日本人は真田信繁の誇りを知れ

日本人は真田信繁の誇りを知れ

日本人はなぜ真田信繁に魅力を感じるのか。その答えはひとえに信繁の生き様にある。いかなる大敵であっても、臆することなく挑んだ「六文銭」の誇り。では、信繁は何のために戦いに明け暮れたのか。「戦国最後のヒーロー」の人生訓には、日本人がいま学ぶべきヒントがたくさんある。

懐の深い信繁の魅力

  • 家康の野望に智謀で挑んだ 真田信繁が戦いを求めた理由

    家康の野望に智謀で挑んだ 真田信繁が戦いを求めた理由

    「真田信繁(幸村)は死に場所を求めて大坂の陣に臨んだ」…。時にそう語られることがあるが、果たして事実か?作家、童門冬二が温和で誰からも愛された信繁の戦いの意義を探る。

わが兵法、天下に示す

  • 真田信繁は何のために戦ったのか

    真田信繁は何のために戦ったのか

    大坂の陣までの14年間、九度山で蟄居生活を送った信繁は慶長19年、豊臣家からの大坂入城の請いを受け、最後の戦いへと起ち上がる。信繁は何のために大坂の陣を戦ったのか。

家族のため、真田のため

  • 敗者の選択を描く三谷幸喜 「真田丸」は先が見えない現代と重なる

    敗者の選択を描く三谷幸喜 「真田丸」は先が見えない現代と重なる

    三谷幸喜がつくるNHK大河「真田丸」は敗れていった人たちをドラマチックに描く。それは先の見えない現代をいかに生き抜くかというテーマが根底にあると東日本国際大学客員教授の田部康喜は読み解く。

幸村に見る「男のかっこよさ」

 慶長20(1615)年5月7日、徳川の大軍はひたひたと、豊臣秀頼がこもる大坂城の中心部に迫っていた。大坂方の真田幸村(正しくは信繁)・毛利勝永らは残った兵力を結集し、徳川家康の本陣に向け、最後の突撃をこころみる。
 正午ごろに開始された戦闘はたいへんな激戦となり、徳川方の本多忠朝(上総大多喜5万石)・小笠原秀政(信濃松本8万石)らが討ち死にを遂げる。混乱に乗じた真田隊は多くの敵陣を突破してついに家康本陣への突入に成功、3度にわたって猛攻を加えた。精強をもって鳴る三河以来の旗本隊は大混乱に陥り、栄光ある徳川の馬印が転倒、家康は騎乗して後退したほどであった。
 だが周囲から駆けつけた援軍により、本陣は態勢を立て直し、真田隊を辛くも撃退する。疲弊した幸村は、松平忠直(越前67万石)の部隊によって討ち取られた。同日の深夜、大坂城は陥落。翌日、豊臣秀頼と淀君が自害して大坂の陣は終了する。
大河ドラマの「真田丸」に合わせ、「真田の赤備え」の赤一色に染まった南海電鉄難波駅の大階段=大阪市中央区(寺口純平撮影)
大河ドラマの「真田丸」に合わせ、「真田の赤備え」の赤一色に染まった南海電鉄難波駅の大階段=大阪市中央区(寺口純平撮影)
 なぜ、かくも真田隊は活躍できたのか。即席の寄せ集めの部隊であったのに。私はその理由の一つとして、徳川の将兵の士気の低さがあったのではないかと考えている。たとえば関ケ原の戦いは、日本全国が2つに割れて戦った。東軍と西軍、どちらが勝っても不思議ではなく、勝てば莫大(ばくだい)な恩賞を獲得できる一方、負ければ滅亡が待っていた。だから両軍は命がけで戦ったのである。
 ところが、大坂の陣は違う。勝敗は初めから決していた。大坂方に味方する大名は一人もいなかった。秀頼は60万石余りの大名でしかなく、合戦で手柄を立てても、褒美はたかがしれている。こうした状況では、将も兵もまずは身の安全を図り、懸命に戦うことをしない。これに比して大坂方の主力は、失うもののない浪人たちであった。死にものぐるいで戦う彼らの前に、兵力や装備ではるかにまさる徳川方は苦戦を強いられた。
 近年、真の徳川政権は関ケ原の戦いの後ではなく、豊臣家滅亡を待ってうち立てられた、とする説が提起されている。関ケ原から大坂の陣までの十数年は、江戸と大坂、2つの「公儀」が存在したとする。私はこの説には従えない。もし、江戸と大坂が優劣はあったとしても同レベルの政権と呼べるなら、大坂の陣は「大名VS浪人」ではなく「大名VS大名」、もう少し緊迫したものになっただろうし、真田隊の出番もなかったのではないか。
 と、以上は研究者としての考察です。歴史マニアとしての感慨は違っていて、うーん、しびれるなあ、と。ずっと九度山(紀伊)で不自由な生活を送りながら、いざ鎌倉、という舞台で武将の本分を遺憾なく発揮する。小柄で穏やかで、先月も記したように歯も抜けちゃっていたらしい。でも、見た目はさえないおじさんが、不遇にめげず、心の刃を研いでいた。浪人たちのハートをつかみ、彼らの協力を得て天下人・家康をあわや、というところまで追いつめた。これこそ本当の「男のかっこよさ」じゃないか、と思うのです。(東大史料編纂所教授・本郷和人 産経新聞2011.01.16)

六文銭の誇りを貫くまで

  • 真田信之と幸村、関ヶ原兄弟分裂の謎は「異母説」でわかる

    真田信之と幸村、関ヶ原兄弟分裂の謎は「異母説」でわかる

    今年のNHK大河ドラマ「真田丸」の主人公、真田幸村と、その「兄」の信之は「母が違う」と指摘する人は昔から多い。フリーアナウンサーの松平定知も「異母説」を支持する一人だがなぜか。

「さすが本多の娘よ」

  • 知将・昌幸をうならせる 真田家の運命を左右した女

    知将・昌幸をうならせる 真田家の運命を左右した女

    真田信之の正妻、小松姫は本多忠勝の血を引き、徳川家康の養女となって嫁いだ。徳川氏を3度にわたって痛めつけた真田氏が明治維新まで大名として生き残れたのは、小松姫の存在が大きかった。

大阪人は幸村が大好きである

 上方落語に「真田山」という噺(はなし)がある。登場人物は遊び仲間の清八と喜六、それに幽霊。清八のもとに喜六が血相を変えてやって来た。引っ越したばかりの家に女の幽霊が出たというのだ。
 幽霊が言うのに「真田山にある三光神社の裏手の大きな榎(えのき)の下に、トラの子のカネが埋めてある。それを掘り出してくれ。気になって成仏できん」。
 真田山といえば真田幸村の出城があったところ。幸村の軍用金に違いないと、夜が更けてから二人が掘りに行くと、古びた壺が出てきた。中には金ではなく骨が。幽霊はお寅(とら)さんで、死骸は娘のお兼(かね)さん。つまりトラの子のカネ。これが本当の骨掘り(折り)損、というばかばかしいサゲである。
赤備えの真田隊が描かれた大坂夏の陣図屏風(重要文化財)の一部分
赤備えの真田隊が描かれた大坂夏の陣図屏風(重要文化財)の一部分
 三光神社はJR大阪環状線玉造(たまつくり)駅のすぐ西側である。その境内に「真田の抜け穴」と呼ばれるトンネルがある。子供たちが遊び場にすると危険なので、入り口は鉄格子でふさがれている。豊臣秀吉は大坂城の南の防備のため空堀を設け、それだけでは不用心と真田幸村が出城を築いた。トンネルは幸村が出城と大坂城の本丸とをつなぐために掘ったと伝えられるが、穴はすぐに行き止まりになるという。周辺にはほかにもいくつもの洞穴があり、幸村が神出鬼没に出入りして敵を欺いたとされる。話としては面白いが、誰が何の目的で掘ったのかはわからない。
 そんな「真田の抜け穴」伝説を素材にしたのが映画にもなった万城目学さんの「プリンセス・トヨトミ」(文春文庫)である。
空堀商店街の古いビルから大阪城へとトンネルが続いており、その先の地下深く「大阪国」の国会議事堂がある。実は豊臣家は滅亡したのではなく、400年にわたって大阪国が存在していた…。
 奇想天外なストーリーも実際に抜け穴があるからリアリティーを持つ。万城目さんが通っていた小学校にも立ち入りが固く禁じられた地下への階段があったそうだ。「知ってるか? これって豊臣秀頼が逃げてくるときに使った抜け道につながってんやで」と誰ともなくささやいた、と文庫判のあとがきに書いている。
 大阪人は真田幸村が大好きである。
 慶長19(1614)年の大坂冬の陣。関ヶ原の合戦に敗れた豊臣方につく武将はほとんどおらず、大坂城の金銀をあてに集まった浪人たちが頼りだったが、そこに関ヶ原の戦いの後に高野山に追放されていた真田幸村がはせ参じた。軍師として活躍はめざましく、先述した出城(真田丸)で鉄砲隊を用いて徳川勢を迎え撃った。結局、講和に持ち込んだのは幸村の功績である。さらに翌年の夏の陣でも、徳川の本陣まで攻め込み、家康は自害を覚悟したほどだったと伝わる。六文銭を旗印に真田十勇士を従えての奮戦ぶりは、軍記物や講談になって広く庶民に知られた。来年のNHKの大河ドラマは「真田丸」で、幸村を堺雅人さんが演じる。きっと大阪は幸村ブームにわくだろう。
(「鹿間孝一のなにわ逍遙」産経新聞2015.6.30)

「智」で乱世を生き抜く

  • 最高視聴率の大河脚本書いたジェームス三木が『真田丸』を語る

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    NHK大河ドラマの金字塔『独眼竜政宗』や、『八代将軍吉宗』、『葵 徳川三代』の脚本を書いたジェームス三木さんは、現在放送中の大河『真田丸』について、こんな独特な言い回しで絶賛する。

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    父・真田昌幸と、弟・信繁(幸村)に比べて、真田信之(のぶゆき)はやや影が薄い。しかし、危うい立場の真田家を存続させる難しい役回りを演じ切った信之の手腕は父・昌幸にも劣らない。

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