江戸時代はなぜ260年も続いたのか
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江戸時代はなぜ260年も続いたのか

「江戸時代の日本に戻れ」。月刊誌『文藝春秋』の最新号に、人口減少社会を迎えた現代日本が目指すべき「国のかたち」を提唱する細川護熙元首相の論考があった。中身はともかく、近世史研究が進んだ今、江戸時代を再評価する言説が流行りである。とはいえ、ホントに良い時代だったのか?

「江戸時代の日本に戻れ」。月刊誌『文藝春秋』の最新号に、人口減少社会を迎えた現代日本が目指すべき「国のかたち」を提唱する細川護熙元首相の論考があった。中身はともかく、近世史研究が進んだ今、江戸時代を再評価する言説が流行りである。とはいえ、ホントに良い時代だったのか?

「何も変わらない」家康の理想

究極の危機管理策は「御三家」体制

評価はこんなにも変わった

細川さんの意見とは異なりますが…

 最近、江戸時代の良さを見直そうという言説が巷に溢れている。鎖国や身分制度、貧農社会の果てに頻発した飢饉といった負の歴史認識から脱却し、「江戸時代の日本は美しかった」と肯定的に評価しようとする動きである。
細川護熙元首相
=2014年1月(小野淳一撮影)
 月刊誌「文藝春秋」の最新号でも、わが国の人口減少をテーマにした特集の中で、「江戸時代の日本に戻れ」という見出しの論考があった。執筆者は細川護熙元首相である。国立社会保障・人口問題研究所がまとめた推計によれば、日本の総人口は100年後には4500万人まで減少し、江戸時代とほぼ同じ水準に戻るという。
 細川氏はこうした人口減少と超高齢社会の現実を受け止め、「あらゆる面で背伸びをせず、分相応を意識して徐々にダウンサイジングを図り、今後の低成長を前提に置いて考え方や生活様式を改め、『サステイナブル(持続可能な)』社会を作っていくべき」と説く。見出しと執筆者の名前を見た瞬間に大方の予想はついたが、要するに現政権の成長戦略を真っ向から否定したかっただけである。
 以前、「ゼロ成長はそんなに悪なのか」とどこかの新聞も書いていたが、氏の主張も概ね変わらない。「日本が目指すべき『質実国家』の見本がある」と江戸時代の国のかたちを称賛し、経済成長を追い求める社会構造の転換を提唱してはいるが、そもそもこの考え方がどれだけトンデモない発想であるかは、小サイトの連載でおなじみの経済学者、田中秀臣さんが的確に指摘している。こちらもぜひ参照していただきたい。
 さて本日、iRONNAがお届けするテーマは、その細川氏が「範にすべし」と説いた江戸時代である。なぜ江戸時代は260年もの長きにわたり、泰平の世を築くことができたのか。幕府の統治機構や経済政策、当時の文化や慣習など、最新の近世史研究も踏まえ、細川氏の「ご高説」とは違う視点から現代日本が範にすべき知恵を模索したい。(iRONNA編集長、白岩賢太)

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世界に通用した江戸時代の日本人

 現代と江戸時代の日本人を比べて、どちらが世界に通用する国際人が多かったか。私は無条件に江戸時代だったと思う。この場合、国際人というのは、国外で外国語を使ってあるいは専門家として仕事ができるという意味ではない。たとえ言葉が下手でも、宗教や文化の異なった国、異なる文明圏においても「人物」として敬意を払われるだけの人格や見識を有しているということだ。江戸時代では、地方の村の庄屋や世話役クラスの人物でも、世界のトップの社交界でさえも「人物」として一目置かれるだけの精神的な資質と人格を有していた者が少なくなかった。一例として、偶然ロシアに漂着した伊勢の大黒屋光太夫の例を挙げてみよう。
大黒屋光太夫(左)
の肖像画
(大黒屋光太夫記念館蔵)
 彼は地方の商人で廻船の船頭であった。18世紀にアリューシャン列島に漂着し、イルクーツクで学者のラックスマンに認められ、やがてサンクトペテルブルクに行く。フランスの探検家ジャン・レセップスがカムチャツカの町に寄ってロシアの地方長官の家を訪問したとき、偶然その家に滞在していた光太夫を目にしている。レセップスはその旅行記に光太夫について詳しく報告し、作家の井上靖も『おろしや国酔夢譚』でその旅行記にふれている。レセップスは光太夫について、見聞を綿密に日記に記し、自己の考えを臆(おく)せず述べる堂々とした人物として伝えている。
 サンクトペテルブルクでも光太夫は、エカテリーナ女帝に2度拝謁(はいえつ)し、皇太子をはじめ上流階級の人々と交わった。ロシアのトップの社交界でも、一目置かれるだけのオーラを発していたのだ。10年ほどのロシア滞在の後、帰国の機会を得るが、彼が桂川甫周(ほしゅう)に口述した『北槎聞略(ほくさぶんりゃく)』(寛政6=1794=年)は、今日のロシアや欧米においても、18世紀のロシア研究の貴重な資料とみなされている。
 光太夫は、選ばれて日本から派遣された人物ではなく、偶然ロシアに漂流した一庶民にすぎない。私が驚くのは、江戸時代の地方の一般庶民が有していた人間的な資質、知的レベルの高さである。農村でも、少なくとも旧家などには、優れた人材がたくさんいた。島崎藤村は木曾路の本陣のひとつで庄屋でもあった自らの家庭について、小説『夜明け前』に詳しく描いている。江戸時代の末、木曾の山奥でも庄屋や医者の子たちが国を思い、国学や蘭学に打ち込み、日本の開国問題を真剣に論じていた雰囲気が生々しく伝わってくる。
 江戸時代の地方人や地方文化、恐るべしである。今の日本のどこかの市長や町会議長で、いや大臣や国会議員、官僚でも、世界のトップの社交界で知的、人格的にしっかり存在感を示しうる人物がどれだけいるだろうか。私は、明治以後、日本人は立派な業績もあげたが、江戸時代と比べると一般に人間的には幼稚化し、文化的、精神的には貧困化したのではないかと思っている。この点では、まだ明治時代のほうが今よりはるかにましであった。
 たしかに、わが国は欧米の学問や文化を見事に吸収し、近代化を立派に成し遂げた。しかし、日本人を次の基準で総合的に判断したらどうだろう。つまり、凛(りん)とした自尊心と信念、生き方の美学、知識ではなく知恵(叡智(えいち))、そして美意識と遊び心などを統一的に有しているか否かという観点である。残念ながら現代の私たちは、江戸時代の日本人に負けていると認めざるを得ない。といっても私は、現代人が日本人の長所や美点をすべて失ったとは思っていない。国外で生活してみると、日本の長所や日本人の素晴らしさがよく分かる。これからのわが国の政治や教育は、日本人のそして日本の長所と短所をしっかり認識し、その長所を現代的な形で再構築するところから出発すべきだろう。(新潟県立大学教授・袴田茂樹、産経新聞「正論」 2007.03.04)

大都市江戸の生活とは

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