両陛下パラオご訪問が意味するもの

テーマ

両陛下パラオご訪問が意味するもの

今年4月、天皇皇后両陛下が戦没者慰霊のためパラオ共和国に行幸啓された。パラオの人々の親日感情、日本軍の忠誠心あふれる敢闘ぶりから「天皇の島」と呼ばれたペリリュー島の激戦など、話題の多かった両陛下の行幸啓を振り返りたい。

今年4月、天皇皇后両陛下が戦没者慰霊のためパラオ共和国に行幸啓された。パラオの人々の親日感情、日本軍の忠誠心あふれる敢闘ぶりから「天皇の島」と呼ばれたペリリュー島の激戦など、話題の多かった両陛下の行幸啓を振り返りたい。

小島新一のズバリ正論

パラオ・ペリリュー島の「西太平洋戦没者の碑」に献花された後、アンガウル島に拝礼される天皇皇后両陛下=4月9日
 海の向こうの島影に向かい、じっと頭を垂れられるお二人。写真に収められたそのお姿に、ただならぬものを感じ、目が釘付けになった。
 今年4月8、9日、天皇皇后両陛下は戦没者慰霊のためパラオ共和国に行幸啓された。同国ペリリュー島では、大東亜戦争中の1944(昭和19)年9月~11月にかけ、上陸してきた米軍約5万人と日本軍約守備隊1万1千人が激戦を繰り広げ、日本軍は玉砕、米軍も約1万人が死傷した。
 両陛下は行幸啓2日目の4月9日、ペリリュー島の南端にある「西太平洋戦没者の碑」に日本から持参した白菊の花を供えられ、深々と頭を下げられた。続いて、海を隔てたアンガウル島に向かって拝礼された。ペリリュー島から船で約1時間というアンガウル島でも、日本軍約1千2百人が戦死している。
 冒頭の写真は、両陛下がアンガウル島に向かって拝礼されたときのものだ。お腰をほぼ直角に曲げられ、両手をしっかり足に添えられている天皇陛下。いつも以上に慈愛に満ちているようにお見受けされる皇后陛下の柔らかなご拝礼。
 広島、長崎、沖縄、硫黄島、サイパン…。これまで数々の戦地を巡礼されてきた両陛下のお背中は、一体、どれだけのことを物語っているのだろう。誰がどれだけの言葉を費やしても説明できないように思える。
 ただ、戦後70年の今年、あの戦争をめぐる「歴史問題」で世情が喧しい中でも、日本国民として決して忘れてはならないことを改めてお示しいただいたと、多くの人が感じたはずだ。
 パラオの人々の親日感情、日本軍の忠誠心あふれる敢闘ぶりから「天皇の島」と呼ばれたペリリュー島の激戦など、話題の多かった両陛下の行幸啓を振り返りたい。

「天皇の島」への行幸啓

10年来の宿願 パラオご訪問

「西太平洋戦没者の碑」に供花し、拝礼される天皇、皇后両陛下=4月9日、パラオ共和国・ペリリュー島(松本健吾撮影)
 天皇、皇后両陛下は4月8、9日、10年来希望してきたパラオ共和国での慰霊訪問を果たされた。激戦地のペリリュー島では、パラオに加え、同じ日本の委任統治時代に戦禍に見舞われたミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国の3大統領夫妻とともに日米双方の慰霊碑をめぐり、すべての戦没者の鎮魂を祈る姿を改めて示された。
 天皇陛下は8日の晩餐(ばんさん)会のあいさつで、先の大戦では食糧難や疫病で地元住民にも犠牲が出たことに触れた上で「戦後に慰霊碑や墓地の管理、清掃、遺骨の収集などに尽力された」と述べ、深い感謝の気持ちを表された。パラオ、マーシャル諸島の両大統領は今後も遺骨収集に協力する考えを示したという。
 9日は、日米で約1万2千人が犠牲になったペリリュー島をご訪問。島最南端の「西太平洋戦没者の碑」に白菊の花束を供えて深々と拝礼し、海の先に見えるもう一つの戦地、アンガウル島に向かっても静かに頭を下げられた。
 「米陸軍第81歩兵師団慰霊碑」では米海兵隊員らの出迎えを受け、両陛下は米国流に紅白のリボンが付いた白い花輪を花壇の前に供え、追悼の祈りをささげられた。上陸してきた米軍を日本軍が迎え撃ち、双方に甚大な被害が出た「オレンジビーチ」も近くからご覧になった。
すべての戦没者へ祈り…両陛下、パラオご訪問果たされる(産経ニュース『皇室ウイークリー』、2015.04.11)

「忘れられた島」で

ペリリュー島の戦い

 昭和19(1944)年9月、フィリピンへの進撃を目指した米軍が、日本軍の飛行場があったパラオのペリリュー島に上陸し、激戦となった。日本軍は島に張り巡らした塹壕(ざんごう)や洞窟に身を隠しながらゲリラ戦を続けたが、約2カ月半で守備隊約1万人がほぼ全滅。生き残った34人はその後も約2年半にわたり、密林や洞窟に潜伏した。近くのアンガウル島でも約1200人が死亡、パラオ全体での戦死者は日本が約1万6000人、米軍も2000人近くに上った。2島の住民は別の島などに疎開していたが、中心地コロール島の街も空襲で壊滅した。

パラオ共和国

 赤道に近い太平洋上に位置し、大小500以上の島を抱える。総面積は488平方キロ。第一次世界大戦で日本が占領、1920(大正9)年、日本の委任統治領に。先の戦争後、米国の統治下に入ったが、94(平成6)年に共和国として独立。10島に人が住み、人口は約2万920人(外務省ホームページから)。委任統治時代、日本はパラオに南洋群島全体を管轄する南洋庁本庁を設置。パラオには学校や病院、気象台、郵便局などが建設されたほか道路などインフラも整備された。最盛期の43(昭和18)年には2万7444人の日本人が住んでいた。青地を背景に満月が描かれた国旗は、日の丸を参考にしたとの説があるほど、親日的な国柄でも知られる。

韓国“情報戦”に危機感なき日本

関連記事

両陛下パラオご訪問が意味するもの