総力特集! 田原総一朗とは何者か
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総力特集! 田原総一朗とは何者か

テレビ朝日の名物討論番組『朝まで生テレビ!』で司会を務める田原総一朗といえば、80歳を超えた今も歯に衣着せぬ発言で番組を仕切り、圧倒的な存在感をみせる。「政治をテレビ化した」ともいわれる彼はいったい何者なのか。iRONNA編集部が総力特集で「田原総一朗」の人物像に迫る。

テレビ朝日の名物討論番組『朝まで生テレビ!』で司会を務める田原総一朗といえば、80歳を超えた今も歯に衣着せぬ発言で番組を仕切り、圧倒的な存在感をみせる。「政治をテレビ化した」ともいわれる彼はいったい何者なのか。iRONNA編集部が総力特集で「田原総一朗」の人物像に迫る。

日本社会に挑み続けてきた男

今後もバッサバッサと辻斬りを

絶えて久しい「激論」

年季が入った親父の職人芸

「常識を疑え!」田原総一朗の原点

 また8月がやってきた。69年前、僕は11歳だった。学校の教師は、あの戦争を「聖戦」だといった。「お前たちはお国のために死ぬのだ」ともいっていた。もちろん僕もそう信じていた。将来は海軍に入って、みごとお国のために死ぬのだと思っていた。だが、それは「夢」だった。
 69年前の8月のあの日。正午から天皇陛下のラジオ放送があるという。当時は、すべての家庭にラジオがあるわけではなかった。だから、ラジオのあるわが家に近所の人たちが集まり、あの放送を聞いたのだ。あのころのラジオは性能が悪く、雑音が多かった。それでも、ときどき明瞭になる陛下の声を必死で聞いた。
テレビ東京を退社し、フリーとなった田原総一朗氏=1978年3月
 意味はよくわからなかった。放送が終えると、みんなの間で意見が分かれた。「まだがんばって戦え」ということだろうという人もいた。「戦争は終わった。日本は負けたんだ」という人もいた。その後、役所から連絡がきた。そこで、よくやく日本が負けたのだ、ということがはっきりした。
 僕は悲しくなって、自分の部屋にこもって泣きに泣いた。海軍に入って、日本のために死ぬという、「夢」がかなえられなくなったからだ。いつの間にか、寝てしまっていたようだ。気がつくと、すっかり暗くなっていた。窓から外を見た僕は、とても驚いた。家々に灯がともっているのである。それまでは、灯火管制のため、夜は真っ暗になっていた。空襲に備えなければならなかったからだ。そのときになってやっと、僕は何か開放されたような、不思議な高揚感を覚えた。
 9月になり新学期が始まると、あらゆることが逆転していた。「この戦争は聖戦だ」といっていた先生が、「間違った戦争だった」といい始めたのだ。「鬼畜米英」といっていたアメリカが、「いい国」となっていた。総理大臣だった東条英機などは、一転して大悪人になった。教科書を墨で塗りつぶす作業も続いた。
 いったい何なのだ、と僕は思った。あの日を境に、自分が正しいと信じていたことが、すべてひっくり返されたのだ。それから僕は、「国、そして偉い人というのは嘘をつく」と肝に銘じ、疑うようになった。
 そのときの想いを、僕はずっと持ち続けた。この「常識を疑う」という気持ちは、その後、僕のジャーナリスト人生の原点になった。僕のエネルギーの源となったのだ。
 多くの人びとが、あの戦争で亡くなった。僕の大好きだったいとこも、戦死した。戦争が終わって、69年。戦争を知る人間が、どんどん少なくなっている。だからこそ、このことを僕は、何度でも書くし、いっておきたい。二度と戦争をしてはいけない、と。(「田原総一朗 公式ブログ」2014.08.15

「おもしろがり人間なんですよ」

「朝生」の“爆弾”野坂昭如氏の死に思う

 12月9日、野坂昭如さんが亡くなった。ご存じのかたも多いと思うが、野坂さんと僕とのつきあいは、「朝まで生テレビ!」だ。野坂さんと、そして大島渚さんは、番組の爆弾だった。ふたりが何を言いだすか、いつもヒヤヒヤしていた。その一方、僕は彼らの発言力に期待してもいたのだ。
 1945年の敗戦のとき、野坂さんは中学生だった。多感な年頃に敗戦を迎えた野坂さんは、「国に騙された」「権力者はウソをつく」、という意識が非常に強かった。僕の中にも当時、「えらい人はウソをつく」という感情が生まれた。だが、敗戦時に小学生だった僕は、野坂さんほど強烈な意識を持てなかったように思う。野坂さんは発言をし続けた。「国や権力者は信用ならん、それは今も変わらない」その「念」には、すさまじいものがあった。
 「KY」という言葉がある。野坂さんはあえて、「俺は空気が読めない」と言い切って、何にも縛られない自由な生き方をした。だからこそ「朝まで生テレビ!」でも、あれだけの発言ができたのだ。天皇制、アメリカ、自衛隊……。あらゆる事に「ノー」と言い続けた。鮮烈に、焼け跡の時代を生き抜いた代表選手だった。
 ひとつの時代が終わった、と野坂さんの訃報を聞いて、僕は思った。戦後70年という節目に、しかも、その年の暮れに野坂さんが亡くなったことは、とても象徴的だ。
 「朝まで生テレビ!」をひっかき回したもうひとりの人物、大島さんも一昨年、亡くなられてしまった。「戦後」は、今年で終わるのかもしれない、と僕は思う。
 そう思うと同時に、僕は強く誓いたいことがある。生き残っている僕は、確かにだらしのない人間ではある。だが、そうではあるのだけれど、ここに僕が生きている限り、まだ「戦後」を終わらせてはいけない、戦争の記憶までをなくしてしまってはいけないのだと。これが僕なりの野坂さんへのお悔やみである。ご冥福をお祈りいたします。(「田原総一朗 公式ブログ」2015.12.21

ジャーナリストの使命とは

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