昭和天皇と激動の時代

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昭和天皇と激動の時代

「昭和天皇が懐かしいです」と編集者仲間が言った。彼はまだ30代。昭和天皇がご健在のときは10代だったはず。となれば、それ以上の年代にはもっとたくさんの懐かしむ気持ちがあるにちがいない。

「昭和天皇が懐かしいです」と編集者仲間が言った。彼はまだ30代。昭和天皇がご健在のときは10代だったはず。となれば、それ以上の年代にはもっとたくさんの懐かしむ気持ちがあるにちがいない。

昭和天皇とともに

昭和天皇のご生涯は日本の歴史にとって最もドラマチックな時代と重なる。昭和20年8月15日は日本の歴史のターニングポイントとなった。お写真のひとコマ、ひとコマに歴史が刻まれている。


東京大空襲の被害状況を視察。「これで東京もとうとう焦土になったね」と悲痛な感想をもらしたという=昭和20年



第1回会見の際に撮影された昭和の天皇陛下(右)とダグラス・マッカーサー=昭和20年9月27日


戦後の全国巡幸がスタートし、横浜を訪れる。地方巡幸では励ましのお言葉により国民との新しい絆を築いていった=昭和21年2月19日


プロ野球巨人対阪神観戦のため後楽園球場(当時)を訪れ、観客に手を振って応える昭和天皇と香淳皇后。天覧試合は長嶋茂雄氏の伝説のサヨナラホームランで幕を閉じた=昭和34年6月25日


国立競技場で行われた東京オリンピック開会式で開会宣言を行う昭和天皇=昭和39年10月10日


ホワイトハウスで香淳皇后とともに米国のフォード大統領夫妻と会見する昭和天皇。国際親善に尽力したお姿がしのばれる=昭和50年10月

東京・赤坂御苑で催した春の園遊会。園遊会に元気なお姿を見せるのは、これが最後となった=昭和63年5月19日

国際社会に誠を求め続けられた御心

中曽根元首相 語る

御一代 鮮明に

 宮内庁が24年かけて編集した「昭和天皇実録」の公刊本のうち明治34年~大正9年の出来事が収められた2冊が3月27日、全国の書店で発売された。出版元は東京書籍で、各1890円(税別)。本文18冊と索引1冊の計19冊で、毎年3月と9月に2~3冊ずつ刊行し、平成31年3月に完結する予定。 宮内庁が「昭和天皇実録」の編纂のために整理・収集した約3千件の資料のうち、庁外から集めた初出の資料は約40件に上る。
天皇、皇后両陛下に宮内庁から奉呈された「昭和天皇実録」。
和紙に印刷され、ひもでとじた和製本となっている(代表撮影)
 特に「百武(ひゃくたけ)三郎日記」と「百武三郎関係資料」は、研究者にも存在が知られていなかった新資料として注目されている。
 宮内庁が24年かけて編集した「昭和天皇実録」の公刊本のうち明治34年~大正9年の出来事が収められた2冊が27日、全国の書店で発売された。出版元は東京書籍で、各1890円(税別)。本文18冊と索引1冊の計19冊で、毎年3月と9月に2~3冊ずつ刊行し、平成31年3月に完結する予定。
 百武三郎は明治5(1872)年、佐賀藩士の家に生まれ、海軍大将となった。予備役だった昭和11(1936)年に鈴木貫太郎の後の侍従長となり、19(1944)年まで務めた。
 資料は親族が保管。侍従長在任中の当用日記9冊と、その前後を含む時期の手帳約30冊、関連書類などが提供された。
 一方で、戦争に至る経緯などを側近に述懐した初出の「拝聴録」の存在がいくつか判明したが、「原本が見つからなかった」との理由で内容が盛り込まれず、昭和史の空白を十分に埋めることはできなかった。

昭和20年の記憶

昭和天皇の時代

 1億2000万人の国民は二つに分けられる。戦争を知る世代と知らない人たちだ。その差は一方的にひらき、戦争を語れる人々は少なくなるばかりである。
 昭和天皇の時代は語るべきこと、知っておきたいことがじつに多い。戦場、戦闘、学徒動員、疎開、空襲、配給、引き揚げ、復員、闇市のこと。いまのうちにどんどん書きとめてほしい。本誌は市位の日記や手記、写真や資料を丹念に集めて後世に残す作業をこれからも継続しておこないたいと思っている。
 今回、「終戦編」としたのは、昭和天皇の時代を一冊や二冊の臨時増刊で済ませるのはあまりにもおこがましいと考えたからだ。多角的にとりあげていけば、十冊でも二十冊でも臨時増刊の刊行が可能であろう。なにしろ昭和天皇は摂政として大正時代から歴史の正面に立っておられたのだ。
 昭和天皇が体験された日々の重さには圧倒されてしまう。本文の「年表」にあったように昭和19年8月下旬のある日、天皇は吹上御苑でホタルをじっとご覧になっていた。昭和天皇のご苦悩のほどは察してあまりある。(正論2005年9月臨時増刊「昭和天皇と激動の時代・終戦編」編集後記より)

再録「戦後史開封」

昭和天皇と激動の時代