これに対して、自民党支持層に特徴的なのは、「表現の自由を優先する」が「リテラシーを身につけて注意する」より高い割合で支持されている点である。その理由については、また別途検討する必要があるだろう。
図5 2ちゃんねる利用/自民党支持とヘイトスピーチに対する対応(2017年3月調査より,%)
図5 2ちゃんねる利用/自民党支持とヘイトスピーチに対する対応(2017年3月調査より,%)
 さて、ここまでは、一般ユーザーのヘイトスピーチに対する意識を検討してきた。そして、「規制」を要請する意識が予想外に高いことが分かった。その意味では、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)発の「祭り」は、一般ユーザーの意識に沿っているとも言える。

 その一方で、このような「祭り」にある種の暴力性、集団圧力のようなものを感じて、不快に感じる向きも少なからずいるだろう。

 ただし、この「祭り」の効果は極めて間接的であり、また限定的である。というのも、先にも述べたように、実際に投稿を削除したりアカウントを停止したりする権限を持っているのは、グーグルやツイッターなどの大手IT企業である。ユーザーからの通報を受けて、ある投稿がヘイトスピーチなのかそうでないのかを判定するのも、これらの企業である。

 従来なら通報先となったはずの国家や司法は、(先に挙げた法務省のキャンペーンのように)外部からプロモーションを行っているに過ぎず、法制化されたといっても罰則などはないのである。だから「BAN祭り」は国家(警察)や公的機関には通報しない。グーグルやユーチューブやツイッターに通報する。

 今やヘイトという社会悪を裁くのはIT企業なのだ。いつのまにか、IT企業こそが「公(おおやけ)」を担う主体になったのかもしれない。

 この構造を踏まえるならば、将来、「規制」をたてに「表現の自由」に行きすぎた制限をかけてくるのは、IT企業かもしれないのである。

 まだまだ書きたいことは多々あるが、今回の「BAN祭り」から浮かび出てくるもっとも興味深い謎は、右翼-左翼、あるいは保守-革新の軸と、この運動の対抗軸とはどのように交差しているのか、あるいはすれ違っているのか、という問題である。

 「YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ」のサイトには、「ハンJ民(5ちゃんねるユーザー)は叩くと面白い音がするオモチャで遊んでるだけです。 正義の鉄槌を期待している方々のご期待には沿えないかもしれません。 ツイッターの人たちも別に動いているので、こちらで行動することもできます。→『#ネトウヨ春のBAN祭り』『#ネトウヨ夏のBAN祭り』」と主張されている。
(iStock)
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 「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)」とは、結局私たちの社会に何をもたらしたのか。開設以来すでに20年を過ぎた今、利用者-非利用者も含めて改めて考えることは意味があるのかもしれない。