日本人に無宗教が多いという嘘八百
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日本人に無宗教が多いという嘘八百

他人から「どんな宗教を信仰していますか?」と尋ねられたとき、あなたはどう答えるだろうか。「無宗教です」ときっぱり言い切る人も案外多いはずだ。事実、こうした日本人の宗教観を裏づけるデータも存在する。とはいえ、日本人に無宗教が多いというのは本当なのか。無宗教のウソを考える。

他人から「どんな宗教を信仰していますか?」と尋ねられたとき、あなたはどう答えるだろうか。「無宗教です」ときっぱり言い切る人も案外多いはずだ。事実、こうした日本人の宗教観を裏づけるデータも存在する。とはいえ、日本人に無宗教が多いというのは本当なのか。無宗教のウソを考える。

信仰率の低さは世界ワースト7位

失いつつある精神世界

「寛容」か「無節操」か

「和を以って貴しとなす」

 「和を以って貴しとなす」。この聖徳太子の言葉を私は日本憲法の前文に掲げたい。和とは平和の和である。平和を尊ぶ日本の国家基本法の冒頭には、わが国古来の言葉で理想を謳いたい。大和の国の伝統に根ざす和を尊ぶことで国内をまとめたい。和を尊ぶべきことを広く世界に訴え、かつ私たちの行動の指針としたい。和は和諧の和であり、英語のharmonyであり、諸国民の和合である。
聖徳太子の斑鳩宮跡に建立された法隆寺夢殿
 『日本書紀』にある「以和為貴」は、聖徳太子が制定した日本最初の成文法の最初の言葉である。14世紀前の推古天皇12年、西暦604年に十七条憲法は制定された。外から仏教が伝来したとき内なる神道との対立が破壊的な抗争に及ぶことを危惧した聖徳太子は、十七条の第一条で「和を以って貴しとなす」と宣言した。信仰や政治の原理を説くよりも先に、複数価値の容認と平和共存を優先した。大陸文化を導入しようとした蘇我氏とそれに敵対した物部氏の抗争を目撃した太子は、仏教を尊びつつも宗教的熱狂の危険を察知したのだろう。支配原理でなく「寛容」の精神をまず説いたのである。こうした国家基本法の第一条は世界史的に珍しい。というのも世界の大宗教は唯一神への信仰を求める。モーセの十戒は「わたしのほかに、なにものも神としてはならない」を第一条とする。しかし各宗教の神がその基本原理を唱え、原理主義者(ファンダメンタリスト)に忠実に従うよう求めるならどうなるか。宗教的熱狂者が他者を激しく排除し、争いが絶えるまい。
 地中海地域ではキリスト教、ユダヤ教、イスラム教という一神教同士が今も猛烈な争いを続ける。イスラム教も、スンニ派とシーア派に分かれて殺し合いを演じている。西洋で和の思想が生まれたのは、キリスト教同士が旧教のカトリックと新教のプロテスタントに分かれ、宗教戦争で殺し合った結果である。あまりに悲惨な流血への反省から、17世紀に平和共存の思想が宗教の外側から生まれた。寛容の思想の歴史は新しい。
 一神教の世界では、ダンテ『神曲』が描くように、神の敵は容赦なく地獄に落とす。その点、日本人の考え方は例外的だ。八百万(やおよろず)の神の神道は死者は区別せず等しく祀(まつ)る。善人も悪人も神になる。「善(よ)き神にこひねぎ、悪しき神をもなごめ祭る」(本居宣長『直毘霊(なおびのみたま)』)。政治の次元では敵味方を区別する日本人だが、慰霊の次元では死者は区別しない。政治が慰霊をも支配する中国や朝鮮では今もなお政敵の墓を爆破したり(例、汪兆銘)あばかせたり(李完用)する。日本人はそれはしない。宗教心に和の気持ちがしみこんでおり、祟(たた)りをおそれる。死者の差別や分祀(ぶんし)はあり得ない。(比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘 産経新聞『正論』 2014.03.07)

佐藤優が読み解く

「日本の信者は教会の教えに無関心」

 世界のローマ・カトリック教会の司教会議はローマ法王フランシスコの要請を受け、「家庭と教会の性モラル」(避妊、同性婚、離婚などの諸問題)に関して信者たちにアンケート調査を実施したが、日本のカトリック信者を対象に同様の調査が行われ、このほどその結果が明らかになった。
 バチカン放送独語電子版が2月20日に掲載した日本司教会議の報告によると、「日本のカトリック信者はモラルに関する教会の教義を知らない」というのだ。婚姻前の性生活や避妊道具の使用などについて、日本のカトリック信者は「まったく罪意識がない」という。カトリック教義では、避妊ピルやコンドームの使用は禁止されている。教会の聖体拝領に対しても多くの信者は「まったく無関心だ」という。
 日本司教会議関係者は「教会の教えと信者の現実の間には大きな亀裂がある」という。信者たちは教会の性モラルについて教会関係者と話し合うということもない。若い信者の場合、両親の願いで幼少時代に洗礼を受けたが、信仰に対する確信はまったくないというのだ。最近は、信者の間で同性愛者への寛容が広がり、カトリック信者と非信者間の結婚が増加してきている。
 日本司教会議の真摯な分析には感動するが、日本の信者を対象とした調査結果をみて、驚くというより、「それではなぜ、教会に留まっているのか」という素朴な疑問が湧いてきた。教会の教えを無視、関心も持たないというならば、通常の概念からいえば、信者とはとても言えない(日本司教会議によると、同国では約44万人の信者がいる。全人口で0・5%にもならない)。
 司教会議の調査結果は特別驚くべきことではないが、それにしても、日本ではキリスト教が根を張らないのはどうしてだろうか。「日本の風土にはキリスト教のような唯一神教は合わない」という声をよく聞く。森羅万象から神性を感じ、それを拝する日本人は、遠藤周作が主張していたように、父親のような厳格な宗教(砂漠の宗教)ではなく、母親のような包容力のある宗教を求めているからだろうか。(長谷川良「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014.02.23

釈迦は何を説いたのか

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