重村智計(東京通信大教授)

 トランプ米大統領は6月12日、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長との米朝首脳会談後の記者会見で「北朝鮮の『非核化』費用は日韓が負担する」と述べた。さらに、トランプ大統領は拉致問題解決後の北朝鮮への経済支援にも言及した。

 そんな中で、北朝鮮への経済支援をめぐり、日朝の秘密交渉による「1兆円超」という支援額が一人歩きしている。だが、日本政府が把握していない拉致被害者全員について、北朝鮮が明らかにしない限り、経済協力資金を拠出すべきではない。

 いったい「1兆円」という数字は、誰が北に伝えたのか。私の取材によると、最初は金丸信元副総理である。

 自民党の実力者であった金丸氏は1990年9月に訪朝し、金日成(キム・イルソン)主席と2人だけの極秘会談を行っている。この会談で、金丸氏は日本側の通訳を同席させない大失敗を犯しており、日本の「大政治家」の外交感覚のなさに驚く。秘密会談に同席した北朝鮮側通訳と、会談を準備した関係者によると、話し合いは次のようであった。

金日成「日朝が国交正常化したら、どのくらいの経済協力資金をいただけますか?」
金丸 「大蔵省が50億ドルというだろうが、北朝鮮は100億ドルを要求してください。私が間をとって、75億ドルにするからどうですか」

 これは外交ではなく、「国会対策」の手法だ。しかも、金丸氏は拉致問題に言及することなく、経済協力を約したのである。支援額の75億ドルは、当時の為替レートで約1兆円であり、これが「1兆円の約束」の始まりだ。金主席は、中国側から「50億ドルだろう」と伝えられていたので、事実上の増額の申し出に喜んだ。

 2回目の「1兆円の約束」は、2002年の日朝首脳会談だ。このとき、北朝鮮の「ミスターX」と秘密交渉を行った田中均アジア大洋州局長は交渉記録を残していなかった。この事実は、官房副長官として会談に同席していた安倍晋三首相が後に明らかにし、田中氏を非難した。この際に「1兆円覚書」が渡されたのではないかと私は見る。

 なぜなら、金正日(キム・ジョンイル)総書記は平壌で、外国の要人と「無料」で会見したことはないからだ。事実、2000年6月に南北首脳会談で会談を行った金大中(キム・デジュン)元大統領も5億ドル(約500億円)に上る「面会料」の支払いを認めた。対北の経済支援に関する権利を得たい韓国の財閥、現代グループの鄭周永(チョン・ジュヨン)オーナーも3億ドルを支払っている。
2002年9月、日朝首脳会談を前に、北朝鮮の金正日総書記(右)に握手を求め歩み寄る小泉純一郎首相(当時)。その右は官房副長官時代の安倍晋三首相(代表撮影)
2002年9月、日朝首脳会談を前に、北朝鮮の金正日総書記(右)に握手を求め歩み寄る小泉純一郎首相(当時)。その右は官房副長官時代の安倍晋三首相(代表撮影)
 「金正日は小泉純一郎首相にタダで会ったのか」。私の問いかけに、北朝鮮側の当局者は「将軍様がタダで会うわけはない」と答えた。その上、ミスターXが「国交正常化と100億ドルの経済協力資金を出すとの覚書をもらっている」と話してくれた、と明かしたのである。

 もしそうならば、日本政府はこの「覚書」を出すように北朝鮮に要求すべきだ。経済支援算出については、過去の不透明な約束を公開し、支援額の透明性ある根拠を示さなければならない。

 実は、日朝の実務者協議で、北朝鮮の交渉者は私的な会話の際に、日本外務省の課長に対し「1兆円の約束はいつ実行してくれるのか?」と聞いてきた。日本側にはその意味が分からなかった。文書も証拠も残っていないからである。

 また、歴代の米大統領、ジョージ・W・ブッシュ氏とオバマ氏は拉致問題解決の経済協力資金について、「核開発に使われるから出さないでほしい」と日本に要請してきた。しかし、トランプ大統領は資金の拠出に関して、金委員長に「拉致問題を解決しないと、日本は経済協力資金を出さない」と伝えている。裏を返せば、米国が拉致問題による日本の資金拠出を認めたことを意味する。