侵略を受ける側は、侵略をしてくる側をよく思うはずがないですよね。搾取されていくわけですから、反発が起こります。もちろん、文明の力を取り入れて自らに利しようとする人たちはいるでしょうし、実際いました。織田信長が鉄砲を取り入れて日本を統一していったように、先進技術や文明の力を取り入れて手を組もうとする人たちもいますが、多くは反発します。

 そして、侵略者たちが信じている、核心になっているものに対しても反発が起こるのが普通でしょう。例えばキリスト教を信じているという侵略者たちが、口では愛とかなんとか言っておきながら、ものすごい勢いで搾取をして現地の人々を隷属化していく。そういうことが起こってきたときに、志のある人たちは反発しますよね。その反発は、侵略者たちが信じている宗教に対する反発にもなるわけです。

 でも、侵略者たちの力があまりにも大きいがゆえに、やがて取り込まれて、そして教化されるようなことが起こります。植民地化された国にキリスト教会が入っていき、現地が搾取され教化されるという形は、世界中のいろいろな国で見ることができるでしょう。

 南米でもカトリックの信徒がほとんどで、フィリピンでも同じです。それは、どのような宗教を信奉する国が現地を侵略し、また植民地化するのか、まさにそのことが影響するわけです。

 そこで韓国を考えてみましょう。韓国を植民地化した国はどこかといえば、日本です。ところで、日本はキリスト教国家と言えるでしょうか。その当時の帝国日本という国家の基軸となるような宗教があったとすれば、それは「国家神道」です。

 植民地化されると感じれば、朝鮮民族としての自負心を強く持っている民族主義者たちは抵抗するでしょうし、実際に抵抗しました。彼らは、自らを搾取し植民化しようとするものたちの背後にあるものにも一緒に反発します。宗教にだって反発するでしょう。そこで神社参拝の問題が特に出てくるわけです。

 もしも、日本の背後にある宗教がキリスト教であったなら、彼らはキリスト教に対する反発を持ったのではないでしょうか。しかし朝鮮半島ではそうではなかったわけです。それは「国家神道」でした。

 そしてもうひとつ、彼らの民族的な精神、あるいは民族独立の運動を支持する人たちがいました。それがキリスト教の宣教師たちだったわけです。
宣教師が韓国の信者に洗礼を施す様子=2018年4月5日、韓国・ソウル(中田真弥撮影)
宣教師が韓国の信者に洗礼を施す様子=2018年4月5日、韓国・ソウル(中田真弥撮影)
 朝鮮の人々から見れば、日本に無茶苦茶なやり方で入って来られたという思いが強い中で、宣教師たちはそんな彼らをかわいそうに思い、愛をもって助けようと、朝鮮側の立場になったことでしょう。

 宣教師たちからすれば、日本は朝鮮の人々の自由を奪っていく、そのような行為はキリスト教の愛の精神に反するわけですから、朝鮮の民族独立運動家と共に反日に動きました。それでナショナリズムとキリスト教が結びついていった、という側面があったのではないでしょうか。