真田幸村の兄はこんなにも偉大だった!
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真田幸村の兄はこんなにも偉大だった!

真田家が生き残りをかけ、父子が袂を分かつ「犬伏の別れ」。NHK大河ドラマ「真田丸」でもこのシーンが放映され、「神回」と呼ばれるほどの注目を集めた。徳川側についた幸村の兄、信之は、大坂の陣で華々しく散った弟に比べると随分地味だが、一族を守った彼の功績は、実は幸村よりも偉大だった。

真田家が生き残りをかけ、父子が袂を分かつ「犬伏の別れ」。NHK大河ドラマ「真田丸」でもこのシーンが放映され、「神回」と呼ばれるほどの注目を集めた。徳川側についた幸村の兄、信之は、大坂の陣で華々しく散った弟に比べると随分地味だが、一族を守った彼の功績は、実は幸村よりも偉大だった。

敵対しながら支え合った父子

板挟みに苦しんだ信之

三者三様の道

 大阪城天守閣は、真田幸村(信繁)のとりもつ歴史的縁(えにし)により、長野県の上田城と友好城郭提携している。上田城は、幸村の父・真田昌幸が天正11(1583)年に築城を始めた城で、同13年、昌幸はここに2千弱の兵で徳川家康の軍勢7千余を迎え撃ち、見事これを撃退した。
 慶長5(1600)年の関ケ原合戦の際には、昌幸の長男信幸(信之)が家康率いる東軍に与(くみ)したのに対し、昌幸と次男幸村は石田三成方西軍に味方して、中山道を西上する家康の嫡男・徳川秀忠の大軍3万8千余に、わずか3千の兵で戦いを挑み、秀忠軍を手玉にとって、関ケ原の決戦に遅参させた。
真田家の行く先について語り合う真田信繁(堺雅人、左)と兄の信幸(大泉洋)
真田家の行く先について語り合う
真田信繁(堺雅人、左)と兄の信
幸(大泉洋)
 けれども、関ケ原合戦そのものは東軍が大勝利を収め、昌幸・幸村親子は信幸の歎願(たんがん)によって助命されたものの、高野山へ配流となり、やがて麓の九度山(くどやま)に移った。昌幸は、慶長16年に失意のうちに波瀾万丈の生涯を終えるが、幸村の方は、同19年に大坂冬の陣が勃発するや、豊臣秀頼の招きに応じ、九度山を脱出して勇躍大坂入城を果たした。大坂城の弱点とされる南側に、新たに出丸(真田丸)を築き、同年12月4日に行われたこの出丸をめぐる攻防戦では、またしても徳川方の大軍を散々に破った。
 翌年5月7日の大坂夏の陣最後の決戦では、ここかしこに「真田左衛門佐(さえもんのすけ)(幸村)」を名乗る武将が現れ、徳川勢を惑乱する中、幸村自身は家康本陣に突っ込み、あと一歩のところまで家康を追い込んだが、精根尽き果て、田の畔(あぜ)に腰を下ろしているところを、越前藩・松平忠直隊の鉄砲足軽頭・西尾久作(仁左衛門)に首をとられた(『慶長見聞書』)。
 この幸村最期の地を「安居(やすい)の天神の下」と伝えるのは『大坂御陣覚書』であるが、『銕醤塵芥抄』によると、陣後の首実検には幸村の兜首(かぶとくび)が3つも出てきたが、西尾久作のとったものだけが、兜に「真田左衛門佐」の名だけでなく、六文銭の家紋もあったので、西尾のとった首が本物とされたという。
 しかし、『真武内伝追加』によると、実は西尾のものも影武者望月宇右衛門の首であったとのことで、西尾の主人・松平忠直は将軍秀忠の兄秀康の嫡男であり、その忠直が幸村の首と主張する以上、将軍にも遠慮があって、否定することはできなかったと記している。
 豊臣秀頼の薩摩落ちを伝える『採要録』は、秀頼とともに真田幸村や木村重成も落ち延びたと記し、幸村は山伏姿に身をやつして、頴娃(えの)郡の浄門ケ嶽の麓に住んだという。
 幸村の兄・信幸の子孫である信濃国松代藩主の真田幸貫は、この異説について調査を行い、その結果報告を見せてもらった肥前国平戸藩の前藩主・松浦静山は、「これに拠(よ)れば、幸村大坂に戦死せしには非ず」と、薩摩落ちを肯定する感想を述べている(『甲子夜話続編』)。鹿児島県南九州市頴娃(えい)町には幸村の墓と伝える古い石塔があり、その地名「雪丸(ゆんまい)」は「幸村」の名に由来するという。 (大阪城天守閣研究主幹 北川央(ひろし) 産経新聞 2011.12.3)

それぞれの義に従え

すべては一族のために

松代に改易される信之の孤愁

 池波正太郎といえば、何はともあれ『鬼平犯科帳』や『剣客商売』であろう。わたしもそう思い、もうこれ以上のものはないだろうと、あまり期待をせずに手にとったのが『真田太平記』だった。ところが、これが腰を抜かすほど面白かったのだ。今や「真田」こそ池波の最高傑作だと断言したいほどである。
 物語は父真田昌幸と信之・幸村兄弟の生き死にを描いたものである。寡兵による徳川の大軍の撃退、家康暗殺未遂、関が原の戦い、昌幸・幸村父子の九度山への幽閉、と物語はうねり、大坂冬の陣・夏の陣で最高潮に達し、信之の松代への移封という寂寥(せきりょう)で物語は閉じられる。幸村・信之兄弟の人間的魅力はたとえようもない。とくに幸村の凄絶(せいぜつ)な死を描いた11巻、松代に改易される信之の孤愁を描いた12巻は圧巻である。
真田信之が13万石で入城し、松代藩繁栄の拠点となった松代城跡
真田信之が13万石で入城し、松代藩
繁栄の拠点となった松代城跡
 物語の高揚を支えるのは、真田父子に忠誠を尽くす草の者たち(忍び)の存在だ。池波によって創作されたかれらは、真田父子と同等の魅力を与えられ、その虚々実々、獅子奮迅の暗闘によってスリリングなドラマが展開される。ほんとうにそのような草の者たちが実在したのではないかと錯覚するほど破綻のない構成で、錯綜する物語の坩堝(るつぼ)がたぎるのだ。
 同書は全12巻の大長編だが、これがまったく苦にならない。それどころか、一気呵成(いっきかせい)、とか、巻おくあたわず、とはこのことかと実感する。ここには、強大な敵、覇権争い、権謀術数、知略、一族の盛衰、という娯楽小説の醍醐味(だいごみ)のすべてと、責任、献身、不屈、愛憎、忠誠、意地、苦悩、勇気、悲哀という、人間のすべてが描かれている。そのことが、娯楽小説であることを超えて、全編に嘆息するほどの濃密さと深さを与えている。
 もう文学も大衆小説もへちまもない。時代小説も歴史小説もない。これほど、本を読む愉(たの)しみを堪能する経験はめったにあるものではない。読みはじめたら止まらないのでご用心。(評論家・勢古浩爾、産経新聞 2012.1.8)

「真田丸」の魅力とは

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