「核戦争も辞さず」プーチンの深謀遠慮
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「核戦争も辞さず」プーチンの深謀遠慮

「核戦力を臨戦態勢に置く用意があった」。クリミア併合から1年、ロシアのプーチン大統領の発言は世界に衝撃を与えた。その後もクリミアに核爆撃機の配備を検討するなどロシアは軍拡路線をひた走る。しかし、強気のプーチン氏にも危うさは存在する。それは「砂の国」ロシアの宿命でもある。

「核戦力を臨戦態勢に置く用意があった」。クリミア併合から1年、ロシアのプーチン大統領の発言は世界に衝撃を与えた。その後もクリミアに核爆撃機の配備を検討するなどロシアは軍拡路線をひた走る。しかし、強気のプーチン氏にも危うさは存在する。それは「砂の国」ロシアの宿命でもある。

宮田一雄の視線

 西側先進諸国の主要7カ国首脳会議(G7)にロシアが加わり、G8と呼ばれるようになったのは1998年のバーミンガムサミットからだった。米ソ2大国の対立構造に終止符を打った冷戦後の世界を象徴する出来事の一つだったが、ロシアのウクライナに対する軍事介入により、G8は昨年、再びG7に戻ってしまった。一方で、ロシアはブラジル、インド、中国、南アフリカと並びBRICSと呼ばれる新興経済国であり、同時に核大国でもある。
 ウラジミール・プーチン大統領からは「核戦争も辞さず」といった物騒な発言も飛び出してくる。どうも位置づけがはっきりしない。2018年のサッカーW杯ロシア大会も国際サッカー連盟(FIFA)のスキャンダルで雲行きが怪しくなってきた。プーチン政権のロシアはどこに向かうのだろうか。

「砂の国」の宿命

核使用のハードル下げる

 プーチン大統領が1年前のウクライナ・クリミア半島併合をめぐり、核戦力を臨戦態勢に置く可能性があったと発言し、衝撃を与えた。ロシアの「勢力圏」に介入した場合には核で対峙(たいじ)することも辞さない-との恫喝(どうかつ)だ。第3次プーチン政権は核兵器を中軸とした軍拡路線をひた走っており、同政権の姿勢が世界の核軍縮・不拡散に与える悪影響も看過できない。
 プーチン氏の発言は3月15日夜、国営テレビが制作した特番のインタビュー部分で放映された。番組は昨年2月、ウクライナの首都キエフで親露派政権が崩壊した政変を「民族主義者のクーデター」とし、クリミア併合の目的は「ロシア系住民の保護」だったとする政権の主張を宣伝する内容だ。番組ではさらに北大西洋条約機構(NATO)がロシアへの軍事的圧力を強めていたことが強調され、プーチン氏は「初期段階では、あらゆる事態に備える必要があった」と発言した。質問者が「核戦力を臨戦態勢に置いたということか」と尋ねたのに対し、プーチン氏は「それをやる用意はあった」と答えた。
 プーチン氏の真意は当時、米欧の指導者に向けた次の言葉に表れている。「あなた方はどこにいる。何千キロも離れた所か。われわれはここにおり、これはわれわれの土地だ。あなた方は何のために戦うのだ。われわれには(何のために戦うかが)分かっており、その用意がある。誰も世界的な紛争は望まないと思う」
 ウクライナをめぐる「ロシアの国益」は死守するとのメッセージだ。遠方の国が「ロシアの土地」に首を突っ込めば、世界的な戦争になるとも警告している。世界を「勢力圏」や「利益圏」という単位でとらえるプーチン氏特有の帝国主義思考にほかならない。(後略)(産経新聞、2015.03.26)

過剰反応は逆効果

反プーチン派の暗殺 北方領土で因縁

 ロシアでまた反プーチンを掲げる「民主派」が暗殺された。ウクライナのクリミア併合は「侵略だ」と政権批判を繰り返し、モスクワ中心部で暗殺された元第一副首相のボリス・ネムツォフ氏(55)だ。(中略)
ボリス・ネムツォフ氏(中央)
 エリツィン氏が当時の橋本龍太郎首相をシベリアのクラスノヤルスクに招いて非公式首脳会談を行ったのは1997年11月1日のことだった。同年6月に訪日し、橋本首相に大統領の親書を渡したネムツォフ氏はエニセイ川を下る船上で行われた首脳会談に同席した。
 ソ連が崩壊し、ロシアが民主主義と市場経済へ歩み始めた90年代初め、ネムツォフ氏はニジニ・ノブゴロド州知事として民営化の実績を上げ、若手改革派の旗手となった。エリツィン大統領から、第一副首相に登用され、経済改革の先頭に立っていた。ネムツォフ氏が、「2000年までに平和条約締結に全力を尽くす」ことで合意したクラスノヤルスク会談に立ち会ったのは、エリツィン氏が後継者と目をかけたためだ。エリツィン氏がプーチン大統領に権力を“禅譲”する約2年も前のことだった。インタファクス通信は「大統領が釣りの最中、友人のリュウに係争の島々をプレゼントすると約束した」とエリツィン氏が突然、独断で領土返還の意思を表明、ネムツォフ氏が懇願して翻意させたと伝えた。
 この報道を裏付けるようにネムツォフ氏は2008年にエリツィン氏が四島の即時返還を提案し、それを翻意させたと北海道新聞に明かしている。
 ≪エリツィン氏は(中略)橋本氏に「平和条約を締結し、われわれが領土問題をきょう解決すべきだ」と提案した。四島返還による即時決着と察知したネムツォフ氏らが大統領に翻意を懇願。大統領は最終的に「2000年までになんとか締結するよう、考えさせてもらう」と表明し直した≫(2008年9月17日付)
 ネムツォフ氏はエリツィン氏が「島を返すことが原則だ」「平和条約を締結し、われわれが領土問題をきょう解決すべきだ」と発言したと回想したという。ただし、この報道に関して鈴木宗男元衆議院議員は08年9月25日、国会で「エリツィン大統領から北方四島即時返還の提案」について質問したが、政府は「提案」はなかったと回答している。
 クラスノヤルスク会談に外務審議官として同席した丹波實元駐露大使が産経新聞に語ったところでは、エリツィン氏は橋本氏に「今日を1855年の日露通好条約(日露両国は国境を択捉島とウルップ島との間に定める)と比べることができる歴史的な一日にしたい。前進が必要だ。自分の任期中にこの問題を解決したい。そのための行動計画をつくろう」と述べたという。丹波氏は四島返還の提案には触れていないが、エリツィン氏が(会談した日に領土問題を解決して)歴史的な一日にする意欲を表明したことは認めている。船上でエリツィン氏が領土交渉史に残る重大発言を行ったことは間違いないだろう。
 この発言について当時、クレムリン(大統領府)を担当し、英国に亡命したロシア人女性ジャーナリスト、エレーナ・トレグボワ氏は2008年、産経新聞に、側近の情報としてエリツィン氏が橋本氏に、「あなたの求める島をすべて返そう」と全島返還を約束したと語っている。側近とはネムツォフ氏ではなかったか-。(後略)(産経新聞編集委員・岡部伸、2015.03.10)

節目の年に道筋を

露首相3度目の上陸へ

 ロシアのメドベージェフ首相は7月23日、クリール諸島(千島列島と北方領土)には国防上の意義があり、近く現地を視察する予定であると述べた。閣議での発言を露主要メディアが伝えたが、具体的日程や島名は明らかにされていない。
 メドベージェフ氏は大統領だった2010年11月、旧ソ連・ロシアの国家元首として初めて北方領土・国後島に上陸し、12年7月にも首相として同島に入った。プーチン露大統領の年内訪日が計画されている中、3度目の上陸が敢行されれば日本政府の反発は必至だ。
 メドベージェフ氏は、クリール諸島には「国境を守る機能」があり、現地での軍事インフラ整備は「活発な段階に入っている」と発言。同諸島に経済特区を設ける方針を示したほか、他の閣僚も「現地を訪れるべきだ」と述べた。(産経ニュース、2015.07.23

日本の取るべき道は

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