功臣か賊臣か、西郷どんの実像
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功臣か賊臣か、西郷どんの実像

明治維新150年の節目、2018年のNHK大河ドラマは『西郷どん』である。主人公、西郷隆盛は木戸孝允、大久保利通とともに維新三傑に挙げられる英雄だが、その波乱な人生から「幕末の功臣にして明治の賊臣」との評価もある。西郷隆盛とはどんな人物だったのか。知られざる実像に迫る。

明治維新150年の節目、2018年のNHK大河ドラマは『西郷どん』である。主人公、西郷隆盛は木戸孝允、大久保利通とともに維新三傑に挙げられる英雄だが、その波乱な人生から「幕末の功臣にして明治の賊臣」との評価もある。西郷隆盛とはどんな人物だったのか。知られざる実像に迫る。

「清廉潔白」は大ウソ?

「薩摩が動けば日本が変わる」

忘れ去られてしまった功績

近代の意味問い続ける「星」

 かつて西郷星(さいごうぼし)、という言葉があった。明治10年8月、敗色濃厚な西南戦争を西郷隆盛は戦っていた。反政府軍の汚名を着せられ、九州各地を転戦している最中、夜空にひときわ大きく輝く星が突如、現れた。人びとはそれを指さし、西郷星、と言った。それは間もなく西郷が城山の露と消え、天高くこの国を見下ろすことを予感していたからかもしれない。急接近した火星の赤銅色は、人びとの西郷への思慕をかき立てた。市井の人ばかりではない。以後、西郷隆盛は近代日本の思想家たちが、自らの思想を鍛えるときに思いを託す人物となった。すなわち、「西郷隆盛伝説」が生まれ始めるのである。
西郷隆盛終焉の地。明治10年8月24日、
西郷はこの場所で別府晋介の介錯によって
最後を遂げた=鹿児島市
 たとえば『文明論之概略』を著し、日本の近代化を率先牽引(けんいん)した福沢諭吉は戦争直後、西郷へ浴びせかけられる連日の新聞の批判報道に反発して「丁丑(ていちゅう)公論」を書く。西郷が士族を重んじたことは疑いない。しかし、だからといって彼を封建時代を固守する保守的な人物だと批判するのは間違いだ-実際、西郷のほうもまた、ある書簡のなかで福沢の著作を最大限に評価していたのだ。
 また「東洋のルソー」として有名な中江兆民も、西郷隆盛を評価した。フランス留学から帰国した兆民は、勝海舟と西郷隆盛さえ結託すれば、藩閥政府の転覆など簡単にできると思っていた。伊藤博文が創(つく)りつつあった明治新政府に疑問をもちつづけたのが、兆民だった。伊藤を嫌った兆民が、一転して高い評価をあたえ続けたのが頭山満(とうやま・みつる)である。後に右翼=アジア進出の象徴的存在と見なされた頭山を、東洋のルソーは好んだ。「頭山満君、大人(たいじん)長者の風(ふう)有り、且(か)つ今の世、古(いにしえ)の武士道を存して全き者は、独り君あるのみ」(「一年有半(ゆうはん)」)
 その頭山は明治維新期、反政府反乱のひとつ「萩の乱」への呼応を企て投獄されていた。結果、最大の反政府戦争である西南戦争には従軍することができなかった。西郷が自刃した戦争に参加できなかったことが、頭山には悔やんでも悔やみきれない。以後、国会開設をもとめる自由民権運動に参加しつつ、明治12年の暮れ、頭山は鹿児島へと赴いた。西郷隆盛亡き後、その生前の地を訪れ、偲(しの)ぼうと思ったからである。西郷家を守っていた老人から、戦争で死んだことも知らずに来たのか、と詰問されると「西郷は倒れても、その精神ぐらいは残っているだろう」と言ったという。そして『大西郷遺訓』を書いた。
 戦後にいたってもなお、西郷は星であり続けた。たとえば三島由紀夫は自らの晩年の思想を語るうえで、陽明学と大塩平八郎に注目した。そして陽明学と大塩こそ西郷隆盛自身が貪(むさぼ)るように読み、政治哲学をつくりだす基盤だったのだ。
 三島の天皇崇拝を論文「美の論理と政治の論理」で批判した政治思想史の奇才・橋川文三もまた西郷の魅力に憑(つ)かれ『西郷隆盛紀行』という叙情的文章を残す。そして何より驚くべきなのは、文芸批評家・江藤淳が西郷隆盛を評価し死んでいったことなのだ。
 「私はしきりに政治的人間というもののことを考えていた」という一文から始まる西郷論のなかで、江藤は勝海舟を高く評価した。なぜなら政治家や軍人には失敗が許されず、海舟は一度も失敗したことのない人物だったからである。「しかし、そのような海舟が、政治的人間としては大失敗者ともいうべき西郷南洲を、却(かえ)って追慕してやまなかったというのは、どういうわけか…ひょっとすると、海舟もまた失敗したかったのか…それなら西郷の思想とは何か」(『南洲残影』)
 西郷隆盛は、わが国が明治維新いらい築き上げてきた「近代化」の是非を問うとき、必ず参照される。明治政府に近い者も、逆に第二の維新を目指した者も、ともに西郷を指さし自分の言葉を紡いだ。だとすれば「近代日本を診る」ためには、西郷隆盛伝説をたどればよいのではないか-これが筆者が現在考えている、処方箋の一つなのである。(東日本国際大教授・先崎彰容、産経新聞 2016.03.17)

驚くほど正反対の2人

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西郷隆盛と征韓論

実は失敗ばかりだった

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