テレビが黙殺する「報道の自由」の真実
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テレビが黙殺する「報道の自由」の真実

パリに本部を置く「国境なき記者団」が毎年公表する報道の自由度ランキングで、日本は72位に転落した。安倍政権による「報道圧力」を指摘する野党や左派メディアはここぞとばかりに自由の危機を憂いたが、なぜかテレビだけはこの問題にダンマリを決め込む。そこにはテレビ局側の「内」なる事情もあるらしい。

パリに本部を置く「国境なき記者団」が毎年公表する報道の自由度ランキングで、日本は72位に転落した。安倍政権による「報道圧力」を指摘する野党や左派メディアはここぞとばかりに自由の危機を憂いたが、なぜかテレビだけはこの問題にダンマリを決め込む。そこにはテレビ局側の「内」なる事情もあるらしい。

安倍宏行の視線

 日本に「報道の自由」がないという。本当か? 中国や北朝鮮より自由がない、と思っている人はいまい。しかし、そうした言説は勢いを増すばかりで、既存メディア、特に活字メディアからそうした批判が止まらない。
 それに対し、テレビ局の反応は鈍い。無視を決め込んでいるのか、それとも単に「鈍感」なのか。批判を報道しないばかりか、自ら「報道の自由は侵害されていない」「外からの圧力などない」と何故証明してみせないのか? 批判の種は、実はテレビの「外」ではなく、「内」側にあるのではないか。(Japan In-depth編集長 安倍宏行)

「攻めの報道」をしなければダメ

古典的な対立の裏にある課題

「安全・安心」と「自由・人権」のせめぎあい

常に受ける「世の中からの圧力」

公共の放送を使って自民党がなりふり構わぬ反共宣伝 

 自民党が露骨な国策宣伝に電波という公共放送を利用しています。菅官房長官が「『民共』批判のスポークスマン」などと揶揄されています。
 「菅官房長官 「鉄壁」一転「民共」批判のスポークスマン?」(毎日新聞2016年4月13日)「菅義偉官房長官が相次いでテレビ出演や講演を行い、民進党と共産党批判のボルテージを上げている。衆院北海道5区補選(24日投開票)や参院選に向けた両党の選挙協力をけん制するのが狙いで、さながら「民共合作」批判のスポークスマンと化している」
 安倍氏ならともかく、菅官房長官までもがこのようなレベルでの論調に陥りました。単なる「反共宣伝」です。公共放送の中立性がどうこう言っていたのが高市早苗総務相です。
 安保関連法制について自分たちにとって都合の悪い指摘をされたりしたことをもって根に持っての対応ですが、マスコミに対しても「政治的中立」という脅し文句を耐えず使ってきたのが政権側です。
 それにも関わらず、政府の官房長官たるものが自ら公共放送で、かかるレベルの「民共」批判を展開するのは、それこそ政策レベルの論争という次元のものではなく、単なる「反共宣伝」でしかありません。これを公共の電波に乗せてしまうのですから、自ら公共の電波を私物化している最悪の行為と言えます。
 局側もこのような菅官房長官の言動をわかってて登場させているのか、仮に知らなかったとすれば、どのような態度を取るのかが問われますが、恐らく黙りでしょう。政権とマスコミが持ちつ持たれつのような関係になれば、民主主義の死滅です。
 そして何よりも「安倍首相 17日ワイドナショー出演へ 松ちゃんツッコミ期待」(スポニチ2016年4月11日)などと報じられていることです。「安倍晋三首相が、フジテレビの「ワイドナショー」(日曜前10・00)に出演する方向で調整していることが10日、分かった。関係者によると、早ければ17日の放送で実現する見通し」
 北海道5区と京都3区では補選の最中であることが明らかな中で、報道番組よりは視聴率のよい娯楽番組に出てまで政府見解を放送してしまおうというのは邪道の限りです。これで「政治的中立」などということを政府が口にする資格はありません。自ら公共の電波を私物化しているのです。安倍氏らがターゲットにしているのが共産党ですが、先に安倍内閣は、共産党が暴力革命を目指すなどと閣議決定をしています。
 「自民党、公明党による謀略政治 もはや政策論争ではない、暴走を始めた安倍政権 このような人たちに将来を託したいか」安倍自民党がやっていることは「反共宣伝」一色です。政策論争などできない政権側によるプロパガンダですが、政権が行き詰まっている証拠です。このような自民党に政権を託したいですか。(弁護士、猪野亨のブログ2016.04.14

結論ありきの安倍政権非難

アジア嫌いで偏向?

発展途上国に戻りつつあるのか

 言うまでもないことだが、経済が情報化、ネットワーク化して、いわゆる「破壊的イノベーション」が文明を進める原動力になっている今日において、報道の自由なしで、継続的な経済成長を続けることは難しい。
 近年の中国のように、製造業を中心に(「世界の工場」)経済発展してきた国では、一時的には報道の自由なしの経済成長が可能かもしれないが、経済の情報化に伴うイノベーションというフェイズになると、成長を続けることは難しいだろう。
 日本における報道の自由が低下しているということは、すなわち、日本の社会のマインドセットが「発展途上国型」に戻りつつあるということで、これは日本の国益にとってよいことであるはずがない。
 政治家や政府が、自分たちに都合の悪い報道がなされることに対するネガティヴな感情を持つことは自然なことである。しかし、報道の自由が国の中長期的な繁栄の必要条件であることを正しく理解すれば、自らに不利なことでも報じる自由を確保することが国益に叶うとわかるはずだろう。
 結局、報道の自由が低下するのは、政治家、政府が、本当の意味での国益を考えていないか、あるいは政治を私物化しているか、あるいは、国益の保護、という名の元に、実際には国家の発展の基礎について十分な考察をしていない場合に、起こる事象なのである。
 ところで、報道の自由の受益者であるはずのメディアが、諸外国からのその異常性を指摘されている「記者クラブ制度」を維持していることは理解できない。政治家や政府に対する批判的思考を、自分たちにも向けることは大切だろう。(「茂木健一郎公式ブログ」2016.04.21

繰り返されるメディアへの圧力

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