宗教から戦後ニッポンを読み解く
634

テーマ

宗教から戦後ニッポンを読み解く

作家、井沢元彦氏によれば、人の死を忌み嫌う日本人の「ケガレ忌避」は、戦前も戦後もまるで変わっていないという。日本が主権国家として軍事力を保持することを嫌う「平和ボケ」の根底にも、このケガレの思想があるらしい。日本人の宗教観から見えてくる戦後ニッポンのひずみとは。

作家、井沢元彦氏によれば、人の死を忌み嫌う日本人の「ケガレ忌避」は、戦前も戦後もまるで変わっていないという。日本が主権国家として軍事力を保持することを嫌う「平和ボケ」の根底にも、このケガレの思想があるらしい。日本人の宗教観から見えてくる戦後ニッポンのひずみとは。

日本宗教の大原則

空想的防衛論

日本人と戒律

 人間になぜ宗教が必要か? またはなぜ人間社会に宗教というものが生まれたのか? というと、まず人間は精神的に不安定なので、何か超自然的な存在に頼ることが必要だったからという理由と、さらには何かの規範がないと社会が不安定になるので偉人にある規範を作ってもらうという理由があるように思います。
天照大御神を祭る伊勢神宮内宮の正宮前。参拝者が絶えない=三重県伊勢市

 人間の住む社会は、厳しい自然(たとえば砂漠)に囲まれ、あるいは自然に恵まれていても(日本など)不意の災害や病気に見舞われます。そんなときにその責任を抽象的な自然に求めても何か解決しないように思いますし、かといって起こった責任をすべて自分がかぶるのも心理的に苦しい場合が多いのです。
 でもそれがすべて「神の思し召し」なら仕方がないことですし、まして「人間の祖先が悪いこと(原罪)を犯したので、それを償わなければならない」と言われると、それも我慢しなければならないことのように感じます。
 また、社会に道徳が行き渡り、悪いことをする人がいなければ戒律や修行なども意味が薄れますが、大陸で多くの異民族が流入してきたり、乱暴な若い男性が勝手気ままに生活するような土地柄の場合は、何か偉い人の決めたことが必要です。
 社会が平穏になるためにすべてを法律で決めることはできませんし、倫理や道徳のようなものが必要であることを多くの歴史的経験が示していることでもあります。でもたとえば日本のように「してはいけないことはしない」というきわめて厳しい道徳観が社会全体に行き渡っている場合は「宗教の戒律なくても社会の安定を保つことができる」と言うことなので、宗教の意味が失われるか、あるいは特定の宗教のもとでなくても、おおよそのことが決まっていれば快適で安心な社会を作ることができます。
 特に日本の神道が教典もなく戒律もないのは次のような理由によると考えられます。

1) 日本は島国でほぼ単一民族、単一言語だったので、国民の思考が一様だった。

2) そのため、論理的に言葉を交わさなくても気持ちが通じるところがあった。

3) そんな風土の中で、多くの人が合意する「空気」を作り出すことができた。

4) 「空気」が戒律や法律の代わりをしたので、宗教的な戒律は不要だった。

 つまり、日本では「神」の代わりに「風土と空気」が意味を持っていた。それを聖徳太子が、「神道を幹とし仏教を枝として伸ばし、儒教の礼節を茂らせて現実的繁栄を達成する」として確定したということでしょう。「神道を幹」、「仏教が枝」、「儒教が礼節」としたものですから、農業や正月は神道、お葬式や死後は仏教、武士道は儒教ということでさらに分業が確定しました。
 それが1000年以上もつづき、一時、キリスト教の弾圧などはありましたが、おおむね多くの宗教を受け入れ、現在においてもなお、宗教的戒律や法律の上位にあるという特別な国なのです。(中京大特任教授・武田邦彦、2015.03.08

日本人の7割「宗教を信じていない」

 文部科学省所管の統計数理研究所が昨年10月公表した「日本人の国民性」全国調査によれば、「宗教を信じている」と回答した人は全体の3割程度にとどまったことが明らかになった。一方で「宗教心は大切だ」と考える人は7割近くに上り、無宗教と自覚しながら宗教的なものにはひかれる日本人特有の宗教観が改めて浮かび上がった。
 調査は同研究所が5年ごとに実施。「何か信仰とか信心を持っている、宗教を信じている」という回答については、調査を開始した昭和28(1953)年以降3割程度で推移しており、男女別でみても大きな開きはなかった。一方、「『宗教的な心』を大切だ」と考える人は66%に上り、「あの世を信じるか」という質問にも、40%の人が「信じる」と回答し、「信じない」(33%)と答えた人を上回った。調査結果からは、日本人が宗教への信仰の有無に関係なく、神社仏閣をお参りしたり、パワースポットを巡礼するなど、霊的な存在に対して無意識に信仰する傾向が見て取れる。
■日本人の国民性調査(統計数理研究所)

誇るべき固有の宗教観

『武士道』の役割小さからず

 新渡戸稲造が『武士道』を英文で刊行したのは、明治33(1900)年だが、彼は執筆動機について上記のことには何も触れていない。ベルギーの法学者ラブレーから「日本には宗教教育がないのにどうやって道徳教育をするのか」と問われて即答できず、その答えとして武士道という崇高な精神があると説明したのが、この本だと言っているだけである。
 しかし、新渡戸の脳裏には日清戦争時に作られた日本人の悪いイメージを変えようとの発想があったのではないか、と筆者は推測する。事実、『武士道』は日本人の道徳性の高さを世界に知らせ、こんな道徳性の高い国民が残虐なこと、卑劣なことをするだろうかと国際社会を思わせ、「日本人=野蛮・残虐」のイメージを払拭するのに貢献した。
 現在のわが国に最も必要なひとつが、歴史問題についての国際社会の誤解を解くことであり、その国家戦略だ。それなくして「日本を取り戻す」ことはあり得ない。事実関係の説明とともに、『武士道』のような高い次元から日本の国民性を説く書物も必要である。冷静に上品に本格的な宣伝戦を展開すべきだ。(八木秀次 産経新聞「正論」、2014.01.22
宗教から戦後ニッポンを読み解く

みんなの投票

日本人の平和ボケの根底に「宗教」が影響していると思いますか?

  • 思う

    124

  • 思わない

    452

  • 分からない

    58