自信を打ち砕かれるたびに「絶対にうまくなってやる」と歯を食いしばりながら立ち上がってきた。機は熟したと判断したのか。2013シーズンのオフに、アントラーズの強化部は10年間在籍した岩政との契約更新を見送っている。

 そこには当時21歳の昌子に、世代交代のバトンを託すという判断が下されていた。クラブの思いを尊重し、笑顔で退団した岩政から「お前なら絶対にできる」とエールを送られた2014シーズン。リーグ戦で全34試合に先発した昌子は、翌2015シーズンから「3番」の継承者となった。

 もちろん、追い風だけが吹いていたわけではない。2015シーズン以降で、チームの低迷から2度の監督解任を経験した。2016シーズンこそチャンピオンシップを下克上の形で制し、クラブワールドカップを経て臨んだ天皇杯決勝も制覇。シーズン二冠を達成し、獲得した国内タイトル数をライバル勢に大差をつける「19」に伸ばした。

 一転して昨シーズンは、J1連覇に王手をかけながら終盤戦に失速。川崎フロンターレの歴史的な逆転優勝をアシストする立場となり、あまりのふがいなさに人目をはばかることなく号泣した。サッカー人生に喜怒哀楽を刻んできた中で、今では独自のセンターバック像を確立している。

 「ミスを引きずったら2点、3点とまたやられて負ける。失点に絡んだことのないセンターバックなんて絶対におらんと思うし、これまでのいろいろな人たちも、こうやって上り詰めてきたはずなので。大きな大会や舞台になるほど、失点した時の責任の重さは増してくる。そういう痛い思いを積み重ねながら、強くなる。もちろん無失点にこだわるけど、サッカーは何が起こるかわからんし、たとえまた失点に絡んだとしてもスパッと切り替えたい」
会見する=
ベルギー戦前日の会見に出席した昌子源=2018年7月1日、ロストフナドヌー
 日本代表における軌跡も然(しか)り。アギーレジャパン、そしてハリルジャパンに継続的に招集されながら、なかなかピッチに立つ機会を得られなかった。それでも失わなかったファイティングポーズが、ワールドカップ出場を決めた昨年8月のオーストラリア代表とのアジア最終予選における先発フル出場につながった。