もうひとつの関ヶ原 官兵衛の大博打
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もうひとつの関ヶ原 官兵衛の大博打

天下人・秀吉の死後、黒田如水(官兵衛)は人生最後の賭けに打って出た。徳川家康と石田三成が天下をかけて戦った関ヶ原の間隙を縫って、九州平定に乗り出したのである。天下取りを狙ったともされる九州動乱。稀代の軍略家が夢見た先に何があったのか。

天下人・秀吉の死後、黒田如水(官兵衛)は人生最後の賭けに打って出た。徳川家康と石田三成が天下をかけて戦った関ヶ原の間隙を縫って、九州平定に乗り出したのである。天下取りを狙ったともされる九州動乱。稀代の軍略家が夢見た先に何があったのか。

野心はあったのか

黒田官兵衛ゆかりの銀白檀塗合子形兜(もりおか歴史博物館収蔵)
 「殿、これで運が開けましたな」。主君・織田信長が本能寺の変で横死した直後、黒田官兵衛は遠征先で羽柴秀吉にこう耳打ちして天下取りを説得したという。

 秀吉の参謀役として調略や外交に類まれな才能を発揮した官兵衛の野心をうかがわせる有名な逸話だが、秀吉の死後、官兵衛自身が天下一統を本当に狙っていたのか、真相はいまだ大きな謎の一つである。

 秀吉が最も愛し、そして最も恐れた官兵衛の知略。その気になれば「天下人」さえ夢ではなかったとも後世に伝えられる天才軍師に野心はあったのか。NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」が最終回を迎える本日のテーマは、黒田官兵衛、人生最後の大博打の真相に迫ります。
(iRONNA編集長 白岩賢太)

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出来過ぎた嫡男・長政

九州平定の奮闘

官兵衛の進軍

 大友義統の軍を破った後、黒田如水は合戦翌日の1600年9月16日から進撃を再開し、17日から熊谷家臣の熊谷外記の守る安岐城を包囲して19日に開城させ、守備兵の殆どを配下に加えた。23日より垣見家家臣の筧利右衛門が守る富来城を攻め、10月2日に富来城を開城させ、ここでも城兵に自由を与えて自軍に加えた。4日以降は北上を開始し、5日には毛利吉成の家臣毛利定房が守る香春岳城を攻め、本城の小倉城も攻略した。

HP
別府市観光協会HPより)

 この間に豊後国を平定した黒田軍は敵兵も飲み込んで拡大し、1万3千人ほどにふくれあがっていた。しかし石垣原決着の9月15日に美濃国関ヶ原で徳川家康率いる東軍が石田三成率いる西軍に大勝したため、(関ヶ原の戦い)如水の軍事行動は家康の命令によって停止させられることになった。

 黒田如水が傭兵を率いて大友軍と戦い、西軍の諸城を落とした理由は領土拡大、もしくは九州全土を平定して天下を家康と競う野心があったとされているが、真相は不明である。

軍師の定義

講談 官兵衛と史跡

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  • 天下取りの目的だった

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  • 徳川方に与し西軍を牽制する狙いだった

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  • 自分の才能を世に誇示するのが目的だった

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