五十六神話を捨てるとき
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五十六神話を捨てるとき

「真珠湾奇襲」は戦術・戦略において本当に効果的だったのか。ニイタカヤマノボレ、トラトラトラ……と聞くと我々はつい興奮してしまう。まるで赤穂浪士たちが憎っくき吉良邸に討入りを果たした元禄の大事件が語り草になったように。

「真珠湾奇襲」は戦術・戦略において本当に効果的だったのか。ニイタカヤマノボレ、トラトラトラ……と聞くと我々はつい興奮してしまう。まるで赤穂浪士たちが憎っくき吉良邸に討入りを果たした元禄の大事件が語り草になったように。

立林昭彦の視点

  柔よく剛を制す──。 
 機略縦横、徳川勢を相手に勇戦をつづける「真田丸」の合戦譚は敗者の美学とともに我々の琴線にふれてやまない。奇略といえば山本五十六が神話化されたのも真珠湾奇襲の合戦譚だった。
  五十六にも言い分はあるだろうが、はじめた戦争は、いま風にいえば「結果を出さなければならない」。奇策・奇略の妙に自己陶酔されては困る。五十六をはじめ、わが国の指導者たちは戦(いくさ)の幕引きにつきどこまでリアルな絵図を描いていたのだろう。
 尖閣をめぐる確執はどこまでエスカレートするのか。米軍来援の可能性は本当にあるのか。あるとすればどの時点か。小手先の法解釈の変更ですら大騒ぎしている国柄でベストと言わないまでもセカンドベストくらいの「結果は出せる」のか──。いま「真珠湾」を語る意味はそこにしかない。

真珠湾奇襲は穴だらけだった!

チャーチルは知っていた

いまだ概括できないヒストリー

文芸評論家・小林秀雄「何時にない清々しい気持で上京、文藝春秋社で、宣戦の御詔勅捧読の放送を拝聴した」

作家・横光利一「戦はついに始まった。そして大勝した。先祖を神だと信じた民族が勝ったのだ」

歌人・斎藤茂吉「昨日、日曜日ヨリ帝国ハ米英二国ニタイシテ戦闘ヲ開始シタ。老生ノ紅血躍動!」

詩人・高村光太郎「この捷報(しょうほう)を聴かれたもうた時の陛下のみこころを恐察し奉った刹那、胸がこみ上げて来て我にもあらず涙が流れた」

評論家・亀井勝一郎「維新以来我ら祖先の抱いた無念の思いを、一挙にして晴すべきときが来たのである」

社会学者・清水幾太郎「開戦を知った時、飛んでもないことになったと思うのと同時に、……やっと便通があったという感じでした」

 昭和16年12月8日、真珠湾攻撃の勝報をラジオなどで聞いた、思想的に偏りのない知識人の反応(エッセー、日記など)を任意に引用した。共通しているのは、「目からウロコが落ちた」とでも言うべき清々しい爽快感であろう。
 当時、12年7月7日の盧溝橋事件に始まる日中戦争(日支事変)はドロ沼化していた。大義のない戦争にたいし、知識人のあいだには、そうとは発言することもできなかったが、鬱屈した気分がひろがっていた。
日本軍の真珠湾攻撃をうけ、
炎上沈没する米戦艦アリゾナ号
日本軍の真珠湾攻撃をうけ、
炎上沈没する米戦艦アリゾナ号
 「12・8」によって、そんな気分が一掃された。宣戦布告による国家同士の対等な戦争であり、対中戦争とはまったく異なっていたからだ。だが、それだけではなかった。かれらの意識の底まで測深鉛を垂らせば、日本近代のありように対して、根本的な疑義、あるいは絡みつくような後ろめたさがあった。亀井の「維新以来我ら祖先の抱いた無念」という奇妙な感想は、このあたりからやってきた。
 「富国強兵」や「脱亜入欧」に代表されるように、日本の近代は、もっぱら西欧に追いつき、追いこすことを目指した。そのために西欧の先進的な制度や技術だけでなく、思想や文化をも吸収した。
 あたりまえだが、西欧直輸入の近代化は、日本という土壌に、どうにも馴染めない部分があった。それを直感したのが、英国留学の経験を持つ夏目漱石だった。講演「現代日本の開化」で、西欧の開化は内発的なのに対して、日本の開化は外発的であり、「皮相上滑りの開化である」と断じた。
 この「皮相上滑り」が、西欧渡来の思想や文化を学びつづけ、自家薬籠中のものにしたと勝手に思いこんだ、冒頭にあげた知識人たちにトラウマのようにまつわりついていた。
 「12・8」とは、そのトラウマをもたらした当の西欧との戦いのはじまりであり、それが清々しい爽快感につながったのであろう。
 西欧近代との戦いを思想的に根拠づけるために、開戦後、まもなく開かれたのが、京都学派の知識人や、小林ら雑誌「文学界」の同人らによる「近代の超克」をテーマにした座談会であった。西欧直輸入の近代は超克されなければならない、日本を中心とした東亜による新しい秩序を築かなければならない-といった問題が提起された。
 現在も未解決の重要な提起であったが、論議そのものは「皮相上滑り」をしていた。西欧渡来の知識や思想によって、西欧近代を乗りこえていくという発想が、そもそも自己矛盾であり、ネジレていたからだ。その結果、20年8月15日によって、小林のような例外はもちろんあるが、多くの知識人は密(ひそ)やかに転向した。べつの言い方をすれば、ふたたび「目からウロコが落ちた」。
 始末が悪いことに、かわりにアメリカという「ウロコ」を自ら貼りつけた、あるいは貼りつけられた。外発的な力による「皮相上滑り」は、評論家・江藤淳が指摘する閉ざされた言語空間をもたらした。そこに密やかに注入された「言語」の典型が、たとえば日本国憲法ということになる。
 明治いらいの「皮相上滑り」によって、現在にいたるまで、知識人たちは相反する物語(ストーリー)を、せっせと紡ぎつづけている。「12・8」のヘソの緒をひいたこの70年を、歴史(ヒストリー)として概括することはいまだにできない。(福島敏雄、産経新聞 2015年7月26日)

A2としては失敗だった

リーダーの統制がきかない日本の業病

 世間では未だに「海軍は善で、陸軍が横暴だった」という固定観念が根強い。特に山本五十六は「日米開戦反対を最後まで主張していた。開戦と決まって仕方なく真珠湾攻撃をめざした」という好意的な意見が多い。
 だが、ではなぜ米国民を怒らせる真珠湾攻撃を強行したのか。実は陸軍省研究班の対英米戦略の腹案(アイデア)は、陸軍参謀本部と海軍軍令部の間で基本的に了承され、昭和16年11月15日の大本営政府連絡会議で正式に決定されていた。その「方針」は以下の通りだ。
<極東における米英蘭の根拠地を覆滅して自存自衛を確立するとともに、更に積極的措置により蒋(介石)政権の屈服を促進し、独伊と提携して先づ英の屈服を図り、米の継戦意思を喪失せしむるに勉む>
 米国に対してはどういう態度で臨むのか。腹案はこう書いている。
<日独伊は協力し対英措置と並行して米の戦意を喪失せしむるに勉む/対米宣伝謀略を強化す/其の重点を米海軍主力の極東への誘致並びに米極東政策の反省と日米戦無意義指摘に置き、米国輿論の厭戦誘致に導く>
 日本の軍部は、ルーズベルト大統領がチャーチルの要請に応えて第2次大戦に参戦したがっているのに反し、米国民の多くが第2次大戦への参加を拒んでいることを良く知っていた。だから、米輿論の厭戦気分を高め、戦意を喪失することが得策と考えていた。
山本五十六は真珠湾を攻撃してギャフンと言わせれば、米国民の戦意は喪失すると考えていたようだ。これほど愚かなことはない。力のある者が緒戦で鼻っ柱を叩かれれば、激高して大反撃に出ると考えるのが自然ではないか。
 実際に激高し、厭戦気分は雲散霧消、「日本叩くべし」の声が全米で高まった。米国は当時、経済力が世界最大。太平洋での海軍力は日本と拮抗していたが、イザとなれば一気に戦力を拡大できる。実際、そうなった。
上記の腹案はそれを恐れ、極力、米国の戦意を抑制することが肝腎と考えていた。山本五十六はそれと180度違う挙に出たのだ。日本を奈落の底に導いた愚将と言わずしてなんと言おう。
真珠湾攻撃の前、旧日本海軍は
鹿児島・錦江湾で雷撃訓練を行った
真珠湾攻撃の前、旧日本海軍は
鹿児島・錦江湾で雷撃訓練を行った
 真珠湾攻撃の前、旧日本海軍は 鹿児島・錦江湾で雷撃訓練を行っただが、もっと問題なのは、なぜ大本営はそんな山本の「暴走」を抑えることができなかったのか。もう一度言えば「腹案」が大本営連絡会議で決定したのは昭和16年11月15日である。
 真珠湾攻撃によって日米戦の戦端が開かれたのは同年12月9日である。すでに「腹案」決定時には山本五十六率いる連合艦隊は真珠湾攻撃を目指し、大きく動き出していた。最後通牒が米国に手渡されればすぐに攻撃できるように。
 これってあり、ですか。「腹案」は米国には極力、こちらから手出しせず、戦う場合は「極東に米海軍をひきつけて」と書いている。そのそばで太平洋の米国よりの真珠湾に攻撃に出かける。大本営政府連絡会議を完全に無視した格好である。組織として体を成していない、と言わざるをえない。
 これに対して「緒戦のみ戦術として真珠湾を攻撃して米国に打撃を与え、後は極東、インド洋での戦闘に注力するという戦術はありえた」という意見がある。大本営の「戦略」と山本の「戦術」に齟齬はない、というわけだ。だが、それは牽強付会というものだ。真珠湾攻撃という「戦術」はどう考えても「米国を怒らせない」「厭戦気分を高める」「米軍は極東に誘致する」という「戦略」に対立する。戦術はつねに戦略に従わなければならない。
 にもかかわらず、山本の戦術を認めたところに日本の軍部の、そして日本政府の組織的欠陥があったといわざるをえない。統帥権の干犯問題により、政府は軍部をコントロールできない。のみならず、陸軍と海軍は同格で互いに相手を掣肘できない。できるのは天皇のみだが、それは形式的で、天皇に軍事的、政治的な権限は実質的になかった。
 だから、勝手ばらばらというひどい状態だった。海軍、陸軍内においても統率がとれない。陸軍では関東軍の暴走を抑えられなかったし、海軍にも山本五十六という権威を抑える強い権力が存在せず、「腹案」に反する戦術を黙認してしまったのである。
 緒戦の真珠湾攻撃で中途半端に勝ったことがさらに組織的欠陥の傷を大きくした。山本五十六は軍神のように当時の新聞などのメディアで賞賛され、日本から遠いミッドウェーへの攻撃、ガダルカナルへの進出など「腹案」の逆を行く山本の戦術を阻止できなかった。その結果、大敗し、失敗した。
 リーダーの統制がきかず、ボトムアップで勝手な行動を黙認してしまう風潮は今も各省庁、古い体質の大企業に見られる。日本の業病ともいうべき、この組織的欠陥を正さすことが不可欠だ。安倍政権は曲りなりにも強いリーダーシップを保っている。これを維持、強化する政治、行政を築いていかねばならない。(鎌倉橋残日録 ~井本省吾のOB記者日誌~ 2015年10月18日)

日米開戦はすれ違いから始まった

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