もうひとつの「永遠の0」

もうひとつの「永遠の0」

「娘に会うまでは死ねない」。誰よりも命を惜しみながら特攻を志願した零戦パイロット、宮部久蔵の愛と苦悩を描いた「永遠の0」。原作者、百田尚樹がこの作品で伝えたかった戦後70年への思いとは何だったのか。永遠の0の世界観を通して、自虐史観に歪められた戦後ニッポンを考えたい。

戦後70年へのプロローグ

  • 百田尚樹がどうしても伝えたかった「奇跡の世代」への熱い想い

    百田尚樹がどうしても伝えたかった「奇跡の世代」への熱い想い

    先人が残してくれた、この豊かな素晴らしい日本に、少しでも豊かさを上乗せしたい―。累計546万部を突破したベストセラー「永遠の0」の原作者、百田尚樹が作品を通して後世に伝えたかったものとは何か。

田原総一朗が見た百田尚樹

百田尚樹さんと『愛国論』を徹底議論してわかったこと

 「戦後レジーム」とはいったい何か。脱却するのはよしとする。では、脱却してどのような国のかたちにするのがいいのか。そのようなことを考えていたとき、僕はある小説家と対談をした。百田尚樹さんだ。『永遠の0』や『海賊とよばれた男』を書いたベストセラー作家だ。
 百田さんと僕は、あまりにも違う。だが、考え方が大きく違うからこそ、おもしろくなるだろうと期待もした。そして期待通り、百田さんは僕に鋭く切り込んできてくれた。彼は、史料もかなりよく読み込み、非常によく勉強している。そして何よりも、彼は「左」でも「右」でもない。ただただ、日本を愛し、日本の未来を真剣に考えている。その1点で、僕は深く共感することができたのだ。
田原総一朗公式ブログ2015年1月19日)

日本人としての戦い

  • 元特攻隊員が語る「日本人」としての戦い

    元特攻隊員が語る「日本人」としての戦い

    先の大戦に臨んだ兵士の多くは大正生まれで、戦場を生き抜き、戦後は焼け跡から日本を立て直した「復興」の立役者でもある。最前線に立った元兵士たちが戦争と後世への思いを語った。

  • あの日、日本軍パイロットが見た風景

    あの日、日本軍パイロットが見た風景

    1941年12月8日未明、米ハワイ・オアフ島の北約320キロに展開する日本の連合艦隊から、爆撃機や戦闘機約200機が発艦した─。あの日、日本軍のパイロットたちが見た風景とは何だったのか。

戦時の印象薄い「零戦」

 戦時中の日本の代表的戦闘機といえば、一に「零戦」で異論はないだろう。ところが、昭和17年に国民学校(小学校)1年生になった私の記憶には、隼はあっても零戦はほとんどない。零戦は戦艦「大和」同様、ほとんど戦後得た知識で、その存在と活躍ぶりを知ったもののようである。零戦を知らなかった理由は簡単だ。陸海軍の主な戦闘機と爆撃機が公表された日時を早い順に並べてみると、次のようになる。
 17年3月7日 隼(陸軍)▼18年9月18日 鍾馗、呑龍、新司偵(いずれも陸軍)▼19年11月23日 零戦、雷電(いずれも海軍)▼19年11月28日 彗星、銀河(いずれも海軍)▼19年11月30日 一式陸攻(海軍)▼20年1月15日 飛燕(陸軍)▼20年1月4月11日 疾風(陸軍)
大日本帝国海軍の零式艦上戦闘機(零戦)特攻機。
終戦まで日本海軍航空隊の主力戦闘機として使用された
 陸軍の一式戦闘機「隼」が正式採用されたのは昭和16年4月で、公表はその1年後。“空の軍神”とあがめられた加藤建夫少将の活躍と、「加藤隼戦闘隊」の歌や映画の封切りで、すっかりおなじみになった。しかし、隼が太平洋の主戦場ラバウルに進出したのは、ガダルカナル戦も末期の17年12月と遅かった。それまでの太平洋上は海軍の戦闘機零戦一色で、その傾向は最後まで変わらなかったにもかかわらず、その公表は大幅に遅れ、戦争も末期の19年11月になった。正式採用の15年7月から4年以上もたっている。新聞紙上に零戦の写真が登場することはあっても、そのえときはただ「海鷲」の表現だけだった。
平成の零戦「心神」離陸近付く 
国産初のステルス戦闘機に向けた
試作機「先進技術実証機」(防衛
省提供、一部画像が加工されてい
ます)
 こうまで発表が遅れたについては、陸軍の宣伝好きに対して海軍特有の秘密主義なのか、確かな理由を説明できる文献が見当たらない。ただ、ようやく陸海軍とも航空主戦思想が浸透して、海軍の予科練、陸軍の少年飛行兵ともに、人材確保に狂奔していたから、海軍も従来のしきたりを破って零戦の存在を宣伝する必要に迫られたのかもしれない。陸軍の宣伝好きといえば、靖国神社の例大祭で、遊就館の前に陳列された二式単戦「鍾馗」と「新司偵」を見た記憶がある。公表が18年9月だから、その秋の大祭だったのだろう。一〇〇式重爆「呑龍」に至っては東京の空を低空で示威飛行してみせたから、さらに強烈な印象が残っている。公表が早かった陸軍に対して、海軍の航空機の印象はどうしても薄くなる。また、零戦にしても一式陸攻にしても活躍したのは太平洋上で、本土上空はめったに飛ばなかった。
 私の頭の中に零戦より、同じ日に公表された「雷電」の印象のほうが強烈なのは、そうした事情にもよるのだろう。B29の来襲が始まったころ、本土防空を主任務としたのは陸軍航空で、機首がとがってスマートな「飛燕」がもてはやされた。これに対してずんぐりむっくりした海軍の雷電はB29迎撃用に開発された戦闘機で、新聞にもよく掲載された。しかし陸軍が「疾風」を公表しても、ほぼ同性能の海軍の「紫電改」は最後まで公表されないまま終わった。むしろ、当時の軍国少年たちは、防空知識として新聞に掲載されるB29、グラマンはもちろん、ロッキードP38、ノースアメリカンB25、コンソリデーテッドB24など敵側の航空機のほうをよく知っていた。ただ、音楽の時間の敵機の爆音聞き分けで登場したカーチスP40、マーチンB26、ボーイングB17とも、本土上空に飛来しなかったのは皮肉だった。
(産経新聞編集委員 牧野弘道、2001年6月24日東京本社版に掲載)

朝日のコラム、許せますか?

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「最後の零戦乗り」語る

もうひとつの「永遠の0」

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