瀬戸内寂聴「バカども」発言の波紋
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瀬戸内寂聴「バカども」発言の波紋

「殺したがるバカどもと戦ってください」。日本弁護士連合会のシンポジウムに寄せた瀬戸内寂聴氏の死刑批判メッセージに波紋が広がった。死刑制度の存廃をめぐる議論は何も今に始まったことではない。ただ、世界的に廃止が主流になりつつある今、物議を醸した寂聴発言を機にその是非について考えてみたい。

「殺したがるバカどもと戦ってください」。日本弁護士連合会のシンポジウムに寄せた瀬戸内寂聴氏の死刑批判メッセージに波紋が広がった。死刑制度の存廃をめぐる議論は何も今に始まったことではない。ただ、世界的に廃止が主流になりつつある今、物議を醸した寂聴発言を機にその是非について考えてみたい。

犯罪被害者の私はあの場所で聞いた

犯罪被害者など目の上のこぶ

死刑囚との対話でわかったこと

遺族は「人を殺したい」のではない

 10月6日、日弁連(日本弁護士連合会)が死刑の廃止を目指す宣言を採択しました。世界的に死刑は廃止の流れになっていることが背景にあるとみられ、確かに世界各国のうち約50%は死刑を廃止しており、更に残りの約半数が事実上死刑を過去10年間行っていないそうです。日弁連は、弁護士が活動をする上で必ず属さなければいけない法律上の組織です。所属必須の組織である日弁連がこうした宣言をして良いかどうかの議論もあるでしょう。
10月6日、日弁連のシンポジウムで
流された瀬戸内寂聴さんのビデオメッセージ
 また、小説家でもある瀬戸内寂聴さんがこの関係するシンポジウムでビデオメッセージを寄せ「殺したがるバカどもと戦ってください」と語ったことも話題になっています。「人間が人間の罪を決めることは恥ずかしい」とした上で「人間が人間を殺す事は一番野蛮な事」、「みなさん頑張って『殺さない』って事を大きな声で唱えて下さい」、「殺したがるバカどもと戦ってください」といった発言したそうです。
 瀬戸内寂聴さんの発言に対して遺族やその団体からは批判が相次ぎました。私は、遺族が死刑を求めざるを得ない感情を抱くことを理解できますが、皆さんはいかがでしょうか。かつての日本、中世武士文化の時代には仇討ち(敵討ち)、“やられたらやり返す”ことが許さされていました。特に自分の尊属(そんぞく)=祖父母・両親・おじ・おばなど親等上、父母と同列以上にある血族の仇討ちをするのはむしろ美徳とされていたようです。江戸時代は幕府が取り締まる仕組みに変わりましたが、取り締まりきれなかった者に対しては被害者側が仇討ちをすることを幕府も認めていました。そして明治時代に入り「復讐ヲ嚴禁ス」という敵討禁止令が出され現代に繋がります。いま仮に日本で死刑を廃止すれば遺族に「代わりに殺しに行く」という気持ちが芽生えることは十分にあり得ますし、実際に行動する人も出てくるかもしれません。
 瀬戸内寂聴さんは宗教家として人が人を殺めることに対する思いや「死」については我々とは異なる突き抜けた死生観をお持ちでしょう。一方で死刑制度は法として制度化されたものでもあります。死刑制度は大変に難しい問題で、存続と廃止どちらが正しいという議論ではないでしょう。瀬戸内さんの主張を宗教的に伝えていくのであれば、仏教などの宗教における“人の死生観”を広めることで多くの賛同者を得ていくことが重要なのではないでしょうか。遺族は「人を殺したい」と思っている方々では決してありません。確かに死刑廃止という世界の流れもありますが、“だから日本も“というのは違います。「あなたは・私はどう考えるか」まさに国民的議論が必要です。(中田宏チャンネル 2016.10.14

「8割賛成」が本当の民意か

憲法9条とどこか似ている

主張は至極真っ当

死刑は仇討ちと同じ次元

 死刑廃止に関するシンポジウムの中で流された瀬戸内寂聴さんのビデオメッセージが物議を醸しています。「この中で瀬戸内さんは『人間が人間の罪を決めることは難しい。日本が(死刑制度を)まだ続けていることは恥ずかしい』と指摘。『人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って殺さないってことを大きな声で唱えてください。そして、殺したがるバカどもと戦ってください』と述べた」(産経新聞2016年10月7日)。「殺したがるバカども」という表現は明らかに穏当ではありません。日弁連のシンポジウムの中で流されたとうことは主催者側の責任でもあります。本日、主催者より釈明があったようです。
 しかし、これに対する犯罪被害者側の弁護士の批判こそもっと問題です。「あすの会顧問の岡村勲弁護士は『被害者はみんな加害者に命をもって償ってもらいたいと思っている。そのどこが悪いのか。ばか呼ばわりされるいわれはない』と話した」。命をもって償えなんて、仇討ちと同じ次元の発想で身震いがします。被害者はみんな死刑を希望しているということでしょうか。ここでいう被害者とは、「犯罪被害者遺族」のことだと思いますが、全員が全員、死刑を希望しているなどというのは明らかに言い過ぎです。
 しかも、死刑制度という国家の制度を考える上で、この被害者遺族の感情自体をそのまま流入させて良いのかどうかという視点が全くありません。犯罪被害者というのは被害者本人ではありません。遺族の感情の有無で刑罰が決まること自体、現代国家としては問題があります。(減刑の方向に働くのであれば別)被害者本人の無念の気持ちなどの要素も織り込みながら制度に昇華させたものが刑罰です。被害者遺族は決して被害者本人ではないのです。両親による幼児に対する虐殺行為は、どのように「遺族感情」が反映されるのですか。反映されなくていいんですか。遺族のいない人が殺された場合には刑罰にその点が全く反映されないのは当然ですか。すべて命で償えと思っているというのであれば、1人殺害しても原則死刑ということですか。ひいては傷害致死や危険運転致死のような犯罪類型でも死刑を科せということにもなります。もっとも疑問に思うのは、死刑廃止反対と主張している人たちが犯罪で殺された人たちだけにしか興味がないように思えてならないことです。
 交通事故被害者が被害に遭った途端に車優先社会の問題に目覚めるということも少なくないでしょう。でも、それまで無関心だった自分をどのように総括するのですか。車優先社会の背景には、自動車会社のカネ儲けとそれに奉仕する自民党政権があります。犯罪被害や交通事故被害など多くの被害を受ける人たちがいます。現在の支配体制の中で起きている事件ばかりであるとしたら、政治の在り方についてどのように考えるのですか。「死刑廃止反対」と言っていればいいのですか。自民党政治にどうやってその実現を求めるのかが問われているのです。それ以外の社会や政治の問題に興味を持ち得ないこと(自衛隊の海外派兵もそうです)についてどうなのか、問われていることをお忘れなく。(猪野亨公式ブログ 2016.10.07

支援しきれない被害者感情

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