マスコミがはしゃいだ「菊池直子伝説」

元オウム信者、菊地直子さんに対する逆転無罪判決には驚いた人が多かったと思う。考えてみればマスコミが報じてきた「菊地直子伝説」は、伝聞や推定による部分がかなりあるらしい。オウム報道とはいったい何だったのか。ここに彼女を手記を公開し、多くの人に考えてもらえれば幸いである。

篠田博之の視線

 2015年11月27日に出された元オウム信者・菊地直子さんに対する逆転無罪判決には驚いた人が多かったと思う。一審の裁判員裁判の懲役5年の判決を二審が覆したこともあって、判決にはいろいろな論評がなされた。検察がどう対応するか注目されたが、結局、12月9日、東京高検が最高裁に上告を行った。
東京高裁での逆転無罪判決を受け、釈放され
る菊地直子元オウム真理教信者
=11月27日、 東京拘置所
 今回の判決については多くの議論が行われてしかるべきだと思う。私の感想を言えば、この判決にまずは裁判官のプロの法律家としての強い意志を感じた。かつて「ロス疑惑」事件の三浦和義さん(故人)への無罪判決が出た時のことを彷彿とさせる。社会的イメージにとらわれず、法律に則って裁くという裁判官の意志だ。
 『創』8月号に菊地さんの手記を載せた経緯もあって、菊地さんとは5月頃から何度か接見したり手紙のやりとりをしたが、実は私も最初の接見の時に、彼女が控訴したのは一審の懲役5年という量刑が重すぎるという意図かと思って尋ねたことがあった。彼女からは、いやそうでなく無罪を争っているのですよ、と言われた。
 その後私も裁判を傍聴して審理の中身を理解するようになったのだが、特別指名手配され17年間も逃亡していた彼女への世間のイメージには「無罪」という言葉はありえなかったと思う。一審の裁判員たちもそうだったと思われる。
 ただそれは社会の側のある種の先入観なのかもしれない。裁判員裁判は、裁判に市民感覚を取り入れるという趣旨で私もその趣旨には賛同するが、同時にそれはある種の社会的イメージも入り込むことになる。
 菊地さんは接見の時に、いまだに自分に対して死刑相当の凶悪犯というイメージで捉えている人が多くて驚いてしまうと言っていた。彼女の特別指名手配の容疑はサリン製造に関与した殺人及び殺人未遂で、17年間、マスコミはずっとそう報道し続けてきた。(月刊「創」編集長・篠田博之)

17年に及んだ逃走劇の真実

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「後味の悪さ」を感じる原因

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最高裁、裁判員制度やめますか?

 先月11月27日、東京高裁は、オウム真理教の元信者菊地直子被告人に、無罪判決を言い渡しました。
 一審の東京地裁で裁判員裁判が下した懲役5年の有罪判決を覆すものです。
元オウム真理教信者の菊地直子被
告に逆転無罪が言い渡された
東京高裁=11月27日
 この裁判の当事者の立場で証拠を見ているわけではありませんので、一審と高裁のどちらの判断が正しいかについてコメントすることはできません。
 ただ、これだけは言えます。それは、選挙の際の一票と違って、裁判員としての一票は、国のシステムの一つである裁判の結果に、リアルタイムに反映されるということ。裁判員のやりがいには、大きなものがあります。
 また、裁判員裁判は、法律的な難しい判断を市民に求めるわけではなく、むしろ、市民の素朴な感覚で、犯罪の事実を認定し、市民の常識にかなう、よりよい裁判を実現しようという趣旨で導入されたこと。
 だからこそ、仕事・行事・家事など、市民の時間を犠牲にした制度が実現できているのだと思います。
 今回の高裁判決のように、裁判員の判断が簡単に覆されてしまうようでは、こうした裁判員裁判の制度を台無しにする恐れがあります。
 高裁判決で、教団の元幹部の井上嘉浩死刑囚の証言は、詳細すぎて逆に信用できない、とされたようですが、既に死刑が確定している彼が、あえて菊地被告人について殊更に悪く言う心理は通常ないように思われます。
 また、そもそも、人間の記憶というのは、不思議なもので、何年経とうと、ある場面のシーンをいつまでも覚えている、
ということがあるのを私は知っています。
 これまで、私は長らく刑事裁判に携わり、今、まさにL字路交差点に立っています。
 そこに立つ者として、まずは、「最高裁、裁判員制度をやめますか?」と逆説的な問いを投げかけつつ、
今後の裁判員制度の充実・発展に向けて邁進したいと思っております。(若狭勝オフィシャルブログ 2015年12月3日)

制度を理解できているか

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「無罪」に納得できない人々

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報道の在り方も議論すべきではないか

 彼女は2015年になってようやくそういうマスコミ報道をただそうと、週刊誌に抗議文を送ったりしていたのだが、実はサリン事件関連では彼女は起訴もされていない。手記によれば、1995年5月に突然殺人・殺人未遂容疑で逮捕状が出された時、身に覚えはないのだが、自分がサリンの生成になんらかの形で関与してしまったのかと考えたという。逮捕状が出たくらいだから何か根拠があるのでは、と考えるのは普通だし、多くの市民もそう思ったろう。
東京都知事の室内でオウム真理教から送られてきた
郵便小包が爆発し、秘書が大けが。混乱する東京都
庁内=1995 年5月16日、東京・新宿区
 でも考えてみれば、95年のオウム事件当時、オウム信者が微罪逮捕や別件逮捕されるのは日常茶飯事だった。かなり乱暴な捜査なのだが、世間はそれを相手がオウムならやむをえないと容認していた。菊地さんの場合も、どう考えても95年に出された殺人容疑での逮捕状がずさんだったとしか言いようがないのだが、「17年間逃亡」のイメージが定着しているために、世間の多くはそういうふうには考えない。
今回の一件は、裁判員裁判による市民感覚を反映させた法廷と、プロの法律家による法解釈と、それぞれどこにメリットデメリットがあるかという大事な問題を提起している。判決の報道の仕方自体に、メディアの評価が反映されたし、テレビの情報番組では、無罪判決と言っても怪しい、と思い込みで話す人が多かった。
 確かに、では、「どうして17年間も出頭しなかったの?」という疑問は湧くだろう。当人も思い悩んでいたらしい。私も接見の時に、弁護士さんにでも相談すれば絶対に出頭した方がよいと言われたと思う、と彼女に訊いてみたが、彼女の返事は「そんな相談をする相手はいなかった」というものだった。指名手配されているわけだから、うっかり第三者に相談などできるはずがない、と。マスコミがつけた「走る爆弾娘」なる呼称についても、菊地さんは手記の中で、驚いたと書いていた。
 彼女が激しいマスコミ不信に陥っていることは手記でも書いていたが、本人に聞いてわかったのは、これまでのマスコミ報道が相当間違っていることだ。例えばこれは重要な点なのだが、彼女がオウム教団に入ったきっかけは、陸上競技で脚を痛めてヨガ道場に通い始めたというのが定説になっている。でも接見の時に彼女は「それは違うんです」と言っていた。マスコミが繰り返し伝えていた定説自体がいったいどういう根拠に基づいているのか、今となってはわからない。
そのほかにも週刊誌が大々的に報じている、いわゆる「菊地ノート」の解釈についても、彼女は、あそこが違う、これが違うと指摘していた。考えてみればマスコミが報じてきた「菊地直子伝説」は、伝聞や推定による部分がかなりあるらしいのだ。しかし、彼女はそういうものにいちいち、自分のプライバシーをさらしてまで応える気はないようだ。逃亡中の生活についても、お世話になった人に迷惑がかかるのでいっさい話す気はないと言っていた。
 ついでに言っておけば、彼女が逮捕された時に同居していた男性についても、今回の判決後、マスコミが取材をかけたようで、彼の家族にまで取材が来るような事態に当事者たちが怒っていたという。菊地直子さんの逮捕を機に別れた男性にまで集中的に取材をかけるというのは、批判されている「集団的過熱取材(メディアスクラム)」そのものだ。本誌の菊地手記掲載後、その男性から連絡をもらい、いろいろ話す機会も得たが、今回取材が殺到したと聞いて気の毒になった。
 以上、現状での感想を記したが、実は私自身、高裁で無罪判決が出るとは予想しておらず、菊地さんとはしばらく連絡をとっていなかった。判決が出て落ち着いたらまた接見しようと思っていたのだが、接見どころか一気に釈放までなされてしまった。この急展開にはただ驚くばかりだ。
 菊地さんは前述したようにマスコミに対して相当な不信感を持っており、無罪判決直後にも弁護人を通じてコメントは出したが、取材は受けていない。今後も彼女の手記は書かれない可能性があるので、『創』8月号の手記は貴重と言える。
 オウム捜査やオウム報道のあり方について改めて考えるためにも、ぜひ多くの人に読んでほしい。そんな思いから彼女の手記をネットに公開することにした。
 最高裁の審理にはそれなりの時間がかかるだろう。これを機に、今回の判決について、報道のあり方について、もっと議論すべきだと思う。(月刊「創」編集長・篠田博之)