しかし、「祭り」は心のエネルギー補填のために消費されてしまうものでもあります。「祭りのあと」は消費された残骸しか残らず、ちょっとしたむなしさも伴います。

 つまり、競技としてのサッカーには、何も積み上がっていないのです。仮に、競技として育てる文化をサッカー文化と考えるなら「4年に一度の祭り」として消費されるサッカーを見ると「サッカー文化が根付いていない」と歯がゆくなることでしょう。

 私はただの心理学評論家であり、サッカーの専門家ではありませんが、識者が言うサッカー文化とは競技としてのサッカーを育てる文化ではないかと思うことがあります。

 例えば、週末のスタジアムではひいきチームの勝敗だけでなく、敵味方を問わぬ良いプレーを楽しむ。また、名プレーヤーには子供のお手本が求められ、学齢期の少年少女はそのプレーヤーに憧れて、そのプレーや振る舞いをまねし、そんな様子を大人が温かく見守る、こんな文化ではないかと思われます。

 このような文化は、学齢期のサッカー大会の優勝やプロを目指す育成だけでは根付きません。優劣や勝ち負けが目標になると、日々の楽しみとして心の中に位置づけにくくなるからです。

 実は、大学教育界では大会で成果を出す競技スポーツではなく、レジャー・レクリエーションとして楽しむ競技スポーツが注目されています。日本では野球がその大きな地位を占めていますが、世代を超えて家族で楽しむスポーツとしてサッカーが選ばれるようになると、本当のサッカー文化が育っていくものと思われます。
ベルギー戦の後半、パブリックビューイング会場で悔しがる日本サポーター=2018年7月3日、東京都港区(佐藤徳昭撮影)
ベルギー戦の後半、パブリックビューイング会場で悔しがる日本サポーター=2018年7月3日、東京都港区(佐藤徳昭撮影)
 サッカーは世界で最も愛されているスポーツです。私はサッカーの素人ですが、その魅力は直感的に、そして心理学的に理解できるところもあります。ボール1個と広場さえあれば、サッカーは誰でもどこでも行えるわけです。

 だからこそ、優劣を競う競技としてではなく、お互いに楽しむ競技として世代を超えた日々の楽しみになる可能性を秘めたスポーツでもあるのです。親と子がともに楽しめて、さらに祖父と孫もともに楽しめる。このよう伝統ができれば、競技としてのサッカーが育つ文化になることでしょう。素人も素人なりに競技としてのサッカーを楽しむことがサッカー文化の礎になるのかもしれません。