「舛添叩き」は正義といえるか
2412

テーマ

「舛添叩き」は正義といえるか

高額な海外出張の是非に始まり、政治資金の公私混同でトドメを刺された東京都の舛添要一知事が辞職した。結局、舛添氏本人は何も語らず都庁を去り、疑惑の解明もうやむやになったままだ。舛添氏のどこがダメで、何がいけないのか。そして、メディアによる執拗な「舛添叩き」は何が問題なのか。

高額な海外出張の是非に始まり、政治資金の公私混同でトドメを刺された東京都の舛添要一知事が辞職した。結局、舛添氏本人は何も語らず都庁を去り、疑惑の解明もうやむやになったままだ。舛添氏のどこがダメで、何がいけないのか。そして、メディアによる執拗な「舛添叩き」は何が問題なのか。

メディアに「正義」はあるか

 東京都の舛添要一知事が辞職した。都政の混乱を招き、任期途中で職を投げ出した政治家としての責任は極めて重い。任期を全うしていれば、そもそも計上する必要のなかった選挙費用も無駄にかかる。舛添氏のセコい話から始まった一連の辞任劇は、都民にとっては大きなツケになって回ってきたのだから、なんとも皮肉な話である。
大勢の報道陣が待ち受けるなか、都庁を去る舛添要一東京都知事=6月20日午後(鈴木健児撮影)
 一連の疑惑が発覚して以降、このiRONNAも含めて、舛添氏への追及の手を緩めるメディアはいまのところ、ほぼ皆無に等しい。疑惑の説明責任を果たさず、無言で都庁を去り、しかも一度は全額返上すると表明した給与やボーナス、さらには退職金までちゃっかり受け取るというのだから、「飛ぶ鳥跡を濁す」彼の政治家としての無責任さは呆れるほかない。
 筆者に限らず、多くの国民や都民の怒りの矛先が、彼に向けられているとはいえ、辞職を表明してからは少し世論の風向きが変わりつつある。そもそも疑惑に気づかなかった都議会の存在意義と、ただただ「舛添叩き」に明け暮れるメディアに対する見方の変化である。
 特にメディアへの批判は日に日に高まっている感は否めない。舛添氏が過去に執筆、監修した著書やファミコンソフトだけならいざ知らず、初恋相手に宛てたという手紙の中身まで公共の電波で晒され、ネット上では「まるで犯罪者だな」「これは容赦なさすぎ」といったメディアの報道姿勢を憂う声も散見される。
 識者の間でも舛添叩きを「メディアリンチ」と表現し、一方的で過剰な報道を忌避する人も多いが、とどのつまり報道のバランス、公正さに欠けていることへの懸念である。これは言われるまでもないが、一連の洪水報道の目的は舛添氏のクビを取ることではない。疑惑の真相解明と、政治責任を問うことであり、むろん彼が辞めれば済むという話ではない。
 ただ、「報道」というよりバッシングの側面の方が強かったとの指摘もあながち間違ってはいないと思う。舛添氏の「セコい」部分にばかり光を当てすぎ、国民の知る権利にこたえるというメディアの役割を十分に果たせたかと言えば、それは反省すべき部分もあったのかもしれない。
 メディアにとっての「正義」とは何か。本日は、さまざまな分野で活躍する識者の方々からたくさんのご寄稿をいただいた。iRONNA自身もいま一度自戒を込めて、メディアリテラシーの在り方について、ユーザーの皆さんと考えてみたい。(iRONNA編集長、白岩賢太)

「生真面目さ」に欠けたメディア

私はあえて舛添氏を擁護する!

「舛添劇場」継続を願うマスコミ

損得勘定しないのか

舛添氏を攻撃したもっとセコい高齢者たち

 舛添都知事が辞めるそうな。駒崎広樹氏が、『舛添さんを「セコいこと」で責めないで』というブログを書かれていたけれど、本質を突いていると思う。都政の問題は、もっと別のところにあるだろう。
 それにしても、今回思ったのは、「じゃあ、誰がセコい知事を攻撃したのか?」ということだ。まあ、単純に言うと、それは「もっとセコい人」だと思ってる。それは主に高齢者だろう。メディアやリアルでいろいろと観察していると、そう感じる。
 都庁には3万もの抗議があったというが、僕の周辺では「それより、ちゃんと仕事しろ」という人が多かった。よく考えてみると、現役でビジネスに関わっている人はそう考える。よほど暇じゃなきゃ、都庁に電話しないし、「仕事してる人に迷惑だ」と思うでしょ。
 まあ、平日のワイドショーとか見てるのも、リタイアした暇な人が多い。この手の世論なんてその程度だ。そして、マスコミはヒマな高齢者に迎合して、くだらない質問をする。もっとも、その答えも相当に酷いようだが。そして都議が聞く「世論」も年寄り中心なわけで、あっという間に知事を追い込んでしまった。
東京都議会本会議で21日付の辞職が正式に決まり、議場を引き揚げる舛添要一知事=6月15日夜
 でも、こうやって舛添氏を攻撃する人って、まったく後先のこと考えていないところがある。4年後の都知事選がオリンピック前になるのは、たしかに問題だ。そういう意味で、9月辞職という段取りは、合理的だと思うがそういう合意もできない。それどころか、「じゃあ、五輪なんかそもそも返上しろ」とかいう声もある。でも、それってかつての東京五輪を知っている人が、よく言うんだよね。
 小さいの子供を持つ親とか、結構4年後を楽しみにしている。高校生くらいなら語学学習って、何か役に立ちたいと思っている人もたくさんいる。「もう五輪いらないよ」っていうのは、「既に持っている人の論理」だ。このあたり、保育園に反対するのが高齢者ばかりなのとよく似ている。
 最近の高齢者がつくづく「セコい」と思うのは、自分たちがすっかり逃げ切りながら、半端な正論を振りかざすことだ。居酒屋で早くから飲んでる年金生活者が「舛添やめろ、五輪いらない」と言ってるような姿を耳にして、ゾッとした覚えがある。この調子だと、都政が年寄りのおもちゃにされるんじゃないだろうか。
 現役世代と、育児・教育に政策の焦点を合わせる。次の都知事の優先順位はそこなんじゃないか。高齢化が進むとはいえ、東京はまだ平均年齢はまだ若い方だ。投票行動次第では、シルバー民主主義に一矢報いるいい機会だと思う。(山本直人「Blog/from_NY」2016.6.15

五輪裏金疑惑はどこへ

明らかになった「ダメさ加減」

辞職してしまえば過去の人

政治家も報道も質が問われている

 舛添知事が辞任した。政治資金の使途に問題があったことは間違いない。加えて、策に溺れた舛添氏の対応のまずさで火に油を注ぐ結果になり、辞任せざるを得なくなった。
 舛添問題で、今日の朝日新聞に民放関係者が「視聴率の取れる話題だった」と語っているのが目を引いた。事件としては甘利前大臣の口利き疑惑のほうが重大。しかし甘利氏は「病気療養」と称してマスコミ報道のほとぼりが冷めるのを待った。今後のマスコミの追及がどうなるかだ。
 一連の舛添騒動を見ていて2004年の年金未納問題で私自身代表辞任に追い込まれた時のことを思い出した。実際には役所の担当者が間違った手続きを指示した結果だった。辞任直後に社会保険庁は間違いを認めたが、後の祭りだった。この時、社会保険庁の手続きの間違いを私がいかに説明しようとしても、テレビキャスターの大半は聞く耳を持たず、「いつ辞めるのか」という問いに終始した。「視聴率の取れる話題」になると火を消すことがいかに難しいかを、この時経験した。
 マスコミが権力に媚びず、報道することには大賛成。しかし最近のマスコミは大きな権力に媚びて報道を自主規制している。NHK会長の「原発報道は政府の発表に沿ってするように」という発言がまさにその象徴だ。政治家の質とともに報道の質も問われている。(菅直人オフィシャルブログ 2016.6.16

世論は正しかったのか

「舛添叩き」は正義といえるか

みんなの投票

メディアの「舛添叩き」についてどう思いますか?

  • もっと追及すべきだ

    1876

  • 少しやりすぎだと思う

    473

  • この程度でいいと思う

    63