藤江直人(ノンフィクションライター)

 その両目にはうっすらと涙がにじんでいたようにも映った。強敵コロンビア代表を撃破する主審のホイッスルが、ロシア中部のサランスクの空に鳴り響いた瞬間だった。右MFで先発フル出場した原口元気(ハノーファー)は、ピッチ上にひざまずいてしまった。

 精も根も尽き果てていたのだろう。走った。だれよりも走った。倒れてもすぐに立ち上がり、歯を食いしばってコロンビアの選手を追いかけた。ゴールはもちろん、アシストもマークしていない。放ったシュート数もゼロ。それでも、スプリント回数で実に「56」と異次元の数字をマークした、原口の献身的な頑張りを抜きには2大会ぶりの白星発進は語れない。

 「次こそは絶対に自分が日本代表の中心となって、ワールドカップに出るだけではなく、ワールドカップで勝つための選手になりたいと思ってきました」

 ロシア大会に臨む代表メンバー23人が、西野朗監督から発表された先月31日。会見場となった都内のホテルに偶然にも居合わせた原口が、日本サッカー協会(JFA)広報の粋な計らいもあって、隣接する部屋で緊急の囲み会見に臨んだ。その際に放った、第一声通りの90分間を演じてみせた。

 出場資格があった2012年のロンドン五輪に続いて、14年のW杯ブラジル大会でもザックジャパンの中に名前を連ねることができなかった。そして、ロンドン五輪後あたりから、原口は自問自答を始めている。「自分に足りないものは何なのか」と。

 1991年5月9日に埼玉県熊谷市で産声をあげた原口は、小学生時代から「怪童」として埼玉県下で知られた存在だった。浦和レッズの犬飼基昭社長(当時)の厳命のもと、傘下のジュニアユースに加入した2004年。犬飼氏はジュニアユースのコーチにある指示を出している。

 「きちんとあいさつができて、仲間と一緒にプレーできるまでは、ボールを蹴らせなくてもいい」

 その真意を後に聞いたことがある。JFAの第11代会長を務めていた犬飼氏は「とんでもないやんちゃ坊主でね」と中学1年だった原口を思い出し、苦笑いしながらこんな言葉を紡いだ。

 「1年か2年がたった頃に、コーチから『大丈夫です。ハートができあがりました』と報告を受けたのでボールを蹴らせてみたら、トップチームの選手たちを子供扱いにするくらいの技術を持っていたんですよね」
コロンビア対日本の前半で、コロンビア代表のフアン・クアドラードと競り合う原口元気=ロシア・サランスク(中井誠撮影)
コロンビア対日本の前半で、コロンビア代表のフアン・クアドラードと競り合う原口元気=ロシア・サランスク(中井誠撮影)
 トップチームへ昇格したのは、高校3年生に進級する直前の09年1月。記録を見れば順風満帆な成長の跡を刻んでいたが、同時に犬飼氏をして「とんでもない」と言わしめた、桁違いの「やんちゃ坊主ぶり」も幾度となく顔をのぞかせている。

 練習中の悪ふざけが高じてチームメイトとけんかとなり、蹴りを見舞って左肩を脱臼させ、謹慎処分を科された。途中交代に激怒して試合中にミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現北海道コンサドーレ札幌監督)へ詰め寄り、サポーターへあいさつすることなく帰宅し、翌日に謝罪させられたこともある。

 紅白戦中に出された指示に激怒し、クーラーボックスを蹴り上げて練習を中止に追い込んでしまったのは12年の夏。その後も根気強く原口を指導した日々を、ペトロヴィッチ監督は「私にとっても闘いの連続だった」と振り返ったことがある。

 「私は元気が不得意とする部分を常に求めてきた。彼にとっても簡単な時期ではなかったと思うが、サッカーにおいて何が重要なのかを学んでくれた結果としてプレースタイルが広がり、ボールを持っている時だけでなく、オフ・ザ・ボールの動き、チームのために献身的に守備をする精神を学んでくれた」