清義明(フリーライター/オン・ザ・コーナー代表)

 サッカー日本代表の試合の夜になると、渋谷のスクランブル交差点に集まる、あの「ハイタッチ・フーリガン」の皆さんに話を聞いたことがある

 クールジャパンの象徴とも言えるあの渋谷に、関係ない者からすれば、はた迷惑な連中が集まる光景はもはやお約束の光景だ。その彼らが何者であるか、ほとんどの人は知らないだろう。ましてや、その自然発生のメカニズムはもっとわからないだろう。

 集まった彼らの表情は本当に楽しそうで、天真爛漫といった風情である。話を聞くと、知らない人と街中を占拠して感情を発露できる楽しさを語る。では、彼らが本当にサッカーに興味があるかというと、それはまた別だ。

 不思議なことに、彼らのほとんどはいわゆる「サッカーサポーター」ではない。サッカーなどほとんど普段見ないし、Jリーグや海外サッカーの知識も、せいぜいワイドショーやニュースのダイジェスト映像で知っている程度のもので、それは日本国民の平均的なサッカー知識と変わらないだろう。肝心の日本代表の選手といえども、名前と顔が一致するのはベテランや人気選手程度のものという人までいる。

 ここで豆知識。彼らが普段サッカーに興味がないというのを判別するのは、彼らが歌う日本代表のサポートソングをよく聞けばいい。「オー、ニッポン!」という歌声には、本来スタジアムで歌われている「バモ!」(スペイン語で「行け!」という意味)という歌詞が抜けている。

 スタジアムに通ったり、毎週末に海外サッカーをテレビで熱心に見ているようなサッカーファンなら、この「バモ」の意味はおおよそわかるだろうが、普通の人は確かに知らないだろう。もちろん、こんなことは知らないでもよろしいウンチクにすぎないものではあるけれど。
 
 このようなことは別にサッカーに限ることではない。平昌五輪では、皆さんは羽生結弦や高木美帆や葛西紀明などの日本人選手に声援を送り、その活躍を誇らしく思ったことだろう。テレビなどのメディアでもアイドル並みの扱いだ。

 しかし、私たちはフィギュアスケートやスピートスケートやスキーのジャンプ競技など、普段見ることはない。これが話題になるのは、日の丸のワッペンが彼らの華やかなウエアの胸に貼られ、頭上に日の丸の旗が翻る時だけだ。もちろん、テレビで話題になるのは、さらにその選手がメダルを取る可能性がある時だけだ。

 そうすると私たちは本当にスポーツに興味があって、オリンピックやワールドカップで選手やチームを応援するのかというと、それはやはり甚だ疑問と言わざるを得ない。私たちは本当のところ、好きなのはスポーツなのではなく日の丸なのではないかとも思う。
2002年6月、サッカーW杯のチュニジア戦で日本が勝利し、渋谷ハチ公前交差点のど真ん中で騒ぐサポーター(大西史朗撮影)
2002年6月、サッカーW杯のチュニジア戦で日本が勝利し、渋谷ハチ公前交差点のど真ん中で騒ぐサポーター(大西史朗撮影)
 2002年に日本で初めてワールドカップ開催された。この時、一つ何かが変わった。大きな日の丸を振って若者が「ニッポン!」と熱狂する。渋谷のスクランブル交差点はこの時は初めてハイタッチフーリガンが出現した。しかし、その表情には、例えば識者が危惧するような右派的な「愛国」の真剣さは感じられない。

 イギリスのサッカージャーナリスト、サイモン・クーパーはこれを「休日用のナショナリズム」と呼んだ。日本にはサッカーに託して他国を憎悪することによって得られるナショナリズムは感じられない。