さらば、星野仙一

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さらば、星野仙一

星野仙一がすい臓がんで亡くなった。プロ野球選手引退後は中日、阪神、楽天で監督を務め、2013年の日本シリーズでは東北楽天を初優勝に導いた。「闘将」の名にふさわしく、数々の乱闘劇や選手に檄を飛ばす姿も印象深いが、彼が野球界に残した功績をたどると、意外な一面も見えてくる。

星野仙一がすい臓がんで亡くなった。プロ野球選手引退後は中日、阪神、楽天で監督を務め、2013年の日本シリーズでは東北楽天を初優勝に導いた。「闘将」の名にふさわしく、数々の乱闘劇や選手に檄を飛ばす姿も印象深いが、彼が野球界に残した功績をたどると、意外な一面も見えてくる。

引退後に進めていた改革

メディアも大事にした男

打倒巨人を貫いた野球人生

WBCの韓国戦を観戦に訪れた(左から)王貞治氏、長嶋茂雄氏、
星野仙一氏=2009年3月、東京ドーム
WBCの韓国戦を観戦に訪れた(左から)王貞治氏、長嶋茂雄氏、 星野仙一氏=2009年3月、東京ドーム
 星野仙一氏は、現役時代、監督時代を通じて「打倒・巨人軍」の野球人生を全うした。その生涯を見事に語り尽くしたのは、昨年1月16日、星野氏が野球殿堂入りした際の杉下茂氏(92)のお祝いのゲストスピーチだった。
 「彼は監督として中日、阪神でリーグ優勝したが、日本一になれなかった。それなのに、楽天で日本一になった。なぜか。相手が巨人だったからだ。中日、阪神では巨人を倒してリーグ優勝したら、日本シリーズでは巨人と戦えないからね」
 明大、中日の大先輩であり、星野氏が頭が上がらない杉下氏が語った“燃える男”の野球人生。現役時代は死球も辞さずの熱投でONを抑え、巨人を倒すことに執念を燃やし、監督になってからもその反骨心は変わらなかった。
 ドラフトで巨人に1位指名されると確信していたのに、指名されたのは1字違いの「島野(武相高校)」。「なんで星野じゃないんだ」という怒りが原点だ。中日監督就任1年目の1987年、熊本での巨人戦での大乱闘事件は今でも鮮明に思い出す。ベンチの指示の故意死球だと激怒したクロマティが大暴れの立ち回り。星野監督は激高して王貞治監督の胸ぐらをつかむという前代未聞の乱闘だった。
 巨人担当記者だった筆者は試合後、巨人の宿舎で王監督に対し、「星野監督に謝罪させないとダメですよ」と迫った。が、王監督は「星野もチームを率いる監督としての立場があるだろう」と、“燃える男”の暴走を断罪しなかった。
 元祖・“燃える男”巨人・長嶋茂雄終身名誉監督も「仙ちゃん、仙ちゃん」と呼んで、可愛がっていた。「打倒・巨人軍」の野球人生を貫いた星野氏だが、永遠のスーパースターONからも認知されていたのだ。
 究極の最終的な夢は現場出身初のコミッショナー。ついに実現しなかったのが、星野氏の野球人生唯一の心残りだったのではないか。(「江尻良文の快説・怪説」zakzak 2018.01.08

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数々の名選手を育てる

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