お国のために死ねますか?
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お国のために死ねますか?

これは危険思想か、それとも愛国心かー。元自衛官が上梓した新刊『国のために死ねるか』がベストセラーとなり、話題を呼んでいる。先の大戦では、国のために命を捧げる日本人が後を絶たなかった。終戦から71年。はたして今の日本に、命を捧げてでも守りたいと思う「価値」なんてあるのだろうか?

これは危険思想か、それとも愛国心かー。元自衛官が上梓した新刊『国のために死ねるか』がベストセラーとなり、話題を呼んでいる。先の大戦では、国のために命を捧げる日本人が後を絶たなかった。終戦から71年。はたして今の日本に、命を捧げてでも守りたいと思う「価値」なんてあるのだろうか?

一身を捧げても惜しくない祖国に

作戦どころではない

現実は想定外

終戦後の物価は180倍

日本人を拘束する歴史の始まり

 昨年は「終戦70年」ないし「戦後70年」という節目の年に当たることから、新聞、雑誌、テレビなど多様な媒体で熱っぽい議論が交わされてきた。しかし、うってかわって本年は今のところ静かに時が推移しているように思える。
米戦艦ミズーリの甲板上で日本の降伏文書に署名するGHQのマッカーサー元帥=昭和20年9月2日(Wikimedia)
 昭和20年8月15日の玉音放送によって告げられた終戦の衝撃もまだ消えやらぬ中で、9月2日の降伏文書調印と同時に始まった陸海軍の解体が進むのを横目で見ながら、米国政府はD・マッカーサー連合国軍最高司令官に占領政策の基本方針を提示した。それが同月22日に公表された「降伏後ニ於ケル米国ノ初期対日方針」である。この中には明瞭にポツダム宣言に違反するものが含まれているが、そこで示された占領の「究極ノ目的」は、日本が米国と世界の平和および安全の「脅威トナラザルコト」を確実にすることと、日本に「平和的且(かつ)責任アル政府」を樹立することであった。
 しかしながら、この多方面にわたる「日本改造計画」の本格的な実施は翌21年から始まったとみてよい。あえて謂(い)えば、本年こそが“戦後体制70年”なのである。その経緯を振り返ってみよう。昭和21年1月1日、わが国の歴史で最も暗い元旦であっただろうこの日に、一つの詔書が発せられた。これが天皇の神格化を否定したとされている、いわゆる“天皇の人間宣言”である。連合国はイタリア・ドイツと軍事同盟を結んでいた日本にもファシズムやナチズムと同様な全体主義イデオロギーが存在したと認定、それを「軍国主義・超国家主義」と称した。その中核に日本人の天皇崇拝意識があると考え、それを払拭するために本詔書の発布を日本政府に強要したのである。
 そこには「神」イコール「ゴッド」という誤解もあったが、昭和52年8月23日の記者会見において、昭和天皇は「本詔書発布の第一の目的は『五箇条の御誓文』をはじめに掲げること」によって、「日本の民主主義は決して外国からの輸入品ではないことを示したもの」であり、「神格とかそういうことは、二の(次の)問題でした」とその趣意を明確に語られている。残念ながら、この事実は今日ほとんど知るところとなっていない(本詔書は無題だが、国立公文書館では「新日本建設ニ関スル詔書」と称している)。
 同時に、この日本人の国民精神は神道と深く結びついているとして、明治以降行政上は宗教ではないとの取り扱いの下で国家に管理されてきた神社神道-いわゆる「国家神道」を廃止することを目的とした「神道指令」を昭和20年12月15日に発しており、翌年2月3日をもって伊勢神宮をはじめとする全ての神社は国家を離れ、寺院や教会と同様の宗教法人となって再出発したのである。くしくもこの同じ日、マッカーサー最高司令官は日本政府に新しい憲法の制定を命ずる三カ条の骨子(“マッカーサー・ノート”)を総司令部のホイットニー民政局長に提示している。
 これに従って25人の民政局スタッフがわずか1週間で憲法草案を作成し、それを威迫的な手法で政府に押し付けた。かように世界に例を見ない異常な制定過程を有する新憲法がこの年の11月3日に公布され、22年5月3日に施行されたのは周知の通り。そればかりではない。日本のことをよく知らぬ、憲法の専門家も一人もいない彼らが原案を起草したことによって、わが国の歴史・伝統にそぐわない、あるいはその時々の世界情勢に対応することを困難にする規定があちこちに存在するこの憲法を、70年間に一度も改正することもなく頭上に戴(いただ)いてきた事実を前にして、何の顔(かんばせ)あって子孫に見(まみ)えんや-との思いを禁じ得ない人も少なくあるまい。
 偶然のことだが、現憲法施行のちょうど1年前(21年)のこの日に東京裁判が開廷している。ただ被告への起訴状の送達はその4日前の4月29日。絞首刑を宣告された7人の刑執行は翌々年の12月23日である。わざわざこの日を選んだ勝者の憎しみと傲慢・非礼…。
 東京裁判は現在では事後法による違法な裁判であることは広く認められているが、単に法的な問題にとどまらず、事実認定においても瑕疵(かし)多き代物(しろもの)である。後者から生み出された現代史に関わる一方的な歴史観は今もなお日本人を拘束し続けている。日本国憲法と東京裁判史観-戦後体制を支える2つの柱が5月3日という日と深く結びついていることに今さらながら驚く。いつの日か真に「戦後」が終わった暁には、「5月3日」は“負の記念日”として語り継がれていくかもしれない。1年前に古希の年を平穏に迎えた「戦後体制」の克服に向けて、新たな一歩を踏み出す「戦後71年」となるよう切に願うのみ。(國學院大名誉教授、大原康男 産経新聞2016.08.04)

この仕事で俺は死ぬ

「この島は大丈夫だ」

戦後71年の歴史刻む

五輪と終戦の日

 かつての五輪では、閉会式直前の最終競技として、馬術の大障害飛越が行われるのが慣例だった。優勝国賞典競技と呼ばれ、これに優勝した国が真のオリンピック・チャンピオンとされた。その栄誉に輝いたのが1932年のロサンゼルス大会の「バロン西」こと西竹一陸軍騎兵中尉である。
 愛馬ウラヌス号を駆って優勝し、インタビューに英語で「We won(我々は勝った)」と答えた。人馬一体を表現した言葉は、前年の満州事変で日本非難が高まっていた米国民にも感銘を与えた。その後、西は戦車隊を率いて硫黄島の守備に赴く。ウラヌスのたてがみとロス五輪で使った鞭を持って。
 戦後の創作とする説もあるが、上陸した米軍が「バロン西、出てきなさい。あなたを失うのはあまりに惜しい」と呼びかけたエピソードは有名だ。硫黄島の日本軍は玉砕する。西の死から1週間後にウラヌスも死んだ。リオ五輪の最中の終戦の日に、平和の尊さをかみしめる。(「浪速風」産経新聞 2016.8.15
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