終戦の日に考えたい靖国参拝の是非
1248

テーマ

終戦の日に考えたい靖国参拝の是非

72回目の終戦記念日を迎えた。安倍首相は靖国神社への参拝を見送り、私費で玉串料を奉納した。そもそも首相が靖国参拝したかどうかを速報ニュースで報じることに何の意味があるのか。まったくもって不思議だが、これもメディアの悪しき慣例であろう。というわけで、靖国参拝の是非を終戦の日に考えてみたい。

72回目の終戦記念日を迎えた。安倍首相は靖国神社への参拝を見送り、私費で玉串料を奉納した。そもそも首相が靖国参拝したかどうかを速報ニュースで報じることに何の意味があるのか。まったくもって不思議だが、これもメディアの悪しき慣例であろう。というわけで、靖国参拝の是非を終戦の日に考えてみたい。

日本共産党の動向次第

例大祭でいいのでは?

理屈ではなく政局の問題

在日外国人には高いハードル

 私のような在日外国人は、親戚(しんせき)や友人が来日すると、日本的な場所の代表として、神社仏閣を観光案内することが多い。東京では、明治神宮や浅草寺が定番である。だが、靖国神社の場合、名前はよく知っていても、観光案内どころか、参拝すら未体験の在日外国人が圧倒的多数派だろう。
 何しろ靖国神社は、首相や閣僚が参拝すると、メディアや政治家がそれを堂々と批判する、日本で唯一の神社である。
 「秋の例大祭」にあわせて、安倍晋三首相が真榊(まさかき)とよばれる供物を奉納したところ、さっそく、NHKやテレビ朝日などが報じていた。さらに、内政干渉や信教の自由の侵害も省みず、中華人民共和国(PRC)や韓国、さらには米政府までもが、首相の靖国神社参拝に「遺憾の意」を表明する。そして、時にはテロの対象にもなる。
 私も長年、「A級戦犯が合祀(ごうし)される靖国神社に自分が参拝する理由があるのだろうか」、あるいは、「A級戦犯は分祀すべきだ」などと考えていた。今振り返ると、東京裁判などの戦後史や、神道について何と無知だったのかと恥ずかしくなる。
 靖国参拝にハードルの高さを感じるのは在日外国人だけでなく、日本人も同様だろう。閣僚経験豊富な有力議員の中にも、靖国参拝に否定的な人物がいる。意図的だとは断じないが、日本のメディア報道を見ていれば、自然にそうなる。(弁護士、ケント・ギルバート「ニッポンの新常識」2016.10.22

Youは何しに靖国へ?

「戦犯」でも英霊は平等

靖国参拝と「死者の権利」

 生前ナチ・ハンターと呼ばれ、戦後も逃亡したナチス軍指導者たちを執拗(しつよう)に追跡したサイモン・ヴィーゼンタール氏(1908~2005年)と2度ほど会ったことがある。どうしても聞いておきたいことがあった。「なぜ、戦争も終わったのにナチス軍幹部たちを追跡するのか。相手を許すという気持ちにはなれないのか」という質問だ。
 ヴィーゼンタール氏は「生きている者が死人に代わって誰かを許すことはできるのか。許せるとすれば、それは死んだ人間だけができることだ」という。だから、逃亡するナチス指導者をとことん追跡して法の前にひっぱっていくのが自分の仕事だと説明した。同氏から「死者の権利」を学んだ。生きている人間は死んだ人間の権利を蹂躙(じゅうりん)してはならないということだ。
 あれから長い時間が経過した。当方は靖国神社の参拝問題について考えている。韓国と中国は「侵略戦争の手先となった人間が葬られている神社を日本の首相が参拝することは当時の戦争を美化するもので許されない」と批判する。中韓の主張に迎合するように、日本の一部メディアは参拝する日本の政治家を批判的に報道してきたのがこれまでの経緯だろう。
 当方は「誰も参拝を受ける死者の権利を奪うことはできない」と考えている。既に亡くなった人間の悲しみ、痛み、恨みを過小評価したり、ましてや批判できる権利を有している人はいるだろうか。「お前の死は犬死にだ」と誹謗(ひぼう)できるだろうか。「お前は戦争犯罪に関与した」といって、その死者を審判できるだろうか。生きている人間が死者に対して唯一できることは、死者の前には頭を垂れて祈ることだろう。韓国の独立のために犠牲となった人物の前にも、日本軍の一兵士として若き命を散らした学徒兵に対しても同じだ。
 繰り返すが、「お前は日本軍の蛮行に関与したので価値のない死だ」、「お前は韓国の独立を叫んで死んだから、民族の誉れだ」といえるだろうか。死者の価値を審判できる人間は1人もいないのだ。死者は、生きていた時の国家とか、民族といった地上の「衣」を久しく捨て去っているのだ。1人の死者として地上の人間に暖かく思い出してもらえることを願っている。このささやかな死者の権利を政治的な思惑などで奪うべきではないだろう。
 数年前、「千の風になって」という歌が大ヒットした。その歌詞の中に「私はもうそこにはいません」という部分がある。その通りだ。墓や神社に死者は眠っていない。死者は時間と空間の束縛のない世界に住んでいる。生きている人間が亡くなった人を思い出す時、死者はそっと近づきその祈りに耳を傾ける。
 政治家の靖国神社参拝問題で日韓中の3カ国が騒がしくいがみ合うことは滑稽だ。どうか、生きている人間の権利を重視するように、死者の権利を尊重し、頭を下げて祈ってほしい。死んだ人間は祈る人間の真心に癒やされるのであって、祈る人間が一国民(私的人間)なのか、総理大臣かは問題ではない。それに拘(こだわ)るのは生きている人間だけだ。(長谷川良「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013.07.26

靖国のあり方が変わるのか

終戦の日に考えたい靖国参拝の是非

みんなの投票

安倍首相の任期中の靖国参拝に期待しますか?

  • 期待する

    910

  • 期待しない

    300

  • どちらでもない

    38