小林信也(作家、スポーツライター)

 至学館大学女子レスリング部の栄和人監督が解任された。6月14日に栄氏が一連のパワハラ問題などについて謝罪した、あの記者会見からわずか3日後のことだっただけに、驚きと戸惑いが広がった。

 実は、私は謝罪会見の翌日、明治杯レスリング全日本選抜大会の2日目に駒沢体育館(東京都世田谷区)で栄氏に会っていた。ここ数週間の取材経緯があり、至学館大の谷岡郁子(くにこ)学長とお会いする約束をしていた。

 谷岡学長を探して至学館大関係者の席に向かうと、思いがけず栄氏から声をかけてくれた。そして、両手で握手を求められた。随分前に栄氏を一度取材したことはあるが、ほぼ初対面のようなものだった。

 栄氏は前日に私がコメンテーターとして出演したテレビ番組を見て「あなたの発言に勇気づけられた」と言った。番組出演者の大半が「これは本気で謝っていない」と栄氏を辛辣(しんらつ)に批判する中、このとき私は「(栄氏の)質疑応答の受け答えには含みを感じるが、謝罪自体は真摯に感じた」などと述べたことを記憶している。恐らく、その発言を指していたのだろう。

 栄氏と軽くあいさつを済ませた後、私は谷岡学長の隣に座った。続いて栄氏が座ったため、私の右隣に谷岡学長、左隣に栄氏という2人に挟まれる形で観戦した。それからしばらく、2人とは交互にじっくり話す機会を得た。
2018年6月15日、レスリング全日本選抜の会場で、客席から観戦する至学館大の谷岡郁子学長(左)とレスリング部監督の栄和人氏(右)。中央は筆者=東京都世田谷区の駒沢体育館
2018年6月15日、レスリング全日本選抜の会場で、客席から観戦する至学館大の谷岡郁子学長(左)とレスリング部監督の栄和人氏(右)。中央は筆者=東京都世田谷区の駒沢体育館
 「リオ五輪のとき、選手村の食事では減量がうまくいかない選手もいる。だから30分も離れたホテルで手料理を作り、それを毎日取りに来てもらった」。谷岡学長が当時のこんなエピソードを披露すると、栄氏がおもむろ自分のスマートフォンの中に入っていた五輪選手村での食事風景の写真を探し、見せてくれた。テーブルを囲む選手たちの中には、一連のパワハラ騒動の被害者である伊調馨の顔もあった。

 「リオでもこうやってね、(伊調とは)一緒にやっていたんですよ…」。その言葉をつぶやいた栄氏の顔はどこか寂しそうだった。そんな思い出話などを続けているうちに、女子65キロ級1回戦のマットに栄氏の長女、希和さんが登場した。「実はね、右肩を痛めているんですよ」。栄氏も不安そうにマットを見守った。

 試合が始まると、谷岡学長がすぐに「希和、行けー!」と大声で叫んだ。試合中はずっと大声援だった。一方、栄氏は私の横で何か独り言をつぶやくように戦況を分析していた。そしてリードを奪われて第1ピリオドを終えたとき、「この相手、強いんですよ」と栄氏が耳打ちしてくれた。なんと、希和さんの相手は今年3月のアジア選手権で準優勝した今井海優(自衛隊)だった。