横田めぐみさんは生きている
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横田めぐみさんは生きている

昭和52年11月15日、日本海に面した新潟市で一人の少女が忽然と姿を消した。当時、中学1年だった横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてからもう38年になる。めぐみさんの生存情報は今も湧いては消えの繰り返しだが、肝心な日本と北朝鮮両国の交渉は遅々として進まない。めぐみさんの帰国はいつ実現できるか。

昭和52年11月15日、日本海に面した新潟市で一人の少女が忽然と姿を消した。当時、中学1年だった横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてからもう38年になる。めぐみさんの生存情報は今も湧いては消えの繰り返しだが、肝心な日本と北朝鮮両国の交渉は遅々として進まない。めぐみさんの帰国はいつ実現できるか。

国交正常化する前に救出を

一括帰国は絶対に譲れない

残された時間を取り返せ

拉致問題にこそ「1億総関心」を

 平成27年11月15日、横田めぐみさんが忽然と新潟市内で姿を消してから38年が経ちます。みなさんご承知の通り横田めぐみさんは北朝鮮による拉致被害者です。現在、政府が認定している拉致事案は、北朝鮮が認めているもの、北朝鮮は認めていないが日本政府が拉致と認定したもので計12件、被害者は17人です。また、民間団体「特定失踪者問題調査会」がまとめる北朝鮮の拉致が濃厚である「特定失踪者」は今年7月末の段階で700人を超えているそうです。全てが北朝鮮の拉致ではないかもしれませんが、しかし700名もの方が日本から忽然と姿を消した状態のまま、どうなっているかわからないということです。
 拉致問題については今でこそ知らない人はいないと信じますが、もとは昭和55(1980)年の産経新聞の一報に端を発しています。1月7日、産経新聞は「アベック3組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」という見出しを付けましたが日本政府は認めませんでした。同年3月には参議院で公明党の和泉照雄議員が初めて拉致について取り上げましたが、政府はこの段階でも認めません。日本政府が北朝鮮による拉致を正式に認めたのは実に昭和63(1988年)ですから産経新聞の報道から8年後です。梶山静六・国家公安委員長(当時)が日本人拉致事件を初めて認め、公になりました。
 当初、産経新聞が報じた時は「そんなことあるのか」「一方的に北朝鮮と決め付けるのは問題だ」という批判もあったようですが、その後に日本政府、最終的には北朝鮮も認めるに至りました。今の安倍政権に限らず歴代の内閣が日朝関係で拉致被害者救済が最優先とするのは当然のことです。
 私は横田めぐみさんと同い年です。38年前、横田めぐみさんと私は中学1年生でした。私といえば、大阪の中学校で野球に明け暮れていました。高校進学後は空手、そして大学生。バブルもありました。就職活動もしました。松下政経塾に入塾し、衆議院議員、横浜市長と務めて現在があります。いま振り返ってみても38年間は本当に長い。
 ある日、全くわけがわからぬまま連れ去られ、目隠しを解かれたら知らない国で、そこで自分がどうなっていくのか全くわからないという状況にもし自分が置かれたら。そのような状況に自分が、自分の身内が、自分が本当に好きな友人知人がと考えると、皆さん誰もが身につまされると思います。
 国会議員などが青いリボン、ブルーのバッジを帯びていることをテレビニュースなどで時々見かけます。私もできる限り、この「ブルーリボンバッジ」を着用するようにしています。
 ※ブルーリボンの「ブルー」 空と海(特に日本海)の青い色=ブルーに由来し、「近くて遠い国の関係である日本と北朝鮮の間で、空と海だけが国境無しに続き、拉致被害者とその家族や日本人が空と海を見上げて、同時に再会の時を想定している事」を意味する
 「1億総◯◯」なる言葉はこういう時にこそ使いたいと思いますが、「1億総関心」全ての国民が拉致に関心を持ち、被害者を絶対に救済するという思いは日本の意思であり、党派信条も何も越えたすべての日本国民が一致する願いだということを北朝鮮はもとより広く世界に伝えていくことが重要です。いま一度、皆さんぜひ呼びかけます。(「中田宏公式HP」2015.11.13

方法はいくらでもある

「北は安倍総理を信用していない」

「日本人を拉致し完璧に変身せよ」

 80年6月、宮崎市の海岸から中華料理店店員だった原敕晁(ただあき)を拉致した工作員の辛光洙(シン・グァンス)は、潜入先の韓国で85年に逮捕され、韓国の情報機関、国家安全企画部の取り調べに、拉致の目的は「日本人になりすますため」だったと供述する。
 安企部の捜査資料などによると、辛は、対南工作を指揮する「3号庁舎」に呼び付けられ、こう命じられたという。「日本人を拉致して北へ連れてこい。その人物の身上記録を完全に暗記し、完璧な日本人に変身した後、対南工作の任務を引き続き遂行せよ」
 その場で、暗号解読用の冊子2冊と、消した文字を浮かび上がらせる試薬一式、現金1万ドル(現在のレートで約120万円)を手渡された。辛に直接、指令を下したのは、金正日自身だったとの見方もある。(中略)
 76年1月、対南工作部門幹部会議で、正日は「工作員の現地化教育を徹底的に行え。そのために現地人を連れてきて教育に当たらせよ」と指示したとされる。工作部門の全権を握る最終段階を迎えていた指導者自ら、工作対象地域の人間になりきれ、そのためには、手段を選ぶなと命じたことを意味した。世界各地で北朝鮮によるとみられる拉致事件が頻発するのは、その後からだ。
 同年7月、「モンゴルを旅したい」と出国した当時24歳の福留貴美子の消息が途絶え、北朝鮮にいたことが判明する。現・クロアチアの首都ザグレブでは翌年7月、北朝鮮工作員による韓国人女優、尹静姫(ユン・ジョンヒ)夫妻の拉致未遂事件が起きた。
母の着物を着て新潟市の自宅前で写真に写る横田めぐみ
さん。この年秋に北朝鮮に拉致された=1977年1月
(父、滋さん撮影)
 77年9月には、石川県の能登半島から警備員だった久米裕(ゆたか)が拉致される。北朝鮮に永住帰国した肉親を人質として在日朝鮮人を抱き込み、協力させる手口が常套(じょうとう)手段に使われた。
 拉致実行犯として2003年に国際手配される工作員、金世鎬(セホ)は、日本に不法入国した後、東京都内で建設会社と金融会社を営んでいた在日朝鮮人経営者に接近。北朝鮮で暮らす妹の写真と肉声テープを突き付け、「協力しないと身のためにならないぞ」と脅した。
 工作員に仕立てられた経営者は1977年8月、世鎬を通じて「日本人を北朝鮮に拉致せよ」という指令を受ける。「能力は問わない。45歳から50歳ぐらいの日本人で、独身男性を対象にしろ」との内容。その人物の身分を乗っ取り、なりすます「背乗(はいの)り」目的であることは明らかだった。経営者は、金を貸し付けた客の中から久米をターゲットに選び、9月19日、石川県能登町の宇出津(うしつ)海岸へ連れ出した。旅館での夕食中、2人は一言も会話を交わさなかった。食事後、海岸に向かう2人を不審に思った旅館の主人が警察に通報するが、久米は、断崖に囲まれた入り江で、男4人に担がれる形でゴムボートに乗せられ、闇に消えた。
 北朝鮮は「金世鎬」の存在を否定している。だが、マイケル・リーは「工作員が本名を名乗らないのは常識だ」と指摘する。その1カ月後の10月には、鳥取県米子市で、縫製工場の従業員だった松本京子が、さらに翌11月には、新潟市で、中学1年だった横田めぐみが北朝鮮の工作員に拉致された。=敬称略(龍谷大教授・李相哲 産経ニュース、2015.09.01

北の拉致調査委はどうなった

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