戦勝国の繁栄に何を見た
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戦勝国の繁栄に何を見た

飛行機がサンフランシスコ上空にさしかかった途端に、こんな富裕な国と戦争をしたのかと愕然とした。眼下にみえる家並みの豊かさにいやというほどそれを知らされたー。戦後写真界に大きな足跡を残した写真家、林忠彦が見た1955年のアメリカ。ファインダー越しに彼が見た現実とは。

飛行機がサンフランシスコ上空にさしかかった途端に、こんな富裕な国と戦争をしたのかと愕然とした。眼下にみえる家並みの豊かさにいやというほどそれを知らされたー。戦後写真界に大きな足跡を残した写真家、林忠彦が見た1955年のアメリカ。ファインダー越しに彼が見た現実とは。

林忠彦が見たアメリカ

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 飛行機がサンフランシスコ上空にさしかかった途端に、こんな富裕な国と戦争をしたのか、無謀なことをしたのものだと愕然とした。眼下にみえる家並みの豊かさにいやというほどそれを知らされた。──林忠彦「AMERICA 1955」より


 1955年(昭和30)7月9日、林忠彦はアメリカのロングビーチで開かれたミス・ユニバース・コンテスト特写のため、日本代表の高橋敬緯子(けいこ)に同行、渡米した。林忠彦はこの時、ロングビーチを皮切りに、ニューヨークのウォール街や五番街、セントラル・パーク、グリニッジ・ヴィレッジ、ニューヨーク近代美術館、コニー・アイランド、ロサンゼルスのメキシコタウンやディズニーランド、ハワイなどを活写して回った。
 写真家、林忠彦(1918~90)は、「カストリ時代」「文士の時代」などの写真集で知られる、山口県が生んだ、戦後日本を代表するカメラマン。「AMERICA 1955」は、林が早くから第一線の報道写真家として活躍していた時代の作品でもある。ひとつひとつの写真を見ると、「技巧派」「演出写真家」と呼ばれた林が、あるテーマに即して、当時の人間たちの姿が過不足なくとらえられた作品ばかりだ。
 「写真は記録だと思う」という、林の言葉がある。戦後まもなくの貧しい日本と、かつてない繁栄を誇った1955年のアメリカ。ある距離(間)を置いた撮影であれば、被写体とカメラマンの間の目に見えない“交流”が浮かび、その時代のにおいも飛び込んでくるようだ。

林忠彦(はやし・ただひこ) 大正7年、山口県徳山市(現・周南市)生まれ。戦前から報道写真家として活躍し、太宰治や坂口安吾ら無頼派のポートレートをはじめ、人間愛に満ちた温かい眼差しで被写体と対峙した人物写真で知られる。平成2年12月、肝臓がんのため死去。平成3年、徳山市と同市文化振興財団が林忠彦賞創設。平成7年、周南市美術博物館に「林忠彦記念室」開設。


繁栄を謳歌するアメリカ

まだ遠かった「敵国」

光り輝く戦勝国

昭和21年、東京・上野駅で

 敗戦によって北京から引き揚げてきた林忠彦(1918~90)は、焼け跡にうごめく民衆のたくましく生きようとする世相を鋭く記録し、写真集『カストリ時代』(朝日ソノラマ、昭和55年)として上梓した。
 そこには、戦地からの復員兵や東京・上野駅の地下道を寝床とする被災者、傷痍(しょうい)軍人から子供の靴磨き、銀座の闇市と進駐米兵の腕にすがる女性たちなど、ありとあらゆる民衆の諸相が記録されている。
 いま思えばこんなこともあったのか、と思われるかもしれないが、この時代を生き抜いてきた人たちのパワーが今日のニッポンを築き上げたのかと思うと、忘れてはならない光景の数々といえる。
 もちろん活字による記述も大事だが、1枚の写真が持つその情報量には計り知れない重さがある。歴史をつづる上で、欠かせない情報源が写真にあることを、もっと知ってほしいものである。(写真家・松本徳彦 産経新聞 2006.12.18)

薄れゆく大戦の記憶

旧日本軍は野蛮だったのか

  

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