私はピケティ「格差論」をこう読んだ

私はピケティ「格差論」をこう読んだ

世界中で大論争を巻き起こした仏経済学者、トマ・ピケティ氏の「21世紀の資本」。日本でも一大ブームとなった彼の著書で、とりわけ注目されたのが「格差論」である。最近では氏の格差論を曲解する言説も目立つが、ピケティ氏が本当に伝えたかったこととは何か。さまざま視点から考えたい。

ピケティが暴いたもの

 ピケティブームに火がつく前には、たしかマイケル・サンデルという方も世界的に話題を呼んでいた記憶がある。当時高校生だった私は、地元・福岡にある西南学院大学にマイケル・サンデル氏が正義の話をしにくるとの報道を受けて、高校教師や周囲の学生が盛り上がっているのを見た。
 彼らがサンデルの問い掛けに真摯に答えようとしたのか、あるいはミーハー思考的な一時の盛り上がりだったのか。その真意はわからない。しかしこれほどサンデルが持て囃されたのはなぜかと言えば、彼は、倫理に基づいた人間の意思決定の重要性を説いたからだった。
 様々な感情や価値観が溢れかえる社会で、人間は常に苦悩を伴って生きている。だからこそ、サンデルの声は人々の心の奥底で宝石のように眠っていた「倫理的価値観」を呼び覚まし、一大ブームが巻き起こったのだろう。
 では、ピケティはというと。昔から、資本主義社会で我々はある種の不平等を体験し、この不条理な世を心の奥底で嘆いていた。雇用格差や、「ブラック企業」の低賃金劣悪環境の問題など、資本主義社会で苦しむ日本国民は数知れない。特にこれらの問題の影響を受けている層は若者や学生である。私自身、学業と両立してアルバイトをしていた時期にはその苦しみを身をもって体験した。
 昨年、東京・広尾のとあるカフェで半年ほどアルバイトとして働いた。夕方に大学を出てバイト先に行き、そのまま深夜0時まで働き、翌朝は9時から授業に出席する日が週に4日という生活を送った。半年もすれば、時間にも心にも余裕がなくなるのが実感できた。その上、追い打ちを掛けたのは給与明細だった。あれだけ働いても都内の平均時給は1千円前後である。一日5時間働いて5千円、それを週4日続けて2万円、ひと月にすると8万円。8万円で一ヶ月の生活を賄うとなると、まず贅沢は許されない。家賃、光熱費だけでほとんどが消えてしまう。
 これだけ働き詰めて8万円の稼ぎである。しかし日々顔を合わせるお客様は、日本に立ち寄った超一流企業に務める外国人や、中東の富豪、他にもテレビでお馴染みの芸能人など、そのほとんどは所謂セレブだった。私は思った。なんで収入と文化的水準、人格は正比例しないんだろう、と。私に財布を投げ付けて「分かるだろ、いつものやつ、計算めんどくさいからやっといて」などと宣う憎たらしい中年男性の客は、いつもジョルジオ・アルマーニのスーツを着ていた。悔しかった。こんなに惨めな形で貧富の差を感じたことはなかった。日本はどうして若者がこんなに貧しいのだろうか。しみじみそう思った。
 「どうしようもない貧富の差」「働けど働けど金がない」…。私は初めてこの種の不満を自分の心の中に感じた。その昔、「日本で革命を為し遂げたい」と言った友人がいた。その時は彼の祖国に対する不平不満(若者の貧困が主な内容であった)を「革命だなんて、今どきボリシェヴィキじゃあるまいし、馬鹿馬鹿しい」と聞き流していたが、今はほんの少し彼の不満が分かるような気がした。私は親元を離れて働いたことで、初めてほんの少し日本の若者の貧困を体験し、今まで一顧だにしなかった夢見がちな左翼青年の不満に共感出来るようになっていた。この心境の変化は驚くべきことであった。
 次に暴かれる人間の不満はなんだろうかと想像を膨らませつつ、ピケティ先生のご指摘についてもしっかりと考えていきたい。(山本みずき)

「日本は貧しい人が多すぎる」

  • ピケティが本当に伝えたかった3つの論点

    ピケティが本当に伝えたかった3つの論点

    ブームがピークを迎えているトマ・ピケティの『21世紀の資本』。ピケティの主張自体は極めて簡潔であり、三点にほぼ集約できる。

6人に1人が貧困層

 貧困率は、低所得者の割合を示す指標。厚生労働省が2014年7月にまとめた「国民生活基礎調査」によると、等価可処分所得の中央値の半分の額に当たる「貧困線」(2012年は122万円)に満たない世帯の割合を示す「相対的貧困率」は16.1%だった。これらの世帯で暮らす18歳未満の子どもを対象にした「子どもの貧困率」も16.3%となり、ともに過去最悪を更新した。
 これは、日本人の約6人に1人が相対的な貧困層に分類されることを意味する。この調査で生活意識が「苦しい」とした世帯は59.9%だった。貧困率が過去最悪を更新したのは、長引くデフレ経済下で子育て世帯の所得が減少したことや、母子世帯が増加する中で働く母親の多くが給与水準の低い非正規雇用であることも影響した、と分析されている。(悪化する日本の「貧困率」 nippon.com 2014.08.28)

格差は「自己責任」なのか

  • 読んでないけど、ピケティ論

    読んでないけど、ピケティ論

    連日の特集で読んでもないのに、読んだような気になっているというトマ・ピケティ著「21世紀の資本論」。貧困問題に詳しい作家、雨宮処凜も、日本に数十万人はいそうな人間の一人である。そんな彼女が読んでもないのに、あえて「ピケティ論」を語る。

高橋洋一のピケティ論

  • ピケティからの「返答集」

    ピケティからの「返答集」

    社会科学系の学者による「21世紀の資本」批評への「答え」を、ピケティが英の社会学雑誌に寄稿した。ピケティが自らの研究の今後の展望を示した論考を、経済学者の高橋洋一が紹介する。

処方箋

 結論としては、資本主義は放置しておけば、貧富の格差がどんどん拡大することを宿命づけられたシステムであり、なぜかと言えば、データがそうなっているからだ、となる。書名が『21世紀の資本論』ではないように、理論書というよりも分析書に近い。
 だがどうにも、疑問符がしつこく追いかけてくる。とりわけ資本収益率が伸びた理由の中に、マルクス流に言えば、「収奪」による収益が考慮されていない点が引っかかる。
 労働者の報酬について、ピケティ氏は留保をつけながらも、「限界生産力」という概念を紹介している。教育や技能訓練などによって、より高い労働能力を持つ労働者が、より高い賃金を得る。だが賃金には限界値、つまり閾値(いきち)がある。
 閾値を設定するのは経営者側であり、その設定ラインはたぶんに恣意(しい)的である。この恣意こそが「収奪」を、結果として生み出しているはずだ。
 それを裏づけるのが、「スーパー経営者(スーパーマーケットの経営者ではなく、超高所得の経営者)」の登場である。米国では、すでに上位1%の所得が国民総所得の20%近くに達している。
 日本でもスーパー経営者が目だって増え、資本収益率はあがっていないのに、年俸だけは恣意的に増やし続ける「社長サン」もいる。
 ピケティ氏の処方箋は、いたって簡単だ。長期的にみると、引き下げが続いている所得の累進税率をアップする。結果として、資産の国外移転が始まるため、世界的な資本税を導入する、というものだ。
 この考え方でいくと、法人税の引き下げなど、日本の税制は逆行している。金持ちのさらなる富裕化によって、低所得者層もトリクルダウン(おこぼれ)で所得が増えるという「アベノミクス」ふうのテーゼ(綱領=幻想)は「あべのハルカス」のように、ハルカに非経済学的だ、ということになる。(福島敏雄・産経新聞論説委員 「日曜に書く」2015.1.11

格差をどう読む

  • ピケティブームの意味 経済成長の価値転換を暗示

    ピケティブームの意味 経済成長の価値転換を暗示

    雑誌はどれもこれもピケティ特集を組み、解説本までがベストセラーとなる、という何とも不思議な光景。この集団的現象に一番驚いたのはピケティ自身だったかもしれない。

  • 「格差」拡大しても成長は困難

    「格差」拡大しても成長は困難

    世の中で起きる数え切れない経済事象を一つのアングルで鋭く切ってみせた「21世紀の資本」。じゃあ、今の日本はどうなのか、ピケティさんに任せっきりにせず、自分の手で調べてみた。

  • 日本は本当に「格差社会」なのか

    日本は本当に「格差社会」なのか

    格差は社会を活性化させる誘因でもある。格差を無限に縮小していけばよいというものでもない。どの程度の格差が公正にもとるのか。その目安をつけるのは簡単ではない。

私はピケティ「格差論」をこう読んだ

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