もしサザエさん一家が3世代同居をやめたら
488

テーマ

もしサザエさん一家が3世代同居をやめたら

放送開始から今年で48年目の長寿番組『サザエさん』。理想の家族像という設定も今は昔、最近は視聴率の低下がもっぱらネタにされ、ちょっと寂しい。それでもサザエさん一家をよーく観察してみると、実は古くて新しい発見が多々ある。もし磯野家が3世代同居じゃなかったとしたら? そんな想像を膨らませながら日本の家族の在り方を考えてみる。

放送開始から今年で48年目の長寿番組『サザエさん』。理想の家族像という設定も今は昔、最近は視聴率の低下がもっぱらネタにされ、ちょっと寂しい。それでもサザエさん一家をよーく観察してみると、実は古くて新しい発見が多々ある。もし磯野家が3世代同居じゃなかったとしたら? そんな想像を膨らませながら日本の家族の在り方を考えてみる。

心理学でも模範の家族

「マスオさん現象」の到来まで予測?

共感できる「間違いのなさ」

ファミリーアニメが高視聴率なワケ

 テレビアニメを放映する際、いちばん無難なアニメコンテンツ、つまり一定の視聴率がとれて、しかも長期に視聴率が安定しているもの。これはすべてファミリー・アニメと相場が決まっている。「サザエさん」を嚆矢として、「ちびまる子ちゃん」、「クレヨンしんちゃん」、そして「あたしんち」と、実際に放映されているアニメを見ればどれも長寿であることがわかる。この事実は、ある意味、現代社会において家族というのがもはや集団の最終単位となっていることを意味しているのではなかろうか。
(C)長谷川町子美術館
(C)長谷川町子美術館
 集団の最終単位は、かつても家族だった。もちろん戦前の家父長制においても家族は集団の最終単位だった。ただし、それは大日本帝国憲法を支える、そして経済基盤を支える最終単位として位置づけられたにすぎない。要するに当時の産業別労働人口は9割以上が農業。ということは、ある意味家族は会社。つまり父親=社長、母親=秘書・事務会計、息子娘=社員。農作物の統括を父親が行い、その実働部隊として子どもたちが従事する。そしてその土地(あるいは小作の場合、その権利)を維持するために、家族という単位はそれ以上細分化することができなかったのだ。だからこそ、血筋よりも家族が重視された。たとえば、その具体例として、こんな極端な例も日常的に存在した。
 その家はたまたま子どもが一人だった(一般的には5人以上の兄弟というのが当時はザラ)。しかも娘。そこで、家を相続するために、その家は婿養子を迎えた。ところが、子ども=孫が生まれないうちに娘=妻は病気でなくなってしまう。そこで、その家は婿養子に嫁をとり、家系を継続させた。つまり、血筋が絶えてしまったのだが、それでも家系が継続することが重要とみなされたのだ。もちろん、この家制度、家父長制度は江戸時代に江戸幕府が農民を管理し、安定した税収(この場合、年貢)を確保するために敷いた制度。つまり幕府の経済基盤の単位として家族を位置づけていたのである。現代社会の集団の最終単位はやはり家族、しかし質は変容している
 さて時代は変わった。戦後、時代は消費社会へと変化し、社会の経済単位は家族ではなく個人に移行した。だから、家族が経済的基盤としての集団の最終単位であることはなくなった。ということは、家族が経済的な理由から結成する必要はなくなったということでもある。しかしながら、家族は依然として集団の最終単位である。しかも、この「家族が集団の最終単位」という基準は、以前にも増して強まっているように思える。そしてその傍証が、冒頭に上げるファミリーアニメの高視聴率だ。では、なぜ家族が再び集団の最終単位になろうとしているのだろうか。(新井克弥公式ブログ 2008.03.14

感じ始めた「上から目線」

多数派から外れた家庭像

大切なのは子供ファースト

日本の食卓は崩壊したのか

 1990年代初頭、出張でアメリカに赴いた際、食べ物の話になり、「最近はTVディナーだよ」という意味が分からず、「何ですか、それ?」と聞けば電子レンジでチンすれば飛行機の機内食のようなパッケージがホイとできる冷凍食品のことでありました。TVを見ながらできるのでそう名づけられたのです。多分、アメリカでももはや死語ではないでしょうか?
 なぜTVディナーが流行ったかといえば共稼ぎのアメリカで必然的に受け入れた生活手段だったとも言えます。それより10年ほどさかのぼる80年代初頭にニュージャージーでアメリカ人家庭でお世話になっていたころ、共稼ぎなので食事の準備を夫婦シェアするスタイルが当たり前でありました。多分、今でもTVディナーを食べている家庭は少なくて(あれは旨くないし、あまりに侘しい)夫婦が手分けしている家庭が多いかと思います。その点は北米の家庭はお父様もお母様も仕事は夕方には切り上げ、食事の時間には家族が揃っているという前提があるからでしょう。
 日経ビジネスの特集に「食卓ルネッサンス」というのがあります。その冒頭、「『家族は出来るだけ揃って手作りの食事をした方がいい』。日本人が信じてきた食卓の『理想』を持たない人が増えている。『食卓信仰』の崩壊は消費者の行動を激変させている。」とあります。その小見出しを拾っていくと
《平日夜は家族でファミレス 私はもう作らない》《コンビニが「食卓」に ファミマでくつろぎランチ》《増え続ける宅配弁当 なぜ手作りなどしていたのか》
 一定以上の年齢の人には驚愕のメッセージに聞こえるでしょう。何がそこまで変えさせたのでしょうか?
 一つには技術革新と世の中の成熟感で老若男女、自分の世界を築き始めたことがあるかもしれません。一昔前には7時に家に帰り、家族揃ってご飯を食べ、その日一日あったことを話し、一緒にテレビを中心とした家族団らんがありました。しかし、政府の後押しもある女性の社会進出、リタイア後の再就職、趣味や交流を通じた新たなる世界の発見で生活はバラバラになりました。昔の連ドラは家族がご飯を一緒に食べるシーン、それが旦那の仕事が遅く、「家族マイナス父親」のシーンに変わり、今やお父さんもお母さんも友人や仕事の夕食で家庭の食事のシーンがなくなりつつあるという現実なのでしょうか。
 もう一つの理由は日経ビジネスの特集がカバーする企業側の姿勢にあります。それはこの小見出しがすべてを言い表しています。
《まな板も包丁も不要に 極限まで代行せよ》《献立の悩みを解消 家から味付けを奪え》《デザート1品から宅配 深夜2時でも届けよ》《うまい、早いだけでは戦えない くつろぎ空間を作れ》《食文化からマナーまで対応 食育引き受けます》
 どうでしょうか? 食卓は企業やスーパー、レストランが代行するという発想に変わっているのです。大手料理スクールのABCクッキングに通う若い女性たちが来る目的は何か、といえば料理を覚えることではありません。そこでみんなと一緒においしそうなものを作るというその瞬間を楽しみに来ているのです。ABCクッキングで習った料理を家で作って家族に食べさせあげる人は少ないと聞いています。
 日本食が無形文化財であることはうれしいのですが、その文化の継承、果たして本当に可能なのでしょうか? ふと心配になってしまいます。(岡本裕明「外から見る日本、見られる日本人」2014.04.14

サザエさんから学ぶべきもの

もしサザエさん一家が3世代同居をやめたら

みんなの投票

サザエさん一家は現在も理想の家族だと思いますか?

  • 思う

    243

  • 思わない

    172

  • どちらでもない

    73