相模原事件、植松聖被告「獄中ノート」

神奈川県座間市のアパートで9人の遺体が見つかった事件は、海外メディアの注目も集めた。昨年7月に相模原市の障害者施設で起きた入所者殺傷事件を引き合いに出すメディアもあったが、猟奇殺人はなぜ後を絶たないのか。相模原事件で起訴された植松聖被告の「獄中ノート」からシリアルキラーの闇に迫る。

正当性を主張する植松被告

 相模原障害者殺傷事件の植松聖被告に最初に接見したのは2017年8月のことだった。「わざわざおいでいただきありがとうございます」。面会室で植松被告は深々と頭を下げた。それから3カ月間、接見に通う間に、半袖シャツだった彼はすっかり冬支度になった。独居房に暖房はないのだという。
 2016年7月26日未明、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた事件は日本中を震撼させた。障害者が大量に殺傷され、死者だけで19人を数えるという前代未聞の事件だった。しかも障害者を襲ったのが、その施設の元職員だったという事実も衝撃だった。
 事件直後に自ら出頭した植松聖被告は、逮捕後、16年9月21日から17年2月20日まで精神鑑定を受け、同年2月24日に起訴された。そして接見禁止が解かれ、マスコミと接触するようになった。当時は連日、新聞記者らが接見していたが、弁護士に止められたこともあり、その後、植松被告はマスコミとの接見には一部を除いて応じなくなった。手紙のやりとりには応じていたが、それも次第に返事を書かなくなった。自分の主張を書いても、マスコミがその中身を報じないことがわかったからだ。
 当初、植松被告はマスコミの接見に応じて、遺族への謝罪を繰り返した。世間は彼が事件について反省したのかと思ったようだが、実はそうではなかった。植松被告は、家族に迷惑をかけたことは詫びたが、事件については全く反省していなかった。事件から1年を経た17年7月、多くのマスコミが植松被告に取材依頼を行い、彼は相当数の手紙を送ったのだが、その内容は自分の犯行の正当性を主張したものだった。
 私は手紙のやりとりを経た後、8月初めに植松被告に接見し、その後も頻繁に彼と接触してきた。その接見報告を含めた、植松被告との対話は、月刊『創』9月号以降、毎号誌面に掲載してきた。ここでは、そのやりとり、及び事件後、掲載してきた関係者などの発言をまとめて公開する。(月刊『創』編集長、篠田博之)

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被害者の匿名問題も未解決

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今こそタブーなき議論が必要

 相模原事件が衝撃的なのは、単に死者が多かったからといったことではなく、戦後、日本社会が敢えて直視してこなかったいろいろな問題を、パンドラの箱を開けるように引きずり出したためだ。例えば措置入院のあり方についてである。精神障害の恐れのある者の犯罪については、警察もなかなか対応できずに精神科医に匙を投げるといった対応で、かつ精神障害者の事件であることがわかった時点でマスコミ報道も途絶えてしまうため、実際にどういう対応がなされて、当事者がどうなったのかについてはほとんど闇の中だった。
篠田氏に届いた植松聖被告からの手紙
 植松被告についても、措置入院のあり方や退院手続きが適正だったかなど、当初問題になりかけたのは記憶に新しい。その後、厚労省の検証チームでもそのことの検討はなされ、精神科医の判断に問題はなかったという見解が出されている。しかし、退院後の植松被告へのフォローがきちんとなされていなかったことなど、対応のシステムに大きな問題があったことが指摘されながら、具体的な対応策は講じられていない。そしてそのことに伴う次の大きな問題点は、植松被告の障害者観がいったいどういう体験を通じて彼の中に生まれたかということだ。この事件の衝撃はとりわけ、障害者施設の職員だった人物があのような想念に支配されるようになったという事実だ。
 植松被告が具体的に津久井やまゆり園の職員の仕事をしながら、障害者への見方が具体的にどう変わっていったのか、自分のその想念が優生思想とどう違うと認識しているのか。そのあたりの核心的な事柄については、彼自身から聞き出す以外方法はないだろう。この事件はそのほかにも様々な問題を社会に投げ掛けた。犠牲になった19人がいまだに匿名であるということも、その背後に差別の問題があることを考えれば深刻な事柄だ。そもそも津久井やまゆり園のような大規模な障害者施設が、まさに人里離れた場所に置かれていたこと自体、障害者差別の歴史を抜きには語れない。
 津久井やまゆり園は1964年設立と古い施設だが、戦後、日本においては重度の障害者については隔離政策がとられてきた。その後、その考えが改められ、「隔離から共生へ」という転換が行われる。大規模な施設に隔離するのでなく、地域の中で共生することで差別をなくしていこうという考え方だ。津久井やまゆり園の建て替え問題でも、そうした経緯を踏まえて様々な議論がなされた。今回の事件は、まさに障害者をめぐる戦後の歴史そのものを問い直すきっかけになったと言ってもよいだろう。
 『創』では、事件発生直後から取材を進め、2016年10月号の総特集を始め、障害者関係や精神科医、津久井やまゆり園元職員など、多くの人たちに話を聞き、誌面に登場いただいた。植松被告との接触は今も続いている。戦後、タブーとされてあまりオープンな議論がなされてこなかった問題を、この機会に議論できればと強く思う次第だ。(月刊『創』編集長、篠田博之)

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