「おんな城主」井伊直虎の真実
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「おんな城主」井伊直虎の真実

今年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公、井伊直虎の素性をめぐり、実は「男」だったという説を裏付ける新たな資料が見つかり、波紋を呼んだ。そもそも直虎に関する資料は乏しく、歴史的実証が難しい人物である。井伊直虎とは何者だったのか。このミステリアスな戦国武将の実像にiRONNAが迫ってみた。

今年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公、井伊直虎の素性をめぐり、実は「男」だったという説を裏付ける新たな資料が見つかり、波紋を呼んだ。そもそも直虎に関する資料は乏しく、歴史的実証が難しい人物である。井伊直虎とは何者だったのか。このミステリアスな戦国武将の実像にiRONNAが迫ってみた。

重なったふたつの悲劇

男以上の高い才覚

井伊家最大の危機

大河スタート前に「男性説」急浮上

井伊直虎を男子とする
記述が見つかった古文書。
指さし部分に「おい」
などと書かれている
 戦国時代が舞台となるNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎について、井伊美術館(京都市東山区)は14日、井伊家が所有する古文書に「井伊(次郎)直虎」を男子とする記述が見つかったと発表した。直虎は別の文書から女性とされてきたが、もともと史料に乏しいこともあり、同美術館は「もしかしたら直虎は男だったかもしれない。今後、さらに研究が進んでほしい」としている。
 同美術館によると、古文書は、直虎を補佐していた今川家の武将、新野左馬助親矩(にいのさまのすけちかのり)の娘らから、彦根藩(井伊家)の家老(左馬助の孫)が寛永17(1640)年に聞き書きし、子孫が約100年後にまとめた『雑秘説写記(ざつひせつしゃき)』。「(領地は)新野殿のおいの井伊次郎殿に与えられた」「関口越後守氏経の子が井伊次郎」とあるのが見つかった。
 過去には、関口氏経と次郎直虎の連署がある書状も見つかっていたことも合わせ、井伊直虎が男子だった可能性があるとした。
 ただ、ここには「井伊次郎(直虎)」が井伊家の当主だったかどうかなどは触れられていなかった。
 これまで直虎については、江戸時代中期に龍潭寺(浜松市)の和尚が記した『井伊家伝記』で、度重なる当主の戦死などで幼い男子しか残らず、その後見人として井伊直盛の一人娘の「次郎法師」が「井伊直虎」と名乗って井伊家を救ったとの内容が、記されている。
 京都女子大の母利(もり)美和教授(日本近世史)は「史料が極めて少ない直虎の研究に、新たな進展を示すことになる発見」とした。
 今回の発表にからみ、女優の柴咲コウさん主演の大河ドラマ「おんな城主 直虎」について、NHK広報局は「ドラマはあくまでフィクションであり、影響はないと考えている。1年間、視聴者の皆さまに楽しんでいただける大河ドラマを制作していく」としている。(産経WEST 2016.12.15

「ドラマはドラマ、史実は史実」

すべてを失い地獄を見た後継者

女を捨てて35万石の礎築く

 尼になることを決意した次郎法師(じろうほうし=のちの直虎)は、井伊氏の菩提寺・龍潭寺(りゅうたんじ)の南渓(なんけい)和尚から予想もしなかったことを言われる。

直虎が龍潭寺を父直盛の菩提所とし、諸役を免除する旨を記した
「井伊直虎置文」(龍潭寺所蔵、浜松市文化遺産デジタルアーカイブ提供)
 「出家することは認める。しかし、男となれ」。これには次郎法師も驚いたが、和尚から「直親(なおちか)が家督を継ぎ、嫡男、虎松(のちの直政)も生まれたが、井伊氏の将来が安泰なわけではない。井伊氏本家の血を引く者は、そなたしかいない。本家のためにも、そなたを男として温存しておく必要がある」と言われて納得し、尼ではなく僧として出家する。僧は男であり、還俗(げんぞく)すれば井伊氏を相続できるが、尼だと還俗しても家督を継ぐことができないからだ。
 南渓和尚が危惧したことが現実のこととなる。小野和泉守(おのいずみのかみ)の子で、今川氏の附家老だった小野但馬守(たじまのかみ)が、今川義元(よしもと)の死により今川氏の家督を継いだ氏真(うじざね)に「直親はひそかに松平(のちの徳川)家康だけでなく、織田信長とも通じ、陰謀を企てている」と讒言(ざんげん)したのだ。
 直親は、嫌疑を晴らすため、氏真の居る駿府(すんぷ)城(静岡市)に向かうが、途中で氏真の家臣に襲われ、殺されてしまう。まだ2歳の虎松にも身の危険が迫り、井伊氏の重臣によって匿(かくま)われる。緊急事態に、次郎法師の曾祖父、直平(なおひら)が跡を継いだが、今川氏によって毒殺される。虎松の所在も今川氏にばれそうになり、虎松は僧籍に入った。このような経緯を経て、永禄8(1565)年、次郎法師は直虎と名を変えて、井伊氏を相続し、女惣領(おんなそうりょう)となる。
 直虎は、許嫁(いいなずけ)の直親(なおちか)の遺児・虎松を養子として育て、天正3(1575)年、虎松が15歳になったとき、家康との面会を果たす。家康は直虎に、井伊氏の長年の苦労をねぎらい、虎松の徳川氏への出仕を許した。天正10(1582)年8月26日、直虎が亡くなると、虎松が家督を継ぎ、名を直政と改める。直虎の墓は直親の隣にある。井伊氏は徳川の治世になると、直政の功績もあり彦根藩35万石となり、譜代大名の筆頭格となった。これもすべて女を捨て、男として生きた直虎の存在が大きい。(拓殖大学日本文化研究所客員教授・濱口和久、夕刊フジ 2015.05.23

「おんな城主」は他にもいた

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