そこには、バブル経済という特殊な時代状況がかかわっていたようだ。信者から多額の献金が集まったのも、金余りの時代風潮があったからだ。また、信者がオウム真理教に興味を持ち、入信していったのも、そうした時代風潮に虚しさを感じ、修行による解脱を目指したからだった。

 逆に、今はそうした時代ではない。アレフやひかりの輪という形でオウムの教団が残存していても、それがさほど拡大していかないのも、そのときとは時代が違うからだ。富士山麓にオウム王国を築き、サリンの大量製造を行うための大規模なプラントを作ることができたのも、豊富な資金力があってのことだ。

 さらに、現在との時代の違いということでは、「終末観」があげられる。オウムの信者となった人たちは、「オウム世代」とも呼ばれたが、彼らは、1970年代のはじめにはまだ子供で、1999年に世の中が終わるとする「ノストラダムスの予言」を信じた世代である。

 その時代には、小松左京の小説『日本沈没』がベストセラーになり、超能力者を称するユリ・ゲラーという人物がブームを巻き起こした。

 そのとき、大人になっていた人たちは、そうした事柄を真に受けなかったが、子供たちは違った。1999年までしか人生は続かないと信じていた人たちは、実際かなり存在した。

 1999年に世界が終わるという予言は、実際にその年が訪れ、世界が終わらなかったことで効力を失った。そのため、今では、そんなことを信じていた人たちがいたことについて想像力が及ばなくなっているが、それがオウムの事件の背景にあったことは間違いない。
解体を前に報道陣に公開された山梨県上九一色村の第7サティアン=1998年9月
解体を前に報道陣に公開された山梨県上九一色村の第7サティアン=1998年9月
 そして平成の終わりに、オウムの事件は最終的な決着を迎えようとしているが、そもそもオウムの存在が一般に知られるようになったのは、平成の最初の年だった。

 31年続くはずの平成の時代は、その始まりと終わりでは、状況が大きく変化した。その間には、オウムの事件もそうだが、米同時多発テロや、東日本大震災による福島第一原発の爆発事故など、世の終わりを思わせるような事件がいくつも起こった。

 逆に、そうした想像もできなかった事件が起こったことで、世の終わりに対する想像力が働きにくくなったという面はある。バブルが過去のことになった今、オウムが起こしたものと同種の事件が、それほど遠くない将来に起こることは考えられないのではないだろうか。