あのころ紅白歌合戦は面白かった
2002

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あのころ紅白歌合戦は面白かった

ニッポンの大みそかの風物詩といえば、多くの人がNHK紅白歌合戦を挙げるだろう。昭和26年の放送開始以来、時代のスターが出場した「紅白」の歩みは、まさに日本人の戦後の歩みそのものだった。ただ、最近は出場歌手の選考や番組構成に疑問符をつけたくなることも多い。なぜ紅白はつまらなくなったのか。

ニッポンの大みそかの風物詩といえば、多くの人がNHK紅白歌合戦を挙げるだろう。昭和26年の放送開始以来、時代のスターが出場した「紅白」の歩みは、まさに日本人の戦後の歩みそのものだった。ただ、最近は出場歌手の選考や番組構成に疑問符をつけたくなることも多い。なぜ紅白はつまらなくなったのか。

またNHKがやらかした!

何を目指しているのか

紅白ファンが願うこと

懐メロ番組ですか?

 今年の「第66回NHK紅白歌合戦」の出場者と楽曲が異様だ、と話題だ。
 「NHK紅白歌合戦」といえば、その基本コンセプトは「その年を代表するアーティストを紅白の組に分け、対抗形式で歌・演奏を披露」であることはもはや説明するまでもない。しかし、今年は例年以上にそのコンセプトに合わない番組構成になっている。
 出場する51組のアーティストのうち、「2015年を代表するアーティスト」は何人いたか? を見てみたい。「その年を代表するアーティスト・楽曲」の指標には、必要条件として媒体が何であれ「その年のランキング1位取得」が求められるだろう。
 そして今年の紅白歌合戦で披露される楽曲のうち、2015年に発売してランキング1位を獲得した曲は、わずかに以下の5曲にすぎない。

SEKAI NO OWARI「プレゼント」

μ’s「それは僕たちの奇跡」

三代目J Soul Brothers「Summer Madness」

椎名林檎「長く短い祭り」

Sexy Zone「ニッポンCha-Cha-Cha チャンピオン」

 わずか5曲のヒット曲しか放送しないような状態で、「その年を代表するアーティストの歌合戦番組」と言えるだろうか? それに対して目に付くには、2015年とは無関係だが安定的な動員力を持っている鉄板クラスによる「メドレー」だ。ヒット曲で組み上げた「紅白バージョン」なのだろう。さらに気になるのが、レベッカ「フレンズ」、今井美樹「Piece of My Wish 」、近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」、松田聖子「赤いスイトピー」など、過去の伝説的ヒット曲のオンパレードだ。もはや「懐メロ」の域に入っている曲が10曲以上、すなわち全楽曲の5分の1以上を占めている。
第65回NHK紅白歌合戦 
和田アキ子(左)と松田聖子
(2014年12月31日)
第65回NHK紅白歌合戦
和田アキ子(左)と松田聖子
 (2014年12月31日)
 「2015年を代表していない」楽曲とアーティストばかりであることは明白だ。もちろん、音楽を聴いている若い層がネットでの音楽視聴にシフトして、CDなどは買わないので、若者の流行や感性がランキングには反映されづらいという現実はある。それに加えて、そもそもアーティストが抱える固定ファンを除けば、若者たちはテレビで歌番組などを見ないのだから、若者のリアルな感覚を番組に反映させる意味もないのかもしれない。
 そうなると、自ずとテレビを見る層、すなわち中高年をターゲットにした「ほぼ懐メロ」に力点を置かざるを得ないのは理解できる。しかし、そんな偏った「今年の代表」が果たして「国民的か?」と問われれば、間違いなく「ノー」だ。少なくとも、見ている側には違和感しか残らない。ここまで著しく番組コンセプトと実態が異なっているのであれば、いっそ番組自体を取りやめるか、根本的に変更する必要がある。「NHK紅白歌合戦」は「大晦日の国民的番組」を名乗るには、公共放送であるにもかかわらず、あまりにも公共性を伴わない不自然な番組だ。(メディアゴン 矩子幸平(ライター) 2015年12月26日)

NHKの決意を感じる

「紅白」育ての親が語る

 かつての紅白はどんな演出が施され、どのように国民に愛されていたのだろう。テレビ生中継が始まった第4回(昭和28年)から番組制作に携わってきた元NHK会長、川口幹夫さん(83)に、草創期から成長期の紅白を振り返ってもらった。
 紅白は昭和26年1月3日夜に第1回のラジオ放送が始まった。前年にNHKに入った川口さんは、福岡の独身寮でラジオに聞き入っていたという。「紅組と白組で7人ずつ分かれての生放送。新鮮で面白かった。いや、これはスゴイ番組だなと仰天しました」
 1953年(昭和28年)、第4回
NHK「紅白歌合戦」が 年末にテレ
ビで初めて放送された
1953年(昭和28年)、第4回 NHK「紅白歌合戦」が
年末にテレビで初めて放送された
 28年にテレビの本放送が始まると東京に転勤する。暮れも近づいたころ、上司から「紅白をやる。担当しろ」と突然、言われた。アシスタントディレクターとして、応援合戦や選手宣誓といった今の紅白にも通じる演出を編み出すなどして大みそかに備えた。
 「強烈に寒い日でした」 当日は、東京・有楽町の日本劇場の観客席の一番後ろにあるメーンカメラのそばにいた。レシーバーを耳にあて、舞台とやり取りをするものの、声がよく聞き取れない。「2000人はいただろうが、目の前の超満員の観客が異様な盛り上がりを見せていた。私もつられて何か叫ぼうと思わず持ち場で立ち上がった。その瞬間に、今後100年は続く大型番組になる予感がしました」
 この経験を踏まえ、「歌手の歌唱力にプラスアルファで笑いをとるよう番組で仕組むのが、テレビという新しいメディアの効能ではないか」と考えた。
 川口さんがチーフプロデューサーだった第14回(38年)には、画期的な仕掛けで注目を集める。翌年に控えた東京五輪をもり立てようと、俳優の渥美清さんを“聖火ランナー”に起用。日比谷公園を出発して、紅白の会場だった有楽町の東京宝塚劇場にゴールインする様子を番組の冒頭に放送した。これが大当たり。前年からビデオリサーチが記録を取り始めた視聴率は、空前の81・4%にも達した。川口さんは舞台の袖でじっと見守った。「瞬間的には95%に届いたのではないでしょうか」。紅白は国民的番組に成長した。
 そんな川口さんにとって、最近の紅白には首をかしげることが少なくないそうだ。「あれもこれもと企画を詰め込みすぎて、番組にしんがない。演出のスタイルも、観客を沸かせるための方程式を作りすぎではないか」と指摘する。
 放送時間についても「4時間は長すぎる。見る方もくたびれる」と、平成になってから午後7時台のスタートになったことには納得がいかないようだ。
 「主婦の方たちは正月の準備で大みそかは大忙し。昭和のころのように、準備の落ち着いた午後9時から始めるのがちょうどいい」と、視聴者への心遣いが不可欠と訴える。
 「番組の善しあしの尺度は、視聴者の満足度にあるんです。たとえ、視聴率がゼロに近くなっても、制作現場の若手には、過去を乗り越える新機軸を打ち出してほしいものです」。その厳しい言葉の裏には、紅白に対する変わらぬ深い愛情が込められていた。(産経新聞 村上智博 2009年12月25日)

もう時代に合わないのか

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