の定期試験の答案の分量は他大学学生の数倍あり、採点などの指導が必ずしも楽だというわけではない。授業のコマ数負担の相違を考慮に入れても、有力私大との比較では、京大教授の給与は数割低いという評価になろう。 現在のように教員の流出が続くと、東大・京大では60代前半の有力教授がいなくなってしまい、研究者として円熟期にある人々が後進を育成できなくなる。トップレベルの教授が私大に分散してしまった後は、最高水準の学生は国外に流出するのではないだろうか。これで、国益が維持できるといえるのか。トップダウン式決定はソ連経済への道 現行法上、国立大学教職員は民間労働者と同じく労働契約法の適用対象であり、大学法人に雇用されている。したがって、その給与は労使交渉の中で決まることが原則である。ただし、私学助成金の割合よりは高い割合で国の資金を受けているため、独立行政法人通則法も準用されている。 同法は、給与が「国家公務員の給与等、民間企業の給与等、当該……法人の業務の実績並びに職員の職務の特性及び雇用形態その他の事情を考慮して定めなければならない」としており、これについての基本方針を定めた閣議決定の解説によれば、「国家公務員との比較に加え、当該法人と就職希望者が競合する業種に属する民間事業者等の給与水準との比較など、当該法人が必要な人材を確保するために当該水準とすることが必要である旨をその職務の特性を踏まえながら説明するものとする」とされている。画像はイメージです つまり、ここにいう民間事業者である私立大学からかけ離れた水準まで「上がらないように」することが求められている。現状はその逆で、私大どころか、国家公務員と比較しても低い給与水準になっている(ラスパイレス指数)。人材流出は教授だけでなく職員においても生じている。トップダウン式決定はソ連経済への道 冒頭に述べたように、私自身はより低い給与でも十分に生活していくことができる。人間の価値は平等であり、能力に応じて努力すれば同等の賃金に値するという考え方もあるだろう。マルクス主義経済学の労働価値説は、基本的にそのような発想だと思われる。京大教授の給与を低所得者層の水準と同等まで引き下げよと主張する人は、極端な共産主義者なのかもしれない。 確かに、生活保障を重視する社会国家・福祉国家をヨーロッパに定着させたことは、マルクス主義の成果だと考えられる。しかし、私は、共産主義経済には反対である。優れた成果を上げてもそれが剥奪されてしまうのでは、成果を上げるインセンティブがなくなってしまうためである。ロシアの産業がいつまでたっても離陸できないのは、計画経済の後遺症だとはいえないだろうか。自由で公平な市場の競争があってこそ、新しい、素晴らしいものが創り出されるはずである。ソ連の芸術やスポーツが優れていたのは、国際競争に勝ち抜く度量の賜物だろう。汚職・癒着の排除と、ボトムアップ式の創造性を伸ばす教育・研究政策とが、日本の国際産業競争力にとって重要である。失敗からノーベル賞級の発見が生まれるような研究条件が保障されていなければならない。復興財源のための賃下げというウソ ところが現在、政府の大学政策は、トップダウン以外認めないとする方向に急速に進んでいる。富山新聞によると、馳浩文部科学大臣は2016年1月10日に同紙本社で、「学長や学部長、病院長などを決める際」の組織内の「意向投票」について、「そんなことをやっている大学を高く評価することはできない」とし、運営費交付金の「配分に関しては厳しく評価する」と述べたという。そして、研究資金の支出については、軍事研究以外には金を出さないというに等しい方針が露骨に示されている。 一部の政治家やその周辺の人々が限られた知識・能力だけで決めた方針で全体を動かそうとすれば、計画経済が失敗したのと同様に、すべからく学術研究や教育の水準も失われる。それが国益にかなっているのだろうか。人材はますます流出するだろう。2000年代に入ってからは、欧米のみでなく、中国などのアジア諸国でも、国家予算を投じて優秀な人材を国内外から集める政策が展開されてきているというのに。世界は共産主義社会ではないという現実を見る必要がある。復興財源のための賃下げというウソ 一部のインターネット記事が誤解を招くような形でとり上げているが、今回話題になった2013年の私の給与明細は、給与の引上げを求めて公開されたものではない。それが出てきた経緯は、私や他の京大職員組合員が大学法人を相手どって提起した、未払い賃金請求訴訟の過程である。 2011年の東日本大震災の後、政府は復興財源の確保という名目で、国家公務員の大幅賃下げを法律によって強行した。最大1割近い賃金カットが、被災地の被災者である公務員に対しても情け容赦なく行われた。これ自体がすでに疑念を抱かせる。「公務員叩きをしておけば、世論の人気が取れる」との浅はかな計算であったと見られてもしかたがない。 その後、政府は、国から資金が提供されている団体のうちの一部にも、同様の賃下げを行わせるべく、はたらきかけを始めた。ここで、独立行政法人と、国立大学法人はターゲットになったが、私学の学校法人はターゲットにならなかった。理由は不明だが、「独立行政法人・国立大学法人の教職員はまだ公務員だと誤解されているから、公務員バッシングの対象にしておけば、世論の人気が取れる」と考えたものと疑われてもしかたがない。ともかく、東北大や福島大、筑波大、高エネルギー加速器研究機構といった被災地の法人でも、被災者である教職員の賃下げが強行された。賃下げの必要はなかった だが、これは法的には意味不明な現象であった。法律上、国には大学法人の給与を決める権限がないからである。現実に起きたのは、国が、各法人に交付する運営費交付金をカットしたということであった。そうすると、収入に占める運営費交付金の割合が高い法人では、「ない袖は振れない」状態となり、賃下げを迫られることになってしまった。 しかし、京都大学はそうではなかった。大学の規模を生かして多額の外部資金を獲得し、預金などの資産を潤沢に蓄積していたからである。それなら、そこから復興財源を提供すればよいので、賃下げの必要はない、と私たち労働組合は団体交渉の場で何度も法人に対して主張した。だが、法人は結局、復興財源を「賃金カットによって」捻出することに固執し、これを強行した。組合の奮闘によって、賃金削減率は国家公務員よりも低くなったものの、最終的な賃下げ率は何と、国家公務員の賃下げ率に京大の運営費交付金依存率を掛け合わせたよりも「高い」率になってしまった。いわば「便乗賃下げ」が行われたのである。 100名を超える組合員らが、未払い賃金を求めて京都地裁に提訴したが、2015年5月7日に請求が棄却され、現在、裁判は大阪高裁の控訴審判決を待っている状態である。この裁判の過程で私が給与明細を公開した理由は、「本来、法律が、私大に近い給与水準を求めているのに、それが実現されておらず、ただでさえ格差があるのに、それに加えて、私大で求められていない賃下げを強行することは、なおさら法の考え方に反する」と主張するためであった。 裁判の過程で、次の恐るべき事実が明らかになった。第1に、2013年10月31日に会計検査院が公表した報告書は、2012年度に被災地と直接関係のない事業に振り向けられていた国の予算額が、復興特別会計のうち約3000億円、また復興予算で造成された基金のうち1兆円以上にも上っていたことを明らかにした。被災地向けであった予算で未執行となった分を含めれば、復興に使われなかった額はさらに膨らむ。つまり、独立行政法人や国立大学法人どころか、国家公務員における賃下げも、被災地の復興のためには無用であった。これが法治国家の判決なのか これほど悔しいことがあるだろうか。真面目に働いて得るはずであった賃金を一方的にカットされ、しかもそれが被災地に届いていないのである。第2に、京都大学で強行された賃下げの率は、教授、准教授、助教と、それぞれに対応する職員との違いによって、分けて決められていたが、その計算式は誤りであったことが判明した(国からの資金が大きく削減されると、賃下げ率が「下がる」式だった)。 京都地裁の請求棄却判決は、国が賃下げを要請したのであれば財政的な必要性がなくても賃下げを強行でき、その率は誤っていてもよい、とするものであった。これは労働法が存在する法治国家の判決なのだろうか。 京大賃金裁判の控訴審判決は2016年7月13日に言い渡される予定である。もし勝訴すれば、取り戻した賃金は被災地学生ボランティアに寄付するつもりである。 私が給与明細を公開した動機は、決して、自分が自由に使うお金を増やしたいということではない。今回、あるインターネットの記事がそのように思わせる記載になっていたため、これを読んだとみられる障害者の方や、退職公務員の方が、真摯な批判のご意見を送ってくださった。この方々が気付かせてくださったのは、国公立大学の最新の状況を社会に広く知らせる必要性である。 私自身は、繰り返すように、給与が下がっても困窮する立場にはない。だが、国益の維持を図るのであれば、現在の国立大学教授の給与が高いか低いかは、国内・国際の競争の中で、人材を確保できる水準に照らして評価されなければならないと考える。また、法律もその趣旨を規定している。この度の給与問題についての議論の高まりを機に、日々私たちが取り組んでいる労働組合の活動についても、関心を持ち、組合に加入してくださる方の増えることを切に希望する。

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    京大教授の年収940万円は安すぎる?

    わが国が誇る有名国立大教授の給与は安いのか、高いのか。京都大法科大学院教授、高山佳奈子氏が自身のブログで給与明細を公開し、物議を醸している。額面はおよそ940万円。彼女はなぜ給与を公開したのか。高山教授がiRONNA編集部に寄せた独占手記でその全てが明らかになった。

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    国公立大学の教員平均給与ランキング 東大上回る大学は2校

     大学受験シーズンは今が本番だが、近年は学生の学力低下や大学の存在意義が問われることも増えた。国は「知識偏重から多角的な評価」を掲げて入試制度改革を進めているが、橘木俊詔(たちばなき・としあき)・京都大学名誉教授(経済学)は、学生のサボリを生み出す元凶は日本の大学に居座る給料泥棒の教授たちであり、その延命を許す大学の仕組みにあると喝破する。 年功賃金が基本の大学教員の給与はどれほどのものか。文部科学省の公表する「国立大学法人等の役職員の給与等水準(平成25年度)」によれば、トップは政策研究大学院大学の年収960万1000円。お茶の水女子大学の946万3000円、東京大学の939万6000円と続き、トップ20には一橋大学や京都大学、名古屋大学などがランクインしている。 橘木氏はそうした高給を得ながら、研究・教育水準についてチェックを受けて職を解かれる可能性がゼロに近いことが一番の問題だと指摘する。 「大学では終身雇用が罷り通っている。准教授になれば周りは口を挟まないというのが暗黙の了解で、学問的な実績がゼロでも犯罪などの問題を起こさない限りクビにはできません。  一方、アメリカなどはキャリアの途中でチェックを受ける制度が確立されています。例えば准教授になっても6年間は任期付きの雇用として扱われ、研究能力が不十分と判断されたら職を解かれます。『テニュア・トラック制度』と呼ばれるシステムです。研究成果を単純に数字で判断するのが難しい分野でも、同分野の先達が『生涯研究を続けて成果にたどり着く能力があるか』を厳しくチェックするのです。 日本では学業が優秀だった学生が大学に残り続ける傾向が強いが、学業成績が良くても研究者・教育者として能力があるとは限りません。そうした人物をふるいに掛けるシステムが必要です。  日本の大学は仲間内のムラ社会という色彩が強い。海外に比べて自校出身者を優遇する『純血主義』が多くみられるのは象徴的です。東京大学法学部では、教員に占める自校出身者が約83%にのぼります(『大学ランキング2014年版』、朝日新聞出版より)。伝統校ほど大学間の流動性が非常に低く、互いを厳しく評価するという姿勢もみられません」関連記事■ 保守派言論人26人に「脱原発」アンケート 「無条件継続」は4名■ 大学教授傲慢医師 診察の際に患者を見ずに看護師通じて会話■ 大学教員のサボリ横行に「毎日来るように」と学長の通達例も■ イランのシナ・ザリタン医師「SEXや自慰は花粉症和らげる」■ 能登半島地震 2013年から2019年にかけ起こる可能性と専門家

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    文系学部全廃論 5割以上大学進学の意味を考えれば当然

     世の中にはおかしなことが様々なことがあるが、評論家の呉智英氏が最近おかしいと感じたことは何か。同氏は、大学の文系学部廃止反対論に異議を唱える。* * * 室井尚『文系学部解体』(角川新書)が話題になっている。文科省の目指す「役に立つことだけを学ぶ大学」によって「文系学部の解体」が進み「大学はこのまま終わるのか」と怒りを表明した本だ。かねてより文系学部全廃論を唱えている私としては愚論としか評しようがない。十八歳人口の五割以上が大学へ進むという歴史上かつてない時代が到来している意味を、室井は全く理解していない。 私は「役に立つ」工学系大学で「役に立たない」一般教養を長く教えてきた。テーマは『はだしのゲン』である。むろん、平和教育なんていう役に立つことは全く教えない。M・バークン『災害と千年王国』だの荻生徂徠『論語徴』だの、何の役にも立たないことばかり講義する。 多くの学生は困ったなぁという顔で聞いているのだが、時々目を輝かして聞き入る学生がいる。しょうがないので講義の後喫茶店に誘い(私のおごり)、あのなぁ、俺の講義を面白がるのはいいけど、面白いことで飯は食っていけんのだよ、ちゃんと電気工学の勉強しろよ、と説教する。 室井尚の授業は正反対だ。学生にアドルノ&ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』を読ませるというのだ。知りあいのドイツ人学者に聞いたが、アドルノはドイツ人でも難しいデス、と言っていた。アドルノらは衒学(げんがく)左翼とでも評すべき難物思想家なのである。それなのに一人の女子学生は「完璧な要約を書いてきた」。 ところが彼女は「地元の信用金庫」に就職を決めた。私なら胸をなでおろして喜ぶのだが、室井は「もっと自分の能力の活かせる職場に挑戦しないか」と残念がるのである。 そんな職場って、室井尚のような大学人しかないではないか。結局、衒学左翼アドルノ研究教授の椅子をふやさなければならない。それができないとなると、アドルノの要約の上手なフリーターを毎年作り出すだけである。 前述の通り、私は文系学部全廃論者である。詳しく言うと、単純な全廃論ではない。芸術系は残す。最初からミューズの女神と心中しようという若者は、それでいい。教育系の国文科なども残す。枕詞やク語法が高校生に教えられないでは困る。そして、IQ150以上の高校生は、強制的に哲学科などの人文系に入学させる。彼らには高額の奨学金を与え、卒業後の生活も保証する。そして、日本からカントやヘーゲル並みの人材を輩出させる。 もちろん、マルクスでも王陽明でもナーガールジュナでもかまわない。真の人文学復興、真のエリート教育である。 室井尚の本に何度も「リベラルアーツ」と出て来る。意味が分かっているのだろうか。これは「自由な学芸」という意味ではない。「差別的な学芸」という意味である。奴隷や二級市民には許されず「リベリ(自由民)」にのみ許された特権的学芸のことである。そんなものを人口の五割以上に学ばせて、どんな社会が出現するのだろうか。●くれ・ともふさ/1946年生まれ。京都精華大学マンガ学部客員教授、日本マンガ学会理事。著書に『バカにつける薬』など。関連記事■ ポルノ産業1人あたり売り上げ 韓国が世界一、日本は2位■ 国立大学文系出身者 就活でも会社でもバカにされ肩身が狭い■ 文・人文系学生の就職率は低い 「営業大学」なぜないか疑問■ 医師指摘「医者とヤクザは構造的に似ている説」を紹介した本■ スペインで国民的人気のポルノ男優 逮捕5日前の衝撃的な写真

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    グーグルはなぜ新入社員に1800万円の給料を払うのか

    中嶋よしふみ(シェアーズカフェ・オンライン編集長、ファイナンシャルプランナー) 4月3日、労働基準法の改正法案が閣議決定された。特に問題がなければこの後に待っている国会審議も与党多数の状況で可決されるだろう。 この法案では「高度プロフェッショナル制度」を導入し、年収1075万円以上の高度な知識を使う専門職について、残業代の支払い対象から除く事となっている。これによって「労働時間ではなく成果で報酬が決まるようになる」と報じられている。 「残業代ゼロ法案」「過労死法案」と一部でひどく評判が悪いが、一部報道もこういった反対論もかなりの誤解、勘違い、間違いを含んでいる。 改正法案の話をする前に、なぜこういった法案が出てきたのか、現在の状況を丁寧に解きほぐして考えてみたいと思う。労働時間=成果=報酬? 従来、労働時間は成果に直結し、それが報酬となっていた。つまり「労働時間=成果=報酬」ということになる。 しかし現在、労働時間は必ずしも成果とは直結せず、結果として労働時間に応じて報酬を払うには無理のある状況が一部で生まれている。つまり「労働時間=成果=報酬」の関係が壊れてきているということだ。 それを象徴するようなニュースが最近報じられた。グーグルが日本の優秀な学生を高い報酬で雇おうとしている、という話だ。グーグルは新卒の学生に1800万円の報酬を払い、フェイスブックはアトリエのようなオフィスを作る 毎日新聞では以下のように報じられている。 「優秀な学生を紹介してほしい」 米IT大手グーグルの役員ら約40人が東京大学の本郷キャンパスを訪ね、人工知能(AI)を研究する大学院生らのリクルートを始めたのは数年前のことだ。学生たちに提示した条件は年収約15万ドル(約1800万円)で、日本のサラリーマンの平均年収の4倍以上。<グーグル>東大で「青田買い」 AI技術流出に日本危機感 毎日新聞 2015/4/2 記事の中では、東大准教授の「優秀な学生から引っ張られていく。国内産業の将来を考えると日本にとどまってほしいが、行くなとは言えない」というコメントと、経済産業省幹部の人材と技術が流出しかねない、というコメントも紹介されている。 この記事を読んで、また別のニュースを自分は連想した。フェイスブックの新しいオフィスに関するものだ。スチールデスクが向かい合って並んでいる日本企業のオフィスからは、到底想像も出来ない写真がいくつも掲載されていた(フェイスブックの新オフィスがオシャレすぎる ギズモード 2015/04/02)。現在のビジネスはアートの領域に近づいている 日本でもIT系の新興企業がオフィスにお金をかけることは珍しくないが、フェイスブックのオフィスは豪勢とかオシャレとかそんなレベルではない。広大でのどかな田舎の風景の中に見晴らしの良いベランダがあり、芸術家のアトリエに迷い込んだのかと錯覚を覚えるようなオフィス内の写真がいくつも紹介されている。高名な建築家がデザインしたというオフィスにはアート作品がいくつも並び、圧巻の一言だ。 これらのニュースが示す事実は儲かってる企業が人材やオフィスにお金をかけているという事ではない。ビジネスの仕組みが変わってしまったと見るべきだ。現在のビジネスはアートの領域に近づいている 日本の成長を長年にわたって牽引した企業は、その多くがモノ作りに関わっている。モノ作りで重要な事は「生産管理」だ。 生産管理とは、一定の品質の製品を、納期に合わせて効率的に作る事を意味する。つまり設計やデザインだけが素晴らしくても、商品を顧客に届ける所まで実現できなければ意味が無い。一つでも欠陥品が出荷されてトラブルが起きれば、企業は莫大な損失を被り信用は失墜する。 ではグーグルやフェイスブックのような企業はどうか。フェイスブックは「フェイスブック」というウェブサービスを顧客に合わせて何千万個、何億個と作る必要は無い。たった一つだけ高品質なサービスを作れば、それをいくらでも多数の客に展開出来る。オフィスやウィンドウズのようなソフトウェアでも、最初の一つを作るためには莫大な開発コストがかかっても、二つ目はそれをコピーしてCDに焼き付けるだけだ。このように、モノ作りとソフトウェア・ウェブサービスは全く異なるビジネスの構造を持つ。 たった一つの優れた商品を作れば良いという構造はアート作品を作る行為に似ている。極論を言えば偶然でもヒット作が出来ればそれでも良い。フェイスブックのオフィスがアトリエのような作りになっていることは決して偶然ではない。社員は従業員ではなく「アーティスト」であり、そんな人材を湯水のようにつかって「偶然」を「意図的」に作り出そうとしている。 池田信夫氏が著書「イノベーションとは何か?」で指摘するように、情報産業は一つの作品を作るアートであり、イノベーションは突然変異である、ということだ。 グーグルが高度な知識・技術を持った学生に1800万円の報酬を払うのも、ビジネスの感覚ではおかしく見えるがアートの感覚ならば全く違和感は無い。売れないミュージシャンの経済的な価値はゼロかマイナス 例えば人気アーティストが一回ライブを行えば数万人のファンが来場して莫大な売上が発生する。一方、売れないミュージシャンはチケットノルマで費用を負担してライブハウスに出演する。 つまり売れるアーティストの経済的な価値は青天井だが、売れないミュージシャンや仕事のない役者の経済的な価値はゼロかマイナスだ。売れないミュージシャンが何十人集まっても人気アーティスト1人の経済的価値・生産性にはかなわない。これがビジネスの世界でも起きている。 グーグルの青田買いにはアベノミクスによる円安効果も働いている。マクドナルドのアルバイト時給がアメリカでは平均10ドルになったとつい先日報じられた。今の為替レートで日本円に換算すれば時給約1200円と日本のマクドナルドより何割も高くなる。逆に言えば日本人の給料はドル換算で急激に安くなっており、日本の人材は「安く買える」ようになっている。アメリカ企業から見れば日本の新入社員の給料は、アルバイトに毛が生えた程度ということになってしまうのだろう。※知人に聞いた話によれば、アメリカでは経験がなくとも高度人材ならば新卒でこれ位の報酬を貰うことは全く珍しくないという。日本ではアンドロイドもiOSも生まれないL型の雇用・報酬体系でG型は雇えない こういった事を書くと、フェイスブックやグーグルみたいな企業で働く人なんてごく一部で大多数の人は関係ない、といった異論があるだろう。これは当然の指摘だが、問題はそういった話ではない。 以前、L型・G型という分類が論争になったことがある。ローカル経済圏とグローバル経済圏とに分かれた産業構造に合わせて、ローカル向けの大学教育はより実務に役立つ職業訓練にすべきではないか、具体的には簿記や会計ソフトの使い方、工作機械などの使い方を教えれば良い、という提言が賛否を呼んだ。 L型は物流・飲食・医療・介護など、その場に人間がいなければ商品・サービスが提供できない産業で、IT・ウェブとは対極にあるビジネスモデルだ。 この話題は「大学で簿記3級を教える事は正しい」でも取り上げたが、記事の中では以下のように書いた。「グローバルなビジネスで雇用を生むのは難しく、生まれたとしてもごくわずかということになる。利用者が5億人を突破し、世界中で展開するスマホアプリのLINEであっても、LINE株式会社の社員数はわずか790人だ。」 つまり、グーグル・フェイスブック型の企業は大きな雇用を生み出すのは難しいということだ。売り上げではグーグルと同規模の日本企業を比較しても社員数は数分の一だ。 ではなぜこういった一部のグローバル企業、ITアート企業に合わせた雇用形態が必要なのか? それはL型を前提とした雇用・報酬のルールでG型企業はまともな雇用が出来ないからだ。日本ではアンドロイドもiOSも生まれない 高度な知識を有した修士や博士と言えど、日本で新卒の学生に1800万円の報酬を出す企業はまず無いだろう。それは雇用形態が長期雇用を前提とし、すでに説明したように「労働時間=成果=報酬」という前提でしか雇用出来ないからだ。この枠から抜け出そうとすると、業務委託や請負、派遣など正規雇用の枠から外れる事になってしまう。 もし1800万円の報酬で雇った社員が期待したパフォーマンスを出すことが出来なかったら? そう考えれば日本の企業が新入社員にこの報酬を出すことは当然出来るはずもない。新入社員は一律で給料が決まり、将来的に差がついてもせいぜい2倍程度という報酬体系では、本当に優秀な人は独立・起業と雇用の枠から外れた働き方をした方がトクということになる。 個人としてはそれで良いかもしれないが、より大きな視点で考えれば「天才」が何百人とか何千人も集まって作られるフェイスブックやアンドロイド(グーグル)、iOS(アップル)のようなウェブサービスやソフトウェアを生み出すことは出来ない。 モノ作りで圧倒的な強さを誇る日本企業がIT・ウェブで全くと言っていいほど存在感を出すことが出来ない理由、そして小規模なベンチャー企業は多数あっても、グーグルやフェイスブックのようなメガベンチャーが決して生まれない理由は、こんな所にも原因はある。 繰り返すが「労働時間=成果=報酬」の関係はすでに一部で壊れつつあり、これを全く文化の異なるグローバル企業、ITアート企業に適用すべきではない。つまり、企業が雇用の柔軟性を確保してイノベーションを起こすためにも今回のような法改正は必須ということになる。 とはいえ改正法案に問題が無いわけでもない。今回の記事で書いたようなビジネス視点とは別に雇用者視点で考えなければいけない事もある。これについては次回の記事で説明したい。【参考記事】■お金を払ってFPに相談……でも本当に信頼できる? ~同業者の目から見た「ファイナンシャルプランナーの選び方、使い方」~http://blog.livedoor.jp/sharescafe/archives/42814111.html■賃貸派の夫婦が6000万円の家を買うワケhttp://blog.livedoor.jp/sharescafe/archives/39200923.html■破れたソファーと落書きを放置するマクドナルドはしばらく復活出来ないと思う件について。 (中嶋よしふみ SCOL編集長)http://sharescafe.net/43244211-20150206.html■大学で簿記3級を教える事は正しい。 (中嶋よしふみ SCOL編集長)http://sharescafe.net/41604444-20141029.html■「安定した雇用」という幻想。~雇用のリスクは誰が負うべきか?~ (中嶋よしふみ SCOL編集長)http://sharescafe.net/42556186-20141224.html

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    大学教授は財務省よりはるかに楽 副業で稼げる時間の余裕はある

    高橋洋一(嘉悦大学教授) 他人の懐具合は誰もが気になるところだ。2014年7月に高山佳奈子・京大教授がブログで自身の給与を公開したことが、いまさらであるが話題になった。 京大教授で基本給660万円に賞与279万で年収940万円。これが高いのか低いのか。 まず、厚労省の平成27年賃金構造基本統計調査を使って、大学教授以外の職種別給与を見ておこう(http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/chinginkouzou.html)。129職種を年収順に並べたものが以下の表である。 大学教授は、平均年齢57.5歳、勤続年数17.1年、労働時間161時間/月、超過労働0時間/月、給与月額657,600円、年間賞与2,983,400円。年収を計算すると年収1087万円で、航空機パイロット、医師、弁護士に次いで129業種中第4位である。高山氏は46歳当時の給与940万円であるが、厚労省の統計での大学教授は平均57.5歳であるので、年齢差を考慮すると、大学教授としては決して低いとはいえない。 一般の会社の中では、大学教授の給料はどう見えるのだろうか。これも、厚労省の統計をみると、産業計の55~59歳の部長級は、平均年齢57.3歳、勤続年数28.1年、労働時間163時間/月、超過労働1時間/月、給与月額662,500円、年間賞与2,633,800円と大学教授とかなり似ている。部長級の年収は1058万円とほぼ大学教授と同じだ。 以上の統計を見ると、日本での大学教授は職種としては高給取りに属する。会社で言えば部長級ということになる。 日本だけを見るより、世界も見てみよう。例えば、アメリカについて、労働省の「Occupational Employment and Wages, May 2015」(http://www.bls.gov/oes/current/oes251112.htm)では、大学教員の平均給与が出ているが、それによれば772.4ドルになっている。1ドル=110円で換算すると850万円だ。これは、教授だけではないので、日本との単純な比較はできないが、大きく差があるというほどでも無いだろう。 全米の各大学教員の給与を示すサイトもある(http://data.chronicle.com/faculty-salaries/)。そこで、教授職の給与をみると、実に多様性がある。東部の有名私大では、2000ドル程度である。筆者が3年間留学させてもらったプリンストン大学は全米10位で1945.53ドルだ。ただし、4542校中、1000ドル超は498校にすぎず、アメリカの平均的な大学の教授給与は、労働省のデータとそれほど違いがないようだ。 以上、日本の大学教授の給与について、日本の他の職種との関係、アメリカの大学教授の給与との関係をみてきた。あくまで、統計数字で出てくるものは平均的な姿である。それらを見る限り、日本の大学教授の給与は、高すぎる、低すぎるというものではなく、まあまあというものだろう。 冒頭の高山氏のブログには、「副収入はあるが、しばしば赤字」、「研究費は年間12万5000円」、「京大をやめません」という追記もある(http://kanakotakayama.blog.eonet.jp/)。 さらに、かつての独立行政法人通則法での「社会一般の情勢に適合したものとなるよう」を引用しながら、圧倒的多数の論調は「私大並みに引き上げるべき」と指摘している。組合交渉で一律に決めるのは不向き ちなみに、現行の独立法人通則法では、給与水準について「一般職の職員の給与に関する法律 の適用を受ける国家公務員の給与を参酌し、かつ、民間企業の従業員の給与、当該行政執行法人の業務の実績及び事業計画の第三十五条の十第三項第三号の人件費の見積りその他の事情を考慮して定められなければならない。」(57条)とされ、国家公務員、民間、人件費見積もりその他の事業を考慮して決めるとされており、民間だけを考慮するのではない。 厚労省の平成27年賃金構造基本統計調査のデータは、国立、公立、私立も含んだ大学教授の数字だ。それをみると、少なくとも京大教授の給与は、「私大並に引き上げるべき」という答えにあらず、すべての大学の平均とかけ離れていない、アメリカと比較しても、著しく低くなっていないという結論になるだろう。 それでも、京大教授の給与は低いという主張もありえるだろう。 その場合、1.低いと思うなら転職、転社(大)すればいい。2.でなければ、兼業許可をもらって企業の経営法務コンサルタント、社外取をやるか、一般向け書籍、雑誌等への投稿で稼ぐ。3.いずれにしても大学教員は個人差が大きく、組合交渉で一律に決めるのに不向き。個人の年俸制(兼業)のほうが個人の満足度は高くなる。と考える。 1が対応策としては、一番手っ取り早い。これを放棄するのであれば、給与は我慢せざるを得ないだろう。ただし、転職、転社(大)しなくても、2の手がある。 ただし、国立大教員の場合、兼職制限がある(国公法103条、104条、教特法21条)。もっとも、営利企業の経営及び法務に関する助言を行う場合には、文科省の許可を得た上で、行うことができる。これを使って、企業の経営法務コンサルタント、社外取をやるのはありえる選択肢だろう。また、一般向け書籍、雑誌等への投稿で稼ぐことも可能だ。 国家公務員から大学教授に転職した筆者から見れば、大学教授は時間の余裕が大きい。大学は忙しいという人も多いが、少なくとも筆者は財務省勤務よりはるかに楽だ。厚労省の平成27年賃金構造基本統計調査では、一月の労働時間161時間となっているが、これは裁量労働なので、形式的な労働時間であろう。大学教授は24時間働いているともいえるが、最小では講義時間にその準備だけともいえる。他業種から見れば自由に使える時間は多いと思う。その時間をどう使うかはその人次第である。「副収入はあるが、しばしば赤字」ということはまずなく、副収入を得ようと思えばかなりできるだろう。 高山氏が給与明細を公表したのは、京大職員組合の活動の一環のようだ(http://kanakotakayama.blog.eonet.jp/default/2014/07/post-c783.html)。京大の教職員給与規程をみると、年功序列体系で一律が大原則のようだ(http://www.kyoto-u.ac.jp/uni_int/kitei/reiki_honbun/w002RG00000911.html)。 はっきりいえば、大学教員は個人差があまりに大きく、組合での団体交渉に不向きである。多くの大学教員にとって、自らが交渉したほうが、はるかに個人の満足度が高まるのではないか。団体交渉は、交渉できない人たちのためにあるもので、大学教員ならしっかりとした自分の意見もいえるだろう。しかも、世間的には、部長クラスの給与だ。普通の会社で、部長クラスは一定の人事権があるので、組合加入して団体交渉するというのはまずありえない話だ。 大学教授といっても監督的な地位にないので組合で団体交渉できるとはいっても、給与の面で部長クラスなので、年俸制(一定の兼業許可)で個別交渉するほうが、いいのではないか。

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    大学教授が「労働者」であってはならない理由

    後藤和也(産業カウンセラー、キャリアコンサルタント) 日本人のノーベル賞受賞が相次いでいる。ノーベル医学・生理学賞の大村氏、ノーベル物理学賞の梶田氏のお二人である。大変な快挙であり、日々の地道な研究努力が実った結果であろう。一国民として、心から敬意を表したい。労基法上は大学教授も労働者である ノーベル賞の授賞者ともなれば名だたる大学の教授陣であることが大勢だ。所属する大学の学長がコメントを求められることからわかるように、大学教授といえども大学という組織に属している立場である。 大学教授というと、日夜研究室にこもって研究三昧なイメージがあるだろう。外部から招へいされての講演や企業との共同研究を精力的に行うことも業務の一環であり、非常にフレキシブルな働き方が可能な印象だ。教授それぞれが、個人事業主的だというイメージになろう。 しかしながら、労働基準法(以下、労基法)に照らせば大学教授も一労働者に過ぎない(労基法第九条:この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。)。従って、労働時間や休日等については、我々一般のビジネスパーソンと同様の規制を受けることとなる。法の趣旨を徹底すれば 去る平成16年4月に、旧国立大学が一律に国立大学法人となり、従来の国の機関ではなくなった。各法人は労働関係法令の適用を受けることとなり、労基署の一斉摘発を受けることとなる。 労基署の立ち入り調査では、労働者としての大学教授の勤怠管理について指導を受けることとなった。すなわち、過重労働防止や健康保全措置等々である。これには当時の国立大関係者は一様に面食らったものである。 従来から、大学教授は労働者である、という認識は自他ともに皆無であったといってよい。大学教授が研究のために深夜まで研究室にこもったとしても、本人をはじめ人事当局さえ、それを残業だと認識はしていなかったであろう。真理の追究は大学教授の使命、さらに言えば喜びである。給料をもらいながら好きなだけ専門分野の研究ができるなんて、夢のような仕事だ。それが従前から現在に至るまでの、大学人における共通認識であると思われる。「理念」と「法」の摺合せが必要だ しかし、前述のように大学教授とて一労働者である。よって事業主は法の趣旨にのっとった労働者保護を行わなければならない。現行、多くの大学では大学教授職について専門業務型裁量労働制を適用し、働き方については本人に大幅な裁量を与えているものと思われるが、それとて労基法のもとでは無制限な働き方を看過するわけにはいかない。 具体には、連日こうこうと深夜まで研究室の電気がついていたら、「先生、お体に障りますのでお帰りください」と人事当局が逐次指導しなければならない。勤務時間の実態把握のために、タイムカードを導入するという施策も必要だ。なぜなら、大抵の大学教授の働き方が、極めて「ブラック企業的」であるからである。「理念」と「法」の摺合せが必要だ 念のため述べるが、筆者はブラック企業やブラックな働き方は、明確に否定する。誰しも健康的に働く権利があり、人を使い捨てにする働き方が肯定されることは、決してあってはならない。 論点としては、「大学教授の使命」という視点に立てば、労基法に定める労働者性の議論が大学教授職において馴染むのか。さらに言えば、画一的に毎日17時に帰宅を促し、土日の出勤を禁じるような働き方のもとで、果たしてノーベル賞級のイノベーションが生まれるのだろうか、ということだ。本人が働くのが好きなんだから、勝手にやらせればいいじゃん、という次元の話をしたいわけではない。 無論、ここまでは「大学教授が、働き方を自ら選択している(できる)」という前提で議論をしている。例えば、教授が部下である准教授に自分と同じような(研究の虫的な)働き方を求めた結果、准教授がそれを負担に感じたとすれば、それはハラスメント性を帯び、ブラック企業と同様の問題となり得る(無論、研究者としてそれでいいのか、という別の議論も生じるのだが)。 大学教授とは何か、という理念的な話と、極めて実務的な法の話は、元来かみあわない議論だ。それゆえ、大学関係者の間では、今現在も理念と実務の間で悩ましい対応を迫られている。労基署からは是正を迫られ、大学教授からは研究の邪魔はしないでくれと言われ、人事当局の悩みは尽きない。 科学技術立国の推進、我が国大学の世界トップレベル化等が国策となり、久しい。そろそろ文部科学省と厚生労働省の折衝等を行い、大学教授職における労働者性の議論をされてはどうだろうか。その議論が曖昧なままでは、当事者も混乱するばかりだ。 国を挙げて、様々なイノベーションが生まれる研究環境づくりを是非とも応援していただきたいものである。【参考記事】■重要法案は「安保」だけではありません~カウンセラーの国家資格化法案が成立したという話。~ (後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント)http://sharescafe.net/46263013-20150914.html■「雑談をしようとせず、仕事が終わったらさっさと帰る部下」は、問題ではありません。 (後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント)http://sharescafe.net/46233171-20150914.html■祝!東尾理子さん第2子妊娠~働く女性への配慮は妊娠初期にこそ必要だ!~ (後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント)http://sharescafe.net/46118904-20150901.html■山本耕史流アプローチがストーカーとならない理由。(後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント)http://sharescafe.net/46042230-20150825.html■組織トップのメンタルケアが急務な理由。(後藤和也 産業カウンセラー・キャリアコンサルタント)http://sharescafe.net/45911315-20150813.html

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    緊急特集! 国を守るって何ですか?

    参院特別委で審議されている安保法案をめぐり、与野党の対立がピークに達した。根強い世論の反対を押し切って法案成立を目指す政府の方針に反対するデモも激しさを増す。政府がいま法案成立を急ぐのなぜか。春香クリスティーンが「ポスト安倍」の呼び声が高い石破茂地方創生相に直撃した。

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    【緊急対談】わが国の安全保障はリアリズムに徹すべきだ

    国民世論の風向きは逆風ですが春香クリスティーン(以下、春香) いま、参議院で安全保障関連法案の審議が大詰めを迎えています。国会前では、学生団体SEALDsをはじめ、安保法案に反対する人たちによるデモ活動がより勢いを増しています。安倍晋三首相は否定していますが、反対派の人たちは安保法案が憲法違反であるとか、戦争する国にするための『戦争法案』であるとの主張を繰り返しています。国民世論の風向きは逆風ともいえますが、政府としてはどう受け止めているのでしょうか。石破茂・地方創生相(以下、石破) 振り返れば、いわゆる有事法制を審議した時やイラクに自衛隊を派遣した時も『戦争法案だ』『憲法違反だ』と言われました。私は防衛庁長官や防衛大臣としてどちらの時も担当しましたから、『有事法制は戦争を起こさせないための法律なんですよ』『イラク派遣と言っても、戦争をしに行くのではなく、イラクの復興を支援するのです』と一生懸命ご説明をして、最後は賛成が反対を上回った、ということがありました。(瀧誠四郎撮影)春香 やはり、6月4日の衆院憲法審査会の参考人質疑で自民党を含む各党が推薦した3人の憲法学者が違憲だと発言した辺りから流れが変わったということでしょうか。その後も自民党の大西(英男衆院議員)さんが安保法案に批判的な報道について『懲らしめなければいけないんじゃないか』という発言をしたり、礒崎(陽輔)首相補佐官が『法的安定性は関係ない』と発言してしまうなど、自民党議員の発言が批判の的になりましたよね。石破さんにしてみれば、正直もう足を引っ張らないでほしいという思いはなかったんですか?石破 政府全体として、最初の想定とは違った部分があったかもしれません。足を引っ張るも引っ張らないも、政府与党は一体ですから、あれこれ言っても何もならないんですよね。色々あって、もしダメージが起きたとするならば、それを全体としてカバーしていくのが政府与党というものでしょう。例えば、300小選挙区には原則すべて自民党の支部があって支部長が居るわけですから、それぞれが自分の受け持っている選挙区で、この法案をどう説明するか、っていうようなこともしなければならない。私はいろんな議員さんの国政報告会やパーティーに週に4、5回は行っていますが、だいたいそこで安保法制の話もします。それぞれがお預かりしている選挙区はそれぞれの国会議員の責任でご説明すべきものですから、報道がどうあれ、本質論を地元でちゃんとする、ということだと思います。ダメージがあった時にどうやって、自民党の議員みんなでそれをカバーするか。もちろん全てをカバーするのは難しいかもしれないけれど、もっともっとみんなで努力しよう、ということなのではないでしょうか。先日、世論調査の結果を受けて、『国民の理解が進んでいると言える自信はない』と会見で発言したら、新聞などはすぐに『内閣批判だ』って書かれましたが、これはまさに『そういう数字だからみんなで努力しないといけないね』ということを言いたかったんです。それを『石破大臣が批判』とか『次期総裁選に意欲』なんて報道されるのは心外ですね。春香 なかなか答えづらいかもしれないですけど、自民党の中でも今回の法案について、実は反対だったり、違憲なんじゃないかと思う議員っていたのでしょうか?石破 いないと思います。たとえ考え方が少し違っても、決まったら皆で実行する。そういうものです。議論を尽くして、決まった結論には、みんなで責任を持たなければいけません。春香 さきほど、話が出た大西さんや礒崎さんの発言だったり、国民の目から見ると、なんとなく自民党自身も一枚岩になれていないのではと思うことがあります。石破 一枚岩かどうかということより、この法案の内容をどれだけの人がきちんと正確に理解して、説明できていますかっていうことなんだろうと思います。例えば、さっき申し上げたイラクへの自衛隊派遣の時も、海上自衛隊をインド洋に派遣していたテロ特措法の期限が切れて、一回撤退を余儀なくされて、その後、衆議院で3分の2の再議決をした時も、渋谷などで街頭演説会をやりました。福田内閣でテロ特措法を延長した時は、高村(正彦)外務大臣、町村(信孝)官房長官、防衛大臣が私で、3人そろって新宿や渋谷の街頭に立ったんです。それはある意味、本気度っていうかな、そういうものを明示的に表したい、ということだったんだと思うんです。だから今回も、国会で安倍総理や中谷(元)防衛大臣ががんばればいいや、ということだけではないんですよね。春香 メディアの特性なのかもしれないですけど、揚げ足を取るっていうのは絶対あると思いますが、法案審議の流れを見ていて、自民党側からボロが出てしまうというのは、なんとなく気がかりなんですよね。石破 そうですね。安倍総裁が政権を奪還した時の衆院選、2年前の参院選、去年の衆院選と、多くのご支持を頂いてきたということと、民主党が未だにあまり国民の理解を得ていないということ、そういう状況に少し驕りや緩みが出てきてしまう、ということには気を付けないといけないでしょうね。日本では安全保障を考える素地がない日本では安全保障を考える素地がない春香 いまの政局を傍からみれば、自民与党は野党に比べて圧倒的に数の上で有利じゃないですか。それでも、こと安保法案に関しては、世論調査の数字とかを見る限り、国民の理解が進んでいないという結果が散見されますよね。それはなぜだと思いますか。石破 まずは、そもそも安全保障を考える素地の違い、というのがあるんだと思います。 何度もあちこちで言っていますが、私は徴兵制を日本において採るべきだとは全く思っていません。それとは別の話として、スイスやオーストリア、日本の一部の方々が大好きな『永世中立』の国は、永世中立であるが故に徴兵制を国民投票で決め、基本法で定めて維持をしている。それは、国家の独立を維持するために何をしなきゃいけないのかっていうことを真剣に考えてきた結果です。そもそも市民国家って何なんだろう、どうして我々スイス人、オーストリア人は、この国家を国王の手から我々市民の手に取り返したのか。それは税と戦争を王の好き勝手にはさせない、という決意によるものです。そして国家を守るために必要な軍隊は、国民の軍隊だから国民が参加するんだ、ということです。 有事法制が国会で審議されていた時に、スイスの『民間防衛』というテキストを何度も何度も読みました。それはどの家にも一冊あり、皆が読んでいるというもので、一般市民が有事の際にどう行動すべきかが書いてあります。スイスだけでなく、アメリカもドイツも、それぞれの国がそれぞれの成り立ちを踏まえて、国家とは何か、軍隊とは何か、国を守るってどういうことか、小さい時からきちんと教わっている。ところが、私は一応大学まで出ているけど、国家とは何かとか、軍隊と警察とは何が違うかって、小学校でも中学校でも高校でも大学でも習わなかったですよ。 日本の大学における憲法学の主流の説では、今でも自衛隊は憲法違反です。私は大学でほとんど(成績が)Aでしたが、自説を書いたら憲法だけCだった。憲法についても、安全保障についても、小学校から高校までは教わらない、大学の法学部で学んだ人は、自衛隊は憲法違反っていう通説を習う、だから素地がないわけですよね。(瀧誠四郎撮影)春香 となると、安保法案に関する国民の理解が進まないのは、日本の教育上の問題もあるということなんでしょうか?石破 根本の問題としては教育もある、ということでしょう。ただ、いま現在、この法案の理解を得るためには、内閣も与党も努力に努力を重ねているけれど、集団的自衛権ってそもそもなんだろうねっていう、イロハのイからお話を始めるっていうのも大事なことかもしれません。 一般的に日本人が親和性というか親近感というか、信頼感を感じているのが国連、『ユナイテッド・ネーションズ』ですよね。『国連のお墨付きがある』って言うと、そうだそうだ、ということになります。では皆さん、なぜその国連憲章にわざわざ『集団的自衛権』が書いてあるんでしょうね、っていう話を、私は少なくとも自分が講演する時にはしています。 第一次世界大戦で多くの犠牲が出て、もう二度とこんな戦争は嫌だっていうので国際連盟が出来ました。でもこの時は、言いだしっぺだったはずのアメリカは参加しませんでした。 それだけが理由ではないけど、この国際連盟は第二次世界大戦を防ぐ事はできませんでした。第二次世界大戦ではもっと多くの犠牲が出ました。その反省を踏まえて、今度つくる国際連合には、アメリカやソ連のような大国には必ず入ってもらわないと意味がないね、ということになった。それで、大国に入ってもらうために、『拒否権』というものを与えようということになった。『他の国が全部賛成って言ってもアメリカが反対したら、国連は動きません』というのが拒否権です。これをアメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中華民国に与えて、だから入ってと。じゃあ入ってやろうじゃないかっていうことになったわけです。 国連憲章では、『戦争』というのは違法化されています。侵略戦争はダメ、国際法上違法ですよ、ということです。じゃあ、悪い国が侵略してきたらどうするの、っていうと、その時は国連軍が来て、悪い国は追い払うから安心してくれと。でもここで、さっきの『拒否権』の問題になるわけです。ちょっと待て、アメリカが反対したら国連って来てくれないらしいぞ。アメリカどころか、ソ連もイギリスもフランスも中華民国も、この5カ国のうち1カ国でも反対したら、国連って来てくれないんだってよ、と。それじゃあ困るっていうんで、国連が来てくれるまでの間、自分の国は自分で守っていいですよ、それが個別的自衛権。関係の深い国々同士がお互いに守り合っていいですよ、それが集団的自衛権。これが国連憲章で集団的自衛権をわざわざ認めた意味なんですよ、って言うと、かなりの方々が分かってくださいます。『そうなんだ、国連ってそういうものなんだ』と。 たとえば仮に、ある国が日本に攻撃をしかけたとして、ロシアが反対と言ったら。春香 そうなると、アメリカというか、国連軍は来てくれない訳ですよね。『必要最小限』の『あてはめ』は情勢の変化で変わる『必要最小限』の『あてはめ』は情勢の変化で変わる石破 そう、国連軍は来ない。だから集団的自衛権があるんです。それは『大国と一緒になって世界を侵略する権利』では全くなくて、『大国の横暴から小国が身を守る為にできた権利』なんです。この説明は、かなりご理解頂けていると思います。 『憲法違反だ』という指摘については憲法9条をよく読みましょう、ということに尽きます。 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 このどこに『集団的自衛権はいけない』って書いてあるんですか。どこにも書いてないです。それで、どこが憲法違反なんですかっていうことです。(瀧誠四郎撮影)春香 でも、これまで歴代の法制局長官たちはそう言ってきたような気がしますが…石破 そう、今までそう言ってきた。法制局はそう解釈してきたわけです。武力行使は自国を守るための必要最小限でなくてはならず、集団的自衛権というのはその必要最小限を超えるから、ダメなんだと。しかし、憲法をよく読めば、その『必要最小限』というのも憲法9条には書いていない。それは国際慣習法で定められた自衛権の3要件、①急迫性の武力攻撃があること(即時性)、②他に取るべき手段がないこと(必要性)、③必要最小限度の武力行使に留まること(均衡性)、というものが前提としてあるわけです。憲法9条の『国際紛争を解決する手段としては』っていうところは、『侵略戦争はダメだけど自衛戦争はいいんだよね』っていうことの確認です。自衛権の行使であれば3要件。で、3要件にいう『必要最小限度』というのは、向こうが強ければ上がるし、向こうが弱ければ下がるし、あくまで量的概念であって、質的な概念ではないのです。 そこで、さて、いま皆さんのいる日本を取り巻いている状況っていうのはどうなんでしょう、という『あてはめ』が必要になってくる。要するに自衛権行使のあり方にいう『必要最小限』っていうのは、その時々の状況によって変わってくるものなんです。春香 そういう意味でも、昔と今と比べると条件や状況が変わっているんですね。石破 まさにそういうことです。例えば、日露戦争で機関銃が発明されて、一遍に大勢の犠牲者が出るようになった。第一次世界大戦で飛行機が発明されて、それまでは敵が来るまで何カ月も何週間も時間的な余裕があったのが、何時間か何分かで来るようになってしまった。そして第二次世界大戦でとうとう核兵器ができて、一遍に何十万人、何百万人の犠牲が出るようになり、また量的に拡大した。ましてや今のサイバーの時代はパソコンのキーを叩くだけで、何秒かで国家の機能が停止する。ウチは関係ないもんねって言っているうちに瞬時にして、自分の国に対する重大な攻撃に変わりうる時代なんですよ。 だから解釈変更と言うけれども、法制局の解釈でも『必要最小限』という解釈は変えていない。ただ、『あてはめ』の部分が、このような情勢の変化によって変わるということです。今までは、集団的自衛権はこの『必要最小限』を超えちゃうからダメだと言ってきた、だけど、それって他の国の話だよねなんて言っているうちに、あっと言う間に自分の国に降りかかって来るような時代になったのだから、今まで『必要最小限』を超えると言ってきた集団的自衛権を『必要最小限』の中に入れて、守りを固めないとまずくないか、ということなんです。春香 それでも、法制局長官が国会で『集団的自衛権の行使は認められない』と答えてきたのはなぜでしょうか?石破 法律を作るのが立法、解釈をするのが司法、法制局は行政において法解釈をする立場ですから、実際の事象に照らした『あてはめ』を積極的にするのは彼らの仕事ではなかった、ということかもしれません。 純粋に法律の解釈のみに基づいて言っている人でも、『憲法違反だ』って言うのには二つの流れがあります。日本の大学で教えている通説のように『自衛隊そのものが憲法違反だ』という立場に立っている人は、個別的自衛権もダメなんです。一方、法制局が言っているのは、『個別的自衛権はいいけど集団的自衛権はダメ』っていうことです。この二つの流派があるのに、それがごっちゃになって『反対』と言っている。8月26日には大学の偉い先生方がたくさん集まって反対反対とおっしゃっていた、そこに宮崎(礼壹)元法制局長官など歴代二人の法制局長官が出られてましたが、多分このお二人は後者の流派、『個別的自衛権はいいけど集団的自衛権はダメ』な立場だと思います。一方で、他の大学の先生方の半分以上は、多分『個別的自衛権もダメ』っていう立場ですよ。春香 それぞれ、いろんな立場の人が、いろんな主張をしているけど、なんとなくこう、ごちゃごちゃとしている状況がまさに今なんですね。石破 反対派もそこまで統一しようと思うと分かれてしまうから、漠然と『憲法違反の戦争法案』というレッテルを貼る。だけど、皆さんにはちゃんと考えてほしいんです。戦争戦争と言っているけれど、国連憲章を読んだことはあるんですか。国連憲章において『戦争』はもはや違法なんです。『戦争はしちゃいけない』っていうのは国際ルールなんです。じゃあなんでそんな事を言うんですかっていう話です。『憲法違反』って言われたら、そうおっしゃる貴方はどちらの立場ですか、個別的自衛権もダメという立場ですか、と問うべきでしょう。少なくとも民主党は『そうです』とは言えないでしょうね。社民党、共産党はどうなのか、ちょっと私は分かりませんが、どういう立場でこの人は反対と言っているのかなってことも、よく分析しないといけない。そのように政府も今までやって来たと思うけど、これから先も、成立までみんなで努力する、ということです。理解してもらえなくても諦めたらダメ理解してもらえなくても諦めたらダメ白岩賢太編集長(以下、白岩) いきなり横から入ってすみません。とはいえ、わが国には軍隊はそもそも『悪』だと思っている人もたくさんいます。そういう価値観を持った人たちに今回の安保法案の意味を理解させるというのは至難の業のような気がしてならない。日本史を遡れば、日本人の心の奥底には『軍隊は穢れである』みたいな感覚がどこかにある。よく、作家の井沢元彦さんがおっしゃっていますが、そもそも平安貴族にとって、都を守る武士は『穢れ』そのものであり、決して近づけようとしなかった。いまの時代で言えば、自衛隊というのは、平安時代の武士のような感覚で毛嫌いする人も結構いて、自衛隊という存在をそもそも生理的に受けつけない人が果たして安保法案をどこまで理解できるのか。いや、もしかして永遠に理解されないことだってあり得るという気はしませんか?(瀧誠四郎撮影)石破 軍隊と警察の違い、というのも、防衛庁長官の頃から折に触れて講演してきたことではあります。国の独立を守るのが軍隊であり、国民の生命財産や公の秩序を守るのが警察なんです。似たようなものに見えるかも知れないけど、全く違うのです。軍隊は国の独立を守るためのものだから、その力は国の外に向かってしか使っちゃいけない、軍隊の力は絶対国民に対しては使っちゃいけないものです。一方、警察は国内にいる悪い人から国民の生命財産や公の秩序を守るものだから、特別な協定がない限り、東京警視庁が北京に行って活躍してはいけない。日本にニューヨーク市警が来て活躍しないのと一緒で、日本の警察が外国に向けてその力を発揮することはない。つまり、国内的なものが警察で、対外的なものが軍隊です、何故なら守るものが違うからです、っていうことです。 国の独立を守るって何ですか。国家というのは領土と、国民と、統治機構でできているから、それらが侵された時にそれを排除するということです。それがなくて、どうして国の独立が守れるんですか。だから、『軍隊はいらない』っていっている人は、『独立はいらない』って言っているのと一緒だと思います。 じゃあ、何で独立が必要なんだ。例えば、日本においては、産経新聞が何を書こうが、朝日新聞や東京新聞が何を書こうが、言論の自由は保障されています。どんな神様を信じても、信教の自由は保障されています。基本的人権といわれるもの、あるいは言論の自由、報道の自由、結社の自由、それを守れるのは日本国、国家だけです。日本人の権利や自由を、他の国が守ってくれることはありえない。国民一人一人の権利や自由を守るために国家は存在するのです。その国家自体が外敵から侵された時に、それを排除しなければ、国民の権利や自由は誰が守ってくれるの。 向こうが武力で来たら武力で抗するしかない。だから急迫不正の武力攻撃がなければ、自衛権は発動しちゃいけないし、外交交渉で解決できるものがあれば、外交交渉によるのであって、だからこそ『他に取るべき手段のない時』って言っているわけじゃないですか。『倍返しだ』なんてことは言っちゃいけない、必要最小限度のものしか使っちゃいけないよ、ってなっているんです。軍隊が穢れだなんてとんでもない話で、国民一人一人の権利や自由を守ってくれるのは国家、その国家を守るために軍隊はあるのです。皆さん方、この国会でいろんな事をおっしゃる。安倍政権に対して罵倒的なことまでおっしゃる。でもそれはきちんと保障されている、それは国家があるからでしょう。白岩 なるほど。僕自身は理解できますが、やはり軍隊を『悪』だと決めつけている人は、それでも理解できないかもしれません。石破 でもね、変わらないって諦めたらダメなんですよ。説得するっていうのはそういうことなんじゃないかと思います。軍隊は国家権力を笠に着て国民を苛めるものだと思っていませんか、と。今の自衛権の3要件を見てください、法案をちゃんと読んで、国連憲章を読んでください。昔の特高警察や憲兵のように、国内に向かって力を使うようなことはできません。『いつか来た道』にはなりません。今、自衛隊は、国外から侵略して来た勢力に対してしかその力を使いません。それは国民の自由、権利を守ってくれる国家そのものを守るためなんです。と、今までこういう風に色々なところで説明してきて、説得力のある反論をされたことはないと思いますよ。有事法制は一般市民を戦場から避難させるための法律有事法制は一般市民を戦場から避難させるための法律春香 じゃあ、今まさに国会前でデモをしているSEALDsのような、反対派の人たちに対して大臣自身が何か訴えるとしたら、何を一番伝えたいですか?(瀧誠四郎撮影)石破 『安保法案は戦争をしないための法案です』っていうことじゃないでしょうか。さきほどから言うように、有事法制の時にも『戦争法案、戦争法案』って言われて、私も何度も国会で答弁しました。これは、『なんで大東亜戦争で大勢の民間人が犠牲になったのか』ということに通じる話なんです。沖縄でもそうだけれども、『戦場』に民間人がいたからです。当時の日本人、沖縄の人たちも、『軍隊さんと一緒にいれば安全だ』って思ってしまって、軍隊と共に行動してしまって、亡くなってしまった。戦争の時には軍隊と行動しちゃいけない、そもそも市民は戦場にいちゃいけないんです。それを国として、政府として徹底しなかった。東京大空襲の時も防空法ってあったのに、内務省が所管するのか陸軍省が所管するのかって大喧嘩ばっかりして、民間人の避難を進められなかった。雨あられと爆弾が落ちた時に、疎開という名で地方に避難できていたのは子供達だけでした。女性も老人も、いわゆる非戦闘員がいっぱい残っていて、大勢の人が亡くなった。 戦後、なんでこんなにたくさんの人が死んだんだとアメリカのほうが疑問に思って、『戦略爆撃調査団』っていうのを日本に送ったんです。たとえば、私の地元である鳥取市では、アメリカは空襲をいついつやりますってビラを撒いたそうです。『みんな避難しなさい、アメリカは罪の無い市民を殺すつもりはありません、何月何日に鳥取市を爆撃しますよ』と。それはみんな憲兵隊に回収されて、結局、罪もない人たちが大勢亡くなった。 有事法制っていうのは、そういう時に一般市民、民間人を戦場から避難させるための法律なんです。そして有事法制がなければ、戦車も赤信号で止まらなきゃいけなかった。道路交通法に例外規定がなかったからです。阪神大震災の時にパトカーも救急車も消防車も赤信号を無視して突っ切る中で、自衛隊車両は全部赤信号で止まった。自衛隊の車は緊急車両じゃないですから。クルクル回る赤いランプは付いてませんし、サイレンも鳴らしていませんから。そんな馬鹿なことは直さなきゃいけない。有事の際に、自衛隊が最前線に出られなかったらどうするんだ。日本に攻めて来た国の戦車は赤信号では止まらないんですから。あるいは、大勢の人が怪我したので野戦病院を作りたくても、有事法制がなければ野戦病院を作るのに厚生労働大臣の許可を取らなければいけなかった。まあ一カ月はかかりますよね。それじゃあ、助かるはずの人も死んでしまう。 仮に、日本を武力で攻撃してやろうっていう意図のある国があったとして、自衛隊はこんな状態で最優先で戦場には出てきません、あるいは戦場には市民がうろうろしていて格好の標的です、だったらやってしまおうか、という『隙』を与えるわけですね。そうじゃない、そんなことになったら、市民は戦場にいないよ、自衛隊は速やかに対応するよ、そうしたらその国は『やっても勝てない』と思って諦めるかもしれない。それを拒否的抑止力といいますが、有事法制ってそういうものなんですよ、っていう説得を、私は延々と国会でしていたわけです。この時は、最後は民主党も賛成して、有事法制が成立しました。白岩 集団的自衛権については今回、限定的な容認について議論しているわけじゃないですか。そもそも、なぜ限定的になったのか? 石破さんご自身の中には、もしかすると忸怩たる思いみたいな感情はあったのでしょうか。これは失礼な言い方かもしれませんが、結局は妥協の産物だったという見方はやっぱり言い過ぎですか?石破 『集団的自衛権』という言葉自体に国民的な反発も凄く強いから、本当に日本国民の平和と権利を根底から覆されかねない場合、つまりみんながどう考えても使わなければ国民の権利や生命財産が守れないと思う場合に限って行使を容認しましょうと。だから国際標準の集団的自衛権の概念からは少し違うものになっているけど、それは悪意に基づくものでもなんでもなく、せめてこれだけは必要でしょ、という考え方なんじゃないでしょうか。春香 だったら憲法を改正して集団的自衛権の行使を認めるようにすればいいじゃないかって、よく言われますけど、たとえ限定的ではあっても、いま進めなければならないってことですか?石破 繰り返しになりますが、私たちの考え方として、従来の自衛権についての憲法解釈のコアな部分、つまり『必要最小限』という部分は変えていないんです。今まではその中に『集団的自衛権』は入らない、としていたけれども、いまはその『必要最小限』の中にも『集団的自衛権』と国際法上言われるもののごく一部が含まれるんじゃないでしょうか、ということなので、憲法の改正は必要ないと思っています。しかし今の法案の話とはまた別の話として、そもそも日本国憲法は日本国が独立していない時にできた憲法なので、独立を維持するために必要な『軍隊』について条文に書いてないのは、ある意味当たり前のことなんです。 だから独立して3年後に結成された自由民主党が憲法改正を党是に掲げたのは、独立してない時に出来た憲法だから、条文に軍隊が盛り込まれていないので、そこをちゃんと補充しようよと訴えたという、すごく論理的な話だと思います。今のままでは憲法改正を実現するのは無理今のままでは憲法改正を実現するのは無理(瀧誠四郎撮影)春香 安全保障に関する議論をこれから先も続けていく上で、やっぱり日本国憲法が足枷になるのは目に見えている。たとえ憲法改正が自民党の党是ではあっても、今のままでは憲法改正を実現するのは無理ですよね。石破 そうですね。でも無理だって諦めてしまったら何にもできないんですよ。私ももう十数年ずっと『なぜ憲法改正が必要なのか』という話をしてきています。独立国家とは国民の権利をきちんと守る事ができる国家のことなのだから、独立国家たる日本に相応しい憲法が必要だ、ということです。『国家というのは悪で、国民の権利を蹂躙するものだ』という反対論がありますよね。そうじゃありません、国民の権利を守るための国家なのです、それは考え方が全く違います。軍隊を持たない国というとコスタリカが挙がりますが、そもそも軍隊を持てるだけの状況にない、あるいは周囲に全く脅威がなく持つ必要がない、という違いを考えなければいけない。小国でも例えば2002年に独立を果した東ティモールには軍隊があります。日本は独立当時PKO任務で多くの自衛官を派遣していました。東ティモールが独立する時の大統領で今、首相を務めるシャナナ・グスマン氏とは、国家の独立とは何かという話を随分としました。国民の権利を守るための国家、その国家を守るための軍隊、これを一人一人なるべく多くの国民のみなさんに話していくしかないでしょう。春香 なるほど。でも、日本にいる限りは、リアリティがないと感じることがあります。だって戦後70年、一度だって日本が他国から侵略されたという事実はないわけですから。石破 でもリアリティを持ったら終わりですよね?春香 そうなんですよ。だからリアリティを感じたら終わりだってことを分かっていながら、どうしても理解できない。戦後70年間、一度も他国に侵略されなかったから、おそらく今後100年たっても侵略される事はないだろうって、どこか安心感みたいなものがある。多くの国民にとっても、実はこれがリアルな感情なのかなと思ってしまうことがあります。石破 そうすると歴史のイロハのイまで戻らないといけない。春香 そうなんですよ。結局は歴史の勉強になってしまう。戦争のネタはこの世の中いくらでもある戦争のネタはこの世の中いくらでもある石破 人類の歴史って戦争の歴史でしたよね。たまたまここ70年、世界的な大戦争が起こってないだけの話で、戦争のネタはいっぱいある。日本人は12月24日のクリスマス・イヴにクリスマスおめでとうと言い、一週間経つと大晦日で除夜の鐘を突き、その足で初詣に行くわけだから、一週間に三つの宗教行事をこなす不思議な国民なんですよ。そして私は何回聞いても、イスラムのスンニ派とシーア派のどこが違うかよく分からないんですよ。春香 なるほど。石破 同じイスラム同士で殺し合いをするわけですよね。宗教をめぐって戦は起こる。日本人が鈍感なだけのことです。領土をめぐっても戦は起こる。アルゼンチンにフォークランドを取られたら、イギリスは大艦隊を送って大戦争を起こして取り返した。民族が違っても戦争が起こる。政治体制が違っても戦争が起こる。経済間格差があれば戦争が起こる。戦争のネタっていうのは、この世の中いくらでもあります。冷戦の時代は、世界はアメリカに付くものとソ連に付くものとに大体二つに分かれました。しかしそれぞれの親分である米ソ両国は核兵器を何千発と持っていて、お互いが撃ち合ったら地球が何回滅びても足りないと分かっていたから、とても恐くて戦争なんかできないということで「冷戦」だったわけです。でもソ連が崩壊してアメリカ一強になったら湾岸戦争が起こり、イラク戦争が起こり、あっちこっちでやれ民族だ、やれ宗教だ、やれ領土だと戦が起こるようになった。なんで『今まで戦がなかったからこれからもない』なんて言えるんですか、違うでしょう。ましてや9.11以降は、国家ですらないテロリスト、テロ集団が、従来は国家にしかできなかったような大規模な破壊行為を行えるようになってしまった。大変な時代なんですよ。だからこそ、あのときから営々と政府は有事法制を整備し、テロ特措法を作り、イラク特措法を作ってやってきた。その延長線上に今回の法制はあるんです。それはリアリティがないからこそ、平和な時にやらなきゃいけない。戦争の時になって法案作っても遅いんです。白岩 日本の歴史をひも解けば、リアリティを感じた時に初めて国民が軍隊の必要性に気づいたという歴史的事実はあった。例えるなら、鎌倉時代に元寇という国難があったとき、多くの民は元の侵略を退けた武士が頼りになる存在だと実感した。自分が本当の危機にさらされない限り、それが分からないという感覚も、人間の本能というか、感情なのではないでしょうか? 『平和ボケ』って言葉で片付けてしまえばそうなのかもしれない。石破 だから、先ほど言ったように、なぜドイツが長く徴兵制を維持してきたのか、なぜ永世中立を唱えるオーストリアやスイスが徴兵制を維持しているのかを考えることが大切なんです。これらの国では、平和はみんなが努力しなければ保てないものなんだ、きれいごとの世界じゃない、ということを徹底して教え込まれている。ドイツが日本と同じ敗戦国でありながら徴兵制を維持してきたのは、軍隊は市民の中にあらねばならず、市民と軍隊が乖離したからナチスが台頭したという反省に基づき、常に軍隊は『軍人である前に市民であれ』という意識を徹底しているからです。さすがにハイテクの塊のような現代の軍隊で素人を使う徴兵制を続けるのは難しいので今は停止されていて、フランスも同じ理由で徴兵制をやめましたが、フランスには『国防の日』という制度があって、徴兵年齢に達した男女がフランスの安全保障政策や軍の考え、装備などを学ぶ。これをしないと大学の入学資格も運転免許ももらえないんですよ。これが、皆が『自由と平等と博愛の国』と言ってるフランスです。平和の憧れのスイスは徴兵制です。そういえばスイスのパンはおいしくないですよね(笑)。春香 そんな事はないと思いますよ(笑)。(瀧誠四郎撮影)石破 たぶん、おいしくないんです(笑)。これには理由があって、スイスではその年に取れた小麦ではパンを焼かないんだそうです。一年分は備蓄するからです。農林水産大臣だった時、スイスのロイタードという女性大臣と議論した時に聞きました。スイスの卵は高いんだそうです。隣のフランスから輸入すれば安く手に入るのに、スイス人はスイスの高い卵しか買わない。その理由は、フランスの卵を買ったら罰金があるとかいうわけではなくて、スイスの卵を作っている農家があってこそスイスの独立があるんだと教育しているからだそうです。国を守るのは軍隊だけの問題ではないと。春香 自分達の国を、農家を守りたいっていうことなんですね。石破 そういうことですよね。本当の話だからね、これ(笑)。こういうね、皆が憧れるスイス、皆が憧れるフランスはどうしてるんだっていうことも、もっときちんと広めるべきだと思うんです。春香 そうやって考えると、日本人とフランス人の意識も、歴史的な背景や地の利の部分もあるのかもしれないですけど、まったく違いますよね。石破 違いますね。日本人は、最後はアメリカが何とかしてくれると思ってるんじゃないでしょうか。でもアメリカだって、自国の国益に適わなければ戦わない。その時に気がついても遅いんですよ。私はそんな事態にはしたくないから、ずっとこの仕事をやってきたんです。春香 今回の安保法制の問題で言えば、アメリカが内向きな考えに変わったことで、日米同盟や日米安保が揺らいでいるという見方がありますよね。実はそういう背景もあって、安倍総理が法案成立を急いでいるという指摘はいかがでしょうか?石破 別にアメリカの力が落ちてきたからそれを補うために集団的自衛権の話をしてるわけじゃありませんよ。もしそうであれば、日本は部分的ではなく、フルスペックの集団的自衛権を認めなければ意味がないでしょうね。そうでないと論理が通りません。それだけが理由だったら、『何だアメリカの理屈かよ』って話になるでしょう。そうじゃなくて、我が国の独立と平和をこれからも維持するために必要だから成立をめざしているんです。春香 わが国の安全を守るためには、やっぱりアメリカが日本離れになってしまっては困るわけですよね。石破 同盟には、『同盟のジレンマ』っていうのがあります。『巻き込まれる危険』と『見捨てられる危険』、同盟っていうのは常にそのジレンマを抱えるものです。自分は関係ないのに相手の戦争に巻き込まれるのは嫌。でも、自分が危機に瀕しているのに見捨てられるのも嫌。どうやってそのジレンマを解消していくかが同盟のハンドリングです。それは同盟というものが、単なる紙切れ、条約一枚ではないことと同義なんですね。お互いの努力がなければ同盟関係は良好に維持できない。日本国を守ることがアメリカの利益でもあるとアメリカが思わない限り、日米同盟は継続できません。どの国も自分の利益、自国の国益が第一に決まってます。だから、集団的自衛権を限定的に認めることによって、アメリカが『やっぱり日本は守った方がいいな』と思えばそれはそれで良いこと。だけど、法案の集団的自衛権の目的はあくまでも日本国の防衛であって、同盟だけが理由ではないということです。国民がどんな議員を選ぶかにかかっている国民がどんな議員を選ぶかにかかっている春香 いまさら愚問かもしれないですけど、今回の限定的容認によるメリットとデメリット、逆に国民にとってはリスクというか、こういう事に巻き込まれてしまう危険性というのは何でしょうか?石破 メリットは、抑止力が向上して、日本がこれからも平和でいられる環境を整えられること。巻き込まれるかどうか、という議論は、本質的には同盟がもともと持っているものだから、集団的自衛権の行使と直接関係するわけではないと思います。でも状況を判断して、このままでは日本国の存立自体が危うくなる、だから集団的自衛権を行使しなければならない、となったら、最終的には議会が承認するかどうかにかかってますからね。ということは、どんな議員を選ぶかにかかっているということです。本当に軍事について見識があり、国益をきちんと認識している、そういう議員を国民が選出していれば、ただ巻き込まれるだけのような戦争に集団的自衛権を行使して参加したりはしないでしょう。春香 いくら法律が良くても、それをどういう人が操るかによって左右されるということですよね。石破 そうです。その議員を選ぶのは国民ですから、歯止めといえばそれが最大の歯止めです。猪瀬直樹さんが著書『昭和16年夏の敗戦』で書いていることは、多くの方に知っておいていただきたいと思うんです。『昭和20年夏』ではなく、『昭和16年夏』です。その昭和16年の夏に、当時の陸軍、海軍、大蔵省、外務省、内務省などの主要な官庁、日本銀行、同盟通信など主要な企業の三十代の最も優秀な人を集めて、今のザ・キャピトルホテル 東急の辺りに総力戦研究所というのを作って、内閣が今で言うシミュレーションをやらせたんです。そこで出た結論は、対米戦争は絶対に負ける、何をやっても勝てない、ゆえにいかなる理由があってもこの戦争はしてはならない、というものでした。それでも大日本帝国は対米開戦した。何故でしょうね。春香 止められなかったんですね。石破 そうです。もうここまで来たらやむを得ないと。陸軍は陸軍で、海軍は海軍で、戦争なんかできませんと言ったらもう予算をやらないと言われていた。これだけ莫大な国家予算を注ぎ込んで陸海軍を作ってきたのは何のためだと。 アメリカと戦争できない陸海軍だったら予算はやらないと。その時に陸軍大臣の東条英機が言ったと言われる言葉が残っていて、『戦は時の運。やってみなければ分からない』。だけど当時の一般国民は、日本の国力がどれほどで、アメリカの国力がどれほどかを知っていたか。春香 知らなかったですよね。石破 知らなかったですよ。むしろ言われていたのは『鬼畜米英』、アメリカは鬼だ、イギリスは獣だ、叩くべきだと。そしてアメリカなんぞは民主主義の国だから、一回最初に叩いてしまえば、怖気づいた国民が戦争反対となって和平に持ち込めるんだ、などという出鱈目を国民に教えて、二百万人が犠牲になった。(瀧誠四郎撮影)春香 そういう事態にならないためにも何が必要ですか?石破 主権者たる国民に、きちんとした情報を開示して、知識をもってもらうことです。そして感情的に煽らないことです。煽るのが一番危険ですよ。それで戦争になったのですから。春香 その当時は国民が知らなかった訳ですよね。今というか、どの状況でもそうですけど。国民がそれを正しいかどうか判断するのってなかなか容易ではないと思います。石破 だから報道機関の役割は大事なんでしょう。まっとうな情報と知識を伝えるのが報道機関の役割であって、煽る事じゃないでしょう。そこはさっきも申し上げたけれど、例えて言えば、どれだけ産経新聞をいわゆる左派の人に読んでもらうかというような努力ではないでしょうか。『煽らない』というのは、いわゆる左派でも、極端な右派でも同じことだと思います。そういう意味では、単なる感情論的な中国や韓国への反対論もそうです。中華人民共和国という国が分裂・崩壊したら、我が国もそれこそただでは済みません。しかし、経済が資本主義で政治が一党独裁という国家形態は、安定的でサステナブルなものとは言い難い。資本主義は貧富の格差を生み、権力と資本の癒着を生むものです。そうならないために一般的な資本主義国家においては福祉システムを整備して格差を縮小し、三権分立や独占禁止法など様々な手段によって権力と資本との癒着を防いでいる。果たして中国においてそれが可能なのか。中国という国家の崩壊、核兵器を持った国の分裂は、ソ連の末期を考えればどれほど危険なことか想像がつくと思います。だから政治家も含めて実務家には、中国が好きだとか嫌いだとか言う余裕はないんです。我々が考えるべきは、あの国が安定的に発展し、海外に覇権を求めず、資源と食糧を求めて海外に出ないために何ができるんだっていうことです。安全保障というのはリアリズムに徹すべきものであって、イデオロギーの世界ではないんです。

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    ワイセツ裁判 はじまりました!

    iRONNA読者のみんな、まんにちは! わたしはまんこの妖精“まんこちゃん”。身長150せんち、体重りんご100個ぶん、趣味はエゴサーチと発酵料理と500円玉貯金だよ! ところで、まんこの生みの親であるまんこアーティストのろくでなし子さんの事件のことは、みんな知っているよネ!? ざっくり説明すると、ろくでなし子さんはその活動や作品がワイセツでけしからん!とのことで、2014年の7月と12月に2回も逮捕され、2014年12月のクリスマスの日、ついに起訴されてしまったよ。 そしていよいよ裁判がはじまったので、このコラムでその様子を連載することになったのだけど、なし子さんは今、逮捕バブルであちこち飛び回って忙しいから、代わりにまんこがこのコラムを担当することになったんだ。よろちくびだよ!裁判もニコ生で流してほしい さて、2015年4月15日、めでたくも仏滅の水曜日は、ろくでなし子事件の初公判。10時からはじまるその裁判の、たった25枚しかない傍聴券を獲得するため、平日の朝9時半に200人くらいの人たちが裁判所の前に並んでいたよ。まんこは関係者だから入れたけれど、こんなに注目されている裁判だったら、もっと人が沢山入れる法廷にすればいいのに!なし子さんも、「こっちは堂々と闘いたいから裁判もテレビとかニコニコ生放送で流してほしい」って言ってたよ。なんでコソコソ隠すのかな? ヘンなの~。 とにかく裁判は10時からはじまりまんこ。この日は、裁判官も、検察も、なし子さんも、お互い顔を合わせるのが初めての日。 テレビドラマでいうなら、初回のメインキャストのキャラクター紹介みたいな感じ。 裁判官は男女あわせて3名。これは珍しいことで、なし子さんのような罪状が軽い事件の裁判だったら、裁判官は一人なのがふつうなのに、まんこなだけによっぽど慎重に扱わないといけないと思ったのかな。3人のうち、主任の裁判官は真面目そうな女性だったよ。(裁判官が不真面目そうだったら困るよね!) なし子さんのライバルである検察官も男女あわせて3名いたよ。主任は若い女の人。ろくでなし子さんいわく、法廷ではキツそうだけど、飲み屋とかで会ったらノリノリで打ち解けそうなタイプだって。 ろくでなし子さんの方は、弁護団が7名。そのうち説明したいけど、弁護団の先生方も、オタクロイヤーって自分で言ってるやまべんや、ミュージシャンをしている先生が二人もいたり、みんなキャラクターがたっていて面白いよ。 さて、まずはキツそうな検事の女性がろくでなし子さんの罪状をざっくりドヤ顔で述べたあと、ろくでなし子さんの意見陳述タイム。なし子さんは、12月の、まだ留置場にいた時にも「勾留理由開示裁判」という、なんでわたしが身柄を拘束されなきゃいけないの?と訴えることができる裁判でまんこをれんこしまくって、その時の裁判官に「言い方を工夫しなければ退廷させます!」と怒られちゃったんだ。 「なぜ『まんこ』と言ってはならないのか?」という真剣な問いかけなのに、まんこと言ってはならないのは、おかしな話だよ。 けれど単に「まんこ」を言い張りたいヘンな人に見られたら損だなと思ったろくでなし子さんは、今回の裁判では、「まんこ」発言は一回にとどめたんだって。 代わりになし子さんは、まんこアートの作品名を列挙していったよ。 なし子さんがまじめに作った作品はワイセツなんかじゃない、楽しくてユーモラスな作品なのだということが、タイトルでも伝わるはずだから、と。 「スイーツまん」「ジオラまん」「リモまん」「レディガガまん」 「草間彌生にオまーんジュまん」「暗闇で光るシャンデビラ」「iPhoneが入らないiPhoneカバーまん」「まんこを船にしたマンボート」… ろくでなし子さんは真剣に裁判官に訴えていたけれど、傍聴していた人によれば、iPhoneが入らないiPhoneカバーまんあたりで笑いをこらえきれない人も居たみたいだよ。フェアじゃない! 隠したがる検察 そんななし子さんの意見陳述タイムがこの初公判のメインステージだから、意見陳述が終ってしまったら、あとは検察が証拠品―なし子さんの作品の中でも特にこれがワイセツだ!という3点のデコまん―を法廷に持ってきて、「これはあなたが作った作品ですね?」「はいそうです」という確認をする事務的なやりとりだけで、退屈かな?ってまんこは油断していたよ。ところが、そうじゃなかったんだ…。 検察は、その確認作業をなぜか傍聴人に隠すように、わざわざ面白い見せ方を仕掛けたんだよ。 通常の裁判では、たとえば被告人が使用した覚せい剤や大麻、犯行に使った凶器などを被告人に確認させる際、傍聴人にも特に隠さず、その場で堂々と示されるものなんだって。 だけど問題の3つのデコまんは、おそらく検察がお手製の深さ20センチくらいの深い木の箱に、風呂敷をかぶせられて登場したんだよ。まるで風呂敷をとったら鳩がでてくるマジックショーみたい。そしてその木箱は、傍聴席からは絶対見えない場所に置かれて、ろくでなし子さんはのぞきこんで見ないと3つの作品を確認することができなかったんだ。箱にはご丁寧にお手製の仕切り板がしこまれ、そこにプチプチが敷かれ、壁面には黒い画用紙まで貼られていたんだって。こまけー! っていうか、これがワイセツかどうかを堂々と裁判で争いたいっていってるのに、なんで検察はそこまで必死に隠したがるの? なんだかちっともフェアーじゃないよね!  そんな疑問をおおいにはらんだまま、初公判はビラビラと幕をとじたよ。ちなみに、検察が特にワイセツだと認定したデコまん3点のうちのひとつである「スイーツまん」はインターネットでググレばいつでも観れるんだ。 だから、このコラムを読んでくれて、それでも「まんこ=エロいもの」というイメージをふっしょくできないおじさん達にも是非、スイーツまんの画像を見て、コレが本当にワイセツなの?って自分の頭で考えてほしいよ。ワイセツって何ですか? つづく ※次回ろくでなし子のワイセツ裁判は東京地方裁判所にて、5月11日(月)10時からはじまりまんこ! (記者:まんこちゃん)※原文のまま掲載しております■ろくでなし子第2回公判速報 3D女性器「生々しさなく興奮は変態」(2015年5月11日 日刊スポーツ)

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    山本みずきがゆく 変革のキューバ

    iRONNA特別編集長、山本みずきが、カリブ海に浮かぶキューバを目指して旅する企画がスタートします。今年1月、アメリカとの国交正常化交渉に入ったキューバ。長く断絶状態が続く両国の関係は、新たな局面へ動き出した。いま世界の注目を集める「変革の島」を山本みずきが訪れ、キューバの今を伝えます。

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    プロレスは死んだのか

    61年前のきょう、2月19日は日本プロレス界の夜明けとなった。戦後ニッポンのヒーロー、力道山が米国人レスラーを相手に死闘を繰り広げた一戦に日本中が熱狂した。それから幾度もブームが去り、いま再びプロレス人気に復活の兆しがみえるという。このブームは本物なのか。

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    ジャイアント馬場には戦後が詰まっている

    ターザン山本!(元『週刊プロレス』編集長)柳澤健(ノンフィクション作家)BIデビュー50周年──柳澤さんは『1976年のアントニオ猪木』(文藝春秋)、『1993年の女子プロレス』(双葉社)、『日本レスリングの物語』(岩波書店)、『1985年のクラッシュギャルズ』(文藝春秋)と、プロレスにかかわる本を書いてこられて、ついに今回のテーマは「世界の巨人」ことジャイアント馬場さんです。 特に1960年代にアメリカで大成功を収めた馬場さんの姿を、当時の資料や証言から浮き彫りにさせています。今回、馬場さんを書こうと思ったキッカケは?柳澤 僕のギターの先生で打田十紀夫さんという人がいるんですが、彼はジャイアント馬場の熱烈なファンなんです。 2011年3月末、震災から半月くらい経った時に、打田さんとプロレスラーの渕正信さんと酒を飲む機会があった。プロレスラーと同席するのは怖いんですよね、絡まれたらどうしようとか思って(笑)。でも渕さんは凄く紳士で、僕の本も読んでくれていて「よく書けている」と誉めてくれました。その席で、打田先生にこう言われたんです。 「今年は馬場さんと猪木のデビュー50周年。猪木の本やDVDはたくさん出ているのに、馬場さんの本が出ていないのはおかしい。柳澤さんに書いてほしい」プロレス ワールドリーグ戦 米国人プロレスラー、フレッド・ブラッシー(左)の胸元に逆水平を打ち込むジャイアント馬場(右)=昭和40年4月8日=──なぜ、これまで馬場さんの評伝はなかったんですか?ターザン 夫人の元子さんがいたからですよォ! 馬場さんと元子さんは一卵性双生児みたいに一緒の存在。だから、「馬場さんの全ては私が独占する」という考えなんです。別の人が馬場さんのことを書けば、自分だけの馬場さんではなくなってしまう。それが許せないんです。だから、あらゆる馬場さんの話は元子さんが封印してしまっている。書くとしたら、柳澤さんみたいに資料を集めてそこから検討していくしかないんですよ。柳澤 元子さんに話を通すかどうか迷いましたね。元子さんに「馬場さんのノンフィクション本を書く」と言えば、絶対に介入してくる。原稿も全て見せろと言われて、ここを直せ、これは書くなと言われることが自明だったので、結局、元子さんには接触しないことにしました。ターザン 僕も馬場さんとの様々なことを、『「金権編集長」ザンゲ録』(宝島SUGOI文庫)で書いた。『週刊プロレス』編集長をやっていたから、当時の馬場さんの裏側を全部知っている。こう言っていたとか、僕にお金をくれたとかね、全部書いちゃった。そうしたら、元子さんがカンカンになったんですよォ(笑)。 僕としては、馬場さんは世間で言われているような「いい人」ではない。レスラーとして、ビジネスマンとして、“キラー”な顔を持っている。その“キラー”な部分を書くことで、馬場像をより豊かにしようとしたんだけど、元子さんには理解されなかったんだなぁ……。柳澤 そりゃ無理ですよ(笑)。 「外部は黙ってろ!」──山本さんは柳澤さんの本を読んで、どんな感想を?ターザン 『週刊大衆』連載中から読んでた。おもしろかったですねー!さっきも言ったように、柳澤さんは資料などで外堀を埋めていって本丸を攻めるスタイルで、これは非常に貴重です。やっぱり猪木さんや馬場さんに直接話を聞いちゃうと、逆にその人の言葉が絶対的なものになって、結局、イメージを覆すことはできなくなってしまいますからね。新しい猪木像、馬場像を作ることができるから、貴重な人材ですよォ。 で、そのために柳澤さんは業界内の人間からは反発を買う。つまり彼らからしてみれば、「俺たちはこれだけ馬場や猪木を知っているのに、何も知らないやつがこんな本を書いてふざけるな」となるんですよォ。この本も、アメリカンプロレスに詳しい人たちからすると「柳澤は見たこともないし、行ったこともないのにこんなこと書きやがって!」となる。プロレスという小さな業界内ではよくある話です。 たとえば、村松友視が1980年に『私、プロレスの味方です 金曜午後八時の論理』(情報センター出版局)を出した時、ファンはみんなこれを読んで大ブームになったのに、プロレス業界はこの本を無視した。なかったことのように扱った。 当時、僕は『週刊プロレス』編集部のペーペーだった。編集長の杉山頴男さんはプロレス肌じゃなかったから、新聞広告でこの本を知って僕に取材に行けと命じたんです。村松さんは当時、『海』の編集部にいて、ちょうど大日本印刷で校了中だったからそこに行くと、村松さんが「いやー、絶対にプロレス業界から無視されると思っていた。君が来てくれたこと自体が驚きだよ」と目を丸くしていましたよ。 それくらい、プロレス業界というのは外部の人間がプロレスについて書くことを許さないんですよ。柳澤 だから、『週プロ』では僕の本はなかったことになってますよ。取り上げられたことがない。ターザン 駄目な世界ですよォ、この業界は! くだらない!柳澤 こういう村社会的なところは、どの業界にもありますけどね。たとえば、『文藝春秋』で立花隆さんが「田中角栄研究」をやった時、新聞記者は「記者はこんなことは誰でも知っている」と批判した。それと似ているかもしれませんね。戦後が詰まっている──柳澤さんは、ジャイアント馬場にもともと興味があったんですか?巡業先で練習の合間に写真を撮るジャイアント馬場。左は、アントニオ猪木=昭和38年8月柳澤 僕はアントニオ猪木のほうが好きだったから、まずは猪木さんのことを本にしたんですが、「なぜ猪木さんはモハメド・アリ戦をやったのか」「なぜこんな過激な行動をとったのか」を考えていくと、猪木さんのなかでジャイアント馬場がどれだけ大きい存在だったのかがわかってきたんです。 僕に言わせれば、猪木さんと馬場さんはコインの裏表で、猪木さんを知るには馬場さんを知らないといけないし、馬場さんを知るには猪木さんを知らないといけない。『1976年のアントニオ猪木』と『1964年のジャイアント馬場』の2冊を読むと、日本のプロレスが猪木と馬場でできていることがよくわかると思います。それは僕がそういう構成をしたわけではなく、もともと日本のプロレスがそういう構造になっているということなんですよ。ターザン たしかにそういうことが書かれているけれど、僕は実は全く別の見方をしているんです。書いた本人も気づいていないかもしれないけど、これは新しい視点を提供した極めて革新的な本なんですよォ! まず、力道山のプロレスは、敗戦のショックで打ちひしがれた日本国民の前で、空手チョップで外人レスラーをバッタバッタ倒すことで国民のストレスや鬱憤を晴らしてきた、と一般的に言われてきた。──柳澤さんも「力道山のプロレスの根本思想は反米だ」と書かれています。ターザン それは表層で、実は親米なんですよォ! 一から話すと、プロレスというものは日本の風俗の歴史のなかだけで語られているけど、プロレスには戦後そのものが詰まっている。そこを見ないと駄目なんです。 日本の戦後は、誰が考えても日本、韓国、アメリカの三つの柱でなりたって続いてきた。これは誰も否定できないでしょう。力道山は戦前、半島から海峡を渡って日本に来て、相撲の世界に入る。ところが、強くなればなるほど、韓国人は大関、横綱になれないという不文律、理不尽なものに激突する。それに怒って力道山はチョンマゲを切り大相撲、すなわち日本そのものに三行半を突きつけたわけですよォ! じゃあ、相撲に変わるものは何かあるのか。たまたまアメリカに渡った時に一大娯楽、劇場空間として繁栄していたのがプロレスだったんです。力道山は勘がいいから、「これはワールドワイドなエンターテインメントだ」と察して、これを日本に輸入した。 その結果、たまたま日本人対外国人の構図になって国民の鬱憤晴らしになったけれど、実はプロレスは、民族性を越えたアメリカ文明というものなんですよォ! さらに、ちょうどその頃にテレビが出現してきて見事にプロレスと合致した。平均視聴率64%は、日本テレビは一度も上回ったことがないんですよォ! さらに注目すべきは、タイトルになっている1964年という年です。なぜ1964年なのか──柳澤さんは、なぜ1964年に注目されたんですか?柳澤 これまでの本を見ればわかると思いますが、「××年の○○」というタイトルは僕のトレードマークみたいになっていたので、今回もそうしようと思って(笑)。 1964年は、馬場さんにとってはNWA、WWWF、WWAという日本で世界三大タイトルと言われているものに連続挑戦した年だということもあります。64年以前のジャイアント馬場はアメリカで活躍するレスラーで、64年以降はアメリカンプロレスを日本に持ち込んだレスラーと分かれますし。加えて言えば、63年末に力道山が刺されて亡くなったので、64年が大きな転機になるんですからね。米国武者修行から凱旋帰国を果たし、力道山(左)と並んで笑顔で乾杯する=昭和38年3月ターザン 1964年という年はどういう年か。東京オリンピックが行われ、東海道新幹線が開通し、いわば戦後の一つのピークの時です。さらに60年と70年の安保闘争の真ん中の時期とも言える。 63年の末に、力道山はヤクザに刺されて死ぬ。韓国人の力道山は、アメリカ文明であるプロレスを輸入し、山口組などと組んで興行を行って日本を盛り上げ、そのヤクザに刺されて死んだ、という構図になるわけです。 そんななかで、力道山を受け継ぐ形で馬場さんがアメリカから帰ってきた。ここからが第2の戦後になる。1970年の大阪万博で第2のピークを迎え、その直後の72年に馬場さんと猪木さんは袂を分かち、それぞれの団体を作って活動をすることになる。どうですか、見事に戦後とプロレスの動きがリンクしているんですよォ! 馬場さんは新潟で野球をやっていて、巨人に入った。ところが、いくら2軍でいい成績をあげても全然1軍に上げてくれない。馬場さんは田舎者なんで、監督などにゴマスリができなかった。さらに、でかくて目立つから先輩選手がいい顔をしなかったんです。これも、力道山が角界で味わった挫折感と同じ。結局、風呂場でこけてケガをし、そこで力道山に拾われてレスラーになった。 一方、猪木さんは戦後、一家でブラジルに渡ったけどうまくいかなくて、たまたまブラジルに来た力道山に拾われて日本に戻った。 つまり、力道山は韓国─日本─アメリカ、馬場さんは新潟─東京─アメリカ、猪木さんは日本─ブラジルとコンパスがでかいんですね。このコンパスの広さによって、第1期、2期、3期と戦後の社会と合わせ鏡のようにしてプロレスは出来上がっていた。このことは、これまで一度も語られたことがなかった。これを柳澤さんは見事に書いたんですよォォ!観客を巻き込むA猪木──馬場さんに実際にお会いしたことはありますか?柳澤 『週刊文春』のグラビアでは、一緒に写真に写ってますよ。それこそ花田さんが編集長の時に(笑)。1990年4月13日に行われた日米レスリングサミットを取り上げた時です。といっても話を聞きに行ったわけではなく、馬場さんとアンドレ・ザ・ジャイアントが並んでいるところに僕がそっと後ろから近づいて仰ぎ見ている、という写真ですが(笑)。大きさを示すための煙草の箱代わりになったんです。ターザン アンドレも身長2メートルあって、馬場さんとは巨人同士でシンパシーを持っていたんだよね。アンドレが亡くなってから、アンドレが自宅で使っていた大きな椅子は馬場家に送られたそうですよ。柳澤 いい話だなー。──山本さんは当然、何度もお会いしていると思いますが、最初はいつですか?ターザン 『週刊ファイト』にいる時ですね。『ファイト』は猪木べったりだったから、近づくのが大変だった。──何で猪木さんべったりだったんですか?ターザン そりゃ、売り上げが違いますもん。馬場さん、全日本プロレスを取り上げても全然売れないけど、猪木さんをやれば売れる。だから、猪木・新日本プロレスが8、馬場・全日本プロレスが2の割合で扱っていました。──そんなに違うんですか?ターザン 馬場さんのプロレスは予定調和のプロレスですからね。初めから勝負が見えているから、何を報じたってそれほどおもしろくない。 だけど、猪木さんは殺し合いみたいなプロレスで、スキャンダルや事件もがんがん起こるなど予定調和を崩すんです。マスコミを利用するし、観客も巻き込んでいく。そりゃー、猪木さんのほうがおもしろいですよォ。柳澤 有名なところでは、猪木さんと倍賞美津子夫妻が新宿・伊勢丹前でタイガー・ジェット・シンに襲われた事件ですね。リング以外の普通の街中でいきなり襲われるんだから。もちろん警察沙汰になった。はっきり言って、ヤラセの犯罪行為です(笑)。ターザン ヤラセなのは誰でもわかるし、こんな破廉恥なことは誰もしない。だけどおもしろいし、ファンも喜ぶ。そういうことをどんどん仕掛けていくんですよォ、猪木さんは。馬場さんは絶対にそんなことをやらない。柳澤 馬場さんは常識人ですからね。猪木さんがおかしいんです(笑)。馬場と猪木の決定的な違いターザン 僕がプロレス業界に入った時に馬場さんに言われたのは、「ここは社会部の記者が来るところじゃないからね」。「追及したら駄目だよ」ということ。そりゃそうですよ。控え室に来たら全部見えているんだから、それを全部書くわけにはいかないでしょ。柳澤 でも、山本さんは過激でしたよね。プロレス専門誌って業界誌で、当り障りのないことを書くものだったのに、業界最大手の新日本プロレスの夏の大会「G1クライマックス」について「冷夏のG1」と酷評したでしょう。普通、しませんよ。ターザン 僕はしょっぱいことをやったらボロカスに書いてましたね。くだらない、つまらないと。 馬場さんはとにかく王道を進んでいて、彼以外は邪道だった。だけど、猪木さんはその邪道をファンを巻き込んで突き進んで行った。この差は大きいですよォ。ルー・テーズ(左)と力比べをするジャイアント馬場=昭和41年2月柳澤 馬場さんは自分の団体にアメリカの一流選手を招くことができたけど、猪木さんの団体には二流、三流のレスラーしか来なかった。だけどその二流三流のレスラーを、世にも恐ろしい悪魔に仕立てあげるのがアントニオ猪木なんですよ。 馬場さんは言ってみれば、一流ホテルにある一流レストラン。いい食材を使って、シェフが腕を振るって、値段もそれなりにするけど安定しておいしい料理。 猪木さんは逆で、下町にある場末の汚らしい中華料理屋なんです。何が入っているのかわからないいかがわしさがあるんだけど、抜群にうまいチャーハンが出てくる。この二つを比べれば、熱狂的ファンを生むのはチャーハンのほうですよね。 たしかにアメリカで成功したのは馬場さんだけで、日本プロレスに戻ってからもジャイアント馬場がエース、アントニオ猪木は二番手だった。それは最後まで崩れなかった。 しかし、2人がそれぞれの団体を作ってからは逆転した。団体として、全日本プロレスが新日本プロレスに興行的に勝ったことは一度もない。 その原因は、馬場さんは団体を作った時点で35歳、猪木さんは29歳と年齢が違った。それに馬場さんは、もともと成長ホルモンの異常分泌で巨人になったわけだから老化も早く、トレーニング不足だった。一方の猪木さんは練習大好き、人に見られるのが大好きという人。さらに先ほどから話しているように、猪木さんの過激なやり方のほうがファンが喰らいついてくる。 山本さん流に時代とリンクさせて言うなら、70年代の初頭は全共闘運動などが消滅し、浅間山荘事件が起きるような若者たちの挫折の時代ですよね。曇り空の時代。そんな時代には、60年代から続く「明るく正しい」プロレスであるジャイアント馬場は合わなかった。 正統派・馬場に噛みつく、反逆のヒーローのアントニオ猪木のほうがマッチしていた。この差は決定的なものだったんです。G馬場の「いい世界」──両方書いてみて、どちらが好きになりましたか?柳澤 両方です(笑)。もともとは猪木さんのほうが好きでした。だから最初に書こうと思ったわけで。 ノンフィクションですから、いいところも悪いところも書く。猪木さんの場合は、70年代は本当にかっこいいんだけど、80年代になると嫌な奴になるんです(笑)。でもしょうがないから、我慢しながら書いていく。で、書き終わってみると、「やっぱりこの人すごいんだな!」と思います。取材対象として何年も付き合っていくと、古女房みたいな感覚になるんですね(笑)。 馬場さんにはそもそも興味なかった。僕は1960年生まれで、馬場さんの全盛時代は小学生。中高生の70年代半ばは、やっぱり猪木さんに夢中になっていましたから。 でも今回、馬場さんのことを書いてみて「馬場さんという人はすごかったんだ!」と改めて分かりました。──山本さんはどちらが?ターザン 僕に限らず、100人プロレスファンがいたら、99人は猪木ファンですよォ! 残り1人が馬場さん。もし80年代に「私、馬場さんのファン」と飲み屋で言ったら、ボロカスに叩かれますよォ。それくらい差があった。──でも、全日本プロレスも興行は成り立っていたんですよね?柳澤 全日本プロレス自体は大して儲かっていなかったんですよ。馬場さんがアメリカに留まるか日本プロレスに戻るかを選ぶ時に、日本テレビが「君がいる限り、客が入っていなくても全部、面倒を見る」と条件を出して馬場さんを引き抜いた。だからプロレス興行で儲からなくても、日本テレビからの放映料でやっていけたんです。新崎人生のロープ拝み渡りを慈悲の目差しで受けるジャイアント馬場  1998年5月 1日 東京ドーム ──だけど、山本さんも最後は馬場さんに傾倒していきましたよね。ターザン そうなんですよォ! プロレスファンとして、僕が最後の最後まで望んだこと。仕事なんかどうでもいい、本も売れなくていい。ただ馬場さんと食事をしてみたい、これだったんです。僕は猪木ファンだったために馬場さんの世界に近づけなかったけど、遠くから見て「あっちにはなんていい世界があるんだろう! 俺も入りたい!」、そう思っていたんですよォ!──「いい世界」というのは馬場さんのプロレスではなく、馬場さんという存在ということですか?ターザン そうです。あの存在と雰囲気。葉巻をくゆらせ、のんびりとレストランで食事をしているあの豊かな雰囲気がとにかくいいなぁ、と。 何とか機会を得て、その世界に入ることができた。馬場さんとキャピトル東急の「ORIGAMI」──いつもここで食事をしていた──で食事をしたあの空間が、僕の最高の思い出なんですよォ!──力道山、馬場、猪木のプロレスは時代の空気を凝縮させたもの、時代と合わせ鏡になったものと先ほどからおっしゃっていますが、現在のプロレスもそうですか?ターザン そういう空気は全くないですね。柳澤 猪木さんの引退、馬場さんの死去で変わりましたね。──でも、新日本プロレスは好調です。ターザン 僕から言わせれば、いまの新日はコンビニやファミレス、いわば“ファッション”みたいなものです。試合を見に行っても、すぐに忘れ去られてしまう。だけど猪木さんの試合は記憶に刻まれて、試合のあとは飲み屋で語り明かしたものです。その記憶がトラウマになっちゃったりね(笑)。──柳澤さんは今後もいろいろ書かれていくかと思いますが、山本さんは何か書かれる予定はありますか?ターザン 実は小説を書けという話がきています。柳澤 おお、ついに具体的な動きが! 書いたほうがいいですよ、山本さん。天才なんだから。ターザン もう構想は練ったんで、あとは書くだけ。書けるかな(笑)。ターザン山本!氏と柳澤健氏(撮影:佐藤英明)ターザンやまもと! 1946年、山口県生まれ。立命館大学文学部中国文学専攻中退。77年、『週刊ファイト』のプロレス担当記者になる。80年、ベースボール・マガジン社へ移籍し、87年、『週刊プロレス』の編集長に就任。96年、ベースボール・マガジン社を退社。以後、フリーのライターとして活躍。やなぎさわ たけし 1960年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒。文藝春秋に入社し、『週刊文春』『Sports Graphic Number』編集部などに在籍。03年7月に退社し、フリーとして活動を開始。07年、デビュー作『1976年のアントニオ猪木』(文藝春秋)を上梓。関連記事■金沢克彦編集長が語るプロレス誌「ゴング」復刊の真相■男たちの聖域になぜ? プロレス会場に女性が殺到する理由■プロ野球球団は増やせるのか 経済学の「視点」改めて議論■松井秀喜の「真実」 長嶋茂雄との師弟関係■産経さんだって人のこと言えないでしょ?

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    男たちの聖域になぜ? プロレス会場に女性が殺到する理由

    DDTプロレスリング兼新日本プロレス所属の飯伏幸太選手 投げ技あり、パンチやキックありのスピーディーな熱戦が繰り広げられるプロレスの聖地・後楽園ホール(東京・文京区)。 いま観客席で目立つのは、コアな男性ファンではなく若い女性たちである。ボンボンで飾り付けたレスラーの名前入りうちわを振りかざす様子は、さながらアイドルのコンサートのようだ。お目当てと思しき茶髪のイケメンレスラーが関節技を決められて苦悶の表情を浮かべると、「キャー!」と悲鳴が上がる。 しかしそのイケメンは見事な逆転勝利を収めた。レフェリーに手を上げられると、観客席からは黄色い声とともに拍手喝采。花道を引き揚げるレスラーを見送るリングサイドでは、感激のあまり涙を浮かべる女性客の姿もあった。 最近のプロレス会場は20~30代を中心に女性客が殺到している。彼女たちプロレス好き女子は腐女子(美少年同士の恋愛を描いた漫画やアニメなどの作品を好む女性のこと)になぞらえて「プ女子」と呼ばれる。新日本プロレスリング(新日)の実況を担当するフリーアナウンサーの清野茂樹氏が語る。「プ女子は2年前から増えてきました。年齢層は30代が多く、2~3人のグループで来る女性が多いですね」 現在、新日のオフィシャルファンクラブ会員のうち4割を女性会員が占め、対前年度比約120%増だという。 別団体でも増殖していて、例えばDDTプロレスリングでは、「会場の男女比は半々。レスラーのサイン会や撮影会に女性が殺到しています」(広報)という。 プ女子を公言する有名人も少なくない。タレントでは眞鍋かをりや二階堂ふみ。そして先ごろ直木賞を受賞した作家・西加奈子氏もプロレス好きとして知られる。西氏は受賞会見でプロレス好きを記者から問われ、「むちゃくちゃ勇気をいただいています」と熱弁を振るって話題になった。 また、新日本プロレスが作った女性ファン専用のコミュニティプロジェクト「もえプロ女子部」には、エッセイストの能町みね子氏や犬山紙子氏などの文化人らも名を連ねている。 男たちの“聖域”になぜ、女性が足を踏み入れるようになったのか。その背景には女の“カッコイイ”基準の変化があるようだ。 本誌はプロレス女子会に潜入取材し、彼女たちのリアルな声を拾った。プロレスにハマった理由として彼女たちがまず挙げるのはレスラーの肉体美だ。観戦歴8年の30代OLはこう話す。「大胸筋が発達して二の腕も太いレスラー体型が好き。でも、パンツの上にお肉が乗っているのがミソ。男臭さとくまのプーさんみたいな安心感との共存がいいんです」 同じレスラー体型でも女性たちのこだわりは奥が深い。「上腕二頭筋と三頭筋のこぶが触り心地よさそう。ボクサーの筋肉は勝つためのものだけど、レスラーは“コスチューム”としての筋肉。棚橋弘至選手(新日)の必殺技ハイフライフローは最高です。大きな体がコーナーから飛び立つときの筋肉の躍動感がたまりません」(20代学生)「私は首派。太いほどいい。ボクサーみたいに筋が見えるとダメ、脂肪でコーティングしてなきゃ」(30代主婦) そして時折見せる表情に、「かわいさ」や「エロさ」を感じている。「レスラーって見た目だけでオラオラ系に見えるから、普通のことをしてるだけでもかわいく見えちゃう。ツイッターで“カルボナーラ食べました”とか、“イカが好き”とかつぶやくだけで“かわいい!”って思えるんです」(30代OL)「倒れ込んだときの背中に流れる汗に男のセクシーを感じます。汗だくでハアハアいっているのを見ると、ついいろいろと想像してしまう(笑い)」(40代主婦)関連記事■A.猪木氏「俺なら命がけで拉致問題を解決してみせる」と宣言■新日・中邑真輔 芸術としてのプロレスが認知されると嬉しい■プロレス好き女子急増 韓流スターに飽きた層を取り込んだ説■「プ女子」犬山紙子と鈴木詩子 プロレスの楽しみ方を語る■「プロレス女子」急増でブーム再来

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    プロレスはもはや「老人ホーム」になった

    媚びるプロレスになってないか 実は最近、プロレスを観てないんですよ。でも、昨年は初めてIGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション=総合格闘技とプロレスの団体)の年末興行が札止めになったんですね。ただ、テレビとの連携というか、それがなかなかうまくいかなかった…。やっぱり、日本のテレビの力はすごいんですね。今はインターネットも出てきたけど、まだまだテレビには勝てない。あんまり観てないんであれだけど、最近のプロレスでただひとつ気になっていることがあるとしたら、それはプロレスがあまりにファンに媚びるようになってしまったこと。棚橋弘至(新日本プロレス所属)あたりはある意味、自分たちの方向性と「戦いがロマンだよ」という姿勢を貫いてはいるんだけど、最近はただただ格闘技ファンに媚びるプロレスになっているのでは、という複雑な思いもある。(瀧誠四郎撮影) 格闘技の興行の世界はそんなに甘くはない。宗教じゃないけど、観客はある意味信者みたいなもので、一人のレスラーの魅力にひかれてくるみたいな関係が理想なんだと思う。「お願いします! 次の試合に来てください!」って客に媚びているだけじゃ、ファンは寄って来ない。お客ほど薄情なものはないというのは興行の常識。もし嫌になったら次は来ないわけですから。 これは私の持論なんだけど、興行の世界にも通じる「環状線理論」というのがあります。環状線には6号、7号、8号があって、環状6号線というのは、ファンに対して何も宣伝しなくても3千人収容の後楽園ホールがいつもいっぱいになるくらい、熱心にプロレスを観に来てくれるファンのことを指す。環状7号線というのは、両国国技館とか、日本武道館とか1万人以上収容できる会場をいっぱいにするために、東京スポーツとかプロレスの雑誌とか、もっと言えば日刊紙とかにも、興行の話題を取り上げてもらって観に来てくれるファンのことを言います。8号線というのは言うなれば東京ドーム。5万人規模の会場をいっぱいにするには、無関心層というか、誰かに強く誘われてやってくる人にも我々のメッセージを届けなければならないんです。 この外側にいる大多数の人を振り向かせるにはどうしたらいいのか。それは対戦カードであったり、いろんな人が興味を持つというか、普段はプロレスを観ていないけど、「わっ!今度はすごいよ」ってなるような仕掛けが必要になる。私の場合はもっと世界へ、という思いの方が強いんだけれども、こないだ北朝鮮でプロレス興行をやったように、世界に向けて発信するような仕掛けが今のプロレスにはあまりない。格闘技世界一、プロボクシング世界ヘビー級チャンピオンのムハマド・アリ(米国、背中)とプロレスラーのアントニオ猪木が対決。マットに寝そべりアリを挑発する猪木(左) =東京都千代田区の日本武道館 1976年6月26日 新しいピザパイを持ってきてくれよ もちろん、俺が現役でやっていた時代とは違って、ファンは多様化していますから。個人の嗜好が多様化していく中で好みもいろいろ分かれる。俺らの世代からすると「今のプロレスなんて冗談じゃねえよ」という思いを抱く人もいるでしょうが、それはそれでファンがいたりするのもまた事実。女子プロレスなんかもある意味では、いや別に否定的じゃないけど、「プロレスラーは俺らだ!」みたいな気持ちが昔はあった。一時、男子のプロレスを抜いて女子の方が人気が出てきたときもあるし、北朝鮮でやった興行でもすごく人気があった。当たり前なんだけど、俺らからみてどうだ、じゃなくて、結局はファンが選ぶことなんでね。これは政治の世界でも全く同じことが言える。ただ、そこにしっかりした信念がなくなると、ただただ尻尾のない凧じゃないけど、フラフラフラフラして。それは決してプロレスの世界だけではなくて、政治の世界でも同じ。俺らが信念を持って発信し続けなければいけない。 それと、今のプロレスが昔ほどのブームにならなくなった最大の理由が、テレビとの関係だと思う。もちろん、プロモーターとかプロデューサーの力という話にもなるんだけど。例えば、ボクシングで言えば、(モハメド)アリがいたときはやはり全盛だった。でも、アリという存在がいなくなって、その後もそれなりのスターはいたんだけど、昔よりもヘビー級は衰退していると思います。 プロレスの世界だってそうです。プロレスラーは100メートル先から見てもプロレスラーだと分かる、24時間プロレスラーでなければいけないという人もいましたけど、昔は外国人選手でもとんでもないのがいた。(タイガー・)ジェット・シンもいたし。アンドレ・ザ・ジャイアントなんて、それこそ笑い話だけど、昔の街の顔役どもが3人集まって喧嘩しているところに、アンドレが近づいてくると、3人とも急に肩を小さくして尻尾を巻いて逃げてしまった。そんな話はほかの選手にだっていっぱいある。日本人選手をみても、馬場さんは馬場さんであれだけでかかったし、坂口もでかかったしね。あの時代は街中でファンが「あっ長州だ!」「あっ藤波だ!」とかいって、大はしゃぎするくらいプロレスラーの存在感は大きかった。 スターを作ることがいかに大事か。強くもないのに強そうに見せて、にわかに勝たしたりというのは、客は見抜きますから。それでも、ただ若いだけでファンがつく場合もあるけど、それはほんとに小さなコップの中の、もっと小さな世界にすぎない。 私はいつもプロレスのことを「ピザパイ」に例えるんだけど、俺らの時代にはでっかいピザパイが既に用意してあって、みんながそれを食いかじっちゃって、どんどん小さくなっていく。じゃあ、もう一個新しいピザパイをもって行くよっていう選手が生まれてくれると一番いいんだろうけど、今は小さく小さくなったピザパイを食い合っている。だから、まあそこそこ客が入れば、彼らはそれで満足して喜んでいる。それはそれでしょうがないんだけど、俺らが望むものは、誰かが新しいピザパイを持ってきてくれよということに尽きる。 ちょっと前には、K-1(キックボクシングイベント)であったり、総合格闘技みたいなものが人気を集めたけど、今やすっかりブームが過ぎ去ってしまった。なんていうのかな、ファンの意表をつくというのか、そのへんを仕掛けていけるプロモーターというか、あるいは選手も含めてこの世界に現れれば、今のプロレスも大きく変わるんだと思う。ただ、残念ながら世界中を見渡しても、スターと呼べる存在がみんな小さくなってきちゃったんだよね。こいつが出れば、黙っても客がいっぱいになるみたいな。昔はフリッツ・フォン・エリック、鉄の爪とか、ポスター1枚で札止めになってしまうほどのスターがいた。今は昔とは比べものにならないくらい情報化の時代だし、決して嘘はついてないけど、プロモーションとしては、5のものを10に膨らますくらいの宣伝が必要なのに、それができなくなってしまった。今回のイスラム国による人質事件にも通じる話じゃないですか。外務省は、自分たちの無能さというのか、何にもしていないというか、チャンネルがないというのを世界に露呈してしまってさ。ストロング小林に卍固めを決めるアントニオ猪木「力道山イズム」が日本プロレスの原点 話が少しそれちゃったけど、これからも「スター」と呼べるようなレスラーは出てくるとは思う。ただ、力道山や木村政彦さんとかいた時代のように、我々の師匠の「力道山イズム」というか、彼らの精神というのは、日本のプロレスの原点なんだと思っています。力道山が置かれた生活環境、彼が朝鮮人だったとか、いろんなものを背負って繰り出す空手チョップの破壊力というのは、それはもうケタ違いだった。そのへんの凄さというのは、筋肉の大きさとかそういう問題じゃない。 彼の精神というか、心の中からほとばしってくるような魂の叫びが、空手チョップの破壊力の源だった。確かに、今とは時代背景が違うから、彼のような精神力を維持するのは難しいかもしれないですけどね。 それでも、昔は剣豪が一人出歩いて道場破りとかやってたわけですよね。それは極端な例かもしれないけど、命を賭けるじゃないけど、それぐらいの気迫を持った選手が現れれば、ファンだって本能で分かるんじゃないかな。計算なんかしなくても、人がびっくりすることをやろうという、この発想が今のプロレスには必要なんだと思う。残念ながら、そっぽを向いた人の首ねっこつかんででも振り向かせてやるぞという気迫が感じられない。 政治だってそう。なかなかパフォーマンスはできないじゃないですか。ただ、政治家なんてのは、結果的には大政党に入って、何かの役につくかしかない。総理になる人は選ばれたわずかな人しかいないけど、大臣くらいだったら運がよければ、時の総理に好かれればなれるじゃないですか。人が生きている限り、俺らはどこの世界にいても同じなんです。 また話がそれちゃったけど、やっぱり今のプロレスにもスターが出ればいいね。みんなやっぱり、プロに入った以上は高給をとりたいわけでしょ。聞くところによると、自分はプロレスが好きだから、ギャラなしでも、飯だけ弁当だけでいいみたいな選手が最近はいるらしい。もちろん、いろんな選手がいてもいいんだけど、やっぱりスターっていうのはカッコよくなければいけない。観客よりも自分の夢だけみたいな。ただプロレスが好きなだけで、その日の飯のタネでしかないみたいな、そういうときもあるんだけど、実際俺がアメリカ修行したときはそうだったしね。でもプロである以上、選ばれた人というか、そこに何か線引きがないと。素人だって、プロレス研究会とかあるし、やろうと思えば、みんなプロレスごっこはできるわけだからね。 まあ、プロレスへの思いは今もいろいろあるけど、プロレスラーは夢を送り続けるというかね。今は若い人に希望がないとかいうけど、それは俺たちが子どものときだってそう。戦後の廃墟の中で、力道山が一人戦って俺たちに生きる力を与えてくれた。だから、プロレスがどんな形になろうと、今の若いレスラーはみんな日本のプロレスの原点というものをしっかり勉強して受け継いでいってほしい。国にも憲法があるように、プロレスにもきちっとした何か筋の通ったものがあることを忘れないでほしい。ファンが一番見たいのはやっぱり戦いなんだから。 そういや、最近は女性のプロレスファンが増えているらしいね。俺らの時代は、女性のファンなんてほとんどいなかったんですよ。いや、いたかもしれないけど、表に出てこなかった。それが今じゃ、若い女の子が後楽園ホールとか、追っかけみたいに訪れる。 そうそう、この間マララという女の子と会ってきたんですけど、彼女はあんな片田舎の、俺らの時代にあった田舎の田舎の山奥みたいなところから出てきた女の子がね、銃撃されて世界的なニュースになった。彼女は自分が撃たれたことをきっかけに、世界平和の尊さを訴えたんだけど、何か自分に与えられた使命のような強いメッセージが世界中の人々の心をひきつけた。 これからプロレスがブームを起こすには、ちゃんとした強いメッセージが必要ですよね。ひとつにはテレビの力も必要なんだけど、女性のファンが増えているのであれば、それは大きなチャンスでもある。今の若い女性はプロレスラーに男の強さを求めているのかもしれないけど、女性の本能みたいなものを揺さぶっているのだとしたら。もっと言うと、アフリカの草原で、一つの遺伝子を残すために戦うというか、プロレスの根底にあるものはやっぱり「本能」なんだと思う。プロレスはまだ死んでいない いま国会でも少子化の問題とかよく議論になります。もうちょっと本音でズバリ言えば、女性はやっぱり自分の遺伝子を残したいと思うだろうしね。娯楽が増えたとか、そうじゃなくて、やっぱり一番元気のいい若い時に遺伝子を残したいと思っているんじゃないかな。なんて言うのかな、なんだか分からないけど、リングの上からも強いメッセージを送ってくれよと。裸になっちゃダメだけど、いやほとんど裸になってるけどさ(笑)。この人の子供だったら欲しいって思えるくらいのね。 今の時代、プロレスが死んでしまったという人もいるけど、俺はまだ死んでいないと思っている。とはいえ、もはや「老人ホーム」みたいになったのかもしれないけどね。海外戦略というか、日本のプロレスはもっと大きな器になってほしい。中国でも興行が始まるみたいだけど、もしかしたら戦後ニッポン以上のブームになるかもしれません。 正直、もうプロレスに自分の遺伝子を残そうとも思っていない。早く猪木の名前なんか消してくれるといいんだけど、なかなかそういう風にならない。自分は自分の得意の分野で突っ走って行く。砂漠に残した足跡と言ってね。風が吹いたら、その足跡が消えちゃうんだけど、ただそこには歩いたという痕跡っていうか、それは魂なのか、きっと何かが残るでしょうからね。 政治も同じことですよ。きれいごとばっかりいって、本質は、一番大事なことは何なのかと。いつも批判的なことばかり言っても仕方ないし。これからもプロレスはなくならないと思うんですよ、絶対に。なくならないけど、もっと爆発するような、何か息吹というのかな、それを巻き起こしてくれる選手が出てくれたらいいなと思います。(聞き手 iRONNA編集長 白岩賢太/川畑希望) アントニオ猪木参院議員。1957年に一家揃ってブラジルに移住。1960年、ブラジル遠征中の力道山にスカウトされ、日本プロレスへ入門。同年9月30日、東京・台東体育館における大木金太郎戦でデビュー。ジャイアント馬場との"BI砲"で黄金時代を築いた。1972年1月、新日本プロレスを設立。3月6日に東京・大田区体育館で旗揚げ戦を行なった。1973年12月には、NWFヘビー級王座を獲得。また、"ストロングスタイル"を提唱し、異種格闘技戦に積極的にチャレンジ。プロボクサーのモハメド・アリをはじめ、空手家のウィリー・ウィリアムス、柔道家のウィレム・ルスカらと激闘を繰り広げた。1994年5月より「イノキ・ファイナル・カウントダウン」を開始。1998年4月4日、東京ドームにおけるドン・フライ戦で、38年間のレスラー生活にピリオドを打った。現在は、 IGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)の代表取締役会長を務めている。関連記事■金沢克彦編集長が語るプロレス誌「ゴング」復刊の真相■ジャイアント馬場には戦後が詰まっている■プロ野球球団は増やせるのか 経済学の「視点」改めて議論■松井秀喜の「真実」 長嶋茂雄との師弟関係■産経さんだって人のこと言えないでしょ?

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    金沢克彦編集長が語るプロレス誌「ゴング」復刊の真相   

    プロレス冬の時代 月刊、別冊時代まで遡れば39年という歴史を誇り、1984年5月に週刊化されたプロレス専門誌『ゴング』が休刊の憂目に遭ったのは、2007年3月のこと。 インターネットの普及に伴い、1990年代半ばから始まった出版不況、さらに総合格闘技バブルの影響によるプロレス冬の時代……このダブルパンチをもろに受け、『ゴング』1本で勝負していた会社サイド(日本スポーツ出版社)が経営難に陥り、結局ギブアップせざるをえなかった。 ただし、格闘技ブームにも陰りが見え始め、2000年代後半にはついにバブルがはじけた。その一方で、2005年11月、新日本プロレスの筆頭株主であったアントニオ猪木がゲーム会社『ユークス』に株式を譲渡し新日本を去っている。ユークスの子会社となり倒産の危機を免れた新日本プロレスは徐々に息を吹き返し始めた。 さらに、劇的変化が訪れる。2012年1月、トレーディングカードゲームの販売を軸にエンターテインメント業界で時代の先端をいく『ブシロード』が新たな親会社となり、同社の木谷高明オーナーがカードゲームのCMに積極的にプロレスラーを起用したり、新日本の柱となる興行(1・4東京ドーム大会、8月の『G1 CLIMAX』など)に数千万単位の宣伝費をかけるパブリシティ&プロモーションを展開。新日本を全面支援した。息を吹き返した新日と『ゴング』の復刊 プロレス(新日本プロレス)に復活の兆しが見えてくるなか、私がゴングの商標問題を知ったのが、同年の秋口。いま現在、ゴングの版権がどうなっているのか調査したところ、商標権が宙に浮いている格好だった。 私はすぐさま編集プロダクション『ペールワンズ』代表である井上崇宏氏に連絡を入れた。井上氏とは彼が総合格闘技『PRIDE』の大会パンフレットを制作している頃からの付き合いであり、この10年ほど仕事で何度も関わってきた。 井上氏は2011年12月からプロレス&格闘技専門書籍『KAMINOGE』を月刊で発行し、軌道に乗せてきた実績がある。それでも、向上心と好奇心の塊りのような井上氏は『ゴング』という老舗ブランドに並々ならぬ興味と執着心を持っていた。 それを知っていたから、彼にだけその事実を報告したのだ。井上氏はやる気満々。 「ボクがいろいろと出版社に当たってみます。『ゴング』というブランド名があれば、今なら動いてくれるところがあるんじゃないかと思うので。もし、この話が実現したらそのときは金沢さんが編集長をやってください。まだ老けこむトシじゃないですよ。一緒にやりましょうよ」 「いや、べつに老けこんじゃいないけど(笑)、雑誌の編集から離れて長いしね。まあ、そのときになったら前向きに考えてみるから」「ボクの中で編集長は金沢さんしか頭にないから、絶対にやってもらいますからね!」 ポジティブ志向の井上氏は威勢がよかった。私の場合、躊躇しているというより実感がまるで沸いてこないというのが正直なところ。 実際に、1999年1月~2004年10月の5年9カ月、『週刊ゴング』の編集長を務めた経験がある。これは過去6人の編集長のなかで最長期間となる。しかも、私が編集長を務めていた時期は、出版不況、格闘技バブル、新日本プロレス暗黒時代ともろに被っている。それでいながら、私の編集長時代には実売数で初めて競合誌の『週刊プロレス』を上回るという実績だけは残していた。 当時いつの間にか、私には『GK』(=ゴング金沢)なる愛称が定着してしまった。2005年12月に会社を辞めフリーになってからも、それ以降ゴングが休刊してからも、なぜかGKの愛称だけは消えることがなかった。GKとはなんの略称なのか知らないビギナーファン、それどころかゴングの存在さえ知らない若い世代のファンにまでGKと呼ばれる。 井上氏もそれを知っていたからこそ私をゴングの顔に据えたかったのだろう。「男気で勝負しましょう」2015年1月23日に発売されたゴング1号(徳間書店) 復刊へ向けゴングがようやく本格的に動き出したのは、2013年の春から。半年間も苦戦した要因は、(新日本)プロレス人気が目に見えて復活してきたうえに、ゴングというブランドに惹かれた出版社は複数あったものの、実際に既存のプロレス専門誌の実売数を知って腰が引けてしまったから。 想像していたよりも実売数は低く、これでは利益が上がらないという結論が出てしまうのだ。そんな中、別ジャンルの人がもっとも熱心に考えてくれた。TSUTAYAグループのなかでアイビーレコードを主宰する酒井善貴社長。レコード業界のヒットメーカーである酒井社長は、長州vs藤波“名勝負数え唄”やタイガーマスクに熱狂した世代だが、かねてより出版にも興味を持っていた。 「金儲け云々ではなく、男気で勝負しましょう!」と言ってくれた。 アイビーレコードのラインから発売元も徳間書店と決まった。同年6月、ゴング復刊0号の発売が正式決定。交渉をまとめてくれた井上氏は「決まりました。金沢さん、勝ち戦をしましょう!」と一言。すでに私も腹を決めていたし、“勝ち戦”というフレーズがなんとも気にいった。 結果的に、昨年9月9日に発行されたゴング復刊0号は売り切れ店続出の人気となった。それを受けて、今年1月23日発売のゴング創刊号も好調な売れ行きを示し、3月からの月刊化も決定している。 ネット社会にあって新規ファンが日々増えていく現状で、ファンが紙媒体に求めているのはなにか? それを考えたとき、雑誌が表現すべきものは、デザイン・写真の格好よさと、より深い読み物だろう。読み捨てにはできない雑誌。本棚に飾っておきたい雑誌。マニアからビギナー層まで惹きつける雑誌。そのコンセプトは、間違いではなかったと実感している。「四位一体」で前進する新日 そこで、現状のプロレス界である。どんなに見応え、読み応えのある雑誌を作ろうとも、肝心のマーケットに活気がなければ、需要はついてこない。現状で、ゴング復活を成し遂げられたいちばんの要因は、新日本プロレス人気の復活にある。 なぜ、新日本が奇跡の復活に成功したかといえば、現場(リング上)、商品(レスラー)、売り手(フロント)、コンテンツ(テレビ朝日をはじめとしたメディア)が一体となって、変化をおそれず前進したから。まず、リング上では世代交代に成功した証拠として、若くてルックスのいいスター選手が次々とトップに躍り出てきた。無論、彼らは強さと技術も兼ね備えているから、作られたスターではない。 この10年、冬の時代から新日本を支えてきた棚橋弘至、中邑真輔が不動の二大エースとなり、そこに驚異の若者・オカダ・カズチカが参入した。24歳で頂点を極めたオカダは、まだ27歳。比較的選手寿命の長いプロレス界において、あと10年はバリバリのトップで活躍できることだろう。 同じく、タイガーマスク以来の身体能力を誇る飯伏幸太(32歳)が業界初の2団体所属(新日本&DDT)選手として、さまざまなリングで観客を魅了している。 リング上の選手が若返っていけば、観客もそれに比例する。この2年で、いわゆる“プロレス女子”と称される女性ファン、小学生・中学生のちびっ子ファンが急増した。親子連れも多く目にするようになった。おそらく、10年前と比較すると会場に集う観客の平均年齢は5歳以上若返ったろうし、その半分は女性ファンが占めている。 会場における女性ファンのノリは、人気ミュージシャンのコンサート会場のようでもあるし、少年ファンから見たプロレスラーの存在は仮面ライダーや戦隊もののヒーローが実際にリングで闘っている感覚に近いのかもしれない。プロレスの聖地・後楽園ホールは毎回チケットが完売、両国国技館もいっぱいに埋まる。首都圏ばかりではなく、札幌、仙台、名古屋、大阪、広島、福岡と全国の大会場もつねに超満員となっている。他団体はどう続く コンテンツ面でいうなら、いま唯一地上波で放送しているテレビ朝日の『ワールドプロレスリング』は土曜深夜の30分枠。そのハンデを埋めるために、昨年12月1日から新日本&テレ朝の共同事業として『新日本プロレス(NJPW)ワールド』という動画配信サービスが開始された。これは月額999円で、現在行なわれている新日本の試合がほぼ毎回ライブで視聴できるうえ、1970年代~1990年代の名勝負も観戦できる。 若いファンからすれば、名前と写真でしか知らないアントニオ猪木、藤波辰爾、長州力、タイガーマスク、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也ら時代を彩ったレジェンドたちの名勝負をいつでも視聴できる。これらのコンテンツをパソコン、スマホで手軽に観られるのだ。12月1日のサービス開始から1カ月半で、すでに会員は2万人を突破。今夏には目標である10万人にとどくかもしれない。 このように、現状では新日本プロレスの独走状態。はたして他団体がそこにどう続いていくのか? それがいちばんの課題となるだろう。中量級の選手たちがスピード感溢れる闘いを展開するドラゴンゲート、デスマッチ路線の大日本プロレス、エンターテインメント路線を確立させたDDTは、すでにインディー団体という括りを超え固定客をしっかりと掴まえている。それとは反対に、かつて新日本と並ぶメジャー団体と称された全日本プロレス、ノア、全日本から分裂した武藤率いるWRESTLE‐1は苦戦状態。プロレス界全体の底上げのためにも、奮起を促したいところである。関連記事■産経さんだって人のこと言えないでしょ?■ジャイアント馬場には戦後が詰まっている■プロレスはもはや「老人ホーム」になった■松井秀喜の「真実」 長嶋茂雄との師弟関係■プロ野球球団は増やせるのか 経済学の「視点」改めて議論

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    池上彰が語る朝日と日本のメディア論

    朝日新聞のコラム不掲載をめぐり、渦中にいたジャーナリスト、池上彰氏が一連の経緯や真相についてiRONNA編集部に独占激白した。経営の介入から編集権の独立をどう守るのか。朝日バッシングからみえる既存メディアの問題点とは…。日本のメディア論について、あの「池上節」が炸裂する!

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    朝日新聞攻撃の「ムラ社会」的構造

    小浜逸郎(批評家) 両吉田問題に関わるこのたびの朝日新聞の、あきれ返る愚挙の連続に関しては、いまさら多言を要しますまい。クォリティ・ペーパーなる看板の虚妄性が完膚なきまでに露見したといってよいでしょう。本欄では、少し違った観点から、この愚挙が巻き起こしている現象の問題点を指摘しておきたいと思います。 ご承知のように、ほとんどの保守系メディアは、ここぞとばかりに朝日叩きに膨大なエネルギーを注ぎ込んでいます。そのことは朝日新聞というインチキメディアの体質を暴き、少しでも日本のジャーナリズムをよい方向に導くことにとってぜひ必要でしょう。またいずれにせよ、このホットな話題はビジネスとして使えるので、ここ当分朝日攻撃の流れは続くと思います。 しかし気になることが一つあります。それは、朝日新聞という一民間会社への攻撃と責任追及に血道を上げる空気に支配されるあまり、朝日が作り出した大きな国益毀損に対して、政府として今後何をすべきかがあまり論じられず、政権の具体的な動きも鈍いように思えることです。 従軍慰安婦問題に関しては、中韓の強引極まる反日攻勢が国際舞台でのさばっているために、日本のイメージの汚染を払拭することが難しくなっています。この第一の難事業の遂行を、訂正報道の英訳版さえこそこそとしか発表していない当の朝日に期待することは無理でしょう。まず政府こそが率先して誤ったイメージ払拭のための強力な宣伝戦に乗り出さなくてはなりません。 国会内には、朝日新聞関係者や河野洋平氏を国会に参考人招致すべきだとか、朝日新聞自身が根本的に検証すべきだなどの意見もありますが、そんな内向きの指摘は、ほとんど何の意味も効果もないでしょう。こういう日本お得意の悠長な「ムラ社会」論議をやっているから、わが国は舐められるのです。 とはいえ政府部内では、わずかに稲田朋美政調会長が9月3日のBSフジの番組で、河野談話について「虚偽で国の名誉が世界中で失墜している状況は嘆かわしい。名誉回復のために全力で政府も与党も頑張る必要がある」と述べ、談話見直しも含めた対応の必要性を指摘しました。この発言には大いに期待したいと思います。 しかし、河野談話の見直しという方向性については、安倍総理がかつて「見直しは考えていない」と発言しており、言質をマスコミに取られている関係上、「見直し」は難しいと思います。中途半端な弥縫策は取らないほうがいい。また河野談話は恥ずべき歴史資料としてそのまま残す必要もあります。そこですでに稲田氏も言及している提案ですが、朝日の失態による情勢の新たな展開を存分に活用し、まったく新しく慰安婦問題に関する「安倍談話」を発表するというのはどうでしょうか。安倍総理は「河野談話をそのまま引き継ぐ」とはいっていないのですから、「慰安婦問題そのものが虚偽に基づいていたことが判明したので意味がなくなりました」といえばよい。「見直しは考えていない」という弱気発言を逆用して強気発言に転化するのですね。 ただし、これをいきなり出すのは拙速です。まず順序として政府があらゆる外交ルートを通じてクマラスワミ報告などを撤回させます。そしてこの問題に関する国際社会における信用がほぼ回復できたと見込めた時点で、きちんとした声明として発信する。これが賢いやり方でしょう。 もう一つの「吉田調書」問題に関してですが、これもただ朝日攻撃だけを繰り返していても仕方がありません。要点は、所員が吉田所長の命令に違反して撤退したという朝日の捏造記事によって、日本原発の現場技術者のイメージが国際的に毀損されたところにあります。ですから、政府自身が、あれは国内一メディアの誤報であり捏造であったというメッセージをしつこく発信し、真実を伝え直す努力をしなくてはなりません。 福島原発事故にまつわる風評被害は数知れませんが、この捏造記事は、たんに命を懸けて事に当たっていた所員の人たちの名誉を傷つけただけでなく、原発そのものの危険を過大に印象づけることに貢献したでしょう。じっさい反原発イデオロギーの煽動にこれ努めてきた朝日新聞には、そういう意図があったと筆者は思います。 ですから、この点でも、朝日の捏造を倫理的に糾弾しているだけでは足りないのです。原発再稼働が日本のエネルギー安全保障にとって喫緊の課題であることは、本欄でも触れましたが、すでにベースロード電源として位置付けられている原子力の重要性を、これを機会にさらにアッピールして、国民の理解を得る必要があります。そのためには、福島事故以降の原子力研究者や現場技術者たちが、いかにより安全な原子力発電の実現をめざして日夜努力を重ねているかを広く知らせるのが一つの方法でしょう。その努力を支えている意志は、あの日、吉田所長の退避勧告にもかかわらず現場に戻ってきた所員たちの心意気と同じものなのです。 いまだに6割の人たちが原発の存続に反対していますが、これは多くが、確かな知識や情報もないままのただの気分に基づくものです。この現状を少しでも打破することは、国民の福利を何よりも優先すべき国家の責任ではないでしょうか。 政府の要人は、ムラ社会的な「朝日いじめ」の空気だけに流されず、いま何をなすべきなのかを、広い視野のもとに冷静に考えるのでなくてはなりません。関連記事■ 「ネオ・アベノミクス」のすすめ■ 吉田昌郎所長と「現場」の真実~門田隆将著『死の淵を見た男』が描く当事者の想い■ なぜ人を殺してはいけないのか

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    2015年は生き残りをかけて新聞が“二極化”する

     いよいよ激動の2014年が終わる。私にとっては、新聞とは何か、新聞記者とは何か、を考えさせてくれる「1年」でもあった。来たる2015年はどんな年になるのか、2014年の出来事から考えてみたい。 ふり返ると、2014年は、私は年明けから徹夜の連続だった。過酷な現実や歴史の真実と向き合い、必死でそれを切り取ろうと取材する新聞記者の姿を描くノンフィクション作品のためだ。それは、角川書店から3月に発売した『記者たちは海に向かった―津波と放射能と福島民友新聞』である。 私は、この作品で、福島県の地方紙・福島民友新聞を取り上げさせてもらった。同紙は、津波で一人の若手記者を失い、さらに停電とそれに伴うトラブルで新聞発行の危機にも陥った。凄まじい葛藤と闘いの真実は、「新聞」と「新聞記者」というものが何であるか、を私に教えてくれるものだった。その命を落とした若い記者は、2011年3月11日、福島県南相馬市で津波の最前線で取材していた時、自分の命と引きかえに地元の人間の命を救った。大津波に呑まれて死んだその記者の行動と姿は、同僚に大きな衝撃を与えた。 それは、ほかの記者たちも津波を撮るべく海に向かい、そして、同じように命の危機に陥っていたからだ。なかには目の前で津波に呑まれる人を救うことができなかった記者もいた。なぜ自分が生き残って、あいつが死んだんだ――。一人の記者の「死」は、生き残った同僚たちに大きな哀しみと傷痕を残した。それは、「命」というものを深く考えさせ、その意味を問い直す重い課題をそれぞれに突きつけた。私は、そのことを当事者たちに長時間かけて話してもらった。その中で、新聞記者の役割と使命の重さを感じ、それをノンフィクションとして描かせてもらったのである。同時に「紙齢(しれい)」を途切らせてはならないという新聞人たちの強烈な思いも知った。 「紙齢」とは、創刊以来つづくその新聞の通算発行部数のことだ。これが、「途切れる」、すなわち、「紙齢を欠く」ことは新聞にとって「死」を意味する。 創刊100年を超える歴史を持つ福島民友新聞は、この時、記者を喪っただけでなく、激震とその後の電気系統のトラブルで、新聞が発行できない崖っ淵に立たされた。ぎりぎりの状況で、凄まじい新聞人たちの闘いが展開されたことに私は圧倒された。 福島民友新聞で繰り広げられた出来事によって、新聞と新聞記者の存在意義を描かせてもらった私は、5月以降、今度は、別の新聞とまったく異なる闘いを余儀なくされることになる。 朝日新聞である。同紙は、故吉田昌郎・福島第一原発元所長が政府事故調の聴取に応じた、いわゆる「吉田調書」を独占入手したとして、今年5月20日、「2011年3月15日朝、所員の9割が吉田所長の命令に違反して福島第二(2F)に撤退した」という大報道をおこなった。総務・人事・広報など女性所員を含む700名あまりが詰めていた免震重要棟から、所長命令に「従って」2Fへ退避した所員たちが、「命令違反」と真逆に書かれていることに私は仰天した。 なぜなら、私は、吉田氏本人や90名ほどの現場の人間たちに取材し、実名であの土壇場での闘いを『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)に描いている。朝日が書いた場面は、拙著のメインとなる、まさにそのヤマ場である。 詳細な実名証言による拙著の記述を、朝日新聞は全面否定してきたことになる。私は、まずブログで朝日新聞の記事は「誤報である」と指摘し、以後、週刊誌、写真誌、月刊誌、新聞……と、あらゆる媒体で「なぜ誤報なのか」という指摘をさせてもらった。 論評をおこなう私に対して、朝日新聞は、「謝罪と訂正記事の掲載」を要求し、それをしない場合は、「法的措置を検討する」という脅しの抗議書を送ってきた。しかし、8月に入って、産経新聞、読売新聞、共同通信が相次いで「吉田調書」を入手し、朝日新聞の報道を全面否定した。そして、9月11日に前代未聞の記事の撤回・謝罪、編集幹部の更迭、社長の辞任が発表された。 朝日新聞社内に置かれている「報道と人権委員会(PRC)」は11月に見解を出した。それは、全編、驚きの連続だった。特に、「吉田調書」そのものを担当の記者以外、上司は誰も読んでおらず、編集幹部がこれを読んだのが、政府が吉田調書の公開を決定した「8月21日」だったことに絶句した。 朝日新聞は、肝心の吉田調書すら読まずに、言論弾圧の抗議書を私に送りつけていたのである。それだけではない。朝日新聞は、取材対象者が700人以上もいたにもかかわらず、「たった一人」の現場の人間も取材もしていなかった。 私は、同じジャーナリズムの世界にいる人間として、唖然とした。福島民友新聞の記者たちが命をかけて「真実」を切り取ろうとしたことを描いたノンフィクション作品を上梓した私にとって、それは驚き以外のなにものでもなかった。あまりにお粗末なその実態と経緯は、ブログや拙著『吉田調書を読み解く―朝日誤報事件と現場の真実』(PHP)で書かせてもらったので、詳細はそちらでお読みいただきたい。 私は、暮れが近くなって(12月22日)発表された朝日新聞の第三者委員会の「従軍慰安婦問題」に関する報告書の中で、ある部分に目が吸い寄せられた。それは、外交評論家でもある岡本行夫・第三者委員会委員の見解が記された箇所である。そこには、こんなことが書かれていた。〈新しい方向へレールが敷かれた時の朝日の実行力と効率には並々ならぬものがある。しかしレールが敷かれていない時には、いかなる指摘を受けても自己正当化を続ける。その保守性にも並々ならぬものがある。 当委員会のヒアリングを含め、何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」と。事実だけでは記事にならないという認識に驚いた。 だから、出来事には朝日新聞の方向性に沿うように「角度」がつけられて報道される。慰安婦問題だけではない。原発、防衛・日米安保、集団的自衛権、秘密保護、増税、等々。 方向性に合わせるためにはつまみ食いも行われる。(例えば、福島第一原発吉田調書の報道のように)。なんの問題もない事案でも、あたかも大問題であるように書かれたりもする。 新聞社に不偏不党になれと説くつもりはない。しかし、根拠薄弱な記事や、「火のないところに煙を立てる」行為は許されまい。朝日新聞社への入社は難関だ。エリートである社員は独善的とならないか。「物事の価値と意味は自分が決める」という思いが強すぎないか。 ここでは控えるが、ほかにも「角度」をつけ過ぎて事実を正確に伝えない多くの記事がある。再出発のために深く考え直してもらいたい。新聞社は運動体ではない〉(一部略)。岡本氏の見解に私は同意する。新聞社は運動体ではない――当たり前のことであり、読者も同じ思いだろう。日本は思想、信条も、すべてが許され、そして表現の自由も保証された社会である。反原発活動でも、反日運動でも、好きなだけやればいい。 大いに自分の信じる活動に邁進すればいいのである。ただし、それは新聞記者を「やめてから」の話であろうと思う。新聞記者が客観情報をねじ曲げてまで「自分の主義や主張を押し通すこと」は許されない。それは、驕り以外のなにものでもない。私は今回の朝日誤報事件が、“新聞離れ”を進めるのではないか、と危惧している。たしかに「運動体」と化し、「角度をつける」ような新聞に国民が愛想を尽かすのは無理もないだろう。 しかし、本来の新聞は、そんなものでもないし、日本にあるのは朝日新聞のような新聞社だけではない。私は、新聞の役割は、「気づき」にあると思っている。毎朝毎朝、さまざまな客観情報を提供し、各界の知識人が、独自の論評を掲載し、“へぇー”と心底、唸らせてくれる新聞もある。 「こういう見方もあるのか」「そういう事実があったのか」と、それまで気づかなかったことを教えてくれる貴重な存在が「新聞」なのだ。決して、新聞は「同じ」ではない。それぞれに“生きている記事”を掲載しているところは多い。新聞を取るのを「やめる」のではなく、「代えて」みて欲しい。そして“気づき”の役割を果たしている本当の新聞に、もう一度、チャンスを与えてあげて欲しいと思う。 2015年。それは、将来、生き残る新聞と消えていく新聞が“二極化”していく年になるのではないだろうか。2014年の最後の日に、私はそんなことを考えさせてもらった。関連記事■ 朝日新聞だけではない 戦後ジャーナリズムが陥っている偽善■ 慰安婦問題解決を阻んだ朝日と韓国■ 井沢元彦より 言葉の凶器を弄ぶ「朝日人」たちへ

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    秦郁彦×西岡力対談「朝日の誤報は日本の名誉毀損」

     政府による「河野談話」の検証や朝日新聞社長の辞任など「慰安婦問題」が大きな転換点を迎えた平成26年。明けて本年、半島情勢や北朝鮮による日本人拉致事件で進展はあるのか。第30回正論大賞受賞者の現代史家、秦郁彦氏(82)と東京基督教大教授、西岡力氏(58)が対談。歴史の真実を訴え続ける2人が見解を述べた。(司会・構成 正論調査室次長 大野正利) ――「慰安婦問題」をめぐって昨年12月10日、朝日新聞元記者の植村隆氏が「文芸春秋」に手記を発表、西岡先生への反論も含まれていました。一部メディアの取材にも応じています。慰安婦問題は新たな展開を迎えるのでしょうか 西岡 私は月刊「正論」の最新号(2月号)で植村氏に全面的に反論しました。彼は手記で捏造(ねつぞう)記事を書いていないと主張しますが、元慰安婦本人が一度も話していない「女子挺身(ていしん)隊として連行」という架空の履歴を勝手に付け加えたこと、彼女が繰り返し話していた「貧困の結果、妓生(キーセン)になるために置き屋に売られ、置き屋の養父に慰安所に連れて行かれた」という本当の履歴を書かなかったことが捏造だと批判しました。 秦 12月22日に朝日が委嘱した第三者委員会の報告書が出ました。植村氏の北星学園大講師雇いどめをめぐって騒動になっていたので注目していましたが、「安易かつ不用意」ではあるが「不自然はない」と浅い突っ込みに終わったのでがっかりしました。“スクープ”の元になった元慰安婦の証言を録音したテープですが、当時のソウル支局長が存在を知り、植村氏に伝えたのでソウルに出張してテープを聴いて記事にしたとしているが、支局長はなぜわざわざ大阪社会部から植村氏を呼んだのでしょうか。不可解ですよね。 西岡 朝日の中で当時、東京と大阪の両本社で温度差があり、大阪は「女たちの太平洋戦争」という特集企画で「戦前の日本人は本当に悪かった」など強い信念で展開していたが、東京版には掲載されない記事も多かった。東京外信部の管轄になるソウル支局長は大阪に書かせようとしたのではないでしょうか。 秦 それにしても誰が吹き込んだのかはっきりしないテープを元に記事を書いたことで、いかがわしさは残りますよね。韓国挺身隊問題対策協議会の代表からテープを聴かせてもらったということですが、元慰安婦本人と会わずに帰国している。あと3日間、現地に残ったら、名乗り出た金学順さんの会見に出ることもできた。そうすれば完全なスクープになったと思うのですが。朝日OBのなかにはテープ録音なるものが実在したのか、疑う人もいます。第三者委員会の報告は全般的に厳しい論調ですが、事実関係については8月の朝日による検証をなぞった感じで、新事実の発掘はなく、慰安婦問題の本質に迫る新たな認識も示されず、少なからず失望しました。吉田証言(注(1))は洗いざらい論じ尽くされ、今後は新たな論点にはならないと思います。 西岡 朝日はなぜ、昨年8月に検証記事を出したのか。朴槿恵政権の露骨な反日外交と、以前から米国などでの在外韓国人による慰安婦キャンペーンで植村記事や吉田清治氏の最初の証言そのまま、「セックス・スレイブ(性奴隷)、20万人」として発信されていた。一般の日本国民は「おかしいのでは」と思い始め、調べると朝日が誤報したのではと気付いた。20年以上前の誤報が世界中でじわじわと日本の名誉を傷つけてきた責任は重い、という議論が高まった結果と思います。 秦 同感ですね。朝日の世論への影響力が急速に冷め始め、むしろ慰安婦問題に対するスタンスを強く批判する風潮が高まってきた。朝日はそれ以外でも世論との乖離(かいり)が目立ってきた。なんとか少し方角を変えないと困ると意識したのではないですかね。 西岡 検証のやり方も「読者の皆さんへ」という形で、あくまで読者の疑問に答えますという姿勢です。23年前に秦先生が済州島に行かれ、吉田氏の主張が捏造だということを最初に問題提起されたわけですが、秦先生に答えるという姿勢ではない。批判が高まっているが、「濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せられていることにお答えします」というやり方ですよね。言論機関である以上、批判に対して「あの西岡論文に答える」と応じるべきだと思います。植村手記も西岡論文に答えてません。 ――昨年、政府は河野談話(注(2))の検証を行いました。歴史の真実を明らかにすることで、日韓関係の将来は開けてくるのでしょうか 西岡 日韓関係に大きな影響を与えたのは1992年1月、訪韓した宮沢喜一首相の盧泰愚大統領への謝罪だと思います。日韓国交正常化交渉が始まった1951年以降、慰安婦問題が外交問題として取り上げられたことはなかった。本当に問題があるなら65年の日韓基本条約締結の際に取り上げられるべきですがここでもなかった。その後、80年代になって吉田氏が本を書いて韓国まで謝りに行き、さらに91年に日本の戦後補償の専門弁護士が付いて元慰安婦たちが裁判を起こし、朝日がリアルタイムで報道し続けた。それまで韓国のマスコミは慰安婦問題の扱いは小さかったのに、91年の朝日の大キャンペーンを境に大きく扱われるようになった。 秦 それを背景にして朝日は92年1月11日にトリックめいた手法で「軍関与の証拠を発見」「女子挺身隊の名目で強制連行して慰安婦に」「慰安婦の大多数は朝鮮人女性」と大キャンペーン記事を書き、翌日の社説は「謝罪して補償すべきだ」と主張しました。私はこれを「ビッグバン」と呼んでいるのですが、実際に慰安婦問題は朝日の筋書き通りに展開しました。 西岡 追い打ちをかけたのが外務省のまず謝罪ありきという姿勢で、朝日報道とセットで慰安婦問題が外交問題になってしまった。今回の河野談話の検証でも91年12月の段階で謝罪することを検討したとしている。吉田氏が証言したような強制連行について事実関係が分かっておらず、実態を調べる前に謝ってはいけない。ここでなぜ外交的に謝るのか。謝罪は調べてからすべきものです。 秦 慰安婦問題がこんな大問題になってしまった責任の半分以上は日本にあると思いますね。韓国は受け身なんですよ、吉田氏にはじまり、アジア各地に出かけて元慰安婦を探し出し、補償裁判に持ち込んだ弁護士、国連人権委員会(現理事会)で慰安婦を性奴隷と呼びかえるべきだと訴え、実現させた弁護士も。僕はなぜそういう自国を貶(おとし)めるようなことに熱中する日本人がいるのか、不思議でならない。他国なら社会的制裁が下るはずなんだけど、日本はそうではない。むしろメディアは持ち上げてしまう。 西岡 慰安婦問題については昨年8月の朝日の検証から物事が始まったように見えますが、実はそうではない。河野談話の根拠だとされていた元慰安婦16人の聞き取り調査が裏付け調査のないでたらめな調査だったことを当時の記録を入手して暴露し、さらに外務省が一度国連に提出して突然取り下げたクマラスワミ報告(注(3))に対する幻の反論文書を入手して全文公開したことなど、産経新聞と月刊「正論」のスクープは大きい。極秘とされていた政府文書を公開し、新しいファクトを出したことが議論の水準を上げることになった。慰安婦報道の急展開にはこうした背景があったと思います。報道現場で何か言いたいのであれば、新しいファクトを見いだすとか、新しいものの見方を提案することが絶対に必要です。新年はこうした建設的な議論が進むことを期待したいですね。関連記事■ 慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪■ 「慰安婦狩り」吉田証言を報じた朝日記者の心性 ■ 慰安婦問題解決を阻んだ朝日と韓国

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    産経さんだって人のこと言えないでしょ?

    「編集権」についてとやかく言うつもりはなかった(瀧誠四郎撮影) 私が朝日新聞での連載「新聞ななめ読み」を始めたのは、朝日だけでなく、いろんな新聞の比較をすることがそもそもの狙いでした。月に1回、言ってみれば新聞時評みたいなものですよね。「朝日新聞の記事は分かりにくい」と随分批判もしてきましたが、それに対して担当部局のデスクから抗議が来たりすると、それも紹介しつつ、反論も書いたりして、新聞記者との双方向性を持つというやり方でやってきました。 朝日以外にも読売や産経の話も書いたりしたことはあったんですが、ある日突然、掲載できないという話になったんです。もちろん、新聞社には編集権がありますから、最終的に掲載する、しないを判断するのは、それぞれの新聞社が決める編集権ですよね。それについて著者が「載せないのはおかしい」とか、そういうことを言う立場ではないと思うんですよ。 朝日は編集権を行使したに過ぎないわけですから、「それはどうぞ」と。もちろん、それについてはとやかく言いませんとも。ただし、これまで「何を書いてもいいよ」と言われてたのが、突然そうじゃなくなるんだから信頼関係が失われたも同然ですよね。 だから、私は「もう書きませんよ」と言っただけなんです。それは、朝日新聞と私との間の、要するに発注者と著者との間の話でしょ。それはどこの新聞社だってやりとりはあるわけだし、出版社だって雑誌社だってあるわけですから。それについて、私は誰にも言うつもりはなかった。あくまで会社との話でもあるから、もう終わった話だし、もう連載はきれいさっぱり終わったんだもんね、と思っていました。 そしたら、突然週刊誌から次々に問い合わせがあり、まあ朝日の社内で、週刊誌に言った人がいるわけですよね。週刊文春も週刊新潮も「朝日の人から聞いたんですけど」ってきましたから。で、こんな騒ぎになっちゃった。私の中では終わってた話ですし、それがこんな形になってしまった。 当時、コラムの不掲載を決めたのは「上層部で…」という言い方を朝日の担当者もしていました。現場は掲載したいと思っているのに「上層部がうんと言いません」という言い方でした。こちらとしては「上層部って誰ですか?」と聞こうとも思わなかった。さっきも言ったように編集権を行使されただけですから。別に関心もなかったので、確認もしなかった。ただ、それだけのことです。 朝日の第三者委員会では木村伊量前社長が不掲載を決めたという結論が最終的に出ましたよね。本人もそれを受け入れるみたいな。渋々認めるような不思議な展開でしたけど。でも、本当は会社の中で、きちんと何があったのかということを調べて検証する、という自浄作用が働かなければいけないんだけど、朝日にはそれができなかった。そのことは残念だけど、よく言えば朝日は第三者委員会ってものを設置して、事実が解明されたわけですよね。考えてみれば、新聞記者だってサラリーマンなんですから、自分が勤める会社の社長だった人を問い詰めて確認するってやっぱりなかなかできない。そういう意味では、第三者委員会で一連の経緯が明らかになったことは良い事だと思う。 そこでいろんな膿といいますか、角度をつけすぎた記事であるとか、あるいは過剰な使命感から記事が歪められてしまったみたいな指摘を受けて、「朝日の病根」っていう言い方は言いすぎかもしれませんけど、そういうものを明らかにして紙面に出して説明したことは、これまでにない前向きなことではないか。そして、さらに言えば、1月5日の朝日社長会見でも「編集」と「経営」をきちんと分離すると明言しました。これはマスメディアにとって永遠の課題ですよね。産経新聞だって編集権は独立しているでしょうけど、でも会社の危機になれば、そのときの社長が何を言うか分からないというのは有り得るわけでしょ。いや、きっとありますよね。あまり人のことを言っていられないわけですよね。 そういう意味でも、「経営」と「編集」の分離、あるいはどうしても経営にかかわる時には第三者を入れてきちんとオープンにするんだ、という姿勢は画期的なことだと思う。他の新聞社はできてないでしょ。他のテレビ局だってできてないと思うんですね。他にも訂正のコーナーを常設するというのは、これも画期的なことですよね。これまでどの新聞社も、なるべく訂正は載せたくない。たとえ載せても目立たないようにする。一面トップの大きな記事でも小さく訂正を載せるというのは、産経新聞でもあったと思いますけど、一連の問題を受けての朝日の対応は画期的なことではないかなと思う。 もちろん、本当にそうなるかどうかは分からない。これからやるっていうんだったら、じゃあ、こちらはそれを監視し批評をするという役割で「連載を再開しましょう」と決めました。1月5日の夜に申し上げたんですが、各社からは「コメントください、ください」とずっと追いかけ回されてました(笑)。現場の「屈辱感」が編集権の独立を担保する現場の「屈辱感」が編集権の独立を担保する 朝日の人と話していて、なるほどと思ったのは、今回の場合でいうと、編集部門は僕のコラムを掲載しようとしていたわけです。でも上層部、第三者委員会でいうところだと当時の社長ですよね。経営陣から載せるなと言われて、現場は抵抗したけど最終的に屈服しちゃったわけです。その「屈辱感」を現場の誰しもが持っている。こういうことが二度とあってはいけないという反省みたいなもの。実はそれが「編集権の独立」を担保するのではないかと言っている人がいて、なるほどなと思いましたね。(瀧誠四郎撮影) 逆に言えば、今後もし経営者が編集に介入しようとしたら、「第三者を呼ぶんだよ」「オープンにするんだ」という仕組みが朝日にはできたわけですから。これは経営者がうっかり編集に介入しようとすれば、オープンになってしまうと思ったら、それだけで歯止めになる。つまり、会社の体質うんぬんではなくて、歯止めをつけるとか、ブレーキをかける仕組みを朝日はつくったんですよね。 むろん、代が変わっても、その精神や仕組みが継承されるかどうかという懸念はあるわけですけど。あなた方も新聞記者である以上、自分が書いた記事について正当な理由もなく、上層部から「これはやめろ」と言われたら許せないはずです。屈辱ですよね。やっぱりそれに屈してしまったということは記者人生において、ものすごい汚点だと思うんです。朝日の人たちにとってみれば、今回のことにかかわった一人ひとりの記者人生においての汚点でもある。これからもトラウマになるかもしれませんけど、その反省から二度とそんな失敗はしないっていうことを思うことが大事なんじゃないかな。 これは他の新聞社の記者からも言われたんですが、「朝日のような対応はうちじゃできない」と。朝日の問題を受けて、ここのところいろんな新聞が訂正を大きくしたり、訂正の内容を分かりやすくしましたよね。そういやこの前、産経さんが朝日の件で江川紹子さんのコメントを無断で使ったことが問題になりました。あの後、産経新聞が記者を処分した経緯の記事がとっても分かりにくいと聞いたんですけど。なんで、どんなことをやったから処分になったかと書いてないんですよね。こんなことになれば、当然産経さんだって批判される側に立つ。 ましてや、朝日のことを散々叩いてきたわけでしょ。江川さんの件でなぜ処分したかまったく説明がないわけですよ。読者のことをまだ考えてないなと思いますよね。最近、日経新聞の訂正も非常に丁寧になりました。前はただ「訂正します」という言葉だったのに、最近は「お詫びして訂正します」に変わった。そういう意味でも、それぞれの新聞社が襟を正すようになったのは、とても良い事なんじゃないかな。 もちろん、これはあえてメディアにおける今回の朝日問題のプラス面を言えばですよ。ただ、その一方でマイナス面を言うと、やっぱり新聞に対する不信感が大きい。最初は朝日に対する不信感だったわけですけど、今度はそれをライバル紙である産経さんや読売なんかも激しく叩くわけでしょ。これも読者にしてみると、「本当に真実とか事実を追及するためのものなんだろうか」と思ってしまう。でも、すぐに販売店からチラシが入るわけですよ。「うちの新聞をとりましょう」と。それを見ちゃうと「あれ? 商売のためなんじゃないの」と思ってしまう。たとえ、そういうつもりがなかったとしても、きっと読者はそう思いますよね。 だから、今回の問題は結果的に新聞業界全体に対する不信感に広がっていったんじゃないかと思っています。朝日が部数を減らしてますけど、はたして読売さんや産経さんは増えてます? そういや毎日新聞は微増だと言ってましたね。減り続けていたのが微増ということは結構増えているということになるのかもしれないけど、たぶん朝日の購読を止めた人の多くがこれを機に新聞購読をやめたんじゃないかと思うんですよね。新聞業界全体が実はマイナスになっていると。そういう危機感を持った方がいいんじゃないかなと思いますね。だからこそ、今回の朝日問題は他の新聞社においても「他山の石」にしてほしいなと思います。「角度」をつけて記事をつくることとは「角度」をつけて記事をつくることとは そういえば、朝日の第三者委員会の報告について、産経新聞は朝日の過去の記事が国際的に悪い影響を与えたと、大きく報じていましたよね。それが見出しにもなっていたでしょ。産経は産経で「角度をつけて記事を書いているよな」と思いました。 それにしても「角度」をつけるっていう表現は不思議ですよね。かつて私が勤めていたNHKでもそんな言葉はなかった。ただ、よくあるでしょ。例えば、新聞記者が第二社会面トップぐらいというつもりで書いたら、突然デスクから「一社トップで行くぞ」とか、「一面で行くぞ」とか言われたりする。デスクからは「リード(前文)を工夫しろ」とか、「イーハンつけろ」とか言われません? きっとあるでしょ。今の若い人には意味が分からないかもしれないけど。 どんな記者だって、突然「トップにするぞ」と言われたら、「イーハンつけろ」と言われたらやるでしょ。なんとかでは初めてとか。世界初と言えないならアジア初とか。なんじゃそれ、みたいなのが時々ありますよね。 つまり、イーハンつけろよというのが、朝日でいうところの「角度をつける」ということなんでしょうね。でも、角度をつけるということは、ちょっと偏ってしまうことになるのかなとも思います。イーハンつけるということは、もう少しニュースバリューを際立たせろということですよね。でも「角度」という言い方は不思議だなと今でも思います(笑)。朝日の問題は「不良債権処理」と同じ1月5日、記者会見する朝日新聞社の渡辺雅隆社長(大西正純撮影) 朝日について言えば、一連の問題を訂正したり、お詫びする機会はあったはずなのに、それをずっと放置してきたという人がいます。これはものすごく、日本的な企業風土だと思うわけですよ。朝日だけではなくて、日本の企業だったらどこにでもある話。新聞社の感覚で言えば、大阪社会部が書いた記事だから、東京社会部は知らないよと。こんな経験あるでしょ? あるいは、過去に起きたことだし、なんで今さらほじくり返すの? みたいなことになる。当時書いた人が今、会社の上層部にいたら、その人の過去を掘り起こすことになってしまう。それはそっとしておこうとか、自分の時に問題にならなければいいから先送りするって、誰しもが思う感覚なんですよね。 バブル経済が弾けた後の日本の金融機関はみんなそれをやってきたわけですよ。バブルが弾けて、どんどん不良債権が積み上がり始めた。担保となった土地を早く処分すればいいのに、それを処分して不良債権だと切って捨てると、前任者が間違っていたということになる。たとえば、それをやった人が今は本社の偉い人になっていれば、こんなことをやると自分の出世に響いたりするから、自分の時だけは何事もなく、後に任せればいいやと思う。「先送り、先送り」といって気がついてみたら、不良債権がものすごいことになって、「飛ばし」にした。飛ばしにして、帳簿から消したでしょ。あれと同じですよ。  あるいは、不良債権の額をわざと低めに抑えたりして、実際に金融庁が調べてみると、どーんと額が増えましたよね。結果的に不良債権処理に失敗して金融破綻が深刻な問題にもなった。朝日新聞とそっくりだと思いますよ。いや、朝日新聞だけじゃなくて、日本の企業風土としてよくあることだと思う。むしろ、そっちの観点からこの問題を考えた方がいいんじゃないかと思います。 当然ながら、産経新聞にだってあり得るということです。もちろん、今のご時勢なら、すぐ膿を出す努力はするでしょうけど。昔は産経さんだって、誤報を出してもほっかぶりしたことがあるわけですから。それは朝日特有の問題とみてしまうのは間違いなんじゃないかな。日本的な企業風土として、どこでも有り得ることなんだよと考えた方がいいんじゃないかな。だからこそ、朝日が報じた吉田証言というのは「不良債権」そのものだったんですよ。不良債権の処理をしないで、放置している間にどんどんそれが膨らんでしまった。それが今回、やっと不良債権処理に踏み出したわけですよね。朝日新聞の国際的影響力とは朝日新聞の国際的影響力とは 朝日の問題で言えばもう一つ、一連の慰安婦報道が日本の国際的評価を貶めたという指摘があります。これについて第三者委員会の中で、本当にどれほど影響があったのかどうか、林(香里)先生が定量的に分析しています。■データから見る「慰安婦」問題の国際報道状況(朝日新聞デジタル)http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122204.pdf データによれば、実は思ったほどの影響ではないという話になっていましたよね。あれがなかなか難しいのは、産経さんが日本を貶めたのは朝日の影響力が大きいと言えば言うほど、朝日新聞は国際的信用度が高いみたいに思えてしまう。朝日を叩くことがかえって、日本を代表する新聞という風に持ち上げられてしまって、これは痛しかゆしだなって感じがする。林先生が分析したデータを見ると、確かに言われているほどの影響力はないって結果なんですよ。あれはあれで結構、おもしろかったですけどね。 もちろん、報道の影響力というのは活字の面積やテレビで放映された時間だけで計れるものではありません。ごく小さな記事でも、人間の記憶に残ることだってあります。「強制連行した」という証言が日本国内でそれなりの衝撃を持って受け止められた部分が、海外ではどうなのかというのは実際のところよく分からない。別に朝日の影響力がなかったとは言いませんし、逆にどれだけあったのかと言えるだけの根拠を私は持っていないので。全くなかったはずではないけど、じゃあ、どれだけあったのかというのも、実はよく分からない。 ただ一つ言えるのは、「慰安婦」という言葉自体がひとり歩きしたという影響はあるわけでしょ。「女子挺身隊」が「慰安婦」とイコールの、あの間違いの方が大きいと思います。女子挺身隊を慰安婦と混同した部分に関しては、たとえば韓国では「慰安婦20万人説」っていう話まで出てきちゃうわけです。この責任はありますよね。明らかにね。強制性に関しての国際的な影響力っていうのは、私もそれを判断するだけの材料がないので自分としては言えませんけど、女子挺身隊と慰安婦を混同させたのはやっぱり問題だと思います。これは朝日の責任として、今後も国内外に向けて「実は間違っていました」ということを言い続けるべきだと思います。 この問題について、一読者として最も違和感があるのは、産経さんが「朝日はその責任をどうするんだ、どうするんだ」と追及してるでしょ。極論かもしれないけど、産経新聞が朝日に代わって世界にアピールすればいいんじゃないですか? 少なくとも私はそう言いたくなるんです。日本を代表する新聞としてきちんと論陣を張り、世界に向けて「朝日は間違っている」ということを発信すればいいじゃないですか。やはり言論をもって言論をということだと思うんです。読売さんだって、朝日は違うとかやっているわけでしょ。読売は読売できちんと論陣を張る。産経は産経でやる。また、毎日や東京もまた別のやり方をやればいい。それが本来のあり方じゃないですか。人を叩いている暇があったら、自分のところで誇りをもってやりなさいよと、私は言いたいですけどね。朝日を叩くなら言論を戦わせるべき朝日を叩くなら言論を戦わせるべき 私は昨年、週刊文春に「朝日のことを言えない新聞社やテレビ局だってあるんじゃないんですか?」という記事を書きました。過去には私の連載を突然打ち切った新聞社だってあるわけです。それは編集権の問題だから、私はそれについて誰にもとやかく言ってませんけど、たまたまその新聞社は組織内で鉄の結束があって、社員は誰も外部に漏らさなかった。だから、今まで知られないで来ただけの話でしょ。 かつて私がいたNHKにおいても、経営が編集に介入するというのはあって、みんなが地団駄を踏んで悔しがったこともあります。そんなことは、いろんなところであるんじゃないですか。週刊誌の広告掲載を拒否した新聞社だって他にもあるのに、朝日新聞が週刊誌の広告掲載を拒否したことだけが、けしからんと書くのは違うんじゃないですかということを言ったわけです。私は「朝日叩き」が悪いとはどこにも書いていない。自分たちだって過去に同じことをやっているのに、朝日だけを叩くというのは違うんじゃないかと思います。産経新聞に掲載された週刊新潮、週刊文春の広告と、朝日新聞の慰安婦問題に関する特集記事=8月28日 そういえば、週刊文春は「売国」という言葉を使って朝日の問題を報じましたよね。「売国」っていう言葉は、メディアとして使うべきではないと思います。光文社のフラッシュでは「朝日新聞の社長を国会招致せよ」という見出しをつけた。出版社が政治介入を積極的に求めるってどういうことですか。要はフラッシュの記事をめぐって何かあったときに光文社の社長を国会招致せよって言われたら、どんな気持ちになりますか? そこですよね、私が言いたいのは。だからこそ、言論には言論でやりましょうと常々思うわけです。 「メディアスクラム」とかよく言われますけど、メディアスクラムが問題になるのは、たとえば事件があった時の、一個人、いわゆる市井の人、一般の人に対してメディアが「ワーっ」と押しかけてやるっていうのは、やっぱり人権問題だと思います。でも、朝日について言えば、メディア界においてそれなりの権威がある。大企業に対しての過熱報道というのは、それはありですよね。ありって言い方は変だな。それについて、とやかく言うことはないんだろうと思いますよ。 新聞社の場合、そこに販売店が絡んでくるから、またちょっとおかしな話になってくるけど。読者からみれば、結局部数を増やしたいからだろうと見られちゃいますよね。そこでまた編集と経営の分離という観点からみると、経営者から「朝日を叩け、やれやれ」と言われて報道が過熱しているのではないか、と勘繰ってしまいますよね。 もちろん、新聞社だって民間企業だし、営利企業、株式会社なんだから当然といえば当然なんですけど。その一方で、読者は言論機関、報道機関として新聞をみているわけですよね。そこで疑いを持たれるようなことがあっちゃいけないと思います。 この問題に関して言えば、元朝日記者の植村隆さんがひどい個人攻撃を受けてしまった。そこら辺の経緯は私も良く分からないからコメントできないですけど、ただ植村さんが最初は神戸かなんかの大学の先生に決まっていたでしょ。あの時、週刊文春がそれを暴露した。あれはやりすぎだと私は思いましたね。こんなやつをとってもいいのか、この大学への抗議をみんなでやろうと、あたかも煽ったかのように思えますよ。 これについては週刊文春の責任が大きいと思います。植村さんが誤報したのだとしたら、それを追及されるのは当たり前ですが、だからといってその人の第二の就職先はここだと暴露する必要があるのか。それが結局、個人攻撃になっていったり、娘さんの写真がさらされたりみたいなことになっていっちゃうわけでしょ。ものすごくエスカレートする。逆に言えば、産経さんはこの件に一切関与していないにもかかわらず、なんとなく植村さんへの個人攻撃から娘さんの写真をさらすことまで、全部ひっくるめて朝日をバッシングしているのが、産経さんであるかのようにみられてませんか? 産経さんの誰かが書いていましたよね。うちはちゃんと分けているのに、全部ひっくるめて批判するのはおかしいって。そんな風になってしまったのは、これまた不幸なことだと思いますね。ラジオからテレビ、紙からネットへの変革ラジオからテレビ、紙からネットへの変革テレビ東京系選挙特番「池上彰の総選挙ライブ」の会見を行った池上彰氏=2014年12月2日 朝日の問題は、ネットでも特に注目を集めました。ネットを利用する人が情報収集する時にググると、産経の記事もネトウヨのブログも一緒になって出てきちゃうわけでしょ。並列で出てきちゃって、次々に読んでいると、どこで読んだかよく覚えてなかったりしたという経験だって誰しもきっとある。 新聞社の記事というのは、きちんと訓練を受けた記者が「プロ」として書き、さらにデスクが手直しして、校閲がもう一度チェックするという、何段階ものプロセスを経て世に出ますよね。 その一方で個人がやっているブログなんてのは、思い込みだったり、勝手な意見を随分出していますよね。ネットの世界では、それが一緒にされている危険がものすごくあると思うんですよね。 確かにインターネットができて誰もが記者になれる。みんなが情報発信できる。それはその通りなんですけど、結果的に取材をし、事実関係を確認し、報道することの恐ろしさって、我々は知ってますよね。間違えたらどれだけ大変なことになるのか。でもネットしかやらない人はそういう怖さを知らないわけでしょ。結局、人違いになったりして名誉棄損で訴えられたりっていうことがたびたび起きている。こういう時こそまさに「プロの力」というのが、ネットの中でもとりわけ必要だと思うし、今まさに問われているんだと思います。 ただ、ネットの記事っていうのはPV(ページビュー)を稼いで広告料をとるわけでしょ。週刊誌と同じですよね。一定の購読料とは別になってます。今、話をしていてふと気がついたんですけど、そもそも紙媒体とは根本のビジネスモデルが異なるのがネットメディアですよね。 メディアの歴史をひもとけば、民放テレビが始まったとき、ラジオ局がテレビを始めたんです。ラジオこそが本流だと思っていた連中は当時、テレビには誰も行きたがらなかった。当時のエリートコースの連中がみんなラジオに残って、上の評価がめでたくなかったり、はぐれ者がテレビに行かされたんです。そういうエリートじゃない、いろんな連中がいたことによって、テレビは活性化していくんです。だから、今の紙媒体とネットメディアって、かつてのラジオとテレビの関係に近いのかなとも思います。 テレビが出てきたときに、映画界では映画俳優をテレビに一切出さないという「五社協定」というのがあって、東映とか日活とか、5社が協定をして、映画俳優は一切テレビに出なかったんです。そうやってテレビを困らせようとしたわけですが、テレビ局は仕方がないから、自分たちでテレビドラマの俳優を発掘した。そこからみるみるテレビドラマの人気者が誕生していった。 いつしか映画が没落していき、結局は映画俳優も「テレビに出してください」という流れに逆転するわけです。明暗を分けるというか、新しく主役が代わるという時は、そういうことが起きるんだろうと思う。今はネットのルールというか、作法というのか、そういうものがまだ成熟していない。でも、これからきっと成熟していくのだと思う。いや既存メディアこそ、そういうものを積極的につくっていく役回りを担う必要があると思います。既存メディアが進む未来とは既存メディアが進む未来とは ただ、ネットユーザーの中には、ネットにこそすべての正しい情報がある。マスゴミは信用できない。ネットには真実があるみたいに、本気で思い込んでいる連中がいる。困ったもんですよね。すべて同列にみえてしまうっていうところが怖いですよね。そこが、まさに既存メディアが苦戦、苦闘していることでもあります。その中から何かルールなり、作法が生まれてくる。それを作っていかなければいけないんだろうと思います。なかなか見えてこないですけど。それはひょっとして我々のような古い、オールドメディアの連中だから分からないのかもしれない。もしかしたら、物心ついたころからインターネットでずっと慣れ親しんできた人たちが、また新しいものをつくるのかなとも思います。(瀧誠四郎撮影) それでも、既存メディアの将来について一つだけ言えるとしたら、これから紙の新聞ってのは必ず減っていきます。この先も減り続けると思ってます。でも、絶対になくならない。必ずどこかで止まるんですよ。逆に、日本の新聞の発行部数が異常に多すぎる。産経さんは少ない少ないって言うけど、いま160万部もあるんでしょ? ニューヨークタイムズやワシントンポストってどのくらいです? 100万部ちょっとでしょ。ニューヨークタイムズ、ワシントンポストに比べれば産経新聞ははるかに多いんです。だから1千万部なんて言っている新聞があるけど、実際はもうちょっと少ないんでしょうけど、世界規模でみると日本は異常なんですよ、あれ。 実はこれまでが異常だった。本当に紙のものをある程度きちんと読んでくれる人のレベルって、こんなにたくさんいるわけないですから。そういう意味では減りますよ、日本中の新聞すべてが。朝日も産経もまだまだ減りますよ。でもどっかで止まるんだと思っています。ちゃんと手に取って読んでくれる良質な読者をどうやって抱えていくのか。そして、紙では読まないけれど、ネットでは読んでくれる人をどれだけ取り込むのか。理想をいえば、ネットでも重要な記事やコンテンツは課金する流れができたらもっといい。 課金に関しては、ニューヨークタイムズも成功しているわけでしょ。日本だと日経新聞がとりあえず成功している。金儲けの部分だけはうまくいっているわけです。産経新聞だって正式名称は「産業経済新聞」なんですよね。経済ネタだけは課金をするような形とか。うまいやり方は正直分かりませんけど、あるいは産経ならではの正論なり、主張なりという部分は「お金を出して読んでください」みたいなこともできる。利益は出なくても赤字にはならないで済むようなビジネスモデルを考える。持続可能なものとしてね。いまどこの新聞社もデジタル部門はトータルとして赤字なんじゃないですか? 今後、その赤字をどれだけ減らしていくのか、そこで利益を上げようとしても現時点ではとても無理ですから。より良いビジネスモデルを模索する時期なんだと思う。やっぱりメディアというのは、結局は読者がお金を出してでも読みたいと思う記事をどこまで出せるかに尽きる。いま、新聞を定期購読をしている人っていうのは、その多くが惰性で取っているでしょ。でも、数は減っているとはいえ、キヨスクでお金を出して買ってくれる人もいるわけです。110円を出して産経新聞を買っている人が必ずいる。そこには買った人が読みたいなと思う記事があるからですよね。個人的な意見ですが、近い将来、ネットメディアでも100円を出してでも読みたいっていう記事がもっと増えればいいなと思いますけどね。(聞き手 iRONNA編集長、白岩賢太/川畑希望)池上彰(いけがみ・あきら) 昭和25年、長野県生まれ。元NHK記者。平成6年から11年間「週刊こどもニュース」のお父さん役を務めた。17年にNHKを退局し、フリージャーナリストに。 東京工業大学リベラルアーツセンター教授。近著に佐藤優氏との共著『新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方』(文春新書)。関連記事■ 井沢元彦より 言葉の凶器を弄ぶ「朝日人」たちへ■ 百田尚樹より 朝日論説委員と記者の皆さんへ■ やはり「本質」に踏み込まなかった朝日新聞「第三者委員会」

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    8月5日は朝日新聞の「敗戦記念日」

    今年の世相を表す漢字は「税」でした。4月の消費増税が引き金となり、師走のサプライズ選挙も行われましたが、税にまつわる話題以外にもこの一年はさまざまな出来事がありました。2014年最後のテーマはブロガーやユーザーの皆様からの寄稿で一年を振り返ります。

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    御嶽山噴火は破局の前兆なのか

    古谷経衡(著述家) 2014年を振り返ると、様々なニュース・事件・事故があったが、最も気がかりなのはやはり天変地異に関わるもの。 特に、9月に噴火した御嶽山(死者・行方不明者63人)は戦後最悪の火山噴火災害となった。 また2013年暮れから噴火が始まり、島の形が大きく変わった小笠原諸島の西之島は、2014年に入りさらに活動が激しくなり、元の規模の10倍近い面積にまで拡大した。現在も島は海上保安庁によって常時監視され、活発な噴煙が確認されている。 11月には、阿蘇山が小規模噴火し、噴煙が1000メートルの高さにまで上がった。小規模とはいえ、1995年以来の噴火規模である。 また12月に入ると、北海道の十勝岳、福島県の吾妻山について、警戒レベルを平時の「1」から、レベル「2」(火口周辺警報)に引き上げた。いずれも、火山の活動が活発化している(火山性微動)ことが確認されたためだ。 さらに蔵王山についても、大きな火山性微動が確認されたと12月に入って報じられた。 西之島、御嶽山、阿蘇、吾妻、蔵王…。言うまでもなく、これらの現象は一直線上に繋がっている。それは、「3.11」以降、日本列島が乗る地殻が、不安定さを増している、という事実だ。 巨大地震と火山の活動は、連動している。江戸中期の1707年10月、東海―東南海地震の連動型(南海トラフ)とされる「宝永地震」が紀伊半島南部を中心に起こった。この時の地震規模は、おおよそM8.0クラスの後半、と予想されている。雪が積もった御嶽山山頂で、行方不明者を捜す自衛隊員ら 「3.11」に匹敵する超巨大地震である。 「宝永地震」のわずか49日後、今度は富士山が噴火した。世に言う「宝永の大噴火」である。「宝永地震」と併せて、日本の太平洋側に壊滅的な被害が出た。 地震と火山は、密接に連動する。「3.11」の直後、「富士山も噴火か?」などとセンセーショナルな記事が週刊誌やスポーツ紙などで踊った。 私も、「宝永」の故事に習い、「3.11」直後、富士の噴火を最も懸念した。しかし、現在に至るまで富士の噴火はない。 「3.11」で刺激されたプレートが、じっと沈黙して、再び凶暴な音を立てるのを、地下で待っているような、そんな不気味な予感さえ感じる。 境的にもまれに見る地震・火山大国の我が国において、次なる富士の大噴火は、必ずやってくる。「宝永」以来300年沈黙を続けている富士山はいつ火を吹いても全くおかしくはない。 富士五湖の一つ、河口湖の水位が急低下した、というニュースは記憶に新しい。噴火との関連は定かではないが、不気味な富士の胎動がもう始まっているのか。 「3.11」いや、もっと前の阪神・淡路大震災から日本列島が地震の活発期に入っていることは、言われているとおりである。2015年、一直線上でつながったこれらの異変が、結実しないことを祈るばかりだ。 しかし、例えば「宝永」が起こった江戸中期、時代は空前の好況の真っ最中であった。「宝永」の前の元号は「元禄」だが、この時期の日本は「元禄バブル」ともいうべき活況を呈していた。 戦国時代後期から始まった日本全土の土地改良と新田開発はこの時代、一段落し、急速に拡大した生産量が巨大な人口を支え、元禄時代、日本の人口は戦国時代の倍、約3000万人に増加するまでになった。 江戸、京、大坂、博多など、日本各地に大人口を誇る消費地が生まれ、そこと生産地を結ぶ物流網が大きく発達した。元禄や宝永の時代は、日本が空前の「大成長」を迎えた時期であったと同時に、また巨大な天変地異が相次いだ時代でもあった。 「宝永地震」「宝永噴火」を筆頭に、元禄年間には「元禄大地震」と呼ばれる関東地方を襲った強い地震が有り、特に小田原城下に壊滅的な被害を出した。 しかしそれでも、当時の人々は複数の巨大地震と大噴火を乗り越えている。地震や噴火で被害のあった地域に対し、幕府は無税として復興を奨励した。今と違って重機やトラクのない時代、人力主体の復興には気の遠くなる時間がかかったが、それでも成し遂げた。江戸幕府はその後、160年間続く。 地震や火山、といった天変地異は、避けて通ることが出来ない。そして幸か不幸か、そのサイクルには長期的なムラがある。考えてみれば、日本の戦後の高度成長期は、たまたまこの「幸運な地震や火山の活動の空白期」だった、という見方もできる。 朝鮮戦争からバブル時代まで、日本海中部地震(1982年)以外、多数の死者や大被害を出した地震はなかった。それが90年代に入ると、北海道南西沖地震(1993年)を皮切りに、阪神・淡路大震災(1995年)、新潟中越地震(2004年)と立て続けに大被害を起こした地震が発生した。無論「3.11」もその延長線上にある。 戦後の日本経済の発展の時期と、「地震や火山の休眠期」は、偶然にも一致している。 元禄時代がそうであったように、我が国の祖先たちはかつて、大災害期に爛熟を迎え、しかしそれを絶やすこと無く、その災難を乗り越えてきた。 2015年の経済はどうなるか不透明だが、きっとそれを打ち消すような、過酷な自然災害が待ち受けていることは、想像に難くない。しかしそれに怯まず、困難に一致団結し、超克する「連帯」と「絆」が必要である。 不気味な地下のうねりは、2015年も変わること無く我々の枕元に息を潜めている。常に飛び起きる警戒を怠ること無く、いまはつかの間、眠ろう。

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    2014年最も読まれた記事トップテン

    10月1日にスタートした総合オピニオンサイト「iRONNA」も、はや3カ月を迎えます。この間、多くの記事や寄稿を掲載しました。激動の2014年も残りわずか。今年を振り返り、ユーザーの皆様から特にご好評を頂きました記事トップテンを再掲載します。

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    独占激白! 猪瀬直樹は何を語る

    前東京都知事、猪瀬直樹氏が「政治とカネ」をめぐる問題で辞任を表明したのは、ちょうど1年前の12月19日だった。史上最多得票、東京五輪招致の成功…。絶頂だった人生は、たった一度の過ちと最愛の妻を失ったことで一変した。失脚から1年。公の場から姿を消した猪瀬氏がiRONNA編集部に独占激白した。

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    天国と地獄、事実は小説より奇なり

    猪瀬直樹(作家、元東京都知事)虫の知らせ 今年3月末に公職選挙法違反の罪で略式起訴され、罰金50万円を納付して事件が終わりました。昨年12月に東京都知事を辞めたんですが、振り返ってみると、東京五輪の招致活動の最中に妻、ゆり子が突然亡くなり、まさに青天の霹靂とも言うような出来事もありました。小説より奇なりと、事実はね。健康体だった妻とは一緒に招致活動を続けてきましたが、とても予想もしていない展開だったので、「なぜだろう」との思いはずっとありました。 予兆はなかったのか。でも今思えば、「予兆」と思えるような出来事が一つありました。2013年5月19日。雨の日も風の日も12年間毎日、朝夕ともに散歩した飼い犬が突然動かなくなったんです。何かを察知したんだよね、たぶん。犬は飼い主の命令に従う習性がある。つまり、主人と一体となっているという犬の宇宙のようなものがあって、その宇宙が崩れかけている異変に愛犬が本能的に察知して急に動かなくなったんだと思う。その一週間後、妻が緊急入院することになるんだけれど、今思うとそれが予兆だった。 妻は毎週水曜日、1時間半のコースのテニススクールに通っていました。でも、愛犬が倒れて3日後の水曜日のテニスは「球が当たらない」と言って、30分で切り上げて帰ってきた。脳の腫瘍で神経が圧迫され、視野が狭くなっていたのだと思う。ロシア・サンクトペテルブルクで招致プレゼンテーションをする猪瀬氏=2013年5月30日 5月25日の土曜日は久しぶりに公務をはなれ、休日となった。東京五輪招致のプレゼンテーションでロシアのサンクトぺテルブルク行きが2日後に迫っていたこともあり、これで心置きなく出発の荷造りができる。その日の晩、サンクトぺテルブルクと、7月3日のスイスのローザンヌ、9月7日のアルゼンチンのブエノスアイレスで着るレセプション衣装を3着買ってあるので着てみようと妻に言われ、2人だけのミニファッションショーを15分ぐらいやった。荷物を入れたトランクも2つ並べて用意してあって、僕のが黒で彼女のがグレーだった。就寝前、そのトランクの端に妻が足先をぶつけてつまずいた。転んだわけでもなく少しよろけただけだったが、言葉のもつれとか娘の「病院で診てもらった方がいい」という言葉が気になりだして、夜中の12時くらいに以前対談したことがある精神科医の斎藤環さんの携帯電話にかけた。症状を一通り説明して「ペットロスではないか」と投げかけると、すかさず彼は言った。「それはペットロスじゃないですよ。脳機能の問題と思われますので、すぐに受診をおすすめします」。 すぐに秘書と連絡を取り、病院での診察の段取りを頼んだ。5月26日の日曜日は大相撲の千秋楽で都知事杯授与のために妻と一緒に両国国技館へ行く予定だった。迎えの車が来て、その行きがけに病院へ立ち寄り検査してもらおうと決めた。両国国技館に着いたのは午後4時40分ぐらいだったかな。残り七番ぐらい。軽い脳梗塞かもしれないという覚悟はありましたが、妻のことが気になって観戦も上の空だった。白鵬が優勝し、賜杯を手にしたのは5時半すぎ。内閣総理大臣杯や外国のさまざまな優勝杯、そしてNHK杯の後に都知事杯を授与した。その間、花道のところで順番を待つのだが、授与式が終わるとすぐに国技館の地下駐車場を出て病院に向かった。すると、院長から電話がかかってきた。午後6時10分ぐらいだったと思う。 「奥さまについてですが、脳の中央部に悪性の腫瘍が見つかりました。それもこぶし大ほどの大きさです。グレード4です」。いきなり「グレード4です」と言われても、ピンとこなかった。院長に確かめると、「1から4まであって一番上です。申し上げにくいのですが、余命数カ月です」 不意をつかれたような気持ちでした。あったとしても軽い脳梗塞ぐらいだろうと思っていたので。病院まではあと20分くらいで着いてしまう。院長はきっと大相撲が終了したタイミングを見計らって電話をかけてくれたのだと思う。病院に着いて、僕がいきなり検査結果を聞いてしまっては困るからとの配慮もあったのだろう。病院の裏口では院長が待っていた。すぐに控室に入って、MRIの画像を見せてもらって詳しい説明を受けた。脳の中央部に黒い塊がある。「神経膠芽腫です。ここまで大きくなると、手術をしても治癒は難しい」。いきなり「余命数カ月」と言われてどうすればいいのか。翌日からは一緒にサンクトペテルブルクに行くと言っているわけですから。その瞬間をどうとらえていいか分からない。 それですぐ、都内にいる娘と息子に電話して、渋谷駅近くのホテルで集まった。午後8時。個室のあるレストランだった。「実は…」と切り出し結論だけ述べると、一様にびっくりしている。もちろん、病室の妻にも会って話したが、「明日はサンクトペテルブルクには行けないからね」と伝えた。「えっ? どうして?」と首をかしげていたが、「ちょっとね、検査の結果、行ける状態じゃないらしいんだよ。一週間で戻ってくるから、とりあえず入院して静養してなさい」 医者からは脳のむくみを取るために脳圧を下げるステロイドかなんかで、むくみを抑える必要があると言われ、帰国後できるだけ早く手術を実施することが決まった。2人の子供たちには出発前にも「僕が帰国するまで、病院にはできる限り顔を出してくれ」と伝えた。この時点ではまだ都庁の職員には何も言ってなかった。同行するはずだった妻がドタキャンなわけでしょ。「なんでドタキャンなんですかね」「またわがままやっている」とかなんか陰口もあったようだけど、彼らは事情を知らないからしょうがない。急変急変当選を確実にし、妻のゆり子さん(左)とともに花束を贈られた猪瀬氏=2012年12月16日(野村成次撮影) サンクトぺテルブルクのプレゼンは大成功した。テレビでも放映してくれたので、妻も病室で見てくれていたようだ。帰国後には「テレビ、見たわよ。プレゼンがうまくいってよかったね」と言ってくれた。それから手術までのしばらくの間、一時退院して自宅で過ごした。手術日は6月12日。午前8時半から5時間に及ぶ大手術だった。集中治療室(ICU)に入り、妻は執刀医の呼びかけにもにっこりと笑顔でこたえた。 医師からは手術をすれば半年から1年ぐらい余命が延びると聞かされていたから、「手術は成功した」と少しほっとした。ところが、術後5日目の6月17日、妻の容体が急変した。ベッドの上でぐったりとしたまま目を閉じている。声の呼びかけにもほとんど反応がない。嘔吐もみられ、軽いけいれんもみられる。「CTを撮ったら脳が腫れている。もう一度、ICUに移りましょう」。担当医も慌ただしく病室を出入りした。 公務の合間に僕も病院に駆け付けたが、しばらく小康状態が続いた後、脳内出血を起こし、昏睡状態となった。 えっ、話が違うじゃないか。手術は失敗だったのか。いや、失敗というより進行が早かったのか。「失敗」「成功」といってもしょうがないよな、いずれにしろ、結果がすべてだから。6月30日深夜にスイスのローザンヌへ出発しなければならない。再手術後の妻は瞳孔が開きかかり、もはや予断を許さない状況だった。 スイスに到着しても、いつ電話で訃報が入るかわからない状況でのプレゼンテーションでしたが、誰にも言えないわけですよ、それは。言ったら周囲が動揺してしまいますから。ローザンヌでのプレゼンが終わり、それから晩餐会や昼食会やら全部終わって、帰る間際にフェンシングの太田雄貴選手と滝川クリステルに、「実は…」と説明した。太田選手は号泣して、クリステルも泣いて、帰るまで生きているかわからないんだよと。いつ逝ってもおかしくない状態でしたが、なんとか僕が帰るまでもってほしい、と心の中ではただひたすら祈り、ローザンヌから帰国した。 そして、7月21日。ゆり子は苦しむことなく家族に見守られ永眠した。大相撲の夏場所の千秋楽の日に、いきなり余命数カ月と宣告され、妻が亡くなった日曜日は大相撲名古屋場所の千秋楽でした。たった2カ月ですけど、あっという間の出来事でしたね。9月のブエノスアイレスのプレゼンは、ちょうど四十九日だったんです。そして、12月には徳洲会の問題で辞めるんだけど、妻の一周忌と納骨法要がこの夏に無事終わり、一区切りついたような気がします。この間、自分に起こったことを一言で例えるなら、天国と地獄、なんだろう、事実は小説より奇なりみたいなね。徳洲会から借りた5千万円徳洲会から借りた5千万円 2012年のロンドン五輪の視察に行ったのは、まだ石原慎太郎さんが知事で、僕が副知事だった。石原さんが「僕は行かない」というから代わりに行ったんだけど、しばらくして石原さんが突然辞めるって記者会見を開きましたよね。2012年10月25日のことです。「猪瀬さんでいいと思う」と石原さんが後継指名したもんだから、「えっ?」と思いながら準備を慌てて始める中で、徳洲会、たまたま徳洲会だったんです。もちろん、徳洲会以外にもいろんなところに挨拶に行ってたんですよね。そこから一つのルートだけ、サーッと流れるように来ちゃったんです。当初は自民党都議会が協力しないで別の候補を立てるからという話も耳に入ってきて、とにかくいろんな団体に挨拶しておかなければとがむしゃらに回った。選挙には1億円かかるとかいう人もいて、てんやわんやしている時でした。徳洲会は結論が早かったんです。バーッと持ってくる。(瀧誠四郎撮影) 僕自身、政治家は憧れの職業でもなんでもなかった。もちろん、選挙の経験もない。ただ、政治家の経験がなくても、作家だからできることもあるのではないか。そう石原さんから言われたら、もう運命として受け入れるしかないなと思った。もちろん、生前の妻にも相談したが、「そうよね~」と戸惑いながら笑っていたのを覚えている。 2万枚ものポスターを張る、選挙事務所を借りる、選挙カーの手配、支援団体へのあいさつ回りなど、いろいろな段取りをどう組むのか。石原さんの特別秘書がおおまかなポイントを教えてくれたとはいえ、とにかく不安だらけの準備だった。 そんなときに、副知事時代に何度か会ったことがある一水会(民族派団体)の木村三浩さんがやって来て、「選挙、大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。木村さんは「徳洲会の徳田虎雄理事長とは知り合いなので紹介しますよ」とのことだった。 11月に鎌倉の病院で徳田前理事長と面会した。しばらくして、木村さんから連絡が入り、徳田さんの息子の前衆院議員、徳田毅さんと麻布のレストランで会食を設定してもらった。妻も同席して僕は資金面での支援もお願いした。だが、鎌倉を訪れてからわずか10日ほどの間に支持基盤が固まり、連合も支援を申し出た。支援を渋っていた自民党都連も本部に一任すると事実上のバックアップが決まり、なんとか自己資金で賄えるめどがついてきた。 そんな最中に徳田(毅)さんから電話があり、議員会館に一人で来てほしいと言われた。選挙のスタッフや応援体制も固まってきているので、この申し出をどうするか迷ったが、これまでの成り行きや、先行きの不安も多かったので、分かりましたと返事をした。その翌日、徳田さんを議員会館に訪ねると、応接室のテーブルの上には帯封をした紙幣の束を入れた紙袋が置かれていた。数えもしなかったが、徳田さんからは「5千万円をご用意しました」と言われ、はたと我に返った。ここに来てはいけない、来るべきではなかったと。優柔不断な自分を責めたが、その場でお断りすることができないまま、借用書へのサインを求められた。 印紙税法上、借用書に印紙を張らなければならないことさえ知らなかった。このときはもう、使わないで早く返そうと決めていたが、借用書に署名もしないで突き返してしまえば、徳田さんの顔に泥を塗ることになるし、味方を敵にしてしまうことになりかねない。紙袋は折り曲げて持参したかばんの中に入れた。 問題が発覚してから、都議会で四角い発砲スチロールのブロックを包装紙にくるんでかばんに入らないではないかと追及されたこともあったが、そもそも発泡スチロールは折ることも曲げることもできない。あれじゃ、かばんになんか入るわけがない。 借りた5千万円は、妻にひとまず貸金庫へ預けるよう指示した。選挙が終わった後に全額を返済してから、借用書も返してもらおうと思っていました。事務所のスタッフとかにも一切伝えていません。選挙の高揚感みたいな雰囲気に浮き足だって、何とかなるさと思ってしまったのは、周りに持ち上げられた僕に傲りがあったせいだと思います。 選挙後、徳田さんからの借入金を返す段取りが決まった。2013年2月4日にレストランで会う予定にしていた。ところが、アポイントをとったらすぐにドタキャンになった。週刊新潮に徳田前議員の女性スキャンダルが書かれたためで、それで近寄りがたくなった。そしたら、後は3月のIOC評価委員会が来たり、4月にニューヨークに行ったり、5月にアラブの大使が15人ぐらい集まるとか、知事職に忙殺される日々だった。返済するチャンスを逃したとはいえ、それでも返さなきゃと思って、いったん自宅近くにある郊外の銀行の貸金庫に移した。その直後に妻が亡くなり、貸金庫は妻しか開けられないから、戸籍謄本や印鑑証明だけでなく相続の書類が20枚くらい必要で時間だけが過ぎていった。8月24日に三十五日法要があり、その時に書類が間に合ってようやく開けることができた。後は僕の秘書に任せたんですけど、この後彼も一緒にブエノスアイレスへ連れて行きましたから、またズルズルと延びてしまった。 結局、9月25日に返したんですが、9月17日に捜索が入った後ではないかというけれど、僕としてはできる限りのことはやってきたつもりです。問題が発覚して、僕が都知事を辞任する直前に、朝日新聞が東電病院の取得をめぐり便宜を図った収賄疑惑があると報じて、それがまたひとり歩きした。2013年2月4日にドタキャンになって、選挙の時もそうですが、向こうから働きかけは一切ないんです。朝日新聞の報道では、僕が徳洲会側から持ち掛けられ便宜を図ったような書きぶりでしたが、それはちょっといきすぎた報道だったと思います。それで話がこじれて、さらに炎上してしまった。借用書を書いたのも見せたら、あれは印紙を張っていないとか言われて。でも、徳田さんから渡されたものを署名しただけなんです。徳洲会側がすぐに「借用書はうちで作ったものです」と言ってくれれば、騒ぎもここまで広がらなかったような気もしますが、あそこまで炎上しちゃってると、もうどうしようもないんですね。さようならと言ってなかったさようならと言ってなかった ただ一つ言えるのは、僕の軽率な行動が、僕を支持してくれた434万人の負託を裏切ることになってしまった。僕を支えてくれた人や、僕自身の身勝手な行為について詫びることもできないまま別れた妻には今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです。 僕は作家として私小説は書かないって決めてたんだけど、生前の妻からは「わたしのこと、一度も書いてくれたことないじゃない。いつか書いてね」と不満を漏らしたことがあった。私小説を書くのは僕の流儀じゃない。いつも聞き流してきたけれど、でもやっぱり、こういうことになればね。書く必要があった。いや、書かないと僕自身、心の整理がつかないしね。亡くなったということを受け止められないから。書くことによってしか、受け止められない。そう、僕は最期までゆり子に「さようなら」と言えなかったんだから…。猪瀬直樹(いのせ・なおき)1946年長野県生まれ。89年『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞。2002年6月末、小泉純一郎首相より道路公団民営化委員に任命される。東京大学客員教授、東京工業大学特任教授などを歴任。2007年6月、東京都副知事に任命される。2012年に東京都知事に就任、2013年12月、辞任。主著に、『ぺルソナ 三島由紀夫伝』『ピカレスク 太宰治伝』『道路の権力』『道路の決着』(文春文庫)、『昭和16年夏の敗戦』『天皇の影法師』(中公文庫)、『猪瀬直樹著作集 日本の近代』(全12巻、小学館)。10月に『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』(マガジンハウス)を上梓。聞き手 iRONNA編集長、白岩賢太/川畑希望/溝川好男

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    都政記者がみた猪瀬直樹

     「やっぱり、知事が辞めるというのは、独特なんです。涙を流す女性職員もいました」。東京都の猪瀬直樹前知事が都議会の同意を経て正式に辞職した平成25年12月24日の夕方。クリスマスイブに浮足立ちはじめるころ、ある都幹部から、そんな話を聞いた。確かに、この日、都庁内の空気は複雑だった。悲しむ、惜しむ、あるいは喜ぶ、安堵する…。そんな思いが庁舎の中に、入り交じっていた。ただ、幹部であれ、一般職員であれ、最大公約数的に胸の内にあった思いは、「この1年、いったい何だったのか」-。それは、間違いなかった。元国会議員や元首長、ジャーナリストら、さまざまな名前がポスト猪瀬に挙がる今、改めて、“空白時代”とも評される猪瀬さんが都政に携わった日々を振り返ってみる。 平成23年3月11日。東日本大震災が発生した日、前知事の石原慎太郎氏が4選出馬を表明した。そして、現職として震災対応の流れのまま、当選。都庁記者クラブに籍を置くことになったのは、その直後だった。当時、副知事だった猪瀬さんに会ったとき、副知事の名刺と、ある博物館の名称が入った名刺、その2枚をもらった。「メルマガ読んでるか」「読んでますよ」。そんな、やり取りとともに。 副知事時代の猪瀬氏さんには、勢いがあった。東京電力の幹部を副知事室に呼んで詰問し、ソフトバンクの孫正義さんと談笑して地下鉄内の携帯電話の通信を可能にする方策を語らう。そして、その場には猪瀬さんから声をかけられたメディアが集まった。 「パフォーマンス」と揶揄されることもあった。東京電力の経営体質を追及するため、都内にある東電保有施設をまわって写真とともにデータを集めさせ、都施設の24時間の電力使用状況を調べ上げさせた。東京電力の株主総会にも乗り込み、都を代表して主張を展開した。東電改革は一定の成果を上げたが、それは「東京都」ではなく、「猪瀬直樹」の政策となり、いつの間にか手柄にすりかわっていく。スタンドプレーにもみえる姿勢は、都職員や都議の中に、疑問と不満を生じさせていった。 「ファクト(事実)とエビデンス(証拠)」という言葉をさかんに耳にしたのもこのころだった。東電追及の流れは、結果として東京電力病院売却という“果実”を生んだが、皮肉にもそれは、5000万円受領問題をめぐる疑惑の“種子”ともなった。都議会で二転三転する説明には、「ファクトとエビデンスはどこにいった」とヤジが飛んだ。 平成24年4月、米ワシントンでの講演で、石原氏が尖閣諸島購入構想を突如として表明した。都庁にいた猪瀬さんは取材に対し、「購入基金として寄付を募る」と口にした。思いつきのような発言に、都職員はスキーム作りと理屈づけに追われた。それでも、寄付金は着々と集まり、総額14億8520万1967円に達した。都は基金化し、政権が島の有効活用策などを打ち出した際に譲渡する考えだが、その道筋はまだみえてこない。 「政治家として、アマチュアだった」。猪瀬さんは、辞職会見でそんな言葉を口にした。433万票、いや、猪瀬さんに言わせれば切り上げての「434万票」だが、有権者からそれだけの付託を受けた知事が、今回の一件をこう総括してしまうことに、違和感を通り越し、猪瀬さんを取材してきた立場としては寂しさすら感じる。しかし、プロフェッショナルな作家として、紡ぎ出す言葉にはいつも、感銘を受けた。 猪瀬さんには何度か、インタビューしたり、原稿を依頼したりしたことがあった。印象的なのは、震災後、電力改革に取り組んでいたころに申し込んだインタビューと、尖閣諸島の寄付金についての寄稿だ。 「『戦後社会』は戦争を想定外にして生き残るかどうかの発想を持たなくてよかった。3・11以降は歴史区分として『災後社会』と位置づけ、生き残るための思想とは何かと考える必要がある。目の前にあるリスクを考えずに生きてきたのが戦後社会。災後社会は個人でリスクについて考え、意識面でも資金面でもリスクへのコストを払うという思想を持つことが大事だ」(平成23年12月30日付産経新聞東京版) 「平成23年の3月11日に東日本大震災が起き、その後も水害や台風被害が相次いだ。この国の文化は災害に遭いながらも育まれ、無常観という思想や春夏秋冬の季節感になって表れ、情緒的な語彙表現も他の文化に比べると深い」 「実り豊かで、四方を海に囲まれ、海洋資源も豊富。しかし、その豊かさは逆に災害の源でもあった。脅威は忘れられていたが、震災によって目を覚まされた。日本列島の記憶が、自分のなかにある記憶と重なってくるということが起きている。北海道から沖縄まで、気候風土は違うが、同じ国土、ひとつの文化だという認識が、尖閣諸島にも感じられるようになってきた」 「それは、東京都が尖閣諸島購入と活用のために募った寄付の集まり方にも表れた。ひたひたと寄せる波のように集まってくる。たとえば韓国の大統領が竹島に上陸したり、日本の国旗をちぎったりするような、どこかファナティック(狂信的)なものではなく、静かな情熱を感じた。寄付は都への支持率でもある」(平成24年9月13日付産経新聞第2社会面) 震災後の社会を「災後社会」と位置づけ「戦後社会」と比較する、尖閣諸島の購入と利活用で集まった寄付金を「ひたひたと寄せる波」とたとえる…。作家としての揺るぎない歴史観と時間軸、そして、15億円近くに達した寄付金の集まるさまの比喩。知事として説明に追われた5000万円受領問題では見る影もなかった「言葉の力」。評価はどうあれ、猪瀬さんがそれを内包していることは、おそらく今も、変わってはいまい。都知事選434万票の「おごり」 辞職が正式に決まった日。NHKの金城正明記者は、ニュース内の解説で、「副知事時代にあった自信が知事選で大勝し、おごりに変わった」と、猪瀬さんが会見で発した「おごりがあった」という言葉を引きながら、その変貌を指摘した。猪瀬さんの人柄自体が変わったわけではなかろうが、おごりが表出するきっかけを都知事選に見いだす向きは少なくないはずだ。 平成24年12月16日の都知事選挙。電撃的な辞職を発表した石原氏から、「猪瀬さんで十分」と後継指名を受けた。猪瀬さんの立候補は誰もが信じて疑わなかった。そして、それがおそらく当選であることも。 それでも猪瀬さんは、告示日ぎりぎりまで、沈黙を守った。「都政に空白はつくらない」。表向きはこう発言し、知事不在の中、職務代理者として都政にあたるポーズをとった。それがすべてではなかったことは、こんなエピソードからも自明だろう。 「『選挙で圧勝して、次の都議選で候補者の応援に差をつけてやる』。都知事選への出馬表明をまだ先に控えた昨年の晩秋。副知事を務めていた猪瀬氏は、都庁舎のエレベーター内で無煙たばこをもてあそびながら、そうつぶやいた。その言葉は都議会への当てつけにも聞こえた」 (平成25年12月20日付産経新聞3面【都知事の肖像 猪瀬氏辞職】) 副知事や局長を押しのけてまで、視察やイベントに赴く姿を、都職員ですら訝(いぶか)しんだ。それでも、メディアは都知事選最有力候補の一挙手一投足を追いかける。結果として、露出は高まり、有権者は未来の都知事と現在の副知事を重ね合わせることになったはずだ。そして、そんな“錯覚”が、430万票につながったと言えるだろう。 「いーのーせー、とーちーじー」。昨年冬の選挙戦では、そんな節回しで、猪瀬さんの陣営は繁華街を練り歩いた。猪瀬さんがスタッフに命じたかけ声だった。Jリーグ元チェアマンの川淵三郎氏が選挙対策本部長を務め、選挙事務所には、小泉純一郎元首相らが訪れた。元ミス・ インターナショナルのグランプリ、ピアニスト、評論家…。多種多彩な顔ぶれが、その応援に入った。ただ、その戦いを裏側で支えたのは石原氏の人脈だった。「ほとんどが、こちらでそろえた」。選挙戦のさなか、東京ミッドタウン前の雑踏で、石原氏に近い人物はこう明かした。 「平成25年12月16日(日)20時01分、NHKで当確が出ました」 都知事選投開票日の開票開始直後、猪瀬さんはツイッターにこう書き込んだ。結果は国内選挙史上最多の433万8936票の圧勝だった。そして、この票数を背景にした「おごり」が顔を出し始める。 「ギネスに登録してくださいよ」「434万票の民意の重みで(都知事の)椅子も大変だろう」「石原さんの得票も超えた」 都議会各会派や安倍晋三首相へのあいさつ回りで、そんな言葉が口をついた。安倍首相は「謙虚に言った方がいい」と応じた。翌年に都議選を控えていた都議会各会派からは、表だった批判は起こらなかった。とりわけ当時の会派3役がそろって猪瀬さんの選挙事務所に詣でた民主も、こうした発言には特段言及はしなかった。それでも都議らの胸中には、炎を隠した炭火のような怒りがいきづいた。猪瀬さんの辞任のきっかけになった今年12月の都議会では、自民と公明が代表質問や一般質問で知事答弁を一切求めず、民主もこれを追いかけるように同調したが、こうした異常事態を招く萌芽は猪瀬さんが当選したころ、すでにあったといっていい。「知事にとって政策はおもちゃ」 都知事になってからの猪瀬さんが、すぐに指示したのは、都庁各局にツイッターのアカウントを取得することだった。試行錯誤の中、各局はこれに取り組んだ。行事によっては、報道陣よりも局の職員の方が熱心に撮影する光景もしばしば。ただ、情報発信力強化の一方で、それに耐えうる政策が猪瀬都政の中で生まれたのかどうか。1年という短期に終わったとはいえ、それを見いだすことは容易ではない。 「猪瀬知事にとって、政策はおもちゃのようなものだったのではないか」「細かなものはあった。しかし、首都東京をどういう都市にしていくのかという大方針、ビジョンは結局示されなかった」。こう話す都幹部や職員は少なくない。実際、東電改革や地下鉄一元化のように、副知事時代から取り組んできた案件はともかく、それ以外に何があったかと問われると、どうにも思い出せない。 東電改革では、東電のムダを暴き、社外取締役を送り込んだ。中部電力からの域外供給を受けたり、新電力(特定規模電気事業者、PPS)からの購入を拡大するなどの取り組みもあった。地下鉄一元化では、九段下駅の壁を破って乗り換えを容易にしたり、乗換駅を追加指定することで運賃体系を見直したりといった試みも行った。地下鉄内で携帯電話の通信を可能にしたことは、ネット上でも評価が高い。 東京から国を変えるという意味では、東電改革は重要な施策だろう。それでも、明確な都政上の政策かどうかには疑問も残る。地下鉄一元化も、「バカの壁」を破るという蟻の一穴をもって経営統合に至ったかどうか、国や東京メトロ側の姿勢からすると、かなり難しい状況だった。 猪瀬さんのもと、都庁内にはさまざまなプロジェクトチーム(PT)ができた。「東京天然ガス発電所PT」「天然ガス発電所リプレースPT」「時間市場開発PT」「TOKYO就活スタイルPT」…。しかし、東京湾岸に100万キロワット級の発電所を設置するとした東京天然ガス発電所PTは検討の結果、設置そのものを断念し、リプレースPTに引き継いだ。標準時を2時間前倒しするという猪瀬さんらしい発想を生かそうとした時間市場開発PTは、実際のところ、都施設の開館・営業時間を延長する程度の成果にとどまっており、「わざわざPTを設置してやるほどのことか」という声が職員から上がる。猪瀬さんの肝いりでスタートしたTOKYO就活スタイルPTは12月18日に提言を出したが、5000万円受領問題の対応に追われる猪瀬さんは提言の受け取り式に欠席。副知事が代理で受け取るという、どうにも締まらない結果となった。 都営バスも一部区間で終夜運行の試行を始めたが、旗振り役が退場してしまった上、そもそも都議会内部では異論もあり、タクシー業界などの民業圧迫という指摘もある。1年間は続けて需要を見極めるが、その先は中ぶらりんの状態だ。猪瀬カラーを打ち出そうとした今後10年間の長期計画を今月20日に公表する予定だったが、いったん延期したものの、結局見送られた。 五輪の準備をめぐっては、メーン会場となる新国立競技場の建て替え問題で、下村博文文科相が「500億円は出すと都議会から内々に了解をもらっている」と明らかにした。発言は昨年12月24日。猪瀬さんが辞職したまさにその日のことだった。知事の職務代理を務める安藤立美副知事は同25日、「白紙。これからだと思っている。500億円ということを前提に話しているわけではない」と述べた。ただ、すでに知事不在の中、五輪が国主導で進んでいくのではないかという危機感が都庁内にはある。 「いろいろな政策の種をまき、その芽は育ってきたと思う」 平成19年に副知事に就任してからこれまで、「発想力には驚かされる」という声も高かった。それでも、知事として取り組んだ政策で、どれが芽吹き、育っているのだろうか。猪瀬さんは昨年12月25日の深夜、ツイッターにこう書き込んだ。 「昨日12月24日、辞職を申し出、都議会本会議でご同意をいただいたところです。ご迷惑をおかけした都民、国民の皆様にはたいへん申し訳なく思っています。しばらくは、自ら深く反省し、静かに振り返る時間を持ちたいと思います」 静かに振り返り、東京地検の捜査を経た後、改めて、都知事としての1年間を直接聞いてみたいと思う。

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    猪瀬直樹、あるいは傲慢な物体

     都職員から評判の悪かった猪瀬直樹さんが、たかだか5,000万の資金受領の疑いでその椅子を降りることになってから一年余りが経過しました。都知事としての在任期間も約一年で辞任に追い込まれるというのは本人にとっても本意ではなかったでしょう。 文字通り「糟糠の妻」である故・ゆり子さんとの純愛を熱く語りながら、自らの功績の裏側も示した近著『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』を猪瀬さんは上梓されています。これはこれで作品として面白く、作家・猪瀬直樹が一年の沈黙を破って著した文筆復活宣言の本、という意味ではとても楽しく読むことができます。その一方で、「週刊文春」13年6月13日号では、文字通り猪瀬さんの“愛人”だったとされる作家の中平まみ女史の告発が誌面に踊り、テレフォンセックスから飲酒運転までさまざまな猪瀬さんの「素顔」が暴露されております。さらには、都知事辞任のハプニングがなければ西麻布に構えていた猪瀬さんの事務所で働いていた女性が猪瀬追撃の告発手記を別の週刊誌に寄稿する予定だったと言われています。一連のエピソードを聞くと純愛からは程遠い猪瀬さんの等身大の姿が見え隠れするわけですが、猪瀬さんの本は先入観抜きで読むとただただ面白いです。さすがです。作品の素晴らしさと著者の人格は別、ということを改めて感じずにはいられません。やはり、作家性というのは円熟した人柄から滲み出るものではなく、むしろ鬱積し抑圧されて歪んだ人間性が鋭い切り口から社会を睨んだ時評を生んで名声を得るというところがあるのではないでしょうか。 そして、この本においては亡くなった「最愛の」妻・ゆり子さんが問題の5,000万円を預かったのだ、という辞任前の釈明内容どおりの筋書きで、ラストを締め括っているわけです。これで心ある読者が納得するとは思えません。あれだけ愛情語っておいて、最後は失脚の言い訳で終わるというのは何なんでしょう。むしろ、愛する妻が仮に関わっていたのだとしても、わざわざ活字にして残すことが人間としての尊厳をどれだけ損ねるのか、猪瀬さんにはいまだに気づかない機微なのでありましょうか。「五千万円の件は、ゆり子にひとまず貸金庫に保管するよう指示した。事務所のスタッフにもいっさい伝えなかった」「ゆり子は亡くなるが、僕は預金通帳がどこに仕舞ってあるのかすら知らない」 夫婦の形にはいろいろあるのは承知するけれども、猪瀬さんが妻への愛情を語り、妻を失ったことによる心の虚しさを本書で語れば語るほど、最後の最後で「妻がやった」と急降下で落とす違和感を覚えます。ある意味で、波動砲みたいに、妻への愛情や美談を書き連ね、溜めて溜めて、高まりきったエネルギーがぶっ放されるような。 政治家・猪瀬直樹の軌跡は、やはり偉大なる老政治家・石原慎太郎都知事時代に培った話が真骨頂でありましょう。何よりも、まず東日本大震災後に猪瀬直樹さんが手がけた東京電力改革。株主として総会に乗り込んだり、湾岸地域にLNGプラントを並べて火力発電所を建設しようとしたり、確かに都政においてひとつでもふたつでも前に進む足がかりを得ようと努力する猪瀬さんの姿は印象的でした。その意味では、多少人間的な部分にあれこれあるのはさし措いても、ちゃんと仕事をしてくれるようであればそれがベストだろう、ということで、石原都知事の突然の勇退後は、わずか一年の在任であったことも考えると「猪瀬さんならもう少しいろんなことができたのではないか」と思うところはあります。 中でも、副知事時代に石原慎太郎さんに入れ知恵して、わざわざ渡米中にヘリテージ財団のシンポジウムにおいて尖閣諸島を地権関係者から買い取る方向で基本合意したと発表させたことは、いろんな意味で日本外交史において大きな影響を与えました。正直言うと、現在の日中関係の決定的な悪化を招いた責任の一端は、私は猪瀬さんにもあると思っています。しかし、上記猪瀬さんの新著では、尖閣諸島の問題など副知事という立場で行った仕事としては軽微とでも思ったのか、あまりきちんと触れられていません。猪瀬直樹さん尖閣国有化の裏側について語るhttp://togetter.com/li/374491猪瀬直樹副知事が尖閣諸島購入計画の「今」を告白http://biz-journal.jp/2012/06/post_276.html 確かに政治家として失脚した理由はカネであり、そのカネの問題について釈明したい気持ちは分かるのだけれども、猪瀬さんを政治家として評価するならば「外交という国の問題について、途中から『代わりにやれるのは東京都しかない』と出てきて勝手に14億円も寄付を募り土地を買収した挙句、その次の展開も決まらないうちに放り投げてしまった」戦犯の一人とも言えましょう。本人にはその気はないかもしれませんが、政策の効果や出口を考えずに風呂敷を広げて取り組んでしまう悪弊がある以上、むしろあのタイミングでスキャンダルが出て辞任に追い込まれたほうが彼のためにも良かったのではないかとさえ感じてしまいます。 そして東京オリンピック誘致。もちろん、決定したからには、日本人として、都民としてきちんと最後まで良いイベントにできるよう努力するのは当然としても、いまの東京にそのような余裕が本来あったのでしょうか。これからは首都圏も高齢化も進み、都政に対するニーズも大きく様変わりするところです。きちんとした都のビジョンを掲げることなく退任してしまった猪瀬さんにとって、都政は亡くなった奥様のように都合よく美談に仕上げる対象でしかないのでしょうか。