しかし、当時のアントラーズを率いていた石井正忠監督(現・大宮アルディージャ監督)から、柴崎に関して興味深いエピソードを聞いたことがある。

 「岳はずっとラ・リーガに行きたがっていたと、後になって聞きました。だからこそ、決勝戦にかける思いは誰よりも強かったと思います。今思えば、決勝の前に左足のシュートをよく練習していた。レアルを崩すイメージを描いていたのかと思うくらいでしたし、実際に2点とも左足で決めていますよね。自分の欠点を探して、改善していく作業を常に課していく姿勢が岳のすごいところだし、目いっぱいの戦いが続いた中でどんどん伸びていったと思います」

 2016シーズンから柴崎はアントラーズの「10番」を託されている。クラブの黎明(れいめい)期に元ブラジル代表の神様ジーコが背負った、常勝軍団の象徴でもある背番号を1年で返上。挑戦の舞台を、憧憬(しょうけい)の念を抱き続けてきたスペインへと移した。

 2ゴールを見舞ったクラブワールドカップ決勝は、世界へ衝撃を与えるとともに、柴崎に明確な課題を突きつけていた。実際、柴崎はレアル・マドリードとの差をこんな言葉で表している。

 「流れやプレーで見れば通用した部分がフォーカスされているかもしれませんけど、まだまだやらなければいけないことがたくさんある。むしろ大変なのはこれからであり、これからどうしていくのかが重要になってくる」

 柴崎自身も機が熟した、と感じ取っていたのだろう。プロ意識の高さを熟知していたからこそ、大黒柱を託したいと思い描いてきた柴崎の旅立ちが近いことを、鈴木常務取締役も感じていた。
2016年12月、クラブW杯決勝のレアル・マドリード戦の前半、同点ゴールを決める鹿島のMF柴崎=日産スタジアム(中井誠撮影)
2016年12月、クラブW杯決勝のレアル・マドリード戦の前半、同点ゴールを決める鹿島のMF柴崎=日産スタジアム(中井誠撮影)
 「おそらくオファーはある。いつ来るかは分からないけど、覚悟はしています」

 こう語っていたのは川崎フロンターレとの天皇杯全日本サッカー選手権決勝を制し、シーズン二冠を達成した2017年の元日。実際に1カ月後に、柴崎はラ・リーガ2部のテネリフェの一員になった。

 しかし、夢と期待を胸に抱きながら降り立った新天地で待っていたのは、思いもよらない苦しみだった。言葉も文化も食事も風習もすべてが日本とは違うと理解はしていたが、スペインへ適応することに心が急ブレーキをかけた。

 テネリフェでデビューを果たすまでに、約1カ月半もの時間を要した。ホテルの一室に閉じこもる日々がその後の自分を強くしたと、柴崎は語ったことがある。

 「海外でプレーしている選手は改めてすごいと思いましたし、尊敬もしました。異国の地でプレーすること自体が大変だというのは、実際に行ってみないと理解できない。それらが分かったことで、選手としても人間としても大きくなっていくと感じました」

 日本代表の一員として体感とした世界との差も、柴崎の中に芽生えていた、現状に対する危機感を高じさせたのかもしれない。2014年10月14日。中立地シンガポールでブラジル代表と対峙(たいじ)したアギーレジャパンは、0-4の大敗を喫している。