日露戦争 誇れる歴史がある

日露戦争 誇れる歴史がある

日露戦争を勝利に導いたものは何か。近代日本の黎明期にその国を支えるために一人一人が国家を担う気概を持って、それぞれの分野に愚直なまでに取り組んだ「一致協力」に明治人の気骨を見た。

110年後の今こそ学べること

 今年は、1904年(明治37年)の日露戦争開戦から110周年にあたる。当時を知る人はすでに鬼籍に入り、完全に「歴史」となった日露戦争だが、現代からみてもこの、近代日本にとって最大の試練となった出来事から学べることは多い。
 ロマノフ王朝による帝政に衰えが見られつつあったとはいえ、アジア・ヨーロッパ両大陸にまたがる領土と「世界一の陸軍国」と言われた軍事力を持つ超大国のロシアを相手に、苦渋の末に開戦した決断力。陸・海双方で幾度も危機に見舞われながらも、要所の戦いで勝利を収め、優勢に戦局を展開させた戦略・戦術眼。機を見てT・ルーズベルト米大統領に講和斡旋を依頼し、自らの国力を冷静に見つめたうえで、大衆の批判を浴びることをわかりながら、驕り過ぎない条件でポーツマス条約を締結した外交力・判断力。
これらはいずれも、21世紀の今日でも変わらず、国が自存していくうえでは欠かせない要素だ。また、国際法と人道にのっとったロシア軍捕虜の扱いも忘れてはならない。
白人国と「非白人国」のあり方を大きく変え、その後数十年間、東アジア安全保障の基本を自ら作った110年前に比べると、現在の一部日本人の視野はむしろ狭くなっていないだろうか?国際秩序から見ればほんの一部でしかない一部の国のみにとらわれることなく、世界の中でこれからの日本がどのような戦略で立っていくか、先人の例に改めて学んでみたい。(iRONNA編集部)

臥薪嘗胆 全日本国民が動いた

  • 日露開戦・勝利をつかんだ「明治人の原点」とは

    日露開戦・勝利をつかんだ「明治人の原点」とは

    児玉源太郎や大山巌の軍指導者から一般国民に至るまで、日本を守るために「一致協力」。これこそが勝てそうもない巨大な敵に立ち向かって、見事に勝利をつかんだ明治人の原点だった。

世界に胸を張れる捕虜の待遇

  • 誇りにできる歴史がある

    誇りにできる歴史がある

    日露戦争では約8万人の捕虜が日本に送られたが、収容所には診療所、礼拝堂、パン工場などを設けたほか、運動のために外出も許可し、捕虜の待遇に気を使った。わずか100年ほど前に、世界に称賛され、胸を張れる史実があったことを覚えておきたい。

旅順陥落に尊い代償

開戦前から講和成立まで

  • 「ロシアとの平和は一時的だ」

    「ロシアとの平和は一時的だ」

    伊藤博文と井上馨という元老を押し切って、小村寿太郎は日英同盟を締結した。この同盟を基に日本は本格的にロシアと対決することになる。

  • ロシアが「一線」を越えた

    ロシアが「一線」を越えた

    ロシアと「満韓交換論」で交渉する方針を決めたそんなときに飛び込んできたのが「竜岩浦占拠」の一報。日本側から見れば、まさにロシアが越えてはならない「一線」を越えたのだった。

  • 敵はロシアと寒さだった

    敵はロシアと寒さだった

    日本軍の総攻撃にロシア軍は北に退却、奉天が陥落。日本陸軍はロシア陸軍ばかりでなく、満州の寒さや種々の病気にも打ち勝ったのである。

  • 浪花節で語られる乃木将軍

    浪花節で語られる乃木将軍

    犠牲的精神で「旅順」を陥落させた乃木将軍。厳しい戦いと知っていた国民は黙々と敵陣に挑む乃木に崇高なものを感じ「神」とあがめたのである。

  • ロシア艦隊見つけたり

    ロシア艦隊見つけたり

    連合艦隊は対馬海峡でロシア艦隊を待ち受け、丁字型に敵の進行方向を抑える作戦でワンサイドの勝利。国運をかけた日本と、長い航海で疲れ果てたロシアとの士気の違いが勝敗を分けたといえる。

  • ポーツマスは決裂寸前だった

    ポーツマスは決裂寸前だった

    講和交渉は暗礁に乗り上げ、日露とも帰国の準備を始めた。急転直下、ロシア側が賠償金は拒否するが、樺太の南部割譲には応じると回答、小村寿太郎もこれを受け入れ、劇的に講和が成立した。

日露戦争 誇れる歴史がある

明治時代と現在、日本はどちらがより世界に誇れる国だと思いますか?

  • 1499

    明治時代の日本

  • 170

    現在の日本

  • 138

    どちらともいえない

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