紫電改、最強伝説の謎に迫る

紫電改、最強伝説の謎に迫る

「日本にまだこれほどの精強部隊がいたのか」。先の大戦末期、日本の敗戦が決定的となった中で本土防空に奮戦する戦闘部隊があった。第三四三海軍航空隊。旧日本海軍が最後に実用化した新鋭戦闘機「紫電改」を主力とする部隊だった。戦後70年たった今も語り継がれる最強伝説の謎に迫る。

相性抜群だった菅野と紫電改

  • 「零戦」「紫電改」を駆った最後のエース・パイロット

    「零戦」「紫電改」を駆った最後のエース・パイロット

    米英から恐れられた日本帝国海軍が誇る戦闘機「零戦」と「紫電改」のエースパイロット、笠井智一が予科練や新人時代、そして撃墜王・菅野直大尉との出会いから三四三航空隊でともに戦った本土防空戦を語り尽くす。

真に「闘う」意味

旧海軍の戦闘機「紫電改」。日本に現存する唯一の機体=愛媛県愛南町
 太平洋戦争末期、紫電改を駆使して本土防空にあたった三四三航空隊(別名・剣部隊)の奮戦ぶりは、なかば伝説化している。幻の名機・紫電改は旧日本海軍が本土決戦の切り札として投入した最新鋭の戦闘機である。開発は川西航空機(現・新明和)が担った。日本海軍は昭和17年6月のミッドウェー海戦を境に、国力で勝る米軍の進攻の前に無残な敗北を重ねる。昭和19年10月のレイテ沖海戦では、神風特攻隊が編成され、敵艦への体当たり攻撃が繰り返された。
 菅野直は、海軍兵学校七十期の搭乗員で、城山三郎著『指揮官たちの特攻』に登場する最初の特攻隊指揮官関行男や、最後の特攻隊指揮官中津留達雄と同期である。菅野は指揮官第一号に指名される予定だったが、零戦の空輸で本土に帰っていたために関に白羽の矢が立った。事実を知った菅野は特攻隊指揮官を志願する。
 本土では連合艦隊司令部参謀だった源田実大佐が、優秀な搭乗員を集めて本土防衛にあたる新部隊を編成しようとしていた。菅野は間一髪のところで内地に呼び戻され、愛媛県の松山基地で結成された三四三航空隊の戦闘飛行隊長となる。同航空隊は超空の要塞(ようさい)として恐れられた米軍の戦略爆撃機B29やP51ムスタングなどの最新鋭戦闘機に果敢に戦いを挑んだ。
 日本を愛し、祖国のために殉じていった彼らはいずれも二十歳前後の若者だった。紫電改は真に「闘う」意味を見失った現代人に突きつけた刃である。

勇将の下に弱卒なし

  • 菅野直と紫電改―指揮官先頭を貫いた闘魂

    菅野直と紫電改―指揮官先頭を貫いた闘魂

    悪化する戦況の中で第三四三航空隊は特攻機の護衛、B29の邀撃と困難な任務をいくつも担わされ、激闘の中で有能な人材が次々と失われていく。しかし、エースパイロット、菅野直が烈々たる闘志を失うことはなく、最期の瞬間まで、隊長として敵に挑み続ける。

菅野直が率いた「新選隊」出撃の歌

作詞:柴田正司/作曲:女子師範学校

熱血みなぎる五尺の身体/皇国護持の令旨をうけて/愛機と共に制空万里/撃ちてし止まん/撃ちてし止まん/今ぞ出で立つ新選隊

燃ゆる敵機は炎と化して/真澄の空に墨絵をえがく/何んの物量も血をもて答う/撃ちてし止まん/撃ちてし止まん/今ぞ阿修羅の新選隊

友よいななけ勝利の翼/爆音雄々しく決戦場へ/此の鉄腕で宿敵撃たん/撃ちてし止まん/撃ちてし止まん/今ぞ吾等の新選隊

菅野直が率いた戦闘301(新選組)出撃の歌(WEB歴史街道、2014.12.10)

「これでグラマンに勝てる」
紫電改パイロットが語る高性能

 昭和19年11月にフィリピンのマバラカット特攻基地から特命で内地に帰り、横須賀で三四三航空隊を編成。12月末に松山基地に移った。紫電改は零戦なんて問題にならないくらいすごい。零戦は800馬力だが、紫電改はグラマンと同じ2千馬力。零戦は軽いから小技が効くが、スピードや上昇は紫電改は良かった。「よっしゃ!これでグラマンに勝てる」と、自信を持った。
 当時アメリカのグラマンは零戦を「カモが来よった」と喜んだそう。20年3月19日、空襲に来たときはアメリカの機動部隊の連中は「えらい強い戦闘機だ」と驚いたらしい。私たちも「紫電改で絶対にグラマンに勝つんだ」と確信を持って沖縄の制空、九州の上空哨戒に参加した。
 私は4月12日に沖縄の制空隊で攻撃に行ったとき、喜界島の上空で空中戦になった。紫電改は零戦と違って燃料が少ないので空中戦を長くできない。戦闘機の空中戦は弾や燃料がなくなる3分間が基本。私は2機撃墜したと思って基地に帰って報告したら「馬鹿者!お前は敵機が海へ落ちるか島へ落ちたかを確認したのか。それは撃墜じゃない!不確実だ」と怒られた。(「戦後70年・回想録(下)」産経ニュース 2015.4.10


戦いの空へ

  • 決死で突撃 珊瑚海の勇士

    決死で突撃 珊瑚海の勇士

    珊瑚海海戦は史上初の空母同士の決戦として知られる。日本側は井上成美中将指揮の空母3、巡洋艦9など総勢51隻。連合軍側は23隻が出動したが、実際は互いに敵の艦影を見ず空母の搭載機だけの戦闘に終始した。

  • 「翔べなかった予科練生」の戦後

    「翔べなかった予科練生」の戦後

    昭和16年12月8日、ハワイ真珠湾攻撃により戦端が開かれた「太平洋戦争」は、やがて苦戦続きとなる。大空に憧れて海軍の「甲種飛行予科練習生」に合格しながら、物資欠乏などのため、飛べなかった人々がいる。

さまざまな桜を思い出す

映画撮影のために複製され、展示されている
「陸軍一式戦闘機・隼」を囲むように咲く桜
=3月27日、鹿児島県南九州市の知覧平和公園
 「さまざまのこと思ひ出す桜かな」
 は松尾芭蕉作である。
 誰にでも作れそうな平凡な句に思えるが、読む者によって浮かぶ情景が異なる。まさに「さまざまのこと」が。芭蕉の非凡を感じる。
 作家の池波正太郎さんにとって、それは戦争末期の横浜海軍航空隊の桜だった。
 日本の敗戦はもはや必至とみられた。用があって士官室へ行き、大尉が戻るのを待っていると、開け放った窓から桜の花びらが舞い込んできた。
 「それを見ているうちに、胸が熱くなり、おもわず眼がうるみかかるのを、どうしようもなかった。悲しいというのではない。ただ、自分は来年の春に、ふたたび桜花を見ることはできまいというおもいが、胸にこみあげてきたのである」(「桜花と私」から)
 池波さんは生き残った。その後、何度も春が巡ってきたが、あの時の桜を見た目や心は取り戻せなかったという。
 今年は戦後70年である。池波さんも前述の久世さんもすでに鬼籍に入った。
「日曜に書く」鹿間孝一・産経新聞論説委員 2015.4.5
紫電改、最強伝説の謎に迫る

あなたが思う旧日本軍最強の戦闘機は何ですか?

  • 3422

    紫電改

  • 1078

    零式艦上戦闘機

  • 5117

    四式戦闘機「疾風」

返信を入力