ただ、世の中は常にそういう信頼が保たれている状況にはなく、ある時には人為的規制を加えねばならないこともある。現在で言えば、ヘイトの言論がその対象だ。だが、それでもなるべくなら国家や警察が取り締まるという形にならない方がよい。利用者など市民の側から自主的に、良識が働いていくという形が望ましい。

 その意味では、今回のヘイトの告発という動きはかなり注目すべきだ。ネットという道具が浸透し始めて、ようやくこういう動きが出るようになったという意味で、一つの転機と言えるかもしれない。

 ただ、言論や表現の評価は難しいため、中には「俺の言論はヘイトではないのだから削除は不当だ」という人もいるかもしれない。そこはユーチューブ側の力量が問われるところではあるが、そういう申し立てがあれば受け止めて検討する機能を保証すればよい。

 今まではどんなひどい言論でも野放図に発信できたわけだが、そうではなくある種の自浄作用が働く状態を標準として、それに不服がある人は申し立てるというやり方だ。本来はそちらのほうがあるべき形だと思う。匿名発信をよいことにプライバシー侵害や嘘の情報垂れ流しという状況が続く方が異常なのだ。

 特定のメディア企業だけでなく、一般市民がメディアを使いこなせるようになることによってこそ、インターネットという革命的な道具は正しく威力を発揮できるようになるはずだ。今回の「なんJ民」の動きは、まだどうなるかわからないし、一つの萌芽(ほうが)というべき現象だろう。

 しかし、利用者の間で自主的に起こったという経緯や、参加者たちが「祭り」として楽しんでいるというありようなど、この現象の持つ新しさは、かなり注目すべきものであるような気がする。

 東京・新大久保で大きくなったヘイトデモに対して、その数を上回るほどの市民が集まってヘイトをやめろと声をあげたように、市民の自主的動きとしてある種の社会的バランスが働いていくことが望ましい。
2018年6月、川崎市の市教育文化会館で開催予定だった集会に抗議し、座り込む市民ら
2018年6月、川崎市の市教育文化会館で開催予定だった集会に抗議し、座り込む市民ら
 ヘイトスピーチ規制については、思想の自由市場にゆだねるのでなく、ある種の法的規制もやむなしという見方が多数で、私も、歴史的過渡期においてはそれもやむをえないと考えている。

 ただ、本来は国家や警察がなるべく介入しないほうがよいのは当然で、思想の自由市場がきちんと機能するような状況をネット社会においてもなるべく早く作り上げなければいけないと思う。

 私は匿名なら何をやってもいいんだという風潮を早く一掃し、市民も自分の言論には責任を持つという社会意識が早く一般化してほしいと思う。そうならなければ、インターネットという道具は、人類にとってのその革命性を発揮できずに終わってしまうことになりかねないと思っている。