真珠湾攻撃75年目の真実
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真珠湾攻撃75年目の真実

1941年12月8日、旧日本軍の空母6隻と航空機約350機などからなる機動部隊がハワイ・真珠湾の米軍基地を強襲した。米側は軍艦6隻が撃沈し、約2400人が犠牲となった。なぜ日本は真珠湾攻撃を決断したのか。日米開戦75年目の真実を読み解く。

1941年12月8日、旧日本軍の空母6隻と航空機約350機などからなる機動部隊がハワイ・真珠湾の米軍基地を強襲した。米側は軍艦6隻が撃沈し、約2400人が犠牲となった。なぜ日本は真珠湾攻撃を決断したのか。日米開戦75年目の真実を読み解く。

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真珠湾の過去が精算されるとき

戦艦「アリゾナ」撃沈の大勝利

「平」で決まった真珠湾攻撃

 ここでは一言、そもそも「秘密」と「平」について少し異なる見方を伝えたい。
 外務省に入省したての頃、インテリジェンスの専門家の先輩からこっそり教えてもらった話。1941年の12月上旬にアメリカの太平洋艦隊を先制攻撃しようと考えた大日本帝国海軍だったが、その時米太平洋艦隊が果たして真珠湾にいるのか、フィリピンのスービックにいるのかが死活的問題だった。もし攻撃してもぬけの殻だと、大失敗になるからだ。それで、多数のスパイを放ち、12月上旬に米太平洋艦隊がどちらにいるのかを確かめようとしたが、「秘密」の情報をあらゆる手を尽くして入手しても分からなかった。
 しかし、ある時、フィリピンのスービック基地からワシントンの国防省(ペンタゴン)に、同基地勤務の将校(中尉くらい)が12月上旬に新婚旅行をしたいとのことで許可願いの電報が発出された。新婚旅行の許可願いだから、「平」の電報で打たれた。「秘密」電報ではなかった。不思議ではない。これを傍受した日本海軍は許可されるのかどうか、固唾を呑んで見守った。もし許可されれば、その時期に(スービックに)将校がいなくても差し支えないということだから、米太平洋艦隊はフィリピンのスービックではなく、ハワイの真珠湾だろうと考えたわけだ。
 時をおかず、ワシントンの国防省からフィリピンのスービック基地宛に「許可する」の電報が発出された。それもやはり「平」の電報として打たれた。「秘密」電報ではなかった。これも不思議ではない。これを傍受した日本海軍は、迷いなく、12月上旬には米海軍はハワイの真珠湾にいると確信するに至った由。真珠湾攻撃が決定されたもととなった傍受電報は、「秘密」ではなく、「平」の電報だったという話。
 外務省入省まもない私にとって、この話は衝撃的だった。爾来、インテリジェンスの世界では、「秘密」と「平」との間に境目は無いことをずーっと肝に銘じて仕事をしてきた。それがプロの世界だ。(衆議院議員・山口壯、2013.11.27

不決断のハムレットにあらず

米国を怒らせた愚挙

真珠湾攻撃の無線日誌発見

依佐美送信所の真珠湾攻撃当日の
業務日誌記録(愛知県刈谷市提供)
 日米開戦の口火を切った真珠湾攻撃で、旧日本海軍が潜水艦に向け、軍事情報の無線送信に使ったとされる「依佐美送信所」(愛知県刈谷市)の当時の稼働状況が記された業務日誌が見つかった。具体的な内容は分からないものの、攻撃2カ月前の昭和16年10月中旬からほぼ連日稼働し、事態が緊迫していく様子が読み取れる。共同通信が市に情報公開請求、確認した。
 日誌は1日ごとの機器の始動や停止時刻などが記載されている。同年は6月中旬から約3カ月運休状態だったが、9月に試運転が始まった。作戦決行を伝える暗号電「ニイタカヤマノボレ1208」が発令された12月2日、攻撃当日の8日の記録もある。8日は午前1時から18時間半稼働。
 同送信所はもともと国策会社の外交・通商用施設。水中深くまで伝わる強力な電波を飛ばせたため、戦時は軍の打つモールス信号を中継した。日誌の備考欄の一部には「海軍ノ要求ニヨリ」「海軍試験ノタメ」との記述も確認できる。(産経ニュース2016.12.05

真珠湾に狂喜した文学者たち

真珠湾攻撃75年目の真実

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