デイトン合意では、国家元首を一人にすることは叶わず、8か月ごとに三民族の代表が輪番制で就任する大統領評議会が設けられた。そして、三民族の代表たちは融和など望んでいなかった。相手を罵倒し、「愛国者」になることで求心力を得て、それぞれの利権を確立した政治家は対立をむしろ利用し合っていた。ボスニアサッカー協会もこれに準じたわけである。

 モラルは低下し、汚職にまみれた。ひとつの協会に3つの民族の会長が君臨したことを問題視したFIFAは、一元化をするように勧告したが、ボスニア協会はこれを実現できず、2011年4月、ついには除名されてしまった。ボスニアからサッカーが消滅したのだ。そこで乗り出したのが、オシムだった。

 オシムは脳梗塞で倒れた身体にむち打ち、それぞれの民族派の最高権力者たちに説得を重ねた。セルビア人共和国大統領のミロラド・ドディックに会いに行ったときは、さすがのオシムに対しても首都サラエボで批判の声が上がった。「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」の二つの民族は「セルビア人共和国」をセルビア人による民族浄化によって強引に作られた侵略支配地域と見ている。侵略者に対して一緒にやろうと請願に行くとは、何という裏切り行為かというわけである。

 他方「セルビア人共和国」のセルビア人はそもそもボスニアのユーゴからの独立をセルビア人の承諾の無いままに作られた憲法違反の建国と考えている。ドディック大統領はロシアのプーチン大統領の後ろ盾を得て、ボスニアから分離してセルビア本国との合併を公約に掲げて宣言しており、サラエボからの使者を「外国人」としてずっと軽視していた。しかし、ドディックはオシムの説得に応じた。「イヴァン(オシム)は私に来てくれた。それが何より大きかった」(ドディック)

 2011年5月26日に開かれたボスニアサッカー協会の総会では会長一元化のための規約改定が満場一致で決議された。こうしてボスニアは国際舞台に再び復帰することができ、盛り上がったモチベーションのままに予選を勝ち抜いてW杯ブラジル大会に出場を決めたのである。

 EUや欧州議会をはじめとする国際的な調整機関が何度もトライしては破たんして来たことをオシムはついに成し遂げたのである。
セネガル戦に望む西野監督(左)と手倉森コーチ=エカテリンブルク(共同)
セネガル戦に望む西野監督(左)と手倉森コーチ=エカテリンブルク(共同)
 統一に向けて何が決め手であったのかをブラジル大会の直前に聞くと、オシムはこう言った。「まず信じることだ。相手をモンスターだと思ってしまうと自分もモンスターになってしまう」