今川義元を知らずして、井伊直虎を語るなかれ
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今川義元を知らずして、井伊直虎を語るなかれ

今年の大河ドラマの主人公、井伊直虎の半生に絶大な影響を与えた人物といえば、駿遠三の太守、今川義元であろう。歴史の教科書では桶狭間の敗死ぐらいしか記憶にないかもしれないが、実は当代一の戦国大名だったことはあまり知られていない。本日は「海道一の弓取り」義元の人生を再評価してみたい。

今年の大河ドラマの主人公、井伊直虎の半生に絶大な影響を与えた人物といえば、駿遠三の太守、今川義元であろう。歴史の教科書では桶狭間の敗死ぐらいしか記憶にないかもしれないが、実は当代一の戦国大名だったことはあまり知られていない。本日は「海道一の弓取り」義元の人生を再評価してみたい。

桶狭間の敗死がすべてじゃない

男に左右されるのは戦国の定め

もし生きていれば桶狭間はなかった?

「桶狭間」が直虎も変えた

 井伊直政(なおまさ)が「徳川四天王」の1人として活躍するまでには、ある女性の存在が大きかった。
 南北朝時代から遠江国・井伊谷(いいのや=静岡県浜松市引佐町)を治めていた井伊氏は、戦国時代の荒波の中で存亡の危機に直面していく。この状況を打破するため、女惣領(おんなそうりょう)となって井伊氏を支え、直政を世に出したのが、義叔母で養母でもある次郎法師(じろうほうし)、のちの直虎(なおとら)だ。
 次郎法師は、今川氏の属将、井伊直盛(なおもり)の娘として誕生する。男の子に恵まれなかった直盛は、叔父、直満(なおみつ)の息子である亀之丞(かめのじょう)を婿養子に迎えて、将来は家督を継がせようとした。だが、この結婚を喜ばない重臣がいた。今川氏の附家老、小野和泉守(おのいずみのかみ)である。彼は直満と仲が悪く、もし亀之丞が跡を継げば、直満が井伊氏を掌握し、自分は放墜されると恐れたからだ。
桶狭間古戦場跡(森本幸一撮影)
 天文13(1544)年、小野和泉守が今川義元(よしもと)に、「直満と弟、直義(なおよし)が、今川氏に逆意を抱いている」と讒言(ざんげん)した。すると、義元は、直満と直義を駿府(すんぷ)城(静岡市)に呼び出して殺害する。このとき、義元は9歳だった亀之丞の命まで奪おうとした。
 そこで、亀之丞は、信州伊那郡に身を隠して11年間を過ごす。亀之丞は弘治元(1555)年に帰還するが、身を隠している間に、奥山親朝(ちかとも)の娘と結婚してしまう。許嫁(いいなずけ)の裏切りは、次郎法師にとって、いたたまれなかったに違いない。直盛は、井伊氏を継ぐ資格者が他にいなかったため、やむなく亀之丞を養子とし、直親(なおちか)と名乗らせる。
 永禄3(1560)年5月、直盛は今川義元の上洛に従軍するが、桶狭間(おけはざま)の合戦で織田信長の奇襲攻撃に遭い、義元とともに討死してしまう。
 直親が井伊氏の跡を継ぐと、翌年、虎松(とらまつ=のちの直政)が生まれる。本来ならば、直親と結婚して、井伊氏の跡取りを産むのは、自分であると考えていただけに、次郎法師は複雑な思いがあった。許嫁の裏切り、父の死、虎松の誕生と続くなか、次郎法師は失意のまま、尼になることを決意するが、彼女にとって、思わぬ展開がここから始まっていくのである。(拓殖大学日本文化研究所客員教授・濱口和久、夕刊フジ 2015.05.16

謎を解けば見えてくる

「直虎」の怪演が評判

今川義元を知らずして、井伊直虎を語るなかれ

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